小序

中庸。中者、不偏不倚、無過不及之名。庸、平常也。
【読み】
中庸。中は、偏ならず倚ならず、過不及無きの名なり。庸は平常なり。

子程子曰、不偏之謂中。不易之謂庸。中者、天下之正道、庸者、天下之定理。此篇乃孔門傳授心法。子思恐其久而差也。故筆之於書、以授孟子。其書始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。放之則彌六合、卷之則退藏於密。其味無窮。皆實學也。善讀者玩索而有得焉、則終身用之、有不能盡者矣。
【読み】
子程子曰く、不偏を中と謂う。不易を庸と謂う。中は、天下の正道、庸は、天下の定理。此の篇は乃ち孔門傳授の心法。子思其の久しくして差わんことを恐る。故に之を書に筆して、以て孟子に授く。其の書始めに一理を言い、中ごろ散じて萬事と爲り、末に復合って一理と爲る。之を放つときは則ち六合に彌[み]ち、之を卷くときは則ち退いて密に藏る。其の味わい窮まり無し。皆實學なり。善く讀まん者玩索して得ること有らば、則ち身を終うるまで之を用うとも、盡くすこと能わざること有らん。


此小序の記録あしし。貴殿のたらぬ処は文七録に曰とめ、足すことは語類の変例なり。如此一つに文七を入たゆへ、語意ひびかず。俗語を雅字に直してさえ粹言の非。吟味あることなり。況や二人を一人にすること陸沈の爲。されともこれでよし。
【解説】
小序の記録が悪い。文七の録を入れたので語意が響かない。
【通釈】
この小序の記録は悪い。貴殿の足りない処は文七録に言い止め、足すことは語類の変例である。この様に一つに文七を入れたので、語意が響かない。俗語を雅字に直してさえ粹言の非である。吟味あること。況んや二人を一人にすることは陸沈の業である。しかしながらこれでよい。
【語釈】
・貴殿…秋葉惟恭。松太郎と称す。東金市押堀の人。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。

中庸は道の名なり。名と云になっては時々の思付て何とても名の付られそふなものなれとも、中庸と外は本の事は名か付られぬ。此書は門の内へ入らすと、先つ中庸と云二字て道はこうとすむほとのことなり。つまる処、道理悉く備たこととみることなり。異端も一理あると云のは証文にならぬ。一理なければ異端も云はぬ。楊子が爲我も義と云質物を取て置て云、墨子が兼愛も仁と云質を取て云からは一理屈あることなれども、全体てない。直方先生の、高いことは至極高いが、片々に戸を明けた火の見矢倉を見るやふなもの。垩人のは四方八面が明てある。○迂斉の弁に、中庸を出て中庸にはづれたか中庸に合たかとみること。中庸と違ふと異端とも凡夫とも云。此書の名斗でも一と禦きふせがれると云がここなり。
【解説】
「中庸」の説明。中庸は道の名であり、そこには道理が悉く備わっている。異端も一理はあるが全体ではない。聖人のものには全てが備わっている。
【通釈】
「中庸」は道の名である。名ということになっては時々の思い付きで何とでも名を付けられそうなものなのだが、中庸とより外は、本当の事は名が付けられない。この書は門の内へ入らなくても、先ずは中庸という二字で道はこうと済むほどのこと。詰まる処、道理が悉く備わったことだと見なさい。異端も一理あると言うのは証文にならない。一理なければ異端も言わない。楊子の為我も義という質物を取って置いて言い、墨子の兼愛も仁という質を取って言うからは一理屈あることになるが、それは全体ではない。直方先生が、高いことは至極高いが、片々に戸を明けた火の見櫓を見る様なものだと言った。聖人のは四方八面が明いてある。○迂斎の弁に、中庸を出して、中庸に外れたか中庸に合ったかと見るとある。中庸に違えば異端とも凡夫とも言う。この書の名だけでも一禦ぎ禦げると言うのがここのこと。
【語釈】
・楊子が爲我…孟子盡心章句上26。「孟子曰、楊子取爲我。拔一毛而利天下、不爲也」。
・墨子が兼愛…孟子盡心章句上26。「墨子兼愛。摩頂放踵利天下、爲之」。
・直方先生…佐藤直方。
・迂斉…稲葉迂齋。

