第四十九 易傳序  十一月六日  文七録
【語釈】
・十一月六日…寛政2年庚戌(1790年)11月6日。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。

伊川先生易傳序曰、易、變易也。隨時變易以從道也。其爲書也、廣大悉備。將以順性命之理、通幽明之故、盡事物之情、而示開物成務之道也。聖人之憂患後世、可謂至矣。去古雖遠、遺經尚存。然而前儒失意以傳言、後學誦言而忘味。自秦而下、蓋無傳矣。予生千載之後、悼斯文之湮晦、將俾後人沿流而求源。此傳所以作也。易有聖人之道四焉。以言者尚其辭、以動者尚其變、以制器者尚其象、以卜筮者尚其占。吉凶消長之理、進退存亡之道、備於辭。推辭考卦、可以知變。象與占在其中矣。君子居則觀其象而玩其辭、動則觀其變而玩其占。得於辭不逹其意者有矣。未有不得於辭而能通其意者也。至微者理也。至著者象也。體用一源、顯微無閒。觀會通以行其典禮、則辭無所不備。故善學者求言必自近。易於近者非知言者也。予所傳者辭也。由辭以得意、則存乎人焉。
【読み】
伊川先生の易傳の序に曰く、易は變易なり。時に隨って變易し以て道に從うなり。其の書爲[た]るや、廣大悉く備る。將に以て性命の理に順い、幽明の故に通じ、事物の情を盡して、開物成務の道を示さんとす。聖人の後世を憂患する、至れりと謂う可し。古を去ること遠しと雖も、遺經は尚存す。然り而して前儒は意を失いて以て言を傳え、後學は言を誦して味を忘る。秦より而下、蓋し傳無し。予千載の後に生まれ、斯文の湮晦[いんかい]せるを悼み、將に後人をして流に沿いて源を求めしめんとす。此れ傳の作られし所以なり。易に聖人の道四つ有り。以て言う者は其の辭を尚び、以て動く者は其の變を尚び、以て器を制する者は其の象を尚び、以て卜筮する者は其の占を尚ぶ。吉凶消長の理、進退存亡の道は、辭に備わる。辭を推し卦を考えなば、以て變を知るべし。象と占とは其の中に在り。君子は居れば則ち其の象を觀て其の辭を玩び、動けば則ち其の變を觀て其の占を玩ぶ。辭を得て其の意に逹せざる者は有り。未だ辭に得ずして能く其の意に通ずる者有らざるなり。至って微かなる者は理なり。至って著れたる者は象なり。體用は源を一にし、顯微は閒無し。會通を觀て以て其の典禮を行うは、則ち辭備えざる所無し。故に善く學ぶ者は言を求むるに必ず近きよりす。近くを易[あなど]る者は言を知る者に非ず。予の傳する所の者は辭なり。辭に由りて以て意を得るは、則ち人に存す、と。
【補足】
・この条は、程伊川の易伝序からの引用である。

伊川先生は易を取違た人なり。伊川先生が易を取違たゆへ、そこで朱子のやむことを得す本義を作られた。ときに伊川先生の易をとりそこのうたが却て伊川先生の手抦になる。さてこれが一つ聞ごとなり。易の本義を云へば占のために作ったもの。その占がいつがいつ迠も日々入るものてない。夜が明けると行燈のいらぬやふなもの。道理が明になると占はいらぬ。易の本意は占をすることで、占は全体の道理にあつかることではない。そこで周礼三百官の内に大卜の官ありて、御用のとき占をすることて何も道理沙汰はない。これか易の正面なり。それから後世の占屋筭が占をするやうなことまで易にこもりてある。それを易と見ては氣の毒。そふすると道理はみなになるなり。さて、孔子が易と云ものの道理を発明して、これから始て易が道理の書になりた。そこで伊川先生が易の本意にかまわず、易を道理と見てとった。そこで易の本意をばとりそこなわれた。そこが伊川先生の道統になるなり。易を卜筮象數とばかり見ると四日市の判はんじも同ことになる。それでは何も易に奥妙なことはない。日待の慰にもなる。伊川先生がそこの道理を見ぬかれた。そこが道統になるなり。
【解説】
易は本来、占いのために作ったもので、それはいつも必要なものというわけではない。道理が明らかであれば占いは要らないのである。そこを、孔子が易の道理を発明し、初めて易が道理の書になった。伊川先生は易の本意に構わず、易を道理として捉えた。それで伊川先生は易を取り違えた。
【通釈】
伊川先生は易を取り違えた人である。伊川先生が易を取り違えたので、朱子が止むを得ず本義を作られた。時に伊川先生が易を取り損なったのが、却って伊川先生の手柄となった。そこが一つの聞き処である。易の本義を言えば、占いのために作ったもの。その占いは日々いつも必要というものではない。夜が明ければ行燈は要らないという様なもの。道理が明らかになれば占いは要らない。易の本意は占いをすることで、占いは全体の道理に与ることではない。そこで周礼三百官の内に大卜の官があって、彼は御用の時には占いをするが、そこに道理に関したことは何もない。これが易の本来の姿である。それから、後世の占屋算が占をする様なことまでが易にはこもってある。しかし、それを易と見ては気の毒。そうすると道理は台無しになる。さて、孔子が易の道理を発明して、それで初めて易が道理の書になった。そこで伊川先生が易の本意には構わず、易を道理として見て取った。そこで易の本意を取り損なわれたわけだが、そこが伊川先生の道統になるところである。易を卜筮象数とばかり見ると四日市の判はんじと同じことになる。それでは易には何も奥妙なことはなく、日待ちの慰みにもなっていしまう。伊川先生がそこの道理を見抜かれた。そこが道統になるところである。
【語釈】
・占屋筭…占いをする人。
・卜筮…卜法と筮法。亀甲を焼いてうらなうことと、筮竹を用いてうらなうこと。
・象數…易の卦にあらわれる形象と変化。
・四日市の判はんじ…
・日待…①前夜から潔斎して寝ずに日の出を待って拝むこと。②農村などで田植や取入れの終った時などに、部落の者が集まって会食や余興をすること。

本意に違て結搆なと云は、武家の腰物を指すか礼物になったやうなもの。公家衆の笏と違ひ、腰物は元来人を殺すの器なり。人を殺すと云へばにが々々しいことて目出度ひことにはされぬが、今は礼物になってをるゆへ殿中へ指て出る。指ては出れとも、これを殿中で秡は以の外御法度なり。腰物は殺が役なれとも、目出度ことには指と云は礼物になったゆへなり。今町人百姓ても昏礼には麻上下。々々々を着ると是非腰物を指す。鎗もそれなり。元朝には諸大名の鎗持たせて通るを不吉なものが通とは云はぬ。ああ目出度と云。これは本意は失ふたれとも、今は目出度ことになるなり。伊川先生が易の本意は見そこなったか、道統の傳には目出度なる。
【解説】
伊川先生が易を取り違えたのは、道統にとっては結構なことである。それは刀を差す様なもので、本来刀は人を殺す不吉な道具だが、今はその本意を失って目出度い際に差す様になった。
【通釈】
本意に違って結構なことだと言うのは、武家が腰物を差すのが礼物になった様なもの。公家衆の笏とは違い、腰物は元来人を殺す道具である。人を殺すと言えば苦々しいことで目出度いことにはされないが、今は礼物になっているから殿中へも差して出る。差しては出るが、これを殿中で抜けば以の外の御法度である。腰物は殺すのがその役目だが、目出度いことには差すと言うのは礼物になったからである。今町人や百姓でも婚礼には麻裃。麻裃を着ると必ず腰物を差す。鎗も同じである。元朝に諸大名が鎗を持たせて通るのを不吉なものが通るとは言わず、ああ目出度いと言う。これは、鎗の本意は失い、今は目出度いことになっているからである。伊川先生は易の本意は見損なったが、それが道統の伝には目出度いことになる。
【語釈】
・笏…束帯着用の際右手に持って威儀を整えた板片。
・元朝…元日の朝。元旦。

そんなら朱子の本義はどふじゃと云に、易の本意を質すときは必竟占の書なり。これは丁と腰物が礼物になろふとも本とは礼物てはなく、変のあったときの為めにこしらへたと云か腰物の本意になるようなもの。そこで、腰物の栫ばかり立派てきれぬは武家の道具てない。名作の吟味のいるは人を殺すと云ことのあるゆへなり。そこで本義啓蒙を作られた。其本と立ては邵康節なり。易を卜筮にして象數と見るの元祖は邵康節なり。ときに其邵康節は近思録にはすっへりと載てない。載てないはどふも道統に載せられぬものがある。易をとりそこのふた伊川先生が近思録の道統になる。まつこれを致知のひとかかりの吟味とみることそ。易を道理で説くが道統になる。そこて近思録に取りたそ。近思録に取た主意は道理ゆへなり。偖、易傳序は太極圖説と功を並へることなれとも、あれはすぐに道体にして初巻にのせ、伊川先生の易傳序は致知になるを合点するかよい。とちも道体なれとも、太極圖説は押出した道体。これも道体なれとも、易をつかまへて易の書の吟味なり。易が天地のなりなこと。その書のことを云へは道体なれとも、易の書についての吟味ゆへ、致知の篇にのせたものなり。
【解説】
朱子は易が占いの書であるとして本義啓蒙を作られた。それは礼物となった刀が、本来は人を殺す道具であることを示したのと同じ。その易を卜筮にして象数と見た元祖は邵康節である。易を道理として見た易伝序は太極図説と功を並べるものだが、太極図は道体を押し出したものなので道体の篇に載せ、易伝序は易の書の吟味なので致知の篇に載せたのである。
【通釈】
それなら朱子の書いた本義はどうかと言えば、易の本意を質せば、即ち占いの書であるとする。これは丁度腰物が礼物になったとしても、本来は礼物でなく、事変のあったときのために拵えたものだというのが腰物の本意になる様なもの。そこで、拵えばかりが立派で切れない腰物は武家の道具ではない。名作の吟味が必要なのは人を殺すという本意があるからである。そこで朱子が本義啓蒙を作られた。その大元は邵康節である。易を卜筮にして象数と見る元祖は邵康節である。時にその邵康節は近思録に全く載っていない。載っていないのは、どうも道統に載せられないものがあるからである。逆に、易を取り損なった伊川先生が近思録の道統になる。先ずこれを致知の手掛かりの一つとして見なさい。易を道理で説くのが道統になる。そこで近思録に入れたのである。近思録に取った主意は道理だからである。さて、易伝序は太極図説と功を並べるものだが、あれは直に道体として初巻に載せ、伊川先生の易伝序は致知に載せたことを合点しなさい。どちらも道体のことだが、太極図説は押し出した道体。これも道体だが、易を掴まえた、易の書の吟味なのである。易は天地の通りのこと。その書のことを言うのは道体だが、易の書についての吟味なので、致知の篇に載せたのである。

易變易也。易に變易交易と云二つの名かある。交易にかまわす易は変易なりと取たか伊川先生の御手前の見処なり。交易は象數を第一にする用向になる。易変易也と云は易を道理にとりまわす本立になる。垩人の易を作られたか別のことてはない。天地のなりを易の卦爻に畫されたもの。易六十四卦三百八十四爻全体が皆いきものて働きかある。隂陽の姿か活きものでじっとしてはをらず、くる々々とかわるものなり。春が夏になり、夏が秋になり、秋か冬になる。四時流行して隂陽か動く。その阴阳の動きかわるなりを繪に書たゆへ、易変易なりと云。太極圖説に太極動而生陽動極而靜靜而生隂靜極復動一動一靜互為其根か手もなくここのことなり。替ると云で道体はもってをる。段々にうつりかわるて天地か新くなる。かぎりもなく天地のつつくと云ものもかわるゆへなり。そふなけれは、天地もくさりてしまふ。替るてもつそ。其替る処を易変易なりと云なり。かわると云か賞翫。兎角何にもそれなり。人間の姿もそれなり。天地の間に孕れてをるものは皆それなり。人か口をきくかとをもへばたまる。朝から晩まで一日口を聞つつけたと云も天地のなりでないぞ。又いつまでもだまるてない。天地を見るに夜か明ると日か暮る。人も立かとをもへはすわる。易の姿なり。易か道の姿なり。
【解説】
「伊川先生易傳序曰、易、變易也」の説明。易には変易と交易とがある。交易は象数を第一としたものだが、それには構わず「易変易也」と伊川は言った。天地の陰陽は活き物なのでくるくる変わるが、聖人はその天地の姿を易の卦爻に画されたのである。変わることにより天地は続き、保っている。
【通釈】
「易変易也」。易には変易と交易という二つの名がある。交易には構わず、「易変易也」と取ったのが伊川先生のお手前の見処である。交易は象数を第一にするもの。易変易也は易を道理として取り回すための本立てになる。聖人が易を作られたのは他でもなく、天地の姿を易の卦爻に画されたもの。易の六十四卦三百八十四爻の全体が皆活き物もので働きがある。陰陽の姿は活き物で、じっとはせず、くるくる変わるもの。春が夏になり、夏が秋になり、秋が冬になる。四時流行して陰陽が動く。その陰陽の動き変わる通りを絵に描いたので、易変易也と言う。太極図説の「太極動而生陽動極而静静而生陰静極復動一動一静互為其根」がまさにここのこと。変わるということで道体は保っている。段々に移り変わるので天地が新しくなる。限りもなく天地が続くと言うのも変わるからである。そうでなければ天地も腐ってしまう。変わるから保つ。その変わる処を易変易也と言ったのである。変わると言ったのが賞翫。とかく何でもそれである。人間の姿もそれ。天地の間に孕まれているものは皆それである。人が口を聞くかと思えば黙る。朝から晩まで一日中喋り続けるというのは天地の姿ではない。また、いつまでも黙るものでもない。天地を見ると夜が明け日が暮れる。人も立つかと思えば座る。これが易の姿であり、易が道の姿なのである。
【語釈】
・賞翫…①目で玩ぶこと。珍重すること。②あじわうこと。賞味すること。③尊重すること。

隨時変易以從道也。上の句の易変易なりは天地の方て示たもの。隨時云々道也は人の方て云たものなり。垩人の易を作たと云か天地へ進物にすることてはない。人間の方へ進物にすることなり。そこて此方か易を見て天地のなりにすれは何もしそこないはない。易と云を出して、これを教にする。その教に隨ひ易を見て易なりにするが人間の道。そこを隨時変易以從道也と云。天地かぐる々々変易する。その天地なりに人もぐる々々変易する。さて垩賢の教にさま々々あるか、皆天を本立にする。書にも垩人の作用のあるも、やはりそれなり。中庸の西銘のとあれとも、天より外はない。郭忠孝か疑て、易変易也か道のなりじゃに隨時変易以從道かをかしひと難問を云たか、高ぞれたやふてもまた天人の別を知らす。天は自然と変易する。人間は天に從て変易するなり。從は天の供をするやうなもの。今供のことを從者と云は、旦那のなりに從ふから云。主從は君か立てをれば、家来か君に從て君次第にする。侍從と云官も其義そ。人間の学問をするも天次第に從ふことなり。
【解説】
「隨時變易以從道也」の説明。「易変易也」は天地のことで、「随時変易以従道也」は人のこと。聖人は人のために易を作ったのである。易の通りにすることが人の道であり、天地の通りにすれば仕損ないはない。天地が変易するのに従って人も変易しなければならない。人が学問をするのも天に従うためなのである。
【通釈】
「随時変易以従道也」。上の句の「易変易也」は天地の方で示したもの。「随時云々道也」は人の方で言ったもの。聖人が易を作ったのは、天地への進物にするためではない。人間の方へ進物にするためである。そこで、こちらが易を見て天地の通りにすれば何も仕損いはない。易ということを出して、これを教えにする。その教えに随い、易を見て易の通りにするのが人間の道。そこを随時変易以従道也と言う。天地はぐるぐると変易する。その天地の通りに人もぐるぐると変易する。さて、聖賢の教えには様々あるが、皆天を本立てにする。書に聖人の作用があるのも、やはりそれである。中庸、西銘とあっても、天以外のことではない。郭忠孝が疑って、易変易也が道の姿なのだから随時変易以従道は可笑しいと難問を言ったが、それは高逸れた様でもまだ天人の別を知らないからである。天は自然に変易し、人間は天に従って変易する。従は天の供をする様なもの。今供のことを従者と言うのは、旦那の通りに従うから言うのである。主従は君が立っていれば、家来が君に従って君次第にする。侍従という官もその義である。人間が学問をするのも天次第に従うことなのである。
【語釈】
・郭忠孝…

