答胡廣仲書條  七月二十六日  文録
【語釈】
・七月二十六日…寛政5年(1893)7月26日。
・文…林潜斎。花沢文次。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

37
答胡廣仲書曰、近來覺得敬之一字、眞聖學始終之要。向來之論、謂必先致其知然後有以用力於此。疑、若未安。蓋古人由小學而進於大學。其於洒掃應對進退之間、持守堅定涵養純熟固已久矣。是以大學之序、特因小學已成之功、而以格物致知爲始。今人未嘗一日從事於小學、而曰必先致其知、然後敬有、所施、則未知其以何爲主、而格物以致其知也。故程子曰、入道莫如敬。未有能致知而不在敬者。又論敬。云、但存此久之、則天理自明。推而上之、凡古昔聖賢之言亦莫不如此者。試考其言而以身驗之、則彼此之得失見矣。文集四十二下同。
【読み】
胡廣仲に答うる書に曰く、近來敬の一字、眞に聖學始終の要を覺え得。向來の論、必ず先ず其の知を致し然る後に以て力を此に用いること有りと謂う。疑うらくは、未だ安からざるが若し。蓋し古人小學に由りて大學に進む。其の洒掃應對進退の間に於て、持守堅定涵養純熟固より已に久し。是れ以て大學の序、特に小學已に成すの功に因りて、物に格り知を致すを以て始めと爲す。今人未だ嘗て一日事に小學に從わずして、必ず先ず其の知を致し、然る後に敬施す所有りと曰うは、則ち未だ其れ以て何を主と爲して、物に格り以て其の知を致すかを知らざるなり。故に程子曰く、道に入るは敬に如くは莫し。未だ能く知を致して敬に在らざる者有らず。又敬を論ず。云う、但此を存し之を久しくすれば、則ち天理自ら明かなり、と。推して之を上ぐるに、凡そ古昔聖賢の言も亦此の如からざる者莫し。試みに其の言を考えて身を以て之を驗せば、則ち彼此の得失を見ん。文集四十二下同。

近來覚得敬之一字、真聖学始終之要。この覚得と云が精彩なり。近來挌別と云はういた言やうにて聞ゆれども、これでなければ学問上らぬもの。近來覚たと云が却て大ふ精彩なり。学問いつも三綱領と覚て居るは、我胸に覚得がないゆへ役に立ぬ。覚得と云でここに光りがつく。始終は非番のないことを云。これが人の息をつくやふなもの。人が生れ落てから死迠息をつく。よく々々なことで、寐入ても息をつくぞ。又敬は亭主のやふなもの。何をするにも亭主がなくてならぬ。心にそれがありて、大工などが屋根を下りのぼりするに怪我をせぬ。七堂伽藍を地形の時から立あげる迠怪我せぬやうにする。学問も始終が敬で、それを書物藝にせぬが覚得なり。
【解説】
「答胡廣仲書曰、近來覺得敬之一字、眞聖學始終之要」の説明。胸に得なければ役に立たない。「覚得」が精彩のある語である。学問の始終は敬である。
【通釈】
「近来覚得敬之一字、真聖学始終之要」。この「覚得」が精彩である。近来覚得は浮いた言い様に聞こえるが、これでなければ学問は上がらない。近来覚えたと言うのが却って大きな精彩である。学問いつも三綱領だと覚えているのは、我が胸に覚得がないので役に立たない。覚得と言うのでここに光りが付く。「始終」は非番のないことを言う。これが人の息をつく様なもの。人は生まれ落ちてから死ぬまで息をつく。それはよくよくなことで、寝入っても息をつく。また敬は亭主の様なもの。何をするにも亭主がなくてならない。心にそれがあって、大工などは屋根を下り上りしても怪我をしない。七堂伽藍を建てるのに、地固めの時から立ち上げるまで怪我をしない様にする。学問も始終が敬で、それを書物芸にしないのが覚得である。

○向来之論、謂必先致其知然後有以用力於此。疑、若未安。これ迠は知か先き。そこで敬と見たはよくない。いつも敬がはなれぬ。茶の給仕も天下の政も正月の礼も軍も皆敬でなければならぬ。たま々々安神散のやふにして、あとから用ることでない。向來の論は落付ぬとなり。○蓋古人由小学而進於大学。其於洒掃応對進退之間、持守堅定涵養純熟固已久矣。ここが敬と云はずに敬なり。小児ゆへ敬と知らずに涵養純熟なり。いつも云、公家の上品なり。金銀や米穀を手にふれず、筭盤のそばに居ぬゆへ、何となくあの上品ぞ。○是以大学之序、特因小学已成之功、而以格物致知爲始。大学の始が致知挌物と云から、大学をとりこにして知が始め、そふして敬と云がすぐに小学の敬が下た地になりて挌物致知をする。
【解説】
「向來之論、謂必先致其知然後有以用力於此。疑、若未安。蓋古人由小學而進於大學。其於洒掃應對進退之間、持守堅定涵養純熟固已久矣。是以大學之序、特因小學已成之功、而以格物致知爲始」の説明。小学では、敬とは知らずに敬をするのである。大学では、小学での敬を下地にして格物致知をするのである。
【通釈】
○「向来之論、謂必先致其知然後有以用力於此。疑、若未安」。これまでは知が先きで、それから敬と見るとあったが、それはよくない。いつも敬が離れない。茶の給仕も天下の政も正月の礼も軍も皆敬でなければならない。偶々安神散を使う様に、後で用いることではない。向来の論は落ち着かないと言った。○「蓋古人由小学而進於大学。其於洒掃応対進退之間、持守堅定涵養純熟固已久矣」。ここが敬と言わずに敬のこと。小児なので敬とは知らずに涵養純熟である。いつも言う、公家の上品である。金銀や米穀を手に触れず、算盤の側にいないので、何となくあの様に上品である。○「是以大学之序、特因小学已成之功、而以格物致知為始」。大学の始めが致知格物と言うから、大学を根拠にして知が始めとし、そうして敬と言うのが直に小学の敬が下地になって格物致知をすること。

○今人未嘗一日従事於小学、而曰必先致其知、然後敬有所施、則未知其以何爲主、而挌物以致其知也。今日のは小学なしの大手ぬけなり。氣ずい氣ままをして幸に学問に志すからは、或問の通り敬て補ふなり。それに先つ知を致して、あとで敬とはつまらぬなり。○故程子曰、入道莫如敬。未有能致知而不在敬者。尭舜三代なればこれは云はぬこと。あの時は敬と云はずに小学がある。今敬々と云はどふやら禅の観法のやふなれども、そふでない。今日小学がなく致知挌物する。種がないゆへ敬でさせるなり。講釈きくは挌物なれども、昨夜寐ぬと、うっかりとしてきこへぬ。酒に醉てもそれで端的のことなり。
【解説】
「今人未嘗一日從事於小學、而曰必先致其知、然後敬有所施、則未知其以何爲主、而格物以致其知也。故程子曰、入道莫如敬。未有能致知而不在敬者」の説明。今日は小学がないので敬で補う。それで、程子も「入道莫如敬」と言った。
【通釈】
○「今人未嘗一日従事於小学、而曰必先致其知、然後敬有所施、則未知其以何為主、而格物以致其知也」。今日の人は小学がないので大手抜けである。気侭にしても、幸に学問に志すからは、或問の通り敬で補うことができる。それなのに、先ず知を致して、後で敬と言うのは詰まらないこと。○「故程子曰、入道莫如敬。未有能致知而不在敬者」。堯舜三代であればこれは言わない。あの時は敬と言わなくても小学があった。今敬と言うのはどうやら禅の観法の様だが、そうではない。今日小学がなくて致知格物をする。種がないので敬でさせるのである。講釈を聴くのは格物だが、昨夜は寝ていないとすれば、うっかりとして聞こえない。酒に酔った時がその端的である。

○又論敬。云、但存此久之、則天理自明。これが程子の手前の覚あることで、人をさとして云ことぞ。敬と云へば耳立つが、つつしみは朝夕なるる云の葉なり。仮初事の上にあることを朝夕つつしむことぞ。そこで敬の熟するを久と云。持敬居敬といやと云はれぬ。持はたへずに持つつけること。持佛堂と云も其家のある内は持つつけて、店かへしても持ちゆく。居敬の居も、いつもそこにすへて置くこと。熊膽なればたま々々、あの苦みがふだんではならぬが、敬はそふでない。いつも其場に居りすへること。そこで久も存もそれぞ。四箴にある久而誠も、久くして仕とげることなり。久と存で、そこで天理が明になる。德なもので、この持前で明になるぞ。挌物でみがくことなれども、これが先軰の云、百目がけへぼんぼりなり。それで火が明になる。
【解説】
「又論敬。云、但存此久之、則天理自明」の説明。敬は熟させるもの。持敬居敬も久しくすることで、これで天理が明になる。
【通釈】
○「又論敬。云、但存此久之、則天理自明」。これが程子自身に覚えのあることで、人を諭して言ったこと。敬と言えば耳立つが、慎みは朝夕なるる言の葉である。仮初事の上にあることを朝夕慎むのである。そこで敬の熟するのを「久」と言う。持敬居敬を嫌とは言えない。「持」は絶えず持ち続けること。持仏堂と言うのも、その家のある内は持ち続け、店替えをしても持って行くもの。居敬の居も、いつもそこに据えて置くこと。熊膽は偶々舐めるもので、あの苦味が絶えずあっては堪らないが、敬はそうでない。いつもその場に据えているもの。そこで「久」も「存」もそのことを言う。四箴にある「久而誠」も、久くして仕遂げること。久と存で、そこで天理が明になる。徳なもので、この持ち前で明になる。それは格物で磨くことだが、これが先輩の言う、百目掛けに雪洞である。それで火が明になる。
【語釈】
・久而誠…近思録克己3。「視箴曰、心兮本虚、應物無迹。操之有要、視爲之則。蔽交於前、其中則遷。制之於外、以安其内。克己復禮、久而誠矣」。

