答李伯諌書曰儒佛見處の條  九月四日  丹二録
【語釈】
・九月四日…
・丹二…大木丹二。東金市北幸谷の人。名は忠篤、晩年は権右衛門。黙斎の死後、孤松庵を貰い受ける。明和2年(1765)~文政10年(1827)

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答李伯諫書曰、來書云、儒佛見處既無二理。其設敎何異也。蓋儒敎本人事、釋敎本死生。本人事故緩於見性、本死生故急於見性。熹謂、既謂之本則此上無復有物矣。今既二本。不知、所同者何事、而所謂儒本人事緩見性者亦殊無理。三聖作易首曰、乾元亨利貞。子思作中庸首曰、天命之謂性、孔子言性與天道、而孟子道性善。此爲本於人事乎。本於天道乎。緩於性乎。急於性乎。然著急字亦不得。俗儒正坐不知天理之大。故爲異説所迷、反謂聖學知人事而不知死生。豈不誤哉。聖賢敎人盡心以知性、躬行以盡性。終始本末自有次第。一皆本諸天理緩也。緩不得急也。急不得直是盡性至命、方是極、則非如見性之説一見之而遂已也。上蔡云、釋氏之論性猶儒者之論心。釋氏之論心猶儒者之論意。此語剖析極精、試思之如何。又曰、來書云、形有死生、眞性常在。熹謂性、無僞冒、不必言眞、未嘗不在、不必言在。蓋所謂性即天地所以生物之理、所謂維天之命於穆不已、大哉乾元、萬物資始者也。曷嘗不在而豈有我之所能私乎。釋氏所云眞性、不知其與此同乎否也。同乎此則古人盡心以知性知天。其學固有所爲、非欲其死而常在也。苟異乎此而欲空妄心見眞性、惟恐其死而失之、非自私自利而何。是猶所謂廉賈五之、不可不謂之貨殖也。伊川之論未易遽非、亦未易遽曉。他日於儒學見得一箇規模、乃知其不我欺耳。文集四十三。
【読み】
李伯諫に答うる書に曰く、來書に云う、儒佛の見處は既に二理無し。其の敎を設ける、何ぞ異なるや。蓋し儒敎は人事に本づき、釋敎は死生に本づく。人事に本づく故に性を見るに緩く、死生に本づく故に性を見るに急なり。熹謂う、既に之を本と謂うは則ち此の上に復物有る無きなり。今既に本を二にす。知らず、同じ所の者は何事にして、謂う所の儒は人事に本づき性を見るに緩き者も亦殊て理無し。三聖易を作る首に曰う、乾元亨利貞、と。子思中庸を作りて首に曰う、天の命ずるを之れ性と謂う、と、孔子性と天道とを言いて、孟子は性善を道う。此れ人事に本づくと爲すか。天道に本づくか。性に緩きか。性に急か。然して急の字を著すも亦得ず。俗儒は正に天理の大を知らずに坐す。故に異説の爲に迷される所は、反って聖學は人事を知りて死生を知らずと謂う。豈誤まざるや。聖賢の人を敎うるに心を盡くし以て性を知り、躬行以て性を盡くす。終始本末自ら次第有り。一に皆諸れ天理に本づき緩なり。緩得ざれば急なり。急得ざれば直に是れ性を盡くし命に至りて、方に是れ極めれば、則ち性を見るの説の一たび之を見て遂に已むが如きに非ず。上蔡云う、釋氏の性を論ずるは猶儒者の心を論ずるがごとし。釋氏の心を論ずるは猶儒者の意を論ずるがごとし、と。此の語剖析精を極め、試みに之を思えば如何。又曰く、來書に云う、形に死生有り、眞性常に在る、と。熹の謂う性は、僞冒無ければ、必ずしも眞を言わず、未だ嘗て在らざれば、必ずしも在を言わず。蓋し謂う所の性即天地は物を生ずる所以の理、謂う所の維天の命於穆として已まず、大なる哉乾元は、萬物資して始める者なり。曷ぞ嘗て在らずして豈我の能く私する所有らんや。釋氏云う所の眞性は、其れ此れと同じか否かを知らざるなり。此れに同じければ則ち古人の心を盡くし以て性を知り天を知る。其の學固より爲す所有り、其れ死して常に在るを欲するに非ざるなり。苟も此れに異にして妄心を空にし眞性を見るを欲し、惟其れ死して之を失うを恐るるは、自私し自利するに非ずして何ぞ。是れ猶謂う所の廉賈之を五にし、之を貨殖と謂わざる可からざるがごとし。伊川の論は未だ遽に非とし易からず、亦未だ遽に曉とし易からず。他日儒學に於て一箇の規模を見得ば、乃ち其の我を欺かざるを知らん。文集四十三。

これも朱子と云ものがあとて弁じたれはこそなり。よほど手ごはい云やふなり。このくらいに云ものはすくないものなり。手前にこれだけに見たは丈夫なり。無二理。儒佛上へは違った様でも、中かは違ったやふには見へぬ。そとから論すればこそ、内證はたたいとくに二理はないとなり。蓋儒教本人事、釈教本死生云云。儒佛一なれとも、教の違ったことを李伯諌が自らとく。そこて蓋なり。佛者の教は大学小学君臣父子とくること。釈教は人間の元来のことを知らふと思ふて死生のことを云。本人事。聖人の教は人事が重いことに成て、それに手間を取るから死生の方には專一にない。そこで、緩見性。釈氏は死生の方を見るからこれを□そきて手廻しかよい。そこて急見性となり。今の学者、朱子を後立にすればこそ、平氣なときこふ云はれると、なるほど一理あると云やふになる。時に朱子と云奉行があっては、そんなこと云はせてはをかぬ。
【解説】
「答李伯諫書曰、來書云、儒佛見處既無二理。其設敎何異也。蓋儒敎本人事、釋敎本死生。本人事故緩於見性、本死生故急於見性」の説明。李伯諌が、儒仏は理は同じだがその教えが異なるのは、儒は人事を本にするから性を見るのが緩く、仏は死生を本にするから性を見るのが急なのだと説いた。
【通釈】
これも朱子が後で弁じたればこそのこと。よほど手強い言い様である。この位に言う者は少ないもの。自らこれだけに見たのは丈夫なこと。「無二理」。儒仏は上辺は違っている様でも、中は違う様には見えない。外から論じればこそ違うが、そもそも内証は特に二理はないと言った。「蓋儒教本人事、釈教本死生云云」。儒仏は一つなのだが、教えが違うことを李伯諌が自ら説いた。そこで「蓋」と言う。仏者の教えは大学小学君臣父子と来るもの。釈教は人間の元来のことを知ろうと思って死生のことを言う。「本人事」。聖人の教えは人事が重いことになって、それに手間を取るから死生の方には専一でない。そこで「緩見性」である。釈氏は死生の方を見るからこれを急いで手廻しがよい。そこで「急見性」だと言う。今の学者は朱子を後ろ楯にしてはいるが、何もない時にこの様に言われると、なるほど一理あると言う様になる。時に朱子という奉行があっては、そんなこと言わせて置かない。
【語釈】
・李伯諌…

熹謂既謂之本則云云。向で本つく々々々と云ゆへ、そこをついたものなり。きさまは本つく々々々と云が、本にそちのこちのと云ことはない。天地の間本は只一つなり。此上無復有物。これは見にくい文字なり。これを見れば人の飲食するやふなものなり。人は飲食に本つく。飲食でなしはならぬ。人間は食で生てをると云やふなもの。その本の字になっては、上一人かられき々々、かるいもの迠も、人の命をつなぐはこの飲食に限ったこと。此上に餘事はない筈。あちの本のこちの本のと云は本か二になる。役人は政事、駕籠舁はかつくと□□も飯くふ。本一なり。今既二本。こちの本は人事、あちの本は死生と云は、云やふはたくましいが、それでは二つになる。不知。そちの方で無二理と云へば同しことのやふなれとも、本二なれば同とは云はれぬ。これを上の条、眞似氷炭の処へあてて見へし。そちて儒本人事後見性と云がさて々々ないこととなり。そこで本の字をきめた。儒者の人事と云に三綱五常ほど大きいことはないゆへ、親義別序信と云ことを大切にするなり。親をつかまへて孝、君と云へば忠をするが皆仁義礼智と云性のあらはれた端的なり。それを緩見性と云□□□てもない云やふなり。
【解説】
「熹謂、既謂之本則此上無復有物矣。今既二本。不知、所同者何事、而所謂儒本人事緩見性者亦殊無理」の説明。「本」は天地の間に一つしかないものだが、それをあちらの本、こちらの本と言うのでは本が二つになる。本が二つになると言うのでは、儒仏は無二理ではない。また、「儒本人事後見性」と言うが、親へ孝、君へ忠をするのが仁義礼智という性の現れた端的であって、「緩見性」などということもない。
【通釈】
「熹謂既謂之本則云云」。ここは向こうが「本々」と言うので、そこを突いたもの。貴様は本づくと言うが、本にそちらこちらということはない。天地の間に本はただ一つである。「此上無復有物」。これはわかり難い文字である。これを見るとすれば、人の飲食をする様なもの。人は飲食に本づく。飲食になしはならない。人間は食で生きているという様なもの。その本の字のことになっては、上一人から歴々、軽い者までも、人の命を繋ぐのはこの飲食に限ったこと。この上に余事はない筈。あちらの本、こちらの本と言うのでは本が二つになる。役人は政事をし、駕籠舁きは担ぐという違いがあるが飯を食うという本は一つである。「今既二本」。こちらの本は人事、あちらの本は死生と言うのは、言い様はたくましいが、それでは二つになる。「不知」。そちらの方で「無二理」と言えば同じことの様だが、本が二つであれば同じとは言えない。これを上の条の、「真似氷炭」の処へ当てて見なさい。そちらで「儒本人事後見性」と言うのは全くないことだと言った。そこで本の字を決めた。儒者の人事と言えば三綱五常ほど大きいことはないので、親義別序信ということを大切にする。親を捉まえて孝、君と言えば忠をするのが皆仁義礼智という性の現れた端的である。それを「緩見性」と言うのはとんでもない言い様である。

三聖作易云云。伏羲の作易、文王周公の辞を係ける。首に元亨利貞と云、孔子の傳に大哉乾元万物資始至哉坤元のと云た。皆性のことじゃ。人事の為のとはかり云ふかとなり。これをかたく聞くと未定の説そふな。三聖の易ては元亨利貞を四德にはせぬ。とほふもないことと云へし。ここは三聖の意□□□ず、孔子四德の元亨利貞を三聖にして云なり。子思作中庸首曰、天命之謂性、孔子言性与天道、而孟子道性善。此爲本爲於人事乎。緩於性乎。於性乎。小学の教は洒掃応對なれとも、天の元亨利貞は人の仁義礼智と、はや小児から教示す。又眞始めに天命之謂性と出す。凡そ垩賢の道体を語り玉ふ、皆性のことなり。人事ばかりてない。そちて人事に本つくと云も皆性からのことなり。このやふに孔子子思孟子の仰られたか、道の証文は性なり。性をやばなしにしたことはな□。皆拜領の天へ帰して云たもの。これがなんと緩於性乎急於性乎。
【解説】
「三聖作易首曰、乾元亨利貞。子思作中庸首曰、天命之謂性、孔子言性與天道、而孟子道性善。此爲本於人事乎。本於天道乎。緩於性乎。急於性乎」の説明。易を見ても、「元亨利貞」も「大哉乾元万物資始」も「至哉坤元」も皆性のことであり、人事ばかりではないのである。また、孔子や子思、孟子が仰せられたのも性であって、道の証文は性なのである。
【通釈】
「三聖作易云云」。伏羲が易を作り、文王と周公が辞を繋けた。初めに「元亨利貞」と言い、孔子が伝で「大哉乾元万物資始」「至哉坤元」と言った。これは皆性のこと。それでも人事のためはかりだと言うのかと言った。これを固く聞くと未定の説の様になる。三聖の易では元亨利貞を四徳とはしなかった。途方もないことである。ここは三聖の意には構わず、孔子四徳の元亨利貞を三聖のことにして言うのである。「子思作中庸首曰、天命之謂性、孔子言性与天道、而孟子道性善。此為本於人事乎。緩於性乎。急於性乎」。小学の教えは洒掃応対だが、天の元亨利貞は人の仁義礼智と、早くも小児から教え示す。また、最初に「天命之謂性」と出す。凡そ聖賢の道体を語り賜うのは皆性のこと。人事だけではない。そちらで人事に本づくというのも皆性からのこと。この様に孔子子思孟子の仰せられたのが性で、道の証文は性である。性を遣り放しにしてはいない。皆拝領の天へ帰して言ったもの。これがどうして「緩於性乎急於性乎」だろうか。
【語釈】
・伏羲…中国古伝説の三皇の一。人首蛇身で、燧人氏に代って帝王となり初めて八卦・書契・網罟・琴瑟を作り、庖厨を教えて嫁娶の制を設けたと伝える。庖犠。包犠。太皥。
・元亨利貞…易経乾卦。「乾、元亨利貞」。
・大哉乾元万物資始至哉坤元…易経乾卦彖伝。「彖曰、大哉乾元、萬物資始」。易経坤卦彖伝。「彖曰、至哉坤元、萬物資生」。
・天命之謂性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・性与天道…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・孟子道性善…孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯舜」。

