己酉一六中庸筆記十
従第十七章至十九章  三月十一日 先生朱批 慶年
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・慶年…北田慶年。太兵衛、榮二と称す。東金市福俵の人。学思齋の主。篠原惟秀の兄。


中庸章句第十七章
子曰、舜其大孝也與。德爲聖人、尊爲天子、富有四海之内、宗廟饗之、子孫保之。與、平聲。○子孫、謂虞思・陳胡公之屬。
【読み】
子曰く、舜は其れ大孝なるか。德聖人爲り、尊きこと天子爲り、富四海の内を有ち、宗廟之を饗[う]け、子孫之を保んず。與は平聲。○子孫は、虞の思・陳の胡公の屬を謂う。

故大德必得其位、必得其祿、必得其名、必得其壽。舜年百有十歳。
【読み】
故に大德は必ず其の位を得、必ず其の祿を得、必ず其の名を得、必ず其の壽を得。舜は年百有十歳なり。

故天之生物、必因其材而篤焉。故栽者培之、傾者覆之。材、質也。篤、厚也。栽、植也。氣至而滋息爲培。氣反而游散則覆。
【読み】
故に天の物を生すこと、必ず其の材に因りて篤くす。故に栽えたる者は之を培[ま]し、傾ける者は之を覆す。材は質なり。篤は厚きなり。栽は植えるなり。氣至りて滋息するを培と爲す。氣反って游散すれば則ち覆る。

詩曰、嘉樂君子、憲憲令德、宜民宜人、受祿于天。保佑命之、自天申之。詩、大雅假樂之篇。假、當依此作嘉。憲、當依詩作顯。申、重也。
【読み】
詩に曰く、嘉みんじ樂しむべき君子、憲憲たる令德あり、民に宜く人に宜くして、祿[さいわい]を天に受く。保んじ佑けて之に命じ、天より之を申[かさ]ぬ。詩は大雅假樂の篇。假は、當に此に依って嘉に作るべし。憲は、當に詩に依って顯に作るべし。申は重ぬなり。

故大德者必受命。受命者、受天命爲天子也。
【読み】
故に大德者は必ず命を受く。命を受くるは、天命を受けて天子と爲るなり。

右第十七章。此由庸行之常、推之以極其至、見道之用廣也。而其所以然者、則爲體微矣。後二章亦此意。
【読み】
右第十七章。此れ庸行の常に由り、之を推して以て其の至りを極めて、道の用の廣きを見す。而して其の然る所以の者は、則ち體微爲り。後の二章も亦此の意なり。


子曰舜其大孝也與。費隱の章て垩人の手にも及ぬと云て置て、又及ふ段になってはしたたかなことのあるを此章て云。序にも異端に見せびらかすと云も此様な処で云。この出はどこでも異端に対して作をかけにみるがよし。異端の道は鉄炮玉のやふに通る処は通っても行わたらぬ。垩人のはどこ迠も行渡りてさび々々としたことに非す。是より十九章迠は大に及んだことを説けり。大名の土用干をみるやうに、此様なことはあるまい結構ずくめを見せる。舜の大孝を孟子に五十にして慕へりとあり、依て小學にも引れた。あそこは心て云から廣く示さるるが、迂斎の、爰は舜より外の人のなることにあらぬ故に小学には引れたと云た。この一句てわかる。爰は舜の御心で云ことでなく、御身分のあの通りになられたことゆへ、只の人に是を手本にせよとては、中々学ばれぬ。受用にはならぬ。爲德聖人尊爲天子富有四海。迂斎の、只の人に此通りせよと云と、謀叛せよと進るやふになると云た。天下中こぞって扨も有難い帝様と云と、夫はをれが子じゃはと云て、如何なる瞽瞍でも心よいはづぞ。孔子もかなわぬで費の大なり。注。舜は天下を禹に讓りたれは子孫はないかと思ふに、虞の思陳の故公なとあり。
【解説】
「子曰、舜其大孝也與。德爲聖人、尊爲天子、富有四海之内、宗廟饗之、子孫保之。與、平聲。○子孫、謂虞思・陳胡公之屬」の説明。費隱の章では聖人の手にも及ばないと言って置いて、また及ぶ段になっては舜を出す。ここは舜の御心で言うことではなく、御身分があの通りになられたということ。そこで、ただの人にこれを手本にしなさいと言っては、学ぶことはできず、受用にはならない。
【通釈】
「子曰、舜其大孝也與」。費隱の章で聖人の手にも及ばないと言って置いて、また及ぶ段になっては強かなことがあることをこの章で言う。序で異端に見せびらかすと言うのもこの様な処で言う。この出は何処でも異端に対して作るを掛けて見るのがよい。異端の道は、鉄砲玉の様に通る処は通っても行き渡らない。聖人のは何処までも行き渡っていて寂々としたことではない。これより十九章までは大いに及んだことを説いてある。大名の土用干しを見る様に、この様なことはないと思う様な結構尽を見せる。孟子に舜の大孝を「五十而慕」とあり、そこで小学にも引かれた。あそこは心で言うから広く示すことができるが、迂斎が、ここは舜より他の人のできることではないから小学に引かれたと言った。この一句でわかる。ここは舜の御心で言うことではなく、御身分があの通りになられたことなので、ただの人にこれを手本にしなさいと言っては、中々学ぶことはできない。受用にはならない。「德爲聖人、尊爲天子、富有四海之内」。迂斎が、ただの人にこの通りにしなさいと言うと、謀叛をしろと進める様になると言った。天下中が挙って実に有難い帝様だと言うと、それは俺の子だと言って、如何なる瞽瞍でも心よい筈である。孔子も敵わないから費の大である。注。舜は天下を禹に譲ったのだから子孫はないかと思えば、虞の思や陳の故公などがいる。
【語釈】
・舜の大孝を孟子に五十にして慕へりとあり…孟子萬章章句上1。「大孝終身慕父母。五十而慕者、予於大舜見之矣」。小學では稽古6にある。

故大德必得其位必得其禄。迂斎の爰を講するに故必と云字を声を張てよまれた。故に必すは、こふなれは是非と云弁なり。さて爰に故と云字三つ、必すと云字六つあるか、此二字が太極から棒をまっすくに引た字じゃ。大德なれはこうあるべき理なるによってこふある筈と云こと。必得其名。朝鮮人が日本へ使を云ひつかると、日本の冨士を見やふと云てくる。名を得たはこふしたものて、舜の垩人と云ことを誰れもそれはとは云はぬ。孔子のこふ云れても舜には及れぬ。舜はあたり、孔子ははづれなり。あたりも費、はつれも費。さても々々々費。又六ヶ鋪を云ものか、德あるものか禄壽を得るに極るならは、顔子の夭死、盗蹠が長壽はどうじゃと云てつくが、あれは気の上の間違なり。公事をまくまいぞとなためてかへすことなり。十五夜の月はさえる筈なれとも、降ったやふなもの。孔顔の德のかけにはならぬ。太極からのすしの違たことてはない。道理がすむとすずやかぞ。
【解説】
「故大德必得其位、必得其祿、必得其名、必得其壽。舜年百有十歳」の説明。ここに故という字が三つ、必ずという字が六つある。この二つの字が太極から棒を真っ直ぐに引いた字である。孔子が舜に及ばないのも、顔子の夭死、盗跖の長寿も、気の上の間違いである。
【通釈】
「故大德必得其位、必得其祿」。迂斎がここを講ずるのに「故」「必」という字を声を張って読まれた。故にと必ずは、こうなれば是非という弁である。さてここに故という字が三つ、必ずという字が六つあるが、この二字が太極から棒を真っ直ぐに引いた字である。「大德」であればこうあるべき理であるから、こうある筈だということ。「必得其名」。朝鮮人が日本へ使いを言い付かると、日本の富士を見ようと言って来る。名を得たとはこうしたもので、舜が聖人であるということを誰もそれは違うとは言わない。孔子がこう言われても舜には及べない。舜は当たり、孔子は外れである。当たりも費、外れも費。さてもさても費である。また難しいことを言う者が、徳ある者が禄や寿を得るに極まるのであれば、顔子の夭死、盗跖の長寿はどうしたことかと言うが、あれは気の上の間違いである。公事を蒔くなと宥めて帰すのがよい。十五夜の月は冴える筈だが、雨が降った様なもの。それは孔顔の徳の欠けにはならない。太極からの筋が違ったことではない。道理が済むと涼やかである。

故天之生物必因其材。爰て舜の幸を得られた手柄を云ことで、あああるべきはづ、動ぬ理なるぞ、と。拾ひ首をしたやふな幸てはない。こふしたことであるが故也と受たこと。天は向次第て匕加滅はない。迂斎の、一舛樽をもてゆくと、つぎてに心はないがやはり一舛なり。三舛樽をもてゆくと三舛なり。舜のは天から格別のあてがいのやふなれとも、ひいきですることではない。是を草木にたとへて云た。栽者。土にしゃんと植て立てあるそ。培之。日本口てこやしを云とは違い、根が土へ得とは這入て撥ぬ故にそこへ主気の寄て行くことを。傾者覆之は、打倒れたことてなし。根が土の上へ出て撥く故、枯気つくこと。注。気至滋息。土中へ根か滿足に這入ている故、天地の澤て自然と茂る。気反遊散は倒れることにもあら子とも、草木の心か何所へやら行てしまふ故、つい立枯になる。
【解説】
「故天之生物、必因其材而篤焉。故栽者培之、傾者覆之。材、質也。篤、厚也。栽、植也。氣至而滋息爲培。氣反而游散則覆」の説明。舜には天から格別の宛行がある様だが、天の贔屓はない。土にしゃんと生えて立っている様なもの。それで生気が寄って来る。
【通釈】
「故天之生物、必因其材」。ここは舜の幸を得られた手柄を言ったことで、あの様にあるべき筈、動かぬ理だと言う。拾い首をした様な幸ではない。こうしたことであるが故にと受けたこと。天は向こう次第で匕加減はない。迂斎が、一升樽を持って行くと、注ぎ手に心はないがやはり一升である。三升樽を持って行くと三升だと言った。舜には天から格別の宛行がある様だが、贔屓ですることではない。これを草木に譬えて言った。「栽者」。土にしゃんと植えられて立っている。「培之」。日本口で肥やしを言うのとは違い、根が土にしっかりと這い入って撥ねないので、そこへ生気が寄って行くこと。「傾者覆之」は、打ち倒れたことではない。根が土の上へ出て撥ねるので、枯気付くこと。注。「気至而滋息」。土中へ根が満足に這い入っているので、天地の沢で自然と茂る。「気反游散」は倒れることでもないが、草木の心が何処へやら行ってしまうので、つい立枯れになる。

