若道生做一世人之條  寛政癸丑七月朔日爲館林山田長作講  惟秀録
【語釈】
・寛政癸丑…寛政5年(1893)。
・山田長作…山田華陽斎。名は記思。通称は長作、黒水。館林藩士。1773~1832
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

5
若道生做一世人、不可汎汎隨流、須當了得人道、便有可望。若道不如且過了一生、更不在説。須思量到。如何便超凡而達聖。今日爲鄕人、明日爲聖賢。如何會到。此便一聳拔。聳身著力言。如此、方有長進。若理會得也好、理會不得也好、便悠悠了。百十七。
【読み】
若し生きて一世の人と做し、汎汎として流れに隨う可からずと道わば、須く當に人道を了得すべくして、便ち望む可き有り。若し且一生を過ぎ了るに如かずと道わば、更に説に在らず。須く思量し到るべし。如何ぞ便ち凡を超えて聖に達する。今日鄕人爲り、明日聖賢爲り。如何ぞ到るを會せん。此れ便ち一聳拔。身を聳え力を著けて言う。此の如ければ、方に長進有り。若し理會し得るも也た好し、理會し得ざるも也た好し、便ち悠悠なり。百十七。

一つ古の詩経と云も書の名、論語も書の名。なんのことはないが、もう中庸と云と書名にわけがある。朱子の周程張の語を取り名を編む、濂洛集とかなんとか云そふなと云に、近思録と名付たれは、もふ学者の功夫やかましいことになる。近く思ふと云か玉しいだ。其近思録の初に道体爲学とあるが、此鞭策録は爲学をうけたことで、爲学の後篇とみることが、近く思ふや鞭策の玉しいがないと、鱠を瓢箪でをさへるやふで、学問が身にならぬ。わざの上のことはぞふさはないが、近く思ふの玉しいがきまらぬ。鞭策の了けんがないとやくにたたぬ。そこて先立志ぞ。学者に志ないものはないが、知に多少般の数あるやふなもので、志にも多少般の数あるぞ。此暑中に館林から来るでみれば志ないではないが、其中にも多少般の数あるものぞ。漢唐の諸儒も志ないてはない。文義などは別してよいが、玉しいがない。切に問て近く思う、鞭ち辟ひて裏に向はしむが鞭策だ。其鞭策には志を云う。初條から段々あるが、これも志の章ぞ。
【解説】
詩経や論語という書名には大した意味はないが、中庸や近思録という書名にはわけがある。鞭策録は近思録為学を受けたもので、為学の後篇である。近思や鞭策の魂がないと、学問が身に付かない。ここも志の章である。
【通釈】
古の詩経というのも書の名、論語も書の名で何のことはないが、もう中庸と言うと書名にわけがある。朱子が周程張の語を取って名を編むのだから、濂洛集とか何とか言いそうなものだが、近思録と名付けた。そこでもう学者の功夫が喧しいこととなる。近く思うというのが魂である。その近思録の初めに道体為学とあるが、この鞭策録は爲学を受けたことで、為学の後篇と見るものだが、近く思うや鞭策の魂がないと、鱠を瓢箪で押さえる様で、学問が身にならならい。業の上のことは造作はないが、近く思うの魂が決まらない。鞭策の了簡がないと役に立たない。そこで先ず立志である。志のない学者はいないが、知に多少般の数がある様なもので、志にも多少般の数がある。この暑中に館林から来ることで見れば志がないわけではないが、その中にも多少般の数があるもの。漢唐の諸儒も志がないわけではない。文義などは特によいが、魂がない。切に問うて近く思う、鞭辟いて裏に向わせるのが鞭策である。その鞭策には志を言う。初条から段々と志のことがあるが、これも志の章である。
【語釈】
・知に多少般の数ある…近思録致知8。「知有多少般數、煞有深淺」。

若道云々。一世の人に成う、世間なみではをるまいと口て云はふとも、心にそう思はふとも、ぢちにしても、先つそうなる相談に成った時のことか若し道はばなり。一世の人と目がけるは志のすぐれたこと。此分てはをるまい、と。○汎々は並み々々なりにて、世間とちかはぬなりなこと。そうはすまい々々々と云相談になった時は、須當了得人道なり。相談はきまっても、あてのないことはらちあかぬ。そこで人道が中庸の天道人道のことではない。爰は人と云はどふした訳け合なものだと云こと。前にも、以渺然之身、與天地並立とある。五尺のからだでも、人は並立るるものを持てをる。そこを一つ呑込むことぞ。さう云とき格別な志が立たらば、只するとばかりては役にたたぬ。人と云ものはどふしたすじめのものと云を合点せよとなり。段々此前々が性善の話しだ。人道と云が性善のこと。これを了得せ子ば、性善をだてに持たが明德をだてに持たかと云のなり。明德と云ても此分てはつまらぬこと。性善と云て、これてすむかと見ることなり。ここを人道を了ると云。今念ごろなもの、專藏々々と後からよぶ。きこへぬときに耳をばだてに付たかと云やふなもの。人道を了せ子ば、明德を伊達にもったかなり。大学は教の書だか、明德を本にして明にする。孟子の性善も位記口宣なり。ただ人は四品だ、侍從だと云ことではない。それたけのことなふてはすまぬ。
【解説】
「若道生做一世人、不可汎汎隨流、須當了得人道、便有可望」の説明。志を立てた時は、人道を了得することを目当てにする。この人道とは人が本来持っている性善のこと。
【通釈】
「若道云々」。一世の人に成ろう、世間並ではいないと口で言い、心にそう思い、実際にするとしても、先ずはそうなる相談になった時のことが「若道」である。一世の人に目掛けるのは志の優れたこと。この分ではいないと思う。○「汎々」は並の者になって、世間と違わないこと。その様にはならないという相談になった時は、「須当了得人道」である。相談は決まっても、当てのないことでは埒が明かない。この人道は中庸の天道人道のことではない。ここは、人とはどうした訳合いがあるのかということ。前にも、「以眇然之身、与天地並立」とある。五尺の体でも、人は並び立つものを持っている。そこを一つ飲み込むのである。そういう時に格別な志が立つのであればよく、ただするとばかり言っても役に立たない。人というものはどうした筋目のものかということを合点しなさいと言う。段々と言うが、この前々が性善の話である。人道が性善のこと。これを了得しなければ、性善を伊達に持ち、明徳を伊達に持ったということ。明徳と言ってもこの分では詰まらない。性善と言い、これで済むものかと見ること。ここを人道を了ると言う。それは、今懇ろな者が、専蔵々々と後ろから呼んでも聞こえない時、耳を伊達に付けたかと言う様なもの。人道を了さなければ、明徳を伊達に持ったのである。大学は教えの書だが、明徳を本にして明にする。孟子の性善も位記口宣である。ただ人は四品だ、侍従だということではない。それだけのことがなくては済まない。
【語釈】
・中庸の天道人道…中庸章句21章から32章までに記載がある。
・以渺然之身、與天地並立…講学鞭策録1。「蓋人以眇然之身、與天地並立而爲三」。
・位記口宣…位記は、叙位の旨を記して天皇が授与する文書。告身。口宣は、職事が叙位・任官などの勅命を上卿に伝えること。また、その時に発せられる文書。
・四品…令制で、親王の位(一品から四品に至る)の初位。

○若道不如且過了一生。うしろへばかり引こむ謙退ぶかひ学者がある。私などは親や主人の前がよければまがりなりにもすむ、と。それは学者の口ではない。日傭取の口上ぞ。謙退遜順よいことだか、道へ向っていやはや々々々々と云てはすまぬ。或家の老儒などか迂斉以来七十年いやはや々々々々と云。いやはやて圣賢にもなられぬ。○須思量到。これか近く思ふの近の字だ。只書物をよんで文義々々と云が、文義は入り口のことだ。朱子の文義は躬行門路、躬行者文義事実と、爰へ思量して到ることぞ。
【解説】
「若道不如且過了一生、更不在説。須思量到」の説明。謙退深いだけでは聖賢にはなれない。また、文義は入り口であり、それから思量し到るのである。
【通釈】
○「若道不如且過了一生」。後ろへばかり引っ込む謙退深い学者がいる。私などは親や主人の前がよければ曲り形にも済むと言う。それは学者の口上ではない。日傭取りの口上である。謙退遜順はよいことだか、道へ向かっていやはやいやはやと言っては済まない。或る家の老儒などが迂斎以来七十年いやはやいやはやと言った。そのいやはやで聖賢にもなれない。○「須思量到」。これが近く思うの近の字である。ただ書物を読んで文義ばかりを言うが、文義は入り口のこと。朱子が、「文義乃躬行門路、躬行即是文義之事実」と言った。ここへ思量して到るのである。
【語釈】
・文義は躬行門路、躬行者文義事実…朱子語類121。「文義乃是躬行之門路。躬行即是文義之事實」。

