道学標的

道學標的序
孔曾思孟之後、接其道統者、周程張朱也。吾人所學、豈外此而他求乎。俗學者流不知所求道者、固置而無論焉。雖或有稱實學聖賢者、而於道不知所向、則徒局于謹厚拘滯之域耳。亦何足與議於道學哉。今實學聖賢而欲造其道、則又不可以不識聖學之要歸矣。因竊略舉聖賢之言關於此者、以僃諸講學用力之標的云。
正德壬辰季夏日 佐藤直方謹識

【読み】
孔曾思孟の後、其の道統を接ぐ者は、周程張朱なり。吾人の學ぶ所は、豈此を外にして他に求めんや。俗學者流、道を求むるを知らざる者は、固より置いて論ずる無し。或いは實に聖賢を學ぶと稱する者有りと雖も、而れども道に於て向かう所を知らざれば、則ち徒に謹厚拘滯の域に局するのみ。亦何ぞ與に道學を議すに足らんや。今實に聖賢を學んで其の道に造らんと欲せば、則ち又以て聖學の要歸を識らざる可からず。因りて竊に聖賢の言、此に關る者を略舉し、以て諸々を講學力を用うるの標的に僃うと云う。
正德壬辰季夏日 佐藤直方謹識

道学標的
1
論語曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。十室、小邑也。忠信如聖人、気質之美者也。夫子生知而未嘗不好學。故言此以勉人。言美質易得、至道難聞。學之至、則可以爲聖人。不學、則不免爲鄕人而已。可不勉哉。
【読み】
論語に曰く、十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の學を好むに如かず。十室、小邑なり。忠信聖人の如きは、気質の美なる者なり。夫子生知にして未だ嘗て學を好まずんばあらず。故に此を言いて以て人を勉めしむ。言うこころは美質得易く、至道は聞き難し。學の至りは、則ち以て聖人と爲る可し。學ばざれば、則ち鄕人爲るを免れざるのみ。勉めざる可けんや。

2
又曰、朝聞道、夕死可矣。道者、事物當然之理。苟得聞之、則生順死安、無復遺恨矣。朝夕、所以甚言其時之近。○程子曰、言人不可以不知道。苟得聞道、雖死可也。又曰、皆實理也。人知而信者爲難。死生亦大矣。非誠有所得、豈以夕死爲可乎。
【読み】
又曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。道は、事物當然の理。苟くも之を聞くを得ば、則ち生きるに順い死するに安し、復た遺恨無し。朝夕は、其の時の近きを甚だしく言う所以なり。○程子曰く、言うこころは、人以て道を知らざる可からず。苟くも道を聞くを得ば、死すと雖も可なり。又曰く、皆實理なり。人知って信ずるを難しと爲す。死生も亦大なり。誠に得る所有るに非ざれば、豈に夕に死するを以て可と爲さんや。

3
大學曰、大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。大學者、大人之學也。明、明之也。明德者、人之所得乎天、而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也。但爲氣禀所拘、人欲所蔽、則有時而昏。然其本體之明、則有未嘗息者。故學者當因其所發而遂明之、以復其初也。新者、革其舊之謂也。言既自明其明德、又當推以及人、使之亦有以去其舊染之汙也。止者、必至於是而不遷之意。至善、則事理當然之極也。言明明德、新民、皆當止於至善之地而不遷。葢必其有以盡夫天理之極、而無一毫人欲之私也。此三者、大學之綱領也。
【読み】
大學に曰く、大學の道、明德を明かにするに在り、民を親にするに在り、至善に止まるに在り。大學は、大人の學なり。明は、之を明にするなり。明德は、人の天に得る所にして、虚靈不昧、以て衆理を具えて萬事に應ずる者なり。但、氣禀に拘ずる所、人欲に蔽われる所を爲すは、則ち時として昏む有り。然るに其の本體の明は、則ち未だ嘗て息まざる者有り。故に學者當に其の發する所に因りて遂に之を明にし、以て其の初に復すべし。新は、其の舊を革むるの謂なり。言うこころは、既に自ら其の明德を明にし、又當に推して以て人に及し、之をして亦以て其の舊染の汙を去るを有らしむるべし。止は、必ず是れに至りて遷らずの意。至善は、則ち事理當然の極なり。言うこころは、明德を明にし、民を新にするは、皆當に至善の地に止まって遷らざるべし。葢し必ず其の以て夫の天理の極を盡くすこと有りて、一毫の人欲の私無きなり。此の三の者は、大學の綱領なり。

