答廖子晦書曰之條  寛政七年卯七月六日  館林藩士為山田長作講  惟秀録
【語釈】
・寛政七年卯七月六日…1795年7月6日。
・山田長作…館林藩士。名は記思。通称は長作。黒水と号す。安永2年(1773)~天保3年(1833)
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

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答廖子晦書曰、聖門之學下學而上達。至於窮神知化亦不過德盛仁熟而自至耳。若如釋氏理須頓悟、不假漸脩之云、則是上達而下學也。其與聖學亦不同矣、而近世學者毎欲因其近似而説而合之、是以爲説。雖詳用心、雖苦而卒不近也。中庸所謂喜怒哀樂之未發謂之中、發而皆中節謂之和。只是説情之未發無所偏倚。當此之時、萬理畢具而天下萬物無不由是而出焉。故學者於此涵養栽培而情之所發自然無不中節耳。故又曰、中者天下之大本、和者天下之達道。此皆日用分明底事。不必待極力尋究忽然有感如來喩之云然後爲得也。必若此云則是溺於佛氏之學而已。然爲彼學者自謂有見、而於四端五典良知良能天理人心之實然而不可易者、皆未嘗畧見彷彿。甚者披根拔本顚倒錯繆無所不至、則夫所謂見者、殆亦用心大過、意慮泯絶恍惚之間、瞥見心性之影象耳。與聖門眞實知見、端的踐履、徹上徹下一以貫之之學。豈可同年而語哉。四十五。
【読み】
廖子晦に答うる書に曰く、聖門の學は下學して上達す。神を窮め化を知るに至るも亦德盛仁熟して自ら至るに過ぎざるのみ。釋氏の理は須らく頓悟すべく、漸脩を假らざるの云の若如きは、則ち是れ上達して下學するなり。其れ聖學とは亦同じからずして、近世學者毎に其の近似に因りて説いて之を合せんと欲し、是れを以て説を爲す。詳と雖も心を用い、苦と雖も卒に近からざるなり。中庸に謂う所の喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う、發して皆節に中る、之を和と謂う、と。只是れ情の未だ發せず偏倚する所無きを説くのみ。此の時に當りて、萬理畢に具りて天下萬物是に由りて出ざる無し。故に學者此に於て涵養栽培して情の發する所は自然にして節に中らざること無きのみ。故に又曰く、中は天下の大本、和は天下の達道、と。此れは皆日用分明底の事。必ずしも力を極め尋究忽然感有りて來喩の云の如きを待ちて然る後得ると爲さざるなり。必ずや此の云の如きは則ち是れ佛氏の學に溺るるのみ。然して彼の學を爲す者は自ら見有りと謂いて、四端五典良知良能天理人心の實然にして易り可からざる者に於て、皆未だ嘗て畧彷彿を見ず。甚だしき者の根を披き本を拔き顚倒錯繆して至らざる所無きは、則ち夫れ謂う所の見者は、殆ど亦心を用いて大過し、意慮泯絶恍惚の間、心性の影象を瞥見するのみ。聖門眞實に知見し、端的の踐履し、徹上徹下一以て之を貫くの學を與う。豈年を同じくして語る可けんや。四十五。

佛を辨するにも二色あり。能言て拒揚墨者、垩人之徒也。こちの任にして弁ずるでなくては儒者でないと事業にして、粗手に與力同心の盗賊をつかまへるやふに、これが役だと云のなり。又垩賢の道学を我に得ては佛を弁するは心喪と云やふなもの。垩人の代には喪をとらぬものは上から咎める。後世咎めはないか、誠をつとむ心喪がしたくなる。祭もそれなり。祭りたくてどふもならぬことになる。佛を弁するも若役にするでなく、辨ぜすにをかれぬやふに吾が胸が成りたこと。どふもすててをけではこちの胸がすまぬ。向にさふ云もの有るにはこちがぢっとしてはをらぬ。役目一と通りと云と心の底からふるい立てするとはいこふちがふ。温公などの佛を弁ずるは川向ひの喧嘩のやふなり。東來の弁じやふはゆっくりなこと。朱子の弁ずるはせき早ひと云やふなこと。誰哉継三垩、為我焚其書と迠云れた。せきにせいて飯をくいかけても云子ばならぬと云やふになると見へた。役目のやふに弁するは届かぬもの。
【解説】
仏を弁ずるには二通りある。一つは役目でするもので、もう一つは弁じなければいられず、心の底から奮い立ってするするもの。役目の様に弁ずるのでは響かない。
【通釈】
仏を弁ずるにも二色ある。「能言拒楊墨者、聖人之徒也」は、こちらの任にして弁ずるのでなくては儒者ではないと、それを事業にして、粗くに与力や同心が盗賊を捕まえる様に、これが役だと言う。また、聖賢の道学を自分に得ると、仏を弁ずるのは心喪という様なもの。聖人の代には喪をしない者は上が咎める。後世はこの咎めはないが、誠を務めると心喪がしたくなる。祭もそれ。祭りたくてどうにもならないことになる。仏を弁ずるのも役目でするのではなく、弁じなければいられない様に自分の胸がなること。どうも棄てて置いてはこちらの胸が済まない。向こうにそういうものがあると、こちらはじっとしてはいない。役目一通りというのと心の底から奮い立ってするのとは大層違う。温公などの仏を弁ずるのは川向こうの喧嘩の様なもの。東莱の弁じ様はゆっくりとしたもの。朱子が弁ずるのは急き早いという様なこと。「誰哉継三聖、為我焚其書」とまで言われた。急きに急いて飯を食い掛けでも言わなければならないという様になると見える。役目の様に弁ずるのでは届かない。
【語釈】
・能言て拒揚墨者、垩人之徒也…孟子滕文公章句下9。「豈好辯哉。予不得已也。能言距楊墨者、聖人之徒也」。
・温公…司馬光。北宋の政治家・学者。字は君実。神宗の時、翰林学士・御史中丞。王安石の新法の害を説いて用いられず政界を引退。哲宗の時に執政、旧法を復活させたが、数ヵ月で病没。太師温国公を賜り司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086
・東來…呂祖謙。南宋の儒者。字は伯恭。号は東莱。浙江金華の人。1137~1181
・誰哉継三垩、為我焚其書…斎居感興詩16。「西方論縁業、卑卑喩群愚。流傳世代久、梯接凌空虚。顧盼指心性、名言超有無。捷徑一以開、靡然世爭趨。號空不踐實、躓彼榛棘途。誰哉繼三聖、爲我焚其書」。

子晦あれほど朱子を信した。訓門人の初条にも問ひあり、深切に功夫した人で佛迷ひさうもないものだに迷ふた。程門の佛に迷ふたなどを浅く心得るは知らぬのだ。工夫をつめて見るともちっとのものぞ。子晦の云やふなどが書物はなれたこと。朱子にほめらるる氣で云てよこしたこと。高妙な処を知りたぞ。佛にも粗迹がある。火の因、水の因と云類は根から理のないこと。子晦それにはたまされぬが、心地一段のことになるとあの方のことがわるいぐるみちっと理に近い処ありて、こちの不覩に戒愼不聽に恐懼、あの方の本来の面目、そちこち云ふうち儒者の未発やら佛の本来やらはきとせずに一つになる。こまかに吟味せ子ばならぬことた。此章の子晦へ答書文集でづんと初手のうちにある。子晦この病が始終ぬけぬゆへ、此書を初の方にをくがつんとよい。又此編の終りにも子晦へ答書が出てをる。どれも儒佛を分毫の処に弁じた書ぞ。
【解説】
子晦は功夫をした人で、高妙な処を知っていた。しかし、儒仏を混同してしまった。
【通釈】
子晦は大層朱子を信じた。訓門人の初条にも問いがあり、深切に功夫をした人で仏に迷いそうもないものだが迷った。程門が仏に迷ったことを浅く心得るは知らないのである。工夫を詰めて見ると僅かな違いである。子晦の言い様などは書物から離れたことで、朱子に褒められる気で言って遣したもの。高妙な処を知っていたのである。仏にも粗迹がある。火の因、水の因という類は根から理がない。子晦もそれには騙されないが、心地一段のことになると、悪い包み仏の方に一寸理に近い処があって、こちらの「戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」、あちらの本来の面目と、あれこれと言う内に儒者の未発やら仏の本来やらがはっきりとせずに一つになる。それは細かに吟味しなければならないこと。この章の子晦への答書は文集のかなり初手の方にある。子晦はこの病が始終抜けなかったので、この書を初めの方に置くのが非常によいこと。また、この編の終わりにも子晦への答書が出ている。どれも儒仏を分毫の処で弁じた書である。
【語釈】
・不覩に戒愼不聽に恐懼…中庸章句1。「道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。

垩門之学下学而上達。曽子問。こまかに問ふたが、あれがこふしてをいて、やがて一貫をせふと云てしたことではない。一々聞てをるうち、一以貫之と思ひもよらず孔子から声をかけられたのそ。されども其下学と云も今の学者の様に一々帳面につけるやふなことではない。下学と云も理の細目を一々にきめた曽子ぞ。かるいことの上にも理のあることを一々事をきく上に會して居らるる。それでそろり々々々上る処を真積力久と云てある。下学と事で云ても理を呑込むことそ。精義入神も精義は一と筋つつの義を明にする下学なり。入神は理のぎり々々こふじゃと云妙処なり。下学から上達へゆく処ぞ。
【解説】
「答廖子晦書曰、聖門之學下學而上達」の説明。曾子は何でも細かに問うたが、それは軽いことの上にも理があるからである。「精義入神」も、精義は義を明にする下学であり、入神は下学から上達へ行く処なのである。
【通釈】
「聖門之学下学而上達」。曾子の問いである。細かに問うたが、それはこうして置いて、やがて一貫をしようと思ってしたことではない。一々聞いている内に、「一以貫之」と、思いも寄らず孔子から声を掛けられたのである。しかしながら、その下学というのも今の学者の様に一々帳面に付ける様なことではない。下学は理の細目を一つ一つ決めること。それが曾子である。軽いことの上にも理のあることを、一々事を聞く上で会しておられた。そこで、ゆっくりと上る処を「真積力久」と言ってある。下学と事では言っても、それは理を飲み込むこと。「精義入神」も、精義は一筋ずつの義を明にする下学である。入神は理の至極はこうだと言う妙処であり、下学から上達へ行く処である。
【語釈】
・下学而上達…論語憲問37。「子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人。下學而上達。知我者、其天乎」。
・一以貫之…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。
・真積力久…論語里仁15集註。「夫子知其眞積力久、將有所得、是以呼而告之」。
・精義入神…易経繋辞伝下5。「精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。

