癸丑講義 春之部 上

自鞭策録序至第四条
易上繋辞講義 闕
自靜坐集説序至第三条

講学鞭策録序。寛政五年癸丑正月十一日爲奥平氏講  慶年録
【語釈】
・寛政五年癸丑…1893年。
・奥平…奥平棲遅庵。名は定時。通称は幸次郎、晩年は玄甫。武蔵忍藩士。明和6年(1769)~嘉永3年(1850)
・慶年…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。篠原惟秀の兄。

邇者、佐藤丈撮朱子書中關於學術綱領者、輯爲一卷、首以立志之本、繼之以操存精義之方、習慣積熟之致、而以好學論終諸。題曰講學鞭策録。書已繕寫、亟謂余以爲、此書之篇、非他也。聖學之道、朱子所以敎人、闡明備密無復遺蘊矣。然朱子已沒學術浸乖、不特詖淫妖妄之説協起、而雖稱從事于朱子者、夷考其所以爲學、則往往不免與平日之訓背馳矛盾。大率高明疏敏者、毎厭檢束涵養之實而不務。渾厚淳質者、又廢博攷審覈之功而不力。由乎資質所得已如此、而其意智所熟、日見其趣。是以不務者遂離規矩而到乎悉雎、不力者益趨省約而安于固陋。其他不可枚舉。以至於一言之是非一義之取舍、向背從違亦各有所主、而甚者至門專其學、徒阿所好、安排造爲、瞞人自誣、两無所得而後已矣。是正自古之可患者、而近世爲尤甚。以故竊不自量、収録日夕所講究、精確詳的尤切于用力者如此。以欲出入起居携持奉誦、以爲終身之箴。至於同志之共是患者、即亦以此因事、對證反復辨析、以一其歸焉、則將不須強辯多説而彼此交明、自無所容夫資質之偏、意智之私也。是乃今日編録之意、尚恐後日之或忘。盍爲吾識之篇端也。余毎歎意。人生賦壽能逮百年者希矣。其間穉騃戲惰老耄衰懶殆居其半、而天下無無事之人、則其可用力於學者、多不過三二十年、而病累憂故不與焉。倘有從學者、則記問詞藻之好、有害其術、利澤聲名之誘、有奪其志、而世味經歴之熟、又有薫鑠蠧蝕乎其中、則方且淪胥以陷於鄙僻壊墮之域之不暇。而况於望其有得哉。設使有脱然能惡世累俗學之陋、欲有所自立者、然已無明師良友指示輔導之、則雖朱子全書具在、而茫不知門庭塗轍之大端、乃何以得實識固守、及時進脩以不自失乎。如此不但背朱子平日之訓、而眩惑疑似之間、將墜彼詖淫妖妄之説而不自知焉、則其害又復有甚焉者。是豈不可惜之尤。而今一得此編潛心熟復之、則朱子敎人之要、所始乎立志而終乎爲聖者、粲然明該、如白日大路冬縕夏葛、不可得而易、而又不可得而闕矣。由是用力而益及其全書、細考篤踐孜孜不已、則向上所詣、其不可測矣。然則此編之成、爲今日學者之大幸亦豈可勝言也哉。嗚呼士不學則無可言矣。苟有志乎學、不能於此警惺奮勵、而徒郡居終日、聚頭閑議、因循玩愒、取適目前、時馳歳去、大耋將至。其從來所爲所得、適不勝其可悔、而悲歎放曠、直與蠢植糟粕共朽腐而止、則亦殊可恥而又獨何心歟。是又余之所大歎而深懼者。因遂幷書之、以庶幾乎鞭策之益焉。抑猶有可慮者。自今學者讀此編而講之、能有所警勵興起、則誰不一旦勇進直前以有爲也。惟其及乎日復一日進歩稍艱鋭氣微沮、則又安知向之、所謂俗習聲利之急、世味經歴之熟者、不乗虚投間、引己以入鄙僻壊墮之域耶。語曰、愼終如始。又曰、靡不有初、鮮克有終。斯言也、既以自爲誦、而又爲吾丈誦之、又徧爲讀此編者誦之。
貞享甲子九月十五日 浅見安正謹序

【読み】
邇者[ちかごろ]、佐藤丈、朱子書中より學術の綱領に關する者を撮り、輯めて一卷と爲し、首めに志を立つるの本を以てし、之に繼ぐに操存精義の方、習慣積熟の致[むね]を以てして、好學論を以て諸を終る。題して講學鞭策録と曰う。書を已に繕寫し、亟[すみや]かに余に謂いて以爲えらく、此の書の篇、他に非ざるなり。聖學の道、朱子以て人を敎うる所、闡明備密復た遺蘊無し。然るに朱子已に沒して學術浸[ようや]く乖[そむ]き、特[ただ]に詖淫妖妄の説協起するのみならずして、朱子に從事すると稱する者と雖も、其の以て學を爲す所を夷考すれば、則ち往往平日の訓と背馳矛盾するを免れず。大率高明疏敏なる者は、毎に檢束涵養の實を厭いて務めず。渾厚淳質なる者は、又博攷審覈の功を廢てて力めず。資質得る所已に此の如きに由りて、其の意智熟する所、日に其の趣きを見る。是れを以て務めざる者は遂に規矩を離れて悉雎に到り、力めざる者は益々省約に趨りて固陋に安んず。其の他枚舉す可からず。以て一言の是非一義の取舍に至り、向背從違も亦各々主とする所有りて、甚しき者は門其の學を專にし、徒好む所に阿ねり、安排造爲、人を瞞き自ら誣し、两つながら得る所無きに至りて後已む。是れ正に古より患う可き者にして、近世尤も甚しと爲す。故を以て竊かに自ら量らず、日夕講究する所、精確詳的尤も力を用いるに切なる者を収録すること此の如し。以て出入起居携持奉誦して、以て終身の箴と爲さんと欲す。同志の是の患を共にする者に至りては、即ち亦此を以て事に因り、證に對し反復辨析して、以て其の歸を一にせば、則ち將に強辯多説を須[ま]たずして彼此[ひし]交々明らかに、自ら夫の資質の偏、意智の私を容るる所無からんとす。是れ乃ち今日編録の意なるも、尚後日の或いは忘れんことを恐る。盍ぞ吾が爲に之を篇端に識さざる。余毎に歎じ意[おも]う。人生賦壽能く百年に逮[およ]ぶ者希なるを。其の間穉騃戲惰老耄衰懶殆ど其の半ばに居て、天下無事の人無ければ、則ち其の力を學に用うべき者、多くは三二十年に過ぎずして、病累憂故は與らず。倘[も]し學に從う者有れば、則ち記問詞藻の好、其の術を害すること有り、利澤聲名の誘い、其の志を奪うこと有りて、世味經歴の熟する、又其の中に薫鑠蠧蝕すること有れば、則ち方に且つ淪胥して以て鄙僻壊墮の域に陷いること之れ暇あらず。而るを况んや其の得ること有るを望むに於てや。設[たと]い脱然として能く世累俗學の陋を惡み、自立する所有らんと欲する者有らしむとも、然れども已に明師良友の之を指示輔導する無ければ、則ち朱子の全書具[つぶ]さに在りと雖も、茫として門庭塗轍の大端を知らざれば、乃ち何を以て實に識り固く守り、時に及んで進脩して以て自ら失わざることを得んや。此の如きは但朱子平日の訓に背くのみならずして、眩惑疑似の間、將に彼の詖淫妖妄の説に墜ちて自ら知らざらんとすれば、則ち其の害も又復た甚しき者有り。是れ豈惜む可きの尤[ゆう]ならざらんや。而るに今一たび此の編を得て心を潛めて之を熟復せば、則ち朱子人を敎うるの要、志を立つるに始りて聖と爲るに終る所の者、粲然として明かに該[そなわ]ること、白日大路冬縕夏葛の如く、得て易かる可からずして、又得て闕く可からず。是れに由りて力を用いて益々其の全書に及び、細に考え篤踐孜孜として已まざれば、則ち向上して詣[いた]る所、其れ測る可からず。然らば則ち此の編の成る、今日學者の大幸爲るも亦豈勝言なる可けんや。嗚呼士學ばざれば則ち言う可き無し。苟くも學に志有りて、此に於て警惺奮勵すること能わずして、徒らに郡居して日を終え、頭を聚めて閑議し、因循玩愒、適を目前に取り、時馳せ歳去り、大耋將に至らんとす。其の從來爲す所得る所、適[まさ]に其の悔ゆ可きに勝えずして、悲歎放曠、直ちに蠢植糟粕と共に朽腐して止まば、則ち亦殊に恥ず可くして又獨り何の心ぞや。是れ又余の大いに歎じて深く懼るる所の者。因りて遂に之を幷書して、以て鞭策の益を庶幾う。抑々[そもそも]猶慮る可き者有り。今より學者此の編を讀みて之を講じ、能く警勵興起する所有れば、則ち誰か一旦勇進直前して以て爲す有らざらんや。惟其れ日に復一日進歩稍々艱[なや]み鋭氣微しく沮[はば]むに及んでは、則ち又安んぞ向[さき]の謂う所の俗習聲利の急、世味經歴の熟なる者、虚に乗じ間に投じ、己を引いて以て鄙僻壊墮の域に入らざるを知らんや。語に曰く、終りを愼むこと始めの如し。又曰く、初め有らざること靡[な]し、克[よ]く終り有ること鮮し、と。斯の言や、既に以て自ら爲に誦して、又吾が丈の爲に之を誦し、又徧[あまね]く此の編を讀む者の爲に之を誦す。
貞享甲子九月十五日 浅見安正謹序

