排釋録

1
異端之害道、如釋氏者極矣。以身任道者、安得不辯之乎。如孟子之辯楊墨、正道不明、而異端肆行、周孔之敎將遂絶矣。譬如火之焚將及身。任道君子豈可不拯救也。朱子語類百二十六。
【読み】
異端の道を害する、釋氏が如きは極まるかな。身を以て道を任ずる者は、安んぞ辯ぜざることを得んや。孟子の楊墨を辯ずるが如きは、正道明かならず、異端肆に行われ、周孔の敎將に遂に絶んとす。譬えば火の焚え將に身に及ばんとするが如し。道を任ずる君子豈拯救せざる可けんや。朱子語類百二十六。

2
○今人見佛老家之説者、或以爲其説似勝吾儒之説。或又以爲彼雖説得不是、不用管他。此皆是看他不破、故不能與之辯。若眞箇見得是害人心、亂吾道、豈容不與之辯。所謂孟子好辯者、非好辯也。自是住不得也。五十五。
【読み】
○今人佛老家の説を見るは、或いは以て其の説の吾が儒の説に似ると爲し、或いは又以て彼の説得て是ならずと雖も、他を管することを用いざると爲す。此れ皆是れ他を看て破らず、故に之と與に辯ずること能わず。若し眞箇に是れ人心を害し、吾が道を亂すを見得ば、豈之と與に辯せざるを容ん。謂う所の孟子の辯を好むは、辯を好むに非ざるなり。自ら是れ住り得ざるなり。五十五。

3
○儒之不闢異端者、謂如有賊在何處、任之、不必治。百二十六下同。
【読み】
○儒の異端を闢かざるは、謂わば賊の何の處に在るに有りて、之に任せ、必ず治めざるが如し。百二十六下同。

4
○某人言、天下無二道、聖人無兩心。儒釋雖不同、畢竟只是一理。某説道、惟其天下無二道、聖人無兩心、所以有我底著他底不得、有他底著我底不得。若使天下有二道、聖人有兩心、則我行得我底、他行得他底。
【読み】
○某の人言う、天下に二道無く、聖人に兩心無し。儒釋同じからずと雖も、畢竟只是れ一理、と。某説道す、惟其の天下に二道無く、聖人に兩心無きは、我底有りて他底に著き得ず、他底有りて我底に著き得ざる所以なり。若し天下に二道有り、聖人に兩心有らしむれば、則ち我は我底を行い得、他は行得他底を行い得るなり。

5
○學佛者嘗云、儒佛一同。某言、儞只認自家説不同。若果是、又何必言同。只這靠傍底意思、便是不同。便是儞底不是、我底是了。
【読み】
○佛を學ぶ者が嘗て云う、儒佛一同、と。某言う、儞は只自家は同じからずと説くを認めよ。若し果して是ならば、又何ぞ必しも同を言わん。只這れ靠傍底の意思、便ち是れ同じからず。便ち是れ儞の底是ならざれば、我が底は是に了る。

6
○答李深卿書曰、儒釋正邪之異、未易以口舌争。但見得分明、則觸事可辨。今未暇遠引。且以來敎所擧中庸首章論之、則吾之所謂一者、彼以爲二、吾之所謂實者、彼以爲虚。其邪正得失於此已判然矣。然世之學者於吾學初未嘗端的用功、而於彼説顧嘗著力研究。是以於彼説日見其高妙、而視吾學爲不足爲。滔溺益深、則遂不復自知其爲滔溺。是雖以孟子之辯守而告之、恐未易抜。而況今日才卑德薄之人乎。然有一於此。疑若可捄。蓋天理人心自有至當。我順彼逆體勢不侔。是以爲吾學者深拒力排、未嘗求合於彼、而爲彼學者支辭蔓説惟恐其見絶於我。是於其心疑亦有所不安矣。誠如是也、則莫若試於吾學求其所以用力者、如往時之一意於彼而從事、焉假以歳時不使間斷。則庶乎其可以得本心之正、而悟前日之非矣。朱子文集四十五。
【読み】
○李深卿に答うるの書に曰く、儒釋正邪の異は、未だ口舌を以て争うこと易からず。但見得て分明なれば、則ち事に觸れて辨ず可し。今未だ遠引に暇あらず。且つ來敎の擧ぐる所の中庸首章を以て之を論ずれば、則ち吾の謂う所の一なる者は、彼は以て二と爲し、吾の謂う所の實なる者は、彼は以て虚と爲す。其の邪正得失此に於て已に判然たり。然して世の學者吾學に於て初より未だ嘗て端的に功を用いずして、彼の説に於て顧て嘗て力を著け研究す。是を以て彼の説に於て日に其の高妙を見て、而して吾學を視て爲すに足らずと爲す。滔溺益々深くば、則ち遂に復自ら其の滔溺爲るを知らず。是れ孟子の辯を以て守りて之を告ると雖も、恐らくは未だ抜くこと易からず。而して況んや今日の才卑德薄の人をや。然して此に一有り。疑うらくは捄する可きが若し。蓋し天理人心自ら至當有り。我順彼逆體勢侔しからず。是れを以て吾學を爲す者は深拒力排、未だ嘗て彼に合うを求めずして、彼の學を爲す者は支辭蔓説惟其の我に絶つを恐る。是れ其の心に於て疑うは亦安せざる所有るなり。誠に是の如きなれば、則ち試みに吾學に於て其の力を用いる所以の者を求むるは、往時の彼に一意にして事に從うが如く、焉んぞ假に歳時を以て間斷せしめざるに若くは莫し。則ち其の以て本心の正を得て、前日の非を悟るを庶うなり。朱子文集四十五。

7
○佛老之學、不待深辯而明。只是廢三綱五常、這一事已是極大罪名。其他更不消説。語類百二十六下同。
【読み】
○佛老の學は、深辯するを待たずして明けん。只是れ三綱五常を廢す、這の一事已に是れ大罪の名を極む。其の他は更に説を消いず。語類百二十六下同。

8
○佛氏今不消窮究他。伊川所謂只消就跡上斷便了。他既逃其父母。雖説得如何道理、也使不得。如此、卻自足以斷之矣。
【読み】
○佛氏は今他を窮究するを消いず。伊川の謂う所の只跡上に就いて斷ずるを消いれば便ち了る。他に既に其の父母を逃る。如何なる道理を説き得ると雖も、也た使に得ず。此の如きは、卻て自から以て之を斷ずるに足る。

9
○釋氏之學、大抵謂、若識得透、應千罪惡、即都無了。然則此一種學、在世上乃亂臣賊子之三窟耳。王履道做盡無限過惡、遷謫廣中。剗地在彼説禪非細。此正謂其所爲過惡、皆不礙其禪學爾。百二十四。
【読み】
○釋氏の學は、大抵謂う、若し識得透れば、應千の罪惡は、即都て無し了る、と。然れば則ち此の一種の學は、世上に在る亂臣賊子の三窟のみ。王履道は限り無く過惡を做盡し、廣中に遷謫す。剗地に彼に在り禪を説くに細に非ず。此れ正に其の爲す所の過惡は、皆其の禪學に礙らずと謂うのみ。百二十四。

10
○釋老稱其有見、只是見得箇空虚寂滅、眞是虚、眞是寂無處、不知他所謂見者見箇甚底。莫親於父子。卻棄了父子。莫重於君臣。卻絶了君臣。以至民生彝倫之間不可闕者。他一皆去之。所謂見者見箇甚物。且如聖人親親而仁民、仁民而愛物。他卻不親親、而剗地要仁民愛物。愛物時、也則是食之有時、用之有節。見生不忍見死、聞聲不忍食肉。如仲春之月、犧牲無用牝、不麛、不卵、不殺胎、不覆巢之類、如此而已。他則不食肉、不茹葷、以至投身施虎。此是何理。百二十六。
【読み】
○釋老の其の見有るを稱すは、只是れ箇の空虚寂滅、眞に是れ虚、眞に是れ寂無の處を見得るのみ。知らず、他の謂う所の見は箇の甚に底を見るを。父子より親は莫し。卻って父子を棄了す。君臣より重きは莫し。卻って君臣を絶了す。以て民生彝倫の間は闕く可からざる者に至る。他は一に皆之を去る。謂う所の見は箇の甚に物を見る。且つ聖人の如きは親を親んで民を仁し、民を仁して物を愛す。他は卻って親を親しまずして、剗地に民を仁し物を愛するを要す。物を愛する時、也た則ち是れ之を食すに時有あり、之を用うるに節有り。生を見れば死を見るに忍ばず、聲を聞けば肉を食すに忍ばず。仲春の月、犧牲に牝を用いる無く、麛ならず、卵ならざれば、胎を殺さず、巢を覆さずの類の如きは、此の如きのみ。他は則ち肉を食わず、葷を茹ず、以て身を投じて虎に施すに至る。此れは是れ何の理ぞ。百二十六。

11
○答何叔京書曰、釋氏以儒者仁民之分愛物、而仁民反有未至。文集四十。
【読み】
○何叔京に答うる書に曰く、釋氏は儒者の民を仁するの分を以て物を愛して、民を仁するは反って未だ至らざる有り。文集四十。

12
○問、釋氏説慈、即是愛也。然施之不自親始、故愛無差等。先生曰、釋氏説無縁慈。記得甚處説、融性起無縁之大慈。蓋佛氏之所謂慈、並無縁由、只是無所不愛。若如愛親之愛、渠便以爲有縁。故父母棄而不養、而遇虎之飢餓、則捨身以食之。此何義理耶。語類百二十六下同。
【読み】
○問う、釋氏の慈を説くは、即ち是れ愛なり。然して之を施すに親より始めざる故に愛に差等無し。先生曰く、釋氏は無縁の慈を説く。甚の處は、性を融し無縁の大慈を起すと説くを記し得。蓋し佛氏の謂う所の慈、並に縁由無きは、只是れ愛せざる所無し。親を愛するの愛の若如きは、渠は便ち以て有縁と爲す。故に父母を棄て養わずして、虎の飢餓に遇っては、則ち身を捨てて以て之を食わす。此れ何の義理ぞ。語類百二十六下同。

13
○問、昔有一禪僧、毎自喚曰、主人翁惺惺著。大學或問亦取謝氏常惺惺法之語、不知是同是異。曰、謝氏之説地歩闊、於身心事物上皆有工夫。若如禪者所見、只看得箇主人翁便了、其動而不中理者、都不管矣。且如父子天性也、父被他人無禮、子須當去救、他卻不然。子若有救之之心、便是被愛牽動了心、便是昏了主人翁處。若如此惺惺、成甚道理。向曾覽四家録、有些説話極好笑、亦可駭。説若父母爲人所殺、無一舉心動念、方始名爲初發心菩薩。他所以叫主人翁惺惺著、正要如此。惺惺字則同、所作工夫則異、豈可同日而語。
【読み】
○問、昔一禪僧有りて、毎に自喚して曰く、主人翁惺惺著、と。大學或問亦謝氏常惺惺の法の語を取る、是れ同か是れ異かを知らず。曰く、謝氏の説は地歩を闊し、身心事物の上に於て皆工夫有り。禪者の見る所の若如きは、只箇の主人翁を看得て便ち了り、其れ動いて理に中らざるは、都て管せず。且つ父子の如き天性や、父他人に無禮せられば、子須く當に救い去るべく、他は卻って然らず。子若し之を救うの心有れば、便ち是れ愛に心を牽動して了らされ、便ち是れ主人翁を昏し了る處なり。若し此の如く惺惺すれば、甚の道理を成さん。向曾て四家録を覽て、些かの説話有り極めて好笑し、亦駭す可し。説に、若し父母の人の爲に殺す所、一つとして心を舉げ念を動かすこと無きは、方に始めて名づけて初發心の菩薩と爲す、と。他の主人翁惺惺著と叫ぶ所以は、正に此の如きを要す。惺惺の字は則ち同じくして、工夫を作す所は則ち異なり、豈日を同じくして語る可けんや。

14
○王質不敬其父母。曰、自有物無始以來、自家是換了幾箇父母了。其不孝莫大於是。以此知佛法之無父、其禍乃至於此。使更有幾箇如王質、則雖殺其父母、亦以爲常。佛法説君臣父子兄弟、只説是偶然相遇。趙子直戒殺子文末爲因報之説云、汝今殺他、他再出世必殺汝。此等言語、乃所以啓其殺子。蓋彼安知不説道、我今可以殺汝、必汝前身曾殺我。
【読み】
○王質其の父母を敬せず。曰く、有物無始自り以來、自家是れ幾箇の父母を換了し了る、と。其の不孝は是より大なるは莫し。此れを以て佛法の父を無する、其の禍は乃ち此に至るを知る。更に幾箇王質が如き有らしむるは、則ち其の父母を殺すと雖も、亦以て常と爲す。佛法の君臣父子兄弟を説くに、只是れ偶然相遇と説く。趙子は直に子を殺すを戒めるの文の末に因報の説を爲して云う、汝今他を殺す、他再び世に出て必ず汝を殺さん、と。此等の言語は、乃ち其の子を殺すを啓する所以なり。蓋し彼は安んぞ我今以て汝を殺す可くば、必ず汝の前身曾て我を殺さんと説道せざるを知らんや。

15
○老氏只是要長生節病。易見。釋氏於天理大本處見得些分數。然卻認爲己有、而以生爲寄。故要見得父母未生時面目。既見、便不認作衆人公共底。須要見得爲己有、死後亦不失、而以父母所生之身爲寄寓。譬以舊屋破倒、即自挑入新屋。故黄蘗一僧有偈與其母云、先曾寄宿此婆家。止以父母之身爲寄宿處、其無情義絶滅天理可知。當時有司見渠此説。便當明正典刑。若聖人之道則不然。於天理大本處見得是衆人公共底、便只隨他天理去、更無分毫私見。如此、便倫理自明。不是自家作爲出來、皆是自然如此。往來屈伸、我安得而私之哉。
【読み】
○老氏は只是れ長生は病を節するを要す。見易し。釋氏は天理大本の處に於て些かの分數を見得。然して卻て認めて己が有と爲して、而して生を以て寄と爲す。故に父母未生の時の面目を見得るを要す。既に見れば、便ち認めて衆人の公共底を作さず。見得るを己有りと爲し、死後も亦失わざるを須要して、父母の生ぜし所の身を以て寄寓と爲す。譬えるに舊屋破倒、即ち自ら新屋に挑入を以てす。故に黄蘗の一僧偈を其の母に與えること有りて云う、先曾て此の婆家に寄宿す、と。止々として父母の身を以て寄宿の處と爲すは、其れ情義を無にし天理を絶滅するを知る可し。當時の有司、渠が此の説を見る。便ち當に明かに典刑を正すべし。聖人の道の若きは則ち然らず。天理大本の處に於て是れ衆人公共底を見得ば、便ち只他の天理に隨い去き、更に分毫の私見無し。此の如ければ、便ち倫理自ら明なり。是れ自家作爲し出來にあらず、皆是れ自然に此の如し。往來屈伸、我安んぞ得て之を私せんや。

