第十四 爲民立君の条  二月十六日  邦直録
【語釈】
・二月十六日…寛政3年辛亥(1791年)2月16日。
・邦直…

爲民立君、所以養之也。養民之道、在愛其力。民力足則生養遂、生養遂則敎化行而風俗美。故爲政以民力爲重也。春秋凡用民力必書。其所興作、不時害義、固爲罪也。雖時且義必書、見勞民爲重事也。後之人君知此義、則知愼重於用民力矣。然有用民力之大而不書者。爲敎之意深矣。僖公脩泮宮、復閟宮、非不用民力也。然而不書、二者復古興廢之大事、爲國之先務。如是而用民力、乃所當用也。人君知此義、知爲政之先後輕重矣。
【読み】
民の爲に君を立つるは、之を養う所以なり。民を養う道は、其の力を愛[おし]むに在り。民力足れば則ち生養遂げ、生養遂ぐれば則ち敎化行われて風俗は美なり。故に政を爲すには民力を以て重しと爲す。春秋は凡そ民力を用うるときは必ず書す。其の興作する所、時ならずして義を害えば、固より罪と爲す。時にして且つ義なりと雖も必ず書するは、民を勞するを重事と爲すを見[しめ]すなり。後の人君此の義を知らば、則ち民の力を用うるに愼重なるを知らん。然れども民の力を用うること大にして書せざる者有り。敎を爲す意深し。僖公の泮宮[はんきゅう]を脩し、閟宮[ひっきゅう]を復せしは、民の力を用いざるに非ず。然り而して書せざるは、二つの者は古に復り廢れるを興す大事にして、國を爲[おさ]むる先務なればなり。是の如くにして民の力を用うるは、乃ち當に用うべき所なり。人君此の義を知らば、政を爲す先後輕重を知らん。
【補足】
・この条は、程氏経説四「春秋伝」にある。

