排釈録第二席  正月十七日  慶年録
【語釈】
・正月十七日…寛政5年(1793)か?
・慶年…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。篠原惟秀の兄。

10
釋老稱其有見、只是見得箇空虚寂滅、眞是虚、眞是寂無處、不知他所謂見者見箇甚底。莫親於父子。卻棄了父子。莫重於君臣。卻絶了君臣。以至民生彝倫之間不可闕者。他一皆去之。所謂見者見箇甚物。且如聖人親親而仁民、仁民而愛物。他卻不親親、而剗地要仁民愛物。愛物時、也則是食之有時、用之有節。見生不忍見死、聞聲不忍食肉。如仲春之月、犧牲無用牝、不麛、不卵、不殺胎、不覆巢之類、如此而已。他則不食肉、不茹葷、以至投身施虎。此是何理。百二十六。
【読み】
釋老の其の見有るを稱すは、只是れ箇の空虚寂滅、眞に是れ虚、眞に是れ寂無の處を見得るのみ。知らず、他の謂う所の見は箇の甚に底を見るを。父子より親は莫し。卻って父子を棄了す。君臣より重きは莫し。卻って君臣を絶了す。以て民生彝倫の間は闕く可からざる者に至る。他は一に皆之を去る。謂う所の見は箇の甚に物を見る。且つ聖人の如きは親を親んで民を仁し、民を仁して物を愛す。他は卻って親を親しまずして、剗地に民を仁し物を愛するを要す。物を愛する時、也た則ち是れ之を食すに時有あり、之を用うるに節有り。生を見れば死を見るに忍ばず、聲を聞けば肉を食すに忍ばず。仲春の月、犧牲に牝を用いる無く、麛ならず、卵ならざれば、胎を殺さず、巢を覆さずの類の如きは、此の如きのみ。他は則ち肉を食わず、葷を茹ず、以て身を投じて虎に施すに至る。此れは是れ何の理ぞ。百二十六。

釈老穪其有見云云。何でも義理にあたまへしと云ことはない。なにあれがと云ことはないことそ。釈老も偏ぐるめ有見てのことなり。見処のあるものそと、あちから云ふたそ。そこで朱子の、なるほど見取たろうが其見る処が違ふぞ。見箇甚底たぞとなり。揚墨が如きも見は見たが、かた々々見たゆへ為我兼愛と出る。少しのくるいからの違ひぞ。仁者知者は異端ではないが、仁者見之謂仁、知者見之謂知。そろ々々異端の下地になるなり。虚無も寂滅も目の附処、筋のあること。虚無と云もだたい手をそへずともよいのに、それを世話やきせせるをきらいと、ありなり次第にしてをけと云。寂滅もどふしてもしまいにはなくなると見た。なるほどそふじゃ。そこを垩人は云はぬに、あちでは只虚じゃ滅じゃと、つまり一方ばかりを見て片論を云。直方の、異端は火の見櫓の片窓をあけて見るやふで、片方ばかりみると云へり。上の跡上の断は事跡で云ふが、此条はそれを理で云。跡上断の蓋をあけて見せるのなり。莫親父子云云。あちでいやかる父子がこちら第一馳走する処。其父子をすてる。太切の甘ひ処を棄てしまふ。鯛のあたまをすてた様なものそ。
【解説】
「釋老稱其有見、只是見得箇空虚寂滅、眞是虚、眞是寂無處、不知他所謂見者見箇甚底。莫親於父子。卻棄了父子。莫重於君臣。卻絕了君臣」の説明。前条の跡上の断は事跡で言ったが、この条はそれを理で言う。仏の言う虚無も寂滅も筋のあることだが、一方だけを見て言ったこと。仏はこちらが最も大事にしている父子を棄てる。
【通釈】
「釈老称其有見云云」。何でも義理にはあたまべしということはない。何あれがということはない。釈老も偏を含んで見があってのこと。見処のあるものだと、それはあちらから言ったこと。そこで朱子が、なるほど見取ったのだろうが、その見る処が違う。「見箇甚底」だと言った。楊墨の様な者も見るには見たが、片々を見たので「為我兼愛」と出る。少しの狂いからの違いである。仁者や知者は異端ではないが、「仁者見之謂仁、知者見之謂知」が、そろそろと異端の下地になる。虚無も寂滅も目の付け処、筋のあること。そもそも虚無は手を添えなくてもよいものなのに、それに世話を焼いたりせせるのを嫌って、あるがままにして置けと言う。寂滅もどうしても最後はなくなると見た。なるほどそうである。そこを聖人は言わないが、あちらではただ虚だ滅だと、つまり一方ばかりを見て片論を言う。直方が、異端は火の見櫓の片窓を開けて見る様で、片方ばかりを見ると言った。前条の跡上の断は事跡で言うが、この条はそれを理で言う。跡上の断の蓋を開けて見せたのである。「莫親於父子云云」。あちらで嫌がる父子がこちらで第一に馳走する処。その父子を棄てる。大切な甘い処を棄ててしまう。それは鯛の頭を棄てた様なもの。
【語釈】
・為我兼愛…孟子滕文公章句下9。「楊氏爲我、是無君也。墨氏兼愛、是無父也。無父無君、是禽獸也」。同尽心章句上26。「孟子曰、楊子取、爲我。拔一毛而利天下、不爲也。墨子兼愛、摩頂放踵利天下、爲之」。
・仁者見之謂仁、知者見之謂知…

至民生彜倫之間云云。どふもすてられぬものを棄る。ここに君臣父子とありて夫婦の字がないが、云にや及ぶ。あの方の尚きびしいきらいゆへぞ。夫婦は淫欲愛着尚々すてる。所謂見者見箇甚物。定性書にある通り、反鑑而索照のなり。鏡をとぐは顔を見るためじゃに、磨て椽の下へ置くなら磨ぬがよい。垩人親親云云。垩人は親を親しむ。其なりのひろがる、凡天下の人へゆく。其あまりが禽獣へ出る。厩焚謂傷人乎、而不問馬も、馬にはかまわぬと云ことてはない。人へはやひびく方が先になる。覚へず次第揩級のあるがこちの自然なり。佛はさかさまなり。親を初一心からうるさく思ふ。邪魔ものとする。垩人は物を愛するとても放生會をするではない。有時有節が愛するのぞ。只何んでもわけなしに愛すると云は無寸の尺無星の秤そ。
【解説】
「以至民生彝倫之間不可闕者。他一皆去之。所謂見者見箇甚物。且如聖人親親而仁民、仁民而愛物。他卻不親親、而剗地要仁民愛物。愛物時、也則是食之有時、用之有節」の説明。仏は三綱を棄てるが、聖人は親を親しむ。それが天下の人にも及び禽獣にも出る。そこには次第階級がある。仏はそれが逆様である。
【通釈】
「至民生彝倫之間云云」。どうも棄てられないものを棄てる。ここに君臣父子とあって夫婦の字がないが、それは言うには及ばないこと。あの方がもっと厳しく嫌うからである。夫婦は淫欲愛着だから尚更棄てる。「所謂見者見箇甚物」。定性書にある通り、「反鑑而索照」である。鏡を研ぐのは顔を見るためなのに、磨いて縁の下に置くのなら磨かない方がよい。「聖人親親云云」。聖人は親を親しむ。それが広がると凡そ天下の人へ行く。その余りが禽獣へ出る。「厩焚謂傷人乎、而不問馬」も、馬には構わないということではない。人に響く方が先になる。覚えず次第階級のあるのがこちらの自然である。仏は逆様。親を初一心から煩く思う。邪魔者とする。聖人は物を愛するとても放生会をするわけではない。有時有節で愛するのである。ただ何でもわけなしに愛するというのは無寸の尺無星の秤である。
【語釈】
・定性書…近思録為学4。
・反鑑而索照…近思録為学4。「今、以惡外物之心、而求照無物之地。是反鑑而索照也」。
・厩焚謂傷人乎、而不問馬…論語郷党12。「廏焚。子退朝、曰、傷人乎。不問馬」。
・放生會…仏教の不殺生の思想に基づいて、捕えられた生類を山野や池沼に放ちやる儀式。神社・仏寺で陰暦8月15日に行われる。

