大學。大舊音泰。今讀如字。
                        朱熹章句
【読み】
大學。大は、舊音は泰。今讀みて字の如し。
                        朱熹章句

小序
子程子曰、大學、孔氏之遺書、而初學入德之門也。於今可見古人爲學次第者、獨頼此篇之存、而論・孟次之。學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣。
【読み】
子程子曰く、大學は孔氏の遺書にして、初學の德に入るの門なり。今に於て古人の學を爲むる次第を見る可き者は、獨り此の篇の存するに頼りて、論・孟之に次ぐ。學者必ず是に由りて學べば、則ち其の差[たが]わざるに庶からん、と。

大学経1
大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。程子曰、親、當作新。
大學者、大人之學也。明、明之也。明德者、人之所得乎天、而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也。但爲氣稟所拘、人欲所蔽、則有時而昏。然其本體之明、則有未嘗息者。故學者當因其所發而遂明之、以復其初也。新者、革其舊之謂也。言既自明其明德、又當推以及人、使之亦有以去其舊染之汙也。止者、必至於是而不遷之意。至善、則事理當然之極也。言明明德、新民、皆當止於至善之地而不遷。蓋必其有以盡夫天理之極、而無一毫人欲之私也。此三者、大學之綱領也。
知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。后、與後同。後放此。
止者、所當止之地、即至善之所在也。知之、則志有定向。靜、謂心不妄動。安、謂所處而安。慮、謂處事精詳。得、謂得其所止。
物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。
明德爲本、新民爲末。知止爲始、能得爲終。本・始所先、末・終所後。此結上文兩節之意。
古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先脩其身。欲脩其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。治、平聲。後放此。
明明德於天下者、使天下之人皆有以明其明德也。心者、身之所主也。誠、實也。意者、心之所發也。實其心之所發、欲其一於善而無自欺也。致、推極也。知、猶識也。推極吾之知識、欲其所知無不盡也。格、至也。物、猶事也。窮至事物之理、欲其極處無不到也。此八者、大學之條目也。
物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。治、去聲。後放此。
物格者、物理之極處無不到也。知至者、吾心之所知無不盡也。知既盡、則意可得而實矣。意既實、則心可得而正矣。脩身以上、明明德之事也。齊家以下、新民之事也。物格知至、則知所止矣。意誠以下、則皆得所止之序也。

自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。
壹是、一切也。正心以上、皆所以脩身也。齊家以下、則舉此而錯之耳。
其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。
本、謂身也。所厚、謂家也。此兩節結上文兩節之意。
右經一章。蓋孔子之言、而曾子述之。凡二百五字。其傳十章、則曾子之意而門人記之也。舊本頗有錯簡。今因程子所定、而更考經文、別爲序次如左。凡千五百四十六字。凡傳文、雜引經傳、若無統紀。然文理接續、血脈貫通、深淺始終、至爲精密。熟讀詳味。久當見之。今不盡釋也。
【読み】
大學の道は、明德を明らかにするに在り、民を親[あら]たにするに在り、至善に止まるに在り。程子曰く、親は當に新に作るべし、と。
大學は、大人の學なり。明は、之を明らかにするなり。明德は、人の天に得る所にして、虚靈にして昧[くら]からず、以て衆理を具えて萬事に應ずる者なり。但氣稟に拘わされ、人欲に蔽わるることをすれば、則ち時として昏きこと有り。然れども其の本體の明らかなることは、則ち未だ嘗て息まざる者有り。故に學者は當に其の發る所に因りて遂に之を明らかにして、以て其の初に復るべきなり。新は、其の舊を革むるの謂なり。言うこころは、既に自ら其の明德を明らかにして、又當に推して以て人に及ぼして、之をして亦以て其の舊染の汙を去ること有らしむべしとなり。止は、必ず是に至りて遷らざるの意。至善は、則ち事理當然の極なり。言うこころは、明德を明らかにし、民を新たにすること、皆當に至善の地に止まりて遷らざるべし。蓋し必ず其の以て夫の天理の極を盡くすこと有りて、一毫も人欲の私無しとなり。此の三つの者は、大學の綱領なり。
止まるを知りて后定まること有り。定まりて后能く靜かなり。靜かにして后能く安し。安くして后能く慮る。慮りて后能く得。后は、後と同じ。後も此に放[なら]え。
止は、當に止まるべき所の地、即ち至善の在る所なり。之を知れば、則ち志定まり向かうこと有り。靜は、心の妄りに動かざるを謂う。安は、處る所にして安きを謂う。慮は、事を處することの精詳なるを謂う。得は、其の止まる所を得るを謂う。

物に本末有り、事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。
德を明らかにするを本と爲し、民を新たにするを末と爲す。止まるを知るを始めと爲し、能く得るを終りと爲す。本・始は先にする所、末・終は後にする所なり。此れ上文の兩節の意を結ぶ。
古の明德を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊う。其の家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を脩む。其の身を脩めんと欲する者は、先ず其の心を正しくす。其の心を正しくせんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知ることを致[きわ]む。知ることを致むることは物に格[いた]るに在り。治は、平聲。後は此に放え。
明德を天下に明らかにすとは、天下の人をして皆以て其の明德を明らかにすること有らしむなり。心は、身の主とする所なり。誠は、實なり。意は、心の發る所なり。其の心の發る所を實にするは、其の善に一にして自ら欺くこと無きことを欲してなり。致は、推し極むるなり。知は、猶識のごときなり。吾の知識を推し極むるは、其の知る所盡くさざること無きことを欲してなり。格は、至るなり。物は、猶事のごときなり。窮めて事物の理に至るは、其の極處到らざること無きことを欲してなり。此の八の者は、大學の條目なり。

物格りて后知ること至る。知ること至りて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身脩まる。身脩まりて后家齊う。家齊いて后國治まる。國治まりて后天下平かなり。治は去聲。後も此に放え。
物格るは、物理の極處到らざる無し。知至るは、吾が心の知る所盡くさざること無し。知既に盡きれば、則ち意得て實なる可し。意既に實なれば、則ち心得て正しかる可し。身を脩むる以上は、明德を明らかにするの事なり。家を齊うる以下は、民を新たにするの事なり。物格り知ること至るは、則ち止まる所を知るなり。意誠なる以下は、則ち皆止まる所を得るの序なり。

天子より以て庶人に至るまで、壹是[いっし]に皆身を脩むるを以て本と爲す。
壹是は、一切なり。心を正しくする以上は、皆身を脩むる所以なり。家を齊うる以下は、則ち此を舉げて之を錯[お]くのみ。
其の本亂れて末治まる者は否[あら]ず。其の厚き所の者薄くして、其の薄き所の者厚きことは、未だ之有らざるなり。
本は、身を謂うなり。厚き所は、家を謂うなり。此の兩節は上文の兩節の意を結ぶ。
右は經一章。蓋し孔子の言にして、曾子之を述べり。凡て二百五字。其の傳の十章は、則ち曾子の意にして門人之を記すなり。舊本は頗る錯簡有り。今程子の定むる所に因りて、更に經文を考えて、別けて序次を爲すこと左の如し。凡て千五百四十六字。凡そ傳文は、經傳を雜え引ける、統紀無きが若し。然れども文理接續、血脈貫通し、深淺始終、至て精密爲り。熟々讀み詳かに味え。久しくして當に之を見るべし。今盡く釋かざるなり。

