己酉一六中庸筆記五
二章より至七章  二月十六日  先生朱批  惟秀
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。


中庸章句第二章
仲尼曰、君子中庸。小人反中庸。中庸者、不偏不倚、無過不及、而平常之理。乃天命所當然、精微之極致也。惟君子爲能體之。小人反之。
【読み】
仲尼曰く、君子は中庸なり。小人は中庸に反[そむ]く。中庸は、不偏不倚、過不及無くして、平常の理なり。乃ち天命の當に然るべき所、精微の極致なり。惟君子のみ能く之を體することを爲す。小人は之に反す。

君子之中庸也、君子而時中。小人之反中庸也、小人而無忌憚也。王肅本作小人之反中庸也。程子亦以爲然。今從之。○君子之所以爲中庸者、以其有君子之德、而又能隨時以處中也。小人之所以反中庸者、以其有小人之心、而又無所忌憚也。蓋中無定體、隨時而在。是乃平常之理也。君子知其在我。故能戒謹不睹、恐懼不聞、而無時不中。小人不知有此、則肆欲妄行、而無所忌憚矣。
【読み】
君子の中庸なるは、君子にして時に中す。小人の中庸に反けるは、小人にして忌み憚ること無し。王肅本に小人之反中庸也に作る。程子も亦以て然りとす。今之に從う。○君子の中庸爲る所以の者は、其れ君子の德有りて、而して又能く時に隨いて以て中に處るを以てなり。小人の中庸に反く所以の者は、其れ小人の心有りて、而して又忌憚する所無きを以てなり。蓋し中は定體無く、時に隨いて在り。是れ乃ち平常の理なり。君子は其れ我に在るを知る。故に能く睹えざるに戒謹し、聞こえざるに恐懼して、時として中ならざること無し。小人は此に有ることを知らざれば、則ち欲を肆にし妄りに行いて、忌憚する所無し。

右第二章。此下十章、皆論中庸以釋首章之義。文雖不屬、而意實相承也。變和言庸者、游氏曰、以性情言之、則曰中和、以德行言之、則曰中庸。是也。然中庸之中、實兼中和之義。
【読み】
右第二章。此より下の十章、皆中庸を論じて以て首章の義を釋す。文屬せずと雖も、意は實に相承く。和を變じて庸と言うは、游氏曰く、性情を以て之を言えば、則ち中和と曰い、德行を以て之を言えば、則ち中庸と曰う、と。是れなり。然れども中庸の中は、實に中和の義を兼ぬ。


仲尼曰君子中庸云云。君子は学者のことをも云、盛德の名ともあるが、爰の君子は水いらずに道統を得た人と合点すること。知も行もづに中庸なり。其位付けなり。小人反中庸云云。中庸と割符の合ぬを小人と云。凡小人と云文字は本と凡夫から悪人迠くるめたこと。爰もそれなり。されども反中庸と云日には、気毒ながら釈迦達磨まてを此小人の内入れ子はならぬと迂斎云り。君子中庸と出すから、それにはつれたのはどなたでも小人ぞ。わるい人々反中庸。あじを云たれば、思はず知らず異端百家がれき々々ても、此内に入れて居る。
【解説】
「仲尼曰、君子中庸。小人反中庸」の説明。ここで君子と言うのは道統を得た人。小人は、本来は凡夫から悪人までを包めたものだが、ここでは反中庸とあるので、異端や百家の歴々も含めて小人と言う。
【通釈】
「仲尼曰、君子中庸云云」。君子は学者のことをも言い、盛徳の名ともあるが、ここの君子は水入らずに道統を得た人だと合点しなさい。知も行もすっかりと中庸である。その位付けである。「小人反中庸云云」。中庸と割符の合わないのを小人と言う。凡そ小人という文字は本来は凡夫から悪人までを包めたもの。ここもそれである。しかしながら、反中庸と言う日には、気の毒ながら釈迦や達磨までをこの小人の内に入れなければならないと迂斎が言った。君子中庸と出すからは、それに外れた者はどなたでも小人である。悪い人々が反中庸である。悪いことを言うのであれば、思わず知らず異端や百家の歴々でも、この内に入れるのである。

注。中庸は不偏不倚無過不及云云。朱子の同しことを二度出したことは、凡集註章句にない。爰は今聞ましたと云様なことを又出したわけは、孔子の語をも子思のに見せるためなり。そこて不偏云云から平常之理なりまでをのこらず出して中庸のあやをみせたもの。そこで此孔子の語が子思の意とみられるなり。直方の云ふ、門に入らは笠をぬけの処じゃ。堯舜孔子の時には中庸が道の証文になると云ことはない。子思のときは道の証文になるゆへ、中庸に不偏不倚云云と不残云子はならぬ。堯舜孔子の神霊か草葉の影から、よう気がついて、おいらもいはぬことをよう云たと悦ひ玉ふへし。孫めが出来しをった。孔子御悦なり。何を悦そと云に、堯舜孔子の本を語り出したなり。未発のことなり。足が達者でなくては道はあるかれぬもの。不偏不倚でなくては無過不及はならぬ。
【解説】
「中庸者、不偏不倚、無過不及、而平常之理」の説明。ここは、孔子の語を子思の語に見せるために同じことを二度出したのである。子思が未発のことを言った。それは堯舜や孔子の本を語ったものだから、彼等も悦んでいることだろう。
【通釈】
注。「中庸者、不偏不倚、無過不及云云」。朱子が同じことを二度出すことは、凡そ集註や章句にはない。ここで今聞きましたという様なことをまた出した訳は、孔子の語をも子思のものに見せるためである。そこで「不偏云云」から「平常之理」までを残らず出して中庸の綾を見せたのである。そこでこの孔子の語が子思の意と見られる。直方が、門に入れば笠を脱げの処だと言った。堯舜や孔子の時には中庸が道の証文になるということはない。子思の時には道の証文になるので、中庸に不偏不倚云云と、残らず言わなければならない。堯舜や孔子の神霊が草葉の陰から、よく気が付いて、俺も言わないことをよく言ったと悦びたまうことだろう。孫めが出来しおったと、孔子がお悦びである。何を悦ぶかといえば、堯舜や孔子の本を語り出したこと。未発のことである。足が達者でなくては道を歩くことはできない。不偏不倚でなくては無過不及はならない。

天命所當然。本からきかせること。不偏不倚云云が此天命から出た。是がよい思付と云ことでない。天の字なり。垩人には仕出はない。天の字なり。虚無は老子の思い付。寂滅は仏の思いつき。思い付きなれば天命所當然てないぞ。精微之極致。羽二重ごしにしたこと。道理のぎり々々につめる。此段になっては伯夷も柳下惠もしんしゃくなり。孟子の垩人なりとほめたれとも、吟味の時には隘し不恭、君子不由なり。屈原沈汨羅たも、忠臣とは云はるれとも精微でない。あれが極致なれば、文王も羑里で首でもくくる筈なれとも、免さるる迠てたまって飯を食ておられた。あれが極致そうな。埀加の、大和小学に楠を知仁勇とは中庸を知らさるにやと云れた。それからみると、四十六士を復讐ぢゃなとと云は中庸は読ぬものの云分んなり。能體之。君子は中庸を丸て身に持に、小人は気質人欲にさえられて身にもたぬ。小人も狼や蝮てもないが、このさはり故ぞ。反之。ちっとのようじゃか、大のちがいなり。飯のすえたやうなもの。何豚汁もあたるなり。
【解説】
「乃天命所當然、精微之極致也。惟君子爲能體之。小人反之」の説明。聖人は天の通りであり、自ら作り出すことはない。仏老は思い付きで作り出す。孟子は伯夷を聖人だと褒めたが、精微の極致では、「隘與不恭、君子不由」である。楠木正成を知仁勇とするのも、四十六士を復讐のためだと言うのも、中庸を知らない人の言い分である。
【通釈】
「天命所當然」。本から聞かせること。「不偏不倚云云」がこの天命から出た。これはよい思い付きということでない。天の字の通りのこと。聖人に作り出すことはない。天の字の通りである。虚無は老子の思い付き。寂滅は仏の思い付き。思い付きであれば天命所當然ではない。「精微之極致」。羽二重漉しにしたこと。道理のぎりぎりに詰める。この段になっては伯夷も柳下恵も遠慮してもらう。孟子が「聖人也」と褒められたとしても、吟味の時には「隘與不恭、君子不由」である。屈原が汨羅に沈んだのも、忠臣とは言えるが精微でない。あれが極致であれば、文王も羑里で首でも括る筈だが、免されるまで黙って飯を食っておられた。あれが極致だろう。垂加が、大和小学に楠木正成を知仁勇とするのは中庸を知らないのではないかと言われた。それから見ると、四十六士を復讐だなどと言うのは中庸は読まない者の言い分である。「能體之」。君子は中庸を丸々身に持っているが、小人は気質人欲に障えられて身に持たない。小人も狼や蝮でもないが、この障りのために「反之」。少しの様だが、大きな違いである。それは飯の饐えた様なもの。河豚汁も中るもの。
【語釈】
・孟子の垩人なりとほめた…孟子公孫丑章句上2。「不同道。非其君不事、非其民不使、治則進、亂則退、伯夷也。何事非君、何使非民、治亦進、亂亦進、伊尹也。可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也。皆古聖人也。吾未能有行焉。乃所願則學孔子也」。
・隘し不恭、君子不由…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷隘。柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也」。