4
中庸曰、大哉聖人之道。包下文兩節而言。洋洋乎發育萬物、峻極于天。峻、高大也。此言道之極於至大而無外也。優優大哉、禮儀三百、威儀三千。優優、充足有餘之意。禮儀、經禮也。威儀、曲禮也。此言道之入於至小而無閒也。待其人而後行。總結上兩節。故曰、苟不至德、至道不凝焉。至德、謂其人。至道、指上兩節而言也。凝、聚也、成也。故君子尊德性而道問學。致廣大而盡精微。極高明而道中庸。温故而知新。敦厚以崇禮。尊者、恭敬奉持之意。德性者、吾所受於天之正理。道、由也。温、猶燖温之温。謂故學之矣、復時習之也。敦、加厚也。尊德性、所以存心而極乎道體之大也。道問學、所以致知而盡乎道體之細也。二者脩德凝道之大端也。不以一毫私意自蔽、不以一毫私欲自累、涵泳乎其所已知、敦篤乎其所已能。此皆存心之屬也。析理則不使有毫釐之差、處事則不使有過不及之謬、理義則日知其所未知、節文則日謹其所未謹。此皆致知之屬也。葢非存心無以致知、而存心者又不可以不致知。故此五句、大小相資、首尾相應。聖賢所示入德之方、莫詳於此。學者宜盡心焉。
【読み】
中庸に曰く、大なるかな聖人の道。下文兩節を包んで言う。洋洋乎として萬物を發育し、峻く天に極まる。峻は、高大なり。此れ道の至大に極って外無きを言うなり。優優とし大なるかな、禮儀三百、威儀三千。優優は、充足餘有りの意。禮儀は、經禮なり。威儀は、曲禮なり。此れ道の至小に入りて閒無きを言うなり。其の人を待って後行わる。上兩節を總結す。故に曰く、苟くも至德にあらざれば、至道凝[な]らず、と。至德は、其の人を謂う。至道は、上兩節を指して言うなり。凝は、聚なり、成るなり。故に君子は德性を尊んで問學に道[よ]る。廣大を致して精微を盡くす。高明を極めて中庸に道る。故きを温ねて新しきを知る。厚を敦くし以て禮を崇くす。尊は、恭敬奉持の意。德性は、吾れ天に受くる所の正理。道は、由るなり。温は、猶燖温の温のごとし。故之を學び、復時に之を習うを謂う。敦は、加厚なり。德性を尊ぶは、心を存して道體の大を極むる所以なり。問學に道るは、知を致して道體の細を盡くす所以なり。二の者、德を脩め道を凝すの大端なり。一毫の私意を以て自ら蔽わず、一毫の私欲を以て自ら累わさず、其の已に知る所を涵泳し、其の已に能くする所を敦篤す。此れ皆心を存するの屬なり。理を析けば、則ち毫釐の差を有らしめず、事を處せば、則ち過不及の謬を有らしめず、理義は則ち日に其の未だ知らざる所を知り、節文は則ち日に其の未だ謹まざる所を謹む。此れ皆致知の屬なり。葢し心を存するに非ざれば以て知を致すこと無くして、心を存する者は又以て知を致さざる可からず。故に此の五句は、大小相資、首尾相應す。聖賢德に入るの方を示す所、此より詳なるは莫し。學者宜しく心を盡くすべし。

