昨日所説條  正月十三日  惟秀録
【語釈】
・正月十三日…寛政5年(1893)癸丑1月13日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

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昨日所説爲學大端在於立志必爲聖賢、曾看得人皆可以爲堯舜、道理分明否。又見得我可以爲堯舜而不爲、其患安在。固是孟子説性善、徐行後長之類。然今人四端非不時時發見、非不能徐行、何故不能爲堯舜。且子細看。若見得此分明、其志自立、其工夫自不可已。因舉執德不弘、信道不篤、焉能爲有、焉能爲亡。謂、不弘不篤、不當得一箇人數、無能爲輕重。
【読み】
昨日説く所の學を爲むる大端は志を立てれば必ず聖賢と爲るに在り、曾て人皆以て堯舜と爲る可きを看得て、道理分明なるや否や。又我に以て堯舜と爲る可くして爲らざる、其の患安に在るを見得んや。固より是れ孟子性善、徐行して長に後るの類を説く。然るに今人四端時時に發見せざるに非ず、徐行すること能わざるに非ず、何の故に堯舜と爲ること能わざる。且つ子細に看よ。若し此を見得て分明なれば、其の志自ら立ち、其の工夫自ら已む可からず。因りて德を執ること弘からず、道を信ずること篤からず、焉んぞ能く有りと爲さんや、焉んぞ能く亡しと爲さんやを舉ぐ。謂う、弘からず篤からざれば、當に一箇の人數に得べからず、能く輕重を爲すこと無し。

此分明なりや否やが鞭策になる。人皆可以做尭舜は口眞似にも云ふか、分明なりやとたたるが鞭策そ。分明否と声をかけられての返答は出ぬもの。そこで分明でなければならぬ。惣体ぎり々々につまったことにも祖師の了簡と違ふことがある。法然が念仏、日蓮が題目、これさへ唱ればよいとぎり々々の要を示したことなれとも、其ぎり々々と云要妙を知て唱るものがないから仏になりたものかない。分明なしにすることは役にたたぬ。儒者か人皆可做尭舜の自郷人至圣人之道也のと云ても、分明にないゆへ、口ては云へば云ほど役にたたぬ。それても学問と云ふてかざりておしたかる。いよ々々罪深きわさなれと云が此ことぞ。大名の供廻り、どろ々々ゆく。君には忠と云こと云ぬものも知らぬ者もないが、どれをれが忠臣と請合れぬ。それと同しこと。
【解説】
「昨日所説爲學大端在於立志必爲聖賢、曾看得人皆可以爲堯舜、道理分明否。又見得我可以爲堯舜而不爲」の説明。「人皆可以為堯舜」とは口真似でも言えるが、「分明否」とは中々言えないこと。分明でなければ役に立たない。
【通釈】
この「分明否」が鞭策になる。「人皆可以為堯舜」は口真似でも言えようが、分明かと祟るのが鞭策である。分明否と声を掛けられては返答が出ないもの。そこで分明でなければならない。総体、ぎりぎりに詰まったことにも祖師の了簡とは違うことがある。法然の念仏、日蓮の題目、これさえ唱えればよいとぎりぎりの要を示したが、そのぎりぎりという要妙を知って唱える者がいないから仏になった者がいない。分明なしにすることは役に立たない。儒者が「人皆可為堯舜」や「自郷人可至聖人之道也」と言っても、分明でないので、口に出して言えば言うほど役に立たない。それでも学問と言い、飾って押したがる。いよいよ罪深いことだというのがここのこと。大名の供廻りはぞろぞろと行く。君に忠と言わない者も知らない者もいないが、どれ俺が忠臣だとは請け合えない。それと同じこと。
【語釈】
・人皆可以做尭舜…孟子告子章句下2。「曹交問曰、人皆可以爲堯舜、有諸」。
・自郷人至圣人之道也…近思録治法2。「自鄕人而可至於聖人之道」。

患何在。病源を知ぬは藥のもりだくななり。病の根を知るが鞭策ぞ。学者が学問も上らぬ、さて々々ゆかぬ々々々と云ふと、脇から御同前と云。病氣はそれ々々な筈。をれは頭痛だ、をれは癪にこまると云ことなもの。きさまは疝氣だか、をらはそれはないが眼疾だなどと、あちにある病のこちにないも、こちにある病のさきにある筈だに、只御同前々々々と云は病の吟味せぬからぞ。これか学問のことたからまぎらをするか、本んの病の寸隣と同ことと云と死よりもせんぎた。学者の病も通病と云ふが大立てある。好貨の好色の何よりも出世かすきたのと云。これは大体通病だが、其外目にもたたぬ、人の方からわるくもみへぬか、又人欲がいくらもある。己が胸の中が何やら蜘の巢に引かかったやふなことや、己れにはかはった片氣があるのと、さま々々な筈。これは己れより外はないか、これは聖賢になる邪魔になると知て吟味したらいひこと有ふぞ。その寸は一っち金がすきだの、年に似合ぬ好色にふけると云ふと同挌に落ることぞ。見た目での大小は違へども、どちも圣賢になられぬと云。疵になるは同じこと。
【解説】
「其患安在」の説明。人にはそれぞれに病があり、それに対して御同前と言うことはない。病の根を知るのが鞭策である。
【通釈】
「患何在」。病源を知らなければ薬が盛り沢山になる。病の根を知るのが鞭策である。学者が学問も上がらない、実にうまく行かないと言うと、脇から御同前と言う。病気はそれぞれな筈。俺は頭痛だ、俺は癪に困るという様なもの。貴様は疝気だが、俺にはそれはないが眼疾だなどと、あちらにある病はこちらにはなく、こちらにある病はあちらにはない筈なのに、ただ御同前と言うのは病の吟味をしないからである。これが学問のことなので紛らかしをするのである。本当の病の時に隣と同じことだと言えば、死よせんぎた。学者の病も通病というものが大きく立っている。好貨や好色、何よりも出世が好きだと言う。これは大体通病だが、その外に目立たず、人の方からも悪く見えない人欲がいくらもある。自分の胸の中に何やら蜘の巣に引っ掛かった様なことや、自分には変わった片気があるなどと、様々なことがある筈。これは自分以外にはないものだが、これは聖賢になる邪魔になると知って吟味をすれば、よいことがあるだろう。自分だけにある病は、一番金が好きだとか、年に似合わない好色に耽ると言うのと同格に落ちる。見た目での大小は違うが、どちらも聖賢になれないと言う。疵になるは同じなのである。

先日与五ェ門にも云ふたが、或屋敷に不断廉直にそつっともいやみもない男が顔に一つ瘤かありたか、瘤の咄た出ると何か俄に皃を眞赤にしたれば、瘤が垩賢になる邪魔になる。このやふな筋がいくらかあらふことそ。皆の者も手ん々々に聖賢になられぬ処のあることぞ。古人の資質などでみてとるがよいに、それがならぬからいつも々々々同じ皃で居る。大井川より芋虫と、やふなことが人にであるもののやふに讀てはあらいことの様に聞ふが、これが大ふ委ひことだ。皆大事にきくがよい。芋虫を見て進むことならず、腰物にそり打たと云ふ咄あり。
【解説】
人にはそれぞれに聖賢になれない処がある。瘤で怒る人も、芋虫を恐がる人もいる。
【通釈】
先日与五ェ門にも言ったが、ある屋敷に普段は廉直で少しも嫌味のない男がいて、彼の顔には瘤が一つあった。瘤の話が出ると何か俄かに顔を真っ赤にした。そこで瘤が聖賢になる邪魔となる。この様な筋がいくらかあることだろう。皆の者もそれぞれに聖賢になれない処がある。古人の資質などで見て取るのがよいが、それができないから、いつも同じ顔でいる。大井川より芋虫という様なことが人にあるものと読んでは粗いことの様に聞こえるが、これが大分委しいこと。皆大事に聞きなさい。芋虫を見て進むことができず、腰物に反りを打ったという話がある。
【語釈】
・与五ェ門…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812
・そり打た…刀を抜こうとして、腰の刀のそりをうらがえす。

