第三十四 初学入德門の条  十一月朔日  纎邸文録
【語釈】
・十一月朔日…寛政2年庚戌(1790年)11月1日。
・纎邸文…林潜斎。花沢文二。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

初學入德之門、無如大學。其他莫如語・孟。
【読み】
初學の德に入る門は、大學に如くは無し。其の他は語・孟に如くは莫し。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。

先會の処の致知は書の讀やふを云、今日の所からあとは書の讀やうの部を分けて示せり。此条などが小学にも載て某當春も讀たか、小学はこれを守ること。近思てはいかにもと胷へすますことなり。小学で聞ときは、大学は入口じゃ、畏りました。近思では、そふなふては学問てはない筈と聞わけぬと訳がつかぬ。小学は守り、近思は知惠の書なり。近思に向て廻状に点ではうれしくない。先輩も云通り、門を知ぬゆへ屋鋪の外郭をあるいて学問上らぬなり。人家の入口を知ず、屋敷のまわりくる々々めくりては、亭主に近付にはならぬ。今日屋鋪のまわり計廻ってあるくものはないことて、たま々々あらは狐に引れたのて、其やうなものなけれとも、学者にはそれかありて亭主を知ぬが多ひ。
【解説】
「初學入德之門」の説明。門を知らなければ屋敷の周りを廻っているばかりでいるのと同じ。学問を始めるには入口を知らなければならない。その入口は大学である。
【通釈】
前会の処の致知は書の読み方を言い、今日の所から後は書の読み方について、部を分けて示したもの。この条などが小学にも載っていて、私が今春も読んだが、小学ではこれを守ることを言い、近思ではいかにもその通りだと胸へ済ますことを言う。小学で聞く時は、大学は入口だということを畏まりましたと言って納得する。近思では、そうでなければ学問ではない筈だと聞き分けるのでなければ筋が通らなくなくなる。小学は守りであり、近思は知恵の書である。近思に向かっていながら、廻状に点を付ける様なことでは嬉しくない。先輩も言う通り、門を知らないから、屋敷の外郭を歩いているばかりで学問が上がらないのである。人家の入口を知らずに屋敷の周りをくるくる廻っていては、亭主と近付きにはなれない。今日屋敷の周りばかりを廻って歩く者はいないが、偶々それがあれば狐に引かれたのであって、その様な者もいない筈だが学者にはそれがあり、亭主を知らない者が多い。

さて、ここをもふ一つ氣をつけて大学の入口はどふと聞ふことなり。程子の入德之門と計聞て、それぎりでは役にたたぬ。それにも又入やうがあろふと云が近く思なり。入德の門は大学。大学に入る門は何なれば、其入口が致知挌物なり。学問しても致知へ一つ精釈なければ尤ごかしになり、垩賢の道は得られぬ。挌物致知、大学の大学たる処。致知が甲斐なく、たん々々人品がよくなると、我を忘れて我を垩人のやふに思ふ学者もあるが、それは知惠なしにわるびの付たなり。直方先生、ごずみのかれたやうと云。先知惠なしの元祖が告子にて、知を研かずに德に入ふと云。中頃より陸象山、王陽明かそれなり。仁斎があれをそしりながら、我やっはり王陽明を継だなり。告陸王仁斎を幷へて排するが直方の学なり。仁斎大学を孔子の遺書でないと云が致知挌物へ疑がついたからのこと。良知の学か告子か異端に始りて陸王より仁斎に成就したか、皆大学を知らぬからなり。
【解説】
学問の入口は大学だが、その大学に入るための門は致知格物である。近思録は知恵の書であって、致知なしで学問をするのは、知恵なしの学である。知恵なしの学は告子に始まって陸王を経て仁斎で成就したが、皆大学を知らないからそうなったのである。
【通釈】
さて、ここをもう一つ気を付けて、大学の入口はどこかと聞かなければならない。程子の言った「入徳之門」を聞いただけでは役に立たない。それにもまた入り方があるだろうと言うのが近く思うこと。入徳の門は大学であり、大学に入る門は何かと言うと、その入口が致知格物である。学問をしても、致知への精釈がなければ尤もごかしになり、聖賢の道は得られない。格物致知が大学の大学たる処。致知の甲斐ないままに段々と人品がよくなると、我を忘れて自分を聖人の様に思う学者もいるが、それは知恵なしで悪くなったのである。直方先生が後炭の枯れた様だと言った。先ず知恵なしの元祖が告子で、知を研かずに徳に入ろうと言う。中頃からは陸象山と王陽明がそれ。仁斎は彼等を譏ったが、彼もやはり王陽明を継いだのである。告子や陸象山、王陽明、仁斎を並べて排するのが直方の学である。仁斎は大学を孔子の遺書ではないと言うが、それは致知格物へ疑が付いたからである。良知の学が告子という異端に始まって陸王を経て仁斎で成就したが、皆大学を知らないからそうなったのである。
【語釈】
・尤ごかし…何事にも「御尤も」と言って、人の意をむかえること。
・ごずみ…後炭。茶道で濃茶がすんで薄茶に移るまでに、再び炭をついで湯が沸き立つようにすること。

無如大学云々。ここが深ひあやはない。致知挌物より入子ばならぬことを云ふ。知のないのはやくにたたぬ。無如大学と云て、この致知挌物の初入か主意なり。大学の条目を幷へたが大学の大学たる処。論孟は一時の咄。次第の跡先きはない。八条目をたてて、致知からてなければ先きへ通さぬ。この方で去きらいはならぬ。品川川﨑いやと云はれぬ。品川をすてて京へ行やふはない。大学が垩学の入口。所謂道中記なり。論孟の方は大学のやうに次第がない。道理の違はなけれとも、順のあることなり。此章、致知の篇で第一の大切にあつかる。是迠致知の篇を三席讀だが、書物に掛ては此条か大切。ここに疑があると学問の成就はない。致知挌物を知ぬを迂斎の首のない学者と云へり。人抦よく夢は見ますまいと云れても、天窓なしに誠になろふの、君子にならふのと思は、眞の闇を行燈なしにあるくなり。とどどぶへ落る。そこて致知からてなけれはならぬ。序てによって、この章を讀書の次第始にのせり。
【解説】
「無如大學。其他莫如語・孟」の説明。大学には八条目という次第があり、それは格物致知から始まる。一方、論孟は道理自体は同じだが、次第がない。学問をするには順序ががる。
【通釈】
「無如大学云々」。ここに深い綾はない。致知格物から入らなければならないことを言う。知がなければ役に立たない。無如大学と言い、この致知格物の初入りがここの主意である。条目を並べてあるのが大学の大学たる処。論孟は一時の話で次第の後先はない。八条目を立て、致知からでなければ先へは通さない。こちらで選り好みはできない。品川や川崎を嫌だとは言えない。品川を通らずに京へ行くことはできない。大学が聖学の入口である。ここは所謂道中記である。論孟の方は大学の様には次第がない。道理に違いはないが順は必要である。この章は致知の篇中で第一に大切な章である。これまで致知の篇を三席読んだが、書物に掛けてはこの条が大切。ここに疑があると学問の成就はない。致知格物を知らない者を迂斎が首のない学者だと言った。人柄もよくて夢は見ませんと言われても、始まりがなくて誠になろうとか君子になろうと思うのは、真っ暗闇を行燈なしに歩くのと同じである。結局は溝に落ちる。そこで、致知からでなければならない。そこで、この章を読書の次第の始めに載せたのである。
【語釈】
・初入…茶会の前半にあたる初座の茶室に客が入ること。
・八条目…大学八条目。格物。致知。誠意。正心。脩身。齊家。治國。平天下。
・去きらい…去嫌。すききらい。えりごのみ。


第三十五 学者須先讀論孟条

學者先須讀語・孟。窮得語・孟、自有要約處。以此觀他經、甚省力。語・孟如丈尺權衡相似。以此去量度事物、自然見得長短輕重。
【読み】
學ぶ者は先ず須く語・孟を讀むべし。語・孟を窮め得ば、自ら要約の處有り。此を以て他の經を觀ば、甚だ力を省く。語・孟は丈尺權衡と相似たり。此を以て去[ゆ]いて事物を量度せば、自然に長短輕重を見得。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

程子のだたいの語の次第はないが、近思へのせてはこの順が大切なり。学者先の字、上の条をはなさず見るがよい。大学を初の土臺にきめて、そふして大学計見ることてない。何もかも見る。そこが致知挌物なり。然只何を見てもよいてないゆへ、先つが大学をふまへて置て云。大学より論孟と来て、其論孟の吟味がつまると要約をつかまへる。要約が大切なり。路銀の沢山ある道中のやふなもの。そこで落付たなり。前々云、旅にさま々々道具を持て出るはわるいが、路銀が沢山なればこまらぬ。論孟かよくすむと何ことにもこまらぬ。そこか路銀のあるなり。こんな訳は我宿へかへり我胸て論孟の語を考て見よ。先一つ出して云はは、死生有命冨貴在天で、頭痛の目を廻したのと云てももふうろたへぬ。これ要約の所なり。節季がつまると人か駈まわりてあくせくするか、そこをいくらあくせくしても冨貴在天なり。こんなこと先早く知ると云も論孟を讀ゆへなり。史記の、左傳の、二十一史の、其上を大明一統志の、万世統譜のとあくせく見ても要約の処がないゆへ、知惠のない子に知惠をつける。史に呂不韋、左傳に好色なとの雜駁は人の心をらりにする。論孟の土臺があれば、わるいこと見る迠がこちの益になるか論孟の要約なり。老人が江戸へ出ると若ひものの江戸へ出るとは違ふ。若ものは顔見世の燈篭見に行のと云、老人は德なものても買たり、よいことても見たり、江戸へ出ても益を得る。学者も論孟の要約の処から德をとる。それからは水滸傳見てもよい。
【解説】
「學者先須讀語・孟。窮得語・孟、自有要約處」の説明。大学を土台にして色々な書を読む。しかし、それには順があり、論孟から取り掛かる。それは、論孟の吟味が窮まれば要約を掴まえることができるからである。論孟の要約によって、悪書を読んでも自分の益になる。
【通釈】
程子にはそもそも語の次第はないが、近思へ載せる場合はこの順番が大切である。「学者先」の字は前条を離さずに見るのがよい。大学を始めに土台と決めて、そうして大学ばかりを見るのではなく、何もかも見ると言う。そこが致知格物である。しかし、ただ何を見てもよいことではないから、「先」は大学を踏まえて置いて言ったこと。大学より論孟と来て、その論孟の吟味が窮まれば「要約」を掴まえることができる。この要約が大切であり、それは路銀の沢山ある道中の様なもの。そこで落ち着く。前々から言っているが、旅に様々な道具を持って出るのは悪いが、路銀が沢山あれば困らない。論孟がよく済むと何事にも困らない。そこが路銀のあること。この様な訳は、自分の宿へ帰った後で自分の胸で論孟の語を考えて見なさい。先ず一つ例を出して言えば、「死生有命富貴在天」で、頭痛で目を廻したと言ってももう狼狽えない。これが要約の所である。節季が詰まると人が駆け回ってあくせくするが、いくらあくせくしてもそこは富貴在天である。こんなことを先ずは早く知るというのも論孟を読むからで、史記や左伝、二十一史、その上に大明一統志や万世統譜などをあくせく見ても要約の処がないから悪い。それは知恵のない子に知恵を付ける様なもの。史に呂不韋のことや左伝に好色のことなどがあり、雑駁なものは人の心を台無しにする。論孟の土台があれば、悪いことを見ることまでがこちらの益になる。それが論孟の要約である。老人が江戸へ出るのと若い者が江戸へ出るのとは違う。若い者は顔見世や灯籠を見に行くと言うが、老人は徳な物でも買ったり、よいことでも見たりして、江戸へ出ても益を得る。学者も論孟の要約の処から徳を得る。それからは水滸伝を見てもよい。
【語釈】
・死生有命冨貴在天…論語顔淵5。
・節季…年の暮れ。年末。歳末。
・二十一史…中国の古代から元に至るまでの二一部の正史。史記・漢書・後漢書・三国志・晋書・宋書・南斉書・梁書・陳書・魏書・北斉書・周書・隋書・南史・北史・新唐書・新五代史・宋史・遼史・金史・元史。
・大明一統志…明代の中国全土および周辺地域の地理書。九○巻。明の英宗の勅を奉じて李賢らが撰。1461年成る。
・万世統譜…
・呂不韋…秦の丞相。編著「呂氏春秋」。~前235
・顔見世…①芝居の一座が総出で見物人におめみえをすること。②顔見世狂言の略。
・燈篭…灯籠踊り?

