近思録巻之三筆記

致知凡七十八條  十月十六日  邦直録
【語釈】
・十月十六日…寛政2年庚戌(1790年)10月16日。
・邦直…

近思と云字を一巻々々に吟味すべしと云のは先達て聞たからよいと思は近思に遠々しいそ。譬は同し人に一日に三度逢ふとも其度ことに詞をかけるやふなもの。学者もそれなり。又しても々々々々、やが上々々々とするてなけれは役に立ぬ。今日誰しも新宅普請[ふるまい]に招れて、其日こそよい普請、よい庭とほむれとも、跡てはもふほめぬ。それては近思の意でない。茶人は幾度ゆいても其度ひ毎に丁寧に見てほめる。先達而御近付と云氣ては近思の親切はないそ。先、吾身に引付て思を近思と云。人のことてはない。をれかことじゃと云のそ。ずんと遠くのことを云ても、あれは京大坂のことてはないと知ことなり。とと、役に立ぬことを考へ思ぬことなり。凡人は我身にかまわず遠くのことを思。とど、玉しひをついやすのじゃ。論吾の註、勞而無功はここそ。医者も大切の病人を請取たならは、其事のみ專一に思へし。思もいろ々々、論語ては近思、偖又中庸に愼思とある。あれは思の筋を取違へぬことなり。胷中て思ふことゆへくるひが来て、つい隣のことになる。そこを横の方へきれぬやうにするか愼思そ。又、孟子の、周公の仰て思と云ふは、思ひ得ぬことをとふじゃこふじゃと胷へつけて思ふことなり。又、季文子の三ひ思のわるいは、思ひつけたことを又思ゆへ訶らるる。思にも段々のあることゆへに大切なり。
【解説】
近思とは、毎度、自分に引き付けて思うことである。それは他人事ではなく、自分自身で思うことだから、自分に役立たないことを思っても無駄である。凡人は自分の身から離れたことを思うが、それが「労而無功」である。また、中庸の慎思とは、思いが横に逸れない様にすること。周公の「仰而思之」は、思い得ないことを思うこと。「季文子三思而後行」は思い得たことを再度思い直すこと。この様に、「思」には様々な段階がある。
【通釈】
近思という字を一巻毎に吟味しなければならないということは先達て聞いたからもうよいと思うのは、近思に遠々しい。たとえば同じ人に一日に三度逢うとしても、その度に言葉をかける様なもの。学者もそれと同じである。またしても、いやが上にもとするのでなければ役には立たない。今日、新宅振舞いに招かれれば、誰もがその日こそよい普請だ、よい庭だと褒めるが、後ではもう褒めない。それでは近思の意ではない。茶人は幾度もその度に丁寧に見て褒める。先達てよりお近付きという気では、近思の親切はない。先ずは我が身に引き付けて思うことを近思と言う。それは人のことではなく、自分のことだということ。遥か遠くのことを言ったとしても、それは京や大坂のことではないと知りなさい。結局は、役に立たないことを考えたり思ったりはしないということ。凡人は我が身に構わず遠くのことを思い、結局は魂を費やすことになる。論語の註にある「労而無功」はそのこと。医者も大切な病人を請け取ったのなら、その事のみを専一に思う筈である。思にも色々とあって、論語では近思、さてまた中庸には慎思とある。あれは思いの筋を取り違えないこと。思とは自分の胸中で思うことなのでそこに狂いが出て、つい隣のことになる。そこを横の方へ逸れない様にするのが慎思である。また、孟子が周公は「仰而思之」と言ったが、それは思い得ないことをどうだこうだと胸へ付けて思うこと。また、季文子が三度思うのは悪いと言うのは、思い付けたことをまた思うからで、それで訶られた。思にも段々があるのであって、それ故に大切なのである。
【語釈】
・勞而無功…論語子張6集註。「蘇氏曰、博學而志不篤、則大而無成。泛問遠思、則勞而無功」。
・論語ては近思…論語子張6。「子夏曰、博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣」。
・中庸に愼思…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。
・孟子の、周公の仰て思…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒、而好善言。湯執中、立賢無方。文王視民如傷、望道而未之見。武王不泄邇、不忘遠。周公思兼三王以施四事。其有不合者、仰而思之、夜以繼日、幸而得之、坐以待旦」。
・季文子の三ひ思…論語公冶長19。「季文子三思而後行。子聞之曰、再斯可矣」。

又、論語に思不出其位とあるをここに引付みよ。大切なことそ。浪人儒者か政事を評し、隠者か其村のことに口を出す。たとひ至極尤なことを云をふけれとも、村には役人ある。それに色々こうするがよいと思慮すれば、はや位を出たのなり。とど、役に立ぬことを思はぬのが近思そ。某が近思を讀も、兎角朱子の意に叶やふに々々々々とすることて近思そ。寛喜が傷寒の療治に見違へあろふとて、儒者か氣遣はいらぬ。今、浪人が、をれが役人になるとと云たかる。近思がないと思が位を出る。つまり、伊尹の有莘之野に耕して居らるる中は天下のことに氣は付れぬ。すわ用ひらるる段になると、其君を堯舜にせふと云思召そ。これ、伊尹の近思なり。曽点の謡て歸んと云に孔子の與するも、自分の當然を合点されたゆへに思こと位を出す。やはり近思なり。浪人儒者が位の外を云たかりても、其君をも堯舜になすの大事業はさてをき、小村の仕置も中々出来まい。可笑ことなり。それはとふなれは、もと近思の意なく、遠く思からそ。目の付処が違ふなり。さて、近思は靣々で違ふと合点すべし。手ん々の身へ引付る処で十人が十人で違ふことぞ。なぜなれば、積持はどふぞして積を直そふとし、頭痛持はどふかなして頭痛を直そふとする心から、人のことに搆はぬ。俗に云、隣の疝気を頭痛に病と云ふは近思でない。人のためにするのそ。爰に合点ゆくと、近思の二字て此身を建立する。
【解説】
近思とは、自分の役に立たないことは思わないことで、それは「思不出其位」である。人にはそれぞれの位に応じた近思があり、その位を出て思うことは悪い。
【通釈】
また、論語に「思不出其位」とあるのをここに引き付けて見なさい。それは大切なこと。浪人や儒者が政事を評したり、隠者が村の事に口を出す。たとえそれが至極尤もなことだったとしても、村には役人がいるのであって、それにも拘わらず、こうするのがよいと色々と思慮をすれば、早くも位を出たことになる。つまりは役に立たないことを思わないのが近思である。私が近思を読むのも、とかく朱子の意に叶う様にしようとするのであって、これが近思である。寛喜がする傷寒の療治に見違えがあるのではないだろうかなどと、儒者が気遣いをする必要はない。今浪人が、俺が役人になればと言いたがる。近思がないと思いが位を出る。つまり、伊尹は有莘の野で耕しておられる内は天下のことに気を掛けることはされなかったが、急に用いられる段になると、その君を堯舜の様にしようと思し召した。これが伊尹の近思である。曾點が「詠而帰」と言ったことに孔子が与したのも、自分の当然を合点されたからで、それが思不出其位であり、やはり近思である。浪人や儒者が位の外を言いたがっても、その位を堯舜の様にする伊尹の様な大事業はさて置き、小村の仕置きでさえも中々できないだろう。それは可笑いことである。それはどうしてかと言うと、初めから近思の意もなく、遠く思うからであって、目の付け処が違うのである。さて、近思は人それぞれに違うと合点しなさい。それぞれの身へ引き付ける処が十人が十人共に違う。それは何故かと言うと、癪持ちはどうにかして癪を直そうとし、頭痛持ちはどうにかして頭痛を直そうとする心であって、人のことには構ってはいられないからである。俗に、隣の疝気を思って頭痛を病むというのは近思でない。それは人のためにすること。ここに合点が行くと、近思の二字でこの身を建立することになる。
【語釈】
・思不出其位…論語憲問28。「曾子曰、君子思不出其位」。
・寛喜…
・伊尹の有莘之野…孟子萬章章句7。「伊尹耕於有莘之野、而樂堯舜之道焉」。
・其君を堯舜にせふ…為学1。「伊尹恥其君不爲堯舜」。書経説命下。「予弗克俾厥后惟堯舜、其心愧恥、若撻于市。一夫不獲、則曰時予之辜」。
・曽点の謡て歸んと云に孔子の與する…論語先進25。「點爾何如。鼓瑟希。鏗爾舍瑟而作。對曰、異乎三子者之撰。子曰、何傷乎。亦各言其志也。曰、莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也」。

致知。々々は大学の入口、学問の入口。知をみかくより先なるはなし。ときに今ま、日本辞に知ることを致むとも云、知を致むとも云。これては大きに違ふ。直方も云てあり。知と云へはもち前で仁義礼智の固有、手を付ずに良知の知なり。知ることを致むと云へば、今迠知たをきわめることなり。直方の、知は去声なりはそこぞ。親に孝はたれに聞すと知たことそ。其知た上をもっときわめるか致知なり。火鉢の中へ手を入れぬてみよ。外のことはそのやうにいかぬ。本に知ぬから知た通にいかぬ。何ことも水火のやふに合点すれは眞に知たと云ものそ。日用五倫の間、万事万端其とをりに知つめることなり。王陽明はきわめるをいやかりて、手前に持た知てすむと思ふ。なるほと一理あり、尤なり。王陽明は半分知て半分知らぬ。たたい知は致めるでよくなる。鷺は鷺、からすは烏と云やふに、世の中この通黑白の判る様にはいかす。そふゆけば、学問はいらぬ。王阳明か良知てすむと云は目を子むって筆を取様なもの。源内でも孫兵衞でも目を塞ひては書れず。向の相手を取て、こちの明になるか致知そ。王陽明はこの筋を知らぬ。こちの目じゃから向にはかまいそもないものじゃが、そこが大学の補傳即物究其理なり。
【解説】
学問は知から始まる。知とは自分自身に備わっている良知の知のことである。また、致知とは、日用五倫の間にある万事万端をその通りに知り詰めることである。王陽明は知を窮めることを嫌がって、自分にある知だけで足りると考えたが、それでは致知ではない。世の中は単純なものではないから相手をよく知ることが必要であって、良知だけでは済まない。
【通釈】
致知。致知は大学の入口であり、学問の入口である。知を磨くより先のことはない。時に今、日本の辞に知ることを致むとも言い、知を致むとも言う。これでは大きく違う意となる。直方も言っているが、知というものは自分の持ち前であって、仁義礼智という固有なもので、手を付けなくてもある良知の知のこと。知ることを致むと言えば、今までに知ったことを致めることになる。直方が、知は去声であると言ったのはそこ。親に孝は誰に聞かなくても知ったこと。その知った上をもっと致めるのが致知である。火鉢の中へ手を入れる人はいないことで判断しなさい。外のことはその様にはいかない。本当には知らないから知った通りに行かない。何事も水火の様に合点すれば、真に知ったというものである。致知とは、日用五倫の間、万事万端をその通りに知り詰めることである。王陽明は知を致めるのを嫌がって、手前に持った知で済むと思った。なるほどそれには一理あり、尤もなことである。王陽明は半分知っていて半分知らない。そもそも知は致めるからよくなる。鷺は鷺、烏は烏と言う様に、世の中はこの通りに黒白の判る様には行かない。そう行けば学問は要らない。王陽明が良知で済むと言うのは、目を瞑って筆を執る様なもの。源内でも孫兵衞でも目を塞いでは書くことはできない。向こうの相手を取って、こちらの明になるのが致知である。王陽明はこの筋を知らない。こちらの目だから向こうには構う必要がないことの様だが、そこが大学の補伝にある「即物究其理」である。
【語釈】
・源内…
・孫兵衞…
・即物究其理…大学章句5補伝。「所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在即物而窮其理也」。

