己酉一六中庸筆記十八
二十八章(二十八章至三十章)  四月廿一日 先生朱批 文七
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・二十八章(二十八章至三十章)…原文の記載は「二十八章」のみだが、当日の課会は三十章までを行っているので補記した。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。


中庸章句第二十八章
子曰、愚而好自用、賤而好自專、生乎今之世、反古之道。如此者、烖及其身者也。好、去聲。烖、古災字。○以上孔子之言。子思引之。反、復也。
【読み】
子曰く、愚にして自ら用うることを好み、賤しくして自ら專[ほしいまま]にすることを好み、今の世に生まれて、古の道に反る。此の如き者は、烖[わざわい]其の身に及ぶ者なり。好は去聲。烖は古は災の字。○以上は孔子の言なり。子思之を引けり。反は復るなり。

非天子不議禮、不制度、不考文。此以下、子思之言。禮、親疏貴賤相接之體也。度、品制。文、書名。
【読み】
天子に非ざれば禮を議せず、度を制せず、文を考えず。此より以下は、子思の言なり。禮は、親疏貴賤の相接わるの體なり。度は品制。文は書の名。

今天下車同軌、書同文、行同倫。行、去聲。○今、子思自謂當時也。軌、轍跡之度。倫、次序之體。三者皆同、言天下一統也。
【読み】
今天下車軌[わだち]を同じくし、書文を同じくし、行倫を同じくす。行は去聲。○今とは、子思自ら當時を謂うなり。軌は、轍跡の度。倫は、次序の體。三つの者皆同じとは、言うこころは、天下一統なり、と。

雖有其位、苟無其德、不敢作禮樂焉。雖有其德、苟無其位、亦不敢作禮樂焉。鄭氏曰、言作禮樂者、必聖人在天子之位。
【読み】
其の位有りと雖も、苟し其の德無ければ、敢えて禮樂を作らず。其の德有りと雖も、苟し其の位無ければ、亦敢えて禮樂を作らず。鄭氏曰く、言うこころは、禮樂を作る者は、必ず聖人天子の位に在り、と。

子曰、吾說夏禮、杞不足徵也。吾學殷禮。有宋存焉。吾學周禮、今用之。吾從周。此又引孔子之言。杞、夏之後。徵、證也。宋、殷之後。三代之禮、孔子皆嘗學之而能言其意。但夏禮旣不可考證。殷禮雖存、又非當世之法。惟周禮乃時王之制、今日所用。孔子旣不得位、則從周而已。
【読み】
子曰く、吾夏の禮を說けども、杞徵[しるし]とするに足らず。吾殷の禮を學ぶ。宋の存する有り。吾周禮を學び、今之を用う。吾は周に從わん、と。此れ又孔子の言を引けり。杞は夏の後。徵は證なり。宋は殷の後。三代の禮は、孔子皆嘗て之を學びて能く其の意を言えり。但夏の禮は旣に考證す可からず。殷の禮は存すると雖も、又當世の法に非ず。惟周の禮のみ乃ち時王の制にして、今日用うる所なり。孔子旣に位を得ざれば、則ち周に從うのみ。

右第二十八章。承上章爲下不倍而言。亦人道也。
【読み】
右第二十八章。上章の下と爲りて倍かずを承けて言う。亦人道なり。


此章は人道を説なり。とかく此方に德が出來子ば人間一疋でない。人間一疋になら子ば位高くても卑くても兎角世の中にさしつかへあると云ことを説たもの。愚と云字は歴々だの軽いものだのと云わけの字ではないが、下に賎之字あるゆへ此が歴々の上へかけて云字になる。我に知惠がない。我に知惠のないものは人に問ひ相談すればまがりなりにもすむものなれども、曽て人に問ひ相談もせず、をれがすることを誰が何と云はふぞと云。如問則裕、自用則小の自用。歴々の知惠のないが一ちこまりたもの。誰も首の抑へてがない。その上に御前の御一言草木も靡きますと云から一入ぞ。桀紂を其歸則愚也と云も、なんても思なりにするぞ。そこを愚と云。医心なく藥をもる。なんともかとも云はれぬ気の毒ぞ。
【解説】
「子曰、愚而好自用」の説明。歴々の知恵のないのが一番困ったもの。首の抑え手が誰もいない。その上に、それに諂う者もいる。
【通釈】
この章は人道を説いたもの。とかくこちらに徳が出来なければ人間一疋ではない。人間一疋にならなければ位が高くても卑くてもとかく世の中に差支えがあるということを説いたもの。「愚」という字は歴々だの軽い者だのと言い分けた字ではないが、下に賎の字があるのでこれが歴々の上へ掛けて言う字になる。自分に知恵がない。自分に知恵のない者は人に問うたり相談をすれば曲り形にも済むものだが、曾て人に問うたり相談したりもせず、俺がすることを誰が何と言うものかと言う。問わば則ち裕に、自ら用うれば則ち小の自用の如し。歴々の知恵のないのが一番困ったもの。首の抑え手が誰もいない。その上に御前の御一言草木も靡きますと言うから一入である。「桀紂考其歸則誠愚也」と言うのも、何でも思う通りにするからで、そこを愚と言う。医心なく薬を盛る。何とも彼とも言えない気の毒なこと。
【語釈】
・桀紂を其歸則愚也と云…論語陽貨3集註。「程子曰、人性本善。有不可移者、何也。語其性、則皆善也。語其才、則有下愚之不移。所謂下愚有二焉。自暴自棄也。人苟以善自治、則無不可移。雖昏愚之至、皆可漸磨而進也。惟自暴者、拒之以不信。自棄者、絶之以不爲。雖聖人與居、不能化而入也。仲尼之所謂下愚也。然其質非必昏且愚也。往往強戾而才力有過人者。商辛、是也。聖人以其自絶於善、謂之下愚。然考其歸、則誠愚也」。

○軽ひものは、何程才がありても世の中に順ておら子ばならぬものなり。專とは、當世の法令にかまはず我をたてる。そこの心をしかるぞ。これが器量あるもののこと。凡人にはないこと。とかく一器量あると、公儀てはあああらふとあふてはないと云て我をたてる。それを專と云。どのやふに尤なことでも、上をはばからずするがわるい。今も学者にえてある。唐めいたことをして世の中を非に見て、世間ではどふあらふとをれはをれだと云。爰が古の道理を信仰することではない。それは好古と云てよいこと。此は公儀の作法にはすれたことをしたかることなり。麻上下と云はひょんなことじゃ。をれは直埀を着と云。なで付も醫者が或は病気なればよいが、たた古の風じゃと云てなで付になるがわるい。学者がすべていとびんやっこと云はないはずと云てなで付になる。吾黨の学者にもえてありたがる。これがわるいことなり。今日はなんであらふと大名から御旗本まで其わけは知らぬことなれどもさかやきそるなり。それらを非に見て有髮になって居る學者がたくさんあるが、皆當世にしたがわぬのなり。これ反古之道の類ぞ。益もなきことをしたがるぞ。自用ると云愚は、なはにもたばにもかからぬほうとく坊てはない。藏前のをばあてもないが、自用と云て禍をとるを愚と云そ。專にするは、吾器量ありて世俗の文盲ものと同格てないけれとども、自分なりて專らにするなればあほうと云ものそ。中庸は知見なり。
【解説】
「賤而好自專、生乎今之世、反古之道。如此者、烖及其身者也。好、去聲。烖、古災字。○以上孔子之言。子思引之。反、復也」の説明。軽い者は、どれほど才があっても世の中に順っていなければならない。「專」とは、当世の法令に構わずに我を立てること。どの様に尤もなことでも、上を憚らずにするのが悪い。
【通釈】
○軽い者は、どれほど才があっても世の中に順っていなければならないもの。「專」とは、当世の法令に構わずに我を立てること。その心を訶るのである。これは器量ある者のことで、凡人にはないこと。とかく一器量あると、公儀ではああであろうがあれではないと言って我を立てる。それを専と言う。どの様に尤もなことでも、上を憚らずにするのが悪い。今も学者に得てある。唐めいたことをして世の中を非に見て、世間ではどうであろうと俺は俺だと言う。ここは古の道理を信仰することではない。それは好古と言ってよいこと。ここは公儀の作法に外れたことをしたがること。麻裃というのはひょんなことだ。俺は直垂を着ると言う。撫付けも医者か或いは病気であればよいが、ただ古の風だと言って撫付けになるのが悪い。学者が全て糸鬢奴ということはない筈だと言って撫付けになる。我が党の学者にも得てありたがる。これが悪いこと。今日は何であろうと大名から御旗本までその訳は知らないが月代を剃る。それらを非に見て有髪になっている学者が沢山いるが、皆当世に従わないのである。これが「反古之道」の類である。益もないことをしたがる。自ら用うるという愚は、繩にも束にも掛からない冒涜坊ではない。蔵前のを当てて言うのでもないが、自用といって禍を取るのを愚と言う。専にするとは、自分に器量があって世俗の文盲者と同格ではないのだが、自分なりで専らにするのであれば阿呆というもの。中庸は知見である。

非天子云云。此か至て大切なこと。天下のことは天下取りの御身分ですること。議礼制度考文と云が上一人の天子の定めること。天子でなければ决してせぬ。議礼制度考文と三つ出して、とんと天子のなさるること。此ことに手を付ることは天子の外の者はとんとならぬこと。手短なことで合点せふなら、年号のやふなものたと迂斉が申た。年号は天子から出て酒屋の通にも植木屋の通にも書か、上天子から出たものなり。此は上の孔子の語を説てこふ云はれたもの。礼は先。此か政の根本。大切と云にこれほとなことはない。親簇の中でも一ち親と段々遠いがある。吾体を中にをき、親か一ち親く、子が一ち親く、曽祖母と遠くなる。天下のこと一切皆爰か本立になりて天下のことをする。親を重ひにして、それから段々筋がある。天下の人の心を一にするが礼なり。人の心をこまかに云てみれば、一ちしにくいものなり。いろ々々な心入なものか有ふと礼から一つにする。三年の喪と云ても、孝子は三年の喪をしまっても、はてなきものはなみだなりけりで、足ぬ々々と思ふ。不孝な子は五十日もたたぬに小歌を謡ふ気にもなり、肴もくいたくなるが、何ほど不孝であらふと親の喪は三年ときめたもの。今日俗人も五十日で足ぬと思ふは孝子。又五十日をのっつそっつせふとも、五十日ひきこんでをるととがめぬ。それできめたものなり。すは礼と云をこふ立てをく。礼にそむくと其分にならぬと、そこて天下の心が一になる。異端などのきめられぬことなり。周公旦待旦作周礼。
【解説】
「非天子不議禮、不制度、不考文」の説明。「議禮」「制度」「考文」は上一人の天子の定めること。その中でも礼が先になり、これが政の根本となる。親を本立てにして、それから段々と筋がある。礼に背くとその分にはしないので、天下の心が一つになる。
【通釈】
「非天子云云」。これが至って大切なこと。天下のことは天下取りの御身分ですること。「議禮」「制度」「考文」というのが上一人の天子の定めること。天子でなければ決してしない。議礼制度考文と三つ出して、実に天子のなされることだと言う。このことに手を付けるのは天子以外の者は全くならない。手短なことで合点するのなら、年号の様なものだと迂斎が申した。年号は天子から出て酒屋の通にも植木屋の通にも書くが、上天子から出たもの。ここは上の孔子の語を説いてこう言われたもの。礼は先。これが政の根本。大切と言うのにこれほどのことはない。親族の中でも一番が親で段々と遠くなる。自分の体を中に置き、親が一番親しく、子が一番親しく、曾祖母となると遠くなる。天下のことは一切皆これが本立てになって天下のことをする。親を重いことにして、それから段々と筋がある。天下の人の心を一つにするのが礼である。人の心を細かに言ってみれば、一番し難いもの。色々な心入れなものが有ろうが礼から一つにする。三年の喪と言っても、孝子は三年の喪を終えても、果てなきものは涙なりけりで、これでは足りないと思う。不孝な子は五十日も経たないのに小歌を謡う気にもなり、肴も食いたくなるが、何ほど不孝であっても親の喪は三年と決めたもの。今日俗人も五十日で足りないと思うのは孝子。また五十日をのっつそっつしようとも、五十日引き込んでいても咎めない。それで決めたものだからである。さあ礼というものをこの様に立てて置く。礼に背くとその分にはならないと、そこで天下の心が一つになる。異端などの決められないこと。周公旦旦を待ちて周礼を作る。