見生不忍見死。鷄をしめるにきゃっ々々々と云は聞てよふないから、あちで拵へてこいと云ふなり。それが咽につかへはせぬ。そこが條理分派のある処ぞ。仲春之月云云。月令にある。愛に條理のあること斗りそ。よく咲た牡丹を切る、いやなり。なれとも客のある時き切て花入に入れもする。子どもの牡丹を引むしるをやれをけと云ばかりなり。惣たいのことの色々に出るは條理分派なり。米一俵は人にやる。一と握りでもはきだめへすてぬは條理分派なり。不食肉。いつも々々々喰はぬ。あちは分派がないゆへ入らざることあり。不茹葷。これは肉の次手に出た。殺生戒ではなし。不許葷酒山門のことぞ。さま々々と垩人の方になき禁好物あり、をかしきことなり。
【解説】
「見生不忍見死、聞聲不忍食肉。如仲春之月、犧牲無用牝、不麛、不卵、不殺胎、不覆巢之類、如此而已。他則不食肉、不茹葷」の説明。こちらには条理分派が色々とあるが、仏にはそれがない。そこで、仏には聖人の方にはない禁好物がある。
【通釈】
「見生不忍見死」。鶏を絞めるとぎゃっぎゃっと鳴くのは聞いて気持ちがよくないから、あちらで拵えて来いと言う。それが咽に支えるわけではない。そこが条理分派のある処である。「仲春之月云云」。月令にある。愛には条理のあることばかりである。よく咲いた牡丹を切るのは嫌なこと。しかしながら、客のある時には切って花入れに入れもする。子供が牡丹を引きむしると、それはするなと言うだけのこと。総体のことが色々と出るのは条理分派である。米一俵は人に遣るが、一握りでも掃き溜めへ棄てないのは条理分派である。「不食肉」。いつも肉を食わない。あちらは分派がないので不要なことがある。「不茹葷」。これは肉の序でに出したことで、殺生戒ではない。「不許葷酒山門」のこと。様々と聖人の方にはない禁好物があって、それは可笑しなこと。
【語釈】
・月令…礼記月令。但し、孟春之月に「犧牲毋用牝」とある。
・不許葷酒山門…臭いが強い野菜(葱、韮、大蒜など)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないということ。

至投身施虎云云。このこと涅槃経にありと云。吾身をば身と思はず限りなき慈悲をすること。どこまても分派がない。是何理ぞ。生物と云ても蚊を殺すと雀を殺は最ふ心へひびきやふが違ふ。牛半殺すは勿論のこと。皆條理あるぞ。すじ分てある。ここが理できめる処ぞ。一人子をころしては乱心もするほどなれとも、七歳未滿には喪服もない。子は一つにかはゆけれとも、嫡子と次男以下は喪の日數も違ふ。眼忌令。皆それ々々にかわるなり。理は分派がある。あちには空ゆへ分派がとんとないぞ。根が鉢坊主の所作なればこそ、あれを天下国家へ出しては一日もたたぬことなり。
【解説】
「以至投身施虎。此是何理」の説明。仏は我が身を棄てて限りなき慈悲をする。それでは分派がない。理には分派があるが、あちらは空なので分派が全くない。それでは天下国家に通用しない。
【通釈】
「至投身施虎云云」。これは涅槃経にあると言う。我が身を身とは思わず限りなき慈悲をすること。何処までも分派がない。「是何理」。生き物と言っても、蚊を殺すのと雀を殺すのはもう心への響き様が違う。牛を半殺しにするのは勿論のこと。皆条理があり、筋が分かれてある。ここが理で決める処。一人子を殺すのは乱心もするほどのことだが、七歳未満には喪服もない。子は同じく可愛いが、嫡子と次男以下では喪の日数も違う。眼忌令で、皆それぞれに変わる。理には分派がある。あちらは空なので分派が全くない。根が鉢坊主の所作だから、あれを天下国家へ出しては一日も立っていられない。
【語釈】
・投身施虎…
・眼忌令…


11
答何叔京書曰、釋氏以儒者仁民之分愛物、而仁民反有未至。文集四十。
【読み】
何叔京に答うる書に曰く、釋氏は儒者の民を仁するの分を以て物を愛して、民を仁するは反って未だ至らざる有り。文集四十。

○答何叔京書曰云云。釈氏の見処か虚空に大ひことばかり云て細かあたりがない。隣の内もこちの内も同じことにする見から門とちがいをする。垩人のは親親仁民愛物と、それ々々門ある。其門を取違ひ、隣の家にはひ入ておるやふじゃ。平等利益と云か、女房と妹一つにならぬと云はそれ々々に筋のきまりたのぞ。たたかわゆいとならば、とほうもないことぞ。其とほふもない見から虎に肉をくわするのぞ。出家が両国橋の上てうなぎ買ふて放し、或は放鳥のと云て買て放す。そふかとをもへは人にはそれほどにもない。面を赤めて爭もするなり。人とはりはふ心は放鳥ではない。西銘、民吾同胞、物吾與也。あれほと兼愛に似たと云ほどの一理を云へども、はや民と物とがわかりてある。水醤不入咽と云ても、又不致痩とある。このやふに垩人のは哀悼の中にも自つとほどらいのあることなり。そこが垩学の條理分派ぞ。
【解説】
仏は門違いがある。放鳥をするかと思えば、人と争ったりもする。こちらでは、西銘でさえも民と物とが分かれている。
【通釈】
○「答何叔京書曰云云」。釈氏の見処は虚空に大きいことばかりを言って細か当たりがない。隣の家もこちらの家も同じことにするという見から、門違いをする。聖人のは「親親仁民愛物」と、それぞれに門がある。その門を取り違えるから、それは隣の家に這い入っている様なもの。平等利益と言うが、女房と妹が一つにならないのは、それぞれに筋が決まっているからである。それをただ可愛いとするのなら、途方もないこと。その途方もない見から虎に肉を食わせる。出家が両国橋の上で鰻を買って放し、或いは放鳥と言って買って放す。そうかと思えば人にはそれほどでもない。面を赤めて争いもする。人と張り合う心は放鳥ではない。西銘に「民吾同胞、物吾与也」とあり、あれほど兼愛に似るというほどに一理を言っても、既に民と物とが分かれている。「水醤不入咽」と言っても、また「不致痩」とある。この様に聖人のは哀悼の中にも自ずと程合いがある。そこが聖学の条理分派である。
【語釈】
・親親仁民愛物…孟子尽心章句上45。「孟子曰、君子之於物也、愛之而弗仁。於民也、仁之而弗親。親親而仁民、仁民而愛物」。
・平等利益…仏語。「乃至法界、平等利益」。
・虎に肉をくわする…「投身施虎」。
・放鳥…放生会・葬儀などの時、功徳のために、捕えておいた鳥を放ちやること。
・西銘…近思録89を指す。
・水醤不入咽…
・不致痩…

