己酉一六中庸筆記
第十三章より至十五章  三月朔日  文司
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・文司…吉野文司。東金市押堀の人。


中庸章句第十三章
子曰、道不遠人。人之爲道而遠人、不可以爲道。道者、率性而已。固衆人之所能知能行者也。故常不遠於人。若爲道者、厭其卑近、以爲不足爲、而反務爲高遠難行之事、則非所以爲道矣。
【読み】
子曰く、道は人に遠からず。人の道を爲[おこな]って人に遠きは、以て道とす可からず。道は性に率うのみ。固より衆人の能く知り能く行う所の者なり。故に常に人に遠からず。若し道を爲う者、其の卑近を厭い、以てするに足らずと爲して、反って務めて高遠にして行い難き事を爲えば、則ち道を爲う所以に非ざるなり。

詩云、伐柯伐柯、其則不遠。執柯以伐柯、睨而視之、猶以爲遠。故君子以人治人。改而止。睨、研計反。○詩、豳風伐柯之篇。柯、斧柄。則、法也。睨、邪視也。言人執柯伐木以爲柯者、彼柯長短之法、在此柯耳。然猶有彼此之別。故伐者視之猶以爲遠也。若以人治人、則所以爲人之道、各在當人之身、初無彼此之別。故君子之治人也、卽以其人之道、還治其人之身。其人能改、卽止不治。蓋責之以其所能知能行、非欲其遠人以爲道也。張子所謂以衆人望人則易從、是也。
【読み】
詩に云く、柯を伐[き]り柯を伐る、其の則遠からず、と。柯を執って以て柯を伐るだも、睨して之を視て、猶以て遠しとす。故に君子は人を以て人を治む。改むるときにして止む。睨は研計の反。○詩は豳風伐柯の篇。柯は斧の柄。則は法なり。睨は邪視なり。言うこころは、人柯を執って木を伐り以て柯を爲るは、彼の柯の長短の法、此の柯に在るのみ。然れども猶彼此の別有り。故に伐る者之を視て猶以て遠しとす。若し人を以て人を治むれば、則ち人爲る所以の道は、各々當人の身に在りて、初めより彼此の別無し。故に君子の人を治むるや、卽ち其の人の道を以て、還して其の人の身を治む。其の人能く改むれば、卽ち止めて治めず。蓋し之を責むるに其の能く知り能く行う所を以てして、其の人に遠くして以て道を爲わんことを欲するに非ず、と。張子謂う所の衆人を以て人に望めば則ち從い易しとは、是れなり。

忠恕違道不遠。施諸己而不願、亦勿施於人。盡己之心爲忠、推己及人爲恕。違、去也。如春秋傳齊師違穀七里之違。言自此至彼、相去不遠。非背而去之之謂也。道卽其不遠人者、是也。施諸己而不願、亦勿施於人、忠恕之事也。以己之心度人之心、未嘗不同、則道之不遠於人者可見。故己之所不欲、則勿以施之於人、亦不遠人以爲道之事。張子所謂以愛己之心愛人則盡仁、是也。
【読み】
忠恕は道を違[さ]ること遠からず。諸を己に施して願わざること、亦人に施すこと勿かれ。己が心を盡くすを忠と爲し、己を推して人に及ぼすを恕と爲す。違は去るなり。春秋傳に齊の師穀を違ること七里というの違の如し。此より彼に至るまで、相去ること遠からざることを言う。背いて之を去るの謂に非ず。道は卽ち其れ人に遠からずとは、是れなり。諸を己に施して願わざること、亦人に施すこと勿かれとは、忠恕の事なり。己が心を以て人の心を度るに、未だ嘗て同じからずんばあらざれば、則ち道の人に遠からざる者見る可し。故に己が欲せざる所は、則ち以て之を人に施すこと勿かれとは、亦人に遠からずして以て道を爲うの事なり。張子謂う所の己を愛する心を以て人を愛すれば則ち仁を盡くすとは、是れなり。

君子之道四。丘未能一焉。所求乎子、以事父、未能也。所求乎臣、以事君、未能也。所求乎弟、以事兄、未能也。所求乎朋友、先施之、未能也。庸德之行、庸言之謹、有所不足、不敢不勉、有餘不敢盡。言顧行、行顧言。君子胡不慥慥爾。子・臣・弟・友、四字絶句。○求、猶責也。道不遠人。凡己之所以責人者、皆道之所當然也。故反之以自責而自脩焉。庸、平常也。行者、踐其實。謹者、擇其可。德不足而勉、則行益力。言有餘而訒、則謹益至。謹之至則言顧行矣。行之力則行顧言矣。慥慥、篤實貌。言君子之言行如此。豈不慥慥乎。贊美之也。凡此皆不遠人以爲道之事。張子所謂以責人之心責己則盡道、是也。
【読み】
君子の道四つ。丘未だ一つも能くせず。子に求むる所、以て父に事ること、未だ能くせず。臣に求むる所、以て君に事ること、未だ能くせず。弟に求むる所、以て兄に事うること、未だ能くせず。朋友に求むる所、先ず之を施すこと、未だ能くせず。庸德を行い、庸言を謹み、足らざる所有りとして、敢えて勉めずんばあらず、餘り有りとして敢えて盡くさず。言行を顧み、行言を顧みる。君子胡[なん]ぞ慥慥爾[ぞうぞうじ]たらざらん。子・臣・弟・友の四字は絶句。○求は猶責むるのごとし。道人に遠からず。凡そ己が人を責むる所以の者は、皆道の當に然るべき所なり。故に之を反して以て自ら責めて自ら脩むるなり。庸は平常なり。行は其の實を踐むなり。謹は、其の可を擇ぶなり。德足らざるを勉むれば、則ち行益々力む。言餘り有りて訒[かた]くすれば、則ち謹み益々至る。謹みの至りは則ち言行を顧みる。行いの力めは則ち行言を顧みる。慥慥は篤實の貌。言うこころは、君子の言行此の如し。豈慥慥ならずや、と。之を贊美してなり。凡そ此れ皆人に遠からずして以て道を爲う事なり。張子謂う所の人を責むるの心を以て己を責むれば則ち道を盡くすとは、是れなり。

右第十三章。道不遠人者、夫婦所能。丘未能一者、聖人所不能、皆費也。而其所以然者、則至隱存焉。下章放此。
【読み】
右第十三章。道人に遠からずとは、夫婦も能くする所なり。丘未だ一つも能くせずとは、聖人の能くせざる所にして、皆費なり。而も其の然る所以は、則ち至隱も存す。下章も此に放え。


子曰道不遠人云云。費隱の章は道のそこにあることを見せ、此章はそこにあるを得ること。費隱は道体。爰は爲學。扨て費隱で道はそこにあると知ても、すててをいては役に立ぬ。そこで爰て又一つ道と云を語て、山のあなたでなく人に備てあるぞ。親のないものはない。その親に孝をすることぞ。これほと近いことはない。其近い道を却て此方で遠くする。其開山は異端なり。人之爲道の爲の字、論語の仁をするの爲の字ぞ。不可以爲道は、それては道と云はれぬと云ことなり。朱子の注のしむけは処々て替る。天命之章の道は、日用事物當行之理と云注が道の判鏡で何処へも通るが、知者過之愚者不及の章では、其過不及の字から中而已とされたぞ。爰ては直にそなたの懐中にあると示すから、率性としたなり。此所先君子説得通快。唐彦明大に感服す。三十七年于今皆遺亡す。迂斎学話廿三巻、八左感心とはそのことなり。八左とは彦明かことなり。而已云云。外に六ヶ鋪ことはない。
【解説】
「子曰、道不遠人。人之爲道而遠人、不可以爲道。道者、率性而已」の説明。費隱の章で道がそこにあることを見せ、この章はそこにある道を得ることを言う。費隱は道体で、ここは為学である。天命の章で、道は何処にもあることを言い、知者過之愚者不及の章では、道は中のみであることを言い、ここでは道は人に備わってあると言う。
【通釈】
「子曰、道不遠人云云」。費隱の章は道がそこにあることを見せ、この章はそこにある道を得ること。費隱は道体。ここは為学。さて費隱で道はそこにあると知っても、捨てて置いては役に立たない。そこで、ここでまた一つ道ということを語って、山の彼方ではなくて人に備わってあることを見せる。親のないものはない。その親に孝をすること。これほど近いことはない。その近い道を却ってこちらで遠くする。その開山は異端である。「人之爲道」の爲の字は、論語にある仁を爲[す]るの爲の字である。「不可以爲道」は、それでは道とは言えないということ。朱子の注の仕向けは処々で替わる。天命の章の道は、日用事物當行之理という注が道の判鏡で何処へも通るが、知者過之愚者不及の章では、その過不及の字から中而已とされた。ここでは直にお前の懐中にあると示すから、「率性」としたのである。この所、先君子説き得て痛快。唐彦明大いに感服す。今に三十七年、皆遺亡す。迂斎学話二十三巻、八左感心とはそのこと。八左とは彦明のこと。「而已云云」。他に難しいことはない。
【語釈】
・先君子…稲葉迂齋。
・唐彦明…唐崎彦明。名は欽。金四郎と称す。安芸竹原の人。竹原先生。唐崎清繼の第四子。辛齋の弟。長嶋藩に仕える。宝暦6年(1756)4月24日没。年43。