不偏不倚云云。脇えかたつむと真中でない。一方付と中をはづれる。仁は結講なものなれとも仁はかり偏たとわるい。仁だの義だのと云ことなく、なにもかもなり。恭節録曰、中者不偏不倚。仁がけっこふても、仁に偏だとよふないぞ。義がけっこふでも、義方たよったとよふないぞ。不倚は其なかを云ことなり。不偏をよく合点すれは、不倚は云はずとよいほとのことなれども、不偏にもそっと了簡ちかいないやふに丁寧に示そふと云て不倚と云ことを出たものなり。○不倚は不偏を精く云こと。不偏をよく云と、不倚は其筈なり。云はずとすむほどなことなれども、道を傳る書ゆへ一と通りでなく丁寧に云。不偏を善があぶないことがある。不偏の外に倚と云がある。譬は那の村は山へ寄たと云は山へ偏なり。海え寄たと云へば海へ偏。清名幸谷はどふでも山へ倚よる。中村ははや海の方へよる。不倚は山へも付す海にも付ぬか根方の方へ寄たと云。偏てなくても偏の方なり。ちと身か寄ると倚と云もの。不倚はそれもない、とんとまん中なり。倚はもとかたよりまがっておること。不偏をこまかにきめて、この倚と云こともなけれはいかふくはしいことなり。不偏を程子の云て足りたてはない。不倚は不偏をもっと細に云たことなり。
【解説】
「中者、不偏不倚」の説明。脇に傾くと真ん中ではない。偏るのは悪い。不偏であれば不倚となる筈だが、不偏であっても倚るということがある。不倚は不偏をもっと細かに言ったもの。
【通釈】
「不偏不倚云云」。脇に傾くと真ん中ではない。一方に付くと中を外れる。仁は結講なものだが、仁ばかりに偏ると悪い。仁だの義だのということなく、何もかもである。恭節の録に曰く、中者不偏不倚は、仁が結構でも、仁に偏るとよくない。義が結構でも、義に片寄るとよくない。不倚はその中を言ったこと。不偏をよく合点すれば、不倚は言わなくてもよいほどのことだが、不偏にもう少し了簡違いがない様に丁寧に示そうと言って、不倚ということを出したもの、と。○不倚は不偏を精しく言うこと。不偏をよく言えば、不倚になるのはその筈のこと。不倚は言わなくても済むほどのことだが、道を伝える書なので一通りでなく丁寧に言った。不偏は善いのだが、危ないことがある。不偏の外に倚ということがある。譬えばあの村は山に寄っていると言うのは山へ偏である。海に寄っていると言えば海へ偏である。清名幸谷はどうでも山に倚る。中村は直ぐに海の方に倚る。不倚は山へも付かず海にも付かないが、根方の方へ寄っていると言う。偏でなくても偏の方のこと。一寸身が寄ると倚というもの。不倚はそれもない、全くの真ん中である。倚は元々は偏って曲っていること。不偏を細かに決めて、この倚ということもなければ、実に精しいこととなる。不偏を程子が言ったので足りたということではない。不倚は不偏をもっと細かに言ったもの。
【語釈】
・恭節…鈴木恭節。字は子長。長藏と称す。大網白里町清名幸谷の人。鵜澤近義の第三子。館林藩儒臣。文政13年(1830)11月10日没。年55。

無過不及は、これはもと呂氏の云たことで、わざへあらわれた上で云、不偏不倚は事にあらはれぬ処て云。何のことなく全体で云。過不及は事にあらはれた処て云なり。此は足りたの此は過たのと云は事にあらはれた上て云こと。すはりて居るが不偏不倚。過不及はそとへでるときを云。道に体用がある。其れを受た人ゆへ人の方にも体用がある。不偏不倚て未発の塲を云。無過不及は事をする上て云ゆへ已発の塲を云。観世が樂屋にちっとして居る。不偏不倚なり。此は九州肥後之国と出る。過不及なしなり。能書が筆を取て居る。不偏不倚。書は無過不及。体がわるければ用もわるい。不偏不倚は破れぬ太皷のやふなもの。そこは体なり。打とどんと鳴る。そこが用なり。馬鹿は馬鹿をせぬ前から馬鹿なり。破れた太皷の様なもの。いくらうっても本道にはならぬ。扨てなにも天下の道理此にはづれたことはない。恭節録曰、不偏不倚は体の中、無過不及は用の中なり。或問にも、体で云へばすはってをるときの中を不偏不倚と云、無過不及は草履はいて出たときの中なことを云となり。不偏不倚は脇から知れぬものなり。○二色を一つにしての名と云、八字を一つにして中と名付たそ。餘のものをもって來て付た名と思てはちごう。
【解説】
「無過不及之名」の説明。不偏不倚は未発の場で言い、未だ事に現れない時のこと。無過不及は已発の場で言い、事に現れた時のこと。これを合わせて全体となる。しかし、体が悪ければ用も悪い、中庸は、中と庸とを一つにして名とし、不偏不倚無過不及の八字を一つにして中と名付けたもの。
【通釈】
「無過不及」は、これは元々呂氏の言ったことで、事に現れた上で言い、「不偏不倚」は事に現れない処で言う。何の事もなく全体で言う。過不及は事に現れた処で言う。これは足りたとかこれは過ぎたなどと言うのは事に現れた上で言うこと。座っているのが不偏不倚。過不及は外へ出る時を言う。道に体用がある。それを受けた人なので、人の方にも体用がある。不偏不倚で未発の場を言う。無過不及は事をする上で言うので已発の場を言う。観世が楽屋にじっとしている。不偏不倚である。これは九州肥後の国と出る。無過不及である。能書が筆を持っている。不偏不倚である。書くと無過不及である。体が悪ければ用も悪い。不偏不倚は破れない太鼓の様なもの。そこは体である。打つとどんと鳴る。そこが用である。馬鹿は馬鹿をしない前から馬鹿である。それは破れた太鼓の様なもの。いくら打っても本道にはならない。さて何もかも天下の道理、これに外れることはない。恭節の録に曰く、不偏不倚は体の中、無過不及は用の中である。或問にも、体で言えば座っている時の中を不偏不倚と言い、無過不及は草履を履いて出た時の中なことを言うとある。不偏不倚は脇からはわからないもの、と。○二色を一つにしての名と言い、八字を一つにして中と名付けた。他のものを持って来て付けた名と思うのは違う。
【語釈】
・呂氏…呂大臨。北宋時代の儒学者。字は與叔。呂大防・呂大鈞の弟。
・或問にも、体で云へばすはってをるときの中を不偏不倚と云、無過不及は草履はいて出たときの仲なことを云となり…中庸或問。「蓋不偏不倚、猶立而不近四旁。心之體、地之中也。無過不及、猶行而不先不後、理之當、事之中也」。

