大学伝1
康誥曰、克明德。
康誥、周書。克、能也。
大甲曰、顧諟天之明命。大、讀作泰。諟、古是字。
大甲、商書。顧、謂常目在之也。諟、猶此也。或曰審也。天之明命、即天之所以與我、而我之所以爲德者也。常目在之、則無時不明矣。

帝典曰、克明峻德。峻、書作俊。
帝典、堯典、虞書。峻、大也。

皆自明也。
結所引書、皆言自明己德之意。
右傳之首章。釋明明德。
此通下三章至止於信、舊本誤在沒世不忘之下。
【読み】
康誥に曰く、克く德を明らかにす、と。
康誥は、周書なり。克は、能なり。
大甲に曰く、諟[こ]の天の明命を顧みる、と。大は、讀みて泰に作る。諟は、古の是の字。
大甲は、商書なり。顧は、常に目の之に在るを謂うなり。諟は、猶此のごときなり。或は曰く、審かにするなり、と。天の明命は、即ち天の我に與うる所以にして、我が之德と爲る所以の者なり。常に目之に在れば、則ち時として明らかならざること無し。

帝典に曰く、克く峻德を明らかにす、と。峻は、書に俊に作る。
帝典は、堯典、虞書なり。峻は、大なり。

皆自ら明らかにするなり。
引く所の書は、皆自ら己が德を明らかにすることを言うの意を結ぶ。
右は傳の首章。明德を明らかにすることを釋く。
此れ下の三章の止於信に至るまでに通じて、舊本は誤りて沒世不忘の下に在り。

康誥曰、克明德。もと文王のことを云たことなり。文王の文王たる所は明德なり。孔子のことを、をらが隣の丘がことかと云たものもあり、そこで垩人たと云ても人と別にかはりたものてはないぞ。それならばどこが垩人だ。明德なり。克能也。能は明德することがなることなり。大甲曰、顧諟天之云々。天之明命と云がすぐに明德のことなり。それを諟天之明命と云が面白ぞ。天から結構な德を下さってあるのなり。そこで顧は、ふだん明德がかけ落をせぬやうに々々々々々と番をしてをることなり。江戸で巾着を切られると云も顧ぬからなり。大読作泰。これは大學の御屋鋪ゆへにこの吟味がいる。既に孟子にも大甲曰と云こともあれとも、何とも註は出ぬぞ。或曰審也は、かへりみたうへを審にすると云ことなり。これも精い説なり。所以與我。朱子の明德と出さず與我とした。面白ぞ。帝典曰、克明峻德。尭典也。内しゃうなことを云やふなれとも、この並へやふに趣向のあることなり。皆自明也。自明の字が明德新民のわけをわけることなり。直方先生はここに発明ありて、自と云は人頼みをせぬこととなり。これは面白いやふなれとも、自明の字にちとふれるぞ。正意は新民に対して云ことなり。自明の説は韞蔵彔に出す。右傳之首章云々。知た者の注と知らずにをる者の注とは違う。鄭玄抔も注したれとも、何でもありなりに吟味なしに注したぞ。
【解説】
文王は別に人と変わることはないが、文王は能く徳を明らかにした。大甲で言う「天之明命」が明徳のこと。明徳が離れない様にいつも顧みる。その上を審らかにする。自明は明徳と新民のわけを分けること。
【通釈】
「康誥曰、克明徳」。もとは文王のことを言ったこと。文王の文王たる所は明徳である。孔子のことを、俺の隣の丘のことかと言った者もあり、そこで聖人と言っても人と別に変わるものではない。それなら何処が聖人なのか。それは明徳である。「克、能也」。能は徳を明らかにすることが成るということ。「大甲曰、顧諟天之云々」。「天之明命」と言うのが直ぐに明徳のこと。諟天之明命と言うのが面白い。天から結構な徳を下されているのである。そこで顧は、普段明徳が駆け落ちをしない様にと番をしていること。江戸で巾着を切られるというのも顧みないからである。「大読作泰」。大学の御屋敷なのでこの吟味が要る。孟子にも大甲曰とあるが、何も註は出ていない。「或曰審也」は顧みた上を審らかにするということ。これも精しい説である。「所以与我」。朱子が明徳と出さずに与我としたのが面白い。「帝典曰、克明峻徳」。「尭典也」。内証なことを言う様だが、この並べ様に趣向のあること。「皆自明也」。自明の字が明徳新民のわけを分けること。ここに直方先生の発明があって、自は人頼みをしないことだと言った。これは面白い様だが、自明の字には少々ふれる。正意は新民に対して言うこと。自明の説は韞蔵録に出ている。「右伝之首章云々」。知った者の注と知らずにいる者の注とは違う。鄭玄なども注をしたが、どれも在り来りに吟味なしに注をしたもの。
【語釈】
・孟子にも大甲曰…孟子公孫丑章句上4。同離婁章句上8。「太甲曰、天作孽、猶可違。自作孽、不可活」。


大学伝2
湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。
盤、沐浴之盤也。銘、名其器以自警之辭也。苟、誠也。湯以人之洗濯其心以去惡、如沐浴其身以去垢。故銘其盤。言誠能一日有以滌其舊染之汙而自新、則當因其已新者、而日日新之、又日新之、不可略有間斷也。
康誥曰、作新民。
鼓之舞之、之謂作。言振起其自新之民也。
詩曰、周雖舊邦、其命惟新。
詩大雅文王之篇。言周國雖舊、至於文王能新其德、以及於民、而始受天命也。
是故君子無所不用其極。
自新新民、皆欲止於至善也。
右傳之二章。釋新民。
【読み】
湯の盤の銘に曰く、苟[まこと]に日に新たならば、日日に新たに、又日に新なり、と。
盤は、沐浴の盤なり。銘は、其の器に名じて以て自ら警むるの辭なり。苟は、誠なり。湯は人の其の心を洗濯して以て惡を去ること、其の身を沐浴して垢を去るが如くなるを以てす。故に其の盤に銘ぜり。言うこころは、誠に能く一日以て其の舊染の汙を滌[あら]いて自ら新たにすること有らば、則ち當に其の已に新たなる者に因りて、日日に之を新たにし、又日に之を新たにして、略々間斷有る可からざるべしとなり。
康誥に曰く、新たにするの民を作す、と。
之を鼓ち之を舞す、之を作と謂う。言うこころは、其の自ら新たにするの民を振い起こすとなり。
詩に曰く、周は舊邦なりと雖も、其の命惟れ新たなり、と。
詩は大雅文王の篇。言うこころは、周國舊たりと雖も、文王に至りて能く其の德を新たにし、以て民に及ぼして、始めて天命を受けりとなり。
是の故に君子は其の極を用いざる所無し。
自ら新たにし民を新たにするとは、皆至善に止まらんことを欲するなり。
右傳の二章。民を新たにするを釋く。

湯之盤銘曰云々。二月廿六日。殷の湯王の自分の徳をみがかれたことを云なり。湯王は學問で垩人になられた人なり。垩人と云ことははるかなことなれとも、是非ともああなりたいみて、そこでついに垩人に至られたぞ。ふだん戒に、たらいに銘をかかれた。今日のきゃしゃ風俗にするとは違ふことぞ。えやうにしたことではないぞ。苟と云が大事な文字なり。兎角ものをけれうにするは役にたたぬ。人みへにすることは苟とは云はぬそ。新は錆を落すやうなものなり。一念発起した當日を日新と云なり。それぎりにしてをいては又元のものになる。そこで日々に新なり。沐はもと髪を洗ふこと。浴はからだを洗ふことなり。武王抔も銘をかかれたこともあれとも、湯王から始りたことなり。自警はわすれるひまのないことなり。朔望に見ると云やふなことではないぞ。そこへにょっと起るとこから銘て戒るぞ。だたい人は親に孝な筈、君には忠節な筈な心なものなれとも、その心の時計がくるうたものなり。その悪をさら子ばならぬぞ。誠能は前の克明徳と同ことで、力を入てすることなり。
【解説】
「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。盤、沐浴之盤也。銘、名其器以自警之辭也。苟、誠也。湯以人之洗濯其心以去惡、如沐浴其身以去垢。故銘其盤。言誠能一日有以滌其舊染之汙而自新」の説明。これは湯王が自分の徳を磨いたことを言う。湯王は学問で聖人になった。彼は盥に銘を書いて、いつも戒めを忘れない様にした。
【通釈】
「湯之盤銘曰云々」。二月廿六日。殷の湯王が自分の徳を磨かれたことを言う。湯王は学問で聖人になられた人。聖人は遥かなことだが、是非ともああなりたいと見て、そこで遂に聖人に至られた。普段の戒めに、盥に銘を書かれた。それは今日の華奢風俗にするのとは違う。栄耀にしたことではない。「苟」というのが大事な文字である。とかくものを仮令にするのでは役に立たない。人見えですることは苟とは言わない。新は錆を落とす様なもの。一念発起した当日を「日新」と言う。それぎりにして置いてはまた元のものになる。そこで「日日新」である。「沐」は元髪を洗うこと。「浴」は体を洗うこと。武王なども銘を書かれたこともあったが、それは湯王から始まったこと。「自警」は忘れる閑のないこと。朔望に見るという様なことではない。にょっと起きるところから銘で戒める。そもそも人の心は親に孝な筈、君には忠節な筈だが、心の時計が狂う。その悪を去らなければならない。「誠能」は前の「克明徳」と同じことで、力を入れてすること。
【語釈】
・二月廿六日…天明六年(1786)丙午2月26日。
・克明徳…大学章句伝1。「康誥曰、克明德」。