近思の篇目、迂斎の云通、爲学で五十三次をふみ違へぬやうに説てあり。さて致知以下は、爰は舩、ここは駕籠、ここは馬と云やふに、これから先きは爲学の小割なり。その初が致知ぞ。これでなければかかりかない。迂斎のきついこと云はれた。致知のないは首のないやふなもの、と。道中は足ですることゆへ首は入りそもないが、首がなければとんと道中はならす。孝弟忠信も細工になるとあしし。医者も古人にかまわず、をれが了簡ですると云たらば、誰も用ひてはあるまい。本、知と云は手をそへることのない道理のなりなことをしるか知なり。知を致め子ば万端があぶない。何ぞのときに行つかへる。本来を云へば、熊坂も盗みの悪ひは知てもきはめぬからぞ。君に忠は誰も知てじゃに、なぜにそふいかぬそ。知を致ぬからそ。迂斎のそふ云た。人々死生有命じゃ、いつぞは死ますと云ながら、少し病ともふ祈禱と出る。
【解説】
致知の篇以下は為学の小割であり、その始めが致知である。知とは、道理のままを知ることだが、知ったとしても、その知を致めなければ悪い。
【通釈】
近思の篇目は、迂斎の言う通り、為学で五十三次の順路を踏み違えない様に説いてある。さて、致知以下は、ここは舟、ここは駕籠、ここは馬と言う様に、これから先が為学の小割であって、その始めが致知である。これでなければ取っ掛かりがない。迂斎がきついことを言われた。致知のないのは首のない様なもの、と。道中は足ですることだから首は要りそうもないが、首がなければ全く道中はならない。孝弟忠信も細工になると悪くなる。医者も古人の言に構わず俺の了簡ですると言ったのなら、用いる者は誰もいないだろう。本来、知とは手を添えることのない道理の通りのことを知ることである。知を致めなければ万端が危ない。何かの時に行き支える。本来で言えば、熊坂も盗みが悪いことは知っていても、致めないから盗みをするのである。君に忠は誰もが知ているのに、何故その様に行かないのか。それは知を致めないからである。迂斎がこう言った。人々は「死生有命」だからいつかは死ぬと言いながら、少し病むともう祈祷をし出す、と。
【語釈】
・熊坂…熊坂長範。①平安末期の大盗。奥州に赴く金売吉次を美濃国赤坂の宿に襲い、牛若丸に討たれたという伝説的人物。②転じて、大泥棒のこと。
・死生有命…論語顔淵5。「死生有命、富貴在天」。

とこまても知りつめるが致知なり。そこで先日の東銘を出して合点すべし。あの外をかさるもよほとはたらきのあることなれとも、砭愚と愚の字で云もきこへた。あちへやり、こちへやりしても、とどをろかなことなり。知は人の方へついたことてなし。東銘の遂非長傲のわるいも、心にはさま々々なをろかなことありても、人さへ請取ばかまわぬゆへなり。これ、俗知は人を相手にするからなり。直方の、なろふなら知は穴藏へなりと椽の下へなりと仕舞て置たひ、と。知藏の跡なきなり。知を致たとて、朋友へ人をまわすに及はす。吾胷の中の功夫なり。さて、近思の致知を聞て、今日始て致知と云ことを承ったと云は間違なり。夏中からよむ道体爲学に數々の語は皆致知のことなり。講釈する者も聞者も致知なり。我胷へもちこむときはいろ々々名はかわれとも、今端的近思の吟味になりては何れも皆致知そ。
【解説】
知は、他人ではなく、自分に関してのことであり、致知とは、自分の胸の中の功夫である。そこで、道体や為学にある語も、皆致知のことなのである。
【通釈】
どこまでも知り詰めるのが致知である。そこで、先日の東銘を出して合点しなさい。あの様に外見を飾るのも余程働きのあることだが、砭愚という愚の字でその意味もわかった。あちらへ遣り、こちらへ遣りしても、結局は愚かなことである。知は他人に関したことではない。東銘で「長傲且遂非」が悪いと言うのも、心には様々な愚かなことがあっても、他人がこちらの言を請け取りさえすれば構わないと思うからである。これは、俗知が人を相手にするからである。直方が、できることなら知は穴蔵へなりとも縁の下へなりとも仕舞って置きたいと言った。「知蔵無跡」である。知を致めたからといって、朋友へ使いを出すには及ばない。それは、自分の胸の中での功夫である。さて、近思の致知を聞いて、今日始めて致知ということを承ったと言うのは間違いである。夏中から読んでいる道体や為学にあった数々の語は皆致知のこと。講釈する者もそれを聞く者も致知である。自分の胸へ持ち込む時は色々と名が変わるが、今端的、近思の吟味になっては何れも皆致知である。
【語釈】
・東銘…為学89。「西銘」の次文。別名「砭愚」。
・遂非長傲…砭愚の句。「不知戒其出汝者、歸咎其不出汝者、長傲且遂非。不知孰甚焉」。
・知藏の跡なき…知蔵無跡。


初条

伊川先生答朱長文書曰、心通乎道、然後能辨是非、如持權衡以較輕重。孟子所謂知言是也。心不通於道、而較古人之是非、猶不持權衡而酌輕重。竭其目力、勞其心智、雖使時中、亦古人所謂億則屢中、君子不貴也。
【読み】
伊川先生の朱長文に答うるの書に曰く、心道に通じ、然して後に能く是非を辨ずるは、權衡を持ちて以て輕重を較ぶるが如し。孟子謂う所の知言是れなり。心道に通ぜずして、古人の是非を較ぶるは、猶權衡を持たずして輕重を酌るがごとし。其の目力を竭し、其の心智を勞するに、時に中らしむと雖も、亦古人謂う所の億[はか]れば則ち屢々中るものにして、君子は貴ばざるなり、と。
【補足】
・この条は、程氏文集九にある。

伊川先生答朱長文書曰、心通乎道。直方の、心か道とへた々々てなひ、と。今の融通の字も聞へた。一つになること。灵妙な心を持ても、昧ひ方へ灵妙は役にたたぬ。道に通すと云ことなり。学問なしの知は役に立す。孟子のことを道既通と云はここぞ。だたい本知はこふしたこと。而後はらいのあることと思ふべし。道に通て、そこて知惠者になることゆへ、中々懐手ではいかぬ。学問せずと是非は分ると思へとも、致め子はわからぬ。本知てない。中庸明弁の弁の字が大学の致知の致と同し。權衡へかけて知る。爰が俗知と違ふ処そ。俗知ははかりなしに知ると自慢すれとも、そりゃ根からないことなり。たたいこの鼻かと自慢することてない。道と云ものありて、そのなりをつめること。やはり秤でかけるが本知なり。
【解説】
「伊川先生答朱長文書曰、心通乎道、然後能辨是非、如持權衡以較輕重」の説明。知とは、心と道とが一つになることである。道に通じることから知恵者になるのであって、そのためには学問をして、権衡に掛けて本知を知るのである。
【通釈】
「伊川先生答朱長文書曰心通乎道」。直方が、心が道と別でないことだと言った。それで今言う融通の字の意味もわかった。心と道とが一つになること。霊妙な心を持っていても、道に暗くては霊妙が役に立たない。道に通じるということ。学問なしの知は役に立たない。孟子のことを「道既通」と言うのはここのこと。そもそも本知とはこうしたこと。「然後」は間のあることだと思いなさい。道に通じ、それで知恵者になるのだから、中々懐手ではうまく行かない。学問をしなくても是非はわかると思っても、致めなければわからない。それでは本知でない。中庸明弁の弁の字が大学の致知の致と同じである。権衡へ掛けて知る。ここが俗知と違う処である。俗知は秤がなくても知ると自慢するが、それは本からわかっていないのである。そもそも、この鼻がと自慢することではない。道というものがあって、その通りを詰めることが致知であり、やはり秤に掛けるのが本知である。
【語釈】
・道既通…孟子序説。「史記列傳曰、孟軻、受業子思之門人。道既通」。
・中庸明弁…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。
・大学の致知…大学章句1。「古之欲明明德於天下者先治其國。欲治其國者先齊其家。欲齊其家者先脩其身。欲脩其身者先正其心。欲正其心者先誠其意。欲誠其意者先致其知。致知在格物。物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平」。

孟子所謂知言。孟子の浩然之氣と云は大ふ重ひことなれとも、それも知言と云前立あり。あの発明が中々懐ろ手ではいかぬ。知の方がすんで、それからなり。知なしに強ひは猪の強ひやふなもの。天下のことにすまぬことなく、胷さわぎするやふなことない。そこが知言からなり。知言はことの上のわけを知ることで、言には皆是非あり。公事をさばくも、向で云ことに付て是非を知る。是非と云ものがぶら下りてあるものでなし。学問なしにさばくものは何をあてにするやら。己れは学問もせず、孟子の性善と云より性悪と云がよかろふの、又学問は孔子よ、心法は御釈迦じゃと云。それか不持權衡云々なり。たとへは、吾内では舛は用いぬ。をらか出す米なとは、一升は一升、一斗は々々、斗らすとも違はないと自慢しても、年貢は計らずに出しては名主が請取ぬ。迂斎の云れた、楠を殷の三仁のやふに思ふ、と。成程日本には希人なれとも、三仁と幷へるは学者の口からは云はれぬことそ。切取剛道は武士の道の、佐々木か梶原を出し拔て功名と思ふ心で、なんとして々々々々々、知は沙汰はなし。だたい本知はひまなもの。なせになれば、道理なりにすることで、我知を出さず、やはり秤でするゆへ、是は五匁あろふの、これは拾匁あろふのと苦労するに及はす。
【解説】
「孟子所謂知言是也。心不通於道、而較古人之是非、猶不持權衡而酌輕重」の説明。知言とは言の是非を知ることであり、学問に拠って道理を知ることである。それは秤で量る様なことで、道理の通りにするから苦労はない。
【通釈】
「孟子所謂知言」。孟子の「浩然之気」というものは大分重いことだが、それも知言という前立ちがあってのこと。あの発明は懐手していては中々うまく行かない。知の方が済んで、それからのことである。知なしで強いのは猪の強い様なもの。天下のことに済まないことはなく、胸騒ぎがする様なことはない。それは知言からそうなる。知言とは、ことの上のわけを知ることで、言には皆是非がある。公事を裁くにも、向こうが言うことに付いて是非を知る。是非というものは、ぶら下がってあるものではない。学問なしに裁く者は何を当てにするのだろう。自分は学問もせず、孟子の性善というものよりも性悪の方がよいだろうとか、また、学問は孔子、心法はお釈迦だと言う。それが「不持権衡云々」のことである。たとえば、我が家では升は用いない。俺が出す米などは、一升は一升、一斗は一斗、量らなくても違わないと自慢しても、量らず年貢に出せば名主は請け取らない。迂斎が、楠木正成を殷の三仁の様に思うのと同じだと言った。なるほど、日本には希な人だが、三仁と並べるのは学者の口からは言えないことである。切取強盗は武士の道だとか、佐々木が梶原を出し抜いたのが功名だと思い込んでいるが、それでは何としても知の沙汰がない。そもそも本知とは暇なもの。それは何故かと言うと、道理の通りにするからで、自分の知を出さず、やはり秤で量るので、これは五匁あるだろうとか、これは十匁あるだろうかと苦労するには及ばないのである。
【語釈】
・知言…孟子公孫丑章句上2。「何謂知言。曰、詖辭知其所蔽。淫辭知其所陷。邪辭知其所離。遁辭知其所窮。生於其心、害於其政。發於其政、害於其事。聖人復起、必從吾言矣」。
・浩然之氣…孟子公孫丑章句上2。「敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之閒。其爲氣也、配義與道。無是餒矣。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣」。
・殷の三仁…論語微子1。「微子去之、箕子爲之奴、比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。
・切取剛道…「切取強盗」の誤り?
・佐々木…佐々木高綱。鎌倉初期の武将。源頼朝の家人。近江源氏の一族。四郎と称。1180年(治承四)石橋山の戦に殊功を立て、宇治川の戦に梶原景季と先陣を争って第一となる。のち剃髪して高野に入り、西入と号した。~1214
・梶原…鎌倉初期の武将。源頼朝の臣。景時の子。源太と称。騎射および和歌に長じた。宇治川の戦に先陣の功を佐々木高綱に奪われた。1162~1200