○如何便超凡而達垩。こんなことを徂徠などかきくと、そりゃこそ出たと云か、これが学者の玉しいだ。大学の三綱領、在明在新在止と在り々々と三つ出したが超凡達垩のことなれとも、拔き身では云はぬ。ここはぬき身なり。爰が学者の玉しいぞ。穴を見出してわるく云へば、どこでも云はれぬことはない。三綱領の注も本体之明有未嘗息者。其ちら々々あかるいを種にしてなどと云と禪坊主めくとも云はるることだ。今日は凡夫、翌日は垩賢と云やふにもなられぬことたか、これが志の処ぞ。志がするとなると斯ふ云づんが出來でくる。何ことにもづんと云がある。今学者が鞭策録を聞ても圣賢のいき方がなに有ふ。氣質人欲はまだあるけれとも、づんを知たはよいもの。尭舜も如人耳、形は只の人の通りぞ。
【解説】
「如何便超凡而達聖。今日爲鄕人、明日爲聖賢。如何會到」の説明。ここは大学の三綱領を人で言ったこと。ちらりとした本体の明を本にして聖賢に至るのである。
【通釈】
○「如何便超凡而達聖」。こんなことを徂徠などが聞くと、やはり出たと言うが、これが学者の魂である。大学の三綱領に「在明在新在止」と、在を三つ出したのが超凡達聖のことで、それは抜き身では言わないが、ここは抜き身で言う。ここが学者の魂である。穴を見出して悪く言えば、何処でも言えないことはない。三綱領の注にも「本体之明、有未嘗息者」とある。そのちらちらとした明るいものを種にしてなどと言うと禅坊主めくとも言われること。今日は凡夫、翌日は聖賢という様にもなれないことだが、これが志の処である。志が鋭くなるとこの様な次第ができて来る。何事にも次第というものがある。今学者が鞭策録を聞いても聖賢の生き方がどうしてあることだろう。気質人欲はまだあるが、次第を知るのはよいもの。「堯舜与人同耳」で、姿はただの人の通りである。
【語釈】
・在明在新在止…大学章句1。「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善」。
・本体之明有未嘗息者…大学章句1集註。「大學者、大人之學也。明、明之也。明德者、人之所得乎天、而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也。但爲氣稟所拘、人欲所蔽、則有時而昏。然其本體之明、則有未嘗息者」。
・尭舜も如人耳…孟子離婁章句下32。「孟子曰、何以異於人哉。堯舜與人同耳」。

石原先生の、面々式が圣賢になろふと云はいかふ遠いことじゃ。志がつっ立て、いざ今日から成ふと云と、其日の心もちが大ふよいものと云。あの衆さふした覚へありたと見ゆ。朱子は猶更ぞ。そこで爰の処じゃ。皆聞きやれ。爰が一聳拔。一とぬけだと、梁の上の鼠に猫の飛つくやうに云てきかされた。爰らも訓門人ぞ。此小書は録者が朱子の一聳拔を云ふとき、肩を聳へ肘を張って云れたと其底を記したもの。如是、方有長進。迂斉のいつも感心して云はれた。七右ェ門が、裸のときは大名も駕篭舁も同ことと云た、と。孟子、人之有此四端也、猶有四体也。これがよい語ぞ。
【解説】
「此便一聳拔。聳身著力言。如此、方有長進」の説明。志が立てば、その日から心持ちがよくなると石原先生が言った。志が立てば「一聳抜」となる。
【通釈】
石原先生が、我々如きが聖賢になろうと言うのは大層遠いことだが、志が突っ立って、いざ今日から成ろうと言うと、その日の心持ちが大分よいものだと言った。あの衆はその様な覚えがあったものと見える。朱子は尚更である。そこでここの処を皆聞きなさい。「此便一聳抜」。一抜けだと、梁の上の鼠に猫が飛び付く様に言って聞かされた。ここ等も訓門人である。この小書は、朱子が一聳抜を言った時、肩を聳え肘を張って言われたと録者がその姿を記したもの。「如此、方有長進」。迂斎がいつも感心して言われた。七右ェ門が、裸の時は大名も駕篭舁も同じだと言った、と。孟子が「人之有是四端也、猶其有四体也」と言った。これがよい語である。
【語釈】
・石原先生…野田徳勝。剛斎。七右衛門。本所石原町に住んでいたので石原先生と呼ばれる。1690~1768
・七右ェ門…石原先生。
・人之有此四端也、猶有四体也…孟子公孫丑章句上6。「人之有是四端也、猶其有四體也」。

○悠々の出たとき、近く思ふと鞭策とを付けて見ること。あれが悠々の処へ用る藥だ。鞭策録、某は先年からよむのがきらいだ。身に覚のないことゆへよめぬ。行藏などのよむは鞭策めいた。あれがよむをきけば本んに圣賢に至らるるやうで有りた。三宅先生の前て天木善六殿のよみた。あのいきりではさぞよかろふ。幸子善やをらがよむでは却て悠々になる。
【解説】
「若理會得也好、理會不得也好、便悠悠了」の説明。「悠々」への薬は近思と鞭策である。行蔵や天木がこれを読めば鞭策めくが、幸田や私では却って悠々である。
【通釈】
○「悠々」の出た時、近く思うと鞭策とを付けて見なさい。あれが悠々の処へ用いる薬である。私は先年から鞭策録を読むのが嫌いである。身に覚えのないことなので読めない。行蔵などが読むと鞭策めく。彼が読むのを聞くと実に聖賢に至ることができる様であった。三宅先生の前で天木善六殿が読んだ。あの熱なので、さぞよかったことだろう。幸田子善や俺が読んでは却って悠々になる。
【語釈】
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。別号は一斎。門下に寛政三博士の一人である岡田寒泉がいる。享保14年(1729)~安永5年(1776)
・天木善六…天木時中。通称は善六。33歳の時に佐藤直方に入門したが、翌年の享保四年七月に直方が死去したので、その後は三宅尚斎に師事する。1696~1736
・幸子善…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。享保5年(1720)~寛政4年(1792)


若果是有志之士條
6
若果是有志之士、只見一條大路直上行將去、更不問著有甚艱難險阻。孔子曰、向道而行、忘身之老、也不知年數之不足、也俛焉日有孜孜、斃而後已。自家立著志向前做將去、鬼神也避道。豈可先自計較、先自怕卻。如此終於無成。百二十六。
【読み】
若し果して是れ志有るの士なれば、只一條の大路を見て直上し行き將に去り、更に甚だ艱難險阻有るを問著せず。孔子曰く、道に向いて行き、身の老を忘れ、也た年數の足らざるを知らず、也た俛焉日に孜孜たる有り、斃れて後已む、と。自家志を立著し前に向いて做し去けば、鬼神も也た道を避く。豈先ず自ら計較し、先ず自ら怕卻する可けんや。此の如くなれば成ること無きに終わる。百二十六。

志は学者には有ふが、そこをもふ一つ吟味をかけたときに、若し果してなり。刀をさすは武士たが、若果と云か一と吟味事ぞ。武士が刀をうそにはささぬ。御手前様本んに刀をささるるかと云はれては、鞘を割ってかかるが、学者はまあ志と云。まあ刀をさすと云武士はない。○只と云は手もないことと云のぞ。一條大路は、京へ行くには並木についてゆく。大学は八条目について行く。何んのこともない。八條目、何んのこともない並木だが、直上行將去かならぬ。滕文公の再ひ孟子の処へ来りやりたも、もそっと仕よい道もあるかと思うて来たものそ。そこて孟子が世子疑吾言乎。脇道はござらぬと云た。顔淵仲弓藥は別々だが、どちも苦ひ辛ひの去り嫌はない。請事此語也、克己無巧法。わき道はない。
【解説】
「若果是有志之士、只見一條大路直上行將去」の説明。学者がまあ志すと言うのでは悪い。大学は八条目に付いて行くことで何事もないことだが、それができない。志に脇道はない。
【通釈】
学者に志はあるだろうが、そこをもう一つ吟味を掛けた時が、「若果」である。刀を差すのは武士だが、若果というのが一吟味事である。武士が刀を嘘で差すことはない。御手前様は本当に刀を差しているのですかと言われれば、鞘を割って掛かるが、学者はまあ志すと言う。しかし、まあ刀を差すと言う武士はいない。○「只」は手もないことだということ。「一条大路」は、京へ行くには並木に付いて行く様なこと。大学は八条目に付いて行くもの。それで何事もない。八条目は何事もない並木だが、「直上行將去」ができない。滕文公が再び孟子の処へ来たのも、もう少しし易い道もあるかと思って来たもの。そこで孟子が「世子疑吾言乎」。脇道はないと言った。顔淵と仲弓の薬は違うが、どちらも苦い辛いの好き嫌いはない。「請事斯此語」である。「克己無巧法」で、脇道はない。
【語釈】
・滕文公の再ひ孟子の処へ…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯舜。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣」。
・顔淵…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。
・仲弓…論語顔淵2。「仲弓問仁。子曰、「出門如見大賓、使民如承大祭。己所不欲、勿施於人。在邦無怨、在家無怨。仲弓曰、雍雖不敏、請事斯語矣」。
・克己無巧法…朱子語類41。「克己亦別無巧法。譬如孤軍猝遇強敵、只得盡力舍死向前而已。尚何問哉」。