16
○答江德功書曰、所厚者謂父子兄弟骨肉之恩。理之所當然而人心之不能已者、今必外此而厚其身。此即釋氏滅天理去人倫、以私其身之意也。必若是而身脩、則雖至於六度萬行具足圓滿、亦無以贖其不孝不弟之刑矣。文集四十四。
【読み】
○江德功に答うる書に曰く、厚き所の者は、父子兄弟骨肉の恩を謂う。理の當に然るべき所にして人心の已むこと能わざる者は、今必ず此を外にして其の身を厚くす。此れは即ち釋氏の天理を去り人倫を滅し、以て其の身を私するの意なり。必ず是の若くして身を脩めば、則ち六度萬行具足圓滿に至ると雖も、亦以て其の不孝不弟の刑を贖う無きなり。文集四十四。

17
○答許生書曰、世衰道微異端蠭起、近年以來乃有假佛釋之似、以亂孔孟之實者。若曰儒釋之妙本自一同、則凡彼之所以賊恩害義傷風壞敎。聖賢之所大不安者、彼既悟道之後、乃益信其爲幻妄而處。之愈安、則亦不待他求、而邪正是非已判然於此矣。六十。
【読み】
○許生に答うる書に曰く、世衰道微異端蠭起は、近年以來乃ち佛釋の似たるを假り、以て孔孟の實を亂す者有り。若し儒釋の妙は本自ら一同と曰うは、則ち凡そ彼の恩を賊し義を害し風を傷り敎を壞する所以なり。聖賢の大いに安んぜざる所の者は、彼既に道を悟りての後、乃ち益々其の幻妄を爲すを信じて處る。之れ愈々安ければ、則ち亦他に求むるを待たずして、邪正是非已に此に判然たり。六十。

18
○答呉斗南書曰、佛學之與吾儒雖有略相似處、然正所謂貌同心異、似是而非者不可不審。明道先生所謂句句同事事合、然而不同者眞有味。非是見得親切、如何敢如此判斷耶。聖門所謂聞道。聞只是見聞玩索而自得之之謂。道只是君臣父子日用常行當然之理、非有玄妙奇特不可測知、如釋氏所云豁然大悟通身汗出之説也。如今更不可別求用力處。只是持敬以窮理而已。參前倚衡、今人多錯説了。故毎流於釋氏之説。先聖言此、只是説言必忠信行必篤敬、念念不忘到處常若見此兩事不離心目之間耳。如言見尭於羹見尭於牆。豈是以我之心還見我心、別爲一物、而在身外耶。無思無爲是心體本然未感於物時事。有此本領、則感而遂通天下之故矣。恐亦非如所論之云云也。所云禪學悟入乃是心思路絶天理盡見。此尤不然。心思之正便是天理流行、運用無非天理之發見。豈待心思路絶而後天理乃見耶。且所謂天理復是何物。仁義禮智豈不是天理。君臣父子兄弟夫婦朋友豈不是天理。若使釋氏果見天理、則亦何必如此悖亂殄滅一切昬迷其本心、而不自知耶。凡此皆近世淪滔邪説之大病。不謂明者亦未能免俗而有此言也。五十九。
【読み】
○呉斗南に答うる書に曰く、佛學の吾儒と略相似たる處有りと雖も、然れども正に謂う所の貌同心異にて、是れに似て非なる者を審かにせざる可からず。明道先生の謂う所の句句同事事合、然りして同じからざる者は眞に味有り。是れ見得て親切なるに非ざれば、如何ぞ敢て此の如く判斷せんや。聖門の謂う所の道を聞く。聞は只是れ見聞玩索して自ら之を得るの謂。道は只是れ君臣父子日用常行當然の理にて、玄妙奇特測知す可からざる、釋氏云う所の豁然大悟通身汗出の説の如きに有るに非ざるなり。如今更に別に力を用うる處求むる可からず。只是れ敬を持し以て理を窮むるのみ。前に參じ衡に倚り、今人多く錯説して了る。故に毎に釋氏の説に流る。先聖は此を言うに、只是れ言わば必ず忠信、行えば必ず篤敬、念念忘れず到る處常に此の兩事を見るが若く、心目の間を離れざるを説くのみ。尭を羹に見、尭を牆に見ると言うが如し。豈是れ我の心を以て還って我が心を見て、別に一物と爲して、身外に在んや。思うこと無く爲すこと無きは是れ心體本然の未だ物に感ぜざる時の事。此の本領有るは、則ち感じて遂に天下の故に通ずるなり。恐らくは亦論ずる所の云云の如きに非ざるなり。云う所の禪學悟入は乃ち是れ心思路絶天理盡見、と。此れは尤も然らず。心思の正は便ち是れ天理流行にして、運用は天理の發見に非ざる無し。豈心思路絶を待ちて而る後天理を乃ち見んや。且つ謂う所の天理は復是れ何物ぞ。仁義禮智豈是れ天理ならざらん。君臣父子兄弟夫婦朋友豈是れ天理ならざらん。若し釋氏果して天理を見せしめば、則ち亦何ぞ必ずしも此の如く悖亂殄滅一切其の本心を昬迷して、自ら知らざるや。凡そ此れ皆近世邪説に淪滔するの大病なり。明者も亦未だ俗を免るること能わずして此の言有らんとなり。五十九。

19
○答李伯諫書曰、來書謂、伊川先生所云内外不備者爲不然。蓋無有能直内而不能方外者。此論甚當據此、正是熹所疑處。若使釋氏果能敬以直内、則便能義以方外、便須有父子有君臣、三綱五常闕一不可。今曰能直内矣、而其所以方外者果安在乎。又豈數者之外別有所謂義乎。以此而觀伊川之語、可謂失之恕矣。然其意不然特老兄未之察耳。所謂有直内者、亦謂其有心地一段工夫耳。但其用功却有不同處。故其發有差、他却全不管著。此所以無方外之一節也。固是有根株則必有枝葉。然五穀之根株則生五穀之枝葉華實而可食、稊稗之根株則生稊稗之枝葉華實而不可食。此則不同耳。參木以根株而愈疾、鉤吻以根株而殺人。其所以殺人者、豈在根株之外而致其毒哉。來書云、不能於根株之外、別致其巧也。故明道先生又云、釋氏惟務上達而無下學。然則其上達處、豈有是也。元不相連屬、但有間斷非道也。此可以見内外不僃之意矣。然來書之云却是從儒向佛。故猶籍先生之言以爲重。若眞胡種族則亦不肯招認此語矣、如何如何。四十三。
【読み】
○李伯諫に答うる書に曰く、來書に謂う、伊川先生の云う所の内外備わざる者は然らずと爲す、と。蓋し能く内を直くして外を方にすること能わざる者有る無し、と。此の論甚當此に據るに、正に是れ熹の疑う所の處なり。若し釋氏の果して能く敬以て内を直くせしめば、則ち便ち能く義以て外を方にし、便ち須らく父子有り君臣有るべく、三綱五常一を闕くこと可ならず。今能く内を直くすと曰いて、其の以て外を方にする所の者果して安くに在りや。又豈數の者の外、別に謂う所の義有らんや。此を以て觀るに伊川の語、之を恕に失すと謂う可し。然して其の意然らざるは特に老兄未だ之を察せざるのみ。謂う所の内を直くすること有る者も、亦其の心地一段の工夫有るを謂うのみ。但其の功を用せば却て同じからざる處有り。故に其の發差有りて、他は却て全く管著せず。此れ外を方にするの一節無き所以なり。固より是れ根株有れば則ち必ず枝葉有り。然して五穀の根株は則ち五穀の枝葉華實を生じて食う可く、稊稗の根株は則ち稊稗の枝葉華實を生じて食う可からず。此れは則ち同じからざるのみ。參木は根株を以てして疾を愈し、鉤吻は根株を以てして人を殺す。其の以人を殺す所の者、豈根株の外に在りて其の毒を致さんや。來書に云う、根株之外に於て、別に其の巧を致すこと能わざるなり。故に明道先生又云う、釋氏惟上達を務めて下學無し。然れば則ち其の上達の處、豈是れ有らんや。元相連屬せず、但間斷有りて道に非らざるなり、と。此れ以て内外不僃の意を見る可し。然して來書の云は却て是れ儒に從いて佛に向く。故に猶先生の言を籍して以て重きと爲す。若し、眞に胡種族ならば則ち亦此の語を招認するを肯ぜざるや、如何如何。四十三。

20
○答廖子晦書曰、聖門之學下學而上達。至於窮神知化亦不過德盛仁熟而自至耳。若如釋氏理須頓悟、不假漸脩之云、則是上達而下學也。其與聖學亦不同矣、而近世學者毎欲因其近似而説而合之、是以爲説。雖詳用心、雖苦而卒不近也。中庸所謂喜怒哀樂之未發謂之中、發而皆中節謂之和。只是説情之未發無所偏倚。當此之時、萬理畢具而天下萬物無不由是而出焉。故學者於此涵養栽培而情之所發自然無不中節耳。故又曰、中者天下之大本、和者天下之達道。此皆日用分明底事。不必待極力尋究忽然有感如來喩之云然後爲得也。必若此云則是溺於佛氏之學而已。然爲彼學者自謂有見、而於四端五典良知良能天理人心之實然而不可易者、皆未嘗畧見彷彿。甚者披根拔本顚倒錯繆無所不至、則夫所謂見者、殆亦用心大過、意慮泯絶恍惚之間、瞥見心性之影象耳。與聖門眞實知見、端的踐履、徹上徹下一以貫之之學。豈可同年而語哉。四十五。
【読み】
○廖子晦に答うる書に曰く、聖門の學は下學して上達す。神を窮め化を知るに至るも亦德盛仁熟して自ら至るに過ぎざるのみ。釋氏の理は須らく頓悟すべく、漸脩を假らざるの云の若如きは、則ち是れ上達して下學するなり。其れ聖學とは亦同じからずして、近世學者毎に其の近似に因りて説いて之を合せんと欲し、是れを以て説を爲す。詳と雖も心を用い、苦と雖も卒に近からざるなり。中庸に謂う所の喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う、發して皆節に中る、之を和と謂う、と。只是れ情の未だ發せず偏倚する所無きを説くのみ。此の時に當りて、萬理畢に具りて天下萬物是に由りて出ざる無し。故に學者此に於て涵養栽培して情の發する所は自然にして節に中らざること無きのみ。故に又曰く、中は天下の大本、和は天下の達道、と。此れは皆日用分明底の事。必ずしも力を極め尋究忽然感有りて來喩の云の如きを待ちて然る後得ると爲さざるなり。必ずや此の云の如きは則ち是れ佛氏の學に溺るるのみ。然して彼の學を爲す者は自ら見有りと謂いて、四端五典良知良能天理人心の實然にして易り可からざる者に於て、皆未だ嘗て畧彷彿を見ず。甚だしき者の根を披き本を拔き顚倒錯繆して至らざる所無きは、則ち夫れ謂う所の見者は、殆ど亦心を用いて大過し、意慮泯絶恍惚の間、心性の影象を瞥見するのみ。聖門眞實に知見し、端的の踐履し、徹上徹下一以て之を貫くの學を與う。豈年を同じくして語る可けんや。四十五。

21
○以某觀之、做箇聖賢千難萬難。如釋氏則今夜痛説一頓、有利根者當下便悟、只是無星之秤耳。語類百十五。
【読み】
○某を以て之を觀るに、箇の聖賢と做るに千難萬難。釋氏が如きは則ち今夜痛説一頓、利根の者有るは當下便悟、只是れ無星之秤のみ。語類百十五。

22
○時舉因云、釋氏有豁然頓悟之説、不知使得否。不知倚靠得否。曰、某也曾見叢林中有言頓悟者、後來看這人也只尋常。如陸子靜門人、初見他時常云、有所悟。後來所爲、却更顛倒錯亂。看來所謂豁然頓悟者、乃是當時略有所見、覺得果是淨潔快活。然稍久、則却漸漸淡去了。何嘗倚靠得。百十四。
【読み】
○時舉因りて云う、釋氏に豁然頓悟の説有り、知らず、使い得んや否や。知らず、倚靠し得んや否や。曰く、某也た曾て叢林の中に頓悟を言う者有るを見る、後來這の人を看るに也た只尋常なり。陸子靜の門人の如きは、初めて他を見る時に常に云う、悟る所有り、と。後來爲す所は、却って更に顛倒錯亂す。看來に謂う所の豁然頓悟は、乃ち是れ當時略見る所有りて、果して是れ淨潔快活を覺得す。然して稍久くば、則ち却って漸漸に淡くし去り了る。何ぞ嘗て倚靠し得んや。百十四。

23
○答陳衛道書曰、性命之理只在日用間零碎去處、亦無不是、不必著意思想。但毎事尋得一箇是處、即是此理之實、不比禪家見處、只在儱侗恍惚之間也。所云釋氏見處只是要得六用不行、則本性自見。只此便是差處。六用豈不是性。若待其不行然後性見、則是性在六用之外別爲一物矣。譬如磨鏡垢盡明見、但謂私欲盡而天理存耳。非六用不行之謂也。又云、其接人處不妨顚倒作用而純熟之後、却自不須如此。前書所譏不謂如此、正謂其行處顚錯耳。只如絶滅三綱無父子君臣一節、還可言接人時權且如此將來熟後、却不須絶滅。否。此箇道理無一息間斷這裏霎時間壞了、便無補塡去處也。又云、雖無三綱五常、又自有師弟子上下名分。此是天理自然他雖欲滅之、而必竟絶滅不得。然其所存者乃是外面假合得來、而其眞實者却已絶滅。故儒者之論毎時須要眞實是當。不似異端便將儱侗底影象來此、罩占眞實地位也。此等差互處舉起便是不勝其多、冩不能窮説不能盡。今左右既是於彼留心之乆境界熟了。雖説欲却歸此邉來、終是脱離未得。熹向來亦曾如此、只是覺得大概不是了、且權時一齊放下了。只將自家文字道理作小兒子初上學時様、讀後來漸見得一二分意思、便漸見得他一二分錯處、迤邐看透了、後直見得他無一星子是處、不用著力排擯、自然不入心來矣。今云取其長處而會歸於正、便是放不下看不破也。今所謂應事接物時時提撕者、亦只是提撕得那儱侗底影象。與自家這下功夫未有干渉也。文集五十九。
【読み】
○陳衛道に答うる書に曰く、性命の理は只日用の間零碎去處に在り、亦是れならざる無く、必ずしも意を著し思想せず。但毎事一箇の是の處を尋ね得ば、即ち是れ此の理の實は、禪家の見處の只儱侗恍惚の間に在るに比せざるなり。云う所の釋氏の見處は只是れ六用の行われざるを得るを要すれば、則ち本性は自ら見えん、と。只此れ便ち是れ差う處。六用は豈是れ性ならざらん。若し其の行われざるを待ちて然る後に性を見れば、則ち是の性は六用の外に在りて別に一物を爲す。譬えば鏡を磨き垢盡きて明を見るが如く、但私欲盡つきて天理存すと謂うのみ。六用行われざるの謂いに非らざるなり。又云う、其の人に接する處顚倒作用を妨げずして純熟の後、却って自ら須らく此の如くなるべからず、と。前書の譏る所は此の如きを謂わず、正に其の行く處顚錯すと謂うのみ。只三綱を絶滅し父子を無するの一節が如きは、還って人に接する時權に且つ此の如く、將來熟後、却って須らく絶滅すべからずと言う可きや。否。此れ箇の道理は一息の間斷無く這の裏霎時の間に壞了し、便ち補塡の去處無きなり。又云う、三綱五常無きと雖も、又自ら師弟子上下の名分有り、と。此れは是れ天理自然、他之を滅さんと欲すと雖も、必竟絶滅し得ず。然して其の存する所の者は乃ち是れ外面假合し得來て、其の眞實なる者は却って已に絶滅す。故に儒者の論は毎時眞實是當を須要す。異端は便ち儱侗底の影象を將て此に來て、眞實の地位を罩占するに似ず。此れ等の差互の處舉起するは、便ち是れ其の多きに勝たず、冩して窮めること能わず説いて盡くすこと能わず。今左右既に是れ彼に於て心を留め之を乆しくして境界熟し了る。却って此の邉に歸し來ると欲すと説くと雖も、終に是れ脱離し未だ得ず。熹向來に亦曾て此の如く、只是れ大概不是にして了るを覺り得、且つ權時に一齊放下し了る。只自家の文字道理を將って小兒子初めて學に上る時の様と作し、讀みて後來漸く一二分の意思を見得ば、便ち漸く他に一二分の錯處を見得、迤邐とし看透し了り、後直に他に一星子の是の處無きを見得ば、力を著くし排擯するを用いず、自然に心に入り來たらず。今其の長處を取りて歸を正に會すと云うは、便ち是れ放ちて下ならず看て破らざるなり。今謂う所の應事接物時時提撕する者も、亦只是れ那の儱侗底の影象を提撕し得。自家這の功夫を下せば未だ干渉有らざるなり。文集五十九。