大學。二月六日。くりかへし々々々々々、小學なければ大學はないこととみることなり。やたけに思ふても、下地なければならぬぞ。その訳けが大舊音泰云々なり。大舊音泰。ここにはすんとわけのあることなり。太極の太のやうに昔はみたぞ。舊は古注のことを云たものなり。今読如字は、今は御定りの大小の大じゃと云ことなり。これらがよすぎてこまることがある。小學の下地なければならぬと云が如字なり。申ふなれば、大人小兒と云ことなり。垩人の教に二つはないが、年に相応と云ことがあるなり。つまる処、小學は業、大學は理也。そこで業てすることは云付てなるぞ。大學は理ゆへに我子でも仕込ことはならぬぞ。うんと呑込むことなり。孔子の民可使由之と云が小學のことなり。不可使知之が大學のことなり。大學は知惠ゆへに向の知惠てすることなれば、何ほどに思ふてもいかぬものなり。そこで凡民之俊秀と云がきこへたことなり。
【解説】
「大學。大舊音泰。今讀如字」の説明。大学には小学の下地がなければならない。小学は業、大学は理であり知恵である。大学は自分で飲み込んでするもの。また、大学の大は、昔は太極の太の様に見たが、今は大小の大と見る。
【通釈】
「大学」。二月六日。小学がなければ大学はないと繰り返し見なさい。弥猛に思っても、下地がなければならない。そのわけが「大旧音泰云々」である。「大旧音泰」。ここには深いわけがある。太極の太の様に昔は見た。旧は古注のことを言ったもの。「今読如字」は、今は御定まりの大小の大だということ。これらがよ過ぎて困ることがある。そこで、小学の下地がなければならないというのが「如字」である。申せば、大人と子供ということ。聖人の教えに二つはないが、年相応ということがある。つまる処、小学は業、大学は理である。そこで業ですることは言い付けてもできるが、大学は理なので自分の子であってもこちらから仕込むことはできない。自らがうんと呑み込むこと。孔子の「民可使由之」と言うのが小学のことで、「不可使知之」が大学のこと。大学は知恵なので、向こうの知恵ですることなのだから、どれほどに思ってもうまく行かないもの。そこで「凡民之俊秀」と言うのがよくわかる。
【語釈】
・二月六日…天明六年(1786)丙午2月6日。
・民可使由之…論語泰伯9。「子曰、民可使由之、不可使知之」。
・凡民之俊秀…大学章句序の語。

小學は垩賢の基根と云て下地ぎりでも、下地ぎりでは役に立ぬぞ。そこで小から大へ進むゆへに、今読如字なり。ここで或問を出して云は子ば云たりぬ。古は小學が有たゆへよいが、今は小學がないぞ。そこで四十五十になりたものの學問をいたしたいと云て来たときに、孝せいと云ふても親がないと云、弟をせいと云ても兄はないと云なり。それなら学問はならぬ、かへれと云はれぬぞ。其ときに敬と云で補ふぞ。小學に敬と云目録はないぞ。敬と云はずに敬なり。學問はがさつではいかぬぞ。そこで敬の工夫で小學の借金うめることなり。これが程朱以来明になりたぞ。敬の工夫と云ことはどふなれば、我さわがずに静にしてただしてをることなり。そこで我こころが静になる。その静な処を小学とみて大學を読むぞ。大學を聞と云てもうっかりときいては役にたたぬぞ。山崎先生の啓発集に敬々と云ことを並べてをかれたと云が、あれで道統を得られたことが知れるぞ。つまる処、大学の始て敬と云ことを忘れるなと云ことなり。
【解説】
小学は垩賢へ至るための下地だが、下地のままでは役に立たない。大学へ進まなければならない。また、今は小学という下地がないが、それは敬で補うことができる。大学は敬からする。
【通釈】
小学は聖賢の基根と言って、下地だけのものだが、下地だけでは役に立たたない。そこで小から大へ進むので、「今読如字」となる。ここは或問を出して言わなければ言い足りない。古は小学があったのでよかったが、今は小学がない。そこで四十や五十になった者が学問をしたいと言って来た時に、孝をしなさいと言っても親がいないと言い、弟をしなさいと言っても兄はいないと言う。それなら学問はできないから帰れとは言えない。その時には敬で補う。小学に敬という目録はないが、敬と言わずに敬のこと。学問はがさつではうまく行かない。そこで敬の工夫で小学の借金を埋めるのである。これが程朱以来明らかになったこと。敬の工夫とはどういうことかと言うと、自分が騒がずに静かにして正していること。そこで自分の心が静かになる。その静かな処を小学と見て大学を読む。大学を聞くと言ってもうっかりと聞いては役に立たない。山崎先生が啓発集に敬々ということを並べて置かれたが、あれで道統を得られたことが知れる。つまる処、大学の始めには敬を忘れるなということ。

子程子曰云々。孟子の御死去以来学が明にないぞ。ときに程子の生出して道が明になりたと云はどこの処じゃと云ときに、大学を見出した。大學を孔氏の遺書とみたが道統なり。ときに遺書と云ことを云に、大學に奥書がありたでもないが、そこを見出したが程子の目なり。道理は向へをいた斗りては役にたたぬぞ。入徳と云でなければ役にたたぬぞ。入徳は道を我ものにするのなり。その入口は大學なり。今日の學者の書を読むは徳に入らずによむゆへに、外くるわをぐる々々あるいてをるやうなものなり。論語に君子儒と云ことも入徳と云ことなり。論孟次之は、論孟はこれほどには見へぬぞ。これらも見よふが大叓で、垩賢の書に甲乙はないことなれとも、学問の次第がこれほどにととのふてないぞ。ほつ々々したことともなり。
【解説】
「子程子曰、大學、孔氏之遺書、而初學入德之門也。於今可見古人爲學次第者、獨頼此篇之存。而論・孟次之。學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣」の説明。程子が大学を孔子の遺書と見たのが道統だということ。学問は徳に入らなければ役に立たない。ここで「論孟次之」と言うのは、論孟は大学ほどに次第が整っていないということ。
【通釈】
「子程子曰云々」。孟子の御死去以来学が明らかでない。そこを程子が生出して道が明らかになったと言うのは何処の処から言うのかと言うと、大学を見出したこと。大学を孔氏の遺書と見たのが道統である。時に「遺書」と言うのが、大学に奥書があったわけでもないが、そこを見出したのが程子の目である。道理は向こうへ置いただけでは役に立たない。「入徳」でなければ役に立たない。入徳は道を自分のものにすることで、その入口は大学である。今日の学者が書を読むのは徳に入らずに読むので、外郭をぐるぐると歩いている様なもの。論語に「君子儒」とあるのも入徳のこと。「論孟次之」は、論孟はこれほどには見えないということ。これらも見様が大事で、聖賢の書に甲乙はないのだが、論孟は、学問の次第がこれほどには整っていない。切れ切れである。
【語釈】
・君子儒…論語雍也11。「子謂子夏曰、女爲君子儒。無爲小人儒」。

そこで次之なり。そこで直方先生の云、大學は道中記のやうなものなり、と。此段になると論孟も閉口することなりと云て、論孟はかいないと云ことではない。品川川崎と云の順がこれほどにないぞ。頼は、をかげと云ことなり。由此は、大學をさすことなり。今日子供迠が大學と云ことは知てをることなれとも、學者が兎角大學の字ををろそかにみる。それはなぜなれば、學問と云は書を読ことと斗り思ふからなり。そこで仁斎や徂徠などがさま々々の異説を云も、大學を疑ふからなり。由是と云は、丁ど道中するに並木に付てゆくやうなものなり。そこに意見が出ると次第が違ふぞ。不差は、たかはぬであろふと云ことなり。どうかそふ云へば語意がよはいようなれとも、これが文のもよふなり。序に盖天降生民と云と同ことで、盖と云字は疑の字なれとも、本に疑ふことではないぞ。巧言令色仁鮮と云様なものなり。朱子が、鮮と云へば絶てなきこと知るべしと云てをかれたぞ。此の矣の字できっとたかはぬと云ことをみるべし。
【解説】
大学は道中記の様に次第が整ったもの。学者はとかく大学を疎かにするが、それでは次第が狂う。大学の次第に沿って行くのである。
【通釈】
そこで「次之」である。そこで直方先生が、大学は道中記の様なものだと言う通りなのである。この段になると論孟も閉口することだが、それは論孟は甲斐ないということではない。品川から川崎へという順がこれほどではないということ。「頼」は御蔭ということで、「由是」は大学を指したこと。今日は子供までが大学ということを知っているが、学者がとかく大学の字を疎かに見る。それは何故かと言うと、学問を書を読むこととばかり思うからである。仁斎や徂徠などが様々な異説を言うのも大学を疑うからである。由是とは、丁度道中をするのに並木に付いて行く様なもの。そこに意見が出ると次第が違って来る。「不差」は違わないだろうということ。どうもその様に言うと語意が弱い様だが、これが文の模様である。序で「蓋天降生民」と言うのと同じことで、蓋という字は疑いの字だが、本当に疑うことではない。「巧言令色仁鮮」と言う様なもの。朱子が、鮮と言えば絶えてないことだと知りなさいと言って置かれた。この「矣」の字で、しっかりと違わないということだと見なさい。
【語釈】
・巧言令色仁鮮…論語学而3。陽貨17。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。
・鮮と云へば絶てなきこと知るべし…論語学而3集註。「聖人辭不迫切。專言鮮、則絶無可知」。

