排釈録  正月十五日  為奥平氏講
【語釈】
・正月十五日…寛政5年(1793)か?
・奥平氏…奥平棲遅庵。名は定時。通称は幸次郎、晩年は玄甫。武蔵忍藩士。明和6年(1769)~嘉永3年(1850)

1
異端之害道、如釋氏者極矣。以身任道者、安得不辯之乎。如孟子之辯楊墨、正道不明、而異端肆行、周孔之敎將遂絶矣。譬如火之焚將及身。任道君子豈可不拯救也。朱子語類百二十六。
【読み】
異端の道を害する、釋氏が如きは極まるかな。身を以て道を任ずる者は、安んぞ辯ぜざることを得んや。孟子の楊墨を辯ずるが如きは、正道明かならず、異端肆に行われ、周孔の敎將に遂に絶んとす。譬えば火の焚え將に身に及ばんとするが如し。道を任ずる君子豈拯救せざる可けんや。朱子語類百二十六。

鞭策録と此排釈録が相離れぬことで、学術を大切に守るて鞭策録、其学術の邪魔をするものをうって取るが排釈録ぞ。すれば相離れぬことなり。直方先生の鞭策録は藥喰ひ、排釈録は毒絶ちと云へり。毒絶をせぬと藥がきかぬ。よって離れられぬことなり。先日も云通り、とかくふへることではない。これも近思をとり出したのぞ。近思の異端の篇、あれをここへ取出したが排釈録なり。此処がはきとないと学はらりになることぞ。高明な処は陸象山や王陽明ほとなもないが、此合点がないで学問がべったりと佛に引づりこまれた。それゆへ鞭策録をこしらへる中ちから此排釈録をこしらへ子ばならぬ様になったもの。普請が出来あがるとはや天水桶が入る。そう用心せぬと、どこぞのとき又丸焼になる。宋朝のれき々々禅で丸焼になりたが多い。此方を鞭策する、はや邪魔になる佛を排する。やはり鞭策なりから出るぞ。田を植ても稗を拔かぬと其田はらりになるぞ。こちの学術がぎり々々につまってくると、ぎり々々につまった処の邪魔をするものは異端なり。よって是非排せ子はならぬ様になる。槙る苗の鞭策から拔く稗の排釈じゃ。皆学術の分内ぞ。
【解説】
学術を守るのが鞭策録で、学術の邪魔をするのを打ち取るのが排釈録であり、それは相離れないもの。陸象山や王陽明ほどの者でも仏に引きずり込まれた。苗を植えるのが鞭策で、稗を抜くのが排釈なのである。
【通釈】
鞭策録とこの排釈録は相離れないもので、学術を大切に守るのが鞭策録、その学術の邪魔をするものを打って取るのが排釈録である。それで相離れないのである。直方先生が鞭策録は薬食い、排釈録は毒絶ちと言った。毒絶ちをしないと薬が効かない。そこで離れられないもの。先日も言った通り、とかく増えることではない。これも近思を取り出したのである。近思の異端の篇をここへ取り出したのが排釈録である。この処がはっきりとしないと学は台無しになる。高明な処では陸象山や王陽明ほどの者はいないが、この合点がないので学問がべったりと仏に引きずり込まれた。それで鞭策録を拵える内からこの排釈録を拵えなければならなくなった。普請ができ上がると早くも天水桶が要る。その様に用心をしないと、何処かでまた丸焼けになる。宋朝の歴々には禅で丸焼けになった者が多い。自分が鞭策するのであれば、早くも邪魔になる仏を排する。それはやはり鞭策の姿から出たこと。田を植えても稗を抜かないその田は台無しになる。こちらの学術が至極に詰まって来ると、そのぎりぎりに詰まった処の邪魔をするものは異端である。そこで是非排さなければならない様になる。苗を植えるのが鞭策で、稗を抜くのが排釈である。皆学術の分内である。
【語釈】
・陸象山…南宋の大儒。名は九淵。字は子静。象山・存斎と号。江西金渓の人。程顥の哲学を発展、理気一元説を唱え、心即理と断じ、朱熹の主知的哲学に対抗。文安と諡す。1139~1192
・王陽明…明の大儒。名は守仁。字は伯安。陽明は号。浙江余姚の人。初め心即理、後に致良知の説を唱えた。世にこれを陽明学派または王学と称する。1472~1528

異端之害道云云。程子の語を根にふまへて朱子の云れたことぞ。道を害するは釈氏に極る。極ると云字は孟子使我至於此極、父子不相見、兄弟妻子離散るなれば、困窮に此上なしのわるいのぞ。それを極と云。淫声もさま々々あれとも、三味線や淨留離になっては此上ないぞ。それを淫声の極とも云べし。佛もただの異端ではない。極るなり。以身任道云云。この身を以てと云字に精彩がある。面魂が違ふ。あれも一理あると余りうるさくも思はす、高くとまりて佛者もはやなどとにこ々々とあしらふは、高ひやふでも吾道を任せぬのなり。三宅先生の諸門人の寄合に唐﨑が某に咄す。断二郎が議論になると千両屋鋪を今とらるる様な面魂じゃ、と。以身道を任するからなり。任すると云に付て石原権平が云たに、若ひ時近習をしていた時は領分不作と聞てもほいと云た計りじゃが、今国元の水旱風雨沙汰、飛脚つくと状の封を切らぬ内からきひやりとするとは、いつでも主人を大切にするに違いはないか、家老用人と諸士とはその事を任すると任ぜぬで違ふぞ。百姓ても種へることを任するから、虫その分にせぬ。たばこの虫までも取り尽す。
【解説】
「異端之害道、如釋氏者極矣。以身任道者」の説明。仏はただの異端ではなく、害の極まったもの。学者は道を任じなければならない。
【通釈】
「異端之害道云云」。程子の語を根に踏まえて朱子が言われたこと。道を害するのは釈氏に極まる。極まるという字は「孟子使我至於此極、父子不相見、兄弟妻子離散」であって、困窮でこの上なく悪いこと。それを極と言う。淫声も様々とあるが、三味線や浄瑠璃になってはこの上はない。それが淫声の極と言うもの。仏もただの異端ではない。極まる。「以身任道云云」。この身を以ってという字に精彩がある。面魂が違う。あれも一理あると余り煩くも思わず、高く止まって仏者もはやなどとにこにことあしらうのは、高い様でも吾が道を任じないのである。三宅先生の諸門人の寄り合いで唐崎が私に話した。断二郎は議論になると千両屋敷を今取られる様な面魂だ、と。以身任道だからである。任ずるということ付いて石原権平が、若い時近習をしていた時は領分不作と聞いてもそうかと言うだけだったが、今国元の水旱風雨沙汰、飛脚が着くと状の封を切る前からひやりとする。いつでも主人を大切にすることに違いはないが、家老用人と諸士とではその事を任ずると任じないとの違いがあると言った。百姓でも植えることを任ずるから、虫をそのままにはしない。煙草の虫までも取り尽くす。
【語釈】
・孟子使我至於此極、父子不相見、兄弟妻子離散…孟子梁恵王章句下1。「今王鼓樂於此、百姓聞王鐘鼓之聲、管籥之音。舉疾首蹙頞而相告曰、吾王之好鼓樂、夫何使我至於此極也。父子不相見、兄弟妻子離散。今王田獵於此、百姓聞王車馬之音、見羽旄之美。舉疾首蹙頞而相告曰、吾王之好田獵、夫何使我至於此極也。父子不相見、兄弟妻子離散。此無他、不與民同樂也」。
・唐﨑…唐崎彦明。唐崎彦明。三宅尚斎門下。芸州竹原の人。黙斎の親友。彦明は伊勢長島藩主増山候に仕えたが、ある事件で禁固に処せられたとき、黙斎はその救援に献身したという。なお竹原は頼山陽の出たところでもある。~1758。
・断二郎…久米訂斎。京都の人。名は順利。通称は断二郎。~1784
・石原権平…

