崎門学脈系譜(三宅尚齋門下)
 

この系譜図は岡直養が昭和15年に編集したものに若干の補正を加えたものである。岡氏の跋に、彼の編んだ「崎門学脈系譜」は楠本碩水が明治36年に編んだものを、内田遠湖と岡直養が補録し、池上幸二郎や関田駒吉など、多くの人の捃摭によって完備されたとある。私が参考にしたのは梅沢芳男氏自用本であり、彼もまた編集に参加した一人である。


三宅尚齋門下

 ├ 三宅尚齋 名は重固。丹治と称す。播磨明石に生まれる。京都に住む。寛保1年(1741)1月29日没。年80。
     ├ 山内豐常 土佐第七代藩主。土佐守と称す。享保10年(1725)9月2日没。年15。
     ├ 山内豐敷 土佐第八代藩主。土佐守と称す。父は規重。明和4年(1767)11月19日没。年56。
     ├ 土岐頼稔 上野沼田城主。丹後守と称す。延享1年(1744)9月12日没。年50。
     ├ 佐竹義道 壱岐守と称す。致仕の後和泉守と称す。秋田支藩主。明和1年(1764)12月7日没。年64。
     ├ 天木時中 善六と称す。尾張知多郡須佐の人。元文1年(1736)9月16日没。年40。初め佐藤直方に学ぶ。
     │  ├ 川島桃津
     │  │  └ 志村五城 名は實因。一名は士轍。字は子環。勘右衛門と称す。初めの号は東華。陸中江刺郡羽黒堂の人。仙台藩に仕える。天保3年(1832)5月18日没。年87。
     │  │      ├ 志村東嶼 名は時恭。字は仲敬。東蔵と称す。別号は東洲。志村五城の弟。仙台藩儒。享保2年(1717)5月24日没。年51。久米訂齋にも学ぶ。
     │  │      │  └ 大槻平泉 名は清準。字は子繩。民治と称す。陸中西磐井郡山目の人。仙台藩儒。嘉永3年(1850)1月17日没。年78。
     │  │      └ 志村蒙庵 名は弘強。字は仲行。篤治と称す。別号は石溪、菊隱、獲心軒。仙台藩儒臣。弘化2年(1845)1月14日没。年77。
     │  ├ 伊門善蔵 伊予の人。
     │  └ 久我兵衛門 伊勢長嶋藩儒臣。
     ├ 多田蒙齋 名は維則。一名は篤靜。儀八郎と称す。別号は東溪。秋田佐竹氏及び館林松平氏に仕える。京都の人。明和1年(1764)8月26日没。年63。
     │  ├ 多田維長 多田蒙齋の長子。
     │  ├ 多田維厚 多田蒙齋の次子。
     │  └ 山本子方 
     ├ 味池宗穩 名は安貞。權兵衛と称す。播磨箱木の人。味池修居の父。正徳4年(1714)4月18日没。年44。
     ├ 味池修居 名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。
     │  ├ 白洲良弼 順次郎と称す。播磨三田の人。明和7年(1770)6月10日没。
     │  │  ├ 味池鐵彌 味池修居の子。宝暦8年(1758)9月25日没。年25。
     │  │  └ 白洲思亭 名は子貞。白洲良弼の子。
     │  └ 各務重興 播磨美嚢郡の人。
     ├ 玉田柔庵 名は義道。播磨印南郡細工所の人。寛保2年(1742)没。年75。佐藤直方にも学ぶ。
     ├ 玉田黙翁 名は信成。喜内、久左衛門と称す。別号は虎溪庵、適山。玉田柔庵の次子。天明5年(1785)5月3日没。年89。
    │  ├ 玉田志山 名は維寧。新内と称す。玉田黙翁の子。
    │ ├ 浦上玉堂 名は孝弼。字は君輔。兵右衛門と称す。備前岡山の人。絵師。文政3年(1820)9月4日没。年76。
     │  ├ 股野玉川 名は充美。才介と称す。播磨の人。龍野藩儒臣。文化3年(1806)7月2日没。年77。
     │  │  └ 股野資原 股野玉川の子。
     │  ├ 松尾靜庵 名は宣明。播磨の人。龍野藩侍医。
     │  ├ 高尾蘭谷 名は義典。播磨の人。龍野藩儒臣。
     │  ├ 齋藤一彌 播磨の人。
     │  ├ 藤江龍山 名は致遠。播磨の人。龍野藩儒臣。
     │  ├ 國枝潛窟 名は士謙。播磨の人。龍野藩儒臣。
     │  └ 合田麗澤 名は誠美。字は積仲。別号は白賁軒。播磨の人。姫路藩儒臣。父名は敬直で迂齋門下。祖名は利貞で闇齋門下。
     │      ├ 合田由齋 名は誠崇。紀一郎と称す。合田麗澤の子。
     │      ├ 大村黙齋 名は顯蔵。長左衛門と称す。播磨の人。
     │      ├ 宇津木縮齋 名は敬寛。和平次と称す。播磨の人。御牧直齋にも学ぶ。
     │      ├ 柴田強齋 名は勝任。權五郎と称す。播磨の人。御牧直齋にも学ぶ。
     │      ├ 町田涵室 名は資深。新二郎と称す。別号は新庵。播磨の人。寛政7年(1795)5月7日没。御牧直齋にも学ぶ。
     │      ├ 黒崎愼齋 名は利濟。坦平と称す。播磨の人。
     │      ├ 久松順則 播磨の人。
     │      ├ 稲若保方 久平と称す。播磨の人。御牧直齋にも学ぶ。
     │      ├ 高須信好 播磨の人。
     │      ├ 大田新齋 名は安道、後に安和。伊兵衛と称す。別号は敬簡堂、仰行亭。姫路藩家老格。江戸年寄約。
     │      │  └ 大田九十郎 大田新齋の子。御牧直齋にも学ぶ。
     │      └ 河合寸翁 名は宗鼎、後に道臣。字は漢年。隼之助と称す。別号は白水、竹墩、蘭窩、明強齋。姫路藩家老。天保12年(1841)6月24日没。年75。鈴木遺音、御牧直齋にも学ぶ。
     │          └ 河合屏山 寸翁の養子。姫路藩大参事。明治9年(1876)8月14日没。年74。
     ├ 唐崎彦明 名は欽。金四郎と称す。安芸竹原の人。竹原先生。唐崎清繼の第四子。辛齋の弟。長嶋藩に仕える。宝暦6年(1756)4月24日没。年43。
     │  ├ 永井明卿 字は孝欽。淳平と称す。備後三原の人。三原藩儒臣。寛政6年(1794)7月10日没。
     │  └ 市川影山 名は景淑。字は理中。備中の人。長嶋藩士。明和1年(1764)没。
     ├ 服部梅圃 名は行命。與右衛門と称す。摂津豊島郡浜村の人。服部栗齋の父。宝暦5年(1755)11月12日没。年70。
     ├ 井澤灌園 名は剛中。字は子悦。遠治と称す。別号は強齋。播磨高砂の人。京都に住む。宝暦5年(1755)4月12日没。年51。
     │  └ 本郷禿山 名は敬勝。定蔵と称す。播磨加古川の人。儒医。天明4年(1784)11月10日、大坂にて没。年56。
     │      └ 本郷厚齋 名は敏愼。良蔵と称す。本郷禿山の子。文化4年(1807)6月20日没。年42。御牧直齋にも学ぶ。
     ├ 江村北海 名は綬。字は君錫。萬蔵、傳左衛門と称す。京都に住む。天明8年(1788)2月2日没。年76。
     ├ 稲庭正義 名は善藏、後に善之進。和泉の人。小浜藩に仕える。宝暦2年(1752)10月4日没。年48。
