己酉一六中庸筆記十七
二十七章  四月十六日 先生朱批 恭節
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・恭節…鈴木(鵜澤)恭節。字は子長。長藏と称す。大網白里町清名幸谷の人。鵜澤近義の第三子。館林藩儒臣。文政13年(1830)11月10日没。年55。


中庸章句第二十七章
大哉聖人之道。包下文兩節而言。
【読み】
大いなるかな聖人の道。下文の兩節を包んで言う。

洋洋乎發育萬物、峻極于天。峻、高大也。此言道之極於至大而無外也。
【読み】
洋洋乎として萬物を發育し、峻[たか]きこと天に極[いた]れり。峻は高大なり。此れ道の至大を極めて外無きことを言うなり。

優優大哉、禮儀三百威儀三千。優優、充足有餘之意。禮儀、經禮也。威儀、曲禮也。此言道之入於至小而無閒也。
【読み】
優優として大いなるかな、禮儀三百威儀三千。優優は、充足して餘り有るの意。禮儀は經禮なり。威儀は曲禮なり。此れ道の至小に入りて閒無きことを言うなり。

待其人而後行。總結上兩節。
【読み】
其の人を待って後に行わる。上の兩節を總べて結べり。

故曰、苟不至德、至道不凝焉。至德、謂其人。至道、指上兩節而言也。凝、聚也。成也。
【読み】
故に曰く、苟し至德ならざれば、至道凝[な]らず。至德は其の人を謂う。至道は上の兩節を指して言うなり。凝は聚まるなり。成るなり。

故君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。溫故而知新、敦厚以崇禮。尊者、恭敬奉持之意。德性者、吾所受於天之正理。道、由也。溫、猶燖溫之溫。謂故學之矣、復時習之也。敦、加厚也。尊德性、所以存心而極乎道體之大也。道問學、所以致知而盡乎道體之細也。二者脩德凝道之大端也。不以一毫私意自蔽、不以一毫私欲自累、涵泳乎其所已知、敦篤乎其所已能。此皆存心之屬也。析理則不使有毫釐之差、處事則不使有過不及之謬。理義則日知其所未知、節文則日謹其所未謹。此皆致知之屬也。蓋非存心無以致知、而存心者又不可以不致知。故此五句、大小相資、首尾相應。聖賢所示入德之方、莫詳於此。學者宜盡心焉。
【読み】
故に君子は德性を尊んで問學に道[よ]り、廣大を致[きわ]めて精微を盡くし、高明を極めて中庸に道る。故きを溫[かさ]ねて新しきを知り、厚きを敦くして以て禮を崇くす。尊は、恭敬奉持の意。德性は、吾天に受くる所の正理。道は由るなり。溫は猶燖溫[じんおん]の溫のごとし。故[もと]之を學び、復時々之を習うことを謂うなり。敦は厚きを加うるなり。德性を尊ぶは、心を存して道體の大を極むる所以なり。問學に道るは、知を致めて道體の細を盡くす所以なり。二つの者は德を脩め道を凝すの大端なり。一毫の私意を以て自ら蔽わず、一毫の私欲を以て自ら累わさず、其の已に知る所を涵泳し、其の已に能くする所を敦篤す。此れ皆心を存するの屬なり。理を析[わか]つときは則ち毫釐の差も有らしめず、事を處するときは則ち過不及の謬りも有らしめず。理義は則ち日に其の未だ知らざる所を知り、節文は則ち日に其の未だ謹まざる所を謹む。此れ皆知を致むの屬なり。蓋し心を存するに非ざれば以て知を致むこと無くして、心を存するには又以て知を致めざることある可からず。故に此の五句、大小相資[たす]け、首尾相應ず。聖賢の德に入るの方を示す所、此より詳らかなること莫し。學者宜しく心を盡くすべし。

是故居上不驕、爲下不倍、國有道其言足以興、國無道其默足以容。詩曰、旣明且哲、以保其身、其此之謂與。倍、與背同。與、平聲。○興、謂興起在位也。詩、大雅烝民之篇。
【読み】
是の故に上に居て驕らず、下と爲りて倍[そむ]かず、國道有れば其の言以て興るに足り、國道無ければ其の默以て容るるに足る。詩に曰く、旣に明らかに且哲[さと]くして、以て其の身を保んずとは、其れ此を謂うか。倍は背と同じ。與は平聲。○興は、興起して位に在ることを謂うなり。詩は大雅烝民の篇。

右第二十七章。言人道也。
【読み】
右第二十七章。人道を言うなり。


此章四つくっ揃て人道を云。人道は脩行して垩人に至る。先つ曲を致るて垩人に至るもあり、廿五章は誠之為貴と云て垩人に至る。此章四つくっ揃へて説く。爰が手に入れば外の書は入らぬ程のこと。去に因て直方先生が道學標的に載する。学者大切に見べし。○中庸との章でも異端に對すと云うち、この大哉なとは別して異端に對した口上なり。異端は群をぬけたものなれとも片へらなり。垩人の道に片へらはない。中庸の中、片へらでないことを云。たたい天地の道が片へらでない。独隂不生独陽不生。何程見処が高くても異端の道は揃はぬ。垩人の道は全く揃ふ。その揃た処を祝て大哉垩人之道と云なり。人の孝弟忠信だが、敎るともなく親に孝、兄弟中よく、習はずとも自然なことゆへ人の知たことなり。それからして天地の運行動静なにもかもひっくるめて垩人の道に存してある。
【解説】
「大哉聖人之道」の説明。この章は人道を言う。この章は大切な章で、直方も道学標的に載せている。異端は傍片だが、聖人の道は全い。その揃った処を祝って大哉聖人之道と言ったのである。
【通釈】
この章は四つを揃えて人道を言う。人道は修行して聖人に至るもの。先ず曲を致めることで聖人に至る者もあり、二十五章は「誠之爲貴」と言って聖人に至る。この章は四つを揃えて説く。ここが手に入れば他の書は要らないというほどのこと。そこで直方先生が道学標的に載せたのであって、学者はこれを大切に見なさい。○中庸はどの章でも異端に対すると言う中で、この大哉などは別して異端に対した口上である。異端は群を抜いたものだが傍片である。聖人の道に傍片はない。中庸の中は、傍片でないことを言ったもの。そもそも天地の道は傍片ではない。「獨陰不生、獨陽不生」であって、どれほど見所が高くても異端の道は揃わない。聖人の道は全く揃う。その揃った処を祝って大哉聖人之道と言ったのである。人は孝悌忠信だが、教えるともなく親に孝、兄弟仲よく、習わなくても自然なことなのであって、それは人の知ったこと。それからして天地の運行動静何も彼も引っくるめて聖人の道に存してある。
【語釈】
・誠之為貴…中庸章句25。「誠者物終始。不誠無物。是故君子誠之爲貴」。
・独隂不生独陽不生…春秋穀梁傳莊公三年傳。「獨陰不生、獨陽不生、獨天不生、三合然後生」。

註。大哉に見様のあることなり。子思どこをつかまへて大哉と云なれば、譬て云へば武鑑をあけて見て大哉と云やふなものなり。ときに先つ始めに御三家、それから加賀守殿、それを大哉と云たやふに看へるがさうでない。末の御役人付迠を看ると百万石取る加賀守殿から棋打の安井仙角迠はいっている。さて々々大哉。上へ檨のことなり。そこて包下文両節而言とあり。恭節謂、非言一事之大、包羅千緒万端在。○顔渕の喟然の嘆とは気前が違ふ。喟然ぎりてなんのことてこさると云。それて仰之弥高を云ほどのことなり。嘆ぎりでもすむ。是れはあとに云たいことがあって、それを云ために大哉也。そこで云へば前書きなり。恭節謂、勿挙喟然者爲下文両節之證以辞害意。難對癡人而語夢云云也。
【解説】
「包下文兩節而言」の説明。「大哉」は、例えば武鑑に御三家から末の役人付までが載っている様なもの。ここは後に言いたいことがあって言ったのであり、言わば前書である。
【通釈】
註。「大哉」に見様がある。子思は何処を捉まえて大哉と言ったかというと、譬えて言えば武鑑を開けて見て大哉と言う様なもの。時に先ず始めに御三家、それから加賀守殿、それを大哉と言った様に看えるがそうではない。末の御役人付までを看れば百万石取る加賀守殿から碁打ちの安井仙角までが入っている。さてさて大哉である。上様のこと。そこで「包下文兩節而言」とある。恭節謂う、一事の大を言うに非ず、千緒万端を包羅して在り、と。○顔淵の喟然の嘆とは気前が違う。喟然ぎりでは何のことでござると言われる。それで「仰之彌高」を言うほどのことで嘆ぎりでも済む。これは後に言いたいことがあって、それを言うために大哉なのである。そこで、言うなれば前書である。恭節謂う、喟然を挙ぐるは下文両節の爲の證、辞を以て意を害する勿かれ。癡人に對して夢を語ること難し云云、と。
【語釈】
・喟然の嘆…論語子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人。博我以文、約我以禮。欲罷不能、旣竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已」。
・對癡人而語夢…冷齋夜話。「此正所謂對癡人說夢也」。