5
孟子曰、滕文公爲世子。將之楚、過宋而見孟子。世子、太子也。孟子道性善、言必稱堯舜。道、言也。性者、人所禀於天以生之理也。渾然至善、未嘗有惡、人與堯舜初無少異。但衆人汨於私欲而失之、堯舜則無私欲之蔽、而能充其性爾。故孟子與世子言、毎道性善、而必稱堯舜以實之。欲其知仁義不假外求、聖人可學而至、而不懈於用力也。程子曰、性即理也。天下之理、原其所自、未有不善。喜怒哀樂未發、何嘗不善。發而中節、即無往而不善。發不中節、然後爲不善。故凡言善惡、皆先善而後惡。言吉凶、皆先吉而後凶。言是非、皆先是而後非。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣。時人不知性之本善、而以聖賢爲不可企及。故世子於孟子之言不能無疑、而復來求見。葢恐別有卑近易行之説也。孟子知之、故但告之如此。以明古今聖愚本同一性、前言已盡、無復有他説也。成覸謂齊景公曰、彼丈夫也、我丈夫也。吾何畏彼哉。顏淵曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是。公明儀曰、文王我師也。周公豈欺我哉。成覸、人姓名。彼、謂聖賢也。有爲者亦若是、言人能有爲、則皆如舜也。公明、姓。儀、名。魯賢人也。文王我師也、葢周公之言。公明儀亦以文王爲必可師。故誦周公之言、而歎其不我欺也。孟子既告世子以道無二致、而復引此三言以明之。欲世子篤信力行、以師聖賢、不當復求他説也。
【読み】
孟子曰く、滕文公世子爲り。將に楚に之かんとし、宋を過ぎて孟子を見る。世子は、太子なり。孟子性善を道い、言えば必ず堯舜を稱す。道は、言うなり。性は、人の天に禀け以て生じる所の理なり。渾然たる至善、未だ嘗て惡有らず、人は堯舜と初めより少異無し。但、衆人は私欲に汨みて之を失し、堯舜は則ち私欲の蔽無くして、能く其の性を充たすのみ。故に孟子の世子に與えし言は、毎に性善を道いて、必ず堯舜を稱し以て之を實にす。其れ仁義は外に求むるを假りず、聖人は學んで至る可きを知りて、力を用いるに懈らざるを欲すなり。程子曰く、性は即ち理なり、と。天下の理は、其の自らの所を原るに、未だ不善有らず。喜怒哀樂の未だ發せざる、何ぞ嘗て不善ならん。發して節に中る、即ち往くとして善ならざる無し。發して節に中らずして、然りして後善ならずと爲す。故に凡そ善惡を言えば、皆善を先にして惡を後にす。吉凶を言えば、皆吉を先にして凶を後にす。是非を言えば、皆是を先にして非を後にす。世子楚より反りて、復孟子を見る。孟子曰く、世子吾が言を疑うか。夫れ道は一のみ。時の人は性の本善を知らずして、聖賢を以て企及す可からずと爲す。故に世子は孟子の言に於て疑い無きこと能わずして、復來して見るを求む。葢し恐らくは別に卑近行き易きの説有らん。孟子之を知る、故に但之を告ぐるに此の如し。以て古今聖愚本同一性、前言已に盡き、復他説有る無きを明にす。成覸、齊の景公に謂いて曰く、彼も丈夫なり、我も丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや、と。顏淵曰く、舜何人ぞや。予何人ぞや。爲す有る者は亦是の若し、と。公明儀曰く、文王は我が師なり。周公豈我を欺かんや、と。成覸は、人の姓名。彼は、聖賢を謂うなり。爲す有る者亦是の若しは、言いこころは人能く爲す有るは、則ち皆舜の如きなり。公明は、姓。儀は、名。魯の賢人なり。文王は我が師なりは、葢し周公の言。公明儀も亦文王を以て必ず師とす可きと爲す。故に周公の言を誦じて、其の我を欺かざるを歎ず。孟子既に世子に告ぐるに道は二致無きを以てして、復此の三言を引いて以て之を明にす。世子、篤信し力行して、以て聖賢を師とし、當に復他説を求めるべからざるを欲するなり。