當因其已新者云々。學問と云はた子い心でなければならぬぞ。日々にと云はうるさいことなり。なれともこの日々でなければ役にたたぬぞ。二日つづけたから今日はよかろうと云ことはないぞ。去によって、人の手水をつかふ抔でよく知れてをる。昨日手水をつかふたから今日はよいとは云はぬぞ。食事することなどで見てもよく知れてをるぞ。間断はないぞ。親が垢をつけて生みはせぬぞ。間断があるから垢が付ぞ。爰に一つ気を付てみるがよいぞ。明々徳の傳文ではないぞ。新民の傳文なり。なれとも新民らしいことはないが、これで新民のもようを合点するがよいぞ。此通りのことをすると民が新たになるぞ。去によって、医者がこれはをれがのむ益気湯じゃ、これは人にのませる益気湯と云ことはないぞ。そこで新民と云てぶんにはない。此通りのことを民へ及すことなり。
【解説】
則當因其已新者、而日日新之、又日新之、不可略有間斷也」の説明。学問は間断なくしなければならない。それは手水を使ったり食事をしたりするのと同じことである。これを自分がして民に及ぼすと新民となる。
【通釈】
「当因其已新者云々」。学問というものは細やかな心でしなければならない。日々にというのは煩いことだが、この日々でなければ役に立たない。二日続けたから今日はよいだろうと言うことはない。そこで、人が手水を使うことなどでもよくわかる。昨日手水を使ったから今日はよいとは言わない。食事をすることなどで見てもよくわかる。間断はない。親が垢を付けて生みはしない。間断があるから垢が付く。ここに一つ気を付けて見なさい。ここは明明徳の伝文ではない。新民の伝文である。新民らしいことはないが、これで新民の模様を合点しなさい。この通りのことをすると民が新たになる。医者が、これは俺が飲む益気湯だ、これは人に飲ませる益気湯だと言うことはない。そこで新民と言っても特別なことがあるのではない。この通りのことを民へ及ぼすこと。

康誥曰作新民云々。これは民の方で新にせふと云合点の者のことを云なり。三綱領の新民とは違ふ。これは上から読くだしなり。上の政のよいに服してよい合点でをる処を、其上へやれ精を出せ々々々々と気を付ることなり。走る馬に鞭なり。丁ど上戸か飲たいと思ふ処へ、何と一はいよいではないかと云やうなものなり。そこでよふござりませふと云なり。下戸ではうつらぬぞ。先王の代でも、一軒々々に尭舜が新にせよ々々々々と云てまはりはせまいぞ。鼓之舞之を、上て皷をうつと下で舞ふと云やふに見る説もあるが、それは直方先生がわるいとなり。そこで一つに見ることとなり。上で皷ち舞ふことなり。とと無理ををぜふでないことをみせたものなり。振起は手間のいらぬこととみるがよいぞ。櫻がさきかかりてをる処へ南風が吹てくるやうなものなり。江戸の花やが室へ入てさかせるやうなことではないぞ。明德新民と云ってもとど明徳に帰着することとみるがよいぞ。覇者などのほんのことでないと云も無理をふぜふなことを合点するがよいぞ。
【解説】
「康誥曰、作新民。鼓之舞之、之謂作。言振起其自新之民也」の説明。よい政に服してよい合点でいる処を、その上に精を出せと気を付ける。それは無理圧状でするのではない。
【通釈】
「康誥曰作新民云々」。これは民の方で新たにしようという合点の者のことを言う。三綱領の新民とは違う。これは上からの読み下しである。上のよい政に服してよい合点でいる処を、その上へやれ精を出せと気を付けること。走る馬に鞭である。丁度上戸が飲みたいと思う処へ、一杯飲もうと言う様なもの。そこで飲みましょうと言う。下戸では映らない。先王の代でも、堯舜が一軒毎に新たにしなさいと言って回りはしない。「鼓之舞之」を、上で鼓を打つと下で舞うという様に見る説もあるが、直方先生がそれは悪いと言った。そこで、一つに見る。上で鼓ち舞うこと。つまりは無理圧状でないことを見せたもの。「振起」は手間の要らないことだと見なさい。桜が咲きかかっている処へ南風が吹いて来る様なもの。江戸の花屋が室へ入れて咲かせる様なことではない。明徳新民と言ってもつまりは明徳に帰着することと見なさい。覇者などは本当のことでないと言うのも無理圧状だからだと合点しなさい。
【語釈】
・無理ををぜふ…無理圧状。無理に他人を圧服してやらせること。無理強いに屈服させること。

詩曰周雖舊邦云々。これは新の字をみせたものなり。新民の傳ゆへに新の字でかきつめたものなり。言周国云々。文王が克明德したゆへにその德が民へ及んだことなり。これが新民なり。そこで天もすててはをかれぬぞ。ころ々々と天下が文王へころげこんだぞ。大全者がここはよく気を付てをいたぞ。湯之盤にも自分の德をあらたにすることを云。康誥にも民が手前であらたになる合点なことを云。詩曰云々にも手前の德明にして、それから天の命を受たことを云。してみれば、一つも民を新たにしたことはないが、これで新民のもよふを合点するがよいと云てをいた。此説を直方先生がとられた。そこで此説が名高いことになりてをるぞ。是故君子云々。家内に朝起をさせると云法はないぞ。亭主が朝起ゆへに家中が朝起なり。至極になると人へひびくぞ。甲斐ないから人へひびかぬぞ。右傳之二章。釋新民。
【解説】
「詩曰、周雖舊邦、其命惟新。詩大雅文王之篇。言周國雖舊、至於文王能新其德、以及於民、而始受天命也。是故君子無所不用其極。自新新民、皆欲止於至善也。右傳之二章。釋新民。」の説明。文王が克く徳を明らかにしたので、その徳が民へ及んだ。これが新民であり、その結果、天下が文王に転げ込んだ。自分の徳が明らかだと人に響いて新民となる。
【通釈】
「詩曰周雖旧邦云々」。これは新の字を見せたもの。新民の伝なので新の字で書き詰めたもの。「言周国云々」。文王が克く徳を明らかにしたので、その徳が民へ及んだ。これが新民である。そこで天も捨てては置かない。ころころと天下が文王へ転げ込んだ。大全者がここはよく気を付けて置いた。湯の盤にも自分の徳を新たにすることを言い、康誥にも民が自分から新たになる合点を言い、詩曰云々にも自分の徳を明らかにして、それから天の命を受けたことを言う。この様に見ると、一つも民を新たにしたことはないが、これで新民の模様を合点するとよいと言って置いた。この説を直方先生が取られた。そこでこの説が名高いことになっている。「是故君子云々」。家内に朝起きをさせるという法はない。亭主が朝起きなので家中が朝起きである。至極になると人へ響く。甲斐ないから人へ響かない。「右伝之二章。釈新民」。


大学伝3
詩云、邦畿千里、惟民所止。
詩商頌玄鳥之篇。邦畿、王者之都也。止、居也。言物各有所當止之處也。
詩云、緡蠻黄鳥、止于丘隅。子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎。緡、詩作綿。
詩小雅綿蠻之篇。緡蠻、鳥聲。丘隅、岑蔚之處。子曰以下、孔子説詩之辭。言人當知所當止之處也。
詩云、穆穆文王、於緝熙敬止。爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信。於緝之於、音烏。
詩文王之篇。穆穆、深遠之意。於、歎美辭。緝、繼續也。熙、光明也。敬止、言其無不敬而安所止也。引此而言聖人之止、無非至善。五者乃其目之大者也。學者於此究其精微之蘊、而又推類以盡其餘、則於天下之事、皆有以知其所止而無疑矣。

詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僩兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。如切如磋者、道學也。如琢如磨者、自脩也。瑟兮僩兮者、恂慄也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。澳、詩作奧。澳、於六反。菉、詩作綠。猗、協韻、音阿。僩、下版反。喧、詩作咺。諠、詩作諼。並況晩反。恂、鄭氏讀作峻。
詩衛風淇澳之篇。淇、水名。澳、隈也。猗猗、美盛貌。興也。斐、文貌。切以刀鋸、琢以椎鑿。皆裁物使成形質也。磋以鑢鍚、磨以沙石。皆治物使其滑澤也。治骨角者、既切而復磋之。治玉石者、既琢而復磨之。皆言其治之有緒、而益致其精也。瑟、嚴密之貌。僩、武毅之貌。赫喧、宣著盛大之貌。諠、忘也。道、言也。學、謂講習討論之事。自脩者、省察克治之功。恂慄、戰懼也。威、可畏也。儀、可象也。引詩而釋之、以明明明德者之止於至善。道學自脩、言其所以得之之由。恂慄、威儀、言其德容表裏之盛。卒乃指其實而歎美之也。