大學之道云々。道と云字は深い意はないぞ。朱子が序文に之法なりと云も、之道と云字から書たものなり。大學の道と云はこの三つより外はないと云ことなり。明徳と云は、人は天地のうちで一ち結構なものを持てをる。それを明德と云なり。明徳は表徳号じゃとなり。明徳は心とも性とも云なり。或はこはりに云へば仁義礼智とも云なり。それを明にすると云なり。ここが學問なり。だたいが明なものなり。それが暗くなりたものゆへに明にするのなり。学問と云ものは大きなものゆへに一口では合点がゆかぬぞ。丁ど病人をなをし借金をすますやうなものなり。そこで手前をしまうと人へかかるぞ。新民と云と日本人の辞では民百姓と云て百姓のことを民と思ふが、これは人のことなり。をれも藥を飲んでよくなりたゆへに隣の者にも一服のませたいと云のなり。これが人心の自然なり。
【解説】
「大學之道、在明明德、在親民」の説明。「明徳」は心とも性とも仁義礼智とも言う。それを明らかにするのが学問である。「新民」は人をよくさせること。
【通釈】
「大学之道云々」。道という字に深い意はない。朱子が序文に「之法也」と言ったのも、「之道」という字から書いたもの。大学の道はこの三つより外はないということ。明徳とは、人は天地の中で一番結構なものを持っている。それを明徳と言う。明徳は表徳号だと言う。明徳は心とも性とも言う。或いは小割に言えば仁義礼智とも言う。それを明らかにする。これが学問である。そもそも徳は明らかなもの。それが暗くなったので明らかにするのである。学問というものは大きなものなので、一口では合点が行かない。丁度病人を治して借金を済ます様なもの。そこで自分のことを終えると人へ掛かる。新民と言うと日本人の辞では民百姓と言って百姓のことを民と思うが、これは人のこと。俺も薬を飲んでよくなったので、隣の者にも一服飲ませたいと言うのである。これが人心の自然である。

明々徳も新民もこれより上はないと云迠つめることを至善と云なり。そこで程子がよく合点して、どうも名の付けよふがないから至善と云てをいたとなり。至善は此より上はない極上々吉なことを云なり。まつ此位にしてをけと云ことでないぞ。明徳新民のことは小學にも見へてをるが、至善と云ふが大學の大切なり。有合の明徳新民は小學にもあり、至極と云ことを一つ入た。そこでここが三綱領になるなり。在り々々と三つあるが大叓の文字なり。この在の字がざっとすると學問がそれの方へ向ぞ。迂斎云、この大切な重いことはちょっときいては知れぬが、其ときにたとへと云ふものが一の法なものじゃ。たとへば明徳と云は手水をつかふやうなもの。我きれいになると、家内のものにも手水をつかへと云筈なり。扨少し斗りは垢をのこしてをけと云ことはないぞ。どこがどこ迠も垢を落すぞ。そこで少々手拭をしぼりても、またあかがあると云とをとすぞ。これは下女下男も知ってをることなり。そこで垩人の思慮安排ではないぞ。老佛にも明徳はあるが新民がない。事功をつとむるものは新民はあるが明徳がないぞ。佛者は明徳らしいものはありても新民がなし。伯者は新民らしいことがありて明徳がない。学者は明徳も新民も知りてをれとも至善と云ことをしらぬぞ。
【解説】
「在止於至善」の説明。「明明徳」や「新民」を至極に詰めることを「至善」と言う。仏者は明徳らしいものはあっても新民がない。伯者は新民らしいことがあっても明徳がない。学者は明徳も新民も知っているが、至善ということを知らない。
【通釈】
「明明徳」も「新民」もこれより上はないというところまで詰めることを「至善」と言う。そこで程子がよく合点して、どうも名の付けようがないから至善と言って置いたと言った。至善はこれより上はない極上上吉なことを言う。先ずはこの位にして置けということではない。明徳新民のことは小学にも見えているが、至善というのが大学の大切なところ。有り合せの明徳新民は小学にもあるが、至極ということを一つ入れる。そこでここが三綱領になる。三つある「在」が大事な文字である。この在の字を軽く見ると学問が逸れた方へ向く。迂斎が、この大切な重いことは一寸聞いてはわからないが、その時はたとえというものが一法になると言った。たとえば明徳とは手水を使う様なもの。自分が奇麗になると、家内の者にも手水を使えと言う筈。さて少しばかりは垢を残して置けと言うことはない。何処が何処までも垢を落とす。そこで少々手拭を絞っても、まだ垢があればそれを落とす。これは下女下男も知っていること。そこで、これは聖人の思慮按排ではないのである。老仏にも明徳はあるが新民がない。事功を努める者には新民はあるが明徳がない。仏者は明徳らしいものはあっても新民がない。伯者は新民らしいことがあっても明徳がない。学者は明徳も新民も知っているが、至善ということを知らない。

程子曰云々。親と云ことにみるはわるい。やはり親と云てよいと云たものあり。それは第一明の王陽明抔が云た。新にすると云ことなれば、その中に親と云こともあるなり。親が子のほうを撫るは親の字なり。どうぞ人間にしてやりたいと云は新の字なり。そこで新の字の中には親の字もあり、親の中に新の字はないぞ。直方先生が、三才と並ぶ人の云たことなれば、あとからはなをされぬとなり。さうたい字注にも殊外大叓にあづかることあるなり。それを文字訓詁とみることではないぞ。
【解説】
程子曰、親、當作新」の説明。親しむと見るのは悪い。新の字の中には親の字もあるが、親の中には新の字はない。
【通釈】
「程子曰云々」。親しむと見るのは悪い。これを親と言うのがよいと言った者がいた。それは第一に明の王陽明などである。新たにするということだから、その中に親ということもある。親が子の頬を撫でるのは親の字である。どうか人間にして遣りたいと言うのは新の字である。そこで、新の字の中には親の字もあるが、親の中には新の字はない。直方先生が、三才と並ぶ人の言ったことなのだから、後から直すことはできないと言った。総体、字注にも殊の外大事に与ることがある。それを文字訓詁と見てはならない。

