第五十 伊川先生答張閎中条  十一月十一日  邦直録
【語釈】
・十一月十一日…寛政2年庚戌(1790年)11月11日。
・邦直…

伊川先生答張閎中書曰、易傳未傳、自量精力未衰、尚覬有少進爾。來書云、易之義本起於數。則非也。有理而後有象、有象而後有數。易因象以明理、由象以知數。得其義、則象數在其中矣。理無形也。故因象以明理。理既見乎辭矣、則可由辭以觀象。故曰、得其義、則象數在其中矣。必欲窮象之隱微、盡數之毫忽、乃尋流逐末。術家之所尚、非儒者之所努也。
【読み】
伊川先生の張閎中に答うる書に曰く、易傳の未だ傳えられざるは、自ら量るに精力未だ衰えず、尚少しく進むこと有るを覬[ねが]えばなり。來書に云う、易の義は本數より起る、と。則ち非なり。理有りて而る後に象有り、象有りて而る後に數有り。易は象に因りて以て理を明らかにし、象に由りて以て數を知る。其の義を得ば、則ち象數其の中に在らん。理は形無し。故に象に因りて以て理を明らかにす。理既に辭に見るれば、則ち辭に由りて以て象を觀る可し。故に曰く、其の義を得ば、則ち象數其の中に在り、と。必ず象の隱微を窮め、數の毫忽を盡くさんと欲せば、乃ち流を尋ね末を逐う。術家の尚ぶ所なるも、儒者の努むる所に非ず、と。
【補足】
・この条は、程氏文集九(伊川先生文五)、程子遺書二一にある。

易傳未傳云々。先伊川の十七八のころから三十の御年迠はめったに書をよみ、博学の博の字をされたなり。さて四十の御年からは、これ迠見たことを吟味し、それからして五十六十二十年の間は是迠吟味したをあちへやりこちへやりして色々思ひつめ、初て六十の年に書の編集か出来たそ。其第一は易傳なり。この出来る迠には殊外吟味なり。易傳の這入程な箱を拵へ、折節出して見、又、仕廻ときはひんと錠ををろして置れた。それから大底よいと思ふて序か出来た。これて先つきまりたなり。さて、其沙汰はありて弟子達に見せぬゆへ、張閎中かどふそ見たいと望れた。伊川の年譜て見れば七十を越てのことじゃに、後世のめったに見せたかる筋とはきつひ相違なり。精力未衰。此年にはなりたれとも、すんと精力も衰へぬ。もそっとも上かろふかもしれぬとなり。ちと天窓がはげると唯我獨尊の氣になる学者とは南北の違なり。伊川なとは学者も未たあかるであろふから、易傳にもちょこ々々々と直す処あろふ、と。
【解説】
「伊川先生答張閎中書曰、易傳未傳、自量精力未衰、尚覬有少進爾」の説明。伊川は四十歳までは多くの書を読み、六十歳まではそれを吟味し、六十歳になって初めて書の編集をしたが、その始めは易伝だった。しかし、伊川がそれを仕舞っておいて弟子に見せなかったので張閎中がそれを見たいと言った。それは七十歳を越えてのことである。その時伊川は、未だ自分の精力も衰えず、学も今後更に上達するだろうから易伝の修正もあり得、それで見せないのだと答えた。
【通釈】
「易伝未伝云々」。先ず伊川は十七八の頃から三十の御歳までは滅多矢鱈に書を読み、博学の博の字をされた。さて、四十の御歳からはこれまで見たことを吟味し、それから五十や六十までの二十年の間はこれまで吟味したことをあっちへ遣ったりこっちへ遣ったりして色々と思い詰め、初めて六十の歳に書の編集ができた。その第一は易伝である。これができるまでには殊の外吟味があった。易伝が這い入る程の箱を拵えて折節出して見て、また、仕舞う時はぴんと錠を下ろして置かれた。それから大体はよいと思って序ができた。これで先ず易伝が決まった。さて、易伝はできたが弟子達にそれを見せないので、張閎中がどうか見たいと望まれた。伊川の年譜で見れば七十を越えてのことだが、そこには後世の者が滅多矢鱈に見せたがる筋とは大した相違がある。「精力未衰」。この年にはなったが、ずんと精力も衰えない。もう少しは上達するかもしれないと言った。少し頭が禿げると唯我独尊の気になる学者とは南北ほどの違いである。伊川などは、学者としてまだ上達するだろうから、易伝にもちょこちょこと直す処があるだろうと言ったのである。

張閎中か易は數か本しゃと云たはいかさまわるいなり。本理あって、その理があらはれてからの數なり。たとへは理は親なり。數は子なり。子が親を産と云筋はないことそ。理は先へ立つ。今子福者と云かありて八人十人のと云も、其數は本と子か出来てから云ことなり。數はあとのことなり。理の先へ立証拠は、若ひものの婚礼もせぬ前から婚礼する理は見へてをる。そこて婚礼すれは子の出来ると云こともある。ないまへにきっとある。朱子の必竟先有理はそこて、此頃のやうに日和が續ても傘の如在にならぬは、いつぞは降と云ことあるからそ。いつも云、未たあかるいに行燈を持て行く。案の如く暗くなる。兎角理が先なり。さて、象から數は見へてくる。先子が生れる。象なり。もはや手足の指のと云かある。數なり。象あっての數そ。
【解説】
「來書云、易之義本起於數。則非也。有理而後有象、有象而後有數」の説明。易の本来は数ではなく、理である。理が表われて象となり、象から数となるのである。
【通釈】
張閎中が易は数が本だと言ったのはいかにも悪い。本に理があって、その理が表われてから数となる。たとえば理は親で数は子の様なもの。子が親を産むという筋はない。理は先へ立つ。今子福者と言う者があって八人とか十人の子がいると言うのも、その数は本来、子ができてから言うことで、数は後のことである。理が先へ立つ証拠として、若い者が婚礼もしない内から婚礼をする理は見えている。そこで婚礼をすれば子ができるということもある。ない前にきっとある。朱子が「必竟先有理」はそこで、この頃の様に日和が続いても傘を疎略にできないのは、いつかは降るということがあるから。いつも言う、いまだ明るいのに行燈を持って行く。思った通り暗くなる。とかく理が先である。さて、象から数は見えて来る。先ず子が生まれる。これが象。最早手足や指というものがある。それが数。象あっての数である。
【語釈】
・必竟先有理…
・如在…ておち。てぬかり。懈怠。疎略。

然るに易は本繪圖じゃから因象以明理云々と云。乾の卦を見れは一の字の様なか三つある。天の健な処そ。天澤火雷風水山地は象なり。象は理のなりからあらはれ、數は其上て云。何かあそこに人か見ると云のを、そこへ行てみれは誰じゃと云かしるる。向に何か黑ひものかあると云は牛か熊なり。そばへ行て見ると毛の細かなも知るる。象から數なり。然れは全体理が重ひ。理からあらはれた象數なり。そこて數ををもに云と、理か下座に居て數か上坐になる。そこて道統の人の云のは各別なり。數は自然なもの。冨顕者の小遣帳を見よ。一文二文のことまてある。數なり。万两冨顕と云は全体のこと。數は小さひもの。數を本にすると理か安くなる。得其義。易の文義を合点すると理がすむ。象數は挌式のわるいものじゃから、象數が理を自由にはせぬ。理がすむと、象數在其中じゃ。じきにしるる。理さへ合点すると數は自在其中と云ことなり。親か身代を大事にせよは理ぞ。そうすると冨むは象ぞ。百俵のひたは數そ。
【解説】
「易因象以明理、由象以知數。得其義、則象數在其中矣」の説明。易自体は絵図なので「因象以明理、由象以知数」と言う。しかし、象は理によって表れ、数は象からなるのである。易の文義を合点すると理が済む。理さえ合点すれば、象数は「自在其中」である。
【通釈】
しかし、易は本来絵図だから、「因象以明理云々」と言う。乾の卦を見れば一の字の様なものが三つある。それが天の健やかな処。天沢火雷風水山地は象である。象は理の姿から表われ、数はその上で言う。何かあそこに人の様なものが見えると言い、そこへ行って見れば誰だということがわかる。向こうに何か黒いものがあると言うのは牛か熊だからである。傍へ行って見ると毛の細かなところもわかる。象から数となる。そこで、全体に理は重いことなのである。理から表われた象数である。そこで数を主として言うと、理が下座にいて数が上座になる。そこで道統の人の言うことは別格なのである。数は自然なもの。富顕者の小遣帳を見なさい。一文や二文のことまである。それが数。万両富顕と言うのは全体のこと。数は小さいもの。数を本にすると理が安くなる。「得其義」。易の文義を合点すると理が済む。象数は格式の悪いものだから、象数が理を自由にすることはできない。理が済むと、「象数在其中」と直にわかる。理さえ合点すれば、数は自在其中ということである。親が身代を大事にしなさいと言うのは理。そうすると富むのは象。百俵増えたのは数である。

理無形也故因象云々。理に形ないから、理計出してみせることならぬ。孔子の易に太極ありと云やふなもの。易をすえて置て有太極と引ぬいて云。易は隂陽四象八卦、この中に理があるはとしらせるなり。全体理か本になるから是生两儀と云。是とは太極のこと。太極か生两儀なれは、理があとからをくればせてはない。太極か本な証拠は生两儀。それから四象八卦と云ことなり。孔子の易に出したは、易の書を離さずに云から易と出す。されとも孔子の太極をしらせるかあの語の趣向なり。乾元亨利貞。辞の上に理かある。陽か六あるからいこうさかんとしれる。伊川の易を道理に見るのぎり々々を云たことそ。理てこそ貴けれ、なんの象數かと就たもの。直方の爰のたとへあり。數は輕ひものじゃ。理へへったり付たものなれとも、輕ひ証拠は、上へ様の御料理人や飯たく役人は四品侍從て歴々てありそふなものなれとも、輕ひものかする、と。なるほと尤なり。なんほ挌式か輕てもをれかなくはこまろふがと自滿しても、四品侍從と幷ふことはならぬ。易は象數なれとも、重ひ処は理なり。理はれき々々なり。象數は理の小役人なり。伊川は象數を独礼にせぬ。あれら式と見た見取なり。
【解説】
理無形也。故因象以明理。理既見乎辭矣、則可由辭以觀象。故曰、得其義、則象數在其中矣」の説明。理は形がないから理だけを引き抜くことはできない。それは、孔子が「易有太極」と言ったのと同じこと。理が本になって、その後に「是生両儀」と言う。理が本で、その後に四象八卦があるのである。伊川は、理は重いもので象数は軽いものだと捉えた。
【通釈】
「理無形也故因象云々」。理に形はないから、理だけを出して見せることはできない。孔子が易に太極有りと言う様なもの。易を据えて置いて、有太極と引き抜いて言う。易は陰陽四象八卦であって、この中に理があると知らせたのである。全体理が本になるから「是生両儀」と言う。是とは太極のこと。太極が生両儀なのだから、理が後から遅れ馳せに来るのではない。太極が本となる証拠は生両儀。その後に四象八卦ということがある。孔子が易にこれを出したのは、易の書を離さずに言ったので易有太極と出したのであって、太極を知らせることが孔子のあの語の趣向なのである。「乾元亨利貞」。辞の上に理がある。陽が六つあるから大層盛んなことだとわかる。これが、伊川が易を道理として見ることの至極を言ったこと。理でこそ貴いのであって、象数は大したことではないと言ったのである。直方にここのたとえがある。数は軽いものだ。理へべったり付いたものだが、軽い証拠は、上様の御料理人や飯を炊く役人は四品侍従で歴々でもありそうなものだが軽い者がすると言った。なるほど尤もである。たとえ格式が軽くても俺がいなければ困るだろうと自慢しても、四品侍従と並ぶことはならない。易は象数のことだが、重い処は理である。理は歴々で、象数は理の小役人である。伊川は象数に独礼をさせない。あれ等如き者はと見た見取りである。
【語釈】
・易に太極あり…易経繋辞伝上11。「是故易有太極。是生兩儀」。
・独礼…藩主に一人で謁見(独礼御目見)できる資格。