以此觀他經甚省力。詩經易周礼儀礼を見てもはかが行く。致知開巻の持權衡較輕重へ擊で見へし。あそこもむた骨折らぬを云、首をかたげるに及ばぬ。それをここへ持て来て、守隨やものさしの調法は指てさし手で匁引には及はぬ。まつその如く事物を量る秤やものさしは論孟なり。自然見得長短輕重。自然は骨折らすなり。拙者存するの、某二十年見つめたのといかつへらしいことはならぬ。直方の論語に習へか是なり。論吾にはあれとも併と云は論吾を教へる。論孟に習へば自然と輕重長短が知るる。
【解説】
「以此觀他經、甚省力。語・孟如丈尺權衡相似。以此去量度事物、自然見得長短輕重」の説明。論孟が済めば他の書も理解が自然と進み、骨を折ることはない。論孟は権衡の様なものであり、論孟に習えば自然と軽重長短を知ることができる。
【通釈】
「以此観他経甚省力」。詩経や易、周礼、儀礼を見ても計が行く。致知開巻の「持権衡較軽重」へ戻って見なさい。あそこも無駄骨を折らないことを言っており、苦心するには及ばない。それをここへ持って来て、守隨や物差しが調法なのは人が自分の指を使って量るには及ばないからで、先ずはその様に事物を量る秤や物差しは論孟だと言う。「自然見得長短軽重」。自然は骨を折らない。私は存じているとか、私は二十年見詰めたなどといかついことを言うのは悪い。直方が論語に習えと言うのがここのこと。論語にはあるがしかしと言うのであれば、論語を教える。論孟に習えば自然と軽重長短を知ることができる。
【語釈】
・持權衡較輕重…致知1。「伊川先生答朱長文書曰、心通乎道、然後能辨是非、如持權衡以較輕重」。
・守隨…①秤製造の老舗。武田信玄の頃から始まる。②守随彦太郎。江戸の秤職人。彼の秤が公定の秤とされた。秤のこと。
・匁…尺貫法で重量の単位の一。貫の千分の一。


第三十六 讀論語者云々条

讀論語者、但將諸弟子問處便作己問、將聖人答處便作今日耳聞、自然有得。若能於論・孟中深求玩味、將來涵養成甚生氣質。
【読み】
論語を讀む者は、但諸弟子の問いし處を將[もっ]て便ち己の問と作[な]し、聖人の答えし處を將て便ち今日の耳聞と作さば、自然に得る有り。若し能く論・孟中に於て深く求めて玩味せば、將來涵養して甚生の氣質を成さん。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二上にある。

作己問が大切なり。昔咄にするはやくにたたぬ。其證拠には、今軍の咄も昔のことゆへ人が面白がる。あれが今あって看よ。咄処ではない。又、虎に喰れ、大地震も昔のことゆへこはくない。今にあらは、軍はさてをけちと物騒と云ても、憶病なものはどふせうと云。そこでこの章なり。孔門のを直に我問にするが昔はなしにせぬなり。作今日耳聞云々。論語にこふある、孟子にかふあると云て遠くのやうにしては役にたたぬ。自然に有得は、全躰の心がけが違ゆへ其効がある。仏者も信者のよいは同し。瓦の奉加しても信者のは違ふ。
【解説】
「讀論語者、但將諸弟子問處便作己問、將聖人答處便作今日耳聞、自然有得」の説明。門人の問いも昔話の様に思っては役には立たない。その問いを自分の問いとして捉え、身に引き付けて考えなければならない。
【通釈】
「作己問」が大切である。昔話にすると役には立たない。その証拠には、今では軍の話も昔のことだから、人はそれを面白がる。あれが今あるとすれば話処ではない。また、虎に喰われたことや大地震のことも昔のことだから怖くはない。今それがあれば、軍はさておき少々物騒なことだと言い、臆病な者はどうしようかと戸惑う。そこでこの章がある。孔門の問いを直に自分の問いにするのが昔話にしないこと。「作今日耳聞云々」。論語にこうある、孟子にこうあると言って、遠くのことの様にしては役に立たない。「自然有得」は、全体の心掛けが違うから効めがあるということ。仏者も信者がよいのは同じこと。瓦を寄進するにしても信者は違う。

若能於論孟中探求玩味云々。論孟のこらす玩味することなれとも、其中なり。そこて今日玩味するにとこを深くすると云ことてはない。これは我方に一つあたりのあるときのこと。外の人のにはどふて有ふか私に於てはと云ことあるもの。医者も方彙の中で益氣湯の組やう面白と云こと有ふ。論孟の中にも其人にあたりのよいかあるもの。それは利くなり。どこぞの章が我ものになりて、我一生の養生喰になる。甚生氣質。分んの男になるで有ふと云こと。ここは两点なれとも同ことなり。いかなる氣質ならんは生れかわったそふなと云ふの意なり。此章何のことなれば、迂斎の、生みつけのままでなく、論孟てせよとなり。氣の長ひの短のとて、公儀へ出されぬがある。そこを建立して分の男になればなり。
【解説】
「若能於論・孟中深求玩味、將來涵養成甚生氣質」の説明。自分に当たるところが論孟にあるから、それを玩味することが一生の養生になる。生まれたままでは一人前になれない。それは論孟でするのである。
【通釈】
「若能於論孟中探求玩味云々」。論孟は残らず玩味することではあるが、その中でということ。しかし、今日はどこを深く吟味するのかということではない。これは自分の方に一つ当たりがある時のこと。他の人はどうであろうが、私にとってはということがあるもの。医者も処方の中で益気湯の組み方が面白いということもあるだろう。論孟の中にもその人に当たりのよいところがあるもの。それが利くのである。どこかの章が自分のものになって、我が一生の養生となる。「甚生気質」。一角の男になるだろうということ。ここは両点だが同じことを言う。いかなる気質ならんとは、生まれ変わったそうだという意である。この章は何を言っているのかと言うと、迂斎が、生み付けのままではなく、論孟でしなさいということだと言った。気が長かったり短かったりしていては公儀へ出せないことがある。そこを建立して一角の男になれば公儀へも出せることになる。
【語釈】
・两点…漢文の訓読で、一語を音と訓との両様に読むこと。


第三十七 凡看論孟の条

凡看語・孟、且須熟讀玩味。將聖人之言語切己。不可只作一場話説。人只看得此二書切己、終身儘多也。
【読み】
凡そ語・孟を看るに、且く須く熟讀玩味すべし。聖人の言語を將[もっ]て己に切ならしめよ。只一場の話と作して説く可からず。人只此の二書を看得て己に切ならしめば、身を終うるまで儘[きわ]めて多からん。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。

この章も切己か前の章と同ことなれとも、前の条は今聞やふにと云て昔咄にせぬを云、この切己か上の今日の耳聞と遠くはないが訳がちごふ。切己は我顔赤くするやうなを云。今日の人切己てないゆへ顔を赤くせぬ。いやと云れぬは、自身の胸へあたると我組下へでも女房へでも、鼻の先のわるひことは靣を赤くするもの。論孟を見て、さて其ないは己に切にないゆへなり。論語に孝の語ありても吾孝に切てないゆへ面目ないと思はぬ。一塲話説。孟懿子子夏が孝のことも源平の軍談のことも同ことにする。
【解説】
「凡看語・孟、且須熟讀玩味。將聖人之言語切己。不可只作一場話説」の説明。「切己」とは心に響かせることで、論孟を見ても感じないのは己に切でないからである。
【通釈】
この章も「切己」というのが前の章と同じことだが、前の条は今聞く様にと昔話にしないことを言うのであって、ここの切己は前条の「作今日耳聞」と全く異なったことではないが、その訳は違う。切己は顔を赤くする様なことを言う。今日の人は切己でないから顔を赤くしない。それが確かなわけは、自身の胸に響けば、自分の組下へでも女房に対しても、自分の悪いことには顔を赤くするもの。論孟を見ても響かないのは己に切でないからである。論語に孝の語があっても、自分が孝に切でないから面目ないとは思わない。「一場話説」。孟懿子や子夏の孝も源平の軍談のことも同じことにする。
【語釈】
・組下…組頭または組長の配下。組付。
・孟懿子子夏が孝…論語為政5。「孟懿子問孝。子曰、無違」。為政8。「子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食。先生饌。曾是以爲孝乎」。

只看得此二書。論孟か大切。己に切にする意なれば、この二書で一生沢山なり。ここは凡夫へ知せることてない。世俗は学問せぬゆへ論はないこと。学者で事にするものへ程子の示せり。事にする人は天下の書を博く讀で、それをかさにせふと思ふ。長﨑て新渡の、又は新板もののと云が役にたたぬもの。方々見物せふと云て掃溜をのぞき、町の裏へ這入て土藏があるの、雪隠があるのと云やふなもの。西行はいつも冨士を詠める。あれへ切ゆへ不二て沢山と云。終身侭多也。あまりあかかぬがよし。これは食ひ知った人てなければ知れにくい。江戸でも釣好きが方々とあくせくはせぬ。あの例の親父が木塲の木の下て計り釣と云が、それで釣てかへる。若ひものはあちこちここかよいの、あそこかよかろふのと魚のある処を尋るが、それは魚を釣てかへらぬ。
【解説】
「人只看得此二書切己、終身儘多也」の説明。学者は天下の書を博く読んでそれを笠に着ようとするが、切己になるには論孟の二書があれば足りる。多くの書を読もうと足掻くのは悪い。
【通釈】
「只看得此二書」。論孟が大切であり、己に切にする意であれば、この二書で一生足りる。ここは凡夫に知らせることではない。世俗は学問をしないから論外である。学者を事とする者へ程子が示したのである。学者を事にする人は天下の書を博く読んで、それを笠に着ようと思う。長崎の新渡や新板物などは役に立たない書である。方々を見物しようと言って掃き溜めを覗き、町裏へ這い入って土蔵がある、雪隠があると言う様なもの。西行はいつも富士を詠んだ。あれへ切だから富士だけで沢山だと言うのである。「終身侭多也」。あまり足掻かないのがよい。これは食い知った人でなければ知り難い。江戸でも釣好きは方々へあくせくと動くことはない。あの例の親父は木場の木の下でばかり釣りをすると言われても、それで釣って帰る。若い者はあちこちに動いて、ここがよいとかあそこがよいだろうと魚のいる処を探すが、それでは魚を釣って帰ることはできない。


第三十八 論語有讀了後全無事者条

論語有讀了後全無事者、有讀了後其中得一兩句喜者、有讀了後知好之者、有讀了後不知手之舞之足之蹈之者。
【読み】
論語には讀み了わりて後全く事無き者有り、讀み了わりて後其の中に一兩句を得て喜ぶ者有り、讀み了わりて後之を好むことを知る者有り、讀み了わりて後手の舞い足の蹈むを知らざる者有り。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

俗に云論吾よみの論語知らずなり。論吾の講釈も三度聞たと云ふが、幾度聞ふか聞やふよみやうで役にたたぬ。それは無事なり。原や吉原の人足が冨士を朝夕見ても、くっともそっとも云はぬ。次磨明石も所の者は無事なり。讀了後其中得一两句云々。無事の隣に少し計の一两句なり。これが無事の隣ゆへ御座へ出されぬ事のやふに思ふが、大ふたのもしい重疂なこと。両句が端的近く思の大切。これを先吟味すへし。無事の字を丁寧に考るに、講釈もするの、弟子も大勢ありて註をもするのと云人にも無事と云に落る歴々かある。一两句を得たと云は、論語が皆すまぬか、二十篇の中この句と云て悦ふがはや知の開けた処なり。これが輕ひことてなく、先軰のとくと得た人も一两句から廣かる。知の開くはちらりとした所からなもの。日中の明るいも今朝のちらりと明た処からのことで、ちらりが学者の大切と知へし。結め將棊なと、ここが面白と云ことあり。論孟もこの所に於ては云をふやふもないと云が頼母鋪なり。迂斎咄しを笑ひ出すやうなものと云が、笑が知の開く所、きぶい顔は物のかためや君の御通のときはよいか、知にはわるい。喜か知の字乗りのつく処。それか大ふ廣がるもの。蛍ほどの火が原をやく。生ものゆへのこと。一两句が廣がると論語中へ及ふ。ここが大ふよい手がかり。されともそれきりで仕舞へばどふもならぬ。喜を取立て修行すると致知へ行く。
【解説】
「論語有讀了後全無事者、有讀了後其中得一兩句喜者」の説明。論語読みの論語知らずが「無事」であり、その次が「一両句」である。この「一両句」は知が開けた処であり、ここから論語全体へ及んで行く。また、「喜」は知に勢いを付けるものであって、それによって致知へと行く。
【通釈】
俗に言う、論語読みの論語知らずである。論語の講釈も三度聞いたと言っても、幾度聞こうが聞き方や読み方によっては役に立たないものとなる。それが「無事」である。原や吉原の人足が朝夕富士を見ても、何とも言わない。須磨明石でも地元の者は無事である。「読了後其中得一両句云々」。無事の隣りに少しばかりの一両句がある。これが無事の隣りだから御座へ出せない事の様に思うが、大分頼もしく重畳なこと。端的、この両句が近く思うためには大切なこと。先ずこれを吟味しなさい。無事の字を丁寧に考えると、講釈もして、弟子も大勢あって註をもする様な人の中にも無事に陥る歴々がいる。一両句を得たとは、論語全部は済まないが二十篇の中でこの句を得た言って悦ぶことで、それが早くも知の開けた処である。これは軽いことではなく、先輩などのとっくりと得た人でもこの一両句から広がったのである。知が開くのはちらりとした所からである。日中が明るいのも今朝のちらりと明けた処からのことで、このちらりが学者にとっては大切なことだと知りなさい。詰め将棋などで、ここが面白いということがある。論孟でも、この所が言い様もないと言うのが頼もしい。迂斎が話に笑い出す様なものだと言ったが、笑いが知の開く所であって、厳しい顔をするのは物の固めや君のお通りの時はよいが、知には悪い。「喜」が知の字に勢いの付く処。それは大分広がるもの。蛍ほどの火が原を焼く。それは生き物だからである。一両句が広がると論語全体へ及ぶ。ここが大分よい手掛かりとなる。しかしながら、一両句のみで終わればどうにもならない。喜を取り立てて修行することで致知へと行く。

