講斈鞭策録筆記  正月十二日為奥平氏講
【語釈】
・正月十二日…寛政5年(1793年)1月12日。
・奥平…奥平棲遅庵。名は定時。通称は幸次郎、晩年は玄甫。武蔵忍藩士。明和6年(1769)~嘉永3年(1850)

問為学大端条
1
問爲學大端。曰、且如士人應舉、是要做官。故其功夫勇猛念念不忘、竟能有成。若爲學、須立箇標準、我要如何爲學。此志念念不忘、功夫自進。蓋人以眇然之身、與天地並立而爲三。常思、我以血氣之身、如何配得天地。且天地之所以與我者、色色周僃。人自汚壞了。因舉萬物皆僃於我、反身而誠、樂莫大焉一章。今之爲學、須是求復其初、求全天之所以與我者、始得。若要全天之所以與我者、便須以聖賢爲標準、直做到聖賢地位。方是全得本來之物而不失。如此、則功夫自然勇猛、臨事觀書常有此意自然接續。若無求復其初之志、無必爲聖賢之心、只見因循荒廢了。因舉孟子道性善、言必稱堯舜一章云。道性善、是説天之所以與我者、便以堯舜爲檨子、説人性善、皆可以爲堯舜、便是立箇標準了。下文引成覵顏淵公明儀之言、以明聖賢之可以必爲。末後若藥不瞑眩、厥疾不瘳。最説得好。人要爲聖賢、須是猛起服瞑眩之藥相似、教他麻了一上了。及其定疊、病自退了。又舉顏子仰之彌高一段。又説、人之爲學、正如説恢復相似。且如東南亦自有許多財賦、許多兵甲、儘自好了、如何必要恢復。只爲祖宗元有之物、須當復得、若不復得、終是不了。今人爲學、彼善於此、隨分做箇好人、亦自足矣。何須必要做聖賢。只爲天之所以與我者、不可不復得、若不復得、終是不了。所以須要講論學、以聖賢爲準。故問學須要復性命之本然、求造聖賢之極。方是學問。然此是大端如此。其間讀書、考古驗今工夫皆不可廢。因舉尊德性而道問學一章。朱子語類百十八下同。
【読み】
學を爲むる大端を問う。曰く、且つ士人の舉に應ずるが如き、是れ官と做らんことを要す。故に其の功夫勇猛にして念念忘れず、竟に能く成すこと有り。學を爲むるが若きは、須く箇の標準を立て、我如何にか學を爲めんことを要すべき。此の志念念忘れざれば、功夫自ら進まん。蓋し人眇然の身を以て、天地と並び立ちて三と爲す。常に思え、我が血氣の身を以て、如何ぞ天地に配し得ん。且つ天地の我に與うる所の者、色色周僃す。人自ら汚壞し了る。因りて萬物皆我に僃わる、身に反りみて誠なれば、樂、焉より大なるは莫しの一章を舉ぐ。今の學を爲むる、須く是れ其の初めに復らんことを求め、天の以て我に與うる所の者を全うせんことを求めて、始めて得べし。若し天の以て我に與うる所の者を全くせんことを要せば、便ち須く聖賢を以て標準と爲し、直に聖賢の地位に做し到べし。方に是れ本來の物を全うし得て失わず。此の如くなれば、則ち功夫は自然勇猛にして、事に臨み書を觀るに常に此の意有りて自然に接續せん。若し其の初めに復らんことを求むるの志なく、必ず聖賢と爲るの心無くんば、只因循として荒廢し了ることを見ん。因りて孟子性善と道う、言えば必ず堯舜を稱すの一章を舉げて云う。性善と道うは、是れ天の以て我に與うる所の者を説く。便ち堯舜を以て檨子と爲し、人の性は善、皆以て堯舜と爲る可しと説き、便ち是れ箇の標準を立て了る。下文に成覵顏淵公明儀の言を引き、以て聖賢の以て必ず爲る可きを明かにす。末後に若し藥瞑眩せざれば、厥の疾瘳えず、と。最も説き得て好し。人聖賢と爲らんと要せば、須く是れ猛起して瞑眩の藥を服すと相似、他をして麻了一上了せしむべし。其の定疊するに及び、病自ら退き了る。又顏子之を仰げば彌々高しの一段を舉ぐ。又説く、人の學を爲むること、正に恢復を説くが如く相似たり。且つ東南の如きも亦自ら許多の財賦、許多の兵甲有りて、儘々自ら好く了り、如何ぞ必ずしも恢復を要せん。只祖宗元有の物、須く當に復し得べく、若し復し得ざれば、終に是れ了せざるが爲なり。今人の學を爲むる、彼此より善く、分に隨い箇の好人と做るも、亦自ら足れり。何ぞ必ずしも聖賢と做るを要することを須いん。只天の以て我に與うる所の者、復し得ざる可からず、若し復し得ざれば、終に是れ了せざるが爲なり。以て須く學を講論し、聖賢を以て準と爲すを要す所なり。故に問學は須く性命の本然に復するを要し、聖賢の極に造るを求むべし。方に是れ學問なり。然るに此は是れ大端此の如し。其の間書を讀み、古を考え今を驗するの工夫皆廢す可からず。因りて德性を尊んで問學に道るの一章を舉ぐ。朱子語類百十八下同。

この為学の大端と云が近來きれものた。何を云てもこの大端と云ことに合点ない内、此方の工夫土臺はきまらぬ。其大端と云は先をっとり大学の三綱領、あれがそれゆへ知止能得の章句にも志有定向処とある。志定向ぬ、大端を知ぬ学問は、何程精出ても、いかほどしほらしくても、たぎったやふに見へても、遊山玩水も同じことた。大端合点のない学問は片手間がけそ。君の御用に日和見ることのならぬと云やふなかよいぞ。朱門の此問、誰が知らぬか、此問を仕出すなぞと云が、こちに受けるものを持ておる。大端は々々々と不断思ふたから心に覚のある問そ。
【解説】
「問爲學大端」の説明。大端の合点のない学問は片手間の学問である。この問者は心に覚えのある人である。
【通釈】
この為学の大端と言ったのが近来の切れ者だからである。何を言ったとしても、この大端ということに合点のない内は、こちらの工夫の土台は決まらない。その大端とは、先ずはおっとりとした大学の三綱領、あれがそうであり、「知止能得」の章句にも「志有定向」処とある。志が定まって向かうことのない、大端を知らない学問は、どれほど精を出しても、どれほどしおらしくしても、滾った様に見えても、遊山玩水も同じこと。大端の合点のない学問は片手間掛けである。君の御用に日和見ることはならないと言う様なのがよい。朱門のこの問いは誰のものかは知らないが、この問いを仕出すなどというのが、自分に受けるものを持っているから言えること。大端とはと断えず思っていたからで、心に覚えのある問いである。
【語釈】
・知止能得…大学章句1。「知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得」。
・志有定向処…大学章句1。「知之、則志有定向」。

