己酉一六中庸筆記七
費隱章  二月廿六日  花澤文
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・花澤文…林潛齋。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。


中庸章句第十二章
君子之道費而隱。費、符味反。○費、用之廣也。隱、體之微也。
【読み】
君子の道は費にして隱なり。費は符味の反。○費は、用の廣きなり。隱は、體の微なり。

夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉。與、去聲。○君子之道、近自夫婦居室之閒、遠而至於聖人天地之所不能盡。其大無外、其小無内。可謂費矣。然其理之所以然、則隱而莫之見也。蓋可知可能者、道中之一事。及其至、而聖人不知不能、則舉全體而言。聖人固有所不能盡也。侯氏曰、聖人所不知、如孔子問禮問官之類。所不能、如孔子不得位、堯舜病博施之類。愚謂人所憾於天地、如覆載生成之偏、及寒暑災祥之不得其正者。
【読み】
夫婦の愚も、以て知るに與る可し。其の至れるに及んでは、聖人と雖も亦知らざる所有り。夫婦の不肖も、以て能く行う可し。其の至れるに及んでは、聖人と雖も亦能くせざる所有り。天地の大いなるも、人猶憾[うら]むる所有り。故に君子大を語れば、天下能く載すること莫し。小を語れば、天下能く破[わ]ること莫し。與は去聲。○君子の道、近くは夫婦居室の閒より、遠くは聖人天地の能く盡くさざる所に至る。其の大いなること外無く、其の小しきこと内無し。費と謂う可し。然れども其の理の然る所以は、則ち隱にして之を見ること莫し。蓋し知る可く能くす可き者は、道の中の一事なり。其の至れるに及んでは、聖人も知らず能くせざるとは、則ち全體を舉げて言う。聖人固より盡くすこと能わざる所有るなり。侯氏曰く、聖人の知らざる所は、孔子禮を問い官を問うの類の如し。能くせざる所は、孔子位を得ず、堯舜博く施すことを病めるの類の如し、と。愚謂えらく、人の天地を憾むる所は、覆載生成の偏、及び寒暑災祥の其の正しきを得ざるが如き者なり。

詩云、鳶飛戾天、魚躍于淵。言其上下察也。鳶、余專反。○詩、大雅旱麓之篇。鳶、鴟類。戾、至也。察、著也。子思引此詩、以明化育流行、上下昭著、莫非此理之用。所謂費也。然其所以然者、則非見聞所及。所謂隱也。故程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地。讀者宜致思焉。
【読み】
詩に云く、鳶飛んで天に戾[いた]り、魚淵に躍る、と。其の上下察[あき]らかなることを言えり。鳶は余專の反。○詩は大雅旱麓の篇。鳶は鴟[し]の類。戾は至るなり。察は著らかなり。子思此の詩を引いて、以て化育流行、上下昭著にして、此の理の用に非ざること莫きことを明かす。所謂費なり。然して其の然る所以の者は、則ち見聞の及ぶ所に非ず。所謂隱なり。故に程子曰く、此の一節、子思喫緊に人の爲にする處にして、活潑潑地なり。讀者宜しく思いを致[きわ]むべし、と。

君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地。結上文。
【読み】
君子の道、端を夫婦に造[な]す。其の至れるに及んでは、天地に察らかなり。上文に結べり。

右第十二章、子思之言、蓋以申明首章道不可離之意也。其下八章、雜引孔子之言以明之。
【読み】
右第十二章は、子思の言、蓋し以て申[かさ]ねて首章道離る可からざるの意を明かす。其の下八章は、孔子の言を雜え引いて以て之を明かす。


○垩賢の道を示さるるは思ひ出し語り出しなり。天命性も費隱も根は一なれとも、思ひ出し語り出し段々面白なって来る。漸次説親切処。この章からは前とはふりが違ふ。費隱と出るや最後、天命性とは云ぬ。以上は皆天命性へ投かけて、以下は皆費隱云云と一と株になりて何もかも費隱。○道体をかたるも大勢の子を分地する如し。此章も天命性の分地はかのち、是より費隱が觸頭なれとも依旧本寺は天命性。○天命性は正月の礼、費隱は三月の節句からと分る。同じ礼なれども面ぶり違ふ。○同し源氏なれとも十八松平と分る。某がやうに説くも、中庸集註となく章句とせしを云。章句所々に棒杬あり。首章の題下にも其下の十章と杬あり。美濃と近江の寢ものかたり、分る処には杬あり。やはり首章のこととべったりした。則于所謂支分節解脉絡貫通云云が是也。○先つここも君子之道と云。中庸は君子とたび々々出すが異端に對する処。三奉行の手判の如し。異端の関所破りある故なり。君子之道がすぐに手判。序に憂之也深もここ。○武士が刀は離さぬ。中庸君子々が異端に對してはなさぬ。君子を出して異端とごたまぜにせぬ。之道は此方で本尊にする。扨君子之道かぎりなくはば廣い。世界中是には道はないと云ことなし。殊外澤山なり。
【解説】
「君子之道」の説明。前条までは天命性を語り、これからは費隱を語る。先ず君子と出したが、中庸は君子と度々出すのが異端に対する処であって、異端とごた混ぜにはしない。
【通釈】
○聖賢の道を示されるのは、思い出し語り出してする。天命性も費隱も根は一つだが、思い出し語り出して段々と面白くなって来る。漸次説くのが親切な処。この章からは前とは振りが違う。費隱と出るや最後、天命性とは言わない。以上は皆天命性へ投げ掛け、以下は皆費隱云云と一株になって何もかも費隱である。○道体を語るのも大勢の子を分地するが如し。この章も天命性の分地は彼の地で、これからは費隱が触頭だが、旧より本寺は天命性である。○天命性は正月の礼、費隱は三月の節句からと分かる。同じ礼だが面振りが違う。○同じ源氏だが、十八松平と分かる。私がこの様に説くのも、中庸集註ではなく章句としたことを言う。章句は所々に棒杬がある。首章の題下にも「其下十章」と杬がある。美濃と近江の寝物語、分かれる処には杬がある。やはり首章のこととべったりである。則ち所謂「支分節解脈絡貫通云云」がこれである。○先ずここも「君子之道」と言う。中庸は君子と度々出すのが異端に対する処。三奉行の手判の如し。それは異端の関所破りがあるからである。君子の道が直ぐに手判。序に「憂之也深」とあるのもここのこと。○武士は刀を離さない。中庸の君子が異端に対して離さないこと。君子を出して異端とごた混ぜにしない。「之道」はこちらで本尊にする。さて君子の道は限りなく幅広い。世界中これには道はないということはない。殊の外沢山である。
【語釈】
・觸頭…江戸時代、寺社奉行から出る命令・交渉の事をつかさどった寺院。
・十八松平…徳川家康の祖先である松平親氏から父の広忠までの間に分家独立した系統。
・棒杬…杬は杭の意がある。棒杭。
・美濃と近江の寢ものかたり…中山道の近江と美濃の国境は細い溝しかなく、壁越しに寝ながら他国の人と話し合えたので寝物語の名が生まれた。
・支分節解脉絡貫通…中庸章句序の語。