固よりは、珍らしいことてない。此講席の衆中に今朝出かけに飯を食ふたと云へば、もとより食ましたと云ぞ。衆人云云。前の章をうけて夫婦と書きたいを衆人とはどうなれば、下の張子の語から取出して見せて、あとて張子てしめる爲めぞ。道と云からは大賢のことかと思うに、顔曾を出すことでない。衆人のと近く見せる。常々誰もかれも去年迠はなりたが今年は六ヶしいと云ことではない。いつも々々々なり。若爲道者。異端に對したと云も爰で知れたぞ。此位では面白くないと云で高ぞれを一つ拵へたがる。ほんのことはなんのこともない料理なり。利休は何のことなく豆腐をずか々々切て煮る。それを厭て何やらはんじもののやうな料理が始る。さてめづらしいと客きもをつぶす。爰が索隱行怪と云もの。其は道とは云はれぬ。なんのこともないが道なり。中庸易而難、味あることなり。
【解説】
「固衆人之所能知能行者也。故常不遠於人。若爲道者、厭其卑近、以爲不足爲、而反務爲高遠難行之事、則非所以爲道矣」の説明。珍しいことは道ではない。何のこともないのが道である。
【通釈】
「固」は、珍しいことではないということ。この講席の衆中に今朝出掛けに飯を食ったかと聞けば、固より食いましたと言う。「衆人云云」。前の章を受けて夫婦と書きたいところを衆人とはどういうことかというと、下の張子の語から取り出して見せて、後で張子で締めるためである。道と言うからは大賢のことかと思えば、顔曾を出すことではない。衆人之と近く見せる。常々誰も彼も去年までは出来たが今年は難しいと言うことではない。いつもいつもである。「若爲道者」。異端に対したと言うのもここでわかる。この位では面白くないと言って高逸れを一つ拵えたがる。本当のことは何のこともない料理である。利休は何のことなく豆腐をずかずかと切って煮る。それを厭いて何やら判じ物の様な料理が始まる。さて珍しいと客が肝を潰す。ここが索隱行怪というもの。それは道とは言えない。何のこともないのが道である。中庸易而難、味あること。
【語釈】
・はんじもの…謎の一種。文字・絵などに或る意義を寓して、それを判じさせるもの。
・索隱行怪…中庸章句11の語。
・中庸易而難…中庸章句9集註の語。

詩曰伐柯云云。道と云ものは眼前近いもの故人を敎るも其近いことを教るぞ。そこを爰で示す。柯はものの柄なり。ずんと六ヶしいことはない。今迠の手本がある。此様な近いことはないが、まだ見くらべるだけが遠い。此方の学問は向の人にあることで教る。道が飛こえたことでない。誰にもあること。今成ることでさせる。六ヶ鋪手本を出して、これをせいと云ことでない。迂斎、子共の手本を引様なものとなり。江戸へ日着にとは云はぬ。改止云云。此は自然なことで、仲間ても私も人になりたいと云へば孝行の咄でよい。繫辞傳の講釈に及はぬぞ。孔子の門弟子へ、をれが方へくるははやいとは云はぬ。其れ々々のことを仕込む。高ぞれたたかい道ならば、あれは役に立ぬと云筈。孔子そうはいはれぬ。中庸は誰でもすてぬ。
【解説】
「詩云、伐柯伐柯、其則不遠。執柯以伐柯、睨而視之、猶以爲遠。故君子以人治人。改而止。睨、研計反。○詩、豳風伐柯之篇。柯、斧柄。則、法也」の説明。柯という手本で柯を作る。それは近いことだが、まだ見比べるだけ遠いところがある。こちらの学問は向こうの人にあることで教えるのである。
【通釈】
「詩云、伐柯云云」。道というものは眼前の近いものなので、人を教えるにもその近いことを教える。そこをここで示す。柯はものの柄である。全く難しいことはない。今までの手本がある。この様な近いことはないが、まだ見比べるだけ遠いところがある。こちらの学問は向こうの人にあることで教える。道は飛び越えたことでない。誰にもあること。今成ることでさせる。難しい手本を出して、これをしなさいと言うことではない。迂斎が、子供の手本を引く様なものだと言った。江戸へ日着けせよとは言わない。「改而止云云」。これは自然なことで、仲間であっても、私も人になりたいと言えば孝行の話でよい。繋辞伝の講釈をするには及ばない。孔子が門弟子へ、俺の方へ来るのは早いとは言わない。それぞれのことを仕込む。高逸れた高い道であれば、あれは役に立たないと言う筈。孔子そうは言われない。中庸は誰でも捨てない。

睨邪視云云。手に持た柄と向に有るものを見くらべる。一つものでないからぞ。至て近いことなれども、彼此の別あり。職人が實に遠いとは云はぬが、こちにそれよりまた近いものがあるから、またあれは遠いと云たもの。人を以云云。猫に鼠を取せ、鷄に時をつくらせる。何の六ヶしいことはない。人間が天から拝領してもって居ることをする。こなた衆妻子を可愛がるが、女房もつは迷い、子は三界の首かせと云のは難行なり。中庸の道はだたい孝行の咄を聞ぬ前から孝行は持ておる。其なりにすらり々々々とをさめる。垩賢の教は人の持ておるもので教る。丁ど藥を呑て元気のよくなるやふなもの。藥は医者の藥なれども、元気は我元気なり。還と云はもとの処へ逈てくること。誰も彼もああ此方に兼て覚のあることとうける。文會六の五十反を可考。
【解説】
「睨、邪視也。言人執柯伐木以爲柯者、彼柯長短之法、在此柯耳。然猶有彼此之別。故伐者視之猶以爲遠也。若以人治人、則所以爲人之道、各在當人之身、初無彼此之別。故君子之治人也、卽以其人之道、還治其人之身。其人能改、卽止不治。蓋責之以其所能知能行、非欲其遠人以爲道也」の説明。手に持った柄と向こうに有るものを見比べるのは、彼此の別があるからである。聖賢の教は人が天から拝領して持っているもので教える。
【通釈】
「睨、邪視云云」。手に持った柄と向こうに有るものを見比べる。それは同じものではないからである。至って近いことなのだが、「彼此之別」がある。職人が、実に遠いとは言わないが、こちらにそれよりまだ近いものがあるから、まだあれは遠いと言ったもの。「以人云云」。猫に鼠を捕らせ、鷄に時を作らせる。何も難しいことはない。人間が天から拝領して持っていることをする。貴方衆は妻子を可愛がるが、女房を持つのは迷い、子は三界の首枷と言うのは難行である。中庸の道はそもそも孝行の話を聞かない前から孝行は持っている。それなりにすらりすらりと治める。聖賢の教は人の持っているもので教える。丁度薬を呑んで元気のよくなる様なもの。薬は医者の薬だが、元気は自分の元気である。「還」とは、元の処へ戻って来ること。誰も彼もああこちらに兼ねて覚えのあることだと受ける。文会六の五十反を考える可し。