竭其目力勞其心知。目をほ子をり、知をついやし、人間の有難さに折節中ることもある。なるほど万物の灵じゃからありもせうが、論語にある彼子貢のまた前方なとき、彼此して中りたを孔子の訶られた。あたるも不思義、あたらぬも不思義と云が、そんなことなしに道理なりにすること。君子不貴か伊川の筆なり。無学な人はずんと嬉しかることなれとも、君子の方では、凡夫は兎角、もの申ふといわぬ先に、あの足音は誰じゃと云。あの男は此用て来たと思たら、義の如くそふじゃと云。いらざることなり。重箱の盖を明けずに饅頭と知るるい。君子不貴なり。人の妻や娵か懐妊すると、今度の子は男じゃと云たがる。垩人の知は、生てから男しゃと知る。偖、これを聞てはこしゃくな人が、中庸に前知と云は如何と難問する。あれも不思義にないこと。むせふに金をつかい、むせふに酒を呑ゆへ、身代をつぶそう、内損して死ふと云。理の當然を云たもの。反て大酒してもあたらぬのが変ぞ。変は勘定に入ぬが学知なり。寒中に竹の子のはへた如し。変なり。致知は功夫なれとも、ここは知のなりを見せたもので、第一条、功夫より先きへ知のはばを見せたものぞ。
【解説】
「竭其目力、勞其心智、雖使時中、亦古人所謂億則屢中、君子不貴也」の説明。凡人は憶測が中れば嬉しがるが、君子は道理の通りを知ることを貴び、憶測を貴ばない。また、中庸の前知は理の当然を言ったものであり、憶測とは違ったものである。
【通釈】
「竭其目力勞其心知」。目を骨折り、知を費やした結果、人間の有難さで折節中ることもある。なるほど、万物の霊だからその様なこともあるだろうが、論語には、あの子貢が未熟だった時に、彼が人物評をして中ったのを孔子が訶られたという話がある。中るも不思議、中らぬも不思議と言うが、そんなことはなしに道理の通りにすること。「君子不貴」が伊川の筆である。無学な人であれば大層嬉しがることだが、凡夫はともかく君子の方には不要なこと。物申すと言われる前に、あの足音は誰のものだと言い、あの男はこの用で来たのかと思っていたら義の如くそうだったと言う。それは不要なこと。それは、重箱の盖を開けずに饅頭が入っていると知る類であって、君子不貴である。人の妻や娵が懐妊すると、今度の子は男だと言いたがる。聖人の知は、生まれてから男だと知る。さて、これを聞いて小癪な人が、中庸に前知とあるのはどうしてだと難問する。しかし、あれも不思議なことではない。無性に金を使い、無性に酒を飲むから身代を潰すだろう、内損して死ぬだろうと言う様に、理の当然を言ったのである。却って、大酒して中らない方が変である。変は勘定に入れないのが学知である。寒中に竹の子が生えた様なこと、それが変である。致知は功夫だが、ここは知の姿を見せたものであって、第一条は、功夫より先に知の幅を見せたものなのである。
【語釈】
・前方…初心。うぶ。未熟。
・孔子の訶られた…論語憲問31。「子貢方人。子曰、賜也、賢乎哉。夫我則不暇」。
・中庸に前知…中庸章句24。「至誠之道、可以前知。國家將興、必有禎祥。國家將亡、必有妖孽。見乎蓍龜、動乎四體。禍福將至、善必先知之、不善必先知之。故至誠如神」。
・内損…酒などで内臓をこわすこと。


第二 伊川先生答門人曰の条

伊川先生答門人曰、孔孟之門、豈皆賢哲。固多衆人。以衆人觀聖賢、弗識者多矣。惟其不敢信己而信其師。是故求而後得。今、諸君於頤言纔不合、則置不復思。所以終異也。不可便放下。更且思之。致知之方也。
【読み】
伊川先生門人に答えて曰く、孔孟の門、豈皆賢哲ならん。固より衆人多し。衆人を以て聖賢を觀れば、識らざる者多し。惟其れ敢て己を信ぜずして其の師を信ず。是の故に求めて而る後に得たり。今、諸君は頤の言に於て纔かに合わざれば、則ち置きて復思わず。終に異なる所以なり。便ち放下す可からず。更に且く之を思え。知を致す方なり。
【補足】
・この条は、程氏文集九にある。

豈皆賢哲ならん。其筈よ。あの春秋の世の中、戦国の世、皆只の人の生れつきなり。あるべかかりの出来合の人から垩賢を見たらば呑込ます、はてな々々々と思ふことあろふそ。中庸の注、垩人能知垩人。只のものから見ると、あじぢゃと思ふ。今云、讀かぬるのそ。某なとが本因坊の碁を見たらば定て知れぬだらけであろふぞ。それで又、あの門人衆のよくなりたはどふした訳なれば、至極重疂なことありた。不信己じゃ。なんぼ先生でもといわぬ。信其師なり。我に一つ了簡あれば、兎角あがらぬものなり。学問は勿論、藝者でも弟子に下地のないを説ぶはそこなり。小い子の母親の云通になるを見よ。世間の母親には隨分不尤なもあれども、兎角母の云ことを重く聞く。それが致知に入用なり。此方に一物がないから求而後得なり。東海寺の任叔が迂斎に云た。をらが方では十二から上の子は弟子に取ぬ、と。きこへたことぞ。己を信せぬ方をきめたもの。諸君於頤言云々。朱子の程門にもこのやうな人かありたと見へる、と。已に謝子は醉漢を助るに似たり。いかふ信じた。楊游もそふてあろふ。然れは其外にはありたとみゆ。
【解説】
「伊川先生答門人曰、孔孟之門、豈皆賢哲。固多衆人。以衆人觀聖賢、弗識者多矣。惟其不敢信己而信其師。是故求而後得。今、諸君於頤言纔不合、則置不復思。所以終異也」の説明。春秋戦国より、人は皆凡人の気質だったから、聖賢のことを理解できないのは尤もなことである。それにも拘らず、孔孟の門弟がよくなったのは、「不信己」と「信其師」だったからである。自分に一物があっては、学問は上達しない。伊川門下では、謝子や楊子、游子などは師を信じた。
【通釈】
「豈皆賢哲」。その筈で、あの春秋の世や戦国の世も、皆が凡人の気質だけだった。その様な出来合いの人から聖賢を見れば、飲み込めなくて、何故だろうと思うこともあるだろう。中庸の注にも「聖人能知聖人」とある。普通の者から見れば、変なことだと思う。今言う、読みかねるということ。私などが本因坊の碁を見るとすれば、きっとわからないことばかりだろう。それでまたあの門人衆がよくなったのはどうした訳かと言うと、そこには至極重畳なことがあったのであり、それが「不信己」である。そして、たとえ先生でもとは言わず、「信其師」である。自分に一つの了簡があれば、とかく上達しないもの。学問は勿論、芸者でも弟子に下地がないのを悦ぶのはそのためである。小さい子が母親の言う通りになるのを見なさい。世間の母親には随分と母親らしくない者もいるが、とかく母の言うことを重く聞く。それが致知には入用なのである。自分に一物がないから「求而後得」となる。東海寺の任叔が、俺の方では十二歳以上の子は弟子に取らないと迂斎に言った。それは、よくわかったことであり、「不信己」を決めたのである。「諸君於頤言云々」。朱子が、程門にもこの様な人がいたものと見えると言った。既に謝子は酔漢を助けるのに似て、大層伊川を信じた。楊子や游子もそうだっただろう。それなら、その外には伊川を信じなかった者もいたものと見える。
【語釈】
・あるべかかり…「あるべかり」が、あるべくありの約。そうあるはずの。
・垩人能知垩人…中庸章句32。「鄭氏曰、惟聖人能知聖人也」。
・謝子…名は良佐。字は顕道、上蔡。
・醉漢を助るに似たり…為学78の語。「謝顯道云、昔伯淳教誨。只管著他言語。伯淳曰、與賢説話、卻似扶醉漢」。
・楊…楊子。名は時。字は中立。号は亀山。
・游…名は酢。字は定夫。

放下は俗語。取てすてることなり。京都ですてることをほかす々々々と云かこれならん。合点のゆかぬことをなぜじゃ々々々々と思へばよいに、吾意と合ぬとすてる。致知の方なり。師の云ことはすますとも、それなりにしてをけばあとてすむ。いとしや柳橋の老人が、私若ひとき、義丹が医者になれ々々と云たれば、こちの先生はあぢなこと云はるる、儒者になれとはいわす医者になれとはと思しに、今思へば次男をば婿に出し、他姓を継くこと習はしなれば、それになるなと云ことてありた、と。これらも更に思ふたのぞ。必竟、信仰からこぬゆへのだたぬ。本筋を云て、あとで師を信することを云が大切なり。されとも講釈するものの遠慮あることで、今はつまり孔孟や伊川のやうなは無ひからこの条もあてにならぬことに見へるなれとも、たたい師と家老はよいにしてをくことなり。よいゆへに專ら信するて学を得るなり。九經の大臣のことについて、或問に論のあるもその筋なり。
【解説】
「不可便放下。更且思之。致知之方也」の説明。自分の意と合わなければそれを捨てる。これを放下と言うが、今理解することができなくても、捨てずに深く思えばそれを理解することができる。師を信じ仰ぐことによって成長するのである。今は優れた師がいないが、師や家老はよいということにして置くのがよい。
【通釈】
「放下」は俗語で、取って捨てること。京都で捨てることをほかすと言うが、このことだろう。合点のいかないことは何故だと深く思えばよいのに、自分の意と合わないからと言って捨てる。「致知之方也」。師の言うことが理解できなくても、それなりにして置けば後で理解することができる。健気にも柳橋の老人が、私が若い時に義丹が医者になれと言ったので、儒者になれとは言わずに医者になれとはこちらの先生は変なこと言われると思ったが、今思えば次男を婿に出して他姓を継ぐことが習わしだったので、それになるなということだったと言った。これ等も更に思ったからわかったのである。畢竟、信仰からしないので育たない。ここは、本筋を言って後で師を信じることを言うのが大切である。しかしながら、講釈する者についても遠慮すべきところがあり、つまり、今は孔孟や伊川の様な人はいないからこの条も当てにならない様に見えるが、大体、師と家老はよいということにして置くのがよい。よいものとして専ら信じることで学を得るのである。九経の大臣のことについて、或問に論があるのもその筋のことである。
【語釈】
・柳橋の老人…大原要助。大網柳橋の黙斎門下。
・義丹…和田義丹。下総酒々井の人。医を業とする。酒井修敬に見出されて鈴木庄内と共に迂斎に師事。上総道学の草分け。成東の安井武兵衛方に食客として住む。元禄7年(1694)~寛保4年(1744)、51歳にて没。
・九經…中庸章句20。「凡爲天下國家有九經、曰、脩身也、尊賢也、親親也、敬大臣也、體羣臣也、子庶民也、來百工也、柔遠人也、懷諸侯也。脩身、則道立。尊賢、則不感。親親、則諸父昆弟不怨。敬大臣、則不眩。體羣臣、則士之報禮重。子庶民、則百姓勸。來百工、則財用足。柔遠人、則四方歸之。懷諸侯、則天下畏之」。