○費字もとついやすと云訓。これで發明が面白い。家人の水使ふをみよ。澤山あるゆへいくらもつかいすてる。知らぬ人も足を泥にして来る、それ水使へと云。君子之道天地の内に充滿したゆへ、是ぎりと云ことなし。天下古今用ゆ。○晝明るい。たっふりなり。歴々も賎も唐士も日本も明るい。ゆきわたってあり。道がそのやふなり。迂斎の弁なり。○珍しいことは費と云れぬ。旦那が先、家来があとにつく。何処でもそふじゃ。誰が敎たでもない。異端は道を殊の外拂底にをもふ故さがす。渾沌未分本来の面目を貴ぶ。仏も老も道に遠々しいになる。垩人の道は澤山ゆへ遠い処さがすに及ず。○程子日々に用と云へり。日々に道をしてゆく。人の呼吸の如し。明日つく息の無に非す。ゆきわたりてたっふり故、行く先き々が皆道なり。○ここで道体をかたるに学問はいらぬと云ほとのこと。有谷婆々がきいたらは。学問せぬものも相応にして行。道沢山。○佛は驚天動地とあり、道と云と事もきゃうさんに云。こちは親に孝、君に忠。其れは知れたことと云。その知れたことが道なり。○隱は別のものてはない。其費に形ない処。隱と云こと、此わてらには得御意られぬ。直方の、太極ははづと云様なもの。兄は先へ立筈。弟はあとに立つはつなり。其筈は画にかかれぬ、目にみへぬ。人參肉桂補ふを、きのふの所を頼むと探幽も筆をすてる。そこを隱と云。君子之道は費而隱。なににもかにもある。其隱殿に御目にかかりたいと云ふにあはれぬ。形はない。目に見へぬ。手に把られぬ。二十四孝の事は画く。雷の鳴るに墓まいり、雪中に笋、赤本にもあり、孝行はそもどふしたものと云処は画かれぬ。隱なり。○世界へ行わたる処の形は見へぬ。そこが隱。○ここが君子の本尊なり。そこて中道をたつ子るに及ぬ。稲荷山へいって松茸とるやふにさがすことでない。とこにもあり。道は鼻の先にあること。どのやふな顔と問ふ。それは御免なされ。是は近い処にたっふりと道あることを子思示せり。以下注。
【解説】
「費而隱」の説明。道は行き渡ってたっぷりとある。仏は道を事も仰山に言うが、鼻の先に道がある。隱は費に形のないことを言う。道は何処にでもあるが、絵に描くことはできない。
【通釈】
○「費」の字は本来ついやすという訓。これで発明するのが面白い。家人が水を使うのを見なさい。沢山あるのでいくらでも使い捨てる。知らない人も足を泥にして来れば、それ水を使えと言う。君子の道は天地の内に充満しているので、これぎりということはない。天下古今用いる。○昼は明るい。たっぷりである。歴々も賎も唐土も日本も明るい。行き渡ってある。道はその様なもの。迂斎の弁である。○珍しいことは費とは言えない。旦那が先、家来が後に付く。何処でもそう。誰が教えたのでもない。異端は道を殊の外払底に思うからそれを探す。渾沌未分本来の面目を貴ぶ。それで仏も老も道に遠々しいことになる。聖人の道は沢山なので遠い処を探すには及ばない。○程子が日々に用ゆと言った。日々に道をして行く。それは人の呼吸の如し。明日つく息が無きに非ず。行き渡ってたっぷりなので、行く先々が皆道である。○ここで道体を語るのは、学問は要らないというほどのこと。有谷婆々が聞いたらば。学問をしない者も相応にして行く。道は沢山ある。○仏は驚天動地とあり、道というと事も仰山に言う。こちらは親に孝、君に忠。それは知れたことと言う。その知れたことが道である。○「隱」は別のものではない。その費に形のない処。隱ということには我々はお目に掛かれない。直方が、太極は筈という様なものだと言った。兄は先へ立つ筈。弟は後に立つ筈である。その筈は絵に画けず目に見えない。人参や肉桂を補うのに、昨日の所を頼むと言えば、探幽も筆を捨てる。そこを隱と言う。「君子之道費而隱」。何にもかにもある。その隱殿に御目に掛かりたいと言っても会えない。形はない。目に見えない。手に把られない。二十四孝の事は画くことができる。雷が鳴るのに墓参り、雪中に筍は赤本にもあるが、孝行はそもそもどうしたものかという処は画けない。隱である。○世界へ行き渡る処の形は見えない。そこが隱。○ここが君子の本尊である。そこで中道を尋ねるには及ばない。稲荷山へ行って松茸を採る様に探すことではない。何処にもある。道は鼻の先にある。どの様な顔かと問う。それは御免なされ。ここは近い処にたっぷりと道のあることを子思が示したもの。以下注。

注。用の廣。なんにもかにも行わたる。ここはないと云ことなし。このやふなことはどふしてもよかろふとは云はれぬ。鯛を料ることもならぬでみよ。何の上にもある。日用千差万端斯ふする筈、あふする筈がある。用廣なり。○大工のさま々々道具あるもきこへた。のこぎりのかわりにかんなはならぬ。高いか経いことじゃ。あれらはとは言はれぬ。ささいなことにもあり。○五倫の間、皆道ゆきわたってをる。親へ出したことを君へ出してはならぬ。れき々々朔日麻上下。我々早朝に上下でもあるまじ。○老中の天下の政をするも草履とりの草履とるも一理じゃと云へり。事の大小ではこれほどの違はなし。草鞋ほど軽いことはなけれとも、斯ふするはづあり。宰相の政とりそこなったも、草履とりがどぶへ草履をとしたも同じ。ここはどふしてもよい、これは少さいこととは云はれぬ。何飯かと云へとも、炊やふあり。飯がのか字濁音。
【解説】
「費、符味反。○費、用之廣也」の説明。こうする筈ということが、どんな些細なことにもある。五倫の間にも皆道が行き渡っている。
【通釈】
注。「用之廣」。何にもかにも行き渡る。ここはないということなし。この様なことはどうしてもよいだろうとは言えない。鯛を料ることもできないことで見なさい。何の上にもある。日用千差万端こうする筈、ああする筈がある。それが用廣である。○大工が様々な道具を持っているのもよくわかる。鋸の代わりに鉋はならない。高いことから軽いことまでにある。あれらはよいだろうとは言えない。些細なことにもある。○五倫の間も、皆道が行き渡っている。親へ出したことを君へ出してはならない。歴々は朔日に麻裃だが、我々が早朝に裃でもないだろう。○老中が天下の政をするのも草履取が草履を取るのも一理だと言った。事の大小ではこれほどの違いはない。草鞋ほど軽いことはないが、こうする筈がある。宰相が政を取り損なったのも、草履取が溝に草履を落としたのも同じ。ここはどうしてもよい、これは小さいことだとは言えない。何飯がと言っても、炊き様がある。飯かのかの字は濁音。

○道の具たに御目にかかろう。丸いか。曰否。角か。曰否。然らは如何。曰く丸くも角てござらぬ。體の微なり。道の体は目に見へ申さぬ。此一章、予弱年のとき記録の筆勢、三井の古寺鐘はあれと○理の奥ふかいと云ことでない。形ないことを云。○無極而太極もそれなり。然るに行わたりて澤山あるものと云へば見られそふなものでごさると言ふ。いや今云通り、形ないゆへ見へ申さぬ。微なり。ここらが大ふ佛と中庸が眞を乱るの処。仏も形ないを貴ぶ。あちも形ない。こちも形ない。因て理に近い。然るにあちは無いことを貴んで、見へることをきらふてはきだめへ捨る。無極而太極、費而隱、日用事物皆これと合点して、やっはり日用事物を応接してゆく。足目倶至。○形のないものじゃゆへ隱なり。隱はうわさに云たことなり。形ないものでこざると云たまでのことなり。面壁坐禅して其を見たがる。見て何の役にたたぬことなり。見たがってさはぐは可笑。○天地の道理、はなの先き形ないゆへ隱の字つけた耳。○垩人の学、致知格物も是也。萬端融通して居るものに即て其理をきわむる。物をはなすことなし。大学の致知格物も費隱から出たものとしるべし。○有物有則、則は即ち隱なり。それは物についてあり。物をすてることなし。仏はすてる。中庸では道体、大学ては物の吟味。大中一致もここ。近思録道体は中庸、爲学は大學なり。道体なしの為學は作爲になる。韋斎はここを知た。叔梁紇などはしらぬ。○費と隱と二た鼻に見ることなかれ。ここが隱とは説れぬ。費の上にあり。子思の精出して皆費の話なり。隱はとかれぬ。ここか發か子ばさばけぬことを合点すべし。絅翁物説で儒仏の弁わかるることなり。靖献遺言ばかりの目ではうかがはれぬぞ。訂斎白鹿洞の初条の看か。
【解説】
「隱、體之微也」の説明。道の体は目に見えない。そこで「隱、體之微也」と言う。これは理が奥深いということではなく、形のないことを言う。万端融通している物に即いてその理を窮める。こちらは物を捨てることはないが、仏は捨てる。中庸は道体、大学は為学。大中一致である。
【通釈】
○道が具わっているところに御目に掛かろう。丸いか。曰く、否。角か。曰く、否。然らば如何。曰く、丸くも角でもない。「體之微」である。道の体は目に見えない。この一章、私が弱年の時の記録の筆勢である。三井の古寺鐘はあれど。○理が奥深いということではない。形のないことを言う。○「無極而太極」もそれ。しかし、行き渡って沢山あるものといえば見られそうなものだと言う。いや今言った通り、形がないので見えない。微である。ここらが大分仏と中庸が真を乱るの処。仏も形のないのを貴ぶ。あちらも形がない。こちらも形がない。そこで理に近い。しかし、あちらは無いことを貴んで、見えることを嫌って掃溜めへ捨てる。無極而太極、費而隱、日用事物皆これと合点して、やはり日用事物を応接して行く。足目倶に至る。○形のないものなので隱である。隱は噂で言ったこと。形ないものでこざると言ったまでのこと。面壁坐禅してそれを見たがるが、見ても何も役に立たない。見たがって騒ぐのは笑う可し。○天地の道理、鼻の先にあって形がないので隱の字を付けただけ。○聖人の学、致知格物もこれ。万端融通している物に即いてその理を窮める。物を離すことはない。大学の致知格物も費隱から出たものだと知りなさい。○「有物有則」の則は即ち隱である。それは物に付いてある。物を捨てることはない。仏は捨てる。中庸では道体、大学では物の吟味。大中一致もここ。近思録の道体は中庸、為学は大学である。道体なしの為学は作為になる。韋斎はここを知った。叔梁紇などは知らない。○費と隱と二鼻に見てはならない。ここが隱とは説けない。費の上にある。子思が精を出して話すのは皆費のことである。隱は説けない。ここを発かなければ捌けないことを合点しなさい。絅翁の物説で儒仏の弁が分かる。靖献遺言ばかりの目では窺われないぞ。訂斎の白鹿洞の初条の看か。
【語釈】
・三井の古寺鐘はあれと…謡曲三井寺。「三井の古寺鐘あれど、昔にかえる声聞こえず」。
・無極而太極…太極図説の語。
・眞を乱る…中庸章句序。「彌近理而大亂眞矣」。
・有物有則…詩經大雅烝民。「天生烝民、有物有則」。
・韋斎…朱松。朱子の父。
・叔梁紇…孔子の父。
・絅翁…淺見絅齋。
・訂斎…久米訂齋。