とかく学問は大学と云にきまること。朱子の近思録を編れたも大学なりを出したこと。近思十四篇が大学のなりなり。直方の此鞭策録を編れたか則近思録なりなり。何やらのことにたとへて伊川も仰られた。今口へ出したことはあるか、ふやしたことはない、と。すれば直方もふやしではないそ。やはり近思彔なり。すれはこの講学と云字が直くに為学なり。鞭策と云字が直に近思と云ことぞ。こふ見ぬと近思は近思、鞭策は鞭策と一つ々々別のことに成て、人があれかこれかと惑ぞ。講学と云字を吟味すれば、この内に致知存羪克己もあるぞ。又鞭策を近思と云も、直くに学問と云ものは天地はへぬきの学問で、大学の通りの外はない。それを近く思ふと云字にして、一つ目を覚して近く思ふ。これが大学なりを近く思ふぞ。其近思の上へ此鞭策と云ふで心に鞭をあてる。因て文字の建なりか鞭策も近思も違ふたことでなし。やはりこちへ々々々と近く思ふをそれなりに鞭をあててふるいだす為めの書ぞ。それを近思録を見ては近思と思ひ、鞭策を見ては鞭策と思ふか、鞭策もかの内へ切りこまふ々々々々々とする。近く思ふへ鞭策すると見よ。とかく敉のふへぬやふにこふ思て、直方の論孟の讀法をよむ寸、こふ長々としたことがつまり皆せふ子を入れて見よと云ことと。これか近思鞭策の大意なり。
【解説】
近思録は大学の通りを出したものであり、鞭策録は近思録の通りを出したものであって、新たに増やしたものではない。講学は為学であり、そこには致知存養克己もある。鞭策は近く思う上で、心に鞭を当てるのである。
【通釈】
とかく学問は大学に極まる。朱子が近思録を編まれたのも大学の通りを出したもの。近思十四篇は大学の通りである。直方がこの鞭策録を編まれたのが則ち近思録の通りのこと。何かのことで、今口へ出したことはあるが、増やしたことはないと伊川も仰せられた。それなら直方も増やすことはない。やはり近思録の通りである。そこで講学という字が直に為学であり、鞭策という字が直に近思ということ。この様に見なければ、近思は近思、鞭策は鞭策と一つ一つ別なことになり、人があれかこれかと惑う。講学という字を吟味すれば、この内に致知存養克己もある。また、鞭策を近思と言うのも、直に学問というものは天地生え抜きの学問で、大学の通りでその外はない。それを近く思うという字にして、一つ目を覚まして近く思う。これが大学の通りを近く思うということ。その近思の上に鞭策と言うのだから、心に鞭を当てるのである。そこで文字の建て方か鞭策も近思も違ったことではない。やはりこちらへと近く思うのを、その通りに鞭を当てて奮い出すための書である。それを、近思録を見ては近思と思い、鞭策を見ては鞭策と思うが、鞭策も内へ切り込もうとすること。近く思うへ鞭策すると見なさい。とかく数の増えない様にすると思うこと。直方が論孟の読法を読む時、この様に長々としたことがつまりは皆性根を入れて見なさいということだと言った。これが近思鞭策の大意である。

漢唐を絶学と云ふも、色々云ふてもせふ子を入れぬゆへに文字訓詁ぎりぞ。鞭策と云も講学する上のこと。惣体鞭と云ふは馬ありてのこと。馬なしに云ふ物でないぞ。早や午も淀遲そ。午も淀と云やふに心得ては只道草を喰ふて居るか、鞭策の意があるとぶら々々せぬそ。直方の身代直すも一番槍を突く心でと云ふた。これを引も心に切り込、鞭をあてるぞ。儉約で当年は年始に酒も出さぬか、こなたは格別なことと云ひたがる。そこを出さぬか一番槍突くやふに跡先かなく蹈切てするぞ。兎角今の学者は切込ぬ。又たま々々切り込ても涙よはくなり、氣質人欲の贔屓をし、或はどふもゆかぬとあぐみ、眠りか出たかる。鞭策の意がないからなり。学問をするになれば邪魔ものは氣質人欲なり。これがないと鞭策せずに子ころんでもすむか、中々この二つか大歒ぞ。そこで人一たひ能之已百云々。こふするが氣質人欲をとりひじくことぞ。
【解説】
漢唐を絶学と言うのも、心に切り込むことがないからである。鞭策で心に切り込む。そこには気質人欲という邪魔者があるから、それを取り拉がなければならない。
【通釈】
漢唐を絶学と言うのも、色々と彼等が言っても性根を入れないので文字訓詁だけのことだからである。鞭策と言うのも講学をする上でのこと。総体鞭は馬あってのこと。馬なしに言うものではない。早馬も淀遅する。馬も淀むという様に心得るのであれば、ただ道草を喰っているだけだが、鞭策の意があればぶらぶらとはしない。直方が、身代を直すのも一番槍を突く心でせよと言った。これを引くのも、心に切り込むために鞭を当てること。倹約で当年は年始に酒も出さないが、貴方は格別だと言いたがる。そこを出さない。一番槍を突く様に後先なく踏み切ってするのである。とかく今の学者は切り込まない。また、偶々切り込んでも涙弱くなり、気質人欲の贔屓をし、或いはどうもうまく行かないと倦み、眠りが出たがる。それは鞭策の意がないからである。学問をすることになれば邪魔者は気質人欲である。これがないと鞭策をせずに寝転んでいていても済むが、中々この二つが大敵である。そこで「人一能之已百」云々。この様にするのが気質人欲を取り拉ぐこと。
【語釈】
・人一たひ能之已百…中庸章句20。「人一能之己百之、人十能之己千之」。

されとも致知挌物と云目を明にするでなければ挫くこともならぬ。坐頭は才ありも盗賊や火附けの改めはならぬ、と。盗賊を見る目がない。そこは大学の通りのことなり。鞭策の意がない、格物も正誠ものろりとなる。直方の蚤取り目でと云るるはそこなり。のろりとしては蚤もとられぬ。そこが學問の精彩なり。中々とる段ては見込ま子ば、蚤でもとられぬぞ。此講学は大学なりときまれは、近く思ふも鞭策に蚤とり眼で見よ。大学と云を近思でよりをかけ、よりをかけた鞭策で鞭を当る。大学で有り余ることなれとも、段々こふなりてきたは程朱の学そ。それを鞭策すれば吾黨の旨訣なり。今の学者、なまずを瓢箪でおさへるやふな合点で程朱の意は得られぬことと知べし。
【解説】
気質人欲を挫くには致知格物で目が明でなければならない。直方は蚤取り目で見ろと言った。大学だけで十分なのに、近思録や鞭策録を編んだのは、それが程朱の学だからであり、これを鞭策することで我が党の旨訣となる。
【通釈】
しかしながら、致知格物で目を明にするのでなければ挫くこともできない。坐頭は才があっても盗賊や火附けの改めはできない。盗賊を見る目がない。そこは大学の通りのこと。鞭策の意がなければ格物も正誠ものろりとなる。直方が蚤取り目でと言われたのはそこ。のろりとしては蚤も取れない。そこが学問の精彩である。中々取る段では見込まなければ、蚤でも取れないもの。この講学は大学の通りのことだと決まれば、近く思うも鞭策の蚤取り眼で見なさい。大学を近思で撚りを掛け、撚りを掛けた鞭策で鞭を当てる。大学だけであり余ることなのだが、段々とこの様になって来たのは程朱の学だからである。それを鞭策すれば我が党の旨訣となる。今の学者の鯰を瓢箪で押さえる様な合点では、程朱の意は得られないことと知りなさい。