大學者大人之學云々。これも小學の事と云ことを思出してみるがよいぞ。學問と云は心にすることなり。そこで蔡九峰が書経の序に心と云字をいかいこと書てをかれた。心と云て垩賢のことがみへるぞ。わざをして心へゆくことなり。わるくすると小學が長持に一っはいあれば大學は長持に三ばいも有ふとみる。さう云ことではないぞ。此様なさかいめ々々々々ではきとせぬと、之學と云字などがはきとすめぬぞ。明之は、中庸のうちに誠者天之道也、誠之人之道と云あの之の字と同ことで、工夫字なり。明徳者人之云々。山崎先生が文会にくわしく云てをかれたぞ。後世朱子のことをそしる者もあるが、朱子のくるわへ入て見たならばきもをつぶそふぞ。この明德の註が朱子の出まかせを云たことではないぞ。皆古書から引て来て註したことなり。
【解説】
大學者、大人之學也。明、明之也。明德者、人之所得乎天」の説明。学問は心ですること。小学で事をすることから大学の心へと行く。
【通釈】
「大学者大人之学云々」。これも小学は事だということを思い出して見るのがよい。学問は心ですること。そこで蔡九峰が書経の序に心という字を大層書いて置かれた。心で聖賢のことが見える。業をして心へ行くのである。悪くすると小学が長持に一杯あれば大学は長持に三杯もあるものだと見る。そういうことではない。この様な境目がはっきりとしないと、「之学」という字などがはっきりと済めない。「明之」は、中庸の中に「誠者天之道也、誠之人之道」とある、あの之の字と同じことで、工夫の字である。「明徳者人之云々」。山崎先生が文会に詳しく言って置かれた。後世朱子のことを譏る者もいるが、朱子の郭に入って見れば肝を潰すことだろう。この明徳の註は朱子が出任せを言ったことではない。皆古書から引いて来て註をしたもの。
【語釈】
蔡九峰
・誠者天之道也、誠之人之道…中庸章句20の語。

明德と云ものは黒いものか赤いものかと云ときに虚なものなり。虚なものゆへにみえぬぞ。そこで人の五臓のうちでも心の臓はあいてをるぞ。具衆理云々。今遠国者が来て知たことを色々咄すにはあ々々と云て聞てをるぞ。それがこちに衆理をみてをるからなり。丁ど鏡のものを照すやうなものなり。なんぼ馬や牛がををきくても、馬や牛の方にはないぞ。馬や牛が重いものを付ると云は馬や牛の德とも云ふが、明の字は付られぬぞ。そこで太極と云も此外ではないぞ。無極は虚灵なり。具衆理は太極なり。なれともここでは太極の咄しはいらぬことなり。然れとも、此間太極のこともとかれたものゆへにちょっと咄す。以来はをくがよいぞ。なれとも別座敷で咄すときは太極と明德の咄しは同ことなり。
【解説】
而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也」の説明。明徳は虚で見えないもの。太極図説の無極はここの「虚霊」のことで、太極は「具衆理」のことになる。
【通釈】
明徳というものは黒いものか赤いものかと言えば、虚なもの。虚なものなので見えない。そこで人の五臓の内でも心の臓は空いている。「具衆理云々」。今遠国者が来て知っていることを色々と話すのをはあはあと言って聞いている。それは自分が衆理を見ているからのこと。丁度鏡がものを照らす様なもの。どれほど馬や牛が大きくても、馬や牛の方にそれはない。馬や牛が重い物を付けるというのは馬や牛の徳とも言うが、明の字は付けられない。そこで太極というのもこの外ではない。無極は「虚霊」である。具衆理は太極である。ここでは太極の話は要らないことだが、この間に太極のことも説かれたのだから一寸話した。それ以上は置いておくのがよい。しかし、別座敷で話す時は太極と明徳の話は同じこと。

但云々。これから學問のことなり。直方先生は文字のときよふが上手じゃ。但と云はわき道へきれるとき云こととなり。人にも段々ありて、わるいことをすると云も皆もちまへからわるいこともするなり。然本然之明云々。明德と云ものは十五夜の月のやうなもの。ときに気禀人欲と云雲や霧がふるなり。有時而昏云々。これはずんと文義が六ヶ敷。鳩巣先生の説がよい。あらましは新疏にあり、此説は文集に出す。これは吾党にないよい説なり。これは時ありて昏ことありと云きみなり。本体之明は、迂斎の引付の、空はれて後の光りとおもふなよ、もとより空に有明の月なり。ここでかたじけないぞ。明德があきらかでをれば学問も入らぬ。又、昏德きりになれは明にはなるまいか、もと昏ひものではないからなり。そこで至極の悪人でも発することがあるぞ。それをもとでにすること。
【解説】
但爲氣稟所拘、人欲所蔽、則有時而昏。然其本體之明、則有未嘗息者」の説明。明徳は十五夜の月の様なものでいつもあるが、時に気禀人欲という雲や霧が降る。明徳が明らかであれば学問も要らないが、昏んでいるので明らかにするのである。
【通釈】
「但云々」。これからが学問のこと。直方先生は文字の説き様が上手である。但は脇道へ逸れる時に言うことだと言った。人にも段々があって、悪いことをするというのも、皆持前から悪いことをする。「然其本体之明云々」。明徳というものは十五夜の月の様なもの。時に気禀人欲という雲や霧が降る。「有時而昏云々」。これはかなり文義が難しい。鳩巣先生の説がよい。あらましは新疏にあり、この説は文集に出してある。これは我が党にはないよい説である。これは時には昏いことがあるという気味のこと。本体之明は、迂斎の引付けの、空晴れて後の光と思うなよ、固より空に有明の月である。これが忝いこと。明徳が明らかであれば学問も要らない。また、昏徳だけになれば明らかにはならないだろうが、元々昏いものではないから明らかにすることができる。そこで至極の悪人でも発することがある。それを元手にする。

因其所発云々。孟子の惻隠之心と云が小児の井に入を見てはっと云。その心で擴充することなり。復其初は、本来のなりになりたことなり。革其舊は、革は易に革の卦と云ふがありて、わるい人がよくなり、知のないものが知が出てきたり、うっとりとしたものが目がさめるやうなものなり。推以及人は、手前の藥はこれ、向へはこれと、ぶんの藥をやることではない。去舊染之汙。この舊染のうちには色々あるなり。好色にふける者もあり、又、立身願をするものもあるなり。舊と云て神武以来のことではないぞ。必至於是と云ことを直方先生の弁に、御祝義一通りではないとなり。至善則云々。垩人又起るとも我言をかへずと云が至善なり。ぶんまわしで丸をかいたよふなものなり。迂斎をどけ咄に、田舎から出てただ極上を買ふ々々と云て江戸中をあるいてもないぞ、と。蝋燭をかふと、これが越後の極上でござると云。又、越後やへ行て木綿をかふと、これより上はござらぬ、極上でござるとなり。そこで只極上と云はないぞ。至善も明德や新民についてあることなり。言明德新民云々。この止の字は嘉点本がわるい。至と云こととなり。なれとも某はそふ思はぬ。止と云てやはりよし。至と云たらなをよかろふが、止でもよし。
【解説】
故學者當因其所發而遂明之、以復其初也。新者、革其舊之謂也。言既自明其明德、又當推以及人、使之亦有以去其舊染之汙也。止者、必至於是而不遷之意。至善、則事理當然之極也。言明明德、新民、皆當止於至善之地而不遷。蓋必其有以盡夫天理之極、而無一毫人欲之私也。此三者、大學之綱領也」の説明。はっとする心を拡充して本来に復る。明徳を明らかにして人に及ぼして付いている汚れを去らせる。至善とは、聖人がまた起こったとしても自分の言を変えないというほどのこと。また、至善は明徳新民があった上での至善である。
【通釈】
「因其所発云々」。孟子の惻隠の心というのが、小児が井戸に入るのを見てはっとすること。その心で拡充する。「復其初」は、本来の通りになったこと。「革其旧」は、革は易に革の卦があって、悪い人がよくなり、知のない者が知が出て来たり、うっとりとした者の目が覚める様なもの。「推以及人」は、自分の薬はこれ、向こうへはこれと、別々の薬を遣ることではない。「去旧染之汚」。この旧染の内には色々とある。好色に耽る者もあり、また、立身願いをする者もある。旧と言っても神武以来のことではない。「必至於是」は直方先生の弁に、御祝儀一通りではないとある。「至善則云々」。聖人がまた起こったとしても自分の言を変えないというのが至善である。コンパスで丸を描いた様なもの。迂斎が戯話に、田舎から出てただ極上を買おうとして江戸中を歩いてもないぞと言った。蝋燭を買うと、これが越後の極上ですと言われる。また、越後屋へ行って木綿を買うと、これより上はありません、極上ですと言われる。そこでただ極上ということはない。至善も明徳や新民に付いてあること。「言明徳新民云々」。この「止」の字は嘉点本が悪い。至るということだと言う。しかし、私はそうは思わない。止むと言うのでやはりよい。至ると言えば尚よいだろうが、止むでもよい。
【語釈】
・惻隠之心…孟子公孫丑章句上6。「所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心、…凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海、苟不充之、不足以事父母」。