○夫婦之愚云云。此夫婦と云字をつかまへるが中庸の中庸たる処。釈迦はこれで胸をわるくする。子思は夫婦て語りて終る。人事で道体を語るが垩人の宗旨。○道は養朴が遠山のやふにさび々々としたに非ず。人事に妙あり。是實学なりも是なり。子思、それそこにあると夫婦を云。どこの村でもふっていでない。そこに道あり。○之愚。馬鹿な夫婦と云ことに非す。數ならぬものと云こと。書に愚夫婦もそれ。○日傭取の軽いものなり。今もあれが処には硯箱はあるまいと云やふな身分あり。にじり書もならぬ夫婦なり。道のことは夢にも見まいと思ふに立派なことを知てをる。知る列になるを與り知と云。迂斎の弁なり。軽いものが見事に理屈を云。我に道理具ってあり。たどん屋が眞黒によごれて居れとも、わしも心まではよごさぬと云。與知なり。軽い女房が洗濯しつつ、わしも八十になる親を持て居るゆへわづろふまいと云。父母は唯其疾之憂なり。論語きかずに論語なり。與知なり。向に道理を持て居る。○迂斎の弁に、そなたは親が大切かと云へば、親が大切でなくて何が大切でござろう。わしじゃとて夫を知らぬものかと腹を立て云。ぼてふり亭主もかごかきの女房も知ている。道のたっふりが知れる。○道の大い証拠になる。あそこにもここにもある。上でも云ふ水なり。あそこの家に水あるまいでない。いろははかくことなら子とも、知ておる。○月のさすなり。天下中にさすなり。南風の吹なり。蘭麝待でない。いこうふってい。田舎より清涼殿迠吹く。たっふりゆへ與知がきこへた。
【解説】
「夫婦之愚、可以與知焉」の説明。夫婦之愚は軽い者のこと。その様な者も立派なことを知っている。「與知」である。そこで、道がたっぷりなのが知れる。
【通釈】
○「夫婦之愚云云」。この夫婦という字を捉まえるのが中庸の中庸たる処。釈迦はこれで胸を悪くする。子思は夫婦で語って終わる。人事で道体を語るのが聖人の宗旨。○道は養朴の遠山の様に寂々としたものではない。人事に妙あり。是実学也もこれ。子思が、それそこにあると夫婦を言った。何処の村でも払底でない。そこに道あり。○「之愚」。馬鹿な夫婦ということではない。数ならぬものということ。書経に「愚夫愚婦」とあるのもそれ。○日傭取の軽い者である。今もあいつの処には硯箱はあるまいという様な身分がある。躙り書きもならない夫婦である。道のことは夢にも見ないだろうと思うに立派なことを知っている。知る列になるのを「與知」と言う。迂斎の弁である。軽い者が見事に理屈を言う。自分に道理が具わってある。炭団屋が、真っ黒に汚れているが、私も心までは汚さないと言う。與知である。軽い女房が洗濯しつつ、私も八十になる親を持っているので煩うまいと言う。「父母唯其疾之憂」である。論語を聞かずに論語である。與知である。向こうに道理を持っている。○迂斎の弁に、貴方は親が大切かと尋ねれば、親が大切でなくて何が大切でござろう。私とてそれを知らないものかと腹を立てて言う。棒手振亭主も駕籠舁きの女房も知っている。道がたっぷりなのが知れる。○大層道の証拠になる。あそこにもここにもある。上でも言う水である。あそこの家には水がないだろうということはない。いろはは書ことができなくても知っている。○月が差す様なもの。天下中に差す。南風が吹く様なもの。蘭奢待ではない。大層払底。田舎より清涼殿まで吹く。たっぷりなので與知がよくわかる。
【語釈】
・養朴…狩野養朴常信。1636~1713。
・書に愚夫婦…書經夏書五子之歌。「予視天下、愚夫愚婦、一能勝予」。
・にじり書…にじるように筆を紙におさえつけて文字を拙く書くこと。また、その文字。
・父母は唯其疾之憂…論語爲政6。「孟武伯問孝。子曰、父母唯其疾之憂」。
・蘭麝待…蘭奢待。聖武天皇の時代、中国から渡来したという名香。東大寺正倉院御物目録には黄熟香とある。

○及其至也云云。至極の至てない。至善の至でない。末々の処。至りはづれを云。至らぬ隈もなしの至なり。塲ずへを云。○垩人は知ることの問屋なり。天地の中に知らぬことはあるまいと思うにはば廣い故有所不知焉。○家語をみよ。孔子を知り手と見て、なんぞと云孔子の所へ問にやる。家語は知りたをのせた。孔子も我等はしらぬと改じたこと。季氏が穴藏より異物を鑒出した。垩人と云へとも知ふはづなし。文云、謂辨土羊者。○當年何の種をまいてよかろふと云。さぞありつらん。老圃に問やれ。納戸の谷を葺と云。筑坡に問やれなり。屋根のことは孔子より筑波がよい。道廣く數多いこと。江戸功者と云人のあり。はくさん御殿の先きの御家人某あり、しってか。十万坪の先きに五兵衛あり、しってか。功者もいや存じませぬと云。江戸は廣。
【解説】
「及其至也、雖聖人亦有所不知焉」の説明。道は広く数多いから、聖人でも知らないことがある。
【通釈】
○「及其至也云云」。至極の至ではない。至善の至ではない。末々の処で、至り外れを言う。至らぬ隈もなしの至である。場末を言う。○聖人は知ることの問屋である。天地の中に知らないことはあるまいと思うに幅広いので「有所不知焉」。○家語を見なさい。孔子を知り手と見て、何かというと孔子の所へ問いに遣る。家語は知ったことを載せた。孔子も我等は知らぬと改めたこと。季氏が穴蔵より異物を見出した。聖人と雖も知る筈はない。文云う、土羊を辨ずと謂う者。○当年は何の種を播けばよいだろうと言う。さぞあったことだろう。老圃に問いなさい。納戸の谷を葺くと言う。筑波に問いなさい。屋根のことは孔子よりも筑波がよい。道は広く数多い。江戸功者という人がいた。白山御殿の先に御家人某がいるが知っているか。十万坪の先に五兵衛がいるが知っているかと尋ねると、功者もいや存じませぬと言った。江戸は広い。
【語釈】
・至らぬ隈もなし…雨月物語。「影玲瓏としていたらぬ隈もなし」。
・季氏が穴藏より異物を鑒出した…孔子家語辯物16。「季桓子穿井、獲如玉缶。其中有羊焉。使使問孔子曰、吾穿井於費、而於井中得一狗、何也。孔子曰、丘之所聞者、羊也。丘聞之木石之怪夔槡锹、水之怪龍罔象、土之怪羵羊也」。
・老圃に問やれ…論語子路4。「樊遲請學稼。子曰、吾不如老農。請學爲圃。曰、吾不如老圃」。
・はくさん御殿…白山御殿。徳川綱吉が将軍就任前、館林候の時に住んでいた地。後に小石川養生所となる。
・十万坪…深川洲崎十万坪。