得不弁之乎て任するとこふなる。そふでないと精彩がない。精彩のない今学者の排釈録をよむは、足軽の火の用心をふれてあるく様に役ばかりでするのぞ。火事少々有ふとも、吾が銭金ををとしたほどに實は思はぬ。任せぬからなり。小学の教ても、道德者は隣の子が親のあたまをはるを見ては箒星を見たより心持わるく思ふ。道を任するからなり。正道不明而云云。中庸序彌近理而大乱眞。これか一大事なり。さて排釈に二筋あり。中庸や易などは理をぎり々々につめる。上からすりはらいな処を排するなり。又それとは違い、跡上の断あり。五倫をすてる処て排する。これはぎり々々の沙汰なし。治国平天下の意て、経済の排釈あるなり。国天下を治るに此排釈がなくてはならぬ。垩人治と云は孝行を主にするより外に人心を化することはない。それは孝経なり。其孝経は吾身体髪膚を傷はぬことと云がぎり々々ぞ。ときに今日では吾身体までやりたでず、親か死ぬる、直に親のあたまを刺子はならぬと云ふ。佛法に権威がありて孝経の主意たたず。今百姓が志ありて孝経よませても心にひびくものはあれども、親の身体をば佛にまかするなれば孝に首ありても尾がない。
【解説】
「安得不辯之乎。如孟子之辯楊墨、正道不明、而異端肆行、周孔之敎將遂絕矣」の説明。排釈を任じるのは精彩があること。排釈には二筋があり、上からすりはらいな処を排するのと、五倫を捨てる処で排するもの。聖人の治は孝で人心を化するものだが、仏法に権威があっては孝経の主意が立たない。
【通釈】
「得不弁之乎」で、任ずるとこうなる。そうでないと精彩がない。精彩のない学者が今排釈録を読むのは、足軽が火の用心を触れて歩く様に役だけでするもの。火事が少々あるとしても、自分が銭金を落としたほどに切実は思わない。任じないからである。小学の教えでも、道徳者は隣の子が親の頭を叩くのを見ると、箒星を見た時より心持ち悪く思う。道を任ずるからである。「正道不明而云云」。中庸序にある「彌近理而大乱真」で、これが一大事である。さて排釈には二筋ある。中庸や易などは理を至極に詰める。上からすりはらいな処を排する。またそれとは違い、跡上の断がある。五倫を捨てる処で排する。これにはぎりぎりの沙汰はない。治国平天下の意で、経済の排釈となる。国天下を治めるにはこの排釈がなくてはならない。聖人の治は孝行を主にするより外に人心を化することはない。それは孝経である。その孝経は我が身体髪膚を損なわないことというのが至極のところ。しかし、特に今日では自分の身体までを遣り立てることはなく、親が死ぬと直に親の頭を剃らなければならないと言う。仏法に権威があるので孝経の主意が立たない。今百姓に志あれば孝経を読ませても心に響くものがあるが、親の身体をば仏に任せるのであれば、孝に首があったとしても尾はない。
【語釈】
・小学の教…
・中庸序彌近理而大乱眞…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣」。
・吾身体髪膚を傷はぬ…孝経開宗明義。「身體髮膚、受之父母。不敢毀傷孝之始也」。

近思録辨異端、あれは全体の排釈。又、治法の篇に伊川不用浮圖の條を出したのが弁異端が経済へ出たのなり。それゆへ、此排釈録の編次も末の方に女道還俗の牓や崇安縣学田記を出すも、排釈が経済へ出た処ぞ。それからしては学術のことに周孔とあるも、周公と云へば経済上で排する方、孔子と云は学術上て排する方なり。造言乱民の刑は孔礼ぞ。攻異端の警めは論語ぞ。これ佛のない前から周孔の用心なり。火之焚云云。火のもへて身に及ぶやふに思はぬもの。道を任する君子は髪の毛に付たやふなり。羹汝か手を爛すやと小学にあるが、あの劉寛でも吾身に火がつくとぢっとしてはいぬなれは、火の焚と云は的切な譬喩なり。任道君子は身に火の付くやふに思ふ。これが朱子の廣く人にかけて云やふなれとも、我等はかやう存するとなり。今の儒者が異端を弁しても、吾丸やけに成ったほどには思はぬもの。任せぬからのことなり。任せぬと学問に精彩はないそ。京にも江戸にも火事にあふた学者もさぞあろふが、佛を手前の火にとりまかれたほとににくは思ふまい。それで道の任ぜぬがたしかなり。
【解説】
「譬如火之焚將及身。任道君子豈可不拯救也」の説明。近思録でも全体の排釈と経済の排釈とがある。「火之焚」というのが的切な比喩である。自分が火に取り巻かれたほどに仏を憎く思わないのであれば、それは任道ではない。
【通釈】
近思録の弁異端、あれは全体の排釈である。また、治法の篇に「伊川不用浮図」の条を出したのが弁異端が経済へ出たのもの。そこで、この排釈録の編次で末の方に女道還俗の牓や崇安縣学田記を出すのも、排釈が経済へ出た処である。それからして、学術のことに周孔とあるのも、周公と言えば経済上で排する方、孔子と言えば学術上て排する方のこと。「造言乱民之刑」は周礼である。攻異端の警めは論語である。これが仏のある前から周孔の用心がある。「火之焚云云」。火が焚えて身に及ぶ様には思わないもの。道を任ずる君子は火が髪の毛に付いた様である。羹汝が手を爛すと小学にあるが、あの劉寛でも我が身に火が付くとじっとしてはいないのだから、火の焚えてというのは的切な譬喩である。任道の君子は身に火が付く様に思う。これは朱子が広く人に掛けて言った様であるが、我等はこの様に存ずるということ。今の儒者が異端を弁じても、自分が丸焼けになったほどには思わないもの。それは任じないからである。任じないと学問に精彩はない。京にも江戸にも火事に遭った学者がさぞいるだろうが、仏を自分が火に取り巻かれたほどに憎くは思わないだろう。そこで、道を任じないのが確かである。
【語釈】
・伊川不用浮圖…近思録治法17。「正叔云、某家治喪、不用浮圖。在洛亦有一二人家化之」。
・造言乱民の刑…周礼地官司徒。「以郷八刑糾萬民。一曰不孝之刑、二曰不睦之刑、三曰不姻之刑、四曰不弟之刑、五曰不任之刑、六曰不恤之刑、七曰造言之刑、八曰亂民之刑」。
・羹汝か手を爛す…小学外篇善行。「劉寛雖居庫卒未嘗疾言遽色。夫人欲試寛令恚伺當朝會裝嚴已訖、使侍婢奉肉羹翻汚朝服。婢遽收之。寛神色不異。乃徐言曰、羹爛汝手乎。其性度如此」。


2
今人見佛老家之説者、或以爲其説似勝吾儒之説。或又以爲彼雖説得不是、不用管他。此皆是看他不破、故不能與之辯。若眞箇見得是害人心、亂吾道、豈容不與之辯。所謂孟子好辯者、非好辯也。自是住不得也。五十五。
【読み】
今人佛老家の説を見るは、或いは以て其の説の吾が儒の説に似ると爲し、或いは又以て彼の説得て是ならずと雖も、他を管することを用いざると爲す。此れ皆是れ他を看て破らず、故に之と與に辯ずること能わず。若し眞箇に是れ人心を害し、吾が道を亂すを見得ば、豈之と與に辯せざるを容ん。謂う所の孟子の辯を好むは、辯を好むに非ざるなり。自ら是れ住り得ざるなり。五十五。

○今人見佛老家之説者云云似勝吾儒と思ふ。程門でさへ、游定夫や呂栄公なども垩人の道と一と思ふたぞ。不用管他。□□てどふ云はふともすててをけと云は高ひやふなれとも、これも任ぜぬからそ。親が班猫を飲むを見てすててをけと云ふと、直にそれが親殺ぞ。孟子好弁云云。好むなとと云あまちゃなことてはない。好むと云は物好きの筋になる。又雄弁ゆへにと云やふなことでない。住不得て、どふもすててをかれぬぞ。剛次殿も少しの間の逗留なれば、どのやふな間違い有ふとも大概のことではもの云ひ腹立つやふな気色はなく、たはこ入れやきせるを里の童が持て行ふともだまっても居やふが、りふじんな奴が来てそこにぬいてをく大小を引はらっていくをだまってすててはどふも置れぬ。大名の家来が腰物を取られてはすてたふてもどふもすてられぬぞ。学者の道を任するにりふじんな異端をすててをくは、やはり武士の大小をとられてだまっているのなり。主人へ對してたたぬではないか、道之大原出於天と云ふ。其性道敎の御朱印をとられて何んとだまって居られやうか。住り得すなり。
【解説】
程門でさえ、仏と聖人の道とが同じだと思った。異端は放っては置けない。それは武士が刀を取られても黙っている様なこと。
【通釈】
○「今人見仏老家之説者云云似勝吾儒」と思う。程門でさえ、游定夫や呂栄公などは聖人の道と同じだと思った。「不用管他」。どう言っても、放って置けと言うのは高い様だが、これも任じないからのこと。親が斑猫を飲むのを見て捨てて置けと言うと、直にそれが親殺しである。「孟子好弁云云」。好むなどという様な甘いことではない。好むと言うと物好きの筋になる。また雄弁なだけにという様なことでない。「住不得」で、どうも捨てて置けないのである。剛次殿も少しの間の逗留だから、どの様な間違いがあったとしても大概のことでは物言いで腹立つ様な気色はなく、煙草入れや煙管を里の童が持って行こうとも黙ってもいるだろうが、理不尽な奴が来て、そこに抜いて置いた大小を引き払って行くのをどうしても黙って捨てては置けない。大名の家来が腰物を取られてはどうしても捨てては置けない。学者の道を任ずるに理不尽な異端を捨てて置くのは、やはり武士が大小を取られて黙っているのと同じである。主人に対して面子が立たないということではないが、「道之大原出於天」と言う。その性道教の御朱印を取られて、何として黙っていることができるだろうか。住り得ずである。
【語釈】
・游定夫…游酢。二程門人。字は定夫。号は廌山。
・呂栄公…
・孟子好弁…孟子滕文公章句下9。「我亦欲正人心、息邪説、距詖行、放淫辭、以承三聖者。豈好辯哉。予不得已也。能言距楊墨者、聖人之徒也」。
・剛次殿…奥平棲遅庵。名は定時。通称は幸次郎、晩年は玄甫。武蔵忍藩士。明和6年(1769)~嘉永3年(1850)
・道之大原出於天…漢書董仲舒伝。「道之大原出於天。天不變、道亦不變」。