必欲窮象之隠微云々。これは世間を見て云ことなり。漢の京房、晉の郭璞なとのことなり。世間は得て必すきなものかあるてさと、やはり邵康節まで入て云。康節は伊川と一處に二十年も居られたれとも、伊川の終に易の咄はなかりたとなり。象もめったに得られぬ。隠微と云は耳目の及ぬ処に妙がある。易が手に入るとしるる。象と數とは引ついたもの。ただの人か一寸みたには妙はない。京房郭璞がやふなには其上に妙かある。いかさま不思義なことそ。邵子なとは何てもみへたそうな。某底でも朝皃の四つ時分にしぼむのしるるやふに、あの人はいつ死ぬと云かしるる。これが邵子一人なることて、外の者のとんとならぬことそ。象の隠微、數の毫忽から得た。そこて役に立つことそ。理は誰ても得らるる。飯くふとひだるいのやむは理なり。ここが学者の入用なり。或人が邵子にこの木はいつ枯ませふと問たれば、折節風が吹て其木の葉が一葉落るとじきに邵子の胷に數が起りて、これは何つ枯るると云たとなり。雜説の中にある。或時邵子が庭の牡丹の最中よく咲たを、これは昼時分に皆散ると云た。そこて皆膽をつぶし、異なことを云るると思ふた、と。丁どその如く、官厩の馬が放れて来てふみ散したそふな。郭璞抔も王敦が前てあまり何や角と云すきて、王敦か服立てつい殺さるる段になり、王敦か其方命はと問たれば、今日日中にありと云た。數の毫忽と云はかふしたものて、熟すると人のことも我こともこのやうに知るもの。そふなれとも、こんなことは学者の何の役に立ぬことなり。伊川の悦はぬも其筈なり。
【解説】
「必欲窮象之隱微、盡數之毫忽」の説明。世の中には象の隠微を窮めたがる者がいるが、邵康節もそれである。邵康節は易によって先のことまで知ることができたが、それは彼一人のできること。しかし、その様なことは、学者にとっては何の役にも立たないこと。理は誰にでも得ることができる。そこで学者には理を得ることが必要なのである。
【通釈】
「必欲窮象之隠微云々」。これは世間を見て言ったこと。漢の京房、晋の郭璞などのことである。世間には必ず好き者がいると、やはりこれは邵康節までを入れて言ったこと。康節は伊川と一緒に二十年もおられたが、伊川は終に易の話をしなかったそうである。象も滅多矢鱈に得られない。隠微とは、耳目の及ばない処にある妙のこと。易が手に入ると知れる。象と数とは引っ付いたもの。普通の人が一寸見ただけでは妙はないが、京房や郭璞の様な者には、その上に妙がある。それは確かに不思議なこと。邵子などは何でも見えたそうだ。私などでも朝顔が四つ時分に萎むことをわかる様に、あの人はいつ死ぬのかということまでがわかる。これは邵子一人ができることで、外の者には全くできないこと。それは象の隠微、数の毫忽から得た。そこで役に立つ。しかし、理は誰でも得ることができる。飯を喰うと空腹が止むのは理。ここが学者の入り用である。或る人が邵子にこの木はいつ枯れるでしょうと問うと、折節風が吹いてその木の葉が一葉落ちると直に邵子の胸に数が起こって、これはいつ枯れると言ったそうである。雑説の中にある。或る時邵子が庭の牡丹がよく咲いたのを、これは昼時分に皆散ると言った。そこで皆肝を潰し、変なことを言われると思ったそうだ。しかし丁度その通りに、官厩の馬が放たれて来て踏み散らしたそうである。郭璞なども王敦の前であまり何やかやと言い過ぎて、王敦が腹を立て、つい殺される段になって王敦がお前の命はいつまでかと問うと、今日日中に有りと言った。数の毫忽とはこうしたもので、熟知すると人のことも自分のこともこの様に知るもの。そうではあるが、こんなことは学者にとって何の役にも立たない。伊川が悦ばないのも当然である。
【語釈】
・京房…
・郭璞…晋の人。陰陽五行・卜筮の術に優れ、占うとよくあたった。
・王敦…東晋。王導の従兄。東晋の建国に将軍として活躍。

本と伏羲は其様な意で易を作られたてはない。天下を治める為のことそ。教の書そ。さきを知るのあてるのと云ことてなし。されともたたい易の中にそふ云ことも象數にはあることゆへ、そこて本を忘れて末にかかり、さきを知ることに思ふ。垩人か本と其為に作りはせぬ。たた先きを知ることならは、孔子の六經の中へ入たも教にならす、何の益にたたぬことそ。いこういやしひことになる。そふすると盗賊奉行もいらずに占てすむやうになり、盗は南の方に居ると云。奉公人も請状はいらす、占をして慥なものと皆天下のことかをとけた沙汰になる。されとも數の上にはあることゆへ、伊川の此語を押しことをすると見るは非なり。あるはあることときめて、定てあろふかそんなことは隂陽師山伏なとのいこう尚ぶこと。此方では取用ぬ。非儒者之所務なりとのけたなり。
【解説】
「乃尋流逐末」。易は本来、先を知るためのものではなく、天下を治めるためのものであり、教えの書である。占いだけで済ますことになれば、盗賊奉行も請状も要らないことになる。伊川は、占いには先を知ることが確かにあるが、学者はそれには構わないと言ったのである。
【通釈】
本来、その様な意で伏羲が易を作られたのではなく、天下を治めるためだった。易は教えの書である。先を知るとか当てるということではない。しかし、そもそも易の中にはそういうことも象数にあることなので、そこで本を忘れて末に掛かり、先を知ることだと思う。聖人は本来そのために易を作りはしない。ただ先を知ることであれば、孔子が六経の中へ易を入れても教えにならず、何の益にもならない。それでは大層卑しいことになる。そうすると盗賊奉行も要らず、占いで済む様になり、盗賊は南の方にいると言う。奉公人も請状は要らず、占いをして確かな者だとする。それでは皆天下のことが戯けた沙汰になる。しかし、数の上にはあることなので、伊川のこの語を押し事をしたものと捉えるのは間違いである。あるにはあると決めて、確かにあるだろうが、そんなことは陰陽師や山伏などが大層尚ぶことで、こちらでは取って用いない。「非儒者之所務也」と除けたのである。
【語釈】
・押しこと…無理に押し付けること。特に、神仏の奇特を信ぜず、それを否定するようなことを言うこと。

伊川は嚴厲ゆへ、をしことをする人のやふに思ふなれとも、そふてない。既に邵子の今年の雷は何處から起ふと云はれたれは、伊川の起る処より起んと答へり。実は邵子の手前は疾に今年どこからをこるがすんで居て問たもの。邵子を押付て、起る処から起ると云たてはない。これも理のある処を云ことなり。邵子もそこで程子兄弟は及はぬと思ふて、ははあと云て仕廻はれた。伊川の答は、起る理があるから其理のある処から起るであろふと云たことなり。をしことをするてはない。全体爰の語音もそれなり。をしことてはない。隠微毫忽、この方ては取ぬと云ことなり。丁と狩野家て町繪の茶屋の女を書たを見たやふなもの。なに町畫か、こんな下手がと押はせぬ。されともとふも狩野家ては尚はぬ。伊川はとと易を道理にきめたものゆへ、論語も同しことなり。だたい占はめったに入らぬもの。左傳にある女の云たことなれとも、不疑何占んと云たは尤なり。伊川はとど占はいらぬとのけたもの。又、占が入にしても先を知ることてはない。今入ることを知ことなり。易は逆數じゃから先を知ことなれとも、其先を知と云が今たんてき右へ往ふか左へ往ふかと云ときに占ふことぞ。今入ぬ先のことを知ふとするは本のことてない。だけれとも、其占にいろ々々と妙なことありて初学の迷になるゆへ吹きけして、そんなことはたはけたことしゃ。隂陽師にならぬやうにすることなり。
【解説】
「術家之所尚、非儒者之所努也」の説明。雷が最初に起きる場を占いによって知っていた邵康節の問いに対して、伊川は起きる所で起きると理で答えた。学者は理を採って「隠微毫忽」は採らない。占いは要らない。もしも占いが要るとしても、それは今を占うこと。学者は陰陽師になってはならない。
【通釈】
伊川は厳厲なので押し事をする人の様に思うが、そうではない。嘗て邵子が今年の雷はどこから起きるだろうと問われると、伊川は起きる処より起きるだろうと答えた。実は、邵子自身はとっくに今年どこから起きるかがわかっていて問うたのである。邵子を押し付けて、起きる処から起きると言ったのではない。これも理のある処を言ったこと。そこで邵子も程子兄弟には及ばないと思って、ははあと言って話を仕舞った。伊川の答えは、起きる理があるからその理のある処から起きるだろうと言ったこと。押し事ではない。全体、ここの語音もそれで、押し事ではない。「隠微毫忽」は、こちらでは取らないということ。丁度狩野家が茶屋の女を描いた町絵を見た様なもの。何だ町画か、こんなに下手なものがとは言わない。しかし、どうも狩野家ではそれを尚ばない。伊川はつまり易を道理として決めたのであって、それは論語も同じこと。そもそも占いは滅多に要らないもの。左伝にある女の言だが、「不疑何占」と言ったのは尤もなことである。伊川は結局、占いは要らないと除けた。また、占いが要るにしても、先を知ることではない。それは今要ることを知ることである。易は逆数なので先を知ることなのだが、その先を知るというのが端的、今右へ往こうか左へ往こうかという時に占うこと。今要らない先のことを知ろうとするのは易の本来ではない。しかしながら、その占いに色々と妙なことがあって初学の迷いになるので、それを吹き消して、そんなことは戯けたことだと言う。それは、陰陽師にならない様にすること。
【語釈】
・嚴厲…おごそかできびしいこと。
・不疑何占…左伝桓公伝11。「卜以決疑。不疑、何卜」。
・易は逆數…易経説卦伝3。「天地定位、山澤通氣、雷風相薄、水火不相射、八卦相錯。數往者順、知來者逆。是故易逆數也」。

