天地流行條  八月十一日  文録
【語釈】
・八月十一日…寛政5年(1893)8月11日。
・文…林潜斎。花沢文次。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

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天道流行造化發育。凡有聲色貌象而盈於天地之間者、皆物也。既有此物則其所以爲是物者、莫不各有當然之則、而自不容己。是皆得於天之所賦而非人之所能爲也。今且以其至切而近者言之、則心之爲物實主於身。其體則有仁義禮智之性、其用則有惻隱羞惡恭敬是非之情、渾然在中、隨感而應、各有攸主而不可亂也。次而及於身之所具、則有口鼻耳目四支之用。又次而及於身之所接、則有君臣父子夫婦長幼朋友之常。是皆必有當然之則而自不容己。所謂理也。外而至於人、則人之理不異於己也。遠而至於物、則物之理不異於人也。極其大、則天地之運、古今之變、不能外也。盡於小、則一塵之微、一息之頃、不能遺也。是乃上帝所降之衷、烝民所秉之彜、劉子所謂天地之中、夫子所謂性與天道、子思所謂天命之性、孟子所謂仁義之心、程子所謂天然自有之中、張子所謂萬物之一源、邵子所謂道之形體者、但其氣質有清濁偏正之殊、物欲有淺深厚薄之異、是以人之與物、賢之與愚、相與懸絶而不能同耳。以其理之同、故以一人之心而於天下萬物之理無不能知。以其稟之異、故於其理或有所不能窮也。理有未窮、故其知有不盡。知有不盡、則其心之所發、必不能純於義理、而無雜乎物欲之私。此其所以意有不誠、心有不正、身有不脩、而天下國家不可得而治也。昔者、聖人蓋有憂之。是以於其始敎爲之小學、而使之習於誠敬、則所以收其放心養其德性者、已無所不用其至矣。及其進乎大學、則又使之即夫事物之中、因其所知之理、推而究之以各到乎其極、則吾之知識亦得以周遍精切而無不盡也。若其用力之方、則或考之事爲之著、或察之念慮之微、或求之文字之中、或索之講論之際、使於身心性情之德、人倫日用之常、以至天地鬼神之變、鳥獸草木之宜、自其一物之中、莫不有以見其所當然而不容己、與其所以然而不可易者。必其表裡精粗無所不盡、而又益推其類以通之、至於一日脱然而貫通焉、則於天下之物、皆有以究其義理精微之所極、而吾之聦明睿知亦皆有以極其心之本體而無不盡矣。大學或問。
【読み】
天道流行し造化發育す。凡そ聲色貌象有りて天地の間に盈つる者は、皆物なり。既に此の物有れば則ち其の以て是の物を爲す所の者、各々當然の則有らざる莫く、而して自ら己を容れず。是れ皆天の賦す所に得て人の能く爲す所に非ず。今且く其の至って切にして近き者を以て之を言わば、則ち心の物を爲すは實に身に主たり。其の體は則ち仁義禮智の性有り、其の用は則ち惻隱羞惡恭敬是非の情有り、渾然として中に在り、感ずるに隨いて應じ、各々主とする攸有りて亂れる可からざるなり。次で身の具わる所に及べば、則ち口鼻耳目四支の用有り。又次で身の接する所に及べば、則ち君臣父子夫婦長幼朋友の常有り。是れ皆必ず當然の則有りて自ら己を容れず。謂う所の理なり。外にして人に至れば、則ち人の理は己に異ならざるなり。遠くして物に至れば、則ち物の理人に異ならざるなり。其の大を極めれば、則ち天地の運、古今の變、外なること能わざるなり。小に盡せば、則ち一塵の微、一息の頃、遺すこと能わざるなり。是れ乃ち上帝降ろす所の衷、烝民秉る所の彜、劉子謂う所の天地の中、夫子謂う所の性と天道と、子思謂う所の天の命じる之れ性、孟子謂う所の仁義の心、程子謂う所の天然自ら有るの中、張子謂う所の萬物之れ一源、邵子謂う所の道の形體なる者、但其の氣質は清濁偏正の殊有り、物欲は淺深厚薄の異有り、是れ以て人の物と、賢の愚と、相與に懸絶して同じこと能わざるのみ。其理の同じきを以て、故に一人の心を以て天下萬物の理に於て知ること能わざる無し。其の稟の異なるを以て、故に其の理に於て、或いは窮むること能わざること有るなり。理有りて未だ窮めざる、故に其の知盡きざること有り。知盡きざること有れば、則ち其の心の發する所、必ず義理に純にして、物欲の私に雜ること無きこと能わず。此れ其の以て意誠ならざる有り、心正しからざる有り、身脩めざる有りて、天下國家得て治む可からざる所なり。昔者、聖人蓋し之を憂うこと有り。是れ以て其の始敎に於て之が小學を爲めて、之に誠敬に習わしめば、則ち以て其の放心を收め其の德性を養う所の者、已に其の至りを用いざる所無し。其の大學に進むに及べば、則ち又之に夫れ事物の中に即し、其の知る所の理に因り、推して之を究め以て各々其の極に到らしめば、則ち吾の知識も亦以て周遍精切にして盡きざる無きを得。其れ力を用いるの方の若きは、則ち或いは之を事爲の著に考え、或いは之を念慮の微に察し、或いは之を文字の中に求め、或いは之を講論の際に索め、身心性情の德、人倫日用の常に於るより、以て天地鬼神の變、鳥獸草木の宜きに至り、其の一物の中より、以て其の當に然るべき所にして己を容れず、其の以て然る所にして易る可からざる者とを見ること有らざる莫し。必ず其の表裡精粗盡ざる所無くして、又益々其の類を推し以て之に通じ、一日脱然として貫通するに至れば、則ち天下の物に於る、皆以て其の義理精微の極むる所を究むること有りて、吾の聦明睿知も亦皆以て其の心の本體を極むること有りて盡きざること無し。大學或問。

先つ操存の功夫は主一無適になること。操れは存すと云が、とめるとそれでよいもの。我一心ですむことなり。ただ手間のかかるはこの精義の功夫なり。精義の工夫はいろ々々用むきが夛い。それゆへ博学審問愼思明辨篤行も五つの中で四つは精義で、只一つ行ぞ。其吟味に手間のかかると云も、天下事物の相手夛いゆへぞ。そこで易の窮理も大学の挌物も、窮理と云より挌物と云がよいと云もそこにあること。何ても向ふままに物か我か相手になる。その相手が天地万物と云なり。其万物をきはめることゆへ、いそかしいは知れている。時にいそかしいと聞と□□しくなる。それで王陽明が支離破碎截と云。挌物は万物を追かけるやふでいそがしいなれども、孟子の万物皆我に備ると云。其いそがしいことのなるが、人は万物の霊なり。精義が手間はかかれども、人作ではない。人作でないゆへ工夫を道体から語るぞ。これは致知挌物の或問で、汗になって工夫するゆへ道体ではあるまいと思ふに道体なり。これが妙なり。
【解説】
操存の工夫は主一無適になることで、自分の一心だけで済むものだが、精義の工夫は手間が掛かる。それは天下万物を相手にするからである。精義は格物でするが、それができるのも人が万物の霊だからである。また、天下万物は人作ではないから、道体からこれを語る。
【通釈】
先ず操存の功夫は主一無適になること。操れば存すと言うが、存すればそれでよいもの。自分の一心で済む。ただ手間が掛かるのはこの精義の功夫である。精義の工夫には色々と用向きが多い。それで、博学審問慎思明弁篤行も五つの中で四つは精義で、行はただ一つである。その吟味に手間が掛かると言うのも、天下事物の相手が多いからである。そこで易の窮理も大学の格物も、窮理と言うより格物と言う方がよいと言うのもそこにある。何でも向かうままに物が自分の相手になる。その相手は天地万物だと言う。その万物を窮めることなので、忙しいのは知れている。時に忙しいと聞くと□□しくなる。それで王陽明が「支離破砕截」と言った。格物は万物を追い掛ける様で忙しいが、孟子は「万物皆備我」と言う。その忙しいことができるのが、人は万物の霊だからである。精義は手間が掛かるが、人作ではない。人作ではないので工夫を道体から語る。これは致知格物の或問で、汗を掻いて工夫をするので道体ではないだろうと思えば道体のことである。これが妙所である。
【語釈】
・操存…孟子告子章句上8。「孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其郷。惟心之謂與」。
・博学審問愼思明辨篤行…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。
・支離破碎截…
・万物皆我に備る…孟子尽心章句上4。「孟子曰、萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。強恕而行、求仁莫近焉」。

○天道流行造化発育。凡有声色貌象而盈於天地之間者、皆物也。天地流行するで造化が発育して出来る。此天地自然の妙で人は固り禽獣魚鼈山川草木より有情の蚊も蚕も樒柑白輪萱荷せふがも出來て天地の間にあるが、それが皆物なり。皆物也と斯ふまづ挌式をつけ子ばならぬ。声は先つ近く云ふに風なり。あの風も今日始て吹たら人も驚で有ふが、天地自然のものなり。色は凡目にみへる。青黄赤白黒の五色があるぞ。貌は山川草木でもなんでもきっとして手に取られるものぞ。象は日月星辰よりたま々々ある虹ても、目にはみへても手にとられぬものか皆象なり。この声色貌象ありて、目に見へ耳にきこへるもので、これが皆物なり。其我相手になる万物ゆへ、挌物は入らぬと云はれぬ。打やりてをけと云ても、寐て居ても鴬の声がする、戸を開けると草がある。一草一木皆我相手になるで挌物の物がすてておかれぬ。
【解説】
「天道流行造化發育。凡有聲色貌象而盈於天地之間者、皆物也」の説明。天地が流行するので万物が生じる。「声色貌象」で、目に見え耳に聞こえるものが皆物である。それが自分の相手になるのだから、格物は要らないとは言えない。
【通釈】
○「天道流行造化発育。凡有声色貌象而盈於天地之間者、皆物也」。天地が流行するので造化が発育して生まれる。この天地自然の妙で、人は固より禽獣魚亀山川草木より有情の蚊も蚕も蜜柑白輪薄荷生姜もできて天地の間にあるが、それが皆物である。「皆物也」と、この様に先ず格式を付けなければならない。声は先ず近く言えば風である。あの風も今日初めて吹いたのであれば人も驚くだろうが、天地自然のものである。「色」は凡そ目に見える。青黄赤白黒の五色がある。「貌」は山川草木でも何でもきっとして手に取ることのできるもの。「象」は日月星辰より偶々ある虹など、目には見えても手に取れないものが皆象である。この声色貌象があって、目に見え耳に聞こえるもの、これが皆物である。これが自分の相手になる万物なので、格物は要らないとは言えない。打っ遣って置けと言うことはできない。寝ていても鴬の声がする。それで戸を開けると草がある。一草一木までが皆自分の相手になるので、格物の物は捨てて置くことはできない。

浅見先生の物説か見処高いことなり。あの門では靖献遺言に氣を取られ、物説はそれほどに思はぬ。靖献遺言は名教の至極なれども、あれは小学君臣之義の附録なり。別段の発明ではなし。さて又其発明も挌物説とせられずに只物説と題したが高いことぞ。佛は物を何んとも思はぬ。桺は翠り、花は紅。なんでもなけれども、其物の上に理がある。博文博学と云も、物の相手があるゆへ博と云字がつく。だたい心法は胸のこととばかりならば、教は孝経一巻でもよけれども、天地人三才と幷ぶ人と云は物が相手ゆへぞ。物の筋が付か子ばこちの胸がはきとせぬ。押付け推量では我胸があかぬ。今日與五右門は來ぬが、向へ太兵衛と連れ立て来るは兄弟ゆへ與五右ェ門で有ふと云はあて推量なり。それては先日の答林擇之書の思慮知識で、向に即て知るとこちの胸がはきとなる。
【解説】
浅見先生が物説を書した。この物説と題したのが見所の高いこと。仏は物を何とも思わないが、物の上に理があるのである。物に即して知ると、こちらの胸がはっきりとする。
【通釈】
浅見先生の物説が見処高いもの。あの門では靖献遺言に気を取られ、物説はそれほどに思わない。靖献遺言は名教の至極だが、あれは小学の君臣之義の附録であって、別段の発明ではない。さてまたその発明も格物説とされないで、ただ物説と題したのが高いこと。仏は物を何とも思わない。柳は翠、花は紅。何でもないことだが、その物の上に理がある。博文博学というのも、物の相手があるので博という字が付く。そもそも心法は胸のことだけのことであれば、教えは孝経一巻でもよい筈だが、天地人三才と並ぶ人は物が相手なのでそうは行かない。物の筋が付かなければ、こちらの胸がはっきりとはしない。押っ付け推量では我が胸が明かない。今日与五右衛門は来ないが、向こうに太兵衛と連れ立って来るのは兄弟だから与五右衛門だろうと言うのは当て推量である。それでは先日の答林擇之書の思慮知識で、向こうに即して知るとこちらの胸がはっきりとなる。
【語釈】
・桺は翠り、花は紅…柳緑花紅。物が自然のままで、少しも人工が加えられていないことのたとえ。禅宗で悟りの心境を言い表す句。
・與五右門…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812
・太兵衛…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。