詩曰嘉樂君子。詩にこふ云ことかあるか、舜などかこれじゃとて詩を引れた。嘉樂かよく嘉樂かよく舜に當る。嘉樂てはたりぬやふなことなれとも、垩人の德なとか、きってはなれた肝のつふるると云様なことはなし。扨も々とみゃふなことばかりなものそ。成德てない人のは角ひしのありたがるものゆへ、それて英雄豪傑は能い様ても心安御意得にくいもの。垩人のは久しく御目にかからぬ。御目にかかりたいもの。慕ふ心のあるものなり。祖父のやふに。憲々令德は、日月の物を照す様に扨もよい日和しゃ、能月じゃと云やふなもの。凡人のやふに、夫にはよみと唄があるなどとは云はぬ。受禄。よいことをふきつけるそ。日和はよくさくらはさく。鯛はとれる。これでこそ本んの春なり。保佑は、垩人は天地一牧のものゆへに、天が後ろ立になりて天より保ける。舜の德ある故なり。自天申之。もふよいと云て捨はせぬそ。舜の上にはなぜか天がついて居ると云様に、天からあてがってはなれぬ。權門方に緑かあるの筋てはない。家老從弟は保けらるる程わるい。注。垩賢の語を引は空だめですること故、字の違ふことあり。今の学者はぢこく操にする故に文字は違はぬ。
【解説】
「詩曰、嘉樂君子、憲憲令德、宜民宜人、受祿于天。保佑命之、自天申之。詩、大雅假樂之篇。假、當依此作嘉。憲、當依詩作顯。申、重也」の説明。成徳の人は人に慕われる。聖人は天地一枚なので、天が後ろ楯になって保ける。
【通釈】
「詩曰、嘉樂君子」。詩にこういうことがあるが、舜などがこれだと言って詩を引かれた。嘉楽がよく舜に当たる。嘉楽では足りない様だが、聖人の徳などは、切って離れた肝の潰れるという様なことはない。さてもさてもと妙なことばかりなもの。成徳でない人は角菱がありがちなので、それで英雄豪傑は能い様でも心安御意を得難いもの。聖人にあっては、久しく御目に掛からない。御目に掛かりたいものだと、慕う心のあるものである。祖父の様に。「憲憲令德」は、日月の物を照らす様に実によい日和だ、よい月だと言う様なもの。凡人の様に、それには読みと歌があるなどとは言わない。「受祿」。よいことを吹き付ける。日和はよくて桜は咲く。鯛は捕れる。これでこそ本当の春である。「保佑」は、聖人は天地一枚なので、天が後ろ楯になって天から保ける。それは舜に徳があるからである。「自天申之」。もうよいと言って捨てはしない。舜の上には何故か天が付いているという様に、天が宛がって離れない。権門方に縁があるの筋ではない。家老従弟は保けられるほど悪い。注。聖賢の語を引くのは空だめですることなので、字が違うことがある。今の学者は地獄操にするから文字は違わない。
【語釈】
・角ひし…角菱。かどをたてること。規則・礼儀などが四角四面でわずらわしいこと。
・よみと唄…読みと歌。意味の似て非なること。勘定ずくで此を捨て彼を取る場合にいう。得する方をとること。一得一失の意にもいう。ものごとには、よい点もあれば悪い点もあるというたとえ。
空だめ
ぢこく操

故大德者必受命。又太極から筋を引た。理なりで云こと。大德は命を受る筈なり。そこを聞下手が桀紂はどふじゃと咄の腰を折るが、理なりにゆかぬは気の変と云ものなり。大学之序にも憶兆之君師と成と云も理なりに行たこと。孔子のやふなは間違ぞ。木曽海道をふりつつけた。注。受命は垩人でなければならぬと、爰て又理ずりたを云て結ぞ。垩人でない天子もあるそとは云はれぬことそ。そのことを云ことではない。
【解説】
「故大德者必受命。受命者、受天命爲天子也」の説明。大徳は命を受ける筈だが、理なりに行かないのは気の変というもの。命を受けるのは聖人でなければならないということ。
【通釈】
「故大德者必受命」。また太極から筋を引いた。理なりで言ったこと。大徳は命を受ける筈。そこを聞き下手が桀紂はどうだと話の腰を折るが、理なりに行かないのは気の変というもの。大学の序に「爲億兆之君師」と言うのも理なりに行ったこと。孔子の様なことは気の間違いである。木曾街道を降り続けた。注。「受命」は聖人でなければならないと、ここでまた理吊りに言って結ぶ。聖人でない天子もあるぞとは言えない。そのことを言うのではない。
【語釈】
・大学之序にも憶兆之君師と成…大學序。「一有聰明睿智能盡其性者出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而敎之、以復其性。此伏羲・神農・黄帝・堯・舜、所以繼天立極、而司徒之職、典樂之官所由設也」。

右第十七章。注。此由庸行之常。何所でも費離さぬ。舜なとのことは説き様て唯我独尊と云体になる。異端や仙家の飛ぶやふなことではない。舜好問察邇言。ぢり々々とした庸行の処からそ。見道之用廣也。費隱の章て夫婦之愚迠もなることと道の用の廣を云たか、舜の大孝は中々。孟宗か竹の子を得たは孝でからが小さい。所以然。夫婦の愚の小い処から又この大いことになる。夫は又どうして成そと云に、隱て見へぬ。所然は機のない処と思へ。竹田のからくりても、ぜんまいの仕掛て動くとも見ゆれとも、理の形は見へぬ。体は微かそ。後の二章も事業の大いことを云。大きくも小さくもとかく費ぞ。どふしたことぞ、めいやふな。そこは隱ぞ。
【解説】
「右第十七章。此由庸行之常、推之以極其至、見道之用廣也。而其所以然者、則爲體微矣。後二章亦此意」の説明。費隱の章で夫婦の愚までもできることだと道の用の広いことを言ったが、舜の大孝は中々のこと。夫婦の愚の小さい処から、またこの舜の大きいことまでが成る。しかし、それは隱で見えない。
【通釈】
「右第十七章」。注。「此由庸行之常」。何処でも費を離さない。舜などのことは説き様で唯我独尊という底になるが、異端や仙家の飛ぶ様なことではない。「舜好問、而好察邇言」は、じりじりとした庸行の処からのこと。「見道之用廣也」。費隱の章で夫婦の愚までもできることだと道の用の広いことを言ったが、舜の大孝は中々のことであり、孟宗が筍を得たのは孝自体が小さい。「所以然」。夫婦の愚の小さい処から、またこの大きいことになる。それはまたどうして成るかと言っても、隱で見えない。所以然は機のない処だと思いなさい。竹田の絡繰でも、ぜんまいの仕掛けで動くとも見えるが、理の形は見えない。体は微かである。後の二章も事業の大きいことを言う。大きくも小さくもとかく費である。どうしたことだ、面妖なことだ。そこは隱である。


中庸章句第十八章
子曰、無憂者其惟文王乎。以王季爲父、以武王爲子。父作之、子述之。此言文王之事。書言王季其勤王家。蓋其所作、亦積功累仁之事也。
【読み】
子曰く、憂え無き者は其れ惟文王か。王季を以て父と爲し、武王を以て子と爲す。父之を作し、子之を述ぶ。此れ文王の事を言う。書に、王季は其れ王家に勤むと言う。蓋し其の作す所も、亦功を積み仁を累ぬる事なり。

武王纘大王・王季・文王之緒、壹戎衣而有天下、身不失天下之顯名。尊爲天子、富有四海之内、宗廟饗之、子孫保之。大、音泰。下同。○此言武王之事。纘、繼也。大王、王季之父也。書云、大王肇基王跡。詩云、至于大王、實始翦商。緒、業也。戎衣、甲冑之屬。壹戎衣、武成文。言一著戎衣以伐紂也。
【読み】
武王大王・王季・文王の緒を纘[つ]いで、壹たび戎衣して天下を有ち、身天下の顯名を失わず。尊きこと天子爲り、富四海の内を有ち、宗廟之を饗[う]け、子孫之に保んず。大は音泰。下も同じ。○此れ武王の事を言う。纘は繼ぐなり。大王は、王季の父なり。書に云く、大王肇めて王跡を基す、と。詩に云く、大王に至りて、實に始めて商を翦[た]つ、と。緒は業なり。戎衣は甲冑の屬。壹たび戎衣すは、武成の文。言うこころは、一たび戎衣を著て以て紂を伐つ、と。

武王末受命。周公成文・武之德、追王大王・王季、上祀先公以天子之禮。斯禮也、達乎諸侯・大夫及士庶人。父爲大夫、子爲士、葬以大夫、祭以士。父爲士、子爲大夫、葬以士、祭以大夫。期之喪達乎大夫、三年之喪達乎天子。父母之喪無貴賤一也。追王之王、去聲。○此言周公之事。末、猶老也。追王、蓋推文・武之意、以及乎王跡之所起也。先公、組紺以上至后稷也。上祀先公以天子之禮、又推大王・王季之意、以及於無窮也。制爲禮法、以及天下、使葬用死者之爵、祭用生者之祿。喪服自期以下、諸侯絶、大夫降。而父母之喪、上下同之。推己以及人也。
【読み】
武王末[お]いて命を受く。周公文・武之德を成して、大王・王季を追王し、上先公を祀るに天子の禮を以てす。斯の禮、諸侯・大夫及び士庶人に達す。父大夫爲り、子士爲れば、葬るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。父士爲り、子大夫爲れば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。期の喪は大夫に達し、三年の喪は天子に達す。父母の喪は貴賤無く一なればなり。追王の王は去聲。○此れ周公の事を言う。末は猶老のごとし。追王は、蓋し文・武の意を推して、以て王跡の起こる所に及ぼすなり。先公は、組紺以上后稷に至るまでなり。上先公を祀るに天子の禮を以てするは、又大王・王季の意を推して、以て無窮に及ぼすなり。禮法を制爲して、以て天下に及ぼし、葬るに死者の爵を用い、祭るに生者の祿を用いしむ。喪服は期より以下、諸侯絶ち、大夫降す。而して父母の喪は、上下之を同じくす。己を推して以て人に及ぼすなり。


