或問條  十月二十一日  文録
【語釈】
・十月二十一日…寛政5年(1893)10月21日。十は七ではないか?7月21日?
・文…林潜斎。花沢文次。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

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或問、大學之道、吾子以爲大人之學、何也。曰、此對小子之學言之也。曰、敢問、其爲小子之學、何也。曰、愚於序文已略陳之、而古法之宜於今者亦既輯而爲書矣。學者不可以不之考也。曰、吾聞、君子務其遠者大者、小人務其近者小者。今子方將語人以大學之道、而又欲其考乎小學之書、何也。曰、學之大小固有不同。然其爲道則一而已。是以方其幼也。不習之於小學、則無以收其放心、養其德性、而爲大學之基本。及其長也、不進之於大學、則無以察夫義理、措諸事業、而收小學之成功。是則學之大小所以不同、特以少長所習之異宜、而有高下淺深先後緩急之殊。非若古今之辨、義理之分判然、如薫蕕氷炭之相反而不可以相入也。今使幼學之士、必先有以自盡乎洒掃應對進退之間、禮樂射御書數之習、俟其既長、而後進乎明德新民以止於至善。是乃次第之當然、又何爲而不可哉。曰、幼學之士、以子之言而得循序漸進以免於躐等陵節之病、則誠幸矣。若其年之既長而不及乎此者、欲反從事於小學、則恐其不免於扞格不勝勤苦難成之患、欲直從事於大學、則又恐其失序無本、而不能以自達也。則如之何。曰、是其歳月之已逝者、則固不可得而復追矣。若其工夫之次第條目、則豈遂不可得而復補耶。蓋吾聞之、敬之一字聖學所以成始而成終者也。爲小學者不由乎此、固無以涵養本源而謹夫洒掃應對進退之節與夫六藝之敎。爲大學者不由乎此、亦無以開發聦明進德脩業而致夫明德新民之功也。是以程子發明格物之道、而必以是爲説焉。不幸過時而後、學者誠能用力於此以進乎大、而不害兼補乎其小、則其所以進者、將不患於無本而不能以自達矣。其或摧頽已甚而不足以有所兼、則其所以固其肌膚之會筋骸之束、而養其良知良能之本者、亦可以得之於此、而不患其失之於前也。顧以七年之病而求三年之艾、非百倍其功不足以致之。若徒歸咎於既往而所以補之後者、又不能以自力、則吾見其扞格謹苦日有甚焉、而心身顚倒眩瞀迷惑終無以爲致知力行之地矣。况欲有以及乎天下國下也哉。曰、然則所謂敬者又若何而用力耶。曰、程子於此嘗以主一無適言之矣、嘗以整齊嚴肅言之矣。至其門人謝氏之説、則又有所謂常惺惺法者焉。尹氏之説、則又有所謂其心收歛不容一物者焉。觀是數説足以見其用力之方矣。曰、敬之所以爲學之始者、然矣。其所以爲學之終也奈何。曰、敬者一心之主宰而萬事之本根也。知其所以用力之方、則知小學之不能無頼於此以爲始、知小學之□此以始、則夫大學之不能無頼乎此以爲終者、可以一以貫之而無疑矣。蓋此心既立、由是格物致知以盡事物之理、則所謂尊德性而道問學。由是誠意正心以脩其身、則所謂先立其大者而小者不能奪。由是齊家治國以及乎天下、則所謂脩己以安百姓。篤恭而天下平。是皆未始一日而離乎敬也。然則敬之一字、豈非聖學始終之要也哉。大學或問。
【読み】
或るひと問う、大學の道、吾子以て大人の學と爲す、何ぞや。曰く、此れ小子の學に對して之を言うなり。曰く、敢えて問う、其の小子の學爲るは、何ぞや。曰く、愚序文に於て已に略之を陳べ、古法の今に宜しき者も亦既に輯めて書と爲す。學者以て之を考せざる可からず。曰く、吾聞く、君子は其の遠き者大なる者を務め、小人は其の近き者小なる者を務む、と。今子方に人に語るに大學の道を以てせんとするを將って、又其れ小學の書に考するを欲す、何ぞや。曰く、學の大小固より同じからざる有り。然るに其れ道爲るは則ち一のみ。是れ以て其の幼に方てなり。之を小學に習わざれば、則ち以て其の放心を收め、其の德性を養いて、大學の基本に爲ること無し。其の長に及ぶや、之を大學に進めざれば、則ち以て夫の義理を察し、諸を事業に措きて、小學の成功を收むること無し。是れ則ち學の大小以て同じからざる所は、特に少長習う所の宜きを異にするを以てして、高下淺深先後緩急の殊有るなり。古今の辨、義理の分の判然たる、薫蕕氷炭の相反して以て相入る可からざるが如きが若きに非ざるなり。今幼學の士、必ず先ず以て自ら洒掃應對進退の間、禮樂射御書數の習に盡すこと有り、其れ既に長ずるを俟ちて、而る後に德を明にし民を新にし以て至善に止まるに進ましむ。是れ乃ち次第の當然、又何と爲して可ならざらんや。曰く、幼學の士、子の言を以て序に循い漸進して以て等を躐え節を陵ぐの病に免るるを得ば、則ち誠幸なり。若し其れ年之れ既に長じて此に及ばざる者、反りて事うるに小學に從わんと欲せば、則ち恐らくは其れ扞格勝えず、勤苦成し難きの患いに免れず、直に事うるに大學に從わんと欲せば、則ち又恐らくは其れ序を失い本無くして、以て自ら達すること能わざるなり。則ち之を如何。曰く、是れ其の歳月の已に逝く者は、則ち固より得て復た追う可からず。其れ工夫の次第條目の若きは、則ち豈遂に得て復た補う可けんや。蓋し吾れ之を聞く、敬の一字は聖學以て始を成して終わりを成す者なり。小學を爲むる者、此に由らざれば、固より以て本源を涵養して夫れ洒掃應對進退の節と夫れ六藝の敎を謹しむこと無し。大學を爲むる者、此に由らざれば、亦以て聦明を開發し德を進め業を脩めて夫れ明德新民之功を致すこと無し。是を以て程子格物の道を發明して、必ず是を以て説を爲す。不幸に時を過ぎて後、學者誠に能く力を此に用いて以て大に進めて、其の小を兼補するを害さざれば、則ち其の以て進む所の者、將に本無くして以て自ら達すること能わざるに患わん。其れ或いは摧頽已に甚しくして以て兼ねる所有るに足らざれば、則ち其れ以て其の肌膚の會筋骸の束を固くして、其の良知良能の本を養う所の者も、亦以て之を此に得る可くして、其れ之を前に失うを患わず。顧みるに七年の病を以て三年の艾を求め、其の功を百倍にするに非ざれば以て之を致すに足らず。若し徒に咎を既往に歸して以て之を後に補う者も、又以て自ら力むこと能わず、則ち吾れ其の扞格謹苦日に甚だしき有りて、心身顚倒眩瞀迷惑終に以て致知力行の地と爲すこと無きを見る。况や以て天下國下に及ぼすこと有らんと欲するをや。曰く、然れば則ち謂う所の敬は又若何にして力を用いんや。曰、程子此に於て嘗て主一無適を以て之を言い、嘗て整齊嚴肅を以て之を言う。其の門人謝氏の説に至りては、則ち又謂う所の常惺惺の法なる者有り。尹氏の説は、則ち又謂う所の其の心を收歛し一物も容れざる者有り。是の數説を觀れば以て其の力を用いるの方を見るに足る。曰く、敬の以て學の始めを爲す所の者は然り。其の以て學の終わりを爲すや奈何。曰く、敬は一心の主宰にして萬事の本根なり。其の以て力を用いるの方を知れば、則ち小學の此に頼りて以て始めを爲すこと無きこと能わざるを知り、小學の□此に以て始めを知れば、則ち夫れ大學の此に頼りて以て終わりを爲すこと無きこと能わざる者、以て一以て之を貫ぬきて疑う無かる可し。蓋し此の心既に立ち、是に由りて物に格り知を致し以て事物の理を盡せば、則ち謂う所の德性を尊びて問學に道る。是に由りて意を誠にし心を正し以て其の身を脩めば、則ち謂う所の先ず其の大なる者を立てて小なる者奪うこと能わず。是に由りて家を齊え國を治め以て天下に及べば、則ち謂う所の己を脩め以て百姓を安んず。篤恭して天下平なり。是れ皆未だ始めより一日として敬に離れざるなり。然れば則ち敬の一字、豈聖學始終の要に非ざるや。大學或問。

先つ鞭策録の開巻よりこれ迠は立志なり。立志とて別に志を立るでなく、性善明德へ志を立ること。ここが大ぶ大切なり。大学の明德も孟子の性善も同こと。明德と性善の初へ志を立ることなれば、遠くつかまへさわぐことでなけれども、志はするどでなければならぬ。直方のするどなことを集め、人の胸中をさぐり々々々毒をはかせるなり。それゆへ立志の中には吝嗇のことも好色のこともいろ々々むさいことあるが、それを吐き出させ子ばならぬ。直方の迂斉へ山帰萊で毒を吐せるとなり。人がいなことで瘡毒は瘡毒と云へばよいに、濕じゃの吹出がしたのと名を付るが、学者も志が立子ばそれそ。それゆへ立志の中、段々つよくして東漢の名節迠も出せり。あれは靖献遺言めいて荒々しいことなれども、志を立るにはこの方の調法になることなり。それから又段々かたりて、朝聞道なり。これが手短な爰へ來ることと、立志のつまり処を一寸見せたこと。道学標的にも始に朝聞道を出されたが、あれを纏にしてかかること。それであれを今爰でこまかに功夫することでなく、朝聞道でなければならぬと立志を結んだものぞ。
【解説】
今までは立志のことで、それは性善明徳へ志を立てること。立志の最後に朝聞道を出したが、それは朝聞道でなければ立志にはならないということ。
【通釈】
先ず鞭策録の開巻からこれまでは立志のこと。立志と言っても別に志を立てることではなく、性善明徳へ志を立てること。ここが大分大切なこと。大学の明徳も孟子の性善も同じこと。明徳と性善の始めが志を立てることであり、遠くを掴まえて騒ぐことでないが、志は鋭くなければならない。直方が鋭いことを集め、人の胸中を探って毒を吐かせたのである。そこで、立志の中には吝嗇のことも好色のことも色々と卑しいこともあるが、それを吐き出させなければならない。直方が、迂斎に山帰来で毒を吐かせると言った。人は可笑しいもので、瘡毒は瘡毒と言えばよいのに、湿だの吹き出がしたのと名を付けるが、学者も志が立たなければこれ。そこで立志の中で、段々強くして東漢の名節までをも出した。あれは靖献遺言めいて荒々しいものだが、志を立てるにはこちらの調法になること。それからまた段々と語って、朝聞道である。これが手短にここへ来ることだと、立志の詰まり処を一寸見せた。道学標的でも始めに朝聞道を出されたが、それはあれを纏にして掛かるということ。それで、あれを今ここで細かに功夫するということではなく、朝聞道でなければならないと立志を結んだのである。

