第九 凡一物上有一理の条  十月二十一日  慶年録
【語釈】
・十月二十一日…寛政2年庚戌(1790年)10月21日。
・慶年…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。自家を学思斎と称し、黙斎に学ぶため他郷から来る人々を泊めるとともに、子弟をそこで指導した。

凡一物上有一理。須是窮致其理。窮理亦多端。或讀書講明義理、或論古今人物別其是非、或應接事物而處其當。皆窮理也。或問、格物、須物物格之、還只格一物而萬理皆知。曰、怎得便會貫通。若只格一物便通衆理、雖顏子亦不敢如此道。須是今日格一件、明日又格一件。積習既多、然後脱然自有貫通處。又曰、所務於窮理者、非道盡窮了天下萬物之理。又不道是窮得一理便到。只要積累多後自然見去。
【読み】
凡そ一物の上には一理有り。須く是れ其の理を窮致すべし。理を窮むるも亦多端なり。或は書を讀みて義理を講明し、或は古今の人物を論じて其の是非を別ち、或は事物に應接して其の當を處す。皆理を窮むることなり。或ひと問う、物に格るは、須く物物に之に格るべきや、還[また]は只一物に格るのみにして萬理皆知らるるや、と。曰く、怎得[いかん]ぞ便ち貫通するを會ん。只一物に格るのみにして便ち衆理に通ずるが若きは、顏子と雖も、亦敢て此の如く道[い]わじ。須く是れ今日一件に格り、明日又一件に格るべし。積習すること既に多く、然して後に脱然として自ら貫通の處有らん、と。又曰く、窮理に務むる所の者は、盡く天下萬物の理を窮め了るを道うに非ず。又、是れ一理を窮め得ば便ち到るを道うにあらず。只積累多くして後に自然に見去るを要す。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

一物の上に一理あると云は即道体なり。道体を云に天地の間に理のないものはなく、此位の理は理にもたたぬ、捨てをけとは云れぬ。きはめるでなければならぬ。迂斎の、知は心にあるものなれとも、それを心ばかりて置と理はひらけぬ、物の上にある理を吟味するでこちが開ける。窮理亦多端云々。直に中庸の博学審問の博の字てある。子思が始めに博と出して、それをここに多端と云ふは、道理のあるものは皆こちの掛りになるゆへ、多端は博と云に同し。道理のないものはないそ。多端は博の字ゆへ、色々にしてきわめる。
【解説】
「凡一物上有一理。須是窮致其理。窮理亦多端」の説明。全ての物の上には理があり、理は窮めなければならない。知は心にあるが、心ばかりでなく物の理を吟味することで理が明になる。理は中庸の博と同じく多端である。
【通釈】
一物の上に一理があるというのは即ち道体のこと。道体のことを言えば天地の間に理のないものはなく、これ位の理は理にもならないから捨てて置けとなどと言うことはできない。窮めなければならない。迂斎が、知は心にあるものだが、知を心だけに置くのでは理が明にならない、物の上にある理を吟味することで明になると言った。「窮理亦多端云々」。これが直に中庸にある博学審問の博の字である。子思が始めに博と出したものをここで多端と言うのは、道理のあるものは皆こちらに関係があるものだからであって、多端は博と同じなのである。道理のないものはない。多端は博の字と同じだから色々として窮める。
【語釈】
・博学審問…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道。聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。

或讀書云々。知を磨くは兎角書が端的なり。垩賢の書をよむより外はなし。そふ聞と又、俗儒かそれに計引つひて居て靣前三尺のことの昏して、吾居る所のことを問はれても知らぬものあり。そこて、其れをは呵るか、第一は書を讀むことなり。或論古今人物。人の噂を云も止むことを得ぬて云ことあり。わるくすると慰に云ふゆへわるいそ。理は形の定らぬものなればどふとも云はれぬか、古今の人の出すので分る。頼朝をつかまへては頼朝のことを論じ、義經を押へては義經のことを云てよく分る。源盛衰記、太平記のときより忠信義士の人を出して云で分る。不忠ものを不届とわける。小学の善行に人を出して見せるも聞へた。孝行の人を出すでのっ引ならぬ。それが端的證拠になる。人の噂を云ぬは居於其邦不非其太夫の類なり。それを云ふはわるい。田舎でも、其村に居て村の役人のことをかれこれ云ことに非す。市井裏店にいても其大ふ屋をそしる、はやわるい。それとはちごふ。
【解説】
「或讀書講明義理、或論古今人物」の説明。知を磨くには聖賢の書を読むのがよい。理は形の定まらないものだが、古今の人物を論じることで知ることができる。但し、それは今いる人の噂話をすることではない。
【通釈】
「或読書云々」。知を磨くにはとかく書が端的である。それには聖賢の書を読むより外はない。その様に聞けば、また俗儒がそれにばかり熱中して、面前三尺のことには暗く、自分のいる所のことを問われても知らないということがある。そこで、それを呵るのだが、しかし、知を磨くための第一は書を読むことである。「或論古今人物」。人の噂を言うにも止むを得ず言うことがある。人の噂は悪くすると慰めで言うことになるから悪い。理は形の定まらないものだからどうとも言えないが、古今の人を出すのでわかる。頼朝を掴まえては頼朝のことを論じ、義経を押さえては義経のことを言うのでよくわかる。源盛衰記、太平記の時より忠信義士の人を出して言うのでわかる。不忠者を不届だと分ける。小学の善行に人を出して見せるのもよくわかった。孝行な人を出すでのっぴきならなくなる。それが端的證拠になる。人の噂を言わないのは「居是邦不非其大夫」の類であり、それを言うのは悪い。ここは、田舎のその村にいて村の役人のことをかれこれ言うことではない。市井裏店にいてその大家を譏るのも早悪い。それとは違う。
【語釈】
・居於其邦不非其太夫…論語述而14集註。「君子居是邦、不非其大夫」。

別是非。これは云は子ばならぬ。御典藥が見違る。町医ても、これはヶ様でござろふと云は子ばならぬ。是非を別つは大切なことなり。其れを云は子ば眞昏なり。窓から路人を見て、あほふな男と云はそしるのなり。腰の物に反り打て指たは麁相な男と云ひ、鑓持の鞘を落して秡身てかついて行くを麁相と云たとて議るてはなし。是非をわかた子ば知の埒着がない。是非の分たぬは吾寺の佛尊しになる。是非分けて云が何も遠慮はない。親のことは云ぬものとても親父が證文を書損って十两のを廿两とかけば、親のことても云は子ばならぬ。神道者などが只ありかたひ々々々々々と云。是非が分たぬ。そふなると、跡の忠孝の筋迠が眞昏になる。是非を分た子は、折角の深ものでも上はえかかぬやうなり。王陽明なとはここを委細胷にあると云。胷でばかりすましては向へ合ぬ。或應接事物處其當云々。處當はきりもみの処へあたることを云。今日の人てもこれはとふしようと聞にくるものかあるに、理非がわからぬから當るを處くことがならぬ。究理は端多して理非を一々わけ子ばならぬ。此様に色々仕方のあるか博の字の処なり。
【解説】
「別其是非。或應接事物而處其當。皆窮理也」の説明。窮理は多端だから、是非を一々別たなければ、当たるところを捌くことができない。王陽明は心だけでこれを済まそうとした。
【通釈】
「別是非」。これは言わなければならない。御典薬が見違えれば、町医者でもこれはこうすべきでしょうと言わなければならない。是非を別つのは大切なこと。それを言わなければ真っ暗である。窓から路人を見て、阿呆な男だと言うのは譏ること。反りを打った刀を差している者を粗相な男だと言い、鞘を落として抜身で担いで行く鑓持を粗相な者だと言ったとしても譏ることにはならない。是非を別たなければ知の埒が明かない。是非を別たないと我が寺の仏尊しになる。是非を別けて言うのに何も遠慮することはない。親のことは指摘しないものだが、親父が證文を書き損なって十両を二十両と書けば、親のことでも言わなければならない。神道者などがただ有難いとばかり言うが、それでは是非が別たない。そうなると、後の忠孝の筋までが真っ暗になる。是非を別たなければ、折角の染め物に上絵を描かない様なもの。ここを王陽明などは委細胸にあると言う。胸だけで済ましては向こうに合わない。「或応接事物処其当云々」。処当は要所の処へ当たることを言う。今日の人でもこれはどうしようと聞きに来る者があるが、理非が別けられないから当たるところを処すことができない。窮理は端多だから理非を一々別けなければならない。この様に色々な仕方のあるのが博の字の処である。

或問挌物須物々格之云々。大学に格物とあるか、万物万事の事と云、あれを一々に至るかと問ふ。どふもそふはいくまい。只一物に挌て万理皆知か、と。此問は、不審の云やうか余程試て問た問ひなり。してみても、天下の物々に至るはあまり多くてならぬ。一物によく至りて万事が知るかとは、医者が丈夫に傷寒を直すならは、跡の雜病は皆知るであろふと云心の問なり。其れを伊川の叱て怎得便會貫通。問人の万理皆知と云たは貫通の塲なり。それがどふなろふぞとなり。雖顔子云々。顔子は一を聞て十を知る。あれほどはかの行く人はなけれとも、そこは心得ましたとは云れぬとかう云てをいて、それを伊川の教るので、これから跡が本のことなり。
【解説】
「或問、格物、須物物格之、還只格一物而萬理皆知。曰、怎得便會貫通。若只格一物便通衆理、雖顏子亦不敢如此道」の説明。問い手が、万物万事に一々格るのでは数が多過ぎるから、一物だけに格って万理を知るのかと尋ねた。伊川は、顔子でもそれをできるとは言わなかったと答えた。
【通釈】
「或問格物須物々格之云々」。大学に格物とあるが、万物万事の事という、あれに一々至るのことかと聞いた。どうもそうはいかないだろう。ただ一物に格って万理を皆知るのかと尋ねた。この問いの不審の出方は、よほど試した後でのことである。しかしながら、天下の全ての物に至るにはあまりに物が多過ぎるから、一物によく至ることで万事を知ることができるのかと言うのは、医者が丈夫に傷寒を直すのなら、後の雑病は皆知っているだろうという意と同じ問いである。それを伊川が叱って「怎得便會貫通」。問い手が万理皆知と言ったのは貫通の場のこと。それがどうして成ることができるだろうと言った。「雖顔子云々」。顔子は一を聞いて十を知る。あれほど計の行く人はいないが、そこは顔子も心得ましたとは言われないとこの様に言って置いて、その理由をこれから伊川が教るから、これから後が本題である。
【語釈】
・顔子は一を聞て十を知る…論語公冶長9。「子謂子貢曰、女與囘也孰愈。對曰、賜也何敢望囘。囘也聞一以知十。賜也聞一知二。子曰、弗如也。吾與女弗如也」。

今日格一件明日格一件。毎日々々ものに觸る処ていたる。前々云、他国へいて近付のふへるやふなもの。某がここへ来たに近付は鵜澤两家より外はなかったが、今は改て近付にならすとも、あれは誰が子であろふと大凡にもしるる。積習既多然後脱然自有貫通處。爰が補傳なとの本になる。一旦豁然貫通するに及んではとあり。積習の初は方角[とをり]知らぬ人を使に出すと一軒々々にして内へかへるか、方角を覚へ度々行くと、先きから先きへたん々々歩行。これが方角を貫通したのなり。そこが彼の今日一件明日一件と積たて貫通する。本草を吟味するにも今日茯苓、明日半夏と一々きめて、後は皆すむなり。
【解説】
「須是今日格一件、明日又格一件。積習既多、然後脱然自有貫通處」の説明。事物に接することで理を窮めることができる。積習する内に貫通する。
【通釈】
「今日格一件明日格一件」。毎日、物に触れるから至る。前々から言っているが、他国にいて近付きの増える様なもの。私がここへ来た時に近付きは鵜沢両家より外にはなかったが、今は改めて近付きにならなくても、あれは誰の子だろうと大凡知ることができる。「積習既多然後脱然自有貫通処」。ここが補伝などの本になる。「而一旦豁然貫通焉」とある。積習の始めは行く道を知らない人と同じで、使いに出すと一軒ずつ尋ねて家へ帰るが、行く道を覚えて度々行くと、先から先へ段々と歩き行く。これが行く道を貫通したということであり、今日一件明日一件と積んだので貫通したのである。本草を吟味するにも今日は茯苓、明日は半夏と一々決めるので、後は皆済む。
【語釈】
・鵜澤两家…鵜澤近義と鵜澤由斎の二家。
・補傳…大学章句5補伝。「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用無不明矣」。
・茯苓…担子菌類サルノコシカケ科の菌の菌核。利尿の効あり、生薬として水腫・淋疾などに用いる。
・半夏…烏柄杓。悪阻の妙薬。