第三 伊川先生答横渠先生曰の条

伊川先生答横渠先生曰、所論大概有苦心極力之象、而無寛裕温厚之氣。非明睿所照、而考索至此。故意屢偏、而言多窒、小出入時有之。明所照者、如目所覩、纖微盡識之矣。考索至者、如揣料於物、約見髣髴爾。能無差乎。更願完養思慮、涵泳義理。他日自當條暢。
【読み】
伊川先生横渠先生に答えて曰く、論ずる所は大概心を苦しめ力を極むる象有れども、寛裕温厚の氣無し。明睿の照らす所に非ずして、考索して此に至る。故に意屢々偏して、言多く窒し、小さき出入時に之有り。明照らす所とは、目覩る所、繊微盡く之を識るが如し。考索して至るとは、物を揣料[すいりょう]して髣髴を約見するが如きのみ。能く差[たが]うこと無からんや。更に願わくは思慮を完養し、義理に涵泳せよ。他日自ら當に條暢すべし、と。
【補足】
・この条は、程氏文集九にある。

先、本知になるには急ひてはいかぬ。学問は隨分精出していそくことなれとも、急くと急がぬことあり。大学の一旦豁然はいつぞの程にはと云こと。ずんとあてのないことそ。知はこふしたもの。急にいかぬか致知の大切。子とものくらやみのこわいは、年の立ぬ中は直らぬ。行くれ野宿して百人よって拜んても、丁度のときに至ら子ば日は出ぬ。時に横渠は困知勉行のいこふ骨折た人。正蒙を作るとき、夜中に起て発明を記された。隨分よいことの自然でない。寛裕温厚は全体存養のことじゃになぜに爰にあるなれば、学問はがくそく々々々々していかぬ。本の知はゆっくりとしたこと。山﨑先生の存養貫其二はここぞ。横渠の此時分の議論は何処やら跡から追るるやうにかせ々々した理屈ゆへ、尤ても本知の趣でない。其病根は非明睿所照なり。明睿が知の全体、日月の照すやふに。考索して至る。すらりとした御儀論なく、彼や是やと色々として至たものなり。医者の一味はいさいを訶るもここそ。余程骨も折力らのある医者でも、あれこれする中に古人の法かくづるる。横渠の云るることゆへ少も間違はなけれとも、意のわるい処を云るる。意が偏になるとせわしくなる。そこで融通せぬ。迂斎の、茶の湯を知ぬものを囲の中へ入たやふに、全体意が違ふと誉めまいことをもほめる。迂斎又云、亭主が忘れて釜の盖をせすに置とそれ迠ほめる、と。小出入は是非とは違ふ。こちの方へ出るのがあちらの方へ出たと云のそ。大工の、何もかもよいがひずんだと云のそ。あまりいりもみするゆへくせが出る。藝者のはやけをきろふもそこなり。せきみなり。
【解説】
「伊川先生答横渠先生曰、所論大概有苦心極力之象、而無寛裕温厚之氣。非明睿所照、而考索至此。故意屢偏、而言多窒、小出入時有之」の説明。学問には急ぐ場合と急がない場合とがある。知は急いで求めるものではなく、一旦豁然として自然に得るものである。知は明睿で日月が照らす様なものだが、横渠は考索し過ぎて、その意が偏っているために融通することができない。「小出入」とは癖の出ること。
【通釈】
先ず、本知になるには急いではいけない。学問は随分と精を出して急ぐものだが、急ぐ場合と急がない場合とがある。大学の一旦豁然はいつかはということで、全く当てのないことである。知はこうしたもの。急がないのが致知では大切なこと。子供は暗闇を怖がるが、それはある程度の年にならなければ直らない。暮れ行く時に野宿して、百人寄って拝んでも、丁度の時に至らなければ日は出ない。時に、横渠は困知勉行して大層骨を折った人。正蒙を作る時、夜中に起きて発明を記された。それは随分とよいことだが自然でない。「寛裕温厚」はそもそも存養のことなのに何故ここにあるのかと言うと、学問は急いではうまく行かないことを言うためである。本当の知はゆっくりとしたこと。山崎先生が言う「存養貫其二」とはこれである。横渠のこの時分の議論は何処やら後から追われる様にかせかせした理屈ばかりだったから、尤もでも本知の趣ではない。その病根は「非明睿所照」である。明睿が知の全体で、日月の照らす様なもの。「考索至此」。これはすらりとしたご議論もなく、あれやこれやと色々とした結果至ったものである。医者が一味配剤を訶るのもこのこと。余程骨も折り、力量もある医者でも、あれこれする内に古人の法が崩れる。横渠の言われたことだから少しも間違いはないことだが、意が悪いと言われた。意が偏になると忙しくなる。そこで融通しない。迂斎が、茶の湯を知らない者を茶の間へ入れた様に、全体意が違うと誉めるべきでないことまでをも誉めると言った。迂斎がまた言った。亭主が忘れて釜の盖をせずに置くとそれまで誉める、と。「小出入」は是非とは違う。こちらに出るべきものがあちらの方へ出たと言うこと。大工が、何もかもよいが歪んだと言うのと同じ。あまりにいり揉みするから癖が出る。芸者が早気を嫌うのも同じで、急味を嫌うのである。
【語釈】
・一旦豁然…大学章句5。「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉。則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。此謂物格。此謂知之至也」。
・存養貫其二…近思録序。「夫学之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。

細字。爰の小書は本文をはきとわけたもの。明の所照は目のものを見るやふに自然で骨はをれぬ。纖微の極細色の猫の毛のやうな細ひも、目のよいものははきとしるる。考索して至は手抦にもなることなれとも、こふでもあろふかとくらやみて物を尋るやうなり。たたい、昼はそんなことはない。髣髴は、古ひ和訓にそれかあらぬかと、ありものの慥にないこと。何やら目に見へるやふでもさだかにない。約見はつづめ見ることて、こちから了簡して云ことなり。火事塲の纏のやふなは髣髴でない。はっきりなり。返魂香は慥にない。ずんとあぶないことなり。日用の間、五常五倫のことにそんなことありてはなるほどあぶないぞ。髣髴約見ては心元なきことなり。されは本知でないと忠孝もならぬ。
【解説】
明所照者、如目所覩、纖微尽識之矣。考索至者、如揣料於物、約見髣髴爾。能無差乎」の説明。「明所照」ははっきりと見えることで、「考索至」は暗闇でものを尋ねる様なこと。「髣髴」とは定かでないこと。「約見」は自分の思い込みで言うこと。髣髴約見では心許ない。
【通釈】
細字。ここの小書は本文をはっきりと分けたもの。「明所照」は、目が物を見る様に自然なことで骨は折れない。繊微で極細色な猫の毛の様な細い物も、目のよい者ははっきりと知ることができる。「考索至」は手柄にもなることだが、この様なものだろうかと暗闇でものを尋ねる様なこと。そもそも、昼であればその様なことはない。「髣髴」は、古い和訓にそれが書いてはないかと思うのと同じで、あるものが慥かでないこと。何やら目に見える様でも定かでない。「約見」は約して見ることで、自分の了簡で言うこと。火事場の纏の様なものは髣髴ではない。それは、はっきりとしている。反魂香は慥かでない。かなり危ないことである。日用の間、五常五倫のことにそんなことがあっては、なるほど危ない。髣髴約見では心許ないことである。そこで、本知でないと忠孝もできない。
【語釈】
・返魂香…反魂香。漢の孝武帝が李夫人の死後、香をたいてその面影を見たという故事から、たけば死者の姿を煙の中に現すという香。

更願完養云々。爰が伊川の藥をもりかけた処。横渠の道統を得たも誠に二程のをかげなり。爲学では定性書なり。定性書と爰とは全体かかいの違ふことなれとも、横渠のためになる処は此条も定性書にまけぬことなり。儀論にはかまわす、願くは爰の処をと云ことなり。思慮の思、すくに近思の思なり。思は子ばゆかぬことの、余り思ひ過ると人参の泥んだのなり。先、人参をひかへるがよいとなり。義理へ心つけて置くを涵泳と云。ひたしをよくなり。こふしたならば、御手前の心では、此頃は学問をやめたと云やふに思てあろふが、そこて跡がのび々々としてくる。せか々々かせぐと知が小くなる。今、せか々々した発明な人を小刀に鍔をはめたやふじゃと云。のっしりとしたのは又挌別なり。俗知にも、頭になる知と組下て居る知があるでみよ。横渠も兎角條暢なしにいりもみするゆへ、先花見にござれと云ことなり。療治の手段、さま々々なり。庸医の得ならぬことなり。
【解説】
「更願完養思慮、涵泳義理。他日自當條暢」の説明。伊川は横渠に考え過ぎるのを暫く止めるのがよいと言った。これで後が伸び伸びとするのである。せかせかすると知が小さくなる。
【通釈】
「更願完養云々」。ここが伊川の薬を盛り掛けた処。横渠が道統を得たのも誠に二程のお蔭である。それは、為学で言えば定性書である。定性書とこことは全体の大きさは違っているが、横渠のためになる処はこの条も定性書に負けない。議論には構わず、願わくはここの処を「完養思慮涵泳義理」としなさいということ。思慮の思は、直に近思の思のことである。思わなければうまく行かないが、あまり思い過ぎると人参に泥むのと同じことになる。そんな時は、先ずは人参を控えるのがよいと言ったのである。義理へ心を付けて置くことを「涵泳」と言う。涵し泳ぐこと。こうすると、貴方の考えでは、この頃は学問を止めたという様に思うだろうが、それで後が伸び伸びとして来る。せかせか稼ぐと知が小さくなる。今、せかせかした利発な人を小刀に鍔を嵌めた様だと言うが、のっしりとした者はまた格別なものである。俗知にも頭になる知と組下でいる知があることで考えなさい。横渠もとかく條暢なしにいり揉みするから、先ずは花見に行きなさいと言ったのである。療治の手段は様々だから、とても藪医者の手ではうまく行かない。
【語釈】
・定性書…為学4を指す。
・條暢…のびやかなこと。
・庸医…凡庸な医者。藪医者。


第四 欲知得與不得の条

欲知得與不得、於心氣上驗之。思慮有得、中心悦豫、沛然有裕者、實得也。思慮有得、心氣勞耗者、實未得也。強揣度耳。嘗有人言、比因學道思慮心虚。曰、人之血氣、固有虚實。疾病之來、聖賢所不免。然未聞自古聖賢、因學而致心疾者。
【読み】
得ると得ざるとを知らんと欲せば、心氣上に於て之を驗せよ。思慮に得ること有り、中心悦豫し、沛然として裕かなること有る者は、實に得るなり。思慮に得ること有りて、心氣勞耗する者は、實に未だ得ざるなり。強いて揣度[すいたく]するのみ。嘗て人有りて言う、比[このごろ]道を學ぶに因り思慮して心虚なり、と。曰く、人の血氣には固より虚實有り。疾病の來るは、聖賢も免れざる所なり。然れども未だ古より聖賢、學に因りて心疾を致せし者を聞かず、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