○推而上之、凡古垩賢之言亦莫不如此者。當時程門にさとすことなれども、初て程子で氣がついて古へあげて見るに、古垩賢も皆これなり。たんてき聞へたは書経が政務のことなれども、敬でなければならぬ。あの政がたわけた知惠なしのにはならぬが、知のことは云はずに戦々兢々と云て皆敬ぞ。○試考其言而以身驗之、則彼此之得失見矣。垩賢の敬を語られたことを考て、我身て識たら知れやう。身にためさず只敬と覚たぎりでは敬の文字訓話なり。そこで又挌物の下た地に敬がなければならぬ。敬がなければ知はみがかれぬ。去年冨八を呵るも、冨八が善太郎様に酒を上けてなどと云、其酒を縁にして旦那にも開活なよい御咄を聞かせたいと思ふと云。禹は旨酒をにくむと云れたに、冨八などそこをわすれている。今日酒を自慢にして高致とするが、酒も好色も同挌ぞ。自慢はならぬ。今日酒が世説唐詩選のかぶれで学者の自慢になるそ。表立つことでない。それを見識にして、あぢに高くするが前かたなこと。つつしむべきことなり。
【解説】
「推而上之、凡古昔聖賢之言亦莫不如此者。試考其言而以身驗之、則彼此之得失見矣」の説明。古の聖賢も敬をした。書経は政務のことだが、敬がなければそれはできないこと。また、敬がなければ知は磨かれない。格物の下地に敬があるのである。
【通釈】
○「推而上之、凡古聖賢之言亦莫不如此者」。当時程門に諭したことだが、初めて程子が気付いて古を開けて見ると、古聖賢も皆これだった。端的にわかるのが書経で、これは政務のことだが、敬でなければならない。あの政が戯けた知恵なしの者にはできないことだが、知のことは言わずに戦々兢々と言う。皆敬のこと。○「試考其言而以身験之、則彼此之得失見矣」。聖賢が敬を語られたことを考えて、我が身て識ったら知れることだろう。身に験さずただ敬と覚っただけでは敬の文字訓詁である。そこでまた格物の下地に敬がなければならないのである。敬がなければ知は磨かれない。去年富八を呵ったのも、富八が善太郎様に酒を上げてなどと言い、その酒を縁にして旦那にも快活なよい御話を聞かせたいと思うと言うからである。禹が旨酒を悪むと言われたのに、富八などはそれを忘れている。今日酒を自慢にして高致とするが、酒も好色も同格である。自慢はならない。今日酒が世説唐詩選の被れで学者の自慢になる。それは表立つことではない。それを見識にして、悪く高くするのが未熟なこと。慎むべきことである。
【語釈】
・戦々兢々…書経皋陶謨。「兢兢業業、一日二日萬幾」。
・冨八…
・善太郎…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。迂斎と野田剛斎に学ぶ。享保5年(1720)~寛政4年(1792)
・禹は旨酒をにくむ…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒、而好善言」。


答胡廣仲書條
38
答胡廣仲書曰、上蔡雖説明道先使學者有所知識却從敬入、然其記二先生語、却謂未有致知而不在敬者。又自云、諸君不須別求見處。但敬與窮理則可以入德矣。二先生亦言、根本須先培擁、然後可立趨向。又言、莊整齊肅久之、則自然天理明。五峰雖言知不先至則敬不得施、然又云、格物之道必先居敬以持其志。此言皆何謂耶。熹竊謂、明道所謂先有知識者、只爲知邪正識趨向耳。未便遽及知至之事也。上蔡五峰既推之太過、而來喩又謂知之一字、便是聖門授受之機、則是因二公之過而又過之。試以聖賢之言考之、似皆未有此等語意。却是近世禪家説話多如此。若必如此、則是未知。已前可以怠慢放肆無所不爲、而必若曾子一唯之後、然後可以用力於敬也。此説之行於學者日用工夫、大有所害。恐將有談玄説妙以終其身、而不及用力於敬者。非但言語之小疵也。上蔡又論。横渠以禮敎人之失、故其學至於無傳。據二先生所論、却不如此。蓋曰、子厚以禮敎學者、最善。使人先有所据守。但譏其説清虚一大、使人向別處走、不如且道敬耳。此等處、上蔡説皆有病、如云正容謹節外靣威儀非禮之本。尤未穩當。
【読み】
胡廣仲に答うる書に曰く、上蔡、明道の先ず學者知識する所有らしむは却って敬に從いて入ると説くと雖も、然れども其の二先生の語を記する、却って未だ知を致して敬に在らざる者有らざるを謂う。又自ら云う、諸君須く別に見處を求めるべからず。但敬と理を窮むるとで、則ち以て德に入る可し、と。二先生も亦言う、根本須く先ず培擁すべく、然る後に趨向を立つ可し、と。又言う、莊整齊肅之を久しくすれば、則ち自然に天理明かなり、と。五峰、知先ず至らざれば則ち敬施すことを得ずと言うと雖も、然れども又云う、物に格るの道は必ず先ず敬に居り以て其の志を持す、と。此の言は皆何の謂いぞや。熹竊に謂う、明道謂う所の先ず知識有る者は、只邪正を知り趨向を識ると爲すのみ。未だ便遽に知至るの事に及ばざるなり。上蔡五峰既に之を推すこと太だ過ぎて、來喩に又知の一字は、便ち是れ聖門授受の機と謂うは、則ち是れ二公の過るに因りて又之を過す。試に聖賢の言を以て之を考えるに、皆未だ此等の語意有らざるに似たり。却って是れ近世禪家の説話多く此の如し。若し必ず此の如くなれば、則ち是れ未だ知らず。已前以て怠慢放肆爲さざる所無く可くして、必ず曾子一唯の後の若くして、然る後以て力を敬に用いる可し。此の説の學者日用の工夫に行わるる、大いに害する所有り。恐らくは將に玄を談じ妙を説き以て其の身を終えて、力を敬に用いるに及ばざる者有らんとす。但言語の小疵に非ざるなり。上蔡又論ず。横渠の禮を以て人を敎うるの失、故に其の學傳わる無きに至る、と。二先生の論ずる所に據るに、却って此の如からず。蓋し曰く、子厚の禮を以て學者を敎える、最も善し。人先ず据守する所有らしむ、と。但其れ清虚一大を説き、人をして別處に向き走らしめ、且敬を道うに如かずと譏るのみ。此等の處、上蔡の説皆病有るは、容を正し節を謹しみ外靣の威儀禮の本に非ずと云うが如し。尤も未だ穩當ならず。

曰、上蔡雖説明道先使学者有所知識却従敬入、然其記二先生語、却謂未有致知而不在敬者。少しある筋を主張する処が学問のゆがみになる。明道のは筋を知たらそれからさきは敬と云たこと。それを知か先き敬があとの證拠に取て胡廣仲が主張すれども、一つある語を主張することでない。これを上蔡が云たとて、かさにかかって云はわるいなり。然其記二先生語云云。これが今全書の遺書にありて、未有致知而不在敬者と、居敬究理を敬を本にして云たことなり。さて、二先生と云はあぢな書かたのやうなれども、これが明道語と伊川語を分けた遺書とわけぬ遺書があるが、ここの二先生の字は分けずに云なり。
【解説】
「答胡廣仲書曰、上蔡雖説明道先使學者有所知識却從敬入、然其記二先生語、却謂未有致知而不在敬者」の説明。少しの筋を主張するのが学問の歪みとなる。上蔡が言ったことだと嵩に掛かって言うのは悪い。
【通釈】
「曰、上蔡雖説明道先使学者有所知識却従敬入、然其記二先生語、却謂未有致知而不在敬者」。少しある筋を主張する処が学問の歪みになる。明道のは筋を知れば、それから先は敬だと言ったこと。それを知が先きで敬が後の証拠に取って胡広仲が主張するが、一つある語を主張するものではない。これを上蔡が言ったからと、嵩に掛かかって言うのは悪い。「然其記二先生語云云」。これが今全書の遺書にあり、「未有致知而不在敬者」と、居敬窮理を敬を本にして言ったこと。さて、二先生とは悪い書き方の様だが、明道の語と伊川の語を分けた遺書と分けない遺書があり、ここの二先生の字は分けずに言ったもの。

○又自云、諸君不須先培擁、然後可立趨向。根本培擁が、心にこやしするとしゃんと居処にいる。それが本とて趨向が立て学問がなる。いつも云、学問手や足ではならぬ。弓馬と違ふて心ですること。そこで心の刄金がわるくてはならぬ。この心が本で究理尽性也。○又云、荘整斉肅久之、則自然天理明。これも皆敬のことなり。整斉厳肅と同じこと。厳は形のことにも心にもなる。荘も形につくことなれども、顔色なとの色について云。衣紋などの曲らずしゃんとしまったこと。肅は心に付た字なり。されども拜に肅拜などと云も心のしまるから形もべろりとなる。皆心の敬みと内外もち合ふなり。天理明は、明德の發見すること。人欲があると昏德になるが、それに取られぬとはたらき出る。
【解説】
「又自云、諸君不須別求見處。但敬與窮理則可以入德矣。二先生亦言、根本須先培擁、然後可立趨向。又言、莊整齊肅久之、則自然天理明」の説明。学問は心でするものだから、心に肥やしを遣らなければならない。「荘」は形に付いたことで、「粛」は心に付いた字である。しかし、皆心の敬みと内外とが持ち合うのである。
【通釈】
○「又自云、諸君不須先培擁、然後可立趨向」。根本培擁で、心に肥やしをするとしゃんと居り場にいる。それが本になって趨向が立ち、学問がなる。いつも言う、学問は手や足ではできない。弓馬と違って心でするということ。そこで心の刃金が悪くてはならない。この心が本で「窮理尽性」である。○「又言、荘整斉粛久之、則自然天理明」。これも皆敬のこと。整斉厳粛と同じこと。「厳」は形のことにも心のことにもなる。「荘」も形に付いたことだが、顔色なとの色に付いて言う。衣紋などの曲らずにしゃんと締まっていること。「粛」は心に付いた字である。しかしながら、拝むのに粛拝などということもあり、心が締まるので形もその様になる。皆心の敬みと内外が持ち合うのである。天理明は、明徳の発見すること。人欲があると昏徳になるが、それに取られないと働き出る。
【語釈】
・肅拜…うつむいて手さきが地につくまで頭を下げる礼。

○五峯雖言知不先至則敬不得施、然又云、格物之道必先居敬以持其志。此言皆何謂哉。胡廣仲が程子と五峯の二人をとりこに取て知を先きに云ども、先軰は其時の入用次第でいろ々々云ことあるぞ。それをあとから主張すれども、其五峯が挌物之道必先居敬と云ぞやなり。学者の誤が我得手方の勝手になる方へ先軰を引たがる。知見をさきにしてやつきゃつと云が、謝上蔡や五峯が斯ふ云語のあるに、なぜそれをば見ぬと呵ったのなり。○熹竊謂、明道所謂先有知識者、只爲知邪正識趨向耳。未便遽及知至之事也。明道の先有知識を重くしてみることでなく、あれは一寸としたこと。迂斉の、東西を知ると云こととなり。知邪正識趨向と云が火事の方角を聞やふなもの。風は何じゃ、下谷か浅草かと聞て支度し、火事羽織着てははたらくのなり。それぎりのことで、知がまつ始と云ふの順を云ことでない。
【解説】
「五峰雖言知不先至則敬不得施、然又云、格物之道必先居敬以持其志。此言皆何謂耶。熹竊謂、明道所謂先有知識者、只爲知邪正識趨向耳。未便遽及知至之事也」の説明。朱子が、別に五峰は「格物之道必先居敬」とも言っていると言った。また、明道の「先有知識」は軽い意で、火事の方角を聞く様なものであり、順を言ったものではない。
【通釈】
○「五峰雖言知不先至則敬不得施、然又云、格物之道必先居敬以持其志。此言皆何謂哉」。胡広仲が程子と五峰の二人を証拠に取って知を先に言うが、先輩はその時の入用次第で色々と言うことがある。それを後から主張するが、五峰は「格物之道必先居敬」とも言っている。学者の誤りで、自分の得手方で勝手になる方へ先輩を引きたがる。知見を先にして奴彼と言うが、謝上蔡や五峰にこの様な語があるのに、何故それを見ないのかと呵ったのである。○「熹竊謂、明道所謂先有知識者、只為知邪正識趨向耳。未便遽及知至之事也」。明道の「先有知識」は重く見ることでなく、あれは一寸したこと。迂斎が、東西を知るということだと言った。「知邪正識趨向」が火事の方角を聞く様なもの。風はどうだ、下谷か浅草かと聞いて支度をし、火事羽織を着て働くのである。それだけのことで、知が先ず始めだと順を言ったことではない。
【語釈】
・五峯…胡五峰。胡宏。宋の建寧祟安(福建省)の人。字は仁仲。胡安国の末子。五峰先生と称せられる。著書『五峰集』『皇王大記』『胡子知言』~1155