張子曰云云。衆人誰もと云こと。かの衆人固よりなり。此衆人と云が本文を見ぬいた説なり。小學の題辞の衆人でないぞ。爰は善い悪いを云ことてなく、人間でさへあれば誰てものこと。其人間の持た道で治めることぞ。謡の師匠が節の通りを敎る。もと誰がにもうたわれるやうにしたものぞ。直方の咄、權右ェ門が様に高くうたへと云ては余のものはならぬが、声の低には低なりに節を教る。權右ェ門は直方時代のわき師なり。すはそれの大声の男なり。家内が三十人あれば、三十人が皆學問が出来る。誰も五倫のないものはない。其通りに仕込むこと故、私義は成りませぬといわせぬ。なせと云に、君子之道は費而隱なり。たれか上にもあるからそ。
【解説】
「張子所謂以衆人望人則易從、是也」の説明。「君子之道費而隱」であり、誰もが持っている道で治める。
【通釈】
「張子所謂云云」。衆人は誰もということ。彼の衆人固よりである。この衆人というのが本文を見抜いた説である。小学の題辞の衆人ではない。ここは善い悪いを言うのではなくて、人間でさえあれば誰でもということ。その人間の持った道で治める。謡の師匠が節の通りを教える。元々誰にでも謡える様にしたもの。直方の話に、権右ェ門の様に高く謡えと言っては他の者はできないが、声の低い者には低いなりに節を教える、と。権右ェ門は直方時代の脇師。さあそれの大声の男である。家内が三十人あれば、三十人が皆学問が出来る。誰も五倫のないものはない。その通りに仕込むことなので、私はできませんとは言わせない。それは何故かと言うと、「君子之道費而隱」で、誰の上にもあるからである。
【語釈】
・小學の題辞の衆人…小學題辭。「衆人蚩蚩、物欲交蔽、乃頹其綱安此暴棄」。

忠恕違道云云。ここは人を教へ治るへ掛て見ることでない。前にかまわぬに語り出しても、意はうけたことなり。學者も垩賢と云へはいこう遠い様なれとも、修行てならるるは道が近いゆへぞ。天へ登るやふなことならならぬ。忠恕は学者之工夫。きゃはんわらじて今を春べと出る処ぞ。垩人はとっくに京都に着てをる。なれとも此間が遠いことてない。直方先生の、一はづみて筋のあくことと云へり。忠恕と云相談になる。はや道と近くなる。忠恕の工夫する。それかぬけると娵が姑になる様なぞ。天へかけ橋ではない。忠恕の工夫すると、つい道になる。此が結構なを承たとえみをふくませて、其忠恕の工夫と云ものは施諸己云云。是が忠恕のしかたなり。たとへは武士が替番に同役がをそいと、さて々々をそいことじゃと云が、明る日自分の出るはやはりをそいぞ。これ古今の通情じゃ。人に金かして向のかえさぬが迷惑なら、我が借りた金は早く返すがよい。こうするが忠恕ゆへ、誰にもなること。つまり道の遠くないことを示す。
【解説】
「忠恕違道不遠。施諸己而不願、亦勿施於人」の説明。学者も聖賢と言えば大層遠い様だが、修行でなることができるのは道が近いからである。忠恕は学者の工夫である。忠恕の仕方は、相手のことではなくて自らが工夫するもの。
【通釈】
「忠恕違道云云」。ここは人を教え治めることに掛けて見ることではないが、前に構わずに語り出しても、意はそれを受けたこと。学者も聖賢と言えば大層遠い様だが、修行でなることができるのは道が近いからである。天へ登る様なことであれば出来ない。忠恕は学者の工夫。脚絆草鞋で今を春方と出る処である。聖人はとっくに京都に着いている。しかしながら、この間が遠いことではない。直方先生が、一弾みで筋の開くことだと言った。忠恕という相談になると、早くも道と近くなる。忠恕の工夫をする。それが抜けると娵が姑になる様になる。天へ懸橋ではない。忠恕の工夫をすると、つい道になる。これは結構なことを承ったと笑みを含ませて、その忠恕の工夫というものは「施諸己云云」と言う。これが忠恕の仕方である。例えば武士の替番に同役が遅いと、さてさて遅いことだと言うが、明くる日自分が出るのはやはり遅いぞ。これが古今の通情。人に金を貸して向こうが返さないのが迷惑であれば、自分が借りた金は早く返すのがよい。こうするのが忠恕なので、誰にもできること。つまり道の遠くないことを示す。

尽己之心云云。少もかけごのないこと。一尺のものを五寸してをいては尽てない。つまり心の誠なり。推己云云。己を尽した心を其形りて人へ出すこと。内にをるが忠、他出したを恕と云。忠は体の工夫、恕は用の工夫と朱子云へり。答林擇之書なり。違道云云。爰のものが遠くへ迯けた様に見ることでなく、そこからあそこ迠と云こと。巡見方東金迠ござったと云ほどのちかいことぞ。道即云云。忠恕をこちにをき、道を向に置て云こと。それなら何ぞ別のことかと云に、さきに云た不遠人の道なり。不遠人のみちてなくてはいたられぬ筈なり。仙人にはなられぬなり。施諸己云云。上の忠恕のことなり。本と勿施於人と云は恕のことなれども、忠恕之事と云は、忠恕の二字を工夫題目にたて云ゆへぞ。又爰に面白いわけかある。たたい忠恕はかた々て語られぬもの。忠のない恕はない。恕て語るに忠必付て云。そこて程子の不得除一箇と云て、体のない用はないぞ。謝氏の猶影形とも云へり。忠は日月。恕は其日月が納戸の隅迠さしこむ処を云。直方云、忠ばかりで恕なけれはくらやみでかぶりをふるやふなもの。予云、恕ばかりて忠がないは、いなひかりのやふなもの。好着題、好着題。さればこそ、除一箇不得、かげとかたちなり。
【解説】
「盡己之心爲忠、推己及人爲恕。違、去也。如春秋傳齊師違穀七里之違。言自此至彼、相去不遠。非背而去之之謂也。道卽其不遠人者、是也。施諸己而不願、亦勿施於人、忠恕之事也」の説明。己を尽くした心をその通りに人へ出す。内にいるのが忠、他出したのを恕と言う。しかし、忠恕は片々で語ることはできないものであり、忠のない恕はない。恕で語る時に忠は必ず付いている。そこで程子が「除一箇除不得」と言い、謝氏も「猶影形」と言った。
【通釈】
「盡己之心云云」。少しも懸子のないこと。一尺のものを五寸にしておいては盡ではない。つまり心の誠である。「推己云云」。己を尽くした心をその通りに人へ出すこと。内にいるのが忠、他出したのを恕と言う。忠は体の工夫、恕は用の工夫だと朱子が言った。林擇之に答うる書にある。「違、去云云」。ここのものが遠くへ逃げた様に見ることではなく、そこからあそこまでということ。巡見方が東金までござったと言うほどに近いことである。「道卽云云」。忠恕をこちらに置き、道を向こうに置いて言うこと。それなら何か別なことかと言えば、先に言った不遠人の道である。不遠人の道でなくては至ることができない筈。仙人にはなれないのだから。「施諸己云云」。上の忠恕のこと。本来、「勿施於人」というのは恕のことなのだが、「忠恕之事」と言うのは、忠恕の二字を工夫題目に立てて言うからである。またここに面白い訳がある。そもそも忠恕は片々で語ることはできないもの。忠のない恕はない。恕で語る時に忠は必ず付いている。そこで程子が「除一箇除不得」と言った。体のない用はないのである。謝氏も「猶影形」と言った。忠は日月。恕はその日月が納戸の隅まで差し込む処を言う。直方が言う、忠ばかりで恕がなければ暗闇で頭を振る様なもの、と。予が言う、恕ばかりで忠がないのは、稲光の様なもの。好き着題、好き着題。それでこそ、除一箇不得、影と形である。
【語釈】
・かけご…懸子。掛子。他の箱の縁にかけて、その中にはまるように作った箱。転じて、本心を打ち明けて話さないこと。
・不得除一箇…中庸或問。「程子所謂要除一箇除不得、而謝氏以爲猶形影者意可見矣」。