此反てと云反の字か面白い意あることなり。物をそれほどに愛するからは、仁民は云ふに及ふまい。極々で有ふことなれども、反てなり。物を愛するのさはきで民の方はそこ々々になる。医者の挨拶で病人は藥のませることを反て忘れたのそ。そこが反の字なり。答連崇郷書にある通り、本と第二の処をすてて第一着をつかまへんとして精神魂魄をつかまへた。もと氣をはらって理を捉へる心なれとも、反て氣をつかまへたそ。佛者の不調法なは此反て、肉にこもってあることぞ。子どもを余り可愛がり過ると反て悪ひになる様なもので、自然でないことは反てと、あちらこちらになるものそ。
【解説】
仏は物を愛することを騒ぎ過ぎて、民の方はそこそこになる。仏は気を掃って理を捉えるつもりが、反って気を掴まえている。
【通釈】
この「反」の字が面白い意のあること。物をそれほどに愛するからは、仁民は言うには及ばないだろう。極々なことだが、反ってである。物を愛することを騒ぎ、民の方はそこそこになる。医者が挨拶をしていて病人の薬を飲ませることを反って忘れたのである。そこが反の字である。答連崇卿書にある通り、本第二の処を捨てて第一着を掴まえようとして精神魂魄を掴まえた。それは元々気を掃って理を捉える心だったのだが、反って気を掴まえたのである。仏者が不調法なのはこの反で、それは肉にこもってあること。子供をあまりに可愛がり過ぎると反って悪くなる様なもので、自然でないことは反ってで、門違いになるもの。


12
問、釋氏説慈、即是愛也。然施之不自親始、故愛無差等。先生曰、釋氏説無縁慈。記得甚處説、融性起無縁之大慈。蓋佛氏之所謂慈、並無縁由、只是無所不愛。若如愛親之愛、渠便以爲有縁。故父母棄而不養、而遇虎之飢餓、則捨身以食之。此何義理耶。語類百二十六下同。
【読み】
問う、釋氏の慈を説くは、即ち是れ愛なり。然して之を施すに親より始めざる故に愛に差等無し。先生曰く、釋氏は無縁の慈を説く。甚の處は、性を融し無縁の大慈を起すと説くを記し得。蓋し佛氏の謂う所の慈、並に縁由無きは、只是れ愛せざる所無し。親を愛するの愛の若如きは、渠は便ち以て有縁と爲す。故に父母を棄て養わずして、虎の飢餓に遇っては、則ち身を捨てて以て之を食わす。此れ何の義理ぞ。語類百二十六下同。

○問、釈氏説慈、即是愛也云云。これは問ひもよく合点して問たことなり。佛経に慈と云ふは垩人の愛でござる。そうなくては説法も人にひびかぬ。それじゃか施すに無差等そ。隣の子もこちの子も同しやふにするやふで人心にのらぬ。のっても心得られぬは分派がないゆへなり。説無縁慈。少してもこちに縁のないものを愛する。垩人のは父子からの愛をのべること。根一本がのびるのぞ。甚處説か、先年もをれが見たに佛書の内何の処にか有たて、融性起無縁之大慈。直方の点は浅見流なれども、ここは山崎先生の点の風でか下から反ってあるが、上から融性にと音でよむがよかろふ□。融性は平等利益にしきりなし。松も竹も親類も他人もと迂斎云へり。生きとし生るもの、何んでもへたてなく、無縁は肉身をはなれて云ぞ。誰れでもあれがかわいひ、これはどふと云ふなしに出るを大慈と云。垩人の爰は父子と云肉に付た処から出、それをは愛着の惑ひのと云。
【解説】
「問、釋氏説慈、即是愛也。然施之不自親始、故愛無差等。先生曰、釋氏説無縁慈。記得甚處説、融性起無縁之大慈。蓋佛氏之所謂慈、並無縁由、只是無所不愛」の説明。仏経で言う慈は聖人の愛のことだが、仏のそれは無等差だと問い手が言った。仏には分派がないから縁のないものを愛するが、聖人は父子から愛を広げる。
【通釈】
○「問、釈氏説慈、即是愛也云云」。これは問い手もよく合点して問うたこと。仏経で慈と言うのは聖人の愛である。そうでなくては説法も人に響かない。しかし、それを施すのに「無差等」である。隣の子も自分の子も同じくする様で人心に乗らない。乗ったとしても、それを心得られないのは分派がないからである。「説無縁慈」。少しもこちらに縁のないものを愛する。聖人のは父子からの愛を延べること。根一本が伸びるのである。「甚処説」は、先年も俺が見た仏書の中の何処かにあったことで、「融性起無縁之大慈」。直方の点は浅見流だが、ここは山崎先生の点の風なのか、下から反っているが、上から融性にと音で読むのがようだろう。融性は平等利益で仕切りがない。松も竹も親類も他人もと迂斎が言った。生きとし生けるもの、何でも隔てないことで、無縁は肉身を離れて言う。誰にでもあれが可愛い、これはどうのと言うことなしに出るのを大慈と言う。聖人はここで父子という肉に付いた処から出るから、それを愛着だとか惑いだと言う。
【語釈】
・平等利益…仏語。「乃至法界、平等利益」。

渠以為有縁。このやふに垩人とさかさまなことなり。此何義理耶。とほふもないことなり。孟子が詖淫邪遁と云はるる。元来愛と云ても、虎を養ふと出る。世間はづれなり。虎が愛すべきものではないが、愛の偏のぎり々々ぞ。これ、詖なり。それはとほふもないと朋友が云ふとも、中々中々そこにはまりては心までとらけてはまりきる。そこで淫になる。それからは、こきあげた愛も執着ならぬやふにするには父母をのがるるが第一ぞ。これ、邪になる。そふして見てもどふもすまぬ処ありて、父母経などと云ものあとから出来るはこれ、遁なり。孟子に内甲を見ぬかれたぞ。其後はるかすぎて佛が出たが、孟子を知らぬゆへ、人々だまされたなり。
【解説】
「若如愛親之愛、渠便以爲有縁。故父母棄而不養、而遇虎之飢餓、則捨身以食之。此何義理耶」の説明。孟子が「詖淫邪遁」と言い、仏の内心を見抜いていた。孟子から時が経って仏が出たが、人々は孟子の言を理解しなかったので仏に騙された。
【通釈】
「渠以為有縁」。この様に仏は聖人とは逆様である。「此何義理耶」。途方もないこと。孟子が「詖淫邪遁」と言われた。元来愛と言っても、虎を養うと出る。それは世間外れなこと。虎は愛すべきものではないが、これが愛の偏の至極である。これが詖である。それは途方もないことだと朋友が言っても、中々そこに嵌っては心まで取られて嵌り切る。そこで淫になる。それからは、扱き上げた愛を執着しない様にするためには父母を逃れるのが第一だとする。これが邪になる。そうして見てもどうも済まない処があって、父母経などというものが後にできるのが遁である。孟子に心の内を見抜かれたのである。その後遥かに過ぎて仏が出たが、孟子を知らないので、それに人々が騙された。
【語釈】
・詖淫邪遁…孟子公孫丑章句上2。「何謂知言。曰、詖辭知其所蔽、淫辭知其所陷、邪辭知其所離、遁辭知其所窮。生於其心、害於其政。發於其政、害於其事。聖人復起、必從吾言矣」。


