己酉一六中庸筆記十九
三十一章至三十二章  四月廿六日  恭節
【語釈】
・己酉…寛政1年(1789)年。
・恭節…鈴木(鵜澤)恭節。字は子長。長藏と称す。大網白里町清名幸谷の人。鵜澤近義の第三子。館林藩儒臣。文政13年(1830)11月10日没。年55。


中庸章句第三十一章
唯天下至聖、爲能聰明睿知、足以有臨也、寬裕溫柔、足以有容也、發強剛毅、足以有執也、齊莊中正、足以有敬也、文理密察、足以有別也。知、去聲。齊、側皆反。別、彼列反。○聰明睿知、生知之質。臨、謂居上而臨下也。其下四者、乃仁義禮知之德。文、文章也。理、條理也。密、詳細也。察、明辯也。
【読み】
唯天下の至聖のみ、能く聰明睿知にして、以て臨むこと有るに足り、寬裕溫柔にして、以て容るること有るに足り、發強剛毅にして、以て執ること有るに足り、齊莊中正にして、以て敬むこと有るに足り、文理密察にして、以て別くこと有るに足れることをす。知は去聲。齊は側皆の反。別は彼列の反。○聰明睿知は、生知の質。臨とは、上に居りて下に臨むことを謂うなり。其の下の四つの者は、乃ち仁義禮知の德。文は文章なり。理は條理なり。密は詳細なり。察は明辯なり。

溥博淵泉、而時出之。溥博、周徧而廣闊也。淵泉、靜深而有本也。出、發見也。言五者之德、充積於中、而以時發見於外也。
【読み】
溥博淵泉にして、時之を出だす。溥博は、周徧にして廣闊なり。淵泉は、靜深にして本有るなり。出は發見なり。五つの者の德、中に充積して、時を以て外に發見することを言う。

溥博如天、淵泉如淵。見而民莫不敬。言而民莫不信。行而民莫不說。見、音現。說、音悦。○言其充積極其盛、而發見當其可也。
【読み】
溥博は天の如く、淵泉は淵の如し。見[あらわ]れて民敬せずということ莫し。言って民信ぜずということ莫し。行って民說びずということ莫し。見は音現。說は音悦。○其の充積其の盛んなるを極めて、發見其の可に當たることを言う。

是以聲名洋溢乎中國、施及蠻貊。舟車所至、人力所通、天之所覆、地之所載、日月所照、霜露所隊、凡有血氣者、莫不尊親。故曰配天。施、去聲。隊、音墜。○舟車所至以下、蓋極言之。配天、言其德之所及、廣大如天也。
【読み】
是を以て聲名中國に洋溢して、施いて蠻貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載する所、日月の照らす所、霜露の隊[お]つる所、凡そ血氣有る者、尊親せずということ莫し。故に天に配すと曰う。施は去聲。隊は音墜。○舟車の至る所以下は、蓋し之を極言す。天に配すとは、其の德の及ぶ所、廣大なること天の如くなることを言う。

右第三十一章。承上章而言小德之川流。亦天道也。
【読み】
右第三十一章。上章を承けて小德の川流を言う。亦天道なり。


この章もつぎの章も天道なり。天道は小いの大いのと云ことてなく、手のそはぬことを云。どっちどふまわっても手のそわぬことが天道になる。○唯の字、この前二十二章にも出てをる。垩人の上のぎり々々を語るゆへ唯と云。唯は異端も云ことで、則ち釈迦の天上天下唯我独尊の唯なり。外にないことなり。吾國も唯の字あり。なれども中庸とは違ふで有ふぞ。垩人のは至極につまるゆへ唯の字なり。ふちらかして云ことではない。垩人の道のぎり々々を云唯の字なり。○聦明睿知。生知安行の垩人へ付る名なり。垩人の智はちらりと目に見へ耳に聞くことが直に心へ通るゆへ聦明睿知と云。中庸に知を舜にあてるもきこへたぞ。垩人を行ては語らぬ。だたいこきあげたことは知で云より外はないことなり。知の中には行もはいっているなり。そこで垩人を語るには聦明睿知と云。垩德太子を八耳の皇子と云も知をかたりたことなれども、あの御方のことを八耳と云たはずんとこまった筋なり。難有からすをもぼしける。羅山先生春秋之筆矣。凡夫の知りきりでもむやうにしても通らぬ。知はまてしばしないものなり。鏡へもののうつるやふなもの。清た水へものの移るやふなものなり。つばめがちらりと飛ぶ。じきにうつる。そこで垩人を聦明睿知と、ちらりと一と口にあたりたものなり。そこて大学の序にも一りも有聦明睿知能尽其性者出其間則天必命之以爲億兆之君師なり。上の方に居る人は兎角知のあるものでなければならぬ。
【解説】
「唯天下至聖、爲能聰明睿知」の説明。この章も次の章も天道のこと。天道とは、手の添わないことを言う。「唯」は聖人の上のぎりぎりを言う。聖人は行ではなくて知で語る。そこで「聰明睿知」と言う。
【通釈】
この章も次の章も天道のこと。天道は小さいとか大きいとかということではなく、手の添わないことを言う。どの様にどう回っても手の添わないことが天道になる。○「唯」の字はこの前の二十二章にも出ている。聖人の上のぎりぎりを語るので唯と言う。唯は異端も言うことで、則ち釈迦の天上天下唯我独尊の唯である。外にないこと。我が国にも唯の字がある。しかしながら中庸とは違うことだろう。聖人のは至極に詰まるので唯の字なのである。吹き散らかして言うことではない。聖人の道のぎりぎりを言った唯の字である。○「聰明睿知」。生知安行の聖人へ付ける名である。聖人の智はちらりと目に見え耳に聞くことが直に心へ通るので聡明睿知と言う。中庸に知を舜に当てるのもよくわかる。行では聖人を語らない。そもそも扱き上げたことは知で言うより外はない。知の中には行も入っているのである。そこで聖人を語るには聡明睿知と言う。聖徳太子を八耳の皇子と言うのも知を語ったことなのだが、あの御方のことを八耳と言ったのは非常に困った筋である。有難からず思われた。羅山先生の春秋の筆である。凡夫の知り切りで揉む様にしても通らない。知は待て暫しのないもの。鏡へものが映る様なもの。清んだ水へものが映る様なもの。燕がちらりと飛ぶ。直に映る。そこで聖人を聡明睿知と、ちらりと一口に当てたもの。そこで大学の序にも「一有聰明睿智能盡其性者出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師」である。上の方にいる人は兎角知のある者でなければならない。
【語釈】
・生知安行…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之。及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之。及其成功一也」。
・知を舜にあてる…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與」。
・一りも有聦明睿知能尽其性者出其間則天必命之以爲億兆之君師…大學章句序。「一有聰明睿智能盡其性者出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而敎之、以復其性」。

臨は上から下をのぞむことなり。聦明睿知な御方でなければ上みにはをかれぬぞ。和訓では臨も望も同ことなれとも、字心は大きく違ふ。直方先生のをどけ咄すに、朝鮮人に大文字をのぞむときに臨の字を書たら大きく腹を立ふとなり。垩人の上に居て臨はどのやふなことなれば、外にかはりたことはない。仁義礼智なり。そこであとへ仁義礼智をかたりたものなり。垩人だと云てなんにもかはりたことはない。そこで垩人も人と同しきのみと云なり。足の字五つ出す。これをよく合点すべし。足でなければ垩人なことはない。凡人だと云て仁義礼智がないではない。もってはをれとも足てない。貧乏人も少々は金銀を持て居るが足でない。ぶけん者は足る。○寛裕温柔で垩人の仁を云拔たことなり。寛は殊の外む子のひろいことなり。今人は寛がかけてをる。裕はゆっくりとしたことなり。のびろいとはあたりが違ふ。全体にせくことのなくゆるやかな底を裕と云。温は物にかどのないこと。これゆへつ子々々温は玉にたとへて云。玉公つくり、とめかどのないものなり。柔はにっとりしてもののあたりのしなやかなことなり。直方先生の、仁はわたぼふしのやふなものと云が柔の字なり。常人は仁気がすくないゆへ、針でつくやふなことがあるぞ。桜などの一はいに咲た模様がこはいかたいものではない。牡丹の花などもそれなり。松さへ。眞木をみよ。仁気はない。こは々々と汁気のない、ひややかにつめたいは仁てない。温柔の文字なと皆潤のあることなり。
【解説】
「足以有臨也、寬裕溫柔」の説明。聖人が上にいて臨むのは外に変わったことではなく、仁義礼智である。「寛」は殊の外胸の広いこと。「裕」はゆっくりとしたこと。「溫」は物に角のないこと。「柔」はにっとりとしてものの当たりのしなやかなこと。
【通釈】
「臨」は上から下を臨むこと。聡明睿知な御方でなければ上に置くことはならない。和訓では臨も望も同じことなのだが、字心は大きく違う。直方先生が戯けて話すに、朝鮮人に大文字を望む時に臨の字を書いたら大きく腹を立てるだろうと言った。聖人が上にいて臨むのはどの様なことかと言うと、外に変わったことはない。仁義礼智である。そこで後へ仁義礼智を借りたもの。聖人だと言っても何も変わったことはない。そこで聖人も人と同じきのみと言う。「足」の字を五つ出す。これをよく合点しなさい。足るでなければ聖人のことはない。凡人にも仁義礼智がないわけではない。持ってはいるが足りてない。貧乏人も少々は金銀を持っているが足るではない。分限者は足る。○「寛裕溫柔」は聖人の仁を言い抜いたこと。「寛」は殊の外胸の広いこと。今人は寛が欠けている。「裕」はゆっくりとしたこと。のびろいとは当たりが違う。全体に急くことのなく緩やかな底を裕と言う。「溫」は物に角のないこと。そこで常々温は玉に譬えて言う。玉公作り、留め角のないもの。「柔」はにっとりとしてものの当たりのしなやかなこと。直方先生が、仁は綿帽子の様なものだと言うのが柔の字である。常人は仁気が少ないので、針で突く様なことがある。桜などの一杯に咲いた模様が強い堅いものではない。牡丹の花などもそれ。松さえ。薪を見なさい。仁気はない。強々としていて汁気のない、冷やかで冷たいのは仁ではない。温柔の文字などは皆潤いのあること。