○侯公伯子男は大立た貴賎で、あの通の重いこと。今日大名衆て云ても、少將の侍従の四品の諸太夫の布衣のと段々格式が立てをる。此て皆もののすべが立つ。知惠や德での恭敬は内証のこと。いかほど知惠があらふと格式のひくいものはどこ迠も下に居る。格式の重いものは上にいる。それもこれも皆礼でするゆへ、そこで親疎貴賎相接之体なりと云。体はなりと云こと。礼と云なりかたにあわせてする。礼之中の品制と云は、先つ喪服で有ふとそれ々々に品がわかりてをる。太夫の喪はこふ、諸侯の喪はこふと云。それから平生も大名以上は白無垢を着る。以下は白無垢はきられぬと云やふに、それ々々に筋がわかりてをる。何ても着たいものを着ると云て着次第は品節でない。○文書名と云は、朱子のすぐに周礼に外史の宦と云と大行人の宦と云がある。これが国々をまわりて書の吟味をすることあり。書は文字のことで物を書くこと。文字は物の名ゆへ書名なりと云。松と云字は松の木の名。鶴を霍と書く。霍と云鳥の字の名なり。書は名なり。文字がきまらぬと爭の端になる。火と書てもこちの国では水だと云。そふすると騒動はたへぬ。米と云字を書くとどこまでも米、金と云字を書くとどこまでも金と云。これが上一人から定めて置てどこ迠もこれでゆく。これを何の為めに云へば、こびた人やものを識たと云人が、これはこふではないと云て通用せぬ文字など書く。皆ひょんなことをしたがる。禍をにのつきと得るぞ。
【解説】
「此以下、子思之言。禮、親疏貴賤相接之體也。度、品制。文、書名」の説明。知恵や徳での恭敬は内証のことであり、どれほど知恵があろうと格式の卑い者は何処までも下におり、格式の重いものは上にいる。「文、書名」とは、書は文字のことで物を書くこと。文字は物の名なので書名である。これは上一人が定めて置いて何処までもこれで行く。それは媚びた人や物を識っているという人に通用しない文字を書かせないためである。
【通釈】
○侯公伯子男は大立った貴賎で、あの通りの重いこと。今日の大名衆で言っても、少将や侍従、四品や諸太夫、布衣などと段々と格式が立っている。ここで皆ものの術が立つ。知恵や徳での恭敬は内証のこと。どれほど知恵があろうと格式の卑い者は何処までも下にいる。格式の重いものは上にいる。それもこれも皆礼でするので、そこで「親疎貴賤相接之體也」と言う。体はなりということ。礼というなり方に合わせてする。礼の中の「品制」というのは、先ず喪服であろうとそれぞれに品が分かれている。太夫の喪はこう、諸侯の喪はこうと言う。それから平生も大名以上は白無垢を着る。大名以下は白無垢は着られないという様に、それぞれに筋が分かれている。何でも着たいものを着ると言って着次第にするのは品節ではない。○「文、書名」とは、朱子が、直ぐに周礼に外史の官と大行人の官というものがある。これが国々を廻って書の吟味をすることがある。書は文字のことで物を書くこと。文字は物の名なので書名なのだと言う。松という字は松の木の名。鶴を霍と書く。霍という鳥の字の名である。書は名である。文字が決まらないと争い端になる。火と書いてもこちらの国では水だと言う。そうすると騒動は堪えない。米という字を書くと何処までも米、金という字を書くと何処までも金と言う。これが上一人から定めて置いて何処までもこれで行く。これは何の為に言うかというと、媚びた人や物を識っているという人が、これはこうではないと言って通用しない文字などを書くからである。皆ひょんなことをしたがる。禍を二の次に心得ている。

今天下云云。上のことをもふ一つ云。こふしたことゆへ今もこふしゃ。天下の車のすん法がきはまりておる。今も京都の大宮通などがこれなり。車の通った筋がきはまりてある。色々な迹がありそふなものなれとも、皆同じ寸法ゆへその跡を引て通る。或問に古語を引て朱子の云はれたことがある。閉門造車出門合轍とある。樽屋藤左ェ門が舛をこしらへるもそれで、どこでも一舛は一舛。さて文字もそれなり。天下中の文が皆一つ文字なり。こびたことをするはづはない。皆公儀へはばかることなり。やわらかなことがよいとても、公儀の御機嫌伺ひにいろはではならぬと直方先生云へり。三井孫兵衛ほど手がよくても、公儀へ差上る書を篆字ではならぬ。名主が文才あるとても、地頭の役所へ不佞だの竊按だのと書いて出すと大きな目に合ふことなり。同倫は五倫の道の急度立ておること。倫は廣い字なれども、五倫のこと。皆あるまいことのなく云ひ分のないやふになってをるで治まる。これと云が上から礼がたっておるゆへなり。去るに因て父子夫婦兄弟あいさつあるまい風聞あれば御詮議がきっとあるはここのことなり。さてここは車を一つ出して万端をしらせることなり。上に親疎貴賎相接之体也とある。ここも此外ではない。
【解説】
「今天下車同軌、書同文、行同倫」の説明。天下の車の寸法が極まっている。天下中の文が皆一つ文字である。五倫の道がしっかりと立っている。これも上から礼が立っているからである。
【通釈】
「今天下云云」。上のことをもう一つ言う。こうしたことなので今もこうだ。天下の車の寸法が極まっている。今も京都の大宮通りなどがこれ。車の通った筋が極まってある。色々な迹がありそうなものだが、皆同じ寸法なのでその跡を引いて通る。或問に古語を引いて朱子が言われたことがある。「閉門造車出門合轍」とある。樽屋藤左衛門が升を拵えるのもそれで、何処でも一升は一升である。さて文字もそれ。天下中の文が皆一つ文字である。媚びたことをする筈はない。皆公儀へ憚ることである。柔らかなことがよいと言っても、公儀の御機嫌伺いにいろはではならないと直方先生が言った。三井孫兵衛ほど手がよくても、公儀へ差し上げる書を篆字で書いてはならない。名主が文才あるとしても、地頭の役所へ不佞だの竊按だのと書いて出すと大きな目に合う。「同倫」は五倫の道がしっかりと立っていること。倫は広い字だが、五倫のこと。皆あってはならないことがなくて言い分のない様になっているので治まる。これというのも上から礼が立っているからである。そこで父子夫婦兄弟の挨拶にあってはならない風聞があれば御詮議がきっとあるのはここのこと。さてここは車を一つ出して万端を知らせること。上に「親疎貴賤相接之體也」とある。ここもこの外ではない。
【語釈】
・閉門造車出門合轍…中庸或問。「古語所謂閉門造車出門合轍、蓋言其法之同」。
・樽屋藤左ェ門…樽屋藤左衛門。本姓は水野。代々江戸町年寄を勤める。
・三井孫兵衛…三井親和。江戸中期の書家。字は孺卿。竜湖・万玉亭・深川漁夫と号。信濃の人。書を細井広沢に学び、江戸深川に住。篆書を能くした。1700~1782。

次序之体。体の中に次第のあること。天下一統に此通りにする。ここが大切なことなり。上一人の定て出すことを天下中がしたがう。これゆへ一国成敗と云ことはない。軽い身分て、天下一統な筈をあれは本のことではないと云て我て色々なことをしたかる。そこを禍及其身と云。そこで某が服忌令を學者に読め々々と云かそれなり。服忌令が公儀からの御定めゆへ頓とあの通のかたてすること。田舎などては知れぬか、士宦でもするものなどか五十日の服忌を四十九日目て月代そりでてもすまぬ。五十一日目で出てもすまぬ。これでなければ礼と云ものでない。西国北国のはててもうごかぬ。密通そのぶんとはさせぬ。あのやふな無理な親へ不孝は又格別とくれは行同倫でない。じゃによって周礼六行のあとへ八刑を出し、つはり々々々と刑する。これで天下の心を一にする。佛者は拙僧もらいますと出る。程子の除浮屠祖廟使向善とはそこを弁したもの。
【解説】
「行、去聲。○今、子思自謂當時也。軌、轍跡之度。倫、次序之體。三者皆同、言天下一統也」の説明。上一人が定めて出すことに天下中が従う。それで私が服忌令を学者に読めと強く言うのである。
【通釈】
「次序之體」。体の中に次第のあること。天下一統にこの通りにする。ここが大切なこと。上一人が定めて出すことを天下中が従う。それで一国成敗ということはない。軽い身分で、天下一統の筈なことを、あれは本当のことではないと言って勝手に色々なことをしたがる。そこを「禍及其身」と言う。そこで私が服忌令を学者に読め読めと言うのである。服忌令は公儀からの御定めなので頓とあの通りの型でする。田舎などでは知れないが、士官でもする者などが五十日の服忌を四十九日目で月代を剃って出ても済まない。五十一日目で出ても済まない。これでなければ礼というものではない。西国や北国の果てでも動かない。密通はそのままにはさせない。あの様な無理な親へ不孝はまた格別と来れば「行同倫」ではない。それで周礼では六行の後へ八刑を出し、ずばりずばりと刑する。これで天下の心を一つにする。仏者は拙僧もらいますと出る。程子の「除浮屠祖廟使向善」とはそこを弁したもの。
【語釈】
・六行…周禮。「二曰六行。孝、友、睦、姻、任、恤」。
・八刑…周禮。「以郷八刑糾萬民。一曰不孝之刑。二曰不睦之刑。三曰不姻之刑。四曰不弟之刑。五曰不任之刑。六曰不恤之刑。七曰造言之刑。八曰亂民之刑」。
除浮屠祖廟使向善…浮屠を除いて祖廟を善に向かわしむ?

雖有其位云云。前のことを説かへしたもの。愚而自用でこすでさ。代々大身の身分ゆへ位も持てをるが、何を云にも暗い身分では礼樂は作られぬ。德がなければどふもをれがには出來ぬと云。謡の下手な大名の、をれが通りの謡をうたへと云。そこでは仕方なく謡ふても、内へかえりてはうたわれぬ。又德がありても身分が軽ければ礼樂は作られぬ。註。此註朱子もほめておかれた。筋をよく知た註なり。礼樂は誰が作ると云に、垩人と云德ありて其人が上天子の位にをると作る。そこで堯舜禹湯文武皆樂がある。垩人の德がありて天子の位にをれば両方揃ふ。鬼に金棒なり。これなれば礼樂を作る。
【解説】
「雖有其位、苟無其德、不敢作禮樂焉。雖有其德、苟無其位、亦不敢作禮樂焉。鄭氏曰、言作禮樂者、必聖人在天子之位」の説明。礼楽は、聖人という徳があって、その人が上天子の位にいる時に作る。聖人の徳があって天子の位にいれば両方が揃う。
【通釈】
「雖有其位云云」。前のことを説き返したもの。「愚而自用」で越す。代々大身の身分なので位も持っているが、何を言うにも暗い様な身分では礼楽は作ることはできない。徳がなければどうも俺には出来ないと言う。謡の下手な大名が、俺の通りに謡を謡えと言う。そこでは仕方なく謡っても、家に帰っては謡うことは出来ない。また徳があっても身分が軽ければ礼楽は作ることはできない。註。この註を朱子も誉めて置かれた。筋をよく知った註である。礼楽は誰が作ると言うに、聖人という徳があって、その人が上天子の位にいると作る。そこで堯舜禹湯文武には皆楽がある。聖人の徳があって天子の位にいれば両方が揃う。鬼に金棒である。これであれば礼楽を作る。

子曰吾説夏礼云云。もふ一へん孔子の御言を引たもの。上段々のことを孔子できめたもの。孔子思召がこうたは、これできまりたはと説き落す。此語だたい前の愚而好自用にかまはぬ。いつか仰せられた語なり。孔子がをれがをりふし咄す夏之礼が、夏の御子孫もあるがずんと今知れぬ。殷の礼も宋の国があり々々と存してあるが用られぬことしゃ。そこで孔子の用るは當時の礼。をれか用るは當時の礼しゃ。古の通りは入らぬことしゃとなり。迂斉先生か周郁々乎文哉吾從周の語とは違ふと云た。わけの違たこと。論語は夏殷周三代の礼を並たとき、そろった礼は周の礼しゃと、礼の評判をするとき周をほめたこと。ここは當時へしたごふこと。よいわるいの別ちのではない。孔子の思召なとかあの垩人なれとも、賎しい御身分ては自專にせぬ。吾從周へ假令わるからふと云ほとな弁なり。ここか孔子の思召。
【解説】
「子曰、吾說夏禮、杞不足徵也。吾學殷禮。有宋存焉。吾學周禮、今用之。吾從周」の説明。論語の「吾從周」は夏殷周三代の礼を並べた時に、揃った礼は周の礼だと、礼の評判をする時に周を誉めたこと。ここは当時へ従うことで、良い悪いの別ちのことではない。孔子は聖人ではあるが、賎しい御身分なので自専しない。
【通釈】
「子曰、吾說夏礼云云」。もう一遍孔子の御言葉を引いたもの。上段々のことを孔子で決めたもの。孔子の思し召しがこうであり、これで決まったと説き落とす。この語はそもそも前の「愚而好自用」には構わず、何時か仰せられた語である。孔子が、俺が折節話す夏の礼は、夏の御子孫もいるが殆ど今は知れない。殷の礼も宋の国がありありと存してあるが用いられていないと言う。そこで孔子の用いるのは当時の礼。俺が用いるのは当時の礼だ。古の通りは要らないことだと言った。迂斎先生が「周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周」の語とは違うと言った。訳が違うということ。論語は夏殷周三代の礼を並べた時に、揃った礼は周の礼だと、礼の評判をする時に周を誉めたこと。ここは当時へ従うこと。良い悪いの別ちのことではない。孔子の思し召しなどが、あの聖人であっても、賎しい御身分では自専しない。吾從周は、たとい悪かろうとと言うほどの弁である。ここが孔子の思し召し。
【語釈】
・周郁々乎文哉吾從周…論語八佾14。「子曰、周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周」。