さてこの條からは操存也。古の大学小学を出して手厚いことなり。時に立志でも操存でも手厚い大小学を見せ子ばならぬ。又これは学問全体を云て、大小学は此編の株のやうに聞ゆるなれども、そふではなく、ここが操存なり。これを近思録で云へば、存養のことなり。志が立ても操存ないとただあがいてさわぐゆへ、操存でなければならぬ。立志も操存で我ものにすることなり。浅見先生の序文にも靡不有初鮮克有終と云。知惠も行も立た志でなければならぬが、それが操存で吾ものになら子ば貧子宝珠なり。そこで立志のあとへ操存也。立志は奴、操存はしっとり々々々々と上品に來る。この藥と云てからは酒でも美味ても絶つ。そこで操存がかたくなければ藥もやられぬ。歸脾湯や地黄丸をしっとり々々々々となめる。それを一口なめて最ふきかふでない。五臟へしみて利くやうにする。そこで操存が鞭策録の全体にあづかることなり。
【解説】
これからは操存のことであり、近思録で言う存養である。立志を操存で自分のものにする。それはしっとりとするもの。
【通釈】
さてこの条からは操存である。古の大学小学を出して手厚いことである。時に立志でも操存でも手厚い大小学を見せなければならない。また、これは学問全体を言い、大小学はこの編の株のやうに聞こえるが、そうではなく、ここが操存である。これを近思録で言えば存養のこと。志が立っても操存がないとただ足掻いて騒ぐだけなので、操存でなければならない。立志も操存で自分のものにするのである。浅見先生の序文にも「靡不有初、鮮克有終」とある。知恵も行も立った志でなければならないが、それが操存で自分のものにならなければ貧子宝珠である。そこで立志のあとへ操存である。立志は奴、操存はしっとりと上品に来る。この薬があれば酒でも美味でも絶つ。そこで操存が固くなければ薬も遣れない。歸脾湯や地黄丸をしっとりと舐める。それを一口舐めてもう効くだろうと言うことではない。五臓に染みて効く様にする。そこで操存が鞭策録の全体に与ることなのである。

○或問、大学之道、吾子以爲大人之学、何也。或人が大学と云はことの外重いこと、至善と心得てをるに、唯をとなの学とは手軽に云やふで手もないことのやふに思はるるが、何ゆへ大人之学と云ぞと問也。○曰、此對小子之学言之也。大学は至善をあたまへ着て尊崇するに、大人之学と大小に對して手がるいやふじゃと云は、大学題下今讀如字のことなり。この手軽く云が却て手重いことなり。○曰、敢問、其爲小子之學、何也。大学は礼記の中にありて、天下国家を治る書と聞たが、小子之学と對すると云ことは初て聞たとなり。そこで小子の学を聞たいなり。
【解説】
「或問、大學之道、吾子以爲大人之學、何也。曰、此對小子之學言之也。曰、敢問、其爲小子之學、何也」の説明。大学は大人の学と、小子に対して言うのが却って重いこと。
【通釈】
○「或問、大学之道、吾子以為大人之学、何也」。或る人が大学は殊の外重いことで至善のことだと心得ていたのに、ただ大人の学と言うのは手軽に言う様で、簡単なことの様に思われるが、何故大人の学と言うのかとの問いである。○「曰、此対小子之学言之也」。大学は至善を上に置いて尊崇するものなのに、大人の学と大小に対するのは手軽い様だと言うのは、大学題下の「今読如字」のことである。この様に手軽く言うのが却って手重いこと。○「曰、敢問、其為小子之学、何也」。大学は礼記の中にあって、天下国家を治める書だと聞いたが、小子の学と対するとは初めて聞いた。そこで小子の学を聞きたいと言った。
【語釈】
・今讀如字…大学題下。「大、舊音泰。今讀如字」。

○愚於序文已畧陳之、而古法之宜於今者亦既輯而爲書矣。学者不可以不之考也。序文は大学章句の序を云。即ち曲礼少儀内則弟子職のことが、小子の学の有たはたしかなり。大学の序文では朱子の畧々言はれたが、小学の書には、古法之宜於今者をあつめてあの一書をつくられたなり。元来朱子の一書を編むと手かるいことは御きらいなれども、それでなければ大学が動かぬからなり。朱子を道統の傳と云も王佐の才と云も、小学の書のことなり。程子は小学の書とはまた手がとどかなんだ。朱子の大学の註をなされても、小学をえらみて大学と合はせ子ば大学の羽翼がない。あれでなければ大学ははたらかれぬ。学者不可以不之考。これが朱子の手づよい云はれやうなり。不可以不之考は小学計りのことでなく、大学を云ことにて、大学を見るなら小学を見よなり。垩人の学は大学。朱子の大学を眞に知た規摸は小学の書でなければ知れぬ。必竟が小学を根にせ子ば大学はならぬ。今日の人、大学をば読が、小学はふせう々々々にする。それで幼立ゆへ是非なく小学、大人へはなんでも大学を讀と云が可笑い。
【解説】
「曰、愚於序文已略陳之、而古法之宜於今者亦既輯而爲書矣。學者不可以不之考也」の説明。小学がなければ大学が働かない。そこにまだ程子は手が届かなかった。聖人の学は大学だが、その規摸は小学を根にしなければわからない。
【通釈】
○「愚於序文已略陳之、而古法之宜於今者亦既輯而爲書矣。学者不可以不之考也」。序文は大学章句の序を言う。即ち曲礼少儀内則弟子職のことで、小子の学のあったのは確かなこと。大学の序文で朱子が略々言われたが、小学の書は、古法の今に宜しい者を集めてあの一書を作られたのである。元来朱子は一書を編むという手軽いことは御嫌いだが、それでなければ大学が動かないから作ったのである。朱子を道統の伝と言うのも王佐の才と言うのも小学の書のこと。程子は小学の書とは思わず、まだ手が届かなかった。朱子が大学の註をなされても、小学を選んで大学と合わせなければ大学の羽翼がない。あれでなければ大学はは働かない。「学者不可以不之考」。これが朱子の手強い言われ様である。不可以不之考は小学だけのことではなく、大学を言ったことで、大学を見るなら小学を見よということ。聖人の学は大学で、朱子の大学を真に知った規摸は小学の書でなければわからない。畢竟、小学を根にしなければ大学はならない。今日の人は大学を読むが、小学は不承不承にする。それで、幼立なので是非もなく小学、大人へは何でも大学を読ませると言うのが可笑しいこと。

さ□、周子御手前の圖説を斯其至矣と云。朱子も御手前の小学を出して学者不可以不之考と、これが道を任してのこと。ここは大切に聞べし。曲学の徒が朱子の小學を孔門之王莽とそしりて其書を板にし、三ヶ津へ出してあれども、天下の御慈悲と林家の寛仁で罪を免るるならん。周礼に周公の造言之刑あるも、あのやうなものを罰すること。あの書も太宰が斥非も其分に罪を免るるは、今云御慈悲深いと寛仁大度からなり。これも面白ひことで、世話に人の口に戸が立られぬと云。あのやふな者どもは百家衆枝の流ゆへ、この方の挌物致知の害にもならぬで辨せずともすみて、邪魔にもならぬことゆへすてて置てもよいものなり。
【解説】
朱子が「学者不可以不之考」と言ったのは道を任じてのこと。曲学の徒は小学を作った朱子を孔門の王莽だと言ったが、彼等は天下の御慈悲と林家の寛仁で罪を免れているのである。
【通釈】
さて、周子御自身の図説を「斯其至矣」と言った。朱子も御自身の小学を出して「学者不可以不之考」と言った。これが道を任じてのこと。ここは大切に聞きなさい。曲学の徒が朱子の小学を孔門の王莽だと謗ってその書を板にして、三箇都へ出してあるが、天下の御慈悲と林家の寛仁で罪を免れているのだろう。周礼に周公の「造言之刑」あるのも、あの様な者を罰するため。あの書も太宰春台の斥非もそのまま罪を免れるのは、今言う御慈悲深いのと寛仁大度からである。これも面白いことで、世話に人の口に戸は立てられないと言う。あの様な者共は百家衆枝の流れなので、こちらの格物致知の害にもならないので弁じなくても済み、邪魔にもならないので捨てて置いてもよいのである。
【語釈】
・斯其至矣…近思録道体1。太極図説。「大哉易也、斯其至矣」。
・三ヶ津…三箇都。江戸時代、京都・江戸・大坂の総称。
・造言之刑…周礼地官司徒。「以鄕八刑糾萬民。一曰不孝之刑、二曰不睦之刑、三曰不姻之刑、四曰不弟之刑、五曰不任之刑、六曰不恤之刑、七曰造言之刑、八曰亂民之刑」。

○吾聞、君子務其遠者大者、小人務其近者小者。直方の、大学或問は打太刀も請け太刀もよい、それしゃゆへとなり。いかさま朱子の自問自答ゆへ釘が利くぞ。遠大は明德性善なり。大本達道をつとめると其外のことは將棊だをしなり。近物小者は一寸した家内の接のことや日月の間の事で、わるさなければとがめもない。只今百姓の云、御年貢出せばよいと云のなり。これ小なる者也。天地廣いことゆへ、大勢のものどもそれでもすむなり。今子方將語人以大学之道、而又欲其考乎小学之書、何也。大学は天下国家を治る大人のことで、つっかけ侍従であるべきに、それに又小学の書を合せるは功夫の跡もどりするやうぢゃと、よい問やうなり。
【解説】
「曰、吾聞、君子務其遠者大者、小人務其近者小者。今子方將語人以大學之道、而又欲其考乎小學之書、何也」の説明。大学は天下国家を治める大人だが、日常卑近なことを務めることを言う小学をそれに合わせるのは後戻りをする様だと或る人が問うた。
【通釈】
○「吾聞、君子務其遠者大者、小人務其近者小者」。直方が、大学或問は打太刀も受太刀もよい、それだからよいと言った。いかにも朱子の自問自答なので釘が利く。「遠大」は明徳性善である。大本の達道を務めるとその外のことは将棋倒しになる。「近物小者」は一寸した家内の接のことや日月の間の事で、悪さがなければ咎めもない。只今百姓の言う、御年貢出せばよいということ。これが小なる者である。天地は広いので、大勢の者共はそれで済む。「今子方將語人以大学之道、而又欲其考乎小学之書、何也」。大学は天下国家を治める大人のことで、突っ掛け侍従であるべきなのに、それなのにまた小学の書を合わせるのは功夫の後戻りをする様だと言った。よい問い様である。