○至於窮神知化亦不過德盛仁熟而自至。垩賢のじみな処。窮神知化。なんであらふと知恵の惣まくり。下学と事の上からじり々々ゆくがそのとどの処のこと。窮神は目に見へぬ道理の処迠窮め知る。化と云は隂陽のはたらき。紅葉の染まる、木の葉落る。これはどふしたことと其根を知ること。知のぎり々々、上達のことなり。これと云も下学からそ。下学して我ものになりて成就した實を德盛仁熟と云て、德盛仁熟も学問上達の処。一銭からためて大尽になる。垩賢の德をつむ。先行其言而後。外へ出したものを吾物にする。外へ出たことは内がぬけからになる。内而不出からゆく。内へ々々とたたみこむ。まていなことをするて德盛仁熟すになる。
【解説】
「至於窮神知化亦不過德盛仁熟而自至耳」の説明。「窮神知化」は知恵の至極であり、「徳盛仁熟」も下学して成就したところである。これ等は上達の場である。内へ畳み込むので「徳盛仁熟」になる。
【通釈】
○「至於窮神知化亦不過徳盛仁熟而自至」。聖賢の地味な処。「窮神知化」。何であろうと知恵の総捲りで、下学で事の上からじっくりと行った行き着き処のこと。窮神は目に見えない道理の処までを窮め知ること。化は陰陽の働き。紅葉が染まり、木の葉が落ちる。これはどうしたことかとその根を知ること。知の至極で、上達のこと。これというのも下学から。下学して自分のものになって成就した実を「徳盛仁熟」と言い、徳盛仁熟も学問の上達の処。一銭から貯めて大尽になる。聖賢が徳を積む。「先行其言而後」。外へ出るものを自分の物にする。外へ出すと内が抜け殻になる。「内而不出」から行く。内へと畳み込む。実なことをするので徳盛仁熟となる。
【語釈】
・先行其言而後…論語為政13。「子貢問君子。子曰、先行其言、而後從之」

心は猫を畜ふたやふなもの。そこにいるかと思へばわきへゆく。それを内へ々々とするで三月不違仁になる。丸でこちになる。德の仁のと云ものか熟の盛んになりて窮神知化に至るとは、空理てないことを云ふたものなり。大きなことじゃ。いつも知はさき、行は後だか、その行から知の至極になる。自然をふんでゆくて知の至極へ至る。佛が百尺竿頭歩を進むはなりにくひ空理じゃゆへゆかれた。垩人は階子の段をそろ々々ゆく。下学と云まていなことをする。上達をする。器用ものが学問やめようと云は退屈したの。まていなことはしよいやふでなりにくひ。程子が皆か佛へかけこむ々々々々と声をかけるも捷徑と云近か道ちあるからぞ。
【解説】
下学は実を踏んで行くことなので、知の至極へ至る。ここは行から知の至極になるのである。実なことはし易い様で、し難いもの。皆が仏に駆け込むのも、仏には近道があるからである。
【通釈】
心は猫を飼う様なもの。そこにいるかと思えば脇へ行く。それを内へ内へとするので「三月不違仁」になる。丸ごとこちらのものになる。徳や仁というものが熟が盛んになって窮神知化に至ると言うのは、空理でないことを言ったのであって、それは大きなことである。いつも知は先、行は後だか、行から知の至極になる。自然を踏んで行くので知の至極へ至る。仏の「百尺竿頭須進歩」はなり難い空理なので至ることができない。聖人は階子の段をゆっくりと行く。下学という実なことをすると上達をする。器用者が学問を止めようと言うのは退屈したからで、実なことはしよい様でなり難い。程子が、皆が仏へ駆け込むと声を掛けるのも捷径という近道があるからである。
【語釈】
・三月不違仁…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。
・百尺竿頭歩を進む…伝灯録。「百尺竿頭須進歩、十方世界是全身」。すでに工夫を尽くした上に更に向上の工夫を加える。また、十分に言葉を尽くした後に更に一歩を進めて説く。

○釈氏理須頓悟、不假漸脩之云。理須頓悟。楞嚴にある。その外頓漸のこと、方々に云てある。理は形ない。すむ段になるとくわら々々々すむと云。一片半片の処に見ると云がこのこと。爰を見た々々と云てめったにふるまふは了簡違ひそ。歴々ても落し話をそくすむのもある。側で茶坊主がうつ々々て笑ひ出すの早ひもある。不假漸脩のもやふもあるか、それをあちの法門にしたがるもつまらぬことぞ。佛はそろ々々したとてゆくものではない。合点ゆくものはぐわら々々々すむ。すまぬものは内へ皈れと追っ皈へす。爰らのことになりては佛もやすくはゆかぬ。佛を排するも道理をじか々々ときめてするがよい。理須頓悟あるすじだが、法にするはわるい。それでは上達下達、さかさまだとなり。
【解説】
「若如釋氏理須頓悟、不假漸脩之云、則是上達而下學也。其與聖學亦不同矣」の説明。仏は頓悟で上達する。頓悟もあるにはあるが、それを法とするのは悪い。それでは「上達而下学」である。
【通釈】
○「釈氏理須頓悟、不仮漸修之云」。「理須頓悟」。楞厳経にある語。その外頓漸のことは方々で言っている。理に形はない。済む段になればがらがらと済むと言う。一片半片の処に見ると言うのがこのこと。ここを見たと言って滅多矢鱈に振舞うのは了簡違いである。歴々でも落し咄を聞いて直ぐにわかる者もいる。側にいる茶坊主の笑い出す方が早いこともある。「不仮漸修」の模様もあるが、それをあちらが法門にしたがるのもつまらないこと。仏はじっくりしてもうまく行くものではない。合点の行く者はがらがらと済む。済まない者は内へ帰れと言って追い帰す。ここ等のことになっては仏も簡単には行かない。仏を排するにも、道理をしっかりと決めてするのがよい。理須頓悟はある筋だが、法にするのは悪い。それでは「上達而下学」で逆様である。
【語釈】
・理須頓悟…楞厳経。「理則頓悟、乘悟併銷。事非頓除、因次第盡」。

これに對句がある。事則非頓除。事は品川から川﨑。次第を追ふ。理須頓悟と云たことじゃが、それても法にはならぬは理と事を二つにした。垩人の事の上に理から。釈氏の見にすると、学校て小兒が悟れば家老の上になる。そんなことは大学校の宗旨にはさせられぬ。こちは八歳小学、じり々々ゆく。それをつめて所以を知るか大学なり。これが垩人の法ぞ。さて爰らが公事のさばき大事ぞ。理須頓悟、根からないこととをしては此公事はさばけぬ。頓悟のやふなこと有りもせふか、それを法にするはつまらぬときめることぞ。學而時習のうちに頓悟はない。千難万難して習ふ内に不亦悦乎なり。下学をするからこそ上達にゆく。さうないは垩学と不同なり。
【解説】
事の上に理はあるが、仏は理と事とを二つに分ける。また、頓悟はあるとしても、「学而時習」の内に頓悟はなく、習っている内に「不亦説乎」となるのである。
【通釈】
これには対句がある。「事則非頓除」。事は品川から川崎で、次第を追うこと。「理須頓悟」とは言ったが、それでもこれが法にはならないと言うのは理と事を二つにしたからである。聖人は事の上に理がある。釈氏の見で言えば、学校で小児が悟れば家老の上になる。そんなことは大学校の宗旨にはさせられない。こちらは八歳には小学で、じっくりと行く。それを詰めて所以を知るのが大学である。これが聖人の法である。さてここ等が公事の捌きの大事である。理須頓悟を根からないこととをしてはこの公事は捌けない。頓悟の様なこともあるだろうが、それを法にするのはつまらないと決めるのである。「学而時習」の内に頓悟はない。千難万難して習う内に「不亦説乎」である。下学をするからこそ上達に行く。そうでないのは聖学とは不同である。
【語釈】
・八歳小学…大学章句序。「人生八歳、則自王公以下、至於庶人之子弟、皆入小學。而敎之以灑掃、應對、進退之節、禮樂、射御、書數之文」。
・學而時習…論語学而1。「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎」。

○近世学者云云。学者が禅学に似たと云れて謀叛人から手紙の来たやふに思ふではない様なれとも、つまりうるさいことぞ。明道でさへ出入於老釈殊十年。漢唐は訓話ぎりだ、出入はどふやらせぬ。俗儒は老釈に出入するの病はない。それは却て手抦にもならぬ。ほんのは中庸をよくよんで戒愼恐懼の工夫をすると、どふやら佛に似たではないか々々々と云やふになる。宋朝は禅流行はきついことだ。年季野良でも如何是佛、如何祖師、西来之意と云た。これが出世を心がける科挙の学などにはないから用て似たことと思ふが、甚垩学とちがふと安堵するに、それに似たことを横ぐわへにしてこちへ合せたがるが、こなた衆よいこととすれとも、よってもつかぬこと。不近となり。こなたにかぎらず、いかいことあると云のなり。日本には子晦がやふなものはない。ないが目出度と云ことでない。禅に惑ふた学者があればよびかへされるが、今日のは只はやるぎりのこと。役に立たぬ。王陽明に似た学者があらば療治のしやふも有ふに、それもない。うしと見る世ぞなり。子晦なとか佛のこちのにするからは、骨も折ろふ、口もきか子ばならぬ。為説。
【解説】
「而近世學者毎欲因其近似而説而合之、是以爲説。雖詳用心、雖苦而卒不近也。中庸所謂喜怒哀樂之未發謂之中、發而皆中節謂之和。只是説情之未發無所偏倚」の説明。漢唐は訓詁だったので、老釈に出入する病はない。宋朝は禅の流行が激しかった。学問の功夫をすると仏に似ているではないかと思える様になる。
【通釈】
○「近世学者云云」。学者が禅学に似ていると言われても謀叛人から手紙の来た様に思うわけではないが、つまりは煩い。明道でさえ「出入於老釈幾十年」だった。漢唐は訓詁だけで、出入はどうやらしなかった。俗儒には老釈に出入する病はない。それでは却って手柄にもならない。本当の学者は中庸をよく読んで戒慎恐懼の工夫をすると、どうやら仏に似ているではないかと言う様になる。宋朝は禅の流行が激しかった。年季野良でも如何是仏、如何祖師、西来之意と言っていた。これが出世を心掛ける科挙の学などにはないから心を用いて似たものと思い、本来は甚だ聖学とは違うものだと安堵すべきなのに、それに似たことを聞きかじってこちらに合わせたがる。それを貴方達はよいことだと思っているが、それは寄っても付かれないことで、「不近」だと言う。貴方に限らず、この様なことが大層あると言う。日本には子晦の様な者はいない。いないのが目出度いということではない。禅に惑った学者がいれば呼び返すこともできるが、今日のはただ流行るだけのことで役に立たない。王陽明に似た学者がいれば療治の仕方もあるだろうが、それもない。憂しと見る世ぞである。子晦などは仏をこちらと同じくするから、骨も折るだろうし口も利かなければならない。説を為すのである。
【語釈】
・出入於老釈殊十年…近思録聖賢17。明道先生行状。「出入於老・釋者幾十年」。
・横ぐわへ…横銜え。なまかじり。ききかじり。