○洋々乎発育万物云云。天地の造化。下の優々云云。人事。此二つひっくるめて垩人之道也。垩人は天をほんそんに立る。異端天をはづれて居る。垩人之道を語るには先つ天をかたら子ばならぬ。○なんても天地の間のものは皆天が拵て出た。○ことの外をきをこへたことを峻と云。○極于天。朱子充塞之意と云。天地一はいへ流行していくこと。註。天地をかたるには高大とより外に云やふかない。鍛冶や早朝から起てたたけともくたびれる。天地にくたびれることはない。たれかか天地は瞬見の中に千里つつ運ると云。爰らて費隱と云ことを云てはすれもないことなれとも面白ない。そこて費隱の大小の字をそっと假て云。
【解説】
「洋洋乎發育萬物、峻極于天。峻、高大也。此言道之極於至大而無外也」の説明。ここは天地の造化を言い、下の「優優云云」は人事を言う。何でも天地の間のものは皆天が拵えて出たもの。
【通釈】
○「洋洋乎發育萬物云云」は天地の造化。下の「優優云云」は人事。この二つを引っくるめて「聖人之道」である。聖人は天を本尊に立てる。異端は天を外れている。聖人の道を語るには先ず天を語らなければならない。○何でも天地の間のものは皆天が拵えて出たもの。○殊の外沖を越えたことを「峻」と言う。○「極于天」。朱子が充塞の意と言った。天地一杯に流行して行くこと。註。天地を語るには高大と言うより他に言い様がない。鍛冶屋は早朝から起きて叩くが草臥れる。天地に草臥れることはない。誰かが天地は瞬見の中に千里ずつ運ばれると言う。ここらで費隠のことを言っても外れはしないが面白くない。そこで費隠の大小の字をそっと借りて言ったもの。
【語釈】
・朱子充塞之意と云…朱子語類64。「峻極于天、只是充塞天地底意思」。
・費隱…中庸章句12を指す。

○優々大哉云云。たっふりとある。振舞も供のもの迠は手がまわらぬものじゃが、天地の道に供まはりには手かととかぬと云やふなことはない。道のわれて出る処なり。○礼義三百云云。道のこまかに破れて出ることを云。これらも異端へ對して看よなり。異端に礼儀のこまかあたりはない。垩賢の心から和と云、片へらな心からは乱之始めと云。○なにが三百なにが三千と数で云ことではない。多いことを三千と云。元服も三百のうち。それにこまかな三千がある。えぼしをや三加のと云るい。○垩人の道に上からをっかぶせをしつけることはない。医者藥箱をあけてみると藥がかず々々あるやふに、それ々々にこまかあたりあり。松の木一本切ても破て見ると細かなもくがある。天地のなりがこふしたものなり。去によって一寸した口上ても昏礼のとき云ことを悔に行云てはつまらぬ。手紙の書やふから字の畧しやふあり。進物をするにものし包みの包みやうあり。皆理の破れたものなり。
【解説】
「優優大哉、禮儀三百威儀三千」の説明。「禮儀三百威儀三千」は道が細かに破れて出ること。異端に礼儀の細か当たりはない。
【通釈】
○「優優大哉云云」。たっぷりとある。振舞も供の者までは手が回らないものだが、天地の道に供回りには手が届かないなどという様なことはない。道の破れて出る処である。○「禮儀三百云云」。道が細かに破れて出ることを言う。これらも異端へ対して看なさい。異端に礼儀の細か当たりはない。聖賢の心から和と言い、傍片な心からは乱の始めと言う。○何が三百、何が三千と数で言うことではない。多いことを三千と言う。元服も三百の内。それに細かな三千がある。烏帽子親や三加と言う類。○聖人の道に上からおっ被せ押し付けることはない。医者の薬箱を開けて見ると薬が数々ある様に、それぞれに細か当たりがある。松の木一本切っても破って見ると細かな目がある。天地の姿はこうしたもの。そこで一寸した口上でも婚礼の時に言うことを悔みに行って言っては詰まらない。手紙の書き方でも字の略し様がある。進物をするにも熨斗包みの包み様がある。それは皆理の破れたもの。
【語釈】
・えぼしをや…烏帽子親。武家社会で元服の時、烏帽子をかぶらせ、烏帽子名をつける人。元服親。
三加

註。充足有餘云云。迂斎が蠏の穴まで潮がはいるとなり。朝鮮人參は中間迠はまわらぬ。たっふりとないことはととかぬものなり。佛者は本來の面目を觀ゆへに小細なことはいらぬとなぐる。老子は渾沌未分を云ゆへに礼儀をうるさがる。仏者がするどいことを云も老子がゆるやかなことを云も、皆目前かぬける。そこて老子が礼は忠信の薄にして乱の始と云。その老子のすてた小笠原を孔子が学ぶ。よく見れば薺花咲垣根かな。元となんてもすてると云ことはないことなり。○礼儀は經礼云云。註と云ではなく、異国でみせたもの。経はたて。木も幹はたてで大なり。典、よこの方。木も枝は小なり。礼書には経礼三百曲礼三千とある。○直方先生ここでひょんなことを云た。よく思へば面白い。芋をすってこまかにすれば粉になる。それを又一つにすればかたまるとなり。こまかにわれた処は些少なやふなれとも、それも太極のわれたものなり。統体の太極と各具の太極と云やふなもの。統体がわれて出れば各具。各具が又統体なり。然れば天地の間に道のないと云ものはない。すこしの我建立した道を道とは云はぬ。此方のと云ことはなし。
【解説】
「優優、充足有餘之意。禮儀、經禮也。威儀、曲禮也。此言道之入於至小而無閒也」の説明。仏者は本来の面目を観るので小細なことは要らないと疎かにする。老子は渾沌未分を言うので礼儀を煩がる。しかし、天地の間に道のないものはない。棄ててよいものなどはない。
【通釈】
註。「充足有餘云云」。迂斎が蟹の穴にまで潮が入ると言った。朝鮮人参は中間までは回らない。たっぷりとないことは届かないもの。仏者は本来の面目を観るので小細なことは要らないと疎かにする。老子は渾沌未分を言うので礼儀を煩がる。仏者が鋭いことを言うのも老子が緩やかなことを言うのも、皆目前が抜けたもの。そこで老子が礼は忠信の薄にして乱の始めと言う。その老子の棄てた小笠原を孔子が学ぶ。よく見れば薺花咲く垣根かな。元々何でも棄てるということはないこと。○「禮儀、經禮云云」。註ということではなく、異国で見せたもの。経は縦。木も幹は縦で大きい。典は横の方。木も枝は小さい。礼書には「經禮三百曲禮三千」とある。○直方先生がここでひょんなことを言ったが、よく思えば面白い。芋を擂って細かにすれば粉になる。それをまた一つにすれば固まると言った。細かに破れた処は些少な様だが、それも太極の破れたもの。それは統体の太極と各具の太極という様なもの。統体が破れて出れば各具。各具がまた統体である。それなら天地の間に道のないというものはない。少しばかり建立した我が道を道とは言わない。こちらのことということではない。
【語釈】
・老子が礼は忠信の薄にして乱の始…老子德經論德38。「夫禮者忠信之薄而亂之首」。
・よく見れば薺花咲垣根かな…芭蕉の句。
・経礼三百曲礼三千…禮記禮器。「禮也者、猶體也。體不備、君子謂之不成人。設之不當、猶不備也。禮有大、有小、有顯、有微。大者不可損、小者不可益、顯者不可揜、微者不可大也。故經禮三百、曲禮三千、其致一也」。