△然著急字亦不得。ここが大切なり。向へたたるから賣詞に買詞で緩の急のと云が、だたい緩急の字つけることはならぬなり。人事が大切と云も天なりゆへなり。中庸の活溌々地と云も端を夫婦になすと云。人事の上が活溌々地なり。礼の三千三百、うるさいほどある。婚礼をするに結納をやるから、それについてささいな礼式あり、細な度數のある。その通りをするが皆人事なれども、道の顯はれたもの。そこを鳶飛魚躍と云ふ。あちは□式しらぬそ。
【解説】
「然著急字亦不得」の説明。人事は天の通りのものであり、道が顕れたもの。礼式は人事である。仏は礼式を知らない。
【通釈】
△「然著急字亦不得」。ここが大切である。向こうに祟るから売り言葉に買い言葉で緩の急のと言うが、そもそも緩急の字を付けることはならない。人事が大切というのも天の通りだからである。中庸の「活溌々地」もその端を夫婦に成すと言う。人事の上が活溌々地である。礼の三千三百、煩いほどある。婚礼をするためには結納を遣るが、それについて些細な礼式があり、細かな度数がある。その通りをするのが皆人事のことだが、それは道が顕れたもの。そこを「鳶飛魚躍」と言う。あちらは礼式を知らない。
【語釈】
・活溌々地…中庸章句12集註。「程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。
・端を夫婦になす…中庸章句12。「君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地」。
・礼の三千三百…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千。待其人而後行」。礼記礼器。「經禮三百、曲禮三千」。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。

俗儒正坐不知天理之大云云。ここに俗儒と出たは、漢唐を引くるめて云。こちに見処が出来ぬゆへ訓話詞章かきりのいこふひくい処□□らめられ天理之大て見付る眼がない。それを見てはひくひことに見へるゆへ、異端か上坐をするぞ。中庸に致廣大とあり、天理の大を知らぬから、佛よりひく□□て、佛を学ぶものが儒者は人事にばかりくったくして、何ぞのとき奧の院がすまぬと云なり。もと俗儒かはきとないから起りたことなれとも、儒者の緩於見性と不誤乎なり。ここの俗儒を先軰の李伯諌にあてるがよいと云へり。そうでない。俗儒を見てほんの垩学と思ふから、こなた衆までがそんなことを云と云ことなり。
【解説】
「俗儒正坐不知天理之大。故爲異説所迷、反謂聖學知人事而不知死生。豈不誤哉」の説明。俗儒は見処がなく、天理の大を知らずに訓詁詞章ばかりをしているから異端が上坐に座る。俗儒を聖学だと見誤れば、「聖学知人事而不知死生」と言うのも当然である。
【通釈】
「俗儒正坐不知天理之大云云」。ここに俗儒と出たのは、漢唐を引っ包めて言う。こちらに見処ができないので訓詁詞章限りの大層卑い処に絡められ、天理之大で見付ける眼がない。それを見ると卑いことに見えるので、異端が上坐をする。中庸に「致広大」とあるが、天理の大を知らないから、仏より卑くなって、仏を学ぶ者が、儒者は人事にばかり屈託して、何かの時に奧の院が済まないと言う。それは元々俗儒がはっきりとしないから起こったことであり、儒者は「緩於見性」だと見誤ったのである。先輩がここの俗儒は李伯諌に当てるのがよいと言ったがそうではない。俗儒を見て本当の聖学だと思うから、こちらの衆までがその様なことを言うということ。
【語釈】
・致廣大…中庸章句27。「君子尊德性、而道問學、致廣大、而盡精微、極高明、而道中庸」。

垩賢教人。そこで本のを垩賢の教は性を見るに緩か緩くないかを云て聞せやふ。尽心以知性。これは今の孟子の集註の説とは合はぬ。未定之説なり。ここも観心説、釈氏論もこれでよい。尽心と性が知れる。終始本末。終は至善、始は洒掃応對。本は格物知致誠意正心、末は齋家以下。終始本末と分れたとて二つことではない。近思録、分本末而不可為两端之事とある。一つことなり。されとも次第は自あるなり。子ともが生れると乳を呑。それから飯を食いならひ、成長すると客にゆきてさま々々と料理をくふやふに、次第はあっても生を養ふに違いはない。緩也た。緩し不得云云。次第のある処なり。これが小児のゆきたけのやふ□ものなり。せいが大きくなればぬいあげををろさ子ばならぬ。七つのとき着たは、成長してはきられぬ。それでもすててをけとは云はれぬ。又急がよいとても、生れ子□夜着ほと大な服はきせられぬ。
【解説】
「聖賢敎人盡心以知性、躬行以盡性。終始本末自有次第。一皆本諸天理緩也。緩不得急也」の説明。心を尽くせば性を知れる。「終始本末」の「終」は至善、「始」は洒掃応対。「本」は格物知致誠意正心、「末」は斉家以下のこと。「終始本末」は一つ事だが、それに次第は自ずとある。天理は緩く、次第があるから「不得急」である。
【通釈】
「聖賢教人」。そこで本当の聖賢の教えが性を見るのに緩いか緩くないかを言って聞かせよう。「尽心以知性」。これは今の孟子の集註の説とは合わない。未定の説である。ここも観心説や釈氏論もこれでよい。心を尽くすと性が知れる。「終始本末」。「終」は至善、「始」は洒掃応対。「本」は格物知致誠意正心、「末」は斉家以下のこと。終始本末と分かれたと言っても二つ事ではない。近思録に、「分本末而不可為両端之事」とあり、一つ事である。しかしながら、次第は自ずとある。子供が生まれると乳を飲む。それから飯を食い習い、成長すると客に行って様々と料理を食う様に、次第はあっても生を養うのに違いはない。「緩也」である。「緩不得云云」。これが次第のある処。これが小児の裄丈の様なもの。背が高くなれば縫い上げを下ろさなければならない。七つの時に着たのは、成長しては着られない。それでも放って置けとは言えない。また、急がよいと言っても、生まれ子に夜着の様な大きな服は着せられない。
【語釈】
・分本末而不可為两端之事…近思録道体28。「凡物有本末、不可分本末爲兩段事。灑埽應對是其然、必有所以然」。
・盡心以知性…孟子盡心章句上1。「孟子曰、「盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。

尽性至命、方是極。垩人教人と云、初めは卦を畫したことで云ことなれども、だん々々上へ々々とつめてゆくことなり。これも本義てなし。尽性至命を垩人て云たのなり。見性之説。これは見性の説と点をならすべし。あちの字なり。佛で見性と云はけつか趺坐てし、ちらりとした処でくわら々々々と見付け悟ったと云がそのやふなことはない。そろ々々往くことなり。されとも曽子の一唯と云があちの悟りのやふに聞ゆへれとも、あれはこれ迠のがらくに成た分のこと。一唯のあともやっはり今迠のなりをしているそ。一見之而遂已。本来の面目を見たと云を疱瘡てもしまふた様に思ふが、道はかぎりないものなり。そふではない。
【解説】
「急不得直是盡性至命、方是極、則非如見性之説一見之而遂已也」の説明。仏の言う見性は結跏趺坐をして頓悟することを言うが、見性はその様なことではなく、ゆっくりと行くもの。仏は本来の面目を見ることで仕舞うが、道は限りないものなので、尽くし続けなければならない。
【通釈】
「尽性至命、方是極」。「聖人教人」と言っても、初めは卦を画したことを指すが、段々上へと詰めて行く。これも本義ではない。尽性至命を聖人で言ったのである。「見性之説」。これは見性の説と点をならして読みなさい。あちらの字である。仏で見性と言うのは、結跏趺坐をして、ちらりとした処でがらがらと見付け悟るというのだが、その様なことはない。ゆっくりと往くのである。そこで、曾子の「一唯」というのがあちらの悟りの様に聞こえるが、あれはこれまでのことが楽になったこと。一唯の後もやはり今までの通りをする。「一見之而遂已」。本来の面目を見たと言うのを疱瘡でも治った様に思うが、道は限りないものであって、その様なことではない。
【語釈】
・けつか趺坐…結跏趺坐。如来または禅定修行の坐相。足背で左右それぞれのももを押える形で二種ある。右の足をまず左のももの上に乗せるのを降魔坐といい、この反対を吉祥坐という。蓮華坐。
・一唯…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。

上蔡云云。とかく中へ入て見子ば知れぬ。書物藝ではゆかぬ。手前の心とあちをいりくらべて云は子ば本のがしれぬ。上蔡などはちごふ。釈氏之論性猶儒者之論心。こちの性と云は仁義礼智。伊川の云はるる通り、性即理也。ちりもはいもつかぬもの。あちの性々と云はこちの心なり。心がわるいものてはなけれとも、氣にわたったものゆへゆだんならぬ。釈氏之論心猶儒者之論意。こう云て心をかるいものにのけるではなけれども、ゆだんならぬものなり。程子の人心は人欲也、と。ちっともゆだんすると、じきに□欲になる。心の駒に手綱ゆるすななり。そこて釈氏は無念無想かよいとて、枯木死灰の□ふにする。雪の降る夜は寒いが心なるに、寒くないやふにするが、こちは心は性の入れ物故に大切にする。政宗の刀は鞘へ納めて箱を拵へて大切にする。意と云は出端ゆへに、出しだいにするとどふならふかしれぬもの。そこで嚴い功夫をせ子ばならぬ。大学の誠意と云も、意がゆだんならぬものゆへ功夫して誠にする。季文子が三思も、意に私が出るゆへ孔子の御叱りなされた。佛者はあのあたりのことを心とすると上蔡の云分は、今日の口上に見て来たやふに云ふと云もの。上蔡か儒佛兩方案内故に、云やふがいこふよいなり。
【解説】
「上蔡云、釋氏之論性猶儒者之論心。釋氏之論心猶儒者之論意」の説明。仏が性と言うのは儒の心のこと。儒の性は仁義礼智であり、「性即理也」である。また、仏が心と言うのは儒の意のこと。心は気に渡るものなので油断がならない。少しでも油断をすると、直ぐに人欲になる。
【通釈】
「上蔡云云」。とかく中へ入って見なければわからない。書物芸ではうまく行かない。自分の心とあちらとを比べて言わなければ本がわからない。上蔡などは違う。「釈氏之論性猶儒者之論心」。こちらの性は仁義礼智。伊川の言われる通り、「性即理也」。塵も灰も付かないもの。あちらが性々と言うのはこちらの心である。心は悪いものではないが、気に渡るものなので油断はならない。「釈氏之論心猶儒者之論意」。この様に言うのは心を軽いものとして除けるわけではないが、油断がならないもの。程子が「人心、人欲也」と言った。少しでも油断をすると、直ぐに人欲になる。心の駒に手綱を許すなである。そこで釈氏は無念無想がよいとして、枯木死灰の様にする。雪の降る夜は寒いのが心なのに、それを寒くない様にする。こちらは心は性の入れ物なので大切にする。政宗の刀は鞘へ納めて箱を拵えて大切にする。意は出端なので、出次第にするとどの様になるかも知れないもの。そこで厳しい功夫をしなければならない。大学の誠意も意が油断ならないものなので、功夫をして誠にする。季文子の三思も、意に私が出るので孔子が御叱りなさった。仏者はあの辺りのことを心とすると言う上蔡の言い分は、今日の口上で言う、見て来た様に言うというもの。上蔡が儒仏両方に通じているので、言い方が大層よい。
【語釈】
・性即理也…近思録道体38の語。
・人心は人欲也…「人心、人欲也」。
・季文子が三思…論語公冶長20。「季文子三思而後行。子聞之曰、再、斯可矣」。