○迩者、佐藤丈撮朱子書中云々首以立志之本。此立志と云ふは孔子の十有五而志学と云、やはりあれで恐れ多ひことなから、孔子も今日の学者も立志は同じことぞ。志を立子ばあたまで相談はならぬ。鞭策の初入、立志へ鞭をあてる、学者が文字がないそ。道理の精微、程朱の書のこみ入たことは知れず、はづまぬ。あれも力らのないからなれとも、立志の鞭が甲斐ないで目のたきらぬのぞ。爰に浩然の氣沙汰はないやふなか、志者氣之帥也。爰を浩然の氣と見る位てなふては立志の鞭策でないそ。筆道も少し下地のあるものは羲之や子昴を目当てにするが立志なれとも、只そふ計り心得ても、はつみなければ役に立ぬ。立志と云も浩然の氣でするが直に鞭策なり。今の師匠猫撫声。御若ひ御寄特などとやはらかを云て見ても、つまり志のないものが何の役に立ふぞ。志は我か立ることそ。迂斎の十五の寸、三宅先生へ見へたに、先生仁木治部左ェ門をふりむひて、此若ひもの、何の弁へなふ学問せふと願ふか、吾々は学問にこりはてた。中々でもないこと。それとは知らず來やったのと云れた。これ立志に精彩あることぞ。夕嵐幾明月の意でなふては志はとどかぬなり。
【解説】
「邇者、佐藤丈撮朱子書中關於學術綱領者、輯爲一卷、首以立志之本」の説明。鞭策の最初は立志に鞭を当てることだが、今の学者にはそれがない。立志が甲斐ないので滾らない。立志は浩然の気ですると見るほどでなければならない。
【通釈】
○「邇者、佐藤丈撮朱子書中云々首以立志之本」。この立志とは、やはり孔子が「十有五而志学」と言う、そのことで恐れ多いことだが、孔子も今日の学者も立志は同じこと。志を立てなければ最初から相談はならない。鞭策の初入りは立志へ鞭を当てることだが、学者にこの文字がない。道理の精微、程朱の書の込み入ったことを知らないから弾まない。それも力がないからだが、立志の鞭が甲斐ないので目が滾らないのである。ここに浩然の気沙汰はない様だが、「志者気之帥也」で、ここを浩然の気と見る位でなくては立志の鞭策ではない。筆道でも、少し下地のある者は王羲之や陳子昴を目当てにするのが立志だが、ただそうと計り心得ても、弾みがなければ役に立たない。立志というのも浩然の気でするのが直に鞭策である。今の師匠は猫撫で声で、御若い御奇特などと柔らかを言って見ても、つまり志のない者が何の役に立つものか。志は自分が立てること。迂斎が十五の時に三宅先生へ見えるに、先生が仁木治部左ェ門に振り向いて、この若い者、何の弁えもなく学問をしようと願うが、我々は学問に懲り果てている。中々なことではない。そんなこととは知らずに来遣ったと言われた。これが立志に精彩のあること。夕嵐幾明月の意でなくては、志は届かない。
【語釈】
・十有五而志学…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・志者氣之帥也…孟子公孫丑章句上2。「夫志、氣之帥也。氣、體之充也。夫志至焉、氣次焉」。
・仁木治部左ェ門…
・夕嵐幾明月…

操存は持敬とも涵養とも省察とも云ふて、どふ云ふてもすむが、近思て云へは存羪と云ふ篇目ぞ。それを浅見先生の操存と書れたも、内証は一なれとも端的に見する意ぞ。孔子の操存舎兦で、操存と云字は功夫の把抦が親切ぞ。存羪の字は幅の廣ひうず高い字て今急に手の下されぬやふじゃが、操存の字は操れはそれそこに存すと直に見せる。舎れはそりゃ亡ると直に見するのぞ。近思ては存羪と全体にかけて、操存あの中にある。ここは存羪の工夫を操れば存する。直につかまへさする意思が的切ぞ。彼の箱根で馬ははい々々と氣を付るやふなものそ。それで落ぬ。うっかとすると落つる。人の心もうっかとせぬを操ると云。操ると直に存するぞ。そこて大学の致知格物もうかとせぬで出來てくる。学者もうっかとすると桀紂の妲妓になる。これもうかとしたからのこと。湯の垩敬曰に済るも、武の敬勝怠も、うかとせぬのなり。これ学問操存の端的なり。操存二字は存羪と云よりつかまへ処が端的なり。
【解説】
「繼之以操存」の説明。操存は存養と同じことだが、端的に見せる意で浅見先生は操存と言ったのである。存養は幅広い字なので手を出し難いが、操存は掴まえ易い。操存は「操存舎亡」のことで、うっかりとしないこと。
【通釈】
操存は持敬とも涵養とも省察とも言い、どう言っても済むが、近思で言えば存養という篇目のことである。それを浅見先生が操存と書かれたのも、内証は同じことなのだが端的に見る意である。孔子の言う「操存舎亡」のことで、操存という字は功夫の取柄が親切である。存養の字は幅が広く堆い字で、今急に手を下すことのできない様だが、操存の字は操ればそれそこに存ると直に見せるもの。舎ればそれ亡びると直に見せる。近思では存養と全体に掛け、操存はあの中にある。ここは存養の工夫を操れば存すと、直に掴まえさせる意思が的切なものである。あの箱根で馬をはいはいと気を付ける様なもの。それで落ちない。うっかりとすると落ちる。人の心でも、うっかりとしないのを操ると言う。操ると直に存する。そこで大学の致知格物もうっかりとしないのでできて来る。学者もうっかりとすると桀紂における妲己となる。これもうっかりとしたからのこと。湯の「聖敬躋曰」も、武の「敬勝怠」も、うっかりとさせないこと。これが学問操存の端的である。操存の二字は存養と言うよりも掴まえ処が端的である。
【語釈】
・操存舎兦…孟子告子章句上8。「孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其郷。惟心之謂與」。
・垩敬曰に済る…詩経商頌長発。「帝命不違、至于湯齊。湯降不遲、聖敬日躋」。
・敬勝怠…小学内篇敬身。「丹書曰、敬勝怠者吉。怠勝敬者滅。義勝欲者從。欲勝義者凶」。

精義之方。易之字なり。又究理とも大学で致知挌物の惣まくりなり。知を精義と云は、精ふないは挌物の仕やふが問屋塲で人足を出すやふにあらひぞ。格物でこちの知がひらけるを致知と云。致はぎり々々なり。精と云ふもきり々々に精ふする。爰が大学の至極にきまる術から來るゆへ、仕入れ仕込みか違ふ。丘瓊山や眞西山が朱子の章句或問を読れても、事業の上にあら々々しひことを取舉て、大学の致知にはぜぬ処の出來るは、これが精義のない見やふからなり。挌物致知を大学の八目の名にして易で精義と云れたを爰にとりて操存精義とたてた。孟子の知言も此精義の字から出たものなり。習慣積熟云々。年寄の天窓の兀るやふに、梨子ても梅でも熟さ子ば喰れぬぞ。学問も熟でなふては役に立ぬ。以好学論終諸。これが立志の裏針をかへした。しあげが顔子の通りと云て学問の至極の目当なり。
【解説】
「精義之方、習慣積熟之致、而以好學論終諸。題曰講學鞭策録。書已繕寫、亟謂余以爲、此書之篇、非他也。聖學之道、朱子所以敎人、闡明備密無復遺蘊矣」の説明。格物で知が啓けるのを致知と言う。精も至極に精しくすること。丘瓊山や真西山の致知が振るわないのは、精義がなかったからである。一方、学問は熟すのでなければ役に立たず、また、目指すところは顔子の好学なのである。
【通釈】
「精義之方」。易の字である。また、窮理とも言って、大学では致知格物の総捲りである。知を精義と言うのは、精しくないと、格物の仕様が問屋場で人足を出す様に粗くなるからである。格物でこちらの知が啓けるのを致知と言う。致は至極である。精というのもぎりぎりに精しくすること。ここが大学の至極に決まる術から来ることなので、仕入れ仕込みが違う。丘瓊山や真西山が朱子の章句や或問を読まれても、事業の上に荒々しいひことを取り挙げ、大学の致知に爆ぜない処ができるのは、これが精義のない見様からのこと。格物致知を大学の八目の名にして、易で精義と言われたのをここに採って操存精義と立てた。孟子の知言もこの精義の字から出たもの。「習慣積熟云々」。年寄りの天窓が禿げる様に、梨でも梅でも熟さなければ喰えない。学問も熟すのでなくては役に立たない。「以好学論終諸」。これが立志の裏針を返したもの。仕上げが顔子の通りと言うので学問の至極の目当てとなる。
【語釈】
・精義…易経繋辞伝下5。「精義入神、以致用也」。
・丘瓊山…明の瓊山の人。丘濬。字は仲深。号は深菴。
・眞西山…
・知言…孟子公孫丑章句上2。「我知言。我善養吾浩然之氣」。

