己酉一六中庸筆記
二十章  三月十六日 先生批 廣居
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・廣居…櫻木廣居。助右衛門と称す。櫻木誾齋の子。文化13年(1816)9月21日没。年62。


中庸章句第二十章
哀公問政。哀公、魯君、名蔣。
【読み】
哀公政を問う。哀公は、魯の君、名は蔣。

子曰、文・武之政、布在方策。其人存、則其政舉。其人亡、則其政息。方、版也。策、簡也。息、猶滅也。有是君、有是臣、則有是政矣。
【読み】
子曰く、文・武の政、布いて方策に在り。其の人存するときは、則ち其の政舉ぐ。其の人亡するときは、則ち其の政息む。方は版なり。策は簡なり。息は猶滅ぶがごとし。是の君有り、是の臣有れば、則ち是の政有り。

人道敏政、地道敏樹。夫政也者、蒲盧也。夫、音扶。○敏、速也。蒲盧、沈括以爲蒲葦是也。以人立政、猶以地種樹。其成速矣。而蒲葦又易生之物、其成尤速也。言人存政舉、其易如此。
【読み】
人道は政に敏し、地道は樹うるに敏し。夫れ政は、蒲盧なり。夫は音扶。○敏は速しなり。蒲盧は、沈括以て蒲葦と爲すは是なり。人を以て政を立つるは、猶地を以て種え樹うるがごとし。其の成ること速やかなり。而して蒲葦も又生じ易き物にして、其の成ること尤も速やかなり。言うこころは、人存して政舉ぐる、其の易きこと此の如し、と。

故爲政在人、取人以身。脩身以道。脩道以仁。此承上文人道敏政而言也。爲政在人、家語作爲政在於得人。語意尤備。人、謂賢臣。身、指君身。道者、天下之達道。仁者、天地生物之心、而人得以生者。所謂元者善之長也。言人君爲政在於得人、而取人之則又在脩身。能仁其身、則有君有臣、而政無不舉矣。
【読み】
故に政をすること人に在り、人を取るには身を以てす。身を脩むるには道を以てす。道を脩むるには仁を以てす。此れ上文の人道は政に敏しを承けて言うなり。政をすること人に在りは、家語に政をすること人を得るに在りに作る。語意尤も備わる。人は、賢臣を謂う。身は、君の身を指す。道は、天下の達道。仁は、天地物を生ずる心にして、人得て以て生ずる者なり。所謂元は善の長なり。言うこころは、人君政をすること人を得るに在りて、人を取るの則も又身を脩むるに在り。能く其の身を仁にすれば、則ち君有り臣有りて、政舉がらざること無し。

仁者人也。親親爲大。義者宜也。尊賢爲大。親親之殺、尊賢之等、禮所生也。殺、去聲。○人、指人身而言。具此生理、自然便有惻怛慈愛之意、深體味之可見。宜者、分別事理、各有所宜也。禮、則節文斯二者而已。
【読み】
仁は人なり。親を親しむを大いなりとす。義は宜なり。賢を尊ぶを大いなりとす。親を親しむの殺、賢を尊ぶの等は、禮の生[な]る所なり。殺は去聲。○人は、人身を指して言う。此の生の理を具えて、自然に便ち惻怛慈愛の意有ること、深く體して之を味わえば見る可し。宜は、事理を分別して、各々宜しき所有るなり。禮は、則ち斯の二つの者を節文するのみ。

在下位不獲乎上、民不可得而治矣。鄭氏曰、此句在下、誤重在此。
【読み】
下位に在りて上に獲ざれば、民得て治む可からず。鄭氏曰く、此の句は下に在り、誤りて重ねて此に在り、と。

故君子不可以不脩身。思脩身、不可以不事親。思事親、不可以不知人。思知人、不可以不知天。爲政在人、取人以身。故不可以不脩身。脩身以道、脩道以仁。故思脩身、不可以不事親。欲盡親親之仁、必由尊賢之義。故又當知人。親親之殺、尊賢之等、皆天理也。故又當知天。
【読み】
故に君子は以て身を脩めずんばある可からず。身を脩めんことを思わば、以て親に事えずんばある可からず。親に事らんことを思わば、以て人を知らずんばある可からず。人を知らんことを思わば、以て天を知らずんばある可からず。政をするは人に在り、人を取るには身を以てす。故に以て身を脩めずんばある可からず。身を脩むるには道を以てし、道を脩むるには仁を以てす。故に身を脩めんことを思わば、以て親に事えずんばある可からず。親に親しむの仁を盡くさんと欲せば、必ず賢を尊ぶの義に由る。故に又當に人を知るべし。親に親しむの殺、賢を尊ぶの等は、皆天理なり。故に又當に天を知るべし。

天下之達道五。所以行之者三。曰、君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者天下之達道也。知・仁・勇三者、天下之達德也。所以行之者一也。知、去聲。○達道者、天下古今所共由之路。卽書所謂五典、孟子所謂父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、是也。知、所以知此也。仁、所以體此也。勇、所以強此也。謂之達德者、天下古今所同得之理也。一則誠而已矣。達道雖人所共由、然無是三德、則無以行之。達德雖人所同得、然一有不誠、則人欲閒之、而德非其德矣。程子曰、所謂誠者、止是誠實此三者。三者之外、更別無誠。
【読み】
天下の達道五つ。之を行う所以の者三つ。曰く、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友の交わりなり。五つの者は天下の達道なり。知・仁・勇の三つの者は、天下の達德なり。之を行う所以の者は一つなり。知は去聲。○達道は、天下古今共に由る所の路なり。卽ち書謂う所の五典、孟子謂う所の父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、是れなり。知は、此を知る所以なり。仁は、此を體する所以なり。勇は、此を強[つと]むる所以なり。之を達德と謂うは、天下古今同じく得る所の理なり。一は則ち誠なるのみ。達道は人の共に由る所と雖も、然れども是の三つの德無ければ、則ち以て之を行うこと無し。達德は人同じく得る所と雖も、然れども一つとして誠ならざること有れば、則ち人欲之を閒てて、德は其の德に非ず。程子曰く、所謂誠は、止[ただ]是れ此の三つの者を誠實にするのみ。三つの者の外、更に別に誠無し、と。

或生而知之、或學而知之、或困而知之。及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之。及其成功一也。強、上聲。○知之者之所知、行之者之所行、謂達道也。以其分而言、則所以知者知也。所以行者仁也。所以至於知之成功而一者勇也。以其等而言、則生知安行者知也。學知利行者仁也。困知勉行者勇也。蓋人性雖無不善、而氣稟有不同者。故聞道有蚤莫、行道有難易。然能自強不息、則其至一也。呂氏曰、所入之塗雖異、而所至之域則同。此所以爲中庸。若乃企生知安行之資、爲不可幾及、輕困知勉行、謂不能有成、此道之所以不明不行也。
【読み】
或は生まれながらにして之を知り、或は學んで之を知り、或は困しんで之を知る。其の之を知るに及んでは一なり。或は安んじて之を行い、或は利して之を行い、或は勉強して之を行う。其の功を成すに及んでは一なり。強は、上聲。○之を知る者の知る所、之を行う者の行う所とは、達道を謂うなり。其の分を以て言えば、則ち知る所以は知なり。行う所以は仁なり。之を知り功を成すに至って一なる所以は勇なり。其の等を以て言えば、則ち生知安行は知なり。學知利行は仁なり。困知勉行は勇なり。蓋し人の性不善無しと雖も、而れども氣稟同じからざる者有り。故に道を聞くに蚤莫有り、道を行うに難易有り。然るに能く自ら強めて息まざれば、則ち其至りは一なり。呂氏曰く、入る所の塗異なると雖も、至る所の域は則ち同じなり。此れ中庸爲る所以なり。若し乃ち生知安行の資を企てて、幾ど及ぶ可からずと爲して、困知勉行を輕んじて、成ること有ること能わずと謂うは、此の道の明らかならず行われざる所以なり、と。

子曰、好學近乎知。力行近乎仁。知恥近乎勇。子曰二字衍文。好・近乎知之知、竝去聲。○此言未及乎達德、而求以入德之事。通上文三知爲知、三行爲仁、則此三近者、勇之次也。呂氏曰、愚者自是而不求、自私者徇人欲而忘反、懦者甘爲人下而不辭。故好學非知、然足以破愚。力行非仁、然足以忘私。知恥非勇、然足以起懦。
【読み】
子曰く、學を好むは知に近づけり。力め行うは仁に近づけり。恥を知るは勇に近づけり。子曰の二字は衍文。好と近乎知の知は竝去聲。○此れ未だ達德に及ばずして、以て德に入るを求むるの事を言う。上文の三知を知と爲し、三行を仁と爲すに通ずれば、則ち此の三近は、勇の次なり。呂氏曰く、愚者は自ら是として求めず、自ら私する者は人欲に徇いて反ることを忘れ、懦者は人の下に爲るに甘んじて辭せず。故に學を好むは知に非ざれども、然れども以て愚を破るに足れり。力め行うは仁に非ざれども、然れども以て私を忘るるに足れり。恥を知るは勇に非ざれども、然れども以て懦を起こすに足れり。

知斯三者、則知所以脩身。知所以脩身、則知所以治人。知所以治人、則知所以治天下・國家矣。斯三者、指三近而言。人者、對己之稱。天下國家、則盡乎人矣。言此以結上文脩身之意、起下文九經之端也。
【読み】
斯の三つの者を知るときは、則ち以て身を脩むる所を知る。以て身を脩むる所を知るときは、則ち以て人を治むる所を知る。以て人を治むる所を知るときは、則ち以て天下・國家を治むる所を知る。斯の三つの者は、三近を指して言う。人は、己に對するの稱。天下國家なれば、則ち人を盡くす。此を言って以て上文の身を脩むるの意を結び、下文の九經の端を起こすなり。

凡爲天下國家有九經。曰、脩身也、尊賢也、親親也、敬大臣也、體羣臣也、子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也。經、常也。體、謂設以身處其地而察其心也。子、如父母之愛其子也。柔遠人、所謂無忘賓旅者也。此列九經之目也。呂氏曰、天下・國家之本在身。故脩身爲九經之本。然必親師取友、然後脩身之道進。故尊賢次之。道之所進、莫先其家。故親親次之。由家以及朝廷。故敬大臣、體羣臣次之。由朝廷以及其國。故子庶民、來百工次之。由其國以及天下。故柔遠人、懷諸侯次之。此九經之序也。視羣臣猶吾四體、視百姓猶吾子。此視臣視民之別也。
【読み】
凡そ天下國家を爲[おさ]むるに九經有り。曰く、身を脩む、賢を尊ぶ、親を親しむ、大臣を敬す、羣臣に體す、庶民を子とす、百工を來す、遠人を柔[やす]んず、諸侯を懷[なつ]く。經は常なり。體すとは、設けて身を以て其の地に處りて其の心を察することを謂うなり。子とすとは、父母の其の子を愛するが如し。遠人を柔んずとは、所謂賓旅を忘るること無しなる者なり。此れ九經の目を列ぬるなり。呂氏曰く、天下國家の本は身に在り。故に身を脩むるを九經の本と爲す。然れども必ず師に親しみ友を取り、然して後に身を脩むるの道進む。故に賢を尊ぶは之に次ぐ。道の進む所は、其の家より先んずるは莫し。故に親を親しむは之に次ぐ。家より以て朝廷に及ぶ。故に大臣を敬し、羣臣に體するは之に次ぐ。朝廷より以て其の國に及ぶ。故に庶民を子とし、百工を來すは之に次ぐ。其の國より以て天下に及ぶ。故に遠人を柔んじ、諸侯を懷くは之に次ぐ。此れ九經の序なり。羣臣を視ること猶吾が四體のごとく、百姓を視ること猶吾が子のごとし。此れ臣を視ると民を視ることの別なり、と。

脩身則道立。尊賢則不惑。親親則諸父・昆弟不怨。敬大臣則不眩。體羣臣則士之報禮重。子庶民則百姓勸。來百工則財用足。柔遠人則四方歸之。懷諸侯則天下畏之。此言九經之效也。道立、謂道成於己而可爲民表。所謂皇建其有極是也。不惑、謂不疑於理。不眩、謂不迷於事。敬大臣、則信任專、而小臣不得以閒之。故臨事而不眩也。來百工、則通功易事、農末相資。故財用足。柔遠人、則天下之旅皆悦、而願出於其塗。故四方歸。懷諸侯、則德之所施者博、而威之所制者廣矣。故曰天下畏之。
【読み】
身を脩むるときは則ち道立つ。賢を尊ぶときは則ち惑わず。親を親しむときは則ち諸父・昆弟怨みず。大臣を敬するときは則ち眩わず。羣臣に體するときは則ち士の禮に報ずること重し。庶民を子とするときは則ち百姓勸む。百工來すときは則ち財用足る。遠人を柔んずるときは則ち四方之に歸す。諸侯を懷くるときは則ち天下之を畏る。此れ九經の效を言うなり。道立つとは、道己に成って民の表と爲る可きことを謂う。所謂皇其の有極を建つとは是れなり。惑わずとは、理を疑わざることを謂う。眩わずとは、事に迷わざること謂う。大臣を敬すれば、則ち信任專らにして、小臣以て之を閒つことを得ず。故に事に臨んで眩わざるなり。百工を來せば、則ち功を通じ事を易え、農末相資[たす]く。故に財用足る。遠人を柔んずれば、則ち天下の旅皆悦びて、其の塗に出ることを願う。故に四方歸す。諸侯を懷くれば、則ち德の施す所の者博くして、威の制する所の者廣し。故に天下之を畏ると曰う。

齊明盛服、非禮不動。所以脩身也。去讒遠色、賤貨而貴德。所以勸賢也。尊其位重其祿、同其好惡。所以勸親親也。官盛任使。所以勸大臣也。忠信重祿。所以勸士也。時使薄斂。所以勸百姓也。日省月試、旣稟稱事。所以勸百工也。送往迎來、嘉善而矜不能。所以柔遠人也。繼絶世、舉廢國、治亂持危、朝聘以時、厚往而薄來。所以懷諸侯也。齊、側皆反。去、上聲。遠・好・惡・斂、竝去聲。旣、許氣反。稟、彼錦・力錦二反。稱、去聲。朝、音潮。○此言九經之事也。官盛任使、謂官屬衆盛、足任使令也。蓋大臣不當親細事。故所以優之者如此。忠信重祿、謂待之誠而養之厚。蓋以身體之、而知其所賴乎上者如此也。旣、讀曰餼。餼稟、稍食也。稱事、如周禮稾人職、曰考其弓弩、以上下其食、是也。往則爲之授節以送之、來則豐其委積以迎之。朝、謂諸侯見於天子。聘、謂諸侯使大夫來獻。王制、比年一小聘、三年一大聘、五年一朝。厚往薄來、謂燕賜厚而納貢薄。
【読み】
齊明盛服して、禮に非ざれば動かず。以て身を脩むる所なり。讒を去[のぞ]き色に遠ざかり、貨[たから]を賤しんじて德を貴ぶ。以て賢を勸むる所なり。其の位を尊くし其の祿を重くし、其の好惡を同じくす。以て親を親しむことを勸むる所なり。官盛んにして使うに任ず。以て大臣を勸むる所なり。忠信にして祿を重くす。以て士を勸むる所なり。時に使いて斂を薄くす。以て百姓を勸むる所なり。日々に省[み]そなわし月々に試みて、旣稟事に稱う。以て百工を勸むる所なり。往くを送りて來るを迎え、善を嘉みんじて不能を矜[あわ]れむ。以て遠人を柔んずる所なり。絶えたる世を繼ぎ、廢れたる國を舉げ、亂れたるを治め危うきを持[たも]ち、朝聘時を以てし、往を厚くして來を薄くす。以て諸侯を懷くる所なり。齊は、側皆の反。去は上聲。遠・好・惡・斂は竝去聲。旣は許氣の反。稟は、彼錦・力錦の二反。稱は去聲。朝は音潮。○此れ九經の事を言うなり。官盛んにして使うに任ずとは、官屬衆盛にして、使令に任ずるに足るを謂うなり。蓋し大臣當に細事を親[みずか]らすべからず。故に之を優する所以の者此の如し。忠信にして祿を重くすとは、之を待つこと誠にして之を養うこと厚きを謂う。蓋し身を以て之を體して、其の上に賴む所の者を知ること此の如し。旣は、讀んで餼と曰う。餼稟は稍食なり。事に稱うとは、周禮の稾人職に、其の弓弩を考えて、以て其の食を上下すと曰うが如き、是れなり。往くときは則ち之の爲に節を授けて以て之を送り、來るときは則ち其の委積を豐かにして以て之を迎う。朝は、諸侯の天子に見ゆることを謂う。聘は、諸侯の大夫をして來獻せしむることを謂う。王制に、比年一たび小聘し、三年一たび大聘し、五年一たび朝す、と。往を厚くして來を薄くすとは、燕賜厚くして納貢薄きを謂う。

凡爲天下國家有九經。所以行之者一也。一者、誠也。一有不誠、則是九者皆爲虛文矣。此九經之實也。
【読み】
凡そ天下國家を爲むるに九經有り。之を行う所以の者一つなり。一とは、誠なり。一つも誠ならざること有れば、則ち是の九つの者は皆虛文爲り。此れ九經の實なり。

凡事豫則立。不豫則廢。言前定則不跲、事前定則不困。行前定則不疚。道前定則不窮。跲、其劫反。行、去聲。○凡事、指達道・達德・九經之屬。豫、素定也。跲、躓也。疚、病也。此承上文、言凡事皆欲先立乎誠。如下文所推、是也。
【読み】
凡そ事豫めするときは則ち立つ。豫めせざるときは則ち廢たる。言前に定まるときは則ち跲[つまず]かず、事前に定まるときは則ち困[くる]しまず。行前に定まるときは則ち疚[やま]しからず。道前に定まるときは則ち窮まらず。跲は其劫の反。行は去聲。○凡そ事とは、達道・達德・九經の屬を指す。豫は、素より定まるなり。跲は躓くなり。疚は病むなり。此れ上文を承けて、凡そ事は皆先ず誠を立てんことを欲することを言う。下文の推す所、是れなり。

在下位不獲乎上、民不可得而治矣。獲乎上有道。不信乎朋友、不獲乎上矣。信乎朋友有道。不順乎親、不信乎朋友矣。順乎親有道。反諸身不誠、不順乎親矣。誠身有道。不明乎善、不誠乎身矣。此又以在下位者、推言素定之意。反諸身不誠、謂反求諸身而所存所發、未能眞實而無妄也。不明乎善、謂未能察於人心天命之本然、而眞知至善之所在也。
【読み】
下位に在って上に獲ざれば、民得て治む可からず。上に獲るに道有り。朋友に信ぜられざれば、上に獲ず。朋友に信ぜらるるに道有り。親に順わざれば、朋友に信ぜられず。親に順うに道有り。身に反って誠あらざれば、親に順わず。身を誠にするに道有り。善に明らかならざれば、身に誠あらず。此れ又下位に在る者を以て、推して素より定まるの意を言う。身に反って誠あらずとは、身に反り求めて存する所發する所、未だ眞實にして無妄なること能わざるを謂うなり。善に明らかならずとは、未だ人心天命の本然を察して、眞に至善の在る所を知ること能わざるを謂うなり。

誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者不勉而中、不思而得、從容中道。聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。中、竝去聲。從、七容反。○此承上文誠身而言。誠者、眞實無妄之謂、天理之本然也。誠之者、未能眞實無妄、而欲其眞實無妄之謂、人事之當然也。聖人之德、渾然天理、眞實無妄、不待思勉而從容中道、則亦天之道也。未至於聖、則不能無人欲之私、而其爲德不能皆實。故未能不思而得、則必擇善、然後可以明善。未能不勉而中、則必固執、然後可以誠身。此則所謂人之道也。不思而得、生知也。不勉而中、安行也。擇善、學知以下之事。固執、利行以下之事也。
【読み】
誠は、天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。誠は勉めずして中り、思わずして得、從容として道に中る。聖人なり。之を誠にするは、善を擇んで固く之を執る者なり。中は竝去聲。從は七容の反。○此れ上文の身を誠にするを承けて言う。誠は、眞實無妄の謂にて、天理の本然なり。之を誠にするとは、未だ眞實無妄なること能わずして、其の眞實無妄を欲するの謂にて、人事の當然なり。聖人の德は、渾然たる天理、眞實無妄にして、思勉を待たずして從容として道に中れば、則ち亦天の道なり。未だ聖に至らざれば、則ち人欲の私無きこと能わずして、其の德爲るや皆實なること能わず。故に未だ思わずして得ること能わずして、則ち必ず善を擇んで、然して後に以て善に明なる可し。未だ勉めずして中ること能わずして、則ち必ず固く執りて、然して後に以て身に誠ある可し。此れ則ち所謂人の道なり。思わずして得るは、生知なり。勉めずして中るは、安行なり。善を擇ぶは、學知以下の事なり。固く執るは、利行以下の事なり。

博學之、審問之。愼思之、明辨之、篤行之。此誠之之目也。學問思辨、所以擇善而爲知。學而知也。篤行、所以固執而爲仁。利而行也。程子曰、五者廢其一、非學也。
【読み】
博く之を學び、審らかに之を問う。愼んで之を思い、明らかに之を辨[わきま]え、篤く之を行う。此れ之を誠にするの目なり。學問思辨は、善を擇ぶ所以にして知爲り。學んで知るなり。篤く行うは、固く執る所以にして仁爲り。利して行うなり。程子曰く、五つの者其の一を廢つれば、學に非ざるなり、と。

有弗學。學之、弗能弗措也。有弗問。問之、弗知弗措也。有弗思。思之、弗得弗措也。有弗辨。辨之、弗明弗措也。有弗行。行之、弗篤弗措也。人一能之己百之。人十能之己千之。君子之學、不爲則已、爲則必要其成。故常百倍其功。此困而知、勉而行者也。勇之事也。
【読み】
學ばざること有り。之を學んで、能くせざれば措かず。問わざること有り。之を問うて、知らざれば措かず。思わざること有り。之を思うて、得ざれば措かず。辨えざること有り。之を辨えて、明らかならざれば措かず。行わざること有り。之を行って、篤からざれば措かず。人一つにして之を能くすれば己之を百にす。人十にして之を能くすれば己之を千にす。君子の學は、せざれば則ち已み、すれば則ち必ず其の成ることを要す。故に常に其の功を百倍にす。此れ困しんで知り、勉めて行う者なり。勇の事なり。

果能此道矣、雖愚必明、雖柔必強。明者擇善之功、強者固執之效。呂氏曰、君子所以學者、爲能變化氣質而已。德勝氣質、則愚者可進於明、柔者可進於強。不能勝之、則雖有志於學、亦愚不能明、柔不能立而已矣。蓋均善而無惡者、性也。人所同也。昏明強弱之稟不齊者、才也。人所異也。誠之者、所以反其同而變其異也。夫以不美之質、求變而美、非百倍其功、不足以致之。今以鹵莽滅裂之學、或作或輟、以變其不美之質。及不能變、則曰天質不美、非學所能變。是果於自棄。其爲不仁甚矣。
【読み】
果たして此の道を能くすれば、愚なりと雖も必ず明なり。柔なりと雖も必ず強なり。明は善を擇ぶの功、強は固く執るの效。呂氏曰く、君子の學ぶ所以は、能く氣質を變化せんとするのみ。德氣質に勝てば、則ち愚者も明に進む可く、柔者も強に進む可し。之に勝つこと能わざれば、則ち學に志すこと有りと雖も、亦愚も明なること能わず、柔も立つこと能わざるのみ。蓋し均しく善にして惡無き者は、性なり。人の同じき所なり。昏明強弱の稟齊しからざる者は、才なり。人の異なる所なり。之を誠にすとは、其の同じきに反りて其の異なるを變ずる所以なり。夫の美ならざるの質を以て、變じて美ならんと求むれば、其の功を百倍するに非ざれば、以て之を致[きわ]むるに足らず。今鹵莽滅裂の學を以て、或は作し或は輟[や]めて、以て其の美ならざるの質を變ず。變ずること能わざるに及んでは、則ち天質の美ならざるは、學んで能く變ずる所に非ずと曰う。是れ自ら棄つるに果てる。其の不仁爲ること甚だし、と。

右第二十章。此引孔子之言、以繼大舜・文・武・周公之緒、明其所傳之一致、舉而措之、亦猶是耳。蓋包費隱、兼小大、以終十二章之意。章内語誠始詳、而所謂誠者、實此篇之樞紐也。又按、孔子家語亦載此章、而其文尤詳。成功一也之下、有公曰、子之言美矣。至矣。寡人實固、不足以成之也。故其下復以子曰起答辭。今無此問辭、而猶有子曰二字。蓋子思刪其繁文以附于篇、而所刪有不盡者。今當爲衍文也。博學之以下、家語無之。意彼有闕文、抑此或子思所補也歟。
【読み】
右第二十章。此れ孔子の言を引いて、以て大舜・文・武・周公の緒を繼ぎ、其の傳うる所一致して、舉げて之を措けば、亦猶是のごときなるのみなるを明かす。蓋し費隱を包み、小大を兼ねて、以て十二章の意を終う。章内誠を語ること始めて詳らかにして、謂う所の誠は、實に此の篇の樞紐なり。又按ずるに、孔子家語に亦此の章を載せて、而も其の文尤も詳らかなり。成功一也の下に、公曰く、子の言は美なり。至れり。寡人實に固にして、以て之を成すに足らざるなりと有り。故に其の下に復子曰を以て答辭を起こせり。今此の問辭無くして、猶子曰の二字有り。蓋し子思其の繁文を刪って以て篇に附して、刪る所に盡くさざる者有らん。今當に衍文とすべし。博學之以下は、家語に之れ無し。意うに彼に闕文有るか、抑々此れ或は子思の補う所か。