3
儒之不闢異端者、謂如有賊在何處、任之、不必治。百二十六下同。
【読み】
儒の異端を闢かざるは、謂わば賊の何の處に在るに有りて、之に任せ、必ず治めざるが如し。百二十六下同。

○儒之不開異端者云云。異端を弁するが学者の大任と云ふをしらぬのなり。異端を開かずに置くは有賊在何處。賊は君父の歒と見るがよい。ただ盗賊と云ことではなし。こなたの親の歒があれあそこにと云ふを落付た顔で、知らせられて忝ひが先茶漬を喰ふて参らふと云ふ様なが今日任せぬ学者のなりぞ。親の歒がそこにと云ふを打ぬなれば、やはり吾が親ころしになるのなり。異端を其ままにして置くは親の歒を討たぬのそ。それがすくに異端に組みするのになる。仁斎などは和柔寛厚で送道香のるい。徂徠など出羽の庄内へやりた手帖など一物ありて、ただ大ぶりに御親父様佛法信仰ある、必其意にまかされよの類を云て大度なていなことを云ふも、たたい文字と法律かきりの、学門上へ任せぬ。此元祖と云が温公風なり。寛厚な人多く道は見付けぬ。其くせか東莱にもあるぞ。仏を川向の喧嘩のやふに思ふと直方先生云はれた。
【解説】
異端を弁ずるのが学者の大任である。異端は「賊」であり、それは君父の敵と同じである。そこで、弁じなければならない。寛厚では道を見付けることはできない。
【通釈】
○「儒之不闢異端者云云」。異端を弁ずるのが学者の大任ということを知らない。異端を闢かずに置くのは「有賊在何処」。賊は君父の敵と見なさい。ただの盗賊ということではない。貴方の親の敵があれ、あそこにいると言われ、落ち着いた顔で、知らせてくれて忝いが、先ずは茶漬を食ってから参ろうと言う様なのがが今日の任じない学者の姿である。親の敵がそこにいるというのに打たないのであれば、やはり自分が親殺しになるのである。異端をそのままにして置くは親の敵を討たないのと同じ。それが直に異端に組みすることになる。仁斎などは和柔寛厚で送浮屠道香師の類。徂徠などは出羽の庄内へ遣った手帖などにも一物あって、ただ大振りに御親父様は仏法への信仰があるが、必ずその意に任せなさいという類を言って大度量なことだが、そもそも文字と法律だけであって、学問を任じていないのである。この元祖が温公風なこと。寛厚な人の多くは道を見付けない。その癖が東莱にもある。仏を川向こうの喧嘩の様に思うと直方先生が言われた。
【語釈】
・仁斎…伊藤仁斎。江戸前期の儒学者。京都の人。初め朱子学を修め、のち古学を京都堀川の塾(古義堂)に教授。門弟三千。諡して古学先生。1627~1705
・送道香…直方の著作に「弁伊藤仁斎送浮屠道香師序」がある。
・徂徠…荻生徂徠。江戸中期の儒学者。名は双松。字は茂卿。通称は惣右衛門。本姓、物部氏。物徂徠という。江戸の人。初め朱子学を学び、のち古文辞学を唱道、門下に太宰春台・服部南郭ら。1666~1728
・出羽の庄内…庄内藩家老水野元朗か?1692~1748
・温公…司馬光。北宋の政治家・学者。字は君実。山西夏県の人。神宗の時、翰林学士・御史中丞。王安石の新法の害を説いて用いられず政界を引退、力を「資治通鑑」の撰述に注いだ。哲宗の時に執政、旧法を復活させたが、数ヵ月で病没。太師温国公を賜り司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086
・東莱…呂祖謙。南宋の儒者。字は伯恭。号は東莱。浙江金華の人。呂本中に対して小東莱と称。程朱の学に通じ、朱熹と並称。1137~1181


4
某人言、天下無二道、聖人無兩心。儒釋雖不同、畢竟只是一理。某説道、惟其天下無二道、聖人無兩心、所以有我底著他底不得、有他底著我底不得。若使天下有二道、聖人有兩心、則我行得我底、他行得他底。
【読み】
某の人言う、天下に二道無く、聖人に兩心無し。儒釋同じからずと雖も、畢竟只是れ一理、と。某説道す、惟其の天下に二道無く、聖人に兩心無きは、我底有りて他底に著き得ず、他底有りて我底に著き得ざる所以なり。若し天下に二道有り、聖人に兩心有らしむれば、則ち我は我底を行い得、他は行得他底を行い得るなり。

○某人言、天下無二道云云。此本語は荀子にあるが、荀子が云ても誠に此方の證據になる語でよく云ふた。垩人の道統傳心と云ふに二つはない。いつても火のあつく水のつめたいなりで二道なし。両心なしなり。儒釈云云。惣たい言語と云ふものはとりやふで同じ語でも違ふてくるぞ。某の人は、両心なしなれば形ちは違ふても元と理は一つじゃともって来たぞ。荀子の語で儒佛を一にする。そこて朱子の鸚鵡がへしに先きの云たなりで答へられた。惟其天下無二道云云。天下に二道がないからは、佛がよくは儒はいらぬ。儒がよくは佛はいらぬそ。二道あるならば、そちの道こちの道と立ふが、二つ道ないで、片方よくは片方はわるいはづぞ。此を東海道からても木曽路からでも京へさへいったらよかろふと云ふ様にまわそふとしてもそふならぬは、道に二つはあれとも、京に二つはないはづ。道二仁與不仁也て、二の内よいかわるいかの二つで、とちかよいのは一つより外はないぞ。東海道木曽路は善の二すじぞ。煎藥か煉藥かどちも善ぞ。毒と藥を無二道とは云れぬぞ。此條口ばかりでも正宗ぞ。
【解説】
ある人が荀子の「天下無二道」で儒仏は一理だと言った。朱子は、仏がよければ儒は要らず、儒がよければ仏は要らないと答えた。よいのは一つだけなのである。
【通釈】
○「某人言、天下無二道云云」。これは元荀子の語だが、荀子が言っても誠にこちらの証拠になる語でよく言ったもの。聖人の道統伝心に二つはない。いつでも火の熱く水の冷たい通りで二道はない。両心はない。「儒釈云云」。総体、言語というものは取り様で同じ語でも違って来る。某の人は、両心がなければ形は違っても元理は一つだと持って来たもの。荀子の語で儒仏を一にする。そこで朱子が鸚鵡返しに相手の言った通りで答えられた。「惟其天下無二道云云」。天下に二道がないからは、仏がよければ儒は要らない。儒がよければ仏は要らない。二道があるのなら、そちらの道こちらの道と立つだろうが、二道がないので、片方がよければ片方は悪い筈。これを東海道からでも木曾路からでも京へさえ行き着けばよいだろうという様に取り回そうとしてもそうならないのは、道は二つあっても、京は二つはない筈。「道二、仁與不仁也」で、二つの内でよいか悪いかの二つで、どちらかよいのは一つだけである。東海道木曾路は善の二筋である。煎薬でも煉薬でもどちらも善である。毒と薬を無二道とは言えない。この条は口ばかりでも正宗である。
【語釈】
・天下無二道…荀子解蔽。「凡人之患、蔽於一曲、而闇於大理。治則復經、兩疑則惑矣。天下無二道、聖人無兩心。今諸侯異政、百家異説、則必或是或非、或治或亂。亂國之君、亂家之人、此其誠心、莫不求正而以自爲也」。
・道二仁與不仁也…孟子離婁章句上2。「孔子曰、道二。仁與不仁而已矣」。


5
學佛者嘗云、儒佛一同。某言、儞只認自家説不同。若果是、又何必言同。只這靠傍底意思、便是不同。便是儞底不是、我底是了。
【読み】
佛を學ぶ者が嘗て云う、儒佛一同、と。某言う、儞は只自家は同じからずと説くを認めよ。若し果して是ならば、又何ぞ必しも同を言わん。只這れ靠傍底の意思、便ち是れ同じからず。便ち是れ儞の底是ならざれば、我が底は是に了る。

