答李伯諌書  九月朔日  文録
【語釈】
・九月朔日…
・文…花澤文二。林潜斎。東金市堀上の人。一時、丸亀藩主京極侯の儒臣となる。1749~1817

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答李伯諫書曰、來書云、輪囘因果之説、造妖捏恠以誑愚惑衆。故達磨亦排斥之。熹竊謂、輪囘因果之説乃佛説也。今以佛爲聖人而斥其言。至於如此、則老兄非特叛孔子、又謗佛矣。豈非知其説之有所窮也、而爲是遁辭以自解免哉。抑亦不得已於儒者、而姑爲此計、以緩其攻也。嗚呼吾未見聖人立説以誑愚惑衆、而聖人之徒倒戈以伐其師也。孰謂本末殊歸首尾衡決如是、而尚可以爲道乎。文集四十三。
【読み】
李伯諫に答うる書に曰く、來書に云う、輪囘因果の説は、妖を造り恠を捏り以て愚を誑かし衆を惑わす。故に達磨も亦之を排斥す。熹竊かに謂う、輪囘因果の説は乃ち佛説なり。今佛を以て聖人と爲して其の言を斥ける。此の如きに至りては、則ち老兄は特に孔子に叛くに非ず、又佛を謗るなり。豈其の説の窮むる所有るを知りて、是れ遁辭を爲し以て自ら解免するに非ざるや。抑々亦儒者に已むことを得ずして、姑く此の計を爲し、以て其の攻を緩すなり。嗚呼吾れ未だ聖人の説を立て以て愚を誑かし衆を惑わして、聖人の徒の戈を倒にし以て其の師を伐るを見ず。孰か本末歸を殊にし首尾衡に決すること是の如くして、尚以て道と爲す可きを謂わんや。文集四十三。

この間の四五條は仏をつかまへて辨じ、この條からあとの陳衛道の條は儒者の佛に迷ふたを弁ずる。これかあることなり。なるほどそふで、佛を弁ずるは公事をさばくやふなもの。儒者を責るは公事の捌きのわるいを云やふなものなり。李伯陳でも陳衛道でも我身の云ひ立ては儒て居て、中は佛なり。そこでこの條からを出さるるが学者の戒になることぞ。○來書云輪回因果之説。これが釈迦の思ひこみで、あちのに一ちよいことなり。時に、造妖捏怪以誑愚惑衆、故達磨亦排斥之。これか医者でも料理人でも、のることあると本を失ふた療治料理の出るのぞ。そこで釈迦をも打てども、たたい釈迦か輪回因果と実にそう見て、私でなく、これが衆生のためと思ひこんであの説がをこったこと。
【解説】
「答李伯諫書曰、來書云、輪囘因果之説、造妖捏恠以誑愚惑衆。故達磨亦排斥之」の説明。李伯陳も陳衛道も、我が身を言い立てるには儒で言うが、中は仏である。輪回因果は釈迦が私ではなく、衆生のためになると思い込んでできたもの。
【通釈】
この間の四十五条は仏を掴まえて弁じ、この条と後の陳衛道の条は儒者が仏に迷ったことを弁ずる。これかあること。なるほどその通りで、仏を弁ずるのは公事を捌く様なもので、儒者を責めるのは公事の捌きの悪いことを言う様なもの。李伯陳も陳衛道も、我が身を言い立てるには儒で言うが、中は仏である。そこでこの条からを出されたのが学者の戒めになる。○「来書云輪回因果之説」。これが釈迦の思い込みで、あちらにとって一番よいこと。時に、「造妖捏怪以誑愚惑衆、故達磨亦排斥之」。これが医者でも料理人でも、乗ることがあると本を失った療治や料理が出るもの。そこで釈迦をも攻撃するが、そもそも釈迦が輪回因果だと、実にそう見て、私でなく、これが衆生のためになると思い込んであの説が起こったのである。

然れとも、地獄極楽はあちの卑いこと。上総のどの住寺かが地獄極樂はないことと云たと云が、この上総の出家さへないと云ほどのことゆへ、あちもこんなこと云は我外聞がわるいからのこと。そこて世間て儒者のわるく云計りでなく、祖師の達磨も斯ふ云たど、この言訳けで佛の方へ位を付るなり。造妖捏怪は先日の神異妖怪もこのこと。誑愚惑衆は大記を讀の條の、傭奴爨婢迠が匍匐而歸之なり。中々伯諌か云ても、この手では朱子のかてんせぬ。そこで熹竊謂なり。○熹竊謂、輪回因果之説乃佛説也。貴様は異なことで、外聞わるいと思ふが乃佛説也と、乃の字が小声で云ことでなく、仏の大々と云たこと。武士の源平藤橘を云やふなもの。外聞のわるいことはない。
【解説】
「熹竊謂、輪囘因果之説乃佛説也」の説明。地獄極楽があると言うのは外聞が悪いので、祖師の達磨もそれを排斥したと言って李伯諌は片を付けようとした。朱子は、外聞が悪いと思うこと自体が仏説だと言った。
【通釈】
しかしながら、地獄極楽はあちらの卑しいこと。上総の何処かの住寺か、地獄極楽はないと言ったというが、この上総の出家でさえないと言うほどのことなので、あちらもこんなことを言うのは自分の外聞が悪いからである。そこで世間で儒者が悪く言うばかりではなく、祖師の達磨もこう言ったと、この言い訳で仏の方へ位を付けたのである。「造妖捏怪」は、先日の「神異妖怪」もこのこと。「誑愚惑衆」は大記を読むの条の、傭奴爨婢までが「匍匐而帰之」がこれである。中々伯諌が言っても、この手では朱子は合点しない。そこで「熹竊謂」。○「熹竊謂、輪回因果之説乃仏説也」。貴様が異なことに外聞が悪いと思うのが「乃仏説也」だと言う。乃の字は小声で言うことでなく、仏の大々と言ったもの。武士の源平藤橘を言う様なもの。外聞の悪いことではない。
【語釈】
・神異妖怪…朱子語類126。「因論釋氏多有神異、疑其有之。曰、此未必有。便有、亦只是妖怪」。
・大記を讀の條…朱子文集70。「則天下之傭奴爨婢黥髠盗賊亦匍匐而歸之矣」。
・源平藤橘…奈良時代以来その一門が繁栄して名高かった四氏。源氏・平氏・藤原氏・橘氏の称。

○今以仏爲聖人而斥其言。至於如此、則老兄非叛孔子、又謗佛矣。豈非知其説之有所窮也、而爲是遁辞以自解免哉。そちらては釈迦を圣人とするに非すや。それを排斥するはきこへぬ。貴様もあち方になりて孔子を叛き、今又仏になりてそれをそしるは猶々つまらぬとなり。学者にこれが夛くあること。せつなくなってくると遁辞を云なり。釈迦も甘口ゆへ達磨か呵ったと云が迯け口上で、あれを呵ったは別に禅学は高いこと有らふと見せるなり。○抑亦不得已於儒者、而姑爲此計、以緩其攻也。儒から撞かれるにどふもこまる。李伯諌が我が別してこれがある。もと儒者で知てもいるゆへ、儒の実からきめれば言ひわけなく、本んのことを知れば地獄極樂もとふもならぬゆへ、そこてあのことは達磨も呵ったと、儒から云はれまいとての計なり。
【解説】
「今以佛爲聖人而斥其言。至於如此、則老兄非特叛孔子、又謗佛矣。豈非知其説之有所窮也、而爲是遁辭以自解免哉。抑亦不得已於儒者、而姑爲此計、以緩其攻也」の説明。李伯諌は仏に転じて孔子に叛き、また、釈迦を排斥したが、仏が釈迦を排斥するのは悪い。李伯諌は元儒者なので、儒の実から決めれば地獄極楽の間違いを言い訳することができないことを知っていたので、釈迦を達磨が呵ったと遁辞を言ったのである。
【通釈】
○「今以仏為聖人而斥其言。至於如此、則老兄非叛孔子、又謗仏矣。豈非知其説之有所窮也、而為是遁辞以自解免哉」。そちらでは釈迦を聖人とするのではないのか。それを排斥するというのは悪い。貴様もあちらの方になって孔子に叛き、今また仏になってそれを謗るのは尚更つまらないことだと言った。学者にこれが多くあること。切なくなって来ると遁辞を言う。釈迦も甘口なので達磨が呵ったと言うのが逃げ口上で、あれを呵ったのは禅学は別に高いことがあるのだろうと見せるためである。○「抑亦不得已於儒者、而姑為此計、以緩其攻也」。儒から撞かれるのがどうも困る。李伯諌には特にこれがある。元は儒者なので知ってもいるので、儒の実から決めれば言い訳ができず、本当のことを知れば地獄極楽もどうにもならないので、そこであのことは達磨も呵ったと、儒から言われない様にしようとしての計である。

○嗚呼吾未見垩人立説以誑愚惑衆、而垩人之徒倒戈以伐其師也。ここは釈迦の達磨のとこまかを云はずに跡上を云。釈迦は圣人にして置て、垩人之徒は達磨にあてて云。倒戈は左傳の文字で、かへり忠をし、身方へ歒對するを云。達磨二十八祖で釈迦より二十九にあたる。其達磨が我垩人之輪回因果はとほふもないことと云へば、それては磨子が孔子をそしるのでつまらぬ。それもこれも皆あちが空理ゆへのことなり。○孰謂本末殊歸首尾衡决如是、而尚可以爲道乎。本末殊歸は釋迦達磨合はぬを云。首尾衡决は直なもののよこにさけるなり。釈迦はわるいが達磨はよいと云へば本末首尾がつまらぬ。それなら仏法は道とせられぬことに、そなたはなぜ儒で居ながら、何を以てあちを信ずると祟ること。尚可以爲道。儒者でどふしたものと、言外に意のあることなり。
【解説】
「嗚呼吾未見聖人立説以誑愚惑衆、而聖人之徒倒戈以伐其師也。孰謂本末殊歸首尾衡決如是、而尚可以爲道乎」の説明。釈迦は「聖人」、達磨は「聖人之徒」の立場である。その達磨が聖人の輪回因果を途方もないことと言うのは悪い。釈迦は悪いが達磨はよいと言えば本末首尾がつまらない。
【通釈】
○「嗚呼吾未見聖人立説以誑愚惑衆、而聖人之徒倒戈以伐其師也」。ここは釈迦は、達磨はと細かなことを言わずに跡上を言う。釈迦は「聖人」にして置いて、「聖人之徒」は達磨に当てて言う。「倒戈」は左伝の文字で、返り忠をして、身方へ敵対することを言う。達磨は二十八祖で釈迦から二十九番目に当たる。その達磨が自分の聖人が言った輪回因果を途方もないことと言えば、それでは達磨が孔子を謗ることになるのでつまらない。それもこれも皆あちらが空理だからである。○「孰謂本末殊帰首尾衡決如是、而尚可以為道乎」。「本末殊帰」は釈迦と達磨が合わないことを言う。「首尾衡決」は直なものが横に裂けること。釈迦は悪いが達磨はよいと言えば本末首尾がつまらない。それなら仏法は道とさせられないものであって、貴方は何故儒でいながら、何であちらを信じるのかと祟った。「尚可以為道」。儒者なのにどうしたものかと言った。言外に意のあること。
【語釈】
・倒戈…春秋左氏伝宣公。「鄭人入于井、倒戟而出之、獲狂狡」。「既而與爲公介、倒戟以禦公徒、而免之」。
・かへり忠…元の主君に背いて敵方の主君に忠を尽すこと。裏切。

講後惟秀曰、垩人立説の一節はこの方の圣人を云て、垩人之徒は李伯諌にあてるやふに見へると問ふ。曰、そちらでよいやうに商量すべし。諸子退て考るに、とふとも見ゆるやふなれども、上文今以佛爲垩人とあれは、やはり圣人は釈迦、垩人之徒は達磨にする先生説よし。李伯諌もやはり其中にあるなり。
【解説】
惟秀は「聖人立説」はこちらの聖人を言い、「聖人之徒」は李伯諌に当てた様に見えると思ったが、後で考えると先生の説がよい。
【通釈】
講後惟秀が言った。「聖人立説」の一節はこちらの聖人を言い、「聖人之徒」は李伯諌に当てた様に見えると問うた。そちらでよい様に商量しなさいと黙斎は答えた。諸子退いて考ると、どうとも見える様だが、上文に「今以仏為聖人」とあるので、やはり聖人は釈迦、聖人之徒は達磨とする先生の説がよい。李伯諌もやはり仏の中にいる、と。