子曰無憂者其惟文王乎云云。親が子を思うに如在はないか、放蕩な子をもては仕方のないもの。爰が道の費な処で、親子ほと近いものはなけれとも、どふも仕方はない。既に舜は瞽瞍、堯は丹朱の不肖故に舜立つられたに、文王はこの様な御仕合せ。親は大賢、子は垩人。文王の額にしはをよせることはない。狂歌に、梅か香を櫻の花に匂はせて柳の枝に咲まほしさよとやら云。無理な望みを云たか、夫に文王は似て云に及はれぬ。揃たことなり。
【解説】
「子曰、無憂者其惟文王乎。以王季爲父、以武王爲子。父作之、子述之」の説明。舜には瞽瞍、堯には丹朱がいたが、文王は親は大賢で子は聖人と、何も憂うることはない。
【通釈】
「子曰、無憂者其惟文王乎云云」。親が子を思うのに如在はないが、放蕩な子を持てば仕方のないもの。ここが道の費な処で、親子ほど近いものはないが、どうも仕方はない。既に舜には瞽瞍がいて、堯は丹朱が不肖だったので舜を立てられたが、文王はこの様な御幸せで、親は大賢、子は聖人。文王が額に皺を寄せることはない。狂歌に、梅が香を桜の花に匂わせて柳の枝に咲かまほしさよとやら言う。これは無理な望みを言ったことだが、文王はそれに似て、言うに及ばれない。揃っている。

注。王季其勤王家。したぢのないことは出来ぬ。天下取にならるる下地はしゃんと出来て居て善いことをする故に天命かよくくる。天必命之処て向からきて、此方から手を出すことに非す。清盛や太閤の天下を取りたはこちより手を出した。積功累仁。能事業を勤て居れは、天下はそろ々周へ自ら向より来る筈のことなり。累仁の字を三宅先生新しい字てはあるまいと吟味したか、何処にもない。史記や家語にも積行累功とはあり、朱子文字を入かへたと見へた。周の天下を得るに累仁と云たいことなり。昔より仁でなくて天下を取たに續たはない。論語にも弟子皆問仁たに、めったに仁はゆるさぬに、殷に三仁あると赦したは、心の底からすることでなければ仁は赦さぬ。依て朱子の仁を入られたかと見ゆる。仁と云一字を出してをくで、武王の天下を取られたに訴のできることはない。殷の三仁の仁も一つことなれば、とこそ申ことやふはない。この一言てもらちのあいたことなり。
【解説】
「此言文王之事。書言王季其勤王家。蓋其所作、亦積功累仁之事也」の説明。文王が天下取りになったのは、清盛や太閤とは違って、「天必命之」からである。「積功累仁」は「積行累功」の功を仁に朱子が入替えたのだろう。
【通釈】
注。「王季其勤王家」。下地のないことはできない。天下取りに成られた下地はしゃんと出来ていて、善いことをするので天命がよく来る。「天必命之」の処で、向こうから来て、こちらから手を出すことではない。清盛や太閤が天下を取ったのはこちらから手を出したもの。「積功累仁」。能く事業を勤めていれば、天下はそろそろと周へ自ら向こうから来る筈のこと。累仁の字を三宅先生が新しい字ではないだろうと吟味したが、何処にもない。史記や家語にも積行累功とはあるので、朱子が文字を入替えたと見える。周が天下を得るのは累仁と言いたいものである。昔から仁でなくて天下を取った者に続いたことはない。論語にも弟子は皆問仁だったのに、滅多に仁は赦さなかった。そこを殷に三仁あると赦したのは、心の底からすることでなければ仁は赦さないからである。そこで朱子が仁を入れられたのかと見える。仁という一字を出して置くので、武王が天下を取られたことに訴のできることはない。殷の三仁の仁も一つ事だが、何処にも申すことはない。この一言でも埒の明いたこと。
【語釈】
・天必命之…大學序の語。
・三宅先生…三宅尚齋。
・殷に三仁ある…論語微子1。「微子去之。箕子爲之奴。比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。

武王纘大王王季文王之緒。武王の時になっては捨をくことのならぬ時になった。扨々悪い折に出合せて、捨てはどふも置れぬことになった。そこで横渠の堯舜湯武を幸不幸と云れたも尤のことなり。武王は悪い木口の巡り合て、あれては置れまいとて鎧着て出られた。三十人扶持や百石の禄さへほしい心ては、天下を得たことは甚の幸のやふに思ふは凡夫の心なり。そこを張子は不幸と云。武王の心より張子の心もうかがはれまいぞ。顕名は結構な名て、批点の掛らぬ立派なことぞ。不失と云、爰を大切に見やふことぞ。武王は大名で天子を伐れたは如何の様なれとも、易の彖傳革の卦、順天応人革之時大哉と書てあれは、爰て吃度きまって云分はない。学者の湯武を論するに臭い物に蓋をするやふに及ぬこと。迂斎の弁なり。君臣の義に間違があってはすまぬ。胡麻錆ほども肉についたことはない。迂斎の、学者が放伐のことを論ずるにちらり々々々と少し宛云て、猫のをきをせせるやふにするが、直方の弁なり。孔子のこふ云て置れたれは押開て云へ、垩人には権道と云ことあって、肉についてしたことでない。顕名をうしなわぬ。この不失と云を直方の前書の入ることじゃと云れたは、大名で天子を伐た故、失ふとも云ほどの処なれとも、そこが垩人。そこか仁。
【解説】
「武王纘大王・王季・文王之緒、壹戎衣而有天下、身不失天下之顯名。尊爲天子、富有四海之内、宗廟饗之、子孫保之」の説明。武王の時になると、放って置くことができなくなって鎧を着て出た。聖人には権道があって、湯武の放伐は肉に付いてしたことではない。
【通釈】
「武王纘大王王季文王之緒」。武王の時になっては捨てて置くことのできない時になった。実に悪い折に出合わせて、どうも捨てては置けないことになった。そこで横渠が堯舜湯武を幸不幸と言われたのも尤もなこと。武王は悪い小口の巡り合わせで、あれでは捨てては置けないと言って鎧を着て出られた。三十人扶持や百石の禄さえ欲しい心で、天下を得たことは甚だ幸いの様に思うのは凡夫の心である。そこを張子は不幸と言う。それでは武王の心はともかく、張子の心も窺うことはできない。「顯名」は結構な名で、批点の掛からない立派なこと。「不失」とある、ここを大切に見なさい。武王は大名でありながら天子を伐たれたのは如何の様だが、易の彖伝の革の卦に、「順乎天而應乎人。革之時大哉」と書いてあれば、ここできっと決まって言い分はない。学者が湯武を論ずるのに臭い物に蓋をする様にするには及ばない。迂斎の弁である。君臣の義に間違いがあっては済まない。胡麻錆ほども肉に付いたことはない。迂斎が、学者が放伐のことを論ずるのにちらりちらりと少し宛てて言って、猫の荻をせせる様にするが、直方の弁である。孔子がこの様に言って置かれたのは押し開いて言ったことで、聖人には権道ということがあって、肉に付いてしたことではない、と。顕名を失わない。この不失ということを、直方が前書の入ることだと言われたのは、大名で天子を伐ったので、失うともいうほどの処なのだが、そこが聖人なのである。そこが仁。
【語釈】
・順天応人革之時大哉…易經彖傳革卦。「天地革而四時成。湯武革命、順乎天而應乎人。革之時、大矣哉」。

注。王季のことは上の段ですんである。大王肇基王跡は王家を勤るの前立になることて、天下はいつとなく周へ行くはへと云体で、これか天からすること。冬の内蕐の催て居る様に、最ふ春になると咲くと受合て云はるる様なものそ。天地の向く処自然と斯ふなる。あの大王の德義か根になったもの。人のよく今も云ことで、娵や娘か孕むと御目出度御沙汰かあると云は前のあることで、産るる子は知れ子とも、最ふきざしのあることなり。夜番がじっとばんをしているうちに東しらむ。あんどんをけす。はやかはり番が出てくる。皆天のすることなり。時計をはやくうたせるとはちがう。實始翦商。大王のときを軽い様に思ふか、そふでなし。大王か天下を取程の勢い。翦を直方の、子めて居ると云様なもの、と。子めると云と悪ひやふなれとも、どふでもあの通りでは其分にして置れまいと見たこと。此が天下と云ことゆへ、肉気て云とわるい。わずかの金銀のことで騒く凡情て聖人の意はうかかわれぬ。放伐のことは行つめて大晦の元日に帰る様に思へ。ああ成ら子はならぬ。武王天下を取らずに紂計りを伐たらは誰も何云云まいが、天下と云能もののついてある故人か疑ふなれとも、中々肉についたことにあらず。垩人に子ともの紙鳶へ縄をあげつけてとるやふな心はないはつ。緒、業なり。一夜檢校のやふに直になることに非ず。ちり々々として行くこと。
【解説】
大、音泰。下同。○此言武王之事。纘、繼也。大王、王季之父也。書云、大王肇基王跡。詩云、至于大王、實始翦商。緒、業也。戎衣、甲冑之屬。壹戎衣、武成文。言一著戎衣以伐紂也。
【通釈】
注。王季のことは上の段で済んでいる。「大王肇基王跡」は王家を勤めることの前立になることで、天下は何時となく周へ行くぞという体で、これが天からすること。冬の内に花の催している様に、もう春になると咲くと受け合って言える様なもの。天地の向く処が自然とこうなる。あの大王の徳義が根になったもの。人が今もよく言うことで、娵や娘が孕むと御目出度御沙汰があると言うのは前のあることで、産まれる子は知れないが、もう兆しのあること。夜番がじっと番をしている内に東が白む。行灯を消す。直ぐに替り番が出て来る。これが皆天のすること。時計を早く打たせるのとは違う。「實始翦商」。大王の時を軽い様に思うが、そうではない。大王が天下を取るほどの勢いである。翦を直方が、睨めているという様なものだと言った。睨めるというと悪い様だが、どうでもあの通りではその分にしては置けないと見たこと。これが天下ということなので、肉気で言うと悪い。僅かの金銀のことで騒く凡情で聖人の意は窺えない。放伐のことは行詰めて大晦が元日に戻る様に思え。あの様に成らなければならない。武王が天下を取らずに紂だけを伐ったのであれば誰も何とも言わないだろうが、天下という能きものが付いてあるので人が疑うが、中々肉に付いたことではない。聖人に子供の紙鳶へ縄を揚げ付けて取る様な心はない筈。「緒、業也」。一夜検校の様に直になることではない。じりじりとして行くこと。
【語釈】
・一夜檢校…江戸時代、千両の金を納めて、にわかに検校になったもの。にわかに富裕となること。