○さればそふじゃ。曰、學之大小固有不同。然其爲道則一而已。某学問の大小を一つには申さぬ。固より大学挍小学挍ありて不同は知れてをれども、其爲道則一而已。此からだを建立すると云に二つはない。小児が初手は乳を飲み、這ふ時からは粥などやわらかな物も食ひ、それから大人になるとあら々々しい物迠食ふが、食ふ道は一也。小児の内は茶の給仕、それから弓馬、それから道理を得ると奉公もする。皆年ゆへ違ひはあれども、道でない処はない。一なり。そこを中庸で費而隱と云。されども中が一とて教は一を推てはゆかれぬ。
【解説】
「曰、學之大小固有不同。然其爲道則一而已」の説明。学問の大小は一つではなく、年によって違いはあるが、道は一つである。
【通釈】
○そこでである。「曰、学之大小固有不同。然其為道則一而已」。私も学問の大小を一つだとは言わない。固より大学校と小学校があって不同なのは知れたことだが、「其為道則一而已」。この体を建立するには二通りはない。小児が初手は乳を飲み、這う時からは粥など柔らかな物も食い、それから大人になると荒々しい物まで食うが、食う道は一である。小児の内は茶の給仕、それから弓馬、それから道理を得ると奉公もする。皆年で違いはあるが、道でない処はない。一である。そこを中庸で「費而隠」と言う。しかしながら。中が一でも教えは一を推してはうまく行かない。
【語釈】
・費而隱…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉」。

是以方其幼也。不習之於小学、則無以收其放心、養其德性、而爲大學之基本。八才になれば小学挍へ入ると云が、まだほうづきや紙鳶をあげる時じゃ。早かろふと云にはや小学挍で行義教ると云が圣人の思召深いことなり。收其放心養其德性は、これは此方てあとからまはりて云こと。小児に云てはかたから知らぬことぞ。小学は父命呼唯而不諾の小者捧槃のと皆しとやかなこと也。朱子後世に生れても、蒙養集にある灰のこと呵るでも、小児を安祥恭敬に仕こむゆへぞ。灰をこぼし茶をこぼしたとて子とものこと、左のみ咎にもならぬが、それをすてておくと後の大事を預るときの爲にわるい。そこでじりんからする也。大工が家を建るに土臺のときから少し曲てもすててをかぬ。じりんが大切ゆへぞ。
【解説】
「是以方其幼也。不習之於小學、則無以收其放心、養其德性、而爲大學之基本」の説明。八歳で小学校へ入るのは早い様だが、この時から行儀を教えるのが聖人の思し召しである。初めのところを放って置くと後の大事のために悪い。初めが大切である。
【通釈】
「是以方其幼也。不習之於小学、則無以収其放心、養其徳性、而為大学之基本」。八歳になれば小学校へ入るというが、まだほおずきや凧を揚げる時であり、早過ぎるだろうと言う。しかし、早くも小学校で行儀を教えると言うのが聖人の思し召しの深いところ。「収其放心養其徳性」は、こちらで後から回って言ったこと。小児にこれを言っても何もわからない。小学は「父命呼唯而不諾」や「小者奉槃」と、皆淑やかなこと。朱子が後世に生まれ、蒙養集にある灰のことを呵るのも、小児を安祥恭敬に仕込むためである。灰をこぼし茶をこぼしたとしても子供のこと、それほど咎にもならないが、それを放って置くと後の大事を預るときのために悪い。そこで基礎からするのである。大工が家を建てるのに土台の時から少し曲ても放って置かない。基礎が大切だからである。
【語釈】
・父命呼唯而不諾…礼記玉藻。小学内篇明倫。「父命呼、唯而不諾。手執業則投之、食在口則吐之、走而不趨」。
・小者捧槃…礼記内則。「進盥、少者奉槃、長者奉水」。

避咡詔掩口而對の糞之礼以袂抱而退のと、小児相応になること。それをまだいじるはわるかろふなどと云が、なることゆへ自然と太義にも思はぬ。そこで心が放たぬ。大名歴々の子は御いとしなげに御病氣にもなろふなどと云が、それで病氣にはならぬもの。いかさま仕こみで違ふは歴々と軽いものの子が、歴々は朔望などの儀式で自然と行儀よくなり、それからして心が放たぬ。軽いものの子は不行儀に成長すれば心があら々々しくなり、德性が養はれぬ。軽いものの子が麁相で柱へ我天窓を打つけ、其かへしを握り挙で柱を打たり、嚏をしては□け目と云かへす。そこで何事も荒々しくなる。そこを小学で事の上で、放心を收むるとも知らずによくなり、德性を養ふと知らずに養はれる。先軰の云、桑名の夜舩なり。大学至善の下地になることを先つ茶の給仕のときにさする。
【解説】
小学では、小児でもできることをする。そこでそれをするのが大儀だとも思わない。放心を収めるとも知らずによくなり、徳性を養うとも知らずに養われるのである。
【通釈】
「避咡詔掩口而対」の「糞之礼以袂抱而退」のと、小児の相応になること。それをまだ弄るのは悪いだろうなどと言うが、できることなので自然と大儀にも思わない。そこで心が放たない。大名歴々の子では御気の毒に御病気にもなるだろうなどと言うが、それで病気にはならないもの。いかにも仕込みで違って来るというのは、歴々と軽い者の子で、歴々は朔望などの儀式で自然と行儀がよくなり、それからして心が放たない。軽い者の子は不行儀に成長するので心が荒々しくなり、徳性が養われない。軽い者の子が粗相で柱に自分の頭を打ちつけ、そのお返しに握り挙で柱を打ったり、嚏をしては□け目と言い返す。そこで何事も荒々しくなる。そこを小学で事の上で教えると、放心を収めるとも知らずによくなり、徳性を養うとも知らずに養われる。先輩の言う、桑名の夜船である。大学至善の下地になることを先ず茶の給仕の時にさせる。
【語釈】
・避咡詔掩口而對…礼記曲礼上。「幼子常視毋誑。童子不衣裘裳。立必正方、不傾聽。長者與之提攜、則兩手奉長者之手、負劍辟咡詔之、則掩口而對」。
・糞之礼以袂抱而退…礼記曲礼上。「凡爲長者糞之禮、必加帚於箕上、以袂拘而退」。
・桑名の夜舩…桑名の七里の渡し。東海道は尾張の熱田から伊勢の桑名までの七里を船で渡る。これを「七里の渡し」と言う。夜の間に熱田から桑名に到ること?

○及其人也、不進之於大学、則無以察夫義理、措諸事業、而収小学之成功。上はみがきかないと公家の子の行義よくても庶人の子の不行義なと同じく文盲なり。公家も百姓も行義違ふのみにて、道理の吟味は同ことなり。時にこの明明德の明が挌致へもまわり誠正の字へもまはりて道理も心もみがいて義理を察するなり。挌致ばかりで云と事業にならぬ。挌致して誠正をふりかへることなり。措諸事業は骨は折れぬ。我身に對して親や兄でも皆新民の民ぞ。この身をのけてのものは皆民なり。そこで我方の挌致誠正して家内も国天下のことも事業に措くなり。ここが小大学両方の持合にて、小学なしの大学、大学なしの小学はならぬ。山崎先生蒙養啓発合せての序が俗学の知らぬこと。二書合せて序を書と云ことは先例になけれども、これが小学に習はざれは大学の基本なく、大学に進めざれは小学の成功を収ることなしと、両がけにして片々でないゆへ、あの序も蒙養啓発の序と書したものなり。あれらは人の氣の付ぬこと。分外に深意あることなり。ここか大小学持合で片々でないを二句で云が、さるによって土藏でもよい。土藏を立るにはたてるほど地業の物入がかかる。小学の事業に物を入れ子ば大学はならぬ。
【解説】
「及其長也、不進之於大學、則無以察夫義理、措諸事業、而收小學之成功」の説明。公家も百姓も道理の吟味は同じである。自分が格致誠正して、家内も国天下のことも事業として措く。
【通釈】
○「及其人也、不進之於大学、則無以察夫義理、措諸事業、而収小学之成功」。上磨きがないと、公家の子が行義がよくても、それは庶人の子の不行儀なのと同じく文盲である。公家も百姓も行儀が違うだけで、道理の吟味は同じことである。時にこの「明明徳」の明が格致へも回り誠正の字へも回って、道理も心も磨いて義理を察するのである。格致ばかりで言うと事業にならない。格致をして誠正を振り返るのである。「措諸事業」は骨は折れない。我が身に対し、親や兄も皆新民の民である。この身を除けて者は皆民である。そこで自分が格致誠正して、家内も国天下のことも事業に措く。ここが小大学両方の持ち合いで、小学なしの大学、大学なしの小学はならない。山崎先生の蒙養啓発を合わせての序が俗学の知らないこと。二書合わせて序を書くということは先例にはないが、これが小学を習わなけば大学の基本はなく、大学に進めなければ小学の成功を収めることがないというのと同じく、両掛けにして片々でないので、あの序も蒙養啓発の序と書したもの。あれ等は人の気が付かないことで、分外に深意のあること。ここは大小学持ち合わせで片々でないことを二句で言ったことだが、それは土蔵で言ってもよい。土蔵を建てるには、建てるほど地業の物入りが掛かる。小学の事業に物を入れなければ大学はならない。
【語釈】
・明明德…大学章句1。「大學之道在明明德、在親民、在止於至善」。

是則学之大小所以不同、特以少長所習之異宜、而有高下浅深先後緩急之殊。大小学の違ふは少長所習の違にて、迂斉の、学に二つはないが、小学もどちもみがくことなれども、これは次第はなくて叶はぬ。佛法は高下浅深前後緩急がないゆへ無星の秤、無寸の尺なり。自然の教には前後緩急があるなり。さて又小学から大学と役替のやうに思ふがそふでない。既に小学の書にも七十致事とありて、人間一生を見せてある。大舜の五十而父母をしとふと云も、一生小学なりをして五十迠しとふなり。高下浅深緩急はあれども、小学ははなれぬ。
【解説】
「是則學之大小所以不同、特以少長所習之異宜、而有高下淺深先後緩急之殊」の説明。学は一つだが、次第がある。自然の教えには前後緩急がある。幼年に小学を学び、それを大学まで持ち続けるのである。
【通釈】
「是則学之大小所以不同、特以少長所習之異宜、而有高下浅深先後緩急之殊」。大小学の違いは「少長所習」の違いであって、迂斎が、学に二つはなく、小学もどちらも磨くことだが、これには次第がなくては叶わないと言った。仏法は「高下浅深前後緩急」がないので無星の秤、無寸の尺である。自然の教えには前後緩急がある。さてまた小学から大学と役替えの様に思うがそうではない。既に小学の書にも「七十致事」とあって、人間一生を見せてある。大舜の五十にして父母を慕うと言うのも、一生小学の通りをして五十まで慕ったのである。高下浅深緩急はあるが、小学を離れることはない。
【語釈】
・七十致事…小学内篇立教。「五十命爲大夫服官政。七十致事」。出典は礼記内則。
・大舜の五十而父母をしとふ…小学内篇稽古。「五十而慕者予於大舜見之矣」。