○更不問著有甚艱難険阻。問か二の足なもの。上方は雷が多いかのなんのと前に問ものは上京はならぬ。○孔子曰、向道而行、忘身之老、也。なるほど孔子だ。吾生而知る者にあらずと自身云はるる。あれがうそと本んのあいだじゃ。向道而行、忘身老。そろばんを出さぬのだ。凡夫は此年になって学問ならぬと云。志のあさいのだ。私より忰をと云もの。明德を明にするに名代を出すことはない。身の老を知らぬがよい。人欲や當用なことに凡夫も身の老は出さぬ。年よりては飯はくわぬと云はぬ。道は遠々しいから、我等こと晩年と出る。大名の屋鋪で稽古見分なとには何歳以上は御免と云こともあるが、六十以上忠義御免と云ことはない。衛の武公手抦と云は、九十五て群臣にわるいことは戒めくれよと云た。
【解説】
「更不問著有甚艱難險阻。孔子曰、向道而行、忘身之老、也不知年數之不足、也俛焉日有孜孜」の説明。凡夫は年をとったから学問はできないと言うが、それは志が浅いのである。年が寄ったので飯は食わないとは誰も言わない。
【通釈】
○「更不問著有甚艱難険阻」。この問いが二の足である。上方は雷が多いの何のと前に問う者は上京はできない。○「孔子曰、向道而行、忘身之老、也」。なるほど孔子である。「我非生而知之者」と自身で言われた。あれが嘘と本当の間である。「向道而行、忘身之老」。算盤は出さない。凡夫はこの年になっては学問ができないと言う。それは志が浅いのである。私よりも忰をと言うのと同じ。明徳を明にするに名代を出すことはない。身の老は知らないのがよい。凡夫も人欲や当用なことに身の老は出さない。年が寄っては飯は食わないとは言わない。道は遠々しいから、我等は晩年だと出る。大名の屋敷での稽古見分などには何歳以上は御免ということもあるが、六十以上は忠義御免ということはない。衛の武公の手柄と言うのは、九十五歳になって群臣に悪いことは戒めくれと言ったこと。
【語釈】
・吾生而知る者にあらず…論語述而19。「子曰、我非生而知之者。好古敏以求之者也」。

○斃而後已。この語がいかふよいと出して、鬼神也避道。迂斉の毎々早飛脚に狐は付ぬと云た。女か鼠か落てもきゃうと云なから、嫉妬から牛の時参り、わるいぐるみ志が立たのぞ。一方へ凝る。志の立ったはきついもの。令女がつよいから軍大將にせふと云は間違そ。鼻をそぐは凝った処。匹夫不可奪志。○豈可先自計較、先怕卻。をれが生質では大概これきり位なものと云へば利口なことだか、それか立志の時にはきつい法度そ。無分別がよい。浅見先生の、今にも一大事があれば、どこの御築地とやら迠つめると云たそふな。それが志のことぞ。あの先生が一人そこへつめたとて、つめたとて。なれどもそこが志なり。どふせふかこふせふかと云か役に立ぬもの。今の学者はたた小利口にたちまはる。志ないからなり。
【解説】
「斃而後已。自家立著志向前做將去、鬼神也避道。豈可先自計較、先自怕卻。如此終於無成」の説明。令女や匹夫の志は一方に凝るもの。また、立志は無分別なのがよい。小利口に立ち回るのは志がないのである。
【通釈】
○「斃而後已」。この語が大層よいと出して、「鬼神也避道」。迂斎が、早飛脚に狐は付かないといつも言った。女は鼠が落ちてもきゃっと言うが、嫉妬から丑の刻参りをする。悪い包み志が立たのである。一方へ凝る。志が立つときついもの。令女が強いから軍大将にしようと言うのは間違いである。鼻を削ぐのは凝った処。「匹夫不可奪志」である。○「豈可先自計較、先怕卻」。俺の生質では大概これぎりなものだと言うのは利口なことだか、それが立志の時にはきつい法度である。無分別がよい。浅見先生が、今にも一大事があれば、何処の御築地かとまで詰めると言ったそうである。それが志のこと。あの先生が一人そこへ詰めたとしても何になるものか。しかしながらそこが志である。どうしようかこうしようかと言うのが役に立たないもの。今の学者はただ小利口に立ち回る。それは志がないからである。
【語釈】
・鬼神也避道…史記李斯列伝。「斷而敢行、鬼神避之。後有成功」。
・鼻をそぐ…小学内篇善行。「令女聞即復以刀截兩耳居止常依爽。…令女於是竊入寢室以刀斷鼻蒙被而臥」。資治通鑑。「爽從弟文叔妻夏侯令女、早寡而無子、其父文寧欲嫁之。令女刀截兩耳以自誓、居常依爽。爽誅、其家上書絶昏、強迎以歸、復將嫁之。令女竊入寢室、引刀自斷其鼻、其家驚惋」。
・匹夫不可奪志…論語子罕25。「子曰、三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也」。
・築地…堂上方。公卿。


聖賢千言萬語之條
7
聖賢千言萬語、無非只説此事。須是策勵此心、勇猛奮發、拔出心肝與他去做、如兩邊擂起戰鼓、莫問前頭如何。只認捲將去。如此、方做得工夫。若半上落下、半沉半浮、濟得甚事。八下同。
【読み】
聖賢の千言萬語は、只此の事を説くに非ざる無し。須く是れ此の心を策勵し、勇猛奮發、心肝を拔出し他と做し去くこと、兩邊戰鼓を擂起するが如くすれば、前頭如何と問うこと莫し。只認捲し將ち去る。此の如くして、方に工夫を做し得。若し半上落下、半沉半浮なれば、甚だ事を濟み得ん。八下同。

これも前と同しやふなことで載せずとよいと云やふだが、同じ肴でも料理やふで指味と煮たと違ふ。色々と云て酒が呑める。同じやふでも語立を思ふと違ふことがある。語類などてもそれぞ。一つ出てすみそふなことをいかいことあるも、皆語立てのちがいでのせたもの。此條の此事と云字があんばいものだ。其仲ヶ間がよると、重二此頃はどふだと云。それが此事と云もの。近日の事奈何のるい。東金の市場でも米屋どしがしこと、皆事の意なり。禅者の方にもそふ云あんばいがある。爰らで此事の字は事物當然のことなとと云ては訓話の学ぞ。何であれ、学問のことだけれども、此事と云て精彩がある。興国の會、昔より於此処何人か語此事とある。此事は未発の吟味かなどと云はうつらぬ学者ぞ。李退渓、朱子の書をよく見て入用にないやうなことまでのせて節要にある。歇後爲非歇後、見れは則非歇後もこのあやなり。
【解説】
「聖賢千言萬語、無非只説此事」の説明。「此事」に塩梅がある。それは仲間同士の話の様なこと。
【通釈】
これも前と同じ様なことで載せなくてもよいと言う様なものだが、同じ肴でも料理の仕様で刺身と煮たものとでは違う。色々とあるので酒が飲める。同じ様でも語立てを思うと違うことがある。語類などもそれ。一つ出せば済みそうなことが大層あるが、皆語立ての違いで載せたもの。この条の「此事」という字が塩梅もの。仲間が寄ると、重二、この頃はどうだと言う。それが此事というもの。「近日事如何」の類である。東金の市場でも米屋同士のことは皆この事の意である。禅者の方にもそういう塩梅がある。ここ等の此事の字は事物当然のことなどと言っては訓詁の学である。何であれ、学問のことではあるが、此事と言うので精彩がある。興国の会で、「不知旧日、曾有甚人於此処講此事」とある。此事は未発の吟味かなどと言うのはわかりの悪い学者である。李退渓が朱子の書をよく見て入用でない様なことまで載せ、それが節要にある。「歇後為非歇後、見則非歇後」もこの綾である。
【語釈】
・重二…中田重次。十二とも言う。博徒であったが、三十歳頃に黙斎に入門。~1798
・近日の事奈何…近思録為学77。「謝顯道見伊川。伊川曰、近日、事如何」。
・興国の會…近思録聖賢20。「伯淳嘗與子厚在興國寺、講論終日。而曰、不知舊日、曾有甚人於此處講此事」。
・歇後爲非歇後、見れは則非歇後…

