第二十三 伊川先生曰凡看文字条  十月二十六日  惟秀録
【語釈】
・十月二十六日…寛政2年庚戌(1790年)10月26日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

伊川先生曰、凡看文字、先須曉其文義、然後可求其意。未有文義不曉而見意者也。
【読み】
伊川先生曰く、凡そ文字を看るには、先ず須く其の文義を曉らかにすべく、然して後に其の意を求む可し。未だ文義曉らかならずして意を見る者有らざるなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。

先日二座讀だは致知の全体ぞ。はばは荒ましあれですんだが、此から書物のよみやうを云。致知と云が書物にはかりは限らぬが、書がたんてき一よい。又、書に限らず何ことの上も致知と云こともある。其証拠には、堯舜の時書物はなけれとも、舜臣有五人天下治る。致知をしたればこそ政がなりたなれとも、今では書物か致知の正面なり。此間東金へ行たときに斯ふ云発明か有たと云ても、近思の講釈聞たほどにはないもの。凡文字。一字々々一句々々に義を知ることなり。直方先生が藥種を知る様なものと云れた。一味々々に知ること。その上でなくては六君子湯面白ひとは云れぬ。六味を一々知た上で、成程よく名付たと知ること。
【解説】
「伊川先生曰、凡看文字」の説明。致知は書物に拠るだけとは限らないが、今は書物に拠るのが最もよい。一字一句の義を知ることで、その意が曉らかになる。
【通釈】
先日二回に渡って読んだのは致知の全体のところ。致知の幅は大凡あれで済んだが、ここからは書物の読み方を言う。致知は書物に拠るだけとは限らないが、端的、書が一番よい。また、書に限らず何事の上にも致知がある。その証拠には、堯舜の時に書物はなかったが、「舜有臣五人而天下治」。致知をしたので政がうまくいったのだが、今では書物が致知の一番の手法である。この間、東金へ行った時にこういう発明があったと言っても、それは近思の講釈を聞いたほどの発明ではない。「凡看文字」。これは、一字一句によって義を知ること。直方先生が薬種を知る様なものだと言われた。一味ずつ知ること。その上でなくては六君子湯を面白いと言うことはできない。六味を一つ毎に知った上で、なるほどよく名付けたものだと知ること。
【語釈】
・舜臣有五人天下治る…論語泰伯20。「舜有臣五人而天下治。武王曰、予有亂臣十人」。

曉其文義。迂斎曰、駒のききを知る様なもの。飛車も角も知らではならぬ。然後可求其意。意味塩梅はとくと見た跡のこと。西行が哥の詠様も有ふに、何と答ん言の葉もなし。此も今日松嶋を能く見て一々知た人が、あの景色一色々々には云取れぬから誠にあの哥の通じゃ、何と答んと云たもの。それと云も、よくみた上で此歌の意味を知たからのことなり。文義不曉。漢唐は字彙を引く様な学問ゆへ、こんな戒は入らぬ。宋朝へ出たもの。宋朝は文義をほかして意を見るが得手ものゆへ戒たもの。文義にかまわす学問がなる。それでは禪めく。名人ぶるのわるいを示たもの。
【解説】
「先須曉其文義、然後可求其意。未有文義不曉而見意者也」の説明。一つ一つをよく知った後で全体の意味塩梅を知ることができる。漢唐は文義ばかりを曉かにしていたが、宋朝は文義を放って置いて意を見る傾向があったからこの戒めが出た。文義を軽んじて学問をすれば禅めく。
【通釈】
「曉其文義」。迂斎が、駒の動きを知る様なものだと言った。飛車も角も知らないのではうまく行かない。「然後可求其意」。意味塩梅はしっかりと見た後でのこと。他に歌の詠み様もあっただろうに西行は、何と答えん言の葉もなしと詠んだ。これも今日松嶋をよく見て一々知った人が、あの景色は一色毎に言い取ることはできないから誠にあの歌の通りだ、そこで何と答えんと言ったのかと思う。それと言うのも、よく見た上でこの歌の意味を知ったからである。「文義不曉」。漢唐は辞書を引く様な学問だからこの様な戒めは要らない。ここは宋朝に対して出したもの。宋朝は文義を放下して意を見るのが得意だったので戒めたのである。文義に構わず学問がなれば禅めく。ここは、名人振るのが悪いことを示したのである。


第二十四 学者要自得条

學者要自得。六經浩渺、乍來難盡曉。且見得路徑後、各自立得一箇門庭、歸而求之、可矣。
【読み】
學者は自得するを要す。六經は浩渺[こうびょう]にして、乍來[さらい]盡く曉らかにし難し。且く路徑を見得て後、各自に一箇の門庭を立て得、歸りて之を求めば、可なり。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。

自得。孟子の字。学ふと云は向に物ををいて学ぶ。それをこちのものにするか自得なり。自得のないは朱子の所謂書自書我自我。はなれものでやくにたたぬ。六經云々。今の五經に樂經を添てと云が世間一と通云ことなれとも、さう云れぬことは荘子に六經と云字がある。礼記は漢儒から始めて傳へたものゆへ、礼記を六經へ入ると云が荘子にある字へは落付ぬ。某按に、いづれ詩書易春秋はのがれぬ。其上へ周礼儀礼を入れて六經と云がよかろふ。礼記は垩人の語でからが經とは云にくい。礼記には老子めいた字もあり、俗人めいた語もあり、さふかと思へば大中も篇目に入りてありた。入り雜りたことは經とは云にくひ。宋で王荊公の周礼儀礼を取らぬ拍子から礼記を尊信したが、經とは云れぬぞ。
【解説】
「學者要自得。六經浩渺、乍來難盡曉」の説明。向こうの物に対面して学び、それを自分のものにすることを自得と言う。六経は五経に楽経を添えたものと言うのが一般的だが、礼記は漢儒以降のものであって、詩書易春秋に周礼と儀礼を入れて六経と言うのがよい。礼記は聖人の語であり、色々と入り雑じっているから経とは言い難い。
【通釈】
「自得」。孟子の字。学ぶとは向こうに物を置いて学ぶこと。それを自分のものにするのが自得である。自得がなければ朱子の言う「書自書我自我」であり、別々では役に立たない。「六経云々」。今の五経に楽経を添えて六経と言うのが世間一般の言い方だが、そうは言えないと言うのは荘子に六経という字があるからである。礼記は漢儒から初めて伝えられたものであって、礼記を六経へ入れるのは荘子にある六経の字に合わない。私が考えるには、どちらにしても詩書易春秋は六経から除くことはできない。その上に周礼と儀礼を入れて六経と言うのがよいだろう。礼記は聖人の語であることからも経とは言い難い。礼記には老子めいた字もあり、俗人めいた語もあって、そうかと思えば大学や中庸もその篇目に入れてあった。入り雑じったことは経とは言い難い。宋では王荊公が周礼と儀礼を採らずに礼記を尊信したが、礼記を経とは言えない。
【語釈】
・自得…孟子離婁章句下14。「孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右、逢其原。故君子欲其自得之也」。
・浩渺…広々としたさま。
・乍來…最初。いきなり。
・書自書我自我…朱子語類大学3。「此一箇心、須毎日提撕、今常惺覺。頃刻放寬、便隨物流轉、無復收拾。如今大學一書、豈在看他。言語、正欲驗之於心如何。如好好色、如惡惡臭、試驗之吾心、好善、惡惡、果能如此乎。閒居為不善、見君子則掩其不善而著其善、是果有此乎。一有不至、則勇猛奮躣不已、必有長進處。今不知爲此、則書自書、我自我、何益之有大雅」。
・荘子に六經…荘子天運。「孔子謂老聃曰、丘治詩・書・禮・樂・易・春秋六經、自以爲久矣、熟知其故矣。…老子曰、幸矣、子之不遇治世之君也。夫六經先王之陳迹也。豈其所以迹哉」。
・王荊公…王安石。

見得路徑。六經は浩渺て、いこうはばのひろいこと。それへ手を付には路徑からなり。物の指南と云が斯ふしたこと。指南車は南へ指をさす車。爰が伊川の指をさして示されたこと。路徑と門庭を別々に離してみぬこと。其路徑の上に一つ門庭を立ること。先つ書經は二帝三王の政を書したとみるが路徑。その政と云は心ですること故、垩賢の御心を知ら子ばならぬと云が門庭なり。去に依て蔡九峯の書傳の序に心と云字を多く並て書ひた。あの心から政をすること。詩經で云へば、詩は人情に本つく心の形りを述たと云か路徑なり。詩を只流行歌しゃとよむと、下女が小歌も同前になる。よい詩を見ては、ああしたいとする。わるひ詩を見ては、あれはわるい、せぬことじゃとするが門庭なり。詩書の筋を合点するか路徑。此方の工夫になるか門庭なり。
【解説】
「且見得路徑後」の説明。六経は幅広いから路径を立て、その路径の上に門庭を立てて読む。先ず書経は二帝三王の政を書したものだと見るのが路径。その政は心ですることだから、聖賢の御心を知らなければならないと見るのが門庭である。筋を合点するのが路径で、自分の工夫にするのが門庭である。
【通釈】
「見得路徑」。六経は浩渺で大層幅の広いこと。それへ手を着けるのは路径からである。ものの指南というのはこうしたこと。指南車は南を指す車。ここが、伊川が指を指して示されたこと。路径と門庭とを別々に離して見てはならない。その路径の上に一つ門庭を立てるのである。先ず書経は二帝三王の政を書したものだと見るのが路径。その政とは心ですることだから、聖賢の御心を知らなければならないと言うのが門庭である。そんなわけで、蔡九峯が書伝の序に心という字を多く並べて書いたのである。あの心で政をすること。詩経で言えば、詩は人情に基づく心のままを述べたものというのが路径である。詩をただ流行歌だとして読むと、下女の小歌も同然になる。よい詩を見て、ああしたいとする。悪い詩を見て、あれは悪い、してはならないことだとするのが門庭である。詩書の筋を合点するのが路径。自分の工夫になるのが門庭である。
【語釈】
・二帝三王…堯・舜と禹王・湯王・文王。
・蔡九峯…