詩云、於戲前王不忘。君子賢其賢而親其親。小人樂其樂而利其利。此以沒世不忘也。於戲、音嗚呼。樂、音洛。
詩周頌烈文之篇。於戲、歎辭。前王、謂文・武也。君子、謂其後賢・後王、小人、謂後民也。此言前王所以新民者止於至善、能使天下後世無一物不得其所、所以既沒世而人思慕之、愈久而不忘也。此兩節詠歎淫佚、其味深長。當熟玩之。

右傳之三章。釋止於至善。
此章内自引淇澳詩以下、舊本誤在誠意章下。
【読み】
詩に云う、邦畿千里は、惟れ民の止[お]る所、と。
詩は商頌玄鳥の篇。邦畿は、王者の都なり。止は、居るなり。言うこころは、物、各々當に止まるべき所の處有りとなり。
詩に云う、緡蠻[めんばん]たる黄鳥、丘隅に止まる、と。子曰く、止まるに於て、其の止まる所を知る。以て人として鳥に如かざる可けんや、と。緡は、詩に綿に作る。
詩は小雅綿蠻の篇。緡蠻は、鳥の聲。丘隅は、岑蔚の處。子曰く以下は、孔子詩を説けるの辭なり。言うこころは、人當に當に止まるべき所の處を知るべきなりとなり。

詩に云う、穆穆たる文王、於[ああ]緝熙[しゅうき]にして敬で止まれり、と。人の君と爲りては、仁に止まり、人の臣と爲りては、敬に止まり、人の子と爲りては、孝に止まり、人の父と爲りては、慈に止まり、國人と交わりては、信に止まれり。於緝の於、音は烏[お]なり。
詩は文王の篇。穆穆は、深遠の意。於は、歎美の辭。緝は、繼續なり。熙は、光明なり。敬で止まるは、言うこころは、其れ敬まざること無くして止まる所に安んぜりとなり。此を引きて、聖人の止まれる、至善に非ざること無きことを言えり。五の者は乃ち其の目の大なる者なり。學者此に於て其の精微の蘊を究めて、又類を推して以て其の餘を盡くさば、則ち天下の事に於て、皆以て其の止まる所を知ること有りて疑い無けん。

詩に云う、彼の淇[き]の澳[いく]を瞻れば、菉竹[りょくちく]猗猗[ああ]たり。斐有る君子は、切るが如く磋するが如く、琢[う]つが如く磨くが如し。瑟たり僩たり、赫たり喧たり。斐有る君子は、終に諠[わす]る可からず、と。切るが如く磋するが如しとは、學を道[い]うなり。琢つが如く磨くが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僩たりとは、恂慄なり。赫たり喧たりとは、威儀なり。斐有る君子は、終に諠る可からずとは、盛德至善、民の忘るること能わざるを道うなり。澳は詩に奧に作る。澳は、於六[うりく]の反。菉は、詩に綠に作る。猗は、協韻、音は阿。僩は、下版の反。喧は、詩に咺に作る。諠は、詩に諼に作る。並びに況晩の反。恂は、鄭氏讀みて峻に作る。
詩は衛風淇澳の篇。淇は、水名。澳は、隈なり。猗猗は、美盛の貌。興なり。斐は、文の貌。切は刀鋸を以てし、琢は椎鑿を以てす。皆物を裁ちて形質を成さしむるなり。磋は鑢鍚[りょとう]を以てし、磨は沙石を以てす。皆物を治めて其れをして滑澤ならしむるなり。骨角を治むる者は、既に切りて復た之を磋する。玉石を治むる者は、既に琢ちて復た之を磨く。皆其の之を治むること緒有りて、益々其の精を致すを言うなり。瑟は、嚴密の貌。僩は、武毅の貌。赫喧は、宣著盛大の貌。諠は、忘るるなり。道は、言うなり。學は、講習討論の事を謂う。自ら脩むるとは、省察克治の功なり。恂慄は、戰懼なり。威は、畏る可きなり。儀は、象[のっと]る可きなり。詩を引きて之を釋き、以て明德を明らかにする者の至善に止まることを明らかにす。學を道い自ら脩むるとは、其の之を得る所以の由を言う。恂慄と威儀とは、其の德容表裏の盛んなるを言う。卒わりに乃ち其の實を指して之を歎美するなり。

詩に云う、於戲[ああ]前王忘れず、と。君子は其の賢を賢として其の親を親とす。小人は其の樂を樂として其の利を利とす。此を以て世を沒して忘れざるなり。於戲は、音は嗚呼。樂は、音は洛。
詩は周頌烈文の篇。於戲は、歎の辭。前王は、文・武を謂うなり。君子は、其の後賢・後王を謂い、小人は、後民を謂うなり。此れ言うこころは、前王の民を新たにする所以の者は至善に止まりて、能く天下後世をして一物も其の所を得ざること無からしむ、既に世を沒して人々之を思い慕い、愈々久しくして忘れざる所以なりとなり。此の兩節は詠歎淫佚、其の味深く長し。當に熟々之を玩[あじわ]うべし。

右は傳の三章。至善に止まることを釋く。
此の章の内、淇澳の詩を引くより以下、舊本は誤りて誠意の章の下に在り。

詩云邦畿千里云々。これから段々至善のことをといたものなり。至善と云ものが人をよくするために建立したことでないと云ことをみせたものなり。何にも至善と云もの自然とあるなり。邦は国、幾はさかいのことなり。民所止ときいて、そんなら田舎には人はをりませぬかと云はきき下手と云ものなり。都には人があつまる者ゆへに所止と云たものなり。そこで都のことを都會と云なり。これは詩を作る人が大學に意がありて作たではないぞ。啇人が店をもとふと云ときに、武蔵野に店をもとふと云ものはないぞ。都へ出るはづなり。言物各云々。舟は水を行は車は陸をやるぞ。これがみなとどまるべき処なり。止るべき処へとどまらぬと門ちがいになるぞ。これが動ぬことなり。垩人が至善と云ものを建立したことではない。明德にも新民にも自然と止るべき処があるなり。
【解説】
「詩云、邦畿千里、惟民所止。詩商頌玄鳥之篇。邦畿、王者之都也。止、居也。言物各有所當止之處也」の説明。至善は何にでもある。それは聖人が建立したものではない。
【通釈】
「詩云、邦畿千里云々」。これからが段々と至善のことを説いたもの。至善というものは人をよくするすために建立したものではないということを見せたもの。何にでも至善というものが自然とある。「邦」は国、「幾」は境のこと。「民所止」と聞いて、それなら田舎には人はいないのですかと言うのは聞き下手というもの。都に人が集まるので所止と言ったもの。そこで都のことを都会と言う。これは、詩を作る人が大学に意があって作ったのではない。商人が店を持とうという時に、武蔵野に店を持とうと言う者はいない。都へ出る筈。「言物各云々」。舟は水を行き、車は陸を動く。これが皆止まるべき処である。止まるべき処へ止まらないと門違いになる。これが確かなこと。聖人が至善というものを建立したのではない。明徳にも新民にも自然と止まるべき処がある。

詩云緡蛮黄鳥は、何と云鳥かは知らぬが、緡蛮となく鳥なり。これを今の鶯じゃと云説もあり、鶯なら鶯にしたがよい。此よふなことは知れぬことなり。今こちの鶯がほうほけきょふとなくと云も法花宗の信仰な者の云出したことであろふが、何か知らぬがほうほけきょふとなくからそふも云たものなり。その鳥が人の手のとどく処へはとどまらぬぞ。丘隅の髙い処へとどまるぞ。そこで餌さしの手にも及ばぬぞ。岑蔚之処は古注なり。岑は高い処のことなり。蔚はしけりた処のことなり。欝は宇と通ず。言人當知云々。身持のわるいと云は止りどころをしらぬのなり。
【解説】
「詩云、緡蠻黄鳥、止于丘隅。子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎。緡、詩作綿。詩小雅綿蠻之篇。緡蠻、鳥聲。丘隅、岑蔚之處。子曰以下、孔子説詩之辭。言人當知所當止之處也」の説明。黄鳥は人の手の届く処へは止まらない。身持が悪いのは止まり処を知らないのである。
【通釈】
「詩云、緡蛮黄鳥」。何という鳥かは知らないが、緡蛮と鳴く鳥である。これを今の鴬だとする説もあり、鴬と言うのであれば鴬とすればよい。この様なことは知れないこと。今こちらの鴬がほうほけきょうと鳴くというのも法華宗の信仰な者が言い出したことだろうが、何故かは知らないがほうほけきょうと鳴くからその様にも言ったもの。その鳥は人の手の届く処へは止まらない。丘隅の高い処へ止まる。そこで餌差の手にも及ばない。「岑蔚之処」は古注である。岑は高い処のこと。蔚は茂った処のこと。蔚は宇に通じる。「言人当知云々」。身持が悪いというのは止まり処を知らないのである。
【語釈】
・餌さし…餌差。①鷹のえさとなる小鳥を黐竿でさして捕えること。また、その人。江戸幕府では、鷹匠の部下に属した職名。②小鳥を黐竿で捕えることを業とする者。