徐行後長之類。孟子が判押して出された。こりゃ誰もなることの、さて性善のとっくとあらはれたこと。黒ひ雪も降らす、滝の水ものぼらぬ。人かわるいことしたたかせふとも、徐行後長。これはかいしきならぬと云ものない。それが孟子の発明だ。こんな軽ひことて示すが孟子の手段ぞ。四端の発見の、徐行後長のと、誰もいやと云れぬなる処から圣賢の方へ向かせる。尭舜も人と同のみからゆかせる。且子細看よ。なぜか時計か七つを打たぬと云ふか、わけなしにならぬ時計はなし。そこで時計師が來て中を子細に吟味すると、本の通り丁ど六を打ち、丁ど七つを打。学者もなぜか尭舜とならぬ、かふかと通すから知ずにをる。灸をすへるはあつくてせつなけれとも、病の直るを分明に知たからすへる。志の立たのなり。志かしゃんと立から、今日は天氣が思はしくないと云て明日とのばす。
【解説】
「固是孟子説性善、徐行後長之類。然今人四端非不時時發見、非不能徐行、何故不能爲堯舜。且子細看」の説明。孟子は人のできることを言って聖賢へと向かわせた。本は性善なのである。灸をすえるのは、それが病を治すものと分明に知っているからであり、学者が堯舜になれないのは分明でないからである。
【通釈】
「徐行後長之類」。孟子が判を押して出された。これは誰でもできることで、さて性善がしっかりと現れたこと。黒い雪も降らず、滝の水も昇らない。人が悪いことを大層したとしても、徐行後長。これは全くできないということではない。それが孟子の発明である。この様な軽いことで示すのが孟子の手段である。四端の発見や、徐行後長と、誰も違うとは言えず、できる処から聖賢の方へ向かわせる。「堯舜与人同耳」から行かせる。「且子細看」。何故か時計が七つを打たないというのが、わけもなくに鳴らない時計はない。そこで時計師が来て中を子細に吟味すると、本の通りに丁度六つを打ち、丁度七つを打つ。学者も何故か堯舜となることができないが、こうかと通すから知らずにいる。灸をすえるのは熱くて切ないものだが、病が治るのを分明に知っているからすえる。志が立ったのである。志がしゃんと立たないから、今日は天気が思わしくないと言って明日へと延ばす。
【語釈】
・徐行後長…孟子告子章句下2。「徐行後長者謂之弟。疾行先長者謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣。子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣」。
・かいしき…皆式。皆色。全く。すべて。少しも。
・四端…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也」。
・尭舜も人と同のみ…孟子離婁章句下32。「孟子曰、何以異於人哉。堯舜與人同耳」。

昨日讀た処にも工夫自然に勇猛とある。爰の自立つの自不可已のとある、不断歯きしりてはゆかぬ。長く讀ぬぞ。勉勵の百倍の功を用ゆのと云のても、それてゆかぬ。自不可已と云は金をためるの面白くなりたやふなもの。利に分明ゆへぞ。今の学者は分明にないゆへ志が立ぬ。親の歒は討子ば置ぬことは分明に知たから志が立。其分明な上たから鞭策もなりたもの。志と云があとさきなしに立ものではない。分明が本と手になる。幼少な子共に鞭策はかけられぬ。大学以上へ鞭策することぞ。吾に心得のある上のことそ。
【解説】
「若見得此分明、其志自立、其工夫自不可已」の説明。立志は勉励や百倍の功を用いたとしても、それだけではうまく行かない。分明でなければならない。分明な上で鞭策ができる。
【通釈】
昨日読んだ処にも「工夫自然勇猛」とある。ここの「自立」や「自不可已」は、普段の歯ぎしりではうまく行かない。それでは長く続かない。勉励や百倍の功を用いるとしても、それではうまく行かない。自不可已とは金を貯めるのが面白くなった様なもの。それは利に分明だからである。今の学者は分明でないので志が立たない。親の敵は討たなければ置けないこととは分明に知っているから志が立つ。その分明な上だから鞭策も成る。志は後先なしに立つものではない。分明が元手になる。幼少な子供に鞭策は言えない。大学以上に鞭策するのである。それは自分に心得のある上でのこと。
【語釈】
・工夫自然に勇猛…講学鞭策録1。「如此、則功夫自然勇猛、臨事觀書常有此意自然接續」。

因挙云々。此條の初がやっはり昨日の話そ。同しことをのせるはありそもないことなり。それとも、のせるならつめて昨日のあやの処をぬいてのせそふなもの。拔さしすることならぬ直方先生でもないに、もそっと新いことてものせそふなものと思はるるが、此条に一つつかまへ処のあると云ことを合点せぬこと。此執德不弘信道不篤焉が立志の大切に此上はない。迂斎も直方先生もかふ云ふたことはないが、己れが説たか、前日の因て何を挙く々々と云処へ此語は載せたい語だか、あそこにない。そこで爰へ出したもの。さて子張と云へは堂々哉張也と聞て俗人めいた立派な行ひすき、分に付たやふに聞へるが、此語て工夫の受用を得られ、孔子の傳脉をも傳へ、氣質變化の本と手になり、子張の学問のよいことも知るるぞ。これが曽子の弘毅の章と同格に居る。なぜなれば、学問成就は至て皮毛なことでない。人から聞たことをいやはやと、云やふもないと封も切ず、これでよいとそこへすわりてしまへば学を為るの大端てない。そこで序文の髙明疏敏渾厚淳質などか氣質の得手を形にして、学問が氣質の方へぬけるから垩賢になられぬとよく々々云ふたぞ。
【解説】
「因舉執德不弘、信道不篤」の説明。この語が前条にはなかったので、ここに載せたのである。子張は「堂々乎張也」と曾子に言われた人だが、この語からも彼の学問のよいことがわかる。この語は曾子の弘毅の章と同格である。
【通釈】
「因挙云々」。この条の初めがやはり昨日の話のこと。同じことを載せるのはありそうもないこと。それとも、載せるのなら詰めて昨日の綾の処を抜いて載せそうなもの。抜き差しすることができない直方先生でもなく、もう少し新しいことでも載せそうなものだと思えるが、この条に一つ掴まえ処があるということを合点しなさい。この「執徳不弘、信道不篤、焉」が、立志にはこの上なく大切である。迂斎も直方先生もこの様に言ったことはなく、私が説いたことだが、前日の因て何を挙ぐという処へこの語を載せたいものだが、あそこにはない。そこでここへ出したもの。さて子張と言えば、「堂々乎張也」と聞けば俗人めいた立派な行い好きで、その程度の人と聞こえるが、この語で工夫の受用を得られ、孔子の伝脈をも伝え、気質変化する元手になる。これで子張の学問のよいことも知れる。これが曾子の弘毅の章と同格にいる。それは何故かと言うと、学問成就は至って皮毛なことではない。人から聞いたことをいやはやと思い、言い様もないと封も切らず、これでよいとそこへ座ってしまえば学を為める大端ではない。そこで序文の「髙明疏敏渾厚淳質」などが気質の得手を形にして、学問が気質の方へ抜けるから垩賢になれないと、実によく言った。
【語釈】
・堂々哉張也…論語子張16。「曾子曰、堂堂乎張也。難與並爲仁矣」。
・弘毅の章…論語泰伯7。「曾子曰、士、不可以不弘毅、任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎」。