註。直方先生が此文に気を付てみろと云も、またてない、此もたと云ことではない。これ全体の孔子の主意で分の咄をしたこと。その分の孔子のことを引て、とど自專にせぬことをひとつとをとす。又のいることは、周の礼なれども夏殷の礼を云は相読にすることなり。迂斉の弁なり。これか孔子の思召て知の大事。相読か礼の吟味。夏の礼はこふ、殷の礼はこふと云て、時王の礼は朱を入れてをくこと。礼を用る上にえりどりにすることはない。時にそむくことはとんとあるまい。そこて從周而已と云。直方先生が、をれが旦那寺と云字を云か皆が合点かと云たなり。切支丹宗徒黨の後は誰ても旦那寺と云かなくてはならぬ。これ上の制法なり。某さへ此身分ても旦那寺へ銀をやら子はならぬことなり。これ周に従のことなり。これはさて々々面白きことなり。仏法を信ずるてはない。中庸はとかく知見のこと。孔子も何そのときは行夏之時乘殷之輅服周之冕と顔子に告られて、より取のときはこれなり。而已と云字か上を敬した字なり。これより外はないと云こと。学者などもなんでも角でも麻上下の合点てするが而已なり。大工から大名迠麻上下は着るものなり。呂与叔の吉服をこしらへたことがある。それを朱子がわるいと云へり。呂与叔か吉服をこしらへたがああひょんなことたと云た。
【解説】
「此又引孔子之言。杞、夏之後。徵、證也。宋、殷之後。三代之禮、孔子皆嘗學之而能言其意。但夏禮旣不可考證。殷禮雖存、又非當世之法。惟周禮乃時王之制、今日所用。孔子旣不得位、則從周而已」の説明。ここはまた一つの話をして、つまりは自専しないことと落としたもの。時に背くことは全くないことなので「從周而已」と言う。それは、黙斎でさえ、この身分でも旦那寺へ銀を遣らなければならないということだと言う。
【通釈】
註。直方先生がこの文を気を付けて見なさいと言うのも、又ではない、これもだと言うことではない。これは全体の孔子の主意で分の話をしたこと。その分の孔子のことを引いて、つまりは自専しないことと一つと落とす。又が入るのは、周の礼のことなのだが、夏殷の礼を言って相読みにすること。迂斎の弁である。これが孔子の思し召しで知の大事。相読みが礼の吟味。夏の礼はこう、殷の礼はこうと言って、時王の礼は朱を入れて置く。礼を用いる上に選り取りにすることはない。時に背くことは全くないこと。そこで「從周而已」と言う。直方先生が、俺が旦那寺という字を言うのは皆が合点しているかと言った。切支丹宗徒党の後は誰でも旦那寺がなくてはならない。これが上の制法である。私でさえこの身分でも旦那寺へ銀を遣らなければならない。これが周に従うということ。これはさてさて面白いこと。仏法を信ずるのではない。中庸はとかく知見のこと。孔子も何ぞの時は「行夏之時、乘殷之輅、服周之冕」と顔子に告げられたが、選り取りの時はこれ。「而已」という字が上を敬した字である。これより外はないということ。学者なども何でも彼でも麻裃の合点でするのが而已である。大工から大名までが麻裃を着るもの。呂與叔が吉服を拵えたことがある。それを朱子が悪いと言った。呂與叔が吉服を拵えたのを、ああひょんなことだと言った。
【語釈】
・行夏之時乘殷之輅服周之冕…論語衛靈公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。

直方先生の、をれは唐へ行ても五郎左衛門じゃと云れたが大な眼なり。唐彦明か姪か山崎先生へ謚を乞ふと云て安藝から相談に來た。予もこまりはてたなり。これか世俗のやまの筋なれば不埒、又親切なれば知見なしの親切。唐さてへ横渠へ謚のことかれこれあるを司馬温公不同の心、一代の知見なり。温公へなぞ出たは通暁明快なり。今日日本は名乘俗名と月代そりて糸鬢の国なり。何も唐人の様に字や号を付ることではない。伊勢屋孫兵衛と云方か遥か高いことなり。不佞姓は何に字はなととかく。唐人のま子がすき。東坡巾をかぶりしっぽくを食ふあほふある。をかしきことなり。これかいこふ學者の戒になること。學者は古今の書を見るゆへ世の中を非に見て天下通用でないことをしたがるが、これが烖の本なり。道理は古も今も同じことなれとも、事の上は古のことは用られぬことがある。何も角も公儀の法度を守ること。親の精進は遠慮はない。公儀に構はずすることなり。學者は心喪するですむ。服忌令の通りに喪をして内々三年肴を食ぬがよい。どこからとがめはないか、それはせぬそ。これがあれば世にさはることはない。礼も生蛇を弄すはここから出る礼なり。吾類礼の部にあり。今規或學問が古に復したいと云。親切にきこへるか、三年の喪か始りたらこまるで有ふぞ。心喪は人々しらぬことなり。兎角學者が表立たことをしたかるか、これかわるい。方々へぎくしゃくとさしつかへるやふなことをすると云のは學者と云ものではない。なれども心喪と云ては勝手次第になるから上一人の礼を制するなり。かまぼこにすると骨はたたぬ。知見なしのかまほこは俗人なり。それもこれも治かなけれはならぬことなり。それて次へ又三重を出してそこを示せり。心喪と云ものは自專にせぬことを云て合点せよ。仏にまどいはせずに旦那寺へ年礼にゆく。忌中は服忌令の通りにして、心喪は内証てする。心喪の心の字は大切なことなり。三十三章篤敬の章句に篤敬不顕其敬とある。心喪も不顕其喪なり。孝を裏へたたきこむことなり。
【解説】
学者は古今の書を見るので世の中を非に見て天下通用でないことをしたがるが、これが災いの本である。道理は古も今も同じだが、事の上では古のことは用いられないことがある。そこで何も彼も公儀の法度を守ること。しかし、親の精進に遠慮はない。心喪ですればよい。自専が悪い。
【通釈】
直方先生が、俺は唐へ行っても五郎左衛門だと言われたのが大きな眼である。唐彦明の姪が山崎先生へ謚を乞うと言って安芸から相談に来た。私も困り果てた。これが世俗のやまの筋であれば不埒、また親切であれば知見なしの親切。唐でさえ横渠へ謚のことをかれこれとあるのを司馬温公の不同の心、一代の知見である。温公なぞを出したのは通暁明快である。今日日本は名乗俗名と月代を剃って糸鬢の国である。何も唐人の様に字や号を付けることはない。伊勢屋孫兵衛と言う方が遥かに高いこと。不佞姓は何、字はなどと書く。唐人の真似が好き。東坡頭巾を被って卓袱を食う阿呆がいる。可笑しいことである。これが大層学者の戒めになること。学者は古今の書を見るので世の中を非に見て天下通用でないことをしたがるが、これが災いの本である。道理は古も今も同じだが、事の上では古のことは用いられないことがある。何も彼も公儀の法度を守ること。親の精進に遠慮はない。公儀に構わずにすること。学者は心喪するので済む。服忌令の通りに喪をして内々三年肴を食わないのがよい。何処からも咎めはないが、それはしない。これがあれば世に障ることはない。礼も活蛇を弄すとはここから出る礼である。これは語類の礼の部にある。今どき或る学者が古に復したいと言う。親切に聞こえるが、三年の喪が始まったら困ることだろう。心喪は人々の知らないこと。とかく学者が表立ったことをしたがるが、これが悪い。方々へぎくしゃくと差し支える様なことをするのは学者というものではない。しかしながら、心喪と言えば勝手次第になるから上一人の礼を制するのである。蒲鉾にすると骨は立たない。知見なしの蒲鉾は俗人である。それもこれも治がなければならない。それで次へまた三重を出してそこを示した。心喪というものは自専しないことをいうことで合点しなさい。仏に惑いはせずに旦那寺へ年礼に行く。忌中は服忌令の通りにして、心喪は内証でする。心喪の心の字は大切なこと。三十三章の篤敬の章句に「篤敬不顯其敬」とある。心喪も不顕其喪である。孝を内へ叩き込むこと。
【語釈】
・礼も生蛇を弄す…朱子語類89。礼六。「伯量問、殯禮可行否。曰、此不用問人、當自觀其宜。今以不漆不灰之棺、而欲以磚土圍之、此可不可耶。必不可矣。數日見公説喪禮太繁絮、禮不如此看、説得人都心悶。須討箇活物事弄、如弄活蛇相似、方好。公今只是弄得一條死蛇、不濟事」。


中庸章句第二十九章
王天下有三重焉。其寡過矣乎。王、去聲。○呂氏曰、三重、謂議禮、制度、考文。惟天子得以行之、則國不異政、家不殊俗、而人得寡過矣。
【読み】
天下に王たるに三重有り。其れ過寡なからんか。王は去聲。○呂氏曰く、三重とは、禮を議し、度を制し、文を考うることを謂う。惟天子のみ以て之を行うことを得て、則ち國々政を異にせず、家々俗を殊にせずして、人過寡なきを得るなり、と。

上焉者雖善無徵。無徵不信。不信民弗從。下焉者雖善不尊。不尊不信。不信民弗從。上焉者、謂時王以前。如夏・商之禮雖善、而皆不可考。下焉者、謂聖人在下。如孔子雖善於禮、而不在尊位也。
【読み】
上なる者は善しと雖も徵[しるし]無し。徵無ければ信[まこと]あらず。信あらざれば民從わず。下なる者は善しと雖も尊からず。尊からざれば信あらず。信あらざれば民從わず。上なる者とは、時王以前を謂う。夏・商の禮は善しと雖も、皆考う可からざるが如し。下なる者とは、聖人の下に在るを謂う。孔子禮に善しと雖も、尊位に在さざるが如し。

故君子之道、本諸身、徵諸庶民、考諸三王而不繆、建諸天地而不悖、質諸鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑。此君子、指王天下者而言。其道、卽議禮、制度、考文之事也。本諸身、有其德也。徵諸庶民、驗其所信從也。建、立也。立於此而參於彼也。天地者、道也。鬼神者、造化之跡也。百世以俟聖人而不惑、所謂聖人復起、不易吾言者也。
【読み】
故に君子の道、身に本づき、庶民に徵[こころ]み、三王に考えて繆[あやま]らず、天地に建てて悖[もと]らず、鬼神に質して疑い無し。百世以て聖人を俟って惑わず。此の君子とは、天下に王たる者を指して言う。其の道とは、卽ち禮を議し、度を制し、文を考うるの事なり。身に本づきとは、其の德を有つなり。庶民に徵みとは、其の信じ從う所を驗みるなり。建は立つなり。此に立てて彼に參するなり。天地は道なり。鬼神は造化の跡なり。百世以て聖人を俟って惑わずとは、所謂聖人復起こるも、吾が言を易えざる者なり。

質諸鬼神而無疑、知天也。百世以俟聖人而不惑、知人也。知天知人、知其理也。
【読み】
鬼神に質して疑い無きは、天を知るなり。百世以て聖人を俟って惑わざるは、人を知るなり。天を知り人を知るは、其の理を知るなり。

是故君子動而世爲天下道、行而世爲天下法、言而世爲天下則。遠之則有望、近之則不厭。動、兼言行而言。道、兼法則而言。法、法度也。則、準則也。
【読み】
是の故に君子は動いて世々天下の道と爲り、行って世々天下の法と爲り、言って世々天下の則と爲る。之に遠きは則ち望むこと有り、之に近きは則ち厭わず。動くとは、言行を兼ねて言う。道とは、法則を兼ねて言う。法は法度なり。則は準則なり。

詩曰、在彼無惡、在此無射。庶幾夙夜以永終譽。君子未有不如此、而蚤有譽於天下者也。惡、去聲。射、音妒、詩作斁。○詩、周頌振鷺之篇。射、厭也。所謂此者、指本諸身以下六事而言。
【読み】
詩に曰く、彼に在っても惡まるること無く、此に在っても射[いと]わるること無し。庶幾[こいねが]わくは夙夜に以て永く譽を終えん、と。君子未だ此の如くならずして、蚤[はや]く天下に譽有る者は有らず。惡は去聲。射は音妒、詩は斁に作る。○詩は、周頌振鷺の篇。射は厭うなり。謂う所の此とは、身に本づき以下の六つの事を指して言う。