詳に用心苦む。いろ々々とすれとも、何んでもかでもちがふたとなり。爰らで見れば中庸序近於理而大乱真も云子ばならぬ。中庸對於異端作るが揚墨老荘より佛が弟一のこと。爰らの処で中庸對於異端作るか揚墨老荘より佛が弟一のこと。爰らの処で中庸と合せたがるが似たやふで違ふと、喜怒哀樂未発謂之中を出したもの。只是説情之未発無所偏倚。只是と云は手もないこと。中庸は心法の書だと云ても六ヶしいことでもない。未発は情の発らぬ時た。こなたは腹が立つかうれしいか。いやなんともない。無所偏倚なり。なれとも氣がつかぬ。そこが未発の塲じゃ。
【解説】
中庸は心法の書だが、難しいものではない。情の発らない時を未発の場と言う。
【通釈】
詳らかに心を用いて苦しむ。色々とするが、何もかもが違う。ここ等で見れば中庸の序にある「近於理而大乱真」も言わなければならない。中庸は異端に対して作ったものだが、それは楊墨や老荘よりも仏が弟一のこと。ここ等の処で中庸と合わせたがるもので、似た様で違うと、「喜怒哀楽未発謂之中」を出した。「只是説情之未発無所偏倚」。「只是」とは手もないこと。中庸は心法の書だと言っても難しいことでもない。未発は情の発らない時。貴方は腹が立ったのか嬉しいのか。いや何ともない。無所偏倚である。しかしながら気が付かない。そこが未発の場である。
【語釈】
・近於理而大乱真…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣」。
・喜怒哀樂未発謂之中…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和」。

○萬理畢具る。万物備乎我が土藏へ物をつめたやふなで、どふも苦しくてなるまいが、新九郎が皷の中に百番畢具る。偏倚してはない。達磨大きな目で爰を見やふ々々々とする。豪傑ではあるが、をしいことには師匠がなかった。大学の序の通り、大道の要を聞くことをえずじゃ。梁武帝、達磨に索麺をふるまふたか至治之沢はならぬ。笑曰、あの時牛羊がちっと牲のやんだてもひまな。これは牛羊の仕合なり。伊尹太公でなくてはなり。さても達磨は面目を見やふ々々々々と九年居て尻がくさったと云ふ。それも氣の長ひことじゃ。それまてに及はぬことじゃ。怒も喜も出づめでは、一日笑て居たり、一日怒てたたきたてるは乱心者。それではたまらぬことた。さふない時かある。そこか未発じゃ。
【解説】
「當此之時、萬理畢具而天下萬物無不由是而出焉」の説明。達磨は本来の面目を見ようとして九年面壁をした。しかし、それをするには及ばない。怒も喜も出詰めではなく、情の発らない時がある。
【通釈】
○「万理畢具」。「万物皆備於我」は土蔵へ物を詰めた様なことで、どうも苦しくて仕方がないが、新九郎の皷の中には百番畢具り偏倚はない。達磨は大きな目でここを見ようとする。彼は豪傑ではあるが、惜しいことには師匠がなかった。大学の序の通り、「不得聞大道之要」である。梁の武帝が達磨に素麺を振舞ったが「至治之沢」は得なかった。微笑んで言う、あの時牛羊は一寸牲が止んだので暇だった。これは牛羊の幸せである。それは伊尹や太公でなくてはできないこと。達磨は面目を見ようとして九年座って尻が腐ったという。それも気の長いこと。そこまでするには及ばない。怒も喜も出詰めではない。一日中笑っていたり、一日中怒って叩き立てていては乱心者である。それでは堪らない。そうでない時がある。そこが未発である。
【語釈】
・万物備乎我…孟子尽心章句上4。「孟子曰、萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。強恕而行、求仁莫近焉」。
・新九郎…観世新九郎。
・大道の要を聞くことをえず…大学章句序。「使其君子不幸而不得聞大道之要」。

朱子の未発は市井の□夫、厮役の賎隷、樽ひろいにもあると云。この塲の工夫はつんとこふとふなことじゃ。於此涵羪栽培なり。爰をこやしをするがよい。武士の刀を大事にする。土用には本阿弥が来てふく。貴様歒でもあるかと云に、いやさふしたこともないと云ても、大事にする未発の手をきがわるくてはどふもならぬ。此未発の塲をあちて観心のやふに云か、この方は手をきがある。佛は只しやう々々々とする。それはゆかぬ。柳生殿の刀ぬかぬ前がよい。観世は樂屋からよい。そこて自然節中。耳とは、でこそあれと云ふ。未発の塲に手をきをして、出たさきをよいやふにする。それが人間のなりでこそあれじゃ。あちで大そうに云処しゃ。この方は云出しが只是で、とめが耳の字なり。でこそあれじゃ。冬が春の本に立つと云ぎりなことでこそあれぞ。大本は喜怒哀樂をこらぬ前。そこで本に立つ。そこで和が天下之達道。大本なくて達道にならぬ。これ、体用のことなり。關々雎鳩。あれが本になりて天下か治る。
【解説】
「故學者於此涵養栽培而情之所發自然無不中節耳。故又曰、中者天下之大本、和者天下之達道」の説明。未発は誰にでもあるもので、これを涵養栽培する。それは人間だからこそできるのである。未発という中は天下の大本であり、大本があるから達道ができるのである。
【通釈】
朱子が、未発は市井の賎夫や厮役の賎隷、樽拾いにもあると言う。この場の工夫は実に公道なこと。そこで「於此涵養栽培」である。ここで肥やしをしなさい。武士が刀を大事にする。土用には本阿弥が来て拭く。貴方には敵でもいるのかと聞くと、いやそうしたことはないと言うが、大事にする未発の手置が悪くてはどうにもならない。この未発の場をあちらで観心の様に言うが、こちらには手置がある。仏はただしようばかりする。それではうまく行かない。柳生殿の刀は抜かない時がよい。観世は楽屋からよい。そこで「自然節中」。「耳」は、でこそあれということ。未発の場に手置をして、出た先をよい様にする。それが人間でこそできること。あちらで大層に言う処である。こちらは言い出しが「只是」で、終わり「耳」の字である。でこそあれである。冬が春の本に立つと言うだけのことでこそあれである。大本は喜怒哀楽の発る前。そこで本に立つ。そこで「和者天下之達道」。大本がなくては達道にはならない。これが体用のこと。「關々雎鳩」。あれが本になって天下が治まる。
【語釈】
・厮役…厮徒。召使。僕。
・本阿弥…刀剣鑑定の家系。始祖妙本は足利尊氏の時の人。その子孫は足利・豊臣・徳川に仕えて刀剣の手入れや研磨・鑑定に当り、今日に及ぶ。のち、一般に鑑定家の異称となる。
・天下之達道…中庸章句1。「中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。
・關々雎鳩…詩経国風周南。「關關雎鳩、在河之洲窈窕淑女、君子好逑」。

○是皆日用分明底。上段々々云通、この塲はすらりとしたことじゃ。この方は平日戒懼の工夫か積累すれば自然に節に中る。貴様のや□□忽然有感なとと心をばよくい□りまわしたもの。されともこれだけ子晦は心地に用力の工夫ありた。今の学者はつめせうきをさすやうぞ。別して會讀などで王手々々と理屈を云ふ。講釈も文義もすまずに譬喩でまぎらかすは、桂馬の高上り歩にくはるる。論はなし。なんほても佛者の方はあいらがくるしむうちに豁然大悟通身汗出、はっと力がついてくることあると云筈。古人の程門を始め、佛に迷ふたは中庸の未発の処からぞ。こなたのも道理のたては垩人のはっぴだが、溺れたのしゃ。而已と云はこれぎりのこと。外のことではない。
【解説】
「此皆日用分明底事。不必待極力尋究忽然有感如來喩之云然後爲得也。必若此云則是溺於佛氏之學而已」の説明。平日の戒懼の工夫が積累すれば自然に節に中るのだから、「忽然有感」と言うには及ばない。程門を始めとして、仏に迷ったのは中庸の未発の処からのこと。
【通釈】
○「是皆日用分明底」。上段に言う通り、この場はすらりとしたこと。こちらでは平日の戒懼の工夫が積累すれば自然に節に中る。貴方の様に「忽然有感」などと言うのは心を弄り回したもの。しかしながら、それだけに子晦は心地に用力の工夫があった。今の学者は詰め将棋を指す様なもの。特に会読などでは王手王手と理屈を言う。講釈も文義も済まずに比喩で紛らかすのは、桂馬の高上り歩に食われるの筋で論はない。どうしても仏者の方は彼等が苦しむ内に豁然大悟通身汗出で、はっと力が付いて来ることがあると言う筈。古人の程門を始め、仏に迷ったのは中庸の未発の処からのこと。貴方のも道理の形は聖人の法被だが、溺れたのである。「而已」はこれだけということ。外のことではない。

○為彼学者。程門でも呂原明、游定夫などこれだ。自謂有見のるいぞ。○四端五典。禅をする者がこれを面白くないと云がさても面白ひものだ。往来の者がたをれてもはっと云。日比に似合ぬ赤面したと云こともある。面白ひからくりなもの。五典と云は小学の教もここなり。日用のこと一々に功夫する、せつないものた。是非あふせふとするからせつないが、あれをかまわぬ氣で外から見物したら面白かろふ。をうちゃくな家来なぞか幼君の前であたまのさがる。いやと云へぬ。放蕩な夫も昏礼の晩の礼儀、妻あしらい、屋根舩へ出たやふにないそ。ここらなどをよく思へは面白ひことぞ。其外のこともよいからくりなもの。皆五典のいやと云はれぬことじゃに、そこを氣がつかぬ。
【解説】
「然爲彼學者自謂有見、而於四端五典」の説明。日常のことには「四端五典」という絡繰がある。仏はこれを嫌がるが、それは嫌と言えないものであることに気付いていない。
【通釈】
○「為彼学者」。程門でも呂原明や游定夫などがこれ。「自謂有見」の類である。○「四端五典」。禅をする者がこれを面白くないと言うのが、これが実に面白いもの。往来の者が倒れていてもはっとする。日頃に似合わず赤面したということもある。面白い絡繰である。五典は、小学の教えもここのこと。日用のことを一々功夫するのは切ないもの。是非あの様にしようとするから切ないが、あれを構わない気で外から見物したら面白いことだろう。横着な家来などが幼君の前では頭が下がる。それは嫌と言えないこと。放蕩な夫も婚礼の晩の礼儀や妻あしらいは、屋根船に出た様なことではない。ここ等などをよく思えば面白いこと。その外のこともよい絡繰である。皆五典の嫌と言えないことなのに、そこを気が付かない。
【語釈】
・呂原明…
・游定夫…二程門人。游酢。字は定夫。号は廌山。
・屋根舩…江戸で、屋根のある小型の船。屋形船より小さく、一人か二人で漕ぐもの。夏は簾、冬は障子で囲って、川遊びなどに用いた。日除け船。