13
問、昔有一禪僧、毎自喚曰、主人翁惺惺著。大學或問亦取謝氏常惺惺法之語、不知是同是異。曰、謝氏之説地歩闊、於身心事物上皆有工夫。若如禪者所見、只看得箇主人翁便了、其動而不中理者、都不管矣。且如父子天性也、父被他人無禮、子須當去救、他卻不然。子若有救之之心、便是被愛牽動了心、便是昏了主人翁處。若如此惺惺、成甚道理。向曾覽四家録、有些説話極好笑、亦可駭。説若父母爲人所殺、無一舉心動念、方始名爲初發心菩薩。他所以叫主人翁惺惺著、正要如此。惺惺字則同、所作工夫則異、豈可同日而語。
【読み】
問、昔一禪僧有りて、毎に自喚して曰く、主人翁惺惺著、と。大學或問亦謝氏常惺惺の法の語を取る、是れ同か是れ異かを知らず。曰く、謝氏の説は地歩を闊し、身心事物の上に於て皆工夫有り。禪者の見る所の若如きは、只箇の主人翁を看得て便ち了り、其れ動いて理に中らざるは、都て管せず。且つ父子の如き天性や、父他人に無禮せられば、子須く當に救い去るべく、他は卻って然らず。子若し之を救うの心有れば、便ち是れ愛に心を牽動して了らされ、便ち是れ主人翁を昏し了る處なり。若し此の如く惺惺すれば、甚の道理を成さん。向曾て四家録を覽て、些かの説話有り極めて好笑し、亦駭す可し。説に、若し父母の人の爲に殺す所、一つとして心を舉げ念を動かすこと無きは、方に始めて名づけて初發心の菩薩と爲す、と。他の主人翁惺惺著と叫ぶ所以は、正に此の如きを要す。惺惺の字は則ち同じくして、工夫を作す所は則ち異なり、豈日を同じくして語る可けんや。

○問、昔有一禅僧云云。瑞嵓和尚如愚と傳燈録にあり、亭主内にかとこへかける。かけるらるる、はっきとなる。ここで佛心佛性□ぼけた。謝氏の常惺々、同じことでござるかなり。同と云と、□れはとほふもないと思ふ。朱子の一切さわがぬ。地歩闊し。あちもこちもさますは同じことじゃが、こちのは地歩が闊ひなり。某毎に云ふ坐禅靜坐と同じこと、と。人々魂を消し、それはと云ふ。ただ靜に坐するにちかいかない処か一つじゃが、違ふことがある。あちの坐禅は入定してそれぎり。枯木死灰になる。こちは其靜坐で万事に應ずる。そこが地歩闊しなり。明鏡止水の体から天下をどふがへしにするはたらきも出る。佛者は山の奧で喚ひさましてをく。しまってをく。垩人は篤敬から一日二日万機そ。こちの惺々は物に應するため、あちのはさまして物に接らせぬ。反鑑而索照也。主人翁を喚さましてをいてしまってをくは、鏡を磨たてて箱に入れ、庖丁をといてつかわぬのなり。
【解説】
「問、昔有一禪僧、毎自喚曰、主人翁惺惺著。大學或問亦取謝氏常惺惺法之語、不知是同是異。曰、謝氏之説地歩闊、於身心事物上皆有工夫。若如禪者所見、只看得箇主人翁便了」の説明。「惺惺」は仏も儒も同じだが、儒は地歩が闊い。仏も儒も座禅静座をするが、仏は入定するだけで、儒はそれから万事に応じる。
【通釈】
○「問、昔有一禅僧云云」。瑞巌和尚如愚と伝燈録にあり、亭主はいるかと声を掛ける。そこではっきりとなる。ここで仏心仏性が惚ける。謝氏の常惺々も同じことかと尋ねた。同じだと答えると、それは途方もないことだと思う。しかし、朱子は一切騒がない。「地歩闊」。あちらもこちらも惺すのは同じだが、こちらのは地歩が闊い。それは、私がいつも言う座禅静座と同じこと。人々が魂を消すのは同じかと言う。ただ静に座すのに違いはない処は一つだが、違うことがある。あちらの座禅は入定するだけのこと。枯木死灰になる。こちらはその静座で万事に応じる。そこが地歩闊である。明鏡止水の体から天下を胴返しにする働きも出る。仏者は山の奧で喚び惺まして置く。しまって置く。聖人は篤敬から「一日二日万機」である。こちらの惺々は物に応じるため、あちらのは惺して物に接しない。「反鑑而索照」である。主人翁を喚び惺してしまって置くのは、鏡を磨きたてて箱に入れ、庖丁を研いで使わないのと同じである。
【語釈】
・一日二日万機…書経皋陶謨。「皋陶曰…一日二日萬機」。
・反鑑字索照…近思録為学4。定性書。「今、以惡外物之心、而求照無物之地。是反鑑而索照也」。

其動而不中理者、都不管矣云云。動て理に中らぬは、只心さへ惺々なれはよいとする。理にあたらぬことそ。そこをすっへりかまわぬ。一体が蜷川か女房を、をかかとふじゃと脊中をたたく。理にあたらぬにかまわぬ。いにしへのかしこき祖□は海老となる、なれはさかなをとりて食ふなり。無着か不繋絲などと云ふ。人の君父にかたりみよ。人の夫にかたりみよ。言語同断のことどもなり。大和小学にあり。惣たい片方には似たことあるにもせよ、違ふそ。克己には似ても理にあたらぬで復礼はとんとないなり。
【解説】
「其動而不中理者、都不管矣」の説明。仏は理に中らなくても構わないと考える。それで、克己はあっても復礼はない。
【通釈】
「其動而不中理者、都不管矣云云」。動いて理に中らなければ、ただ心さえ惺々であればよいとする。理に中らなくても全く構わない。一休が蜷川の女房を、御嬶どうだと背中を叩く。理に中らなくても構わない。古の賢き祖□は海老となる、なれば魚をとりて食うである。無着が不繋絲などと言う。人の君父に語って見よ、人の夫に語って見よ、言語道断なことである。大和小学にある。総体、片方には似たことがあるせよ、違う。克己では似ても理に中らないので復礼は全くない。
【語釈】
・いにしへのかしこき祖□は海老となる、なれはさかなをとりて食ふ…
・無着…
・不繋絲…
・克己…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉」。