○上蔡五峰既推之太過、而来喩又謂知之一字、便是垩門授受之機、則是因二公之過而又過之。上蔡も五峯も実は知づりて大過なり。湖南一派の廣仲ゆへ、知之一字垩垩門授受之機と云。これが知ですみて、行は下卑と見、知さへ明なればそれがすぐに行につくと云のなり。世の放蕩不覊なも又柔和忍辱のうっとりも皆知がないからとして、そこで知垩門授受之機と何も入れずに知ばかりにぬけたがる。其知ですむは主人の金五百両を大切と知るゆへ眠りはせぬ。すれば知が先に立てばそれで何もすむと見る。なるほど筋がなければ上蔡も五峯もあふは言は子とも、胡廣仲はそれを得手に帆にして云ふ。此病、学者のあることなり。朱子のどこでか云はれたが、東萊が我説をひょっとよいと思ふと九天の上へあげるとなり。我得手方で此上へなしと云。高くは云はれぬが、浅見門もこれがある。九天の上へあげるぞ。本んの知見があると片づりは云はぬものなり。
【解説】
「上蔡五峰既推之太過、而來喩又謂知之一字、便是聖門授受之機、則是因二公之過而又過之」の説明。胡広仲が「知之一字、便是聖門授受之機」と、知だけで何もかも済むと言った。それは得手方で言ったことで、片吊りなことである。
【通釈】
○「上蔡五峰既推之太過、而来喩又謂知之一字、便是聖門授受之機、則是因二公之過而又過之」。上蔡も五峰も実は知吊りで大過である。湖南一派の広仲なので、「知之一字、聖門授受之機」と言う。これが知で済むことで、行は下卑と見る。知さえ明であればそれが直に行に付くと言う。世の放蕩不覊な者も、また、柔和忍辱のうっとりとした者も皆知がないからだとして、そこで知聖門授受之機と何も入れずに知だけに抜けたがる。その知で済むと言うのは、主人の五百両の金を大切と知っているので眠らない様なこと。それなら知が先に立てばそれで何もかも済むと見る。なるほど筋がなければ上蔡も五峰もあの様には言わないが、胡広仲はそれを得手に帆を揚げて言った。此病、学者のあることなり。朱子のどこでか云はれたが、東萊が我説をひょっとよいと思ふと九天の上へあげるとなり。自分の得手方でこの上なしと言う。高くは言わないが、浅見門にもこれがある。九天の上へ揚げる。本当に知見があると片吊りは言わないもの。
【語釈】
・得手に帆にして…得手に帆を揚げる。得意なことを調子に乗ってする。

○試以垩賢之言考之、似皆未有此等語意。却是近世禅家説多如是。圣賢之言と云がよい云やふじゃ。垩賢の語に論語でも孟子でも片づりはない。貴様は垩学をするゆへ孔孟のあとをついだやうじゃが、この圣賢授受の機などと云は禅家がこのやふじゃと、大やうに朱子の云はるるけれども、これがすぐに圭峯が知之一字衆妙之門なり。あれをうれしがりてここへ持て來て云なり。今日物見高いといふことあり。学者にも物見高いの筋あるぞ。物見高いと云は珎くないものを面白そふに見ること。江戸橋で鮟鱇のつるし切を人がよく立て見て居る。鮟鱇は食ものでこそあれ、見るものでない。なるほど可笑しいことぞ。廣仲などもまだ禅機をうれしそふに云ふぞ。ほんの道理を見ると禅家の語などは珎しく思はぬ筈ぞ。圭峯がなにを云ふぞとあざ笑ふべきことなり。
【解説】
「試以聖賢之言考之、似皆未有此等語意。却是近世禪家説話多如此」の説明。聖賢の語に片吊りはない。胡広仲が「聖賢授受之機」などと言うのは禅の語である。これが物見高いということ。珍しくないものを面白そうに見たのである。
【通釈】
○「試以聖賢之言考之、似皆未有此等語意。却是近世禅家説話多如此」。「聖賢之言」と言うのがよい言い様である。聖賢の語には論語でも孟子でも片吊りはない。貴方は聖学をしているのだから孔孟の跡を継いだ様だが、この聖賢授受の機などと言うのは禅家がこの様なことだと、大様に朱子の言われた。これが直に圭峰の「知之一字衆妙之門」である。あれを嬉しがってここへ持って来て言ったのである。今日物見高いということがある。学者にも物見高い筋がある。物見高いとは、珍しくないものを面白そうに見ること。江戸橋で鮟鱇の吊るし切りを人がよく立って見ている。鮟鱇は食い物でこそあれ、見るものではない。なるほど可笑しいことである。広仲などもまだ禅機を嬉しそうに言う。本当の道理を見ると禅家の語などは珍しく思わない筈である。圭峰が何を言うかと嘲笑うべきことである。
【語釈】
・圭峯…
・知之一字衆妙之門…

○若必若此、則是未知。已前可以怠慢放肆無所不爲、而必若曽子一唯之後、然後可以用力於敬也。ここは朱子の難題を云なり。向にもまさかかふも云ぬなれども、そこをつめて云ぞ。今日から知ったと云時からはよかろふが、其知らぬ前は不埒でもよいになる。陳圖南がやうに、百日寐てもそれですむになる。さて知を重く云て、曽子一唯と云こと。これが知の至りなり。爰ては子貢の一貫は知、曽子は行と云ふ筋に見ることではない。朱子の、貴様の見識では曽子之やふに至極になって敬と云なれば、学者一生はうらつで、死ぎはになって居敬して君子になるぞとなり。
【解説】
「若必如此、則是未知。已前可以怠慢放肆無所不爲、而必若曾子一唯之後、然後可以用力於敬也」の説明。知が先だとすれば、知る前は何をしてもよいことになる。一生放埓でいながら、死際になって居敬すれば君子になることができることになる。
【通釈】
○「若必如此、則是未知。已前可以怠慢放肆無所不為、而必若曾子一唯之後、然後可以用力於敬也」。ここは朱子が難題を言ったところ。向こうもまさかこの様に言われるとは思わなかったことだが、そこを詰めて言ったのである。今日から知ったという時からはよいだろうが、知る前は不埒でもよいことになる。陳図南の様に、百日寝てもそれで済むことになる。さて知を重く言って、「曾子一唯」と言うのが知の至りである。ここでは子貢の一貫は知、曾子のは行という筋に見てはならない。朱子が、貴方の見識の通り、曾子の様に至極になってから敬と言うのであれば、学者も一生放埓で、死際になって居敬して君子になるぞと言った。
【語釈】
・陳圖南…陳博。字は図南。扶揺子と号す。唐末五代の道士。宋の太宗に謁見して希夷先生の号を賜う。108歳で没する。
・子貢の一貫は知、曽子は行…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。論語衛霊公2。「子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與。對曰、然。非與。曰、非也。予一以貫之」。

○此説之行於学者日用工夫、大有所害。恐將有談玄説妙以終其身、而不及用力於敬者。非但言語之小疵也。貴様の説では人の爲に大害なり。果は老荘佛になりて、敬は入らぬことにして学者の覚悟を取り失はせ、昨日の文義は言そこないじゃ位のことでないなり。談玄説妙以終其身が、何やら知れぬことを云てまぎらかす。それからはすました皃になり、眼霄漢を見る□□□云て摸様になる。これが皆宋朝の禅のかぶれなり。只知の一字ですむ、何に敬、死敬じゃなどと云て学者に一生仕舞はせる。東坡が敬を打破せんと朱公掞などを非に見て云へども、程子の道統をつかれたと云も、又敬で小学のかけを補ふと云も垩学のぎり々々なり。小学のかけを補ふは天地の間に敬の外はない。事業なり。ここは一大事ぞ。小学がかけると大学もかける。小学なければ大学はならぬ。そこを敬で補ふで大学が大学になる。然るにその敬をすてて知々と云は言語の小疵処でなく、脉をきり刄をひくのぞ。大切のことなり。
【解説】
「此説之行於學者日用工夫、大有所害。恐將有談玄説妙以終其身、而不及用力於敬者。非但言語之小疵也」の説明。胡広仲の説では、敬はいらないことになり、それは人にとっての大害となる。敬で小学の欠けを補うのが聖学の至極である。
【通釈】
○「此説之行於学者日用工夫、大有所害。恐將有談玄説妙以終其身、而不及用力於敬者。非但言語之小疵也」。貴方の説では人のためには大害である。果ては老荘仏になって、敬は要らないことにして、学者の覚悟を取り失わせる。それは昨日の文義は言損ないだと言う位のことでない。「談玄説妙以終其身」は、何やら知れないことを言って紛らかすこと。それからは済ました顔になり、眼霄漢を見る□□□いう模様になる。これが皆宋朝の禅の被れである。ただ知の一字で済む、何にが敬だ、死敬だなどと言って学者に一生敬をさせない。東坡が敬を打破しようと朱公掞などを非と見て言うが、程子が道統を継がれたと言うのも、また敬で小学の欠けを補うと言うのも聖学の至極のこと。小学の欠けを補うには天地の間で敬の外にはない。事業である。ここは一大事のこと。小学が欠けると大学も欠ける。小学がなければ大学はならない。そこを敬で補うので大学が大学になる。それなのに、その敬を捨てて知とばかり言うのは言語の小疵処ではなく、脈を切り、刃を引くこと。大切なことである。
【語釈】
・眼霄漢…
・朱公掞…名は光庭。1037~1094