○非若古今之分、義理之弁判然、薫蕕氷炭之相反而不可以相入也。大小学浅深高下あれども、このやうに違ったものでない。古今之分は、論語古之学者爲己、今之学者為人のことなり。義理の辨は、君子喩於義、小人喩於利のことなり。これは皆同道ならぬもの。大小学は隣合せなり。至善につまりて、やはり小学の事をする。顔曽も小学のことをして、唯小児の時のみがきが違ふばかりぞ。古之学者為己、今之学者為人。君子喩於義、小人喩於利が、義の中へ利を三分五厘まぜたとてよかろふそと云と、義は役にたたぬ。己が爲めの人の為めもそれにて、少しは人の為めも入れてもと云と、それで己がためは皆になる。今の人はあたまで人にかかるゆへ、己が為めが成就せぬ。表門は義で、裏門は利也。薫蕕は伽羅と毒だみの違なり。大小の別が斯ふは違はぬなり。
【解説】
「非若古今之辨、義理之分判然、如薫蕕氷炭之相反而不可以相入也」の説明。古今の弁と義理の分は判然としたものだが、大学と小学の違いはそれほど大きなものではない。
【通釈】
○「非若古今之弁、義理之分判然、如薫蕕氷炭之相反而不可以相入也」。大小学に浅深高下はあるが、それほど違ったものではない。「古今之弁」は、論語にある「古之学者為己、今之学者為人」のこと。義理の分は、「君子喩於義、小人喩於利」のこと。これは皆同道のできないもの。大小学は隣り合わせである。至善に詰まっても、やはり小学の事をする。顔曾も小学のことをしたのであって、ただ小児の時の磨きが違うだけである。古之学者為己、今之学者為人。君子喩於義、小人喩於利だが、義の中へ利を三分五厘混ぜたとしてもよいだろうと言うと、義は役に立たない。己の為、人の為もそれで、少しは人の為も入れてもよいのではと言うと、それで己の為は台無しになる。今の人は最初から人に掛かるので、己の為が成就しない。表門は義で、裏門は利である。薫蕕は伽羅とどくだみの違いである。大小の別はこれほどには違わない。
【語釈】
・古之学者爲己、今之学者為人…論語憲問25。「子曰、古之學者爲己。今之學者爲人」。
・君子喩於義、小人喩於利…論語里仁16。「子曰、君子喩於義、小人喩於利」。

○今使幼学之士、必先有以自盡乎洒掃応對進退之間、礼樂射御書数之習、俟其既長、而後進乎明德新民以止於至善。尽の字を大切に見べし。今日小学教なくとも、小児が親の信任、客の辞冝合、手習や素読もするが、尽すがないゆへ大学のじりんにならぬ。今忰にもちとたつさわらせると云が、そんなことではゆかぬ。事を十分に尽させるぞ。そふして後にみがきをかけて明德新民なり。小学の中にも孰行孝悌と云が小学の中の大学なり。小児と十七八とは一つにならぬ。大学の至極につまるもやはり小学の事の上へ其至極を持てゆくことなり。
【解説】
「今使幼學之士、必先有以自盡乎洒掃應對進退之間、禮樂射御書數之習、俟其既長、而後進乎明德新民以止於至善」の説明。ここの「尽」という字が大切である。尽くさなければ大学の下地にはならない。大学は小学の上に至極を持って行くこと。
【通釈】
○「今使幼学之士、必先有以自尽乎洒掃応対進退之間、礼樂射御書数之習、俟其既長、而後進乎明德新民以止於至善」。「尽」の字を大切に見なさい。今日小学の教えがなくても、小児が親の信任、客への辞儀合、手習や素読もするが、尽くすことがないので大学の基礎にはならない。今忰にも少々携わらせようと言うが、そんなことではうまく行かない。事を十分に尽くさせるのである。そうして後に磨きをかけて明徳新民である。小学の中にも「惇行孝弟」とあるのが小学の中の大学である。小児と十七八とは同じくならない。大学の至極に詰まるのも、やはり小学の事の上へその至極を持って行くことである。
【語釈】
・辞冝合…辞宜合。辞儀合。会釈し合うこと。
・孰行孝悌…小学内篇立教。「舞大夏、惇行孝弟博學不敎内而不出」。

○是乃次第の當然、又何爲而不可哉。君子は大者遠者をつとめ、小人は近者小者を務と難問を云が、これが自然の次第で不可はない。小児は初手小い草鞋で乳母が手を引く。□れが後には三度飛脚にもなる。歴々はそれ□遠馬にも遠足にも出る。春向など奥嶌へ遠乗がある。始めは手を引たものがそふなる。皆次第の當然なり。初学の高いことしたがるは乳児に鯉のさし咪ぞ。それはならぬ。去によって医者も小児の藥は小剤でかけ匁も軽い。そこが妙なり。これが教のなりで、道は二はない。大人は食事も三度するが、小児は乳や食ものを度々にする。そふなければ小児の脾胃はのだたぬ。そこで急の間に合はぬ。今はほんのがない。必竟大学者にほんの大学者のないは、小学者にほんの小学者がないゆへぞ。後世は只無理に間に合はせる。急に急に普請をして、いつかわたましと云。そこで柱や障子にすきがある。地業かよくないからなり。今日の大学者は風が入りひづみがある。平天家をすると云ても急にどうなろふぞ。
【解説】
「是乃次第之當然、又何爲而不可哉」の説明。小児の時には小さい草鞋で乳母が手を引いていたが、それが後には三度飛脚ともなる。最初から高いことをするのは、乳児に鯉の刺身を与える様なもの。学問は急な間には合わないものなのである。後世は無理に合わせようとするが、下地がないのでうまく行かない。
【通釈】
○「是乃次第之当然、又何為而不可哉」。君子は大者遠者を務め、小人は近者小者を務めると難問を言うが、これが自然の次第で不可はない。小児は初手小さい草鞋で乳母が手を引く。それが後には三度飛脚にもなる。歴々はそれで遠馬にも遠足にも出る。春向など奥島への遠乗りがある。始めは手を引かれた者がそうなる。皆次第の当然である。初学で高いことしたがるのは乳児に鯉の刺身である。それはならない。そこで、医者も小児の薬は小剤で掛け目も軽い。そこが妙である。これが教えの姿であり、道は二つではない。大人は食事も三度するが、小児は乳や食物を度々する。そうでなければ小児の脾胃は育たない。そこで急の間には合わない。今は本物がない。畢竟、大学者に本当の大学者がいないのは、小学者に本当の小学者がいないからである。後世はただ無理に間に合わせる。急に普請をして、いつ転居することができるかと聞く。そこで柱や障子に隙がある。それは地業かよくないからである。今日の大学者は風が入り、歪みがある。平天家をすると言っても急でどうなるものか。
【語釈】
・わたまし…移徙。渡座。転居。とのうつり。転宅。

○曰、幼学之士、以子之言而得循序漸進以免於躐等陵節之病、則誠幸矣。子之言と云三字が哀れな字と思うべし。三代にこの憂はない。そこを三代の盛と云なり。朱子の小学は衰世の書也。ただい大小学が書ではたらくものでない。朱子の時、上から施すでなく、或人が貴様の御差圖でと、浪人同士のあはれなことなり。今近思録に教学の篇のあるも孔孟浪人の教なり。上の教は治法の中にあるなり。誠幸矣かこの上も何ごさらぬなり。○若其年之既長而不及乎此者、欲反從事於小学、則恐其不免扞格不勝勤苦難成之患、欲直從事於大学、則又恐其失序無本、而不能以自達也。則如之何。年長して今日小学をよめと云てものりが來ぬ。扞格不勝が、今迠やりばなしゆへ勝られぬ。米つきに麻上下着せて茶の湯也。勤苦難成か汗をかいても出來ぬ。ひょい々々々は子たり上手に手鼻かみたりした者が、今小学の行義はどふも勝られぬ。さて又大学へつっかけ侍從にと云へば、小学の本がないゆへ達することはならぬ。昨日ついた味噌が今日使はれぬ様なもの。小学の事は天窓が兀てならぬ。大学と云へば本がなく、先生横手を打って曰、そこで中原復逐鹿なり。詩文章はいつでもなり。これ学でない證拠なり。
【解説】
「曰、幼學之士、以子之言而得循序漸進以免於躐等陵節之病、則誠幸矣。若其年之既長而不及乎此者、欲反從事於小學、則恐其不免於扞格不勝勤苦難成之患、欲直從事於大學、則又恐其失序無本、而不能以自達也。則如之何」の説明。小学は朱子が自身で書いたものであって、衰世の書なのである。今の年が長じた者に小学を読めと言っても乗りが来ない。また、大学に行こうとしても小学の下地がないからうまく行かない。そこで、いつでもできる詩文へと走る。
【通釈】
○「曰、幼学之士、以子之言而得循序漸進以免於躐等陵節之病、則誠幸矣」。「子之言」という三字が哀れな字だと思いなさい。三代にこの憂いはない。そこを三代の盛んと言う。朱子の小学は衰世の書である。そもそも大小学は書で働くものではない。朱子の時、上から施すことではなく、或る人が貴方の御指図でと書いたもの。これが浪人同士の哀れなこと。今近思録に教学の篇があるのも孔孟浪人の教えである。上の教えは治法の中にある。「誠幸矣」がこの上も何もないということ。○「若其年之既長而不及乎此者、欲反従事於小学、則恐其不免扞格不勝勤苦難成之患、欲直従事於大学、則又恐其失序無本、而不能以自達也。則如之何」。年が長じれば、今日小学を読めと言っても乗りが来ない。「扞格不勝」は、今まで遣り放しだったので勝られない。米搗きに麻裃を着せて茶の湯である。「勤苦難成」は、汗をかいてもできないこと。ひょいひょい跳ねたり上手に手鼻をかんだりした者が、今小学の行儀はどうも勝られない。さてまた大学へ突っ掛け侍従で行こうと言えば、小学の本がないので達することはできない。昨日搗いた味噌が今日使えない様なもの。小学の事は天窓が禿げてはできない。大学と言えば本がなく、先生が横手を打って言った、そこで中原還逐鹿である。詩文章はいつでもできる。これが学でない証拠である。
【語釈】
・中原復逐鹿…魏徴。述懐詩。「中原還逐鹿」。

○曰、是其歳月之已逝者、則固不可得而復追矣。若其工夫之次第條目、則豈遂不可得而復補耶。自問自答も面白もの。ここか大事の妙藥ぞ。問手は聞ほどさしつかへやふと疑ふに、朱子それに仕方があるなり。歳月過れば医者はとふに見せればよいにと云が、それを補は子ば妙薬と云はれぬ。人の身上春から使い過たを春の内つかわ子ばよかったと後過しても役に立ぬ。これからさき儉約せふことぞ。それを療治と云。人の首を切てすてたでなく、また五藏もあり首もあるゆへ仕方で養はれぬ。ここで問手も聞手もえみの眉を開く処也。
【解説】
「曰、是其歳月之已逝者、則固不可得而復追矣。若其工夫之次第條目、則豈遂不可得而復補耶」の説明。今まで小学の工夫をしなかったとしても、仕方でそれを補うことができると朱子が言った。
【通釈】
○「曰、是其歳月之已逝者、則固不可得而復追矣。若其工夫之次第条目、則豈遂不可得而復補耶」。自問自答も面白いもの。ここが大事な妙薬である。問い手は聞くほどに差し支える様だと疑うのに、朱子にはそれに仕方がある。歳月が過ぎれば医者は早く見せればよいのにと言うが、それを補わなければ妙薬とは言えない。人の身上で、春から使い過ぎたのを春の内に使わなければよかったと後悔しても役に立たない。これから先を倹約しなければならない。それを療治と言う。人の首を切て捨てたのでもなく、また五臓もあり首もあるのだから、仕方で養うことはできる。ここが問い手も聞き手も笑みの眉を開く処である。
【語釈】
・えみの眉を開く…にこにこ笑って眉が広がる。喜びが顔にあらわれることにいう。