細字。又曰所務於究理者云々。務ると云はここと云て動ぬ処なり。論語の巻首の註にも專務ともありて、仕事の大切の所なり。務ると云が要領の本を大切とすることて、東金へ初て出て商すると云に、商巧者な人が商ひするならこふするものと本を教へ、江戸へ奉公に行と云、奉公はこふしたものと要領をきかす。そふなけれは多端なものゆへ目鼻かつかぬ。究理も仕方を知ぬと労而無功なり。此專務の処できはめる。かふする仕方が一ち入用と云ことを所務はと云なり。天下萬物之理云々。一々に究めやうとすると初めにきゅふする。山﨑先生のやふなか京に居るなら勤学に登るはよいが、学問は天下萬物之理を究了ると心得て、先つ大森へ出る。はや麥藁細工のものを見て、あれはどふするそときわめたかり、又和中散を見てはこれはとふと理をきわめたかり、こふひまとりてはとふもいかぬこと。一々そふきはめらるることにあらす。印篭の蒔繪をし、根付の龍をほるからとて、石臼の目はきれぬ。鞘師抦巻の細な細工をするとて屋根はふけぬ。皆それ々々に理ありてするなれとも、其迠一々きめよふとてはならぬ。そんなら又一理を大事にきはめてこれてよいと云こともならぬ。今日、公儀の御役人ても其人の才智発明でををせつけられるからは聞に及そもないに、見習の、師匠番のと云もありて、発明ても一理て推すと云ことはならぬ。年よりか役入して、若ひ先役に聞子はならぬ。これてよくすんた。それゆへ一つ々々天下万物をきめると心得るもわるし。又、一物をきめて此でよい。なんでもこれで推すと云こともならす。そこて伊川の大事の処を云て聞そふ。
【解説】
又曰、所務於窮理者、非道盡窮了天下萬物之理。又不道是窮得一理便到」の説明。所務とは、要領を得ること。理を一つずつ窮めようとすれば最初で窮するし、中々先に進まない。また、一物の理を窮めてこれでよいとするのも悪い。それは、公儀の役人にも見習いや師匠番があり、年寄りが役入りすれば若い先役に聞かなければわからないことからもわかる。
【通釈】
細字。「又曰所務於究理者云々」。「務」とは、ここだと言って動かない処。論語の巻首の註にも先務とあり、仕事の大切な所である。務むるとは要領の本を大切にすることで、東金へ初めて出て商いをすると言えば、商い巧者な人が商いをするのならこうするものだと本を教え、江戸へ奉公に行くと言えば、奉公はこうしたものだと要領を聞かす。そうでなければ、多端なものだから目鼻が付かない。窮理も仕方を知らないと「労而無功」である。この先務の処で窮める。この仕方が一番入用だということを「所務」と言う。「天下萬物之理云々」。一つずつ窮めようとすると始めから窮する。山崎先生の様な人が京にいるなら勤学のために上るのもよいが、学問は天下萬物の理を窮め了るものと心得て、先ずは大森へと出る。早くも麦藁細工のものを見て、あれはどうするものかと窮めたがり、また、和中散を見てはこれは何かと理を窮めたがるが、この様に暇を取ってはどうもうまく行かない。その様に一々窮められることではない。印籠の蒔絵をして根付の龍を彫るからといって、石臼の目は切れない。鞘師が柄巻の細かな細工をするからといって屋根は葺けない。皆それぞれに理があってすることだが、それまで一々窮めようとしてもできないこと。それならまた一理を大事に窮めてこれでよいと言うこともできない。今日、公儀の御役人でも、その人は才智発明で仰せ付けられるのだから他の人に聞く必要はない筈なのに、見習いや師匠番ということもあって、発明な人であっても一理で推すことはできない。年寄りが役入りをすれば、若い先役に聞かなければならない。これでよくわかった。それで、一つずつ天下万物を窮めると心得るのも悪い。また、一物を窮めてこれでよい、何でもこれで推すと言うのも悪い。そこで、伊川が大事な処を言って聞かせたのである。
【語釈】
・論語の巻首の註にも專務…学而題下註。「此爲書之首篇。故所記多務本之意。乃入道之門、積德之基、學者之先務也」。
・労而無功…論語子張6集註。「蘇氏曰、博學而志不篤、則大而無成。泛問遠思、則勞而無功」。

要積累多後自然見去。爰か医者の上手になったやふなものて、囘春にもない難病ても療治をする。垩人は聰明睿智なれとも一分でをすと云ことはなく、官を郯子に問ひ、礼を老子に問たか、又そふじゃとて六十迠聞ても歩行れぬ。天下万事を究めやふとするとあくみか付き、又我か一つ知た発明で万物之理を推究めやふとしてもすまず。積累てなけれはならぬ処そ。上京しよふ々々々と若ひ時より願ふて、漸々ふみ出して一日々々と行て京着して、偖も子とものとき、道中双六打時から願てやふ々々来をふせたと悦ぶ。それか積累の処て成就ぞ。一理で推ふと品川を見て東海道中は知れたと云ことてない。
【解説】
只要積累多後自然見去」の説明。窮理には積累が重要であり、それは東海道を一歩ずつ進む様なこと。品川を見ただけでは東海道中を知ることはできない。
【通釈】
「要積累多後自然見去」。ここが医者の上手になった様なことで、春までもたない様な難病でも療治をする。聖人は聡明睿智だが一分で推すということはない。官を郯子に、礼を老子に問う。またそれでも、六十まで聞いても歩き行かない。天下万事を窮めようとすると倦みが付き、また自分が知った一つの発明で万物の理を推し窮めようとしても済むことではない。これが積累でなければならない処である。上京しようと若い時より願って漸く一歩を踏み出し、一日ずつ進んで京に着き、本当に道中双六をした子供の時から願って漸く来ることができたと悦ぶ。それが積累の処であり、成就である。一理で推そうと品川を見て、東海道中はわかったということではない。
【語釈】
・郯子…春秋左氏伝昭公。「仲尼聞之。見於郯子而學之。既而告人曰、吾聞之、天子失官、學在四夷、猶信」。
・六十迠聞ても歩行れぬ…論語序説。「而孔子年六十八矣。然魯終不能用孔子。孔子亦不求仕。乃敘書傳禮記」。


第十 思曰睿の条

思曰睿。思慮久後睿自然生。若於一事上思未得、且別換一事思之。不可專守著這一事。蓋人之知識、於這裏蔽著、雖強思亦不通也。
【読み】
思うに睿と曰う。思慮すること久しき後に睿自然に生ず。若し一事の上に於て思いて未だ得ずんば、且く別に一事を換えて之を思え。專ら這[こ]の一事を守著[しゅちゃく]す可からず。蓋し人の知識は、這の裏に於て蔽著せらるれば、強いて思うと雖も亦通ぜざるなり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

洪範にあり。人間を其侭置ぬ大切の語なり。人へ思ふと云ことをあてがふ。人の其侭て居るは無情有情の禽獣艸木になりたやふなものなり。樒柑柿や鳥獣は其侭てをいてよい。思の字は入ぬ。人は万物の灵ゆへ一入其侭をいてよい様なれとも、灵だけすてて置れぬ。そこで人にばかり万物にない思と云こと入用なり。不孝をするも謀叛をするも其灵妙な心からするて捨ておかれぬ。そこて、思曰睿てなけれはならぬによって、洪範て思と云此宝を授ける。又、思とてつ子に首を傾て思ふことにあらす。睿と云は思ひつけた処を云。名医か藥箱を見つめ思ひつけてもる。そこて的中の藥を盛る。思と云ものが睿て道理の涌くのなり。凡夫のは性善ばかり、思ぬから出来合の道理てあてにはならぬ。睿るまでにぬけ子は思ひ損と云ものなれとも、其思に心得あることなりと、そこをあとに云。
【解説】
「思曰睿。思慮久後睿自然生」の説明。人は万物の霊だから思うことができる。不孝も謀叛も心で思うから起こる。そこで、「思曰睿」でなければならない。睿とは、思い遂げることを言う。
【通釈】
「思曰睿」は洪範にあって、人間をそのままにして置かない大切な語である。人に思うということをあてがう。人がそのままでいるのは無情有情の禽獣草木になった様なもの。樒柑や柿、鳥獣はそのままにして置いてよい。それ等に思の字は要らない。人は万物の霊だから一入そのままにしておいてよい様なものだが、霊なだけに捨てて置かれない。そこで人にだけは万物にない思ということが入用なのである。不孝をするのも謀叛をするのも霊妙な心からするので捨てて置けない。そこで、思曰睿でなければならないから、洪範で思というこの宝を授けた。また、思と言っても常に首を傾けて思うことではない。睿とは思い着けた処を言う。名医が薬箱を見詰め思い着けて盛る。そこで的中する薬を盛る。思が睿なので道理が涌くのである。凡夫は性善だけで、思わないから出来合の道理で当てにはならない。睿にまで抜けなければ思い損なうことになるが、その思にも心得があると、それをこの後に述べる。
【語釈】
・洪範にあり…書経洪範。「五事、一曰貌、二曰言、三曰視、四曰聽、五曰思。貌曰恭、言曰從、視曰明、聽曰聰、思曰睿、恭作肅、從作乂、明作晢、聰作謀、睿作聖」。

若於一事云々。思ふに傳授あり。あまり過ると、思ふか病ふとなる。済ぬことを済そふ々々々と守著くったくするはわるい。又、別に一事を換て思ふへし。中庸に愼思とあるは何処まてもついて思ふべきことなれとも、愼と云からとて金の番か寢ずの番のやふに張りつめることではない。思はとど知上の仕事じゃから、思てすると思ふばかりは腰へはしる。守りつめるはわるい。思てすめずは、ほかして外の方へ替へて思へとなり。守著してこそ愼思てあろふに換て思へとは愼まぬやふなれとも、此換ると云か、やはり愼て思のなり。異端の座禪靣壁するは守著でうるさい。ただ思へば思そこなふ。そこで愼思と出た。めったと思へは思にくるいあり、愼で思でない。直方先生の、労咳病の思は思ほどわるい、と。先日も云通り、疑を闕もそれなり。先、見合てをくと、いつか開けることあり。ここは大事のあんばいなり。丁ど藥を久くのんでなづむときは、先しばらく止て、そこて又呑と的中する。爰か手段なり。
【解説】
「若於一事上思未得、且別換一事思之。不可專守著這一事」の説明。思には仕方があって、思い詰めるのは悪い。済まない場合はそれを放って置いて、外の事を思うのである。ただ思えば思い損ない、無闇に思えば思いに狂いが出る。ここは闕疑に通じること。
【通釈】
「若於一事云々」。思には伝授がある。あまり思い過ぎると、思うことが病になる。済まないことを済まそうと守著屈託するのは悪い。また別に一事を換えて思いなさい。中庸にある「慎思」は何処までも付いて思うべきことだが、慎と言うからといって、金の番か寝ずの番の様に張り詰めることではない。思とは結局知の上の仕事のことなので、思ですると思うばかりでは腰が痛くなる。守り詰めるのは悪い。思で済まなければ、放って置いて外の方へ換えて思えと言う。守著してこそ慎思だろうに換えて思えとは慎まない様だが、この換えるというのがやはり慎思である。異端が座禅面壁をするのは守著で煩い。ただ思うのでは思い損なう。そこで慎思と出した。滅多矢鱈に思えば思に狂いが出て慎思でない。直方先生が、労咳病の思は思うほど悪いと言った。先日も言った通り、疑を闕くと言うのもそのこと。先ずは見合わせて置くと、いつか開けることもある。ここは大事な塩梅である。丁度、薬を久しく飲んでいても効かない時は、先ずは暫く止めて、そこでまた飲むと的中する。ここが手段である。
【語釈】
・愼思…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道。聖人也。誠之者、擇善而固執之者也。博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之」。
・疑を闕…論語為政18。「子張學干祿。子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤。多見闕殆、愼行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣」。

蔽著雖強思亦不通也。しひて思ふゆへ、けっく通らぬことあり。思はぬやりばなし者よりはよいやうなれとも、たあは寢ずに考たと云よりとっくりと子て起て、そこて考よ。某し舅の武井三左衛門は、学力は甲斐なかったが道理を感ずる方でづんと器用はたで迂斎も称したか、袗絺綌必表而出之、この文義を一寸々々とすめぬとて聞れた。疑を闕てをいて、後は何のこともないことをと大笑した。知惠をみかくは強て思ても通らぬことあるものて、椀櫃へこれは平、これは坪と袋へ入るやふてはないもの。先、放下して置と云のか傳授ことなり。つまり、思にくせを付ぬことなり。
【解説】
「蓋人之知識、於這裏蔽著、雖強思亦不通也」の説明。強いて思っても通らないこともある。その場合は放下するのがよい。それが思に癖を付けないことになる。
【通釈】
「蔽著雖強思亦不通也」。強いて思うから、結局は通らないこともある。思わない遣りっ放しの者よりはよい様だが、他阿は寝ずに考えたと言うよりとっくりと寝て起て、そこで考える方がよい。私の舅の武井三左衛門は、学力は甲斐なかったが道理を感じる方ではかなりの器用肌で迂斎も称した。彼は「袗絺綌必表而出之」の文義が一寸わからないと尋ねた。そこで疑を闕いて置いて、後は何のこともないことだと大笑した。知恵を磨くには強いて思っても通らないことがあるもので、椀櫃へ入れるには、これは平皿、これは坪と分け、袋へ入れる様なことはしない。先ずは放って置くというのが伝授である。それはつまり、思に癖を付けないことなのである。
【語釈】
・たあ…他阿。時宗の第二世。法号は真教房蓮阿、のち他阿弥陀仏。一遍に従って諸国を遊行。1237~1319
・袗絺綌必表而出之…論語郷党6。「當暑袗絺綌。必表而出之」。


第十一 問人有志於学の条

問、人有志於學。然知識蔽固、力量不至、則如之何。曰、只是致知。若知識明、則力量自進。
【読み】
問う、人に學に志すもの有り。然れども知識蔽固して、力量至らずんば、則ち之を如何にせん、と。曰く、只是れ知を致すのみ。若し知識明らかなれば、則ち力量自ら進まん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