此執德不弘云々が、どっちもよい加减なことをしてをるぞ。執德と云ふがよいことで、先つ書物藝てはない。吾れ一疋になることてよいことたが、よいはよくてもそれなりで弘らぬ。よいのよいが一偏よいでそれきりになる。此方など、この德沙汰はない。経学知りが経学知りたけに爰に合点ある。德めいた先生風が少し得た德をつかまひておる。笑止ぞ。信道不篤は道理を面白く説たり、知見もあることた。道を信するの篤はないは、酒を飲で活溌々地だと云やふなもの。からひきりぞ。不篤は道を信することのないと云ふことでなく、うすでなこと。直方先生の、一休か小僧と云やふなのぞ。道を信するの篤と云ふは子使漆彫開仕とあるに、吾未能信と云ふた、あのやふなが篤いと云ものぞ。不篤不弘。白徒てはないか、それを俗人同前と咎めたもの。不篤不弘と云、それてもよほどこきあけたもの。中庸の知者過之、賢者不及などか不弘不篤の部ぞ。信道のないは得手不得手があるもの。これはいやだと云が出來る。弘毅の章は知行が肉へつかずにすききらひなく、どこ迄もゆく。曽子のを裏から云ふたが執德不弘の章と見よ。そこが一つに居る処。
【解説】
執徳不弘は、執徳はよいことだが、それだけで弘くないこと。信道不篤は、信道は道理を説くこともできて、知見もあるが、篤くないこと。不篤は道を信じないのではなく、それが薄いということ。道を信じることが篤いとは漆雕開の様なこと。また、不篤不弘とは言え、それはよほど扱き上げたものなのである。
【通釈】
この「執徳不弘云々」は、どちらもよい加減なことをしていること。執徳はよいことで、先ずは書物芸ではない。自分が一人前になることでよいことだが、そのままで弘でない。よいのが一遍だけで終える。我々などにはこの徳沙汰はない。経学知りが経学知りなだけ、ここに合点がある。徳めいた先生風が少し得た徳を掴まえている。それは笑止である。「信道不篤」は道理を面白く説いたり、知見もあること。道を信じることが篤くないのは、酒を飲んで活溌々地だと言う様なもの。辛いだけである。不篤は道を信じることがないということではなく、薄手なこと。直方先生が、一休の小僧という様なものだと言った。道を信じることが篤いというのは、「子使漆雕開仕」とあるのに、「吾未能信」と言った、あの様なものが篤いというもの。「不篤不弘」。博徒ではないが、それを俗人同前と咎めたもの。不篤不弘と言っても、それでもよほど扱き上げたもの。中庸の「知者過之、賢者不及」などが不弘不篤の部である。信道がないと得手不得手があるもの。これは嫌だということができる。弘毅の章は知行が肉へ付かずに好き嫌いなく、何処までも行く。曾子のを裏から言ったのが執徳不弘の章だと見なさい。そこが一つにいる処。
【語釈】
・子使漆彫開仕…論語公冶長6。「子使漆雕開仕。對曰、吾斯之未能信。子説」。
・知者過之、賢者不及…中庸章句4。「子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也。人莫不飮食也。鮮能知味也」。

焉能為有云々。子張が其やふな学はないと、同前となり。此語を学者が論吾ではむまく取りてもまぎらかそふが、鞭策録てはまきらかすことはさせぬ。無能為軽重。朱子が爰で字注をして、こちでは学者とはあてぬとなり。不弘不篤を大端のうちへ入るると、これが立志の論端になることぞ。こんなあやが昨日讀だ条にはない。そこで又これを出した。士以弘毅の章を直方先生講ぜられ、三宅先生の筆記された。あれなどは誰が見ても一本つかひになる章だ。そふみるが、此執德不弘の章を弘毅の章と同じことに落ると云やふに格段に見ることがならぬ。今日讀た執德不弘を昨日の為学の大端へあてて見るかよい。夛分爰の語類にこのやふな語のありたと覚るぞ。弘毅の章は学問の材料、聖斈の丸なりをえるにはあの外はない。執德不弘の方へこけると丸なりは得られぬと云こと。小学の善行か今泉五郎右ェ門になる。よいとほめることても吾を出すと不弘不篤になる。論語にならへ。論語を教るなも爰ぞ。繋辞傳の仁者見之之謂仁、知者見之之謂知処も、ありよいことが丸なりでないから、故君子之道鮮矣とあとにある。今日学者何でも吾をよいとするは不弘不篤だ。それかあかのぬけぬと云もの。手跡もあかのぬけたと云になるがぎり々々しゃ。
【解説】
「焉能爲有、焉能爲亡。謂、不弘不篤、不當得一箇人數、無能爲輕重」の説明。不弘不篤では学者でない。弘毅の章は学問の材料であり、聖学を丸のままに得るにはあの外はない。それは、執徳不弘に落ちると聖学を得られないと言うのと同じである。
【通釈】
「焉能為有云々」。子張がその様な学はない、それは同前だと言った。この語を学者が論語では上手く取り捌いて紛らかすこともあるが、鞭策録ては紛らかしをさせない。「無能為軽重」。朱子がここで字注をして、こちらではそれを学者とは言わないと言った。不弘不篤を大端の内へ入れると、これが立志の論端になる。こんな綾は昨日読んだ条にはない。そこでまたこれを出した。士以弘毅の章を直方先生が講じられ、三宅先生が筆記をされた。あれなどは誰が見ても一本使いになる章だと見るが、この執徳不弘の章を弘毅の章と同じことに落ちると、格段に見ることができない。今日読んだ執徳不弘を昨日の為学の大端へ当てて見なさい。多分ここの語類にこの様な語があった筈である。弘毅の章は学問の材料であり、聖学を丸のままに得るにはあの外はない。それは、執徳不弘の方へ落ちると丸のままを得ることはできないということ。小学の善行が今泉五郎右ェ門になる。よいと褒めることでも我を出すと不弘不篤になる。論語に習え。論語を教えるのもここのこと。繋辞伝の「仁者見之之謂仁、知者見之之謂知」の処も、よいことが丸のままでないから、「故君子之道鮮矣」と後にある。今日の学者が何でも自分をよいとするのは不弘不篤である。それが、垢が抜けないというもの。手跡も垢の抜けるのが至極である。
【語釈】
・無能為軽重…論語子張2集註。「有所得而守之太狹、則德孤。有所聞而信之不篤、則道廢。焉能爲有無、猶言不足爲輕重」。
・今泉五郎右ェ門…
・仁者見之之謂仁、知者見之之謂知…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。


従前朋友來此條
3
從前朋友來此、某將謂、不遠千里而來。須知箇趣向了。只是隨分爲他説箇爲學大概去、看來都不得力。此某之罪。今日思之。學者須以立志爲本。如昨日所説、爲學大端、在於求復性命之本然、求造聖賢之極致。須是便立志如此、便做去始得。若曰我之志只是要做箇好人、識些道理便休、宜乎、工夫不進、日夕漸漸消靡。今須思量天之所以與我者、必須是光明正大、必不應只如此而止、就自家性分上儘做得去、不到聖賢地位不休。如此立志、自是歇不住、自是儘有工夫可做。如顏子之欲罷不能、如小人之孳孳爲利、念念自不忘。若不立志、終不得力。因舉程子云、學者爲氣所勝、習所奪、只可責志。又舉云、立志以定其本、居敬以持其志。此是五峰議論好處。又舉、士尚志。何謂尚志。曰、仁義而已矣。又舉、舜爲法於天下、可傳於後世、我猶未免爲鄕人也。是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣。又舉、三軍可奪帥、匹夫不可奪志也。如孔門亦有不能立志者。如冉求非不説子之道、力不足也、是也。所以其後志於聚斂、無足怪。
【読み】
從前朋友此に來るに、某將に謂わんとす、千里を遠くせずして來たり、と。須く箇の趣向を知りて了すべし。只是れ分に隨い他の爲に箇の學を爲むる大概を説き去き、看み來れば都て力を得ず。此れ某の罪なり。今日之を思う。學者須く志を立つるを以て本と爲すべし。昨日説く所の、學を爲むる大端は、性命の本然に復するを求め、聖賢の極致に造るを求むるに在るの如し。須く是れ便ち志を立つること此の如ければ、便ち做し去きて始めて得。若し我の志は只是れ箇の好人と做し、些の道理を識りて便ち休むを要すと曰えば、宜なるかな、工夫進まず、日夕漸漸として消靡す。今須く天の以て我に與うる所の者は、必ず是れ光明正大なるを須って、必ずしも只此の如くして止まるに應ぜず、自家性分の上に就きて儘く做し得て去き、聖賢の地位に到らざれば休まざるを思量すべし。此の如く志を立て、自ら是れ歇きて住まず、自ら是れ儘く工夫有りて做す可し。顏子の罷れんと欲して能わざるが如く、小人の孳孳として利を爲すが如く、念念自ら忘れず。若し志を立てざれば、終に力を得ず。因りて程子を舉げて云う、學者氣に勝つ所、習に奪う所を爲す、只志を責む可し。又舉げて云う、志を立つるを以て其の本を定む、敬に居り以て其の志を持す。此れは是れ五峰の議論の好き處。又舉ぐ、士は志を尚ぶ。何を志を尚ぶと謂う。曰く、仁義のみ。又舉ぐ、舜は法を天下に爲し、後世に傳う可し、我れ猶未だ鄕人爲るを免れず。是れ則ち憂う可きなり。之を憂うること如何。舜の如くするのみ。又舉ぐ、三軍も帥を奪う可し、匹夫も志を奪う可からず。孔門の如きも亦志を立つこと能わざる者有り。冉求子の道を説かざるに非ず、力足らざるなりの如き、是れなり。以て其の聚斂に志す所、怪しむに足る無し。