哀公問政云云。政を問と云こと抔は釈迦一代ないこと。異端は世を遁れ、有露路より無露路へ復る一体み、雨降らはふれ、風吹はふいて世を捨る。聖人の路は世を捨ぬ。人君は大勢の人をあづかるゆへ、達磨の坐禅てはならぬ。政を問と云は論語には多くあるが、中庸では異端をはなさす説がよい。孔子にはその思召はなけれとも。政を問と云は人君の端的な問ぞ。何ことも習はづには出來ぬと思へとも、兎角政ばかりは手前でなると心得てをる。をれは歴々ゆへをれがすると云はめったなこと。そこで哀公の問はれた。孔子も君のことと云ひよい問ゆへ、つぢつまそろへ近思の治体治法をこめきっと答へた。正大之道非独善底之事。
【解説】
「哀公問政。哀公、魯君、名蔣」の説明。異端は世を捨てるが、聖人の道は世を捨てない。そこで政を問うこともある。これは大勢の人を預かる人君の問いである。
【通釈】
「哀公問政云云」。政を問うということなどは釈迦には一代ないこと。異端は世を遁れ、有漏路より無漏路に帰る一休み雨ふらばふれ風ふかばふけで世を捨てる。聖人の路は世を捨てない。人君は大勢の人を預かるので、達磨の座禅ではならない。政を問うということは論語には多くあるが、中庸では異端を離さずに説くのがよい。孔子にはその思し召しはないが。政を問うというのは人君の端的な問いである。何事も習わずには出来ないと思ってはいるが、兎角政だけは自分で出来ると心得ている。俺は歴々だから俺がすると言うのは滅多なこと。そこで哀公が問われた。孔子も君のことで言いよい問いなので、辻褄を揃えて近思の治体治法を込めてきっと答えた。正大の道は独善底の事に非ず。
【語釈】
・有露路より無露路へ復る一体み、雨降らはふれ、風吹はふいて…一休。「有漏路より無漏路に帰る一休み雨ふらばふれ風ふかばふけ」。有漏路は煩悩が多い者のいる世界。この世。無漏路は煩悩に汚されない清浄の世界。

○文武之政云云。善政は堯舜と出そふなものに文武と出した。ここか哀公への親切。丁と權現様と云るい。哀公は文武の子孫。夫ゆへいこふひびく。布在方策。まきれなくしっかりと書物にのりて在る。○其人云云。しかたは書物の上にあれとも、人がなければ行はれぬ。爰の人と云は、丁どあの村に人かないと云やふな人の字也。役に立づのない村はないが、よい人がないこと。政のよい法や道理あっても、人がなければ益にたたぬ。傷寒論もよい医者でなければ無益なり。仲景がなくては。○舉る。政か行はるる。息は火の消た如し。○有是君云云。本文は只人とある。夫を朱子の君と臣となされたでよくきまる。直方の、太夫が上手でも太皷や皷があしければ能はできぬ。○在是政矣。面白こと。桀紂の世にも政はあるが、本のがない。
【解説】
「子曰、文・武之政、布在方策。其人存、則其政舉。其人亡、則其政息。方、版也。策、簡也。息、猶滅也。有是君、有是臣、則有是政矣」の説明。文武の政の仕方は書物に載っているが、政をする人がいなければ政は行われない。「其人」のことを、朱子は君臣と言い換えた。
【通釈】
○「文武之政云云」。善政であれば堯舜と出しそうなものだが文武と出した。ここが哀公への親切。丁度それは権現様と言う類。哀公は文武の子孫だから大層響く。「布在方策」。紛れなくしっかりと書物に載ってある。○「其人云云」。仕方は書物の上にあるが、人がいなければ行われない。ここの人というのは、丁度あの村には人がいないと言う様な人の字である。役立たずのいない村はないが、よい人がいないということ。政のよい法や道理があっても、人がなければ益に立たない。傷寒論もよい医者でなければ無益である。仲景がいなくてはならない。○「舉」。政が行われること。「息」は火の消えた様なもの。○「有是君云云」。本文はただ人とある。それを朱子が君と臣となされたのでよく決まる。直方が、太夫が上手でも太鼓や鼓が悪ければ能は出来ないと言った。○「在是政矣」。これが面白いこと。桀紂の世にも政はあるが、本物がない。
【語釈】
・仲景…張仲景。河南省南陽県の人。長沙の太守を勤める。「傷寒雑病論」を著した。

○人道敏政云云。人の上はと云こと。さて人と云ものは政を出すとずんとはかのゆくもの。善政は天下の人をしなべて悦ぶ。夫故はかかゆく。たとへは人足のものに酒をのめと云と、はいと直に立つ。夫と同じ。迷惑にないことゆへなり。○地道云云。ここはたとへてもふ一つ云た。どのやふな地でも物を蒔、直にはへる。○蒲盧なり。かば、よしのるい。手もなくはへるもの。牡丹や菊も手入がないとはへか子る。政は至てはへやすい。蒲盧の如くなされますとじきになりますと、垩人の人君へ申上るはいこふふっくり気のひらけたことぞ。今の学者君の心にあたったり、又云か子たりする。手前に德がないゆへ向へひびかぬ。其上六ヶ鋪ことなど云ゆへ、すっへりと向て聞入れぬぞ。○沈括云云。此人蒲葦と云た。此説よいゆへ出した。色々に説ありしこと惑問に詳。○易生云云。手入れのいらぬ菜や春菊のるいでははへ易い。○言人存云云。今の政はできぬ筈。よくない人が手前勝手するゆへぞ。よい人が政をするといこふ仕易いことなり。
【解説】
「人道敏政、地道敏樹。夫政也者、蒲盧也。夫、音扶。○敏、速也。蒲盧、沈括以爲蒲葦是也。以人立政、猶以地種樹。其成速矣。而蒲葦又易生之物、其成尤速也。言人存政舉、其易如此」の説明。善政は天下の人が皆悦ぶ。そこで計が行く。政は蒲盧と同じで至って成り易いもの。よい人が政をすると大層仕易い。
【通釈】
○「人道敏政云云」。人の上はということ。さて人というものは政を出すとずんと計が行くもの。善政は天下の人が押し並べて悦ぶ。そこで計が行く。例えば人足の者に酒を呑めと言うと、はいと直ぐに立つ。それと同じ。迷惑でないからである。○「地道云云」。ここは譬えでもう一つ言ったこと。どの様な地でも物を蒔くと直ぐに生える。○「蒲盧也」。蒲は葦の類で、手もなく生えるもの。牡丹や菊は手入れがないと生え難い。政は至って生え易い。蒲盧の如くなされれば直になりますと言う。聖人が人君へ申し上げるのは大層ふっくりと気の開けたこと。今の学者は君の心に当たったり、また言いかねたりする。自分に徳がないので向こうへ響かない。その上難しいことなどを言うので、すっぺりと向こうが聞き入れない。○「沈括云云」。この人は蒲葦と言った。この説がよいのでここに出した。色々と説があったことが惑問に詳らかである。○「易生云云」。手入れの要らない菜や春菊の類は生え易い。○「言人存云云」。今の政はできない筈。よくない人が自分勝手をするからである。よい人が政をすると大層仕易い。

○故爲政。これからは政の大根を説た。法度書制札のるいてはない。法度書は丁ど書物を積てをくごとし。積たとてよくなる筈はない。兎角人に政はあるなり。○在人云云。人をとりあげるでなけれはならぬ。政の方からをどり出はせぬ。よい人を撰み上るが第一なり。扨よい人は地行を餘慶くれてもこぬ。職人とはちがふゆへに人君の身持が大切なり。なにも商買でごさると賢者は云はぬ。上に德がなければ賢者は来ぬ。迂斉の、季氏か閔子騫を招ても、必をいてくれろと云て來ぬは、季氏が身持あしきゆへそ。賢は金銭をほしからぬゆへなり。さて身か政の手になるとなり。爰が哀公へ灸をすへてやられたなり。とかく身はをさめずに政をしたがるなり。○脩身云云。身の脩めやふは外のことてはない。道理の墨ずぼがなければじきに曲るなり。○以仁云云。道切てよさそふなものに、道も仁と云につめ子ば道が道にたたぬ。道に仁と云味ひなけれはひびかぬ。仁と云に行届かぬ道はうまみがない。譬へば客へ食を振舞は道、仁と云親切がないと、ゆるりとあがれと云ても客へひびかぬ。我気に入りた客が來る。やれ々々と云。そこて緩りと居り、一夜とまるやふにもなる。あしらいが一つでも味がないとひびかぬ。人へ合力するも道なれとも、仁がないと本のことでない。こふする筈と云は仁でない。仁は筭用の外なり。政は向へ手を出すことでない。手前の身のことぞ。身は政の奥の院。身にも亦仁と云奥の院ある。此塩梅ゆへ斉桓晋文云云。五伯はわざは孔子にもまけぬほどのことなれども、仁がない。三尺の童子も五伯を耻るは仁のうまみがないゆへぞ。
【解説】
「故爲政在人、取人以身。脩身以道。脩道以仁」の説明。政は人によるから、よい人を撰び上げるのが第一であり、それには人君の身持ちが大切である。身を脩めるには道を以て行う。その道は仁という味わいがなければ響かない。
【通釈】
○「故爲政」。これからは政の大根を説いたもの。法度書や制札の類ではない。法度書は丁度書物を積んで置く様なもの。積んだとてよくなる筈はない。兎角人に政があるということ。○「在人云云」。人を取り上げるのでなければならない。政の方から踊り出はしない。よい人を撰び上げるのが第一である。さてよい人は地行を余計に与えても来ない。職人とは違うから、人君の身持ちが大切である。何でも商売でごさるとは、賢者は言わない。上に徳がなければ賢者は来ない。迂斎が、季氏が閔子騫を招いても、必ず置いてくれと言って季氏の所へ行かないのは、季氏の身持ちが悪いからだと言った。賢は金銭を欲しがらないからである。さて、身が政の手になると言う。ここが哀公へ灸をすえてやられたこと。とかく身は脩めずに政をしたがる。○「脩身云云」。身の脩め様は他のことではない。道理の墨壺がなければ直に曲がる。○「以仁云云」。道だけでよさそうなものなのだが、道も仁ということに詰めなければ、道が道として立たない。道に仁という味わいがなければ響かない。仁に行き届かない道は旨味がない。譬えば客に食を振舞うのは道だが、仁という親切がないと、ゆるりとあがれと言っても客に響かない。自分の気に入った客が来ると、やれやれと言う。そこで緩りと居り、一夜泊まる様にもなる。あしらいが一つでも味がないと響かない。人へ合力するのも道だが、仁がないと本物でない。こうする筈というのは仁ではない。仁は算用の外のこと。政は向こうへ手を出すことではなく、自分の身のこと。身は政の奥の院。身にもまた仁という奥の院がある。この塩梅なので斉桓晋文云云である。五伯は、業は孔子にも負けないほどだが仁がない。三尺の童子も五伯を恥じるのは仁の旨味がないからである。
【語釈】
・季氏か閔子騫を招ても…論語雍也7。「季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰、善爲我辭焉。如有復我者、則吾必在汶上矣」。
・斉桓晋文云云…論語憲問16。「子曰、晉文公譎而不正。齊桓公正而不譎」。
・三尺の童子も五伯を耻る…梁惠王章句上7集註。「仲尼之門、五尺童子羞稱五霸」。

○承上文云云。上文を承るでよいに、朱子の丁寧に出したに訳ある。在人、文義を其人存すればの人と取りそこなはんため、政をするは人をうるにあるとなり。其人存すればの人は全体のわけ合ひ。在人の人は人を取用るか第一まっ先と云こと。○家語云云。けごの語意、於得の二字でよくすんだ。○謂賢臣云云。賢臣でなければ役に立ぬ。序にある皐陶伊傅周召の如き人達でなければならぬ。中庸ゆへ、こふ合点すること。山本勘助では孔子の用にたたぬ。大学衍義にのった人ともよいなれとも、大学の二字をかさにきても下腹に毛のないものとも爰へは出られぬ。漢の高祖、唐太宗など中庸へは出されぬ。こふきめないと孔子の政が漢唐の政の如になる。聽得て好し。○指君臣。伯者は身と云ことに講はず。身からかかるでなふては王道でない。爰が灸をすえた処なり。
【解説】
「此承上文人道敏政而言也。爲政在人、家語作爲政在於得人。語意尤備。人、謂賢臣。身、指君身」の説明。「其人存」の人は全体の意味で言い、「在人」の人は人を取り用いるのが最初のことだということ。取り用いるのは賢臣でなければ役に立たない。「身」とは、君の身のこと。漢の高祖や唐の太宗などは中庸へは出されない。
【通釈】
○「此承上文云云」。上文を承けるだけでよいのに、朱子が丁寧にここに出したのには訳がある。「在人」の文義を「其人存」の人と取り損わないために、「爲政在得人」と言ったのである。「其人存」の人は全体の訳合い。「在人」の人は人を取り用いるのが第一真っ先だということ。○「家語云云」。家語の語意は、「於得」の二字でよく済む。○「謂賢臣云云」。賢臣でなければ役に立たない。序にある皐陶伊傅周召の様な人達でなければならない。これは中庸なので、この様に合点しなさい。山本勘助では孔子の用に立たない。大学衍義に載った人達もよい人だが、大学の二字を笠に着ても、下腹に毛のない者どもはここへは出られない。漢の高祖や唐の太宗などは中庸へは出せない。こう決めないと孔子の政が漢唐の政の様になる。聴き得て好し。○「指君臣」。伯者は身ということに構わない。身から掛かるのでなくては王道ではない。ここが灸をすえた処。
【語釈】
・下腹に毛のない…老狼は下腹に毛がないという言い伝えから、老獪な人物にいう。

○天地生云云。道体と云と易の繋辞傳のやふに思ふが、道体咄が政の大切の処。人間に仁の有は、もと天地の心何にも外の事なく、只物を出かす計りの心也。経済録にないこと。其天地の生物の心を受て人は生れた。草などの取っても亦はえ々々する。思へは野邊はしげらざりけりで段々とできるぞ。あの大な天地を生物と云ばかりて天地の心を云ひぬく。この人の心を仁と云て云ぬく。○人得。魚之水中にある、鱗のあいだまで水がある。人は天地の間に生れ生物の心をからだ中へ得て生るる。○元者云云。春の德て夏秋冬をこめてある。仁も義礼智何もかもこめてある。○善之云云。凡よいことのあつまりたこと。よいことの本でこれから段々と出る。○之則云云。人自ききすることてない。則と云は此方がよければ賢者が向からくる。よばずともくる。孟子に聞文王作云云とあるも爰のこと。向からあつまりくる。夫か則なり。廣居謂、無情のものさへ感應ある。况や人は性善。必定感應ある筈なり。じゃゆえに蒲蘆なり。○仁其身云云。仁と云にこきつけると、君も家來もひとりてによい者あつまる。善行政をこなわるるなり。
【解説】
「道者、天下之達道。仁者、天地生物之心、而人得以生者。所謂元者善之長也。言人君爲政在於得人、而取人之則又在脩身。能仁其身、則有君有臣、而政無不舉矣」の説明。天地の心はただ物を出来すだけの心である。その天地の生物の心を受けて人は生まれた。仁に漕ぎ着けると、君も家来も独りでによい者が集まり、善政が行われる。
【通釈】
○「天地生物云云」。道体というと易の繋辞伝の様に思うが、道体話が政の大切な処。人間に仁のが有るのは、元々天地の心は何も外の事ではなく、ただ物を出来すだけの心だからである。経済録にはないこと。その天地の生物の心を受けて人は生まれた。草などは取ってもまた生える。思えば野辺は茂らざりけりで段々と出来る。あの大きな天地を生物と言っただけで天地の心を言い抜く。この人の心を仁と言って言い抜く。○「人得」。魚が水中にいて、鱗の間までに水がある。人は天地の間に生まれて、生物の心を身体中に得て生まれる。○「元者云云」。春の徳に夏秋冬を込めてある。仁も義礼智何もかも込めてある。○「善之云云」。凡そよいことの集まったこと。よいことの本がこれから段々と出る。○「之則云云」。人は自ら擬議するものではない。則というのは、こちらがよければ賢者が向こうから来るということ。呼ばなくても来る。孟子に「聞文王作云云」とあるのもここのこと。向こうから集まって来る。それが則である。廣居謂う、無情の物でさえ感応がある。況んや人は性善。必定感応がある筈。それで蒲盧である、と。○「仁其身云云」。仁に漕ぎ着けると、君も家来も独りでによい者が集まる。善行の政が行われる。
【語釈】
・聞文王作云云…孟子離婁章句上13。「孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱、聞文王作、興曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之濱、聞文王作、興曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者」。盡心章句上22にもある。

○仁者人也云云。上の段、脩道以仁と説つめても、哀公の仁と遠々敷ゆへ合点ゆかぬ。そこて其作のいこふ塩梅あることを、孔子のえみをふくみ是からはなされた。さて人間の肉身をさし、仁は人のからだのあつくつめたくなく、ほっこりとあたたかないこふよい塩梅。夫を假て、あれがじきに仁じゃと示された。爰が大切の処。前では道を仁とつめ、爰ては其仁は人と出したが仁のあんばいを知せたもの。人間の親切なに、からだほどのものはない。政の大根は此仁じゃと本を説た。仁のことを形容すれば御身のあたたかなる処、夫が仁じゃと示された。そこでつかまへ処あるそ。○親々云云。親から親類迠、したしきものをしたしむ。是が仁の内で一ち大いこと。仁は幅が廣が遠のことでない。鼻の先、親を親むが仁の端的。一ち大いことと近い所で示された。○義者云云。序に義の咄を出された。迂斎の、思はず知ず長咄になりた。宜也。是れはこふするかよい、ああするかよいと道理の是非を分ち、是がよいときめること。仁が詰講でも義がないと心にきれがなく、何も角も一つにのっへりとなる。
【解説】
「仁者人也。親親爲大。義者宜也」の説明。「脩道以仁」から更に「仁者人也」と述べる。身の温かな処が仁であり、親を親しむのが仁の端的である。仁は結構なものだが、それには義がなければならない。
【通釈】
○「仁者人也云云」。上の段で「脩道以仁」と説き詰めても、哀公は仁に遠々しいので合点することができない。そこでその作の大層塩梅のあることを、孔子が笑みを含んでこれから話された。さて人間の肉身を指して、仁は人の身体の熱くも冷たくもなく、ほっこりと温かで大層よい塩梅。それを仮りて、あれが直に仁だと示された。ここが大切な処。前では道を仁と詰め、ここではその仁は人と出したのが仁の塩梅を知らせたもの。人間の親切なものの中で、身体ほどのものはない。政の大根はこの仁だと本を説いた。仁のことを形容すれば、御身の温かな処、それが仁だと示された。そこで捉まえ処がある。○「親親云云」。親から親類まで、親しい者を親しむ。これが仁の内で一番大きいこと。仁は幅が広いが遠くのことでない。鼻の先、親を親しむのが仁の端的。一番大きいことと近い所で示された。○「義者云云」。序でに義の話を出された。迂斎が、思わず知らず長話になったと言った。「宜也」。これはこうするがよい、ああするがよいと道理の是非を分かち、これがよいと決めること。仁が結構でも義がないと心に切れがなく、何もかも一つにのっぺりとなる。

○尊賢云云。義の内て賢を尊一の大いなり。賢者にしたがわ子ば仁義礼智稽古が出來ぬ。稽古がないと、これはこふする筈と云ても筈違いする。宜も義の稽古で宜が知れる。仁が主なれども、そっと礼の咄迠なされた。仁義礼の根がすまぬと、医者の藥箱の如く別々の様に思ふと違ふ。義礼は仁の伸たのなり。○殺云云。次第ほとのあること。両親ほと親しいものはないが、父と母は少し違ふ。兄弟でも段々ある。叔父は親と同前と云ても親の忌服、叔父の忌服ちごふ。垩人礼をたて同じやふにせぬ。喪も三年或は一年と次第ある。そこが殺なり。○等は師匠の先軰の學友のと、それ々々に別ること。其わかるる丁どの処へゆくが礼なり。礼と云て外にあるものでない。夫々にほどよいが礼なり。子たる人もあらん。とてもの御馳走に智をも承たいや、この仁義礼を知ることそ。別にはないことなり。垩賢道体の名義を語れる、一つ云ことも二つ云ことも三つ云ことも五つに云こともあり。
【解説】
「尊賢爲大。親親之殺、尊賢之等、禮所生也」の説明。義の内では賢を尊ぶのが一番大きなこと。賢者に従わなければ仁義礼智の稽古が出来ない。親親にも尊賢にも丁度の処がある。それが礼である。
【通釈】
○「尊賢云云」。義の内では賢を尊ぶのが一番大きなこと。賢者に従わなければ仁義礼智の稽古が出来ない。稽古がないと、これはこうする筈と言っても筈違いをする。宜も義の稽古で宜が知れる。仁が主ではあるが、そっと礼の話までをなされた。仁義礼の根が済まないと、医者の薬箱の様に別々の様に思うが、それは違う。義礼は仁の伸びたもの。○「殺云云」。次第に程のあること。両親ほど親しいものはないが、父と母とは少し違う。兄弟でも段々がある。叔父は親と同前と言っても親の忌服と叔父の忌服とは違う。聖人が礼を立てて同じ様にしない。喪も三年或いは一年と次第がある。そこが殺である。○等は師匠、先輩、学友と、それぞれに別れること。その別れる丁度の処へ行くのが礼である。礼と言って他にあるものではない。それぞれに程良いのが礼である。強請る人あろうか。とてもの御馳走に智をも承りたいと言われれば、それはこの仁義礼を知ることで、それ以外にはない。聖賢が道体の名義を語るには、一つに言うことも二つに言うことも三つに言うことも五つに言うこともある。

○指人身。孔子のめづらしい思召ゆへ朱子のきっと丁寧に注なされた。脩身は全体て云、ここの身字は孝經の身体髮膚云云、小学外篇以身温被などの身と同じ。○具此生理。朱子の手のきくと云はここらのこと。初は脩道以仁とあるゆへ天地生物之心とし、ここらは仁者人也と孔子の自注。そこを生理とかかれた。かの天地生物。人間は天の生物の道理をからだに皆もって居る。死物でない。ほか々々しているものある。それゆへ人の膚、鉄の棒や槙ではいじられぬ。才木をいじるやふにはあつかわれぬ。医者も病人の腹をいじるに、手がひへたとあたためる。ほか々々した仁のあたたか者を自然持あわせた。孔孟の仁は人也各発明あることなり。孟子集註外國本に従へは、中庸と一致にて孟子発明てなく、孔子の傳へたになる。此道三宅先生もほぼ申されしなり。○惻怛云云。なんぞむごいことを見るとはっとひびく。桀紂てもはっと云。禽獣は親子でもかまわぬ。人間は少しにくきものでも怪我をするとはっと云。○慈愛云云。訳なくかわゆがること。訳があると仁でない。訳があると義になる。小児のほうをなめにやるは仁なり。蜂にさされたときなめてやるは義なり。子共の蛙などころすを見ても、やれと云。後生の子ごふではない。瓦の破れた、はっと思はぬ。深体云云。人の悪くなるは仁のなくなるゆへぞ。脉の悪くなる如し。そこで仁をこふしたものと身に体なり。○味之。孔子の是ほどに仰られても、なんのことと云て味ぬと役に立ぬ。味へはさてもと云がでるぞ。そこが可見なり。○事理。仁義は東西とぶんなものでない。親と他人を一つにする。○斯二者。孟子の字。仁と義の内へ入り、それ々々にほどよく道理にあたるやふにすること。それが礼なり。
【解説】
「殺、去聲。○人、指人身而言。具此生理、自然便有惻怛慈愛之意、深體味之可見。宜者、分別事理、各有所宜也。禮、則節文斯二者而已」の説明。初めは「脩道以仁」とあるので「天地生物之心」とし、ここらは「仁者人也」と孔子が自ら注をしたところで「生理」と書かれた。人は仁の温かなものを自然に持ち合わせている。人が悪くなるのは仁がなくなるからである。仁と義が内へ入って、それぞれにほどよく道理に当たる様にするのが礼である。
【通釈】
○「指人身」。孔子の珍しい思し召しなので、朱子がきっと丁寧に注をなさった。脩身は全体で言うが、ここの身の字は孝経の「身體髮膚云云」や小学外篇の「以身溫被」などの身と同じ。○「具此生理」。朱子の手が利くと言うのがここらのこと。初めは「脩道以仁」とあるので「天地生物之心」とし、ここらは「仁者人也」と孔子が自ら注をしたところで「生理」と書かれた。彼の天地生物。人間は天の生物の道理を身体に皆持っている。死物ではない。ほかほかしているものがある。それで、人の膚は鉄の棒や槙では弄れない。材木を弄る様には扱えない。医者も病人の腹を弄るのに、手が冷えていれば温める。ほかほかした仁の温かなものを自然に持ち合わせている。孔孟の「仁者人也」は各々発明のあること。孟子集註の外国本に従えば、中庸と一致にて孟子の発明ではなく、孔子のを伝えたことになる。この道は三宅先生もほぼ申さたこと。○「惻怛云云」。何か酷いことを見るとはっと響く。桀紂でもはっと言う。禽獣は親子でも構わない。人間は少し憎い者でも怪我をするとはっと言う。○「慈愛云云」。訳なく可愛がること。訳があると仁ではない。訳があると義になる。小児の頬を嘗めてやるのは仁。蜂に差された時に嘗めてやるのは義。子供が蛙などを殺すのを見ても、やれやれと言う。それは後生を願ったのではない。瓦が破れてもはっとは思わない。「深體云云」。人が悪くなるのは仁がなくなるからである。それは脈が悪くなる様なもの。そこで仁はこうしたものだと身に体する。○「味之」。孔子がこれほどに仰せられても、何のことだと言って味わわないと役に立たない。味わえば、さてもということが出る。そこが「可見」である。○「事理」。仁義は東西の様な分なものではない。親と他人とを一つにする。○「斯二者」。孟子の字。仁と義が内へ入り、それぞれにほどよく道理に当たる様にすること。それが礼である。
【語釈】
・身体髮膚云云…孝經開宗明義章第一。「身體髮膚、受之父母。不敢毀傷孝之始也」。
・以身温被…小學善行13。「晉西河人王延、事親色養。夏則扇枕席、冬則以身溫被。隆冬盛寒、體常無全衣、而親極滋味」。
・三宅先生…三宅尚齋。名は重固。丹治と称す。播磨明石に生まれる。京都に住む。寛保1年(1741)1月29日没。年80。