容はその仁の御心から人を入る。人をこばみつくやふなことはない。大勢の子ともを持たものを看よ。色々のいたづらをしてどふもならぬものじゃに、親はそれを何とも思はぬ。小児障子をやぶり菊の花をむしりさま々々をすれとも、親はわるいことをするなと云た切りなり。容たなり。仁の模様なり。容と云で義絶はめったにせぬと迂斉云へり。吾黨の学者も兎角理屈だけいゆへ、すはと云、はや絶交をするの義絶をするのと云。仁気のすくないのなり。今学者きびしい色々な理屈を云から、然らは伯夷のやふかと思へばさふでもない。皆仁気がないからのことなり。仁の気象でない。某上総へ来てそう思ふか、百姓は馬を愛するものて、わるい馬もよいやふに云なす。さうして高く賣ふと云謀ても無けれとも、馬を愛する方からとかくよく云なす。あれか仁の気象なり。畜ふた馬をわるく云に忍びす。あほふな子をも内気てこまると云。他人は愚ときはめる。付け指すに忍ぬ。瘡毒を草とまぎらかすも仁の気象なり。
【解説】
「足以有容也」の説明。「容」は仁の御心から人を入れること。我が党の学者は兎角理屈高いので直ぐに絶交とか義絶とかと言うが、それは仁気が少ないのである。上総の百姓が馬を愛するのが仁の気象である。
【通釈】
「容」はその仁の御心から人を入れること。人を拒み突く様なことはない。大勢の子供を持った者を看なさい。色々と悪戯をしてどうにもならないものだが、親はそれを何とも思わない。小児が障子を破り菊の花をむしって様々なことをするが、親は悪いことをするなと言うだけである。容である。仁の模様である。容と言うので義絶は滅多にしないと迂斎が言った。我が党の学者も兎角理屈高いので、すわというと、早くも絶交をするとか義絶をするなどと言う。仁気が少ないのである。今学者が厳しい色々な理屈を言うから、それなら伯夷の様かと思えばそうでもない。皆仁気がないからである。仁の気象でない。私が上総へ来てそう思ったのだが、百姓は馬を愛するもので、悪い馬もよい様に言いなす。そうして高く売ろうという謀でも無いのだが、馬を愛する方からとかくよく言いなす。あれが仁の気象である。畜った馬を悪く言うに忍びない。阿呆な子をも内気で困ると言う。他人は愚と究めるが、付け指すに忍びない。瘡毒を草と紛らかすのも仁の気象である。

義はどうなれば、発強剛毅なり。なせ発と云へは、大全者云に奮発の発となり。義は奮発するものなり。羞悪と云で合点すべし。不義なことを視たときに、さてもさもしいと云が発の字なり。女の貞節を立るときに、あの柔なものなれどもつよくなる。婉娩聽從のやわらかから列女のはけしいと云文字のつくも、女の義気のふるう処。発の字なり。強はつよいこと。道理にそむいたことに負けぬことなり。毅はものをこらへること。剛はどっこいと云処なり。毅の字とはちかふ。毅はしっはりとものを仕遂ることなり。上の字の寛裕温柔かと思へば、又如此又発強剛毅。これで垩人は中々名が付られぬぞ。執の字も見にくい字なり。直方先生、たるくないきみじゃとなり。ものを守ることなり。たるくないと云も面白い。義はひっはるものなり。馬の手綱を取に執と書もきこへた。ひっはるぞ。執ぬと馬が草を食ふ。たるいとたわひもないことに引ずりこまるぞ。寛裕温柔のなかから又発強剛毅と云。しゃっきりなり。寛裕温柔は春の気。発強剛毅は秋の模様なり。秋は月もさへるなり。
【解説】
「發強剛毅、足以有執也」の説明。不義なことを視た時に、さてもさもしいと言うのが「發」である。「強」は強いことで、道理に背いたことに負けないこと。「剛」はどっこいという処。「毅」はしっかりとものを仕遂げること。「執」は引っ張る意。寛裕温柔は春の気で、発強剛毅は秋の模様である。
【通釈】
義はどうかと言うと、「發強剛毅」である。何故発と言うかというと、大全者に奮発の発とある。義は奮発するもの。羞悪ということで合点しなさい。不義なことを視た時に、さてもさもしいと言うのが「發」の字である。女が貞節を立てる時に、あの柔なものなのだが強くなる。婉娩聴従の柔らかから烈女の烈という文字が付くのも、女の義気の奮う処。発の字である。「強」は強いことで、道理に背いたことに負けないこと。「毅」はものに堪えること。「剛」はどっこいという処で、毅の字とは違う。毅はしっかりとものを仕遂げること。上の字の寛裕温柔かと思えば、またこの様に発強剛毅。これが聖人は中々名が付けられないものということ。「執」の字も見難い字である。直方先生が、だるくない気味だと言った。ものを守ること。だるくないと言うのも面白い。義は引っ張るもの。馬の手綱を取るのに執と書くのもよくわかる。引っ張るのである。執らないと馬が草を食う。だるいと他愛もないことに引き摺り込まれる。寛裕温柔の中からまた発強剛毅と言うのでしゃっきりとする。寛裕温柔は春の気。発強剛毅は秋の模様。秋は月も冴える。
【語釈】
・羞悪と云で合点すべし…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也」。
・婉娩聽從…小學立教2。「姆敎婉娩聽從」。

斉荘中正は礼を語る。斉荘は形と心を一つにかたる。申ふなれは、斉は心のことを云、荘は形のことを云。これはどちも一つに云たいものなり。正はたたしいそ。中の下へ正の字の付はどふなれば、礼の恰好な処は行義のよいものなり。そこて正の字が付。全体中が礼のあたりまいなり。ここを太極圖説のやふに云はちがいなり。有敬。人間の本体は敬なり。垩人の御様子を打ちみたときに、きっとした底なり。敬は心法へあてて云こともあり、形の上て云こともある。礼を云ときは形の上て云かよし。何も角も云ををやふもなく大切々々と、きっと謹むことなり。そうたい心にさへじょさいがなければどふでもよいと云は異端にをちる。いくら心にじょさいがないとても、そこへくる、大盤坐、ほんのことではない。礼はかりて心底のわるいもののあるを見て、老子が礼は忠信之薄と云なり。御機嫌ようござりますかと云てあたまを下げて、借た金をはたをそうと云から忠信之薄と云が、垩人のはそふではない。白ら木の臺へ新しい鯛をきたやふなものなり。今人は白らきの臺へふるい鯛なり。そこて忠信之薄と云。垩人のはそふではない。
【解説】
「齊莊中正、足以有敬也」の説明。「齊莊中正」は礼を語ったもので、「齊莊」は形と心を一つに語ったもの。「齊」は心のことを言い、「莊」は形のことを言う。礼の恰好な処は行儀のよいもの。そこで「正」の字が付く。全体「中」が礼の当たり前である。人間の本体は敬である。敬は心法へ当てて言うこともあり、形の上で言うこともあるが、礼を言う時は形の上で言うのがよい。
【通釈】
「齊莊中正」は礼を語ったもので、「齊莊」は形と心を一つに語ったもの。申すなれば、「齊」は心のことを言い、「莊」は形のことを言う。これはどちらも一つに言いたいもの。「正」は正しい。「中」の下へ正の字が付くのはどうしたことかと言うと、礼の恰好な処は行儀のよいもの。そこで正の字が付く。全体中が礼の当たり前である。ここを太極図説の様に言うのは違う。「有敬」。人間の本体は敬である。聖人の御様子を打ち見た時に、きっとした底である。敬は心法へ当てて言うこともあり、形の上で言うこともあるが、礼を言う時は形の上で言うのがよい。何も彼も言い様もなく大切なこととして、きっと謹む。総体心にさへ如在がなければどうでもよいと言うのは異端に落ちる。いくら心に如在がないとしても、そこへ来て大胡座では本当のことではない。礼ばかりで心底の悪い者のいるのを見て、老子が「礼者忠信之薄」と言った。御機嫌はようございますかと言って頭を下げて、借りた金を踏み倒そうとするから忠信之薄と言うが、聖人のはそうではない。白木の台へ新しい鯛を置いた様なもの。今人は白木の台へ古い鯛である。そこで忠信之薄と言う。聖人のはそうではない。
【語釈】
・老子が礼は忠信之薄と云…老子德經論德38。「夫禮者忠信之薄而亂之首」。