某將謂。ゆふとよみても謂[おもふ]と云ふても意は同じことになる。爰のきめは將て字でみよ。云はふと思ふてまだ云はぬこと。不遠千里。十一日に丹治が処へ來る手習子とは違ふ。遠く來たから一了簡あると思うふた。大概と云字をさっと云ことと思ふはわるい。云に及はぬ知れた処はのこしたが、大むねは云てきかせた。これか己れか目利そこないじゃとなり。これで学者みなりをひ子らせることだ。爰へ遠は遥々來るからは、志は立たと思ふた。志が立て其さきの案内をきくことと思ふた。よもや棟上はすまぬとは思はぬゆへ、腰張りや障子の世話を云たが、これかをれか不調法じゃとなり。千里來たうちに牛に引れて善光寺もあらふし、仲ヶ間ゆくからとての伊勢参宮も有ふ。中にも見れはいこふ俗な体もある。さて々々をそまき後手なことではあるか、立志のことを申さずはなるまいとなり。昨日所説と云ても別の語てはない。前条のこと。志のことぞ。訓門のよいと云も人々それ々々の足らぬ処で助くるが忝いぞ。始得。この寸か成就だと云ことではない。これでこふ相談か出來たもの。それでよいと云こと。
【解説】
「從前朋友來此、某將謂、不遠千里而來。須知箇趣向了。只是隨分爲他説箇爲學大概去、看來都不得力。此某之罪。今日思之。學者須以立志爲本。如昨日所説、爲學大端、在於求復性命之本然、求造聖賢之極致。須是便立志如此、便做去始得」の説明。千里の遠くから来たからは、志が立っていると思えばそうではない。そこで、立志のことを言わなければならない。しかし、これは成就の場ではなく、始まりのところである。
【通釈】
「某將謂」。いうと読んでもおもうと言っても意は同じことになる。ここの決めは將の字だと見なさい。言おうと思ってまだ言わないこと。「不遠千里」。十一日に丹治の処へ来る手習子とは違う。遠くから来たから一了簡あると思った。「大概」という字はざっということと思うのは悪い。言うに及ばない知れた処は言わなかったが、概ねは言って聞かせた。これは自分の目利損ないだと言う。これで学者に身なりを捻らせる。ここに遥か遠くから来るからは、志は立っていると思っていた。志が立ってその先の案内を聞くのかと思った。よもや棟上が済んでいないとは思わなかったので、腰張りや障子の世話のことを言ったのが、俺の不調法だったと言う。千里の遠くから来た内には、牛に引かれて善光寺もあるだろうし、伊勢参宮に仲間が行くから自分も行くと言う者もあるだろう。中には、見れば大層俗な体もある。実に遅蒔きで後手なことだが、立志のことを申さなければならないだろうと言う。「昨日所説」と言っても別の語ではない。前条のこと。志のこと。訓門がよいと言うのも、人々それぞれの足りない処で助けるところが忝いのである。「始得」。この時が成就だということではない。これで相談することが出来たということ。それでよいということ。
【語釈】
・丹治…大木丹二。東金市北幸谷の人。名は忠篤、晩年は権右衛門と称す。黙斎没後、孤松庵をもらい受けて書斎とした。1765~1827
・腰張り…壁・襖などの腰に紙・布を張ること。また、その張った紙・布。腰貼り。

要箇做好人。昨日の処にも好人とある。あれが郷愿のことた。郷愿、む子のわるいこと。そばへもよせられぬ。上から見ては人品上もよく、人の為にもなる。あの男の眞似をば忰などにも習はせたいの、婿にしてほしいのと云人がらたが、学者の目あてには以の外なことだ。識些道理便休。これをばかるふ見ること。朝聞道の願てない。軽ひことだ。俗人の学問するがこれじゃ。ちと学問にもたつさはるかよいと云。ちっとでよいことは口腹の欲や月花を見る筋のこと。学問ちとしては何の役に立ぬ。手習もふかいことはいらぬ。手紙さへ書ればよいと云。なるほど尤なり。学問もそこ。爰ちとすむからよいと云。それは不尤なり。皆のも此仲間た。学者と云ふと立派に思ふか、何をも俗人と變ることはない。
【解説】
「若曰我之志只是要做箇好人、識些道理便休、宜乎、工夫不進、日夕漸漸消靡。今須思量天之所以與我者、必須是光明正大、必不應只如此而止、就自家性分上儘做得去、不到聖賢地位不休」の説明。好人は、学者にとっては以の外のこと。彼等は少しの道理で終える。学者も道理を窮めなければ俗人と同じである。
【通釈】
「要箇做好人」。昨日の処にも好人とある。あれが郷愿のこと。郷愿は胸の悪くなるもの。側へも寄せられない。上から見ては人品もよく、人のためにもなる。あの男の真似を忰などにも習わせたい、婿にして欲しいという人柄だが、学者の目当てには以の外なこと。「識些道理便休」。これを軽く見る。「朝聞道」の願いではなく、軽いこと。俗人の学問をするのがこれ。少々学問にも携わるのがよいと言う。少々でよいことは口腹の欲や月花を見る筋のこと。学問を一寸しただけでは何の役にも立たない。手習も深いことは要らない。手紙さえ書ければよいと言う。なるほど尤もなこと。学問もそこ。これで少々済んだからよいと言うのは尤もなことではない。皆もこの仲間である。学者と言えば立派に思うが、何も俗人と変わることはない。
【語釈】
・昨日の処にも好人とある…講学鞭策録1。「今人爲學、彼善於此、隨分做箇好人、亦自足矣」。
・朝聞道…論語里仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。

先生笑曰、長ふ云も身の禍た。弟子はまたしも、師匠とても今のは好人と云はれ、些の道理を知る。這のことだ。経学知りと云ふのぞ。さて又学問のはやらぬ世の中で学問するものは方々不首尾たら々々なもの。其寸豪傑もあるものたが、はやる寸には却てそふしたさへたはないもの。時めきちっとよくしたと云ふが夛ひもの。それと云も師のたきらぬにもをちるが、朱子などは師と云に上はないか、下か甲斐ないから師匠が過た。今の師匠は甲斐ない。過る性分のことになっては、思量すべきを庖丁銕どぎをよひ入て正宗をとく相談するやふな師友はあんまりなことそ。尭舜と寸分違はぬ光明正大なものを、鰹節小刀の取扱ひにはさせられぬ。誰てもちっと学問ちっと正宗の刄あれはよいとは云れぬことぞ。石原先生が、湯に入た寸は大名も下々も同じことた。ひたひのすみは大名さへあらへばよいと云れぬ。わけへだてない者を持ておる。それにわけへだてして、尭舜の通にするに及ぬと云なら、中間などは垢は落さずともよいになる。西行は冨士をみる。此方式は辻番の庭をみればすむ。謙退は入らぬ。志は髙ふ立ることぞ。へりこむはどれへの遠慮。
【解説】
学問が流行る時は些かの道理を知るだけの学者が多い。それは師匠が甲斐ないからである。人は分け隔てのないものを持っているのだから、謙退することなく、志を高く立てなければならない。
【通釈】
先生が微笑んで言った。長話も身の禍いである。弟子はまだしも、師匠であっても今は好人と言われ、些かの道理を知るだけ。それはこのこと。経学知りと言うもの。さてまた学問の流行らない世の中で学問をする者は方々不首尾だらけである。その時は豪傑もいるものたが、流行る時には却ってそうした冴えた者はなく、時めき一寸よくするだけということが多いもの。それと言うのも師が滾らないということに落ちる。師と言えば朱子などはこの上ないが、下が甲斐ないから師匠が過つ。今の師匠は甲斐ない。過る性分のことでは、思量すべきを庖丁鋏研ぎを呼び入れて正宗を研ぐ相談をする様な師友はあまりなこと。堯舜と寸分違わない光明正大なものに、鰹節小刀の取り扱いはさせられない。誰でも一寸学問があればよい、一寸正宗の刃があればよいとは言えない。石原先生が、湯に入った時は大名も下々も同じことだと言った。額の汚れは大名だけが洗えばよいとは言えない。分け隔てのないものを持っている。それに分け隔てをして、堯舜の通りにするには及ばないと言うのなら、中間などは垢は落さなくてもよいことになる。西行は富士を見る、我々の如きは辻番の庭を見れば済むと、その様な謙退は要らない。志は高く立てるもの。減り込むのは何かへ遠慮したからである。