詩經は詩經のやふに心得てよみ、書經は書經のやうに心得てよむが各自立得一箇門庭なり。丁度料理を喰ふと同しこと。鱠は鱠、平皿は平皿と喰ふでも腹では一つになる。書經は書經、詩經は詩經とよめとも、それを一つにしてこちへ持て来て工夫にするが自立得云々求之可矣なり。是から見れば專門の学の拙ひと云が知れた。專門だけ吟味がつまるからゆるしてはおくが、振舞に汁計り喰ふたり鱠計りを喰ふ様なもの。委くても自得はない。六經と出たから詩書では云たが、どの書も此意でみること。論語は垩人成德の御詞、孟子は大賢の発越の詞と見て、大学は垩学の工夫、中庸は垩人の心法、中庸の心法はすぐに大学の学問、垩人成德の詞はすぐに大賢発越の言なりと、斯ふ見ることぞ。初手の立た路徑門庭、こちに得ては一つになることなり。
【解説】
「各自立得一箇門庭、歸而求之、可矣」の説明。詩経は詩経として、書経は書経として一箇の門庭を立てて読まなければならない。しかし、自得すればそれは一つになる。
【通釈】
詩経は詩経のままに心得て読み、書経は書経のままに心得て読むのが「各自立得一箇門庭」である。丁度それは料理を喰うのと同じこと。鱠は鱠、平皿は平皿として喰っても、腹では一緒になる。書経は書経、詩経は詩経と読んでも、それを一つにして自分へ持って来て工夫にするのが、「自立得云々求之可矣」である。これから見れば、専門の学の拙いことが知れる。専門なだけ吟味が詰まっているので許しては置くが、振舞いに汁だけを喰ったり鱠だけを喰う様なもので、委しくても自得はない。六経と出たから詩書を用いて言ったが、どの書もこの意で見なさい。論語は聖人成徳の御詞、孟子は大賢の発越の詞と見て、大学は聖学の工夫、中庸は聖人の心法、中庸の心法は直ぐに大学の学問、聖人成徳の詞は直ぐに大賢発越の言だと、こう見るのである。最初に立てた路径門庭も、こちらに得れば一つになるのである。


第二十五 凡解文字云々の条

凡解文字、但易其心、自見理。理只是人理甚分明。如一條平坦底道路。詩曰、周道如砥、其直如矢。此之謂也。或曰、聖人之言、恐不可以淺近看他。曰、聖人之言、自有近處、自有深遠處。如近處、怎生強要鑿敎深遠得。揚子曰、聖人之言遠如天、賢人之言近如地。頤與改之曰、聖人之言、其遠如天、其近如地。
【読み】
凡そ文字を解くに、但其心を易[やすら]かにすれば、自ら理を見る。理は只是れ人理のみ甚だ分明なり。一條の平坦なる道路の如し。詩に曰く、周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、と。此の謂なり。或ひと曰く、聖人の言は、恐らく淺近を以て他[かれ]を看る可からざらん、と。曰く、聖人の言は自ら近き處有り、自ら深遠なる處有り。近き處の如き、怎生[いかん]ぞ鑿ちて深遠ならしむることを強い要め得ん。揚子曰く、聖人の言は遠きこと天の如く、賢人の言は近きこと地の如し、と。頤與[ため]に之を改めて曰わん、聖人の言は、其の遠きこと天の如く、其の近きこと地の如し、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

解と看るとはちごう。解は注のことも講釈のことにも云、口へ出してさばくこと。易其心。注をするもの、講釈をするものも、心に一物のないがよい。心がさらりとすると、書の上の理がこちへ照り合ふて来る。心がすらりとすれば、書の理のうつりがよい。直方の、木の枝ををろすにも気が易くなくてはならぬ、と。糸のもつれも氣か短ひと尚々もつれる。靜にとけば段々とける。書は向にをく書なれとも、だたい心のことを書たことゆへ、こちがさらりとすればその理は見へる。書にある理がこちに具りてある。其具りたもので具りたものを聞くことゆへ、よくひひく筈ぞ。これで見れば、公冶長解鳥語と云説などがきこへぬこと。人と人なればきこゆるが、あの雀や鳩がなんと云ことじゃとは知れそもないこと。犬は犬同士できく。友犬が吠ると耳を引立るが、此講釈などはなんともひびかぬ。
【解説】
「凡解文字、但易其心、自見理。理只是人理甚分明」の説明。「解」とは、口へ出して捌くこと。心はさらっとしているのがよく、それで書の理がこちらへ照り合ってくる。書は人の心を書いたものだから、人が自ら持つ理でそれを読む。
【通釈】
「解」と「看」とは違ったこと。解は注のことも講釈のことも言い、口へ出して捌くこと。「易其心」。注をする者も講釈をする者も、心に一物も持たないのがよい。心がさらりとすると、書の上の理がこちらへ照り合って来る。心がすらりとすれば、書の理の映りがよい。直方が、木の枝を切るにも気が易くなくてはならないと言った。糸の縺れも気が短いと尚更縺れる。静かに解けば段々と解ける。書は向こうに置くものだが、本来心のことを書いたことなので、こちらがさらりとすればその理は見える。書にある理がこちらに具わってある。その具わったもので具わったものを聞くのだから、よく響く筈である。これで見れば、公冶長解鳥語という説などは当てにならない。人と人とであれば聞こえるが、あの雀や鳩が何を言っているのかは知れそうもないこと。犬は犬同士で聞く。友犬が吠えると耳を引っ立てるが、この講釈などは何とも響かない。
【語釈】
・公冶長解鳥語…皇侃論語疏。「公冶長自衞還魯。聞鳥相呼往食死人肉。須臾見一嫗覓兒道哭。長以鳥語告之。嫗往看。即得死兒。村司録長付獄曰、當試之。若解鳥語。便放。不解。令償死。長在獄已六十日。有雀縁獄柵呼。長含笑。獄主問雀何所言而笑之。長曰、雀鳴嘖嘖。白蓮水邊。有車覆粟。收斂不盡。相呼共啄。獄主遣人看之。果如其言。于是得放」。

一條平坦底道路。道理は何のこともないすらりとしたことと云に引たもの。砥は平なもの。黒ぼくは出くま入りくまある。矢はすぐなこと。松の枝はやすぐでない。なせこれを引なれば、跡へ返して見るときに、道理は本町石町こふしたすぐなもの。夫を六ヶしく云筈はない。異端が本来の面目と云て、今ある心は役に立ぬと云は平坦を忘れたもの。此方は堯舜の心とても別と云ことはない。夫婦之愚可與知。駕舁の女房も知たこと。心の官は思ふと云ても孝はこふする、忠は斯ふすることと思ふ。平坦なり。或人が、それでは垩人らしくないと云たれば、程子の、こなたの淺近で見るのわるいと云も尤じゃが、垩人の詞には近も深もある。いつも々々々深ひと云ことでも、いつも々々々淺いと云ことでもない。近ひで云へば入孝出弟。そっちが内に居るときは親達を大事にしやれ、又、外へ出たら年まし目上に丁寧をせよと云。何も六ヶしいことはない。父母惟病斯憂ふ。からだを大事にしやれと云へば、私か母も左様申ますと云子ばならぬこと。又、深ひ処では殊の外合点のゆかぬことがある。精氣為物遊魂為変の、一隂一陽謂之道。炭を付て来た馬方に云ては、これはと肝をつぶす。若ひが孝をせよよと云と、はい々々と云ふ。これ近い処そ。これは知れたこと。
【解説】
「如一條平坦底道路。詩曰、周道如砥、其直如矢。此之謂也。或曰、聖人之言、恐不可以淺近看他。曰、聖人之言、自有近處、自有深遠處」の説明。道理はすらりとしたもので、難しく言うものではない。道理は心で知る。異端が今の心は役に立たないと言うのは道理が平坦であることを忘れたからである。誰の心も堯舜の心と変わることはない。しかし、聖人の詞には近深がある。近いところで言えば「入孝出弟」であり、深いところで言えば「精気為物遊魂為変」や「一陰一陽謂之道」である。近いところのことはわかり易い。
【通釈】
「一條平坦底道路」。道理とは、何ということもないすらりとしたことだと言うために引用したもの。「砥」は平らなもの。黒ぼくにはでこぼこがある。矢は真っ直ぐ。松の枝は直ぐに曲がる。何故これを引用したのかと言うと、前へ返して見た時に、道理は本町や石町の様に真っ直ぐなものであって、それを難しく言う筈がないからである。異端が本来の面目と言って、今ある心は役に立たないと言うのは平坦を忘れたからである。こちらは堯舜の心であってもそれは別なものだとは言わない。「夫婦之愚可与知」で、それは駕籠舁の女房でも知っていること。心の役目は思うことだと言っても、孝はこうする、忠はこうすることだと思うことであり、平坦なものである。或る人が、それでは聖人らしくないと言ったので、程子が、貴方が浅近で見るのは悪いと言うのも尤もだが、聖人の詞には近も深もある。いつも深いということでも、いつも浅いということでもない。近いところで言えば「入孝出弟」であって、貴方が家にいる時は親達を大事にしなさい。また、外へ出たら老人や目上の人に丁寧をしなさいと言うことで、何も難しいことはない。「父母唯疾之憂」。体を大事にしなさいと言われれば、私の母も左様に申しますと言わないわけにはいかない。また、深い処では殊の外合点の行かないことがある。それは、「精気為物遊魂為変」や「一陰一陽謂之道」である。炭を付けて来た馬方にそれを言っては、これはどうしたことだと肝を潰す。若い者に孝行をしなさいと言うと、はいはいと言う。これが近い処で、分かり切ったこと。
【語釈】
・黒ぼく…火山地方に産する溶滓状の溶岩。庭石に用いる。
・出くま入りくま…凸間凹間。でこぼこ。
・夫婦之愚可與知…中庸章句12。「君子之道費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地」。
・父母惟病斯憂ふ…論語為政6。「孟武伯問孝。子曰、父母唯其疾之憂」。
・精氣為物遊魂為変…易経繋辞伝上4。「仰以觀於天文、俯以察於地理、是故知幽明之故。原始反終、故知死生之説。精氣爲物、遊魂爲變、是故知鬼神之情状」。
・一隂一陽謂之道…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。継之者善也、成之者性也」。

