問敬何以用工條  八月朔  文録
【語釈】
・八月朔…寛政5年(1893)8月1日。
・文…林潜斎。花沢文次。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

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問、敬何以用工。曰、只是内無妄思、外無妄動。
【読み】
問う、敬は何を以て工を用いん。曰く、只是れ内に妄思無く、外に妄動無し。

これは功夫する人の問にて、敬何以用功とはよい問なり。俗学は敬を根から知らぬ。吾黨の学者も居敬持敬と云が斯ふと知りたばかり、敬何以用功とは問はぬ。この敬の功夫の仕方を問が親切で顔子も直に目を問が功夫するからなり。人が敬々と云へども、封をきらぬはやくにたたぬ。これはほんの問なり。○曰、只是内無妄思、外無妄動。朱子の敬のことさま々々云はれたれども、このやうなよい語はすくない。主一無適と整斉厳粛を一つにして云たやふなもの。内無妄思は主一無適、外無妄動は整斉厳粛。外からで内もよくなり、内のよいで外も正い。内無妄思ゆへ外無妄動なり。又ここを体認すへは敬の工夫。内無妄思なればよいでなく、外無妄動と云。動とばかり云ふても視聽言動をこめて外無妄動とは云たもの。心からも身からもすることなり。
【解説】
よい問いである。内無妄思は主一無適、外無妄動は整斉厳粛のこと。外からして内もよくなり、内がよいので外も正しい。
【通釈】
これは功夫する人の問いで、「敬何以用功」とはよい問いである。俗学は敬を根から知らない。我が党の学者も居敬持敬と言うが、こうと知っただけで、敬何以用功とは問わない。この敬の功夫の仕方を問うのが親切で、顔子も直に目を問うたのが功夫するからである。人が敬々とは言うが、封を切らなければ役には立たない。これは本物の問いである。○「曰、只是内無妄思、外無妄動」。朱子は敬のことを様々と言われたが、この様なよい語は少ない。これは主一無適と整斉厳粛を一つにして言った様なもの。内無妄思は主一無適、外無妄動は整斉厳粛である。外からして内もよくなり、内がよいので外も正しい。内無妄思なので外無妄動である。また、ここを体認すれは敬の工夫となる。内無妄思であればよいというのではなく、外無妄動だと言う。動とばかり言っても、視聴言動を込めて外無妄動と言ったのである。心からも身からもするのである。
【語釈】
・顔子も直に目を問…論語顔淵1。「顏淵曰、請問其目」。


問心思擾々條
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問心思擾擾。曰、程先生云、嚴威整肅、則心便一。一則自無非僻之干。只才整頓起處、便是天理。無別天理。但常常整頓起、思慮自一。百二十。
【読み】
心思擾擾すを問う。曰く、程先生云う、嚴威整肅、則ち心は便ち一なり。一なれば則ち自ら非僻の干無し、と。只才かに整頓し起す處は、便ち是れ天理。別の天理無し。但常常整頓し起せば、思慮自ら一なり。百二十。

問心思擾々。これはよい並べなり。上の條、敬はどふせふとかかる。それを内無妄思、外無妄動と朱子の云を聞て工夫する氣になった時なり。どふせふと工夫する鼻で心が動て心思擾々なり。擾々が上へも下へもかかること。心に工夫する氣がなく、物にとられて、それで役にも立ぬことに心思擾々もあり、又工夫を用る人もそれをどふせふ斯ふせふと心思擾々になる。そこで問手がいろ々々胸の中がさわがしくなると云。○曰、程先生云、厳威整肅、則心便一。一則自無非僻之干。ここの答は内へこみ入りそふな処を程子で云。それが工夫の手段なり。心の散乱する所へ彼れ是れと心へ手を出すと却てわるい。そこで厳威整肅則心一と云も、ここはこれがよいと云ことなり。威の字が孔子の君子不重則不威と云へり。学者もとかくをとけなど云でわるい。東銘も厳威にするつもりなり。外の威儀で心もしゃんとなる。心が一なれば邪は入らぬもの。物に取られて、うっかりの虚をつけこんで巾着を切る。この身のすきへ外邪が入なり。天狗が集て、あの家はよく火の用心するゆへ火が付られぬと云咄あり。火の用心が專一ゆへ、外から非僻は入らぬ。
【解説】
「問心思擾擾。曰、程先生云、嚴威整肅、則心便一。一則自無非僻之干」の説明。敬の工夫をしようとすると心思擾擾となるのをどうすればよいかとの問いに、朱子は程子を引いて、「厳威整粛」にするのがよいと答えた。外の威儀で心を一にする。そこで非僻が心に入れなくなる。
【通釈】
「問心思擾々」。これはよい並べ様である。上の条は、敬はどの様にしようかと掛かり、「内無妄思、外無妄動」と朱子が言うのを聞いて工夫をする気になった時のこと。どうしようかと工夫する先で心が動いて心思擾々である。擾々は上へも下へも掛かること。心に工夫する気がなく、物に取られて、それで役にも立たないことに心思擾々することもあり、また、工夫を用いる人もそれをどうしようこうしようと、心思擾々になる。そこで問い手が色々と胸の中が騒がしくなると言った。○「曰、程先生云、厳威整粛、則心便一。一則自無非僻之干」。ここの答えは内へ込み入りそうな処を程子で言ったもの。それが工夫の手段である。心の散乱する所へかれこれと手を出すと却って悪い。そこで厳威整粛則心一と言ったのも、ここはこれがよいということである。「威」の字が孔子の「君子不重則不威」と言ったこと。学者もとかく戯けなどを言うので悪い。東銘も厳威にするつもりのもの。外の威儀で心もしゃんとなる。心が一であれば邪は入らないもの。物に取られて、うっかりと虚になったところを付け込んで巾着を切る。この身の隙へ外邪が入る。天狗が集まって、あの家はよく火の用心をするので火を付られないと言った話がある。火の用心が専一なので、外から非僻が入らない。
【語釈】
・君子不重則不威…論語学而8。「子曰、君子不重、則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過、則勿憚改」。
・東銘…近思録為学89。旧名は砭愚。

○只才整頓起處、便是天理。眉毛を唾でぬらすと狐に引れぬと云。狐でわないかと氣が付く。最ふ引れぬ。そこが整頓て、外にかれこれは入らぬ。それぎりでよい。こんな処は人欲もそふしたもので、克己復礼であとは最ふ仁になる。最ふ一つ仁を買に行くではない。明々德。明でも諟天の明命を顧るとよい。顧ぬと昏德になる。常目在之がさめた処なり。病人外邪が去ると脉がよくなる。別に脉を直すと云藥はない。そこを才整頓起処、便是天理、無別天理と云。但常々整頓起、思慮自一。頓はつけ字なり。これがいつも云ふ行燈かき立ること。そこをすてると火がめりこむ。
【解説】
「只才整頓起處、便是天理。無別天理。但常常整頓起、思慮自一」の説明。「整頓」をするだけで後はよくなる。それは克己復礼で仁になるのと同じである。
【通釈】
○「只才整頓起処、便是天理」。眉毛を唾で濡らすと狐に引かれないと言う。狐ではないかと気が付く。それでもう引かれない。そこが整頓で、外にかれこれは要らない。それだけでよい。こんな処は人欲もそうしたもので、克己復礼で後はもう仁になる。もう一つ仁を買いに行くということではない。明明徳で明でも、諟天の明命を顧みるとよい。顧みないと昏徳になる。「常目在之」が醒めた処である。病人も外邪が去ると脈がよくなる。別に脈を直すという薬はない。そこを「才整頓起処、便是天理、無別天理」と言う。「但常々整頓起、思慮自一」。頓は付け字である。これがいつも言う行灯を掻き立てること。それをしないと火が減り込む。
【語釈】
・諟天の明命を顧る…大学章句伝1。「康誥曰、克明德。大甲曰、顧諟天之明命」。
・常目在之…大学章句伝1集註。「常目在之、則無時不明矣」。


敬非是塊然兀坐條
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敬非是塊然兀坐、耳無所聞、目無所見、心無所思而後謂之敬。只是有所畏謹、不敢放縱。如此則身心收斂、如有所畏。常常如此、氣象自別。存得此心、乃可以爲學。十二下同。
【読み】
敬は是れ塊然兀坐し、耳は聞く所無く、目は見る所無く、心は思う所無くして後之を敬と謂うに非ず。只是れ畏謹する所有り、敢て放縱せず。此の如くなれば則ち身心收斂し、畏るる所有るが如し。常常此の如くなれば、氣象自ら別なり。此の心を存し得れば、乃ち以て學を爲むる可し。十二下同。

敬非是塊然兀坐、耳無所聞、目無所視、心無所思而後謂之敬。敬にもいろ々々まぎれがある。塊はつちくれ。思慮ないことを云。くろぼくや石燈篭が痛いも痒いも知らぬ。兀坐がにょっきと机をそこへ立たやふな底。これでは死物も同前。それを靜とてほめることでない。程子の許勃を笑ふて古より豈如此の圣人あらんやと云。あれが人に寒暖を聞て衣を着ると云もならぬことなれども、それでは人間でなく死物なり。それを敬とは云はぬ。心の官は思ふと孟子にある。そこで近思と云書も出来た。学本於思、学而不思あやうしとある。圣賢の教に思慮をたつと云ことはない。
【解説】
「敬非是塊然兀坐、耳無所聞、目無所見、心無所思而後謂之敬」の説明。「塊然兀坐、耳無所聞、目無所見」では死物の様で、それを敬とは言わない。心の官は思うことである。
【通釈】
「敬非是塊然兀坐、耳無所聞、目無所見、心無所思而後謂之敬」。敬にも色々紛れがある。塊は土塊。思慮のないことを言う。黒ぼくや石燈篭は痛いも痒いも知らない。兀坐はにょっきと机をそこへ立てた様な底。これでは死物も同然である。それを静と言って褒めることはない。程子が許勃を笑って、古よりどうしてこの様な聖人がいただろうかと言った。あれが人に寒暖を聞いて衣を着るということもしないことだが、それでは人間でなく死物である。それを敬とは言わない。心の官は思うことだと孟子にある。そこで近思という書もできた。「学本於思」、「学而不思殆」とある。聖賢の教えに思慮を絶つということはない。
【語釈】
・くろぼく…火山地方に産する溶滓状の溶岩。庭石に用いる。
・心の官は思ふ…孟子告子章句上15。「耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思、思則得之、不思則不得也。此天之所與我者。先立乎其大者、則其小者弗能奪也。此爲大人而已矣」。
・学本於思…本を思いて学ぶ?
・学而不思あやうし…論語為政15。「子曰、學而不思則罔。思而不學則殆」。

○只是有所畏謹、不敢放縱。如此則身心収歛、如有所畏。畏るるとて青くなりてをそるることではない。心のはり弓を云。なるほど老中招請に膳を出す底など活き々々なり。常は方々に仕そこなひもあるが、あのとき御老中に汁をあぶせたと云咄はきかぬ。少も仕そこないのないと云が畏謹からなり。ぜんまいからくりの小僧とはちごふ。畏謹がいきているなり。不敢放縱が大欠びや伸はせぬ。如此則身心收歛、如有所畏。上では有所畏謹と云て、ここは其摸様を云。何が畏しいと物はをさへぬが、をそろしい摸様なり。深渕に臨むはをそれいることなれとも、ここは疂の上のこと。子たや縁が落ることではないが、心のはり弓でそふなり。これ畏るる摸様なり。
【解説】
「只是有所畏謹、不敢放縱。如此則身心收斂、如有所畏」の説明。畏れるとは心の張り弓を言う。心が張っているから仕損ないをしない。
【通釈】
○「只是有所畏謹、不敢放縦。如此則身心収斂、如有所畏」。畏れると言っても青くなって畏れることではなく、心の張り弓を言う。なるほど老中招請に膳を出す底のことなどには活き活きとする。常には方々に仕損ないもあるが、あの時御老中に汁を浴びせたという話は聞かない。少しも仕損ないがないというのが「畏謹」からである。ゼンマイ絡繰の小僧とは違う。畏謹が活きているのである。「不敢放縦」は、大欠伸や伸びをしないこと。「如此則身心收斂、如有所畏」。上では「有所畏謹」と言い、ここはその模様を言う。何が畏ろしいのかと物は出さないが、畏ろしい模様である。深淵に臨むのは畏れ入ることだが、ここは畳の上のこと。根太や縁が落ちることではないが、心の張り弓でそうなる。これが畏れる模様である。
【語釈】
・深渕に臨む…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。
・子た…根太。床板をうけるために床下にわたす横木。

○常常如此、氣象自別。存得此心、乃可以爲学。敬を存養と云が、存の字が常々でふだんのこと。二六時中それゆへ、氣象自別なり。これが一度したとて役にたたぬ。そこで漢唐之間非無知者、非無行者也。但未曽聞存養之道、則其所知之分域、所行之氣象、終非圣人之徒矣と云がこの処のこと。ふだん存養で氣象が違ふぞ。乃可以爲学が今この坐の者は学問で始めてこれを聞くに、朱子のはこれで学問がなると云。先日の或問中、小学の敬でなければ大学はならぬと云もここでよく見へるぞ。
【解説】
「常常如此、氣象自別。存得此心、乃可以爲學」の説明。敬は存養とも言い、普段からすること。漢唐の学者には存養がなかった。普段の存養で気象が違って来る。
【通釈】
○「常常如此、気象自別。存得此心、乃可以為学」。敬を存養と言うが、存の字が常々で普段のこと。二六時中それなので、「気象自別」である。これが一度しただけでは役に立たない。そこで「漢唐之間非無知者、非無行者也。但未曾聞存養之道、則其所知之分域、所行之気象、終非聖人之徒矣」と言うのがこの処のこと。普段の存養で気象が違う。「乃可以為学」が、今この座の者は学問で始めてこれを聞くが、朱子のはこれで学問が成ると言う。先日の或問の中に、小学の敬でなければ大学は成らないとあったのもここでよくわかる。
【語釈】
・漢唐之間非無知者、非無行者也。但未曽聞存養之道、則其所知之分域、所行之氣象、終非圣人之徒矣…山崎闇斎近思録序の語。
・小学の敬でなければ大学はならぬ…講学鞭策録36。「知小學之□此以始、則夫大學之不能無頼乎此以爲終者、可以一以貫之而無疑矣」。