○在下位云云の十四字、ぬくべきことにぬかずに置は、そふたい古書にあることはけすらぬものなり。よき序ゆへ申す。古書にかぎらず、人の本書を後から改めぬことなり。闇斎先生も陸沈と云れた。大学はどふじゃと云に、大学はああせぬと、川嵜神奈川か大井川あたりにありては旅人に見せられぬゆへ、せふことなしになをして章句へことはるなり。武成も今考定と別に出す。
【解説】
「在下位不獲乎上、民不可得而治矣。鄭氏曰、此句在下、誤重在此」の説明。ここは抜くべき字だが、古書にあることは削らないものだから載せてある。大学や武成に直しがあるのは、仕方なくしたもの。
【通釈】
○「在下位云云」の十四字は抜くべきことなのだが、それを抜かずに置いたのは、総体古書にあることは削らないものだからである。よい序でなので申す。古書に限らず、人の本書を後で改めないこと。闇斎先生も陸沈と言われた。それなら大学はどうなのかと言われれば、大学はあの様にしないと、川崎神奈川が大井川辺りにあっては旅人に見せられないので、仕方なく直して章句へ断わったもの。武成も今考定と別に出す。
【語釈】
・武成…書經周書武成。今考定武成と別に出してある。

○故君子云云。上の段て仁のさなごの処までしめし、つまり道も仁も此身にあるゆへ又ここて身を出した。大学の經文も誠意正心打こみて天子より庻人に至迠、一切に皆脩身と身の内へ入れた。ここも仁も義も身の内へ入ること。君子の真先にするは脩身がかんもんなり。○思脩身。云分ない。かたいそ。あしきことをせず、いををやふもない人でも親子挨拶あしければひとつはも役にたたぬ。脩身は親につかへるか本。人倫の第一なり。爰はをやとよむがよい。事と云字あるゆへなり。ここも仁は人なりとしんせつにきりこめは、孟子小弁の章の通り、をやをしたしむとよんだけれとも、下句に親の殺とあり、又九經に親々ともあれは、音でよむなり。ここはをやとよむべし。○不知人云云。親に事へるには学問てなければならぬなり。人間にそなわったことなれとも、いこふ稽古の入ることなり。さてかわった句じゃ。事親に知人とは何のことじゃ。字の誤りではないかと云ほどのこと。そふでない。よい人を知て、夫に稽古することぞ。孔門の七十子よくなったは、孔子を知たゆへ。その孔子に孝を問なり。○不知天云云。たたい政のことを問たに、向へ手を出さず手前々と説て、つまり知天止めた。さて大学と中庸一なもここて知る。大学も知へ説つめた。ここて知をみがくにをちたと迂斉云へり。天を知とて天文歴數のことてない。道理を知ること。ここもつまり知へ説つめた。
【解説】
「故君子不可以不脩身。思脩身、不可以不事親。思事親、不可以不知人。思知人、不可以不知天」の説明。君子が真っ先にするのは脩身である。その脩身は親に事えるのが本であり、親に事えるには学問からでなければならない。ここも大学と同じく知で説き詰めたもの。
【通釈】
○「故君子云云」。上の段で仁の核子の処までを示して、つまりは道も仁もこの身にあるのだから、またここで身を出した。大学の経文も誠意正心打ち込んで天子より庶人に至るまで一切が皆脩身だと、身の内へ入れた。ここも仁も義も身の内へ入れること。君子が真っ先にするのは脩身であり、それが肝文である。○「思脩身」。言い分はない。堅いこと。悪いことをせず、言い様もない人でも親子挨拶が悪ければ少しも役には立たない。脩身は親に事えるのが本であり、これが人倫の第一である。ここはおやと読むのがよい。それは事という字があるからである。ここも「仁者人也」と親切に切り込めば、孟子の小弁の章の通り、親[おや]を親しむと読んだが、下の句に「親之殺」とあり、また九経に親親ともあれば、音で読むもの。しかし、ここはおやと読みなさい。○「不知人云云」。親に事えるには学問でなければならない。それは人間に備わったことではあるが、大層稽古の要ること。さて変わった句だ。親に事えるに人を知るとは何のことだ。字の誤りではないかというほどのこと。しかしそうではない。よい人を知って、それで稽古をするのである。孔門の七十子がよくなったのは、孔子を知ったから。その孔子に孝を問うた。○「不知天云云」。そもそも政のことを問うたのに、向こうへ手を出さずに自分のことだと説いて、つまりは「知天」で止めた。さて大学と中庸が一つなのもここでわかる。大学も知へ説き詰めた。ここで知を磨くに落ちたと迂斎が言った。天を知ると言っても天文暦数のことではない。道理を知ること。ここもつまりは知へ説き詰めたのである。
【語釈】
・孟子小弁の章…孟子告子章句下3。「小弁之怨、親親也。親親、仁也」。

○脩身云云。身を脩るに親と云字の出たは仁なり。仁と云ことになると、親の字出ぬと外事のよいがみんなになる。○尊賢。ここらか朱子の手のきいた処。賢者にきか子は親々やふが知れぬ。孝に稽古ないと本のことが出來ぬ。○故又云云。人を知らずにはと云こと。○天理也。物には恰好と云ことある。夫を稽古するが究理とも致知格物とも云。中庸の書ゆへ格致もこの字よし。ぎり々々が恰好。是が本にないと身の脩めやふか知れぬ。夫ゆへ学問は始め知惠を先にして天理を知ることなり。
【解説】
「爲政在人、取人以身。故不可以不脩身。脩身以道、脩道以仁。故思脩身、不可以不事親。欲盡親親之仁、必由尊賢之義。故又當知人。親親之殺、尊賢之等、皆天理也。故又當知天」の説明。脩身に親という字が出たのは仁のこと。孝に稽古がないと本当のことが出来ない。物には恰好ということがある。それを稽古するのが窮理であり致知格物である。
【通釈】
○「脩身云云」。身を脩めるのに親という字が出たのは仁のこと。仁ということになると、親の字が出なければ他のよい事が台無しになる。○「尊賢」。ここらが朱子の手の利いた処。賢者に聞かなければ親を親しむ仕方がわからない。孝に稽古がないと本当のことが出来ない。○「故又云云」。人を知らずにはということ。○「天理也」。物には恰好ということがある。それを稽古するのが窮理とも致知格物とも言う。中庸の書なので格致という字がよい。ぎりぎりが恰好。これが本にないと身の脩め様が知れない。そこで、学問は始めに知恵を先にして天理を知ることなのである。

○天下之云云。上の段、天を知ると云処へ説つめ、ここはその天理何もかもあるか、五倫の上より重いことはない。道も五倫をすてては役に立ぬ。異端の渾沌未分も本來の面目を觀るも天理に似たやふなれとも、五倫をすてるゆへ穴かあくなり。間断と云。○達道。凡天地の間うごかぬもの五色ある。○行之云云。人間の此五つを行はせるもの三つある。五つ三つはことはりて云たこと。達の字はどこにもあること。碁盤や茶道具などは達でない。鍋釜ない家はない。達ゆへぞ。○之交也云云。蒙引の説、六ヶ鋪云て却てあしし。迂斉の、この交字相手ある字。朋友の交りばかりでなく、君臣よりつりをかけてみる説なり。加古利器筆記にあり、五色の交りのことじゃ、と。ふだんの朋友ばかりの交とはちがい、五倫皆相手あるものゆへ交と云へば云はれるが、此説きっとよいとはん断つけにくい。○知仁勇云云。達道は東海道、此知仁勇は旅人の通やふなもの。五つのものを道にかなはせるは学問でなければならぬ。学問は此三つでする。此三つ自然と持ている。附燒刄ではない。そこで達德なり。学問は此三つへみがきをかけること。○所以行之。知仁勇を出すに少もうそがあってはならぬ。うそのないが一なり。知も仁もうそでは役にたたぬ。
【解説】
「天下之達道五。所以行之者三。曰、君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者天下之達道也。知・仁・勇三者、天下之達德也。所以行之者一也」の説明。天理は、五倫より重いことはない。迂斎は交の字は相手のある字であって、君臣以下の五つに掛けて見るものだと言ったが、その説がよいかどうかは判断し難いと黙斎は言う。学問は知仁勇に磨きを掛けること。知仁勇に嘘があってはならない。
【通釈】
○「天下之云云」。上の段では天を知るという処へ説き詰め、ここはその天理は何もかもあるが、五倫の上より重いことはないことを言う。道も五倫を捨てては役に立たない。異端の渾沌未分も本来の面目を観るのも天理に似た様なことだが、五倫を捨てるので穴が開く。間断と言う。○「達道」。凡そ天地の間に動かないものが五色ある。○「行之云云」。人間に、この五つを行わせるものが三つある。五つ三つは断わって言ったこと。達の字は何処にもあること。碁盤や茶道具などは達ではない。鍋釜のない家はない。達だからである。○「之交也云云」。蒙引の説は難しく言うので却って悪い。迂斎が、この交の字は相手のある字であり、朋友の交わりばかりではなく、君臣より吊りを掛けて見る説であると言った。賀古利器の筆記にあり、五色の交わりのことだ、と。普段の朋友ばかりの交わりとは違って、五倫は皆相手があるものなので交と言えば言われるが、この説が実によいとは判断が付け難い。○「知仁勇云云」。達道は東海道で、この知仁勇は旅人の通る様なもの。五つのものを道に適わせるのは学問でなければならない。学問はこの三つでする。この三つは自然と持っている。付焼刃ではない。そこで「達德」である。学問はこの三つへ磨きを掛けること。○「所以行之」。知仁勇を出すのに少しも嘘があってはならない。嘘のないのは同じである。知も仁も嘘では役に立たない。
【語釈】
加古利器…賀古利器。関宿藩士。

○天下古今云云。幅廣くどこにも、古も今もかわらぬ。迂斉の、女も男もそこを通る、と。外にゆく処ない。○五典。のりあると云こと。○孟子云云。直方の、本文ては酒樽を見せ、孟子て内の酒迠を見せた、と。又今の五倫はたるばかりて酒がないと云た。さて知仁勇も此達道がはなれては益にたたぬ。○知は一草一木迠知ことなれとも、ここは五を知かかんもん。此の字の物をつかまへること。此五倫の動かぬ処を知ること。此の字のこと。○體云云。知た通りの五倫をわか身の物にすること。貧者両替屋の金を見ても、我ものにならぬ体でない。○强。知ったり体したりしても此勇かないと、久しけれはをこたりくたびれが出る。そこをはっきりさせること。知仁ですんだことなれども、此勇でこそ仕ぬいて三達德になる。達德。今人此三つはないやふじゃが、だたい人のもち合せたもの。迂斉の、五倫はきっとあるが、此三つありそもないやふである。見たくはあしい人の上をみるとよくしるると云のが迂斉の発明。さてあしい人の猿利口をする。そこか知なり。ろくな知てはないが、知があるゆへかしこい。工面よいやふにする。又好色のことなどて云にいへぬ親切を尽す。悪いぐるみ仁があるゆへそ。又何んぞと云と命もすてるほといさむ。そこは勇なり。けんとふのちがふたは学問ないゆへと迂斉の云た。学問はここの三つをほんのものにすること。本文の正意ではないか、迂斉この発明はたれかにあるをみせるためなり。たとへは孟子は性善の証拠に堯舜を出すは上面なり。又一つ云はは、悪人も性善の証拠になる。わるいことを人にかくすはたたい性善ゆへなり。性善でなければ人の前て盗む筈ぞ。しかれば悪人も性善の証拠なり。丁どそれとおなじく凡夫わるい知仁勇あるにて見せる。○所共由。此章句に然とも々と二つ然の字を以達道達德誠を一つにかたること。孔子の三つ云てもつなきある。道があっても通るものなけれは何にもならぬ。達德も誠がなければうそになる。人欲の氷がはれは水の流るるものても流れぬ。○非其德。性の秡けた藥の如く、人參て人參のけがなく、附子で附子のけがない。そこで誠と云につめること。餅を繪に書ては食はれぬ。水の繪も凉くない。旱魃の用にもたたぬ。誠でないゆへぞ。此の仁も知も誠か々々と誠とをとすことなり。○程子曰云云。せいじつと云もほかのことでない。三つのものを誠にすること。外に誠と云ものあるでない。
【解説】
「知、去聲。○達道者、天下古今所共由之路。卽書所謂五典、孟子所謂父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、是也。知、所以知此也。仁、所以體此也。勇、所以強此也。謂之達德者、天下古今所同得之理也。一則誠而已矣。達道雖人所共由、然無是三德、則無以行之。達德雖人所同得、然一有不誠、則人欲閒之、而德非其德矣。程子曰、所謂誠者、止是誠實此三者。三者之外、更別無誠」の説明。知は五倫を知ることで、體は知った通りの五倫を我が身の物にすること。そして勇で仕抜いて三達徳になる。知仁勇は悪人にさえもある。悪い人が猿利口をする。好色のことなどでは言うに言えない親切を尽くす。何ぞというと命も捨てるほど勇むことでわかる。その達徳も誠がなければ嘘になる。
【通釈】
○「天下古今云云」。幅広く何処にもあって、古も今も変わらない。迂斎が、女も男もそこを通ると言った。他に行く処はない。○「五典」。典があるということ。○「孟子云云」。直方が、本文では酒樽を見せ、孟子で内にある酒までを見せたと言った。また、今の五倫は樽ばかりで酒がないと言った。さて知仁勇もこの達道から離れては益に立たない。○知は一草一木まで知ることだが、ここは五つを知るのが肝文。「此」の字の物を捉まえること。この五倫の動かない処を知ること。此の字のこと。○「體云云」。知った通りの五倫を我が身の物にすること。貧者が両替屋の金を見ても、自分の物にならない様な体ではない。○「強」。知ったり体したりしてもこの勇がないと、久しければ怠りや草臥れが出る。そこをはっきりとさせること。知仁で済むものなのだが、この勇でこそ仕抜いて三達徳になる。「達德」。今の人にはこの三つはない様だが、そもそもそれは人の持ち合わせたもの。迂斎が、五倫はきっとあるが、この三つはありそうもない様である。見たければ悪しい人の上を見るとよく知れると言ったのが迂斎の発明。さて悪しい人が猿利口をする。そこが知である。碌な知ではないが、知があるので賢い。工面のよい様にする。また好色のことなどでは言うに言えない親切を尽くす。それは悪い包み仁があるからである。また何ぞというと命も捨てるほど勇む。そこは勇である。見当が違ったのは学問がないからだと迂斎が言った。学問はここの三つを本当の物にすること。本文の正意ではないが、迂斎のこの発明は誰にも彼にもあることを見せるためのもの。例えば孟子が性善の証拠に堯舜を出すのは上面のこと。また一つ言えば、悪人も性善の証拠になる。悪いことを人に隠すのは、そもそも性善だからである。性善でなければ人の前で盗む筈。そうであれば悪人も性善の証拠となる。丁度それと同じく、凡夫も悪い知仁勇があることを見せる。○「所共由」。この章句に二つ然の字を以て達道達徳誠を一つに語る。孔子が三つに言っても繋ぎがある。道があっても通る者がなければ何にもならない。達徳も誠がなければ嘘になる。人欲の氷が張れば水の様な流れるものでも流れない。○「非其德」。性の抜けた薬の様に、人参でありながら人参の気がなく、附子でありながら附子の気がない。そこで誠ということに詰めるのである。餅を絵に描いては食えない。水の絵も涼しくない。旱魃の用にも立たない。それは誠でないからである。この仁も知も、誠が誠がと誠と落とすこと。○「程子曰云云」。誠実と言うのも他の事ではない。三つのものを誠にすること。他に誠というものがあるのではない。

○或生而云云。上の段の知仁勇人にそなわってあるが、人に生れつきさま々々ある。そこてこの三段ある。爰の生て知と云生付は殊の外たまさかなこと。物の稽古なく知る。堯舜孔子などのるい。○或学而云云。生れながら知た人を手本にしてま子て知ることなり。○或困而云云。此方かくらんで居る。中々なことては知られぬ。色々とこん気困しみて知こと。扨此三段上中下と并へて中へ学知ををいたでない。学知は生知の方へよって遠くないこと。湯武は是を身にすと云から顔曽などの類か学知なり。困知は歴々の大儒から今日の学者迠を云。○及云云。遲速はあれども知りををせては一也。迂斉のなぞのたとへあり。じきに解もあり、暫ありて解もあり、一両日すぎて解もあれど、とけた処はをなじことなり。○安行。ほ子ををらず知たなりにすら々々ゆく。丁どのどのかわくに水を飲如し。○利而行云云。どふぞあのやふになりたいと願望すること。もと利の字よくない字。銭がほしいとむさぼる。其如くよくなりたいと利すること。迂の旦那は気なしに行く。安行。草履取は旦那を見失てはならぬとする如し。利行。○勉强而。色々とやって見てもゆかず、あせを流し骨ををりしゅ行すること。殊の外段がちがへとも、仕ををせた処は一也。成就すると初手の借金はかへすぞ。道中で馬や駕でゆくもあり、徒て桺こりを負て骨を折てゆくもあるが、京へ着ては同こと。垩賢の学は天へ飛やふなことはない。道理なりにしてゆくと、とど行つくなり。
【解説】
「或生而知之、或學而知之、或困而知之。及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之。及其成功一也」の説明。知にも生知・学知・困知と三段あるが、知ったということでは同じである。行にも安行・利行・勉行と三段あるが、行き着いたことは同じである。尚、学知は生知と困知の真ん中と言うことではなく、学知は生知に近いもの。
【通釈】
○「或生而云云」。上の段の知仁勇は人に備わってあるのだが、人の生まれ付きは様々である。そこでこの三段がある。ここの「生而知」という生まれ付きは殊の外希なこと。物の稽古をしなくても知る人で、堯舜孔子などの類。○「或學而云云」。生まれながら知った人を手本にして真似て知ること。○「或困而云云」。自分が暗んでいる。中々なことでは知ることはできない。色々と根気困しんで知ること。さてこの三段に上中下と並べて、中へ学知を置いたのではない。学知は生知の方へ寄って遠くないもの。「湯武身之也」から顔曾などの類が学知である。困知は歴々の大儒から今日の学者までを言う。○「及云云」。遅速はあるが、知りおおせたのは同じである。迂斎の謎の譬えがある。直に解く者もあり、暫くあって解く者もあり、一両日過ぎて解く者もあるが、解けた処は同じこと、と。○「安行」。骨を折らずに知った通りにすらすらと行く。丁度喉が渇くと水を飲む様なもの。○「利而行云云」。どうかあの様になりたいと願望すること。元々は利の字はよくない字。銭が欲しいと貪る。その様によくなりたいと利すること。迂の旦那は気なしに行く。安行。草履取は旦那を見失ってはならないとする様なもの。利行。○「勉強而」。色々とやって見てもうまく行かず、汗を流し骨を折って修行すること。殊の外段が違うが、仕おおせた処は同じである。成就すると初手の借金は返したことなる。道中で馬や駕籠で行く者もあり、徒で柳行李を負って骨を折って行く者もあるが、京に着いては同じこと。聖賢の学は天へ飛ぶ様なことはない。道理なりにして行くと、つまりは行き着く。
【語釈】
・湯武は是を身にす…孟子盡心章句上30。「孟子曰、堯舜性之也。湯武身之也。五霸假之也」。

○知之者之云云。ここの注、知行ともに達道をはなさすと云か朱子の主向なり。生知安行も外のことを知てない。達道を知行すること。ここらも異端へ對するがよい。異端はここの外のことなり。扨爰て分と等をわけてをか子は知仁勇のさばきが出來ぬ。さばきとは知仁勇のもちまいをさばくことなり。等とは位つけのこと。あたり前は分と云。○勇云云。別に勇に目鼻はない。知仁のゆきつかれた処をうんとはり、成就させるものある。夫を仕ををせるが勇なり。半分てやめるは勇てない。勇かあると垩人と同席するにも至る。是があたり前のこと。○以其等云云。四品侍従と云類。知も行もこめて知と云た。生知はきこへたか、なぜ安行を知にする。はて垩人は知たなりすっと行ふ。そこで行が知一つもの。丁ど火の中へ手は入れぬ、水の中へ飛こまぬ如し。分に行ふべきものない。夫故垩人は行も知なり。○学知利行云云。知行云云。知行がここでは知も仁になる。顔子なれば孔子を目當にし、どふぞあれにならふ々々々とする。向に目あてをして學ぶ知ゆへ、そこが仁なり。利行は本よりのこと。知は仁と云へぬことを、已に体する処から仁にあてる。○困知勉行云云。今夜ここを考へつけ子ば子まいと云るい。そこが勇なり。苦しめは知も行も勇になるもの。爰のさばきがないと中庸はさばかれぬ。されともいつても行か知、知が行と云ことではない。等を以て云へばこうなり。論語に囘也一を聞て十を知る樊遲あのやふに孔子に聞ても合点ゆかず、子夏などに聞てやふ々々すむ。そこか不同処なり。
【解説】
「強、上聲。○知之者之所知、行之者之所行、謂達道也。以其分而言、則所以知者知也。所以行者仁也。所以至於知之成功而一者勇也。以其等而言、則生知安行者知也。學知利行者仁也。困知勉行者勇也。蓋人性雖無不善、而氣稟有不同者」の説明。知行とは、達道を知行すること。安行を知と言うのは、聖人は知った通りにすっと行い、行が知となり一つものとなるからである。知を仁と言うのは、自分に体する処から仁に当てたもの。
【通釈】
○「知之者之云云」。ここの注は、知行共に達道を離さないというのが朱子の趣向である。生知安行も他のことを知ることではない。達道を知行すること。ここらも異端へ対するのがよい。異端はここの他のこと。さてここで「分」と「等」とを分けて置かなければ知仁勇の捌きが出来ない。捌きとは知仁勇の持ち前を捌くこと。等とは位付けのこと。当たり前なことは分と言う。○「勇云云」。別に勇に目鼻はない。知仁の行き疲れた処をうんと張り、成就させるものがある。それを仕おおせるのが勇である。半分で止めるのは勇ではない。勇があると聖人と同席することにも至る。これが当たり前のこと。○「以其等云云」。四品侍従という類。知も行も込めて知と言った。生知はわかったが、何故安行を知にするのか。はて聖人は知った通りにすっと行う。そこで行が知となり一つものとなる。丁度火の中に手を入れず、水の中に飛び込まない様なもの。分に行うべきものでない。そこで聖人は行も知である。○「學知利行云云」。知がここでは仁になる。顔子であれば孔子を目当てにし、どうかあれになろうとする。向こうに目当てをして学ぶ知なので、そこが仁である。利行は固よりのこと。知は仁と言えないのだが、自分に体する処から仁に当てる。○「困知勉行云云」。今夜ここを考え付けなければ寝まいと言う類。そこが勇である。苦しめば知も行も勇になるもの。ここの捌きがないと中庸は捌けない。しかしながら、何時でも行が知、知が行ということではない。等を以て言えばこうである。論語に「囘也聞一以知十」、樊遲があの様に孔子に聞いても合点がゆかず、子夏などに聞いて漸く済んだ。そこが「不同」の処である。
【語釈】
・囘也一を聞て十を知る…論語公冶長8。「子謂子貢曰、女與囘也孰愈。對曰、賜也何敢望囘。囘也聞一以知十。賜也聞一知二。子曰、弗如也。吾與女弗如也」。
・樊遲あのやふに孔子に聞ても合点ゆかず、子夏などに聞てやふ々々すむ…論語顏淵22。「樊遲問仁。子曰、愛人。問知。子曰、知人。樊遲未達。子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直。樊遲退、見子夏曰、郷也吾見於夫子而問知。子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直。何謂也。子夏曰、富哉言乎。舜有天下、選於衆、擧皐陶、不仁者遠矣。湯有天下、選於衆、擧伊尹、不仁者遠矣」。