24
○天下只是這道理、終是走不得。如佛老雖是滅人倫、然自是逃不得。如無父子、却拜其師、以其弟子爲子。長者爲師兄、少者爲師弟。但是只護得箇假底。聖賢便是存得箇眞底。語類百二十六下同。
【読み】
○天下は只是れ這の道理にして、終に是れ走りて得ず。佛老が如きは是れ人倫を滅すと雖も、然れとも自ら是れ逃げて得ず。父子無きが如きは、却って其の師を拜し、其の弟子を以て子と爲す。長者を師兄と爲し、少者を師弟と爲す。但是れは只箇の假底を護り得。聖賢は便ち是れ箇の眞底を存し得。語類百二十六下同。

25
○釋氏更不分善惡。只尊向他底便是好人、背他底便入地獄。若是箇殺人賊、一尊了他、便可生天。大雅云、于頔在傳燈録爲法嗣、可見。曰、然。
【読み】
○釋氏は更に善惡を分かたず。只他を向するを尊ぶ底は便ち是れ好人、他に背く底は便ち地獄に入る。是れ箇の人を殺す賊の若きは、一に他を尊了し、便ち天に生ず可し。大雅云う、于頔傳燈録に在る法嗣爲り、見る可し。曰、然り。

26
○德粹問、人生即是氣。死則氣散。浮屠氏不足信。然世間人爲惡死、若無地獄治之、彼何所懲。曰、吾友且説。堯舜三代之世無浮屠氏、乃比屋可封、天下太平。及其後有浮屠、而爲惡者滿天下。若爲惡者必待死然後治之、則生人立君又焉用。滕云、嘗記前軰説。除却浮屠祠廟、天下便知向善。莫是此意。曰、自浮屠氏入中國、善之名便錯了。渠把奉佛為善。如脩橋道造路、猶有益於人。以齋僧立寺爲善、善安在。所謂除浮屠祠廟便向善者、天下之人既不溺於彼、自然孝父母、悌長上、做一好人。便是善。
【読み】
○德粹問う、人の生れくるは即ち是れ氣なり。死すれば則ち氣散ず。浮屠氏は信ずるに足らず。然して世間の人は惡を爲るが死して、若し地獄に之を治むる無くば、彼何の懲らす所あらん、と。曰く、吾が友且つ説く。堯舜三代の世に浮屠氏無く、乃ち比の屋封す可く、天下太平なり。其の後浮屠有るに及んで、惡を爲る者天下に滿つ。若し惡を爲る者必ず死することを待ちて然る後之を治めば、則ち生人君を立つるを又焉んぞ用いん、と。滕云う、嘗て前軰の説を記す。浮屠が祠廟を除却し、天下便ち善に向くを知る、と。是れ此の意なること莫きや。曰く、浮屠氏の中國に入りてより、善の名便ち錯了す。渠は佛を奉ずるを把まえて善と爲す。橋道を脩めて路を造るが如きは、猶人に益有り。僧に齋し寺を立つを善と爲さば、善安くにか在る。謂う所の浮屠が祠廟を除いて便ち善に向くとは、天下の人既に彼に溺れず、自然に父母に孝し、長上に悌し、一好人と做る。便ち是れ善なり。

27
○後漢明帝時、佛始入中國。當時楚王英最好之。然都不曉其説。直至晉宋間、其敎漸盛。然當時文字亦只是將莊老之説來鋪張。如遠師諸論、皆成片盡是老莊意思。直至梁會通間、達磨入來、然後一切被他掃蕩、不立文字、直指人心。蓋當時儒者之學、既廢絶不講。老佛之説、又如此淺陋。被他窺見這箇罅隙了。故橫説堅説、如是張王、沒柰他何。會當作晋。
【読み】
○後漢の明帝の時、佛始めて中國に入る。當時楚王英最も之を好む。然して都て其の説を曉らず。直に晉宋の間に至り、其の敎漸く盛んなり。然して當時の文字は亦只是れ莊老の説を將って來て鋪張す。遠師が諸論の如きは、皆成片盡是老莊が意思なり。直に梁の會通の間に至り、達磨入來し、然る後一切他に掃蕩せられ、文字を立てず、直に人心を指す。蓋し當時の儒者の學は、既に廢絶して講ぜず。老佛の説も又此の如く淺陋なり。他に這箇の罅隙を窺見し了る。故に橫説堅説、是の如く張王し、他を柰何する沒し。會は當に晋と作すべし。

28
○論釋氏之説、如明道數語闢得極善。見行状中者。他只要理會箇寂滅。不知須強要寂滅他做甚。既寂滅後、却作何用何。況號爲尊宿禪和者、亦何曾寂滅得。近世如宗杲、做事全不通點檢、喜怒更不中節。晉宋以前遠法師之類、所談只是莊列、今其集中可見。其後要自立門戸、方脫去莊列之談。然實剽竊其説。傅奕亦嘗如此説論。佛只是説箇大話謾人。可憐人都被他謾、更不省悟。試將法華經看、便見其誕。開口便説恒河沙數幾萬幾千幾劫、更無近底年代。又如佛授記某甲幾劫後方成佛。佛有神通。何不便成就他做佛。何以待闕許久。又如往世羅漢猶未成佛、何故許多時修行都無長進。今被他撰成一藏説話、遍滿天下、惑了多少人。勢須用退之盡焚去乃可絶。今其徒若聞此説、必曰此正是爲佛敎者。然實繆爲此説、其心豈肯如此。此便是言行不相應處。今世俗有一等卑下底人、平日所爲不善。一旦因讀佛書、稍稍收斂。人便指爲學佛之效、不知此特粗勝於庸俗之人耳。士大夫學佛者、全不曾見得力。近世李德遠輩皆是也。今其徒見吾儒所以攻排之説、必曰、此吾之跡耳。皆我自不以爲然者。如果是不以爲然、當初如何却恁地撰下。
【読み】
○釋氏を論ずる説は、明道の數語の如きは得るを闢きて極めて善し。行状の中に見る者。他は只箇の寂滅を理會するを要す。知らず、強いて寂滅を要するを須いず、他は甚しきを做すを。既に寂滅の後、却って何を作し何を用いん。況んや號して尊宿禪和と爲す者、亦何ぞ曾て寂滅にし得ん。近世宗杲が如き、事を做すに全く點檢を通さず、喜怒は更に節に中らず。晉宋以前の遠法師の類は、談ずる所只是れ莊列、今其の集中を見る可し。其の後自ら門戸を立つを要し、方に莊列の談を脫去す。然して實は其の説を剽竊す。傅奕も亦嘗て此の如く説論す。佛は只是れ箇の大話を説き人を謾す。憐れむ可き人は都て他に謾せられ、更に省悟せず。試みに法華經を將って看れば、便ち其の誕を見る。口を開けば便ち恒河沙數幾萬幾千幾劫と説き、更に近底の年代無し。又佛が授記の如きは某の甲幾劫の後方に成佛す、と。佛に神通有り。何ぞ便ち他を成就し佛と做さざるや。何を以て闕を待って許久しきや。又往世羅漢の如きは猶未だ成佛せず、何の故に許多の時修行して都て長進無きや。今他に一藏説話を撰成され、天下に遍滿し、多少の人を惑わし了る。勢は須らく退之の盡焚を用いて去るべく乃ち絶つ可し。今其の徒若し此の説を聞かは、必ず此れ正に是れ佛敎爲る者と曰ん。然して實は繆ちて此の説を爲し、其の心豈此の如く肯ぜん。此れ便ち是れ言行相應ぜざる處なり。今の世俗に一等卑下底の人有り、平日爲す所善ならず。一旦佛書を讀むに因りて、稍稍收斂す。人は便ち指して佛を學ぶの效と爲し、知らず、此れ特に粗々庸俗の人に勝るのみを。士大夫の佛を學ぶ者は、全て曾て力を得るを見ず。近世李德遠の輩は皆是れなり。今其の徒の吾儒の攻排する所以の説を見れば、必ず曰う、此れ吾の跡のみ、と。皆我自ら以て然りと爲さざる者なり。如し果して是れ以て然りと爲さば、當初如何ぞ却って恁地撰下す。

29
○釋氏之學、只是定靜。少間亦自有明識處。或問、他有靈怪處、是如何。曰、多是眞僞相雜。人都貪財好色、都重死生。却被他不貪財、不好色、不重死生。這般處也可以降服得鬼神。如六祖衣鉢、説移不動底。這只是胡説。果然如此、何不鳴鼓集衆、白晝發去、却夜間發去做甚麼。曰、如今賢者都信他向上底説。下愚人都信他禍福之説。曰、最苦是世間所謂聰明之人、却去推演其説、説到神妙處。如王介甫蘇東坡、一世所尊尚、且爲之推波助瀾多矣。今若得士大夫間把得論定、猶可耳。四十七。
【読み】
○釋氏の學は、只是れ定靜。少間に亦自ら明識の處有り。或るひと問う、他の靈怪の處有り、是れ如何、と。曰く、多くは是れ眞僞相雜す。人は都て財を貪り色を好み、都て死生を重んず。却って他に財を貪らず、色を好まず、死生を重んじず。這般の處は也た以て鬼神を降服得可し。六祖衣鉢、移して動かずと説く底の如し。這れは只是れ胡説なり。果然として此の如きならば、何ぞ鼓を鳴らし衆を集め、白晝に發し去かず、却って夜間に發し去き甚麼を做すや。曰く、如今賢者は都て他の向上底の説を信ず。下愚の人は都て他の禍福の説を信ず。曰く、最も苦しむは是れ世間の謂う所の聰明の人、却って其の説を推演し去き、神妙の處に説到す。王介甫蘇東坡が如き、一世の尊尚する所、且つ之が爲に波を推し瀾を助けること多し。今若し士大夫の間把み得論じ定むを得ば、猶可なるべきのみ。四十七。

30
○因論釋氏多有神異、疑其有之。曰、此未必有。便有、亦只是妖怪。百二十六下同。
【読み】
○因りて釋氏多く神異有るを論じ、其の之有るを疑う。曰く、此れ未だ必しも有らず。便ち有るも、亦只是れ妖怪なり。百二十六下同。

31
○佛氏乘虚入中國。廣大自勝之説、幻妄寂滅之論、自齋戒變爲義學。如遠法師支道林皆義學。然又只是盜襲莊子之説。今世所傳肇論、云出於肇法師、有四不遷之説。日月歴天而不周、江河兢注而不流、野馬飄鼓而不動、山嶽偃仆而常靜。此四句只是一義、只是動中有靜之意、如適間所説東坡、逝者如斯而未嘗往也之意爾。此是齋戒之學一變、遂又説出這一般道理來。及達磨入來、又翻了許多窠臼、説出禪來、又高妙於義學、以爲可以直超徑悟、而其始者禍福報應之説、又足以鉗制愚俗、以爲資足衣食之計。遂使有國家者割田以贍之、擇地以居之、以相從陷於無父無君之域而不自覺。蓋道釋之敎皆一再傳而浸失其本眞。有國家者雖隆重儒學、而選舉之制、學校之法、施設注措之方、既不出於文字言語之工、而又以道之要妙無越於釋老之中、而崇重隆奉、反在於彼。至於二帝三王述天理、順人心、治世敎民、厚典庸禮之大法、一切不復有行之者。
【読み】
○佛氏虚に乘じ中國に入る。廣大自勝の説、幻妄寂滅の論は、齋戒變じ義學と爲すに自る。遠法師支道林が如きは皆義學。然して又只是れ莊子の説を盜襲す。今世傳ずる所の肇論は、肇法師に出ると云い、四不遷の説有り。日月天を歴して周からず、江河兢い注いで流れず、野馬飄鼓して動かず、山嶽偃仆して常に靜なり。此の四句は只是れ一義、只是れ動中靜有りの意、適間説く所の東坡、逝く者は斯くの如くして未だ嘗て往かざるなりの意の如きのみ。此れは是れ齋戒の學一變し、遂に又這の一般の道理を説き出し來。達磨入來に及び、又許多の窠臼を翻了し、禪を説き出し來、又義學より高妙、以て以て直超徑悟す可しと爲して、其の始めは禍福報應の説にして、又以て愚俗を鉗制し、以て衣食を資足するの計と爲すに足る。遂に國家を有する者は田を割り以て之を贍じ、地を擇び以て之を居し、以て相從父を無し君を無するの域に陷って自覺せざらしむ。蓋し道釋の敎は皆一再傳じて浸り其の本眞失す。國家を有する者は儒學を隆重すと雖も、而して選舉の制、學校の法、施設注措の方、既に文字言語の工に出ずして、又道の要妙釋老の中に越えること無きを以てして、崇重隆奉、反って彼に在り。二帝三王の天理を述べ、人心に順じ、世を治め民を敎え、典を厚くし禮を庸るの大法に至り、一切復之を行う者有らず。

32
○問佛氏所以差。曰、從劈初頭便錯了。如天命之謂性、他把做空虚説了。吾儒見得都是實。若見得到自家底從頭到尾小事大事都是實、他底從頭到尾都是空。恁地見得破、如何解説不通。又如實際理地不受一塵、萬行叢中不捨一法等語、這是他後來桀黠底又撰出這一話來倚傍吾儒道理。正所謂遁辭知其所窮。
【読み】
○佛氏の以て差う所を問う。曰く、劈初頭に從い便ち錯了す。天の命ずるを之を性と謂うが如きを、他は把えて空虚と做し説了す。吾儒の見得るは都て是れ實。若し見得到れば自家底の從頭到尾小事大事は都て是れ實、他の底の從頭到尾は都て是れ空。恁地見得破れば、如何ぞ解説し通じざらん。又實際理地不受一塵、萬行叢中不捨一法等の語の如きは、這れは是れ他の後來桀黠の底は又這の一話を撰出し來、吾儒の道理に倚傍す。正に謂う所の遁辭は其の窮むる所を知る。