王陽明、我方の知を主張しても向があかぬ。向があからぬと推付け推量になる。負けぬ顔て鹿邉之獐獐邉之鹿と云てもすまぬ。これが重の内に鯛と平目の切身なり。それを只鯛と平目と云て、魚に即かずにこちばかりて向にかたをつけぬゆへ、心が杖をつく。挌物せぬは心の坐頭と云もの。かんばかりなり。こちらの方の白い切身が平目、あちらの赤い切身が鯛と、物につけばはきとなる。そこで物を大切にするが垩学なり。それゆへ道を行に我が眼と足であるけども、路中にある覚へた松や杦を相手にせ子ばならぬ。だたい足と目の明らかですれども、向にあれば東金の山、こちは臺方の森と知るゆへ、こちがたしかなり。謂五郎兵衛曰、彼野沢重九郎の咄の、坐頭の狐に引れたなり。其坐頭が、あれはいつも渡った橋なれども、それにしては道がらちあかぬ、狐に引れたそふなと云。そう氣がついて心ははっきりとなったなれども、坐頭ゆへ、西も東も松も杦も見へぬ。そこで、そこに居ってをる内に外の人が来て連れ立たと云。坐頭は物につかぬゆへ、心ばかりては知れぬ。因て物を馳走するが浅見先生のぎり々々なり。直方先生も物の説とは出ぬ。物の説とは偏な書名のやふですんだことの至極なり。
【解説】
格物をしないのは狐に引かれた座頭と同じである。狐に引かれたことに気が付いて心がはっきりとしても、それだけでは西も東もわからない。
【通釈】
王陽明が自分の知を主張しても、向こうが明らかでない。向こうが明らかでないと押っ付け推量になる。負けない顔で鹿辺の獐獐辺の鹿と言っても済まない。これが重箱に鯛と平目の切身である。それをただ鯛と平目と言い、魚に即かずにこちらばかりて向こうに片を付けないので、心が杖をつく。格物をしないのは心の座頭と言うもの。勘ばかりである。こちらの方の白い切身が平目、あちらの赤い切身が鯛と、物に即せばはっきりとなる。そこで物を大切にするのが聖学である。それで、道を行くには自分の眼と足とで歩くものだが、路中にある覚えた松や杉を相手にしなければならない。そもそも足と目の明で行くことだが、向こうのあれが東金の山、こちらは台方の森と知るので、こちらが確かになる。五郎兵衛に言った。ここはあの野沢重九郎の話の、座頭が狐に引かれたこと。その座頭が、あれはいつも渡っていた橋だが、それにしては埒が明かない、狐に引かれたようだと言った。そう気が付いて心がはっきりとなったが、座頭なので西も東も松も杉も見えない。そこで、そこに座っている内に外の人が来て連れ立ったと言う。座頭は物に即かないので、心だけではわからない。そこで物を馳走するのが浅見先生の至極の所である。直方先生も物の説とは出なかった。物の説とは変な書名の様で済んだことの至極である。
【語釈】
・鹿邉之獐獐邉之鹿…
・五郎兵衛…
・野沢重九郎…野沢弘篤。野沢十九郎。

○既有此物則其所以爲是物者、莫不各有當然之則、而自不容己。物を馳走して尊ふとて、そこな槇に腰をかがめるに及はぬ。それでは踏石もふまれぬになる。只ふみ石と知る、南天と知ると、こちがはきとなる。ここか挌物の妙なり。どふも面白いことなり。御茶壷には下坐をする。公家衆の乘輿もそれぞ。稲田九郎兵衛では大身でも下坐はせぬ。皆向の物にある。駕篭がはた々々來る度に下坐に及ぬが物に即た知惠なり。めったに下坐するは物に即かぬ知惠なり。舟を陸、車を海とあちらこちらにならぬ。皆是當然の則がありて、不容己なり。當然の中へはいると則で、ひだるい時食は子ばならぬは不容己そ。自然の理なり。
【解説】
「既有此物則其所以爲是物者、莫不各有當然之則、而自不容己」の説明。格物と言っても物に対して頭を下げるには及ばない。ただ物を知るということで、それでこちらの心がはっきりとする。物には当然の則があって、それに自分を容れるのは不要である。
【通釈】
○「既有此物則其所以為是物者、莫不各有当然之則、而自不容己」。物を馳走して尊ぶと言っても、そこの薪に腰を屈めるには及ばない。それでは踏石も踏めなくなる。ただ踏石と知り、南天と知れば、こちらがはっきりとする。ここが格物の妙で、実に面白いこと。御茶壷には下座をする。公家衆の乗輿もそれ。稲田九郎兵衛は大身の前でも下座はしない。皆向こうの物にある。駕篭がばたばたと来る度に下座をするには及ばないのが物に即いた知恵である。滅多矢鱈に下座するのは、物に即かない知恵である。舟を陸、車を海などと逆にはできない。皆これには「当然之則」があって、「不容己」である。当然の中に入ると、則があるから、空腹の時には食わなければならず、不容己である。それが自然の理である。
【語釈】
・稲田九郎兵衛…蜂須賀藩洲本城代家老?

○是皆得於天之所賦而非人之所能爲也。人のすることのやふで、根は天の割り出したものなり。○今且以其至切而近者言之、則心之爲物實主於身。爲物と云字が面白い。我方をのも物とする。この心を爲物と軽るく云ては、一身の主になるものを烟草盆同様にするかと心か腹立そふなことなれども、これは、心はどふしたものと云が爲物なり。それゆへ太極を物と云ても苦くない。太極も吟味があるゆへそふ云はれる。ここは心に吟味あるゆへ爲物と云。天も地も物也。天を物とは勿躰ないと云はふが、天はどふしたものと云時が挌物の物なり。地もそれぞ。されども天も地も人もただの物とは云はれぬが、挌物と云は其天や地や人を吟味する工夫、そうした物が大切ゆへ、物から吟味して、そこて心之爲物と云。そも心と云はどふした物ぞと挌物するなり。
【解説】
「是皆得於天之所賦而非人之所能爲也。今且以其至切而近者言之、則心之爲物實主於身」の説明。物は天が賦与したもので人作ではない。ここでは自分の心をも物とする。心とはどの様なものかと格物をするのである。
【通釈】
○「是皆得於天之所賦而非人之所能為也」。人のすることの様で、根は天の割り出しだもの。○「今且以其至切而近者言之、則心之為物実主於身」。「為物」という字が面白い。自分の心をも物とする。この心を為物と軽く言っては、一身の主になるものを煙草盆同様にするのかと心が腹立ちそうだが、心はどうしたものかというのが為物である。そこで、太極を物と言っても苦しくはない。太極も吟味があるからその様に言うことができる。ここは心に吟味あるので為物と言う。天も地も物である。天を物とは勿体ないと言うが、天はどうしたものかという時が格物の物である。地もそれ。天も地も人もただの物とは言えないが、格物というのはその天や地や人を吟味する工夫で、そうした物が大切なので、物から吟味し、そこで「心之為物」と言う。そもそも心とはどうした物かと格物をする。

○其體則有仁義礼智之性、其用則有惻隱羞悪恭敬是非之情、渾然在中、隨感而應、各有攸主而不可乱也。なるほど物と云はれて腹を立そふなもので、心はこの通り歴々なり。體は仁義礼智、用は惻隱羞悪恭敬是非。これほど天地に貴い物はないなれども、吟味のときは爲物なり。体は太皷の打たぬ前から鳴るものを持て居る。鐘もつかぬ時になるものを持ているは體で、それへさはるとごんとなる。太皷も打とどんと云。そこは□なり。そこで人が仁へあたる□惻隱、義へあたると羞悪と、心に体□が備って居る。いかさま羞悪などか、此方で下げすんで先日のと云とはや赤面する。たしかに□□□あるゆへ詮義もなく、何から何と云きらぬ内に耻入り赤面するが心に義があるゆへぞ。これが心の道具立なり。
【解説】
「其體則有仁義禮智之性、其用則有惻隱羞惡恭敬是非之情、渾然在中、隨感而應、各有攸主而不可亂也」の説明。心には体用がある。体は仁義礼智、用は惻隠羞悪恭敬是非である。
【通釈】
○「其体則有仁義礼智之性、其用則有惻隠羞悪恭敬是非之情、渾然在中、随感而応、各有攸主而不可乱也」。なるほど物と言われると腹を立そうなものだが、心はこの通りの歴々である。「体」は「仁義礼智」、「用」は「惻隠羞悪恭敬是非」。これほど天地に貴い物はないが、吟味のときは「為物」である。太鼓は打つ前から鳴るものを持っており、鐘も撞く前に鳴るものを持っているのが体で、それに触るとごんとなる。太鼓も打つとどんと鳴る。そこは用である。そこで人が仁へ当たると惻隠、義へ当たると羞悪と、心に体用が備わっている。いかにも羞悪などは、こちらで蔑んで先日のと言うと早くも赤面する。確かに□□があるので詮議もなく、何から何と言い切らない内に恥入り赤面する。それは心に義があるからである。これが心の道具立てである。

さてこの是非がのがれぬもの。中々商人などが四文銭の代りに常の銭一文は請取らぬ。多く取ふではないが、是非の勘定が合はぬ。是非が爲物なりに違ふと合点せぬ。いやと云はれぬことなり。迂斉、名不正則言不順が、こちの屋鋪では水を火と云へと云ても、そんな旦那にはと云て是非が合点せぬと云。うがい茶碗に火を持て來い、足を洗ふゆへ十能へ水を持て来いと云ては誰も合点すまい。主の威勢ても消されぬは是非の心ぞ。渾然在中隨感而應が、中に仁義が一つになりて居て、あたるだけの返事する。小児が扇子で大鐘を打と扇だけ。大人が撞木でつくと撞木だけ。向次第に鐘があいさつする。各有攸主而不可乱也が少しも間違はない。宿違いな四端は出□。祖母が老耄したやうでも、我孫が來たにあたまをさげ珠敉で拜みはせぬ。
【解説】
「是非」は、為物に違うと合点しないこと。また、仁義が一つになって、相手次第に当たるだけの返事をする。
【通釈】
さてこの「是非」が逃れられないもの。商人などは、常の銭一文を四文銭の代わりとしては中々請け取らない。多く取ろうということではないが、是非の勘定が合わない。是非が為物の通りで、違うと合点しない。それは違うとは言えないこと。迂斎が、「名不正則言不順」で、こちらの屋敷では水を火と言えと言われても、そんな旦那にはと言って是非が合点しないと言った。うがい茶碗に火を持って来い、足を洗うから十能で水を持って来いと言っては誰も合点はしないだろう。主の威勢でも消せないのは是非の心である。「渾然在中随感而応」。中に仁義が一つになっていて、当たるだけの返事をする。小児が扇子で大鐘を打つと扇だけ。大人が撞木で撞くと撞木だけ。向こう次第に鐘が挨拶をする。「各有攸主而不可乱也」で、少しも間違いはない。宿違いな四端は出ない。祖母が老耄した様でも、自分の孫が来たのに頭を下げ、数珠で拝みはしない。
【語釈】
・名不正則言不順…論語子路3。「子曰、野哉、由也。君子於其所不知、葢闕如也。名不正、則言不順。言不順、則事不成。事不成、則禮樂不興。禮樂不興、則刑罰不中。刑罰不中、則民無所措手足。故君子名之必可言也。言之必可行也。君子於其言、無所苟而已矣」。
・十能…炭火を盛って運ぶ道具。金属製で、木の柄がついている。火掻き。

○次而及於身之所具、則有口鼻耳目四支之用。この四つが皆物のなり。物ゆへ藥一味で皆の療治はならぬ。それ々々に目には目、耳には耳の藥あるでみへる。向に耳目鼻口の相手がある。不瓜は□□つまる時はよかろうが、鼻のつまりたときに□役に立ぬ。反魂丹懐中したとて、そればかりではすまぬは、病も四支百骸の色々の物□□わかるる□らなり。そこて工夫もさま々々で、耳目鼻口四支百骸□□□□る。耳の用は耳にそなはり、眼の療治は鼻へ出されぬ。
【解説】
「次而及於身之所具、則有口鼻耳目四支之用」の説明。「口鼻耳目」は物である。この四つにはそれぞれの相手がある。そこで工夫もそれぞれに違う。
【通釈】
○「次而及於身之所具、則有口鼻耳目四支之用」。この四つが皆物である。物なので薬一味で全部を療治することはできない。それぞれに目には目、耳には耳の薬あるので見聞ができる。向こうに耳目鼻口の相手がある。不瓜は□□詰まった時にはよいだろうが、鼻の詰まった時には役に立たない。反魂丹を懐中しても、そればかりでは済まないのは、病も四支百骸の色々の物□□分かれるかからである。そこで工夫も様々で、耳目鼻口四支百骸□□□□る。耳の用は耳に備わり、眼の療治は鼻へは出せない。
【語釈】
・不瓜…