さて道を一つ語るときは、垩人の道も老子や釈迦の道も一と筋は道と云に立るか、異端は天と合文が合ぬ。垩人の道はここか大事じゃの、ここは捨るのと云ことはない。とこもかも大事とするなり。老子は混沌未分の一元氣のと云ふをつかまへ、釈氏は不生不滅を取て端的かぬける。わか見こみた処にばかり眼がついて、隨時変易以從道を知ぬ。さて、易の賞翫は段々にかわることを云。吾儒は何そと云と易を本立にし、又中庸を道の証文にする時に、易はかわることを云、中庸はかわらぬ、これはどふしたものと云。直方先生か易のかわると中庸のかわらぬか嘗て公事にならぬと云れた。なぜ公事にならぬなれは、易はかわるか道、中庸は替わぬか道なり。茶臼はくる々々まわるか眞木をはなれぬ。易はかわるなりか道なり。いつも々々々替るか即中庸のかわらぬ処なり。夏の暑ひもあつひなりか道。冬の寒ひも寒ひなりか道なり。其寒ひか暑くなるは易。其毎年々々同し様に來るか中庸なり。人間の学問も、親に孝行と君に忠は模様は替れとも皆道なり。君へ事るやふに親をする。親か究屈かる。君も親あしらひにする。なれ々々しひ。処を丁どにする。変易して從道なり。
【解説】
異端なども道と言うが、異端は天に符合していない。聖人の道は全てを大事にするが、老子は混沌未分や一元気ばかりを、釈迦は不生不滅ばかりを大事にして、「随時変易以従道」を知らない。聖学では、易が変わることを言い、中庸は変わらないこと言って相反する様だが、易は変わるのが道、中庸は変わらないのが道なのである。
【通釈】
さて、道を一つ語る時は、聖人の道も老子や釈迦の道も一筋なところは道と言うことになるが、異端は天と合文が合わない。聖人の道はここが大事だとか、ここは捨てると言うことはない。どこもかしこも大事なものとする。老子は混沌未分や一元気というものを掴まえ、釈氏は不生不滅を取って身近なことが抜ける。自分の見込んだ処にばかり眼が付いて、随時変易以従道を知らない。さて、易の賞翫は段々に変わること。我が儒は何かと言うと易を本立てにし、また、中庸を道の証文にする時に、易は変わることを言い、中庸は変わらないことを言うが、これはどうしたことかと言う。直方先生が、易の変わることと中庸の変わらないことは全く問題とならないと言われた。何故問題にならないのかと言うと、易は変わるのが道で、中庸は変わらないのが道だからである。茶臼はくるくる廻るが真木から離れない。易は変わる姿が道である。易のいつも変わるのが、即、中庸の変わらない処である。夏が暑いのも暑い姿が道。冬が寒いのも寒い姿が道である。その寒いのが暑くなるのは易。それが毎年同じ様に来るのが中庸である。人間の学問も、親に孝行と君に忠は、模様は違うが皆道である。君へ事える様に親をあしらうと親が窮屈がる。君にも親と同じ様にあしらえば馴れ馴れしい。その処を丁度に応じる。変易して従道である。
【語釈】
・合文…符合すること。合紋。

垩賢の上にも段々あり、殷の三仁のやうなかある。微子は去之と云て懐手でのろりと去た。去たなりか道。比干は紂王の手にかかりた。手にかかりたなりか道。仕方は大な違なれとも、変易以從道てどれかよいこれかよいと云はす、殷に有三仁と云。禹王や后稷の足を草鞋にくわれるにも搆はず八年ほと欠け廻った。顔子はいつも々々々じっとしてをる。とちも同し垩賢なれとも、みた処はこのやうに違ふ。隨時変易以從道かここなり。それゆへ垩人の易を作ったと云か人にくるわせぬやうにしたもの。天地はいつもろくろが違はぬなり。天地にはあがきがなくても道にはづれはない。人には五尺のからたのあるのに、道に蹈たがへ間違かある。道をふみ間違へぬやうに易を作て教たものなり。
【解説】
殷の三仁は生き方が違っていたが、それも「随時変易以従道」だったのである。聖人が易を作ったのは、人が道を踏み間違えない様にするためである。
【通釈】
聖賢の上にも段階があって、殷の三仁の様な者がいる。微子は「去之」と言って懐手でのろりと去った。去った姿が道。比干は紂王の手に掛かったが、手に掛かった姿が道。仕方は大きく違うが変易以従道で、どれがよいこれがよいと言わず、「殷有三仁」と孔子は言った。禹王や后稷は足が草鞋で痛むのにも構わず八年ほど駆け廻った。顔子はいつもじっとしていた。どちらも同じ聖賢だが、見た処はこの様に違う。随時変易以従道がここである。そこで、聖人が易を作ったというのは、人に道を間違えさせない様にしたもの。天地ではいつも轆轤は違わない。天地は足掻かないが道に外れることはない。人には五尺の体があるのに、道に対して踏み違えや間違いがある。道を踏み間違えない様に易を作って教えたのである。
【語釈】
・殷の三仁…論語微子1。「微子去之、箕子爲之奴、比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。
・八年ほと欠け廻った…孟子滕文公章句上4。「禹八年於外、三過其門而不入」。

易と云へば高上なやうなれとも、大学の学問を説た書に伏羲神農黄帝とある。伏羲は易を作て人へ教られたゆへなり。易か教てないと云ことはない。易を作て天下へ示した。人を道に從はせるか教なり。変易以從道也を薛文清の讀書録に手短によく説てをかれた。人間の上て云へは、人のからたのよく働くやうなもの。手も動き足も動く。変易なり。手や足の動か変易なれとも、手や足は凡夫も垩人も動くが、その一動一靜を道の通りにずっとゆくやうにすることなり。垩人には爰か道かある。凡夫は爰て道かなくなる。処を易かあれは道の方へ手を引く。めったにころばせぬ。易かないとわるい。沼や堀へ引こむ。ちょっと聞と易と云へは高上なやうなれとも、天地の間にはらまれてをるものは天なりより外はない。魚か水の外へでるとちきに方かつく。鳥か水中へ沈めはそれきりてかたはつくなり。わがすべきなりにする。忠孝ても何ことても、易と云引導あるゆへ道を盡すなり。これて易は教の書と云にきわまりた。
【解説】
伏羲は易を作って人に教えられたから、大学の序にその名が載っているのであり、易は教えの書なのである。変易とは人の手足がよく動く様なもので、それは聖人も凡夫も違いはない。しかし、聖人は道の通りに動くが、凡人にはそれができない。そこで、そこに易があれば、人を道の方へ導いてくれる。
【通釈】
易と言うと高上な様だが、大学の学問を説いた書に伏羲神農黄帝とある。伏羲は易を作って人に教えられたからそこに載っているのである。易が教えでないということはない。易を作って天下へ示した。人を道に従わせるのが教えである。「変易以従道也」を、薛文清が読書録で手短かにうまく説いておかれた。人間の上で言えば、人の体がよく働く様なもの。手も動き足も動く。これが変易である。手や足の動くのは変易だが、手や足は凡夫でも聖人でも動く。その一動一静を道の通りにずっと行く様にすることなのである。聖人はここに道があり、凡夫はここで道がなくなる。その処で易があれば、道の方へ手を引く。そこで、滅多に転ばせる様なことはない。易がないと悪い。沼や堀へ引き込む。ちょっと聞くと易と言えば高上な様だが、天地の間に孕まれているものは天のままにするより外はない。魚は水の外へ出ると直ぐに死ぬ。鳥が水中へ沈めばそれ切りで片が付く。自分のなすべき通りにする。忠孝でも何事でも、易という引導があって道を尽くすのである。これで易は教えの書ということに極まった。
【語釈】
・伏羲神農黄帝…大学章句序。「一有聰明睿智、能盡其性者、出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而教之、以復其性。此伏羲・神農・黄帝・堯・舜、所以繼天立極、而司徒之職、典樂之官所由設也」。
・薛文清…薛徳温。薛敬軒。

其爲書也云々。これから易の書になりた処そ。其為書也と、書の字を程子の易傳の眼と見ることなり。もと書をまつことてはなく、八卦の出来たときから易の教はあるか、程子の易は道理を元祖にするゆへ、書になりかたまりてから先きを云。易は四垩人の手を歴て易に成った。伏羲を本にして今の書になりた。其書になりたをつかまへて、其為書也と云。ここか程子の趣向ぞ。だたい易の本意は文王の彖の辞なり。周公の爻の辞なく、孔子の十翼かなくても八卦六十四卦を見れはなにもかもすますやうにしたもの。なれともそれにかまはす書になった処をつかまへて云。易の文面の中に天地のことのこることはない。廣大悉備ぞ。そのはづなり。易は天地の合紋ゆへ、天を見、地を見て畫された。合文なりに辞を繋たゆへ廣大なり。易は天地の合紋ゆへ、天地の中のことはみなある。廣大悉備か孔子の語て云たもの。廣大とたた一通りのほめ辞てはない。廣と云ふは地を見ても云、天を見ても云。天を見て云ことなり。天地を後ろにをいて廣大悉備と云。易の中に天地のことはのこらすある。
【解説】
「其爲書也、廣大悉備」。易の本意は文王の彖の辞にある。それ以前に伏羲が八卦を作った時から易の教えはあるのだが、伊川が「其為書也」と言うのは、易が書となった以降を指す。易は天地に符合するから、天地のことは全てその中にある。そこで「広大悉備」なのである。
【通釈】
「其為書也云々」。これからが易の書になった処を言う。「其為書也」にある書の字が程子の易伝に対する着眼だと見なさい。本来、書を待ってのことではなく、八卦ができた時から易の教えはあるが、程子の易は道理を元祖にするから、書になって固まってから先のことを言う。易は四聖人の手を経て易になった。伏羲を本にして今の書になった。その書になったことを捉えて其為書也と言う。ここが程子の趣向である。そもそも易の本意は文王の彖の辞である。周公の爻の辞や孔子の十翼がなくても八卦六十四卦を見れば何もかも済ます様にしたもの。しかしながら、それには構わず書になった処を掴まえて言う。易の文面の中に天地のことで残すことはない。「広大悉備」である。その筈で、易は天地の合紋だから、天を見、地を見て画された。合紋のままに辞を繋けたので広大なのである。易は天地の合紋だから、天地の中のことは皆ある。広大悉備は孔子の語で言ったもの。広大とは、ただ一通りの褒め辞ではない。広とは地を見ても言い、天を見ても言うが、ここは天を見て言ったこと。天地を後ろに置いて広大悉備と言う。易の中に天地のことは残らずある。
【語釈】
・廣大悉備…易経繋辞伝下10。「易之爲書也、廣大悉備。有天道焉、有人道焉、有地道焉。兼三才而兩之」。

將以順性命之理は説卦傳の文字。通幽明之故。繋辞傳の文字。盡事物之情は十翼にはない。萬物之情と云字か彖傳にある。程子の思召ありて萬の字を事としたもの。そこの字に出処はないか、萬物之情と云字の彖傳にあるを根にして、あれから出たと見へる。開物成務は繋辞傳の文字なり。皆来歴のある語をここへ出したもの。ときにここに一ち上に將の字かある。この將の字を吟味しようことそ。將の字はやかてそふさせるきみにつかう文字なり。材木を引込は隠居てもするに、引込て今隠居するではないが、やかて隠居するなり。臺所へ肴を買入るも、今客はなひか夕方客が来るゆへなり。されとも日本詞てきっと證しにくいか、左傳の魯の隠公か莵裘をつくれ、吾將老焉と云たことかある。又、將来涵養成其生気質の將来もやかてのことになる。将の字を入れたは、これか今一寸見て端的にすまぬゆへ、この様に證拠を出す。やはり説卦傳に垩人之作易也将以須性命之理と孔子の本語からして将の字あり、こふかか子はならぬことそ。なせ将の字なれは、伏羲の八卦を畫するときに孔子や子思孟子の様な学者にみせふとて作られたではない。伏羲のときの民は何も知らず子とものやうなり。そこて占をしてよいと云といたし、わるいと云とせぬ。
【解説】
「將以順性命之理、通幽明之故、盡事物之情、而示開物成務之道也」の説明。「将」とは、やがてという意である。伏羲が八卦を作った頃の民は何も知らず、子供の様だったので、占いによって善悪を教えた。
【通釈】
「将以順性命之理」は説卦伝の文字。「通幽明之故」は繋辞伝の文字。「尽事物之情」は十翼にはない。「万物之情」という字が彖伝にある。これは、程子の思し召しがあって万の字を事としたもの。字に出処はないが、万物之情という字が彖伝にあるのを本にして、あれから出たものと見える。「開物成務」は繋辞伝の文字。皆来歴のある語をここへ出したもの。時にここの最初に将の字がある。この将の字を吟味しなければならない。将の字はやがてそうさせる気味に使う文字である。材木を引っ込めるのは隠居でもする時のことがだ、引っ込んで今隠居するわけではないが、やがて隠居する。台所に肴を買い入れるのも、今客はなくても、夕方客が来るからである。しかし、日本詞でははっきりと証し難いもの。左伝に魯の隠公が莵裘を作れ、吾将に老いたりと言ったことがある。また、「将来涵養成其生気質」の将来もやがてのことという意になる。将の字を入れたのは、これが今一寸見ては簡単にはわからないので、この様に証拠を出したのである。やはり説卦伝に「聖人之作易也将以須性命之理」と、孔子の本語にしても将の字があって、この様に書かなければならないことなのである。何故将の字かと言うと、八卦を画した時、伏羲はそれを孔子や子思、孟子の様な学者に見せようとしてそれを作られたのではない。伏羲の時の民は何も知らず、子供の様だった。そこで占いをして、よいと言われれば行い、悪いと言われれば止めたのである。
【語釈】
・將以順性命之理…易経説卦伝1。「昔者聖人之作易也、將以順性命之理。是以立天之道、曰陰與陽。立地之道、曰柔與剛。立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之。故易六畫而成卦。分陰分陽、迭用柔剛。故易六位而成章」。
・通幽明之故…易経繋辞伝上4。「易與天地準。故能彌綸天地之道。仰以觀於天文、俯以察於地理、是故知幽明之故」。
・萬物之情…易経咸卦彖伝。「觀其所感、而天地萬物之情可見矣」。恆卦彖伝。「觀其所恆、而天地萬物之情可見矣」。萃卦彖伝。「觀其所聚、而天地萬物之情可見矣」。
・開物成務…易経繋辞伝上11。「子曰、夫易何爲者也。夫易開物成務、冒天下之道」。
・材木…男の髪の結い方の一。頭の後方に髷を細く結ったもの。元禄頃に流行。
・吾將老焉…左伝隠公11年。「使营菟裘、吾將老焉」。
・将来涵養成其生気質…致知36。「若能於論・孟中深求玩味、將來涵養成甚生氣質」。

性命之理に順ふことにはならぬか、何てあろふとこれて不調法なことのなひやうに、伏羲の民へ合紋をこしらへてやられた。江戸市井見世さきに煙艸無用とあれは煙艸を吸ぬやうなもの。張札をしたやうにあらいことなり。あらい其中をみれは、中々そんなことではない。全体の処はこれなり。将は先きを含んたこと。緒解の子ともに大人のゆきたけのきるものをやる、縫あけしてきせるやうなもの。やかて伸ると云ことある。伏羲のときからあの一も二も知らぬ民かあると云てないから、将の字を書たものなり。四句をこうあつめて書たか伊川先生の眼なり。段々、順性命之理通幽明之故云々と、このためにこの易は作れたと将の字は残すへかかりた字なり。天地の間性命之理より外はなひ。人物をしくるめて性命之理と合点するかよい。万物を天地から拵出さぬものはない。人間を始、蚤や虱まて天地のこしらへたもの。人は人、禽獣は禽獣、沙糖は々々、蕃椒は々々。皆天命之性をもってをる。天命の性のないものはいくらさかしてもない。とんと天命にはづれたものはない。皆天の性命之理で出來た者なり。世の中にふいと出来てふいとなくなるものもありそうなものなれとも、底にある名も知れぬ草も、私も性命の理て出来ましたと云はふぞ。性命の理にはづれたものは决してない。
【解説】
性命の理に順うまでには至らないとしても、民が道を誤らない様にと思って伏羲は八卦を拵えた。しかし、天地の間は性命の理でできていて、天地の間のものは全て天命之性を持っているのである。
【通釈】
性命の理に順うことはできなくても、何であろうとこれで不調法なことのない様にと、伏羲が民へ合紋を拵えて遣られた。江戸市井の店先に煙草無用とあれば、煙草を吸わない様なもの。それは、張り札をした様に粗いことだが、その粗い中を見れば中々そんなことではない。全体の処はここのこと。「将」は先の意を含んでいる。紐解きの子供に大人の裄丈の着物を遣って、縫い上げをして着せる様なもの。やがて背が伸るということがあるからである。伏羲の時からずっと、一も二も知らない民ばかりということではないから、将の字を書いたのである。四句をこの様に集めて書いたのが伊川先生の着眼である。段々に「順性命之理通幽明之故云々」と書き、このためにこの易は作られたのだと言ったのであって、将の字は残らず全てに繋けた字なのである。天地の間には性命之理より外はない。人と物とを押し包めてあるものが性命之理だと合点しなさい。万物で天地から拵え出されないものはない。人間を始め、蚤や虱まで天地が拵えたもの。人は人、禽獣は禽獣、砂糖は砂糖、蕃椒は蕃椒で、皆天命之性を持っている。天命の性のないものはいくら探してもない。全く天命に外れたものはない。皆天の性命の理でできたものである。世の中にふいとできてふいとなくなるものもありそうなものだが、地にある名も知れない草も、性命の理で私もできましたと言うぞ。性命の理に外れるものは決してない。
【語釈】
・蕃椒…唐辛子。