○洋々云云の造化、優々哉云云の人事、それを一つにして待其人而後行。○首章に當行とあり、廿五章目に所當自行とある。あの道て人能弘道云云の道と看ることてはない。その道か人を待て行る。ここてこそ人能弘道の塲なり。當の字は當然の當字ゆへかふ用る様な字なれども、首章も廿五章もそれがすぐに道体ぞ。そこで人能弘道などと當の字は見られぬ。ここの待人と云か人能の処ぞ。○並木の松、道中してがないと云てかまいはせぬか、なれとも人か通ら子ば東海道のせんもない。人を待て行る。直方先生曰、鞠は飛鳥井殿で行る。名馬は上手が乘るで行る。又云、爰は人へ受取る処じゃとなり。傷寒論や金匱要畧も仲景かやふな名医で行はる。
【解説】
「待其人而後行。總結上兩節」の説明。道が人を待って行われる。それでこそ「人能弘道」となる。
【通釈】
○「洋洋云云」の造化と「優優哉云云」の人事、それを一つにして「待其人而後行」。○首章に「當行」とあり、二十五章目に「所當自行」とある。あの道で、「人能弘道云云」の道と看ることではない。その道が人を待って行われる。ここでこそ人能弘道の場である。當の字は當然の當の字なので、この様に用いる様な字だが、首章も二十五章もそれが直ぐに道体である。そこで人能弘道などとは當の字は見られない。ここの待人というのが人能の処である。○並木の松、道中の仕手がないとしても構いはしないが、人が通らなければ東海道の詮も無い。人を待って行われる。直方先生曰く、鞠は飛鳥井殿で行われる。名馬は上手が乗るので行われる、と。また云う、ここは人へ受け取る処だ、と。傷寒論や金匱要略も仲景の様な名医で行われる。
【語釈】
・人能弘道…論語衛靈公28。「子曰、人能弘道。非道弘人」。

○故曰苟不至德云云。此句は重た様なれども學問へわたすあいだを云たものなり。重るやふで指し塲は違ふと看べし。前は道はあっても人でなければ行はれぬと結たもの。ここはその道も至德でなければならぬと云たもの。至德は道を得た人のこと。至德でなければ上にある至道がならぬぞ。呂與叔が二十章で気質変化を云たことも思ひ出してみると果報寐てまてはならぬ。仲景の方も上手になら子ば益に立ぬ。至德は医者の上手になる様なもの。註。重た様て重ぬと云かこのあやなり。上の人を待て行ると云其人は、ただ人足のやふな人でない。至德のことじゃとみせたものなり。○註が二つゆへ、道春あつまらず、ならずと点を付た。これはやはりならずとよむべし。朱子の二つ註をしたはとふなれは、ことの外た子くして成就するゆへ聚也。商をするものか一分もうけたり二分もふけたりして、それかあつまりて身代がよくなりたやふなもの。聚也。成也。
【解説】
「故曰、苟不至德、至道不凝焉。至德、謂其人。至道、指上兩節而言也。凝、聚也。成也」の説明。道はあっても人がいなければ行われないが、その道を行うのは至徳でなければならない。気質変化しなければならない。
【通釈】
○「故曰、苟不至德云云」。この句は重なった様だが、学問へ渡す間を言ったもの。重なった様で指し場は違うと看なさい。前は道はあっても人でなければ行われないと結んだもの。ここはその道も至徳でなければならないと言ったもの。至徳は道を得た人のこと。至徳でなければ上にある至道ができない。呂與叔が二十章で気質変化を言ったことも思い出してみると果報は寝て待てではならない。仲景の方も上手にならなければ益に立たない。至徳は医者が上手になる様なもの。註。重なった様で重ならないというのがこの綾である。上の人を待って行われると言うその人は、ただの人足の様な人ではない。至徳のことだと見せたもの。○註が二つなので、道春が聚まらず、成らずと点を付けたが、これはやはり成らずと読みなさい。朱子が二つ註をしたのはどういうことかと言うと、殊の外細かく行って成就するので聚である。商いをする者が一分儲けたり二分儲けたりして、それが聚まって身代がよくなった様なもの。「聚也。成也」である。

○故君子尊德性云云。故は上たん々々のことをかたり、こふしたことゆへに至德至道てなけれはならぬからは、君子のその至德になり様は如此てなけれはならぬ故にと云故へなり。そこで迂斉の、たいていのしたくてなけれはならぬとなり。ちょっと東金へ行にも雨羽傘かいる。学問も始の出立かちかわ子ばならぬ。直方先生云、武功も出陳がちこう。そこか大事じゃとなり。故のことなり。木村長門はちがふはず。伽羅を甲へなり。そふした心掛は別のことなり。○人の気は隂陽の気にあやかる。そこを気質の得手方へはいる。それか皆中庸の道でない。そこで二つづつはなさずに学ていく。これか四つくっ揃た垩人の道で道体なりの爲学なり。○德性を尊ても問學によら子は德性を尊ひそこないかある。德性か先きへ出て問學あとになりたるは、小學から大学へかかる意と迂斉云へり。答呉晦叔書大切のことなり。而は迂斉のつなぎじゃとなり。學問はとかく両掛の挾箱かよい。そふないと得手へいく。元祖は異端。
【解説】
「故君子尊德性而道問學」の説明。徳性を尊んでも問学によらなければ徳性の尊び損ないがある。学問は両掛で行うもの。
【通釈】
○「故君子尊德性云云」。「故」は上段々のことを語り、こうしたことなので至徳至道でなければならないのだから、君子がその至徳になる仕方はこの様でなければならない故にという故である。そこで迂斎が、大抵の支度でなければならないと言った。一寸東金へ行くにも雨合羽傘が要る。学問も始めの出立が違わなければならない。直方先生が云う、武功も出陳が違う。そこが大事だ、と。これが「故」のこと。木村長門は違う筈。伽羅を甲へである。そうした心掛けは別のこと。○人の気は陰陽の気に肖る。そこを気質の得手方に入れば、それは皆中庸の道でない。そこで二つずつ離さずに学んで行く。これが四つくっ揃った聖人の道で道体なりの為学である。○徳性を尊んでも問学によらなければ徳性の尊び損ないがある。徳性が先へ出て問学が後になったのは、小学から大学へ掛かる意だと迂斎が言った。呉晦叔に答うる書は大切なこと。「而」は、迂斎が繋ぎだと言った。学問はとかく両掛の鋏箱がよい。そうでないと得手へ行く。その元祖は異端。
【語釈】
・木村長門…木村重成。豊臣秀頼の臣。長門守。知略あり、大坂冬の陣に善戦し、和議の際、家康血判受取の使者という。翌年の夏の陣に戦死。~1615。

○德性は我拜領のもの。孟子の性善、大學の明德、論語の仁、中庸の誠、皆德性のことなり。尊はあたまをさけることてはない。ちそうすることなり。德性は形のないものゆへ棄てをくとじみ々々となる。今日の人德性を知ぬゆへ放下してをく。某や清兵衛処にも牡丹あれとも尊ぬもの。武兵衛は尊ふ。江戸へ行ても牡丹を思ひ出す。德性で尊ぬと云は正宗の刀で鳥の骨をたたくやふなものなり。直方先生ここては云はなんだが、今日の人は関白殿に味噌をすらせるとなり。天地人と並ぶ德性をもったいなくもたわけにするは、誠に関白殿をけがすのぞ。今日の人は德性に人欲の御用かかりを云付る。学問は德性を尊ぶことぞ。なぜ德性を尊なれば、德性が人の道体なり。人の天地と並も德性からじゃ。さてこふきけばはやこれで了簡がちごふたそ。ここが垩人になる出立。支度がちこふ処。文を書きたいの、洪範の占ひも知りたい、朝鮮人か来たから一寸は筆談もしてみたいのと云は皆德性をやせらかすのじゃ。そこで佛老かうれしかりて、それみたか、をれが云ぬことかと云。そこてこちらの方の挾箱の盖をあけてみたれは道問學。ついにこの譬諭に帰す。
【解説】
徳性は自分の拝領のものだが、今日の人は徳性を知らないので放下して置く。学問は徳性を尊ぶことであり、何故徳性を尊ぶのかと言うと、徳性が人の道体だからである。
【通釈】
○徳性は自分の拝領のもの。孟子の性善、大学の明徳、論語の仁、中庸の誠は皆徳性のこと。「尊」は頭を下げることではなく、馳走すること。徳性は形のないものなので棄てて置くとじみじみとなる。今日の人は徳性を知らないので放下して置く。私や清兵衛の処にも牡丹があるが尊ばないもの。武兵衛は尊ぶ。江戸へ行っても牡丹を思い出す。徳性で尊ばないというのは正宗の刀で鳥の骨を叩く様なもの。直方先生はここでは言わなかったが、今日の人は関白殿に味噌を擂らせると言った。天地人と並ぶ徳性を勿体ななくも戯けにするのは、誠に関白殿を汚すのである。今日の人は徳性に人欲の御用掛りを言い付ける。学問は徳性を尊ぶこと。何故徳性を尊ぶのかと言うと、徳性が人の道体だからである。人が天地と並ぶのも徳性から。さてこう聞けば、早くもこれで了簡が違って来る。ここが聖人になる出立。支度が違う処。文を書きたい、洪範の占も知りたい、朝鮮人が来たから一寸は筆談もしてみたいなどと言うのは皆徳性を痩せ枯らすのである。そこで仏老が嬉しがって、それ見たことか、俺が言った通りだと言う。そこでこちらの方の鋏箱の蓋を開けて見れば「道問學」。遂にこの譬喩に帰す。
【語釈】
・武兵衛…安井武兵衛。成東の人。天明4年(1784)11月15日没。年76。

