近思録巻之九筆記
治法凡二十七條  二月十九日  文七録
【語釈】
・二月十九日…寛政3年辛亥(1791年)2月19日。
・文七…東金市押堀の人。筆記力に優れる。

治体の篇で政の本体はすみて、治法は政事、法の組立なり。治体は心、治法は事。つめて云へば治体のあらはれたが治法になる。治体がありても治法がない、やれ々々ひたるからふと云ながら膳を出さぬやふなもの。治体は人君の御心の親切、治法はそれを出すこと。成程そふじゃは、下に太儀々々さぞ空服に及んだであろふと御親切ばかりありても、膳を出さ子ばとんとこちの役には立ぬ。いつも、治法があっても治体のないはくらやみでかぶりふるやうなもの。上手な医者の匕をとらぬやふなもの。あの人は今の一番でござると云ても匙をとら子ば病氣の役にはたたぬ。篇鵲が隣に一年居ても、藥を飲子ばなをりやうはない。治体と云名医が治法で療治をするやふなもの。迂斎の、治体はあたま、治法は手足のやふなものと云へり。あたまばかりで手足なくてはたらかれぬ。本因坊は碁の名人と云は治体なり。はち々々と打て出すは治法。本因坊が定石と云が古垩賢の治法なり。法は法で見て見られるもの。法は眞似ると政もなる。やっはりここも医者のたとへがよい。今医者の療治をするも、古への名人の治法があるゆへ療治をする。遍鵲や仲景ではなし、療治はならぬとは云ぬ。然とも、治法あっても治体がないと根なし葛になる。治体があっても治法が悪くてはならぬ。料理人がをしい肴をみんなにしたと云がきこへたこと。肴が新くても料理の仕方が悪いと食れぬ。
【解説】
治体は心で治法は事。心が出て事が行われる。治体があっても治法がなければ悪い。それは、名医も匙を取らなければ病気の役には立たず、また、よい肴でも下手な料理人が料理をすれば台無しになる様なもの。
【通釈】
治体の篇で政の本体は済み、ここの治法は政事、法の組み立てのこと。治体は心、治法は事。詰めて言えば、治体が現われて治法になる。治体があって治法がないのは、やれやれ腹が減っただろうと言いながら膳を出さない様なもの。治体は人君の御心の親切で、治法はそれを出すこと。なるほどそうであって、下に大儀なこと、さぞ空腹になっただろうと言う親切な心はあっても、膳を出さなければ全くこちらの役には立たない。いつも言うことだが、治法があって治体のないのは暗闇で頭を振る様なもの。また、上手な医者がの匙を取らない様なもの。あの人は今一番の医者だと言っても、匙を取らなければ病気の役には立たない。扁鵲が隣に一年いても、薬を飲まなければ治る筈はない。治体という名医が治法で療治をする様なもの。迂斎が、治体は頭で治法は手足の様なものだと言った。頭だけあっても手足がなければ働けない。本因坊は碁の名人というのは治体で、ぱちぱちと打って出すのは治法。本因坊の定石というのは古聖賢の治法である。法は、法なので見ることができるもの。法は真似ればそれで政もできる。やはりここも医者のたとえがよい。今医者が療治をするのも、古の名人の治法があるので療治をする。扁鵲や仲景でなければ療治はできないとは言わない。しかしながら、治法があっても治体がないと根なし葛になる。また、治体があっても治法が悪くてはならない。料理人が勿体無い肴を台無しにしたと言うのがよくわかる。肴が新しくても料理の仕方が悪いと食うことはできない。

人君は天下を愛するが本で、愛しやうを知ら子ば役に立ぬ。有仁心聞民不被其澤は治法のないをそしりたもの。上に御仁心があるがつんと下の為にならぬと云は治法がないからなり。親の子を可愛がるは治体。可愛がるにさま々々可愛がりやうあり、ゆきわたりていろ々々なことをする。子の疱瘡をするときも親がしっとしては居らぬ。何から何迠とどくやうにする。それが可愛と云体から、看病迠の法がとどくなり。前に云、治体から治法も出てくるもの。されとも法をよくせ子ばならぬ。能書筆をえらまずと云は一通りのこと。能書ても薪や楊技では書れぬ。能書は治体。筆や墨の吟味をするは、天地の間のことは皆二つつつ、天があれば地あり、夏があれば冬があり、天下の政も二つつつでなければならぬ。政は兎角法からかから子ばならぬと云。法にかかりても本のないは長もちがせぬ。立花や投入のやふなもの。治体は木に根のあるのなり。治法に根があるゆへ栄へる。心からゆき、事からゆく。これで垩賢の政のぎり々々にをちる。この二篇をつき合せ、治体治法幷べるで垩賢の政なり。
【解説】
天下はとかく二つでできているのであって、治体と治法の二つが揃わなければならない。また、政は法から取り掛かるものだが、そこに治体がなければ根なし葛で長くは続かない。孟子も「徒善不足以為政。徒法不能以自行」と言った。
【通釈】
人君は天下を愛すること本だが、愛し方を知らなければ役に立たない。「有仁心仁聞民不被其沢」は治法のないことを譏ったもの。上に御仁心があるが、それが全く下のためにならないというのは治法がないからである。親が子を可愛がるのは治体。可愛がるのに様々な可愛がり方があって、行き渡った色々なことをする。子が疱瘡になった時も親はじっとしてはいない。何から何まで届く様にする。それは可愛いという体からのことで、それで看病までの法が行き届くのである。前に言ったことで、治体から治法は出て来るが、法をよくしなければならない。能書筆を選ばずと言うのは一通りのこと。能書でも薪や楊枝では書けない。能書は治体で、筆や墨の吟味をするのは治法である。天地の間のことは皆二つずつで、天があれば地があり、夏があれば冬があるのであって、天下の政も二つずつでなければならない。政はとかく法から取り掛からなければならないということ。法に掛かっても本がなければ長持ちはしない。それは立花や投入花の様なもの。治体とは木に根があること。治法に根があるので栄える。心から行って、事から行く。これで聖賢の政の至極に落ちる。この二篇を突き合わせ、治体と治法を並べるのが聖賢の政である。
【語釈】
・有仁心聞民不被其澤…孟子離婁章句上1。「今有仁心仁聞、而民不被其澤、不可法於後世者、不行先王之道也。故曰、徒善不足以爲政。徒法不能以自行」。
・立花…花木樹葉を花瓶に挿し立て、形をととのえ飾ること。
・投入…華道の様式・手法の一。あまり人工を加えず、自然の枝ぶりのままに挿すもの。古流では折入花という。


初条

濂渓先生曰、古聖王制禮法、脩敎化、三綱正、九疇敍、百姓大和、萬物咸若。乃作樂以宣八風之氣、以平天下之情。故樂聲淡而不傷、和而不淫。入其耳、感其心、莫不淡且和焉。淡則欲心平、和則躁心釋。優柔平中、德之盛也。天下化中、治之至也。是謂道配天地、古之極也。後世禮法不脩、政刑苛紊、縱欲敗度、下民困苦。謂古樂不足聽也、代變新聲、妖淫愁怨、導欲增悲、不能自止。故有賊君棄父、輕生敗倫、不可禁者矣。鳴呼、樂者古以平心、今以助欲、古以宣化、今以長怨。不復古禮、不變今樂、而欲致治者、遠哉。
【読み】
濂渓先生曰く、古の聖王、禮法を制[さだ]め、敎化を脩むるに、三綱正しく、九疇敍[つい]で、百姓大いに和ぎ、萬物咸[みな]若[したが]う。乃ち樂を作りて以て八風の氣を宣べ、以て天下の情を平かにす。故に樂聲は淡にして傷[やぶ]らず、和らぎて淫[おぼ]れず。其の耳に入り、其の心を感ぜしむるに、淡にして且つ和らがざること莫し。淡なれば則ち欲心平かに、和らげば則ち躁心釋[と]く。優柔平中は、德の盛んなり。天下化中は、治の至りなり。是を道天地に配すと謂い、古の極なり。後世、禮法は脩まらず、政刑は苛紊[かびん]にして、欲を縱[ほしいまま]にし度を敗[やぶ]り、下民困苦す。古樂は聽くに足らずと謂い、代[かわるがわる]聲に變え、妖淫愁怨にして、欲を導き悲を增し、自ら止むること能わず。故に君を賊い父を棄て、生を輕んじ倫を敗りて、禁[た]う可からざる者有り。鳴呼、樂は古は以て心を平かにし、今は以て欲を助け、古は以て化を宣べ、今は以て怨みを長ず。古の禮に復らず、今の樂を變えずして、治を致さんと欲するは、遠きかな、と。
【補足】
・この章は、周濂渓の通書楽上一七にある。