父被他人無礼云云。ここは、人の皮をかふりては中々どのやふなものでも堪忍はならぬ処なり。親のことをはっと思ふともふそこが心の昏じゃと見る。こちではここを人間の脉にする。孟子の惻隱は人の心の證文なり。人心に四端の発し、忠孝の心は天地陽氣のはり出る処で弱ひものがつよくもなるぞ。金石亦透るなり。あの和かな草木の芽が甲拆なり。竹子椽を突貫。先年某が近所市井に廿五六な唖あり。何にやら其兄が云ひ合せて人と仕組みの喧嘩をして人にたたかるるを彼の唖兄のたたかるるを見て、向の者はりたをし、大力にて外人よりつくことならず。其わけ云ひ聞かせんにも唖なれば耳きこへず、もの云はず人の半分に足らず道理通ぜぬなれども、人の心に父兄が人に無せられては一心に救ふと云ふはへぬきのものあること。唖にて一入親切なる語なり。
【解説】
「且如父子天性也、父被他人無禮、子須當去救、他卻不然。子若有救之之心、便是被愛牽動了心、便是昏了主人翁處。若如此惺惺、成甚道理」の説明。仏は親を思うことが心の昏だと見るが、儒はそれを人間の脈とする。親を救おうとするのは人の生え抜きである。
【通釈】
「父被他人無礼云云」。ここは、人の皮を被っている限りはどの様なものでも中々堪忍のならない処である。親のことをはっと思うともうそこが心の昏だと見る。こちらではここを人間の脈にする。孟子の惻隠は人の心の証文である。人心に四端が発し、忠孝の心が天地陽気の張り出る処で弱いものが強くもなる。「金石亦透」である。あの和かな草木の芽が甲拆である。竹の子が縁を突き抜く。先年私の近所の市井に二十五六歳になる唖がいた。何やらその兄が言い合わせて人と仕組んで喧嘩をして、唖が兄の叩かれるのを見て、向こうの者を張り倒した。大力で外の人は寄り付くこともできない。そのわけを言い聞かせようにも唖なので耳も聞こえず、ものも言えず、人の半分にも足りないから道理も通じないが、人の心には父兄が人に無せられれば一心に救おうという生え抜きのものがある。唖なので一入親切な語である。
【語釈】
・金石亦透る…朱子語類8。「陽氣發處、金石亦透。精神一到、何事不成」。
・甲拆…草木が芽をだすこと。実生。

四家録は江西の四家録。馬祖、百丈、黄蘖、臨済この四人。すくった禅なり。好笑とは、をかしくもあり。可駭。又きももつぶるる。説若父母云云。説は四家録にある説を云。無一挙心動念。ほい、いかれたそふだと云たきりで心を動さぬ。始て名初発心の菩薩になる。覚有性なり。垩德太子もここの処なるべし。あいそもくそもつきたこと。沙汰のかぎりなり。惺々字則同云云。文字は同ふても、あちて見ると違ふ。学者があちと似たことをいやがるが、かまふことはないぞ。貝原が大疑録似たことどもを數々挙ていやがる。無極而太極、体用一源顕微無間は蕐嚴の疏にあるの、法界觀にあるのと殊の外苦労にせらるる。あの篤實にて尤なことなれとも、とんと苦労に及はぬことそ。若林云、似たとてさわぐことでない、佛書に水火と云字かありたとて、こちでこまるに及ばぬと云はさて々々明断なり。佛者も水火、こちも水火、同じことぞ。さわぐことはなし。
【解説】
「向曾覽四家録、有些説話極好笑、亦可駭。説若父母爲人所殺、無一舉心動念、方始名爲初發心菩薩。他所以叫主人翁惺惺著、正要如此。惺惺字則同、所作工夫則異、豈可同日而語」の説明。禅宗では親が殺されても心を動かさない様にする。聖徳太子も同じである。仏と儒が同じく「惺々」と言うとしても、騒ぐことはない。所作工夫が違うのだから、構うことはないのである。
【通釈】
「四家録」は江西の四家録で、馬祖、百丈、黄蘖、臨済の四人。優れた禅である。「好笑」は、可笑しいことで、「可駭」で、また肝を潰すこともある。「説若父母云云」。この説は四家録にある説を言う。「無一挙心動念」。ほい、死なれたそうだと言っただけで心を動かさない。そこで初めて初発心の菩薩になる。それが「覚有性」である。聖徳太子もこれだろう。愛想も糞もも尽きた。沙汰の限りのこと。「惺々字則同云云」。文字は同じくても、あちらで見るのとは違う。学者はあちらと似たことを嫌がるが、構うことはない。貝原が大疑録に似たことを数々挙げて嫌がる。無極而太極、体用一源顕微無間は華厳の疏にあるとか、法界観にあると殊の外苦労にして言う。篤実な人なのでそれも尤もなことだが、全く苦労には及ばない。若林が、似たとしても騒ぐことはない、仏書に水火という字があったとしても、こちらで困るには及ばないと言ったのは実に明断である。仏者も水火、こちらも水火で同じこと。騒ぐことはない。
【語釈】
・覚有性…
・体用一源顕微無間…致知49。「體用一源、顯微無閒」。
・若林…若林強斎。


14
王質不敬其父母。曰、自有物無始以來、自家是換了幾箇父母了。其不孝莫大於是。以此知佛法之無父、其禍乃至於此。使更有幾箇如王質、則雖殺其父母、亦以爲常。佛法説君臣父子兄弟、只説是偶然相遇。趙子直戒殺子文末爲因報之説云、汝今殺他、他再出世必殺汝。此等言語、乃所以啓其殺子。蓋彼安知不説道、我今可以殺汝、必汝前身曾殺我。
【読み】
王質其の父母を敬せず。曰く、有物無始自り以來、自家是れ幾箇の父母を換了し了る、と。其の不孝は是より大なるは莫し。此れを以て佛法の父を無する、其の禍は乃ち此に至るを知る。更に幾箇王質が如き有らしむるは、則ち其の父母を殺すと雖も、亦以て常と爲す。佛法の君臣父子兄弟を説くに、只是れ偶然相遇と説く。趙子は直に子を殺すを戒めるの文の末に因報の説を爲して云う、汝今他を殺す、他再び世に出て必ず汝を殺さん、と。此等の言語は、乃ち其の子を殺すを啓する所以なり。蓋し彼は安んぞ我今以て汝を殺す可くば、必ず汝の前身曾て我を殺さんと説道せざるを知らんや。

○王質不敬其父母云云。父母を敬せぬと云も、あばれもの町六方、あくたれもの、かけ出しなどのどふらくものが、をらが親父も最ふ御定りの処へ店かへしてもよかろふの、親父もはやよいかげんなどと云ならば、論の沙汰はない。子共の時のだだを云ふと一つにをちる。又本氣でも云はず、しどはないが、此佛道から王質なとがかく云ふはこまったものて、訳けありて云ことで、さて々々申すべきやふなし。下々の悪言はきかぬふりにもする。裏付上下で咳ばらいして云ふは誠に詖邪なり。有物は万物生してよりなり。無始は始めなしと云ことに非ず。無きはじめと云こと。人の世界にあるより世界ない前よりと云こと。死ては生れ々々する。換了幾箇父母云云。いくらの父母を取りかへたも知れぬと、旅籠屋の泊りのやふに思ふ。一昨日の晩は箱根、夕部は神奈川の泊りと云ふやふに思ふ。植木屋、唐辛子を畑をかへ々々植る様に思ている。其不孝、これより大なるはなし。軽ひ奴が云とは違ひ、佛法で悟って云ふで此上のない大罪なり。
【解説】
「王質不敬其父母。曰、自有物無始以來、自家是換了幾箇父母了。其不孝莫大於是。以此知佛法之無父、其禍乃至於此」の説明。軽い者が言うことは埒もないが、仏法で悟って言うのは「詖邪」であり、大罪である。仏は生死を旅籠屋の泊まりの様に思う。
【通釈】
○「王質不敬其父母云云」。父母を敬しないと言うのも、暴れ者の町六方、悪たれ者、駆け出しなどの道楽者が、俺の親父ももう御定まりの処へ店替えをしてもよいのにとか、親父も既にいい歳だなどと言うのであれば、論の沙汰はない。それは、子供の時にだだを言うのと同じに落ちる。また本気で言うわけでもなく、つまらないことだが、この様に仏道から王質などが言うのは困ったこと。それはわけがあって言うことなので、実に申じ分もない言い様である。下々の悪言は聞かないふりをすることもできるが、裏付裃で咳払いをして言うのは誠に詖邪である。「有物」は万物生じてよりということ。「無始」は始めなしということではない。無き始めということ。人が世界にあるより、世界のある前からということ。死んでは生れ続ける。「換了幾箇父母云云」。どれほど父母を取り替えたかも知れないと、旅籠屋の泊まりの様に思う。一昨日の晩は箱根、昨夜は神奈川の泊まりという様に思う。植木屋が畑を替えながら唐辛子を植える様に思っている。「其不孝」で、これより大きなことはない。軽い奴が言うのとは違い、仏法で悟って言うのでこの上ない大罪である。
【語釈】
・町六方…①六方組。江戸前期、万治・寛文の頃、江戸で威をふるった侠客の六団体。鉄砲組・笊籬組・鶺鴒組・吉屋組・大小神祇組・唐犬組の総称。②侠客。旗本奴。町奴。
・しどはない…①しまりがない。だらしない。②たどたどしい。子どもじみている。