答陳衛道書條
41
答陳衛道書曰、釋氏所見較之吾儒、彼不可謂無所見。但却只是從外靣見得箇影子、不曾見得裏許眞實道理。所以見處、則儘高明脱洒、而用處七顚八倒無有是處。儒者則要得見此心此理元不相離。雖毫釐絲忽間、不容有差舛。才是用處有差、便是見得不實。非如釋氏見處行處打成兩截也。嘗見龜山先生引龐居士説神通妙用、運水般柴話來、證孟子徐行後長義。竊意、其語未免有病。何也、蓋如釋氏説、則但能般柴運水、即是神通妙用。此即來喩所謂舉起處、其中更無是非。若儒者則須是徐行後長、方是。若疾行先長即便不是。所以格物致知、便是要就此等處、微細辨別、令日用間見得天理流行、而其中是非黑白各有條理、是者便是順得此理、非者便是逆著此理。胸中洞然無纖毫疑礙所以才能格物致知、便能誠意正心而天下國家可得而理、亦不是兩事也。五十九。
【読み】
陳衛道に答うる書に曰く、釋氏の見る所之を吾儒に較ぶるに、彼は見る所無しと謂う可からず。但し却って只是れ外靣に從い箇の影子を見得、曾て裏許眞實の道理を見得ず。以て見る所の處は、則ち儘く高明脱洒にして、用うる處は七顚八倒是なる處有る無し。儒者は則ち此の心と此の理の元相離れざるを見るを得るを要す。毫釐絲忽の間と雖も、差舛有るを容れず。才かに是れ用いる處に差有れば、便ち是れ得るを見て實ならず。釋氏の見る處、行く處は打して兩截と成るが如きに非ざるなり。嘗て龜山先生の龐居士の神通妙用、運水般柴を説く話を引いて來て、孟子の徐行して長に後るの義を證するを見る。竊かに意う、其の語は未だ病有るを免れず、と。何となれば、蓋し釋氏が説の如きは、則ち但能く般柴運水にして、即ち是れ神通妙用。此れ即ち來喩に謂う所の舉起の處、其の中に更に是非無し。儒者の若きは則ち須らく是れ徐行して長に後る、方に是なり。若し疾行して長に先んずれば即ち便ち是ならず。物に格り知を致す所以は、便ち是れ此等の處に就き、微細に辨別し、日用の間に天理流行を見得て、其の中に是非黑白各々條理有り、是は便ち是れ此の理に順い得、非は便ち是れ此の理に逆著し、胸中洞然にして纖毫の疑礙無からしめ、才かに能く物に格りて知を致せば、便ち能く意を誠にし心を正にして天下國家得て理とす可き所以にて、亦是れ兩事ならざるなり。五十九。

曰、釈氏所見較之吾儒、彼不可謂無所見。惣体朱子のはちがうもの。そうたい全備するとこう出る。鬼神の説でも伊川は妖怪はないと云へども、朱子はあるにして扁を付る。釈氏のことも釈迦の道はないことと片を付るがほんのことなれども、それでは仏も合点せぬゆへ、朱子は中へ這入って見る所なしと云べからずと説を置てあとを云ゆへ論が尽るぞ。較るは儒へ一々あてて見るに、跡上ではこちは親はいとをしい、君を大切とするに、あちは親をすてて君がないゆへ、そこに論はなけれども、跡上のことは今日まつ止めて云とき、此方も形ない処、あちも形ない処のこと。すれば不可謂無所見なり。こちて無声無臭や形而上と云が、百姓日用而不知。形がないゆへ見にくい。あちの本来の面目は見られぬ。吾が方で繋辞傳を元祖にして孔孟濂洛の垩賢が形ないものを見る。其段になりて、あちも跡上の外では一つ形せぬ処を指すには似たことありて、見る所なしと云はれぬ。只呵って夷狄目禽獣めと云てはすまぬ。そうもなくて虚無寂滅の教を大学の序で邪魔にはせぬ筈。あちもなんでも見付たは見付て、釈迦はふっつりと見付、達磨は手あらく見付たものなり。
【解説】
「答陳衛道書曰、釋氏所見較之吾儒、彼不可謂無所見」の説明。跡上では仏は論にもならないが、形のない処があると言うところは、儒に似ている。
【通釈】
「曰、釈氏所見較之吾儒、彼不可謂無所見」。総体、朱子のすることは違うもの。総体、全備するとこう出る。鬼神の説でも伊川は妖怪はいないと言うが、朱子はそれをあることにして片を付ける。釈氏のことも釈迦の道はないと片を付けるのが本来のことだが、それでは仏も合点しないので、朱子は中へ這い入って見る所なしと言うべからずと説を置いて、その後を言うので論が尽きる。「較」は儒へ一々当てて見ることで、跡上では、こちらは親は愛しく君を大切なものとするのに、あちらは親を捨てて君がないので論にならないのだが、跡上のことは今日先ずは止めにして言う時、こちらも形ない処、あちらも形ない処がある。それなら「不可謂無所見」である。こちらで無声無臭や形而上と言うのが「百姓日用而不知」で、形がないので見難い。あちらの本来の面目も見ることはできない。我が方では繋辞伝を元祖にして孔孟濂洛の聖賢が形ないものを見る。その段になっては、あちらも跡上の外に一つ形のない処を指すという似たことがあって、見る所なしとは言えない。ただ夷狄め禽獣めと言って呵るのでは済まない。そうでなければ虚無寂滅の教えを大学の序で邪魔にはしない筈。あちらも何でも見付けるには見付けたのであって、釈迦はぶっつりと見付け、達磨は手荒く見付けたのである。
【語釈】
・無声無臭…中庸章句33。「上天之載、無聲無臭。至矣」。詩経大雅文王。「上天之載、無聲無臭」。
・形而上…易経繋辞伝上12。「形而上者謂之道、形而下者謂之器」。
・百姓日用而不知…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。孟子告子章句下2。「楊氏曰、堯舜之道大矣。而所以爲之、乃在夫行止疾徐之閒、非有甚高難行之事也。百姓蓋日用而不知耳」。
・大学の序…大学章句序。「異端虚無寂滅之敎、其高過於大學而無實」。

○但却只是従外面見得箇影子、不曾見得裏許眞実道理。道理、天地の間一つなもの。天命性が一つなり。そこが儒は丈夫、仏は外からそれに似たものを見て、外面でかけぼしを見た顔をするが、もとないことなり。儒は内から筋を立て、條理分派五常五倫ときまる。なれとも形はない。それをたしかに見とめることが仏はならぬ。歴々の奧方や御姫様が駕篭て通るを紗の障子からちらりと見へても、中々近付にはなられぬ。それを仏はちらりとしたあの影を見て見たぶんにする。見得箇影子か其摸様なり。養朴か画の霞か手にとられぬ。遠く薄墨の帆かけ舟などかそれとは見へて、十万石の御朱印にはならぬ。墨繪のやうに書てそれを拜領しては、御役はつとまらぬ。そこて仏は裏許真実道理を見ることはならぬ。虚無寂滅に形なく太極も形なけれども、こちは裏に父子君臣より禅受放伐も何もけも蘊れてある。天下の治には衍義に補もあり、事の上に文献通考續通考のやうなものまてある。そこをみる。大哉礼儀三百威儀三千か裏許にありて、白木の臺にのせる。無極而太極の中にそれがある。そこて三千三百が外と云へとも、裏許の道理があらはれたものゆへ、やりはなしはならぬ。そこをばあちは知らぬ。
【解説】
「但却只是從外靣見得箇影子、不曾見得裏許眞實道理」の説明。道理は天下に一つだけだが、仏はそれに似たものを外面から見てわかった振りをするので、道理を見止めることができない。儒は「礼儀三百威儀三千」と細かにして、遣り放しにはしない。
【通釈】
○「但却只是従外面見得箇影子、不曾見得裏許真実道理」。道理は天地の間に一つである。「天命性」は一つである。そこで儒は丈夫なのだが、仏は外からそれに似たものを見て、外面で影法師を見てわかった顔をするが、それは本来ないこと。儒は内から筋を立るので、条理分派五常五倫と決まる。しかしながら形はない。それを確かに見止めることが仏はできない。歴々の奥方や御姫様が駕篭で通るのが紗の障子からちらりと見えても、中々近付きにはなれない。それを仏はちらりとしたあの影を見て見たことにする。「見得箇影子」がその模様である。養朴の画の霞は手に取れない。遠く薄墨の帆掛舟などは、それとは見えても十万石の御朱印にはならない。墨絵の様に書いたものを拝領しても、御役は勤まらない。そこで仏は「裏許真実道理」を見ることはできない。虚無寂滅に形なく、太極にも形はないが、こちは裏に父子君臣より禅受放伐も何もかも蘊まれてある。天下の治には衍義に補もあり、事の上に文献通考や続通考の様なものまでがある。そこを見る。「大哉礼儀三百威儀三千」か裏許にあって、白木の台に載せる。無極而太極の中にそれがある。そこで三千三百は外ではあるが、裏許の道理が現れたものなので、遣り放しは悪い。そこをあちらは知らない。
【語釈】
・天命性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・養朴…狩野常信。江戸前期の画家。号は養朴・古川叟など。狩野尚信の長男。木挽町狩野家を継ぎ、探幽没後の、狩野派の代表的画家として活動。法印に叙。古画の模写に努め、厖大な「常信縮図」を残す。1636~1713
・大哉礼儀三百威儀三千…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千。待其人而後行」。礼記礼器。「經禮三百、曲禮三千」。
・無極而太極…太極図説の冒頭の語。近思録道体1。

○所以見處、則儘高明脱洒、而用處七顚八倒無有是處。あちの見處か大ていのことてなけれども、空をつかまへ眼見雪漢なり。この段衆生済度の意も何も一物はない。其ある中はまだ役にたたぬ。只にい々々と笑て居て人にもどるでもない。脱洒ゆへ高いことぞ。垩人のは高く見れば爲る上も高い。精義入神かこまかなれば、行もこまかにゆく。仏は只かまはずすてて置て、一休がなんじゃかじゃ、あそこじゃここじゃ、苦じゃ樂じゃ、これじゃあれじゃと云も、くぢゃ々々々と云。どふでももぬけたことなり。そこを孔子は心つかいなり。病人には生ま干のきす、死ぬと沈香。娘が出産と聞く、まあ味噌漬てもと云ふ。腰の曲る迠と七夜には海老をやる。なれとも産婦でははせぬ。如此の細まかあたり。あちはとうしてもよいと云へとも、用處七顚八倒是處ないぞ。儒者の方はさま々々で、手紙の上も御機嫌よくの、御勇健のと、それ々々三千三百があるゆへ、とふてもよいとは云はせぬ。
【解説】
「所以見處、則儘高明脱洒、而用處七顚八倒無有是處」の説明。仏は脱洒で高いが、行はどうでもよいとする。儒は行も細かにする。
【通釈】
○「所以見処、則侭高明脱洒、而用処七顛八倒無有是処」。あちらの見処は大抵なことではないが、空を掴まえて「眼見雪漢」である。この段では衆生済度の意も何も一物はない。それがある内はまだ役に立たない。ただにこにこと笑っていて人に戻るのでもない。それは脱洒なので高いこと。聖人のは高く見ればすることでも高い。精義入神が細かであれば、行も細かに行く。仏はただ構わず捨てて置いて、一休がなんだかんだ、あそこだここだ、苦だ楽だ、これだあれだと、ぐちゃぐちゃと言う。それはどうも脱洒なこと。そこを孔子は心遣いをする。病人には生干のきす、死ぬと沈香。娘が出産と聞けば、まあ味噌漬でもと言う。腰の曲がるまでと七夜には海老を遣る。しかしながら産婦なら馳せない。この様に細かな仕方がある。あちらはどうしてもよいと言うが、「用処七顛八倒是処」ない。儒者の方は様々で、手紙の上も御機嫌よくとか御勇健と、それぞれに三千三百があるので、どうでもよいとは言わせない。
【語釈】
・精義入神…易経繋辞伝下5。「精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。