○策勵此心云々。此心と云と此志と云とはちがう。志は間が有てもよいが、此心と云は今からしきにはきとすること。瑞巖か主人翁惺々着。此心をはきとさまして今から仏に成ふと云こと。○拔出心肝。寐て居たやふな心を引き出すそ。それがすぐに鞭策ぞ。上に此心とあるからとて、拔出心肝。そこへにけ出してかくさぬことのやふに見るはわるい。唐彦明か太閤は一身皆膽と云た。そのいきぞ。雖千万人吾れ往んもこのこと。他と云は天木子のこまかに云れた。前の此事を他と云なり。與他做去は勝負を付るやふなこと。それが軍の始りた。莫問前頭如何。本んの軍の時は問ひたか□□、今日はうちへ皈りたいと云はふなことだ。
【解説】
「須是策勵此心、勇猛奮發、拔出心肝與他去做、如兩邊擂起戰鼓、莫問前頭如何」の説明。心をはっきりとさせ、軍に臨む意気で行く。
【通釈】
○「策励此心云々」。「此心」と「此志」とは違う。志は間があってもよいが、此心は今から直にはっきりとすること。瑞巌が「主人翁惺々着」と言った。それは、この心をはっきりと醒まして今から仏に成ろうということ。○「抜出心肝」。寝ていた様な心を引き出す。それが直に鞭策である。上に此心とあるから、抜出心肝。そこへ逃げ出して隠さないことの様に見るのは悪い。唐崎彦明が太閤は一身皆膽だと言った。その意気である。「雖千万人吾往」もこのこと。「他」を天木子が細かに言われた。前の此事を他と言う。「与他做去」は勝負を付ける様なこと。それが軍の始まりである。「莫問前頭如何」。本当の軍の時は問うたが□□、今日は家へ帰りたいと言う様なことはない。
【語釈】
・主人翁惺々着…「瑞巌彦和尚、毎日自喚主人公、復自応諾。乃云、惺惺着。諾。他時異日、莫受人瞞。諾諾」。
・唐彦明…唐崎彦明。三宅尚斎門下。芸州竹原の人。黙斎の親友。彦明は伊勢長島藩主増山候に仕えたが、ある事件で禁固に処せられたとき、黙斎はその救援に献身したという。なお竹原は頼山陽の出たところでもある。~1758。
・雖千万人吾れ往ん…孟子公孫丑章句上2。「自反而縮、雖千萬人吾往矣」。

○認捲し將去。俗語は文字ではさばけぬもの。認は体認すること。体認したことはそこが迯られぬ。とかくにけると云ことはない。通鑑に、有進而死する、一尺無退而死一寸と云た処ありたと覚ゆ。このいきぞ。されども捲の字がうくやうになる。諸子考てよいやふにすますかよい。俗語も上の字か主意なもの。これでよいが吟味せよ。退後秀按、認捲將去の字、ととめまいてもちさるとよむゆへ、風のつよいときに庭の木の葉吹飛すを見るに、ちらばすにととめまいてもちさるもの。○国語に有予捲勇と云字が、のっかかりにまくり立てゆくのと云へは、鵯越と云やふにまっちぐらにゆくことなるが、いつれ前頭如何と問はぬ底のことなるべし。
【解説】
「只認捲將去。如此、方做得工夫」の説明。「認捲將去」は、留め捲いて將ち去ることなので、捲くり立てて行くのである。
【通釈】
○「認捲將去」。俗語は文字では捌けないもの。認は体認すること。体認したことはそこから逃れられない。とかく逃げるということはない。通鑑に、「有進而死、一尺無退、而死一寸」という処があったと思う。この意気である。しかし、それでは捲の字が浮く様になる。諸子、考えてよい様に済ましなさい。俗語も上の字が主意となるもの。これでよいか吟味しなさい。退出後、秀按ずるに、認捲將去の字、留め捲いて將ち去ると読むので、風の強い時に庭の木の葉を吹き飛ばすのを見れば、散らばずに留め捲いて將ち去るもの。○国語に「有予捲勇」という字が、乗り掛かって捲くり立てて行くと言えば、鵯越という様に真っ直ぐに行くことになるが、どちらにしても前頭如何と問わない底のことだろう。
【語釈】
・有進而死する、一尺無退而死一寸…
・有予捲勇…

半上落下。何れにもならぬ。役に立ぬ。学問が先つ内へ皈りて考て見やふてはすまぬ。鞭策録でも立志のことをいかほとこまかに云たとて、只文義て済すやふなもの。学者が文義で請取たぎりで吾にふるい立った志がなければ、黙叟雄弁によくよみた、與五右ェ門が記録も細かたぎりのことになるぞ。それは立志のたりにはならぬ。
【解説】
「若半上落下、半沉半浮、濟得甚事」の説明。学者が文義で請け取っただけで立志がないのであれば、それでは役に立たない。
【通釈】
「半上落下」。いずれにもならない、役に立たないこと。学問は、先ずは家に帰って考えて見ようと言っては済まない。鞭策録で立志のことをどれほど細かに言ったとしても、それではただ文義て済ます様なもの。学者が文義で請け取っただけで自分に奮い立った志がなければ、默斎が雄弁によく読んだ、与五右ェ門の記録も細かだと言うだけのことになる。それでは立志の足しにはならない。
【語釈】
・與五右ェ門…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812


且如項羽救趙之條
8
且如項羽救趙、既渡、沈船破釜、持三日糧、示士必死、無還心。故能破秦。若瞻前顧後、便做不成。
【読み】
且に項羽の趙を救うが如き、既に渡り、船を沈め釜を破り、三日の糧を持ち、士に必ず死し、還心無きを示す。故に能く秦を破る。若し前を瞻て後ろを顧みれば、便ち做して成らず。

学問にも存もよらぬことが入用になる。名医が藥草でもないものを見付て療治をする。項羽救趙。史記にある。あのことはただ氣味のよい処だか、爰では学問の入用だ。無皈心がよい。迂斉の、木村長門が兜の忍の緒をむすびきった処といつも云た。直方門の何とか云人が二十年程中絶して相弟子にあふて、先生はいまだにきついか、養子の議論も昔の通りかと云た、と。腰のたたぬ口上ぞ。不及不失令名などが弱いやうなつよいことだ。不失令名か願ふことではないが、希垩希賢とかかりて、そこををいぬがすにころりと死んだとき、あとから見れば不失令名なり。無皈心。死ものと思うとつよくなる。百姓の飢饉で盗をする心も彊くなるからなり。盗ても死ぬ、盗ぬでも死ぬと云から出る。そうたい覚悟からつよい働をするもの。石井佐仲、張紙へ推死於万端、何事不做と書た。名代の貧乏ぞ。死ぬ覚悟と云になれば二半はないもの。人の志が死ぬと云日には覚悟がきまる。圣賢に至ら子ばどふで面白いことないとすわると至るか、瞻前顧後、どふかして相応なことも有ふと思ふでいかぬ。山嵜派か出来すは鳩巣派に成ふ。それもゆかすは徂徠に成ふと云やうな魂ては何にもならぬことだ。
【解説】
「項羽救趙」の話は史記では気味のよいだけだが、ここでは学問の入用となる。「無還心」がよい。死ぬものだと覚悟すれば強くり、聖賢に至ることもできる。
【通釈】
学問も思いも寄らないことが入用になる。名医が薬草でもないものを見付けて療治をする。「項羽救趙」。これは史記にある。あれはただ気味のよいだけだか、ここでは学問の入用となる。「無還心」がよい。迂斎が、木村長門が兜の忍の緒を結び切った処だといつも言った。直方門の何とか言う人が二十年程中絶して相弟子に逢い、先生は未だにきついか、養子の議論も昔の通りかと言ったそうだ。それは腰の立たない口上である。「不及不失令名」などが弱い様で強いこと。不失令名は願うことではないが、「希聖希賢」と掛かって、そこを追い付かずにころりと死んだ時、後から見れば不失令名である。「無還心」。死ぬものと思うと強くなる。百姓が飢饉で盗みをする心になるのも覚悟が強くなるからである。盗んでも死ぬ、盗まなくても死ぬということから出る。総体、覚悟から強い働きをするもの。石井佐仲が、張り紙に「推死於万端、何事不做」と書いた。名代の貧乏である。死ぬ覚悟ということになれば二半はないもの。人の志は、死ぬという日には覚悟が決まる。聖賢に至らなければどうしても面白いことはないと決めれば至ることもできるが、「瞻前顧後」で、何か相応なこともあるだろうと思うのでうまく行かない。山崎派ができなければ鳩巣派になろう。それもうまく行かなければ徂徠派になろうと言う様な魂では何にもならない。
【語釈】
・木村長門…木村長門守重成。大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家のために戦って死ぬ。母の右京大夫局は豊臣秀頼の乳母。
・不及不失令名…近思録為学1。「濂渓先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢。伊尹顏淵、大賢也。伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市。顏淵不遷怒、不貳過、三月不違仁。志伊尹之所志、學顏子之所學、過則聖、及則賢、不及則亦不失於令名」。
・石井佐仲…
・推死於万端、何事不做…
・二半…事のどちらとも決定しないこと。どちらつかず。