顔子のが仁は爰だと心に覚のある問ゆへ、孔子か克己復礼と大端を告られたものぞ。今の学者は学問にちとたづさはると云から、為学の大端を問なぞと云ことはならぬ。皆の学問が、茶人の側に居から茶飲みやふを見知たと云やふな薄ひことそ。爰ておれか大端と云ことをこふ仰山にきめるか鞭策彔の意だ。皆か心に問ふて見たかよい。大端を知たかと云はたら、答ることはなるまい。それかすくに鞭策のぬけた処。大端と云ことは人々に心覚へあるでなけれはならぬ。師の方からどれときめることもならぬことじゃが、さま々々此条のやふに大端を示さるると、聞人の方でのりのあることそ。さて又此大端の字が曽点漆彫開見大意と云とも違ふそ。あれは棟上けたとあとから云たもの。初手のことてはない。爰の大端は、今聞くと直きに其日からはつみか違ふと云ふほどてなけれは、大端聞たとは云はれぬ。
【解説】
今の学者の学問は薄いものだから、大端を知っている者はいない。また、「曾点漆雕開見大意」は棟上げをした後を言ったことだが、大端を知るとは、今聞いた直の場について言ったこと。
【通釈】
顔子のは、仁はここだと心に覚えのある問いなので、孔子が克己復礼と大端を告げられたのである。今の学者は学問に一寸携わるだけだから、為学の大端を問うなどということはならない。皆の学問は、茶人の側にいるから茶の飲み方を見知ったという様な薄いこと。ここで俺が大端ということをこの様に仰山に決めるのが鞭策録の意である。皆心に問うて見なさい。大端を知ったかと言われたら、答えることはできないだろう。それが直に鞭策の抜けた処である。大端ということは人々に心覚へがあるのでなけれはならない。師の方からどれだと決めることもできないことだが、この条の様に様々に大端を示されると、聞く人の方で乗りが出る。さてまたこの大端の字は「曾点漆雕開見大意」と言うのとも違う。あれは棟上げだと後から言ったもので、初手のことではない。ここの大端は、今聞くと直にその日から弾みが違うというほどでなければ、大端を聞いたとは言えない。
【語釈】
・顔子のが…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉」。
・曽点漆彫開見大意…論語雍也25集註。「曾點、漆雕開、已見大意」。

士人応挙。これが漢唐以下あるて、さて好ましくないこと。古今の分義理の弁こそ為己なれ、為学問大端にはさもしひこと云たやふなれとも、今しきあることて合点させたもの。朱子の思召は却てこれを云たか的切なり。何ても召出されやふ々々々々々々と蹈込。そこか勇氣なりなことぞ。浩然章で北宮孟舎を出すやふなもの。あれで直くに浩然の氣をきめるてはないが、氣のいき多をあれで示す。あの勇氣てやりたてることなり。士人応挙も是非來月は一番にならふと、此方の覚悟が專ゆへそれたけつらたましひも違ふ。直方先生の、なくさみ学問きたなくはないか、はかがゆかぬ、渡世学問さもしけれともはかはゆく、と。応科は一番にならふと云が標準ゆへ、其はつみでやり立る。其專なはつみをよい方へむけることぞ。
【解説】
「曰、且如士人應舉、是要做官。故其功夫勇猛念念不忘、竟能有成。若爲學、須立箇標準、我要如何爲學」の説明。応挙は好ましくないことだが、当時身近なことで言ったのである。応挙では、召し出されようとする覚悟が専らなので、それで弾みが付く。
【通釈】
「士人応挙」。これが漢唐以下にあり、実に好ましくないこと。古今の分、義理の弁こそ「為己」であり、「為学問大端」にはさもしいことを言った様だが、今直にあることで合点させたもの。朱子の思し召しには、却ってこれを言うのが的切なこと。何としても召し出されようと踏み込む。そこが勇気の通りのこと。浩然の章で北宮黝と孟施舍を出す様なもの。あれが直に浩然の気を決めるものではないが、気の意気が多いことをあれで示す。あの勇気で遣り立てるのである。士人応挙でも、是非来月は一番になろうと自分の覚悟が専らなので、それだけ面魂も違う。直方先生が、慰み学問は汚くはないが、計が行かない、渡世学問はさもしいが計が行くと言った。応科は一番になろうというのが標準なので、その弾みで遣り立てる。その専らな弾みをよい方へ向けるのである。
【語釈】
・北宮孟舎…孟子公孫丑章句上2。「北宮黝之養勇也、不膚撓、不目逃、思以一豪挫於人、若撻之於市朝。不受於褐寛博、亦不受於萬乘之君。視刺萬乘之君、若刺褐夫。無嚴諸侯。惡聲至、必反之。孟施舍之所養勇也、曰、視不勝猶勝也。量敵而後進、慮勝而後會、是畏三軍者也。舍豈能爲必勝哉。能無懼而已矣。孟施舍似曾子、北宮黝似子夏。夫二子之勇、未知其孰賢。然而孟施舍守約也。昔者曾子謂子襄曰、子好勇乎。吾嘗聞大勇於夫子矣。自反而不縮、雖褐寛博、吾不惴焉。自反而縮、雖千萬人吾往矣。孟施舍之守氣、又不如曾子之守約也」。