33
○因説、曾有學佛者王天順、與陸子靜辨論。云、我這佛法、和耳目鼻口髓腦、皆不愛惜。要度天下人、各成佛法、豈得是自私。先生笑曰、待度得天下人各成佛法、却是敎得他各各自私。陸子靜從初亦學佛、嘗言、儒佛差處是義利之間。某應曰、此猶是第二著、只他根本處便不是。當初釋迦爲太子時、出遊、見生老病死苦、遂厭惡之、入雪山脩行。從上一念、便一切作空看、惟恐割棄之不猛、屏除之不盡。吾儒却不然。蓋見得無一物不具此理、無一理可違於物。佛説萬理倶空、吾儒説萬理倶實。從此一差、方有公私義利之不同。今學佛者云、識心見性。不知是識何心、是見何性。十七。
【読み】
○因りて説く、曾て佛を學ぶ者に王天順有り、陸子靜と辨論す。云う、我が這の佛法は、耳目鼻口髓腦を和し、皆愛惜せず。天下の人を度し、各々成佛するを要するの法、豈是れ自私に得ん。先生笑って曰く、天下の人を度し得て各々成佛する法を待つは、却って是れ他の各各自私するを敎え得。陸子靜從初亦佛を學び、嘗て言う、儒佛の差う處は是れ義利の間、と。某應じて曰く、此れは猶是れ第二著、只他の根本の處は便ち是ならず。當初釋迦の太子と爲る時、出遊して、生老病死苦を見て、遂に之を厭惡し、雪山に入りて脩行す。從上の一念、便ち一切空と作し看、惟割棄の猛ならず、屏除の盡さざるを恐る。吾儒は却って然らず。蓋し一物として此の理を具わざる無く、一理として物に違う可き無きを見得。佛は萬理倶に空と説き、吾儒は萬理倶に實と説く。此れに從い一とたび差えば、方に公私義利の同じからざる有り。今佛を學ぶ者は云う、識心見性、と。知らず、是れ何の心を識り、是れ何の性を見るかを。十七。

34
○讀大記曰、宇宙之間一理而已。天得之而爲天、地得之而爲地。凡生於天地之間者、又各得之以爲性、其張之爲三綱、其紀之爲五常。蓋皆此理之流行無所適而不在。若其消息盈虚循環不已、則自未始有物之前以至人消物盡之後、終則復始、始復有終。又未嘗有頃刻之或停也。儒者於此既有以得於心之本然矣、則内外精粗自不容有纖毫之間、而其所以脩己治人垂世立敎者、亦不容其有纖毫造作輕重之私焉。是以因其自然之理而成自然之功、則有以參天地賛化育、而幽明巨細無一物之遺也。若夫釋氏則自其因地之初、而與此理已背馳矣。乃欲其所見之不差所行之不繆、則豈可得哉。蓋其所以爲學之本心、正爲惡此理之充塞無間、而使已不得一席無理之地、以自安、厭此理之流行不息、而使已不得一息無理之時、以自肆也。是以叛君親棄妻子入山林損軀命、以求其所謂空無寂滅之地而逃焉。其量亦已隘而其勢亦已逆矣。然以其立心之堅苦、用力之精專、亦有以大過人者。故能卒如所欲而實有見焉。但以其言行求之、則其所見雖自以爲至玄極妙有不可以思慮言語到者、而於吾之所謂窮天地亘古今本然不可易之實理、則反蕒然其一無所觀也。雖自以爲直指人心、而實不識心。雖自以爲見性成佛、而實不識性。是以殄滅彝倫隨於禽獣之域、而猶不自知其有罪。蓋其實見之差有以陷之。非其心之不然、而故欲爲是以惑世而罔人也。至其爲説之窮、然後乃有不舎一法之論、則似始有爲是遁辭、以蓋前失之意。然亦其秉彝之善有終不可得而殄滅者。是以剪伐之餘而猶有此之僅存、又以牽於實見之差。是以有其意而無其理、能言之而卒不能有以踐其言也。凡釋氏之所以爲釋氏者、始終本末不過如此。蓋亦無足言矣。然以其有空寂之説而不累於物欲也、則世之所謂賢者好之矣。以其有玄妙之説而不滯於形器也、則世之所謂智者悦之矣。以其有生死輪囘之説而自謂可以不淪於罪苦也、則天下之傭奴爨婢黥髠盗賊亦匍匐而歸之矣。此其爲説所以張皇輝赫震耀千古、而爲吾徒者方且蠢焉鞠躬屏氣爲之奔走服役之不暇也。幸而一有間世之傑、乃能不爲之屈而有聲罪致討之心焉。然又不能究其實見之差而詆、以爲幻見空説。不能正之以天理全體之大、而偏引交通生育之一説以爲主、則既不得其要領矣、而徒欲以戎狄之醜號加之。其於吾徒又未嘗敎之以内脩自治之實、而徒驕之、以中華列聖之可以爲重、則吾恐其不唯無以坐收摧陷廓清之功。或乃往遺之禽、而反爲吾黨之詬也。嗚呼惜哉。文集七十。
【読み】
○大記を讀みて曰く、宇宙の間は一理のみ。天之を得て天と爲し、地之を得て地と爲す。凡そ天地の間に生まれし者は、又各々之を得て以て性と爲し、其れ之を張りて三綱と爲し、其れ之を紀めて五常と爲す。蓋し皆此の理の流行は適く所にして在らざる無し。其の消息盈虚循環已まざるが如きは、則ち未だ始に物有るの前より以て人消物盡の後に至るまで、終れば則ち復始まり、始まれば復終わる有り。又未だ嘗て頃刻の或停有らざるなり。儒者は此に於て既に以て心の本然に得る有れば、則ち内外精粗自ら纖毫の間有るを容れずして、其の以て己を脩め人を治め世に垂れ敎を立つ所の者も、亦其纖毫造作輕重の私有るを容れず。是れを以て其の自然の理に因りて自然の功を成せば、則ち以て天地に參し化育を賛する有りて、幽明巨細一物の遺無し。夫れ釋氏の若きは則ち其の因地の初め自りして、此の理と已に背馳す。乃ち其の見る所の差わず行く所の繆らざるを欲せば、則ち豈に得可けんや。蓋し其の學を爲す所以の本心は、正に此の理の充塞間無くして、已に一席として理無き地を得、以て自ら安せざらしむを惡み、此の理の流行息まずして、已に一息理無きの時を得ず、以て自肆にせざらしむを厭うが爲なるなり。是れを以て君親を叛き妻子を棄て山林に入り軀命を損なって、以て其の謂う所の空無寂滅の地を求めて逃ぐる。其の量は亦已に隘にして其の勢は亦已に逆なり。然して其の心を立つるの堅苦、力を用いるの精專、亦以て大いに人に過ぐる者有るを以てす。故に能く卒に欲する所の如くにして實に見る有り。但其の言行を以て之を求めば、則ち其の見る所自ら以て至玄極妙有思慮言語を以て到る可からざる者有りと爲すと雖も、而して吾の謂う所の天地を窮め古今に亘りて本然易わる可からざるの實理に於ては、則ち反って蕒然とし其の一觀る所無きなり。自ら以て直指人心と爲すと雖も、而して實は心を識らず。自ら以て見性成佛と爲すと雖も、而して實は性を識らず。是れを以て彝倫を殄滅し禽獣の域に隨いて、猶自ら其の罪有るを知らず。蓋し其の實見の差は以て之を陷るに有り。其の心の然らずして、故に是を爲し以て世を惑わして人を罔ますを欲するに非らざるなり。其の説を爲すの窮みに至り、然る後乃ち不舎一法之論有るは、則ち始めて是れ遁辭を爲し、以て前失を蓋うの意有るに似たり。然して亦其の彝を秉るの善終に得て殄滅す可からざる者有り。是れを以て剪伐の餘にして猶此の僅かに存する有り、又實見の差に牽くを以てするがごとし。是れを以て其の意有りて其の理無く、能く之を言いて卒に以て其の言を踐むこと有ること能わず。凡そ釋氏の以て釋氏爲る所の者は、始終本末此の如く過ぎず。蓋し亦言に足る無きなり。然して其の空寂の説有りて物欲累わざるを以て、則ち世の謂う所の賢者之を好み、其の玄妙の説有りて形器に滯らざるを以て、則ち世の謂う所の智者之を悦び、其の生死輪囘の説有りて自ら以て罪苦に淪せず可しと謂うを以て、則ち天下之傭奴爨婢黥髠盗賊亦匍匐して之に歸す。此れ其の説爲る、張皇輝赫千古を震耀する所以にして、吾が徒爲る者は方に且く蠢焉鞠躬氣を屏い之が爲に奔走服役の暇あらざるなり。幸いにして一とり間世の傑有れば、乃ち能く之が爲に屈せっずして罪を聲え討を致すの心有り。然して又其の實見の差を究むること能わずして詆り、以て幻見空説と爲す。之を正すに天理全體の大を以てすること能わずして、偏に交通生育の一説を引き以て主と爲すは、則ち既に其の要領を得ずして、徒らに戎狄の醜號を以之を加えんと欲す。其の吾が徒に於ては又未だ嘗て之を敎うるに内脩自治の實を以てせずして、徒らに之に驕るに、中華列聖の以て重しと爲す可きを以てすれば、則ち吾其れ唯以て坐して摧陷廓清の功を收むる無きにあらず、或いは乃ち往きて之を禽を遺して、反って吾黨の詬を爲すを恐る。嗚呼惜しいかな。文集七十。

35
○答范伯崇書曰、異端害正、固君子所當闢。然須是吾學既明洞見大本達道之全體。然後據天理以開有我之私、因彼非以察吾道之正、議論之間彼此交盡而内外之道一以貫之、如孟子論養氣而及告子義外之非、因夷子而發天理一本之大。此豈徒攻彼之失而已哉。所以推明吾學之極地本原又可謂無餘蘊矣。如此然後能距楊墨而列於聖賢之徒。不然譊譊相訾以客氣爭勝負、是未免於前軰自敝之譏也。三十九。
【読み】
○范伯崇に答うる書に曰く、異端の正を害するは、固より君子當に闢くべき所なり。然して須く是れ吾が學は既に明かに大本達道之全體を洞見すべし。然る後天理に據り以て我れ有るの私を開き、彼の非に因りて以て吾が道の正を察し、議論の間彼此交々盡くして内外の道一を以て之を貫き、孟子の養氣を論じて告子の義外の非に及び、夷子に因りて天理一本の大を發するが如し。此れ豈徒らに彼の失を攻めるのみならんや。吾が學の極地本原を推明する所以は又餘蘊無しと謂う可し。此の如くして然る後能く楊墨を距みて聖賢の徒列なる。然らざれば譊譊相訾り、客氣を以て勝負を爭い、是れ未だ前軰自敝の譏りを免がれず。三十九。