こまって問と云は身に覚のあること。この問も余ほど覺へある問とみゆ。知識蔽固。子とものとき、取あけ婆々や夜番親爺の云たことにかたまることありて、一生ついて巡ることあるものて、不断茶碗の茶しぶの拔けぬやふなものて、居風呂へはいって垢の直に落るやふにはゆかぬもの。これを拔ふとしても、知惠ははぎしりしてはゆかぬ。とふしても力量不至如何。どふせふそとこまったなり。迂斎の、此男もこれてはいかぬ、医者をかへやふとする心て不至如何と問ふた。そこを伊川のやっはり元との医者かよいと、只是致知。洗ひ々々すると、何所ぞでは垢のをちぬことなし。若知識明則力量自進。こちの知が明になれば覺悟が違ふ。病人が、どふてをれが病氣は四花の横点てなけれはしぬけぬと思ふと灸のあついはなんとも思ず、人をたのみ、大義なから居へてくれひ々々々々々々とたのむ。子ともは知かないて筆をとると灸点といやかりて迯るか、知の明てないゆへそ。知か開くと力量は自進むそ。
【解説】
知識蔽固は中々抜けないものだが、致知を続ければ知は明になる。知が明になれば力量も自ら進む。
【通釈】
困って問うのは身に覚えがあってのこと。この問いも余程覚えのある問いと見える。「知識蔽固」。子供の時に取り上げ婆や夜番親爺が言ったことで固まることもあり、それが一生付いて廻ることがあるもの。それはいつも茶碗の茶渋が抜けない様なもので、居風呂へ入って垢が直ぐに落ちる様には行かない。これを抜こうとしても、知恵は歯ぎしりしてはうまく行かない。どうしても「力量不至如何」。どうしようかと困ったのである。迂斎が、この男もこれでは悪い、医者を替えようとする心で不至如何と問うたが、そこを伊川がやはり元の医者がよいと、「只是致知」と答えたのだと言った。洗い続けると、必ずどこかでは垢が落ちる。「若知識明則力量自進」。こちらの知が明になれば覚悟が違う。病人が、どうしても俺の病気は四花の横点でなければ治らないと思えば灸の熱さは何とも思わず、大儀なことだが灸をすえてくれと頼む。子供は知がないから筆を執ると灸点を書くのかと思って嫌がって逃げるが、それは知が明でないからである。知が開くと力量は自ら進む。


第十二 問觀物察己の条

問、觀物察己、還因見物反求諸身否。曰、不必如此説。物我一理、纔明彼即曉此。此合内外之道也。又問、致知先求之四端、如何。曰、求之情性、固是切於身。然一草一木皆有理。須是察。又曰、自一身之中、至以萬物之理、但理會得而多相次、自然豁然而有覺處。
【読み】
問う、物を觀て己を察すとは、還[また]物を見るに因りて諸を身に反求するや否や、と。曰く、此の如く説くを必とせず。物我は一理にして、纔かに彼を明らかにすれば即ち此に曉らかなり。此れ内外を合するの道なり、と。又問う、知を致すに先ず之を四端に求むるは如何、と。曰く、之を情性に求むるは、固より是れ身に切なり。然れども一草一木皆理有り。須く是れ察すべし、と。又曰く、一身の中より、以て萬物の理に至るまで、但理會し得ること多くして相次げば、自然に豁然として覺る處有らん。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

漢書の馬援が傳にある字なれとも、漢書を見て問ふたと思ふな。先生の不断仰らるることあるて、或人の問ひなり。因見物反求諸身否。物は向ふなり。向の方の見た処をくる々々と取てかへして身にかへり見るや、と。向の松は松、竹は竹と見て、それをこちへ取て反して知惠を研くことか、と。大ふ違た問と云てもなけれとも、向のものをもって反すかと云のか根を知らぬ問なり。不必如此説云々。向のものをこちへ持て来てすると云では、向とこちか分ん々々になる。物我一理て、そふしたことにあらす。向のものをさとるて吾知か明になる。小学に王祥や江華か孝は向のもの。あれ程の心かこちにもあるゆへ、あちのがきてひひいてこちの孝心へべったりとなる。爰か大学の補傳に人心之靈莫不有知而天下之物莫不有理。向ふほどのものがこちにうつすものがあるゆへ、直に物々て開ける。これ、物我一理て物の理と吾が知が一とつづきゆへ、取りて反してと工夫をつけることにあらす。
【解説】
「問、觀物察己、還因見物反求諸身否。曰、不必如此説。物我一理」の説明。外物を我が身に取って反して知を磨くのではない。物の理と自分の知とは繋がっていて、物の理を映すものが自分にあるから、物を観ることで知を磨くことができるのである。
【通釈】
漢書の馬援伝にある字だが、漢書を見て問うたと思ってはならない。先生が普段仰せられていたから、或る人が問うたのである。「因見物反求諸身否」。物は向こうのこと。向こうの方を見た処をくるくると取って反し、身に反して見るのかとの問いで、向こうの松は松、竹は竹と見て、それをこちらへ取って反して知恵を研くのかと聞いたのである。大分違った問いだということでもないが、向こうのものを持って反すのかと言うのが根を知らない問いである。「不必如此説云々」。向こうの物をこちらへ持って来てすると言うのでは、向こうとこちらが別のものになる。「物我一理」であって、そうしたことではない。向こうの物を悟るので、自分の知が明になる。小学にある王祥や江革の孝は向こうのもの。あれほどの心がこちらにもあるから、あちらが来て響いてこちらの孝心へべったりとなる。ここが大学の補伝にある「人心之霊莫不有知而天下之物莫不有理」と同じ。向かう全ての物に、こちらに映すものがあるから、直に物で開ける。これは物我一理で物の理と自分の知が一続きだからであって、取って反してと工夫を付けることではない。
【語釈】
・漢書の馬援が傳…後漢書馬援列伝。「誠能回觀物之智而爲反身之察、若施之於人則能恕、自鑒其情亦明矣」。
・王祥…晋朝の人。親孝行な人で、「臥冰求鯉」の故事がある。小学外篇善行に記載がある。
・江革…小学外篇善行。「江革少失父獨與母居。遭天下亂盗賊並起。革負母逃難備經險阻常採拾以爲養。數遇賊或刼欲將去。革輒涕泣求哀言有老母。辭氣愿欵有足感動人者。賊以是不忍犯之、或乃指避兵之方。遂得倶全於難。轉客下邳貧窮裸跣行傭以供母。便身之物莫不畢給」。
・人心之靈莫不有知而天下之物莫不有理…大学章句5補伝。「蓋人心之靈莫不有知、而天下之物莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也」。

纔明彼即曉此云々。向ふものに明なか、こちの曉たのなり。本と理と知と二つにせぬことそ。向とこちか一つになるて合内外のなり。大学の致知格物と四字て二つになれとも、格物は向のもの、致知はこちのもの。格物をした端的か直に致知なり。直方の、ひもじいと思ふ。食をくふ。直に腹に溜る。飢はやむ。飯はものなり。腹はこちなり。これ二つて一つに内外を合すなり。王陽明は爰を知ぬ。物は向なり。其向ふと云がいや。向へ目を付る。はや外馳すると思ふか、つまり佛見なり。理知内外の妙を知らぬ佛者は物をたつ。垩人のは向のものを絶ず、それすますでこちか明になる。内外一に合すなり。
【解説】
「纔明彼即曉此。此合内外之道也」の説明。格物は向こうのことで、致知は自分のことだが、格物をすることが直に致知となる。物に明になることによって自分が曉るのであって、これが内外を合する道であり、外物を嫌がる王陽明の考えは仏見と同じである。
【通釈】
「纔明彼即曉此云々」。向かう物に明らかになるので、こちらが曉る。本来、理と知とは別にしてはならない。向こうとこちらが一つになるので「合内外」である。大学の致知格物は四字で二つに分れるが、格物は向こうのもの、致知はこちらのもの。格物をした端的が直に致知である。直方が、ひもじいと思う。食を喰う。直に腹に溜る。飢は止む。飯は外物で腹は自分である。これが二つで一つに内外を合することだと言った。王陽明はここを知らない。物は向こうである。その向こうというものが嫌で、向こうへ目を付けると早くも外に馳せると思うが、つまりはそれが仏見である。理知内外の妙を知らないから仏者は物を絶つ。聖人は向こうのものを絶たずにそれを済ますので、こちらが明になる。内外を一つに合するのである。

又問致知云々。四端を求めるは、仁義礼智は人間の脉ゆへ、真先きに手ををろす処はここてあらふ。尾長鳥も鴬もいらぬ。つかまへ処は爰ぞと思て問ひ自慢なり。曰求之性情。心身に求ると云はよいやふなれとも、こなたのやふにするは致知の姿てない。一艸一木皆理か存してある。理は形はない。形なけれは大小はなし。四端の理が大ひてもなく、一艸の上の理か小てなし。中庸に語大天下莫能載焉語小天下莫能破焉とあり、こなたのやうに一束つかみはならぬ。直方先生の、ごみにも捨ると云理ありと、かふ合点すれは、すてると云ふがこみて挌物そ。とちどふしても博の字が付て巡るなり。四端の外はこちの丁塲でないと云へは、博の字ではない。
【解説】
「又問、致知先求之四端、如何。曰、求之情性、固是切於身。然一草一木皆有理。須是察」の説明。四端から致知を始めるのは心身のことでよい様だが、理には形がなく、大小もない。一草一木に至るまで皆理があるのだから四端に限っては博でない。
【通釈】
「又問致知云々」。四端を求めると言ったのは、仁義礼智は人間の脈だから、真っ先に手を下す処はここだろう、尾長鶏も鴬も要らない、掴まえ処はここだと思って自慢して問うたのである。「曰求之性情」。心身に求めるというのはよい様だが、貴方の様にするのは致知の姿ではない。一草一木に皆理が存してある。理には形がない。形がなければ大小はない。四端の理が大きいわけでもなく、一草の上の理が小さいわけでもない。中庸に「語大天下莫能載焉語小天下莫能破焉」とあり、貴方の様に一束掴みではいけない。直方先生が塵にも捨てるという理があると言ったが、この様に合点すれば、捨てるというのが塵で格物である。どうしても博の字が付いて巡るのであって、四端の外はこちらの丁場ではないと言うのは博でない。
【語釈】
・四端…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也」。
・語大天下莫能載焉語小天下莫能破焉…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。

細字。又曰自一身之中。小書は本文の補ひなり。程子の身に覚あることて組出した方なり。一身と云と彼四端をこめたからだのことで、立居振舞まで理があり、一寸客がありて献立をするにも理があり、理にはづるると食腹する。君子無求食飽。其やふなことは学者はかまわぬと云ても、料理も伊勢鯨に砂糖をかけてはげっと云。隠居の庭へ植木するにも、冬の日隂になり夏風のこぬやふにすると理にはづるる。朝鮮朝皃のふき出ものによひと云もあるへきことそ。とかく学者がそんな位のことと竹箒でなぐりたがるが、理のあることを推し付るは理に目のつかぬのなり。向ふなりに少しの処から段々万物の理にもいたる。小のことをして、それて早速君子にならるるの、家老が勤まるのと云てはないが、向の來る形にそれをすること。有物有則、そこなり。そこを遠くするとたばこ盆を踏倒す。それから五倫もけちらかすやふになる。異端の垩人の道にはづるるも外のことではない。挌致がないからなり。
【解説】
又曰、自一身之中、至以萬物之理、但理會得而多」の説明。一身にも理があるから、それに従わなければならない。些細なところから段々と理の通りに致知をすることで万物の理に至る。遠くに知を馳せるのは致知でない。
【通釈】
細字。「又曰自一身之中」。小書は本文の補いである。程子が身に覚えのあることで組み出したもの。一身と言えばあの四端を込めた体のことで、立居振舞いまでに理があり、一寸客があって献立をするにも理があって、理に外れると食傷する。「君子食無求飽」と言うが、その様なことは学者は構わないと言っても、料理も伊勢鯨に砂糖をかけてはげっと言う。隠居の庭へ植木をするにも、冬に日陰となり、夏に風が来ない様にするのは理に外れる。朝鮮朝顔が吹き出物によいということもあるべきこと。とかく学者がそんな位のことと竹箒でなぐりたがるが、理のあることを軽んじるのは理に目が付かないからである。向こうの通りに少しの処から段々とすれば万物の理にも至る。小さなのことをして、それで早速君子になれるとか、家老が勤まるというわけではないが、向こうの来る通りにそれをするのである。「有物有則」とはそのこと。そこを遠く思うと煙草盆を踏み倒す。それから五倫も蹴散らかす様になる。異端が聖人の道に外れるのも外でもない。格致がないからである。
【語釈】
・君子無求食飽…論語学而14。「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事、而愼於言。就有道而正焉。可謂好學也已」。
・有物有則…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則」。孟子告子章句上6にもある。

多相次自然豁然云々。相次は、たん々々上に云とをりさし向ひたる処て究る。大な店ても、齒磨一袋賣も商ひの内なり。端的それて身代かのだったと云てはなけれとも、致知もそれて、今日々々いらぬこともあれとも、それを相次て曉て知を致る。そこて豁然有覺処になる。これ即少商を綿蜜にして万屋の見世の大いにする内に齒磨も手傳てあるそ。学問もささいなこと迠理會し得て覺る処あるそ。めんとふがる人は格物にぬけがある。されとも、めんどふがる人は見処高ものゆへ人の上にも立つか、多くは上からをっかぶせた学問で、つづまる処、はっきりと道理は得られぬものなり。つまり、程朱の教方にちっとももれては、格致はならぬことなり。
【解説】
相次自然豁然而有覺處」の説明。学問は些細なことまでを理会し積み上げた結果、覚る処がある。面倒がる人の学問は上から被せた学問だから、はっきりとは道理を得られない。程朱の教えから少しでも外れれば、格致は成らない。
【通釈】
「多相次自然豁然云々」。相次とは、段々と上で言う通り、差し向かった処で窮めること。大きな店でも、歯磨き一袋を売るのも商いの内である。端的それによって身代が伸びたと言うのでもないが、致知もそれで、今日、要らないこともあるが、それを相次で曉にして知に致る。そこで「豁然有覚処」となる。これが即ち、万屋が小さな商いを綿密にして店を大きくすることで、その中で歯磨きも手伝っているのである。学問も些細なことまで理会し得て覚る処がある。面倒がる人は格物に抜けがある。面倒がる人は見処が高いから人の上にも立つが、多くは上からおっ被せた学問で、結局は、はっきりと道理を得られないものである。つまり、程朱の教え方から少しでも漏れたら格致はできないのである。