知好之者。全体に論語が我知惠になった大きなことなり。もふ何てもこれに取りかへるものはない。武家で論吾を讀ても、御奉書到来と云とはや棚へあける。好と云ふと、御老中廻りと云ても論吾であるくやふなり。論語がこちのものになりたなり。不知手之舞足之蹈と云か好の至極を云。此が分にあるでない。初手は論吾が向にありてすれとも、ここは丸て至極を得たゆへ、我は好むとも氣がつかぬ。舞手がこつに入て我舞とは思はぬ。これは論語を讀の至極。扨、これは程子の斯ふ云ものが有と見せたもの。世俗論語を一通の事業と思ひ、先年京都の勤学で授ったと思ふ位は論語を讀こと知らぬなり。
【解説】
「有讀了後知好之者、有讀了後不知手之舞之足之蹈之者」の説明。「知好之者」は論語全体を会得した者のことであり、「不知手之舞之足之蹈之者」は好む極致の姿である。論語を読むことを並の事業と捉えていては、論語読みの論語知らずになる。
【通釈】
「知好之者」。これは論語全体が自分の知恵になったことで、大きなことである。もう何もこれに取り替わるものはない。武家が論語を読んでも、御奉書到来と言われれば、直ぐに論語を棚へ上げる。好であれば、御老中廻りでも論語に由って歩く様なもの。それが、論語が自分のものになったのである。「不知手之舞足之踏」は好の至極を言ったこと。これは並にあるものではない。初手は論語が向こうにあるが、ここは論語全ての至極を得たことだから、自分自身は好んでいることにも気が付かない。舞手が恍惚として自分が舞っているとは感じない。これは論語を読むことの至極である。さて、これは程子がこういうことがあると見せたもの。世俗が論語を一通りの事業と思い、先年の京都での勤学で論語を授かったと思う程度では、論語を読むのを知らないというものである。
【語釈】
・奉書…上意を奉じて侍臣・右筆らが下す命令の文書。
・不知手之舞足之蹈…孟子離婁章句上27。「智之實、知斯二者弗去是也。禮之實、節文斯二者是也。樂之實、樂斯二者。樂則生矣。生則惡可已也。惡可已、則不知足之蹈之、手之舞之」。


第三十九 学者當以論語孟子為本条

學者當以論語・孟子爲本。論語・孟子既治、則六經可不治而明矣。讀書者、當觀聖人所以作經之意、與聖人所以用心、與聖人所以至聖人、而吾之所以未至者、所以未得者。句句而求之、晝誦而味之、中夜而思之、平其心、易其氣、闕其疑、則聖人之意見矣。
【読み】
學者は當に論語・孟子を以て本と爲すべし。論語・孟子既に治まれば、則ち六經は治めずして明らかなる可し。書を讀む者は、當に聖人の經を作りし所以の意と、聖人の心を用いし所以と、聖人の聖人に至りし所以と、而して吾の未だ至らざる所以の者、未だ得ざる所以の者とを觀るべし。句句にして之を求め、晝誦して之を味い、中夜にして之を思い、其の心を平かにし、其の氣を易[やすら]かにし、其の疑いを闕かば、則ち聖人の意見[あらわ]れん。
【補足】
・この条は、程氏遺書二五にある伊川の語。

只今学者に論孟よまぬものなけれとも、為本か大切なり。論孟てなければ基本が立ぬ。論語孟子は武家の腰の物なり。武士が無刀では遠慮閉門にもなる。そのやふに論孟を本立にすると、六經を吟味せすとも斯云ふもふけがある。可六經不治而明矣の句は上へかけた語なり。論孟て六經も明らかになるゆへ本にせよと云ことではない。学問は論語孟子が本と歸着を知らせたこと。其上に六經もと云て聞せる語なり。今論語孟子は讀やすく、六經より手もないことと思ふは知らぬゆへのこと。論孟で天下の道理にもるることはない。さて、治の字はかたを付ること。論孟で六經も明になると説きひろけたものゆへ、六經と云て分の工夫はない。論孟の骨折で六經もすんで来る。又それは甜ひものとあひさつすることてない。近道を教た筋でない。語孟の道理を云たか人へ痛切なり。そこて六經を分に聞耳を立ることてない。直方先生も、語孟から六經を見れば、語孟ほど的切てないと云はるる。なるほと論孟は直に学者をつかまへて云、六經、詩は、人情、書は、政、易はのことて、論孟の如くきり々々でない。これは赤裸にしての角力なり。六經は大あぢゆへ、論孟をきめた其上で見ると何のことなくすむ。ここは道理の上でといて、論語孟子の本になるを云。
【解説】
「學者當以論語・孟子爲本。論語・孟子既治、則六經可不治而明矣」の説明。論孟には天下の道理が全て備わっていて、また、人に対して痛切なものだから、これが済めば六経も済ますことができる。六経は論孟に比べれば大味な書である。
【通釈】
今の学者で論孟を読まない者はいないが、「為本」が大切なのである。論孟でなければ基本が立たない。論語や孟子は武家の腰の物である。武士が無刀では遠慮閉門にもなる。その様に論孟を本に立てると、六経は吟味しなくても明になるという儲けがある。「可六経不治而明矣」の句は上へ掛けた語である。これは、論孟によって六経も明らかになるから論孟を本にしなさいということではない。学問は論語孟子が本だと、学問の帰着を知らせたのであり、その上で六経も明らかになると言って聞かせたのである。今論語や孟子は読み易くて六経よりも簡単だと思うのは、論孟を知らないのである。論孟には天下の道理が全てある。さて、「治」の字は片を付けること。論孟で六経も明らかになると説き広げたのだから、六経と言っても別な工夫はない。論孟の骨折りで六経も済んで来る。また、それは忝いと挨拶をすることでもない。近道を教える筋ではないのである。語孟で述べる道理は人に対して痛切だから、六経に対して特別に聞き耳を立る必要はない。直方先生も、語孟から六経を見れば、語孟ほど的切ではないと言われた。なるほど論孟は直に学者を掴まえて言うが、六経では、詩は人情、書は政、易はのことで、論孟の様に至極ではない。論孟は赤裸の角力である。六経は大味だから、論孟を窮めた上で見ると何事もなく済む。ここは道理の上で説いて、論語と孟子が本になることを言う。
【語釈】
・遠慮…江戸時代の刑の一。微罪ある武士・僧尼に対し、門を閉じて籠居させたもの。

讀書者當觀垩人作經云々。語孟を本にして下へ廣く云に、五つ程のこと出して當觀の字なり。耳て聞、目で見れとも、心で觀る人がない。觀の字、觀念ともつづく。仏の觀心の觀なり。日本の圖や太平記を見るやふでは益にたたぬ。もと垩人を学ぶ重ひことゆへ、そもとふしたことと云が當觀なり。なんの為に六經を作ると気を付べし。心あってのことで有ふは、伏義の易、堯舜の二典、孔子の擊辞や春秋、思召有ふことなり。親の石碑立ると云やふなことてない。あれは後世の人へ我先祖親戚の名を知らせ、遺骸が大切。經は人の為なり。丁と親の遺言するやふなもの。手前のためでなし。人々の辞世は、多くはいやなこと。何の益に立ぬなり。なれとも我志を述たではあろふ。述ずともよい。後世の為にもならぬ。俗人ても書置は親の慈悲。これを守せやふか子孫の可愛ゆへのこと。垩人は天下後世の人を思ふゆへなり。經を作らるる、辞世の筋てはない。然れは、それを学ぶからは垩人の意を知ら子ばならぬ。これは今日の学者には早ひやうなれとも、意を觀子ば目當がない。人の所へ行ても、亭主の心ゆきを知らぬやふなもの。心ゆきを知子ば亭主の親切も知れぬ。吸物椀の盖をあけるまでに亭主の親切心入はとくるてよい客なり。論孟は向に垩賢の居るに、其意を知ら子ば亭主を知らぬなり。
【解説】
「讀書者、當觀聖人所以作經之意」の説明。書は心で観なければならない。聖人は天下後世の人のことを思い、人のために経を作られたのだから、経を読む際には聖人の意を知ろうとしなければならない。
【通釈】
「読書者当観聖人作経云々」。語孟を本にして、その下に大きく五つほどのことを出し、「当観」の字で括る。耳で聞き目で見はするが、心で観る人がいない。観の字は観念とも続く。仏の観心の観である。日本の図や太平記を見る様なことでは益にならない。本来、学問とは聖人を学ぶ重いことだから、それはどうしたことかと思うのが「当観」である。何のために六経を作ったのかと気を付けなければならない。それは心あってのことだろうというのは、伏羲の易、堯舜の二典、孔子の繋辞や春秋には思し召しがあるだろうからで、親の石碑を建てるという様なことではない。あれは後世の人へ我が先祖や親戚の名を知らせるためで、遺骸が大切なのである。経は人のためにある。丁度親が遺言をする様なもので、それは自分のためにするのではない。人々の辞世の多くは嫌なことで何の益にもならない。我が志を述べたことではあろうが、述べなくてもよい。後世のためにもならない。俗人でも書き置きをするのは親の慈悲からで、これを守らせようとするのは子孫が可愛いからのこと。聖人は天下後世の人を思ったから経を作られたのであって、それは辞世の筋とは違う。そこで、それを学ぶからには聖人の意を知らなければならない。これは今日の学者にはまだ早過ぎることの様ではあるが、意を観なければ目当てがない。人の所へ行っても、亭主の心意気を知らない様なもの。心意気を知らなければ亭主の親切もわからない。吸物椀の盖を開けることにまで亭主の親切や心入れが見えると言うのでよい客となる。論孟では向こうに聖賢がいるのに、その意を知らないのなら、亭主を知らないのと同じである。

垩人所以用心云々。經は垩人の心を書へあらはしたなり。今日の目て見、耳て聞ことでない。心と心の出合なり。今日の人に心があるゆへ、そこを用ゆべきこと。好色に一ち向きになるは心を好色に用ひ、利欲に一向なるは利欲に用て心の用やふか違ふ。子思子憂道学之失其傳而作るも孟子の七篇を作るも後世を思からのこと。そこを垩賢の心の用やふはどふしたことと觀へきことなり。論語を讀たから是から孟子と云ふ、順礼の札をうつやふなは益にたたぬ。
【解説】
「與聖人所以用心」の説明。子思子が中庸を作ったのも孟子が七篇を書いたのも、後世のためにしたことである。経は聖人がその心を記したものだから、読み手は心を用いてそれを読まなければならない。
【通釈】
「聖人所以用心云々」。経は、聖人がその心を書へ表したもの。これは今日の目で見、耳で聞く様なものではない。それは心と心の出合いである。今日の人にも心があるから、それを用いなければならない。好色に直向きになる者は心を好色に用い、利欲に直向きになる者は利欲に心を用いるが、それは心の用い方が違う。「子思子憂道学之失其伝而作」も孟子が七篇を作ったのも後世を思ったからである。そこを、聖賢の心の用い様はどうしたことなのかと観るのである。論語を読んだから、これから孟子を読むと言う様な、順礼が札を打つ様なことでは益にならない。
【語釈】
・子思子憂道学之失其傳而作…中庸章句序。「中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也」。