知止而后云々。知止、格物致知。而后、物格知至。前は三綱領。このあとの小割は八条目なり。其前へ此条をまつ出したはどふなれば、それへかからぬうちに此模様をみせることなり。旅へ立と品川川崎とゆくことで、それは次の八条目にあり、これは先つそれへかからぬうちに一つもよふをみせることなり。そこてここを効の段と云なり。なぜなれば、知止と云から而后々々とすら々々云てあるから云なり。止と云は至善のことなり。世間の儒者がとかく点を直したがるが、めったに点を直すには及ばぬが、ここらの点が直さ子ばならぬ点ぞ。道春点には止することをと点をしてあり、これはそふしたことではなく、至善と云がじきにとどまるものではないぞ。知てから止ることなり。今日の學者が兎角何もかも一理あると思ふぞ。至善を知らぬからなり。知と云ものは至善を知らぬとうろつくものなり。
【解説】
「知止而后有定」の説明。止は至善のことだが、至善は直ぐに止まるものではない。知ってから止まるのである。また、知は至善を知らないとうろつくもの。
【通釈】
「知止而后云々」。知止は、格物致知。而后は、物格知至。前は三綱領で、この後の小割は八条目である。その前にこの条を出したのはどういうわけかと言うと、それへと掛からない内にこの模様を見せたのである。旅に立つのは品川から川崎へと行くことだが、それは次の八条目にあり、これは先ずそれに掛からない内に一つ模様を見せたこと。そこでここを効の段と言う。それは何故かと言うと、知止ということから而后云々とすらすらと言ってあるからその様に言うのである。止は至善のこと。世間の儒者がとかく点を直したがるが、滅多に点を直すには及ばない。しかし、ここらの点は直さなければならない点である。道春点には止することをと点をしてあるが、これはそうしたことではなく、至善は直ぐに止まるものではない。知ってから止まる。今日の学者がとかく何もかも一理あると思う。それは至善を知らないからである。知というものは至善を知らないとうろつくもの。

定と云は道理の定ること。静は、心の静になることなり。今日の人は至善を知らぬから向か定らぬぞ。向が定らぬからこちの気がをちつかぬぞ。此方の静になると云ふも向の道理をみるから落付ぞ。火事ときいて方角も知れぬと云ときは落付ぬぞ。方角が知れて風はどふだと云。そこで落付ぞ。安と云は心の落付から身のふりまわしが落付ことなり。朱門が素冨貴云々を引て云たが、なるほどそふなり。慮は思のさきなり。知は思ふからなるぞ。そこで知がわがものになりて、事にまじはるときに丁どの図星へゆきか子る。そこをもふ一つ慮なり。ここをあとへもどりたやふに思ふことではないぞ。ここが知の深くなりた処なり。定静安慮は知なり。得は行なり。何ほど行ふと云ても、一の谷の坂落しのやうでは學者もたまるものではないぞ。そこで得と云は知の我ものになりた至極を云ことなり。そこで知の成た処を得と云て、それが行になるなり。直方先生の、これを八条目へ大槩にあてるがよいとなり。
【解説】
「定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。后、與後同。後放此」の説明。「定」は道理の定まること。「静」は心が静かになることで、それで向こうの道理を見る。向こうの道理が定まらないと自分の心が落ち着かない。「慮」は知の深くなった処。定静安慮は知であり、「得」は行である。知の成った処を得と言い、それが行になる。
【通釈】
「定」は道理の定まること。「静」は、心が静かになること。今日の人は至善を知らないから向こうが定まらない。向こうがが定まらないからこちらの気が落ち着かない。自分が静になるというのも向こうの道理を見るためであって、それで落ち着くのである。火事と聞いて方角もわからないという時は落ち着かない。方角が知れると風はどうだと言う。そこで落ち着く。「安」は心の落ち着きから身の振り回しが落ち着くこと。朱門が「素富貴云々」を引いて言ったのが、なるほどその通りである。「慮」は思った先のこと。知は思うから成る。そこで知が自分のものになったとしても、事に交わる時に丁度の図星へ行きかねることがある。そこをもう一つ慮る。ここを後へ戻った様に思ってはならない。ここが知の深くなった処。定静安慮は知であり、得は行である。どれほど行おうと言っても、一の谷の坂落しの様では学者も堪らない。そこで、「得」は知が自分のものになった至極を言う。そこで知の成った処を得と言い、それが行になる。直方先生が、これを八条目の大概へ当てるのがよいと言った。
【語釈】
・素冨貴…中庸章句14。「君子素其位而行、不願乎其外。素富貴、行乎富貴、素貧賤、行乎貧賤」。

止者云々。まへの止とは違ゆへにここへ註したぞ。そんならぶんかと云にぶんではないぞ。定向は直方先生が、向の字は志の字に付た字じゃとなり。今人の至善は知りても定向はぬぞ。定向は雁の北へ向やうなことなり。不妄動は、直方先生が、不動と書きそふなものを妄と云字を気を付よとなり。心は動へきものなれとも妄がわるいぞ。小市がよいことを云た。火事のときはかけるが静だぞとなり。安謂所処云々。顔子は貧乏で不改樂ぞ。屈原は忠臣でよいが所処安くない。そこで汨羅へ身をなげた。人のうれしがることは皆小學の上のことなり。得謂云々。得と云がこれをしてしまうて得と云ことではないぞ。至善が我者になりたのなり。これが人のならぬと云ことになれば石の吸物になるぞ。知ると云ことはたれもなることなり。垩賢になると云ことゆへに遠けれとも、知ると云ことゆへにたれもなるなり。そこで、知と云ことは身にかまわぬことなり。
【解説】
止者、所當止之地、即至善之所在也。知之、則志有定向。靜、謂心不妄動。安、謂所處而安。慮、謂處事精詳。得、謂得其所止」の説明。「定向」の向の字は志の意である。「不妄動」は妄の字に注意をしなければならない。心は動くべきものだが妄が悪い。「得」は至善が自分のものになったこと。聖賢になるのは遠いことだが、知るということは誰もができること。
【通釈】
「止者云々」。前の止とは違うのでここに註をした。それなら別なものかと言うとそうではない。「定向」を、直方先生が、向の字は志の字に付いた字だと言った。今の人は至善は知っていても定まり向かわない。定向は雁が北へ向かう様なこと。「不妄動」。直方先生が、不動と書きそうなものだが、ここの妄という字に気を付けなさいと言った。心は動くべきものだが妄が悪い。小市がよいことを言った。火事の時には駆けるのが静だと言った。「安謂所処云々」。顔子は貧乏で「不改楽」だった。屈原は忠臣でよいが所処安ではない。そこで汨羅へ身を投げた。人の嬉しがることは皆小学の上のこと。「得謂云々」。得というのが、これをして仕舞って得るということではない。至善が自分のものになったのである。これを人ができないと言うのであれば石の吸物になる。知るということは誰もができること。聖賢になるということは遠いことだが、知るということは誰にもできる。そこで、知とは身に構わないことなのである。
【語釈】
・小市…宇井黙齋。初めの姓は丸子。名は弘篤。字は信卿。小一郎と称す。肥前唐津の人。天明1年(1781)11月22日、京都にて没。年57。久米訂斎門下。
・顔子は貧乏で不改樂…論語雍也9。「子曰、賢哉回也。一簞食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉回也」。