君子之中庸也。孔子上の段で重て説たこと。君子はたたい吾身に中庸と云か子をもって居て、其上に何事にもか子をはづさぬやうにつつしむ。無忌憚。此が小人の御定りの心いき。なんとも顔で道理ををしのけ、己が見を立て、をれも人間じゃものと云ふてをしとをる。爰が垩益垩、愚は益愚の処。君子上達す、小人下逹じゃ。君子よい上をつつしむからなをよい。鬼に鉄棒なり。小人わるい上につつしまぬ。此も又鬼に鉄棒なり。身上のよいものは儉約、わるいものは遣いすぎる。よいとわるいのいわれが是なり。それで是が直に心法を示した語とみるがよい。つつしむ上がつまれば天位万育になる。つつしまぬがこうじて禽獣の域に落る。
【解説】
「君子之中庸也、君子而時中。小人之反中庸也、小人而無忌憚也」の説明。君子は身に中庸という規矩を持っていて、その上で敬む。小人は道理を押し退け、自分の見を立てて押し通る。敬む至極は「天地位焉萬物育焉」になる。逆に敬まないのが高じて禽獣の域に落ちる。
【通釈】
「君子之中庸也」。孔子が上の段で重ねて説いたこと。君子はそもそも我が身に中庸という規矩を持っていて、その上に何事にも規矩から外れない様に敬む。「無忌憚」。これが小人のお定まりの心意気。何ともない顔で道理を押し退け、自分の見を立てて、俺も人間だものと言って押し通る。ここが「聖益聖、愚益愚」の処。「君子上達、小人下逹」である。君子はよい上を敬むから尚よい。鬼に金棒である。小人は悪い上に敬まない。これもまた鬼に金棒である。身上のよい者は倹約し、悪い者は遣い過ぎる。よいと悪いの謂れがこれである。それでここは直に心法を示した語と見なさい。敬む上が詰まれば「天位万育」になる。敬まないのが高じて禽獣の域に落ちる。
【語釈】
・垩益垩、愚は益愚…韓愈。師説。「嗟乎師道之不傳也久矣。欲人之無惑也難矣。古之聖人、其出人也遠矣。猶且從師而問焉。今之衆人、其下聖人也亦遠矣。而恥學於師。是故聖益聖、愚益愚。聖人之所以爲聖、愚人之所以爲愚、其皆出於此乎」。
・君子上達す、小人下逹…論語憲問24。「子曰、君子上達。小人下達」。

王肅本作云云。反の字を道春點にいれてあるは了簡違い。それならは此注もいらぬ。今從之。朱子もとくと考て王肅本に定られた。○反字なくても小人の中庸と云こともある。これ一つ意味あり。小人が手細工に中庸を拵たものなり。そうへん屈では今の世は渡れぬと云て人に合せる。其れを中庸と覚ておる。漢の時にも胡廣か中庸と云て名が髙い。いろ々々とやわらをして世を渡りた。大傳のれき々々になりた人なり。今人が何ことも中庸がよいと云が、どう中庸がなめられるものぞ。此は胡廣から云ならわしの中庸じゃ。此も面白い文義なれとも、反の字あるが平なり。そこて今從之なれば、朱子の定本も本文迠は直さず。
【解説】
「王肅本作小人之反中庸也。程子亦以爲然。今從之」の説明。元々は「小人之中庸也」なのだが、王肅本に従って「小人之反中庸也」とした。反の字がなくても別の解釈ができるが、ここは反の字のあるのが妥当である。
【通釈】
「王肅本作云云」。反の字を道春点に入れてあるのは了簡違い。それならこの注も要らない。「今從之」。朱子もじっくりと考えて王肅本を採用した。○反の字がなくても小人の中庸ということもある。これには一つ意味がある。小人が手細工に中庸を拵えたというもの。その様に偏屈では今の世は渡れないと言って人に合わせる。それを中庸と覚えている。漢の時にも胡広は中庸と言われて名が高い。色々と柔らかなことをして世を渡った。大伝の歴々になった人である。今人が何事も中庸がよいと言うが、どうして中庸が嘗められるものか。それは胡広からの言い習わしの中庸である。これも面白い文義だが、反の字のあるのが平なこと。そこで「今從之」であれば、朱子の定本も本文までは直さないのである。

注。君子云云以處中也。而の字又の字、高い処に火の見を立た様なもの。其上に又なり。小人之所以反云云。何事もないときがはやわる心なり。それて事にかかるゆへ、此鼻がするはと云てわるさをする。論語に居之不疑とあり、吾を十分よいとはり出す。蓋中無定体。これは時に中するの注なり。中が定紋のやうに丸よふか桔梗かと定ったやふにさばけたがよいが、堅いがよいとか定れば何のことないが、さうはいかぬ。隨時而在。天気次第て衣る衣類も変る。今朝綿入ても、夕方南風になるとぬく。医者も補藥を用ひたり、瀉藥を用いたりする処あり。いつも必此丸藥と云ふことはない。平常之理。時々によくする理がすぐに平常之理なり。雨が降る、傘。日が照る、日笠。いつもそうなり。そこか平常なり。直方先生曰、易のかわるに中庸のかわらぬが公事になったこともない、と。丁どこのやふなり。定体なけれは色々と定らず。其定らぬがいつもそうじゃから、平常なり。定らぬ処がすぐに常なり。君子知其在我。身上のよいものも今日は砂糖がないの乾物がないのと云こともあれとも、それは外物ゆへなり。中庸は我身に存しておるゆへ、隣の方を除くことはない。いつもこっちにあるもの。
【解説】
「○君子之所以爲中庸者、以其有君子之德、而又能隨時以處中也。小人之所以反中庸者、以其有小人之心、而又無所忌憚也。蓋中無定體、隨時而在。是乃平常之理也。君子知其在我」の説明。小人は何事もない時から早くも悪心であり、それで事に掛かり、自分をよいとして張り出す。中に定まった体はないが、定体がいつもないから、それが平常である。そこで、時々に応じてよくするのである。
【通釈】
注。「君子云云以處中也」。而の字と又の字は、高い処に火の見を立てた様なもの。その上に又と言う。「小人之所以反云云」。何事もない時が早くも悪心である。それで事に掛かるので、この鼻がするのだと言って悪さをする。論語に「居之不疑」とあり、自分を十分によいと張り出す。「蓋中無定體」。これは時に中するの注である。中が定紋の様に丸様か桔梗かと定まった様に捌けていればよいが、また、堅いのがよいとかと定まれば何事もないが、そうは行かない。「隨時而在」。天気次第で衣る衣類も変わる。今朝は綿入でも、夕方に南風になれば脱ぐ。医者も補薬を用いたり、瀉薬を用いたりする処がある。いつも必ずこの丸薬ということはない。「平常之理」。時々によくする理が直ぐに平常之理である。雨が降れば傘。日が照れば日笠。いつもそうである。そこが平常である。直方先生曰く、易は変わるのに中庸は変わらないのが公事になったこともない、と。丁度この様なこと。定体がなければ色々と定まらない。その定まらないのがいつもそうだから、平常である。定まらない処が直ぐに常である。「君子知其在我」。身上のよい者でも、今日は砂糖がないとか乾物がないということもあるが、それは外物だからである。中庸は自分の身に存しているので、隣の方を覗くことはない。いつもこちらにあるもの。
【語釈】
・居之不疑…論語顏淵20。「夫聞也者、色取仁而行違、居之不疑。在邦必聞、在家必聞」。