如近處怎生強要鑿教深遠得。近ひことを郷黨篇で云たも、老人が来れば火鉢にあたらしゃれと云たぎりのこと。あれが近遠とて別に深くすることには及ぬ。揚子云々。これが法言にあること。揚雄も只のものてはないから趣向有て垩人之言遠如天賢人之言近如地と云たでもあろふが、さりとは岡つもりな云分なり。論語が孔子で天のやう、孟子が賢人の詞で地の様とも見られぬ。伊川のをれが直して云はふなら、垩人之言其遠如天其近如地。これでよい。性天道や係辞傳のこと、子貢程でも聞とれぬ及もない遠ひこと。地と云は至て近ひこと。手の届くことでつかまるることで、地は子とももはいづる。そこで近ことを地と云。此章何のこともない章なれとも、致知のくるわぬために云たもの。致知のしやうがわるくて浅ひことを深くほると知がくるふ。又、垩人のをもいことを何のこともなくすますと浅はかになる。浅は浅く深ひは深く説が致知の方なり。
【解説】
「如近處、怎生強要鑿敎深遠得。揚子曰、聖人之言遠如天、賢人之言近如地。頤與改之曰、聖人之言、其遠如天、其近如地」の説明。近いことを深くする必要はない。揚子は「聖人之言遠如天、賢人之言近如地」と言ったが、「聖人之言、其遠如天、其近如地」の方がよい。聖人の言には遠近があって、近いことを深くすると知が狂う。また、深いことを近く済ますと浅はかになる。
【通釈】
「如近処怎生強要鑿教深遠得」。近いことを論語の郷党篇で言ったのも、老人が来れば火鉢にあたりなさいと言っただけのこと。あれが近遠だからと言って、別に深くするには及ばない。「揚子云々」。これが法言にある。揚雄も只者ではないから趣向があって「聖人之言遠如天賢人之言近如地」と言ったのでもあろうが、それはまた、的外れな言い分である。論語が孔子で天の様、孟子が賢人の詞で地の様だと見ることもできない。伊川が、俺が直して言うのならと言って、「聖人之言其遠如天其近如地」。これでよい。性天道や繋辞伝のことは子貢ほどの者でも聞き取れず、及びもしない遠いこと。地とは至って近いこと。手の届くことであり、掴まえることのできること。地は子供も這いずる。そこで近いことを地と言う。この章は何のこともない章だが、致知が狂わない様に言ったもの。致知の仕方が悪くて浅いことを深く掘ると知が狂う。また、聖人の重いことを何事もなく済ますと浅はかになる。浅いは浅く深いは深く説くのが致知の仕方である。
【語釈】
・揚子…揚雄。前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。模擬の雄と称せられた。「太玄経」「法言」「揚子方言」「反離騒」「甘泉賦」などがある。前53~後18
・岡つもり…的外れな心算。「岡」は、かたわら。局外。
・子貢程でも聞とれぬ…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・頤…程伊川。

程子が折角斯ふ云ても、上蔡などが吾を忘れて高それを云。或人が上蔡論語を聞たいと云たれば、師冕見ゆをよみた。これを一と趣向と、論語一部はこれですむと云ほどに説れた。あれがさうした深ひことてもないに、さうよむは深くしたのなり。堯舜之道孝悌而已と云は日用切近、ちかいを云たこと。夫を揚亀山が高く説て運水般柴のやふに禪めいてよみた。平坦を忘れたのなり。そこで中庸の序に倍其師説而淫老佛者亦有之と云。爰のあやが大中の或問に挙てある。某が四書の或問抄略にも致知の部に程門を弁した説をのせてをいた。
【解説】
程子がこの様に言ったにも拘わらず、上蔡も楊亀山も高逸れたことを言った。それは平坦を忘れたからである。この綾は大学や中庸の或問にも默斎の四書或問抄略にも載っている。
【通釈】
程子が折角この様に言っても、上蔡などが我を忘れて高逸れたことを言う。或る人が上蔡に論語を聞きたいと言ったので、「師冕見」を読んであげた。これに一趣向入れて、論語一冊はこれで済むというほどだと説かれた。あれはそうした深いことでもないのにそう読むのは、自分で深くしたのである。「堯舜之道孝弟而已」は日用切近で近いことを言ったこと。それを楊亀山が高く説いて、「運水般柴」の様に禅めいて読んだ。それは、平坦を忘れたのである。そこで中庸の序に「倍其師説而淫老佛者亦有之」とある。ここの綾が大学や中庸の或問に挙げてある。私の書いた四書或問抄略にも、致知の部に程門を弁じた説を載せて置いた。
【語釈】
・上蔡…謝上蔡。顕道。良佐。程氏門人。1050~1103
・師冕見ゆ…論語衛霊公41。「師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、與師言之道與。子曰、然、固相師之道也」。
・堯舜之道孝悌而已…孟子告子章句下2。「徐行後長者、謂之弟。疾行先長者、謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣。子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣」。
・揚亀山…楊亀山。伊川の門人楊時。字は中立。号は亀山。
・運水般柴…道元禅師。正法眼蔵神通。「運水搬柴、神通妙用」。ありふれた日常の行為を黙々と続けることに神通妙用がある。
・倍其師説而淫老佛者亦有之…中庸章句序。「惜乎其所以爲説者不傳、而凡石氏之所輯録、僅出於其門人之所記。是以大義雖明、而微言未析。至其門人所自爲説、則雖頗詳盡而多所發明、然倍其師説、而淫於老佛者、亦有之矣」。


第二十六 学者不泥文義の条

學者不泥文義者、又全背卻遠去。理會文義者、又滯泥不通。如子濯孺子爲將之事、孟子只取其不背師之意。人須就上面理會事君之道如何也。又如萬章問舜完廩浚井事、孟子只答他大意。人須要理會浚井如何出得來、完廩又怎生下得來。若此之學、徒費心力。
【読み】
學者の文義に泥まざる者は、又全く背卻して遠く去る。文義を理會する者は、又滯泥して通ぜず。子濯孺子將爲るの事の如き、孟子は只其の師に背かざる意を取るのみ。人は上面に就きて君に事うる道如何を理會せんことを須[もと]む。又萬章が舜の廩を完[おさ]め井を浚[さら]いし事を問うが如き、孟子は只他[かれ]に大意を答えしのみ。人は井を浚いしとき如何にして出で得來りしや、廩を完むるに又怎生[いか]にして下り得來りしやを理會せんと須要す。此の若き學は、徒に心力を費さんのみ。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

器用者が文義にかまわず道理を云ぬく。ずう々々として通るもの。某なと若ひ時此病がありた。背却は云そこなってそむくでない。文義にかまわず書靣を離れて道理を云うち、いつとなく文義と遠りて来ること。背後と云字と同こと。文靣をば御暇申てさきへゆく。器用ものが文義をば只すましにして、文義の外を云こと。直方の荻野庄右門を戒て、知で文義をさばくがよくない、文義から知を出せと云たは背却させぬ為めなり。滞泥は不器用ものにある病。文義に屈託して道理が通らぬ。文義のはたらかぬがこまったもの。迂斎曰、あの人も子を殺されてからめっきり弱りたと云と、夫は何者の手に掛りてと云は働のないからなり。すがき学問上らぬもの。疱瘡でも時疫でも、死子ば殺したのなり。海山と云とどれ程な海、どれほどな山と不器用を云様なもの。それほどなあほふはないが、書の文義にはそれが出る。其事を孟子で思付次第に二つ出した。
【解説】
「學者不泥文義者、又全背卻遠去。理會文義者、又滯泥不通」の説明。文義を離れて道理を言えば、文義から遠ざかってしまう。これを「背却」と言い、器用な者に多い病である。逆に、文義に拘泥すると道理が通らない。これを「滞泥」と言い、不器用な者に多い病である。
【通釈】
器用な者は文義に構わず道理を言い抜いてずんずんと通るもの。私なども若い時分はこの病があった。「背却」は言い損なって背くことではない。文義に構わず書面を離れて道理を言う内に、いつとも知れず文義から遠ざかってしまうことで、背後という字と同じこと。文面から離れて先へ行く。器用な者が文義を簡単に済まして文義の外のことを言うこと。直方が荻野庄右門を戒めて、知で文義を捌くのがよくない、文義から知を出せと言ったのは背却させないためである。「滞泥」は不器用な者にある病。文義に屈託して道理が通らない。文義が働かないのは困ったもの。あの人も子を殺されてからめっきり弱ったと言うと、それは何者の手に掛って殺されたのかと聞くのは文義の働きがないからだと迂斎が言った。すがき学問では上達しないもの。疱瘡でも時疫でも、死ねば殺したのである。海山と言えば、どれ位の海、どれ位の山とつまらないことを言う様なもの。それほどの阿呆はいないが、書の文義にはそれが出る。この事を孟子から思い付き次第に二つの例を出した。
【語釈】
・荻野庄右門…
・すがき…簀垣?簀掻?
・時疫…流行病。はやりやまい。
・海山…恩恵などの深く高いことのたとえ。

子濯孺云々。逢蒙学射於羿さへ殺せはをれが一番じゃと逢蒙が羿を殺した。夫れとは違って同し弓でも子濯孺子は、向の大将が師匠の師しゃとて其日は射ずに来たとある。孟子は師に背ぬを云ぎり々々のこと。夫で市は栄へたと云ことじゃに、夫れを正靣に付ひて師匠は朋友君よりかるい。夫では君へ立まい。孟子の引れたもきこへぬなぞと子濯孺子の咄を垩賢ほとにやかましく云。滞泥なり。又如萬章問云々答他大意。あの様に子を殺そふとした親にも、やが上に舜は孝をしたと云こと。夫れぎりの入用じゃに難問を入れて、其時井戸の蓋をしたにどのぬけ穴から迯たの、羽もないに屋根からどうして飛だのと云て理屈をまく。滞泥ぞ。彼の上の段の其心を易ふせぬ人の云ことなり。今利屈者と云が片意地にをすもの。これが疵物なり。致知の仕様の不調法なもそれなり。却て知がくらむ。
【解説】
「如子濯孺子爲將之事、孟子只取其不背師之意。人須就上面理會事君之道如何也。又如萬章問舜完廩浚井事、孟子只答他大意。人須要理會浚井如何出得來、完廩又怎生下得來」の説明。子濯孺子の話は師に背かないことを言っただけのことで、それを朋友や君子の場と比較するのはよくない。また、萬章の問いに対する答えも舜の孝を述べただけのことであって、井戸や屋根からの逃れ方までを考える必要はない。その様に考えるのは滞泥である。
【通釈】
「子濯孺云々」。逢蒙が射を羿に学んで、羿さえ殺せは俺が一番だと思って羿を殺した。それとは違って同じ弓でも子濯孺子は、向こうの大将が師匠の師だったからとして、その日は弓を射ずに戻ったもの。孟子は師に背かないことの至極を言ったまでのことで、それで目出度しということなのに、それを生真面目に、師匠は朋友や君より軽いもの、それでは君に対して立てないだろう、孟子の引用もよくないなどと子濯孺子の話を聖賢のことの様に喧しく言う。それが滞泥である。また、「如萬章問云々答他大意」。これは、あの様に子を殺そうとした親に、それでも舜は孝をしたということ。孝が重要なのに、そこに難問を入れて、その時井戸には蓋をしてあったのにどの抜け穴から逃れたのか、羽もないのに屋根からどうして飛んだのかなどと理屈を言う。これも滞泥であって、上の段にある「易其心」でない人の言うことである。今、理屈者と言われる人が片意地になって推すものだが、これが疵物である。致知の仕方が不調法なのもそれが原因である。それでは却って知が暗くなる。
【語釈】
・子濯孺…孟子離婁章句下24。「鄭人使子濯孺子侵衞。衞使庾公之斯追之。子濯孺子曰、今日我疾作。不可以執弓。吾死矣夫。問其僕曰、追我者誰也。其僕曰、庾公之斯也。曰、吾生矣。其僕曰、庾公之斯、衞之善射者也。夫子曰、吾生。何謂也。曰、庾公之斯、學射於尹公之他。尹公之他、學射於我。夫尹公之他、端人也。其取友、必端矣。庾公之斯至。曰、夫子何爲不執弓。曰、今日我疾作。不可以執弓。曰、小人學射於尹公之他。尹公之他、學射於夫子。我不忍以夫子之道、反害夫子。雖然、今日之事、君事也。我不敢廢。抽矢扣輪、去其金、發乘矢而後反」。
・逢蒙学射於羿…孟子離婁章句下24。「逢蒙學射於羿。盡羿之道、思、天下惟羿爲愈己。於是殺羿。孟子曰、是亦羿有罪焉」。
・市は栄へた…おとぎ話などの終りに言うことば。めでたし、めでたし。
・萬章問…孟子万章章句上2。「萬章曰、父母使舜完廩、捐階。瞽瞍焚廩。使浚井。出。從而揜之」。
・其心を易…致知25。「凡解文字、但易其心、自見理」。