○上蔡又論。横渠以礼教人之失、故其学至於無傳。據二先生所論、却不如此。これも朱子の謝氏を呵らるることなれども、これらは取あつかいに口傳ありて、上蔡にも一理あること。そこを知らぬ顔で呵るが朱子の抑揚なり。横渠は二程と並へども、関西の学者が田舎者で不調法じゃに、それを礼で仕こみてこつ々々するはかりで道理がさへぬゆへ、上蔡の呵るなり。然るにそれは関西の弊へでこそあれ、それを学術にかけては呵らぬ筈のことなり。其外謝上蔡の知覚を仁、と。實は生意の動く処を見て云へども、それは言すぎ、知仁の門違になるゆへ許さぬ。これも内分は一理あれども、朱子は表向で呵らるる。丁ど役人思いやりもあれども、表向見のがしはならぬ。これ、道の任なり。さて又其学至於無傳と云が、□□□□。関西の学者、道の理會なく礼でこつ々々して、横渠門に呂與叔蘓季明二人ぎりで、跡は只の者なり。然るにここか傳へるの傳へぬと云ことでなく、二程の論ずる処にそんなことはない。礼と云ふに非はないこと。上蔡は師の評判にそむいてわるく云へども、二程は甚ほめられた。
【解説】
「上蔡又論。横渠以禮敎人之失、故其學至於無傳。據二先生所論、却不如此」の説明。関西の学者が田舎者で不調法なので、横渠は彼等を礼でこつこつと仕込んだので、その学を伝えた者がいなかったと上蔡が言った。しかし、二程の論ずるところではその様なことはない。
【通釈】
○「上蔡又論。横渠以礼教人之失、故其学至於無伝。拠二先生所論、却不如此」。これも朱子が謝氏を呵られたものだが、これ等は取り扱いに口伝があって、上蔡にも一理ある。そこを知らぬ顔で呵るのが朱子の抑揚である。横渠は二程と並ぶ人だが、関西の学者が田舎者で不調法で、それを礼で仕込んでこつこつとするばかりで道理が冴えないので、上蔡を呵ったのである。しかしながら、それは関西の弊でこそあれ、それを学術に掛ければ呵る筈ではないこと。その外に謝上蔡は知覚を仁と言った。これは実は生意の動く処を見て言ったことだが、それは言い過ぎで、知仁の門違いになることなので許さない。ここも内分には一理あるが、朱子は表向きで呵られた。丁度役人にも思い遣りがあるが、表向きは見逃しはできない。これが道の任である。さてまた「其学至於無伝」と言うのが、□□□□。関西の学者は道の理会がなく、礼をこつこつとしているだけである。横渠門には呂与叔と蘇季明の二人だけで、残りは普通の者である。そこをここは伝えるとか伝えないとかということでなく、二程の論ずる処にその様なことはないと言った。礼に非はない。上蔡は師の評判に背いて悪く言ったが、二程は横渠を甚だ褒められた。

○蓋曰、子厚以礼教学者、最善。使人先有所据守。据守ると云が、これも小学のかけを補ふことなり。ここかいつも云、町人や百姓と武家の子のやふなもの。田舎はついに袴着ることもないに、武家はそれが平生なり。武士は謡、こちは流行唄なれば、中の知惠は同ことでも、据守る処が違う。なるほど又酒を飲む上でも袴着て飲は賓主百拜なれども、百姓の初手から大胡坐で飲むは礼で大に違ふぞ。敬は心のこと、礼は事の上なり。礼と敬は離れぬもの。敬の事に出たが礼。礼が内に居れば敬なり。
【解説】
「蓋曰、子厚以禮敎學者、最善。使人先有所据守」の説明。敬は心のことで、礼は事の上のこと。礼と敬とは離れないものであり、敬の事に出たのが礼で、礼が内にいれば敬である。
【通釈】
○「蓋曰、子厚以礼教学者、最善。使人先有所据守」。「据守」が、これも小学の欠けを補うこと。ここがいつも言う、町人や百姓と武家の子の様なもの。田舎は最後まで袴を着ることもないが、武家はそれが平生のこと。武士は謡、こちらは流行唄であり、中の知恵は同じことでも、据守する処が違う。なるほど、また酒を飲む上でも袴を着て飲むと賓主百拝だが、百姓が初手から大胡坐で飲むのは礼では大いに違うこと。敬は心のこと、礼は事の上のこと。礼と敬とは離れないもの。敬の事に出たのが礼。礼が内にいれば敬である。
【語釈】
・賓主百拜…礼記楽記。「夫豢豕爲酒、非以爲禍也。而獄訟益繁、則酒之流生禍也。是故先生因爲酒禮、壹獻之禮、賓主百拜、終日飲酒而不得醉焉」。

○但譏其説清虚一大、使人向別處走、不如且道敬耳。此等處、上蔡説皆有病云云。清虚一大では人が高ぞれる。それがどこぞにあるやうに別処に走るぞ。それより礼がよいなり。この虚じゃ一ぢゃと云がわるい。それをたづ子る。別処とは、据守の反對ぞ。上の据ると走をあてて見べし。清の虚の一の大のと云が道の見立なれども、空に高ぞれてわるい。さてここの点、一大の中の棒はわるい。清虚四箇なり。この書の点は直方てなく外の者が付たぞ。偖この如云正容謹節外面威儀非礼之本が上蔡の横渠門を呵ったこと。小笠原の稽古で先つ御さきへの、先つそれへのと云中に茶がぬるくなる。外むきの行義ばかりで猿に上下、礼の本ではない。林放問礼之本も行義のことでなく、礼の本からゆくこと。横渠門のは西の果に生れ、在郷学者がこつ々々して礼の本でないと云なり。横渠門にそれが有ふか無からふか、だたい礼で教るは垩人の本意なれば、上蔡の此語は以の外わるい。礼記でも何でも形ちのことを教るなり。曲礼の儀が威儀をよくすること。威儀はたたい外面のもの也。それからしてゆくことなり。嚴如思と云も、これでよい医案も出る。形をきっとすると心もしまる。それに外面と云ては敬と礼との本意がすまぬのなり。程子の主一無適や整斉嚴肅が心からも形からも敬の工夫なり。
【解説】
「但譏其説清虚一大、使人向別處走、不如且道敬耳。此等處、上蔡説皆有病、如云正容謹節外靣威儀非禮之本。尤未穩當」の説明。横渠門は外向きの行儀ばかりであって、それは礼の本ではないと上蔡が言った。しかし、そもそも礼で教えるのが聖人の本意なのだから、上蔡のこの語は以の外に悪い。
【通釈】
○「但譏其説清虚一大、使人向別処走、不如且道敬耳。此等処、上蔡説皆有病云云」。「清虚一大」では人が高逸れる。それが何処かにある様に「別処」に走る。それより礼がよい。この虚だ、一だと言うのが悪い。それを尋ねる。別処は据守の反対である。上の「据」にここの「走」を当てて見なさい。清、虚、一、大と言うのが道の見立てだが、それは空に高逸れて悪い。さてここの点、一大の中にある棒は悪い。清虚一大の四箇に棒を入れるのである。この書の点は直方ではなく、外の者が付けたのである。さてこの「如云正容謹節外面威儀非礼之本」が、上蔡が横渠門を呵ったこと。小笠原の稽古で先ず御先へとか、先ずそれへと言っている内に茶が温くなる。外向きの行儀ばかりで猿に裃では、礼の本ではない。「林放問礼之本」も行儀のことではなく、礼の本から行くこと。横渠門は西の果てに生まれ、在郷学者がこつこつとしていて礼の本でないと言う。横渠門にそれがあろうがなかろうが、そもそも礼で教えるのが聖人の本意なのだから、上蔡のこの語は以の外に悪い。礼記でも何でも形のことを教えるもの。曲礼の儀が威儀をよくすること。威儀はそもそも外面のもの。それからして行くのである。「厳如思」というのも、これでよい医案も出る。形をきっとすると心も締まる。それなのに外面と言うのでは敬と礼との本意が済まない。程子の主一無適や整斉厳粛が心からも形からも敬の工夫である。
【語釈】
・林放問礼之本…論語八佾4。「林放問禮之本。子曰、大哉問。禮、與其奢也、寧儉。喪、與其易也、寧戚」。
・嚴如思…


答林擇之書條
39
答林擇之書曰、古人直自小學中涵養成就。所以大學之道只從格物做起、今人從前無此工夫。但見大學以格物爲先、便欲只以思慮知識求之、更不於操存處用力。縱使窺測得十分、亦無實地可據。大抵敬字是徹上徹下之意。格物致知、乃其間節次進歩處耳。四十三。
【読み】
林擇之に答うる書に曰く、古人直に小學の中より涵養成就す。以て大學の道の只物に格るに從い做起する所、今人從前に此の工夫無し。但大學の物を格すを以て先と爲すを見て、便ち只思慮知識を以て之を求め、更に操存の處に於て力を用いず。縱え窺測得て十分ならしむとも、亦實地據る可き無し。大抵敬の字は是れ徹上徹下の意。物に格りて知を致せば乃ち其の間の節次歩を進むる處のみ。四十三。

古人直自小学中涵養成就。所以大学之道只従挌物做起。ここらの編集の並べやうがどれも一つやうなことを直方の多く挙けられたが、これが間違の出來ることゆへ、同じやうなこと出すがあやあることにて、文選や二十一史はかりをよむ学者に読ませる鞭策録ではない。そこで読やうで四書をも俗にする。こちの書をよむは蹴出しが違う。それで見所が高くなりて外面威儀非礼之本と云ふ上蔡が贔屓になる。近思録は四子の階梯、鞭策録は近思之階梯ゆへ、斯ふ似たやふな語を並へてみせぬと蹴ちらかすからぞ。古人直自小学中涵養成就を三代の時若い者に聞と、其涵養とは何のことじゃと云。いやそなた衆の知らずによくなった処が涵養でござると云。さてはそうかと上品なことなり。舜臣五人も涵養の成就の人なり。
【解説】
「答林擇之書曰、古人直自小學中涵養成就。所以大學之道只從格物做起」の説明。三代の時には涵養とは知らずに涵養をしていた。
【通釈】
「古人直自小学中涵養成就。所以大学之道只従格物做起」。ここ等の編集の並べ様がどれも同じ様なことを直方が多く挙げられているが、これが間違いの出来ることなので、同じ様なこと出すのが綾のあることであって、文選や二十一史ばかりを読む学者に読ませる鞭策録ではない。それで読み様で四書をも俗にする。こちらの書の読み方は蹴出しが違う。それで見所が高くなって「外面威儀非礼之本」と言う上蔡を贔屓にする。近思録は四子の階梯、鞭策録は近思の階梯なので、この様に似た様な語を並べて見せないと蹴散らかすことになる。「古人直自小学中涵養成就」を三代の時の若い者に聞くと、その涵養とは何のことだと言う。いや貴方衆が知らずによくなった処が涵養ですと言う。さてはそうかとわかる。実に上品なことである。舜臣五人も涵養の成就の人である。
【語釈】
・外面威儀非礼之本…講学鞭策録38。「上蔡説皆有病、如云正容謹節外靣威儀非禮之本」。
・舜臣五人…論語泰伯20。「舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人」。