○學佛者云云。立教一致のと云ひ、孔子も老子も同しことなとと云ふかさて々々たぎらぬことぞ。そふ云と丸くをさまる。御目度筋になる。認自家説不同。こなたは一同と云ふか、そふ云ふよりはこちと同しからぬと云方をよく先つ合点せよ。若果是云云。そちがずんどよいならば、こちと同じとは云ふまい。一つじゃ々々々々と一つにせふとするものには一物あるものぞ。ごらふじませ、朝鮮人参も廣東人参もあまり違ひはないと云ふ。それがはや朝鮮と一つにしたがるのぞ。這靠傍底とは直方の、犬も傍輩鷹も傍輩と云ふは、とんと鷹は云はぬ口上なり。いかさま犬の方からよりそふて云ふことなり。同じひと云ふが靠傍ふ意ぞ。あちではそふ云ふ。こちは風上にもをかぬなり。京ざんとめ渡りにちがわぬと云ても、同じ直には買はぬは丈嶌と云ても違ふなり。目があると上別が今は上手になりたと云。
【解説】
「儒仏一同」と言うのは、仏よりも儒によいことがあるから言うのである。よい方が悪い方を「靠傍」とは言わない。
【通釈】
○「学仏者云云」。立教一致と言い、孔子も老子も同じことなどと言うのが実に滾らないこと。そう言うと丸く納まり御目出度い筋になる。「認自家説不同」。貴方は一同と言うが、そう言うよりはこちらと同じでないところを先ずはよく合点しなさい。「若果是云云」。そちらがとてもよいのであれば、こちらと同じとは言わないだろう。一つだと一つにしようとする者には一物があるもの。ご覧なさい、朝鮮人参も広東人参もあまり違いはないと言うが、それが早くも朝鮮と一つにしたがるもの。「這靠傍底」は、直方が、犬も傍輩鷹も傍輩と言うのは、全く鷹は言わない口上である。いかにも犬の方から寄り添って来て言うことである。同じと言うのが靠傍の意である。あちらではそう言うが、こちらは風上にも置かない。京ざんとめ渡りに違いはないと言っても、同じ値段で買わないのは丈嶋と言っても違うからである。目があると上別が今は上手になったと言う。
【語釈】
・京ざんとめ渡り…京桟織の何か?
・丈嶌…竹縞?
・上別…


6
答李深卿書曰、儒釋正邪之異、未易以口舌争。但見得分明、則觸事可辨。今未暇遠引。且以來敎所擧中庸首章論之、則吾之所謂一者、彼以爲二、吾之所謂實者、彼以爲虚。其邪正得失於此已判然矣。然世之學者於吾學初未嘗端的用功、而於彼説顧嘗著力研究。是以於彼説日見其高妙、而視吾學爲不足爲。滔溺益深、則遂不復自知其爲滔溺。是雖以孟子之辯守而告之、恐未易抜。而況今日才卑德薄之人乎。然有一於此。疑若可捄。蓋天理人心自有至當。我順彼逆體勢不侔。是以爲吾學者深拒力排、未嘗求合於彼、而爲彼學者支辭蔓説惟恐其見絶於我。是於其心疑亦有所不安矣。誠如是也、則莫若試於吾學求其所以用力者、如往時之一意於彼而從事、焉假以歳時不使間斷。則庶乎其可以得本心之正、而悟前日之非矣。朱子文集四十五。
【読み】
李深卿に答うるの書に曰く、儒釋正邪の異は、未だ口舌を以て争うこと易からず。但見得て分明なれば、則ち事に觸れて辨ず可し。今未だ遠引に暇あらず。且つ來敎の擧ぐる所の中庸首章を以て之を論ずれば、則ち吾の謂う所の一なる者は、彼は以て二と爲し、吾の謂う所の實なる者は、彼は以て虚と爲す。其の邪正得失此に於て已に判然たり。然して世の學者吾學に於て初より未だ嘗て端的に功を用いずして、彼の説に於て顧て嘗て力を著け研究す。是を以て彼の説に於て日に其の高妙を見て、而して吾學を視て爲すに足らずと爲す。滔溺益々深くば、則ち遂に復自ら其の滔溺爲るを知らず。是れ孟子の辯を以て守りて之を告ると雖も、恐らくは未だ抜くこと易からず。而して況んや今日の才卑德薄の人をや。然して此に一有り。疑うらくは捄する可きが若し。蓋し天理人心自ら至當有り。我順彼逆體勢侔しからず。是れを以て吾學を爲す者は深拒力排、未だ嘗て彼に合うを求めずして、彼の學を爲す者は支辭蔓説惟其の我に絶つを恐る。是れ其の心に於て疑うは亦安せざる所有るなり。誠に是の如きなれば、則ち試みに吾學に於て其の力を用いる所以の者を求むるは、往時の彼に一意にして事に從うが如く、焉んぞ假に歳時を以て間斷せしめざるに若くは莫し。則ち其の以て本心の正を得て、前日の非を悟るを庶うなり。朱子文集四十五。

○答李深郷書曰云云。とかく佛を弁ずるに口舌で爭はれたことで、こちで廿尋ほどに云ふと、あちでも又廿尋ほどな理屈を云ふと朱子云はれた。但見得分明云云。分明に見つけると全体について分かるから、そこで弁へよ。以先つこちを分明にしろとなり。色々弁しやふはあれとも、遠く引きますまい。たんてきこなたの云てをこした中庸首章の吟味でまへらふ。中庸は異端に對して作る。狐に黒札と直方云へり。悪るものの盗賊奉行をみる、はやよけるぞ。吾之所謂一者、彼以為二云云。董仲舒か道之大原出於天を章句に引くもここなり。天命之性をもってきて滿天地の中にひろけた処があの通りのこと。そこか費而隱なり。夫婦之愚可以與知て、駕舁や日雇取の女房までも親を大切、夫とを大切と云ふことは知てなり。道は何処までもゆきわたりてをる。そこ道をえりとりにすることないは吾所謂一と云ものなり。洒掃應對から垩賢の上まて一なり。
【解説】
「答李深卿書曰、儒釋正邪之異、未易以口舌争。但見得分明、則觸事可辨。今未暇遠引。且以來敎所擧中庸首章論之、則吾之所謂一者、彼以爲二」の説明。中庸章句で論ずれば、天命の性が天地に行き渡っている。その道を選り取りにしないのが「吾所謂一」である。
【通釈】
○「答李深卿書曰云云」。とかく仏を弁ずるのに口舌で争われたことで、こちらで二十尋ほどに言うと、あちらでもまた二十尋ほどの理屈を言うと朱子が言われた。「但見得分明云云」。分明に見付けると全体についてわかるから、そこで弁じる。先ず以ってこちらを分明にしなさいと言う。色々と弁じ方はあるが、遠くのことは引かず、端的貴方の言って遣した中庸首章の吟味からしよう。中庸は異端に対して作ったもの。狐に黒札だと直方が言った。悪者が盗賊奉行を見ると早くも避ける。「吾之所謂一者、彼以為二云云」。董仲舒の「道之大原出於天」を章句に引くもここのこと。天命の性を持って来て満天地の中に広げた処があの通りなこと。そこが「費而隠」である。「夫婦之愚、可以与知」で、駕舁きや日雇取りの女房までも親を大切、夫を大切ということは知っている。道は何処までも行き渡っている。そこ道を選り取りにすることのないのが「吾所謂一」ということ。洒掃応対から聖賢の上までが一つである。
【語釈】
・尋…①両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。②縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は五尺または六尺。
・道之大原出於天…漢書董仲舒伝。「道之大原出於天。天不變、道亦不變」。中庸章句1補伝。「右第一章。子思述所傳之意以立言。首明道之本原出於天而不可易、其實體備於己而不可離、次言存養省察之要、終言聖神功化之極」。
・天命之性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・費而隱…中庸章句12。「君子之道費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉」。

彼以為二は、あちはぎり々々でない処は道でない。えりどりにしてすてる。父子の親も夫婦もすてる。垩人は語大天下莫能載焉、語小天下莫能破焉て、えりどりはないそ。あちでは本来の面目不生不滅、そこを一大事として觀心を□□、あとはすてる。道をえりどりにする。とる処と打やる処のあるを為二と云ふなり。垩人は日用彜倫が皆道で沢山なことなり。彼は物ほしさふに本心を觀たと天地ひっくりかへすやふにさわぐ。こちは何もかもすてず夫婦在室。目前か道。言其上下察也とはそこなり。別に見付ることはなし。三達德五達道皆實なり。吾之所謂實なるもの、そこを佛者はすて、五尺のからださへもてあつかひ、此からだもやがてくさると先きへただり無ひものにして、虚なものは不生不滅とそこを宗旨とする。こちは天命の性と上へ揚け、あけた天と云ふ処から夫婦之愚可以與知。日用のたんてきの實事實理なり。
【解説】
「吾之所謂實者、彼以爲虚」の説明。仏は本来の面目や不生不滅を道として、それ以外は捨てるので「為二」と言う。道を選り取りにして、虚を宗旨とする。こちらは日用端的の実事実理をするのである。
【通釈】
「彼以為二」は、あちらが至極でない処は道でないとし、選り取りにして捨てること。父子の親も夫婦も捨てる。聖人は「語大天下莫能載焉、語小天下莫能破焉」で、選り取りはない。あちらでは本来の面目不生不滅、そこを一大事として観心を取って後は捨てる。道を選り取りにする。取る処と打ち遣る処があるのを為二と言う。聖人は日用彜倫が皆道で沢山なこと。仏は物欲しそうに本心を観たと、天地ひっくり返す様に騒ぐ。こちらは何もかも捨てずに夫婦在室で、目前が道である。「言其上下察也」とはそこのこと。別に見付けることはない。三達徳五達道は皆実である。「吾之所謂実」を仏者は捨て、五尺の体でさえも持て余し、この体もやがては腐ると先へ祟って無いものにして、虚なものは不生不滅だと、そこを宗旨とする。こちらは天命の性と上へ揚げ、揚げた天という処から「夫婦之愚可以与知」で、日用端的の実事実理をする。
【語釈】
・語大天下莫能載焉、語小天下莫能破焉…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能哉焉。語小、天下莫能破焉」。
・言其上下察也…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は、詩経大雅旱麓。
・三達德五達道…中庸章句20。「天下之達道五、所以行之者三。曰君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者天下之達道也。知、仁、勇三者、天下之達德也。所以行之者一也」。