○學問は心へ付たことなれば外に付た問学はいりそふもないものなれとも、外をたのま子ばならぬ。大学補傳をみよ。王學論語尽之。今日の人は放心してをるからどぶへ晝も落る。又心か放心せぬても、夜てうちんなければ亦どぶへ落る。德性なしに問學でならず。問學斗りで德性なしにならぬ。○尊德性は居敬のこと。道問學は究理のこと。究理は向の理を究ること。世間の学問は德性を尊ばぬ。そこで俗學と云。禅學は尊德性底かあっても問学かないゆへに耳てとって鼻へつつけるやふなことかある。程子曰、許渤かことを有如此垩人遺書曰、許渤初起問人天気寒温加减衣服。一加减定即終日不換。又曰、許渤與其子隔一窓而寐。乃不聞其子読書與不読書。これをここへ引に及ばざれとも許渤らしふして人の為か。それから近江の垩人仁斎など垩人とも見へる様子なれとも、皆德性はかりて問學がないて異説を云。長谷川観水王学論語拔に仁斉は告子陸象山王陽明混したとしるせり。云へてよし。恐くは直方の意にて書たるへし。陸王が異学の張本と云も尊德性一偏へくるめ、此一偏はていのよいものゆへ垩賢の域へ入たとみへると云から許渤を引た。中江でからがそれぞ。古今可間然なきは此人と鳩巣先生も印可なり。二山弥三郎もその派なり。知かかいないとやくに立ぬ。源藏やかましふ云ほとにかふてやり、やい々々の筋ぞ。究格なき君子風のやくに立ぬはそこそ。温公を無学と云もそこぞ。
【解説】
「尊德性」は居敬のこと。「道問學」は窮理のことで、向こうの理を窮めること。世間の学問は徳性を尊ばない。そこで俗学と言う。禅学は尊徳性底があっても問学がない。近江の聖人や仁斎などは聖人とも見える様子だが、皆徳性ばかりで問学がない。
【通釈】
○学問は心に付いたことなので、外に付いた問学は要りそうもないものだが、外を頼まなければならない。大学補伝を見なさい。王学論語之を尽くす。今日の人は放心しているから昼でも溝へ落ちる。また心が放心しなくても、夜、提灯がなければまた溝へ落ちる。徳性なしに問学してもならない。問学ばかりで徳性なしではならない。○「尊德性」は居敬のこと。「道問學」は窮理のこと。窮理は向こうの理を窮めること。世間の学問は徳性を尊ばない。そこで俗学と言う。禅学は尊徳性底があっても問学がないので、耳で取って鼻へ続ける様なことがある。程子曰く、許渤のことを「有如此聖人」、と。遺書に曰く、許渤初めて起き人に天気寒温を問い衣服を加減す。一たび加減し定まれば即ち終日換えず、と。又曰く、許渤其の子と一窓を隔てて寐ぬ。乃ち其の子に書を読むか書を読まざるかを聞かず、と。これをここへ引くには及ばないことだが、許渤らしくして人の為か。それから近江の聖人や仁斎などは聖人とも見える様子だが、皆徳性ばかりで問学がないので異説を言う。長谷川観水が王学論語跋に仁斎は告子陸象山王陽明を混したと記した。言い得てよし。恐らくは直方の意で書いたのだろう。陸王が異学の張本と言うのも尊徳性一偏へくるめ、この一偏は体のよいものなので聖賢の域へ入ったと見えると言うから許渤を引いた。中江でからがそれ。古今間然す可きなきは此の人と鳩巣先生も印可した。二山弥三郎もその派である。知が甲斐無いと役に立たない。源蔵が喧しく言うので買って遣ったが、やいやいの筋。窮格なき君子風が役に立たないのはそこ。温公を無学と言うのもそこ。
【語釈】
・許渤かことを有如此垩人…程氏遺書3二先生語3。「許渤與其子隔一窗而寢、乃不聞其子讀書與不讀書。先生謂、此人持敬如此。曷嘗有如此聖人」。
・近江の垩人…中江藤樹。
・仁斎…伊藤仁斎。
・長谷川観水…長谷川克明。初めの名は遂明。号は觀水。源右衛門と称す。松平伊豆守信輝の臣。
・二山弥三郎…二山時習堂。名は義長。字は伯養。彌三郎と称す。人となり篤学慎行。当世中江藤樹に比す。宝永6年(1709)没。年87。

○大学で云へば尊德性道問學は綱領、廣大精微云云以下、八條目のやふなもの。すぐに上の德性問學のこと云ゆへ。これも筋をわけるきりに引て云と思へし。○致廣大。心は方寸といへとも、そのうけが至て霊妙てなにもかもひっかかることなり。廣大なものなり。本体かこふしたものなり。然る処にひっかかることがあると、霧の降るとき鼻の先きのものもみえぬやふになる。なんても邪魔をするものがあると廣大になくなる。人の心に雲霧かかかるとちいさくなる。○致るは鏡研の鏡を研くやふなもの。本とあかるいものなり。それか息てくもったなり。そこて段々研くとさってもけっこふな鏡になる。○尽精微。廣大ばかり致ると、こちばかり十分にすんでこまかあたりかない。精微を尽すは道理の吟味こまかにすることなり。人を出して示し、伯夷は垩之清、柳下惠は垩之和と云なれとも、精微を尽ぬ。それゆへことのほかの上手な医者になっても手前の流儀があって補藥つかいが泻藥つかいなり。孔子に御流義はない。精微を尽たものなり。そこて明快の人とも云。廣大は語類に胸のひらけたあれのこれのとへだてなき。うけぬいた清なり。桺下惠、うけぬいた和なり。なれともいつもそれか出て細かあたりなし。又例の手かと云やふななり。孔子は郷黨一偏にてもみよ。それ々々に出るは本精微の尽き処■■出るなり。顔子を心麁と云も孔子に比すれは精微か尽ぬからなり。迂云、孔子は明六に起、顔子は五つころに起ると云ことではない。行のことではない。そこで知惠はまっさきへ出るものの一ちむづかしいもので至極が尽されぬものなり。やっはり外のことではない。前の廿章目の博學から明弁までか尽精微ことなり。○廣大と云になると大海塵をえらはずと云たかるもの。廣大こかしになると精微は尽ぬ。とかく両掛と云ことを思ひ出すがよい。
【解説】
「致廣大而盡精微」の説明。心は至って霊妙で何も彼も引っ掛かる広大なものだが、人の心に雲霧が掛かると小さくなる。そこで、致めるのである。また、広大ばかりを致めると、こちらばかりが十分に済んで細か当たりがない。そこで、精微を尽くして道理の吟味を細かにする。ここは知のことである。
【通釈】
○大学で言えば「尊德性而道問學」は綱領、「廣大而精微云云」以下は八條目の様なもの。直ぐに上の徳性問学のことを言うので。これも筋を分けるだけに引いて言ったものと思いなさい。○「致廣大」。心は方寸とは言うが、その受けは至って霊妙で何も彼も引っ掛かる。広大なものである。本体がこうしたもの。然る処に引っ掛かることがあると、霧の降る時に鼻の先のものも見えない様になる。何でも邪魔をするものがあると広大でなくなる。人の心に雲霧が掛かると小さくなる。○「致」は、鏡研ぎが鏡を研ぐ様なもの。本来は明るいものである。それが息で曇ったのである。そこで段々研ぐとさても結構な鏡になる。○「盡精微」。広大ばかりを致めると、こちらばかりが十分に済んで細か当たりがない。精微を尽くすとは道理の吟味を細かにすること。人を出して示せば、伯夷は聖之清、柳下恵は聖之和と言うが、精微を尽くさない。そこで、殊の外上手な医者になっても手前の流儀があって補薬使いか瀉薬使いである。しかし、孔子に御流儀はない。精微を尽くたものである。そこで明快の人とも言う。広大は語類に胸の開けたあれのこれと隔て無いこととある。伯夷は受け抜いた清である。柳下恵は受け抜いた和である。しかしながら何時もそれが出て細か当たりがない。また例の手がという様なもの。孔子は郷党一篇でも見なさい。それぞれに出るのは本精微の尽き処から出る。顔子を心麤と言うのも孔子に比すれば精微が尽くせないからである。迂斎が、孔子は明六つに起き、顔子は五つ頃に起きるということではないと言った。行のことではない。そこで知恵は真っ先に出るものであって、一番難しいもので至極が尽くされないもの。やはり他のことではない。前の二十章目の「博學」から「明弁」までが精微を尽くすこと。○広大ということになると大海塵を択ばずと言いたがるものだが、広大ごかしになると精微は尽くせない。とかく両掛ということを思い出すのがよい。
【語釈】
・伯夷は垩之清、柳下惠は垩之和…孟子萬章章句下1。「孟子曰、伯夷、聖之淸者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也」。
・明快の人…近思録聖賢2。「孔子儘是明快人、顏子儘豈弟、孟子儘雄辯」。
・顔子を心麁と云…近思録致知19。「學不能推究事理、只是心麤。至如顏子未至於聖人處、猶是心麤」。