夫婦の不肖云云。轎かきなり。不肖と云御坐へ出されぬものなり。それが天晴れ道を行そ。某も迂斎没後裏店に居て覚のあること。堺町の木戸番の類。軽い女房が日此大切がる衣裳を賣りて人參を買ふ。鏡も賣て練藥買ふ。夫との爲ならばと云。列女傳へ載てもよい。道が廣いゆへなり。軽い出入のものに是を食へと云に、食ずにそっと袖へ入る。なぜ食ぬ々々々々と云へば、母へやりたいと云。それは舜にも負れぬ。道廣なり。
【解説】
「夫婦之不肖、可以能行焉」の説明。御坐に出せない様な者でも道を行う。舜にも負けないことをする。
【通釈】
「夫婦之不肖云云」。駕籠舁きである。不肖という御坐へ出せない者である。それが天晴れ道を行う。私も迂斎没後裏店にいて覚えのあること。堺町の木戸番の類。軽い女房が日頃大切がる衣裳を売って人参を買う。鏡も売って練薬を買う。夫のためならばと言う。列女伝に載せてもよい。これも道が広いからである。軽い出入りの者にこれを食えと言うと、食べずにそっと袖へ入れる。何故食わないのかと聞けば、母へ遣りたいと言う。それは舜にも負けない。道は広い。

○及其至也雖垩人云云。裏店のものなるゆへ垩人のならぬことはあるまいと云に、病の時は孔子がをれよりは扁鵲をと云。娘のこしけ付た時は松敬を呼べし。○奥様の御産の時はとり挙婆々より家老が第二段になる。城代番頭より婆々が入用なり。繋辞傳の講釈してもかなわぬ。有所不能焉。○直方の、垩人は知は行ふの元祖なれとも、其垩人もと云で道のはなが高くなると云へり。垩人も五尺のからだなり。有だけなる、有だけしると云ことはならぬ。○外では垩人に雖字つかぬことなり。此章ばかりなり。其上にまだある々々々々。天地は垩人より上なものなり。其天地も形あり。形あればかぎりあり。道と云ものとは、子思がここで云だい々々々と居りて言たい次第に説く。○天ほど大いものはなし。形あるゆへならぬことあり。是が田舎などではよくしれる。片降り片旱する。照りつつきて麦も皆とんだと云。このやふに降りては畠のものはみんなになると云。丁どにやるが道理なり。天地も気にまどはれる時は人に憾らるる。
【解説】
「及其至也、雖聖人亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾」の説明。天地は聖人より上なもの。その天地にも形がある。形があれば限りがある。天地も気に惑わされる時は人に憾まれる。
【通釈】
○「及其至也、雖聖人云云」。裏店の者もできるのだから聖人のできないことはあるまいと言えば、病の時は孔子が俺よりは扁鵲をと言う。娘が拗け付いた時は松敬を呼びなさい。○奥様の御産の時は取上げ婆より家老が第二段になる。城代番頭より婆が入用である。繋辞伝の講釈をしても適わないこと。「有所不能焉」。○直方が、聖人は知は行の元祖だが、その聖人もと言うので道の鼻が高くなると言った。聖人も五尺の身体である。有るだけ成り、有るだけ知るということはならない。○他では聖人に雖の字は付かない。この章だけである。その上にまだある。天地は聖人より上なもの。その天地も形がある。形があれば限りがある。道というものとはと、子思がここで言いたい言いたいと座って言いたい次第に説く。○天ほど大きいものはない。形があるのでできないことがある。これが田舎などではよくわかる。片降り片旱する。照り続きで麦も皆とんだと言う。この様に降っては畠のものは台無しになると言う。丁度にやるのが道理である。天地も気に惑わされる時は人に憾まれる。
【語釈】
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。

○故君子語大云云。君子の方で道をかたるなり。費而隱の道なり。何にもかにもある。大にも道、小にも道。さて道ばなしの時は是より上に大いことはない。無載なり。○車へ物をのせるもはいる故なり。冨士駿河が載せる。大佛は奈良がのせる。道は洪大、載せられぬ。○大と云から又小もかたる。無能破也。小は罌子粒なり。あれもわりてあへんの油をとる。髪の毛繊てもわれば破る。道はわれぬゆへ是より少いことなし。○道理あるは月かうつるなり。九十九灘の海のこさぬ。又小を語る。影を細めて宿る月かな。茶筌で水を打つ。こまかな水あり。あれたけに月がうつる。さりとは御丁寧なり。道理のがれぬ。○佐藤先生の、ごみにもすてると云太極がありと云へり。あれにまで理あるゆへ、天下破ることなし。○是ほど云へとも隱のことなし。近付になりたくても形がない。皆費の綾を云。もったい付るでないが、形なければ得云はれぬ。以下註。
【解説】
「故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉」の説明。道は洪大なので、載せられない。また、道は破れないので、これより小さいことはない。ここも隱ではなくて費のことを言う。形がないので隱のことは言えないのである。
【通釈】
○「故君子語大云云」。君子の方で道を語る。費而隱の道である。何にもかにもある。大にも道、小にも道。さて道話の時はこれより上に大きいことはない。「莫能載」である。○車へ物を載せるのも入るからである。富士を駿河が載せる。大仏は奈良が載せる。道は洪大で、載せられない。○大と言うからまた小も語る。「莫能破」である。小さいのは罌粟粒である。あれも破って阿片の油を採る。髪の毛繊でも破れれば破れる。道は破れないので、これより少ないことはない。○道理があるのは月が映る様なもの。九十九灘の海は残さない。また小を語る。影を細めて宿る月かな。茶筌で水を打つ。細かな水がある。あれだけに月が映る。それは実に御丁寧である。道理は逃れられない。○佐藤先生が、塵にも捨てるという太極があると言った。あれにまで理があるので、天下破ることなし。○これほどに言っても隱のことはない。近付きになりたくても形がない。皆費の綾を言う。勿体を付けるのではないが、形がないので言うことはできない。以下註。

註。君子之道近自夫婦居室云云。山のあなたのことに非す。近は父子夫婦兄弟なり。居室の間十分尽さずとも道理なりに暮して居る。毎日喧嘩もなし。迂斎の人情によく達して云へり。かごかきも亭主はずっと食すてにして出る。とこもかしこもそれなり。亭主炊ては女房が出てはすまぬ。○遠而至於垩人天地云云。其からしてなり。天地の間の道理ははば廣い。垩人の手際にも天地の手際にも及ぬ。○御老中招請なり。きらびらかに於ては言ふやふなし。然れとも臺所には鯛の頭もある。掃きだめ古草鞋もある。そこが掃だめなり。末々の所は不埒と云はれぬ。天も垩人もみちのはばひろいゆへ尽されぬ。○中庸を聞けば垩人も手に及ぬ。道の外なく内なく、あれも道、これも道。可謂費焉。○夫婦の愚が費と云べし。費にはきわまったと矣の字。裏判なり。
【解説】
「與、去聲。○君子之道、近自夫婦居室之閒、遠而至於聖人天地之所不能盡。其大無外、其小無内。可謂費矣」の説明。夫婦室にいるの間も自然と道理なりに暮らしている。しかし、天地の間の道理は幅広いから、聖人の手際でも天地の手際でも及ばないことがある。
【通釈】
註。「君子之道。近自夫婦居室云云」。山の彼方のことではない。近くは父子夫婦兄弟である。「居室之閒」を十分に尽くさなくても道理なりに暮らしている。毎日喧嘩もない。迂斎が人情によく達して言った。駕籠舁きも亭主はずっと食い捨てにして出る。何処もかしこそれ。亭主が炊いて女房が出ては済まない、と。○「遠而至於聖人天地云云」。それからしてである。天地の間の道理は幅広い。聖人の手際にも天地の手際にも及ばないことがある。○御老中招請である。きらびやかさにおいては言い様ない。しかし、台所には鯛の頭もある。掃溜めには古草鞋もある。そこが掃溜めである。末々の所は不埒だとは言えない。天も聖人も道が幅広いので尽くすことができない。○中庸を聞けば聖人も手に及ばない。道の外なく内なく、あれも道、これも道。「可謂費焉」。○夫婦の愚が費と言うべし。費には極まったと「矣」の字。これが裏判である。