垩人所以至垩人。堯舜や文王孔子は骨折なしなれとも、外は皆濡手てはない。湯武からは一修行して至れり。堯舜は性の侭にし湯武は復之の、中庸生而知之或学而知之至其知一也と云が修行あるなり。今江戸へ日着に行ふと云からは、どふすれば日着になると聞く。それは日着に行ふと思ふからなり。好学論学至垩人之道とあるはここらへ氣を付けり。湯武はあたまから垩人でないか垩人に至ったはどふしたことと觀べきこと。今人か肉についたことには親切て、我病氣のときは、こなたの病たにはどふしてなをりたと云。先日為学篇に張子の病源在何と云と同しこと。同し人間に、なせ我は凡夫と病源を尋るか當觀の所なり。漢唐ここまで絶学なり。我黨の学は事についたことてなし。ここを知子ば儒者役なり。科挙の学は賣もの。日本にはないが、然し大名には儒者役ありて多は藝なり。よしや井田の筭用合はぬても、啓蒙の數がすまぬても、六藝の註がすめか子ても、ここへ氣を付ると道統の傳の席へ給仕にでも出て、たばこ盆ても出される。そふないは藝者学問なり。
【解説】
「與聖人所以至聖人、而吾之所以未至者、所以未得者」の説明。堯舜や文王、孔子は初めから聖人だったが、湯武は修行によって聖人になった。そこで、湯武が聖人になれたのに、何故自分は聖人になれないのかと心に問うのである。事に関したことを学ぶのは芸者学問である。
【通釈】
「聖人所以至聖人」。堯舜や文王、孔子は骨を折ることはないが、その他の者は皆濡れ手で粟ではない。湯武からは一修行して至った。堯舜は性の侭にし湯武は之に復すや、中庸に「生而知之或学而知之至其知一也」というのが修行のあること。今江戸へ日着けで行こうと言うので、どうすれば日着けで行けるのかと聞けば、それは日着けに行こうと思うからだと言う。好学論に「学至聖人之道」とあるのはここ等に気付いてのこと。湯武も最初は聖人ではなかったのに、聖人に至ったのはどうしてなのかと観るのである。今人が肉に関したことには親切で、自分の病気の時は、貴方が病んだ時はどうして治ったのかと聞く。それは先日の為学篇で張子が「病源在何」と聞いたのと同じこと。同じ人間なのに何故自分は凡夫なのかと病源を尋ねるのが「当観」の所である。漢唐はこれまでも絶学である。我が党の学は事に関したことではない。ここを知らなければ儒者役である。科挙の学は売り物。それは日本にはないが、しかし大名には儒者役があって、その多くは芸である。たとえ井田の算用は合わなくても、啓蒙の数が済まなくても、六芸の註が済めかねても、ここへ気を付けると道統の伝の席へ給仕に出る様にもなり、煙草盆も出される様になる。そうでなければ芸者学問である。
【語釈】
・堯舜は性の侭にし湯武は復之…孟子尽心章句上30。「孟子曰、堯舜性之也。湯武身之也。五霸假之也。久假而不歸、惡知其非有也」。同集註に、「尹氏曰、性之者、與道一也。身之者、履之也」とある。
・生而知之或学而知之至其知一也…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之。及其知之、一也」。
・日着…日着け。その日のうちに目的地へ達すること。
・学至垩人之道…為学3。「伊川先生曰、學以至聖人之道也」。
・病源在何…為学91。「横渠先生謂范巽之曰、吾輩不及古人。病源何在」。
・啓蒙…易学啓蒙。朱子著。

句句而求之。どこと見出せしと云ことではない。一句々々氣をつけると其中には妙がある。句句妙でないもあるか、そこを一と飛にするとわるいもの。又一句々々に見て、中にまっと深ひこと有ふとほることでもないが、じっかり々々々々と推て行くと始終がよい。妙を見出そふと云はわるいなり。昼誦而味之中夜而思之。味の字を觀と合せて見へし。心て見るか觀。味ははかやりてないを云。庭の桜を先刻見ましたと云ふことでない。先刻見たは役にたたぬ。そこをかぎりなく見る。上戸か昨日飲たてよひでない。鍔好の鍔をなでる。茶人の羽帚、そこか味なり。
【解説】
「句句而求之、晝誦而味之、中夜而思之」の説明。一句毎に気を付けるとその中には妙がある。じっくりと推して観て味わうのである。しかし、妙を見出そうとするのは悪い。
【通釈】
「句句而求之」。どこを見出したということではない。一句毎に気を付けるとその中には妙がある。句句には妙でないものもあるが、そこを一っ飛びにすると悪いもの。また、一句毎に見て、中にもっと深いことがあるだろうと掘り下げることでもないが、じっくりと推して行くと始終がよい。妙を見出そうとするのは悪い。「昼誦而味之中夜而思之」。「味」の字を「観」と合わせて見なさい。心で見るのが観で、味は早々と済ませないことを言う。庭の桜は先刻見ましたと言うことではない。先刻見たと言うのでは役に立たない。そこを限りなく見る。昨日飲んだからよいと上戸は言わない。鍔好きが鍔を撫でる。茶人の羽帚、そこが味である。

昼誦而味之中夜而思之と云をかたにせぬがよい。今夜九つ迠と云ふことでない。それては其日日の昼をのべたになる。いつでも論孟の修行のならぬことはないゆへ、眼のさめたときはと云ことなり。忠孝をはげめと云に昼夜はない。いつも胷へのせる。句々昼夜はきり々々。骨を折る仕かけのことなり。かふするとついそこへ病氣か出るものゆへ平其心易其氣なり。精を出す人はなづみが出てくせがつくゆへ、平易にすらりと見よなり。さて、心と氣をわけてあるか、必竟心氣を平易にすと云と同ことなれとも、平其心は一物ないて全体へかかりて云こと。易其氣は、せか々々する人かはやけがつくゆへ分て見せり。闕其疑は、今未至や不得こともやかて見へやふなり。垩人之意。向へ置て云。意見矣。効を云。上へ垩人と書たか面白ひ。茶を知らぬもの、初手はあちなことをするものと思ふたか、手に入ると面白なる。初きたないと思ふた茶碗か手に入ると其茶碗かほしくなりて、とふぞ其れを五两で讓てくれよと云。垩賢の上にも疑がつくが、初手の内に疑をはらそうとすると十方もないこと云出す。闕て置と疑がとける。
【解説】
「平其心、易其氣、闕其疑、則聖人之意見矣」の説明。修行はいつも行う。そうすると泥みが出て癖が付くから「平其心、易其気」である。また、疑を闕いて置けばやがて疑が解けて、聖人の意を知ることができる。
【通釈】
「昼誦而味之中夜而思之」は形でしないのがよい。今夜九つまでと言うことでない。それでは日々の昼のことを述べたことになる。いつでも論孟の修行のできないことはないのであって、眼の醒めた時はということである。忠孝を励めと言うのに昼夜はない。いつも胸へ乗せる。「句々」と「昼夜」はぎりぎりまで骨を折る仕掛けのこと。この様にするとついそこへ病気が出るものだから、「平其心易其気」である。精を出す人は泥みが出て癖が付くから、平易にすらりと見なさいと言った。さて、心と気を分けてあるが、畢竟、それは心気を平易にすると言うのと同じことだが、平其心は一物もないことを全体へ掛けて言い、易其気は、せかせかする人は早気が付くので分けて見せたもの。「闕其疑」は、今、いまだ至らないことや得られないこともやがては見える様になるということ。「聖人之意」。向こうへ置いて言う。「意見矣」。効を言う。上へ聖人と書いたのが面白い。茶を知らない者は、初手は可笑しなことをするものだと思うが、手に入れると面白くなる。初めは汚いと思った茶碗が、手に入るとその茶碗が欲しくなって、どうぞそれを五両で譲ってくれと言う。聖賢の上にも疑が付くが、初手の内に疑を晴らそうとすると途方もないこと言い出す。闕いて置くと疑が解ける。
【語釈】
・闕其疑…論語為政治18。「子張學干祿。子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤」。


第四十 讀論語孟子而不知道条

讀論語・孟子而不知道、所謂雖多亦奚以爲。
【読み】
論語・孟子を讀みて道を知らざるは、謂う所の多しと雖も亦奚[なに]を以て爲さん。
【補足】
・この条は、程氏遺書六にある。

上み段々の条て、讀やふてこれほとのことあると云て、この章は蹴る語なり。獅子は千尋の谷へ子を蹴落して試ると云。学者も蹴ることか一つありて、それかひひく。雖多又奚以為。論語を讀て道を知ぬと云なれは、それは役にたたぬ。酒を呑むは寒氣をふせぐ為なるに、飲ほと寒くなると云はは、飲まぬかよい。論孟は明るみへ出るものに、たん々々氣質人欲にくらみて居る。大惠禪師載一車兵器不是殺人手段我有寸銕便可殺人と云。いくら讀ても讀やふてやくにたたぬ。雖多亦奚以為なり。論孟を讀て道を知ぬは藥の煎売なり。今は論孟にも煎し売積てをくなり。
【解説】
いくら読んでも読み方次第では役に立たないものとなる。論孟を読んでも道を知らないのでは役に立たない。
【通釈】
上にある段々の条では読み方次第でこれほどのことがあると言い、この章は学者を蹴飛ばす語である。獅子は千尋の谷へ子を蹴落して試すと言う。学者も蹴ることが一つあって、それが響く。「雖多又奚以為」。論語を読んでも道を知らないというのであれば役には立たない。酒を飲むのは寒気を防ぐためなのに、飲むほどに寒くなると言えば飲まない方がよい。論孟は明るみへ出るものなのに、段々と気質人欲に眩んで来る。大恵禅師が「載一車兵器不是殺人手段我有寸銕便可殺人」と言った。いくら読んでも読み方次第では役に立たないものとなる。それが雖多亦奚以為である。論孟を読んでも道を知らないのは薬の煎じ売りである。今は論孟にも煎じ売りを積み置きしている。
【語釈】
・大惠禪師…大慧宗杲。宋代。
・載一車兵器不是殺人手段我有寸銕便可殺人…


第四十一 論語孟子只剰讀著の条

論語・孟子、只剩讀著、便自意足。學者須是玩味。若以語言解著、意便不足。某始作此二書文字、既而思之、又似剩。只有些先儒錯會處、卻待與整理過。
【読み】
論語・孟子は、只剩讀し著[つ]くれば、便ち自ら意足る。學者は須く是れ玩味すべし。若し語言を以て解し著くれば、意便ち足らず。某始め此の二書の文字を作り、既にして之を思えば、又剩[あま]れるに似たり。只些かの先儒の錯會せし處有らば、卻って與[ため]に整理し過ぐるを待たん。
【補足】
・この条は、程氏外書五にある伊川の語。

剩讀著は、俗語。あまるほとよむと云ことなり。直方先生の大学一冊て加茂へ引込れたも剩讀著の法なり。明々德から傳十章、あくまて誦れたなり。便自意足。剩讀著て論孟の意か足る。新九郎か打つと音が出る。意足るなり。只のもののはそれをと云ても音か出ぬ。意不足なり。一つ鞁てもこち次第て違ふ。若以語言解著意便不足。玩味かなく唯語言はかりは益にたたぬ。漢唐かそれなり。某始作此二書既而思之又似剩。説をつけ註解のやうなものをしたになり。この剩の字を前へかへし、剩讀着へここの剩ると云はの剩へつけて見るはわるい。註の仕やふが書過たと云ふこと。長ひ注はわるい。本文のて涌て出る。讀書千返意自通と云。そこてこの剩の字はわるい。されとも先儒の云ひたがへをちょっ々々々と直さんために、つひ剩るのになった。せふこともないと云ことなり。只有些先儒錯會處待與整理過。先儒の錯はすくってしらべ子ばならぬ。整理はしらべなをすを云。待か今の人をまつの待てはない。云々じゃほとにこふなふてはならぬと云意なり。待と云はかふした次第につい成たと云こと。とふ々々をれか手にかかったと云筋か待の字の意なり。
【解説】
論孟を剰るほどに読むのがよい。但し、玩味もせずにただ語言ばかりを解いていては益にならない。伊川は嘗て論孟の註を作ったが、本来、長い註を作るのは悪いことで、意は本文から涌いて出るものなのである。伊川が註を作ったのは、先儒の錯会を直そうとしたためである。
【通釈】
「剰読著」は、俗語。剰るほど読むということ。直方先生が大学一冊を持って加茂へ引き込まれたのも剰読著の方法である。明明徳から伝十章までを飽くまで読まれた。「便自意足」。剰読著で論孟の意が足りる。新九郎が打つと音が出る。意足るである。只の者が打っても音が出ない。意不足である。鼓一つでも人次第で違う。「若以語言解著意便不足」。玩味もせずにただ語言ばかりを解いていては益にならない。漢唐がそれである。「某始作此二書既而思之又似剰」。説を付けて註解の様なものをしたのだがと言うこと。この剰の字を前に返し、剰読著にここの剰るとはの剰を合わせて見るのは悪い。註を書き過ぎたということ。長い注は悪い。本文から涌いて出る。「読書千遍意自通」とも言う。そこでこの剰の字は悪い。しかしながら先儒の言い違いをちょっと直そうとして、つい剰ることになった。それは仕方がない。「只有些先儒錯会処待与整理過」。先儒の誤りは掬って調べなければならない。整理は調べ直すことを言う。待とは、今言う人を待つの待つではない。云々だからこうでなくてはならないと言う意である。待とは、こうした次第についなったということ。とうとう俺の手に掛ったという筋が待の字の意である。
【語釈】
・新九郎…観世新九郎。鼓の名人。
・讀書千返意自通…朱子訓学斎規。「引古人云、讀書千遍、其義自見」。三国志魏書王朗伝。「讀書百遍而義自見」。