此語剖析極精試思之を、点も極て精しとするよし。さて々々两方合せてよう精く云たと云こと。先生笑曰、をれも近頃はとかく点を改めるそ。善藏が黙斎も学問が上ったと□□なり。然しながら、をれが改めるは譜代の家来が旦那をわるく云のなり。三月出るのではない。又曰、来書云、形有死生、眞性常在。これがあちの一大事の処なり。形有死生云云。これは佛者の常に云ことで、珎しからぬことなり。李伯陳の初手の来書はあのやふにわけを云て、初心はこまるなり。形は氣故死ぬと孔子も釈迦もくさる。眞性常在。本の性と云はくさるものでないと云。ここがをかしい。眞の字をつけるで問にをちず語るにをちるなり。上文の上蔡を見べし。あちで不断性と云のは心を云ゆへ、そこで眞性と云ものがぜひ出来る。垩賢の性を云に眞のなんのと云ことはない。あちには眞妄があるゆへなり。眞妄があるからは、上の釈氏之論性猶儒者之論心かよく片付そ。性と云は佛心て、本来の面目はきへずにあるゆへ、上への方に釈迦も達磨もあると云。
【解説】
「此語剖析極精、試思之如何。又曰、來書云、形有死生、眞性常在」の説明。李伯諌は、形には死生があり、真性は常にあると言った。この真性の真が仏の語である。仏の言う性は心のことなので、本来の面目は消えずにあって、上に釈迦も達磨もいると言う。
【通釈】
「此語剖析極精試思之」は、点も極めて精しとするのがよい。実に両方を合わせてよく精しく言ったということ。先生が微笑んで言った。俺も近頃はとかく点を改める。善蔵が黙斎も学問が上ったと言う。しかしながら、俺が点を改めるのは譜代の家来が旦那を悪く言うのと同じである。三月出るということではない。「又曰、来書云、形有死生、真性常在」。これがあちらの一大事の処。「形有死生云云」。これは仏者が常に言うことで、珍しくないこと。李伯諌の最初の来書はあの様にわけを言ったのだが、初心の者は困ったもの。形は気なので死ぬと孔子も釈迦も腐る。「真性常在」。本の性は腐るものではないと言うが、ここが可笑しい。真の字を付けたので、問うに落ちず語るに落ちた。上文の上蔡を見なさい。あちらでいつも性と言うのは心のことなので、そこで真性というものが必ずできる。聖賢が性を言う時に、真の何のと言うことはないが、あちらには真妄がある。真妄があるので、上の釈氏之論性猶儒者之論心がよく片付く。性は仏心のことだから、本来の面目は消えずにあって、上への方に釈迦も達磨もいると言う。
【語釈】
・善藏…幸田子善?
・三月出る…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。
・問にをちず語るにをちる…人から問われた時には、用心して胸の中の秘密を言わないが、何気なく話す時には、かえって真実のことを洩らしてしまうものだ。

熹謂性、無僞冒、不必言眞。偽はの冒じゃのと云ことはない。あちは眞假と云ゆへ一つ違ったものか出来る。養子にゆくと養父実父と云があるやふなもの。宇野三平が江村萬藏へ、私が家には父に虚実はない、と。性に偽冒と云うろたへた性はないこと。性はちりもはいもつけぬもの。不必言眞。こなたは声をはって眞性と云か、こちは天からうけたなりゆへ、そんなことはない。太極圖説に無極之眞と云ことは、無極と云ふあだなをよぶゆへ眞とうぶを呼ふ。肖像を眞と云ふと同じ。佛は假かあるゆへ眞と云ふのそ。儒者の方はなくなるが、釈氏のはあると云。そふ云には及はぬ。そのやふに御丁寧を云だけあやしい。
【解説】
「熹謂性、無僞冒、不必言眞、未嘗不在、不必言在」の説明。仏には真と仮があるので、性にも偽冒を言い、真を主張する。その、真を主張するだけ怪しい。
【通釈】
「熹謂性、無偽冒、不必言真」。偽だの冒だのということはない。あちらは真仮と言うので一つ違ったものができる。それは、養子に行くと養父実父ということがある様なもの。宇野三平が江村万蔵に、私の家では父に虚実はないと言った。性に偽冒という狼狽えた性はない。性は塵も灰も付けないもの。「不必言真」。貴方は声を張って真性と言うが、こちらは天から受けた通りであって、そんなことはない。太極図説に「無極之真」と言うのは、無極の渾名を言うために真と初を呼んだのである。肖像を真と言うのと同じ。仏は仮りがあるので真と言う。儒者の方はなくなると言うが、釈氏のはあると言う。その様に言うには及ばない。その様に御丁寧を言うだけ怪しい。
【語釈】
・宇野三平…
・江村萬藏…
・無極之眞…太極図説。近思録道体1。「無極之眞、二五之精、妙合而凝」。

蓋所謂性即天地云云。眞じゃの常にあるのと云だけあらい。商人が飛切の大極上のと書くが、そう書だけほし入抔がある。辞のふへるたけをかしい。肴賣が節句までかこって久敷をいたを今揚りましたと云。その様な長いことを云だけあやしい。そちも眞じゃと云たけ煩い。こちにはそのやふなことはない。人には仁義礼智。蕃椒は辛く砂糖は甘。常在と云にも及はぬ。めつらしからぬことなり。所謂維天之命於穆不已、大哉乾元、萬物資始者也。曷嘗不在而豈有我之所能私乎。朱子のすき次第なことを藏から出して云。天から下された理、眞の偽のと云ことには及ばぬ。手はのろりとして居れば馬はかけ出す。天の生み付次第なり。中庸の天命之謂性を見よ。天と云字でしれるなり。こう云ことでなければ道はしふせられぬ。奉行と云字を見よ。上一人の御方を奉して行ふ。かるいものでも公方様の代りをする様に、天と云字をささげること。天命性をうけてをるゆへ眞も偽もない。天地の中、とかく天なり。蠆も、をれも天からとぬっと出る。蚓もそれ。いつもぎり々々の生物、皆天ゆへのけられはせぬ。
【解説】
「蓋所謂性即天地所以生物之理、所謂維天之命於穆不已、大哉乾元、萬物資始者也。曷嘗不在而豈有我之所能私乎」の説明。長いことを言うだけ怪しい。人には仁義礼智があるのだから、「常在」と言うには及ばない。万物は天命性を受けているのだから真も偽もない。とかく天であって、それから漏れるものはない。
【通釈】
「蓋所謂性即天地云云」。真だの常にあるのと言うだけ粗い。商人が飛び切りの大極上のと書くが、そう書くだけ疵などがある。辞が増えるだけ可笑しい。魚売りが節句まで囲って久しく置いて今揚がりましたと言う。その様な長いことを言うだけ怪しい。そちらも真だと言うだけ煩い。こちらにはその様なことはない。人には仁義礼智。蕃椒は辛く砂糖は甘い。「常在」と言うには及ばない。珍しいことではない。「所謂維天之命於穆不已、大哉乾元、萬物資始者也。曷嘗不在而豈有我之所能私乎」。朱子が好き次第なことを蔵から出して言った。天から下された理、真の偽のと言うには及ばない。手がのろりとしていれば馬は駆け出す。天の生み付け次第である。中庸の「天命之謂性」を見なさい。天という字でわかる。こういうことでなければ道はし遂げられない。奉行という字を見なさい。上一人の御方を奉じて行う。軽い者でも公方様の代りをする様に、天という字を奉げること。天命性を受けているので真も偽もない。天地の中はとかく天である。蠍も、俺も天からのものだと言ってぬっと出る。蚯蚓もそれ。いつもどの様な生物でも皆天からなので除けられはしない。
【語釈】
・維天之命於穆不已…中庸章句26。「詩云、維天之命、於穆不已。蓋曰天之所以爲天也」。詩は、詩経周頌維天之命。
・天命之謂性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。

釈氏所云眞性、不知其与此同乎否也。あちで何ぞと云と御老中振舞に大事の掛物を出すやふに眞性々々といふが、不知与此同乎。こちとは違ふ。このつめ方いつも同こと。釈氏の眞性と云がこれと一つか同くなければ性ではないなり。古人尽心以知性知天。こちは乾元万物資始、二つはない。若これと一つか一つでなければ相談には及ばぬ。其学固有有為。大学三綱領八条目あの通りに功夫してゆくこと。これは前の一見之而遂已如きに非すに對して云ことなり。あちでは一たひ見ると悟ったと云が、こちは功夫も人一たひ已百たひなり。かぎりはない。非欲其死而常在也。この方は當然をして所以を知るぎりのことなり。死だ後迠残そふと云ことでない。尭舜は精一、御身をみがく為め。それが天下を渡す心法になる。執中と云て、死たあとまてを云にあらす。舜へ御讓りなさるに、こふなくては天下はをさまらぬとはかりなり。これを空へのこして反魂香見るやふに、死で上に在て守るの筋てはない。
【解説】
「釋氏所云眞性、不知其與此同乎否也。同乎此則古人盡心以知性知天。其學固有所爲、非欲其死而常在也」の説明。儒の功夫は人一度已百度で限りがないが、死んだ後まで残そうとするものではない。堯舜の執中は天下の治め方を告げたもの。
【通釈】
「釈氏所云真性、不知其与此同乎否也」。あちらで何かと言うと、御老中振舞いに大事な掛物を出す様に真性と言うが、「不知与此同乎」であって、こちらとは違う。この詰め方がいつも同じこと。釈氏の真性と言うのがこれと一つであるか同じでなければ性ではない。「古人尽心以知性知天」。こちらは「乾元万物資始」で他はない。もしもこれと一つでなければ相談するには及ばない。「其学固有所為」。大学の三綱領八条目の通りに功夫をして行くこと。これは前の「非如見性之説一見之而遂已也」に対で言ったこと。あちらでは一度見ると悟ったと言うが、こちらの功夫は人一度已百度である。限りはない。「非欲其死而常在也」。こちらは当然をして所以を知るだけのこと。死んだ後まで残そうということでない。堯舜は精一だが、それは御身を磨くため。それが天下を渡す心法になる。執中と言うが、死んだ後までを言ったのではない。舜へ御譲りなさるのに、こうでなくては天下は治まらないと言っただけである。これを空へ残して反魂香を見る様に、死んでも上にいて守る筋のことではない。
【語釈】
・尭舜は精一…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。中庸章句序にもある。
・反魂香…漢の孝武帝が李夫人の死後、香をたいてその面影を見たという故事から、焚けば死者の姿を煙の中に現すという香。

苛異乎此而欲空妄心見眞性、惟恐其死而失、非自私自利而何。ちっとでも似たやふなことはない。妄心と云が人になみ々々通用の心なり。あちの觀心と云も妄心があるから、それて假として本来面目を眞とし、妄心をは筭用に入す、眞性をみやふとする。ここか儒者の意を論すると云に似たもそこなり。流注想なとをなくす。これ、まやものなり。それを荀子は偷心と云ふ。これ、妄心なり。こちて誠意正心涵養するは仁義礼智を見るためてはない。四端七情丁とのからくりになることなり。無念無想てはない。あちは何ても角でも動くを妄と見るから惻隱迠をなくそふとする。空と云は情の発する迠こちが動くと見てなくす。暑い寒いはただの心。それを取てのけるまでにすると本来の眞性を見ると、そこを觀心と云。これか大ていの修行では見られぬ。手ひどひことをして我す子からもみ出すなり。こちはゆっくりとしたこと。王者之民皥々如也、帝力何有我乎なり。
【解説】
「苟異乎此而欲空妄心見眞性、惟恐其死而失之、非自私自利而何」の説明。妄心は通用な心だが、仏はこれを仮として本来の面目を真とする。仏は何もかも動くものを妄と見るから惻隠までをなくそうとする。仏は手酷いことを自らに課すが、儒はゆったりとしたもの。
【通釈】
「苟異乎此而欲空妄心見真性、惟恐其死而失之、非自私自利而何」。少しも似た様なことはない。「妄心」というのが人に遍く通用な心である。あちらが観心と言うのも妄心があるからで、それでこれを仮として本来の面目を真とし、妄心をは算用に入れず、真性を見ようとする。ここが「釈氏之論心猶儒者之論意」と言うのと同じこと。流注想などをなくす。これはまやかし物である。それを荀子は偷心と言う。これが妄心である。こちらで誠意正心で涵養するのは仁義礼智を見るためではなく、四端七情が丁度の絡繰になること。無念無想ではない。あちらは何もかも動くものを妄と見るから惻隠までをなくそうとする。空と言うのは、情の発することまでこちらが動くと見てなくすもの。暑い寒いはただの心であって、それを取って除けると本来の真性を見ると言い、そこを観心と言う。これは大抵の修行では見ることができない。手酷いことをして自分の脛から揉み出す。こちらはゆっくりとしたこと。「王者之民皥々如也」、「帝力何有我乎」である。
【語釈】
・流注想…
・偷心…
・王者之民皥々如也…孟子尽心章句上13。「孟子曰、覇者之民、驩虞如也。王者之民、皥皥如也」。
・帝力何有我乎…孟子尽心章句上13集註。「程子曰、驩虞、有所造爲而然、豈能久也。耕田鑿井、帝力何有於我。如天之自然、乃王者之政」。十八史略鼓腹撃壌。「日出而作、日入而息鑿井而飲、耕田而食、帝力何有於我哉」。