○又次而及於身之所接、則有君臣父子夫婦長幼朋友之常。是皆必有當然之則而自不容己。所謂理也。こちの身が本とて向を旦那にすれば、君なり。我身から女房を女房にすれば夫婦なり。皆こち身に接するものそ。異端は物を外にする。これ君父を物じゃに、君父も外にする。そこが異端なり。因て言、幸田子山嵜先生の人之一身五倫備矣と云をそしるが、あれは幸田のさん々々な悪説なり。我身が五倫の相手になると云ことぞ。挌物も我知が万物の相手になる。是以必有當然之則而自不容己が五倫皆當然の則がありて、親へのことが君へは出されぬぞ。されども中の誠は一つゆへ、事君孝故忠可移於君の、忠信を知んと欲せば孝子門に求よのと云。そこにそれ々々に端的當然之則があるゆへ、これ□様とて懐中のありへいを親へ出すはよいが、君へはならぬ。舜も瞽叟へそふで有たも知れぬが、尭へは出されぬ。微子瑕が桃は霊公まようたゆへぞ。然れども、則でないことをした。親切の意でも、あとであれがむつかしくなった。不埒千万なと出る。所謂理也は封を切て云。易の究理もここを□□□□。物と理が二つでなく、人我が二つでないゆへ、爲物我に□□□も形器で云ことで□□道体で云□我に具ると云なり。大学絜矩の道を要道□□□。此天下にむつかしいことのないも、そこ□□□二つでないからなり。経済と云へば、火打箱のやふな家に居てどふ知るものかと云へども、平天下はその火打箱を廣けたことなり。絜矩にどこでもわるいはづはない。
【解説】
「又次而及於身之所接、則有君臣父子夫婦長幼朋友之常。是皆必有當然之則而自不容己。所謂理也」の説明。物は自分の身に接するものだが、異端はそれを外にする。格物は自分の知が万物の相手をすること。また、五倫には当然の理があり、それぞれに出し場があるので、それを間違えてはならない。
【通釈】
○「又次而及於身之所接、則有君臣父子夫婦長幼朋友之常。是皆必有当然之則而自不容己。所謂理也」。こちらの身を本にして向こうを旦那にすれば、君である。自分の身から見て女房を女房にすれば夫婦である。それは皆こちらの身に接するものだが、異端は物を外にする。君父も物なのに、君父も外にする。そこが異端である。そこで言う。幸田子が山崎先生の言った「人之一身五倫備矣」を譏ったが、あれは幸田の散々な悪説である。それは我が身が五倫の相手になるということ。格物も自分の知が万物の相手になる。「是皆必有当然之則而自不容己」が五倫に皆当然の則があって、親へのことを君へ出すことはならない。しかし、中の誠は一つなので、「事君孝故忠可移於君」や、忠信を知らんと欲せば孝子門に求めよと言う。そこにそれぞれに端的当然の則があるから、これ□様と懐中のありへいを親へ出すのはよいが、君へ出してはならない。舜も瞽叟へはそうだったかも知れないが、堯へは出せない。弥子瑕の桃は霊公が迷ったからのこと。しかし、則でないことをした。親切の意があっても、後であれで難しくなった。不埒千万だと出た。「所謂理也」は封を切って言ったこと。易の窮理もここを窮めること。物と理は別でなく、人我は二つでないので、為物我に□□□も形器で言ったことで□□道体で言う□我に具わるということ。大学で絜矩の道を要道と言う。天下に難しいことのないのも、そこ□□□二つでないからである。経済と言えば、火打箱の様な家にいてどうして知るものかと言うが、平天下はその火打箱を広げたこと。絜矩に何処でも悪い筈はない。
【語釈】
・幸田子…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。享保5年(1720)~寛政4年(1792)
・事君孝故忠可移於君…孝経広揚名。「子曰、君子之事親孝、故忠可移於君。事兄悌、故順可移於長。居家理、故治可移於官。是以行成於内、而名立於後世矣」
・忠信を知んと欲せば孝子門に求よ…
・微子瑕…衛の弥子瑕は、自分の食べかけの桃を分けて喜ばれるほど衛君に愛されていたが、容色衰えてから、そのことを理由に罪せられた。余桃の罪。
・絜矩の道を要道…大学章句10。「所謂平天下在治其國者。上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也」。同集註。「所操者約、而所及者廣、此平天下之要道也」。

○外而至於人、則人之理不異於己也。遠而至於物、則物之理不異於人也。こちに備った通り、向にも仁義礼智四端なり。天下いろ々々な足でない。そこに向に聞かずと履が出来る。足袋屋が呑みこみつらで大きな男へは大きな男、小ぶりな男へは小ふりなやうに、そこへ足袋を出すが違はぬ。なるほど世の中に後ろの方に指のあるはない。理も氣も同ことぞ。物之理不異於人が中庸の天命性で、直方の獅子も牡丹もなり。物も天命の性で出来たゆへ、人と異ならぬ。生を好み死を悪くむでも同こと。犬や猫は人に近付ものゆへそふな筈なれども、鼠などが至て頑なもので居て、そこの障子をあける、はや迯ける。打ち殺されんかとひびく。死を悪むからぞ。知識はとんとないが、自然と人と異ならぬ理をもって居るゆへそふなり。草木はそこが知れぬやふなれども、植えかへた木の勢はるいは、丁ど人の病氣のていなり。これは某發明なり。この比庭へ出したと云南天は葉□黄みがある。これ、人の病で顔色わるいのなり。物之理不異於人也。同じ理を得て居るゆへ植かへてああなり。すれば天地万物同ことぞ。万物は遠い□ふなれども、こふみれば□□ぞ。それを相手にする。挌物の工夫でこの身へ近いことになる。万物皆具於我もいかさまそふじゃと思はるるなり。
【解説】
「外而至於人、則人之理不異於己也。遠而至於物、則物之理不異於人也」の説明。物にも人と同じ様に仁義礼智がある。鼠が逃げるのも死を悪むからで、草木が植え替えると勢いが悪くなるのは人が病気になる様なもの。
【通釈】
○「外而至於人、則人之理不異於己也。遠而至於物、則物之理不異於人也」。こちらに備わった通りに、向こうにも仁義礼智の四端がある。天下に色々な足はない。そこで向こうに聞かなくても履はできる。足袋屋が飲み込み面で大きな男へは大振りなものを、小さな男へは小振りな足袋を出して違うことがない。なるほど世の中には後ろの方に指のある者はいない。理も気も同じこと。「物之理不異於人」が中庸の天命性で、直方の言う獅子も牡丹もである。物も天命の性でできたので、人と異ならない。生を好み死を悪むのも同じこと。犬や猫は人に近付きなのでその筈だが、鼠などが至って頑なものでいながら、そこの障子を開けると直ぐに逃げる。打ち殺されないかと響く。死を悪むからである。知識は全くないが、自然と人と異ならない理を持っているのでそうなる。草木はそこがわからない様だが、植え替えた木の勢いが悪いのは、丁度人の病気の様なこと。これは私の発明である。この頃庭へ出したという南天は葉に黄味がある。これが人の病で顔色の悪いのと同じ。「物之理不異於人也」。同じ理を得ているので、植え替えるとあの様になる。それなら天地万物は同じこと。万物は遠いことの様だが、この様に見れば□□である。それを相手にする。格物の工夫でこの身へ近いことになる。「万物皆備於我」もいかにもその通りだと思えることである。

○極其大、則天地之運、古今之変、不能外也。盡於小、則一塵之微、一息之頃、不能遺也。ここから朱子のかかしった。天地之運は邵子の十二万九千六百年を一元と云、あの運の中に日月の蝕、其外いろ々々なことあり、頓と不能外が理の外はない。所謂理也の中にある。毎々云、伊川の雷のことを起る処より起ると云が、邵子を軽くしてはぐらかしたでない。邵子の数とてももと理から出たことぞ。伊川其きめ所を知たゆへ、邵子のをとろいたぞ。理から知ることなれども、その理は物の上にある。そこで挌物となり。面白いことなり。古今之変は、さま々々あるまじきやうなことがある。この文義を古と今と変ったと見るはわるい。小学序の古今異宣と云やうに取ることでない。そふなければ運の字と合はぬ。三代の忠質文も変なり。又わるいことでは長平の戦に四十万人死たと云もめったにないこと。尭の七年の水りも度々ないことなり。それも不能外ぞ。理外でなく、一治一乱ゆへ漢から唐宋てもあの変なり。天地ひらけてから見とふんぞ。ここをあんまり知ると知りすぎてやりばなしをし、人がらがわるくなり、のみこみ姿で荘子が様に女房が死でも歌ふと云。あれが古今の変を見すきしりすきたものなり。孟子は知ったで人抦がよいで、孔子の後をついた。才高の人は一己十てなく、知からあのやふにずうとなられた。
【解説】
「極其大、則天地之運、古今之變、不能外也。盡於小、則一塵之微、一息之頃、不能遺也」の説明。天地の運には古今色々な変があるが、それも理外なものではない。これを知り過ぎると荘子の様になるが、孟子はそれを知っていても人柄がよいので孔子の後を継いだ。
【通釈】
○「極其大、則天地之運、古今之変、不能外也。尽於小、則一塵之微、一息之頃、不能遺也」。ここからが朱子の書かれたこと。「天地之運」。邵子が十二万九千六百年を一元と言い、あの運の中に日月の蝕や、その外色々なことがあるが、「不能外」で全く理の外はなく、「所謂理也」の中にある。毎々言うことだが、伊川が雷のことを起こる処より起こると言ったが、これは邵子を軽く見てはぐらかしたものではない。邵子の数も元は理から出たこと。伊川がその決め所を知っているので、邵子が驚いたのである。それは理から知ることだが、その理は物の上にある。そこで格物だと言う。これが面白いこと。「古今之変」で、様々にあってはならない様なことがある。この文義を古と今とが変わったと見るのは悪い。小学序の「古今異宜」の様に取ってはならない。そうでなければ運の字と合わない。三代の「忠質文」も変である。また、悪いことでは長平の戦に四十万人が死んだというのも滅多にないこと。堯の七年の旱も度々はないことだが、それも「不能外」である。理外でなく、一治一乱で、漢から唐宋でもあの通りの変がある。天地開闢から見れば多くある。ここをあまりに知ると知り過ぎて遣り放しにして、人柄が悪くなり、飲み込み姿で荘子の様に女房が死んでも歌うと言う。あれが古今の変を見過ぎ知り過ぎたからである。孟子は知っても人柄がよいので、孔子の後を継いだ。才高な人は「一己十」でなく、知からあの様にずっとなられた。
【語釈】
・古今異宣…小学序。「讀者往往直以古今異宜而莫之行」。
・忠質文…論語為政23集註。「文質、謂、夏尚忠、商尚質、周尚文」。
・長平の戦…趙と秦の軍が長平に戦い、秦将白起が趙軍を長平に大破し四十万余を穴埋めにする。前261~前260
・尭の七年の水り…管子軽重。「堯禹有九年之水、湯有七年之旱」。
・荘子が様に女房が死でも歌ふ…荘子至楽。「莊子妻死、惠子吊之。莊子則方箕踞鼓盆而歌」。
・一己十…中庸章句20。「人一能之、己百之。人十能之、己千之」。

一塵の微は、一一塵とても此には理はないとすてることでない。一草一木に理があるぞ。一息之頃は、人の息はかるいこと。帳につけられぬものなり。なるほど一息一瞬はわつかな時で、其わつかでも理外はないぞ。不能遺也は、直方の、周礼三百官の中に蝦蟆の世話迠あるとなり。各物備はる段には末々までも遺されぬ。それゆへ今の大名の下屋鋪には庭方まである。蝦蟆の役のやうなものぞ。松葉が落ちると庭方のものにはかせる。あの世話をするも家老の月番をつとめるも、理は一とつづきゆへすててもよいと云はれぬ。そこか費隱の章なり。一塵も一息ものこさぬ。無虚假無間断の中庸がそこなり。鼻へ物が入ると嚔めする。尭舜の時分からそのとをりなり。いたづらな小僧が人の寐て居る処を鼻へ小よりを入る。関白殿てもはっと嚔をする。其嚔が理外なことでなく、そふ極った理なり。脇の下へさわるとこそべたく笑ひ出す。酢貝の酢で動き、磁石の北へ向く、万古それなり。此が理がなくばかはるはづ。かわらぬは定理なり。理のないことは、直方の、鼻の穴からは飯はくはれぬと云へり。理のないことはならぬ。某が様に舌頭痛む時などは鼻からなりと食たいが、そふならぬは理のないゆへぞ。ささいなことの上にも理があるから動かされぬ。偖、こふ段々云て、それから跡の位付が大くなったぞ。是乃と下文をみよ。
【解説】
一塵一息の僅かなものにも理はある。全てに定まった理があり、それは万古変わることはない。
【通釈】
「一塵之微」。一塵でもこれには理はないと捨てることはない。一草一木に理がある。「一息之頃」。人の息は軽いことで、帳に付けられないもの。なるほど一息一瞬は僅かな時だが、その僅かな時でも理外はない。「不能遺也」。直方が、周礼三百官の中には蝦蟆の世話のことまであると言った。「各物備」の段には末々までも遺すことはない。そこで今の大名の下屋敷には庭方までがある。それは蝦蟆の役の様なもの。松葉が落ちると庭方の者に掃かせる。あの世話をするのも家老が月番を勤めるのも、理は一続きなので捨てて置いてもよいとは言えない。そこが費隠の章である。一塵も一息も遺さない。「無虚仮無間断」の中庸がそこのこと。鼻に物が入ると嚔をする。堯舜の時分からその通りである。悪戯な小僧が人の寝ている処を鼻にこよりを入れる。関白殿でもはっと嚔をする。その嚔が理外なことでなく、その様に極まった理である。脇の下へ触るとくすぐったくて笑い出す。酢貝が酢で動き、磁石が北へ向く、万古その通りである。これは理がなければ変わる筈。変わらないのは定理である。理のないことでは、直方が、鼻の穴からは飯えないと言った。理のないことはできない。私の様に舌頭が痛む時などは鼻からでも食いたいが、それができないのは理がないからである。瑣細なことの上にも理があるから、それを動かすことはできない。さて、この様に段々と言うので、それから後の位付けが大くなる。「是乃」という下文を見なさい。
【語釈】
・費隱の章…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉」。
・無虚假無間断…中庸章句26。「故至誠無息」。同集註。「既無虚假、自無間斷」。