     ├ 柴田剛四郎 肥前唐津の人。宇井黙齋の舅。
     ├ 内藤有全 元吉と称す。日向高鍋藩儒臣。享年73。
     │  └ 内藤有恒 内藤有全の子。高鍋藩明倫堂教授。
     ├ 伊藤遠治 名は靜。
     ├ 富山順治 讃岐高松の人。
     ├ 石川黙齋 名は元利。治平と称す。京都の人。処士。
     ├ 岡田松庵 名は守正。字は眞甫。專次と称す。別号は東皐。美作の人。大坂に住む。
     ├ 桑名元章 文蔵と称す。桑名黙齋の孫。仙台の人。延享4年(1747)7月没。年33。
     ├ 小口金吾 奧金吾ともある。
     ├ 津田近義 勘六と称す。加賀の人。宝暦11年(1761)12月10日、京都にて没。年71。
     ├ 三宅典昌 傳之助と称す。久米訂齋にも学ぶ。
     ├ 緒方脩齋 京都の人。佐竹壱岐守に仕える。
    ├ 竹島傳右衛門 山城寺田の人。享保7年(1722)9月26日没。
    ├ 宮崎權十郎 伊勢津の人。享保5年(1720)7月、近江水口にて没。
     ├ 菅野綸齋 字は子和。勘平と称す。寛政11年(1799)7月5日没。菅野兼山の子。
     ├ 村士淡齋 名は宗殖。彌右衛門と称す。村士玉水の父。福山藩儒臣。安永1年(1772)8月5日没。年73。
     ├ 福井楓亭 名は輗。字は大車。柳介、立助と称す。京都の人。儒医。寛政4年(1792)9月27日、江戸にて没。年68。
     ├ 福井敬齋 名はイ。字は小車。別号は衣笠山人。楓亭の弟(子)。儒医。寛政12年(1800)12月24日没。
     │  └ 河井正秋 大坂の人。
     ├ 吉武法命 名は義質。團四郎と称す。肥前唐津の人。宝暦9年(1759)12月3日没。年77。稲葉迂齋にも学ぶ。
     │  └ 大草晩翠 名は政コ。銃兵衛と称す。唐津の人。明治6年(1873)8月16日没。年70。
     ├ 竹崎勘治 
     ├ 森 熊市 
     ├ 宮部白進 後の号は薬師寺方正。忍藩に仕えるが去る。稲葉迂齋にも学ぶ。
     ├ 松井一學 日向佐土原の人。
     ├ 正井黙齋 文十郎と称す。玉井黙齋ともある。
     ├ 岡本潛齋 名は瑞泉。
     ├ 宇佐美養庵 宇佐美春庵ともある。
     ├ 三木信成 治武左衛門と称す。宝永4年(1707)没。
     ├ 辛島雲嶽 名は淳義。一名は義光。熊本藩儒臣。享保18年(1733)8月2日没。
     │  └ 辛島青溪 名は光輔。字は翼之。義助と称す。辛島雲嶽の子。時習館教授。寛政5年(1793)4月21日没。年70。
     │      └ 辛島鹽井 名は知雄。一名は憲。字は伯彝。才蔵と称す。辛島青溪の子。時習館教授。天保10年(1839)2月23日没。年86。
     ├ 山宮雪樓 名は維深。字は仲淵。別号は翠猗。官兵衛と称す。江戸の人。羽後亀田藩岩城氏に仕え、後に館林藩に仕えるが去り、直ぐに殞命。年40。
     │  ├ 平井統平 新蔵、豐之助と称す。若狭の人。
     │  └ 上月典則 
     ├ 福原内蔵助 本姓は那須。遠江の人。長島藩儒臣。
     ├ 蘆野東山 名はコ林。字は世輔。幸七郎、東民と称す。別号は玩易齋、梅隱翁。陸中東磐井郡渋民の人。仙台藩儒臣。安永5年(1776)6月2日没。年81。
     │  └ 畑仲荷澤 名は太沖。仙台藩士。
     ├ 北澤遜齋 名は就將。新吾と称す。京都の人。天明8年(1788)10月27日没。年83。
     │  ├ 鳥海敬信 絅次郎と称す。陸奥栗原の人。宝暦11年(1761)10月11日、京都にて没。年23。
     │  ├ 三谷重威 源蔵と称す。
     │  ├ 平居安長 與兵衛と称す。
     │  └ 小川晉齋 名は重勝。字は子深。才治と称す。但馬の人。京都に住む。文化7年(1810)8月7日没。年72。
     │      ├ 橋本堯邦 民部權大輔。京都に住む。弘化1年(1844)2月5日没。年62。
     │      └ 西 敬助
     ├ 土居宇一郎 伊予小松の人。一柳氏に仕える。
     ├ 栗原 熙 仙右衛門(專右衛門)と称す。荘内藩士。安永9年(1780)7月11日没。
     ├ 白鳥良輔 
     ├ 大館子錦 亀田の人。多田蒙齋にも学ぶ。
     ├ 飯田正紀 遠江守と称す。甲斐西山梨郡里垣村旧芝社神職。姉小路實紀に就き皇典を学ぶ。山縣大貳謀議により屠腹。
     ├ 志村平治右衛門 忍藩士。
     ├ 高橋次右衛門 
     ├ 松本五右衛門 
     ├ 松下一郎左衛門 
     ├ 宮部豐重 小左衛門と称す。近江浅井郡宮部の人。忍藩に仕える。
     ├ 乘附爲春 上野安中乗附の人。
    ├ 奥津長次郎 土岐頼稔に仕える。
    ├ 桑本正固 肥前唐津人。後に稲葉迂齋に学ぶ。
     ├ 松岡勘助 駿府の人。
     ├ 田中光コ 織部と称す。大坂の人。平野屋治左衛門と称す。
     ├ 鈴木 蔀 山城寺田の人。
     ├ 田中貞八 山城寺田の人。
     ├ 木村小平次 山城寺田の人。
     ├ 水谷才三郎 山城玉水の人。
     ├ 寺村順庵 山城玉水の人。
     ├ 能澤齋之丞 仙台の人。享保9年(1724)5月8日、姫路にて自刃。年22。
     ├ 木村總七 
     ├ 杉田新六 美濃の人。
     ├ 和田左七 備後三原の人。
     ├ 向井晉軒 名は元隆。字は丕欽。法印元桂の子。京都の人。寛保1年(1741)10月9日没。
     ├ 野野村安立 土佐の人。儒医。安永7年(1778)1月26日没。
     ├ 金子コ信 
     ├ 加賀美櫻塢 名は光章。字は太章。信濃と称す。別号は霞沼、櫻園、河上。本姓は間宮氏。甲斐山梨郡小河原山王神社祠官。天明2年(1782)5月29日没。年72。
     │  ├ 山縣柳莊 名は昌貞。字は子明、子恒、公勝。幼名は三之助。大貳と称す。別号は洞齋。甲斐巨摩郡篠原の人。明和4年(1767)8月22日殉節。年43。
     │  │  ├ 大岡忠光 出雲守と称す。武蔵岩槻藩主。宝暦10年(1760)4月没。年49。
     │  │  ├ 織田信邦 美濃守と称す。大和小幡藩主。天明3年(1783)7月8日没。年39。
     │  │  ├ 吉田玄蕃 大和小幡藩家老。
     │  │  ├ 津田頼母 大和小幡藩家老。
     │  │  ├ 藤井右門 名は直明。初め大和と称す。越中の人。明和4年(1767)8月22日殉節。年48。
     │  │  ├ 渡邊昌庵 名は弼。字は子直、直夫。江戸の人。尾張藩侍医。
     │  │  ├ 渡邊道庵 名は映。字は子徹。渡邊昌庵の弟。文化12年(1815)5月16日没。年75。
     │  │  ├ 小泉養老 名は一恕。字は子忠。美濃牧田の人。明和5年(1768)8月4日没。年38。
     │  │  └ 園部文之進 常陸新治郡根小屋の人。