あちはす子からもみ出すゆへ、をしくて思きられぬ。失ふを恐るは、秘藏愛惜して死んてをしくてならぬ。草鞋賣て金をためたやふなもの。病氣つくと大さわぎ。それゆへ死んても死きれぬなり。本来の面目を見ると云が只の坊主はならぬこと。それを見たと云は大方のことてはない。ぎゃ々々とこちへひびいては心の神識を性にするから眞妄と云ものがあるなり。それて、あちの眞とするぐるみきたないものなり。丁ど着る物の垢が匂ふとて、歯磨のやふな匂ひ袋を入れたやふなもの。それもよふない。西行が銀の猫を児共へやったはきれいなやふなれとも、手前の心へちりがつくと思ふてしたはきたない処あるなり。茶人が大がい世間通用のものはこはされても何とも思はぬが、利体の茶杓のときは大さはぎ。それだけうるさい。佛が欲をすてるか性をはをしかる。大欲似無欲処なり。先頃王天順の処、儒佛差處義利之間、と。佛の利と云は、世間の金を大切にするやふなきたなびれたことはないなれとも、見付た本来の面目をははなすまいとするは利なり。御流義は違ふても、利心は一也。儒者方に、仁義礼智ををしがるのはなすまいのと云ことはない。
【解説】
仏は欲を棄てるが性は惜しがる。仏は世間で金を大切にする様なことないが、見付けた本来の面目を離さない様にするのは利である。儒者は仁義礼智を惜しがったり離さない様にしようとはしない。
【通釈】
あちらは脛から揉み出すので、惜しくて思い切ることができない。失うのを恐れるから、秘蔵愛惜して死んでも惜しくてならない。それは、草鞋を売って金を貯める様なもの。病気付くと大騒ぎ。それで死んでも死に切れない。本来の面目を見るというのは普通の坊主にはできないこと。それを見たと言うのは大抵のことではない。ぎゃぎゃっとこちらへ響くので、心の神識を性にするためには真妄というものが出る。それで、あちらの真とすることぐるみ汚いことなのである。丁度着る物の垢が匂うので、歯磨きの様な匂い袋を入れた様なもの。それもよくない。西行が銀の猫を子供へ遣ったのは綺麗な様だが、自分の心へ塵が付くと思ってしたことには汚い処がある。茶人が大概世間通用のものは壊されても何とも思わないが、利休の茶杓の時は大騒ぎである。それだけ煩い。仏は欲を棄てるが性は惜しがる。「大欲似無欲」の処である。先頃の王天順の処に「儒仏差処義利之間」とある。仏の利というのは、世間の金を大切にする様な汚なびれたことはないが、見付けた本来の面目を離さない様にするのは利である。御流儀は違っても、利心なのは同じである。儒者の方に仁義礼智を惜しがったり離さない様にしようということはない。
【語釈】
・大欲似無欲…徒然草。「究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり」。
・王天順…朱子語類17。

是猶所謂廉賈五之、不可不謂之貨殖也。史記に廉賈貪賈と云がある。これを一口に云へば、廉賈はあせらぬ商人、貪賈はあせる商人と云こと。史記がこふ云たは面白いが、廉賈とても商人ゆへ、利をとらぬと云ことはない。ここては三之五之吟味は入らぬことなり。凡夫は大それた私をし、大それた金をためたがる。佛者は利らしいことはなけれとも、本来面目と云見たものを失ふまいとする。やはり利なり。伊川之論未易遽非、亦未易遽曉云云。釈氏其実利而已と云を伯諌が非るが、何と利と云た。わるいとは申されまい。まだこなたは伊川の意かすめまい。それほどには、他日於儒学見得一箇規模、乃知其不我欺耳。こなさまはまだそのきぼか出来ぬ。儒者のきぼは人事も性、理も性、一つになる。そふすると五倫五常の処へもって往ても天道性命も死生壽夭も一つになる。そこが儒者のきぼなり。こちは実理のこと也。儒者のは悟りをひらいたと云ても利心なり。李伯諌の章いくらもあるが、別而この章などてをちついたてあらふ。節用目録に公学佛与先生抏論不已、最後始稍悟其非とあるも。
【解説】
「是猶所謂廉賈五之、不可不謂之貨殖也。伊川之論未易遽非、亦未易遽曉。他日於儒學見得一箇規模、乃知其不我欺耳」の説明。仏者は利をしない様だが、本来の面目を失うまいとするのがやはり利である。当時、李伯諌には規模がなかったので伊川の意が済めなかったが、後日、自分の非を少々は悟った。
【通釈】
「是猶所謂廉買五之、不可不謂之貨殖也」。史記に「廉買貪買」とある。これを一口に言えば、廉買は焦らない商人、貪買は焦る商人ということ。史記がこの様に言ったのは面白いことだが、廉買と言っても商人なので、利を取らないということはない。ここでは「三之、五之」の吟味は要らない。凡夫は大それた私をし、大それた金を貯めたがる。仏者は利らしいことはないが、本来の面目という見たものを失うまいとする。やはり利である。「伊川之論未易遽非、亦未易遽曉云云」。「釈氏其実利而已」と言い、伯諌の非を何と利だと言った。それを悪いとは言えないだろう。まだ貴方は伊川の意が済めないだろう。それほどなら、「他日於儒学見得一箇規模、乃知其不我欺耳」。貴方はまだその規模ができない。儒者の規模は人事も性、理も性で一つになる。そうすると五倫五常の処へ持って行っても、天道性命も死生寿夭も一つになる。そこが儒者の規模である。こちらは実理のこと。仏者のは、悟りを開いたといっても利心である。李伯諌の章は幾つもあるが、特にこの章などで落ち着いたのだろう。節用目録に「公学仏与先生抏論不已、最後始稍悟其非」ともある。
【語釈】
・廉賈貪賈…史記貨殖列伝69。「貪賈三之、廉賈五之」。同註。「集解漢書音義曰、貪賈未當賣而賣、未可買而買。故得利少、而十得三。廉賈貴而賣、賤乃買、故十得五」。


答連崇卿答廖子晦書
48
答連崇卿書曰、所謂天地之性即我之性、豈有死而遽亡之理。此説亦未爲非。但不知、爲此説者、以天地爲主耶。以我爲主耶。若以天地爲主、則此性即自是天地間一箇公共道理、更無人物彼此之間死生古今之別。雖曰死而不亡、然非有我之得私矣。若以我爲主、則只是於自己身上認得一箇精神魂魄有知有覺之物、即便目爲己性、把持作弄到死不肯放舎。謂之死而不亡。是乃私意之尤者、尚何足與語死生之説性命之理哉。釋氏之學本是如此。今其徒之黠者往往自知其陋而稍諱之、却去上頭別説一般玄妙道理。雖若滉瀁不可致詰、然其歸宿實不外此若。果如此、則是一箇天地性中別有若干人物之性、毎性各有界限不相交雜。改名換姓自生自死、更不由天地隂陽造化、而爲天地隂陽者亦無所施其造化矣。是豈有此理乎。四十一。
【読み】
連崇卿に答うる書に曰く、謂う所の天地の性は即我の性は、豈死して遽に亡ぶの理有らん、と。此の説亦未だ非と爲さず。但知らず、此の説を爲す者は、天地を以て主と爲すや。我を以て主と爲すや。若し天地を以て主と爲せば、則ち此の性は即ち自ら是れ天地の間一箇公共の道理にして、更に人物彼此の間で死生古今の別無し。死して亡ばずと曰うと雖も、然れども我の私するを得る有るに非ず。若し我を以て主と爲せば、則ち只是れ自己身上に於て一箇精神魂魄、知ること有り覺ること有るの物を認得し、即ち便ち目がけて己が性と爲し、把持作弄、死に到りても放舎を肯ぜず。之を死して亡びずと謂う。是れ乃ち私意の尤もなる者は、尚何ぞ與に死生の説性命の理を語るに足らんや。釋氏の學は本是れ此の如し。今其徒の黠者は往往自ら其の陋を知りて稍く之を諱み、却って上頭に去り別に一般玄妙の道理を説く。滉瀁の詰を致す可からざるが若しと雖も、然れども其の歸宿は實に此に外ならず。果して此の如きならば、則ち是れ一箇天地の性中に別に若干の人物の性有り、性毎に各々界限有り相交雜せず。名を改め姓を換え自ら生じ自ら死し、更に天地隂陽の造化に由らずして、天地隂陽爲る者も亦其の造化を施す所無きなり。是れ豈此の理有らんや。四十一。

49
答廖子晦書曰、死生之論、向來奉答所諭知性事人之問、已發其端而近答崇卿書論之尤詳。意明者一讀當已洞然無疑矣、而來書之諭尚復如此。雖其連類引義若無津涯、然尋其大指、則皆不出前此兩書所論之中也。豈未嘗深以鄙説思之、而直以舊聞爲主乎。既承不鄙又不得不有以奉報。幸試思之。蓋賢者見所以不能無失者、正坐以我爲主、以覺爲性爾。夫性者理而已矣。乾坤變化萬物受命。雖所禀之在我、然其理則非有我之所得私也。所謂反身而誠、蓋謂盡其所得乎己之理、則知天下萬物之理、初不外此。非謂盡得我此知覺、則衆人之知覺皆是此物也。性只是理、不可以聚散言。其聚而生、散而死者氣而已矣。所謂精神魂魄有知有覺者、皆氣之所爲也。故聚則有、散則無。若理則初不爲聚散而有無也。但有是理則有是氣。苟氣聚乎此、則其理亦命乎此耳。不得以水漚比也。鬼神便是精神魂魄、程子所謂天地之功用造化之迹、張子所謂二氣之良能、皆非性之謂也。故祭祀之禮以類而感、以類而應。若性則又豈有類之可言耶。然氣之已散者既化而無有矣。其根於理而日生者、則固浩然而無窮也。故上蔡謂我之精神即祖考之精神、蓋謂此也。然聖人之制祭祀也、設主立尸、炳蕭灌鬯、或求之隂、或求之陽、無所不用其極、而猶止曰庶或享之而已。其至誠惻怚精微恍惚之意、蓋有聖人所不欲言者。非可以世俗麤淺知見、執一而求也。豈曰一受其成形、則此性遂爲吾有、雖死而猶不滅、截然自爲一物、藏乎寂然一體之中、以俟夫子孫之求而時出以饗之耶。必如此説則其界限之廣狹安頓之處所、必有可指言者。且自開闢以來積至于今、其重併積疊計已無地之可容矣。是又安有此理耶。且乾坤造化如大洪爐。人物生生無少休息。是乃所謂實然之理不憂其斷滅也。今乃以一片大虚寂目之、而反認人物已死之知覺、謂之實然之理。豈不誤哉。又聖賢所謂歸全安死者、亦曰無失其所受乎天之理、則可以無愧而死耳。非以爲實有一物可奉持而歸之、然後吾之不斷不滅者、得以晏然安處乎冥漠之中也。夭壽不貳修身以俟之。是乃無所爲、而然者與異端爲生死事大無常迅速、然後學者、正不可同日而語。今乃混而言之、以彼之見爲此之説。所以爲説愈多而愈不合也。四十五。
【読み】
廖子晦に答うる書に曰く、死生の論、向來答えを奉り諭す所は生を知り人に事えるの問、已に其の端を發して近ごろ崇卿に答うる書の之を論ずる、尤も詳らかなり。明者一たび讀めば當に已に洞然として疑い無きの意にて、來書の諭も尚復此の如し。其の類を連ね義を引けば津涯無きが若しと雖も、然れども其の大指を尋れば、則ち皆此より前兩書の論ずる所の中を出ざるなり。豈未だ嘗て深く鄙説を以て之を思わずして、直に舊聞を以て主と爲さんや。既に不鄙を承て又以て報を奉ずること有らざるを得ず。幸に試みに之を思え。蓋し賢者の見の以て失う無きこと能わざる所の者は、正に我を以て主と爲し、覺を以て性と爲すに坐するのみ。夫れ性は理のみ。乾坤變化萬物命を受く。禀する所之れ我に在りと雖も、然れども其の理は則ち我の私するを得る所有るに非ざるなり。謂う所の身に反りて誠なるは、蓋し其の己に得る所の理を盡くせば、則ち天下萬物の理、初めより此に外ならざるを知るを謂う。我が此の知覺を盡くし得ば、則ち衆人の知覺皆是れ此の物と謂に非ざるなり。性は只是の理にて、聚散を以て言う可からず。其れ聚って生じ、散じて死する者は氣のみ。謂う所の精神魂魄知ること有り覺ること有る者、皆氣の爲す所なり。故に聚まれば則ち有り、散れば則ち無し。理の若きは則ち初めより聚散して有無なるを爲さざるなり。但し是の理有れば則ち是の氣有り。苟も氣此に聚まれば、則ち其の理も亦此に命ずるのみ。水漚を以て比するを得ざるなり。鬼神は便ち是れ精神魂魄、程子の謂う所の天地の功用造化の迹、張子の謂う所の二氣の良能は、皆性の謂いに非ざるなり。故に祭祀の禮は類を以て感じ、類を以て應ず。性の若きは則ち又豈類の言う可き有らんや。然して氣の已に散ずる者は既に化して有る無し。其の理に根いて日に生ずる者は、則ち固より浩然として窮むこと無きなり。故に上蔡の我の精神は即ち祖考の精神と謂うは、蓋し此の謂いなり。然して聖人の祭祀を制するや、主を設け尸を立て、蕭を炳し鬯を灌し、或いは之を隂に求め、或いは之を陽に求め、其極を用いざる所無くして、猶止々として庶わくば或いは之を享けんと曰うのみ。其の至誠惻怚精微恍惚の意は、蓋し聖人の言を欲せざる所の者有り。世俗麤淺の知見を以て、一を執りて求める可きに非ず。豈一たび其の成形を受ければ、則ち此の性は遂に吾に有りと爲し、死すと雖も而して猶滅せず、截然として自ら一物と爲し、寂然一體の中に藏し、以て夫れ子孫の求めを俟ちて時に出で以て之を饗すと曰んや。必ず此の如くなれば則ち其の界限の廣狹、安頓の處所、必指言す可き者有り。且つ開闢より以來積んで今に至り、其の重併積疊計に已に地の容れる可き無きなり。是れ又安んぞ此の理有らんや。且つ乾坤造化は大洪爐の如し。人物生生し少しの休息無し。是れ乃ち謂う所の實然の理は其の斷滅を憂えざるなり。今乃ち一片大虚寂を以て之を目て、反って人物已に死するの知覺を認め、之を實然の理と謂う。豈誤まらざるや。又聖賢の謂う所の全きを歸し死を安んずる者も、亦其の天に受くる所の理を失うこと無くば、則ち以て愧ずること無くして死す可しと曰うのみ。以て實に一物奉持して之を歸す可く有り、然る後吾の斷ぜず滅せざる者は、以て晏然として冥漠の中に安處するを得ると爲すに非ず。夭壽貳ず身を修め以て之を俟つ。是れ乃ち爲にする所無くして、然る者は異端の生死事大無常迅速の爲にし、然る後學ぶ者と、正に日を同じくして語る可からず。今は乃ち混じて之を言い、彼の見を以て此の説を爲す。説を爲すこと愈々多くして愈々合わざる所以なり。四十五。