○今人従前無此工夫。但見大学以挌物爲先、便欲只以思慮知識求之、更不於操存處用力。今人は小学めいたことがなく、敬の工夫なしに思慮知識でする。其塲になってかんがへやうなり。慮則屢々中るも全体根入がかいない。たとへば途中にて道に蹈み迷い、こちらの道が人の蹈み草が少い、しからはこちか本んみちかとて思慮知識でするが、それがはづれず中りもせふが、だたい圣賢の学に其やふな浅いあぶないことはない。知識は性のはたらきにて、知は仁義礼智の平ら日の智でもなし。それが性の知でもないが、方寸の内ではたらく知があって、中間小者にもあるもの。其知識の上で求めやうとは、當坐まかないで根はない。出入の医者の藥帒に生姜一片入とはなけれども、これは生姜を入るて有ふ、と。なるほど入て違はないが、それでは知惠がかるい。あぶないものなり。敬のじばんなしは利口ですること。それゆへ学者が役を勤めても、俗人の同役と同じことに落るものなり。存養で敬のじばんがあれば根入が違う。そふなく心が居処に居ぬゆへ、本知の光が甲斐ない。かけごのある上で用るが思慮知識なり。
【解説】
「今人從前無此工夫。但見大學以格物爲先、便欲只以思慮知識求之、更不於操存處用力」の説明。今の人は敬の工夫なしに思慮知識でする。その場になってから考えるのである。知識は性の働きであって、それに根はない。
【通釈】
○「今人従前無此工夫。但見大学以格物為先、便欲只以思慮知識求之、更不於操存処用力」。今の人は小学めいたことがなく、敬の工夫なしに思慮知識でする。その場になって考えようとする。「億則屡中」でも全体に根入れが甲斐ない。たとえば途中で道に踏み迷い、こちらの道の方が人の踏んだ草が少ない、それならこちらが本道かと思慮知識でする。それが外れず中りもしようが、そもそも聖賢の学にその様な浅い危ないことはない。知識は性の働きであって、知は仁義礼智の平日の智でもない。それは性の知でもないが、方寸の内で働く知があって、中間小者にもそれはある。その知識の上で求めようとは、当座賄いで根はない。出入りの医者の薬袋に生姜一片が入っているということはないことだが、これに生姜を入れているだろうと思う。なるほど入れても違いはないが、それでは知恵が軽い。危ないことである。敬の地盤なしは利口ですること。それで学者が役を勤めても、俗人の同役と同じことに落ちるもの。存養で敬の地盤があれば根入れが違う。そうでなく、心が居処にいないので、本知の光が甲斐ない。賭碁の上で用いるのが思慮知識である。
【語釈】
・慮則屢々中る…論語先進18。「子曰、囘也其庶乎。屡空。賜不受命、而貨殖焉。億則屡中」。
・平ら日…漢字の構成部分の名称。「曰」の文字また「最」「更」「書」などの「曰」を「日」と区別していう。
・かけご…懸子?掛子?本心を打ち明けて話さないこと。賭碁?

○縱使窺測得十分、亦無實地可據。思慮知識は人の心のはたらき。それで窺測得十分にゆくも人間の妙ゆへ垩賢の知ほどのことを借り出すことも有ふ。朱子の東坡兄弟を聦明之發と見て論孟の注にも蘓氏を引てあるが、實知でないゆへ周子や李延平のやうにあついことはない。只聦明ばかりゆへ、東坡などが薄手なり。印籠でも、蒔繪をせぬ前から堅地と上べから金箔かけたは違ふ。○大抵敬字是徹上徹下之意。挌物致知、乃其間節次進歩處耳。徹上徹下が、知をみがく入り口も敬、知のつまった上へも敬で、其つまった知惠を猶光らせる。其間の節次進歩處耳が本とのやふで挌式が軽い。今日一事を知り明日一事を知るのみぞ。長谷川觀水翁が朱子の知らぬことを知たと、何やらあの翁が見出したことあり。尭舜の知らぬことあるは先務を急にすなり。それは節次進歩之間のこと。そこで挌物致知ばかりでは善い料理の塩梅がわるいなり。徹上徹下敬でなければうま味はない。存養貫其二者也と、あの言は山﨑先生道学を仕ぬいたこと。往古より日本にない文そ。朱子大学序の書出しと功を同ふす。先生顧文曰、或人があのやふに長たらしい句はないと譏りし由し。夫学之道在致知力行之二、存養貫其二者也云云も、大学序文と並ぶほとなり。
【解説】
「縱使窺測得十分、亦無實地可據。大抵敬字是徹上徹下之意。格物致知、乃其間節次進歩處耳」の説明。知を磨く入り口も敬、知の詰まった上も敬で、「徹上徹下」が敬である。山崎先生が、致知力行を存養で貫くと言った。それは大学の序文と並ぶほどのものである。
【通釈】
○「縦使窺測得十分、亦無実地可拠」。思慮知識は人の心の働き。それで「窺測得十分」も、人間の妙で聖賢の知ほどのことを借り出すこともあるだろう。朱子が東坡兄弟を聡明之発と見て論孟の注にも蘇氏を引いてあるが、実知でないので周子や李延平の様に厚いことはない。ただ聡明なだけで、東坡などは薄手である。印籠でも、蒔絵をする前から堅地と上辺から金箔を掛けただけのものとは違う。○「大抵敬字是徹上徹下之意。格物致知、乃其間節次進歩処耳」。「徹上徹下」で、知を磨く入り口も敬、知の詰まった上も敬で、その詰まった知恵をなお光らせる。その間の「節次進歩処耳」が本の様で格式が軽い。今日一事を知り明日一事を知るのみである。長谷川観水翁が朱子の知らないことを知ったと、何やらあの翁が見出したことがある。堯舜に知らないことがあるのは先務を急にするからである。それは節次進歩之間のこと。そこで格物致知ばかりでは善い料理の塩梅が悪い。徹上徹下敬でなければ甘味はない。「存養貫其二者也」とあるが、あの言は山崎先生の道学を仕抜いたこと。往古より日本にはない文である。朱子の大学序の書き出しと功を同じくする。先生文二を顧みて言った。或る人があの様に長ったらしい句はないと譏ったそうである。「夫学之道在致知力行之二、存養貫其二者也云云」も、大学の序文と並ぶほどのもの。
【語釈】
・堅地…木地に、漆を塗った麻布を張り、さらに上漆をかけて仕上げた上等の塗物。
・今日一事を知り明日一事を知る…近思録致知9。「須是今日格一件、明日又格一件」。
・長谷川觀水翁…長谷川克明。源右衛門。
・存養貫其二者也…山崎闇斎近思録序。「夫學之道在致知力行之二、而存養則貫其二者也」。


答范文叔書條
40
答范文叔書曰、大學之序、固以致知爲先、而程子發明、未有致知而不在敬者。尤見用力本領親切處。三十八。
【読み】
范文叔に答うる書に曰く、大學の序、固より知を致すを以て先と爲して、程子、未だ知を致して敬に在ざる者有らざるを發明す。尤も力を用いる本領親切の處を見る。三十八。

曰、大学之序、固以致知爲先、而程子発明、未有致知而不在敬者云云。固の字面白ひ字なり。知惠を始と云を大学の次第を證拠に云が、固り□学術に大学の外はなけれども、そこが可笑い。其大学を見出した程子が不有致知而不在敬者と云。ここを見るがよい。范文叔も知が先とて主張する。高いやふなれとも却て書物藝で俗論になる。それはどふなれば、功夫へかけてみぬからなり。某一昨年靜座集説を読むとき、唐太宗が靜坐せ子ばならぬと云を引て説くも太宗白人ゆへ、学問孔穎達ほどにはあるまいが、豪傑ゆへ書物藝でなく、天下を太平にする覇業も靜座でなければならぬと身で覚たものそ。孔穎達は書物藝ゆへ知らぬ。古伊豆守殿御祐筆衆へ、今日は急きの御用ゆへ靜にかけと云はれし、と。なるほど急ぐと敬がぬける。敬がぬけると書そこなふ。太宗も伊豆守殿もどちもそれ者ゆへ、敬が本とでなければならぬと云ことを書物なしに体認したもの。学者は青表紙で覚へて居るゆへ、面倒じゃが敬をせ子ばならぬと云様で浅いぞ。敬の面白味しら子ば皆書物藝、役にたたぬ。
【解説】
「答范文叔書曰、大學之序、固以致知爲先、而程子發明、未有致知而不在敬者」の説明。知恵が先であることを大学を証拠に言うが、程子は「未有致知而不在敬者」と言った。范文叔は書物芸である。唐の太宗でさえ、静座でなければならないと言っている。
【通釈】
「曰、大学之序、固以致知為先、而程子発明、未有致知而不在敬者云云」。「固」の字が面白い字である。知恵が始めだというのに大学の次第を証拠に言うが、固より学術に大学の外はないが、そこが可笑しい。その大学を見出した程子が「未有致知而不在敬者」と言った。ここを見なさい。范文叔も知が先だと主張する。それは高い様だが却って書物芸で俗論になる。それはどうしてかと言うと、功夫へ掛けて見ないからである。私が一昨年に静座集説を読んだ時、唐太宗が静座をしなければならないと言ったことを引いて説いたのも太宗が素人なので、学問が孔穎達ほどにはないだろうが、豪傑なので書物芸でなく、天下を太平にする覇業も静座でなければならないと身で覚えたもの。孔穎達は書物芸なのでそれを知らない。昔、伊豆守殿が御祐筆衆へ、今日は急ぎの御用なので静かに書けと言ったそうである。なるほど急ぐと敬が抜ける。敬が抜けると書き損なう。太宗も伊豆守殿もどちらも逸れ者なので、敬が本でなければならないということを書物なしに体認したのである。学者は青表紙で覚えているので、面倒だが敬をしなければならないと言う様で浅い。敬の面白味を知らなければ皆書物芸で役に立たない。
【語釈】
・伊豆守…松平信綱?
・祐筆衆…室町幕府の職名。幕府の裁判や政治の実務を担当した。右筆方。