三宅先生、易くはし。あの以上は數がしるる。忍の獄中にて洪範の占をして見たれば、近ひ中に出窂すると云ことがしれたとなり。そこで出窂の日などは、定て今日は追放になるてあろふ、道中食事にこまるてあろふとて朝飯をのこし、握り食をして置れたそふな。果して其日にゆるされた。されとも入らさることなり。明日のことは今日知れぬと云てよいことそ。三宅先生は邵子にして別のことなれとも、其費からして、もふ弟子には早をかしいこと。迂斎の新婦早死たれは、これも初に占をせぬから如此不幸ありと云たぞ。これも卜筮を主張するから此様なことを云そ。中庸の前知は理てしること。養生をするから長生をせふと云まてのこと。理はひやすてよい。大酒すれは死と理て云なり。伊川先生や南軒のやふにひやして掛るてよい。爰らは大きな致知そ。
【解説】
三宅先生は易が詳しく、出牢の日もわかっていた。しかし、明日のことは今日わからなくてもよい。中庸の前知は理で知ることであって、占いに由るものではない。
【通釈】
三宅先生は易が詳しかった。あの人以上の者は数がわかる。忍藩の獄中で洪範の占いをして見ると、近い内に出牢するということがわかったそうである。そこで出牢の日などは、きっと今日は追放になるだろうから道中の食事に困るだろうと思い、朝飯を残して握り飯を作って置いたそうだ。果してその日に赦された。しかしながら、それは要らないこと。明日のことは今日わからなくてもよい。三宅先生は邵子とは別のことだが、この無駄骨からして、もう弟子には早可笑しい者がいる。迂斎の新婦が早死すると、これも最初に占いをしないからこの様に不幸があると言った。卜筮を主張するからこの様なことを言うのである。中庸の前知は理で知ること。養生をするから長生きをするだろうと言うまでのこと。理は冷やすのでよい。大酒すれば死ぬと理で言う。伊川先生や南軒の様に冷やして掛けるのがよい。ここ等は大きな致知である。
【語釈】
・忍…武蔵忍藩。三宅尚斎は忍藩で三年間獄に繋がれた。
・中庸の前知…中庸章句24。「至誠之道、可以前知。國家將興、必有禎祥。國家將亡、必有妖孽。見乎蓍龜、動乎四體。禍福將至、善必先知之、不善必先知之。故至誠如神」。


第五十一 知時識勢云々条

知時識勢、學易之大方也。
【読み】
時を知り勢いを識るは、易を學ぶ大方なり。
【補足】
・この条は、易の夬卦九二象伝に加えた注の一部。

易は変易と云て変ると云も時と勢にあることそ。其時の勢にさからはずにするを変易而從道と云。道理に順ふと云ても、此方の道理が死てをると、働のない医者がそれでも仲景か々々々と云様なもの。これか孔孟の道しゃと云てもはづれる。中無定体はそこそ。此方をきわめずに向なりにするか中庸の時中なり。時と云は、夏は熱いゆへ戸を明け、冬は寒から戸をたてると云ふにをさたまりのことなり。ときに勢と云は其約束通りにいかぬことある。冬の寒ひ時分ても、一盃呑た処へ南風なれは戸を明るもよいとなる。家内に病人があるか子ともの疱瘡なれば、なんぼ熟くても障子はたて通しなり。勢と云ものは、碁盤や將碁盤は四角てころけぬものなれとも、それも山から落す段になると何んてもころけると迂斎云へり。火は炎上すると云ても、炭を下に置火を上にするとやはりやける。
【解説】
易は変易で変わるものが、それも時勢に由る。時はお定まりのことだが、勢いにはお定まりの通りに行かないことがある。
【通釈】
易は変易と言って変わるものだが、それも時と勢いに由る。その時の勢いに逆らわずにするのを「変易而従道」と言う。道理に順うと言っても、自分の道理が死んでいると、働きのない医者がそれでも仲景かと引き合いに出す様なもの。これが孔孟の道だと言っても外れたことをする。「中無定体」はそこのこと。自分を窮めずに向こうの通りにするのが中庸の「時中」である。時とは、夏は暑いから戸を開け、冬は寒いから戸を立てるということで、お決まりのこと。時に勢いと言うのは、その約束通りに行かないことがあること。冬の寒い時分でも、一盃飲んだ処へ南風が吹けば戸を開けるのもよい。家内に病人がいたり子供が疱瘡であれば、何ほど暑くても障子は立て通しである。勢いとは、碁盤や将棋盤は四角で転げないものだが、それも山から落とす段になると何でも転げる様なことだと迂斎が言った。火は炎上と言っても、炭を下に熾火を上にしてもやはり燃える。
【語釈】
・易は変易…易伝序。「易變易也。隨時變易以從道也」。
・仲景…張仲景。河南省南陽県の人。長沙の太守を勤める。「傷寒雑病論」を著した。
・中無定体…中庸章句2集註。「蓋中無定體、隨時而在。是乃平常之理也」。
・時中…中庸章句2。「仲尼曰、君子中庸。小人反中庸。君子之中庸也、君子而時中。小人之中庸也、小人而無忌憚也」。

奉公する人の時勢をしらぬ。分を犯し遠嶋改易になるも、理屈はかり云て時勢を知ぬからそ。先此を輕く云ふなら、たんてき家内を治めるに江戸にも田舎にもあること。下女か男子を産む。これも不埒不届とはかりも云れぬ。既に婢子と云こともある。男子を産ても洗濯をもさせ、茶の給仕をもさせること。それは其筈なり。さて、もふ亭主も死、下女の産んた男子の代になりては、もふ茶の給仕もさせられぬ。親類も懇意の客も前のよふにない。茶をくれよと云はれぬ。これ、ときと勢となり。下女じゃと云ても主人を産んたものゆへ、前の下女にはあしらはれぬ。これ、ときと勢となり。如在にはならぬ。時勢をしらずつよいことを云と、官途てもはや災にあふ。
【解説】
時勢は疎かにできないもの。時勢を知らずに理屈ばかりを言えば、官途でも遠島や改易にもなる。
【通釈】
奉公する人が時勢を知らない。分を犯し遠島改易になるのも、理屈ばかりを言って時勢を知らないからである。先ずここを軽く言うのなら、端的家内を治めることで、それは江戸にも田舎にもあること。下女が男子を産む。これも不埒不届とばかりとも言えない。既に婢子ということもある。男子を産んでも洗濯をもさせ、茶の給仕をもさせる。それはその筈である。さて、もう亭主も死に、下女の産んだ男子の代になっては、もう茶の給仕もさせられない。親類も懇意の客も前の様ではない。茶をくれとは言えない。これが時と勢いである。下女だと言っても主人を産んだ者なので、前の下女の様には扱えない。これが時と勢いである。それは疎かにできないこと。時勢を知らずに強いことを言うと、官途でも直ぐに災いに遇う。
【語釈】
・婢子…召し使われる女。女中。下婢。
・官途…官吏の職務または地位。

今人の辞を直すと云も聞へたことそ。我と云たかをぬしと云やふになる。扨、これもあまり知りすきて爰へはかり目か付と、災を遠さけることのみになる。世の中上手で通るを、をれは易を知たなとと心得るは十方もないことそ。丁ど直方の知命にも二色ある、知命者不立乎巖牆之下と云はやっこへの戒め、不知命無為君子はよい人へ戒なりと云へる如し。そこて、爰も上手てするものへ振舞ことてはない。易は為君子計而為小人不計。学者は義理の正面をする。正面の上の時勢なり。そこが直方のかまぼこにして食へと云は時勢を知たなり。役に立ぬことにひじをはると、ちょっとすることもしそこなふ。易をしらぬからぞ。道理を秡出して為ても丁どにいかぬは変易を知ぬからそ。
【解説】
しかし、時勢ばかりに注目すると、災いを遠ざけるだけになる。世の中を上手に渡ることで易がわかると心得るのは間違いである。易は君子のためのものであり、上手に世の中を渡るためにあるものではない。道理を抜き出してしてもうまく行かないのは時勢という変易を知らないからである。
【通釈】
今人が辞を直すというのも当然である。我と言っていたのがお主と言う様になる。さて、これもあまり知り過ぎてここにばかり目が付くと、災いを遠ざけることのみになる。上手に世の中を渡るのを、俺は易を知ったなどと心得るのは途方もないこと。丁度、直方が知命にも二色あると言ったのと同じで、「知命者不立乎巌牆之下」は奴への戒めで、「不知命無為君子」はよい人への戒めと言う様なもの。そこで、ここも上手をする者に振舞うことではない。易は「為君子謀不為小人謀」。学者は義理の正面をする。正面の上での時勢である。そこで直方が蒲鉾にして食えと言ったは時勢を知っていたからのこと。役に立たないことに意地を張ると、ちょっとしたことでも仕損なう。それは易を知らないからである。道理を抜き出してしてもうまく行かないのは変易を知らないからである。
【語釈】
・知命者不立乎巖牆之下…孟子尽心章句上2。「孟子曰、莫非命也。順受其正。是故知命者、不立乎巖牆之下。盡其道而死者、正命也。桎梏死者、非正命也」。
・不知命無為君子…論語堯曰3。「子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也」。
・為君子計而為小人不計…正蒙。「易爲君子謀、不爲小人謀。故撰德於卦。雖爻有小大、及繋辭其爻、必諭之以君子之義」。


第五十二 大畜初二云々条

大畜初・二、乾體剛健、而不足以進。四・五陰柔而能止。時之盛衰、勢之強弱、學易者所宜深識也。
【読み】
大畜の初・二は、乾體にして剛健なれども、以て進むに足らず。四・五は陰柔にして能く止まる。時の盛衰、勢いの強弱は、易を學ぶ者の宜しく深く識るべき所なり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝の大畜九二象伝の注にある。