大凡学者須先理會敬字條
47
大凡學者須先理會敬字。敬是立脚去處。程子謂、涵養須用敬、進學則在致知。此語最妙。或問、持敬易間斷、如何。曰、常要自省得。才省得、便在此。或以爲、此事最難。曰、患不省察爾。覺得間斷、便已接續。何難之有。操則存、舍則亡、只在操舍兩字之間。要之、只消一箇操字。到緊要處、全不消許多文字言語。若此意成熟、雖操字亦不須用。
【読み】
大凡學者須く先ず敬の字を理會すべし。敬は是れ脚を立て去く處なり。程子謂う、涵養須く敬を用うべく、學に進むは則ち知を致すに在り、と。此の語最も妙なり。或るひと問う、敬を持すは間斷し易き、如何。曰く、常に自ら省し得るを要す。才かに省し得れば、便ち此に在り。或るひと以爲らく、此の事最も難し、と。曰く、省察せざるを患うのみ。間斷を覺り得ば、便ち已に接續す。何の難きこと之れ有らん。操れば則ち存し、舍れば則ち亡ぶ、只操舍兩字の間に在り。之を要せば、只一箇の操の字を消う。緊要の處に到りて、全て許多の文字言語を消いず。若し此意成熟すれば、操の字と雖も亦用いるを須ず。

直方先生の幷へが巧者なり。上の條、乃可以爲学と云て、このあやゆへ学者敬の字を理會せよなり。敬が先へ立子ばならぬ。これは学問の路銀なり。旅をするには是非路銀をさきへ支度せ子ばならぬ。学者の敬がそれなり。○敬是立脚去処。敬で学問に初手脚か立つなり。そふなく風吹へ鳥の羽置たやふゆへ脚が立ぬ。いろ々々博く書を読ても鳥の羽学者がありて、何も臍もとから出ぬ。○程子謂、涵養須用敬、進学則在致知。此語最妙。この妙語が二つめりかいないを云へども、ここでの入用は涵養なり。敬が先きへ立ち、それが本で進学なり。進学と云は手迥しよいもの。下地ある時のこと。それで敬がなければ進学が子ついはつなり。下地の敬で知惠が照るゆへ進学もよいはづぞ。すれば敬の下地の脚が立子ばならぬ。
【解説】
「大凡學者須先理會敬字。敬是立脚去處。程子謂、涵養須用敬、進學則在致知。此語最妙」の説明。敬によって学問に初めて脚が立つ。程子が「涵養須用敬、進学則在致知」と言ったが、敬が先へ立ち、それが本になっての進学である。
【通釈】
直方先生の並べ様が上手い。前条で「乃可以為学」と言い、この綾なので「学者須理会敬字」である。敬が先に立たなければならない。敬は学問の路銀である。旅をするには是非先に路銀の支度をしなければならない。学者の敬がそれである。○「敬是立脚去処」。敬によって学問に初めて脚が立つ。そうでなければ風吹へ鳥の羽を置いた様で脚が立たない。色々と博く書を読んでも鳥の羽学者があって、何も臍本から出ることはない。○「程子謂、涵養須用敬、進学則在致知。此語最妙」。この妙語が二つに甲乙はないことを言ったものだが、ここでの入用は涵養である。敬が先へ立ち、それが本で進学である。進学は手回しのよいもの。下地のある時のこと。それで敬がなければ進学がしつこくなる筈。下地の敬で知恵が照るので進学もよい筈である。そこで、敬の下地の脚が立たなければならない。
【語釈】
・臍もと…臍本。心。心底。

○或問、持敬易間断、如何。或人が可愛そふに、なんぼても仕て見たものなり。今の学者は間断などと云こと、我して見ぬゆへ覚はない。○曰、常要自省得。才省得、便在此。これが向を呵って、そなたのやうに口で間断々々と云ては役に立たぬ、省察して見さっしゃれと云ことではない。そなたの胸に間断するそふなと氣がつくと、もふ敬になるものだとなり。孟子の鷄犬の譬は別ものゆへ譬なり。又求ると云ふはぬるいと云もそこのこと。故、心と氣がつく、はやよし。求るが別物を捉らへるやふなことはない。ふだん敬をして、間断の時自省得れば直きにそこにある。これがたま々々する人のことでない。○或以爲、此事尤難。或人は我工夫して見たゆへ、ここが皆よい云やふなり。朱子のは才省得便在此が難はない云やうで、それをして見れば出來兼る。朱子の仰らるるがそふではあるが、まいり難い。此事最難しなり。さてこのやふながよいやふに見へてわるいがあり、或人にはわるいやふでよいなり。公西蕐かまさにただ弟子不能学と云もこれと似たことで、知た云やふ也。
【解説】
「或問、持敬易間斷、如何。曰、常要自省得。才省得、便在此。或以爲、此事最難」の説明。持敬は間断し易いと言うが、それに気が付けば既に敬である。絶えず敬をして、間断の時には自省すればよい。或る人がそれを「此事最難」と言った。
【通釈】
○「或問、持敬易間断、如何」。或る人が可愛いそうに、何回も敬をしてみた。今の学者は間断などということは、自分でしてみたことがないので覚えがない。○「曰、常要自省得。才省得、便在此」。これが相手を呵って、貴方の様に口で間断と言っては役に立たない、省察してみなさいと言ったわけではない。貴方の胸に間断する様だと気が付くと、もう敬になると言ったのである。孟子の鶏犬のたとえは別のもののことなのでたとえである。また、求めると言うのは温いと言うのもそこのこと。そこで、心と気が付けば既によい。求めるとは別物を捉らえる様なことではない。絶えず敬をして、間断の時に自省し得れば直にそこにある。これは偶々にする人のことでない。○「或以為、此事最難」。或る人は自分が工夫してみたので、そこでここが皆よい言い様である。朱子の「才省得便在此」は難はない言い方だが、それをしてみればできかねる。朱子の仰せられたのはその通りのことだが、仕難い。そこで「此事最難」である。さてこの様なことがあって、よい様に見えて悪いことがあり、或る人には悪い様でよい。公西華が「正唯弟子不能學也」と言ったのもこれと似たことで、知った言い様である。
【語釈】
・孟子の鷄犬の譬…孟子告子章句上11。「孟子曰、仁、人心也。義、人路也。舍其路而弗由、放其心而不知求、哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他、求其放心而已矣」。
・まさにただ弟子不能学…論語述而33。「公西華曰、正唯弟子不能學也。」

○曰、患不省察爾。覚得間断、便已接續。何難之有。そなた難かろふが省察せられよ。省察せぬからとなり。これが懐中の金を使い仕舞たと云やうなことではない。貧窮ものはそれでは埋らぬもの。事の上ならむつかしいが、敬は形なく畏れると畏れぬとのこと。金を使いきったとは違う。それはうまらぬ。間断と氣がつく。あとが間断せぬやふになる。それから氣が付々々々するとつづくものなり。此事最難と何難之有を、問手と朱子を並べて見るがよい。弟子が何難之有と云へば、さればなこと、朱子はして取た人ゆへそれぞ。これが皆ほん手の処から出たことなり。
【解説】
「曰、患不省察爾。覺得間斷、便已接續。何難之有」の説明。省察をしないから間断をする。間断は埋めるのは事の上では難しいが、敬には形がなくて畏れるか畏れないかということなのでそれができる。
【通釈】
○「曰、患不省察爾。覚得間断、便已接続。何難之有」。難しくても省察をしなさい。省察をしないから間断をすると言った。これが懐中の金を使い終えたという様なことではない。それでは貧窮者では埋らない。事の上なら難しいが、敬は形がなく畏れるか畏れないかということ。金を使い切ったのとは違う。それでは埋まらない。間断と気が付いた後は間断をしない様になる。それから気が付く毎に続いて行くもの。「此事最難」と「何難之有」を、問い手と朱子を並べて見るのがよい。弟子が何難之有と言えば、それではと、朱子はして取った人なのでこの様に言う。これが皆本筋の処から出たことである。

そのことを孟子へかへして、操則存、舎則亡、只在操舎両字之間と云たものなり。一念がはっきりとなると存す。うかとすると亡る。なるほど心に形がないゆへ、はきとなるとそこに生きてをれども、うかとすると直きになくなる。今日など八朔で人も來るが、はきとすれば向の人を誰と云。こちが醉か物にとられると見そこなふ。あれはたれだと云やふになる。操存亡舎か、烟草一服吸ふ中に見そこないと見とめがある。迂斉の書入れて妙閑殿の筋とある。謂伊豫二子曰、賢等はこのことを知るまいが、先年京都で冨豪な卑人の母が尼になり、妙閑と名をかへ、人をも集めて振舞をした。翌日外とへ出たを昨日ちそふになった人が妙閑殿と呼たれは、この母が向へゆく比丘尼を妙閑様と云呼ついたと云。かのちそふになった男に、いやをまへのことでござると云はれ、さてはそふじゃと氣がついたとなり。
【解説】
「操則存、舍則亡、只在操舍兩字之間」の説明。一念がはっきりとすれば存するが、うっかりとすれば亡くなるのである。
【通釈】
そのことを孟子へ返して、「操則存、舎則亡、只在操舎両字之間」と言った。一念がはっきりとなると存する。うっかりとすると亡くなる。なるほど心には形がないので、はっきりとなるとそこに生きているが、うっかりとすると直に亡くなる。今日などは八朔で人も来るが、はっきりとすれば向こうの人を誰だと言える。こちらが酔っているか物に取られると見損なう。あれは誰だと言う様になる。操存亡舎が、煙草を一服吸う内に見損ないと見留めとがある。迂斎の書入れに妙閑殿の筋とある。伊豫の二子に言った。貴方達はこれを知らないだろうが、先年京都で富豪な卑人の母が尼になり、妙閑と名を変え、人を集めて振舞いをした。翌日外へ出たところを昨日馳走になった人が妙閑殿と呼ぶと、この母が向こうへ行く比丘尼を妙閑様と言って呼んだという。その馳走になった男に、いや貴方のことですと言われ、さてはそうだったと気が付いたそうだ。
【語釈】
・操則存、舎則亡…孟子告子章句上8。「孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其鄕」。
・八朔…旧暦八月朔日のこと。この日、贈答をして祝う習俗がある。
・伊豫二子…

○要之、只消一箇操字。到緊要処、全不消許多文字言語。操がそこをはなさぬことなり。未發も已発も一箇の操字なり。到緊要処はここの処で云。某先年はこの上に緊要の処あるかと見たはよくないなり。ここを緊要と云ことなり。ここが緊要じゃと云処になりては文字言語をはなれて理會せよなり。○若此意成熟、雖操字亦不須用。ここはぎり々々の処で云こと。操るも入らぬと云へば孔子へぶしつけのやふなれども、孔子も御よろこびなり。これを推して云へば主一無適もたたい心の本体が一ゆへ主一の工夫する。某一な心ゆへ操と云へども、熟すれば本体になるゆへ操も何も入らぬなり。これは至極の塲を云ぞ。斯ふなる迠の初手は操ら子ばならぬ。謡本に朱でせ□かをさすが、觀世にそれは入らぬ。馬も熟すると、馬か我か、我が馬かと一牧になるものなり。鞍上無人、鞍下無馬。
【解説】
「要之、只消一箇操字。到緊要處、全不消許多文字言語。若此意成熟、雖操字亦不須用」の説明。操が緊要のところである。この意が熟せば心の本体となるので、この操も要らなくなる。
【通釈】
○「要之、只消一箇操字。到緊要処、全不消許多文字言語」。「操」はそこを離さないこと。未発も已発も一箇の操の字のことである。「到緊要処」はここの処で言う。私が先年、この上に緊要の処があると見たのはよくない。ここが緊要ということ。ここが緊要だと言う処になっては、文字言語を離れて理会しなければならない。○「若此意成熟、雖操字亦不須用」。ここは至極の処で言ったこと。操るのも要らないと言えば孔子へ不躾な様だが、孔子も御喜びである。これを推して言えば、主一無適もそもそも心の本体が一なので主一の工夫する。一な心なので操と私が言うが、熟すれば本体になるので操も何も要らない。これは至極の場を言ったもの。こうなるまでの初手は操らなければならない。謡本に朱でせ□かを点すが、観世にそれは要らない。馬も熟すると、馬が自分か、自分が馬かと一つになるもの。「鞍上無人、鞍下無馬」。


胡問靜坐用功之法條
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胡問靜坐用工之法。曰、靜坐只是恁靜坐、不要閑勾當、不要閑思量、也無法。問、靜坐時思一事、則心倚靠在事上。不思量、則心無所倚靠、如何。曰、不須得倚靠。若然、又是道家數出入息、目視鼻端白一般。他亦是心無所寄寓。故要如此倚靠。若不能斷得思量、又不如且恁地、也無害。又曰、靜坐息閑雜思量、則養得來便條暢。百二十。
【読み】
胡、靜坐工を用いるの法を問う。曰く、靜坐は只是れ恁く靜坐し、閑勾當を要せず、閑思量を要せず、也た法無し。問う、靜坐の時一事を思えば、則ち心倚靠して事上に在り。思量せざれば、則ち心倚靠する所無し、如何。曰く、倚靠するを得るを須ず。若し然れば、又是れ道家出入の息を數え、目は鼻端の白きを視ると一般なり。他も亦是の心寄寓する所無し。故に此の如く倚靠するを要す。若し思量を斷じ得ること能わざれば、又且恁地くするに如ず、也た害無し。又曰く、靜坐閑雜の思量を息れば、則ち養い得て來て便ち條暢たり。百二十。