武王末受命。武王の紂を打たは至て晩年のことぞ。夫故に天下のことに未た御手が逈らなんだ。成王は年若し。文武の德も周公て成た。周公成王に相として天下を治め、此德化を廣めた。そこて章句言周公之事とある。扨武王始て王号を得られ、文王に謚せり。後に周公か文武の心を推量って大王王季を追王せられた。其外先公を祭るに天子の礼で祭る。斯礼也と云より下を大切に見よ。天子の諸侯のと云は格式てこそ及はぬこと成れとも、父子の親にかわりはない。依て天子計てなく、庶人に至る礼法を計らい、通達する様に作られた。斯礼を異端に當て看よ。聖人の道はこふ廣く人に通するて無れば用に立ぬに、異端は吾ばかりで濟す。人倫の有難は先祖を知ることで、人の人たる処そ。禽獣は母を知て父を知らずと云へり。先祖を知て祭て人也。孔子周礼三百宦の中に色々ある内て祭を引出して見せたは格別なことなり。これ迂斎の説なり。
【解説】
「武王末受命。周公成文・武之德、追王大王・王季、上祀先公以天子之禮。斯禮也、達乎諸侯・大夫及士庶人」の説明。武王が紂を打ったのは至って晩年のこと。周公が成王に相として天下を治め、文武の徳化を広めた。後に周公が文武の心を推し量って大王王季を追王し、その外の先公を祭るにも天子の礼で祭った。この礼は庶人にまで至った。先祖を知って祭ってこそ人である。
【通釈】
「武王末受命」。武王が紂を打ったのは至って晩年のこと。それで天下のことに未だ御手が回らなかった。成王は年が若い。文武の徳も周公で成った。周公が成王に相として天下を治め、この徳化を広めた。そこで章句に「言周公之事」とある。さて武王が始めて王号を得られ、文王に謚した。後に周公が文武の心を推し量って大王王季を追王せられた。その外の先公を祭るにも天子の礼で祭った。「斯禮也」から下を大切に見なさい。天子の諸侯のというのは格式でこそ及ばないことだが、父子の親に変わりはない。そこで天子ばかりではなくて、庶人に至る礼法を計らい、通達する様に作られた。「斯禮」を異端に当てて看なさい。聖人の道はこの様に広く人に通ずるのでなければ用に立たないのに、異端は自分ばかりで済ます。人倫の有難さは先祖を知ることで、これが人の人たる処である。禽獣は母を知って父を知らずと言う。先祖を知って祭ってこそ人である。孔子が周礼三百官の中に色々ある内で祭を引き出して見せたのは格別なこと。これは迂斎の説。

父爲大夫子爲士云云。是か物に細かあたりのあることを看よ。父大夫て死ぬと死者の大夫の格式て葬り、祭は子の生者の士の例で祭る。扨喪祭はつとめ子はならぬことそ。論語に愼終追遠民之德厚に帰すとあり、親子の中てこれをせぬと父子の間か離れ々々になる。天下は親子ほどのやふに親いものはないものなるに、父子て親の喪をも能くせぬと云なれば、天下の人は尚離れ々々になる故に、聖人是を眞初めに敎ることそ。期之喪達乎大夫の達は届くことなり。自分は知才て大夫に成ても、親類には町人百姓の軽い伯父伯母ありても、期の喪まてはする。大名になっては軽い人の期の喪はせぬが、同格の喪は本式の通りにして絶つの降すのと云ことはなし。五服ともにそふなり。三年之喪達乎天子。父母之喪は大切なことなれば、天子ても三年の喪をとることそ。瞽瞍が九十九里の濱辺に居て死ても、舜三年の喪をとるぞ。父母之喪と最一返かへして云て、九族ともに喪は大切なれとも、別て父母の喪の大切なることを示す。三年の喪は父母ばかりでなく、三年の喪外にもあれとも、ここは父母のことを云と朱説あり。
【解説】
「父爲大夫、子爲士、葬以大夫、祭以士。父爲士、子爲大夫、葬以士、祭以大夫。期之喪達乎大夫、三年之喪達乎天子。父母之喪無貴賤一也」の説明。喪祭は五服それぞれに仕方があるが、三年の喪は誰もが同じく行うものである。
【通釈】
「父爲大夫。子爲士云云」。これが物に細か当たりのあることを看なさい。父が大夫で死ぬと死者の大夫の格式て葬り、祭は子の生者の士の格式で祭る。さて喪祭は勤めなければならないこと。論語に「愼終追遠、民德歸厚矣」とあり、親子の中でこれをしないと父子の間が離れ離れになる。天下には親子ほど親しいものはないものだが、父子で親の喪をも能くしないというのであれば、天下の人は尚離れ離れになるから、聖人はこれを真っ初めに教えた。「期之喪達乎大夫」の達は届くこと。自分は知才で大夫に成っても、親類には町人百姓の軽い伯父伯母があっても、期の喪まではする。大名になっては軽い人の期の喪はしないが、同格の喪は本式の通りにして絶ったり降したりすることはない。五服共にそうである。「三年之喪達乎天子」。父母の喪は大切なことだから、天子でも三年の喪を行う。瞽瞍が九十九里の浜辺にいて死んでも、舜は三年の喪をするぞ。「父母之喪」ともう一遍返して言って、九族共に喪は大切なのだが、別して父母の喪の大切なことを示す。三年の喪は父母ばかりではなく、三年の喪は外にもあるが、ここは父母のことを言うと朱説にある。
【語釈】
・愼終追遠民之德厚に帰す…論語學而9。「曾子曰、愼終追遠、民德歸厚矣」。

此様なことなどは大切に思い依て、田舎ても百姓平生服忌令なとは見る筈のことなり。日雇取や駕輿舁の軽いもの長髪て久く引込て居ては妻子も養はれぬことならは、出て商はするとも、五十日は是非喪を勤め子はならぬと思はすには濟ぬ。今時の人は出世するとは、生た親をも見くるしいのは親とは云はぬ様にする。夫故に親も足をひかへる。たま々々ゆくと国から飛脚なとと云、まぎらすやふなもあろふぞ。親は子のかわゆさに、此身すぼらしい形て行ては悪からふとて後々はゆかぬ。夫を是と心得るは何事ぞ。異端の眞初めは楊墨より起ると云も、本を二つにするよりそ。父母を本とにせぬは首のない人のやふなものなり。そこて周公礼を制し、父母の喪を先にして天下に示さるるも此所の大切よりそ。
【解説】
異端の最初は楊墨より起こると言うのは、本を二つにすることからである。父母を本にしないのは首のない人の様なもの。周公が礼を制して、父母の喪を先にして天下に示されたのも、この所が大切だからである。
【通釈】
この様なことなどは大切に思って、田舎でも百姓が平生服忌令などを見る筈のこと。日傭取や駕籠舁きの軽い者が長髪で久しく引っ込んでいては妻子も養われないのであれば、出て商いはするとも、五十日は是非喪を勤めなければならないと思わずには済まない。今時の人は出世すると、生きている親をも見苦しいのは親とは言わない様にする。それで親も足を控える。偶々行くと、国から飛脚がなどと言って紛らす様な者もあるだろう。親は子が可愛いので、このみすぼらしいなりで行っては悪いだろうとして後々は行かない。それを是と心得るのは何事か。異端の真っ初めは楊墨より起こると言うのも、本を二つにすることからである。父母を本にしないのは首のない人の様なもの。そこで周公が礼を制して、父母の喪を先にして天下に示されたのも、この所が大切だからである。

注。追王推文武之意。推すとは、をれは王と云はれて能いか、天下を得たはをれではない。大王々季からじゃ。あなた方はどふして呉ることと思召ふ心を汲推量って周公追王せられた。及乎王跡之所起。文王は、をれがしたことではない、大王や王季のしたこと、と。組紺以上の先公も段々推思ふと后稷迠も。そふ思ふと無窮に至。いかほとに遠い先祖ても此身か祖考の精神ゆへひびく也。今ある人が頼朝時代より出来た人ではないぞ。段々推すと伊奘諾伊奘冉の神代の処にも至るなり。喪服忌より以下は大名はせぬ。大夫は一等を降。一等を降すの字て喪を軽くとる。期の一年の喪は九ヶ月にする。日本で廿日の喪なれば十日降すこと。上下同之。三年の喪と云も外にもあれとも、中庸では父母の喪のことなり。上下同こととありて通す。このこと語類にも直方の便講にも引てあり。推己以及人也。十三章の忠恕の教なり。忠恕の字そ。祭に歴々は重い料理の膳をすへる。軽いものは油上ても仕廻。己々か分んたけにすることそ。垩人の礼はこふ行きはたる。ここか中庸なり。
【解説】
「追王之王、去聲。○此言周公之事。末、猶老也。追王、蓋推文・武之意、以及乎王跡之所起也。先公、組紺以上至后稷也。上祀先公以天子之禮、又推大王・王季之意、以及於無窮也。制爲禮法、以及天下、使葬用死者之爵、祭用生者之祿。喪服自期以下、諸侯絶、大夫降。而父母之喪、上下同之。推己以及人也」の説明。どれほど遠い先祖でも、この身が祖考の精神なので響く。喪服忌より以下は大名はしない。大夫は一等を降す。しかし、父母の喪は上下同じである。
【通釈】
注。「追王、蓋推文武之意」。推すとは、俺は王と言われてもよいが、天下を得たのは俺ではない。大王王季からだ。貴方方はどうしてくれることかと思し召す心を汲み推し量って周公が追王されたこと。「及乎王跡之所起」。文王は、俺がしたことではない、大王や王季のしたことだ、と。組紺以上の先公も段々推し思うと后稷までもがそれ。そう思うと無窮に至る。どれほど遠い先祖でも、この身が祖考の精神なので響く。今いる人は頼朝時代より出来た人ではない。段々と推すと伊奘諾伊奘冉の神代の処にも至る。喪服忌より以下は大名はしない。大夫は一等を降す。一等を降すの字で喪を軽く執る。期の一年の喪は九ヶ月にする。日本で二十日の喪であれば十日降す。「上下同之」。三年の喪というのも外にもあるが、中庸では父母の喪のことで、上下同じこととあって通す。このことは語類にも直方の便講にも引いてある。「推己以及人也」。十三章の忠恕の教である。忠恕の字。祭に歴々は重い料理の膳を据える。軽い者は油揚げで終える。己々の分だけにする。聖人の礼はこの様に行き渡る。ここが中庸である。
【語釈】
・伊奘諾伊奘冉…いざなきといざなみ。