○中なものは庸なものなり。庸なものは飫もこ子ば、いつもそうなものなり。迂斉の弁に、浅黄帷子墨小袖の様なもの。このすたると云ことはない。越後屋へ行てみるといつもある。道の道たる処は爰に帰することなり。一旦人の目を驚す様なものは頓と此頃は流行ぬと云。ぢみちなことは萬古かわらぬものなり。恭節録曰、庸平常、中の下へ餘のものををもつ来てくつけたことの様に思は違いなり。中なものはいつもそふなものなり。そこを庸と云なり。
【解説】
「庸、平常也」の説明。「庸」は、厭きることもなく、何時も変わらないもの。
【通釈】
○中なものは庸なもの。庸なものは飫[あ]きも来なければ、何時も変わらないもの。迂斎の弁に、浅黄帷子墨小袖の様なもの、と。これが廃るということはない。越後屋に行って見ると何時もある。道の道たる処はここに帰すること。一旦人の目を驚かす様なものは頓とこの頃は流行らないと言う。地味なことは万古変わらないもの。恭節の録に曰く、庸平常は、中の下に他のものを持って来てくっ付けたことの様に思うのは違う。中なものは何時も変わらないもの。そこを庸と言う、と。

子程子曰云云。前に不偏と出し、又爰に同じことを並へたを気を付てみること。只今聞ましたと云少の間に又ある。程子の語は程子の語で方を付ることなり。前に不倚とそへたは此不偏の中から出たこと。そんなら程子の侭でよかろうと云に、爰は大切なことでぎり々々にせぬと子思のはが子かしれぬ。又過不及なきを程子はをとして云るるゆへ朱子とは違ふが、不偏の中に朱子の意があると見ること。無過不及ををしこんで云。春ばかりか夏ばかりなれば偏なれとも、天地の間に偏と云ことはない。あそこを中と云。道理は片殺なものではない。不易は、いつもそのなりでしてをる。迂斉の弁に、親に孝行何年してよふござるかと云ことはない。道理はかぎりはない。垩人之道孝弟忠臣皆不易也。人の息を継く様なもの。一生つぐ。五十になったから飯を喰はぬと云ことはない。天地のやうすをみたとき、不偏と不易なり。恭節録曰、不偏之謂中。同しことを並べて云。これらも気を付けて看よ。只今聞きましたと云程のことなり。程子は大筋をずっと云たもので、朱子の不偏不倚も此不偏から出た。そんなら程子できめてをきそふなものじゃと云に、爰が大事の処で、此題下が丁寧でないとどふもならぬ。そこで朱子が精云た。程子のは、全体のなりを語ことゆへにこふ云たものなり。天地をみよ。春と云もあれば夏と云もあり、秋あれは冬あって偏なことはないぞとなり。
【解説】
「子程子曰、不偏之謂中。不易之謂庸」の説明。不偏を中だと程子が言ったのは、全体で言ったこと。朱子はそれを精しくまた言ったのである。「不易」は、何時もそのなりをしているということ。天地は何時も変わらない。
【通釈】
「子程子曰云云」。前に不偏と出して、またここに同じことを並べたのを気を付けて見なさい。只今聞きましたという少しの間にまたある。程子の語は程子の語で片を付けるのである。前に不倚と添えたのはこの不偏の中から出たこと。それなら程子の儘でよいだろうと言うが、ここは大切なことでぎりぎりにしないと子思の刃金が知れない。また、無過不及を程子は落として言われたので朱子とは違うが、不偏の中に朱子の意があると見なさい。無過不及を押し込んで言った。春ばかりか夏ばかりであれば偏だが、天地の間に偏ということはない。あそこを中と言う。道理は片殺なものではない。「不易」は、いつもそのなりでしていること。迂斎の弁に、親に孝行を何年したらよいでござるかということはない、と。道理に限りはない。聖人之道孝弟忠臣皆不易也。人が息を継ぐ様なもの。一生継ぐ。五十になったから飯を喰わないということはない。天地の様子を見た時、それは不偏と不易である。恭節の録に曰く、不偏之謂中と、同じことを並べて言った。これ等も気を付けて看なさい。只今聞きましたというほどのこと。程子は大筋をずっと言ったもので、朱子の不偏不倚もこの不偏から出た。それなら程子で決めておきそうなものだと言うが、ここが大事な処で、この題下が丁寧でないとどうにもならない。そこで朱子が精しく言ったのである。程子のは、全体のなりを語ることなのでこの様に言ったのである。天地を見なさい。春もあれば夏もあり、秋もあれば冬もあって偏なことはないと言ったのである、と。