即、上の条を爰て説たものと合点すべし。先大畜は山天大畜と云ふて下か天て上か山。天は殊外達者なものなれとも、上に山と云ものあるて動きはとれぬ。そこか大畜なり。初二は乾体剛健ていこう達者に丈夫なれとも不足以進。上から押かじめられて出ることならず。四五隂柔云々。六四六五はやはらかに隂柔なれとも、かの大畜のときなり。和かなものか上から止めて動かさせぬ。つよいものの強ひものと止ると云はあることなれとも、よわいものの強ひものを止ると云は聞ぬと云。それは易を知ぬからぞ。大畜の卦を合点すると弱ひものか強いものをとめる。大畜ては天がよはりてをる。たとへは角力取の病氣のとき、女房に手を引れてあるくやふなもの。何己がやがてみやれと云ても、病氣なればせうことなし。御成の時は大名より御徒衆の羽振のよい様なもの。全体大名と御徒は大く格の違ことなれとも、御成のときは大名も及ばぬ。武士が二本さしてやりをつかせても、とまりましたと云へは、两國邉や下町筋の町の大屋が云と、もふ行くことはならぬ。御成ゆへ大屋の羽ぶりがよい。隂柔な大屋も剛健な武士をとめる。所宜深識。大切の時節じゃと知と、しをちはない。すくに上の知時識勢なり。不断こうではない。大畜の時なり。
【解説】
天は乾で達者で丈夫なものだが、陰柔に押え付けられることがあり、それは大畜の卦で見ることができる。大畜では天が弱っている。それは、御成の時には大名よりも御徒衆の方が羽振りがよく、大屋が剛健な武士を止める様なもの。時の盛衰と勢いの強弱を知ることが必要なのである。ちなみに大畜は初爻と二爻が陽爻で、四爻と五爻が陰爻である。
【通釈】
即ち、ここは前条を説いたものだと合点しなさい。先ず大畜は山天大畜と言って下が天で上が山。天は殊の外達者なものだが、上に山があるので動きがとれない。そこが大畜である。初爻と二爻は「乾体剛健」で大層達者で丈夫だが、「不足以進」。上から押し付けられて出ることができない。「四五陰柔云々」。六四と六五は柔らかで陰柔なものだが、それがあの大畜の時である。柔らかなものが上から止めて動かさせない。強いものが強いものを止めるということはあるが、弱いものが強いものを止めるということは聞いたことがないと言うが、それは易を知らないからである。大畜の卦を合点すると弱いものが強いものを止めるのがわかる。大畜では天が弱っている。たとえば相撲取りが病気の時に女房に手を引かれて歩く様なこと。何己が、やがて見ておれと言っても、病気であれば仕方がない。御成の時は大名より御徒衆の羽振りがよい様なもの。全体、大名と御徒とは大きく格の違ったことだが、御成の時は大名も及ばない。武士が二本差しで槍を突かせても、泊まりましたと両国辺りや下町筋の町の大屋が言えば、もう進むことはならない。御成なので大屋の羽振りがよい。陰柔な大屋も剛健な武士を止める。「所宜深識」。大切な時節だと知れば手抜かりはない。これが直に上の「知時識勢」である。しかし、普段はこうではない。大畜の時だからである。
【語釈】
・初…大畜初九。「有厲。利已」。
・二…大畜九二。「輿説輹」。
・四…大畜六四。「童牛之牿。元吉」。
・五…大畜六五。「豶豕之牙。吉」。
・御成…皇族・摂家・将軍などの外出・来着の尊敬語。


第五十三 諸卦二五雖不中位条

諸卦二・五、雖不當位、多以中爲美。三・四雖當位、或以不中爲過。中常重於正也。蓋中則不違於正、正不必中也。天下之理莫善於中。於九二・六五可見。
【読み】
諸卦の二・五は、位に當たらずと雖も、多く中するを以て美と爲す。三・四は位に當たると雖も、或は中せざるを以て過ぎたりと爲す。中は常に正よりも重し。蓋し中せば則ち正に違わず、正は必ずしも中せざればなり。天下の理として中するより善きは莫し。九二・六五に於て見る可し。
【補足】
・この条は、周易程氏伝の震卦六五の注にある伊川の語。

易の爻上に一つ位に當ると云かある。陽の塲に陽が居、隂の塲に隂か居るを云。易は下から爻を立るもの。初は陽の塲。二は隂の塲なり。初九・六二はあつらへむきに位にあたったのなり。初六・九二は位にあたらぬのぞ。此からをして六爻の例しるへし。然るに又、中と云ことあり。中と云ものは位にあたるのあたらぬの詮議なしに工面のよいものなり。九二・六五は位に當らぬ。九五・六二は位にあたる。そこで九二・六五は位に當らず、すれば悪るそふなものなれとも、調法なことには大てい中にあたるでまぎらかしてしもう様なもの。二と五は内卦外卦のまん中なり。二と五は物の中に居るゆへ、中でまぎらかす。丁ど気の毒なことかありて出すきぬ人は禍をとらぬよふなもの。
【解説】
「諸卦二・五、雖不當位、多以中爲美」の説明。易の爻には位に当たるということがある。また、中ということもある。位に当たらなくても中に当たっていれば何とかなる。それは粉らかしてしまう様なもの。
【通釈】
易の爻上に一つ位に当たるということがある。陽の場に陽がいて、陰の場に陰がいることを言う。易は下から爻を立てるもの。初は陽の場。二は陰の場である。初九や六二はぴったりとに位に当たっているが、初六や九二は位に当たっていない。これから推して六爻の例を知りなさい。ところがまた、中ということがある。中とは位に当たるとか当たらないとかという詮議なしに工面のよいものである。九二と六五は位に当たらない。九五と六二は位に当たる。そこで九二と六五は位に当たらないので悪そうなものなのだが、調法なことには大抵のことは中に当たっているので、それで紛らかしてしまう様なことになる。二と五は内卦と外卦の真ん中である。二と五は物の中にいるので、中で紛らかす。丁度気の毒なことがあって出過ぎない人は禍に遭わない様なもの。
【語釈】
・爻…陰爻と陽爻による六爻の組み合わせで卦となる。卦は下から読む。そこで陰爻は初六・六二・六三・六四・六五・上六の順となり、陽爻は初九・九二・九三・九四・九五・上九の順となる。
・位に當る…爻の奇数の場が陽の位で、偶数の場が陰の位である。奇数の場に陽爻が、偶数の場に陰爻が来ることを位に当たると言う。よって、位に当たるのは、初九・六二・九三・六四・九五・上六である。
・中…1爻から3爻を内卦、4爻から6爻を外卦と言う。2爻は内卦の真ん中で、5爻は外卦の真ん中なので中と言う。

三・四雖當位。三は内卦の一ち終り。四は外卦の始めなり。此は九三・六四と位にあたりたもあろふか、端に居と云でわるい。此は塲所のわるいのぞ。このようなを云は、伊川の卦の上のことを云たことなれとも、これ迠が伊川のは道理になることなり。前の答張閎中得其義象數在其中はここなり。伊川か何ほと道理と云ても、易じゃからは卦爻をすてては云れぬ。卦爻を捨ると易の辞ではなくなる。そこて卦爻のなりを天下の事理にとりまわすが程子の易なり。位に當らずとも中はよいものと理て云たもの。その理は卦爻で見たもの。中の塲はものがほどよい。譬ばたのもしいよいことでも、程よくなければ災あり。易で中正と云へば同格の様なれとも、中は重於正。中は格式かよいぞ。
【解説】
「三・四雖當位、或以不中爲過。中常重於正也」の説明。位に当たっていても、内卦や外卦の端の爻は悪い。中はほどよい。易で中正と言えば同格の様だが、中は正よりも重い。
【通釈】
「三・四雖当位」。三爻は内卦の最後。四爻は外卦の始めである。ここでは九三・六四と位に当たることもあるだろうが、端にいるので悪い。ここは場所が悪いのである。この様なことは卦の上でのことなのだが、これまでもが伊川が言うと道理のことになる。前にあった「答張閎中得其義象数在其中」はここのこと。伊川がどれほど道理と言っても、易で言うからは卦爻を捨てては言えない。卦爻を捨てると易の辞ではなくなる。そこで卦爻の姿を天下の事理として取り回すのが程子の易である。位に当たらなくても中はよいものと理で言ったのである。その理は卦爻で見たもの。中の場はものがほどよい。たとえば頼もしいよいことでも、ほどよくなければ災いがある。易で中正と言えば同格の様だが、「中常重於正」。中は格式がよいのである。
【語釈】
・答張閎中得其義象數在其中…致知50。

中則不違於正。孔子顔子をみよ。中なり。孔子や顔子に道理にはづれたことはない。正不必中は伯夷柳下惠なり。ずいぶん正なり。されとも中と云はれず。冠不正則望々然去るが伯夷の流ぞ。又、柳下惠は村の若ひものの酒を呑で居る処にのんべんと烟艸を呑で居る。そこで孟子か二人のことを不屑就不屑去と云われた。ずいぶん正しい御两人なれとも中でない。こまった人じゃと云のなり。然れば中は道理の至善ぞ。二の隂の塲に九と云陽が居、五と云陽の塲に六と云隂が居るは位に當ら子とも、内卦外卦のまん中に居て中ゆへよいとなり。此が、伊川の日頃道體をがてんしたを易へはめたもの。邵堯夫などは卦爻を見つめて、それから道理にもなる。邵子の学は易から道理を見出して云へるゆへ、どこ迠も易者と云窟は免れず。伊川は道理から説ゆへ、易者のそれ者の字はない。爰が道統の易なり。
【解説】
「蓋中則不違於正、正不必中也。天下之理莫善於中。於九二・六五可見」の説明。孔子と顔子は中である。伯夷と柳下恵は正だが中でない。中は道理の至善である。邵康節は易から道理を見たので易者の類を免れないが、伊川は道体から易を見たので道統なのである。
【通釈】
「中則不違於正」。孔子と顔子を見なさい。中である。孔子や顔子に道理に外れたことはない。「正不必中」は伯夷と柳下恵である。随分と正だが、しかし中とは言えない。「冠不正則望々然去」が伯夷の流儀。また柳下恵は、村の若い者が酒を呑んでいる処でのんべんだらりと煙草を呑んでいる。そこで孟子が二人のことを「不屑就不屑去」と言われた。随分と正しい御両人だが中ではない。困った人だと言ったのである。そこで、中は道理の至善である。二爻という陰の場に九という陽がいて、五爻という陽の場に六という陰がいるのは位に当たらないが、内卦外卦の真ん中にいて中だからよいと言う。ここが、伊川が日頃道体を合点したところを易へ嵌めたもの。邵堯夫などは卦爻を見つめて、それから道理を得た。邵子の学は易から道理を見出して言うので、どこまでも易者という類を免れない。伊川は道理から説くので、易者という逸れ者の字はない。ここが道統の易なのである。
【語釈】
・冠不正則望々然去る…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷非其君不事。非其友不友。不立於惡人之朝。不與惡人言。立於惡人之朝、與惡人言、如以朝衣朝冠坐於塗炭。推惡惡之心、思、與郷人立、其冠不正、望望然去之。若將浼焉」。
・不屑就不屑去…孟子公孫丑章句上9。「諸侯雖有善其辭命而至者、不受也。不受也者、是亦不屑就已…援而止之而止。援而止之而止者、是亦不屑去已」。
・邵堯夫…邵康節。