陽氣発處之條
9
陽氣發處金石亦透。精神一到何事不成。
【読み】
陽氣發する處金石も亦透る。精神一到すれば何事か成らざらん。

陽氣発處。わるく思ると竹の子の子だをつきぬくと云やふに見る。それはわるい。陽氣発處、あたたまりあるもの。其あたたまりで死物迠とをすと云ことぞ。人間死物でない。惻隱も羞悪もあるが、それがひへておるからゆかぬ。一はいにあたたまりが付けば、何事でもゆく。道体ひへたものとばかり云はれぬ。去於其中発揮出浩然之氣。孝行もせふ、忠義もせふ。ひへたものだか、精神が至らぬとひへきりたが、あたたまりがつくと精彩がある。精神一到るてあたたまりがつくぞ。
【解説】
「陽気発処」は温まりがあるということ。道体は冷えたものだが、精神一到でそれに温まりが付く。
【通釈】
「陽気発処」。悪く思うと竹の子の根太を突き抜くという様に見る。それは悪い。陽気発処は、温まりのあること。その温まりで死物までを透すということ。人間は死物でない。惻隠も羞悪もあるが、それが冷えているからうまく行かない。一杯に温まりが付けば、何事でも行く。道体は冷えたものばかりとは言えない。「去於其中発揮出浩然之気」。孝行もする、忠義もする。道体は本来冷えたものだか、精神が至らないと冷えたままで、温まりが付くと精彩がある。精神一到で温まりが付く。
【語釈】
・去於其中発揮出浩然之氣…


今学者全不曽發憤之条
10
今學者全不曾發憤。
【読み】
今の學者は全く曾て憤を發せず。

いかさま学問の上らぬかきこへたことじゃと見せた爲めの章ぞ。垩人生知安行で発憤。忘食、生知だ、只居ていてもよいと云はぬ。生知は地藏や笑ひ仏と云やうに見ることでない。十有五而志学、致知挌物、礼を老子に官を郯子に訪ふた。適周とあれば、寢ては居らぬ。発憤なり。全は丸でと云こと。不発憤は鞭策の大事だ。まあ々々憤ると云があるが、それが垩賢になろふと云憤りではない。小尻咎めだ。大方人欲から出て発憤。爰て馳走せぬ。朱子は名医ぞ。小学からして自頽其綱、安此暴棄と、発憤させる爲めぞ。發憤せぬ学者、垩賢になりやうはない。
【解説】
聖人は生知安行だが発憤する。発憤しない学者に、聖賢になる術はない。
【通釈】
いかにも学問の上らないのがよくわかることだと見せるための章である。聖人は生知安行で発憤する。忘食だ、生知だ、ただいるだけでよいとは言わない。生知は地蔵や笑い仏の様に見ることではない。「十有五而志学」、致知格物、礼を老子に官を郯子に尋ねた。適周とあれば、寝てはいない。発憤である。「全」は丸でということ。「不発憤」は鞭策の大事である。まあまあ憤るということがあるが、それが聖賢になろうという憤りではない。鐺咎めである。大方人欲から出ての発憤であり、それをここでは馳走しない。朱子は名医である。小学からして「自頽其綱、安此暴棄」とある。それは発憤させるためである。発憤しない学者に、聖賢になる術はない。
【語釈】
・生知安行…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之、一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功、一也」。
・十有五而志学…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・礼を老子に…論語序説。「適周、問禮於老子」。
・官を郯子に訪ふた…春秋左氏伝昭公。「仲尼聞之。見於郯子而學之。既而告人曰、吾聞之、天子失官、學在四夷、猶信」。
・自頽其綱、安此暴棄…小学題辞。「衆人蚩蚩物欲交弊、乃頽其綱、安此暴棄」。


或言、在家袞袞之條
11
或言、在家羇羇、但不敢忘書冊、亦覺未免間斷。曰、只是無志。若説家事、又如何汨沒得自家。如今有稍高底人、也須會擺脫得過、山間坐一年半歲、是做得多少工夫。只恁地、也立得箇根脚。若時往應事、亦無害。較之一向在事務裏羇、是爭那裏去。公今三五年不相見、又只恁地悠悠。人生有幾箇三五年耶。百二十一。
【読み】
或るひと言う、家に在りて羇羇、但敢て書冊を忘れず、亦未だ間斷を免れざるを覺ゆる。曰く、只是れ志無し。家事を説くが若き、又如何ぞ自家を汨沒し得んや。如今稍高底の人有り、也た擺脫し得て過ぎ、山間坐すこと一年半歲を會しを須って、是れ多少の工夫を做し得。只恁地きも、也た箇の根脚を立ち得。若し時に往きて事に應ずるも、亦害無し。之を一向事務の裏に在りて羇するに較ぶるに、是れ那の裏を爭い去く。公今三五年相見ず、又只恁地く悠悠。人生幾箇の三五年有りや。百二十一。

語類の学の部に、爲己之学は一毫も不干於人とある。本の学者は人をあてに云ことは云はぬ。或人なぞ朱子の前で在家袞袞、家事にまぜかへされると云わけをした。金もちはだまっておる。身上つぶすやうなやつが近年の不作物入、當年まだ障子もはらぬと云もの。不敢忘書冊。藥を煎じながらも論語をよみますと云。そうたい云わけは立た。すれば立つものの立てさせぬ日には立ぬものぞ。此男の云わけなど、さりとはわるいこともないが、朱子の其やうなこと云はるるか、それが志のない処じゃとは、情けない口上と云やうだか、これがさきの人の魂へわりこんで云こと。
【解説】
「或言、在家羇羇、但不敢忘書冊、亦覺未免間斷。曰、只是無志」の説明。或る人が、学問はしているのだが、家事がその邪魔をすると言い訳をした。朱子は、それは志がないだけだと答えた。
【通釈】
語類の学の部に、為己の学は一毫も人に干せずとある。本当の学者は人を当てにしない。或る人などは朱子の前で「在家袞袞」で、家事に混ぜ返されると言い訳をした。金持は黙っている。身上を潰す様な奴が、近年の不作で物入りになり、当年はまだ障子も貼っていないなどと言う。「不敢忘書冊」。薬を煎じながらでも論語を読みますと言う。総体、言い訳は立たないもの。それなら立つものを立たせなくすれば立たないもの。この男の言い訳など、実に悪いということでもないが、朱子が、この様なことを言われるのは志のない処だと言うのは、情けない口上だと言う様だか、これが相手の魂へ割り込んで言ったこと。
【語釈】
・爲己之学は一毫も不干於人…朱子語類8。「大抵爲己之學、於他人無一毫干預」。

若説家事、又如何汨没得自家。さきの人へ云ことだか、ひろくかけて云こと。よく家事々々と云ものだが、だたい家事と云ものが吾身を汨没させる筈のものではない。それは此方の無調法と云もの。或人は家事にまぜかへされて学問も何も引込んで見へませぬと云が、家事をなくそふと云ことはならぬ。三代之学、明於人倫也。用事はありもの。それがこなたの玉しいをくさらせはせぬとなり。とは云てもつめて云へば、女房に溺して汨没されたもあるが、と云ても、昏礼はせ子ばならぬぞ。幸田子の三十四五のとき、をれも学問もふやむまいと思ふ。妻を迎へたが心が替らぬ。御番入りでも替らぬ。又今度の大貧乏ても替らぬと云た。
【解説】
「若説家事、又如何汨沒得自家」の説明。家事が身を汨没させることはない。それで学問ができないと言うのは自分の不調法からのこと。家事はある筈のこと。
【通釈】
「若説家事、又如何汨没得自家」。相手に言ったことだか、ここは広く掛けて言ったこと。よく家事があると言うが、そもそも家事というものは我が身を汨没させる筈のものではない。それはこちらの無調法からのこと。或る人は家事に混ぜ返されて学問も何も引っ込んで見えませんと言うが、家事をなくそうとするのはできないこと。「三代之学、明於人倫也」で、用事はある筈のもの。それが貴方の魂を腐らせはしないと言った。そうとは言え、詰めて言えば、女房に溺して汨没されることもあるが、そうとは言え、婚礼はしなければならない。幸田子が三十四五の時、俺も学問はもう止めることはできないと思う。妻を迎えたが心が替らない。御番入でも替らない。また今度の大貧乏でも替らないと言った。
【語釈】
・三代之学、明於人倫也…論語学而7集註。「游氏曰、三代之學、皆所以明人倫也」。
・幸田子…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。享保5年(1720)~寛政4年(1792)
・番入り…江戸幕府で、旗本の部屋住の者や非役の者が採用されて大番・両番に入ること。