○是乃上帝所降之衷、烝民所秉之彜、劉子所謂天地之中、夫子所謂性與天道、子思所謂天命之性、孟子所謂仁義之心、程子所謂天然自有之中、張子所謂万物之一原、邵子所謂道之形体者。心之爲物から物と来て、物に則のあることを一塵一息の微物迠説きつめ、又至極の大本へかへして、上帝所降之衷云云なり。大学之序、蓋自天降烝民則與之仁義礼智と云もこのこと。斯ふ書きもどさ子ば大学の挌物の吟味にならぬ。人間の明德を明にするに在りの初手へもとせば上帝と云より外はないはづなり。上帝所降之中。書経。所秉之彜。詩経。偖、劉子の天地之中は詩経と違い、出さずとよさそふなものに、これが朱子の毎々ををせらるる、春秋の時もやはり性理の名義が三代の時より傳り来て動かぬことぞ。銀六十目と三井が店にはりてある。その通り博弈打もそう筭用するで有ふ。あのふらちな春秋や戦国の時でも名義がかわらぬ。何ぞのときそれを出して人へも異見せ子ばならぬ。
【解説】
「是乃上帝所降之衷、烝民所秉之彜、劉子所謂天地之中、夫子所謂性與天道、子思所謂天命之性、孟子所謂仁義之心、程子所謂天然自有之中、張子所謂萬物之一源、邵子所謂道之形體者」の説明。ここで至極の大本へと戻して言う。上帝降衷の時から今まで、名義の変わることはない。
【通釈】
○「是乃上帝所降之衷、烝民所秉之彜、劉子所謂天地之中、夫子所謂性与天道、子思所謂天命之性、孟子所謂仁義之心、程子所謂天然自有之中、張子所謂万物之一源、邵子所謂道之形体者」。「心之為物」から物と来て、物に則のあることを「一塵一息」の微物にまで説き詰め、また、至極の大本へ返して、「上帝所降之衷云云」である。大学の序で、「蓋自天降烝民則与之仁義礼智」と言うのもこのこと。この様に書き戻さなければ大学の格物の吟味にはならない。人間の明徳を明にするに在りの最初へ戻せば上帝と言うより外はない筈。「上帝所降之衷」。書経。「所秉之彜」。詩経。さて、劉子の「天地之中」は詩経と違い、出さなくてもよさそうなものだが、これが朱子の毎々仰せられる、春秋の時もやはり性理の名義が三代の時から伝わり来て動かないということ。銀六十目と三井の店に貼ってある。その通りに博奕打ちも算用することだろう。あの不埒な春秋や戦国の時でも名義は変わらない。何かの時にそれを出して人へも異見をしなければならない。
【語釈】
・蓋自天降烝民則與之仁義礼智…大学章句序。「蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣」。
・上帝所降之中…書経湯誥。「惟皇上帝、降衷于下民」。
・所秉之彜…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。
・天地之中…小学内篇稽古。「劉康公成肅公會晉侯伐秦。成子受脤于社不敬。劉子曰、吾聞之、民受天地之中以生所謂命也」。

何もかもかはり果たる世の中にしらてや雪の白く降らん。臣弑其君、子弑其父時でも、雪は白く天地の中はかはらぬ。夫子の性天道もこの時の咄なり。子貢も孔子の御前で平生は正宗の脇指を上からばかり見て居たが、ある時土用干に秡た処を見たのなり。一仁や詩書執礼も性天道のことなれとも、中はぬかぬ。其中かをぬくと性天道なり。孔子の時は陳成子弑簡公、沐浴而朝するのとさん々々な時なれども、また彼性理の名義明で此吟味が朝晩出すに及ばぬ。性天道も常はさやにをさまりている。はや子思の時は最ふぬか子ばならぬ。そこで中庸が出て、あたまから天命性なり。これは劉子孔子のなりへ判を押したものなり。
【解説】
世の中が変わり果てても、天地の中は変わらない。孔子の時は性理の名義が明だったので、孔子も希にしか性天道を言わなかったが、子思の時になっては、最初に「天命性」と言わなければならなくなった。
【通釈】
何もかも変わり果てたる世の中に知しらでや雪の白く降るらん。「臣弑其君、子弑其父」の時でも、雪は白く、天地の中は変わらない。夫子の「性天道」もこの時の話である。子貢も孔子の御前で平生は正宗の脇差しを上からばかり見ていたが、ある時土用干に抜いた処を見たのである。一仁や詩書執礼も性天道のことだが、中は抜かない。中を抜くと性天道である。孔子の時は「陳成子弑簡公、沐浴而朝」と散々な時だったが、まだあの性理の名義が明だったので、この吟味を朝晩出すには及ばなかった。性天道もいつもは鞘に納まっていたが、早くも子思の時はもう抜かなければならない。そこで中庸が出て、最初から天命性である。これは劉子孔子の通りに判を押したもの。
【語釈】
・性天道…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・一仁…
・詩書執礼…論語述而17。「子所雅言、詩・書。執禮、皆雅言也」。
・陳成子弑簡公、沐浴而朝…論語憲問22。「陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝。告於哀公曰、陳恆弑其君。請討之」。

○孟子所謂仁義之心。これよりは性善を出しそふなものなれども、ここへ性善を出しては面白ない。性善を出すと子思の封のままなるゆへ仁義の心と云。かの天命性は人の仁義の心なり。ここの出し様、朱子も手利なり。仁義の心がどこにあるなれば、天命性のきっと具った端的、そこで人心道心の吟味が入りてくる。戒愼恐懼の工夫するもここの養生をする。牛山の木の發明は山ばかりで木がなくなり、人心ばかりで仁義の道心がなくなりたゆへあれが出たもの。すれば仁義の心と云て天命性へもどすはづそ。程子所謂天然自有之中。ここの語ともの出しやうが中々手に入ら子ばならぬ。茶人が明日の茶とて土藏から道具を出すに、その取り合せて功者不功者みへる。手に入らぬもののは取り合せではや拙がみへる。朱子のここの並べやうが詩書から劉孔思孟、段々道具の出しやふが妙なことなり。程子の所謂天然自有の中が辱いものなり。天命の性や仁義の心は手もなく云こと。天然自有の中と云は首を傾ける文字ぞ。道統傳授の心法が外から人に貰ったでなく、天然自然にあるものなり。天命の性が、道者不可須臾離からあの謹獨戒懼の工夫をすると自ら種のあることゆへ中になる。其未發の中を自然と我に持てとも、常人は持前なりの中へうつらぬゆへ工夫が入る。そこて人か自ら持て居るゆへ、上文へかへすと上帝所降衷も民は天地の中も皆この自有の中なり。
【解説】
天命性は人の仁義の心である。ここで人心道心の吟味となる。また、未発の中は自然と自分に持っているものだが、中へと移るには工夫が要る。
【通釈】
○「孟子所謂仁義之心」。これからは性善を出しそうなものだが、ここへ性善を出しては面白くない。性善を出すと子思の封のままになるので仁義の心と言う。あの天命性は人の仁義の心である。ここの出し様、朱子の手が利いている。仁義の心が何処にあるかというと、天命性のしっかりと具わった端的、そこで人心道心の吟味が入って来る。戒慎恐懼の工夫をするのも、ここの養生をすること。牛山の木の発明は山ばかりで木がなくなり、人心ばかりで仁義の道心がなくなったのであれが出たもの。それなら仁義の心と言って天命性へ戻す筈である。「程子所謂天然自有之中」。ここの語の出し様が中々手に入らなければできないこと。茶人が明日の茶にと土蔵から道具を出すのに、その取り合わせで功者か不功者かが見える。手に入らない者は取り合わせで早くも拙が見える。朱子のここの並べ様が、詩書から劉孔思孟と段々と出す、この道具の出し様に妙がある。程子所謂天然自有之中が辱いもの。天命の性や仁義の心は手もなく言ったこと。天然自有の中は首を傾ける文字である。道統伝授の心法は外から人に貰ったものではなく、天然自然にあるもの。天命の性が、「道者不可須臾離」からあの「謹独戒懼」の工夫をすると、自ら種のあることなので中になる。その未発の中は自然と自分に持っているものだが、常人は持前だけで中へと移らないので工夫が要る。そこで人が自ら持っているので、上文へ返すと、「上帝所降衷」も「民受天地之中」も皆この「自有」の中のこと。
【語釈】
・牛山の木…孟子告子章句上8。「孟子曰、牛山木嘗美矣。以其郊於大國也、斧斤伐之、可以爲美乎。是其日夜之所息、雨露之所潤、非無萌蘖之生焉。牛羊又從而牧之。是以若彼濯濯也。人見其濯濯也、以爲未嘗有材焉。此豈山之性也哉」。

張子所謂万物之一原。上文遠而の極大と云、人我一つもきこへた。何もかももとが一つ、一太極からぞ。一つと云て片付く。それ皆天命性と云。そこて張子が、物は太極の理から生せぬことはないから一原と云。張子の周子から太極圖説を授ったてはなけれとも、周子の圖は上に丸をして、それを萬物かうけた。やっはり張子もそれそ。性は太極の一原から得たもの也。万物に理がなければ世の中に立れぬ。理なしに天地にいると云ものはない。庭の面のちり々々草のつゆまても影をほそめてやとる月哉が譬喩なれども、あのやうに萬物に理がやどる。よく見れは薺花さく垣根哉と名ある誹諧師の句てもあるまいか、あれがよく云て、薺の白いが薺の方では我々も吉野の櫻の氣でいるなり。そこは十分尤と云もの。万物の一原ゆへ、鴬の前で烏や鷺などのぎゃあと鳴く声が遠慮もなく耻かしくもないは一原から得たもの。それゆへ烏や鷺にたまりませいとは云れぬ。やはり鴬と一つことなり。公事人が不法を云と、奉行が理にもとるゆへだまれと声をかけるなり。烏や鷺は理なりを鳴くぞ。
【解説】
何もかも本は一つで、一太極からである。太極の理から何でも生じるから「一源」と言う。理なしでは天地に存在しない。烏や鷺などは鴬の前でもがあと鳴くが、それは理なりに鳴いたのである。
【通釈】
「張子所謂万物之一源」。上文で「遠而」や「極大」と言うので、人我が一つなのがよくわかる。何もかも本は一つで、一太極からである。一つと言うので片が付く。それが皆天命性だと言う。そこで張子が、物は太極の理から生しないことはないから一源と言う。張子は周子から太極図説を授かったわけではないが、周子の図は上に丸をして、それを万物が受けたもの。やはり張子もそれ。性は太極の一源から得たものである。万物に理がなければ世の中に立つことはできない。理なしで天地にあるものはない。庭の面のちりちり草の露までも影をほそめて宿る月哉は比喩だが、あの様に万物に理が宿る。よく見れば薺花咲く垣根哉と、名のある俳諧師の句でもあるまいが、あれがよく言ったことで、薺の白いのが、薺の方では我々も吉野の桜の気でいるのである。そこは十分尤もというもの。万物の一源なので、鴬の前で烏や鷺などががあと鳴く声が遠慮もなく恥ずかしくもないのは一源から得たもの。そこで、烏や鷺に黙りなさいとは言えない。やはり鴬と一つ事である。公事人が不法を言えば、奉行が理に悖るので黙れと声を掛ける。烏や鷺は理なりで鳴く。
【語釈】
・庭の面のちり々々草のつゆまても影をほそめてやとる月哉…庭におふるちりちり草の露までもかげをほそめて月ぞ宿れる。
・よく見れは薺花さく垣根哉…芭蕉。