第五十四 問胡先生解云々条

問、胡先生解九四作太子。恐不是卦義。先生云、亦不妨。只看如何用。當儲貳則做儲貳使。九四近君、便作儲貳亦不害。但不要拘一。若執一事、則三百八十四爻、只作得三百八十四件事、便休了。
【読み】
問う、胡先生は九四を解きて太子と作す。恐らくは是れ卦の義にあらず、と。先生云う、亦妨げず。只如何に用いるかを看よ。儲貳[ちょじ]に當たらば則ち儲貳と做して使う。九四は君に近ければ、便ち儲貳と作すも亦害あらず。但一に拘するを要せず。若し一事に執せば、則ち三百八十四爻は、只三百八十四件の事と作り得て、便ち休む。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

九四作太子。胡安定は程子御兄弟の若いときから学問所の師匠なり。ずんと易者でありた。邵子の易者とはちかって、易の講釈が上手てあったと見へる。さっと易の注もされたそ。九四を太子と云たが胡子の見立なり。易は正應があり、二を家来の塲にし、五を君としたもの。そこで九四は五の下に居るゆへ太子と立るがよい。はて、五か殿様じゃゆへ四は若殿じゃとなり。そこで、ちょっと聞てはよいようなれとも、恐不是卦義と或人の問なり。さて、伊川の亦不妨。くるしうない。ずいぶんよいてやとなり。伊川か易を道理にとくと云ても、後世のものの思様てはないを可見。大事ない。何と云てもよい。只看如何用。太子に當るで動きがとれぬかを見よ。天地の間に動きのとれぬことはない。何の役に立ぬ。別而易は從道ものならず、とふつかふてもよいが、その使ひようを見よとなり。爰から上手德分下手の損。料理の上手が思ひもよらぬ取合せをするが、はてよく喰へるなり。用ひ様は道理のうごくことゆへ、善ことをしても働かないと役にたたぬ。運菴が六ヶ鋪病人に不換金を用る。いつもそふではない。看如何用なり。
【解説】
「問、胡先生解九四作太子。恐不是卦義。先生云、亦不妨。只看如何用」の説明。胡子は二爻を家来の場とし、五爻を君として九四は五爻の下にいるので太子に立てた。これは卦義ではないのではないかと問う人に対して、伊川は、それで問題はないと答えた。道理は動くものだから、易の用い方も色々とあるのである。
【通釈】
「九四作太子」。胡安定は程子御兄弟の若い時からの学問所の師匠でかなりの易者だった。しかし、邵子の易者とは違って、易の講釈が上手だった様である。ざっと易の注もされた。九四を太子と言ったのが胡子の見立てである。易には正応があり、それは二爻を家来の場とし、五爻を君としたもの。そこで九四は五爻の下にいるので太子と立てるのがよいとして、五爻が殿様だから四爻は若殿だと言ったのである。それは一寸聞いてはよいことの様だが、「恐不是卦義」と或る人が問うた。さて、伊川は「亦不妨」と、それは苦しくない、随分とよいことだと答えた。伊川が易を道理として説いたと言っても、それは後世の者が思う様なことではないのをここで見なさい。大した事はない。何と言ってもよいと言ったのである。「只看如何用」。太子に当たるので動きがとれないところを見なさい。天地の間に動きのとれないことはない。それで何の役にも立たない。特に易は道に従うものだからどの様に使ってもよいが、その使い方を見なさいと言ったのである。ここからが上手の徳分下手の損。料理の上手な者が思いもよらない取り合わせをするが、それでよく喰える。道理は動くのだから、善いことでも働かなければ役には立たない。運菴が難病の人に不換金を用いるが、いつもそうではない。「看如何用」である。
【語釈】
・胡安定…胡瑗。字は翼之。993~1059
・正應…初と四、二と五、三と上の爻が陰と陽の時を応と言う。
・易は從道…易伝序。「易變易也。隨時變易以從道也」。
・運菴…

作儲貳。あととり若君のこと。唐書の文字なり。不要拘一。堅くとこても九四は若君と見るは非なり。拘一と、本因坊の定石をいつもそう心得ると通せぬ。いつもそうなれは死物になる。碁も數の活用しゃから、一つに拘ることてはない。講釈も田舎てすると江戸でするとはちごう。酒呑もここはなんの塲と云がある。腹次第てはかる。某田舎て講するにも名主々々と云。此邉へ耳近い。大名の前でこんなことを云と、何のことか知らぬ。御好きと云ていつものを出す。それも時によることなり。明け六つにうなぎのかばやきを出してはいかぬ。一に拘る段になると、八卦六十四卦へ割つけてかためると、只三百八十四件のことになる。万事は万物の象と云へとも、万とこそ云へ、万か億かしれぬ。筭盤を見よ。五と云は五文のことにもなる。五两のときも五百のときも五万のときもある。呉服屋で、こくもちにしてをくようなものと直方の云へり。なんでも向から云通になる。ききょうにも巴にもなる。安定も黒餅の了簡なれはよい。田舎て云ををなら、九五が地頭の殿様、九四は用人と見るもよい。伊川は知て云ゆへ、こうなり。されとも易を卜筮にせぬからは、つまり伊川も三百八十四件のことになる。
【解説】
「當儲貳則做儲貳使。九四近君、便作儲貳亦不害。但不要拘一。若執一事、則三百八十四爻、只作得三百八十四件事、便休了」の説明。「拘一」に見るのは死物である。易は見る場によってその用い方が異なる。易は見る方次第で用い方が変わるのである。
【通釈】
「作儲貳」。儲貳は、跡取り、若君のことで唐書の文字である。「不要拘一」。堅くどこでも九四は若君と見るのは悪い。拘一で本因坊の定石をいつも心得ていては通じない。いつもそうであれば死物になる。碁も数の活用だから、一つに拘じてはならない。講釈も田舎でするのと江戸でするのとは違う。酒飲みも、ここは何の場ということがある。腹次第で変わる。私が田舎で講ずる時には名主のことをよく言うが、それはこの辺りの者にはわかり易いからである。しかし、大名の前でこんなことを言うと、何のことかわからない。御好きと言っていつものを出すが、それは時による。明け六つに鰻の蒲焼きを出しては悪い。一に拘する段になって八卦六十四卦へ割り付けて固めれば、ただ「三百八十四件事」になってしまう。万事は万物の象と言い、万とこそ言うが、万が億かも知れない。算盤を見なさい。五とは五文のことにもなるし、五両の時も五百の時も五万の時もある。呉服屋で黒餅にしておく様なものだと直方が言った。何でも向こうの言う通りになる。桔梗にも巴にもなる。安定も黒餅の了簡なのでよい。田舎で言うのなら、九五は地頭の殿様で、九四は用人と見るのもよい。伊川は知っていて言うのでこの様に言った。しかし、易を卜筮のこととして捉えなかったから、結局は伊川も三百八十四件事になる。
【語釈】
・こくもち…黒餅。紋所の名。餅にかたどった円紋で、円内の白いものを白餅、黒いものを黒餅といった。

すでに乾を易傳て舜に當た。垩人を竜にたとへて、舜の畎畝に居る中を初九の潜龍にあて、それから段々舜にしたもの。それと云も同じ龍ても、堯はいつも出た龍なり。孔子はいつも引込た龍なり。舜は引こんだのがだん々々のほられた。そこで伊川の舜にされた。これもかりて云たもの。一寸あてたことなり。知て云からよい。この条の亦不妨を見れはよくすむ。いかさま舜には一生の田舎に居たときもあり、宰相のときも君のときも隠居のときもある。舜にはと云氣でつこうたもの。亦不妨の見から云ゆへ、間違にはならぬことなり。丁と菓子をつつんて息子の処へ土産にせいと云やうなものと云ても、婆々の喰ふこともある。信玄のあがきの鎧がそこなり。大きな男も小い男も着らるる。易は不可爲典要はここなり。易を働きと見ると、天子のことにも大名のことにもなる。又、百姓のことにもなる。理は活物ゆへ、何にも角にもなる。医者の療治も不為典要なり。一色ですむなれば、やはり三百八十四件のことになる筋ぞ。その筈。理か活物ゆへ、一方は取れぬ。医者の療治の色々違ふも活た體をつかまいてすることて、胴人形とはちごう。補したり瀉したりて病人がなをる。補きり瀉きりではいかぬ。
【解説】
伊川は乾を舜でたとえた。易は「不可為典要」であって一通りではない。理は活物なので何にでもなるから、一つだけのものとして採ることはできない。
【通釈】
既に伊川は易伝で乾を舜に当てている。聖人を龍にたとえて、舜が畎畝にいるところを初九の潜龍に当て、それから段々と舜にしたもの。それというのも、同じ龍でも堯はいつも出ている龍で、孔子はいつも引っ込んだ龍だからである。舜は引っ込んだのが段々と昇られた。そこで伊川が乾を舜にされた。これもたとえで言ったもので、一寸当てたこと。知っていて言うからよい。この条の「亦不妨」を見ればよく済む。確かに舜の一生には田舎にいた時もあり、宰相の時も君の時も隠居の時もあった。舜なら妨げることにはならないという気で使ったもの。亦不妨の見地から言ったことなので、間違いにはならない。丁度菓子を包んで息子の処への土産にしなさいと言う様なもので、そうは言っても、婆が喰うこともある。信玄のあがきの鎧がそれである。大きな男も小さな男も着ることができる。易で「不可為典要」と言うのはここのこと。易を働きと見ると、天子のことにも大名のことにもなり、また、百姓のことにもなる。理は活物なので何にでもなる。医者の療治も不為典要である。それが一色で済むのなら、やはり「三百八十四件事」になる筋である。その筈で、理は活物なので、一方だけを採ることはできない。医者の療治が色々違うのも活きた体を掴まえてすることだからで、胴人形とは違う。補ったり抜いたりするので病人が治る。補ぎり瀉ぎりではうまく行かない。
【語釈】
・あがきの鎧…
・易は不可爲典要…易経繋辞伝下8。「易之爲書也、不可遠。爲道也屢遷、變動不居、周流六虚、上下无常、剛柔相易、不可爲典要、唯變所適。其出入以度、外内使知懼。又明於憂患與故、无有師保、如臨父母。初率其辭而揆其方、既有典常。苟非其人、道不虚行」。
・胴人形…歌舞伎の小道具の一。役者の代用にする等身大の人形。ふきかえの人形。


第五十五 看易且要知時条

看易、且要知時。凡六爻人人有用。聖人自有聖人用、賢人自有賢人用、衆人自有衆人用、學者自有學者用、君有君用、臣有臣用。無所不通。因問、坤卦是臣之事。人君有用處否。先生曰、是何無用。如厚德載物、人君安可不用。
【読み】
易を看るには、且く時を知るを要す。凡そ六爻は人人に用有り。聖人には自ら聖人の用有り、賢人には自ら賢人の用有り、衆人には自ら衆人の用有り、學者には自ら學者の用有り、君には君の用有り、臣には臣の用有り。通ぜざる所無し。因りて問う、坤卦は是れ臣の事なり。人君に用うる處有りや否や、と。先生曰く、是れ何ぞ用無からん。厚德もて物を載せるが如き、人君安んぞ用いざる可けん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