濂渓先生曰古者聖王云々。眞初に礼義を出す。礼法はかたなり。今精神へきりこむことではない。かたの上からしなろふこと。公家衆の装束、武士の両刀をするやふなもの。こふ云ことのああ云ことのと云ではない。平生身の振逈しに急度としたのりがあるゆへよい。わざはかたじけないもの。ただわけなくかたの上から、小児の時からしこまれると根入が深くなる。何のことなくすると云が礼法を制して形の上からするなり。九疇。洪範箕子が武王へ天下の治を告るに洛書の数が九つあり、天下のこと是にもれぬ。あの大賢の告けられた、この外ないときたことなり。洪範にある通りに天下安泰に治ったが百姓大和なり。何と云心なく、人間が道理なりになりてうしろから追ひ立られるやうなことなく、のびやかなていを云ふ。人間のさわがしくさま々々なことを云は道理に背たのぞ。道理の通にして浪風がないゆへ和と云。人間が天地の間で一ち重ひもの。そこで人間が和すると人の氣の和するから、天下中の萬物が和す。
【解説】
「濂渓先生曰、古聖王制禮法、修敎化、三綱正、九疇敍、百姓大和、萬物咸若」の説明。礼法は形でするものだが、それに従えば道理の通りになって気が和す。人は天地で一番重いものだから、人の気が和すと万物が和すことになる。
【通釈】
「濂渓先生曰古者聖王云々」。真っ先に礼儀を出す。礼法は形である。これは精神へ切り込むことではない。形の上でしてよくなること。公家衆が装束を着て、武士が両刀を差す様なもの。こう言うことだとかああ言うことだと言うことではなく、平生の身の振り回しにきりっとした法があるのでよい。業は忝いもの。ただわけもなく形の上からする。小児の時から仕込まれると根入れが深くなる。何のわけもなくするというのが礼法を制して形の上からすること。「九疇」。洪範に箕子が武王へ天下の治め方を告げたことがあり、その洛書の数は九つで、天下のことでこれから漏れるものはない。あの大賢が告げられたこと、この外はないと言う。洪範にある通りに天下安泰に治まったのが「百姓大和」である。何という心もなく、人間が道理の通りになり、後ろから追い立てられる様なこともなく、伸びやかな様子を言う。人間が騒がしく様々なことを言うのは道理に背くこと。道理の通りにして波風がないので和と言う。人間は天地の間で一番重いもの。そこで人間が和すと人の気が和すから、天下中の万物が和す。
【語釈】
・九疇…書経洪範。五行・五事・八政・五紀・皇極・三徳・稽疑・庶徴・五福。

作樂以宣八風之氣。音樂を制しられた。礼法の出来たで和たが見へる。そのあとで樂を作るが靣白ひこと。和するとて頭から和はせぬ。礼法から和す。和を本立にして、論語礼和の章の注を見へし。礼の用、和ぞ。その和が樂ぞ。ここは自然なことなり。八風は東西南北に東南西南東北西北で、八方の氣ぞ。これで宇宙の間、天地間のことをすべて云。音樂は自然なもの。八音のあるは八方の音。人は天地の氣にはらまれてをる。八風の氣をのべるが自然なりの音樂を聞て和する。脊中のはりたときさするとなをり、腹のはりたとき撫るとなをるやうなもの。それ々々の氣の声がするゆへよい。経絡を知た人に按摩をとりてもろふやうなもの。宣で常になる。樂をきくと心がいそ々々となる。今日古の音樂はないゆへ、ここを読は理屈で推すこと。ここのあんはいは音樂をきいたものでなくては知れぬ。人は礼法で身持には沢山なれとも、音樂と云が人心を取立る太事の療治なり。礼の通りすると道理なりになる。道理なりに正く和した処へ、音樂で天下中のものが情が平になる。藥を飲で病氣のなくなりたやうなもの。喜怒哀樂が丁どにゆき和平する。垩賢の手前の作意でしたことではない。天地のなりの手段なり。制礼作樂と制作の二字は人なれとも、大和平情の四字は天なりぞ。
【解説】
「乃作樂以宣八風之氣、以平天下之情」の説明。礼法を制して和し、その後に音楽を作る。礼の用が和であり、その和が楽である。音楽で天下中の者の情が平らになる。
【通釈】
「作楽以宣八風之気」。音楽を制された。礼法ができたので和らいだところが見える。その後で楽を作るのが面白いこと。和すと言っても最初から和しはしない。礼法から和す。和を本立てにすることについては、論語の礼和の章の注を見なさい。礼の用が和であり、その和が楽である。ここは自然なこと。「八風」は東西南北に東南、西南、東北、西北で、八方の気のこと。これで宇宙の間、天地間のことを全て言う。音楽は自然なもの。八音があるのは八方の音である。人は天地の気に孕まれている。八風の気を宣べると言うのが自然の通りの音楽を聞いて和すこと。背中が張った時に摩ると治り、腹が張った時に撫でると治る様なもの。それぞれの気の声がするのでよい。それは、経絡を知った人に按摩をしてもらう様なもの。「宣」で常になる。楽を聞くと心がいそいそとする。今日は古の音楽がないので、ここを読む際は理屈で推しなさい。ここの塩梅は音楽を聞いた者でなくてはわからない。人は身持ちをよくするには礼法で十分だが、音楽というものが人心を取り立てるための大事な療治である。礼の通りにすると道理の通りになる。道理の通りに正しく和した処へ音楽で天下中の者の情が平らになる。それは、薬を飲んで病気がなくなった様なもの。喜怒哀楽が丁度に行って和平する。それは聖賢自らが作意でしたことではなく、天地の通りの手段である。「制礼」「作楽」にある制作の二字は人のことだが、「大和」「平情」の四字は天の姿である。
【語釈】
・論語礼和の章…論語学而12。「有子曰、禮之用、和爲貴。先王之道斯爲美。小大由之。有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也」。同集註。「范氏曰、凡禮之體、主於敬。而其用則以和爲貴。敬者、禮之所以立也。和者、樂之所由生也」。

淡は手のこますさらりとした水の味のやふ。水は味があってない。自然の音樂は人の耳へ入りて人の心を養ふが何の手もない。そこを淡と云。そふたいいかふ面白いことは、聞くとあまり胷へのりすぎる。傷ふと云ことを知るべし。病人でなくても空腹に及ぶと病氣同前になる。そんなら食ひさへすればよいかといふに、食すぎると食膓をする。傷の字でも合点すること、云はふやうもないこと。迂斎が、つまる処心を害せぬこととなり。音樂のひびきがつよいと心を傷ふ。平家をきくとあわれになるは傷ふなり。ほんの音樂は鴬の音をきいたやふに合点するがよい。鴬をきいてあとへひひくこともない。月のさへたやふにああと云まてぞ。泣の出ることはなし。垩人の音樂は今ないゆへ知れぬが、鴬の音を聞ては誰もよし、竿でをふものもない。もふひよどりがくるとをふ。淡而不傷は白湯にもたれぬやふなもの。白湯にもたれたと云ことはない。食たたりは傷れたのなり。
【解説】
「故樂聲淡而不傷」の説明。自然な音楽は人の耳へ入って人の心を養うが、響きの強い音楽は心を傷る。音楽は淡いのがよい。
【通釈】
「淡」とは、手が混まずにさらりとした水の味の様なこと。水には味があってない。自然の音楽は人の耳へ入って人の心を養うが、それに何の手段も用いない。そこを淡と言う。総体、大層面白いことを聞くと、それはあまりに胸に乗り過ぎる。「傷」ということを知りなさい。病人でなくても空腹になると病気同然になる。それなら食いさえすればよいかと言えば、食い過ぎると食傷をする。傷の字も合点すれば言い様もないものである。迂斎が、詰まる処は心を害さないことだと言った。音楽の響きが強いと心を傷る。平家物語を聞くと哀れになるのは傷ったのである。本当の音楽は鴬の音を聞いた時の様だと合点しなさい。鴬を聞いて後へ響くことはない。月の冴えた様にああと言うまでのことで、涙の出ることはない。聖人の音楽は今はないのでわからないが、鴬の音を聞いて竿でそれを追う者は誰もいない。しかし、鵯が来ると直ぐに追う。「淡而不傷」は、白湯がもたれない様なもの。白湯でもたれたと言うことはない。食滞は傷れたのである。