詩云穆々文王云々。これ迠は詩経を二首引て至善の自然なことを云ったもの。爰では至善をあかはだかにしてみせたものなり。扨其至善の上へなしと云になりては垩人より外はない。そこで文王を出したものなり。文王の御様子をみた処が、万端が皆至善につまりたことともなり。穆々はをのくらいこと。くらいと云て、まっくらなことではないぞ。奥深いことなり。上様の御持道具の様なものなり。一通りではないぞ。緝はもののつつくこと。熙はあきらかなことなり。あきらかと云ふは明德の明の字なり。いつもてりふりなしに明らかなことなり。敬止と聞ては垩人がつくへばなれのせぬやうなれとも、垩人と云ものは敬なものなり。尭典に放勲欽明と云もそれなり。そこで垩人の凡人と違ふも敬の処なり。をれは垩人じゃと、垩が鼻のさきへぶらさがるやうでは垩人とは云はれぬぞ。止の字はだたい助字なり。大學へ引ては止るとみたものなり。
【解説】
「詩云、穆穆文王、於緝熙敬止」の説明。至善な人として文王を出した。聖人は敬むもの。ここの「止」の字は助字なのだが、大学へ引く時は止まると見る。
【通釈】
「詩云、穆穆文王云々」。これまでは詩経を二首引いて至善の自然なことを言ったもの。ここは至善を赤裸にして見せたもの。さてその至善の上なしということになっては聖人より外はない。そこで文王を出した。文王の御様子を見た処が、万端が皆至善に詰まったものだった。穆穆は仄暗いこと。暗いと言っても真っ暗なことではないく、奥深いこと。上様の御持ちの道具の様なもので、一通りではない。「緝」はものの続くこと。「熙」はあきらかなこと。あきらかというのは明徳の明の字のこと。いつも照り降りなしに明らかなこと。「敬止」と聞いては聖人が机離れをしない様だが、聖人というものは敬なもの。堯典で「放勲欽明」と言うのもそれ。そこで聖人が凡人と違うのもこの敬の処である。俺は聖人だと、聖が鼻の先にぶらさがる様では聖人とは言えない。止の字はそもそも助字なのだが、大学へ引く時は止まると見たもの。

そこでその止と云ものをみせてくれろと云と、為人君止仁云々となり。至善と云ものは居りば々々々でかほつふりが違ふものなり。仁は仁の字なりと云て、出家が悪人迠へ衣をかけるやうなことではないぞ。わるいことをするやつはばたり々々々と首をきるぞ。それはどふしたものと云が、よいことをする人の邪魔をするやつゆへに首をきる。山嵜先生曰、首をきるまでが仁じゃとなり。そんなら義政と云さふなものじゃに仁政と云はどふなれば、もとが民が可愛がり、愛する意からをこることゆへに仁政と云たものなり。止敬。世にあのやふな人君はないと云やふに思ふことなり。すでに文王が紂王の大悪人を天王垩明と云れたぞ。止々と云が大學のせんさくなり。止慈。人の親がただ頬をなでてやる斗りが慈ではないぞ。あいつらものにしてやらふと云が慈の至極なり。与国人交云々。これは上の為人君止於仁のうちにありて何もかもすんだことじゃに、ここへも一つ国人と云ことのあるはどふなれば、丁ど近思彔に治教のあるやふなものなり。ただ至善々々と云てこれまでは至善の顔がしれなんだ。爰で始て至善の顔に近付になりたぞ。
【解説】
「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信。於緝之於、音烏。詩文王之篇」の説明。至善は居り場次第で顔振りが違うもの。ここで至善の顔がわかる。
【通釈】
そこでその止というものを見せてくれと言われれば、「為人君止仁云々」と答える。至善というものは居り場次第で顔振りが違うもの。仁は仁の字だと言っても、出家が悪人までへ衣を掛ける様なことではない。悪いことをする奴はばたりばたりと首を斬る。それはどうしたものかと言うが、よいことをする人の邪魔をする奴なので首を斬る。山崎先生が、首を斬るまでが仁だと言った。それなら義政と言いそうなものだが仁政と言うのはどうしたことかと言うと、本が民を可愛がり、愛する意から起こることなので仁政と言うのである。「止敬」。世にあの様な人君はないと言う様に思うこと。既に文王が紂王の大悪人を「天王聖明」と言われている。止々と言うのが大学の穿鑿である。「止慈」。人の親がただ頬を撫でるばかりが慈ではない。あいつ等をものにして遣ろうというのが慈の至極である。「与国人交云々」。これは上の「為人君止於仁」の内にあって何もかも済んだことだが、ここへも国人ということを一つ載せてあるのはどうしたことかと言うと、丁度近思録に治教のある様なもの。これまでは至善とは言っても、至善の顔がわからなかった。ここで始めて至善の顔に近付きになった。
【語釈】
・天王垩明…韓愈。羑里操。「臣罪當誅兮、天王聖明」。

深遠之意。垩人の德と云ものは、これはとどっとは子たことはないぞ。さかり塲でをどるやふにどっとほめるやうなことは本のことではないぞ。観世や宝生が能は格別なものなり。尊圓親王が、をれが手は人が何と云ぞ。甚だ人がほめますと云たれば、いや人がよいとほめるうちは本のことではないと云はれたぞ。敬と云が小笠原のけいこのやうにむりむたいにすり足をするではないが、敬と云が人の全体なり。安と云は至善が手前ものなり。言垩人之止云々。これは郷黨の篇と並べてみるがよいぞ。文王の徳と孔子の徳が符合してをるぞ。精微之蘊云々は伽羅をききわけるやふなものなり。今日の人は抹香と伽羅をききわけるなり。精微とは云はれぬぞ。蘊とはきるもののなかの綿のようなものなり。定めて綿もしろかろふが、つつもふれてをるからみることはならぬぞ。ここが小學の違ふ処なり。孝行と思ふことも、それでは孝行ではないと云が大學の献立道具なり。よく々々吟味してみると孝でないことになる。敬でないようなことに敬になることがある。それを精微之蘊と云なり。小學の孝行は小兒もなる。大學になりては至善ゆへに、孝と思はれぬことにも孝があることなり。これで至善に近付になりたとみるがよい。
【解説】
穆穆、深遠之意。於、歎美辭。緝、繼續也。熙、光明也。敬止、言其無不敬而安所止也。引此而言聖人之止、無非至善。五者乃其目之大者也。學者於此究其精微之蘊、而又推類以盡其餘、則於天下之事、皆有以知其所止而無疑矣」の説明。聖人の徳は深遠である。小学の孝行は子供にもできるが、大学は至善のことなので、孝とは思えないことも孝となる。
【通釈】
「深遠之意」。聖人の徳というものは、どっと跳ねたことはない。盛り場で踊る様にどっと誉める様なことは本当のことではない。観世や宝生の能は格別なもの。尊円親王が、俺の手を人は何と言うかと尋ねた。甚だ人が誉めますと言うと、いや、人がよいと誉める内は本当のことではないと言われた。敬というのは小笠原の稽古の様に無理無体に摺足をすることではないが、敬というのが人の全体である。「安」は至善が自分のものになったこと。「言聖人之止云々」。これは郷党の篇と並べて見るのがよい。文王の徳と孔子の徳とが符合している。「精微之蘊云々」は伽羅をきき分ける様なもの。今日の人も抹香と伽羅はきき分けるが、それを精微とは言えない。蘊とは着る物の中の綿の様なもの。きっと綿も白いだろうが、包まれているからそれを見ることはできない。ここが小学とは違う処。孝行と思うことでも、それでは孝行ではないというのが大学の献立道具である。よくよく吟味をしてみると孝でないことになる。敬でない様なことに敬になることがある。それを精微之蘊と言う。小学の孝行は子供にもできるが、大学になっては至善のことなので、孝とは思えないことにも孝がある。これで至善に近付きになったと見なさい。