之理は人物みな筋か立てをる。人間のやうな灵妙なものもあれは鯨や蟇のやうなものもあり、蚤のは子るも性命の理ては子る。何ことも皆天命之理なりにゆきて無理かない。よい加減にしろと云れぬ。医者が肉桂のかわりに甘艸を用ては役にたたぬ。肉桂は々々の性命之理にしたかい、甘艸は々々の性命の理にしたかふ。此方て性命の理を知ぬと性命の理にそむくことをする。親に不孝、君に不忠は性命の理の外なり。順は自然なことなれとも、これか教のかかる文字ぞ。中庸の道の証文の書に天命之性とある。易と同ことなり。子思の中庸を作られたも、性命の理に合ふ世話をしたもの。孟子の性善を発明せられたと云も、性命の理に合ふせわなり。然れば天命之性と云へは天命の性と思ひ、性善と云へは性善と思ひ、別々のことのやふに思ふか、つまる処は易のくるわをはなれたことはない。伏羲の易を作られたかこの筭用てして廻る。そこて易と云元祖か出るとあたまは上らぬ。易はこふ云ことじゃに、伊川先生か世間を見るに、易の講釈をしても易を合点せぬ。又、卜筮と云と二十三夜の晩のなくさみのやうに思ひ、重箱の中の饅頭をあてるやふに思なり。易は如此に順性命之理云々。これほとなことを説くに、そのやうなことをもってきてはいこふ氣の毒なことになる。そこて、易を道理と見子はならぬ。易を説には道理こそとみるかよい。卜筮と云ことは外聞わるく思て、性命之理に順などと云処から語る。
【解説】
「理」とは筋が立っているということで、何事も皆天命の理の通りに行われて無理がない。しかし、人が性命の理を知らなければ、性命の理に背くことをする。そこで教えが必要になる。中庸に「天命之性」とあるのも、孟子の性善も、性命の理に合うための世話なのであり、易も性命の理に順うことから始まるのである。
【通釈】
「之理」とは、人も物も皆筋が立っているということ。人間の様な霊妙なものもあれば、鯨や蟇の様なものもあり、蚤の跳ねるのも性命の理で跳ねる。何事も皆天命の理の通りに行われて無理がない。よい加減にしろと言うことはできない。医者が肉桂の代わりに甘草を用いては役に立たない。肉桂は肉桂の性命の理に順い、甘草は甘草の性命の理に順う。こちらで性命の理を知らなければ性命の理に背くことをする。親に不孝、君に不忠は性命の理の外である。「順」は自然なことだが、これは教えの必要な文字である。中庸という道の証文の書に「天命之性」とあるが、それは易と同じこと。子思が中庸を作られたのも、性命の理に合うための世話をしたもの。孟子が性善を発明されたというのも、性命の理に合うための世話なのである。それで、天命之性と言えば天命の性のこととだ思い、性善と言えば性善のことだと思って別々なことの様に思うが、詰まる処は易の郭を離れることはない。伏羲が易を作られたとは、この算用をされたこと。そこで、易という元祖が出ると頭が上らない。易とはこういうことなのに、伊川先生が世間を見れば、易の講釈をしても易を合点しない。また、卜筮と言えば二十三夜の晩の慰みの様に思い、重箱の中の饅頭を当てる様に思う。易はこの様に順性命之理云々である。これほどのことを説いているのに、その様なことを持って来ては大層気の毒なことになる。そこで、易は道理として見なければならない。易を説くには道理としてこそと見るのがよい。卜筮などは外聞の悪いことだと思ったので、性命の理に順うなどという処から語るのである。
【語釈】
・蟇…ヒキガエル。
・天命之性…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎」。
・二十三夜…陰暦二十三日の夜。この夜、月待をすれば願い事が叶うという信仰があった。二十三夜待。

通幽明之故は、夜はくらい。幽なり。晝はあかるい。明なり。あかるいは陽。くらいは隂。息子が生れて目出度と云ふは明。爺父か死たと云は幽なり。天地の間は幽明の二つ。昏礼と云かと思へは死ぬことかあり、さま々々なれとも、天地の方てはとちも同し筭用なり。そこへ此方の眼力のゆくを通と云。此の通るか大事なり。幽は幽、明は明と方々つつなれは凡夫も合点するか、幽明を一つにして合点することゆへむつかしひことなり。阴阳あるか天のなり、地のなり。阴阳の変易するなりか幽明なり。そのわけを合点して、そふもあろふ々々々々々々と知惠の底のぬけて来ることなり。そこて通の字なり。故の字、あとともよみ、ことともよむか、幽明のこととよむより幽明のゆへとよむかよい。あとと云が云ひちかいと云ことてもないか、朱子の所以と云はれた。そこて故[ゆえ]と云にちかい。こうしたわけじゃによってと云やうなもの。ことと云、あとと云へは、じかにさすになる。ゆへは所以。あやをどふしてこふじゃと云ふて合点ゆくなり。
【解説】
天地の間は幽明の二つである。陰陽の変易する姿が幽明であり、その幽明を一つにして合点することを「通」と言う。「故」とは、所以の意である。
【通釈】
「通幽明之故」。夜は暗い。幽である。昼は明るい。明である。明るいのは陽。暗いのは陰。息子が生まれて目出度いと言うのは明。爺父が死んだというのは幽である。天地の間は幽明の二つ。婚礼と言うかと思えば死ぬことがあって様々だが、天地の方ではどちらも同じ算用である。そこへこちらの眼力が通ることを「通」と言う。この通るということが大事である。幽は幽、明は明と一方ずつであれば凡夫も合点するが、幽明を一つにして合点することなので、これが難しい。陰陽が天の姿、地の姿であり、陰陽の変易する姿が幽明である。そのわけを合点して、確かにその通りだと知恵の底が抜けて来るのが通の字である。「故」の字はあととも読み、こととも読むが、幽明のことと読むより幽明のゆえと読む方がよい。あとと言っても言い違いではないが、朱子は所以と言われた。そこで、ゆえと言う方が近い。こうしたわけだからという様なもの。ことと言い、あとと言えば、直に指すことになる。ゆえは所以。綾を何故ならこうだからだと言うので合点が行くのである。

事物之情云々。萬を事と書かへたにわけのあることと見ることそ。孔子の語をたん々々幷へ、萬物之情とかきたくてならぬ筈。事物之情と云ふては易に出処かない。このことは先軰の説もなけれとも、万物之情を事物之情と云てもあまり替ることはないか、事物に於て親切になるなり。万物と云へは万のものと云ことゆへ、靎亀松竹と云様になる。物の上には必わざかあり、たとへは筆は物なり。さて、筆てものを書くと云がある。そこを事さと云。鏡は物なり。其鏡て顔を見るか事なり。事物と云は、万物の上をつかふことまてこもるてよいことなり。本草に万物ありて、つかひやうまてある。そこて事物てよいなり。それにしっともった処を情と云。どふあっても舟は川、車は陸は情なり。此事物之情を尽を挌物致知の元祖とみることそ。致知挌物と云ふと孔子が建立したと思ふか、とっくに易のことじゃ。堯舜のときから孔子迠は挌致かなくて世の中かまっくらて、孔子か大学て建立したと思てはちごうことそ。孔子の出ぬ前から尽事物之情と云ことかある。事物の情を尽さぬと火消屋敷で牛を買ふやうなもの。火事のときに牛に乗ては嘗てならぬ。馬に乗て出るなり。そふかと思へは、重ひものは牛につけるかよい。馬も牛も一つと云てはまっくらになる。
【解説】
「万物之情」を「事物之情」と書き替えたのは、事はわざであり、事物には万物を使うことまでが含まれているからである。そこで、事物がよい。この事物の情を尽くすことが格物致知の始めであり、堯舜の時から既に格物致知はあるのである。
【通釈】
「事物之情云々」。万を事と書き替えたのにはわけがあると見なさい。孔子の語を段々と並べたのだから、万物之情と書きたくてならない筈。そこを事物之情と言っては易に出処がない。このことについては先輩の説もなく、万物之情を事物之情と言ってもあまり変わることではないが、事物之情と言えば事物に対して親切になる。万物と言えば万の物ということだから、鶴亀松竹という様になる。物の上には必ず事[わざ]があり、たとえば筆は物である。さて、筆でものを書くと言うことがある。それを事と言う。鏡は物である。その鏡で顔を見るのが事である。事物と言えば、万物を使うことまでがそれにこもっているのでよい。本草に万物のことがあって、その使い方まで載っている。そこで、事物でよい。それがじっと持った処を情と言う。どうあっても舟は川、車は陸は情である。この事物の情を尽くすことを格物致知の元祖とだと捉えなさい。致知格物と言えば孔子が建立したものだと思うが、とっくに易にあること。堯舜の時から孔子までは格致がなく、世の中が真っ暗で、孔子が大学で初めて建立したのだと思うのは間違いである。孔子が出る前から「尽事物之情」はある。事物の情を尽くさないと火消屋敷で牛を飼う様なもの。火事の時に牛に乗って出ては決してならない。馬に乗って出る。そうかと思えば、重い物は牛に担わせるのがよい。馬も牛も同じだ言っては真っ暗になる。

舜臣有五人天下治もたた舜か女のひなを幷へたやうに五人の家來を幷へて見てはいぬ。尽事物之情て天下のことの相談に、それ々々に用るなり。堯か誰に家督をやろふと云たれは、胤子朱啓明。若殿様御発明と云たことなり。あの頃のことゆへけいはくにも云まい。発明な人なれとも情かつきぬ。帝曰吁嚚訟可乎。いや々々そふしたものてはない。あれか玉しいはそふではないてやと、尽事物之情ゆへ手前の子まで吟味する。事物なりにすること。そこて彼車は陸、舟は水中をやるなり。此外に知惠を出す。はや易にはづるる。さて、天地の間皆尽事物之情は出来ぬこともある。遠ひことは不案内てもすむか、とふてもとをし付ると易てない。廣大悉備。天地の内になんてもないことはない。それを皆見とかめ、あらゆるものを見てその情を尽す。垩人の易を作れたもこふしたこと。こふ云本立ありて天地のことかこれから始て出来てくる。天も上て人間のすることを待てをるなり。人間へ万物之霊をやりすててはない。人間のすることをまつなり。百姓が寢ていて麥は出来ぬ。天か大ふ方と思てをるそ。処へ百姓か钁をかつひて出るなり。天地かいくらさはいても、人かせぬと天地の方て事か欠る。易のしかけか少はかりのことではない。天地を見ぬいて其見ぬいたなりを人へ落着させることなり。天地と云舞臺がありても、人間が能をせぬとならぬ。天には手も足もないゆへ、人かせ子はならぬ。それを始にしたか垩人。天地のよろしきを輔成すと云。
【解説】
事物の情以外に知恵を使うのは易に外れたこと。天地の内には全てがあり、それを皆見とがめて事物の情を尽くす。また、天地は人がすることを待っており、人がしなければ天地の事が欠ける。易は見抜いた天地の通りを人へ落着させるものである。
【通釈】
「舜臣有五人天下治」も、ただ女が雛人形を並べる様に舜が五人の家来を並べて見たりはしない。「尽事物之情」で、天下のことの相談のためにそれぞれに用いたのである。堯が誰に家督をやろうと言えば、「胤子朱啓明」。これは若殿様御発明と言ったこと。あの頃のことなので軽薄に言ったことではないだろう。発明な人だが情が尽きない。「帝曰吁嚚訟可乎」。いやいやそうしたものではないと答えた。あいつの魂はそうではないだろうと、尽事物之情なので自分の子まで吟味する。事物の通りにすること。そこであの、車は陸、舟は水を行う。この外に知恵を出せば直ぐに易に外れる。さて、天地の間は皆尽事物之情と言っても、できないこともある。遠いことは不案内でも済むが、それをどうしてもと押し付けるのは易でない。「廣大悉備」で、天地の内には何もないことはない。それを皆見とがめ、あらゆるものを見てその情を尽くす。聖人が易を作られたのもこうしたこと。この様な本立てがあるから、天地のことがこれから始まってできて来る。天も上で人間のすることを待っているのである。万物之霊を人間へ遣り捨てにしたわけではない。人間のすることを待っている。百姓が寝ていては麦はできない。天がそろそろよいと思い、その処で百姓が钁を担いで出る。天地がいくら騒いでも、人がしなければ天地の方で事が欠ける。易の仕掛けは少しばかりのことではない。それは、天地を見抜いてその見抜いた通りを人へ落着させることである。天地という舞台があっても、人間が能を踊らなければならない。天には手も足もないから、人がしなければならない。それを初めにしたのが聖人である。そこで、天地の宜しきを輔相すと言う。
【語釈】
・舜臣有五人天下治…論語泰伯20。「舜有臣五人而天下治」。
・胤子朱啓明…書経堯典。「帝曰、疇咨、若時登庸。放齊曰、胤子朱啓明。帝曰、吁、嚚訟可乎」。
・天地のよろしきを輔成す…易経泰卦。「象曰、天地交泰。后以財成天地之道、輔相天地之宜、以左右民」。

開物云々。垩人か天下中のこと何もかも出来るやうにしてわたす。初手は手かつけられなんた。開闢の初め、人か生れても顔と々々を見てをる斗り。肴がきても無調法な人は見ている。そこへ料理人か來ると、はや庖丁をとけと云。開物成務なり。人の始め出るときは溝や泉水に魚のわくやうにでるが、何もすることを知らす、只見ておるぞ。処を一人聰明睿智の人か出ると開物成務、しごとをこしらへてあつける。それか皆易で出来ることなり。人足があつまっても役人がこ子ばさばけぬやうなもの。垩人は天地の役人。神農が百藥を嘗て毒にあたりたと云ふかきこへたことそ。百草を見て、こふしてをくものてはないとて不測の知惠て、これて人の命もたすけるとしられた。なにもかものこることのないやうにするか、易の中にも皆あることなり。
【解説】
聖人が、人が天下中の何もかもをすることができる様に、仕事を拵えて人に預けた。これが「開物成務」である。
【通釈】
「開物云々」。聖人が天下中のことを何もかもできる様にして人に渡す。最初は手が付けられなかった。開闢の始めは、人は生まれても顔と顔とを見ているばかり。魚が来ても無調法な人は見ているだけ。そこへ料理人が来ると、直ぐに庖丁を研げと言う。「開物成務」である。人が始めて出た時は、溝や泉水に魚の湧く様にして出たが、何もすることを知らずにただ見ているだけだった。その処で聡明睿智な人が一人出ると「開物成務」で仕事を拵えて預ける。それが皆易でできること。人足が集まっても役人が来なければ捌けない様なもの。聖人は天地の役人。そこで、神農が百薬を舐めて毒にあたったのがよくわかる。百草を見て、こうして置くものではないと思い、不測の知恵で、これで人の命も助けられると知られた。何もかも残ることのない様にするということが、易の中にも皆あること。