6
近思録曰、聖希天、賢希聖、士希賢。伊尹顏淵、大賢也。伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市。顏淵不遷怒、不貳過、三月不違仁。志伊尹之所志、學顏子之所學、過則聖、及則賢、不及則亦不失於令名。
【読み】
近思録に曰く、聖は天を希い、賢は聖を希い、士は賢を希う。伊尹顏淵は大賢なり。伊尹は其の君の堯舜と爲らざるを恥じ、一夫も其の所を得ざれば、市に撻るるが若し。顏淵は怒を遷さず、過を貳びせず、三月仁に違わず。伊尹の志せし所を志し、顏子の学びし所を学ぶとき、過ぎなば則ち聖、及ばば則ち賢、及ばざるも則ち亦令名を失わざらん。

7
又曰、莫説道將第一等讓與別人、且做第二等。才如此説、便是自棄。雖與不能居仁由義者差等不同、其自小一也。言學便以道爲志、言人便以聖爲志。
【読み】
又曰く、第一等を將て別人に讓與し、且く第二等を做[な]すと説道する莫かれ。才[わずか]に此の如く説けば、便ち是れ自棄なり。仁に居り義に由ること能ざる者と差等同じからずと雖も、其の自ら小にするは一なり。學を言えば便ち道を以て志と爲し、人を言えば便ち聖を以て志と爲せ。

8
又曰、有求爲聖人之志、然後可與共學。學而善思、然後可與適道。思而有所得、則可與立。立而化之、則可與權。
【読み】
又曰く、聖人と爲るを求むる志有りて、然る後に與に共に學ぶ可し。學びて善く思いて、然る後に與に道に適く可し。思いて得る所有れば、則ち與に立つ可し。立ちて之に化すれば、則ち與に權る可し。

9
又曰、爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平。
【読み】
又曰く、天地の爲に心を立て、生民の爲に道を立て、去聖の爲に絶學を繼ぎ、萬世の爲に太平を開く。

10
又曰、二程從十四五時、便鋭然欲學聖人。
【読み】
又曰く、二程は十四五の時より、便ち鋭然として聖人を學ばんと欲せり。

11
朱子文集曰、熹聞之。君子之於學非特與今之學者竝而爭一旦之功也。固將求至乎古人之所至者而後已、然後可與語學矣。夫將求至乎古人之所至者而後已、則非規撫綴緝之所能就。其必有以度越世俗庸常之見而直以古人之事自期、然後可得而至也。夫古人之學何爲哉。致知以明之、立志以守之、造之以精湥、充之以光大。雖至乎聖人可也。不出乎此、而營營馳騁於末流竭精憊思、惟懼夫蓄藏之不富誦説之不工、雖曰能之、非吾之所謂學也。葢循乎古人之事、上之可以至聖賢之域、下之可以安性命、而固貧窮得時而行。亦何所不利哉。由今之所爲極其效。足以與今之爲士者並而爭一旦之功。其得與失又未可知也。
【読み】
朱子文集に曰く、熹之を聞く。君子の學に於けるや、特に今の學者と竝びて一旦の功を爭うに非ざるなり。固より將に古人の至る所の者に至るを求め而る後已まんとして、然りして後、與に學を語る可し。夫れ將に古人の至る所の者に至るを求めて而る後に已まんとすれば、則ち規撫綴緝の能く就くす所に非ず。其れ必ず以て世俗庸常の見に度越して直に古人の事を以て自ら期する有りて、然りして後、得て至る可きなり。夫れ古人の學、何を爲るかな。知を致し以て之を明にし、志を立て以て之を守り、之を造すに精湥を以てし、之を充てるに光大を以てす。聖人に至ると雖も可なり。此に出でずして、末流に營營馳騁し精を竭し思を憊し、惟夫れ蓄藏之富まず、誦説の工せずを懼れるは、之を能くすと曰うと雖も、吾の謂う所の學に非ざるなり。葢し古人の事に循うは、上は之れ以て聖賢の域に至る可く、下は之れ以て性命を安んじて、貧窮を固くし、時を得て行く可し。亦何の利せざる所ならんや。今の爲す所に由るは其の效を極む。以て今の士爲る者と並びて一旦の功を爭うに足る。其の得と失と、又未だ知る可からざるなり。