そこでふだんたへず只戒愼恐懼と云番さへあればよい。○前の一節に不偏云云と云注を出して爰て不睹に戒謹を云たは、前の処へ爰からゆくとみせたもの。小人不知有此。小人は根から中庸のあることは知らぬ。君子は藏にものある故、錠をおろす。ないものは錠もいらぬ。肆欲妄行。人間わすか五十年と云てすき次第をする。此をさきの処え反してみるに、異端百家は金銀がほしいなどと云欲はないが、つまり天地をもおそれぬものになる。云たい侭したい侭で忌憚らず。荘子や禅録にてもしるることなり。
【解説】
「故能戒謹不睹、恐懼不聞、而無時不中。小人不知有此、則肆欲妄行、而無所忌憚矣」の説明。戒謹恐懼から始める。異端百家は言いたい儘したい儘で忌み憚らない。
【通釈】
そこで普段絶えずただ戒愼恐懼という番さえあればよい。○前の一節に不偏云云という注を出して、ここで不睹に戒謹を言ったのは、前の処へここから行くことを見せたもの。「小人不知有此」。小人は根から中庸のあることを知らない。君子は蔵に物があるので、錠をおろす。ないものは錠も要らない。「肆欲妄行」。人間僅か五十年と言って好き次第をする。ここを先ほどの処へ反してみると、異端百家は金銀が欲しいなどという欲はないが、つまり天地をも恐れない者になる。言いたい儘したい儘で忌み憚らない。それは荘子や禅録でもわかること。

右第二章。釋首章之義。天命の性の文義をといたと云ことてはない。章句よくみよ。不睹不聞のことがといてあるぞ。つまり首章之ことに落てゆく。雖文不屬意實相承。爰が序にある脉畧貫通て、よう根がつらぬいておる。游氏曰云云。中和と云い中庸と云のさばきが定夫ですむ。心のなりを云へば、性のあらはぬときを中、あらわれたを和と云。あの德て云ふときには中庸と云。性情は、たとへは酒は温めいらすと云様なもの。又酒は老人を羪ふによいと云ときには德行になる。こうわけてはやよいなれとも、また其計てない。中庸の中の字の兼中和なり。庸の字は一つもうかった様なもの。中と一口に云て、和は中の字の内にこもっている。孔子仁與義と云ときもあり、仁と計り云て義のこもるときもある。中和と云ぬはづ。中庸と云筈。
【解説】
「右第二章。此下十章、皆論中庸以釋首章之義。文雖不屬、而意實相承也。變和言庸者、游氏曰、以性情言之、則曰中和、以德行言之、則曰中庸。是也。然中庸之中、實兼中和之義」の説明。第二章は「不睹不聞」のことを釈いたもの。中庸の中の字は中和を兼ねる。
【通釈】
「右第二章」。「釋首章之義」。天命の性の文義を釈いたということではない。章句をよく見なさい。「不睹不聞」のことが釈いてあるのである。つまり、これで首章のことに落ちて行く。「文雖不屬、意實相承」。ここが序にある「脈絡貫通」で、よく根が貫いている。「游氏曰云云」。中和と言い中庸と言うことの捌きが定夫で済む。心の姿を言えば、性の顕れない時を中、顕れた時を和と言う。あの徳で言う時には中庸と言う。性情は、たとえば酒は温めいらずという様なもの。また、酒は老人を養うのによいと言う時には德行になる。こう分ければもうよいのだが、まだそればかりでもない。中庸の中の字は中和を兼ねるのである。庸の字は一つ儲かった様なもの。中と一口に言って、和は中の字の内に籠っている。孔子は仁與義と言う時もあり、仁とだけ言って義の籠る時もある。中和とは言わない筈。中庸と言う筈である。


中庸章句第三章
子曰、中庸其至矣乎。民鮮能久矣。鮮、上聲。下同。○過則失中、不及則未至。故惟中庸之德爲至。然亦人所同得、初無難事。但世敎衰、民不興行。故鮮能之、今已久矣。論語無能字。
【読み】
子曰く、中庸は其れ至れるかな。民能くすること鮮きこと久し。鮮は上聲。下も同じ。○過ぎれば則ち中を失い、及ばざれば則ち未だ至らず。故に惟中庸の德を至れりとす。然れども亦人の同じく得る所にして、初めより難き事無し。但世敎衰え、民行を興さず。故に之を能くすることの鮮きこと、今已に久し。論語に能の字無し。


○中庸其至矣乎云云。いやはやこれはどふも云に云えぬと云てほめるには、至れる哉と云より外はない。是は々々と吉野山なり。つよいにはつよいと云害、弱いには弱いと云害がある。それにつよからぬよはからぬ。飯でもそふじゃ。こわからぬやわらかならず。大名の飯なり。いつてもあたりはづれはない。云に云へぬよいあんばい。能する。みこと我身に中庸の德もったと云ものはない。其れも昨日今日のことてない。久し矣は、歎の詞。能する君子体之と上の条の注にあり、それかならぬと云は人の方にあること。迂斎の、飯がけっこふでもたか子はくわれぬと云た。
【解説】
「子曰、中庸其至矣乎。民鮮能久矣」の説明。中庸はいつも当たり外れがなく、言うに言えないよい按排である。中庸の徳を持った人は長いこと出ていない。それは人の方に問題があるのである。
【通釈】
○「中庸其至矣乎云云」。いやはやこれはどうも言うに言えないことだと言って褒めるには、至れる哉と言うより外はない。これはこれはと吉野山である。強いには強いという害、弱いには弱いという害がある。そこで、強からぬ弱からぬがよい。飯もそうで、堅からず柔らかならず。それが大名の飯である。いつでも当たり外れはない。言うに言えないよい按排である。「能」。見事自分の身に中庸の徳を持ったと言う者はいない。それも昨日今日のことではない。「久矣」は、歎きの詞。「君子爲能體之」と上の条の注にあり、それができないというのは人の方に問題がある。迂斎が、飯が結構でも、炊かなければ食えないと言った。

注。過則失中不及則未至。一方へ無気になってゆくはすきる。そうないはととかぬ。兎角丁度の處がないもの。弓を射るにをはつれて隣屋鋪へゆきたは過。二三間先で矢の落ちたは不及なり。中は丁どの恰好。直方の、鼻はなかったの処。好色の大名が妾をかかえるに京へ人をのぼせて、一々目や鼻の様子をとふた。仕舞に鼻はどふじゃと云たれば、見て來た人が鼻はなかったと云た。それを脇で聞上手が聞て、鼻は面の眞中にあるもの。それが目に立ぬは美人じゃとの咄ぞ。惣体恰好のよいは目に立ぬもの。目に立つものは恰好でない。老荘異端は一旦はぎろ々々と目に立つもの。中庸は恰好ゆへ目に立ぬ。女の色の白は七難隠すと云ても、あまり白すきると幽灵の様じゃ人か云ふ。兎角恰好と云がないもの。然亦。迂斉云、これ々々と呼返したきついきれもののと云て、空へ飛ふのと云やふなことてはない。人の身にあるもの。そなたにあるぞと云こと。
【解説】
「鮮、上聲。下同。○過則失中、不及則未至。故惟中庸之德爲至。然亦人所同得」の説明。中は丁度の恰好。惣体恰好のよいことは目立たないもの。目立つものは恰好ではない。中庸は恰好なので目立たない。とかく恰好ということがないもの。
【通釈】
注。「過則失中、不及則未至」。一方へ向きになって行くと過ぎる。そうでないのは届かない。とかく丁度の處がないもの。弓を射るのに、を外れて隣屋敷へ行ったのは過。二三間先で矢が落ちたのは不及である。中は丁度の恰好。直方の、鼻はなかったの処である。好色な大名が妾を抱えるために京へ人を上らせて、一々目や鼻の様子を問うた。最後に鼻はどうだと尋ねると、見て来た人が鼻はなかったと言った。それを脇にいた聞き上手が聞いて、鼻は面の真ん中にあるもの。それが目立たないのは美人だと言った咄である。惣体恰好のよいことは目立たないもの。目立つものは恰好ではない。老荘異端は一旦はぎろぎろと目立つもの。中庸は恰好なので目立たない。女の色の白いは七難隠すと言っても、あまり白過ぎると幽霊の様だと人が言う。とかく恰好ということがないもの。「然亦」。迂斎が、これこれと呼び返したき切れもののと言っても、空へ飛ぶという様なことではない。人の身にあるものだと言った。お前にあるぞということ。