36
○釋氏論曰、或問、孟子言盡心知性存心養性、而釋氏之學亦以識心見性爲本。其道豈不亦有偶同者耶。曰、儒佛之所以不同正以是一言耳。曰、何也。曰、性也者天之所以命乎人而具乎心者也。情也者性之所以應乎物而出乎心者也。心也者人之所以主乎身而以統性情者也。故仁義禮智者性也。而心之所以爲體也。惻隱羞惡恭敬辭讓者情也。而心之所以爲用也。蓋所謂降衷于民有物有則者、儒■■■■也。故其所以盡心知性者、以其窮理而極乎心之所■■■之所有者、無不識也。所謂■■養性■■■■已。而不失其本■則性■■■■■■■■。如是則情之所發亦無不■■正而可以應物於無餘矣。■■■■■■■■■性不見其分■■別■■■■給之■■■■與■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■其■指■■■■者實在精神魂魄之聚、而吾儒所謂形而下者耳。至其所以識心者、則必別立一心以識此心、而其所謂見性者又未嘗睹夫民之衷物之則也。既不睹夫性之本然、則物之所感情之所發皆不得其道理。於是概以爲己累而盡絶之。雖至於反易天理殄滅人理而不顧也。然則儒術之所以異其本、豈不在此一言之間乎。曰、釋氏之不得爲見性則聞命矣。至於心則吾曰盡之存之而彼曰識之。何以不同而又何以見其別立一心耶。曰、心也者人之所以主於身而統性情者也。一而不二者也。爲主而不爲客者也。命物而不命於物者也。惟其理有未窮而物或蔽之故其明有所不照、私有未克而物或累之故其體有所不存。是以聖人之敎使人窮理以極其量之所包、勝私以去其體之所害。是其所以盡心而存心者雖其用力有所不同、然皆因其一者、以應夫萬。因其主者以待夫客。因其命物者以命夫物而未嘗曰反而識乎此心存乎此心也。若釋氏之云識心、則必收視反聽以求識其體於恍惚之中。如人以目視目以口齕口。雖無可得之理、其勢必不能不相汝爾於其間也。此非別立一心而何哉。夫別立一心則一者二而主者客■■■■■■■■■■■■■■分矣。而又塊然自守滅情廢事、以自棄君臣父子之間、則心之用亦息矣。夫■■■■■■■所指以爲心性與其所以從事焉者乃如此。然則不謂之異端邪説而何哉。曰、然則其徒蓋有實能恍然、若有所睹而樂之不厭、至於遺外形骸而死生之變不足動之者。此又何耶。曰、是其心之用既不交於外矣、而其體之分於内者、乃自相同而不舎焉。其志專而切、其機危而迫。是以精神之極而一旦惘然若有失也。近世所謂看心之法、又其所以至此之捷徑、蓋皆原於莊周承蜩削鐻之論而又加巧密焉爾。然昧於天理而特爲是以自私焉。則又何足稱於君子之門哉。又問子之言釋氏之術原於莊子承蜩削鐻之論。其有稽乎。曰、何獨此哉。凡彼言之精者皆竊取莊列之説以爲之。宋景文公於唐書李蔚等傳既言之矣。蓋佛之所生去中國絶遠。其書來者文字音讀皆累數譯而後通、而其所謂禪者則又出於口耳之傳、而無文字之可據。以故人人得竄其説以附益之、而不復有所考驗。今其所以或可見者獨頼其割裂裝綴之迹、猶有隱然於文字之間而不可揜耳。蓋凡佛之書其始來者、如四十二章遺敎法華金剛光明之類。其所言者、不過清虚縁業之論神通變見之術而已。及其中間爲其學者、如惠遠僧肇之流、乃始稍竊莊列之言以相之。然尚未敢正以爲出於佛之口也。及其乆而耻於假借、則遂顯然簒取其意、而文以浮屠之言。楞嚴所謂自聞、即莊子之意、而圓覺所謂四大各離今者妄身當在何處。即列子所謂精神入其門、骨骸反其根、我尚何存者也。凡若此類不可勝舉。然其説皆萃於書首、其玄妙無以繼之。然後佛之本眞乃見。如結壇誦呪二十五輪之類以至於大力金剛吉盤茶鬼之屬、則其麁鄙俗惡之状校之首章重玄極妙之指、蓋水火之不相入矣。至於禪者之言、則其始也。蓋亦出於晉宋清談論議之餘習、而稍務反求靜養以默證之。或能頗出神怪、以衒流俗而已。如一葉五花之讖隻履西歸之説、雖未必實有是事、然亦可見當時所尚者止於如此也。其後傳之既乆聰明才智之士或頗出其間而自覺其陋、於是更出己意、益求前人之所不及者、以隂佐之、而盡諱其怪幻鄙俚之談。於是其説一旦超然眞若出乎道德性命之上、而惑之者遂以爲果非堯舜周孔之所能及矣。然其虚夸詭譎之情險巧儇浮之態転轉相高日以益甚、則又反不若其初清虚靜默之説、猶爲彼善於此也。以是觀之、則凡釋氏之本末眞僞可知而其所竊豈獨承蜩削鐻之一言而已哉。且又有一説焉。夫佛書本皆胡語。譯而通之、則或以數字爲中國之一字、或以一字而爲中國之數字、而今其所謂偈者句齊字偶了無餘欠。至於所謂二十八祖傳法之所爲者、則又頗協中國音韻、或用唐詩聲律、自其唐之稍黠如惠洪輩者、則已能知其謬而強爲説以文之。顧服衣冠通今古號爲士大夫。如楊大年蘇子由者、反不悟而筆之於書也。嗚呼以是推之、則亦不必問其理之是非、而其増加詭僞迹状明白、益無所逃矣。宋公之論信而有證。世之惑者於此其亦可以小悟也哉。別集八。恭敬辭讓疑衍一而更脱是非二字。儒術之術當作佛。其唐之唐當作徒。
【読み】
○釋氏論に曰く、或るひと問う、孟子は心を盡くして性を知り、心を存して性を養うを言いて、釋氏の學も亦心を識り性を見るを本と爲すを以てす。其の道豈亦偶同なる者有らざるや、と。曰く、儒佛の同じからざる所以は正に是の一言を以てするのみ。曰く、何なるか。曰く、性なる者は天の以て人に命じて心に具わる所の者なり。情なる者は性の以て物に應じて心に出る所の者なり。心なる者は人の以て身に主として以て性情を統ぶる所の者なり。故に仁義禮智は性なり。而して心の體と爲す所以なり。惻隱羞惡恭敬辭讓は情なり。而して心の用を爲す所以なり。蓋し謂う所の衷を民に降ろし物有れば則有る者は、儒なり。故に其の以て心を盡くし性を知る所の者は、以て其の理を窮めて心を極むるの所なり。之の所有る者は、識らざる無きなり。謂う所の養性のみ。而して其の本を失わざれば則ち性なり。是の如ければ則ち情の所發する所は亦正しからざる無くして以て物に應ず可くして餘無きなり。■■■■■■■■■性不見其分■■別■■■■給之■■■■與■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■其■指■■■■者實に精神魂魄の聚に在りて、吾が儒の謂う所の形して下なる者なるのみ。其の以て心を識る所の者に至りては、則ち必ず別に一心を立て以て此の心を識りて、其の謂う所の性を見る者は又未だ嘗て夫れ民の衷物の則を睹ざるなり。既に夫れ性の本然を睹ざれば、則ち物の感ずる所情の發する所皆其の道理を得ず。是に於て概し以て己が累と爲して盡く之を絶つ。天理を反易し人理を殄滅するに至ると雖も而して顧みざるなり。然れば則ち儒術の異なる所以の其の本、豈此の一言の間に在ざるや。曰く、釋氏の性を見ると爲すを得ざるは則ち命を聞くなり。心に至っては則ち吾之を盡くし之を存すと曰いて彼之を識ると曰う。何を以て同じからずして又何を以て其の別に一心を立てるを見るや。曰く、心なる者は人の身に主として性情を統ぶる所以の者なり。一にして二ならざる者なり。主と爲りて客と爲らざる者なり。物に命じて物に命ぜられざる者なり。惟其の理未だ窮めざる有りて物或いは之を蔽う故に其の明照らざる所有り、私未だ克かたざる有りて物或いは之を累わず故に其の體存せざる所有り。是れを以て聖人の敎は人の理を窮め以て其の量の包む所を極め、私に勝ち以て其の體の害する所を去らしむ。是れ其の以て心を盡くして心を存する所の者は其の力を用いること同じからざる所有りと雖も、然れども皆其一なる者に因りて、以て夫の萬に應ず。其の主たる者に因りて以て夫の客を待つ。其の物に命ずる者に因りて以て夫の物に命じて未だ嘗て反って此の心を識り此の心を存すと曰わざるなり。釋氏の心を識ると云が若きは、則ち必ず收視反聽以て其の體を恍惚の中に識るを求む。人の目を以て目を視、口を以て口を齕むが如し。得可きの理無しと雖も、其の勢いは必ず其の間に相汝爾せざる能わず。此れ別に一心を立てるに非ずして何ぞや。夫れ別に一心を立てるは則ち一なる者二にして主たる者は客分なり。而して又塊然自守情を滅っし事を廢し、以て自ら君臣父子の間を棄つれば、則ち心の用は亦息む。夫れ指し以て心性と爲す所と其の以て事に從う所の者とは乃ち此の如し。然れば則ち之を異端邪説と謂わずして何ぞや。曰く、然れば則ち其の徒は蓋し實に能く恍然とし、睹る所有るが若くして之を樂しみ厭わず、形骸を遺外にして死生の變之を動くに足らざるに至る者有り。此れ又何ぞや。曰く、是れ其の心の用は既に外に交らずして其の體の内に分する者は、乃ち自ら相同して舎てず。其の志專らにして切れ、其の機危くして迫る。是れを以て精神之を極めて一旦惘然失うこと有るが若し。近世謂う所の心を看るの法も、又其の此に至る所以の捷徑は、蓋し皆莊周承蜩削鐻の論に原いて又巧密を加えるのみ。然して天理に昧くして特に是れを爲し以て自私す。則ち又何ぞ君子の門に稱ずるに足らんや。又問子之が釋氏の術は莊子承蜩削鐻の論に原づくと言う。其の稽え有りや。曰く、何ぞ獨り此れならんや。凡そ彼が言の精なる者は皆莊列の説を竊取し以て之を爲す。宋景文公の唐書李蔚等が傳に於て既に之を言う。蓋し佛の生まるる所は中國を去ること絶遠なり。其の書來たるは文字音讀皆數譯を累わして而る後通じて、其の謂う所の禪者は則ち又口耳の傳に出て、文字の據る可き無し。故を以て人人其の説を竄し以て之を附益するを得て、復考驗する所有らず。今其の以て或いは見る可き所の者は獨り其の割裂裝綴の迹、猶文字の間に隱然たる有りて揜う可からざるに頼るのみ。蓋し凡そ佛の書の其の始めに來たる者は、四十二章遺敎法華金剛光明の類の如し。其の言う所の者は、清虚縁業の論神通變見の術に過ぎざるのみ。其の中間に其の學を爲す者は、惠遠僧肇の流の如きに及び、乃ち始めて稍く莊列の言を竊み以て之を相す。然して尚未だ敢て正に以て佛の口に出ずと爲さざるなり。其の乆しくして假借に耻るに及んでは、則ち遂に顯然ちして其意を簒取して、文に浮屠の言を以てす。楞嚴に謂う所の自聞の如きは、即ち莊子の意にして、圓覺に謂う所の四大各離今者妄身は當に何の處に在るべし。即ち列子に謂う所の精神其門に入り、骨骸其の根に反り、我尚何ぞ存する者なり。凡そ此の若き類は舉ぐるに勝つ可からず。然して其の説は皆書首に萃まり、其の玄妙は以て之を繼ぐ無し。然る後佛の本眞乃ち見る。結壇誦呪二十五輪の類の如きより以て大力金剛吉盤茶鬼の屬に至りては、則ち其の麁鄙俗惡の状、之を首章で玄を重くし妙を極めるの指に校べるに、蓋し水火の相入れざるなり。禪者の言に至りては、則ち其の始まりなり。蓋し亦晉宋清談論議の餘習に出て、稍く反求靜養を務め以て之を默證す。或いは能く頗る神怪を出し、以て流俗を衒うのみ。一葉五花の讖隻履西歸の説の如きは、未だ必ずしも實に是の事有らずと雖も、然れども亦當時の尚ぶ所の者此の如きに止まるを見る可し。其の後傳の既に乆しくして聰明才智の士或いは頗る其の間に出て自ら其の陋を覺り、是に於て更に己が意を出し、益々前人の及ばざる所の者を求め、以て之を隂佐して、盡く其の怪幻鄙俚の談を諱む。是に於て其の説一旦超然眞に道德性命の上に出るが若きにして、之を惑わす者遂に以て果して堯舜周孔の能く及ぶ所に非ずと爲す。然して其の虚夸詭譎の情、險巧儇浮の態、転轉相い高く日に以て益々甚だしければ、則ち又反って其の初めの清虚靜默の説は、猶彼は此より善と爲すに若かなるなり。是れを以て之を觀れば、則ち凡そ釋氏の本末眞僞は知る可くして其の竊む所は豈獨り承蜩削鐻の一言のみならんや。且つ又一説有り。夫れ佛書は本皆胡語なり。譯して之を通ずれば、則ち或いは數字を以て中國の一字と爲し、或いは一字を以てして中國の數字と爲して、今其の謂う所の偈者句齊字偶了に餘欠無し。謂う所の二十八祖傳法の爲す所の者に至っては、則ち又頗る中國音韻に協い、或いは唐詩の聲律を用い、其の唐の稍く黠なる惠洪が輩の如き者よりは、則ち已に能く其の謬を知って強いて説を爲し以て之を文す。顧るに衣冠を服し今古に通じ號し士大夫と爲る。楊大年蘇子由が如き者、反って悟らずして之を書に筆す。嗚呼是れを以て之を推せば、則ち亦必ずしも其の理の是非を問わずして、其の増加詭僞迹状明白、益々逃げる所無きなり。宋公の論信にして證有り。世の惑う者此に於て其れ亦以て小悟す可きなるかな。別集八。恭敬辭讓疑うらくは一を衍して更に是非の二字を脱す。儒術の術は當に佛に作すべし。其の唐の唐は當に徒に作すべし。

37
○觀心説曰、或問、佛者有觀心説、然乎。曰、夫心者人之所以主乎身者也。一而不二者也。爲主而不爲客者也。命物而不命於物也。故以心觀物則物之理得、今復有物以反觀乎心、則是此心之外復有一心而能管乎此心也。然則所謂心者、爲一耶、爲二耶。爲主耶、爲客耶。爲命物者耶、爲命於物者耶。此亦不待敎而審其言之謬矣。或者曰、若子之言、則聖賢所謂精一、所謂操損、所謂盡心、知性存心養性、所謂見其參於前而倚於衡者皆何謂哉。應之曰、此言之相似而不同、正苗莠朱紫之間而學者之所當辨者也。夫謂人心之危者、人欲之萌也。道心之微者、天理之奧也。心則一也。以正不正而異其名耳。惟精惟一則居其正而審其差者也。絀其異而反其同者也。能如是、則信執其中而無過不及之偏矣。非以道爲一心、人爲一心而又有一心、以精一之也。夫謂操而存者、非以彼操此而存心也。舎而亡者、非以彼舎此而亡之也。心而自操則亡者存。舎而不操則存者亡耳。然其操之也。亦曰、不使旦書之所爲得以梏亡其仁義之良心。云爾、非塊然兀坐以守其烱然不用之知覺而謂之操存也。若盡心云者、則格物窮理廓然貫通而有以極夫心之所具之理也。存心云者、則敬以直内義以方外。若前所謂精一操存之道也。故盡其心而可以知性知天、以其體之不蔽而有以究夫理之自然也。存心而可以養性事天、以其體之不失而有以順夫理之自然也。是豈以心盡心、以心存心、如兩物之相持而不相舎哉。若參前倚衡之云者、則爲忠信篤敬而發也。蓋曰、忠信篤敬不忘乎心、則無所適而不見其在是。云爾、亦非有以見夫心之謂也。且身在此而心參於前、身在輿而心倚於衡。是果何理也耶。大抵聖人之學本心、以窮理而順理以應物。如身使臂、如臂使指。其道夷而通、其居廣而安、其理實而行自然。釋氏之學以心求心、以心使心。如口齕口、如目視目、其機危而迫、其途險而塞、其理虚而其勢逆。蓋其言雖有若相似者、而其實之不同、蓋如此也。然非夫審思明辨之君子、其亦孰能無惑於斯耶。文集六十七。存心而之存心、恐當作存其心。
【読み】
○觀心の説に曰く、或るひと問う、佛者に觀心の説有り、然るか。曰く、夫れ心は人の以て身に主たる所の者なり。一にして二ならざる者なり。主と爲りて客と爲らざる者なり。物に命じて物に命ぜれらざる者なり。故に心を以て物を觀れば則ち物の理を得、今復物有りて以て心を反觀すれば、則ち是れ此の心の外復一心有りて能く此の心を管すなり。然れば則ち謂う所の心は、一爲るや、二爲るや。主爲るや、客爲るや。物に命ずる者爲るや、物に命ぜらる者爲るや。此れ亦敎を待たずして其の言の謬を審らかにす。或る者曰く、子の言の若くなれば、則ち聖賢の謂う所の精一、謂う所の操損、謂う所の心を盡くすは、性を知り心を存し性を養い、謂う所の其れ前に參って衡に倚るを見る者は皆何の謂ぞや。之を應じて曰く、此れ言の相似て同じからず、正に苗莠朱紫の間にして學者の當に辨ずべき所の者なり。夫れ人心の危と謂うは、人欲の萌なり。道心の微は、天理の奧なり。心は則ち一なり。正不正を以て其の名を異にするのみ。惟精惟一は則ち其の正に居て其の差を審らかにする者なり。其の異を絀けて其の同に反す者なり。能く是の如くなれば、則ち信に其の中を執りて過不及の偏無きなり。道を以て一心と爲し、人一心と爲りて又一心有り、以て之を精一にするに非ず。夫れ操りて存すと謂う者は、彼を以て此を操りて心を存するに非ざるなり。舎てて亡すは、彼を以て此を舎て之を亡すに非ざるなり。心にして自ら操れば則ち亡者存す。舎てて操らざれば則ち存する者亡のみ。然して其れ之を操るなり。亦曰く、旦書の爲す所は以て其の仁義の良心梏亡するを得せしめず。爾に云う、塊然兀坐し以て其の烱然不用の知覺を守りて之を操存と謂うに非ず。心を盡くすと云う者の若きは、則ち物に格り理を窮め廓然貫通して以て夫の心の具うる所の理を極むるに有るなり。心を存すと云う者は、則ち敬以て内を直くし義以て外を方にす。前に謂う所の精一操存の道の若きなり。故に其の心を盡くして以て性を知り天を知る可く、其の體の蔽わずして以て夫の理の自然を究むる有るを以てなり。心を存して以て性を養い天に事える可く、其の體を之れ失わずして以て夫の理の自然に順う有るを以てなり。是れ豈心を以て心を盡くし、心を以て心を存し、兩物の相持ちて相舎てざるが如くならんや。前に參って衡に倚るの云の者は、則ち忠信篤敬の爲にして發す。蓋し曰う、忠信篤敬心に忘れざれば、則ち適く所にして其れ是に在るを見ざる無し、と。爾に云う、以て夫の心を見ること有るの謂に非ざるなり。且つ身は此に在りて心は前に參るは、身は輿に在りて心は衡に倚る。是れ果して何の理ぞや。大抵聖人の學は心に本づき、以て理を窮めて理に順い以て物に應ず。身の臂を使うが如く、臂の指を使うが如し。其の道夷にして通り、其の居廣くして安く、其の理實にして自然を行く。釋氏の學は心を以て心を求め、心を以て心を使う。口の口を齕むが如く、目の目を視るが如く、其の機危くして迫り、其の途險にして塞がり、其の理虚にして其の勢逆なり。蓋し其の言相似たるが若き者有りと雖も、而して其の實の同じからざる、蓋し此の如きなり。然して夫れ思明辨の君子に非ざれば、其れ亦孰れか能く斯れに惑う無からんや。文集六十七。存心而の存心は、恐らくは當に存其心と作すべし。