以己之心。吾寒いひだるいと云心で度りて見ると、供のものも同ことてさぞ寒からんと云か、つんと人と吾が相紋が合ふ。是で一度々に聞合せるに及ぬ。此方は綿入じゃ。御手前方は何と云に及ぬぞ。此忠恕を大學の治國の処に語りて有も聞へた。爰は人を治め様とて語りたでないか、誰も彼もする。孔子の流義はなんじゃと云に、はて忠恕さ。其忠恕は山のあなたのものでないぞ。扨ここは前の費隱と同ことなれとも、道をするのことと云が爲學の処ぞ。張子の手柄と云は、すらりと手もなく云てよい。爰は平日なことなれとも、きめ処がなければ位附けか知れぬ。愛己云云。吾身程愛するものはない。ふたん血とめを懐中してをるも、けがをしたらばと云用意なり。人のをばあまり苦労にせぬ。そこを人に出すが仁ぞ。論語にも其仁を知らず々々々々々々と云て、仁はめったに許されぬ。すればいこふ重いこと。六ヶしいやうなれども、己を愛する心を人へ出すとしきに仁ぞ。孟子の宣王の牛のことを仁術と云へるも爰なり。しきに向の心にある処て示した。仁と云ものは、ふいとした処で蹈み當ると仁が窺れる。本文の忠恕が注の仁のはかはへぞ。道を去ること遠くない筈ぞ。凡人は吾と人とのあいだにくろが子のたてがあると柯先生云へり。とんと人我の別がなければ、そこが直に仁ぞ。そうきくとさて々々耳よりなことと乘てくる処が、たたい道か近いからぞ。爰か張子の手意手段。人倫を去るの、極樂天堂てない。垩賢のは直に吾心にあることなり。
【解説】
「以己之心度人之心、未嘗不同、則道之不遠於人者可見。故己之所不欲、則勿以施之於人、亦不遠人以爲道之事。張子所謂以愛己之心愛人則盡仁、是也」の説明。自分の心で人の心を度る。孔子の流儀は忠恕である。自分の身ほど愛するものはない。それを人に出すのが仁である。
【通釈】
「以己之心」。自分が寒い饑いという心で度って見ると、供の者も同じことでさぞ寒かろうと言うのが、ずんと人と自分との合紋が合う。これで一度一度に聞き合わせるには及ばない。こちらは綿入だ。貴方方は何かと言うには及ばない。この忠恕を大学の治国の処に語ってあるのもよくわかる。ここは人を治めようとして語ったのではないが、誰も彼もがする。孔子の流儀は何だと聞かれれば、はて忠恕さ。その忠恕は山の彼方のものではないぞ。さてここは前の費隱と同じことなのだが、道をすることというのが為学の処である。張子の手柄は、すらりと手もなく言うのでよい。ここは平日なことなのだが、決め処がなければ位付けが知れない。「愛己云云」。自分の身ほど愛するものはない。普段血止めを懐中しているのも、怪我をしたらという用意である。人のことはあまり苦労にしないもの。そこを人に出すのが仁である。論語にも「不知其仁」と言ってあり、仁は滅多に許されない。それなら大層重いこと。これは難しい様だが、己を愛する心を人へ出すと直に仁である。孟子が宣王の牛のことを仁術と言ったのもここ。直に向こうの心にある処で示した。仁というものは、ふとした処で踏み当たると仁が窺われる。本文の忠恕が注の仁の若生えである。道を去ること遠くない筈である。凡人は自分と人との間に鉄の盾があると柯先生が言った。全く人我の別がなければ、そこが直に仁である。その様に聞くとさてさて耳寄りなことだと乗って来る処が、そもそも道が近いからである。ここが張子の主意手段。人倫を去るとか、極楽天堂ということではない。聖賢のは直に自分の心にあること。
【語釈】
・此忠恕を大學の治國の処に語りて有…大學傳9。「所藏乎身不恕、而能喩諸人者、未之有也」。
・論語にも其仁を知らず…「不知其仁」。論語公冶長7を差す。公冶長4にもある。
・孟子の宣王の牛のことを仁術と云へる…孟子梁惠王章句上7。「曰、無傷也。是乃仁術也。見牛未見羊也」。
・柯先生…山崎闇齋。

君子之道四云云。動かぬ道が四つあるが、自分抔は一つも得見こと出来ぬと云へり。是を又例の謙退とみるは面白ない。其様にしら々々しく云ことはない筈。大身にも一両の金のないこともある。垩人は人倫の至なりと云も外から云たことて、垩人の御心て、人倫のことは中々のがすことでないとは思召さぬ。やが上へ々々とする。舜の問ことを好と云と同ことなり。一つなりとも仕ををせたと云たいが、得出来ぬと云。子の身として親へこのやふな事へやうが有かと責める。俗人も人を責るときは論語の通りの理屈を云と直方云へり。その筈じゃ。肉をはなれるからぞ。なれども自分の時はもっての外じゃ。旦那が家來をばしかるが、我君へはいかぬぞ。兄朋友、あとはみな同こと。爰は大學の絜矩と同ことで、吾身を中へ置て云こと。
【解説】
「君子之道四。丘未能一焉。所求乎子、以事父、未能也。所求乎臣、以事君、未能也。所求乎弟、以事兄、未能也。所求乎朋友、先施之、未能也」の説明。孔子が、君子の四つの道は一つも出来ないと言った。これは自分を責めて言ったこと。
【通釈】
「君子之道四云云」。動かない道が四つあるが、自分などは一つも見ことが出来ないと言った。これをまた例の謙退とみるのでは面白くない。その様に白々しく言うことはない筈。大身にも一両の金のないこともある。「聖人、人倫之至也」と言うのも外から言ったことで、聖人の御心では、人倫のことは中々逃すことではないとは思し召さない。弥が上へとする。舜の問うことを好むというのと同じこと。一つだけでも仕遂げたと言いたいが、出来ないと言う。子の身として親へこの様な事え様が有ろうかと責める。俗人も人を責める時は論語の通りの理屈を言うと直方が言った。その筈で、肉を離れるからである。しかしながら、自分の時は以ての外である。旦那が家来を訶るが、自分の君へはそうはしない。兄朋友も、後は皆同じこと。ここは大学の絜矩と同じことで、自分の身を中へ置いて言うこと。
【語釈】
・垩人は人倫の至なり…孟子離婁章句上2。「孟子曰、規矩、方員之至也。聖人、人倫之至也」。
・舜の問ことを好…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與。舜好問、而好察邇言、隱惡而揚善」。
・大學の絜矩…大學傳10の語。

庸德云云。此以下学問之こつ隨を云。秡ぬ前、見ぬ將棋でない。吾方へずっすりと掛れと示。垩人の教は言行と云より外なし。言たぎってそれをせぬなれば役に立ぬ。言行は君子樞機。易にあるそ。君子の學は云た通り行に出る。謹の字をみよ。一本橋で落たものはない。謹からぞ。なれとも口ほどに行へ出ぬ。灸も口では一万と云か、其通りすえるものはない。言葉はすぎるもの。其ないやふに工夫すること。直方先生の、はら一はいに云はせると、武藏野迠届く程は口には云と云へり。あまり案じやるな。何ぞのときはをれが引受ると云が、わた入羽織一つやることさへせぬぞ。言顧行。此でよい筈。言行一致になる。今日身代持のよい人なとか、やすいものじゃと云ても中々めったに買ぬ。代物はいつなりともと云ても、あと先考ていやかうまいと云。学者このやふな合点ですれば、言行がめったなことはない。君子胡云云。しっかりと、うはのそらでないこと。直方先生云、慥と云は飛脚屋も書く字てよい文字なり。なれとも、飛脚屋も慥に請取たと云ても届けぬなれば慥でない。此が学者に入用。慥てなくては道は得られぬ。
【解説】
「庸德之行、庸言之謹、有所不足、不敢不勉、有餘不敢盡。言顧行、行顧言。君子胡不慥慥爾」の説明。言行は君子の樞機で、君子の学は言った通りに行に出る。言葉は過ぎるものだから謹む。「慥」が学者に入用で、慥でなくては道は得られない。
【通釈】
「庸德云云」。これ以下は学問の骨髄を言う。抜かぬ前、見ぬ将棋ではない。自分の方へずっしりと掛かれと示す。聖人の教は言行というより外はない。言い滾っても、それをしないのであれば役に立たない。言行は君子の樞機。易にある語。君子の学は言った通りに行に出る。「謹」の字を見なさい。一本橋で落ちた者はいない。謹だからである。しかしながら、口ほどに行へ出ない。灸も口では一万と言うが、その通りにすえる者はない。言葉は過ぎるもの。それがない様に工夫すること。直方先生が、腹一杯に言わせると、武蔵野まで届くほどに口では言うと言った。あまり案ずるな。何かの時は俺が引受けると言うが、綿入羽織一つ遣ることさえしないぞ。「言顧行」。これでよい筈。言行一致になる。今日身代持のよい人などが、安い物だといっても中々滅多に買わない。代物は何時なりともと言っても、後先考えて、いや買うまいと言う。学者もこの様な合点ですれば、言行は滅多なことはない。「君子胡云云」。しっかりとして上の空ではないこと。直方先生言う、「慥」は飛脚屋も書く字でよい文字である。しかしながら、飛脚屋も慥に請け取ったと言っても届けないのであれば慥でない、と。これが学者に入用。慥でなくては道は得られない。
【語釈】
・言行は君子樞機…易經繫辭傳上8。「言行君子之樞機。樞機之發、榮辱之主也。言行、君子之所以動天地也。可不愼乎」。