詩云瞻彼淇澳云々は、其至善を我身に工夫することなり。自分の方の修行でよくなりたことを云なり。菉竹は、あを々々とみどりな色なり。有斐云々。竹のみごとのやうに、こちにもみごとな君子があるとなり。其君子がどふして君子になりたなれば、ぬれ手で粟をつかんだやうなことではない。学問を修行して君子になられたのなり。それを細工人にたとへて云たものなり。君子になるは殊の外手間のかかることなり。ものをよくすると云は細工人の道具の多いやうなものなり。小刀一夲ではいかぬことなり。この上はないと云やうにみがき上ることなり。瑟は心のみがきをすることなり。何でも心のみがきをすると云ふになりては火之用心をする者が釜どへ手を入ても安堵するやうなことを云なり。僩は手つよいことなり。ものにうつりかわると云はよはいからなり。盃に向へばかはる心哉は、よはいからなり。手つよく欲にひりつかぬなれば僩なり。赫は、瑟僩と云工夫をしたゆへに其德が外へかかやくで、こはい顔をしてみても、内がそれほどになければ人にあなどられるぞ。喧と云も赫とあまりもよふの違はぬことなり。朱子も一つに注をしてをかれたぞ。不可忘。なみ大抵なものは忘れるぞ。至極によいゆへにわすれられぬぞ。今日遊山にでも出たことで先年のが忘れられぬと云と同ことなり。これ迠が詩の詞なり。
【解説】
「詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僩兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮」の説明。学問を修行して君子になる。手強く磨きを掛けるのである。
【通釈】
「詩云、瞻彼淇澳云々」は、その至善を自分の身で工夫すること。自分の方の修行でよくなったことを言う。「菉竹」は、青々とした緑色である。「有斐云々」。竹が見事な様に、こちらにも見事な君子がいると言う。その君子がどうして君子になったのかと言うと、濡れ手で粟を掴んだ様なことではない。学問を修行して君子になられたのである。それを細工人にたとえて言った。君子になるのは殊の外手間の掛かること。ものをよくするというのは細工人の道具の多い様なもの。小刀一本ではうまく行かない。この上はないという様に磨き上げること。「瑟」は心の磨きをすること。何でも心の磨きをするということになっては、火の用心をする者が竃に手を入れて安堵する様なことを言う。「僩」は手強いこと。ものに移り変わるというのは弱いからである。盃に向かえば変わる心かなは、弱いからである。手強くして欲に引かれなければ僩である。「赫」は、瑟僩という工夫をしたのでその徳が外へ輝くこと。強い顔をしてみても、内がそれほどでなければ人に侮られる。「喧」も赫とあまり模様の違わないこと。朱子も一つに注をして置かれた。「不可諠」。並大抵のことは忘れる。至極によいから忘れられない。今日遊山にでも出たことで、先年のことが忘れられないと言うのと同じこと。これまでが詩の詞である。

これからは傳者の傳なり。自修は行のことなり。今迠の孝のしやうは足りぬ、今迠の忠義の仕様は足りぬと皆至善へつめることなり。恂慄はきっはりとした字注とは云はれぬが、よくあたりた文字なり。心と云ものは弓のやうなもので、弦をはづすとべろりとなり、弦を張るとりんとしてをるぞ。そこで心に工夫をすると恂慄で心が風を引ぬぞ。これは鄭玄が見出した。朱子も鄭玄がをかげですんだと云ほどのことなり。荘子に、木の上へのぼりてをるやふな底じゃとなり。不能忘は、わすれてみやれ、どうも忘れませぬと云のなり。去年なども参宮した者ともに五十三次を聞に皆忘れてをるが、大井川や冨士山はと云と忘れてはないぞ。不能忘也。鄭氏読作峻。これは鄭玄が手がらにすることなり。興也。あし引の山鳥乃尾のしだりをのなが々々し夜をひとりかもねんなどが興にあたるなり。其治之有緒と云が、皆至善へつめるにはこれほどの手間のかかることなり。嚴密は、ゆるやかな盗賊奉行たとはなの先に盗が居ぞ。人の心もそれで、厳密でないと胷のうちに欲と云盗がをるぞ。宣著盛大之皃。面ににぎらかに背に溢るがこれだと朱子も云てをかれたぞ。孔子の御様子をみると、皆人の心がかはりたそふなり。克治。水戸公つちを一つかいて、うち出ては世のあやまりは人こころおこるあたまをひしげ此つち。戦懼の注は鄭氏が読作峻と云からの注なり。此内には荘子もちと手傳てあるなり。其実は盛德至善と名のりかけたものなり。
【解説】
「如切如磋者、道學也。如琢如磨者、自脩也。瑟兮僩兮者、恂慄也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。澳、詩作奧。澳、於六反。菉、詩作綠。猗、協韻、音阿。僩、下版反。喧、詩作咺。諠、詩作諼。並況晩反。恂、鄭氏讀作峻。詩衛風淇澳之篇。淇、水名。澳、隈也。猗猗、美盛貌。興也。斐、文貌。切以刀鋸、琢以椎鑿。皆裁物使成形質也。磋以鑢鍚、磨以沙石。皆治物使其滑澤也。治骨角者、既切而復磋之。治玉石者、既琢而復磨之。皆言其治之有緒、而益致其精也。瑟、嚴密之貌。僩、武毅之貌。赫喧、宣著盛大之貌。諠、忘也。道、言也。學、謂講習討論之事。自脩者、省察克治之功。恂慄、戰懼也。威、可畏也。儀、可象也。引詩而釋之、以明明明德者之止於至善。道學自脩、言其所以得之之由。恂慄、威儀、言其德容表裏之盛。卒乃指其實而歎美之也」の説明。心に工夫をすると「恂慄」となって心が風邪を引かない。「厳密」でないと胸の内に欲が居据わる。
【通釈】
これからは伝者の伝である。「自修」は行のこと。今までの孝の仕様では足りない、今までの忠義の仕様では足りないと皆至善へ詰める。「恂慄」はきっぱりとした字注とは言えないが、よく当たった文字である。心というものは弓の様なもので、弦を外すとべろりとなり、弦を張ると禀としている。そこで心に工夫をすると恂慄で心が風邪を引かない。これは鄭玄が見出したこと。朱子も鄭玄の御蔭で済んだと言うほどのこと。荘子に、木の上へ登っている様な体だとある。「不能忘」は、忘れてみろと言われても、どうも忘れられませんということ。去年など参宮した者共は五十三次を聞いても皆忘れているが、大井川や富士山はと言うと忘れてはいない。それが不能忘也である。「鄭氏読作峻」。これは鄭玄の手柄にすること。「興也」。足引きの山鳥の尾のしだり尾の、ながながし夜をひとりかもねむなどが興に当たる。「其治之有緒」と言うのが、皆至善へ詰めるにはこれほどの手間が掛かるということ。「厳密」。緩やかな盗賊奉行では鼻の先に盗人がいる。人の心もそれで、厳密でないと胸の内に欲という盗がいることになる。「宣著盛大之貌」。面が賑賑しくて背に溢れるのがこれだと朱子も言って置かれた。孔子の御様子を見ると、人の心が皆変わったそうである。「克治」。水戸公がを一つ書いて、打ち出ては世の誤りは人心、起こる頭を拉げこの。「戦懼」の注は、鄭氏が読作峻と言ったことからの注である。この内には荘子も一寸手伝ってある。「其実」は盛徳至善と名乗り掛けたもの。
【語釈】
・荘子に、木の上へのぼりてをるやふな底…荘子斉物論。「木處則惴慄恂懼、猿猴然乎哉」。
水戸公

詩云於戯前王云々。前は至善に工夫のあることを云。ここは工夫はないぞ。賢其賢。孔子抔は文王武王からは五百年に生れた人なれとも、文武の道地に不墮と云て、とかく文武々々と云はれたぞ。新民が此やうにながもちがするぞ。小人云々。我がすぎはいのそれ々々になることを其利と云なり。此以没世云々。なぜ其様でごさると云に、至善につまりたからなり。歎辞云々。さうたい歎辞と云が一通りではてぬものなり。是は々々と花の吉野山なり。前王云々。朱子の此注の精しいことをみるがよいぞ。ここには謂文武とありて、前には鄭武公とは云ことが知れてをれとも、武公とは云はぬぞ。某が弁に、前はよみ人しらすなり。此言云々。管仲を孟子の功烈如彼陋と云が至善を知らぬからなり。詠歎と云は道理を身に得にはよいものなり。理屈と云ものは彼人ものを云付るやうなものなり。かしこまりたとは云が、詩ほどにはないものなり。詩はちっはりとしたことではなふで、ぶんに吟のあるものなり。右傳之三章。釈止於至善。
【解説】
「詩云、於戲前王不忘。君子賢其賢而親其親。小人樂其樂而利其利。此以沒世不忘也。於戲、音嗚呼。樂、音洛。詩周頌烈文之篇。於戲、歎辭。前王、謂文・武也。君子、謂其後賢・後王、小人、謂後民也。此言前王所以新民者止於至善、能使天下後世無一物不得其所、所以既沒世而人思慕之、愈久而不忘也。此兩節詠歎淫佚、其味深長。當熟玩之。右傳之三章。釋止於至善」の説明。孔子はよく文武のことを言った。それは新民が長く続いたからであり、それも至善が詰まったからである。
【通釈】
「詩云、於戯前王云々」。前は至善に工夫のあることを言うが、ここに工夫はない。「賢其賢」。孔子などは文王武王からは五百年後に生まれた人だが、文武の道は地に堕ちずと言って、とかく文武と言われた。新民がこの様に長持ちする。「小人云々」。自分のすぎはいのそれぞれになることを「其利」と言う。「此以没世云々」。何故その様だったのかと言うと、至善に詰まったからである。「歎辞云々」。総体、歎辞というのは一通りでは出ないもの。これはこれはとばかり花の吉野山である。「前王云々」。朱子のこの注の精しいことを見なさい。ここには「謂文武」とあり、前王は鄭玄も武公のことだとわかっていたのだが、武公とは言わなかった。私の弁だが、前のは詠み人知らずである。「此言云々」。管仲を孟子が「功烈如彼其卑」と言ったのが至善を知らないからのこと。「詠歎」は、道理を身に得るにはよいもの。理屈というものは人にものを言い付ける様なもの。畏まったとは言うが、詩ほどではないもの。詩はきっぱりとしたことではなくて、別に味のあるもの。「右伝之三章。釈止於至善」。
【語釈】
・文武の道地に不墮…論語子張22。「衞公孫朝問於子貢曰、仲尼焉學。子貢曰、文武之道、未墜於地、在人。賢者識其大者、不賢者識其小者。莫不有文武之道焉。夫子焉不學、而亦何常師之有」。
・是は々々と花の吉野山…安原貞室。これはこれはとばかり花の吉野山。
・功烈如彼陋…孟子公孫丑章句上1。「管仲得君如彼其專也。行乎國政如彼其久也。功烈如彼其卑也」。