和而不淫云々。いこふ和してはをるが、舌たるくない。元日夫婦親子幷て雜煎を食は和たていなり。あのとき膝を枕にして子るやうなことはない。上方淨るりを聞と、かたり仕まわぬ内にあくらをかく。はやそこに居る女に戯れる心になる。本のは和而不淫。玉を温潤と云もこれに似た。温とて綿のやふにぐにゃ々々々ともせず、堅ひとて石のやふでもない。至極なものを玉に比するがこのやふなこと。樂が樂になると云は、何の心なくこふしてをるが心の御向ひに出るきみ。そこを感其心と云。周茂叔のあとさきへ文字のくばり様を見よ。淡而不傷を出し、下に莫不淡且和としたが面白ひ。音樂が淡ゆへ、人の耳へ入ても淡なり。水があわいゆへ舌へのせても淡い。上は樂の上迠云、下の句はそれを人の心へのせて莫不淡且和と云。
【解説】
「和而不淫。入其耳、感其心、莫不淡且和焉」の説明。人の本来の姿は「和而不淫」である。音楽が淡であれば人の耳へ入っても淡であり、本来の姿を害わない。
【通釈】
「和而不淫云々」。大層和してはいても、舌たるくない。元日に夫婦親子が並んで雑煮を食うのは和した姿である。この時に膝を枕にして寝る様なことはない。上方浄瑠璃を聞くと語り仕舞わない内に胡坐をかき、早くもそこにいる女に戯れる心になる。しかし、本来の姿は「和而不淫」。玉を温潤と言うのもこれに似たこと。温と言っても綿の様にぐにゃぐにゃともせず、堅いと言っても石の様でもない。至極なものを玉に比すのがこの様なこと。楽が楽になるというのは、何の心もなくこうしているのが心の御向かいに出る気味で、そこを「感其心」と言う。周茂叔の後先への文字の配り様を見なさい。「淡而不傷」を出し、下に「莫不淡且和」としたのが面白い。音楽が淡なので、人の耳へ入っても淡である。水が淡いので舌へ乗せても淡い。上は楽のことまでを言い、下の句ではそれを人の心へ乗せて「莫不淡且和」と言う。
【語釈】
・和而不淫…近思録では「和而不流」だが、通書では「和而不淫」である。

淡則欲心平云々。人間は欲が下からずく々々ともちあげて出るもの。五尺のからだがあるゆへ、飲食男女を始めどふしたいこふしたいと云ふ。そこを音樂を聞くとあわくなる。淡から欲心とかけ、和から躁心とかけたを見るがよい。淡と和はあまりのいたことではない。淡は無欲な、さぞ和は心のしとやかにふっくりとなりたことゆへ、その相手に躁心と云。躁心は心のしっとしてをらずさわくこと。人の心は和けば理の上へべったりと來るゆへさわがしいことはない。和せぬゆへどふせふこふせふと云。迂斎の、躁心から起りて上をも犯し、人をも殺すと云た。心のをちつかぬ処からそのやうなことをする。我分にをちついて居ればさわぐことはない。繋辞傳に躁人之言と云ことがある。躁は動する処の心。躁心はこわい文字じゃと合点するがよい。金銀も貧らず婦人にも耽らぬが油断のならぬ男と云がある。王莽などが女がすきの酒がすきのと云こともない。世々のわるいをみよ。多くは君子と云様に見へる人に謀反するが多い。田常でも成師でも上はよいが心は和せぬ。心が和してをるゆへ躁心などはめったにない。躁心なれば見とどけられぬなり。
【解説】
「淡則欲心平、和則躁心釋」の説明。人には欲があるが、音楽を聞くと心が淡く平らになる。心が和らげば理の通りになるので騒がしいことはない。「躁心」は心がじっとしないで騒ぐことで、それから上をも犯し、人をも殺す様になる。君子風な人に謀叛をする人が多いのは、表面はよくても心が和さないからである。
【通釈】
「淡則欲心平云々」。人間は欲が下からずくずくと持ち上がって出るもの。五尺の体があるので飲食男女を始めとしてどうしたいこうしたいと言う。そこを、音楽を聞くと淡くなる。「淡」から「欲心」と掛け、「和」から「躁心」と掛けたところを見なさい。淡と和とはあまり掛け離れたことではない。淡は無欲なことで、和は心のしとやかにふっくりとなったことなので、その相手として「躁心」と言う。躁心は心がじっとしないで騒ぐこと。人の心は和らげば理の上へべったりと来るので騒がしいことはない。和さないのでどうしようこうしようと騒ぐのである。迂斎が、躁心から起こって上をも犯し、人をも殺すと言った。心の落ち着かない処からその様なことをする。自分の分に落ち着いていれば騒ぐことはない。繋辞伝に「躁人之言」とある。躁は動じる心であり、躁心は恐い文字だと合点しなさい。金銀も貪らず、婦人にも耽らないが油断のならない男という者がある。王莽などは女が好きだとか酒が好きだということもない。世々の悪い者を見なさい。君子風に見える人に謀叛をする人が多い。田常でも成師でも表面はよいが心は和さない。心が和していると躁心などは滅多にない。躁心であれば見届けることはできない。
【語釈】
・躁人之言…易経繋辞伝下12。「將叛者、其辭慙、中心疑者、其辭枝。吉人之辭寡、躁人之辭多。誣善之人、其辭游、失其守者、其辭屈」。
・王莽…前漢末の簒立者。字は巨君。元帝の皇后の弟の子。儒教政治を標榜して人心を収攬、平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位におり、ついで真皇帝と称し国を奪い新と号した。劉秀に敗死。前45~後23
・田常…斉の宰相。田斉の先祖。田乞の子。
・成師…晋の穆候の三男。

優柔平中云々。優柔はのひ々々としたこと。躁心の釋けたこと。平中は欲心平をうけて云。すらりとなってかた々々よらぬ、出入のない過不及のないなり。人の心が優柔平中になるとそろ々々垩人の地位ゆへ德之盛なり。天下化中は天下のよくなること。化は黑いものの白くなりたやうに、かわりてよくなること。化にもたん々々あるが、この化は眞最中よくなりたこと。化成なればきこへよし。通書の注考へし。德之盛也地之至也て、あとへ子ぢむいて古者垩王へかけて見るがよい。孔子は盛德はあるが治の字はつかぬ。德は孔子も文王も一つなれとも、功業をかたるときは孔子をは子のけ子ばならぬ。そこで初に垩王と王の字なり。これは治体でありそふなもの。治法らしくはない。この大きい処は治法のやうなれとも制礼法乃作樂と云が天下を治めるの道具になるゆへ治法へのったもの。礼樂と云したたかな道具のあるで天下を治めることがなる。二帝三王の世のあの通りになったは礼法音樂でああなりた。
【解説】
「優柔平中、德之盛也。天下化中、治之至也。是謂道配天地、古之極也」の説明。人の心が優柔平中になると徳が盛んになって治の至りとなる。二帝三王の世は礼法と音楽で成ったのである。
【通釈】
「優柔平中云々」。「優柔」は伸び伸びとしたことで、「躁心」の釈けたこと。「平中」は「欲心平」を受けたもので、すらりとなって片方に寄らず、出入なく過不及のないこと。人の心が優柔平中になるとそろそろ聖人の地位となるので「徳之盛」となる。「天下化中」は天下のよくなること。「化」とは、黒いものが白くなった様に、変わってよくなること。化にも段々があり、この化は真っ最中によくなったこと。化成と言えばわかり易い。通書の注で考えなさい。「徳之盛也治之至也」は、後へ捻り向いて「古者聖王」へ掛けて見なさい。孔子は盛徳はあるが治の字は付かない。徳は孔子でも文王でも同じだが、功業を語る時は孔子を跳ね除けなければならない。そこで始めに聖王と言い、王の字がある。これは治体にありそうなもので治法らしくはない。ここの大きな処は治体の様だが、「制礼法乃作楽」と言うのが天下を治める道具になるので治法へ載ったもの。礼楽という大層な道具があるので天下を治めることができる。二帝三王の世があの通りになったのは礼法音楽からである。

後世礼法不脩云々。垩賢の道が廃ると礼樂なしにきめやうとするでからくなる。道落をするにからいことはないか、一つ政をしよふと云と苛くなる。苛の字はこせ々々とやかましく法を立ること。苛を、人をむごくすることのやふに思ふはあしし。苛政甚於虎と云語からしてむごいことのやふに前々先軰も説れた。むごくにもまわることなれとも、むこくではない。苛察とつづき、下のものの伸も縮もならず、一寸とすると法をあて、一寸しても訶られると云。なぜそふすると云に、礼樂なく人心つかまへ処なさに六ヶしいことをせぬと下がわい々と云はぬ。しめる為の苛なり。啇鞅が法を立て、表へあくのたれかすをすてたを見ても過料をとりた。あれてすみから隅まで行ふと思ふてをる。何にゆくものぞ。垩賢のは心からよくするゆへ、そのやうに小沢山に法を立て、これをせぬと縛ると云やふなことはない。礼がなくは粗らほくすらすらするかと云ふに、刑政苛乱也。そふもなくはならぬはづぞ。礼樂なしにするは本無理でするのゆへ、つひこふなるなり。
【解説】
「後世禮法不修、政刑苛紊」の説明。「苛」は苛酷の苛ではなく、苛察の苛であって、色々な法を立てること。後世は礼楽もなく人心も得られないので、法を小沢山に立てて取り締まった。しかし、聖賢の治は心からするものである。
【通釈】
「後世礼法不脩云々」。聖賢の道が廃れると礼楽なしに決めようとするので苛くなる。道楽をするのに苛いことはないが、一つ政をしようと言えば苛くなる。「苛」の字はこせこせと喧しく法を立てること。苛を、人を酷くすることの様に思うのは悪い。前々先輩も、「苛政甚於虎」という語から推して酷いことの様に説かれた。しかし、酷い意にも回ることだが、酷くではない。これは苛察と続き、下の者が伸びも縮みもできず、一寸何かをすると法に照らし、一寸しても訶られるということ。何故そうするのかと言うと、礼楽もなく人心の捉まえ処もないので、難しいことをしないと下が従わない。これは取り締まるための苛である。商鞅が法を立て、表へ灰汁のたれ粕を捨てたのを見ても過料を取った。あれで隅から隅まで行われると思っている。何でうまく行くものか。聖賢のは心からよくするので、その様に小沢山に法を立て、これをしなければ縛ると言う様なことはない。礼がなければ粗っぽくてすらすらするかと言えば、「刑政苛紊也」。そうなる筈で、礼楽なしにするのは元々無理にするものだから、ついこうなるのである。
【語釈】
・苛政甚於虎…礼記檀弓下。「夫子曰、小子識之。苛政猛於虎也」。