邵子の所謂道之形體。このやふにだん々々思う心のままを諸老の云が、見て来たことはよいものなり。これが皆字彙から出たやふな説はない。ほるほど鄭玄が不調法な説があるが、あれが朴實からなり。孔穎達がそれをよきほとにふいてまはるも、天子の命とは云へども可笑しきことぞ。道を身に得た人のは見次第を云てあとはふりかへらぬ。さて皆指し塲は一つなれども、邵子の此語など妙な云やうなり。上天之載無声無臭は形ないを云に、それに道之形体と云が面白い説やうぞ。道を形にせふなら仁義礼智にて、仁義が道の形になって進せたと云ものぞ。仁は人を愛するほや々々した摸様。はや道に形が出来る。義は猶のこと。人の首をもふっと切る。きれものぞ。はや義が道の形になりた。邵子は一寸と見ると異端のやうで性理を明に見ぬ人也。老子は大道廃而仁義起とて形体をいやかり、混沌未分をととめたがる。佛の本来も皆形体をすてる。そこを邵子は形体ないものを形体と云が手抦なり。かふしたたしかな処が空理にならぬ。老佛のわるいが虚無寂滅ぞ。あれが出ると挌物の物がなくなる。そこて又陸象山王陽明があれをうれしがる。物をはなれるとどのやふなことにならふも知れぬ。某毎々物説を賞美するもここそ。一原、なんても人物に太極の具ったこと。周子は統て太極と云なり。とれも一つにをちることなり。たたしここに周茂叔を出さぬはどふ云思召か定て意のあることなるべし。皆の衆考て見るべし。先日来よみきたる初の或問や答呉晦叔知行の書などは某もたしかなれども、この或問などに詩書以来諸子を引れた段に周子のないは我々はきとせぬ。
【解説】
邵子が形のない道を「道之形体」と言ったのが手柄である。道を形にするのなら、それは仁義礼智であって、仁義によって道の形が見える。老仏は虚無寂滅と言い、形体を嫌がる。それでは格物ができなくなる。尚、朱子がここに周茂叔を出さなかったわけがはっきりとしない。
【通釈】
「邵子所謂道之形体」。この様に段々と思った心のままを諸老が言う。見て来たことはよいもの。これが皆字彙から出た様な説ではない。ほるほど鄭玄には不調法な説があるが、あれが朴実からのもの。孔穎達がそれを酷く吹いて回るのも、天子の命とは言え可笑しいこと。道を身に得た人のは見次第を言って後は振り返らない。さて皆指し場は同じだが、邵子のこの語などは妙な言い様である。「上天之載無声無臭」は形のないことを言ったものだが、それなのに「道之形体」と言うのが面白い説き様である。道を形にするのなら仁義礼智であって、仁義が道の形になって進じるというもの。仁は人を愛するほやほやとした模様。そこで早くも道に形ができる。義は尚更のことで、人の首をもふっと切る。切れ者である。早くも義が道の形になった。邵子は一寸見ると異端の様で性理を明に見ない人である。老子は「大道廃而仁義起」と言って形体を嫌がり、混沌未分を留めたがる。仏の本来も皆形体を捨てる。そこを邵子は形体のないものを形体と言うのが手柄である。こうしたしたたかな処で空理にならない。老仏の悪いのが虚無寂滅である。あれが出ると格物の物がなくなる。そこでまた陸象山や王陽明があれを嬉しがる。物を離れるとどの様なことになるかも知れない。私が毎々物説を賞美するのもこのため。「一源」は、何もかも人物には太極が具わっていること。周子は統て太極と言ったのであり、どれも一つに落ちること。但しここに周茂叔を出さないのはどういう思し召しなのか、きっと意のあることだろう。皆考えて見なさい。先日来読んで来た始めの或問や答呉晦叔知行の書などは私も確かにわかるが、この或問などに詩書以来諸子を引かれた段で周子がいないのは、我々でははっきりとしないこと。
【語釈】
・上天之載無声無臭…中庸章句33。「詩云、予懷明德、不大聲以色。子曰、聲色之於以化民、末也。詩云、德輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣」。詩は、詩経大雅文王。
・大道廃而仁義起…老子俗薄。「大道廃有仁義、智恵出有大偽、六親不和有孝慈、国家昬乱有忠臣」。

○但其氣質有清濁偏正之殊、物欲有浅深厚薄之異。ここは人物へかけるなり。清正。人を云。偏濁。物を云。浅薄。賢。深厚。愚。こを器用に云たがりて、人でも凡夫は欲がふかく、禽獣は欲が浅いなどと云筋をここて云はわるい。ここは偏濁はかりへ一寸と禽獣を入れ、下の物欲以下は賢愚を云うたことなり。○是以人之與物、賢之與愚、相與懸絶而不能同耳。賢と愚と、人と物か大きな違なり。葬の時馬かうつむくと云。うつむきもせふが、あいつはいかにしても馬鹿なり。大ななりして小野郎にも引まわさるる。人は皆同じやふに見へても賢愚で仁義のつかいやふが大きな違いぞ。仁にも好色のいやな親切があり、礼にもけいはくの天窓下げるがある。なるほと懸絶なり。民は同胞なれとも仁義のはたらきが違う。然るに又其甚た懸絶なれとも、彼仁義あるゆへ出る。其中百姓も腹立た時が却てよい。平生は銭百のことでもむさいこと云ながら、此度は黙って居られぬ、身上つぶしてもと義に勇んて理屈云。
【解説】
「但其氣質有清濁偏正之殊、物欲有淺深厚薄之異、是以人之與物、賢之與愚、相與懸絶而不能同耳」の説明。「偏濁」に禽獣を入れ、その他は人のこと。賢愚、人物には大きな違いがある。人は皆同じ様に見えても賢愚で仁義の使い様が大きく違う。
【通釈】
○「但其気質有清濁偏正之殊、物欲有浅深厚薄之異」。ここは人物へ掛けたもの。「清正」。人を言う。「偏濁」。物を言う。「浅薄」。賢。「深厚」。愚。ここを器用に言いたがって、人でも凡夫は欲が深く、禽獣は欲が浅いなどという筋をここで言うのは悪い。ここは偏濁だけに一寸禽獣を入れ、下の物欲以下は賢愚を言ったこと。○「是以人之与物、賢之与愚、相与懸絶而不能同耳」。賢と愚と、人と物が大きな違いである。葬の時に馬が俯くと言う。俯きもしようが、あいつはいかにしても馬鹿である。大きな姿をして小野郎にも引き回される。人は皆同じ様に見えても賢愚で仁義の使い様が大きく違う。仁にも好色の嫌な親切があり、礼にも軽薄に頭を下げることがある。なるほど懸絶である。民は同胞だが、仁義の働きが違う。しかしまた甚だ懸絶なのだが、彼の仁義があるのでそれが出る。中でも百姓が腹を立てた時が却ってよい。平生は銭百のことでもむさいこと言いながら、この度は黙ってはいられない、身上を潰してもと義に勇んで理屈を言う。
【語釈】
・小野郎…小+野郎。

○以其理之同、故以一人之心而於天下万物之理無不能知。道理が万物の一原ゆへ、我一人の方で万物が知るる。もそっと相談せふと云に及ぬ。向を挌ると向の理がこちの心へひびく。直方の、万物の理が知るるゆへ、そこて即天下之物となり。迂斎の説に、旅に立に烟草の火は入らぬ。立塲にあるとなり。此方の火でなければならぬと云ことでなく、向の火でも吸はれるぞ。挌物は向の理をきはめてこちを明にすることぞ。此方を明らかにして向ふと云そふなものなれども、先つ向と云が、向からでなければこちの心が明にならぬ。落付が出来ぬ。
【解説】
「以其理之同、故以一人之心而於天下萬物之理無不能知」の説明。格物は向こうの理を窮めてこちらを明にすること。向こうからでなければこちらの心が明にならない。自分を明にしてから物に格るのではない。
【通釈】
○「以其理之同、故以一人之心而於天下万物之理無不能知」。道理が万物の一源なので、自分一人の方で万物がわかる。もう少し相談しようと言うには及ばない。向こうを格ると向こうの理がこちらの心へ響く。直方が、万物の理が知れるので、そこで即天下の物だと言った。迂斎の説に、旅に立つのに煙草の火は要らない。それは立場にあると言った。こちらの火でなければならないということではなく、向こうの火でも吸うことはできる。格物は向こうの理を窮めてこちらを明にすること。こちらを明らかにして向こうに格ると言いそうなものだが、先ず向こうと言うのが、向こうからでなければこちらの心が明にならないからである。そうでないと落ち着かない。

○以其稟之異、故於其理或有所不能窮也。こちの稟次第なり。圣人の生知なり。凡夫と氣稟の異なるゆへ、声入心通なり。六十而耳順とは云へとも、御若い時から大がい耳順なり。衆人はこの氣稟の異てそうゆかぬ。学挍へ百人出て聞ても、我方に氣稟の違があるゆへ同しやうに聞得ることはならぬ。顔子一を聞て十、子貢は二なり。もっと下では宰我攀遲が孔子に世話をかけ、孟懿子への答もすまず、攀遲が圃を学はんを老圃にきけと示されても、ひょっと幸田村へ行ふかと、はや圣人を煩はす。そこを程子の知に多少般の数ありと云。咄しきらぬ中に斯ふで有ふと云ゆへ、人の咄の腰を折るとみゃふに早くすむもあり、又聞へずに落し咄の講釈するもある。それを参也魯なりの氣で居ては違う。大だわけなり。
【解説】
「以其稟之異、故於其理或有所不能窮也」の説明。聖人は稟がよくて生知だが、衆人はそうではないので聞き得ることができない。しかし、そのままでいるのは大戯けである。
【通釈】
○「以其稟之異、故於其理或有所不能窮也」。こちらの稟次第である。これが聖人の生知である。凡夫とは気稟が異なるので、声入心通である。「六十而耳順」とは言え、御若い時から大概は耳順である。衆人はこの気稟が異なっているのでそうは行かない。学校へ百人出て聞いても、自分に気稟の違いがあるので同じ様に聞き得ることができない。顔子は一を聞いて十、子貢は二である。もっと下では宰我や樊遅が孔子に世話を掛け、孟懿子への答も済まず、樊遅が圃を学びたいと言うので老圃に聞けと示されても、ひょっと幸田村へ行こうかと、早くも聖人を煩わす。そこを程子が知に多少般の数ありと言う。話し切らない内にこうだろうと言い、人の話の腰を折ると妙に早く済む者もあり、また聞こえずに落し話の講釈をする者もある。それを「参也魯」の気でいては違う。それでは大戯けである。
【語釈】
・六十而耳順…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・顔子一を聞て十…論語公冶長9。「子謂子貢曰、女與囘也、孰愈。對曰、賜也、何敢望囘。囘也、聞一以知十。賜也、聞一知二。子曰、弗如也。吾與女、弗如也」。
・攀遲が圃を学はん…論語子路4。「樊遲請學稼。子曰、吾不如老農。請學爲圃、曰、吾不如老圃。樊遲出。子曰、小人哉、樊須也。上好禮、則民莫敢不敬。上好義、則民莫敢不服。上好信、則民莫敢不用情。夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣。焉用稼」。
・知に多少般の数あり…近思録致知8。「知有多少般數、煞有深淺」。
・参也魯…論語先進17。「柴也愚、參也魯、師也辟、由也喭」。

○理有未窮、故其知有不盡。知有不尽、則其心之所発、必不能純於義理、而無雜乎物欲之私。理がきわまらぬと天から拜領の知ても尽きぬ。かわりたもので、直方の、似たものじゃ、筆もきせるも一つしゃと云て見てもどふも違う。どちも細い竹ゆへ此方は無理にをしても向がをさまらぬ。理は向にあることぞ。そこで向の理がくらいとそれだけこちに明るくないものあり。世説に、奢り者が雪隱にゆく。えんに棗ををき、それを鼻へ入て臭をふせくためなり。或者がそれを知らずにくふことと心得て棗をくった。又雪隱を出て手を洗ふに香の粉を置たれは、これをも飲んだと云。あれを奢りと知って、それをためしてしたなればにた氣象なれども、知らぬゆへ理がつきぬぞ。それは兔も角もあれ、こちのことにてみよ。今日の学者、舜は五十而慕ふと云。理がきはまらぬ。ここの理がはきとない。あそこを九分九厘に吟味せずによい加減にして置ゆへ、いつ迠もこちの胸があかぬ。そこで只孟子の講釈聞ても役にたたぬ。知が尽きぬゆへ、今日の学者孝行でも、あれに似たことが少もない。それでひょっと瞽叟のやうな無理を云ふ親父があると、なんぼ親でもと云。昨日講釈聞たと直きに違て来る。
【解説】
「理有未窮、故其知有不盡。知有不盡、則其心之所發、必不能純於義理、而無雜乎物欲之私」の説明。理が窮まらないと知が尽きない。理とは向こうにある理である。向こうの理を窮めなければ自分の知が明にならない。今の学者は「五十而慕」の理が済まないから舜の様な孝をすることもできず、直ぐに間違ったことをする。
【通釈】
○「理有未窮、故其知有不尽。知有不尽、則其心之所発、必不能純於義理、而無雑乎物欲之私」。理が窮まらないと天から拝領の知であっても尽きない。妙なもので、直方が、似たものだ、筆も煙管も同じだと言って見てもどうも違う。どちらも細い竹だが、こちらが無理に推しても向こうが納まらない。理は向こうにあること。そこで向こうの理が暗いとそれだけこちらに明るくないものがある。世説に、奢った者が雪隠に行く。縁側に棗を置くのは、それを鼻に入れて臭いを防ぐためである。或る者がそれを知らずに食うものだと心得て棗を食った。また、雪隠を出て手を洗うために香の粉を置くと、これをも飲んだと言う。あれを奢りと知って、それを試してしたのであれば似た気象だが、知らないので理が尽きない。それはともかく、こちらのことで見なさい。今日の学者は、舜は五十而慕うと言う、その理が窮まらない。ここの理がはっきりとしない。あそこを九分九厘まで吟味せず、よい加減にして置くので、いつまでも自分の胸が明かない。そこでただ孟子の講釈を聞いても役に立たない。知が尽きないので、今日の学者は孝行でも、あれに似たことが少しもない。それでひょっと瞽叟の様な無理を言う親父がいると、何ぼ親でもと言う。昨日講釈を聞いたのと直ぐに違って来る。
【語釈】
・舜は五十而慕ふ…孟子万章章句上1。「大孝終身慕父母。五十而慕者、予於大舜見之矣」。孟子告子章句下3。「孔子曰、舜其至孝矣、五十而慕」。