第十三 思曰睿睿作聖条

思曰睿。睿作聖。致思如掘井。初有渾水、久後稍引動得清者出來。人思慮始皆溷濁、久自明快。
【読み】
思うに睿と曰う。睿は聖を作す。思いを致すことは井を掘るが如し。初め渾水有るも、久しき後に稍[やや]清き者を引動し得出で來る。人の思慮は始め皆溷濁するも、久しくして自ら明快なり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

致知の篇、此語又出た。何れも地頭あり。前は、思のうまみを食ひ覚へても思ひ過ると塞ると云ことを云。余り思ふと過るとなり。此章は、兎角思ても睿と云まで行つかぬと役に立ぬと云ことを示す。近思の思の字、又学原於思と云を聞ても、とこもそこ迠行あふせぬ。思睿と云は思ひの通ぬけるを云。其行つまりは作垩、と。この垩を文王孔子のやうな垩とみるな。睿の上のことなり。蔡傳無不通とあり、積累多し、脱然貫通で云。垩と云へば一色に通ることてはないから垩と出したなり。一通の医者が段々考て、あの先傷寒のことは合点したと云と、又、名医のは睿るてどの病も合点する。論語のあの章かすまぬと思ひつけてそれはかりを知るか、睿と云は論語中かすんたの。これか思ひのとをったなり。
【解説】
「思曰睿。睿作聖」の説明。前の思曰睿は思い過ぎると塞がる意だが、ここは睿にならなければ役に立たないことを言う。また、ここの聖は聖人のことではなく、全体に通じることであり、睿とは思いが全てに通じることなのである。
【通釈】
致知の篇にこの語がまた出たが、何れにもそれぞれの意味がある。前のは、思の甘味を食い覚えても思い過ぎれば塞がるということを言う。あまりに思うのは過ぎたことだということ。この章は、とかく思っても、睿にまで行き着かなければ役には立たないということを示す。近思の思の字や、また「学原於思」を聞いても、どうもそこまで行きおおせない。思睿とは思いの通り抜けることで、その行き詰まりは作聖だと言う。この聖を文王や孔子の様な聖のことだと見てはならない。ここは睿の上で言ったこと。蔡伝に「無不通」ともあり、積累多くして脱然貫通したところで言う。聖とは一方に通ることではないから聖と出した。普通の医者が段々と考えて、先ずはあの傷寒のことは合点したと言うが、名医は睿でどの病をも合点する。論語のあの章かわからないと思いつけてそればかりを知ろうとするが、睿とは論語の全てが済んだこと。これが思いの通ったということなのである。
【語釈】
・此語…書経洪範。「五事、一曰貌、二曰言、三曰視、四曰聽、五曰思。貌曰恭、言曰從、視曰明、聽曰聰、思曰睿、恭作肅、從作乂、明作晢、聰作謀、睿作聖」。致知10にもある。
・地頭…当該の場所。現地。
・学原於思…致知6の語。
・蔡傳無不通…謝上蔡の伝に「無不通」とあるのか?
・積累多し、脱然貫通…致知9の語。

致思如掘井云々。井戸を掘てみよ。初は濁て出る。こなた衆の知は未た濁てをろふか、段々思て後々はすんて来る。溷濁は氣質人欲其外さま々々こんたくしてをる人の思ひなり。それを思ひ々々すると、後には明快になる。今凡夫の上ても又落道[どうらく]息子を江戸から呼返したに、初の内は心中に芝居のことや舟遊山、悪所のことか目に見へるやふてどふもならぬが、親の膝元に居るに隨てすこしづつ清んできて、此程の身代を潰されもすまいと思ふ氣が出る。はやよくなる。学問もそれて、初は溷濁て、天理と人欲をごたませにしてをく。仁義忠信のことを口ては云ても、吾か勝手づくのことか側に居る。孝行を孝行と思ふ様でも脇座には我侭か居てじきに不孝をし、めんどふかる。丁と雪隠て伽羅をたくやふにどふも溷濁じゃが、思ひ々々すると、後はそれか拔て明快に十五夜の月のさへたやふになる。大名の居間には蝿かないは、下人の住居とちがい喰ものの遠ひゆへ。蝿は溷濁の処におるもの。ここの末句など、致知と存養のつれ立がそれなり。嘉先生の貫其二と云はれたを聞てをれとも、身てためさずただ口で云。たたい致知も存養そ。そこて明快なり。意必固我も溷濁てはなれす。只人欲のある内は明快になられぬか、思ひ睿て溷濁かぬけると明快になる。すれは思睿。洪範は六字の名号よりはありがたひは、吾儒の知は思から成佛するぞ。
【解説】
「致思如掘井。初有渾水、久後稍引動得清者出來。人思慮始皆溷濁、久自明快」の説明。井戸を掘ると、最初は濁っているが後は清む。人も同じで最初は気質や人欲で溷濁しているが、思い続けることで明快になる。
【通釈】
「致思如掘井云々」。井戸を掘ってみなさい。初めは濁って出る。貴方の知はいまだ濁っているだろうが、段々と思うことで後々は清んで来る。「溷濁」とは、気質人欲その外様々と混濁している人の思いを言う。それを思い続けると後には明快になる。今凡夫の上のことでも、また道楽息子を江戸から呼び返せば、初めの内は心中に芝居のことや舟遊山、悪所のことが目に見える様でどうしようもないものだが、親の膝元にいるに従って少しずつ清んで来て、これほどの身代を潰すこともできないと思う気が出る。そこでよくなる。学問も同じで、初めは溷濁で天理と人欲をごた混ぜにして置く。仁義忠信のことを口では言っても、我が勝手放題なことが側にいる。孝行を孝行と思う様でも脇座には我侭がいて直きに不孝をし、面倒がる。丁度、便所で伽羅を焚く様にどうも溷濁だが、思い続けると後はそれが抜けて明快となって、十五夜の月が冴えた様になる。大名の居間に蝿がいないのは、下人の住居と違って食い物が遠いから。蝿は溷濁な処にいるもの。ここの末句など、致知と存養の連れ立ちと同じ。嘉先生が「貫其二」と言われたのを聞いてはいるものの、身で試さずにただ口のみで言う。そもそも致知も存養であり、そこで明快なのである。「意必固我」も溷濁ではなれない。ただ人欲のある内は明快になれないが、思睿で溷濁が抜けると明快になる。そこで思睿が大切なのである。洪範が南無阿弥陀仏よりも有難いのは、我が儒の知は思うことによって成仏するからである。
【語釈】
・貫其二…近思録序。「夫学之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。
・意必固我…論語子罕4集註。「蓋意必常在事前。固我常在事後」。
・六字の名号…「南無阿弥陀仏」の六字。


第十四 問如何是近思の条

問、如何是近思。曰、以類而推。
【読み】
問う、如何か是れ近思、と。曰く、類を以て推すなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。

近思録てもよむ人はつ子々々近く思々々々と云か、改て如何なるこれ近思と問ふか、爰か近思のぎり々々を問ふたことなり。佛の如何是佛と問やうに、常に衣も着て仏の形していてこふ問のか佛に成ふと云氣なり。近く思へは仁其中にありと甘みを含で云へとも、とかく近く思はぬ。以類而推。そろ々々行くことて、今日一件明日一件に至るのなり。直方先生、猿猴の月をとる様なことはこちにはない、と。類を以て推す。じっかり々々々々として行ことそ。又直方の、兄弟を置て従弟と出ることてはない、と。従兄弟は兄弟を根にして兄弟挨拶をよくしてをいて、従弟と云は兄弟のわかれたのと、それからをして行くことなり。先さし定りの文義はこふじゃか、類を以推すのこと、大学に爲人子止於孝爲人父止於慈と云てありて、あれに五倫の根本の夫婦のことを文王の残されそふはないと云ふに、大学或問に是以類推と云てあり。父子の慈孝の類てをしてしれ。夫婦のことは固よりと推すなり。
【解説】
近思録を読んでいても、改めて「如何是近思」と問うのが近思の至極であり、とかく近く思わないものである。「以類而推」とはじっくりと推して行くこと。たとえば従兄弟のことは兄弟を根にして推すのである。
【通釈】
近思録でも読む人は常々近く思うと言うが、改めて「如何是近思」と問うのが近思のぎりぎりを問うたことである。仏が如何是仏と問う様に、常に衣も着て仏の形していてこう問うのが仏に成ろうという気構えである。近く思えば仁其中に在りと甘みを含んで言っても、とかく近く思わない。「以類而推」。じっくりと行くことて、「今日一件明日一件」で至る。直方先生が、猿猴が月を捉る様なことはこちらにはないと言った。類を以て推す。じっくりと行くこと。また、直方が、兄弟を放って置いて従弟のことを言うことではないと言った。従兄弟は兄弟を根にし、兄弟挨拶をよくして置いて、それから従弟は兄弟の分かれたものだと推して行くのである。先ず、差し定まった文義はこうだが、類を以て推すということは、大学に「為人子止於孝為人父止於慈」と言ってあり、あれに五倫の根本である夫婦のことを文王が残されそうもないと思うが、大学或問に「是以類推」とある。父子の慈孝の類で推して知りなさい。夫婦のことは当然のことだと推すのである。
【語釈】
・仁其中にあり…論語子張6。「子夏曰、博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣」。
・今日一件明日一件…致知9。「須是今日格一件、明日又格一件」。
・猿猴の月をとる…猿猴捉月。僧祇律の寓言。猿が水に映る月を取ろうとして溺死したように、身のほどを知らぬ望みを持って失敗すること。
・爲人子止於孝爲人父止於慈…大学章句3。「詩云、穆穆文王、於緝熙敬止。爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。

近思の近へあてて類の字は見へし。類を推すのが実知の所て、近くを置て遠くを思ふことにあらす。旅から帰ても、御家内御替もないか御親類衆にもと類を推すことで、学問もそれなり。家内も問はず親類を問と云のは異端の頓悟のやふになる。飛びこすことでなし。じっかり々々々々として行くこと。金錢のことは心もないがなぜ飲食の欲が深ひやらと思ひ、父子の間はよくてなぜ兄弟中にはふし々々あるやらと思ひ、類を推して吟味すれば切近な思と云もの。氣質人欲も推して変化せらるるそ。大学はすんたか中庸はなぜすまぬと吟味すれば、そろ々々中庸もすめる筈なり。
【解説】
近思は「以類而推」のであって、飛び越えてはならない。それで気質人欲も変化させることができる。
【通釈】
近思の近へ当てて類の字を見なさい。類を推すのが実知の所で、近くを放って置いて遠くを思うことではない。旅から帰っても、御家内御変わりなく御親類衆もと類を推すのであって、学問も同じ。家内も問わずに親類を問えば異端の頓悟の様になる。飛び越すことではない。じっくりと行くこと。金銭のことは心にもしないが何故飲食の欲が深いのかと思い、父子の間はよくても何故兄弟仲には差し障りがあるのかと思い、類を推して吟味すれば切近な思というもの。気質人欲も推して変化させることができる。大学は済んだが中庸は何故済まないのかと吟味をすれば、次第に中庸もわかる筈である。


第十五 学者先要會疑条

學者先要會疑。
【読み】
學者は先ず疑いを會することを要す。
【補足】
・この条は、程氏外書一一にある伊川の語。

学者第一に先つなり。疑はどふしたものそと目をつけよ、と。此章は引而不発の意なり。いこう塩梅あることなり。會するとは理會と云ことゆへ、疑をはらしよく合点することのやふなれともそふでなし。爰はそも々々疑と云ふものはとふしたものと云ことを合点せよと含む処が大事なり。疑をひらけ、合点せよと云意にとると、この章か却てあさくなる。疑のつく処か学問の上る小口なり。直方の、雨ふって地堅まると云か爰のこと、と。泥のぬかったのか固るの本になる。又、直方の流言止於知者。誰云出すともなく、やかて大地震かゆると云。知者がそれはなせにと疑ふに、何か知らぬがと云。はてあてもないことをは云はぬものと云て留めるなり。留主居廻状のやふに色々のこと云てくるを、それはどふした訳ぞ、其意得ぬと疑ふと、根が空言ゆへ流言がしょげる。身代も人々不勝手じゃ々々々々々と云てばかりいるが、どふしてをれは不勝手と首をひ子り疑がつくと身代もたてなをす。直方先生、どふしたら主人の御為にと疑を起すて御為になる。この村は土地もよいがとふしてこふ困窮と疑がついて来ると、はや仕向をようする。論孟をも子ともが高砂やと小謡のやふにし、大学は孔子の遺書にしてとすら々々子とものときの調子にして行ては疑も出ぬ。学問上らぬ筈なり。これは々々々と首をひ子り考へるでとげる。
【解説】
学者は先ず疑に目を付けなければならない。それは疑を晴らすことではなく、疑に着目するということ。疑は学問が上達する端緒である。
【通釈】
ここは、学者は第一に、先ずは疑とはどの様なものかと目を付けなさいということで、この章は「引而不発」の意である。それは大層塩梅のあること。会するとは理会ということだから、疑を晴らしてよく合点することの様だがそうではない。ここはそもそも疑はどうしたものかということを合点しなさいとの意を含む処が大事なのである。疑を開き合点せよという意に取るとこの章が却って浅くなる。疑の付く処が学問の上がる端緒である。直方が、雨降って地固まるというのがここのことだと言った。ぬかった泥が固まる本になる。また、直方が「流言止於知者」と言った。誰が言い出したと言うのでもなく、やがて大地震が来て揺れると言う。知者がそれは何故かと疑って尋ねると、何故か知らないがと言う。それなら当てにならないことは言わないものだと言って留める。留守居廻状の様に色々なことを言って来るのを、それはどうした訳か、その意は納得することができないと疑えば、元が空言なので流言が消える。身代でも、人はよく困窮していると言ってばかりいるが、どうして俺は困窮しているのかと首を捻って疑が付くと身代も立て直す。直方先生が、どうしたら主人の御為になるのかと疑を起こすので御為になると言った。この村は土地もよいのにどうしてこう困窮なのかと疑が付いて来ると、早くもやり方がよくなる。論孟をも子供が高砂やと謡う小謡の様に読み、大学は孔子の遺書にしてと、すらすらと子供の時の調子で行っては疑も出ない。それでは学問が上がらない筈である。これは何故かと首を捻り考えるので遂げるのである。
【語釈】
・引而不発…孟子盡心章句上41。「孟子曰、大匠不為拙工改廢繩墨、羿不為拙射變其彀率。君子引而不發、躍如也。中道而立、能者從之」。
・流言止於知者…流言は知者に於て止む?
・大学は孔子の遺書…伊藤仁斎は「大学は孔子の遺書に非ざるの弁」を書いた。