     │  ├ 加賀美光起 上總と称す。加賀美櫻塢の第二子。明和4年(1767)8月没。年30。
     │  ├ 馬場昌陽 名は徴信。字は士考。甲斐の人。
     │  ├ 榮名井聰翁 名は廣俊。字は土秀。上野中務と称す。別号は東海、十山亭。甲斐東八代郡錦村二宮神社社司。文化11年(1814)11月没。年85。
     │  ├ 萩原元克 名は思敬。コ兵衛と称す。甲斐日川の人。文化2年(1805)7月9日没。年57。加賀美櫻塢没後本居宣長に国学を受け、萩之屋と称す。
     │  ├ 堀内峽樹 名は憲時。字は士篤。甲斐峡東後屋敷社社司。
     │  ├ 磯部正紳 字は士紳。大學と称す。号は看雲亭。甲斐玉諸神社社司。
     │  ├ 芳賀大麓 名は贛、貢。字は子錫。甲斐の人。
     │  ├ 芳賀臣哉 名は鄰。芳賀大麓の弟。
     │  ├ 茅野景明 兵庫と称す。信濃諏訪藩家老。
     │  ├ 古屋君洞 名は眞章。字は季明。日向と称す。甲斐一宮神社社司。
     │  ├ 志村天目 名はu之。字は子謙。禮助と称す。別号は青玉園。甲斐一宮の人。文化14年(1817)1月12日没。年73。
     │  ├ 三枝守瓶 字は子訥。志村天目の弟。国学を本居宣長に受く。
     │  ├ 古屋蜂城 名は希眞。字は修之。專蔵と称す。三枝守瓶の弟。嘉永5年(1852)8月16日没。年88。
     │  ├ 水上孟速 名は士政。甲斐西八幡神社社司。
     │  ├ 村松函陽 名は善政。字はコ而。彈正左衛門と称す。甲斐の人。
     │  ├ 内藤花溪 名は禹昌。字は正輔。清右衛門と称す。別号は大機。甲斐巨摩郡西花輪の人。
     │  ├ 加賀美華平堂 名は葆光。字は子和。伊左衛門と称す。甲斐の人。
     │ ├ 生山君舟 名は正方。字は白岑。初めの名は兵部。別号は秋齋。甲斐巨摩郡穴山の人。穂見神社社司。文政13年(1830)9月7日没。年67。
    │ ├ 上矢敲冰 甲斐の人。俳諧を能くす。
     │ ├ 加藤竹亭 名は昌融。字は士明、延齡。山縣柳莊にも学ぶ。
     │  └ 竹内秀才 名は景業。字は勤甫。信濃諏訪の人。
     ├ 留守希齋 名は友信。退蔵と称す。別号は括嚢子。本姓は佐久間氏。一関藩士。初め遊佐木齋に学び、養子となる。名は好實。武内と称す。明和2年(1765)4月27日没。年61。
     │  ├ 桑原典靖 字は東野。播磨の人。
   │  ├ 坂田芝山 名は諸安。清太夫と称す。高鍋藩士。文政3年(1820)9月30日没。年83。
     │  ├ 大田黒乙三郎 久留米藩士。
     │  ├ 大田黒孫七 久留米藩士。
     │  ├ 矢賀部八五郎 久留米藩士。
     │  ├ 牛島小八 久留米藩士。
     │  ├ 上妻可忠 久留米藩士。
     │  ├ 上妻道庵 久留米藩士。
     │  ├ 後藤傳蔵 久留米藩士。
     │  └ 高山畏齋 名は一之。金次郎と称す。筑後上妻郡の人。天明4年(1784)7月17日没。年58。
     │      ├ 佐野質齋 久留米藩士。
     │      ├ 古賀調山 貞蔵と称す。久留米藩士。
     │      ├ 牛島精一 久留米藩士。
     │      ├ 後藤濯來 要介と称す。久留米藩士。
     │      ├ 高山茂太郎 高山畏齋の子。久留米藩儒臣。継志堂の主。
     │      ├ 樋口甚蔵 久留米藩士。
     │      ├ 中田彝仲 久留米藩士。
     │      ├ 熊本原仲 久留米藩士。
     │      └ 本莊星川 名は一謙。字は子ヒ。文一郎、直太郎と称す。別号は鈍窩、吾憂也。久留米藩儒臣。安政5年(1858)没。年73。古賀精里にも学ぶ。
     │          ├ 本莊適所 本莊星川の子。
     │          ├ 小川鬼山 久留米藩士。
     │          ├ 安達漆原 久留米藩士。
     │          └ 中島栗齋 久留米藩士。
     ├ 谷 鍋山 名は垣守。丹四郎と称す。谷秦山の子。土佐藩儒。宝暦2年(1752)3月30日没。年55。
     │  ├ 川谷薊山 名は致眞。貞六と称す。土佐の人。明和6年(1769)10月7日没。年64。
     │  ├ 森 南窓 名は廣定。勘左衛門と称す。土佐の人。安永2年(1773)7月14日没。年64。
     │  ├ 吉本東原 名は蟲夫。外市と称す。土佐の人。文化2年(1805)4月6日没。年91。谷北溪にも学ぶ。
     │  ├ 谷垣雄 大吾、垣庵と称す。谷鍋山の次子。儒医。天明8年(1788)6月14日没。年57。
     │  └ 谷 北溪 名は眞潮。字は子鹽。丹内と称す。谷鍋山の長子。土佐藩儒。寛政9年(1797)10月17日没。年71。稲葉迂齋にも学ぶ。
     │      ├ 植田桂南 名は順。字は子和。清之丞と称す。別号は咬菜堂。土佐の人。天明8年(1788)6月4日没。年57。戸部愿山にも学ぶ。
     │      ├ 楠瀬南溟 名は清蔭。字は子樹。六郎左衛門と称す。土佐の人。寛政2年(1790)7月11日、駿府にて没。年48。
     │      ├ 久コ十州 名は直利。臺八と称す。土佐の人。寛政9年(1797)4月24日没。年66。
     │      ├ 森 芳樹 勘左衛門と称す。号は南窓子。文化4年(1807)11月30日没。年40。
     │      ├ 中山嚴水 十平と称す。本姓は宮川。土佐の人。天保3年(1832)9月28日没。年69。服部栗齋にも学ぶ。
     │      ├ 谷 採薇 名は伴兄、後に好井。萬六と称す。谷北溪の弟。文化2年(1805)12月21日没。年64。
     │      │  └ 谷 郷兄 神作と称す。谷垣雄の子。採薇の養子。文政7年(1824)8月5日没。年43。
     │      │      └ 谷 好團 丹作と称す。採薇の次子。郷兄の養子。土佐藩儒。嘉永5年(1852)5月23日没。年66。宮地水溪にも学ぶ。
     │      │          └ 谷 好道 丹九郎と称す。谷郷兄の子。谷好團の養子。土佐藩儒。明治8年(1875)8月7日没。年60。
     │      └ 谷 九淵 名は景井。萬七と称す。谷採薇の第四子。明治3年(1870)4月12日没。年76。宮地水溪にも学ぶ。
    │          └ 谷 隈山 名は干城。初め守部と称す。谷九淵の子。子爵。陸軍中将。明治44年(1911)5月13日没。年75。
    ├ 植木敝齋 名は擧因。初め幸順と称す。別号は惺齋。土佐藩医。安永3年(1774)10月17日没。年89。
     ├ 宮地靜軒 名は介直、後に介行。藤彌と称す。土佐藩儒。宝暦3年(1753)9月1日没。年80。初め谷秦山に学ぶ。
     │  ├ 野口延亨 名は直道。直三郎と称す。土佐の人。天明2年(1782)5月15日没。