さてここの不能純於義理云云の不能の字は両方か子て云。純は迂斉、きはめて理ばかりを云となり。知がつきぬとどみる。どみると純にない。そこて不能なり。物欲の私が孝行の上でも不顧父母之養とある。あれが小学にひくい者のやうなことで、やはり学者もそれなり。舜のやうになるべきをならぬは、誰するなれば物欲ぞ。信虎を追出したも物欲と云邪魔ゆへぞ。そこて孝経や小学を聞たばかりでは書物藝で知が尽ぬゆへ、彼の不能なり。靖献遺言を主張しても知かつきぬと、小口塲でやわらかになる。講釈のとき臂を張ても、事の時やわらかではつまるまい。全体が純於義理は中庸の廣大を致しめること。無雜物欲之私は、高明を極めることなり。廣大をきはめ子ば純でなく、高明を致しめ子は物欲を去ることならぬ。此二句、私意と私欲のことなり。学者物欲の肉で高明がならず高大でないゆへ純でない。西行が銀の猫子どもにやるは物欲ないやふても、義理に純でない。
【解説】
物欲があると知が尽きない。「純於義理」は中庸の「致広大」であり、「無雑物欲之私」は「極高明」である。これが私意と私欲のこと。「純於義理」と「無雑物欲之私」で物欲を去るのである。
【通釈】
さてここの「不能純於義理云云」の不能の字は両方を兼ねて言う。迂斎が、純は極めて理ばかりなことだと言った。知が尽きないと澱む。澱むと純でない。そこで「不能」である。物欲の私が孝行の上でも「不顧父母之養」とある。あれは小学にある卑い者の様なことに思うが、やはり学者もそれである。舜の様になるべきをならないのは、誰がするのかと言えば物欲である。信虎を追い出したのも物欲という邪魔から。そこで孝経や小学を聞いただけでは書物芸で知が尽きないので、彼の不能である。靖献遺言を主張しても知が尽きないと、小口場で柔らかになる。講釈の時に臂を張っても、事ある時に柔らかでは詰まらないだろう。全体、「純於義理」は中庸にある広大を致しめること。「無雑物欲之私」は、高明を極めること。広大を致しめなければ純でなく、高明を極めなければ物欲を去ることができない。この二句は私意と私欲のこと。学者物欲の肉で高明ができず高大でないので純でない。西行が銀の猫を子供に遣ったのは物欲がない様でも、義理に純ではない。
【語釈】
・不顧父母之養…孟子離婁章句下30。「孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支、不顧父母之養、一不孝也。博弈好飲酒、不顧父母之養、二不孝也。好貨財、私妻子、不顧父母之養、三不孝也。從耳目之欲、以爲父母戮、四不孝也。好勇鬥很、以危父母、五不孝也。章子有一於是乎」。
・廣大を致しめる…中庸章句27。「故君子尊德性、而道問學、致廣大、而盡精微、極高明、而道中庸」。

○此其所以意有不誠、心有不正、身有不脩、而天下国家不可得而治也。上の挌物がないゆへ意有不誠云云なり。浅見先生の、致知挌物がなければ大学に首がないと云。手が片手なくとも足に蹈ぬきしても、杖で火事見舞にも来るが、首がなくては何もならぬ。所以意有不誠云云と、あぢな公事を出すでなく、わるい処へ所以と理屈をつけるやうなれども、そうでない。挌物がなければそうあるはづのことと云が所以なり。然れば致知挌物は人の首なり。挌物がつまれば誠正がなる。それからは將棊たふし、挙而措なり。斉家からは工夫かありて骨は折れぬ。最うあとは汗にならぬ。治国平天下は両替屋が人に金を渡すやうなもの。贋金やあやしい銀がないゆへすら々々ゆく。天下国家の政は響のやふなものぞ。それが挌物から誠正がありてそうゆくなり。そこで爰が致知挌物でなければならぬと本とを云たことなり。
【解説】
「此其所以意有不誠、心有不正、身有不脩、而天下國家不可得而治也」の説明。致知格物がなければ大学に首がないのと同じである。格物がなければ「意有不誠、心有不正、身有不修、而天下国家不可得而治」である。しかし、格物が詰まれば誠正となり、それからは骨を折らずに天下国家へと進む。
【通釈】
○「此其所以意有不誠、心有不正、身有不修、而天下国家不可得而治也」。上の格物がないので「意有不誠云云」である。浅見先生が、致知格物がなければ大学に首がないのと同じだと言った。片手がなくても足に踏貫をしても、杖で火事見舞いにも行けるが、首がなくては何もできない。「所以意有不誠云云」は悪い公事を出したことではない。悪い処へ所以と理屈を付けた様だが、そうではない。格物がなければそうである筈だと言うのが所以である。それなら致知格物は人の首である。格物が詰まれば誠正となる。それからは将棋倒しで「挙而措」である。斉家からは工夫があって骨は折れない。もう後は汗を掻かない。治国平天下は両替屋が人に金を渡す様なもの。贋金や怪しい銀がないのですらすらと行く。天下国家の政は響の様なもの。それが格物から誠正があってそう行くのである。そこで、ここが致知格物でなければならないと本を言ったこと。
【語釈】
・蹈ぬき…くぎ・とげなどを踏んで足に突き刺すこと。
・挙而措…

○昔者、垩人蓋有憂之。是以於其始教爲之小学、而使之習於誠敬、則所以收其放心養其德性者、已無所不用其至矣。これから小学大学を云。民者天地の中を以て生の、性善のと云か笠にきられぬ。今日は性善だをしなり。あてにならぬ。そこてあれをたてにして置はがりてはならぬゆへ、垩人有憂之なり。仁義がありがへなく、性善の宿札計りで明徳を明さぬゆへ憂ふなり。先日の或問から段々ありて、小学の涵養も大学の挌物もすんだゆへもうよかろふと云に、ここも又習於誠敬と云。この文字のたび々々出るが大切なことなり。この誠敬の根で挌物窮理なり。無所不用其至矣が、小学に小しものこりはない。今は素読さへすれば小学の教はすみたと覚ているが、一つも役にたたぬ。古の小学挍はそふでない。比屋可封のやうにしてをくが小学なり。素読も小学の事なれとも、今のは小学挍の小口にもゆかぬ。小学は誠敬をしこむことなり。
【解説】
「昔者、聖人蓋有憂之。是以於其始敎爲之小學、而使之習於誠敬、則所以收其放心養其德性者、已無所不用其至矣」の説明。「民受天地之中以生」も性善も、そのままでは当てにならない。明徳を明かさなければならない。誠敬の根で格物窮理をする。先ずは小学で誠敬を仕込むのである。
【通釈】
○「昔者、聖人蓋有憂之。是以於其始教為之小学、而使之習於誠敬、則所以収其放心養其徳性者、已無所不用其至矣」。これから小学大学を言う。「民受天地之中以生」や性善は笠に着ることのできないこと。今日は性善倒しであって、当てにならない。そこであれを楯にして置くばかりではならないので、「聖人有憂之」である。仁義が有り甲斐なく、性善の宿札ばかりで明徳を明かさないので憂うるのである。先日の或問から段々あって、小学の涵養も大学の格物も済んだのでもうよいだろうと言えば、ここでもまた「習於誠敬」と言う。この文字が度々出るのが大切なこと。この誠敬の根で格物窮理をする。「無所不用其至矣」が、小学に少しも残すことはないということ。今は素読さえすれば小学の教えは済んだと覚えているが、それでは一つも役に立たない。古の小学校はそうではない。「比屋可封」の様にして置くのが小学である。素読も小学の事だが、今のは小学校の小口にも行かない。小学は誠敬を仕込むもの。
【語釈】
・比屋可封…文選。「尚書大傳曰、周民可比屋而封」。

當春の少年岩が毎夕門から福俵を見ているゆへ、少しのんきもよいが、そうして居ると狐がつくものぞと云たれば、私などは狐なぞと申すことはと武士氣で、先生も我を知ぬと云やふな皃で云ゆへ、某渠[かれ]にあの下駄のぬきやふはどふしたもの、二尺ばかり筋かへになって居る。あれがうっかとするからぞ。それで狐につかれぬと云請合どふ云はれやうと云たれば、岩も誤り入った。小学の仕込と云はあだなことではない。古小子が德性を養の、放心を收るのと云ことも知らぬが、只東階に上れは右の足を先にすと、あのやふなことで放心せぬ。そこで狐もつかぬ。とうして両手奉長者之手と云やふな誠敬を仕こんだ若者に、とふして狐にま子かれて馬糞は食はぬ。さてこの至りを用るとて、至の字が至善のどふのと云ことでない。
【解説】
小学の仕込みというのは浅いことではない。誠敬を仕込んだ若者が放心することはない。
【通釈】
当春、少年の岩が毎夕門から福俵を見ているので、少し暢気なのもよいが、そうしていると狐が憑くものだと言うと、私などに狐などがと申すとはと、武士気で、先生も私を知らないという様な顔で言うので、私が彼ににあの下駄の脱ぎ様はどうしたものか、二尺ばかり筋交えになっている。それはうっかりとしているからで、それで狐に憑かれないと請け合うことはどうして言えるだろうかと言うと、岩も謝り入った。小学の仕込みというのは浅いことではない。古の小子は徳性を養うとか、放心を収めるということも知らないが、ただ東階に上れば右の足を先にすると、あの様なことで放心しない。そこで狐も憑かない。どうして「両手奉長者之手」という様な誠敬を仕込んだ若者が、どうして狐に招かれて馬糞を食うものか。さて、至りを用いると言っても、至の字が至善のどうのということではない。
【語釈】
・東階に上れは右の足を先にす…礼記曲礼上。「上於東階、則先右足。上於西階、則先左足」。
・両手奉長者之手…礼記曲礼上。「幼子常視毋誑。童子不衣裘裳。立必正方、不傾聽。長者與之提攜、則兩手奉長者之手、負劍辟咡詔之、則掩口而對」。

無所不用其至とて、そふ云は、それは聞下手なこと。大学を云ことではなけれとも、田舎の者ても茶の給事をよくすると、それか用其至と云もの。大名の御近習番のやうじゃ。それが至善の外はない。そふ見ぬと文字の外を知るでない。若林の学問が不調法なやうで、さて々々妙処を云はるるぞ。花入を床のへ置くに、ここに極ったと云ふ、動かぬ置き処あるそ。至善で重く見ることでないとなり。これが譬喩でなく、そこに至善があるぞ。小学て習ふた飯の食やうを大学で食い直すことでない。小学は其根なり。ここか其至と、はや大学へ入たもの。これは自碁かつよいと云やうなもの。本因坊が処へゆくと碁經を出して、ここの爲めであそこへ打と云。もふなんのことはない。根を知るる、表裏のこと。小学は事なり。表てする。大学は夫れを裏へ入て心ですることなり。
【解説】
小学は事をするものだが、そこに至善がある。小学は根であり、その至りが大学である。小学は事を表でするもので、大学はそれを裏に入れて心ですること。
【通釈】
「無所不用其至」と言っても、それを言うのは聞き下手である。大学を言ったことではないが、田舎の者でも茶の給事をよくすると、それが「用其至」というもの。それが大名の御近習番の様である。これが至善の外ではない。その様に見なければ文字の外を知るものではない。若林の学問は不調法な様で、実に妙処を言われる。花入れを床に置くにも、ここに極まったと言う、動かない置き処がある。至善は重く見ることではないと言った。これが比喩ではなく、そこに至善があるのである。小学て習った飯の食い様を大学で食い直すことではない。小学はその根である。ここで其至と言うのが早くも大学へ入ること。これは自ら碁が強いと言うなもの。本因坊の処へ行くと碁経を出して、ここの駄目であそこへ打つと言う。もう何のことはない。根を知るとは表裏のこと。小学は事であって、表でする。大学はそれを裏へ入れて心ですること。