○自是歇不住。自の字か面白ひ。志か專一なれば吾知らずにこふなるもの。そこか誠ぞ。直方先生の將棊盤が十丁あらふならは、香車は十丁もゆくと云れた。志はどこ迄も届くもの。浅見先生、雁はうじになっても北へ向くとは志の專一を云たもの。分不相応、吾にも思ひの外の出來るか志ぞ。女か小便に立にも連れを頼むが、嫉妬になる、丑の刻参りをする。立志の堅固を此いきに思へ。如顔子之欲罷不能。昨日の処へは仰髙鑚堅。顔子のあくんたを引て、うかと思ふな、あれへやりつけることたと大端を示したが、今日も志さへ立ては欲罷不能と示た。それもたへずすると云。時々刻々とぎれないで爰へゆく。よい方へ向と善、わるい方へ向へは悪。孳々と云か孟子の善利の弁を云れた字でよし。町人は利が商賣たが、皆金持ではない。それは專一な利のたしみやふでないからなり。今金持の親父、岩をつっ立たやふだ。中々動かぬ。さま々々栄耀なものを見せても、肴屋が來ても中々買はぬ。利に專一ゆへぞ。終不得力。初めに立志のかいないて好人でしまいたかるを云て、さて志丈夫に立ては欲罷不能だ。利を好むものの念々不忘と同じことときめてみせて、さて又志が無れば終不得力と爰を一つさっとしたもの。
【解説】
「如此立志、自是歇不住、自是儘有工夫可做。如顏子之欲罷不能、如小人之孳孳爲利、念念自不忘。若不立志、終不得力」の説明。志が専一であれば、何処までも届く。志が立てば「欲罷不能」であり、また、それは利を好む者が「念々不忘」なのと同じだと言う。
【通釈】
○「自是歇不住」。自の字が面白い。志が専一であれば知らない内にこうなるもの。そこが誠である。直方先生が、十丁の将棋盤があるとすれば、香車は十丁も行くと言われた。志は何処までも届くもの。浅見先生が雁は蛆になっても北へ向く言ったのは、志が専一なこと。分不相応に自分にも思いの外できるというのが志である。女が小便に立つにも連れを頼むが、嫉妬する様になれば、丑の刻参りをする。立志の堅固とはこの意気だと思いなさい。「如顔子之欲罷不能」。昨日の処へは「仰高鑚堅」と、顔子の倦んだことを引き、簡単だと思うな、あれへ遣り付けることだと大端を示したが、今日も志さえ立てば欲罷不能だと示した。それも絶えずすると言う。時々刻々途切れないでここへ行く。よい方へ向かうと善、悪い方へ向かえば悪。「孳々」は孟子が善利の弁を言われたよい字である。町人は利が商売だが、皆が金持なわけではない。それは専一な利の嗜み様でないからである。今の金持の親父は岩を突っ立てた様で、中々動かない。様々と栄耀なものを見せても、魚屋が来ても中々買わない。それは利に専一だからである。「終不得力」。最初に立志が甲斐ないので好人で終えたがることを言い、さて志が丈夫に立てば欲罷不能であり、利を好む者が「念々不忘」なのと同じことだと決めて見せ、さてまた志がなければ終不得力だと、ここを締めた。
【語釈】
・顔子之欲罷不能…論語子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮。欲罷不能、既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已」。
・孳々…孟子尽心章句上25。「孟子曰、雞鳴而起、孳孳爲善者、舜之徒也。雞鳴而起、孳孳爲利者、蹠之徒也。欲知舜與蹠之分、無他、利與善之閒也」。

因挙。顔子は善、小人は利だが、どっちもわき目はふらぬ。学者は只の人てはない筈なれとも、只氣と習に奪れたもの。氣質変化の克己のと云は一朝一夕にはならぬ。爰の氣と云はそれではない。氣質と定た氣でもなし。又大な人欲でもないか、ちらり々々々と村雲のやふに氣と云ものか出て、ひちらひくものがある。上戸の酒の呑みたいの、兎角睡が萌すのと云やふなことかあるもの。それ々々にさま々々にもやくやしたものがある。そのことが習はしくせ。ならわせ、俗習国風。是は昔からいたしつけぬの何のと云ふが、道理の外にある。氣と習しつこいもの。どふもとれ兼る。俗人はそれが有てもその筈のこと。学者に有ては云ひ訳の立ぬことぞ。それに思はず知す俗習にひかれ、氣に勝るるて学術あじに成てくるもの。其寸俗人の方から、それが学者の本意てごさるかと云。其寸初めて氣がつくと云やふなことがあるぞ。士がなまけて伊勢屋六兵ェが心になると、やふすもそれになる。そこてわきから御手前さまは縫箔屋でこさるかと云れて、始ていやをれは武士だと云、氣の付くこともあるもの。武士のよいと云はかどひしのある処ぞ。孟子耻之於人也大矣と云。あれが道理にはりをつけた口上ぞ。をれは武士た、金銭のことなどにむさいことや耻はかくまい、人にあたまはられて只は居らぬ。そこが耻を知た処。筭用て云へばあたまはられて只をったが知もありをとなしく聞るが、そこをきかぬとはり出すが耻を知るのはりのついた処。
【解説】
「因舉程子云、學者爲氣所勝、習所奪、只可責志」の説明。俗習に引かれ、気が勝つので、学術が悪くなるが、それに気付かず恥をかく。孟子が言う「恥之於人大矣」の通り、恥をかかない様にしようと張り出さなければならない。この気とは気質の気でも人欲のことでもない。ちらりちらりと叢雲の様に出る気である。
【通釈】
「因挙」。顔子は善で、小人は利だが、どちらも脇目は振らない。学者はただの人ではない筈だが、ただ気と習とに奪われたのである。気質変化や克己というのは一朝一夕にはできない。ここの気はそれではない。気質と定めた気でもない。また大きな人欲でもないが、ちらりちらりと叢雲の様に気というものが出て、増えて行くことがある。上戸が酒の飲みたいとか、とかく眠気が萌すのという様なことがあるもの。それぞれに様々にもやくやしたものがある。そのことが習わし癖。習わし、俗習国風。それは昔からしたことがないの何のということが、道理の外にある。気と習はしつこいもの。どうも取れかねる。俗人はそれがあるのが当然である。しかし、学者にそれがあれば言い訳が立たない。思わず知らず俗習に引かれ、気が勝つので学術が悪くなって来る。その時俗人の方から、それが学者の本意ですかと言われ、その時初めて気が付くという様なことがある。士が怠けて伊勢屋六兵衛の心になると、様子もそれになる。そこで脇から貴方様は縫箔屋ですかと言われて、初めていや俺は武士だと言って、気が付くこともあるもの。武士のよいところは角菱のある処。孟子が「恥之於人大矣」と言った。あれが道理に張りを付けた口上である。俺は武士だ、金銭のことなどで卑しまれたり恥はかくまい、人に頭を張られてただではいないと言う。そこが恥を知った処。算用から言えば、頭を張られても黙っている方が知もあり大人しく聞こえるが、そこを承知しないと張り出すのが恥を知ることの張りの付いた処。
【語釈】
・只氣と習に奪れた…近思録為学38。「學者爲氣所勝、習所奪、只可責志」。
・伊勢屋六兵ェ…
・縫箔屋…縫箔を商売とする家・人。縫は刺繍、箔は摺箔の意で、衣服の模様を縫と箔とで表したもの。また、能で、縫と箔で華麗な文様を表出した、主として女役の装束。
・かどひし…角菱。かどをたてること。規則・礼儀などが四角四面でわずらわしいこと。
・耻之於人也大矣…孟子尽心章句上7。「孟子曰、恥之於人大矣。爲機變之巧者、無所用恥焉。不恥不若人、何若人有」。