初無難事。断食するの、滝にうたれるの、頭番をたくの、ひょうたんから駒が出るの、此藥を呑と鯉にのって天上するのと云様な、にはけしいことてない。孔子も妻子持て飯を三度くいた。平日君に忠、親に孝、すら々々ゆくことじゃ。世敎衰民不興行。孔子も泣の涙で云た。是が敎のないにをちること。世敎は法度書の様なもの。南郭か、業平もあのやふな馬鹿てもあるまいが、法度敎のないゆへぞ。女をうぶうって迯たり、あのやふな哥を讀たりした。法度のなさによいと思ふてしたと云た。三代の時は執中が本で学問するゆへよかった。人はいざない次第なり。さて世敎衰子ば中庸がなるかと云に、めったにかぐこともなりそもないやふじゃ。迂斎が、本因坊が嶋へゆくと棋がひろまる。観世かゆけは謡を覚へると云たぞ。然教次第ぞ。此屋可封も中庸の德ゆへぞ。そうなうて大名にさりょうか。無能字。是が異同をつけた注でない。程門が中庸を久しく能するものかならぬものと、期日不能守の筋にした。それゆへの注なり。論語には能の字はないからは、さうした文義ではないとみせたもの。
【解説】
「初無難事。但世敎衰、民不興行。故鮮能之、今已久矣。論語無能字」の説明。三代の時は執中が本で学問をするのでよかった。人は誘い次第である。また、教次第である。
【通釈】
「初無難事」。断食するとか、滝に打たれるとか、頭番を焚くとか、瓢箪から駒が出るとか、この薬を呑むと鯉に乗って天上するとかという様な、俄しいことでない。孔子も妻子を持って飯を三度食った。平日君に忠、親に孝、すらすらと行くこと。「世敎衰、民不興行」。孔子も泣きの涙で言った。これが教のないことに落ちること。世教は法度書の様なもの。南郭が、業平もあの様な馬鹿でもあるまいが、法度教がないからである。女を負ぶって逃げたり、あの様な歌を詠んだりした。法度がないからよいと思ってしたと言った。三代の時は執中が本で学問をするのでよかった。人は誘い次第である。さて世教が衰えなければ中庸が成るかと言えば、滅多に嗅ぐことも出来そうもない様である。迂斎が、本因坊が嶋へ行くと碁が広まる。観世が行けば謡を覚えると言った。それなら教次第である。「此屋可封」も中庸の徳があるからである。そうでなくて大名にさせようか。「無能字」。これは異同を付けた注ではない。程門が中庸を久しく能くする者がいないと、「期月不能守」の筋にした。それ故の注である。論語には能の字がないからは、そうした文義ではないと見せたもの。
【語釈】
・南郭…服部南郭。
・業平…在原業平。平安初期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一。阿保親王の第五子。世に在五中将・在中将という。「伊勢物語」の主人公と混同され、伝説化して、容姿端麗、放縦不羈、情熱的な和歌の名手、色好みの典型的美男とされ、能楽や歌舞伎・浄瑠璃にも取材された。825~880。
・此屋可封…文選。「尚書大傳曰、周民可比屋而封」。
・期日不能守…「期月不能守」。中庸章句7の語。

右第三章。


中庸章句第四章
子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也。知者之知、去聲。○道者、天理之當然、中而已矣。知・愚・賢・不肖之過不及、則生稟之異、而失其中也。知者知之過、旣以道爲不足行。愚者不及知、又不知所以行。此道之所以常不行也。賢者行之過、旣以道爲不足知。不肖者不及行、又不求所以知。此道之所以常不明也。
【読み】
子曰く、道の行われざること、我之を知れり。知者は之に過ぎ、愚者は及ばず。道の明らかならざること、我之を知れり。賢者は之に過ぎ、不肖者は及ばず。知者の知は去聲。○道は、天理の當然、中なるのみ。知・愚・賢・不肖の過不及は、則ち生稟の異にして、其の中を失えばなり。知者は之を知ること過ぎ、旣に以て道を行うに足らずと爲す。愚者は知に及ばず、又行う所以を知らず。此れ道の常に行われざる所以なり。賢者は之を行うこと過ぎ、旣に以て道を知るに足らずと爲す。不肖者は行うに及ばず、又知る所以を求めず。此れ道の常に明らかならざる所以なり。

人莫不飮食也。鮮能知味也。道不可離。人自不察。是以有過不及之弊。
【読み】
人飮食せずということ莫し。能く味[あじわい]を知ること鮮し。道離る可からず。人自ら察せず。是を以て過不及の弊有り。


子曰道之不行。上の章は敎てのないを云、爰ては行れずのわけを云た。我知之。迂斎云、医者の病因を知たと云やふなもの。此脉ては御食がなりますまいがな。いや其筈と云は根を知た云分なり。白人はなぜか々々々と云。知者過之。知が一偏に高い故、行には構はぬ。世の中を目八分に見ておるなり。人が親の三年の喪を行ふと云へば、それを行へば死た親がどうなるぞと云。祭に膳を備へると、生た時より死たれば、大分んちそうがよいなどと云。そこて世の中知者にけまわさるる。愚者不及。あつい寒いを知ったぎり。只むぐ々々と生てをる。一番利口を云た分が多分には洩れますまいと云。それでとふ道行るるすべがあろう。賢者は人からのよい方へぬけて知がない。学文と云はよいかわるいかおらなどは知らぬがよいものかななぞと行味噌て人をさとす。迂斎云ふ、賢者が笑いながら、人は朝寐をするにおらは早く起る。人は金錢をほしがるか、をらなどはむさほらぬ。学問せいてもさして不自由にもないに、論語よみの論語知すとも見て、身持さへよければ誰でも指てもつけることはならぬと心得てをちついておる。不肖者。道理に似たこと欲、わかほんのうむさほりかち、ころんても砂をつかんてをきる。
【解説】
「子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也」説明。知者は知が一偏に高いので、行には構わない。愚者は暑い寒いを知っているだけで、ただむくむくと生きている。賢者は人柄のよい方へ抜けて知がない。不肖者は道理に似たこと欲し、己の本能を貪って、転んでも砂を掴んで起きる。
【通釈】
「子曰、道之不行」。上の章は教え手のいないことを言い、ここでは道が行われない訳を言う。「我知之」。迂斎が、医者が病因を知ったという様なものだと言った。この脈では御食ができないでしょう。いやその筈だと言うのは根を知った言い分である。白人は何故か何故かと尋ねる。「知者過之」。知が一偏に高いので、行には構わない。世の中を目八分に見ている。人が親の三年の喪を行うといえば、それを行えば死んだ親がどうなるのかと言う。祭に膳を備えると、生きていた時よりも死んだ時の方が、大分馳走がよいなどと言う。そこで世の中が知者に蹴廻される。「愚者不及」。暑い寒いを知っているだけ。ただむくむくと生きている。一番利口を言う者でも、多分には洩れますまいと言う。それでどうして道の行われる術があるだろう。賢者は人柄のよい方へ抜けて知がない。学問というのはよいのか悪いのか俺などは知らないが、よいものかななどと行味噌で人を諭す。迂斎が、賢者が笑いながら、人は朝寝をするのに俺は早く起きる。人は金錢を欲しがるが、俺などは貪らない。学問をしなくてもさほど不自由でもない。また、論語読みの論語知らずとも見て、身持ちさえよければ誰でも指も付けることはできないと心得て落ち着いていると言った。「不肖者」。道理に似たこと欲し、己の本能を貪りがって、転んでも砂を掴んで起きる。
【語釈】
・白人…素人。