文理密察。常人は目のない秤り、目のないものさしなり。垩人の知は、物にそれ々々の筋がある。そこて文理と云。密察は上から高をくくらぬ。そこて密と云。そうたいこまかなものはひとつのやふにも見へる。御召の羽二重などがそれなり。杉板や松板は密とは云はぬ。紫檀黒檀たがやさんは密なり。密はそれをわけることなり。知は別と云か知のあたりまいなり。論語に知之為知不知為不知と云、孟子に是非の心と云。今人鷺は白、烏は黒いと云が、それきりて其外のことかそふゆかぬ。親にはこふ、君にはかふ、千差万端みな知からさばいて出る。異端のやふな高をくくることはない。さて勉て足てなけれは垩人の域へは至らぬと思べし。某が小な德利に酒をちと持てをるやふなは足るとは云はれぬ。垩人のは造酒屋のやふなものなり。そこて人に振舞はれるぞ。そこでここらでも知べし。天道と云ても雲に掛け橋、鯉に乘て天へ升る仙人のやふなことはない。仁義礼智のはたらき如是と云か天道。ここて唯の字の空てないもきこへた。仁義礼智のたっふりとある、唯の字なり。天上天下唯我独尊の唯とは大きな違いなり。
【解説】
「文理密察、足以有別也」の説明。物にそれぞれの筋があるから「文理」と言う。「密察」は上から高を括らないこと。仁義礼智の働きがこの様なことだというのが天道である。
【通釈】
「文理密察」。常人は目のない秤、目のない物差しである。聖人の知は、物にそれぞれの筋があるから、そこで「文理」と言う。「密察」は上から高を括らないこと。そこで密と言う。総体細かなものは一つの様にも見える。御召の羽二重などがそれ。杉板や松板は密とは言わない。紫檀や黒檀、鉄刀木は密である。密はそれを分けること。知は「別」と言うのが知の当たり前である。論語に「知之爲知、不知爲不知」とあり、孟子に「是非之心」とある。今人は鷺は白く烏は黒いと言うが、それぎりでその外のことはそうは行かない。親にはこう、君にはこう、千差万端皆知から捌いて出る。異端の様な高を括ることはない。さて勉めて足るのでなければ聖人の域へは至らないと思いなさい。私が小さな徳利に酒を一寸持っている様なのは足るとは言えない。聖人のは造酒屋の様なもの。そこで人に振舞うことができる。そこでここらでも知りなさい。天道と言っても雲に掛橋、鯉に乗って天へ昇る仙人の様なことはない。仁義礼智の働きがこの様なことだというのが天道。ここで唯の字が空でないのもよくわかる。仁義礼智のたっぷりとあるのが唯の字である。天上天下唯我独尊の唯とは大きな違いである。
【語釈】
・知之為知不知為不知…論語爲政17。「子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也」。
・是非の心…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也」。前出。

註。聦明睿知之質。垩人を生れ付にして取りたが面白。先生笑曰、實は御仕合せなり。みな孔子や文王以上を語たものなり。其外の垩人は脩行ていったものなり。湯武がそれなり。臨は謂居上臨下也。詩経に日や月や下土を照臨ともあり、仁義礼知こなた衆のもっておる、そのたっふりとあるのじゃとなり。文章。鳩巣の駿臺雜話によふかりてあり。文章書と云の文章てはない。だたい知は生麩をかためたやふなものてはない。木曽山のきこりに文章はない。これで文章の字のあやを見るべし。文章は知の持前なり。天子の文章と云もある。文章正宗文章規範と云てはない。さても見事なと人の目に視るなり。をとなしい學者がとかく身持が大事でござると云。そこて小學校てとっくに八つの時からしこむそ。大学は知なり。身持ばかりなれば革柄てよいと云と後藤はみんなになる。藥さへ持てはよいと云て長門印籠ばかりを持て、山田常嘉はみんなになる。條理。すぢ々々がある。詳細。博學審問も詳細にせふとてなり。唐詩選の講釈のやふで詳細とは云れぬぞ。明辨でないと知る弥々多して弥々ふさかる。巴へは巴へ、九曜は九曜なり。文章條理詳細明辨の名義は知の道体と看ることなり。垩人に工夫が有ふやふはない。王陽明が兎角心さへ々々々と云とはちがふ。
【解説】
「知、去聲。齊、側皆反。別、彼列反。○聰明睿知、生知之質。臨、謂居上而臨下也。其下四者、乃仁義禮知之德。文、文章也。理、條理也。密、詳細也。察、明辯也」の説明。文章條理詳細明辯の名義は知の道体である。聖人に工夫が有る筈はないが、王陽明が兎角心と言うのとは違う。
【通釈】
註。「聰明睿知、生知之質」。聖人を生まれ付きとして取り上げたのが面白い。先生笑んで曰く、実はお幸せなこと、と。皆孔子や文王以上を語ったもの。その外の聖人は修行で出来た者で、湯武がそれ。「臨、謂居上臨下也」。詩経に「日居月諸、照臨下土」ともあり、仁義礼智は貴方衆も持っているが、それがたっぷりとあるのだと言う。「文章」。鳩巣の駿台雑話によく書いてある。文章を書くという文章ではない。そもそも知は生麩を固めた様なものではない。木曾山の樵に文章はない。これで文章の字の綾を見なさい。文章は知の持ち前。天子の文章というのもある。文章正宗文章規範と言うことではない。さても見事だと人の目に視える。大人しい学者がとかく身持ちが大事でござると言う。そこでとっくに小学校で八つの時から仕込む。大学は知である。身持ちばかりであれば革柄でよいと言えば後藤は不要になる。薬さえ持てばよいと言って長門印籠ばかりを持てば、山田常嘉は不要になる。「條理」。筋々がある。「詳細」。博学審問も詳細にしようとしてのこと。唐詩選の講釈の様では詳細とは言えない。「明辯」でないと知ること弥々多くして弥々塞がる。巴は巴、九曜は九曜である。文章條理詳細明辯の名義は知の道体だと看ること。聖人に工夫が有る筈はない。しかし王陽明が兎角心さえ心さえと言うのとは違う。
【語釈】
・日や月や下土を照臨…詩經國風邶風日月。「日居月諸、照臨下土。乃如之人兮、逝不古處。胡能有定。寧不我顧」。
・後藤…室町時代から江戸時代にかけての刀装具小道具の名家。
・山田常嘉…江戸時代の徳川将軍家の印籠蒔絵師。
・巴へは巴へ、九曜は九曜…家紋のこと。

溥博云云。仁義礼智垩人にたっふりなれとも、孔子の処へいって視てもどふも見へぬ。文王の処へいってみたれとも仁義礼智が飾てもない。殊の外奧ふかくて溥博淵泉。垩人をのぞいてみたときにどふも視へぬそ。なるほと賜や肩に及ぶ、夫子の牆は数尋なり。子貢か雄弁で云たぞ。仁かと思ふと義が出る。綿冒子のやふなことかと思ふと少正卯を誅す。釈迦は泪はかりなり。楊墨は仁斗り義斗りなり。垩人のは着る物をいかいこと持た者が色々着替るやふなり。縮緬羽織かと思とはぶたへ。せんじ時々の寒暖で着替る。垩人は大名のやふなものでなんでもかでもある。あれが近習かと思と、寒ひ、羽織をもってこいと云ときは、又しらぬ皃の納戸が持て出る。時出之なり。今上緫で大身な家ても臺処に鯛のあるを客かちらとみる。あんの如く鯛が出る。大名のはとんとみへぬ。何か出るか知れぬ。溥博渕泉なり。
【解説】
「溥博淵泉、而時出之」の説明。聖人を覗いて見た時に「溥博淵泉」でどうも視えない。
【通釈】
「溥博云云」。仁義礼智は聖人にたっぷりとあるが、孔子の処へ行って視てもどうも見えない。文王の処へ行って見たが仁義礼智は飾ってもいない。殊の外奧深くて「溥博淵泉」である。聖人を覗いて見た時にどうも視えない。なるほど「賜之牆也及肩、夫子之牆數仞」である。子貢が雄弁に言った。仁かと思うと義が出る。綿帽子の様なことかと思うと少正卯を誅す。釈迦は泪ばかりである。楊墨は仁ばかり義ばかりである。聖人のは着物を大層持った者が色々と着替える様なもの。縮緬羽織かと思うと羽二重。漸次時々の寒暖で着替える。聖人は大名の様なもので何でも彼でもある。あれが近習かと思うと、寒い、羽織を持って来いと言う時は、また知らない顔の納戸が持って出る。「時出之」である。今上総で大身な家でも台所に鯛があるのを客がちらりと見る。案の如く鯛が出る。大名のは全く見えない。何か出るか知れない。溥博淵泉である。
【語釈】
・賜や肩に及ぶ、夫子の牆は数尋なり…論語子張23。「子貢曰、譬之宮牆。賜之牆也及肩。窺見室家之好。夫子之牆數仞。不得其門而入、不見宗廟之美、百官之富。得其門者或寡矣。夫子之云、不亦宜乎」。
・少正卯を誅す…論語序説。「孔子年五十六、攝行相事。誅少正卯」。