垩人之患憂云々。これほとなことをするも何の為めと云に、後世を吾子のやふに思からのこと。今は親の子を思より外憂患はなひ。私か今はたらかすともよいか、皆世忰かためとてはたらくは憂患なり。垩人はそのやうなちひさいことではない。萬世のものに目をあけてやろふと云。游定夫が西銘を讀て此中庸之理と云ふた。只の学者は中庸をよむと中庸と思ひ、西銘をよむと西銘と思ふは目のないからなり。然れは易傳序も西銘と云てもよひぞ。なぜと云にとど天と云ことて、垩人か天下中の人を子のやふに思ふて易を作りたは、並木の松を植るやうなもの。此通にしろ。此通にすれは惑はぬと云ふ。天の合文て天下の人を万世まで思ふは垩人の西銘なり。
【解説】
「聖人之憂患後世、可謂至矣」の説明。聖人が人の世話を焼いたのは、後世の者を我が子の様に思ったからである。游定夫が西銘を中庸の理だと言ったが、易伝序もまた、西銘と言える。
【通釈】
「聖人之患憂云々」。これほどのことをするのも何のためかと言えば、後世を我が子の様に思うからである。今は親が子を思うより他に憂患はない。私などは今働かなくてもよいが、今の世で皆忰のためと言って働くのは憂患である。聖人の憂患はその様な小さいことではない。万世の者の目を開けてやろうと言う。游定夫が西銘を読んで、これは中庸の理だと言った。普通の学者は中庸を読めば中庸と思い、西銘を読めば西銘と思うが、それは見る目がないからである。そこで、易伝序も西銘だと言ってもよい。それは何故かと言うと、つまりは天のことであって、聖人が天下中の人を我が子の様に思って易を作ったのであり、それは並木に松を植える様なものである。この通りにしなさい、この通りにすれば惑わないと言ったのである。天の合文で、天下の人を万世まで思うところは聖人の西銘と言える。
【語釈】
・游定夫…名は酢。字は定夫。
・此中庸之理…為学89。西銘本注。「又曰、游酢得西銘讀之、即渙然不逆於心。曰、此中庸之理也。能求於言語之外者也」。

去古雖遠云々。易が伏羲から打立て孔子て成就した。程子まてはいこふ久しいことなれとも遺經尚存。これか辱ひことて、程子易傳の出来たも、又遠くの日本に生れて易を見ることのなるも、つまり遺經尚存のありかたさなり。書のかたしけないと云ふもここにあることそ。上に仁君かあって下を惠むも一代きり。堯舜のときほと結搆な政はあるまいか、今日の用にたたぬ。書物の辱は今日迠あるて、今日の役に立ち重々な尤ありかたいことになる。然而先儒云々。ありかたいことにして、然かきこへた。ありかたいはありかたいか、遺經かすめにくい。そこて易の注をしたものを蹈臺にしてすまさ子はすめぬか、漢儒か了簡違をしたそ。さて、伊川先生の易傳を作る張本と云かここなり。垩人の意をとり失ふたゆへにすますための注なれとも、却て本意をくらませる。旦那の心を知ぬ家来か出てとりなしをするやうなもの。却てたまりているにはをとるなり。旦那の心を知た家来は、あれには合ふまいと思ふと家来か出て、今日は旦那義兼約て程なく他出と云ふなり。垩人の意を知て注すれは注のしようて易か知るか、垩人の意を知ぬゆへ言を傳るほど易はくらんて來る。
【解説】
「去古雖遠、遺經尚存。然而前儒失意以傳言」の説明。経が遺っていたから程子が易伝を作ることもでき、日本でも易を見ることができる。今日まで遺り、今日の役に立つから、書は忝いものなのである。ただ、経は忝いものだが、わかり難いものでもある。そこで漢儒は間違え、易の本意を眩ませた。
【通釈】
「去古雖遠云々」。易は伏羲が打ち立てて、孔子で成就した。それから程子までは大層久しいが「遺経尚存」。これが忝いことで、程子の易伝ができたのも、また、遠くの日本に生まれて易を見ることのできるのも、つまりは遺経尚存の有難さからである。書は忝いと言うのもこれがあるからである。上に仁君があって下々を恵んでも一代限り。堯舜の時ほど結構な政はないだろうが、それは今日の用には立たない。書物の忝いところは今日まで伝わってあり、それが今日の役に立つから重畳で尤も有難いことになる。「然而先儒云々」。遺経を有難いと言った後で、「然」が上手い言い方である。有難いことは有難いが、遺経はわかり難い。そこで、易の注を踏み台にして済まさなければ済めないのだが、漢儒は了簡違いをした。さて、伊川先生が易伝を作った起こりはここのこと。聖人の意を取り失ったので、意を得るためにするのが注なのだが、却ってそれで本意を眩ませた。それは、旦那の心を知らない家来が出て取り成しをする様なもの。却って黙っているよりも劣る。旦那の心を知った家来は、あれには会わないだろうと思うと家来が出て、今日は旦那儀兼約でほどなく他出と言う。聖人の意を知って注をすれば、その注によって易を知ることができるが、聖人の意を知らなければ、言を伝えるほど易は眩んで来る。
【語釈】
・張本…事件のもと。おこり。原因。根本。
・兼約…かねて結んだ約束。前約。

誦言而忘味。先儒の注を蹈臺にして、先儒かこふ云たとそれはかりを云て易の味をふりかへりてみぬ。忘は氣のつかぬこと。物を忘れたの忘とは違ふ。今日は一日か二日かと忘れるてはない。大ふ味のあるに、其味の方へ氣かつかぬ。鹿を追ふ猟師山を見すも山に氣のつかぬこと。誦言にかかりて味に氣か付ぬなり。よく見れは味はしれるもの。なれとも易の味には子から氣かつかぬ。周子程子の不傳の学を遺經につかれたも、味の処に氣のつかれたもの。味を知たて道統を継れた。味と云ことて易傳もつくられたことそ。味と云は易の本意にはとんと搆はぬことそ。本義に味はない。本義はこれより左何道と書たやふなもの。これより左何道と云をさても々々々と感心することはない。これか易の本義。伊川先生は易を道理にしてみるゆへ味か肝心。味と云ふか易傳の易傳たる所なり。文面てすか々々みるやふな人かここを見つけることは中々ならぬ。王弼か老荘て説て易の本途の味を忘れた。一陽来復も靜て天地の心を見るとした。郭璞や京房はあてものをするやうになりた。そふすると悪所ても調法になり、欲の深ひ町人の商賣をするも占かいり、下女はしたの出代りにも占を用るになる。そのやうなことて道統にはならぬ。
【解説】
「後學誦言而忘味」の説明。「忘」とは気が付かないことで、忘れることとは違う。後学の者は易の味に気が付かない。味を知らなければ道統を継ぐことはできない。易の本義はただ事柄を示すだけのものであり、味とは無関係なものである。易を道理として見るところに味がある。
【通釈】
「誦言而忘味」。先儒の注を踏み台にして、先儒がこう言ったとそればかりを言って易の味を振り返って見ない。「忘」は気が付かないことで、物を忘れた時の忘とは違う。今日は一日か二日かと忘れることではない。これは大分味のあることなのに、その味の方に気が付かない。鹿を追う猟師山を見ずも山に気が付かないこと。誦言にばかり係って、味に気が付かない。よく見れば味は知ることができるもの。しかし、易の味には根から気が付かない。周子や程子が不伝の学を遺経に継がれたのも味の処に気が付かれたからである。味を知ったので道統を継がれたのであり、味によって易伝も作られた。味とは、易の本意には全く関係のないこと。本義に味はない。本義は、これより左何道と書いた様なもの。これより左何道に対して深く感心することはない。これが易の本義。伊川先生は易を道理にして見るので味が肝心。味というのが易伝の易伝たる所である。文面ばかりを見る様な人にはここを見付けることは中々できない。王弼が老荘で説いて易本来の味を忘れた。一陽来復も静で天地の心を見ることだと説いた。郭璞や京房は当て物をする様になった。そうすると悪所でも調法になり、欲の深い町人が商売をするにも占いが入り、下女端の出代りにも占を用いることになる。その様なことは道統ではない。
【語釈】
・王弼…三国の魏の儒者。字は輔嗣。老荘の学にも通じ、文辞に堪能。漢儒の易註を排撃、「周易注」を撰し、また「老子注」を著す。226~249
・一陽来復…陰がきわまって陽がかえってくること。陰暦11月または冬至の称。
・郭璞…晋の人。陰陽五行・卜筮の術に優れ、占うとよくあたった。
・京房…
・はした…端女。雑役に使われる身分の卑しい女中。

自秦而云々。直方先生の自秦而下とたたるは孟子をのけた字じゃと云はれた。孟子は易を人に教たこともないか、中庸を合点した人の易のすまぬことはない。孟子の書に易曰ともないを識易莫如孟子と程子の云ひ、又、邵康節の孟子得易之用と云も、孟子の易に身をもたれたこと。予生千歳之後云々。迂斎のいつから千歳と云ことではない。廣く久しいことを千載と云となり。あたりなしに千載と書たこと。なせなれば、易を受ることて、孟子をたしかに指すでないぞ。されとも字の心はそうで、さてこれが大ふ任じた字なり。孔子の直傳と云ことが言外にあるとみることぞ。道理の元祖は孔子なり。もと周礼大卜の官の請取は、易を一牧あけて見ると乾元亨利貞とある。あれを占ひ得たとき、えてこのやうな丈夫な男は薄着して風を引ものとつつしむかよいと云ぞ。処を孔子が元亨利貞と云がはや性命の理にして見られた。それからは通幽明之故なとと云ふて、一切なにもかも道体をはだかにして云ふ。
【解説】
「自秦而下、蓋無傳矣。予生千載之後」の説明。秦以降に伝がないと言うのは、孟子を除外して言ったことであって、孟子は易のことを話さなかったが、易は理解していたのである。易を道理と見た始めは孔子である。孔子は元亨利貞を性命の理と捉え、道体としての易を明らかにした。
【通釈】
「自秦而云々」。直方先生が、「自秦而下」と祟ったのは孟子を除いてのことだと言われた。孟子は人に易を教えたこともないが、中庸を合点した人が易を済めないことはない。孟子の書に「易曰」という語もないが、「識易莫如孟子」と程子が言い、また、邵康節が「孟子得易之用」と言うのも、孟子が易に身を凭れたことを言う。「予生千歳之後云々」。迂斎が、いつから千歳だということではない。広く久しいことを千載と言うと言った。目当てなしに千載と書いたのである。それは何故かと言うと、易を受けてのことで、はっきりと孟子を指したことではない。しかし、字の心はそういうことで、さてこれが大分任じた字である。孔子の直伝だということが言外にあると見なさい。道理の元祖は孔子である。本来、周礼大卜の官の仕事は、易を一枚開けて見ると「乾、元亨利貞」とあるが、あれを占って得た時に、ともすればこの様な丈夫な男は薄着をして風邪を引くものだから慎むのがよいと言う様なこと。ところが、孔子は元亨利貞を直ぐに性命の理として見られた。それからは「通幽明之故」などと、何もかも一切の道体を裸にして言った。
【語釈】
・識易莫如孟子…孟子序説。「程子曰、孟子曰、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速。孔子聖之時者也。故知易者莫如孟子」。
・孟子得易之用…

孔子は道理の発明なり。これか別の発明ではない。易か天地のことゆへ、占の辞の中に道理のあるを発したものなり。さて、易に精蘊と云ことかある。ををいにとをるただしきによろしきは精。元亨利貞は天の四德として蘊そ。蘊は目に見へぬ処。其目に見へぬ処に甘みかある。蘊はきるものの入綿のやふなもの。綿は目に見へぬか着るものにつひて中にある。卜筮のををいにとをるたたしきによろしは戒の辞。その中を見ると大ふ道理かあるゆへ大切なことなり。それか孔子の発明になる。堯舜執其中を子思の未発の中と発明した。これか道統を得た発明になる。たたい其前に一つある筈。未発からてなければ中か執れぬとなり。堯舜が草葉のかけて、ああよく氣かついたと云。元亨利貞。天地の元亨利貞と合紋を説く。四德と説て発明になる。その様な合紋に氣のつかぬと、つまり易のけ高いことも見付ずにしまふたこと。漢以来老仏を借て易を説く。
【解説】
孔子は占いの辞の中に道理があることを見付けた。元亨利貞は戒めの辞だが、その中に道理がある。子思が未発の中を発明したのもこれと同じこと。漢以降の学者は易の道理も知らず、老仏を借りて易を説いている。
【通釈】
孔子は道理を明らかにしたが、これは特別な発明ではない。易は天地のことなので、占いの辞の中に道理があることを見付けたのである。さて、易に精蘊ということがある。元いに亨る貞しきに利ろしは精で、元亨利貞は天の四徳であって蘊である。蘊は目に見えない処。その目に見えない処に甘みがある。蘊は着物の入れ綿の様なもの。綿は目に見えないが着物に付いてその中にある。卜筮の元いに亨る貞しきに利ろしは戒めの辞。その中を見ると大層道理があるから大切である。それが孔子の発明になる。「堯舜執其中」を子思が未発の中と発明した。これが道統を得た発明になる。そもそも、中の前に一つある筈で、未発からでなければ中が執れないと言った。堯舜が草葉の蔭で、ああよく気が付いたと言う。元いに亨る貞しきに利ろしは天地の元亨利貞だと合紋を説き、四徳と説いて発明になる。その様な合紋に気が付かないのは、つまりは易の気高いことも見付けずに終わったということ。漢以来、老仏を借りて易を説いている。
【語釈】
・精蘊…
・精…易経乾卦文言伝5。「乾元者、始而亨者也。利貞者、性情也。乾始能以美利利天下、不言所利、大矣哉。大哉乾乎、剛健中正、純粹精也」。
・四德…易経乾卦文言伝1。「文言曰、元者善之長也。亨者嘉之會也。利者義之和也。貞者事之幹也。君子體仁足以長人、嘉會足以合禮、利物足以和義。貞固足以幹事。君子行此四德者。故曰、乾元亨利貞」。
・蘊…易経繋辞伝上12。「乾坤其易之縕耶。乾坤成列、而易立乎其中矣。乾坤毀則无以見易。易不可見、則乾坤或幾乎息矣」。
・堯舜執其中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・未発の中…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中」。

湮晦なり。惣体借ると云にろくに得たと云ことは一つもない。三教一致も借りて合せる。吾黨の習合の軰、小学ても君臣の義は神道かよいとて神道を借りる。小学にあれほと君臣の義かあるに神道を借るは、全体小学かすめぬのなり。老荘て易を説か高ひやうに見へて、あちへ引こまれたのなり。こちにしたたか高ひことがある。なぜに老荘をませる。借て云のは高いことを云ふも湮晦なり。占屋筭のやうに卑ひも湮晦なり。手段を云なり。今日上文て其為書也を伏羲斗りと見す、四垩人をこめて為書と指して云と云かよよのことなり。易の詞てさへみれはすむ。程子はとかく辞のことなり。沿流は行德から舟を借て行けば、どこぞては源へゆかう。利根川も源かなくては叶はぬ。流を推すからして源はみられる。易の辞を流と見たもの。辞て易の易たる処か見へる。そふたい仰山なことを云は知らぬなり。易の文義を知らせるはかるいこと。その輕ひ処から易か得られるなり。医者もかるい藥をもると云は手段合点した人のことぞ。
【解説】
「悼斯文之湮晦、將俾後人沿流而求源。此傳所以作也」の説明。道統以外の手段を借りるのは「湮晦」である。易は易の語を見るだけで理解することができる。総じて、大きなことを言うのは知らないからである。
【通釈】
「湮晦」。そもそも、借りたことで大層得ることなどは一つもない。三教一致も借りて合わせる。我が党の習合の輩が、小学のことでも君臣の義は神道がよいと言って神道を借りる。小学にあれほど君臣の義があるのに神道を借りるのは、そもそも小学がわかっていないからである。老荘で易を説くのは高い様に見えるが、あちらへ引き込まれたのである。こちらに沢山高いことがあるのに、何故老荘を混ぜるのか。借りて言えば、高いことを言っても湮晦である。占屋算の様に卑いことも湮晦である。それは手段を言ったこと。今日上文にある「其為書也」を伏羲のことばかりに見ず、四聖人を込めて為書と指して言うのが世々のこと。易の語を見さえすれば済む。程子の意はとかく辞のこと。「沿流」とは、行徳から舟を借りて行けば、どこかでは源へ着くだろうということ。利根川も源がなくては叶わない。流れを推すことから源がわかる。これは易の辞を流れと見たもの。辞で易の易たる処が見える。総体、大きなことを言うのは知らないのである。易の文義を知らせるのは軽いこと。その軽い処から易か得られる。医者も、軽い薬を盛ると言う者は手段を合点した人である。
【語釈】
・湮晦…滅び隠れること。