そこで中庸を中には散成萬事、武王周公其達孝矣乎、哀公問政まて皆一とつらぬきの實じゃ。佛者の見をこちの大極圖で云ふなら、一ち上にかかげた蛇の目の丸を千両道具、下の色々の丸ともは三分ん五りんと云やふに見る。こちではどれも千両道具と見ると、そこが實理貫くと云。上の上の丸も下の色々の丸も同し直段にするから、どれを取るこれを取ると云ことなく、道体も日用も皆實理と一つにする。あちではえりどりに上の一つばかりをほしがる。そこが本来とたてる処なり。一休が、過去よりも未來へ通る一と休み、雨降らは降れ風吹かばふけと云。これも一つ一大事を見てあとの現在をやりばなしにしたのなり。
【解説】
中庸は20章までが一貫の実である。仏の見を太極図で言えば、上の丸だけを大事にする様なこと。こちらは下の丸までも大事とする。
【通釈】
そこで中庸では「中散為万事」、「武王周公其達孝矣乎」、「哀公問政」までが皆一貫きの実である。仏者の見をこちらの太極図で言うのなら、一番上に掲げた蛇の目の丸を千両道具、下の色々な丸共は三分五厘という様に見る。こちらではどれも千両道具と見る。そこを実理貫くと言う。上の丸も下の色々な丸も同じ価値にするから、どれを取るこれを取るということはなく、道体も日用も皆実理と一つにする。あちらでは選り取りをして、上の一つだけを欲しがる。そこを本来と立てるのである。一休が、過去よりも未来へ通る一と休み、雨降らは降れ風吹かば吹けと言う。これも一つの一大事を見て、後の現在を遣り放しにしたのである。
【語釈】
・中には散成萬事…中庸章句題辞。「子程子曰、不偏之謂中、不易之謂庸。中者、天下之正道。庸者、天下之定理。此篇乃孔門傳授心法、子思恐其久而差也、故筆之於書、以授孟子。其書始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。放之則彌六合、卷之則退藏於密。其味無窮、皆實學也。善讀者、玩索而有得焉、則終身用之、有不能盡者矣」。
・武王周公其達孝矣乎…中庸章句19。「子曰、武王・周公、其達孝矣乎」。
・哀公問政…中庸章句20。

同しやふて違ふことを合点せよ。直方の、世の中は風に木の葉の散る如く、兎にも角にも々々々々々々。風に木の葉の散るは南風が吹けば北へ散り、北風が吹けば南へ散る。理なりにずふ々々とする。無適無莫すきと云もよりとりと云もなし。生きたものは生きたなり、死んたものは死んだやふに、それ々々大極の理があるで、とにもかくにも理なりぞ。夜の明るは嬉く、日の暮るはいやなことなれども、万古かわらぬ。理なりで好き嫌ひの出されぬことなり。理なくなれば、とにもかくにも々々々々々々なり。ここてこれ似たやふて違ふ。これ、邪正得失判然なり。
【解説】
「其邪正得失於此已判然矣」の説明。こちらは「無適無莫」で、好きも選り取りもない。理の通りにするだけである。そこが仏は違う。
【通釈】
同じ様で違うことを合点しなさい。直方が、世の中は風に木の葉の散る如く、兎にも角にも兎のも角にもと言った。風に木の葉が散るのは、南風が吹けば北へ散り、北風が吹けば南へ散ること。理なりにずんずんとする。「無適無莫」で、好きも選り取りもない。生きたものは生きたなり、死んだものは死んだ様に、それぞれに大極の理があるので、とにもかくにも理の通りなのである。夜の明けるのは嬉く、日の暮れるのは嫌なことだが、それは万古変わらない。理の通りで好き嫌いは出せないこと。理がなくなれば、とにもかくにもである。ここで似た様で違うのがわかる。これで「邪正得失判然」である。
【語釈】
・無適無莫…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之於比」。

於彼説嘗著力云云。宋朝なとは樽ひろい大工童までがいかなるか是佛じゃの、即心即仏などと口くせにもはやり、時節かぶれもある。まへとは振合なかふぞ。今之入人也來其高明と明道の仰せらるる。それからただ高妙な処が見へて来て、程子の御側に居てああなりそふもないものじゃに、程門のれき々々衆、いつかうつつでかぶれる。自不知其為陷溺。吾れ知らずになった。武士が町人風にうつるも、あの武威のはげしいで町人のはいかがむ風にうつりそもないもそじゃに、うつるは利をたしみ或は好色めいた士などが町人めく。それも風俗になると氣がつかぬものなり。なんとしてか歴々の身をもち、市人がうらやましくなりてついそれ風に流れる。学者の流れるも佛者の心法の取りまわし、人事にじゃくせぬを見てはさても及ぬと、そこでつい吾れしらずに陷溺する。
【解説】
「然世之學者於吾學初未嘗端的用功、而於彼説顧嘗著力研究。是以於彼説日見其高妙、而視吾學爲不足爲。滔溺益深、則遂不復自知其爲滔溺」の説明。宋朝では仏が流行り、程門の歴々までもが被れた。仏者の心法の取り回しが人事に執着しないのを見て、それが実に及ばないことだと思って滔溺したのである。
【通釈】
「於彼説嘗著力云云」。宋朝などは樽拾いや大工の童までが「如何是仏」、「即心即仏」などと言って、口癖にも流行り、時節被れもあった。前とは振り合いが違う。「今之入人也来其高明」と明道が仰せられた。それからただ高妙な処が見えて来て、程子の御側に居てあの様になりそうもないものだったが、程門の歴々衆もいつかうっかりとして被れた。「自不知其為滔溺」。我知らずにそうなった。武士が町人風になるのも、あの烈しい武威で町人が這い屈むのだから町人風になりそうもないのに、そうなるのは利を嗜むからで、或いは好色めいた士などが町人めくのである。それも風俗になると気が付かないもの。どうしてか歴々の身を持ちながら市人が羨ましくなって、ついその風に流れる。学者が流れるのも、仏者の心法の取り回しが人事に執着しないのを見て実に及ばないことだと思い、そこでつい我知らずに滔溺したのである。
【語釈】
・樽ひろい…樽拾い。得意先の酒の空樽を集めて歩く酒屋の小僧。
・いかなるか是佛…仏の問答の語。「如何是佛」。
・今之入人也來其高明…近思録聖賢17。明道先生行状。「昔之惑人也、乘其迷暗、今之入人也、因其高明」。

以孟子之弁云云。こふなってきては孟子の弁で弁じても中々弁じあふせられまい。まして今日才卑德薄の吾々で何として、それゆへ弁ではいかぬが、然有一於此。たた一つ調法なことがあるてさと云こと。そればどふなれば、佛法か何ほど盛んでも、天理まで取りかへすことはならぬもの。民秉彜好是懿德。ここの処のつんと天理の至當と云ものがあり、人心にそなはり、うろ々々とはまって居れとも、至當のの権度ではかると、氣がつき目がさめてこふではあるまいことと思ふは、父子夫婦の倫理からして、どふ云てもあちのは逆、こちのは自然に順なことなり。とふしてと云ふに、膠見聞。本の目があかぬゆへ□氣がつくと我順彼逆。此之□天なりですら々々さかわぬこと。あちのは逆で高上に聞へるが、是非ともああすべきことと思はれぬ。去るに因て皆が皆で出家もせぬそ。
【解説】
「是雖以孟子之辯守而告之、恐未易抜。而況今日才卑德薄之人乎。然有一於此。疑若可捄。蓋天理人心自有至當。我順彼逆」の説明。宋朝の様に仏が盛んになっては、孟子の弁でも反駁するのは難しい。しかし、天理の至当というものがある。こちらは自然で順であり、仏は自然とは逆である。
【通釈】
「以孟子之弁云云」。こうなって来ては孟子の弁で弁じても中々弁じ切れはしないだろう。ましてや今日の才卑徳薄の我々では何としても抗せない。それで弁ではうまく行かないが、「然有一於此」。ただ一つ調法なことがあるさと言う。それはどの様なことかと言うと、仏法がどれほど盛んでも、天理まで取り崩すことはできないもの。「民秉彝好是懿徳」である。ここの処でしっかりと天理の至当というものが人心に備わっており、うろうろとしてはいても、至当の権度で測ると気が付き目が醒めてこうではないだろうと思う。父子夫婦の倫理からして、どの様に言ってもあちらのは逆、こちらのは自然で順なこと。それはどうしてかと言うと、見聞の謬からである。本当の目が明かないが、それに気が付くと「我順彼逆」。この様に天なりですらすらと騒がない。あちらのは逆で高上に聞こえるが、是非ともああすべきこととは思えない。そこで皆が皆、出家をするわけでもない。
【語釈】
・民秉彜好是懿德…孟子告子章句上6。「詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。故有物必有則、民之秉夷也、故好是懿德」。詩は詩経大雅烝民で、「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。