治体は人君のことで、是が治体の治体たる処なり。然るに愛民力と云ことを載たは治法のやふなれとも、これが天下の政の大本になることゆへ、このやふなことを人君の御心へたたみこむと天下は磐石の如くになる。これらは人君の聞て、さてはそふかと思はるることなり。君と民はいこふ違たものなれとも、君を立るも下のものを養ふため。兎角物は本意を失ふもの。醫者は療治する筈のもの。病人なけれは人家て長話はいらぬことなり。本を忘れぬやふにすべし。人君も此方ともの役は何たと氣が附といこふ違ふもの。天地開闢のみぎり、君と云はなけれとも、大學の序にある一りも聽明睿智云々で、同格の中から君と立たもの。それは下を養ふためなり。是でこそ人君の御役義が知れてきた。民百姓への御馳走外にはない。御酒を下さると云ことでは决してない。めったに民をつかわぬ。そこで民力足則生養遂。一年や二年の饑饉にこまるやふなことはない。これでこそ教化も行はれ、親に孝もなる。何程性善でも孟子の何の暇あって脩礼義乎で、食ひものもなく生養遂子ば何として教化がならふぞ。兎角無用なことにつかはぬと云が一ちよいことなり。孔子の春秋に人足をつかふことを書てある。あの重ひ書に必人足のことあると云て見よ。垩人の思召、戒にもなり又はげみにもなる。なぜなれば、所興作不時。夏は一ち大切の作興時分じゃに、隱公の普請をされたことあり。夏城中丘、そこで孔子の帳に付られたぞ。時にして且義云々。桓公のときに冬城向と云ことありて、城普請は兎角冬のことなり。いこふされやふがよかったなり。その時に且つ義と云もしるす。至極なことなことても大切重いことゆへ屹としるす。春秋の万代の手本となる処は、人君の御氣の高ぶりからは百姓は虫けらのやふに思ふ処を、労民爲重事と示すことなり。
【解説】
君を立てるのは下の者を養うためである。民は生養を遂げて後に教化をすることができるのだから、無用なことに民を使ってはならない。時に合わず義を害して民を使ってはならない。
【通釈】
治体は人君のことで、これが治体の治体たる処である。それなのに、「愛民力」を載せたのは治法の様だが、これが天下の政の大本になることであって、この様なことを人君の御心へ畳み込むと天下は磐石の如くになる。これ等は人君が聞いて、さてはそうかと思われること。君と民とは大層違ったもので、君を立てるのは下の者を養うためである。とかく物は本意を失うもの。医者は療治をする筈。病人がいなければ人家での長話は不要のこと。本を忘れない様にしなければならない。人君も自分共の役は何だと気が付くと大層違うもの。天地開闢の時に君というものはなかったが、大学の序にある「一有聡明睿智云々」で、同格の人の中から君として立った。それは下を養うためである。これでこそ人君の御役儀が知れてきた。民百姓への御馳走の外ははない。それは御酒を下さるということでは決してない。滅多に民を使わない。そこで「民力足則生養遂」。一年や二年の飢饉に困る様なことはない。これでこそ教化も行われ、親に孝もできる。どれほど性善でも、孟子の「奚暇治礼義哉」で、食い物もなくて生養を遂げられなければどうして教化ができるだろう。とかく無用なことに使わないのが一番よいのである。孔子が春秋に人足を使うことを書いている。あの重い書に「必人足」のことがあることで考えなさい。聖人の思し召しは戒めにもなり、また励みにもなる。それは何故かと言うと、「所興作不時」。夏は一番大切の作興時分なのに、隠公が普請をされたことがある。「夏城中丘」、そこで孔子が帳に付けられた。「時且義云々」。桓公の時に「冬城向」ということがあり、城普請はとかく冬にすること。それで大層仕方がよかった。時且義ということも記した。至極なことなことで、大切で重いことなのでしっかりと記す。春秋の万代の手本となる処は、人君の御気の高ぶりから百姓を虫けらの様に思う処を、「労民為重事」と示したところである。
【語釈】
・一りも聽明睿智云々…大学章句序。「一有聰明睿智能盡其性者出於其閒。則天必命之以爲億兆之君師」。
・脩礼義乎…孟子梁恵王章句上7。「今也制民之産、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉」。
・夏城中丘…春秋左伝隠公7年。「夏、城中丘」。
・冬城向…春秋左伝桓公16年。「冬、城向」。