費心力。此様なは一生むだ骨折なり。知の出世はならぬと云ことなり。大学或問にも識愈多而心愈窒とある。書を讀ぬ前はよかったが段々わるくなると云はるるは、致知の仕方のわるいからぞ。理屈づめでは学問があじにしょげてのび々々とせぬ。前日よみた処に條暢と云てある。知はのび々々としたがよい。植木屋も伸しておいてから手入をする。こせ々々知を磨はわるい。京の学者がさま々々こまかに議論をつめたれば、舍人殿が、をりゃ儒者ではない。壹岐守が家老だ。そんな細なことは知らぬ。ゆるしてくれろと云た。議論はのび々々とするでこそよけれ。直方先生が、うつらぬ学者と咄すは疝気の毒にて候と云れた。
【解説】
「若此之學、徒費心力」の説明。滯泥は無駄な骨折りであって、それでは知が上達しない。知は伸びやかなものでなければならない。
【通釈】
「費心力」。その様なことは一生涯無駄な骨折りであって、知の上達はできないということ。大学或問にも「識愈多而心愈窒」とある。書を読む前はよかったが段々悪くなると言われたのは、致知の仕方が悪いからである。理屈詰めでは学問が悪くしょげて伸び伸びとしない。前日読んだ処に「條暢」とある。知は伸び伸びとしたのがよい。植木屋も伸ばして置いてから手入れをする。こせこせ知を磨くのは悪い。京の学者が様々と細かに議論を詰めたので、舍人殿が、俺は儒者ではなくて壱岐の守の家老だ。そんな細かなことは知らない。許してくれよと言った。議論は伸び伸びとするからこそよい。直方先生が、わからない学者と話すのは疝気の毒だと言われた。
【語釈】
・識愈多而心愈窒…
・條暢…致知3。「更願完養思慮、涵泳義理。他日自當條暢」。
・舍人殿…小野崎舎人。師由。本姓大田原。出羽秋田の人。牛島随筆に「小野崎師由、雅量通長」とある。直方晩年の門人。直方の子就正が秋田の佐竹候に仕えたのは、師由の推挙によったとある。


第二十七 凡觀書不可以相類泥の条

凡觀書、不可以相類泥其義。不爾則字字相梗。當觀其文勢上下之意。如充實之謂美、與詩之美不同。
【読み】
凡そ書を觀るに、相類するを以て其の義に泥む可からず。爾[しか]らずんば、則ち字字相梗[こう]す。當に其の文勢上下の意を觀るべし。充實を之れ美と謂うが如き、詩の美と同じからず。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

似たことの訳の違ふことがあるもの。文字が似たとて、あちのをこちへ持て来るはわるい。分々に見ること。同し字でも意の別を一つにするから字々相梗。某が先日書た押堀の文治が写て持ておる四書の内の道の字の注が処々で皆ちごう。道と云字の注などは違ありさうもないものなれとも、そこが活法なり。所々で説きやうが皆ちごう。此等が道理の根のすんたことでなくてはならぬこと。某前々云、徂莱を律義な不器用と云もここなり。あれほどのことを云て程朱をそしる。律義な不器用と云てはあたらぬ様なれとも、文義のさばきが下手で落ち様を知ぬからなり。程朱をそしるも根は疑からなり。どふもつかへてすまぬから、そこでわるく云。垩賢の書の理はくる々々まわる。程朱は丸ひ知で丸ひ理をぐる々々まわして丁度の処へはめる。そこですっはり合ふ。徂徠は一つ短ひ字をこしらへてどこへもはめたがるから、碁盤をころがす様でまわらぬ。廻らぬ処ではさきをなをす。こちは地頭についてくる々々まわす。直方先生の、朱子は眞赤なうそつきと云るるもそこなり。語類などかそれで、地頭と上下の文意でちこう。
【解説】
字は、似ていても意味の異なるものがあるが、それを同じ意とするから塞がる。文字は場によって、また、上下の文意で違って来るものであり、道理をしっかりと理解していれば間違うことはない。聖賢の書の理は滑らかであり、程朱は丸い知で丸い理をぴったりと合った場に嵌める。徂徠は一つのものを何処へも嵌めたがるからうまく行かない。
【通釈】
似たことに訳の違うことがあるもの。文字が似ているからといって、あちらのをこちらへ持って来るのは悪い。個々に見なさい。同じ字でも意が別なのに、それを一緒にするから「字々相梗」。私が先日書いた、押堀の文治が写して持っている四書にある道の字の注が処々で皆違っている。道という字の注などは違いがありそうもない様だが、そこが活法である。所々で説き方が皆違う。ここ等は道理の根が済んでいなければできないこと。私が前々から言っていることだが、徂徠を律儀な不器用と言うのもここのこと。あれほどのことを言って程朱を譏る。律儀な不器用と言っては的を得た言い方ではない様だが、文義の捌きが下手で落とし所を知らないからそう言う。程朱を譏るのも元々は疑からである。どうも支えてうまく行かないから、そこで悪く言う。聖賢の書の理はくるくる回る。程朱は丸い知で丸い理をぐるぐる回して丁度の処へ嵌める。そこですっぱりと合う。徂徠は短い字を一つ拵えて、それを何処へも嵌めたがるから、碁盤を転がす様で回らない。そこで、回らない処では相手を直す。こちは場に従ってくるくる回す。直方先生が、朱子は真っ赤な嘘吐きだと言われたのもそこのこと。語類などがそれで、場に従って上下の文意で違って来る。
【語釈】
・押堀の文治…吉野文司。
・地頭…当該の場所。現地。

詞は同しことでも違ふもの。よい時分と云はどこへもつかふ。用談はすんだ、最ふよい時分じゃとは、碁打が云へば棋盤のこと、上戸が云へば酒のこと。迂斎曰、今日はゆるさぬと云ても脇指を拔くことてもない。大盃で呑せることなれとも、いつも酒盛と心得て喧嘩の時に酒盛と註をしてはちごふ。そこを見付たは道春なり。垩人の書は活法でなくては通らぬと見て、権現様へ申上けて四書を朱註で行るる様にした。新注を行ふことは勅許の上て無てはならぬことと京都から公家衆咎めのありたときに、権現様の、夫はせまかろふ、どれても人の為めに成る書を行ふがよかろふとの仰にて事すみたとなり。なせこんなことを云なれば、垩人の書は活法で、兎角人の方へ耳に入る様に渡してやることなり。夫には朱注が一よい。論語徴も古義も意味と云ことを知らぬぞ。すべて異学徒は活法を知らぬ。
【解説】
官学として四書の朱子集註を使える様にしたのは道春であり、採用にあたって公家衆が反対したのを抑えたのは家康だった。聖人の書は活法でなければ通らないから、人の耳に入る様にしてやらなければならない。
【通釈】
詞は同じでも意味は違うもの。よい時分と言うのはどこへも使う。用談は済んだ、もうよい時分だとは、碁打ちが言えば碁盤のこと、上戸が言えば酒のこと。迂斎が、今日は許さぬと言っても脇指を抜くことでもないと言った。それは大盃で酒を呑ませることを言ったのだが、いつも酒盛りのことだと心得、喧嘩の時に許さぬと言うのを酒盛りと註をしては間違いである。そこを見付けたのは道春である。聖人の書は活法でなくては通らないと見て、権現様へ申し上げて四書を朱註によって行える様にした。新注を行うことは勅許の上でなければならないことだと京都の公家衆から咎めがあった時に、権現様が、それは狭い考えだろう、どれでも人のためになる書を行うのがよいだろうとの仰せがあって事が済んだそうである。何故こんなことを言うのかというと、聖人の書は活法で、とかく人の方へ耳に入る様に渡してやらなければならないからである。それには朱注が一番よい。論語徴も古義も意味ということを知らない。異学の徒は全て活法を知らない。
【語釈】
・道春…林羅山。
・論語徴…荻生徂徠著。
・古義…伊藤仁斎著。

充實之謂美。孟子ではさても見事な君子しゃと云ことを美と云。詩經では皃のよいこと。泥むと字々梗る。君子小人もそれなり。在位で云ときは桀紂や秦始皇も君子、孔顔も小人なり。成德で云ふときは又其ひっくりかへりなり。迂斎曰、元亨利貞の利の字はよい利の字。放利而行者多怨はわるい利の字。一つと心得ると大まちがいなり。こふしたあやのすむが太極圖説の後論なり。是は急にはすまぬこと。あれがすま子ば吾黨の学者も何にもならぬと合点することそ。
【解説】
美も孟子では君子を指し、詩経では顔のことを言う。君子と小人も「在位」と「成徳」とで言えば逆になる。「利」も「元亨利貞」と「放利而行者多怨」とでは正反対の意となる。ここの綾がわからなければ役に立たない。
【通釈】
「充実之謂美」。孟子では、本当に見事な君子だということを美と言う。詩経では顔のよいこと。泥むと「字字梗」となる。君子と小人の関係も同じである。在位で言う時は桀紂や秦始皇でも君子であり、孔子や顔子は小人だが、また、成徳で言う時はその逆である。迂斎が、「元亨利貞」の利の字はよい利の字。「放利而行者多怨」は悪い利の字だと言った。利の意味は一つだと心得るのは大間違いである。こうした綾が済むためのものが太極図説の後論だが、それは急にはわからないこと。あれが済まなければ、我が党の学者も役に立たないものと合点しなさい。
【語釈】
・元亨利貞…易経乾卦。「乾、元亨利貞」。
・放利而行者多怨…論語里仁12。「子曰、放於利而行、多怨」。