此条は全く上と一つ条と合点すへし。上のことを説たのなり。得る得ぬが知の大切。孟子の中に自得の文字あり。学問も是迠に至ら子ば安堵はならぬ。借りものの中は役に立ず。酒に醉た内斗りあたたかで、酒がさめると寒くなる。学者が尤な理屈を云ても我ものにならぬゆへ、借地ているやふなもの。孟子の自得は我ものになったのそ。心与理會するの文字なと文集語類四書の或問其外多くはない、甚大切な文字なり。一端よいと思ても漸々淡し了る。禪坊主か一端悟りを開ても、つい本との煩悩になる。漆雕開は孔子のゆるされたをいや々々と、我獨の心中を吟味されてまた々々と云なり。於心氣上驗よとはそこそ。心は心、道理は々々と分々では役に立ぬ。今の学者は天理人欲两方を載てをく。道理を聞は尤と思ひ、さてこちの方には人欲がしたたかある。
【解説】
「欲知得與不得、於心氣上驗之」の説明。知は自得が大切である。また、心と道理は一体でなければならないが、今の学者の心には天理と人欲の双方がある。
【通釈】
この条は前条と全く一つの条だと合点しなさい。前条のことを説いたものである。「得与不得」が知にとっては大切なこと。孟子の中に「自得」の文字があるが、学問もこれほどに至らなければ安堵はできない。借り物の内は役に立たない。酒に酔った時は温かだが、酒が醒めると寒くなる。学者が尤もな理屈を言っても自分の物になっていないから、それは借地にいる様なもの。孟子の自得は自分の物になったのである。「心与理会」という文字などは文集語類四書の或問にある程度で、多くは出ていないが、甚だ大切な文字である。一旦よいと思っても次第に淡くなって終わる。禅坊主が一旦悟りを開いても、つい元の煩悩になる。漆雕開は孔子が許されたのを辞退したが、それは自分独りの心中を吟味されて言ったことで、「於心気上験」とはそのこと。心は心、道理は道理と分けては役に立たない。今の学者は天理と人欲の両方を載せて置く。道理を聞けば尤もだと思うが、さて、一方には人欲がしたたかある。
【語釈】
・自得…孟子離婁章句下14。「孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右、逢其原。故君子欲其自得之也」。
・心与理會する…心と理とを会する?
・孔子のゆるされた…論語公冶長6。「子使漆雕開仕。對曰、吾斯之未能信。子説。」

思慮有得は、直方の氷の解たやふな、と。中心悦豫は、とこともなく快くなるなり。凡夫の金を拾て悦ぶやふなは悦豫ではない。顔子の樂みかこれなり。顔子か陋巷をたたき立て悦ひはされぬ。何となく樂むことなり。家内にふし々々のないやふに、何とやらよいそ。沛然は道理の元氣のよくなることと思ふへし。今日の学者は一角[うにかふる]を貰たやふに、道理がちっとある。沛然はたっふりなり。人に合力をしても跡てよせばよかったと思ひ、上みから下された俸禄を、いらざる辞退せずとよかったと思ふ様なけちな心では、道理は得られぬ。実に得るが大切ぞ。偖、あとて実に得たやふに見へて、またそふないのかあると云で慥になる。実に得れば伊川のやふに髪も黑くなる筈じゃに、くよ々々して何やら落付ぬ。直方の、くたばる身を持てと云れた。垩賢は一年ましにつや々々となる。くさめが一つ出てもびっくりして医者を呼ぶやふでは役に立ず。
【解説】
「思慮有得、中心悦豫、沛然有裕者、實得也」の説明。「思慮有得」とは、氷の解けた様なことで、「中心悦豫」とは、顔子の楽しみの様なこと。「沛然」は、たっぷりあること。けちな了見では道理を得ることはできない。「実得」が大切であって、聖賢はそれで益々艶やかになる。
【通釈】
「思慮有得」を、直方が氷の解けた様なことだと言った。「中心悦豫」は、どこともなく快くなること。凡夫が金を拾って悦ぶ様なことは悦豫ではない。顔子の楽しみがこれで、顔子は特に陋巷が好きで悦ばれたわけではない。悦豫とは何となく楽しむことで、家内に節々がない様に何となくよいこと。「沛然」とは、道理が元気よくなることだと思いなさい。今日の学者は一角を貰った様に道理が少しだけあるが、沛然とはたっぷりとあること。人に援助をしても跡でよせばよかったと思ったり、上から下された俸禄も、不要な辞退をしなくてもよかったと思ったりする様なけちな心では、道理は得られない。「実得」が大切である。さて、後で実に得た様に見えて、まだそうでないところがあるというので慥かになる。実に得れば伊川の様に髪も黒くなる筈なのに、くよくよして何やら落ち付かない。直方が、くたばる身を持ってと言われた。聖賢は一年増しに艶々となる。くしゃみが一つ出てもびっくりして医者を呼ぶ様では役に立たない。
【語釈】
・顔子の樂み…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。
・一角…歯クジラ類イッカク科の海獣。牙は古来漢方で解毒剤として使用。

心氣労耗は知惠へかぶせて云たもの。揚雄がふるへ、東坡が土氣色のやうになったを見て戒むべし。今日道德者と見へても、強揣度のぞ。伊川の陪州へ流さるるとき、舩中大風てあったれとも、とんとのけ々々としてずう々々として居らるる。中心悦豫の人なり。嘗有人云々は、それに付て云ことなり。昔はずんと達者であったが、今学問して何やら氣虚して健忘のやうじゃとなり。扨、これを聞て吾黨の学者はいこう輕しめることじゃが、それはめったそ輕しめられぬ。中人以下は皆こふしたことそ。迂斎若ひとき、病氣にてふら々々したことあり。或人の、こなたは学問して書て氣をつめるからと云。迂斎怒り、予なとか学が病になろふかと云へは、土岐玄厚と云医人が、いや品川表をみるやふてはあるまい、と。石原先生も至言と云へり。然れば書が病にあたるまいとは云れず。
【解説】
「思慮有得、心氣勞耗者、實未得也。強揣度耳。嘗有人言、比因學道思慮心虚。曰、人之血氣、固有虚實。疾病之來、聖賢所不免」の説明。揚雄や蘇東坡が「心氣労耗」となったのを見て戒めとしなさい。伊川は「中心悦豫」だった。「心氣労耗」は中人以下では当然のことであって、書で病にならないとも言えない。
【通釈】
「心気労耗」は知恵に掛けて言ったもの。揚雄が震え、東坡が土気色の様になったを見て戒めとしなさい。今日道徳者と見えても「強揣度」である。伊川が陪州へ流された時、船中大風だったが、全くのけのけとしてずうずうとして居られた。中心悦豫の人である。「嘗有人云々」は、それに付いてはということ。昔は全く達者だったが、今学問をして何やら気虚して健忘の様だと言う。さて、これを聞くと、我が党の学者は大層軽蔑しそうだが、それは滅多には軽んじられないことで、中人以下は皆こうしたこと。迂斎が若い時に病気でふらふらしたことがあた。或る人が、貴方は学問をして書で気を詰めるからそうなるのだと言った。迂斎がこれに怒って、私がしている学などで病になる筈はないと言うと、土岐玄厚という医人が、いや品川表を見るのとは同じでないだろうと言った。石原先生もそれは至言だと言った。それなら、書で病にならないとも言えない。
【語釈】
・揚雄…前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。前53~後18
・東坡…蘇軾。北宋の詩人、文章家。唐宋八家の一。字は子瞻、号は東坡。
・揣度…推し量ること。
・土岐玄厚…

然未聞。されとも古から聞ぬさ。垩賢の心法を知ぬから、学問して氣虚のどふのと云。道理なりにすれば心氣の痛むことはない。垩賢は水のすら々々流るるやうぞ。爰の合点がないと一概の論になる。さて、心疾の文字は向で氣虚と云たから、こちても心疾と云。心氣の病のことなり。心疾の字は処によりて乱心のことにもなる。されとも、この心氣の病がちと長すると乱心にもなる。心が心の居所に居ぬからそ。間はない。去によって、陸象山の弟子傳子囦など、あまり得やふ々々として乱心した。今の学者にこの氣遣はない。学ふ学者一人もなし。禪坊主なとにはあると幸田子の云へり。
【解説】
「然未聞自古聖賢、因學而致心疾者」の説明。心気労耗となるのは聖賢の心法を知らないからであって、道理の通りにすれば心気が痛むことはない。「心疾」とは心気の病であり、それが長ずると乱心になる。しかし、今の学者は学問をしないから、心疾の恐れはない。
【通釈】
「然未聞」。しかし、それは古から聞いたことがない。聖賢の心法を知らないから、学問をして気虚だの何だのと言う。道理の通りにすれば心気が痛むことはない。聖賢は水がすらすらと流れる様なもの。この合点がないと平凡な論になる。さて、心疾の文字は向こうが気虚と言ったからこちらも心疾と言ったのであって、心気の病のこと。心疾の字は処によっては乱心のことにもなる。しかしながら、この心気の病がちょっと長ずると乱心にもなるのであって、それは、心が心の居場所にいないからである。間はない。そこで、陸象山の弟子の傳子囦などは、あまりに得ようとして乱心した。しかし、今の学者にこの気遣いはない。それは、学ぼうとする学者が一人もいないからである。禅坊主などにはあると幸田子が言った。
【語釈】
・傳子囦…
・幸田子…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。享保5年(1720)~寛政4年(1792)


第五 今日雜信鬼怪異説条

今日雜信鬼怪異説者、只是不先燭理。若於事上一一理會、則有甚盡期。須只於學上理會。
【読み】
今日鬼怪異説を雜信するは、只是れ先に理を燭[てら]さざればなり。若し事の上に於て一一理會せば、則ち甚[なん]の盡くる期有らん。須く只學の上に於て理會すべし。
【補足】
・この条は、程氏遺書二下にある。

今日とはたんてき、今あることを云。学者の上のこと。直方の、雜の字を氣を付けよ、と。学問しながら、あれも一理あると云。よくあることで、どふも不思義なことある。全体、天地の間にはあるはつなり。あるものだけに六ヶしい。蜥蜴が雹を作るの類。天地自然の氣で出来るは知たことのどふしてかある。鬼神集説などをみよ。ずんと知ぬことあり。爰でついをすに推れぬと理を付る。それと云も外のことてはない。不先燭理なり。明なれば胷にかけぬ。暗の夜にはいなむら迠こわくなる。月夜なれば何のこともない。全体大ふ根がすむと、そんなことははあんと云てをく。程母なと成ほど二程を生んだほどの人なり。恠物か太鞁をたたいたれば、どりゃばちを借そふかと云れた。そこで怪物もついなくなりた。あるにもせよ、それをけすでついなくなる。
【解説】
世の中には不可思議なことがあるが、それを気に掛けるのは「不先燭理」だからである。知を理で明にすれば、それを払拭することができる。
【通釈】
「今日」とは端的今あることを言う。学者に関してのこと。直方が、「雑」の字に気を付けなさいと言った。学問をしながら、あれも一理あると言う。よくあることで、どうも不思議なことがある。そもそも、天地の間にはある筈で、あるものだけに難しい。それは蜥蜴が雹を作る類。天地自然の気でものができるのは知れたことだが、どうしてかある。鬼神集説などを見なさい。大層不可解なことがある。ここでつい押すに押されぬことだと理を付ける。それと言うのも外のことではない。「不先燭理」だからである。明であれば気に掛けない。闇夜には稲叢までが怖くなるが、月夜であれば何事もない。全体、かなり根が済むと、そんなことははあんと言うだけ。程子の母などは、なるほど二程を生んだほどの人である。怪物が太鼓を叩いているので、どれ、桴を貸そうかと言われた。そこで怪物もついにいなくなった。あるにもせよ、それを消すので最後にはいなくなる。
【語釈】
・鬼神集説…佐藤直方著。
・いなむら…稲叢。刈った稲または稲藁を積み重ねたもの。