大学伝4
子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎。無情者不得盡其辭。大畏民志。此謂知本。
猶人、不異於人也。情、實也。引夫子之言、而言聖人能使無實之人不敢盡其虚誕之辭。蓋我之明德既明、自然有以畏服民之心志。故訟不待聽而自無也。觀於此言、可以知本末之先後矣。
右傳之四章。釋本末。
此章舊本誤在止於信下。
【読み】
子曰く、訟を聽くこと、吾猶人のごときなり。必ずや訟無からしめんか、と。情無き者は其の辭を盡くすことを得ず。大いに民の志を畏れしむ。此を本を知ると謂う。
猶人のごとしとは、人に異ならざるなり。情は、實なり。夫子の言を引きて、聖人は能く實無きの人をして敢て其の虚誕の辭を盡くさざらしむるを言う。蓋し我の明德既に明らかなれば、自然に以て民の心志を畏服すること有り。故に訟は聽くことを待たずして自ら無し。此の言を觀て、以て本末の先後を知る可し。
右は傳の四章。本末を釋く。
此の章は、舊本は誤りて止於信の下に在り。

子曰聴訟吾猶人也云々。こちの德があらたゆへに訟がない。我は寐て、家来は朝起をさしよふと云手くろではいかぬぞ。蓋我之明徳云々。人君、手前の身を脩めずに人を治めよふとするからいかぬ。右傳之四章。釈本末。本末を知らぬと明徳新民もいかぬぞ。
【通釈】
「子曰、聴訟、吾猶人也云々」。こちらの徳が新たなので訟がない。自分は寝ていて、家来には朝起きをさせようと言う様な手くろでは悪い。「蓋我之明徳云々」。人君が、自分の身を修めずに人をよく治めようとするからうまく行かない。「右伝之四章。釈本末」。本末を知らないと明徳新民もうまく行かない。
【語釈】
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管。


大学伝5
此謂知本。程子曰、衍文也。
此謂知之至也。此句之上別有闕文、此特其結語耳。
右傳之五章。蓋釋格物、致知之義、而今亡矣。此章舊本通下章、誤在經文之下。閒嘗竊取程子之意以補之曰、所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在即物而窮其理也。蓋人心之靈莫不有知、而天下之物莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也。是以大學始敎、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理而益窮之、以求至乎其極。至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用無不明矣。此謂物格、此謂知之至也。
【読み】
此を本を知ると謂う。程子曰く、衍文なり、と。
此を知ること之至ると謂うなり。此の句の上に別に闕文有り、此れ特[ただ]其の結語のみ。
右は傳の五章。蓋し物に格り、知ることを致むるの義を釋きて、今亡びぬ。此の章、舊本は下章に通じて、誤りて經文の下に在り。閒[このごろ]嘗[こころ]みに竊かに程子の意を取りて以て之を補いて曰く、謂う所の知ることを致むることは物に格るに在りとは、言うこころは、吾が之知ることを致めんと欲せば、物に即きて其の理を窮むるに在りとなり。蓋し人心の靈は知ること有らざること莫くして、天下の物は理有らざること莫し。惟理に於て未だ窮めざること有り、故に其の知ること盡くさざること有り。是を以て大學の始めの敎は、必ず學者をして凡そ天下の物に即きて、其の已に知るの理に因りて益々之を窮めて、以て其の極に至らんことを求めざること莫からしむ。力を用うること久しくして、一旦豁然として貫通するに至りては、則ち衆物の表裏精粗到らざること無くして、吾が心の全體大用明らかならざること無し。此を物格ると謂い、此を知ること之至ると謂うなり、と。

此謂知本。このやうなことは惣体の文勢でしれること。二つ重子ても衍文でもなひがある。論語に人焉廋哉と云などは衍文とは云はれぬぞ。たとへば用がありて人の内へ二度ゆくはよいが、年始の礼二度行てはつまらぬぞ。二度めは一盃きげんときこへるぞ。なぜ某大全者のやうに長いことを云なれば、これが大学のとりあつかいなり。経文の終に字数迠をしてをくと同しことなり。此謂知之至。大學の闕文と云がここのことなり。此句之止云々。これが考なり。今日のちょっとした書付で云へば、右之通慥に請取申候と斗あるやうなものなり。ぬけてもそれでをかれる処あるなり。ここは欠てはすまぬ処なり。大學は道中記のやふなものじゃと云。その品川のなひことなり。とかく品川と云て、品川が無から爰が欠てはどふもならぬそ。そこで朱子のいこふ骨を折られたぞ。つかまへ処は結語なり。そこで朱子の補れたものなり。
【解説】
「此謂知本。程子曰、衍文也。此謂知之至也。此句之上別有闕文、此特其結語耳」の説明。ここが大学の闕文である。ここは闕けてはならないので、そこで朱子が補われた。
【通釈】
「此謂知本」。この様なことは総体の文勢でわかること。二つ重ねても衍文でもないことがある。論語にある「人焉廋哉」などは衍文とは言えない。たとえば用があって人の家へ二度行くのはよいが、年始の礼に二度行っては詰まらない。二度目は一盃機嫌と聞こえる。何故私が大全者の様に長いことを言うかと言うと、これが大学の取り扱いなのである。経文の終わりに字数までを書いて置くのと同じこと。「此謂知之至也」。大学の闕文がここのこと。「此句之止云々」。これが考えである。今日の一寸した書付で言えば、右の通り慥かに請取り申し候とばかりある様なもので、抜けていてもそれで通る処もあるが、ここは欠けては済まない処である。大学は道中記の様なものだと言うが、その品川がないこと。とかく品川と言い、品川がないからここが欠けてはどうにもならない。そこで朱子が大層骨を折られた。掴まえ処は「結語」である。そこで朱子が補われた。
【語釈】
・人焉廋哉…論語為政10。「子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉」。
・経文の終に字数迠をしてをく…大学経1の最後に「凡二百五字」「凡千五百四十六字」とある。