12
又曰、大抵今之學者之病、最是先學作文干祿、使心不寧靜不暇湥究義理。故於古今之學義理之間、不復能察其界限分別之際而無以知其輕重取捨之所宜。所以誦數雖博文詞雖工、而秖以重爲此心之害。要須反此、然後可以議爲學之方耳。向者葢亦屢嘗相爲道此。然覺賢者意中未甚明了、終未免以文字言語爲功夫、聲名利祿爲歸趣。今以所述事状觀之、亦可。驗其不誣矣。若諸賢者果以愚言爲不繆、則願且以定省應接之餘功收拾思慮、完養精神暫置其所已學者、勿令淘湧鼓發狂閙。却於此處湥察前所謂古今之學義理之間、粒剖銖分勿令交互、則其輕重取舍之極、自當判然於胷中、不待矯佛而趣操自分、聖學之門庭始可以漸而推尋矣。此是學者立心第一義。此志先定然後脩己治人之方。乃可决擇而脩持耳。
【読み】
又曰く、大抵今の學者の病は、最も是れ先ず作文をして祿を干むるを學び、心は寧ろ靜ならず、義理を湥究するに暇あらざらしむ。故に古今の學義理の間に於て、復其の界限分別の際を察する能わずして、以て其の輕重取捨の宜き所を知る無し。誦數博しと雖も、文詞工と雖も、而れども秖[まさ]に以て重く此の心の害を爲す所以なり。此を反するを要須し、後然るを以て學を爲すの方を議す可きのみ。向かう者葢し亦屢々嘗て相爲に此を道う。然るに賢者の意中未だ甚だ明了ならず、終に未だ文字言語を以て功夫と爲し、聲名利祿を歸趣と爲すを免がれざるを覺る。今述ぶる所の事状を以てのを觀れば、亦可なり。其の誣さざるを驗すなり。若し諸賢者果して愚言を以て繆まらずと爲さば、則ち願わくば且く定省應接の餘功を以て思慮を收拾し、精神を完養し、暫く其の已に學ぶ所の者を置き、淘湧鼓發狂閙ならしむ勿れ。却って此の處に於て前に謂う所の古今の學義理の間を湥察し、粒剖銖分交互にせしむ勿くば、則ち其の輕重取舍の極、自ずから當に胷中に判然とし、矯佛を待たずして趣操自ずから分かれ、聖學の門庭始めて漸を以てして推尋すること可なるべし。此は是れ學者心を立てる第一義。此の志先ず定まりて、然りして後、己を脩め人を治むるの方なり。乃ち决擇して脩持す可きのみ。