時はをりばのこと。六爻には位が定りてあれとも、此方が定らぬゆへ有用と云。前の時を知ると爰の知時とはちとあたりがちごう。前のは全躰の時勢を知ることなり。爰もその外ではないが、をり塲のことぞ。孟子の序にある時を知ることを求むは、顔子の陋巷に樂んで居るのは孔子の在すゆへぞ。あれと同じこと。六爻もこちの身分次第で用に立ぬことなり。浪人してから用にたつこともある。朱子の非死法と云かこれじゃと迂斎云へり。人々有用。天子将軍の召上る藥も病を直すに別はない。易も人の身分にかまわず皆の用に立。
【解説】
「看易、且要知時。凡六爻人人有用」の説明。ここの「知時」は自分の居場所を知るということ。易は人の居場所に従って、皆の用に立つ。
【通釈】
時とは居場所のこと。六爻には位が定まっているが、こちらが定まらないので「有用」と言う。前にあった知時とここの「知時」とは少し当たりが違う。前のは全体の時勢を知ることで、ここもそれに外れたことではないが、ここは居場所のこと。孟子の序にある「要識時」は、顔子が陋巷で楽しんだのは孔子がいたからだと言う。あれと同じこと。六爻もこちらの身分次第で用に立たないこともある。逆に、浪人をしても用に立つこともある。朱子の「非死法」というのがこのことだと迂斎が言った。「人々有用」。天子や将軍が召し上がる薬も病を治すことに違いはない。易も人の身分に構わず皆の用に立つ。
【語釈】
・前の時を知る…致知51。「知時識勢、學易之大方也」。
・孟子の序にある時を知る…孟子序説。「學者全要識時。若不識時、不足以言學。顏子陋巷自樂、以有孔子在焉。若孟子之時、世既無人、安可不以道自任」。
・非死法…

垩人自有垩人用。あの大德な御方の用る。端的、乾の卦の君子乾々誠不息。垩人に子ごふことはありそもないことなれとも、垩希天。垩人も天には及はぬ。又、賢希垩と、あの濂渓の語ですむ。天地の間、乾のつとめるようでなければいかぬ。築波の屋根やも一日煙艸を呑で居ては誰も用ひてはない。日日新と云も不息の稽古なり。学者の功夫はここなり。垩人か用ひても大くなりもせす、学者が用ひても小くなりもせす、用ひ様のかわるばかりぞ。迂斎の金銀米穀と云やうなもの。上一人の御方から大名小名まて皆用ることぞ。君の用ると臣の用るはちがへとも、本同じ易なり。無所不通そ。道理がすまぬと分々に稽古するやふになる。亭主の何もごさらぬと云も、客の御馳走でといふも、とちも同じことぞ。亭主の稽古はしたが、まだ客の稽古はせぬと云に及はず。何ても不自由なことなし。こうして見れば、易は宝物ぞ。なぜなれば、六爻各有用。垩人から衆人迠用に立。易を合点すると坪も平も膳椀の出し入れ迠も易の用なり。孔子の韋編三絶も其筈なり。此通の字が道理の根源。人て云へは德性の中ても宝物は知なり。睿は為垩も知のことなり。知に似たものは金なり。金なれはなんにもなる。米も人参もかわれる。易も金のように生て居るぞ。銭の通寶とあるを見よ。
【解説】
「聖人自有聖人用、賢人自有賢人用、衆人自有衆人用、學者自有學者用、君有君用、臣有臣用。無所不通」の説明。学者の功夫は乾乾不息で務めること。易は「無所不通」で誰にでも有用である。それをたとえれば金である。銭を通宝と言うが、それは何にでも変わることができるからである。
【通釈】
「聖人自有聖人用」。あの大徳な御方が用いること。端的、乾卦の「君子乾々誠不息」のこと。聖人に希うことはありそうもないことだが、「聖希天」。聖人も天には及ばない。また、「賢希聖」と、あの濂渓の語で済む。天地の間、乾の務める様でなければいけない。筑波の屋根屋も一日中煙草を呑んでいては、誰も用いる者はいない。「日日新」というのも不息の稽古である。学者の功夫はここ。聖人が用いても大きくなりもせず、学者が用いても小さくなりもせず、ただ用い方が変わるだけである。それを迂斎が金銀米穀という様なものだと言った。上にいる一人の御方から大名小名まで皆用いる。君が用いるのと臣が用いるのは違ったことだが、本来は同じ易であり、「無所不通」である。道理がわからないと別々に稽古をする様なことになる。亭主が何もございませんがと言うのも、客が御馳走ですと言うのもどちらも同じこと。亭主の稽古はしたが、まだ客の稽古はしていないと言うには及ばない。何でも不自由なことはない。こうして見れば、易は宝物である。それは何故かと言うと、「六爻各有用」だからである。聖人から衆人までの用に立つ。易を合点すると、坪も平皿も膳椀の出し入れまでも易の用である。孔子の韋編三絶もその筈。この「通」の字が道理の根源。人で言えば徳性の中でも宝物になるのは知で、「睿作聖」も知のこと。知に似たものは金である。金であれば何にもなる。米にも人参にも変わることができる。易も金の様に生きている。銭を通宝と言うのを見なさい。
【語釈】
・君子乾々誠不息…易経乾卦象伝。「象曰、天行健。君子以自強不息。潛龍勿用、陽在下也。見龍在田、德施普也。終日乾乾、反復道也」。
・垩希天…為学1。「濂渓先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢」。
・日日新…大学章句2。「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」。
・坪…本膳料理に用いる深い蓋のある漆器。
・睿は為聖…致知13。「思曰睿、睿作聖」。
・韋編三絶…史記孔子世家。孔子が晩年易を好んで読んだために、書物のとじ紐が三度も切れた故事。

さて、此無所不通と云をきいてなるほどと氣が付て因問坤卦云々なり。坤の卦は臣のこと。されとも、君の用ることもこさろふとなり。そこで先生の、その筈のこと、云にか及ふ、何無用なり。其上聞やれ。厚德載物て何でもあぐむことはない。これが孔子の坤の象傳にかけられた辞なり。地の德はあついで、何でものする。中庸に載華嶽而不重振河海不洩。冨士が有るとて峻河や三河は根つきはない。大山をのせても何ともない。これでみれば、人君のあまり氣のはやい。悪ひやつの手打にせうとは此德がないからぞ。惣体あまりせき、あまりうれしかるものは薄ひものぞ。全体のっしりとしてをるものは、何として風は吹けとも山は動せぬなり。心か少いとあぐむ。大勢家中の中には大ひたわけもある。悪ひことをするもある。それを見て、あのようなやつらはどうもならぬとよはい子を出すは人君器量がなひからぞ。とうなりとなるものなり。
【解説】
「因問、坤卦是臣之事。人君有用處否。先生曰、是何無用。如厚德載物、人君安可不用」の説明。坤卦は臣のことだが、易は「無所不通」だから、それを君が用いることも当然にある。更に坤は「厚徳載物」だから何にでも倦むことはない。坤の様でなければ人君の器量ではない。
【通釈】
さて、この「無所不通」ということを聞いて、なるほどと気が付いて「因問坤卦云々」である。坤の卦は臣のこと。しかしながら、君が用いることもありましょうと尋ねた。そこで先生が、その筈であり、言うには及ばない。「是何無用」と答えた。その上まだ言うことがある。坤は「厚徳載物」だから何にでも倦むことはない。これが孔子の坤の象伝に繋けられた辞である。地の徳は厚いので何でも載せる。中庸に「載華嶽而不重振河海不洩」とあり、富士があると言っても駿河や三河が根付くことはない。大山を載せても何ともない。これで見れば、人君はあまりに気が短い。悪い奴を手打ちにしようと言うのはこの徳がないからである。総体、あまりに急き、あまりに嬉しがる者は薄い者である。全体のっしりとしている者は、風がどんなに吹いても山を動かせない様なもの。心が少ないと倦む。大勢の家中の中には大戯けもいる。悪いことをする者もいる。それを見て、あの様な奴等はどうにもならないと弱音を吐くのは人君の器量がないからである。易はどの様にもなるものなのである。
【語釈】
・厚德載物…易経坤卦象伝。「象曰、地勢坤。君子以厚德載物」。
・載華嶽而不重振河海不洩…中庸章句26。「今夫地、一撮土之多。及其廣厚、載華嶽而不重、振河海而不洩、萬物載焉」。


第五十六 易中只是言条

易中只是言反復・往來・上下。
【読み】
易の中は只是れ反復・往來・上下を言うのみ。
【補足】
・この条は、程氏遺書一四にある。

これが伊川の御発明なりと云ほどのこともないが、たたい易はこうしたことなり。只是と云が伊川の御発明なり。根を合点せうことで、酒盛りで誰が何ほど呑だてあろふと云とき、勝手から、客は大勢でも只是五升の酒しゃと云ようなもの。くくり上て只是と云。易は乾兌離震巽坎艮坤の八卦なり。そのあちへやりこちへやり反復する。上下をなをして六十四卦になりたもの。そんなら伊川の発明はないやうなれとも、それでも手もなく、やうすまされたものぞ。棋も中々只はならぬものなれとも只是白黒ぞ。さて、反復と云は乾と坤とのようなもの。皆陽皆隂なり。こちの卦があちへ入りかわるところを往来と云。上下は内卦外卦でちごうことを云。これを出して云ををなら、地天泰・天地否の卦なり。泰は天が下て地が上なり。それてはさかさまなよふなれとも、天下太平で目出度ぞ。なせ目出度なれば、天か下にあるから陽氣か上へ升り、地か上にあるから隂氣か下りて交道して上下ゆたかなり。天地否の卦はなせわるいなれば、上が天で地が下ゆへ、天の氣は上り地の氣は下りへた々々になるゆへ上下が分々になる。地頭は取ふとし、百姓はやるまいとする様なもの。上と下とて是ほどに違ふ。目出度もあぶないものここじゃと云が程子の意なり。
【解説】
ここで「只是」と括り上げたのが伊川の発明である。反復とは乾と坤との様なもの。皆陽皆陰である。こちらの卦があちらへ入れ替わることを往来と言い、上下は内卦と外卦とで違うことを言う。全ての吉凶は卦の変化の結果による。
【通釈】
これが伊川の御発明と言うほどのことでもないが、そもそも易はこうしたこと。「只是」というのが伊川の御発明である。根を合点したことで、酒盛りで誰がどれほど飲んだのだろうという時に、台所から、客は大勢だが只是五升の酒だったと言う様なもの。括り上げて只是と言う。易は乾兌離震巽坎艮坤の八卦。それをあちらへ遣りこちらへ遣って反復し、また、上下を直して六十四卦になったのである。それなら伊川の発明はない様だが、それにしてもわけもなく、うまく済まされたものである。碁も中々簡単にはできないものだが、それでも只是白黒である。さて、反復とは乾と坤との様なもの。皆陽皆陰である。こちらの卦があちらへ入れ替わることを往来と言い、上下は内卦と外卦とで違うことを言う。例を出して言えば、地天泰と天地否の卦である。泰は天が下で地が上。それでは逆様な様だが、天下太平で目出度い。何故目出度いのかと言うと、天が下にあるから陽気が上へ昇り、地が上にあるから陰気が下がって交道し、上下が泰になる。天地否の卦は何故悪いのかと言うと、上が天で地が下なので、天の気は上がり地の気は下がってへたへたになって上下が別々になる。地頭は取ろうとし、百姓は遣るまいとする様なもの。上と下とでこれほどに違う。目出度いのも危ないのもここだと言うのが程子の意である。