右傳之五章云々。これはたしかにかうあるべきことなれとも、孔子の処から直にきひて来たやうにも云はれぬから、蓋なり。今亡。浅見先生の弁に、人の首のないやふなものとなり。そこでこれを打やってをけばあとの大學が動ぬぞ。これらも先朱子の平生をしるがよいぞ。朱子は補と云ことはいかい嫌ひなり。どうもここはかか子ばならぬぞ。間嘗云々。朱子の補を作りかかるときを間と云なり。嘗はをず々々もので云意なり。これは山﨑先生の丁寧に点をつけてをかれた。皆證拠があって云ことなり。間は史記十巻孝文本記にあり、嘗は孟子梁惠王にあり、浅見先生はままかつてと点をなをしたぞ。これも間嘗のせうこがあまりないからなり。せうこをとりて云へば、やはり山崎先生の方がよいぞ。扨朱子のこの補傳と云ものが久いことで、往来放心三十年と云ことなり。なれとも、心に往来すること三十年でもかきかかる処を間と云たものなり。取程子之意。先格物致知と云ことは程子から明になりたぞ。退之ほどのものなれとも、誠意正心から先きのことは言道にあれとも、格物致知は云てないぞ。程子之意と云て、辞は取てないぞ。これが取やうの上手と云ものなり。きっとした證拠を云ときは者の字がいるぞ。金十两者と云者の字と同ことなり。
【解説】
「右傳之五章。蓋釋格物、致知之義、而今亡矣。此章舊本通下章、誤在經文之下。閒嘗竊取程子之意以補之曰、所謂致知在格物者」の説明。格物致知は、韓退之ほどの人でも言っていない。程子から明らかになったのである。
【通釈】
「右伝之五章云々」。これは確かにこの様にあるべきことだが、孔子の処から直に聞いて来た様にも言えないから、「蓋」である。「今亡」。浅見先生の弁に、人の首のない様なものだとある。そこでこれを打ち遣って置けば後の大学は動かない。これらも先ず朱子の平生を知るのがよい。朱子は補ということは大層嫌いである。しかし、ここはどうも書かなければならない。「間嘗云々」。朱子が補を作り掛かる時を間と言う。嘗はおずおずものでいう意である。これを山崎先生が丁寧に点を付けて置かれたが、皆証拠があって言ったこと。間は史記十巻孝文本記にあり、嘗は孟子梁恵王にあり、浅見先生はままかつてと点を直した。これも間嘗の証拠があまりないからである。証拠を取って言えば、やはり山崎先生の方がよい。さて朱子のこの補伝というものが久しいことで、「往来放心三十年」である。しかし、心に往来することが三十年でも書き掛かる処を間と言ったもの。「取程子之意」。先ず格物致知ということは程子から明らかになった。韓退之ほどの者でも、誠意正心から先のことは原道にあるが、格物致知のことは言ってはいない。程子之意とは言うが、辞は取ってはいない。これが取り様の上手というもの。はっきりとした証拠を言う時は「者」の字が入る。金十両者という者の字と同じこと。
【語釈】
・間は史記十巻孝文本記…「閒者累年、匈奴並暴邊境、多殺吏民、邊臣兵吏又不能諭吾内志、以重吾不德也」。
・嘗は孟子梁惠王にあり…孟子梁恵王章句上7。「我雖不敏、請嘗試之」。

言ろは、これも浅見先生の点に言ふと斗りなり。なぜなれば、言ろはと云て語意がぬるいぞ。欲致吾之知云々。致知格物はとなり合せの工夫なり。それはどふなれば、知はこちにあるもの、物は向にあるものなり。そこを向の物に至るとこちの知が致ぞ。吾の字をわすれすにみることなり。浅見先生の、今日の學者は書物箱学問じゃとなり。論語がなんだと云ても我胷はひらけずに書物を出してすます。そこで吾と云字を親切に一つすましてをくことなり。即物は物をとりにがさぬことなり。其は物の字をさすぞ。物と云と一つ道具のやふに思ふが、物猶事と前に注してをくぞ。親と云、君と云は物なり。これを物と云て親の君のと云をすりはちのやふに思ふは物の字の文義がすまぬのなり。物と云は何でもこちの相手になる処で云たものなり。こんなことを云も何からなれば、みな心からなり。心と云と仁義礼智と云ものをそなへてをるぞ。そこで惻隱之心云々なり。そこでなぜ惻隱云々と云ものがあるぞと致めることなり。何でもあらゆるものをのこさず云ことなり。かふ云で親と云ことがよくすめるぞ。よく々々なことで、ごみ迠理がある。ごみは理はありそふもないものじゃに、ごみにもすてると云理があるなり。一つ鳩巣の手柄を申ふこと。太極も物じゃとなり。これが面白いことで、鳩巣抔の學問のよいもこれらで知れるぞ。太極と云は形而上のことなり。それを物と云はどふなれば、太極も一つすまそふとして太極を相手にするときは、太極も物なり。仁義礼智もものなり。そこで浅見先生が物の説と云ものをかかれたぞ。
【解説】
「言欲致吾之知、在即物而窮其理也」の説明。致知格物は隣合せの工夫である。向こうの物に格るとこちらの知が致まる。物は「物猶事」であって、擂鉢の様なことではない。自分の心の相手となるものを言う。そこで仁義礼智も物であり、鳩巣は太極も物だと言った。
【通釈】
「言」は、これも浅見先生の点に言うとだけある。それは何故かと言うと、言うこころはと言っては語意が温いからである。「欲致吾之知云々」。致知格物は隣合せの工夫である。それはどういうことかと言うと、知はこちらにあるもので、物は向こうにあるもの。そこを向こうの物に格るとこちらの知が致まるからである。「吾」の字を忘れずに見なさい。浅見先生が、今日の学者は書物箱学問だと言った。論語が何だと言っても自分の胸は開けずに書物を出して済ます。そこで吾という字を親切に一つ済まして置かなければならない。「即物」は物を取り逃がさないこと。「其」は「物」の字を指す。物と言うと一つ道具の様に思うが、「物猶事」と前に注をして置いてある。親や君は物である。これを物だと言って親や君を擂鉢の様に思うのは物の字の文義が済まないからである。物とは、何でもこちらの相手になる処で言ったもの。この様なことを言うのは何からかと言うと、皆心からである。心と言えば仁義礼智というものを備えているもの。そこで「惻隠之心云々」である。そこで何故惻隠云々というものがあるのかと致めるのである。何でもあらゆるものを残さずに言う。この様に言うので親ということがよく済める。よくよくなことで、塵までに理がある。塵には理はありそうもないものだが、塵にも捨てるという理がある。一つ鳩巣の手柄を申そう。太極も物だと言った。これが面白いことで、鳩巣などの学問がよいのもこれらで知れる。太極は形而上のこと。それを物と言うのはどうしてかと言うと、太極も一つ済まそうとして太極を相手にする時は、太極も物である。仁義礼智も物である。そこで浅見先生が物の説というものを書かれた。
【語釈】
・物猶事と前に注してをく…大学経1を指す。
・惻隱之心…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也」。

葢人心之灵云々。仁王抔がいくら大きくても灵はないぞ。人心と云ものはいきものなり。そこを灵と云なり。そこで何でもかでもしれるぞ。二つ三つになる當歳がもふ親と云ことを知ぞ。然ば人の心の本体は知ると云に出来たものなり。その知るも相手なしにしることはない。その相手と云がものなり。相手ないものを知ふと云と、佛者の暗の夜になかぬ鳥の声きこふと云やふになるぞ。南風が吹てくると南風と知り、北風が吹と北風と知る。しかれば向の相手なしに知るではなく、向の相手をとっこにとりて知ることなり。詩経に有物有則となり。心は鏡のやうなものなり。てらぬ役なものなり。仏者が観心をするの坐禅するのと云ても、向ふのものをすててかかるから何でも埒はないぞ。云へば道を云やうなものなり。是以。むりな教はないはづなり。是以と云字が前がすま子ば云はれぬ。大學始教。これは礼記の樂記に出と室氏が出処を出して云てをかれたが、爰で出処を云に及まいぞ。これは大學のつっかけの教と云ことなり。
【解説】
「蓋人心之靈莫不有知、而天下之物莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也。是以大學始敎」の説明。人心は生きているものなので霊と言う。人の心の本体には知るということがある。その知には相手が必要である。相手なしに知ろうとするのでは仏の様になる。
【通釈】
「蓋人心之霊云々」。仁王などはいくら大きくても霊はない。人心は生き物である。そこを霊と言う。そこで何もかも知れる。二つ三つになる当歳がもう親ということを知る。それなら人の心の本体は知るという様にできたもの。その知ることも相手なしに知ることはない。その相手というのが物である。相手がなくてものを知ろうと言うと、仏者が暗の夜に鳴かない鳥の声を聞こうという様になる。南風が吹いて来ると南風と知り、北風が吹くと北風と知る。それなら、向こうの相手なしに知るのではなく、向こうの相手を独鈷に取って知ること。詩経に「有物有則」とある。心は鏡の様なもので、照らすのが役である。仏者が観心をするとか座禅をすると言っても、向こうの物を捨てて掛かるから何も埒はない。言えば道を言う様なもの。「是以」。無理な教えはない筈。是以という字は前が済まなければ言えないもの。「大学始教」。これは礼記の学記に出ていると室鳩巣が出処を出して置かれたが、ここで出処を言うには及ばないだろう。これは大学の最初の教えということ。
【語釈】
・有物有則…詩経大雅烝民の語。
・大學始教…礼記学記。「大學始教、皮弁祭菜、示敬道也」。