靜坐の字、ここで始て出た。さて靜坐が禅にまぎれるゆへ学者が額に皺をよせるが、そんなこと氣の毒に思ふ位で中々操存持敬の工夫はならぬ。程子も人の靜坐を見て善く学ぶ者と云てほめられたなり。さて人が貧乏ひまなしの役人は月番で烟草のむ間もないと云へども、そふもないものぞ。靜坐は息をつくやふなものなり。人の異見や物を呵るときは息もつき合せぬやふなれとも、息をつく間はある。身帯よくても金はつかい仕舞ふこともあり、俗人は氣根をもつかい切たと云こともあれども、人の呼吸をつかいきらぬは、つく息ばかりでないからぞ。そこで人も用のないときは靜に居るはづ。靜坐はこちの大切にあつかること。天地も冬は靜坐なり。田も畑も靜で、芳野山も靜坐也。花もさかぬ。これが自然のことなり。
【解説】
「胡問靜坐用工之法」の説明。どの様に忙しくても息を吐く間もないということはない。人が呼吸を使い切ることはない。人も用のないときは静かにしている。天地も冬は静座である。これが自然なこと。
【通釈】
「静坐」の字がここで初めて出た。さて静座はが禅に紛れるので学者が額に皺を寄せるが、そんなことを気の毒に思う位では中々操存持敬の工夫はできない。程子も人の静座を見て、善く学ぶ者と言って褒められた。さて貧乏暇なしの役人は月番で煙草を喫む間もないと言うが、そうでもないもの。静座は息を吐く様なもの。人の異見や物を呵る時は息も吐かない様だが、息を吐く間はある。身帯がよくても金を使い終えることもあり、俗人は気根を使い切ったということもあるが、人が呼吸を使い切らないのは、吐く息ばかりではないからである。そこで人も用のない時は静かにしている筈。静座はこちらの大切に与かること。天地も冬は静座である。田も畑も静かで、吉野山も静座である。花も咲かない。これが自然なこと。
【語釈】
・程子も人の靜坐を見て善く学ぶ者と云てほめられた…近思録存養62。「伊川毎見人靜坐、便嘆其善學」。

○曰、靜坐只是恁靜坐、不要閑勾當、不要閑思量、也無法。向が靜坐するがてんでどふ功夫せふか、其法を承りたいと重く云ゆへ、そこで朱子の、靜坐と云からは靜に坐すること。何も外にないこととなり。なるほどむつかしい用むきあれば枕をわらすことなれども、用向ないは仕合はせなことなり。其時は靜に坐して閑勾當せざれなり。勾當ははかりさばく字意で、ものをあれこれきりもるを勾當と云。勾當内侍も御用向をとりはかろふ女官そふな。学者も氣のさわがしい人がむだなことをかれこれきりもる。それがわるい。閑思量は役にもたたぬむだな思慮をする。そこで幸いひまゆへ胸にかれこれ思い企て子ば神が靜になる。某などもこれがくせなり。江戸のものが今度焼けたらばと云。あの藏も今度は南向にしてなどと、江戸はこの閑思慮が度々ある。きついうるさいことなり。この古いことて云へば、枳人の憂なり。上から梁が落たらどふせふと云なれども、それは今考てもどふもならぬ。朱子の、閑勾當閑思慮、このないやふな計りのことで、外に靜坐の法はないとなり。
【解説】
「曰、靜坐只是恁靜坐、不要閑勾當、不要閑思量、也無法」の説明。静座とは、静かに座すことである。それは閑勾当と閑思量をしないことだけだと朱子が言った。
【通釈】
○「曰、静坐只是恁静坐、不要閑勾当、不要閑思量、也無法」。相手は静座する合点であり、どの様に功夫をしたらよいか、その法を承りたいと重く言うので、そこで朱子が、静座と言うのだから静かに座すことで、それより何も外にないことだと言った。なるほど難しい用向きがあれば枕を割らすことになるが、用向きがないのは幸せなこと。その時は静かに座して「閑勾当」をしないのである。勾当は計り捌くという字意で、ものをあれこれ切り盛りするのを勾当と言う。勾当内侍も御用向きを取り計る女官だそうである。学者も気の騒がしい人が無駄なことをかれこれ切り盛る。それが悪い。「閑思量」は役にも立たない無駄な思慮をすること。そこが幸い暇で、胸にかれこれと思い企てなければ神が静かになる。私などもこの癖がある。江戸の者が今度焼けたらと言う。あの蔵も今度は南向きにしてなどと、江戸はこの閑思量が度々ある。大層煩いことである。これを古いことで言えば、杞人の憂である。上から梁が落ちたらどうしようと言うが、それは今考てもどうにもならない。朱子が、閑勾当閑思量がないということだけであって、外に静座の法はないと言った。
【語釈】
・枕をわらす…苦心する。肝胆を砕く。

○問、靜坐時思一事、則心倚靠在事上。不思量、則心無所倚靠、如何。問手がしてくった人で、書物藝でない。此方の自由にならぬもの。隙で靜坐する時斯ふなり。知らぬ人は靜坐を塊然兀坐のやふに云へども、思ふこともあり、只思を断つことでもない。明日よむ太極圖説を思ふこともあるべし。それへ心が依靠して外へとられずに無極而太極の句の処にある、これ依靠なり。又この中、弓の師匠がたっふりと引てと云たことを思てそこへよせていると、心は弓の方にある。それでは思だらけて心が散乱したやふなれども、一事へ心がよらぬと、今いろ々々心が□い々々と出る。そこで又、不思量、則心無所倚靠、如何となり。鞭策録こんな問はよく見べし。この坐のものなどの云はぬこと。同門でも東金誾斉などがこんな功夫しそふな男で、もとからそれがない。あれがせ子ば若い者はせぬ勢なり。これで学問上らぬはづなり。心が一事に依靠せぬと外のことが出る。因てこの問はここが分別ものぞ。なんと仕ふと云が尤なことぞ。時に心法の本んの功夫と云は直方先生浅見先生ぎりのこと。それと槇七郎左ェ門、彼の鬼ぢぢ計りで外は皆書物藝なり。
【解説】
「問、靜坐時思一事、則心倚靠在事上。不思量、則心無所倚靠、如何」の説明。一事へ心が倚らなければ、心は色々と出る。それをどうしたらよいかと問い手が尋ねた。
【通釈】
○「問、静坐時思一事、則心倚靠在事上。不思量、則心無所倚靠、如何」。問い手は実践した人で、書物芸ではない。自分の自由にならないことがあり、暇で静座をする時にこうなる。知らない人は静座を塊然兀坐の様に言うが、思うこともあり、ただ思いを断つだけのことでもない。明日読む太極図説を思うこともあるだろう。それへ心が倚靠して外へ取られずに無極而太極の句の処にある、これが倚靠である。またこの中に、弓の師匠がたっぷりと引けと言ったことを思ってそこへ倚せていると、心は弓の方にある。それでは思いがだらけて心が散乱した様だが、一事へ心が倚らなければ、今色々と心が出て行く。そこでまた、「不思量、則心無所倚靠、如何」と尋ねた。鞭策録のこの様な問いをよく見なさい。この座の者などの言わないこと。同門でも東金の誾斎などがこんな功夫をしそうな男で、元からそれがない。あれがしなければ若い者はしないのが道理である。これでは学問が上がらない筈。心が一事に倚靠しないと外のことが出る。そこでこの問いはここが分別ものである。どうしようと言ったのが尤もなこと。時に心法の本当の功夫をしたのは直方先生と浅見先生だけである。それと槙七郎左衛門、あの鬼爺だけで外は皆書物芸である。
【語釈】
・塊然兀坐…講学鞭策録46。「敬非是塊然兀坐」。
・誾斉…桜木誾斎。名は千之。長崎聖堂教授となる。友部安崇の感化で神道に傾く。享保10年(1725)~文化元年(1804)
・槇七郎左ェ門…

○曰、不須得倚靠。此答は大中至正なり。ものに心をよせてそれでよい位ではならぬ。ここを改て合点すべし。物によせ子ばならぬと云は下卑たことなり。○若然、又是道家數出入息、目視鼻端白一般。他亦是心無所寄寓。故要如此倚靠。心を一事によせて置は調法なやふなれども、垩賢の教にないことで道家のすること。道家と云は仙術にて、其筋を正せば元祖は老子なり。数出入之息は、つく息と引息を一つ二つと数へて居ること。これがさはがしいやふで、あちの脩練なり。靜に呼吸をかぞへるほどなれば、それで自然と心も靜まるものなり。あれを数へると寐つかれぬときもついそれで眠るぞ。目視鼻端白が、目をよせると鼻の先が白く見へるもの。心がわきへはせて目をあちこちすると、向い処を見ぬ。道家で心を外出やらぬ功夫なり。朱子のあちのことな□□かかれた。調息箴もこれなり。けれどもこれは下卑たこと。仙異端のことで、我儒の大本幸道を立るにはそんなことではない。
【解説】
「曰、不須得倚靠。若然、又是道家數出入息、目視鼻端白一般。他亦是心無所寄寓。故要如此倚靠」の説明。一事に心を倚せなければできないというのは下卑たこと。それは道家が息を数えたり、目を寄せて鼻の端を見る様なことと同じである。
【通釈】
○「曰、不須得倚靠」。この答えが大中至正である。ものに心を倚せてそれでよい位では悪い。ここを改めて合点しなさい。物に倚せなければならないと言うのは下卑たこと。○「若然、又是道家数出入息、目視鼻端白一般。他亦是心無所寄寓。故要如此倚靠」。心を一事に倚せて置くのは調法な様だが、それは聖賢の教えにないことで道家のすること。道家というのは仙術で、その筋を糺せば元祖は老子である。「数出入之息」は、吐く息と引く息を一つ二つと数えていること。これが騒がしい様で、あちらの修練である。静かに呼吸を数えるので、自然と心も静まるもの。あれを数えると、寝付かれない時もついそれで眠る。「目視鼻端白」。目を寄せると鼻の先が白く見えるもの。心が脇へ馳せて目をあちこちすると、向かう処は見ない。これが道家の心を外に出さない功夫である。朱子があちらのことを書かれた。調息箴もこれである。しかし、これは下卑たこと。仙人異端のことで、我が儒の大本幸道を立てるのはそんなことではない。
【語釈】
・大中至正…正蒙中正。「大中至正之極、文必能致其用、約必能感而通。未至於此、其視聖人恍惚前後、不可偽之像。此顏子之歎乎」。易経大有。「彖曰、大有、柔得尊位、大中而上下應之、曰大有」。

○若不能断得思慮、又不如且恁地、也無害。ここは内々の相談なり。役にもたたぬ、行くすへこしかたのこと思には、それもまあましなり。蘓季明が、或思一事未了他事、如麻又生と、思慮が多くてどふもならぬ人があるもの。これは蚊や蝿のやふには逐はれぬ。せふことなくは、又不如且恁地と、朱子の負けてやらるるのぞ。されども鼻端の白を見ることでなく、心を事の上へのせるは先王の代に不去琴瑟と云垩賢の遺意なり。人がわけなく居るよりは、琴をひけなり。正い意へ心が倚靠して、其正しいで邪が入らぬ。あの意なり。本んの功夫がならずはそふもせよ。直方の、合羽の出來ぬ内は浴衣で間に合はせよなり。○又曰、靜坐息閑雜思量、則養得來便條暢。静坐のかげてやむやふなものと迂斉云へり。思慮をやめやふとすると却てやまぬもの。寐付ふとすると結句寐られぬ。それゆへ静坐が藥になるは、閑雜がある々々と思ふ中になくなるぞ。養得來便條暢が上の條の此意成熟と同ことなり。條暢は草木などののびやかな底。枇の生へや継木などの伸るがよいもの。あのやふに靜坐で氣象がよくなるぞ。せわしくない趣を云ふなり。
【解説】
「若不能斷得思量、又不如且恁地、也無害。又曰、靜坐息閑雜思量、則養得來便條暢」の説明。思慮が多くてどうにもならない人がいるもの。工夫ができなければ、「不徹琴瑟」でもするのがよい。静座によって閑雑思量が止み、伸び伸びとする。
【通釈】
○「若不能断得思慮、又不如且恁地、也無害」。ここは内々の相談である。役にも立たない来し方行く末のことを思うよりは、それもまあましなこと。蘇季明が、「或思一事未了他事、如麻又生」と言った。思慮が多くてどうにもならない人がいるもの。これは蚊や蝿の様には逐えない。仕方がなければ、「又不如且恁地」と、朱子の負けて遣ったのである。しかし、それは鼻端の白を見ることではなくて、心を事の上に乗せるのは、先王の代の「不徹琴瑟」が聖賢の遺意である。人がわけもなくいるよりは、琴を弾けと言う。正しい意へ心が倚靠して、その正しいことで邪が入らない。あの意である。本当の功夫ができなければそうでもしなさいと言った。直方が、合羽あできない内は浴衣で間に合わせろである。○「又曰、静坐息閑雑思量、則養得来便條暢」。静坐の御蔭で止む様なものだと迂斎が言った。思慮を止めようとすると却って止まないもの。寝付こうとすると結局は寝られない。そこで、静座が薬になるのは、閑雑があると思っている内になくなるからである。「養得来便條暢」が前条の「此意成熟」と同じこと。條暢は草木などの伸びやかな底。蘖や接木などの伸びるのがよいもの。あの様に静座で気象がよくなる。忙しくない趣を言ったこと。
【語釈】
・行くすへこしかた…来し方行く末。過去と未来。
・或思一事未了他事、如麻又生…近思録存養52。「季明曰、昞嘗患思慮不定。或思一事未了、他事如麻又生。如何」。
・不去琴瑟…礼記曲礼下。「君無故玉不去身。大夫無故不徹縣。士無故不徹琴瑟」。