○蓋吾聞之、敬之一字垩学所以成始而成終者也。蓋の字、発語の辞にも疑にも云が、これが大切にして、つっと云はぬときの口上なり。疑って、あのことは夢であったがなどと云やふなことでない。朱子の道統もここにありて、大ふ重いことゆへ蓋の字なり。さて又朱子の吾聞之が、御手前の胸からでなく聞たとなり。これが聞たことで自ら識たことなり。敬の一字と云を迂斉一と通りのことでないと云。武家の御いみなの一字なり。只敬と云はず一字と重く出して白木の臺へのせて云。金を借るには金主なければならず、病氣には医者でなければならず、垩学には敬の一字が大切なり。今迠不行儀でからだをらりにした。それを補ふは敬なり。すれば大切なはづ。何も外を借らず、敬の一字の妙薬なり。
【解説】
「蓋吾聞之、敬之一字聖學所以成始而成終者也」の説明。ここはただ敬と言わず「敬之一字」と重く出した。
【通釈】
○「蓋吾聞之、敬之一字聖学所以成始而成終者也」。「蓋」の字は発語の辞にも疑いにも言うが、これは大切にして、はっきりと言わない時の口上である。疑って、あのことは夢だったかなどと言う様なことではない。朱子の道統もここにあり、大分重いことなので蓋の字を使う。さてまた朱子の「吾聞之」が、自分の胸からでなく、聞いたことだということ。これが聞いたことで自ら識ったこと。迂斎が敬の一字とは一通りのことではないと言った。武家の御忌み名の一字である。ただ敬と言わずに一字と重く出して白木の台へ乗せて言う。金を借りるには金主がいなければならず、病気には医者でなければならず、聖学には敬の一字が大切である。今まで不行儀で体を台無しにした。それを補うのは敬である。それなら大切な筈。何も外を借りず、敬の一字の妙薬でする。

成始成終が、狂も克念へは垩となると、それが垩になる入口也。垩も思はざれは狂となると、垩德を持てども今日からわるくなる。皆これ敬が工夫の主藥になるなり。大学の八條目でも書経の精一でも、敬が始終をしめている。放勲欽明より書経に列圣賢道統のあるも敬の外はない。漢唐絶学と云も存養を知らぬからのこと。存養が敬ぞ。敬は東坡を始め徂徠仁齋迠がきろふゆへ、こちの第一になるなり。明德も性善もこの心に存するゆへ敬の外はない。さま々々のことあれども、敬が始終になる。飛脚が京迠立場々々でさま々々あれとも、大切々々とするより外はない。麁末なれば我門でもとげをつく。又五十三驛を來て最ふ大津へ來たからの、伊勢路へ来たからのと云ことはない。眠ってやりばなしなれば怪我をする。
【解説】
聖徳を持っていても、敬がなければ悪くなる。漢唐絶学と言うのも敬を知らないからである。明徳も性善もこの心に存するので、敬をするより外はない。
【通釈】
「成始成終」が、狂も克念すれば聖となると言い、それが聖になる入口である。聖も思はざれば狂となると、聖徳を持っていても今日から悪くなる。皆これは敬が工夫の主薬になるからである。大学の八条目でも書経の精一でも、敬が始終を占めている。「放勲欽明」より、書経に列聖賢道統があるのも敬の外ではない。漢唐絶学と言うのも存養を知らないからである。存養が敬である。敬は東坡を始め徂徠仁斎までが嫌うので、却ってそれがこちらの第一となる。明徳も性善もこの心に存するので敬の外はない。様々なことがあるが、敬が始終になる。飛脚が京までの立場毎に様々なことがあるが、大切とするより外はない。粗末であれば我が門でも棘を突く。また五十三駅を終えてもう大津へ来たから、伊勢路へ来たからと言うことはない。眠って遣り放しにすれば怪我をする。
【語釈】
・狂も克念へは垩となる…
・垩も思はざれは狂となる…
・放勲欽明…書経堯典。「曰、若稽古帝堯。曰、放勳、欽明文思、安安、允恭克讓」。

○爲小学者不由乎此、固無以涵養本源而謹夫洒掃應對進退之節與夫六藝之教。明明德は高上、洒掃に応對はしもなことなれども、どちも敬はどちがぬけてもならぬ。此の字、此敬でと云こと也。涵養本源は上の収其放心養其德性と同こと也。茶の給仕にこぼさぬと云も本源を涵養するなり。涵養と氣がつかずによくなる。両手奉長者之手もこのやふなことが古は門並。それゆへ悪る心の出來る家はない。猿にも藝がつくゆへ、人を礼で教ればよくなるはづ。それもこれも敬でなければならぬ。本源を涵養が德利をふるな々々々なり。そこで中のものがそこ子ぬ。この謹の字が、六藝の教もこれでなければならぬ。逐水曲など別して敬なしにすると水に落る。弓も敬なしなれば人に怪我もさせる。手習とても謹ま子ばそこらを墨だらけにする。つつしみは朝夕なるる言の葉の仮初ことの上にこそあれ。何と云ことなしにつつしむ。大ぶ低がよい。道理知た沙汰はないが、大名の御伽などが小禄のものなれども違ふ。武家の子は、凧のあげやうでも町家の子とは別なり。又、軽い同士でも、大工わらと本町の呉服屋などの子は違う。皆涵養にあることぞ。そこでこの洒掃応對の節と六藝の教を謹が垩賢になる土臺と云ことを知ら子ばやくに立ぬ。料理のことでも、人が湯や飯の上にあることを知らずに二の汁や吸物ばかりを大切にするが、ほんの処は湯と飯のたきやふの上にあることなり。
【解説】
「爲小學者不由乎此、固無以涵養本源而謹夫洒掃應對進退之節與夫六藝之敎」の説明。古は家々で洒掃応対を謹んでいたので悪心の者ができることはなかった。洒掃応対の節と六芸の教えを謹むのが聖賢になる土台である。
【通釈】
○「為小学者不由乎此、固無以涵養本源而謹夫洒掃応対進退之節与夫六芸之教」。明明徳は高上で、洒掃応対は下なことだが、どちらも敬が抜けてはならない。「此」の字は、この敬でということ。涵養本源は上の「収其放心養其徳性」と同じこと。茶の給仕でこぼさないというのも本源を涵養すること。涵養と気が付かずによくなる。「両手奉長者之手」もこの様なことを古は家々でしていた。それで悪心ができる家はなかった。猿にも芸が付くので、人を礼で教えればよくなる筈。それもこれも敬でなければならない。本源を涵養するのが徳利を振るなと言うこと。そこで中のものが損ねない。この「謹」の字が、六芸の教えもこれでなければならない。特に逐水曲などは敬なしにすると水に落ちる。弓も敬なしであれば人に怪我もさせる。手習でも謹まなければそこらを墨だらけにする。慎みは朝夕なるる言の葉の仮初ごとの上にこそあれ。何ということなしに謹む。大分体がよい。道理を知った沙汰はないが、大名の御伽などが小禄の者でも違ったもの。武家の子は、凧の揚げ様でも町家の子とは別である。また、軽い同士でも、大工の童と本町の呉服屋などの子とは違う。それは皆涵養にあること。そこで、この洒掃応対の節と六芸の教えを謹むのが聖賢になる土台ということだと知らなければ役に立たない。料理のことでも、人が湯や飯の上にあることを知らずに二の汁や吸物ばかりを大切にするが、本当の処は湯と飯の炊き方の上にあるのである。
【語釈】
・両手奉長者之手…礼記曲礼上。小学内篇明倫。「長者與之提攜、則兩手奉長者之手、負劍辟咡詔之、則掩口而對」。
・門並…家ごと。毎戸。
・逐水曲…五御の一。
・つつしみは朝夕なるる言の葉の仮初ことの上にこそあれ…道歌。

○爲大学者不由乎此、亦無以開発聦明進德脩業而致夫明德新民之功也。今通用之大学がある。それに徂徠が注なり。眞西山が漢の高祖唐の太宗、丘瓊山も治国平天下に英雄豪傑、下腹に毛のないものを挙て、敬の始をなし終り成すことは知らぬ者ともをあけられては大学めかぬ沙汰なり。開發聦明は天から拜領の良知で、かの知藏之無迹を開らくなり。大学は知が本とになり、それをするも敬がすることなり。天下の物は外なれども、挌物するでこちが開発する。王陽明外馳とて、墨も硯も一つにする。墨と硯を分るでよいに、向を挌るでこちの聦明を開くことそ。正宗は我に刄を持てとも、外にある礪石で切れるなり。又敬を根にせぬゆへ、うろ々々醉て居るゆへ開發せぬ。九分九厘以上までもきり々々でつめるは向ふのこと。精義入神もそこそ。それをするに敬がなければぎり々々がつめられぬ。彼の直方の云はるる百匁掛にほんぼりかけるとあかるくなるは開發聦明のなり。進德脩業は易の文字なり。誠正治国平天下も皆敬ですることなり。
【解説】
「爲大學者不由乎此、亦無以開發聦明進德脩業而致夫明德新民之功也」の説明。「開発聡明」は天から拝領の良知で、「知蔵之無迹」を開くこと。向こうを格ることでこちらの聡明を開くのである。
【通釈】
○「為大学者不由乎此、亦無以開発聡明進徳修業而致夫明徳新民之功也」。今通用の大学がある。それに徂徠が注をした。真西山が漢の高祖や唐の太宗を、丘瓊山も治国平天下に英雄豪傑を、下腹に毛のない者を挙げたが、敬が始めを成し終りを成すことを知らない者共を挙げては大学めかない沙汰である。「開発聡明」は天から拝領の良知で、あの「知蔵之無迹」を開くこと。大学は知が本になるが、それをするのも敬がすること。天下の物は外のことだが、格物をするのでこちらが開発する。王陽明は外馳と言って、墨も硯も一つにする。墨と硯を分けるのでよいのであって、向こうを格ることでこちらの聡明を開くのである。正宗は自分に刃を持っているが、外にある砥石で切れる。また、敬を根にしないので、うろうろと酔っていて開発しない。九分九厘以上までもぎりぎりに詰めるのは向こうでのこと。精義入神もそこ。それをするのに敬がなければぎりぎりに詰められない。直方の言われた、あの百匁掛に雪洞を掛けると明るくなるのは開発聡明の姿である。「進徳修業」は易の文字である。誠正治国平天下も皆敬ですること。
【語釈】
・知藏之無迹…
・進德脩業…易経乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、夕惕若、厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也」。