○稍高底人。傳左も先年そげものになりますと云たが、ちとそげればよいが、今にそげることはならぬ。藥の世話の、松脂のとのがれられずかけ出す。この稍高底は曽点じゃの知見のと云ことでもない。所謂そげものと云のぞ。久世候の家中の田舎荘子が日中に傍軰の手紙を見て、夜分んのことゆへ御返事申さぬと云た。ほんのことでなくとも、かふそげて出ると人事にをはれぬ。○擺脱は、先年葛西の弥三郎に、をぬしも日用を道と見ぬと学問が上ると云たれば笑ふた。人の家内でも、下女が大根種を取りても、さうとるものでないと云てかかる。百姓はそれが隨分當然よいことだが、あんまりそれすぎるにこまる。直方先生の権八に、うそをつき習へば擺脱させふと云藥方だ。行村市兵衛埀加の供をして、道中にて一文乞食と帳に付た。あまり擺脱せぬ。
【解説】
「如今有稍高底人、也須會擺脫得過」の説明。「稍高底」とは削げ者ということ。削げ者になれば人事に追われない。
【通釈】
○「稍高底人」。伝左も先年削げ者になりますと言ったが、少し削げればよいが、今も削げることができない。薬の世話や松脂などと、逃れられずに駆け出す。この稍高底は曾点だとか知見ということでもない。所謂削げ者ということ。久世侯の家中の田舎荘子が日中に傍輩の手紙を見て、夜分のことなので御返事はしないと言った。本当のことでなくとも、この様に削げて出ると人事に追われない。○「擺脱」。先年葛西の弥三郎に、お前も日用を道と見なければ学問が上がると言うと笑った。人の家内でも、下女が大根種を取るにも、その様に取るものではないと言って掛かる。百姓はそれが随分と当然でよいことだが、あまりに過ぎるのに困る。直方先生が権八に、嘘を吐いて習えと言ったのは、擺脱させるための薬方である。行村市兵衛が山崎闇斎の供をして、道中で一文乞食と帳に付けた。これがあまりに擺脱しないこと。
【語釈】
・傳左…
・そげもの…変人。奇行ある者。かわりもの。そげ。
・葛西の弥三郎…
・権八…小野権八。
・行村市兵衛…

○須會と云は根岸か山の手の屋鋪、それへ引込むの出来るか須會なり。そうすると多少功夫。よほとのことが出來るもの。三宅先生の度々嵯峨へ引込ふ々々々と云れた、と。若林の滝津亭に行ふと云。本んに学問せふと思うとさふしたもの。今日の学者は只書ばかりよむこととかぎる。病人藥々と云が、又事によりては藥より合口なものと咄したて氣分がよくなり、食もすすんだと云ことがある。此條、一年半年が立志になると云も面白ひことじゃ。某が兄が京で上下で假り寐して居て、召ますと云と直にかけ出し、夜は手帳を付る。それを律義に心得たのなり。同役はたび々々東山へもゆき、すれば仕方でひまは出來るもの。かまけるとひまは出來ぬもの。此様な筋が立志の手段になると云が、書物讀みの知らぬこと。
【解説】
「也須會擺脫得過、山間坐一年半歲、是做得多少工夫」の説明。本当に学問をしようと思えば何処かへ引っ込みたくなるもの。律儀なだけでは暇を持つことができない。
【通釈】
○「須会」は根岸か山の手の屋敷で、それへ引っ込むことのできるのが須会である。そうすると「多少工夫」である。余程のことができるもの。三宅先生は度々嵯峨へ引っ込もうと言われたそうである。若林の滝津亭に行こうと言った。本当に学問をしようと思えばそうしたもの。今日の学者はただ書を読むこととばかり思う。病人が薬々と言うが、また事によっては薬より合口な者と話をしたので気分がよくなり、食も進むということがある。この条、「一年半年」が立志になると言うのも面白いこと。私の兄が京で裃で仮り寝をしていて、召しますと言われると直に駆け出し、夜は手帳を付ける。それを律儀と心得た。同役は度々東山へも行く。それなら仕方で暇はできるもの。感けると暇はできないもの。この様な筋が立志の手段になると言うのが、書物読みの知らないこと。
【語釈】
・若林…若林強斎。
・滝津亭…
・合口…互いに話の合う間柄であること。また、そういう人。

山間は法外の藥じゃ。これをするで根脚を立得。これをせぬとぐつ々々しておる。それだけ明德がどみてくる。どみるとゆかぬものだ。三宅の門人の内、をもい処へ仕へていそかしいとき、竹原が漢文で吟味事云てやりたれば、忙いから国字にしてよこしてくれと云た。たたい吟味事は漢文がよいものなれども、まぎれると字さへよめぬやふになる。家事に汨没したもの。そこで根脚が立ぬ。魂がたぎらぬぞ。若時に往応事、亦無害。朱子の向の人を過らせぬやうに云はるる。達磨のやうにすることてもないとなり。○爭那裏去。こふするもよほどのちがい、と。○今三五年不相見。呂蒙か士別三日刮目可待。いつまでも子供あしらいにはされぬものと云た。武人ても氣概のあるものは学者でなしとも斯ふぞ。有幾箇三五年耶。人生七十古来稀。三五年立ってのめ々々とした皃でござるはかいないことじゃ、と。
【解説】
「只恁地、也立得箇根脚。若時往應事、亦無害。較之一向在事務裏羇、是爭那裏去。公今三五年不相見、又只恁地悠悠。人生有幾箇三五年耶」の説明。家事に汨没すると、その分だけ明徳が澱む。根脚を立て、時に往き事に応じれば、三五年でよくなる。
【通釈】
山間は法外の薬である。これをするので「立得根脚」。これをしないでぐずぐずしているから、それだけ明徳が澱んで来る。澱むとうまく行かないもの。三宅の門人が重い処へ仕えて忙しい時、竹原が漢文で吟味事を言って遣ると、忙しいから国字にして遣してくれと言った。そもそも吟味事は漢文がよいものなのだが、紛れると字さえ読めない様になる。それは家事に汨没したのである。そこで根脚が立たない。魂が滾らない。「若時往応事、亦無害」。朱子が向こうの人を過らせない様に言われた。達磨の様にすることでもないと言ったのである。○「争那裏去」。こうするのも余程の違いだと言う。○「今三五年不相見」。呂蒙が「士別三日刮目可待」と言った。いつまでも子供あしらいにはされないと言った。武人でも気概のある者は学者でなくてもこうである。「有幾箇三五年耶」。「人生七十古来稀」。三五年経ってものめのめとした顔でいるのは甲斐ないことだと言った。
【語釈】
・竹原…
・士別三日刮目可待…三国志呉書呂蒙。「士別三日、即更刮目相待」。
・人生七十古来稀…杜甫。曲江。「朝囘日日典春衣、毎日江頭盡醉歸。酒債尋常行處有、人生七十古來稀。穿花蝶深深見、點水蜻款款飛。傳語風光共流轉、暫時相賞莫相違」。


凡人謂以多事之條
12
凡人謂以多事廢讀書、或曰氣質不如人者、皆是不責志而已。若有志時、那問他事多、那問他氣質不美。曰事多、質不美者、此言雖若未是太過、然耶此可見其無志、甘於自暴自棄、過孰大焉。眞箇做工夫人、便自不説此話。百十八。耶當作即。
【読み】
凡そ人多事を以て書を讀むを廢すと謂い、或いは氣質は人に如ずと曰うは、皆是れ志を責めざるのみ。若し志有る時は、那ぞ他事多きを問わん、那ぞ他に氣質の美ならざるを問わん。事多、質美なずと曰うは、此の言未だ是れ太だ過ならざるが若しと雖も、然れども即ち此れ其の志無きを見る可く、自暴自棄に甘するを、過ぎ孰か大ならん。眞箇に工夫を做す人は、便ち自ら此の話を説かず。百十八。耶は當に即と作すべし。

これも前条と似たこと。多事は君命も親の命もあるが、学問は云わけをすることではない。旅をするには川留もあるが、それはさきのこと。とふもならぬが、学問は吾方のことなり。商人利に專一だ。一寸としたことでも只は通さぬ。氣質不如人。云い立にはならぬ。大学の序、氣質之禀不齊、知れたことそ。わるいから学問する。病氣だから、医者に向て私は病人でごさると云に及ぬ。氣質がよくない。多事で学問ならぬと云と人の通すことだが、直方先生きびしいことを云た。私も此間学問に怠りましたと云たれば、怠りと云はずと、此間禽獣になりましたと云かよひと云れた。某など若ひ時、行藏と二人がいこふ精出した頃はきついことを云た。
【解説】
「凡人謂以多事廢讀書、或曰氣質不如人者」の説明。学問は自分のこと。多事や気質を言い訳にしてはならない。それを言い訳にするのは禽獣になったと言うのと同じである。
【通釈】
これも前条と似たこと。「多事」には君命も親の命もあるが、学問は言い訳をするものではない。旅をするには川留めもあるが、それは向こうのことでどうにもならないが、学問は自分のこと。商人は利に専一である。一寸したことでもただでは通さない。「気質不如人」。それを言い立てることはならない。大学の序に「気質之稟不斉」とあり、それは知れたこと。悪いから学問をする。病気も、医者に向かって私は病人ですと言うには及ばない。気質がよくない、多事で学問ができないと言えば人は通すが、直方先生は厳しいことを言った。私もこの間学問を怠りましたと言うと、怠りとは言わず、この間禽獣になりましたと言うのがよいと言われた。私などが若い時、行蔵と二人で大層精を出した頃はきついことを言った。
【語釈】
・氣質之禀不齊…大学章句序。「蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟或不能齊、是以不能皆有以知其性之所有而全之也」。