事上は上の鬼怪のことなり。たたい、知がないからぞ。怪物咄をふいちょうするとかぎりもないこと。出ずともよい下女迠、私共の國にもと云。只そふしてをけ。やがてすまふぞ。只於学上云々。向のことを云ずに、こちのことですむ。事上の鬼怪にかまわず、学上で云こと。左傳の伯有が幽灵のことを程子に問たれば、別に有説話と云へり。学問が上達したらばすまふなり。別に説話ときひて何ぞよいことを聞せるかと思へば、学問上達すれはそんなことはずんと世話にならぬ。向をすてて此方を精出せば、あとですむことなり。予少年のとき、渋谷意斎に茶のことを難問したれば、三年ほど立つめられよ、三年すれば知ると云たは尤なり。訂斎先生の、梅の木になま首がなろふともかまはぬと云がここなり。
【解説】
鬼怪には構わずに置く。学問に精を出すことで、後日それは問題とならなくなる。
【通釈】
「事上」は上にある鬼怪のこと。それを言うのはそもそも知がないからである。怪物話を吹聴すれば際限がない。出て来なくてもよい下女までが、私共の国にもあると言う。ただ、そうして置け。そうすればやがて済むこと。「只於学上云々」。向こうのことは言わずに、こちらのことで済む。事の上の鬼怪に構わず、学の上で言うのである。左伝にある伯有の幽霊のことを程子に問うと、別に説話があると程子が答えた。学問が上達すればそれは済むだろう。別に説話があると聞いて、何かよいことを言うのかと思えば、学問が上達すればそんなことは全く問題とならないと言った。向こうを捨ててこちらのことに精を出せば、後で済むことなのである。私が少年の時、渋谷意斎に茶のことを難問したら、三年ほど点て続けなさい。三年すればわかると言われたが、それは尤もなこと。訂斎先生が、梅の木に生首が成ったとしても構わないと言うのがここのこと。
【語釈】
・左傳の伯有が幽灵のことを程子に問たれば…伯有は鄭の卿で、子産に殺された。朱子語類に「伊川云、左傳伯有之爲厲、又別是一理」とある。
・渋谷意斎…
・訂斎先生…久米訂斎。


第六 学原於思の条

學原於思。
【読み】
學は思うことに原[もとづ]く。
【補足】
・この条は、程氏遺書二下にある。

これからが致知の致の字へへったりぞ。思ひから知は致る。井戸の水を汲み出すやふに、くみ出すほとあとでよくなる。迂斎の、思から花が咲と云やふなもの、と。孟子にも不思耳、と。それは思はぬのしゃとなり。思ひへ載ると開けてくる。此条を、知を開く根元と合点せよと迂斎云へり。ここへ目が付ぬと、五十年学ても向のものそ。為学に性靜者可爲学とある。先あの条へ入て、その上て障子をあけて此条へ入ることと思べし。学問するには性の靜ながよい。学問がしよい。そんなものこそするがよいとなり。こふ云下地で爰へ入と、さて々々はかがゆく。專一に思ふと上るなり。風と存付た。今日の学者は兎角思が專一でない。未発の中の、知藏のと高ひことを云て見ても思わすにさわぐ。鼠をとりそこなふたいたちのやふで、思の氣味なしにさはぐ。とど、学問に精彩かないから役にたたぬ。名医がまたしゃれよと首をひ子った計りて死ぬ病人も活きる。思の字が大切なり。
【解説】
思うことから知は致る。専一に思うことで上達する。今日の学者は専一に思わないから、高いことを言っても精彩がなく、役に立たない。
【通釈】
これからが致知の致の字へべったりとなるところ。思うことから知は致る。井戸の水を汲み出す様に、汲み出すほど後によくなる。迂斎が、思うことから花が咲く様なものだと言った。孟子にも「弗思耳」とある。それは思わないからだ、と。思いへ載せると開けて来る。この条を知を開く根元だと合点しなさいと迂斎が言った。ここへ目が付かないと、五十年学んでも身に付かない。為学に「性静者可為学」とある。先ずはあの条へ入って、その上で障子を開けてこの条へ入るのだと思いなさい。学問をするには性の静かなのがよく、それで学問がし易くなる。そんな者こそ学問をするのがよいと言う。この様な下地でここへ入ると、実に計が行く。専一に思えば上達する。ふと思い付く。今日の学者はとかく思いが専一でない。未発の中とか知蔵などと高いことを言ってはみても思わずに騒ぐ。鼠を取り損なったいたちの様で、思うこともなく騒ぐ。結局、それでは学問に精彩がないから役に立たない。名医がちょっと待てと言って首を捻るだけで、死ぬ病人も活きる。思の字が大切である。
【語釈】
・不思耳…孟子告子章句上6。「仁義禮智、非由外鑠我也。我固有之也。弗思耳矣」。
・性靜者可爲学…為学68。「明道先生曰性靜者可以爲學」。


第七 所謂日月至焉の条

所謂日月至焉、與久而不息者、所見規模、雖略相似、其意味氣象迥別。須潛心默識、玩索久之。庶幾自得。學者不學聖人則已。欲學之、須熟玩味聖人之氣象。不可只於名上理會。如此只是講論文字。
【読み】
謂う所の日月にして至ると、久しくして息まざるとは、見る所の規模、略相似ると雖も、其の意味氣象は迥[はるか]に別なり。須く心を潛めて默識し、玩索すること之を久しくすべし。自得するに庶幾からん。學者は聖人を學ばずんば則ち已む。之を學ばんと欲せば、須く熟[つらつら]聖人の氣象を玩味すべし。只名の上に於てのみ理會す可からず。此の如きは只是れ文字を講論するのみ。
【補足】
・この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

上に思と云字を出して爰へうつるも面白ひあやなり。さあ思と云段になると、つい労咳病の思ふやふにくよ々々する。そんな思ひは思ほと、心がらりになる。それゆへ何ことも氣象あんはいあることそ。そこを知せたもの。日月至は孔門の歴々、大勢の衆なり。久而不息は顔子なり。これもとんと筭用の外なことそ。日月に至るも其日は仁者、久而不息も仁者そ。あの衆の孔子の前へ出た処が家老と仲間ほと違はせぬ。皆堂にのほるの歴々なり。されとも意味が違ふ。顔子のはいつも々々々よい。たま々々てない。輕ひものの大名の衣服を着たのは大ふ違ふたか、知たも同しやうてあろふと思へば、意味氣象は大にちごう。借金してつかふ金と有金をつかふやうなもの。同し金てもつかいあんばいがちがふ。
【解説】
「所謂日月至焉、與久而不息者、所見規模、雖略相似、其意味氣象迥別」の説明。「日月至」でも「久而不息」でも、至れば仁者であって違いは少ない。しかし、意味気象は大きく違う。顔子の「久而不息」はいつもよいのである。
【通釈】
前条に「思」という字を出してここへ移るのも面白い綾である。さあ思うという段になると、つい労咳病みが思う様にくよくよする。そんな思い方では、思うほど心が乱離になる。そこで、何事にも気象塩梅があるのである。ここはそこを知らせたもの。「日月至」は孔門の歴々のことで大勢の衆のこと。「久而不息」は顔子のこと。これも全く計算外のことである。日月至でも至ったその日は仁者、久而不息も仁者である。あの衆が孔子の前へ出た処は家老と仲間ほどの違いはない。皆堂に上る歴々である。しかし、意味が違う。顔子のはいつもよく、偶々よいのではない。軽い者が大名の衣服を着るのは大名とは大分違うが、知っていることは同じ様なことだろうと思えば、意味気象は大いに違う。借金をして金を使うのと有金を使うのとが違う様なもの。同じ金でも使う塩梅が違う。
【語釈】
・日月至…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。

心潜黙識は存養にありそふなことなり。日月至るも仁しゃから致知には入りそもないことなれとも、先爰を知子ば致知の知が道具たての知になる。そこへとっくとはいるなり。玩索久之。某なども程門の衆へ近付なり。いつなめたと云こともしれず、年来、程門の衆のことを気をとめてをるから近付なり。あの衆の意味氣象、これがすんだらば禄士もなろふと云様なことはない。今の学者、どふでも禄士の役にもたつやうの心かけが出る。程子の時分の及弟に意あるゆへ、致知にけざさがつく。吾黨の致知と云はちと損のいくことなり。天地の間色々の書ありて、それを吟味するも致知の一端なれとも、そんなことを主にすることてない。そこで学者不学聖人云々と、此やふな語が出たなり。垩人を学ぶ学ひやうのをもぶりを合点すべし。衣紋揃て居る様なことてない。知のことなり。垩人の氣象は、善は善、悪を悪と云やふな処にはない。今聞て役にたたぬやふなもの。甚よいことなり。孔子の申々夭々、春の日のいこう長閑に鴬の囀るやふなことなり。師冕見ゆ。ここに重次良、ここに傳左と、もし其座に居たものの噂ても云ては氣の毒なと丁寧に告なり。又、陳恒弑其君、沐浴して朝す、少正卯を誅すの類、引くるめて知るてなければ氣象を知るとは云はれぬ。致知は先規のことを帳面に付るやふなことてはない。
【解説】
「須潛心默識、玩索久之。庶幾自得。學者不學聖人則已。欲學之、須熟玩味聖人之氣象」の説明。「心潜黙識」でなければ形だけの知になる。「玩索久之」は禄士を求める様なことではない。致知は聖人を学ぶことだが、それは聖人の気象塩梅を知ることである。
【通釈】
「心潜黙識」は存養にありそうなこと。日月至るも仁のことだから致知には入りそうもないが、先ずここを知らなければ、致知の知が道具立ての知となってしまう。そこへしっかりと入らなければならない。「玩索久之」。私なども程門の衆に近付きである。いつ近付きになったのかは知れないが、年来、程門の衆のことを気に留めているから近付きとなった。あの衆の意味気象には、これが済んだら禄士も得られるだろうという様なことはない。今の学者は、どうしても禄士の役にも立つ様にとの心掛けが出る。程子の時分は及第に意があったので、致知に疵が付いていた。我が党の致知とは少し損をする様なものである。天地の間には色々な書があるから、それを吟味するのも致知の一端だが、そんなことを主にすることではない。そこで「学者不学聖人云々」と、この様な語が出た。聖人を学ぶ、その学び方の面振りを合点しなさい。それは衣紋を揃えている様なことではなく、知のこと。聖人の気象は、善は善、悪を悪と言う様な処にはない。今聞いても役に立たない様なもので、甚だよいこと。孔子の「申々夭々」は、春の日のすっかり長閑なところで鴬が囀る様なこと。「師冕見」は、ここに重次郎、ここに伝左と、もしもその座にいた者の噂でも言うことになっては気の毒だと丁寧に告げたのである。また、「陳恒弑其君沐浴而朝」や少正卯を誅する類まで、それ等を引っ包めて知るのでなければ気象を知るとは言えない。致知は先規を帳面に付ける様なことではない。
【語釈】
・けざさ…けささ。障害。邪魔。
・孔子の申々夭々…論語述而4。「子之燕居、申申如也、夭夭如也」。
・師冕見ゆ…論語衛霊公41。「師冕見。及階、子曰、階也。及席、子曰、席也。皆坐、子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、與師言之道與。子曰、然。固相師之道也」。
・重次良…浅見絅斎。
・傳左…
・陳恒弑其君、沐浴して朝す…論語憲問22。「陳成子弑簡公。子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恆弑其君。請討之」。
・先規…以前からのおきて。もとの規則。前例。