功夫自進。若林強斉の、工夫の進むと云かこれたけと云て目には見へぬものたが、一と足出してもはや其一足たけあちの方へは近ひことと思へと云はれた。百里ある京へゆくに、一足出したとて效のみへることてはないが、それたけは京へ近ひ。今の学者は功夫ないからすわってをる。よし又工夫しても、しらべかいないから效はみへぬ。商人は利てしらべるから、もふけがみへる。もふけのみへぬは志のたたぬゆへぞ。立志かあれば志がすすむ。今迄子むひ目もさめる筈ぞ。今朝はいつもより早く起たと云が、はやそれたけのすすみ、それたけのもふけぞ。
【解説】
「功夫自進」の説明。立志があれば志は進む。商人は利に志が立っているから儲けが見えるが、今の学者は工夫もせず、座っているだけである。
【通釈】
「功夫自進」。若林強斎が、工夫の進むというのはこれだけのものだと目には見えないが、一足出しても早くもその一足だけあちらの方に近いことだと思えと言われた。百里ある京へ行くのに、一足出したとしても効の見えることはないが、それだけは京に近い。今の学者は功夫がないから座っている。たとえ工夫をしても、調べ甲斐がないから効は見えない。商人は利で調べるから、儲けが見える。儲けが見えないのは志が立たないからである。立志があれば志が進む。今までの眠い目も醒める筈。今朝はいつもより早く起きたと言うのが、早くもそれだけの進み、それだけの儲けである。
【語釈】
・若林強斉…若林強斎。

人以眇然之身。士人応挙、來月は是非一番と云位なことてはない。此方の目あては大きなことで、どふして天地と並ぶ、どふして三才となる。このどふして々々々々とあるが常に思へなり。この常に思へに鞭策をこめてみることぞ。三才と云字が易にあったくらひのことてはすまぬぞ。如何に々々々と云が吾身に不審を立みることぞ。三才と云を帳面に合せて知ては役に立ぬ。此きたないむさひからだ、天地と同格になりそふなことてはないが、如何々々とたたまりてみることぞ。爰が鞭策ぞ。且天地之所以与我者云々。これが色々周備とも思はれぬものしゃが、あまり人欲も出ず、きたないこともなく、さらりとした寸あるものそ。そふした処を覚なれるかよい。そふした処に覚のない学問は進みはない筈ぞ。色々周備、何不足はない。家事をするも何ことをするにも、向からくるなりにしゃん々々々とゆく。それは此方にあたる処あるゆへぞ。朱子の好則劇じゃと云れた。さりとはよいからくりなことで、それがちら々々とみへるからは、ありはあるに極たとみることぞ。其ありものをあり々々とあるにたてるか学問そ。
【解説】
「蓋人以眇然之身、與天地並立而爲三。常思、我以血氣之身、如何配得天地。且天地之所以與我者、色色周僃」の説明。こちらの目当ては天地と並び三才になるという大きなもの。如何にして同格になるかと常に思うのが鞭策である。人には人欲も出さず、汚いこともなく、さらりとした時があるもので、そうした処を覚え馴れるのがよい。人は天地と並ぶものを持っているのである。
【通釈】
「人以眇然之身」。士人応挙で来月は是非一番にと言う位のことではない。こちらの目当ては大きなことで、どうして天地と並び、どうして三才となろうかと思う。このどうしてとあるのが常に思えということ。この常に思えに鞭策を込めて見なさい。三才という字が易にあったと言う位のことでは済まない。「如何」と言うのが我が身に不審を立てて見ること。三才というのを帳面に合わせて知るのでは役に立たない。この汚いむさい体が天地と同格になりそうなものではないが、如何如何と畳み込んで見る。これが鞭策である。「且天地之所以与我者云々」。これが「色々周備」とも思われないものだが、あまり人欲も出さず、汚いこともなく、さらりとした時があるもの。そうした処を覚え馴れるのがよい。そうした処に覚えのない学問に進みはない筈。色々周備で何不足はない。家事をするにも何事をするにも、向こうから来る通りにしゃんしゃんと行く。それはこちらに当たる処があるからである。朱子が「好則劇」と言われた。実によい絡繰であって、それがちらちらと見えるのだから、あるはあるに極まったと見るのである。そのあるものをありありとあると立てるのが学問である。
【語釈】
・三才…易経説卦伝2。「立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之」。天地人。
・好則劇…朱子語類98。「覺得見好則劇相似」。同116。「子細看來、亦好則劇」。同125。「看得來也是好則劇」。

因挙云々。汚壞了の間に段々の咄ありて、そこて孟子を引れた。さて又直方先生の編集の意をみよ。鞭策彔の初条には訓門人の中、又は文集などの中からてもあの髙ひ目でぬき出し、面白ひはつみな語でも挙けそふなことに思はふが、さふなく、此条のほつ々々した録の処を出されたり。士人応挙から三才の身とかけて、これ程大そふなことが此志でゆくこと。爰で反身而誠と出したは天なりになること。それでなくては為学の大端とは云はれぬ。爰へやりたてることぞ。それては楽みところてはあるまい。大きなことでさぞ苦労で有ふと云に、一切衆生は只一線路の明だ。人は一切具った。そこて学問を心与理而已と云も、此心に万物具るをこちにもってをる。みかきさへすれはなる。それをとくには向のものをかりてする。そこてとぎつけた処が天なりの誠ぞ。楽莫大焉もきこへたぞ。
【解説】
「人自汚壞了。因舉萬物皆僃於我、反身而誠、樂莫大焉一章」の説明。人の心には万物が備わっている。孟子の言う「反身而誠」は、天の通りになること。心を磨きさえすれば天と並ぶことができる。
【通釈】
「因挙云々」。「汚壊了」の間には段々の話があり、そこで孟子を引かれた。さてまた直方先生の編集の意を見なさい。鞭策録の初条には訓門人の中や、または文集などの中からでもあの高い目で抜き出し、面白い弾みのある語でも挙げそうなことだと思うが、そうではなく、この条のぼつぼつとした録の処を出された。士人応挙から三才の身と掛け、これほどの大きそうなことがこの志で行く。ここで「反身而誠」と出したのは天の通りになること。それでなくては為学の大端とは言えない。ここへ遣り立てるのである。それでは楽しみどころではないだろう、大きなことなのでさぞ苦労なことだろうと言われても、一切衆生はただ一線路の明である。人には一切具わっている。そこで学問を「心与理而已」と言うのも、この心に万物の具わるところのものを持っているからである。磨きさえすれば成る。それを研ぐには向こうのものを借りてする。そこで研ぎ着けた処が天の通りの誠である。「楽莫大焉」もよくわかる。
【語釈】
・孟子…孟子尽心章句上4。「孟子曰、萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。強恕而行、求仁莫近焉」。
・一切衆生は只一線路の明…
・心与理而已…「人之所以為學者、心與理而已」。