註。周徧。南風か吹と上総中が吹く。南風で肴のわるくなるときはどこもかしこもわるくする。加賀守殿が大きくても百万石と武鑑に書てある。天地垩人には何程高いか知れぬ。周徧なり。根は知れぬ。廣博。垩人にこれかきりと云ことはない。静深。泉からわき出す。江戸の池端や男蛇の池と云やふなことではない。いくらても尽ることはない。有本。直方先生の、巾着から出すやふなことではないとなり。なるほと巾着から出すやふてはつかい果すこともあれとも、垩人にそのやふなことはない。呼吸のやふなもの。今日かきりと云ことはない。発見。内にあるものか出てくることなり。言五者之德云云。やっはりせんどうち講じた通りに註をしたものなり。廿六章の常於中驗於外の例て書たものなり。中に充積してあるから時を以て外に発見するぞ。
【解説】
「溥博、周徧而廣闊也。淵泉、靜深而有本也。出、發見也。言五者之德、充積於中、而以時發見於外也」の説明。天地聖人はどれほど高いか知れない。「周徧」である。聖人にこれ限りということはない。これらの徳が中に充積してあるから時を以って外に発見するのである。
【通釈】
註。「周徧」。南風が吹くと上総中が吹く。南風で肴の悪くなる時は何処も彼処も悪くする。加賀守殿が大きくても百万石と武鑑に書いてある。天地聖人はどれほど高いか知れない。周徧である。根は知れない。「廣闊」。聖人にこれ限りということはない。「靜深」。泉から湧き出す。江戸の池端や男蛇の池という様なことではない。いくらでも尽きることはない。「有本」。直方先生が、巾着から出す様なことではないと言った。なるほど巾着から出す様では使い果たすこともあるが、聖人にその様なことはない。呼吸の様なもの。今日限りということはない。「發見」。内にあるものが出て来ること。「言五者之德云云」。やはり先度打ち講じた通りに註をしたもので、二十六章の「久、常於中也。徵、驗於外也」の例で書いたもの。中に充積してあるから時を以って外に発見するのである。
【語釈】
・常於中驗於外…中庸章句26集註。「久、常於中也。徵、驗於外也」

○溥博如天云云。たれに似たと云ものもないから、そこて天を出したもの。只今云た溥博と云は知てか。どのくらいなことてこさる。如天。只今云た渕泉はどのくらいなことでござる。如渕。長崎松前まださきにどらほとあるか知れぬのに、みんな天の領分なり。掘り秡井戸をほってこれきりかと思ふに、またそのやふなことてはないと迂斉云へり。三浦三崎て尼が蚫を取て来る。あれきりかと思に、またそんなことではない。如渕。見而民云云。迂斎の、見而民莫不敬と云、面白いことじゃ。どのやふなことでござると云ときに、夜のあけたやふなこととなり。たれても敬はぬものはない。いらざる、明けいでもよいにとは云はぬ。よく々々な朝寐ずきは明るはいやであらふが、それは鼹の日をきろふやふなものなり。言而民云云。これが子思の文法なり。先日も廿九章で動而と云て言行と云。ここも見而と云てあとて言行と云。人のよいわるいは言行の二つなものなり。○莫不説。直方先生、水のないとき雨の降るのじゃ。百姓が御雨様と云のじゃとなり。
【解説】
「溥博如天、淵泉如淵。見而民莫不敬。言而民莫不信。行而民莫不說」の説明。「溥博」は天の様で、「淵泉」は淵の様で果てしない。二十九章で「動而」と言って「言」「行」と言い、ここも「見而」と言って後で「言」「行」と言う。これが子思の文法である。
【通釈】
○「溥博如天云云」。誰に似ているというものもないから、そこで天を出したもの。只今言った溥博ということは知っているか。どの位のことですか。「如天」。只今言った淵泉はどの位のことですか。「如淵」。長崎や松前のまだ先にどれほどあるか知れないのに、皆が天の領分である。掘抜き井戸を掘ってこれ切りかと思うに、まだその様なことではないと迂斎が言った。三浦岬で尼が蚫を取って来る。あれ切りかと思うに、まだそんなことではない。「如淵」。「見而民云云」。迂斎が、「見而民莫不敬」というのは面白いことだ。どの様なことですかと言った時に、夜の明けた様なことだと言った。誰でも敬さない者はいない。要らざること、明けなくてもよいのにとは言わない。よくよくな朝寝好きは明けるのは嫌だろうが、それは土竜が日を嫌う様なもの。「言而民云云」。これが子思の文法である。先日も二十九章で「動而」と言って「言」「行」と言う。ここも「見而」と言って、後で「言」「行」と言う。人の善い悪いは言行の二つから。○「莫不說」。直方先生が、水のない時に雨の降ることだ。百姓が御雨様と言うことだと言った。
【語釈】
・廿九章で動而と云て言行と云…中庸章句29。「是故君子動而世爲天下道、行而世爲天下法、言而世爲天下則」。

註。垩人の御德のつもりつもったものゆへ極其盛。春暖になると云も天地の気の盛になるからなり。其上にもっとよいことがある。発見當其可。本文の敬信説を一つにして云ことなり。可にあたるから人か敬信説そ。可は丁どの処なり。桺下惠程の和でも、今日も長咄しではやあらふと云はれることもある。伯夷ほどの清ても、あまり御かたいと云て人が気をつめる。あの男はうまいものは食はせるが、そのかはりにはこはじいにはこまると云。可でないからなり。中庸は恰好と云ことなり。中庸ももふ末になって忘れたがる。中の字をここらで思ひ出して見るがよい。料理も仕様が上手でも、出しやふが下手ではどふもならぬ。あくせくあるいて来てひもじい処へくらげの水あえなどとすいひょいとしたものを食せ、腹のみちた処へ膏こいものを食はせる。どふもならぬ。そこで出しあんばいと云ことがある。皆可に當るのことを云。
【解説】
「見、音現。說、音悦。○言其充積極其盛、而發見當其可也」の説明。「可」に当たるから人が敬し信じ説ぶ。可は丁度の処。中庸は恰好ということ。
【通釈】
註。聖人の御徳が積もり積もったものなので「極其盛」。春暖になるというのも天地の気が盛んになるからである。その上にもっとよいことがある。「發見當其可也」。本文の「敬」「信」「説」を一つにして言ったこと。「可」に当たるから人が敬信説である。可は丁度の処。柳下恵ほどの和でも、今日もはや長話であろうと言われることもある。伯夷ほどの清でも、あまりに御堅いと言って人が気を詰める。あの男はうまいものは食わせるが、その代わりに強強いには困ると言う。それは可でないからである。中庸は恰好ということ。中庸ももう末になって忘れたがる中の字をここらで思い出して見なさい。料理も仕様が上手でも、出し様が下手ではどうにもならない。あくせく歩いて来てひもじい処へ水母の水和えなどの酸いひょいとしたものを食わせ、腹の満ちた処へ油濃いものを食わせるとどうにもならない。そこで出す按排ということがある。皆可に当たることを言う。