爰の絶句か大事之文義なり。絶句にせぬと、子の以て父に事るにせむると云点にて親切にない。此を引かへぬと云意が絶句なり。朱子の説、直方の便講にあり。求猶責云云。言責の責そ。礼記に四つのものの行を人に責と云も、こうはないはづと責める。人を責るは道理の當然を云。それをひっくりかえすことぞ。拽轉頬来れり、便自道理流行。古伊豆守殿の、明德の鏡を以て天下のことにさばけぬことはないと云たれも、柯先生の其れをひっくりかえして手前を照されよと云へり。庸平常云云。ふたんのと云こと。中庸の德とをもくれて云てない。兎角内に居るときが大事。そこか平常なり。ふだん着の服と云が平常なり。
【解説】
「子・臣・弟・友、四字絶句。○求、猶責也。道不遠人。凡己之所以責人者、皆道之所當然也。故反之以自責而自脩焉。庸、平常也。行者、踐其實」の説明。人を責めるのは道理の当然を言うことだが、それを引っ繰り返して自分を責める。
【通釈】
ここの「絶句」が大事な文義である。絶句にしないと、子の以て父に事えるに求むるという点になって親切でない。ここを引っ返さないという意が絶句である。朱子の説は直方の便講にある。「求、猶責云云」。言責の責。礼記に四つのものの行うことを人に責むと言うのも、こうではない筈だと責めるもの。人を責めるのは道理の当然を言う。それを引っ繰り返して言う。拽轉頬来れり、便ち自ずから道理流行す。昔、伊豆守殿が明徳の鏡があれば天下のことに捌けないことはないと言ったので、柯先生が、それを引っ繰り返して自分を照らされよと言った。「庸、平常云云」。普段のということ。中庸の徳とくどくどしく言うことではない。とかく内にいる時が大事。そこが平常である。普段着の服というのが平常である。
【語釈】
・礼記に四つのものの行を人に責…禮記冠義。「成人之者、將責成人禮焉也。責成人禮焉者、將責爲人子、爲人弟、爲人臣、爲人少者之禮行焉。將責四者之行於人、其禮可」。

謹むとて切口上てない。擇其可也。理に當るかあたらぬかとみる。とかく德と云ものは足らぬかちなものの、そこをうんと一はげみつとむれは段々よいぞ。訒は、司馬牛章の君子は其言や訒の字なり。此皆云云。庸言庸行毎日のことにある。人に不遠のことならぬと云ことはない。異端は片々にみつけた処かあると脇ひらみぬ。庸言庸行をなぐる。一休かにな川が女房を背をたたいても悟りの害にはならぬにする。垩賢のは慥々なり。張子是も一口に云ぬいた。古今通情で、人を責るは明て、手前の方は蓋をする。垩賢は吾方の吟味がつよい。戒愼恐懼、大学の誠意正心皆此方のことなり。
【解説】
「謹者、擇其可。德不足而勉、則行益力。言有餘而訒、則謹益至。謹之至則言顧行矣。行之力則行顧言矣。慥慥、篤實貌。言君子之言行如此。豈不慥慥乎。贊美之也。凡此皆不遠人以爲道之事。張子所謂以責人之心責己則盡道、是也」の説明。謹むとは、理に当たるか当たらないかと見ること。庸言庸行は毎日のことにあるが、異端は片々に見付けた処があると他を見ない。人を責めるのは明で、自分の方には蓋をするのが古今の通情だが、聖賢は自分への吟味が強い。
【通釈】
謹むと言っても切口上ではない。「擇其可」である。理に当たるか当たらないかと見る。とかく徳というものは足りない勝ちなものだが、そこをうんと一励み務めれば段々とよくなる。「訒」は、司馬牛章の「仁子其言也訒」の字。「此皆云云」。庸言庸行は毎日のことにある。人に不遠なことは出来ないことはない。異端は片々に見付けた処があると側辺を見ない。庸言庸行を擲る。一休が蜷川の女房の背を叩いても悟りの害にはならないことにする。聖賢のは「慥慥」である。張子がここも一口に言い抜いた。古今の通情で、人を責めるのは明で、自分の方には蓋をする。聖賢は自分への吟味が強い。戒愼恐懼、大学の誠意正心は皆自分のこと。
【語釈】
・君子は其言や訒…論語顏淵3。「司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒」。
・にな川…室町中期の連歌作者。本名、蜷川新右衛門親当。七賢の一。足利義教に仕えた武臣。和歌を正徹に、連歌を梵灯庵に学んだ。

右第十三章。道云云。夫婦と出して上の人へ不遠へあてて張子の衆人と一つにする。道は眼前人に備てある。かごかきの女房が吾れ知らず道を行ふ。聖人はなをよい筈に、又どふもならぬ処ある。爰に君子の道四つと云は五倫のこと故、費隱の章の問礼問官とちこふて、聖人のならぬと云は聞へぬやうなれとも、やっはりそこか費なり。垩人の心て足らぬ々々々と思ている。道理にかぎりがないからなり。垩人の五倫に穴のあいたてはないか、五倫も人を相手にすれはならぬことあり。大工のすることは垩人もできぬとはふりあいが違ふ。堯の舜に天位をゆつらすとも御手前の子の丹朱をよく仕込かよいと云に、吾子てもあれを舜のやうには堯の御手ぎはでもならぬ。孔子三代妻を出すと云も外からくるものなれば自由にならぬ。すれば垩人ではないかと云に、麒麟はくる。其手間てよくすれはよいと云に、麒麟は出てもよめをは去る。とうもはばの廣いことゆへ手がととかぬ。そこは費故ぞ。答楊至之書文會にのす。費隱の章ては垩人不知不能かすみよし。ここてはちと五倫だけにいかがときこへるか、やっはり一つにをつることなり。至隱存云云。隱と云ものは、そこへ出て男ぶりはせぬがそもどふしたことぞと云に、そこがどふしてやらなり。それをどふぞ拝せふと云に、隱の開帳はない。道風の書た屏風でどこが能書じゃと云に、言語に述られぬ。直方の説なり。太極圖説で不言の妙と云もここのことなり。
【解説】
「右第十三章。道不遠人者、夫婦所能。丘未能一者、聖人所不能、皆費也。而其所以然者、則至隱存焉。下章放此」の説明。駕籠舁きの女房でも道を行うのに、聖人にはどうも出来ない処がある。我が子である丹朱を舜の様にするのは堯の御手際でもならない。孔子は麒麟が出るほどだが嫁を去る。道は幅広いので手が届かない。それは費だからである。
【通釈】
「右第十三章」。「道云云」。「夫婦」と出して、上の「不遠人」へ当てて張子の「衆人」と一つにする。道は眼前人に備わってある。駕籠舁きの女房が我れ知らず道を行う。聖人は尚よい筈なのに、またどうも出来ない処がある。ここに「君子之道四」と言うのは五倫のことなので、費隱の章の「問礼問官」とは違って、聖人が出来ないというのは妙な様だが、やはりそこが費である。聖人は、心で足りないと思っている。それは道理に限りがないからである。聖人の五倫に穴が開いたわけではないが、五倫も人を相手にすれば出来ないこともある。大工のすることは聖人も出来ないと言うのとは振り合いが違う。堯は舜に天位を譲らなくても自分の子の丹朱をよく仕込めばよいと言っても、我が子でもあれを舜の様にするのは堯の御手際でもならない。孔子三代妻を出すというのも外から来るものであれば自由にならない。それなら聖人ではないのかと言えば、麒麟は来る。その手間でよくすればよいと言うに、麒麟は出ても嫁をば去る。どうも幅の広いことなので手が届かない。そこは費だからである。楊至之に答うる書文會に載す。費隱の章では聖人不知不能が済み良し。ここでは一寸五倫だけにいかがかと聞こえるが、やはり一つに落ちること。「至隱存云云」。隱というものは、そこへ出て男振りをしないのはそもそもどうしたことかと言うと、そこがどうしてやらである。それをどうぞ拝ましてくれと言うに、隱の開帳はない。道風の書いた屏風で何処が能書だと言うに、言語に述べられない。直方の説である。太極図説で不言の妙と言うのもここのこと。
【語釈】
・不言の妙…太極図説朱解。「此天地之閒、綱紀造化、流行古今、不言之妙」。