○蚤莫々。道をきき耳へ入るの遲速あること。迂斎のそろばんのたとへあり。いくらはじいても覚へぬものあり、一寸かかって知る人もあり。○難易云云。人欲に次第かいきふある。ゆきよいと行にくいある。酒と云人欲、五臟へしむると禁酒なりにくい。又直に酒を止る人もある。爰は持前のことなり。惺窩先生なと痛飲して又のまれたことあり。又のむこともあり。如是酒なれは禁酒も易し。我々は酒飲ぬと寐か子る。如是酒なれは禁止は難し。○自强云云。直方の、大學誠意の章も自とある。其自でなければいかぬ。又歴々の一命すてるほとのよい家來もっても、をれを君子にしろと云ては仕方がない。自ゆへぞ。我こん情を直する、人頼みてはならぬなり。屋根もれば屋根ふき頼み、根太か出來る、医者たのむ。君子になるは自なり。○其至云云。しぬきた処は一也。○呂氏曰云云。道中するに旅立日は違へとも、向へ行ついては同こと。中庸のあたりここなり。○爲中庸云云。仏はひょいとした処て悟を開く。垩人の道はつとめて止ます、しっかり々々々々して行と往つく。空虚てないゆへそ。○幾及云云。どふして手前などがなるものかと云、又困知などと云ことはとこなしてせぬ。どふも相談は出來ぬ。直方云、よい方へはじきをし、次な方をはなんにと云。○不明云云。つとめぬゆへ明にない。垩賢の道はかせぎ次第かせぐに貧ぼふ追つかずと直方の云た。
【解説】
「故聞道有蚤莫、行道有難易。然能自強不息、則其至一也。呂氏曰、所入之塗雖異、而所至之域則同。此所以爲中庸。若乃企生知安行之資、爲不可幾及、輕困知勉行、謂不能有成、此道之所以不明不行也」の説明。道を行うのは自らするもので、人頼みではない。自分は出来ないとか、困知勉行を軽んじる様では悪い。
【通釈】
○「蚤莫」。道を聞いて耳へ入るには遅速がある。迂斎に算盤の譬えがある。いくら弾いても覚えない者もあり、一寸掛かって知る人もある、と。○「難易云云」。人欲に次第階級がある。行きよいのと行き難いものがある。酒という人欲は、五臓へ浸みると禁酒がし難い。また直に酒を止める人もある。ここは持ち前のこと。惺窩先生などは痛飲して、また飲まれたこともあり、また飲まないこともあった。この様な酒であれば禁酒もし易い。我々は酒を飲まないと寝付けない。この様な酒であれば禁酒はし難い。○「自強云云」。直方が、大学誠意の章にも自とある。その自でなければいけないと言った。また、歴々が一命を捨てるほどのよい家来を持っても、俺を君子にしろと言うのでは仕方がない。自だからである。自分の根性を直くすることで、人頼みではならない。屋根が漏れば屋根葺きを頼み、根太が出来ると医者を頼む。しかし、君子になるのは自らすること。○「其至云云」。し抜いた処は一である。○「呂氏曰云云」。道中をするのに旅立日は違うが、向こうへ行き着けば同じこと。中庸の当たりはここ。○「爲中庸云云」。仏はひょいとした処で悟りを開く。聖人の道は努めて止まず、しっかりしっかりとして行くと往き着く。それは空虚でないからである。○「幾及云云」。どうして自分などが出来るものかと言い、また困知などということはと見下してしない。それではどうも相談は出来ない。直方云う、よい方へは辞儀をし、次の方には何と言う、と。○「不明云云」。努めないので明でない。聖賢の道は稼ぎ次第稼ぐに貧乏追い付かずと直方が言った。
【語釈】
・大學誠意の章も自とある…大學傳6。「所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色、此之謂自謙。故君子必愼其獨也」。
・こなして…見下す。軽蔑する。

○好學近知云云。上の段まで三達德から色々ある筋の処を孔子の示された。そふきいてもどこからよりつくべき処知ぬ。そこで孔子の少しまけて説た。引下けて説がいこふ親切と直方の云た。丁ど医者の病人へ藥がのみにくいかと加减する如し。だたい藥は呑にくくても呑べき筈。そこが医者の病人への親切。孔子のどふなり思召、上より爰は少しまけた。是を三近の段と云。三宅先生の、然れどもそうまたぐっと引下げたと見てはちごふと云へり。前と違たではないが、とり付よいやふに説れた。好學とは兎角、哀公へ。學問、御前。をなされ、今たん的知と云てもないが、もふ知ゆへ近つくと云こと。三宅子曰、三近非謂是下等人也。學知以下の資皆従這裏過。○力行云云。人間はこれではすまぬ。こふはなるまい、と。○知耻云云。人と生れ此つらではと耻を知ればはや勇へ近ぞ。耻は人の心のよくなる本そ。直方の、子ともも顔を赤くする者はしこまれるとなり。○三近、これがならぬといわせぬこと。それもなら子ばはだんなり。相談はなし。ふだん子ておるかよい。
【解説】
「子曰、好學近乎知。力行近乎仁。知恥近乎勇」の説明。ここは取り付きよい様に、少し引き下げて説いたもの。これを三近の段と言う。
【通釈】
○「好學近知云云」。上の段までに三達徳から色々とある筋の処を孔子が示された。そう聞いても何処から寄り付くべきかを知らない。そこで孔子が少し負けて説いた。引き下げて説くのが大層親切なことだと直方が言った。丁度医者が病人に薬が飲み難いかと加減する様なもの。そもそも薬は呑み難くても呑むべき筈。そこが医者の病人への親切。孔子がどうかと思し召して、ここは上より少し負けた。これを三近の段と言う。三宅先生が、しかしながら、その様にまたぐっと引き下げたと見るのは違うと言った。前と違ったことではないが、取り付きよい様に説かれた。好学とは兎角、哀公へ。学問、御前。をなされ、今端的知と言うことでもないが、もう知なので近付くということ。三宅子曰く、三近は是れ下等の人を謂うに非ざるなり。學知以下の資は皆這の裏より過ぐ、と。○「力行云云」。人間はこれでは済まない。こうはなるまい、と。○「知恥云云」。人と生まれてこの面ではと恥を知れば早くも勇へ近付く。恥は人の心のよくなる本。直方が、子供も顔を赤くする者は仕込むことができると言った。○三近、これを出来ないとは言わせないこと。それも出来ないのであれば破談である。相談はなし。何時も寝ていればよい。

○未及乎云云。門へ出たを呼かへし、是待ちやれと云た如し。直方の弁なり。やはり知仁勇も同ことに、三近はとり付よいためそ。丁ど顔子の克己復礼を非礼見ること勿れ云云から工夫にかかられたと同し。○次也。勇のつぎへ此三近をたすべし。本文の三近、勇の下坐へ出すこと。ここは語類の説を便講へ直方のとられた。夫をあてにすること。しかしいろ々々に意がとられる。蒙引大全の説もよし。次、序なればついでとよみたけれとも、加点次きとしてあり。三近は勇の塲と云はず、勇の次へとあてがよし。諸説通看すべし。○呂氏曰云云。縄にもすがいにもかからぬ者のことではない。此愚者は利口もののこと。我をよいと思ふ内はよい人になる気つかいない。○病を守り医を忌、これより馬鹿なことはない。○自私云云。凡夫の惣名。道理にかまわず唯我身勝手よい。人欲にまぶれはまって居ること。○忘反云云。本生にかへること、忘れきった。○懦者。役に立ずの腰ぬけ。全体樂を好み、人の下にはたって、どふ云れてもとんとかまわずいる。○破愚云云。三近の的せつはここ也。學問すると愚を破りすて、ああをれらはと手前のあしいあしいを知る。○忘私。かふする筈はないと一つづつも道理の方へ趣く。○起懦云云。人間と生れてこれではすむまいと、人の機嫌もはやとらぬ気になる。勇ではないが、勇へちかづいたなり。
【解説】
「子曰二字衍文。好・近乎知之知、竝去聲。○此言未及乎達德、而求以入德之事。通上文三知爲知、三行爲仁、則此三近者、勇之次也。呂氏曰、愚者自是而不求、自私者徇人欲而忘反、懦者甘爲人下而不辭。故好學非知、然足以破愚。力行非仁、然足以忘私。知恥非勇、然足以起懦」の説明。本文の三近を勇の下坐へ出す。学問をすると愚を破り捨て、自分の悪いところを知り、道理の方へ赴く。
【通釈】
○「未及乎云云」。門へ出たのを呼び返し、これ待ちなさいと言う様なもの。直方の弁。やはり知仁勇も同じことで、三近は取り付きよいために言う。丁度顔子が克己復礼を非礼見ること勿れ云云から工夫に掛かられたのと同じ。○「次也」。勇の次へこの三近を足しなさい。本文の三近を勇の下坐へ出すこと。ここは語類の説を便講へ直方が採られた。それを当てにすること。しかし色々に意は取れる。蒙引大全の説もよい。次は序でであればついでと読みたいところだが、加点につぎとしてある。三近は勇の場と言わずに、勇の次へと当てるのがよい。諸説を通看しなさい。○「呂氏曰云云」。縄にもすが糸にも掛からない者のことではない。この愚者は利口者のこと。自分をよいと思う内はよい人になる気遣いはない。○病を守り医を忌む。これより馬鹿なことはない。○「自私云云」。凡夫の惣名。道理に構わずただ我が身の勝手よいことをする。人欲にまぶれ嵌っていること。○「忘反云云」。本性に返ることを忘れ切っている。○「懦者」。役立たずの腰抜け。全体楽を好み、人の下に立って、どう言われても全く構わないでいる。○「破愚云云」。三近の適切なのはここ。学問をすると愚を破り捨て、ああ俺達はと自分の悪いところを知る。○「忘私」。この様にする筈はないと、一つずつ道理の方へ赴く。○「起懦云云」。人間と生まれてこれでは済むまいと、人の機嫌も早くも取らない気になる。勇ではないが、勇へ近付いたのである。
【語釈】
・顔子の克己復礼…論語顏淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由人乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」

○知斯三者云云。此三近を知ると端的身の脩めやふがしれる。三近と少しさげたれども、爰をあだに思ふな。是れで三德の手掛りをつかまへた。○脩身治人は大學明德新民なり。身を治ると人をよくること迠知る。そこで政になりた。實のあることは国天下迠及ぶ。天下国家は幅の廣ひことなれど、身を脩るより天下迠脩ることを知る。○則尽云云は、はばの廣ふなったこと。三近から如此はばひろくなることなり。○九経云云。九經は大だったこと。垩賢の政は九經の前にいこふすることある。丁ど旅立の前灸をすへ、身を丈夫にして旅立。そこで道中さしつかえない。伯者は灸をすへず身が不丈夫で旅をする。孔子の天下国家を治るに九經より仰せられそふなものに、是ほど細に仰らるるが旅立の灸なり。
【解説】
「知斯三者、則知所以脩身。知所以脩身、則知所以治人。知所以治人、則知所以治天下・國家矣。斯三者、指三近而言。人者、對己之稱。天下國家、則盡乎人矣。言此以結上文脩身之意、起下文九經之端也」の説明。三近を知ると身の脩め様がわかる。これで三徳の手掛かりを捉まえるのである。脩身と治人は大学の明徳新民である。ここは旅立ち前の灸である。
【読み】
○「知斯三者云云」。この三近を知ると端的身の脩め様がわかる。三近と少し下げたが、ここを徒に思うな。これで三徳の手掛かりを捉まえるのである。○「脩身」「治人」は大学の明徳新民である。身を治めると人をよくることまで知る。そこで政になった。実のあることは国天下までに及ぶ。天下国家は幅の広いことだが、身を脩めることから天下まで脩めることを知る。○「則盡云云」は、幅の広くなったこと。三近からこの様に幅広くなること。○「九經云云」。九経は大きなこと。聖賢の政は九経の前に大層することがある。丁度旅立の前に灸をすえ、身を丈夫にして旅立つ。そこで道中差し支えがない。伯者は灸をすえず身が不丈夫で旅をする。孔子が天下国家を治めるのに九経より仰せられそうなものを、これほど細かに仰せられるのが旅立ちの灸である。


己酉一六中庸筆記十二
二十章  三月廿一日 先生朱批 廣居
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・廣居…櫻木廣居。助右衛門と称す。櫻木誾齋の子。文化13年(1816)9月21日没。年62。

凡為天下国家云云。政を問たに此の処を直に對へそなものに、是迠の段々の下地を説たが聖人の教なり。今の儒者経済なるものと心得てをる。それはすりこきて飯をものやふなもの。夫れとじきに此九經を咄さぬ。そこが王道の政ゆへぞ。徂徠が政談、太宰が經済録で天下国家安泰と思ふは根のないことなり。○有九經云云。九色動かされぬ事ある。そこが經の字。迂斉の、一旦はとん知でも治ふか永く續かぬ。頓知は經の字にあたらぬ。萬古替らぬが經なり。政は一国成敗は益に立ぬ。これはと云て天下の法にはならぬ。爰は、九つと定めて。名医の藥法の如く今一味加るの减すのと云ことは出来ぬ。とんとこれより外云やふないことそ。○脩身云云。くどうござると云程のこと。またしてもしてもこのことを。垩人の政はいつも念がいる。此脩身と云をはなさぬことぞ。伯者はこの脩身と云がない。譬へは旅をするに、路銀を持ても病身で元気がないやふなもの。聖人の政は路銀も澤山、身も丈夫。それゆへうき々々と旅をする如し。
【解説】
「凡爲天下國家有九經。曰、脩身也」の説明。徂徠の政談、太宰の経済録で天下国家安泰と思うのは根のないこと。九経という確かなものがある。万古変わらないのが経である。ここでも最初は脩身である。
【通釈】
「凡爲天下國家云云」。政を問うたのでこの処を直に答えそうなものだが、これまでの段々の下地を説いたのが聖人の教である。今の儒者は経済はできるものと心得ている。それは擂粉木で飯を盛る様なもの。それと直にこの九経を話さない。そこは王道の政だからである。徂徠の政談、太宰の経済録で天下国家安泰と思うのは根のないこと。○「有九經云云」。九色の動かせない事がある。そこが経の字。迂斎が、一旦は頓知でも治めることができるが、永くは続かないと言った。頓知は経の字に当たらない。万古変わらないのが経である。政は一国成敗は益に立たない。これはと言って、天下の法にはならない。ここは、九つと定めて。名医の薬法の様に今一味加えるとか減らすということは出来ない。全くこれより他に言い様はない。○「脩身云云」。くどいというほどのこと。またしてもまたしてもこのことを言う。聖人の政は何時も念が入る。この脩身ということを離さないこと。伯者はこの脩身がない。譬えば旅をするのに、路銀を持っていても病身で元気がない様なもの。聖人の政は路銀も沢山で身も丈夫。そこでうきうきと旅をする様なもの。

○尊賢云云。ここか大本となる。何もかもじこ流では益に立ぬ。身の脩めやふも政の仕様も賢者に聞くことそ。尊ぶとて頭を下げる斗りではない。道理を聞くことなり。尊にしたかい此方かよくなる。そこで本の政がなる。張良か四人の年寄をよんだは尊でない。あれは謀て人見せなり。○親々云云。親族を親むは人君に別段には入りそもないほとのこと。そふてない。人君のをもなこと。れき々は親族肉身の者を家來に持ている。それゆへ親親か各段のこと。爰は小學とは違ひ、塩梅か違なり。○敬大臣云云。摂政より老中、大名の国なれば家老の類。敬ふ迚上下着て逢ふの、片手ついて逢のと云は第二段のこと。あの者か言ふこと故、背れぬと云るいか敬ふなり。医者を敬ふも、様と云字に念を入るより医者の云ことを守るが本んの敬ふぞ。○羣臣云云。大臣をのけ、残すの家來のこと。○體云云。體察とつつき、大勢の家來の身にかはり、をもいやりをすること。我は駕に乘る。供の者は尻をからけてあるく。さそ寒からんと、その者の身になりて恕ること。
【解説】
「尊賢也、親親也、敬大臣也、體羣臣也」の説明。「尊賢」は、賢者を尊んで道理を聞くこと。「敬大臣」は、大臣の言うことを敬うこと。「體羣臣」は、家来の身になって恕ること。
【通釈】
○「尊賢云云」。ここが大本となる。何もかも自己流では益に立たない。身の修め様も政の仕様も賢者に聞くのである。尊ぶといっても頭を下げるばかりではない。道理を聞くこと。尊に順うことで自分がよくなる。そこで本の政が出来る。張良が四人の年寄を呼んだのは尊でない。あれは謀で人見せである。○「親親云云」。親族を親しむのは人君には別段に要りそうもないほどのことと思うがそうではない。人君の主なこと。歴々は親族肉身の者を家来に持っている。そこで親親が格段のこと。ここは小学とは違う。塩梅が違う。○「敬大臣云云」。摂政より老中、大名の国であれば家老の類。敬うと言っても、裃を着て逢ったり、片手をついて逢うというのは第二段のこと。あの者が言うことなので背けないと言う類が敬である。医者を敬うのも、様という字に念を入れるよりも医者の言うことを守る方が本当の敬うということ。○「羣臣云云」。大臣を除いて、残る家来のこと。○「體云云」。體察と続き、大勢の家来の身に替わって思い遣りをすること。自分は駕籠に乗る。供の者は尻をからげて歩く。さぞ寒いことだろうと、その者の身になって恕ること。

○子庻民云云。農工商なり。君の方柄はいこふ遠い下々迠深くあわれむこと。兎角歴々はわるくすると百姓などを虫のやふに思ふもの。それを我か子の如く、民の好む処は好み悪くむ処はにくむ。さて子と云字を出すからはこの上はない。それより外仕方はないそ。恭節録曰、子庻民、仁政と云にこの上はない。○來百工云云。諸職人なり。是がないと天下の用が足りぬ。其のあしらいをよくする故、上の明なに服し、あの国へは往たいと向から來る。百工にことのかけぬやふにすること。○柔遠人。他国者はうい々々鋪く馴染なく心細ひもの。夫をやはらけて一入安堵するやふに。妻子が涙をこぼす。もと遠国へゆくと云はうい々々しくなじみないゆへ。そじゃほどにいたはりふびんかけてやる。○懐諸侯云云。天下の諸大名此方へ靡は、伯術て向をうれしからせる手段の様に思召。そうてない。此懐は手段ても威政てするでもない。威勢でするは丁ど猫の鼠をとりそこないた如くと直方の云た。再ひ鼠はこぬ。威を以て押付るてない。論語に少者は懐之と云るい。全体心の親切てすることぞ。子ともを懐るは後に使ふ為めと云ことてない。是迠は脩身をかぶっている。大學で云へば誠意正心の成就してのこと。そふないと術てするになる。懐は此方に德がなくては出來ぬ。
【解説】
「子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也」の説明。農工商は自分の子の様に思い、職人は向こうから来たいと思う様にする。他国者は労り不憫がる。心の親切で諸侯を懐ける。ここまでは脩身を被ったこと。
【通釈】
○「子庶民云云」。農工商のこと。君の方から大層遠い下々までを深く哀れむこと。兎角歴々は悪くすると百姓などを虫の様に思うもの。それを自分の子の様に、民の好む処は好み悪む処は悪む。さて子という字を出すからはこの上はない。それより他に仕方はない。恭節の録に曰く、子庶民、仁政というにこの上はない、と。○「來百工云云」。諸職人のこと。これがないと天下の用が足りない。そのあしらいをよくするので、上の明に服し、あの国へ往きたいと向こうから来る。百工に事の欠けない様にすること。○「柔遠人」。他国者は初々しく馴染みなくて心細いもの。それを柔らげて一入安堵する様にする。妻子が涙をこぼすのも、もと遠国へ行くというのは初々しく馴染みがないからであり、それだから労り不憫を掛けて遣る。○「懷諸侯云云」。天下の諸大名が自分に靡くことは、伯術で向こうを嬉しがらせる手段の様に思し召すが、そうではない。この懐は手段でも威勢ですることでもない。威勢でするのは、丁度猫が鼠を捕り損なった様なものだと直方が言った。再び鼠は来ない。威を以て押し付けるのではない。論語に「少者懷之」と言う類である。全体心の親切ですること。子供を懐けるのは後に使うためということではない。これまでは脩身を被っている。大学で言えば誠意正心が成就してのこと。そうでないと術ですることになる。懐は自分に徳がなくては出来ない。
【語釈】
・少者は懐之…論語公冶長25。「子曰、老者安之、朋友信之、少者懷之」。

注。常也云云。いつもかわらぬこと。直方の、蕎麥切も毎日は食はれぬ。常でないゆへぞ。○設以身。こちらは百万石とる人。彼の百姓とる家来の塲になりかはり察すること。日本流て御歴々と云ものは金をさへ知らぬ、違ふたものじゃとする。それはあるまいこと。直方の、歌人は居なから名所を知る。大名の下々の難義を知らぬ筈はないことなり。この寒いにあのつめたい弁當をと察る。そこが体するなり。○無忘賔旅は柔の字注でない。孟子の内にある。他国より使者などに來たを賔と云。旅はたびなり。爰は孟子にある斉の桓公葵丘の會に申したこと。いこふよいこと。旅先て何か不自由てあらん、とうはかうと日々のことを世話してわすれぬと云こと。○列云云。此九色のことをはづさぬやふにすること。これてなけれは本の政はいきませぬ。
【解説】
「經、常也。體、謂設以身處其地而察其心也。子、如父母之愛其子也。柔遠人、所謂無忘賓旅者也。此列九經之目也」の説明。経は何時も変わらないこと。歌人は居ながらにして名所を知るのだから、大名が下々の難儀を知らない筈はない。「無忘賓旅」は孟子の語。
【通釈】
注。「常也云云」。何時も変わらないこと。直方が、蕎麦切りも毎日は食えないと言った。それは常でないからである。○「設以身」。こちらは百万石を取る人だが、彼の百姓を取る家来の場に成り代わって察すること。日本流で御歴々という者は金さえ知らないと、違ったものだとする。それはあり得ないこと。直方が、歌人は居ながらにして名所を知る。大名が下々の難儀を知らない筈はないと言った。この寒いのにあの冷たい弁当をと察する。そこが体するということ。○「無忘賓旅」は「柔」の字注ではない。孟子の内にある。他国から使者などで来た者を賓と言う。旅はたびである。ここは孟子にある斉の桓公の葵丘の会に申したことで、大層よいこと。旅先で何か不自由でもないかと日々のことを世話して忘れないということ。○「列云云」。この九色のことを外さない様にすること。これでなければ本当の政はできない。
【語釈】
・孟子の内にある…孟子告子章句下7。「五霸、桓公爲盛。葵丘之會、諸侯束牲、載書而不歃血。初命曰、誅不孝、無易樹子。無以妾爲妻。再命曰、尊賢育才、以彰有德。三命曰、敬老慈幼、無忘賓旅。四命曰、士無世官。官事無攝。取士必得。無專殺大夫。五命曰、無曲防。無遏糴。無有封而不告」。