○是以聲名云云。ここて子思か声か高くなる。先生戯曰、子思の処へ異見に往き、御前はわるくせがござると云へばなんだと云。いや御自慢がすぎます。なぜだ。先日も廿六章目にも如此者不見而章なとと自慢して、ここても是以聲名云云との自満なりと云へば、これはゆるしてくれろ、これはどふもこふ云は子ばならぬと云。江戸ものに九十九里を見せるに、御目にかけるやふな海ではござらぬがと云には及ぬ。けっこふなものは江戸に沢山でこざらふが、九十九里のやふな海はごさるまい、見て置がよいと云筈なり。十五夜の月を御らふじます。十月ではこざらぬがと云には及ぬ。○施は、つるもののはふていなり。詩経の葛之覃施于中谷なとかそれなり。○凡有血気者云云。隂のかたまりたか血、陽のかたまったものか気。血気と云て生きてをるものと云こと。莫不尊親。そんならはなぜ桓魋が孔子を殺さふと云ましたと云は、それは皆聞下手で咄の腰を折と云ものなり。筭用の外なり。血気あるものは禽獣迠入て云と云説もあり、そふ云ふとひょんなことに聞へ、どふやら釈迦の涅槃のときのやふなれとも、さうてない。理から云ことなり。迂斉の云、神農の草の根を噄て薬にしたものゆへ、甘草茯苓か垩人の方へ袴を着て礼に来る筈と云がそれなり。理から推せばこふしたものなり。垩人は狐につかれるやふなことはない。生霊も死霊も来ぬ。犬も吠ぬ筈。狐なと人をたわけにしてつくものなり。尊信からなり。これは某ひょっと云ことなれとも、理から推て云ときに、禽獣も尊ひ親さることなしと云てもよいそ。故曰配天。こふしたことしゃゆへ天とより外配るものはない。註。天地に至らぬ処と云はない。なるほと廣大しゃ。日月にまわらぬ処と云はない。天地はその日月より又大なり。
【解説】
「是以聲名洋溢乎中國、施及蠻貊。舟車所至、人力所通、天之所覆、地之所載、日月所照、霜露所隊、凡有血氣者、莫不尊親。故曰配天。施、去聲。隊、音墜。○舟車所至以下、蓋極言之。配天、言其德之所及、廣大如天也」の説明。ここは子思が聖人を誉めた所。血気は、陰の固まったのが血で、陽の固まったのが気である。聖人は狐に憑かれる様なことはない。生霊も死霊も来ない。それは「尊親」だからである。
【通釈】
○「是以聲名云云」。ここで子思の声が高くなる。先生戯れに曰く、子思の処へ異見に往き、御前は悪癖があると言えば何だと言う。いや御自慢が過ぎます。何故だ。先日も二十六章目に「如此者、不見而章」などと自慢をして、ここでも「是以聲名云云」との自慢があると言えば、これは許してくれ、これはどうもこの様に言わなければならないと言う、と。江戸者に九十九里を見せるに、御目に掛ける様な海ではございませんがと言うには及ばない。結構なものは江戸に沢山ありましょうが、九十九里の様な海はありませんでしょう、見て置くのがよいと言う筈である。十五夜の月を御覧じます。十月ではございませんがと言うには及ばない。○「施」は、蔓物の這う底である。詩経の「葛之覃兮、施于中谷」などがそれ。○「凡有血氣者云云」。陰の固まったのが血、陽の固まったのが気。血気と言うのが生きているものということ。「莫不尊親」。それならば何故桓魋が孔子を殺そうとしましたと言うのは、それは皆聞き下手で話の腰を折るというもの。算用の外のこと。血気あるものは禽獣までを入れて言うという説もあり、その様に言うとひょんなことに聞こえ、どうやら釈迦の涅槃の時の様だが、そうではない。理から言ったこと。迂斎が神農の草の根を喫って薬にしたので、甘草や茯苓が聖人の方へ袴を着て礼に来る筈と言うのがそれ。理から推せばこうしたもの。聖人は狐に憑かれる様なことはない。生霊も死霊も来ない。犬も吠えない筈。狐などは人を戯けにして憑くもの。それは尊親からのこと。これは私がひょっと言うことだが、理から推して言う時に、禽獣も尊び親しくせざること莫しと言ってもよいぞ。「故曰配天」。こうしたことなので天より外に配するものはない。註。天地に至らない処はない。なるほど広大である。日月に回らない処はない。天地はその日月よりもまた大である。
【語釈】
・葛之覃施于中谷…詩經國風周南葛覃。「葛之覃兮、施于中谷」。
・桓魋が孔子を殺さふ…論語述而22。「子曰、天生德於予、桓魋其如予何」。集註に「桓魋、宋司馬向魋也。出於桓公。故又稱桓氏。魋欲害孔子。孔子言、天旣賦我以如是之德、則桓魋其奈我何。言必不能違天害己」とある。

右第三十一章。この処あとて看とやはり溥博如天渕泉如渕は大德の敦化のやふなれとも、全体が仁義礼智と破て出たものゆへ小德の川流にあたる。ついでに云ををか、此次は経綸天下之大經と云へばだが看ても経綸と云文字か川流のやふなり。なれとも経綸と云かやはり大德の敦化にあたること。ここの処にてきめて置べし。
【解説】
「右第三十一章。承上章而言小德之川流。亦天道也」の説明。ここは小徳の川流に当たる。この次の経綸が大徳の敦化に当たる。
【通釈】
「右第三十一章」。この処を後で看るとやはり「溥博如天、淵泉如淵」は大徳の敦化の様だが、全体が仁義礼智と破れて出たものなので小徳の川流に当たる。序でに言うが、この次は「経綸天下之大經」と言えば誰が看ても経綸という文字が川流の様だが、経綸と言うのがやはり大徳の敦化に当たる。ここの処で決めて置きなさい。
【語釈】
・大德の敦化…中庸章句30。「小德川流、大德敦化」。


中庸章句第三十二章
唯天下至誠、爲能經綸天下之大經、立天下之大本、知天地之化育。夫焉有所倚。夫、音扶。焉、於虔反。○經・綸、皆治絲之事。經者、理其緒而分之。綸者、比其類而合之也。經、常也。大經者、五品之人倫。大本者、所性之全體也。惟聖人之德極誠無妄。故於人倫各盡其當然之實、而皆可以爲天下後世法。所謂經綸之也。其於所性之全體、無一毫人欲之僞以雜之、而天下之道千變萬化皆由此出。所謂立之也。其於天地之化育、則亦其極誠無妄者有默契焉、非但聞見之知而已。此皆至誠無妄、自然之功用。夫豈有所倚著於物、而後能哉。
【読み】
唯天下の至誠のみ、能く天下の大經を經綸し、天下の大本を立て、天地の化育を知ることをす。夫れ焉んぞ倚る所有らん。夫は音扶。焉は於虔の反。○經・綸は、皆絲を治むるの事。經は、其の緒を理めて之を分かつ。綸は、其の類を比して之を合わすなり。經は常なり。大經は、五品の人倫。大本は、性とする所の全體なり。惟聖人の德極誠無妄。故に人倫に於て各々其の當然の實を盡くして、皆以て天下後世の法と爲す可し。所謂之を經綸するなり。其の性とする所の全體に於て、一毫の人欲の僞以て之に雜わること無くして、天下の道千變萬化皆此に由りて出づ。所謂之を立つるなり。其の天地の化育に於て、則ち亦其の極誠無妄なる者默契すること有り、但聞見の知のみに非ず。此れ皆至誠無妄の、自然の功用なり。夫れ豈物に倚著する所有りて、而して後に能くせんや。

肫肫其仁、淵淵其淵、浩浩其天。肫、之純反。○肫肫、懇至貌。以經綸而言也。淵淵、靜深貌。以立本而言也。浩浩、廣大貌。以知化而言也。其淵其天、則非特如之而已。
【読み】
肫肫[じゅんじゅん]たる其の仁、淵淵たる其の淵、浩浩たる其の天。肫は之純の反。○肫肫は、懇至の貌。經綸するを以て言うなり。淵淵は、靜深の貌。本を立つるを以て言うなり。浩浩は、廣大の貌。化を知るを以て言うなり。其の淵其の天とは、則ち特に之の如きのみに非ざるなり。

苟不固聰明聖知達天德者、其孰能知之。聖知之知、去聲。○固、猶實也。鄭氏曰、惟聖人能知聖人也。
【読み】
苟し固[まこと]に聰明聖知にして天德に達する者にあらざれば、其れ孰か能く之を知らん。聖知の知は去聲。○固は猶實のごとし。鄭氏曰く、惟聖人のみ能く聖人を知る、と。

右第三十二章。承上章而言大德之敦化。亦天道也。前章言至聖之德、此章言至誠之道。然至誠之道、非至聖不能知。至聖之德、非至誠不能爲。則亦非二物矣。此篇言聖人天道之極致、至此而無以加矣。
【読み】
右第三十二章。上章を承けて大德の敦化を言う。亦天道なり。前章は至聖の德を言い、此の章は至誠の道を言う。然れども至誠の道は、至聖に非ざれば知ること能わず。至聖の德は、至誠に非ざればすること能わず。則ち亦二物に非ざるなり。此の篇聖人天道の極致を言い、此に至りて以て加うること無し。