是以程子發明挌物之道、而必以是爲説焉。程子の道統と云もここなり。挌物は本草講も挌物の一也。濱見物に出ても、これは鯛、これは平目さわらと一つ々々吟味が物に挌るにて、鯛も平目も何もかも魚と云て、魚にはづれはないが、それでははきとない。はきとないと胸にむさ々々があるぞ。そこを人が連れ立て通るに、あれは何村の人と云を知らずに誰であろふと上から押っ冠せては胸があかぬ。あの男はどこの誰じゃと云と胸があく。それが挌物なり。されども又其挌物も敬がなく、うと々々と目を眠りてはならぬ。
【解説】
「是以程子發明格物之道、而必以是爲説焉」の説明。格物によって知ると胸が明く。しかし、それにも敬が必要である。
【通釈】
「是以程子発明格物之道、而必以是爲説焉」。程子の道統というのもここ。本草講も格物の一つである。浜見物に出ても、これは鯛、これは平目、鰆だと一つ一つ吟味が物に格らなければならず、鯛も平目も何もかも魚だと言っても魚に違いはないが、それでははっきりとしない。はっきりとしなければ、胸にむさくさするところがある。人が連れ立って通るところで、あれは何村の人なのかを知らず、きっと誰なのだろうと上から押っ被せては胸が明かない。あの男は何処の誰だと言うと胸が明く。それが格物である。しかしまた、その格物にも敬がなく、うとうとと眠っていてはならない。

不幸過時而後、学者誠能用力於此以進乎大、而不害兼補乎其小、則其所以進者、將不患於無本而不能以自達矣。ここがずんど頼母しくなって來た。昔の人にこんな者はたま々々あるが、今の人は皆これなり。小学挍で事をせぬゆへ敬を根にして小学を兼補は子ば進まれぬ。今迠不行儀で疂ざはりあしく、書をまたぎ、ひょひ々々々と、唾を遠くへ吐たり欠をつつけてしたり、どふもならぬやうなれども、其身持のざっかけないを敬で補ふなり。無本而不能自達也と、最初向から失序無本不能以自達と打て來たゆへ敬で補ふと云。敬で補へば其氣の毒はない。
【解説】
「不幸過時而後、學者誠能用力於此以進乎大、而不害兼補乎其小、則其所以進者、將不患於無本而不能以自達矣」の説明。小学校がないので不行儀となった者も、敬を根にして小学を兼補すれば進むことができる。
【通釈】
「不幸過時而後、学者誠能用力於此以進乎大、而不害兼補乎其小、則其所以進者、將不患於無本而不能以自達矣」。ここでかなり頼もしくなって来た。昔もこの様な者は偶にはいたが、今の人は皆これである。小学校で事をしないので、敬を根にして小学を兼補しなければ進むことはできない。今まで不行儀で畳触りが悪く、書をひょいひょいとまたぎ、唾を遠くへ吐いたり欠伸を続けてしたり、どうにもならない様だが、その身持のざっかけないのを敬で補うのである。「無本而不能自達也」と、最初に向こうから「失序無本不能以自達」と出したので、敬で補うと言う。敬で補えば気の毒なことはない。
【語釈】
・ざっかけない…粗野なこと。

其或摧頽已甚而不足以有所兼、則其所以固其肌膚之會筋骸之束、而養其良知良能之本者、亦可以得之於此、而不患其失之於前也。これからあとは朱子の方からもっと云なり。世の中多く不幸にして時の過た者ばかりなり。それが又時を過たぎりでなく、以の外そこ子てわるくなったがある。平生大酒で其外不行迹申やふはない。あれは親もよく免してをくと云なり。さてこの説は摧頽を身持のそこ子たを云。最一つの説は摧頽を至極の時にをくれた老人の上で云。この方が平説かなり。講後曰、二説いつれか是か、賢等商量すべし、と。これは時の過た処でなく、孫をも持ち、腰のかかんたなり。前は小学ぐるみ補ふと云へども、ここは隱居する頃ゆへ小学迠とも云はれぬ。そこで肌膚之會筋骸之束なり。これが人の身のふりまわしするものなり。
【解説】
「其或摧頽已甚而不足以有所兼、則其所以固其肌膚之會筋骸之束、而養其良知良能之本者、亦可以得之於此、而不患其失之於前也」の説明。世の人の多くは不幸にして時の過ぎた者であり、中には以の外な者もいる。
【通釈】
「其或摧頽已甚而不足以有所兼、則其所以固其肌膚之会筋骸之束、而養其良知良能之本者、亦可以得之於此、而不患其失之於前也」。これから後は朱子の方で更に言ったこと。世の中の多くは不幸にして時の過ぎた者ばかりである。それがまた時を過ただけではなく、以の外なことに損ねて悪くなった者がいる。平生大酒で、その外の不行跡も言うまでもない。親もあれをよく許して置くものだと言う。さてこの説では「摧頽」を身持の損ねたことに言う。もう一つの説は、摧頽は至極の時に遅れた老人の上で言う。この方が平説なのかもしれない。講後に、二説いずれが正しいか、皆は商量しなさいと言った。これは時の過ぎた処でなく、孫をも持ち、腰の屈んだ時のことである。前は小学を含めて補うと言うが、ここは隠居をする頃なので小学までとも言えない。そこで「肌膚之会筋骸之束」である。これが人の身の振り回しをするもの。

いかさま人は万物之霊で禽獣とはちがい、この指の動くでも外の万物はならぬ。鯨が大くても游くばかりぞ。會はそれ々々あつまる処を云。長芋のやふではない。手にも足にも會がある。束はそれ々々はたらき動く処のくくりがあるなり。手を開たり握りたりする、系のからくり云に云へぬことなり。小学の教で洒掃應對をつとめ、上於東階則先右足の、詠歌舞踏のと、このからたを仕舞てをかぬゆへ、土圭のやふにさびがつかぬ。すててをくと筋骸の束が自由にならぬ。大名の近習のもの、君邉をつとめ武藝もするゆへ町人とは違ふ。それゆへ氣づいものも近習つとめ行儀習ふたゆへ、足が棒のやうになったなどと云ことはない。弓馬や武藝で筋骸の蝶つがいがよい。
【解説】
小学の教えで洒掃応対を務め、また、六芸をするので筋骸の束が自由に動く。
【通釈】
いかにも人は万物の霊で禽獣とは違い、この指の動くことでも外の万物ではこの様にはできない。鯨は大きくても泳ぐだけのこと。「会」はそれぞれ集まる処を言う。長芋の様なことではない。手にも足にも会がある。「束」はそれぞれに働き動く処の括りがあること。手を開いたり握ったりする、糸の絡繰は言うに言えないものである。小学の教えで洒掃応対を務め、「上於東階則先右足」や、詠歌舞踏と、この体をしまって置かないので、時計の様に錆びが付かない。捨てて置くと筋骸の束が自由にならない。大名の近習の者は君辺を勤め武芸もするので町人とは違う。それで我侭な者も近習を勤め行儀を習ったので、足が棒の様になったなどと言うことはない。弓馬や武芸で筋骸の蝶番がよい。
【語釈】
・上於東階則先右足…礼記曲礼上。「上於東階、則先右足。上於西階、則先左足」。
・氣づい…気随。自分の思いのままにふるまうこと。きまま。わがまま。

さて、良知良能之本は大学の小学のと言かふなしなり。外から仕込ずに知行が稽古なしに自然となる。だたいこれが本とで学問もする。明德を心にうけてはたらくものを良知良能と云。筋骸は肉へうけ、かたちの生きた処なり。これも、前に失って摧頽しても敬の字で相談がなるけれども、摧頽已甚は大抵のことではならぬ。そこて朱子の重いとかるいを二た鼻に見せる。庶人の中、百姓などは肌膚之會筋骸之束も丈夫で土の上に鍬を根にして米さへよく作ればよいが、これも順見方の御通りには行儀がよい。ふだんは出來ぬが其日一日の敬なり。勘定奉行へよび出された日もそれで、欠や足を投け出さぬ。われ知らずの敬をするゆへ不行儀か出ぬ。敬か妙藥なり。
【解説】
明徳を心に受けて働くものを良知良能と言う。百姓も巡検の御通りや勘定奉行へ呼び出された時は行儀がよい。我知らずに敬をするのである。
【通釈】
さて、「良知良能之本」は、大学や小学と言わずになること。外から仕込まなくても、知行が稽古なしに自然となる。そもそもこれが本で学問もする。明徳を心に受けて働くものを良知良能と言う。筋骸は肉へ受け、形の生きた処である。これも、前に失って摧頽しても敬の字で相談のなるものだが、「摧頽已甚」では、大抵のことではならない。そこで朱子の重いことと軽いことを二鼻に見せた。庶人の内、百姓などは肌膚之会筋骸之束も丈夫で土の上に鍬を根にして米さえよく作ればよいが、これも巡検方の御通りには行儀がよい。普段はできないが、その日一日の敬である。勘定奉行へ呼び出された日もそれで、欠伸もせず、足も投げ出さない。我知らずの敬をするので不行儀が出ない。敬が妙薬である。

○顧以七年之病而求三年之芥、非百倍其功不足以致之。摧頽にも仕方があると云へども、病の古いが容易に直ることでない。然るにこれが却て仕こみたいことあるは、小児は外から人か仕こむこと、ここは百倍の功でも我方からすることゆへ、なればなるなり。若徒歸咎於既往而所以補之後者、又不能以自力、則吾見其扞格謹苦日有甚焉、而心身顚倒眩瞀迷惑終無以爲致知力行之地矣。况欲有以及乎天下国下也哉。不幸に時か過たの摧頽のと昔を云は死た子の年かぞへるにて、熱氣にも冷にもならぬ。道中で道にふみまよい、これては三里違った、あとの宿で教へやふがわるいとて、前のこと云ても役にたたぬ。ここからよいわらじて急くがよい。其扞格謹苦が、さき云たはまたやさしいが、ここですてておくとそんなことでない。身心顚倒が後には段々功夫に手が付られぬ。心に身も、は功が入て七賢八達のやうになる。顚倒の字がそれなり。皆老荘のやうになる。
【解説】
「顧以七年之病而求三年之艾、非百倍其功不足以致之。若徒歸咎於既往而所以補之後者、又不能以自力、則吾見其扞格謹苦日有甚焉、而心身顚倒眩瞀迷惑終無以爲致知力行之地矣。况欲有以及乎天下國下也哉」の説明。小児は外から人が仕込むが、摧頽であっても、それは自分からすることなので、百倍の功ですればできる。しかし、「身心顛倒」になると、段々と功夫に手が付られなくなる。
【通釈】
○「顧以七年之病而求三年之芥、非百倍其功不足以致之」。摧頽にも仕方があると言うが、古くからの病は容易に直らない。しかしながら、これに却って仕込みたいことがあると言うのは、小児は外から人が仕込むが、ここは百倍の功でも自分からすることなので、なればなるからである。「若徒帰咎於既往而所以補之後者、又不能以自力、則吾見其扞格謹苦日有甚焉、而心身顛倒眩瞀迷惑終無以為致知力行之地矣。況欲有以及乎天下国下也哉」。不幸に時が過ぎたとか摧頽とかと昔を言うのは死んだ子の年を数えるのと同じで、熱気にも冷気にもならない。道中で道に踏み迷い、これでは三里違う、前の宿での教え様が悪いなどと、前のことを言っても役には立たない。ここからよい草鞋を履いて急ぐのがよい。「其扞格謹苦」は、先に言ったことはまだ易しいことだが、ここを放って置くとそんなことではならないということ。「身心顛倒」で後には段々功夫に手が付られなくなる。心身もは功が入って七賢八達の様になる。顛倒の字がそれで、皆老荘の様になる。
【語釈】
・七賢…竹林の七賢。阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎の称。
・八達…南朝で、生の本義に徹した八人。胡母輔之・謝鯤・阮放・阮孚・畢卓・羊曼・桓彝・光逸。