○呂氏曰云云。呂與叔は九経の次第を云た。垩人の如此仰せられたに次第ある。○天下国家云云。これは孟子の字をつめて書た。子思の弟子孟子の云たを出し、一入よい。○然必云云。身を脩るか本ても、その稽古なけれは只十面つくって居もならぬ。そこて師友かなくてならぬ。御歴々には師友はないことのやふなれとも、天子にももと三公と云は外に役はなく、御前にはんべり何かと道の御相談することかすくに師友なり。○進。うへえ々々々とすすむこと。進かないとうこかぬて益にたたぬ。恭節録云、よっほとよいやふに見へても師友にかからぬ道はすすまぬ。○道之所進云云。手前の德を積、段々よくなること。夫れは何か先と云に家より先はない。學問はよいか家内かそけ々々て治らぬと云へば學問すっへり役に立ぬのなり。○大臣をかろんずると朝廷乱る。○王道の政は人の見ぬ処よりきめてでる。本の奇麗好は納戸の角から掃除する。表門斗り掃てはならぬ。天下の政外に有てない。身からすること。どこ迠も脩身と云から始て、かうだん々々ゆくか九経之序。○羣臣。上の朱子の意へともよいあたりゆへたした。其故嘉点に二包点ある。爰の意は親子て体かわかちているゆへちかふことある。譬へは火かくる。思はず知らずひょいと子の方へなげる。跡では子をあがけども、思ずやるは体の別なるゆへぞ。同じ下の者なれども、家中の者は我体の如く思い、遠い領分の百姓庻民は子の如く思ふと、身と子と別に別けたことなり。
【解説】
「呂氏曰、天下・國家之本在身。故脩身爲九經之本。然必親師取友、然後脩身之道進。故尊賢次之。道之所進、莫先其家。故親親次之。由家以及朝廷。故敬大臣、體羣臣次之。由朝廷以及其國。故子庶民、來百工次之。由其國以及天下。故柔遠人、懷諸侯次之。此九經之序也。視羣臣猶吾四體、視百姓猶吾子。此視臣視民之別也」の説明。身を脩めるのが本ではあるが、その稽古がなければ益に立たない。自分の徳を積んで段々とよくなる。それは家内から始める。同じ下の者ではあるが、家中の者は自分の体の様に思い、遠い領分の百姓庶民は子の様に思う。
【通釈】
○「呂氏曰云云」。呂與叔が九経の次第を言った。聖人がこの様に仰せられたのには次第がある。○「天下國家云云」。これは孟子の字を詰めて書いたもの。子思の弟子である孟子の言ったことを出したので一入よい。○「然必云云」。身を脩めるのが本でも、その稽古がなければただ渋面を作っていてもならない。そこで師友がなくてはならない。御歴々には師友はない様だが、天子にももと三公があるというのは他に役はなく、御前に侍って何かと道の御相談をすることが直ぐに師友なのである。○「進」。上へ上へと進むこと。進がないと動かないので益に立たない。恭節の録に云う、余程よい様に見えても師友に掛からない道は進まない、と。○「道之所進云云」。自分の徳を積んで段々とよくなること。それは何が先かと言えば家より先はない。学問はよいが家内がそげそげして治まらないというのは、学問がすっぺりと役に立たないのである。○大臣を軽んじると朝廷が乱れる。○王道の政は人の見ない処から決めて出る。本当の綺麗好きは納戸の角から掃除をする。表門ばかりを掃いていてはならない。天下の政は他にない。身からすること。何処までも脩身から始めて、この様に段々と行くのが「九經之序」である。○「羣臣」。上の朱子の意へもよい当たりなので足した。そこで嘉点に二包点がある。ここの意は親子で体が分かちているので違うことがあるということ。譬えば火か来る。思わず知らずひょいと子の方へ投げる。後では子を足掻くが、思わずそうするのは体が別だからである。同じ下の者ではあるが、家中の者は自分の体の様に思い、遠い領分の百姓庶民は子の様に思うと、身と子とを別に別けたこと。
【語釈】
・孟子の字をつめて書た…孟子離婁章句上5。「孟子曰、人有恆言、皆曰、天下國家。天下之本在國、國之本在家、家之本在身」。

○脩身則云云。人君の身は火事のまといの如し。一国の者君を見ている。上を學ふ下。上次第になるもの。悪き事を盖をするやふては下は治らぬ。○道立云云。まといのたつことく、あの通りじゃと天下の人の手本になること。我々式ても家内家来皆主人を手本にするものなり。此方があしけれは道は行はれぬ。性善とちこふ。廣居窃に謂、性善はうこかぬもの。道は其人因善悪行不行あり。この方かあしけれは五倫の間から何もかも泥まぶれになる。これほど大切なことはない。○不惑云云。道理が明かなるゆへ、物に疑ふことなくなる。爰らは大切のこと。歴々は學問はいらぬと云はめったなこと。をもい身ゆへ別て尊賢、道理を明にすることぞ。それゆへ朱子の行宮便殿奏劄に学問の事を申上けたもの爰のこと。上かくらくては下はらりそ。恭節録云、不惑道理なりにはっきり。同姓て名藥ても習やふに思ものは尊賢の処へはいかぬ。○諸父云云。父の字のつくは親のなみ。同姓の伯叔父、又は親のいとこは從伯叔父なり。手前より上たる親族のこと。○昆弟云云。いとこよりまたいとこすべて云。上つかた親類が主從となる。側へ出ることもならぬもの。御内証のをでけんだかでなく、したしくすべきことなり。ただの大名あしらいでない。恭節録云、君臣となってはいとこあしらいもならぬ。そこで親でないと肉を分けたせんもないと思ふ。
【解説】
「脩身則道立。尊賢則不惑。親親則諸父・昆弟不怨」の説明。上を下が学ぶ。人君の身は火事の纏の様なもので、人の手本とならなければならない。人君は重い身なので、別して尊賢により道理を明にしなければならない。君臣となっては従兄弟あしらいもならないから、親でなければならない。
【通釈】
○「脩身則云云」。人君の身は火事の纏の如し。一国の者が君を見ている。上を下が学ぶ。上次第になるもの。悪い事に蓋をする様では下は治まらない。○「道立云云」。纏の立つ様に、あの通りだと天下の人の手本になること。我々如きでも、家内や家来は皆主人を手本にするもの。自分が悪しければ道は行われない。ここは性善と違う。廣居竊かに謂う、性善は動かないもの。道はその人の善悪に因りて行不行あり、と。自分が悪しければ五倫の間から何も彼も泥まぶれになる。これほど大切なことはない。○「不惑云云」。道理が明らかなので、物に疑いがなくなる。ここらは大切なこと。歴々は学問は要らないと言うのは滅多なこと。重い身なので別して尊賢で、道理を明にしなければならない。それで朱子が行宮便殿奏劄に学問の事を申し上げたのもここのこと。上が暗くては下は乱離となる。恭節の録に云う、不惑は道理の通りにはっきりとすること。同姓に名薬でも習おうと思う者は尊賢の処へは行かない、と。○「諸父云云」。父の字が付くのは親の類。同姓の伯叔父、また親の従兄弟は従伯叔父である。自分より上の親族のこと。○「昆弟云云」。従兄弟より又従兄弟全てを言う。上の方の親類が主従となる。側へ出ることもならないもの。そこを御内証の御出居権高でなく、親しくすべきこと。ただの大名あしらいではない。恭節の録に云う、君臣となっては従兄弟あしらいもならない。そこで親でないと肉を分けた詮もないと思う、と。

○敬云云。大臣の云ことをよく聞入るること。○不眩云云。さしつかへないこと。何ことも大臣の申上ることて無れは御用ひないと云こと。内証で御気に入がなにかと云といかさま云。それは眩と云ものだ。迂斉の、医者もよくはっきと敬いそれにまかすべきことを、とぎの医が口をつける。それを用ひぬことなり。○報礼云云。奉公の仕方格段いたすこと。一通あるべかかりてない。あの殿様へは大ていや大かたては御恩は報せられぬ。報は君へむくうこと。忠臣は斯ふ云ことはない。たとい君わるくても同ことな筈なれとも、たたい君の方ては忠臣不忠にかまわず、てまいをよくすること。そこて臣の方が各別に上へ仕へる。孟子之君之視臣如手足則臣視君如腹心云云。君しだいぞ。本の忠臣はと云ことに及はぬ。○百姓勸云云。百姓は君へ御目見へするものてもなけれとも、上て下をあわれむと云は能く知れるもの。勸は鍬一つうつにもはり合勇みあると直方云た。こふないと、いくらさわいてもやがて皆とり上けらるる。ふたんふせふぶせふになる。○財用足云云。百姓は五穀を以品々の物と取替へ、諸職人も色々の物と五穀をかへ、用が足りて两方がよい。それゆへ先王の世にはしもた屋と云はない。○歸之云云。たびをするならあの国へゆくがよい。親類の如くじゃと云こと。文王の天下を取られたもここぞ。四方のものなびきなづいたこと。○畏之云云。全体君の德あること。大閤や福嶌左ェ門を畏るは虎狼とをそるなり。爰は大學の志ををそれしむの畏て、上に少しも云分んない。天下中でいやはやと云てをそるること。武威と云字なともここらでよく知れる。すっはぬきは却て畏はない。ぬかぬと云処かをそろしい。今人々の尤なこと、言に云へぬ事を畏れ入たと云。あのやふなことををどすことでない。
【解説】
「敬大臣則不眩。體羣臣則士之報禮重。子庶民則百姓勸。來百工則財用足。柔遠人則四方歸之。懷諸侯則天下畏之」の説明。大臣の言うことをよく聞き入れる。君の方が忠臣不忠には構わずに自分をよくすると、臣の方が格別に上へ仕える。百姓を哀れむと、百姓に張り合いが付く。君に徳があれば天下が畏れる。それは武威で畏れるのとは違う。
【通釈】
○「敬云云」。大臣の言うことをよく聞き入れること。○「不眩云云」。差し支えないこと。何事も大臣の申し上げることで無ければ御用いないということ。内証で御気に入りが何かと言うといかにもと言う。それは眩というもの。迂斎が、医者もよくはっきりと敬ってそれに任すべきなのに、伽の医が口を入れる。それを用いないことだと言った。○「報禮云云」。奉公の仕方は格段を致すこと。一通りのあるべかかりではない。あの殿様へは大抵や大方では御恩は報ぜられない。「報」は君へ報うこと。忠臣はこうするということではない。例え君が悪くても同じ筈だが、そもそも君の方では忠臣不忠には構わず、自分をよくすること。そこで臣の方が格別に上へ仕える。孟子の、「君之視臣如手足、則臣視君如腹心云云」で、君次第である。本当の忠臣はと言うには及ばない。○「百姓勸云云」。百姓は君へ御目見得する者でもないが、上で下を哀れむと、それが能く知れるもの。勧は鍬一つ打つにも張り合い勇みがあると直方が言った。こうでないと、いくら騒いでもやがて皆取り上げられる。何時も不承不承になる。○「財用足云云」。百姓は五穀を以て品々の物と取り替え、諸職人も色々な物と五穀を換え、用が足りて両方がよい。それで、先王の世には仕舞屋というものはない。○「歸之云云」。旅をするのならあの国へ行くのがよい。親類の様にしてくれるということ。文王が天下を取られたのもここ。四方の者が靡き懐いたこと。○「畏之云云」。全体君の徳あること。大閤や福島左衛門を畏れるのは虎狼を畏れるのと同じ。ここは大学の「大畏民志」の畏で、上に少しも言い分はない。天下中でいやはやと言って畏れること。武威という字などもここらでよく知れる。素っ破抜きは却って畏はない。抜かぬという処が畏ろしい。今人々が尤もなことや言うに言えない事を畏れ入ったと言う。あの様なことで、威すことではない。
【語釈】
・君之視臣如手足則臣視君如腹心云云…孟子離婁章句下3。「孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎」。
・しもた屋…仕舞屋。商店でない、普通の家。
・福嶌左ェ門…福島正則。安土桃山時代の武将。
・大學の志ををそれしむの畏…大學傳4。「子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎。無情者不得盡其辭。大畏民志。此謂知本」。

○效云云。ただ效々と云はいやみなことのやふなれとも、そふない。九經の通りにするとこのしるしある。名医の藥も病愈ぬては用はない。凡そ垩賢の書に效の字あるは理の必然を云そ。あまみをふくめることではない。○成於己。向へ手を出すことてない。この方をよくする。己に道の成就したこと。恭節録曰、今日きいて明日じきになることでない。道成於己、手間の入ることじゃ。○民表。率とつつき、民の手本となること。向に下塲札あるを見て馬よりをりる。君の身もちよいゆへ其れを見て下かよくなる。○皇云云。洪範所謂なり。○有極云云。有字つけ字。極は至極の極なり。建は本文の立と同。箕子武王に告られた色々かここにきまることなり。○不疑と云は五倫より始め、なんても道理に疑ひないこと。尊賢、ここの道理を疑はぬためぞ。今ても世の中にひょんな仕くせのあるは不疑於理てない人の仕くせそ。梁の武帝のしたやふなことぞ。恭節録曰、不惑は知惠の全体。尊賢と云て念仏組のならんて居るやふによい人を並へてをいたとて、なんのやくにはたたぬ。○不眩云云。とうかうとまよはぬこと。事を大臣へわたしをくゆへ、彼よりきけとまかせること。病人の物好みするを医者にきく如し。かうまかせ子はならぬ。
【解説】
「此言九經之效也。道立、謂道成於己而可爲民表。所謂皇建其有極是也。不惑、謂不疑於理。不眩、謂不迷於事」の説明。效は理の必然である。己に道が成就し、民の手本となる。道理に疑いなく、病人が医者に任せる様に、賢を尊んで彼に任せる。
【通釈】
○「效云云」。ただ效々と言うのは嫌味なことの様だが、そうではない。九経の通りにするとこの效がある。名医の薬も病が愈えないのでは用はない。凡そ聖賢の書に效の字があるのは理の必然を言う。甘味を含めることではない。○「成於己」。向こうへ手を出すことではない。自分をよくする。己に道の成就したこと。恭節の録に曰く、今日聞いて明日直に成ることではない。「道成於己」は手間の掛かることだ、と。○「民表」。率と続き、民の手本となること。向こうに下馬札があるのを見て馬から降りる。君の身持ちがよいので、それを見て下がよくなる。○「皇云云」。洪範に所謂である。○「有極云云」。有の字は付け字。極は至極の極。建は本文の立と同じ。箕子が武王に告げられた色々なことがここに決まること。○「不疑」は五倫より始め、何でも道理に疑いのないこと。尊賢で、ここの道理を疑わないためである。今でも世の中にひょんな仕癖があるのは「不疑於理」でない人の仕癖である。それは梁の武帝のした様なこと。恭節の録に曰く、不惑は知恵の全体。尊賢と言っても、念仏組が並んでいる様によい人を並べて置いたとしても、何の役にも立たない、と。○「不眩云云」。どうのこうのと迷わないこと。事を大臣へ渡し置くので、彼より聞けと任せること。病人が物好みするのを医者に聞く様なもの。この様に任せなければならない。
【語釈】
・洪範…書經周書洪範。「五皇極。皇建其有極、斂時五福、用敷錫厥庶民。惟時厥庶民、于汝極、錫汝保極」。

○信任云云。人の難問に、そのやふにまかせてひょっとわるい大臣ならはと云に、後世のあしい宰相はかえてよし。宰相へ專一にまかせること。或問に委くある。可見。医者もわるくはとりかへ、よくは專て任せることなり。腰物求るになまくらはかはぬ。况や垩賢の大臣とさすにわるいはないはづ。大臣はよいにきわめてをくことなり。そこで任ずる。こればかりでない。今日大名衆の家に門限あるは若者の悪処へてもゆかうかと用心ぞ。家老などは何ときも出入する。家老にわるい家老はないはづじゃから用心はいらぬ。○小臣云云。納戸や近習の者、君の御側に居るもの、上の思召てこざると云ゆへ、大臣も御意なら仕方ないと云てする。そのないやふにすること。たばこ盆持て來て云ことは、人君の取上けぬことそ。出とう人宰相へくち入ることならぬことぞ。爰らは唐も日本も同しこと。かうないと大に乱るなり。大学衍義なとをよくみるへし。いかう大切のことなり。○通功云云。手間賃と五穀をとりかへる。○末云云。百工のこと。農は本にたつ。相資。たがいに取かへるで用が足り、两方がよい。後世のろりとする遊民夛く、其上金と云ものあってそれへ目を付るゆへ、財用足るかむつかし。さて財用と云ものは政の大事。釈迦のはちを持て一日もろふてありくやふな道ては政はならぬ。○天下之旅。孟子にある。三里遠くてもあの道へかかりたいと云こと。そのはず。途中で煩へば医者をつけかり、橋の銭はとらす、何の不自由ないゆへぞ。○德之云云。德は全体から云。德からてなけれは本に畏服せす。威勢て押ことてない。太閤も中えはいると思之外をそろしくない。垩賢はあの仁德ても天下畏之。ここらが大切のことなり。天下中でも分なくをそるることなり。恭節録曰、朱子か畏の字の註をする爲めに德の字を出した。味あることと思べし。斉桓があれほどなれとも茅を出さぬはこっちの不調法。天王のかへらっしゃれたはこっちは知らぬと楚のあいさつ。德の所施とはをもはれぬぞ。ここらで知るべきことなり。
【解説】
「敬大臣、則信任專、而小臣不得以閒之。故臨事而不眩也。來百工、則通功易事、農末相資。故財用足。柔遠人、則天下之旅皆悦、而願出於其塗。故四方歸。懷諸侯、則德之所施者博、而威之所制者廣矣。故曰天下畏之」の説明。聖賢が大臣にさせるのに悪い者はいない筈。そこで宰相へ専一に任せる。小臣の言を取り上げれば大いに乱れる。百工が互いに取り替えるので用が足りるのだが、後世は遊民が多く、また金に目を付けるので財用足るが難しい。聖賢は徳があって天下が畏れる。
【通釈】
○「信任云云」。人の難問に、その様に任せては、ひょっと悪い大臣であればどうするのかと言われれば、後世の悪い宰相は替えてもよい。宰相へ専一に任せること。或問に委しくある。見なさい。医者も悪ければ取り替え、よければ専らに任せるのである。腰物を求めるのに鈍は買わない。況んや聖賢が大臣とさせるのに悪い者はない筈。大臣はよいということに極めて置くこと。そこで任ずる。こればかりではない。今日大名衆の家に門限があるのは若者が悪処へでも行こうかとの用心である。家老などは何時も出入りする。家老に悪い家老はない筈だから用心は要らない。○「小臣云云」。納戸や近習の者、君の御側にいる者が上の思し召しだというので、大臣も御意なら仕方ないと言ってする。その様なことのない様にすること。煙草盆を持って来て言うことは、人君の取り上げないこと。出頭人や宰相へ口入れすることはならない。ここらは唐も日本も同じこと。こうでないと大いに乱れる。大学衍義なとをよく見なさい。大層大切なこと。○「通功云云」。手間賃と五穀とを取り替える。○「末云云」。百工のこと。農は本に立つ。「相資」。互いに取り替えるので用が足り、両方がよい。後世はふらふらとしている遊民が多く、その上金というものがあってそれへ目を付けるので、財用足るが難しい。さて財用というものは政の大事。釈迦が鉢を持って一日中貰って歩く様な道では政はならない。○「天下之旅」。孟子にある。三里遠くてもあの道へ掛かりたいということ。その筈で、途中で煩えば医者を付け借り、橋の銭は取らず、何の不自由もないからである。○「德之云云」。徳は全体から言う。徳からでなければ本当に畏服はしない。威勢で押すことではない。太閤も中に入ると思いの外を恐ろしくない。聖賢はあの仁徳でも「天下畏之」。ここらが大切なこと。天下中でも分なく畏れる。恭節の録に曰く、朱子が畏の字の註をするために徳の字を出した。味あることと思いなさい。斉桓はあれほどだが、茅を出さないのはこちらの不調法。天王が返られたのはこちらは知らないとは楚の挨拶。それでは德之所施とは思われない。ここらで知りなさい、と。
【語釈】
・出とう人…出頭人。室町時代から江戸時代の初めにかけて、幕府または大名の家で、君側に侍って政務に参与した人。三管領・四職と奉行または老臣の類。
・天下之旅…孟子公孫丑章句上5。「關譏而不征、則天下之旅皆悦、而願出於其路矣」。

○斉明盛服云云。上の段で九経の目を説き、さてどふしてかかってよからんと云。そこてこれより目にかかる仕方なり。先つ斉明盛服非礼なとときめること。灸をすえた。甚人君のいやかることそ。夫子至此邦必聞其政なれとも、かやふに灸をすへらるるて孔子かいやになる。恭節録云、灸にも段々あり、三里を三火すえてそれてよいと云ことてはない。脩身と云も斉明盛服非禮不動と云でなふてはほんのものにはなられぬ。○斉明云云。心をけっさいにして衣服を改ることと云は鬼神の章の文義なり。それと替たことでもないか、爰は心と身を脩ることをかふ云たもの。垩人の道は心と形についた身の療治すること。此の盛服はあかつかぬ衣服を着るてなく、行義のよいこと。心をそふじして身をしゃんとえもんつくろう。行座のことなり。○不動云云。ここは視聽言動をか子、さても非礼ないやふにすることの、礼でなければ身動さぬこと。さてとの君え告るもここゆへ、そこて人君かにくる。孔子の一生浪人なされたも、ふたんここを仰られたゆへなり。孔子の方てもまけて云たくてもまけやふがない。それゆへ用る人かない。政談経済録は妙藥の法書と同。夫てならぬと知惠てすると云。知惠なれは漢の高祖、唐の太宗の類で伯術なり。
【解説】
「齊明盛服、非禮不動。所以脩身也」の説明。これから目に掛かる仕方を語る。先ずは「齊明盛服、非禮不動」だと、心と形についた身の療治をすると言うので人君が嫌がる。知恵でするのは漢の高祖、唐の太宗の類であって、それは伯術である。
【通釈】
○「齊明盛服云云」。上の段で九経の目を説き、さてどうして掛かったらよいだろうと言う。そこでこれより目に掛かる仕方となる。先ずは斉明盛服非礼などと決めることだと灸をすえた。甚だ人君の嫌がること。「夫子至於是邦也、必聞其政」だが、その様に灸をすえられるので孔子を嫌になる。恭節の録に云う、灸にも段々があり、三里を三火すえてそれでよいということではない。脩身というのも「齊明盛服非禮不動」というのでなくては本当のものにはなれない、と。○「齊明云云」。心を潔斎にして衣服を改めることだと言うのは鬼神の章の文義である。それと変わったことでもないが、ここは心と身とを脩めることをこの様に言ったもの。聖人の道は心と形についた身の療治をすること。この盛服は垢の付かない衣服を着ることではなくて、行儀のよいこと。心を掃除して身をしゃんとして衣紋を繕う。行座のこと。○「不動云云」。ここは視聴言動を兼ねて、実に非礼のない様にすることで、礼でなければ身を動かなさいこと。さてどの君に告げるにもこれなので、そこで人君が逃げる。孔子が一生浪人をなされたのも、不断ここを仰せられたからである。孔子の方では負けて言いたくても負け様がない。それで用いる人がいない。政談経済録は妙薬の法書と同じ。それではならないと知恵ですると言う。知恵であれば漢の高祖、唐の太宗の類で伯術である。
【語釈】
・夫子至此邦必聞其政…論語學而10。「子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政。求之與、抑與之與」。

○去讒云云。讒は土臺を虫の喰如し。能ひ家來あっても讒と云虫か喰ふ。それゆへ国家かみたる。君の五臟へ食込み、君の心をみぬき、色々讒言する。夫を根だをしにすると云が大ひこと。あれは忠臣と思ふて君の気に入りて居るもの。それを見分け去ることなり。○遠色云云。好色はかろい者も同しことなれとも、人君程てない。奥方妾の勢つよく、気に入りの生だをあとに立んとなとと心か乱れとろける。世々国の亡るは色なり。さて桀紂幽厲も皆この色そ。さて尊賢に色と云對句はどふしたことと云に、これに不限子夏も賢々易色云云と云。又好德如好色なととある。兎角賢の字の近所には色の字出し戒る。人君が色に迷へは、賢者があっても君かあくひする。そこて遠色なり。○賎貨云云。財ををもにすると道理が下も座になる。蜚廉をみてなり。大學に財は末なりとある。金銀をいやしくすること。恭節録云、讒色貨か德と一坐して居ると、先つ御暇申ふと云て德がそこに居らぬ。○而。上み段々そふしてをいて貴德ことそ。三つのわるいを貴德へしきりをして而の字なり。○勧賢云云。有德者か永逗留する。賢者は俸禄に目をかけぬ。賢者にのりが付ぬと君のためにならぬ。
【解説】
「去讒遠色、賤貨而貴德。所以勸賢也」の説明。能い家来がいても讒という虫が喰うので国家が乱れる。また、世々国の亡びるのは色からである。財を主にすると道理が下座になる。徳を貴ぶ。それで賢者が永逗留する。
【通釈】
○「去讒云云」。讒は土台を虫が喰う様なもの。能い家来がいても讒という虫が喰う。それで国家が乱れる。君の五臓へ食い込み、君の心を見抜き、色々と讒言をする。それを根倒しにするというのが大きいこと。あれは忠臣と思い、君が気に入っているもの。それを見分けて去る。○「遠色云云」。好色は軽い者も同じことだが、人君ほどではない。奥方や妾の勢いが強く、気に入りが生んだのを跡に立てようなどと、心が乱れ蕩ける。世々国の亡びるのは色からである。さて桀紂幽厲も皆この色から。さて尊賢に色という対句はどうしたことかと言うに、これに限らず子夏も「賢賢易色云云」と言った。また「好德如好色」などともある。兎角賢の字の近所には色の字を出して戒める。人君が色に迷えば、賢者がいても君が欠伸をする。そこで遠色である。○「賤貨云云」。財を主にすると道理が下座になる。蜚廉を見て言う。大学に「財者末也」とある。金銀を賎しくすること。恭節の録に云う、讒色貨が徳と一坐していると、先ず御暇申そうと言って徳がそこから出る、と。○「而」。上の段々をそうして置いて「貴德」である。三つの悪いことと貴徳に仕切りをするので而の字である。○「勸賢云云」。有徳者が永く逗留する。賢者は俸禄に目を掛けない。賢者に乗りが付かないと君のためにならない。
【語釈】
・子夏も賢々易色云云…論語學而7。「子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣」。
・好德如好色…論語子罕17。「子曰、吾未見好德如好色者也」。衛靈公12にもある。
・蜚廉…孟子滕文公章句下9。「周公相武王誅紂。伐奄三年討其君。驅飛廉於海隅而戮之。滅國者五十、驅虎豹犀象而遠之。天下大悦」。
・大學に財は末なり…大學傳10。「德者本也。財者末也」。