順と逆と云ふに因て云。百姓などが大ふほ子をりげびたなりをし、かけ飯を食ひ、一日手足を泥にしておるに、上るり大夫や三味線ひきなどは小袖を着、うまいもの喰ふておる。百姓があれを見てはあれになりたいとは思ひそうなものぞ。されとも中々左様には思はぬと云は、百姓は順てあれらは逆じゃ。たわけのどうらくものより外にあれにならぬは、そこが天理人心至當あるゆへなり。佛が今甚た流行て喪祭の世話までもするが、天下の人が皆あれになりたいとも思はぬは逆なゆへぞ。ただ迷ふているゆへたのみはたのめとも、身代すてて出家せぬは順なり。この逆と云ものがもとこちの本心の氣に入らぬもので、よく考へるとどふもあれではないと思ふが出来る。日用人事の上がどふもああではないと思ふ。至當があるゆへなり。
【解説】
百姓が浄瑠璃大夫や三味線弾きになりたいと思わないのは、百姓が順で彼女等が逆だからである。皆が僧侶になろうとは思わないのも、それが逆だからである。
【通釈】
順と逆と言うので言う。百姓などは大分骨を折り下卑た姿をして、ぶっ掛け飯を食い、一日中手足を泥にしているのに、浄瑠璃大夫や三味線弾きなどは小袖を着てうまいもの食っている。百姓があれを見ると、あれになりたいと思いそうなもの。しかしながら中々その様には思わないというのは、百姓は順であれ等は逆だからである。戯けの道楽者より外はあれにならないのは、そこに天理人心至当あるからである。仏が今甚だ流行で喪祭の世話までもするが、天下の人が皆あれになりたいとも思わないのは逆だからである。ただ迷っているので頼むことは頼むが、身代を捨てて出家することのないのは順である。この逆というものが本来こちらの本心の気に入らないものなので、よく考えるとどうもあれではないと思う。日用人事の上がどうもああではないと思う。それは至当があるからである。

体勢不侔。人心の安堵するとせぬにあることで、をもぶりもやふがどうもそふであるまいと安堵せぬなり。某がこのやふなきたない家に居てもこれて安堵なと云は、人は家にいるが順で自然のなりゆへぞ。舟遊山はよいものにて、大舩に乘り結搆な幕を張り、山水景曲の処に舟をつないたら心持はよいが、然しいつまても爰に居やふ、一生舟すまいせふとは思れぬ。これ、舟にいるは逆なゆへぞ。そこが体勢の不侔なり。直方の、不侔とは五郎朝比奈の草摺引ではないと云へり。五郎と朝比奈は侔しいぞ。とちかまけふも勝ふもじれぬ。儒佛はそのやふな伍挌なものてはないなり。そこでこちは風上にも置ぬやふにするが、あちからはこちへ合せる。色々に枝や蔓をつけて云ひまわして、こちにもあれば儒にもあるなどとかぞへたてて、とかくよりそうなり。今のは又火宅僧になりて君臣の行列まであり爵位もあり、覚へず半分はもふ儒者になったのなり。大寺をもち家来をつかひ、陸尺であるく。其角が木犀や陸尺わ人處めかづ。人倫をたちても儒者の人倫を半分用ひている。
【解説】
「體勢不侔。是以爲吾學者深拒力排、未嘗求合於彼、而爲彼學者支辭蔓説惟恐其見絕於我」の説明。儒仏の体勢は等しいものではない。互角ではないのだが、仏は儒に合わせ、寄り添おうとする。大寺を持って家来を使い、陸尺で歩くのは本来の仏ではない。
【通釈】
「体勢不侔」。人心が安堵するかしないかにあることで、面振り模様がどうもそうではないだろうと安堵しない。私がこの様な汚い家にいてもこれで安堵だというのは、人は家にいるのが順で自然の姿だからである。舟遊山はよいもので、大舟に乗って結構な幕を張り、山水景曲の処に舟を繋いだら心持ちはよいが、しかしいつまでもここにいよう、一生舟に住もうとは思わない。これが舟にいるのは逆だからである。そこが体勢不侔である。直方が、不侔とは五郎朝比奈の草摺引きではないと言った。五郎と朝比奈は侔しい。どちらが負け、どちらが勝つかも知れない。儒仏はその様な互角なものではない。そこでこちらは風上にも置かない様にするが、あちらはこちらへ合わせる。色々に枝や蔓を付けて言い回して、こちらにもあれば儒にもあるなどと数え立て、とかく寄り添う。また今の仏は火宅僧になって君臣の行列まであり爵位もあり、覚えず半分はもう儒者になっている。大寺を持って家来を使い、陸尺で歩く。其角が木犀や陸尺わ人處めかづと言った。人倫を絶っても儒者の人倫を半分用いている。
【語釈】
・五郎朝比奈の草摺引…歌舞伎の一。父の仇を討ちに行こうとはやる曽我五郎とそれを引き止め様とする小林朝比奈が、草摺(鎧の腿にあたる部分)を掴んで、行くな行かせろと引っ張り合う。
・陸尺…力仕事や雑役に従う人夫。かごかき人足や掃除夫・賄方などにいう。
・其角…宝井其角。江戸前期の俳人。1661~1707

於其心疑亦有所不安。どふも逆なことゆへをさまらぬぞ。又、天下に本んに佛を十分に行はふなれば、天下中の女をもどの嶋へでも一つ所にやりて尼にしてしまふて男ばかりにして人種もたやすならは、世界もつぶるるやふになるなり。と云ふと、いや又そふ見ることでもこざらぬと支辞蔓説するか、本と逆なことは大さしつかへになる。垩人の道は中間小者が皆孔子の通りになりてもずいぶんよい。重疂至極よかろふ。日雇取までも入公門鞠躬如。ずいぶんよかろふ。あちは天下残らず釈迦達磨のま子するとさしつかへ、こちは天子から庶人まで尭舜孔子の通り一々ちがわぬ様なれば、いよ々々よくさしつかへはない。これがたしかな順逆の弁なり。
【解説】
「是於其心疑亦有所不安矣。誠如是也、則莫若試於吾學求其所以用力者、如往時之一意於彼而從事、焉假以歳時不使間斷」の説明。仏を本当に行おうとすると人種も絶やすことになり、世界が潰れる。こちらは堯舜孔子の通りにすることだが、誰がそれをしても益々よくなる。
【通釈】
「於其心疑亦有所不安」。どうも逆なことなので納まらない。また、天下に本当に仏を十分に行おうとするのなら、天下中の女を何処かの嶋へでも一つ所に遣って尼にしてしまい、男だけにして人種も絶やすことになるのだから、世界も潰れる様になる。そう言うと、いやまたその様に見ることでもないと「支辞蔓説」するが、元々が逆なことは大差し支えになる。聖人の道は、中間小者が皆孔子の通りになっても随分とよい。重畳至極でよいことだろう。日雇取りまでもが「入公門鞠躬如」。随分とよいことだろう。あちらは天下残らず釈迦や達磨の真似をすると差し支え、こちらは天子から庶人までが堯舜孔子の通りで一々違わない様であれば、いよいよよく、差し支えはない。これが確かな順逆の弁である。
【語釈】
・入公門鞠躬如…論語郷党4。「入公門、鞠躬如也、如不容」。

得本心之正とは、天理人心至當あるでそふなるそ。只こちではきとない処あるに、無常迅速御用心々々々と暁し、一昨日まて達者であったにころり死だと云ふと、さてはかない身の上とあわてるも、こちのうろたへからあちを貴ふ。思ふ。瘧のをちぬ時あぐみきりた処へ、さんだらはちをかむって裸でかけると瘧がをちると云ふ。をちもせふかと思ふて裸でかける。本心の正い者から見てはさて々々乱心したかと云。本心の前へ佛は出されぬ筈。去るに由て大名の瘧をふるふ時、大名へ御前にもさんたらばちをかぶって裸て御かけ遊ばせと云はりゃふものか。又、落付てやわらに云ふなら、やかて死ぬ々々と寂滅を観じらるるが、なるほどやがて死ぬでごさるかどふもさふ先きをからすにも及ひそもないではないかと云はは、あちでも舌を吐くより外はない。
【解説】
「則庶乎其可以得本心之正、而悟前日之非矣」の説明。瘧には桟俵法師を冠って裸で駆けるとよいと言われて信じる者もいるが、それは大名には言えないこと。それは本心の正ではないのである。
【通釈】
「得本心之正」は、天理人心至当があるのでそうなる。こちらにはっきりとしない処があって、無常迅速御用心と暁し、一昨日まで達者であったのにころり死んだと言われると、実にはかない身の上だと慌て、こちらの狼狽えからあちらを貴いと思う。瘧の落ちない時の倦み切った処へ、桟俵法師を冠って裸で駆けると瘧が落ちると言う。落ちるだろうかと思って裸で駆ける。本心の正い者が見ればさては乱心したかと思う。本心の前へ仏は出されない筈。そこで、大名が瘧を震う時、大名へ、御前も桟俵法師を冠って裸で御駆け遊ばせと言うことができるものか。また、落ち着いて柔らかく言うのなら、やがて死ぬと寂滅を観じられるが、なるほどやがて死ぬが、どうもその様に先を枯らすにも及びそうもないだろうと言うと、あちらでも舌を巻くより外はない。
【語釈】
・さんだらはち…桟俵法師。米俵の両端にあてる、円いわら製のふた。