○皆是不責志。云わけしたあとで氣がついて見たれば、ほんにそうで有ったと云のぞ。氣質を直すが学問だに、それは云に及ぬこと。那問他事多、那事多氣質不美。御尤々々と通すは俗人のこと。学者の云わけにはならぬ。云わけをするは志の引立ぬのぞ。○甘於自暴自棄。この四字が孟子だか、人間でこしらへた禽獣の看板だと云こと。学者がそれに甘する筈はない。云わけをきけば尤だか、中をあけて見ると自暴自棄だとなり。これか程子の懈意一成自棄自暴から来たもの。○眞箇做工夫。ほんのものはたのんでもそふしたことは云はぬ。
【解説】
「皆是不責志而已。若有志時、那問他事多、那問他氣質不美。曰事多、質不美者、此言雖若未是太過、然耶此可見其無志、甘於自暴自棄、過孰大焉。眞箇做工夫人、便自不説此話」の説明。言い訳をするのは志が立たたないからである。言い訳をするのは自暴自棄である。
【通釈】
○「皆是不責志」。言い訳をした後で気が付いて見れば、本当にそうだったと言う。気質を直すのが学問だが、それは言うには及ばないこと。「那問他事多、那問他気質不美。曰事多質不美」。御尤もと通すのは俗人のことで、学者の言い訳にはならない。言い訳をするのは志が引き立たたないからである。○「甘於自暴自棄」。この四字は孟子の語だが、人間で拵えた禽獣の看板だということ。学者がそれに甘する筈はない。言い訳を聞けば尤もだか、中を開けて見れば自暴自棄だと言う。これが程子の「懈意一生、自棄自暴」から来たもの。○「真箇做工夫」。本当の者は頼んでもそうしたことは言わない。
【語釈】
・自暴自棄…孟子離婁章句上10。「孟子曰、自暴者不可與有言也。自棄者不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也」。
・懈意一成自棄自暴…近思録為学35。「懈意一生、便是自棄自暴」。


人之血氣固有強弱之条
13
人之血氣、固有強弱。然志氣則無時而衰。苟常持得這志、縱血氣衰極、也不由他。如某而今如此老病衰極、非不知毎日且放晩起以養病。但自是心裏不穩、只交到五更初、目便睡不著了。雖欲勉強睡、然此心已自是箇起來底人、不肯就枕了。以此知。人若能持得這箇志氣、定不會被血氣奪。凡爲血氣所移者、皆是自棄自暴之人耳。百四下同。
【読み】
人の血氣は固より強弱有り。然るに志氣は則ち時として衰えること無し。苟も常に這の志を持ち得ば、縱え血氣衰極するも、也た他に由らず。某が如き而今此の如く老病衰極すとも、毎日且放晩起き以て病を養うを知らざるに非ず。但自ら是れ心裏穩かならず、只五更の初に交到する、目便ち睡り著せず了る。勉強して睡らんと欲すと雖も、然れども此の心已に自ら是れ箇の起來底の人、肯んじて枕に就かず了る。此を以て知る。人若し能く這箇の志氣を持ち得ば、定めて血氣に奪われるを會せず。凡そ血氣の爲に移る所の者は、皆是れ自棄自暴の人のみ。百四下同。

これこそ生れつきがある。殊に医書などてはをし出したことじゃ。隂陽のめりかりで若いと年のよるがある。志氣と云はこちの魂た。これがをとろへてはどふもならぬ。道中で君のかごわきするもの者が、非番日にも足をためそふとてあるくがある。又江戸から在所へつく迠非番日には乘りつめるもある。足に不同のあるは血氣なり。されども主人の供をする処の志かちこうてはならぬ。そこは志氣なり。強弱は云はれぬ。学者も生知学知困知三等有ふとも、人一己十、人十己百と云志氣なればゆかるる。孔子の生知て十有五而志学。此志の字か不踰矩迠つきぬけた。直方先生の立志は砂の上に笹竹立たやふではならぬ。八寸角を五尺ほど掘込んたやうでなくてはと云れた。志と云もくづれたがるもの。時々かき立ることぞ。貧すれば鈍する。尤じゃと云は只の者のこと。学者の志と云ものはさうしたことではない。血氣衰極、不由他。藝と志は別なこと。鎭西八郎も中風しては弓はとれぬ。学者の志は中氣しても相違有ふはづはない。片身きかずとも圣賢にはなる。そこて如某老病衰極。身でしたことを云で人へひびく。朱子程多病なはないが、あの通りぞ。
【解説】
「人之血氣、固有強弱。然志氣則無時而衰。苟常持得這志、縱血氣衰極、也不由他。如某而今如此老病衰極、非不知毎日」の説明。血気には強弱があるが、志気に強弱はない。血気が衰えても志は持ち続けられる。片身が利かなくても聖賢になれる。
【通釈】
これこそ生まれ付きがある。殊に医書などではこれを押し出す。陰陽の甲乙で若い者と年の寄る者がいる。「志気」はこちらの魂である。これが衰えてはどうにもならない。道中で君の駕籠脇をする者には、非番日でも足を試そうとして歩く者がいる。また、江戸から在所に着くまで非番日には乗り詰める者もいる。足に不同のあるのは血気である。しかしながら、主人の供をする処で志が違ってはならない。そこは志気である。強弱は言えない。学者も「生知学知困知」と三等あるが、「人一己十、人十己百」という志気であれば行くことができる。孔子は生知で「十有五而志学」。この志の字で「不踰矩」まで突き抜けた。直方先生が、立志は砂の上に笹竹を立てた様ではならない、八寸角を五尺ほど掘り込んだ様でなくてはならないと言われた。志というのも崩れたがるもの。そこで時々掻き立てるのである。貧すれば鈍する。尤もだと言うのは普通の者のこと。学者の志はそうしたことではない。「血気衰極、不由他」。芸と志は別なこと。鎮西八郎も中風しては弓を扱えない。学者の志は中気しても相違ある筈がない。片身が利かなくても聖賢にはなれる。そこで「如某老病衰極」。身でしたことを言うので人に響く。朱子ほど多病な人はいないが、あの通りである。
【語釈】
・生知学知困知…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之、一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功、一也」。
・人一己十、人十己百…中庸章句20。「人一能之、己百之。人十能之、己千之。果能此道矣。雖愚必明、雖柔必強」。
・十有五而志学…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・鎭西八郎…源為朝。平安末期の武将。為義の八男。豪勇で、射術に長じる。保元の乱には崇徳上皇方につき、敗れて伊豆大島に流罪。のち、工藤茂光の討伐軍と戦って自殺。1139~1170

○且放。まあうちやりて何事もそうしておひてと云こと。秀按、且放[しゃほう]の点、然るべきか、且つは発語の辞、且[しゃ]は漫こと。且如此の且、苟且、姑且のるい。字彙に不定之辞とあり、とふなりとと云意なり。今日初條のも且[しゃ]過てがよかるべし。晩起羪病。但自是心裡不穩。それがよいにしても心もちがよくないと云が、つまり志の通りぬけたこと。子之所愼斉戦疾とをもふてもならぬ。○起来底人。いかさまこのさむいに七十に成て早く起るにも及ぬと寐て見ても、明け七つ過からは起来底の人。寐る方の了簡へ心がゆかぬ。是以知る。これでをれが氣がついた。平日そうしなれた羪いで、どふも寐られぬ。これてみよ。学者が志々と云てもかいないこととみへた。これからもちゆくと、氣質人欲のことても克己のことでも此方の精神しだいじゃ。眼るも欲の中じゃと釋迦の睡欲と云た。たぎらぬ処へ水がさすものぞ。
【解説】
「且放晩起以養病。但自是心裏不穩、只交到五更初、目便睡不著了。雖欲勉強睡、然此心已自是箇起來底人、不肯就枕了。以此知。人若能持得這箇志氣、定不會被血氣奪」の説明。平日し慣れた養いが人にはある。それを放って置くと志が立たない。志は自分の精神次第である。
【通釈】
○「且放」。まあ打っ棄って何事もそうして置いてということ。秀が按ずるに、且放[しゃほう]という点は適当なものだろう。且つは発語の辞で、且[しゃ]は漫すること。且如此の且、苟且、姑且の類。字彙に不定之辞とあり、どうなってもという意である。今日の初条のも且[しゃ]過ちてと読むのがよいだろう。「晩起養病。但自是心裡不穏」。それがよいとしても心持がよくないというのが、つまり志が通り抜けたこと。「子之所慎斉戦疾」と思っても、そうはならない。○「起来底人」。いかにもこの寒い時に七十になって早く起きるにも及ばないと寝て見ても、明け七つ過ぎからは起来底の人である。寝る方の了簡へ心が行かない。「以此知」。これで俺は気が付いた。平日し慣れた養いで、どうも寝られない。これで見なさい。学者が志のことを言っても、それは甲斐ないことと見える。これから持って行けば、気質人欲のことでも克己のことでもこちらの精神次第である。眠るのも欲の中だと、釈迦が睡欲と言った。滾らない処へ水が差すもの。
【語釈】
・子之所愼斉戦疾…論語述而12。「子之所愼、齊、戰、疾」。