第十六 横渠先生答范巽之条

横渠先生答范巽之曰、所訪物怪・神姦、此非難語。顧語未必信耳。孟子所論知性知天。學至於知天、則物所從出、當源源自見。知所從出、則物之當有當無、莫不心諭。亦不待語而後知。諸公所論、但守之不失。不爲異端所劫、進進不已、則物怪不須辨、異端不必攻。不逾期年、吾道勝矣。若欲委之無窮、付之以不可知、則學爲疑撓、智爲物昬、交來無閒、卒無以自存、而溺於怪妄必矣。
【読み】
横渠先生、范巽之[はんそんし]に答えて曰く、訪[と]う所の物怪・神姦は、此れ語[つ]げ難きに非ず。顧[おも]うに語ぐるも未だ必ずしも信ぜざるのみ。孟子の論ずる所、性を知れば天を知る、と。學びて天を知るに至れば、則ち物の從[よ]りて出ずる所、當に源源として自ら見[あらわ]るべし。從りて出ずる所を知れば、則ち物の當に有るべきと當に無かるべきと、心に諭らざること莫し。亦語ぐるを待ちて而る後に知るにあらず。諸公の論ずる所、但之を守りて失わざれ。異端の劫[おびやか]す所と爲らず、進進として已まずんば、則ち物怪は辨ずるを須[もち]いず、異端は攻むるを必とせず。期年を逾えずして、吾が道勝たん。若し之を無窮に委ね、之に付するに知る可からざるを以てせんと欲せば、則ち學は疑いの撓[たわ]むるところと爲り、智は物の昬くするところと爲り、交々[こもごも]來りて閒無く、卒に以て自ら存すること無くして、怪妄に溺るるや必せり、と。
【補足】
・この条は、張氏全書一三にある。

先一寸と云ことあり。近思録の幷べやうはどの篇にもあるが、致知の篇は尚々なり。致知の題下に葉解が氣をつけてある通りぞ。此篇は語の幷べやうにいかふ順がり、いつも程子の語を出し、それが仕廻て横渠のを出すが、ここへ挍[はさ]んたは入子ばならぬ順ゆへはさまれたそ。物怪はあやしひことて、怪ひは学者の胷の塞ることて、狐が付くの、死灵生灵かあるのと云は、酒呑で皃が赤く成たの、飯食ふて腹がはったのとは違ふてとふもあやしい。神姦は邪の神のことて邪鬼神と云ふに同し。漢の武帝が迷はれて色々のことをした。そこで鬼神かものを書たの、社の内て物の云ふのとさわいた。をれは仙人じゃ抔は姦なり。武帝が仙術を好れたて仙人が来たぞ。こうなると、そこへつけこんで山師がついて何やら似せて来て、床にある硯を見て、あの硯は齊桓公の所て見た硯と千年も跡のことを云と、迷ふて居るて肝をけす。漢武もそんなことくふ人てもなけれとも、好み迷ふと云で目はない。今日もよほど才力ある人が山伏などをは輕しめ、祈禱坊主にも常は負ぬが、子ともの病氣などでは祈禱坊主にあたまを下ける。皆迷ひがさすなり。
【解説】
「横渠先生答范巽之曰、所訪物怪・神姦」の説明。「物怪」は怪しいことで、学者の胸が塞がること。それは狐が付くとか死霊や生霊などのことである。「神姦」は邪神のことで、邪鬼神と同じ。物怪や神姦に惹かれるのは、迷いがあるからである。
【通釈】
先ず一寸言うことがある。近思録の並べ順にはどの篇にも配意があるが、致知の篇にはかなりそれがある。それは、致知の題下に葉仲圭が気を付けて言っている通りである。この篇は語の並べ方に大層順があって、いつも程子の語を出した後に横渠を出しているが、ここへ横渠を挟んだのは入れなければならない順だからである。「物怪」とは怪しいことで、怪しいとは学者の胸が塞がることで、狐が付くとか死霊生霊があるなどと言うのは、酒を呑んで顔が赤くなったり、飯を食って腹が張るのとは違ってどうも怪しいこと。「神姦」とは邪の神のことで、邪鬼神と言うのと同じ。漢の武帝が迷われて色々なことをした。そこで鬼神がものを書いたとか、社の内で物が話すと言って騒いだ。俺は仙人だなどと言うのは姦である。武帝が仙術を好かれたので仙人が来たのである。こうなると、そこへつけ込んで山師が何やら仙人に似せて来て、床にある硯を見て、あの硯は斉の桓公の所で見た硯だと千年も前のことを言うと、迷っているので肝を消す。漢の武帝もそんなことに騙される人でもないが、仙術を好み迷うのだから、目はないと言える。今日も余程才力ある人が山伏などを軽んじ、祈祷坊主にもいつもは負けないが、子供の病気などでは祈祷坊主に頭を下げる。皆迷いがそれをさせるのである。
【語釈】
・葉解…葉仲圭の近思録集解。
・武帝…前漢の第七代の皇帝。劉徹。前156~前87

非難語。をれが方では語りかたいことてはないが、語て聞せても信ずまひ。横渠は根かすんでいるて氣の変てそんなこともあろふ々々々となり。太極圖説に善悪分萬事出て定理の外のことは気の変と見てをくことなれとも、これを今巽之に云聞してもすむまい、と。子ともに中庸の鬼神の章をよんてきかしたから今夜より小便にも一人行けと云ても行えぬ。知性知天は二つてはない。人々仁義礼智は天から出たゆへ、奧の院の知天は、天の德は元亨利貞。それを人の仁義礼智と云ことをしる。至知天物所從出。大根をしるなり。勝手で献立を見て居た取持は、この次は何々としる。天地の廣ことなれは氣の変で怪物の出ることもあるへしと、源々として水の源から出る様にかぎりなく、天地のことを何様のことあらふともそふもあろふ々々々と知たので根をすましている。そこで物之當有當無。あるはづの物の出たとないはつのものの出たを知て、念頃な人がものもふと云て来れば御通なされと云。一つ眼の大坊主が出ると、そちへのけ、來る処ではないと云。去によって垩賢を化[ばか]しに来たことなし。三宅先生は京都にて怪物屋鋪と知て住居にされたよし。それを君子の所置でないと評した書あり。近来見たなり。しかしこれは其節大ふ困究であったて地代や賣すへの安ても有たか、先生が住れて後は果して怪物も出なんた、と。こちか知か明て曉きって居るのてどふも出られぬ。古筆了延の処へ似筆は持て行れす。本阿弥へなまくらを名作とは出されぬ。とかく我方のくらい処へつけこむなり。
【解説】
「此非難語。顧語未必信耳。孟子所論知性知天。學至於知天、則物所從出、當源源自見。知所從出、則物之當有當無、莫不心諭、亦不待語而後知」の説明。「知性知天」であって、天は広いから怪物が出ることもあるだろうが、天という根本を知ることで迷いがなくり、また、自分の知が明になれば、物怪や神姦は出て来る場がなくなる。
【通釈】
「非難語」。俺の方では語り難いことではないが、語って聞かせても信じないだろう。横渠は根が済んでいるので、気の変によってそんなこともあるのだろうとする。太極図説に「善悪分萬事出」とあり、定理の外のことは気の変と見て置くものだが、これを今巽之に言い聞かしてもわからないだろうと思ったのである。子供に中庸の鬼神の章を読んで聞かせては、今夜からは小便も一人で行けと言ってもそれはできない。「知性知天」は別なものではない。人にある仁義礼智は天から出たものだから、奥の院の知天は天の徳が元亨利貞であると知ることであり、それはまた、人の仁義礼智のことだと知ることである。「至知天物所従出」。大根を知ること。勝手で献立を見ていた取持ちは、この次は何々とわかる。天地は広いから気の変で怪物が出ることもあるだろう、源々として水が源から出る様に限りなく、天地のことはどんなことがあるとしても、そんなこともあるだろうということを知っているので、それで根が済んでいるのである。そこで、「物之当有当無」。ある筈の物が出たのとない筈の物が出たのを知っているので、懇ろな人が物申すと言って来ればお通りなされと言う。一つ眼の大坊主が出れば、そちらへ控えよ、お前の来る処ではないと言う。それだから、聖賢を化かしに来ることはない。三宅先生は京都で怪物屋敷と知っていて住居にされたそうだ。それを君子の居所ではないと評した書があって、近来それを見た。しかし、その節先生は大分困窮していたので地代や売据えの安手でもあったのか、それでそこに住んだのであって、先生が住まれて後は果して怪物も出なかったと言う。こちらの知が明で曉り切っているのでどうも出ることがでない。古筆了延の処へ偽筆は持って行けない。本阿弥へなまくらを名作とは出せない。物怪や神姦は、とかく自分の暗い処へつけ込んで来るのである。
【語釈】
・善悪分萬事出…道体1。「五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・知性知天…孟子尽心章句下1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣」。
・元亨利貞…易経乾卦文言伝。「文言曰、元者善之長也。亨者嘉之會也。利者義之和也。貞者事之幹也。君子體仁足以長人、嘉會足以合禮、利物足以和義、貞固足以幹事。君子行此四德者。故曰、乾元亨利貞」。
・賣すへ…売据え。建築物を造作つきで売ること。
・安て…安手。値段の安い方。やすっぽい種類。また、そのさま。
・了延…江戸時代の古筆鑑定家。
・本阿弥…刀剣鑑定の家系。始祖妙本は足利尊氏の時の人。その子孫は足利・豊臣・徳川に仕えて刀剣の手入れや研磨・鑑定に当り、今日に及ぶ。のち、一般に鑑定家の異称となる。

諸公所論但守之云々。垩賢の云たことを守れと云こと。疑をかいてをくと同し意で、垩賢の文字を見るも、心にさとらぬ内は鬼神のことなどををき、平生の義論のとをりの正しひ道理の通を守て、君に忠親に孝のことは存ましたが怪物ことはとふも知らぬとほかしてをけ。垩賢の道を形てきっとして守り失はぬと、異端か何とも云ことならす。かの怪力乱神を語らぬ、定理を守れ。今の人はこれを好く。御暇申すと云ても、この咄が出ると又きせるを取出す。異なことで、定理をは面白からずに変なことを聞たがるものぞ。物怪不須弁。そんな咄は聞きませぬ、私は存ませぬて怪物を弁するに及ぬ。異端不必攻。直方先生の、今の学者は異端と草摺引をしている、と。異端のことは跡上の断があるで、あれにあつけてをけ。此方の道は天あれば地あり、夫とあれは婦あり、父あれは子ありてにき々々して、正月は麻上下、婚礼には酒肴なり。この方の道はこふしたことと此方を守るなり。
【解説】
「諸公所論、但守之不失。不爲異端所劫、進進不已、則物怪不須辨、異端不必攻」の説明。心に悟りのできない内は聖賢の言を守り、鬼神のことは放って置く。人は怪力乱神を好むものだが、それを弁ずる必要はない。聖学は天地、夫婦、父子等、すべきことが多いから、異端などに関わってはいられない。
【通釈】
「諸公所論但守之云々」。聖賢の言ったことを守れということ。疑を闕いて置くのと同じ意で、聖賢の文字を見るにも心に悟りのない内は鬼神のことなどは置いておき、平生の議論の通りの正しい道理の通りを守り、君に忠、親に孝のことはわかったが怪物ことはどうも知らないと言って放下して置きなさい。聖賢の道をしっかりと形で守り失わなければ、異端は何も言えない。あの「不語怪力乱神」と言う様に、定理を守りなさい。今の人は怪力乱神を好く。御暇申すと言っても、この咄が出るとまた煙管を取り出す。異なことで、定理を面白がらずに変なことを聞きたがるもの。「物怪不須弁」。そんな咄は聞いたことがありません、私は存じませんと言い、怪物を弁ずるには及ばない。「異端不必攻」。直方先生が、今の学者は異端と草摺引をしていると言った。異端のことは跡上の断の条があるで、あれに預けて置け。こちらの道は天があれば地があり、夫があれば婦があり、父があれば子がありで賑々しく、正月は麻裃、婚礼には酒肴である。こちらの道はこうしたことだと言って自分のすべきことを守るのである。
【語釈】
・疑をかいてをく…論語為政18。「子張學干祿。子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤。多見闕殆、愼行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣」。
・怪力乱神を語らぬ…論語述而20。「子不語怪・力・亂・神」。
・草摺引…歌舞伎舞踊の一系統。長唄・荻江節。曾我五郎が朝比奈と鎧の草摺を引き合う荒事風江戸所作事で、草摺引物と総称。
・跡上の断…異端9を指す。