○尤見用力本領親切処。本領の処は中庸の未發なり。不睹不聞の塲は手がかり無さそふなもの。そこに仕方と云はなけれとも、只敬なり。そこでこれ大中一致にもなる。漢唐夢をとくと云もこんなこと知らぬからぞ。今日の学者が出まかせに漢唐絶学々々と云が、ただ宋朝の学で皮毛にききをぼへて、あちは漢唐、こちは宋朝と名付けて、丁ど小児のやふで、あちの紙鳶よりこちの紙鳶がよいと云いきかたぞ。程朱も漢唐の書を取て四子六経の註も出來た程のこと。絶学と云は存養の処のことぞ。そこで存養を知らぬと知惠がけば々々しい。あとのさきのと云ことはないことぞ。垩学始終の御亭主はいつも敬なり。
【解説】
「尤見用力本領親切處」の説明。中庸未発の場の仕方は敬のみである。漢唐を絶学と言うのは存養を知らないからである。
【通釈】
○「尤見用力本領親切処」。本領の処は中庸の未発である。不睹不聞の場は手掛かりがなさそうなもの。そこの仕方はただ敬のみである。そこで大中一致にもなる。漢唐夢を説くと言うのもこんなことを知らないからである。今日の学者が出任せに漢唐絶学と言うが、ただ宋朝の学で皮毛に聞き覚えて、あちらは漢唐、こちらは宋朝と名付ける。それは丁度小児の様に、あちらの凧よりこちらの凧がよいと言う様なもの。程朱も漢唐の書を取って四子六経の註も作ったほどである。絶学と言うのは存養の処のこと。そこで存養を知らないと知恵がけばけばしい。後先と言うことはないこと。聖学始終の御亭主はいつも敬である。
【語釈】
・不睹不聞…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離、非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。


答潘恭叔書條
41
答潘恭叔書曰、敬之一字萬善根本。涵養省察格物致知種種功夫、皆從此出。方有據依。平時講學非不知此。今乃覺得愈見親切端的耳。願益加功、以慰千里之望。五十。
【読み】
潘恭叔に答うる書に曰く、敬の一字は萬善の根本なり。涵養省察格物致知は種種の功夫、皆此に從いて出ず。方に據依有り。平時學を講ずるに此を知らざるに非ず。今乃ち愈々親切端的を見るを覺え得るのみ。願わくば益々功を加え、以て千里の望を慰せよ。五十。

曰、敬の一字万善根本。涵養省察挌物致知種々功夫、皆従此出。方有據依。大切に云時は一字が付くと直方云へり。萬のよいことは敬が根になりて寐ても覚ても敬なり。孝は萬善之始、百行之基と云が、ここも敬の一字が万善の根本也。そこで敬がぬけると明德が昏德になり、性善が性悪になる。禹の旨酒を悪くむもきこへて、万善の根本をわるくするからぞ。これはうまいもの、氣象がよくなると云中にそろ々々眠くなりて、本とをとらかすは酒なり。顧重次曰、賢はこの酒の出る度に耳がいたいそふな。涵養省察云云。これから朱子の發明なり。格物致知を敬の方へ入ることを程朱より前は氣がつかぬ。精義入神と古へから云へども、それが敬でなければならぬ。醉伏沙塲君勿笑とて、さわがしくては繋辞傳はすまぬ。
【解説】
「答潘恭叔書曰、敬之一字萬善根本。涵養省察格物致知種種功夫、皆從此出。方有據依」の説明。敬の一字が万善の根本である。格物致知を敬の方へ入れるのが程朱の発明である。
【通釈】
「曰、敬之一字万善根本。涵養省察格物致知種々功夫、皆従此出。方有拠依」。大切に言う時は一字が付くと直方が言った。万の善いことは敬が根になって寝ても覚めても敬である。孝は万善の始、百行の基と言うが、ここも敬の一字が万善の根本である。そこで敬が抜けると明徳が昏徳になり、性善が性悪になる。禹が旨酒を悪むのもよくわかることで、万善の根本を悪くするからである。これは旨いもの、気象がよくなると言う内にそろそろと眠くなって、本を蕩かすのが酒である。重次を顧みて言った。お前はこの酒の出る度に耳が痛い様だ。「涵養省察云云」。これからが朱子の発明である。格物致知を敬の方へ入れることを程朱より前は気が付かなかった。精義入神と古から言うが、それは敬でなければならない。「醉臥沙場君莫笑」と言っても、騒がしくては繋辞伝は済まない。
【語釈】
・孝は萬善之始、百行之基…
・禹の旨酒を悪くむ…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒、而好善言」。
・重次…中田重次。十二とも言う。博徒であったが、三十歳頃に黙斎に入門。~1798
・醉伏沙塲君勿笑…涼州詞。「葡萄美酒夜光杯、欲飮琵琶馬上催。醉臥沙場君莫笑、古來征戰幾人囘」

○平時講学非不知此。今乃覚得愈見親切端的耳。ここは朱子の御手前の上りも有ふし、世間のわるいや湖南一派のさわぎちらかす、それを見ても親切端的を覚得せられたならん。覚得を、迂斉の三里の灸を仕覚へた、と。軽いことでよい弁ぞ。石原先生、三里をせられた。覚て効あるからぞ。工夫は一寸と軽く覚へたことがよいもの。原運菴が不換金なり。をれがのはちがふと云も、使へ覚へたゆへぞ。
【解説】
「平時講學非不知此。今乃覺得愈見親切端的耳。願益加功、以慰千里之望」の説明。仕覚えたことを存養して功を願えと朱子が言った。
【通釈】
○「平時講学非不知此。今乃覚得愈見親切端的耳」。ここは朱子御自身の上がりもあるだろうし、世間が悪く、湖南一派が騒ぎ散らすのを見て、親切端的を覚得されたのだろう。覚得を、迂斎が三里の灸を仕覚えたことだと言った。軽いことで言ったよい弁である。石原先生は三里をされた。覚えて効あるからである。工夫は一寸軽く覚えたことがよいもの。原運菴の不換金である。俺のは違うと言うのも、使え覚えたから言えるのである。
【語釈】
・三里…灸穴の一。手と足にあり、足の三里は膝頭の下で外側の少しくぼんだ所。ここに灸をすると、万病にきくという。
・原運菴…十八世紀の江戸の医師。
・不換金…漢方の処方の一。お金に換えられない程の価値があるの意


諸公固有志於学條
42
諸公固皆有志於學。然持敬工夫大段欠在。若不知此、何以爲進學之本。程先生云、涵養須用敬。進學則在致知。此最切要。和之問、不知、敬如何持。曰、只是要收斂此心、莫令走失。便是。今人精神自不曾定、讀書安得精專。凡看山看水、風驚草動。此心便自走失、視聽便自眩惑。此何以爲學。諸公切宜勉此。語類百十八。
【読み】
諸公固より皆學に志す有り。然るに敬を持する工夫大段欠在す。若し此を知らざれば、何を以て學に進むの本と爲さん。程先生云う、涵養須く敬を用うべし。學に進むは則ち知を致すに在り、と。此れ最も切要なり。和之問う、知らず、敬は如何にか持す、と。曰く、只是れ此の心を收斂し、走失せしむること莫きを要す。便ち是れなり。今人は精神自ら定むるを會せず、書を讀みて安ぞ精專を得ん。凡そ山を看、水を看、風驚草動す。此の心便ち自ら走失し、視聽便ち自ら眩惑す。此れ何を以て學を爲めん。諸公切に宜しく此を勉むるべし。語類百十八。

諸公固皆有志於学。然持敬工夫大段欠。若不知此、何以爲進学之本。朱子の処へ來る人ゆへ只の衆でなく、挙業や俸録を子ろふ人ではない。時にこの持敬の工夫にぬけがありてはわるい。長谷川觀翁、直方に持敬の持の字を問へり。直方の、持病の持のやうなものじゃ、と。なるほど引風と持病の積とはちがふ。ふだんのことを持と云なり。○程先生曰、涵養須用敬。進学則在致知。此尤切要。この語が大ぶよい。皆これを大切に思ふべしと、朱子なととかく程子を誦せらるる。吾黨の学者が先軰を軽く云がわるい。朱子の毎々先軰を云はるる。遠い古人を引より近い人を云がよく響きて、今日も直方浅見三宅の先生を云が学問の親切なり。佛者も釈迦と云より祖師と云がよい。
【解説】
「諸公固皆有志於學。然持敬工夫大段欠在。若不知此、何以爲進學之本。程先生云、涵養須用敬。進學則在致知。此最切要」の説明。持敬について、朱子が程子の語を引いて説明をした。我が党の学者が先輩を軽く言うのが悪い。朱子は毎々先輩のことを言われた。
【通釈】
「諸公固皆有志於学。然持敬工夫大段欠。若不知此、何以為進学之本」。朱子の処へ来る人なので、ただの衆ではなく、挙業や俸禄を狙う人ではない。時にこの持敬の工夫に抜けがあっては悪い。長谷川観翁が直方に持敬の持の字を問うた。直方が、持病の持の様ものだと答えた。なるほど引き風と持病の癪とは違う。普段のことを持と言う。○「程先生曰、涵養須用敬。進学則在致知。此最切要」。この語が大分よい。皆これを大切に思いなさいと言った。朱子などはとかく程子を誦した。我が党の学者が先輩を軽く言うのが悪い。朱子は毎々先輩のことを言われた。遠い古人を引くより近い人を言う方がよく響く。今日も直方浅見三宅の先生のことを言うのが学問の親切である。仏者も釈迦と言うより祖師と言う方がよい。
【語釈】
・長谷川觀翁…長谷川観水。長谷川克明。源右衛門。

○和之問、不知、敬如何持。持敬の持は持の字をよくすることとして如何持せんなり。○曰、只是要収斂此心、莫令走失。便是。持敬とて力ら持や長持を持つこととは違う。敬は形ないものなり。それを和之が重くして問ゆへ、只是と朱子のさまして云はるる。心は形ないものゆへ應ずる方へはびこるものなり。そこで走失が、心に亭主ないと益もないことを思ふたり、わるくすると乱心もする。それが初手はわづかなもので、我かけた開きが子をかけたで有ったかけぬかと最一返見るやふになる。初手かける処がうかとなければ、又見はせぬ。心が走作すると二度せせりてみる。それが最ふ乱心の本なり。手紙も封を付たか付けぬかと使をよびかへして文箱を開て見る。皆走作からぞ。走作せぬと何んでも間違はせぬものぞ。
【解説】
「和之問、不知、敬如何持。曰、只是要收斂此心、莫令走失。便是」の説明。心は形のないものなので応ずる方へはびこる。心に主がいないと走失する。走作がなければ間違いもない。
【通釈】
○「和之問、不知、敬如何持」。持敬の持は持の字をよくすることとして、それをどの様に持すのかと問うた。○「曰、只是要収斂此心、莫令走失。便是」。持敬と言っても力持ちや長持を持つこととは違う。敬は形のないもの。それを和之が重くして問うので、ただ「是」と朱子が冷ややかに言われた。心は形のないものなので応ずる方へはびこるもの。そこで「走失」があり、心に亭主がいないと益もないことを思ったり、悪くすると乱心もする。それが初手は僅かもので、自分が掛けた鍵を、掛けただろうか掛けなかっただろうかともう一回見る様になる。初手に掛ける処でうっかりとしなければ、また見ることはない。心が走作すると二度せせって見ることになる。それがもう乱心の本である。手紙も封を付けたか付けなかったかと、使いを呼び返して文箱を開けて見る。それは皆走作からのこと。走作がないと何も間違いはしないもの。