第四十二 問且将語孟緊要處の条

問、且將語・孟緊要處看、如何。伊川曰、固是好。然若有得、終不浹洽。蓋吾道非如釋氏、一見了便從空寂去。
【読み】
問う、且く語・孟の緊要の處を將[もっ]て看るは、如何、と。伊川曰く、固より是れ好し。然れども若[たと]い得ること有るも、終に浹洽ならず。蓋し吾が道は釋氏の如く、一見し了わりて便ち空寂に從い去[ゆ]くものに非ず、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある伊川の語。

呂晉伯か問なり。伊川曰固是好。先つわるくないことゆへ好と云へり。然若有得終不浹洽。大切な処があるものと云へとも、あの方かと云は急く方なり。それはふっくりと行まいとなり。浹洽。大釜で炊くに、とこもかしこも飯になる。隠居の所は柔らかに、息子の処はこはく、ここのあそこのと云はつはないこと。論孟の開巻から全篇を見て、さてもと落るか浹洽て、其上にあとて緊要が出る。初手からはわるい。品川からづか々々と道中して、冨士山も田子の浦もあること。只よい処と斗り云ては足もとのふらつく道中になる。
【解説】
「問、且將語・孟緊要處看、如何。伊川曰、固是好。然若有得、終不浹洽」の説明。緊要は全篇を読んで浹洽した後のことで、最初から緊要のところのみを見るのは悪い。
【通釈】
呂晋伯の問いである。「伊川曰固是好」。先ずは悪くはないことなので「好」と言った。「然若有得終不浹洽」。大切な処があると言っても、あの方が大切だと言うのでは急ぐことになる。それではぷっくりとは行かないだろうと言った。「浹洽」。大釜で炊くとどこもかしこも飯になる。隠居の所は柔らかに、息子の処は硬めに、ここはどうのあそこはどうのとなる筈はない。論孟の開巻から全篇を見て、実にその通りだと落ちるのが浹洽で、その上で後に緊要が出る。初手から緊要は悪い。品川から段々と道中をすれば、富士山も田子の浦もある。ただよい処だけをと言っていては足元のふらつく道中になる。
【語釈】
・呂晉伯…

盖吾道非如釈氏一見了便從空寂去。この方と仏とは違ふ。あちは見付るとしてとると云。禪録讀だものは知てをるか、誰は何で悟たの、誰はこれで悟たと云。本来面目のはっと胸へきや々々ときた処か一見了なり。それから和尚になる。本来無一物ゆへ今日の五倫は假もの。親子もなくなると云て無が極意なり。とど經文も禪録もなくする。そこで一切經をくっても凡僧がある。六祖は無筆て寺米を舂ても悟る。あちは空寂の道ゆへそれてもすむが、此方は論語二十篇孟子七篇浹洽してから緊要がある。
【解説】
「蓋吾道非如釋氏、一見了便從空寂去」の説明。こちらと仏とは違う。仏は無が極意なので、一見了で悟りを得ればそれでよいとするが、こちらは論語二十篇孟子七篇を浹洽した後に緊要がある。
【通釈】
「蓋吾道非如釈氏一見了便従空寂去」。こちらと仏とは違う。あちらは見付ければして取ったと言う。禅録を読んだ者は知っているが、誰は何で悟ったとか、誰はこれで悟ったと言う。本来の面目がはっと胸に差し込んだ処が一見了であって、それで和尚になる。本来無一物なので今日の五倫は仮のもの。親子もなくなると言い、無が極意である。結局はそれで経文も禅録もないものとする。そこで一切経を繰っても凡僧がいる。六祖は無筆だが、寺米を舂いても悟る。あちらは空寂の道だからそれでも済むが、こちらは論語二十篇孟子七篇を浹洽した後に緊要がある。


第四十三 興於詩の条

興於詩者、吟詠性情、涵暢道德之中、而歆動之。有吾與點也之氣象。又云、興於詩、是興起人善意。汪・洋・浩・大皆是此意。
【読み】
詩に興るとは、性情を吟詠し、道德の中に涵暢して、之に歆動するなり。吾點に與せんの氣象有り。又云く、詩に興るとは、是れ人の善意を興起するなり。汪・洋・浩・大は皆是れ此の意なり。
【補足】
・この章は、程氏外書一二にある伊川の語。

詩は興の字を孔子の使ひ玉ふ。人の心はふるいたってよくなる。興がなけれは腫物の内こふするやふなもの。熟で云へば裏に入るなり。只今は、詩を作る人が多くは名の爲め、隙費へなれとも、古は心の活きることなり。今の詩は心をなやまし、どふぞ靣白ひ詩をとくらやみへ入り、詩であぢにかたまる。古人の詩の妙はそれて心が別になる。丁どあたたかになると障子をあけるやふなもの。詩の甘みが興なり。たたひ詩は心のをもむきを口へ出すこと。音を聞てはたをり鈴虫、あれが性情を吟味するなり。あれが萑、これが燕と知れぬことはない。人も心を明らさまに出すが詩の体なり。をを暑ひと暑を云、この節はをを寒ひと寒を云。それからして病人のうなるも酒呑の哥ふも、曽点が諷舞雩も丹波与作を語るも性情を吟味するで、詩經を麻上下と思ふてはすまぬ。訂翁の詩經の講釈のとき、通りを歌ふてあるくをも詩と云はるる。ありなりか詩の詩たる処なり。性情には正不正かあれとも、有なりの所を云と知べし。
【解説】
「興於詩者、吟詠性情」の説明。人の心は奮い立ってよくなるのであり、古の詩は心が活きることを詠うものだった。心をあからさまに出すのが詩の体である。
【通釈】
詩は興るの字を孔子が使われた。人の心は奮い立ってよくなる。興がなければ腫れ物の内攻する様なもの。熱で言えば裏に入るということ。今詩を作る人の多くは名のためで暇潰しなことだが、古は心の活きることだった。今の詩は心を悩まして、どうか面白い詩を作ろうと暗闇へ入り、詩で悪く固まる。それで古人の詩の妙と心とが別なものとなる。興は丁度、暖かくなると障子を開ける様なもの。詩の甘みが興である。そもそも詩とは心の趣を口に出すこと。音を聞いて機織虫や鈴虫と知る。あれが性情を吟詠すること。あれが雀、これが燕だとわからない筈はない。人が心をあるがままに出すのが詩の体である。大層暑いと暑を言い、この節は大層寒いと寒を言う。それを広げると、病人の唸るのも酒呑みの歌うのも、曾點の諷舞雩も丹波与作を語るのも性情を吟詠することなのであり、詩経は麻裃ですることだと思っては済まない。訂翁が詩経の講釈の時に、通りを歌って歩くことをも詩だと言われた。あるがままが詩の詩たる処である。性情には正不正があるが、あるがままの所を詩と言うのだと知りなさい。
【語釈】
・詩は興…論語泰伯8。「子曰、興於詩、立於禮、成於樂」。
・内こふ…内攻。病気が、身体の表面に出ないで、内部を冒すこと。転じて、精神上の痛手などにもいう。
・はたをり…機織虫。キリギリスの異称。
・諷舞雩…論語先進25。「莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也」。
・丹波与作…関の小万との情事を民謡に歌われた丹波の馬方の名。近松門左衛門作の浄瑠璃「丹波与作待夜の小室節」などで戯曲化された。
・訂翁…久米訂斎。

涵暢道德之中歆動之。あちの有なりを云で、こちが道德を涵暢する。先詩には変風鄭衛の淫乱もありて、本心の処の道德がわるくならふと云はふが、それは食て見ぬゆへのこと。直方先生の云はるる、詩は東山を裸であるくやふな男にうつる、と。左様且又では、味はしれぬ。情をのべてありなりを云ゆへ、それで本の姿が出る。巧言令色剛毅木訥も其人の姿でこちの仁の功夫になる。悪ひ詩を孔子の載せられたは、此方の道德にかまいはない。詩人の方に觀善懲悪の意はないが、詩に興る人の方にあること。周公の詩も人の娘を盗んた詩もあれど、こちではさても尤、さても不埒と云てそこへ興るなり。思無邪と云が、詩人には邪もあるが詩人のありなりにて、向に邪が有ても此方では懲すゆへ道德を涵暢する。これが今どふらくものの踊るを見て、吾もどふらくになりてそれを興ると云ことではない。歆動なりは、うこき立つを云。廻状では行ぬが一人手に来る。日和のよいに花見なり。花も見るかよい。然らば上野へと云ことてない。心から動てなければ興るでなし。
【解説】
「涵暢道德之中、而歆動之」の説明。あるがままを表現したのが詩であり、それでこちらが道徳を涵暢する。詩にはよいものも悪いものもあるが、それはありのままが出たからであり、こちらがそれを読んで善悪の判断材料にするのである。「興」とは、自分の心から動くことである。
【通釈】
「涵暢道徳之中歆動之」。あちらがあるがままを言うので、こちらが道徳を涵暢する。先ず詩には変風や鄭衛の淫乱もあるから、本心の処の道徳が悪くなうだろうと言う者がいるが、それは試してみないからのこと。直方先生が、詩は東山を裸で歩く様な男に映ると言われた。左様且つ又と言う様な融通の利かない者には、この味はわからない。情を述べてあるがままを言うから、それで本当の姿が出る。「巧言令色」「剛毅木訥」も、その人の姿によってこちらの仁の功夫になる。悪い詩を孔子が載せられたのは、こちらの道徳とは関係がない。詩人の方に勧善懲悪の意はないが、詩に興る人の方にそれはある。周公の詩も人の娘を盗んだ詩もあるが、こちらではさても尤もだ、さても不埒だと言ってそこへ興るのである。「思無邪」というのが、詩人には邪もあるが、それが詩人のありのままであって、向こうに邪があってもこちらでは懲らすので道徳を涵暢すると言う。これが今道楽者の踊るのを見て自分も道楽になることを興ると言うのではない。「歆動之」は、動き立つことを言う。廻状では動かないが、ひとりでに動く。日和がよいので花見をする。花も見るのがよいと言われ、それなら上野へ行こうということではない。自分の心から動くのでなければ興るではない。
【語釈】
・巧言令色…論語学而3。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。
・剛毅木訥…論語子路27。「子曰、剛毅木訥近仁」。
・思無邪…論語為政2。「子曰、詩三百、一言以蔽之。曰、思無邪」。