○儒者則要得見此心此理元不相離。雖毫釐絲忽間、不容有差舛。才是用處有差、便是見得不実。非如釈氏見處行処打成両截也。向は心をすますと用処にはかまはぬ。儒は大切の時、此心此理也。人之爲学心與理而已と云。万物の向の理とこちの心か離られぬ。そこて此心が此理と連立つゆへ七顚八倒せぬ。ここも先日の大記へあてて見がよし。始に心の本然と云て、中に本然不可易之實理と云。こちはこの心が本然、不可易は実理、一つになることなり。人も心が仁の宿をしながら仁のじゃまをする。心がむつかしい。顔子を其心三月不違仁と云。心と理が一つてなければならぬ。其心をよくすると仁になる。仁は愛之理心之德。それゆへ其工夫に克己をする。どこてもこれ。逢其原なり。克己して欲のないばかりては、欲がなくても理に叶はぬあるゆへ、復礼と云。其れから間地を打て差舛なり。少しも違はぬやうにする。郷黨の篇が氣ても理になる。膾は繊と云が圣人の一人かのすきでなく、理に差はれぬ。入公門□鞠躬如。君を敬するからぞ。何も一つとて雪隱へゆくとき、それでは大たわけなり。理と丁どに合はせること。心ばかりではならぬ。仁者見之曰之仁、知者見之曰之知は差舛になる。
【解説】
「儒者則要得見此心此理元不相離。雖毫釐絲忽間、不容有差舛。才是用處有差、便是見得不實。非如釋氏見處行處打成兩截也」の説明。仏は心を済ませば用処には構わない。儒は向こうにある理と自分の心が連れ立つ様にする。心と理は一つでなければならない。克己は心の工夫だが、心を理に適う様にするのが復礼である。理に差えては悪い。
【通釈】
○「儒者則要得見此心此理元不相離。雖毫釐絲忽間、不容有差舛。才是用処有差、便是見得不実。非如釈氏見処行処打成両截也」。向こうは心を済ませば用処には構わない。儒は大切な時に、「此心此理也。人之爲学心与理而已」と言う。万物の向こうの理と自分の心が離れられない。そこでこの心がこの理と連れ立つので七顛八倒はしない。ここも先日の大記へ当てて見るのがよい。始めに「心之本然矣」と言って、中で「本然不可易之実理」と言う。こちらはこの心が本然、不可易は実理で、それが一つになる。人も心が仁の宿をしながら仁の邪魔をする。心が難しい。顔子を「其心三月不違仁」と言う。心と理が一つでなければならない。その心をよくすると仁になる。「仁者愛之理心之徳」だから、そこでその工夫に克己をする。どこでもこれ。「逢其原」である。克己をして欲のないだけでは、欲がなくても理に適わないことがあるので復礼と言う。それから間地を打って「差舛」である。少しも違わない様にする。郷党の篇は気でも理になる。膾は細かいというのが聖人一人の好き嫌いではなく、理に差えないこと。「入公門鞠躬如」は君を敬するからである。何でも同じだとして雪隠へ行く時にもそれをしては大戯けである。理と丁度に合わせるのであって、心だけでは悪い。「仁者見之曰之仁、知者見之曰之知」では差舛になる。
【語釈】
・此心此理也。人之爲学心與理而已…
・大記…朱子文集70。
・其心三月不違仁…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。
・仁は愛之理心之德…論語学而2集註。「仁者愛之理心之德也」。孟子梁恵王章句上2集註。「仁者心之德愛之理」。
・克己…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉」。
・逢其原…孟子離婁章句下14。「孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右逢其原。故君子欲其自得之也」。
・膾は繊…論語郷党8。「食不厭精、膾不厭細」。
・入公門□鞠躬如…論語郷党4。「入公門、鞠躬如也、如不容」。
・仁者見之曰之仁、知者見之曰之知…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。前出。

そこて楊墨が仏の前立になるも毫釐から違て、どちも無父無君ぞ。伯夷桺下恵隘與不恭も皆差舛にてよいと云はれぬ。そこてこれを大切の心法と云は、欲をなくして理に合の大事が入る。今日の学者も太極は合点したと云ながら、借りた金は返さぬ。それなら太極を合点てはない。用處の違うが便是見得不実なり。訂翁、幸田の俗儒に云はれるも用處の違からぞ。八十になられるは、踊り子がしゃくして好色には落たが理にあたらぬゆへ、手本にはならぬ。太兵衛にも江戸へいたらは、踊り子と云たらそれは出來ぬと云べし。其ま子られぬがわるい処。圣人の妙処でも誾々便々は真似られぬと云はれぬ。きれい好か首も踵もよごれるをいやがる。足はどふでもよいでない。ここはよいとて用処の差ふは片々にすきがある。それはほんのきれいずきでない。他人の病人の世話をよくするが、家内の病人のときはそふないと云かどふしてかあることで、皆見得不実なり。
【解説】
用処が差うのは「便是見得不実」だからである。理に適った行いは手本となるが、それができないのは「見得不実」だからである。
【通釈】
そこで楊墨が仏の前立ちになるのも毫釐からの違いで、どちらも無父無君である。「伯夷柳下恵隘与不恭」も皆差舛であって、それでよいとは言えない。そこでこれを大切な心法だと言うのは、欲をなくして理に合わせる大事が要るからである。今日の学者も太極は合点したと言いながら、借りた金は返さない。それなら太極を合点しているのではない。用処が違うのが「便是見得不実」である。訂翁が幸田に俗儒と言われたのも用処の違いからである。八十になられ、踊り子のしゃくして好色に落ちたが、それは理に当たらないので手本にならない。太兵衛も江戸にいて、踊り子と言われればそれはできないと言うだろう。その真似でじきないのが悪い処。聖人の妙処でも「誾々便々」は真似られないとは言えない。綺麗好きは首も踵も汚れるのを嫌がる。足はどうでもよいとは言わない。ここはよいとして用処が差うのは一方に隙があるのである。それでは本当の綺麗好きではない。他人の病人の世話はよくするが、家内の病人の時はそうではないというのがどうしてかあり、それが皆「見得不実」である。
【語釈】
・伯夷桺下恵隘與不恭…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷隘、柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也」。
・訂翁…久米訂斎。京都の人。名は順利。通称は断二郎。~1784
・幸田…幸田子善。迂斎門下。1720~1792
・太兵衛…北田慶年。東金市福俵の人。
・誾々便々…論語郷党1。「孔子於郷黨、恂恂如也。似不能言者。其在宗廟朝廷、便便言。唯謹爾」。同郷党2。「朝、與下大夫言、侃侃如也。與上大夫言、誾誾如也。君在、踧踖如也。與與如也」。

朱子の仏を不可謂無所見と揚けて置て、偖てこれ々々ゆへ七顚八倒是處なしと云。見得不実と云は、母が積もちゆへをれも按摩を習ふと云。親のために医者を習ふと云も見得実からぞ。そこを黄蘖は蹴るじゃ。凡人は日ごろ不孝でも見ると惻隱が出るが、黄蘖はその出ぬやうにわるく脩行したもの。こちは惻隱を実事にする。あちは分のことなり。○非如釈氏見處行處打成両截也。仏は見る処高くでも、行ふ処が別なり。今日の儒者もそれで、孝の理を合点でも孝行ではなく、君臣の義も合点して居るが忠義つきぬそ。されどもそれが儒道ではない。仏はあたまでそれで、見処行処打成両截なり。禅録に打成一片とあるは、とどここと一つになる処を云ふ。それを朱子の打上両截と云ふはいたづらになじりたものなり。闕語あり。
【解説】
仏は見る処が高くでも、行う処が別である。「打成両截」と朱子が言ったのは、禅録の「打成一片」をもじったのである。
【通釈】
朱子が仏を「不可謂無所見」と上げて置いて、さてこれこれの理由で「七顛八倒無有是処」と言う。「見得不実」は、母が癪持ちなので俺も按摩を習うと言う。親のために医者を習うと言うのも見得実からである。そこを黄蘖は蹴る。凡人は日頃不孝でも、見れば惻隠が出るが、黄蘖はそれが出ない様に悪く修行をした。こちらでは惻隠を実事にするが、あちらでは別なこと。○「非如釈氏見処行処打成両截也」。仏は見る処が高くでも、行う処が別になる。今日の儒者もそれで、孝の理は合点でも孝行するのでもなく、君臣の義も合点しているが忠義を尽くさない。しかしそれは儒道ではない。仏は最初からそれで、「見処行処打成両截」である。禅録に「打成一片」とあるのは、結局はここと一つになる処を言う。それを朱子が打上両截と言ったのは、悪戯に詰ったもの。闕語がある。
【語釈】
・黄蘖…黄檗希運。中国唐代の禅僧。福州閩県の人。百丈懐海に師事した。弟子に臨済義玄がいる。断際禅師。~850頃
・打成一片…坐禅に徹底して差別対立を離れること。転じて、一切を忘れて専心すること。

○嘗見亀山先生引龐居士説神通妙用、運水般柴話來、證孟子徐行後長義。楊亀山のかぶれた処がここなり。面白こと云ときは歴々も下卑たこと云もの。公家や大名などの上品なぬかったやふなもの。それがよけれども面白ひこと云はふとて、をぼへず下卑になる。あれては似合はぬことなり。龐居士、唐の人なり。馬祖に参禅したかと覚ゆ。さて悟道せぬものは仏法を遠いことに思うが、そふしたことでなく、山賊が木を脊負い、丁雅が水渡あそことなり。坐禅堂へ入るばかりが坐禅でなく、小児のかけるやふにしても坐禅と云。そこて運水般柴が神通妙用で、尭舜の道も孝悌而已と云処じゃと云。それを持て来て、さて面白いとさへたやふじゃが、亀山も一とたべ醉て浮浪の水なり。それでは孟子のこまかあたりはない。
【解説】
「嘗見龜山先生引龐居士説神通妙用、運水般柴話來、證孟子徐行後長義」の説明。楊亀山は運水般柴が神通妙用であり、「堯舜之道孝悌而已」と同じだと言ったが、それは仏の被れである。それには細かな仕方がない。
【通釈】
○「嘗見亀山先生引龐居士説神通妙用、運水般柴話来、証孟子徐行後長義」。楊亀山の被れた処がここ。面白いことを言う時は歴々も下卑たことを言うもの。公家や大名などの上品な人が抜かる様なもの。それはよいことであっても、面白いことを言おうとして、覚えず下卑になる。それは似合わないこと。龐居士は唐の人。馬祖に参禅したかと思う。さて道を悟らない者は仏法を遠いことの様に思うが、そうしたことでなく、山賤が木を背負い、丁雅が水渡はあそこと言う。坐禅堂へ入るばかりが坐禅ではなく、小児が駆ける様でも坐禅と言う。そこで運水般柴が神通妙用であって、「堯舜之道孝悌而已」という処だと言う。それを持って来て、さて面白いことだと冴えた様だが、亀山も一食べ酔って浮浪の水である。それでは孟子の細かな当たりはない。
【語釈】
・亀山…楊時。字は中立。号は亀山。伊川門人。
・龐居士…龐居士、諱は蘊、字は道玄。丹霞天然とともに儒より禅に転じて石頭と馬祖に参じ、ついにその法を嗣ぐ。
・神通妙用、運水般柴…道元禅師。正法眼蔵神通。「運水搬柴、神通妙用」。ありふれた日常の行為を黙々と続けることに神通妙用がある。
・孟子徐行後長…孟子告子章句下2。「徐行後長者謂之弟。疾行先長者謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣」。
・山賊…山賤。猟師・きこりなど、山中に住む賤しい身分の人。山しず。

○竊意、其語未免有病。何也、蓋如釈氏説、則但能般柴運水、即是神通妙用。朱子の、亀山はこちの祖で、をらが祖師筋なれども、とふもこまる、と。直方の夢になれ々々なり。不免有病が理氣の分ないを云ことなり。あちて運水般柴、了簡なしにはたらけども、それを神通妙用と云は作用此性を云なり。それでは氣と理の捌きがない。如釈氏説則云々。ここの即の字でここが分る。あちは直につかまへる。こちは山かつが木をよいやふに運び、水もよいやうに汲んで、薪もそこへ落しちらすははこびやうがわるく、水をにない桶を投けるは汲みやふがわるいと、理がついてある。仏はどふでもあのはたらき動く処を神通妙用。そこで只はたらく処がと即の字を出して云。即の字がやはり即身即仏の即の字なり。
【解説】
「竊意、其語未免有病。何也、蓋如釋氏説、則但能般柴運水、即是神通妙用」の説明。仏は運水般柴で了簡なしに働くことを神通妙用と言うが、それでは「作用此性」となる。働く際にはそれなりの働き方がある。
【通釈】
○「竊意、其語未免有病。何也、蓋如釈氏説、則但能般柴運水、即是神通妙用」。朱子が、亀山はこちらの祖で、俺の祖師筋だが、どうも困ると言った。それは、直方の夢になれということ。「不免有病」は理気の別がないことを言う。あちらが運水般柴で了簡なしに働くが、それを神通妙用と言っては「作用此性」を言うことになる。それでは気と理の捌きがない。「如釈氏説則云々」。ここの即の字でここが分かれる。あちらは直に掴まえる。こちらは山賤が木をよい様に運び、水もよい様に汲む。薪もそこへ落とし散らかすのは運び方が悪く、水を担い桶を投げるのは汲み様が悪いと、理が付いてある。仏はどうでもあの働き動く処を神通妙用と言う。そこで、ただ働く処がと、即の字を出して言う。即の字がやはり即身即仏の即の字である。