鬼神三箚の内幷玉講附録に出。此に畧す。


跋向伯元遺戒条
50
跋向伯元遺戒曰、自佛敎入中國、上自朝廷下達閭巷、治喪禮者一用其法。老子之徒厭苦岑寂、輙亦傚其所爲鄙陋不經可怪可笑、而習族靡然恬不覺悞。在唐唯姚文獻公在本朝、則司馬文正公關洛、程張諸君子以及近世張忠獻公始斥不用。然亦未能盡障其横流也。近故朝議大夫向公伯元少受學於胡文定公、晩年退處于家、尊聞行知不以老而少懈。及啓手足親書幅紙戒其子孫、勿爲世俗所謂道塲者。筆札端好詞意謹嚴、與平日不少異。諸孤士伯等奉承遺指、不敢失墜。既又謀刻諸石以詒乆遠、間以視熹。熹竊以爲、此書之行可爲世法。觀者誠能因而推之、盡袪末俗之陋以求先王之禮、而審行之、則斯言也不但爲向氏一門之訓而已。因識其後以發之。八十三。
【読み】
向伯元が遺戒に跋して曰く、佛敎の中國に入るより、上は朝廷より下は閭巷に達するまで、喪禮を治むる者は一に其の法を用す。老子の徒は岑寂を厭苦し、輙ち亦其の爲す所に傚いて鄙陋不經怪しむ可く笑う可くして、習族靡然恬とし悞りを覺らず。唐に在りては唯姚文獻公の本朝に在りては、則ち司馬文正公關洛し、程張諸君子より以て近世張忠獻公に及び始めて斥けて用いず。然して亦未だ盡く其の横流を障ぐこと能わざるなり。近ごろ故の朝議大夫向公伯元少くして學を胡文定公に受け、晩年家に退處し、聞を尊び知を行い老を以てして少しも懈らず。手足を啓くに及び親に幅紙に書し其の子孫を戒め、世俗の謂う所の道塲なる者を爲すこと勿からしむ。筆札端好詞意謹嚴、平日と少しも異ならず。諸孤士伯等は遺指を奉承し、敢て失墜せず。既に又諸を石に刻み以て乆遠に詒くを謀り、間に以て熹に視す。熹竊かに以爲らく、此の書の行わる、世法と爲す可し。觀る者は誠に能く因りて之を推し、盡く末俗之陋を袪し以て先王の禮を求めて、審らかに之を行えば、則ち斯の言は但向氏一門の訓と爲すのみならず。因りて其の後に識し以て之を發す。八十三。

これからは經済の排釈録なり。惣たい排釈の主たる処は学者窮格のことと任道のことなり。名教の為に世を惑はせる処を排し弁するは經済のことなり。これからは經済できめて学者への進物なり。大学の序に異端虚無寂滅之教と云は、道の害になるを明々德から平天下まてにかけて云ことなり。向伯元は節要廿に出て、朱子も先軰あしらいなり。自佛教入中国云云。佛法の害と云もよのことはまだ待合せもなるが、葬理のことに甚しい害なり。今学者が迷ふたは先きでひらけるあてもあるが、死たとき天窓を坊主にし、經かたびらと云はとふも以後取かへしのならぬことなり。垩賢の国を治め方は民德帰厚と云こと。今の俗は佛法に迷ふて居る故、親のからだを火へ入てしゃあ々々々として惻隱も出ぬ。すこし心ある役人か世話して見ても、今のなりはすりこぎてめしをもるやふなもの。ひまをとったらもられもせふが、中々佛が行はれては經済はならぬことなり。
【解説】
「跋向伯元遺戒曰、自佛敎入中國、上自朝廷下達閭巷、治喪禮者一用其法」の説明。仏の害の中でも葬埋への害が甚だしいもの。死んだ時のことは以後取り返しのできないこと。今の俗は仏法に迷い、親の体を火へ入れても平気な顔で惻隠も出ない。
【通釈】
これからは経済の排釈録である。総体、排釈の主たる処は学者窮格のことと任道のこと。名教のために世を惑わせる処を排し弁ずるのは経済のこと。これからは経済で決めて学者への進物とする。大学の序に「異端虚無寂滅之教」とあるのは、道の害になるのを明明徳から平天下までに掛けて言ったこと。向伯元は節要二十に出ていて、朱子も先輩あしらいをした。「自仏教入中国云云」。仏法の害と言っても、余のことはまだ待ち合わせもできるが、葬埋のことでは甚だしい害となる。今学者が迷うのは後に啓ける当てもあるが、死んだ時に頭を坊主にして経帷子というのはどうも以後取り返しのできないことである。聖賢の国の治め方は「民徳帰厚」である。今の俗は仏法に迷っているので、親の体を火へ入れても平気な顔で惻隠も出ない。少し心ある役人か世話をしてみても、今の姿は擂粉木で飯を盛る様なもの。時間を掛ければ盛ることもできようが、仏が行われては、中々経済はできないもの。
【語釈】
・異端虚無寂滅之教…大学章句序。「異端虚無寂滅之敎、其高過於大學而無實」。
・向伯元…
・民德帰厚…論語学而9。「曾子曰、愼終、追遠、民德歸厚矣」。

老子之徒云云。老子とて老子經をよむのではない。道家のことなり。中蕐では道家がはやり、それが佛者にわりこまれてさひしくなり流行らぬ。岑寂は山奥などのてう々々さびしいことなり。佛者にわりこまれてさびしく成たゆへにはやらぬ。これはとふしたらよからうと云に、どふても中へまぜるがよいとした。今日本で歴々の神道者が佛をまぜるやふなものなり。太宰が神道はないものなれとも、佛がはやりうらやましくなって、巫祝軰かこしらへたと云もこの筋なり。道家は養生の世話をし、それから葬埋方へも世話をするなり。そこへ佛をまぜたなり。姚文獻公は姚崇、玄宗のときの人なり。張忠獻公は南軒の親御なり。天下へみちたことは勢いのならぬものなり。直方先生の排釈録とても道を任することからなれとも、勢いでは一簀の土を以て孟津をふせくなり。
【解説】
「老子之徒厭苦岑寂、輙亦傚其所爲鄙陋不經可怪可笑、而習族靡然恬不覺悞。在唐唯姚文獻公在本朝、則司馬文正公關洛、程張諸君子以及近世張忠獻公始斥不用。然亦未能盡障其横流也」の説明。流行っていた道家を仏が取って代わった。そこで道家は仏を混ぜた。道家は葬埋の世話もするが、それにも仏を混ぜたのである。
【通釈】
「老子之徒云云」。老子と言っても老子経を読むわけではない。道家のこと。中華では道家が流行ったが、それが仏者に割り込まれて寂しくなり、流行らなくなった。「岑寂」は山奥などの迢迢として寂しいこと。仏者に割り込まれて寂しくなったので流行らない。これはどうしたらよいだろうと考えて、どうでも中へ混ぜるのがよいとした。それは今、日本で歴々の神道者が仏を混ぜる様なもの。太宰が、神道はないものだが、仏が流行るのが羨ましくなって、巫祝などが拵えたと言うのもこの筋である。道家は養生の世話をし、それから葬埋の方も世話をする。そこへ仏を混ぜた。姚文献公は姚崇、玄宗の時の人。張忠献公は南軒の親御である。天下に満ちた勢いは防げないもの。直方先生の排釈録であっても、それは道を任ずるからのことだが、勢いで言えば一簀の土で猛津を防ぐのと同じである。
【語釈】
・太宰…太宰春台。江戸中期の儒学者。名は純。字は徳夫。号は春台・紫芝園。信濃の人。出石藩に仕え、後に辞して荻生徂徠に学ぶ。経書・経済に通じ、また近世中国語にも詳しかった。1680~1747
・姚文獻公…姚崇。字は元之。唐の玄宗皇帝に仕え,隆世「開元の治」をになった名宰相。650~721

近故朝議大夫向公伯元少受学於胡文定公。此様に朱子は渕源を出さるる。大切なことなり。顧市郎曰、大洌の学問も石王だけ三宅先生の渕源がちとはあるなり。それをしたてること。向伯元もさぼとな学問ではあるまいが、胡文定と云だけこうはり出すなり。大がのものが年がよると血氣の衰へから佛に迷い、数珠をくるやふにもなるものなれとも、その中に中になり。老而衰と云も、とふでも若ひときのやふにはりだすことがならず、あぢになる。そこが向伯元のたぎった処なり。道塲。楞嚴にもある。これを立てて説法をとく処を、をれが死でもそんなことはするな、と。あの方は幸なことには、せうがすまいがこれが勝手次第なり。日本てはこれがなげかはしいことには、今日は官府の法になって居ゆへにどふもならぬ。出家をよせ付ぬやふにはならぬ。こちももとは勝手次第なれとも、天草からなり。
【解説】
「近故朝議大夫向公伯元少受學於胡文定公、晩年退處于家、尊聞行知不以老而少懈。及啓手足親書幅紙戒其子孫、勿爲世俗所謂道塲者。筆札端好詞意謹嚴、與平日不少異」の説明。向伯元は胡文定に学んだので年をとっても滾っていた。自分が死んでも道場を建てるなと言った。中国では仏をするのもしないのも勝手次第だが、日本では天草の乱以降、仏をするのが官府の法になってしまった。
【通釈】
「近故朝議大夫向公伯元少受学於胡文定公」。この様に朱子は渕源を出される。これが大切なこと。市郎を顧みて言った。大洲の学問も石王だけに三宅先生の渕源が少しある。それを仕立てるのである。向伯元もさほどの学問ではなかっただろうが、胡文定と言うのでこの様に張り出すことになる。大な者が年が寄ると血気の衰えから仏に迷い、数珠を繰る様にもなるものだが、その中でこれである。「老而衰」で、どうしても若い時の様に張り出すことができずに悪くなるものだが、しかし、向伯元は滾った。「道場」。楞厳録にもある。これを建て、そこで説法を説くのだが、俺が死んでもそんなことはするなと言った。中国では幸いなことに、してもしなくても勝手次第である。これが嘆かわしいことに、今日の日本では官府の法になっているのでどうにもならない。出家を寄せ付けない様にはできない。こちらも元は勝手次第だったが、天草の乱から法となった。
【語釈】
・市郎…
・大洌の学問…大洲の学問。山崎闇斎は伊予の大洲藩にも仕えた。
・石王…石王塞軒。名は明誠、通称安兵衛、後康介、黄裳。父は則之。久米訂斎・井沢灌園と共に宅門三傑と称せられる。大洲侯、阿波侯に聘せられる。1701~1780
・三宅先生…三宅尚斎。諱は重固。幼名は小次郎。丹治。
・胡文定…胡安国。宋、崇安の人。字は康侯。号は武夷先生。1074~1138
・老而衰…近思録為学36。「不學、便老而衰」。