右第二十九章。承上章居上不驕而言。亦人道也。
【読み】
右第二十九章。上章の上に居て驕らずを承けて言う。亦人道なり。


此は天下取えのこと。人間に二つはないが、天下を取る御身分は至て大切なことなり。をれはよい仕合て天下を取たと樂をすることてはない。天下の人を大事にすることなり。天下を取人は子共の守をするやふなものしゃと直方先生の云へり。天下の人のわるいことをすることや仕損をすることをせぬやふにする。そこてから手ではゆかぬ。三重が入る。天下を取人の御身の上には必す此三重と云ことが入る。三重で天下を治ることなり。此三重で治たら天下中の人に仕をちはあるまいと云こと。上の御方が過寡と云文義ではない。三重は橋に欄干を付るやふなもの。橋に欄干を付てをくと人が川へ落ぬ。直方の弁なり。それを王天下有三重焉其寡過矣乎と云。三重と云を天下を取る人が重いことにせぬと、天下の人が勝手次第をする。天下の人が皆勝手次第をすると、見なから人を川へ落す。
【解説】
「王天下有三重焉。其寡過矣乎」の説明。天下を取る人は三重を用いなければならない。そうしないと、天下の人が勝手次第をする。
【通釈】
ここは天下取りへのこと。人間に二つはないが、天下を取る御身分は至って大切なこと。俺はよい仕合せで天下を取ったと言って楽をすることではない。天下の人を大事にすること。天下を取る人は子供の守りをする様なものだと直方先生が言った。天下の人が悪いことをしたり仕損じをしない様にする。そこで空手ではうまく行かない。「三重」が要る。天下を取る人の御身の上には必ずこの三重ということが要る。三重で天下を治めるのである。この三重で治めたら天下中の人に仕落ちはあるまいということ。上の御方が「過寡」という文義ではない。三重は橋に欄干を付ける様なもの。橋に欄干を付けて置くと人が川へ落ちない。直方の弁である。それを「王天下有三重焉、其寡過矣乎」と言う。三重と言うことを天下を取る人が重いこととしないと、天下の人が勝手次第をする。天下の人が皆勝手次第をすると、見ていながら人を川へ落とす。

扨其三重は何でござると云ときに、爰を呂与叔のやふも見て取られたぞ。只今人が來て其三重と仰らるるが、それをちと御傳授を受たいと云とき、こんどきやれではない。すぐに取も直さず上にある議礼制度考文のことしゃとなり。外のことてはあるまい。いかさまこふであらふ。此れと云ものがきまりてあると天下の人がそれにはづれぬ故よい。俗に所謂万能一心と云は至てよい辞なれども、とふすれは万能一心かしれぬが、礼度文章がきまりてあるので自ら心迠がよくなる。垩賢の学問は心からすることと事からすることがある。これらは事からしてゆくことなり。これと云も別のことではない。天下を取御身分の方が三重をきめさっしゃれば、上御一人を手本にする下ゆへ自ら下はよくなる。国は諸侯のこと。家は太夫のこと。是を大学の斉家治国の家国のやふに云はわるい。国と云は大名衆ぞ。家と云は大名の上て云。家老重役人のこと。公儀で云へば御籏本などにあたる。天子も三重を守らっしゃる。大名も三重を守り、太夫も三重を守り、足軽迠そのことを守る。三重を當時て云へば武家諸法度なり。何の服を着の、軽ひものは何の服はならぬのと云て、頓と上歴々上から下軽者の衣服のこと迠ある。あれを守るとよい。とんとこれにさへそむきませ子ば丁度にゆくことなり。
【解説】
「王、去聲。○呂氏曰、三重、謂議禮、制度、考文。惟天子得以行之、則國不異政、家不殊俗、而人得寡過矣」の説明。三重とは前章の議礼・制度・考文のこと。三重を今で言えば武家諸法度である。これを守り、これにさえ背かなければ丁度に行く。
【通釈】
さて、その三重は何かと言う時に、ここを呂與叔がよく見て取られた。只今人が来て、その三重と仰せられるものを一寸御伝授を受けたいと言う時、今度来なさいではない。直に取りも直さず上にある議礼・制度・考文のことだと言った。外のことではあるまい。いかにもこうであろう。これというものが決まってあると天下の人がそれに外れないのでよい。俗に所謂万能一心というのは至ってよい辞なのだが、どうすれば万能一心なのかが知れない。これは礼度文章が決まってあるので自ずから心までがよくなる。聖賢の学問は心からすることと事からすることがある。これらは事からして行くこと。これというのも別のことではない。天下を取る御身分の方が三重を決められたら、上御一人を手本にする下なので自ずから下はよくなる。「國」は諸侯のこと。「家」は太夫のこと。これを大学の斉家治国の家国の様に言うのは悪い。国とは大名衆のこと。家とは大名の上で言う。家老重役人のこと。公儀で言えば御旗本などに当たる。天子も三重を守られる。大名も三重を守り、太夫も三重を守り、足軽までがそのことを守る。三重を当時で言えば武家諸法度である。何の服を着るとか、軽い者は何の服はならないなどと言って、頓と上歴々から下軽い者の衣服のことまでがある。あれを守るとよい。とんとこれにさえ背かなければ丁度に行く。

上焉者云云。兎角どこ迠も此上の章を受て、當時のことでなけれはならぬと云ことなり。上焉者云云と云は上代のことを云。日本で云へば神代のときや神武天皇の時分か上焉者なり。さぞあの時分のことはよかったらふが、今日行ふとしてもどふも証拠がない。記録もなければどふと云こともない。万端瓊々杵の尊の通と云ともなか々々今日には知ぬこと。色々と云ても皆かはてそふかなと云。何でもものは徴か大事なり。医者の療治をしてまはるが、あれも此藥は少名彦の尊の藥でござると云と誰ものみてはない。一寸したことても、不換金益気湯と云と人が飲む。兎角しるしないことはゆかぬ。註。上焉者の文字は格式をうっちゃった文義。前は色々の説もありたか、章句定りてからいこふよい。下焉者はかるいもののこと。至極道理に叶た云に云へぬことても、此方の身かひくくては誰もかしこまらぬ。直方先生の、歌のことも中院殿と云と人が信仰するが、浅草の烟草屋と云と人が信仰せぬと云た。蹴鞠も飛鳥井殿とか難波殿とか云と人が信仰するが、米屋の番頭と云と人が信仰せぬ。○何でも天下のことが當代の上あることより外はならぬ。今これが堯舜の法と云ても誰も知ぬ。又何程道理に融通しても吾位が低くければ行はれぬ。なるほど孔子などがそれなり。司職史では何程礼に達してござっても、位を得なけれは用られぬ。孔子のことを用るものは七十子ばかり。魯の国では三家のことをありがたがる。孔子の云たことは方々へ中々行きととかぬ。あれほとな孔子を人か知ぬ位なことなり。魯の国には垩人がこざるそふじゃと云たれは、はあ東家の丘かと云たとなり。扨是迄に上の段々をずっとしらせて、これからあとが三重の大事なり。
【解説】
「上焉者雖善無徵。無徵不信。不信民弗從。下焉者雖善不尊。不尊不信。不信民弗從。上焉者、謂時王以前。如夏・商之禮雖善、而皆不可考。下焉者、謂聖人在下。如孔子雖善於禮、而不在尊位也」の説明。当時のことでなけれはならない。神代のことはよかっただろうが、徴がないから信じられない。また身分の低い者が道理に叶ったことを言っても、誰も畏まらない。
【通釈】
「上焉者云云」。兎角何処までもこの上の章を受けて、当時のことでなけれはならないと言う。「上焉者云云」とは上代のことを言う。日本で言えば神代の時や神武天皇の時分が上焉者である。さぞあの時分のことはよかっただろうが、今日行おうとしてもどうも証拠がない。記録もなければどうということもない。万端瓊瓊杵尊の通りと言っても中々今日には知れないこと。色々と言っても皆がはてそうかなと言う。何でもものは徴が大事である。医者が療治をして回るが、あれもこの薬は少名彦神の薬ですと言うと誰も呑み手はない。一寸したことでも、不換金益気湯と言うと人が飲む。兎角徴のないことはうまく行かない。註。「上焉者」の文字は格式を打ち遣った文義。前は色々の説もあったが、章句が定まってからは大層よい。「下焉者」は軽い者のこと。至極道理に叶った言うに言えないことでも、こちらの身が低くては誰も畏まらない。直方先生が、歌のことも中院殿と言うと人が信仰するが、浅草の烟草屋と言うと人が信仰しないと言った。蹴鞠も飛鳥井殿とか難波殿とかと言うと人が信仰するが、米屋の番頭と言うと人が信仰しない。○何でも天下のことは当代の上にあることより外はならない。今これが堯舜の法と言っても誰も知らない。また何ほど道理に融通しても自分の位が低ければ行われない。なるほど孔子などがそれ。司職吏では、何ほど礼に達しておられても、位を得なければ用いられない。孔子のことを用いるものは七十子だけ。魯の国では三家のことを有難がる。孔子の言ったことは方々へ中々行き届かない。あれほどの孔子を人が知らない位である。魯の国には聖人がこざるそうだがと言うと、はあ東家の丘かと言ったそうである。さてこれまでに上の段々をずっと知らせて、これから後に三重の大事を言う。
【語釈】
・瓊々杵の尊…ににぎのみこと。日本神話で天照大神の孫。
・少名彦の尊…少彦名神。すくなびこなのかみ。日本神話で、高皇産霊神(古事記では神産巣日神)の子。体が小さくて敏捷、忍耐力に富み、大国主命と協力して国土の経営に当り、医薬・禁厭(まじない)などの法を創めたという。
・中院殿…中院通村などは江戸時代の歌人である。
・東家の丘…三國志魏書11。「崧曰、鄭君學覽古今、博聞彊識、鉤深致遠、誠學者之師模也。君乃舍之、躡屣千里、所謂以鄭爲東家丘者也。君似不知而曰然者何」。孔子の西隣の人が孔子が聖人であることを知らずに孔子のことをただ東家の丘と言っていたこと。

是故君子之道云云。今日読む処最初から是迠のことが心法沙汰もない。一寸みると中庸めかぬことなり。わるくすると皆が合点じゃ々々々々と云てすむほどなこと。それでは政談や経済録も一つになるなり。これからが其心法なり。何ことても根のないことはない。唯三重と云ても此方かわるくてはだされぬ。故君子之道本諸身と云。君子之道本諸身を三重の性根の処を語ると迂斉か申た。三重の根がある。二十章九経を語るも、動かされぬことが九つあると本も末もこめた九経、その九経も誠でなければ行はれぬとをとす。是迠は治法。その治法も本諸身と云体がなければ行はれぬ。治法を知ても治体がなければ行はれぬ。近思録をみよ。故君子之道本諸身也。身に本たことでなければ頓とゆきませぬ。何でも灸をよくすえる人でなければ、やれ灸をしろ々々と云ても人が合点せぬ。をれは若時灸をしたままと云ては中々人が合点することではない。をれが毎年へえる。そこて此様に達者だはと云と、此方からろく々々云はぬうちにはや向から兎角あふであらふと云。徴諸庻民は民の方から信仰する気味。爰が子思のぎり々々の処をみがきあげて云ことなり。大學に明德新民至善とつめてある。爰もあそこと同く至極を語るゆへ是故につめたものなり。小康と云ことかある。すこしばかりよくしてそれで息をつぐことはない。架漏率補と云こと答陳同甫書にあり。鍋などのかけた処を鍋のいかけか来てちょっ々々々と直すやふなこと。其様なことはないことなり。それは本のことではない。ぎり々々につめるゆへ、これでもよいなどと云ことはとんとない。
【解説】
「故君子之道、本諸身、徵諸庶民」の説明。ここからが心法である。身に本づいたことでなければ頓とうまく行かない。
【通釈】
「故君子之道云云」。今日読む処は、最初からここまでに心法沙汰はない。一寸見ると中庸めかないことである。悪くすると皆は合点していると言って済むほどのこと。それでは政談や経済録も一つになる。これからがその心法である。何事でも根のないことはない。唯三重と言ってもこちらが悪くては出せない。そこで「故君子之道、本諸身」と言う。「君子之道、本諸身」のことを、三重の性根の処を語ると迂斎が申した。三重の根がある。二十章で九経を語るのも、動かせないことが九つあると、本も末も込めた九経、その九経も誠でなければ行われないと落とす。これまでは治法。その治法も本諸身という体がなければ行われない。治法を知っていても治体がなければ行われない。近思録を見なさい。「故君子之道本諸身」である。身に本づいたことでなければ頓とうまく行かない。何でも灸をよくすえる人でなければ、やれ灸をしろと言っても人が合点しない。俺は若い時に灸をしただけだと言っては中々人が合点しない。俺は毎年すえる。そこでこの様に達者だと言うと、こちらから碌碌言わない内に早くも向こうが兎角そうであろうと言う。「徵諸庶民」は民の方から信仰する気味。ここが子思のぎりぎりの処を磨き上げて言ったこと。大学に明徳新民至善と詰めてある。ここもあそこと同じく至極を語るので、それで詰めたもの。小康ということがある。少しばかりよくしてそれで息を継ぐことはない。架漏率補ということが陳同甫に答うる書にある。鍋などの欠けた処を鍋の鋳掛けが来てちょっちょっと直す様なこと。その様なことはないこと。それは本当のことではない。ぎりぎりに詰めるので、これでもよいなどということは全くない。
【語釈】
架漏率補