異端の道はそふはなく、天窓て夫婦を迷と看る。其位ては祭といふことは根からない筈ぞ。易序卦傳に、有夫婦而後有父子。夫婦を以て本とす。始めを語には親の上に云は子ばならぬ。天地開闢は夫婦ぞ。其夫婦で出来た子孫が先祖を祭るによって備物も夫婦親之又對異端而言。以易与礼記結之。周公のあの様に祭のことをしてをかれても及ばれぬと云ことに非ず。皆分によりて尽すことを得さしむ。是推己及人。道其れ人に遠んや也。こんな訳を知らぬと祭のことか高盛の料理や蝶花かたになってごつ々々するぞ。
【解説】
天地開闢は夫婦である。異端はその夫婦を迷いとする。それなら祭などはない筈である。周公が祭を作って、皆分によって尽くすことができる様にした。
【通釈】
異端の道はそうではなく、最初から夫婦を迷いと看る。その位なら祭ということは根からない筈。易の序卦伝に「有夫婦而後有父子」とあり、夫婦を以て本とす。始めを語るには親の上に言わなければならない。天地開闢は夫婦である。その夫婦で出来た子孫が先祖を祭るから物を備えるのも「夫婦親之」。また異端に対して言う。易と礼記とを以て之を結ぶ。周公があの様に祭のことをして置かれても及べないということではない。皆分によって尽くすことができる様にした。これが「推己及人」である。「道不遠人」である。こんな訳を知らないと、祭のことが高盛の料理や蝶花形になってごつごつする。
【語釈】
・備物も夫婦親之…禮記祭統。「夫祭也者、必夫婦親之。所以備外内之官也」。
・道其れ人に遠んや…中庸章句13。「子曰、道不遠人。人之爲道而遠人、不可以爲道」。
・蝶花かた…蝶花形。祝宴の際に、銚子などにつけて装飾にする紙。

右第十八章。


中庸章句第十九章
子曰、武王・周公、其達孝矣乎。達、通也。承上章而言。武王・周公之孝、乃天下之人通謂之孝。猶孟子之言達尊也。
【読み】
子曰く、武王・周公は、其れ達孝なるか。達は通ずなり。上章を承けて言う。武王・周公の孝は、乃ち天下の人通じて之を孝と謂う。猶孟子の達尊と言うがごとし。

夫孝者、善繼人之志、善述人之事者也。上章言武王纘大王・王季・文王之緒、以有天下、而周公成文・武之德、以追崇其先祖。此繼志述事之大者也。下文又以其所制祭祀之禮、通於上下者言之。
【読み】
夫れ孝は、善く人の志を繼ぎ、善く人の事を述ぶる者なり。上章は武王大王・王季・文王の緒を纘いで、以て天下を有ち、周公文・武の德を成して、以て其の先祖を追崇せしことを言う。此れ志を繼ぎ事を述ぶるの大いなる者なり。下文は又其の制する所の祭祀の禮の、上下に通ずる者なるを以て之を言う。

春秋脩其祖廟、陳其宗器、設其裳衣、薦其時食。祖廟、天子七、諸侯五、大夫三、適士二、官師一。宗器、先世所藏之重器。若周之赤刀・大訓・天球・河圖之屬也。裳衣、先祖之遺衣服。祭則設之以授尸也。時食、四時之食、各有其物。如春行羔豚、膳膏香之類是也。
【読み】
春秋其の祖廟を脩め、其の宗器を陳[つら]ね、其の裳衣を設け、其の時食を薦む。祖廟は、天子は七つ、諸侯は五つ、大夫は三つ、適士は二つ、官師は一つなり。宗器は、先世藏する所の重器なり。周の赤刀・大訓・天球・河圖の屬の若し。裳衣は、先祖の遺せる衣服なり。祭るには則ち之を設けて以て尸に授くなり。時食は、四時の食にて、各々其の物有り。春は羔豚を行[もち]い、膏香を膳にするの類の如き、是れなり。

宗廟之禮、所以序昭穆也。序爵、所以辨貴賤也。序事、所以辨賢也。旅酬下爲上、所以逮賤也。燕毛、所以序齒也。昭、如字。爲、去聲。○宗廟之次、左爲昭、右爲穆、而子孫亦以爲序。有事於太廟、則子姓・兄弟・羣昭・羣穆咸在而不失其倫焉。爵、公・侯・卿・大夫也。事、宗祝有司之職事也。旅、衆也。酬、導飮也。旅酬之禮、賓弟子、兄弟之子、各舉觶於其長而衆相酬。蓋宗廟之中以有事爲榮。故逮及賤者、使亦得以申其敬也。燕毛、祭畢而燕、則以毛髮之色別長幼、爲坐次也。齒、年數也。
【読み】
宗廟の禮は、昭穆を序[つい]ずる所以なり。爵を序ずるは、貴賤を辨[わ]く所以なり。事を序ずるは、賢を辨く所以なり。旅酬に下上の爲にするは、賤しきに逮ぼす所以なり。燕毛は、齒を序ずる所以なり。昭は字の如し。爲は去聲。○宗廟の次は、左は昭と爲し、右は穆と爲し、而して子孫も亦以て序を爲す。太廟に事有れば、則ち子姓・兄弟・羣昭・羣穆咸在りて其の倫を失わず。爵は、公・侯・卿・大夫なり。事は、宗祝有司の職事なり。旅は衆[もろもろ]なり。酬は、導飮なり。旅酬の禮は、賓の弟子、兄弟の子、各々觶[さかずき]を其の長に舉げて衆相酬いるなり。蓋し宗廟の中は事有るを以て榮と爲す。故に賤者に逮ぼし及ぼして、亦以て其の敬を申ぶることを得せしむ。燕毛は、祭畢わって燕するには、則ち毛髮の色を以て長幼を別かち、坐次と爲すなり。齒は年數なり。

踐其位、行其禮、奏其樂、敬其所尊、愛其所親。事死如事生、事亡如事存。孝之至也。踐、猶履也。其、指先王也。所尊所親、先王之祖考・子孫・臣庶也。始死謂之死、旣葬則曰反而亡焉。皆指先王也。此結上文兩節、皆繼志述事之意也。
【読み】
其の位を踐んで、其の禮を行い、其の樂を奏し、其の尊ぶ所を敬し、其の親しむ所を愛す。死に事ること生に事るが如く、亡に事ること存に事るが如し。孝の至りなり。踐は猶履むのごとし。其は先王を指すなり。尊ぶ所親しむ所は、先王の祖考・子孫・臣庶なり。始めて死する之を死と謂い、旣に葬れば則ち反りて亡しと曰う。皆先王を指すなり。此れ上文の兩節を結び、皆志を繼ぎ事を述ぶるの意なり。

郊社之禮、所以事上帝也。宗廟之禮、所以祀乎其先也。明乎郊社之禮、禘嘗之義、治國其如示諸掌乎。郊、祀天。社、祭地。不言后土者、省文也。禘、天子宗廟之大祭。追祭太祖之所自出於太廟、而以太祖配之也。嘗、秋祭也。四時皆祭、舉其一耳。禮必有義、對舉之、互文也。示、與視同。視諸掌、言易見也。此與論語文意大同小異。記有詳略耳。
【読み】
郊社の禮は、上帝に事うる所以なり。宗廟の禮は、其の先を祀る所以なり。郊社の禮、禘嘗の義を明らかにせば、國を治むること其の掌を示[み]るが如きか。郊は天を祀る。社は地を祭る。后土と言わざるは、文を省くなり。禘は、天子の宗廟の大祭。太祖の自[よ]って出づる所を太廟に追祭して、以て太祖を之に配するなり。嘗は秋の祭なり。四時皆祭るも、其の一つを舉ぐるのみ。禮には必ず義有り、之を對して舉ぐるは、互文なり。示は視ると同じ。掌を視るとは、見易きことを言うなり。此れ論語の文意と大いに同じくして小しく異なり。記に詳略有るのみ。


子曰武王周公其達孝矣乎。達孝は何処へ持て行ても否と云ぬことを云。武王周公の様な子を持ては文王も嬉しからん。黄蘗や臨濟を子に持てはそうてはあるまい。達孝とは云はれまい。釈迦が親の天窓へ足を揚け、黄蘗か母の倒れて死ぬを見向もせぬ。あれも仏法ては訳あることて、能いことにして云ををが、どふ達孝と云はりやふ。つまらぬの第一。達孝は何処でも受取る切れのない小判。注。達は何処迠も通ることで、誰ても其れはと云はぬ。扁鵲はどこでも心元ないとは云はぬ。達尊の達と同しと文字の証拠を引れた。
【解説】
「子曰、武王・周公、其達孝矣乎。達、通也。承上章而言。武王・周公之孝、乃天下之人通謂之孝。猶孟子之言達尊也」。達孝は何処でも通もの。武王と周公は達孝だった。
【通釈】
「子曰、武王周公其達孝矣乎」。「達孝」は、何処へ持って行っても否と言えないことを言う。武王周公の様な子を持てば文王も嬉しかっただろう。黄檗や臨済を子に持てばそうではないだろう。達孝とは言えないだろう。釈迦は親の頭へ足を揚げ、黄檗は母が倒れて死ぬのに見向きもしない。あれも仏法では訳のあることで、能いことにして言うだろうが、どうして達孝と言えよう。詰まらないの第一である。達孝は何処でも受け取る瑕のない小判。注。達は何処までも通ることで、誰でもそれは駄目だとは言えない。扁鵲は何処でも心許ないとは言わない。達尊の達と同じことだと、文字の証拠を引かれた。
【語釈】
・達尊…孟子公孫丑章句下2。「天下有達尊三。爵一、齒一、德一」。