石原先生などいかにも走作底はなかった。そこへ大きな石の居はったやふな底で、大ふ氣味がわるかった。人を見るにも猪首で肩共に靜にふりむき、遲く講座へ出たものなどへ、出さっしゃりたかと云様子が席上へひびいた。平日走作などなかった。迂斉の知見てすら々々として威重と云もなかったが、中々走作はない。若とき行藏はさわがしくて、土井の家中の者があれを風の神と云た。某は巧言令色が上手ゆへ行藏よりはるかよく見へたそふな。行藏は中々巧言令色や人をだますことの出来る者でない。君子になるはづぞ。兎に角吾黨のことは冊子上の外に一つためしてゆくことぞ。さて、便是れは是非の是でなく、これと云こと。近思の出則不是と同ことなり。朱子の走作せぬが持敬の持と云ことで、それが是なりと云ことなり。
【解説】
石原先生も迂斎も走失底のことはなかった。冊子上の外で、一つ試して行くことのあるのが我が党の学問である。
【通釈】
石原先生などはいかにも走作底のことはなかった。そこへ大きな石の居座った底で、大分気味が悪かった。人を見るにも猪首で肩と一緒に静かに振り向き、遅く講座へ出た者などへ、来られたかと言う様子が席上へ響いた。平日走作などなかった。迂斎は知見ですらすらとして威重ということはなかったが、中々走作はない。若い時に行蔵は騒がしくて、土井の家中の者があれを風の神と言った。私は巧言令色が上手なので行蔵よりはるかによく見えたそうである。行蔵は中々巧言令色や人を騙すことのできる者ではない。君子になる筈である。とにかく我が党は冊子上の外に一つ試して行くのである。さて、「便是」は是非の是ではなく、これということ。近思の「出則不是」と同じこと。朱子の言う走作をしないことが持敬の持ということで、それが是だということである。
【語釈】
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。別号は一斎。門下に寛政三博士の一人である岡田寒泉がいる。享保14年(1729)~安永5年(1776)
・土井…土井利延?唐津藩主。分家土井備前守利清の長男。
・出則不是…近思録道体26。「中者天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理。出則不是。惟敬而無失、最盡」。

○今人精神自不曾定、讀書安得精專。大学の始の教致知挌物と云が何より書を読ほどよい挌物はない。其書も精神定らぬと吟味はつまらぬ。凡看山看水、風驚草動。此心便自走失、視聽便自眩惑。此何以爲学。看山看水は平生窓などで見ること。これは心の動くべきことでなけれども、こちが定らぬゆへうつるぞ。風驚は風の吹と云こと。草動は草のなびくこと。これもこちの身へ遠いことでかまわぬことなれども、うつる段には皆こちの心がそれへ取られる。伊川の流さるるとき、難風でも子ぶ川石をうめたやふじゃと浅見先生云へり。走作はない。あれでこそ伊川なり。東坡が敬を打破せふとても、ふだん敬の工夫ないゆへ面無人色。土け色なり。あとでは丈夫になったが、きょいとしてゆだんの処へ捕手の役人が來たゆへ心動たもの。敬の工夫つまら子ば。ここでよく知るる。視聽便自眩惑は、心がそふなると夜中榎木を見ても化物と見、下女がかけをいた洗濯ものを見ても幽霊かと云。此方か定り靜なれば、ああ下女が忘れて着るものをすててをいたなと、入らぬ世話でもこちが走失せぬゆへ眩惑はない。諸公切宜勉此が、敬は課程の立られぬもの。某館林の学者へは課程はなるが、これは形ないゆへこちからは仕にくい。諸公の方にあること。他人頼みがたしなり。
【解説】
「今人精神自不曾定、讀書安得精專。凡看山看水、風驚草動。此心便自走失、視聽便自眩惑。此何以爲學。諸公切宜勉此」の説明。格物には読書が一番だが、その前に自分の精神が定まっていなければならない。また、敬の工夫が詰まらなければ心は走失し、視聴は眩惑する。その敬の工夫は自らがするしかない。
【通釈】
○「今人精神自不会定、読書安得精専」。大学の始めの教えが致知格物と言うが、何より書を読むほどよい格物はない。その書も精神が定まらないと吟味が詰まらない。「凡看山看水、風驚草動。此心便自走失、視聴便自眩惑。此何以為学」。「看山看水」は平生窓などから見るもの。これは心の動くべきことではないが、こちらが定まらないので移る。「風驚」は風が吹くということ。「草動」は草のなびくこと。これもこちらの身には遠いことで構う必要のないことだが、移る段には皆こちらの心がそれに取られる。伊川が流された時、難風でも根府川石を埋めた様だったと浅見先生が言った。走作はない。あれでこそ伊川である。東坡が敬を打破しようとしても、普段敬の工夫がないから「面無人色」で土気色である。後には丈夫になったが、油断している処へ捕り手の役人が来たので心が動いた。敬の工夫が詰まらなければならない。それがここでよくわかる。「視聴便自眩惑」は、心がそうなると夜中に榎木を見ても化け物と見え、下女が掛けていた洗濯物を見ても幽霊かと言う。自分が定まり静であれば、ああ下女が忘れて着る物を放って置いたなと思う。それは要らぬ世話だが、こちらが走失しないので眩惑はない。「諸公切宜勉此」。敬は課程を立られないもの。私が館林の学者に課程を作ることはできるが、これは形がないのでこちらからはし難い。諸公の方ですること。他人は頼み難しである。


敬莫把做一件事看條
43
敬莫把做一件事看。只是收拾自家精神、專一在此。今看來諸公所以不進、縁是但知説道格物、卻於自家根骨上煞欠闕、精神意思都恁地不專一。所以工夫都恁地不精銳。未説道有甚底事分自家志慮、只是觀山玩水、也煞引出了心。那得似敎他常在裏面好。如世上一等閑物事、一切都絶意、雖似不近人情、要之、如此方好。十二下同。
【読み】
敬は把みて一件の事と做して看ること莫し。只是れ自家の精神を收拾し、專一に此に在り。今看來るに諸公以て進まざる所は、是れ但物に格るを説道するを知り、卻って自家根骨の上に於て煞だ欠闕し、精神意思都て恁地く專一ならざるに縁る。以て工夫の都て恁地く精銳ならざる所なり。未だ甚だ底の事有りて自家の志慮を分んと説道せず、只是れ山を觀、水を玩ぶも、也た煞だ心を引き出し了る。那ぞ他に常に裏面に在りて好しとしむる似きを得ん。世上一等閑物事の如き、一切都て意を絶ち、人情に近からずに似ると雖も、之を要するに、此の如くして方に好し。十二下同。

さてそこでこの條、敬の相談になった。これ迠は敬でなければならぬ々々々と云て中を開かぬ。ここで敬の仕かたを云。敬を一件之事とすると麻上下着てかかると云やうになる。又これを土金の傳のやふに云ことでもない。傳を得てなるなれば、それはうまいものなれども、そうもならぬ。小学を敬と云ても小兒に敬々とてはならぬが、あの事をさせて放散せぬが敬なり。孔子の時は三代の教も遺り名義明かゆへ、孔門あたまから仁の工夫なり。今は名義からさきへ入ら子ばならぬ。敬もそれなり。○只是收歛自家精神、專一在此。自家の精神をしめるで大きに違ふもの。一寸とした同じ無智の者どもでも、宿屋と公事師の面は違う。公事師は白渕で公事がどふなるかと腰かけでぎょとのがある。それが精神のをさまらぬゆへぞ。なるほど大屋と宿屋のにくいもので、宿屋も人のこと。其上に功者ゆへ何ともない。又公邉なれぬ大屋が今日は大ふ御呵をうけたなと云ても、根は落付て居る。わるいぐるみに精神がをさまっている。專一在此は、心が居処にいるゆへ照が違う。これが居処にいぬとどみて來る。爰も即ち主一無適のことぞ。程子を泥塑人のやうじゃと云もこれなり。
【解説】
「敬莫把做一件事看。只是收拾自家精神、專一在此」の説明。ここから敬の仕方を言う。自家の精神を収拾し、それを専一にするのである。
【通釈】
さてそこでこの条で敬の相談になった。これまでは敬でなければならないと言うだけで中を開けなかったが、ここで敬の仕方を言う。敬を「一件之事」とすると麻裃を着て掛かるという様になる。またこれは土金の伝の様に言うことでもない。伝を得てできるのであれば、それはうまいものだが、そうもならない。小学を敬だと言っても、小児に直に敬を言ってもそれはできないことだが、あの事をさせて放散させないのが敬である。孔子の時は三代の教えも遺り名義が明らかだったので、孔門は最初から仁の工夫をした。今は名義から先に入らなければならない。敬もそれ。○「只是収拾自家精神、専一在此」。自家の精神を締めるので大きく違って来る。一寸した同じ無知の者共でも、宿屋と公事師では面が違う。公事師は白洲で公事がどうなるのかと腰掛でびくびくすることがある。それは精神が収まらないからである。なるほど大屋と宿屋は憎いもので、宿屋も人のこと。その上に巧者なので何ともない。また、公辺に慣れない大屋が今日は大分御呵りを受けたなどと言っても、根は落ち着いている。悪いのを含めて精神が収まっている。「専一在此」で、心が居処にいるので照りが違う。これが居処にいないと澱んで来る。ここも即ち「主一無適」のこと。程子を泥塑人の様だと言うのもこれ。
【語釈】
・土金の傳…
・公事師…江戸時代、謝礼を受けて他人の訴訟の代人となった人。代言人。
・腰かけ…江戸時代、町奉行所や評定所前にあった訴訟人の控え所。
・泥塑人…近思録聖賢21。「謝顕道云、明道先生坐如泥塑人。接人則渾是一團和氣」。