眩瞀はあじになる。敬の功夫を仕そこなふと、高ぞれになりて人欲でくらむ計りでなく、さま々々まぎらかすが、眩瞀であぢにくらむなり。迷惑は方角を失い道筋が知れぬやうになる。况欲有以及乎天下国下也哉。致知力行の地がなく、天下国家へ及ふはつはない。陳同甫のわるいがこれなり。英雄豪傑を持て來て、漢高祖唐の太宗もよいにして、大学は今の事業でないと云が、手前がきれ物でないからぞ。敬がなく、事の上で、それで天下国家と云ても本のことはならぬ。歇後鄭五做宰相時事可知の類で、この敬の意味しらず経済のなろふはづはなし。
【解説】
敬の功夫を仕損なうと高逸れて悪く眩む。事の上で天下国家をしようとしても、敬がなくてはうまく行かない。
【通釈】
「眩瞀」は悪くなること。敬の功夫を仕損なうと高逸れになって人欲で眩むばかりでなく、様々に紛らかす。眩瞀で悪く眩むのである。「迷惑」は方角を失い道筋がわからなくなること。「況欲有以及乎天下国下也哉」。致知力行の地がなくて、天下国家に及ぶ筈はない。陳同甫の悪いのがこれ。英雄豪傑を持って来て、漢の高祖、唐の太宗もよいことにして、大学は今の事業ではないと言うが、それは自分が切れ者でないからである。敬がなくて、事の上で天下国家と言っても本当のことはできない。「歇後鄭呉做宰相、時事可知」の類で、敬の意味を知らずに経済がなる筈はない。
【語釈】
・歇後鄭五做宰相時事可知…資治通鑑。「歇後鄭五作宰相、時事可知矣」。

○曰、然則所謂敬者又若何而用力耶。そふたい何んでも先つ物をきめ子ばならぬことは論語孟子よいとして置て読む法なり。敬をよいとして置て力の用やう知ら子ば、垩学やら禅やら知れぬ。そこて敬の仕方を云。○曰、程子於此嘗以主一無適言之矣。さて、朱子の御手前は出さずに程子なり。朱子のやうになりても先輩を尊び、大切の処へこの鼻とは云はれぬ。程子の戦々兢々より敬のことを主剤に云。以主一無適言之矣が、か子々々功夫の目が立ている。主一。一色ゆへ一た向きのことなり。無適。其主一のことなれとも、向の方へゆかぬこと。説く処は一を主にして適くことなかれと云ことなれども、功夫すると主一なれば無適、無適なれば主一なものなり。功夫の目には一を主にして適くことなかれなり。心一而不二と観心の説にもある。心の道体は一なもの。そこで本体なりに功夫して主一無適と云ことなり。公事を聴にも二つ一度にはきかれぬ。聦明な処を稱して八耳とは云が、垩德太子もそれはならぬ。直方の両刀つかいなり。両刀に脩練しても一刀の方はぬけ目があるはつなり。本体のなりをして平生一なれば、さま々々なことはないはづ。今日の人は道理の中へ人欲も入れて、そこにすきがあるゆへ邪が入り、なんでも主一無適は心を直きに云ことなり。
【解説】
「曰、然則所謂敬者又若何而用力耶。曰、程子於此嘗以主一無適言之矣」の説明。敬がよいとしても、力の用い様を知らなければならない。そこで、程子の「主一無適」を出した。
【通釈】
○「曰、然則所謂敬者又若何而用力耶」。総体、何でも先ず物を決めなければならず、それには論語孟子をよいとして置いて読むのである。敬をよいとして置いても、力の用い様を知らなければ、聖学なのか禅なのかがわからない。そこで敬の仕方を言う。○「曰、程子於此嘗以主一無適言之矣」。さて、朱子が自分のことではなく程子の言を出した。朱子の様になっても先輩を尊び、大切な処では自分を主張されない。程子の戦々兢々より敬のことを主剤に言った。「以主一無適言之矣」が、かねての功夫の目が立ったもの。「主一」。一色で直向きなこと。「無適」。主一のことで、向こうの方へ行かないこと。説く処は一を主にして適くこと無かれということだが、功夫をすると主一なので無適、無適なので主一なもの。功夫の目には一を主にして適くこと無かれである。「心一而不二」と観心の説にもある。心の道体は一つである。そこで本体のままに功夫をして主一無適ということ。公事を聴くにも二つを一度には聴けない。聡明な処を称して八耳とは言うが、聖徳太子もそれはできない。直方の言う両刀使いである。両刀を修練しても、一刀の方は抜け目がある筈である。本体の通りをして平生が一であれば、様々なことはない筈。今日の人は道理の中へ人欲も入れ、そこに隙があるので邪が入る。何でも主一無適は心を直くすることを言う。
【語釈】
・心一而不二…

○嘗以整斉嚴肅言之矣。主一が改て整斉厳肅になるかと云は心を知らぬものの云ことなり。心の本体から行くもあり、形からして心の本体になることもあり、整斉は形をきつ行儀よくして心が主一無適になるぞ。形のととのふたが整斉なり。嚴肅は氣象へかけて云こと。嚴肅でないと下の方へべったりとなるものぞ。鳥の羽を正しくそろへたが整斉、木へしゃんととまったが嚴肅なり。この形で心の本体になる。確い若者が両方せふと云が、両方せふなどと云はずと功夫してみるがよい。我がためして功夫せぬ人はこの効は見へぬ。つまり一つは心、一つは形なり。とちから入ても敬なり。
【解説】
「嘗以整齊嚴肅言之矣」の説明。敬は心の本体から行くこともあり、形からして心の本体になることもある。「整斉」は形からのことで、行儀よくすること。「厳粛」は気象へ掛けて言うこと。
【通釈】
○「嘗以整斉厳粛言之矣」。主一が改めて整斉厳粛になるのかと言うのは心を知らない者の言うこと。心の本体から行くこともあり、形からして心の本体になることもある。整斉は形をきつく行儀よくすることで、それで心が主一無適になる。形の整ったのが整斉である。厳粛は気象へ掛けて言うこと。厳粛でないと下の方へべったりとなるもの。鳥が羽を正しく揃えたのが整斉で、木へしゃんと止まっているのが厳粛である。この形で心の本体になる。気丈な若者が両方をしようと言うが、両方をしようなどとは言わないで、功夫をしてみるのがよい。己の為の功夫をしない人にこの効は見えない。つまり一つは心、一つは形である。どちらから入っても敬である。

至其門人謝氏之説、則又有所謂常惺々法者焉。これはどこへ目利させても禅からと云ときに、そんなことにかまわぬことなり。禅に似ても心を生すより外はない。眠氣がつくと仁義もらりになる。眠氣がこうずると、親が來いと云てもまあ斯ふしてをいてくれろと、眠い時孝を二段にするやふなもの。惺て居ぬと心へさま々々の塵が入る。観諟天之明命も常月在之も常惺々のことなり。うっかりとする処が人欲の腰のかけ処なり。そこを邪氣乘虚と云。椽がわに寐でつい風を引く。暑氣食氣と云も、やれ暑い々々、身が蕩けるやふじゃと云処で食まれる。常惺々で臍下□□氣□はると暑もうけぬ。槇七郎左ェ門が寒夜に、夕へ敬に居てござればあたたまり申したと云が居敬で、腹をはり出すと寒氣もうけぬ。いかさま常惺々は良法なり。奉公するもの、番日と非番は違う。番日には足袋さへやっとなれども、此方が醒て居るゆへ寒ひとも思はぬ。唐津の者が云たが、旦那の供と一人の時は違ふて、君の側に居れば舟中難風でもゆるまぬとなり。今日の雷でも巧言令色で落付ているが、一郎に笑はれてはなるまい。巧言令色で常惺々になるもをかしきことぞ。そこぐるみ惺々なり。
【解説】
「至其門人謝氏之説、則又有所謂常惺惺法者焉」の説明。惺惺でいないと心へ様々な塵が入る。奉公をする者も番日と非番とでは違う。番日に気が緩むことはない。
【通釈】
「至其門人謝氏之説、則又有所謂常惺々法者焉」。これは誰に目利をさせても禅からのことだと言うが、そんなことに構うことはない。禅に似ていたとしても心を生かすより外はない。眠気が付くと仁義も台無しになる。眠気が高ずると、親が来いと言ってもまあこうして置いてくれと言う。眠い時に孝を二番にする様なもの。惺でいないと心へ様々な塵が入る。「観諟天之明命」も「常月在之」も常惺々のこと。うっかりとする処が人欲の腰の掛け処である。そこを邪気乗虚と言う。縁側に寝るのでつい風邪を引く。暑気気を食むと言うのも、やれ暑いことだ、身が蕩ける様だという処で食まれる。常惺々で臍下□□気□はると暑も受けない。槙七郎左ェ門が寒夜に、昨夜は敬にいたので温まりましたと言ったのが居敬で、腹を張り出すと寒気も受けない。実に常惺々は良法である。奉公をする者も、番日と非番とでは違う。足袋でさえやっと履くほどでも、番日には自分が惺ているので寒いとも思わない。唐津の者が言ったことだが、旦那の供と一人の時とは違ったもので、君の側にいると舟中難風でも緩むことはないと言った。今日の雷でも巧言令色で落ち付いているが、一郎に笑はれてはならないだろう。巧言令色で常惺々になるのも可笑しなこと。それを含めて惺々である。
【語釈】
・観諟天之明命…書経太甲上。「先王顧諟天之明命」。
・常月在之…
・槇七郎左ェ門…
・一郎…宇井黙斎?久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。

尹氏之説、則又有所謂其心收歛不容一物者。尹彦明篤実謹厳ゆへす子からもみ出して覚へたもの。本語には神祠とある。神を拜するとき一物はない。そこを敬と見たものなり。人の天へこの病をとて祈るとき、鰹賣が呼でもそれへ心が散りはせぬ。この時は心が主一で外はまぜぬ。これで敬の工夫の体段を知せたものなり。敬に形がないゆへ形容をしてもらは子ば知らぬ。觀是数説足以見其用力之方矣。今日功夫にこの四がどれが益になりて我ものになるも知らぬ。今日は謝上蔡で益を得た、今日は尹彦明で益がありたと云ことあるべし。又、一日に四が皆受用なることも有ふなり。敬を心へのせて書物藝を離れたなら覚へやふぞ。
【解説】
「尹氏之説、則又有所謂其心收歛不容一物者焉。觀是數説足以見其用力之方矣」の説明。神を拝する時に一物はない。尹氏はそこを敬と見た。以上の四つが敬の形容であり、書物芸を離れ、敬を心へ乗せればこれが受用となる。
【通釈】
「尹氏之説、則又有所謂其心収斂不容一物者」。尹彦明は篤実謹厳なので、これは脛から揉み出して覚えたもの。本語には神祠とある。神を拝する時に一物はない。そこを敬と見たもの。人が天にこの病を治してと祈る時は、鰹売りが呼んでも心が散ることはない。この時は心が主一で外は混ぜない。これで敬の工夫の体段を知せた。敬には形がないので形容をしてもらわなければわからない。「観是数説足以見其用力之方矣」。今日の功夫にこの四つのどれが益になり自分のものになるのかはわからない。今日は謝上蔡で益を得た、今日は尹彦明で益があったということがあるだろう。また、一日に四つが皆受用なることもあるだろう。敬を心へ乗せて書物芸を離れれば覚ることだろう。
【語釈】
・尹彦明…尹和靖。名は焞。程伊川の高弟。紹興の初め祟政殿説書兼侍講。当時金との和議に反対し、学問は伊川の敬を継承して著しく主体的。『伊洛淵源録』『宋元学案』同『補遺』。1071~1142