中庸に至誠無息の、不誠無物のとある。子はいくらありても孝でなければありかいなし。家來が百人ありても忠でなければあり甲斐なし。そこが莫物じゃ。大端と云はこの方の、誠と云ははるかのことなれとも、そこへぼっつけやふとする、と。此志がないから今の斈者の志が小さひ。あたまから誠とかかる。遠ひ仕方のやふだか、大学ても中庸てもこの外はない。伊尹顔子の所志学にゆくより外ないことだ。志は高ふなければならぬ。そこて朱子の御用心で、小学から立志不髙則と云ことを出された。その志で大学へゆく。それを切近にするが朱子近思彔編。其道筋を鞭策することぞ。
【解説】
誠に行き着くのは遠いことだが、最初から誠を目掛けるより他はない。その志で大学へ行き、近思録で切近にする。そして、その筋道を鞭策するのである。
【通釈】
中庸に「至誠無息」や「不誠無物」とある。子はいくらいても孝でなければあり甲斐はない。家来が百人いても忠でなければあり甲斐はない。そこが「無物」である。大端は自分のことで、誠は遥か彼方のことだが、そこへ行き着こうとするのである。この志がないから今の学者の志は小さい。最初から誠と掛かるのは遠い仕方の様だが、大学でも中庸でもこの外はない。伊尹顔子の学を志す所に行くより外はない。志は高くなければならない。そこで朱子の御用心で、小学の時から「立志不高則」を出された。その志で大学へ行く。それを切近にするのが朱子の近思録編であり、その道筋を鞭策するのである。
【語釈】
・至誠無息…中庸章句26。「故至誠無息。不息則久、久則徴。徴則悠遠。悠遠、則博厚。博厚、則高明」。
・不誠無物…中庸章句25。「誠者自成也、而道自道也。誠者、物之終始。不誠無物。是故君子誠之爲貴」。
・立志不髙則…小学嘉言。「若夫立志不高、則其學皆常人之事、語及顔孟、則不敢當也」。
・切近…論語子張6。「子夏曰、博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣」。

今之為斈云々。どこからどふ云ても始め復るより外はないことぞ。始得とは、其寸ほんのものになる斈だと云こと。求全と云に心かつひてこそ、本んに学問をしたしやふの心得と云ものじゃとなり。便須云々。爰で又一つ圣賢と出したが、まぎらかさせぬ為めなり。学問の上らぬはまきらかするからぞ。佛の方ても菩提心々々々と云ふてはまきらがあるから菩薩と云。菩提心の成た人を出すで親切なり。爰で圣賢と云ことで大端標的鞭策になる。をれが若ひ寸、髙上なことを云ふがすきでありた。それを石原先生が戒めて、いや又三などが何やかや髙ひこと云ひは及はぬ、とかく親父さまのやふになろふ々々々と思ふがよいと云れた。まきらかせぬ訓なり。これが親切を示したことぞ。天之所与各具足。それをみがくと云ふてもまぎらがある。理の天のと云はずに、其形りを得た聖賢を曲尺にしてゆけとなり。聖賢を的てと云ふか別のものでない。聖賢が本來の天形りなり。それを的に今日も明日もしてゆけは、こちの本來のものを全ふし得て聖賢だか、すれば遠ひ道ぶら々々道艸してはゆかれぬと思ふ。其寸はきとなる。そこが鞭策だ。
【解説】
「今之爲學、須是求復其初、求全天之所以與我者、始得。若要全天之所以與我者、便須以聖賢爲標準、直做到聖賢地位。方是全得本來之物而不失」の説明。学問の上がらないのは紛らかすからであり、そうさせないため、ここに聖賢を出した。聖賢は天の姿であり、それを目当てにして行くのである。
【通釈】
「今之為学云々」。何処からどう言っても初めに復るより外はない。「始得」とは、その時本物になる学だということ。「求全」に心が付いてこそ、本当に学問をする心得になるというものだと言う。「便須云々」。ここでまた一つ聖賢と出したのが、紛らかさせないためである。学問の上がらないのは紛らかすから。仏の方でも菩提心と言っては紛れがあるから菩薩と言う。菩提心の成った人を出すので親切である。ここで聖賢と言うので大端標的鞭策になる。俺が若い時、高上なことを言うのが好きだった。それを石原先生が戒めて、いや又三などが何やかや高いことを言うには及ばない、とかく親父様の様になろうと思うのがよいと言われた。紛らかせない訓である。これが親切を示したこと。「天之所与各具足」で、それを磨くと言っても紛れがある。理の天のと言わず、その形を得た聖賢を曲尺にして行けと言う。聖賢を的にしてと言うのが別のもののことではない。聖賢が本来の天の姿である。それを的に今日も明日もして行けば、こちらの本来のものを全うし得て聖賢となる。それなら遠い道をぶらぶらと道草をしながらでは行けないことだと思う。その時にはっきりとなる。そこが鞭策である。
【語釈】
・石原先生…野田徳勝。剛斎。七右衛門。本所石原町に住んでいたので石原先生と呼ばれる。1690~1768
・又三…稲葉黙斎。幼名は又三郎。
・天之所与各具足…