○今看來に諸公所以不進、縁是但知説道挌物、却於自家根骨上煞欠闕、精神意思都恁地不專一。所以工夫都恁地不精鋭。諸公の学問のあがらぬは挌物ばかりをつとめて居るゆへぞ。それが学問のことゆへよけれども、それでは道具や帳面のやふになり、文義すまして筆記するのじゃ。根から魂へはきまらぬ。精神意思都恁地不專一が、とんと心がそれからそれへ散るぞ。そこで精神は一つの物へよせるより外はない。田舎の千部などと云盛塲で巾着を切られると云も、路とをる女や淨瑠理に心をとられるゆへぞ。商人は物を賣ふが專一ゆへ、其魂のすはりで物はとられぬ。詩文章や二十一史を読んで魂が外とへ取られ、根骨の藥にならぬゆへ、知愈多而心愈寨なり。今の学者の脩行は結搆に土藏を建て、古草鞋やこわれた白木の臺などを入るなり。そこでどふも学問のあがりやふはない。精鋭は、挌物と敬の工夫が連立とはき々々する。敬は膾の酢、挌物はこふきると云のなり。迂斉の、不精鋭は学問たぎらずぬんめりとなると云。今の学者が中々あがらぬはづ。ぬるけて居て学問は大業と只口で云て居る。鞭策はそこへ鞭をあてること。近思の近く思ふもそこなり。そのことは下文て云。
【解説】
「今看來諸公所以不進、縁是但知説道格物、卻於自家根骨上煞欠闕、精神意思都恁地不專一。所以工夫都恁地不精銳」の説明。学問が上がらないのは格物ばかりをしているからである。格物と敬の工夫が連れ立つことで学問がしっかりとなる。
【通釈】
○「今看来諸公所以不進、縁是但知説道格物、却於自家根骨上煞欠闕、精神意思都恁地不専一。所以工夫都恁地不精鋭」。諸公の学問が上がらないのは格物ばかりをしているからである。格物は学問のことなのでよいことなのだが、それでは道具や帳面の様になるから、文義を済ましてから筆記をするのである。根から魂が決まらない。「精神意思都恁地不専一」は、心がそれからそれへと散ってしまうこと。そこで精神は一つの物へ寄せるより外はない。田舎の千部などという盛り場で巾着を切られるというのも、路を通る女や浄瑠璃に心を取られるからである。商人は物を売るのが専一なので、魂が据わっていて物を取られることはない。詩文章や二十一史を読んで魂が外へ取られ、根骨の薬にならないから、「知愈多而心愈寨」である。今の学者の修行は結構な土蔵を建て、古草鞋や壊れた白木の台などを入れる様なもの。それではどうも学問の上がり様はない。「精鋭」。格物と敬の工夫が連れ立つとはきはきとする。敬は膾の酢、格物はこの様に切るということ。迂斎が、不精鋭は学問が滾らずぬんめりとなることだと言った。今の学者は中々上達しない筈。温けていて、学問は大業とただ口で言うだけ。鞭策はそこへ鞭を当てること。近思の近く思うもそこ。そのことは下文で言う。
【語釈】
・知愈多而心愈寨…知愈多而心愈窒

○未説道有甚底事分自家志慮、只是觀山玩水、也煞引出了心。那得似教他常在裡面好。言ひ立のあることを甚底事と云。大病人の看病にかかりて学問かならぬと云が、或は名主になり、村に如此の変事ありて書が読まれぬと云が、もっと軽く云へば次郎右ェ門が普請なり。小いぐるみ言わけあるぞ。人も尤と云のぞ。ここのは皆云たてにならぬことともなり。それにうばはれるはどふぞ。然に只是觀山玩水が無事で用向にたたぬこと。觀山玩水は遊山ぞ。上の看山玩水もそふみてもよい。花を見るも看花と云。此邉で男虵へ行くやうなこと。從容とすべきこと。いささかなことぞ。とふもつまらぬことなり。直方の、火事でも地震でもないのにさはぐと云へり。火事なれば焚死、地震なれば梁に壓される。それもないに動くはよく々々さわぎ手なり。
【解説】
「未説道有甚底事分自家志慮、只是觀山玩水、也煞引出了心。那得似敎他常在裏面好」の説明。今の人は色々と言い訳をして、学問をすることができないと言う。また、観山玩水などで騒いだりしている。
【通釈】
○「未説道有甚底事分自家志慮、只是観山玩水、也煞引出了心。那得似教他常在裏面好」。言い訳のあることを「甚底事」と言う。大病人の看病に掛かっていて学問ができないと言い、或いは名主になり、村にこの様な変事があって書を読めないと言う。それをもっと軽く言えば次郎右衛門の普請である。小い包み言い訳がある。それを人も尤もだと言う。しかし、ここのは皆言い立てにできないこと。それに奪われるのはどうしたことか。また、「只是観山玩水」が無事で用向きに立たないこと。観山玩水は遊山のこと。前条の「看山玩水」もその様に見てもよい。花を見るのも看花と言う。この辺で男蛇ヶ池に行く様なこと。従容とすべきなのに、それは瑣細なことで、どうもつまらない。直方が、火事でも地震でもないのに騒ぐと言った。火事であれば焚死、地震であれば梁に押し潰される。そうでもないのに動くのはよくよくの騒ぎ手である。
【語釈】
・從容…ゆったりとして迫らぬさま。おちついたさま。

○如世上一等閑物事、一切都絶意、雖似不近人情、要之、如此方好。学問はたぎりてするとくなければ上らぬ。このするどい功夫をよく思ふべし。前の立志でも山へ引込のと云、ここも人事をやめろと云。閑物事が、閑はむだ、物事は世の中やくにもたたぬ世話のこと。世間並の事をするを閑物事と云。絶意は、そんなこと心へのせぬがよいと云こと。不近人情は圣賢自然の教ではない。天理は冷酒、人情はそれをかんをしたなり。そこで天理にかんをしたが人情ゆへ、圣賢はすてぬが、この偏にするどでなければ功夫はならぬ。あれはぶんな人で、あの家中でも仲ヶ間はづれだと云があるもの。それを不近人情と云。百姓にも仲ヶ間はづれながあるもの。盆でも仲ヶ間はづれに燈篭とぼさぬがある。されとも年貢を出さぬのとは違ふ。それを仕ぬくと人もかまわぬもの。雛祭せぬとて頓着はない。児が生れると菖蒲刀と云が、それが成長って持つ時やってもよい。それをやらぬとて上から咎めもない。軽い者が節句に上下も着ずにこわ飯の餅のと云。それをせぬやふにもなろふが、出入の婆々などが來てやれこれ云ゆへせ子ばならぬと云もきつい機嫌の取りやふと云ものなり。そんなことにしんしゃくする位で圣賢は望まれぬ。出渕七右ェ門が、傍軰中何人にかわいがらるれば□らほどな手抦じゃと云ふもここなり。時に爰が人情を愛惜すると人事がふへる。人事がふへると心が取られて操存がならぬからなり。
【解説】
「如世上一等閑物事、一切都絶意、雖似不近人情、要之、如此方好」の説明。「閑物事」という無駄な世話で心を煩わせない。世間を気にする様では、聖賢を望むことはできない。人情を愛惜すると人事が増え、人事が増えると心が取られて操存ができなくなる。
【通釈】
○「如世上一等閑物事、一切都絶意、雖似不近人情、要之、如此方好」。学問は滾って鋭くなければ上がらない。この鋭い功夫をしっかりと思いなさい。前の立志でも山へ引き込むと言い、ここも人事を止めろと言う。「閑物事」の閑は無駄で、物事は世の中の役にも立たない世話のこと。世間並みの事をするのを閑物事と言う。絶意は、そんなことを心へ乗せないのがよいということ。「不近人情」は聖賢の自然の教えではない。天理は冷酒で、人情はそれを燗をしたもの。そこで天理に燗をしたのが人情なので、聖賢はこれを捨てることはないが、この偏に鋭くなければ功夫はできない。あれは変わった人で、あの家中でも仲間外れだと言われる人がいるもの。それを不近人情と言う。百姓にも仲間外れな者がいるもの。盆でも仲間外れで燈篭を灯さない者がいる。しかしながら、それは年貢を出さないのとは違う。それを仕抜くと人も構わないもの。雛祭をしなくても頓着をしない。子が生まれると菖蒲刀と言うが、それが育って持てる時に遣ってもよい。それを遣らないからといって上からの咎めもない。軽い者が節句に裃も着ずに強飯だの餅だのと言う。それをしないこともできるだろうが、出入りの婆々などが来て、やれこれを言うから上げなければならないと言うのもきつい機嫌の取り様というもの。そんなことに斟酌する位で聖賢を望むことはできない。出渕七右衛門が、傍輩中何人に可愛がられるのがどれほどの手柄なのかと言ったのもここのこと。時にここは、人情を愛惜すると人事が増え、人事が増えると心が取られて操存がならないから言ったこと。
【語釈】
・山へ引込…講学鞭策録11。「山間坐一年半歲、是做得多少工夫」。
・出渕七右ェ門…出渕立恒。冬至文凡七道に、「傍輩達何十人にかはいかられてよいぞ」とある。

さてこれは立志の中に有りそふなことなれとも、斯ふ落すで操存になる。そふないと立志になるぞ。某江戸に居たとき、庭のせきもないに南天を植へる。植ても實はならず、こちではなるなれは、又實をひよ鳥が食ふ。最ふそれを追ふ氣になる。さて々々いそがしいことぞ。鵯迠の世話しては存心はならぬ。直方の古銭で豆腐買はれたもここの筋なり。直方と浅見の二先生は朱子よりはまだするどい。これは某が知たこと。朱子は德がこなれてあふゆへ、今ま朱子の許へ茶道具進ぜたら、茶をもたてられやふかもしれぬ。直方浅見はたたきこはす。そこを不近人情と云ふことなれども、その位でなければならぬ。浅見先生、酒を四方な箱へ入れ、わきへ梅干を置て箱のすみから飲だと云が、あの衆などの酒は精神を愛養するばかりの為めぞ。又寒中眠くなれば板疂へ尻をまくりて居られたと云。□恭人ではないが、心のぐっとはぜてさへる処が不近人情と云ほどのことでなければならぬ。前の立志の部の山間坐一年とここの操存の不近人情の段か似たことで、立志にすると操存の助にするとの得□章。字用を細に思索すべし。俗事にまき□□ぬが立志の端的、閑事に心の走らぬが操存の手段。
【解説】
朱子は徳がこなれた人だが、直方と浅見は「不近人情」の人だった。俗事に紛れないのが立志の端的、閑事に心が走らないのが操存の手段である。
【通釈】
さてこれは立志の中にありそうなことだが、この様に落とすので操存になる。そうでないと立志になる。私が江戸にいた時、庭に余裕もないのに南天を植へた。植えても実は生らなかったが、こちらでは生っている。生るとその実を鵯が食う。そこでもうそれを追う気になる。実に忙しいことである。鵯の世話までしては存心はできない。直方が古銭で豆腐を買われたのもここの筋である。直方と浅見の二先生は朱子よりも更に鋭い。これは私の知っていること。朱子は徳がこなれてあの様なので、今朱子の許へ茶道具を進じたら、茶をも点てられるかも知れない。直方浅見はそれを叩き壊す。そこを不近人情と言う。しかしながら、その位でなければならない。浅見先生が酒を四角な箱へ入れ、脇に梅干を置いて箱の隅から飲んだというが、あの衆などの酒は精神を愛養するためだけのもの。また、寒中眠くなれば板畳へ尻を捲くっておられたという。□恭人ではないが、心のぐっと爆ぜて冴える処が不近人情というほどのことでなければならない。前の立志の部の「山間坐一年」とここの操存の「不近人情」の段が似たことで、立志と操存の助けにすることを得る章である。字用を細かに思索しなさい。俗事に紛れないのが立志の端的、閑事に心が走らないのが操存の手段である。