○尊其位。御家門ゆへ一通りの大名てない筈なり。○重其禄云云。武功あれは禄を重くするもの。其功はなけれとも肉身分けたと云より、高禄にすることなり。恭節云、舜象を有庫封するは重其禄。○好悪云云。をてまいのなさるることは御家門も同くなさる。鷹野なとも君獨りてするてない。何もかもよしあしともに御家門と同くなさる。そこてありかたいとのりかつく。垩賢の敎はこまかにとときたことなり。○官盛云云。其国のこらすの宦と云ことてない。大臣のをもい宦を云付るとしゃんとして居て、下役をつかわせ不自由のない様に、大せいを使ふことをまかせること。小身なれは俗に味噌家老と云は、なにもかもすると云より云ことぞ。そうないを云。太臣家老は、あの衆はしっとして計りをらるる、むた者と云ほとひまなこと。只国のくくりをするのみそ。それが敬ふと云のなり。○忠信云云。少も下をたまさず、あてかいもよくすること。重禄計ありて忠信と云字ないと、金てせかせるの筋になる。忠信と禄と両てなけれは本のことてない。禄斗りやるなれば、丁ど馬方に酒でをくれ、やれよ々々々と云は此方の身爲よりなり。誠のうては士すすまぬ。
【解説】
「尊其位重其祿、同其好惡。所以勸親親也。官盛任使。所以勸大臣也。忠信重祿。所以勸士也」の説明。親族には、武功があれば禄を重くする。何も彼も好し悪し共に御家門と同じくする。大臣には、下役を使わせて不自由のない様に、大勢を使うことを任せる。士には、少しも下を欺さず、宛行をよくする。
【通釈】
○「尊其位」。御家門なので一通りの大名ではない筈。○「重其祿云云」。武功があれば禄を重くするもの。その功はないが肉身を分けていると言うよりも、高禄にすること。恭節云う、舜が象を有庳に封じたのは重其禄である、と。○「好惡云云」。貴方のなされることは御家門も同じくなさる。鷹野なども君独りでするのではない。何も彼も好し悪し共に御家門と同じくなさる。そこで有難いと乗りが付く。聖賢の教は細かに届いたもの。○「官盛云云」。その国残らずの官ということではない。大臣という重い官を言い付けるとしゃんとしていて、下役を使わせて不自由のない様に、大勢を使うことを任せること。小身であれば、俗に味噌家老と言うのは、何も彼もすることより言うことで、ここはそうでない者を言う。大臣や家老は、あの衆はじっとしてばかりおられる、無駄者というほど暇なこと。ただ国の括りをするのみである。それが敬うということ。○「忠信云云」。少しも下を欺さず、宛行もよくすること。重禄ばかりがあって忠信がないと、金で急かせる筋になる。忠信と禄と両方でなければ本当のことではない。禄ばかり遣るのであれば、丁度馬方に酒で送れ、やれよやれよと言う様なもので、それは自分の身のためにすること。誠がなくては士は進まない。

○時使云云。百姓のことを語るには大學も論語も孟子も爰も、此の使ふときのあるがをもなこと。田を植る時使ふと年中の骨折むやくになる。そこて時節がある。其上へとりかをかろくすることなり。○日省云云。百姓の鍬とるとはちがい、百工にはいかふ上手下手ある。そこて役人を立よく目利して、同様に手間賃をやらぬこと。恭節録云、今作料は古は扶持米上中下に入かけて、それ々々にあるじゃ。○既稟云云。こちかた今の仕賃のこと。わざ次第で給金の高下あること。ここをわけるて百工にのりかつく。左甚五郎あしらいにする。○送往云云。他国の人、てまいの国の人、てまいの国へかえること。それをせはして道中のさしつかへなく、関所の切手のるい、川々のさしつかへないやふにしてやること。○迎來云云。わけありて他国より來たもの、逗留中あはれも難義ないやふにすること。○嘉善云云。他国へくると馴ぬゆへをつくものぞ。向のよいことあれはこれはとよみんしほめ、又了簡違なことはしつかにきき入るやふに敎え、あはれみやることぞ。今奉公人を抱るに、山だし々々々と云て人間でないやふにする。多く江戸て若手などにここがあるもの。そうはあるまいことなり。恭節録云、不調法あったときにつけ々々と云はすに、御国てはそれてよかろふが、江戸てはわるいと云やふにすることしゃ。
【解説】
「時使薄斂。所以勸百姓也。日省月試、旣稟稱事。所以勸百工也。送往迎來、嘉善而矜不能。所以柔遠人也」の説明。百姓を使うには時がある。そして年貢を軽くする。百工には上手下手があるから、技次第で給金に差を付ける。他国へ行く人の世話をして、道中に差し支えなくする。他国から来た者には逗留中に難儀のない様にする。そして、向こうによいことがあれば誉め、了簡違いなことは静かに聞き入る様に教えて矜れむ。
【通釈】
○「時使云云」。百姓のことを語るには大学も論語も孟子もここも、これを使う時があるというのが主なこと。田を植える時に使うと年中の骨折りが無益になる。そこで時節がある。その上に取箇を軽くする。○「日省云云」。百姓が鍬を取るのとは違い、百工には大層上手下手がある。そこで役人を立ててよく目利きして、同様に手間賃を遣らないこと。恭節の録に云う、今の作料は、古は扶持米を上中下に入れ掛けて、それぞれにあったもの、と。○「旣稟云云」。こちらで今の仕賃のこと。技次第で給金の高下があること。ここを分けるので百工に乗りが付く。左甚五郎あしらいにする。○「送往云云」。他国の人が自分の国へ帰ること。それを世話して道中に差し支えなく、関所の切手の類や川々の差し支えのない様にして遣ること。○「迎來云云」。訳があって他国より来た者が、逗留中に哀れも難儀もない様にすること。○「嘉善云云」。他国へ来ると馴染まないので怖じけるもの。向こうによいことがあればこれはと嘉みんじ誉め、また、了簡違いなことは静かに聞き入る様に教え、矜れみ遣ること。今奉公人を抱えるに、山出しだと言って人間ではない様に扱う。多く江戸で若手などにこれがあるもの。それはあってはならないこと。恭節の録に云う、不調法のあった時にはずけずけと言わずに、御国ではそれでよかろうが、江戸では悪いと言う様にすることだ、と。
【語釈】
・とりか…取箇。江戸時代、田畑に課した年貢のこと。

○継絶世。大名の訳あり没収せられたを其子孫あれは取立ること。○廃国云云。むかしは大名て今微々になっているをとり立ること。蒙求にある。田横なそがそれぞ。ふと田横を云たなり。きっともあたらず。外にいくらも発国あるべし。外に覺へず。○活乱云云。大名の家中などわれ々々になりて主人の手きわにゆかぬ。其難義を上てさばきつかはさること。○持危云云。乱になら子ともあふないことのできたなど、上でさばきつかはさる。危と字は乱たではないが、何事もないやふにしたい。二百十日があぶないと云やふなが危なり。○朝聘云云。諸侯の自身參勤するを朝と云。聘は家老を使者として天子の機嫌窺ふことなり。○厚往云云。上から拜領物は重く、献上物は軽くさせる。そこで諸侯なづく。
【解説】
「繼絶世、舉廢國、治亂持危、朝聘以時、厚往而薄來。所以懷諸侯也」の説明。没収された大名も、その子孫は取り立てる。大名の家中の難儀を捌く。上からの拝領物は重く、献上物は軽くさせる。
【通釈】
○「繼絶世」。大名で訳があって没収させられたのを、子孫があれば取り立てる。○「廢國云云」。昔は大名で今は微々になっているのを取り立てること。蒙求にある。田横などがそれ。ふと田横を言った。きっとも当たらない。外にいくらも廃国はあるだろう。外には覚えていない。○「活亂云云」。大名の家中など割れ割れになって、主人の手際ではどうにもならない。その難儀を上で捌き遣わすこと。○「持危云云」。乱にならなくても危ないことができた時など、上で捌き遣わす。危という字は乱れたのではないが、何事もない様にしたい。二百十日が危ないと言う様なのが危である。○「朝聘云云」。諸侯が自ら参勤するのを朝と言う。聘は家老を使者として天子の機嫌を窺うこと。○「厚往云云」。上からの拝領物は重く、献上物は軽くさせる。そこで諸侯が懐く。
【語釈】
・田横…斉の将軍。田栄の弟。

注。九経之事云云。事とは、是と形を出しにせてうごきのないやふにしたこと。○宦属云云。下役。宰相の手先きのもののこと。下役多くて宰相の使ふにことのかけぬこと。○盖云云。ことの外訳あること。なぜとなればと云こと。○大臣の漢の丙吉登城さきで人の喧嘩を見ぬふりて通り、牛のいきつかいを見て大のきつかはれて、人をやりてあの牛どらほとあるいたと問ふ。因て人が難したれは、そのとき丙吉か答に、宰相は細事を親らせず。喧嘩は所の奉行のさばき。牛のいきつかいは隂陽の気の和せぬ処あるか気づかい。これ三公の役となり。○優之云云。ゆっくりとこせ々々したことないやふにとよくしむける。○待之云云。あしらいを誠にする。誠かないと養が本のことでない。○頼乎上。上の御庇を蒙ら子はならぬ。そこて人君の察し知ること。譬へば同じ百石ても夫婦ばかりもあり、又役界夛いもある。そこを上て気のつくへきことぞ。歴々と云ものは気が付ぬ筈と道理を付るは心得違なり。上が気がつかずには下のものはたまりはない。
【解説】
「齊、側皆反。去、上聲。遠・好・惡・斂、竝去聲。旣、許氣反。稟、彼錦・力錦二反。稱、去聲。朝、音潮。○此言九經之事也。官盛任使、謂官屬衆盛、足任使令也。蓋大臣不當親細事。故所以優之者如此。忠信重祿、謂待之誠而養之厚。蓋以身體之、而知其所賴乎上者如此也」の説明。三公は国事を役とするから分違いの細事は捌かない。但し、下の者は上の御庇を蒙るもの。そこで人君は下を察しなければならない。
【通釈】
注。「九經之事云云」。事とは、これと形を出して見せて動きのない様にしたこと。○「官屬云云」。下役で、宰相の手先の者のこと。下役が多くて宰相が使うのに事の欠けないこと。○「蓋云云」。殊の外訳のあること。何故なればということ。○漢の大臣の丙吉が登城先で人の喧嘩を見ぬ振りをして通り、牛の息遣いを見て大いに気遣われて、人を遣ってあの牛はどれほど歩いたのかと問うた。そこで人が難ずると、その時丙吉が答えるに、宰相は細事を親らせず。喧嘩は所の奉行の捌き。牛の息遣いは陰陽の気の和さない処があるからで、それが気遣いだ。これが三公の役だと言った。○「優之云云」。ゆっくりとこせこせしたことない様にとよく仕向ける。○「待之云云」。あしらいを誠にする。誠がないと養が本当のことではない。○「賴乎上」。上の御庇を蒙らなければならない。そこで人君が察し知ること。譬えば同じ百石でも夫婦ばかりもあり、また厄介の多いのもある。そこは上で気が付くべきこと。歴々というものは気が付かない筈と道理を付けるのは心得違いである。上が気付かずにいては下の者は堪らない。

○餼稟云云。さくりゃふのこと。扶持方で出る。○稍食云云。米を手間賃にやること。今此士も知行と云は一年きめてやること。扶持は月々にちょっ々々々とやること。○稾人職云云。周礼にある。軍を司る司馬の下かかりに稾人と云役ある。○弓弩云云。ゆみ師のこと。あれは上手、是はこふと吟味して作料をやること。恭節録云、上下其職人も痛入る。○授節云云。関所の切手其外道中さしつかへないやふにしてやこと。○委積云云。他国の者を置くに古はふんに家を建てをき、そこへ役人をつけ、塩噌薪一切不自由にないやふに積みたくわへをくこと。○比年の、毎年と云こと。年きれぬと云ことゆへ毎年のことなり。○小聘。なみの大夫を以て天子の御きけんうかがう。○大聘云云。をも家老かてる。○燕賜云云。天子の大名へ御料理下さる。或は拜領もの下さる。殊の外丁寧。○納貢云云。凡献上ものは国にあるものを献することなり。
【解説】
「旣、讀曰餼。餼稟、稍食也。稱事、如周禮稾人職、曰考其弓弩、以上下其食、是也。往則爲之授節以送之、來則豐其委積以迎之。朝、謂諸侯見於天子。聘、謂諸侯使大夫來獻。王制、比年一小聘、三年一大聘、五年一朝。厚往薄來、謂燕賜厚而納貢薄」の説明。ここは周礼と礼記王制を引用しての注。
【通釈】
○「餼稟云云」。作料のこと。扶持方で出る。○「稍食云云」。米を手間賃に遣ること。今頃の士も知行というのは一年決めて遣る。扶持は月々に少しずつ遣ること。○「稾人職云云」。周礼にある。軍を司る司馬の下係りに稾人という役がある。○「弓弩云云」。弓師のこと。あれは上手、これはこうと吟味して作料を遣ること。恭節の録に云う、上下その職人も痛み入る、と。○「授節云云」。関所の切手、その他道中差し支えない様にして遣ること。○「委積云云」。他国の者を置くのに、古は分に家を建てて置き、そこへ役人を付けて、塩味噌薪一切不自由でない様に積み蓄えて置くこと。○「比年」は毎年ということ。年が切れないということなので、毎年のこと。○「小聘」。並の大夫を以て天子の御機嫌を伺う。○「大聘云云」。重い家老が出る。○「燕賜云云」。天子が大名に御料理を下さる。或いは拝領物を下さる。殊の外丁寧である。○「納貢云云」。凡そ献上物は国にあるものを献ずるもの。

○凡為天下国家云云。人君の心の誠てなさるること。九経のこれほどつちつまそろうたことも形てしては役にたたぬ。此前の逹道も德も誠へ説つめ、ここも誠てなけれは九経かうそになる。○虚文の造り花の如く、なんほど梅の花かみごとても作りものぞ。迂斉の、紙に金百两と書たは益にたたぬ。九經が結講ても、此誠がないと制札と同くなんにもならぬ。○之實也。上の段に九經の目の效の事のと四つ出し、扨ここて實と云てほんのことになる。この實がないと樽ばかりて酒かなきごとし。わら人形ては用か足りぬ。何事ても實ないことは役にたたぬ也。恭節録云、前からのきめをみよ。最初に九経之目、それから九経之序、九経之效、九経の事。一ちしまいに九経之實なり。これがないとわら人形。
【解説】
「凡爲天下國家有九經。所以行之者一也。一者、誠也。一有不誠、則是九者皆爲虛文矣。此九經之實也」の説明。逹道も徳も誠へ説き詰めたが、ここも誠でなければ九経が嘘になる。九経の目、九経の序、九経の效、九経の事があり、ここに九経の実があるので本当のこととなる。
【通釈】
○「凡爲天下國家云云」。人君の心の誠でなさること。九経のこれほど辻褄揃ったことでも、形でしては役に立たない。この前の逹道も徳も誠へ説き詰めたが、ここも誠でなければ九経が嘘になる。○虚文は造り花の様に、どれほど梅の花が見事でも作りものである。迂斎が、紙に金百両と書いたのは益に立たないと言った。九経が結講でも、この誠がないと制札と同じく何にもならない。○「之實也」。上の段に九経の目、效、事などを四つ出して、さてここで「實」と言うので本当のことになる。この実がないと樽ばかりで酒がない様なもの。藁人形では用が足りない。何事でも実のないことは役に立たない。恭節の録に云う、前からの決めを見なさい。最初に九経の目、それから九経の序、九経の效、九経の事。一番最後に九経の實である。これがないと藁人形だ、と。


己酉一六中庸筆記十三
二十章  三月廿六日 先生朱批 廣居録
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・廣居…櫻木廣居。助右衛門と称す。櫻木誾齋の子。文化13年(1816)9月21日没。年62。

○凡事豫則立云云。此前の逹德逹道九経、皆誠でなけれはゆかぬ。大いことは周よりのこと、少ひ事何事ても誠と云か此段の主意なり。九経斗り誠てなけれはならぬと哀公の思はれんかと、あれはかりてない、何こともと凡事云云なり。此豫の一段は誠と云字はなけれとも、豫かやはり誠なり。世の中問似合を云。兼てのもとたてなり。人の面を見てするは豫てない。本んのことは前ひろにす。家事や人欲、凡手前勝手には誰も豫をする。それを豫と云。道中仕様とするには路銀から支度する。火事をいやがる。夫故火時ない時土藏建る。兼ての用意がないと廃る。壁も下地かないと上はぬりは出來ぬ。學者も心と行に豫を出さぬとうろたえる。○言前云云。前た辞はすら々々てるもの。迂斉の、口不調法ものも手前の在所の咄はすら々々と云。夫れは誠に知たゆへなり。○事前定云云。言に對して事とは、譬は雨の降ぬ前に雨具の用意する。○行前定云云。兎角平生にあつかること。汎く愛衆親仁けばさしつかへない。元日より暮のことを定ると暮のしまいよい。煤拂からくったくする。そこでうろたへる。信親義言ふまし。さはがぬ。汎く云へば五倫其外前に定めぬと間違有なり。恭節録云、女房をよふと云ても、まあよへと云てよふとなんのこともなくをい出すやふなことか出來る。盖先生有為而言。○道前定云云。かるいことを上に段々云、道は惣体て云たこと。人の學問するか道前に定むなり。医者の病家へゆきうろたへぬは、日頃吟味かよい。何ても持てこいなり。誠と云は軍を見て矢をはくやふなことてはゆかぬ。平生が大事そ。其誠は此支度てかから子は益にたたぬ。
【解説】
「凡事豫則立。不豫則廢。言前定則不跲、事前定則不困。行前定則不疚。道前定則不窮」の説明。何事も誠が大事である。ここの一段は誠という字はないが、豫が誠である。言・事・行は前に定めることが重要である。「道前定」は学問をすること。平生が大事である。
【通釈】
○「凡事豫則立云云」。この前の逹徳逹道九経は皆、誠でなけれはいけない。大きいことは固よりのこと、小さい事も何事でも誠だというのがこの段の主意である。九経ばかりを誠でなけれはならないと哀公が思われないかと、あればかりてない、何事もと「凡事云云」である。この「豫」の一段は誠という字はないが、豫がやはり誠である。世の中間に合うことを言う。予ての本立てである。人の面を見てするのは豫ではない。本当のことは前広にする。家事や人欲、凡そ手前勝手なことは誰も豫をする。それを豫と言う。道中をしようとするには路銀から支度をする。火事を嫌がるから、火事のない時に土蔵を建てる。予ての用意がないと廃る。壁も下地がないと上塗りは出来ない。学者も心と行に豫を出さないと狼狽える。○「言前云云」。前に定まった辞はすらすら出るもの。迂斎が、口不調法者も自分の在所の話はすらすらと言う。それは誠に知っているからである。○「事前定云云」。言に対して事とは、譬えば雨の降らない前に雨具の用意する様なこと。○「行前定云云」。兎角平生に与ること。「汎愛衆而親仁」であれば差し支えはない。元日より暮のことを定めると暮が仕舞いよい。煤払いから屈託する。そこで狼狽える。信は義に親しとは言うまい。騒がない。汎く言えば、五倫その他前に定めないと間違いが有る。恭節の録に云う、女房を呼ぶといっても、まあ呼べと言って呼ぶと、何の事もなく追い出す様なことが出来る。蓋し先生為にすること有って言う、と。○「道前定云云」。軽いことを上に段々と言い、この道は総体で言ったこと。人が学問をするのが「道前定」である。医者が病家へ行って狼狽えないのは、日頃の吟味がよいから。何でも持って来いである。誠とは、軍を見て矢を矧ぐ様なことでは悪い。平生が大事である。その誠はこの支度で掛からなければ益に立たない。
【語釈】
・汎く愛衆親仁…論語學而6。「子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文」。

○註。凡事逹道云云。其大いことは云に及ぬ。之属は、小學之五刑之属の属と同。五刑が本て三千の罪がてる。ここも逹道逹德云云を本にして、其外何ことてもと云こと。○素定。誠の様てなく誠なり。誠なことは豫め定るものそ。男子をもっと、娵をとろふと思ふ。そこか誠にあたる。出來心は馳走せぬことぞ。間に合でなく實ない。恭節録云、素定が誠てはないが、誠なことはあらかじめ定るものなり。○皆は、朱子の入られた字。政の九經ばかりてない。箸の上けをろしに此誠かいるそ。恭録云、欲先立乎誠。誠の建立をしてをか子ば、わざかよくてもなんの益にたたぬ。○下文。下のものの上の目にとまると云は僞りてはならぬ。誠てなけれはならぬ。荘子の名は實の賔と云たもここなり。医者の大い駕を釣てをいても、下手なれは流行ぬ。
【解説】
「跲、其劫反。行、去聲。○凡事、指達道・達德・九經之屬。豫、素定也。跲、躓也。疚、病也。此承上文、言凡事皆欲先立乎誠。如下文所推、是也」の説明。事とは、達道・達徳・九経を本にして、何事もということ。誠なことは豫め定まるもの。
【通釈】
○註。「凡事、指逹道云云」。その大きいことは言うには及ばない。「之屬」は、小学の「五刑之屬」の属と同じ。五刑が本で三千の罪が出る。ここも逹道逹徳云云を本にして、その他何事でもということ。○「素定」。誠の様でなくて誠である。誠なことは豫め定まるもの。男子をもっと欲しいから娵を取ろうと思う。そこが誠に当たる。出来心は馳走しないもの。間に合わせではない。実がない。恭節の録に云う、素定は誠ではないが、誠なことは豫め定まるもの、と。○「皆」は、朱子の入れられた字。政の九経ばかりではない。箸の上げ下ろしにもこの誠が要る。恭節の録に云う、「欲先立乎誠」。誠の建立をして置かなければ、業がよくても何の益にも立たない、と。○「下文」。下の者が上の目に止まるというのは偽りではならない。誠でなければならない。荘子が「名者實之賓也」と言ったのもここ。医者が大きい駕籠を吊って置いても、下手であれば流行らない。
【語釈】
・小學之五刑之属…小學明倫39。「孔子曰、五刑之屬三千、而罪莫大於不孝」。
・名は實の賔…荘子逍遙遊。「名者實之賓也」。

○在下位云云。ことはの都合は新ひ様なれとも、誠えをとすとすっはと合そ。古人の説はないが、某思に此章つまり政のこと。その政はこのまへに在人と云て人を得るに在、と。其人はどのやうな人じゃと云に、誠ない人は益に立す。そこて是の下位云云を出た。明德新民は垩學のもやふぞ。されども孔孟の如き浪人では治められぬ。上へ緑遠いことなり。上てとりあぐるかなけれは政の仕様ない。上に獲るるか本意なれとも、ただはならぬ。そこで有道と云。道は則誠なり。迂斉の、上に獲るる筈ゆへえらるる。医者も上手ゆへはやる。誠のことそ。爰の四つ有る有道、皆誠へかけて云ことそ。則其道は朋友云云。朋友かあの人の様な人はないと感すると、段々上へよい人と云か知るる。恭録云、此條ちょっと看ると、あるまいもののここへ出たやふなり。これか誠と云につまりてへったりと一つに落ることなり。此か先つ正面のこと。さて此章政の章て、人を吟味することなれは、上にえらるる人もまづ誠でなけれはならぬ。○恭録云、この贔屓のこのひいきよい仕合と云は有道でない。
【解説】
「在下位不獲乎上、民不可得而治矣。獲乎上有道。不信乎朋友、不獲乎上矣。信乎朋友有道」の説明。孔孟の様な浪人では政は治められない。政は上が取り上げた人がする。上に獲られる道は誠である。朋友に信があれば、上に知られる様になる。
【通釈】
○「在下位云云」。言葉の都合は新しい様だが、誠に落とすとすっぱりと合う。古人の説はないが、私が思うにこの章はつまり政のこと。その政はこの前に「政在人」と言い、「政在於得人」とある。その人はどの様な人かといえば、誠のない人は益に立たない。そこでこの「下位云云」を出した。明徳新民は聖学の模様である。しかしながら、孔孟の様な浪人では治められない。上へ縁遠いからである。上で取り上げなければ政の仕様がない。上に獲られるのが本意だが、ただでは出来ない。そこで「有道」と言う。道は則ち誠である。迂斎が、上に獲られる筈なので得られる。医者も上手なので流行る。それは誠のこと。ここの四つ有る有道は、皆誠へ掛けて言ったこと。則ちその道は「朋友云云」。朋友が、あの人の様な人はないと感じると、段々上へよい人ということが知れる。恭節の録に云う、この條は一寸看ると、あってはならないものがここへ出た様である。これが誠ということに詰まってべったりと一つに落ちること。これが先ず正面のこと。さてこの章は政の章で、人を吟味することなので、上に獲られる人も先ずは誠でなければならない、と。○恭節の録に云う、この贔屓よい幸せと言うのは有道ではない、と。