有吾與點之氣象。思もよらず曽点が出たなり。詩經の益は法外之意かあるなり。與点之氣象と云が法外の法なり。孔子のふだんの教文行忠信博文約礼か掛札なれども、この曽点と云は、日和のよいに濱見物花見に行ふと云なり。そこを我は點に與せんと孔子云へり。此氣象と云が面白こと。今日の人の農業をすてて花見や濱見物に行くに、なに垩人が與せられふ。曽点は別のことなり。此が法外の法ぞ。然らばとかく舞雩に風れよと云ことてない。曽点一つ心ゆへ與みせり。興於詩も曽点も中は一つことなり。皆筭用の外のことなり。致知の篇へ詩のよみやうも出し、そこへ曽点を出したが、毛萇などが知らぬこと。詩をふくやうか伊川なり。
【解説】
「有吾與點也之氣象」の説明。「吾与點」は、孔子の心が曾點と同じだったから言った言葉であり、「興於詩」とも同じ意である。
【通釈】
「有吾与點也之気象」。思いもよらず曾點が出た。詩経の益は法外の意がある。「与點之気象」というのが法外の法である。孔子は普段、「教文行忠信」「博文約礼」を掛札にしているが、この曾點というのは、日和がよいから濱見物や花見に行こうと言った人で、そこを「吾与點」と孔子が言ったのである。この気象と言うのが面白いこと。今日の人が農業を棄てて花見や濱見物に行くことに、どうして聖人が与されるだろうか。曾點はそれとは別のことである。ここが法外の法。それではとにかく舞雩に吹かれなさいということではない。曾點と同じ心だから与したのである。「興於詩」も曾點も中は同じことで、皆算用の外のことである。致知の篇へ詩の読み方も出し、そこへ曾點を出したが、それは毛萇などにはわからないこと。詩を服膺するのが伊川である。
【語釈】
・教文行忠信…論語述而24。「子以四敎、文・行・忠・信」。
・博文約礼…論語雍也25と顔淵15。「子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫」。
・毛萇…前漢の儒者。詩経を伝える。
・ふくやう…服膺。心にとどめて忘れないこと。胸にとめて常に行うこと。中庸章句8。「子曰、囘之爲人也、擇乎中庸、得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣」。

細書。又曰興於詩是興起人善意。元日に鴬の音を聞なり。聞ずともすむものなれとも、考へて看よ。あれでぶんになるもの。このときあれを引さひて焼鳥とは云はぬ。心のつや々々となるも詩のことなり。汪洋浩大皆是此意。西銘の意なり。この四字詩を云ぬいた字なり。人の心浩大なものなれとも、人欲の氷や人我の隔で小くなる。然るに詩はそこが大くなる。さて一つ迂斎の大切の弁あり。この弁なとか挌式よいことと題号置て聞へし。汪洋浩大は情をあてがはぬことと云。知た人の口上なり。凡人は情をあてかふ。悔みに行くと、我は悲くなけれとも、喪主へ我も悲ひふりをする。いやなことなり。又詩の詩たるはやりばなしと迂斎云へり。うつらぬ人がきかば、やりばなしはよくないことと云をふなれとも、一はいを云。そこで汪洋浩大が詩の姿。あとさきはない。子ともの泣出す、一はいに泣なり。さて、此四字て邵子の德容を見るべし。明道の邵子の碑銘に此四字をかけり。死なるるときも伊川に、貴様は面前の路徑が狹いと云れた。邵子一生樂んで居た意が知るる。邵子なとが興於詩から成就したやうな人なり。小児を愛して連立てあるく底なども汪洋浩大のもやうかある。こじりとかめをする人は汪洋浩大てない。詩の氣象がない。
【解説】
詩に興れば心が艶やかになる。また、詩は汪洋浩大であり、それで人の心が大きくなる。迂斎は、汪洋浩大とは情をあてがわないもの、一杯なものだと言った。
【通釈】
細書。「又曰興於詩是興起人善意」。元日に鴬の音を聞く。聞かなくても済むものだが、考えて看なさい。あれでよくなるもの。この時、あれを引き裂いて焼鳥にしょうとは思わない。心が艶々となるのも詩である。「汪洋浩大皆是此意」。これは西銘の意と同じで、この四字は詩を言い抜いた字である。人の心は浩大なものだが、人欲の氷や人我の隔てで小さくなる。詩はそれとは反対で、心が大きくなる。さて、ここに一つ迂斎の大切な弁がある。この弁などが格式のよいことだと題号を置いて聞きなさい。汪洋浩大は情をあてがわないことだと言った。これはよくわかった人の口上である。凡人は情をあてがう。悔やみに行くと、自分は悲しくないのに喪主に対して自分も悲しい振りをする。それは嫌なこと。また、詩の詩たるところは遣りっ放しだと迂斎が言った。飲み込みの悪い人が聞けば、遣りっ放しはよくないことだと言うだろうが、一杯なことを言うのである。そこで汪洋浩大が詩の姿。後先はない。子供が泣き出す時は一杯に泣く。さて、この四字で邵子の徳容を見なさい。明道が邵子の碑銘にこの四字を書いた。死なれる時も伊川に、貴様は面前の路径が狭いと言われた。邵子は一生楽しんでいた意がここで知れる。邵子などは興於詩から成就した様な人である。小児を愛して連れ立って歩くことなどにも汪洋浩大の模様がある。鐺咎めをする人は汪洋浩大ではない。それでは詩の気象がない。
【語釈】
・邵子…邵康節。1011~1077
・こじりとかめ…鐺咎め。往来ですれ違った時、互いの刀の鐺が打ちあたるのを無礼として咎めだてること。転じて、わずかなことを咎めだてすること。


第四十四 謝顕道云明道先生善言詩の条

謝顯道云、明道先生善言詩。他又渾不曾章解句釋。但優游玩味、吟哦上下、便使人有得處。瞻彼日月、悠悠我思。道之伝遠、曷云能來。思之切矣。終曰、百爾君子、不知德行。不忮不求、何用不臧。歸于正也。又云、伯淳嘗談詩、竝不下一字訓詁。有時只轉卻一兩字、點掇地念過、便敎人省悟。又曰、古人所以貴親炙之也。
【読み】
謝顯道云う、明道先生は善く詩を言う。他[かれ]は又渾[すべ]て曾て章解句釋せず。但優游玩味し、吟哦上下して、便ち人をして得る處有らしむるのみ。彼の日月を瞻[み]て、悠悠として我思う。道の伝[ここ]に遠ければ、曷[なん]ぞ云に能く來らん、と。之を思うこと切なるなり。終わりに曰く、百[およ]そ爾君子、德行を知らざらんや。忮[そこな]わず求めずんば、何を用て臧[よ]からざらん、と。正しきに歸するなり、と。又云う、伯淳嘗[つね]に詩を談ずるに、竝びに一字の訓詁をも下さず。時有りて只一兩字を轉卻し、點掇地[てんてつち]に念じ過ぎ、便ち人をして省悟せしむ、と。又曰く、古人の之に親炙するを貴ぶ所以なり、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。

この章を山﨑先生、三百篇の教はすたりたが千載之下に明道か傳を得たと云はるるが仰山のやふなれとも、得孔門吟詠之意なり。他又渾不曽章解句釋云々。一章一句を丁寧にはとかぬ。優游玩味吟哦上下は詩經へ向てとっくりと這入たこと。譬て云はは、奉公人が主人のいとまを取り、朝もとっくりと寢るなとを、明道の東窓日已紅と云か其姿なり。優游の二字、もと詩の文字なり。家語にもあり。其ゆるりとした模様を以て詩を讀むの趣にしたもの。片端から繰るやうな讀みやうでない。今の俗師の周南から召南、それから國風のと推して説くやうなことては得られぬ。西行が景氣のよい所にはゆっくりと止る。明道も幾日て詩經をすまそうと云様なことてない。同し詩を何返も々々も口で唱へて玩味する。吟哦。誦む声を云。若曰稽古帝舜と云にそれはない。上下。声をあけたり下けたりしてよむ。声をあげたり下けたり、むっくりとよんで吟哦するて詩の意が得られる。明道の得られたが爰なり。
【解説】
「謝顯道云、明道先生善言詩。他又渾不曾章解句釋。但優游玩味、吟哦上下、便使人有得處」の説明。明道先生は細かに詩を説かなかった。しかし、詩の中にとっぷりと這い入っていた。それは詩経を全部読み終えようとするためのものではない。同じ詩を何遍も唱えて玩味することで詩の意を得たのである。
【通釈】
この章について山崎先生が、三百篇の教えは廃ったが千載の下に明道が伝を得たと言われた。それは大袈裟なことの様だが、孔門吟詠の意を得たのである。「他又渾不曾章解句釈云々」。一章一句を丁寧には説かない。「優游玩味吟哦上下」は詩経へ向かってとっくりと這い入ったこと。たとえて言えば、奉公人が主人から暇を貰い、朝もとっくりと寝ているところなどを、明道が「東窓日已紅」と言うのがその姿である。優游の二字は、元は詩の文字である。家語にもある。そのゆったりとした模様を以て詩を読む趣としたもので、それは片っ端から繰る様な読み方ではない。今の俗師が周南から召南、それから国風と推して説く様なことでは得られない。西行は景色のよい所にはゆっくりと泊まる。明道も同じで、幾日で詩経を済まそうという様なこではない。同じ詩を何遍も口で唱えて玩味する。「吟哦」。誦む声を言う。「若曰稽古堯舜」には、それはない。「上下」。声を上げたり下げたりして読む。声を上げたり下げたり、むっくりと読んで吟哦するので詩の意が得られる。明道の得られたのがこれである。
【語釈】
・東窓日已紅…明道の詩。「睡覚東窓日已紅」。
・優游の二字…詩経小雅白駒と大雅卷阿にある。家語には「禮必以和、優游以法」とある。
・若曰稽古帝堯…書経堯典。「曰若稽古帝堯」。

瞻彼日月。在番の留守で作た詩。去年の今日在番にたたれたか、さても果しない久しひこと。十里か廿里の道なら仕方も有ふが、長﨑や松前の果ゆへと云ふときの詩なり。明道のそこをこさいにはとかす、思之切矣。矣の字で活て来る。この詩か妻の心の切から出たもの。これ、鬼の留守に洗濯でない。明道のこまかに説ずとも思之切ですむ。終に曰百爾君子不知德行云々。これも歸于正也の四字ですむ。不忮は、一年餘顔は見ぬか德行を知た君子ゆへ過はあるまいなり。女の口上には名言なり。人へあしさま人へつっかかるやふなあぶないこと。そこを不忮なり。求るは、欲が深く向をなでこまふとする。又撫こま子ば、此方へこいよかしとする。皆求るなり。不求ゆへ唐天竺へ行ても案じは案ずるが、あぶないことはない。何用不臧なり。さて歸于正なりと云が松浦小夜姫にならぬなり。めったに啼出すことはない。縫ものてもしてしゃんと留主をして居る。くよ々々思て病を出すは正てない。さて々々よい女房ぞ。ここにあるが明道の講釈なり。詩經の講釈きかんと皆々のやふに御倉半紙をとぢ筆記せんと思ふたれば、思之切矣歸于正也とたた八字の講釈そ。聞下手は折角往きて損をしたと云。上蔡は聞上手なり。德を取たと吹聽なり。
【解説】
「瞻彼日月、悠悠我思。道之伝遠、曷云能來。思之切矣。終曰、百爾君子、不知德行。不忮不求、何用不臧。歸于正也」の説明。明道は雄雉の詩を細かに説かず、「瞻彼日月云々」を「思之切矣」と言い切った。また、「終曰百爾君子不知德行云々」も「歸于正也」と言い切った。明道のこの詩の講釈はたった八字のみだったが、上蔡は聞き上手だから、徳を得たと喜んだ。
【通釈】
「瞻彼日月」。在番で留守になって作った詩。去年の今日在番に発たれたが、さても果てしなく久しいこと。十里か二十里の道なら何とかなろうが、長崎や松前の果てなので仕方がないという時の詩である。明道はそこを巨細には説かず、「思之切矣」と言った。矣の字で活きて来る。この詩は妻の心の切なところから出たもの。これは鬼の留守に洗濯ではない。細かに説かなくても明道の思之切で済む。「終曰百爾君子不知徳行云々」。これも「帰于正也」の四字で済む。「不忮」とは、一年余り顔は見ないが徳行を知っている君子だから過ちはあるまいということ。女の口上としては名言である。人を悪し様にして、人に突っ掛かる様な危ないことをしないのが「不忮」である。「求」とは、欲が深くて向こうを撫で込めようとすること。また、撫で込められなければ、こちらへ来なさいよと言う。それが皆求めるである。「不求」だから、唐や天竺へ行っても案じはするが危ないことはない。「何用不臧」である。さて「帰于正也」というのが松浦の小夜姫にならないこと。滅多に泣き出すことはない。縫い物でもしてしゃんと留守をしている。くよくよして病気になるのは正でない。実によい女房である。ここにあるのが明道の講釈である。お前達の様に詩経の講釈を聞こうとして、小倉半紙を綴じて筆記しようと思っていれば、「思之切矣帰于正也」とただ八字だけの講釈だった。聞き下手は折角往って損をしたと言う。上蔡は聞き上手だから、徳を得たと吹聴した。
【語釈】
・瞻彼日月…詩経邶風雄雉。「雄雉于飛、泄泄其羽。我之懷矣、自詒伊阻。雄雉于飛、下上其音。展矣君子、實勞我心。瞻彼日月、悠悠我思。道之云遠、曷云能來。百爾君子、不知德行。不忮不求、何用不臧」。
・こさい…巨細。大きいことも小さいこともすべて。委細。一部始終。
・なでこまふ…撫で込める。撫でてやりこめる。
・臧…善の意。
・松浦小夜姫…万葉集巻五871。「遠つ人松浦佐用比賣夫恋いに領巾振りしより負へる山の名」。万葉集巻五874。「海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫」。