唯天下之至誠云云。垩人の學は本来の面目の恬淡虚無のと云ことはない。とかくあちではいじらずにをくかよいと云方から、垩人があまりいぢりちらかしても、七日めに混沌死てしまふたと云なり。だたい混沌なものてはない。渾然として一理貫く、昭晰として非象罔なり。経綸と云文字にてもみよ。さて能はこれがならせられると云ことなり。学者の修行底のことてはない。學問之極功垩人の能事の能の字と看るへし。定而能静の能の字は學者へ出す能の字なり。経綸天下之大経。ここが本来の面目てはない。大経は五倫の道なり。五倫の道は立ても居る、くずれもするものなり。道の行はれる行はれぬと云はここにあることなり。桀紂の世にはくずれる。道の明なと云は此大経の立ことなり。垩人の道は壁に向て居やふなことてはない。廿章目の逹道と云か大経のことなり。経綸。事をするものなれは医者や其外諸藝の稽古のやふになるが、事てはない。
【解説】
「唯天下至誠、爲能經綸天下之大經」の説明。心は渾沌なものではない。大経は五倫の道である。五倫の道は立ちもし、崩れもするもの。道が明らかというのはこの大経の立つこと。
【通釈】
「唯天下之至誠云云」。聖人の学は本来の面目や恬淡虚無などということはない。とかくあちらでは弄らずに置くのがよいと言う方から、聖人があまり弄り散らかして、七日目に混沌が死んでしまったと言う。そもそも混沌なものではない。渾然として一理貫く、昭晰として非象罔である。「經綸」という文字を見なさい。さて「能」はこれがならせられるということ。学者の修行底のことではない。「學問之極功、聖人之能事」の能の字だと看なさい。「定而后能靜」の能の字は学者へ出す能の字である。「經綸天下之大經」。ここが本来の面目ではない。大経は五倫の道である。五倫の道は立ちもし、崩れもするもの。道の行われる行われないというのはここにあること。桀紂の世には崩れる。道が明らかというのはこの大経の立つこと。聖人の道は壁に向かっている様なことではない。二十章目の逹道というのが大経のこと。「經綸」。事をする者であれば医者やその外諸芸の稽古の様になるが、事ではない。
【語釈】
・七日めに混沌死てしまふた…荘子應帝王。「南海之帝爲儵、北海之帝爲忽、中央之帝爲渾沌。儵與忽時相遇於渾沌之地。渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之德曰、人皆有七竅以視聽食息。此獨無有。嘗試鑿之。日鑿一竅、七日而渾沌死」。
・渾然として一理貫く、昭晰として非象罔なり…朱子斎居感興詩。「渾然一理貫、昭晰非象罔。珍重無極翁、爲我重指掌」。
・學問之極功垩人の能事…中庸章句1集註。「此學問之極功、聖人之能事」。
・定而能静…大學章句經1。「知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得」。

立天下之大本は仁義礼智の性を立ることなり。大ひこと小ひこと、みな心から出る。章句尽の字實の字みよ。そこて大本と云。万善の根になる。桀紂幽王のわるいは大本かわるいからなり。大本を立と云て新しく云ことてはない。洪範の皇極を立と云もこれなり。太極圖説の立人極もこれなり。邵子の心為大極と云もそれて、何も角も心から出るゆへに、心を太極とすと云へり。大本が立子ばから箱を持たやふなものなり。千両箱てもから箱てはなんにもならぬ。化育と云は、春になり夏になる処を化育と云。其中で物が出来るゆへ育と云。知は今を春べとしることてはない。垩人の御心てはがんざりと看へるゆへ知と云。直方先生が爰で格物致知の知に云とあとへもどるとなり。知はこちへ照り合ふことなり。さて此章三句を朱子のさかさまに看かよいとなり。あの説がよいゆへ直方先生の便講に丁寧に引てをけり。垩人も先知化育。さて其御心から何も角もするゆへに、そのあとて経綸大經とくるなり。夫焉有所倚。垩人のことをするに物をたよりにしてすることはない。そこて夫焉云云なり。夫は物を指して指ぬ字なり。倚ると云はかなはぬ人のことじゃ。よう々々杖てまへりたと云か杖によりたのなり。有所倚は能書の物を書やふなものじゃと迂斎云へり。ずっとかくそ。
【解説】
「立天下之大本、知天地之化育。夫焉有所倚」の説明。「立天下之大本」は仁義礼智の性を立てること。「化育」とは、春になり夏になること。この章の三句を朱子が逆様に看るのがよいと言った。
【通釈】
「立天下之大本」は仁義礼智の性を立てること。大きいことも小さいことも皆心から出る。章句の盡の字と實の字を見なさい。そこで大本と言う。万善の根になる。桀紂幽王の悪いのは大本が悪いからである。大本を立てると言っても新しく言うことではない。洪範の皇極を建つと言うのもこれ。太極図説の「立人極」もこれ。邵子の「心爲大極」と言うのもそれで、何も彼も心から出るので、心を太極とすと言った。大本が立たなければ空箱を持った様なもの。千両箱でも空箱では何にもならない。「化育」とは、春になり夏になる処を化育と言う。その中で物が出来るので「育」と言う。知は、今を春べと知ることではない。聖人の御心でははっきりと看えるので知と言う。直方先生がここで格物致知の知に言うと後へ戻ると言った。知はこちらへ照り合うこと。さてこの章の三句を朱子が逆様に看るのがよいと言った。あの説がよいので直方先生が便講に丁寧に引いて置いた。聖人も先ず「知天地之化育」。さてその御心から何も彼もするので、その後に「經綸天下之大經」と来る。「夫焉有所倚」。聖人がことをするのに物を頼りにすることはない。そこで夫焉云云である。「夫」は物を指して指さない字。「倚」は叶わない人のこと。漸く杖で参ったというのが杖に倚ったのである。「有所倚」は能書が物を書く様なものだと迂斎が言った。ずっと書く。
【語釈】
・洪範の皇極を立…書經周書洪範。「五皇極。皇建其有極、斂時五福、用敷錫厥庶民。惟時厥庶民、于汝極、錫汝保極」。
・立人極…太極圖説。「聖人定之以中正仁義、而主靜。立人極焉。」。

註。皆治絲之事。わるく文學を取ると治はこごった糸を解やふに思う。そうではない。糸をしごとにすることなり。皆と云へば二字のこと。二字かそれ々々に仕方がちごふぞ。理其緒は糸のすじの立ことなり。比其類而合之。今印籠之ひもを打もこれなり。布を織り緒を織る。上へからはなをよくしれる。これか字註なり。ときにわきの字註とちがふて、この経綸の文字へ大經を入て解くとべったりとよくすむそ。先分合の字を看て、親へ事へると君へ事へるとは仕方ちごふ。親に事へるに、旦那に事へるやふにとふくからはって出るやふてはならぬ。親へはこふ、君へはこふと、理其緒而分之。さて親切を出す処は旦那へも親へも同じやふに出る。それか皆誠てなけれはならぬ。廿章の逹德逹道に所以行之者一也。誠な処は一つゆへ類を比て合と云。こふ云ことゆへ大德の敦化と云筈なり。經は常なり。當年は夫婦きれもの、君臣きれものと云ことはない。五品之人倫。樽に酒のつめてあったり藥り入に藥のつめてあるやふなことを大經を經綸すると云からてない。所性之全体。今日の人も持てはをれとも、所性の全体と云はれぬ。
【解説】
「夫、音扶。焉、於虔反。○經・綸、皆治絲之事。經者、理其緒而分之。綸者、比其類而合之也。經、常也。大經者、五品之人倫。大本者、所性之全體也」の説明。この経綸の文字へ大経を入れて解くとべったりとよく済む。親へはこう、君へはこうと、「理其緒而分之」。誠な処は一つなので「比其類而合之」。そこで「大德之敦化」と言う筈である。
【通釈】
註。「皆治絲之事」。悪く文字を取ると治は凝った糸を解く様に思うがそうではない。糸を仕事にすること。「皆」と言うのは二字のこと。二字がそれぞれに仕方が違う。「理其緒」は糸の筋の立てること。「比其類而合之也」。今印籠の紐を打つのもこれ。布を織り緒を織る。上からは尚よく知れる。これが字註である。時に脇の字註とは違って、この経綸の文字へ大経を入れて解くとべったりとよく済む。先ず「分」「合」の字を看て、親へ事えるのと君へ事えるのとは仕方が違う。親に事えるのに、旦那に事える様に遠くから這って出る様ではならない。親へはこう、君へはこうと、「理其緒而分之」。さて親切を出す処は旦那へも親へも同じ様に出る。それが皆誠でなけれはならない。二十章の逹徳逹道に「所以行之者一也」とある。誠な処は一つなので類を比して合わすと言う。こうしたことなので「大德之敦化」と言う筈である。「經」は常である。当年は夫婦切れもの、君臣切れものと言うことはない。「五品之人倫」。樽に酒が詰めてあったり薬入れに薬が詰めてある様なことを大経を経綸すると言うのではない。「所性之全體也」。今日の人も持っているが、性とする所の全体と言えない。
【語釈】
・廿章の逹德逹道に所以行之者一也…中庸章句20。「天下之達道五。所以行之者三。曰、君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者天下之達道也。知・仁・勇三者、天下之達德也。所以行之者一也」。
・大德の敦化…中庸章句30。「小德川流、大德敦化」。また、本章(32章)の集註に「承上章而言大德之敦化」とある。