問毎日時略靜坐以養心條
49
問、毎日暇時、略靜坐以養心、但覺意自然紛起、要靜越不靜。曰、程子謂、心自是活底物事、如何空定敎他不思。只是不可胡亂思。纔著箇要靜底意思、便是添了多少思慮。且不要恁地拘迫他、須自有寧息時。百十八。
【読み】
問う、毎日暇時、略々靜坐し以て心を養い、但意自然に紛起し、靜を要し越て靜ならざるを覺る、と。曰く、程子謂う、心は自ら是れ活底の物事、如何ぞ空しく定まりて他に思わざらしめん。只是れ胡亂に思う可からず。纔に箇の靜を要する底の意思を著せば、便ち是れ多少の思慮を添了す。且恁地く拘迫を要せざる他、須く自ら寧息の時有り。百十八。

この問手は朱子の御かけて靜坐を覚へた人なり。略の字がよい。これで靜坐をしつめると云ことではない。畧々なり。但覚意自然紛起、要静越不静。静坐で功夫しつめたと思ふに、あの方は知らぬが、あちから意が紛起する。この自然の字がよい。自然ではなく、とふしてかくるので自然と云。我方から思ふではなけれども、あちから來るを云。要静越不静がなるほどそふしたもの。静にせふの心は却てさはがしくなる。○曰、程子謂、心自是活底物事、如何空定教他不思。只是不可胡乱思。意はをこりそふなもの。こちの心が枯木死灰でなく活物ゆへぞ。人の思は湧くやふなもの。そこで紛起と云はづ。初茄子と云へば駿河と思い、それについて冨士と思ふ。冨士から狩野栄川が画と、向について思がわくものなり。生てをるゆへ思は出るはづなれども、それを胡乱に思がわるい。思べきを思ふこと。論語に近思ふ、中庸に謹思ふとあるはそこなり。
【解説】
「問、毎日暇時、略靜坐以養心、但覺意自然紛起、要靜越不靜。曰、程子謂、心自是活底物事、如何空定敎他不思。只是不可胡亂思」の説明。静座を仕詰めたと思ったが、向こうから意が自然と紛起してしまうと問い手が言った。人は活物だから意も起きるもの。それを胡乱に思うのが悪い。
【通釈】
この問い手は朱子の御蔭で静座を覚えた人である。「略」の字がよい。これで静座をし詰めたということではない。略々である。「但覚意自然紛起、要静越不静」。静座で功夫し詰めたと思ったのに、あの方は知らないが、あちらから意が紛起する。この「自然」の字がよい。自然でないのに、どうしてか来るので自然と言う。自分から思うのではないが、あちらから来ることを言う。「要静越不静」がなるほどそうしたもの。静にしようとする心が却って騒がしくなる。○「曰、程子謂、心自是活底物事、如何空定教他不思。只是不可胡乱思」。意は起こりそうなもの。それはこちらの心が枯木死灰でなく、活物だからである。人の思いは湧く様なもの。そこで「紛起」と言う筈。初茄子と言えば駿河と思い、それについで富士山と思う。富士山から狩野栄川の画と、向こうに付いて思いが湧くもの。生きているので思いは出る筈だが、それを胡乱に思うのが悪い。思うべきことを思うのである。論語に近思、中庸に謹思とあるのはそこのこと。
【語釈】
・狩野栄川…狩野栄川院典信。1613~1685
・近思ふ…論語子張6。「子夏曰、博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣」。
・謹思…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。

○纔著箇要静底意思、便是添了多少思慮。心は竒妙なもの。静にせふとすること、静にならぬ。静にせふと思ふ上へ静ならぬの思慮が重くなる。そこで多少の思慮を添了すると云。克己の工夫の方は、酒がわるい、德利を打はると云ことで克己無巧法。手荒ゆへ仕よいが、心はそうしてもやくにたたぬ。思をやめやふとすれば出る。そこで且不要恁地拘道他、須自有寧息時なり。このとき外に仕方はない。打やりて置がよい。ここが藥のなづむ所ぞ。医者が二三日まあ休藥せよと云。これが添了多少思慮をやめてやる療治ぞ。功夫には思の外なことで仕て取ることあり。氣の短い人が何ぞてめったに腹の立つ時、急にはやまぬもの。そこを直方の、謡を一番うたへと云。この時謡はうたいにくいが、僧はたたく月下の門と謡ふと、ついまぎれて怒をわするる。又水で手水をつかへとなり。うがいや水で顔を洗ふうちについ瓶ぎわの木賊や向の芙蓉へうつりて怒がやむ。形ないものは斯ふするより外はない。さわがしく拘迫になるといかぬが、却てすてておくとその中に寧息になる。
【解説】
「纔著箇要靜底意思、便是添了多少思慮。且不要恁地拘迫他、須自有寧息時」の説明。静かにしようとすると思慮が増えて来る。その場合は放って置くのがよい。その内に落ち着く。
【通釈】
○「纔著箇要静底意思、便是添了多少思慮」。心は奇妙なもの。静かにしようとすると静かにならない。静かにしようと思う上に静かならぬ思慮が重くなる。そこで「添了多少思慮」と言う。克己の工夫では、酒が悪いと思えば徳利を打ち割ればよく、克己無巧法で、手荒いので仕易いが、心はそうしても役には立たない。思うのを止めようとすれば出る。そこで「且不要恁地拘道他、須自有寧息時」である。この時は外に仕方はない。打っ遣って置くのがよい。ここが薬の泥む所。医者が二三日まあ休薬をしなさいと言う。これが「添了多少思慮」の療治である。功夫には思いの外なことで仕て取ることがある。気の短い人が何かで滅多矢鱈に腹が立つと急には止まないもの。そこを直方が、謡を一番謡えと言った。この時謡は謡い難いが、僧は敲く月下の門と謡うと、つい紛れて怒りを忘れる。また、手水を使えとも言った。うがいや水で顔を洗う内につい瓶際の木賊や向こうの芙蓉へ心が移って怒りが止む。形ないものはこうするより外はない。騒がしく「拘迫」になるとうまく行かないが、却って捨てて置くとその内に「寧息」になる。
【語釈】
・克己無巧法…朱子語類41。「克己亦別無巧法。譬如孤軍猝遇強敵、只得盡力舍死向前而已。尚何問哉」。
・僧はたたく月下の門…賈島。李凝が幽居に題す。「閑居少隣並、草径入荒園。鳥宿池中樹、僧敲月下門」。


或問疲倦時静坐少頃可否條
50
或問、疲倦時、靜坐少頃、可否。曰、也不必要似禪和子檨去坐禪方爲靜坐。但只令放敎意思靜、便了。十二。
【読み】
或るひと問う、疲倦する時、靜坐少頃、可なるや否や、と。曰く、也た必ずしも禪和子の檨の似く坐禪し去くを要して方に靜坐と爲すにあらず。但只放ちて意思靜ならしめ、便ち了らしむなり。十二。

用向て草臥たり、普請などて草臥たりすることが世の中多いことなり。この時は静座が妙藥かと云。○曰、也不必要似禅和子様去坐禅方爲靜坐。なるほど靜坐でよいときなれども、上手得分下手の損。そふ挌式にしては、それ国への状五通のあとは靜坐と云ことになると、禅の坐禅堂へ入ると表から止靜とし、出るときは放散と札をかけるやふになる。それでは歌舞妓芝居は幕のあけたてなり。○但只令放教意思靜、便了。放が放心、放蕩などとわるい字なれども、用やふでよい。このやふな時は是非こふするが妙藥で有ふと云ゆへ、いやまあそのやふな時はよい加減にして放散もよい。心をものに斯ふせ子ばならぬと片づるがわるい。課程は厳がよいが、疲倦しそふなって來た心を今日中にと云ことにはならぬ。今日一日ぎりの天氣ではないなり。五峯の日月長久と云も面白いことで、助長の人へよい。聦たい心の靜になるは学問の上りなり。然るに他国へ謹学の学者が今度の謹学中にと云が餘義もなけれども、学問は順礼の札や千ヶ寺の帳とは違う。この意思を放つと云やふなことでなければ上らぬものなり。
【解説】
草臥れた時には静座がよいかとの問いに、その様な時は放散するのもよいと朱子が答えた。心はこうしなければならないと決め付けるのが悪いと言った。
【通釈】
用向きで草臥れたり、普請などで草臥れたりすることが世の中には多い。この時は静座が妙薬かと問うた。○「曰、也不必要似禅和子様去坐禅方為静坐」。なるほど静座でよい時だが、上手の得分下手の損で、その様に格式にしては、それ国への状五通の後は静座と言うことになり、禅の座禅堂へ入ると表から止静として、出る時は放散と札を掛ける様になる。それでは歌舞伎芝居は幕の開け立てだけになる。○「但只令放教意思静、便了」。「放」は放心、放蕩などと悪い字だが、用い様でよい。この様な時は是非こうするのが妙薬だろうと言うので、いやまあその様な時はよい加減にして放散もよい、心をものとして、こうしなければならないと片付けるのが悪いと言った。課程では厳がよいが、疲倦した心を今日中によくしようとすることはできない。今日一日だけの天気ではない。五峯が「日月長久」と言ったのも面白いことで、助長の人によい語である。総体、心が静になるのは学問の上達である。それなのに、他国へ謹学している学者が今度の謹学中にと言うもの余儀もないことだが、学問は順礼の札や千箇寺の帳とは違う。この意思を放つという様なことでなければ上がらないもの。
【語釈】
・日月長久…
・助長…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正。心勿忘。勿助長也」。
・千ヶ寺…千箇寺参り。願を立てて多くの寺院を巡拝すること。また、その巡拝者。江戸中期に始まる。


答呂伯恭書條
51
答呂伯恭書曰、承喩、整頓收斂、則入於著力、從容游泳又隨於悠悠。此正學者之通患。然程子嘗論之。曰、亦須且自此去到德盛、後自然左右逢其源。今亦當且就整頓收斂處著力。但不可用意安排等候。即成病耳。文集三十五。
【読み】
呂伯恭に答うる書に曰く、喩を承る、整頓收斂は、則ち力を著けるに入り、從容游泳又悠悠に隨う、と。此れ正に學者の通患なり。然るに程子嘗て之を論ず。曰く、亦須く且つ此より德盛なるに去き到るべく、後自然に左右其の源に逢う、と。今亦當に且つ整頓收斂の處に就きて力を著けるべし。但意を用い安排等候す可からず。即ち病を成すのみ。文集三十五。

承喩、整頓收歛、則入於著力、從容游泳墮於悠悠。此正学者之通患。よい並べなり。鞭策録は朱子の挌別の語と直方の編集の並べ方の挌別なを先手後手に見る位でなければすまぬ。さてあの通り工夫した呂東萊ゆへ整頓収歛、則入於著力となり。形をととのへ心を引しめ厳如思ゆへよけれども、これは力をつけ過ると云。迂斉の縛られる氣味となり。これがどふでもそれを法にすると斯ふもなる。従容游泳墮於悠悠。これは高い学者にあるぞ。幸田なり。ゆっくりと道理を上から見て、いつも面白い。邵子の学のやふなもの。そこある几上の書物一冊も四象に見へて、それで天地が皆すみ、太極がぐる々々まわる。これでは人事が二段になり、此たてを学問すると我方を取しめる氣なく悠々になる。これが精を出さぬと云ことでなく、つかまらずべったりとなる。迂斉の根なしかつらとなり。そこでここの二つが力を著るは握り拳。従容は学問の規矩にならぬ。なるほど呂東萊の云て來たがよいなり。
【解説】
「答呂伯恭書曰、承喩、整頓收斂、則入於著力、從容游泳又墮於悠悠。此正學者之通患」の説明。「整頓収斂」では力を付け過ぎるが、「従容游泳」では学問の規矩にならない。これが学者の通患だと呂東莱が言った。
【通釈】
「承喩、整頓収斂、則入於著力、從容游泳墮於悠悠。此正学者之通患」。よい並べ様である。鞭策録は朱子の格別な語と直方の編集の並べ方の格別なところを先手後手に見る位でなければ済まない。さてあの通り工夫をした呂東莱なので「整頓収斂、則入於著力」と言った。形を整え心を引き締め厳に思うので、それはよいことだが、これでは力を付け過ぎると言った。迂斎が縛られる気味だと言った。どうでも法にするとこの様にもなる。「従容游泳墮於悠悠」。これは高い学者にあること。幸田である。ゆっくりと道理を上から見て、いつも面白い。邵子の学の様なもの。そこにある机上の書物一冊も四象に見えて、それで天地が皆済み、太極がぐるぐる回る。これでは人事が二段になって、この筋を学問すると自分を取り締める気もなく悠々になる。これが精を出さないということではなく、掴まらずべったりとなる。迂斎が根なし蔓だと言った。そこでここの二つで力を著けるのは握り拳ですること。従容は学問の規矩にならない。なるほど呂東莱の言って来たのがよい語である。
【語釈】
・幸田…幸田子善。迂斎門下。1720~1792