知者賢者元一本つかいになる人なれとも、知に一偏なり。それがはやいこう道の邪魔になること。孔子之吾知之云云と云たは、どのやふな悪る者が邪魔をすると云ふに、世に沢山ない。賢者知者なり。知者は釈迦達磨一休がるい。学者でいへは邵康節。賢者律僧の五百戒から学者で温公康節や温公を申も中庸の吟味なれは推参なから申すことなり。賢知者は行つり知つり故、中庸へ出すと道の邪魔になる。そこて直方の、中庸をは假り諸太夫てよめと云れた。ここのことなり。堯夫温公あれほと大德ても、近思へのせぬは爰のことなり。朱子六先生の讃には同格にし、近思に入れす、言行録に堯夫君実をのせた。今の渕源録に邵子あるは言行録のを書物屋が渕源録へ入れかへた。朱子の、をれはしらぬこととなり。唐の書物屋は須原屋でさへ不届をするぞ。
【解説】
知者は釈迦や達磨、一休の類。学者で言えば邵康節。賢者は律僧の五百戒から学者では温公である。賢知者は行吊りと知吊りなので、中庸へ出すと道の邪魔になる。
【通釈】
知者と賢者は本来一本使いになる人なのだが、知者は知に一偏である。それが早くも大層道の邪魔になる。孔子が「我知之云云」と言ったのは、どの様な悪者が邪魔をするかというと、それは世に沢山はいない。賢者と知者だということ。知者は釈迦や達磨、一休の類。学者で言えば邵康節。賢者は律僧の五百戒から学者では温公。康節や温公のことを出すのも中庸の吟味であるから、推参ながら申すこと。賢知者は行吊りと知吊りなので、中庸へ出すと道の邪魔になる。そこで直方が、中庸を借りて諸太夫で読めと言われたのはここのこと。堯夫と温公があれほど大徳でも、近思へ載せないのはこのためである。朱子の六先生の讃では同格にして、近思には入れず、言行録に堯夫と君実を載せた。今の渕源録に邵子があるのは言行録のものを書物屋が渕源録へ入れ替えたためである。朱子が、俺は知らないことだと言った。唐の書物屋は須原屋でさえ不届きをする。
【語釈】
・邵康節…北宋の学者。宋学の提唱者。名は雍、字は尭夫。康節は諡。1011~1077。
・温公…司馬光。北宋の政治家・学者。字は君実。太師温国公を賜り司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086。
・推参…さしでがましいこと。無礼なふるまい。

注に道者天理之當然。いつてもはつれぬ字なり。中而已矣と云ふ謂取りが面白い。本来は前て不偏不倚と云た注をうけたもの。道は丁どの処と云こと。そこで知愚賢不肖。せいの高いも卑いも色の白いも黑もあるやふに、人に皆生稟之異而失其中也。○賢知は立羽なもの。愚不肖は御座へ出されぬもの。されとも失中。不肖には一つ処に入れられぬ。いきすきて高も人欲にかまけたも同罪なり。ここが中庸の吟味なり。そこで前二章にも立羽なものまで入れて小人をといたぞ。知之過。釈迦なぞと云ほとになっては藥なぞは呑まいと思ふことぞ。どふで死たと合点したゆへ、それをのめとはどふじゃと云人からなり。愚者は節分に年の数ほと豆をくう。六十粒のものは大義なと云て、ちと手前もをかしいとは思へとも、さうせ子ばどふやら福ても來まいかと思ふて心もちがわるいそうな。皆鰯の頭や柊で親が来ぬと覚ておる。不及の字はよくあたりた。とかく足らぬなり。不知所以行。爰が本文の道不行からきたもの。駒のききを知いては将棊はさされぬはつ。賢者行之過。行ゆへ、腰をかけて論語をよんだ人の身持や家内の納めやふを、ちとをらがとくらへてみたいものと、兎角読まぬを自慢にする。○此章、知愚賢不肖のいきすぎてたがいちがいに道のくらむを云た語ぞ。語類交互の説とあり。
【解説】
「知者之知、去聲。○道者、天理之當然、中而已矣。知・愚・賢・不肖之過不及、則生稟之異、而失其中也。知者知之過、旣以道爲不足行。愚者不及知、又不知所以行。此道之所以常不行也。賢者行之過、旣以道爲不足知。不肖者不及行、又不求所以知。此道之所以常不明也」の説明。人は皆、生稟が異なるので中を失する。賢知は立派な者で、愚不肖は御座へ出せない者。不肖は一つ処に入れられないが、行き過ぎて高いのも人欲にかまけたのも同罪である。
【通釈】
注。「道者、天理之當然」。いつでも外れない字である。「中而已矣」という謂い取りが面白い。本来は前に「不偏不倚」と言った注を受けたもの。道は丁度の処ということ。そこで「知愚賢不肖」。背の高いのも低いのも色の白いのも黒いのもある様に、人は皆、「生稟之異而失其中也」である。○賢知は立派な者。愚不肖は御座へ出せない者。しかしながら、「失其中」である。不肖は一つ処に入れられないが、行き過ぎて高いのも人欲にかまけたのも同罪である。ここが中庸の吟味である。そこで前二章にも立派な者までを入れて小人を釈いた。「知之過」。釈迦などというほどになっては薬などは呑むまいと思うこと。どうしても死ぬと合点したので、それを呑んでもどうにもならないと言う人柄である。愚者は節分に年の数ほど豆を食う。六十粒の者は大義だと言い、一寸自分でも可笑しいとは思うのだが、その様にしなければどうやら福も来なくなるかと思って、心持が悪い様である。皆鰯の頭や柊があれば鬼が来ないと思っている。不及の字はよく当たっている。とかく足りないのである。「不知所以行」。ここが本文の道不行から来たもの。駒の利きを知らなくては将棋は指せない筈。「賢者行之過」。行なので、腰を掛けて論語を読んだ人の身持ちや家内の納め様を、一寸俺のと比べてみたいものだと、とかく読まないことを自慢にする。○この章は、知愚賢不肖の行き過ぎて互い違いに道の暗むことを言ったものである。語類に交互の説とある。
【語釈】
・語類交互の説とあり…朱子語類63。「問、道之不明、不行。曰、今人都說得差了。此正分明交互說」。

人莫飲食。莫の字、よりきつく云字なり。とんとない請につこう。莫大焉よりの類也。偖て爰は道のちかいことを云。此謂が面白いぞ。賢者知者が中々愚不肖と同坐なものてはないが、とふして中庸にはつるると一つ間かけてをいて、たたいあれがそうなるはつ。あれに似たことがある。飯を年中日に三度うくなれども、能く味を知るものない。道と云も日々のことて、君臣父子の間に賢知者も接りてをるか、なぜそれを知らぬ。迂斎の弁に、平生酒呑むものかきき酒と云。それは御免と云。不断呑でも酒の味に名をつけることはならぬ。あれらもそれと同し。
【解説】
「人莫不飮食也。鮮能知味也」の説明。ここは道が近いところにあることを言う。飯を年中日に三度食うが、能く味を知る者がいない。同様に、君臣父子の間に賢知者も接わっているのだが、それを知らない。
【通釈】
「人莫不飮食」。莫の字はよりきつく言う字である。全くない請けに使う。莫大焉よりの類である。さてここは道が近いところにあることを言う。この謂いが面白い。賢者知者は中々愚不肖と同坐する者ではないが、どうして中庸に外れるのかと一つ間を掛けて置いて、そもそもあれはそうなる筈だ。あれに似たことがある。飯を年中日に三度食うが、能く味を知る者がいない。道というのも日々のことで、君臣父子の間に賢知者も接わっているのだが、何故それを知らないのか、と。迂斎の弁に、平生酒を呑む者が利酒をと言われると、それは御免と言う。普段から呑んでいても酒の味に名を付けることができない。あれらもそれと同じ。

注。道不可離。朱子の此注をみよ。知りぬか子はならぬ注なり。人の道にはまっておるは魚の水中にある如し。其道は心に備っておる。人に心のないときはない。はなれる筈はないに、賢知者の道にはつれるは、爰か人の方の不調法。自不察せぬと云こと。是が頭の置頭巾を忘れて人に尋させて、はてこびた処にあると云たと同。迂斉のはなしなり。直方の咄に、京の町人婆々が尼に成て妙閑と名をつけた。次の日路て合ふて妙閑どの々々々々とよびかけたれば、さきへ通る坊主のことと心へて、若妙閑どのよびますとよひついた。いやそなたのことじゃ。ほんにをれが妙閑じゃと云た、と。自不察なり。道はなれぬものなれと、この方でとめぬゆへ過不及のついへになる。
【解説】
「道不可離。人自不察。是以有過不及之弊」の説明。道は心に備わっており、人に心のない時はない。離れる筈はないのに道に外れるのは、人の方の不調法からである。
【通釈】
注。「道不可離」。朱子のこの注を見なさい。知り抜かなければならない注である。人の道に嵌っているのは魚の水中にあるが如し。その道は心に備わっている。人に心のない時はない。離れる筈はないのに、賢知者が道に外れるのは、ここが人の方の不調法なのである。「自不察」ということ。ここが頭の置頭巾を忘れて人に尋ねさせて、はて頭にあると言われるのと同じ。迂斎の話である。直方の咄に、京の町人の婆々が尼になって妙閑と名を付けた。次の日路で合って妙閑殿と呼び掛けると、先へ通る坊主のことと心得て、もし妙閑殿、呼んでますよと呼び継いだ。いや貴方のことだと言われて、全く私が妙閑だったと言った、と。自不察である。道は離れないものだが、こちらで留めないので過不及の費えになる。