38
○佛學自前也只是外面麁説、到梁達磨來、方説那心性。然士大夫未甚理會做工夫。及唐中宗時有六祖禪學、專就身上做工夫、直要求心見性。士大夫才有向裡者、無不歸他去。韓公當初若早有向裏底工夫、亦早落在中去了。語類百三十七。
【読み】
○佛學の自前は也た只是れ外面の麁説、梁の達磨來るに到り、方に那の心性を説く。然して士大夫甚だ工夫を做すを理會せず。唐の中宗の時に及び六祖が禪學有り、專ら身上に就きて工夫を做し、直に心を求め性を見るを要す。士大夫才かに裡に向かう者有れば、他に歸し去かざる無し。韓公當初若し早く裏に向かう底の工夫有れば、亦早く中に落在し去き了らん。語類百三十七。

39
○佛家都從頭不識、只是認知覺運動做性。所以鼓動得許多聰明豪傑之士、縁他是高於世俗、世俗一副當汙濁底事、他是無了。所以人競趨。他之學、元初也不如此。佛敎初入中國、只是脩行説話、如四十二章經是也。初間只有這一卷經。其中有云。佛問一僧、汝處家爲何業。對曰、愛彈琴。佛問、絃緩如何。曰、不鳴矣。弦急如何。曰、聲絶矣。急緩得中如何。曰、諸音普矣。佛曰、學道亦然。心須調適、道可得矣。初間只如此説。後來達磨入中國、見這般説話、中國人都會説了、遂換了話頭、專去面壁靜坐默照。那時亦只是如此。到得後來、又翻得許多禪底説話來、盡掉了舊時許多話柄。不必看經、不必靜坐、越弄得來闊、其實只是作弄這些精神。或曰、彼亦以知覺運動爲形而下者、以空寂爲形而上者、如何。曰、便只是形而下者。他只是將知覺運動做玄妙説。或曰、如此則安能動人。必更有玄妙處。曰、便只是這箇。他那妙處、離這知覺運動不得。無這箇、便説不行。只是被他作弄得來精、所以橫渠有釋氏兩末之論。只説得兩邊末梢頭、中間眞實道理却不曾識。如知覺運動、是其上一梢也。因果報應、是其下一梢也。或曰、因果報應、他那邊有見識底、亦自不信。曰、雖有不信底、依舊離這箇不得。如他幾箇高禪、縱説高殺、也依舊掉舍這箇不下、將去愚人。他那箇物事沒理會、捉撮他不得。儞道他如此、他又説不如此。儞道他是知覺運動、他又有時掉翻了。都不説時、雖是掉翻、依舊離這箇不得。百二十六。
【読み】
○佛家は都て從頭を識らず、只是れ知覺運動を認めて性と做す。許多の聰明豪傑の士を鼓動得る所以は、他は是れ世俗より高く、世俗は一副當に汙濁底の事にして、他は是れ無し了るに縁る。人の競趨する所以なり。他の學は、元初は也た此の如からず。佛敎の初めて中國に入るときは、只是れ脩行の説話にして、四十二章經の如きが是れなり。初間は只這の一卷經有るのみ。其の中に云う有り。佛一僧に問う、汝家に處りて何の業を爲すか。對して曰く、琴を彈すを愛す。佛問う、絃緩なれば如何。曰く、鳴らざるなり。弦急なれば如何。曰く、聲絶なり。急緩の中を得れば如何。曰く、諸音普し。佛曰く、學道も亦然り。心は須らく調適すべくして、道を得る可し。初間は只此の如き説のみ。後來達磨中國に入りて、這般の説話、中國人都て説を會し了るを見て、遂に話頭を換了し、專ら面壁靜坐默照し去く。那の時も亦只是れ此の如きのみ。後來に到り得て、又許多の禪底の説話を翻得て來て、盡く舊時許多の話柄を掉了す。必ずしも經を見ず、必ずしも靜坐せず、越々弄得來て闊し、其の實は只是れ這些の精神を作弄す。或るひと曰く、彼も亦知覺運動を以て形して下なり者と爲し、空寂を以て形して上なる者と爲す、如何。曰く、便ち只是れ形して下なり者なり。他は只是れ知覺運動を將って玄妙と做す説なり。或るひと曰く、此の如ければ則ち安んぞ能く人を動かさん。必ずや更に玄妙の處有らん。曰く、便ち只是れ這箇なり。他の那の妙處は、這の知覺運動を離れて得ず。這箇無ければ、便ち説きて行かず。只是れ他に作弄し得來しめて精しく、橫渠に釋氏兩末の論有る所以なり。只兩邊末梢頭を説き得、中間は眞實の道理却って曾て識らず。知覺運動の如き、是れ其の上一梢なり。因果報應、是れ其の下一梢なり。或るひと曰く、因果報應、他の那邊に見識有る底は、亦自ら信ぜず。曰く、信ぜざるの底有りと雖も、舊に依り這箇を離れ得ず。他の幾箇の高禪の如きは、縱え高を説き殺すも、也た舊に依り這箇を掉舍して下さず、將に去きて人を愚にす。他の那箇の物事を理會するに沒し、他を捉撮し得ず。儞、他は此の如きと道い、他は又此が如くならざるを説く。儞、他は是れ知覺運動と道い、他は又時有りて掉翻し了る。都て説かざる時に、是れ掉翻すと雖も、舊に依り這箇を離れ得ず。百二十六。

40
○答李伯諫書曰、來書云、輪囘因果之説、造妖捏恠以誑愚惑衆。故達磨亦排斥之。熹竊謂、輪囘因果之説乃佛説也。今以佛爲聖人而斥其言。至於如此、則老兄非特叛孔子、又謗佛矣。豈非知其説之有所窮也、而爲是遁辭以自解免哉。抑亦不得已於儒者、而姑爲此計、以緩其攻也。嗚呼吾未見聖人立説以誑愚惑衆、而聖人之徒倒戈以伐其師也。孰謂本末殊歸首尾衡決如是、而尚可以爲道乎。文集四十三。
【読み】
○李伯諫に答うる書に曰く、來書に云う、輪囘因果の説は、妖を造り恠を捏り以て愚を誑かし衆を惑わす。故に達磨も亦之を排斥す。熹竊かに謂う、輪囘因果の説は乃ち佛説なり。今佛を以て聖人と爲して其の言を斥ける。此の如きに至りては、則ち老兄は特に孔子に叛くに非ず、又佛を謗るなり。豈其の説の窮むる所有るを知りて、是れ遁辭を爲し以て自ら解免するに非ざるや。抑々亦儒者に已むことを得ずして、姑く此の計を爲し、以て其の攻を緩すなり。嗚呼吾れ未だ聖人の説を立て以て愚を誑かし衆を惑わして、聖人の徒の戈を倒にし以て其の師を伐るを見ず。孰か本末歸を殊にし首尾衡に決すること是の如くして、尚以て道と爲す可きを謂わんや。文集四十三。

41
○答陳衛道書曰、釋氏所見較之吾儒、彼不可謂無所見。但却只是從外靣見得箇影子、不曾見得裏許眞實道理。所以見處、則儘高明脱洒、而用處七顚八倒無有是處。儒者則要得見此心此理元不相離。雖毫釐絲忽間、不容有差舛。才是用處有差、便是見得不實。非如釋氏見處行處打成兩截也。嘗見龜山先生引龐居士説神通妙用、運水般柴話來、證孟子徐行後長義。竊意、其語未免有病。何也、蓋如釋氏説、則但能般柴運水、即是神通妙用。此即來喩所謂舉起處、其中更無是非。若儒者則須是徐行後長、方是。若疾行先長即便不是。所以格物致知、便是要就此等處、微細辨別、令日用間見得天理流行、而其中是非黑白各有條理、是者便是順得此理、非者便是逆著此理。胸中洞然無纖毫疑礙所以才能格物致知、便能誠意正心而天下國家可得而理、亦不是兩事也。五十九。
【読み】
○陳衛道に答うる書に曰く、釋氏の見る所之を吾儒に較ぶるに、彼は見る所無しと謂う可からず。但し却って只是れ外靣に從い箇の影子を見得、曾て裏許眞實の道理を見得ず。以て見る所の處は、則ち儘く高明脱洒にして、用うる處は七顚八倒是なる處有る無し。儒者は則ち此の心と此の理の元相離れざるを見るを得るを要す。毫釐絲忽の間と雖も、差舛有るを容れず。才かに是れ用いる處に差有れば、便ち是れ得るを見て實ならず。釋氏の見る處、行く處は打して兩截と成るが如きに非ざるなり。嘗て龜山先生の龐居士の神通妙用、運水般柴を説く話を引いて來て、孟子の徐行して長に後るの義を證するを見る。竊かに意う、其の語は未だ病有るを免れず、と。何となれば、蓋し釋氏が説の如きは、則ち但能く般柴運水にして、即ち是れ神通妙用。此れ即ち來喩に謂う所の舉起の處、其の中に更に是非無し。儒者の若きは則ち須らく是れ徐行して長に後る、方に是なり。若し疾行して長に先んずれば即ち便ち是ならず。物に格り知を致す所以は、便ち是れ此等の處に就き、微細に辨別し、日用の間に天理流行を見得て、其の中に是非黑白各々條理有り、是は便ち是れ此の理に順い得、非は便ち是れ此の理に逆著し、胸中洞然にして纖毫の疑礙無からしめ、才かに能く物に格りて知を致せば、便ち能く意を誠にし心を正にして天下國家得て理とす可き所以にて、亦是れ兩事ならざるなり。五十九。

42
○作用是性。在目曰見、在耳曰聞、在鼻齅香、在口談論、在手執捉、在足運奔。即告子、生之謂性之説也。且如手執捉。若執刀胡亂殺人、亦可爲性乎。龜山舉龐居士云、神通妙用、運水搬柴、以比徐行後長、亦坐此病。不知徐行後長乃謂之弟、疾行先長則爲不弟。如曰運水搬柴即是妙用、則徐行疾行皆可謂之弟耶。語類百二十六下同。
【読み】
○作用是性。目に在れば見ると曰い、耳に在れば聞くと曰い、鼻に在れば香を齅ぎ、口に在れば談論し、手に在れば執捉し、足に在れば運奔す。即ち告子、生を之れ性と謂うの説なり。且手の如く執捉す。若し刀を執り胡亂に人を殺すも、亦性と爲す可きか。龜山、龐居士の云う神通妙用、運水搬柴を舉げ、以て徐行して長に後れるに比すは、亦此病に坐す。徐行して長に後れるは乃ち之を弟と謂い、疾行して長に先んずるは則ち不弟と爲すを知らず。如し運水搬柴は即ち是れ妙用と曰えば、則ち徐行疾行は皆之を弟と謂う可きや。語類百二十六下同。

43
○佛氏元不曾識得這理一節、便認知覺運動做性。如視聽言貌、聖人則視有視之理、聽有聽之理、言有言之理、動有動之理、思有思之理、如箕子所謂明聰從恭睿、是也。佛氏則只認那能視、能聽、能言、能思、能動底、便是性、視明也得、不明也得、聽聰也得、不聰也得、言從也得、不從也得、思睿也得、不睿也得、他都不管、橫來豎來、他都認做性。他最怕人説這理字、都要除掉了。此正告子生之謂性之説也。
【読み】
○佛氏は元曾て這の理の一節を識得せず、便ち知覺運動を認めて性と做す。視聽言貌の如きは、聖人は則ち視るに視の理有り、聽くに聽の理有り、言うに言の理有り、動くに動の理有り、思うに思の理有りて、箕子謂う所の明聰從恭睿の如き、是れなり。佛氏は則ち只那の能視、能聽、能言、能思、能動底を、便ち是れ性と認め、視明なる也た得、明ならざる也た得、聽聰き也た得、聰からず也た得、言從なる也た得、從ならざる也た得、思睿る也た得、睿ざる也た得、他は都て管せず、橫來豎來、他は都て認めて性と做す。他は最も人の這の理の字を説くを怕れ、都れ除掉し了るを要す。此れ正に告子の生を之れ性と謂うの説なり。

44
○釋氏只知坐底是、行底是。如坐、交脛坐也得、疊足坐也得、邪坐也得、正坐也得。將見喜所不當喜、怒所不當怒、爲所不當爲。他只是直衝去、更不理會理。吾儒必要理會坐之理當如尸、立之理當如齋、如頭容便要直。所以釋氏無理。
【読み】
○釋氏は只坐する底は是れ、行する底は是れを知る。坐の如きは、脛を交えて坐すること也た得、足を疊みて坐すること也た得、邪に坐すること也た得、正坐すること也た得。將に當に喜ぶべからざる所を喜び、當に怒るべからざる所を怒り、當に爲すべからざる所を爲すを見んとす。他は只是れ直ち衝去し、更に理を理會せず。吾儒は必ず坐の理は當に尸の如くすべく、立の理は當に齋の如くすべく、頭の容の如きを便ち直を要するを理會するを要す。釋氏に理無き所以なり。

45
○釋氏棄了道心、却取人心之危者而作用之、遺其精者、取其粗者以爲道。如以仁義禮智爲非性、而以眼前作用爲性是也。此只是源頭處錯了。
【読み】
○釋氏は道心を棄了し、却って人心の危き者を取りて之を作用し、其の精なる者を遺し、其の粗なる者を取りて以て道と爲す。仁義禮智を以て性に非ずと爲して、眼前の作用を以て性と爲すが如き、是れなり。此れは只是れ源頭の處錯了す。

46
○儒者以理爲不生不滅、釋氏以神識爲不生不滅。龜山云、儒釋之辨、其差眇忽。以某觀之、眞似氷炭。
【読み】
○儒者は理を以て不生不滅と爲し、釋氏は神識を以て不生不滅と爲す。龜山云う、儒釋の辨、其の差眇忽、と。某を以て之を觀れば、眞に氷炭に似る。