     │  ├ 植木執信 名は建純。植木敝齋の弟。土佐藩医。天明8年(1788)12月23日没。
     │  └ 富永懸河 名は惟安。文平と称す。土佐の人。宝暦2年(1752)8月16日没。年53。小野鶴山にも学ぶ。
     │      ├ 岩井玉州 名は春和。字は子雨。今利屋莊平と称す。土佐の人。明和6年(1769)5月16日没。年41。後に徂徠学を信じる。
     │      ├ 中山高陽 名は象先。字は延沖。阿波屋清右衛門と称す。土佐の人。安永3年(1774)3月12日没。年64。
     │      └ 恩田敬休 文八と称す。土佐の人。国老深尾氏に仕える。天明3年(1783)10月8日没。年66。
     │          └ 山本日下 名は鸞。字は文翼。仙蔵と称す。土佐の人。深尾氏儒員。天明8年(1788)9月1日没。年64。
     │              ├ 山本玉岡 名は禮。文之進と称す。山本日下の子。名教館教授。文化6年(1809)11月30日没。年47。
     │              │  └ 黒岩龍溪 名は順。順之進と称す。土佐の人。名教館教授。天保5年(1834)2月25日没。年61。
     │              ├ 山本霞嶽 名は敬。祐之進と称す。山本玉岡の弟。名教館教授。天保10年(1839)6月15日没。年74。
     │              │  └ 山本澹齋 名は晉。字は昭コ。仙蔵と称す。本姓は福富氏。土佐の人。山本霞嶽の養子。名教館教授。明治2年(1869)4月11日没。年72。松田思齋にも学ぶ。
     │              └ 入交幽山 名は允。字は子欽。巻蔵と称す。土佐の人。文政7年(1824)6月27日没。年75。川谷薊山にも学ぶ。
     │                  └ 廣井遊冥 名は鴻。字は千里。喜十郎と称す。別号は盧山。土佐の人。嘉永6年(1853)9月11日没。年84。初め山本日下に学ぶ。
     ├ 蟹 養齋 名は維安。字は子定。佐左衛門と称す。別号は東溟。安芸の人。尾張藩に仕え、後辞して伊勢へ往く。安永7年(1778)7月14日、伊勢にて没。年74。
     │  ├ 佐佐木齋 蟹養齋の子。
     │  │  └ 奥平定舒 桑名藩士。奥平棲遅庵の兄。父は奥平定恒。蟹養齋にも学ぶ。
     │  ├ 磯野渙齋 名は員純。平八と称す。尾張の人。安永3年(1774)1月14日没。年70許。
     │  │  ├ 宮澤欽齋 名は安重。懶夫と称す。尾張の人。磯野渙齋の子。寛政9年(1797)5月11日没。年63。蟹養齋にも学ぶ。
     │  │  └ 水野岷山 名は允。字は士惇。千之右衛門と称す。号は絅齋。尾張藩吏。文政5年(1822)2月16日没。年89。
     │  ├ 大田之明 七右衛門と称す。尾張の人。明倫館助教授。
     │  ├ 吉田恭齋 名は嘉幹。三郎左衛門。尾張の人。明倫館助教授。明和5年(1768)11月7日没。
     │  ├ 黒田文明 文左衛門と称す。尾張の人。
     │  ├ 平野長裕 平内と称す。尾張の人。
     │  ├ 吉田嘉亨 主水と称す。尾張の人。
     │  ├ 高橋尚卿 忠二郎と称す。尾張の人。
     │  ├ 遠山寛齋 名は景同。猪之右衛門と称す。尾張の人。天明3年(1783)9月16日没。
     │  ├ 水野雅禮 新七と称す。尾張の人。
     │  ├ 中村厚齋 名は政峯。覺蔵と称す。尾張の人。安永8年(1779)4月2日没。年68。
     │  │  └ 中村直齋 名は政方。百吉、勘右衛門と称す。中村厚齋の子。天保10年(1839)12月7日没。年83。中村習齋にも学ぶ。
     │  │      └ 中村得齋 名は政永。十左衛門と称す。中村直齋の子。
     │  ├ 岡山恒久 玄理と称す。尾張の人。
     │  ├ 山中忠英 辨内と称す。尾張の人。
     │  ├ 横井著時 萬助と称す。尾張の人。
     │  ├ 青木信篤 與左衛門と称す。尾張の人。
     │  ├ 田代金綱 鍋三郎と称す。尾張の人。
     │  ├ 阿佐美重敬 小平次と称す。尾張の人。
     │  ├ 小笠原直忠 半平と称す。尾張の人。
     │  ├ 安藤爲水 政十郎と称す。尾張の人。
     │  ├ 尾崎忠昆 門左衛門と称す。尾張の人。
     │  ├ 淺井殷信 三之丞と称す。尾張の人。
     │  ├ 朝山 經 文平と称す。尾張の人。
    │  ├ 大河内善治 名は春昌。尾張の人。
    │ ├ 安西長卿 文長と称す。尾張の人。
     │  ├ 稲葉應清 常治と称す。尾張の人。
     │  ├ 布施近知 源蔵と称す。尾張の人。
     │  ├ 山田廣胖 左衛門、後に右衛門と称す。尾張の人。
     │  ├ 丹羽恭應 伴蔵と称す。尾張の人。
     │  ├ 山中武方 兵蔵と称す。尾張の人。
     │  ├ 根尾寛定 茂七と称す。尾張の人。
     │  ├ 取田正潔 次郎左衛門と称す。尾張の人。
     │  ├ 大類志齋 名は重識。榮治と称す。尾張の人。
     │  ├ 市川進齋 名は重行。半兵衛と称す。尾張の人。
     │  ├ 宮崎正温 七郎左衛門と称す。尾張の人。
     │  ├ 木戸英藤 助之進と称す。尾張の人。
     │  ├ 高橋實門 團右衛門と称す。尾張の人。
     │  └ 中村習齋 名は蕃政。猪八と称す。中村厚齋の弟。尾張藩儒臣。寛政11年(1799)4月2日没。年81。
     │      ├ 深田香實 名は正韶。字は子繩。増蔵と称す。尾張の人。嘉永3年(1850)6月19日没。年78。
     │      │  ├ 細野要齋 名は忠陳。字は子高。爲蔵と称す。尾張明倫堂教授。明治11年(1878)12月23日没。年68。
     │      │  │  ├ 細野栗齋 名は一得、一コ、後に得一。細野要齋の子。明治30年(1897)2月6日、瀬戸にて没。年62。
     │      │  │  ├ 若井重齋 名は成章。鍬吉と称す。尾張藩士。美濃円城寺村培根舎学監。明治23年(1890)10月31日没。年68。
     │      │  │  ├ 荒井良知 尾張の人。
     │      │  │  ├ 山田享齋 名は誠之。誠三郎と称す。尾張の人。
     │      │  │  └ 中村 修 名は政和。修之進と称す。中村得齋の子。勤王家。名古屋市長。大正4年(1915)6月3日没。年73。
     │      │  ├ 小出聚齋 名は敬一。定吉と称す。尾張海東郡万場の人。明治32年(1899)2月16日没。年84。
     │      │  └ 深田精一 深田香實の子。号は百信庵。安政2年(1855)12月27日没。年54。