士伯等奉承遺指。向伯元か遺戒に任せて佛者をよせぬ。既又謀刻諸石。親の遺戒を石にきざんであとへのこさふと朱子へ相談した。熹謂以此書之行可爲世法云云。この書が世間へ行はるれば世俗の手本になり、佛法のことをすてて垩人の礼に帰するやふにもなり、そちの家斗りで置ことでない。これが向氏一流之思ひ立なれとも、天下の幸となるなり。これが在洛一二人家化すと同しことなり。上総でも今日まま松脂を用ると云も、義丹や庄内から別而誾斎が手抦が多い。冨豪な家はどふでも坊主もゆるす塲がある。このやふなことが中々貧窮なものでは志があっても行はれるものではない。さればこのやふなことが一命之士も心を物を愛するに存すなり。松脂の行はれると云が誾斎か大手抦、重疊なことなり。
【解説】
「諸孤士伯等奉承遺指、不敢失墜。既又謀刻諸石以詒乆遠、間以視熹。熹竊以爲、此書之行可爲世法。觀者誠能因而推之、盡袪末俗之陋以求先王之禮、而審行之、則斯言也不但爲向氏一門之訓而已。因識其後以發之」の説明。向伯元の遺戒に従って仏を寄せず、その遺戒を石に刻んで残すことを朱子に相談した。朱子は、それは向氏だけでなく、天下の幸いだと言った。上総でも、義丹や庄内、特に誾斎の手柄が大きい。坊主も富豪な家にはし放題はできない。誾斎は葬儀に松脂を用いることに功があった。
【通釈】
「士伯等奉承遺指」。向伯元の遺戒に任せて仏者を寄せない。「既又謀刻諸石」。親の遺戒を石に刻んで後へ残そうと朱子に相談した。「熹謂以此書之行可為世法云云」。この書が世間へ行われれば世俗の手本になり、仏法のことを棄てて聖人の礼に帰する様にもなるから、そちらの家だけに置いておくことではない。これは向氏一流の思い立ちだが、これが天下の幸いとなる。これが「在洛一二人家化」と同じこと。上総でも今日よく松脂を用いるというのも、義丹や庄内、特に誾斎の手柄が大きい。富豪な家にはどうしても坊主も許す場がある。この様なことは中々貧窮な者では志があっても行われるものではない。そこで、この様なことが「一命之士、苟存心於愛物」である。葬儀に松脂を用いるというのが誾斎の大手柄であり重畳なこと。
【語釈】
・在洛一二人家化す…近思録治法17。「正叔云、某家治喪、不用浮圖。在洛亦有一二人家化之」。
・義丹…和田義丹。下総酒々井の人。医を業とする。酒井修敬に見出されて鈴木庄内と共に迂斎に師事。上総道学の草分け。成東の安井武兵衛方に食客として住む。元禄7年(1694)~寛保4年(1744)、51歳にて没。
・庄内…鈴木養察。俗称庄内。酒井修敬に見出され、和田義丹と共に江戸へ出て迂斎に入門。元禄8年(1695)~安永8年(1779)
・誾斎…桜木誾斎。名は千之。長崎聖堂教授となる。友部安崇の感化で神道に傾く。享保10年(1725)~文化元年(1804)
・一命之士も心を物を愛するに存す…近思録政事4。「明道先生曰、一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟」。


女道還俗牓の条
51
勸女道還俗牓曰、蓋聞、人之大倫夫婦居一。三綱之首理不可廢。是以先王之世、男各有分、女各有歸、有媒、有娉、以相配偶。是以男正乎外、女正乎内。身脩家齋風俗嚴整嗣續分明、人心和平百物順治。降及後世、禮敎不明、佛法魔宗乘間竊發唱爲邪説、惑亂人心。使人男大不婚、女長不嫁、謂之出家脩道、妄希來生福報。若使舉世之人盡從其説、則不過百年、便無人種、天地之間莾、爲禽獸之區、而父子之親、君臣之義、有國家者所以維持綱紀、之具皆無所施矣。幸而從之者少、彝倫得不殄滅、其從之者、又皆庸下之流。雖惑其言、而不能通其意、雖悦其名、而不能踐其實。血氣既盛、情竇日開中、雖悔於出家、外又慚於還俗。於是不昬之男、無不盗人之妻。不嫁之女、不肆爲淫行。官司縦而不問、則風俗日敗、悉繩以法、則犯者已多。是雖其人不能自謀、輕信邪説以至於此、亦其父母不能爲其兒女計慮乆遠。之罪究觀本末、情實可哀。此當職前日之榜、所以不憚於丁寧也。然昨來告戒未行、只縁區處未廣。今復詳思、與其使之存女道之名、以歸父母兄弟之家、亦是未爲了當、終久未免悔吝。豈若使其年齒尚少容貌未衰者各歸本家、聽從尊長之命、公行媒娉、從便昬嫁、以復先王禮義之敎、以遵人道性情之常、息魔佛之妖言、革淫亂之汚俗。豈不美哉。如云昬嫁必有聘定賚送之費、則脩道亦有庵舎衣鉢之資、爲父母者隨家豊儉、移此爲彼。亦何不可。豈可私憂過計苟徇目前、而使其男女孤單愁苦無所依託、以陷邪僻之行鞭撻之刑哉。凡我長幼悉聽此言、反復深思、無貽後悔故榜。百。
【読み】
女道俗に還るを勸むるの牓に曰く、蓋し聞く、人の大倫は夫婦一に居る。三綱の首の理は廢す可からず。是れを以て先王の世、男各々分有り、女各々歸する有り、媒有り、娉有り、以て相配偶す。是れを以て男は外に正し、女は内に正す。身脩めて家齋み風俗嚴整嗣續分明、人心和平し百物順治す。降りて後世に及び、禮敎明ならず、佛法魔宗間に乘じ竊かに發して邪説を唱爲し、人心を惑亂す。人は男大にして婚せず、女長じて嫁せざらしめば、之を出家脩道と謂い、妄りに來生福報を希う。若し舉世の人盡く其の説に從わしめば、則ち百年を過ぎずして、便ち人種無く、天地の間は莾とし、禽獸の區と爲して、父子の親、君臣の義、國家を有する者の維持綱紀する所以、之れ具々皆施す所無し。幸いにして之を從う者少なく、彝倫殄滅せざるを得、其れ之を從う者は、又皆庸下の流なり。其の言に惑うと雖も、而して其の意通ずること能わず、其の名を悦ぶと雖も、而して其の實を踐むこと能わず。血氣既に盛んにして、情竇日に開く中に、出家に悔ゆと雖も、外は又還俗に慚る。是に於て昬せざるの男は、人の妻を盗まざること無し。嫁せざるの女は、肆に淫行を爲さざること無し。官司縦にして問わざれば、則ち風俗日に敗れ、悉く繩るに法を以てすれば、則ち犯す者已に多し。是れ其の人自ら謀ること能わず、邪説を輕信して以て此れに至ると雖も、亦其の父母も其の兒女の爲に計慮乆遠なること能わず。之の罪本末を究觀するに、情實哀れむ可し。此れ當職前日の榜の、丁寧に憚からざる所以なり。然して昨來の告戒未だ行わざるは、只區處未だ廣からざるに縁る。今復詳に思い、其の之を女道の名存し、以て父母兄弟の家に歸しむも、亦是れ未だ了當と爲さず、終に久しく未だ悔吝を免れざるか。豈其の年齒尚少なく容貌未だ衰えざる者は各々本家に歸し、尊長の命に聽從し、媒娉を公行し、便に從い昬嫁し、以て先王禮義の敎に復し、以て人道性情の常に遵い、魔佛の妖言を息め、淫亂の汚俗を革めしむるに若ず。豈美ならずや。如し昬嫁に必ず聘定賚送の費有ると云わば、則ち脩道も亦庵舎衣鉢の資有り、父母爲る者は家の豊儉に隨い、此へ移し彼と爲す。亦何ぞ可ならざらん。豈私憂過計苟も目前に徇いて、其の男女孤單愁苦依託する所無ければ、以て邪僻の行鞭撻の刑に陷らんや。凡そ我が長幼悉く此の言を聽き、反復深思し、後悔を貽ること無からん故に榜す。百。

これは朱子のちゃぐちうの奉行のときなり。ちゃぐちうに唐音。漳州なり。ちゃうちうと云処、上総の七里法花のやふな処。比丘尼沢山な国なり。牓は、朱子奉行ゆへにふだを立たことなり。蓋聞人之大倫夫婦居一。三綱と云は父を始に立ることなれとも、孔子の序卦にも有夫婦而後有父子とあり、由来を出すには夫婦が先へ立。分と云が大切なり。とんとあたり前かある。男は女房もつはづのこと。女は夫もつはづのこと。これが先王の政。ちっともかわらぬ、分の定ったこと。天地のなりなり。有婦は女の嫁すること。詩經の是子此帰の歸なり。後世まてもここは動かぬやふに立てあるそ。有媒者有娉以相配偶。子ともが何人あろふとも、をれが子ゆへ勝手次第に比丘尼にしやふの、いかほと下人でもけいせいに賣ふのと云ことはならぬ。媒人と云が立て、それ々々に世話をさせることなり。後世は面々のすき次第かきちらしたやふで、天地の体も先王の法もらしはないぞ。先王のときは上下一統に法制ありて、急度配偶して天地なりに立ことなり。
【解説】
「勸女道還俗牓曰、蓋聞、人之大倫夫婦居一。三綱之首理不可廢。是以先王之世、男各有分、女各有歸、有媒、有娉、以相配偶」の説明。三綱は父を始めに立てるが、由来を出す時には夫婦が先に立つので、ここは「人之大倫夫婦居一」と出た。配偶は先王の政であり、分の定まったこと。媒人が立って、その世話をする。
【通釈】
これは朱子のちゃぐちゅうの奉行の時のこと。ちゃぐちゅうは唐音で、漳州のこと。漳州という処は上総の七里法華の様な処で、比丘尼が沢山いる国である。「牓」は、朱子が奉行なので札を立てたこと。「蓋聞人之大倫夫婦居一」。三綱は父を始めに立てるが、孔子の序卦にも「有夫婦而後有父子」とあり、由来を出すには夫婦が先に立つ。「分」というのが大切である。実に当たり前なことがある。男は女房を持つ筈のこと。女は夫を持つ筈のこと。これが先王の政で、少しも変わらず分の定まったこと。これが天地の姿である。「有帰」は女の嫁すこと。詩経の「之子于帰」の帰である。後世までもここは動かない様に立ててある。「有媒者有娉以相配偶」。子供が何人あろうと、俺の子なので勝手次第に比丘尼にしようとか、どれほどの下人でも傾城に売ろうということはならない。媒人が立って、それぞれに世話をさせる。後世は面々が好き次第に掻き散らかした様で、天地の体も先王の法も埒がなくなった。先王の時は上下一統に法制があって、しっかりと配偶して天地の通りに立っていた。
【語釈】
・有夫婦而後有父子…易経序卦伝。「有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮儀有所錯」。
・是子此帰…詩経国風。「之子于歸」。
・けいせい…傾城。遊女。

男正於外女正於内。ここは礼書を受て位すと書ことなれども、下々へ示すはりふだゆへ、正すとばかりそ。身脩家齊風俗嚴整。此嚴整の字を大切にみよ。田舎かるいもののちょと講席へ出た上ても、人の羽織をふまず、草履をもはきかへぬ。これは瓉細なことなれども、此様につつしむは人の心術にあつかるぞ。されとも、風俗わるさに草履などのどふてもよさそふなことをさへつつしむに、まして大倫男女の分がらしもないことになってぞうりとは別段になり、つひはきかへる様になるはにが々々しいこと。嗣續分明。ここの分明と云字をも大切にみよ。公儀の御法度にも實子たりとも筋なき者に家督ならぬとある。詩經にも非行株杯順河南の類か嗣續分明でない。
【解説】
「是以男正乎外、女正乎内。身脩家齋風俗嚴整嗣續分明」の説明。田舎の軽い者でも講席で草履を履き違えたりはしないものだが、風俗が悪くなると、大倫男女の分までが埒もないことになる。
【通釈】
「男正於外女正於内」。ここは礼書を受けて位すと書くところだが、下々へ示す張り札なので、正すいうだけである。「身修家斎風俗厳整」。この厳整の字を大切に見なさい。田舎の軽い者でも一寸講席へ出た上でも、人の羽織を踏まず、草履をも履き違えない。これは瑣細なことだが、この様に慎むのは人の心術に与ること。しかしながら、風俗が悪くなると、草履などのどうでもよさそうなことでさえ慎むにも関わらず、ましてや大倫男女の分が埒もないことになって、草履とは別段なことになり、つい違える様になるのは苦々しいこと。「嗣続分明」。ここの分明という字も大切に見なさい。公儀の御法度にも、実子たりとも筋なき者に家督はならないとある。詩経にもある「匪適株林、従夏南」の類が嗣続分明ではない。
【語釈】
・筋なき…血筋がちゃんとしていない。
・非行株杯順河南…詩経国風株林。「胡爲乎株林、從夏南。匪適株林、從夏南。駕我乘馬、説于株野。乘我乘駒、朝食于株」。