縱欲敗度云々。礼がないゆへ男女の間でも何でも情まかせゆへ、縱欲は敗度なり。仲間がもっそふ飯を食ふ身分でをせばよいが酒を飲と云になる、はやさま々々箸がててくる。手の及ばぬことでも、よい喜世流ても持ち帛のはんえりでもかける。あれらでさへそれなり。まして歴々衆や豪民冨啇が好色に乱れて人欲がそろ々々と上の方へ目を出す。欲をほしひままにするとかぎりもなくなる。世々の体で見るがよい。君のをごりに制度ないと、財にかぎりがあるゆへ取箇を多くするが用金を云付るかするより外に手段はないものなり。その物入と云も、もとは淫乱好色の物入ぞ。山寺の布子の坊主は色と云相手もなければ紅うらも入ぬ。それでさへ淫樂をきくとはや別の心になる筈なり。代変新声云々。古樂は廃れてない。紙鳶のきれたやふで手は付けられぬ。聞てよいか悪いかは知れぬ。迂斎の、町料理を食ひ付ると大名料理は食へぬと云ふになるとなり。大名の料理はすらりとしたもの。淺ぎ帷子黑小袖は面白くないゆへ道落者が物すきな着物をこしらへる。口がさま々々こふさいになると大名料理は面白くない。垩人の世にをらるるときはあわい音樂。後世人欲の盛な時は天地の間に正氣にふれた氣が行はれる。鴬は昼る鳴く。鵩は夜る鳴く、ひる鳴ぬ鳥なり。妖鳥は皆夜る鳴く。新声な音樂が出来て天地自然な音樂は面白くない。天地自然でないが面白ひと云はどふしたものぞ。
【解説】
「縱欲敗度、下民困苦。謂古樂不足聽也、代變新聲」の説明。後世は礼がないので情任せとなり、欲を縦にするので法度を敗ることをもする。そして、天地自然な音楽を嫌い、新声な音楽を求める様になる。
【通釈】
「縦欲敗度云々」。礼がないので男女の間でも何でも情任せである。欲を縦にすれば法度を敗る。中間が物相飯を食う身分で通せばよいが酒を飲むと言い、早くも様々な奢りが出て来る。手の及ばない筈のことでも、よい煙管でも持って絹の半襟も掛ける。あれ等でさえそれである。ましてや歴々衆や豪民富商は好色に乱れ、人欲がそろそろと上の方へ芽を出す。欲を縦にすると限りもなくなる。世々の姿を見なさい。君の奢りに制度がないと、財には限りがあるので取箇を多くするか用金を言い付けるより外に手段はない。その物入りも、元は淫乱好色からの物入である。山寺の布子を着た坊主は色という相手もなければ紅裏も入らない。それでさえ淫楽を聞くと早くも別の心になる筈。「代変新声云々」。古楽は廃って今はなく、凧の糸の切れた様で手を付けることはできない。聞いてよいものか悪いものかはわからない。迂斎が、町料理を食い付けると大名料理は食えないと言う様になると言った。大名の料理はすらりとしたもの。浅葱帷子黒小袖では面白くないので道楽者が物好きな着物を拵える。口が様々に乞う様になると大名料理は面白くない。聖人の世におられた時は淡い音楽。後世人欲の盛んな時は、天地の間に正気に外れた気が行なわれる。鴬は昼鳴く。鵩[みみずく]は夜鳴き、昼は鳴かない鳥である。妖鳥は皆夜鳴く。天地自然な音楽は面白くないから新声な音楽ができる。天地自然でないのが面白いと言うのはどうしたものか。
【語釈】
・取箇…江戸時代、田畑に課した年貢のこと。また、収入高。

妖婬愁怨云々。妖はばけもののやふに云妖でもよいが、周茂叔の意はそうではあるまい。艶の字にひひく。ただ淫媚と云ことなり。一釵七十萬是妖物也のやふに見るとをもしろいが、そふではあるまい。本の音は淡ひもの。本のことでないとしたたるい。そこが妖の字なり。直方先生が、淨留理はほへつらじゃと云へり。高砂のぢぢいばば長生と云が人情の正のぞ。それをいっそ死たいと云。上留理は男と女が相對死をすることを作りたもの。泰平なときは中蕐も日本もをなじことなもの。今の堺町の長哥などか欲を導の指南。急度した役人などが女めに子だられたとて、顔見せにやると云て母がつれて行く。とうした了簡ぞ。女などには班猫砒礵石より毒じゃ。親が道落の稽古をさせるやふなもの。そのものの道落をするは是非もないが、界町を見せ、三味線の稽古させるは、親が欠落の稽古をさせるやふなもの。女子ともなどと云は何んにもさはけぬもの。反物を一反もろふても母様これはどふせふと云ほどに親次第なものぞ。それにあほふをしこむは新声からなり。それをよいと思ひ大事もないやふに心得て、若い男女が好色に乱れ欠落をもする。皆歌や三味線のすること。それで古樂をしるべし。新声は悪いぐるみ樂のしるしなり。悪い方へきく。古の音樂のよいが知れる。よい方へきくなり。古の音樂が今のわるくなるやふによくなりた。いかさま論語の講釈はのりがつかぬが、古樂は論語の通のことを樂にしたゆへ論語よりひひきがよい。誠に垩人の才は周茂叔と合点するがよい。垩人の樂を作られたがあけて見たではない。又、周茂叔の御身ゆへ界町や祇園町へ行て見はせぬが、知易者知盗でわるいこともしりてをらるる。じかに新声の害を切に歎れたゆへにかう出した。
【解説】
「妖淫愁怨、導欲增悲、不能自止」の説明。今の堺町の長唄などは欲を導く指南である。顔見世を見せたり三味線の稽古をするのは欠落の稽古をさせる様なものである。
【通釈】
「妖婬愁怨云々」。「妖」は化け物の妖でもよいだろうが、周茂叔の意はそれではないだろう。艶の字に響く。ただ淫媚だということ。「一釵七十万是妖物也」の様に見ると面白いが、そうではないだろう。本の音は淡いもの。本来のことでないと舌たるい。そこが妖の字である。直方先生が、浄瑠璃は吠え面だと言った。高砂で爺婆は長生きと言うのが人情の正だが、それをいっそ死にたいと言う。浄瑠璃は男と女の心中を作ったもの。泰平な時は中華も日本も同じこと。今の堺町の長唄などが欲を導く指南である。しっかりとした役人などが娘にねだられ、母親が顔見世に連れて行く。それはどうした了簡なのか。女などには班猫砒礵石より毒なことであり、親が道楽の稽古をさせる様なものである。自分が道楽をするのは是非もないが、堺町を見せ、三味線の稽古をさせるのは、親が欠落の稽古をさせる様なもの。女子供などという者は何事も捌けないもの。反物を一反貰っても、母様これはどうしましょうと言うほどに親次第なもの。それに阿呆を仕込むのは新声からである。それをよいと思い大事でもない様に心得るが、それで若い男女が好色に乱れ欠落をもする。それは皆歌や三味線のすること。そこで古楽を知らなければならない。新声は悪いけれども楽の験がある。それは悪い方へ利く。それで古の音楽のよいことがわかる。よい方へ利くのである。今の新声が悪くなる様に古の音楽がよくなった。いかにも論語の講釈は乗りが付かないが、古楽は論語の通りのことを楽にしたので論語より響きがよい。誠に聖人の才が周茂叔にあるものと合点しなさい。聖人が楽を作られたのは、開けて見てのではない。また、周茂叔の御身なので、堺町や祇園町へ行って見ることはなかったが、「知易者知盗」で、悪いことも知っておられる。直に新声の害を切に歎かれたのでこの様に出したのである。
【語釈】
・一釵七十萬是妖物也…
・相對死…心中のこと。江戸幕府は心中の語を禁じた。
・知易者知盗…易経繋辞伝上8。「子曰、作易者、其知盗乎」。