○然程子嘗論之。曰、亦須且自此去到德盛、後自然左右逢其源。この語存養篇に載てあるゆへ前後の文をよく見べし。ここは省畧して云。存養篇、今志于義理而不安樂者之條。自此去がどちからと云に、この二つものですればこれからと云ことで、ここでは整頓收歛の方を云。学者のにはこれぢゃなり。整頓收歛はしばられると云へども、後よくなるもの。德盛後自然左右逢其源と云。そこで、今亦當且就整頓收歛處著力なり。手習をするもの、手本にはづれてのびやながあり、又こちの一人は筆法にしばられ、手本の通りを習て、それをくづさぬがあるもの。法に縛られても其方がよく、のびやかには跡でなるものなり。初手からのびやかなは望ましいやふなれども、却てよくないものぞ。
【解説】
「然程子嘗論之。曰、亦須且自此去到德盛、後自然左右逢其源。今亦當且就整頓收斂處著力」の説明。「整頓収斂」は縛られることだが、それで却って後にはよくなるもの。学者は整頓収斂がよい。
【通釈】
○「然程子嘗論之。曰、亦須且自此去到徳盛、後自然左右逢其源」。この語は存養篇に載せてあるので前後の文をよく見なさい。ここでは省略する。存養篇とは、今志於義理而不安楽者之条である。「自此去」がどちらからかと言うと、この二つものですればこれからということで、ここでは整頓収斂の方を言う。学者のにはこれである。整頓収斂は縛られるということだが、後にはよくなるもの。「徳盛後自然左右逢其源」と言う。そこで、「今亦当且就整頓収斂処著力」である。手習をする者も、手本に外れて伸びやかな者がいて、また、こちらでは筆法に縛られ、手本の通りを習って、それを崩さないが者がいる。法に縛られてもその方がよく、伸びやかには後でなるもの。初手から伸びやかなのは望ましい様だが、却ってよくないもの。
【語釈】
・存養篇…近思録存養17。「今志於義理而心不安樂者何也。此則正是剩一箇助之長。雖則心操之則存、舍之則亡、然而持之太甚、便是必有事焉而正之也。亦須且恁去。如此者只是德孤。德不孤、必有鄰。到德盛後、自無窒礙、左右逢其原也」。

○但不可用意安排等候。即成病耳。但からさきは呂東萊に付て全体の工夫を云。呂東萊は張南軒と違い実行ありても知見の甲斐ない人なり。整頓收歛従容游泳の語が功夫する人ゆへ、もと持あぐんで云たこと。そこが安排等候でいりもみするぞ。村司行藏がこれぞ。これが俗学にはなけれども、行藏以上は身心の上にかかると斯ふでもない、ああでもないといりもみして、彼れやこれやとあてて見る。そこで朱子の爰を、それはやめさっしゃれ、病をなすものとなり。我胸でいりもみより、程子の先挌があるから整頓收歛の方がよい。それで弟子迠もよくならふぞなり。あちへやりこちへやり段々安排等候すると、後は異端になる基なり。医の療治も斯ふやってああやってとして見ぬ所がこの外ないと、その時地道へとするはよけれども、それを遠い処へ目をつけ、竒藥や遠藥を出すと病人を殺す。医と儒がいつもよく合なり。商の筋でももふからぬとて安排等候し、いろ々々する者は身上を潰すぞ。学者は圣賢の学規で異端は出さ子ども、心法の上では事がないゆへあちこちして、果は小出来に出来た異端になるものなり。
【解説】
「但不可用意安排等候。即成病耳」の説明。呂東莱は「整頓収斂従容游泳」を持ち倦んだのである。その様に「安排等候」すると病になるから止めなさいと朱子が言った。医者が安排等候をすれば病人を殺し、商人がそれをすれば身上を潰す。学者も心法には事がないので、安排等候で異端になる。
【通釈】
○「但不可用意安排等候。即成病耳」。「但」から後ろは呂東莱に関して、全体の工夫を言ったもの。呂東莱は張南軒とは違い、実行があったが知見の甲斐ない人だった。「整頓収斂従容游泳」は、彼が功夫をする人なので、持ち倦んで言ったこと。そこが安排等候でいり揉みをするところ。村士行蔵がこれ。これは俗学にはないことだが、行蔵以上の者は身心の上にかかるとこうでもない、ああでもないといり揉みをして、かれこれと当てて見る。そこで朱子がここで、それは止めなさい、病となると言った。自分の胸でいり揉みするより、程子の先格があるから整頓収斂の方がよい。それで弟子までもよくなることだろう。あちらへ遣りこちらへ遣り、段々と安排等候をすると、後は異端になる基になる。医の療治も、こう遣ってああ遣ってとせず、この外はないと地道にするのがよいことだが、それを遠い処へ目を付け、奇薬や遠薬を出すと病人を殺す。医と儒がいつもよく合う。商いの筋でも儲からないと言って安排等候をして色々とする者は身上を潰す。学者は聖賢の学規に異端を出すことはないが、心法の上では事がないのであちこちして、果ては小出来にできた異端になるもの。
【語釈】
・村司行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。別号は一斎。門下に寛政三博士の一人である岡田寒泉がいる。享保14年(1729)~安永5年(1776)


答何叔京書條
52
答何叔京書曰、持敬之説甚善。但如所喩、則須是天資儘髙底人、不甚假脩爲之力。方能如此、若顏曾以下尤須就視聽言動容貌辭氣上做工夫。蓋人心無形出入不定、須就規矩繩墨上守定。便自内外帖然、豈曰放僻邪侈於内、而姑正容謹節於外乎。且放僻邪侈正與莊整齊肅相反。誠能莊整齊肅、則放僻邪侈决知其無所容矣。既無放僻邪侈、然後到得自然莊整齊肅地位。豈容易可及哉。此日用工夫至、要約處亦不能多談。但請、尊兄以一事驗之。儼然端莊執事恭恪時、此心如何。怠惰頽靡渙然不收時、此心如何。試於此審之、則知内外未始相離。而所謂莊整齊肅者、正所以存其心也。別集四。
【読み】
何叔京に答うる書に曰く、敬を持するの説甚だ善し。但喩す所の如きは、則ち是れ須く天資儘く髙底の人、甚だ脩爲の力を假りざるべし。方に能く此の如ければ、顏曾以下の若きは尤も須く視聽言動容貌辭氣の上に就きて工夫を做すべし。蓋し人心形無く出入定まらず、須く規矩繩墨の上に就きて守り定むべし。便ち自ら内外帖然、豈内に放僻邪侈して、姑く外に容を正し節を謹しむと曰んや。且つ放僻邪侈は正に莊整齊肅と相反す。誠に能く莊整齊肅なれば、則ち放僻邪侈は决して其の容れる所無きを知るなり。既に放僻邪侈無き、然る後自然に莊整齊肅の地位に到り得。豈容易及ぶ可けんや。此れ日用の工夫至りて、要約の處は亦多く談すること能わず。但請う、尊兄一事を以て之を驗せよ。儼然端莊事を執りて恭恪なる時、此の心如何。怠惰頽靡渙然收まらざる時、此の心如何。試みに此に於て之を審らかにせば、則ち内外未だ始めより相離れざるを知らん。而して謂う所の莊整齊肅は、正に以て其の心を存する所なり。別集四。

曰、持敬之説甚善云云。この條、長作など輪講で読そこなたで有ふ。甚た位取のある章なり。さて何叔京が学問よい人の綿密な人で、永井先生も忌日に拜をせられたほどのこと。それで疵はどふなれば、上の方から功夫して二等のことをば未と見くびる人なり。先つこれを知て居やふことじゃ。持敬之説甚善は何叔京が方から前に敬の工夫をさま々々云て来たもの。時に御説はよけれども、但如所喩、則須是天資儘高底人、不甚假脩爲之力がちと御言葉の上にすまぬことがござるなり。則須の須の字は貴様の思召はとかけた字で、斯ふなさらふ思召で有ふと云こと。何叔京の了簡が整齊厳肅の威儀でして行くことなれども、天資の高い知見のさへた人は外からせず、内から出ると來たものなり。道理をあたま下しに見て知が高く欲もないゆへ、整斉厳肅で脩爲せずとづっと圣人にも行くと見て、其あとのことは第二段に思うなり。
【解説】
「答何叔京書曰、持敬之説甚善。但如所喩、則須是天資儘髙底人、不甚假脩爲之力」の説明。何叔京は綿密な人で学問もよかった人である。しかし、彼は天資の高い人は整斉厳粛をしなくても聖人へと行くことができると考えていた。
【通釈】
「曰、持敬之説甚善云云」。長作などはこの条を輪講で読み損なったことだろう。甚だ位取りのある章である。さて何叔京は学問もよく綿密な人で、永井先生も忌日に拝されたほどの人。それがこの疵はどういうことかと言うと、上の方から功夫をして二等のことを未だと見くびる人だからである。先ずこれを知っておかなければならない。「持敬之説甚善」は何叔京の方から前に敬の工夫を様々と言って来たもの。時に御説はよいものだが、「但如所喩、則須是天資侭高底人、不甚仮修為之力」が、一寸御言葉の上で済まないことがあると言った。「則須」の須の字は貴方の思し召しはと掛けた字で、この様にしようという思し召しだろうということ。何叔京の了簡は整斉厳粛の威儀でして行くものだが、天資の高い知見の冴えた人は外からせず、内から出るとしたもの。道理を頭下しに見て知が高く欲もないので、整斉厳粛で修為をしなくても、そのまま聖人にも行くと見て、その後のことは第二段と思ったのである。
【語釈】
・長作…山田長作。華陽斎。名は記思。通称は長作、黒水。館林藩士。1773~1832

○方能如此。若顔曽以下尤須就視聽言動容貌辞氣上做功。その思召なれば、第二段の人が外からしてゆくとならば、顔曽以下は論語でみれば、顔子の非礼視聽言動、曽子の動容皃遠暴慢上に功夫さるるはどふしたものぞ。顔曽は第二段の人ではなけれども、だたい工夫は高いの卑いのと云ふことなしに、かふしてゆくはづのことなり。そのあやは盖人心無形云云と下文にかかることなり。形なさに外からするで、形のないものをよくするぞ。顔曽を卑にはならず。高底の人は不甚假脩爲と云へば高底は文王や孔子□るが、これはつまらぬ云分也。朱子はそれにかまはず顔曽の視聽言動容皃辞氣を證してたたりたものぞ。高くても卑くても垩人の教は非礼の上からきめてかかること。そこにはわけあることなり、と。
【解説】
「方能如此、若顏曾以下尤須就視聽言動容貌辭氣上做工夫」の説明。第二段の人は外からして行くと言うのであれば、顔曾はどうしたことか。そもそも工夫とは顔曾の様にするものである。
【通釈】
○「方能如此。若顔曾以下尤須就視聴言動容貌辞気上做工夫」。その様な思し召しで、第二段の人は外からして行くのであれば、顔曾以下は論語で見れば、顔子の「非礼視聴言動」や、曾子の「動容貌遠暴慢」上に功夫されるのはどうしたことか。顔曾は第二段の人ではないが、そもそも工夫は高い卑いと言うことなしに、こうしてする筈のこと。その綾は「蓋人心無形云云」と下文に掛かるもの。形がないので外からするのであって、それで形のないものをよくするのである。顔曾は卑い人ではない。高底の人は「不甚仮修為」と言えば、高底とは文王や孔子と思うが、それは詰まらない言い分である。朱子はそれに構わず顔曾の視聴言動容貌辞気を証拠に祟ったのである。高くても卑くても聖人の教えは非礼の上から決めて掛かるもの。そこにはわけがある。
【語釈】
・非礼視聽言動…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。
・動容皃遠暴慢…論語泰伯4。「曾子有疾、孟敬子問之。曾子言曰、鳥之將死、其鳴也哀。人之將死、其言也善。君子所貴乎道者三。動容貌、斯遠暴慢矣。正顏色、斯近信矣。出辭氣、斯遠鄙倍矣。籩豆之事、則有司存」。

○蓋人心無形出入不定、須就規矩繩墨上守定。心は形ないゆへ、天資ひくかろふか高かろふか規矩縄墨から行子ばならぬ。○便自内外帖然。湯王の以礼制心も規矩繩墨からすること。垩賢の教内の外はない。かたですると内も外もよくなりて落つくぞ。○豈曰放僻邪侈於内、而姑正容謹節於外乎。これからが文義取にくい。先つ何叔京などは外面ですることは第二段の功夫と思う。そこで朱子の垩人の正容の教は内へはとどかぬことで、内は放僻邪侈てもまあ外から此正容謹節を當分のまかないにすると申ふ其元さまは、心へはつまらぬことなれとも、まあ小学底の外面をすることと思はっしゃるとみへるとなり。これが何叔京も謝上蔡で食傷したもの。上蔡の外面の威儀非礼之本は横渠の門人を云たことなれども、大ふわるい語で、朱子のにくむことなり。道理の大害になる。何叔京もをとなしい顔でも、毒にはいつかあたるものなり。
【解説】
「蓋人心無形出入不定、須就規矩繩墨上守定。便自内外帖然、豈曰放僻邪侈於内、而姑正容謹節於外乎」の説明。心には形がないので、規矩縄墨からしなければならない。内が放僻邪侈でも、暫くは正容謹節をしようと思うのは悪い。
【通釈】
○「蓋人心無形出入不定、須就規矩縄墨上守定」。心には形がないので、天資が低かろうが高かろうが規矩縄墨から行かなければならない。○「便自内外帖然」。湯王の「以礼制心」も規矩縄墨からすること。聖賢の教えに内とか外とかということはない。形ですると内も外もよくなって落ち着く。○「豈曰放僻邪侈於内、而姑正容謹節於外乎」。これからが文義が取り難い。先ず何叔京などは外面ですることは第二段の功夫と思う。そこで朱子が、聖人の正容の教えは内へは届かないことで、内は放僻邪侈でもまあ外からこの正容謹節を当分の賄いにしようと申される貴方は、心へは詰まらないことだが、まあ小学底の外面をすることだと思われているものと見えると言った。これが何叔京も謝上蔡で食傷したもの。上蔡の「外面威儀非礼之本」は横渠の門人に対して言ったことだが、大分悪い語であって、朱子はこれを憎んだ。道理の大害になる。何叔京が大人しい顔をしていても、毒にはいつか中るもの。
【語釈】
・以礼制心…書経仲虺之誥。「建中于民、以義制事、以禮制心、垂裕後昆」。
・外面の威儀非礼之本…講学鞭策録38。「正容謹節外面威儀非禮之本」。