     │      ├ 稲葉通邦 喜三郎、喜蔵と称す。尾張の人。享和1年(1801)4月25日没。年58。森川南堂にも学ぶ。
     │      │  └ 稲葉通故 喜太郎と称す。稲葉通邦の子。越智通故とも称す。
     │      ├ 淺井貞庵 名は正封。医者。尾張の人。文政12年(1829)1月22日没。年60。
     │      ├ 近藤浩齋 名は主靜。彦三郎と称す。尾張の人。美濃今尾藩儒臣。万延1年(1860)12月22日没。年80。
     │      ├ 小川政W 六大夫と称す。尾張の人。
     │      ├ 臼井常繼 富之助と称す。尾張の人。
     │      ├ 尾崎隆政 虎蔵と称す。尾張の人。
     │      ├ 志水長庸 安之助と称す。尾張の人。
     │      ├ 平岩公景 助右衛門、後に猪兵衛と称す。尾張の人。
     │      ├ 磯谷住安 斧吉と称す。尾張の人。
     │      ├ 森 紹里 新吾と称す。尾張の人。
     │      ├ 長岡房實 莊吉と称す。尾張の人。
     │      ├ 飯方馬浄正 佐太郎と称す。尾張の人。
     │      ├ 井上鶴沖 名は武正。捨三郎、助左衛門と称す。尾張の人。
     │      ├ 渡邊方敬 平左衛門、後に勇助と称す。尾張の人。
     │      ├ 長坂正晴 千之助と称す。尾張の人。
     │      ├ 成田祁長 孫九郎と称す。尾張の人。
     │      ├ 中根衛秀 新太郎と称す。尾張の人。
     │      ├ 金森榮多 政右衛門と称す。尾張の人。
     │      ├ 鈴木秀美 尾張の人。
    │     ├ 山本元詮 粂八郎と称す。尾張の人。
    │     ├ 山本政武 尾張の人。
     │      ├ 間島恭齋 名は正種。忠左衛門、駒吉と称す。尾藩世民。天保9年(1838)10月3日没。年66。細野要齋初年の師。
     │      ├ 酒井古壽 平治と称す。尾張の人。
     │      ├ 橋爪長義 孫一郎と称す。尾張の人。
     │      └ 沼田正民 尾張の人。
     ├ 石王塞軒 名は明誠。康助と称す。別号は黄裳、翼齋。近江水口の人。京都に住む。安永9年(1780)1月21日没。年80。
     │  ├ 山田靜齋 名は清省。字は子野。精次郎と称す。伊予今治の人。京都に住む。寛政6(1794)年4月17日没。
     │  │  ├ 山田去暦 名は連、聯。字は思叔。綱次郎と称す。別号は慥齋、詠帰齋。山田靜齋の子。堀田氏に仕える。弘化3年(1846)1月28日、江戸にて没。年68。
     │  │  ├ 佐藤麟趾 名は成知。字は子圓。兵助と称す。本姓は松本。仙台の人。天保5年(1834)3月20日没。年72。
     │  │  ├ 竹鼻藍谷 名は正修。字は見遠。堅蔵と称す。別号は淡齋。伊予小松の人。一柳頼壽に仕える。文化2年(1805)5月12日没。年62。
     │  │  ├ 長野囂齋 名は恭度。景次郎と称す。伊予今治の人。久松定剛に仕える。文政7年(1824)5月29日没。年76。
     │  │  │  ├ 豐田政仲 利左衛門と称す。今治藩儒臣。文政12年(1829)10月27日没。年54。
     │  │  │  └ 園 美久 彌總右衛門と称す。今治藩儒臣。天保4年(1833)2月没。年64。
     │  │  ├ 飯塚畏齋 名は道義。純次郎と称す。伊予小松の人。安永7年(1778)7月24日没。年24。
     │  │  └ 齋藤愿仲 初めの名は立單。字は義質。安芸竹原の人。宝暦12年(1762)10月27日没。年23。鹽谷志帥にも学ぶ。
     │  ├ 大谷正敦 仙右衛門と称す。近江の人。明和6年(1769)8月25日、京都にて没。山田靜齋にも学ぶ。
     │  ├ 横谷葛南 名は友眞。字は子信。大和の人。初め小林肅齋に学ぶ。五條主善館教授。
     │  ├ 黒澤東溪 名は信良。字は子方。別号は東蒙山人。陸前登米郡新田の人。医者。寛政6年(1794)10月25日没。年66。初め遊佐木齋に学ぶ。
     │  ├ 吉本平太 伊予周布郡の人。大洲藩に仕える。
     │  │  └ 松岡清溪 名は高堅。伊予大洲儒臣。文政9年(1826)5月29日没。
     │  ├ 山崎重堅 文平と称す。近江水口の人。伊勢長島藩儒臣。
     │  ├ 齋藤良助 上野の人。
     │  ├ 増田敬業 名は尚正。字は久甫。本姓は松尾。大和葛上郡の人。五條に住む。
     │  ├ 小林肅齋 名は貞亮。字は子彦。大和五條の人。医者。寛政年間に没。年75。
     │  └ 落合與吉 長島藩儒臣。
     └ 久米訂齋 名は順利。斷次郎と称す。別号は簡兮。京都の人。天明4年(1784)10月7日没。年86。
         ├ 板倉震齋 名は弘毅。兵次郎と称す。新発田藩参政。文化13年(1816)10月13日没。年71。
         │  ├ 加藤又左衛門 新発田藩儒臣。
         │  ├ 渡邊道遠 新発田藩儒臣。渡邊黙容の父。
         │  ├ 中西恒コ 兵太夫と称す。新発田藩儒臣。
         │  ├ 南部長次郎 新発田藩儒臣。
         │  ├ 板倉重深 新発田藩士。板倉震齋の従子。手塚坦齋にも学ぶ。
         │  └ 七里恭齋 名は淑愼、後に君儀。作八郎と称す。新発田藩儒臣。文政5年(1822)11月28日没。年66。
         │      ├ 渡邊水哉 名は黙容。銀蔵と称す。新発田藩儒臣。渡邊豫齋の兄。明治8年(1875)没。年78。山口菅山にも学ぶ。
         │      ├ 秋山泰次郎 新発田藩儒臣。
         │      ├ 七里用コ 愼八と称す。七里恭齋の子。
         │      └ 松田朴齋 名は久雄。勇之進と称す。新発田藩儒臣。文政13年(1830)7月19日没。年52。
         ├ 御牧直齋 名は敬明。申蔵と称す。伊予今治の人。大阪に住む。文化3年(1806)7月29日没。年68。
         │  ├ 御牧赤報 名は篤好。重次郎と称す。御牧直齋の子。天保4年(1833)9月11日没。年61。
         │  │  ├ 尼崎修齋 名は孝コ。字は文蔚。又右衛門、後にコ三と称す。大坂の人。明治6年(1873)11月7日没。
         │  │  ├ 郡司盛信 彦三と称す。佐土原藩士。安政5年(1858)9月29日没。年69。山口菅山にも学ぶ。
         │  │  ├ 能勢自訟 名は明陳。軍治と称す。佐土原藩士。明治2年(1869)11月10日没。年80。山口菅山にも学ぶ。
         │  │  ├ 兒玉平格 名は實コ。佐土原藩士。明治8年(1875)6月15日没。年85。初め御牧直齋に学ぶ。山口菅山にも学ぶ。