不逾朞年云々。いつも横渠の年を出すは修行底の覚のあることゆへなり。されともここははやいことを云たものなり。もと異端も物怪も急に片付られぬことなれとも、かふした仕向なれば一年もたたぬ内にと云なり。今物怪のことを云てをこすか、吾道を守てさへをれは囲のよい将棊のやふなもの。向に搆ふことてない。勝んと打つより負じと打て、と。異端にもかまふな。そふ守ると吾道勝矣ぞ。若欲委之無究云々。怪物も天地が廣ひからあろふ、一眼や死灵生灵もあろふと云も、根かすまずに云へはやくにたたず。知れぬことじゃと思ふと、地獄もあろふはさと云ふになる。初学は伊川と南軒を守るかよい。根からないことと理できめることにしてをけ。今、寛厚な人が佛法も昔しからあるものて御上でも立て置ると云と、とちらも取らず迷ふてしまふなり。
【解説】
「不逾期年、吾道勝矣。若欲委之無窮、付之以不可知」の説明。自分の道を守ってさえいればよく、物怪に構う必要はなく、また、異端にも構う必要もない。物怪や神姦は簡単に片付けられるものではないが、根が済まずにそれがあると考えれば地獄もあると言う様にもなるから、初学の者は、物怪は無いものと捉えるのがよい。
【通釈】
「不逾期年云々」。いつも横渠が年のことを出すのは修行からの覚えがあるからである。しかし、ここの期年とは早いということを言ったものである。本来は異端も物怪も急には片付けられないことではあるが、この様にすれば一年も経たない内に済むと言った。今、物怪のことを言って寄越すが、我が道を守ってさえいれば囲いのよい将棋の様なもの。向こうに構うことではない。勝とうとして打つより負けずにと思って打てと言う。異端にも構うな。この様に守ると「吾道勝矣」である。「若欲委之無窮云々」。天地は広いから怪物もあるだろう、一眼や死霊生霊もあるだろうと言うのも、根が済まずに言えば役に立たない。わからないことだと思えば、地獄もあるだろうさと言う様になる。初学は伊川と南軒とを守るのがよい。本からないことと理で決めることにして置きなさい。今、寛厚な人が、仏法も昔からあるもので御上も立てていると言えば、どちらも取ることができずに迷ってしまう。

学爲疑撓知為昏云々。撓れ昏むと不断胷が塞っている。こふでもあろふかああてもあろふかとあぶ々々するで、交來て心のやすむひまなく、卒に自存ることなく、本の知はなくなり、知か疑ふと云。借金方へみんなとられて仕廻やふなり。溺於怪妄必矣。ついにはそれになり、かたまって地獄もどふてもあるて有ふと云やふになる。そこをとかく此方の守をきっと立るがよい。攻異端是害而已の注に當如淫声美色遠之とあり。異端の書は見まいと云程に見所を立て守を立よ。孔孟の正道をしらずに史記漢書を讀で、我に定見なくて三体詩も徒然草も伊勢物語も一理あると云やふになると、こも々々来て存することなく、怪妄にずる々々をちこむ。俗学のしまいはこれなり。張南軒の、邪鬼神なし、眼の疾じゃのと片付け、ない々々と片はらいなは朱子に及はぬ所なれとも、あのないと極るか初学の怪妄にをほれぬ所になる。悟った上はとふ云ても迷はぬ。初手は理てをしてさっはりと無ひものにせよ。
【解説】
「則學爲疑撓、智爲物昬、交來無閒、卒無以自存、而溺於怪妄必矣」の説明。物怪や神姦のことを悩むと本知はなくなり、怪妄に溺れる。そこで、自分の守りをしっかりと立てることが必要である。俗学は孔孟の正道を知らずに異端の書や雑書を読むから怪妄に陥る。張南軒は邪鬼神無しと言った。根が済めばどの様に言っても迷うことはないが、初学の者は理で推して、邪鬼神無しとするのがよい。
【通釈】
「学為疑撓知為昏云々」。撓むれ昏むといつも胸が塞がっている。こうでもあろうかああでもあろうかと悩むので、「交来」で心の休む暇なく、卒に自ら存することなく、本知はなくなって、知が疑うと言う。それは、借金の形として皆取られてしまう様なこと。「溺於怪妄必矣」。ついにはそうなって固まり、地獄もどう見てもあるだろうと言う様になる。そこを、とかく自分の守りをしっかりと立てるのがよい。「攻異端是害而已」の注に「当如淫声美色遠之」とある。異端の書は見ないというほどに見所を立て、守りを立てなさい。孔孟の正道を知らずに史記漢書を読み、自分に定見もないのに三体詩も徒然草も伊勢物語も一理あると言う様になると、交々来て存することなく、怪妄にずるずると落ち込む。俗学の行き着くところはこれである。張南軒が、邪鬼神無し、それは眼の疾だと片付け、無い無いと払い除けたのは朱子に及ばない所ではあるが、あの無いと極めるのが、初学が怪妄に溺れない様にする所となる。悟った上はどの様に言っても迷わない。最初は理で推して、さっぱりと無いものと考えなさい。
【語釈】
・攻異端是害而已…論語為政16。「子曰、攻乎異端、斯害也已」。
・當如淫声美色遠之…論語為政16集註。「程子曰、佛氏之言、比之楊・墨、尤爲近理。所以其害爲尤甚。學者當如淫聲美色以遠之。不爾、則駸駸然入於其中矣」。
・三体詩…唐代の詩人一六七人の作を、七言絶句・七言律・五言律の三体に分けて編纂した書。六巻。宋の周弼編。1250年成る。原題は「唐賢三体詩家法」。


第十七 子貢謂夫子之言性与天道条

子貢謂、夫子之言性與天道、不可得而聞、既言夫子之言、則是居常語之矣。聖門學者以仁爲己任、不以苟知爲得、必以了悟爲聞。因有是説。
【読み】
子貢謂う、夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可からず、と。既に夫子之言と言えば、則ち是れ居常に之を語[つ]げしなり。聖門の學者は仁を以て己が任と爲し、苟も知るを以て得ると爲さず、必ず了悟を以て聞と爲す。因りて是の説有り。
【補足】
・この条は、張氏全書にある。

論語集註の文義とは不可聞の聞の字の文義か違ふ。横渠のは聞の字をこき上けて重く見たか趣向なり。講釈聞と云にも段々が有ふぞ。耳にきくも聞へるとはかり云てはすまぬ。伽羅と抹香は誰も聞わけるか、十種香を聞わける。そこか知に多少般の數ありで知の高下なり。論語のは、ある時子貢が性天道のことを聞て、さて々々今日は聞れぬことを聞たと嬉しがられたことを、横渠はこの聞と云が聞得たぎり々々じゃ、孔子の天道を云は常々あらふこと、觀世が能の一世一代と云体で孔子の云はれたではあるまひ。居常語之云々。つ子に語たてあろふが、孔門ては顔子をのけての子貢は穎悟の人なり。聞れぬと云に訳あり。
【解説】
「子貢謂、夫子之言性與天道、不可得而聞、既言夫子之言、則是居常語之矣」の説明。「不可聞」を、論語集註では子貢が普段聞けない性天道のことを聞いて嬉しがったという意に解するが、横渠は、孔子は常々性天道を語ったのだろうとし、「聞」とは聞き得た極致のことだと解した。
【通釈】
ここにある「不可聞」の聞の字の文義は論語集註のものとは違う。横渠の文義は、聞の字を扱き上げて重く見たところに趣向がある。講釈を聞くにも段階がある。耳で聞くにしても聞こえるとばかり言うのでは済まない。伽羅と抹香は誰でも聞き分けるが、十種香を聞き分ける。そこが「知有多少般数」であり、知の高下である。論語の文義は、ある時子貢が性天道のことを聞いて、実に今日は普段聞けないことを聞いたと嬉しがられたというものだが、横渠は、この聞ということが聞き得た至極のことであって、孔子が天道を語るのは常々あったことで、観世の一世一代の能という風に孔子が性天道を言われたわけではないだろうと解した。「居常語之云々」。孔子は常々性天道を語ったのだろうが、孔門では、顔子は別格としても子貢も穎悟の人であり、それが「不可得而聞」と言うには訳があるのである。
【語釈】
・論語…論語公冶長12。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・多少般の數あり…致知8。「知有多少般數、煞有深淺」。

以仁為己任。仁は知とは違ひて、仁はわか德にすることなり。己任とするは紫震殿清涼殿へ上からるる人なり。今日の旅人は遥拜するきり。孔門の子貢は関白殿じゃ。殿上人で上らるるて仁を任とせふとするて、聞たを嬉しかることてはあるまい。我へ得て、我ものにしたを聞と云たならん。不以苟知云々。今人の聞のは堂上方の咄しを地下人か聞やふ。两國から冨士を見るやふなり。子貢の聞は了語でさとりぬいて吾が物にして仕廻たを聞と云てあろふ、と。つまりは横渠のとり違ひなれとも、致知ではよい手段なり。甚功夫になる説なり。今日の学者のは筆記をして置やふな知なり。孔門の子貢は了悟で吾ものにするのて是説あらんとなり。
【解説】
「聖門學者以仁爲己任、不以苟知爲得、必以了悟爲聞。因有是説」の説明。仁は知とは違って自分の徳にすること。子貢は仁を己の任とする人だから知ったことを嬉しがることはない。自分に得て、己の物にすることを「聞」と言ったのだと横渠は言う。
【通釈】
「以仁為己任」。仁は知とは違い、自分の徳にすること。「己任」は紫震殿や清涼殿へ上がられる人のこと。今日の旅人は遥拝するだけ。しかし、孔門の子貢は関白殿であり、殿上人として上がられる人であって、仁を任としようとしたのだから、聞いたことを嬉しがることはないだろう。自分に得て、我が物にすることを「聞」と言ったのだろう。「不以苟知云々」。今の人の聞は堂上の話を地下人が聞く様で、両国から富士山を見る様なものである。横渠は、子貢の聞は了悟で悟り抜いて我が物にして納めたことを言うのだろうと思った。つまりは横渠の取り違えだが、これが致知にはよい手段であり、甚だ功夫になる説である。今日の学者の知は筆記をして置く様なものだが、孔門の子貢は了悟で我が物にするので「因有是説」と言う。
【語釈】
・遥拜…はるかに遠い所からおがむこと。


第十八 義理之学の条

義理之學、亦須深沈、方有造。非淺易輕浮之可得也。
【読み】
義理の學は、亦須く深沈なるべくして、方に造[いた]ること有り。淺易輕浮の得可きに非ず。
【補足】
・この条は、張横渠の経学理窟の義理の条にある。

学者も色々に名は出ても、そふ々々大ふ名のあるものてもない。俗学の、訓詁の学の、詞章の学の、儒者の学のとある。爰の義理の学と云も儒者の学と同ことなり。学問もとき々々て名をかへて云。学而に学而時習、十有五志于学とはかり孔子は云れたか、子思のときは異説のあるて、もふ朱子の道学と書れた。深沈云々。深沈でなければ造らぬ。茶人でさへ、茶杓をこふ持つ、ああ持と云はかりてない。心に禪意のあるで茶道とも茶に入るとも云。茶を覚たと云くらいてはすまぬ。深沈あり。程朱のときも挙業もあり、或は流行の禪機めくことばかりて、学をするにあちこちいじりまはして深沈の胷へたたみ込かすくなく、ほんの学になかった。今は尚を経学の訓詁になる。御用心々々々。槇七郎左衛門が直方や淺見の若ひとき、各々必經学知りになるなと云へり。迂斎の、いかひこと峠がある、と。蚊屋をでてまだ障子あり夏の月。段々こへ子ばならぬ。朱子の、百合へぐがことし、と。幾重もある。輕浮云々。一寸学問を初て見やふの、いやどふも云へぬ面白もののと淺はかなことては得られぬ。直方先生の云、何たる因果で学問を始たやらと云てなくては得られぬ。
【解説】
学には、俗学や訓詁の学、詞章の学、儒者の学などがあるが、ここの義理の学とは儒者の学のことである。学問は時に合わせて名を変える。孔子は学とばかり言っていたが、子思の時は異説が出たのでこれを道学と言う。深沈でなければ儒学には造らない。程朱の時は深沈でなかったので、本当の学ではなかったし、今も経学の訓詁となっているが、それでは悪い。学問は、何たる因果で学問を始めたのかと言う様に、深く苦労しなければ身に付かない。
【通釈】
色々と学の名が出るにしても、そうそう多くの名があるわけでもない。学には、俗学や訓詁の学、詞章の学、儒者の学などがある。ここで義理の学と言うのは儒者の学と同じである。学問も時に合わせて名を替えて言う。孔子は学而に「学而時習」、為政に「十有五志于学」とだけ言われたが、子思の時分には異説もできたので、もう朱子はそれを道学と書かれた。「深沈云々」。深沈でなければ儒学には造らない。茶人でさえ、茶杓をこの様に持つ、ああ持つと言うだけではない。心に禅意があるので茶道とも茶に入るとも言う。茶を覚えたと言う位では済まない。深沈がある。程朱の時も挙業もあり、或いは流行の禅機めくことばかりて、学をするのにもあちこちいじり回し、深沈という胸への畳み込みが少なくて、本当の学ではなかった。今も尚、学は経学の訓詁となっている。そこで、用心しなければならない。槇七郎左衛門が直方や浅見の若い時、皆必ずや経学知りになってはならないと言った。迂斎が、大層峠があると言った。蚊屋を出て又障子あり夏の月。段々と越えなければならない。朱子が、百度喘ぐ様なものと言った。幾重もある。「軽浮云々」。一寸学問を始めて見ようとか、いや何とも言えないほど面白いものだなどと浅はかなことを言っていては、学は得られない。直方先生が何たる因果で学問を始めたやらと言った様に言うのでなくては得られない。
【補足】
・学而時習…論語学而1。「子曰、學而時習之、不亦説乎」。
・十有五志于学…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學」。
・朱子の道学と書れた…中庸章句序。「中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也」。
・挙業…科挙か?事業か?
・禪機…禅を修行することによって得たはたらき。主に、禅僧の意表をつく鋭い言動によって瞬間的・直観的に修行者に与えられる。
・槇七郎左衛門…
・蚊屋をでてまだ障子あり夏の月…丈草。俗姓は内藤。「蚊屋を出て又障子あり夏の月」。
・百合へぐがことし…