○良知良能からの相談ぞ。明々德も性善を道ふもこれをた子にする。挌物うるさいことた。凡即天下之物、ここでゆく。天理人心こちの方でこしらへたかと云に上にあること。心與理而已と或問にある。天理とこちの心とのこと。○不可易。やめにならぬこと。実然がこちは面白くてたまらこと。曽子のあの一々問ふた。面白くなくてはつづかぬことだ。一貫の前がをどら子は、あの消息はない。○披根拔本。そんなことに邪魔になるは四端五典は天理人心、こちで大事にするもの。それをほりかへして根絶にしてしまふ。
【解説】
「良知良能天理人心之實然而不可易者、皆未嘗畧見彷彿。甚者披根拔」の説明。四端五典は天理人心であって、こちらで大事にするものだが、仏はそれを掘り返して根絶やしにしてしまう。
【通釈】
○「良知良能」からの相談である。「明明徳」も「道性善」もこれを種にする。格物は煩いこと。凡そ即ち天下の物はここで行く。天理人心はこちらの方で拵えたかと言えば、それは上にあること。「心与理而已」と或問にある。天理とこちらの心とのこと。○「不可易」。止められないこと。実然がこちらでは面白くて堪らない。曾子が一々問うたのも、面白くなくては続かない。一貫の前が躍らなければ、あの消息はない。○「披根抜本」。そんなことが邪魔になる。四端五典は天理人心で、こちらで大事にするもの。それを掘り返して根絶やしにしてしまう。
【語釈】
・明々德…大学章句1。「大學之道在明明德、在親民、在止於至善」。
・性善を道ふ…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯舜」。
・心與理而已…

○顚倒錯繆。子晦がやふすよく手前の佛のことを垩学の方へよせて云が、為学者云云から以後は朱子のべた。佛にして弁じた。四端のやふなものがあるはたしかなり。猶有此四体也。あちは闇の夜に鳴かぬ烏と出る。やみもからすもくらひに鳴た声をきく。そこをきくが本来の面目だ。殆亦用心大過。寸法はつれ、見やふ々々々とする。ここはこれて見ると云塲をこへたこと。そこを意慮泯絶と云。無心になり、無念無相になる。天地自然にないことじゃが、そふ云工夫をすると、それたけの驗しにさふなることとみへる。只の人の意だらけなり。学者は又意を誠にするじゃに、其意と云はとんとなくなること。告子不得於言、勿求於心。鷺を烏と云ても何んでもないこと、すててをけと云仕方なれは意はなくなる。
【解説】
「本顚倒錯繆無所不至、則夫所謂見者、殆亦用心大過、意慮泯絕恍惚之間」の説明。仏は闇の夜に鳴かぬ烏を聞くのを本来の面目とする。そこで、無心になり、無念無想になるが、それは天地自然でない。意を誠にするのが学者である。
【通釈】
○「顛倒錯繆」。子晦がよく自分の仏のことを聖学の方へ寄せて言うが、「為学者云云」から以後は朱子が述べたもので、仏のこととして弁じたもの。四端の様なものがあるのは確かなことで、「猶有此四体也」である。あちらは闇の夜に鳴かぬ烏と出る。闇も烏も暗いのに鳴いた声を聞く。そこを聞くのが本来の面目である。「殆亦用心大過」。寸法外れを見ようとする。ここはこれで見るという場を超えたこと。そこを「意慮泯絶」と言う。無心になり、無念無想になる。それは天地自然でないことだが、そういう工夫をすると、それだけの験でそうなることと見える。ただ人の意だらけである。学者は意を誠にするものだが、その意は全くなくなるものとする。「告子不得於言、勿求於心」。鷺を烏と言っても、何でもないこと、捨てて置けという仕方であれば意はなくなる。
【語釈】
・猶有此四体也…孟子公孫丑章句上6。「人之有是四端也、猶其有四體也」。
・告子不得於言、勿求於心…孟子公孫丑章句上2。「告子曰、不得於言、勿求於心。不得於心、勿求於氣。不得於心、勿求於氣、可。不得於言、勿求於心、不可」。

○瞥見心性之影象耳。あちで一つ建立が出きる。たたい心性の形象ないことだが、あちが出かした面目坊の立姿か建立の処。あついさむひ々々々々々々、きたなひ心、その外に心が一つあると云。凡夫は不断心をもみきってをるか、此様に工夫をすると、ははあこのやふなものであると、今のはなんじゃと云やふにちらと見る。瞥見ぞとは云ても、あちも形象はない。此方の未発の中も形象はない。なんともなかった処があとて知るるそ。直方先生の未発はあとて知るると云も、さてはさきのがと塲処の知るること。戒愼恐懼の工夫もあまり骨を折る筋はない。工夫もさふ々々つかいきると火事のないに火消を出し、病のないに延齢丹呑むやふで、不羪になる。呂與叔のやふに未発之前に求むと云と瞥見に近くなる。亀山豫章体認すと云たは求むよりはよい。形象ある様にはせぬか、もたれてわるい。未発と云宗旨の見取りにはなろふがをもくれた。李延平は又各別そ。黙坐澄心。ここはさとらぬ。そこて又未発の氣象を驗むと出る。又体認のと云た。どふでもそこにもたれるとわるひ。そこて朱子のあれは不観之観。みぬのみるじゃと云た。秘事は睫ぞ。
【解説】
「瞥見心性之影象耳」の説明。仏は心を瞥見しようとするが、未発は後で知れるものなのである。呂与叔が未発の前に求むと言ったのは瞥見に近い。楊亀山が豫章体認すと言ったのは求むよりはよいが重くれる。李延平も未発を体認で言った。そこで朱子があれは「不観観之」だと言った。
【通釈】
○「瞥見心性之影象耳」。あちらでは一つ建立したものができる。そもそも心性に影象はないことだが、あちらがし遂げた面目坊の立ち姿が建立の処である。暑い寒いというのは汚い心で、その外に心が一つあると言う。凡夫は絶えず心を揉み切っているが、この様に工夫をすると、ははあこの様なものなか、今のは何だという様にちらと見る様になる。それが瞥見だとは言っても、あちらにも影象はない。こちらの未発の中も影象はない。その何もなかった処が後で知れる。直方先生が未発は後で知れると言ったのも、さては先のがと場所が知れること。戒慎恐懼の工夫もあまり骨を折る筋はない。工夫もそうそう使い切ると火事のないのに火消しを出し、病でもないのに延齢丹を飲む様で、不養になる。呂与叔の様に未発の前に求むと言うと瞥見に近くなる。楊亀山が豫章体認すと言ったのは求むよりはよい。影象がある様にはしないが、もたれて悪い。未発という宗旨の見取りにはなるだろうが重くれる。李延平はまた格別である。黙座澄心。これは悟ることではないが、また未発の気象を験むと出る。また体認のことを言った。どうでもそこにもたれると悪い。そこで朱子が、あれは「不観観之」で、観ないの観るだと言った。秘事は睫である。
【語釈】
・呂與叔…程伊川の門人。呂大臨の字。汲郡の人。
・豫章体認す…羅豫章のことか?
・李延平…字は愿中。羅豫章の門に程氏学を学ぶ。朱子も22歳の時に李延平の門を叩く。1093~1163
・秘事は睫…秘事などというものは、案外ごく手近な所にあるもので、自分の睫と同じように不断、気が付かないだけである。

○聖門真実知見。親に孝、君に忠もさま々々しかたの上手がある。そこが知見そ。凡天下の物につく其理をきわめるも、向ふのなりさま々々だ。垩門真実知見はこれぞ端的践履学の部にある。詞かず多くはそれをへらせ、腹立はやい、それをやめろ、足の病は足に灸なり。○一以貫之學。一貫したとてふへたてはない。下学してからの一貫だ。今迠とちがふことではない。上の理、下の理と違ふと云やふなことはない。初手した通りの茶の給仕をすることなれとも、そのよくなりたこと。○豈可同年而語哉。いこふ中かちがふとなり□。此条に不假漸修云云を弁し、次に今夜痛説から淡了の条、皆編次の意ぞ。
【解説】
「與聖門眞實知見、端的踐履、徹上徹下一以貫之之學。豈可同年而語哉」の説明。理を窮めるのには様々な仕方があるが、それは一貫の学でする。
【通釈】
○「聖門真実知見」。親に孝、君に忠も上手な仕方が様々とある。そこが知見である。凡そ天下の物に付く理を窮めるのも、向こうの通りで様々である。聖門真実知見は端的践履で学の部にある。言葉数が多ければそれを減らせ、腹立ちが早ければそれを止めろ、足の病は足に灸である。○「一以貫之学」。一貫したと言っても増えたのではない。下学してからの一貫である。今までと違うことではない。上の理が下の理と違うという様なことはない。初手した通りに茶の給仕をすることだが、それがよくなること。○「豈可同年而語哉」。大層内が違うと言う。この条で「不仮漸修云云」を弁じ、次に今夜痛説から淡了の条があるが、皆編次に意がある。


以某觀之做箇垩賢之條
21
以某觀之、做箇聖賢千難萬難。如釋氏則今夜痛説一頓、有利根者當下便悟、只是無星之秤耳。語類百十五。
【読み】
某を以て之を觀るに、箇の聖賢と做るに千難萬難。釋氏が如きは則ち今夜痛説一頓、利根の者有るは當下便悟、只是れ無星之秤のみ。語類百十五。

千難萬難。何たる因果に学問にかかりたと云やふでなくては上らぬと直方先生云へり。駒の朝早みではつつかぬ。○一頓。一番と同しこと。○利根。あの方の字ぞ。孔門なれば子貢などか利根そ。万難はない。拈花微笑、釈迦花を出す。阿難破顔相伴は出きぬ。此方の一貫高ひと云ても子出、門人門、夫子の道は忠恕なり。相伴もなる。それたけの受用はなるなり。
【解説】
苦労しなければ学問は上がらない。仏は「拈華微笑」がわかる者でなければ相伴はできないが、こちらは「忠恕而已」で相伴ができる。
【通釈】
「千難万難」。何たる因果で学問に掛かったのかと言う様でなくては上がらないと直方先生が言った。駒の足掻きでは続かない。○「一頓」。一番と同じこと。○「利根」。あの方の字である。孔門であれば子貢などか利根であり、万難はない。「拈華微笑」で、釈迦が花を出す。阿難は破顔したので相伴はできない。こちらの一貫が高いとは言っても、「子出。門人問。夫子之道、忠恕而已」で、相伴もできる。それだけの受用にはなる。
【語釈】
・拈花微笑…禅宗で、以心伝心、教外別伝の法系を主張するのに用いる語。霊鷲山で説法した釈尊が、華を拈んで大衆に示した時、摩訶迦葉だけがその意を悟って微笑し、それによって、正しい法は迦葉に伝えられたという。
・阿難…提婆達多の弟。釈尊の従弟で、十大弟子の一。多聞第一と称せられた。また、十六羅漢の一。釈尊に奉侍すること二十余年。釈尊滅後、第一回仏典結集の中心。迦葉についで教団の統率者となる。
・夫子の道は忠恕…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。