体労則伸ん、心労則欠びす。あることだが、親の歒を見たとき欠ひは出ぬはづ。血氣にはゆるやかな処で奪はるるもの。葷酒山門不許入。あれをひくいことと思が高いことだ。南軒集にも止酒と云題がある。重二などもあまり飲むことではない。一つの癖はとゆるされぬことだ。朗吟飛下祝融峯、朱子も濁酒三盃飲んだ。南軒もつれ立た、と。かさにきられぬことぞ。酒は圣人に至るに邪魔になるもの。飲たがるは血氣にうつされたのぞ。禹悪旨酒。盃にむかへばかわる心では、どこで替ろふも知れぬ。重二、南軒集よんてみよ。あれは文字なくてもよめる。葛煎餅ぐわり々々々してよい。替るは酒のときはかりなればよいにしても、万端が暴棄になる。歒に向て替ってはどうもならぬ。あそこへ行けは千石と云てかけこむ。魂がきまらぬ。爰らで靖献遺言めくはわるいやうだか、さきに東漢名節がうけてよい。
【解説】
「凡爲血氣所移者、皆是自棄自暴之人耳」の説明。酒を飲みたがるのは血気に移されたのである。その酒から万端が暴棄になる。
【通釈】
「体労則伸、心労則欠」。これはあることだが、親の敵を見た時に欠伸は出ない筈。血気には緩やかな処で奪われるもの。「葷酒山門不許入」。卑いことと思うが、これが高いこと。南軒集にも止酒という題がある。重二などもあまり飲むものではない。一つの癖はよいとは許されないこと。「朗吟飛下祝融峯」で、朱子も濁酒を三盃飲んだ。南軒も連れ立ったという。笠に着られないこと。酒は聖人に至る邪魔になる。飲みたがるのは血気に移されたのである。「禹悪旨酒」。盃に向かえば変わる心かなでは、何処で変わるかも知れない。重二、南軒集を読んで見なさい。あれは文字を知らなくても読める。葛煎餅の様にがらりがらりとしてよい。変わるのが酒の時だけならよいとしても、万端が暴棄になる。敵に向かって変わってはどうにもならない。あそこへ行けば千石と言って駆け込む。魂が決まらない。ここ等で靖献遺言めくのは悪い様だが、後にある東漢の名節で受けるのでよい。
【語釈】
・葷酒山門不許入…「不許葷酒入山門」。禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。
・重二…中田重次。十二とも言う。博徒であったが、三十歳頃に黙斎に入門。~1798
・朗吟飛下祝融峯…朱子。酔下祝融峯作。「我来萬里駕長風、絶壑層雲許盪胸。濁酒三盃豪気發、朗吟飛下祝融峯」。
・禹悪旨酒…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒、而好善言」。


先生患氣痛脚之条
14
先生患氣痛、脚弱、泄瀉。或勸晩起。曰、某自是不能晩起。雖甚病、纔見光、亦便要起、尋思文字。纔稍晩、便覺似宴安鴆毒、便似箇懶惰底人、心裏便不安。須是早起了、卻覺得心下鬆爽。
【読み】
先生氣痛、脚弱、泄瀉を患う。或るひと晩起を勸む。曰く、某自ら是れ晩起すること能わず。甚だ病むと雖も、纔に光を見れば、亦便ち起きて、文字を尋ね思うを要す。纔に稍晩すれば、便ち宴安鴆毒に似、便ち箇の懶惰底の人に似るを覺え、心裏便ち安んぜず。是れ早起し了るを須って、卻って心下鬆爽を覺得す。

氣痛は心痛のこと。む子の痛むなり。朱子の若いとき心恙と答問にあるが、そのことではない。脚弱は脚氣のことてもない。云へは麻木のるいだ。足のひかれぬきみぞ。朱子を天子も跛跩するを見ると云たこともある。或勧晩起曰云々。懇意な者が云つろう。不能と云は、をれもそう思うがどうもできぬ。晩起はかいしきならぬと云こと。纔見光明則。東しらみと云ころから起て昨日の読かけが見たいと云心になる。稍晩便覚似宴安鴆毒。左傳に管子の云たこと。宴安、わるいこともないやうだか、朱子の胸虫がわるい。朝寐が班猫砒霜のやうに思はるる。懶惰底。下まへさがり。一日巨燵にあたりておる底な人なり。それに似たと云はるるか、非人穢夛に似たと云はるるやふじゃとなり。三宅先生など不断ぎり々々りきんでをられた。小奴が尾の端折やうかわるくても合点せぬ。くいとかたげよ々々々々と云た、と。いくら医者が云ても、温飩の合ぬ腹な人そ。皆の異見を無にして早をきする、と。
【解説】
朱子が病気に対して、懇意の者が晩起を勧めた。朱子は、朝寝が班猫や砒霜の様に思えるから、それはできないと言った。
【通釈】
「気痛」は心痛のこと。胸が痛むのである。朱子の若い時に心恙と答問にあるが、そのことではない。「脚弱」は脚気のことでもない。言えば麻木の類である。足を曳けない気味のこと。天子も朱子が跛跩するの見たと言ったこともある。「或勧晩起曰云々」。懇意な者が言った。「不能」とは、俺もそう思うがどうもできない。晩起は全くできないということ。「纔見光」。東が白むという頃から起きて昨日の読み掛けが見たいという心になる。「稍晩便覚似宴安鴆毒」。左伝で管子が言ったこと。宴安は、悪いことでもない様だが、朱子の胸虫が悪い。朝寝が班猫や砒霜の様に思われる。「懶惰底」。下前下がりで一日中炬燵にあたっている底の人。それに似ていると言われるのが、非人や穢多に似ていると言われる様だと言う。三宅先生などは断えずぎりぎりに力んでおられた。小奴が尾の端の折り様が悪くても合点しない。ぐいと担げろと言ったそうである。いくら医者が言っても、饂飩の合わない腹の人である。皆の異見を無にして早起きをすると言う。
【語釈】
・左傳に管子の云た…春秋左伝閔公。「狄人伐邢。管敬仲言於齊侯曰、戎狄豺狼、不可厭也。諸夏親暱、不可棄也。宴安酖毒、不可懷也」。
・穢夛…中世・近世の賤民身分の一。牛馬の死体処理などに従事し、罪人の逮捕・処刑にも使役された。江戸幕藩体制下では、非人とともに士農工商より下位の身分に固定、一般に居住地や職業を制限され、皮革業に関与する者が多かった。

鬆爽は心もちがさっぱりとしてよいとなり。鬆は乱髪と云ことだが、わるく心得て、乱はむつれたことと見てはわるい。女の髪をすいて下へさらりとしたへさかりた底なこと。髪をすけば心よいもの。皆寐よ々々と云が、起ると心もちがよいとなり。これらなんのこともない條のやうだか、これか玉しひへの鞭策だ。古より弱い垩賢はない。自身がぶら々々してはをらぬ。爰らを、弟子を引立る爲め朱子の斯ふ云はれたなどと見とちごう。自身斯ふ云引立ちでなくて中々得らるることてはない。諸子以爲如何。
【解説】
皆が寝ろと言うが、起きると心持がよい。ここは弟子を引き立てるために言ったのではなく、自分に対して言ったことである。
【通釈】
「鬆爽」は心持がさっぱりとしてよいということ。鬆は乱髪ということだが、悪く心得て、乱は縺れたことと見ては悪い。女の髪を梳いて下へさらりと下がった底のこと。髪を梳けば心よいもの。皆寝ろ寝ろと言うが、起きると心持がよいと言う。これが何のこともない条の様だが、これが魂への鞭策である。古より弱い聖賢はいない。自身がぶらぶらしてはいない。ここ等を、弟子を引き立てるために朱子がこう言われたなどと見ると違う。自身がこの様な引き立てでなくては中々得られることではない。諸子以て如何と為さん。

講後先生謂二村氏曰、垩人の謙徳と云た処あるが、謙退は重宝なものと云てするとどうもならぬことだ。誠からの謙でなければならぬ。そこが德の字ぞ。謙はどこてもはつれはない、仕あてることと云てすると、胡廣か中庸や郷愿と云になる。易て謙の卦斗り凶、无咎の字ないとよいと云てすると、伯者假仁義になる。いくら結搆なものても假ると云ことてはわるい。謙の字を使い覚て調法なよいことにすると、心術の大害になることなり。
【解説】
謙退は重宝なものだと言ってすると心術の大害となる。誠からするのである。
【通釈】
講後先生が二村氏に言った。聖人を謙徳と言った処があるが、謙退は重宝なものと言ってするとどうにもならない。誠からの謙でなければならない。そこが徳の字のこと。謙は何処でも外れはない、仕当てることだと言ってすると、胡広の中庸や郷愿ということになる。易で謙の卦に凶や无咎の字がないからよいと言ってすると、「伯者仮仁義」になる。いくら結構なものでも仮りるというのが悪い。謙の字を使い覚えて調法なよいことだとすると、心術の大害になる。
【語釈】
・胡廣…字は伯始。安帝のとき、孝廉に推挙された。尚書郎を経て、司空・司徒・太尉を歴任した。
・伯者假仁義…