易有垩人之道四焉。孔子の繋辞傳に云はれたことて、これか易をくくり上けたことなり。易につかまへ処が四つある。四つのつかまへ処を知ると易か今の役に立つ。今の役に立ぬことなれは、何も易をよむに及はぬ。易を棚へあけてをくことてはない。近思録を讀むもそれて、今の益に立つやうにするか近思録の々々々たる処なり。切問近思が大事のことなり。此四つか易の近く思ふのぞ。以言は言ふ用向かあって云こと。人のものを云ふにも、烟草を吸へと云ふも云ふなれとも、それはかんじょうには入れぬこと。政をする人か下へ云渡をするは以言なり。今度のこと、来春はそふ々々と云。以言なり。以言はたたてないこと。そこて易か今の用に立つ。易の六十四卦三百八十四爻、周公の辞を繋て置れた。どれも法になることなり。言行君子樞機と云も今日の人か出ほふだいを云。そこて云ことか皆ろくてない。上からもつまらぬことを云へは、下からも十方もないことを云。辞を平生つつしむ、尚ふとて、香をたき麻上下て見ることてなし。あの様な辞てなくてはならぬと云て、外のことは用ひぬ。尚ふと云は、法花宗て南無妙法蓮花経より外に云はぬと云やうなもの。云はふと思ふことを、易の辞を第一にする。
【解説】
「易有聖人之道四焉。以言者尚其辭」の説明。易には道が四つあり、それを知るのが今日の役に立つ。そして、この四つが易の近思である。「以言」は、言う必要があって言うこと。辞を平生慎み尚ぶと言う意は、易の辞を第一とすること。
【通釈】
「易有聖人之道四焉」。孔子が繋辞伝で言われたことで、これが易を括り上げたことである。易には掴まえ処が四つある。四つの掴まえ処を知ると易が今日の役に立つ。今の役に立たないことであれば、何も易を読むには及ばない。易は棚へ上げて置くことではない。近思録を読むのも同じで、今の役に立つ様にするのが近思録の近思録たる処である。切問近思が大事である。この四つが易の近く思うこと。「以言」とは、言う必要があって言うこと。人がものを言うにも、烟草を吸えと言うのも言うことだが、それは勘定には入れない。政をする人が下へ言い渡しをするのは以言である。今度のこと、来春は早々にと言えば、以言である。以言はただ言うことではない。そこで易が今の用に立つ。易の六十四卦三百八十四爻、周公は辞を繋けて置かれたが、それ等はどれも法になること。「言行君子樞機」と言うのも、今日の人は出放題に言うから、そこで言っていることが皆碌でもない。上でもつまらないことを言い、下でも途方もないことを言う。辞を平生慎み尚ぶと言っても、香を焚き、麻裃で見ることではない。あの様な辞でなくてはならないと言い、外のことは用いない。尚ぶとは、法華宗で南無妙法蓮華経以外は言わないという様なもの。言おうと思ったことは、易の辞を第一とする。
【語釈】
・易有垩人之道四焉…易経繋辞伝上10。「易有聖人之道四焉。以言者尚其辭、以動者尚其變、以制器者尚其象、以卜筮者尚其占。是以君子將有爲也、將有行也、問焉而以言。其受命也如嚮、无有遠近幽深、遂知來物。非天下之至精、其孰能與於此」。
・言行君子樞機…易経繋辞伝上7。「言行君子之樞機。樞機之發、榮辱之主也。言行、君子之所以動天地也。可不愼乎」。

以動は、これは一つことをする処なり。動とて師匠の処へ行てはない。家内から人交りの上まて一つこふせふと云ことかあるは動なり。動にはさま々々ありて、その上に後悔をするか多くあり、又、むだ骨を折ることかある。それは易を知ぬゆへなり。事をする上には易の変と云ものを見る。易か段々変化する。乾の卦か変する。羣龍无首と云。龍はきついものなれとも、首かなけれはきつくない。よわくなりたなり。丁と獣の牙の秡けたやふなもの。牙がなければ何もこわいことはない。事をする上にこふと云かわることかある。それを持て向から来ることても吾することても、其塲々々の筋を見てするか変なり。天氣のよいとき、天氣のよい装束をする。出ても雨かふれは装束を替子はならぬ。このやうなことては誰も合点なり。朝他出するに行燈をもたせる。晩方にくらくなるときの用意なり。一大事のことに其働か出ぬ。年かよりても若ひときの元氣を出し、いつも々々々同し手をするは変を尚はぬあほふに見へるそ。医者の処からも藥を合せてくるも容躰次第て違ふ。いつも一方を合せるやうてはならぬ。以動者尚其変。変を知らぬと医者はならぬ。異端はいつも々々々同しことをする。垩人の上は変と云ことかある。忠質文も変なり。変を知子ば改ることもならぬ。儒者をまい々々武人俗吏か輕んする。役人か笑も聞へたこと。変を知らぬ学者ゆへなり。火事塲て講釈をするやうな理屈を云、其様なことてはやくにたつものではない。
【解説】
「以動者尚其變」の説明。「以動」とは、事をしようとする処であり、その際は易の変を知らなければ、後悔や無駄骨になることが多い。その場の変の筋を見て、それに対応することが必要であり、変を知らない儒者は笑われて当然である。
【通釈】
「以動」は、これは事を一つする処である。動と言っても師匠の処へ行くことではない。家内から人との交わりの上まで、一つこうしようとするのが動である。動は様々とあって、その上で後悔をすることが多くあり、また、無駄骨を折ることがあるが、それは易を知らないからである。事をする上では易の変というものを見る。易は段々変化するもの。乾の卦が変じて「群龍无首」と言う。龍は激しいものだが、首がなけれは激しくはない。それは弱くなったのである。丁度獣の牙が抜けた様なもの。牙がなければ何も怖いことはない。事をする上には、この様に変わることがある。そこで、向こうから来ることでも自らがすることでも、その場その場の筋を見て対応するのが変である。天気のよい時には天気がよい時の装束を着るが、外出して雨が降れば装束を替えなければならない。この様なことなら誰もが合点する。朝外出する際に行燈を持たせるが、それは晩方、暗くなった時の用意である。しかし、一大事の際にその働きが出ない。年が寄っても若い時の元気を出して、いつも同じことをするのは変を尚ばない阿呆に見える。医者の処から薬を合わせて来るにも容体次第で異なる。いつも同じ合わせ方では悪い。「以動者尚其変」。変を知らなければ医者はできない。異端はいつも同じことをする。聖人の上には変ということがある。「忠質文」も変である。変を知らなければ改めることもできない。いつも武人や俗吏が儒者を軽んじるが、役人が儒者を笑うのも当然である。それは変を知らない学者だからである。火事場で講釈をする様な理屈を言うが、その様なことでは役に立たない。
【語釈】
・羣龍无首…易経乾卦用九。「見羣龍无首吉」。
・忠質文…論語為政23集註。「文質、謂夏尚忠、商尚質、周尚文」。

以制器者云々。繋辞傳に孔子のしたたか器を出されたか、中々あればかりではない。あれは思召出されたことばかりを印たもの。易か天地の道にもるることはない。器は易にもれぬ。易に象のあるは天澤火雷風水山地の八卦なり。なれとも上に山かあり、下に水かありたり。入替々々六十四卦になりた。それか又段々わかるゆへ、千にも万にもなる。器は天地の象から出来るゆへ、易の内にもれるものはない。端的の卦を三つ云ふが、まつ益の卦なり。益はますと云ふことて、これからすき鍬をこしらへた。此犂鍬て麥も米も出来る。米もとら子は益すことはない。公儀のをなかい領から大名の領分迠、百姓か麥や米を作ら子は何もならぬ。又、豫の卦から柏子木を作った。柏子木は今日や明日のことてはない。あらかしめのことて、盗のこぬ前にうつ。又、棺槨か大過の卦から出た。大過は大に過ると云ことなり。人の死たは地へ埋めるもの。よい加減にざっと仕そふなものに、それを結搆な木て棺をこしらへる。中古棺七寸槨称之。七寸ほとあるあつい木て棺槨をこしらへたと云。大過なり。大切な親の、祖父のと云か今死て地へはいるゆへ、これほとなことをせ子はならぬ。あき足らぬ。其ゆへ、今の世ても心あるものは本途の棺槨を見れは、やれも々々々と云はづ。をごりの沙汰になるかと云に、をごりのやうてをごりにならぬ。これが大過から出来たもの。
【解説】
「以制器者尚其象」の説明。易に象があるのは天沢火雷風水山地の八卦によってである。そして、器は天地の象からできるものだから、器も易に漏れることはなく、また、易が天地の道に漏れることもない。
【通釈】
「以制器者云々」。孔子が繋辞伝に沢山器という語を出されたが、中々あれだけではない。あれは思し召しされたものだけを記したもの。易が天地の道に漏れることはなく、器も易に漏れることはない。易に象があるのは天沢火雷風水山地の八卦によってである。上に山があり、下に水があった。それを入替えて六十四卦になった。それがまた段々に分かれるから千にも万にもなる。器は天地の象からできるものだから、易の内に漏れるものはない。わかり易い卦を三つ言えば、先ずは益の卦である。益はますということで、これから犂や鍬を拵えた。この犂鍬で麦も米もできる。米も穫らなければ益すことはない。公儀の広大な領から大名の領分まで、百姓が麦や米を作らなければ何もならない。また、豫の卦から拍子木を作った。拍子木は今日や明日のことではない。予めのことで、盗みが来る前に打つ。また、棺槨は大過の卦から出た。大過は大いに過ぎるということ。人が死ねば地へ埋めるもの。よい加減にざっと埋めそうなものだが、結構な木で棺を拵える。「中古棺七寸槨称之」。七寸ほどある厚い木で棺槨を拵えたと言う。大過である。大切な親や祖父が今死んで地へ入るのだから、これほどのことをしなければならない。そうでなければ飽き足らない。そこで、今の世でも心ある者は、本来の棺槨を見れば流石だと言う筈。それは奢りになるかと言えば、奢りの様で奢りにはならない。これは大過からできたものなのである。
【語釈】
・中古棺七寸槨称之…孟子公孫丑章句下7。「古者棺槨無度、中古棺七寸、槨稱之。自天子達於庶人。非直爲觀美也、然後盡於人心」。

以卜筮者云々。卜筮は、ものにつきあたりたときのこと。何やうな垩賢ても、ものにつき當ると云ことかある。たとへは上手な医者が二人ある。かた々々下手なれは上手にかけるか、どちも同しかけろくな上手て医按も同しことなり。そのときに占そ。道理か明てもをちぬことかある。其とき占ふとこふしろと天から告るなり。其占のとをりにする。尚ふとは、文王の辞にも再三すれは瀆とあって、一ひ占と占の通にするなり。さて、右段々の通り孔子か四色云て、これより外はないと変易へかへすなり。皆易を用に立ることなり。
【解説】
「以卜筮者尚其占」の説明。卜筮は、道理が明らかであっても決められない時に用いるもの。その際は一回限り占って、その通りにする。
【通釈】
「以卜筮者云々」。卜筮は、ものに突き当たった時に用いること。どの様な聖賢でも、ものに突き当たるということがある。たとえば上手な医者が二人いる。一方が下手であれば上手な者に診てもらえばよいが、どちらも同じ程度に上手で医案も同じである。その時は占いである。道理が明らかでも決められないことがある。その時には占えば、この通りにしろと天が告げる。その占いの通りにする。尚ぶとは、文王の辞にも再三すれは瀆とあって、一度占い、その占いの通りにすること。さて、右段々の通りに孔子が四色を言い、これより外はないと変易へ返す。皆易を用に立てることなのである。
【語釈】
・かけろく…賭け禄。物を賭けて勝負すること。また、その物。賭け物。
・医按…処方箋。
・再三すれは瀆…易経蒙卦。「蒙、亨。匪我求童蒙。童蒙求我。初筮告。再三瀆。瀆則不告。利貞」。

吉凶消長云々。これは上の四つのことを云ふと合点するかよい。尚其占のことはかりてない。其辞にも変にも器を制する上に吉凶消長之道かある。それと云も、易の書の上にあるなり。それを見て吉凶消長の道に從ふことなり。それか皆備於辞なり。ここか易傳へをとしたもの。垩人之道四と云て、それからこれほとに云。吉凶消長か辞にあると云ふか、御手前の易傳へをとすことそ。吉凶は手もなく易の辞に吉なり凶なりとある。何ことも天のさしづのないことはない。吉凶は、此方か道理なりをすれは吉、此方か道理にたかへは凶なり。吉凶はついてくる。そこを之理と云なり。易全体を吉凶の二つとみることそ。從吉と云字か書經にあり、吉ならばする。凶なことはせぬ。從道なり。
【解説】
「吉凶消長之理」の説明。辞にも変にも象にも占にも吉凶消長の理がある。それは何故かと言うと、吉凶消長の理が易の書にあるからである。そこで、人は吉凶消長の道に従わなければならない。道理の通りをすれば吉、道理に違えば凶である。
【通釈】
「吉凶消長云々」。これは上で述べた四つのことに対して言ったことだと合点するのがよい。「尚其占」のことばかりではない。「其辞」にも変にも器を制する上にも「吉凶消長之道」がある。それと言うのも、それは易の書の上にあるからである。それを見て吉凶消長の道に従う。これが「皆備於辞」であり、易伝へ落としたところ。「聖人之道四」と言って、それからこれほどのことを言った。吉凶消長が辞にあると言うのが、自らの易伝へ落とすこと。吉凶とはわけもないことで、易の辞に吉凶とある。何事にも天の指図でないことはない。吉凶は、こちらが道理の通りをすれば吉、こちらが道理に違えば凶である。吉凶は付いて来る。そこを「之理」と言う。易全体を吉凶の二つとみなさい。「従吉」という字が書経にあって、吉であればする。凶なことはしない。従道である。
【語釈】
・從吉…書経大禹謨。「禹曰、枚卜功臣、惟吉之從」。

進退存亡之道か辞でがんざりと目に見へる。天地のことのこることはない。潮のさしひきも進退存亡なり。王荊公かやふな儒者はわるものを相手にして、新法か出ると司馬温公や伊川かすくんてをる。荊公か退く。はや温公か出られた。それから伊川も出られた。伊川か不首尾になり、司馬温公もとくに死んた。又そろ々々新法の軰再進して、それから蔡京か様なわるものか出る。泰の卦と否の卦、其外彖傳にあるもみるへし。君子と小人は火と水の様なもの。連立てあるかれぬものなり。火を炊くと水はかれる。水を出すと火はきへる。君子道消小人道長君子道長小人道消なり。君子小人は同坐はならぬ。進退は孔子の可進則進可止則止可久以久可速以速。うか々々とすると進まじきに出る。君子危邦には不居乱邦不入なり。皆吉凶消長之理進退存亡之道て、出るも處るも片付るなり。身のふりやうか大事のこと。吉凶消長之道を知れはけかかない。孔子、假我數年以学易可以莫大過、と。垩人の慇懃な口上て、をれもちと命かなからへて易を学んたら大なしそこないあるまいと云はれた。なぜなれば、吉凶消長之道を知り、進退存亡の道理を知か易の端的なり。大なる過は出来ぬ筈なり。
【解説】
「進退存亡之道」の説明。辞によって「進退存亡之道」がはっきりと目に見える。たとえば泰の卦と否の卦には君子と小人は相容れないことが書かれている。身の振り方は大事なことだが、吉凶消長の道を知り、進退存亡の道理を知れば怪我はない。
【通釈】
辞によって、「進退存亡之道」がはっきりと目に見える。天地のことに残すことはない。潮の差し引きも進退存亡である。王荊公の様な儒者は悪者と組んで新法を出したが、その時は司馬温公や伊川がすくんでいた。荊公が退くと、直ぐに温公が出られた。それから伊川も出られた。伊川が不首尾になって、その頃には司馬温公も早くに死んでいた。するとまたそろそろ新法の輩が再進して、それから蔡京の様な悪者が出た。泰の卦と否の卦、その外彖伝にもあることを見てみなさい。君子と小人は火と水の様なものなので、連れ立って歩くことのできないもの。火を焚くと水は涸れる。水を出すと火は消える。「君子道消小人道長君子道長小人道消」である。君子と小人は同座することはできない。進退とは孔子の「可進則進可止則止可久以久可速以速」であって、うかうかすると進むべきでない時に出る。君子は「危邦不入乱邦不居」である。皆、「吉凶消長之理進退存亡之道」で出るのも出ないのも片付ける。身の振り様が大事である。吉凶消長之道を知れば怪我はない。孔子が「仮我数年以学易可以莫大過」と言った。聖人の慇懃な口上で、俺ももう少し命が長らえて易を学んだら、大きな仕損いはあるまいと言われた。それは何故かと言うと、吉凶消長の道を知り、進退存亡の道理を知るのが易の端的だからである。大きな過ちはしない筈である。
【語釈】
・王荊公…王安石。1021~1086
・蔡京…北宋末の宰相。徽宗に取り入り,奢侈をすすめて財政を窮迫させた。1047~1126
・君子道消小人道長君子道長小人道消…易経泰卦。「君子道長、小人道消也」。否卦。「小人道長、君子道消也」。
・可進則進可止則止可久以久可速以速…孟子公孫丑章句上2。「可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也」。
・君子危邦には不居乱邦不入…論語泰伯13。「危邦不入、亂邦不居」。
・假我數年以学易可以莫大過…論語述而16。「子曰、加我數年、五十以學易、可以無大過矣」。