○極高明。これまた德性の掃除をすることなり。欲があるとじみ々々となる。本体高明、あつい寒い飲たい喰たいの血気で人の心がけちになる。毎々迂斉云、人の心が梅干のやふになるとなり。けいはくをしたりきれ口をきいたり心をもむ。人欲と云泥にまぶれると高明でない。淪胥と云字あって、人欲にひきすりこまれるぞ。大沢にをいこんで目斗りきろ々々したやふな、高いてなく、どろまふれ。明でない。迂詐てもあらふか粂の仙人通を失て落たとなり。人の視る最先きなり。仙人達油斷あるへからず。○極高明。欲をなくすことなり。とふなくすれは、非礼勿視非礼勿聽云云。そこてこちの心かけたかくなる。○而道中庸。又而の字の両掛の棒かある。心かけたかくなるとものをけちらかすものなり。そこて中庸に道ると云は、しっかり々々々々と平常のことをしてゆくことなり。中庸に由るは行の字でありそふなれども、ここては知惠になる。なせなれば中庸に道ると云字が知惠てなければならぬ字なり。ここらは目かたきら子は看得ぬことなり。註にも處事とあり、その処事も知てなけれはならぬ。なんとをかしいではござらぬかと云は知惠なり。料理をするは行なれども、これか食れるものかと云は知惠からのせんぎなり。曽点高明で高ぞれて中庸によるがないから季武子が門へ行てうたふた。曽子問學からいったものゆへ親仁のやふな麤忽はない。顔子は視聴言動からいったもの。もとは知惠なり。
【解説】
「極高明而道中庸」の説明。人欲という泥にまぶれると高明ではない。「極高明」は、欲をなくすことで、それは「非禮勿視、非禮勿聽云云」でする。心が気高くなるとものを蹴散らかすもの。そこで中庸に道ってしっかりと平常のことをして行く。ここも知恵のことである。
【通釈】
○「極高明」。これもまた徳性の掃除をすること。欲があるとじみじみとなる。本体は高明だが、暑い寒い飲みたい喰いたいの血気で人の心がけちになる。毎々迂斎が云う、人の心が梅干の様になる、と。軽薄をしたり切れ口を利いたりして心を揉む。人欲という泥にまぶれると高明ではない。淪胥という字があって、人欲に引き摺り込まれる。大沢に追い込んで目ばかりぎろぎろした様な、高くなくて泥まぶれ。明でない。嘘でもあろうが粂の仙人が通を失って落ちたとある。人の視る最も先のこと。仙人達油断あるべからず。○「極高明」は、欲をなくすこと。どの様になくすかと言えば、「非禮勿視、非禮勿聽云云」。そこでこちらの心が気高くなる。○「而道中庸」。また而の字の両掛の棒がある。心が気高くなるとものを蹴散らかすもの。そこで中庸に道ると言うのは、しっかりと平常のことをして行くこと。中庸に道るとは行の字でありそうだが、ここでは知恵になる。それは何故かと言うと、中庸に道るという字が知恵でなければならない字なのである。ここらは目が滾らなければ看得ないこと。註にも「處事」とあり、その処事も知でなければならない。何と可笑しいことではござらぬかというのは知恵である。料理をするのは行だが、これが食えるものかと言うのは知恵からの詮議である。曾点は高明で高逸れて中庸に道ることがないから季武子の門へ行って歌った。曾子は問学から行ったものなので親父の様な粗忽はない。顔子は視聴言動から行った。本は知恵である。
【語釈】
・粂の仙人通を失て落た…洗濯している女の腿を見て、仙術が破れて乗っていた雲から落ちた話。
・非礼勿視非礼勿聽…論語顏淵1。「子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動」。
・季武子が門へ行てうたふた…禮記檀弓下。「季武子寢疾。蟜固不說齊衰而入見。曰、斯道也、將亡矣。士唯公門說齊衰。武子曰、不亦善乎。君子表微。及其喪也、曾點倚其門而歌」。孟子盡心章句下37集註に「季武子死、曾皙倚其門而歌。事見檀弓」とある。

○温故。孔子の御孫の子思ゆへ論語は知てをれとも、ここは論語の文字はかりを假て云はれた。○鍔づきの鍔をなでるやふなもの。○山崎先生存養は其二を貫くと云は、尊德性と云がすぐに敬で存養のことなり。温故は知上の存養なり。兼て知た理は知見のことなれとも、それて温るは存養ぞ。入于耳存于心、周子云はるる。耳からぬけてゆけば存ではない。知に存養のあること、さて々々大切なことなり。○知新は温故て年月歴た後に気が付て新を知ることなり。朱子若い時から段々四書の註思索して死るる三日前に大學誠意の註を直した。知新なり。程子の易傳を出さずにをいたは新を知ふ為め。今日の學者は此方から吾知惠に寸法を極て出す。
【解説】
「溫故而知新」の説明。「溫故」は、知上の存養である。「知新」は、温故で年月経た後に気が付いて新しきを知ること。
【通釈】
○「溫故」。孔子の御孫の子思なので論語は知っているが、ここは論語の文字ばかりを借りて言われた。○鍔好きが鍔を撫でる様なもの。○山崎先生が「存養則貫其二」と言ったのは、尊徳性というのが直ぐに敬で存養のことなのである。温故は知上の存養である。予て知った理は知見のことだが、それで温ねるのは存養である。「入乎耳、存乎心」と周子が言われた。耳から抜けて行けば存ではない。知に存養のあること、さてさて大切なことである。○「知新」は、温故で年月経た後に気が付いて新しきを知ること。朱子は若い時から段々と四書の註を思索して、死なれる三日前に大学誠意の註を直した。これが知新である。程子が易伝を出さずにおいたのは新を知るため。今日の学者は自分から我が知恵に寸法を極めて出す。
【語釈】
・存養は其二を貫く…近思録序。「夫學之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。
・入于耳存于心…近思録爲学2。「聖人之道、入乎耳、存乎心。蘊之爲德行、行之爲事業。彼以文辞而已者、陋矣」。
・程子の易傳を出さずにをいた…近思録致知50。「伊川先生答張閎中書曰、易傳未傳、自量精力未衰、尙覬有少進爾」。