○此即來諭所謂挙起處、更無是非。これは來諭にと、にの点を入れ子はならぬ。所謂も大学之傳のやふなてはない。謂ふ所ろと読べし。そのいろ々々と引てあるのが、やはり揚亀山の龐居士を引も貴様の所謂挙起の処も、そちらではよいと思はれやふが、それでは是非がない。活てはたらけは神通妙用と云が、貴様の今いろ々々と引て云はるる挙起せつ□筋が立ぬなり。前の答陳衛道書にも差互の處挙起便是不堪其多も、挙を云はふならばかぎりないと云こと。さて又禅で挙起と云こともある。それは塩梅あることなり。こちでも程子の西湖で石の上に坐して居る内、足あとのうるをふたを見られここじゃと云を、門人が挙起して同くこれが天地の舛降の氣じゃと云ふを挙起してと録した。すれば禅は拂氏を一寸と揚げ錫杖をつっ立てるやふなをもわくのとき挙起と云が、それも処によること。ここのも前のもただ語を出して證拠にしたことなり。貴様のはいろ々々あげて云が、中に是非がない。仏の通りじゃと云のなり。
【解説】
「此即來喩所謂舉起處、其中更無是非」の説明。陳衛道が色々と挙げて言っても、そこには是非がない。仏の通りだと朱子は言った。
【通釈】
○「此即来諭所謂挙起処、更無是非」。これは来諭にと、にの点を入れなければならない。「所謂」も大学の伝の様なことではない。謂う所と読みなさい。その様に色々と引いてあるが、やはり楊亀山の龐居士を引くのも貴様の「所謂挙起」の処も、そちらではよいと思われているのだろうが、それでは是非がない。活きて働けば神通妙用と言うが、貴様の今色々と引いて言われる挙起せつ□筋が立たない。前の答陳衛道書にある「差互処挙起便是不勝其多」も、挙を言えば限りないということ。さてまた禅で挙起と言うこともある。それは塩梅あること。こちらでも程子が西湖で石の上に坐している内に、足跡が潤ったのを見られてここだと言ったのを門人が挙起して、同じくこれが天地の昇降の気だと言ったのを挙起してと録した。禅は仏氏を一寸上げ、錫杖を突っ立てる様な思惑の時に挙起と言うが、それも処に拠ること。ここのも前のもただ語を出して証拠にしたのである。貴様は色々挙げて言うが、中に是非がない。仏の通りだと言ったのである。
【語釈】
・前の答陳衛道書…朱子文集59。「此等差互處舉起便是不勝其多、冩不能窮説不能盡」。

○若儒者則須是徐行後長、方是。若疾行先長即是不是。駒之助は一郎があとにつくてよい。一郎をあとにして供にするとさん々々なことなり。仏はそれをどふでもあるきさへすればよいと云ことになる。あるくにも是不是のあること。朱子の中庸の活溌々地を弁ずるもそれなり。仏も高けれども、こちのは鳶飛魚躍か理のなりのあらはれたこと。あちは鳶をも渕にとばせ、魚をもそらにおどるになる。理のないはたらきなり。何でもはたらく処を見て生之謂性なり。因笑曰、告子はどふでも天竺から生れて来たろうふ。生之謂性でも食色性也でも仏の祖になる。そこて□そこへ作用是性を引くぞ。釈迦の方でも告子が方でも互に知たものではないが、つまり異端は同ことなもの。それゆへ異端を弁ずるもつかまへ処はとふくなし。療治も不換金使へ覚へると、一方ても利く。運庵もここを覚へたで有ふ。
【解説】
「若儒者則須是徐行後長、方是。若疾行先長即便不是」の説明。歩くにも是不是があるが、仏は歩きさえすればよいと言う。彼等は理のない働きである。告子は「生之謂性」や「食色性也」と言うので「作用是性」となる。これは仏の祖となる。異端も仏も同じなのである。
【通釈】
○「若儒者則須是徐行後長、方是。若疾行先長即是不是」。駒之助は一郎の後に付くのでよい。一郎を後にして供にするのは散々なこと。仏はそれを、どうであっても歩きさえすればよいということになる。歩くにも是不是がある。朱子が中庸の「活溌溌地」を弁じるのもそこ。仏も高いが、こちらのは「鳶飛魚躍」が理の通りの現れたこと。あちらは鳶をも渕に飛ばせ、魚をも空に躍らせることになる。理のない働きである。何でも働く処を見て「生之謂性」と言う。そこで微笑んで言った。告子はどう見ても天竺から生まれて来たのだろう。生之謂性でも「食色性也」でも仏の祖になる。そこで、あそこへ「作用是性」を引いたのである。釈迦の方でも告子の方でも互いに知っているのではないが、つまり異端は同じもの。そこで、異端を弁じるにも掴まえ処は遠くにあるのではない。療治も不換金を使え覚えると、一方でも利く。運庵もここを覚えたのだろう。
【語釈】
・駒之助…
・活溌々地…中庸章句12集註。「程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。
・生之謂性…孟子告子章句上3。「告子曰、生之謂性」。
・食色性也…孟子告子章句上4。「告子曰、食色、性也。仁、内也。非外也。義、外也。非内也」。
・作用是性…孟子告子章句上3集註。「生、指人物之所以知覺運動者而言。告子論性、前後四章、語雖不同、然其大指不外乎此、與近世佛氏所謂作用是性者略相似」。
・運庵…原運庵。

○所以挌物致知、即是要就此等處、微細辨別、令日用間見得天理流行、而其中是非黒白各有條理、是者便是順得此理、非者便是逆著此理。胸中洞然無繊毫疑礙。大学は大切の目鼻付ることで、致知は心、挌物は理。それにわけのあることゆへ、微細でなければならぬ。小学から又やりばなしせぬ。少者奉槃長者奉水と、子供は小いかなたらいと云が皆向へあててする。そこに是非のある処をしこむ。男唯女喩も皆是非がある。はたご屋の女のやうに大きな声に仕込むと仕舞は亭主をやり付る下地になる。あの裏許に心術がある。漢鮑冝が妻、短布裳を着るもここから出たものなり。こまかに理にあたるぞ。日用間見得天理流行云々。これか陳衞道への戒なり。ここを見ることならぬぬが格致せぬからぞ。格致すると公事の捌きを聞ても、あれてはぬるい、こふ云は刻薄になると云。挌致でそこの黒白を見子ばならぬ。今日は致知挌物もから物で是非黒白に分明でない。俳諧するにも点を取るは役にたたぬ。上手になれば、これはよいと点を取らずと是非はこちて定ることなり。
【解説】
「所以格物致知、便是要就此等處、微細辨別、令日用間見得天理流行、而其中是非黑白各有條理」の説明。致知は心で格物は理であり、そこにはわけがあるのだから微細でなければならない。致知格物を小学から仕込む。それで是非黒白も分明になる。
【通釈】
○「所以格物致知、即是要就此等処、微細弁別、令日用間見得天理流行、而其中是非黒白各有条理、是者便是順得此理、非者便是逆著此理。胸中洞然無繊毫疑礙」。大学は大切な目鼻を付けることで、致知は心、格物は理。それはわけがあることなので、微細でなければならない。小学の時からまた遣り放しにはしない。「少者奉槃長者奉水」と、子供は小さい金盥と言うのが皆向こうへ当ててすること。そこに是非のある処を仕込む。「男唯女兪」にも皆是非がある。旅籠屋の女の様に大きな声で仕込むと、それは最後には亭主を遣り付ける下地になる。あの裏許に心術がある。漢鮑宜の妻が短布裳を着たのもここから出たもの。細かに理に当たるのである。「日用間見得天理流行云々」。これが陳衛道への戒めである。ここを見ることができないのは格致をしないからである。格致をすると公事の捌きを聞いても、あれでは温い、こう言っては刻薄になると言う。格致でそこの黒白を見なければならない。今日は致知格物も空物で是非黒白に分明でない。俳諧をするにも点を取る様では役に立たない。上手になれば、これはよいと点を取らなくても是非はこちらで定るもの。
【語釈】
・少者奉槃長者奉水…小学内篇明倫。「進盥、少者奉槃、長者奉水、請沃盥、盥卒、授巾」。原文は礼記内則。
・男唯女喩…小学内篇立教。「子能食食、敎以右手、能言、男唯女兪。男鞶革、女鞶絲」。原文は礼記内則。
・漢鮑冝が妻、短布裳を着る…小学外篇善行。「漢鮑宣妻桓氏字少君、宣嘗就少君父學。父竒其清苦。故以女妻之。装送資賄甚盛。宣不悦。謂妻曰、少君生富驕習美飾而吾實貧賤不敢當禮。妻曰、大人以先生脩德守約。故使賤妾侍執巾櫛。既奉承君子。惟命是從。宣笑曰、能如是、是吾志也。妻乃悉歸侍御服飾、更著短布裳與宣共挽鹿車歸郷里拜姑。禮畢提甕出汲脩行婦道。郷邦稱之」。
・点を取る…点取俳諧。宗匠に句の採点を請い、その点の多いことを競う俳諧。

順得逆著が、理はそうでもする処がわるいと云が、料理にも上手下手がありて、不塩梅と云はなんでも理にそむいたからのこと。一寸と食ものの上にもあることで、うまいのは理に順ったのなり。理にそむくと鳥の口にもあまる。太兵衛が仲人じゃか、彼の昏礼のとき鰌を潮にしたと云が、佛も新しい料理をする。自然と親はいとしいと云にふりすてて雪山へ迯けたり、母の仆れたもかまわぬ。皆この理にそむいたもの。理はこまかにすべし。材裏小兒が白輪を取るも親とも呵るべきこと。呵るを心のせまいと云が、心ある親は呵らふこと。折ふしとふまる籠で指し出しになるやつは其白輪の手の至善につまったものなれども、今日も白輪、明日も白輪がそうなる。義之子昴になるもだん々々積でのこと。そこで白輪一つと云はれぬ。理と云ものを細に吟味して是非をただし、ちっとも疑はぬやうにすべし。胸中洞然無繊毫疑礙。すこしてものこされぬ。仏の迷うも知の掃除がわるい。知見があるやうでも何ぞてくもる。小兒が鏡へ少し生麩を落したか、それだけのくもりでひげを二本すりのこしたと云。向の方をすこしも見をとさぬやうにせ子ばならぬ。不是両事を上の七顚八倒へかへして見ることなり。致知格物が本で平天下がずっと参る。そこで両事でない。あちは知が高いやうでも、用処が七顚八倒之両事になりて役にたたぬ。
【解説】
「是者便是順得此理、非者便是逆著此理。胸中洞然無纖毫疑礙所以才能格物致知、便能誠意正心而天下國家可得而理、亦不是兩事也」の説明。理に背くことが悪く、また、理は細かに吟味し、是非を正し、一寸も疑いのない様にする。少しも吟味を残してはならない。仏は知は高いが、用処が別になるが、致知格物が本になって平天下になるのであって、両事では悪い。
【通釈】
「順得逆著」が、理はそうであっても、する処が悪いということがあって、料理にも上手下手があり、何でも不塩梅は理に背いたからのこと。一寸食物の上にもあることで、美味いのは理に順ったのである。理に背くと鳥の口にも余る。太兵衛の仲人だったか、彼の婚礼の時に鰌を潮にしたというが、仏も新しい料理をする。親は愛しいのが自然だが、振り捨てて雪山へ逃げたり、母が仆れたのも構わない。それは皆この理に背いたもの。理は細かにしなければならない。材裏で小児が白輪を取るのは、親共が呵るべきこと。呵るのは心が狭いと言うが、心ある親は呵らなければならない。折節唐丸籠で運ばれる奴はその白輪を取った手が至善に詰まったものであって、今日も白輪、明日も白輪でそうなる。王羲之や陳子昴になるのも段々積んでのこと。そこで白輪一つなどとは言えない。理というものを細かに吟味して是非を正し、一寸も疑いのない様にしなさい。「胸中洞然無繊毫疑礙」。少しでも残すことはならない。仏が迷うのも知の掃除が悪いから。知見がある様でも何処かで曇る。小児が鏡に少し生麩を落とす。それだけの曇りで髭を二本剃り残したと言う。向こうの方を少しも見落とさない様にしなければならない。「不是両事」を上の七顛八倒へ返して見なさい。致知格物が本で平天下がずっと参る。そこで、両事ではない。あちらは知が高い様でも、用処が七顛八倒の両事になって、役には立たない。
【語釈】
・鳥の口…苗代に播き残した種米で作った炒米。田の神に供え、人も食べる習俗がある。


作用是性條
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作用是性。在目曰見、在耳曰聞、在鼻齅香、在口談論、在手執捉、在足運奔。即告子、生之謂性之説也。且如手執捉。若執刀胡亂殺人、亦可爲性乎。龜山舉龐居士云、神通妙用、運水搬柴、以比徐行後長、亦坐此病。不知徐行後長乃謂之弟、疾行先長則爲不弟。如曰運水搬柴即是妙用、則徐行疾行皆可謂之弟耶。語類百二十六下同。
【読み】
作用是性。目に在れば見ると曰い、耳に在れば聞くと曰い、鼻に在れば香を齅ぎ、口に在れば談論し、手に在れば執捉し、足に在れば運奔す。即ち告子、生を之れ性と謂うの説なり。且手の如く執捉す。若し刀を執り胡亂に人を殺すも、亦性と爲す可きか。龜山、龐居士の云う神通妙用、運水搬柴を舉げ、以て徐行して長に後れるに比すは、亦此病に坐す。徐行して長に後れるは乃ち之を弟と謂い、疾行して長に先んずるは則ち不弟と爲すを知らず。如し運水搬柴は即ち是れ妙用と曰えば、則ち徐行疾行は皆之を弟と謂う可きや。語類百二十六下同。