自然の字の出たは外のあやてはない。謂はれを聞けは面白やだ。本來のものを全ふし得たは圣賢た。学者は聖賢へゆくにきはまりたと学問の根がすんて、さてとても学問するならゆか子ばならぬことと相談のきまった寸にすわっては居られぬ。そこを自然に勇猛になることと云ふぞ。今の学者は心安ひ処に逗留したかる。学友の中でちょっとよいと云位のものの眞似をしたがる。それては元とも子も失たことだ。百里を行く者は九十里を半とす。浅ひ志ては遠道はならぬ。常有此意。これが大切の鞭策た。天木の語を冬至文の末へをれがのせて置た。すは聖賢に望をかけると云日には、つらたましひが違ふ筈のこと。一寸そこへよび出されて咄するうちも忘れぬことそ。そこが鞭策の意そ。尤つくなことも見ごとなしほらひもあてにならぬ。中庸一巻を夢寐の間に讀と潘叔度が云はれ、又呂子約か手写六経などと云ことを殊勝らしく云はれても、中々朱子は受取ぬ。常有此意は飛脚の日蔭に休むと同しこと。それもゆく内だ。臨事。こちに見処かあるとすたることはない。只書物云々と云と、會日には氣がとられて母の看病がをろそかになる。そこが穴のあく処。全体か鞭策の意で自然に接続なり。農業をする内にも、工夫の接続すると云程てないから坊主にもまける。一寸の内も鞭策を忘れぬが精彩あるのなり。
【解説】
「如此、則功夫自然勇猛、臨事觀書常有此意自然接續」の説明。聖賢を目指すと決まれば「自然勇猛」となる。少しも鞭策することを忘れなければ「自然接続」となる。
【通釈】
「自然」の字が出たのは外の綾ではない。いわれを聞けは面白やである。本来のものを全うし得たのは聖賢である。学者が聖賢へ行くのには極まったと学問の根が済んで、それなら学問をするなら行かなければならないことだと相談の決まった時に座ってはいられない。そこを「自然勇猛」と言う。今の学者は心安い処に逗留したがる。学友の中で一寸よいという位の者の真似をしたがる。それでは本も子も失う。百里を行く者は九十里を半ばとする。浅い志で遠道はならない。「常有此意」。これが大切な鞭策である。天木の語を冬至文の末へ俺が載せて置いた。まさに聖賢に望みを掛けるという日には、面魂が違う筈。一寸そこへ呼び出されて話をする内も忘れない。そこが鞭策の意である。尤もづくなことも見事なしおらいも当てにならない。中庸一巻を夢寐の間に読むと潘叔度が言われ、また呂子約が手写六経などということを殊勝らしく言われたが、中々朱子は受け取らない。常有此意は飛脚が日蔭に休むのと同じこと。それも行く内である。「臨事」。こちらに見処があれば廃ることはない。ただ書物のことばかりを言えば、会日に気が取られて母の看病が疎かになる。そこが穴の開く処。全体か鞭策の意で「自然接続」する。農業をする内でも、工夫が接続するというほどでないから坊主にも負ける。一寸の内も鞭策を忘れないのが精彩のあること。
【語釈】
・百里を行く者は九十里を半とす…戦国策秦策。「行百里者半九十」。
・天木…天木時中。通称は善六。33歳の時に佐藤直方に入門したが、翌年の享保四年七月に直方が死去したので、その後は三宅尚斎に師事する。1696~1736。
・夢寐…ねむって夢をみること。ねむること。また、ねむっている間。
・潘叔度…
・呂子約…

初に復るを求むと云処には志と云字、聖賢となるには心の字かある。録者の意ありてうけたことでもあるまいが、ちと爰はわけてみるがよい。文字に、志と云処心とすと書た処も、心の字で有ふ処へ志と書たこともある。まず一つにをちることではある。一つにうこふがちっと了簡のあることぞ。志は、伊尹顔淵は大賢なり。あれをと志すこと。心と云は今から端的のことぞ。之心と云は今からじきにすること。立心明道希文とある。今から吾々になる心のこと。志はいつぞはそれにと云こと。心と云は今日只今の心と合点せふこと。聖賢になる心と云ふ。ちっともぢょさいのないこと。今端的と云ふたら、うつらぬ男が、そんならこなた聖賢かと云ふが、そふではないが、心はじょさいはない。王羲之がやふになりたいと云て手習するは志、書てみると違ふが、是非あれにならふと云ふてうそのない処は心なり。それに如在がありてはどふもならぬこと。之心がなければ因循荒廃ぞ。只儒者役と云のぞ。
【解説】
「若無求復其初之志、無必爲聖賢之心、只見因循荒廢了」の説明。志も心も一つに落ちることだが、一了簡を入れれば、志は伊尹顔淵を志す様なことで、いつかはそれになろうとすること。また、心は今端的に成ることで、聖賢になろうとすることに如在がないということ。「為聖賢之心」がなければ、「因循荒廃」である。
【通釈】
「求復其初之志」には志という字が、「為聖賢之心」には心の字がある。録者に意があってこの字を受けたのでもないだろうが、一寸ここは分けて見るのがよい。文字に、志という処を心とすと書いた処も、心の字であろう処へ志と書いたものもある。先ずは一つに落ちることではある。一つになることだが、ここに一寸了簡がある。志は、「伊尹顔淵、大賢也」の、あれを志すこと。心は今端的のこと。「之心」とは、今から直にすること。「立心明道希文」とある。これが今から我々にも成ることで心のこと。志はいつかはそれにということ。心とは、今日只今の心と合点しなさい。聖賢になる心ということで、一寸も如在のないこと。今端的にと言うと、わかりの悪い男が、それなら貴方は聖賢かと言う。そうではないが、心に如在はない。王羲之の様になりたいと言って手習をするのは志、書いてみると違うが、是非あれになろうと言い、嘘のない処は心である。それに如在があってはどうにもならない。之心がなければ「因循荒廃」である。ただ儒者役と言うもののこと。
【語釈】
・伊尹顔淵は大賢なり…近思録為学1。「濂渓先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢。伊尹顏淵、大賢也」。
・立心明道希文…