本心の正いと云ふは心のまんろくな時を云ふて、天理人欲至當はこなたの心にある其本心の眞ろくになると前日の非がしれる。本心之正くないと云ふは心の病氣なり。今病人を見よ。人君か御膳下を賜りても、いや喰へぬ、日比すきな酒もそちへもてゆけと云。癪積もちありて、十二三の女子饅頭はいやがりて消し炭をがり々々と喰ふがありた。皆病なり。人も本心之正を失ふた時、とてもない異端の云ことを無上にありがたく思ふ。初めに中庸首章を出し、吾之一者、彼以為二、吾所謂實者、彼以為虚とあり、皆本の心の正からぬ処からあちらこちらにくひ違ふ。
【解説】
本心が正しいと昨日の非がわかる。本心が正しくないのは心の病気である。
【通釈】
本心が正しいというは心の真陸な時を言い、天理人欲至当で貴方の心にあるその本心が真陸になると前日の非が知れる。本心が正しくないのは心の病気である。今の病人を見なさい。人君が御膳下を賜っても、いや喰えない、日頃好きな酒もそちらへ片付けろと言う。癪積持ちもいて、十二三の女子で饅頭は嫌がって消し炭をがりがりと食う者がいた。皆病である。人も本心之正を失った時、異端の途轍もなく言うことを無上に有難く思う。初めに中庸首章を出し、「吾之一者、彼以為二、吾所謂実者、彼以為虚」とあり、皆本の心の正でない処からあちらこちらで食い違う様になる。
【語釈】
・まんろく…真陸。①たいらかなこと。また、公平なこと。②十分なこと。また、完全なこと。

垩賢のは本心の正□で道を一つにするに、佛者は道にえりきらいがあると云ふが、病人の色々なものをくわれぬと云て喰ひちらす様なもの。無病は旨ひ々々と云てのこさず喰ふ。儒者は天道から日用までうまい々々々とのこさず、佛は日用はすてて本来の面目と云からして、親はまよい子は愛著、やがてくさるもの、いややの々々々々と思ふ。そこて朱子が釈迦を煩きにたへざるの人と云れた。此方は素冨貴行冨貴、素夷狄行乎夷狄。なんでも撰りきらひはない。そこでさしつかへることがないぞ。入孝出弟。さて氣の長ひことじゃと云ふがいつもかわらず何処にもあるそ。そこが道なり。釈迦も達磨も何もかもやがてくさる。なくなる々々々々と云ふ。こちは無くならぬ内をするのなり。散ればこそいとと桜はめてたけれ。散らぬ内をすることなり。あとにはかまわぬ。
【解説】
こちらには選り嫌いはないから差し支えることもない。生きている間のことをするだけで、後は構わない。
【通釈】
聖賢のは本心の正で道を一つにするが、仏者は道に選り嫌いがあると言うのが、病人が色々なものは食えないと言いながら食い散らかす様なもの。無病はうまいと言って残さず食う。儒者は天道から日用までうまいと言って残さず、仏は日用を捨てて本来の面目と言う。親は迷い子は愛着するが、それはやがて腐るもの、嫌なことだと思う。そこで朱子が釈迦を煩きに堪えざる人と言われた。こちらは「素富貴行富貴、素夷狄行乎夷狄」。何でも選り嫌いはない。そこで差し支えることがない。「入孝出弟」。実に気の長いことだというのがいつも変わらず何処にもある。そこが道である。釈迦も達磨も何もかもやがて腐る、なくなると言う。こちらはなくならない内だけをする。散ればこそいとど桜はめでたけれ。散らない内をすること。後は構わない。
【語釈】
・煩きにたへざるの人…「不堪煩底之人」。
・素冨貴行冨貴、素夷狄行乎夷狄…中庸章句14。「君子素其位而行、不願乎其外。素富貴、行乎富貴。素貧賤、行乎貧賤。素夷狄、行乎夷狄。素患難、行乎患難。君子無入而不自得焉」。
・入孝出弟…論語学而6。「子曰、弟子、入則孝、出則弟、謹而信、凡愛衆、而親仁。行有餘力、則以學文」。
・散ればこそいとと桜はめてたけれ…伊勢物語。「散ればこそいとど桜はめでたけれ、憂き世になにか久しかるべき」。


7
佛老之學、不待深辯而明。只是廢三綱五常、這一事已是極大罪名。其他更不消説。語類百二十六下同。
【読み】
佛老の學は、深辯するを待たずして明けん。只是れ三綱五常を廢す、這の一事已に是れ大罪の名を極む。其の他は更に説を消いず。語類百二十六下同。

○佛老之学云云。並べやふが大ふ面白ひ。鞭策録は立志から存養と條目が序にことはりてあるなれとも、此排釈録にはそれがないから、並べやふに氣をつけて見よいから面白ことぞ。前條に我が一とするをあちは二とし、こちの實とするものをあちは虚とすると云ことをみせて順逆本心と云につめ、そこて爰へ三綱五常と出して、しっかりと事實の上に見せた。佛者が色々と理屈を云をふか、譬へ未熟の学者でも深く弁するを待ずして明の心て拙者未熟な学者ではごされども、此の大本の父子君臣本三綱仁義の五常を廃るので佛者のわるいは知れてあるそ。これを廃る。大罪名とは、はりつけ道具でごさると云様な詞なり。君は臣の綱な、父は子の綱な、夫は婦の綱な。これて天地人たつことぞ。天地の化育をたすけると云も夫婦が本なり。天地も始めは氣化で、始めは天地と云夫婦が人物を生み、それから形化にわたしてある。ここから君臣も父子もある。それをすてて天地の道をたつ。周公が出らるる。刑に逢ふ。大罪人ぞ。理と云ものは形せぬもの。三綱は形した人でがんざりとあるもの。君臣父子夫婦をのけて道はないことぞ。それが我には□□いたは五常にて、中々空なことではなし。それじゃに三綱五常□廃す。此一章で天地の大罪人なりと云こと。ここはしか付け理を云、人事できめる。
【解説】
この条は三綱五常を出して実事で見せたもの。仏は三綱五常を廃するから悪いのは知れたこと。この天地も夫婦から始まった。それを捨てて道はない。
【通釈】
○「仏老之学云云」。並べ様が大分面白い。鞭策録は立志から存養と条目が序にことわってあるが、この排釈録にはそれがなく、並べ様に気を付けてあって見よいのが面白いこと。前条にこちらが一とするのをあちらは二とし、こちらが実とするものをあちらは虚とすると見せて、順逆本心に詰め、そこでここへ三綱五常を出してしっかりと事実の上で見せた。仏者が色々と理屈を言うとしても、たとえ未熟の学者でも深く弁ずることを待たずして明な心で、拙者は未熟な学者ではございますが、このの大本の父子君臣の本三綱と仁義の五常を廃するので仏者の悪いのは知れていると言う。これを廃する。「大罪名」とは、磔道具だという様な言葉である。君は臣の綱、父は子の綱、夫は婦の綱。これで天地人が立つ。天地の化育を賛けると言うのも夫婦が本である。天地も始めは気化で、始めは天地という夫婦が人物を生み、それから形化に渡したもの。ここから君臣も父子もある。それを捨てて天地の道を絶つ。周公が出られた。刑に遭う。大罪人である。理というものは形のないもの。三綱は形した人でしっかりとあるもの。君臣父子夫婦を除けて道はない。それが自分に□□いたのが五常で、中々空なことではない。それなのに三綱五常を廃す。この一章は、仏は天地の大罪人だということ。ここは直に理を言い、人事で決める。
【語釈】
・三綱五常…論語為政23集註。「愚按、三綱、謂、君爲臣綱、父爲子綱、夫爲妻綱。五常、謂、仁、義、禮、智、信」。
・天地の化育をたすける…中庸章句22。「能盡物之性、則可以贊天地之化育。可以贊天地之化育、則可以與天地參矣」。


8
佛氏今不消窮究他。伊川所謂只消就跡上斷便了。他既逃其父母。雖説得如何道理、也使不得。如此、卻自足以斷之矣。
【読み】
佛氏は今他を窮究するを消いず。伊川の謂う所の只跡上に就いて斷ずるを消いれば便ち了る。他に既に其の父母を逃る。如何なる道理を説き得ると雖も、也た使に得ず。此の如きは、卻て自から以て之を斷ずるに足る。