後之人君知此義則云々。人君のいこふ重すべきことなれとも、然るに有民力之大て、前にはみさいに記したれとも、爰は甚だ用ひたことを孔子の記されぬ。是は別段なことなり。民用を用るはいこふをもいことなれとも、此事に於ては尤そふあるべきことゆへ記さぬ。それは何なれば、僖公脩泮宮。泮宮は学問処なり。さて、魯は周公より始て天子の御同姓で本は后稷からきたものなり。閟宮は祭の御たまやなり。姜源の廟なり。此二つは国の一大事一大本のこと。當分今日や明日の間に合ぬやふなれとも、領分の百姓これをさせて本望がるべきことなり。先務と云が治体にあつかることなり。後世は上も下も近日の役に立ことはかりよいと思ひ、泮宮閟宮などはあってもなくてもと云やふに心得、堤川よげばかりを先務と思ふが、人君の泮宮閟宮は教を下へ施そふとしたり、先祖のことは誠孝至德要道にて人君の一大事じゃ、教の大切にあつかることなり。されともそれをして當暮の間に合ぬ。そこが治体の大切、いこふ重ずべきことなれば、百姓共のそふすべきことゆへ孔子の思召あって載せぬ。是でみれば上から下へ一度々々あいさつをするやふなもの。かの御旧記に載せるは上から大義と声をかける。爰ばかりは下々迠本望に思はせることゆへ、民の骨折が骨折にたたぬほどなことなり。載せるも載せぬも只の目では見へぬことなり。程子が云たればこそなり。先後輕重も事によることで、そこが治体にあつかることなり。田舎の家来を大勢仕ふ富豪な内で、旦那は遊んでをらふとも、家来は耕作をするものゆへやれこれと云て世話をやいて、休むときはゆっくと休まることなれとも、家内に急病人のあるときは医者のむかい太義であらふと云にも及はぬやふなもの。不断は農を重じても、病人のときはえんりょえしゃくはない。そこで先後輕重なり。こふしたことじゃに人君がそれを知ぬと政に根がない。下から難有と云るるほどなことでなくとも根のあるを治体と云。
【解説】
民を無闇に使うのは悪いが、それには先後軽重があって、人君の一大事には民を使わなければならない。その際は民を使うのが当然であり、遠慮会釈はしない。
【通釈】
「後之人君知此義則云々」。これは人君が大層重んじるべきことで、そこで「有民力之大」を前には微細に記したのだが、ここは甚だ用いたことを孔子が記されない。これは別段なこと。民用を用いるのは大層重いことだが、この事に関しては尤もでそうあるべきことなので記さない。それは何故かと言うと、「僖公修泮宮」。泮宮は学問所である。さて、魯は周公より始まって天子と御同姓で元は后稷から来たもの。「閟宮」は祭の御霊屋であり、姜源の廟である。この二つは国の一大事、一大本である。当分の間、今日や明日の間に合わない様なことだが、領分の百姓にこれをさせても、それを本望がるべきこと。「先務」というのが治体に与ること。後世は上も下も近日の役に立つことばかりがよいと思い、泮宮閟宮などはあってもなくてもよいという様に心得、堤川避けばかりを先務と思うが、人君の泮宮閟宮は教えを下へ施こそうとするものであって、先祖のことは誠孝至徳の要道である。それは人君の一大事で、大切な教えに与ること。しかし、それをするのは当暮では間に合わない。それが治体にとって大切な大層重んじるべきことなので、百姓共もそうすべきことだから、孔子も思し召しがあって載せなかった。これで見れば上から下へ一々挨拶をする様なもの。あの御旧記に載せることは上から大儀と声を掛ける様なものだが、ここだけは下々まで本望に思わせることなので、民が骨折りを骨折りと思わないほどのことである。載せるのも載せないのも普通の目では見えないことで、程子が言ったからこそわかるのである。「先後軽重」も事によるのであり、そこが治体に与ること。田舎で家来を大勢使う富豪な家では、旦那は遊んでいようとも家来は耕作をするものだから、やれこれと言って世話を焼いて、休む時はゆっくりと休むことができるものだが、家内に急病人がある時は医者の迎えは大儀だろうなどと言うにも及ばない様なもの。普段は農を重んじても、病人の時は遠慮会釈はない。そこで先後軽重である。こうしたことなのに、人君がそれを知らないのは政に根がないということ。下から有難いと言われるほどのことでなくても根のあることを治体と言う。
【語釈】
・姜源…后稷の母。


第十五 治身齊家云々の条

治身齊家、以至平天下者、治之道也。建立治綱、分正百職、順天時以制事、至於創制立度盡天下之事者、治之法也。聖人治天下之道、唯此二端而已。
【読み】
身を治め家を齊うるより、以て天下を平かにするに至るまでは、治の道なり。治綱を建立し、百職を分正し、天の時に順いて以て事を制するより、制を創[はじ]め度を立てて天下の事を盡くすに至るまでは、治の法なり。聖人の天下を治むる道は、唯此の二端のみ。
【補足】
・この条は、程氏経説二「書解」にある。