先不偏不易と語て、じゃさかいにこれか天下之正道、天下の定理と判を押たもの。じゃさかい。ふっと京語か出たもおかし。こふつながぬと四つで註したになる。天下は中庸之辞なり。天下と云ことに二つある。天下一と云と天下中と云こととの二つなり。天下一は此上ないと云口上。天下中はとこてもと云こと。天下一のことは天下中でどこても善と云。善いにはきはまった。そこで中庸になんぞと云と天下の々々々とあるかきこへた。天下の正道はまんろくになにもかもそろったこと。そうたいそけるは本のものでない。たとへば着ものは悪いが巾着はよいをさげたと云。美ひ巾着はついたが着るものは悪いと云は大名にはない。中庸は大名ぞ。よいことづくめぞ。定理と云も無理にかすがいを打て名付たやうなことではない。定理は鼻から飯を食へと云ても食はれぬやふなもの。迂斉曰、世間の人の口上に、人と云ものはをかしいもので、若ひときから飯を食て寐、寐ては起ると云。此が中庸を悟たのなり。是を中庸がなんにも珍くないことになる。そこが天地の道也。其中を釈迦のうるさがって雪山へ迯た。扨て高い事じゃと云が、ながくはつつかぬ。をれは女房持ぬ、をのしたちはもてと云。理のないことはああしたものなり。
【解説】
「中者、天下之正道、庸者、天下之定理」の説明。「天下」には天下一と天下中の二つがある。天下の正道は、真陸に何もかも揃ったこと。定理は、鼻から飯を食えと言われても食えない様なもの。仏には理がない。
【通釈】
先ず不偏不易と語って、じゃさかいにこれが「天下之正道」、「天下之定理」と判を押したもの。じゃさかい。ふっと京語が出たのも可笑しい。この様に繋がないと四つで註をしたことになる。「天下」は中庸の辞である。天下ということに二つある。天下一と天下中ということの二つである。天下一はこの上ないという口上。天下中は何処でもということ。天下一のことは天下中で何処でも善いと言う。善いには極まった。そこで中庸に何かというと天下のとあるのがよくわかる。天下の正道は、真陸に何もかも揃ったこと。総体削げるのは本物ではない。例えば着物は悪いが巾着はよいのを下げていると言う。美い巾着は付けているが着物は悪いということは大名にはない。中庸は大名である。よいことずくめである。定理というのも無理に鎹を打って名付けた様なことではない。定理は、鼻から飯を食えと言われても食えない様なもの。迂斎が言った、世間の人の口上に、人というものは可笑しいもので、若い時から飯を食って寝、寝ては起きると言う。これが中庸を悟ったのだ、と。これで中庸が何も珍しくないことになる。そこが天地の道である。その中を釈迦が煩がって雪山へ迯げた。さて高い事だと言うが、長くは続かない。俺は女房は持たないが、お前達は持てと言う。理のないことはあの様なもの。
【語釈】
・まんろく…真陸。十分なこと。また、完全なこと。

此篇云云。孔門は宗旨が孔子につまることなり。子思の時異端が起た故、書に記して後世へ示された。正道定理迠は理て云こと。心法は其理を我心得ること。程朱を譏る人が、そりゃ心法か出たと云。垩賢之道と云も心のこと。大名の家老から天下の老中迠、風をひいても腕によう腫ができても政務はなるが、老耄するか乱心するとならぬ。なにもかも心てすること。禅坊主と云ことではない。迂斉の、あの人は薄鈍なの馬鹿そふなのと云は手や足で云ことではない。心で云こととなり。心と云にも法がなければならぬ。藥を練るも練り様をしら子は子られぬ。肴があっても料理やふを知ら子ば料られぬやふなもの。その仕方を法と云。さて心法は書に筆にくいことなり。書付にくいことを書れたぞ。無極而太極を云はふとて周茂叔か丸い輪を書た。かきにくいものをかかれた。皆道統の人にはかふしたことあるぞ。史記に字子思作中庸と書たは留主居廻状を写たやふなもの。見てとったことではない。何も証拠のないことを程子が授孟子と云たは、受取た処をさしたものぞ。そこで大全蒙引が類は授孟子た処をみよふとして、子莫執中云云となとをあてたがる。これもをかしいなり。目の鞘か秡ぬ故あのようなことを云。あそこに鷺が居ましたと云やふなもの。誰も見る孟子七篇が皆中庸。あけてみればこれぞ。程子は中へ入て見た人なり。
【解説】
「此篇乃孔門傳授心法。子思恐其久而差也。故筆之於書、以授孟子」の説明。子思の時に異端が起こったので、中庸を書して後世へ示された。「心法」は理を自分の心に得ること。聖賢の道は心でするもの。「授孟子」と程子が言ったのは、孟子七篇が皆中庸の意だからである。
【通釈】
「此篇云云」。孔門は宗旨が孔子に詰まるもの。子思の時に異端が起こったので、書に記して後世へ示された。正道・定理までは理で言ったこと。「心法」はその理を自分の心に得ること。程朱を譏る人が、そりゃ心法が出たと言う。聖賢の道というのも心のこと。大名の家老から天下の老中まで、風邪を引いても腕に瘍腫ができても政務はできるが、老耄するか乱心するとできない。何もかも心でするのである。それは禅坊主ということではない。迂斎が、あの人は薄鈍だとか馬鹿そうだなどと言うのは手や足のことで言うことではない。心のことで言うことだと言った。心というにも法がなければならない。薬を練るにも練り様を知らなければ練ることはできない。肴があっても料理の仕方を知らなければ料理ができない様なもの。その仕方を法と言う。さて心法は書に筆し難いこと。書き付け難いことを書かれた。無極而太極を言おうとして周茂叔が丸い輪を書いた。書き難いものを書かれた。皆道統の人にはこうしたことがある。史記に「字子思、作中庸」と書いたのは留守居廻状を写した様なもの。見て取ったことではない。何も証拠のないことを程子が「授孟子」と言ったのは、受け取った処を指したもの。そこで大全蒙引の類は孟子に授けた処を見ようとして、「子莫執中云云」となどを当てたがるが、これも可笑しいこと。目の鞘が抜けないのであの様なことを言う。あそこに鷺がいましたと言う様なもの。誰もが見る孟子七篇が皆中庸。開けて見ればこれ。程子は中に入って見た人である。
【語釈】
・無極而太極…太極圖説の語。
・子莫執中…孟子盡心章句上26。「子莫執中。執中爲近之。執中無權、猶執一也」。