考諸三王と、此大そうに出したかきこへた。禹湯文武の政に考てみたとき、ちっとも繆はない。至極につまったから考諸三王而不繆とだしたもの。療治なれば扁鵲が來ても此外はない。じゃによって、貞観政要とは中庸大学をよまぬ人のこと。西山など朱子の傳を得た人なれとも端的の御益をと精出さるるゆへに三王の外のものを出す。ずいぶん益はあらふが、そ調子にのると思はず知らず伯者の心を生するからかけ引あるべきことなり。建天地云云。前は堯舜だの文王だのと垩人を出して云が、爰は道理の至極を云ゆへ天地を云。道理を説とき只理と云ては尊くない。天地が道理の大もとなり。天と云ことを引牖から見るの椽がはから見るのと云ことてはない。道理の本か天地なり。道理の通りを段々云はしったもの。そこで天地ととってくる。天地は直に理で云字なり。又鬼神は道理の理たる処の生て働く。せふ根て語るなり。鬼神が生て見でござらふがと云て、こちのぢうぶなことになる。質鬼神而無疑也。質諸鬼神無疑は横柄な字なれども、是程に云は子は丈夫てない。わるいことをする人は鬼神にをっけはれたことはない。そこて鬼神にけいはくをするが頓とそんなこつぢゃない。天地造化の方へだしたとき、ちっともごさっとうはでまいと云ことなり。百世云云。あとから出ることを云てなを々々丈夫なり。天地や鬼神ばかりでは、ものを云は子ば評判もせぬものを相手にして立羽を云様なが、此垩人を俟つと云が別して丈夫なこと。生きた垩人が出て、そんならそふはあるまいはえと云やふに迷ふことはない。いこふ丈夫なこと。自慢云ふたやふなことなれども、考諸三王而不繆云云、此通り丈夫なことでなければ能事はない。
【解説】
「考諸三王而不繆、建諸天地而不悖、質諸鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑」の説明。前は堯舜だの文王だのと聖人を出して言ったが、ここは道理の至極を言うので天地を言う。天地が道理の大本である。鬼神は道理の理たる処の生きて働くもので、性根で語る。そして生きた聖人を出して丈夫に言う。
【通釈】
「考諸三王」と、これを大層に出したのがよくわかる。禹湯文武の政に考えて見た時に、一寸も繆はない。至極に詰まったから「考諸三王而不繆」と出したのである。療治であれば扁鵲が来てもこの外はない。そこで、貞観政要は中庸大学を読まない人のこと。西山などは朱子の伝を得た人なのだが端的な御益をと精出されるので三王の外の者を出す。随分益はあるだろうが、その様に調子に乗ると思わず知らず伯者の心を生ずるから駆引きのあるべきこと。「建諸天地云云」。前は堯舜だの文王だのと聖人を出して言ったが、ここは道理の至極を言うので天地を言う。道理を説く時にただ理とばかり言っては尊くない。天地が道理の大本である。天というのは、引窓から見たり縁側から見たりするということではない。道理の本が天地である。道理の通りを段々と言われたもの。そこで天地と取って来る。天地は直に理で言う字。また鬼神は道理の理たる処の生きて働くもので、性根で語る。鬼神が生きて見でござろうがと言うので、こちらの丈夫なことになる。「質鬼神而無疑」。「質諸鬼神而無疑」は横柄な字だが、これほどに言わなければ丈夫ではない。悪いことをする人は鬼神にをっけ晴れたことはない。そこで鬼神に軽薄をするが、頓とそんなことではない。天地造化の方へ出した時、一寸も御察当は出ないだろうということ。「百世云云」。後から出ることを言うので猶更丈夫である。天地や鬼神ばかりだと、ものも言わず評判もしないものを相手にして立派を言う様だが、この聖人を俟つというのが別して丈夫なこと。生きた聖人が出て、それならそうであるだろうと言う様に迷うことはない。大層丈夫なこと。自慢を言った様なことだが、「考諸三王而不繆云云」で、この通りに丈夫なことでなければ能事はない。
【語釈】
・をっけはれた…おっけ晴れて。おおっぴらに。公然と。

註。えんの下に居ても君子は君子なれとも天下へひびく君子ゆへ、此君子は直方先生か指王天下者でなければならぬと云た。有其德。何事も兎角此方に德がなければゆかぬこと。臆病な大將がかかれ々々々と云やふなもの。とんと向へひびかぬ。兎角こちの德のことなり。此方に德があれば、いかさまああであらふと云て王者の方から觸書はなしともあちから信從するなり。王者の徴庻民とて、どふじゃとためし、吟味にやると云やふに看てはかいない。驗すと云て、古筆了延が処へ古筆の吟味にやるではないから其所信從としたもの。建立なり。書経皇建其有極とをなじこと。此方かそふすると、さて向と同格になる。向と建並た処か建なり。立於此は人の方。參於彼は天地の方。天理と一つになること。而の字看るべし。こふ二つにかけて云は子ば云ひたらぬからの章句なり。直方先生の天とちゃふしの一つになることしゃと云た。此方天地と一つになら子はこは々々する気味になる。太夫の乱拍子に足本は見ぬ。これも直方の弁。
【解説】
「此君子、指王天下者而言。其道、卽議禮、制度、考文之事也。本諸身、有其德也。徵諸庶民、驗其所信從也。建、立也。立於此而參於彼也」の説明。何事も兎角こちらに徳がなければうまく行かない。向こうへ響かない。ここは天理と一つになること。
【通釈】
註。縁の下にいても君子は君子なのだが天下へ響く君子なので、直方先生が「此君子、指王天下者」でなければならないと言った。「有其德」。何事も兎角こちらに徳がなければうまく行かない。そうでないのは臆病な大将がかかれかかれと言う様なもの。全く向こうへ響かない。兎角こちらの徳のこと。こちらに徳があれば、いかにもああであろうと言って王者の方から触書はなくてもあちらから「信從」する。王者の「徵諸庶民」と言っても、どうだと試し、吟味に遣るという様に看ては甲斐がない。験すと言っても、古筆の了延の処へ古筆の吟味に遣るのではないから「其所信從」としたもの。「建、立也」。書経の「皇建其有極」と同じこと。こちらがそうすると、さて向こうと同格になる。向こうと建ち並んだ処が建である。「立於此」は人の方。「參於彼」は天地の方。天理と一つになること。而の字を看なさい。この様に二つに掛けて言わなければ言い足りないという章句である。直方先生が天と調子が一つになることだと言った。こちらと天地とが一つにならなければ怖々とする気味になる。太夫の乱拍子に足元は見えない。これも直方の弁。
【語釈】
・皇建其有極…書經周書洪範。「五皇極。皇建其有極、斂時五福、用敷錫厥庶民。惟時厥庶民、于汝極、錫汝保極」。

天地は道也。ぎり々々の処になると天地と一つ。扨外の処にこんな註あらふ筈はないが、重いことゆへわるく取違ふてはわるいゆへ道也と出す。すぐに道理のことなり。天地と出すととふやらをそろしいと云やふなれとも、合点すれば道也。道也は天地を道理と合点することで、此道と割符を合せること。鬼神は天地と二つものではない。天地の働の上で鬼神と云。そこへみへる処でも鬼神なれども、鬼神を天地の上で云で重くなる。鬼神と云ても何も天地と二つことではない。爰には天地と鬼神をそろへて云。余の処には二つそろふてはないか、とちも一つに落ることと合点するがよい。百世以俟云云は孟子に出てあり。丈夫なことを云たものなり。若又あとから出て彼此云ものあらは、それはそこへ至らぬものが云のぞ。孔子が出て湯武の放伐をああひょんなこととは云はぬ。前垩後垩其揆一也。湯武の放伐を疑ふも己が私意から疑ふ。すべて疑は、かいないものがこれはいかがなどと云。皆そこへ至らぬからのことなり。
【解説】
「天地者、道也。鬼神者、造化之跡也。百世以俟聖人而不惑、所謂聖人復起、不易吾言者也」の説明。「道也」は天地を道理と合点すること。鬼神は天地の働きの上で言う。聖人のことを疑うのは、甲斐無い者のすること。
【通釈】
「天地者、道也」。ぎりぎりの処になると天地と一つ。さて外の処にこんな註がある筈はないが、重いことなので悪く取り違えては悪いので道也と出す。直ぐに道理のこと。天地と出すとどうやら恐ろしいという様だが、合点すれば「道也」。道也は天地を道理と合点することで、この道と割符を合わせること。鬼神は天地と二つものではない。天地の働きの上で鬼神と言う。そこに見える処も鬼神なのだが、鬼神を天地の上で言うので重くなる。鬼神と言っても何も天地と二つことではない。ここでは天地と鬼神とを揃えて言う。他の処では二つ揃ってはいないが、どちらも一つに落ちることだと合点しなさい。「百世以俟云云」は孟子に出ており、丈夫なことを言ったもの。もしもまた後から出て彼此と言う者があれば、それはそこへ至らない者が言うのである。孔子が出て、湯武の放伐をああひょんなことだとは言わない。「先聖後聖、其揆一也」である。湯武の放伐を疑うのも自分の私意から疑う。全て疑いは、甲斐無い者がすることで、これはいかがなどと言う。皆そこへ至らないからのこと。
【語釈】
・百世以俟云云は孟子に出てあり…孟子公孫丑章句上3。「子貢曰、見其禮而知其政。聞其樂而知其德。由百世之後、等百世之王、莫之能違也。自生民以來、未有夫子也」。
・前垩後垩其揆一也…孟子離婁章句下1。「先聖後聖、其揆一也」。

知天地人云云。上てあれほとに云たことを、何も外のことではない、知惠のことじゃとをとしたものなり。これか道統の書のなりぞ。天地の鬼神のと云へば神道者の云そふなことなれとも、これはそんなことではない。天を知たこと。知人とは、人の道理を知るなり。垩人の方にいかかと云ことはないはす。とんと根のすんたのなり。孟子に知性知天と云て、天と性か二つことではない。人間のことかしれれば天地造化のことがしれる。人の仁義礼智がしれれは天の元亨利貞が知れる。ここを知惠のことに落したものなり。此の知人を侖吾の不知言無以知人二十章の知人と云ことに思ふはちがふ。廿章は人の目利をすること。ここはそのやふに云へはちいさくなる。人の人たる理をしれると天のことまで知れる。それと云も外のことではない。道理を知ること。これ中庸の趣きなり。このやふにぎり々々につめて、そこてこの次にかかりたものなり。
【解説】
「質諸鬼神而無疑、知天也。百世以俟聖人而不惑、知人也。知天知人、知其理也」の説明。話を知恵に落とす。人間のことが知れれば天地造化のことが知れる。人の仁義礼智が知れれば天の元亨利貞が知れる。人の人たる理が知れると天のことまでが知れるのである。
【通釈】
「知天地人云云」。上であれほどに言ったことを、何も他のことではない、知恵のことだと落としたもの。これが道統の書の姿である。天地とか鬼神とかと言えば神道者の言いそうなことだが、これはそんなことではない。天を知ったということ。「知人」とは、人の道理を知ること。聖人の方にいかがということはない筈。すっかりと根の済んだこと。孟子に「知性」「知天」と言ってあり、天と性は二つことではない。人間のことが知れれば天地造化のことが知れる。人の仁義礼智が知れれば天の元亨利貞が知れる。ここは知恵のことに落としたもの。この知人を論語の「不知言、無以知人也」や二十章の知人ということと思うのは違う。二十章は人の目利きをすること。ここをその様に言えば小さくなる。人の人たる理が知れると天のことまでが知れる。それというのも他のことではない。道理を知ること。これが中庸の趣である。この様にぎりぎりに詰めて、そこでこの次に掛かったもの。
【語釈】
・知性知天…孟子盡心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣」。
・不知言無以知人…論語堯曰3。「不知言、無以知人也」。
・二十章の知人…中庸章句20。「故君子不可以不脩身。思脩身、不可以不事親。思事親、不可以不知人。思知人、不可以不知天」。