細書。伯淳嘗談詩不下一字訓詁。聞人が知たゆへ訓詁に及はぬ。今は訓詁もなければならぬ。それで点まで両点もある。そふないと或医者の風は百病の長たりまするになる。轉却一両字云々。本文のことを云。皆本文は知ているゆへなり。轉却は今訳をつけるやうなもの。點掇地念過云々。本文の句をぬいて云こと。俗語なれとも、これは文字も聞ゆる俗語なり。轉は点をうつやうにちらりとしたこと。掇はつまむこと。一二句つまんて云なり。雄雉の長ひこと云すに大切な処をとなへるか點掇地に省悟させるなり。これが詩計でなく、漢唐と違ふ処なり。尹彦明が心廣體胖を長吟するもこれなり。誠意の章の長ひことを云はぬに益あり。
【解説】
又云、伯淳嘗談詩、竝不下一字訓詁。有時只轉卻一兩字、點掇地念過、便敎人省悟」の説明。明道は訓詁をあまり言わなかった。訳も長く説かず、大切なところを唱えて聞き手をわからせた。
【通釈】
細書。「伯淳嘗談詩不下一字訓詁」。聞く人が知っているから訓詁を言うには及ばない。今は訓詁もなければならない。それで点も両点までもがある。そうでないと或る医者が言った、風は百病の長たりますになる。「転却一両字云々」。本文のことを言う。皆本文は知っているからである。転却は今訳を付ける様なもの。「點掇地念過云々」。本文の句を引き抜いて言うこと。俗語だが、これは文字からもよくわかる俗である。點は点を打つ様にちらりとしたこと。掇は抓むこと。一二句を抓んで言うこと。雄雉を長く言わずに大切な処を唱えるのが點掇地に省悟させること。これは詩ばかりのことではなく、漢唐とも違う処でもある。尹彦明が「心広体胖」を長吟するのもここ。誠意の章を長々と言わないところに益がある。
【語釈】
・伯淳…程明道。
・両点…漢文の訓点で、原漢文に返り点と送り仮名の両方をつけたもの。また、返り点と送り仮名。
・心廣體胖…大学章句6。「富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。

又曰古人所以貴親炙之也。近思録は千年の前の説。そのとき謝氏は明道の五音や声色て詩を得て、御恩は忘れぬと云たものなり。迂斎の、親炙でないのは手紙で酒をしひる様なものと云へり。いかさま手帋てすすめるはひひかぬなり。最一杯被召上可被下候と書てやったではうつらぬ。私御合と云てなふては、酒は飲れぬ。顔と々々と合せると、御亭主はあまり六ヶしいと云なから飲む。これ親炙のあんばいぞ。去るに由て、此条でこの筋のわけはすんても明道の吟詠をきくやふにはないは親炙てない処なり。楊貴妃の繪に恋慕はせぬも親炙てないゆへなり。
【解説】
又曰、古人所以貴親炙之也」の説明。親炙でなければ心に響かない。この章の筋がわかっても、明道の吟詠を聞いた様に思えないのは親炙でないからである。
【通釈】
「又曰古人所以貴親炙之也」。近思録は千年の前の説。その時、謝氏は明道の五音や声色で詩を得て、御恩は忘れないと言ったのである。迂斎が、親炙でないのは手紙で酒を強いる様なものと言った。いかにも手紙で酒を勧めるのでは響かない。もう一杯召上られ下さる可く候と書いて遣ったのでは映らない。私がお相手しますと言うのでなければ酒は飲めない。顔と顔とを合わせて、御亭主はあまりに難しい人だと言いながら飲む。これが親炙の塩梅である。そこで、この条でこの筋の訳は済んでも、明道の吟詠を聞いた様でないのは親炙でない処である。楊貴妃の絵に恋慕しないのも、それが親炙でないからである。


第四十五 明道先生曰学者不可以不看詩条

明道先生曰、學者不可以不看詩。看詩、便使人長一格價。
【読み】
明道先生曰く、學者は以て詩を看ざる可からず。詩を看れば、便ち人をして長ずること一格價ならしむ、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。もとは亀山語録のもの。

詩は見子ばかなはぬと云か不可なり。長一挌價と云は、詩て人品の直段が上ると云こと。一寸聞てはすめぬことなり。さて今詩作る人に天授も脩行もあり、それに夸る人や靜な人もあるか、夸る人は勿論、靜な和した人がどふしてもよいそ。されとも詩が上手と云はるると、それに乘てうれしがる。それは直が下る。たたい詩は志を興起するゆへ興於詩と云、樂で道德に和順するはこなれるなり。そこで樂も詩をこめて云。義理の出處進退も修行して角の取れるは詩の氣味なり。つやあんはいは詩の手抦なり。惣体の艶か違ふ。詩は人を美ふする心の藥ゆへ長一格と云。某なども幼少から詩に感がうすい。それで自ら作ることかならぬ。今老て学問の上を又も詩と云味を知らす、理屈だけい処がある。師も弟子を呵る計ではのだたぬ。范魯公質の詩で諭したが尤なことで、理屈の外に上るものがある。某と幸田の違も、幸田は詩の照り合ふで某より上座なり。いやと云はれぬ此意か、此条をすましたらば分外の味を得べし。
【解説】
詩は人を美しくする心の薬であり、詩によって人品の値段が上がる。黙斎は自分が幼少の時より詩への感が薄く、年老いても理屈に偏るところがあると言う。詩には理屈の上を行く艶や塩梅がある。
【通釈】
詩は見なければならないと言うのが「不可」の字である。「長一格価」とは、詩で人品の値段が上がるということ。それは、一寸聞いただけではわからないこと。さて今詩を作る人には天授も修行もあり、それに奢る人や静かな人もあるが、勿論、奢る人よりは静かな和した人の方がどうしてもよいもの。しかしながら、詩が上手だと言われると、それに乗って嬉しがる。それでは値が下がる。そもそも詩は志を興起するものだから「興於詩」と言い、楽で道徳に和順するのは熟れるのである。そこで楽も詩を込めて言う。義理の出処進退も、修行して角が取れるのは詩の気味である。艶や塩梅は詩の手柄であって、そこで全体の艶が違って来る。詩は人を美しくする心の薬だから長一格と言う。私なども幼少から詩に対しての感が薄い。それで自ら詩を作ることができない。今老いて学問の上で、まだ詩という味を知らず、理屈高い処がある。師も弟子を呵るばかりでは伸びない。范魯公質が詩で諭したのが尤もなことで、理屈の外に上がるものがある。私と幸田の違いもそれで、幸田は詩が照り合うので私より上座である。これは否定することのできないものだが、この条を済ましたら分外の味を得るだろう。
【語釈】
・興於詩…致知43。「興於詩者、吟詠性情、涵暢道德之中、而歆動之」。
・范魯公質…
・幸田…幸田子善。迂斎門下。1720~1792


第四十六 不以文害辞の条

不以文害辭。文、文字之文。擧一字則是文、成句是辭。詩、爲解一字不行、卻遷就他説。如有周不顯、自是作文當如此。
【読み】
文を以て辭を害せず。文は、文字の文なり。一字を擧ぐれば則ち是れ文にして、句を成せば是れ辭なり。詩は、解を爲すに一字行[や]らずんば、卻って他[かれ]に遷就して説け。有周顯れざらんやの如き、自ら是れ文を作るには當に此の如くなるべし。
【補足】
・この条は、程氏外書一にある。

文は文字の文。詩文の文てない。詩經の上て云ことなり。詩經を解ことを云。關々も文、雎鳩も文なり。擧一字則是文。一字も文。二字も文。成句是辞。關々或雎鳩と絶は文。關々雎鳩はと句をなすは辞なり。それて文は、關々の雎鳩のとは字彙にも本艸にもある。關々雎鳩と云へは辞になる。氣を付れば詩經はそふぢゃなり。詩爲解一字不行却遷就他説は講釈も注解も一字を解なり。さてそこが文面の一字で計は通らぬ。他。句を云。一字て向へ通らぬゆへ、そこへものを入て解く。遷就。餘のものを入れるを云。朱子不断呵る字なれとも、詩經は字面ですめぬ時は遷就する。そこへ物を一つ入れとくとすむ。如有周不顕。只字なり計は日蔭の紅葉なり。豈あらはれさらんやと、豈の字をつけるか他に遷就なり。そこで不顕猶言豈不顕と註する。本文にないことを他に就て解くなり。作文當如此。初の句へかへして見がよし。誰そか跡で豈の字入れて見るて有ふと云ものなり。点のよいわるいと云も其所て大切なこと。有周あらはれすと云点ては意を害す。顕はれさらんやと云て通ずる。當如此は讀ものが斯ふとるで有ふとて、こふ文を作たなり。すくに不顕の文を指して云なり。してみれば、はたらきがなふてはとかれぬ。孟子は其はたらきを示したものなり。
【解説】
文とは文字のことで、辞とは成句のことである。講釈や注解では文字を解くが、文字だけでは意が通じないことがある。そこで、他の文字を入れて解くのが遷就である。たとえば「有周不顕」は「有周豈不顕」と豈を入れると意味が通じる。読み手が意を持たなければ、読みこなすことはできない。
【通釈】
文は文字の文であって、詩文の文ではない。詩経の上で言うことで、詩経を解くことを言う。「関関」も文、「雎鳩」も文である。「挙一字則是文」。一字も文で、二字も文。「成句是辞」。関関或いは雎鳩と切ると文。関関雎鳩と句を成したものは辞である。それで文では、関関や雎鳩と辞書にも本草にもある。しかし、関関雎鳩と言えば辞になる。気を付ければ詩経はそれだとわかる。「詩為解一字不行却遷就他説」。講釈も注解も一字を解くことだが、さてそこが文面の一字だけでは通じない。「他」。句のことを言う。一字では向こうへ通らないから、そこへものを入れて解く。「遷就」。他のものを入れることを言う。遷就は朱子が普段は悪いとする字だが、詩経では字面でわからない時は遷就する。そこへ物を一つ入れて解くと済む。「如有周不顕」。ただ字の通りだけでは日蔭の紅葉である。豈顕れざらんやと、豈の字を付けるのが「遷就他」である。そこで「不顕猶言豈不顕」と註をする。本文にないことを他に就いて解く。「作文当如此」。初めの句へ返して見なさい。誰かが後で豈の字を入れて見るだろうということ。点のよい悪いというのもその所で、ここが大切なこと。有周顕れずという点では意を害す。顕れざらんやと言うので通じる。「当如此」は、読む者がこう理解するだろうと思ってこの様に文を作ったのであって、直に不顕の文を指して言ったこと。そこで、働きがなくては解くことはできない。孟子はその働きを示したのである。
【語釈】
・關々…詩経国風周南。「關關雎鳩、在河之洲窈窕淑女、君子好逑」。
・有周不顕…詩経大雅文王。「文王在上、於昭于天、周雖舊邦、其命維新。有周不顯、帝命不時。文王陟降、在帝左右…」。
・孟子は…孟子万章章句上4。「故説詩者、不以文害辭。不以辭害志。以意逆志。是爲得之」。


第四十七 看書須要見二帝三王之道条

看書須要見二帝三王之道。如二典、即求堯所以治民、舜所以事君。
【読み】
書を看るには、須く二帝三王の道を見るを要すべし。二典の如き、即ち堯の民を治めし所以、舜の君に事へし所以を求めよ。
【補足】
・この条は、程氏外書二四にある伊川の語。