○中庸は道理をたば子あげた書なり。中庸がさま々々になる。千両の金のやふなもの。始には千両財布に包、さま々々倉を立、娘の昏礼迠して千両つかうてしまうた。此を何てしたと云に、彼千両の金なり。寄筭と云がこのことぞ。○異端に見せびらかすと云がここなり。中散爲萬事なり。さま々々なことをみせる。なんても人の働きは天命性からなり。揚亀山の中庸を知りたは人性上不可添一物云云の語てみよ。天命之性と孟子をひとつに合点された。そこて吾道南すもことはりなり。○中庸の道理を説き廣けて云と天地一はい道理のないものはなく、天下中へ廣がる。爰が理のないと云処はない。つばめて見るとずんどかさばらぬものなり。医者藥箱も邪魔になる。道理は形ないものゆへ自由になる。天下六合の外迠行き渡るなら大きな倉へても入るかと云に、いやそふではない。退藏於密なり。密は道理の居処、無聲無臭を云。密の字の出処は易にある。人の心の起らぬ処は易の占のやふに掛爻の内ひっそりなり。能書が千文字を書く。千文字は殊の外多いが、能書が書て筆を折針に掛て置く。千文字は那の筆にあると云よふなもの。浅見先生の、孔明は天下をどふがへしにすると云が、孔明が一心にある。恭節録曰、放之、下巻の字に對て云ことなり。六合は淮南子の文字なり。上下四方を云なり。どこでも理のない処は天下中にないぞ。巻之藏密。つばめてみると、ずんとかさばならぬものなり。道理と云ものは竒妙なものなり。六合にわたると云からちいさいぶんて三間四方の藏へでも入れてをくかと思へば、いやそんなことではない。退藏密、無声無臭を云たものなり。
【解説】
「其書始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。放之則彌六合、卷之則退藏於密」の説明。天地一杯道理のないものはなく、天下中に広がるが、これを窄めれば「退藏於密」で未発の心にある。
【通釈】
○中庸は道理を束ね上げた書である。中庸が様々になる。それは千両の金の様なもの。始めには千両を財布に包み、様々な倉を立て、娘の婚礼までをして千両を使ってしまった。これを何でしたのかと言えば、あの千両の金である。寄せ算というのがこのこと。○異端に見せびらかすと言うのがここのこと。「中散爲萬事」である。様々なことを見せる。何でも人の働きは天命性からである。楊亀山が中庸を知ったことは「人性上不可添一物云云」の語で見なさい。天命之性と孟子とを一つに合点された。そこで、吾道南すも理で言ったもの。○中庸の道理を説き広げて言うと天地一杯道理のないものはなく、天下中に広がる。ここが理のないという処はないこと。しかし、窄めて見るとかなり嵩張らないもの。医者の薬箱も邪魔になる。道理は形のないものなので自由になる。天下六合の外まで行き渡るのであれば大きな倉へでも入れるのかと言えば、いやそうではない。「退藏於密」である。密は道理のいる処で、無聲無臭を言う。密の字の出処は易にある。人の心の起こらない処は易の占の様に掛爻の内にひっそりとしている。能書が千文字を書く。千文字は殊の外多いが、能書が書いて筆を折釘に掛けて置く。千文字はあの筆にあると言う様なもの。浅見先生が、孔明は天下を胴返しにすると言うのが、孔明の一心にあること。恭節の録に曰く、放之は、下巻の字に対して言ったこと。六合は淮南子の文字。上下四方を言う。何処でも理のない処は天下中にない。巻之藏密。窄めて見ると、かなり嵩張らないものである。道理というものは竒妙なもの。六合に渡るというから小さいものであって三間四方の蔵へでも入れて置くのかと思えば、いやそんなことではない。退藏密は、無声無臭を言ったもの、と。
【語釈】
人性上不可添一物
吾道南す
・密の字の出処は易にある…易經繫辭傳上11。「是故蓍之德、圓而神。卦之德、方以知。六爻之義、易以貢。聖人以此洗心、退藏於密、吉凶與民同患」。
・浅見先生…淺見絅齋。名は安正。重次郎と称す。初めは高島順良と称す。近江高島郡新儀村字太田の人。京都に住む。正徳1年(1711)12月1日没。年60。