名上は名目なり。理屈つめなり。そこで甘みかない。汁は何、鱠は何と云ても、大事の塩梅の処に氣が付ぬ。塩梅を知た人は、湯までもよかったとほめる。料理人は湯迠に氣を付ることなり。こふ云ことなれとも、ここの氣象は垩人の書の上で意味氣象を知ること。書物文字をよむ上にかけて説くが致知に深切なり。思ふと云も、ここらの筋を思慮すれは垩賢と近付になる。そうないと、讀其書不知其人になるなり。
【解説】
「不可只於名上理會。如此只是講論文字」の説明。聖人の意味気象は聖人の書で知ることが致知によい。しかし、書を読んでも塩梅を知ろうとしなければ、それは「讀其書不知其人」である。
【通釈】
「名上」とは名目のことで、理屈詰めだから甘みがない。汁は何、鱠は何と言っても、大事な塩梅の処に気が付かない。塩梅を知った人は湯までもよかったと褒める。料理人は湯までに気を付けなければならない。聖人の気象塩梅はこうしたものだが、ここでは聖人の書の上で意味気象を知ることを言う。書物文字を読む上に掛けて説くのが致知に深切なこと。思うということも、ここ等の筋を思慮すれば聖賢と近付きになる。そうでないと、「読其書不知其人」になる。
【語釈】
・讀其書不知其人…孟子万章章句下8。「以友天下之善士爲未足、又尚論古之人。頌其詩、讀其書、不知其人可乎。是以論其世也。是尚友也」。


第八 問忠信進德之事の条

問、忠信進德之事、固可勉強。然致知甚難。伊川先生曰、學者固當勉強。然須是知了、方行得。若不知、只是覰卻堯、學他行事。無堯許多聰明睿智、怎生得如他動容周旋中禮。如子所言、是篤信而固守之、非固有之也。未致知、便欲誠意、是躐等也。勉強行者、安能持久。除非燭理明、自然樂循理。性本善。循理而行、是順理事、本亦不難。但爲人不知、旋安排著、便道難也。知有多少般數、煞有深淺。學者須是眞知。纔知得是、便泰然行將去也。某年二十時、解釋經義、與今無異。然思今日、覺得意味與少時自別。
【読み】
問う、忠信もて德に進む事は、固より勉強す可し。然れども知を致すは甚だ難し、と。伊川先生曰く、學者は固より當に勉強すべし。然れども是れ知り了わるを須[ま]ちて、方に行い得。若し知らずんば、只是れ堯を覰卻[しょきゃく]し、他[かれ]の行事を學ぶのみ。堯の許多の聰明睿智無くんば、怎生[いかん]ぞ他の如く動容周旋の禮に中るを得ん。子の言う所の如き、是れ篤く信じて固く之を守るなり、固より之有るに非ず。未だ知を致さざるに、便ち意を誠にせんと欲するは、是れ等を躐ゆるなり。勉強して行う者、安んぞ能く持すること久しからん。除非[ただ]理を燭[てら]すこと明らかなれば、自然に理に循うを樂[この]む。性は本より善なり。理に循いて行うは、是れ理に順う事なれば、本より亦難からず。但人知らず、旋[うたた]安排著するが爲に、便ち難しと道[い]うなり。知に多少の般數有りて、煞[はなは]だ深淺有り。學者は須く是れ眞に知るべし。纔かに是を知り得ば、便ち泰然として行い將[も]て去[ゆ]け。某年二十の時、經義を解釋するに、今と異なること無し。然れども思うに今日、意味の少き時と自ら別なるを覺え得、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

此の問をいこうわるい問のやうに見るは非なり。伊川の答がたたりてあるゆへ悪ひやふに思ふが、大ふとり違た語てもなし。忠信進德は德のさわりになるものを取てのけ子ばならぬゆへ、勉強せ子はならぬ。隨分尤なり。人欲の吾身へ付た、好色の筋から金銀財宝ににぎりこぶしをすることなり。さて、致知と云は甚難ひことじゃとなり。書に、知ること之非難、行ふこと是難とあるゆへ、つい知はなんのこともないに思ふ処を、中々ならぬことと氣が付れた。そこで、伊川もこなたの云通に、なる程そうしゃ。固當勉強なり。垩人をのけては皆勉強ぞ。だけれとも、其勉強も知がなくてはいかぬ。兎角順が大切なり。知がなければ灯燈持て主のあとに居るやうなもの。旦那が川へ落たあとで灯燈を出す。役に立ぬ。とかく灯燈は先きへたつはつ。世間の学者が事上行義からかかるゆへ、こうたたるなり。世間には知なしに推て通もある。そこで覰却堯。上べからま子る。いつも堯舜と出すが、堯計り出したは孟子に行堯行是堯而已とある。其外堯を羮にと云字もある。後ろたてにして学たもの。聰明睿智は垩人の全体そ。直方の筆記にあり。師匠があつびんゆへに弟子もあつびんにするやふなことじゃ、と。
【解説】
「問、忠信進德之事、固可勉強。然致知甚難。伊川先生曰、學者固當勉強。然須是知了、方行得。若不知、只是覰卻堯、學他行事。無堯許多聰明睿智、怎生得如他動容周旋中禮」の説明。「忠信進徳」は、徳の障りになるものを取って除けることであり、聖人以外は勉強をしなければならないのは当然のことである。しかし、その前に知がなければならない。世間の学者は事上行儀から取り掛かり、上辺を真似るだけで知がない。
【通釈】
ここの問いを大層悪い問いの様に見るのは間違いである。伊川の答えが厳しいものなので悪い様に思うが、大きく取り違えた語でもない。「忠信進徳」は、徳の障りになるものを取って除けなければならないから勉強しなければならないということで、随分尤もなことである。人欲が我が身に付いたのが徳の障りであり、好色の筋から金銀財宝までを握り拳で当たるのである。さて、致知は甚だ難しいことだと言う。書に、「知之非難行是難」とあるから、つい知は何事もない様に思うが、それが中々できないことだと気が付かれた。そこで伊川も、なるほど貴方の言う通り「固當勉強」で、聖人を除いては皆勉強である。しかし、その勉強も知がなくてはいけないと言った。とかく順序が大切。知がなければ行燈を持って主人の後にいる様なもの。旦那が川に落ちた後に灯燈を出す。それでは役に立たない。とかく灯燈は先にある筈。世間の学者が事上行儀から取り掛かるから、この様に祟ったのである。世間には知がなくても推して通ることもある。そこで「覰卻堯」と、上辺から真似る。いつもは堯舜と二人を出すものだが、ここで堯だけを出したのは孟子に「行堯行是堯而已」とあるのと同じ。その外に堯を羮にという語もある。堯を後ろ盾にして学ぶということ。「聡明睿智」は聖人の全体。直方の筆記にも、師匠が厚鬢なので、弟子も厚鬢にする様なことだとある。
【語釈】
・知ること之非難、行ふこと是難…
・行堯行是堯而已…孟子告子章句下2。「徐行後長者、謂之弟。疾行先長者、謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣。子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣」。
・堯を羮に…幼學瓊林。「虞舜幕唐堯,見堯於羹,見堯於牆。門人學孔聖,孔歩亦歩,孔趨亦趨」。

如子所言云々は向へたたりて云たもの。向て忠信進德を重荷に云ゆへこうたたるなり。第二段目に問手は知を云たなり。固守之も、知なしの守りはあてにならぬもの。茶湯しらぬものに茶碗を預たやふなもの。なじぇに大切じゃ、なじぇに高金じゃと云ことを知ぬからそまつにする。石原の語録を大学殿火事のとき、權平が下女が途中ですてた。大切なを知らぬから、これよりも旦那の羽織の一つもと云てつい捨た。石原録一冊ぬけたはあのときのことなり。知れは中々家財を賣拂ふともはなさぬ。釣好の釣をするは守てはない。何よりの御馳走と云氣でなければいかぬなり。忠信進德は大学の誠意にあたる。温公なとは御手前がよいゆへ其誠乎と云へとも、主し一人なり。外のものなならぬこと。若なるにすれば本のでない。髪を結てから月代をそるやふなもの。順か違ふ。学問は胷ですることゆへまきらかす。それがやはりくらひのなり。致知がなければ首のないやふなものと云はそこそ。知なしに勉強ていたはつつかぬ。直方の、子とものをとなしひやふなものと云へり。もりは入ぬかと思へば、はや池へすべり落たり拾ひ喰をする。油断はならず。
【解説】
「如子所言、是篤信而固守之、非固有之也。未致知、便欲誠意、是躐等也。勉強行者、安能持久」の説明。「固守之」も、知がなくては何が大事なのかがわからず、当てにならない。また、知なしに勉強していても続かない。
【通釈】
「如子所言云々」は問い手に祟って言ったもの。問い手が忠信進徳を重く言うからこう祟ったのであり、問い手は知のことを第二段目として言ったからである。「固守之」でも、知なしの守りでは当てにならない。茶の湯を知らない者に茶碗を預けた様なもので、何故大切なのか、何故高金なのかということを知らないから粗末にする。石原の語録を大学殿の火事の時、権平の下女が途中で捨てた。語録が大切なことを知らないから、それよりも旦那の羽織の一つでも持ち出そうとしてつい捨てた。石原語録が一冊抜けたのはあの時である。知れば家財を売り払うとも中々離さない。釣り好きが釣りをするのは守ではない。何よりの御馳走をという気でなければ守ではない。忠信進徳は大学の誠意に当たる。温公などは自身がよいから「其誠乎」と言ったが、それは本人一人のことで、外の者のできないこと。もしもそれで誠が成るとすれば本物ではない。髪を結ってから月代を剃る様なことで順が違う。学問は胸ですることだから紛らかす。それがやはり暗いのである。致知がなければ首のない様なものと言うのはそのこと。知なしに勉強していても続かない。直方が、子供の大人しい様なものだと言った。守は要らないかと思えば、早くも池へ滑り落ちたり拾い喰いをする。油断はならない。
【語釈】
・大学殿…
・權平…
・其誠乎…小学外篇善行。「劉忠定公見温公、問盡心行己之要、可以終身行之者。公曰、其誠乎。劉公問行之何先。公曰、自不妄語始。劉公初甚易之。及退而自檃栝、日之所行與凡所言、自相掣肘矛盾者多矣。力行七年而後成。自此言行一致、表裏相應、遇事坦然常有餘裕」。

除非は俗語とも違ふ。只の字へひびきはり合てついた非の字なり。上總でさこそと云のなり。直方の、燭理は火事のとき方角を聞やうなもの、と。風は南か、方角は北かと云筋かしるるとさわかぬ。ここに性善の入りそもない処へ出たはどふなれば、本爰から致知そ。猿が何ほかしこふても学問はいかぬ。人の知をみかくは性善なりなことて、これか道理の問屋で、その理に循て行く道筋を吟味するが致知なり。猿に藝を仕込やふなことても、あれはもと桃や柿をむしり喰ふが自然なり。人はたたい性善なものゆへ、其性善なりに循て致知をする。さて、とどのきり々々を合点すへし。樂[このむ]と云がぎりぎりなり。此文字を重く見るはあしし。小学に未見意趣必不樂学の字と同じ。さて、下の理に順は釘をとめたもの。あの上の循理はなんのことないことじゃ。循理と云順の字は理と云幷木の松に循て行ことなり。下の順理と云順の字はそれなりなことて、直に道体のやうなもの。自然てとんと細工はない。順は逆の反對て理なりと云こと。それが順理の字じゃ。循と順の文字、明道の性論て見るべし。徂徠筌蹄可考。
【解説】
「除非燭理明、自然樂循理。性本善。循理而行、是順理事」の説明。「燭理」は筋を知ること。人が知を磨くのは人が性善だからであって、理に循って吟味するのが致知である。循理の循は理に循って行くことで、順理の順は逆の反対で理の通りということである。
【通釈】
「除非」は俗語とは違う。「只」の字に響いて張り合って付いたのが非の字である。上総で、さこそと言うのと同じ。直方が、「燭理」は火事の時に方角を聞く様なものだと言った。風は南か、方角は北かという筋を知れば騒がない。ここで、性善の入りそうもない処へ性善が出たのはどうしてかというと、本来、ここからが致知だからである。猿がどれほど賢くても学問はできない。人が知を磨くのは性善の通りのことで、これが道理の問屋で、その理に循って行く道筋を吟味するのが致知である。猿に芸を仕込む様なことも、猿は本来桃や柿をむしり喰うのが自然である。人は元々性善なものだから、その性善の通りに循って致知をする。さて、詰まるところの至極を合点しなさい。楽むことがぎりぎりのところ。この文字を重く見るのは悪い。小学にある「未見意趣必不楽学」の楽の字と同じ。さて、下の順理は釘を留めたもの。あの上の循理は簡単なことで、循理の循の字は理という並木の松に循って行くこと。下にある順理の順の字はそのままなことで、直に道体の様なもの。自然で全く細工はない。順は逆の反対で理の通りということ。それが順理の字である。循と順の文字は明道の性論で見なさい。徂徠筌蹄からも考えてみなさい。
【語釈】
・未見意趣必不樂学…小学外篇嘉言。「伊川程先生曰、敎人未見意趣必不樂學、欲且敎之歌舞」。