中庸章句第十四章
君子素其位而行、不願乎其外。素、猶見在也。言君子但因見在所居之位、而爲其所當爲、無慕乎其外之心也。
【読み】
君子は其の位に素して行い、其の外を願わず。素は猶見在のごとし。言うこころは、君子は但見在して居る所の位に因りて、其の當に爲すべき所を爲して、其の外を慕う心無し、と。

素富貴行乎富貴、素貧賤行乎貧賤、素夷狄行乎夷狄、素患難行乎患難。君子無入而不自得焉。難、去聲。○此言素其位而行也。
【読み】
富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷狄に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子は入るとして自得せずということ無し。難は去聲。○此れ其の位に素して行うことを言うなり。

在上位不陵下、在下位不援上、正己而不求於人、則無怨。上不怨天、下不尤人。援、平聲。○此言不願乎其外也。
【読み】
上位に在って下を陵[しの]がず、下位に在って上を援[ひ]かず、己を正しくして人に求めざるときは、則ち怨無し。上天をも怨みず、下も人を尤めず。援は平聲。○此れ其の外を願わざるを言うなり。

故君子居易以俟命。小人行險以徼幸。易、去聲。○易、平地也。居易、素位而行也。俟命、不願乎外也。徼、求也。幸、謂所不當得而得者。
【読み】
故に君子は易きに居て以て命を俟つ。小人は險[さが]しきを行って以て幸を徼[もと]む。易は去聲。○易は平地なり。易きに居るとは、位に素して行うなり。命を俟つとは、外を願わざるなり。徼は求むなり。幸とは、當に得べからざる所にして得る者を謂う。

子曰、射有似乎君子。失諸正鵠、反求諸其身。正、音征。鵠、工毒反。○畫布曰正、棲皮曰鵠。皆侯之中、射之的也。子思引此孔子之言、以結上文之意。
【読み】
子曰く、射は君子に似れること有り。諸を正鵠に失すれば、反って諸を其の身に求む。正は音征。鵠は工毒の反。○布に畫くを正と曰い、皮に棲するを鵠と曰う。皆侯[まと]の中、射の的なり。子思此の孔子の言を引いて、以て上文の意を結ぶ。

右第十四章。子思之言也。凡章首無子曰字者放此。
【読み】
右第十四章。子思の言なり。凡そ章首に子曰の字無きは此に放え。


君子素其位云云。直方先生の此章か学者の骨隨しゃと云へり。様々の道具立はあっても、玉しいかなければ見掛ばかりでへいの眞柱のない様なものしゃ。役に立ぬ。今の学者は温飩ののびた様なものぞ。比丘尼より山伏はときんだけがよい。直方。学者も比丘尼めかぬ様にするがよい。そうなると屏の柱の朽たのなり。爰の全体、鞭策や標的の序て合点すべし。此章は知仁勇揃たぞ。此位と云字は大政大臣から本所の寄合辻番迠、凡そ我居りばのことを位と云。高位高宦を位と云とは違ふ。其塲の居るところにしゃんと安して身を立て、外を願はずすらりとしてをる。いこうつよいことなり。これか屏の眞柱なり。凡人は玉しいがきまらぬゆへ、あちこち世間をみてうろ々する。君子は存養致知克己揃ぞ。爰が知仁勇ぞ。うろ々すると知もくらむ。気もかける。足もともゆるむ。皆外を願ふからなり。易の需の卦と云もここの意味あり。俟て俟ぬのなり。川留にはやくあけはよいと川端へいってみているもうるたへぞ。そこで心が留主になる。亭主と棋ても打ているでよい。病人も藥を呑迠ぞ。いつ出勤ならと云。はや動く。素云云。道理なりに出るゆへ其筈ぞ。此大きいが文王ぞ。獄屋をいつてるかと云心はなく、やはり羑里て易に彖の辞をかけてをられた。外をしたわぬぞ。其れを学ぶが学者のことなり。
【解説】
「君子素其位而行、不願乎其外。素、猶見在也。言君子但因見在所居之位、而爲其所當爲、無慕乎其外之心也」の説明。自分の居り場にしゃんと安んじて身を立てて、外を願わずにすらりとしている。うろうろすると知も暗む。気も掛ける。足元も弛む。それは皆外を願うからである。外を慕わない、それを学ぶのが学者というもの。
【通釈】
「君子素其位云云」。直方先生が、この章が学者の骨髄だと言った。様々な道具立てはあっても、魂がなければ見掛けばかりで屏の真柱のない様なもの。役に立たない。今の学者は饂飩の伸びた様なもの。比丘尼より山伏は頭巾だけがよい。直方。学者も比丘尼めかない様にするのがよい。比丘尼の様になるのは屏の柱が朽ちたのである。ここ全体は鞭策や標的の序で合点しなさい。この章は知仁勇が揃ったもの。この位という字は太政大臣から本所の寄合辻番まで、凡そ自分の居り場のことを位と言う。高位高官を位と言うのとは違う。その場の居るところにしゃんと安んじて身を立てて、外を願わずにすらりとしている。それは大層強いこと。これが屏の真柱である。凡人は魂が決まらないので、あちこち世間を見てうろうろする。君子は存養致知克己が揃うぞ。ここが知仁勇である。うろうろすると知も暗む。気も掛ける。足元も弛む。それは皆外を願うからである。易の需の卦にもここの意味がある。俟って俟たずである。川留めに早く開けばよいと川端へ行って見ているのも狼狽である。そこで心が留主になる。亭主と碁でも打っているのでよい。病人も薬を呑むまでのこと。何時出勤やらと言う。早くも動く。「素云云」。道理なりに出るのでどの筈である。これの大きいものが文王である。獄屋を何時出るかという心はなく、やはり羑里で易に彖の辞を繋けておられた。外を慕わないのである。それを学ぶのが学者のこと。
【語釈】
・需の卦…「需、有孚、光亨。貞吉。利渉大川」。需は待つの意。

素冨貴云云。兎角我居り塲てないことを云かわろい。天下の役人が隱者になって芲見に行たいと云かわるい。浪人が経済したがるかわるい。世はさま々で、箱根山かごにのる人のせる人。それ々の居塲あり。冨貴をいやがるわけもない。許由巣父抔と云は定て莊子などがこしらへて云たであろふか、冨貴をのぞむ俗人に冨貴をいやがる隱者、みなすききらいありてほんものでない。素して行ふと云は、いつも道理なりをしてゆくこと。舜などにすききらいない。顔子などもそのなりに行て安して居る。曾点のことを堯舜の気象と云は取合ぬやふなれとも、我居り塲に安したことを云。皆をりば々なり。周公の冨みと云もうるさくはをもわれぬ。泰伯や仲雍や荊蕃へのかれて、こんな処てはどふしてもよいとは云はぬ。やはり夷狄で行てをる。是はまたのこと。夷狄に生れたものても国からはいらぬ。やはり中庸の道理を行ぞ。彼大政大臣はあなた方の位てさしあたる大政大臣そ。又丸の内辻番はうろつくものをとふれと云。皆位なり。我々式は東金の山を見ながら講釈をするより外にさしあたることなし。垩人畜番息から魯国大に治るまで皆素して行うなり。さしあたる事の葉ばかり思へたた昨日を過ぬ明日はしられす。すこし曾点の学なり。学の字に目を付よ。とふをくものてはない。孔子の弟子だ。舜などの御一生か皆ここに見へる。歴山から帝位まで一つ調子なり。
【解説】
「素富貴行乎富貴、素貧賤行乎貧賤、素夷狄行乎夷狄」の説明。世の中は様々で、人にはそれぞれの居り場がある。素して行うと言うのは、何時も道理の通りをして行くこと。好き嫌いがあっては本物ではない。
【通釈】
「素富貴云云」。とかく自分の居り場でないことを言うのが悪い。天下の役人が隱者になって花見に行きたいと言うのが悪い。浪人が経済をしたがるのが悪い。世は様々で、箱根山駕籠に乗る人乗せる人。それぞれの居り場がある。富貴を嫌がる訳でもない。許由巣父などというのはきっと荘子などが拵えて言ったものだろうが、富貴を望む俗人や富貴を嫌がる隱者は皆好き嫌いがあって本物ではない。素して行うと言うのは、何時も道理の通りをして行くこと。舜などに好き嫌いはない。顔子などもその通りに行って安んじている。曾点のことを堯舜の気象と言うのは取り合わない様だが、自分の居り場に安んじたことを言う。皆居り場次第である。周公の富というのも煩くは思われない。泰伯や仲雍が荊蛮へ逃れても、こんな処ではどうしてもよいとは言わない。やはり夷狄で行っている。これはまたのこと。夷狄に生まれた者でも国柄は要らない。やはり中庸の道理を行うのである。彼の太政大臣は貴方方の位で差し当たる太政大臣である。また、丸の内の辻番はうろつくものをどうれと糾す。皆位である。我々の如きは東金の山を見ながら講釈をするより他に差し当たることはない。聖人は「畜蕃息」から「魯国大治」まで皆素して行った。差し当たる言の葉ばかり思えただ昨日を過ぎぬ明日は知られず。これは曾点の学である。学の字に目を付けなさい。どうして放って置くものではない。孔子の弟子である。舜などの御一生が皆ここに見える。歴山から帝位まで一つ調子である。
【語釈】
・許由巣父…許由が俗事を聞いた耳を潁川で洗っているのを、牛を引いてきた巣父が見て、そのような汚れた水は牛にも飲ませることはできないと言って引き返した。
・泰伯や仲雍や荊蕃へのかれて…古公亶父には長子泰伯(太伯)、次子仲雍(虞仲)、末子季歴がいた。季歴の子の昌が文王である。泰伯と仲雍は季歴に後を継がせるために荊蛮の地へと自ら出奔する。
・畜番息から魯国大に治る…論語序説の語。
・歴山…書經虞書大禹謨。「帝初于歷山往于田、日號泣于旻天于父母」。