因挙云々。又これが学の大端を挙たもの。孟子道性善、大学の明德、中庸天命性、皆天か本に立つ。性善と云はこちのものををさへて云。それが皆のはよこれたが、尭舜よごさぬ。そこが手本になる。やふしは手本と云こと。さまと云字のうやまいになると云ふも、しきにささぬ詞ゆへぞ。殿下閣下もじきにささぬ。そこてあたりをさすやふの字のをこりもこふ思へ。尭舜にならるると云ふが自然なことの、理の上から云へば男坂てはない。本來ならるることぞ。水は流るるもの。証拠を云たやふなもの。たたい無理な標準はたてぬ。さて道体から云へばならるる筈だか、さてなぜかなられぬ。そこで歯ぎしみが入る。そこへ成覵顔淵公明儀を出した。皆の心得が、まあそふは云へ、ならぬことと云ふ。相談になるから、舜何人を云ふぞ。なられぬと云が甚なられぬことじゃが、嬉しいもかなしひも、不幸にあひ男子生れたのと云ことに、さて尭舜の泣るる寸は凡天も泣く。喜はるる寸は凡天も喜ぶ。して見れば割符が合ふ。すればならぬ筈はないと思。
【解説】
「因舉孟子道性善、言必稱堯舜一章云。道性善、是説天之所以與我者、便以堯舜爲檨子、説人性善、皆可以爲堯舜、便是立箇標準了。下文引成覵顏淵公明儀之言、以明聖賢之可以必爲」の説明。性善や明徳、天命性は皆天を本としたもの。堯舜は性善を汚さない、天と割符の合った人。それを手本にするのである。理の上から言えば、堯舜になれる筈だが、歯軋りをして目指さなければなることはできない。
【通釈】
「因挙云々」。またこれが学の大端を挙げたもの。「孟子道性善」、大学の「明徳」、中庸の「天命性」、皆天が本に立つ。性善とはこちらのものを押さえて言うこと。それが皆のは汚れているが、堯舜は汚さない。そこが手本になる。「様子」は手本ということ。様という字が敬うことになるというのも、直に指さない詞だからである。殿下閣下も直に指さない。そこで辺りを指す様な字の起こりもこの様なことからだと思いなさい。堯舜になることができるというのが自然なことで、理の上から言えば男坂ではない。本来なることができるもの。水は流れるもの。ここはその証拠を言った様なもの。そもそも無理な標準は立てない。さて道体から言えばなることができる筈だが、さて何故かなれない。そこで歯軋りが要るので、成覵顔淵公明儀を出した。皆の心得が、まあそうとは言え、なれないことだと言う。相談になるから、「舜何人」を言うのである。なれないと言えば甚だなることのできないことだが、嬉しいも悲しいも、不幸に遇ったり男子が生まれたなどということに、さて堯舜の泣かれる時には凡そ天も泣く。喜ばれる時は凡そ天も喜ぶ。そうして見れば割符が合う。それならなれない筈はないと思え。
【語釈】
・道性善…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯舜」。
・明德…大学章句1。「大學之道在明明德、在親民、在止於至善」。
・天命性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・成覵顔淵公明儀…孟子滕文公章句上1。「成覵謂齊景公曰、彼丈夫也。我丈夫也。吾何畏彼哉。顏淵曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是。公明儀曰、文王我師也。周公豈欺我哉」。

末後云々。さてよい藥を出した。命かな々々々の大端、粉藥や振出してはきかぬ。学問甚せつないこと。中庸人一己十己百の、克己無巧法。其ひどいことは皆瞑眩の剤だ。これをあとさてに呑むことだ。最説得好。残ることなく孟子の云はれたとなり。麻□□□□。臟腑が引くりかへすと云やふなひどひこと。藥を飲て其分でいぬことを瞑眩と云。麻と云が中風の麻痺のしびれるのとは違ふ。藥ひどふきくこと。□□□。呑た藥が初下へさかりたが、其きき目が上へさしのほり、藥せいのつよひこと。そこがきく処ぞ。他山之石玉を磨くべし、と。邵康節、冬不爐夏不翌。ひどひ工夫した人ぞ。瞑眩の藥をよふ呑れたぞ。定疂。のほた藥のしづまって落着たこと。藥力がふるい立て病をどこへかをいやった。学者の工夫□□□□□□ゆかぬ。今の学者の大言云、あてにならぬ。ありゃ犬の吠へ迯けた。迯る寸は犬から先きへ迯るものぞ。今日訓門人節用の會をするも、只文字ぎりじゃ。人を相手に工夫はならぬ。仁義になるは他人を頼みかたし。しきに今の学者の甲斐ないか知れた。只かいないきりなればまだじも、学者と云上は化粧で、内がしたたかな大病た。労咳病の起てをると同じこと。食もよし顔色もよくても請合れぬ。
【解説】
「末後若藥不瞑眩、厥疾不瘳。最説得好。人要爲聖賢、須是猛起服瞑眩之藥相似、教他麻了一上了。及其定疊、病自退了」の説明。学問は自分でするものであり、他人を頼みにするものではない。自ら瞑眩の薬を飲み続けるのである。
【通釈】
「末後云々」。さてよい薬を出した。命哉の大端では粉薬や振出しでは効かない。学問とは甚だ切ないもの。中庸の「人一己十己百」や「克己無巧法」で、その酷いことは皆瞑眩の剤である。これを続けて飲むのである。「最説得好」。残ることなく孟子が言われたと言う。「麻了一上了」。臓腑が引っくり返るという様な酷いこと。薬を飲んでそのままでいないことを瞑眩と言う。麻は中風の麻痺で痺れるのとは違う。薬が酷く効くこと。「一上了」。飲んだ薬が始めは下へ下がったが、その効き目が上へ差し上り、薬勢が強いこと。そこが効く処である。他山の石玉を磨くべしということ。邵康節が冬不爐夏不扇で、酷い工夫をした人。瞑眩の薬をよく飲まれた。「定畳」。上った薬が静まって落ち着いたこと。薬力が奮い立って病を何処かに追い遣った。学者の工夫□□□□□□行かない。今の学者が大言を言うのは当てにならない。あれは犬の吠え逃げである。逃げる時は犬から先に逃げるもの。今日訓門人節用の会をするのも、ただ文字だけのこと。人を相手に工夫はできない。仁義になるには他人を頼み難い。直ぐに今の学者は甲斐ないことが知れた。ただ甲斐ないだけならまだしも、学者と言って上は化粧をし、内はかなりの大病である。それは労咳病が起きているのと同じこと。食もよく顔色もよくても請け合えない。
【語釈】
・振出し…振出し薬。布の袋に入れたまま湯に浸し、振り動かしてその薬気を出す薬剤。湯剤。
・人一己十己百…中庸章句20。「人一能之、己百之。人十能之、己千之」。
・克己無巧法…朱子語類41。「克己亦別無巧法。譬如孤軍猝遇強敵、只得盡力舍死向前而已。尚何問哉」。
・瞑眩…孟子滕文公章句上1。「書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳」。書は書経説命篇。
・他山之石玉を磨くべし…詩経小雅鶴鳴。「鶴鳴于九皋、聲聞于野。魚潛在淵、或在于渚。樂彼之園、爰有樹檀、其下維蘀。它山之石、可以爲錯。鶴鳴于九皋、聲聞于天。魚在于渚、或潛在淵。樂彼之園、爰有樹檀、其下維穀。它山之石、可以攻玉」。