第十九 学不能推究事理条

學不能推究事理、只是心麤。至如顏子未至於聖人處、猶是心麤。
【読み】
學びて事理を推究すること能わざるは、只是れ心麤[そ]なればなり。顏子未だ聖人の處に至らざるが如きに至りても、猶是れ心麤なるなり。
【補足】
・この条は、張横渠の経学理窟の義理の条にある。

事と理とは大ふ違ふ。事の上へあらはれてはとり違へられぬ。夏と冬と、柳下惠と伯夷と、呂不韋と屈原との様なり。なんほ司馬遷か幷べてをいてもどふも取違へぬが、事の上に理はある。そこで事理と云。理は形ない道理ゆへ知りにくひもの。形でばかり推究ふとしても、道理はすっはとゆかぬもの。中へ這入てはいこう少のことて違ふことあり。精義入神もそれなり。細にきめてゆく上て神に入ること。はつかの処にあんはいあり。事はかりて理へ巡らぬと子ともの繪双帋見るやふて、この処に猿、ここにはいつも狸ときまって居て、理のあがきかない。事理とっくとすむといこふくっつりととけてくるか、中々推究られぬ。
【解説】
「學不能推究事理」の説明。事の上には取り違えることはないが、理は形がないから知り難いもの。理には僅かな処に塩梅がある。
【通釈】
事と理とは大分違ったこと。事の上に表われたものは取り違えない。夏と冬、柳下恵と伯夷、呂不韋と屈原との違いの様なこと。いかに司馬遷が同列に並べて置いても、どうも取り違えることはないが、事の上に理がある。そこで「事理」と言う。理は形のない道理のことだから知り難いもの。形でばかり推し究めようとしても、道理はすっぱりとは行かないもの。中へ這い入ると、非常に小さなところに違いがある。「精義入神」もそれ。これは、細かに決めて行く上で神に入ること。僅かな処に塩梅がある。事ばかりで理へと巡らなければ、子供が絵双紙を見る様で、この処には猿、ここにはいつも狸と決まっていて理の足掻きがない。事理がとっくりと済めば大層深く解けて来るのだが、中々推し究められない。
【語釈】
・精義入神…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往來、朋従爾思。子曰、天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮。天下何思何慮。日往則月來、月往則日來、日月相推而明生焉。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歳成焉。往者屈也、來者信也。屈信相感而利生焉。尺蠖之屈、以求信也。龍蛇之蟄、以存身也。精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。

只是心麄。これは少の処でどふして事理がをし究められぬと云は、心麄ゆへなり。道理の精微と云ふは一寸としたことに非ず。名人の宗珉が細工か別なことであったが、昼も九つ下りになったとてはやしまふ。今日は曇りた。彫物はならぬと云。爰が精微の処ぞ。朝さは氣がさへる。五つ四つはさかんになる。九つは充滿るか、もふそれからは日も元氣も下る方になる。そこで細工をもやめた、と。こふ聞てもめったな細工人は心麄しで益を得たとは思はぬ。朝も夕も一つにをもふは麄ひ心なり。をらなどは終日かせぐと云。左様な内は名人藝の趣は語られぬ。彼人が鯉の目貫をほりかかって見たがどふも氣にいらぬ。幾度かつぶした。貧究ものであったが、生き鯉を買にやって板の間へはたと投出したを見て、もふよいぞとてほった。精微の処は云に云れぬ。義理を推究と云は道理のきり々々の処に至る処で、中々明六つから麻上下て行義かよいの、行ひがよいのと云ても精微には至られぬ。
【解説】
「只是心麤」の説明。小さな処で事理が推し究められないのは心麄だからである。名人の宗珉が午後仕事をしないのにも意味があり、それが精微の処だが、これがわからないのは心が麤いからである。事の上がよいだけでは、精微に至ることはできない。
【通釈】
「只是心麄」。少しの処でどうして事理が推し究められないのかと言うと、心麤だからである。道理の精微とは些細なことを指すのではない。名人の宗珉の細工は別格だったが、正午を過ぎたからと言って早くも彫るのを止める。今日は曇ったから彫物はできないと言う。ここが精微の処である。朝は気が冴える。五つ時や四つ時は盛んになる。九つ時は充満するが、もうそれからは日も元気も下る方になる。そこで細工をも止めると言う。こう聞いても、殆どの細工人は心が粗いから益を得たとは思わない。朝も夕も同じと思うのは粗い心である。俺などは終日稼ぐと言う。左様な内は名人芸の趣は語れない。或る人が鯉の目貫を彫り掛かってみたが、どうも気に入らなくて幾度か潰した。貧窮している人だったが、生き鯉を買いに遣って板の間へ投げ出したところを見て、もうよいぞと言って彫った。精微の処は言うに言えないもの。義理を推し究めるとは道理の至極の処に至ることで、中々明六つから麻裃で行儀がよいとか、行いがよいと言っても、精微に至ることはできない。
【語釈】
・宗珉…江戸時代の彫物師。
・目貫…刀剣類の柄にすえる飾り金物。

至如顔子云々。是は譬に云たことて、上に心あらしとかけたて譬には引たか、顔子は孔子と同服中の人てあらひ人てなし。孔顔は明快。豈弟の出合、そこて如愚とも云て麄ひ人てない。上のあらいの仲ヶ間と見ると違ふ。爰はあらひと云吟味にあらひ人を出してはならぬことゆへ、麤なひ顔子を出された。あの孔顔の塲で、毛一すしほどな差も心の麤いと云ふにをちるとなり。孔子と顔子は事や行の上ての帳面ては一つことなれとも、孔顔の違ひは心の少しの精微の処そ。迂斎の、垩人は明六つ起、賢人は六つ半に目の覚ると云やふにはちがわぬ。いつも同しやふに覚るが、孔子とくらべると帋一牧だけも違ふぞ。猶と云字で、あの身分になりても孔子に競てはあると云が見へる。
【解説】
「至如顏子未至於聖人處、猶是心麤」の説明。顔子は孔子と同腹の人だが、その顔子でも孔子に比べて紙一枚の違いがあり、それが心麤のところである。
【通釈】
「至如顔子云々」。ここはたとえに言ったことで、上の心麤に掛けてあるのでたとえに引いた語だが、顔子は孔子と同腹の人で粗い人ではない。孔顔は明快豈弟の出合いで、そこで「如愚」とも言うのであって粗い人ではない。上にある粗い人の仲間だと見るのは違う。ここは粗いことの吟味に粗い人を出してはならないから、粗くない顔子を出された。あの孔顔の場でも、毛一筋ほどの差でも心が粗いということに落ちると言う。孔子と顔子は事や行の帳面の上では同じだが、孔顔の違いは心の僅かな精微の処にある。迂斎が、聖人は明六つに起き、賢人は六つ半に目が覚めると言う様な違いはないと言った。いつも同じ様に覚めるが、孔子と比べると紙一枚だけ違う。「猶」という字で、あの身分になっても孔子に比べると心麤があることがわかる。
【語釈】
・孔顔は明快。豈弟の出合…聖賢2。「孔子儘是明快人、顏子儘豈弟、孟子儘雄辯」。
・如愚…論語為政9。「子曰、吾與囘言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以發。囘也不愚」。


第二十 博学於文者の条

博學於文者、只要得習坎心亨。蓋人經歴險阻艱難、然後其心亨通。
【読み】
博く文を學ぶ者は、只習坎の心亨るを得んことを要す。蓋し人は險阻艱難を經歴して、然して後に其の心亨通す。
【補足】
・この条は、張横渠の経学理窟四の学大原下の条にある。

中庸の博学審問、論吾の博文、大学致知格物、易の究理、皆知惠のことなり。とこても博の字かはなれぬ。一物々々の上に理かあるゆへ出たなり。只要得習坎心亨云々。横渠の爰を坎の卦へかけて云るるか面白ぞ。文を学ひて知を開くは易で云坎の艱阻を歴て後によくなるやふに骨折てあけること、と。習はかさ子ると云あやなり。八卦の坎が六十四卦の内ては習坎となり、坎か重るなり。習坎は甚難義なことで、今年は餅もつかれぬと云。さて其れは御難義な、偖ても氣の毒なと云ても、誠は心亨るなり。艱阻は、君や同役の氣にいらす、上役にいびられ、内へ来る継母や兄弟にも攻られ、村役人にもまるると云ふ。それを凌くて西銘の汝成於玉と云てある。修行の処て心をみかく処。困穹はしても德を得やふと、險阻と云鑠、艱難と云砥石を以て此方を匁金ををろし、砥石を以て心を磨て玉にする。
【解説】
「博學於文者、只要得習坎心亨。蓋人經歴險阻艱難」の説明。全ての物の上には理があるから、ここに博の字が出た。学問は習坎の様に、険阻艱難で我が身を磨いて至るのである。
【通釈】
中庸の博学審問や論語の博文、大学の致知格物や易の窮理は皆知恵のことである。どこでも博の字が付いて離れない。一物それぞれの上に理があるから博の字が出たのである。「只要得習坎心亨云々」。横渠が坎の卦に掛けて言われたのが面白い。文を学んで知を開くとは、易で言う坎の艱阻を経て後によくなる様に、骨を折って開けることだと言った。習は重ねるという綾で、八卦の坎が六十四卦の内で習坎となり、坎が重なる。習坎は甚だ難儀なことで、今年は餅も搗けないと聞いて、さてそれは御難儀なことだ、さても気の毒なことだと言う中にも誠は心亨となる。艱阻は、君や同役に気に入られず、上役にいびられ、家へ来る継母や兄弟にも攻められ、村役人に揉まれるという様なこと。それを凌ぐことが「経歴険阻艱難」であって、西銘でも「玉女於成」と言う。ここが修行の処で心を磨く処。困窮はしても徳を得ようと、険阻という鑠と艱難という砥石によって、自分を鑠で匁金を溶かし、砥石で心を磨いて玉にする。
【語釈】
・中庸の博学審問…中庸章句20。「博學之、審問之、慎思之、明辨之、篤行之」。
・論吾の博文…論語雍也25。「子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫」。
・大学致知格物…大学章句1。「古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先脩其身。欲脩其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物」。
・易の究理…易経説卦伝1。「窮理盡性以至於命」。
・習坎…易経習坎(坎下坎上、坎爲水)。「習坎、有孚。維心亨。行有尚。彖曰、習坎、重險也」。
・西銘の汝成於玉…為学89。「貧賤憂戚、庸玉女於成也」。

然後其心亨通て、身にひどい目をするのか心によりをかけるやふなものて、じりり々々々とする。そこて心かしっかりとなる。学問は兎角樂をしてはあからぬこととをもへ。ここを又小く書をよむ上ばかりで合点することあり。何かよめぬ字を字彙てひくやら、知れぬ語を地獄くりにするやら、艱難せ子ばならぬ。大名の学問の上らぬのも、こいよと云て人にさす。字もよめぬは近習番が引く。自らくらぬたけあからぬ。吾黨語類文集よむにも、朱子の説はいつも能ひとはかりも云はれす。語類の内に違た説もある。それをあちこち見わけやふとし、これは未定、これは晩年の説じゃの、ここはすこし集註とはふれたのと色々骨折る。ほんにはっと溜息つくほとのことあるそ。こう艱阻するて朱子学を得る。これ、心亨るにいたるなり。
【解説】
「然後其心亨通」の説明。学問は、楽をしていては上達しない。語類や文集を読むにも色々と見分けて骨を折り艱阻するので朱子学を得ることができる。
【通釈】
「然後其心亨通」で、身に酷いことをするのが心に縒りを掛ける様なもので、捻り上げることで心がしっかりとなる。とかく学問は楽をしては上がらないと思いなさい。ここは、一寸書を読む上のことででも合点することができる。何か読めない字を辞書で引くとか、知らない語を地獄繰りにするとかして、艱難をしなければならない。大名の学問が上がらないのも、来いと言って人にさせる。読めない字は近習番が辞書を引く。自ら繰らないだけ上がらない。我が党で語類や文集を読む場合でも、朱子の説はいつもよいとばかりは言えない。語類の中に違った説もある。それをあちこち見分けようとして、これは未定だ、これは晩年の説だ、ここは少し集註に触れると言って色々と骨を折る。そこに、本当にはっと溜息をつくほどのことがある。この様に艱阻をするので朱子学を得る。これが心亨に至ることである。
【語釈】
・地獄くり…


第二十一 義理有疑の条

義理有疑、則濯去舊見、以來新意。心中有所開、即便箚記。不思則還塞之矣。更須得朋友之助。一日閒、意思差別。須日日如此講論。久則自覺進也。
【読み】
義理に疑い有らば、則ち舊見を濯去して、以て新意を來せ。心中に開く所有らば、即ち便ち箚記せよ。思わずんば則ち還[また]之を塞がん。更に須く朋友の助けを得べし。一日の閒、意思差[やや]別なり。須く日日此の如く講論せよ。久しくんば則ち自ら進むを覺えん。
【補足】
・この条は、張横渠の経学理窟四の学大原下の条にある。