時舉因曰之條
22
時舉因云、釋氏有豁然頓悟之説、不知使得否。不知倚靠得否。曰、某也曾見叢林中有言頓悟者、後來看這人也只尋常。如陸子靜門人、初見他時常云、有所悟。後來所爲、却更顛倒錯亂。看來所謂豁然頓悟者、乃是當時略有所見、覺得果是淨潔快活。然稍久、則却漸漸淡去了。何嘗倚靠得。百十四。
【読み】
時舉因りて云う、釋氏に豁然頓悟の説有り、知らず、使い得んや否や。知らず、倚靠し得んや否や。曰く、某也た曾て叢林の中に頓悟を言う者有るを見る、後來這の人を看るに也た只尋常なり。陸子靜の門人の如きは、初めて他を見る時に常に云う、悟る所有り、と。後來爲す所は、却って更に顛倒錯亂す。看來に謂う所の豁然頓悟は、乃ち是れ當時略見る所有りて、果して是れ淨潔快活を覺得す。然して稍久くば、則ち却って漸漸に淡くし去り了る。何ぞ嘗て倚靠し得んや。百十四。

釈氏有豁然頓悟之説、不知使得るや否。このさばき至て大事ぞ。白州と内寄合とはちごふ。寺社奉行か内寄合では、あの山伏目も中々面白い奴なりとも云か、白州では三寸の見のがしはない。此条は内寄合の方そ。爰のさはきは消息ぞ。時舉よく問ふた人なり。訓門人にも、大本から達道へゆくの筋も合点よさに、朱子もよい咄をしてきかすなり。聞き下手問ひ下手はよい咄は出ぬそ。時舉があの釈氏頓悟のこと、あの筋も用ひらるるか、こちでもあの藥きこうかと云のなり。倚靠得否。あのたてのことをこちの心法へもてきた時、一と肩杖にも成ふかとなり。さればじゃ、某也曽云云なり。をれも寺などて頓悟の話をたび々々きいた。その時肝をつぶしたが、後にみればやっはり凡夫の水をきれぬ、坊主になる。頓悟が知藏へはっと一旦ひびきもするか、のちはなくなる。伽羅をたひあとのやふにそれぎりのことた。この方は一寸云にも有物有則。つかまへ処がある。あの陸象山が弟子などか皆悟った皃で、をれも一旦はさふ思ふたか、後来顛倒錯乱。傳子渕は乱心する。劉淳叟もわるかった。その外あとざめがする。あの方の頓悟うそでもない。見たてあろふ。
【解説】
「時舉因云、釋氏有豁然頓悟之説、不知使得否。不知倚靠得否。曰、某也曾見叢林中有言頓悟者、後來看這人也只尋常。如陸子靜門人、初見他時常云、有所悟。後來所爲、却更顛倒錯亂」の説明。時挙が釈氏頓悟はこちらでも用いることができるだろうかと聞いた。頓悟はあるにはあるが、それは伽羅を焚いた様なもので、その時は響くが後にはなくなると朱子が答えた。
【通釈】
「釈氏有豁然頓悟之説、不知使得否」。この捌きが至って大事である。白州と内寄合とでは違う。寺社奉行が内寄合で、あの山伏も中々面白い奴だなどとも言うが、白州では三寸の見逃しはない。この条は内寄合の方のこと。ここの捌きは消息である。時挙はよく問うた人である。訓門人でも、大本から達道へ行く筋も合点がよいので、朱子もよい話をして聞かせた。聞き下手や問い下手によい話は出ない。時挙があの釈氏頓悟のことを、あの筋も用いることができるだろうか、こちらでもあの薬が効くだろうかと聞いたのである。「倚靠得否」。あの筋のことをこちらの心法に持って来た時に、一肩杖にもなるだろうかと言う。そこで、「某也曾云云」である。俺も寺などて頓悟の話を度々聞いた。その時は肝を潰したが、後で考えればやはり凡夫の水離れのできない者が坊主になるのである。頓悟が知蔵にはっと一旦は響きもするが、後にはなくなる。伽羅を焚いた後の様にその時だけのこと。こちらは一寸言うにも「有物有則」で、掴まえ処がある。あの陸象山の弟子などか皆悟った顔で、俺も一旦はその様に思ったと言うが、「後来顛倒錯乱」である。伝子淵は乱心する。劉淳叟も悪かった。その外も後醒めがする。あの方の頓悟は嘘でもない。見たことだろう。
【語釈】
・有物有則…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。
・傳子渕…
・劉淳叟…

浄潔快活。きれいなことしゃ。さっはりとすずしい心もちになりたもの。禅坊主が儒者をやすくるはづた。儒者かとれも誠意に手か届かぬ。腹が立つときはまあ正心の工夫と出ることも知てはをれとも、つまり誠意からゆかぬ内は本のことではない。そこて心地に覚がない。なんぼてもあちは一寸きれいになるそ□な。されども滝の本で涼んで町家へをりて又暑くなるやふなもの。あとでは本のものになる。刑和叔の□をいかにしてもやふすがちがふた。こなたは周茂叔の処へ行きての皈りではないかと或ものか云たと云話がある。これは時代ちがひのこしらへ話でうそだか、だたい周子がすずしいからかふした咄も出かしたもの。あれらも一旦はよいか淡く了る。一生の杖柱にはならぬ。若後来ふっつりと髪をきるが段々のばすもの。列女はじりりから来たもの。しかれは坊主の悟りは儒者の方では役にたたぬと云こと。
【解説】
「看來所謂豁然頓悟者、乃是當時略有所見、覺得果是淨潔快活。然稍久、則却漸漸淡去了。何嘗倚靠得」の説明。仏は頓悟でさっぱりと涼しい心持になると言うが、それは一旦のことで、後には元に戻る。
【通釈】
「浄潔快活」。きれいなこと。さっぱりと涼しい心持ちになったもの。禅坊主が儒者を軽く見る筈である。どの儒者も誠意に手が届かない。腹が立つ時はまあ正心の工夫と出ることも知ってはいるが、つまりは誠意から行かない内は本当のことではない。そこで心地に覚えがない。あちらはどれほどでも一寸きれいになる様である。しかしながら、それは滝の本で涼んで、町家へ降りてまた暑くなる様なもの。後では元に戻る。刑和叔はいかにも様子が違っていた。貴方は周茂叔の処へ行った帰りではないかと或る者が言ったという話がある。これは時代違いの拵え話で嘘だが、そもそも周子が涼しいからこの様な話も出たもの。あれ等も一旦はよいが淡く了る。一生の杖柱にはならない。若後家がぷっつりと髪を切るが段々伸ばすもの。列女は地から来たもの。それなら坊主の悟りは儒者の方では役に立たないということ。
【語釈】
・刑和叔…邢恕。刑七。後に禅学を学ぶ。


答陳衛道書曰之條
23
答陳衛道書曰、性命之理只在日用間零碎去處、亦無不是、不必著意思想。但毎事尋得一箇是處、即是此理之實、不比禪家見處、只在儱侗恍惚之間也。所云釋氏見處只是要得六用不行、則本性自見。只此便是差處。六用豈不是性。若待其不行然後性見、則是性在六用之外別爲一物矣。譬如磨鏡垢盡明見、但謂私欲盡而天理存耳。非六用不行之謂也。又云、其接人處不妨顚倒作用而純熟之後、却自不須如此。前書所譏不謂如此、正謂其行處顚錯耳。只如絶滅三綱無父子君臣一節、還可言接人時權且如此將來熟後、却不須絶滅。否。此箇道理無一息間斷這裏霎時間壞了、便無補塡去處也。又云、雖無三綱五常、又自有師弟子上下名分。此是天理自然他雖欲滅之、而必竟絶滅不得。然其所存者乃是外面假合得來、而其眞實者却已絶滅。故儒者之論毎時須要眞實是當。不似異端便將儱侗底影象來此、罩占眞實地位也。此等差互處舉起便是不勝其多、冩不能窮説不能盡。今左右既是於彼留心之乆境界熟了。雖説欲却歸此邉來、終是脱離未得。熹向來亦曾如此、只是覺得大概不是了、且權時一齊放下了。只將自家文字道理作小兒子初上學時様、讀後來漸見得一二分意思、便漸見得他一二分錯處、迤邐看透了、後直見得他無一星子是處、不用著力排擯、自然不入心來矣。今云取其長處而會歸於正、便是放不下看不破也。今所謂應事接物時時提撕者、亦只是提撕得那儱侗底影象。與自家這下功夫未有干渉也。文集五十九。
【読み】
陳衛道に答うる書に曰く、性命の理は只日用の間零碎去處に在り、亦是れならざる無く、必ずしも意を著し思想せず。但毎事一箇の是の處を尋ね得ば、即ち是れ此の理の實は、禪家の見處の只儱侗恍惚の間に在るに比せざるなり。云う所の釋氏の見處は只是れ六用の行われざるを得るを要すれば、則ち本性は自ら見えん、と。只此れ便ち是れ差う處。六用は豈是れ性ならざらん。若し其の行われざるを待ちて然る後に性を見れば、則ち是の性は六用の外に在りて別に一物を爲す。譬えば鏡を磨き垢盡きて明を見るが如く、但私欲盡つきて天理存すと謂うのみ。六用行われざるの謂いに非らざるなり。又云う、其の人に接する處顚倒作用を妨げずして純熟の後、却って自ら須らく此の如くなるべからず、と。前書の譏る所は此の如きを謂わず、正に其の行く處顚錯すと謂うのみ。只三綱を絶滅し父子を無するの一節が如きは、還って人に接する時權に且つ此の如く、將來熟後、却って須らく絶滅すべからずと言う可きや。否。此れ箇の道理は一息の間斷無く這の裏霎時の間に壞了し、便ち補塡の去處無きなり。又云う、三綱五常無きと雖も、又自ら師弟子上下の名分有り、と。此れは是れ天理自然、他之を滅さんと欲すと雖も、必竟絶滅し得ず。然して其の存する所の者は乃ち是れ外面假合し得來て、其の眞實なる者は却って已に絶滅す。故に儒者の論は毎時眞實是當を須要す。異端は便ち儱侗底の影象を將て此に來て、眞實の地位を罩占するに似ず。此れ等の差互の處舉起するは、便ち是れ其の多きに勝たず、冩して窮めること能わず説いて盡くすこと能わず。今左右既に是れ彼に於て心を留め之を乆しくして境界熟し了る。却って此の邉に歸し來ると欲すと説くと雖も、終に是れ脱離し未だ得ず。熹向來に亦曾て此の如く、只是れ大概不是にして了るを覺り得、且つ權時に一齊放下し了る。只自家の文字道理を將って小兒子初めて學に上る時の様と作し、讀みて後來漸く一二分の意思を見得ば、便ち漸く他に一二分の錯處を見得、迤邐とし看透し了り、後直に他に一星子の是の處無きを見得ば、力を著くし排擯するを用いず、自然に心に入り來たらず。今其の長處を取りて歸を正に會すと云うは、便ち是れ放ちて下ならず看て破らざるなり。今謂う所の應事接物時時提撕する者も、亦只是れ那の儱侗底の影象を提撕し得。自家這の功夫を下せば未だ干渉有らざるなり。文集五十九。