さて、一つ云ことあり。近思の集解に細かに説てある。反て程子の思召に合ぬ。某が様にあらく云がよい。こまかに云と朱子には合が程子に合ぬ。集解がやふに云と彖傳の十九卦変のことになる。程子は不用卦変の事と云て、程子がなぜかあれを取ぬ。そんなら某かあらく云たは集解の意に合ぬかと云へは、あまりとびのひたことではない。伊川の日比に合せ、あらく云て反てよい。つまりとちも同じことなれとも、こまかに云とつい十九変卦のことになり、伊川にあわぬ。
【解説】
朱子はここを細かに説いたが、程子は「不用卦変事」と言って卦変の詳細は言わなかった。細かに言うと、ここが彖伝の十九卦変のことになってしまう。
【通釈】
さて、一つ言うことがある。近思録の集解に朱子が細かにここを説いているが、それは却って程子の思し召しに合わない。私の様に粗く言うがよい。細かに言うと朱子には合うが程子には合わない。集解の様に言うと彖伝の十九卦変のことになる。程子は「不用卦変事」と言い、何故かあれを取らない。それなら私が粗く言ったのは集解の意に合わないのかと言うと、あまりそれと違ったものではない。日頃の伊川に合わせ、粗く言うのが却ってよい。つまりどちらも同じことなのだが、細かに言うと、つい十九変卦のことになって伊川に合わない。


第五十七 作易自天地幽明条

作易、自天地幽明、至於昆蟲草木微物、無不合。
【読み】
易を作りしとき、天地幽明より、昆蟲草木の微物に至るまで、合わざるは無し。
【補足】
・この条は、程氏外書七にある。

上の条ではあらく云が趣向。此条ではこまかに云が趣向なり。ここの幷べやうがをもしろい。ここて易傳序の廣大悉備かよくしるる。伏羲の易を作る、仰觀天文俯察地理と云が易の卦爻の出来た本なり。はてさて其の筈じゃは。本因坊の宗桂も碁盤将棊盤を離てはいかぬ。易の出来たは卦爻なり。それも天地を見られてのことぞ。天象地象が垩人の胷へはっきと来たものゆへぞ。一つ考へて胷からつくり出すと云意は垩人の御きらひなり。又、仰て觀、俯て察と云ても、四つ九つに天文臺に登りて見たでもなひ。碁盤将棊盤を見てからのこと。伏羲もつく々々見るうちに、日月星辰の山の川のと云をさてなとひびいたもの。天地を見たと云かをこりぞ。客が盃ををいて丁どよい処へ勝手から肴をもって出たやふなもの。河圖か出た。これでは一つのまれると云のぞ。客の心を知りたは亭主。伏羲の心を知りたは天なり。そこで河圖が出たから易が作りよくなって来た。易は天地の合紋ぞ。
【解説】
伏羲が「仰観天文俯察地理」をしたが、これで天象地象が聖人の心にはっきりと入った。そして、これが卦爻の本となった。伏羲が天地を見ていると河図が出て、それで易が作り易くなった。
【通釈】
前条では粗く言うのが趣向で、この条は細かに言うのが趣向である。ここの並べ方が面白い。ここで易伝序の「広大悉備」がよくわかる。伏羲が易を作るのに際して、「仰観天文俯察地理」が易の卦爻のできた本である。全くその筈で、本因坊の宗桂も碁盤や将棋盤を離れてはうまく行かない。易ができたのは卦爻からである。それも天地を見られてのことで、天象地象が聖人の胸へはっきりと来たからである。一つ考えて胸から作り出すという意は、聖人はお嫌いである。また、仰いで観て、俯して察すると言っても、四つ時や九つ時に天文台に登って見たことでもない。碁盤や将棋盤を見てからのこと。伏羲もつくづく見ている内に、日月星辰や山や川というもので、さてこれはと響いたもの。天地を見たというのが易の起こりである。客が盃を置いたその丁度よい処に勝手から肴を持って出た様なもの。河図が出た。これでもう一杯飲むことができるということ。客の心を知っていたのは亭主。伏羲の心を知っていたのは天。そこで河図が出たから易が作り易くなってきた。易は天地の合紋である。
【語釈】
・仰觀天文俯察地理…易経繋辞伝上4。「仰以觀於天文、俯以察於地理、是故知幽明之故。原始反終、故知死生之説。精氣爲物、遊魂爲變、是故知鬼神之情状」。
・宗桂…大橋宗桂。将棋代々の名家。
・河圖…易経繋辞伝上11。「天垂象見吉凶、聖人象之、河出圖、洛出書、聖人則之」。伏羲の時、黄河に現れた竜馬の背中の旋毛の形状を写したという図。易の八卦はこれから作られたと信じられた。

幽明。天地を云へは昼夜。人て云へは死生。繪師か先つやき筆をあてて、それから段々すみを用ひ、それから極彩色に書く。皆天地の内ものをかく。垩人の六十四卦、やはり天地の画なり。昆蟲草木の微物迠なり。天地の間は皆易ぞ。無不合そ。孔子の説卦傳離の卦に雉を文明と云。不調法ものがいつも雉は文明と覚へてをるが、四十雀もひわでも同じこと。雉は見事にあかるいゆへ離ちゃと云までのこと。坤は牛、乾は午、虱は牛の坤組、蚤は午の乾組と合点すればなんのこともない。天地の中に同類は多くあるぞ。竹は竹同士、松は松同士、そてつはどうでも松のるい、石菖はとうでも竹のるい。それ々々の筋々で合せると合ぬことはない。こう見ると易が活てくる。
【解説】
六十四卦は天地の画であり、天地の間で易に合わないものはない。天地の中には同類が多く、類に漏れるものはない。
【通釈】
「幽明」。これは天地で言えば昼夜、人で言えば死生。絵師は先ず焼筆をあてて、それから段々に墨を用い、それから極彩色に書く。皆天地の内のものを書く。聖人の六十四卦もやはり天地の画である。昆虫草木の微物までがそれである。天地の間は皆易で、「無不合」である。孔子の説卦伝で離の卦を雉と言い、それを文明と言う。不調法者がいつも雉は文明と覚えているが、四十雀も鶸でも同じこと。雉は見事に明るいので離だと言うまでのこと。坤は牛、乾は馬、虱は牛の坤組、蚤は馬の乾組だと合点すれば何事もない。天地の中に同類は多くある。竹は竹同士、松は松同士、蘇鉄はどうしても松の類、石菖はどうしても竹の類。それぞれの筋で合わせると、合わないことはない。この様に見ると易が活きて来る。
【語釈】
・やき筆…焼筆。下絵をかくのに用いる筆。柳などの木の端を焼き焦がしたもの。
・説卦傳離の卦に雉を文明と云…易経説卦伝8。「乾爲馬、坤爲牛、震爲龍、巽爲雞、坎爲豕、離爲雉、艮爲狗、兌爲羊」。また、離卦には文明という字が多くある。


第五十八 今時人看易条

今時人看易、皆不識得易是何物、只就上穿鑿。若念得不熟、與就上添一德、亦不覺多、就上減一德、亦不覺少。譬如不識此丌子。若減一隻脚、亦不知是少、若添一隻、亦不知是多。若識則自添減不得也。
【読み】
今時の人は易を看るに、皆易は是れ何物なるかを識得せず、只上へ就きて穿鑿するのみ。若し念じ得て熟せずんば、與[ため]に上に就きて一德を添うるも、亦多きを覺えず、上に就きて一德を減らすも、亦少なきを覺えず。譬えば此の丌子を識らざるが如し。若し一隻の脚を減らすも、亦是れ少なきを知らず、若し一隻を添うるも、亦是多きを知らず。若し識らば則ち自ら添減し得ざらん。
【補足】
・この条は、程氏外書五にある伊川の語。

此条は易に初心なものへ云様なれとも、よほど易をたんたへたものへも入れて云ことぞ。易をたんれんした様なれとも、全体がをちぬことあるものぞ。なんでもきっとして見込がないからふれる。爰は先日の悼斯文之湮晦へあててみよ。また、易を知らぬものへあてて云たことではない。伊川の思召に叶はぬものは皆此中へいれて云ことぞ。易はとうしたものと云ことをがてんすることがならぬ。就上穿鑿す。易の書の上へ爻卦の上でばかり彼是云へとも、丁ど知らぬ人の皃を書くようなもの。こうでもあろふかと云。いらざることぞ。知りたものは何のことはない。易の手に入らぬを念得不熟と云。小学に經学念書とあるもこの念の字なり。與就上添一德云々。そんな易の手に入らぬ男を相手にして云と、どんなことを云てもそれなりになる。一德を添てもち上げて云ても氣かつかぬ。なんのこともないことを六ヶ鋪云ても、又、安く輕く下けて云ても、これはたりぬ、少ひとも云はぬ。王弼が易を老荘で説も、京房郭璞か易を占屋筭にしたも、つまり易を知らぬからと落したもの。京房郭璞が竒妙不思義なことを云。つまり平沢左内なり。易を知らすに兎角ふ云。知らぬ人の人相書をするのぞ。
【解説】
この条は余程易を探求した者に対しても当て嵌まること。彼等は易の書の上や爻卦の上のことばかりを言うが、易自体を熟知していない。易を知らずに色々なことを言うのは、知らない人の人相書を描くのと同じである。
【通釈】
この条は易に初心な者に言った様だが、余程易を探求した者も入れて言ったこと。易を鍛練した様でも、全体がわかっていないことがあるもの。何でも確かな見込みがないから振れる。ここを先日の「悼斯文之湮晦」へ当てて見なさい。易を知らない者へ当てて言ったことではない。伊川の思し召しに叶わない者は皆この中へ入れて言うこと。易はどうしたものかということを合点することができない。「就上穿鑿」。易の書上のことや爻卦の上のことばかりをかれこれ言うが、それは丁度知らない人の顔を書く様なもの。こうでもあるだろうかと言うのは不要なこと。知っている者は何事もない。易が手に入らないことを「念得不熟」と言う。小学に「経学念書」とあるのもこの念の字である。「与就上添一徳云々」。その様な易の手に入らない男を相手にして言えば、どんなことを言ってもそれなりになってしまう。一徳を添えて持ち上げて言っても気が付かない。何事もないことを難しく言っても、逆に、易く軽く下げて言っても、これでは足りない、少ないとも言わない。王弼が易を老荘で説いたのも、京房や郭璞が易を占屋算にしたのも、つまりは易を知らないからだと落とす。京房や郭璞は奇妙不思議なことを言うが、つまりは平沢左内である。易を知らずに色々と言う。それは、知らない人の人相書をするのと同じである。
【語釈】
・たんたへた…探題う。探したずねる。尋ね求める。
・悼斯文之湮晦…致知49の語。
・經学念書…小学外篇嘉言。「明道程先生曰、憂子弟之輕俊者、只敎以經學念書不得令作文字。凡百玩好皆奪志。至於書札於儒者事最近。然一向好著亦自喪志」。
・平沢左内…