朱子既没云々。垩人の道は孔子で大成し、孔子の道は朱子て成就したか、朱子も没後其学もこまったことにはそろ々々と違て來た。酒のかんのぬるくなったと云やふなことがありて、いや前のと同し酒じゃと云ふても、それでもこれはどふも飲めぬと云やふにあじになりて浸乖くと云ぞ。詖淫妖妄云々。此字は夛く異端に使ふ字なり。浅見先生の、異端斗りと思な、学者の内にあじなが出來て來るそとなり。詖淫邪遁と云はず妖妄と云も面白ひそ。ひょんなことになりた。ばけものぞ。これも浸く乖くからそろ々々となる。何ても一片になるは片づりからこふなる。賢者知者のすくるも桺下惠伯夷てからか、彼大賢にも片づりそ。柳惠は寡婦くるしふない、とまりやれとも云ひ、伯夷は隣家の亭主の頭巾の曲りたも氣にかかる。学者の詖淫妖妄になる。浸く乖く処からこふなる。妖妄は何も知れぬ学問。これは何じゃと云ふていなり。鵺学問と云がありて、猿のやふな処もくちなわの様な処もあり、容体書の知れぬがあるぞ。黄勉斎か何北山、其弟子の王魯斉、大学に闕はないと云。妖妄の説じゃぞ。それから方孝孺などか、大學は拔けはないと云たか、そふなると朱子がつめ腹を切子ばならぬ。二人なから朱子を信仰しなからこのやふな取違ひ。朱子学の化け物かある。呉艸盧王陽明皆それなり。
【解説】
「然朱子已沒學術浸乖、不特詖淫妖妄之説協起」の説明。朱子が没して後は、学問が違って来た。この様になるのは「浸乖」によってであり、悪くなるのは片吊りがあるからである。
【通釈】
「朱子既没云々」。聖人の道は孔子で大成し、孔子の道は朱子で成就したが、朱子が没しての後は、この学も困ったことに次第に違って来た。酒の燗が温くなったと言う様なことがあって、いや前のと同じ酒だと言っても、それでもこれはどうも飲めないという様に変になる。これを「浸乖」と言う。「詖淫妖妄云々」。この字は多く異端に使う字である。浅見先生が、異端ばかりと思うな、学者の内に妙なものができて来るぞと言った。詖淫邪遁とは言わずに妖妄と言うのも面白い。ひょんなことになった。化け物のことである。これも浸く乖くからそろそろとなる。何でも一片になるのは片吊りから。賢者知者という優れた者でも、柳下恵や伯夷からして、あの大賢にも片吊りがある。柳下恵は寡婦でも苦しくない、泊まりなさいとも言い、伯夷は隣家の亭主の頭巾が曲ったのにも気に掛かる。学者が詖淫妖妄になる。浸く乖くする処からこうなる。妖妄は何も知らない学問で、これは何だと言う体である。鵺学問ということがあって、猿の様な処も蛇の様な処もあり、容体書の知れないところがある。黄勉斎や何北山、その弟子の王魯斉、大学に闕はないと言う。それは妖妄の説である。それから方孝孺などが、大学に抜けはないと言ったが、そうなると朱子が詰腹を切らなければならない。二人共に朱子を信仰しながらこの様な取り違いをした。朱子学の化け物がある。呉草盧や王陽明も皆それ。
【語釈】
・くちなわ…蛇の古名。
・黄勉斎…名は幹。字は直卿。1152~1221
・何北山…
・王魯斉…
・方孝孺…
・呉艸盧…

それはそれにもせふか、全従事朱子と云ふから平日の訓にぐあひの違ふことあり。平日の訓とは訓門人や節用のことなりと見るかよい。背馳矛盾。朱子も歒對ふでもないが、目のきれぬと己が身の可愛から、記りて楽な工面によいやふに向から知も行も平日の訓に背く。平日の訓にさへそむかぬと学術ふれず。朱子のえふで通ればどこでも人足の出ぬ処はないぞ。それを今の学者はまきらかして皆身のせつないで何やら半分宛切りすてる。大成した朱子の訓と云ふは直に大学のなりぞ。それに背くは氣質の偏からなり。
【解説】
「而雖稱從事于朱子者、夷考其所以爲學、則往往不免與平日之訓背馳矛盾」の説明。目が鋭くないと、工面のよい様にするので、平日の訓に背くことになる。それは気質の偏からである。
【通釈】
それはそのままにもしようが、「称従事朱子」と言うので、平日の訓に具合の違うことがある。平日の訓とは訓門人や節用のことだと見なさい。「背馳矛盾」。朱子に敵対しようというのでもないが、目が鋭くないと自分の身が可愛いから、記りて楽な工面によい様に、向こうから知も行も平日の訓に背く。平日の訓にさえ背かなければ学術は振れない。朱子の號帯で通れば何処でも人足の出ない処はない。それを今の学者は紛らかして、皆身が切ないので何やら半分宛てて切り捨てる。大成した朱子の訓というのは直に大学の通りのこと。それに背くのは気質の偏からである。

大率高明云々。そこでこれからは氣質を二つに分けて云こと。隂陽の氣で人と生れるから天にあやかるか地にあやかるかの二つぞ。高明疏敏。近思でも鞭策でも氣質は筭用にせぬ。なれともそれを変化する学問ゆへ、氣質の吟味をかけるそ。これはよい生れ付ぞ。優傑の一つぞ。此高明と云を知見とみるな。人欲のないとみよ。譬へは人君の御召出されと云とさてはとのるが、高明な人はのほんとして物のかずとせぬ。何でも目樂に心得る。人の精はりてさはぐことも、己れは面倒じゃなどと云ふで、少々のことは目かけぬそ。大言をも云、人欲のないからそ。疏は筋の分ることで、ををそれよ々々々と、骨折らず筋のずふ々々とわかる。敏はそふ筋のわかるで人の一日にすることを半はにもしてとる。大概の学者はたたきつぶす程なれとも、もとこれが氣質ゆへ、工夫をするになって其方にむきになりて役にたたぬ。そこで鞭策ては此氣質を変化するぞ。此氣質が根になるで学問へそれか出るて、平日の訓に背くなり。
【解説】
「大率高明疏敏者」の説明。人は陰陽の気で生まれるから、天地に肖る。ここの「高明」は人欲のないこと。「疏」は骨を折らずに筋が分かれること。「敏」は、楽に筋が分かれるので、時間の掛からないこと。気質が根になって学問に出るので、この気質を鞭策で変化させるのである。
【通釈】
「大率高明云々」。そこでこれからは気質を二つに分けて言う。陰陽の気で人と生まれるのだから、天に肖るか地に肖るかの二つである。「高明疏敏」。近思でも鞭策でも気質は算用にしない。しかしながら、それを変化させる学問なので、気質の吟味を掛ける。これはよい生まれ付きで、優傑の一つである。この高明を知見と見てはならない。人欲がないことと見なさい。たとえば人君の御召し出しには、さてはと乗るものだが、高明な人はのほんとして物の数としない。何でも目楽に心得る。人が精を張って騒ぐことも、自分は面倒だなどと言って、少々のことには目掛けない。大言をも言うのは人欲がないからである。「疏」は筋の分かれることで、おおそれだそれだと、骨を折らず、筋がずふずぶと分かれること。「敏」はその様に筋が分かれるので、人の一日にすることを半ばにもして取ること。大概の学者は叩き潰す程のことだが、元々これは気質なので、工夫をすることになっては、そちらにむきになっては役に立たない。そこで鞭策でこの気質を変化させるのである。この気質が根になるので学問へそれが出る。そこで平日の訓に背く。