○敦厚。か子て我身の行に云ぶんのないことを厚と云。敦はその上にも工夫することなり。晩節難保と云て年奇てわるくなる人もある。直方先生の出來人欲と云ものなり。存養のない人と云ものは、ゆたんをするうちにとのやふなことがでよふも知れぬ。出来人欲とは若いときの内欲の過たなり。学問してせぬ前にはなき人にほめられたがる類、出來た欲なり。○以崇礼。此一条、予説非なり。ふっと云ことてはなした。以の字のこと、某などもろくにすまぬ。古人の説もあったかと思ふ。大全にもあり。それを蒙引先儒以云云。易に耆之德員而神、化之德方以知。以又而、而も又以てなれとも上に引語類によれは而以各意あり。語類問、而与以字義。曰、温故自知新、而者順詞なり。敦厚者又須當崇礼始得。以者反説上せ去る。世固有一種天資純厚、而不曽去学礼而不知礼者。三宅先生云、而以の字不必拍。筆録的當。信謂、筆録的當指文會此条而以字猶大学八目先欽与在之可移置也之説。○韞藏録十九、以てと一つをこついて云。そこへ入りてよいかと問を云たものと、直方先生も此五類の説を便講にとられた。先つ某が説を付れば、古文字と云ものはふっとした拍子て而々と云たことを以て書くこともあるなり。それてこれも理屈を云たらばずいぶんよい理屈も付ふが、それより古文字でふっと云方がはるか益しで有ふ。○礼にかのふた上へに又たかたくすると云が、礼にかのふた上を又礼にかなはせることなり。たとへて云へば曽子の死ときに簀をかへたやうなものなり。あれを聞てさて御かたいことの御尤のと云ことではなく、あれが曽子の知見になるぞ。狐も死ぬときは丘に枕すと云に、どふでもよいと云て大夫でもないものが大夫の簀に寐てをってはすまぬことなり。佛者などは崇礼ことなどは根から知らぬ。善悪不二邪正一如と云ことでは知れぬ筈。崇礼か致知のことになるなとと云ことは垩学爛熟の上てなければ知れぬことなり。
【解説】
「敦厚以崇禮」の説明。自分が身の行いに言い分のないことを「厚」と言い、「敦」はその上に工夫をすること。人には出来人欲というものがあるから存養が必要である。礼に叶った上にまた崇くする。仏者などは崇礼のことなどは根から知らない。崇礼が致知のことになるなどとは聖学爛熟の上でなければ知れないこと。
【通釈】
○「敦厚」。予て我が身の行いに言い分のないことを「厚」と言い、「敦」はその上にも工夫をすること。晩節保ち難しと言って、年寄って悪くなる人もある。直方先生の出来人欲と言うものである。存養のない人というものは、油断をする内にどの様なことが出るかも知れない。出来人欲とは若い時の内欲の過ぎたもの。学問をして、学問をしない前にはなかった人に誉められたがる類が、出来人欲である。○「以崇礼」。この一条、私の説は悪い。ふっということで話をした。「以」の字のこと、私なども碌に済まない。古人の説もあったかと思う。大全にもある。それを蒙引で先儒以云云。易に「蓍之德、圓而神。卦之德、方以知」。以は又而、而も又以だが、上に引く語類によれば而と以は各々意あり。語類に、「問、溫故而知新、敦厚以崇禮。而與以字義如何。曰、溫故自知新。而者、順詞也。敦厚者又須當崇禮始得。以者、反說上去也。世固有一種人天資純厚、而不曾去學禮而不知禮者」とある。三宅先生云う、而以の字は必拍せず。筆録的当、と。信謂う、筆録的当とは文会に此の条の而以の字は猶大学八目先欽と在之と移置す可きなりの説のごときを指す。○韞藏録十九、以と一つをこついて言う。そこへ入ってもよいかと問いを言ったものと、直方先生もこの語類の説を便講に取られた。先ず私が説を付ければ、古文字というものはふっとした拍子で而々と言ったことを以で書くこともある。それでこれも理屈を言えば随分よい理屈も付けられるが、それよりも古文字でふっと言う方が遥かに増しだろう。○礼に叶った上にまた崇くするというのが、礼に叶った上をまた礼に叶わせること。譬えて言えば曾子が死ぬ時に簀を易えた様なもの。あれを聞いてさて御堅いことだとか御尤もだとかと言うことではなく、あれが曾子の知見になる。狐も死ぬ時は丘に枕すというのに、どうでもよいと言って大夫でもないものが大夫の簀に寝ていては済まない。仏者などは崇礼のことなどは根から知らない。善悪不二邪正一如ということでは知れない筈。崇礼が致知のことになるなどとは聖学爛熟の上でなければ知れないこと。
【語釈】
・耆之德員而神、化之德方以知…易經繫辭傳上11。「是故蓍之德、圓而神。卦之德、方以知」。
・語類問、而与以字義。曰、温故自知新、而者順詞なり。敦厚者又須當崇礼始得。以者反説上せ去る。世固有一種天資純厚、而不曽去学礼而不知礼者…朱子語類63。「問、溫故而知新、敦厚以崇禮。而與以字義如何。曰、溫故自知新。而者、順詞也。敦厚者又須當崇禮始得。以者、反說上去也。世固有一種人天資純厚、而不曾去學禮而不知禮者」。
・曽子の死ときに簀をかへた…礼記檀弓上。「曾子寢疾。病。樂正子春坐於床下。曾元・曾申、坐於足。童子隅坐而執燭。童子曰、華而睆、大夫之簀與。子春曰、止。曾子聞之、瞿然曰、呼。曰、華而睆、大夫之簀與。曾子曰、然、斯季孫之賜也。我未之能易也。元起易簀。曾元曰、夫子之病革矣。不可以變。幸而至於旦。請敬易之。曾子曰、爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德。細人之愛人也以姑息。吾何求哉。吾得正而斃焉。斯已矣。舉扶而易之。反席未安而沒」。

註。直方先生曰、刀番が主人の刀を持たやふなが恭敬奉持なり。直方云、刀番からもけ足がかゆくともかかれぬ。○酒は狂藥にして佳味にあらずと云に、どふでもよいと云とどのやふな不礼行か出ふもしれぬ。恭敬奉持。○德性云云。首に天命する性と云こともあり、又三逹德と云こともあり、二十五章に性之德と云こともある。ここて始て德性と云ことが名目になる。○正理は天命太極のなりのことなり。此段読書録よりといてをいた。續録四可考。○陸象山が德性は尊たれとも、どふでも抹香くさかった。正理を合点せずに心ばかりを云たものゆへ抹香くさい。字の註からしてこふしたことなり。○道は由也。仏者は德性を尊ひころしてしまふた。德性ばかりで問学がなければ道中を眠て通る様なもの。冨士は見へぬ。○故と学之矣。このやふな処へ矣の字を付るは故と学んたことをとはって云ことなり。兼て学ひきと土臺をすへ、さてそれをとくるゆへ上に矣をすへる。○直方先生の弟子杉森養德、或人のことを心に墨けのない男と云。故学之がないからなり。○毎々云通り、心は形ないものゆへどこへもゆく。存心はそこへ主一無適を加へることなり。存心が人の方の造化の原になる。○道体之大。ふいと出た註ではない。洋々乎云云から出して云たもの。○道体之細。礼儀三百云云に當る。○細の合点大事ぞ。一草一木皆百理なり。政は精出てせふか病気見舞にはいやと云ことはない。それては細がぬける。直方先生云、いくら善悪不二邪正一如と云ても鼻から飯はくわれぬとなり。仏者などは曽て細の字を知らず。○之大端なり。綱領。これからさきの註の仕方いつもの註とはちがふ。これが德性、これが問學とわけたぎりて初學のには見にくい。中庸の註ゆへにこふもありそふなものなり。中庸を読むほどのものがこれに門ちがいはない筈なり。去るによってめったによめとは云はぬ。
【解説】
「尊者、恭敬奉持之意。德性者、吾所受於天之正理。道、由也。溫、猶燖溫之溫。謂故學之矣、復時習之也。敦、加厚也。尊德性、所以存心而極乎道體之大也。道問學、所以致知而盡乎道體之細也。二者脩德凝道之大端也」の説明。首めに天命性ということもあり、また三逹徳ということもあり、二十五章に性之徳ということもあるが、ここで始めて徳性ということが名目になる。陸象山は徳性は尊んだのだが、正理を合点せずに心ばかりを言ったので抹香臭い。仏者は徳性ばかりで問学がない。心は形のないものなので何処へも行く。「存心」はそこへ主一無適を加えること。存心が人の方の造化の原になる。
【通釈】
註。直方先生曰く、刀番が主人の刀を持った様なのが「恭敬奉持」である、と。直方云う、刀番でさえも毛足が痒くても掻けない、と。○酒は狂薬にして佳味にあらずと言うのに、どうでもよいと言うとどの様な不礼行が出るかも知れない。恭敬奉持。○「德性云云」。首めに天命性ということもあり、また三逹徳ということもあり、二十五章に性之徳ということもあるが、ここで始めて徳性ということが名目になる。○正理は天命太極の通りのこと。この段は読書録より説いて置いた。続録四考える可し。○陸象山は徳性は尊んだのだが、どうでも抹香臭かった。正理を合点せずに心ばかりを言ったので抹香臭い。字の註からしてこうしたことである。○「道、由也」。仏者は徳性を尊び殺してしまった。徳性ばかりで問学がなければ道中を眠って通る様なもの。富士は見えない。○「故學之矣」。この様な処へ矣の字を付けるのは故[もと]学んだことをと張って言ったこと。予て学んだと土台を据え、さてそれをと来るので上に矣を据える。○直方先生の弟子の杉森養德が、或る人のことを心に墨気のない男だと言った。それは故学之がないからである。○毎々言う通り、心は形のないものなので何処へも行く。「存心」はそこへ主一無適を加えること。存心が人の方の造化の原になる。○「道體之大」。ふいと出た註ではない。洋洋乎云云から出して言ったもの。○「道體之細」。礼儀三百云云に当たる。○細の合点が大事である。一草一木皆百理である。政は精出してしようが病気見舞は嫌だということはない。それでは細が抜ける。直方先生云う、いくら善悪不二邪正一如と言っても鼻から飯は食えない、と。仏者などは曾て細の字を知らない。○「之大端也」。綱領。これから先の註の仕方は何時もの註とは違う。これが徳性、これが問学と分けただけで初学の者には見難い。中庸の註なのでこうもありそうなもの。中庸を読むほどの者がこれに門違いはない筈。それで、滅多に読めとは言わないのである。
【語釈】
・杉森養德…長崎の人。通詞。後に稲葉迂齋に学ぶ。