不識此丌子云々。上のことをたとへて云こと。爰にある丌子と折節、伊川の前にをしきのるいがありた。鏡餅などをそなへる下じきの様なもの。集解の本には丌子をこっ子と作りて、腰かけのことなり。なんであろふと伊川の前にあったゆへ、をらがふだん見るものは何のこともなくすむ。これを知ぬものは何やら知れまいとなり。たとへと云ものは一坐のことて、あとのためにはならぬもの。今では丌子にせよ兀子にせよ、日本のものでないから知れぬ。端的今云をふなら、五德の足のへらされぬ様なもの。知ら子はだまさるる。なせに之湮晦にあてて見よと云へは、なせ世間の者が知ものかとつよく云て、御てまいの合点して任底の意がしるる。
【解説】
丌子を知っていればそれが丌子だとわかるが、知らない者はそれが何かを知らない。知らなければ騙される。世間の者は易を本当には知らないが、伊川は知っていた。
【通釈】
「不識此丌子云々」。上のことをたとえで言ったこと。折節、伊川の前にここにある丌子の様な折敷の類があった。それは鏡餅などを供える下敷きの様なもの。集解の本には丌子を兀子と作ってあり、それは腰掛けのこと。何であろうと伊川の前にそれがあったので、俺が普段見るものは何事もなく済むが、これを知らない者は何のことか知ることができないだろうと言った。たとえというものはその場のことで、後のためにはならないもの。今では丌子にせよ兀子にせよ、日本のものではないからよくわからない。端的、今言うのなら、五徳の足を減らすことができない様なもの。知らなければ騙される。何故「之湮晦」に当てて見なさいと言うかというと、どうして世間の者が知るものかと強く言って、自分は合点して任じているという意がこれで知れるからである。
【語釈】
・五德…炭火などの上におき、鉄瓶などをかける三脚または四脚の輪形の器具。鉄または陶器製。


第五十九 游定夫問伊川条

游定夫問伊川陰陽不測之謂神。伊川曰、賢是疑了問、是揀難底問。
【読み】
游定夫伊川に陰陽測られざるを之れ神と謂うを問う。伊川曰く、賢は是れ疑い了わりて問えるや、是れ難き底[もの]を揀[えら]びて問えるや、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。

隂陽不測云々。易の繋辞傳にござる、彼義でごさると云われた。此が道体のつかまい処で、無極而太極は周子の一代の御発明で第一のことなれとも、とど互に爲其根と云ことも此語ですむ。大事のつかまへ処ぞ。それかすめば天地の間はくる々々まわり、陽が阴になり阴が阳になる、その名もつけられぬ妙な処を神と云。朱子も一生の名語に、太極者本然之妙也動靜者所乗之機也と云われた。此様な処は先封を付て一ち仕廻に問べきことなり。游定夫の初出合のとき問はれた。そこて伊川かついてやった。人の問いにしかろうふはずはないが、すらりと云が返事のなりぞ。されとも教亦多術しゃから、垩賢の公な心でも六ヶ鋪ひ子らるるは手段あることなり。此語かどうかすまぬといこうこまって、逢たらは問ををと思ふての問か、又、六ヶ鋪しれぬことをよって問のか、と。
【解説】
「陰陽不測之謂神」などを質問するのは初出合いの際にすることではない。そこで伊川が質問の意を訊いたのである。
【通釈】
「陰陽不測云々」。易の繋辞伝にある、あの義でござると言われた。ここが道体の掴まえ処で、「無極而太極」は周子一代の御発明で第一のことではあるが、つまりは「互為其根」ということもこの語で済む。ここが大事な掴まえ処である。それが済めば天地の間はくるくる廻り、陽が陰になり陰が陽になる、その名も付けられない妙な処を神と言うことがわかる。朱子一生の名語で、「太極者本然之妙也動静者所乗之機也」とある。この様な処は先ず封を付けて一番後に問うべきこと。そこを游定夫は初出合いの時に問われた。そこで伊川が突いてやった。人の問いに叱る筈はなく、すらっと答えるのが返事の型である。しかしながら、教えもまた術が多いから聖賢の公な心でも難しく捻ってするのも手段の一つなのである。この語がどうも済まないと大層困って、逢ったら問おうと思っての問いか、または、わかり難いことを選っての問いかと伊川が訊いた。
【語釈】
・隂陽不測…易経繋辞伝上5。「極數知來之謂占、通變之謂事、陰陽不測之謂神」。
・太極者本然之妙也動靜者所乗之機也…太極図説朱解。「蓋太極者、本然之妙也。動靜者、所乘之機也。太極、形而上之道也。陰陽、形而下之器也」。
・教亦多術…孟子告子章句下16。「孟子曰、敎亦多術矣。予不屑之教誨也者、是亦敎誨之而已矣」。

先つ游定夫の人品を知へし。すんとよい人ぞ。爰に答のないは、けられて頭を下けて、もうそれですんたことなり。一つ六ヶ鋪ことを云てほめられ様の、伊川の学をためそうのと云意はない人なり。隨分これがすますに疑て、定て年来の望で問たであろふなれとも、あと先なしにこう云処が、もう伊川のつく処ぞ。さて此条を、先年迂斎に不審を云たものあり。前の文中子學易の次へ出しそうなもの、と。よい考へぞ。迂斎は、そう云こともあろふか、隂陽不測の文字あるゆへ易の処へ出したものと云。これはずんとあらい云分なり。たたい迂斎はこんなことを云、きつい嫌ひなり。すら々々よむ人なり。そこでこう云たもの。されとも或人の疑いは尤なり。なれとも、この次の条で兎角骨ををら子ばならぬと云ことあるゆへ、ここにあるもよいぞ。
【解説】
游定夫は人品のよい人なので、年来の望みから質問したのである。この条は「文中子学易」の条の後に載せる方がよいと或る人が言ったのは尤もなことだが、次の条に易を学ぶにはとにかく骨を折らなければならないとあるので、ここに載せたのは誤りではない。
【通釈】
先ず游定夫の人品を知りなさい。かなりよい人である。ここに答えがないのは、蹴られて頭を下げて、もうそれで済んだのである。彼には、一つ難しいことを言って褒められようとか、伊川の学を試そうとする意はない。随分とこれが済まないので疑って、きっと年来の望みから問うたのだろうが、後先なしにこの様に言う処が、もう伊川の突く処となる。さてこの条について、先年迂斎に不審を言った者がいた。前の「文中子学易」の次へ出しそうなものだと言った。それはよい考えである。迂斎は、そういうこともあるだろうが、陰陽不測の文字があるから易の処へ出したのだと言った。これは随分と粗い言い分である。そもそも迂斎はこんなことを言うのだ大層嫌いで、すらすらと読む人である。そこでこの様に言ったのである。しかし、或る人の疑いは尤もである。それでも、この次の条でとにかく骨を折らなければならないということがあるので、ここにあってもよいのである。
【語釈】
・文中子學易…致知28。「問、瑩中嘗愛文中子。或問學易」。


第六十 伊川以易傳示門人条

伊川以易傳示門人曰、只説得七分、後人更須自體究。
【読み】
伊川易傳を以て門人に示して曰く、只説き得ること七分なれば、後人更に須く自ら體究すべし、と。
【補足】
・この章は、程氏外書一一にある。

伊川の易を弟子衆へ示すはいこう晩年のことぞ。張閎中に答る書も七十以後のこと。伊川の七十五で死なれた。弟子の中で張思叔と尹彦明は晩年の弟子で、この二人が彼是八ヶ間鋪云。そこで箱の錠をあけて見せうと云て、其ときのことなり。説得七分。これで十分説たではないとなり。此は文義の大切なことぞ。七分説て三分残してをいたではない。説た処は十分で、易の道にをいて七分と云ことなり。これて易をときつくしたではないと云こと。程子のまだ外に七分のことをこまかに云たことある。丁ど人の顔を人相書をするようなもの。其顔が十分其人に似ても、また其人の心かある。樊會や張飛の顔は書ても、其人の勇氣は書れぬ。そこで、後人更須自体究。自分で身にして見ることなり。向へをいてせすに、吾に引うけてする。をらが師匠がよく説てをいたゆへ骨はをれぬと、やはり論吾を口書にして置て讀ようでは何の役にたたぬ。易のことも先つこれですんだか、一と通ていかぬことゆへ、朱子の致知の部の内にも一ち長く出してをかれたぞ。
【解説】
ここは張思叔と尹彦明に易伝を見せる際に言ったこと。易伝は易全体を説いたものだが、全てを説き尽くしてはいないので、後は各自が自分で体究しなさいと伊川は言う。説いた処は十分だが、易の道に関しては七分なのである。
【通釈】
伊川が易を弟子衆へ示したのは大層晩年のこと。張閎中に答うる書も七十歳以後のこと。伊川は七十五歳で死なれた。弟子の中で張思叔と尹彦明は晩年の弟子で、この二人がかれこれ喧しく言う。そこで箱の錠を開けて易伝を見せようと言った、その時のこと。「説得七分」。これで十分説いたわけではないと言った。ここは文義の大切なことを言う。七分説いて三分残して置いたのではない。説いた処は十分で、易の道に関しては七分ということ。これで易を説き尽くしたのではないということ。この他に、程子が七分のことを細かに言ったことがある。それは丁度人の顔を人相書する様なものだと言った。その顔が十分その人に似ていても、まだその人の心がある。樊噲や張飛の顔は書けても、その人の勇気は書くことができない。そこで、「後人更須自体究」。自らが身にして見なければならない。向こうへ置いてせずに、自分に引き受けてする。俺の師匠がよく説いて置いたので骨は折れないと、論語を口書にして置いて読む様なことでは何の役にも立たない。易のことも先ずこれで済んだが、一通りではうまく行かないので、朱子は致知の部の内で最も多く易を出して置かれたのである。
【語釈】
・張閎中に答る書…致知50参照。
・樊會…樊噲。漢初の武将。江蘇沛県の人。諡は武侯。~前189
・張飛…三国の蜀漢の武将。字は益徳また翼徳。桓侯と諡。~221
・口書…江戸時代、法廷で当事者の申し立てを筆記した供述書。誤りのないことを承認した証として爪印をおさせた。