人心和と云も出家沙門の自然てない道にわりこまれるから、それに移りてくる。とかく物にうつらぬやふにすれば人心和平になるもの。管仲が齊国を治めるにも、異端を見て不遷と云ことある。児共はうつるものなり。駒之助が二本さしたを見ると、ここらの百姓の小児がはやをれもあの様にと思ふ。若ひものか江戸ものが来ると髪の結やうを見て、あのやふに結ふてくれよと云。これわりこまれたのなり。そうものにうつると何を見てもその通りなり。そこを男各有分女各有婦と分できめる。六具かきまるとうつらぬ。人心和平と云ふも風俗嚴整からでなくてはならぬ。門覚がわたるが女房を引たくらふとして殺し、それから出家した。とふして和平であらふぞ。
【解説】
「人心和平」の説明。とかく物に移らない様にすれば「人心和平」になるもの。そこで、「男各有分女各有婦」と分で決める。風俗厳整で決めるのである。
【通釈】
「人心和」と言っても、出家沙門の自然でない道に割り込まれるから、それに移って来る。とかく物に移らない様にすれば「人心和平」になるもの。管仲が斉国を治めるにも、異端を見て不遷ということがある。子供は移るもの。駒之助が刀を差しているのを見ると、ここ等の百姓の小児が早くも俺もあの様になりたいと思う。江戸者が来ると、若い者がその髪の結い様を見て、あの様に結ってくれと言う。これが割り込まれたのである。その様にものに移ると何を見てもその通りになる。そこを「男各有分女各有婦」と分で決める。六具が決まると移らない。人心和平も風俗厳整からでなくてはならない。文覚が源渡の女房を引っ手繰ろうとして殺し、それから出家をした。それでどうして和平であるものか。
【語釈】
・駒之助…
・異端を見て不遷…
・門覚…文覚。平安末~鎌倉初期の真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠。もと北面の武士。誤って袈裟御前を殺して出家し、熊野で苦行。後に高雄山神護寺を中興。東寺大修理を主導したほか、源頼朝の挙兵を助勢。幕府開創後その帰依を受けたが、頼朝没後佐渡に流され、三年後召還される。1139~1203
・わたる…源渡。袈裟御前の夫。

百物順治。人の心が正しければ、物がそれなりになる。ここは中庸首章のみれは、佛法も人の心があぢに成るは自然てないからそ。先生の、道の廃れた処をここぞよい処とて出てきた。惣たい面白ことでも、工面のよいことてなければ人心のらぬものなり。をとし噺が上手じゃから、普請して此村にをこふとは云はぬ。道春の切支丹のことをかかれたに、人の亭主を見ては金のたまることをとき、人の女房を見ては亭主に妾をもたぬことをとくとあり、それに人心が服するそ。羅山文集の中ても道春のけいざいなと、あんな処をかいてをいた。今日文者が文がどふじゃの詩がどふしゃのと云て、道春の書中、經済にあつかる処などはざっと通ず。又、石原先生の切支丹は御法度になり、外の宗旨は立てあるが、人心を惑乱するは同しこと。片々は幸、片々は不幸となり。それゆへ人心と云が政の根なり。孟子の正人心熄詖行とあるを、そのとふらくするも人心のことなり。子ともを外へ出さずともどふらくになり、れき々々の御姫さまはなとと云ものか奧に居ても、淫乱なは淫乱になる。そこは人心の惑乱したのなり。先生の、政の難有と云ふは其人心かよくなる。佛か慈悲を第一にするか、かんじんの心のつりあいをくるわせる。
【解説】
「百物順治」の説明。人の心が正しければ、物もその通りになる。道楽や淫乱は人心が惑乱したのである。人心が政の根であり、また、政で人心がよくなる。
【通釈】
「百物順治」。人の心が正しければ、物もその通りになる。ここは中庸首章を見るとわかるが、仏法も、それで人の心が悪くなるのは自然でないからである。先生が、道の廃れた処で、ここがよい処だと言って仏が出てきたと言った。総体、面白いことでも、工面がよくなければ人心は乗らないもの。落とし話が上手だから、普請してこの村に置こうとは言わない。道春が切支丹のことを書かれたが、人の亭主を見ては金の貯まることを説き、人の女房を見ては亭主に妾を持たせないことを説くとあり、それに人心が服する。羅山文集の中でも、道春の経済などはあの様な処を書いて置いた。今日の文者が文がどうだの詩がどうだのと言って、道春の書中で経済に与る処などはざっと通す。また、石原先生が、切支丹は御法度になったので外の宗旨を立ててはあるが、人心を惑乱するのは同じこと。片方は幸、片方は不幸だと言った。それで、人心というのが政の根となる。孟子に「正人心、息邪説、距詖行」とあるが、道楽をするのも人心のこと。子供を外へ出さなくても道楽になったり、歴々の御姫様などという者が奧にいても、淫乱なのは淫乱になる。そこは人心が惑乱したのである。先生が、政の有難いのはその人心がよくなるからだと言った。仏は慈悲を第一にするが、それで肝心の心の釣り合いを狂わせる。
【語釈】
・道春…林羅山。江戸初期の幕府の儒官。名は忠・信勝。僧号、道春。京都の人。藤原惺窩に朱子学を学び、家康以後四代の侍講となる。また、上野忍ヶ岡に学問所および先聖殿を建て、昌平黌の起源をなした。多くの漢籍に訓点(道春点)を加えて刊行。1583~1657
・正人心熄詖行…孟子滕文公章句下9。「我亦欲正人心、息邪説、距詖行、放淫辭、以承三聖者。豈好辯哉。予不得已也」。

使人男大不婚、女長不嫁。この点も人をしてとすべし。人家をしての意なり。男大ても婚礼せず、女長不嫁。とかく人の生きて居るはかぎりがあるが、先きの世はかぎりがないゆへ、とかく来世が大事と云てだますゆへ、どふもならぬなり。若ひ男女も一旦きひていかさまと思ひ、又、隣の若ひ男女の若使擧世之人盡從其説、則不過百年、便無人種。まだ出家沙門は多ひとてもそれでもすむが、世門の人が皆そふなると人種はつきる。先頃の宇宙の章は佛の心へつき付て理で弁ずるゆへ、あふなれば人種はつきると云ては要領でない。ここは經済ゆへ無人種と云か親切の排釈なり。殊にかるい百姓町人へ示すことゆへ、あちの通りが天下に及んだならば、人種はつきるであらふときめれはいかにも感服することなり。されともそれを佛者の方へ出して相談をかけるとあざ笑て、また和尚がその上へをだますゆへ、ひくい談義坊主てからがいかふ經済の邪魔になることなり。されども經済者も人心まてにはかまわぬてすんたもの。
【解説】
「使人男大不婚、女長不嫁、謂之出家脩道、妄希來生福報。若使舉世之人盡從其説、則不過百年、便無人種、天地之間莾、爲禽獸之區、而父子之親、君臣之義、有國家者所以維持綱紀、之具皆無所施矣」の説明。現世には限りがあるが来世は限りないから、来世が大事だと言って仏が騙し、人を出家させようとする。それでは男は婚せず、女は嫁がなくなり、人種が尽きる。
【通釈】
「使人男大不婚、女長不嫁」。この点も人をしてとしなさい。人家をしての意である。「男大」でも婚礼せず、「女長不嫁」。とかく人の生きているには限りがあるが、先の世は限りがない、とかく来世が大事だと言って騙すので、どうにもならない。若い男女も一旦聞いていかにもそうだと思い、また、隣の若い男女の。闕文があるか?「若使挙世之人尽従其説、則不過百年、便無人種」。まだ出家沙門は多いとしてもそれでも済むが、世門の人が皆そうなると人種は尽きる。先頃の宇宙の章は仏の心へ突き付いて理で弁ずるものなので、あの様になれば人種は尽きると言っては要領を得ない。ここは経済のことなので、無人種と言うのが親切な排釈である。殊に軽い百姓や町人へ示すことなので、あちらの通りが天下に及べば人種は尽きるだろうと決めればいかにも感服すること。しかしながら、それを仏者の方へ出して相談を掛けると嘲笑って、また和尚がその上を騙すので、卑い談義坊主からして大層経済の邪魔になる。しかし、経済者も人心までは構わなかったのでこの様になったのである。
【語釈】
・宇宙の章…朱子文集70。

幸而從之者少、彜倫得不殄滅。これは幸で児共をのこらず出家比丘尼にしよふとも云はぬは彜倫の殄滅せぬ処なり。朱子のときよりまだ今日の方は甚しいが、それでもそふ々々出家にはならぬもの。ここは天地の常理の無窮と云へし。其從之者、又庸家之流。從之者と云は、若ひ男女ふひとたまされて出家比丘尼になったものを云。見たことありてのことてない。ただ出家したらよかろふと思ふが、やはり又庸下之流なり。此邊の小僧でも天窓をそりさへすれば得道と名乘るそ。人があの僧はと聞くと、あれは比村の得道でござると云もをかしきことそ。又それに似たことあり。ここらの婆が今日は佛の日と云。吾が夫の日なり。これは僭穪なり。羅漢さへまだ羅漢て居るそふなに、彌太や平太か忌日を佛けの日とはをかしい。皆庸下之趣きなり。雖惑其言、而不能通其意。これてはをかしい。今ま下々が談義に往て、唯有がたい々々々々と云か何のわけやらそれはしらぬ。雖悦其名、而不能踐其實。法花宗も淨土宗も極樂や浄土へゆくことなれとも、心之ない。其実か踐れぬ。迂斎の、無常と云なから土藏を建ると云へり。垩人之道入耳存乎心蘊之為德行と云やふな実事はない。小僧の内はあいらしい声で經をよむが、大きくなるとかて々々わるくなるそ。
【解説】
「幸而從之者少、彝倫得不殄滅、其從之者、又皆庸下之流。雖惑其言、而不能通其意、雖悦其名、而不能踐其實」の説明。人が皆出家になるわけでないのは、彜倫の残滅しない処があるからである。出家さえすればよいことがあると思ったり、頭を剃りさえすれば得道と思うのは「庸下之流」である。拝むばかりでそのわけも知らない。心がないから実を踐めないのである。
【通釈】
「幸而従之者少、彜倫得不残滅」。これは幸いで、子供を残らず出家や比丘尼にしようとも言わないのは彜倫の残滅しない処があるからである。朱子の時よりもまだ今日の方が甚だしいが、それでもそうそうは出家にならないもの。ここは天地の常理の無窮なところ。「其従之者、又皆庸下之流」。従之者は、ふいと騙されて出家比丘尼になった若い男女を言う。見たことがあってのことではない。ただ出家したらよいだろうと思うのが、やはり「又庸下之流」である。この辺りの小僧でも、頭を剃りさえすれば得道と名乗る。人があの僧はと聞くと、あれはこの村の得道ですと言うのも可笑しいこと。またそれに似たことがある。ここ等の婆が今日は仏の日と言う。自分の夫の忌日である。これは僭称である。羅漢でさえまだ羅漢でいるそうなのに、弥太や平太が忌日を仏の日と言うのは可笑しいこと。皆庸下の趣きである。「雖惑其言、而不能通其意」。これでは可笑しい。今下々が談義に行って、ただ有難いと言うが、何のわけがあるのかそれは知らない。「雖悦其名、而不能踐其実」。法華宗も浄土宗も極楽や浄土へ行こうとするものだが、心がない。その実を踐めない。迂斎が、無常と言いながら土蔵を建てると言った。「聖人之道、入乎耳、存乎心。蘊之為徳行」という様な実事はない。小僧の内は愛らしい声で経を読むが、大きくなると酷く悪くなる。
【語釈】
・垩人之道入耳存乎心蘊之為德行…近思録為学2。「聖人之道、入乎耳、存乎心。蘊之爲德行、行之爲事業。彼以文辞而已者、陋矣」。

情竇日開中、雖悔於出家、外又慚於還俗。出家を悔てもどふもならぬ。そんなら還俗せよ、こちのむこにしようと云へば、心中では悦でも耻ヶ鋪て還俗はされず、里の友達は髪黒々とひからかせども、こちのあたはくるりと刺てあれば心持もよくない。尼はかんざしもさされぬ。於是不昏之男、無不盗人之妻。不嫁之女、不肆爲淫行。ここであちでも寄合がついた。だん々々心を相談したときに、どふても還俗もならぬゆへ、つい内々で不埒をする。これも余義ないことなり。不嫁之女、不肆爲淫行。これも漳州のとほふもない。からい鎌倉の尼寺の様なればそんなことはないか、とうしてもちゃぐちうは上総めいたぞ。じたらく淫行も後にははれてするやふになる。あちも初手はそふもあるまいが、根がつまらぬゆへぞ。とかく風俗はくづれやすいものなり。
【解説】
「血氣既盛、情竇日開中、雖悔於出家、外又慚於還俗。於是不昬之男、無不盗人之妻。不嫁之女、不肆爲淫行」の説明。出家を悔いても、恥ずかしくて還俗もできない。そこで内々で不埒をして、後にはそれを平気でする様になる。とかく風俗は崩れ易い。
【通釈】
「情竇日開中、雖悔於出家、外又慚於還俗」。出家を悔いてもどうにもならない。それなら還俗しなさい、私の壻にしようと言うと、心中では悦んでも恥ずかしくて還俗はできず、里の友達は髪黒々と光らかしても、自分の頭はくるりと剃っていれば心持ちもよくない。尼は簪も挿せない。「於是不昬之男、無不盗人之妻。不嫁之女、不肆為淫行」。ここであちらでも寄り合いがついた。段々と心を相談した時に、どうしても還俗ができないので、つい内々で不埒をする。これも余儀のないこと。「不嫁之女、不肆為淫行」。これも漳州だから途方もなくなる。厳しい鎌倉の尼寺の様なところならその様なことはないが、どうも漳州は上総めいている。自堕落や淫行も後には平気でする様になる。あちらも初手はそうでもないだろうが、根がつまらないからである。とかく風俗は崩れ易いもの。