右第四章。


中庸章句第五章
子曰、道其不行矣夫。夫、音扶。○由不明、故不行。
【読み】
子曰く、道は其れ行われざらんか。夫は音扶。○明らかならざるに由る、故に行われず。

右第五章。此章承上章、而舉其不行之端、以起下章之意。
【読み】
右第五章。此の章上章を承けて、其の行われざるの端を舉げて、以て下章の意を起こす。


子曰道其不行矣夫。此章、上条に似たやふてとんと別なり。上に不行とありても重言てはない。此章一本立ちにしること。むつかしい処には人々気をとめるか、こんな処に却てをもしろいわけのあることぞ。矣夫と云ふ中に意をこめて云たこと。注。由不明。行れさるの本を云たこと。それは不明よりおこると孔子の云たことを子思の引れたあやを朱子の云れたもの。註と云ものは本文を取成す。君と用人の様なもの。出入の者の来たとき、殿がようきてと云と、用人が旦那もけさから御持申たと取成云を云。それは旦那の意をよう知たより云。故不行。病根に行れぬ筈があるぞ。某が碁盤に向ては知らぬゆへ、一手も出ぬ。只石の黒白の見える計り。舞を知らぬ者が檜の木舞臺へ出ては扇もひらかれぬ。不行とて、両手をひろけてすることではない。前に知と云ものなくてはならぬ。浅見先生が、行は知の先へ一寸も出ることはならぬと云れた。爰を迂斎が、頭坐は足が達者ても火事みまいにはやられぬと云へり。行と云ものは知かなくてはならぬこと。そこを、王陽明や仁斎か様な行ばかりを主張するものを、そっくと團の上へはいてとる処。○中庸の注を章句と云もここらなり。此の小柄なとな処を一章とした朱子の眼が恐しい。はたひろほとな注をしても手がらにならぬ。爰は只六字なり。
【解説】
「子曰、道其不行矣夫。夫、音扶。○由不明、故不行」の説明。前の四章に「道之不行」とあるが、この章は四章とは全く別なものである。道が行われないのは不明より起こる。「不行」と言っても、両手を広げてすることではない。行う前に必ず知がなければならないのである。
【通釈】
「子曰、道其不行矣夫」。この章は上の条に似ている様だが、全く別なものである。上に「不行」とあっても重言ではない。この章は一本立ちであると理解しなさい。人は難しい処には気を止めるが、こんな処に却って面白い訳がある。「矣夫」という中に意を込めて言ったこと。注。「由不明」。行われない本を言ったこと。それは不明より起こると孔子が言ったのを子思が引かれた綾を朱子が言われたもの。註というものは本文を取り成すもの。それは君と用人の様なもので、出入りの者が来た時に、殿がよく来たと言うと、用人が旦那も今朝から御待ち申していたと取り成しを言う。それは旦那の意をよく知っているから言えるのである。「故不行」。病根に行えない筈がある。私が碁盤に向かっても知らないので、一手も出ない。ただ石の黒白が見えるばかり。舞を知らない者が檜木舞台へ出ては扇も開くことができない。不行と言っても、両手を広げてすることではない。前に知というものがなくてはならない。浅見先生が、行は知の先へ一寸も出ることはならないと言われた。ここを迂斎が、座頭は足が達者でも火事見舞には遣れないと言った。行というものは知がなくてはならない。ここは、王陽明や仁斎の様な行ばかりを主張する者を、そっくと団の上へ掃いて取る処。○中庸の注を章句と言うのもここからである。この小柄な処を一章とした朱子の眼が恐ろしい。二十尋ほどの注をしても手柄にはならない。ここはただ六字だけである。
【語釈】
・浅見先生…淺見絅齋。

右第五章。序て云詳畧相因巨細盡挙も爰の処。さて不行とて兩手ふってすることてはない。舜のやふな大知で行るると下の章をおこす。
【解説】
「右第五章。此章承上章、而舉其不行之端、以起下章之意」の説明。道が行われるのは舜の様な大知からであると言って、下の章へ引き継ぐ。
【通釈】
「右第五章」。序に言う「詳略相因、巨細畢舉」もここの処。さて不行と言っても両手を振ってすることではない。舜の様な大知があって行われると、下の章を起こす。


中庸章句第六章
子曰、舜其大知也與。舜好問、而好察邇言、隱惡而揚善。執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎。知、去聲。與、平聲。好、去聲。○舜之所以爲大知者、以其不自用而取諸人也。邇言者、淺近之言。猶必察焉、其無遺善可知。然於其言之未善者、則隱而不宣、其善者、則播而不匿。其廣大光明又如此、則人孰不樂告以善哉。兩端、謂衆論不同之極致。蓋凡物皆有兩端、如小大厚薄之類。於善之中又執其兩端、而量度以取中、然後用之、則其擇之審而行之至矣。然非在我之權度精切不差、何以與此。此知之所以無過不及、而道之所以行也。
【読み】
子曰く、舜は其れ大知なるか。舜問うことを好んで、邇言を察することを好み、惡を隱して善を揚ぐ。其の兩端を執りて、其の中を民に用う。其れ斯れを以て舜とするか。知は去聲。與は平聲。好は去聲。○舜の大知爲る所以の者は、其の自ら用いずして諸を人に取るを以てなり。邇言は、淺近の言。猶必ず察すれば、其の遺れる善無きこと知る可し。然して其の言の未だ善ならざる者に於ては、則ち隱して宣べず、其の善なる者をば、則ち播して匿さず。其の廣大光明なること又此の如くなれば、則ち人孰か告ぐるに善を以てすることを樂しまざらんや。兩端とは、衆論同じからざるの極致を謂う。蓋し凡そ物皆兩端有りて、小大厚薄の類の如し。善の中に於て又其の兩端を執りて、量度して以て中を取り、然して後に之を用うれば、則ち其の之を擇ぶこと審らかにして之を行うこと至れり。然れども我に在るの權度精切にして差わざるに非ざれば、何を以て此に與らん。此れ之を知ること過不及無き所以にして、道の行わるる所以なり。


子曰舜其云云。此からは知仁勇の三德を語たもの。中庸は性道敎と語って、学者は敎と云にをとす。教から学問を成就するには知仁勇からかかる。知仁勇は五十三次を舩にのったり駕や馬にのりて、それを以て京へゆくなり。これからか知仁勇の知じゃと云て、大学の補傳のやうに思と中庸めかぬ。舜をつっかかりの工夫にすることてはない。知のなりを見せること。知と云証文なり。大知哉。なみや大抵の知てないゆへ大の字。與とは、孔子のうかかって云たこと。すっはりと名をつけられたことでない。好問。あの生知安行でといすきなり。これは問ふはづの礼式のと云ことでない。そこが好の字なり。
【解説】
「子曰、舜其大知也與。舜好問」の説明。教から学問を成就するには知仁勇から取り掛かる。ここはその知の姿を見せたものである。舜は大知でありながら、問うことを好んだ。
【通釈】
「子曰。舜其云云」。ここからは知仁勇の三徳を語ったもの。中庸は性道教と語って、学者は教ということへと落とす。教から学問を成就するには知仁勇から取り掛かる。知仁勇は、五十三次を舟に乗ったり駕籠や馬に乗ったりして、それで京へ行くのと同じである。これからが知仁勇の知のことだと言っても、大学の補伝の様に思うと中庸めかない。舜を突っ掛かりの工夫にするのではない。知の姿を見せたのである。知という証文である。「大知也與」。並や大抵の知ではないので大の字がある。「與」とは、孔子の窺って言ったこと。すっぱりと名を付けられたのでない。「好問」。あの生知安行で問い好きである。これは問う筈だ、礼式だということでない。そこが好の字である。
【語釈】
・生知安行…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之。及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之。及其成功一也」。