有幾箇如王質云云。王質はまだ一人口で云計りじゃが、此説をよく聞こんで感発興起する人があらば、雖殺父母、筋あることのやふになり、あきれはてたことそ。佛が空を云から起りて、どふならふともしれぬ。偶然相過とは湯治塲の近付き、はたごやて出合ふた様なことに思ふ。大切な父兄を昨日乘合舩であふた男と一つに思ふ。趙子直戒殺子。子を殺すとはまびくことであろふぞ。それを禁ずる書なるべし。子直も朱子へ交り朱子を信じ、道理案内な人なり。定めて片鄙の下人へ示すには理で云てはひびくまいと思ひ、因果報應の説でといて、其方共が今子を殺すと其子がやがて再来して其方を殺すぞとなり。これはすぐに佛説なり。それを朱子弁じて、それでは子を殺す口ひらきにじきになるなりと云ふは、人を殺すと又其人に殺さるると云へば、それが引くりかへしになって、今をれがこの子を殺すも過去で此の子がをれを殺したて有ふと云様になるではないか。すれば反て子を殺すのた子になるぞ。
【解説】
「使更有幾箇如王質、則雖殺其父母、亦以爲常。佛法説君臣父子兄弟、只説是偶然相遇。趙子直戒殺子文末爲因報之説云、汝今殺他、他再出世必殺汝。此等言語、乃所以啓其殺子。蓋彼安知不説道、我今可以殺汝、必汝前身曾殺我」の説明。仏が空言を言い、それを人が信じるからとんでもないことになる。仏は湯治場で知り合った者と父母とを同じとみなす。趙子直が子を間引くのを禁じるのに因果報応の説を使ったが、それでは却って子を殺す種になる。
【通釈】
「有幾箇如王質云云」。王質はまだ一人で口に出して言うだけだが、この説をよく聞き込んで感発興起する人がいると、「雖殺父母」を筋のあることの様に思う。それは呆れ果てたこと。仏が空を言うことから起こり、どうなるかも知れない。「偶然相遇」は湯治場の近付きや旅籠屋で出会う様なこと。大切な父兄を昨日乗合舟で会った男と一つに思う。「趙子直戒殺子」。子を殺すとは間引くことだろう。それを禁じる書なのだろう。子直も朱子へ交わり朱子を信じ、道理に通じた人である。きっと、辺鄙の下人に示すには理で言っては響かないだろうと思い、因果報応の説で説いて、お前達が今子を殺すとその子がやがて再来してお前を殺すぞと言う。これは直に仏説である。それを朱子が弁じて、それでは直に子を殺す口開きになると言うのは、人を殺すとまたその人に殺されると言えば、それが引っ繰り返しになって、今俺がこの子を殺すのも、過去でこの子が俺を殺したのだろうという様になるではないか。それなら却って子を殺す種になる。

あの世に渕が島にやはふきん、ははまた□が渕にはまりし。かふきけば因報の迷はとけると宗伯が云ひしぞ。さて小村の教訓には六諭衍義がよい様なれども、あれにも因報の説ありて、人の迷になることあるて折角と上で板行仰せ付られたれども、本んの小学のかわりにはされぬことかあり、どうかをどす様な筋があるで、どふも少とつかえるぞ。理で云はず因報で説くと、却てここに所以啓其殺子と云へる害ある。とかく小学で無ふてはならぬことぞ。
【解説】
理で言わずに因報で説くと、「所以啓其殺子」と言える害がある。
【通釈】
あの世に渕が島にやはふきん、ははまた□が渕にはまりし。この様に聞けば因報の迷いは解けると宗伯が言った。さて小村の教訓には六諭衍義がよい様だが、あれにも因報の説があって、人の迷いになることがあるので、折角上から板行とする様仰せ付けられたが、小学の本当の代わりにはできないことがあって、どうも脅す様な筋があるので、どうも一寸支える。理で言わずに因報で説くと、却ってここに「所以啓其殺子」と言える害がある。とかく小学でなければならない。
【語釈】
・あの世に渕が島にやはふきん、ははまた□が渕にはまりし…
・宗伯…柳田求馬。明石宗伯。迂斎門下。江戸の人。名は義道。天明4年(1784)7月22日没。47歳。


15
老氏只是要長生節病。易見。釋氏於天理大本處見得些分數。然卻認爲己有、而以生爲寄。故要見得父母未生時面目。既見、便不認作衆人公共底。須要見得爲己有、死後亦不失、而以父母所生之身爲寄寓。譬以舊屋破倒、即自挑入新屋。故黄蘗一僧有偈與其母云、先曾寄宿此婆家。止以父母之身爲寄宿處、其無情義絶滅天理可知。當時有司見渠此説。便當明正典刑。若聖人之道則不然。於天理大本處見得是衆人公共底、便只隨他天理去、更無分毫私見。如此、便倫理自明。不是自家作爲出來、皆是自然如此。往來屈伸、我安得而私之哉。
【読み】
老氏は只是れ長生は病を節するを要す。見易し。釋氏は天理大本の處に於て些かの分數を見得。然して卻て認めて己が有と爲して、而して生を以て寄と爲す。故に父母未生の時の面目を見得るを要す。既に見れば、便ち認めて衆人の公共底を作さず。見得るを己有りと爲し、死後も亦失わざるを須要して、父母の生ぜし所の身を以て寄寓と爲す。譬えるに舊屋破倒、即ち自ら新屋に挑入を以てす。故に黄蘗の一僧偈を其の母に與えること有りて云う、先曾て此の婆家に寄宿す、と。止々として父母の身を以て寄宿の處と爲すは、其れ情義を無にし天理を絶滅するを知る可し。當時の有司、渠が此の説を見る。便ち當に明かに典刑を正すべし。聖人の道の若きは則ち然らず。天理大本の處に於て是れ衆人公共底を見得ば、便ち只他の天理に隨い去き、更に分毫の私見無し。此の如ければ、便ち倫理自ら明なり。是れ自家作爲し出來にあらず、皆是れ自然に此の如し。往來屈伸、我安んぞ得て之を私せんや。