又挙、立志定其本居敬。こふでなけれは今度は何ゆへにたびをすると云ふのぞ。旅はどこ迄何ゆへと云きまりある筈。よしきまりあるとも、箱根で足をこはしたから回ったと云は飛助ぞ。其志たけ持続けゆくは敬てなくてはならぬことぞ。五峯わるくすると云違ひもある人たか、此語などは手本になることなり。又挙尚志。これを挙たか朱子の導き上手ぞ。立志は奴て云がよいが、只奴ではかりは、ちっとささわりあると志がうしつく。鵯越を佐原十郎が三浦の方の馬塲ぞと云ふた。あれは無分別たからゆかれたものなれとも、只の奴で計はゆかぬ。全体にきたない処があると長く続くもの。そこて尚志と云かよい。尚志と聞くと隱者めいたやふに思ふが、さふないぞ。太公望渭濱に釣してをられた。伯夷北海に避た。あれが其志を髙尚すと云もの。只の隱者てはない。靖献遺言の人々は忠節のぎり々々て云。髙尚と云は全体にかかる。聖賢のこともここなり。出処進退もここからなり。道理の外のことをちっともせぬと云のなり。仁義而已とある。伯夷太公の正味は仁義なり。爰らもざっとみると上段から志揃へを云たやふなれとも、只立志々々と云て腕をこくことのやふに計り見せぬ為めぞ。仁義と云ふで立志の実をみせたもの。
【解説】
「又舉云、立志以定其本、居敬以持其志。此是五峰議論好處。又舉、士尚志。何謂尚志。曰、仁義而已矣」の説明。志を持ち続けるには敬でなければならない。また、伯夷と太公望の様に志を高尚にする。それをするには仁義のみである。立志の実は仁義である。
【通釈】
「又挙、立志定其本居敬」。こうでなければ今度は何故に旅をするのか。旅は何処まで何故という決まりがある筈。たとえ決まりがあったとしても、箱根で足を痛めたから帰ったというのは飛助である。その志を持ち続けて行くには敬でなくてはならない。五峯は悪くすると言い違いもある人だが、この語などは手本になること。「又挙尚志」。これを挙げたのが朱子の導き上手なところ。立志は奴で言うのがよいが、ただ奴でばかり言っては、一寸障りがあると志がうじつく。鵯越を佐原十郎が三浦の方の馬場だと言った。あれは無分別だから行けたものだが、ただの奴にはできないこと。全体に汚い処があると長く続くもの。そこで尚志というのがよいこと。尚志と聞くと隠者めいた様に思うが、そうではない。太公望は渭浜で釣をしておられた。伯夷は北海に逃げた。あれが志を高尚にするというもの。ただの隠者ではない。靖献遺言の人々は忠節の至極で言い、高尚は全体に掛かるもの。聖賢のこともこれ。出処進退もここからである。道理の外のことを少しもしないということ。「仁義而已」とある。伯夷と太公の正味は仁義である。ここ等もざっと見ると上段から志の揃えを言った様だが、ただ立志と言って腕を扱くことの様にばかりと見せないためのもの。仁義と言って立志の実を見せたもの。
【語釈】
・飛助…軽率ですぐ飛び出すような人。おっちょこちょい。
・五峯…胡宏。宋の建寧祟安(福建省)の人。字は仁仲。胡安国の末子。五峰先生と称せられる。著書『五峰集』『皇王大記』『胡子知言』~1155
・うしつく…気おくれしてぐずぐずする。ためらう。
・佐原十郎…佐原十郎義連。義経の武将。
・太公望渭濱に釣してをられた…孟子離婁章句上13。「孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱。聞文王作、興曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之濱、聞文王作、興曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。二老者、天下之大老也。而歸之。是天下之父歸之也。天下之父歸之、其子焉往。諸侯有行文王之政者、七年之内、必爲政於天下矣」。

又挙舜為法於天下。是が舜と云人を出すで、わたもちの立志をみせたもの。此舜のやふになると云のぞ。前段の尚志の封を切たが仁義、わたもちて見せたが舜ぞ。法を天下に為ぬと云ことも人倫のことで、爰に尭の字のないも、舜は變に逢ふても常をはつさぬ処をこめて舜計りを云。此法の字も、道統の傳の初りになるも爰の処にあること。すれは髙ひこと。学者の喰ひ物でないと云はふが、此語を髙ふみぬことぞ。さるに由て小学の稽古題下に引たぞ。立教明倫敬身の身ですることの実事を見せたもの。尭舜のつくりた舛や物さしは今のものも使ふか、法を天下に為したは氣質や人欲でつたへぬ。志は道統へゆきつくことだ。舜の通になれとなり。
【解説】
「又舉、舜爲法於天下、可傳於後世、我猶未免爲鄕人也」の説明。ここは舜という人を出して、肉身の立志を見せたもの。舜は変に遇っても常を外さなかった。
【通釈】
「又挙舜為法於天下」。これが舜という人を出して、肉身の立志を見せたもの。この舜の様になるということ。前段の尚志の封を切ったのが仁義、肉身で見せたのが舜である。法を天下に為すと言うの人倫のことで、ここには堯の字がないが、舜は変に遇っても常を外さない処を込めて舜だけを言ったもの。この法の字が道統の伝の始まりとなるのもここの処にあること。それなら高いことで、学者の食物でないと言うが、この語を高く見てはならない。そこで小学の稽古の題下にも引いてある。それは立教明倫敬身の身ですることの実事を見せたもの。堯舜の作った升や物差しは今の者も使うが、法を天下に為したことは気質や人欲で伝えることができない。志は道統へ行き着くこと。舜の通になれということ。
【語釈】
・小学の稽古題下…小学内篇稽古題下。「孟子道性善。言必稱堯舜。其言曰、舜爲法於天下可傳於後世。我猶未免爲鄕人也。是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣。摭往行實前言述此篇使讀者有所興起」。

是則可憂。越王勾践薪の上に寢たり膽を坐右にかけて置て嘗めたりや。をのれ勾践昔耻かいたを忘れたか、此分ではいまい々々々ときりこんだこと。あのいきがよい。可憂とて、あたまをかかへて云ことてない。如舜而已矣。原先生が何ぞと云と氣散んじなことだ々々々々々々々々と云はれたが、爰もそれじゃ。もそっと云やふもありそふなものだに、如舜而已矣。これも氣散んじた。紋所書くには外に仕方はない。大名ても百姓でもぶんまはし外ない。どちも人だ。如舜而已矣。慮外なでない。手本はどれてもよいがよい。小児にはわるく書てあてごふと云ことはない。これ切りとひかへることないが天地形り。氣散しぞ。浩然の氣と云ふはどのやふなものに出合てもあとへひびくれぬ、めらぬ。御成ても還御てもさし汐をとめることはならぬ。大雨大風遠慮なくすっと吹く、ずっと降る。
【解説】
「是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣」の説明。呉王夫差や越王勾践の意気がよい。手本にするにするのはよいものがよい。そこで舜を手本とする。
【通釈】
「是則可憂」。越王勾践が薪の上に寝たり膽を座右に掛けて置いて嘗めたりした。おのれ勾践、昔恥をかいたのを忘れたか、このままではいないと切り込んだこと。あの意気がよい。「可憂」と言っても、頭を抱えて言うことではない。「如舜而已矣」。石原先生が何かというと気散んじなことだと言われたが、ここもそれ。もう少し言い様もありそうなものだが、如舜而已矣である。これも気散んじなこと。紋所を書くには外に仕方はない。大名でも百姓でもコンパスを使うより外はない。どちらも人である。如舜而已矣。慮外なことではない。手本はどれでもよいものがよい。小児には悪く書いて宛がおうということはない。これ切りと控えることのないのが天地の通りであり、気散じなこと。浩然の気とは、どの様なものに出合っても後で落ち込まず、滅入らないこと。御成でも還御でも差し潮を止めることはできない。大雨や大風は遠慮なくすっと吹く、ずっと降る。
【語釈】
・御成…皇族・摂家・将軍などの外出・来着の尊敬語。
・還御…①天皇・三后などが行幸啓(ギヨウコウケイ)先から帰ること。②将軍・公卿が他行先から帰ることを、分を越えて用いた語。