         │ │ │  └ 青木宣純 佐土原藩士。陸軍中将。大正13年(1924)12月12日没。年67。
        │ │ ├ 根岸混處 行蔵と称す。播磨姫路の人。安政5年(1858)9月11日没。年70。
         │  │  └ 右田閑齋 名は隆盛。杢左衛門と称す。佐土原藩士。明治9年(1876)12月14日没。年76。
         │  ├ 近藤良齋 名は守正。字は士進。小一郎(顧一郎)と称す。姫路藩儒臣。近藤柳齋ともある。
         │  ├ 井上梅宇 名は良長。友蔵と称す。佐土原藩士。弘化2年(1845)2月28日没。年63。
         │  ├ 橋口儀平次 佐土原藩士。
         │  ├ 籾木剛齋 名は繩武。剛一郎と称す。佐土原藩士。籾木常證軒の孫。文政11年(1828)6月2日没。年59。
         │  ├ 龜山成將 源五右衛門と称す。
         │  ├ 三浦盈有 喜傳次と称す。
         │  ├ 柴田勝任 權五郎と称す。
         │  ├ 大村顯蔵 長左衛門と称す。
         │  ├ 本多信任 意氣揚と称す。
         │  ├ 金原一宗 助左衛門と称す。
         │  ├ 成瀬正遠 六左衛門と称す。
         │  ├ 酒井政郢 猪三郎と称す。
         │  ├ 高須倚義 力馬と称す。
         │  ├ 下田次禮 源太夫と称す。
         │  ├ 久松順則 藤蔵と称す。
         │  ├ 佐治正方 八義蔵と称す。
         │  ├ 利根川反齋 名は景範。治助と称す。
         │  ├ 鳥山正誼 大吉と称す。
         │  ├ 町田義方 小二郎と称す。
         │  ├ 厚田順正 新五郎と称す。
         │  ├ 篠崎則徴 安吉と称す。
         │  ├ 籠谷馬鄰 津盛と称す。
         │  ├ 折井影富 勝之助と称す。
         │  ├ 山田賢敬 小十郎と称す。
         │  ├ 大田敬吉 大夫と称す。
         │  ├ 天野三義 仲之進と称す。
         │  ├ 青木信順 鍋蔵と称す。
         │  ├ 村井景則 又助と称す。
         │  ├ 小野義周 鉾之助と称す。
         │  ├ 齋藤有拘 五平と称す。
         │  ├ 小笠原正尹 勝彌と称す。
         │  ├ 池谷吉武 元蔵と称す。
         │  ├ 伊藤克廣 久平と称す。
         │  ├ 大谷宜有 喜左衛門と称す。
         │  ├ 桑原武昭 儀助と称す。
         │  ├ 下田可白 幸助と称す。
         │  ├ 齋藤周重 仙助と称す。
         │  ├ 北爪副義 峯七と称す。
         │  ├ 大河原景融 甚八と称す。
         │  ├ 鈴木尚u 順右衛門と称す。
         │  ├ 關 重岐 九十九と称す。
        │ ├ 大山領右衛門 
        │ ├ 本間八郎 石川氏家臣。
         │  ├ 橋口儀平治 島津氏家臣。
         │  ├ 御牧修整 御牧直齋の姪。
         │  ├ 古川源太郎 
         │  └ 中島源八郎 
         ├ 松田道齋 名は維貞。備後尾道の人。安永5年(1776)2月18日没。年46。
         │  ├ 野上九靈 名は國幹。松田道齋の外姪。備後尾道の人。白神祠大宮司。天明5年(1785)8月22日没。年42。
         │  ├ 鳥居子瑤 名は利方。一名は守瓊。備後尾道の人。文化4年(1807)11月23日没。年70。
         │  └ 鳥居好之 名は亮。尾道の人。
         │      ├ 藤邑昌嘉 安芸倉橋の人。
         │      └ 明 北溟 名は熾。字は元昌。伊予沖島の人。広島に住む。医者。嘉永3年(1850)8月18日没。年70。垂加神道を修む。
         ├ 大塚精齋 名は氏愼。七郎次と称す。高鍋藩儒臣。文化4年(1807)12月28日歿。年79。子は大塚觀瀾。
         ├ 小谷居正 總左衛門と称す。新発田藩儒臣。
         ├ 小川漸包 字は季茂。十蔵と称す。新発田藩儒臣。文化7年(1810)8月7日没。年52。
         ├ 淺見淡齋 名はコ明、景信。健三郎と称す。新発田藩儒臣。淺見東皐の姪。天保1年(1830)10月27日没。年73。
         ├ 内海自聵齋 名は邦佐。字は子保。木工と称す。丹後田辺藩士。天保1年(1830)8月没。年73。
         ├ 大南爲齋 名は頼剛。久太郎と称す。摂津能勢郡地黄村の人。能勢氏老臣。
         ├ 鹽谷道哲 安芸竹原の人。鹽谷志帥の弟。
         ├ 池田親敬 義一郎、義一と称す。伊勢小稲木の人。
         ├ 井關蕃貞 
         ├ 前田昌言 六郎と称す。亀山藩儒臣。
         ├ 近藤外記 亀山藩家老。
         ├ 柴田右仲 名は敬勝。龜之助と称す。伊勢亀山の人。御牧直齋にも学ぶ。
         ├ 高橋敬之 仙台の人。
         ├ 藤井蒙齋 名は貞幹。一名は好古。字は子冬。叔蔵と称す。別号は無佛齋。京都の人。寛政9年(1797)8月19日没。年66。
         ├ 行田潛齋 名は建士。河内の人。
         ├ 財津吉惠 十郎兵衛と称す。高鍋藩教授。寛政10年(1798)10月5日没。年71。
         ├ 菊池魯齋 名は武敏。一學と称す。佐土原藩士。享保3年(1718)12月13日没。年86。初め三宅尚齋に学ぶ。
         ├ 前谷復軒 名は時敏。淳治と称す。伊予宇麻郡三島の人。上野高崎藩に仕える。宝暦11年(1761)6月8日没。年42。
         ├ 前谷時中 常之助と称す。前谷復軒の弟。
         ├ 郡山道遠 龍蔵と称す。陸奥東山赤生津邑の人。寛政8年(1796)12月16日没。年70。
         ├ 森川南堂 名は忠篤。初めの名は貞與。字は尚蔵。別号は南溪山人、九華、蓬洞、恒軒。尾張の人。安永7年(1778)7月9日没。年72。
         ├ 加治百太郎 京都の人。蟹養齋にも学ぶ。
         ├ 根來行經 京都の人。
         ├ 河崎内記 名は頼圖。伏見宮に仕える。摂津の人。川崎内記ともある。
         ├ 櫟原踅齋 名は篤好。主佐と称す。別号は泗水庵。美濃垂井の人。垂井聖堂を創立。寛政12年(1800)1月2日没。年78。
         │  └ 櫟原牧齋 名は順固。文吉と称す。櫟原踅齋の子。久米訂齋にも学ぶ。