此条治体治法の二つでなければならぬことを見せたもの。前々云通り、治体は肴の新ひやふなもの。治法は料理のよいやふなもの。両方揃は子ばならぬ。治体ばかりで治法なければ暗やみでかぶりふるやふなもの。心はかりで向へとどかぬ。孟子の有仁心仁聞不蒙其澤とあるで見よ。こふ々々こふと其御心がをし出して見るでなければ本のことでない。御心は治体、見へるは治法なり。何でも体用の二つなり。道体も体用、本と末とかあることなり。順天の時は事体事勢を知ることなり。これがわるくすると百姓の耕作をするやふに見へる。やはり三代の忠質文のかわるやふにそれ々々に御作法のあること。時代て云ことなり。創制立度は御作法のこまかあたりなり。尽天下之事。何でもないと云ことなく周礼三百官、これはよかろふと云ことなく、何から何迠なり。それを尽すと云。唯此二端は、だたい人君の誠心でなければならぬと云て、十念をさづけるやふなことでする政は役に立ぬ。婆々のやふな誠ではない。上の誠からの法でゆくなり。とど体用の二つなり。
【解説】
人君の心が治体で、それが現れ見えるのが治法である。それは体用であり、治体と治法は揃わなければならない。
【通釈】
この条は治体と治法の二つでなければならないことを見せたもの。前々から言う通り、治体は肴の新しい様なもので、治法は料理のよい様なもの。両方が揃わなければならない。治体だけで治法がなければ暗闇で頭を振る様なもの。心ばかりで向こうへ届かない。孟子に「有仁心仁聞不被其沢」とあるので見なさい。これこうとその御心が押し出して見えるのでなければ本来のことではない。御心は治体、見えるのは治法である。何でも体用の二つ。道体も体用、本と末とがあるのである。「順天時」は事体事勢を知ること。これは悪くすると百姓が耕作をする様に見えるが、それはやはり三代が忠質文と変わる様に、それぞれに御作法のあることで、時代で言うことなのである。「創制立度」は御作法が細かいこと。「尽天下之事」。何でもないと言うことではなく、周礼三百官で、これはよいだろうと言わず、何から何までである。それを尽くすと言う。「唯此二端」は、そもそも人君の誠心でなければならないということで、十念を授ける様なことでする政は役に立たない。婆の様な誠ではない。上の誠からの法で行くこと。つまりは体用の二つなのである。
【語釈】
・有仁心仁聞不蒙其澤…孟子離婁章句上1。「今有仁心・仁聞、而民不被其澤、不可法於後世者、不行先王之道也」。
・忠質文…論語為政23集註。「夏尚忠、商尚質、周尚文」。
・十念…①十種の思念。念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天・念休息・念安般・念身・念死。②南無阿弥陀仏の名号を十回唱えること。


第十六 明道先生云先王之世云々条

明道先生曰、先王之世、以道治天下。後世只是以法把持天下。
【読み】
明道先生曰く、先王の世は、道を以て天下を治む。後世は只是れ法を以て天下を把持するのみ、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