○不信乎。上手ころばして、朋友のあの男はよい人と云はるるはたましたのなり。信と云は、迂斉の横からみても竪からみてもよいと云人のこと。さて家内悪くて友達にはよい者ある。それは似せものなり。親か我子をもあのやふなものはあるまいと褒める。閔子騫人不間其父母昆弟之言もここのこと。すこしあたりはちがへとも、誠なことはそれなり。○順。親の存寄りに叶ふと家内順熟する。親をころりとだまし気に入る様にするに、親子喧嘩には少し增しなれとも、誠かないゆへ順てない。この方の身をよくすること。わさの上て気に入らるるてない。自分の身にみじん云分ないよい人のこと。孔子のきり々々説つめた。これて誠え往着たと思ふにまたこの前がある。○不明乎善云云。誠も道理の明でなけれはならぬと知惠と云に説つめた。八條目もつまりは格物致知そ。どこでも此巡はなれられぬ。誠になりとうても知惠か明てなけれは成られぬ。孝はよいことなれど、知えかないと孝の仕様が知れぬ。司馬温公は気質より仕出した身代故、手前はあの德なれとも明乎善とこぬゆへ、わるくすると寸方ちがいが出來る。ここらを孔子のさはがしく仰られた。たん々々と云て誠へつめ、誠は天之道とかかる間にのかさず明乎善を仰らるる。此學者入德の門にて、是亦其功反て賢於堯舜云云も爰らでもみよ。王陽明は明乎善かないゆへ異學なり。
【解説】
「不順乎親、不信乎朋友矣。順乎親有道。反諸身不誠、不順乎親矣。誠身有道。不明乎善、不誠乎身矣」の説明。親に順、朋友に信と言っても、それは自分の身に微塵も言い分のない様にすること。しかし、それも知恵がなければならない。司馬温公は気質より仕出した身代なので、徳はあったが明乎善がないので寸方違いがある。王陽明は明乎善がないので異学である。
【通釈】
○「不信乎」。上手を言って、朋友にあの男はよい人だと言われるのは欺したのである。信とは、迂斎が横から見ても縦から見てもよいという人のことだと言った。さて家内が悪くて友達にはよい者がいる。それは偽物である。親が我が子をもあの様な者はあるまいと褒める。「子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言」もここのこと。少し当たりは違うが、誠なことはそれ。○「順」。親の存じ寄りに叶うと家内が順熟する。親をころりと欺して気に入る様にするのは、親子喧嘩よりは少し増しだが、誠がないので順ではない。自分の身をよくすること。業の上で気に入られるのではない。自分の身に微塵も言い分のないよい人のこと。孔子がきりきりと説き詰めた。これで誠へ往き着いたと思えば、まだこの前がある。○「不明乎善云云」。誠も道理の明でなければならないと、知恵ということに説き詰めた。八條目もつまりは格物致知である。何処でもこの巡りは離れられない。誠になりたくても、知恵が明でなけれは成ることはできない。孝はよいことだが、知恵がないと孝の仕様がわからない。司馬温公は気質より仕出した身代なので、自身はあの徳だったが明乎善と来ないので、悪くすると寸方違いが出来る。ここらを孔子が騒がしく仰せられた。段々と言って誠へ詰め、「誠者天之道」と掛かる間に、逃さず明乎善を仰せられた。これが「初學入德之門」であり、これがまた「其功反有賢於堯舜者云云」であることをここらでも見なさい。王陽明は明乎善がないので異学である。
【語釈】
・閔子騫人不間其父母昆弟之言…論語先進4。「子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言」。
・八條目…大學。平天下・治國・齊家・脩身・正心・誠意・致知・格物。
・學者入德の門…大學章句小序。「子程子曰、大學、孔氏之遺書、而初學入德之門也」。
・其功反て賢於堯舜云云…中庸章句序。「若吾夫子、則雖不得其位、而所以繼往聖、開來學、其功反有賢於堯・舜者」。

注。素定の意。下の者の上へ出るは實かなけれはならす。○反諸身。爰は吟味のつまりた至極のことて、三寸のみのがしはないと迂斉の云た。善行てはない。中庸は至極吟味細てなけれはならぬ。○所存。未発已発を云た。恭録云、所存所発、中庸の屋鋪ゆへ未発已発を出された。○真實而と、此而の字を気を付よ。爰から朱子の手つまなり。いつも真實无妄と續て云。ここは而の字て二つに分たか趣向そ。中庸だけの注なり。あらい心てはみられぬ。真實は未発て誠を語り、顕れた処か无妄。此未発已発から吟味するでなければ中庸てない。○不明乎善。知惠の明なこと。知惠は一草一木を知る迠が知致の持まいなり。爰は人の心に天命性あるを知ること。序にある人心道心の吟味とは違。天命本然を知ると云か知の第一。爰を知ら子は餘のことはらちはない。性と云もやっはり誠なり。それを知すに誠のなりやふはない。○本文の善に明は、とと大學へついた至善と云につまること。さて物に本家のあるを合点するがよい。大學にも誠の字あれとも、誠の本家は中庸。中庸にも明善は至善の善なれとも、至善の夲家は大學。つまり大中一致なこと。朱子の親御の韋斉先生、大學中庸の一致見付られた。自然とわりの合ているなり。
【解説】
「此又以在下位者、推言素定之意。反諸身不誠、謂反求諸身而所存所發、未能眞實而無妄也。不明乎善、謂未能察於人心天命之本然、而眞知至善之所在也」の説明。「真實無妄」は続けて言うことが多いが、ここは而の字で二つに分けた。真実は未発で誠を語り、顕れた処が無妄である。「明乎善」は、人の心に天命性のあることを知ること。大学にも誠の字があるが、誠の本家は中庸。中庸にある明善は至善の善だが、至善の本家は大学。つまり大中一致である。
【通釈】
注。「素定之意」。下の者が上へ出るには実がなければならない。○「反諸身」。ここは吟味の詰まった至極のことで、三寸の見逃しはないと迂斎が言った。善行ではない。中庸は至極吟味が細かでなけれはならない。○「所存」。未発已発を言った。恭節の録に云う、所存所発は、中庸の屋敷なので未発已発を出された、と。○「真實而」とある、この而の字に気を付けなさい。ここからが朱子の手爪である。何時も「真實無妄」と続けて言うが、ここは而の字で二つに分けたのが趣向である。中庸だけの注である。粗い心ではわからない。真実は未発で誠を語り、顕れた処が無妄。この未発已発から吟味するのでなければ中庸ではない。○「不明乎善」。知恵の明なこと。知恵は一草一木を知るまでが致知の持ち前であり、ここは人の心に天命性のあることを知ること。序にある人心道心の吟味とは違う。天命の本然を知るというのが知の第一。ここを知らなければ他のことは埒はない。性というのもやはり誠である。それを知らずに誠のなり様はない。○本文の善に明は、つまりは大学にある至善に詰まること。さて物には本家のあることを合点しなさい。大学にも誠の字があるが、誠の本家は中庸。中庸にある明善は至善の善だが、至善の本家は大学。つまり大中一致である。朱子の親御の韋斎先生が大学中庸の一致を見付けられた。自然と割が合っている。

○誠者天之道云云。身に誠か入用ゆへ是迠云た。誠はいこふ重いことゆへ誠身の身の字を一つ捨て、誠はかり是より説た。上の段て仁と説つめ、さて仁は人也と出された如く、是柄は誠斗り講釈なり。誠か大ていや大かたなことてはない。さらは誠のことを申上ふと誠られた。子思の方ては一篇樞紐。天地も人もここにてきまりた。○天之道。天には少も間違ない。春より秋冬と無間断、夏の暑く冬の寒い、萬古替らぬ。皆誠なり。約速変たことはない。折節は夜の明けぬと云ことはない。誠は表裏なく折ぬいたもの。扨人間は天の子也。夫故天の通り誠てありそふなものに、色々拵へことをしたり迂詐をついたりする。天の子て天に似ぬ。是鬼子なり。そこて天にやふに誠になりたいと脩行する。そこか誠之なり。之の字、人の方て人の方て精出す。大學明々德の註に明は明之也と朱子の書た、之の字の出処はこの中庸なり。直方先生の、之字は力こぶをだし、はちまきをするのと云た。凡夫はとふに天の勘當そ。誠の脩行すると勘當ゆりる。そこが人之道。恭節録云、親か勘當すれはのめ々々としてそこには居られぬ。天の勘當はのめ々々として居るが、天はやっはり勘當なり。
【解説】
「誠者、天之道也。誠之者、人之道也」の説明。天には少しも間違いはない。そして、人は天の子である。それなら天の通りの誠でありそうなものだが、色々と拵え事をしたり嘘をついたりして、天の子でありながら天に似ない。天の通りになりたいと脩行するのが「誠之」である。
【通釈】
○「誠者、天之道云云」。身に誠が入り用なのでここまで言った。誠は大層重いことなので誠身の身の字を一つ捨てて、誠ばかりでこれより説いた。上の段で仁と説き詰め、さて「仁者人也」と出された様に、これからは誠ばかりの講釈である。誠は大抵や大方なことではない。それでは誠のことを申し上げようと言われた。子思の方では一篇の樞紐。天地も人もここで極まった。○「天之道」。天には少しも間違いはない。春より秋冬と間断無く、夏の暑く冬の寒いのは、万古変わらない。皆誠である。約束を変えたことはない。折節は夜が明けないということはない。誠は表裏なく打ち抜いたもの。さて人間は天の子である。そこで天の通りの誠でありそうなものだが、色々と拵え事をしたり嘘をついたりする。天の子でありながら天に似ない。これは鬼子である。そこで天の様に誠になりたいと脩行をする。そこが「誠之」である。之の字は人の方で精出すこと。大学の明明德の註に「明、明之也」と朱子が書いたが、之の字の出処はこの中庸である。直方先生が、之の字は力瘤を出し、鉢巻きをすることだと言った。凡夫はとうに天の勘当である。誠の脩行をすると勘当が許される。そこが「人之道也」。恭節の録に云う、親が勘当すればのめのめとしてそこにはいられない。天の勘当ではのめのめとしていられるが、天はやはり勘当しているのである、と。
【語釈】
・大學明々德の註に明は明之也と朱子の書た…大學經集註。「明、明之也」。

○誠者不勉云云。上は誠て天を語り、是柄は垩人て誠を語り、直方の、爰ては天が隱居したとなり。天と垩は同腹中。夫故繋辞傳も天て語りたり垩人て語りたりする。淺見子の、天は形ない垩人、垩人は形ある天。天なりの垩人、垩人なりの天とはそこを云なり。垩人をのけると皆天の字なり。巨燵にあたり子てばかり居るは之の字の心ないゆへそ。學者はとかく之字と自の字を忘れぬがよし。さて垩人のことはこの方に覚ないゆへ云とられぬ。藝術などでは能く知る。能書のものかく、すら々々と書き、馬の上手、苦もなく乗る。ちと御休足なされと云は只のもののこと。太義と云はない筈なり。○不思云云。物は思案してをぞ落する。垩人はすっと合点する。我名を人の尋るに考るものはない。を国にはと云へは、在所をそのまま對へる。鷺は白かと問に、訓蒙圖彙を見て挨拶はせぬ。垩人の知はそれと同ことなり。
【解説】
「誠者不勉而中、不思而得」の説明。これからは聖人で誠を語る。天と聖は同腹中で、聖人は苦労をしない。また、思案して臍落ちすることもなく、聖人はすっと合点する。
【通釈】
○「誠者不勉云云」。上は誠で天を語り、これからは聖人で誠を語る。直方が、ここでは天が隠居したと言った。天と聖は同腹中。そこで繋辞伝も天で語ったり聖人で語ったりする。浅見子が、天は形ない聖人、聖人は形ある天。天なりの聖人、聖人なりの天とはそこを言うと言った。聖人を除けると皆天の字である。炬燵にあたって寝てばかりでいるのは之の字の心がないからである。学者はとかく之の字と自の字を忘れないのがよい。さて聖人のことは自分には覚えがないから言い取ることができないが、芸術などで能く知れる。能書のものを書くのにすらすらと書き、馬の上手が苦もなく乗る。一寸御休息しなさいと言うのはただの者のこと。大儀ということはない筈。○「不思云云」。物は思案して臍落ちする。聖人はすっと合点する。自分の名を人が尋ねる時に考える者はいない。御国はと聞かれれば、在所をそのままに答える。鷺は白かと問われれば、訓蒙図彙を見て挨拶はしない。聖人の知はそれと同じこと。
【語釈】
・淺見子…淺見絅斎。

○從容。すらりと骨も折す、物のつかへ障りなくゆっくりしたこと。語類に或人の説をあげて色々こだはりて云たを、朱子のそのやふなことてない。言意て合点せよ、と。訓門人にある。夫を山崎先生文會へ引たを字の吟味のやふにとるはわるい。全体從容の塩梅を知るがよし。されとも或人の説も一意趣ある取まはしなり。兎角横竪につかへることは從てない。丁とたいもん青襖着て茶の小坐敷へゆくは從容てない。又にえ湯はすっとのまれぬ。なんてもさしつかへなくすら々々ゆくが從容なり。誠にならふとならは擇善而固執れなり。善をえらふか知惠の本也。俗人が多分に付と云は擇でない。さて擇たぎりですてると隣りのたからなり。固執之は、えらんたを我物にすること。迂斉の、金を吟味するが擇ぶなり。吟味して固紙入へ入れ懐中する。そこが執之なり。两持てはなされぬこと。やはり知行なり。
【解説】
「從容中道。聖人也。誠之者、擇善而固執之者也」の説明。何でも差し支えなくすらすらと行くのが従容である。善を択ぶのが知恵の本。その択んだものを自分のものにする。
【通釈】
○「從容」。すらりと骨も折らず、物の支え障りもなくゆっくりしたこと。語類に、或る人が説を挙げて色々と拘って言ったのを、朱子が、その様なことではない。言意で合点せよと言った。訓門人にある。それを山崎先生が文会に引いたのを字の吟味の様に取るのは悪い。全体従容の塩梅を知りなさい。しかしながら或る人の説も一意趣ある取回しである。兎角横縦に支えることは従ではない。丁度大紋青襖を着て茶の小座敷へ行くのは従容ではない。また、煮え湯はすっと飲むことが出来ない。何でも差し支えなくすらすらと行くのが従容である。誠になろうとするのであれば「擇善而固執」である。善を択ぶのが知恵の本である。俗人が多分に付くというのは択ではない。さて択んだだけで捨てると隣りの宝である。「固執之」は、択んだものを我が物にすること。迂斎が、金を吟味するのが択ぶことだと言った。吟味して固紙入へ入れて懐中する。そこが「執之」である。両持で離すことはできない。やはり知行である。

注。誠者。迂詐をつかぬ抔と云あらいことてない。そこて程子の不欺其次なりて、それは誠の第二段じゃと云こと。さて仁を愛之理心之德と云は仁の判鑑。誠を真實无妄と云は誠の判鑑なり。この判鑑をはなさぬやふにとくと朱子の正傳なり。真實はうの毛ほともまじりのないうぶの誠そ。實は物のあかぬこと。譬は袋がふくれてあるは實の字のやふなれども、ごみを一盃入れてはならぬ。そこて真字かいるなり。○無妄云云。妄はよくない字なれとも、悪の字てはない。あしい酒は悪。妄はよい酒なれともちとどふかしたと云。十人の客九人迠よい酒と云。其内上手が一人、是は入物のそいかどふか違た処あると云。そこか妄なり。なか々々太がいの人のには分らぬ。其微な妄さへないと云こと。春なれば風もなく、今年中にないよい日と云。そこが無妄なり。さて無忘なものじゃと計りてはうはさになる。それゆへ朱子の真實と出した。無妄は易そ。程子は文字を以て誠をとく上へ朱子真實无妄とされた。○本然なり。たたい天理の本然はめつらしからす。皆誠なり。火はいつもあつく、又をぼれぬ川はない。蹈込む、直にしづむ。折節は誠であるまいかと火鉢へ手を入る。直にやけどする。何でもなまけたことでない。
【解説】
「中、竝去聲。從、七容反。○此承上文誠身而言。誠者、眞實無妄之謂、天理之本然也」の説明。誠を真実無妄と言うのは誠の判鑑である。妄とは、何か一寸違った処があるということ。無妄はその微な妄すらないということ。無妄ばかりでは噂になるから、朱子が真実と出した。
【通釈】
注。「誠者」。嘘をつかないなどという粗いことではない。そこで程子が「不欺、其次矣」と言った。それは誠の第二段だということ。さて「仁者、愛之理、心之德」と言うのは仁の判鑑。誠を真実无妄と言うのは誠の判鑑である。この判鑑を離さない様に説くと朱子の正伝である。真実は兎の毛ほども混じりのない初の誠である。実は物の空かないこと。譬えば袋がふくれているのは実の字の様だが、塵を一杯に入れてはならない。そこで真の字が要る。○「無妄云云」。妄はよくない字だが、悪の字ではない。悪しい酒は悪。妄はよい酒なのだが一寸どうかしたという様なもの。十人の客の九人までがよい酒だと言う。その内の上手が一人、これは入れ物の所為かどうか違った処があると言う。そこが妄である。中々大概の人には分らない。その微な妄さえないということ。春になれば風もなく、今年中にないよい日だと言う。そこが無妄である。さて無妄なものだとばかり言っていては噂になる。そこで朱子が真実と出した。無妄は易の語。程子は文字を以て誠を説く。その上に朱子が真実无妄とされた。○「本然也」。そもそも天理の本然は珍しいものではない。皆誠である。火は何時も熱く、また溺れない川はない。踏み込むと直に沈む。折節は誠ではないだろうと火鉢へ手を入れる。直に火傷をする。何でも怠けたことはない。
【語釈】
・不欺其次なり…近思録道體31。「无妄之謂誠。不欺、其次矣」。
・仁を愛之理心之德…論語學而2集註。「仁者、愛之理、心之德也」。

○欲する。さても残念、どふぞと願ふことぞ。かの直方の力らこぶとは爰のことなり。○人事。身代儉約すると同し。そふないとつぶるる。○當然なり。外に仕方はない。いやと云れぬ動ぬ処を云。直方の、桂馬にあいまは出來ぬ。上の句は天。下の句は垩人。別のやふなれとも、やっはり一つことなり。爰が天理に叶などと云様なことでない。息災な人、どこもかしこも息災なり。○則亦。形あるだけに亦の字ある。雪の降る夜寒ぞありけるは形ある故ぞ。天は鼓万物垩人と憂を同くせずを涙をこぼさぬ。孔子は顔子の死たとき泪をこぼした。形あるだけ天と違ふ様なれども、やっはりそこが誠なり。○人欲と、この人欲のことこそ人々覺あることぞ。そこで誠な筈が誠に出來ぬ。垩人のことを咄せは清涼殿のことのやふで、人欲と出ると国者にゆき遇ふたやふに心易い。さて々々凡夫の窟をぬけぬは哀いことた。學者も善ひ皃をせぬがよい。人欲と云字の出たときははやく返事をせよ。これにをります。然後。あいだのある字。垩人の使え直に返事をする。然して後とあるゆへ、此方から御返事いたさんと云るい。以下の字看よ。爰には千難萬苦色々こもっている。ちからこぶの処なり。恭節録云、此程の注皆の注と看へし。学知利行から困知勉行迠之字のなかになり。
【解説】
「誠之者、未能眞實無妄、而欲其眞實無妄之謂、人事之當然也。聖人之德、渾然天理、眞實無妄、不待思勉而從容中道、則亦天之道也。未至於聖、則不能無人欲之私、而其爲德不能皆實。故未能不思而得、則必擇善、然後可以明善。未能不勉而中、則必固執、然後可以誠身。此則所謂人之道也。不思而得、生知也。不勉而中、安行也。擇善、學知以下之事。固執、利行以下之事也」の説明。天は万物を鼓して聖人と憂えを同くせずで、聖人は形があるだけ天とは違う様だが、やはりそこを誠でする。学知利行から困知勉行までが之の字の中にある。
【通釈】
○「欲」。さても残念、どうぞと願うこと。彼の直方の力瘤とはここのこと。○「人事」。身代を倹約するのと同じ。そうでないと潰れる。○「當然也」。他に仕方はない。嫌と言えない動かない処を言う。直方が、桂馬に合駒はできないと言った。上の句は天。下の句は聖人。別の様だが、やはり一つ事である。ここは天理に叶うなどという様なことではない。息災な人は何処も彼処も息災である。○「則亦」。形があるだけに亦の字がある。雪の降る夜は寒くぞありけるは形があるからである。天は万物を鼓して聖人と憂えを同くせず。天は涙をこぼさない。孔子は顔子が死んだ時に泪をこぼした。形があるだけ天とは違う様だが、やはりそこが誠である。○「人欲」。この人欲のことこそ人々に覚えのあること。そこで誠な筈が誠を出来ない。聖人のことを話せば清涼殿のことの様で、人欲と出ると国者に行き遇った様に心易い。さてさて凡夫の窟を抜けないのは哀しいこと。学者も善い顔をしない方がよい。人欲という字が出た時は早く返事をしなさい。これにおります、と。「然後」。間のある字。聖人の使へ直に返事をする。然して後とあるので、こちらから御返事致さんと言う類。以下の字を看なさい。ここには千難万苦が色々と籠っている。力瘤の処である。恭節の録に云う、これほどの注は皆の注だと看なさい。学知利行から困知勉行までが之の字の中にある、と。
【語釈】
・天は鼓万物垩人と憂を同くせず…易經繫辭傳上5。「鼓萬物而不與聖人同憂」。
・孔子は顔子の死たとき泪をこぼした…論語先進9。「顏淵死。子哭之慟。從者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟而誰爲」。

○博學之云云。上の之字に力らを入るるは知行の二つぞ。爰は先つ善の擇ひ様を細かに説た。知仁勇の三德我いたす処あれになりやふあるが目なり。恭節録云、先達て舜顔子子路の知仁勇を看板と云はここを云ふため。ここは看板にはない。これが學問の眞始なり。知惠をみがくは廣く、みがかぬと益に立ぬ。天地の間道理のないことはない。そこで博學は五倫日用天下国家の政。差あたり今云へは垩賢の書をよむこと。さて博と雜とは違ふ。博は道理を廣く知ること。益に立ぬ書を読は雜学。一日よんでも一日遊て居る如し。恭節録曰、水滸傳迠看ることを博學と思とちごふ。あれはみればみるほど知惠がくらむ。みちくさと云ことを合点すへし。一日弁當食てわらじをふみきりても、行くべき処へゆかぬなれはみちくさと云ものなり。○審問之。手前の學問よほと出來、それからさて是はと疑がつく。其時審に丁寧問ふことぞ。○慎思之。學たことと問ふたことをこちて思我物にすること。知惠の細かになるは此思よりぞ。さて思は大切なことなれども、その思ふに少し訳ある。季文子三ひ思ほと思いちがいする。労欬病が思ふも思ふほと病気わるくなる。手嶌かたたの人へ思へ々々と云か、上の博学審問もなくどふほんのことか思はりやうか。思ほとわるくなる。恭節謂、此懇々爲諸生言之。語類四十五、労心以求、不如遜志而自得云云。論語、終日不食のこと。又十六に、未學未問便去思他、是空労心。又九巻、如釈氏如何、是仏胡乱。掉一語教人、只管玄思量。これ皆朱子の戒めらるる、慎思てない思のことなり。そこて慎と云。たた思へはらちない。恭節録云、思之上はない筈なり。思の上明弁、ちょと看と又粗ひことか出たやふなり。ここか物のしまいのしあげなり。
【解説】
「博學之、審問之。愼思之」の説明。学問の最初は「博學」であり、先ずは聖賢の書を読むこと。博く学んでいると疑いが出る。そこで「審問之」である。そして、それを自分のものにする。それが「愼思」である。思うことで知恵が細かになるのだが、博学と審問がその前になければ、思うほど悪い。
【通釈】
○「博學之云云」。上の之の字に力を入れるのは知行の二つ。ここでは先ず善の択び様を細かに説いた。知仁勇の三徳を自分が行う処で、あれになり様があるというのが目である。恭節の録に云う、先達て舜顔子子路の知仁勇を看板と言ったのはここを言うため。ここは看板ではない、と。これが学問の最初である。知恵を磨くのは広くする。磨かなければ益に立たない。天地の間に道理のないことはない。そこで博学とは、五倫日用天下国家の政。差し当たり今言えば聖賢の書を読むこと。さて博と雑とは違う。博は道理を広く知ること。益に立たない書を読むのは雑学。一日読んでも一日遊んでいるのと同じ。恭節の録に曰く、水滸伝まで看ることを博学と思っては違う。あれは看れば看るほど知恵が暗む。道草ということを合点しなさい。一日弁当を食って草鞋を踏み切っても、行くべき処へ行かないのであれば道草というもの、と。○「審問之」。自分の学問がよほど出来、それからさてこれはと疑いが付く。その時に審らかに丁寧に問うこと。○「愼思之」。学んだことと問うたことをこちらで思って自分の物にすること。知恵が細かになるのはこの思からである。さて思は大切なことだが、その思に少し訳がある。季文子は三度思うほど思い違いをする。労咳病みが思うのも、思うほど病気が悪くなる。手島堵庵がただの人に思え思えと言うが、上の博学審問もなくて、どうして本当のことが思えようか。思うほど悪くなる。恭節謂う、此れ懇々として諸生の爲に之を言う、と。語類四十五に、心を労して以て求むるは、志を遜[へりくだ]りて自ら得るに如かず云云。これは論語にある終日不食のこと。また十六に、未だ學ばず未だ問わず便ち思を去るは、是れ空しく心を労するのみ、と。又九巻に、釈氏の如き如何、是れ仏胡乱。一語を掉[ふる]って人を教え、只管思量を玄す、と。これが皆朱子が戒められたことで、慎思でない思いのこと、と。そこで慎と言う。ただ思えば埒はない。恭節の録に云う、思の上はない筈。思の上に明弁とあるが、一寸看るとまた粗いことが出た様に思う。ここが物の仕舞の仕上げである、と。
【語釈】
・季文子三ひ思ほと思いちがいする…論語公冶長19。「季文子三思而後行。子聞之曰、再斯可矣」。
・労心以求、不如遜志而自得云云…朱子語類45。「吾嘗終日不食、終夜不寢、以思。無益。不如學也。某注云、蓋勞心以必求、不如遜志而自得」。
・終日不食…論語衛靈公30。「子曰、吾嘗終日不食、終夜不寢以思、無益。不如學也」。
・未學未問便去思他、是空労心…朱子語類16。「中庸云、博學之、審問之、方言愼思之。若未學未問、便去思他、是空勞心耳」。