檢束は主一無適とも常惺々とも整斉厳肅とも不容収歛一毫とも云。それを檢束て詞の上できめて体認せぬと根ずみがせぬなり。程子の整斉厳肅のと云も形から心のよくなることて、あそこに表裏はないぞ。檢束はどふしたことと尋るに眞をたば子たやふなもの。取り乱した眞木をたば子るとしゃんとなり、つづまるやふに、形かつつまると心もつつまる。子ころんても心か子ころはずはよからふと云ふか、そふてない。未有箕居而不慢者と云へは、足を投げ出しと心も曲る。荘整厳肅すると心も惺々となる。檢束は血暈り女に酢をかけたやふな氣味て、ばっとなる氣を酢てつつめるとはっきとなるそ。衣類の土用干ても埒なしに入れては葛篭に余るか、能たたみ込むと本と如くにおさまる。檢束は此やふなものそ。浅見子の手に入りて字を使ふ。存羪と書ず操存と出し、ここで檢束と内外の工夫の把抦の字なり。
【解説】
「毎厭檢束」の説明。「検束」は薪を約める様なことで、形が約まると心も約まる。荘整厳粛をすると心も惺々となる。
【通釈】
「検束」は主一無適とも常惺々とも整斉厳粛とも不容収斂一毫とも言う。それを検束と言うと、言葉の上で決めて体認しないと根済みがしない。程子が整斉厳粛と言うのも形から心がよくなることで、あそこに表裏はない。検束はどうしたことかと尋ねれば、薪を束ねた様なもの。取り乱した薪を束ねるとしゃんとなって約まる様に、形が約まると心も約まる。寝転んでも心が寝転ばなければよいだろうと言うが、そうではない。「未有箕踞而不慢者」と言うのだから、足を投げ出すと心も曲がる。荘整厳粛をすると心も惺々となる。検束は血暈り女に酢を掛けた様な気味で、ばっとなる気を酢で約めるとはっきりとなる。衣類の土用干でも埒なしに入れては葛篭に余るが、よく畳み込むと元の様に収まる。検束とはこの様なもの。浅見子は字をよく手に入れていてそれを使う。存養と書かずに操存と出し、ここでは検束と、内外の工夫の取柄となる字を出した。
【語釈】
・未有箕居而不慢者…近思録存養50。「問、人之燕居、形體怠惰、心不慢者、可否。曰、安有箕踞而心不慢者」。

涵羪の上に檢束とあらひ字を出して、あとて涵羪と其檢束をいつも々々々なり。客が帰るともふよいとうんとのびをするやふてはいかぬぞ。常々に檢束のつかまへ処を涵羪することぞ。漢唐を絶学と云も檢束涵羪を知らぬ。程朱は爰を得たて道統ぞ。寸に高明疏敏の人はこれを何と云て念仏組のやふに思ひ、本根第一とせぬ。不務は学而の□の注に専力と云が務るで、鍛冶屋の七つからたたくやふな業にするのぞ。そこを大刷毛に投けやりにするか不務なり。渾厚と云質がありて、先は甚たよい生れて今の世の司馬温公と云やふな学者かある。厚ひことでふっくとして、云に云へぬていを云。淳質とは一ちぞな手のない木地でつくろいなしで、何処へ出しててもよい。人品中々及れぬと云ふ人抦なり。されども圣賢を目かける此鞭策ではならぬぞ。此やふな人ても本と氣質ゆへ癖が付て廻りたがる。
【解説】
「涵養之實而不務。渾厚淳質者」の説明。いつも「検束」の掴まえ処を「涵養」する。「渾厚淳質」はよいものだが、それは気質だから癖が付く。そこで、鞭策においては悪い。
【通釈】
「涵養」の上に「検束」と粗い字を出して、後に涵養と、その検束をいつもいつもするのである。客が帰るともうよいとうんと伸びをする様では悪い。常々に検束の掴まえ処を涵養すること。漢唐を絶学と言うのも検束涵養を知らないから。程朱はここを得たので道統である。時に高明疏敏な人はこれを何のこともないと言って、念仏組の様に思い、本根を第一としない。「不務」は学而の□の注に専力とあるのがこの務のことで、鍛冶屋が七つから叩く様な業にすること。そこを大雑把に投げ遣りにするのが不務である。「渾厚」という質があり、先ずは甚だよい生まれで今の世の司馬温公という様な学者がいる。厚いことでふっくらとして、言うに言えない体を言う。「淳質」とは、一途な手のない木地で繕いなしで、何処へ出してもよい。人品中々及ばれないという人柄である。しかしながら聖賢を目掛けるこの鞭策では駄目な人である。この様な人でも本が気質なので癖が付いて廻りたがる。
【語釈】
・専力…論語学而2集註。「務、專力也」。

博攻は博文のことで、挌致の工夫なり。我をとなしひ木地な実な処へくらわされて洪範の吟味はせですむ、禹貢をせんぎしても人抦のためにならぬ、譬へせんぎしても德行の為めにならぬと云て博攻審覈をいやかるぞ。温公の其誠乎と云は中々圣人にもまけぬが、博攷審覈をすてる下地ぞ。だたい博学審問愼思明弁、垩学の動かぬ処なれとも、そこを精出さぬなり。審覈は博攷の上にあることで、軽い小学の六藝のことでも、禹貢の地理、洪範の敉でも皆博攷なり。それを吟味しとけると云は審覈ぞ。道体性命から日用の上、政事のこと迄か審覈がしてとる。なれともあたまから君子めくと、それを成就したことのやふに思ひ、力を用ぬなり。大学の序の、其氣質之稟不能斉と云も学者まつ此二つなり。
【解説】
「又廢博攷審覈之功而不力。由乎資質所得已如此」の説明。「博攻」は「博文」のことで、格致の工夫であり、「審覈」は博攻を吟味し遂げること。学者は先ず「博攻審覈」をしなければならない。
【通釈】
「博攻」は「博文」のことで、格致の工夫である。自分の大人しい木地で実な処に惑わされて、洪範の吟味はしなくても済む、禹貢を詮議しても人柄のためにはならない、たとえ詮議をしても徳行のためにはならないと言って「博攻審覈」を嫌がる。温公が「其誠乎」と言ったのは中々聖人にも負けないものだが、博攻審覈を捨てる下地がある。そもそも「博学審問慎思明弁」は聖学の動かない処だが、そこで精を出さない。審覈は博攻の上にあることで、軽い小学の六芸のことでも、禹貢の地理、洪範の数でも皆博攻である。それを吟味し遂げるのは審覈である。道体性命から日用の上、政事のことまでが審覈でして取る。しかしながら、最初から君子めくと、それを成就した様に思い、力を用いなくなる。大学の序で、「其気質之稟不能斉」と言うが、学者は先ずこの二つをしなければならない。
【語釈】
・博文…論語雍也25。顔淵15。「子曰、博學於文、約之以禮。亦可以弗畔矣夫」。子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮」。
・其誠乎…小学外篇善行。「劉忠定公見温公問盡心行己之要可以終身行之者。公曰、其誠乎。劉公問行之何先。公曰、自不妄語始。劉公初甚易之。及退而自檃栝日之所行與凡所言自相掣肘矛盾者多矣。力行七年而後成自此言行一致表裏相應遇事坦然常有餘裕」。
・博学審問愼思明弁…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。
・其氣質之稟不能斉…大学章句序。「蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟或不能齊、是以不能皆有以知其性之所有而全之也」。

意智は誠意の意に性智の文なれとも、爰は我流になり偏蔽する処で、意必固我意と鑿の智になりさん々々なことなり。得手方々へ我本如此存するの、思ひつめたのと垩人学術を推しのけて我流に向ひてゆく。日々に観其趣云々。わるくなり、得手に帆を挙て、やはり程朱の訓を我勝手にとる。晩年定論もそこから出る。ます々々わるくなる。王魯斉も一理あるはひと云ふやふになる。これ皆氣質と云田に水を引なり。人欲よりうるさひものは氣質と思へ。温公が孟子を疑ふも人欲ではない。意智の熟する処で□□□の大害ぞ。末はどふなろふも知れぬ。子貢の弟子が田子方、其弟子が荘子なり。段々ととんたことになるそ。
【解説】
「而其意智所熟、日見其趣」の説明。ここの「意智」は「意必固我」の意と「所惡於智者、爲其鑿也」の智のこと。自分の得手を頼って我流をする。人欲より煩いものが気質である。
【通釈】
意智は誠意の意で性智の智だが、ここは我流になって偏蔽する処で言う。「意必固我」の意と鑿の智になり散々なことである。得手方で、私は元々この様に思っていたとか、思い詰めたと、聖人の学術を押し退けて我流に向って行く。「日観其趣云々」。悪くなって、得手に帆を揚げ、やはり程朱の訓を自分勝手に解釈する。晩年の定論もそこから出る。益々悪くなる。王魯斉も一理あると言う様になる。これが皆気質という田に水を引くもの。人欲より煩いものは気質だと思え。温公が孟子を疑うのも人欲ではない。意智の熟す処からで□□□の大害である。末はどうなるかも知れない。子貢の弟子が田子方、その弟子が荘子である。段々ととんだことになる。
【語釈】
・意必固我…論語子罕4。「子絶四。毋意、毋必、毋固、毋我」。
・鑿の智…孟子離婁章句下26。「所惡於智者、爲其鑿也」。
・王魯斉…
・田子方…魏の臣。魏成子の推挙で文侯に仕え、文侯の師となるが仕官せずに助言を送った。