以道治天下は論語の爲政以德と云語のやうなもの。是が天下中の分のもののすることではなく、德を以てすることなり。此方が親に孝ゆへ我等も親に孝行せいと云ことで、やはり大學明德新民のあやなり。さて々々こふきけば上品なことぞ。天下の人を君子にする大事業、孔子の王者興必世而仁ならんと云ふもそふ思はるることなり。盗賊奉行の盗人をつかまへるやふなことでなく、そんなものはなくなる。彼田地公事と云も、もと朋友の道が明でないゆへぞ。先つ父子兄弟の親族からをし出した処が朋友となる。公事をするに知らぬ人と公事をするなどと云はないものなり。公事相手に路人はなし。遠くの人にとんじゃくはないもの。公事は必懇同士に出きるもの。懇同士は朋友なり。朋友に信あらば公事は出來まい。そんなことなくなる処が使無訟なり。後世のよいと云は以法把持天下で、よい分て法てするの、後世の字はわるいと云ことではない。先王の世をのけてはよいと云ても本のことではない。法ばかりなればやはり論語の民免而無耻で、法のをそろしい計でわるいことをせぬ。心中は無耻そ。三代後太平、やれ御目出度、重疂と云ても心迠の建立出來ぬ。迂斎の云通り、槇さっはをもってをるゆへ猫が肴を取ぬ。嘗てあれが心から食まいとは思はぬ。さて爰を先王の後世のと見わけるが治体で、先王のは治体あり、後世のはよいと云ても治ばかりで治体はない。
【解説】
後世は法によって天下を保つが、それは民が心から服するものではない。道によって天下を保てば、それに治体がある。
【通釈】
「以道治天下」は論語の「為政以徳」という語の様なもの。これが天下中の役人がしていることではなく、徳によってすること。自分が親に孝行をしたのだからお前達も親に孝行をしなさいということで、やはり大学の明徳新民の綾である。やはりこの様に聞けば上品なこと。天下の人を君子にする大事業で、孔子が「王者興必世而仁」と言ったのもその様に思われたことなのである。盗賊奉行が盗人を捕まえる様なことではなく、そんなものはなくなる。あの田地公事というのも、元々朋友の道が明でないからである。先ず父子兄弟の親族から押し出した処が朋友となる。公事をするのに知らない人と公事をするなどということはない。公事相手に路人はない。遠くの人に頓着はないもの。公事は必ず懇ろ同士で起こるもの。懇ろ同士は朋友である。朋友に信があれば公事は起きないだろう。そんなことのなくなる処が「使無訟」である。後世がよいと言うのは「以法把持天下」で、丁度よく法ですることで、ここの後世の字は悪いということではない。しかし、先王の世を除いてはよいと言っても、それは本来のことではない。法ばかりであればやはり論語の「民免而無恥」で、法が恐ろしいだけで悪いことをしないのであり、心中は無恥である。三代の後、太平でやれ御目出度い、重畳だと言っても心までは建立することができない。迂斎が言う通り、槇雑木を持っているから猫は肴を取らないが、決してあれが心から食わないようにしようと思っているのではない。さてここで先王と後世とを見わけるのが治体のことで、先王のは治体があり、後世のはよいと言っても治ばかりで治体はない。
【語釈】
・爲政以德…論語為政1。「子曰、爲政以德、譬如北辰居其所而衆星共之」。
・王者興必世而仁…論語子路12。「子曰、如有王者、必世而後仁」。
・使無訟…論語顔淵13。「子曰、聽訟、吾猶人也。必也、使無訟乎」。
・民免而無耻…論語為政3。「子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格」。