患難云云。どこでもかわらぬ。向はちがってもこちのそなへは動かぬ。冨貴をもってゆくと一休なとは逃る。不自由なり。君はどのやふな塲でも行ふ々々と出る。爰が直方先生のをきあがりこぼうしと云のなり。たたみの上てもえんの下ても起る。達者な人のやふて、いつも元気がよい。餅でも酒でもなんてもたべると云は脾胃かつゆへなり。君子は俗に云推のつよい男と云程のことぞ。入としては、なんてもめげぬ。こまらぬ。ゆくとしてと同じ。道理なりにする。自得云云。鳥の木にすみ魚の水中にすむ如く、外の処へ行たいと望はないと云。甚大きいことなり。自得。孟子とちがふ。文會六の五十一を可考。直方先生の我等にすききらいはないと云へり。又うてた顔があるなら知せてくれいと奥方に云はれたるよし。なんても知仁勇ひとつになら子ば此手ぎははならぬ。
【解説】
「素患難行乎患難。君子無入而不自得焉。難、去聲。○此言素其位而行也」の説明。君子はどの様な場でも行おうとして出る。ここの「自得」は、今の居り場に安んじていること。
【通釈】
「患難云云」。何処でも変わらない。向こうは違っても、こちらの備えは動かない。富貴を持って行くと一休などは逃げる。それは不自由である。君子はどの様な場でも行おうとして出る。ここが直方先生が起上り小法師と言ったこと。畳の上でも縁の下でも起きる。達者な人の様で、何時も元気がよい。餅でも酒でもなんでも食べるというのは脾胃が強いからである。君子は俗に言う、推しの強い男というほどのこと。入るとしてとは、何にでもめげない。困らない。行くとしてと同じで、道理なりにすること。「自得云云」。鳥が木に棲み魚が水中に棲むが如く、他の処へ行きたいとの望みはないと言う。それは甚だ大きいこと。自得は孟子とは違う。文会六の五十一を考える可し。直方先生が、自分には好き嫌いはないと言った。また、逆上せた顔があったら知らせてくれと奥方に言われたそうである。何でも知仁勇一つにならなければこの手際はならない。
【語釈】
・自得。孟子とちがふ…孟子離婁章句下14。「孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右逢其原。故君子欲其自得之也」。

在上位。歴々になるとなんとなく、かさをかけて下を推し付る意がある。大身の通病なり。或わるい口の医者が、家老になるとめいやふに馬鹿になるものじゃと云へり。百姓でさへ組頭にでもなると、もう揃たかなどともう我を別段にをもふ。下位云云。又下に居てつなを便りに上へ取りつく気が有る。浪人儒者が公儀で学問かはやる、はや上の方へ気か向。武士が浪人しても、をり々々役人付ても見たがる。兎角上へ取付たがる。道理が主になると不求人なり。どふぞしてくれよかしとは云はぬ。そこて怨ぬ。扨て迂斎先生なとも爰等の心法の道統と云を見付たことあり。七十はかりの時に誰とか咄さるるに、我も今病気ついたならは定て忰共がさぞ孝心に看病するで有ふが、又そふないとてもこちの覺悟にとんとかわることはないと云へり。さて々つよいことぞ。吾子さへ頼まぬと云になれは、これほとつよい眞柱はないぞ。人を怨すなり。あの家老はもとをれが竹馬の友じゃに見向もせぬと云ぞ。さて々凡夫はうるさいことなり。よはい人のほへづらするも、强い人のきり口きくも、皆外を願て叶ぬ時のことなり。必竟こちに取付気かあるゆへ人をうらむ。其気さへなければ、坊主か櫛の入ぬやふなもの。取合ぬぞ。とんじゃくせぬなり。
【解説】
「在上位不陵下、在下位不援上、正己而不求於人、則無怨。上不怨天、下不尤人。援、平聲。○此言不願乎其外也」の説明。歴々になると、笠に着て下を推し付ける意があるもの。逆に、浪人儒者も公儀で学問が流行ると、早くも上の方へ気が向く。こちらに取り付く気があるから人を怨む。取り付く気がなければ何も頓着することはない。
【通釈】
「在上位」。歴々になると何となく、笠を掛けて下を推し付ける意がある。大身の通病である。ある口の悪い医者が、家老になると不思議なことに馬鹿になるものだと言った。百姓でさえ組頭にでもなると、もう揃ったかなどと、もう自分を別段に思う。「下位云云」。また下にいて綱を便りに上へ取り付く気がある。浪人儒者が公儀で学問が流行ると、早くも上の方へ気が向く。武士が浪人をしても、折々役人付いても見たがる。とかく上へ取り付きたがる。道理が主になると「不求於人」である。どうぞしてくれとは言わない。そこで怨らない。さて迂斎先生などもここらの心法の道統ということを見付けたことがある。七十ばかりの時に誰かと話された時に、自分も今病気ついたならばきっと忰共がさぞ孝心に看病するだろうが、またそうでないとしてもこちらの覚悟にとんと変わることはないと言った。さてさて強いことである。我が子さえ頼まないということになれば、これほど強い真柱はないぞ。人を怨まずである。あの家老は元は俺の竹馬の友だったのに見向きもしないと言う。さてさて凡夫は煩いものである。弱い人が吠え面するのも、強い人が切り口利くのも、皆外を願って叶わない時のこと。畢竟こちらに取り付く気があるから人を怨む。その気さえなければ、坊主の櫛の要らない様なもの。取り合わない。頓着しないのである。

故君子云云。死たい生たいと云は皆うろたへぞ。道理なりをして先きにかまわぬ。小人は君子のうらゆへ、いつても小人と出してみせる。さま々な魚鱗霍翼を行て、いばらからたちに足をかけてひょいと飛が、君子は通り甼をありくやうなもの。道理なりにゆく。西銘に、生ては從い死ては安しなり。曾点朝聞道もここなり。今大名の家てもとんた人か用人になったと云は不當得而得が多し。行險て幸を得たのなり。子曰射云云。此章、外を願はぬこと。そこて爰へひく。射は外を願はずよく君子に似た。手前のことをかえりみる。側て咄をしたからついはづてとは云はぬ。畫布云云。射礼三色ある。賔射のは布て、大射のは革なり。
【解説】
「故君子居易以俟命。小人行險以徼幸。易、去聲。○易、平地也。居易、素位而行也。俟命、不願乎外也。徼、求也。幸、謂所不當得而得者。子曰、射有似乎君子。失諸正鵠、反求諸其身。正、音征。鵠、工毒反。○畫布曰正、棲皮曰鵠。皆侯之中、射之的也。子思引此孔子之言、以結上文之意」の説明。君子は道理の通りをして先には構わない。西銘の「存吾順事、沒吾寧也」や、曾点朝聞道もこれ。外を願わず、自分を省みるのである。
【通釈】
「故君子云云」。死にたい生きたいと言うのは皆狼狽である。道理の通りをして先には構わない。小人は君子の裏なので、何時でも小人と出して見せる。様々な魚鱗鶴翼を行って、棘枳に足を掛けてひょいと飛ぶが、君子は通り町を歩く様なもの。道理なりに行く。西銘にある、生きては従い死んでは安しである。曾点朝聞道もここのこと。今大名の家でもとんだ人が用人になったと言うのは「不當得而得」で、これが多い。「行險」で幸を得たのである。「子曰、射云云」。この章は、外を願わないこと。そこでこれを引く。射は外を願わず、よく君子に似たこと。自分のことを省みる。側で話をしたからつい外したとは言わない。「畫布云云」。射礼に三色ある。賓射のは布で、大射のは革である。
【語釈】
・西銘に、生ては從い死ては安しなり…近思録89。西銘。「存吾順事、沒吾寧也」。