書經は吟味ある六ヶしい書なり。これ迠の学者がさま々々事の吟味計して、若曰稽古帝堯を長く考た儒者もある。璿璣玉衡や洪範の占、禹貢の地理、事は大ふ吟味あれとも、それよりは端的がある。二帝三王の道なり。漢唐の儒者か道の処を知らぬ。名物度數訓詁の世話計なり。徂徠も知顔で知らぬ。あれは二帝三王も覇者も同ことになる。道をのけて称するは王覇が似たか々々々なり。先王々々と云て先王は出せとも、やはり漢唐以下の事や法て説く。中庸天命之性卒性にが道なり。其道をとりはつさぬを中を執ると云。執中が二帝三王の心なり。そこて蔡九峯の序に心々と云てある。覇者も事はよいが心がちごうなり。口切やなんぢを呼ぶも金のことは術そ。二帝三王は心のことなり。事々と云ても、今事の上ては堯典舜典の通りはやくにたたぬ。心の上に帰着する。経済録政談、日本で調法なり。然るに事ですめは商鞅も唐太宗もよいことあるか、あれを二典と一つこととは云はれまい。
【解説】
書経は難解な書である。これまでの学者は書経に対して事の吟味ばかりをしていたが、二帝三王の道を知ることが重要なのであって、それは心のこと。聖人の道を知らずに聖人を説けば、聖人も覇者も同じと言うに陥る。「天命之謂性率性之謂道」が道であり、その道を踏み違えないことを執中と言い、それが二帝三王の心である。
【通釈】
書経は吟味の必要な難しい書である。これまでの学者は事の吟味ばかりを様々とし、中には「若曰稽古帝堯」を長く考えた儒者もある。璿璣玉衡や洪範の占い、禹貢の地理と、事には大分吟味することがあるが、それよりは手っ取り早いことがある。それは二帝三王の道である。漢唐の儒者は道のある処を知らず、名物や度数、訓詁の世話ばかりをしていた。徂徠も知り顔で知らない。あれでは二帝三王も覇者も同じことになる。道を除けて称するのは王と覇が似たものになる。先王と言って先王は出すが、やはり漢唐以降の事や法によって説く。中庸にある「天命之性率性」が道である。その道を取り外さないことを、中を執ると言う。執中が二帝三王の心である。そこで蔡九峯の序に心々と言ってある。覇者も事はよいが心が違う。口切や汝を呼ぶも金のことは術である。二帝三王は心のこと。事々と言っても、今事の上では堯典や舜典の通りでは役に立たない。心の上に帰着するのである。経済録や政談は日本では調法である。しかし、事で済ませば商鞅にも唐太宗にもよいことはある。あれを二典と同じだとは言えないだろう。
【語釈】
・若曰稽古帝堯…書経堯典。「曰若稽古帝堯」。
・璿璣玉衡…書経舜典。「在璿璣玉衡、以齊七政」。璿璣玉衡は天体を象ったもの。七政は七つの星(日月木火土金水)。
・洪範…書経周書の編名。
・禹貢…書経夏書の一篇。古代中国の一種の地理書。
・中庸天命之性卒性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・中を執る…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・口切やなんぢを呼ぶも金のこと…其角の発句。
・経済録政談…経済録は太宰春台著。政談は荻生徂徠著。
・商鞅…中国、戦国時代の政治家。衛の公族。公孫子。

事は古今の異なることありて、暦象日月星辰と云て暦を作り時を授るも民が可愛からのこと。夫れも今は伊勢から来る。其堯舜の法か今日入らぬか、民を治るは堯の心の所。黎民於變るになる。ここが王者の有難こと。そこを見ることなり。さま々々刑を用ひ、首を切るの嶋へやるのと云は政になくてならぬ法なり。但二帝三王のことは心から出る。法ではない。堯舜の道の至善につまったか二典なり。そこを見ること。そふなれは、後世の法のやうに大学序非後世之所能及と云もそこのこと。漢唐のいろ々々刑を用ひ、魚鱗靎翼とは一体の根か違ふ。そこを見ぬと中から下のことを見るになる。堯舜之道を尺度權衡にするも、あの心を得るそ。離婁篇堯舜人倫之至と云。孟子は手段が違ふ。漢唐は指で丸なり。心のぶんまわしが違ふ。
【解説】
事は時代で変化をするが、民を治めるには堯舜の心が必要である。法は必要なものだが、二帝三王の事は心から出たものであって、漢唐や今で言う法とは違う。漢唐は丸を指で描くが、聖人は心が違う。
【通釈】
事は古今で異なることがあって、暦象日月星辰と言って、暦を作って時を授けるのも民が可愛いからである。それも今は伊勢から来る。今日は堯舜の法も要らないが、民を治めるのは堯の心の所に由るであって、それで「黎民於変」になる。ここが王者の有難いこと。そこを見るのである。様々な刑を用い、首を切ったり遠島したりするのは政になくてはならない法である。しかし、二帝三王の事はただ心から出たことであって法ではない。堯舜の道が至善に詰まったのが二典である。そこを見ること。大学序で「非後世之所能及」と言うのもそこのことであって、後世の法の様な、漢唐で色々と行った刑や魚鱗鶴翼などの戦法とは全体の根が違ったものである。そこを見ないと中から下のことを見ることになる。堯舜の道を尺度権衡にするのも、あの心を得ること。離婁篇で「堯舜人倫之至」と言った。孟子は後世の者とは手段が違う。漢唐は指で丸を描く。心のぶんまわしが違う。
【語釈】
・暦象日月星辰…書経堯典。「乃命羲和、欽若昊天。曆象日月星辰、敬授人時。分命羲仲、宅嵎夷」。
・黎民於變る…書経堯典。「黎民於變、時雍」。
・大学序非後世之所能及…大学章句序。「此古昔盛時、所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也」。
・魚鱗靎翼…陣形の一。魚鱗は、魚の鱗の様な形に並ぶもの。人字形で、中央部を敵に最も近く進出させる。鶴翼は、鶴が左右のつばさを張ったように、敵兵を中にとりこめようとする陣形。
・尺度權衡…尺度は物差し。権衡ははかり。
・堯舜人倫之至…孟子離婁章句上2。「孟子曰、規矩方員之至也。聖人人倫之至也」。
・ぶんまわし…コンパス。


第四十八 中庸之書之条

中庸之書、是孔門傳授、成於子思・孟子。其書雖是雜記、更不分精粗、一兗説了。今人語道、多説高便遺卻卑、説本便遺卻末。
【読み】
中庸の書は、是れ孔門の傳授にして、子思・孟子に成る。其の書は是れ雜記なりと雖も、更に精粗を分かたず、一兗に説き了る。今の人は道を語るに、多くは高きを説けば便ち卑きを遺卻し、本を説けば便ち末を遺卻す。
【補足】
・この条は、程氏外書一五にある伊川の語。

これから中庸なり。今日の所、大学論孟のあとへ詩書を入て、それから中庸でくくって易へうつすか偏集の深ひ趣向と見へる。孔門傳授成於子思云々。傳授は孔子のうけて渡すことなり。論語の末堯曰も、堯舜から湯武になり、孔子の二帝三王を祖述し、文武を憲章し玉ふなり。又其ことを調べあげたが子思の中庸。皆それを心へ得ること。中庸傳授の心法。それをここへ出し、易の前にをく。大ふ朱子の思召あることなり。一本に成於子思傳孟子の傳の字がある。一本の方がよし。其書雖是雜記。朱子の章句以後は筋が分るが、礼記の中にありたときは直方先生の云るる赤壁の賦のやうに一とつつきなり。
【解説】
伝授とは聖賢の教えを受けて渡すこと。中庸は伝授の心法であり、それを易の前に置くのが朱子の思し召しである。
【通釈】
これからは中庸のこと。今日の所は大学論孟の後へ詩書を入れ、それから中庸で括って易へ移す。ここに編集の深い趣向があるものと見える。「孔門伝授成於子思云々」。伝授は孔子の教えを受けて渡すこと。論語の末にある堯曰も、堯舜から湯武になり、孔子が二帝三王を祖述し、文武を憲章されたことが記されている。また、そのことを調べ上げたのが子思の中庸であって、伝授とは孔子の教えを皆心へ得ること。中庸は伝授の心法であり、それをここへ出し、易の前に置くのが朱子の思召しの大きいところである。別に「成於子思伝孟子」と伝の字が入るともある。その方がよい。「其書雖是雑記」。朱子が章句にしたので筋は分かれたが、礼記の中にあった時は直方先生が赤壁の賦と言われた様に一続きだった。
【語釈】
・赤壁の賦…宋の蘇軾の文。

不分精粗は、天命性をかたれば妻子好合の、鬼神を説けば達孝のと云て精粗を分たぬ。それに章句を分けぬゆへ、今の如くはきとは知れぬ。一兗説了は、一とくるめに云。精粗兗説かだたい垩人の道のえかたなり。垩人の道は精粗をわけることでない。異端は精計で粗をすてる。渾沌未分の精斗り取て礼は忠信の薄となぐり、佛は不生不滅を取て人倫を滅却して粗跡と見る。人のからだもやがて腐て無くなると云て親をもすてる。それを粗と見るは目がかいないゆへのこと。親の脊中を撫るが粗と見るなれとも、それがすぐに太極の分れたもの。それで太極が大くも小くもならぬ。やはり精粗が同格になる。天子より庶民、垩賢より愚夫迠婚礼するが粗跡のやうなれども、爲端於夫婦と云てその上に道は具てある。鳶飛魚躍は粗と云へとも、それに道理がんざりなり。
【解説】
異端は精ばかりを見、仏は粗ばかりを見るが、聖人の道は精粗を分けない。精粗は太極の分かれた姿であって同格である。それで中庸も精粗を分けないのである。
【通釈】
「不分精粗」は、「天命性」を語れば「妻子好合」も語り、「鬼神」を説けば「達孝」を説いて精粗を分かたない。それに、章句を分けななかったので、今の様にははっきりとわからなかった。「一兗説了」は、一包めに言うこと。「精粗兗説」はそもそも聖人の道の得方である。聖人の道は精粗を分けない。異端は精ばかりで粗を捨てる。渾沌未分の精ばかり取って礼は忠信の薄と殴り捨てる。仏は不生不滅を取って人倫を滅却して粗跡と見る。人の体もやがて腐ってなくなると言って親をも捨てる。それを粗と見るのは目が甲斐ないからである。親の背中を撫でるのを粗と見るが、それは直に太極の分かれたもの。それで太極が大きくも小さくもなることはなく、やはり精粗が同格になる。天子より庶民、聖賢から愚夫まで婚礼するのは粗跡の様だが、「為端於夫婦」と言ってその上に道は具わっている。「鳶飛魚躍」は粗といっても、それには道理がはっきりとある。
【語釈】
・天命性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・妻子好合…中庸章句15。「詩曰、妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟既翕、和樂且耽。宜爾室家、樂爾妻帑」。詩は詩経小雅常棣。
・達孝…中庸章句19。「子曰、武王・周公、其達孝矣乎」。
・礼は忠信の薄…老子論徳38。「夫禮者忠信之薄而亂之首也」。
・爲端於夫婦…中庸章句12。「君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地」。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。

天命性をば三百两、妻子好合如鼓瑟琴の章をば三两で賣でない。洒掃應對は小、天下の政は大なれとも二つでなく、宰相の政の仕方のわるいも小児の茶の給仕のわるいも理は一なり。去によって政のわるいと天下の難義、茶の給仕わるく茶をこもせば手を焼く。薄の葉へうつる月も九十九里の海へうつる月も同じ月影で、それを兗説して分けずに中庸で精粗を同挌に説たが老仏の知らぬ処なり。今人語道。異端をも入て今人と云。説高便遺却卑。高遠計り説と卑近がすたり、根本斗り説と末がのこる。巨細精粗高卑遠近一つにしたが中庸。異端は片々、左か右か、夜か昼かなり。中庸は全体そろった。そこで道の証文なり。大学入德之門から其ぎり々々の行つまりが中庸の心法、道統の傳へ薄るにきまる。
【解説】
精粗に価値の高低があるわけではない。精粗を兗説して分けず、同格に説いたのが中庸である。入徳の門である大学から窮めて、その行き詰まりが中庸の心法である。
【通釈】
「天命性」を三百両、「妻子好合如鼓瑟琴」の章を三両で売るということではない。洒掃応対は小さなことで、天下の政は大きなことだが、それらは別でなく、宰相の政の仕方が悪いのも、小児の茶の給仕が悪いのも理は一つである。そこで、政が悪いと天下の難儀、茶の給仕が悪くて茶をこぼせば手を焼く。薄の葉へ映る月も九十九里の海へ映る月も同じ月影であって、兗説して分けずに精粗を同格に説いたのが中庸であり、そこが老仏の知らない処である。「今人語道」。異端をも入れて今人と言う。「説高便遺却卑」。高遠ばかりを説くと卑近が廃り、根本ばかりを説くと末が残る。巨細精粗高卑遠近を一つにしたのが中庸。異端は片方のみで、左か右か、夜か昼かである。中庸は全体が揃っている。そこで道の証文となる。「大学入徳之門」からその至極の行き詰まりが中庸の心法で、道統の伝へ薄[せま]って行く。
【語釈】
・洒掃應對…論語子張12。「子游曰、子夏之門人小子、當洒掃應對進退、則可矣。抑末也。本之則無。如之何」。
・大学入德之門…大学章句題下。「子程子曰、大學孔氏之遺書、而初學入德之門也」。