孔子か其道理を知りてをらぬゆへ、桓魋其如吾何は大ふ大言を仰られ、大きなことを云るるかと思へは、易を知てござるゆへ赤合羽を着てこそ々々と去る。殺そふと思ふたに、もふ孔子のいつか去れた。さきの梜箱持のやうなか孔子であったかと云。東漢の名節のやうなは易を知ぬなり。孟子や伊川か人に殺されそふなものなれとも、吉凶消長之道を知てをるゆへ、自古垩賢不為人被殺とてめったにたわけの鉾先にかかって死ぬやうなことはない。礼に奔喪と云あり。親の死を遠國で聞、家へ帰ることなり。これは夜を日に継て帰りそふなものなれとも、日か暮れば宿に止る。何程親の死たこととても、道で狼にでもくわれては吉凶消長を知ぬなり。祭は夫婦親らすと云ても、七十になって婚礼をすることてはない。そこて吉凶云々之道か日用の上にある。卦象から云へは六十四卦にあるなれとも、備於辞と云か伊川先生の流義なり。邵康節は圖を見て云。伊川先生は辞にあるて云ふ。備於辞。
【解説】
「備於辭」の説明。孔子は「桓魋其如予何」と言って窮地を逃れたが、それは易を知っていたからである。孟子や伊川も人に殺されそうなものだが、「吉凶消長之道」を知っているから殺されずに済んだ。「吉凶消長之道」は日用の上にある。そして、それは六十四卦にあることなので、伊川は「備於辞」と言った。
【通釈】
孔子の発明した道理を知らないので、「桓魋其如予何」とは大分大言を仰せられたことだ、大きなことを言われたものだ思えば、易を知っておられるから赤合羽を着てこそこそと去った。殺そうと思ったのに、もう孔子はいつの間にか去られた。先の鋏箱持ちの様な者が孔子だったのかと言う。東漢の名節の様なものは易を知らないのである。孟子や伊川は人に殺されそうなものだが、「吉凶消長之道」を知っているから、「自古聖賢不為人被殺」で、滅多には戯け者の鉾先に掛かって死ぬ様なことはない。礼に奔喪とある。それは、親の死を遠国で聞いて家に帰ること。これは夜を日に継いで帰りそうなものなのだが、日が暮れれば宿に泊まる。いかに親の死んだことだと言っても、道で狼に喰われでもしてしまっては吉凶消長を知らない者である。「夫祭也者必夫婦親之」と言っても、七十になって婚礼をすることではない。そこで「吉凶云々之道」が日用の上にある。卦象で言えば六十四卦にあることだが、「備於辞」と言うのが伊川先生の流儀である。邵康節は図を見て言い、伊川先生は辞にあると言う。「備於辞」。
【語釈】
・桓魋其如吾何…論語述而22。「子曰、天生德於予、桓魋其如予何」。
・東漢の名節…宋代に劉安節の名節などが出た。西漢の士は義を好まず、名節を挺ずる者少なく、東漢の士は義を尚び名節を挺ずる者が多い。東漢は後漢。西漢は前漢。
・自古垩賢不為人被殺…
・奔喪…礼記奔喪。「遂行、日行百里、不以夜行。唯父母之喪、見星而行、見星而舍」。
・祭は夫婦親らす…礼記祭統。「夫祭也者、必夫婦親之」。

推辞云々。さかさまなり。もと卦のことを辞にしたなれとも、委曲か辞にあるゆへ辞に通して卦を考へよなり。可以知変云々。易を役に立るかここてみへし。象も占も辞の内にあることそ。易を道理に見るときはこれなり。易は象が大事じゃとても、拍子木を見てあれか豫の卦しゃ、さても々々々と感心することてもなく、いかさまきこへたことしゃと云まてのことなり。大ふ卦象を難有と思ひ柏子木に腰をかかめることてもない。象や卦と云ものは道理ほとに難有ことはなし。卦象をは、あれもあれたなとみて、あれを易の本意と立す、辞の中にある理を、これか易の正味と見ることなり。所謂論語となして見るなり。道理のことにして説ゆへ、占のことは第二段そ。論語となして見るゆへ、本意にはづれた程傳か道のためには珍重。道統と云ふか爰なり。
【解説】
「推辭考卦、可以知變。象與占在其中矣」の説明。本来は卦を辞にしたのだが、辞を通して卦を考える。卦象自体は当然なものであって感心する様なものではなく、辞の中にある理に注意を払わなければならない。論語の様に見るのである。
【通釈】
「推辞云々」。これは逆を言う。元々は卦のことを辞にしたのだが、委曲が辞にあるので、辞を通して卦を考えなさいと言ったのである。「可以知変云々」。易を役立てるのがここに見える。象も占いも辞の内にあること。易を道理として見る時はこうなる。易は象が大事だと言っても、拍子木を見てあれが豫の卦だ、尤もなことだ感心することでもなく、いかにも当然なことだと言うまでのこと。大層卦象を有難く思って、拍子木に腰を屈めることでもない。象や卦というものは道理ほどに有難いことはない。卦象を、あれもあれだなと見て、あれを易の本意として立てず、辞の中にある理を、これが易の正味だと見るのである。所謂論語と見なして見るのである。道理のことにして説くのだから、占いのことはその次のことである。論語の様に見るのだから、本意に外れた程伝が道のためには珍重。道統と言うのがここのこと。
【語釈】
・委曲…くわしくこまかなこと。つまびらかなこと。また、事柄のこまかな点。

君子居則云々。やか上に引れた。これは本と孔子の語なり。此孔子のか、はや程子の元祖。そこて引てをかれたことなり。程子のこれを説くも、とどことばに説きをとすか主ぞ。ここは皆孔子の御辞なり。垩人の易を玩れたもここの処そ。大卜の官は觀るの玩ふのと云ことはない筈。孔子か晩年易を見られて韋編三絶と云。よく々々なことなり。玩ばれた故なり。古は字を竹へほりつける。今のすたれのやうに編むなり。其編かなめし韋て編。それか三度切れたと云。よく々々たひ々々見られたと見へる。これか孔子の易を道理に見られた證拠なり。易の書を占にすれば度々は見ず、もし、卜筮て韋編三絶ては垩人ではない。垩人の上に何もそれほどすまぬことはない。卜筮は、孔子はなされす。孔子の道理に説れた。それを伊川先生かここへのべられたものなり。易はかたじけないものじゃ。ふだんはなされぬもの。君子の上か居則觀其象云々なり。何こともないときか居則云々なり。曽点の章に居則曰不吾知と同しこと。用られるに對して何にも用のない一入のこと。乾下坎上などといろ々々な姿かある。それを見て辞を繋たかさても々々々なことなり。至極した上からはそふても有ふことそ。
【解説】
「君子居則觀其象而玩其辭、動則觀其變而玩其占」の説明。易を卜筮のために見るのなら韋編三絶にはならず、この韋編三絶というのが、孔子が易を道理として見られた証拠なのである。何事もない時には辞を玩ばれた。
【通釈】
「君子居則云々」。尚その上にこれを引かれた。これは元々孔子の語で、この孔子の語が、直に程子の元祖である。そこでこれを引いて置かれた。程子がこれを説いたのも、つまりは辞に説き落とすことが主だからである。ここは皆孔子の御辞である。聖人が易を玩ばれたのもここの処。大卜の官は観るとか玩ぶとかということはない筈。孔子が晩年易を見られ、韋編三絶とあるが、それはよくよくなこと。玩ばれたからである。古は字を竹に彫り付けて、今の簾の様に編んだ。それを編むのは鞣し韋でする。それが三度切れたという。よくよく度々見られた様だ。これが、孔子が易を道理として見られた証拠である。易の書を占いとして用いれば度々は見る必要もなく、もしも卜筮のために韋編三絶であれば聖人ではない。聖人の上に何もそれほどに済まないことはない。卜筮は、孔子はなされなかった。孔子は道理として説かれた。それを伊川先生がここへ述べられたのである。易は忝いものだから、普段はなされなかった。君子の上のことが「居則観其象云々」であり、何事もない時が居則云々である。曾点の章の「居則曰不吾知」と同じこと。用いられることに対して何も用のないことの至極のこと。それには乾下坎上などと色々な姿がある。それを見て辞を繋けたのが流石なことで、至極した上からはそうでもあろう。
【語釈】
・君子居則…易経繋辞伝上2。「是故君子所居而安者、易之序也。所樂而玩者、爻之辭也。是故君子居則觀其象而玩其辭、動則觀其變而玩其占。是以自天祐之、吉无不利」。
・韋編三絶…史記孔子世家にある語。
・居則曰不吾知…論語先進25。「居則曰、不吾知也。如或知爾、則何以哉」。
・乾下坎上…易経需卦。

まへの尚其辞を此玩其辞へ對して見るかよい。尚其辞は外へきれす、それ第一にすること。ここは用もなきに見ることゆへ靜に見て、この象へはいかさまこう辞をかけたはづと玩ふ。そふするとうれしくなりて味かふへてくる。尚は尊尚とつつき、玩は玩味とつつく。譬は往遇雨則吉とあるは、さま々々ぎくしゃくしたことか、どふしてつひしっくりとなってよいしめりてごさると云。雨に遇たなりて、なるほとそふじゃと云。先張之弧後説之弧。果し状をつけて果しをふと云ふ。そふかと思へは挨拶よくなりて、今日は同道て濱見物にゆくと云。夫婦中でも朋友の間ても、わるいのかとうした拍子てふっくりとなることかある。皆象と辞て面白ことともなり。玩は客のないのに茶人か羽箒でなでるやふなもの。なにもなをさぬとき、玩其辞なり。玩其辞と云て、易の道理へへったりと我物になる。さて動則は迂斎云、さあと云段になると云様なこととなり。今度の旅はやめたと云。なせやめたと云と、いや止めることかあると云。これか其変を觀たもの。今茲なと大和めくりをすると大きな目に遇と云。これかいやと云はれぬことなり。こふみれは易か今の役に立つ。そこてさて々々違たものと云ふそ。藥のきいたあとて古人の方組を見るやうなもの。さても々々々云に云へぬことしゃ。易さへあれはけがはせぬと云。それもこれも易の辞の上にあるゆへ、辞をばかにするなとなり。
【解説】
尚は尊尚と続く語で、玩は玩味と続く語である。何も起きない時の「玩其辞」によって、易の道理が自分のものになる。事が起きた時には「玩其占」によって変を知る。そこで、易さえあれば怪我はしない。
【通釈】
前にある「尚其辞」をこの「玩其辞」に当てて見なさい。尚其辞は外へ向かわず、それを第一にすること。ここは用もない時に見ることだから、静かに見て、この象へはまさにこの様に辞を繋けた筈だと玩ぶ。そうすると嬉しくなって味が増えて来る。尚は尊尚と続く語で、玩は玩味と続く語である。たとえば「往遇雨則吉」とあるのは、様々にぎくしゃくしたことが、どうしてかついしっくりとなってよい湿りだということ。それは雨に遇ったことからで、なるほどそうだと言う。「先張之弧後説之弧」。果し状を出して果し合おうと言う。そうかと思えば挨拶がよくなって、今日は同道で濱見物に行くと言う。夫婦の仲も朋友の間も、悪いのがどうした拍子からかふっくりとなることがある。皆象と辞で面白いこととなる。玩は客がいないのに茶人が羽箒で撫でる様なもの。何もまだしない時は、玩其辞である。玩其辞から易の道理がべったりと自分の物になる。さて「動則」とは、迂斎が、さあと言う段になる様なことだと言った。今度の旅は止めたと言う。何故止めたのかと聞くと、いや止める理由があると言う。これか「其変」を観たこと。今ここで大和巡りをすると大きな目に遇と言う。これが違うと言えないこと。この様に観れば易が今の役に立つ。そこで、易は本当に違ったものだと言うのである。薬が効いた後で古人の方組を見る様なもの。本当に言うに言えないこと。易さえあれば怪我はしないと言う。何でも易の辞の上にあるから、辞を馬鹿にするなと言ったのである。
【語釈】
・往遇雨則吉…易経睽卦上九。「睽孤。見豕負塗、載鬼一車。先張之弧、後説之弧。匪冦婚媾。往遇雨則吉」。
・方組…薬の調合法。処方。また、処方箋。

得於辞云々。易にも限らぬこと。辞が合点ゆか子は意は知れぬ。得於辞は易の文義のすむこと。辞を得子は甘ひ意かすまぬ。得於辞ても意に通はぬと云ことは隨分あろふことじゃ。未熟なれとも辞を合点したと云ことはある。伊川も、をらなとも若ひときそふてあったがと云程なこと。既に論吾ても十七八て曉文義と云へり。辞はどふか知ぬか、易の意は合点したと云ことはない筈なり。これかまきらかしにはえてある。老荘めいたことを尊ふものや禪坊主風をするなとにあること。文義は済ぬか意はすんたと云。そふ云ことはないはつ。こふしたことゆへ易に注をした。此注をふみ臺にして易の意を得ることなり。易の注もとと易の辞をのべたものと、未有不得於辞而能通其意者也迠云つめて、さてこれからそ。
【解説】
「得於辭不逹其意者有矣。未有不得於辭而能通其意者也」の説明。辞を得ても意に通じないことはある。また、未熟でも辞を得ることもある。しかし、辞を知らなくて意に通じることはない。老荘めいたことを尊ぶ者や禅坊主風なことをする者などは、文義は済まないが意は済んだ言うが、それはないこと。
【通釈】
「得於辞云々」。これは易に限ったことではない。辞を合点できなければ意を知ることはできない。「得於辞」は易の文義が済むこと。辞を得なければ易の甘い意がわからない。得於辞でも意に通じないということは随分とあることだろう。逆に、未熟だが辞を合点したということもある。俺なども若い時にそうだったがと伊川が言う様なこと。既に論語も十七八歳で「曉文義」だと言った。しかし、辞はどうかは知らないが、易の意は合点したということはない筈である。これが紛らかし者にはよくあることで、老荘めいたことを尊ぶ者や禅坊主風なことをする者などにあること。文義は済まないが意は済んだ言うが、そういうことはない筈。こうしたことなので易に注をした。この注を踏み台にして易の意を得なさい。易の注も結局は易の辞を述べたものだと、「未有不得於辞而能通其意者也」までを言い詰めて、さてこれからである。
【語釈】
・曉文義…論語序説。「程子曰、頤自十七八讀論語。當時已曉文義。讀之愈久、但覺意味深長」。

これからは甚六ヶしいことて、これを中々合点すると云ことは急にはならぬことなり。伊川先生の上み段々のことを云たとは相違したことなり。易はじきには得られぬゆへ、辞を注する。みよ、それからさきはそちの胷て合点しろと云か趣向なりと云はれても、それてはすまぬと云。そこて学者は川留にあふたやうなもの。そこをすっと通るは上達の塲なり。上達の塲になると大切なことはうんと呑込ものなり。伊川先生か至極の処をちょっとここへ書とめた。これて易を済すと云ことではない。易のすまぬ内はこの語も済す。易の済たとき、この語もすむ。この語かすめは易もすむなり。伊川先生か傳を作り易の流れを示すとて、易の源てひょいと出した。尹彦明かこれを見て、ああ々々と云はれた。伊川先生かあまりよいことを云ゆへ、ああ余りよさすぎますと云た。尹彦明はなにか伊川先生のすりたての小僧で、甚た道理を合点して天機か洩るると云はれた。易か中々一口や二口に云はれす一生骨を折て合点するか、このやうにがんざりと云へは天機か洩る。ああしまってをきたいとなり。今日未熟なものか見ては、天機の洩るるやうにはみられぬなり。尹彦明かそれほとなはづみゆへ、伊川のさへたやうて、老荘めいたことや禅坊主めいたやふに説たかと思ふに、元来此至微者理也以下の十八字かじっかり々々々々と筋の立たこと。伊川の畫賛に朱子の布帛之文菽粟之味と書れた。そふたい伊川は如此なり。白羽二重に模様はないか、そこに模様かある。白ひ飯か甘ひと云ことてもないか、云ふに云へぬ味かある。伊川先生に甘味かある。これは伊川全体を知子はすめぬこと。飛助なこともなく、老荘めいたこともないからこの語か出たもの。語脉條理あり。
【解説】
この後の句で、これからは自分で易を理解しなさいと伊川先生が言われたが、それは難しいこと。しかし、そこが上達の場である。伊川先生には言うに言えない味があり、弟子の尹彦明は道理を合点していたので伊川先生に対して転機が洩れると言った。未熟な者では尹彦明の様なことは言えない。また、伊川先生の語自体も高逸れたものではなく、しっかりと筋の通ったものである。
【通釈】
これからは甚だ難しいことで、これを合点するのは中々急にはできないこと。伊川先生が上の段々で言ったこととは相違したこと。易は直ぐに得られないので辞を注する。それを見て、これから先はお前の胸で合点しろと言うのが趣向だと言われても、それでは済まないと言うもの。それは学者が川留めに合った様なもので、そこをすっと通るのが上達の場である。上達の場になると大切なことはうんと飲み込むもの。伊川先生が至極の処をちょっとここへ書き留めた。しかし、これで易を済ますということではない。易の済まない内はこの語も済まない。易が済んだ時にこの語も済む。この語が済めば易も済む。伊川先生が伝を作り、易の流れを示すと言って、易の源をひょいと出した。尹彦明がこれを見て嘆じた。伊川先生があまりによいことを言うので、あああまりによ過ぎますと言った。尹彦明はどこか伊川先生の剃出しの小僧の様で、甚だ道理を合点していたので天機が洩れると言われた。易は一口や二口では中々言うことができず、一生骨を折って合点するものだが、この様にはっきりと言えば天機が洩れる。ああ仕舞って置きたいと言ったのである。今日未熟な者が見たのでは、天機の洩れる様には見られない。尹彦明がそれほどに弾んで言ったので、伊川が冴えて老荘めいたことや禅坊主めいた様に説いたかと思うと、元来この「至微者理也」以下の十八字はしっかりと筋を立てたもの。伊川の画賛に朱子が「布帛之文菽粟之味」と書かれた。全体、伊川はこの様な人だった。白羽二重に模様はない様だが、そこに模様がある。白い飯が甘いというわけでもないが、言うに言えない味がある。伊川先生には甘味がある。これは伊川の全体を知らなければわからないこと。飛助の様なこともなく、老荘めいたこともないからこの語が出た。そこに語脈条理がある。
【語釈】
・すりたて…剃出し。江戸時代、髪結の弟子の称。
・飛助…軽率ですぐ飛び出すような人。おっちょこちょい。