○老氏只是要長生却病云云。老子は只さしあたる処が長生と云までのことにして片付る。釈老の害、道理の上からはどちにもめりかりはないなれども、釈氏の大害と云ふはあたまて違ふことある。日本などでは老子の道と云ことは人もしらぬが、老子は氣をつかわず子りこんで外へつかぬ意かすくに病を却け、長生の本、仙術の祖にもなるもそこなり。釈氏於天理大本處云云。この方の天理大本の形のない理と云ものもあちの本来の面目も形はない。そこから見得する。すれはこちの無極而太極にも似る。中庸未発の塲にも似たことありて、理に近ふして大に眞を乱るなり。見得些分数はそちに五匁たけあれは、こちにも五匁はあると佛者は思ひて、却認為己有。この己有と云字か此方にはない。中庸一部皆天で己有はない。己有と云は吾か得たものとふけらかして、隠居のくす子金と云様なことがあるが、垩人の方は天理なりて、くす子金はない。佛は道を天地公共に見ずに己が有とする。垩人のは天地自然なりて、己か有とはせぬ。己有は吾ばかりのものにすることて、儒者の德の字のやふな心得ぞ。道は天地公共の理なりで、尭舜も吾が建立したものとは思召さぬ。日用五典のなり。徐行後長者は天地大本なりが衆人公共そ。あちは吾一人見付て我ものにしたがる。
【解説】
「老氏只是要長生節病。易見。釋氏於天理大本處見得些分數。然卻認爲己有」の説明。老子は気を使わずに長生することを言うだけだが、仏はこちらの理に似たことがあって、「大乱真」である。道は天地公共なものだが、仏はそれを自分のものにしたがる。
【通釈】
○「老氏只是要長生却病云云」。老子はただ差し当たる処が長生というまでのことにして片付ける。釈老の害は、道理の上からはどちらにも甲乙はないが、釈氏大害と言うのには、最初から違うことあるからである。日本などでは老子の道は人も知らないが、老子は気を使わず錬り込んで外へ付かない意が直に病を却けて長生の本になる。仙術の祖になるのもそこ。「釈氏於天理大本処云云」。こちらの天理大本の形のない理にも、あちらの本来の面目にも形はない。そこから「見得」する。そこで、こちらの無極而太極にも似る。中庸未発の場にも似たことがあって、理に近くして大いに真を乱すである。「見得些分数」は、そちらに五匁だけあれば、こちらにも五匁はあると仏者が思うことで、それで「却認為己有」。この「己有」という字はこちらにはない。中庸一部は皆天で己有はない。己有とは、自分が得たものだと吹けらかすこと。隠居のくすね金という様なことがあるが、聖人の方は天理なりで、くすね金はない。仏は道を天地公共に見ずに己有とする。聖人のは天地自然なりで、己有とはしない。己有は自分だけのもにすることで、儒者の徳の字の様な心得である。道は天地公共の理なりで、堯舜も自分が建立したものだとは思し召すことはない。日用五典のまま。「徐行後長者」は天地大本の通りが衆人公共である。あちらは自分一人で見付けて我が物にしたがる。
【語釈】
・理に近ふして大に眞を乱る…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣」。
・徐行後長者…孟子告子章句下2。「徐行後長者謂之弟。疾行先長者謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣。子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣」。

以生為奇云云。とかく今あるものは假りのもので、やがて何もかもくさるものぞ。そのくさるものの外にくさらぬものあるを不生不滅として、それを見るとうれしがる。己が有とする。父母未生時面目は、かの闇の夜に鳴ぬ烏。生れぬ前きを押へたがる。外は一切にすてる。本と佛はこふであった。今は最ふ佛者も世に出て儒者めき、在家のま子して居る。ここの沙汰はないなり。本来の面目を見ると云出家が、腹を立たり家来をつかひにぎ々々しくして居る。火宅僧になりてはさて々々ここの論はかけられぬことなり。公共と云は道不遠人以人治人。向の心にあるなりのことをしむける。衆人公共底が道のなりぞ。それをしらずに外に一つ見付て己有にし、死後亦不失と云は、死てはあちまかせにして置ふことを、彼のくす子金のほまちゆへ引かかっている。人は魂魄で生て居て離るると死す。離れてもここを佛心として、不生不滅にしてをくなれは天地の外なり。
【解説】
「而以生爲寄。故要見得父母未生時面目。既見、便不認作衆人公共底。須要見得爲己有、死後亦不失、而以父母所生之身爲寄寓」の説明。仏は本来、仮の世に仮でないものがあり、それを不生不滅として己有とするものだが、今の仏は儒者めいてこの沙汰はない。人は魂魄で生きていて、離れると死ぬだけのこと。それを不生不滅と言うのは天地の外のこと。
【通釈】
「以生為寄云云」。とかく今あるものは仮のもので、やがて何もかも腐る。その腐るものの外に腐らないものがあり、それを不生不滅として、これを見ると嬉しがり、己有とする。「父母未生時面目」は、かの闇の夜に鳴かぬ烏で、生れぬ先を押えたがり、外は一切捨てる。本来仏はこの様だった。今はもう仏者も世に出て儒者めき、在家の真似をしているので、ここの沙汰はない。本来の面目を見るという出家が、腹を立てたり家来を使ってにぎにぎしくしている。火宅僧になっては実にここの論は掛けられないこと。公共は「道不遠人以人治人」で、向こうの心にある通りのことを仕向けること。衆人公共底が道の姿である。それを知らずに外に一つ見付けて己有にする。「死後亦不失」は、死ねばあちら任せにして置くべきことを、彼のくすね金のほまちなので引っ掛かっている。人は魂魄で生きていて、離れると死ぬ。離れてもここを仏心として、不生不滅にして置くのであれば天地の外のこと。
【語釈】
・闇の夜に鳴ぬ烏…闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬさきの父ぞ恋しき。
・道不遠人以人治人…中庸章句13。「子曰、道不遠人。人之爲道而遠人、不可以爲道。詩云、伐柯伐柯、其則不遠。執柯以伐柯、睨而視之。猶以爲遠。故君子以人治人、改而止」。詩は詩経豳風伐柯。
・ほまち…主人に内密で家族・使用人が開墾した田畑、また、たくわえた金。個人の所有となる臨時収入。役得。へそくり。

伯夷や比干の幽灵の出ぬは理なりゆへ。それゆへ尭舜ても死子ばそれぎりでたを□□ことなり。一つ我心に靈な処に滅びたものあるとして、わがものにしよふと云ことはなく、死後も失はぬと云ことはないことなり。茶人が無欲めき、小袖をも羽織をも人にくれてやるが此茶碗はやらぬと云ふ様に、仏者も金は山へすてる、日用も五倫も打ちやるか、外に一つすてられぬ吝嗇なものありて、死後も失はぬと放さぬ。これ、公共でなさに丸薬でも秘傳にする。あかとんぼ喉痺の筋は公共。そふ云ても外に一つ認るものあるは、そこへかたつりたからなり。譬以舊屋破倒云云。これは輪回の見からなり。この見から父母をも敬せぬ筈のことなり。直方の弁に、今朝見たふる桶が又ぶら々々流れて来るが、桶は今朝のでも汐は新らしひと云へり。佛は又本との汐が来ると思ふ。
【解説】
「譬以舊屋破倒、即自挑入新屋」の説明。仏は日用も五倫も打ち遣るが、死後も失わないものがあると言ってそれを離さない。公共でない。汐はいつも新しく寄せるのに、仏は前の汐がまた来るものと思う。
【通釈】
伯夷や比干の幽霊が出ないのは理なりだから。それで、堯舜でも死ねばそれぎりで倒れるだけのこと。一つ自分の心の霊な処に滅びないものがあって、それを自分のものにしようということはなく、死後も失わないということはない。茶人が無欲めいて小袖も羽織も人にくれて遣るが、この茶碗は遣らないと言う様に、仏者も金は山へ捨てる、日用も五倫も打ち遣るが、外に一つ捨てられない吝嗇なものがあって、死後も失わないと言って離さない。公共でないから丸薬でも秘伝にする。赤蜻蛉喉痺の筋は公共。そうは言っても外に一つ認めるものがあるのは、そこへ片吊ったからである。「譬以旧屋破倒云云」。これは輪廻の見からのこと。この見からであれば父母をも敬さない筈。直方の弁に、今朝見た古桶がまたぶらぶらと流れて来るが、桶は今朝のでも汐は新しいとある。仏はまた元の汐が来ると思う。
【語釈】
・喉痺…のどの腫れあがる病。水も通らなくなるという。