賊君棄父。あまりなんだいを書たやうなれども、ここをよく見るがよい。謀叛をするやふなことてはありそもないもの。堺町や吉原へ行て上留理をきき夫婦中の悪くなるはきこへたが、賊君棄父はあるまいと云ふが、これが周子の思召。この方の心がわるくなる、賊君になる。をそろしいもの。人の心に油断のならぬは孟子が楊墨を無父無君と云れた。楊墨は説仁義人なり。それをつかまへ無父無君はあまりきびしい云やうなれとも、心がくろふからなり。忠臣義士と云は心がくるはぬ。心がくるふと情が自由に働いて仁義が働かぬ。歴々の武士が欠落する。君の寢首を掻くばかりが賊君ではない。欠落する、これが賊君と云もの。武士が町人になりたがるは好色からぞ。たたい武士は町人をば虫けらのやうに思ふもの。それはもとわるいことなれとも、それは武士頼母しきなり。うっかりとなると武士氣なくなる。武士では好色の通用わるいと思ふと町人にもなりたいと云ふ。悪い方へ耽けると本のことは皆いやになるもの。疱瘡疾の子だりごとも、平生の饅頭を子たらす瓦を食をふと云やうなもの。疫病やみは水を子だる。死はいやなことなれども、好色では死も多くある。いっそ死たいと云。いやなものずきなり。それと云師匠は新声と云ものが人の心を皆にする。上留理の御かげと云ものぞ。
【解説】
「故有賊君棄父、輕生敗倫、不可禁者矣」の説明。孟子は楊墨を「無父無君」だと言われたが、それは彼等の心が狂っていたからである。心が狂うと情が自由に働いて仁義が働かない。死は嫌なことだが、好色になるといっそのこと死にたいなどと言う。これも新声が心を台無しにするからである。
【通釈】
「賊君棄父」。大変な難題を書いた様だが、ここをよく見なさい。堺町や吉原へ行って浄瑠璃を聞き夫婦仲が悪くなるのはわかるが、謀叛をする様なことはありそうもないことで、「賊君棄父」はないことだろうと言うが、これが周子の思し召しである。自分の心が悪くなって賊君になるのは恐ろしいもの。人の心に油断はならないことについて、孟子が楊墨は「無父無君」だと言われた。楊墨は仁義を説く人であって、それを捉まえて無父無君と言うのはあまりに厳しい言い様だが、彼等の心が狂っているからである。忠臣義士という者は心が狂わない。心が狂うと情が自由に働いて仁義が働かない。歴々の武士が出奔をする。君の寝首を掻くばかりが賊君ではない。欠落をするのが賊君というもの。武士が町人になりたがるのは好色から。そもそも武士は町人を虫けらの様に思うもの。それは本来悪いことだが、それは武士が頼もしいからである。うっかりとなると武士気がなくなる。武士では好色の通用が悪いと思い、町人になりたいと言う。悪い方へ耽ると本来のことは皆嫌になるもの。それは、疱瘡病みのねだりごとが、平生の饅頭をねだらずに瓦を食いたいと言う様なもの。疫病に病む者は水をねだる。死は嫌なことだが、好色では死も多くあって、いっそのこと死にたいと言う。それは嫌な物好きである。その師匠は「新声」であって、これが人の心を台無しにする。これが浄瑠璃の御蔭というもの。
【語釈】
・無父無君…孟子滕文公章句下9。「楊氏爲我、是無君也。墨氏兼愛、是無父也。無父無君、是禽獸也」。

嗚呼。周茂叔の、さて々々情ないことじゃないか、古は音樂で人のよくなることじゃに今は欲のたすけにする。書経にも鳳凰来儀す七旬有苗挌と云て、音樂はそれほどな目出度こと。時に後世は人心をらりにする。自害をすると云女をみよ。女などは鴨居の上から鼠の落たにもわっと云程で、死ぬと云ことなどはどふもなりそふもないものなれとも、長怨でそれからこうなる。是も新声の御かげと云もの。こふしてみればさて々々なげかわしきことなり。不復古礼不変今樂而欲致治者遠哉。これが周茂叔の經齊なり。宋朝には経済々々とさわぐものあるが、新声をかへるより外至治はない。わるい方へやるまいと思に礼樂を変せぬにはならぬ。治体のやうで治法に載た。合点すべし。治法は礼樂より外はない。礼樂は治の道具なり。
【解説】
「鳴呼、樂者古以平心、今以助欲、古以宣化、今以長怨。不復古禮、不變今樂、而欲致治者、遠哉」の説明。古は音楽で人がよくなったのに、今は音楽を欲の助けにする。新声を変えるより外に「致治」はないのである。治法は礼楽より外にはない。
【通釈】
「嗚呼」。周茂叔が、本当に情けないことではないかと言った。古は音楽で人がよくなったのに、今は音楽を欲の助けにする。書経にも「鳳凰来儀」「七旬有苗格」とあり、音楽はそれほどに目出度いこと。それなのに後世では人心を台無しにする。自害をすると言う女を見なさい。女などは鴨居の上から鼠が落ちたのにもわっと言うほどで、死ぬということなどはどうもできそうもない様に思えるが、「長怨」があるからこうなる。これも新声の御蔭というもの。こうして見れば本当に嘆かわしいこと。「不復古礼不変今楽而欲致治者遠哉」。これが周茂叔の経済である。宋朝には経済を騒ぐ者がいたが、新声を変えるより外に「致治」はない。悪い方へ遣らないようにしようと思っても、礼楽を変えなければうまくは行かない。ここが治体の様で治法に載ったことを合点しなさい。治法は礼楽より外はない。礼楽は治の道具である。
【語釈】
・鳳凰来儀す…書経益稷。「簫韶九成、鳳皇來儀。夔曰、於予擊石拊石、百獸率舞、庶尹允諧」。
・七旬有苗挌…書経大禹謨。「班師振旅。帝乃誕敷文德、舞干羽于兩階、七旬有苗格」。


第二 明道先生言於朝曰の条

明道先生言於朝曰、治天下、以正風俗得賢才爲本。宜先禮命近侍賢儒及百執事、悉心推訪。有德業充備足爲師表者。其次有篤志好學材良行脩者。延聘敦遣、萃於京師、俾朝夕相與講明正學。其道必本於人倫、明乎物理。其敎自小學灑埽應對以往、脩其孝弟忠信、周旋禮樂、其所以誘掖激勵漸摩成就之道、皆有節序。其要在於擇善脩身、至於化成天下。自鄕人而可至於聖人之道。其學行皆中於是者爲成德。取材識明達可進於善者、使日受其業。擇其學明德尊者、爲太學之師、次以分敎天下之學。擇士入學、縣升之州、州賓興於太學、太學聚而敎之、歳論其賢者能者於朝。凡選士之法、皆以性行端潔、居家孝悌、有廉恥禮遜、通明學業、曉達治道者。
【読み】
明道先生、朝に言いて曰く、天下を治むるには、風俗を正し賢才を得るを以て本と爲す。宜しく先ず近侍の賢儒及び百執事に禮命し、心を悉[つく]して推訪せしむべし。德業充備し師表爲[た]るに足る者有らん。其の次には、志を篤くし學を好み材良く行脩まる者有らん。延聘敦遣して、京師に萃[あつ]め、朝夕相與に正學を講明せしめよ。其の道は必ず人倫に本づき、物理を明らかにす。其の敎は小學の灑埽應對より以往、其の孝弟忠信を脩め、禮樂に周旋するにいたるまで、其の誘掖激勵し漸摩成就する所以の道は、皆節序有り。其の要は善を擇んで身を脩め、天下を化成するに至るに在り。鄕人よりして聖人に至る可き道なり。其の學行皆是に中る者を成德と爲す。材識明達し善に進む可き者を取り、日に其の業を受けしむ。其の學の明らかに德の尊き者を擇びて、太學の師と爲し、次は以て天下の學に分敎せしめん。士を擇びて學に入らしむるには、縣より之を州に升[のぼ]せ、州より太學に賓興し、太學は聚めて之を敎え、歳ごとに其の賢者能者を朝に論ぜよ。凡そ士を選ぶ法は、皆性行端潔に、家に居て孝悌に、廉恥禮遜有りて、學業に通明し、治道に曉達する者を以てす。
【補足】
・この条は、程氏文集一にある。

治天下正風俗得賢才云々。正風俗得賢才は治体を語たこと。今日の御政務ではない。全体へかかること。ここは一年二年のことではなし。宜先禮命云々。これから治法たと見ること。ただ賢才の得やうはない。正風俗もたたはならぬ。こふ云法を御立なされ、法を立たらよかろふとなり。宋朝は下のものを取上ることは隨分あるが挙業ゆへ取挙と云法がわるい。根がそでないから役にたたぬ。役に立ぬなれば法ではないぞ。礼命は重んずること。上下を着て云渡すほどに見るがよいと迂斎云へり。大切なことは礼と云字からゆか子ばならぬ。其次云々。近思録は明德新民の治法ゆへ至善につめること。然れば其次とはなさそうなものなれとも、天下の人を得るには其次はがいる。孔子や孟子のやうな人でなければ打やれと云ことではない。扁鵲や仲景がやふでなければ医者はならぬと云へはさしつかへる。
【解説】
「明道先生言於朝曰、治天下、以正風俗得賢才爲本。宜先禮命近侍賢儒及百執事、悉心推訪。有德業充備足爲師表者」の説明。天下を治めるには風俗を正し賢才を得ることが本となるが、それには法を立てなければならない。
【通釈】
「治天下正風俗得賢才云々」。「正風俗得賢才」は治体を語ったこと。それは今日の御政務のことではなく、全体へ掛かること。ここは一年や二年のことではない。「宜先礼命云々」。これからが治法だと見なさい。簡単に賢才を得ることはできない。正風俗も簡単にはできない。そこで、この様な法を御立なさい、法を立てたらよいだろうと言った。宋朝では下の者を取り上げることが随分とあったが、それは挙業からのことであり、取挙という法が悪い。根本が悪いから役に立たない。役に立たなければ法ではない。「礼命」は重んじることで、裃を着て言い渡すほどのことと捉えるのがよいと迂斎が言った。大切なことは礼という字から行かなければならない。「其次云々」。近思録は明徳新民の治法なので至善に詰める。それなら「其次」はなさそうなものだが、天下の人を得るには其次が要る。孔子や孟子の様な人でなければ放って置けと言うことではない。医者は扁鵲や仲景の様でなければならないと言うのでは差し支える。