君子動而世云云。此章が三重をかたり此通りきり々々へ止めた。爰らて伯者底の卑いかしれる。あの器量ある莫大な衆達、漢の高祖唐の太宗がををさはぎをしてぎり々々押腂拔てした処があれぎりなこと。斉桓晋文管仲晏子いくらさはいても、孟子の目からは功烈如彼卑なり。中庸は本諸身からゆくことなり。此通りな君子ゆへ、事をするとき言の上ても行の上ても此方に德があってするゆへ、なか々々其一代のことは云に及ず代々の天下の道になる。文集に、謙の書なり。此世の字を世上とみるとあるかわるいそふなり。世々と云へば世上はもとよりな筈ぞ。茶湯道具を利休がこしらへたやふなもの。道具の寸法はこふしろと利休がきめはせぬが、利休が道具のこしらへやふか上手ゆへちょっとこしらへたことかよい。そこで今圖にして置てその通りにする。ちょっと箱をこしらへる。もふその箱が云に云へぬゆへ為法為則。君子の御身の上か何も彼も道理の通りゆへ、そこてその行ふこともその言も皆天下の則となり法となる。
【解説】
「是故君子動而世爲天下道、行而世爲天下法、言而世爲天下則」の説明。君子の身上が何も彼も道理の通りなので、一代のことは言うに及ばず代々の天下の道となり、行も言も皆天下の則となり法となる。
【通釈】
「是故君子動而世云云」。この章が三重を語ってこの通りにぎりぎりへ止めたもの。ここらで伯者底の者の卑いことが知れる。あの器量のある莫大な衆達、漢の高祖や唐の太宗が大騒ぎをしてぎりぎりと押し肌脱いでした処があれぎりのこと。斉桓晋文管仲晏子がいくら騒いでも、孟子の目からは「功烈如彼其卑也」である。中庸は「本諸身」から行くもの。この通りの君子なので、事をする時には言の上でも行の上でもこちらに徳があってするので、中々その一代のことは言うに及ばず代々の天下の道になる。文集に、謙に答うるの書である。この世の字を世上と見るとあるのが悪いそうである。世々と言えば世上は固よりの筈。それは茶湯道具を利休が拵えた様なもの。道具の寸法はこうしろと利休が決めはしないが、利休の道具の拵え様が上手なので、一寸拵えたことがよい。そこで今図にして置いてその通りにする。一寸箱を拵える。もうその箱が言うに言えないので「爲天下法」「爲天下則」である。君子の御身の上が何も彼も道理の通りなので、そこでその行うこともその言も皆天下の則となり法となる。
【語釈】
・功烈如彼卑…孟子盡心章句上30。「五霸則假之而已。是以功烈如彼其卑也」。

その通りの御德ゆへ、御膝元をはなれたものはどふぞ御膝元へ行たい々々々と云。遠きは花の香と云は常人のことと直方先生云へり。平人は近所のものはわるいを常々見るゆへ、遠くのものばかりがよいと云。遠は花の香なり。君子のは近から遠くまでなり。望は山を下からのぞむことなり。近きは家内から近所のもの、領分のものが皆悦ぶ。御城内から江戸中、皆近なり。とかくそばに居ると厭と云ことがある。假令よくてもうっとしいと云ことがあるか、近所のものかああいつまでも御繁昌なればよいと云。至極よいことを不厭と云。不厭と云は明月のさへたやふなもの。ああちと曇ればよいと云ことはない。いつまても明月にしてをきたい。惣体よいことには厭ふことはない。註。本根の処て動とある。これが言行一つに大働に云ことなり。惣つか子て云。法度は今云法度と云に似たやふでちがふことなり。手跡なれば是はこふ書ものと云が法度なり。それを手本にするが準則なり。此章人道なれども、是までにこきあけた処が天道になった。このやふな效は垩人でなふては及ぬことぞ。
【解説】
「遠之則有望、近之則不厭。動、兼言行而言。道、兼法則而言。法、法度也。則、準則也」の説明。徳があるので、近所の者がああ何時までも御繁昌であればよいと言う。ここの「法度」は今言う法度に似た様で違う。手跡であればこれはこう書くものというのが法度である。それを手本にするのが「準則」である。
【通釈】
その通りの御徳なので、御膝元を離れた者はどうぞ御膝元へ行きたいと言う。遠きは花の香と言うのは常人のことだと直方先生が言った。平人は近所のものの悪いところを常々見るので、遠くのものばかりがよいと言う。遠きは花の香である。君子のは近くから遠くまでである。「望」は山を下から望むこと。近きは家内から近所の者、領分の者が皆悦ぶ。御城内から江戸中、皆近きである。とかく側にいると厭うということがある。たといよくても鬱陶しいということがあるが、近所の者がああ何時までも御繁昌であればよいと言う。至極よいことを「不厭」と言う。不厭とは、明月の冴えた様なもの。ああ一寸曇ればよいということはない。何時までも明月にして置きたい。総体よいことには厭うことはない。註。本根の処で「動」とある。これが言行一つに大働きに言うこと。総束ねで言う。「法度」は今言う法度に似た様で違う。手跡であればこれはこう書くものというのが法度である。それを手本にするのが「準則」である。この章は人道だが、これまでに扱き上げた処が天道になった。この様な効は聖人でなくては及ばないこと。
【語釈】
・遠きは花の香…遠きは花の香、近きは糞の香。遠いものを尊び、近いものは軽んじるのが世の常であるというたとえ。

さてここの詩も詩の本意にはかまはぬことぞ。詩経の方の文義では彼と是とがむづかしいことなれども、とんとあれにはかまはぬ。中庸は中庸の文義に取てゆくこと。何処までも悪ことなく何処でも厭ものはない。誉るものもあり誉ぬものもありと云のは未だ本のことではない。医者もそれなり。本の名人になると誰もわるいと云ものはない。爰がぎり々々の処なり。庻幾[こい子が]は、わきから願ふ情で云。庻幾[ちかき]は、そふであらふとそれにしたいから云こと。庻幾とはあたりの違ふ字なれとも、とど一つにゆく。夙夜は夙興夜寐の字をつめたもの。あさばんと云でせい出すことになる。どふぞあとへもとらぬやふにしたい。至極よくなりてあともとりのせぬやふにする。丁ど仏者の魔がさすと云やふなことあるものなり。此比はあじになられたと云はあともどりなり。ここは大切なことなり。晩節難保、戒にすへきことぞ。なれとも中庸のは丈夫なことなり。誉を終ぬのなり。とこまても誉ををとさぬやふにする。ただ居誉を終ふと云ことはない。果報寐てまてては誉を終ることはない。本諸身はぎり々々につめ子は誉られることはない。
【解説】
「詩曰、在彼無惡、在此無射。庶幾夙夜以永終譽」の説明。何処までも悪いことはなく、何処でも厭う者はいない。それを後戻りさせない様にする。それには「本諸身」をぎりぎりまで詰めるのである。
【通釈】
さてここの詩も詩の本意には構わないこと。詩経の方の文義では彼とこれとが難しいことなのだが、とんとあれには構わない。中庸は中庸の文義に取って行くこと。何処までも悪いことはなく、何処でも厭う者はいない。誉める者もあり誉めない者もあるというのは未だ本当のことではない。医者もそれ。本当の名人になると誰も悪いと言う者はない。ここがぎりぎりの処である。「庶幾」[こいねがう]は、脇から願う情で言う。庶幾[ちかき]は、そうであろうととそれにしたいから言うこと。こいねがうとは当たりの違う字なのだが、結局は一つに行く。「夙夜」は夙に興き夜に寝るの字を詰めたもの。朝晩と言うので精を出すことになる。どうか後へ戻らない様にしたい。至極よくなって後戻りしない様にする。丁度仏者の言う魔が差すという様なことがあるもの。この頃は悪くなられたというのは後戻りである。ここは大切なこと。晩節難保、戒めにすべきことである。しかしながら、中庸のは丈夫なこと。誉を終えないのである。何処までも誉を落とさない様にする。そもそも誉を終えるということはない。果報寝て待てでは誉を終えることはない。「本諸身」はぎりぎりに詰めなければ誉められることはない。
【語釈】
・晩節難保…「保初節易、保晩節難」。

爰の蚤の字面白い。蚤と云は、直方先生のはずんだ口上じゃと云へり。自然と云に云へぬことは誉るものなり。狂言を見てやいやとほめる、はづみなり。内へ返りて考てほめるではない。直方先生が、乞食があまり久しく立てをるから銭をやるは蚤でないと云た。又寒中に客がくる。やれさむからふと云て火鉢を出す。客がじきに手をあたためる。蚤くなり。これも直方なり。如此にひびくことなり。それと云も本諸身、これをする人でなければならぬこと。ただ誉を得ると云ことはならぬ。秡ぬ太刀の高名と云は巾着切るよりわるい。すべてこれが古今名ある歴々にあること。とかく誉を得たがる。人にものをやるも礼を云はりゃふとてやるはきたないこと。とかく本諸身てなけれはならぬ。本諸身は此通りの所作がある。
【解説】
「君子未有不如此、而蚤有譽於天下者也。惡、去聲。射、音妒、詩作斁。○詩、周頌振鷺之篇。射、厭也。所謂此者、指本諸身以下六事而言」の説明。直方先生が、「蚤」というのは弾んだ口上だと言った。とかく誉を得たがるというのが古今名のある歴々にある。とかく「本諸身」でなけれはならない。
【通釈】
ここの「蚤」の字が面白い。直方先生が、蚤というのは弾んだ口上だと言った。自然と言うに言えないことは誉めるもの。狂言を見てやいやと誉めるのは弾みである。家へ返って考えて誉めるのではない。直方先生が、乞食があまり久しく立っているから銭を遣るというのは蚤ではないと言った。また寒中に客が来る。やれ寒かろうと言って火鉢を出す。客が直に手を温める。これが蚤である。これも直方の弁である。この様に響くこと。それというのも「本諸身」で、これをする人でなければできないこと。ただ誉を得るということはならない。抜かぬ太刀の高名というのは巾着を切るよりも悪い。全てこれが古今名のある歴々にあること。とかく誉を得たがる。人にものを遣るのも礼を言われようとして遣るのは汚いこと。とかく本諸身でなけれはならない。本諸身はこの通りの所作がある。


中庸章句第三十章
仲尼祖述堯・舜、憲章文・武。上律天時、下襲水土。祖述者、遠宗其道。憲章者、近守其法。律天時者、法其自然之運。襲水土者、因其一定之理。皆兼内外、該本末而言也。
【読み】
仲尼は堯・舜を祖述し、文・武を憲章す。上は天時に律[のっと]り、下は水土に襲[よ]る。祖述とは、遠く其の道を宗とするなり。憲章とは、近く其の法を守るなり。天時に律るとは、其の自然の運に法るなり。水土に襲るとは、其の一定の理に因るなり。皆内外を兼ね、本末を該[か]ねて言うなり。

辟如天地之無不持載、無不覆幬。辟如四時之錯行、如日月之代明。辟、音譬。幬、徒報反。○錯、猶迭也。此言聖人之德。
【読み】
辟[たと]えば天地の持載せずということ無く、覆幬[ふとう]せずということ無きが如し。辟えば四時の錯[たが]いに行くが如く、日月の代々[かわるがわる]明らかなるが如し。辟は音譬。幬は徒報の反。○錯は猶迭いのごとし。此れ聖人の德を言う。

萬物竝育而不相害、道竝行而不相悖。小德川流、大德敦化。此天地之所以爲大也。悖、猶背也。天覆地載、萬物竝育於其閒而不相害。四時日月、錯行代明而不相悖。所以不害不悖者、小德之川流、所以竝育竝行者、大德之敦化。小德者、全體之分、大德者、萬殊之本。川流者、如川之流、脈絡分明而往不息也。敦化者、敦厚其化、根本盛大而出無窮也。此言天地之道、以見上文取辟之意也。
【読み】
萬物竝び育[やしな]われて相害わず、道竝び行われて相悖らず。小德は川のごとく流れ、大德は化に敦し。此れ天地の大いなりとする所以なり。悖は猶背くのごとし。天覆い地載せ、萬物其の閒に竝び育われて相害わず。四時日月、錯いに行き代々明らかにして相悖らず。害わず悖らざる所以は、小德の川のごとき流れにして、竝び育われ竝び行わるる所以は、大德の化に敦ければなり。小德は、全體の分、大德は、萬殊の本なり。川流とは、川の流れの、脈絡分明にして往いて息まざるが如し。敦化とは、其の化を敦厚にして、根本盛大にして出ること窮まり無きなり。此れ天地の道を言い、以て上文の辟えを取るの意を見すなり。