○然其理之所以然則隱而云云。隱をもどふぞと子思へなげいた時、隱而莫之見也。所以然は、どふしてそふじゃなり。奇妙なことなり。軽いものも知るに垩人の知らぬ。不審なり。その筈よ。みちのはば廣い。○所以然。そこを推した時に目の視へ耳の聽はどふも近付にならぬ。隱なり。○蓋可知可能者道中之一事云云。可知可能。夫婦之愚の上で云。あまり上ると日雇取の女房も垩人に同格になる。ここで下けて云。朱註あやの面白きことなり。道中の一事が一色でも道の外ではない。譬へば大名の家老用人用部屋で政務、君の御用なり。茶坊主が若殿の金魚のぼふふりをすくいに出る。子共じゃとをもい、何をいたづらすると云へば、御用じゃと云。これ御用の一事なり。半左ェ門殿より被仰付て西の子ともけらをとる。御用灯燈つけてもよいぞ。こまかにわれてゆく。○朝鮮人かかりの諸家の役人も状箱を持てゆく人足も同しことなり。隱岐殿讃岐殿御名代に立。雅樂殿のとき、志水三九郎が供も手掛かふりして、明日は出立いそかしいなどと云。それも御名代道中の一事なり。さるによりて、問屋が中間をわるくすることならぬ。○道中の一事は、いろは書ことならぬものも垩人の前で咳拂ひして立派な理屈を云へる。一寸の虫に五分の魂。愚不肖も我に道あるゆへなり。
【解説】
「然其理之所以然、則隱而莫之見也。蓋可知可能者、道中之一事」の説明。目や耳の働きでは隱を知ることはできない。「可知可能」は夫婦の愚の上で言ったこと。可知可能なことは道中の一事である。一寸の虫に五分の魂で、愚不肖も自分に道がある。
【通釈】
○「然其理之所以然、則隱而云云」。隱をもどうか見たいと子思に嘆いた時に、「隱而莫之見也」である。「所以然」は、どうしてそうなのかということ。奇妙なことだ。軽い者も知っているのに聖人は知らない。不審である。その筈で、道は幅広い。○「所以然」。そこを推した時に目の視え耳の聴こえることではどうも近付きになれない。隱である。○「蓋可知可能者、道中之一事云云」。「可知可能」は夫婦の愚の上で言う。あまり上げると日傭取の女房も聖人と同格になるので、ここでは下げて言う。朱註の綾が面白い。道中の一事が一色でも道の外ではない。譬えば大名の家老用人が用部屋で政務をするのは君の御用である。茶坊主が若殿の金魚の孑孑を掬いに出る。子供だと思って、どうして悪戯をすると言えば、御用だと言う。これも御用の一事である。半左ェ門殿より仰せ付けられて西の子供が螻蛄を捕る。その時は御用灯燈を点けてもよい。細かに分かれて行く。○朝鮮人係りの諸家の役人も状箱を持って行く人足も同じこと。隱岐殿讃岐殿御名代に立つ。雅樂殿の時に志水三九郎の供も手掛け被りをして、明日は出立で忙しいなどと言う。それも御名代道中の一事である。そこで、問屋が中間を悪くすることならない。○道中の一事は、いろはを書くこともできない者でも、聖人の前で咳払いをして立派な理屈を言える。一寸の虫に五分の魂。愚不肖も自分に道があるからである。
【語釈】
・志水三九郎…志水質義。三九郎と称す。

○大身には加賀殿なり。然れとも日本中の金穀皆あるではない。挙全体とこまる。大名と云へとも無いものあり、天下中のものをのこらす納戸に持ても居ぬ。鏡磨の道具や鍛冶屋の道具はない。このへ殿にも石臼の目を切る道具はあるまい。○固字、直方の御成の筈なり。其ときは股引なり。公方様さへ股引なれば、若年寄は固りのこと。○道の大いことになる段には、垩人不能尽焉。それて侯氏を引。○問礼問官云云。小笠原のけいこ、職原稽古に行く。所不能なり。孔子道理から云へば位得る筈なり。大德必得其位と自云へり。さてそふいかぬ。直方曰く、浪人てをるか孔子のひけにもならず、又祝義にも行はれぬ、と。○孔子になんだい言へば云はるる。御まい位を得て季子がわる心をも直し、陳恒も討がよしと云へば、孔子がそれはをれもこまるさと云。道理ては大德得其位と丈夫にいへとも、道理の通りにはゆかぬ。気と云わてわあり。
【解説】
「及其至、而聖人不知不能、則舉全體而言。聖人固有所不能盡也。侯氏曰、聖人所不知、如孔子問禮問官之類。所不能、如孔子不得位、堯舜病博施之類」の説明。大名でも全ての物を持っているわけではない。孔子も大徳だから位を得る筈だが、浪人でいた。道理の通りに行かないのは、気があるからである。
【通釈】
○大身は加賀殿である。しかしながら、日本中の金穀が皆あるということでもない。全体を挙げると困る。大名と言っても無い物もあり、天下中の物を残らず納戸に持ってもいない。鏡磨ぎの道具や鍛冶屋の道具はない。近衛殿にも石臼の目を切る道具はないだろう。○「固」の字は、直方が御成の時だと言った。その時は股引である。公方様でさえ股引であれば、若年寄は固よりのこと。○道の大きいことになる段には、「聖人固有所不能儘也」。それで侯氏を引く。○「問禮問官云云」。小笠原の稽古、職原の稽古に行く。「所不能」である。孔子は道理から言えば位を得る筈。「大德必得其位」と自ら言ったほどである。しかし、そうは行かない。直方曰く、浪人でいるのが孔子の引けにもならず、また祝儀にもならない、と。○孔子に難題を言えば言うことができる。得まい位を得て季子の悪心をも直し、陳恒も討つがよいと言うかと思えば、孔子がそれは俺も困るさと言う。道理では大德得其位と丈夫に言うが、道理の通りには行かない。気という訳がある。
【語釈】
・大德必得其位…中庸章句17の語。

○愚曰人所憾於天地。天地も太極で云へば自由自在なり。形で云とこまる。天地も二役はならぬ。覆載生成之偏。天の役地の役あり、かた々々づつなり。二役は迷惑なり。女なしに子を生しやうなし。隂は陽の半と云へとも手が届かぬ。陽ばかりかた々々では出来ぬ。朱子金山寺で土用の中、雪ふりしこともあり。寒暑の偏あり、人の憾に遇ふ。○顔子夭盗碩壽。天地が不調法なり。天道もきこへませぬと云人は理で賚る。天地も形あり気ゆへ、一言の云ぶんない。
【解説】
「愚謂人所憾於天地、如覆載生成之偏、及寒暑災祥之不得其正者」の説明。顔子は夭で盗跖は壽なのは、天地が不調法なのである。天地も形があって気だから不調法もある。
【通釈】
○「愚謂人所憾於天地」。天地も太極で言えば自由自在だが、形で言うと困る。天地も二役はできない。「覆載生成之偏」。天の役と地の役があって、片々ずつである。二役は迷惑である。女なしに子を生すことはできない。陰は陽の半とも言うが、手が届かない。陽ばかり片々では出来ない。朱子が金山寺で土用の中、雪が降ったこともある。寒暑の偏あり、人の憾みに遇う。○顔子は夭で盗跖は寿なのは、天地が不調法なのである。天道も聞こえませんという人は理で賚る。天地も形があって気なので、一言の言い分もない。
【語釈】
隂は陽の半

○一はいどこもかしこにも充たことを云て詩曰云云。まいで道理は云とって不足はない。そこに此詩を引たは別のことでないが、さき云たは是じゃと脊中をたたいて見せる。前て感心して、ここで一入面白くはづんで移ることなり。先軰の説も面白ことなれとも、今一つはっきりと示さん。前の段は人の形容を話すなり。年の恰好四十位、せいがどふ、顔がとふ、色がとふと語る。其で大底近付になった同前なり。処へ頼ませふと玄関へ見える。それさきの男がそこへ来たと示す。繊邸の文次はかふした男と云ふが上の段なり。そう云処へ文次が来た。直にそれと示す。そこか詩曰なり。それたけ親切の違いあり。詩を引は直に見せる処なり。東金の山のことを云、某かまとをあけ、それみよとすぐにみせる。格別なり。二つのことの様で一。詩を引ていこふのりのあることなり。
【解説】
「詩云、鳶飛戾天、魚躍于淵。言其上下察也」の説明。ここに詩を引いたのは、先に言ったことをはっきりと示したのである。
【通釈】
○一杯に何処もかしこも充ちたことを言って、「詩云云云」。前で道理は言い取って不足はない。そこにこの詩を引いたのは別のことでないが、先に言ったのはこれだと背中を叩いて見せる。前で感心して、ここで一入面白く弾んで移るのである。先輩の説も面白いが、今一つはっきりと示そう。前の段は人の形容を話すもの。年の恰好四十位、背がどう、顔がどう、色がどうと語る。それで大抵は近付きになったも同前である。そこへ頼もうと玄関へ見える。それ、先の男がそこへ来たと示す。繊邸の文次はこうした男だと言うのが上の段。そう言っている処へ文次が来た。直にそれと示す。そこが「詩云」である。それだけ親切の違いがある。詩を引くのは直に見せるためである。東金の山のことを言うと、私が窓を開けて、それ見よと直ぐに見せる。格別である。二つのことの様で一つ。詩を引くのが大層乗りのあること。
【語釈】
・繊邸の文次…花澤文次。