因挙々々とあるが、定めて其坐にあたりのありて仰られたことつろふ。当面きいた男がさぞひびいたで有ふ。又挙。学者は子ころんても砂をつかむ、うか々々とは通さぬと云ま、やはりうか々々通す。そんなことて垩賢になるの何んのと云は皆うそじゃ。そんなうすひことてはゆかぬ。其処へこんな重ひこと出すは却てあくませるやふたが、さて面白ひあやぞ。学者か瞑眩の藥さへ呑だらすまふと心得るか、さてそれてもまだすまぬ。至明至健の顔子が仰髙鑚堅云々。聖人に追ひつく人がこれを云ふたぞ。めったにはなられぬことぞ。顔子の嘆くも大端の内へ説たもの。
【解説】
「又舉顏子仰之彌高一段」の説明。瞑眩の薬さえ飲んだら済むということではない。顔子の様な者でも喟然として歎じた。聖賢に至るのは、滅多なことではない。
【通釈】
「因挙」が度々あるが、きっとその座に当たりがあって仰せられたことなのだろう。目の当たりに聞いた男にはさぞ響いたことだろう。「又挙」。学者は寝転んでも砂を掴む、うかうかとは通さないと言うが、やはりうかうかと通す。そんなことで、聖賢になるの何のと言うのは皆嘘である。そんな薄いことではうまく行かない。その処へこの様な重いことを出すのは却って倦ませる様だが、さてここに面白い綾がある。学者は瞑眩の薬さえ飲んだら済むと心得るが、さてそれでもまだ済まない。至明至健の顔子が「仰高鑚堅云々」。聖人に追い着く人がこれを言ったのであり、滅多にはなれないこと。顔子が嘆くのも大端の内へ説いたもの。
【語釈】
・至明至健…論語顔淵1集註。「愚按、此章問答、乃傳授心法切要之言。非至明不能察其幾、非至健不能致其決。故惟顏子得聞之。而凡學者亦不可以不勉也。程子之箴、發明親切、學者尤宜深玩」。
・仰髙鑚堅…論語子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮。欲罷不能、既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已」。

又説恢復。そこへ來てをる書生の耳近ひことて云たもの。日本人は志人応挙のことなどさへ知ても親切にない。ただ立身願のことなり。又此宋の歒対のことは誰も彼も知たことでもないが、朱子の此席てはよく知られたこと。端的耳近ひことゆへ、恢復のこと示したもの。宋か金に半分とられて東南の方へ迯たなれとも、また大名や国取りなど位のことではない。やはり万乘の位には居らるるからは、それでもすめばすむなれとも、祖宗元有の物をかへさ子ば本意かすまぬ。元有と云字かよいきめた。指一本を切れても、物を書る飯も喰はるる。あまり事は欠ぬか、指は五本あるべき筈ぞ。人もそれなり。学問せぬとても禽獣とは違ふが、さりとては学問せ子ば本んのものにならぬ。性善とも見へ、役を云ひ付てもつとまるが、明德を明にするの字に云ひ分がある。すればどふも只はをかれぬこと。
【解説】
「又説、人之爲學、正如説恢復相似。且如東南亦自有許多財賦、許多兵甲、儘自好了、如何必要恢復。只爲祖宗元有之物、須當復得、若不復得、終是不了」の説明。ここは「恢復」を出し、耳近いことでたとえた。宋は金のために東南に逃げることになったが、祖宗元有の物を復さなければ済まない。学者も元有の性善に目掛けなければならない。
【通釈】
「又説恢復」。ここは、そこに来ている書生の耳近いことで言ったもの。日本人は志人応挙のことなどを知ったとしても親切なことではない。それはただ立身願いのこと。またこの宋の敵対のことは誰も彼も知っているということでもないが、朱子のこの席ではよく知られたこと。端的耳近いことなので、恢復のことを示したのである。宋が金に半分取られて東南の方へ逃げたのだが、それは大名や国取り位のことではない。やはり万乗の位におられるからは、それでも済むと言えば済むが、「祖宗元有之物」を復さなければ本意が済まない。元有という字かよい決めである。指一本を切られても、物は書けるし飯も喰える。あまり事欠かないが、指は五本あるべき筈。人もそれ。学問をしなくても禽獣とは違うが、しかしながら、学問をしなければ本物にはならない。性善とも見えて、役を言い付けても勤まるが、明徳を明にするの字に言い分がある。それならどうも只では置けない。