遂离規矩云々。遂には兼々それをこちに持て居るゆへ遂そふなる。悠雎。俗弁で云ははどふらくものになることぞ。晋の七賢も始め意智からああ不力者趨省約云々。直方の大学一冊で加茂へ引込たを省約に趨くと違ふ。あれはやはり博攷審覈の為めにすることぞ。大学の書一冊でも天下博攷の刄金をとぐなり。外のものならば如何なれとも、大学と云て審覈ぞ。大工が鋸の目を立るは大木を伐るためぞ。直方大学で天下の理をつめるのぞ。省約趨くと云のは二山弥三郎になることなり。安固陋は大学補傳に凡即天下之為とある。其凡そのなりぞ。村天子と云のぞ。二十四孝と云やふになる。はばせまい。
【解説】
「是以不務者遂離規矩而到乎悉雎、不力者益趨省約而安于固陋。其他不可枚舉」の説明。意智から道楽者になって、省約に趨き、また固陋に安んじることになる。直方が大学一冊を持って加茂に引き込んだのは、博攻審覈であり、省約に趨くのとは違う。
【通釈】
「遂離規矩云々」。遂には、兼々それをこちらに持っているので遂にそうなるのである。「悉雎」。俗弁で言えば道楽者になること。晋の七賢も始めの意智からあの様に「不力者趨省約云々」である。直方が大学一冊で加茂へ引き込んだのは省約に趨くのとは違う。あれはやはり博攻審覈のためにしたこと。大学の書一冊でも天下博攻の刃金を研ぐことになる。外のものでは請け合えないが、大学と言うので審覈である。大工が鋸の目を立てるのは大木を伐るため。直方は大学で天下の理を詰めたのである。省約に趨くとは、二山弥三郎になること。「安固陋」は大学補伝に「凡即天下之為」とあるが、その凡の姿である。村天子ということで、二十四孝と言う様になる。幅が狭い。
【語釈】
・二山弥三郎…
・二十四孝…中国で、古今の孝子二四人を選定したもの。元の郭居敬の説。虞舜・漢文帝・曾参・閔損・仲由・董永・剡子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁・老莱子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。

一言之是非云々。とかく学術の本がたたぬから、よいことにもせよ雜話でもこふああなどと、何のはばのないことを云。とかく地歩が少ひ。是非も取舎も出処のことても議論のことでも埒なくなりて、譬へは孟子の兼金一百を受るもあれば、又受ぬもありて、それにも吟味つづまりたことで、浩然の氣と云も知言集義もそれ々々のこと、皆精義涵羪と両方をゆくなれとも、我得手の片々ゆへ学問に目はあかぬぞ。一言一義わつかのことはどふてもよいやふなれとも、知にはぜがなく、義にきれがないてとんと学術とほふもないことになる。甚者至門云々。佐藤子は此書を編に、浅見子は此序を書き如此云はるるに、既に浅見の弟子が五郎左ェ門は老耄したと云ひ、直方の弟子は浅見の町奴がなどと云やふに何てもないやふに思ひ、苦々しきことにて、七十子のほろぶるをまたぬなり。学術上の計論に氣質の手傳ひと云ふはさん々々のことなり。
【解説】
「以至於一言之是非一義之取舍、向背從違亦各有所主、而甚者至門專其學、徒阿所好」の説明。学術の本が立たないから幅がなく、埒のないものとなる。学術に気質の手伝いがあるのは散々なこと。
【通釈】
「一言之是非云々」。とかく学術の本が立たないから、よいことにしても雑話でもこうああなどと、何の幅のないことを言う。とかく地歩が少ない。「是非」も「取舎」も、出処のことでも議論のことでも埒がなくなる。たとえば孟子は兼金一百を受ける時もあれば、また受けない時もあるが、それも吟味の約まったことで、浩然の気も知言集義も、それぞれのことは皆精義涵養で両方を行くものだが、自分の得手の片々なので学問に目が開かない。一言一義の僅かなことはどうでもよい様だが、知に爆ぜがなく、義に切れがないので学術が実に途方もないことになる。「甚者至門云々」。佐藤子はこの書を編み、浅見子はこの序を書いてこの様に言われたのに、既に浅見の弟子が五郎左ェ門は老耄したと言い、直方の弟子は浅見の町奴がなどと何でもない様に思う。それは苦々しいことで、七十子が亡ぶのを待つまでもないこと。学術上の計論に気質の手伝いがあるのは散々なこと。
【語釈】
・地歩…自己のいる地位。活動する上での立場。立脚地。位置。
・兼金一百…孟子公孫丑章句下3。「陳臻問曰、前日於齊、王餽兼金一百而不受。於宋、餽七十鎰而受。於薛、餽五十鎰而受。前日之不受是、則今日之受非也。今日之受是、則前日之不受非也。夫子必居一於此矣」。
・集義…孟子公孫丑章句上2。「是集義所生者、非義襲而取之也」。
・七十子…論語序説。「弟子蓋三千焉。身通六藝者七十二人」。

安排造為、瞞人自誣。とちも同じやふなれとも、自誣はあんまりなぞ。両無所得。人も我も得る処なくして已む。吾も人も面々をよいと心得てをはるるそ。天下一番の人欲と云は、吾をよいと思ふことと直方云へり。出入起居云々。直方が御手前の鞭策にしたことをみよ。不須強多弁説云々。己れ々々の我意で、いやこれは五匁じゃの十匁じゃのと爭ひはいらぬ。此鞭策録と云秤でかけてみよ。彼此交明にしるるなり。資質之偏、意智之私云々。今学者は氣質人欲を納戸の隅へをしこんて、目ばりをして置て滅多に見せぬが、この鞭策を出す、どふも御坐にたまらぬ。納戸へかくされぬ。鞭策録と云曲尺て私智の曲りが分るぞ。そこて氣質人欲かくれなくなる。
【解説】
「安排造爲、瞞人自誣、两無所得而後已矣。是正自古之可患者、而近世爲尤甚。以故竊不自量、収録日夕所講究、精確詳的尤切于用力者如此。以欲出入起居携持奉誦、以爲終身之箴。至於同志之共是患者、即亦以此因事、對證反復辨析、以一其歸焉、則將不須強辯多説而彼此交明、自無所容夫資質之偏、意智之私也。是乃今日編録之意、尚恐後日之或忘。盍爲吾識之篇端也」の説明。天下一番の人欲は自分をよいと思うこと。我意で争う必要はなく、鞭策録という秤に掛けて見ればよい。
【通釈】
「安排造為、瞞人自誣」。どちらも同じ様だが、自誣はあまりなこと。「両無所得」。人も自分も得る処なく終える。自分も人もそれぞれをよいと心得て終える。天下一番の人欲とは、自分をよいと思ふことだと直方が言った。「出入起居云々」。直方が自分のための鞭策にしたことを見なさい。「不須強多弁説云々」。それぞれの我意で、いやこれは五匁だ、十匁だと争う必要はない。この鞭策録という秤に掛けて見なさい。「彼此交明」に知れる。「資質之偏、意智之私云々」。今の学者は気質人欲を納戸の隅へ押し込んで、目張りをして置いて滅多に見せないが、この鞭策を出すとどうもそこに居るのが堪らない。納戸へ隠せない。鞭策録という曲尺で私智の曲がりがわかる。そこで気質人欲が隠れられなくなる。

余毎嘆意云々。これから浅見先生の思召を云ことぞ。此前の病症見立もよく方組もよく、藥の用ひやふを云たやふなもの。これから浅見の浅見たる仕覚た処で、さて々々匕か回るぞ。人情鵜のみと云やふなぞ。人情を知ら子ばこふは云へぬ。只学問は大学の通りを々々々と云ても、どふもそふは思ふやふにならぬ。久しい医者じゃかどふもこまるでやと云ことあるは古今の通情ぞ。人生賦壽云々とさま々々なささわりがあるを云か鞭策なりたる手段になる。穉騃老耄衰懶。これを引くと大分减る。十露盤をはしひて見せる。其上天下無事之人。士農工商それ々々用かある。すれば学問する間は夛ひ分て三十年じゃ。筭盤にかけたなり。まだ病累憂故と云ことあるか、それをば筭盤へのせぬが、これもあることて、厄病が流行って火事に逢ふたを普請するのと、こふ引けが立つなれは、よく心得てかからしゃれと、はや鞭策の下地になるそ。
【解説】
「余毎歎意。人生賦壽能逮百年者希矣。其間穉騃戲惰老耄衰懶殆居其半、而天下無無事之人、則其可用力於學者、多不過三二十年、而病累憂故不與焉」の説明。人生には様々な障りがあるから、学問をすることができるのは多くても三十年ほどしかない。それをよく心得て学問をしなければならない。
【通釈】
「余毎嘆意云々」。これからは浅見先生が思し召しを言ったこと。この前の病症の見立てもよく方組もよいが、ここは薬の用い方を言った様なもの。これからは浅見の浅見たる仕覚えた処で、実に匙が回ったことで、人情鵜呑みという様なこと。人情を知らなければこうは言えない。ただ学問は大学の通りをすると言っても、どうもそう思う様にはならない。久しい医者だがどうも困るということがあるのは古今の通情である。「人生賦寿」云々と様々な障りがあることを言うのが鞭策たる手段となる。「穉騃老耄衰懶」。これを引くと大分減る。算盤を弾いて見せる。その上「天下無事之人」である。士農工商それぞれに用がある。それなら学問をする間は多く見ても三十年である。算盤に掛けたのである。まだ「病累憂故」ということがあり、それは算盤に乗せないが、これもあることで、厄病が流行ったり、火事に逢ったのを普請するなど、この様に引けが立つのだから、よく心得て掛かりなさいと言う。これが早くも鞭策の下地になる。