惟垩人之德極誠無妄云云。朱子の註はさへた註なり。易本義なとの用字。たれも気が付ぬ。硯盖にもたまご、吸物にもたまごてない。眞實无妄は誠の判鑑。ここて又出すには及ぬが、極誠の極の字は天下の至誠の至の字。さてあとへ尽實の二字て眞實はあるそ。凡人は出來不出來かある。今日はと云と出来不出來。そこて医者に首をひ子らせるそ。生れ付て兄弟中がよい。そんなら親子中は申すに及ふまいと云と、親とはわるい。無妄てない。垩人のは易牙か料理なり。何も角もあんはいがよい。湯のあんばい迠がよい。各々尽す。○經綸は垩人の上は申に及ぬこと。人えもかけて云ことなり。先當然の字を看よ。當然は率性。道についた字なり。此方のことに用ゆ。われが人へもかかる。皆可為天下後世之法と云。此て垩人の御手前と人となり。蒙引全く手前とす。尚翁は非と云へり。然れとも可字て合点すべし。首章は敬のことゆへ法をなすと云、ここは道へかかるゆへ可と云。御手前のか人にもならるると云こと。
【解説】
「惟聖人之德極誠無妄。故於人倫各盡其當然之實、而皆可以爲天下後世法。所謂經綸之也」の説明。「眞實无妄」は誠の判鑑で、「極誠」の極の字が天下の至誠の至の字。「盡」「實」の二字で真実である。経綸は聖人の上は申すに及ばず、人へも掛けて言う。
【通釈】
「惟聖人之德極誠無妄云云」。朱子の註は冴えた註である。易本義などの用字だが、誰も気が付かない。硯蓋にも玉子、吸物にも玉子ではない。「眞實无妄」は誠の判鑑。ここでまた出すには及ばないが、「極誠」の極の字は天下の至誠の至の字で、さて後の「盡」「實」の二字で真実はある。凡人は出来不出来がある。今日はというと出来不出来。そこで医者に首を捻らせる。生まれ付きで兄弟仲がよい。それなら親子仲は申すに及ぶまいというと、親とは悪い。無妄でない。聖人のは易牙の料理である。何も彼も塩梅がよい。湯の塩梅までがよい。「各盡」である。○経綸は聖人の上は申すに及ばず、人へも掛けて言う。先ず「當然」の字を看なさい。当然は「率性」で、道に付いた字である。こちらのことに用いる。こちらのことが人へも掛かる。「皆可爲天下後世之法」と言う。ここは聖人の御手前と人とのこと。蒙引は全く手前のこととする。尚翁はそれを非と言った。しかしながら、「可」の字で合点しなさい。首章は敬のことなので法を為すと言い、ここは道へ掛かるので可と言う。御手前のが人のにもなられるということ。
【語釈】
・硯盖…硯蓋。口取肴などを祝儀の席で盛る広蓋の類。また、その盛った肴。くみざかな。
・尚翁…三宅尚齋。

其於所性之全体云云。ちっとなりともそこへやたものがはいるととふもならぬ。實学と云もここを吟味することなり。偽のまちると云にこまる。針ほとの穴があいてもそれからもる。天下之道云云。千変万化、みな心でせぬことはない。其於天地之化育云云。化育を知ると云ても垩人の心が光りきってをるゆへに、黙して契ふてこれでべったりと一つなり。黙契はなんのこともなく知ることなり。丁と今人の手を出して、をや指ひはをや指、ひとさし指は人さしゆびと知るやふなもの。なんにも首をかたけることはない。禽獣の方に此に似たことあり。ひょんなことを云と思ふか、犬か犬の鳴を聞は黙契なり。鷄か鷄の鳴を聞て身のしまるもそれなり。非但見聞之知而已。凡人の見やふ聽ふと云てする様なことではない。ここは深いやふな浅いやふな、浅いやふな深いことなり。こみいらずさらりとしたこと。やっはり聦明睿知からなり。此皆至誠无妄云云。人間の手の動くは自然なり。人形つかいの人形つかふは自然の功用とは云はれぬ。夫豈有所倚云云。自然を示さふばっかりに云たものなり。吾類廿章部謨録云、聞見之知与德性之知皆知なり。みがきかけると持前とのこと。垩人は持前が出るから黙契す。学者は見聞のみがきててらす。無学な人はもちまへのくもりままにつかうゆへ常人は垩人のやふじゃ。黙契せぬばかりぞ。そこて老荘は学者より愚人を賞翫する。
【解説】
「其於所性之全體、無一毫人欲之僞以雜之、而天下之道千變萬化皆由此出。所謂立之也。其於天地之化育、則亦其極誠無妄者有默契焉、非但聞見之知而已。此皆至誠無妄、自然之功用。夫豈有所倚著於物、而後能哉」の説明。聞見の知も徳性の知も知で、磨き掛けるのと持ち前の違いである。聖人は持ち前が出るから黙契する。学者は見聞の磨きで照らす。無学な人は持ち前の曇りのままに使うので、それは聖人の様だが黙契しない。そこで老荘は学者より愚人を賞翫する。
【通釈】
「其於所性之全體云云」。少しでもそこへ悪い物が入るとどうにもならない。実学というのもここを吟味すること。偽が雑じるのには困る。針ほどの穴が空いてもそれから漏れる。「天下之道云云」。「千變萬化」、皆心でしないことはない。「其於天地之化育云云」。化育を知ると言っても聖人の心が光り切っているので、黙して契してこれでべったりと一つになる。「黙契」は何のこともなく知ること。丁度今人が手を出して、親指は親指、人差指は人差指と知る様なもの。何も首を傾げることはない。禽獣の方にこれに似たことがある。ひょんなことを言うと思うが、犬が犬の鳴くのを聞くのは黙契である。鶏が鶏の鳴くのを聞いて身が締まるのもそれ。「非但聞見之知而已」。凡人が見よう聴こうとしてする様なことではない。ここは深い様な浅い様な、浅い様な深いこと。込み入らずにさらりとしたことで、やはり聡明睿知からのこと。「此皆至誠無妄云云」。人間の手の動くのは自然である。人形遣いの人形を遣うのは自然の功用とは言えない。「夫豈有所倚云云」。自然を示そうとばかりに言ったもの。語類二十章の部謨録に云う、聞見の知と徳性の知とは皆知なり、と。磨き掛けるのと持ち前の違いである。聖人は持ち前が出るから黙契する。学者は見聞の磨きで照らす。無学な人は持ち前の曇りのままに使うので常人は聖人の様だ。黙契しないだけである。そこで老荘は学者より愚人を賞翫する。
【語釈】
・吾類廿章部謨録云…朱子語類64。「知天是起頭處。能知天、則知人、事親、修身、皆得其理矣。聞見之知與德性之知、皆知也。只是要知得到、信得及。如君之仁、子之孝之類、人所共知而多不能盡者、非眞知故也」。

○肫々其仁云云。あの垩人の五倫の間を見やれ。何とも云はふやふもない。心の底からふるい立て出ることを肫々と云なり。人にものをやるにも入ならやらふと云のは、入ませぬと云はれると最ふよかったと云気になるものなり。懇惻てないからなり。いりませぬと云へば、いらずは道へもっていって棄てくれろと云。そこてきついせきやふ、どふしたことしゃと云と、懇惻でどうもやりたくてならぬとなり。渕々其渕云云。渕のやふじゃの天のやふじゃのと云ことではない。じきに天じゃ。如し処ではない。はだしでかけ出した。註。懇至皃云云。子や孫のことでより外云はれぬ。孫がくるとばばが、どふだ何ぞくいたくはないか、あつからふ、裸かになれのと親切の底をはたく。垩人の仁かそのやふて底をはたく。君臣は義てはござらぬか。いや義も仁でする。夫婦は別と云ではござらぬが。その別も仁でする。以經綸而言也。渕々は静深皃云云。太極圖説の主静而立人極とよく合てをるぞ。冬の鳥もかよはぬと云処から吉野の芲ももよふすぞ。未発の塲なり。これと思ふ。もふ已発なり。未発の存養を大事にすることなり。○非特如之而已。如しのやふな其のやふなまだるいことてはないとなり。直方先生の、廿六章でそのやふにせくこともないにと云。ここもそれなり。言其上下察、喫緊人の為めなり。子思の費隱で云たことをここで云てはしからりゃふと思ふが、しかられる気づかいはない。ここも喫緊人の為めなり。
【解説】
「肫肫其仁、淵淵其淵、浩浩其天。肫、之純反。○肫肫、懇至貌。以經綸而言也。淵淵、靜深貌。以立本而言也。浩浩、廣大貌。以知化而言也。其淵其天、則非特如之而已」の説明。聖人の五倫は何とも言い様がない。「淵淵」は未発の場である。
【通釈】
○「肫肫其仁云云」。あの聖人の五倫の間を見なさい。何とも言い様がない。心の底から奮い立って出ることを肫肫と言う。人に物を遣るにも要るなら遣ろうと言うのは、要りませんと言われるともうよかったと言う気になるもの。それは懇惻でないからである。要りませんと言われれば、要らなければ道へ持って行って棄ててくれと言う。そこで、きつい急き様だ、どうしたことだと言われれば、懇惻でどうも遣りたくてならないと言う。「淵淵其淵云云」。淵の様だとか天の様だとかということではない。直に天である。如し処ではない。裸足で駆け出した。註。「懇至貌云云」。子や孫のことでより他に言えない。孫が来ると婆が、どうだ何か食いたくはないか、暑いだろう、裸になれなどと親切の底を叩く。聖人の仁がその様な底を叩く。君臣は義ではござらぬか。いや義も仁でする。夫婦は別と言うではござらぬか。その別も仁でする。「以經綸而言也。淵淵、靜深貌云云」。太極図説の「主静而立人極」とよく合っている。冬の鳥も通わないという処から吉野の花も催す。これは未発の場である。これと思えばもう已発である。未発の存養を大事にすること。○「非特如之而已」。如しの様なその様な間怠いことではないと言う。直方先生が、二十六章でその様に急くこともないのにと言ったがここもそれ。「言其上下察」は喫緊人の為である。子思の費隱で言ったことをここで言っては呵られようと思うが、呵られる気遣いはない。ここも喫緊人の為である。
【語釈】
・言其上下察、喫緊人の為めなり…中庸章句12。「詩云、鳶飛戾天、魚躍于淵。言其上下察也」。集註に「子思引此詩、以明化育流行、上下昭著、莫非此理之用。所謂費也。然其所以然者、則非見聞所及。所謂隱也。故程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地。讀者宜致思焉」とある。