篤志好学。上の德業充備は賢人のこと。ここは賢人ではなけれども、志と云は寸法ないものゆへ、どれほど迠よくなろふもしれぬ。材良は、もち前の才が良なり。良は良直とつづき、眞すくなこと。人の才もまっすぐなが垩賢へも至ること。これを大切に見るがよし。英雄豪傑はいこふさへたものなり。は子たものやがさつものに器量はあるがくせものぞ。材良は目にも立ぬものなれとも、才にくせがない。道理をうくべきものなり。曲らぬ木のやふなもの。たがやさんでもないがまっすぐな木ゆへ頼母しいぞ。その上身持に云分がない。身持に云分のないは上へ取上けらるる。身持がわるくても道理さへすめばよいと云ふは内證にをき、下たるものはまだすもふが、上へ出るにひょんなことがあると云てはすまぬ。延聘。よぶとき礼を尽すなり。敦遣は送るとき礼をつくす。隅々のものが上へ出るに、上のあしらいがわるくては出ぬ。学業を身にもってをるものは尻の重ひもの。片道はそちのもの入と云てはたきらぬ。町の家守に箱根の切手を書てもらふたり、舟渡でも、これ錢ををけと云はれてははり合はないことなり。医者も亭主のとりあつかいのわるい家は藥がきかぬ。天下の為めに天下の賢才をあげるゆへに延聘敦遣でなければならぬ。
【解説】
「其次有篤志好學材良行修者。延聘敦遣、萃於京師」の説明。「材良」の者は真っ直ぐで才に癖がないから道理を受けることができる。篤志好学で材良の者は尻が重いものだから、それを採り上げるには、「延聘敦遣」でなければならない。
【通釈】
「篤志好学」。上の「徳業充備」は賢人のこと。ここは賢人のことではないが、志は寸法のないものなので、どれほどまでよくなるのかはわからない。「材良」は、持ち前の才が良いこと。良は良直と続き、真っ直ぐなこと。人の才の真っ直ぐなのが聖賢へも至ることとなる。これを大切に見なさい。英雄豪傑は大層冴えた者。跳ねた者やがさつな者は器量があっても曲者である。材良は目立たないものだが、才に癖がなく、道理を受けるべきものである。それは曲らない木の様なもの。箍や桟と言うのでもないが真っ直ぐな木なので頼もしい。その上身持ちに言い分がない。身持ちに言い分がなければ上へ取り上げられる。身持ちが悪くても道理さえ済めばよいと言うのは、下にいる者であればそれが内にあってもまだ済むだろうが、上へ出るのには、ひょんなことがあっては済まないのである。「延聘」。呼ぶ時に礼を尽くすこと。「敦遣」は送る時に礼を尽くすこと。隅々の者が上へ出る際も、上のあしらいが悪くては出ない。学業を身に持っている者は尻が重いもの。片道はそちらの物入りでと言うのでは滾らない。町の家守に箱根の手形を書いてもらったり、渡し場で、これ銭を出せと言われては張り合いがない。医者でも、亭主の取り扱いの悪い家では薬が効かない。天下のために天下の賢才を採り上げるのだから、「延聘敦遣」でなければならない。
【語釈】
・家守…江戸時代、地主に代って、その所有地の管理、地代・店賃の徴収を行い、公用・町用を勤め、自身番所に出て非常を守った者。今の差配人に相当する。

正学と云字でとくと吟味すべし。書物を懐中すると、あれ学者が通ると云ふが、中に甚吟味のあること。致知格物の学は事によりては本草の吟味迠をすることもあろふが、差別なく何も角も同挌にして、書物をよみ文字を読むを学者と云。くらいこと。孔孟程朱の道を学ふ、これを正学と云。今のは学問と云ものではない。書物好と云もの。正学は正道をゆくこと。廻國や道者の道中をするやふなことではない。俗学はこの道を行ふのあの道を行ふのと云様に本海道を通らぬ。正学は公儀の御用で道中をすっと行く様なこと。明乎物理を明道先生の思召と合点するがよい。こふ断るは衰世の意なり。先王の世では云に及ず、老佛と云もの相手にして云には極りた。正学物理と云が本で、さて仏法が流行すると人倫が立ぬ。天下に尤らしい人がありても役にたたぬは明乎物理でないからぞ。ここに誠意正心はぬいたかと云に、この中にあることなり。舜も明庶物察人倫と、垩学どこでも一手なことなり。
【解説】
「俾朝夕相與講明正學。其道必本於人倫、明乎物理。其敎自小學灑埽應對以往、修其孝弟忠信」の説明。孔孟程朱の道を学ぶのを正学と言い、それ以外の書を読むのは書物好きなだけである。役に立たない学者は「明乎物理」でない。
【通釈】
「正学」という字でしっかりと吟味をしなさい。書物を懐中すれば、あれ学者が通ると言うが、それは甚だ吟味の要ること。致知格物の学はことによっては本草の吟味をすることもまでもあるだろうが、差別なく何もかも同格にして、書物を読み文字を読む者を学者と言う。しかし、それは暗いことであって、孔孟程朱の道を学ぶのを正学と言う。今のは学問というものではなく、書物好きというもの。正学は正道を行くこと。それは、廻国や道者が道中をする様なことではない。俗学はこの道を行こうとかあの道を行こう言って本海道を通らない。正学は公儀の御用で道中をずっと行く様なこと。「明乎物理」は明道先生の思し召しだと合点しなさい。この様に断言するのは衰世の意からである。先王の世では言うに及ばないが、老仏という者を相手にして言ったことなのである。正学物理が本になるが、さて仏法が流行すると人倫が立たない。天下に尤もらしい人がいても役に立たないのは明乎物理でないからである。ここで誠意正心は省いたのかと言えば、この中にある。舜も「明庶物察人倫」と言った。聖学はどこでも同じ方法でするもの。
【語釈】
・明庶物察人倫…孟子離婁章句下19。「舜明於庶物、察於人倫。由仁義行、非行仁義也」。