此処の味がきりもないこと。直方先生、尌印て渡すと云はれた。程子が其味無究と云てもただの人には知れぬ。程子程に成ら子ば知れぬ。色をも香をも知る人ぞ知る。冨士を見ても、我々のみるは西行の見ると違ふ。程子の身代て云た故に、尌印で渡さ子ばならぬ。こふ出すと空へ飛やふなれとも、皆實学なり。無目蘢潮たまとは出ぬ。放之則弥之則弥六合云云と云と、異端が此ちのを盗はせぬかと云と、彼實學なり。洒掃応對から日用万端のことあり。咽が喝けは水を呑、飢て食様なもの。迂斎の、生板へ針を打やふなもの。屏が破れると針を打。亦まちえ打つ。腹のはるまじないがあると云。それより飯を食かよい。不動の金しばりと云より、同心のしばるを實と云。空ではない。実學なり。只珍敷ゆへ此ちが醉てをる。向にこまされておるのなり。本のは実學なり。恭節録云、弥六合とばかりて、異端もそれはこちのをぬすみはせぬかと云ほどのことなり。そこが近理而乱眞処なり。そこを味無究、皆実學なり。迂斉の、なま板に針を打やふなものじゃとなり。ただ大く云はあちでも云が、皆実學がないなり。
【解説】
「其味無窮。皆實學也」の説明。窮まりないと言えば、それは異端の語だと言われるかも知れないが、これは空ではなくて皆実学である。
【通釈】
この処の味が限りもないこと。直方先生が、封印して渡すと言われた。程子が「其味無窮」と言ってもただの人にはわからない。程子ほどにならなければわからない。色をも香をも知る人ぞ知る。富士を見ても、我々が見るのは西行が見るのとは違う。程子の身代で言ったことだから、封印して渡さなければならない。こう出すと空へ飛ぶ様だが、「皆實學也」。無目蘢潮[まなしかたま]とは出ない。「放之則弥六合云云」と言えば、異端がこちらのを盗みはしなかったかと言うかも知れないが、かの実学である。灑掃応対から日用万端のことがある。咽が渇けば水を呑み、飢えれば食う様なもの。迂斎が、生板に釘を打つ様なもの、と。屏が破れると釘を打つ。また交え打つ。腹が張る呪いがあると言うが、それよりも飯を食う方がよい。不動の金縛りと言うより、同心が縛るのを実と言う。空ではない。実学である。ただ珍しいのでこちらが酔っているのは、向こうに誤魔化されているのである。本当のものは実学である。恭節の録に云う、弥六合とばかりでは、異端もそれはこちらのを盗んだのではないかと言うほどのこと。そこが「近理而大乱眞」の処である。そこを味無窮、皆實學である。迂斎が、生板に釘を打つ様なものだと言った。ただ大きく言うことはあちらでも言うが、皆実学ではない、と。
【語釈】
・無目蘢潮…無目籠。まなしかたま。堅く編んで塗料を塗りなどして舟に使った目のつんだ竹籠。
・近理而乱眞…中庸章句序。「彌近理而大亂眞矣」。

此を徒読者はいかいことあるが、善読でなければ役に立ぬ。中庸の講釈は先年承りましたと云は、手紙を向へ取り次くやうなもの。文義一と通り片付てとこも講釈がなると云は。恭節録云、あるべかかりに儒者役で読やふをこと、善読とは云はぬぞ。玩索。鍔好きの鍔を撫る様なもの。御膳を上けましょふと云。まふ其鍔をもってこいと云て鍔を摩て居る。そこが鍔好きなり。中庸抔か一と通りの読よふにては役に立ぬ。玩索するとそれからよくなって、中庸が我かものになる。中庸を向にをいて、中庸は中庸、我は我ては役に立ぬ。
【解説】
「善讀者玩索」の説明。善く読まなければ役には立たない。尤もらしく儒者役として読む様なことを、善く読むとは言わない。「玩索」とは、鍔好きが鍔を撫でる様なもの。
【通釈】
ここをただ読む者が大層いるが、善く読まなければ役に立たない。中庸の講釈は先年承りましたと言うのは、手紙を向こうへ取り次ぐ様なもの。文義一通り片付けて何処でも講釈が出来ると言うのは違う。恭節の録に云う、尤もらしく儒者役として読む様なことを、善く読むとは言わない、と。「玩索」。鍔好きが鍔を撫でる様なもの。御膳を上げましょうと言うと、もうその鍔を持って来いと言って鍔を磨いている。そこが鍔好きである。中庸などは一通りの読み様では役に立たない。玩索するとそれからよくなって、中庸が自分のものになる。中庸を向こうに置いて、中庸は中庸、自分は自分では役に立たない。