第二十八 問瑩中嘗愛の条

問、瑩中嘗愛文中子。或問學易。子曰、終日乾乾可也。此語最盡。文王所以聖、亦只是箇不已。先生曰、凡説經義、如只管節節推上去、可知是盡。夫終日乾乾、未盡得易。據此一句、只做得九三使。若謂乾乾是不已、不已又是道、漸漸推去、自然是盡。只是理不如此。
【読み】
問う、瑩中嘗て文中子を愛す。或ひと易を學ぶを問う。子曰く、終日乾乾たらば可なり、と。此の語最も盡くせり。文王聖たる所以も、亦只是れ箇[こ]の已まざることのみ。先生曰く、凡そ經義を説くに、如し只管節節推し上り去[ゆ]かば、是れ盡くるを知る可し。夫の終日乾乾は、未だ易を盡くし得ず。此の一句に據らば、只做[な]して九三を得て使うのみ。若し乾乾は是れ已まざるなり、已まざるは又是れ道なりと謂い、漸漸に推し去かば、自然に是れ盡きん。只是れ理は此の如くならず、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

瑩中は、陳了翁の字。名高ひ大儒なり。或者が隋文中子に易はどふ学ぶと云たれば、答に乾九三の終日乾々、あれを合点しやれ、あれですむと云た。これを瑩中が愛すとなり。易はのぞくこともならぬと思ふほどのことを、只あれですみたと一と口にさとしたは手抦で、十人が九人感すること。此語最尽。迂斎曰、問者の詞とみること。是迠了翁へかけることでない。易はこれぎり。易全体がこれですむと云こと。亦只箇不已。文王のことは中庸にも文王之所以為文也純亦不已とありて、萬古かわらぬが文王の德。天地の合紋を象りたも、とんと易の乾々と同こと。文中子から問者と瑩中三人ながら器用なれども、伊川が氣に入らぬ。それ者の了簡は違ふ。易にもかきらずなんても經義を解くに若只管に其手があるもので、節に推上せ去る、ぎり々々の処は爰だ々々ときめる。それでは、易は乾々計ですみ、論語は孔子の学問を進る書じゃ、学而時習ぎりでよいになる。さう云たら云れもせふが、よくない。大学は明德ぎりで新民は付て来る、中庸は天命性と云てすみもせふが役に立ぬ。一つ々々吟味するで益になる。直方曰、迴国が大山へ登て是から箱根、夫のさき三嶋と段々推して、これて尽たと家へ帰る様なもの。品川の問屋塲て、長﨑迠此通りと云ては役にたたぬ。夫では垩賢の書があたま計りになる。近思も無極而太極がすめばよいと云になる。そんなことは高ぞれ名人藝で致知の道でない。
【解説】
「問、瑩中嘗愛文中子。或問學易。子曰、終日乾乾可也。此語最盡。文王所以聖、亦只是箇不已。先生曰、凡説經義、如只管節節推上去、可知是盡。夫終日乾乾、未盡得易」の説明。文中子が易を学ぶには乾卦九三の「終日乾乾」を合点することで済むと言った。経義を解くには只管にするという手段があるが、それでは易は乾乾だけ、論語は学而時習だけ、大学は明徳だけ、中庸は天命性だけ、近思録は無極而太極だけで済むことになる。一つ一つを吟味するのが致知なのである。
【通釈】
瑩中は、陳了翁の字。名高い大儒である。或る者が隋の文中子に易はどの様に学ぶのかと聞くと、それに答えて乾卦九三の「終日乾乾」、あれを合点しなさい、あれで済むと言った。これを瑩中が愛すと言ったのである。易は覗くこともできないと思うほどのことなのに、ただあれで済むと一口に諭したのは手柄であって、殆どの人が感心すること。「此語最尽」。迂斎が、問者の詞として見なさいと言った。これまでを了翁へ掛けて言ったのではない。易はこれだけ、易全体はこれで済むということ。「亦只箇不已」。文王のことは中庸にも「文王之所以為文也純亦不已」とあって、万古変わることのないのが文王の徳。その天地の合紋を象ったところも、全く易の乾乾と同じこと。文中子から問者、瑩中の三人は共に器用な人だが、伊川はこれが気に入らない。優れ者の了簡は違う。易に限らず、何でも経義を解くにはただ只管にという手があるもので、「節推上去」で至極の処はここだと極めることができる。しかし、それでは易は乾乾だけで済み、論語は孔子の学問を進る書だから「学而時習」だけでよいことになる。その様に言えば言えもしようが、それはよくない。大学は明徳だけで新民は付いて来る、中庸は天命性だと言えば済みもしようが、それでは役には立たない。一つ一つを吟味することで益になる。直方が、廻国巡礼が大山へ登り、そこから箱根、その先は三島と段々推して、これで尽きたと家へ帰る様なものだと言った。品川の問屋場で、長崎まではこの通りを行くと言っていては役に立たない。それでは聖賢の書が最初だけのことになり、近思も「無極而太極」が済めばよいと言う様になる。そんなことは高逸れの名人芸で致知の道ではない。
【語釈】
・瑩中…北宋の人。陳灌。号は了翁。諡は忠肅。1057~1124
・文中子…隋の王通の敬称。また、その著「中説」の別称。但し、実はこの書は王通の子の福郊と福畤が纂述したものである。
・乾九三の終日乾々…乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也。知至至之、可與幾也。知終終之、可與存義也。是故居上位而不驕、在下位而不憂。故乾乾。因其時而惕。雖危无咎矣」。
・文王之所以為文也純亦不已…中庸章句26。「詩云、維天之命、於穆不已。蓋曰、天之所以爲天也。於乎不顯、文王之德之純。蓋曰、文王之所以爲文也。純亦不已」。
・合紋…①そろいの紋。②符合すること。③合い言葉。符牒。
・迴国…廻国巡礼の略。

做得九三使ふ。乾々は、九三の陽の塲に陽がをるからけざさの有さうな処。そこを乾々とつとめるでよいと、九三の爻ぶりを見て繋けたもの。做して使ふと云心は、干物を買にやったれば、使の者が注文にはないが臺引にはこれがよいと長芋を買て来てつかふた様なもの。夫へあてたこと。乾々が道共易全躰を云たとも理て云へば云るるが、易の方ではさうではない。理不如此。どれも先祖の子孫だと云ても、夫にも子と云も曽孫と云もある。ちごふぞ。だけれとも、漢唐が文義に泥で多く拘滞して云処を乾々が易たと一と口に形を付たは手に入た様にはみへることぞ。されとも、名人藝やくにたたぬ。
【解説】
「據此一句、只做得九三使。若謂乾乾是不已、不已又是道、漸漸推去、自然是盡。只是理不如此」の説明。乾乾は道や易全体を言ったものとも言えば言えるが、易にその意はない。
【通釈】
「做得九三使」。乾乾は、九三の陽の場に陽がいるから支障のありそうな処。そこを乾乾と努めるのでよいと、九三の爻の姿を見て繋けたもの。做して使うと言う意味は、干物を買わせに遣って、使いの者が注文にはないが台引にはこれがよいと長芋を買って来て使う様なもので、それへ当てたのである。乾乾が道とも易全体を言ったとも理の面で言えば言えるが、易の方にその意はない。「理不如此」。どれも先祖の子孫だと言っても、それにも子も曾孫もあって、そこには違いがある。しかし、漢唐の学者の多くが文義に泥んで拘滞して言っている処を乾々が易だと一口に形を付けたのは手に入れた様には見える。しかしながら、名人芸は役に立たない。
【語釈】
・けざさ…けささ。障害。邪魔。
・臺引…本膳料理に添える引物。


第二十九 子在川上曰の条

子在川上曰、逝者如斯夫。言道之體如此。這裏須是自見得。張繹曰、此便是無窮。先生曰、固是道無窮。然怎生一箇無窮、便道了得他。
【読み】
子川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きかな、と。道の體の此の如くなるを言えり。這[こ]の裏に須く是れ自ら見得べし。張繹曰く、此は便ち是れ窮まり無きことなり、と。先生曰く、固より是れ窮まり無きを道[い]えり。然れども怎生[いかん]ぞ一箇の窮まり無きこと、便ち他[かれ]を道い了わり得ん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

川上歎は孔子の御心にひびいて弟子に振舞たのなり。心にもないひびかぬことで云へば方便説になる。道体流行の間断ない、限りないを見付て、じゃほどに精を出せと道体為学へひびいて示たもの。夫[かな]と云も孔子の御心が夫なり。ひびいたことを云。弟子に精を出せの方へ付けた夫ではない。あれ見よ。昼夜をすてぬぞよ。此通りだと云て示たもの。道之体如此。為堯桀不存亡。いつも雪は白く降ると云様に、道は間断なく流行しておる。その中の人ゆへ自ら精を出さ子ばならぬことじゃはと心付く様になる。これを見て、こちで精を出すこと。飯たきが、旦那が目が醒たぞと云様なもの。傍輩にをきろと云に及はず。をき子ばならぬ。川上の歎は弟子の為と云ても洒掃應對とはちごう。洒掃應對は云付にはづるればあたまをうつ、灸をすへるぞと云てもすむ。川上歎はそれとはちごう。こふきいてはこちから精を出さ子ばならぬこと。夫と云ひびきから昼夜をすてぬと孔子の弟子衆の皃を見て云た。それを程子が又、道之体如此と弟子衆の皃を見て云たもの。
【解説】
「子在川上曰、逝者如斯夫。言道之體如此。這裏須是自見得」の説明。川上の歎は、孔子が心に響いたことを弟子に話したものである。道体の流行は間断がなく、限りないものだから、精を出さなければならない。しかし、それは洒掃応対を言うのとは違い、自ら努力することである。
【通釈】
川上の歎は、孔子が心に響いたことを弟子に振舞ったもの。心にもない響かないことを言えば方便を説くことになる。道体の流行は間断がなく限りないものだと見付けて、それほどに精を出せと道体為学へ響いて示したもの。「夫」と言ったのも孔子の御心が夫であって、心に響いたことを言う。弟子に精を出せという方に掛けた夫ではない。あれを見なさい。昼夜を舍かない。この通りだと言って示したもの。「道之体如此」。「為堯桀不存亡」で、いつも雪は白く降ると言う様に、道は間断なく流行している。その中にいる人だから、自ら精を出さなければならないことだと心掛ける様になる。これを見て、こちらで精を出すこと。飯炊きが、旦那が目を醒ましたぞと言う様なもの。傍輩に起きろと言うには及ばない。自ら起きなければならないのである。川上の歎は弟子のために言ったことであっても洒掃応対とは違う。洒掃応対は、言い付けに外れれば頭を打つぞ、灸をすえるぞと言っても済むが、川上の歎はそれとは違う。この様に聞けば自分から精を出さなければならない。夫という響きから昼夜を舍かずと孔子の弟子衆の顔を見て言った。それを程子がまた、「道之体如此」と弟子衆の顔を見て言ったのである。
【語釈】
・川上歎…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。
・為堯桀不存亡…荀子天論。「天行有常。不爲堯存、不爲桀亡。應之以治則吉、應之以亂則凶」。
・傍輩…同じ主人や師に仕える同僚。転じて、仲間。友達。
・洒掃應對…論語子張12。「子游曰、子夏之門人小子、當洒掃應對進退、則可矣。抑末也。本之則無。如之何」。