13
又曰、人之有是身也、則必有是心。有是心也、則必有是理。若仁義禮智之爲體、惻隱差惡恭敬是非之爲用。是則人皆有之、而非由外鑠我也。然聖人之所以敎、不使學者收視反聽、一以反求諸心爲事、而必曰興於詩、立於禮、成於樂、又曰博學審問謹思明辨而力行之何哉。蓋理雖在我、而或蔽於氣禀物欲之私、則不能以自見。學雖在外、然皆所以講乎此理之實。及其浹洽貫通而自得之、則又初無内外精粗之間也。世變俗衰士不知學。挟冊讀書者、既不過於誇多鬭靡、以爲利祿之計。其有意於己者、又直以爲可以取足於心、而無事於外求也。是以堕於佛老空虚之邪見、而於義理之正法度之詳有不察焉。其幸而或知理之在我、與夫學之不可以不講者、則又不知循序致詳虚心一意、從容以會乎在我之本然。是以急遽淺迫、終已不能浹洽而貫通也。鳴呼、是豈學之果不可爲、書之果不可讀、而古先聖賢所以垂世立、敎者果無益。於後來也哉、道之不明、其可嘆已。
【読み】
又曰く、人の是の身有れば、則ち必ず是の心有り。是の心有れば、則ち必ず是の理有り。仁義禮智の體を爲し、惻隱差惡恭敬是非の用を爲すが若し。是は則ち人皆之れ有りて、外に由りて我を鑠にせざるなり。然るに聖人の敎うる所以は、學者をして收視反聽、一に諸心を反求するを以て事と爲さしめずして、必ず、詩に興り、禮に立ち、樂に成ると曰い、又、博學審問謹思明辨して之を力行すと曰うは何ぞや。蓋し理我に在りと雖も、而れども或いは氣禀物欲の私に蔽われれば、則ち以て自ら見ること能わず。學外に在りと雖も、然れども皆此の理の實を講ずる所以なり。其の浹洽貫通して自ら之を得るに及べば、則ち又初めより内外精粗の間無し。世變俗衰の士は學を知らず。冊を挟み書を讀む者は、既に多くを誇り靡を鬭じ、以って利祿の計を爲すに過ぎず。其の己に意有る者は、又直に以て以て足を心に取りて、外求を事とする無きを可と爲す。是れを以って佛老空虚の邪見に堕ち、義理の正法度の詳に於て察せざる有り。其れ幸いにして或いは理の我に在り、夫の學の以て講ぜざる可からざるとを知る者は、則ち又序に循い詳を致し心を虚くし意を一にし、從容として以て我に在るの本然を會するを知らず。是れを以て急遽淺迫、終已に浹洽して貫通すること能わず。鳴呼、是れ豈學の果して爲す可からず、書の果して讀む可からずして、古先聖賢の世に垂れ立つ所以、敎うる者果して益無からん。後來に於けるや、道の明ならざる、其れ嘆ず可きのみ。

14
又曰、熹衰苦之餘、無他外誘、日用之間、痛自歛飭、乃知敬字之功親切要玅、乃如此而前日不知於此用力、徒以口耳浪費光陰、人欲横流天理幾滅。今而思之怚然震悚。葢不知所以措其躬也。
【読み】
又曰く、熹衰苦の餘、他の外誘無く、日用の間、痛く自ら歛飭し、乃ち敬の字の功親切要玅、乃ち此の如くして前日此に於て力を用いるを知らず、徒に口耳を以て光陰を浪に費やし、人欲横流天理幾滅を知る。今にして之を思えば怚然震悚。葢し其の躬を措く所以を知らざるなり。

15
朱子語類曰、子上問、操則存、舍則兦。曰、若不先明性善、有興起必爲之志、恐其所謂操存之時、乃舍兦之時也。
【読み】
朱子語類に曰く、子上問う、操れば則ち存し、舍つれば則ち兦す。曰、若し先ず性善を明にし、興起するに必ず爲すの志有らざれば、恐らくは其の謂う所の操存の時は、乃ち舍兦の時ならん。

道学標的跋
人之所爲人者心也。其心之所之則志也。其志在於善則善。在於惡則惡也。君子小人於此乎分矣。古之聖人所以敎人、爲學之道、全在於去惡全善。而孟子性善之言、正爲之而發也。然則務學之要基在立志。不亦宜乎。近時學者大率安于卑陋、期小成、而終無求道之志滔滔皆然。先生往年著講學鞭策録、今復著道學標的。盖爲此故也。吾儕可不猛省乎。時正德癸巳秋八月。長谷川遂明謹書。
【読み】
人の人爲るは心なり。其の心の之く所は則ち志なり。其の志善に在れば則ち善なり。惡に在れば則ち惡なり。君子小人此に於て分る。古の聖人の人に敎うる所以、學を爲[おさ]むるの道、全く惡を去りて善を全うするに在り。而して孟子性善の言、正に之が爲にして發するなり。然らば則ち學を務むるの要基は志を立つるに在り。亦た宜[む]べならずや。近時學者大率卑陋に安んじ、小成を期して、終に道を求むるの志無きこと滔滔として皆然り。先生往年講學鞭策録を著し、今復た道學標的を著わす。盖し此が爲の故なり。吾儕猛省せざる可けんや。時に正德癸巳秋八月、長谷川遂明謹書。