○及其進乎大学、則又使之即夫事物之中、因其所知之理、推而究之以各到乎其極、則吾之知識亦得以周遍精切而無不尽也。極は事でなく、理のぎり々々なり。筆つ道でも、次御習可被成候は極でない。王羲之が方に別にある。されどもいつも天の字は天の字なり。其天の字に極があるぞ。吾之知識亦得以周遍精切而無不尽云云。知識と云ふは小学で知たかの良知かのと云、詮義なしにこたませに云。ここはこれ迠のがだん々々違ってくる。よい方てもわるい方ても明るみへ出ると猶違って来ると云が、山家の者江戸へ出てからわるくもなる。それもわるい方へ知識が開くからなり。周遍はこれからこれと限りないを云。これが補傳の凡天下之物と云からなり。これからの方はをれが得手と云は周遍でない。それは禁好物あるぞ。精切は一色をよく尽すを云。直方の、脊中のかゆいを子婦にかかせるに、丁どの処へあたるとそこ々々と云が精切となり。講釈も弁舌がよいとて精切でない。不弁でも文字の見やふがよければ精切と云もの。精切は知のぎり々々、きまり処なり。無不尽が、周遍は万物を相手にし、あて云ひ、精切はこちで云う。無不尽は両方で云。とかく向を相手するから周遍の字が出る。吾方か致ると精切。そこて仁義礼智の拜領の智たけになる。そこが尽す、と。易の知周万物の周の字と、易の精義入神の精の字。尽其心者知其性の尽すの字なり。三ヶ月のやうでは尽すでないが、ここは滿月のやうになる。さてこれ迠は致知挌物の道体なり。
【解説】
「及其進乎大學、則又使之即夫事物之中、因其所知之理、推而究之以各到乎其極、則吾之知識亦得以周遍精切而無不盡也」の説明。「周遍」は物が限りないこと。「精切」は一色をよく尽くすことで知の至極である。周遍は万物を相手にして向こうで言い、精切はこちらで言い、「無不尽」は両方で言う。これは、易の「知周万物」の周の字と、易の「精義入神」の精の字と、「尽其心者知其性」の尽の字である。
【通釈】
○「及其進乎大学、則又使之即夫事物之中、因其所知之理、推而究之以各到乎其極、則吾之知識亦得以周遍精切而無不尽也」。「極」は事ではなく、理の至極である。筆道でも、次御習可被成候では極でない。王羲之の方に別にある。しかし、いつも天の字は天の字である。その天の字に極がある。「吾之知識亦得以周遍精切而無不尽云云」。知識とは小学で知ったあの良知のことなのかと言い、詮議なしにごた混ぜに言う。ここではこれまでのことが段々違って来る。よい方でも悪い方でも明るみへ出ると尚更違って来ると言うのが、山家の者が江戸へ出てから悪くもなる様なこと。それも悪い方へ知識が開くからである。「周遍」はこれからこれへと限りないことを言う。これが補伝の「凡天下之物」ということからのこと。これからの方は俺の得手と言うのは周遍ではない。それでは禁好物がある。「精切」は一色をよく尽くすことを言う。直方が、背中が痒くて子婦に掻かせるのに、丁度の処へ当たるとそこそこと言うのが精切だと言った。講釈の弁舌がよいというのは精切ではない。不弁でも文字の見様がよければ精切というもの。精切は知の至極、決まり処である。「無不尽」。周遍は万物を相手にして向こうで言い、精切はこちらで言い、無不尽は両方で言う。とかく向こうを相手にするから周遍の字が出る。自分が致ると精切。そこで仁義礼智の拝領の智だけになる。そこが尽くすということ。これは、易の「知周万物」の周の字と、易の「精義入神」の精の字と、「尽其心者知其性」の尽の字である。三日月の様では尽くすではないが、ここは満月の様になる。さてこれまでが致知格物の道体である。
【語釈】
・凡天下之物…大学章句5補伝。「是以大學始敎、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理而益窮之、以求至乎其極」。
・知周万物…易経繋辞伝上4。「與天地相似、故不違。知周乎萬物而道濟天下、故不過。旁行而不流、樂天知命、故不憂。安土敦矣仁、故能愛」。
・精義入神…易経繋辞伝下4。「精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也」。
・尽其心者知其性…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。

○若其用力之方、則或考之事爲之著、或察之念慮之微、或求之文字之中、或索之講論之際。これから致知挌物の工夫なり。初はまずこれを脩行する。この前致挌のことありても、やはり致知挌物の道体なり。この或は々々と云は一と色をするでない。この四を皆することぞ。事によると、或は々々の字を医者の四色の方を出して、どれても一と色用ると云やうに見るが、そふでない。四者廃其一不可なりそ。又これ々々の用ひやふがあると云ことでもないぞ。先日の敬の工夫の目、整斉厳粛や主一無適、常惺々、収斂の抔、四つの中を一つして四つだけのことをして取ることもある。爰はそうでなく、四つなから一つもかかれぬことじゃ。事爲之著は三千子習無不通の、文行忠信の、詩書執礼のと云も事爲の著なり。三代の礼楽と云も皆それぞ。あの上に理の具ることを著に考ると云。小学の内は事爲なれども、著で考るは、父母でも父は斬衰、母は齊衰と云が、母は父よりは胎内からのこと、乳の恩と云なり。あれほど厚ひになぜ父よりは軽い、齊衰じゃと、そこへ考ることなり。その外、九族の中、同性の喪は遠くても厚く、異性は近くても喪が短ひと云ことても、この考るて臍落がするぞ。惣体礼□上でも冠礼に冠義、昏礼に昏義がつくと云やうな類、皆著に考ることなり。小学の内はそれなしにしてゆく計りぞ。それをここで考るなり。
【解説】
「若其用力之方、則或考之事爲之著、或察之念慮之微、或求之文字之中、或索之講論之際」。これからが致知格物の工夫である。ここにある四つを全てする。「考之事為之著」とは、何故そうなるのかと考えること。小学では考えることなしにするが、ここはそれを考えるのである。
【通釈】
○「若其用力之方、則或考之事為之著、或察之念慮之微、或求之文字之中、或索之講論之際」。これからが致知格物の工夫である。始めは先ずこれを修行する。この前に致格のことがあっても、やはり致知格物の道体である。この「或々」と言うのは一色をするのではない。この四つを皆するのである。事によると、或々の字を医者の四色の方を出して、どれでも一色を用いるという様に見るが、そうではない。四者廃其一不可也である。また、これこれの用い様があるということでもない。先日の敬の工夫の目では、整斉厳粛や主一無適、常惺々、収斂など、四つの内の一つをして、四つだけのことをして取ることもある。しかしここはそうでなく、四つ共で一つも欠かすことはできない。「事為之著」。「三千子習無不通」や「文行忠信」、「詩書執礼」と言うのも事為之著である。三代の礼楽も皆それ。あの上に理の具ることを著に考えると言う。小学の内は事為だが、著で考えるとは、父母でも父は斬衰、母は斉衰と言うが、母は父よりも胎内からのことで乳の恩とも言うが、あれほど厚いのに何故父より軽い斉衰なのかと、そこを考えること。その外、九族の内で同性の喪は遠くても厚く、異性は近くても喪が短いというのも、この考えることで臍落ちがする。総体、礼の上でも冠礼に冠義、婚礼に昏義が付くという様な類は、皆著に考えること。小学の内はそれなしにして行くだけのこと。それをここで考えるのである。
【語釈】
・三千子習無不通…近思録為学3。「夫詩書六藝、三千子非不習而通也」。
・文行忠信…論語述而24。「子以四教、文・行・忠・信」。
・斬衰…五種の喪服中の最高の喪服。喪の期間は三年。
・齊衰…第二等の喪服。喪の期間は一年。

或察之念慮之微。上の著は世間の学者も知るが、ここは知らぬ。そこでこれを誠意正心の工夫の様に思ふが、そこかはや挌物にかいない。誠正迠やらずに念慮の微で挌致することなり。訂翁が心致一段のことは黙斉計りと云はれたも、誠意關に入たと云ことでない。心術のことに祟る吟味が精いからなり。今の学者は心地の挌物が甲斐ないからのこと。それを人が如何か云て、幸田も訂斉が黙斉にだまされたと云れた。それも尤ぞ。このををちゃく者が誠正の功夫はせぬが、そこを我身心にせずとも念慮の上で挌致したのなり。訂翁はそこを云はれたなり。誠正と見へる処がやはり致知挌物ぞ。時に事爲の著で云と趙盾か君を殺さぬやうじゃ。それをこちは趙盾が事爲をのけて念慮の微で考へる。細かに心術の吟味するがやはり致知挌物なり。公冶長の篇に古今の人物賢否得失を吟味すると云。令尹子文を清と云、三仁や伯夷に仁をゆるすが事爲でなく念慮の微なり。この吟味なく直に誠意正心はならぬ。漢唐はここを知らぬ。今の学者も幸に朱子の後に生れても皆それで、この文義や心地の挌致を知らぬゆへ精彩がない。
【解説】
事為の著は世間の学者も知っているが、これと誠正の間に念慮の微で格致をすることを知らない。令尹子文を清と言い、三仁や伯夷に仁を許すのは事為でなく念慮の微でのことである。漢唐はそれを知らない。
【通釈】
「或察之念慮之微」。上の「著」は世間の学者でも知っているが、ここは知らない。そこでこれを誠意正心の工夫の様に思うが、それが早くも格物に甲斐ない。誠正まで遣らずに念慮の微で格致をすること。訂翁が心地一段のことは黙斎だけだと言われたのも、誠意の関に入ったということではない。心術のことに祟る吟味が精く、今の学者は心地の格物が甲斐ないから言ったこと。それを人が妙だと言って、幸田も訂斎が黙斎に騙されたと言われた。それも尤もなことである。この横着者で誠正の功夫はしないが、それを自分の身心ではしなくても、念慮の上で格致したのである。訂翁はそこを言われた。誠正と見える処がやはり致知格物である。時に事為の著で言うと趙盾は君を殺さない様である。それをこちらは趙盾が事為を除けて念慮の微で考えたとする。細かに心術の吟味をするのがやはり致知格物である。公冶長の篇に古今の人物賢否得失を吟味するとある。令尹子文を清と言い、三仁や伯夷に仁を許すのは事為でなく念慮の微である。この吟味がなくて直に誠意正心ができるものではない。漢唐はここを知らない。今の学者も幸いに朱子の後に生まれても皆それで、この文義や心地の格致を知らないので精彩がない。
【語釈】
・訂翁…久米訂斎。京都の人。三宅尚斎門下。名は順利。通称は断二郎。尚斎の娘婿。1784年没。
・趙盾…春秋。宣公2年。「秋九月乙丑、趙盾弑其君夷皋」。夷皋は霊公(晋)。
・古今の人物賢否得失を吟味する…論語公冶長題辞集註。「此篇皆論古今人物賢否得失、蓋格物窮理之一端也」。
・令尹子文を清…論語公冶長19。「子張問曰、令尹子文三仕爲令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知、焉得仁。崔子弑齊君。陳文子有馬十乘、棄而違之。至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也。違之、之一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、清矣。曰、仁矣乎。子曰、未知、焉得仁。
・三仁…論語微子1。「微子去之。箕子爲之奴。比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。
・伯夷に仁をゆるす…論語述而14。冉有曰、夫子爲衞君乎。子貢曰、諾、吾將問之。入曰、伯夷叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁、又何怨。出曰、夫子不爲也」。

求之文字之中。ここを俗儒がよろこぶべし。これ儒者をしなべての家業にする処。一草一木に道理があるとても、某などは七種の菜と云てもしらぬ。野がけはかり二段目をした。然し本草の吟味がわるいと云ことてはない。やっはりあれが挌物ぞ。文字は四子六經も文字なれども、それも只読ばかりでは記誦の学と云。そこを伊川の史を讀に、到一半掩巻思量し料其成敗と云などか挌物なり。韓信多々辨が、階下は十萬の將に過きず臣は多々益々弁と云も、たたあらく軍の名人と云計りでなく、只是分数明と云ふ。これを文字之中に求めたと云ものそ。或索之講論之際。これが上方儒者なり。たたみかけ々々々々々理屈を云。心底があらけるやふなれども、挌物は九分九厘以上につめることなり。そこて訓詁が大切にあつかる。をらかやふに平上去入も知らずに居てはつまらぬ。直方先生浅見先生が中庸二十五章目を二十四會目て落付たと云。仰山のやふなれども、それであとが丈夫になる。この四の事爲念慮文字講論を此方のものにして、斯ふ挌物すると我ものになる。
【解説】
文字を読むばかりでは記誦の学である。伊川の言う「毎読史到一半、便掩巻思量、料其成敗、然後卻看」や「韓信多多益弁、只是分数明」などが「求之文字之中」である。「索之講論之際」で、講論の内で九分九厘以上に詰める。そこで訓詁が大事なものとなる。
【通釈】
「求之文字之中」。ここを俗儒が喜ぶことだろう。これが押し並べて儒者の家業にする処。一草一木に道理があると言っても、私などは七種の菜と言っても知らない。野駆ばかりで二段なことをしていた。しかしそれで本草の吟味が悪いということではない。やはりあれが格物である。文字では四子六経も文字だが、それもただ読んでばかりでは記誦の学と言う。そこを伊川が史を読むのに、「到一半掩巻思量料其成敗」と言うことなどが格物である。韓信多々弁と、階下は十万の将軍に過きず、臣は多々益々弁だと言ったことも、ただ粗く軍の名人だと言うのではなく、「只是分数明」だと言う。これが文字の中に求めたというもの。「或索之講論之際」。これが上方儒者である。畳み掛けて理屈を言う。心底が荒げる様だが、格物は九分九厘以上に詰めること。そこで訓詁が大切になる。俺の様に平上去入も知らずにいては詰まらない。直方先生と浅見先生が中庸二十五章目を二十四回読んで落ち着いたと言う。それは仰山な様だが、それで後が丈夫になる。この四つの事為念慮文字講論を自分のものにして、この様に格物すると自分のものになる。
【語釈】
・到一半掩巻思量し料其成敗…近思録致知67。「先生毎讀史到一半、便掩卷思量、料其成敗、然後卻看」。
・只是分数明…近思録治法10。「韓信多多益辨、只是分數明」。
・平上去入…声調。平声、上声、去声、入声。