性命之理。儒学の大本ぞ。俗学は嬉しからぬ。佛者は嬉しがるは本来の面目の方へ工面がよい。そこで朱子が佛をまぜる人の方から生命之理と云てきたのをだまってをいて、佛へゆかふと云ふ塲をあちのきらひな日用零碎の去処と出す。うごきはとれぬ。女房の親がくればそうめんを出す。金主から當秋までと借りたものはなぐらぬとなり。去処は処と云こと。日用零碎。そこか性命の理の塲じゃ、と。無不是なり。無極而太極と云と掛目が千两、日用と云ふと匁方かないと云やふだか、两替屋ては南鐐でも小判ても同じことじゃ。学者もあ□り性命之理を秘藏していじると面壁の本になる。藝者の早氣をきろふと云もここのこと。必有事勿正。いそがずぬるけぬ。
【解説】
「答陳衛道書曰、性命之理只在日用間零碎去處、亦無不是、不必著意思想」の説明。「性命之理」は本来の面目への工面がよいことから仏が嬉しがるもの。陳衛道が性命の理を言って来たので、朱子がそれは「日用零砕去処」にあると答えた。
【通釈】
「性命之理」。儒学の大本である。俗学は嬉しがらないが、仏者がこれを嬉しがるのは本来の面目の方へ工面がよいからである。そこで朱子が仏を混ぜた人から生命の理を言って来たのを黙ってをいて、仏へ行こうとする場をあちらの嫌いな「日用零砕去処」を出す。これで動きは取れない。女房の親が来れば素麺を出す。金主から当秋までと借りたものは反故にしない。去処は処ということ。「日用零砕」が性命の理の場だと言う。「無不是」である。無極而太極と言うと掛け目が千両、日用と言うと匁方がないと言う様だが、両替屋では南鐐でも小判でも同じこと。学者もあまりに性命の理を秘蔵して弄ると面壁の本になる。芸者が早気を嫌うというのもここのこと。「必有事勿正」で、急ぎもしないし怠けもしないのがよい。
【語釈】
・南鐐…江戸時代の貨幣で、二朱判銀のこと。
・必有事勿正…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正。心勿忘。勿助長也」。

○尋得一箇是處。至善の在る処ぞ。若林の、床の花入れの丁どのよい処に置花入れををく。それか至善じゃ、と。至善事物についてをる。事の字をはなさぬ。親に孝、君に忠。理は同ことだが、出しやうが違ふ。吉五郎の翌日立つか、御親父へ出す土産を君へ献してはどふもならぬ。それを尋て丁どにする。是処は事の上につかまってをる。明德の章句にも事理當然之極と、至善が事をはなれる、空になる。此方は此理之実ぞ。其本家が有物有則じゃ。浅見先生の物の説、ちがふた見取りなり。ここを主張せぬは見取ないからなり。○儱侗。つかまへられぬ処から云。俗語じゃ。文會さま々々出してある。未成器の注も面白。また器もならぬうちは、これはなんだと云のなり。それもわからぬ。なる又長大と云はばっとしたこと。この譯文さしつかへるやふだかさうでない。皆同じことにをちる。又含糊と云はにちゃ々々々したこと。
【解説】
「但毎事尋得一箇是處、即是此理之實、不比禪家見處、只在儱侗恍惚之間也」の説明。事の上に至善がある。「有物有則」で、これが理の実である。それは仏の「儱侗恍惚之間」を見るのとは違う。事を離れると空である。
【通釈】
○「尋得一箇是処」。これが至善のある処。若林が、床の花入れの丁度よい処に置花入れを置く。それが至善だと言った。至善は事物に付いている。事の字を離さない。親に孝、君に忠は、理は同じことだが、出し方が違う。吉五郎は翌日立つが、御親父へ出す土産を君へ献じてはどうにもならない。それを尋ねて丁度にする。「是処」は事の上に掴まってあること。明徳の章句にも「事理当然之極」とあり、至善が事を離れると空になる。こちらは「此理之実」である。その本家が「有物有則」である。浅見先生の物の説の見取りは違う。ここを主張しないのは見取りがないからである。○「儱侗」。掴まえられない処から言う。俗語である。文会に様々出してあり、未成器の注も面白いもの。まだ器もできない内は、これは何だと言う。それもわからない。成るとまた長大と言うのはばっとしたこと。この訳文は差し支える様だがそうではない。皆同じことに落ちる。また含糊というのはにちゃにちゃとしたこと。
【語釈】
・若林…若林強斎。
・吉五郎…新嶋吉五郎。館林藩士。名は幹。通称は吉五郎または治助。
・事理當然之極…大学章句1。「至善、則事理當然之極也。言明明德・新民、皆當至於至善之地而不遷」。
・有物有則…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。

釈氏所見云云。陳衛道が、さすが佛もよく申た、あの方の所見が要得六用不行。六用は眼耳鼻舌身意、六根用を云。楞嚴。人欲は皆ここから出る。六用が顔を出さぬと本性が行るる。克伐怨欲不行。克己すれば礼に復る。似てをりますと吾が感心したことを訶られうと思ふてそっと云てよこしたれば、朱子か大きな声で、此便是差処。六用が性であるまいかとなり。垩賢は六用を行はぬと云ことではない。九思の章、視思明聽思聽、これでよい。不行にすると性が六用の外になる。垩人は六用に不作法をさせぬことなり。本来の面目と云て別為一物とないものをつかまへると云も、あちの口からあらわれた鍋の目代石の髪繪にかく竹の友すれの音。これも鳴ぬ烏の声を書きなをして猿が耳や目をふさいておる。あれをあちの看板にしたもの。見ずきかず、知らさる三つの猿よりも、思はさるこそまさるなりけり。よい歌たか思はざるたけわるい。神秀か偈も鏡のたとへよし。あれきりなればこちに似る。孔子も鯉魚にわかれて思ひの火を胸にたくと云ことはない。やれ不便やと云が、子を思ふやみはない。いつも月夜ぞ。欲を去れ天理に復れとは云が、六用をやめにしろとは云ぬ。私欲つきて天理存する耳。学者が近思録をよくよめば此編をよまぬ前に合点出来る。近思をばざっとよむ、この編をは片からよまず。甲斐ない筈そ。
【解説】
「所云釋氏見處只是要得六用不行、則本性自見。只此便是差處。六用豈不是性。若待其不行然後性見、則是性在六用之外別爲一物矣。譬如磨鏡垢盡明見、但謂私欲盡而天理存耳。非六用不行之謂也」の説明。仏は六用不行で、六用が出なければ本性が行われるとする。それは儒に似たことだと陳衛道が言った。それを朱子が「此便是差処」と答えた。六用が性なのである。仏はないものを掴まえようとする。こちらは欲を去れ天理に復れとは言うが、六用を止めろとは言わない。
【通釈】
「釈氏所見云云」。陳衛道が、仏も流石で、あちらの所見は「要得六用不行」だと言った。六用は眼耳鼻舌身意で六根用を言う。楞厳経の語。人欲は皆ここから出る。六用が顔を出さなければ本性が行われる。「克伐怨欲不行」で、克己をすれば礼に復る。似ていると自分が感心じたことを訶られるかと思ってそっと言って遣したのだが、朱子が大きな声で、「此便是差処」。六用が性ではないかと言う。聖賢は六用を行わないということではない。九思の章の「視思明、聴思聡」、これでよい。不行にすると性が六用の外になる。聖人は六用に不作法をさせないのである。本来の面目と言って「別為一物」と、ないものを掴まえるというのも、あちらの口からあらわれた鍋の目代石の髪、絵に描いた竹の友擦れの音。これも鳴かぬ烏の声を書き直して、猿が耳や目を塞いでいる。あれをあちらは看板にする。見ず聞かず、知らざる三つの猿よりも、思わざるこそ勝るなりけり。よい歌だが思わざるだけ悪い。神秀の偈も鏡のたとえがよい。あれだけであればこちらに似る。孔子は鯉魚に先立たれても思いの火を胸に焚くということはない。やれ不便なことだとは言うが、子を思う闇はない。いつも月夜である。欲を去れ天理に復れとは言うが、六用を止めろとは言わない。「私欲尽而天理存耳」。学者が近思録を読めば、この編を読む前に合点することができる。近思をざっと読む、この編は全く読まない。それでは甲斐ない筈である。
【語釈】
・克伐怨欲不行…論語憲問2。「克・伐・怨・欲、不行焉、可以爲仁矣。子曰、可以爲難矣。仁則吾不知也」。
・九思…論語季氏10。「孔子曰、君子有九思。視思明、聽思聰、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義」。
・鍋の目代石の髪…
・神秀…北禅の僧。五祖弘忍禅師の一番弟子。「身是菩提樹、心如明鏡台。時時勤払拭、莫使惹塵埃」。

又云、其接人處不妨云云。陳衛道かあぢな佛者の方の云わけをした。接人處顛倒作用不妨。大慧が処へ上下きるに及ぬ。不礼か妨にならぬ。初手は七賢のやふに顛倒作用たか、手に入ると替ったもので、それもないと云。疂さわり後はあらくはないと云。大慧か弟子、禅は右脇下にあるか左脇下にあるかと師匠をこそぐりたか、後はそんなことはない。よいと儒者の口からも云たかるか、前書所譏不謂如此。前に申す処はわるさとりをわるいの、あとはどふじゃのなんのと云ことではない。そんなことではこざらぬ。謂行處顛錯耳。端的のことだ。顔子を乾道と云。するどいことだ。されども非礼視聽言動するなかれ。行の上からの工夫なり。小学者の仕方でをしゆく。行ふ処かたがふと悟ったとてゆるしはせぬ。御礼日に大廣間で如何是師祖西来を云と悟ったものぞ、ゆるせとは云ぬ。そこでいかさぬ。もとか遠くの道だ。死ぎわのことををどしかけるて人か信じて廣かりたもの。
【解説】
「又云、其接人處不妨顚倒作用而純熟之後、却自不須如此。前書所譏不謂如此、正謂其行處顚錯耳」の説明。陳衛道は、仏の始めは顛倒作用だが、道が手に入ればそれもないと言う。それは顛錯だと朱子は言った。
【通釈】
「又云、其接人処不妨云云」。陳衛道が可笑しな仏者の方の言い訳をした。「接人処顛倒作用不妨」。大慧の処で裃を着るには及ばない。不礼が妨げにはならない。初手は七賢の様に顛倒作用だか、手に入ると変わって、それもないと言う。畳触りも後は粗くないと言う。大慧の弟子が、禅は右脇下にあるのか左脇下にあるのかと師匠をくすぐったが、後はそんなことはない。それをよいと儒者も言いたがるが、「前書所譏不謂如此」。前に申した処は悪悟りが悪いとか、後はどうだの何のということではない。そんなことではない。「謂行処顛錯耳」。端的なこと。顔子を乾道と言う。それは鋭いこと。しかしながら、「非礼勿視聴言動」。行の上からの工夫である。小学者の仕方で推して行く。行く処が違えば、悟ったとしても許しはしない。御礼日に大広間で如何是師祖西来を言って悟ったとする者を許せとは言わない。そこで行かさない。もとが遠くの道である。死際のことを脅し掛けるので人が信じて広がった。
【語釈】
・大慧…南岳懐譲。六祖慧能の法を嗣ぐ。677~744
・顔子を乾道と云…論語顔子2集註。「愚按、克己復禮、乾道也。主敬行恕、坤道也。顏・冉之學、其高下淺深、於此可見」。
・非礼視聽言動するなかれ…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。