張繹曰、思叔の名。若ひとき早合点されて上の条の乾々の心得の様に無窮じゃと云た。人の出合には御膳がとれたの銚子がとれるのと云こともあるが、天地に銚子のとれることはない。是が張思叔の若ひ時ても穎悟な生れ付で云あてたことなれとも、上手得分下手の損、やす々々と根を知らぬ云あてゆへ、云たことがよくてもよいに立ぬ。そこでしかりたもの。固是無窮。云にも及ばぬ。無窮は無究だ。行德川昔からあの通じゃほどにとて、孔子の弟子衆へ云てやりたときに皆が無究々々と計り点をかけては川上歎のありがいはない。その様にやす々々と云たは、とど合点せぬにをちるとなり。
【解説】
「張繹曰、此便是無窮。先生曰、固是道無窮」の説明。張繹は無窮と言ったが、それは根本を知らずに言ったである。無窮であることに間違いはないが、根本を知らずに言うのでは、それを理解したことにはならない。
【通釈】
「張繹曰」、張繹は思叔の名。若い時、早合点されて前条にある「乾乾」の心得の様に無窮だと言った。人の出合いには御膳の足が取れるとか銚子が欠けるということもあるが、天地に欠けるということはない。ここが張思叔の若い時のことで、穎悟な生まれ付きから言い当てたことなのだが、上手の得分は下手の損で、根本を知らず軽率に言い当てたので、言ったことがよくてもそれがよいことにはならない。そこで訶ったのである。「固是無窮」。言うにも及ばないことで、無窮と言えば無窮である。行徳川は昔からあの通りのことだからといって、孔子が弟子衆へ言って遣った時に皆が無窮とばかり点を掛けるのでは川上歎の有難みはない。その様に易々と言ったのでは、結局は合点していないということに詰まる。
【語釈】
・張繹…張思叔。伊川の門人で、高識をもって称せられた。

然怎生一箇無窮云々。是からが引而不發なり。斯ふ云れて張繹がさぞ塵をひ子りつろふ。ああ麄相を云たと氣が付ば、はや発明が出るもの。只無窮と云ては味はない。心をとめて見ると莫太な味あること。莫太な工夫のあること。揚亀山の人欲非性と云たは味のあることであろふと見て仕廻っておけば、後に味の出ることもある。何に人欲が性だろふぞと云へはみんなになる。こなたは無性に酒を呑まるる。甘ひで呑むが辣で呑むかと云は酒を知らぬのぞ。桓温が上戸になぜ其様に酒を呑ぞと云たれば、御手前様酒中の趣を知らぬ人だと云はれた。下戸が酒中の趣を知らぬと云てもはつれではないが、上戸の云たほどにはない。川上歎もそれ者が如此夫とみて油断がならぬと云と、道体も為学も臍落のすること。只無窮と点をかけては味はない。
【解説】
「然怎生一箇無窮、便道了得他」の説明。心を静めて詞をしまっておくと、莫大な味や工夫が出る。軽率に語るのは、下戸が酒のことを問うのと同じであって、知らなければ味は出ない。
【通釈】
「然怎生一箇無窮云々」。ここからが「引而不発」である。こう言われて張繹はさぞ塵をひねっただろう。ああ、粗相を言ったと気が付けば、早くも発明が出るもの。ただ無窮と言ったのでは味がない。心を止めて見ると莫大な味や莫大な工夫がある。楊亀山が「人欲非性」と言ったのは味のあることだろう考えて、それをしまって置けば後に味の出ることもある。何、人欲は性だろうと言えば台無しになる。貴方は無性に酒を飲まれる。甘いから飲むのか辛いから飲むのかと聞くのは酒を知らない者である。桓温が上戸に何故その様に酒を呑むのかと聞くと、お前様は酒中の趣を知らない人だと言われた。下戸が酒中の趣を知らないと言っても間違いではないが、上戸が言うほどには響かない。川上の歎も優れ者が「如此夫」と見て油断がならないと言えば、道体も為学も理解できたこと。ただ無窮だと点を掛けては味がない。
【語釈】
・引而不發…孟子尽心章句上41。「孟子曰、大匠不爲拙工改廢繩墨。羿不爲拙射變其轂率。君子引而不發、躍如也。中道而立、能者從之」。
・塵をひ子り…恥かしさでもじもじしているさまにいう。
・人欲非性…朱子語類101。「龜山言、天命之謂性。人欲非性也。天命之善、本是無人欲、不必如此立説。知言云、天理人欲、同體而異用、同行而異情。自是它全錯看了」。
・桓温…東晋の武将・政治家。字は元子。312~373


第三十 今人不會讀書の条

今人不會讀書。如誦詩三百、授之以政、不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。須是未讀詩時、不達於政、不能專對、既讀詩後、便達於政、能專對四方、始是讀詩。人而不爲周南・召南、其猶正牆面。須是未讀詩時、如面牆、到讀了後、便不面牆、方是有驗。大抵讀書只此便是法。如讀論語、舊時未讀、是這箇人。及讀了、後來又只是這箇人、便是不曾讀也。
【読み】
今の人は書を讀むを會ず。詩三百を誦するも、之に授くるに政を以てして、達せず、四方に使して、專對すること能わず、多しと雖も亦奚ぞ以て爲さんというが如し。須く是れ未だ詩を讀まざる時には、政に達せず、專對すること能わざるも、既に詩を讀みし後には、便ち政に達し、能く四方に專對すべくして、始めて是れ詩を讀みしなり。人にして周南・召南を爲[おさ]めずんば、其れ猶正しく牆に面するがごとし。須く是れ未だ詩を讀まざる時は、牆に面するが如くなるも、讀み了わりし後に到りては、便ち牆に面せざるべくして、方[はじ]めて是れ驗有るなり。大抵書を讀むには只此のみ便ち是れ法なり。論語を讀むが如き、舊時未だ讀まざるに、是れ這箇[しゃこ]の人なり。讀み了わるに及び、後來又只是れ這箇の人なるは、便ち是れ曾て讀まざるなり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

此の並も面白ひ。上の陳瑩中の条がさへたことを云へば、さへぬ様な返事をする。其次にさへたことを云へは、半分返事を云ておく。此条では書の讀様のさへぬことを云。今人不會讀書。書を讀むことがをぬしたちは得ならぬと思と云たれば、私等は若ひ時からよんで吟味しておるにと云と、いや、をぬし達はそうでないと思ふはなせと云へば、詩は人情に通して政は手もなく成る筈じゃに、詩經をよんでも月番も勤らぬなら讀ぬも同前。他国へ君からの御使は晴れなこと。使の口上取まわして旦那の外聞国の光にもなる。さきの国で饗應に詩經をうたへば、又こちも詩經であいさつすることもありて、あの国にはよい人がある、手は付られぬと云ほどのことも詩經でなること。それがならぬは不會讀書じゃとたたりたもの。大学にある楚国無以為宝惟善以為宝なと云た。詩經をよんただけのはたらきなり。使に行ても歩仲間と同く只子い々々と云ばかりでは、使四方とは云れず。詩のしるしはない。こなたは雎鳩はこふ云鳥の、芣苡はこふした草じゃなどと云たろふとつめたもの。それは畢竟よまぬも同前じゃとなり。上の章はまだ致知にまぎらがなる。此章は紛らのならぬ様に事を出してじっかり々々々々と致知を事実できめたもの。致知を空にせぬ手段ぞ。
【解説】
「今人不會讀書。如誦詩三百、授之以政、不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。須是未讀詩時、不達於政、不能專對、既讀詩後、便達於政、能專對四方、始是讀詩」の説明。たとえば詩経は人情に通じており、それを外交に用いればうまく行く筈なのに、それができないのは書を読むことができないからであって、それでは書を読まないのと同じである。この章は致知に紛れが出ない様に、事柄を例に出して述べたものである。
【通釈】
ここの並べ方も面白い。上の陳瑩中の条では、冴えたことを聞くと冴えない様な返事をし、その次の条では、冴えたことを聞くと、生半可な返事をして置き、この条では書の読み方が冴えないことを言う。「今人不会読書」。お前達は書を読むことができていないと思うと言えば、私等は若い時から書を読んで吟味をしているのにと言う。そこで、いや、お前達がそうでないと思うのは何故かと言えば、詩は人情に通じたものだから政も簡単にできる筈なのに、詩経を読んでいて月番も勤まらないのなら、それは読まないも同然だからである。他国への君の御使者は晴れがましいこと。使いが口上や所作をうまくやれば、旦那の面目も立ち、国の光にもなる。相手先の国で饗応に詩経を詠えば、また、こちらも詩経で挨拶をすることもあって、あの国にはよい人がいるから手は付けられないというほどのことも詩経によってできること。それができないのは「不会読書」だと祟ったのである。大学にある「楚国無以為宝惟善以為宝」などの語は、詩経を読んだ分だけの働きのことである。使いに行っても歩き仲間と同じく、ただねえねえと言うばかりでは「使四方」とは言えず、詩の験はない。貴方は、雎鳩はこういう鳥、芣苡はこうした草と言うのだろうと勉めただけであって、それでは畢竟読まないことと同然だと言ったのである。上の章はまだ致知に紛れが入る。この章は紛れのできない様に事を出してじっくりと致知を事実で決めたもの。それは致知を空論にしない手段である。
【語釈】
・楚国無以為宝惟善以為宝…大学章句10。「楚書曰、楚國無以爲寶、惟善以爲寶」。
・雎鳩…詩経周南関雎。ミサゴの漢名。
・芣苡…詩経周南に芣苡がある。
・誦詩三百、授之以政、不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲…論語子路5。