又挙三軍云々。又あとへ奴てかたる。匹夫は一人だけれとも、志と云ものは奪れぬもの。令女。ひがいすなほそ々々とした女ぞ。それ三家新類よってかかって奪ふことはならぬから、つぐに及ぬ。つよみは志ぞ。志のくじけると云は命惜さそ。なれとも志のつっはりたものじゃとても、兼てからいつも々々々死子はすむ々々とも時々刻々思はぬもの。其死ぬと云ことは忘れておれとも、忠臣と云字をはり出す。貞女と云字をはり出す。それを云ひつのるから、命とらるることも首切らるることも何も苦にならぬ。命さへ差出せはよいと云のは様てもまたしひこと。向の分別に搆はす、此方の忠の字、貞の字をはり出すと云つよみは各別なことぞ。陽氣起処と云ことを、兼てからの金石を穿つと云ふたことではない。こちの陽氣ではり出したこと。大井川石を流そふてもないが、あの水勢のつよさ、石が流るる。吾方の丈夫と云ふがこふしたことぞ。忠臣貞女死たいとはり出しはせぬなれとも、死を顧みる心はない。皆此方のことなり。
【解説】
「又舉、三軍可奪帥、匹夫不可奪志也」の説明。忠臣や貞女は志を奪われない。それは死を顧みる心がないからである。尚、ここには小書きがあるのではないか?
【通釈】
「又挙三軍云々」。また後に奴で語る。匹夫は大したことはないが、志というものは奪われないもの。令女はひがいすな細々とした女である。それが、三家親類が寄って掛かっても奪うことができないから、嫁ぐには及ばない。強味は志である。志が挫けるのは命惜しさのため。しかし、志の突っ張った者だとしても、前もっていつも死ねば済むとも時々刻々思ってはいないもの。死ぬということは忘れているが、忠臣という字を張り出し、貞女という字を張り出し、それを言い募るから、命を取られることも首を切られることも何も苦にならない。命さえ差し出せばよいと言うのは実に難しいこと。向こうの分別には構わず、こちらの忠の字、貞の字を張り出すという強味は格別なこと。「陽気起処」は、前もって金石を穿つと言ったことではない。こちらの陽気で張り出したこと。大井川が石を流そうとするわけでもないが、あの水勢の強さで石が流れる。我が党が丈夫と言うのがこうしたこと。忠臣貞女が死にたいと張り出しはしないが、死を顧みる心はない。皆こちらのこと。
【語釈】
・三軍…論語子罕25。「子曰、三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也」。
・ひがいす…痩せて弱々しいさま。また、その人。ひがやす。ひがいそ。

孔門亦有。学問をしても志が立子ばせふことがないが、其根がある。其根を爰で済たもの。再求泣出した。力不足。子路などは外のものがこんなことを云ふてもつかみつぶす。再求利口で知惠かありて疂さはりがよくて筭用をして見たもの。孔子には及れぬに、顔子はさっさとさく。あくみはてて力不足と云ふた。直方先生の云ふ、亭主か出て留守をつこふたぞ。これか志の立ぬぞ。志さへ立ては、かいなしともゆくもの。大和廻りに志か立ては、今日は立れぬが、やがて参ろふ、遲くも濱松あたりで追付く。こなたは立れよと云。かいなく道つれになる。
【解説】
「如孔門亦有不能立志者。如冉求非不説子之道、力不足也、是也」の説明。志が立たなければ学問をしても無駄である。冉求は「力不足」と言ったのがこれである。
【通釈】
「孔門亦有」。学問をしても志が立たなければ仕方がないが、その根がある。その根をここで済ました。冉求が泣き出した。「力不足」。子路などは外の者がこんなことを言えば掴み潰す。冉求は利口で知恵があり、畳触りがよいので算用をして見たのである。孔子に及ばなくても、顔子はさっさと行くが、冉求は倦み果てて力不足と言った。これが直方先生の言う、亭主が出て留守を使うということ。これが志の立ないということ。志さえ立てば、甲斐はなくても行くもの。大和廻りに志が立てば、今日は立てないが、やがて参ろう、遅くとも浜松辺りで追い付くから、貴方は立ちなさいと言う。そこで、間もなく道連れになる。
【語釈】
・力不足…論語雍也10。「冉求曰、非不説子之道、力不足也。子曰、力不足者、中道而廢。今女畫」。

其後云々。これが再求が臨終きは迠埒はついた。仕へを急にするからこふしたことになる。隱者は君臣の義をすりつぶす様なれども、又仕る者は覚へず仕を急にすると云は氣に流れたもの。急仕と云字が氣にわたるそ。此奉公を急と云にも理と氣とがある。禹の水を治るに三過其門而不入の、啓こことして泣けとも、子とせずとあるは、あの急なのは君臣の理なりの急の字ぞ。冉求が大夫の家に仕へたと云も非義てもないと見へて孔子の仕へさせたが、己れのが義だ々々と思の内つい氣に片足入れて、それからついずる々々と落たもの。此前から冉求は子ぼけたもの。季氏の盗人同前だ。それを聚歛附益した。さてこれを云ふたあやが、孔門たとて志の立ぬはあてにならぬ。志の立ぬ端的はあふ成うちた、怪むに足ぬぞ。匹夫も志を奪べからすとあとへかへして見る意ぞ。それに孔門で仕に奪れた。趙の国の澌羪の卒だか孔明と並ぶ。
【解説】
「所以其後志於聚斂、無足怪」の説明。仕えを急にするから仕えに奪われる。気に奪われたのである。一方、禹も仕えを急にしたが、それは君臣の理の通りのことである。
【通釈】
「其後云々」。これで冉求の臨終際まで埒は付いた。仕えを急にするからこうしたことになる。隠者は君臣の義を磨り潰す様だが、また仕える者にあっては、覚えず仕えを急にするのは気に流れるもの。急仕という字が気に渡ったこと。この奉公を急にするということにも理と気とがある。禹が水を治めるのに「三過其門而不入」で「啓呱呱而泣。予弗子」だったが、それは君臣の理の通りの急である。冉求が大夫の家に仕えたというのも、非義でもないと見て孔子が仕えさせたのだが、自分のが義だと思う内、つい気に片足を入れ、それからついずるずると落ちたもの。この前から冉求は寝ぼけたのである。季氏は盗人同然である。それに聚斂附益をした。さてこれを言った綾は、孔門だとしても志が立たなければ当てにならない。志の立たない端的はあの様なことで、「無足怪」である。ここは、匹夫も志を奪うべからずと前に返して見る意だが、そこを孔門が仕えに奪われた。趙国の澌養が卒したのが諸葛孔明と並ぶこと。
【語釈】
・三過其門而不入…孟子滕文公章句上4。「禹八年於外、三過其門而不入」。
・啓こことして泣けとも…書経益稷。「啓呱呱而泣。予弗子」。啓は禹の子。
・季氏…魯の家老季孫氏。
・澌羪…