官司縦而不問、則風俗日敗、悉繩以法、則犯者多。官司もさま々々であらふ。公儀へ申上る六ヶ鋪と思て見遁しするもあり、あれも余義ないと見すてるもあり、我佛を好む方からは、あれでも出家だにすれば末はよいと思ふてすててをくもあり、ゆるしたゆへ日々にわるくなったもの。是雖其人不能自謀、輕信邪説以至於此云云。其人とは出家した男女なり。輕信邪説。何の了簡分別なく出家尼になったもの。されども後には肆に淫行を為し、耻を耻と思はぬ。中々よいものと思ふもあらふが、初手は了簡なしでなったものであらふ。すれば親共がつまらぬとせめたもの。古今このやふなことは、父母をせめると云がのがれぬことなり。又人情でもみよ。同し我子ても、一人はけさ衣を着てそこへ来、一人は上下てそこへ来ると、親の心では出家させたがあわれになり、武士にしたがうら山しくなるもの。又八つ九つの律義な小僧などか宿へ来たとき、雜煮に鰹節でもしらぬふりしてかけて出すを見付ては子のける抔を見ると、親はそのとき泪になるものなり。惣たい僧にするの傾城に賣るのと云はかるいものがするもの。かるいものは當座の苦をのがれることばかり深い。謀はないものなり。そこでその処を奉行なり。奉行に心ある人があれは、か子てから左様のことのないやふに仕むけやるそ。
【解説】
「官司縦而不問、則風俗日敗、悉繩以法、則犯者已多。是雖其人不能自謀、輕信邪説以至於此、亦其父母不能爲其兒女計慮乆遠」の説明。仏に入るのは親をつまらないものとして責めた者である。人情からも親は仏を哀れに思うもの。また、僧になるのは軽い者が当座の苦を逃れようとしてのことだから、心ある奉行がいれば、その様な苦のないことを予めして置くことができる。
【通釈】
「官司縦而不問、則風俗日敗、悉繩以法、則犯者多」。官司も様々だろう。公儀へ申し上げるのは難しいと思って見逃しにする者もあり、あれも余儀ないと見捨てる者もあり、我が仏を好む方から、あれでも出家さえすれば末はよいと思って棄てて置く者もあり、その様に仏を許したので日々に悪くなったのである。「是雖其人不能自謀、軽信邪説以至於此云云」。「其人」は出家した男女のこと。「軽信邪説」。何の了簡も分別もなく出家や尼になった。しかしながら、後には肆に淫行をして、恥を恥と思わない。仏は中々よいものだと思う者もいるだろうが、初手は了簡なしになったのだろう。それなら、彼等は親共がつまらないと責めたもの。古今この様なことでは、父母を責めるということが逃れられないこと。また人情でも見なさい。同じ我が子でも、一人は袈裟衣を着てそこへ来、一人は裃でそこへ来ると、親の心では出家させたのが哀れになり、武士にしたがの羨ましくなるもの。また、八つ九つの律儀な小僧などか宿へ来た時に、雑煮に鰹節でも知らない振りをしてかけて出せば、鰹節を見付けて跳ね除けるなどを見ると、親はその時泪目になるもの。全体、僧にするとか傾城に売ると言うのは軽い者がするもの。軽い者は当座の苦を逃れることばかりを思って謀はないもの。そこでその処を奉行がする。奉行に心ある人がいれば、予てからその様なことのない様に仕向けて遣る。

究觀本末、情實可哀。かの下々の何の深い了簡もなしにしたことか後々になりては氣の毒たらけになりた。あとさきをもふてみれは愚民とものこと、さて々々むこいことなり。此當職前日之榜、所以不憚於丁寧也。當職と云は朱子御手前のことなり。前日ふだを出したれともまたそふならぬは、往とどかぬ処がありた。そこで箸でくくめるやふに出家したものとも還俗したときこう、比丘尼還俗したゆきがたこうと細かにあと々々のことを手當して出された。最初のは女道還俗となかった。存女道之名と云は最初のふだにはたた十八九ほとの比丘尼が菴をもって居る。見苦しくあぶないことともじゃ。それを若いのは親の方へ引とれと斗りで、あとのこまかなことがなかったゆへ、只親の処に比丘尼でかかって居ては悔吝するはづなり。これがもとの牓なり。未為了當とは、またそれでは下々いかにもと得心せまい。
【解説】
「之罪究觀本末、情實可哀。此當職前日之榜、所以不憚於丁寧也。然昨來告戒未行、只縁區處未廣。今復詳思、與其使之存女道之名、以歸父母兄弟之家、亦是未爲了當、終久未免悔吝」の説明。初めの札は、若い者は親が引き取れとあるだけで後の細かなことがなかった。それでは悔吝する筈である。そこで、還俗の後の手当の仕方を出した。
【通釈】
「究観本末、情実可哀」。下々の何の深い了簡もなしにしたことが、後々になっては気の毒だらけになった。後先を思って見れば愚民共のことは実に酷いことである。「此当職前日之榜、所以不憚於丁寧也」。「当職」は朱子御自身のこと。前日に札を出したが、まだそうならないのは、行き届かない処があったから。そこで箸で括める様に、出家した者共が還俗した時はこう、比丘尼が還俗した時の行き方はこうと細かに後々のことを手当して出された。最初の札には女道還俗とはなかった。「存女道之名」。最初の札にはただ十八九ほどの比丘尼が庵を持っているのは見苦しくて危ないことだから、それで若い者は親の方へ引き取れとだけで後の細かなことがなかった。ただ親の処に比丘尼が出掛かっているのでは悔吝する筈である。これが元の牓である。「未為了当」は、それではまだ下々がいかにもそうだとは得心しないということ。

豈若使其年歯尚少容貌未哀有各帰本家、聽從尊長之命、公行媒娉、從便昬嫁。豈若から今度の牓なり。尊長と云て、父母とかぎらぬがよい。其家の叔父ても姪でも從兄でもなり。主人たるもののことなり。容貌衰えざるものはそうをうに媒を取て婚礼し、先王の礼の教にかへり、革淫乱之汚俗。これを佛者の方へもたせてやりたいものなり。此方にどこにそんなことがあらふぞと云をふが、隨分あるなり。漳州にはありた。神道をさへ鶺鴒を見て交通を悟ったと、神垩でさへそれなり。まして小僧小比丘尼なり。犬や鶏の交會するを見ても淫性の発らぬことはあるまいなり。兎角區処了當と云があって、これがなく、ただ云付てはととかぬもの。これは其村の役人の世話せ子はならぬことなり。婚礼をするにも言定の結納のと云があって、物の入ることなれとも、出家□てもけさ衣などと云は、七乘一つでも婚礼の物入ほどでるかある。
【解説】
「豈若使其年齒尚少容貌未衰者各歸本家、聽從尊長之命、公行媒娉、從便昬嫁、以復先王禮義之敎、以遵人道性情之常、息魔佛之妖言、革淫亂之汚俗。豈不美哉。如云昬嫁必有聘定賚送之費、則脩道亦有庵舎衣鉢之資、爲父母者隨家豊儉、移此爲彼。亦何不可」の説明。本家に帰って主人を尊び、容貌の衰えない者は相応に媒を取って婚礼をする。その婚礼も物入りだが、出家をするにも金が要る。
【通釈】
「豈若使其年歯尚少容貌未衰有各帰本家、聴従尊長之命、公行媒娉、従便昬嫁」。「豈若」からが今度の牓である。「尊長」は父母と限らないのがよい。その家の叔父でも姪でも従兄でもこれである。主人たる者のこと。容貌の衰えない者は相応に媒を取って婚礼し、先王の礼の教えに戻って、「革淫乱之汚俗」。これは仏者の方へ持たせて遣りたいもの。仏の何処にその様なことがあるかと言うだろうが、随分とある。漳州にはあった。神道でさえ鶺鴒を見て交通を悟ったと言う。神聖でさえそれである。ましてや小僧小比丘尼である。犬や鶏の交会するのを見ても淫性の発らないことはないだろう。とかく区処了当ということがあって、これがなくてただ言い付けるのでは届かないもの。これはその村の役人が世話をしなければならないこと。婚礼をするにも言い定めや結納ということがあって、物入りなことだが、出家をするにも袈裟衣などというのは、七条一つでも婚礼の物入りほど出るものがある。
【語釈】
・七乘…七条の袈裟。三衣の一。七幅を横に綴ってつくった袈裟。後には綾羅錦繍の華麗なものを用いる。鬱多羅僧。

可憂過計苟徇目前、而使其男女孤單愁苦無所依託、以陷邪僻之行鞭撻之刑。私憂過計。一たん出家したことをやめるをいやがって、上から仰付なれとも、當年の旱損其上何々の物入が有てなぞとさま々々の言立をするものなり。男女孤単。凡物單則動くと、どこそか語類にもありた。若ひ者が久敷在番する、労咳をやみ出すも天地自然でない。孤單なり。天地自然の道理で草木の生もも、どの様な結搆な種でも長持でははへぬなり。人はだたい夫婦あるはづのもの。ひとりではならぬ。どふらくむすこも娵を取てからなをったと云か多ひ。孤單てをちつく東波、薄々の酒も茶湯にまさる。醜妻悪妾も空房にまさる。孤單でないを云。天地自然なり。これも豶豕之牙吉也じゃ。きめ処をきめるとあれらがうごかれぬ。邪僻之行鞭撻之刑。あちにも淫僻の刑と云てしたたかな仕置がある。丁と日本橋へさらすやふにされる前に淫乱之汚俗を革るに、如しやと云て、ここて又それを免れるから、親共せい出してかたつけてやれとなり。凡我長幼悉聽此言、反復深思、無貽後悔故榜。このふだを只一と通りと思ふのではない。深思へ。一朝一夕のことではない。只一と通り、奉行がこはいの何のと云ことではならぬと、これが朱子の經済なり。それをここへとられたが、直方先生の經斎の排釈なり。我と云字は親切ぞ。奉行は百姓の主なり。古靈の陳先生も吾民たる者とかいた。朱子の我とかかれたは学者からは西銘の氣象そ。
【解説】
「豈可私憂過計苟徇目前、而使其男女孤單愁苦無所依託、以陷邪僻之行鞭撻之刑哉。凡我長幼悉聽此言、反復深思、無貽後悔故榜」の説明。「孤単」は天地自然ではないので、一人では悪い。親が精出して片付けなければならない。札に朱子が我長幼と書いたのには、西銘の気象がある。
【通釈】
「可憂過計苟徇目前、而使其男女孤単愁苦無所依託、以陥邪僻之行鞭撻之刑」。「私憂過計」。上からの仰せ付けであっても、出家を止めることを嫌がり、当年の旱損、その上何々の物入りがあってなどと様々な言い立てをするもの。「男女孤単」。「凡物単則動」と、語類の何処かにもあった。若い者が久しく在番をすると労咳を病み出すのも天地自然でないからである。孤単である。天地自然の道理で草木は生へるもの。どの様な結構な種でも長持の中では生えない。人はそもそも夫婦がある筈のもの。一人ではならない。道楽息子も娵を取ってから治ったというのが多い。孤単で落ち着く蘇東坡が、薄い酒も茶湯に勝る、醜妻悪妾も空房に勝ると、孤単でないことを言う。天地自然である。これも「豶豕之牙吉也」である。決め処を決めるとあれ等が動けない。「邪僻之行鞭撻之刑」。あちらにも淫僻の刑と言い大層な仕置きがある。丁度日本橋へ晒す様にされる前に淫乱之汚俗を革めるのに、もしやと言って、ここでまたそれを免れるから、親共が精出して片付けて遣れと言う。「凡我長幼悉聴此言、反復深思、無貽後悔故榜」。この札をただ一通りのことと思ってはならない。深く思え。一朝一夕のことではない。ただ一通り、奉行が恐いの何のということではならないと、これが朱子の経済である。それをここへ採られたのが、直方先生の経済の排釈である。「我」という字は親切である。奉行は百姓の主。古霊の陳先生も吾民たる者と書いた。朱子が我と書かれたのは学者から言えば西銘の気象である。
【語釈】
・凡物單則動く…朱子語類易1。「天下之理、單便動、兩便靜。且如男必求女、女必求男、自然是動。若一男一女居室後、便定」。
・薄々の酒も茶湯にまさる。醜妻悪妾も空房にまさる…蘇軾。「薄薄酒、勝茶湯。麄麄衣、勝無裳。醜妻惡妾勝空房」。
・豶豕之牙吉也…易経大畜。「六五。豶豕之牙。吉」。
・陳先生…
・西銘…張横渠著。近思録為学89。