○明辨之。知惠がはっきりと明なること。直方の、明弁と云は、たとへは料理人がまな板の上て豆腐を真中よりきり、すぐに其抱丁では子るほとてなけれは明辨でないとなり。人の屋鋪を尋るに番町と云、或は飯田町と云やふにときまきする。明弁と云は、もとは番町てあったか今は飯田町へ屋鋪替されたと云程に知るが明弁なり。これも直方なり。紺屋がよく染ても上繪書ぬ内は明弁でない。今學者よほとよいことを云ても明弁てないゆへ、何そのとき知えか脇へ逃る。恭節録云、仏者なとは明ゆへとと一つに落るなととぐにゃ々々々を云。○篤行之。行はをもいことなれとも、長口上は入らぬ。知た通り行ふこと。ぶんに行の稽古はいらぬ。今日の學者學問思弁の様なことはあるか、此篤行が出來ぬ。人之言可懼。そこて論語よみの論語知らずと云はるる。篤の字はもとうるしをもふ一へんかくる様な字なれとも、朱子の懇惻と仰られて、心からふるふて是をせずにはをかれぬとかかる意なり。請合普請は篤くない。ぎり一篇の進物は親切でない。知えありて行無いは水の泡なり。料理はありても食子はせんもないことなり。
【解説】
「明辨之、篤行之」の説明。「明辨」は、知恵がはっきりと明らかになること。「篤行之」は、知った通りに行うこと。今の学者はこの篤行ができない。
【通釈】
○「明辨之」。知恵がはっきりと明らかになること。直方が、明弁とは、例えば料理人が俎板の上で豆腐を真ん中から切り、直ぐにその庖丁で刎ねるほどでなけれは明弁でないと言った。人の屋敷を尋ねるのに番町と言い、或いは飯田町と言うとどぎまぎする。明弁とは、元は番町であったが今は飯田町へ屋敷替えされたというほどに知るのが明弁である。これも直方の弁。紺屋がよく染めても上絵を書かない内は明弁ではない。今の学者は余程よいことを言っても明弁でないので、何ぞの時に知恵が脇へ逃げる。恭節の録に云う、仏者などは明なので結局は一つに落ちるなどとぐにゃぐにゃを言う、と。○「篤行之」。行は重いことだが、長口上は要らない。知った通りに行うこと。特別に行の稽古は要らない。今日の学者は学問思弁の様なことはあるが、この篤行ができない。人の言は懼る可し。そこで論語読みの論語知らずと言われる。篤の字は元々は漆をもう一遍掛ける様な字だが、朱子が懇惻と仰せられた。心から奮ってこれをせずには置けないと掛かる意である。請合普請は篤くない。義理一遍の進物は親切でない。知恵があって行の無いのは水の泡である。料理はあっても食わなければ詮もないこと。

註。目也云云。大學に綱領あれば八條目あり、克己復礼には非礼云云の目あり。綱はうごかぬこと。目はそこを一つ々々にしてゆくこと。恭節録云、目云云なければ料らずに食せる様なもの。○程子曰云云。朱子のここへ程子の語を出たが大切なこと。學問は手前の得てた事のみしてはほんのものてない。末の流れ大にちごふ。孔子の没後孔門一つ宛えてな方を出した。子夏の弟子田子方、其弟子に荘子か如き者出來た。人柄さへよけれはよいと云と學問切り賣にするになる。垩賢の學は此五つ揃ふたこと。そこて五つは動れぬ。直方の如くの足の如く、一本かけても益に立ぬ。さてこれて知仁はすみた。
【解説】
「此誠之之目也。學問思辨、所以擇善而爲知。學而知也。篤行、所以固執而爲仁。利而行也。程子曰、五者廢其一、非學也」の説明。綱は動かないもので、目はそれを一つ一つして行くもの。聖賢の学は博學・審問・愼思・明辨・篤行の五つが揃わなければならない。
【通釈】
註。「目也云云」。大学に綱領があれば八條目があり、克己復礼には非礼云云の目がある。綱は動かないこと。目はそこを一つ一つにして行くこと。恭節の録に云う、目云云がなければ料らずに食わせる様なもの、と。○「程子曰云云」。朱子がここへ程子の語を出したのが大切なこと。学問は自分の得意な事のみをしては本当のものではない。末の流れが大いに違う。孔子の没後に孔門が一つ当てて得手な方を出した。子夏の弟子の田子方、その弟子に荘子の様な者が出来た。人柄さえよければよいと言うと学問を切り売りにすることになる。聖賢の学はこの五つが揃ったこと。そこで五つは動かされない。直方が、足の様なもので、一本欠けても益に立たないと言った。さてこれで知仁は済んだ。

○有不學云云。これから勇で上の五つのことを仕ををせること。勇気とて分に出ることてない。分に出ると害ある。町六歩の勇は勇気の気のちがったなり。知行のくたびれのできる所を取てかへしはりをつけるか本の男なり。上の段は軍の陳取り。ここは歒へかけ合ことしと迂斉の云た。恭節録云、上段は献立、この段は腹一はいに食い仕まふことじゃと云てよくすむ。ここは一つす子て云語意ぞ。學ばずはそれぎり。すは學て捨るやふなことはあるまいこと。是迠來たかもふと云は早勇てない。既に學ぶからはよくせずにはをかぬと仕とけること。某の先年東山の将軍塚を今三町ほとにしてかへりた。甲斐ないことなり。井戸を掘なら底まて掘秡くことぞ。野猪の人をたいたをし息をつくかと暫かいて居る、と。なるほど猛獣そ。今の學者の犬のほへにげとはちかふ。○問之。問ならは、む子の内へをちるほと問こと。迂斉の、道の知れぬをよいかけんにしてはならぬとなり。思之。周公之座して俟旦。迂斉の、百篇も思へとなり。
【解説】
「有弗學。學之、弗能弗措也。有弗問。問之、弗知弗措也。有弗思。思之、弗得弗措也」の説明。ここからが勇である。既に学ぶからはよくせずには置かぬと仕遂げる。よい加減にしてはならない。
【通釈】
○「有弗學云云」。これからが勇で上の五つのことを仕おおせること。勇気と言っても分に出ることではない。分に出ると害がある。町六歩の勇は勇気の気の違ったのである。知行の草臥れのできる所を取って返して張りを付けるのが本当の男である。上の段は軍の陣取り。ここは敵へ掛け合うが如しと迂斎が言った。恭節の録に云う、上段は献立、この段は腹一杯に食い仕舞うことだと言うのでよく済む、と。ここは一つ拗ねて言う語意である。学ばなければそれぎり。さあ学んで捨てる様なことはあり得ないこと。これまで来たがもうと言うのは既に勇ではない。既に学ぶからはよくせずには置かぬと仕遂げること。私が先年、東山の将軍塚を今三町ほどにして帰った。甲斐無いこと。井戸を掘るなら底まで掘り抜くこと。野猪が人を倒して息をつくかと暫く嗅いでいる、と。なるほど猛獣である。今の学者の犬の吠え逃げとは違う。○「問之」。問うならば、胸の内に落ちるほどに問うこと。迂斎が、道の知れないのをよい加減にしてはならないと言った。「思之」。「周公坐而俟旦」。迂斉が、百遍も思えと言った。
【語釈】
・町六歩…六方組が、江戸前期、万治・寛文の頃、江戸で威をふるった侠客の六団体。鉄砲組・笊籬組・鶺鴒組・吉屋組・大小神祇組・唐犬組の総称。

○辨之弗明云云。知惠かたきると辨へらるる。明の字、小學の明々倫、明父子之親と云明と同。五倫の交り、何ぞ変にあふと了簡かはるは明にせぬゆへなり。直方のたとへに、明の字はくらやみでさぐってもとりちかへぬほとに明にすることなり。○行之弗篤云。わけはすむと云は本の行てない。祭も鬼神の感格迠行ふこと。顔子の温順で舜何人ぞと云。舜になる気なり。ここか大切。弗措々々と云かきれ口を云てない。をらなどは々々々々々と口で云様なことてない。其筈。なぜ人か一度すれは百度、十度すれは千度する。そこが弗措々の所なり。或人天神の霊に能書にならんことを祈る。霊大硯をあたへ示して云、此硯の底のぬける迠手習はげめば能書になる、と。そこでくたびれがでる。そこへ勇を出すことぞ。註。不爲則已。まいらすは格別、まいるからはとつよい語意。致すからは是非に仕遂ると云こと。本文につよいことはないが、弗措とある。そこが勇なり。恭節録云、公事を一つまく口上なり。酒をのまずは飲す。呑むくらいなれば一舛のむと云やふなことなり。○故からは口ではゆかぬ。
【解説】
「有弗辨。辨之、弗明弗措也。有弗行。行之、弗篤弗措也。人一能之己百之。人十能之己千之。君子之學、不爲則已、爲則必要其成。故常百倍其功。此困而知、勉而行者也。勇之事也」の説明。致すからは是非に仕遂げる。「弗措」とあるのが勇である。
【通釈】
○「辨之、弗明云云」。知恵が滾ると辨えられる。明の字は、小学の明倫の「明父子之親」と言う明と同じ。五倫の交わり、何か変に遇うと了簡が変わるのは明にしないからである。直方の例えに、明の字は暗闇で探っても取り違えないほどに明にすることだとある。○「行之、弗篤云云」。わけは済んだと言うのは本当の行ではない。祭も鬼神の感格まで行うこと。顔子は温順だったが舜何人ぞと言った。舜になる気である。ここが大切。弗措々々と言うのが切れ口を言ったことではない。俺などはと口で言う様なことではない。その筈。何故人が一度すれば百度、十度すれば千度するのか。そこが弗措の所である。或る人が天神の霊に能書になることを祈った。霊は大硯を与え示して言った。この硯の底が抜けるまで手習いに励めば能書になる、と。そこで草臥れが出る。そこへ勇を出すのである。註。「不爲則已」。参らないのであれば格別、参るからはと強い語意。致すからは是非に仕遂げるということ。本文には強いことはないが、弗措とある。そこが勇である。恭節の録に云う、公事を一つ蒔く口上である。酒を飲まないのであれば飲まない。呑むくらいであれば一升呑むと言う様なこと、と。○「故」からは口ではうまく行かない。
【語釈】
・明父子之親…小學明倫39の後に、「右明父子之親」とある。
・舜何人ぞ…孟子滕文公章句上1。「成覵謂齊景公曰、彼丈夫也。我丈夫也。吾何畏彼哉。顏淵曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是。公明儀曰、文王我師也。周公豈欺我哉」。

○果能此道云云。ここは二色にみゆる。博學審問をうけてよくすむ。迂斉は人一能之云云の功をあてたと云。此説親切なり。ふみ切ること。日和を見合せる旅てない。日切りを切りて往旅なり。决断して外へ相談ない。果なり。○此道。右の通りのことをてまいでしてとること。凡夫から垩人になる界めもここなり。夫故矣字てしっかときめた。山帰來も大茶碗て呑むやふでなければ愈ぬ。飲たと云てくれろ位ては益にたたぬ。恭節録云、かわった処に矣字。医者に藥を呑たと云てくれよと云やふなことでない。飲めと云た藥を五郎八茶碗でぐっと呑む。そこで語せいがつよかったゆへ矣字なり。○愚云云。をろかて知惠のうつりのないもののこと。柔は益に立ず。粥を煮たやふ男もつよくなる。道をよくするは學者の方なり。さてここの必強は孔子のきっと請判なされたことぞ。
【解説】
「果能此道矣、雖愚必明、雖柔必強」の説明。「果」は踏み切ってすること。「必明」「必強」は孔子が請け合ったこと。
【通釈】
○「果能此道云云」。ここは二色に見える。博学審問を受けてよく済む。迂斎は「人一能之云云」の功を当てたと言った。この説は親切である。踏み切ること。日和を見合わせる旅ではない。日切りを切って往く旅である。決断して他には相談しない。それが「果」である。○「此道」。右の通りのことを自分でして取ること。凡夫から聖人になる境目もここ。そこで「矣」の字でしっかりと決めた。山帰来も大茶碗で呑む様でなければ愈えない。飲んだと言ってくれと言うくらいでは益に立たない。恭節の録に云う、変わった処に矣の字がある。医者に薬を呑んだと言ってくれと言う様なことではない。飲めと言われた薬を五郎八茶碗でぐっと呑む。そこで語勢が強かったので矣の字となる、と。○「愚云云」。愚かで知恵の映りのない者のこと。「柔」は益に立たない。粥を煮た様な男でも強くなる。道をよくするのは学者の方のこと。さてここの「必強」は孔子がきっと請判なされたこと。
【語釈】
・日切り…約束などを履行する期限の日をきめること。また、その日限。

註。之功。善を擇ふの功て明になりた。つよくなるしるしは固執るからなり。○呂氏曰云云。此等の説は漢唐の間の学者をのけはらった説。なんぼ漢唐でさはいても訓話の學は文義より外説ことならぬ。本文の語につき孔子の仰の如の愚が明、柔がつよくなる。気質変化より外學問はない。悪いものがよくなら子ば学問益にたたぬ。藥も病を直すためぞ。そうなくはやめるがよい。わるいものよくなるは外のことでない。気質をかへること。私は気が短ひ生れ付と云は気質に負るなり。天命するに短慮と云はない。己が我侭なり。直方の、己か生れつきの泥まぶれ、天から泥でまぶりて下されはせぬ。田舎者江戸へ出ると分の者の様にする。気質ばかりでなく、仕くせでもちがふ。私生れ付て朝寢と立派なことの様に云とも、己がくせでするぞ。五十萬石とりても、あけ六つから登城したり腹のへることもある。さすれは朝寢はあるまじきことぞ。さて気質はほくろの如く、くせは墨のついた如し。直方の説なり。ほくろさへぬけは、すみのついたは落すと何のこともない。○而已矣云云。學問してももとの本阿弥。而已の字の下に矣字あるが呂与叔の本書にはない。爰へ矣の字を入れたが朱子の筆なり。前は理なりゆへ緩く云、ここはきひしく其心からと疂をたたきながら云た。そこが矣字なり。
【解説】
「明者擇善之功、強者固執之效。呂氏曰、君子所以學者、爲能變化氣質而已。德勝氣質、則愚者可進於明、柔者可進於強。不能勝之、則雖有志於學、亦愚不能明、柔不能立而已矣」の説明。どれほど漢唐で騒いでも訓詁の学は文義より他に説くことはできない。気質変化より他に学問はない。悪い者がよくならなければ学問は益に立たない。
【通釈】
註。「之功」。善を択ぶ功で明になった。強くなる験は固く執るからである。○「呂氏曰云云」。これらの説は漢唐の間の学者を除け払った説。どれほど漢唐で騒いでも訓詁の学は文義より他に説くことはできない。本文の語に付いて、孔子の仰せの通りに愚が明、柔が強くなる。気質変化より他に学問はない。悪い者がよくならなければ学問は益に立たない。薬も病を直すため。そうでなければ止めるのがよい。悪い者がよくなるのは他のことではない。気質を変えること。私は気が短い生まれ付きと言うのは気質に負けたのである。天が命ずるのに短慮ということはない。それは自分の我儘である。直方が、自分の生まれ付きの泥まぶれで、天から泥でまぶりて下されはしないと言った。田舎者が江戸へ出ると分の者の様にする。気質ばかりでなく、仕癖でも違う。私は生まれ付き朝寝だと立派なことの様に言うが、それは自分が癖でするのである。五十万石取っても、明け六つから登城したり腹の減ることもある。それなら朝寝はあるまじきこと。さて気質は黒子の如く、癖は墨の付いた如し。直方の説。黒子さえ抜けば、墨の付いたのは落とすと何のこともない。○「而已矣云云」。学問をしても元の本阿弥。而已の字の下に矣の字があるが、呂与叔の本書にはない。ここへ矣の字を入れたのが朱子の筆である。前は理なりなので緩く言い、ここは厳しくその心からと畳を叩きながら言ったもの。そこが矣の字である。

○均善而。孟子の性善てさたまって人間のわけを付たことなり。昏明。天地の染そこない、水の上の細ゆへぞ。才也。松でも杉でもそだつ所は同ことで、其中にそたちか子、色々違いある。そこを才と云。鄭の子産、人心不同如面程子の、いやそれは私心じゃと云た。反同変異と千載心秋月照寒水也。學問はよのことはない。気質を変すること。それゆへ百倍の功をせすんはならぬなり。○鹵莽。荘子の字。心を用ぬこと。滅裂は気のかるい。やりはなして學問にのりのつかぬこと。又ちと始やふなとと云やふなは鹵莽云云の字そ。せぬものよりはよからふが、それては気質変化はならぬ。医者の藥も呑ずに置、療治はならぬ。天質。私はよくない生れ付てごさると云。能変。學問てはゆかぬと云て人質をあひせても直らぬ。自棄。てまいて断り云て錠を卸すことなり。○不仁。さて々々いかいたわけ。不知と云そふなものに不仁と云は、迂斉の、脉のある病人を早いきませぬと云て屏風を建廻すことし。生物を死物にするゆへ不仁と云。横渠の西の銘でそだった呂氏ゆへ格別ぞ。正宗の刄をひくことくなり。
【解説】
「蓋均善而無惡者、性也。人所同也。昏明強弱之稟不齊者、才也。人所異也。誠之者、所以反其同而變其異也。夫以不美之質、求變而美、非百倍其功、不足以致之。今以鹵莽滅裂之學、或作或輟、以變其不美之質。及不能變、則曰天質不美、非學所能變。是果於自棄。其爲不仁甚矣」の説明。学問は気質を変ずること。それで百倍の功をしなければならないのである。ここで不知ではなくて不仁と言うのは、生物を死物にするから不仁と言う。
【通釈】
○「均善而」。孟子の性善で定まって、人間のわけを付けたこと。「昏明」。天地の染め損ないは、水の上の細かなことだからである。「才也」。松でも杉でも育つ所は同じことでも、その中に育ちかねるものもあって、色々な違いがある。そこを才と言う。鄭の子産が言った「人心不同如面」を、程子が、いやそれは私心だと言った。「反其同而變其異」と、「千載心秋月照寒水」である。学問は他のことはない。気質を変ずること。それで百倍の功をしなければならないのである。○「鹵莽」。荘子の字。心を用いないこと。「滅裂」は気が軽いこと。遣り放しをして学問に乗りが付かないこと。また一寸始めようなどと言う様な者は鹵莽云云である。しない者よりはよいかも知れないが、それでは気質変化はできない。医者の薬も呑まずに置いて、療治はならない。「天質」。私はよくない生まれ付きですと言う。「能變」。学問ではうまく行かないと言っても、人質を浴びせても直らない。「自棄」。自分から断りを言って錠を下ろす。○「不仁」。さてさて大戯け。不知と言いそうなところを不仁と言うのは、迂斎が、脈のある病人を早くも生きませんと言って屏風を建て廻す様なこと。生物を死物にするので不仁と言う。横渠の西の銘で育った呂氏なので格別である。正宗の刃を引く様である。
【語釈】
・人心不同如面…春秋左氏傳襄公31年。「子產曰、人心之不同、如其面焉」。
・程子の、いやそれは私心じゃと云た…近思録道體27。「伊川先生曰、公則一、私則萬殊。人心不同如面、只是私心」。
・千載心秋月照寒水…朱子文集巻4の斎居感興五言詩凡廿首の一。「恭惟千載之心。敬者是心之貞。聖人專是道心。秋月照寒水」。弧松全稿68録絶筆の語にもある。
・鹵莽…荘子雜篇則陽。「長梧封人問子牢曰、君爲政焉勿鹵莽、治民焉勿滅裂。昔予爲禾、耕而鹵莽之、則其實亦鹵莽而報予。芸而滅裂之、其實亦滅裂而報予。予來年變齊、深其耕而熟耰之、其禾繁以滋、予終年厭飧。莊子聞之曰、今人之治其形、理其心、多有似封人之所謂。遁其天、離其性、減其情、亡其神、以衆爲。故鹵莽其性者、欲惡之孽、爲性、萑葦蒹葭。始萌以扶吾形、尋擢吾性、竝潰漏發、不擇所出、漂疽疥癰、内熱溲膏是也」。

右第二十章。緒。糸すじ。舜から文武は天子。周公は摂政。孔子は浪人。其居り塲はいこふ違いあれども、皆垩人ゆへ道を傳た処は一なり。挙て而。迂斉の、孔子を其塲へあけをかば、大舜文武の如てあらんとなり。此説平て爰によく合そ。包。うへからは見へすに中に費隱あるを云。兼大小。がんざりか子て見へてある、と。三德ても三近でも博學云云。心と身となり。大は天下国家を治ること。是迠そこを云ぬいて此次の章より棒くひかわる。誠は鬼神の章てちらりと出し、此章て誠の詳を出した。是より誠の領分になる。中庸全体誠でくくって居る。天命の章て口がぐつ々々して居たが、今爰で誠を委く云。そこか始詳の如なり。樞紐。戸のくるると衣類の縫めてくくりのことぞ。傘と扇はろくろと要て持て居る。そこか樞紐なり。中庸は誠て持て居る。是から誠と云て中庸の書のふりがかわることなり。恭節録云、此篇の樞紐、先へわたした注なり。又按孔子家語。中庸と家語のちかいをここへ出してみせる。さて家語はさっはくな書なれども古書ゆへ史記や左傳をひく例て證據になる。それを張南軒の、なんのあの家語なとをといやに思はれた。南軒高識ゆへ、中庸の章句に家語のことあればどふやらひょんなもの出たと云やふに思ふた。これは俗學ではかいしき合点ゆかぬことなり。朱子は、其様なことてない。一槩に排斥することはないとなり。恭節録云、張南軒きついふきげんなり。なぜなれば俗學は家語と論語をならべたがる。そこて中庸へ引が。右二十章三席筆記加朱批申候。御熟覧の様に存候。恭節録爲加申候。
【解説】
「右第二十章。此引孔子之言、以繼大舜・文・武・周公之緒、明其所傳之一致、舉而措之、亦猶是耳。蓋包費隱、兼小大、以終十二章之意。章内語誠始詳、而所謂誠者、實此篇之樞紐也。又按、孔子家語亦載此章、而其文尤詳。成功一也之下、有公曰、子之言美矣。至矣。寡人實固、不足以成之也。故其下復以子曰起答辭。今無此問辭、而猶有子曰二字。蓋子思刪其繁文以附于篇、而所刪有不盡者。今當爲衍文也。博學之以下、家語無之。意彼有闕文、抑此或子思所補也歟」の説明。次章からは誠の領分である。中庸の体は誠で括ってある。中庸は誠で持っている。張南軒は、家語を出したのを嫌ったが、それは俗学が論語と家語とを並べたがるから、ここに家語を出すのを嫌ったのである。
【通釈】
「右第二十章」。「緒」。糸筋。舜から文武までは天子。周公は摂政。孔子は浪人。その居り場は大層違いがあるが、皆聖人なので道を伝えた処は一である。「舉而」。迂斎が、孔子をその場へ挙げ置けば、大舜文武の様だっただろうと言った。この説は平でここによく合う。「包」。上からは見えずに中に費隱のあることを言う。「兼大小」。はっきりと兼ねて見えてあると言う。三徳でも三近でも博学云云。心と身とである。大は天下国家を治めること。これまでそれを言い抜いて、この次の章から棒杭が変わる。誠は鬼神の章でちらりと出し、この章で誠の詳細を出した。これからが誠の領分になる。中庸の体は誠で括ってある。天命の章では口がぐずぐずしていたが、今ここで誠を委しく言う。そこが「始詳」の如し。「樞紐」。戸の枢と衣類の縫い目で括りのこと。傘と扇は轆轤と要で持っている。そこが樞紐である。中庸は誠で持っている。これから誠と言って中庸の書の振りが変わる。恭節の録に云う、この篇の樞紐は、先へ渡した注である、と。「又按、孔子家語」。中庸と家語の違いをここへ出して見せる。さて家語は雑駁な書だが古書なので史記や左伝を引く例で証拠になる。それを張南軒が、何のあの家語などをと嫌に思われた。南軒は高識なので、中庸の章句に家語のことがあればどうやらひょんなものが出たという様に思った。これは俗学では全く合点のいかないことである。朱子は、その様なことではない。一概に排斥することはないと言った。恭節の録に云う、張南軒は大層不機嫌である。それは何故かというと、俗学は家語と論語を並べたがる。そこで中庸へ引くのが嫌なのである、と。右二十章三席筆記、朱批を加え申し候。御熟覧の様に存じ候。恭節の録爲に加え申し候。
【語釈】
・かいしき…皆式。皆色。全く。すべて。少しも。