○大学詩を引たは咏嘆すること。ここは違ふ。ここはちかづけに見せる。開帳せぬ前に云云のことを云て、御簾を捲あけてそれとみせる。がんさりなり。○右の通り道何にもかにもある。それよ、詩経なり。○羽を伸て天、泉水に鮒も魿もは子まわる。理のあらわれた処なり。飛や躍か眼前に理のあらわれた形なり。理なりのふるまいなり。扨て何もかも理のなりなれとも、是れで生きて見へる。格段鳶魚をふいてふでない。詩にあるゆへ見せる。道は珍らしいことに非ず。がんざりなり。鳶ぎり魚ぎりと思ふは違ふ。親に孝、君に忠。人倫なりが鳶の飛なり。鼻の先のこと。遠くないを見せる。つまり理は気の上にあるものなり。気なり。この上に道がかんざりとあらわるる。これからは佛もよほと合点なり。所謂いよ々近理大乱眞て青々楊柳無非眞にょ云云。柳はみとり花は紅なり。あちもがんさりを見る。それならやはり女房持て居るがよい。雪山へ行くは實はみぬ。
【解説】
飛んだり躍ることが眼前に理の顕れた形であり、理なりの振舞である。気の上に道がはっきりと顕れる。仏も柳は緑花は紅と見るが、現実から逃れる。それは本当は理を見ていないのである。
【通釈】
○大学で詩を引いたは詠嘆したことだが、ここは違う。ここは直付けに見せる。開帳しない前に云云のことを言って、御簾を捲き上げてそれと見せる。それではっきりとする。○右の通り、道は何にもかにもある。それよ、詩経だ。○羽を伸ばして天、泉水に鮒も魿も跳ね回る。これが理の顕れた処である。飛んだり躍ることが眼前に理の顕れた形である。理なりの振舞である。さて何もかも理の姿だが、これで生きて見える。格段に鳶や魚を吹聴するのではない。詩にあるから見せる。道は珍しいことではない。沢山ある。鳶だけ魚だけだと思うのは違う。親に孝、君に忠。人倫の通りが鳶の飛ぶこと。鼻の先のことで、遠くないことを見せる。つまり理は気の上にあるものなのである。気があり、この上に道がはっきりと顕れる。これからは仏もよほど合点のこと。所謂「彌近理而大亂眞矣」で「青々楊柳無非眞如云云」と言う。柳は緑花は紅である。あちらもはっきりとしたものを見る。それならやはり女房を持っているのがよい。雪山へ行くのは、実は見ていないのである。

○あちは魚が飛鳶か躍る。忠孝すれば柳はみとり花は紅なり。見るは見ても將来の処が違ふ。儒仏にて違ふ。儒者靜坐、佛の坐禅、似たやふで違ふ。境坐禅何の爲にする。柳はみとりと云ふた甲斐なし。○鼻の先目前日用切近へをとすが中庸とも實學とも云。断章取義なり。道を近くとる。扨又断章取義がここは他書に詩を引たとは違ふ。この章と詩経よく合ふ。佐藤子詩経からよくすませと云へり。この詩天子人を用るに自然の通り取上る。ちんばには門番、目盲には針医や。鳶飛天なり。仏は関所番人に目くらをやり、火事塲えちんばをやる。鳶飛魚躍をさかさまにする。直方の、唐からしのからい、雷盆の鳴が無聲無臭と云もそこ。君々たり臣々たり、鳶飛魚躍なり。皆自然のことなり。青々緑竹無非眞如と口でばかり言なり。ほんにさとれば日用をすてぬ筈。道は眼前底なものなり。其眼前をすつるはさとらぬなり。
【解説】
鼻の先、目前日用切近へ落とすのが中庸とも実学とも言う。本当に悟れば日用を捨てない筈である。本当は仏は悟っていないのである。
【通釈】
○あちらは魚が飛び鳶が躍る。忠孝をすれば、柳は緑花は紅である。見るは見ても將来の処が違う。儒仏で違う。儒者の静坐、仏の坐禅、似た様で違う。それなら坐禅は何のためにする。柳は緑と言った甲斐はない。○鼻の先、目前日用切近へ落とすのが中庸とも実学とも言う。断章取義である。道を近くに取る。さてまた断章取義だが、ここは他書に詩を引いたものとは違う。この章と詩経とはよく合う。佐藤子が詩経からよく済ませと言った。この詩は天子が人を用いるのに自然の通りに取り上げること。跛には門番、盲には針医。これが「鳶飛戾天」である。仏は関所番人に盲を遣り、火事場へ跛を遣る。鳶飛魚躍を逆様にする。直方の、唐辛子の辛い、擂盆の鳴くのが無聲無臭と言うのもそこ。「君君、臣臣」は、鳶飛魚躍である。皆自然なこと。「青青緑竹無非眞如」と口でばかり言う。本当に悟れば日用を捨てない筈。道は眼前底なもの。その眼前を捨てるのは悟っていないのである。
【語釈】
・君々たり臣々たり…論語顏淵11。「齊景公問政於孔子。孔子對曰、君君、臣臣、父父、子子」。

註。著也。鄭玄を取る。首をひ子るでない。察識と云てはゆるい。それそこなり。生なものを生で出して見せる。○化育流行の字着眼。本文の鳶魚の字を惣体で語る。道体は鳶にかぎらぬなれとも、子思はあるもので示す。御国にも鳶はごさろう。なるほどござる。幸い詩にあるゆへ引く。扨生とせ生るものは皆化育流行なり。薛文靖か、水に風あたりて動くも鳶飛魚躍と云。杉は上へのぼり冬瓜は地を這ふ。目に觸るるもの皆鳶飛魚躍。理のあらわれたもの。○鳶魚は見分のなるもので、ならぬものを知ること。○故程子曰此一節云云。故字朱子思入あることなり。本文に詩を引ては子思の格別はづんてのったことなり。詩を引ても上と理は一つなれども、はつみが違ふ。上の夫婦之愚より云云は巻き舌で云ふ。詩曰からは子思のたたみかけ々々々々々はつんでの玉ふ。是は言の外を見て云ことなり。
【解説】
「鳶、余專反。○詩、大雅旱麓之篇。鳶、鴟類。戾、至也。察、著也。子思引此詩、以明化育流行、上下昭著、莫非此理之用。所謂費也。然其所以然者、則非見聞所及。所謂隱也。故程子曰、此一節」の説明。目に触れるものは皆鳶飛魚躍で、理の顕れたもの。本文に詩を引いたのは子思の格別弾んで乗ったこと。詩を引いても上と理は一つだが、弾みが違う。
【通釈】
註。「著也」。鄭玄を採る。首を捻ることではない。察識と言っては温い。それそこのこと。生なものを生で出して見せる。○「化育流行」の字に眼を着けなさい。本文の鳶魚の字を総体で語る。道体は鳶に限らないが、子思はあるもので示す。御国にも鳶はごさろう。なるほどござる。幸いに詩にあるので引く。さて、生きとし生ける物は皆化育流行である。薛文靖が、水に風が当たって動くのも鳶飛魚躍だと言った。杉は上へ上り冬瓜は地を這う。目に触れるものは皆鳶飛魚躍で、理の顕れたもの。○鳶魚という見分けのできるもので、見分けられないものを知るのである。○「故程子曰、此一節云云」。故の字に朱子の思い入れがある。本文に詩を引いたのは、子思の格別弾んで乗ったこと。詩を引いても上と理は一つだが、弾みが違う。上の夫婦之愚より云云は巻き舌で言う。詩曰からは子思が畳み掛けて弾んで宣う。ここは言の外を見て言ったこと。
【語釈】
・鄭玄…後漢の大儒。字は康成。127~200。

○喫緊爲人。歯をくいしばると先軰云へり。某が意、これは子思のまくりかけ々々々々々のぼせて云たと云ほどのこと。喫の字、どもりなどにえんあり。唾を呑んでぎっ々々と云底なり。急緊とも連る字。ゆるやかの裏なり。たたみかけ、これが合点。これでみよなり。上の段はのっし々々々と云、ここはあぶせかけるように脊をたたいて云。さて語勢にあること。火事のときは、火小屋から烟が出るとしらせる時は喫緊なり。ほうろく賣か来たぞよとしらせることあり。その時は喫緊てはない。○爲人。子思御手前の爲には入らぬ。ここじゃは見ろ々々となり。一休が禅、人のまよいを解くなり。さとりに非す。一休も人の爲ぞ。○序文に其言之也切が喫緊なり。ここを見違へると異端になる。道の生ているを形容するのみ。鳶で道を活す。扨達磨が九年はむだなり。雪山へにげる。道の外のはたらきなり。せふりん隱の面壁は何の役に立ぬ。向中庸は達磨が女房もつことと菽谷固有に書て與へき。あの目玉て女房をもてばよい。道は眼前夫婦より始る。
【解説】
「子思喫緊爲人處」の説明。「喫緊」は、子思が捲り掛けて逆上せて言ったというほどのこと。子思は人の為に言った。一休の禅も人の迷いを解くもので、悟りではなくて人の為である。
【通釈】
○「喫緊爲人」。歯を食い縛ることだと先輩が言った。私の意では、これは子思が捲り掛けて逆上せて言ったというほどのこと。喫の字は、吃りなどに縁がある。唾を呑んでぎっぎっと言う底である。急緊とも連なる字で、緩やかの裏である。畳み掛けてというのが合点。これで見なさい。上の段はのっしのっしと言い、ここは浴びせ掛ける様に背を叩いて言う。さて語勢にあること。火事の時、火小屋から烟が出ると知らせる時は喫緊である。焙烙売りが来たぞと知らせることがある。その時は喫緊ではない。○「爲人」。子思は自分の為には要らない。ここだ、見ろ見ろと言う。一休の禅は人の迷いを解くもので、悟りではない。一休も人の為である。○序文にある「其言之也切」が喫緊である。ここを見違えると異端になる。道の生きているのを形容するだけ。鳶で道を活かす。さて、達磨の九年は無駄なこと。雪山へ逃げる。それは道の外の働きである。少林院の面壁は何の役にも立たない。先に中庸は達磨が女房を持つことだと菽谷固有に書いて与えた。あの目玉で女房を持てばよい。道は眼前で、夫婦より始まる。