有得は一つしてとること。善読者とあるゆへ餘り吹上けて云ふてはない。中庸の道理を耳に聞、我ものにしたがこれなり。山崎先生の弟子でも永田養奄以上はこれなり。是をあまり大きく云と中庸が人え遠いことになる。子貢の一貫もそこて、そのやふにこはかることはない筈そ。眼前に中庸の道理はこうと合点ゆけは善読と云もの。中庸の道理と云ことは中々以我々式と云ことはない。云に云へぬ丁ど恰好のよいと云が中庸ぞ。そこて朱子の、某愛恰好之二字と云れた。吾も人も爰かと云恰好ある。其こふじたか中庸。中庸ときけは大そう、恰好と云へば取付よい。太極を筈と云もそこなり。欲がなくなら子ば恰好になられぬ。何でも万端に恰好あるぞ。そこが中庸。異端から俗人迠不恰好不筈だらけぞ。そばふるまいにゆいて腹のはるほと食てえいやっと帰れば、道で乞食が一錢下されませ、一昨日食たままてこさると云たれは、我をはすれて、はて羨敷腹なと云たとなり。此恰好てない食やうをしたもの。恰好をしると中庸がして取らるる。○人間がこふしてをるが、道の中にからめられてをるのぞ。そこてちょっとしたことも中庸をはづるると不恰好。小學で洒掃応對と聞て父の呼とき餘り大な声で返事をすると、はてやかましいやつと云。小学は軽い書なれとも恰好がある。皆何でもかでも恰好がある。爰らを知ると明るい処へ出た様な心地なり。恰好を知たたんてきが中庸を合点したのぞ。道統と云は又そのことてはない。欲があると得られぬ。そこで朱子が中庸の首章説に克己復礼て説れたを山崎先生の感して、中和集説編集されたるはそこなり。吾々式は中庸を読て役に立ぬと云なれば、此書が坊主の処え櫛を遺るやふなもの。無用なり。直方先生假諸太夫て読めと云はきこへた。吾々式もこれを読とき、大名の格式て読むことそ。尻込をすることではない。恭節録云、有得、ここをあまり吹上て云はわるい。なぜなれば、よく読むと書物にかけ云なり。そこで中庸を聞き、耳に入て書物げいてなくは有得と云ものと思べし。山崎先生の弟子では永田養庵以上はこの中へ入れてやるがよい。なれとも養庵を道統と云ことではないぞ。なぜ養庵を有得にあてると云に、朱子か恰好底の道理あり。吾愛恰好之二字とも云て、天下の道理に恰好と云ことあり、それか中庸の道理なり。なれともその恰好と云ことが道。その恰好と云ことがつまれば道統になることなり。直方先生の、太極と云ははづと云ことじゃと云。そのはづと云が恰好のことなり。そこで中庸の道理は鼻の先きにあることと思ふべし。ここは某などの中庸を知りはじめなり。朱子首章を克己復礼て説たは中庸道理は欲があっては得られぬと云ことなり。そこを山崎先生のみつけて中和集説を作たそ。さて玩索して得ぬと云ことなれば、食をくふて腹にたまらぬやふなものなり。恭節録云、竊謂、先生挙首章説蓋章句蘊意なり。使学者先つ知其要約。此先生引路之一手段なり。
【解説】
「而有得焉則終身用之、有不能盡者矣」の説明。中庸の道理を自分のものにしたのが「有得」である。恰好がよいというのが中庸である。恰好を知ると中庸をして取ることができる。恰好を知った端的が中庸を合点したのである。しかし、中庸の道理は欲があっては得られない。そこで朱子が首章を克己復礼で説いた 。
【通釈】
「有得」は一つして取ること。「善読者」とあるからと言って、余り吹き上げて言うことではない。中庸の道理を耳に聞き、自分のものにしたのがこれ。山崎先生の弟子でも永田養庵以上はこれである。ここをあまり大きく言うと中庸が人に遠いことになる。子貢の一貫もそこで、その様に恐がることはない筈。眼前に中庸の道理はこうだと合点することができれば善く読むというもの。中庸の道理は、中々我々如きを以てと言うことではない。言うに言えない丁度恰好がよいというのが中庸である。そこで朱子が、某恰好の二字を愛すと言われた。自分も人もここがという恰好ある。その高じたのが中庸。中庸と聞けば大層なと思うが、恰好と言えば取付きよい。太極を筈と言うのもそこ。欲がなくならなければ恰好になることはできない。何でも万端に恰好はある。そこが中庸。異端から俗人まで不恰好不筈だらけである。蕎麦振舞に行って腹の張るほど食って、えいやっと帰れば、道で乞食が一銭下されませ、一昨日食ったままでござると言えば、我を忘れて、はて羨ましい腹だなどと言ったそうである。これが恰好でない食い様をしたもの。恰好を知ると中庸をして取ることができる。○人間がこうしているのが、道の中に絡められているのである。そこで一寸したことでも中庸を外れると不恰好。小学で灑掃応対と聞いて、父が呼ぶ時に余り大きな声で返事をすると、はて喧しい奴だと言われる。小学は軽い書だが恰好がある。皆何にもかにも恰好がある。ここ等を知ると明るい処へ出た様な心地である。恰好を知った端的が中庸を合点したのである。しかし、道統は又そのことではない。欲があると得られない。そこで朱子が中庸の首章を説くのに克己復礼で説かれたのを山崎先生が感じて、中和集説を編集されたのはそこのこと。吾々如きは中庸を読んでも役に立たないと言うのであれば、この書は坊主の処へ櫛を遺る様なもの。無用である。直方先生が仮諸太夫で読めと言ったのはよくわかる。吾々如きもこれを読む時は、大名の格式で読むのである。尻込みをすることではない。恭節の録に云う、有得を余り吹き上げて言うのは悪い。それは何故かと言えば、善く読むとは書物に掛けて言ったこと。そこで中庸を聞き、耳に入り、書物芸でなければ有得というものだと思いなさい。山崎先生の弟子では永田養庵以上はこの中へ入れて遣るのがよい。しかしながら、養庵は道統だということではない。何故養庵を有得に当てるかと言えば、朱子の恰好底の道理がある。吾愛恰好之二字とも言って、天下の道理に恰好ということがあり、それが中庸の道理である。そしてその恰好ということが道。その恰好ということが詰まれば道統になるのである。直方先生が、太極とは筈ということだと言った。その筈というのが恰好のこと。そこで中庸の道理は鼻の先にあることと思いなさい。ここは私などの中庸の知り始めである。朱子が首章を克己復礼で説いたのは中庸の道理は欲があっては得られないということ。そこを山崎先生が見付けて中和集説を作った。さて玩索して得ないということであれば、食を食って腹に溜らない様なもの、と。恭節の録に云う、竊かに謂う、先生首章説を挙ぐるは蓋し章句の蘊意なり。学者をして先ず其の要約を知らしむ。此れ先生引路の一手段なり、と。
【語釈】
・永田養奄…永田養庵。字は在明。備後福山藩儒臣。佐藤直方は初め永田養庵に学び、彼を介して山崎闇斎の弟子となる。