物有本末云々。ここを結語と云なり。物はすはった処で云なり。事はしてゆくものゆへにすわらぬものなり。迂斎云、物有本末云々は、御本丸西丸と云よふなものなり。物有本末、事有終始。身は先御本丸へ出仕して、そこで西丸へ出仕するなり。知所先後云々。小序に云次第のことなり。近道は大學の道が得らるると云ことなり。遠近の近なり。たん々々ぼいつめゆくことなり。浅見先生の、行と云ものは知の先へは一寸でも出ることはならぬとなり。知止はたれもなるが、能得と云がないことなり。そこで大學は知がまっ先へ立つことなり。そこで道落者がそれ知へと云が、その知は役にたたぬ。小学の教のないからなり。
【解説】
「物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。明德爲本、新民爲末。知止爲始、能得爲終。本・始所先、末・終所後。此結上文兩節之意」の説明。「物」は据わっている処から言い、事は行う処から言う。「知止」は誰もができるが、「能得」はいない。そこで大学では知が先に立つ。
【通釈】
「物有本末云々」。ここを結語と言う。物は据わった処で言う。事はして行くものなので据わらないもの。迂斎が、物有本末云々は、御本丸と西丸という様なものだと言った。「物有本末、事有終始」。身は先ず御本丸へ出仕して、そこで西丸へ出仕する。「知所先後云々」。これが小序に言う次第のこと。「近道」は大学の道が得られるということで、遠近の近である。段々と追い詰めて行くこと。浅見先生が、行というものは知の先へは一寸でも出ることはできないと言った。「知止」は誰もができるが、「能得」はいない。そこで大学は知が真っ先に立つ。そこで道楽者がそれ知へと言うが、その知は役に立たない。それは、小学の教えがないからである。

古之欲明々德於天下云々。二月十六日。これを八条目と云は、前の明德新民至善を小割にしたものなり。前は大つか子なり。三綱領をかけてみせる。そこで其ことを承りたいと云。珎重なことだ、教へてやらふと云て八目とかかることなり。孔子の教がこふなり。顔子が仁を問ふたれば、克己復礼と云はれた。目を問と非礼勿視云々なり。そこで工夫はこまかにはりてかから子ばならぬぞ。明德新民と云其明德のいよ々々先へ立と云ことを知らせる為に物有本末と結だものなり。ここは新民からかたり出したものなり。それはどふしたことなれば、はばの大きな処から見せたものなり。これで垩學の規模がみへるぞ。明々德於天下と云は平天下と云と同ことなり。それで今の人は軍のないことを平天下と思ふが、大學はそのやうなことではないぞ。平の字は一つことのありたをやめるではなく、津々浦々の人が皆よい人になりたのなり。
【解説】
「古之欲明明德於天下者、先治其國」の説明。ここは新民から語り出す。幅の大きな処から見せたのである。「平天下」とは、津々浦々の人が皆よい人になるということ。
【通釈】
「古之欲明明徳於天下云々」。二月十六日。これを八条目と言うのは、前の明徳新民至善を小割にしたものだからである。前のは大掴みで三綱領を掛けて見せたもの。そこでそのことを承りたいと言う。珍重なことだ、教えて遣ろうと言って八目へと掛かる。孔子の教えがこの様なこと。顔子が仁を問うと、「克己復礼」と言われた。目を問うと「非礼勿視云々」である。そこで工夫は細かに割って掛からなければならないものなのである。明徳新民というその明徳がいよいよ先へ立つということを知らせるために「物有本末」と結んだが、ここは新民から語り出した。それはどうしたことかと言うと、幅の大きな処から見せたのである。これで聖学の規模が見える。「明明徳於天下」は平天下と同じこと。今の人は軍のないことを平天下と思うが、大学はその様なことではない。平の字は一つ事が起きたのを止めるのではなく、津々浦々の人が皆よい人になったということ。
【語釈】
・二月十六日…天明六年(1786)丙午2月16日。
・克己復礼…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。

欲と云が学問なり。これが學問の志ある者の規模なり。これは大きなことで中々ならぬことなれとも、これをせふとすることをもってをるが垩學の規模なり。それではち坊主の手前の身一つを脩るやふなことではないぞ。そこで欲先云々と云てあるなり。天下と国と政に二つはないが、大小でちがいがあるなり。家は人君の家内なり。家内と云ものはかくすことのならぬものなり。覇者を功烈如彼陋と云も家が斉はぬからなり。そこで家がととのはぬと法でばかり政をするやふになるぞ。君が兄弟中がよいと云ゆへに、兄弟中のわるい者がありてはすまぬぞ。それからして江戸中に親兄弟中のわるいものはないと云と、それからして長﨑松前迠その風を聞てよくなることなり。太宰抔が経済彔のやうなものも皆法ですることと心得へてのことなり。それでは肴店の犬が魚をとらぬやうなもので、皆魚をとらぬ犬になりたかと云にさうではなく、番が付てをりて取るとしたたかぶちのめす。そこで魚をとらぬぞ。其ことを論語に民免無恥と云なり。
【解説】
「欲治其國者、先齊其家」の説明。ここの「欲」は聖学の規模を言ったもの。君が兄弟仲がよければ、兄弟仲の悪い者があっては済まない。それからは、国中がその風を聞いてよくなる。法で政をするのは、刑に遇うのを恐れてだけのことである。
【通釈】
「欲」というのが学問である。これが学問の志のある者の規模である。これは大きなことで中々できないことだが、これをしようとすることを持っているのが聖学の規模である。これは鉢坊主が自分の身一つを修める様なことではない。そこで、「欲先云々」と言ってある。天下と国と政は別なことではないが、大小で違いがある。「家」は人君の家内である。家内というものは隠すことのならないもの。覇者を「功烈如彼其卑」と言うのも家が斉わないからである。そこで家が斉わないと法でばかり政をする様になる。君が兄弟仲がよいというのだから、兄弟仲の悪い者があっては済まない。江戸中に親兄弟仲の悪い者はないと言うと、それからして長崎松前までその風を聞いてよくなる。太宰などの経済録の様なものも皆法ですることと心得てのもの。それでは魚屋の犬が魚を取らない様なもので、皆魚を取らない犬になったかと言うとそうではなく、番が付いているので、取ると大層ぶちのめされる。そこで魚を取らないのである。それを論語に「民免無恥」と言う。
【語釈】
・功烈如彼陋…孟子公孫丑章句上1。「管仲得君如彼其專也。行乎國政如彼其久也。功烈如彼其卑也」。
・民免無恥…論語為政3。「子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格」。

欲斉其家者云々。家をととのへると云ふてもまぢないことではないぞ。妻子と云ものは何でも自由になるものなれとも、我身持がわるいと舌を出す。そふ云こともいかぬはづなり。かるいことでも亭主が朝起をしては家来は寢てをることはならぬぞ。欲脩其身者云々。かたり出しは天下と云っても、国とたたきこみ、家とたたみこみ、それから手前の身一つになりたぞ。身と云ものは心でするものなり。心は身のあるじなり。酒やが樽を吟味すると云ふも中がかんじんなり。人のうれしがるもいやがるも心のことなり。身のわるいは心ですることなり。奉公人が今年はよい旦那をとりたいと云は心がよいからなり。段々うちへたたきこむと云が心のことなり。もふこれきりつらと思ふたれば、誠其意となり。心の字と意の字は隣り合せな字なり。心は全体で云なり。意は心の働き出る処を云なり。徂徠などは和訓がきらいなれとも、意の字をこころばせとはよく云たぞ。我が兼て存ずる通りにいかぬと云は肉身があるからなり。その兼て思た通りをすることを誠意と云なり。ざっと云へば此位なことで、よくとくとみると大抵むづかしいことなり。誠にするせぬと云て垩凡のちがいもあることなり。
【解説】
「欲齊其家者、先脩其身。欲脩其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意」の説明。身を修めなければ家を斉えることはできない。身を修めるのは心でする。それは意を誠にすることからする。意は心の働き出る処で言う。
【通釈】
「欲斉其家者云々」。家を斉えると言っても呪い事ではない。妻子というものはどの様にも自由になるものだが、自分の身持が悪いと舌を出す。その様なことも悪い筈。軽いことで言っても、亭主が朝起きをすれば家来は寢ていることはならない。「欲修其身者云々」。語り出しは天下と言っても、国と畳み込み、家と畳み込んで、それから自分の身一つになった。身というものは心でするもの。心は身の主である。酒屋が樽を吟味するというのも中が肝心である。人が嬉しがるのも嫌がるのも心のこと。身が悪いのは心ですること。奉公人が今年はよい旦那に雇われたいと言うのは心がよいからである。段々と内へ叩き込むというのが心のこと。もうこれで終わりかと思えば、「誠其意」と言う。心の字と意の字は隣合せな字である。心は全体で言い、意は心の働き出る処で言う。徂徠などは和訓が嫌いだが、意の字を心馳せとはよく言った。自分が前から思っていた通りには行かないと言うのは肉身があるからである。その、前から思っていた通りをすることを誠意と言う。ざっと言えばこの位のことで、じっくりとよく見ると大抵なことではない。誠にするかしないかで聖凡の違いにもなる。