潑は水のめくるなり。徂徠俗語のあたけると云。水鉢へ棒を入れてかきまわすと水が渦くやふに、人のじだんだ蹈なり。道を活して見せる。佐藤子、あかはだかにして見せると云へり。鐘がすわ々々動く。さてこそ蛇體はあらはれたり。○道は声の臭なきもの。魚や鳶で声臭なきものが動て来る。○扨見様二つあり。輯畧の本語兼て見べし。道はだたい生きた活溌々地なもの。然れどもこちの見様がわるいところす。冨士も人足が見るかしぬ。業平西行が見ると活潑々地。活溌々地會得時活潑々地。○歒の皃を覺へたと先軰あり。あれが歒じゃと云。動て来る。○何でたとへても知れる。德利を要助殿市右衛門殿そなだたちが見ては動かぬ。かの重次郎が見ると活溌々地。十次郎破顔消息。所謂得則活溌々地なり。向の活溌々地なものを此方で活す。ここはのら子ば話されぬこと。
【解説】
「活潑潑地」の説明。道には声臭がない。魚や鳶で声臭なきものが動いて来る。道はそもそも生きた活溌溌地なもの。しかし、こちらの見様が悪いと殺す。
【通釈】
「潑」は水の巡る様なこと。徂徠が俗語のあたけるだと言った。水鉢へ棒を入れて掻き回すと水が渦巻く様に、人が地団駄踏むこと。道を活かして見せる。佐藤子が、赤裸にして見せると言った。鐘がすわすわと動く。さてこそ蛇体は現れたり。○道は声臭なきもの。魚や鳶で声臭なきものが動いて来る。○さて見様が二つある。輯略の本語を兼ねて見なさい。道はそもそも生きた活溌溌地なもの。しかしながら、こちらの見様が悪いと殺す。富士も人足が見ていては死ぬ。業平や西行が見ると活溌溌地。活溌溌地、會し得る時は活溌溌地。○敵の顔を覚えたことだと先輩の説にある。あれが敵だと言う。動いて来る。○何で譬えてもわかる。徳利を要助殿や市右衛門殿、お前達が見ては動かない。彼の重次郎が見ると活溌溌地である。十次郎破顔消息。所謂得れば則ち活溌溌地である。向こうの活溌溌地なものをこちらで活かす。ここは乗らなければ話すことはできない。
【語釈】
・要助…大原要助。大網白里町柳橋の人。
・市右衛門…小川省義。幼名は磯次郎、興十郎。後に市右衛門。東金市東士川の人。文化11年(1814)6月21日没。年81。稲葉迂齋門下。後に稲葉黙齋に学ぶ。

冝致思焉。程子本書の字を含んで看よ。心有事焉、ここて仕事にす。活溌々地になる。學者の方であらわす所なり。見所がなくてはここをみましたとは云れぬ。此方へかけてみること。○埀加諸門人東山の會の時、雲川弘毅きぶい皃して居るゆへ、今日は花見ちとうつれと云しを、これほどっているにさと云た。そこをうつらぬとは云なり。勝の茂兵衛かここを講して、この鳶と申しまするはと云ふを、直方の、其申しまするがわるいと云へり。會不得弄精神、そこのことなり。○眼前皆道なり。ここかすむと天地のそこがぬける。○與黜もここなり。曾点浪人なり。政は眼前にない。松の桜見に行ふと云。たたの師なら論語をよむとばかりなり。孔子は御感心なり。日用の処が鳶飛魚躍なり。堯舜の気象と云も眼前のなりにすら々々なり。曾点ここを見た。理なりをすることなり。覇者は魚鱗靏翼、井へ鳶を入れ、空へ魚をやる。眼前理なりでない。手くろなり。○直方先生この章を朝聞道に合して云へり。眼前とみれば生死にも迷はぬ。はや石の車なり。臨済黄檗てもいかな動かぬ。斯合点すれは費隱章のすんだのなり。
【解説】
「讀者宜致思焉」の説明。眼前が皆道だということがわかると天地の底が抜ける。曾點もそれ。直方先生はこの章を朝聞道に合わせて言った。眼前と見れば生死にも迷わない。
【通釈】
「宜致思焉」。程子の本書の字を含んで看なさい。「必有事焉」、ここで仕事にすると活溌溌地になる。学者の方で顕す所である。見所がなくてはここを見ましたとは言えない。自分へ掛けて見ること。○垂加と諸門人が東山の会の時に、雲川弘毅がきぶい顔をしているので、今日は花見だから一寸うつれと言うと、これほどうつっているのにさと言った。そこをうつらないと言うのである。勝の茂兵衛がここを講じて、この鳶と申しまするはと言ったのを、直方が、その申しまするが悪いと言った。「會不得時、只是弄精神」とはそこのこと。○眼前が皆道である。ここが済むと天地の底が抜ける。○「與點」もここ。曾點は浪人である。政は眼前にはない。松の桜を見に行こうと言う。ただの師であれば論語を読むとばかり言うが、孔子は御感心である。日用の処が鳶飛魚躍である。堯舜の気象というのも眼前の通りにすらすらである。曾點はここを見た。理なりをすること。覇者は魚鱗鶴翼で、井へ鳶を入れ、空へ魚を遣る。眼前理なりでない。手くろである。○直方先生はこの章を朝聞道に合わせて言った。眼前と見れば生死にも迷わない。はや石の車である。臨済や黄檗でも決して動かない。その合点をすれば費隱の章が済んだことになる。
【語釈】
・心有事焉…「必有事焉」。元々は孟子公孫丑章句上2の語。
・雲川弘毅…雲川春庵。名は弘毅。治兵衛と称す。別号は勞謙齋。
・會不得弄精神…朱子語類63。「程子又謂、會不得時、只是弄精神、何也。曰、言實未會得、而揚眉瞬目、自以爲會也。弄精神、亦本是禪語」。
・與黜…論語先進25。「夫子喟然歎曰、吾與點也」。
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管。
・朝聞道…論語里仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・黄檗…黄檗希運。弟子に臨済義玄がいる。

○君子之道造端乎夫婦。この段費隱を結でない。詩を結ぶ。みな結ぶなれば通結上文とあるべきことなり。此詩を結んたが面白ことなり。道体で遠くなると思ふと、君子之道造端乎夫婦と、鳶飛魚躍を直きに夫婦としたか大切の見なり。道体を道体で結んたことなれとも、造端と云字でみるべし。娘が大ふなりた。かたつけづはなるまいが、即ち鳶飛なり。造端乎夫婦。手始にすること。功夫の始にすることなり。道体なれとも修行もかけて云。道体に造端といふは無はづ。是れ功夫をこめて云ものなり。仏はつめたく我邦はまたちと夫婦ずきなり。堯の舜に妻せ礼の大昏始とし、易乾坤咸恒、皆ここて始とすと或問にあり。夫婦も鳶飛魚躍と見るは道体で、そこへ功夫をこめて云ゆへ、或問にそっと戒愼恐懼を出して置たが面白い。ここが崩れるとならぬ。迂斎の、千住で足を傷ると仙臺へ行れぬと云へり。夫婦と出して、五倫皆この中にあること。なかんづく夫婦は近いしたしいなり。
【解説】
「君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地。結上文」の説明。ここは詩を結んだもの。鳶飛魚躍を直に夫婦としたのが大切な見である。夫婦も鳶飛魚躍と見るのは道体だが、そこへ功夫を込める。
【通釈】
○「君子之道、造端乎夫婦」。この段は費隱を結んだのではなくて詩を結んだもの。皆を結ぶのであれば通結上文とあるべきである。この詩を結んだのが面白いこと。道体で遠くなると思うと、「君子之道、造端乎夫婦」と、鳶飛魚躍を直に夫婦としたのが大切な見である。道体を道体で結んだことなのだが、造端という字で見なさい。娘が大きくなった。片付けなければなるまいと言うのが、即ち鳶飛である。「造端乎夫婦」。手始めにすること。功夫の始めにすること。道体だが修行も掛けて言う。道体に造端ということは無い筈。これは功夫を込めて言ったもの。仏は冷たく我が邦はまた一寸夫婦好きである。堯舜に妻わせて礼の大昏の始めとし、易の乾坤咸恒も、皆ここで始めとすると或問にある。夫婦も鳶飛魚躍と見るのは道体で、そこへ功夫を込めて言うので、或問にそっと戒愼恐懼を出して置いたのが面白い。ここが崩れるとならない。迂斎が、千住で足を傷付けると仙台へ行かれぬと言った。夫婦と出して、五倫も皆この中にある。就中夫婦は近い親しいもの。
【語釈】
・堯の舜に妻せ礼の大昏始とし、易乾坤咸恒、皆ここて始とすと或問にあり…中庸或問。「易首乾坤而重咸恆。詩首關雎而戒淫泆。書記釐降、禮謹大昬。皆此意也」。