又、尹彦明か伊川先生の御身が一部の易じゃと云た。しらぬ人が見ると伊川は殊外氣短ひ人て、朝に仕へても、茶碗と々々をあてるやうに思ひ、石て手をつめたやふに思ふ。見違なり。尹彦明か伊川先生を殊外よく合点したゆへ、伊川先生の動靜を一部の易か出たとたしかに云ふたこと。これかさへて一部の易とみたことてはない。誠に見をふせたそ。伊川先生か身へも心へも知へも、皆易か出たぞ。易がそれほど手に入りたゆへ、易の上て垩人の云たことをもって出しはせぬ。しゃんと手前からもって出た。それか此十八字なり。偖此語をは子たことに思ひ、其やうにむつかしいことにとりなやんてみることてはない。先理は目に見、耳に聞へぬものなり。二十四孝の繪は書れるか、其親に孝行は繪にかかれぬ。なせ繪にかかれぬなれは、孝行は理ゆへ繪に書れぬ。
【解説】
尹彦明は伊川先生をよく理解していたから、尹彦明が伊川先生の身は一部の易だと言ったのである。また、伊川先生は易を体現していたので、以下は聖人の語を引用せずに自分の言で述べた。
【通釈】
また、尹彦明が伊川先生の御身は一部の易だと言った。知らない人が見ると伊川は殊の外気の短い人で、朝廷に仕えても、茶碗と茶碗を当てる様に思い、石で手を詰めた様に思うが、それは見違いである。尹彦明は伊川先生を殊の外よく合点したから、伊川先生の動静を見て、易の一部が出たのだとしっかりと言ったのである。これは冴えたことで、一部の易だと見たのではない。誠に見切って言ったのである。伊川先生の身へも心へも知へも、皆易が出た。易がそれほど手に入っているので、易の上で聖人の言ったことを出しはせず、しっかりと自分の意で言を出した。それがこの十八字である。さて、この語を飛び抜けたことと思ったり、難しいこととして取り悩んで見てはならない。先ず理は目に見えず、耳に聞こえないもの。二十四孝の絵は描けるが、その親にする孝行は絵に描けない。何故絵に描けないのかと言うと、孝行は理だから絵に描けないのである。
【語釈】
・茶碗と々々…ぶつかって音を立て、双方が傷つくところから、仲の悪い間柄のたとえ。
・石て手をつめた…進退きわまる意。
・二十四孝…中国で、古今の孝子二四人を選定したもの。元の郭居敬の説。虞舜・漢文帝・曾参・閔損・仲由・董永・剡子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁・老莱子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。

至微者理也至著云々。理、書にかかれぬ。王祥か裸て鯉をかかへ、孟宗か竹の子を掘処は畫にかかれるなり。至著は象也ゆへに畫に書れるそ。これは至て平実な語て、誰か聞てもすめることなり。然るに爰を飛たりは子たりするやふに讀たかるは心へちかいなり。無極而太極はやはり至微者理也のこと。されとも中々手に入らぬ語なり。伊川を平実と云ふは、此語か理は目に見へぬもの、象は子ともも見るものなり。あそこに犬か居たの、あそこに猫か居たのと云ふは、舌のまわらぬ子ともにみる。象ゆへなり。なれとも象と理は離れぬものて、易、とと理と象の二つ。理はかりて象かないと取手方角かない。象ばかりて理かないとやくたいはない。理と象のあるか易の易たる処なり。太極は理、両儀は象なり。しっかりと其筋をわけて見せたか至微者理なり至著者象なりの二句なり。この処に大妙かある。理は替たものて目に見へぬものなれとも、目に見へるものの上にしゃんとある。至微者理也はとこにあると云に、別に屋敷はない。至著者の中にある。
【解説】
「至微者理也。至著者象也。體用一源、顯微無閒」の説明。著れたものは象であるから目に見えるが、理は微かなものなので目に見えない。しかし、理は象と共にある。易は理と象の二つであって、理は象の上に存在する。
【通釈】
「至微者理也至著云々」。理は絵に描けない。王祥が裸で鯉を抱え、孟宗が竹の子を掘る処は絵に描ける。「至著者象也」なので絵に描くことができるのである。これは至って平実な語で、誰が聞いてもわかること。しかし、ここを飛んだり跳ねたりする様に読みたがるのは心得違いである。無極而太極はやはり「至微者理也」のこと。しかし、中々手に入らない語である。伊川を平実と言うのは、この語が、理は目に見えないもので、象は子供でも見ることができるものだと言っているからである。あそこに犬がいたとか、あそこに猫がいたとは、舌の回らない子供でも言うことができる。それは象だからである。しかしながら象と理は離れないもので、易は結局、理と象の二つである。理ばかりで象がないと取っ掛かりがない。象ばかりで理がないと益体はない。理と象があるのが易の易たる処。太極は理、両儀は象である。しっかりとその筋を分けて見せたのが至微者理也、至著者象也の二句である。この処に大妙がある。理は変わったもので目に見えないものだが、目に見えるものの上にしっかりとある。至微者理也はどこにあるかと言えば、別に屋敷はない。至著者の中にある。
【語釈】
・王祥…晋朝の人。親孝行な人で、「臥冰求鯉」の故事がある。
・孟宗…二十四孝の一で、寒中に親に筍を供えた孝子の名。

直方先生か茶碗と云ものは象しゃ。其茶碗をたたけはちんとなる。それも象じゃ。なせなると云ふは理て、とんと見へぬ。ちんとなる理は茶碗の上に備てある。それゆへ至微者理也至著者象也とさっはりと示たもの。何もこの語を其やふにむつかしくみることではない。平実に理と象をわけたことなり。筆て物を書くは理。とふして書か知れぬ。至微者理なり。大文字筆をつるしてをき、大文字を書たは至著者象也て目に見へるか、其上に書と云理かある。肉桂は目に見へるか、肉桂の功能は目に見へぬ。兎角に性理の学の大事は遠慮なしにわけるか大事。学者太極圖説の後論かはっきりとないゆへ、とかく一つにするがすきて、分ることは不得手になる。理と象をはっきりと先分けて見せること、第一なり。ここの伊川の語をよく見るへし。たたい合せると云ことは、分てをひて合せるてなくては役にたたぬ。とかく始から合せてわけぬゆへ、めっちゃになる。合せす分ん々々にするか至微者云々の二句なり。爰をすっはりと切てはなすこと。
【解説】
筆で文字を書くのは象であり、それは見える。しかし、何故書けるのかはわからない。それが理である。薬も目に見えるもので象だが、薬効は目に見えなないもので理である。性理の学は分けることが大事であって、先ず分けて、その上で合わせるのでなければ役に立たない。
【通釈】
直方先生が、茶碗というものは象だ。その茶碗を叩けばちんと鳴る。それも象だ。何故鳴るのかと言えば、理だから全く見ることができない。ちんと鳴る理は茶碗の上に備わってある。そこで、「至微者理也至著者象也」と、さっぱりと示したのだと言った。しかし、何もこの語をその様に難しく見なくてもよい。平実に理と象を分けたもの。筆で物を書くのは理。どうして書けるのかは知らない。それが至微者理也である。大文字筆を吊して置き、大文字を書くのは至著者象也で目に見えるが、その上に書くという理がある。肉桂は目に見えるが、肉桂の効能は目に見えない。とかく性理の学は遠慮なく分けるのが大事。学者が太極図説の後論をはっきりと理解しないので、とかく一つにすることが好きで分けることは不得手になる。先ずは理と象とをはっきりと分けて見せることが第一である。ここにある伊川の語をよく見なさい。そもそも合わせるということは、分けて置いて合わせるのでなくては役に立たない。とかく始めから分けないで合わせるので滅茶苦茶になる。合わせずに別々にするのが至微者云々の二句である。ここをすっぱりと切って離すこと。

そふしてをいて、跡へ体用一源顕微無間とくる。かふすると理に御目にかかるの、象に御目にかかるのと云ことはない。もと角力の東西をわけるやふなことてはない。根か一つて、さてわかるなり。爰かすまぬゆへ、羅整菴の徒か疑をなすそ。二つにわけて一源無間なれは、わけたものか一に合ふた。とかく此を理氣の取扱にして、これから発明して分けはわけたかとど一つしゃと云へは、どこてもはつれはなし。爰て一つ体用と云字のをこる姿を合点するかよい。体用は動靜から云ふこと。顕微は理氣から云ことなり。體用動靜は太皷をそこへをくやうなもの。鳴らぬは体。撥をあてるとどんと鳴るは用なり。鳴らぬときの太鞁と鳴るときの太鞁と二つはないか、体用はわけ子はならぬ。そんなら二つかと云に一つそ。鳴ぬ太鞁を桴をあてると鳴る。体用一源なり。理氣はたたいはなれぬものぞ。氣はあらわれて人の目に見へるものなり。易の爻て云へは、乾は一の字を書く。はや阳じゃとなと見る。すぢのきれて両方へほち々々を書。これは阴じゃなと見る。顕なり。微は阴阳の々々たる処ぞ。そこはとふも目に見へぬ。これは阴、此は阳か目に見へるか、阴の阴たり阳の阳たる処は微て目に見へぬ。繪にもかかれぬなり。其畫に書れたものの中にあるゆへ、そこて無間と云。三井孫兵衛や東皐を能書と云は目に見へぬか、そこへ唐紙をもってゆくと月至天津處なとと書く。そこて能書と見へるなり。然れは始に至微者理也至著者象と云ふてわけたを、其能書と云ものか此大文字を書たなれは二つものてはない。体用一源と云も、わけても一つぢゃと云ことなり。顕微無間と云も理のみへぬものか形して象となり、彼理か象の上にしゃんとある。とふも外にあるものでない。水の潤す、火の炎るか水火の上に無間なり。内に居たも他出したも一つ人なり。内に居た処て体と云、他出した処て用と云。だまりて居りて心に思ふことは知れぬ。体。口て云ゆへ知るる。用なり。中は一つになりてをることそ。これから云てみれは、何ても云れぬことはない。人のじっとして居るは体。足を動し手を動す処は用。その動くも一つものなり。そこて体用は一源なものそ。人の心は冲漠無朕萬象具なり。発らぬ前は体て、心の発せぬ内は何かしれぬ。思たことを云、そこてさてそふかと云。目に見、耳に聞ことか初手からきまりてをるなり。直方先生や迂斎なとの云るる通り、鷄卵の黄みの中にとさかもけづめもあるなり。
【解説】
「體用一源、顯微無閒」の説明。理と象とを分けて置いて、「体用一源顕微無間」と言う。これで、分けたものが一つに合う。それは根が一つだからである。「体用」は動静、「顕微」は理気から言ったことで、体用は動静によって分けなければならないが、本は一つで一源であり、理気は目に見えない理が目に見える気の上にあるから無間なのである。
【通釈】
そうして置いて、後に「体用一源顕微無間」と出す。この様にすると理にお目に掛るとか象に御目に掛ると言うことではない。本来、それは相撲取りを東西に分ける様なことではない。根が一つで、それが分かれるのである。ここが済まないから羅整菴の徒が疑う。二つに分けて一源無間なら、分けたものが一つに合う。とかくこれを理気の取り扱いにして、これから発明して、分けるには分けたがつまりは一つだと云えばどこでも外れることはない。ここで一つ体用という字の出た姿を合点しなさい。体用は動静から言うこと。顕微は理気から言うこと。體用動静は太鼓をそこへ置く様なもの。鳴らないのは体。撥をあてるとどんと鳴るのは用。鳴らない時の太鼓と鳴る時の太鼓は別ではないが、体用は分けなければならない。それなら二つかと言えば一つである。鳴らない太鼓に撥をあてると鳴る。体用一源である。理気はそもそも離れないもの。気は現れて人の目で見えるもの。易の爻で言えば、乾は一の字を書く。直ぐに陽だとなと見える。筋を切って両方に短い線を書く。これは陰だなと見える。それが顕である。微は陰陽の陰陽たる処。そこはどうも目に見えない。これは陰、これは陽、それは目に見えるが、陰の陰たる処や陽の陽たる処は微で目に見えない。絵にも描けない。その画に書かれたものの中にあるから、そこで無間と言う。三井孫兵衛や東皐を能書と言うのは目に見えないことだが、そこへ唐紙を持って行って「月至天津處」などと書けば、そこで能書だとわかる。始めに「至微者理也至著者象也」と言って分けたが、能書がこの大文字を書いたのだから別のものではない。体用一源と言うのも、分けても一つだということ。顕微無間と言うのも、理という見えないものが形して象となり、あの理が象の上にしっかりとあるということ。どうも外にあるものではない。水は潤し、火は燃えるが、水火の上に無間である。内にいるのも他出したのも同じ人である。内にいる処で体と言い、他出した処で用と言う。黙っていれば、心に思うことはわからない。それが体である。口で言うからわかる。それが用である。中は一つになっている。これから言えば、何でも言えないことはない。人がじっとしているのは体。足を動かし手を動かす処は用。しかし、動くのもじっとしているのも本は同じ。そこで、体用は一源なものなのである。人の心は「冲漠無朕万象具」。発る前は体で、心が発しない内は何かわからない。思ったことを言うから、そこでさてそうかと言う。目に見、耳に聞くことは初手から決まっている。直方先生や迂斎などの言われた通り、鶏卵の黄身の中には鶏冠も蹴爪もある。
【語釈】
・羅整菴…
・三井孫兵衛…三井親和。江戸中期の書家。字は孺卿。竜湖・万玉亭・深川漁夫と号。信濃の人。書を細井広沢に学び、江戸深川に住。篆書を能くした。1700~1782
・東皐…東皐心越禪師(1639-1695)。號は東皐。字は心越。法名は興儔。浙江省の僧侶。1676年に日本に渡り、日本曹洞宗壽昌派の開山の祖となった。
・冲漠無朕萬象具…道体32。「冲漠無朕、萬物森然已具。」