○只如絶滅三綱云云。こなたはあぢな取なしをするが、御老中方の通らるるとき、下たに々々々と云に駕に乘て居てここはまあかふしてをけ、あとがよいと云てすまふか。一体か雨ふらばふれ風吹かば吹けは死急きをするのじゃ。禅者が一つ見つけると跡のことは蹴ちらかす。釈迦不耐累人だ。女房産をする、弟が太病うるさいとてにげるとそこてちっとはすすしくもなるか、あとのことはない。旅立ちには又来春あいませふと云こともあるか、その外は逝者如此。一つ々々だ。それか道体のなりしゃ。仕方はない。
【解説】
「只如絕滅三綱無父子君臣一節、還可言接人時權且如此將來熟後、却不須絕滅。否」の説明。禅者が道を一つ見付けると、他のことは蹴散らかす。道は「逝者如此」であって、これが道体の姿である。
【通釈】
○「只如絶滅三綱云云」。貴方は妙な取り成しをするが、御老中方が通られる時、下に下にと言うのに駕籠に乗ったまま、まあこうして置け、後がよいと言って済むものか。一休の雨降れば降れ、風吹かば吹けは死に急ぐのである。禅者が一つ見付けると跡のことは蹴散らかす。「釈迦不耐累人」である。女房が産をする、弟が大病で煩いと言って逃げると、そこで一寸は涼しくもなるが、後のことはない。旅立ちにはまた来春会いましょうと言うこともあるが、その外は「逝者如此」。一つ一つである。それが道体の姿である。仕方はない。
【語釈】
・雨ふらばふれ風吹かば吹け…一休。有露路より無露路へ帰る一休み、雨降れば降れ、風吹かば吹け。
・釈迦不耐累人…
・逝者如此…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。

○霎時間壊了。町人が父に向ひ、親父殿ちとの内だ、堪忍なされ。私かこなたのあたまをはれば暮には五十两になると云。欲のふかいをやじが得心せふも、そのばたんてきがならぬ。なぜなれば、理と云ものにきれめひ□がないからぞ。既無虚假自無間断也。無塡補去處。あとからまわってうめること。鍋釜いかけてまわるとはちがふ。狂言にする。曽我の母が再嫁して貞女をやぶって貞女を立ると云。巧言は乱德。まぎらはしい口上、それは一理ある様なり。貞女を破ったら歒がうだれたと云はふとも、圣人のきつうきらいなことじゃ。このやふなことを尤がるから、先年土井の臣福嶌郡太夫か、今の役人衆大がい芝居の知惠たと云たぞ。
【解説】
「此箇道理無一息間斷這裏霎時間壞了、便無補塡去處也」の説明。道理に間断はない。また、巧言を言うこともない。
【通釈】
○「霎時間壊了」。町人が父に向かって、親父殿一寸の間だ、堪忍して下さい。私が貴方の頭を張れば暮には五十両になると言う。欲の深い親父がそれを得心したとしても、その場は端的、することはできない。それは何故かと言うと、理というものに切れ目や間がないからである。「既無虚仮自無間断」である。「無補填去処」。後から回って埋めること。鍋釜を鋳掛けて回るのとは違い、狂言にすること。曾我の母が再嫁して貞女を破ったのに貞女を立てると言う。「巧言乱徳」。紛らわしい口上は一理ある様である。貞女を破ったので敵を討つことができたと言うが、それは聖人の大層嫌うこと。この様なことを尤もがるから、先年土井の臣の福嶋郡太夫が、今の役人衆は大概芝居の知恵だと言った。
【語釈】
・既無虚假自無間断…中庸章句26集註。「既無虚假、自無間斷」。
・曽我の母が再嫁して…曾我兄弟の母は、兄弟の父河津三郎祐康が殺された後、曾我太郎祐信に再縁した。
・巧言は乱德…論語衛霊公26。「子曰、巧言亂德。小不忍、則亂大謀」。
・土井…肥前唐津藩。土井利実?1690~1736。または土井利延?
・福嶌郡太夫…

○又曰云云必竟絶滅不得。これはとふしても陳衛道の下手を云やりた。佛者は三綱五常はないが、父子らしい師弟も上下と云へは納所も穴掘もあると云た。はつれを云たのじゃ。絶滅不得は佛者をこの方から侮る処じゃ。太宰答問書によく云つめてある。今の佛者は大名のやふにしてをる、と。○乃是外面假合し得来。父妻子母の類はないか弟子も納所もあると云が、それは本のものをのけて似せの作り物をもてきたやふなもの。庭前の花をはきりすてて作り花をかさりたのぞ。
【解説】
「又云、雖無三綱五常、又自有師弟子上下名分。此是天理自然他雖欲滅之、而必竟絕滅不得。然其所存者乃是外面假合得來、而其眞實者却已絕滅」の説明。仏者に三綱五常はないが、師弟や上下の名分はあると陳衛道が言った。しかしそれは真実のものを除けて偽物を持って来たのである。
【通釈】
○「又曰云云必竟絶滅不得」。これはどう見ても陳衛道が間違ったことを言ったもの。仏者に三綱五常はないが、父子らしい師弟も、上下で言えば納所も穴掘りもあると言った。外れたことを言ったのである。「絶滅不得」は、仏者をこちらが侮る処のこと。太宰答問書によく言い詰めてある。今の仏者は大名の様にしていると言う。○「乃是外面仮合得来」。父妻子母の類はないが、弟子も納所もあると言うが、それは本当のものを除けて似の作り物を持って来た様なもの。庭前の花を切り捨てて、作り花を飾ったのである。
【語釈】
・三綱五常…論語為政23集註。「愚按、三綱、謂、君爲臣綱、父爲子綱、夫爲妻綱。五常、謂、仁、義、禮、智、信」。
・納所…納所坊主。①会計・庶務を取り扱う僧。②下級の僧。

○故儒者之論毎事須要真実是當。中庸の首章か天命性で廿章の誠の処で此篇之樞紐也と云やふなもの。この真実是當か樞紐ぞ。○不似異端儱侗底影象。口で口を齩む、目で目を見るやふにして工夫をつめて、その時見たと云。こふ云ひては只の学者はまかされるか、そこは朱子ぞ。不似罩占眞實地也。この方の道理の処をしめた氣で有ふが、さふはゆかぬとなり。真実地位に此方をきめぬと迷ふ。韓退之大顛に出合ふて三日の新婦やふをなした。只あい々々と云た。不断の吟味のわるいからぞ。
【解説】
「故儒者之論毎時須要眞實是當。不似異端便將儱侗底影象來此、罩占眞實地位也」の説明。儒者の論は「真実是当」である。朱子は仏の言うことに負かされることはない。
【通釈】
○「故儒者之論毎事須要真実是当」。中庸の首章が天命性で二十章の誠の処で「此篇之樞紐也」と言う様なもの。この「真実是当」が樞紐である。○「不似異端儱侗底影象」。口で口を咬む、目で目を見る様にして工夫を詰めて、その時見たと言う。この様に言われては普通の学者は負けてしまうが、そこは朱子である。「不似罩占真実地位也」。こちらの道理の処を得た気なのだろうが、そうは行かないと言う。真実地位に自分を決めないと迷う。韓退之が大顛に出合い、三日の新婦と同じ様だった。ただはいはいと言った。普段の吟味が悪いからである。
【語釈】
・此篇之樞紐也…中庸章句20補伝。「章内語誠始詳、而所謂誠者、實此篇之樞紐也」。
・韓退之大顛…韓退之は、潮州に左遷された際、当地の傑僧大顛禅師と交流する。長安に帰って、大顛との交流を質問されるが、積極的には評価しない返答内容であったとのことである。かつて仏教を排斥し、後に熱心な仏教徒となった白居易とは異なり、韓退之は、基本的には排仏を貫いていた。

○此等差互。朱子受取られぬ。それを證拠を出せなら出しもせふが、沢山ありて書きつくされぬとなり。舉起は此字は輕くみること。丁ど鞭策録の初条の何の章を舉く々々と云たのが舉起なり。冩不能窮説不能尽。こんな処か筆にも口にものへつくすことはならぬと云。告子の語類、説倒し了るとある。消息ぞ。打たをした迠のことじゃ。ちっと計り佛学をしたもののゆくことではない。云てもきこへまいと云ほどのこと。○留心之久。いやなもの。好色のものなどが、いつそや隅田堤で見た紫を着た女がと云。衛道佛に執着した。○境界熟了。江戸ものが京詞になりたと思ふが、上方ものかきいてはとかくなまりがぬけぬと云ふ。あそこの工夫して取りたと思ふかさふはゆかぬ。朱子に見すかされてはたまらぬ。却皈此邉。こちと一つにしたのなり。彼の上の条の使ひ得、倚靠得た氣でここでべったりとしてなにくわぬ純儒、まじりなしの様な顔してをれども、また々々脱離せぬ。とかくかふれた。こちむきにならぬ。
【解説】
「此等差互處舉起便是不勝其多、冩不能窮説不能盡。今左右既是於彼留心之乆境界熟了。雖説欲却歸此邉來、終是脱離未得」の説明。仏が間違っている証拠は沢山あるが、それを言ってもわからないだろう。陳衛道は純儒のつもりだが、まだ「脱離」していない。
【通釈】
○「此等差互」。朱子は受取らない。その証拠を出せと言うのなら出しもしようが、沢山あって書き尽くすことができないと言う。「挙起」は軽く見ること。丁度鞭策録の初条の何の章を挙げるというのが挙起である。「写不能窮説不能尽」。こんな処は筆にも口にも述べ尽くすとはできないと言う。告子の語の類は「説倒了」とある。これが消息である。打ち倒したまでのこと。一寸ばかり仏学をした者のできることではない。言ってもわからないだろうと言うほどのこと。○「留心之久」。これが嫌なもの。好色な者などが、いつかの隅田川の堤で見た紫を着た女がと言う。衛道は仏に執着した。○「境界熟了」。江戸者が京言葉になったと思っても、上方者が聞けばとかく訛りが抜けていないと言う。あそこの工夫をして得たと思うが、そうは行かない。朱子に見透かされては堪らない。「却帰此辺」。こちらと一つにしたこと。あの前条の「使得」や「倚靠得」で、得た気で、ここでべったりとして何食わない顔で、「純儒」と、混じりない様な顔をしていても、まだまだ「脱離」しない。とかく被れてこちらの風にはならない。
【語釈】
・告子の語類、説倒し了る…