在目曰見、在耳曰聴、在鼻云々、告子生之謂性之説也。なるほど此條を出さ子ばならぬ。つつきぞ。仏の方で作用是性が自滿なろふが、告子がこれなり。此間の条にもある通り、あちでも知覚運動を玄妙とはせぬと云へども、つまりあちは皆作用此性なり。こちの無声無臭とは違う。作用此性なれば、父兄の命をもかまはずともよし。屋尻を切もよし。講釈を聞くとも躍りををとるともよいになるが、それでもよいかと云。とかくさへるが禅機。そこでふせふ々々々孝をするよりぐっと遊山に出るがよいになる。活きたをたっとぶ。これがあちの活溌々地じゃ。そこで孟子の楊墨の吟味をするにあまりきびしいやうなが、つめて無君無父と云へり。楊墨も仏も君父を無するになるなり。前方の孝行よりは親を蹴たが跡さきなんでさへている。ふせふ々々々ば死漢と見るからぞ。
【解説】
「作用是性。在目曰見、在耳曰聞、在鼻齅香、在口談論、在手執捉、在足運奔。即告子、生之謂性之説也」の説明。仏も楊墨も告子も作用是性である。彼等は活きたことを尊び、無君無父とする。
【通釈】
「在目曰見、在耳曰聴、在鼻云々、告子生之謂性之説也」。なるほどこの条を出さなければならない。前からの続きである。仏の方では作用是性が自慢になるだろうが、告子がこれ。この間の条にもある通り、あちらでも知覚運動を玄妙とはしないと言っても、つまりあちらは皆作用是性であり、こちらの無声無臭とは違う。作用是性であれば、父兄の命をも構わなくてもよい。家尻を切ってもよい。講釈を聞いても踊りを踊ってもよいことになるが、それでもよいだろうと言う。とかく冴えるのが禅機。そこで不承不承に孝をするよりもぐっと遊山に出る方がよいことになる。活きたことを尊ぶ。これがあちの活溌溌地である。そこで孟子の楊墨の吟味をするのがあまりに厳しい様だが、それを摘めて「無君無父」と言った。楊墨も仏も君父を無することになる。前方の孝行よりは親を蹴る方が後先何でも冴えているとする。不承不承を死漢と見るからである。
【語釈】
・無声無臭…中庸章句33。「上天之載、無聲無臭。至矣」。詩経大雅文王。「上天之載、無聲無臭」。
・屋尻を切…家尻を切る。盗人が家尻を破って忍び込む。
・活溌々地…中庸章句12集註。「程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。
・無君無父…孟子滕文公章句下9。「楊氏爲我、是無君也。墨氏兼愛、是無父也。無父無君、是禽獸也」。
・前方…初心。うぶ。未熟。

在耳曰聞。これでは顔子の克己復礼の目も入ず、表を通る女を見るは眼の役じゃ、浄瑠理聞くも耳の役じゃと云。在手執捉。これらも、盗人も作用此性で、手で取る。足では盗まぬ。巾着切も手に鋏を持てすると云になる。もしこれがはやりたらば、奉行はつとまらぬ。理なしに云からぞ。去るによって、仏も評定所ては作用此性とは云まい。彼の足の六尺手の奴なり。それが生きた処で、悪所へも足てゆく、と。理なしにほんそうすれども、そうさせぬことなり。在足運奔。ほんそうして大手へかけこむと大きな目に合ふ。丁ど告子が生之謂性と同ことで、謝氏の知覚で仁を説くも面白いやうじゃが、ここと一つなり。そこて朱子の上蔡を手いたく呵らるる。又氣のぬけた氣付より青蕃菽をのませよと云も面白いやふなが、それではとど鰌のは子るも人間のはたらきも同ことになる。是非も人物も分らぬ。諞なり。手の執捉が、手などは中にもいたづらもの。人を殺し、それも手が殺したと云。理のないことは斯ふなって参る。
【解説】
仏は「在目曰見、在耳曰聞、在鼻齅香、在口談論、在手執捉、在足運奔」と言うが、それは告子の「生之謂性」である。それには理がなく、是非も人物も分けないことになる。
【通釈】
「在耳曰聞」。これでは顔子の克己復礼の目も要らず、表を通る女を見るのは眼の役だ、浄瑠璃を聞くのも耳の役だと言う。「在手執捉」。盗人も作用是性で、手で取る。足では盗まない。巾着切りも手に鋏を持ってすると言うことになる。もしもこれが流行れば、奉行は勤まらない。理なしに言うからである。そこで、仏も評定所では作用此性とは言わないだろう。彼の足の六尺手の奴で、それが生きた処で、悪所へも足で行くと言う。理なしに奔走するが、そうさせてはならい。「在足運奔」。奔走して大手へ駆け込むと大きな目に合う。丁度告子の「生之謂性」と同じことで、謝氏が知覚で仁を説くのも面白い様だが、ここと同じである。そこで朱子が上蔡を手痛く呵られた。また、気の抜けた気付よりも青蕃菽を飲ませろと言うのも面白い様だが、それでは結局、鰌の跳ねるのも人間の働きも同じことになる。是非も人物も分けることがない。それは諞である。手の執捉が、手などは中でも悪戯者。人を殺し、それも手が殺したと言う。理のないことはこの様になって来る。
【語釈】
・克己復礼の目…論語顏淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。
・足の六尺手の奴…手の奴足の乗物。奴僕を使わず、自分の手をこれに代え、乗物に乗らず、自分の足で歩む意。自分の手足を使用して事をなし、他の力を借りないこと。六尺は、力仕事や雑役に従う人夫。かごかき人足や掃除夫・賄方などにいう。
・生之謂性…孟子告子章句上3。「告子曰、生之謂性」。
・謝氏…謝上蔡。顕道。良佐。程氏門人。1050~1103
・知覚で仁を説く…

○亀山挙龐居士云、神通妙用、運水搬柴、以比徐行後長、亦坐此病。坐すが連坐の坐と同ことで、それに罪せらるる。楊亀山道統の人ゆへそれはないことなれども、高い方からこの病に坐すなり。謝上蔡の知覚もまきそへ位なればよいか、この上は汁を吸ふたもの。坐するなり。○不知徐行後長乃謂之弟、疾行先長則爲不弟。如曰運水搬柴即是妙用、則徐行疾行皆可謂之弟耶。孟子の疾行徐行は理なり。洒掃應對進退之節の同こと。節の字がゆるさぬ。はてさて心に如在はないと云ても、今の七顚八倒かこの処のこふじたこと也。かるい百姓が町人母に飯もらせて食うが軽いもの。それでもすめども、周公の褒美はやるまい。それでは天下の人の心のぎんみはならぬ。疾の徐のと云がその吟味で、母に給仕さすると云ことはないことなり。それでもよいなら弟も長もなしに、よい藥てもわるい藥ても飲むになる。ここは仏もめったにはのむまい。作用此性ならば巴豆大黄をむせふにのんでみよ。
【解説】
「龜山舉龐居士云、神通妙用、運水搬柴、以比徐行後長、亦坐此病。不知徐行後長乃謂之弟、疾行先長則爲不弟。如曰運水搬柴即是妙用、則徐行疾行皆可謂之弟耶」の説明。楊亀山は高い方から仏に迷い、謝上蔡もその上汁を吸った。心に如在はないと言っても、行で細かに吟味をしなければ悪い。作用是性で疾徐がなければ、弟も長もないことになる。
【通釈】
○「亀山挙龐居士云、神通妙用、運水搬柴、以比徐行後長、亦坐此病」。坐すとは連坐の坐と同じことで、それに罪せられること。楊亀山は道統の人なのでそれはないことだが、高い方からこの病に坐した。謝上蔡の知覚のことも巻き添え程度ならよいが、この上汁を吸ったもの。坐したのである。○「不知徐行後長乃謂之弟、疾行先長則為不弟。如曰運水搬柴即是妙用、則徐行疾行皆可謂之弟耶」。孟子の疾行徐行は理の通りである。「洒掃応対進退之節」と同じこと。節の字が許さないこと。はてさて心に如在はないと言っても、今の七顛八倒がこの処の高じたこと。軽い百姓や町人が母に飯を盛らせて食うのは軽いこと。それでも済むが、周公は褒美を遣らないだろう。それでは天下の人の心の吟味はできない。疾や徐というのがその吟味で、母に給仕させるということはないこと。それでもよいなら弟も長もなしになり、良い薬でも悪い薬でも飲むことになる。それでは仏も滅多には飲まないだろう。作用是性であれば巴豆や大黄を無性に飲みなさい。
【語釈】
・龐居士…龐居士、諱は蘊、字は道玄。丹霞天然とともに儒より禅に転じて石頭と馬祖に参じ、ついにその法を嗣ぐ。
・神通妙用、運水搬柴…道元禅師。正法眼蔵神通。「運水搬柴、神通妙用」。ありふれた日常の行為を黙々と続けることに神通妙用がある。
・楊亀山…楊時。字は中立。号は亀山。伊川門人。
・徐行後長…孟子告子章句下2。「徐行後長者謂之弟。疾行先長者謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣」。
・洒掃應對進退之節…小学序。「古者、小學敎人以灑掃應對進退之節、愛親敬長隆師親友之道、皆所以爲脩身齊家治國平天下之本」。


佛氏元不曽識得這理一節條
43
佛氏元不曾識得這理一節、便認知覺運動做性。如視聽言貌、聖人則視有視之理、聽有聽之理、言有言之理、動有動之理、思有思之理、如箕子所謂明聰從恭睿、是也。佛氏則只認那能視、能聽、能言、能思、能動底、便是性、視明也得、不明也得、聽聰也得、不聰也得、言從也得、不從也得、思睿也得、不睿也得、他都不管、橫來豎來、他都認做性。他最怕人説這理字、都要除掉了。此正告子生之謂性之説也。
【読み】
佛氏は元曾て這の理の一節を識得せず、便ち知覺運動を認めて性と做す。視聽言貌の如きは、聖人は則ち視るに視の理有り、聽くに聽の理有り、言うに言の理有り、動くに動の理有り、思うに思の理有りて、箕子謂う所の明聰從恭睿の如き、是れなり。佛氏は則ち只那の能視、能聽、能言、能思、能動底を、便ち是れ性と認め、視明なる也た得、明ならざる也た得、聽聰き也た得、聰からず也た得、言從なる也た得、從ならざる也た得、思睿る也た得、睿ざる也た得、他は都て管せず、橫來豎來、他は都て認めて性と做す。他は最も人の這の理の字を説くを怕れ、都れ除掉し了るを要す。此れ正に告子の生を之れ性と謂うの説なり。

佛氏元不曽識得這理一節、便認知覺運動做性。この理の一節を知らぬと云が直方の並べ、どふも云へぬこと。仏の方によっほと面白こと、よっほと氣高いことあれども、理の一節を知らぬ。この分派を知らぬにこまる。そこで理の字を云に太宰を出すがよい。理は玉に玉の理、木に木の理と、皆あの筋々があると云。理は條理分派あるもの。髪を結て毛筋の通るにて、上からめっちゃにして押し付け置でない。圣賢の学がこの分派を立る。天叙有典勑我五典も天から叙ずるゆへ、そのなりに父子君臣夫婦長幼朋友の五つものがあると、こちに信義別序信がある。そふないと胡椒丸のみて、條理分派はない。あちは馬の稽古なしにのる。圣人はこまかに鳴和鸞逐水曲も分派がある。そこで親へ出すことが君へ出されぬ。なるほどそれ々々なことで、ここらでも作頭と小丁稚は同じ奉公人でも一つにならぬ。止於□仁も條理がありて可愛と云中にいろ々々分派があるぞ。
【解説】
「佛氏元不曾識得這理一節、便認知覺運動做性」の説明。仏は理の一節を知らない。理には条理分派がある。父子君臣夫婦長幼朋友が天から与えられているので、人には親義別序信がある。それぞれに細かな対応がある。
【通釈】
「仏氏元不曾識得這理一節、便認知覚運動做性」。理の一節を知らないと言うのが直方の並べ方で、これは簡単に言えないこと。仏の方にはよほど面白いこと、よほど気高いことがあるが、理の一節を知らない。この分派を知らないのには困る。そこで理の字を言うには太宰を出すのがよい。理は、玉には玉の理、木には木の理と、皆あの筋々があると言う。理には条理分派があるもの。髪を結うから毛筋が通るのであって、上から滅茶にして押し付けて置くのではない。聖賢の学がこの分派を立てる。「天叙有典敕我五典」も天から叙すからで、それに父子君臣夫婦長幼朋友の五つのものがあるので、こちらに親義別序信がある。そうでないと胡椒丸呑みで、条理分派はない。あちらは馬の稽古なしに乗る。聖人は細かに鳴和鸞逐水曲という分派がある。そこで親へ出すことは君へ出すことはできない。なるほどそれぞれなことで、ここ等でも作頭と小丁稚は同じ奉公人でも一つにはならない。「止於□仁」にも条理があって可愛いと言う中に色々な分派がある。
【語釈】
・天叙有典勑我五典…書経皋陶謨。「天敘有典、敕我五典五惇哉」。
・胡椒丸のみ…胡椒を丸呑みにしてはその味が分らないように、物事は咀嚼・玩味しなければ真義を知り得ないというたとえ。
・鳴和鸞逐水曲…五御。「鳴和鸞,逐水曲,過君表,舞交衢,逐禽左」。
・止於□仁…大学章句3。「爲人君、止於仁。爲人臣、止於敬。爲人子、止於孝。爲人父、止於慈。與國人交、止於信」。