周南召南云々。此の牆に向た様なと云も、詩をよまぬときはさうでもあろふが、讀でからは家内迠も睦鋪なる筈。名物度數のすんだ計りでしるしはないなら、藥を百服呑でもきかぬ様なもの。大抵讀書云々。上に詩經のことを二つ出して、詩經には限らぬ、如讀論語云々。よんたときもよまぬときも這箇人。かわることもないと云なら、とどよまぬと云もの。濱見物は見たときも見ぬときも同じことでもよいが、論語はからだを建立するもの。それではすまぬ。直方曰、酒を呑で醉ぬ様なもの。ほっこりとするでなくては酒の能はない。分な男ぶりになればよんだのぞ。某が考に、とどよんだしるしの見へる様にすること。講釈を一坐もかかぬ人もあろふ。又、闕た人は此間の為学は残念と云。此はきいたはすむ、闕坐の処はすまぬから残念と云ふも尤なことなり。されとも久しく過ると聞た処も聞ぬ処も一つになるもの。夫れは聞た処の形の付様がぐにゃ々々々にしておくからなり。論語の知之為知之不知為不知は十なものを九分はっきと知たと形をつけ、一分のこりて知れぬははっきと知れぬと形を付ること。そこで挌別の手がかりにはいこふよいこと。此條はこれを大きく形を付ること。器用めいてゆくことでない。
【解説】
「人而不爲周南・召南、其猶正牆面。須是未讀詩時、如面牆、到讀了後、便不面牆、方是有驗。大抵讀書只此便是法。如讀論語、舊時未讀、是這箇人。及讀了、後來又只是這箇人、便是不會讀也」の説明。詩経に限らず論語でも、読んでその効果が出ないのなら、それは読まないのと同じである。知ったことと知らないことをはっきりと分けるのが知の手掛りとなる。
【通釈】
「周南召南云々」。ここで牆に向かった様だと言うのも、詩を読まない時はそうでもあろうが、読んでからは家内までもが睦まじくなる筈。名物度数を済ませるだけで験がないのなら、薬を百服飲んでも効かない様なもの。「大抵読書云々」。先に詩経のことを二つ出して、詩経には限らず、「如読論語云々」。読んだ時も読まない時も「這箇人」で変わることがないと言うのなら、結局は読まないのと同じ。濱見物は見た時でも見ない時でも同じでもよいが、論語は体を建立するものだから、それでは済まない。直方が、酒を飲んで酔わない様なものだと言った。ほっこりとするのでなくては酒の能はない。相応の男振りになれば読んだことになる。私が考えるに、つまりは読んだ効果が見える様にすること。講釈を一座も欠かない人もあるだろう。また、欠いた人はこの間の為学は残念だったと言う。ここは聞いた処であれば済み、座を欠いた処は済まないから残念だと言うのも尤もなこと。しかし、時が経つと聞いた処も聞かない処も一緒になるもの。それは、聞いた処の片の付け様をぐにゃぐにゃにして置くからである。論語の「知之為知之不知為不知」は、十なものを九分まではっきりと知ったと片を付け、一分残ってわからないことははっきりとわからないと片を付けること。そうすれば、知の手掛かりに格別によい。この条は知に大きく片を付けることで、器用めいてすることでない。
【語釈】
・周南召南…論語陽貨10。「子謂伯魚曰、女爲周南・召南矣乎。人而不爲周南・召南、其猶正牆面而立也與」。
・知之為知之不知為不知…論語為政17。「子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也」。


第三十一 凡看文字云々条

凡看文字、如七年・一世・百年之事、皆當思其如何作爲。乃有益。
【読み】
凡そ文字を看るに、七年・一世・百年の事の如き、皆當に其の如何に作爲さるるかを思うべし。乃ち益有らん。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二にある伊川の語。

前条は手前を見ること。此条は垩賢の上を見ることなり。垩賢の書をよむものは由て来る処をとっくりと見ることぞ。善人教民七年亦可以即戎と云は、よい人で国を治れば民が一命をすてやうと云こと。これか牛部屋から牛を引出すでなく、吾方から君の為に命をすてること。すれば大きいことなり。一世と云は王者必世而後仁のこと。垩人が世の中に出て三十年ならば、世間の人が皆仁になるとなり。天下中の人が人我の隔がなくなりて、行者讓路耕者讓畔。これはそちのだと云様になる。これは又大ひことなり。善人為邦百年亦可以勝残去殺。百年と云になればわるい者はなくなって、刑罸で人を殺す様なことはなくなるたろふと云た。これらを只通すは上野の中堂の下をくくりて通る様なもの。職人はどふ組立たと見る。如何作為すと心をつけるがよい。書面で合せては益にはならぬ。京の大佛の礎、石垣の石を見ても、只のものは大きな石と云たぎり。石屋や日傭頭はどふすれば取れると見る。心を付るなり。直方曰、普請奉行も只人足を多く入るるは下手なもの。思はぬ奉行なり。今日は何人でよい、多くは無用と云は思たなり。俗学はさら々々見て作為如何と思はぬ。
【解説】
聖賢の書を読む場合は、文面を見るだけではなく、聖人はどの様にして作為したのかを心に引き付けて思わなければ、読んだ益はない。
【通釈】
前条は自分のことを見ることを言い、この条は聖賢のことを見ることを言う。聖賢の書を読む者は、その由って来る処をとっくりと見なければならない。「善人教民七年亦可以則戎」とは、善い人で国を治めれば民が一命を棄てようともするだろうということ。これは牛部屋から牛を引き出す様なことではなく、自分の方から君のために命を棄てるということ。それで大きなことなのである。「一世」とは「王者必世而後仁」のこと。聖人が世の中に出て三十年経てば、世間の人が皆仁になると言う。天下中の人に人我の隔てがなくなって、「行者譲路耕者譲畔」。これはお前のだと言う様になる。これもまた大きなことである。「善人為邦百年亦可以勝残去殺」。百年という様になれば悪い者はいなくなって、刑罰で人を殺す様なことはなくなるだろうと言った。これ等を単に見るだけでは、上野の中堂の下を潜って通る様なもの。職人はどの様に組み立てたのだろうと見る。「如何作為」と心を付けるのがよい。文面を見るだけでは益にはならない。京都の大仏の礎や石垣の石を見ても、普通の者は大きな石だと言うだけだが、石屋や日傭頭はどうすれば取れるのかと見る。それは心を付けたのである。直方が、普請奉行もただ人足を多く入れるのでは下手な思わない奉行である。今日は何人でよく、多くは無用だと言うのは思ったのだと言った。俗学はさらさらと見て作為如何とは思わない。
【語釈】
・善人教民七年亦可以即戎…論語子路29。「子曰、善人教民七年、亦可以即戎矣」。
・王者必世而後仁…論語子路12。「子曰、如有王者、必世而後仁」。
・三十年…論語子路12集註。「三十年爲一世」。
・行者讓路耕者讓畔…小学外篇嘉言。「古靈陳先生爲仙居令敎其民曰、爲吾民者父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、夫婦有恩、男女有別、子弟有學、郷閭有禮、貧窮患難親戚相救、昏姻死喪鄰保相助、無堕農業、無作盗賊、無學賭博、無好爭訟、無以惡陵善、無以富呑貪、行者讓路、耕者讓畔、斑白者不負戴於道路、則爲禮義之俗矣」。
・善人為邦百年亦可以勝残去殺…論語子路11。「子曰、善人爲邦百年、亦可以勝殘去殺矣。誠哉是言也」。
・上野の中堂…寛永寺根本中堂?


第三十二 凡解經不同無害条

凡解經、不同無害。但緊要處、不可不同爾。
【読み】
凡そ經を解くに、同じからざるも害無し。但緊要の處は、同じからざる可からず。

書は見様よみやうでそれ々々に違ふものなれとも、大事のぎり々々の処に違がなければよい。緊要の処が違ふてはどふもならぬ。そこで、陸象山、王陽明、仁斎、徂徠を辨ずると云も少の処のことではない。緊要が違ふから弁じたもの。迂斎曰、緊要は扇の要、磁石の北へ向くのなり。扇も要さへあれば、繪がらはわるくとも登城にも持るる。磁石も細工はわるしとも、北へ向けばつかはるる。北へ向ぬと云にはどふもならぬ。大学或問にある通り、古今の弁義利の分の処がちごふてはどふもならぬ。儒佛も王伯もみんなになる。山﨑先生以来直方先生、夫から石原の先生迂斎迠、近思の説様は夫々なれとも、緊要にちがいはないから道学と云てつづく。書をよむ上の致知の棟上けが此緊要の処のことじゃ。
【解説】
緊要とは、扇の要、磁石が北に向く様な根本の処である。書は見方や読み方によって意が異なってくるが、緊要の処に違いがなければよい。崎門の先生の説き方は様々だったが緊要の処は違わなかったから道統なのである。そして、他派を弁駁するのは、その緊要の処が違うからである。
【通釈】
書は見方や読み方によってそれぞれに異なって来るものだが、大事なぎりぎりの処に違いがなければよい。緊要の処が違ってはどうにもならない。そこで、陸象山や王陽明、仁斎や徂徠を弁駁するのも些細な処に関してのことではなく、緊要が違うから弁じたのである。迂斎が、緊要は扇の要、磁石の北へ向くのと同じだと言った。扇も要さえあれば、絵柄が悪くても登城にも持って行くことができる。磁石も細工は悪くても、北へ向けば使うことができる。北へ向かなければどうにもならない。大学或問にある通り、古今の弁、義利の分の処が違ってはどうにもならない。儒者や仏者、王伯との違いも台無しになる。山﨑先生以来直方先生、それから石原先生や迂斎まで、それぞれに近思の説き方があったが、緊要に違いはないから道学と言って続く。書を読む上での致知の棟上げがこの緊要の処である。


第三十三 焞初到問為学之方条

焞初到、問爲學之方。先生曰、公要知爲學、須是讀書。書不必多看、要知其約。多看而不知其約、書肆耳。頤縁少時讀書貪多、如今多忘了。須是將聖人言語玩味、入心記著。然後力去行之、自有所得。
【読み】
焞初めて到りしとき、學を爲すの方を問う。先生曰く、公學を爲すを知らんことを要めば、須く是れ書を讀むべし。書は多く看るを必とせず、其の約を知らんことを要す。多く看るも其の約を知らざれば、書肆のみ。頤少[わか]き時書を讀みて多きを貪るに縁り、如今忘れしこと多し。須く是れ聖人の言語を將[もっ]て玩味し、心に入れて記著[きちゃく]すべし。然して後に力め去[ゆ]いて之を行わば、自ら得る所有らん。