○且放僻邪侈正與荘整齊粛相反。放僻邪侈は内のこと。荘整齊粛は外のことなれども、心が放僻邪侈なれば形は荘整斉粛にはならぬものなり。そこが相反すなり。そこで誠能荘整齊粛、則放僻邪侈决知其無所容矣なり。垩人の規矩が外でするやふなれども、内へ邪が入らぬ。譬て云へば癰疔で食がくはれぬと云。これも外をなをすと自ら脉もなをり食もなる。内は内、外は外でなく、熱氣や食のくわれぬが癰疔と別ではない。外の荘整斉粛で内の放僻邪侈がよくなる。これで先日の大学或問もすむ。小学のわざが外でも、内の放僻邪侈の出ることなくよくなるぞ。
【解説】
「且放僻邪侈正與莊整齊肅相反。誠能莊整齊肅、則放僻邪侈决知其無所容矣」の説明。心が放僻邪侈であれば形は荘整斉粛にはならない。逆に、外をよくすることで内がよくなるもの。内は内、外は外ではない。
【通釈】
○「且放僻邪侈正与荘整斉粛相反」。放僻邪侈は内のことで、荘整斉粛は外のことだが、心が放僻邪侈であれば形は荘整斉粛にはならないもの。そこが「相反」である。そこで「誠能荘整斉粛、則放僻邪侈決知其無所容矣」である。聖人の規矩は外でするこの様だが、それで内へ邪が入らない。たとえで言えば癰疔で食えないという様なこと。これも外を治すと自ら脈も治って食も戻る。内は内、外は外ではなく、熱気や食えないというのが癰疔と別ではない。外の荘整斉粛で内の放僻邪侈がよくなる。これで先日の大学或問も済む。小学の業が外でも、それで内に放僻邪侈が出なくなり、よくなる。

○既無放僻邪侈、然後到得自然荘整齊粛地位。豈容易可及哉。此細字は叔京の、思入のままに内を主にして、それが外にあらはれると云相談にもせふが、中々学者の容易になる手段ではないと云こと。これが功夫の次第逆さまになるぞ。小学で行義をするの涵養で大学の心廣体胖、圣人の動容周還中礼の地位になる筈と云へば尤なり。それを内をよくすれば形の上も自然と荘整斉粛と云へば、大本からゆくので、石のかろをとてもえもんつくるが文王の氣象と云は、圣人は心に放僻邪侈がないから自然と恭い容皃にみへる。舜の恭已南面も内が外とへ出たのなり。それが学者の手にのることではない。何叔京あたまで放僻邪侈をなくす主方なり。そこを既にと云。それからあとて外むきの功夫なしの荘整斉粛に自然とならふとする也。それはよかろふが、どふしてそれか容易になろふそなり。小野郎にも行義からはしこまれる。心から行義へとは出来にくいなり。先日或問てもの云ふ四色の工夫がどれでもその塲次第に受用になる。内からも外からもなり。何叔京高ぞれなり。そこで形でするを二段にする。
【解説】
「既無放僻邪侈、然後到得自然莊整齊肅地位。豈容易可及哉」の説明。何叔京は内を主とすることで外もよくすると考えるが、それでは逆様である。聖人は心に放僻邪侈がないから内がよく、それで形の上も自然と荘整斉粛となるが、学者にそれはし難いこと。何叔京は形ですることを第二段とする。
【通釈】
○「既無放僻邪侈、然後到得自然荘整斉粛地位。豈容易可及哉」。この細字は、叔京の思い入れのままに内を主にして、それが外に現われるという相談にもなるが、中々学者の容易になる手段ではないということ。これが功夫の次第が逆様になったこと。小学で行儀をしたり、涵養で大学の「心広体胖」が、聖人の「動容周旋中礼」の地位になる筈だと言えば尤もなこと。それを、内をよくすれば形の上も自然と荘整斉粛になると言えば、大本から行くものである。石の唐櫃に入っても衣文を作るのが文王の気象と言うのは、聖人は心に放僻邪侈がないからで、自然と恭しい容貌に見えるのである。舜の「恭已南面」も内が外とへ出たこと。それは学者の手に乗ることではない。何叔京は最初から放僻邪侈をなくす手法である。そこを「既」と言う。それから後は外向きの功夫をせず、自然と荘整斉粛になろうとする。それはよいだろうが、どうしてそれか容易にできるだろうか。小野郎にも行儀から仕込むことができる。心から行儀へはし難い。先日の或問でもの云ふ四色の工夫がどれでもその場次第に受用になる。内からも外からもである。何叔京は高逸れである。そこで形ですることを第二段とする。
【語釈】
・心廣体胖…大学章句6。「曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。富潤屋、德潤身。心廣、體胖。故君子必誠其意」。
・動容周還中礼…孟子尽心章句下33。「孟子曰、堯舜、性者也。湯武、反之也。動容周旋中禮者、盛德之至也」。
・かろをと…唐櫃。棺。墓石の下に設けた石室。
・恭已南面…論語衛霊公4.「子曰、無爲而治者、其舜也與。夫何爲哉。恭己正南面而已矣」。
・小野郎…小+野郎。
・或問…講学鞭策録36を指す。
・四色の工夫…主一無適、整齊嚴肅、常惺惺、其心收歛不容一物の四つ。

○此日用工夫至、要約處亦不能多談。程子の整斉厳粛と主一無適の内外で相談のすんだこと。多談に及はぬ。○但請、尊兄以一事験之。儼然端荘執事恭恪時、此心如何。怠惰頽靡渙然不収時、此心如何。ここを一色で合点せよなり。儼然端荘か月番の役人御用向間違っては一大事と云て上下できっとするゆへ心がうっかとならぬ。心を事の上でためして見られよなり。怠惰が春向長い日などに太屈心がなんの上にいると云こともなく、からだがばっとなるゆへ心もばっとなる。○試於此審之、則知内外未始相離。而所謂荘整斉粛者、所以存其心也。ここで審にせよ々々と云が規矩で外からすれども、それで心もしゃんとなる。内に寐ていると心もそうなる。内外一で離れぬものなり。荘整斉粛は小児へ教のやうで何叔京以上は面白くないやうに思へども、心に別に存しやふはないものぞ。高ぞれると却て大事の処を知らぬものなり。
【解説】
「此日用工夫至、要約處亦不能多談。但請、尊兄以一事驗之。儼然端莊執事恭恪時、此心如何。怠惰頽靡渙然不收時、此心如何。試於此審之、則知内外未始相離。而所謂莊整齊肅者、正所以存其心也」の説明。整斉厳粛と主一無適で内外のことは済む。内外は一つで離れないもの。荘整斉粛で心がよくなる。
【通釈】
○「此日用工夫至、要約処亦不能多談」。程子の整斉厳粛と主一無適の内外で相談は済む。多談には及ばない。○「但請、尊兄以一事験之。儼然端荘執事恭恪時、此心如何。怠惰頽靡渙然不収時、此心如何」。ここを一色で合点しなさい。「儼然端荘」。月番の役人が御用向きを間違っては一大事と言って裃できっとするので心がうっかりとならない。心を事の上で験して見なさい。「怠惰」。春向きで日が長くなり、退屈な心が何の上にあるということもなく、体がだらしなくなるので心もだらしなくなる。○「試於此審之、則知内外未始相離。而所謂荘整斉粛者、所以存其心也」。ここで審らかにしろと言うのが規矩で外からすることだが、それで心もしゃんとなる。家で寝ていると心もそうなる。内外は一つで離れないもの。荘整斉粛は小児への教えの様で何叔京以上の者は面白くない様に思うが、心に別に存し方はない。高逸れると却って大事な処を知ることができないもの。


答林擇之書條
53
答林擇之書曰、此因朋友講論深究近世學者之病。只是合下欠却持敬工夫。所以事事滅裂。其言敬者、又只説能存此、心自然中理、至於容貌詞氣、往往全不加工。設使眞能如此存得、亦與釋老何異。上蔡説、便有此病了。又况心慮荒忽未必眞能存得耶。程子言敬必以整齊嚴肅、正衣冠、尊瞻視爲先。又言未有箕踞而心不慢者。如此乃是至論、而先聖説克己復禮。尋常講説於禮字毎不快意、必訓作理字、然後已。今乃知其精微縝密、非常情所及耳。文集四十三。
【読み】
林擇之に答うる書に曰く、此れ朋友講論に因るは深く近世學者の病を究む。只是れ合下し敬を持するの工夫を欠却す。以て事事滅裂する所なり。其れ敬を言う者も、又只能く此の心を存すれば、自然に理に中ると説き、容貌詞氣に至りて、往往全く工を加えず。設え眞に能く此の如く存し得しむとも、亦釋老と何ぞ異ならん。上蔡の説、便ち此の病有り了る。又况や心慮荒忽未だ必ずしも眞に能く存し得ざるや。程子敬を言うに必ず整齊嚴肅、衣冠を正し、瞻視を尊するを以て先と爲す。又未だ箕踞して心慢らざる者有らず。此の如くなれば乃ち是れ至論にして、先聖の己に克ちて禮に復すと説く。尋常講説は禮の字に毎に意快よからざるに於て、必ず理の字と訓じ作し、然る後已む。今乃ち其の精微縝密、常情の及ぶ所に非ざるを知るのみ。文集四十三。

曰、此因朋友講論深究近世学者之病。只是合下欠却持敬工夫。所以事々滅烈。このころ中も学者と講論するに付て、どうしてあのやふじゃ思もはしくないと思へ。つまりあたまで持敬の功夫がなく皆根がないゆへ、事々滅烈する。荘子、鹵莽滅烈と云。○其言敬者、又只説能存此、心自然中理、至於容貌詞氣、往々全不加工。設使眞能如此存得、赤與釈老何異。上の何叔京へあてて見べし。たま々々敬を云ものがありて頼母しいと思へば、とかく高ぞれて容貌詞氣などはとんとかまわぬ。皆當時禅のかぶれなり。○上蔡説、便有此病了。外靣の威儀非礼之本がこれなり。○又况心慮荒忽未必眞能存得耶。朱子のここがたとひ釈老になろふともゆるしてやろふが、あの荒忽て、とふして存せられやうそ。上句は存しても釈老じゃ。ほんのものでない。此句はどうして存するはつ。心ばかりはそふならぬもの。心は形がないゆへ縛って置れぬ。手びろいが荒。とかく起滅あるものゆへ忽なり。操存も主一も荒忽のないやふにすることなり。
【解説】
「答林擇之書曰、此因朋友講論深究近世學者之病。只是合下欠却持敬工夫。所以事事滅裂。其言敬者、又只説能存此、心自然中理、至於容貌詞氣、往往全不加工。設使眞能如此存得、亦與釋老何異。上蔡説、便有此病了。又况心慮荒忽未必眞能存得耶」の説明。今の学者には最初から持敬の功夫がない。敬を言う者がいても、高逸れて「容貌詞気」などには全く構わない。それは皆禅の被れである。心慮が荒忽では、存することはできない。
【通釈】
「曰、此因朋友講論深究近世学者之病。只是合下欠却持敬工夫。所以事々滅裂」。この頃学者と講論すると、どうもあの様では思わしくないと思える。つまり最初から持敬の功夫がなく、皆根がないので「事々滅裂」する。荘子が「鹵莽滅烈」と言った。○「其言敬者、又只説能存此、心自然中理、至於容貌詞気、往々全不加工。設使真能如此存得、亦与釈老何異」。上の何叔京へ当てて見なさい。偶に敬を言う者がいて頼もしいことだと思えば、とかく高逸れて「容貌詞気」などには全く構わない。皆当時の禅の被れである。○「上蔡説、便有此病了」。「外面威儀非礼之本」がこれ。○「又況心慮荒忽未必真能存得耶」。朱子が、ここはたとえ釈老になろうとも許して遣ろうが、あの「荒忽」でどうして存することができようかと言った。上句は存しても釈老なので本物ではない。この句はどうして存するものかということ。心はそうならないもの。心は形がないので縛って置けない。手広いのが「荒」で、とかく起滅があるというのが「忽」である。操存も主一も荒忽のない様にすること。
【語釈】
・鹵莽滅烈…荘子雑篇則陽。「長梧封人問子牢曰、君爲政焉勿鹵莽、治民焉勿滅裂。昔予爲禾、耕而鹵莽之、則其實亦鹵莽而報予。芸而滅裂之、其實亦滅裂而報予。予來年變齊、深其耕而熟耰之、其禾繁以滋、予終年厭飧」。
・外靣の威儀非礼之本…講学鞭策録38。「正容謹節外面威儀非禮之本」。