有害其術、有奪其志。此学を大切にみよ。記問詞藻で学術を害す。禹は寸隂を惜むと云ふに、詩文章の會などて日を費し、讀書不遍意不通すを打やふりて送別の文に歳旦の詩、其やふなてんかふにかかりて、博攷審覈がならふが。利沢声名之誘。これては各々心かべた々々となるぞ。詩文章では隙の害、利沢は心の害で、心かみぢんになるぞ。世味経歴之熟云々。わるい方の存羪がつのり々々々して君子風をし尤らしくして心術がわるくなりたかるそ。油断はならぬぞ。志をしゃっきりと立てよ。兎角世間上手に阿って人に悦すことを云出したかる。利口になるほど学問はわるくなるぞ。江戸へても出る、もふ巻舌になりて学問をうり、知惠をも面白をかしくしてやわらを云。温厚和平衆人愛敬ぞ。学問はみんなになる。孔子と老子の流行はるるも丸ひが賞翫ぞ。孔老一致と云ふも世味にもうまいことになる。孔子はするどひ。荘子はは子る。するどひは子るもはやあたりさはりそ。学術のひつみからどふならふも知れず。世味経歴から弥々学術か郷愿になる。
【解説】
「倘有從學者、則記問詞藻之好、有害其術、利澤聲名之誘、有奪其志、而世味經歴之熟」の説明。詩文章は隙の害、利沢は心の害である。世味経歴から学術が郷愿になる。
【通釈】
「有害其術、有奪其志」。この字を大切に見なさい。記問詞藻で学術を害す。禹は寸陰を惜しむというのに、詩文章の会などで日を費やし、「読書不遍意不通」を打ち破って送別の文に歳旦の詩、その様な戯れに掛っていて、博攻審覈ができるだろうか。「利沢声名之誘」。これでは各々心がべたべたになる。詩文章は隙の害、利沢は心の害で、心か微塵になる。「世味経歴之熟云々」。悪い方の存養が募って君子風をして、尤もらしくして心術が悪くなりたがる。そこで油断がならない。志をしゃっきりと立てなさい。とかく世間上手に阿って人を悦ばすことを言い出したがる。利口になるほど学問は悪くなる。江戸へでも出るともう巻舌になって学問を売り、知恵をも面白可笑しくして柔らを言う。それは温厚和平衆人愛敬であり、学問は台無しになる。孔子と老子が流行るのも丸いのを賞翫するから。孔老一致と言うのも世味にも上手いことになるから。孔子は鋭い。荘子は跳ねる。鋭いと跳ねるには早くも当たり障りがある。学術の歪みからどうなるかも知れない。世味経歴からいよいよ学術が郷愿になる。
【語釈】
・讀書不遍意不通…
・てんかふ…てんごう。ふざけること。いたずら。
・郷愿…論語陽貨13。「子曰、鄕原、德之賊也」。

鄙僻壊隨之域はまん丸の俗人なり。それへもとるのなり。学問の仕やふのわるひからこふなるぞ。近思編集の手傳をしても、あの東萊などがもちっとすると陳同甫がやふになる。こわひことどもなり。同甫からは俗人に隣り合せなり。全体の立志かしっかとして好学論のきり々々につまらぬ内は中々たらぬ。月日にたきらぬ。学問をして大沢の中にをち入る。脱然能悪世累云々。こふした人も又まれにあるものて、文王なしといへとも起ると云。豪傑がありても明師良友のないはさてしかたがなく、門庭塗轍をしらぬ。山﨑先生の永田などに訓門人をよますのか、門庭を知らせるのなり。爰へ朱子の全書とあるえ、近思彔の全書に及べとあるで、爰へ浅見子の此字を出した。さればいよ々々鞭策を近思と二つでないと云眼から末な処迠を一致にすることぞ。
【解説】
「又有薫鑠蠧蝕乎其中、則方且淪胥以陷於鄙僻壊墮之域之不暇。而况於望其有得哉。設使有脱然能惡世累俗學之陋、欲有所自立者、然已無明師良友指示輔導之、則雖朱子全書具在、而茫不知門庭塗轍之大端、乃何以得實識固守、及時進脩以不自失乎。如此不但背朱子平日之訓、而眩惑疑似之間、將墜彼詖淫妖妄之説而不自知焉、則其害又復有甚焉者。是豈不可惜之尤。而今一得此編潛心熟復之、則朱子敎人之要、所始乎立志而終乎爲聖者、粲然明該、如白日大路冬縕夏葛、不可得而易、而又不可得而闕矣。由是用力而益及其全書、細考篤踐孜孜不已、則向上所詣、其不可測矣」の説明。学問の仕方が悪いと俗人に戻る。また、立志があったとしても、明師良友がいなければ門庭塗轍を知ることができない。
【通釈】
「鄙僻壊墮之域」は全くの俗人である。それへ戻るのである。学問の仕様が悪いからこうなる。近思編集の手伝いをしても、あの呂東萊などはもう一寸すると陳同甫の様になる。それは恐いこと。同甫からは俗人に隣り合わせである。全体の立志がしっかりとして、好学論のぎりぎりに詰まらない内は中々滾らない。月日に滾らない。学問をして大沢の中に落ち入る。「脱然能悪世累云々」。こうした人もまた希にあるもので、文王なしと雖も起こると言う。その様な豪傑がいても「明師良友」がいないは実に仕方ないもので、「門庭塗轍」を知らずにいる。山崎先生が永田などに訓門人を読ますのが、門庭を知らせること。ここに朱子全書とあるが、近思録にも全書に及べとあるので、ここへ浅見子がこの字を出したのである。そこで、いよいよ鞭策を近思と別ではないとする眼で、末な処までを一致させるのである。
【語釈】
・東萊…呂祖謙。南宋の儒者。字は伯恭。号は東莱。浙江金華の人。1137~1181
・陳同甫…
・文王なしといへとも起る…
・永田…山崎闇斎門下。佐藤直方は初め永田養庵に学び、彼を介して山崎闇斎の弟子となる。
・近思彔の全書に及べとある…近思録後序。「如此然後求諸四君子之全書、沈潛反覆、優柔厭飫、以致其博、而反諸約焉、則其宗廟之美、百官之富、庶乎其有以盡得之」。

然則此編之成云々。とかく先軰を尊信してみれば、意が深く見へるものぞ。あとへかへるやふな長ひ文のやふじゃか、よくみれば親切なことぞ。先軰を軽んす、孔朱をたてにして直参の心では反て直参になられぬ。直方の鞭策録を杖につくと云はるる。親切なことなり。徒郡居終日云々。これは俗人のありなりで、士農工商凡夫はこふしたもの。それを学者の方へ持て來て、学者は大ひ事業を心掛るものがむだに日を暮す。はやり俗人と同じことぞ。因循玩愒は左傳の字で、たしか趙孟ぞ。晋の一人て居で押はたぬでさわぐへき処を先つ今年も々々々と遂ひくらしていたを云ふと覚へた。適は適意の方に見るかよからふ。郡居終日の処でぶら々々して、これか曽点の氣象じゃなどと云ひ、昨日の御出合は何でと問ふと、いや何と云こともないが、さて益を得ましたなどとまきらして面白みをしてぶら々々するぞ。
【解説】
「然則此編之成、爲今日學者之大幸亦豈可勝言也哉。嗚呼士不學則無可言矣。苟有志乎學、不能於此警惺奮勵、而徒郡居終日、聚頭閑議、因循玩愒、取適目前、時馳歳去、大耋將至。其從來所爲所得、適不勝其可悔」の説明。学者は大きな事業をするものなのに、郡居終日の処でぶらぶらしているのでは俗人と同じである。
【通釈】
「然則此編之成云々」。とかく先輩を尊信して見れば、意が深く見えるもの。前に返る様な長い文の様だが、よく見れば親切なこと。先輩を軽んじ、孔朱を楯にして直参の心でいては反って直参にはなれない。直方が鞭策録を杖に突くと言われた。それは親切なこと。「徒郡居終日云々」。これは俗人の姿で、士農工商凡夫はこうしたもの。それを学者の方へ持って来て、学者は大きい事業を心掛けるものだが、それが無駄に日を暮らすのは、はやり俗人と同じこと。「因循玩愒」は左伝の字で、確か趙孟のこと。晋の第一人者でいて、押し肌脱いで騒ぐべき処を、先ずは今年も今年もと遂い暮らしていたのを言ったことだと思う。「適」は適意の方に見るのがよいだろう。郡居終日の処でぶらぶらして、これか曾点の気象だなどと言い、昨日の御出合いは何でしたかと問えば、いや何ということもないが、実に益を得ましたなどと紛らして面白味を言ってぶらぶらとする。
【語釈】
・曽点の氣象…曾點の気象。論語先進25。「莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也」。