察邇言。似たやふなことで別なり。問は面と面との合せらるるものに問こと。邇言は下さまのものの云をもとる。隠悪揚善云云。そこないはとんと出さぬ。舜の御胸にくちてをる。きのふ禹の云たことが各別なの、皐陶か云たが別してよいのとほめそだてる。両端。百色あっても両端なり。向て評義まち々々なを衆善の中ちの是が丁どじゃと云をとる。中と云も五寸を一尺の中と云はあらい。二寸にも中、三寸にも中あること。用其中民。歴山から天子のとき迠吾をよいと思たことはない。いつも人に問ふ。是が舜の舜たる処。釈迦は生ると天上天下唯我独尊と、はや味噌をあけた。此はうそてもあろうがどふしても問ふこと好まぬふちゃふじゃ。老荘が我侭一はいを云も皆これじゃ。人はこしゃくな知をもたぬがよい、舜のやうながよいと云ふが証文。
【解説】
「而好察邇言、隱惡而揚善。執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎」の説明。評議が区々な時はここが丁度というところを執る。中といっても五寸を一尺の中と言うのでは粗く、二寸にも中、三寸にも中がある。歴山から天子の時まで、自分をよいと思ったことはなく、いつも人に問う。ここが舜の舜たる処である。
【通釈】
「察邇言」。似た様なことだが別のこと。問うとは、面と面と合わせられる者に問うこと。邇言は下々の者が言うことも執るということ。「隱惡而揚善云云」。言い損いは全く出さない。舜の御胸に朽ちている。昨日禹が言ったことが格別だった、皐陶が言ったことが別してよいと褒め育てる。「両端」。百色あっても両端である。向こうで評議が区々なところを、衆善の中のここが丁度だというところを執る。中といっても五寸を一尺の中と言うのでは粗い。二寸にも中、三寸にも中がある。「用其中於民」。歴山から天子の時まで、自分をよいと思ったことはない。いつも人に問う。ここが舜の舜たる処。釈迦は生まれると天上天下唯我独尊と、早くも味噌を開けた。これは嘘でもあろうが、どうしても問うことを好まない符帳である。老荘が我儘一杯を言うのも皆これ。人は小癪な知を持たないのがよい、舜の様なのがよいというのが証文である。
【語釈】
・歴山…書經虞書大禹謨。「帝初于歷山往于田、日號泣于旻天于父母」。

注。不自用而取諸人。書経に好問則裕自用則小とあり、今下腹に毛のないやつが、知たことを上手に問ふはいやみなり。それとは違ふなり。此自用るが凡人の通病。これを本手に家をもつぶす。道をあるくにもきかぬと迷ふ。乞食に聞ても何の外聞のわるいことはない。あまるほとあって問ふが舜なり。何ことでも親切なことは人に問ふもの。小児の胎毒を御典藥にかけておいても、何ぞよい藥はないかと白人にも問ふ。心切ゆへぞ。浅近之言猶必察。小もり小でっちでもと云こと。比丘尼が人は情の下にすむと云哥をきいて、はや尤なことと云ふててそうするなり。たたい人の言はとるはづぞ。天か云はせるからなり。無遺善。大禹謨からきた字なり。ありたけの善が上へあがる。善の浪人はない。迂斎が、殿が茶をすくと領分に茶碗はないものと云た。鹽を入れた器が金一牧になるからなり。舜善ずきてとり上に又一つある。わるいことをばかくしてさいを、よい言をは、名主がむす子がよい言云たと、舜の清涼殿で土用乾しほととりひろげてふいてうする。
【解説】
「知、去聲。與、平聲。好、去聲。○舜之所以爲大知者、以其不自用而取諸人也。邇言者、淺近之言。猶必察焉、其無遺善可知。然於其言之未善者、則隱而不宣、其善者、則播而不匿」の説明。余るほど知があって問うのが舜である。人の言は天が言わせるものだから、執る筈である。
【通釈】
注。「不自用而取諸人」。書経に「好問則裕、自用則小」とあり、今下腹に毛のない奴が、知っていることを上手に問うのは嫌みだが、それとは違う。この「自用」が凡人の通病。これを本手に家をも潰す。道を歩くにも聞かないと迷う。乞食に聞いても何も外聞の悪いことはない。余るほどあって問うのが舜である。何事でも親切なことは人に問うもの。小児の胎毒を御典薬にかけておいても、何かよい薬はないかと素人にも問う。心が切だからである。「浅近之言、猶必察焉」。子守も子丁稚でもということ。比丘尼が人は情の下に住むという歌を聞いて、直ぐに尤もなことだと言ってそうする。そもそも人の言は執る筈である。それは天が言わせるからである。「無遺善」。大禹謨から来た字である。ありったけの善が上へ上がる。善の浪人はいない。迂斎が、殿が茶を好くと領分に茶碗はないものと言った。塩を入れた器が金一枚になるからである。舜は善好きで取り上げるが、ここにまた一つある。悪いことは隠しさえするが、よい言には、名主の息子がよい言を言ったと、舜は清涼殿で土用干しほどに取り広げて吹聴する。
【語釈】
・好問則裕自用則小…書經商書仲虺之誥。「予聞、曰、能自得師者王。謂人莫己若者亡。好問則裕。自用則小」。
・下腹に毛のない…老狼は下腹に毛がないという言い伝えから、老獪な人物にいう。
・無遺善。大禹謨からきた字なり…書經虞書大禹謨。「帝曰、兪。允若茲、嘉言罔攸伏、野無遺賢、萬邦咸寧」。

廣大光明。舜の心をよう云とった。武蔵野の原に、高大。十五夜の月のさえたやふなと。光明。孰不樂告以善哉。舜を伯母様のやふに思ふて下からやんやと云上る。凡夫は、其位なことをおれが知ずにおるものかと云。さていそがしく腹を立つものなり。すれとも銭などはある上にもとる。こちにもある。銭入るものかと云ぬ。大尽の処へ年貢をやったとて、おれも沢山年貢米も持ておるにと云ては腹は立ぬ。垩人も我にある上に又人のをとる。さて善をはふいちゃう、悪をばむ子でけしてしまふ。凡夫はこれをひっくりかへしにしてをると迂斎云へり。人の言の少しわるいを鉄棒ほどに云立る。そこで人かめったに云ぬ。又迂斎が、医者も医案をめったに云ぬと云た。なぜなれば、少し云たがへると、人かしたたかにわるく云ゆへのこと。舜はそこをかくして云はず。舜はとかくに手前をよいと思はれぬゆへなり。直方先生が迂斎に、天下一極上々吉の人欲と云を知てかと云た。手前をよいと思うことじゃと云た。さうした知はここの証文に合ぬなり。極致。色々ある上にきり々々のよいの。小大厚薄は、これにこまかあたりをつけること。それから事に出す。
【解説】
「其廣大光明又如此、則人孰不樂告以善哉。兩端、謂衆論不同之極致。蓋凡物皆有兩端、如小大厚薄之類」の説明。舜は、善は吹聴し、悪は胸で消してしまう。凡夫はこれをひっくり返しにする。直方先生が迂斎に、天下一極上上吉の人欲というものを知っているかと言った。そして、自分をよいと思うことだと言った。
【通釈】
「廣大光明」。舜の心をよく言い取った。武蔵野の原に、高大。十五夜の月の冴えた様な、と。光明。「孰不樂告以善哉」。舜を伯母様の様に思って下からやんやと言い上げる。凡夫は、その位のことは俺が知らずにいるものかと言って、さて忙しく腹を立てるもの。しかしながら、銭などはある上にも取る。こちらにもあるから銭など要るものかとは言わない。大尽の処へ年貢を遣る時は、俺も沢山年貢米を持ているからと言って腹は立てない。聖人も自分にある上にまた人のを取る。さて善は吹聴し、悪は胸で消してしまう。凡夫はこれをひっくり返しにしていると迂斎が言った。人の言の少し悪いのを金棒ほどに言い立てる。そこで人が滅多に言わない。また迂斎が、医者も医案を滅多に言わないと言った。それは何故かというと、少し言い違えると、人が大層悪く言うからである。舜はそこを隠して言わない。それは舜がとかく自分をよいと思われないからである。直方先生が迂斎に、天下一極上上吉の人欲というものを知っているかと言った。そして、自分をよいと思うことだと言った。そうした知はここの証文に合わない。「極致」。色々とある上にぎりぎりによいもの。「小大厚薄」は、これに細か当たりを付けること。それから事に出す。