○程子言敬必以整斉嚴粛、正衣冠、尊瞻視爲先。又言未有箕踞而心不慢者。程子もそれ者ゆへ、事の上で云。胡坐で足を投け出すと心迠がそうなる。足が出ると心も出る。いかさま儼若思が漢儒の語でないはづ。垩人の□言なり。この□□よく形容して、外が正しいと心もそうなるが知れておる。何叔京は只内々とてここを知らぬ。ただむ子の内からすらりとして仕あげる主方ぞ。そうはならぬものなり。○如此乃是至論、而先聖説克己復礼。どれもかれも何叔京にあたる。何叔京の心得たがへを潰すつもりでこの語どもなり。貴様は外面をかるく云はるるが、論語の見やふもわるい。垩人克己復礼と云ぞやなり。
【解説】
「程子言敬必以整齊嚴肅、正衣冠、尊瞻視爲先。又言未有箕踞而心不慢者。如此乃是至論、而先聖説克己復禮」の説明。外が悪いと心も悪くなる。何叔京は心から先によくすると言うが、孔子も克己復礼と言っている。
【通釈】
○「程子言敬必以整斉厳粛、正衣冠、尊瞻視為先。又言未有箕踞而心不慢者」。程子も優れ者なので、事の上で言う。胡座で足を投げ出すと心までがそうなる。足が出ると心も出る。いかにも「儼若思」は漢儒の語ではない筈。それは聖人の□言である。この語はよく形容したもので、外が正しいと心もそうなるのは知れたこと。何叔京はただ内々と言うだけでここを知らない。ただ胸の内からすらりとして仕上げる手法である。しかし、そうはならぬもの。○「如此乃是至論、而先聖説克己復礼」。どれもこれも何叔京に当たる。何叔京の心得違いを潰すつもりの語立てである。貴方は外面を軽く言われるが、論語の見方も悪い。聖人が克己復礼と言っている。
【語釈】
・正衣冠、尊瞻視…論語堯曰2。「君子正其衣冠、尊其瞻視、儼然人望而畏之、斯不亦威而不猛乎」。
・儼若思…礼記曲礼上。「曲禮曰、毋不敬、儼若思、安定辭安民哉」。
・克己復礼…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉」。

○尋常講説於礼字毎不快意、心訓作理字、然後已。今乃知其精微縝密、非常情所及耳。朱子の、某などもむかしは世間並に礼の字の見やふがわるく、烟草粉盆曲けぬや袴の皺直してすはる、ひくいことにして、克己に對して云ふ礼には食ひ足らぬやうに思い、復礼は天理に復ると礼の字を理の字にかへて見たとなり。尋常と云は程門からして宋朝風のことなり。然れば天に復ると云そふなものに、圣人はこまかにて、常情の及ぶ処ではない。常情を上の尋常へかへして見べし。黙斉いつも並べて云、易の窮理と大学の挌物なり。どちも同ことなれども、窮理と云より挌物と云がつかまへよくて動かぬ。ここも天理と云と大べらゆへまぎらかす。そこで理と云より礼と云がよい。礼□ぎり々々のかたのあることて云と、佛老があたま上らぬ。挌物の物できめることをきめる□王陽明にま□ふことはなし。それゆへ易の窮理よりは大学の挌物がよい。猶又礼の大切なことをこの次の條で知るべし。
【解説】
「尋常講説於禮字毎不快意、必訓作理字、然後已。今乃知其精微縝密、非常情所及耳」の説明。朱子も昔は礼が卑いものと思い、復礼は天理に復ることとして、礼の字を理の字に替えて見たと言う。しかし復礼と言うのがわかり易くてよい。それは易の窮理と大学の格物の様なもので、どちらも同じことだが、格物と言う方が掴まえ易い。
【通釈】
○「尋常講説於礼字毎不快意、心訓作理字、然後已。今乃知其精微縝密、非常情所及耳」。朱子が、私なども昔は世間並みに礼の字の見方が悪く、煙草盆を曲げないことや袴の皺を直して座るのは卑いことと思い、克己に対する礼は食い足りない様に思い、復礼は天理に復ると、礼の字を理の字に替えて見たと言った。「尋常」は、程門以降の宋朝風のこと。それなら天に復ると言いそうなものだが、聖人は細かなので、「常情」の及ぶ処ではない。常情を上の尋常へ返して見なさい。黙斎はいつも並べて言う、易の窮理と大学の格物である。どちらも同じことだが、窮理と言うより格物と言う方が掴まえ易くて動かない。ここも天理と言うと大まかなので紛らかす。そこで理と言うより礼と言うのがよい。礼のぎりぎりの形のあることで言うと、仏老が頭を上げられない。格物の物で決めれば王陽明に迷うことはない。そこで、易の窮理よりは大学の格物がよい。猶また礼の大切なことをこの次の条で知りなさい。


答方耕道書條
54
答方耕道書曰、向者妄謂自立規程。正謂正衣冠、一思慮、莊整齊肅、不慢不欺之類耳。此等雖是細微、然人有是身内外動息、不過是此數事。其根於秉彜、各有自然之則。若不於此一一理會、常切操持、則雖理窮玄奧論極幽微、於我亦有何干渉乎。四十六。
【読み】
方耕道に答うる書に曰く、向者は妄りに自ら規程を立つと謂う。正に衣冠を正し、思慮を一にし、莊整齊肅、慢らず欺かずの類のみ。此等は是れ細微と雖も、然れども人是の身有る、内外動息は是れは此れ數事に過ぎず。其の彜を秉るに根し、各々自然の則有り。若し此に於て一一理會し、常に切に操持せざれば、則ち理は玄奧を窮め論は幽微を極むと雖も、我に於て亦何の干渉有らんや。四十六。

向者妄謂自立規程。正謂正衣冠、一思慮、荘整斉粛、不慢不欺之類耳。この語意を考るに、朱子の前に下了簡ありて、学問の法かへようふと存すると計り向へ先き触したと見へる。そこで某先達で法則を立かへやうと申し進ぜたも別のことでなく、この正衣冠一思慮云云となり。これ迠は高く云て空理に落る。この正衣冠一思慮云云は外面のことなれども、これでなければならぬ。去によって、大名や公家は学問せふかせまいかこれなり。人は正に衣冠の上にあること。敬をぬき身で云はわるい。外が正しいと内もよくなる。だたい又人間は衣をまげ、茶筌髪で居るはづはない。いつも出仕のなる底でなければ人でない。一思慮は、一と色になりて外を思はぬこと。あれやこれやと胸へうかむ。そふするとふだん魂が熱にをかされたやうになる。これが思ふべきことを思ふて專一になること。やはり主一無適なり。荘整斉粛。形から心迠なり。不慢不欺は礼記なり。客がなく一人居ても、やりばなしはせぬ。使民如承大祭、出門如見大賓も不慢なり。一寸と庭へ出るときも御老中招請のやふにし、草履取の五助を呼ときも先祖の祭のやふにする。ごれが敬の工夫のぎり々々なり。闇室を不欺と其後の文字もある。誰も見ぬ処とて人を相手にすることでなく、我胸の掃除なりと云ことが自立規程にて、先日申進せたはこのこととなり。
【解説】
「答方耕道書曰、向者妄謂自立規程。正謂正衣冠、一思慮、莊整齊肅、不慢不欺之類耳」の説明。朱子が、私が学問の仕方を変えようと言ったのは、「正衣冠、一思慮、莊整斉粛」のことで、外が正しいと内もよくなるのである。
【通釈】
「向者妄謂自立規程。正謂正衣冠、一思慮、荘整斉粛、不慢不欺之類耳」。この語意を考えるに、前に朱子に下了簡があって、学問の仕方を変えようと思うと、向こうへ先触れしたものと見える。そこで私が先立って法則を変えようと申し進じたも別なことでなく、この「正衣冠一思慮云云」のことだと言ったのである。これまでは高く言っていたので空理に落ちた。この正衣冠一思慮云云は外面のことだが、これでなければならない。それで、大名や公家は学問をしようがしまいがこれである。人は正に衣冠の上にあること。敬を抜き身で言うのは悪い。外が正しいと内もよくなる。そもそも人間が衣を曲げ、茶筌髪でいる筈はない。いつも出仕ができる底でなければ人でない。一思慮は、一色になって外を思わないこと。あれやこれやと胸へ浮かぶ。そうすると絶えず魂が熱に侵された様になる。これが思うべきことを思って専一になることで、やはり主一無適のことである。「荘整斉粛」。形から心までである。「不慢不欺」は礼記の語である。客がなく一人でいても、遣り放しにはしない。「使民如承大祭、出門如見大賓」も不慢のこと。一寸庭へ出る時にも御老中招請の様にし、草履取りの五助を呼ぶ時も先祖の祭の様にする。これが敬の工夫の至極である。「不欺闇室」と、その後の文字もある。誰も見ていない処でも、人を相手にするのではなく、我が胸の掃除をするのが「自立規程」であって、先日申し進じたのはこのことだと言った。
【語釈】
・礼記…礼記下郷飲酒義。「君子尊讓則不爭、絜敬則不慢、不慢不爭、則遠於鬥辨矣」。
・使民如承大祭、出門如見大賓…論語顔淵2。「仲弓問仁。子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。己所不欲、勿施於人。在邦無怨、在家無怨」。
・闇室を不欺…列女伝等。「不欺闇室」。

○此等雖是細微、然人有此身内外動息、不過是此数事。其根於秉彜、各有自然之則。上のことが今日誰もなること。圣人でなければならぬでない。然人有此身と云ふ云出しかなんのこともないが、これが只の人の口上にないことなり。云へば大へいな云はれやふぞ。爲天地立心も上に天を相手なり。万物皆身はあれども、人有此身が、この五尺の身は皀角樹や鯨のやふに天から下されたでない。万物之霊も此身へ下されたなり。内外は身と心のこと。動息は、今日はたらきの上のこと。それが上文数事の外はない。中庸天地位焉萬物育焉が清冷殿のことのやふじゃが、あの首章の天地位万物育の前立は人有此身内外動息のことなり。未發も已發も戒愼恐懼も謹獨もこの外はない。其根於秉彜は、人がだたい万古かはらぬ明德性善で、衣冠正しくなるやふにしたものなり。萬物の中では馬がよい分で、あの飾りをして毛を結ふたりして人の乘るやうに出来たが、其外のものはならぬ。唯人ばかりが外から衣冠の飾りがなる。これが心法を取立る道具なり。
【解説】
「此等雖是細微、然人有是身内外動息、不過是此數事。其根於秉彜、各有自然之則」の説明。「正衣冠、一思慮、莊整斉粛」は誰もができることであり、また、人のみができることである。
【通釈】
○「此等雖是細微、然人有是身内外動息、不過是此数事。其根於秉彜、各有自然之則」。上のことが今日誰にもできることで、聖人でなければできないわけではない。「然人有是身」という言い出しが何事もないものの様だが、これが不通の人の口上にはないこと。言えば横柄な言い方である。「為天地立心」も上に天を相手にする。万物には皆身があるが、人有是身で、この五尺の身は皀莢樹や鯨の様に天から下されたものではない。「万物之霊」もこの身へ下されたのである。「内外」は身と心のこと。「動息」は、今日の働きの上のこと。それが上文の数事の外にはない。中庸の「天地位焉万物育焉」は清涼殿のことの様だが、あの首章の天地位万物育の前立は「人有是身内外動息」のこと。未発も已発も戒慎恐懼も謹独もこの外ではない。「其根於秉彜」は、人はそもそも万古変わらない明徳性善で、衣冠を正しくなる様にしたもの。万物の中では馬がよい分で、あの飾りや毛を結ったりして、人が乗れる様にもできているが、その外のものはそれができない。ただ人だけが外から衣冠の飾りをすることができる。これが心法を取り立てる道具である。
【語釈】
・爲天地立心…近思録為学95。「爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平」。
・皀角樹…皀莢[さいかく]樹。マメ科の落葉高木。この生薬の名が皀角子[そうかくし]。
・天地位焉萬物育焉…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離、非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也。喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。

○若不於此一々理會、常切操持、則雖理窮玄奧論極幽微、於我亦有何干渉乎。操持は、この身へ持て來てはなさぬなり。理究玄奧論極幽微。いやはや面目ないが某などなり。若い時からこれで世間の学者を高論玄理で投げ散らし、道学中の年かさなをも押し付けたが、敬の工夫せぬゆへいま年よってつまらぬ体なり。我身になく玄妙の道理云ても其道体性命の談が精彩なく、老荘釈氏の活動せぬ徒に書を誦したも同ことになる。三宅先生の幽灵学と云はそこなり。こちの身へたたみ込むでなければ、於我何干渉あらんなり。垩人之道入于耳存乎心、蘊之爲德行と周子などの語を近思の初めに出す。ほんのは学やふが違う。迂斉云、只高いことを云は傾城が烈女傳読ごとしと云。皆無干渉也。そこてこの編集が上蔡より呂東莱何叔京と來て、あとを敬斉箴でとめたもの。
【解説】
「若不於此一一理會、常切操持、則雖理窮玄奧論極幽微、於我亦有何干渉乎」の説明。高いことを言っても、自分の身にそれを得ていなければ何にもならない。
【通釈】
○「若不於此一々理会、常切操持、則雖理窮玄奥論極幽微、於我亦有何干渉乎」。「操持」は、この身へ持って来て離さないこと。「理窮玄奥論極幽微」。いやはや面目ないことだが、それが私などのこと。若い時からこれで、世間の学者を高論玄理で投げ散らし、道学中の年嵩をも押し付けたが、敬の工夫をしないので、今年寄ってつまらない体でいる。我が身にそれがないのに玄妙の道理を言っても、その道体性命の談には精彩がなく、それでは老荘釈氏の様な活動をしない徒に書を誦じるのも同じことである。三宅先生が幽霊学問と言うのがそこ。こちらの身へ畳み込むのでなければ、「於我有何干渉」である。「聖人之道入于耳存乎心、蘊之為徳行」と、周子などの語を近思の初めに出す。本当のは学び方が違う。迂斎が、ただ高いことを言うのは傾城が烈女伝を読む様なものだと言った。「皆無干渉」である。そこでこの編集が、上蔡から呂東莱何叔京と来て、後を敬斎箴で止めたもの。
【語釈】
・垩人之道入于耳存乎心、蘊之爲德行…近思録為学2。「聖人之道、入乎耳、存乎心。蘊之爲德行、行之爲事業。彼以文辭而已者、陋矣」。