事本亦不難。それしゃによってと云こと。何んの六ヶ鋪ことはないと云こと。不難は循理の二字から出たもの。さて、論語で直方の面白こと云れた。孔子の子路に不知爲不知是知なりと示した。致知はしれるたけつめて跡はそふして置。目はとふして見へるそ。竒妙にみへると云か知なり。これ迠は知れる、これから先きは知れぬとつめれは、其知れぬまてが知のことなり。それから先きを知ふとするは、かの孟子の所悪於智爲其鑿なりそ。天地の外のこと知りたがるに及ぬことなり。前の竭目力労心知へあててみよ。安排し着るのそ。本かたくないのを理なりにせぬからそ。中庸索隠行怪がこれなり。本来の面目を見やふとして、難くないを難くする。そなたは難と云が理なりの致知じゃ、本と難くない。難いと云は致知に近付にならぬなり。
【解説】
「本亦不難」の説明。致知とは、知れるだけ詰めてその後はそのままにして置くこと。知れないことを考え過ぎるのは悪い。理の通りにしないから難しくなるのである。
【通釈】
「事本亦不難」。それだからということ。何も難しいことはないということ。「不難」は循理の二字から出たもの。さて、論語について直方が面白いことを言われた。孔子が子路に「不知為不知是知也」と示した。致知は知れるだけ詰めて、その後はそのままにして置く。目はどうして見えるのか。奇妙なことだが見えると言うのが知である。これまでは知れたがこれから先は知ることができないと詰めれば、その知れないことまでが知のことになる。それから先を知ろうとするのは、あの孟子の「所悪於智者為其鑿也」である。天地の外のことを知りたがるには及ばない。前の「竭其目力労其心智」へ当てて見なさい。按排し過ぎるのである。本来は難しくないのに、理の通りにしないから難しくなる。中庸の「索隠行怪」がこのこと。本来の面目を見ようとして、難しくないものを難しくする。貴方は難しいと言うが理の通りの致知なのだから、本来は難しくないもの。難しいと言うのは致知に近付きにならないからである。
【語釈】
・不知爲不知是知…論語為政17。「子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也」。
・所悪於智爲其鑿…孟子離婁章句下26。「所惡於智者、爲其鑿也」。
・竭目力労心知…致知1の語。「竭其目力、勞其心智」。
・中庸索隠行怪…中庸章句11。「子曰、素隱行怪、後世有述焉、吾弗爲之矣。君子遵道而行。半塗而廢、吾弗能已矣。君子依乎中庸。遯世不見知而不悔、唯聖者能之」。

不知旋安排云々。此開山は異端。とど一と口に云へば知ぬからぞ。便難。知を難ひ々々と云ても通用の外に別に云ことてはないとなり。知有多少般數。知には色々ある。端的なことぞ。顔子は喟然歎、曽子は一唯、曽点の大意、子貢の性天道、何れも浅深あれとも皆知のことなり。又、樊遲は聞ことこそあろふに、畠の作りやうを問れた。又、陳亢なとは一を聞て三を得たりはよかったか、跡の一句かわるかった。今日此坐でも、聞入る処は大きに浅深あることなり。床の達磨の掛物を雪舟か雪村かといろ々々云処へ、又、あれは名人か雪舟をま子たものてもあろふかと評するを、そこへ亭主が出て、あれは達磨じゃと云ふたとなり。此程ちかふたそ。多少般なり。眞に知ると云かもふ行へ出るほとそ。世の中をわたりくらべて今ぞ知ると、今ぞ知が眞知なり。迂斎云へり。
【解説】
「但爲人不知、旋安排著、便道難也。知有多少般數、煞有深淺。學者須是眞知」の説明。知は色々とある。孔門の知も色々とあった。真に知ると、それは行にも出るほどのことになる。
【通釈】
「不知旋安排云々」。この開山は異端であり、結局、一口に言えば知らないからである。「便難」。知は難しいと言っても通用の外に別に言うものではないと言う。「知有多少般数」。知は色々とあるが、それはわかり易いこと。顔子は喟然の歎、曾子は一唯、曾点の大意、子貢の性天道、いずれも浅深はあるが皆知のこと。また、樊遅は聞くべきこともあろうに、畠の作り方を問われた。また、陳亢などは一を聞いて三を得たのはよかったが、後の一句が悪かった。今日この座でも、聞き入る処は大きく浅深のあること。床の達磨の掛物を雪舟か雪村かと色々と言っている処へ、また、あれは名人が雪舟を真似たものだろうかと評していると、そこへ亭主が出て、あれは達磨だと言ったそうだ。これほど違っている。多少般である。真に知ることがもう行へ出るほどのこと。世の中を渡りくらべて今ぞ知ると言うが、この今ぞ知るが真知だと迂斎が言った。
【語釈】
・顔子は喟然歎…論語子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮。欲罷不能、既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已」。
・曽子は一唯…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯」。
・曽点の大意…論語先進25。「莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸」。
・子貢の性天道…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・樊遲は…論語子路4。「樊遲請學稼。子曰、吾不如老農。請學爲圃、曰、吾不如老圃」。
・陳亢なとは一を聞て三を得たり…論語季氏13。「陳亢退而喜曰、問一得三。聞詩、聞禮。又聞君子之遠其子也」。
・世の中をわたりくらべて今ぞ知る…蜀山人。大田南畝。「世の中を渡りくらべて今ぞ知る阿波のなるとに立つ浪もなし」。

泰然行将去。此段になって別に相談はいらぬと思ふべし。彼是さわぐことはない。野々宮高砂なり。誠意と云は致知挌物して知たなり。香車の様に行ことしゃ、と。吟味したなりにわきへむかぬことそ。そこが泰然行将去なり。根を知た人の云は挌別なり。ここの泰の字も、誠意の心廣体胖とあるその行ひ上のことを、其意を知の領分へ入たもの。其筈そ、誠意も知なりの出たのなり。寒中に肌をぬけと云たらとほふもないと云てあろふが、弓のときは何とも思はぬぞ。泰然云々なり。不断起したら何として起まいが、火事のときは深更にも起る。知からすぐに行へいく処なり。一ちの仕廻にさて々々知には多少があると云を御手前の身て云。
【解説】
「纔知得是、便泰然行將去也」の説明。誠意とは致知格物して知ることであり、知の通りが出たものである。冬に肌を脱ぐのは嫌なものだが、弓の時は何とも思わない。中々起きない人も火事の時は深夜でも起きる。それが「泰然行将去」である。
【通釈】
「泰然行将去」。この段になれば別に相談は要らないと思いなさい。かれこれ騒ぐことはなく、野々宮高砂である。誠意とは致知格物して知ること。香車の様に行くことで、吟味した通りにして脇へ向かないこと。そこが泰然行将去である。根を知った人の言は格別である。ここの泰の字も、大学の誠意に心広体胖とある、その行いの上のことを、その意を知の領分へ入れたもの。その筈で、誠意も知の通りが出たもの。寒中に肌を脱げと言われたら途方もないと言うだろうが、弓の時は何とも思わない。泰然云々である。普段は何とか起こそうとしても起きないが、火事の時は深夜でも起きる。これが知から直ぐに行へ行く処である。ここの終わりに、さても知には多少があるということを人の身を使って言ったのである。
【語釈】
・誠意の心廣体胖…大学章句6。「曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。誠意の章。

某年二十時云々。二十の時も今も文義に違はないが味がちこう、と。あの程子じゃから、さぞこそこうでありつろふ。好学論も十八のときなり。眞に知といこう意味がちごう。爰らは涙の出るやふに思ふべし。大ふ其塲になると違ふことなり。某なども廿一の時、初て上總へ下り近思を讀た。今よりもよかりた。其筈よ。迂斎を丸で云たゆへなり。意味の処はどふでも今がよかろふなり。これで伊川のこのことしみ々々と思ふことなり。然れば学問はどらほどすればよいなどと心得ては行ぬことそ。この処にはいこふ年ぶることなり。
【解説】
「某年二十時、解釋經義、與今無異。然思今日、覺得意味與少時自別」の説明。真に知ると、文義には違いはなくても意味が違って来る。真に知るには歳月を要する。
【通釈】
「某年二十時云々」。二十歳の時も今も文義に違いはないが味が違うと言う。あの程子だから、さぞその通りであったのだろう。好学論も十八歳の時のもの。真に知ると大層意味が違って来る。ここ等は涙が出ることの様に思いなさい。その場になると大分違って来る。私なども二十一の時、初めて上総へ下って近思録を講読したが、それは今よりもよかった。その筈で、迂斎の言をそのまま言ったからである。意味の処はどうしても今の方がよいだろう。それで、伊川の言うこのことをしみじみと思うのである。そこで、学問はどれほどすればよいなどと心得てはうまく行かないのであって、この処には大層歳月を要するのである。
【語釈】
・好学論…為学3を指す。

講後餘論
此条、問人の語脉かとくと取にくけれとも、伊川の訶られたで問人の差を知るべし。つまり勉強底の人にて力行を十分第一のことにして、さて、致知の功夫とてもめったにゆくものではなし、致知も亦難事しゃ、中々馬鹿にはされぬ、大抵ではないと云たは、心のそこが致知を第二段にしたのぞ。問人の難と云たは、只何のことなく、めったにならぬことじゃ、片手わざにはゆかぬの筋に云難しなり。程子の答語は其難の字をとっこにして、致知の工夫せぬから難ひと云か、たたい理なりにすることは難ひことはない。白は白ひ、黑は黑ひ。すら々々したなりか知の靣目そと祟りたもの。順逆難易の文字にて知べし。知なしに勤めてすることは逆て難く、本知の理形りは順て易と示されたものなり。
【解説】
問い手は致知を二の次にして力行を第一とするから致知を難しと思うのであって、本来、理に順うのが致知であり、それを第一にすれば致知は難しいものではない。
【通釈】
この条、問い手の語脈がわかり難いが、伊川が訶られたことから問い手の誤りを知りなさい。つまり勉強ばかりの人で、力行を十分するのを第一のことにして、さて、致知の功夫も滅多にできるものではなく、致知もまた難事だ、中々馬鹿にはできない、大抵なことではないと言ったのは、心底が致知を第二段にしているからである。問い手が難と言ったのは、何という事でもなく、ただ滅多に成らないことだ、片手業では行かないことだという筋の難しである。程子の答語は、その難の字を借りて、致知の工夫をしないから難しくなると言ったもの。そもそも理の通りにすることに難いことはない。白は白く、黒は黒い。すらすらした姿が知の面目であると訶ったのである。これは順逆難易の文字で知りなさい。知なしに勤めてすることは逆で難く、本知の理の姿は順で易いと示されたのである。