今人為学、彼善於此。宋朝か引続ひて今日迄皆これた。揚亀山の、学問は何の為にすると思ふと云はれた。傳心彔にある。あの人はよい人だ、非義はせぬのと云位のことは只好人と云ふで済んたこと。君にも相応に忠臣の部になり、孝子らしく人欲も相応にとほふもないこともない。好人よいものだか、大端を知らぬ。孟子道二、仁与不仁耳と云ふがするどい吟味だ。孝ても不孝でもないと中位の処と云はない。郷愿などか好人だ。それを孔子が門前すぐ通り、ちっとも大事ない、立寄られぬが仕合じゃと云。きつひことぞ。其孔子にきらはるる好人でたんのうふするを、大端知たとは云はぬ。不可不復得。とても角ても本途の処へやって仕まふは子ばならぬことぞとなり。これが大学の至善を云と同じこと。ぎり々々の処へやらぬ内はをかぬことぞ。圣賢之極。尭舜の通りの処へやる。それでこそ学問だとなり。
【解説】
「今人爲學、彼善於此、隨分做箇好人、亦自足矣。何須必要做聖賢。只爲天之所以與我者、不可不復得、若不復得、終是不了。所以須要講論學、以聖賢爲準。故問學須要復性命之本然、求造聖賢之極」の説明。道には仁か不仁かの二通りしかないと孟子が言った。好人などは郷愿と同じで大端を知らない。
【通釈】
「今人為学、彼善於此」。宋朝から引続いて今日までが皆これ。楊亀山が、学問は何のためにすると思うかと言われた。傳心録にある。あの人はよい人だ、非義はしないという位のことはただ好人と言うだけで済むこと。君にも相応に忠臣の部になり、孝子らしく人欲も相応で、途方もないこともない。好人はよいものだが、大端を知らない。孟子に「道二、仁与不仁耳」とあるのが鋭い吟味である。孝でも不孝でもない、中位の処はない。郷愿などが好人である。それを孔子が、門前を直に通っても、大したことは少しもない、立寄られないのが幸せだと言う。それはきついこと。孔子に嫌われる好人で堪能している者を、大端知っているとは言わない。「不可不復得」。とにかく本来の処へ遣ってしまわなくてはならない。これが大学の至善を言うのと同じこと。至極の処へ遣らない内は止めない。「聖賢之極」。堯舜の通りの処へ遣る。それでこそ学問だと言う。
【語釈】
・揚亀山…楊時。北宋の儒者。字は中立。亀山先生と称。福建将楽の人。初め程顥に、後に程頤に学び、程子の学の正宗を伝えた。高宗の時、竜図閣直学士。東林書院を建てて講学。1053~1135
・道二、仁与不仁耳…孟子離婁章句上2。「孔子曰、道二。仁與不仁而已矣」。
・郷愿…孟子尽心章句下37。「孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其惟郷原乎。郷原、德之賊也」。

方はみさかりにと云こと。どやくやと学問しても此詳義にきめぬ内は方にてはない。方是学問と云か昭應かある。これは語類だ。其昭応などと云意はない、昭応は文章で書く寸に云ことたと云はふけれとも、あの初めの為学大端と云か此方是学問と云字で応してある。あの大端のきまり、爰ぞとなり。然此是大端如此。朱子の念を入れた。大端々々と云ふてもからさはきては役にたたぬ。読書稽古。をれが大端を知て上の其わざじゃ。学問は事業にかけることゆへ四子六経は云に及ぶ、世の人の知らぬ言行彔にはどふあるの、淵源彔にはこふあるのと云を初め、素讀するとても、平上去入こまかな吟味なくてはならぬ。因挙。大端の咄が尊德性のことだ。其尊德性の下に道問学。古今の書を煩きにたへとて、讀ま子ばならぬと云ことなり。それに二十七章を挙たもの。
【解説】
「方是學問。然此是大端如此。其間讀書、考古驗今工夫皆不可廢。因舉尊德性而道問學一章」の説明。「為学大端」は「尊徳性」のことである。大端を知った上で細かく古今の書の吟味をするのである。
【通釈】
「方」は方[みざかり]にということ。何やかやと学問をしても、この詳義で決めない内は方にではない。「方是学問」と言うのに昭応がある。これは語類のことであって、ここに昭応などという意はない、昭応は文章で書く時に言うことだと言うが、ここは初めの「為学大端」をこの「方是学問」という字で応じたものなのである。あの大端の決まりはここだと言ったこと。「然此是大端如此」。朱子が念を入れた。大端と言っても空騒ぎでは役に立たない。「読書稽古」。これが大端を知った上での業である。学問は事業に掛けることなので、四子六経は言うに及ばず、世の人の知らない言行録にはどうあるのか、淵源録にはこうあるというのを始め、素読をするにも、平上去入細かな吟味がなくてはならない。「因挙」。大端の話が「尊徳性」のこと。その尊徳性の下に「道問学」で、古今の書を煩わしく思っても、読まなければならない。そこで二十七章を挙げた。
【語釈】
・みさかり…真盛。方。丁度盛りであること。
・尊德性…中庸章句27。「君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。温故而知新、敦厚以崇禮」。

講後顧書生曰、今は皆が大中論孟も聞たから鞭策彔も初めての對面と云やふてもあるまいが、本にきかぬ内は鞭策はならぬ。今日某が心と云字と志と云字を分けて説たが、穿鑿にも落るか争端にもならふがは知ぬが、志と云ふは豫讓があの通り大名を歒に持て子ろふた。それが、討ををせぬなれば志は達せぬと云ものなり。されとも其心は最初よりまぎらかしのない実心ぞ。心は今それになることゆへ、目ざす志にうそのない端的を立心と云なり。立志と聞たら寐た者がは子起き、子むけもさめると云でなければ志てないが、心がたたぬと志届かぬは、浩然の氣のないので志のことでない。こふ鞭策してゆくでなければ聖賢になることはならぬ。これほど道義をはりつめるでなくては行届けられぬ。つまり志も云立になるやふな病があるもので、そこをきめるが鞭策ぞ。
【解説】
目指す志に嘘のない端的を立心と言う。心が立たないと志も届かないが、それは浩然の気がないということで、志に関したことではない。
【通釈】
講後書生を顧みて言った。今は皆が大中論孟も聞いており、鞭策録も初めての対面という様なことでもないだろうが、本当に聞かない内は鞭策はできない。今日私が心という字と志という字を分けて説いたが、それは穿鑿に落ちるか争端になるかは知らないが、志とは、豫譲があの通り大名を敵にして狙ったこと。それが、討ち果せなければ志は達しないというもの。しかしながら、その心は最初より紛らかしのない実心である。心は今それになることなので、目指す志に嘘のない端的を立心と言う。立志と聞いたら寝た者が跳ね起き、眠気も醒めるというのでなければ志ではないが、心が立たないと志が届かないのは、浩然の気がないということで、志のことでない。この様に鞭策して行くのでなければ聖賢になることはできない。これほど道義を張り詰めるのでなくては行き届けられない。つまり志も言い立てになる様な病があるもので、そこを決めるのが鞭策である。
【語釈】
・豫讓…紀元前五世紀、中国戦国時代の晋の人。仕えていた智伯が趙襄子に殺されたので主人の復讐を謀るが、一度は捕らえられ、釈放される。その後、体に漆を塗り、癩病のふりをし、墨を飲んで声を失い、乞食に身をやつして仇討ちをするが失敗して果てる。