敬齋箴行宮便殿奏箚

55
讀張敬夫主一箴、掇其遺意、作敬齋箴、書齋壁、以自警云。正其衣冠、尊其瞻視、潜心以居、對越上帝。足容必重、手形必恭、擇地而蹈、折旋蟻封。出門如賓、承事如祭、戰戰兢兢罔敢或易。守口如瓶、防意如城、洞洞屬屬罔敢或輕。不東以西、不南以北、當事而存靡他其適。勿貳以二、勿參以三。惟心惟一、萬變是監從事於斯。是曰持敬。動靜無違表裡交正。須臾有間私欲萬端、不火而熱、不氷而寒、毫釐有差。天壤易處、三綱既淪、九灋亦斁於乎、小子念哉、敬哉。墨卿司戒敢告靈臺。八十五。
【読み】
張敬夫主一の箴を讀み、其の遺意を掇いて、敬齋の箴を作し、齋壁に書し、以て自警すと云う。其の衣冠を正し、其の瞻視を尊し、心を潜め以て居り、越上帝に對す。足の容は必ず重く、手の形は必ず恭しく、地を擇びて蹈み、蟻封を折旋す。門を出るに賓の如く、事を承るに祭の如く、戰戰兢兢、敢て或易すること罔し。口を守りこと瓶の如く、意を防ぐこと城の如く、洞洞屬屬敢て或輕すること無し。東を以て西とせず、南を以て北とせず、事に當りて存し他に其れ適くこと靡し。貳で以て二とすること勿れ、參で以て三とすること勿れ。惟心惟一、萬變是れ監て事に斯に從う。是れを敬を持すと曰う。動靜違う無く表裡交々正しき。須臾も間有れば私欲萬端、火ならずして熱く、氷ならずして寒く、毫釐の差い有り。天壤處を易え、三綱既に淪み、九灋も亦斁するに於や、小子念ずるかな、敬するかな。墨卿戒を司り敢て靈臺に告ぐ。八十五。

56
行宮便殿奏箚曰、臣竊惟皇帝陛下祗膺駿命、恭御寳圖。正位之初、未遑它事、而首以博延儒臣討論經藝、爲急先之務。蓋將求多聞以建事學古訓而有獲。非若記問愚儒詞章小技誇多以爲博、闘靡、以爲工而已也。如是則勸講之官所宜遴選。顧乃不擇。誤及妄庸、則臣竊以爲過矣。蓋臣天資至愚極陋、雖嘗挾策讀書妄以求聖賢之遺旨、而行之不力老矣。無聞。况於帝王之學、則固未之講也。其何以當擢任之寵、而辱顧問之勤乎。是以聞命、驚惶不敢奉詔。然嘗聞之、人之有是生也、天固與之以仁義禮智之性、而叙其君臣父子之倫、制其事物當然之則矣。以其氣質之有偏、物欲之有蔽也、是以或昧其性以亂其倫敗其則、而不知反。必其學以開之、然後有以正心脩身、而爲齊家治國之本。此人之所以不可不學、而其所以學者初非記問詞章之謂、亦非有聖愚貴賤之殊也。以是而言、則臣之所嘗用力、固有可爲陛下言者。請、遂陳之。蓋爲學之道、莫先於窮理。窮理之要必在於讀書。讀書之法、莫貴於循序而致精、而致精之本、則又在於居敬而持志。此不易之理也。夫天下之事、莫不有理。爲君臣者有君臣之理、爲父子者有父子之理、爲夫婦爲兄弟爲朋友、以至於出入起居應事接物之際、亦莫不各有理焉。有以窮之、則自君臣之大、以至事物之微、莫不知其所以然與其所當然、而亡纖芥之疑、善則從之、惡則去之而無毫髪之累。此爲學、所以莫先於窮理也。至論天下之理、則要妙精微各有攸當、亘古亘今不可移易。唯古之聖人爲能盡之、而其所行所言、無不可爲天下後世不易之大法。其餘則順之者爲君子而吉、背之者爲小人而凶。吉之大者、則能保四海而可以爲法、凶之甚者則不能保其身而可以爲戒。是其粲然之跡、必然之效、蓋莫不具於經訓史冊之中。欲窮天下之理而不即是而求之、則是牆靣而立爾。此窮理、所以必在乎讀書也。若夫讀書、則其不好之者固怠忽間斷而無所成矣。其好之者又不免乎貪多而務廣、往往未啓其端而遽已欲探其終。未究乎此而忽已志在乎彼。是以雖復終日勤勞不得休息、而意緒忽忽常若有所奔趨迫逐、而無從容涵泳之樂。是又安能深信自得常久不厭、以異於彼之怠忽間斷而無所成者哉。孔子所謂欲速則不達、孟子所謂進鋭者退速、正謂此也。誠能鑒此而有以反之、則心潜於一久而不移、而所讀之書、文意接連血脉通貫、自然漸漬浹洽心與理會、而善之爲勸者深、惡之爲戒者切矣。此循序致精所以爲讀書之法也。若夫致精之本則在於心、而心之爲物至虚至靈神妙不測、常爲一身之主、以提萬事之綱而不可有頃刻之不存者也。一不自覺而馳騖飛揚、以狥物欲於軀殻之外、則一身無主萬事無綱。雖其俯仰顧盻之間、蓋已不自覺其身之所在、而况能反覆聖言、參考事物、以求義理至當之歸乎。孔子所謂君子不重則不威、學則不固、孟子所謂學問之道無他、求其放心而已矣者、正謂此也。誠能嚴恭寅畏常存此心、使其終日儼然不爲物欲之所侵亂、則以之讀書、以之觀理、將無所往而不通、以之應事、以之接物、將無所處而不當矣。此居敬持志、所以爲讀書之本也。此數語者皆愚臣平生爲學艱難辛苦、已試之效。竊意、聖賢復生、所以敎人不過如此。不獨布衣韋帶之士所當從事。蓋雖帝王之學、殆亦無以易之。特以近年以來風俗薄陋、士大夫間聞此等語、例皆指爲道學。必排去之而後已。是以食芹之美、無路自通。毎抱遺經、徒竊慨歎。今者乃遇皇帝陛下始初清明、無他嗜好、獨於問學孜孜不倦、而臣當此之時特蒙引對。故敢忘其固陋、而輒以爲獻。伏惟、聖明深賜省覽、試以其説驗之於身、蚤寤晨興無忘今日之志、而自彊不息、以緝熈于光明、使異時嘉靖邦國如商高宗、興衰撥亂如周宣王、以著明人主講學之效、卓然爲萬世帝王之標準、則臣雖退伏田野與世長辭、與有榮矣。何必使之勉彊盲聾扶曳跛躄、以汙近侍之列、而爲盛世之羞哉。干冒宸嚴不勝戰慄。惟陛下留神財幸。取進止。十四。
【読み】
行宮便殿の奏箚に曰く、臣竊に惟う皇帝陛下祗んで駿命に膺り、恭しく寳圖を御す。位を正すの初め、未だ它事に遑あらずして、首に博く儒臣を延き經藝を討論するを以て、急先の務と爲す。蓋し將に多聞を求め以て事を建て古訓を學んで獲る有らんとす。記問の愚儒詞章の小技多きに誇り以て博と爲し、靡を闘わし、以て工と爲すのみが若きに非ず。是の如くなれば則ち勸講の官宜しく遴選すべき所なり。顧みれば乃ち擇ばず。誤ちて妄庸に及べば、則ち臣竊に以て過つと爲す。蓋し臣の天資至愚極陋、嘗て策を挾み書を讀み妄りに以て聖賢の遺旨を求めると雖も、而れども行之れ力せず老たり。聞くこと無し。况や帝王の學に於てや、則ち固より未だ之を講ぜざるなり。其れ何を以て擢任の寵に當りて、顧問の勤を辱せんや。是を以て命を聞き、驚惶し敢て詔を奉ぜざる。然るに嘗て之を聞く、人の是の生有るや、天固より之を與うるに仁義禮智の性を以てして、其れ君臣父子の倫を叙し、其れ事物當然の則を制す、と。其れ氣質の偏有り、物欲の蔽有るや、是れ以て或いは其の性を昧し以て其の倫を亂し其の則を敗りて、反ることを知らず。必ず其れ學を以て之を開き、然る後以て心を正し身を脩めて、家を齊え國を治むるの本と爲すこと有り。此れ人の以て學ばざる可からざる所にして、其れ以て學者初めより記問詞章の謂に非ずして、亦聖愚貴賤の殊有るに非ざるなり。是を以て言わば、則ち臣の嘗て力を用いる所、固より陛下の爲に言う可き者有り。請う、遂に之を陳べん。蓋し學を爲むるの道は、理を窮むるより先なるは莫し。理を窮むるの要は必ず書を讀むに在り。書を讀むの法は、序に循いて精を致すより貴きは莫くして、精を致すの本は、則ち又敬に居て志を持つに在り。此れ不易の理なり。夫れ天下の事は、理有らざる莫し。君臣爲る者は君臣の理有り、父子爲る者は父子の理有り、夫婦爲り兄弟爲り朋友爲るは、以て出入起居事に應じ物に接するの際に至り、亦各々理有らざる莫し。以て之を窮むること有らば、則ち君臣の大より、以て事物の微に至るまで、其の以て然る所と其の當に然るべき所とを知りて、纖芥の疑亡く、善は則ち之に從い、惡は則ち之を去りて毫髪の累無からざる莫し。此れ學を爲むるは、以て理を窮むるより先なるは莫きなり。天下の理を論ずるに至りては、則ち要妙精微各々當る攸有り、古に亘り今に亘りて移易す可からず。唯古の聖人能く之を盡すことを爲して、其の行く所言う所は、天下後世不易の大法爲る可からざる無し。其の餘は則ち之に順う者君子と爲りて吉、之に背く者小人と爲りて凶。吉の大なる者は、則ち能く四海を保ちて以て法と爲す可く、凶の甚しき者は則ち其の身を保つこと能わずして以て戒めと爲す可し。是れ其の粲然の跡、必ず然るの效、蓋し經訓史冊の中に具わざる莫し。天下の理を窮めんと欲して是に即して之を求めざれば、則ち是れ靣に牆して立つのみ。此れ理を窮むるは、以て必ず書を讀むに在る所なり。若し夫れ書を讀めば、則ち其れ之を好まざる者は固より怠忽間斷して成す所無し。其れ之を好む者は又多くを貪りて廣きを務むるに免れず、往往未だ其の端を啓かずして遽に已に其の終わりを探さんと欲す。未だ此に究めずして忽已に志彼に在り。是れ以て復日を終え勤勞し休息を得ずと雖も、而れども意緒忽忽常に奔趨迫逐しり所有るが若きにして、從容涵泳の樂無し。是れ又安んぞ能く深信自得常久して厭わず、以て彼の怠忽間斷して成す所無き者異ならんや。孔子謂う所の速なるを欲すれば則ち達せず、孟子謂う所の進むこと鋭なる者は退ぞくこと速なる、正に此を謂うなり。誠に能く此を鑒みて以て之を反すこと有らば、則ち心一に潜み久しくして移らずして、讀む所の書、文意接連血脉通貫、自然に漸漬浹洽心と理と會して、善之れ勸と爲す者は深く、惡之れ戒と爲す者は切なり。此れ序に循い精を致し以て書を讀むの法と爲す所なり。夫れ精を致すの若きの本は則ち心に在りて、心の物と爲るは至虚至靈神妙測れざる、常に一身の主と爲り、以て萬事の綱を提げて頃刻の存せざること有る可からざる者なり。一も自覺せずして馳騖飛揚し、以て物欲に軀殻の外に狥えば、則ち一身に主無く萬事綱無し。其れ俯仰顧盻の間と雖も、蓋し已に其の身の在る所を自覺せずして、况や能く聖言を反覆し、事物を參考し、以て義理至當の歸を求めんや。孔子謂う所の君子重からずんば則ち威あらず、學は則ち固からず、孟子謂う所の學問の道は他無し、其の放心を求むるのみとは、正に此を謂うなり。誠に能く嚴恭寅畏常に此の心を存し、其れ日に終わりて儼然として物欲に之れ侵亂する所を爲さざらしめば、則ち之を以て書を讀み、之を以て理を觀れば、將に往く所にして通ぜざること無しとし、之を以て事に應じ、之を以て物に接すれば、將に處する所にして當らざること無しとす。此れ敬に居り志を持するは、以て書を讀むの本と爲す所なり。此の數語は皆愚臣平生學を爲むる艱難辛苦、已に試みるの效なり。竊に意う、聖賢復た生るとも、以て人を敎うる所は此の如きを過ぎず。獨り布衣韋帶の士のみの當に事に從うべき所にあらず。蓋し帝王の學と雖も、殆ど亦以て之を易えること無からん。特に近年以來の風俗薄陋を以て、士大夫の間此等の語を聞くに、例して皆指して道學と爲す。必ず之を排去して後已む。是れ以て芹を食するの美しき、自通するに路無し。毎に遺經を抱き、徒らに竊に慨歎す。今は乃ち皇帝陛下始初より清明、他の嗜好無く、獨り問學に於て孜孜として倦まざるに遇して、臣此の時に當りて特に引對を蒙る。故に敢て其の固陋を忘れて、輒ち以て獻を爲す。伏して惟う、聖明深く省覽を賜い、試みに其の説を以て之を身に驗み、蚤に寤め晨に興るの今日の志を忘るること無くして、自ら彊く息まず、以て光明を緝熈し、異時邦が國を嘉靖すること商高宗の如く、衰を興し亂を撥ること周宣王の如くせしめ、以て人主學を講ずるの效を著明し、卓然として萬世帝王の標準爲れば、則ち臣田野に退き伏し世と長く辭すると雖も、榮有るに與せん。何ぞ必ずしも之に盲聾を勉彊し跛躄を扶曳し、以て近侍の列を汙して、盛世の羞を爲さしめん。宸嚴を干冒し戰慄に勝えず。惟陛下神を留めて財幸せよ。進止を取る。十四。

右二条見癸丑筆記。此除焉。
【読み】
右二条は癸丑に筆記に見る。此れ除く。