さて、体用には一源と云ひ、顕微には無間とかけたことは朱子の答汪尚書答何叔京書て出所を吟味し、幷に太極圖説の後論てすっはりと済む。この語か天地へかけても人間へかけてもとんと天地人のことかのこらぬ処へもってゆきて、やれ天機を洩す々々と云ふた。天地の間のことをふるい出したゆへなり。理と象を取て離れたことと見るゆへ、始終ここのわかれかわるい。無極而太極はすみにくい。ここはすみよいやうにしたもの。これもとと太極圖を見て得られたこととみへる。又、易変易也は圖説を見て云たことなり。圖説にあれほどなことあれとも変易なり。それも初の巴の丸にすっはりとある。顕微無間なり。なにもかも同しことて、仁義礼智之性は体、測隠羞悪辞讓是非は用なり。内に仁義礼智ありて其体かあらはれて測隠云々是非になる。一源なり。測隠の発は人の目に見へる。常に靜な人なれとも、子ともか井戸へをちたと云ふ。はっと云て欠出す。それは誰かさせると云ふに、内に仁かある。日頃欲心深ひ人なれとも、顔を赤くしたと云。内に義のあるゆへなり。体用一源にはきはまりた。とこへかけても此外はない。
【解説】
「体用一源顕微無間」は太極図を見て得、「易変易也」は図説を見て言ったこと。図説には色々な変化が記されているが、それが変易であり、それ等は最初の巴の丸に全て備わっている。これが顕微無間である。また、仁義礼智の性は体、測隠羞悪辞譲是非は用である。天地人に漏らさず体用一源顕微無間はある。
【通釈】
さて、体用には一源と言い、顕微には無間と掛けたことは、朱子の答汪尚書や答何叔京書で出所を吟味し、並びに太極図説の後論を吟味することですっぱりと済む。この語が天地へ掛けても人間へ掛けても全く天地人のことが残さずある処へ持って来て、やれ天機を洩らすと尹彦明が言った。天地の間のことを篩い出したからである。理と象が取って離れたことだと見るから始終ここの分かれが悪い。無極而太極はわかり難いが、ここはわかり易くする様にしたもの。つまりはこれも太極図を見て得られたことと見える。また、「易変易也」は図説を見て言ったこと。図説にあれほどのことがあるが、それが変易である。それも最初の巴の丸にすっぱりとある。それが顕微無間である。何もかも同じことで、仁義礼智の性は体、測隠羞悪辞譲是非は用である。内に仁義礼智があって、その体が現れて測隠云々是非になる。これが一源である。測隠の発は人の目に見える。いつもは静かな人だが、子供が井戸へ落ちたと聞けば、はっとして駆け出す。それは誰がさせるのかと言えば、内にある仁である。日頃欲心深い人だが顔を赤くしたと言う。内に義があるからである。体用一源には極まった。どこへ掛けてもこの外はない。

三宅先生のかるい発明ありて、しかも窂の中での発明なり。体用一源説と云一節著された。其中て委しいことより聞へよいことを今一つ云へし。小学の内でと云ふて、尚面白ひ。孝子之有深愛者必有和氣有和氣者必有愉色と云を体用一源に云はれたなり。日本橋で人を見ると孝子か何か知れぬ。みな同しやうなり。これは微そ。孝子がふだん親を大事にするゆへ、小田原町を通りかかると、ああ今日は供も幸ひあるとて肴を買にかかる。親かあるか親かないか知れぬ。此も微なり。親父の前へ出ると、はやにこ々々と咄す。これか顕なり。何やら大ふ見ことな挨拶あらわれるなり。深愛の微か顔へあらはれたなり。このやうなことはあることてあれとも、天地の上から孝子の顔色まてにぎか々々とみへる。皆顕微無間のたんてきなり。云ひやうには子たことはないか、こうより外は落着はなし。色々云ても落着かつかぬ。これてことあるものなれとも、これて天下中の物の理か片付く。もふ外にはないと云仕舞てのけた。そこて漏天機と云。ききを駭すことてはないか、さて々々云に云へぬことなり。これを仏書にあるなどと云ふはかいない目なり。あらは吾儒に似た処なり。伊川の取たならはよいゆへ取たなり。易全体これに洩ることはない。無極而太極、この外てない。道統傳を得た伊川先生、体用一源顕微無間と云れた。これて易はつき、易もこれにつまりたこと。それと云ふか、つまり易有太極生両儀のうはさを云たものなり。これにて、大賢の発明にめったなことはない。後ろにはいつも孔子なりと知へし。
【解説】
三宅先生が著された体用一源説の中に、小学を引用して体用一源を説かれたものがあり、それにはこうある。日本橋で人を見ても、小田原町で魚を買う人を見ても、それが孝子か否かはわからない。微である。しかし、親の前に出ると直ぐににこにこと話をする。顕である。親に対して見事な応対をする。深愛の微が現われたのである。
【通釈】
三宅先生に軽い発明があり、しかもそれは牢の中での発明である。体用一源説という一節を著された。その中から、詳しくではなく聞き易いことを今一つ言う。それは小学の中のことでと言うから、尚面白い。「孝子之有深愛者必有和気有和気者必有愉色」を体用一源として言われた。日本橋で人を見ても、孝子なのかそうでないのかはわからない。皆同じ様である。これは微。孝子は普段親を大事にするから、小田原町を通り掛かると、ああ今日は供も幸いにいるからと思って肴を買いに掛かる。しかし、親があるか親がないかはわからない。これも微。親父の前へ出ると直ぐににこにこと話す。これが顕。何やら大分見事な挨拶が現れる。深愛の微が顔へ現れたのである。この様なことはあることで、天地の上から孝子の顔色までがはっきりと見える。それが皆顕微無間の端的である。言い方に大袈裟なことはないが、こう言うより外は落着かない。色々と言っても落着かない。事は沢山あるが、これで天下中の物の理が片付く。もう外にはないと言い切った。そこで漏天機と言う。これは聞き手を驚かすことではないが、さても言うに言えないこと。これを仏書にあるなどと言うのは甲斐ない目である。それがあるのは我が儒に似た処だからであり、伊川がその言を取ったらよかったので取っただけである。易全体はこれに洩れることはない。無極而太極の外はない。道統の伝を得た伊川先生は体用一源顕微無間と言われた。これで易は尽き、易もこれに極まった。それと言うのも、つまり「易有太極生両儀」の噂を言ったもの。そこで、大賢の発明には滅多矢鱈なことはない。後ろにはいつも孔子がいると知りなさい。
【語釈】
・孝子之有深愛者必有和氣有和氣者必有愉色…小学明倫。「孝子之有深愛者、必有和氣。有和氣者、必有愉色。有愉色者、必有婉容」。
・易有太極生両儀…易経繋辞伝上11。「是故易有太極。是生兩儀」。

觀會通以云々。二たての語と見るかよい。上に易の変易と云て隨時以変易從道と云。爰も体用一源顕微無間と云て觀會通以行其典礼と云。易変易也はあちのことて、隨時変易以從道はこちのことなり。体用一源顕微無間はあちのことて、觀會通以行其典礼、こちの方て云。易変易也はかりては易の用はない。隨時以從道て易か役にたつ。ここもそれなり。此語は繋辞傳に孔子の云れたこと。會とは道理のさま々々なあつまった処て云。そのあつまった道理の中て、こふすると一つきまりのついてあるかこの通なり。医者か病人を見て方医を出して見る。方にまよふほと藥名かあるなり。これ、會なり。さてこの病人にをいてはこれにきはまったと云が通なり。易にさま々々道理あるか、通と云かある。道中するにさま々々道はあるか、行く処はきはまりてをるそ。東西南北に路驛あるは會なり。京都へ行には品川。北国へ行には板橋。東国へ行には千住と定てをるか通なり。
【解説】
「觀會通以行其典禮、則辭無所不備」の説明。「体用一源顕微無間」は天地のことで、「観会通以行其典礼」は人のことで言う。人がするので役に立つ。「会」とは、道理が様々と集まっていることを言い、「通」とは、その会した道理の中で一つ決まっていることを言う。
【通釈】
「観会通以云々」。二本立ての語と見なさい。上で「易変易也」と言って「随時以変易従道」と言う。ここも「体用一源顕微無間」と言って「観会通以行其典礼」と言う。易変易也はあちらのことで、随時変易以従道はこちらのこと。体用一源顕微無間はあちらのことで、観会通以行其典礼はこちらの方で言う。易変易也だけでは易が用をなさない。随時以従道で易が役に立つ。ここもそれ。この語は繋辞伝で孔子が言われたこと。会とは道理が様々と集まった処で言う。その集まった道理の中で、こうすると一つの決まりが付くことがあるというのがこの通である。医者は病人を見て、方医を出して見る。処方には迷うほどの薬名がある。これが会である。さてこの病人にはこれに極まったと言うのが通である。易には様々な道理があるが、通ということがある。道中をするには様々な道があるが、行く処は極まっている。東西南北に路駅があるのは会。京都へ行くには品川。北国へ行くには板橋。東国へ行くには千住と定まっているのが通である。
【語釈】
・觀會通以云々…易経繋辞伝上8。同12。「聖人有以見天下之動、而觀其會通、以行其典禮、繋辭焉以斷其吉凶。是故謂之爻」。

會通は料理人かここへ庖丁をいれれはすっときれると云。會通を知らぬと、どちかとふやらつかまへられぬ。本義に庖丁解牛を引はそこなり。會通を知るとその通りを行そ。しかたはさま々々で、どちどうしても道理の通りにするより外はない。医者かさま々々な見立はあれとも、疾を直すより外はない。疾を直すは典礼なり。孝子変巧とて、親の機嫌次第に孝子がいろ々々にばけることもあるか、親に孝行と云より外はない。典礼なり。縄規をはづれぬことを典礼と云。典はのり。礼はやはり三千三百儀章度數のある礼て云。礼の字を、とかく垩人を出さるるは、このくらいと推しつけることなり。筋の立て、こふでなければならぬと云やうに、きっはりと規に合せるなり。そこて垩人の易を作ったか人の為になる。
【解説】
会通を知らなければうまく行かないもの。結局は道理の通りにするより外はない。そして、その行いは典礼による。典礼とは縄規を外れないことであり、典は規、礼は三千三百儀章度数の礼を指す。
【通釈】
「会通」とは、料理人がここへ庖丁を入れればすっと切れると言う様なこと。会通を知らないと、どうしてもうまく行かない。そこで、本義に庖丁解牛を引用した。会通を知ってその通りを行う。仕方は様々でも、結局は道理の通りにするより外はない。医者に様々な見立てがあっても、疾を直すより外はない。疾を直すのは典礼による。「孝子唯巧変」と言って、親の機嫌次第に孝子が色々に化けることもあるが、親に孝行と言うより外はない。それが典礼である。縄規を外れないことを典礼と言う。典は規。礼とは、やはり三千三百儀章度数のある礼を言う。とかく礼の字を聖人が出されるのは、この位と推し付けること。筋が立って、こうでなければならないと言う様に、きっぱりと規に合わせる。そこで聖人が易を作ったことが人のためになる。
【語釈】
・庖丁解牛…荘子養生主にある話。周易本義繫辞傳上8。「會、謂理之所聚而不可遺處。通、謂理之可行而无所礙處。如庖丁解牛。會則其族、而通則其虚也」。
・孝子変巧…大戴礼記。「孝子唯巧變、故父母安之」。
・縄規…規則。標準。縄矩。

故善学者云々。一足飛てない。易を受用にするには辞か大事そ。辞を合点すれは意か出て来る。体用一源顕微無間は易全体て程子の趣向。ここにくくりあけて觀會通以行其典礼は其を受用にするときのことなれとも、それと云もとれもこれも易の辞にないことはない。学ひやうの上手は言へもってくる。言には理を存するに足らぬと云ことはない。易を見て、ふんに頭をひ子ることはない。論語をよむ通のことしゃと云か伊川の主意て、善学者求言自近と云。さて、近思録へかけてみるとき、至微者理也云々は道体なり。觀會通云々は為学なり。善学者云々は致知なり。学ひやうかわるけれは、易を讀ても易を知らぬ。学ひやうか上手なれは、易を合点するなり。兎角仰山なことはわるいそ。郭象か注とてうれしかるは心得違なり。荘子の注ならは、荘子の本文のすめるやうにするはつ。荘子の文義をすます役に立ぬけれとも、一種の好尚ありて、そこて近来はやるなり。郭象注荘子、荘子注郭象と云て高妙なことにする。されとも、たたい注は本義を済すから入用なり。論語の始に君子成德名愠含怒意とあって、あれから君子の心も得られること。それを怒也てよいと云ゆへ、一生君子成德の人の心を済すことはならぬ。然れば註は大切なもの。
【解説】
「故善學者求言必自近」の説明。易の辞には全てがあるから、善く学ぶ者は言によって理を理解する。それは論語を読むのと同じことだと言うのが伊川の主意である。また、「至微者理也云々」は道体であり、「観会通云々」は為学であり、「善学者云々」は致知である。学び方が悪ければ、易を読んでも易を知らないことになる。
【通釈】
「故善学者云々」。一足飛びではない。易を受用にするには辞が大事で、辞を合点すれば意が出て来る。「体用一源顕微無間」は易全体のことで程子の趣向。ここに括り上げて「観会通以行其典礼」と言うのはそれを受用する時のことだが、それと言うのも、どれもこれも易の辞にないことはないからである。学び方が上手な者は言へ持って来る。言は理を存するのに足りないということはない。易を見て、ひどく頭を捻る必要はなく、論語を読むのと同じことだと言うのが伊川の主意であり、「善学者求言自近」と言った。さて、近思録へ掛けて見る時、「至微者理也云々」は道体であり、「観会通云々」は為学であり、「善学者云々」は致知である。学び方が悪ければ易を読んでも易を知らないことになる。学び方が上手であれば易を合点する。とかく仰山なことは悪い。郭象の注だと言って嬉しがるのは心得違いである。荘子の注であれば、荘子の本文を済める様にする筈。荘子の文義を済ます役には立たないが、一種の好尚があって、そこで近来流行っている。郭象注荘子、荘子注郭象と言って高妙なことにしている。しかし、そもそも注は本義を済ますから必要なのである。論語の始めに「君子成徳名慍含怒意」とあって、あれから君子の心も得られる。それを「怒也」でよいと言うから、一生君子成徳という人の心を済ますことができない。そこで、註は大切なのである。
【語釈】
・郭象…字は子玄。河南郡の人。清談と老荘の学を好み、「荘子注」を著した。252?~312
・好尚…①このみ。嗜好。②はやり。流行。
・君子成德名愠含怒意…論語学而1集註。「慍、含怒意。君子、成德之名」。

易於近者は本心を得られた。易於近の易は易忽とつつきなに、文字は字彙ひけはよいと云類なことを近を易ふすると云。垩賢の語が文字を捨て知ることてはない。程子の易傳も重ひことを注するてない。辞を注するなり。この思召から頤十七八讀論語當時已曉文義讀之愈久但覺意味深長も出たことなり。論語も易も一手なことなり。辞の吟味をしたゆへ、意味の深長も知りたぞ。ここは師匠も朋友もたのまれぬことそ。我て吟味をすることなり。讀書千遍のよいと云も爰なり。辞を熟す上に意か通し、旨かひろくなって、垩人之意可見矣もその人にあることそ。由辞以得意則在乎人矣を学者の大切と見ることそ。今これを聞けは苦労なことの始たやうなり。辞は、伊川先生か傳をかけてをく意はあのうちにあるゆへ、学者面々に意は得ることそ。これからはてんでかせきて勝手にするかよいとつきはなした。親の方をまってをる子はかせぎ出す。親からは食ふほともろふて冨顕になるはその人にある。濱て鰯を盗もはたらきしたい。辞まては伊川先生の吟味して、意を得るはそちのことと云。これを大切に見るかよい。
【解説】
「易於近者非知言者也。予所傳者辭也。由辭以得意、則存乎人焉」の説明。伊川先生の易伝は易の辞を注したもので、辞の中に道理があると示したのである。そして、ここから先は自分でしなければならないと言った。論語でも易でも自分の力で道理を得なければならず、得るも得ないもその人次第なのである。
【通釈】
「易於近者」は本心を得られたということとは違う。易於近の易は易忽と続くものであって、文字は辞書を引けばよいと言う類のことを近を易くすると言う。聖賢の語は文字を拾って知ることではない。程子の易伝も重いことを注したものではない。辞を注したのである。この思し召しから「頤十七八讀論語當時已曉文義読之愈久但覚意味深長」も出た。論語も易も同じこと。辞の吟味をしたので意味の深長も知ったのである。ここは師匠も朋友も頼りにできないことで、自らが吟味をする。読書千遍がよいと言うのもここ。辞を熟した上で意が通じ、旨が広くなるのであって、「聖人之意可見矣」も自分に掛かること。「由辞以得意則在乎人矣」を、学者にとって大切なことだと見なさい。今これを聞けば苦労なことが始まった様である。伊川先生が伝を繋けて置いた意は辞の内にあるのだから、学者は自力でその意を得なければならない。これからは、それぞれの稼ぎで勝手にするがよいと突き放した。親を待っている子は稼ぎに出ない。親からは食うほど貰ったとしても、富顕になるのはその人に由る。濱で鰯を盗むも働き次第。辞までを伊川先生が吟味して、意を得るのはそちらの仕事だと言った。ここを大切に見なさい。
【語釈】
・聖人之意可見矣…致知39。「句句而求之、晝誦而味之、中夜而思之、平其心、易其氣、闕其疑、則聖人之意見矣」。