夫孝者善継人之志。雪中の笋、氷上の鯉。初ものを持て行く。脊中をもむも孝てないとは云れぬが、至て大孝は志をつくより外なし。人之と、爰ては親のことを云たことそ。よそ々々しい云様のやふなれとも、指す処あり。日本て昔男と書たやふなも指すものあり。志を継は親の思い付くことを仕遂けさすること。左傳に死而不瞑と云も、仕掛たことを遂ずして死たものを云たこと。親が死ても子が志をつげは、死ても生て居るやふなもの。これと云も能い子を持たゆへのこと、と。直方の弁そ。舜などか親の志をついではさん々々なこと。文武の志をつぐはよいそ。注。
【解説】
「夫孝者、善繼人之志、善述人之事者也。上章言武王纘大王・王季・文王之緒、以有天下、而周公成文・武之德、以追崇其先祖。此繼志述事之大者也。下文又以其所制祭祀之禮、通於上下者言之」の説明。大孝とは、親の志を継ぐこと。親が死んでも子が志を継げば、死んでも生きている様なもの。
【通釈】
「夫孝者、善繼人之志」。雪中の筍や氷上の鯉。初物を持って行く。背中を揉むのも孝でないとは言えないが、大孝に至っては志を継ぐより外はない。「人之」とは、ここでは親のことを言ったもの。よそよそしい言い様の様だが、指す処がある。日本で昔男と書た様なものも指すものがある。志を継ぐとは、親の思い付くことを仕遂げさせること。左伝に「死而不瞑」と言うのも、仕掛けたことを遂げずに死んだ者を言ったこと。親が死んでも子が志を継げば、死んでも生きている様なもの。これというのも能い子を持ったからであるとは直方の弁である。舜などが親の志を継いでは散々なこと。文武の志を継ぐのはよい。注。
【語釈】
・死而不瞑…春秋左氏傳文公元年。「謚之曰靈。不瞑。曰成。乃瞑。」

春秋脩其祖廟。春秋を舉て四時をこめる。春秋の書名にも冬夏其中にあることそ。脩とて大走に脩覆することの四時にあることに非す。雨障子を張替るの、たたみをかへるのと、そこ々に時々手入をすること。陳宗器。大切にかかること故、先祖の持来の重い道具を出す。祭は気が主故に、先祖の大切にしたものを出してそこへ気を集る。大坂陣の時の鎧を飾て祭る。入りそふもないものなるに、気を主にするで出すぞ。設裳。遺衣を出す。時食すすむ。四時々候のものを料理して結講にしてそなへること。注。先祖を祭る処は同じ志なれとも、廟の数と祭の仕様は違ふ。天子の祭と漸百俵も取る人の祭とはちこふ筈なり。依て周公の定められて一つと云中にこふ分れてある。このやふにするも感興の詩に渾然一理貫昭晰非象罔で、わすかのことの中にわかちのあること。事の上を道体にすると中庸も踊を踊るやふになる。ここても鳶飛魚躍ぞ。天下に功業を立た人の祭は御礼の申やふも違ふはづ。先祖を思ふ志は一つても、事の上ては違いわけあることそ。無てはならぬことなり。公侯卿大夫、日本の宦てはあたらぬこと多けれとも、先つ侯は国主城主の類の大名。大夫は諸大夫以上の御旗本の諸奉行役人。適士は兩番の歴々。宦師は御臺所頭や御賄頭の類のと云要宦の役人。
【解説】
「春秋脩其祖廟、陳其宗器、設其裳衣、薦其時食。祖廟、天子七、諸侯五、大夫三、適士二、官師一」の説明。祭は気が主なので、先祖が大切にした物を出してそこへ気を集める。先祖を祭るのは同じ志だが、廟の数と祭の仕様は違う。
【通釈】
「春秋脩其祖廟」。春秋を挙げて四時を込める。春秋の書名にも冬夏がその中にある。脩と言っても、大層に脩覆することが四時にあるということではない。雨障子を張り替えるとか、畳を替えるなどと、そこそこに時々に手入れをすること。「陳其宗器」。大切なことに掛かることなので、先祖の持来りの重い道具を出す。祭は気が主なので、先祖が大切にした物を出してそこへ気を集める。大坂の陣の時の鎧を飾って祭る。それは要りそうもないものだが、気を主にするので出す。「設裳」。遺衣を出す。時食を薦む。四時の時候の物を料理して結構にして供えること。注。先祖を祭る処は同じ志だが、廟の数と祭の仕様は違う。天子の祭と漸く百俵を取る人の祭とでは違う筈である。そこで周公が定められて、一つという中にこの様に分かれてある。この様にするのも感興の詩に「渾然一理貫、昭晰非象罔」とあるのと同じで、僅かなことの中に分かちがある。事の上を道体にすると中庸も踊りを踊る様になる。ここでも鳶飛魚躍である。天下に功業を立てた人の祭は御礼の申し様も違う筈。先祖を思う志は一つでも、事の上では違って分かちがある。それは無くてはならないことである。公侯卿大夫は、日本の官では当たらないことが多いが、先ず侯は国主城主の類の大名。大夫は諸大夫以上の御旗本の諸奉行役人。適士は両番の歴々。官師は御台所頭や御賄頭の類などという要官の役人。
【語釈】
・渾然一理貫昭晰非象罔…感興詩。「渾然一理貫、昭晰非象罔」

重器は先祖より持傳たもの。赤刀大訓の類。書の顧命にあり。是を日本の三種の神器のやふに思ふな。神道では道をかたとったか、神道中庸てはなんのことなく、此れは只先祖の持れたものと云計りのことで、そこか中庸なり。百姓て云はは、先祖のつかふたまんのうや鍬や錆た鎌てよし。先祖の持たものと云きりのことそ。遺服は先祖の着た垢付たもの。れき々々にはないものなれとも、えり垢てもついたなれは一入のことそ。授尸。七月の詩にも九月に授衣も授るか、着ることとも見へる。儀礼にも尸の着ることか見へ子とも、鄭玄か説は尸の着ることとなり。各有其物。料理も時々の料理あり。其品は内則にありて、この章句は春一時をあげて四時は他書へこめる。羔豚。わかき羊若き豚のこと。肉の柔かな肉の厚を用ゆ。膏、油のことなり。爰は春料理にて分けて牛のあふらの香はしきと訓をした。訳を知て付た訓ない。膳するは塩梅をすることて、酢に胡麻や芥子を摺入、鰹節て風味を付るやうに膏てあんばいすることそ。これら迠も異端に對してみよ。聖賢のは料理迠がふっくりとしたもの。彼方て持てはやす淨福寺の木の葉納豆、東海寺の千鳥味噌と云様なものはさび々々としたことそ。無常訊速を主に云故に料理迠かつめたい。梁の武帝のやふに鉢坊主を喰物で祭ると、宗廟饗之てないから天下もつつかぬ。中庸の祭は端を夫婦に造す。婚礼の時の料理のやふにふっくりとした御馳走。やっはりその道を以て祭る。是も見せびらかすの意て、こふしたむまいものは其方にはあるまいと云やふぞ。
【解説】
「宗器、先世所藏之重器。若周之赤刀・大訓・天球・河圖之屬也。裳衣、先祖之遺衣服。祭則設之以授尸也。時食、四時之食、各有其物。如春行羔豚、膳膏香之類是也」の説明。「宗器」は先祖より持ち伝わったもので、先祖が持っていたというだけのもの。聖賢のは料理までがふっくりとしているが、仏でもてはやすものは寂々としたもの。無常迅速を主に言うので、料理までが冷たい。
【通釈】
「宗器」は先祖より持ち伝わったもので、赤刀や大訓の類である。書の顧命にある。これを日本の三種の神器の様に思ってはならない。神道では道を象ったが、神道は中庸では何のこともなく、これはただ先祖の持たれたものというばかりのことで、そこが中庸である。百姓で言えば、先祖の使った万能や鍬や錆びた鎌でよい。先祖の持っていたものというだけのこと。「遺衣服」は、先祖の着ていた垢の付いたもの。歴々にはないものだが、襟垢でも付いていれば一入のこと。「授尸」。七月の詩にも「九月授衣」とあって授けるが、着ることとも見える。儀礼にも尸の着ることは見えないが、鄭玄の説は尸の着ることとある。「各有其物」。料理も時々の料理がある。その品は内則にあって、この章句は春の一時を挙げて四時は他書へ込める。「羔豚」。若い羊と若い豚のこと。肉の柔らかで厚いものを用いる。膏は油のこと。ここは春料理にて分けて牛の膏の香しきと訓をした。訳を知って付けた訓ではない。膳するとは塩梅をすることで、酢に胡麻や芥子を摺り入れ、鰹節で風味を付ける様に膏で塩梅をすること。これらまでも異端に対して見なさい。聖賢のは料理までがふっくりとしたもの。彼方でもてはやす浄福寺の木の葉納豆や東海寺の千鳥味噌という様なものは寂々としたもの。無常迅速を主に言うので、料理までが冷たい。梁の武帝の様に鉢坊主を喰い物で祭ると、宗廟饗之でないから天下も続かない。中庸の祭は端を夫婦に造す。婚礼の時の料理の様にふっくりとした御馳走。やはりその道を以て祭る。これも見せびらかす意で、こうした美味いものはそちらにはあるまいと言う様なこと。
【語釈】
・赤刀大訓…書經周書顧命。「越玉五重、陳寶。赤刀・大訓・弘璧・琬琰、在西序。大玉・夷玉・天球・河圖、在東序。胤之舞衣、大貝・鼖鼓、在西房。兌之戈、和之弓、垂之竹矢、在東房」。
・七月の詩にも九月に授衣…詩經國風豳七月。「七月流火。九月授衣」。
・宗廟饗之…中庸章句17の語。