学者大要立志條
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學者大要立志。所謂志者、不道將這些意氣去蓋他人、只是直截要學堯舜。孟子道性善、言必稱堯舜。此是眞實道理。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣。這些道理、更無走作。只是一箇性善可至堯舜、別沒去處了。下文引成覵顏子公明儀所言、便見得人人皆可爲也。學者立志、須敎勇猛、自當有進。志不足以有爲、此學者之大病。八。
【読み】
學者大いに志を立つるを要す。謂う所の志は、這の些の意氣を將って去き他人を蓋うを道わず、只是れ直截に堯舜を學ぶを要す。孟子性善と道い、言えば必ず堯舜を稱す。此れは是れ眞實の道理なり。世子楚より反り、復た孟子を見む。孟子曰く、世子吾が言を疑うか。夫れ道は一のみ。這の些の道理は、更ち走作無し。只是れ一箇の性善堯舜に至る可く、別に去處に沒し了る。下文に成覵顏子公明儀の言う所を引くは、便ち人人皆爲す可きを見得るなり。學者の志を立つる、須く勇猛にしむべく、自ら當に進むこと有るべし。志以て爲すこと有るに足らざれば、此れ學者の大病なり。八。

此意氣と云が一旦の氣さきで云こと。蓋ふと云がかさにかかることだ。大言で云ひつぶすのなり。学者に大言家と云があり、知も少しあり理もわかる者だが、つまり知のないに落る。聖賢を目かけてさっさとゆく道中に大言云ておる立塲はない。大口は身帯の自慢をするやふなもの。本の金持は自慢は云はぬ。大口は犬をどしぞ。滅夛に人を俗儒々々と、儒者の名の字のやふに云。人を軽々と俗儒とあしろふ。それは吾儒を離れたものの云ことなり。脱俗と云が人欲ありては云れぬことなり。学尭舜。隣へ觸れに及ぬ。心切にない。為己と云に人に沙汰することはないもの。飯を喰ふた、觸れはせぬ。親の忌日に精進する者、喰はぬと觸るるに及ぬ。本んの志はだまっておるもの。方便説などには觸れると云こともある。それに人に信向さするのぞ。此方は実地なこと。觸れるに及ぬ。迂斉曰、只の者は圣人を天人のやふに思ふとなり。欄間にほりて上に置くやふに思ふ。性善の尭舜になるのと云は実地なことぞ。
【解説】
「學者大要立志。所謂志者、不道將這些意氣去蓋他人、只是直截要學堯舜。孟子道性善、言必稱堯舜」の説明。大言は犬脅しと同じである。為己に人へ沙汰することはない。それは実地なことだから、人に触れるには及ばない。
【通釈】
この「意気」というのが一旦の気先で言うこと。「蓋」は嵩に掛かること。大言で言い潰すのである。学者に大言家という者がいて、知も少しあり理もわかる者だが、つまりは知がないことに落ちる。聖賢を目掛けてさっさと行く道中には、大言を言っている立場はない。大口は身代の自慢をする様なもの。本当の金持は自慢を言わない。大口は犬脅しである。滅多に人を俗儒だと、儒者の名の字の様に言う。人を軽々と俗儒とあしらう。それは我が儒を離れた者の言うこと。脱俗とは、人欲があっては言えないこと。「学堯舜」。隣へ触れるには及ばない。親切にすることではない。為己に人に沙汰することはないもの。飯を喰ったのを触れはしない。親の忌日に精進をする者は、喰わないと触れるには及ばない。本当の志は黙っているもの。方便説などには触れるということもある。それで人に信仰させるのである。こちらのは実地なことだから、触れるには及ばない。迂斎が、普通の者は聖人を天人の様に思うと言った。欄間に彫って上に置く様に思う。性善の堯舜になるというのは実地なこと。
【語釈】
・氣さき…人の気力のすすむ所。気勢。気がまえ。
・立塲…江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。明治以後は人力車や馬車などの発着所、または休憩所。
・犬をどし…犬をおどすためのもの。特に見せかけだけの刀を馬鹿にしていう。

眞実の道理と云は、びたるひ寸飯喰ふやふなものぞ。喰ふは眞実の道理。ひだるいのやんだは尭舜になりた処。手もないことぞ。譬喩てはさふなれとも、それがめったにゆかふやふはなし。それゆへ滕文公よほどよい人だか、尭舜と丸で出されてあかしたぞ。熊膽は嘗める氣なれとも、鯨を丸で出されたやふに思ひ、歯のたたぬやふなり。こまった。二の足じゃ。されともさふ見せず、さて々々此問は初てなどと云てそこへ出た。もそっとまけてくれろと云ことなり。孟子がそれを見取て蹴たもの。語類に孟子を獅子に云たことあり。獅子は子を谷へ蹴落す。千丈の谷へ蹴落して死なば死次第、ものになるならなれとなり。爰をはい上るてなければものにならぬ。没去処。別に塲所のないと云こと。無走作は一と言坂、まわり道はないと云こと。
【解説】
「此是眞實道理。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣。這些道理、更無走作。只是一箇性善可至堯舜、別沒去處了」の説明。「真実道理」はわかり易いことだが、それが中々できないこと。孟子は性善で堯舜に至る以外に道はないと言った。
【通釈】
「真実道理」とは、空腹な時に飯を喰う様なもの。喰うのは真実の道理。空腹が止むのは堯舜になった処。それはわかり易いこと。たとえではそうだが、それが滅多にできない。それで滕文公は余程よい人なのだが、孟子が堯舜と丸で出されて証した。熊膽は嘗める気だが、鯨を丸で出された様に思う。それでは歯が立たない。困った。二の足である。しかし、その様には見せず、さてさてこの問いは初めてのことだなどと言ってそこへ出た。これがもう少し負けてくれということ。孟子がそれを見取って蹴ったのである。語類に孟子を獅子にたとえたところがある。獅子は子を谷へ蹴落とす。千丈の谷へ蹴落として、死ねば死次第、ものになるのならなれと言う。ここを這い上がるのでなければものにならない。「没去処」。別に場所はないということ。「無走作」は一言坂で、回り道はないということ。
【語釈】
・滕文公…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯舜。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣。成覵謂齊景公曰、彼丈夫也、我丈夫也、吾何畏彼哉。顏淵曰、舜何人也、予何人也、有爲者亦若是。公明儀曰、文王我師也、周公豈欺我哉」。
・一と言坂…家康が三箇野川の戦いで武田に敗れ、浜松に向かって潰走したが、一言坂で武田軍に追いつかれる。この時、本多忠勝がただ一騎で武田軍の中に乗り入れ、獅子奮迅の大活躍をして徳川軍を退却させる。

成覵云々。聖賢にはなられぬと云は不合点ものの云こと。徂徠不合点た。わるいもの計見て、荀子も性悪と云。その泥ろに醉ふた。尭舜と云はたた二人だ。外はああでないと疑ふが、あれでこちの工面には却てよい。皆同類と云ことが知らせよい。性善の論計てもない、外のこともよいは少ない。天下中物書ぬものもないが、羲之や子昴尊圓親王のやふなはない。されとも筆道学ぶものがわるく習ふと云ものはない。皆能書になりたい、よく書きたいと学ぶことぞ。
【解説】
「下文引成覵顏子公明儀所言、便見得人人皆可爲也。學者立志、須敎勇猛、自當有進。志不足以有爲、此學者之大病」の説明。聖賢にはなれないと徂徠は言うが、それは不合点者の言うこと。聖人の様な者はいないが、それは能書が少ないのと同じである。筆道を学ぶ者は能書になりたいと思って学ぶのである。立志もそれと同じである。
【通釈】
「成覵云々」。聖賢にはなれないと言うのは不合点者の言うこと。徂徠が不合点である。悪いものばかりを見る。荀子も性悪と言う。泥に酔ったのである。堯舜はただ二人であり、外はあの様ではないと疑うが、あれがこちらの工面には却ってよい。皆同類ということが知らせよい。性善の論ばかりでもない、外のこともよいと言っても、それは少ない。天下中で物を書かない者もいないが、王羲之や陳子昴、尊円法親王の様な者はいない。しかしながら、筆道を学ぶ者に悪く習おうと言う者はいない。皆能書になりたい、よく書きたいと学ぶ。
【語釈】
・尊圓親王…伏見天皇の皇子。名は守彦。青蓮院門主・天台座主となる。和歌に秀で、また書を世尊寺行房・行尹に学び、小野道風・藤原行成の書法を参酌して青蓮院流(後の御家流)を開いた。

易上繋辞講義脱闕