○我が癖や気質、道理の外に我をはるやふな了間のあるを私意と云。私意かあると廣い胸をせまくする。学者古人を疑ふも皆私意から起る。湯武を主弑しと云は私意なり。何でも自分の気質から出る。我滿な心を私意と云。これか廣大の方なり。○私欲は全く血気に付た欲なり。だたい人の心高明なものなれども、我が欲でけちに煩はせる。一毫々々も気を付て看べし。そこへあてて云なれば、致字極字へ當て出したもの。一毫の私意私欲あれば致め極めたと云ものではない。きぬぶるいでしあげたことて無ければ致め極とは云はれぬ。○私意私欲の出処を合点すべし。私意は道理の差ひから出るもの。私欲は肉身の欲から出るものなり。そこで予が発明に、私意は序にある道心に塵のかかりたの、私欲は人心にかびのたかりたのなり。仏老私欲はないが、私意に蔽はれて道を見そこなふ。私欲は斉の桓、晋の文からして常人迠皆私欲なり。我此からだにらくをせふとかかりたものなり。○涵泳云云。温故の註なり。をらもまいど師匠の生きておるうちに太極圖説を聞たと云。そのやふな太極圖説がなんになるものじゃ。どふらくさへも身代をつぶすときになってほんにどふらくが手に入る。一端知りたこと知り切りにして手に入ふか。道理を知ても、涵泳せぬ道理は今日の學者のやふすぞ。とかく籠なれぬと云塲があるものぞ。○已能。孝行もなり忠義もなる。これもそれぎりではどこぞては前のやふにないと云ことがある。そこで敦篤の茶人も客を視かけて炉へ火を入るやふな茶人は面白くない。籠なれぬとは飼鳥のことなり。したばた出たがるは荒鳥なり。児がひかひこみは鳥のふりが違ふ。涵養は學者のふりがちがう。
【解説】
「不以一毫私意自蔽、不以一毫私欲自累、涵泳乎其所已知、敦篤乎其所已能。此皆存心之屬也」の説明。自分の癖や気質、道理の外に我を張る様な了簡を「私意」と言う。一毫の私意私欲があれば致め極めたというものではない。私意は道理の差いから出るもの。私欲は肉身の欲から出るもの。私意は道心に塵の掛かったもの、私欲は人心に黴の集ったものである。仏老は私欲はないが、私意に蔽われて道を見損なう。
【通釈】
○自分の癖や気質、道理の外に我を張る様な了簡を「私意」と言う。私意があると広い胸を狭くする。学者が古人を疑うのも皆私意から起こる。湯武を主弑しと言うのは私意である。何でも自分の気質から出る。我慢な心を私意と言う。これが広大の方のこと。○私欲は全く血気に付いた欲である。そもそも人の心は高明なものなのだが、自分の欲でけちに煩わせる。「一毫」も気を付けて看なさい。当てて言えば、致の字や極の字へ当てて出したもの。一毫の私意私欲があれば致め極めたというものではない。絹篩で仕上げたことで無ければ致め極めたとは言えない。○私意私欲の出処を合点しなさい。私意は道理の差いから出るもの。私欲は肉身の欲から出るもの。そこで私の発明に、私意は序にある道心に塵の掛かったもの、私欲は人心に黴の集ったものである。仏老は私欲はないが、私意に蔽われて道を見損なう。私欲は斉の桓、晋の文からして常人までが皆私欲である。我がこの体に楽をさせようと掛かったもの。○「涵泳云云」。温故の註である。俺も毎度師匠の生きている内に太極図説を聞いたと言う。その様な太極図説が何になるものか。道楽でさえも身代を潰す時になって本当に道楽が手に入る。一端知ったことを知り切りにして手に入るものか。道理を知っても、涵泳しない道理は今日の学者の様子である。とかく籠なれないという場があるもの。○「已能」。孝行もなり忠義もなる。これもそれぎりでは何処ぞでは前の様ではないということがある。そこで敦篤の茶人も客を視かけて炉へ火を入れる様な茶人は面白くない。籠なれないとは飼鳥のこと。じたばたと出たがるのは荒鳥である。子飼いの飼い込んだのは鳥の振りが違う。涵養は学者の振りが違う。
【語釈】
・斉の桓、晋の文…論語憲問16。「子曰、晉文公譎而不正。齊桓公正而不譎」。

○析理云云。本文尽精微の註。朱子分均坪上とも云てある。巨細精微と云て、粗ひはあらいなりにつめ、精しいは精しいなりに致ることなり。丁どの処へきりこむが精微ぞ。精くせずとよいことを精くする。はや差ひなり。制藥にもいろ々ある。てい子いすぎる、はやちがふことなり。竹箒て坐鋪ははかれぬ。又大手先を羽箒てははかれぬ。そこで朱子が書はあらくみよと云こともあり、精く看よと云こともある。直方先生の、朱子はまっかなうそつきなりと云。わき目からこふみへて丁どなり。朱子をよく知た云様なり。○過不及云云。これは人かとりそこないもない中庸の註なり。わざのことなれとも致知になるは面白い。知の吟味ないとすることがすはたしてやるぞ。○理義云云。知新の註なり。をれはもふ知惠はいらぬと思ふものなり。直方先生晩年に小子彦明を抱き繪本故事談、面白きことなり。さぞや知新であらふぞ。
【解説】
「析理則不使有毫釐之差、處事則不使有過不及之謬。理義則日知其所未知」の説明。粗いものは粗いなりに詰め、精しいものは精しいなりに致める。学問をすると、俺はもう知恵は要らないと思うものだが、そうではない。
【通釈】
○「析理云云」。本文の盡精微の註。朱子が「分均坪上」とも言ってある。巨細精微と言い、粗いものは粗いなりに詰め、精しいものは精しいなりに致めるのである。丁度の処へ切り込むのが精微である。精しくしなくてもよいことを精しくするのは早くも差いである。制薬にも色々とある。丁寧過ぎるのは早くも違うこと。竹箒で座敷は掃けない。また大手先を羽箒では掃けない。そこで朱子が書は粗く見なさいと言うこともあり、精しく看なさいと言うこともある。直方先生が、朱子は真っ赤な嘘吐きだと言った。脇目からこう見て丁度なのである。朱子をよく知った言い様である。○「過不及云云」。これは人が取り損なうこともない中庸の註である。業のことなのだが、これが致知になるのが面白い。知の吟味がないと、することがすはたしてやる○「理義云云」。知新の註である。俺はもう知恵は要らないと思うもの。直方先生が晩年に小子彦明を抱いての絵本故事談、面白いこと。さぞや知新であったことだろう。
【語釈】
分均坪上

○未謹と云。今まではつつしまぬと云ことではない。今迠も謹た上をやが上に謹むは上の句の敦厚なり。さふしてみると、今までのは謹たのにここか又と云ものがある。そこを未謹と云。そこは知見でなければ知れぬ。知られ子はつつしまれぬ。未謹と云はこれまては気のつかぬなり。たとひ気は付ても此或のことはすまぬかあらん。とめをいたことも此方からこれもこれてはすまぬ々々々と知からてりて來て、その分にさしをきにくくなりてくる。礼のこまかな節文をつつしむ。これ知致から崇礼かなる。某など今年寄てさして大なわるいこともないが、本と敦厚の存養なきゆへつまらぬ。さて今細帯て寐てをるのも大立た不行迹でもなく、これでもよいやふに思い崇礼か出來た。これ知見のたらぬのになるぞ。程子仏者が悟り々々と云が、傳燈録のうちに悟た出家は一人もない。ほんに悟りたらは丸いあたまをつつんで死であらふとなり。これ知見へただる。なまくさぼふずとただりたてはない。○蓋非存心無以致知云云。朱子が四つくっ揃た註なり。存心は蝋燭にぼんぼりをかけるやふなもの。風ててら々々すると光らぬ。存心する。そこて致知もあかるくなる。○故此五句云云。大小は上の大細の字なり。相資。德性問學でたすける。二人荷をかついたやふなもの。肩をぬかれぬ。○首尾相応。初めの德性問學か首なり。それから末まで皆德性問學人なり。尾は致廣大以下の四句なり。ここをよく合点すれば大學も一つことなり。大学を合点すればここも同こと。
【解説】
「節文則日謹其所未謹。此皆致知之屬也。蓋非存心無以致知、而存心者又不可以不致知。故此五句、大小相資、首尾相應。聖賢所示入德之方、莫詳於此。學者宜盡心焉」の説明。今まで謹んだ上を弥が上に謹む。知ることができなければ謹むことはできない。存心は蝋燭に雪洞を掛ける様なもの。風でてらてらすると光らない。存心する。そこで致知も明るくなる。
【通釈】
○「未謹」と言うが、今までは謹まなかったということではない。今まで謹んだ上を弥が上に謹むのは上の句の敦厚のこと。そうしてみると今までのことが、謹んだのにここがまたというものがある。そこを未謹と言う。そこは知見でなければ知ることはできない。知ることができなければ謹むことはできない。未謹とは、これまては気が付かなかったのである。たとえ気が付いてもここに或いは済まないことがあるだろう。留め置いたこともこちらからこれもこれでは済まないと知から照って来て、その分に差し置き難くなって来る。礼の細かな節文を謹む。これで知致から崇礼がなる。私など今年寄って大して大きな悪いこともないが、本々敦厚の存養がないので詰まらない。さて今細帯で寝ているのも大立った不行跡でもなく、これでもよい様に思って崇礼が出来たと言うのは、これは知見が足りないのである。程子が、仏者が悟り悟りと言うが、伝燈録の中に悟った出家は一人もいない。本当に悟ったのであれば丸い頭を包んで死ぬであろうと言った。これは知見へ祟ったもの。生臭坊主と祟ったのではない。○「蓋非存心無以致知云云」。朱子が四つくっ揃えた註である。存心は蝋燭に雪洞を掛ける様なもの。風でてらてらすると光らない。存心する。そこで致知も明るくなる。○「故此五句云云」。大小は上の大細の字である。「相資」。徳性問学で資ける。それは二人で荷を担いだ様なもの。肩を抜くことはできない。○「首尾相應」。初めの徳性問学が首である。それから末までが皆徳性問学の人である。尾は致広大以下の四句のこと。ここをよく合点すれば大学も一つこと。大学を合点すればここも同じこと。
【語釈】
・細帯…細帯姿が、普通の帯をしめず細帯をしめた、だらしない姿。