中庸の心法を得れは道統の人なり。そこは今斟酌なれとも、假諸大夫でよむ意なれは俗學とは玉しい違ふぞ。先づ何ことにも恰好あると目かつくと、朝夕のこと何もかもあれもこれも恰好でないがみへるからは、不恰好な振舞はせぬはづそ。ここを学識と云。これが道統の前立なり。ここへ目がととくと道理が生てくる。利休を茶人と云も、つまり恰好を知たゆへなり。却て藝者の方へとられて、儒者の方ては作花ばかりいじりているはかなしいことなり。伊磋打千啄八十に近く迂斉へ中庸をききたいとのぞむ。これも茶の達人なるゆへなり。寒山か老夫娶少婦の詩も、ここのあんはいを知て云たもの。学者の端的、中庸を初めてよみてちと品がよくなりて、今迠せか々々したことも、のひ々々となるやふになる筈のことなり。終身用ても無尽と云。路金たっふりと用意するからは、さわぐことはないぞ。道在邇求於遠。目がつくと、いこふ手近く面白だらけなことなり。
【解説】
先ず何事にも恰好があると目が付くと、恰好でないことが見えるから、不恰好な振舞はしない筈。これを学識と言い、道統の前立ちである。ここへ目が届くと道理が生きて来る。
【通釈】
中庸の心法を得れば道統の人である。そこは今斟酌するところであるが、仮諸大夫で読む意であれば俗学とは魂が違う。先ず何事にも恰好があると目が付くと、朝夕のことや何もかも、あれもこれも恰好でないことが見えるから、不恰好な振舞はしない筈である。ここを学識と言う。これが道統の前立ちである。ここへ目が届くと道理が生きて来る。利休を茶人と言うのも、つまり恰好を知ったからである。却って芸者の方に恰好を取られて、儒者の方では作花ばかりを弄っているのは悲しいことである。伊磋打千啄は八十に近いが、迂斎に中庸を聞きたいと望む。これも茶の達人だからである。寒山の老夫娶少婦の詩も、ここの塩梅を知って言ったもの。学者の端的、中庸を初めて読んで一寸品がよくなり、今までせかせかしていたことも伸び伸びとなる筈のこと。終身用いても無尽と言う。路金をたっぷりと用意するからは、騒ぐことはない。道在邇求於遠。目が付くと、大層手近く面白だらけなこと。
【語釈】
・寒山か老夫娶少婦の詩…「老翁娶少婦、髮白婦不耐。老婆嫁少夫、面黃夫不愛。老翁娶老婆、一一無棄背。少婦嫁少夫、兩兩相憐態」。
・道在邇求於遠…孟子離婁章句上11。「孟子曰、道在爾、而求諸遠。事在易、而求諸難。人人親其親、長其長、而天下平」。