○熹向来亦曽如此。行状の小書にも啇量集にもある。朱子劉屏山の処で謙開善に出合たころがこのやふとなり。舉文を禅交りに書ひて、面白さに取り上けた試官もをれに一ぱいたまされたと朱子の笑れたことある。○大概不是了。後佛の方がわるくみへてきた。これは延平のかげた。鳩巣程でも爰を知らぬ。直方は知り手じゃ。朱子には延平と云あたまのをし手か有たて学問て成就された、嘉右衛門殿にはあたまのをしてがなさに神道に流れられたと云た。これと云ふも延平をよく知た口上ぞ。
【解説】
「熹向來亦曾如此、只是覺得大概不是了」の説明。朱子も曾ては陳衛道と同じだったが、後には仏が悪く見えて来た。それは延平という師がいた御蔭である。
【通釈】
○「熹向来亦曾如此」。行状の小書にも商量集にもある。朱子が劉屏山の処で謙開善に出合った頃がこの様だったと言う。挙文を禅混じりに書いたので、その面白さに取り上げた試官も俺に一杯騙されたと朱子が笑われたことがある。○「大概不是了」。後には仏が悪く見えて来た。これは延平の御蔭である。鳩巣ほどでもここを知らない。直方は知り手である。朱子には延平という頭を押す人がいたので学問で成就された、嘉右衛門殿には頭を押す人がいないから神道に流れられたと言った。これも延平をよく知った口上である。
【語釈】
・劉屏山…朱子の師。
・謙開善…密庵道謙。
・延平…李延平。字は愿中。羅豫章の門に程氏学を学ぶ。朱子も22歳の時に李延平の門を叩く。1093~1163
・嘉右衛門…山崎闇斎。

○一切放下了。延平も朱子はあちのものになるかこちのものになるかと思ふたことじゃか、一つ見こみの処はをしくてならぬものじゃ。そこが権時なり。茶をやめても茶碗は一つのこす。皆すてることはならぬものじゃ。然るに終に朱子の学問の仕かへやうはちがふたことじゃ。禅をすてて根を仕かへる工夫なり。小兒子初上学時様。登山と云やふになりた。いろはからかへるのなり。これが朱子でなくてはならぬ。直方の肌着からぬぎかへよと云もこの意ぞ。大学の素讀の時のやふにしたれば、便漸見得一二分意思。このことを鉄劔利而俳優拙と云。又孟子にある鴻鵠將至と云やふなもの。一二の意思を見たれば今迠見た心持とは論語をみても孟子をみてもちがふてきた。
【解説】
「且權時一齊放下了。只將自家文字道理作小兒子初上學時様、讀後來漸見得一二分意思、便漸見得他一二分錯處、迤邐看透了、後直見得他無一星子是處、不用著力排擯、自然不入心來矣」の説明。皆捨て去るというのができないことだが、朱子は根から学問をし直した。それで一二の意思を見た後は違って来た。
【通釈】
○「一切放下了」。延平も朱子はあちらのものになるのかこちらのものになるのかと思ったが、一つ見込みのある処は惜しくてならないもの。そこが「権時」である。茶を止めても茶碗を一つ残す。皆捨てることはできないもの。それが終には朱子の学問のし直し方は違っていた。禅を捨てて根からし直す工夫である。「小兒子初上学時様」で、登山の様なこと。いろはからし直したのである。これは朱子でなくてはできないこと。直方が肌着から脱ぎ替えろと言うのもこの意である。大学の素読の時の様にすると、「便漸見得一二分意思」。これを「鉄剣利而俳優拙」と言う。また、孟子にある「鴻鵠將至」の様なもの。一二の意思を見れば今まで見た心持ちとは論語を見ても孟子を見ても違って来た。
【語釈】
・鉄劔利而俳優拙…
・鴻鵠將至…孟子告子章句上9。「使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之爲聽。一人雖聽之、一心以爲有鴻鵠將至。思援弓繳而射之、雖與之倶學、弗若之矣。爲是其智弗若與。曰、非然也」。

序説にも早已暁文義。讀之久、但覚意味深長。意味の処は別たんじゃに、それを知らぬ。文義はちと違ふても訶られですんだこと。一二分の意思は垩学はこふせ子ばならぬと云こと。今迠あちがよいやふに思ふたが、こちが一二分ますとあちが一二分減る。病もそれなり。克己も一生只つよくと云計りではたまらぬことじゃ。一二分ますがはり合になる。田舎の年小人が村で賞美した着る物か江戸へ奉公に出ては人にくれて仕まいたいと云様になる。徂徠派には郭注、荘子を見る文字のためと云ふ云なしなれとも、いかにしても史傳ばかりでは玉しいかないから、荘子を玉しいにしたいのぞ。宋朝のものをわるく云にも我に高みなくてはならぬ。世説を見るもそれぞ。功利ばかりに志て、ざま々々しさにあんなことうれしかる。あまり俗々しいからのことぞ。なんでも一二分と云か大切の処は、佛にも覇にもここからぞ。
【解説】
聖学はこうしなければならないというのが「一二分意思」である。この一二分から仏にも覇にもなる。
【通釈】
序説にも「当時已曉文義。読之愈久、但覚意味深長」。意味の処は別段なのに、それを知らない。文義は一寸違っても訶られるだけで済むが、「一二分意思」は、聖学はこうしなければならないということ。今まではあちらがよい様に思っていたが、こちらが一二分増すとあちらが一二分減る。病もそれ。克己も一生ただ強くと言うばかりでは堪らない。一二分増すのが張り合いになる。田舎の年小の人が、村で賞美した着物を、江戸へ奉公に出ると人にくれてしまいたいと言う様になる。徂徠派は郭注を使う。荘子の文字を見る時のためとの言い做しだが、どうしても史伝だけでは魂がないから、荘子を魂にしたいのである。宋朝の者を悪く言うにも、自分に高いところがなくてはならない。世説を見るのもそれ。功利ばかりに志して、様々とあんなことを嬉しがる。それはあまりに俗々しいからである。何でも一二分というのが大切で、仏にもなるのも覇になるのもここからなのである。
【語釈】
・序説…論語序説。「程子曰、頤自十七八讀論語、當時已曉文義。讀之愈久、但覺意味深長」。

政談經済録あれで手ばなしに政かゆくことと思はふか、心地一段につかぬうち政はゆかぬ。治体を知らぬはあふしたもの。治教録のよいと云なそが、心地一段道体からゆかせるしむけぞ。これにあることか皆三代のことた。一寸今日の間に合ふやうなことはない。それたけよい。そこで經済書を貸出し政をせふ、禅て心を脩ふとする、皆看透。なる□□程門の歴々をも朱子に□□を□されるは、見得他無一星子是處段かはきとないからぞ。垩学の味がくいしめられぬからぞ。伊川は一生佛の書は見ぬ。明道老釈に出入したが後にはあの通りそ。○自然に不入心。いこふ高ひ塲ぞ。こふたしかになれば氣つかいはない。
【解説】
心地一段に付かない内は、政はできない。朱子が程門の歴々をも非難するのは、彼等は心地一段のところが確かでないからである。
【通釈】
政談や経済録で手放しに政がうまく行くと思うが、心地一段に付かない内は、政はできない。治体を知らない者はあの様なもの。治教録がよいと言うのも心地一段で道体から行かせる仕向けだからである。これにあることが皆三代のこと。一寸今日の間に合う様なことではないが、それだけよい。そこで経済書を借りて来て政をしよう、禅で心を修めようとするのは、「皆看透」。なるほど程門の歴々をも朱子に□□を□されるのは、「見得他無一星子是処」の段が確かでないからである。聖学の味が食い詰められないからである。伊川は一生仏の書を見なかった。明道は老釈に出入したが後にはあの通りである。○「自然不入心」。大層高い場である。この様に確かになれば気遣いはない。

○今云取長處。兎角陳衛道まけをしみだ。あれも一理ある、長處をとると云か、朱子のそれは是放不下看不破也。其中で益をとると云は佛学ばかりてはない。何ことにも有る。今所謂應事接物時々提撕。御かげて垩学へ皈正し、暑中にも客があればよくあしてい世話をする。日用もぬけぬやふに工夫も提撕して敬の功夫をすると云たれは、朱子の受取らぬ。それはやっはり那儱侗底影象。くい覚たて提撕するで有ふ。自家はいつも吾か心身の方に云か、ここのはこちの方のと云こと。吾黨吾学と云意なり。こちの方はこなたは干渉はあるまい。まあこちのをされよとなり。
【解説】
「今云取其長處而會歸於正、便是放不下看不破也。今所謂應事接物時時提撕者、亦只是提撕得那儱侗底影象。與自家這下功夫未有干渉也」。陳衛道が仏の長処を取って提撕すると言うが、それは「那儱侗底影象」だと朱子が言った。
【通釈】
○「今云取長処」。とかく陳衛道は負け惜しみが強い。仏にも一理あり、長処を取ると言うが、朱子がそれは「是放不下看不破也」だと言った。その中で益を取るというのは仏学ばかりではない。何事にもある。「今所謂応事接物時々提撕」。御蔭で聖学へ帰正し、暑中にも客があればよく世話をし、日用も疎かにせず工夫も提撕して敬の功夫をすると言うが、朱子は受取らない。それはやはり「那儱侗底影象」で、食い覚えて提撕したのだろう。「自家」はいつもは自分の心身の方で言うが、ここのはこちらの方のということ。我が党我が学という意である。こちらの方では、貴方は干渉がないだろう。まあこちらのをしなさいと言ったのである。

講後新嶋云、窮神知化の化を服部氏の繋辞傳にて行のことに申た、いかが。先生曰、繋辞の注も覚へたか。服部の吟味よいで有ふ。顧重二曰、明道の詩、道は通天地有形外か窮神のこと。想入風雲変態中か知化にあてて見ることじゃ。化は天地のはたらき。得た方から行と云ふとも、知るの字、窮むの字は知のことぞ。○此日二村儀惣太、新嶋吉五郎逗留中、侍席の原情を謝し明日皈藩の面訳を述ふ。
【解説】
服部氏が窮神知化の化を行のこととして言ったことについて、新嶋が尋ねた。服部の吟味もよいが、それは本来、知のことだと黙斎が答えた。
【通釈】
講後に新嶋が、窮神知化の化を服部氏が繋辞伝で行のことで申されたが、いかがなものかと尋ねた。先生が、繋辞の注も覚えたか。服部の吟味はよいだろう。重二を顧みて、明道の詩の「道通天地有形外」が窮神のこと。「想入風雲変態中」が知化に当てて見たもの。化は天地の働き。得た方から行とも言うが、知の字、窮の字は知のことだと言った。○この日、二村儀惣太と新嶋吉五郎が逗留中の侍席の原情を謝し、明日帰藩の面訳を述べた。
【語釈】
・服部氏…
・重二…中田重二郎。東金堀上の人。~寛政10年(1798)
・二村儀惣太…館林藩士。