○是故居上云云。これからは上の效を云。今ま世間の人かああ學者には似合ぬと云。その筈なり。今日の學者はふところへ本を入てありくきりのことなり。ほんの学者と云はこの尊德性道問學のことなり。今の学者は本を懐へ入れてありく者と云かよい。なんぞと云と人參々々と云が、本草にある人參は今のやふなせふのわるい人參ではない。ほんの今の學者はわるい人參なり。○達者なものは寒気にも暑気にもまけぬ。客か來てもたいくつせぬ。こずとさひしくない。其様に居上ても爲下もなり。○裸にすると歴々も下人も四支百体同こと。宦録を得ると驕る心が出て、下のものはなんてもないもののやふに思い、下々がと云やふに心得るもの。○其言足以興。伊尹太公。国無道其黙云云。孔子。黙と云かならぬもの。孔子黙してをらるるから東家の丘と云た。伎痒に云と云て、とかく云てみたくなるものなり。棋をうつ。はや此棋ははやらぬと我方から出したくなる。○容は加古録に俗人にいれられると云様にある。わるい云やふてもなけれとも、ことによるといかか説にもなる。某か聞たのにはゆっくりとしたこととあり、某が聞た方よし。
【解説】
「是故居上不驕、爲下不倍、國有道其言足以興、國無道其默足以容」の説明。今日の学者は懐へ本を入れて歩くだけのこと。本当の学者とはこの尊徳性而道問学のこと。裸にすると歴々も下人も四支百体同じだが、官録を得ると驕る心が出る。
【通釈】
○「是故居上云云」。これからは上の効を言う。今世間の人がああ学者には似合わないと言う。その筈である。今日の学者は懐へ本を入れて歩くだけのこと。本当の学者とはこの尊徳性而道問学のこと。今の学者は本を懐へ入れて歩く者と言うのがよい。何ぞというと人参人参と言うが、本草にある人参は今の様な性の悪い人参ではない。本当に今の学者は悪い人参である。○達者な者は寒気にも暑気にも負けない。客が来ても退屈しない。来なくても寂しくない。その様に上に居ても下と為ってもである。○裸にすると歴々も下人も四支百体同じこと。官録を得ると驕る心が出て、下の者は何でもないものの様に思い、下々がという様に心得るもの。○「其言足以興」。伊尹や太公である。「國無道其默云云」。孔子である。黙というのができないもの。孔子が黙しておられたから東家の丘と言った。伎痒に言うと言って、とかく言ってみたくなるもの。碁を打つ。早くもこの碁は流行らないと自分から出したくなる。○「容」は加古録に俗人に容れられるという様にある。悪い言い様でもないが、ことによると悪い説にもなる。私が聞いたのにはゆっくりとしたこととあり、私が聞いた方がよい。
【語釈】
・東家の丘…三國志魏書11。「崧曰、鄭君學覽古今、博聞彊識、鉤深致遠、誠學者之師模也。君乃舍之、躡屣千里、所謂以鄭爲東家丘者也。君似不知而曰然者何」。孔子の西隣の人が孔子が聖人であることを知らずに孔子のことをただ東家の丘と言っていたこと。

○詩曰既明且哲云云。仲山甫を誉た詩なり。明は道理に明かなこと。哲は事上に逹たこと。朱子こふ説わけておけり。○保其身。身にけささのないこと。○我方十分にないこととせきはやいことがある。此方が明哲なればどのやふな処にをってもきつかいない。○程子東漢の名節を道理をしらぬと云も中庸で断したものなり。ここに一つ吟味あり。朱子東漢の名節を人にやくにたたぬと云が、をれはいこふよいと思ふと云たことあり。それを直方先生鞭策録に載せ、立志のことに引けり。学者をはげますことなり。朱子の揚雄一生ぬらりくらりして中庸に託てをったことを、あれは中庸と云ものてはない、明哲にたをされたと云ものじゃと云へり。ここでこの様なことを云は、わるく心得て学者が中庸のこきあげた処は程子の東漢名節不知道理をたてにとりて己が私を以てとかく禍をまぬかれよ。中庸の黙容とは揚雄がやふなことと思ふと後漢の胡廣や明の胡廣か中庸になる。揚子雲明哲煌々旁く燭無疆、遜于不虞以保天命。是れを朱子占便冝它一生被這幾句誤とは学者の心術。のんべりだらりでまぎらかす戒。又文會五類百七の節をのせらるるも埀加の微意あることなり。とかく初学はまぎらくらはすがわるい。○丸いものをけづるにも四角、それから六角、それから十六角。たん々々丸くなることなり。これが皆学問初入の処なり。中庸の君子尊德性云云の效如此の地位になりては能保其身そ。程子の仰らるる通りのことなり。東漢の名節など道統を語らるることでなし。
【解説】
「詩曰、旣明且哲、以保其身、其此之謂與。倍、與背同。與、平聲。○興、謂興起在位也。詩、大雅烝民之篇」の説明。「明」は道理に明らかなこと。「哲」は事上に逹したこと。「保其身」は身に障害のないこと。程子が東漢の名節を道理を知らないと言ったのも中庸で断じたもの。
【通釈】
○「詩曰。旣明且哲云云」。仲山甫を誉めた詩である。「明」は道理に明らかなこと。「哲」は事上に逹したこと。朱子がこの様に説き分けて置いた。○「保其身」。身に障害のないこと。○自分に十分にないことと急き早いことがある。自分が明哲であればどの様な処にいても気遣いはない。○程子が東漢の名節を道理を知らないと言ったのも中庸で断じたもの。ここに一つ吟味がある。朱子が、東漢の名節を人に役に立たないと言うが、俺は大層よいと思うと言ったことがある。それを直方先生が鞭策録に載せ、立志のことに引いた。学者を励ますためである。朱子が揚雄は一生ぬらりくらりして中庸に託していたことを、あれは中庸というものではない、明哲に倒されたというものだと言った。ここでこの様なことを言うのは、悪く心得て学者が中庸の扱き上げた処は程子の「東漢名節不知道理」を楯に取って、自分の私を以ってとかく禍を免れようとさせないためである。中庸の黙容とは揚雄の様なことだと思うと後漢の胡廣や明の胡廣の中庸となる。揚子雲の「明哲煌煌として、旁く無疆を燭す、不虞に遜[しりぞ]きて、以て天命を保つ」を朱子が「便宜を占むる、它[かれ]一生這の幾句に誤らる」と言ったのは学者の心術。のんべりだらりで紛らかすことへの戒め。また文会に語類百七の節を載せられたのも垂加の微意のあること。とかく初学は紛らを食らわすのが悪い。○丸いものを削るにも四角、それから六角、それから十六角。それで段々と丸くなる。これが皆学問初入りの処である。中庸の君子尊徳性云云の効がこの様な地位になれば能く保其身である。程子の仰せられた通りのことで、東漢の名節などで道統を語ることではない。
【語釈】
・けささ…障害。邪魔。
・明哲煌々旁く燭無疆、遜于不虞以保天命…揚子法言。「明哲煌煌、旁燭無疆、遜於不虞、以保天命」。
・朱子占便冝它一生被這幾句誤…朱子語類81。「所謂明哲者、只是曉天下事理、順理而行、自然災害不及其身、可以保其祿位。今人以邪心讀詩。謂明哲是見幾知微、先去占取便宜。如揚子雲說明哲煌煌、旁燭無疆、遜于不虞、以保天命、便是占便宜底說話、所以它一生被這幾句誤。然明哲保身、亦只是常法。若到那舍生取義處、又不如此論」。
・埀加…山崎闇斎。