○如視聽言貌、垩人則視有視之理云々、箕子所謂明聰從恭睿、是也。ここらも前の条へよいあたりぞ。視有視之理。そこで視爲之則も伯夷の目不見悪色も理に合せるからぞ。言有言之理。講□するも言そこないは合点せぬ。理のものさしをあてるゆへ非番はない。思有思之理。思まじきを思はぬこと。労咳病は思ふ程わるい。季文思三思は理にはづれる。そこで皆これ。理があるゆへ、百姓が用金出したとて其者は年貢段一舛少くとも其ままにせふとはならぬ。年貢のときは名主が一合ても用捨せぬと云が理ゆへなり。君前足を出しても忠臣ならよさそふなものに、理に合はぬ。理□人作でなく、天がそうなり。これが前の陳衛道の書へかへすと裏許真実道理なり。それを佛の方では仁の義のとて外面にしばられると云。あちは影ぼうしゆへ、中へは入らぬ。こちは之理あり々々と云か、中へ入るゆへなり。明聰従恭睿。これは洪範なり。このやうに分けてあるが視次第聽次第でない。
【解説】
「如視聽言貌、聖人則視有視之理、聽有聽之理、言有言之理、動有動之理、思有思之理、如箕子所謂明聰從恭睿、是也」の説明。視聴言貌それぞれに理があるが、これは中に入って見たから言えるのである。仏は仁や義で外面に縛られると言うが、影法師を見て、中には入らないからその様に言うのである。
【通釈】
○「如視聴言貌、聖人則視有視之理云々、箕子所謂明聡従恭睿、是也」。ここ等も前の条によく合う。「視有視之理」。そこで「視為之則」も伯夷の「目不視悪色」も理に合せるからである。「言有言之理」。講□するにも言損ないは合点しない。理の物差をあてるので非番はない。「思有思之理」。思うまじきことを思わないこと。労咳病みは思うほど悪い。「季文子三思」は理に外れる。そこで皆これ。理があるので、百姓が用金を出したとしても、その者の年貢が一舛少なくてもそのままにして置こうとすることはならない。年貢の時は名主が一合も容赦しないと言うのが理からのこと。君前に足を出しても忠臣であればよさそうなものだが、それでは理に合わない。理は人作でなく、天がそれである。これが前の陳衛道の書へ返して見ると「裏許真実道理」のこと。それを仏の方では仁や義で外面に縛られると言う。あちらは影法師を見て、中へは入らない。こちらは「之理」があると言うが、それは中へ入るからである。「明聡従恭睿」。これは洪範の語。この様に分けてあるので視次第聴次第でない。
【語釈】
・箕子所謂明聰從恭睿…書経洪範。「武王勝殷、殺受、立武庚、以箕子歸、作洪範」。「二。五事。一曰貌、二曰言、三曰視、四曰聽、五曰思。貌曰恭、言曰從、視曰明、聽曰聰、思曰睿、恭作肅。從作乂、明作晢、聰作謀、睿作聖」。
・目不見悪色…孟子万章章句下1。「孟子曰、伯夷、目不視惡色。耳不聽惡聲」。
・季文思三思…論語公冶長20。「季文子三思而後行。子聞之曰、再、斯可矣」。

○佛氏則只認那能視、能聽、能言、能思、能動底、便是性、視明也得、不明也得、聽聰也得、不聰也得云々。これが作用此性なり。義理の頓着なく、見るものゆへ見る、聞ものゆへ聞と云。某昨夜氣が付たが、つまり老佛もと近いもので、ここらても老□が一つになる。佛は理を三文にもならぬと云て、只作用是性を云ぞ。老子はまたどふでもよい、あなた次第と云が、それがすぐに作用是性にもなるゆへ、老佛一つにをちる。無爲と云もあち次第じゃ。小児せっかんするとわるい、勝手次第に芝居も見せるがよいと、手を出さずに天道次第にする。只この理て仕あげを□□ゆへ、とど老佛が一つになる。視明也得不明也得が、明なればよい。又、明でないとてどふせうなり。也得々々の字がどふてもよいと、ここらがをぼへず知らず老子になったなり。どちでもよいと云ことは理にはないこと。渇して水、飢て食がどふでもよいと云はれぬ。也得々々が理外のときのこと。大腹中のやふで理に中らぬ。学者も今から從容不迫をうれしがり温公めき、とかく渾厚平和をする。老子の心術□り。王陽明が佛で居て、又門流は柔和忍辱をする。經済を任しても、つまり老子なり。仏老筋が違って居ても、受用の時は一つに落る。
【解説】
「佛氏則只認那能視、能聽、能言、能思、能動底、便是性、視明也得、不明也得、聽聰也得、不聰也得、言從也得、不從也得、思睿也得、不睿也得」の説明。仏は理を三文にもならないものとして、ただ作用是性を言う。老子は無為で、天道次第だと言うので、これも作用是性である。「也得」はどうでもよいということであり、仏老は筋が違っても、受用の時は一つに落ちる。
【通釈】
○「仏氏則只認那能視、能聴、能言、能思、能動底、便是性、視明也得、不明也得、聴聡也得、不聡也得云々」。これが「作用是性」である。義理に頓着をしないで、見るものだから見る、聞くものだから聞くと言う。私が昨夜気が付いたことだが、つまり老仏は本来近いもので、ここ等でも老仏が一つになる。仏は理を三文にもならないものだと言って、ただ作用是性を言う。また、老子はどうでもよい、貴方次第と言うが、それが直に作用是性にもなるから、老仏は一つに落ちるのである。無為と言うのもあちら次第である。小児を折檻すると悪い、芝居も勝手次第に見せるのがよいと、手を出さずに天道次第にする。ただこの理で仕上げをしないので、結局は老仏が一つになる。「視明也得不明也得」は、明なればよいが、また、明でなくてもどうでもよいということ。「也得」の字はどうでもよいということで、ここ等がを覚えず知らず老子になったところ。どちらでもよいと言うのは理にはないこと。渇して水、飢えて食うのであって、どうでもよいとは言えない。也得が理外の時のこと。大腹中の様で理に中らない。学者も今から従容不迫を嬉しがり温公めき、とかく渾厚平和をする。老子の心術である。王陽明が仏でいて、またその門流は柔和忍辱をする。経済を任じても、つまりは老子である。仏老は筋が違っていても、受用の時は一つに落ちる。

○他都不管、橫來竪來、他都認做性。仏はどふしてかまわぬ。儒者の道は丁寧なり。一句の文義がふれたと云てもすててはをかぬ。李延平などの違い、すこしのことでも朱子があとへまはる、はや不觀の觀などと朱子がふいてありく。其外程子でも、少しでも朱子の合点せられぬ。朱子の合点せぬ計りでなく、理が合点せぬのぞ。橫來竪來と云へばどうやら左右逢其原と云に似た様なが、左右逢其原は云かけはいろ々々ても一つに落ること。あちはどこもかしこも理にそむきても性しゃと云ゆへ根が違うなり。
【解説】
「他都不管、橫來豎來、他都認做性」の説明。儒者の道は丁寧である。李延平や程子であっても、少しでも違えば朱子は合点しない。それは朱子が合点しないだけでなく、理が合点しないのである。
【通釈】
○「他都不管、横来豎来、他都認做性」。仏はどうでも構わないとするが、儒者の道は丁寧である。一句の文義が振れても捨てては置かない。李延平などの違いでも、少しのことでも朱子が後に回って、直ぐに不観の観などと言って吹いて歩く。その外程子でも、少しでも違えば朱子は合点されない。それは朱子が合点しないだけでなく、理が合点しないのである。「横来豎来」と言えばどうやら「左右逢其原」に似ている様だが、左右逢其原は言い掛け色々でも一つに落ちることで、あちらは何処もかしこも理に背いても性だと言うので根が違う。
【語釈】
・李延平…字は愿中。羅豫章の門に程氏学を学ぶ。朱子も22歳の時に李延平の門を叩く。1093~1163
・不觀の觀…
・左右逢其原…孟子離婁章句下14。「孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右逢其原。故君子欲其自得之也」。

○他最怕人説這理字、都要除掉了。此正告子生之謂性之説也。これがあちの窠臼をつくなり。そこで理をいやがるは、理にこまりてあちの禁句なり。除掉了が理をふりのける。理障かそれぞ。やはり山崎先生の時分、神道の傳のとき、論語の談をいむもこれなり。論語は理はかりなり。理が出ると神道の邪魔になる。大中至正でないことはさしつかへがあるものなり。此正告子生之謂性之説が孟子も不動心、告子も不動心。理に從うと理をふみのけるとの違なり。告子云そこないも何とも思はぬ。大名の使者が隣屋鋪、となりちがへても口上を述るなり。禅意なり。王陽明学の三宅石菴、禅を度々落し面目次第もないと云へども、面目ない顔でなかったとなり。中井善太か学校は石菴のあとそうなは、石菴の弟なり。奉行のつよいと日本左右ェ門がつよいやふなもので、日本左右衛門は罪人たけ々々しいと云のつよみ、奉行は理をたたしてつよい。あちはわるい。をな□とも思はずにはり出す。理外なことでもそれが段々仕臥せるとそふなりて、仏がそれなり。
【解説】
「他最怕人説這理字、都要除掉了。此正告子生之謂性之説也」の説明。仏は理を嫌がる。山崎先生も神道を講義する時には論語を忌んだ。それは論語が理ばかりなので、理が神道の邪魔になるからである。また、孟子も告子も不動心だが、それは理に従うのと理を踏み除けるのとの違いである。
【通釈】
○「他最怕人説這理字、都要除掉了。此正告子生之謂性之説也」。これがあちらの窠臼を突いたこと。理を嫌がるのは理に困ってのことで、これがあちらの禁句である。「除掉了」が理を振り除けること。「理障」がそれ。やはり山崎先生の時分、神道の伝の時に論語の談を忌むのもこれ。論語は理ばかりである。理が出ると神道の邪魔になる。大中至正でないことは差し支えがあるもの。「此正告子生之謂性之説」は、孟子も不動心で告子も不動心だが、理に従うのと理を踏み除けるのとの違いである。告子は言い損なっても何とも思わない。大名の使者が間違えて隣屋敷へ行って口上を述べる。これが禅意である。王陽明学の三宅石庵が禅に度々落ちて面目次第もないと言ったが、面目ない顔ではなかったという。中井善太の学校は石庵の後だそうで、彼は石庵の弟である。奉行の強いのと日本左右衛門の強いのの様なもので、日本左右衛門は罪人猛々しいという強みだが、奉行は理を正して強い。あちらは悪い。お縄になるとも思わずに張り出す。理外なことでもそれが段々仕果せるとそうなる。これが仏である。
【語釈】
・窠臼…
・大中至正…正蒙中正。「大中至正之極、文必能致其用、約必能感而通。未至於此、其視聖人恍惚前後、不可偽之像。此顏子之歎乎」。易経大有。「彖曰、大有、柔得尊位、大中而上下應之、曰大有」。
・三宅石菴…江戸中期の儒学者。名は正名。京都の人。観瀾の兄。懐徳堂の初代学主。朱子学に陸王の学を併せた自由な学風を立て、鵺学問と評された。1665~1730
・中井善太…中井竹山。江戸中期の儒者。通称と本名は善太、積善。字は子慶。竹山は号。別号は同関子・渫翁など。父は誠之、甃庵と号し懐徳堂の第2代学生。母は植村氏。兄弟2人中の長男,弟は積徳(号は履軒)。1730~1804(享保15~文化1)
・日本左右ェ門…浜島庄兵衛。江戸時代の盗賊。


釈氏只知坐底是行底是條
44
釋氏只知坐底是、行底是。如坐、交脛坐也得、疊足坐也得、邪坐也得、正坐也得。將見喜所不當喜、怒所不當怒、爲所不當爲。他只是直衝去、更不理會理。吾儒必要理會坐之理當如尸、立之理當如齋、如頭容便要直。所以釋氏無理。
【読み】
釋氏は只坐する底は是れ、行する底は是れを知る。坐の如きは、脛を交えて坐すること也た得、足を疊みて坐すること也た得、邪に坐すること也た得、正坐すること也た得。將に當に喜ぶべからざる所を喜び、當に怒るべからざる所を怒り、當に爲すべからざる所を爲すを見んとす。他は只是れ直ち衝去し、更に理を理會せず。吾儒は必ず坐の理は當に尸の如くすべく、立の理は當に齋の如くすべく、頭の容の如きを便ち直を要するを理會するを要す。釋氏に理無き所以なり。