誠にすると云ことが君子になることじゃが、まだ此前があるなり。これから知惠なり。先致其知云々。意を誠にしても西も東もしれぬでは役にたたぬ。人の心になにやら知ると云ものがあるなり。それを致ることなり。學問をせぬうちも親に孝は知りてをるなれとも、それが知り顔をして知らぬなり。孝と思て親がよふぞ返辞をするが、知り顔にして知らぬのなり。明々徳於天下と云ことが内へ々々ときめて、のこらずのことが知の一字に帰着するなり。致知在格物。さて、まへにはみな欲する者は先へ々々と一つ々々にわかれてあるが、これも前の例て云ふものなれば欲致知者先とありそふなものを、致知在格物と文例をかへてあるなり。これは物と云ものと知と云ものは二つもので一つなり。そこで文例をかへてかふ書てをかれたものなり。向の物がすまぬうちはこちの胸がはれぬ。そこで知はこちにありて、あいての方をきはめぬと安堵せぬぞ。平生のことにうろたへると云ふも、向のものがすまぬからなり。そこでこちの知が向の物ですむことなり。
【解説】
「欲誠其意者、先致其知。致知在格物。治、平聲。後放此」の説明。意を誠にするには、知っていることを更に致めることからする。全ては知に帰着するのである。その知は向こうの物を済ますことで致めることができる。
【通釈】
誠にするということが君子になるということだが、まだこの前がある。これからが知恵である。「先致其知云々」。意を誠にしても西も東もわからないのでは役に立たない。人の心に何やら知れるというものがある。それを致めること。学問をしない内でも親に孝は知っているが、それが知り顔で知らないのである。孝と思って親が呼ぶと返事をするが、知り顔で知らないのである。明明徳於天下ということが内へ内へと決めて、全てのことが知の一字に帰着するのである。「致知在格物」。さて、前には皆欲する者は先ずと一つ一つに分かれてあったが、これも前の例で言うとすれば欲致知者先とありそうなものを、致知在格物と文例を変えてある。これは物というものと知というものは二つ物で一つだからである。そこで文例を変えてこの様に書いて置かれたのである。向こうの物が済まない内はこちらの胸が晴れない。そこで知はこちらにあって、相手の方を致めないと安堵はしない。平生のことに狼狽えるというのも、向こうの物が済まないから。そこで、こちらの知が向こうの物で済むのである。

使天下之人云々。天下の人をよくすると云て法ですることでないぞ。明德を明にすることなり。伊尹も一夫も其処を不得は市に撻が如しと云は大學を知りたからなり。心者身之云々。朱子の大學の註はあらいぞ。それはどふなれば、先に傳文の十章がありてあれですむゆへなり。自欺は本心の外に一つすることを云なり。わるいことはすまじきはずたと思ふていながら、今日はと云てわるいことをする。それを手前が手に巾着を切るとなり。識は我身相応に合点することなり。そこで見識と云もそれなり。女などの了簡と云ものがけしからぬことを云ものなり。一生の願に鼈甲の櫛笄をさしたいの、こもんの帯をしめたいのと云なり。これが下女や半下の見識なり。浅見先生が、仲間小者がをれは飯をたくことはなると思ふてをるも識だとなり。推極吾之知識云々。仁義礼智の智は動すことはならぬが、知は脩行次第でどのやふにもひろめられるものなり。學問をせぬものは知がせまいと云も致めぬからなり。そこで直方先生が田舎間じゃとなり。至也。筆はものをかくものなり。包丁は切ると云ても向からくると云ことはないぞ。こちからそこへ至ることなり。物猶事は、筆と云は物なり。その筆でものをかくと云、かきやふを吟味することを事と云なり。そこで物に事のないものはないから、猶事也。
【解説】
明明德於天下者、使天下之人皆有以明其明德也。心者、身之所主也。誠、實也。意者、心之所發也。實其心之所發、欲其一於善而無自欺也。致、推極也。知、猶識也。推極吾之知識、欲其所知無不盡也。格、至也。物、猶事也。窮至事物之理、欲其極處無不到也。此八者、大學之條目也」の説明。「識」は我が身相応に合点すること。仁義礼智の智は動かすことはできないが、知は修行次第でどの様にも広められる。知が狭いのは致めないからである。物は皆事をする対象となるから「物猶事」と言う。
【通釈】
「使天下之人云々」。天下の人をよくすると言っても法ですることではない。明徳を明らかにするのである。伊尹が一夫もその処を得ざれば市に撻たれるが如しと言ったのは、大学を知ったからである。「心者身之云々」。朱子の大学の註は粗い。それはどうしてかと言うと、後に伝文の十章があってあれで済むからである。「自欺」は本心の外に一つすることを言う。悪いことはしてはならないと思っていながら、今日だけはと言って悪いことをする。それを自分の手で自分の巾着を切ると言う。「識」は我が身相応に合点すること。見識と言うのもそれ。女などの了簡というものが怪しからぬことを言うもの。一生の願いに鼈甲の櫛笄を挿したいとか、小紋の帯を締めたいと言う。これが下女や半下の見識である。浅見先生が、仲間小者が俺は飯を炊くことはできると思っているのも識だと言った。「推極吾之知識云々」。仁義礼智の智は動かすことはできないが、知は修行次第でどの様にも広められるもの。学問をしない者は知が狭いと言うのも致めないからである。そこで、直方先生が田舎間だと言った。「至也」。筆はものを書くもの、包丁は切るものと言っても向こうから来るということはない。こちらからそこへ至るのである。「物猶事」。筆は物である。その筆でものを書いて書き様を吟味することを事と言う。そこで物に事のないものはないから、猶事也。
【語釈】
・伊尹も一夫も其処を不得は市に撻が如し…近思録為学1。「伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市」。書経説命下。「予弗克俾厥后惟堯舜、其心愧恥、若撻于市」。