○曰、敬之所以爲学之始者、然矣。其所以爲学之終也奈何。敬が学の始をなすは尤なれども、それで我を仕ををせた上にいつ迠も敬とて死迠敬と云は机ばなれがせぬやふじゃ。敬の終りをなす所承りたいなり。○曰、敬者一心之主宰而萬事之本根也。知其所以用力之方、則知小学之不能無頼於此以爲始、以爲終者、可以一以貫之而無疑矣。敬は一寸と用で暫時の病氣をなをすやふなことでない。敬の始終を病人の休藥のやうに思ふが、そふ云ことはない。心が一生離れ子ば敬も一生はなれやふはない。敬が心の藥に拵たでなく、心の主宰也。そこで明德も仁義も敬がぬけるとなくなる。敬がしまりてしゃんとしている処へ仁義がやどる。中庸未発の大本が戒謹恐懼で立て居る。なる程圣賢傳授の心法なり。日用の瑣末から平天下を心をするが、それはなんじゃと云に敬なり。
【解説】
「曰、敬之所以爲學之始者、然矣。其所以爲學之終也奈何。曰、敬者一心之主宰而萬事之本根也。知其所以用力之方、則知小學之不能無頼於此以爲始、知小學之□此以始、則夫大學之不能無頼乎此以爲終者、可以一以貫之而無疑矣」の説明。敬に終りはない。学の終始をなすものが敬である。敬は心の主宰であり、敬がないと明徳も仁義も抜ける。中庸の未発の大本も戒謹恐懼で立っている。
【通釈】
○「曰、敬之所以為学之始者、然矣。其所以為学之終也奈何」。敬が学の始めをなすのは尤もなことだが、それで自分を仕果した上でいつまでも敬と言い、死ぬまで敬と言うのは机離れがしない様なもの。敬の終わりをなす所を承りたいと言う。○「曰、敬者一心之主宰而万事之本根也。知其所以用力之方、則知小学之不能無頼於此以為始、以為終者、可以一以貫之而無疑矣」。敬は一寸用いて暫時の病気を治す様なことではない。敬の始終を病人の休薬の様に思うが、そういうことではない。心が一生離れない様に、敬も一生離れることはない。敬は心の薬として拵えたものでなく、心の主宰である。そこで明徳も仁義も敬が抜けるとなくなる。敬が締まってしゃんとしている処へ仁義が宿る。中庸未発の大本が戒謹恐懼で立っている。なるほど聖賢伝授の心法である。日用の瑣末から平天下に心するが、それは何でするかと言えば敬である。

さて程朱学問に甲乙はないが、朱子の程子よりよいはここなり。程子は一寸と云てがてんさせる。朱子は曲学に公事をさせぬやふに斯ふそろへて云はるる。知其所以用力之方云云から一以貫之而無疑矣の五十五字をみよ。きまりたことなり。さて則夫大学と、則の字がくくること。敬が大小学終始を離れ子ば、これで知れやう。小学をはなれ子ば大学になりて、此間に息をつく間はない。二條在番の御城入まいに町宅するは□□ゆへ間もあれども、小学から大学、直に息をつく間はない。敬が一身の主宰ゆへ、町宅もせず息もつかぬ。そこを得たが曽子なり。一生敬で戦々兢々として、今日を知免と、あれが大学の仕舞なり。一以貫之は只辞で合点すること。曽子にあたるが子貢にあたるかと云ことでない。敬の大小学終始を貫くを一貫と云。すれば大学も小学も敬なり。
【解説】
「一以貫之」と言うのは、曾子や子貢のことではない。それは敬が大学と小学の終始を貫くものだということである。そこに間断はない。
【通釈】
さて程朱の学問に甲乙はないが、朱子が程子よりもよいのはここである。程子は一寸言って合点させる。朱子は曲学に公事をさせない様に、この様に揃えて言われる。「知其所以用力之方云云」から「一以貫之而無疑矣」の五十五字を見なさい。決まったことである。さて「則夫大学」とあるが、この則の字が括ること。敬が大小学の終始を離れないことがこれでわかるだろう。小学を離れなければ大学になる。この間に息をつく間はない。二条在番の御城入りの前に町宅をするのは□□なので間もあるが、小学から大学は、直に息をつく間はない。敬は一身の主宰なので、町宅もせず息もつかぬ。そこを得たのが曾子である。一生敬で戦々兢々として、「今而後吾知免夫」と、あれが大学の終わりである。「一以貫之」はただ辞で合点すること。曾子に当たるか子貢に当たるかということではない。敬が大小学の終始を貫くことを一貫と言う。そこで大学も小学も敬なのである。
【語釈】
・今日を知免…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。
・一以貫之…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。論語衛霊公2。「子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與。對曰、然。非與。曰、非也。予一以貫之」。

○蓋此心既立、由是挌物致知以尽事物之理、則所謂尊德性而道問学。或人が学の始をなすはきこへたが、終をなすはいかかと云ゆへ、そこを敬をふくんて蓋此心と云。此心が敬にて面白き書やふなり。心の立が上の敬の工夫の四をこめて云。敬がない心はたたぬ。○由是挌物致知云云が敬をはなさず云。夜は灯燈頼て、これによりて溝、是に由りて橋をわたるなり。それゆへこちの心かういては何もならぬ。講釈などを聞は麁なものなれども、うかとしてはきこへぬ。况や道理の微妙精義入神の場、敬がぬけてはならぬ。所謂尊德性道問学が、中庸で德性を尊は敬のことなり。問学は格物のこと也。
【解説】
「蓋此心既立、由是格物致知以盡事物之理、則所謂尊德性而道問學」の説明。敬がないと心が立たない。ここの「尊徳性」が敬のことで、「問学」は格物のことである。
【通釈】
○「蓋此心既立、由是格物致知以尽事物之理、則所謂尊徳性而道問学」。或る人が学の始めをなすのはわかったが、終わりをなすのはどうかと言うので、そこで敬を含んで「蓋此心」と言った。「此心」が敬であり、面白い書き様である。心が立つとは、上にある敬の四つの工夫を込めて言ったこと。敬がないと心は立たない。○「由是格物致知云云」が敬を離さずに言ったこと。夜は灯燈頼り、これによって溝を、これによって橋を渡るのである。そこでこちらの心が浮いては何にもならない。講釈などを聞くのは粗いことだが、うっかりとしてはわかない。ましてや道理の微妙精義入神の場で敬が抜けてはならない。「所謂尊徳性道問学」は、中庸で徳性を尊ぶのが敬のことで、問学は格物のことである。

由是誠意正心以脩其身、則所謂先立其大者而小者不能奪。其至當にきめたが誠意正心かと云に、心が留主ではならぬ。食而不知其味ぞ。所謂先立其大者云云は告子を引たなり。小は耳目鼻口の欲なり。大は明德性善なり。由是斉家治国以及乎天下、則所謂脩己以安百姓。篤恭而天下平。孔子の脩己以安百姓□天下へとどくも敬からなり。中庸篤恭而天下平と云が、戒愼恐懼から天下平になる。二帝三王の業も皆この敬なり。是皆未始一日而離乎敬也。然則敬の一字、豈非垩学始終之要也哉。貴様が敬の終をなすを聞たいと云が、圣学が始終敬の一字を離れぬ。そこで書経も皆敬で、湯王の垩敬日躋も、武王の敬勝怠も戒愼恐懼の一心へつまる。そこを蔡九峯合点て、書経の序に心の字したたかに出した。心が敬で立子ばならぬ。雍也南面の居敬而行簡でも孔子の教の本は皆敬なり。そこで鞭策録の操存部大切にあつかることにて、此或問の敬を引れたもの也。
【解説】
「由是誠意正心以脩其身、則所謂先立其大者而小者不能奪。由是齊家治國以及乎天下、則所謂脩己以安百姓。篤恭而天下平。是皆未始一日而離乎敬也。然則敬之一字、豈非聖學始終之要也哉」の説明。聖学は始終敬の一字を離れない。湯王の「聖敬日躋」も、武王の「敬勝怠」も一心に詰まるものであり、孔子の教えの本も皆敬である。
【通釈】
「由是誠意正心以修其身、則所謂先立其大者而小者不能奪」。これを至当に決めるのが誠意正心のことかと言えば、心が留守であってはならない。「食而不知其味」である。「所謂先立其大者云云」は告子を引いたもの。小は耳目鼻口の欲である。大は明徳性善である。「由是斉家治国以及乎天下、則所謂修己以安百姓。篤恭而天下平」。孔子の「修己以安百姓」で、天下へ届くのも敬からである。中庸に「篤恭而天下平」とあり、戒慎恐懼から天下平になる。二帝三王の業も皆この敬である。「是皆未始一日而離乎敬也。然則敬之一字、豈非聖学始終之要也哉」。貴方は敬の終わりをなすものを聞きたいと言うが、聖学は始終敬の一字を離れない。そこで書経も皆敬で、湯王の「聖敬日躋」も、武王の「敬勝怠」も戒慎恐懼の一心へ詰まるもの。そこを蔡九峯が合点して、書経の序に心の字を数多く出した。心が敬で立たなければならない。「雍也南面、居敬而行簡」でも、孔子の教えの本は皆敬である。そこで、鞭策録の操存の部は大切に与ることなので、この或問の敬を引かれたのである。
【語釈】
・告子を引た…孟子告子章句上15。「耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思、思則得之、不思則不得也。此天之所與我者。先立乎其大者、則其小者弗能奪也。此爲大人而已矣」。
・脩己以安百姓…論語憲問45。「子路問君子。子曰、脩己以敬。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安人。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安百姓。脩己以安百姓、堯舜其猶病諸」。
・篤恭而天下平…中庸章句33。「詩曰、不顯惟德、百辟其刑之。是故君子篤恭而天下平」。詩は周頌烈文。
・垩敬日躋…詩経商頌長発。「帝命不違、至于湯齊。湯降不遲、聖敬日躋」。
・敬勝怠…小学内篇敬身。「丹書曰、敬勝怠者吉。怠勝敬者滅。義勝欲者從。欲勝義者凶」。
・雍也南面…論語雍也1。「子曰、雍也可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰、可也簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然」。