周旋。小学にさま々々教があるに、忠信と礼樂の中へ周旋と云字を二字だしたがをかしいことのやうなが、思召なくてはかなはぬ。周旋は垩人の至誠の道が動容周旋へあらはれるゆへ、動容周旋中礼とも云ふ。又、小学者のことに云ふは、礼の上に周旋はたんてきなこと。あぢに高ぞれになるとここらをなくるやうになる。道理を知ぬ世間なれた三ヶの津のものが坐鋪付がよく實がすくないゆへ、それがうるさい。そこで田舎ものの質朴がよいとこそ云へ、田舎ものても垩人の学をするからは明德新民の業を任するからは、田舎めかぬと云ほどでなければならぬ。我に得る処あれば別段な筈なり。取まわしも田舎もののやうじゃと云はるるはわるい。田舎もののやふには見へぬと云でよいぞ。大名の家来になりても見習もいらぬと云様でなければならぬ。これみよ、明道の周旋の字を入れられた。きこへたことなり。学者平生も取まわしから坐拜迠よいと云でなければならぬ。烟草盆を蹴倒し書物をまたぐやうではさながら田舎ものじゃ、下すぢゃなと云はるるなり。そのやうなことで吾は道を任ずる氣でも、どふして信じられるものではない。英才が入用と云へば歴々の内へも出るは学者なり。その中へ出るにあたまで坐拜がわるくては人へひひかぬ。此坐中のもの、太極圖説をば聞ても周旋のならぬものがある。先年堺町辺のものが去る茶人へ弟子入をして我も風流な氣で居たれば、茶人軽んして云、をぬしたちの急になることてはないが、ちとすわりやうでも覚へたがよいとついた。風流になり利休のやうになることと思たを、それ処にゆかぬ。すわることもならぬと見た。これ、学者の方でもよい戒なり。学者は天下へ用ひられるほどなことも我方にあるもの。それが人の処へいってすわることもならぬてはつまらぬこと。周旋の上で人品知解も見らるるものなり。
【解説】
「周旋禮樂」の説明。世間馴れをした都の者は対応がうまいが実がない。しかし、それだからと言って田舎者が質朴でよいということではない。聖人の学をして明徳新民の業を任じるからは、田舎めかないと言われるほどでなければならない。周旋の上で人品知解も見ることができる。
【通釈】
「周旋」。小学には様々な教えがあり、「忠信」と「礼楽」の中に周旋という字を二字出したのは可笑しい様だが、それは程子の思し召しがなくてはわからないこと。周旋は聖人の至誠の道が動容周旋へ現れることなので、「動容周旋中礼」とも言う。また、小学をする者にこれを言うのは、礼の上では周旋が端的だからである。悪く高逸れになるとここ等を軽んじる様になる。道理を知らずに世間馴れをした三箇都の者は座敷受けはよいが実が少ないので煩い。そこで田舎者の質朴がよいとは言っても、田舎者でも聖人の学をして明徳新民の業を任じるからは、田舎めかないと言われるほどでなければならない。自分に得る処があれば格段な筈である。取り回しも田舎者の様だと言われるのは悪い。田舎者の様には見えないと言われるのがよい。大名の家来になっても見習いも要らないと言う様でなければならない。これで明道が周旋の字をここに入れられた意がよくわかる。学者は平生、取り回しから座拝までもがよいと言われる様でなければならない。煙草盆を蹴倒し書物を跨ぐ様では、全くの田舎者だ、下衆だと言われてしまう。その様なことでは、自分は道を任じる気だと言ってもどうして信じられるものか。英才が入用だと言えば、歴々の中へも出るのは学者である。その中へ出るのに最初から座拝が悪くては人へ響かない。この座中の者にも太極図説を聞いて周旋のできない者がいる。先年堺町辺りの者がある茶人へ弟子入りをして自分も風流な気でいると、茶人が軽んじて、お前達が直ぐにできることではないが、少し座り方でも覚えなさいと言った。風流になって利休の様になったと思ったが、それ処ではない。茶人は彼等が座ることもできないと見た。これが学者の方にもよい戒めとなる。学者は天下へ用いられるほどのことが自分にある。それが人の処へ行って座ることもできないのでは詰まらない。周旋の上で人品知解も見ることができる。
【語釈】
・動容周旋中礼…孟子尽心章句下33。「孟子曰、堯舜、性者也。湯・武、反之也。動容周旋中禮者、盛德之至也」。
・三ヶの津…三箇津。ここは「三箇都」で、江戸時代における京都・江戸・大坂の総称。三都。

誘掖は和らかに取立ること。千丈の岸に臨むやうてはならぬ。子ともの手を引くやうなもの。激厲はせかせてかかる。いつも々々々ほめてかかるやふなことでは役にたたぬ。それては役に立まいと云て成就する。誘掖したり激厲したりする。つまる処成就はいそいでならずそろ々々すること。ほんのことを云には、つまりは伊尹や周公のやうにしこむこと。ちっとやそっとのことと思てはちごふことなり。郷人は次良兵衞太良兵衞と云やうなもの。それが垩人と云は堯舜や孔子のやうになること。至らふか至るまいか道はあいてをる。馬に乘ろふか加篭にのろふか品川へ出たなり。皆中於是者。明道先生や伊川先生なり。成德の師がその弟子をしこむこと。ただのものでない。
【解説】
「其所以誘掖激勵漸摩成就之道、皆有節序。其要在於擇善修身、至於化成天下。自鄕人而可至於聖人之道。其學行皆中於是者爲成德」の説明。伊尹や周公の様に仕込まなければ成就はならない。郷人にも聖人に至る道が開いている。
【通釈】
「誘掖」は和らかに取り立てること。千丈の峯に臨む様では悪い。それは子供の手を引く様なもの。「激厲」は急かせて掛かること。いつも褒めて掛かる様なことでは役に立たない。それでは役に立たたないだろうと言うので成就する。誘掖したり激励したりする。詰まる処、成就は急いではならず、そろそろとすること。本来のことを言うためには、つまりは伊尹や周公の様に仕込まなければならない。ちょっとやそっとのことと思うのは間違いである。郷人は次郎兵衞や太郎兵衞と言う様なもので、それが聖人に至ると言うのは彼等が堯舜や孔子の様になること。至ろうが至るまいが道は開いている。馬に乗ろうが駕籠に乗ろうが品川へ出る。「皆中於是者」。これが明道先生や伊川先生のこと。成徳の師がその弟子を仕込むのであって、普通の者が仕込むことではない。

材識明達を取立る。これがめったにないこと。弟子になるものの吟味をする。めったに親元から御頼み申す々々々々々と云てもならぬことなり。材識と云男がある。生れ付なれども、垩賢の道を論して聞せると耳へはいるものを云なり。又、耳へ道理のはへらぬ人がある。役もつとまり壻にしてもよい判の押しても多くあるが、道理が耳へ入らぬゆへそれぎりでたん々々ふるびてくるが世間多し。明道先生などの思召が児守や小奴穉に歌をうたわせるやうなものではない。このやうな材識明達なものをしこむこと。それは天下の為めになろふと云ものなり。風俗をよくしよふと天下に心あるは賢才を成就すること。小しつつのことは田舎の役人でも其一村をよくせふと思へば小童女小奴穉をもよいことをさせ、彼の手まりうたもよい。それは名主などの役なり。これは学挍のことなり。そこで材識明達を取ゆへそのやふな二段なことにかまはぬ。一命の士も有所済と云は、寸志はあるへし。中間頭が中間の支配をするやうなものにさへわつかなことでよいこともあろふが、それを学と覚ているは役にたたぬ。大学は歴々の子共衆のでることゆへ、小学の師とちかひ、いこう吟味せ子ばならぬ。
【解説】
「取材識明達可進於善者、使日受其業」の説明。聖賢の道を論じて聞かせると耳へ入る者を「材識」と言う。大学は天下のためのものだから、材識明達な者を仕込んで師とする。
【通釈】
「材識明達」を取り立てる。これが滅多にないこと。弟子になる者の吟味をする。滅多矢鱈に親元から御頼み申すと言うことはならない。材識な男がいる。それは生まれ付きのものだが、ここは聖賢の道を論じて聞かせると耳へ入る者を言う。また、道理が耳へ入らない人がいる。役も勤まり壻にしてもよいと太鼓判を押す人も多くいるが、道理が耳へ入らないのでそれ切りで段々と古びて来る者が世間には多い。明道先生などの思し召しは子守や小奴穉に歌を歌わせる様なものではない。材識明達な者を仕込むのである。それが天下のためになるだろうということ。風俗をよくしようと天下に心を立てると、先ずは賢才を成就する。少しずつのことなら田舎の役人にもできることで、その一村をよくしようと思えば小童女や小奴穉にまでにもよいことをさせればよい。あの手鞠歌もよい。しかし、それは名主などの役目である。ここは学校のことだから材識明達を採り上げるのが一番のことであり、その様な二流のことには構わない。「一命之士有所済」にも寸志はあるだろう。中間の支配をする中間頭の様な者にさえ僅かだがよいこともあるだろう。しかし、それを学と思っては役に立たない。大学は歴々の子供衆の来るところなので、小学の師とは違い、大層吟味をしなければならない。
【語釈】
・小奴穉…「小奴」は小さい奴。「穉」は幼いこと。
・一命の士も有所済…政事4。「明道先生曰、一命之士、苟存心于愛物、於人必有所濟」。

学明が第一のこと。学が明でないと德が尊くてもそてないことをありがたがり、僅なことをふいちゃふする。迂斎の、司馬温公のやふな人ても役にたたぬと云へり。学が明でないゆへ孟子のやうな人がくるとよせるなと云。楊雄がくるとあれへ御通りなされと云。とんと天下を迷はせる。学明でないは大学致知挌物を知ぬ。をとなしい人じゃ、先生にしてもよいと云ても、明乎物理でないと、一寸したことはよくてもさあと云ときはさしつかへる。明と云、直方先生の云、くらやみてもとりちかへぬこと。司馬温公などは致知格物をせぬゆへ学が明でない。人の師になることゆへ人をよくすること。人がよくなら子ば藥のきかぬやふなもの。人を教へ人のためになることゆへ、德が尊くなければならぬ。学が明でも徳尊がないとどことなくかるしめらる。次以分教は宇都宮熊的でもよい。
【解説】
「擇其學明德尊者、爲太學之師、次以分敎天下之學」の説明。大学の師となるには学明徳尊でなければならない。格物致知を知らなければ学明ではない。それで、司馬温公も学明ではない。また、学明であっても徳尊でなければ軽んじられる。
【通釈】
「学明」が第一のこと。学が明でなければ徳が尊くても本来でないことを有難がり、僅かなことを吹聴する。迂斎が、司馬温公の様な人でも役に立たないと言った。学が明でないので孟子の様な人が来ると寄せるなと言い、楊雄が来るとあちらへ御通りなさいと言う。それで、すっかり天下を迷わせる。学明でない者は大学の致知格物を知らない。大人しい人だから先生にしてもよいと言っても、「明乎物理」でなければ、一寸したことはよくてもいざという時は差し支える。直方先生が、明とは暗闇でも取り違えないことだと言った。司馬温公などは致知格物をしないので学が明でない。人の師になるのは人をよくするためである。人がよくならなければ、それは薬の効かない様なもの。人に教え、人のためになることなので徳が尊くなければならない。学が明でも「徳尊」がなければどことなく軽んじられる。「次以分教」は宇都宮遯庵でもよい。
【語釈】
・宇都宮熊的…宇都宮遯庵。江戸前期の儒学者。岩国藩儒。名は的・由的。松永尺五に朱子学を学び、「日本古今人物史」を著し、幕府に咎められて数年間禁錮。四書などの標註を作り、初学に便した。1633~1709