致知の篇、一寸々々と疑と云字のあるか、よふ合点すへし。それ々々に筋有。此条て疑を片付る。爰て迠疑をすてて置てはならぬ。直方の、疑をしまふてをくは鼻紙入に埃を入てをくやふなもの、と。前のは疑を仲人にして学問を上けやふなり。いつも又其疑を置のは、医者が病人の熟をとらすにをくやふなもの。先熟を拂ひ出さ子ばならぬことぞ。濯去舊見云々。俗に云、負をしみあり。直方の、繻絆からぬけ々々と云た。上み方からきて弟子になりたひとありても、とかく旧見かこびりついて居る。そこて上着は勿論、じばん迠ぬけ々々と云はれた。こびつきを洗去て新意を来たせ。某五十年思ひつめましたと云ふか、百年思つめてもわるいことはすて子ばならぬ。直方先生の晩年京へ上られて帰府の時、弟子衆の此度御上京で昔の故友老人方に御出合で御学談あらんと存ますると云たに、いや、若ひものともとはかり咄た。年よりは情か強くて咄されぬ。うつらぬ人と咄すは疝氣の毒と云れた。旧見を洗去ぬ人は日新はなし。
【解説】
「義理有疑、則濯去舊見、以來新意」の説明。疑を放って置いては悪い。とかく人には旧見がこびりついているものだから、それを洗い去って新意を来さなければ日新はない。直方は上京した時には若い者とばかり話をしたと言ったが、それは、年寄りは情が強くて通じないからである。
【通釈】
致知の篇には所々に疑という字があるが、よく合点しなさい。それぞれに筋があるが、この条で疑を片付ける。ここまで疑を放って置いてはならない。直方が、疑をしまって置くのは鼻紙入に埃を入れて置く様なものだと言った。前の条は疑を仲人にして学問を上げようとする意である。いつもまたその疑を放って置くのは、医者が病人の熱を取らずに置く様なもの。先ずは熱を払い出さなければならない。「濯去旧見云々」。俗に、負け惜しみということがある。直方が、襦袢までも脱げと言った。弟子になりたいと上方から来ることがあっても、とかく旧見がこびりついている。そこで上着は勿論、襦袢まで脱げと言われた。こびりつきを洗い去って新意を来しなさい。私は五十年思い詰めましたと言うが、百年思い詰めても悪いことは捨てなければならない。直方先生が晩年上京の後に江戸へ戻った時、弟子衆がこの度の御上京で故友や老人方に御出合いなされて御学談があったことと存じますがと聞いたが、いや、若い者共とばかり話をした。年寄りは情が強くて話ができない。通じない人と話すのは疝気の毒だと言われた。旧見を洗い去らない人に日新はない。
【語釈】
・前のは…致知15を指す。
・疝氣…漢方で、大小腸・生殖器などの下腹部内臓が痛む病気。殊に下腹部に発作的に劇痛を来し反復する状態。
・日新…易経繋辞伝第上5。「富有之謂大業、日新之謂盛德」。大学章句2。「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」。

心中有所開云々。詩や哥てもふいと能ことの出るはこちの聰明の発する処。灵妙なものを持て居るゆへなり。吾が云ても、をれが手際によふもかふは云たと云ほどなことあるもの。そこを開く処と云。今日老儒がまだ々々若ひ衆がなどと云たかるが、つまらぬ口上ぞ。年によることでなし。開ける所には、年より若ひものと云ことはなし。孔子の起於予者商也と、子夏か若ものても開けたを相手にした。即便箚記云々。筆記をして置くこと。不思則還塞之矣。筆記してをいて吟味してをか子は又其理が塞る。横渠は実地底な人故、いこふ学へひびくことともなり。
【解説】
「心中有所開、即便箚記。不思則還塞之矣」の説明。「所開」とは、人の聡明が発したもの。開くのに年齢は関係ない。開く所があれば、それを筆記して置くのがよいが、それをまた吟味しなければ理が塞がる。
【通釈】
「心中有所開云々」。詩や歌でもふと能いことが出るのはこちらの聡明が発する処であり、それは人が霊妙なものを持っているからである。自分が言ったことでも、俺の手際でよくもその様にうまく言ったものだというほどのことがあるもの。そこを「所開」と言う。今日老儒が若い衆はまだまだなどと言いたがるが、つまらない口上である。年に関したことではない。開ける所には、年寄りだからとか若い者だからということはない。孔子は「起於予者商也」と言って、子夏は若者だったが開けた者を相手にしたのである。「即便箚記云々」。これは筆記をして置くこと。「不思則還塞之矣」。筆記をして置いても吟味をして置かなければ、またその理が塞がる。横渠は実地に徹した人だったから、それが大層学へ響くことだと言う。
【語釈】
・起於予者商也…論語八佾8。「子曰、起予者商也。始可與言詩已矣」。
・箚記…読書して得た所を随時に書き記すこと。

更須朋友之得助。朋友の助はかるいことにいるもの。こふ思ひついたかどふあろふと相談するか学友なり。今の人は人欲を去ることを朋友に相談するか、これは朋友もこまる。爰は他人を頼かたき処なり。箚記を朋友に見せるて、いや々々これはふれがある、どふこうと議論するで一日間意思差別なり。夕べまてもよいと思て筆記したを見せた益て批判を得、改めて各別になる。まけをしみはなく、我説の非を云はいこう辱いこと。そこて朋友へ奈良茶振舞ふと思ふほどに益があり、うれしくなり、もふ一時咄してくれろと腰物をもかくしたいほどにする。朋友の助と云は何にもある。道具屋も仲ヶ間かあるから大名の用も勤まると迂斎云へり。いかさま薩摩や仙臺の婚礼御用ても、小さひ店て隨分勤るも朋友仲ヶ間のあるゆへなり。
【解説】
「更須得朋友之助。一日閒、意思差別。須日日如此講論。久則自覺進也」の説明。朋友の助けは軽いことに対して用いるもの。箚記を朋友に見せることで自分の非を悟ることができる。朋友や仲間の助けは何にでもある。大名の婚礼が小さな店で勤まるのも仲間があるからである。
【通釈】
「更須朋友之得助」。朋友の助けは軽いことに対して要るもの。この様に思い付いたがどうだろうと相談するのが学友である。今の人は人欲を去ることを朋友に相談するが、これでは朋友も困る。それは他人に頼み難いものである。箚記を朋友に見せることで、いや、これには誤りがあるなどと、どうのこうのと議論をするから「一日間意思差別」である。昨夜まではよいと思っていた筆記を学友に見せた益で批判を得、改めて格別になる。負け惜しみもせずに自分の説の非を言ってくれるのは大層忝いこと。そこには朋友へ奈良茶を振舞おうと思うほどの益があるから、嬉しくなり、もう一時話をしてくれと腰物をも隠したいほどになる。朋友の助けは何にでもある。道具屋も仲間があるから大名の用も勤まると迂斎が言った。まさにその通りで、薩摩や仙台の婚礼御用も小さい店でも随分と勤まるが、それは朋友仲間があるからである。
【語釈】
・奈良茶…奈良茶飯。①煎じた茶に酒・大豆などをいれて塩味で炊いた飯。②明暦(1655~1658)の頃、茶飯に豆腐汁・煮豆などを添えて出した一膳飯。


第二十二 凡致思到説の条

凡致思、到説不得處、始復審思明辨、乃爲善學也。若告子則到説不得處遂已、便不復求。
【読み】
凡そ思いを致し、説き得ざる處に到りて、始めて復審思明辨せば、乃ち善く學ぶと爲す。告子の若きは則ち説き得ざる處に到れば遂に已み、便に復求めず。
【補足】
・この条は、張子全書の拾遺にある。

一つ支へた所で一了簡いることを云。すら々々参ると云は孔顔のやふな人のこと。凡人はすら々々往ぬものなり。すら々々行かぬときにしかへてすること。致思は思ひつめて仕得たこと。たとえは太極圖説を讀ふと下見して是てすんた様なに、明日見てよむにすら々々よめぬ。そこて復審思明弁。今日の学者かあちなことを飾る心ては、呑込で居るか弁がわるいゆへ出ぬと云ふか、心にすんだことは弁わるくてもつばを呑込々々も知ったことはそろ々々も云るるか、つまり根かすまぬからなり。范淳夫は講釈上手、尹彦明は不弁舌なれとも説不得ではない。見た形[なり]は出るなり。不調法な仲間でも、生國の咄は江戸ものよりよい。よく知たことはこふしたもの。某抔覚あり。近思録で太極圖説や西銘をよめばすんだやふじゃが、偖朱子の解てよむときは細割でよいはづなれとも、どふか勝手が違たやうでよめぬ。それをこれはと復思弁すへし。そこを爲善学と云、学問はすっかりと思弁するのかよい学ひやふなり。
【解説】
「凡致思、到説不得處、始復審思明辨、乃爲善學也」の説明。滞りなく理解することができるのは聖賢だけであって、凡人は支えるから、そこで「復審思明弁」でなければならない。思弁するのがよい学び方である。今の学者は、知ってはいるが言い表せないと言うが、本当に知っていれば言えない筈はない。
【通釈】
ここは、一つ支えた所で一了簡の要ることを言う。すらすら参ると言うのは孔顔の様な人のことで、凡人はすらすらと行かないもの。すらすらと行かない時に仕変えてするのである。「致思」は思い詰めて仕得たこと。たとえば太極図説を読もうと下見をしてこれで済んだ様に思ったのに、明日見て読むとすらすらと読めない。そこで「復審思明弁」。今日の学者が悪いことを飾る心から、それは呑み込んでいるが弁が悪いから口に出せないと言うが、心に済んだことは弁が悪くても唾を呑み込みながらでも、知っていればゆっくりでも言えるが、それができないのはつまり根が済んでいないからである。范淳夫は講釈上手、尹彦明は弁舌下手だが「説不得」ではない。見たことは口に出せる。不調法な仲間でも、生国の話をするのは江戸の人よりもうまい。よく知ったことはこうしたもの。私などにも覚えがある。近思録でも太極図説や西銘を読むとわかった様に思うが、さて、朱子の解によって読む時は細割なのでよい筈なのだが、どうも勝手が違う様で読めない。そこで、これは何故かと「復思弁」しなさい。そこを「為善学」と言い、学問はすっかりと思弁するのがよい学び方である。
【語釈】
・范淳夫…名祖禹。程門高弟。
・尹彦明…名焞。河南人。程門弟子。

若告子則到説不得處云々。告子抔が異端の開山になるもそれなり。告子が出ると異端じゃからと除るが、今日の学者かやはり告子をして居る。告子が言に云へぬを心に求ると心がをくれてわるいとしてをく。今の学士もなぜ口で云はれぬなと省ぬによって、いつも心のそこに開けぬものかあれは致知ではなく、つまり東の銘の愚にをちる。浩然の章の注に冥然無覺悍然不顧而已爾とあり。知ははだやわはらかに明るいはつのものなり。知は水ゆへなり。水は人の手に疵をつけぬ和なものなり。水の表はくろいが、内にあかるいものあり。柔順で方圓の器に隨ふか水のなりなり。知もそれで、理にしたがふ。逆へは邪知なり。窮格も口で云はれぬはどふしゃとわるつよみなく隨ふて看るが知の形なり。そこで本の知は人にもきくなり。舜の問ふことを好むはよはいやふなれとも、水のやはらかで中があかるい。告子が心に求ぬは、つよいやふで中がくらい。そこで告子の不動心と孟子の不動心のちかふも初に知言と云あかるいものあるからのことなり。
【解説】
「若告子則到説不得處遂已、便不復求」の説明。告子は言に出せないことを心に求めるのは心に悪いとして放って置く。今の学者も何故言い表せないのかと省みないから、告子と同じく砭愚に陥っている。知は水と同じであって、柔らかで中が明るく、また、水が柔順なのと同じく理に随う。そこで人にも尋ねるのである。
【通釈】
「若告子則到説不得処云々」。告子などが異端の開山になるもこのためである。告子が出ると異端だからと言って除けるが、今日の学者もやはり告子と同じことをしている。告子が言に出せないことを心に求めると心が遅れて悪いとして放って置く。今の学士も、何故言い表せないのかなどと省みないから、いつも心の底に開けないものがある。しかし、それでは致知でなく、つまりは東銘の愚に落ちる。浩然の章の注に「冥然無覚悍然不顧而已爾」とある。知は肌柔らかで明るい筈のもの。それは知が水だからである。水は人の手に疵を付けない和なもの。水の面は黒いが内に明るいものがある。柔順で方円の器に随うのが水の姿である。知も同じで理に随う。逆らえば邪知である。窮格も口で表わせないのはどうしてなのかと、力まずに随って見るのが知の姿である。そこで本当の知は人にも尋ねるのである。舜が問うことを好むのは弱い様だが、それが水の柔らかで中が明るいところ。告子が心に求めないのは強い様で中が暗い。告子の不動心と孟子の不動心とが違うのも、始めに知言という明るいものが孟子にあるからである。
【語釈】
・冥然無覺悍然不顧而已爾…孟子公孫丑章句上2集註。「告子之學、與此正相反。其不動心、殆亦冥然無覺、悍然不顧而已爾」。
・方圓の器に隨ふ…荀子君道。「君者槃也、民者水也、槃圓而水圓。君者盂也、盂方而水方」。
・窮格…窮理と格致。
・舜の問ふことを好む…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與。舜好問、而好察邇言、隱惡而揚善。執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎」。
・告子が心に求ぬ…孟子公孫丑章句上2。「曰、敢問、夫子之不動心、與告子之不動心、可得聞與。告子曰、不得於言、勿求於心。不得於心、勿求於氣。不得於心、勿求於氣、可。不得於言、勿求於心、不可。夫志、氣之帥也。氣、體之充也。夫志至焉、氣次焉。故曰、持其志、無暴其氣」。
・知言…孟子公孫丑章句上2。「敢問、夫子惡乎長。曰、我知言。我善養吾浩然之氣」。「何謂知言。曰、詖辭知其所蔽。淫辭知其所陷。邪辭知其所離。遁辭知其所窮。生於其心、害於其政。發於其政、害於其事。聖人復起、必從吾言矣」。

講後曰、心麄は顔子を仲ヶ間にしては大違なり。如愚はの深潜純粹か麄ではない。孔子とちごふ処を譬に云たこと。次の条の習坎も致知には合ぬやふなれとも、これも譬へなり。
【通釈】
講後に言う。「心麤」について、顔子をその仲間とするのは大間違いである。「如愚」の深潜純粋なところは粗いことではない。孔子と違う処をたとえとして言ったのである。次の条の「習坎」も致知には合わない様だが、これもたとえで言ったこと。