○行きつまりは、天地の遠いこともここから推して行ことなり。ここに見やふあり。上の夫婦の愚の夫婦とここの夫婦は別と云もわるい。亦同ことにもあらず。又上の至と察とここの至の字察字同ことなれとも、少し見やふ違へて合点すべし。鬼神の章と二十章、注に大小と云字も費隱の章から出たもの。あの小の字をここの端へあて、あの大の字をここの至の字へあててみよ。そこで同じ字でも、この章の文字も同ことでも違いがみへる。上はあれか手になること。ここは工夫をこめて云ゆへの違いあり。上の至は道の洪大を云、ここはあれを言ふはつはない。ここは夫婦の寢て居る近い所より、それをだん々々つめて行くの至なり。竒灑好の袋棚より先つ掃除して、其から段々門までゆく。内からして天下に及ぶ。愼獨からでなければ察乎天地には至られぬ。此処誤り會すべからず。一章の内にて夫婦も及も至も察も違うはつはなし。一つ文義にて一つ処にあんはいあること。
【解説】
「至」は、上はあれが手になること。ここは工夫を込めて言うこと。上の至は道の洪大を言うが、ここは夫婦の寝ている近い所から、それを段々に詰めて行くことの至である。
【通釈】
○行き詰まりは、天地の遠いこともここから推して行くということ。ここに見様がある。上の夫婦之愚の夫婦とここの夫婦は別だと言うのも悪いが、また同じことでもない。また上の至と察と、ここの至の字と察の字とは同じことだが、少し見様を違えて合点しなさい。鬼神の章と二十章、注にある大小という字も費隱の章から出たもの。あの小の字をここの端へ当て、あの大の字をここの至の字へ当てて見なさい。そこで同じ字でも、この章の文字も同じことでも違いが見える。上はあれが手になること。ここは工夫を込めて言うという違いがある。上の至は道の洪大を言うが、ここはあれを言う筈はない。ここは夫婦の寝ている近い所から、それを段々に詰めて行くことの至である。綺麗好きが袋棚から先ずは掃除をして、それから段々門まで行く。内からして天下に及ぶ。「愼獨」からでなければ「察乎天地」に至ることはできない。この処を誤って会してはならない。一章の内で夫婦も及も至も察も違う筈はない。一つ文義で一つ処に按排があること。

右第十二章云云。○申明は重言と云ことに非す。ふりの違ふを云。根は一つなれとも、示しやふが違ふ。堺町に後日と云ことあり。皆が知てで有う。又狂言を継で出す。子思も後日にして出せり。首章之道不可須臾離は道体なれとも、戒愼の功夫を言たい枕言ばに云やふなもの。子思も首章では道不可離の道体をそこ々々に云う。大切なことなれとも、道不可離の一句、主意が早く戒謹恐懼の方へ出したいなり。功夫をせよなり。今日の費隱の章で子思が居直ってゆっくりと話す。先度途中て一寸申た道不可離のこと、今日は坐敷へ通り、一日とっくりと云。離られぬが費なり。中庸も十二章以下はふりちがふ。ここらて天命性と云と、いや天命性は隱居されたと云。首章ては道不可須臾離じゃによって、戒謹恐懼と工夫へかかり、道不可離のことをは悉くはのべす。ここは永日の時を期し。そのはつぞ。性道教てたたりてをる。そこて朱子も豈卒性の謂哉ととへかぶせてしまふたのぞ。固り天命性のことなれとも、費隱が本立なり。日蓮がもと天台なれども、今日蓮宗と云て天台とは云はぬ。是より費隱て又誠へ渡す。
【解説】
「右第十二章、子思之言、蓋以申明首章道不可離之意也。其下八章、雜引孔子之言以明之」の説明。子思はは首章で道不可離の道体をそこそこに言う。それは戒謹恐懼の方へ早く行きたいからである。この費隱の章では、子思は居直ってゆっくりと話す。ここは天命性よりも費隱が本立である。そして、これからは誠へと行く。
【通釈】
「右第十二章云云」。○「申明」は重言ということではない。振りが違うことを言う。根は一つだが、示し様が違う。堺町に後日ということがある。皆が知っていることだろう。また狂言を継いで出す。子思も後日にして出した。首章の「道不可須臾離」は道体だが、「戒愼」の功夫を言たいから枕詞として言う様なもの。子思も首章では道不可離の道体をそこそこに言う。それは大切なことだが、道不可離の一句の主意は、早く戒謹恐懼の方へ出したいのである。功夫をせよということ。今日の費隱の章では子思が居直ってゆっくりと話す。先ほど途中で一寸申した道不可離のことを、今日は坐敷へ通り、一日とっくりと言う。離れられないのが費である。中庸も十二章以下は振りが違う。ここらで天命性と言うと、いや天命性は隠居されたと言う。首章では道不可須臾離だから、戒謹恐懼と工夫へ掛かり、道不可離のことは悉くは述べない。ここは永日の時を期す。その筈で、性道教で祟ってある。そこで朱子も豈率性之謂哉と問い被せてしまったのである。固よりここも天命性のことだが、費隱が本立である。日蓮は元は天台だったが、今日蓮宗と言って天台とは言わない。これより費隱でまた誠へ渡す。

扨費隱つまりが道不可離のことなり。異端は費の字を知らぬ。中庸どこまでも佛をはなさず責ることなり。子思のときは仏はないが、子思の時からの異端を集而大成したが佛なり。あの道が中庸の時からきざしあったも知れた。子思の時、佛がないとての中庸で、ちょこ々々々した異端を相手にせぬ。とかく異端は佛にとどまるゆへなり。扨あちも影をは見て廿尋の理屈を云。そこてひぬことになる。因て跡上の断かそこなり。柳はみとり蕐は紅。なるほど似たなり。その位ならばなぜ女房もたぬと跡で排斥す。雪山、最ふ離れた。造端乎夫婦が即ち鳶飛魚躍。此方は離さぬ。其下八章云云。費隱章の棒杬なり。
【解説】
子思の時に仏はいなかった。仏は子思の時からの異端を集めて大成したもの。仏も色々と理屈を言う。それで尽きない。中庸は何処までも仏を離さずに責めるもの。
【通釈】
さて、費隱はつまり道不可離のこと。異端は費の字を知らない。中庸は何処までも仏を離さずに責めるもの。子思の時に仏はいなかったが、子思の時からの異端を集めて大成したのが仏である。あの道の兆しが中庸の時からあったのも知れた。子思の時は仏がいない時の中庸なので、ちょこちょことした異端を相手にはしなかった。とかく異端は仏に止まるからである。さて、あちらも影を見て二十尋の理屈を言う。そこで干ないことになる。それで迹上の断である。柳は緑花は紅。なるほど似ている。その位であれば何故女房を持たないのかと迹で排斥する。雪山にもう離れた。造端乎夫婦が即ち鳶飛魚躍。こちらは離さない。「其下八章云云」。費隱の章の棒杬である。
【語釈】
・跡上の断…近思録異端9。「釋氏之說、若欲窮其說、而去取之、則其說未能窮、固已化而爲佛矣。只且於迹上考之、其設敎如是、則其心果如何。固難爲取其心、不取其迹。有是心則有是迹。王通言心迹之判、便是亂說。故不若且於迹上斷定不與聖人合。其言有合處、則吾道固已有。有不合者、固所不取。如是立定、卻省易」。