右第十四章。


中庸章句第十五章
君子之道、辟如行遠必自邇。辟如登高必自卑。辟、譬同。
【読み】
君子の道、辟[たと]えば遠きに行くが必ず邇きよりするが如し。辟えば高きに登るが必ず卑きよりするが如し。辟は譬と同じ。

詩曰、妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟旣翕、和樂且耽。宜爾室家、樂爾妻孥。好、去聲。耽、詩作湛。亦音耽。樂、音洛。○詩、小雅常棣之篇。鼓瑟琴、和也。翕、亦合也。耽、亦樂也。孥、子孫也。
【読み】
詩に曰く、妻子と好みんじ合えり、瑟琴を鼓[ひ]くが如し。兄弟旣に翕[あ]えり、和樂して且耽[たの]しむ。爾の室家に宜く、爾の妻孥を樂しむ。好は去聲。耽は詩に湛に作る。亦音耽。樂は音洛。○詩は小雅常棣の篇。瑟琴を鼓くは、和なり。翕も亦合うなり。耽も亦樂しむなり。孥は子孫なり。

子曰、父母其順矣乎。夫子誦此詩而贊之曰、人能和於妻子、宜於兄弟如此、則父母其安樂之矣。子思引詩及此語、以明行遠自邇、登高自卑之意。
【読み】
子曰く、父母其れ順ならんか。夫子此の詩を誦して之を贊して曰く、人能く妻子を和して、兄弟に宜きこと此の如くなれば、則ち父母其れ之を安んじ樂しまん、と。子思詩及び此の語を引いて、以て遠くに行くが邇きよりし、高きに登るが卑きよりするの意を明かす。


君子之道云云。三章分れても一つことなり。論語に下學上達一夜けんぎゃふはない。學問は自然な道で、西国中国へゆくにも品川から出るぞ。屋根へあがるに階子。此は誰も知ているが、学問になると知らぬ。なんぞ珍らしいことかあろうと云は異端の道なり。垩人の道は誰も彼も知た処からぞ。そこが道の近い処なり。学問々々と云が親に孝であろふ。学問せずと知て居ると云。其筈ぞ。道がちかいからなり。
【解説】
「君子之道、辟如行遠必自邇。辟如登高必自卑。辟、譬同」の説明。聖人の道は誰も彼もが知っている処からする。何か珍しいことがあるだろうと言うのは異端の道である。
【通釈】
「君子之道云云」。三章に分かれていても一つである。論語に「下學而上達」。一夜検校はない。学問は自然な道で、西国や中国へ行くにも品川から出るぞ。屋根へ上がるには梯子。これは誰もが知っているが、学問になると知らない。何か珍しいことがあるだろうと言うのは異端の道である。聖人の道は誰も彼もが知っている処からである。そこが道の近い処である。学問学問と言うが、親に孝のことであろう。学問をしなくても知っていると言う。その筈である。道が近いからである。
【語釈】
・下學上達…論語憲問37。「子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人。下學而上達。知我者其天乎」。
・一夜けんぎゃふ…一夜検校。江戸時代、千両の金を納めて、にわかに検校になったもの。転じて、にわかに富裕となること。

詩曰妻子云云。此れがなんのことも無いことの高いことなり。堯舜之道は孝弟而已。家内のしっくりとゆくこと。何とも云分も無く父子の中がよい。琴瑟云云をひくとは、家内のいこふ和た模様を云。六ヶ鋪ことがあると家内が鑓長刀て、親子中のよいに又夫婦中がよい。其上兄弟が来て酒盛て樂む。女房や孫かいそ々々うれしがる。一人壁に向へは滿堂不悦ずでひょんな体ぞ。其れに此様に睦い。ふだん梅花か咲て鴬かなく様なり。
【解説】
「詩曰、妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟旣翕、和樂且耽。宜爾室家、樂爾妻孥。好、去聲。耽、詩作湛。亦音耽。樂、音洛。○詩、小雅常棣之篇。鼓瑟琴、和也。翕、亦合也。耽、亦樂也。孥、子孫也」の説明。家内がしっくりとゆくことが、何のこともない様で高いこと。
【通釈】
「詩曰、妻子云云」。これが何のことも無い様で高いこと。「堯舜之道、孝弟而已矣」。家内がしっくりとゆくこと。何とも言い分も無く父子の仲がよい。「鼓瑟琴」とは、家内の大層和した模様を言う。難しいことがあると家内が鑓長刀で迎え撃つ。親子仲がよいのにまた夫婦仲もよい。その上兄弟が来て酒盛りで楽しむ。女房や孫がいそいそと嬉しがる。一人壁に向かえば満堂悦ばずでひょんな体である。それがこの様に睦まじい。普段から梅の花が咲いて鴬が鳴く様である。
【語釈】
・堯舜之道は孝弟而已…孟子告子章句下2。「堯舜之道、孝弟而已矣」。

子曰父母云云。さて々々此様な家内であろふなら、父母は心持がよかろふぞ。曾子の孝も親の心持と云か重いことなり。春のうららかな日にそよとも風も吹ぬ体なり。何程うまいものを進せても、親子中が氷が張たやふでは学問しても役に立ぬ。そこて中庸は異端に對するも聞へたぞ。釈迦が雪山へ逃れた時、父の心はどふで有う。やはり道樂な子の欠落したも、をやのあんじるにちがいはないはづなり。とふも異端つちつまあわぬ。一人出家すれば九族生于天。御茶をにごしたもの。九族生于天までまたぬ。其親御の心思いやらるると云ことなり。
【解説】
「子曰、父母其順矣乎」の説明。家内がしっくりとしていれば、父母は心持がよい。仏は父を無みする。
【通釈】
「子曰、父母云云」。さてさてこの様な家内であるのなら、父母は心持がよいだろう。曾子の孝も親の心持ということが重い。春のうららかな日にそよとも風も吹かない体である。どれほど美味いものを進ぜても、親子仲が氷が張った様では学問をしても役に立たない。そこで中庸は異端に対すると言うのも聞こえた。釈迦が雪山へ逃れた時、父の心はどうであっただろう。やはり道楽な子の欠落したのも、親が案じることに違いはない筈。どうも異端は辻褄が合わない。一人出家すれば九族天に生ずと言う。それは御茶を濁したもの。九族天に生ずるまで待つことはない。その親御の心思い遣られるということ。

賛。本文の乎の字から出た。妻子兄弟かよけれは父母安樂じゃ。或は忰は加増に娵は安産。是程よろこばしいことはないはつ。それにあまりうき々々とせぬは、内証がむつましくないからぞ。家内にふしぶしあっては拾萬石とっても面白くないはつと迂斎云へり。何程中庸の吟味しても、父子中かよくなくては役に立ぬ。鼻の先の道から吟味すること也。皆道の近いことを説たのなり。所録得要矣。但語句接續之処欠詳密耳。
【解説】
「夫子誦此詩而贊之曰、人能和於妻子、宜於兄弟如此、則父母其安樂之矣。子思引詩及此語、以明行遠自邇、登高自卑之意」の説明。父子仲がよくなくては役に立たない。鼻の先の道から吟味する。ここは皆道の近いことを説いたもの。
【通釈】
「賛」。本文の「乎」の字から出た。妻子兄弟がよければ父母は安楽である。或いは忰は加増に娵は安産。これほど喜ばしいことはない筈。それなのにあまりうきうきとしないのは、内証が睦まじくないからである。家内に節々があっては十万石取っても面白くない筈だと迂斎が言った。どれほど中庸の吟味をしても、父子仲がよくなくては役に立たない。鼻の先の道から吟味するのである。ここは皆道の近いことを説いたもの。録する所要を得たり。但語句接續の処詳密を欠くのみ。