○佛氏今不消窮究他云云。上の段がすぐに伊川の跡上の断で、ここではきと伊川と名くる。私は盗む氣はないが、こなたの紙入を取ったと云ふとも、それが直に盗みにきわまりた。跡上に就て断せよ。親のあたまへ足をあげても子の心に如在はないと云まで云はせぬ。其足をあげたをじきにゆるさぬなり。父母と云ふはさて々々重ひことぞ。公儀でも大名の屋鋪でも親の病氣と云、はや有病暇も下さるる。親と云ふはこふしたものなり。其親を大義渡で見殺にしてくるが菩提の初発心などと云。この如何なる道理を説ても使不得。うけとられぬ。迹上と云の的切なは両替屋へこれは六原鎌倉のと云ても、後藤でなくてはどふしてとらふぞ。此父母を逃と云ふも心法づくを云はずにじかに跡上で断ずるで動くことはならぬぞ。
【解説】
跡上に就いて断じれば確かである。仏がどの様な道理を説いても、受け取ることはできない。
【通釈】
○「仏氏今不消窮究他云云」。上の段が直に伊川の跡上の断で、ここでははっきり伊川と名が出る。私は盗む気はなかったが、貴方の紙入れを取ったと言っても、それが直に盗みに極まったこと。跡上に就いて断じなさい。親の頭に足を上げても子の心に如在はないとは言わせない。足を上げるのを直に許さない。父母は実に重いこと。公儀でも大名の屋敷でも親が病気と言えば、直ぐに有病暇も下される。親とはこうしたもの。その親を大儀がって見殺にし、菩提の初発心などと言う。それではどの様な道理を説いても「使不得」。受け取ることはできない。跡上の的切なたとえは、両替屋にこれは六波羅、鎌倉のものだと言っても、後藤でなくてはどうして受け取るものか。この父母を逃げると言うのも、心法尽くしを言わずに直に跡上で断ずるので確かなこととなる。
【語釈】
・後藤…後藤基清あたりか?


9
釋氏之學、大抵謂、若識得透、應千罪惡、即都無了。然則此一種學、在世上乃亂臣賊子之三窟耳。王履道做盡無限過惡、遷謫廣中。剗地在彼説禪非細。此正謂其所爲過惡、皆不礙其禪學爾。百二十四。
【読み】
釋氏の學は、大抵謂う、若し識得透れば、應千の罪惡は、即都て無し了る、と。然れば則ち此の一種の學は、世上に在る亂臣賊子の三窟のみ。王履道は限り無く過惡を做盡し、廣中に遷謫す。剗地に彼に在り禪を説くに細に非ず。此れ正に其の爲す所の過惡は、皆其の禪學に礙らずと謂うのみ。百二十四。

釈氏之学大抵云云。識得透はここらで云ふ得道のことで、禅ではさとりと云のぞ。應ちは、應じあづかると文字なりに云ことなり。さきのことにもつかふが、ここは以前のこと。これまでのつみとがなり。若ひ特から色々の悪ひことをしたが、今さとりたで帳を消してしまったと云。そこで朱子の思召に、さて々々氣の毒なことそ、あちの法も本悪ひことをさせぬと云ひ立ることじゃに、悟ると今迠の罪悪かなくなる、七難即滅と云ふになっては悪ひことをしてもこれで消すと云ふをあてにするやふになるなり。磔塲に題目石あるもあれで消へる。思ふ。いよ々々わるいことをするにも来世はよいと思ふ。
【解説】
「釋氏之學、大抵謂、若識得透、應千罪惡、即都無了」の説明。仏は色々と悪いことをしても、悟りを得ればそれは消え、来世はよいと言う。悪いことをしても悟りを得ればよいとする。
【通釈】
「釈氏之学大抵云云」。「識得透」はここ等で言う得道のことで、禅では悟りと言う。「応」は応じ与るで、文字の通りのこと。先のことにも使うが、ここは以前のこと。これまでの罪科である。若い時から色々と悪いことをしたが、今は悟ったので帳消しにしてしまったと言う。そこで朱子が思し召して、実に気の毒なことだと言った。あちらの法も本来は悪いことをさせない様に言い立てたものなのに、悟ると今までの罪悪がなくなると言い、七難即滅と言う様になっては悪いことをしてもこれで消すことを当てにする様になる。磔場に題目石があるのもあれで消えるからと思う。いよいよ悪いことをしても、来世はよいと思う。
【語釈】
・七難即滅…仁王経。「七難即滅、七福即生」。

乱臣賊子の三屈。にげこみ処になるぞ。三屈はにげるかくれ処。馮驩が云たこと。兔に三窟ある。孟嘗君はただ一つあるほとに、我々二屈ほりて進せんと戦国策にある。馬子が天子を弑したを垩德太子のこれも過去の因縁と心得て、何んともないていなり。いかさま寂滅の見からは此世は假こと。死は眞なれは、死ぬ方はどふ死ふとも死の方は本んのこととみる。すれば弑されても□く行く処へゆくが早牛まわし。重疂なことなれば、太子不忠で□□、佛見と云ものなり。弑逆左ほどに思はず。そこを復讐などと云ことはない筈そ。これが佛法ぞ。門徒宗で死ぬをべったりと御目出度と云ふはきこへた。中風で死んでも殺されて死んでも死ぬは一つなれはつまりよいことと思ふ。すれば復讐などはせぬはづ。こふみれば乱臣賊子の三屈いやと云へぬ判断なり。君父の前で云はれぬことなれとも、それても信ずるは耳目をぬりふさいだのぞ。かふあけて判断するが上に云ふ経済の排釈ぞ。
【解説】
「然則此一種學、在世上乃亂臣賊子之三窟耳」の説明。仏の悟りは三窟と同じである。聖徳太子も馬子が天子を弑したのを過去の因縁と心得て何もしなかった。死ぬのを喜ぶから、死に方には拘らない。
【通釈】
「乱臣賊子之三窟」。逃げ込み処になる。三窟は逃げ隠れする処で、馮驩が言ったこと。兎に三窟がある。孟嘗君はただ一つだけしかないので、我々が二窟を掘って差し上げましょうと言ったことが戦国策にある。馬子が天子を弑したのを聖徳太子はこれも過去の因縁と心得て、何ともない風だった。いかにも寂滅の見からはこの世は仮のことで死は真だから、死ぬ方ではどの様に死のうとも死の方は本当のことと見る。それなら弑されても早く行く処へ行っただけで、早牛回しで重畳なことだと思うが、それは太子の不忠であって、仏見というものである。弑逆をさほどに思わないのだから、復讐などということはない筈。これが仏法である。門徒宗で死ぬことを大層御目出度いと言うのがよくわかる。中風で死んでも殺されて死んでも死ぬのは同じであれば、つまりはよいことだと思う。それなら復讐などはしない筈。この様に見れば乱臣賊子の三窟は違うと言えない判断である。君父の前では言えないことだが、それでも信じるのは耳目を塗り塞いだからである。この様に引き上げて判断するのが上に言う経済の排釈である。
【語釈】
・馮驩…斉の人。孟嘗君の食客。
・戦国策…戦国策斉斉人有馮諼者。「馮諼曰、狡兔有三窟、僅得免其死耳。今君有一窟、未得高枕而臥也。請爲君復鑿二窟」。

王履道がことも排釈には親切なことなり。今論語よみの論語しらずと云ひ、学者に似合ぬと云ふか道理からきめたもの。あちは空寂なれはどふせふともかまいないこと。あれほどの過悪が禅学の礙りにはならぬと云は空理ゆへ、なるほどそふも云はれふが、学者などては風上にも置れぬ悪るものなれとも、禅学では悪ひことをしてもさわりにならぬと云ふが、さて々々あのやふなやつを生けて置くことかな、さても々々々とあきれさするの趣向で此条を出したと見へるぞ。道鏡などがかやふなもので、どふやらこふやらしたぞ。此条などが経済の排釈の口開きをしたぞ。玄昉がことなどを道春の論しられたも経済の意をこめて排せられた。
【解説】
「王履道做盡無限過惡、遷謫廣中。剗地在彼説禪非細。此正謂其所爲過惡、皆不礙其禪學爾」の説明。論語読みの論語知らずと言うのは道理から決めたこと。禅学では悪いことをしても障りにならないと言うが、それは学者などの風上にも置けないこと。
【通釈】
王履道のことがあるのも排釈には親切なこと。今論語読みの論語知らずと言い、学者に似合わないと言うのは道理から決めたもの。あちらは空寂であればどうでも構わない。あれほどの過悪が禅学の礙りにならないと言うのは空理だからで、なるほどその様にも言えようが、学者などでは風上にも置けない悪者である。禅学では悪いことをしても障りにならないと言うが、さてもあの様な奴を生かして置くべきものかと、呆れさせる趣向でこの条を出したものと見える。道鏡などがこの様な者で、どうやらこうやらした。この条などが経済の排釈の口開きをしたもの。玄昉のことなどを道春が論じられたのも、経済の意を込めて排せられたもの。
【語釈】
・王履道…
・玄昉…奈良時代の法相宗の僧。俗姓は阿刀氏。716年(霊亀二)入唐。735年(天平七)帰朝、興福寺に住して法相宗を弘めた。除災招福や皇太夫人宮子治病の験を以て栄寵を受け、藤原広嗣の乱の原因となった。乱後、筑紫観世音寺に左遷。~746