宗廟の礼々はこつ々々するものの様に思ふて、鳶飛魚躍の処から見てはどみたことに思ふが、そふしたことに非す。こんな処をも鳶飛魚踊のやふにさえて見よ。上蔡が張子の門人は木札を喫むやふにこつ々々すると云た。礼を張子の弟子衆が合点しやふの悪い故ぞ。礼はよく合点するとこつ々々はせぬ。かの棺へ松脂をぬるときも曾点の意そ。そこが礼の用和ともなる。洒落と云も礼なりをしてゆくことなり。序昭穆。祖父の代に分れたものは穆に寄せ、父の時分しめたものは昭方として、其子孫迠をさふ分て置く。宗廟には様々礼がある。是が分ら子はしたらになる。先祖に各昭穆あり、子孫にも各無くては坐つきもならぬ。序爵。祭に付て云ことにて、殿中ては四品が侍從の上にも居られす、布衣が諸大夫の上にも立れぬは知れてあるか、祭にも歴々の親類の来る、位ある人を上へあける。骨肉が主じゃとても爵を序するそ。末書に異性のことしゃと云へとも、そうばかりでもなし。
【解説】
「宗廟之禮、所以序昭穆也。序爵、所以辨貴賤也」の説明。祖父の代に分かれた者は穆に寄せ、父の時に分かれた者は昭に寄せ、その子孫までをその様に分けて置く。祭でも、歴々の親類の来る中にあって、位のある人を上へ上げる。
【通釈】
宗廟の礼はごつごつとする様に思い、鳶飛魚躍の処から見てはどみたことの様に思うが、そうしたことではない。こんな処をも鳶飛魚踊の様に冴えて見なさい。上蔡が張子の門人は木札を喫む様にごつごつしていると言った。張子の弟子衆の礼の合点の仕方が悪いからである。礼はよく合点するとごつごつとしない。彼の棺へ松脂を塗る時も曾点の意でする。そこが礼の用和ともなる。洒落というのも礼なりをしていくこと。「序昭穆」。祖父の代に分かれた者は穆に寄せ、父の時に分かれた者は昭の方として、その子孫までをその様に分けて置く。宗廟には様々な礼がある。これが分からなければ自堕落になる。先祖には各々昭穆があり、子孫も各々それが無くては坐着きもできない。「序爵」。祭に付いて言ったことで、殿中では四品が侍従の上にもおられず、布衣が諸大夫の上にも立てないのは知れているが、祭にも歴々の親類の来る中で、位のある人を上へ上げる。骨肉が主だとしても爵を序ずる。末書に異性のことだとは言うが、そうばかりでもない。

序事。それ々々に使ひやふを分ける。辨賢。々の字を德のことと思ふな。能の賢そ。夫々に勤めらるる役を云付ることそ。旅酬。祭に色々役があるか、此旅酬の一役を出したは、此役を数ならぬものにさするか周公の仕向けて、何からなにまて行届たそ。出た程の人は残らす仕ふ工面なり。昨日は祭にでは出たが、何こともなくあっけに取られた様て手もち無沙汰てあったと云やふにはせぬ。扨福酒と云ことがある。祭の神酒を戴かするに、子とも並や若ひものを呼出してこの役に仕ふ。倍臣や軽いものの子迠も、親族て来たほとのものともはつかわるる。其れて本望にさせたもの。逮賎。尊卑貴賎て云てよし。もと尊卑は年ましと若いもの。賎しいは歴々に對すれとも、くるめても取る。燕毛は、祭濟て大廟を去、別座に入れて酒盛するときは、爵にかまわぬ。老人を上坐にして馳走し、ふっくりとむつましくする。迂斎の、老人と云て先祖に近くなると云た。家督は取て居ても祖父の皃は知ぬ人もあり、時にこの老人かそなたの曾祖父と月見にも花見にも出たと云と、先祖に近くなる。礼制の行届たことそ。中々異端か手みじかことをするや寒いことをするとは違ふ。こちには條理分派のあることなり。注。
【解説】
「序事、所以辨賢也。旅酬下爲上、所以逮賤也。燕毛、所以序齒也」の説明。祭に来た縁者には残らず仕える工面がある。祭が済んで酒盛りをする時は爵に構わずに老人を上座にする。
【通釈】
「序事」。それぞれに使い様を分ける。「辨賢」。賢の字を徳のことと思ってはならない。能の賢である。それぞれに勤められる役を言い付けること。「旅酬」。祭には色々な役があるが、この旅酬の一役を出したのは、この役を数ならない者にさせるのが周公の仕向けで、何から何まで行き届いたこと。出た人は残らず仕える工面である。昨日は祭に出ることは出たが、何事もなくあっけに取られた様で手持無沙汰だったと言う様にはしない。さて福酒ということがある。祭の神酒を戴かすのに、子供並や若い者を呼び出してこの役に仕う。陪臣や軽い者の子までも、親族で来た者共は仕われる。それで本望にさせたもの。「逮賤」。尊卑貴賎で言ってもよい。本来尊卑は年増と若い者で、賎しいとは歴々に対して言うものだが、包めても取る。「燕毛」は、祭が済んで太廟を去り、別座に入れて酒盛りをする時は爵に構わない。老人を上座にして馳走し、ふっくりと睦まじくする。迂斎が、老人ということで先祖に近くなると言った。家督は取っていても祖父の顔は知らない人もあり、時にこの老人が貴方の曾祖父と月見にも花見にも出たと言うと、先祖に近くなる。これが礼制の行き届いたこと。中々異端が手短事をしたり寒いことをするのとは違う。こちらには條理分派がある。注。

宗廟之次は神主并へ様の次第。左右と指すは大祖の神主より云こと。太祖どこまでも東向にて左右を分つことそ。右を穆として北に向ふ。穆は深遠の意。くらいと云ことなり。左は昭。南に向ふ。あかるいの字意。子孫亦爲序。昭より分れたものは昭、穆より分たものは穆による。有事大廟は一廟きりてなく、大祖の廟に昭穆の神主を集て祭る大祭なり。子姓兄弟。姓は孫のこと。詩の麟趾の篇にも振々公姓とあり。羣昭羣穆は公儀の御家門て能知るる。東照宮を大祖。それより二代将軍より分ったと三代将軍より分ったと、爰て分明にわかるなり。宗祝は祭文よむ役なり。職事は、凡そ其祭り掛りの役人より料理人てい迠を云。有司と云と常は役人斗りのことなれとも、爰は祭についてのかかりのことて、手跡のよい人は書役に廻り、料理勝手のものは料理して、大夫ても軽い役をもして、親類打よりて夫々に得手た処をすることなり。導飲は、そこへ出ていざ酒をまいられと云こと。語類にも有り。酒を進るものは進めらるる人よりたんと呑むことて、日本ても云、亭主三盃と云様なもの。賔の弟子。母方の親類子ともや弟のこと。兄弟子。同姓の若ひ者とも。觶を長よりたん々々舉て福酒をつぎ進む。栄とするは軽者に役かないと手持を失ふ。そこて仕るるて敬礼をもびるなり。其れを本望とさする。因て推て云へば導飲料理もならす不調法なものは松露や芹を洗てもよい。祭り終りてみな々々燕するときは白髪を上座にして、これよりか人間の振舞になりて、若いものにも常は呑すとも、今日は祭しゃ、一つ呑めよと赦して睦ましふすることなり。
【解説】
「昭、如字。爲、去聲。○宗廟之次、左爲昭、右爲穆、而子孫亦以爲序。有事於太廟、則子姓・兄弟・羣昭・羣穆咸在而不失其倫焉。爵、公・侯・卿・大夫也。事、宗祝有司之職事也。旅、衆也。酬、導飮也。旅酬之禮、賓弟子、兄弟之子、各舉觶於其長而衆相酬。蓋宗廟之中以有事爲榮。故逮及賤者、使亦得以申其敬也。燕毛、祭畢而燕、則以毛髮之色別長幼、爲坐次也。齒、年數也」の説明。左右と指すのは太祖の神主から言うこと。太祖は何処までも東向きで左右を分かつ。右を穆として北に向かう。導飲料理もできない不調法な者は松露や芹を洗ってもよい。皆が仕える。祭が終わって燕する時は白髪を上座にして、若い者にも、日頃は飲まない者にも、今日は祭だ、一つ飲めと赦して睦まじくする。
【通釈】
「宗廟之次」は、神主の並べ様の次第。左右と指すのは太祖の神主から言うこと。太祖は何処までも東向きで左右を分かつ。右を穆として北に向かう。穆は深遠の意。暗いということ。左は昭。南に向かう。明るいという字意。「子孫亦以爲序」。昭より分かれた者は昭、穆より分かれた者は穆に寄る。「有事於太廟」は一廟だけでなく、太祖の廟に昭穆の神主を集めて祭る大祭のこと。「子姓兄弟」。姓は孫のこと。詩の麟之趾の篇にも「振振公姓」とある。「羣昭羣穆」は公儀の御家門で能くわかる。東照宮を太祖。それより二代将軍より分かったのと三代将軍より分かったのと、ここで分明に分かれる。「宗祝」は祭文を読む役。「職事」は、凡そその祭り掛りの役人から料理人底までを言う。「有司」というと常は役人ばかりのことだが、ここは祭についての掛りのことで、手跡のよい人は書役に廻り、料理勝手の者は料理して、大夫でも軽い役をもして、親類がうち寄ってそれぞれに得手の処をする。「導飮」は、そこへ出て、さあ酒を飲まれよと言うこと。語類にもある。酒を薦める者は薦められる人よりも多く飲む。日本で亭主三盃と言う様なもの。「賓弟子」は母方の親類の子供や弟のこと。「兄弟之子」は、同姓の若い者共。觶を長から段々と挙げて福酒を注ぎ進む。「栄」とするのは軽い者に役がないと手持を失うから。そこで仕えることで敬礼も伸びる。それを本望としてさせる。そこで、推して言えば導飲料理もできない不調法な者は松露や芹を洗ってもよい。祭が終わって皆が燕する時は白髪を上座にし、これからが人間の振舞になり、若い者にも、日頃は飲まない者にも、今日は祭だ、一つ飲めと赦して睦まじくする。
【語釈】
・詩の麟趾の篇にも振々公姓とあり…詩經國風周南麟之趾。「麟之定。振振公姓。于嗟麟兮」。