○使於身心性情之德、人倫日用之常、以至天地鬼神之変、鳥獣草木之冝、自其一物之中、莫不有以見其所當然而不容己、與其所以然而不可易。身心の上は我胸のことて起りさめのあるもの。それゆへをとなしい日もあり、年にも似合ぬと云日もある。どふしてか鬼も涙と云ことがありて、女房も今日はあぢなと云。其日は惻隱がよく出る。又此あたりの冨農ても、人の難義、わづかな無心云てくるに、此間地頭所の勝手用でのなんのと云て断り云てしのぶことあり。したたか藏に米を積て置ながら、借してやらぬ。寒山が、藏米既赫々、不貸人斗舛と云ふも惻隱の出ぬ。性情の德のからくりの違ったのなり。さてこの身心天地云云の句も、別に事爲念慮文字講論之四の外に出ることてはわるい。これか事爲や念慮文字の中にあること。やはり同ことで、其中を見せたことなり。天地鬼神之変は大きなこと。一物之中は小いことなれども、直方の、ごみにもすてるの理があるなり。所當然而不容己、所以然而不可易が動かされぬ。勝手で料理人が何もかも主人に聞てするか、肴の尾は聞に及すすてるぞ。
【解説】
「使於身心性情之德、人倫日用之常、以至天地鬼神之變、鳥獸草木之宜、自其一物之中、莫不有以見其所當然而不容己、與其所以然而不可易者」の説明。心は興り冷めがある。性情の徳で惻隠の出る時もあるが、その逆もある。ここのことは事為念慮文字講論以外ですることではない。
【通釈】
○「使於身心性情之徳、人倫日用之常、以至天地鬼神之変、鳥獣草木之宜、自其一物之中、莫不有以見其所当然而不容己、与其所以然而不可易」。身心の上は自分の胸のことで、興り冷めのあるもの。そこで大人しい日もあり、年にも似合わないという日もある。どうしてか鬼にも涙ということがあって、女房も今日は変だと言う。その日は惻隠がよく出る。またこの辺りの富農でも、人の難儀や、僅かな無心を言って来るのに、この間の地頭所の勝手の用での何のと言って断りを言って逃げることがある。蔵には大層米を積んで置きながら、貸して遣らない。寒山が、蔵米既赫々、不貸人斗升と言ったのも惻隠の出ないこと。「性情之徳」の絡繰が違ったのである。さてこの身心天地云云の句も、別に事為念慮文字講論の四つの外に出るのでは悪い。これか事為や念慮、文字の中にあること。やはり同じことで、その中を見せたのである。「天地鬼神之変」は大きなことで、「一物之中」は小さいことだが、直方が、塵にも捨てるという理があると言った。「所当然而不容己、所以然而不可易」が確かなこと。勝手で料理人が何もかも主人に聞いてするが、魚の尾は聞くに及ばずに捨てる。
【語釈】
・藏米既赫々、不貸人斗舛…寒山詩集。「倉米已赫赤、也不願貸人斗升」。

○必其表裡精粗無所不尽、而又益推其類以通之云云。或問は敷衍辨説ゆへ文字のきまりは補傳の方にあることぞ。表裡精粗の字は補傳でも敷衍の説でも、これはどこでもはづして置れぬことなり。事物の上と理て云と、皆表裡精粗がある。表裡精粗の吟味は浅見先生の筆記で見るがよし。なるほどこまかに道理の吟味が大切にて、粗のと云は君父の歒討にきはまりたこと。されとも一と通りでなく、ふれたことが出来る。そこは精のさばきなり。經權のことでも、經の裏らに權がある。常は君の前へすり足で出るが、火事の時それではすまぬ。乃ちそこが精粗の吟咪なり。君が目をまわし氣絶の時、すり足て出ては其分にならぬ。この時はよしや旦那の上へのってなりとも、口うつし水でなりとも氣つけを入れてもよい。鞠躬如ではならぬ。御定りの經と又權とがあり、ざっととこまかがある。それゆへ表と粗はしらせられきはめをかるる。精と裏は我か手にさてもと知る。表は誰れてもなることなれども、これも其裏がある。君臣之義でも、文王ほどの忠でなくとも御定りは經なり。又、あるべかかりの療治でないことあり、定りたことあり、それもこれも何もかも一つにして無所不尽なり。そこが凡天下之物に即くなり。又益推其類以通之がここでは入らぬが、あちらでは入ると云ことありて、上総で知らずとすめとも、尾張では知ら子ばならぬことがある。
【解説】
「必其表裡精粗無所不盡、而又益推其類以通之」の説明。事物の上には「表裏精粗」がある。「表粗」は知らせられ極め置くこともできるが、「精裏」は自分の内で知ること。これは経と権の様なもので、これ等を一つにして「無所不尽」と言う。
【通釈】
○「必其表裏精粗無所不尽、而又益推其類以通之云云」。或問は敷衍弁説なので文字の決まりは補伝の方にあること。「表裏精粗」の字は補伝でも敷衍の説でも、これは何処でも外して置けないこと。事物の上と理で言えば、皆表裏精粗がある。表裏精粗の吟味は浅見先生の筆記で見るのがよい。なるほど細かに道理の吟味をするのが大切である。「粗」とは、君父の敵討は極まったこと。しかしそれも一通りではなく、振れたことができる。そこは「精」の捌きである。経権のことでも、経の裏に権がある。常は君の前へ摺り足で出るが、火事の時にそれでは済まない。そこが精粗の吟味である。君が目を回して気絶した時、摺り足で出ては悪い。この時はたとえ旦那の上に乗ってでも、口移し水などで気付けを入れてもよい。鞠躬如ではならない。御定まりの経とまた権とがあり、ざっとしたことと細かなことがある。そこで「表」と「粗」は知らせられ極め置くことができるが、「精」と「裏」は自分の手にさてもと知ること。表は誰でもできることだが、これにも裏がある。君臣の義でも、文王ほどの忠でなくとも御定まりは経である。また、通常の療治でないこともあり、定まったこともあり、それもこれも何もかも一つにして「無所不尽」である。そこが凡天下之物に即くこと。「又益推其類以通之」が、ここでは要らないが、あちらでは要るということがあって、上総では知らなくても済むが、尾張では知らなければならないということがある。
【語釈】
・鞠躬如…論語郷党4。「入公門、鞠躬如也、如不容。過位、色勃如也、足躩如也、其言似不足者。攝齊升堂、鞠躬如也、屏氣似不息者。出、降一等、逞顏色、怡怡如也。沒階趨、翼如也。復其位、踧踖如也」。論語郷党5。「執圭、鞠躬如也、如不勝」。

○至於一日脱然焉則於天下之物、皆以有究其義理精微之所極、而吾之聦明睿知亦皆有以極其心之本体而無不尽矣。これほどのことを買まんで置なり。仕舞の片付が物と云ても死物でなく理なり。某に三汁五菜を皆食てしまへと云へばこまるが、凡天下之物はそれより大義な様なれども、一つになることがある。ここで脱けて楽になるが貫通なり。於天下之物、義理精微之所極を究ると云が、今日の博物博識と圣賢とは違う。今日のは数を覚へるゆへぞ。博識でなければならぬが、邪魔になることあり。某学山録がこわくない。あれほど博物なれども、とふも隔心に思はぬ。只博いばかりで精微をきわめぬゆへ、朱子にも疑がつくぞ。時に貫通すると事のかけぬこと。垩人之入太廟毎事問が初手ゆへでいい。又後に斉でも御座らるれは、どこでも問はるるぞ。なれとも一体が精微の極になっている。
【解説】
「至於一日脱然而貫通焉、則於天下之物、皆有以究其義理精微之所極、而吾之聦明睿知亦皆有以極其心之本體而無不盡矣」の説明。天下の理が脱然貫通して一つになる。それは義理精微の極を究めることでする。ただの博識は数を覚えるのと同じである。
【通釈】
○「至於一日脱然焉則於天下之物、皆以有究其義理精微之所極、而吾之聡明睿知亦皆有以極其心之本体而無不尽矣」。これほどのことを掻い摘んで置いた。終わりの片付けが、物と言っても死物ではなく理のこと。私が三汁五菜を皆食ってしまえと言われれば困る。凡天下之物はそれより大儀な様だが、一つになることがある。ここで脱して楽になるのが貫通である。「於天下之物、究義理精微之所極」と言うのが、今日の博物博識と聖賢とは違うところ。今日のは数を覚えるだけである。博識でなければならないが、それが邪魔になることがある。私は学山録を恐く思わない。あれほど博物だが、どうも隔心には思えない。ただ博いだけで精微を究めないので、朱子にも疑いが付く。時に貫通すると事は欠かない。「聖人之入大廟毎事問」が最初だからよい。また後に斉でもあれば、何処でも問われる。しかし、その一体が精微の極になっているのである。
【語釈】
・垩人之入太廟毎事問…論語八佾15。「子入大廟、毎事問。或曰、孰謂鄹人之子知禮乎。入大廟、毎事問。子聞之曰、是禮也」。

直方の、をれが御代官になると手代ともに聞てすると云。知の一貫はこちにある。そこが精微をきはめた処で、顔子に見習番は入らぬもそこなり。凡天下之物と云へとも、尭舜之知而不周物とあり、それは大学と違ふた様でそふてない。今日本で孔子になまこを御目にかけると、それは何と云ものじゃ、日本ではそれを食うか、をれは食まいと云るるぞ。そこで日本のなまこ迠きはめるを精微とも云ぬ。百を吟味して推而二百もすみ、千をきはめて推て萬もすむ。又これは知らずとよいと云こともあり、それ迠が精微の部になる。方々聞に及ぬ。王陽明はこちですむ々々とこち計りを明けるが、それでは又名札がありて顔を覚へぬ。向を吟味して見ぬと一郎やら德助やら知らぬ。山椒粒ほど向にすまぬことあると、それだけこちの胸があかぬ。少し雲がありても明月の邪魔になる。
【解説】
知の一貫は自分にあること。全てを知る必要はない。格物を推して行けばよい。また、知る必要のないこともある。しかし、向こうに済まないことがあれば、その分だけ自分の心が明でなくなる。
【通釈】
直方が、俺が御代官になれば手代共に聞いてすると言った。知の一貫はこちらにある。そこが精微を究めた処で、顔子に見習番は要らないのもそこ。凡天下之物と言っても、「堯舜之知而不周物」とあり、それは大学とは違う様だがそうではない。今日本で孔子に海鼠を御目に掛けると、それは何と言うものか、日本ではそれを食うのか、俺は食わないと言われる。そこで日本の海鼠までをも究めるのを精微とも言わない。百を吟味して推して二百も済み、千を究めて推して万も済む。また、これは知らなくてもよいということもあり、それまでが精微の部になる。方々へ聞くには及ばない。王陽明はこちらだけで済むと言ってこちらばかりを明けるが、それではまた名札があって顔を覚えない様なもの。向こうを吟味して見ないと一郎やら徳助やらわからない。山椒粒ほど向こうに済まないことがあると、それだけこちらの胸が明かない。少し雲があっても明月の邪魔になる。
【語釈】
・尭舜之知而不周物…孟子尽心章句上46。「孟子曰、知者無不知也、當務之爲急。仁者無不愛也、急親賢之爲務。堯舜之知而不遍物、急先務也。堯舜之仁不遍愛人、急親賢也」。
・一郎…宇井黙斎?久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。
・德助…

○吾之聦明睿知亦皆有以極其心之本体が、これが本然の惣まくりの知惠なり。このやふな処で学者も知識の知で天性の智を合点する。拜領の智は御目出度ことなれども、凡人はそれを尽さぬ故、圣人ばかりが本体の形りで聦明睿智なり。凡人も枯木でないゆへてら々々する知覚がある。ほどを知る知識がある。それも拜領の知の外でなく、もちまへからあるで、莫有不有知と云て、それを知識と云。そこが浅見先生の、この位の物と中間んでも土民でも合点して安堵してをるが知識なり。敏と鈍とかあれとも、地金は持ている。其地金を致知挌物ですりみがくことぞ。其心之本体がすぐに聦明睿知のことで、心の本体に筋を付て聦明睿知と云。其表德號を明德とも云。月に二た色はなけれども、三ヶ月と十五夜なり。十五夜でなければ尽すでない。いつも月が譬喩によい。又更にをもへは月も水て智も水なり。尽さぬゆへ三ヶ月のやふなり。尽せば満月になる。誠にこれは譬喩十分ぞ。知惠を開くには其心に取り付て計りはならぬ。物につくと獨り手に物で開けるなり。それからは其心の本体にもなるぞ。
【解説】
知識の知で天性の智を合点する。そこで聡明睿知である。凡人も天から拝領の知があるから、それを格物致知で磨いて聡明睿知となることができる。知は物に付けば自然と開けて来る。
【通釈】
○「吾之聡明睿知亦皆有以極其心之本体」。これが本然の総捲りの知恵である。この様な処で、学者も知識の知で天性の智を合点する。拝領の智は御目出度いものだが、凡人はそれを尽くさないので、聖人ばかりが本体の姿で聡明睿智である。凡人も枯木ではないからてらてらとする知覚がある。程を知る知識がある。それも拝領の知の外ではなく、持前であるので、「莫不有知」と言い、それを知識と言う。そこが浅見先生の、この位の物と中間でも土民でも合点して安堵しているのが知識であるということ。敏と鈍とがあるが、地金は持っている。その地金を致知格物で擦り磨くこと。「其心之本体」が直に聡明睿知のことで、心の本体に筋を付けて聡明睿知と言う。其表徳号を明徳とも言う。月に二色はないが、三日月と十五夜である。十五夜でなければ尽くすではない。いつも月が比喩によい。また更に思えば月も水で智も水である。尽くさないので三日月の様である。尽くせば満月になる。誠にこれは比喩十分である。知恵を開くにはその心に取り付いてばかりではならない。物に付けば自然と物で開ける。それからはその心の本体にもなる。
【語釈】
・莫有不有知…大学章句5補伝。「蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理」。
・表德號…雅号。別号。渾名。