右第三十章。言天道也。
【読み】
右第三十章。天道を言うなり。


あたまから仲尼と出すでわたもちの天道じゃと直方先生云へり。孔子の御名を出し、じかにわたもちでかたると云がそこなり。爰は孔子の宗旨をかたりたもの。孔子の宗旨は何でござると云とき、何も外に宗旨はない。祖述堯舜憲章文武が孔子の宗旨なり。自在生民の孔子だによってなんぞ新しいことがあるかと云に、兎角憲章文武上律天時下襲水土なり。孔子をみた処何も外のことはない。天地のなりをした人。上律天時下襲水土。なるほと孔子の道と云に何も一つこしらへたことはない。御手前の御了簡でしたことはない。述而不作也。憲章文武した。何か平生気を付てみたとき、いかさま天の方に一つとしてじっとして定りたことはない。夜になる。はや昼になる。雨が降り、又風がふく。昼はあかるい筈であかるい。夜は暗い筈で闇い。頓と天地は理なりなことなり。そこて孔子の御身の上をみたとき、可もなく不可もなし。孔子の方でかぶりをふることはない。理なりにする。天地が理なりに流行する。孔子がそれに似て居る。日の永いことがあれば日の短いこともある。孔子も久ふすべければ久。可速は則速か。孔子の御身の上か皆天の時に則たもの。理なりにまわるゆへ定たかたはない。堯舜の禅受、湯武の放伐、首をひ子りそふなものなれども、他人に天下をやると云が天の時なり。湯武の放伐が天の時に則る。その合点なれば湯武の放伐までが道のなりなり。上律天時也。下襲水土は、其時其処のそれを孔子の方から根から改めやふと云ことなく、其時其処の定たなりにする、と。とんと一つ定りたことをかへると云ことはない。向のなりにしてござる。魯の国に居れば魯の国のなりをし、宋の国に居れば宋の国のなりをする。此方に定規はない。土地なりでする。是が孔子の孔子たる処。天は動が天なり。地は動かぬが地のなりなり。そこで孔子の方に動くことも動かずにすることもある。天地のなりにすることなり。
【解説】
「仲尼祖述堯・舜、憲章文・武。上律天時、下襲水土」の説明。ここは仲尼を出して直に腸持の天道を語ったもの。孔子は天地の姿をした人で、自らが拵えたことは何もない。天地は全く理なりであり、孔子も全く理なりである。堯舜の禅受や湯武の放伐は、他人に天下を遣るということが天の時に律ったもの。孔子は魯にいれば魯なりに、宋にいれば宋なりに、その時その処の定まった通りにした。
【通釈】
最初から仲尼と出すので腸持の天道だと直方先生が言った。孔子の御名を出して、直に腸持で語るというのがそこ。ここは孔子の宗旨を語ったもの。孔子の宗旨は何でござると言う時、何も外に宗旨はない。「祖述堯舜、憲章文武」が孔子の宗旨である。生民に在りしよりの孔子なので、何か新しいことがあるかと言えば、とかく「憲章文武、上律天時、下襲水土」である。孔子を見た処、何も外のことはない。天地の姿をした人である。「上律天時、下襲水土」で、なるほど孔子の道と言っても何も一つとして拵えたことはない。御手前の御了簡でしたことはない。「述而不作」で、文武を憲章した。何か平生気を付けて見た時に、いかにも天の方に一つとしてじっと定まったことはない。夜になると早くも昼になる。雨が降り、また風が吹く。昼は明るい筈で明るい。夜は暗い筈で闇い。天地は全く理なりなこと。そこで孔子の御身の上を見た時、可もなく不可もない。孔子の方で頭を振ることはない。理の通りにする。天地が理の通りに流行する。孔子がそれに似ている。日の永いことがあれば日の短いこともある。孔子も久しくすべき時は久しく、速やかにすべき時は則ち速やか。孔子の御身の上が皆天の時に律ったもの。理なりに回るので定まった型はない。堯舜の禅受や湯武の放伐は首を捻りそうなものだが、他人に天下を遣るというのが天の時である。湯武の放伐が天の時に律る。その合点であれば湯武の放伐までが道の姿であって、「上律天時」である。「下襲水土」は、その時その処のそれを孔子の方から根から改めようということがなく、その時その処の定まった通りにすること。全く一つ定まったことを変えるということはなく、向こうの通りにしておられる。魯の国にいれば魯の国の通りをし、宋の国にいれば宋の国の通りをする。こちらに定規はない。土地の通りでする。これが孔子の孔子たる処。天は動くのが天の姿であり、地は動かないのが地の姿である。そこで孔子の方に動くことも動かないこともある。天地の通りにするのである。
【語釈】
・自在生民…孟子公孫丑章句上2。「子貢曰、見其禮而知其政。聞其樂而知其德。由百世之後、等百世之王、莫之能違也。自生民以來、未有夫子也」。
・述而不作…論語述而1。「子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭」。
・孔子も久ふすべければ久。可速は則速か…孟子公孫丑章句上2。「可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也」。

註。堯舜の道とて堯舜の道を允執其中のことかと云はわるい。尤あれは固りのことなれども、凡て堯舜の道なり。近守其法。此孔子は周の世の人ゆへその時の法の通りにする。法は、あらはれたことをじか々々とする。文武は孔子の當時の御先君なり。天地の道化育流行のなりにしたがって造化が出來てゆく。天地は造化のあがきなり。ここの処を体認してをると、寒暑の流行するやふにずら々々とめぐりてゆく。動くものの相手は動かぬものがある。動ぬものは地のもちまへ。動かずをりて道理に動くことがある。直方先生が、人が地もをりふし動てはないが、地震があると云か、地震がありても武藏が相模にはならぬ。それと云も地はとんと動かぬものなり。いつもかわらぬと云が、地の動くと云も天の動くのなり。上律天時下襲水土を迂斉が、とちの方ても孔子のこしゃくのないことと云た。無適無莫也。孔子の動かずにすることのあるときは地によってする。動くことは天によってする。通書の註に、朱子の外に云分がないから仲尼其太極乎と云はれた。動も太極、静も太極。孔子が其通り何も彼も道理なりゆへ、そこて仲尼其太極乎と云。迂斉かここへよくも引て云はれた。章句の皆の字は、孔子の祖述堯舜憲章文武上律天時下襲水土も四つ一つにして皆と云。兼内外は事ばかりてもなく、心ばかりでもない。内は孔子の心を云、外は事を云。祖述憲章皆わざから心と、内外両方そろへて云。本末は心と事を云ことではない。事の上に本と末がある。大いことはもと。小さいことは末。冠昏喪祭は本。洒掃應對は末なり。そこでたばこ盆をだすは末なり。それにも皆理がある。殊の外ささいなことは末なり。その末までが皆天地に合たこと。本末皆理かあるは天地自然ぞ。末なことはどふでもと云はれぬ。至て瑣細なことても理なりそ。夜子るは一定の理そ。火事あれはをきてをるは自然の運ぞ。丁とのときにもの喰は地の一ていぞ。はらへりたときはいつても喰は天地のときぞ。にかわづけではない。
【解説】
「祖述者、遠宗其道。憲章者、近守其法。律天時者、法其自然之運。襲水土者、因其一定之理。皆兼内外、該本末而言也」の説明。天地は造化の足掻きである。天は動き、地は動かない。孔子も動かない時は地によってし、動く時は天によってする。
【通釈】
註。堯舜の道と言っても、堯舜の道を「允執其中」のことかと言うのは悪い。尤もあれは固よりのことなのだが、全てが堯舜の道である。「近守其法」。この孔子は周の世の人なので、その時の法の通りにする。法は、顕れたことをじっくりとすること。文武は孔子の当時の御先君である。天地の道の化育流行の通りに従って造化が出来て行く。天地は造化の足掻きである。ここの処を体認していると、寒暑の流行する様にずらずらと廻って行く。動くものの相手には動かないものがある。動かないものは地の持ち前。動かずにいて道理に動くことがある。直方先生が、人が地も折節は動くではないか、地震があると言うが、地震があっても武蔵が相模にはならない。それと言うのも地は全く動かないものだからである。何時も変わらないものであり、地が動くというのも天が動くのである。「上律天時、下襲水土」を迂斎が、どちらの方でも孔子に小癪のないことだと言った。「無適無莫」である。孔子が動かずにすることがある時は地によってする。動くことは天によってする。通書の註に、朱子が外に言い分がないから「仲尼其太極乎」と言われた。動も太極、静も太極。孔子がその通りに何も彼も道理の通りなので、そこで仲尼其太極乎と言った。迂斎がここへよくも引いて言われた。章句の「皆」の字は、孔子の「祖述堯舜、憲章文武、上律天時、下襲水土」の四つを一つにして皆と言う。「兼内外」は事ばかりてもなく、心ばかりでもない。「内」は孔子の心を言い、「外」は事を言う。祖述憲章は皆業から心と、内外両方揃えて言う。「本末」は心と事を言ったことではない。事の上に本と末がある。大きいことは本。小さいことは末。冠昏喪祭は本。洒掃応対は末である。そこで煙草盆を出すのは末である。それにも皆理がある。殊の外瑣細なことは末である。その末までが皆天地に合ったこと。本末に皆理があるのは天地自然である。末なことはどうでもよいとは言えない。至って瑣細なことでも理の通りである。夜寝るのは一定の理。火事があれば起きているのは「自然之運」である。丁度の時にものを喰うのは地の一定で、腹が減った時に何時でも喰うのは天地の時である。膠付けではない。
【語釈】
・允執其中…論語堯曰1。「堯曰、咨爾舜、天之暦數在爾躳。允執其中。四海困竆、天祿永終」。書經大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・無適無莫…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比」。
・仲尼其大極乎…通書集註。孔子下39。「道德高厚、敎化無窮、實與天地參而四時同、其惟孔子乎」。註に、「道高如天者、陽也。德厚如地者、陰也。敎化無窮如四時者、五行也。孔子其太極乎」とある。

辟如天地云云。孔子のことをすぐに天地に譬て云。何なりと譬を云たいか、天地より外にたとへやふはない。天地を出して孔子の御意はこんなものじゃ、と。如きはなぞへて云たことてはない。孔子は天地のやふなものじゃと直に譬へて云。地の役は物を載せるが役。海も川も山も地が載てをる。天の役は覆はぬ処はない。日月ほど大きいものはないが、あれも天地の内にある。垩人の德がそれで、載ぬと云ことなく、覆はぬと云ことはない。互郷難與言。はてそふではないと皆垩人が覆て居る。南子が遇ふと云とああと云はるる。佛肸が様な盗人がよぼふと云へは行ふ。かふなさるるが天之覆なり。天がきたない処はいやと云そふなものなれとも、天がづっと覆ている。どのやふなものがこやふとををふてをる。はきための上をもををふてをらるる。孔子はせくのどふのと云ことはない。孔子の御咄のやふすを見るに、大名の屋形の番人の様に大勢の侍が交代する、仁義礼智が交代をして孔子の御身に色々と出る。師冕見ゆ。やれ坐頭ござったかと云。そうかと思へば七十になって陳恒殺其君孔子沐浴而朝すなり。老者安之少者懐之。子共がくるとほふをなでてあるへいをやる。仁義がかわる々々々出て仁義のもめあいなり。仁義が交代して、やむとはや出やむとはや出て、何でも仁義がわれて仁かと思へば義、義かと思へば仁が出て、日月の四海をめぐりて照すやふなり。これで孔子の宗旨は祖述堯舜憲章文武。扨御德のやふすが余のもので語りてはちいさくて語られぬゆへ、孔子は天地の德と見せたものなり。
【解説】
「辟如天地之無不持載、無不覆幬。辟如四時之錯行、如日月之代明。辟、音譬。幬、徒報反。○錯、猶迭也。此言聖人之德」の説明。孔子は天地とより外に譬え様がない。聖人の徳は天地と同じで、地が載せないことのなく、天が覆わないことのない様なもの。孔子の身からは仁義礼智が代わる代わる色々と出る。
【通釈】
「辟如天地云云」。孔子のことを直ぐに天地に譬えて言う。何なりと譬えを言いたいが、天地より外に譬え様はない。天地を出して孔子の御意はこんなものだと言う。「如」は準えて言ったことではない。孔子は天地の様なものだと直に譬えて言う。地の役は物を載せるのが役。海も川も山も地が載せている。天の役は覆わない処はない。日月ほど大きいものはないが、あれも天地の内にある。聖人の徳がそれで、載せないということなく、覆わないということはない。「互郷難與言」。はてそうではないと、皆聖人が覆っている。南子が遇うと言えばああと言われる。佛肸の様な盗人が呼ぼうと言えば行こうとする。この様になされるのが天の覆である。天は汚い処は厭だと言いそうなものだが、天がずっと覆っている。どの様なものが来ようと覆っている。掃溜めの上をも覆っておられる。孔子に急くのどうのということはない。孔子の御話の様子を見るに、大名の屋形の番人の様に大勢の侍が交代する様に、仁義礼智が交代をして孔子の御身に色々と出る。「師冕見」。やれ座頭ござったかと言う。そうかと思えば七十になって「陳成子弑簡公、孔子沐浴而朝」である。「老者安之、少者懷之」。子供が来ると頬を撫でて有平を遣る。仁義が代わる代わる出て仁義の揉め合いである。仁義が交代して、止むとはや出、止むとはや出て、何でも仁義が破れて仁かと思えば義、義かと思えば仁が出て、日月が四海を巡って照らす様である。これで孔子の宗旨は「祖述堯舜、憲章文武」なのである。さて御徳の様子が余のもので語っては小さくて語ることができないので、孔子は天地の徳だと見せたもの。
【語釈】
・互郷難與言…論語述而28。「互郷難與言。童子見。門人惑。子曰、與其進也。不與其退也。唯何甚。人潔己以進、與其潔也。不保其往也」
・南子が遇ふと云…論語雍也26。「子見南子。子路不說。夫子矢之曰、予所否者、天厭之。天厭之」。
・佛肸が様な盗人がよぼふと云…論語陽貨7。「佛肸召。子欲往」。
・師冕見ゆ…論語衛靈公41。「師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、與師言之道與。子曰、然、固相師之道也」。
・陳恒殺其君孔子沐浴而朝す…論語憲問22。「陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恆弑其君。請討之」。
・老者安之少者懐之…論語公冶長25。「子曰、老者安之、朋友信之、少者懷之」。
・あるへい…有平。砂糖菓子。