この條も上の段と同ことなり。ここを坐底是れ行底これと讀たい。これ々々で、それが性じゃと云ことに取られるか、あとに也得也得とあるゆへ、迂斎、是非のは是に讀だか、某はこれと読たいは、栗や柿賣ってありく者も皆これじゃ。性と云ことになる。されども下文へかかるゆへ、是非の是によむが善かろふ。如坐、交脛坐也得、疂足坐也得、邪坐也得、正坐也得。交脛は胡坐のこと。疂足は脆坐のこと。邪坐正坐は席不正不坐なとのこと。あちはそれをなんてもよいと心得る。將見喜所不可喜、怒所不爲怒、爲所不爲。先日大惠を喜怒不中節と云もこれなり。これかこまったもの。それを仕ふせたゆへ人があけて通す。今若い男がすると人がゆるさぬ。若い者が火事は面白として喜ば、己は火付であろふとして呵られるが、喜怒を逆さにしても和尚ゆへすむが、只の者なれば氣狂と云。上人のすることは、あれでもさためて訳けが有ふと云てあけて通すぞ。爲所不可爲が、今命乞をするでもみよ。なんでも衣をかける。親を殺され夫をころされた者もあるぞ。それにはかまわぬ。衣をかける。將見がやはらかに云。やがてそれになろふぞとなり。○他只是直衝去、不理會理。あちの張り出すが告子もこれぞ。跡へ去らぬ。勢はつよいが理は見ぬ。
【解説】
「釋氏只知坐底是、行底是。如坐、交脛坐也得、疊足坐也得、邪坐也得、正坐也得。將見喜所不當喜、怒所不當怒、爲所不當爲。他只是直衝去、更不理會理」の説明。坐も色々とあるが、仏はそれを何でもよいと心得、喜怒を逆さにしても構わない。それは理を見ないからである。
【通釈】
この条も上の段と同じこと。ここは坐底これ、行底これと読みたい。これと読むことで、それが性だということに取ることができる。後に「也得、也得」とあるので、迂斎は是非の是として読んだが、私はこれと読みたいと言うのは、栗や柿を売って歩く者も皆これで、性ということになるからである。しかしながら。下文へ掛かることなので、是非の是と読むのがよいだろう。「如坐、交脛坐也得、畳足坐也得、邪坐也得、正坐也得」。交脛は胡坐のこと。畳足は危坐のこと。邪坐と正坐は「席不正不坐」などのこと。あちらはそれを何でもよいと心得る。「将見喜所不可喜、怒所不為怒、為所不為」。先日大恵を「喜怒不中節」と言ったのもこのこと。これが困ったもの。それを仕遂げるので人が開けて通す。今若い男がすると人が許さない。若い者が火事は面白いと喜べば、お前は火付だろうと呵られるが、喜怒を逆さにしても和尚なので済む。普通の者であれば気狂いと言われる。上人のすることは、あれでもきっとわけがあるのだろうと言って開けて通す。「為所不可為」は、今命乞いをすることでも見なさい。何でも衣を掛ける。親を殺され夫を殺された者もあるが、それには構わない。衣を掛ける。「将見」は柔らかに言ったこと。やがてそれになるだろうということ。○「他只是直衝去、不理会理」。あちらの張り出すことは跡のことがない。告子もこれ。勢いは強いが理は見ない。
【語釈】
・脆坐…危坐。正しくすわること。正坐。端坐。
・席不正不坐…論語郷党9。「席不正不坐」。
・大惠を喜怒不中節…

○吾儒必要理會坐之理當如尸、立之理當如斉、如頭容要直。所以釈氏無理。こちはずんとひくいこまかなこと。如尸か本業なり。この席のものも平生居っているが、そのなりでもよけれども、主人の前でそふしたなりでならぬ。それなれば、平生のは麁末、それが出ぬを如尸と云。斉は、こちのものは知らぬが、今日神職なと祭礼のとき、乘輿のときいこふよいぞ。きっとした大名の家来でも或日に鶉立はせぬ。巧言令色と云てはない。ほんの形なり。理の自然。頭容の直いも理があるゆへ、少しは曲ってもよいと云ても理がどうもならぬ。理の相手あるゆへどふでもよいと押すことはならぬ。太兵衛を太兵衛と云てもよいが、こちはよけれども理が治まさらぬ。無星の秤り無寸の尺なり。杖をはかりと云てもすみそうなもので、物がかけられぬ。竹へらをものさしと云ても、どこか一寸と云ことが知れぬ。平たく云へば、あちは手前のままにしたもの。山家の者がこれでなんとよかろふと云ので、理なしによいとする。江戸なれると事物の理になれて、それではならぬと云。理はどふも動かされぬことで、力ら有っても駕籠舁にはなられぬ。それ々々に理ある。なんでも理なしの元氣ではゆかぬものなり。
【解説】
「吾儒必要理會坐之理當如尸、立之理當如齋、如頭容便要直。所以釋氏無理」の説明。坐にも斎にも頭容にもそれぞれに本来の形がある。仏はどうでもよいとするが、それは理なしにするのである。
【通釈】
○「吾儒必要理会坐之理当如尸、立之理当如斉、如頭容要直。所以釈氏無理」。こちらはかなり低い細かなことをする。「如尸」が本業である。この席の者も平生坐っているにはその通りでもよいが、主人の前でそうしたことではならない。そうであれば、平生のは粗末なのであって、それが出ないことを如尸と言う。斎は、こちらの者は知らないことだが、今日神職などが祭礼の時や乗輿の時が大層よい。きりっとした大名の家来は或日に鶉立ちはしない。巧言令色ということではない。本来の形である。理の自然。頭容の直いのも理があるからで、少しは曲がってもよいと言っても、理がどうもそうはさせない。理の相手があるのでどうでもよいと押し通すことはならない。太兵衛を太兵衛と言ってもよいが、こちらはよいが理が治さまらない。無星の秤無寸の尺である。杖を秤と言っても済みそうなものだが、物は測れない。竹べらを物差だと言っても、何処が一寸なのかがわからない。平たく言えば、あちらは手前の通りにしたもの。山家の者が何でもこれでよいだろうと言うので、理なしによいことにする。江戸馴れると事物の理に馴れて、それでは悪いと言う。理はどうも動かされないことで、力があっても駕籠舁にはなれない。それぞれに理がある。何であっても理なしの元気ではうまく行かないもの。
【語釈】
・鶉立…給仕などをする者が、回り膝をせず直ちに立つこと。無作法な立ち方。
・巧言令色…論語学而3。陽貨17。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。
・太兵衛…北田慶年。東金市福俵の人。
・山家…①北宋の時代に、天台の正統を継承したという知礼らの一派。これに対し、志因を祖とし、華厳宗の影響を強く受けた一派を山外と呼ぶ。②比叡山延暦寺の別称。


釈氏棄了道心條
45
釋氏棄了道心、却取人心之危者而作用之、遺其精者、取其粗者以爲道。如以仁義禮智爲非性、而以眼前作用爲性是也。此只是源頭處錯了。
【読み】
釋氏は道心を棄了し、却って人心の危き者を取りて之を作用し、其の精なる者を遺し、其の粗なる者を取りて以て道と爲す。仁義禮智を以て性に非ずと爲して、眼前の作用を以て性と爲すが如き、是れなり。此れは只是れ源頭の處錯了す。

釈氏棄了道心、却取人心之危者而作用之、遺其精者、取其粗者以爲道。ここは笑いながら云語意なり。なるほどあちは大切のものをすてて偏なものを取る。異端にはきはまる。某兄が元服のとき、出入の下人又兵衛と云ものが來て、よい香の物でごさりますとほめたを母が笑ふたが、仏は料理をばほめず、香の物をほめる様なぞ。前の陳衛道の不可謂無所見なり。あちも見る処はあるが、輯畧にある、偏なれば夷狄禽獣になるが悪る口でない。異な処を見て偏ゆへ斯ふなり。人心惟危道心惟微も、どふしても道心が本尊ぞ。大勢のどうぜいを見て主君をすてて供廻りを取りたのぞ。只人心の氣に付たものを道具して、かんしんの道心をばのこす。仏が中庸を見たことなく、中庸の序も見まいが、中庸にあててみればうごかせぬ。
【解説】
「釋氏棄了道心、却取人心之危者而作用之、遺其精者、取其粗者以爲道」の説明。仏は大切なものを棄てて偏なものを取る。人心の気に付いたものを取って、肝心の道心を棄てる。
【通釈】
「釈氏棄了道心、却取人心之危者而作用之、遺其精者、取其粗者以為道」。ここは笑いながら言う語意である。なるほどあちらは大切なものを棄てて偏なものを取るから、異端に極まる。私の兄が元服の時、出入りの下人で又兵衛という者が来て、よい香の物でですと褒めたのを母が笑ったが、仏は料理を褒めずに香の物を褒める様なもの。前の陳衛道の「不可謂無所見」である。あちらにも見る処はあるが、輯略に、偏であれば夷狄禽獣になるとあるのが悪口ではない。異な処を見て偏なのでこの様に言ったのである。「人心惟危道心惟微」も、どうしても道心が本尊である。仏は大勢の同勢を見て、主君を棄てて供回りを取ったのである。ただ人心の気に付いたものを道具にして、肝心の道心を残す。仏は中庸を見たこともなく、中庸の序も見ないだろうが、中庸に当てて見れば確かなこと。
【語釈】
・不可謂無所見…朱子文集59の語。
・人心惟危道心惟微…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。中庸章句序にもある。

こちから佛を見れば、あちは人心を取て作用是性とする。その危いもので佛はつよくなるが、こちは克己復礼や誠意正心をするも人心か危からこの工夫する。あちも危いとは知れども、生活した機がうれしい。これも聞へたは受用を知らぬゆへ。小児は大な鯛より生きて居る小鮒をうれしがる。儒者で道心は鯛の目の処。ここらは知らぬ。あちが生きたを見たは一と見識なれども、道心の妙を知らぬぞ。仏は告子からつかい覚て活たものてはり通そうとする。人心は危くあらいもの。犬と同挌て、ひたるいときはめったに食たがる。そうしたあらい禽獣に似たものを道としたがるなり。
【解説】
仏は人心を取って作用是性とする。儒者では道心が本尊だが、仏は活きた人心を嬉しがる。人心は危うく荒いもの。
【通釈】
こちらから仏を見れば、あちらは人心を取って作用是性とする。その危ういもので仏は強くなるが、こちらが克己復礼や誠意正心をするのも人心が危ういからこの工夫するのである。あちらも危ういとは知っているが、活き活きとした機が嬉しい。これも当然だと言うのは受用を知らないからである。小児は大きな鯛より生きている小鮒を嬉しがる。儒者は道心が鯛の目の処。ここ等を仏は知らない。あちらが生きたところを見たのは一見識だが、道心の妙を知らない。仏は告子から使え覚えて活きたもので張り通そうとする。人心は危うく荒いもの。それは犬と同格で、空腹な時は滅多に食いたがる。そうした荒い禽獣に似たものを道としたがる。

○如以仁義礼智爲非性、而以眼前作用爲性是也。此只是源頭処錯了。ここらも老佛一つになる。大道廃而仁義起も、こまかあたりの寸法あるは大道でないと云。佛も仁義礼智はいやなり。すりつぶす。明德の字は明覚に似たゆへ、そてないとも云ふべし。兎角仁義の寸法が出るといやがる。そこで眼前活てはたらく処を云。源頭処錯了。あちは本尊にする道心、仁義をすてるが、これが本とどふした取り差ひと云をあとの條で示すぞ。
【解説】
「如以仁義禮智爲非性、而以眼前作用爲性是也。此只是源頭處錯了」の説明。細かい吟味は大道ではないと仏は言う。仏は仁義礼智が嫌いで、眼前に働く処を取る。
【通釈】
○「如以仁義礼智為非性、而以眼前作用為性是也。此只是源頭処錯了」。ここ等でも老仏一つになる。「大道廃而仁義起」も、細か当たりの寸法のあるのは大道ではないと言う。仏は仁義礼智が嫌で磨り潰す。明徳の字は明覚に似ているので悪いとも言うだろう。とかく仁義の寸法が出ると嫌がる。そこで眼前に活きて働く処を言う。「源頭処錯了」。あちらは儒が本尊にする道心や仁義を棄てるが、これが実はどの様な取り差いなのかを後の条で示す。
【語釈】
・大道廃而仁義起…老子俗薄。「大道廢有仁義、智恵出有大僞、六親不和有孝慈、国家昬乱有忠臣」。