         ├ 合田恒齋 名は武明。力五郎と称す。京都の人。垂井聖堂教授。文政1年(1818)7月4日、近江醒井にて没。年46。
         ├ 白洲良貴 伊三郎と称す。
         ├ 大西義方 與一と称す。播磨明石の人。
         ├ 柳瀬強四 
         ├ 藤森惠廸 直と称す。
         ├ 落合義雄 
        ├ 桐原茂長 
        ├ 速水簡軒 
         ├ 高階有則 
         ├ 坂東景長 
         ├ 富治林惠廸 
         ├ 河村祐之 丹後田辺の人。
         ├ 石原清三郎 岡山の人。書商。
         ├ 梶 周平 初め久米訂齋に学ぶ。訂齋に背き宇井黙齋に従う。後又久米訂齋に帰す。
         └ 宇井黙齋 初めの姓は丸子。名は弘篤。字は信卿。小一郎と称す。肥前唐津の人。天明1年(1781)11月22日、京都にて没。年57。
             ├ 中澤浩齋 名は永利。字は子義。善助と称す。仙台藩の臣。寛政2年(1790)12月29日没。年59。
             │  └ 中澤律齋 名は成章。字は文裁。治左衛門と称す。中澤浩齋の孫。仙台藩儒。文政12年(1829)1月14日没。年41。
             ├ 遊佐確齋 名は好雄。字は眞卿。清左衛門と称す。遊佐毅齋の次子。仙台藩儒臣。文化10年(1813)11月9日没。年66。
             │  └ 遊佐得齋 名は好清。清左衛門と称す。遊佐確齋の子。仙台藩儒臣。嘉永6年(1853)1月21日没。年53。
             ├ 田邊樂齋 名は匡敕。字は子順。三郎助と称す。別号は中洲。仙台藩儒臣。文政6年(1823)4月17日没。年70。久米訂齋にも学ぶ。
             │  ├ 田邊螢窓 名は匡直。字は子養。三蔵と称す。別号は七疑。田邊樂齋の長子。仙台藩儒臣。嘉永5年(1852)12月13日没。年63。
             │  │  └ 田邊七嶷 名は匡上。字は奉卿。得蔵と称す。田邊螢窓の子。仙台藩儒臣。明治17年(1884)9月1日没。年60。
             │  ├ 田邊鷄澤 名は匡之。蔵六と称す。別号は鶴洋。田邊樂齋の次子。仙台藩儒臣。安政4年(1857)9月24日没。年67。
             │  │  └ 田邊匡親 英蔵と称す。田邊鷄澤の子。元治1年(1864)7月26日没。年22。
             │  └ 菊地柳巷 名は篤。字は子弘。大佐と称す。仙台の人。天保1年(1830)4月18日没。年43。
             ├ 田邊損齋 名は希元。字は子善。良輔と称す。別号は東里。田邊晉齋の子。仙台藩儒臣。天明3年(1783)11月29日没。年63。
             │  └ 田邊簡齋 名は希績。字は叔考。喜右衛門と称す。田邊損齋の養子。仙台藩儒臣。文化10年(1813)7月9日没。年68。
             │      └ 田邊希道 良輔と称す。田邊簡齋の子。仙台藩主侍読。天保2年(1831)12月17日没。年50。
             ├ 秋月種茂 初めの名は種穎。山城守、佐渡守と称す。日向高鍋藩主。天明8年(1788)致仕して右京亮。文政2年(1819)11月没。年78。
             ├ 萩原恪齋 名は守道。伴次と称す。遠江掛川の人。小笠原氏に仕える。寛政5年(1793)1月18日、江戸にて没。年80。
             │  └ 山内貞昌 字は林伯。富太良と称す。高鍋藩士。寛政12年(1800)6月29日没。年49。
             │      ├ 田村正明 平太左衛門と称す。田村巒齋の孫。高鍋藩教授。天保12年(1841)没。
             │      │  └ 田村克成 字は義仲。雄右衛門と称す。田村正明の子。高鍋藩教授。
             │      └ 綾部重麗 恒兵衛と称す。高鍋藩教授。
             ├ 奥村實輝 
             ├ 大塚觀瀾 名は氏靜。字は子儉。太一郎と称す。高鍋藩士。文政8年(1825)9月20日没。年65。
             └ 千手廉齋 名は興欽。字は一靜。八太郎と称す。日向高鍋藩士。文政2年(1819)1月3日没。年83。
                 ├ 千手興景 春太郎と称す。千手廉齋の長子。天保1年(1830)11月11日没。年68。
                 ├ 千手卓齋 名は興杲。字は栗甫。敬次と称す。千手廉齋の第二子。文化11年(1814)、江戸にて没。年31。
                 └ 千手旭山 名は興成。字は立叔。謙治、謙齋と称す。千手廉齋の第三子。安政6年(1859)8月6日、京都にて没。年71。
                     ├ 吉田東篁 名は篤。字は士行。悌蔵と称す。別号は蒙齋。晩に山守氏と改む。越前福井の人。明治8年(1875)5月2日没。年68。
                     │  ├ 松平慶永 福井藩主。越前守と称す。号は春嶽。明治23年(1890)6月2日没。年63。
                     │  ├ 橋本景岳 名は綱紀。字は伯綱。左内と称す。別号は藜園。福井藩老。安政6年(1859)10月7日、江戸にて殉節。年26。
                     │  ├ 橋本綱常 福井藩士。橋本景岳の弟。陸軍軍医総監。医学博士。子爵。明治42年(1909)2月18日没。年65。
                     │  ├ 村田氏壽 字は子愼。巳三郎と称す。号は文峯、戇堂。福井藩士。明治32年(1899)5月8日没。年79。
                     │  ├ 堤 正誼 福井藩士。男爵。大正10年(1921)7月19日没。年88。
                     │  ├ 稲葉荊山 名は正博。字は子直。福井藩老。安政1年(1854)5月16日没。年22。
                     │  ├ 淺井柏庭 名は政昭。八百里と称す。福井藩士。嘉永2年(1849)11月2日没。年37。
                     │  ├ 鈴木主税 福井藩士。松平慶永側用人。
                     │  ├ 加賀成昇 九郎右衛門と称す。福井藩士。弘化3年(1846)12月8日没。
                    │ ├ 岡田準介 吉田東篁の弟。
                    │ ├ 松波甚左佐衛門 初め彌次郎と称す。福井藩士。
                     │  ├ 杉田定一 号は鶉山。越前坂井郡波寄の人。昭和4年(1929)3月23日没。年79。
                     │  ├ 八田祐二郎 福井の人。海軍大佐。昭和5年(1930)1月23日没。年82。