○苟不固聦明垩知云云。この塲はここへ至た人でなければ知れぬことなり。知に多少般の數ありと云て、ここへ至るも知、垩人も知、ここをよむものも知、聽ものも知、子思の中庸を編たも知、朱子の章句も知なり。子思ここへ至ら子はしれぬと云て、實に子思は知てござる。子思は垩人ではないが、歌人は居ながら名所を知る。苟はちょっとと云ことなり。聦明垩知になったら知ぬこと、さふなけれはちょっともなり。固はてにはのまことにではない。章句の實の字みよ。ほんにと云こと。今云たいと云ことがこれに合ふ。手紙にも堅固と書く。古筆を極めにやると、かたい澤奄かたい一休と丈夫に云てよこす。固なり。さてここに睿知とかかず垩知と出したはてきと子思の思召あることなり。だれもこれ迠説はあるが覚へず。某が説に前の章は至垩と垩人で云ゆへに聦明睿知と出し、此章は至垩と理でかたるゆへ聦明垩知と垩人の垩の字を出す。互に入合せ字をつかふた。これか子思の思召と見やふことなり。さて垩知てなけれは孰能知之と、これでみれば学者今日よむと云もうけとられぬものなり。なれともそこか直方先生云、清凉殿紫震殿なり。大工か左宦をして何んにしても観て来たに相違はない。假り諸太夫と云もそれなり。ここへ気のつかぬを漢唐の間の絶学と云。知見のととかぬなり。宋朝の学者垩人になった人もなけれとも、ここへ目か付た。
【解説】
「苟不固聰明聖知達天德者、其孰能知之」の説明。知に多少の般數有りで、子思がここへ至らなければ知れないと言ったことが子思の知である。聖知でなけれは「孰能知之」とある、ここに気が付かないのを漢唐の間の絶学と言う。
【通釈】
○「苟不固聰明聖知云云」。この場はここへ至った人でなければ知れないこと。知に多少の般數有りと言って、ここへ至るも知、聖人も知、ここを読むのも知、聴くのも知、子思の中庸を編んだのも知、朱子の章句も知である。子思がここへ至らなければ知れないと言ったことが、実に子思は知っていたのである。子思は聖人ではないが、歌人は居ながらに名所を知る。「苟」は一寸ということ。聡明聖知になったらともかく、そうでなけれは一寸もということ。「固」は弖爾乎波のまことにではない。章句の実の字を見なさい。本当にということ。今言う堅いということがこれに合う。手紙にも堅固と書く。古筆を極めに遣ると、堅い沢庵、堅い一休と丈夫に言って寄越す。それが固である。さてここに睿知と書かずに聖知と出したのは的と子思の思し召しのあること。これまでに色々と説はあるが覚えていない。私の説は、前の章は「至聖」と聖人で言うので聡明睿知と出し、この章は至誠と理で語るので聡明聖知と聖人の聖の字を出す。互いに入れ合わせた字を使ったものである。これが子思の思し召しだと見なさい。さて聖知でなけれは「孰能知之」と、これで見れば学者が今日読むといっても受け取られないもの。しかしながらそこが直方先生の言う清涼殿紫宸殿である。大工や左官をしてどの様にして観て来ても相違はない。仮諸太夫というのもそれ。ここに気が付かないのを漢唐の間の絶学と言う。それは知見が届かないからである。宋朝の学者は聖人になった人もいなかったが、ここへ目が付いた。
【語釈】
・知に多少般の數あり…近思録致知8。「知有多少般數、煞有深淺。學者須是眞知。纔知得是、便泰然行將去也」。

註。鄭氏よくみぬいた。大名になって見子ば大名のことは知れぬと云やふなものなり。今諸藝でもそれなり。茶湯をするものが利休々と云か、利休ほどでなければ利休は知れぬことなり。さて人と語はぶんなことと思ふべし。東坡をもとること。これを便りに我々も口をきく。鄭玄どふしてこふ云註をしたが不測なと云ほどのことなり。子思と一つではないはづ。程門の衆道統の列に入た人なれとも、ここを是程には云ぬ。そこて鄭玄をとられた。然とも鄭玄はみな經の中へ入てをいたをみれは、中庸を知たとは云れぬ。一つないことをこしらへて云なら、丁と公家衆と知すに乘合ひ舩に乘たやふなものなり。そこで膝組ではなす。程子公家衆と知たものゆへに、あたらしいたたみをしいてあなたへと云て別にした。
【解説】
「聖知之知、去聲。○固、猶實也。鄭氏曰、惟聖人能知聖人也」の説明。ここを程門の衆がこれほどには言わなかったので、鄭玄の語を採られた。しかし、鄭玄は中庸を知った人ではない。
【通釈】
註。鄭氏がよく見抜いた。大名になってみなければ大名のことは知れないと言う様なもの。今諸芸でもそれ。茶湯をする者が利休利休と言うが、利休ほどでなければ利休は知れない。さて人とその語は別なことと思いなさい。東坡をも採る。これを便りに我々も口を利く。鄭玄がどうしてこの様な註をしたのか不測だと言うほどのこと。子思と一つではない筈。程門の衆は道統の列に入った人なのだが、ここをこれほどには言わなかった。そこで鄭玄を採られた。しかしながら鄭玄は皆経の中へ入れて置いたのを見れば、中庸を知ったとは言えない。一つないことを拵えて言うのなら、丁度公家衆と知らずに乗合舟に乗った様なもの。そこで膝組みで話す。程子は公家衆と知っているので、新しい畳を敷いてあちらへと言って別にした。

右第三十二章。言大德之敦化云云。色ろ品はわかれた根しめ所なり。そこて亦天道也。前章云云。ここか大切の註なり。道理で云と人で云なり。打てちがふたことなれとも、理は一つゆへ似たことある。丁ど仏書で菩提菩薩と云やふなものなり。半分は人てかたり、片々は理てかたるそ。然至誠之道云云。これは朱子か鄭玄にちともらふたものなり。鄭玄が云はずとも朱子の此語は出やふなれとも、なんであらふとも上に鄭玄が先へ云てあれば、鄭玄を受けたなり。子思がこれまで云つめて、もふこれより外にはこさらぬ、此上ないと云処まてときつめたものなり。
【解説】
「右第三十二章。承上章而言大德之敦化。亦天道也。前章言至聖之德、此章言至誠之道。然至誠之道、非至聖不能知。至聖之德、非至誠不能爲。則亦非二物矣。此篇言聖人天道之極致、至此而無以加矣」の説明。前章は聖人で言い、この章は理で言うが、それが一つになる。
【通釈】
「右第三十二章」。「言大德之敦化云云」。色品は分かれた根締め所である。そこで「亦天道也」。「前章云云」。ここが大切な註である。道理で言うのと人で言うのとである。それは打って違ったことなのだが、理は一つなので似たことがある。丁度仏書で菩提菩薩と言う様なもの。半分は人で語り、半分は理で語る。「然至誠之道云云」。これは朱子が鄭玄に一寸貰ったもの。鄭玄が言わなくても朱子のこの語は出ただろうが、何であろうとも上に鄭玄が言ってあれば、鄭玄を受けけたもの。子思がこれまで言い詰めて、もうこれより外にはございません、この上ないという処まで説き詰めたもの。