尹彦明の初出合のときのこと。伊川の七十計で、尹氏は若ひ時なり。見る様に思はるるぞ。こなた学問をするなら兎角書をよめと云た。書をよめは俗学も云こと。こちで書をよめと云は伊川の趣向なり。俗学は書をはなすと動はとれぬ。吾黨には書をのけても学問のなる仕方もある。そこでよめと云たは伊川で、よみては尹彦明なり。趣向のあることぞ。不必と、不の下に必があれば必しもと云ことになる。医者か灸を必しも千すへるにも及ぬと云様なもの。知約。江戸見物が江戸中見様と云てもすまぬ。そこで馬喰丁の宿屋が先つ約を見せる。今日は芝へはをそい。上野へござれと云。約は跡へ廻ることなれとも、先約と云が致知上手なり。世間のは約を知らぬ。致知下手なり。浅草の観音を見たと云へは江戸を見物したになる。朱子が、始が先つ約で夫から中でひろげてしまいが又約なりと云れた。下坐見も御老中から覚る。始に約を見せぬと致知がくるふ。只今の学者は約を知ぬから道理に入らぬ。俗学が史記左傳無性に博くよませる。約を知らぬ。
【解説】
「焞初到、問爲學之方。先生曰、公要知爲學、須是讀書。書不必多看、要知其約」の説明。学問をするのなら書を読まなければならない。しかし、書を読むに当たっては、約を知ることが必要である。朱子は、始めが約でそれから中で博げて、終わりがまた約だと言われた。約を知らなければ、道理に入ることはできない。
【通釈】
尹彦明が伊川に初めて出会った時のこと。伊川が七十歳の頃で、尹氏は若かった。見た様に思うことができる。貴方が学問をするのなら、とかく書を読めと言った。書を読めとは俗学でも言うこと。こちらで書を読めと言う内には伊川の趣向がある。俗学は書から離れると動きがとれない。我が党には書を除けても学問が成る仕方もある。そこで、読めと言ったのは伊川で、読み手は尹彦明であり、それには趣向のあること。「不必」と、不の下に必があれば必ずしもという意になる。医者が灸を必しも千すえるにも及ばないと言う様なもの。「知約」。江戸見物で江戸中を見ようと言っても、それはできないこと。そこで馬喰丁の宿屋が先ず約を見せる。今日は芝に行くには遅すぎる。上野へ行きなさいと言う。約は後へ廻ってのことだが、先約というのが致知上手である。世間の人は約を知らないから致知下手である。浅草の観音を見たと言えば江戸を見物したことになる。朱子が、始めが先約で、それから中で博げて、終わりがまた約だと言われた。下座見も御老中から覚える。始めに約を見せないと致知が狂う。只今の学者は約を知らないから道理に入らない。俗学が史記や左伝などを無性に博く読ませるのは約を知らないからである。
【語釈】
・下坐見…江戸時代、江戸城の見付その他の番所の下座台で、諸大名・老中・若年寄・両目付などの行列の通過往来を見て下座の注意を与えた足軽。

書肆耳。出雲寺須原屋なり。学者が書物屋に似たがある。いくらよんでも心身の益には少もならぬ。知ることをきわめはせずに、知ることの数のふへる計りなり。書物屋はうろたへた儒者の及ぬほと書名などは知ても中を知らぬから、排釈録を賣て、又其手で法蕐經を出す。藥種屋は医者も知らぬ藥迠知ても療治はならぬ。俗学がいくらよんでも身の益にならぬは約を知らぬからのこと。丁度忙ひ中で大勢に近付になるやうなもの。どれがどれやら知れぬ。これが亭主、これが名主と約を知れば、却て夫から知るるもの。皆を覚たがるから皆が知れぬ。直方先生、淺見先生などのあの様になりたも初對面に約を知たからなり。初て其村へ行ても、先つ當日の亭主の、名主のと覚れば、はや途中で逢ても先日は御馳走とも云はるる。夫からは、跡のものも知るるぞ。読書貪多。伊川の好学論が十八の時じゃとある。蹴出しが違ふ。伊川にはこんなことはあるまいが、をれも前はむだをしたと云るる。垩賢が得手こんなことを云もの。若ひときの貪りだけは皆忘れたとなり。
【解説】
「書肆耳。頤縁少時讀書貪多、如今多忘了」の説明。書を多く読むだけなら、それは書店と同じで、書の内容はわからない。伊川も若い時に多くの書を貪ったが、それらは皆忘れてしまったと言った。約によって書を読む筋を知らなければ身に付かない。
【通釈】
「書肆耳」。書肆は出雲寺や須原屋である。学者にも書物屋に似た者がいる。それでは、いくら読んでも心身の益には少しもならない。知ることを窮めずに、知ることの数が増えるばかりである。書物屋は狼狽えた儒者には及びもしないほどに書名などは知っていても内容を知らないから、排釈録を売って、またその手で法華経を出す。薬種屋は医者も知らない薬までをも知っているが療治はできない。俗学がいくら読んでも身の益にならないのは、約を知らないからである。丁度、それは忙しい中で大勢の人と近付きになる様なもの。誰が誰やらわからない。これが亭主、これが名主と約を知れば、却ってそれから大勢を知ることができるもの。全部を覚えたがるから全部がわからない。直方先生や浅見先生などがあの様になったのも初対面の際に約を知っていたからである。初めての村へ行っても、先ず当日の亭主や名主を覚えれば、途中で逢っても先日は御馳走になったと早くも言うことができる。それからは、他の者も知ることができる。「読書貪多」。伊川の好学論は十八の時のものだとあって、始めが違う。伊川にはこんなことはないだろうと思えるが、俺も前は無駄なことをしたと言われた。聖賢がよくこの様なことを言うもの。若い時の貪りだけは全部忘れたと言った。
【語釈】
・書肆…書店。
・出雲寺…毘沙門堂。京都市山科区にある天台宗の門跡寺院。703年(大宝三)奈良に創建。書籍が多い。
・須原屋…書店の名
・排釈録…佐藤直方著。
・好学論…為学3。
・如今…只今。

玩味。哥人がよい哥を又もや々々々と玩味するでよい哥が出る。只哥の数を覚たとて哥には入らぬ。玩哥から入る。忘るると云はへだ々々なり。人のことだから忘るる。吾名を忘るることはない。玩味ではこちのものになる。力去行之。吾心へ入りてとけ々々となりたから、力め行ふなり。垩賢の言語がこちのものになるは一つになりたなり。昔咄のやうになるは分々だからなり。尹氏に初對面で、程子のこれを云て尹氏か聞入れたから此通りになりた。其証拠が為学に載りてある。見伊川半年とある。あの半年の字の前の半年はここの筋を玩味したもの。其後大学西銘を持て引込れたも別に方組は入らぬ。今迠知りたことを玩味するでよいと見たもの。それと云も、半年の間の咄を玩味したからなり。まだある。尹氏が心廣體胖の字を長吟すると云てあり。あの律義で、哥を謡ふやふに云れた。玩味から心に入った処なり。又門人が尹氏のことを書ひたに、先生は垩賢之言語を得られた段は耳順心得て如誦己言となり。語孟のことが腹から出る様に聞へたと云てある。皆此玩味から来たこと。さうした腹のじっかり々々々々とゆく工夫から。玩味のしるしがまだある。程子の体用一源顕微無間の語をきいて、天機が洩れます々々々々と云てさへやった。これが游定夫か又は上蔡などには有りそうなこと。さへた器用ものの器用を云ひ、又、はづむ人のはづむはきこへたが、尹彦明など貞実な不器用底なものの器用を云は玩味からさへの出たもの。直方先生の弟子でも、永井先生や沢一があの貞実でさへを云たは玩味から出たもの。
【解説】
「須是將聖人言語玩味、入心記著。然後力去行之、自有所得」の説明。玩味することで自分のものになる。そこで力め行うのである。律儀な尹氏が後に冴えたことを言うことができたのも玩味からのことであり、永井先生や沢一が冴えたことを言ったのもそれと同様である。
【通釈】
「玩味」。歌人はよい歌を作るために何度も苦心して玩味するからよい歌が出る。ただ、歌の数を覚えたとしても歌には入らない。歌を玩味するから入る。忘れるとはへたること。人だから忘れることもあるが、自分の名を忘れることはない。玩味で自分のものになる。「力去行之」。自分の心へ溶け入ったから、力め行うのである。聖賢の言語が自分のものになるのは一つになったということ。それが昔話の様になるのは別々だからである。程子が初対面の場で尹氏にこれを言って、尹氏がこれを聞き入れたからこの通りになった。その証拠が為学に載っていて、「見伊川半年」とある。あの半年はここの筋を玩味したもの。その後大学西銘を持って引き込まれたことについても別な方法は要らなかった。今まで知ったことを玩味するだけでよいと見たもの。それと言うのも、半年の間の話を玩味したからである。まだある。尹氏が「心広体胖」の字を長吟したとある。あの律儀な人が、歌を謡う様に言われた。それは玩味から心に入った処である。また、門人が尹氏のことを書いたものに、先生が聖賢の言語を得られた段では、耳順心得て己が言を誦じるが如しとあり、語孟のことが腹から出る様に聞こえたとある。それは皆、この玩味から来たこと。そうした腹のじっくりと行く工夫からのことである。玩味の験はまだある。程子の「体用一源顕微無間」の語を聞いて、天機が洩れますと冴えたことを言った。これは游定夫か上蔡などにはありそうなこと。冴えた器用者が器用なことを言い、また、弾む人が弾むのはわかるが、貞実で不器用底な尹彦明などが器用なことを言うのは、玩味から冴えが出たからである。直方先生の弟子で貞実な永井先生や沢一が冴えたことを言ったのも、玩味から出たことなのである。
【語釈】
・見伊川半年…為学75。「尹彦明見伊川後、半年方得大學西銘看」。
・方組…薬の調合法。処方。また、処方箋。
・心廣體胖…大学章句6。「曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。
・耳順心得て如誦己言…
・体用一源顕微無間…致知49の語。
・天機が洩れます…天の機密をもらす意から、重大な秘密をもらす。
・游定夫…名は酢。字は定夫。
・上蔡…謝上蔡。名は良佐。字は顕道。
・永井先生…永井隠求。行達。三右衛門。1689~1740。
・沢一…大神沢一。佐藤直方門下。筑前佐原郡原村の人。幼年にして盲目となる。始めは貝原益軒、林大学に学ぶ。享保10年12月1日42歳にて没。

今の学者のさへたがるは口眞似なり。自得ではない。をれは講釈が下手じゃの、弁がわるいから云とれぬのと云は、とどすみやうのわるいなり。自得と云は、いやと云れぬもの。不器用なものは不器用形りな自得が出るもの。それが却て靣白ひもの。程門ても范淳夫は平易明白て講釈か上手なれとも大間なり。尹氏は不器用で講釈は下手なれとも、高宗の御前でも胸へひびく。きやり々々々と云ことを簡古に云たるはさすが尹彦明なり。そこは尹彦明に教へた程子、程子に習ふた尹彦明。精義の中にある説、皆經筵の説なり。皆致知の方を得たもの。朱子も稱美されたなり。
【解説】
尹氏は不器用で講釈は下手だったが、高宗の御前でも胸へ響く講義をした。それは彼が自得していたからである。
【通釈】
今の学者が冴えたことを言いたがるが、それは口真似であって「自得」ではない。俺は講釈が下手だとか弁が悪いからうまく言えないと言うのは、結局は理解の仕方が悪いのである。自得とは、いやとは言えないもの。不器用な者は不器用なりな自得が出るもので、それが却って面白いもの。程門でも范淳夫は平易明白で、講釈は上手だったが大雑把だった。尹氏は不器用で講釈は下手だったが、高宗の御前でも胸へ響いた。胸に響くことを簡古に言ったのは、流石に尹彦明である。そこは尹彦明に教へた程子、程子に習った尹彦明。今言ったのは精義の中にある説で、皆経筵の説であり、皆致知の仕方を得たこと。朱子もこれを称美された。
【語釈】
・范淳夫…名祖禹。程門高弟。
・きやり…胸など痛んでさしこむさま。はらはら心配するさま。きやきや。
・簡古…簡単で古色をおびていること。