47
○答李伯諫書曰、來書云、儒佛見處既無二理。其設敎何異也。蓋儒敎本人事、釋敎本死生。本人事故緩於見性、本死生故急於見性。熹謂、既謂之本則此上無復有物矣。今既二本。不知、所同者何事、而所謂儒本人事緩見性者亦殊無理。三聖作易首曰、乾元亨利貞。子思作中庸首曰、天命之謂性、孔子言性與天道、而孟子道性善。此爲本於人事乎。本於天道乎。緩於性乎。急於性乎。然著急字亦不得。俗儒正坐不知天理之大。故爲異説所迷、反謂聖學知人事而不知死生。豈不誤哉。聖賢敎人盡心以知性、躬行以盡性。終始本末自有次第。一皆本諸天理緩也。緩不得急也。急不得直是盡性至命、方是極、則非如見性之説一見之而遂已也。上蔡云、釋氏之論性猶儒者之論心。釋氏之論心猶儒者之論意。此語剖析極精、試思之如何。又曰、來書云、形有死生、眞性常在。熹謂性、無僞冒、不必言眞、未嘗不在、不必言在。蓋所謂性即天地所以生物之理、所謂維天之命於穆不已、大哉乾元、萬物資始者也。曷嘗不在而豈有我之所能私乎。釋氏所云眞性、不知其與此同乎否也。同乎此則古人盡心以知性知天。其學固有所爲、非欲其死而常在也。苟異乎此而欲空妄心見眞性、惟恐其死而失之、非自私自利而何。是猶所謂廉賈五之、不可不謂之貨殖也。伊川之論未易遽非、亦未易遽曉。他日於儒學見得一箇規模、乃知其不我欺耳。文集四十三。
【読み】
○李伯諫に答うる書に曰く、來書に云う、儒佛の見處は既に二理無し。其の敎を設ける、何ぞ異なるや。蓋し儒敎は人事に本づき、釋敎は死生に本づく。人事に本づく故に性を見るに緩く、死生に本づく故に性を見るに急なり。熹謂う、既に之を本と謂うは則ち此の上に復物有る無きなり。今既に本を二にす。知らず、同じ所の者は何事にして、謂う所の儒は人事に本づき性を見るに緩き者も亦殊て理無し。三聖易を作る首に曰う、乾元亨利貞、と。子思中庸を作りて首に曰う、天の命ずるを之れ性と謂う、と、孔子性と天道とを言いて、孟子は性善を道う。此れ人事に本づくと爲すか。天道に本づくか。性に緩きか。性に急か。然して急の字を著すも亦得ず。俗儒は正に天理の大を知らずに坐す。故に異説の爲に迷される所は、反って聖學は人事を知りて死生を知らずと謂う。豈誤まざるや。聖賢の人を敎うるに心を盡くし以て性を知り、躬行以て性を盡くす。終始本末自ら次第有り。一に皆諸れ天理に本づき緩なり。緩得ざれば急なり。急得ざれば直に是れ性を盡くし命に至りて、方に是れ極めれば、則ち性を見るの説の一たび之を見て遂に已むが如きに非ず。上蔡云う、釋氏の性を論ずるは猶儒者の心を論ずるがごとし。釋氏の心を論ずるは猶儒者の意を論ずるがごとし、と。此の語剖析精を極め、試みに之を思えば如何。又曰く、來書に云う、形に死生有り、眞性常に在る、と。熹の謂う性は、僞冒無ければ、必ずしも眞を言わず、未だ嘗て在らざれば、必ずしも在を言わず。蓋し謂う所の性即天地は物を生ずる所以の理、謂う所の維天の命於穆として已まず、大なる哉乾元は、萬物資して始める者なり。曷ぞ嘗て在らずして豈我の能く私する所有らんや。釋氏云う所の眞性は、其れ此れと同じか否かを知らざるなり。此れに同じければ則ち古人の心を盡くし以て性を知り天を知る。其の學固より爲す所有り、其れ死して常に在るを欲するに非ざるなり。苟も此れに異にして妄心を空にし眞性を見るを欲し、惟其れ死して之を失うを恐るるは、自私し自利するに非ずして何ぞ。是れ猶謂う所の廉賈之を五にし、之を貨殖と謂わざる可からざるがごとし。伊川の論は未だ遽に非とし易からず、亦未だ遽に曉とし易からず。他日儒學に於て一箇の規模を見得ば、乃ち其の我を欺かざるを知らん。文集四十三。

48
○答連崇卿書曰、所謂天地之性即我之性、豈有死而遽亡之理。此説亦未爲非。但不知、爲此説者、以天地爲主耶。以我爲主耶。若以天地爲主、則此性即自是天地間一箇公共道理、更無人物彼此之間死生古今之別。雖曰死而不亡、然非有我之得私矣。若以我爲主、則只是於自己身上認得一箇精神魂魄有知有覺之物、即便目爲己性、把持作弄到死不肯放舎。謂之死而不亡。是乃私意之尤者、尚何足與語死生之説性命之理哉。釋氏之學本是如此。今其徒之黠者往往自知其陋而稍諱之、却去上頭別説一般玄妙道理。雖若滉瀁不可致詰、然其歸宿實不外此若。果如此、則是一箇天地性中別有若干人物之性、毎性各有界限不相交雜。改名換姓自生自死、更不由天地隂陽造化、而爲天地隂陽者亦無所施其造化矣。是豈有此理乎。四十一。
【読み】
○連崇卿に答うる書に曰く、謂う所の天地の性は即我の性は、豈死して遽に亡ぶの理有らん、と。此の説亦未だ非と爲さず。但知らず、此の説を爲す者は、天地を以て主と爲すや。我を以て主と爲すや。若し天地を以て主と爲せば、則ち此の性は即ち自ら是れ天地の間一箇公共の道理にして、更に人物彼此の間で死生古今の別無し。死して亡ばずと曰うと雖も、然れども我の私するを得る有るに非ず。若し我を以て主と爲せば、則ち只是れ自己身上に於て一箇精神魂魄、知ること有り覺ること有るの物を認得し、即ち便ち目がけて己が性と爲し、把持作弄、死に到りても放舎を肯ぜず。之を死して亡びずと謂う。是れ乃ち私意の尤もなる者は、尚何ぞ與に死生の説性命の理を語るに足らんや。釋氏の學は本是れ此の如し。今其徒の黠者は往往自ら其の陋を知りて稍く之を諱み、却って上頭に去り別に一般玄妙の道理を説く。滉瀁の詰を致す可からざるが若しと雖も、然れども其の歸宿は實に此に外ならず。果して此の如きならば、則ち是れ一箇天地の性中に別に若干の人物の性有り、性毎に各々界限有り相交雜せず。名を改め姓を換え自ら生じ自ら死し、更に天地隂陽の造化に由らずして、天地隂陽爲る者も亦其の造化を施す所無きなり。是れ豈此の理有らんや。四十一。

49
○答廖子晦書曰、死生之論、向來奉答所諭知性事人之問、已發其端而近答崇卿書論之尤詳。意明者一讀當已洞然無疑矣、而來書之諭尚復如此。雖其連類引義若無津涯、然尋其大指、則皆不出前此兩書所論之中也。豈未嘗深以鄙説思之、而直以舊聞爲主乎。既承不鄙又不得不有以奉報。幸試思之。蓋賢者見所以不能無失者、正坐以我爲主、以覺爲性爾。夫性者理而已矣。乾坤變化萬物受命。雖所禀之在我、然其理則非有我之所得私也。所謂反身而誠、蓋謂盡其所得乎己之理、則知天下萬物之理、初不外此。非謂盡得我此知覺、則衆人之知覺皆是此物也。性只是理、不可以聚散言。其聚而生、散而死者氣而已矣。所謂精神魂魄有知有覺者、皆氣之所爲也。故聚則有、散則無。若理則初不爲聚散而有無也。但有是理則有是氣。苟氣聚乎此、則其理亦命乎此耳。不得以水漚比也。鬼神便是精神魂魄、程子所謂天地之功用造化之迹、張子所謂二氣之良能、皆非性之謂也。故祭祀之禮以類而感、以類而應。若性則又豈有類之可言耶。然氣之已散者既化而無有矣。其根於理而日生者、則固浩然而無窮也。故上蔡謂我之精神即祖考之精神、蓋謂此也。然聖人之制祭祀也、設主立尸、炳蕭灌鬯、或求之隂、或求之陽、無所不用其極、而猶止曰庶或享之而已。其至誠惻怚精微恍惚之意、蓋有聖人所不欲言者。非可以世俗麤淺知見、執一而求也。豈曰一受其成形、則此性遂爲吾有、雖死而猶不滅、截然自爲一物、藏乎寂然一體之中、以俟夫子孫之求而時出以饗之耶。必如此説則其界限之廣狹安頓之處所、必有可指言者。且自開闢以來積至于今、其重併積疊計已無地之可容矣。是又安有此理耶。且乾坤造化如大洪爐。人物生生無少休息。是乃所謂實然之理不憂其斷滅也。今乃以一片大虚寂目之、而反認人物已死之知覺、謂之實然之理。豈不誤哉。又聖賢所謂歸全安死者、亦曰無失其所受乎天之理、則可以無愧而死耳。非以爲實有一物可奉持而歸之、然後吾之不斷不滅者、得以晏然安處乎冥漠之中也。夭壽不貳修身以俟之。是乃無所爲、而然者與異端爲生死事大無常迅速、然後學者、正不可同日而語。今乃混而言之、以彼之見爲此之説。所以爲説愈多而愈不合也。四十五。
【読み】
○廖子晦に答うる書に曰く、死生の論、向來答えを奉り諭す所は生を知り人に事えるの問、已に其の端を發して近ごろ崇卿に答うる書の之を論ずる、尤も詳らかなり。明者一たび讀めば當に已に洞然として疑い無きの意にて、來書の諭も尚復此の如し。其の類を連ね義を引けば津涯無きが若しと雖も、然れども其の大指を尋れば、則ち皆此より前兩書の論ずる所の中を出ざるなり。豈未だ嘗て深く鄙説を以て之を思わずして、直に舊聞を以て主と爲さんや。既に不鄙を承て又以て報を奉ずること有らざるを得ず。幸に試みに之を思え。蓋し賢者の見の以て失う無きこと能わざる所の者は、正に我を以て主と爲し、覺を以て性と爲すに坐するのみ。夫れ性は理のみ。乾坤變化萬物命を受く。禀する所之れ我に在りと雖も、然れども其の理は則ち我の私するを得る所有るに非ざるなり。謂う所の身に反りて誠なるは、蓋し其の己に得る所の理を盡くせば、則ち天下萬物の理、初めより此に外ならざるを知るを謂う。我が此の知覺を盡くし得ば、則ち衆人の知覺皆是れ此の物と謂に非ざるなり。性は只是の理にて、聚散を以て言う可からず。其れ聚って生じ、散じて死する者は氣のみ。謂う所の精神魂魄知ること有り覺ること有る者、皆氣の爲す所なり。故に聚まれば則ち有り、散れば則ち無し。理の若きは則ち初めより聚散して有無なるを爲さざるなり。但し是の理有れば則ち是の氣有り。苟も氣此に聚まれば、則ち其の理も亦此に命ずるのみ。水漚を以て比するを得ざるなり。鬼神は便ち是れ精神魂魄、程子の謂う所の天地の功用造化の迹、張子の謂う所の二氣の良能は、皆性の謂いに非ざるなり。故に祭祀の禮は類を以て感じ、類を以て應ず。性の若きは則ち又豈類の言う可き有らんや。然して氣の已に散ずる者は既に化して有る無し。其の理に根いて日に生ずる者は、則ち固より浩然として窮むこと無きなり。故に上蔡の我の精神は即ち祖考の精神と謂うは、蓋し此の謂いなり。然して聖人の祭祀を制するや、主を設け尸を立て、蕭を炳し鬯を灌し、或いは之を隂に求め、或いは之を陽に求め、其極を用いざる所無くして、猶止々として庶わくば或いは之を享けんと曰うのみ。其の至誠惻怚精微恍惚の意は、蓋し聖人の言を欲せざる所の者有り。世俗麤淺の知見を以て、一を執りて求める可きに非ず。豈一たび其の成形を受ければ、則ち此の性は遂に吾に有りと爲し、死すと雖も而して猶滅せず、截然として自ら一物と爲し、寂然一體の中に藏し、以て夫れ子孫の求めを俟ちて時に出で以て之を饗すと曰んや。必ず此の如くなれば則ち其の界限の廣狹、安頓の處所、必指言す可き者有り。且つ開闢より以來積んで今に至り、其の重併積疊計に已に地の容れる可き無きなり。是れ又安んぞ此の理有らんや。且つ乾坤造化は大洪爐の如し。人物生生し少しの休息無し。是れ乃ち謂う所の實然の理は其の斷滅を憂えざるなり。今乃ち一片大虚寂を以て之を目て、反って人物已に死するの知覺を認め、之を實然の理と謂う。豈誤まらざるや。又聖賢の謂う所の全きを歸し死を安んずる者も、亦其の天に受くる所の理を失うこと無くば、則ち以て愧ずること無くして死す可しと曰うのみ。以て實に一物奉持して之を歸す可く有り、然る後吾の斷ぜず滅せざる者は、以て晏然として冥漠の中に安處するを得ると爲すに非ず。夭壽貳ず身を修め以て之を俟つ。是れ乃ち爲にする所無くして、然る者は異端の生死事大無常迅速の爲にし、然る後學ぶ者と、正に日を同じくして語る可からず。今は乃ち混じて之を言い、彼の見を以て此の説を爲す。説を爲すこと愈々多くして愈々合わざる所以なり。四十五。

50
○跋向伯元遺戒曰、自佛敎入中國、上自朝廷下達閭巷、治喪禮者一用其法。老子之徒厭苦岑寂、輙亦傚其所爲鄙陋不經可怪可笑、而習族靡然恬不覺悞。在唐唯姚文獻公在本朝、則司馬文正公關洛、程張諸君子以及近世張忠獻公始斥不用。然亦未能盡障其横流也。近故朝議大夫向公伯元少受學於胡文定公、晩年退處于家、尊聞行知不以老而少懈。及啓手足親書幅紙戒其子孫、勿爲世俗所謂道塲者。筆札端好詞意謹嚴、與平日不少異。諸孤士伯等奉承遺指、不敢失墜。既又謀刻諸石以詒乆遠、間以視熹。熹竊以爲、此書之行可爲世法。觀者誠能因而推之、盡袪末俗之陋以求先王之禮、而審行之、則斯言也不但爲向氏一門之訓而已。因識其後以發之。八十三。
【読み】
○向伯元が遺戒に跋して曰く、佛敎の中國に入るより、上は朝廷より下は閭巷に達するまで、喪禮を治むる者は一に其の法を用す。老子の徒は岑寂を厭苦し、輙ち亦其の爲す所に傚いて鄙陋不經怪しむ可く笑う可くして、習族靡然恬とし悞りを覺らず。唐に在りては唯姚文獻公の本朝に在りては、則ち司馬文正公關洛し、程張諸君子より以て近世張忠獻公に及び始めて斥けて用いず。然して亦未だ盡く其の横流を障ぐこと能わざるなり。近ごろ故の朝議大夫向公伯元少くして學を胡文定公に受け、晩年家に退處し、聞を尊び知を行い老を以てして少しも懈らず。手足を啓くに及び親に幅紙に書し其の子孫を戒め、世俗の謂う所の道塲なる者を爲すこと勿からしむ。筆札端好詞意謹嚴、平日と少しも異ならず。諸孤士伯等は遺指を奉承し、敢て失墜せず。既に又諸を石に刻み以て乆遠に詒くを謀り、間に以て熹に視す。熹竊かに以爲らく、此の書の行わる、世法と爲す可し。觀る者は誠に能く因りて之を推し、盡く末俗之陋を袪し以て先王の禮を求めて、審らかに之を行えば、則ち斯の言は但向氏一門の訓と爲すのみならず。因りて其の後に識し以て之を發す。八十三。