万物並育云云。此章最初に云、わたもちの天道じゃと仲尼と出し、一ちしまいは孔子をたさず天地で斗り云、前条に天地を云て、孔子これに似たと如の字で語る。爰は孔子に縁なく天地で斗り語る。それがすぐに孔子のことになるなり。至て面白い。天地は至て大いこと。それが實は孔子なり。孔子で云はず天地で云が異端へのことと直方先生云へり。異端は孔子と云てもまぜぬ。荘子などが第一それなり。孔子と云とくってかかる。また孔子か久しいものと云か、天地は異端も店をかりてをら子はならぬ。いくら云ても天が出るとたまらぬ。韞藏録にのせをいた。天地の外に求る道あらば水も飲すなめしもくわすなと云た。それて天地を出すと動くことはならぬ。異端は親も子も女房もうるさいなどと云ても、それは丁と魚の水にはなれやふと云やふなもの。魚か何水と云ても、水をはなれるといきの根はあからぬ。異端がいくらいたづらを云、我ままを云ても、天でつめると動くことはならぬ。上の段に孔子は天地の様じゃと云て、あとては孔子と云はず、ほんと天地ばかりで云たもの。子思と云御奉行の手段なり。○天地が廣いゆへ万物が出來る。万物さま々々あるが、差合なく出來る。それと云が天地が廣いゆへ差合がない。火と水ほど差合なものはない。火鉢へ水を入ると直に消る。天地が廣いゆへ遠くにをって、火は火てもへ水は水てうるをす。直方先生、蛇と蛙のことを云た。蛇と蛙はくいあいなものなれとも、天地が廣いゆへ蛇は蛇、蛙は蛙で立てをる。ちいさいものへ猫と鼠を置とぢきに勝負が付が、猫は猫、下に居る。鼠は鼠、天井の上にをる。
【解説】
「萬物竝育而不相害」の説明。ここは孔子に縁なく天地でばかり語るが、それが直ぐに孔子のことになる。天地は至って大い。それが実は孔子である。ここは異端に対するところで、天地を言うと異端は堪らない。天地は広いので、様々とある万物が差合なく出来る。
【通釈】
「萬物竝育云云」。この章の最初に腸持の天道だと言って仲尼と出して、一番最後には孔子を出さずに天地でばかり言い、前条に天地を言って、孔子がこれに似た者だと「如」の字で語る。ここは孔子に縁なく天地でばかり語るが、それが直ぐに孔子のことになる。これが至って面白いこと。天地は至って大い。それが実は孔子である。孔子で言わずに天地で言うのが異端へのことだと直方先生が言った。異端は孔子と言っても混ぜない。荘子などが第一のそれ。孔子と言うと食って掛かる。また孔子は久しいものと言うが、天地は異端も店を借りていなければならない。しかし、いくら言っても天が出ると堪らない。韞蔵録に載せて置いた。天地の外に求むる道あらば水も飲ますな飯も食わすなと言った。それで天地を出すと動くことはならない。異端が親も子も女房も煩いなどと言っても、それは丁度魚の水に離れようと言う様なもの。魚が何水と言っても、水を離れると息の根は上がらない。異端がいくら悪戯や我儘を言っても、天で詰めると動くことはならない。上の段に孔子は天地の様だと言って、後では孔子と言わずに、実に天地ばかりで言った。子思という御奉行の手段である。○天地は広いので万物が出来る。万物は様々とあるが、差合なく出来る。それというのは天地が広いので差合がない。火と水ほど差し合うものはない。火鉢へ水を入れると直に消える。天地は広いので遠くにいて、火は火で燃えて水は水で潤す。直方先生が蛇と蛙のことを言った。蛇と蛙は食い合いなものなのだが、天地は広いので蛇は蛇、蛙は蛙で立っている。小さいものの中へ猫と鼠を置くと直に勝負が付くが、猫は猫で下にいる。鼠は鼠で天井の上にいる。

○道は、ふりのちがった道かあるか悖らぬなり。君臣と夫婦はどちも五倫なれども是程ふりの違ったことはない。御城で御目付衆がしっ々々と云と色のかはるほどに敬む。君臣の間はそんなうす高いことじゃに、夫婦は蚊屋の中に寐て居るもの。それかやっはり五倫の道なり。親を万々年いかしてをきたいと云。さて親の死たときは医者迠を歒のやふに思はぬ。天命とする。親の病気を苦労するは孝子。さて吾もわずらい出すは無調法。垩賢の世の中を憂るも道。又天を樂むも道。亭主は何もござらぬと云。客は甚だの御馳走と云。どちぞうそであらふと云にそふでない。道並行而不悖なり。天地の道に大いことと小いことがある。小いことは川の流れのやふなもの。大海はこれと云かぎりはないが、川はそれ々々筋が立て、江戸で神田川のたて川のと云て筋がありてほそくながれる。それを川流と云。敦化は、色品みへた処。一年と云へは敦化なり。それか十二月にわかれ、それから三十日、それから十二時と川のわかれたやふなもの。川流なり。堀秡井戸から水のわくは敦化なり。百人が百斬へ持てゆくと川流なり。迂斉の弁なり。小德も大德も道。本をなじこと。千两箱の金のやふなもの。一とかたまりになってをる。それか何にもなる。親の子を可愛がるやふなもの。あとからはかわゆかり々々々々々してやるせなく可愛。呵るも可愛。灸をすえるも可愛。着物をきせるも可愛かりよふか色々にわれて、たへすちっとも子をわすれることはない。此れが敦化、川流なり。
【解説】
「道竝行而不相悖。小德川流、大德敦化」の説明。振りの違った道でも相悖らない。天地の道には大きいことと小さいことがある。小さいのは川の流れの様なもので、大きいのは掘抜き井戸から水が湧く様なものだが、本は同じである。
【通釈】
○「道」は、振りの違った道があるが、それが悖らないもの。君臣と夫婦はどちらも五倫でこれほど振りの違ったことはない。御城で御目付衆がしっしっと言うと色の変わるほどに敬む。君臣の間はそれほど堆いことなのに、夫婦は蚊帳の中に寝ているもの。それがやはり五倫の道である。親を万々年生かして置きたいと言う。さて親が死んだ時は医者までを敵の様には思わない。天命とする。親の病気を苦労するのは孝子。さて自分も煩い出すのは無調法。聖賢が世の中を憂えるのも道。また天を楽しむのも道。亭主は何もござらぬがと言う。客は甚だの御馳走と言う。どちらかは嘘だろうと言うに、そうではない。「道竝行而不相悖」である。天地の道には大きいことと小さいことがある。小さいことは川の流れの様なもの。大海はこれという限りはないが、川はそれぞれに筋が立って、江戸で神田川や立川などと言って筋があって細く流れる。それを「川流」と言う。「敦化」は、色品の見えた処。一年と言えば敦化である。それが十二月に分かれ、それから三十日、それから十二時となるのが川の分かれた様なもの。川流である。掘抜き井戸から水が湧くのは敦化であり、百人が百軒へ持って行くと川流である。迂斎の弁である。小徳も大徳も道で、本は同じこと。千両箱の金の様なもので、一塊になっている。それが何にでもなる。それは親が子を可愛がる様なもの。後から後から可愛がりしてやるせなく可愛がる。呵るのも可愛く、灸をすえるのも可愛く、着物を着せるのも可愛く、可愛がり様が色々に破れて、絶えず少しも子を忘れることはない。これが敦化、川流である。

此かつまり天地が大いからなり。そうたい小いことには差つかへがあるが、天地が大いゆへさしつかへはない。直方先生の、菜一つの処へ行きらいなものがあるとこまるが三十五菜ではこまらぬと云た。異端の道などはたった一色出す。天地は何も彼もあるゆへさしつかへはない。天地でこふかたり、口へは云はず孔子のことになるなり。天地を大と云てすぐにそれが孔子のこと。いろ々々一切衆生がぶん々々なものかできる。邪魔なものが出來るが、天地が廣いゆへそう々々邪魔にならぬ。根きり虫がありたけのものの根をたやすでない。迂斉がそふ云て笑はれた。昨日か土用の入て今日が寒の入りなればこまるが、別々じゃから寒暑が行はれる。昼は行燈をしまってをく。夜るは出す。炬燵も紙子羽織も此節はしまってをく。蛙は蛙でそだち蛇は蛇でそだち、是迠天地の御世話で出來たものなり。
【解説】
「此天地之所以爲大也」の説明。天地は大きいので差し支えることはない。異端の道などはたった一色のみである。
【通釈】
これがつまりは天地が大きいからのこと。総体小さいことには差支えがあるが、天地が大きいので差支えはない。直方先生が、菜一つの処へ行って嫌いなものがあると困るが三十五菜では困らないと言った。異端の道などはたった一色を出すのみ。天地は何も彼もあるので差支えはない。天地でこの様に語って、口では言わずに孔子のことになる。天地を大と言って、直ぐにそれが孔子のこと。一切衆生が色々と分分なものが出来る。邪魔なものも出来るが、天地が広いのでそうそう邪魔にならない。根切虫があるだけのものの根を絶やすことはない。迂斎がそう言って笑われた。昨日が土用の入りで今日が寒の入りであれば困るが、別々だから寒暑が行われる。昼は行燈をしまって置く。夜は出す。炬燵も紙子羽織もこの節はしまって置く。蛙は蛙で育ち蛇は蛇で育つ。これまでが天地の御世話で出来たものなのである。

全体之分、万殊の本。分と本は根の一つなこと。全体の処は大德。その全体のものがわれて出て我一人のもちまへになりたを小德と云。之分之本は両方かけて云。註。小德は、人のからだで云へば手や足の指のとわかれたやふなもの。外のものかと云に一体のからだの分れたもの。大德は、人の全体のからだなり。川流と云文字は川からの発明ぞ。これは書経の禹貢の語でも知れる。川はそれ々々に筋がはかって何を遵て何に入るとある。川の流れのやふに理がこさいになってわかる。さて其本手のきれることはないを敦化と云。越後屋ほど大きくても、かたのあることは今日はどふかして切れましたと云代ろ物がある筈。天地は無究に根が大きい。源とあるの水、九十九里の潮なくなると云ことはない。道理があとからは出て来々々々する。爰には孔子のことはない。上に如くと云て天地てたとへた。其講釈を天地は大いこと如此じゃと見せて、それがずぶに孔子のことになりた。大德は垩人の全体敦化なり。それか細にはれて出ると郷黨の篇三千三百川流なり。天地垩人至誠如此ものなり。
【解説】
「悖、猶背也。天覆地載、萬物竝育於其閒而不相害。四時日月、錯行代明而不相悖。所以不害不悖者、小德之川流、所以竝育竝行者、大德之敦化。小德者、全體之分、大德者、萬殊之本。川流者、如川之流、脈絡分明而往不息也。敦化者、敦厚其化、根本盛大而出無窮也。此言天地之道、以見上文取辟之意也」の説明。全体の処は「大德」。その全体が破れて出て自分一人の持ち前になったのを「小德」と言う。大徳は聖人の全体敦化である。
【通釈】
「全體之分、萬殊之本」。「分」と「本」は根の一つなこと。全体の処は「大德」。その全体のものが破れて出て自分一人の持ち前になったのを「小德」と言う。「之分」「之本」は両方掛けて言う。註。「小德」は、人の体で言えば手や足の指などと分かれた様なもの。外のものかと言えば、一体の体の分かれたもの。「大德」は、人の全体の体である。「川流」という文字は川からの発明である。これは書経の禹貢の語でも知れる。川はそれぞれに筋が分かれて何に遵って何に入るとある。川の流れの様に理が巨細になって分かれる。さてその本手の切れることがないのを「敦化」と言う。越後屋ほど大きくても、形のあることは今日はどうかして切れましたという代物がある筈。天地は無窮に根が大きい。源のある水や九十九里の潮がなくなるということはない。道理が後からは後からはと出て来る。ここには孔子のことはない。上で如くと言って天地で譬えた。その講釈に天地は大きいことはこの様だと見せて、それがすっかりと孔子のことになった。大徳は聖人の全体敦化である。それが細かに破れて出ると郷党の篇三千三百の川流である。天地聖人の至誠はこの様なもの。