物格而后知至云々。初めには明德天下とときだして、それも格物でなければならぬと云ことをみせて、ここで次第をみせたものなり。次第と云は品川川﨑とゆくことなり。致知には格物なり。そこで其物にいたりたことを物格と云なり。知至。道理が一つづきゆへに、向の物がすむとこちの胸があいてくるぞ。知至ると間違た了簡は出ぬぞ。朱子も此ことを引かれた。水火の二つで合点するがよいぞ。余のことはそれほどに至らぬから孝と知ても不孝が出、忠と存て居ても不忠が出るなり。吾心之所知無不尽云々。向の寸方だけにこちからけるぞ。可得而実の字、気を付てみることなり。浅見先生の云、行と云ものは知の先きへ一寸も出ることはならぬとなり。今日の學者がとかく髙それる々々々々と云がをかしくてならぬ。今日知のあるものと云ものは道落ものゆへにそれをいやがりて云であろふが、それは本の知でないぞ。知のくるいたのなり。大學の知と云は格物から致た知なり。そのやうな愚はないはづなり。迂斎云、物格而后云々は効の段と云ゆへに、人が左りうちはになることと思ふがさうではなく、此効をみせてこれが工夫になるとなり。
【解説】
「物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。治、去聲。後放此。物格者、物理之極處無不到也。知至者、吾心之所知無不盡也。知既盡、則意可得而實矣。意既實、則心可得而正矣。脩身以上、明明德之事也。齊家以下、新民之事也。物格知至、則知所止矣。意誠以下、則皆得所止之序也」の説明。「物格而后知至」で、向こうの寸法だけこちらの知が明ける。大学の知は格物から致まった知である。
【通釈】
「物格而后知至云々」。始めに「明徳天下」と説き出して、それも格物でなければならないということを見せ、ここでその次第を見せる。次第とは品川から川崎へと行くこと。致知には「格物」である。そこで物に格ったことを物格と言う。「知至」。道理は一続きなので、向こうの物が済むとこちらの胸が明いて来る。知が至ると間違った了簡は出ない。朱子もこのことを引かれた。水火の二つで合点するのがよい。他のことはそれほどに至らないから、孝と知っても不孝が出、忠と存じていても不忠が出る。「吾心之所知無不尽云々」。向こうの寸方だけこちらがける。「可得而実」の字を気を付けて見なさい。浅見先生の言う、行というものは知の先へ一寸も出ることはならないということ。今日の学者がとかく高逸れるというのが可笑しくてならない。今日の知のある者は道楽者ばかりなので、それを嫌がって高いことを言うのだろうが、それは本当の知ではなく、知が狂ったのである。大学の知というのは格物から致まった知であって、その様な愚はない筈。迂斎が、「物格而后云々」は効の段と言うので人が左団扇になることと思うがそうではなく、この効を見せてこれが工夫になると言う。

自天子以至云々。古之明々德云々と云からかき出したものなり。天子から庻人と云て人はのこらぬぞ。百姓町人から日傭取迠も入て云なり。これは殊の外格式の違ふたものなれとも、それが皆身を脩ると云より外はないぞ。ここは物の肝要を知らせたものなり。脩身は誠意正心も入て云ことなり。正心以上云々。これもひょっと正心誠意をすてて云ものの有ろふかと云で、かふ云てをかれたものなり。舉此而云々。治めるにはかふするものじゃと云ことなればみふいやみなり。これは丁ど妙藥の様なもので、手前はかふ、向はこふすると云様にぶん々々にあるではない。そこで天下を治めるにはぶんにかふ云ことがあると云なれば本のことではないぞ。覇者には舉而錯と云ことはないぞ。法で斗りするなり。其本乱而云々。丁ど根のない松をうへたやふなものなり。扨もよい松と云うちにかれて仕まうぞ。末治者否なり。殷の紂王抔のことでよく合点したがよいぞ。其所厚云々は家内のことなり。手前のうんだ子なり。手前をうんだ親なり。厚いと云にこれほどなはあるまいが、子がかまはずに親もかまはぬと云のなり。そこで親の死んだときはなかすに、通りの千ヶ寺の死を見てなくと云ことは天下中にあるまいそとなり。そこで孔子も、老吾老及人之老となり。佛者や覇者がこれなり。朱子も荅功德書に云てあるなり。釈迦が親をすてて山の奥へ入て、鳩がひだるいと云と股をそいてくはせる。みな本を乱たのなり。
【解説】
「自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。壹是、一切也。正心以上、皆所以脩身也。齊家以下、則舉此而錯之耳。其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。本、謂身也。所厚、謂家也。此兩節結上文兩節之意」の説明。人は皆身を修めることが本になる。修身は誠意正心も入れて言う。国を治めるにも身を修めることからする外に仕方はない。本を乱した例は、紂王を見ればよい。
【通釈】
「自天子以至云々」。「古之明明徳云々」ということから書き出したもの。天子から庶人と言うので残す人はない。百姓町人から日傭取りまでをも入れて言う。これは殊の外格式の違ったものだが、それが皆身を修めるというより外はない。ここは物の肝要を知らせたもの。修身は誠意正心も入れて言うこと。「正心以上云々」。これもひょっとすると正心誠意を捨てて言う者もいるだろうかと思って、この様に言って置かれたもの。「挙此而云々」。治めるにはこの様にするものだということであれば□□□□□である。これは丁度妙薬の様なもので、こちらはこうする、向こうはこうするという様に別々にあるのではない。そこで、天下を治めるには別にこういうことがあると言うのであれば本当のことではない。覇者には「挙而錯」ということはない。法でばかりする。「其本乱而云々」。これは丁度根のない松を植えた様なもの。実によい松だと言う内に枯れてしまう。「末治者否矣」。殷の紂王などのことでよく合点するのがよい。「其所厚云々」は家内のこと。自分の生んだ子である。自分を生んだ親である。厚いと言うのにこれほどのことはないだろうに、子が構わず親も構わないという。そこで、親の死んだ時は泣かず、通りの千ヶ寺の死を見て泣くということは天下中にないことだろうと言った。そこで孔子も「老吾老及人之老」と言う。仏者や覇者がこれ。朱子も功德に答うる書に言っている。釈迦が親を捨てて山の奥へ入って、鳩が空腹だというと股を削いで食わせた。皆本を乱したのである。
【語釈】
・老吾老及人之老…孟子梁恵王章句上7。「老吾老、以及人之老。幼吾幼、以及人之幼」。孟子の語である。

右経一章云々。さい初は経の傳のと云ことなく、礼記の中にごたまぜにしてありたを程朱が出てから改られたぞ。丁ど椀箱に平皿も坪も一つに入てあるときに、目のあいたものがあると、これは平、これは坪とわける、と。これもたしか直方先生のたとへなり。盖孔子之言而云々。或問に説あり。凡二百五字。凡千五百四十六字、と云ことは、大切な書は字数迠も吟味めしたと云ことなり。其上に大學はまちがいも多いからなり。凡傳文云々は、これからさきのことを云なり。熟読云々は、直方先生が大學一冊もって加茂へ一年引込でをられたぞ。ここへ目が付たものなり。そこで加茂の神主が、何ものか知らぬがあの一冊をもって引込でをるやつは只者ではあるまいとなり。今不尽釈也。これも丁寧に朱子が云てをくまいものでもなけれとも、それほどにしては却て弟子がのだたぬものなり。そこで此から傳文をみるに、どこが□□□□とみることなり。その為に朱子後にかくべきことを前にかいたそふなり。
【解説】
「右經一章。蓋孔子之言、而曾子述之。凡二百五字。其傳十章、則曾子之意而門人記之也。舊本頗有錯簡。今因程子所定、而更考經文、別爲序次如左。凡千五百四十六字。凡傳文、雜引經傳、若無統紀。然文理接續、血脈貫通、深淺始終、至爲精密。熟讀詳味。久當見之。今不盡釋也」の説明。大学は礼記の中にごた混ぜにしてあったのを程朱が改められたもの。「熟読云々」は、直方が大学一冊を持って加茂に引き込んだ様なこと。
【通釈】
「右経一章云々」。最初は経や伝ということではなく、礼記の中にごた混ぜにしてあったのを程朱が出てから改められたもの。丁度、椀箱に平皿も坪も一つに入れてある時に、目の明いた者がいると、これは平、これは坪と分けると言う。これも確か直方先生のたとえである。「蓋孔子之言而云々」。或問に説いてある。「凡二百五字。凡千五百四十六字」は、大切な書は字数までも吟味されたということで、その上に、大学には間違いも多かったからである。「凡伝文云々」は、これから先のことを言う。「熟読云々」。直方先生が大学一冊を持って加茂へ一年引き込んでおられたのがここに目が付いたからである。そこで加茂の神主が、何者かは知らないが、あの一冊を持って引き込んでいる奴は只者ではないだろうと言った。「今不尽釈也」。これも、朱子としては丁寧に言わないで置こうとしたものでもないが、それほどに言っては却って弟子が育たないもの。そこでこれから伝文を見て、何処が□□□□かと見るのである。そのために朱子が後に書くべきことを前に書いたのだそうである。