51
○勸女道還俗牓曰、蓋聞、人之大倫夫婦居一。三綱之首理不可廢。是以先王之世、男各有分、女各有歸、有媒、有娉、以相配偶。是以男正乎外、女正乎内。身脩家齋風俗嚴整嗣續分明、人心和平百物順治。降及後世、禮敎不明、佛法魔宗乘間竊發唱爲邪説、惑亂人心。使人男大不婚、女長不嫁、謂之出家脩道、妄希來生福報。若使舉世之人盡從其説、則不過百年、便無人種、天地之間莾、爲禽獸之區、而父子之親、君臣之義、有國家者所以維持綱紀、之具皆無所施矣。幸而從之者少、彝倫得不殄滅、其從之者、又皆庸下之流。雖惑其言、而不能通其意、雖悦其名、而不能踐其實。血氣既盛、情竇日開中、雖悔於出家、外又慚於還俗。於是不昬之男、無不盗人之妻。不嫁之女、不肆爲淫行。官司縦而不問、則風俗日敗、悉繩以法、則犯者已多。是雖其人不能自謀、輕信邪説以至於此、亦其父母不能爲其兒女計慮乆遠。之罪究觀本末、情實可哀。此當職前日之榜、所以不憚於丁寧也。然昨來告戒未行、只縁區處未廣。今復詳思、與其使之存女道之名、以歸父母兄弟之家、亦是未爲了當、終久未免悔吝。豈若使其年齒尚少容貌未衰者各歸本家、聽從尊長之命、公行媒娉、從便昬嫁、以復先王禮義之敎、以遵人道性情之常、息魔佛之妖言、革淫亂之汚俗。豈不美哉。如云昬嫁必有聘定賚送之費、則脩道亦有庵舎衣鉢之資、爲父母者隨家豊儉、移此爲彼。亦何不可。豈可私憂過計苟徇目前、而使其男女孤單愁苦無所依託、以陷邪僻之行鞭撻之刑哉。凡我長幼悉聽此言、反復深思、無貽後悔故榜。百。
【読み】
○女道俗に還るを勸むるの牓に曰く、蓋し聞く、人の大倫は夫婦一に居る。三綱の首の理は廢す可からず。是れを以て先王の世、男各々分有り、女各々歸する有り、媒有り、娉有り、以て相配偶す。是れを以て男は外に正し、女は内に正す。身脩めて家齋み風俗嚴整嗣續分明、人心和平し百物順治す。降りて後世に及び、禮敎明ならず、佛法魔宗間に乘じ竊かに發して邪説を唱爲し、人心を惑亂す。人は男大にして婚せず、女長じて嫁せざらしめば、之を出家脩道と謂い、妄りに來生福報を希う。若し舉世の人盡く其の説に從わしめば、則ち百年を過ぎずして、便ち人種無く、天地の間は莾とし、禽獸の區と爲して、父子の親、君臣の義、國家を有する者の維持綱紀する所以、之れ具々皆施す所無し。幸いにして之を從う者少なく、彝倫殄滅せざるを得、其れ之を從う者は、又皆庸下の流なり。其の言に惑うと雖も、而して其の意通ずること能わず、其の名を悦ぶと雖も、而して其の實を踐むこと能わず。血氣既に盛んにして、情竇日に開く中に、出家に悔ゆと雖も、外は又還俗に慚る。是に於て昬せざるの男は、人の妻を盗まざること無し。嫁せざるの女は、肆に淫行を爲さざること無し。官司縦にして問わざれば、則ち風俗日に敗れ、悉く繩るに法を以てすれば、則ち犯す者已に多し。是れ其の人自ら謀ること能わず、邪説を輕信して以て此れに至ると雖も、亦其の父母も其の兒女の爲に計慮乆遠なること能わず。之の罪本末を究觀するに、情實哀れむ可し。此れ當職前日の榜の、丁寧に憚からざる所以なり。然して昨來の告戒未だ行わざるは、只區處未だ廣からざるに縁る。今復詳に思い、其の之を女道の名存し、以て父母兄弟の家に歸しむも、亦是れ未だ了當と爲さず、終に久しく未だ悔吝を免れざるか。豈其の年齒尚少なく容貌未だ衰えざる者は各々本家に歸し、尊長の命に聽從し、媒娉を公行し、便に從い昬嫁し、以て先王禮義の敎に復し、以て人道性情の常に遵い、魔佛の妖言を息め、淫亂の汚俗を革めしむるに若ず。豈美ならずや。如し昬嫁に必ず聘定賚送の費有ると云わば、則ち脩道も亦庵舎衣鉢の資有り、父母爲る者は家の豊儉に隨い、此へ移し彼と爲す。亦何ぞ可ならざらん。豈私憂過計苟も目前に徇いて、其の男女孤單愁苦依託する所無ければ、以て邪僻の行鞭撻の刑に陷らんや。凡そ我が長幼悉く此の言を聽き、反復深思し、後悔を貽ること無からん故に榜す。百。

52
○崇安縣學田記曰、崇安縣故有學而無田。遭大夫之賢而有意於敎事者、乃能縮取他費之贏、以供養士之費。其或有故而不能繼、則諸生無所仰食、往往散去。以是殿堂傾圯齋館蕪廢、率常更十數年。乃一聞弦誦之聲、然又不一二歳輒復罷去。淳熈七年、今知縣事趙侯始至而有志焉。既葺其宮廬之廢壞而一新之、則又圖所以爲飮食久遠之計者、而未知所出也。一日視境内浮屠之籍、其絶不繼者凡五。曰中山、曰白雲、曰鳳林、曰聖暦、曰曁暦、而其田不耕者以畝計凡若干、乃喟然而嘆曰、吾知所以處之矣。於是悉取而歸之於學。蓋歳入粗米二百二十解、而士之肄業焉者得以優游卒歳而無乏絶之慮。既而學之群士十餘人、相與走予所居之山間、請文以記其事。曰、不則懼夫後之君子莫知其所始、而或至於廢壞也。予惟三代盛時、自家以達於天子諸侯之國、莫不有學、而自天子之元子以至於士庶人之子莫不入焉、則其士之廩於學官者、宜數十倍於今日而考之禮典、未有言其費出之所自者。豈當時爲士者、其家各已受田而其入學也、有時故得以自食其食、而不仰給於縣官也歟。至漢元成間、乃謂孔子布衣養徒三千、而增學官弟子、至不復限以員數。其後遂以用度不足、無以給之、而至於罷。夫謂三千人者、聚而食於孔子之家、則已妄矣。然養士之需、至以天下之力奉之而不足、則亦豈可不謂難哉。蓋自周衰田不井授、人無常産、而爲士者尤厄於貧、反不得與爲農工商者齒。上之人乃欲聚而敎之、則彼又安能終歳裹飯而學於我。是以其費雖多、而或取之經常之外、勢固有所不得已也。况今浮屠氏之説亂君臣之禮、絶父子之親、淫誣鄙詐以敺誘一世之人、而納之於禽獸之域。固先王之法之所必誅而不以聽者也。顧乃肆然蔓衍於中國、豐屋連甍、良疇接畛、以安且飽而莫之域禁。是雖盡逐其人、奪其所據、而悉歸之學、使吾徒之學爲忠孝者、得以無營於外、而益進其業、猶恐未足以勝其邪説。况其荒墜蕪絶偶自至此、又欲封植而永乆之乎。趙侯取之、可謂務一而兩得矣。故特爲之記其本末與其指意所出者。如此以示後之君子、且以警夫學之諸生、使益用力乎予之所謂忠且孝者。七十九。
【読み】
○崇安縣學田の記に曰く、崇安縣故と學有りて田無し。大夫の賢にして敎事に意有る者に遭い、乃ち能く他の費の贏を縮取し、以て士を養うの費を供す。其れ或いは故有りて繼ぐ能わざれば、則ち諸生仰食する所無くして、往往散去す。是を以て殿堂傾圯齋館蕪廢、率ね常に十數年更ず。乃ち一たび弦誦の聲を聞くに、然して又一二歳ならず、輒ち復罷去す。淳熈七年、今の知縣事趙侯の始めて至りて志有り。既に其の宮廬の廢壞を葺いて之を一新すれば、則ち又以て飮食久遠の計を爲す所の者を圖りて、未だ出す所を知らざるなり。一日境内浮屠の籍を視れば、其の絶えて繼がざる者凡そ五なり。中山と曰い、白雲と曰い、鳳林と曰い、聖暦と曰い、曁暦と曰いて、其の田耕さざる者は畝を以て計ること凡そ若干、乃ち喟然として嘆じて曰く、吾以て之を處する所を知るなり。是に於て悉く取りて之を學に歸す。蓋し歳入粗米二百二十解にして、士の業を肄う者は以て優游歳を卒えて乏絶の慮無きを得。既にして學の群士十餘人、相與に予の居る所の山間に走り、文を以て其事を記すを請う。曰く、不れば則ち夫れ後の君子は其の始むる所を知ること莫くして、或いは廢壞に至るを懼れん、と。予惟三代盛んなる時、家より以て天子諸侯の國に達し、學有らざること莫くして、天子の元子より以て士庶人の子に至るまで入らざる莫きは、則ち其れ士の學官に廩す者は、宜しく今日に數十倍にして之を禮典に考えるに、未だ其の費出の自する所を言う者有らず。豈當時の士爲る者は、其の家各々已に田を受けて其れ學に入り、時有る故に以て自ら其の食を食して、縣官に仰給せざるを得んや。漢の元成の間に至り、乃ち孔子布衣し徒三千を養うと謂いて、學官の弟子を增し、復限に員數を以てせざるに至る。其の後遂に用度足らず以て之を給すこと無きを以てして、罷むるに至る。夫れ三千人の者、聚めて孔子の家に食すと謂うは、則ち已に妄なり。然して士を養うの需は、天下の力を以て之を奉じて足らざるに至るは、則ち亦豈難と謂わざる可けんや。蓋し周衰え田井授せず、人常産無きよりして、士爲る者尤も貧を厄い、反って農工商爲る者と齒するを得ず。上の人乃ち聚めて之を敎えんと欲すれば、則ち彼又安んぞ能く終歳飯を裹みて我に學ばん。是れを以て其の費多しと雖も、而して或いは之を經常の外に取り、勢固より已むことを得ざる所有るなり。况や今の浮屠氏の説は君臣の禮を亂し、父子の親を絶し、淫誣鄙詐を以て一世の人を敺誘して、之を禽獸の域に納む。固より先王の法の必ず誅して以て聽かざる所の者なり。顧みて乃ち肆然として中國に蔓衍し、屋を豐にし甍を連ね、良疇畛を接し、以て安し。且つ飽きて之を域いは禁ずること莫し。是れ盡く其れ人を逐うと雖も、其の據る所を奪いて、悉く之を學に歸し、吾が徒の忠孝を爲すを學ぶ者、以て外に營すること無くして、益々其の業に進むを得しむと雖も、猶恐らくは未だ以て其の邪説に勝つに足らず。况や其の荒墜蕪絶偶自此に至り、又封植して之を永乆にせんと欲するをや。趙侯之を取り、一を務めて兩得すと謂う可し。故に特に之が爲に其の本末と其の指意の出る所の者とを記す。此の如きを以て後の君子に示し、且つ以て夫れ學の諸生を警し、益々力を予の謂う所の忠且つ孝なる者に用いしむ。七十九。

53
○感興詩曰、西方論縁業卑卑喩羣愚。流傳世代乆。梯接凌空虚、顧盻指心性、名言超有無。捷徑一以開、靡然世爭趨、號空不踐實、躓彼榛棘途。誰哉、繼三聖爲我焚其書。四。
【読み】
○感興の詩に曰く、西方縁業を論し卑卑として羣愚を喩す。流傳世代乆し。梯接して空虚を凌ぎ、顧盻して心性を指し、名じ有無を超ずと言う。捷徑一たび以て開けば、靡然として世は爭趨し、空を號して實を踐まず、彼の榛棘の途を躓く。誰かな、三聖に繼ぎ我が爲に其の書を焚かん。四。

54
○與呂伯恭書曰、向來見人陷於異端者、毎以攻之爲樂、勝之爲喜。近來唯覺彼之迷昧爲可憐、而吾道不振之可憂、誠實痛傷不能自已耳。此不知、年老氣衰而然耶。抑亦漸得情性之正也。向見吾兄、於儒釋之辨不甚痛説。此固爲深厚。然不知者便謂、高明有意隂主之。此利害不小。熹近日見得、學者若於此處見得不分明、便使忠誠孝友有大過人之行、亦須有病痛處。其爲正道之害益深。正當共推血誠力救此弊、乃是吾黨之責耳。二十五。
【読み】
○呂伯恭に與えし書に曰く、向來人の異端に陷る者見るに、毎に之を攻むるを以て樂と爲し、之を勝つを喜びと爲す。近來唯彼の迷昧憐れむ可きと爲して、吾が道の振わざる、之を憂う可く、誠實痛傷して自ら已むこと能わざるを覺えるのみ。此れ知らず、年老いて氣衰えて然るや。抑々亦漸く情性の正を得るなり。向こうに吾が兄を見て、儒釋の辨に於て甚だしくは痛説せず。此れ固より深厚爲り。然して知らざる者は便ち謂う、高明隂に之を主とするに意有り、と。此れ利害小ならず。熹近日見得、學者若し此の處に於て見得て分明ならざれば、便ち忠誠孝友大いに人に過ぐの行有らしむも、亦須らく病痛の處有るべし。其の正道の害爲るや益々深し。正に當に共に血誠を推し力めて此の弊を救うべく、乃ち是れ吾が黨の責のみ。二十五。

跋排釋録
朱子解孟子能言距楊墨之説曰、邪説害正、人人得攻之。不必聖賢。如春秋之法、亂臣賊子、人人得而誅之。不必士師也。聖人救世立法之意、其切如此。若以此意推之、則不能攻討、而又唱爲不必攻討之説者、其爲邪説之徒、亂賊之黨可知矣。嗚呼孟朱之言、如是之嚴且切、而程子又曰、佛老之害甚於楊墨、則學者之於佛氏也、豈可不痛辯而猛距哉。此予所以不敢自量、集是編、以欲與天下後世植正排邪者共之也。
貞享乙丑夏至日 佐藤直方謹識。
【読み】
朱子、孟子能く楊墨を距ぐを言うの説を解して曰く、邪説の正を害するは、人人得て之を攻む。必ずしも聖賢のみならず。春秋の法の、亂臣賊子は、人人得て之を誅す。必ずしも士師ならざるが如きなり。聖人の世を救い法を立つるの意、其の切なる此の如し。若し此の意を以て之を推せば、則ち攻討すること能わずして、又必ずしも攻討せずの説を唱え爲す者は、其の爲邪説の徒、亂賊の黨たるを知る可し。嗚呼孟朱の言、是の如く之れ嚴且切にして、程子又、佛老の害は楊墨より甚だしと曰えば、則ち學者の佛氏に於るや、豈痛辯して猛距せざる可けんや。此れ予が敢て自ら量らず、是の編を集して、以て天下後世の正を植て邪を排する者と之を共にせんと欲する所以なり。
貞享乙丑夏至日 佐藤直方謹識。

貞享丙寅臘月吉辰 壽文堂刊行