践其位行其礼。これ達孝の達の字の見ゆる所そ。孝行に別はないものなれとも、あの通に位を践、其礼を行ふ。此礼樂の字あらく見よと朱説あり。夫々に御代々に初った礼樂ですること。前よりある樂をも用る。敬其所尊愛其所親。先祖達の尊い親んた処をあなたの思の通りにする。事死事亡。死亡は同ことなれとも、此頃死たを死と云、ちと古ひのか亡。孝子はとかく生た通りの心なり。鬼神を死たを死たとのけると何にも祭の親切はない。存生の時の心持て、此様な冷たものは御嫌て有たの、辛いものは御いやて有たのと云ふ迠に心を付け事る。其塲に至て深切はをろかに見ゆる程なものなり。注。践は天子御即位践祚もこの字。文王や武王の先王を祭り出た天子も其位なり。そこを践と云なり。子孫臣庶。愛子や愛孫残らすよって祭れは、鬼神も来格しそふなものなり。死は息は通はぬか、家の内に死者ををく内は亡と云はず、既に葬る。天子は七月、諸侯は五月、大夫は三月、士は一ヶ月立て葬る。殯も何も無くなった、土中にをさめたを亡と云。
【解説】
「踐其位、行其禮、奏其樂、敬其所尊、愛其所親。事死如事生、事亡如事存。孝之至也。踐、猶履也。其、指先王也。所尊所親、先王之祖考・子孫・臣庶也。始死謂之死、旣葬則曰反而亡焉。皆指先王也。此結上文兩節、皆繼志述事之意也」の説明。それぞれに御代々に始まった礼楽、前からある楽を用いて祭る。家の内に死者を置く内は亡とは言わず、既に葬って土中に納めたのを亡と言う。
【通釈】
「踐其位、行其礼」。これが達孝の達の字の見える所。孝行に別はないものだが、あの通りに位を践み、その礼を行う。この礼楽の字を粗く見なさいと朱説にある。それぞれに御代々に始まった礼楽でする。前からある楽を用いる。「敬其所尊、愛其所親」。先祖達の尊い親しんだ処を貴方の思いの通りにする。「事死事亡」。死と亡は同じことだが、この頃死んだのを死と言い、一寸古いのを亡と言う。孝子はとかく生きていた通りの心である。鬼神を、死んだのを死んだと除けると何も祭の親切はない。存生の時の心持で、この様な冷えたものは御嫌であった、辛いものは御嫌であったというまでに心を付けて事える。その場に至って深切なのは愚かに見えるほどのもの。注。践は天子御即位の践祚もこの字。文王や武王が先王を祭り出した、その天子もその位である。そこを践と言う。「子孫臣庶」。愛子や愛孫が残らず寄って祭れば、鬼神も来格しそうなもの。死ぬと息は通わないが、家の内に死者を置く内は亡とは言わない。既に葬る。天子は七月、諸侯は五月、大夫は三月、士は一ヶ月経って葬る。殯も何も無くなり、土中に納めたのを亡と言う。

郊社之礼云云。天子の天を祭るを郊と云、地を祭るを社と云。上帝を、天子の祭は天子は天地の宗領息子なり。西銘にも大君者吾父母之宗子なりとあり。所以と云ことを能思へ。此章に所以の字七つあり。そふすへき筋のあることを所以と云。天子は上帝を祭るはづのもの。天を外のものの祭ることはないはず。軽いものの月に團子を上るは勿体ない。祭るには筋訳のあることを云。宗廟の礼。先祖を祭ること。これからは誰もすることそ。吾が体を先祖に貰て居て其先祖を祭らぬは、百姓の田地を作って年貢を出さぬと同じやふであるぞ。所以とは、のっひきならぬこと。之礼之義。大切なことぞ。祭には礼あり、礼には義がある。筈に合ふを義と云。其筈に品のあるを礼と云。淫樂慝礼は筈に合はぬ。郊社之礼禘嘗之義を明にすると祭はせ子ばならぬことと、得と合点し臍下に落着くと、どふも祭がしたくてならぬやふになるものと直方の云れた。祭りは大義なものなれとも、来格の筋を知ると祭を待か子るやふになるもの。丁と遠国に居て親に逢たいと云心の出るやふなもの。親を見たいと思はぬ人もないもの。斯ふ合点すると、祭らずには居られぬ。
【解説】
「郊社之禮、所以事上帝也。宗廟之禮、所以祀乎其先也。明乎郊社之禮、禘嘗之義」の説明。天子だけが天地を祭る。それが郊社の礼である。宗廟の礼は誰もがする。祭には礼があり、礼には義がある。筈に合うのを義と言う。その筈に品があるのを礼と言う。
【通釈】
「郊社之禮云云」。天子が天を祭るのを郊と言い、地を祭るのを社と言う。「上帝」は、天子の祭は、天子は天地の宗領息子である。西銘にも「大君者、吾父母宗子」とある。「所以」ということを能く思いなさい。この章に所以の字が七つある。そうすべき筋のあることを所以と言う。天子は上帝を祭る筈のもの。天を外の者が祭ることはない筈。軽い者が月に団子を上げるのは勿体無い。祭るには筋や訳があることを言う。「宗廟之禮」。先祖を祭ること。これからは誰もがすること。自分の体を先祖に貰っていながらその先祖を祭らないのは、百姓が田地を作って年貢を出さないのと同じ様なこと。所以とは、のっぴきならないこと。「之禮」「之義」。これが大切なこと。祭には礼があり、礼には義がある。筈に合うのを義と言う。その筈に品があるのを礼と言う。淫楽慝礼は筈に合わない。「郊社之礼、禘嘗之義」を明にすると祭はしなければならないことと、しっかりと合点して臍下に落ち着くと、どうも祭がしたくてならない様になるものだと直方が言われた。祭は大儀なものだが、来格の筋を知ると祭を待ちかねる様になるもの。丁度遠国にいて親に逢いたいという心の出る様なもの。親を見たいと思わない人もないもの。こう合点すると、祭らずにはいられない。
【語釈】
・大君者吾父母之宗子…近思録爲學89。西銘。「大君者、吾父母宗子、其大臣、宗子之家相也」。

祭る意を合点すると、祭らずには居られぬ。祭る意を合点すると、国を治めることも掌を示る様に心安くなると云はどふも不審し、迂斎の、爰は先封でもして置けと云たも尤のことなれとも、大がいは知るがよい。政は人を相手にするもので、悪くさばくと合点せぬか、先祖はどふしても悪いとも何とも云はぬ。其れで祭はつまり誠と云ことでなければならぬ。目に見へぬ鬼神に響す程の誠あれは、况や相手のある天下を誠を以て治るは心安いはづ。爰が帳面に付たやふな礼てはない。ここするああするものと云ことに非す。深い味のあること。其深い味をしらぬ故に礼は気つまる。いやなことに思ふ。必竟味をしらぬからなり。それでも昔から祭の味は知らずとも郊社之祭を悪王もして、又天下も治たと云けれとも、それは明てはない。明にすると云はすぐに誠なり。爰は事て云ことでなく、心て云ことそ。礼と云義と云も、つまり誠の処。
【解説】
「治國其如示諸掌乎」の説明。祭は誠ということでなければならない。目に見えない鬼神に響くほどの誠があれば、天下を誠で治めるのは心安い筈。ここは事で言うのではなくて、心で言うこと。
【通釈】
祭る意を合点すると、祭らずにはいられない。祭る意を合点すると、国を治めることも掌を示[み]る様に心安くなるというのはどうも不審だと、迂斎が、ここは先ずは封でもして置けと言ったのも尤もなことだが、大概は知る方がよい。政は人を相手にするものなので、悪く捌くと合点しないが、先祖はどうしても悪いとも何とも言わない。そこで、祭はつまりは誠ということでなければならない。目に見えない鬼神に響かすほどの誠があれば、ましてや相手のある天下を誠で治めるのは心安い筈。ここは帳面に付けた様な礼ではない。こうするもの、ああするものということではない。深い味のあること。その深い味を知らないので礼は気が詰まって嫌なことに思う。畢竟味を知らないからである。それでも、昔から祭の味は知らなくても、郊社の祭を悪王もして、また天下も治めたと言うが、それは明ではない。明にするというのは直ぐに誠である。ここは事で言うことではなくて、心で言うこと。礼と言い義と言うのも、つまりは誠の処。

注。后土を云はすして天と云、地を其内に入るは、禘は四時の祭と違い、五年に一度宛ある。所自出。三代を経て遠いことなるに、太祖を祭るは日本て伊奘諾伊奘冉を祭るやふに、后稷を出して遠いまでをも入。所自出の元祖帝嚳を禘祭するに、后稷を配して大廟へ元祖を招く。其時大祖は御相伴なり。嘗は秋祭の名。一季をあげて四時をこめる。礼必有義。義のない礼なく、礼のない義もなく、冠礼に冠義あり、昏礼に昏義あり。義のないは淫樂慝礼。依て礼に義あり、義に礼あるを對挙する。両もちに云たこと。論語の文と小異とは、筆をたてるに詳畧あることあり。十七章の題下にも下の二章も亦此意とあり、これか語大無載語小能無破て、このやふに聖人の行届くは夫婦の愚から推て行くことて、祭は分限相応に誰でもなることぞ。明日は親の忌日と云と、馬子や日雇取りも物備て祭る。又それより段々上になっては此通りの大祭もあり、爰が道の費て巾の廣い処ぞ。其廣い道を見たいと思ふても、隱て形はない。此章道之用廣大成るを語る。所録精確簡々潔條理井々然たり。
【解説】
「郊、祀天。社、祭地。不言后土者、省文也。禘、天子宗廟之大祭。追祭太祖之所自出於太廟、而以太祖配之也。嘗、秋祭也。四時皆祭、舉其一耳。禮必有義、對舉之、互文也。示、與視同。視諸掌、言易見也。此與論語文意大同小異。記有詳略耳」の説明。明日は親の忌日というと、馬子や日傭取も物を備えて祭る。それより段々と上になっては禘の様な大祭もあり、ここが道の費で幅の広い処。その広い道を見たいと思っても、隱で形はない。
【通釈】
注。后土を言わないで天と言い、地をその内に入れるのは、禘は四時の祭とは違って、五年に一度するものだからである。「所自出」。三代を経て遠いことなのだが、太祖を祭るのは日本で伊奘諾伊奘冉を祭る様に、后稷を出して遠い者までをも入れる。所自出の元祖の帝嚳を禘祭するのに、后稷を配して太廟へ元祖を招く。その時太祖は御相伴である。嘗は秋祭の名。一季を挙げて四時を込める。「禮必有義」。義のない礼はなく、礼のない義もなく、冠礼には冠義があり、昏礼には昏義がある。義のないものは淫楽慝礼。それで礼に義あり、義に礼あるものを「對舉」する。これは両持ちに言ったこと。「論語文意大同小異」とは、筆を立てるのにも詳略がある。十七章の題下にも「後二章亦此意」とあり、これが「君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破」で、この様に聖人の行き届くのは夫婦の愚から推して行くことで、祭は分限相応に誰でもできること。明日は親の忌日というと、馬子や日傭取も物を備えて祭る。またそれより段々と上になってはこの通りの大祭もあり、ここが道の費で幅の広い処。その広い道を見たいと思っても、隱で形はない。この章は道の用広大に成ることを語る。録する所精確簡簡潔、條理井井然たり。
【語釈】
・語大無載語小能無破…中庸章句12。「君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破」。