第十七 爲政須要有紀綱文章条

爲政須要有紀綱文章。先有司、鄕官讀法、平價、謹權量、皆不可闕也。人各親其親、然後能不獨親其親。仲弓曰、焉知賢才而擧之。子曰、擧爾所知、爾所不知、人其舍諸。便見仲弓與聖人用心之大小。推此義、則一心可以喪邦、一心可以興邦。只在公私之閒爾。
【読み】
政を爲すには須く紀綱文章有るを要すべし。有司を先にし、鄕官の法を讀み、價を平にし、權量を謹むは、皆闕く可からざるなり。人は各々其の親に親しみて、然して後に獨り其の親に親しむのみならざるを能くす。仲弓曰く、焉んぞ賢才を知りて之を擧げん、と。子曰く、爾の知る所を擧げなば、爾の知らざる所、人其れ諸を舍かんや、と。便ち仲弓と聖人との心を用うる大小を見る。此の義を推さば、則ち一心以て邦を喪う可く、一心以て邦を興す可し。只公私の閒に在るのみ。
【補足】
・この条は、程氏遺書一一にある明道の語。

爰も最初治法から語り出して、その中いつの間も治体になりた。ここの処、面白ことなり。治法から治体にかかる。不断とは例がちごふ。前にもこの二端而已とあり、この二つはないことなり。紀綱文章とつづいたは古いには記の小序にある。紀綱は惣くくりて三綱五常、吉凶賓軍嘉と云やふな大つかまへなり。文章は世間で筆を取て書く文章ではない。天下のことは皆文章ぞ。それ々々にすぢもやふの立て動すことのならぬ。萬事挌式めんみつなり。ただ下々のやふにこふやってのけろなどと物にかかりなことは天下の上にはない。有司の役人なければそれ々々に筋がたたず、事が行はれず、天下のことは大きいことゆへ一人で手をひろげてはいかぬ。丁ど五十三次品川から始て長﨑迠行くに其所々に問屋塲傳馬の有るやふに、有司と云て政に目鼻がつく。これが第一のことで、周礼全体の三百官で云たもの。郷官は下々へかけて云。田舎で云へは名主年寄、江戸で云へば三年寄町名主迠なり。郷の役人は年始や或は所の祭礼その外ものの改るとき、上からの御觸書をよんで聞せる。これが難有ことぞ。我等式が小学をよんできかせても、たれありてうれしくも思ぬ。中々うけぬが、讀法は上の御威光ですることゆへ、いこふちがふたことなり。同心がじゅっていをふり上けるは綱金時ほどに懼るるは御威光なり。ささいなことでも名主から寄合をふれるを、いかやふなをふちゃくものてもめんどふなと云ことはならぬ。郷官の御法と云てききがよい。
【解説】
「爲政須要有紀綱文章。先有司、郷官讀法」の説明。天下のことは皆それぞれに綿密な筋模様がある。政も有司がいなければ筋が立たない。
【通釈】
ここも最初に治法から語り出して、その内にいつの間にか治体になる。そこの処が面白い。治法から治体へと続く。普通とは例が違う。前にも「二端而已」とあり、この二つ以外にはない。「紀綱文章」と続けたが、それは古くは記の小序にある。紀綱は総括りで三綱五常や吉凶賓軍嘉という様な大捉まえなもの。文章は世間で筆を執って書く文章ではない。天下のことは皆文章である。それぞれに筋模様が立っていて動かすことはできない。万事の格式が綿密である。ただ下々の様にこうやって除けろなどと物に関わってすることは天下の上にはない。「有司」という役人がいなければそれぞれに筋が立たず、事が行われない。天下のことは大きいので、一人で手を広げてもうまくは行かないのである。それは丁度五十三次に品川から始まって長崎まで行くのにその所々に問屋場伝馬のある様に、有司があるので政に目鼻が付く。これが第一のことで、周礼全体の三百官でそれを言った。「郷官」は下々へ掛けて言う。田舎で言えば名主や年寄、江戸で言えば三年寄や町名主までである。郷の役人は年始や或いはその所の祭礼、その外ものの改まる時に、上からの御触書を読んで聞かせる。これが有難いこと。私等如きが小学を読んで聞かせても、誰も嬉しくも思わず、中々受けも悪いが、読法は上の御威光ですることなので大層違ったこと。同心が十手を振り上げるのを綱や金時ほどに懼れるのは御威光があるから。些細なことでも名主から寄合の触れがあると、どの様な横着者でも面倒なことだとは言えない。郷官の御法というので利きがよい。
【語釈】
・二端而已…治体15。「唯此二端而已」。
・記の小序…
・吉凶賓軍嘉…文心雕龍序志第50。「五禮、謂吉凶賓軍嘉」。
・有司…論語子路2。「仲弓爲季氏宰、問政。子曰、先有司。赦小過、擧賢才。曰、焉知賢才而擧之。曰、擧爾所知、爾所不知、人其舍諸」。
・三年寄…江戸時代、江戸町年寄を世襲した三家、奈良屋・樽屋・喜多村の総称。
・綱金時…源頼光の四天王の二人。四天王は、渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武。