必の字が教の動ぬことなり。凡天下云々。道理の上から云ことなり。初から禁好物を出すことでないぞ。何でもこれはいらぬとうちやることはないぞ。かふ聞と學者が肝をつぶすが、これが格物のなりなり。幅をちいさくせぬ云やうなり。凡天下之物と云字へ小く札を打てまはることではないぞ。大きいことだが残らずこふすると云ことでもなし。又、さうはならぬとすてることでもない。凡天下之物と云は何でもすてぬことで、已知は、これで相応に知りてをることを云なり。前に知猶識と云なり。孔門ても顔子のやうなものもあり、子路のやうなものもあるなり。皆それ相応にしりてをることなり。今日學者もそれ相応の已知はあるぞ。そこを浅見先生の云、鍬をかつぐ田夫野人までが已知と云ことはもってをるとなり。これを小學で知りた知と云説もあり、又、良知と云説もあるなり。それを浅見先生の、そのやうに説をつけるはわるい、何であろふとそれ相応に知りてをることを已知と云こととなり。其極は、これからさきに知りやふはないと云処にまで知ることなり。親は大切と云は知ってをるが、それでも親がこごとを云と腹を立ぞ。すれば本に知たとは云はれぬぞ。君は大切とは知ってはをれとも、何ぞ気に入らぬことがあると、鎌倉ばかりは日はてらぬと云。すれば俗人の知りたと云はあぶない知りやふなり。皆きたへぬ知じゃからなり。極は火のあつい水のつめたいと云やうにしることなり。水火ばかりほんとふに知りぬいたのなり。ここが大學の教へでなまにんじゃくなことはないぞ。忠のことでも孝のことでも、小學の善行のうちにはあまりどっともせぬ忠孝もあるぞ。大學は献上道具ゆへに一点のごまさびありてもならぬぞ。
【解説】
「必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理而益窮之、以求至乎其極」の説明。「凡天下之物」は、何であっても捨てないこと。「已知」は、相応に知っていること。それを極限まで鍛え致めるのである。
【通釈】
「必」の字が教えの確かなこと。「凡天下云々」。道理の上から言ったこと。初めから禁好物を出すことではない。何であっても、これは要らないと打ち遣ることはない。この様に聞くと学者が肝を潰すが、これが格物の姿である。幅を小さくしない言い様である。凡天下之物という字は小さく札を打って回ることではない。大きいことだが、残らずこうするということでもない。また、そうではならないと捨てることでもない。凡天下之物は何でも捨てないことで、「已知」は、これで相応に知っていることを言う。前に「知猶識」と言う。孔門でも顔子の様な者もいて、子路の様な者もいるが、皆それ相応に知っているということ。今日の学者もそれ相応の已知はある。それが浅見先生の言う、鍬を担ぐ田夫野人までが已知ということは持っているということ。これを小学で知った知だと言う説もあり、また、良知だと言う説もある。それを浅見先生が、その様に説を付けるのは悪い、何であろうとそれ相応に知っていることを已知と言うと言った。「其極」は、これから先に知り様はないという処まで知ること。親は大切ということは知っているが、それでも親から小言を言われると腹を立てる。それなら本当に知ったとは言えない。君は大切とは知っているが、何か気に入らないことがあると、鎌倉ばかりは陽は照らないと言う。それなら俗人が知ったと言うのは危ない知り様である。それは皆鍛えない知だからである。極は火が熱く水が冷たいという様に知ること。水火ばかりが本当に知り抜いたこと。ここが大学の教えで生忍辱なことはない。忠のことでも孝のことでも、小学の善行の内にはあまり感心しない忠孝もある。大学は献上道具なので、一点の胡麻錆があってもならない。
【語釈】
・知猶識…大学経1の語。

用力之久而云々。程子の語によい語あり。今日行一事明日弁一理云々と云ことは小學にものりてありて久しい間なり。ぼていふりの仕出すなどが皆これからなり。今日きはめ明日きはめて退屈せぬことを云なり。知もあがるはづなり。大學が一行りきくと一行りだけ心が開てくるぞ。一旦豁然は、いつかよくなる一日があるなり。一旦はずんと大叓な文字なり。思掛ないことを云ではないぞ。存じかけのあることなり。今日つみ明日つみて一日ひらけることなり。禅坊主の悟りのやふなことは存じもよらぬことの開けるを云が、さうではない。此一旦と云は女の産をするやうなものなり。十月もすんでふと安産したやふなものなり。あんじるよりうむが安いと云なり。豁然は某抔は覚へもないことなれとも、書物のすまぬ人が書物へ向たときは、首の坐へでもなをりたやふに思ふものなり。又、講釈もしなれぬ者などの見臺へなをりたときはどふもならぬもの。根がすむとくはら々々々とすむ。貫通は一貫と云と同ことなり。学問があがると、用事が出来て大學の講釈を一坐かけてもそれを残念なと云ことではないぞ。
【解説】
「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉」の説明。今日致め、明日致めることを続ければ知も上がる筈。そして「一旦豁然」でよくなる日が来る。一旦は下積みがあって言うこと。「貫通」は一貫と同じ。
【通釈】
「用力之久而云々」。程子の語によい語がある。「今日行一事明日弁一理云々」ということは小学にも載っていて久しい間のことである。棒手振が仕出すなどが皆これからである。今日致めて明日致め、退屈しないことを言う。それなら知も上がる筈である。大学が一下り効くと一下りだけ心が開いて来る。「一旦豁然」は、いつかよくなる一日があるということ。一旦は非常に大事な文字である。思い掛けないことを言うのではない。存じ掛けたことがあること。今日蘊み明日蘊んで一日開けること。禅坊主の悟りの様なことは存じも寄らないことが開けることを言うが、そうではない。この一旦とは女が産をする様なもの。十月も済んでふと安産した様なもの。案じるより産むが安しと言う。豁然は、私などは覚えもないことだが、書物の済まない人が書物へ向かった時は、首の座へでも直った様に思うもの。また、講釈もし慣れない者などが見台へ直った時はどうにもならないもの。根が済むとがらがらと済む。「貫通」は一貫と同じこと。学問が上がると、用事ができて大学の講釈を一座欠けたとしても、それを残念だと言う様なことはない。
【語釈】
・今日行一事明日弁一理…小学外篇嘉言87。「呂氏童蒙訓曰、今日記一事、明日記一事、久則自然貫穿。今日辨一理、明日辨一理、久則自然浹洽。今日行一難事、明日行一難事、久則自然堅固渙然冰釋、怡然理順。久自得之。非偶然也」。
・一貫…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之」。

表裏はうらと表のやふなものなり。表と云へば誰れもかれも知ってをるもののことなり。親を大切にすると云ことは誰れも知てをれとも、それに裏と云理があるなり。親の云なりになると云が表なり。ときによっては親の云ふなりになられぬことがあるなり。これが小學では知れぬことなり。皆これ表のうらに理があるなり。医者も表裏を合点せぬうちは下手なり。精粗は、管仲や顔子のやうなものをたとへて云へば、管仲を仁とゆるされたは粗なり。又、くはしいと云になりては、顔子のやふなものを三月不違仁と云なり。道理には精と云粗と云理があるなり。浅見先生が、これは表裏とすへて精粗としてもよし、又、精粗とすべて表裏としてもよいとなり。全体云々。大文字筆を柱へかけてをく処は体なり。それからとって千文字をかくは用なり。全体大用と云がありて、道理をきはめぬ体用は小い体用なり。蝋燭でものをさがすやうなもの。えんの下迠あかるいぞ。そこで全と云大と云なり。これはどふしたことなれば、向の方がすむと此通りにあきらかになるぞ。そこで、物と心がつれ立て明になることとみることなり。昼は目の明な人のやうなものなり。夜は眼病やみも同ことなり。こちの知で、向の物でこちの知が明になることなり。これが學の入口の処で、つっかけの工夫で大事の処なり。
【解説】
「則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用無不明矣。此謂物格、此謂知之至也」の説明。表は誰もが知っていることだが、その裏に理がある。管仲を仁と言うのは粗であり、顔子を「三月不違仁」と言うのは精である。筆は体であり、それで書くことは用である。向こうの物が知で済むと、こちらの知も明らかになる。これが学問の最初の工夫である。
【通釈】
「表裏」は裏と表の様なもの。表と言えば誰も彼もが知っているもののこと。親を大切にするというとは誰れもが知っているが、それに裏という理がある。親の言いなりになるというのが表である。時によっては親の言いなりになれないことがある。これが小学では知れないこと。皆これが、表の裏に理があるのである。医者も表裏を合点しない内は下手である。「精粗」。管仲や顔子の様な者をたとえて言えば、管仲を仁と許されたのは粗である。また、精しいということになっては、顔子の様な者を「三月不違仁」と言う。道理には精と言い粗と言う理がある。浅見先生が、これは表裏と総べて精粗としてもよい、また、精粗と統べて表裏としてもよいと言った。「全体云々」。大文字筆を柱へ掛けて置く処は体である。それから取って千文字を書くのは用である。「全体大用」ということがあって、道理を致めない体用は小さい体用である。蝋燭で物を探す様なもの。縁の下までが明るい。そこで全と言い大と言う。これはどうしたことかと言うと、向こうの方が済むとこの通りに明らかになる。そこで、物と心とが連れ立って明らかになることと見るのである。昼は目の明な人の様なもの。夜は眼病病みも同じこと。こちらの知で、向こうの物でこちらの知が明らかになる。これが学の入口の処で、最初の工夫で大事な処である。
【語釈】
・管仲を仁とゆるされた…論語憲問17。「子路曰、桓公殺公子糾、召忽死之。管仲不死。曰、未仁乎。子曰、桓公九合諸侯、不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁」。
・三月不違仁…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。