儒者以理爲不生不滅條
46
儒者以理爲不生不滅、釋氏以神識爲不生不滅。龜山云、儒釋之辨、其差眇忽。以某觀之、眞似氷炭。
【読み】
儒者は理を以て不生不滅と爲し、釋氏は神識を以て不生不滅と爲す。龜山云う、儒釋の辨、其の差眇忽、と。某を以て之を觀れば、眞に氷炭に似る。

儒者以理爲不生不滅、釈氏以神識爲不生不滅。この方の口上に不生不滅などとは云はぬなれども、佛の云ことをこちへ用て直に仏を弁ずる。朱子の了簡あるぞ。あちの本尊は不生不滅で、それが神識となり。こちでも不生不滅なものを云へば理そ。さしばの違ふたこと。なるほど理は消へぬものじゃ。吾儒の方は君も臣も死子ども、忠孝の道理は□らぬ。そこをこそ不生不滅と云なり。こちはそれを日用の上で見ることぞ。無極而太極も無声無臭もいつから始ていつなくなると云ことでなく、天地のつぶれるまで。それがこちの本尊なり。あちはここを見ることはならずに、却て其上を一つ行かふと云。そこで儒で理と云ても理には紋切り形のあるものゆへ假じゃと云。工夫の道のこまかあたりは道とせず、老子は混沌未分を認め、佛は本来の面目から云て、儒者の云理よりは大きなものともてなし、それで身上仕出そふと云なり。
【解説】
「儒者以理爲不生不滅、釋氏以神識爲不生不滅」の説明。仏の本尊は不生不滅で、それが神識だと言う。儒で不生不滅なものを言えば、それは理である。理は天地が潰れるまであるものだが、仏はそれを仮だとする。老子は混沌未分を、仏は本来の面目を理よりも大きなものだと言う。
【通釈】
「儒者以理為不生不滅、釈氏以神識為不生不滅」。こちらの口上では不生不滅などとは言わないものだが、仏の言うことをこちらへ用いて直に仏を弁ずるのが朱子の了簡である。あちらの本尊は不生不滅で、それが神識だと言う。こちらで不生不滅なものを言えば、それは理であって、指し場が違う。なるほど理は消えないもの。我が儒の方は君も臣も死ぬが、忠孝の道理はなくならない。そこをこそ不生不滅と言う。こちらはそれを日用の上で見る。無極而太極も無声無臭もいつから始まっていつなくなるということでなく、天地の潰れるまでのこと。それがこちらの本尊である。あちらはここを見ることができず、却ってその上を一つ行こうと言う。そこで儒が理と言っても、理は紋切り形があるものなので仮だと言う。工夫の道の細か当たりは道とせず、老子は混沌未分を見止め、仏は本来の面目から、それが儒者の言う理より大きなものだともてなし、それで身上を仕出そうと言う。
【語釈】
・無極而太極…太極図説。近思録道体1の語。
・無声無臭…中庸章句33。「上天之載、無聲無臭。至矣」。詩経大雅文王。「上天之載、無聲無臭」。

そう云たとて、それで仕出すことはならぬはどふなれば、氣の上の神識をつかまへ、其了簡違がとこ迠も以神識爲不生不滅に落ちたなり。神識は、仏経にこちは神識のことじゃとはなけれども、こちから見て云ふにはづれはない。神識は知覚運動の活きたものを云。それがこちの理より上にあると云が、上へ行かふ々々々と、と云中に神識の氣の上をつかまへて居る。この先きに連嵩卿寥子晦があるが、ここから最ふあれへやるぞ。釈氏が理の上になるものがあると思ているが、あちの中へ這入ると、神識にて有知有覚、ものをうれしがる。尭舜の道孝悌のみが、死た尭舜が一つ上にあるでない。この方ては放勲殂落、手もないことなり。百姓如喪考妣と云て鳴もの□上ぎりのことなり。あちは最ふ一つ神識がありて、釋迦□□ての心がれい々々としてのこりて上にあると云。
【解説】
神識は知覚運動の活きたものを言い、仏はそれが理より上にあると言うが、それは気を掴まえて言ったこと。
【通釈】
その様に言っても、それで仕出すことができないのは何故かと言うと、気の上の神識を掴まえるからであり、その了簡違いが何処までも「以神識為不生不滅」に落ちるのである。仏経に不生不滅は神識のことだとはないが、こちらが見て言うことに外れはない。神識は知覚運動の活きたものを言う。それがこちらの理より上にあると言うが、上へ行こうとする中で、神識の気の上を掴まえている。この先に連崇卿寥子晦があるが、ここからもうあれへ遣る。釈氏は理の上になるものがあると思っているが、あちらの中へ這い入ると、神識で有知有覚のものを嬉しがる。「堯舜之道孝悌而已」は、死んだ堯舜が一つ上にいるのではない。この方では「放勲俎落」はわかり易いことで、「百姓如喪考妣」と言って泣くもの□上ぎりのこと。あちらはもう一つ神識があって、釈迦□□ての心が霊々として残って上にあると言う。
【語釈】
・連嵩卿…連崇卿。朱子文集41。
・寥子晦…朱子文集45。
・尭舜の道孝悌のみ…孟子告子章句下2。「徐行後長者謂之弟。疾行先長者謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣。子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣」。
・放勲殂落…書経舜典。「帝乃俎落、百姓如喪考妣」。

法蕐坊主が先年旱のとき、此様なときは天から御使か立つと云た。ひくいものなり。家内のことも天下のことも理でせずに、上に神識がありて天から御使と云。そこは釈迦や祖師がするになる。顔子死而不亡を朱子の呵るも魂か消えすになるになるからぞ。死では顔子とて別にはない。顔子も日本左右ェ門もそこは同ことなり。克己復礼をすると誰も仁になると云がこちの不生不滅なり。あちは氣の霊妙をとめて大切にするゆへ、顔子は不亡と云、そこを朱子も愛惜すると云。こちは公共ゆへ愛惜はない。桐箱へは入れぬ。十五夜の月仕まふてをけとは云はぬ。神識によることにするで今の漫陀羅を尊ぶのも儒者の吾先祖を祭るの意とはちがう。衣体もそれぞ。五祖が六祖へわたすも神識の処からなり。直方先生、そこを破りて、孔子の直筆によりそれを賣り、語類文集を買て読めば孔子の意に叶うとなり。楠の鎧と云ことてなく、あの軍法を得ると軍に勝つ。神識は役に立ぬもの。死た楠は今日足軽一人ほどの用にもたたぬ。理は冷へて不生不滅。異端は神識温めるゆへ罸をあてると云。こちとあちは見る処の本尊が違う。
【解説】
仏は、上に神識があり、天からの御使いがあると言い、その御使いは釈迦や祖師がすると言う。仏は気の霊妙を愛惜する。一方、克己復礼をすると誰もが仁になるというのが儒の不生不滅である。曼陀羅や衣鉢も神識からだが、その様なものは役に立たない。
【通釈】
法華坊主が先年旱の時、この様な時は天から御使いが立つと言ったが、それは卑い。家内のことも天下のことも理でせず、上に神識があって天から御使いと言う。そこは釈迦や祖師がするのである。「顔子死而不亡」を朱子が呵るのも、魂が消えないことになるからである。死んでは顔子であっても別ではない。顔子も日本左右衛門もそこは同じこと。克己復礼をすると誰もが仁になると言うのがこちらの不生不滅である。あちらは気の霊妙を止めて大切にするので顔子を不亡と言い、そこを朱子も愛惜するのだと言った。こちらは公共なので愛惜はない。桐箱へは入れない。十五夜の月をしまって置けとは言わない。神識に因るので、今の曼陀羅を尊ぶのも、儒者が自分の先祖を祭る意とは違う。衣鉢もそれ。五祖が六祖へ渡すのも神識の処から。直方先生がそこを破って、孔子の直筆よりも、それを売って語類文集を買って読めば孔子の意に叶うと言った。楠木の鎧ということでなく、あの軍法を得ると軍に勝つ。神識は役に立たないもの。死んだ楠木は今日の足軽一人ほどの用にも立たない。理は冷へて不生不滅。異端は神識を温めるので罰が当たると言う。こちらとあちらは見る処の本尊が違う。
【語釈】
・顔子死而不亡…朱子語類中庸2。「或問、顏子死而不亡之説、先生既非之矣。然聖人制祭祀之禮、所以事鬼神者、恐不止謂但有此理、須有實事。曰、若是見理明者、自能知之。明道所謂、若以爲無、古人因甚如此説、若以爲有、又恐賢問某尋。其説甚當」。
・日本左右ェ門…浜島庄兵衛。江戸時代の盗賊。
・克己復礼…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉」。

○亀山云、儒釈之弁、其差眇忽。以某觀之、眞似氷炭。亀山のちとの処と云は知て云ことなれども、朱子のにくまるる。朱子も近理と云て、なるほど近いは近けれども、亀山かぶれた人ゆへ朱子のつっかかりて氷炭となり。生意を仁と見るも明道伊川なれば朱子の呵ら子ども、謝上蔡がかぶれて云ゆへ、仁説圖にも知覚乃知之事とは子かへす。なるほど釈氏贋金ゆへ毫忽の差なり。そこて実は亀山かぶれたゆへ、神道妙用のことから顔子死而不亡の筋をも云ひ、あやかる人なり。朱子のいつも々々々氷炭とは云はれぬ。それゆへ羅参議に答る書は禅学十分與吾儒相似たりとも云はるる。あれは中庸序の近理のことぞ。某か子々々云、傾城にも誠あると云やふなもの。それを云も八十の翁が云ならよいが、若ものでは呵ら子ばならぬ。朱子の近理はよし。亀山の眇忽と云はあぶない。言い手によること。孔子の南子を見るはよい。すっとの皮の男てはならぬ。楊亀山もちと狐にばかされたときあり。饅頭見せて馬糞ぞ。そこをきっときめて氷炭と朱子きひしく云へり。そこは精義集畧なとでみるべし。よくみへる。さて、上の運水般柴からこれで結びとめたものなり。
【解説】
「龜山云、儒釋之辨、其差眇忽。以某觀之、眞似氷炭」の説明。亀山が儒仏を眇忽の差と言ったのに対して朱子が氷炭の差だと言ったのは、亀山が仏に被れていたからである。朱子も老仏は近理だと中庸序で言っている。言い手に由るのである。
【通釈】
○「亀山云、儒釈之弁、其差眇忽。以某観之、真似氷炭」。亀山も少しは知って言ったことだが、朱子が憎まれた。朱子も「近理」と言い、なるほど近いことは近いのだが、亀山は仏に被れた人なので朱子が突っ掛かって「氷炭」と言った。生意を仁と見るのも明道や伊川であれば朱子も呵らないが、謝上蔡が仏に被れて言ったので、仁説図にも「知覚乃知之事」と跳ね返す。なるほど釈氏は贋金なので毫忽の差である。そこで実は亀山は仏に被れていたので、神道妙用のことから顔子死而不亡の筋をも肖って言ったのである。朱子はいつも氷炭とは言われない。それで、羅参議に答うる書には「禅学十分與吾儒相似」とも言われた。あれは中庸序の近理のこと。私がかねがね言っていることだが、傾城にも誠があるという様なもの。それを言うのも八十の翁が言うならよいが、若者では呵らなければならない。朱子の言う近理はよい。亀山が眇忽と言うのは危ない。言い手に由る。孔子が南子を見るのはよい。透波の皮の様な男ではならない。楊亀山も少々狐に化かされた時があった。饅頭と見せて馬糞である。そこをしっかりと決めて氷炭と朱子厳しく言った。そこは精義集略などで見なさい。よくわかる。さて、上の運水般柴からをこれで結び止めた。
【語釈】
・近理…中庸章句序。「異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出。則彌近理而大亂眞矣」。
・知覚乃知之事…仁説図。
・羅参議に答る書…
・孔子の南子を見る…論語雍也26。「子見南子、子路不説。夫子矢之曰、予所否者、天厭之。天厭之」。
・すっとの皮…透波の皮。盗人。盗人根性。
・運水般柴…朱子文集59。

講後曰、神識のこと、仏家都從頭不識條、二十四板を、只是將知覚運動爲形而下者以寂滅爲形而上者と云。あちで空寂を理より上とするがこの神識のこと。仏の方て神識と銘は打た子とも、朱子、あちの中を見て云はるるなり。理より上のものを取らふ々々々として、やはり形而下の有知有覚ものについて居る。そこか異端のかなしさなり。
【解説】
仏が空寂を理より上とするのは神識があるからだが、それは形而下の有知有覚のものを見たものである。
【通釈】
講後、神識のことは、仏家都従頭不識の条で、二十四板、只是将知覚運動為形而下者以寂滅為形而上者と言う。あちらで空寂を理より上とするのがこの神識のこと。仏の方では神識と銘は打たないが、朱子があちらの中を見て言われたのである。理よりも上のものを取ろうとして、やはり形而下の有知有覚のものに付いている。そこが異端の悲しさである。