擇之審。舜か秤ものさしを持てをるゆへ、大ぜいのことをきいてもよく断する。舩頭多くて舟を山へ上ると云は、此方に載断ないゆへ。然。これと云もと云弁。孟子に有權而後能知軽重云云心爲甚。こう云ものが舜の心にある。知之所以無過不及。舜の知に気質の手傳はない。理計りなり。親の目にきりがふるとは気の手傳なり。知のない道の行るる筈はない。前条ては道不行を云て、爰で舜を出して行るるを云。
【解説】
「於善之中又執其兩端、而量度以取中、然後用之、則其擇之審而行之至矣。然非在我之權度精切不差、何以與此。此知之所以無過不及、而道之所以行也」の説明。舜は秤物差しを持っているので、大勢のことを聞いてもよく裁断する。舜の知に気質の手伝いはなくて理ばかりである。前条では道不行を言って、ここで舜を出して行われることを言う。
【通釈】
「擇之審」。舜は秤物差しを持っているので、大勢のことを聞いてもよく断ずる。船頭多くして舟山へ上るというのは、自分に裁断がないから。「然」。これというのもという弁。孟子に「權然後知輕重。度然後知長短。物皆然。心爲甚」とある。こういうものが舜の心にある。「知之所以無過不及」。舜の知に気質の手伝いはない。理ばかりである。親の目に霧が降るというのは気の手伝いである。知のない道が行われる筈はない。前条では道不行を言って、ここで舜を出して行われることを言う。
【語釈】
・權而後能知軽重云云心爲甚…孟子梁惠王章句上7。「權然後知輕重。度然後知長短。物皆然。心爲甚」。

右第六章。


中庸章句第七章
子曰、人皆曰予知。驅而納諸罟・擭・陷阱之中、而莫之知辟也。人皆曰予知。擇乎中庸、而不能期月守也。予知之知、去聲。罟、音古。擭、胡化反。阱、才性反。辟、避同。期、居之反。○罟、網也。擭、機檻也。陷阱、坑坎也。皆所以掩取禽獸者也。擇乎中庸、辨別衆理、以求所謂中庸。卽上章好問用中之事也。期月、匝一月也。言知禍而不知辟。以況能擇而不能守。皆不得爲知也。
【読み】
子曰く、人皆曰う、予知あり、と。驅りて諸を罟[こ]・擭・陷阱の中に納れるとも、而も之を辟くることを知ること莫し。人皆曰う、予知あり、と。中庸を擇べども、而も期月も守ること能わず。予知の知は去聲。罟は音古。擭は胡化の反。阱は才性の反。辟は避と同じ。期は居之の反。○罟は網なり。擭は機檻なり。陷阱は坑坎なり。皆禽獸を掩い取る所以の者なり。中庸を擇ぶとは、衆理を辨別して、以て謂う所の中庸を求むるなり。卽ち上章の問うことを好んで中を用うるの事なり。期月は一月を匝るなり。言うこころは、禍を知りて辟くるを知らず、と。以て能く擇んで守ること能わざるに況[たと]う。皆知と爲ることを得ざるなり。

右第七章。承上章大知而言、又舉不明之端、以起下章也。
【読み】
右第七章。上章の大知を承けて言い、又明らかならざるの端を舉げて、以て下章を起こすなり。


子曰人皆曰予知。舜のうらをここてみせた。凡人は皆これじゃ。手前をよいと云。迂斎云ふ、と。字にくわれるな。口へ出て云はぬ人もあろうが、心ではそふ思ふ。をれは知がある々々々々と云て東金市をふれてあるきはせぬけれども、とかく我をは一本つかいと思うて、己がおろかを知ぬ。荘子も知愚非大愚云たぞ。驅而納云云。禽獣も欲からわなにかかる。狐が一番かしこくても、燒鼠てつらるる。人も利口ならわなにももちにもかかりそふもないものじゃに、吾をよいと思うひゃうしにさま々々なことをして遠嶋改易にもなる。利口やけた人か家をつぶすぞ。人のことを禽獣のことて云ときには詩の比のていなり。なわにもたばにもかからぬやふなものは却て禍は取らぬ。そんなら利口ぶりするのは利口でない。やはりわなにかかったなり。ここはそく々々しいわるさのことで枕詞なり。中庸ての入用は下の句なり。一体て上下を分けれは詩の興のていなり。人皆曰から下は中庸をも見て取たと思う。それなら中庸の道理がせめて三十日も身に出るかと云に、出すことならぬは身にえぬなり。中庸を只よんては献立をしたも同こと。献立は腹のたしにはならぬ。藥ものうがきては脾胃は羪れぬ。藥も飲むことなり。守ることなら子は中庸を得たではない。
【解説】
「子曰、人皆曰予知。驅而納諸罟・擭・陷阱之中、而莫之知辟也。人皆曰予知。擇乎中庸、而不能期月守也」の説明。上の「人皆曰予知」以下の句は枕詞であり、下の「人皆曰予知」以下が主題である。中庸を見て取ったと思っても、中庸の道理を三十日も守ることができない。それは、中庸を得ていないからである。
【通釈】
「子曰、人皆曰予知」。舜の裏をここで見せた。凡人は皆これ。自分をよいと言うと、迂斎が言った。字に食われるな。口へ出して言わない人もあるだろうが、心ではそう思う。俺は知があると言って東金市を触れて歩きはしないが、とかく自分を一本使いと思って、自分の愚かさを知らない。荘子も「知其愚者、非大愚也」と言った。「驅而納云云」。禽獣も欲から罠に掛かる。狐が一番賢くても、焼鼠で釣られる。人も利口であれば罠にも黐にも掛かりそうもないものだが、自分をよいと思う拍子に様々なことをして遠嶋改易にもなる。利口焼けた人が家を潰すぞ。人のことを禽獣のことで言う時には詩の比の体である。縄にも束にも掛からない様なものは却って禍は取らない。それなら利口振りをするのは利口ではない。やはり縄に掛かったのである。ここはぞくぞくしい悪さのことで、枕詞であり、中庸での入用は下の句である。一体で上下を分ければ詩の興の体である。「人皆曰」から下は中庸をも見て取ったと思う。それなら中庸の道理がせめて三十日も身に出るかというと、それを出すことができないのは身に得ないからである。中庸をただ読むだけでは献立をしたも同じこと。献立は腹の足にはならない。薬も能書きでは脾胃は養うことはできない。薬は飲むものである。守ることができなければ中庸を得たことにならない。
【語釈】
・知愚非大愚…荘子天地。「知其愚者、非大愚也。知其惑者、非不惑也。大惑者、終身不解。大愚者、終身不靈」。
・詩の比…詩には、賦、比、興の三形態がある。

注。機檻。禽獣かそこえのそくとしきに網かかぶさるしかけなり。擇中庸は衆理を弁別するよりしてゆく。知禍不知辟以況。禽獣はわな、人はまいないを取て身を亡す。擇而守ることを知らぬものも同格におちる。不能守。とかく灸はよいものと云う。そんならこなたすえたかと云へは、いやまたと云ふ。それは灸のよいのを知らぬのなり。知れは行に出るもの。中庸は本んに知ら子ば役にたたぬ。直方曰、上の一句は三番叟。番組に入れぬ。第二句の擇乎中庸からが番組ぞ。
【解説】
「予知之知、去聲。罟、音古。擭、胡化反。阱、才性反。辟、避同。期、居之反。○罟、網也。擭、機檻也。陷阱、坑坎也。皆所以掩取禽獸者也。擇乎中庸、辨別衆理、以求所謂中庸。卽上章好問用中之事也。期月、匝一月也。言知禍而不知辟。以況能擇而不能守。皆不得爲知也」の説明。中庸を択ぶのは、衆理を弁別することから行う。禽獣は罠、人は賄を取って身を亡ぼす。中庸は本当に知らなければ役に立たない。知って行に出る。
【通釈】
注。「機檻」。禽獣がそこを覗くと直ぐに網が被さる仕掛けである。「擇乎中庸」は衆理を弁別することからして行く。「知禍不知辟。以況」。禽獣は罠、人は賄を取って身を亡ぼす。それなら擇んで守ることを知らないのと同格に落ちる。「不能守」。とかく灸はよいものと言う。それなら貴方はすえたかと聞けば、いやまだだと言う。それは灸がよいことを知らないのである。知れば行に出るもの。中庸は本当に知らなければ役に立たない。直方が、上の一句は三番叟。番組には入れない。第二句の擇乎中庸からが番組だと言った。

右第七章。爰は舜の大知のうらて、行れぬを云こと。擇んて守ること不能をあてて下章をおこし、顔子などが本んの守るみせるぞ。それであれが仁にあたる。所録不誤人。意似慰々々。
【解説】
前章の舜の大知の次に行われず、守ること不能を言い、次章に顔子を出して守ところを見せる。
【通釈】
「右第七章」。ここは舜の大知の裏で、行われないことを言ったこと。擇んで守ること能わずを当てて下章を起こし、顔子などが本当に守るところを見せる。それであれが仁に当たる。録する所人を誤らず。意似慰似慰。