其果はいつも悲歎放曠云々ぞ。つまり悲嘆より外はなくなる。私もはやと歎く。放曠は髙くかまへてぶざまをするそ。渾厚のものは悲歎し、高明なものは放曠になるそ。直方の泣学問役にたたずと云はるる。悲歎なり。尤又大言家と云かある。放曠ぞ。蠢植糟粕とじっとして、古る渋紙の破るやふに死て仕まふ。浅見の云れたぞ。自今学者讀此編云々。一方た出來たやふなれとも、これを讀むものても油断はならぬ。可慮ものある、と。さて々々忝けない鞭策なり。不一旦勇進直前以有為也。不有とは安神散を呑た、氣がはっきとなるやふで、浅見の思召は、此書を見るからは誰てもそふであらさらんや。各々そふで有ふなれとも、あとか得手そふないものぞ。吾黨の宗旨ては此書を讀むことてこざるてさと、云やふないことぞ。熊膽をなめてもそれきりては役に立ぬ。
【解説】
「而悲歎放曠、直與蠢植糟粕共朽腐而止、則亦殊可恥而又獨何心歟。是又余之所大歎而深懼者。因遂幷書之、以庶幾乎鞭策之益焉。抑猶有可慮者。自今學者讀此編而講之、能有所警勵興起、則誰不一旦勇進直前以有爲也」の説明。立志がないと、渾厚の者は悲歎し、高明なものは放曠になる。鞭策録を読めばはっきりとなるが、それで終えてはならない。
【通釈】
その果てはいつも「悲歎放曠云々」である。つまり悲嘆より外はない。私もこれでと歎く。放曠は高く構えて無様なことをすること。渾厚の者は悲歎し、高明なものは放曠になる。直方の泣学問は役に立たないと言われた。それが悲歎である。尤もまた大言家と言うものがいる。それが放曠である。「蠢植糟粕」でじっとして、古渋紙が破れる様に死んでしまう。浅見が言われた。「自今学者読此編云々」。粗方できた様であって、これを読む者でも油断はならない。慮らなければならないものがあると言った。実に忝い鞭策である。「不一旦勇進直前以有為也」。不有とは安神散を飲むと気がはっきりとなる様なことで、浅見の思し召しにより、この書を見るからは誰でもそうなることだろう。各々そうなるだろうが、後はそうでないことが多い。我が党の宗旨はこの書を読むことにあると言う。これは言い様のないこと。熊膽を舐めても、それで終えては役に立たない。

日復一日。没五降が誰かに答るに、見用長久と云ことを書れたか、此永ひ日の中にも駒の朝早にと云ふやなかありて、子供の伊勢参りする寸に、はやりきって箱根より前で足を傷ひ、山ては大に困る。進歩稍艱。大和巡りするにも後々はああをけはよかったと云氣になる。前にも云、夕嵐今やあらしと山や思ふ幾暁の寐覚なりしをでなふては役にたたぬ。一旦の鋭氣頼みない。全体のもった氣だてでないものかあるもの。田地持たぬ百姓が用金請合ふたやふに、跡て困り微沮むになり、後には学友をみると迯るやふにもなる。鋭氣かなくなるとこふなるものなり。そふすると彼俗習声利世味経歴が爰てこそと出て來る。吾党の学者するとさにちょっとはよいやふに見へて、あとあかり田の雨に逢ふたやふになる。
【解説】
「惟其及乎日復一日進歩稍艱鋭氣微沮、則又安知向之」の説明。一旦の鋭気は頼みにならない。それでは後に俗習声利世味経歴となる。
【通釈】
「日復一日」。没五降が誰かに答えるに、「見用長久」と書かれたが、この永い日の中にも駒の足掻にという様なことがあって、子供が伊勢参りをする時に、逸り切って箱根より前で足を傷め、山では大いに困る。「進歩稍艱」。大和巡りをするにも後々はああしておけばよかったという気になる。前にも言った、夕嵐今や嵐と山や思う幾暁の寝覚めなりしをでなければ役に立たない。一旦の鋭気は頼みにならない。全体に持った気立てでないものがある。田地を持たない百姓が用金を請け合った様に、後で困り微沮することになり、後には学友を見ると逃げる様にもなる。鋭気がなくなるとこうなるもの。そうするとあの俗習声利世味経歴がここでこっそりと出て来る。我が党の学者は鋭いので、一寸はよい様に見えるが、後は刈り田が雨に逢った様になる。
【語釈】
・没五降…胡五峰?
・夕嵐今やあらしと山や思ふ幾暁の寐覚なりしを…

乗虚投間と云ふは、子供の寸の虫氣や疳氣が年よりて出て來て、こちのよわみへはいるぞ。俗習世味経歴は我々以上にない心て居ても、つひそれになる。直方の弟子三輪善藏など、六経注我などと云はふなれとも、つい世味経歴で利の字の紋を付て時めくとをしらぬ。王荊公が後は珠敉をつまぐるやふにもなる。あきれたことぞ。語曰愼終云々。爰にこれを引れたは近思彔の末に警戒の篇のあるやふに、存羪の成就の上にも火の用心々々々々と觸るるのて、終を愼むが大切のことなり。鞭策々々と只虚氣の髙ぶりにはつむは役に立ぬ。浅見子しっほりと重みをかけて云るるが鞭策の眞の処なり。鞭策の実を知らぬ人は元氣に任せてはやるやふに思ふから、鞭策が立志や克己の摸様に合ふ様で、此一書全体の鞭策に眼かつかぬ。しっとり々々々々精義も涵羪も習熟も学術なりに我意をふらず、学術なりに鞭をあてることぞ。浮浅軽薄の徒の得しれぬことなり。
【解説】
「所謂俗習聲利之急、世味經歴之熟者、不乗虚投間、引己以入鄙僻壊墮之域耶。語曰、愼終如始。又曰、靡不有初、鮮克有終。斯言也、既以自爲誦、而又爲吾丈誦之、又徧爲讀此編者誦之」の説明。「慎終」が大切である。三輪善蔵も王荊公も道に逸れた。鞭策の実を知らない人は、鞭策とは元気に任せて逸ることと思い、それが立志や克己の模様に合う様に思うが、鞭策とは、学術の通りに我意を振らず、学術の通りに鞭を当てることなのである。
【通釈】
「乗虚投間」は、子供の時の虫気や疳気が年寄って出て来て、こちらの弱みに入る。「俗習世味経歴」は我々以上にはないとする心でいても、ついそれになる。直方の弟子の三輪善蔵などは、「六経注我」などと言うが、つい世味経歴で利の字の紋を付け、時めいていることを知らずにいる。王荊公は後に数珠を爪繰る様にもなった。それは呆れたこと。「語曰慎終云々」。ここにこれを引かれたのは、近思録の末に警戒の篇がある様に、存養の成就の上にも火の用心と触れるのである。終わりを慎むのが大切なこと。鞭策と言って、ただ虚気の高ぶりに弾むのでは役に立たない。浅見子のしっぽりと重みを掛けて言われるのが鞭策の真の処である。鞭策の実を知らない人は元気に任せて逸る様に思うから、鞭策が立志や克己の模様に合う様で、この一書全体の鞭策に眼が付かない。しっとりと、精義も涵養も習熟も学術の通りに我意を振らず、学術の通りに鞭を当てるのである。これは浮浅軽薄の徒のわからないこと。
【語釈】
・三輪善藏…三輪執斎。江戸中期の陽明学者。名は希賢。字は善蔵。京都の人。崎門三傑の一人である佐藤直方に学ぶ。致良知の説を尊び、1712年王陽明の『伝習録』に標注を加えて翻刻し、中江藤樹・熊沢蕃山なきあと、江戸の地で陽明学の先駆をなした。和歌もよくした。1669~1744
・王荊公…王安石。北宋の政治家。字は介甫、号は半山。江西臨川の人。神宗の信任を得て宰相となり、青苗法・均輸法・市易法・募役法などの新法を実施したが、志成らず地位を去った。唐宋八大家の一。1021~1086