                     │  └ 笹川章門 
                     └ 月田蒙齋 名は強。字は伯恕。鐵太郎と称す。肥後玉名郡長洲の人。慶応2年(1866)7月29日没。年60。幼時辛島鹽井に事える。
                         ├ 月田道昶 虎介と称す。月田蒙齋の長子。明治36年(1903)没。年59。
                         ├ 月田道春 二萬介と称す。月田蒙齋の次子。大正14年(1925)1月8日没。年71。
                         ├ 楠本端山 名は後覺。字は伯曉。覺蔵と称す。肥前針尾島の人。平戸藩大参事。明治16年(1883)3月20日没。年56。
                         │  ├ 楠本晦堂 名は正翼。字は君翔。楠本端山の子。大正10年(1921)2月5日没。年49。
                         │  ├ 近藤思齋 名は收蔵。針尾島の人。近藤畏齋の弟。明治35年(1902)2月28日没。年58。
                         │  ├ 井上鑑岡 名は頼悳。字は士終。虎之介と称す。平戸藩儒。大正1年(1912)2月7日没。年68。
                         │  ├ 志佐要一 平戸藩士。明治10年(1877)6月14日、獄中にて没。年37。
                         │  ├ 千浦守義 平戸藩士。楠本端山の女婿。明治35年(1902)10月22日没。年53。
                         │  ├ 中村克二郎 平戸藩士。楠本端山の女婿。北海道国後乳呑路に移住。昭和14年(1939)4月21日没。年85。
                         │  ├ 山縣勇三郎 平戸藩士。仲村克二郎の弟。南美洲にて没。
                         │  ├ 浦 敬一 平戸の人。中国に渡る。
                         │  ├ 菅沼貞風 平戸の人。ルソンへ渡る。明治22年(1889)7月6日病没。年25。
                         │  ├ 宮崎八郎 肥後玉名郡荒尾の人。明治10年(1877)薩軍に従い、4月6日戦死。年27。
                         │  ├ 海部昂蔵 名は弘之。字は士毅。号は一電、雀軒、海弘。尾張藩士。昭和2年(1927)4月22日没。年77。
                         │  ├ 丹羽精五郎 尾張藩士。吉田東篁にも学ぶ。
                         │  ├ 酒井 明 尾張藩士。徳島県知事。明治40年(1907)3月10日没。年57。
                         │  ├ 小寺 彀 尾張藩士。北海道八雲に移住。昭和8年(1933)8月14日没。年86。
                         │  ├ 種野弘道 尾張藩士。
                         │  ├ 籠手田安定 平戸の人。滋賀県知事。男爵。明治32年(1899)4月1日没。年60。
                         │  └ 松浦 厚 伯爵。旧平戸藩主。昭和9年(1934)5月7日没。年71。
                         ├ 山田梅窓 名は鼎。字は玉鉉。楠本端山の仲弟。明治34年(1901)1月26日没。年71。
                         ├ 楠本碩水 名は孚嘉。字は吉甫。謙三郎と称す。晩の号は天逸。楠本端山の叔弟。処士。大正5年(1916)12月23日没。年85。
                         │  ├ 楠本正脩 字は士敬。号は俟齋。楠本碩水の子。昭和8年(1933)3月11日没。年59。
                         │  ├ 濱本必強 字は千之。宗齋と称す。長崎県広田の人。楠本端山の女婿。昭和8年(1933)11月19日没。年74。
                         │  ├ 佐佐澄治 号は醒齋。針尾島の人。鎮西日報社長。大正10年(1921)5月14日没。年72。
                         │  ├ 岡田康治 熊本の人。晩年失明。
                         │  ├ 西田龍太 号は鳴溪。長崎の人。大正5年(1916)1月10日没。年54。
                         │  ├ 岡 安節 号は西門。幸七郎と称す。平戸の人。昭和2年(1927)4月20日没。年60。
                         │  ├ 中川克一 号は黄庵。淡路の人。大正2年(1913)1月16日没。年52。
                         │  ├ 沖 禎介 平戸の人。明治37年(1904)4月21日殉節。年31。
                         │  ├ 松永十郎 平戸佐佐の人。陸軍少佐。
                         │  ├ 西郷邦太郎 平戸の人。陸軍少佐。
                         │  ├ 内田遠湖 字は仲準。周平と称す。遠州浜松の人。昭和19年(1944)12月25日没。
                         │  └ 岡 彪邨 字は直養。通称は次郎。号は虎文齋。肥前針尾島の人。昭和24年(1949)1月27日没。年86。
                         ├ 楠本松陽 名は準平。字は直道。楠本端山の季弟。明治39年(1906)11月11日没。年72。
                         ├ 近藤畏齋 名は惺蔵。字は信卿。肥前針尾島の人。明治24年(1891)10月29日没。年60。
                         ├ 習田雪峯 名は篤。字は子信。但馬朝来郡竹田の人。初め小島省齋に学ぶ。明治28年(1895)9月12日没。年72。
                         ├ 小笠原敬齋 名は棟。字は義卿。敬二郎と称す。播磨安志藩公子。質正蒙齋。文久3年(1863)9月14日、小倉にて没。年36。
                         ├ 泥谷渫治 字は子敬。平戸藩士。
                         ├ 大橋Z次 名は正Z。字は仲載。号は陶庵。明治14年(1881)8月6日没。年46。
                         ├ 竹添進一郎 名は漸。字は光鴻。号は井井。肥後天草の人。大正6年(1917)3月29日没。年76。
                         └ 岡田嘯雲 名は大輔。大五郎と称す。長崎の人。勤王の志士。明治40年(1907)12月15日没。年78。