黄蘗一僧云云。断際禅師なり。黄蘗が母が我子を慕ひ尋て、足にほくろふがあったをしるしに旅籠屋にて僧の足を洗ってやったらば、どこぞでは思ひ、年來洗ひ来た内、果してめぐりあふたれども、どふしてか見とがめず、どふでもあれぞと跡から追かけて渡し塲で追ついたが、母はあはてて倒れ死に、そこて死たを黄蘗が見は見たれども、見向きもせずすっ々々と行く。これ、名高き話なり。此事垩人では親殺、佛道では菩提に入るの初発心と云。有偈與其母云云云。此偈は死だあとで其母に與へた偈と見へる。此偈は諸録にないそふなり。護摩のことなり。これは佛法を啇倍にすれば諱べし。輪回なれば、婆家を馬喰町にみた。為寄宿處云云。黄蘗が禅学のぎり々々がこちでは無情義絶滅天理の端的なり。
【解説】
「故黄蘗一僧有偈與其母云、先曾寄宿此婆家。止以父母之身爲寄宿處、其無情義絕滅天理可知。當時有司見渠此説」の説明。黄蘗の一件は、仏では菩提に入る初発心と言うが、こちらでは「無情義絶滅天理」の端的と言う。
【通釈】
「黄蘗一僧云云」。断際禅師である。黄蘗の母が我が子を慕い尋ねて、足に黒子があったのを目印に、旅籠屋で僧の足を洗って遣れば何処かでは会えると思い、年来洗い続けると、果たして巡り会ったが、どうしてか見とがめることができず、どうもあれだと後を追い駆けて渡し場で追い付いたが、母は慌てて倒れ死に、そこで死んだのを黄蘗は見るには見たが、見向きもせずにすっと行く。これは名高い話である。この事は聖人では親殺し、仏道では菩提に入る初発心と言う。「有偈与其母云云云」。この偈は死だ後でその母に与えた偈と見える。この偈は諸録にはないそうである。護摩のこと。これは、仏法を商売にするのであれば諱むべきこと。輪廻であれば、婆家を馬喰町の宿と見る。「為寄宿処云云」。黄蘗の禅学の至極が、こちらでは「無情義絶滅天理」の端的である。
【語釈】
・黄蘗…黄檗希運。中国唐代の禅僧。福州閩県の人。百丈懐海に師事した。弟子に臨済義玄がいる。断際禅師。~850頃

當明正典刑。学者沙汰をのけて公儀て云て的切なり。黄蘗が先つあれですんたが、あの時の有司、どふしたさばきぞ。本道な奉行ならば刑罰にあていですまふか。周公などのござらぬが坊主ともの幸なり。垩人此道則不然云云。中庸天命之性から費而隱、造端於夫婦。日雇取りや駕籠舁まである。公共底。天理に從ひ。うの毛の先きほども私見はないそ。親のことを、黄蘗がやふにはどのやふな不孝ものでも中々そふは思はれぬ。衆人公共天理自然のなりぞ。佛の意では、黄蘗がやふになれば、こちの舜の孝になるにあたるなれば、さて々々をそろしきことなり。後来はぬるけて、これほどな出家なりに先つすんで通るなり。倫理自明云云。人に相應に親義別序信を持て居る。そこを教るて自ら明になる。天叙有典勑我五典、五悖哉。五典は我れにある。吾旨をさし、ここにある。それゆへたれでもなる。これ、衆人公共底なり。
【解説】
「便當明正典刑。若聖人之道則不然。於天理大本處見得是衆人公共底、便只隨他天理去、更無分毫私見。如此、便倫理自明。不是自家作爲出來、皆是自然如此」の説明。刑罰に照らせば黄蘗は罰せられる筈である。人は相応に親義別序信を持っているから、そこを教えるので自ら明になる。これが衆人公共である。
【通釈】
「当明正典刑」。学者沙汰を言わずに公儀で言うので的切である。黄蘗のことは先ずあれで済んだが、あの時の役人はどうした裁きをしたのか。誠実な奉行であれば刑罰に当てないで置くことはない。周公などがおられないのが坊主共の幸いである。「聖人之道則不然云云」。中庸には天命の性から費而隠、造端於夫婦。日雇取りや駕籠舁きまである。「公共底、随天理」。兎の毛の先ほども私見はない。親のことを、どの様な不孝者でも中々黄蘗の様には思わない。衆人公共で天理自然の通りである。仏の意では、黄蘗の様になることが、こちらで言う舜が孝になることに当たるのだから、それは実に恐ろしいことである。後来は温けて、適当な出家で先ずは済まして通る。「倫理自明云云」。人は相応に親義別序信を持っている。そこを教えるので自ら明になる。「天叙有典敕我五典、五悖哉」。五典は自分にある。自分の胸を指せば、そこにある。そこで誰でも成る。これが衆人公共底である。
【語釈】
・天命之性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・費而隱…中庸章句12。「君子之道費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉」。
・造端於夫婦…中庸章句12。「君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地」。
・天叙有典勑我五典、五悖哉…書経皋陶謨。「天敘有典。敕我五典五惇哉」。

往来屈伸云云。寒来暑往天地自然なり。屈伸は即ち死生なり。其寒暑死生か中々作意私意でならふことでない。前に云たくす子金と云、こちにはないぞ。父の財は子の財で、中々隱すことはない。すれは垩人の道は何のことはない□、佛者の方には人欲を去る序に人倫までをすてる。いかふ手ぎはをする様なれども、天地と一つでなく公共でなく、我れ計り少し垣をしてもっている様なことがある。垩人の学、功夫は六ヶしい様なれとも、本道のことは自然で何のことはないもの。昨日讀んだ処は委細のことはきくまい、跡上で見よと粗ひ云やふ。今日の処は其跡上の蓋をあけて理て云ことぞ。
【解説】
「往來屈伸、我安得而私之哉」の説明。屈伸は死生であり、寒暑死生は作意私意をすることはできないもの。聖人の学は自然なものなので、何も難しいことはない。
【通釈】
「往来屈伸云云」。寒来暑往は天地自然である。屈伸は即ち死生である。その寒暑死生は中々作意私意でできることではない。前に言ったくすね金はこちらにはない。父の財は子の財で、中々隠すことはない。そこで、聖人の道は何事もないが、仏者の方には人欲を去る序に人倫までを捨てる。それは大層な手際をする様だが、天地と一つでなく公共でなく、自分だけが少し垣をして持っている様なことがある。聖人の学は功夫が難しい様だが、本道のことは自然で何事もない。昨日読んだ処は委細のことは聞かずに跡上で見なさいと粗く言う。今日の処はその跡上の蓋を開けて理で言ったこと。