諸国の国々で成就した学者を都の大学挍へ出し、よほどよいゆへその上を吟味する。賢者能者。德尊が賢者の方、学明が能者の方。道学を身に得たが賢、わざのあるを能者と云。今でも学問上の吟味のよいが能者なり。学問の筋をつけるは能の字の方なり。料理心ある人はすぢが明で庖丁が牛を解くやうなもの。筋が明ゆへさきやうがよい。ここはあそこへをちるのここへをちるのと云が垩賢の道の料理やうの上手。徳もないが垩賢の語のとりあつかいが上手たと人をも喩すものぞ。賢者をは人が信する。学ぶことをもするが能者をば信せぬもの。それで学者がのたたぬ。明道はそこを両方ならべ云はるるなり。やはり周礼の三物からぞ。三宅先生実ゆへ弟子がをとなしいばかりて役に立つものはありそもないものなれとも、いこふ教へやふが上手なり。やはりここの賢者能者のとりわけがあり、英雄のこまりたいたづらものもあり、それも謹愿に似合ずそこを見てよく仕こみ、あのやふに経理をとりあつこふやふになるた。賢者能者の吟味がないと人才とり立られぬ。能者が役にたたぬになる。賢德のある人のさばけぬを能者が切て出すそ。賢者をば学を好ぬ人も信ずるが、能者は世俗からは面白もをかしくもないものと思ふは、その能を知ぬからなり。賢者能者の取あつかいがよいと善い人が出来る。達支培根とわけて仕こまれたり。
【解説】
「擇士入學、縣升之州、州賓興於太學、太學聚而敎之、歳論其賢者能者於朝」の説明。「徳尊」が「賢者」で、「学明」が「能者」のことである。学問の筋を付けるのは能者である。人は賢者を信じ、能者を信じないが、能者の捌きがなければ人材を採り立てることはできない。
【通釈】
諸国の国々で成就した学者を都の大学校へ出す。彼等はよほどよいのでその上を吟味する。「賢者能者」。「徳尊」が「賢者」の方で、「学明」が「能者」の方である。道学を身に得た者が賢で、業のある者を能者と言う。今でも学問上の吟味のよい者が能者である。学問の筋を付けるのは能者である。料理心のある人は筋が明で庖丁が牛を解く様なもの。筋が明なので裂き様がよい。ここはあそこへ落ちる、ここへ落ちると言うのが聖賢の道の料理上手である。徳がなくても聖賢の語の取り扱いが上手だと人をも喩すものであって、人は賢者を信じる。逆に、学びはするものの、能者を信じない。それで学者が育たない。明道はそこを両方並べて言われた。やはりこれも周礼の三物からのこと。三宅先生は篤実だったので、その弟子は大人しいばかりで役に立つ者はありそうもないものだが、大層教え方は上手だった。やはりここの賢者能者の取り分けがあり、英雄の困った悪戯者もいたが、謹愿な性格には似合わずそこを見てよく仕込み、あの様に経理を取り扱う様になった。賢者能者の吟味がないと人才を採り立てられない。それでは能者が役に立たなくなる。賢徳のある人が捌けないところを能者が切って出すのである。学を好まない人でも賢者を信じるが、能者が世俗から面白くも可笑しくもない者だと思われるのは、人がその能を知らないからである。賢者能者の取り扱いがよいと善い人ができる。達支培根と分けて仕込まれた。
【語釈】
・庖丁が牛を解く…荘子養生主にある話。
・三物…周礼地官。六徳・六行・六芸の総称。
・英雄…清華。公卿の家格の一。摂家の次、大臣家の上に位する家。近衛大将を経て太政大臣まで昇り得る家柄。久我・転法輪三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門・今出川(菊亭)の七家(七清華)。後に広幡・醍醐の二家を加えて九清華という。
・達支培根…三宅尚斎は享保17年(1732)京都に培根達支堂という塾を建てた。

性行端潔。生れ付のそふたいが正くいさぎよいこと。これが一生の本立になる。ゆるやかながよくない。仰山すぎると云やふながよい。はてきふくつなと云が心の正からで出る。飲食の間でも端潔な人は別段なもの。居家孝悌。これが能者のあたまをけること。親の膝元にいられぬから上方へ学問にゆくと云ふ。云ぶんのあるものを学挍にはをきにくい。そのやふなものは賢者をみてよくなる。廉耻云々。大学へ出ればはや出世の木口なり。大学へ出る位では少々の扶持にもあづかるゆへ、ここで廉耻がなくなる。今迠国でよんだ通りではむかぬと云やふになる。平生論語徴でしたたか朱子をわるく云ても、とこぞの屋敷へ出ると朱註を殷勤によむは儒者の盗人根性なり。学者はただ人を輕んして人より先きに出る。それがわるい。廉耻のある人は尚高ぶるもの。そこで下に礼讓と出す。
【解説】
「凡選士之法、皆以性行端潔、居家孝悌、有廉恥禮遜」の説明。士は性行端潔、家では孝悌で、廉恥がある者を選ぶ。廉恥のある人は高ぶるものだから礼遜でなければならない。
【通釈】
「性行端潔」。生まれ付きが全体に正しく潔いこと。これが一生の本立てになる。緩やかなのがよくなく、仰山過ぎるという様なのがよい。実に窮屈なことだと言うことが心の正からで出る。飲食の間でも端潔な人は格別なもの。「居家孝悌」。これが能者の頭を蹴ったこと。親の膝元にいられないから上方へ学問をしに行くと言う。その様な言い分のある者は学校には置き難い。その様な者は賢者を見てよくなる。「廉恥云々」。大学へ出れば早くも出世の切っ掛けとなる。大学へ出る位であれば少々の扶持にも与るので、ここで廉恥がなくなる。今まで国で読んでいた通りではうまくないと言う様になる。平生は論語徴で酷く朱子を悪く言っていても、どこかの屋敷へ出ると朱註を慇懃に読むのは儒者の盗人根性である。学者はただ人を軽んじて人より先に出ようとするが、それが悪い。廉恥のある人は尚更高ぶるもの。そこで下に「礼遜」と出す。

通明学業云々は、大学八條目近思録十四篇、あの筋に明なこと。近思録の何の篇は大学では何にあたると問へは、ちとまちて下されと云て考る。それでは通明とは云れぬ。丁どの処へほん々々と合せるでなければ通明ではなし。大事の処も根からすまぬから通明にゆかぬもの。傷寒が本じゃ、外は雜病と云は誰もしりてをるが、傷寒の六經と云と若い医者はそれ々々に覚ず。そのやふでは通明でなし。医者もこぐぢがすまぬやふで上手にはなられぬ。大学では八目を十四篇としたが朱子の思ひつきではない。根を合点すると垩学はどっこいこれじゃ々々々々と云程になる。それが通明ぞ。その外の経理の取さばき色々のことともなり。天下の経済も不改途。すててをくこともすててをかれぬこともあり、通明曉達でなければならぬ。治法は動きのとれぬもの。治道には中蕐の法も日本の法もあるが、天下の為になるが治道。それも賢才を得るでなければならぬ。
【解説】
「通明學業、曉達治道者」の説明。根から済まなければ通明にはなれない。天下のためにするのが治道だが、それも賢才を得なければできないこと。そこで、「通明曉達」でなければならない。
【通釈】
「通明学業云々」は、大学八條目や近思録十四篇、あの筋で明らかである。近思録の何の篇は大学では何に当たるのかと問うと、少し待って下さいと言って考える。それでは通明とは言えない。丁度の処へぽんぽんと合わせるのでなければ通明ではない。大事な処も根が済まないから通明に行かないもの。傷寒が本で、その外は雑病だとは誰もが知っているが、傷寒の六経はと聞けば、若い医者は色々なことを言って、確かでない。その様では通明でない。医者も木口が済まない様では上手にはなれない。大学の八條目を近思録の十四篇としたのは朱子の思い付きではない。根を合点すると聖学は将にこれだと言うほどのこと。それが通明である。その外の色々な経理の取り捌きも同様である。天下の経済も「不改途」で、放って置くことも放って置けないこともあるから「通明曉達」でなければならない。治法は動きのとれないもの。治道には中華の法も日本の法もあるが、天下のためになるのが治道である。しかし、それも賢才を得なければすることはできない。
【語釈】
・不改途…治体25。「帝王之道、不必改途而成、學與政不殊心而得矣」。