平價。常平と見れば、常平わけの六ヶしいことなれとも、ここは相塲で云がよい。これが立子ば騒動の本なり。此村は何程の相塲と云に、一里ほどもわきへ行くとこれほどちごふと云ことある。それては以の外なり。權量の秤り舛、手前細工にゆかぬ。謹と云を見よ。これがごまかされぬ。これほどなことはくるしふあるまいと云れぬことなり。これもちっときく、人君は入ぬやふなことじゃは、人君の前へ出ぬものは舛や秤なれとも、これがいこふ政の上に重ひことなり。医者の小さ脇指と云へとも、又だんびらものをさそふとも、それにとんじゃくはない。米一舛が一合ちごふても、秤の上に分厘ちごふてもそうどふになる。こんなことを見ぬふりきかぬふりはならぬこと。守隨が私の秤を見ればずっとへしをるよし。これは狼藉と呵ることならぬは謹む処を示すなり。此通り法を出すできまる。治法なり。されとも法ばかりで人の心がわるければ、それは丁ど盗人のよく同類へ物をわけたり、博奕打の丁とに筭用するやふなもの。盗人も取たものをわけるに量料平であろふぞ。だけれとも、全体博奕打盗人なれば役に立ぬ。
【解説】
「平價、謹權量、皆不可闕也」の説明。相場が立たなかったり、権量が正しくないと騒動の元になる。しかし、法である「平価」や「謹権量」を決めても心が悪ければいけない。盗人にさえ治法はあるのである。
【通釈】
「平價」。これを常平と見ると、常平の意味が難しいが、ここは相場で言うのがよい。これが立たなければ騒動の元となる。この村は何ほどの相場と言っても、一里ほども脇へ行くとこれほど違うということがある。それでは以の外である。「権量」の秤り桝が手前細工では悪い。「謹」を見なさい。これは誤魔化すことのできないことで、これほどのことはよいだろうと言えないこと。これも一寸聞くと人君には要らないことの様だが、桝や秤は人君の前へ出ないものでも、これが大層政の上には重いこと。医者が短刀脇差を差そうが、また大刀を差そうがそれに頓着はないが、米一桝が一合違っても、秤の上で分厘違っても騒動になる。こんなことを見ないふり聞かないふりをしてはならない。守隨が私の秤を見ればへし折るだろうが、それを狼藉だと言って呵ることができないのは謹む処を示すからである。この通りに法を出すので決まる。それが治法である。しかし、法ばかりで人の心が悪ければ、それは丁度盗人がうまく同類へ物を分けたり、博奕打ちが丁度に算用する様なもの。盗人も取った物を分けるのに量料平らであっただろう。しかしながら、総体博奕打ちや盗人でば役には立たない。
【語釈】
・守隨…守随彦太郎。江戸の秤職人。彼の秤が公定の秤とされた。

小人は法が立ては立ほど姦曲にもなる。そこで治体は親其親云々で、父子の親み、天地で云へば春なり。それを人へうけた処が仁で、その仁が顔を出すと親々で人間の人間たる処なり。こふしたあやじゃゆへ、宋朝に至て仁を專言偏言と云て、仁を大きくしたり小くしたりして説くと云もきこへた。天下の治体、親々と云にきする。孔門の只仁と云て義礼智のこもるもここぞ。天下のことが、親があれば親親。貴様の方はどふじゃと聞に及ぬ。垩賢の道はどふじゃと遠くへ手を出すことはない。この方の宗旨にはと云こともなく、これが治体の治体たる処で、咽のかはくときは湯を呑と云やふなもので、仁者愛之理心之德と云やふなもので、こふしたけっこふなものをもってをるから親を親とす。それを天下へひろげるのが垩人の治体なり。この仲弓の引わけが面白い。親親は此方のことゆへ遠く迠は及ぶまい、天下の政は外のことゆへちと違ふであろふと思へばどこ迠もひびく。吾が親親が天下中それになる。
【解説】
「人各親其親、然後能不獨親其親」の説明。「親其親」が仁であり、人間の人間たる処である。これを天下へ広げるのが聖人の治体なのである。
【通釈】
小人は法が立てば立つほど姦曲にもなる。そこで治体は「親其親云々」であって、父子の親しみは天地で言えば春である。それを人が受けた処が仁で、その仁が顔を出すと「親親」で人間の人間たる処となる。こうした綾なので、宋朝に至って仁を専言偏言で、仁を大きくしたり小くしたりして説くというのがよくわかる。天下の治体は親親ということに帰する。孔門でただ仁と言っても、そこに義礼智がこもっているのもこれだからである。天下のことは、親があれば親親で、貴様の方はどうだと聞くには及ばない。聖賢の道はどの様なものかと遠くへ手を出すことはない。こちらの宗旨ではと言うことでもなく、これが治体の治体たる処で、咽が渇く時は湯を呑むという様なもので、「仁者愛之理心之徳」という様なもの。こうした結構なものを持っているから親を親とする。それを天下へ広げるのが聖人の治体である。ここで仲弓を引いたわけが面白い。親親は自分のことなので遠くまでは及ばないだろう、天下の政は外のことだから一寸違うだろうと思えば、それは何処までへも響く。自分の親親で天下中がそれになる。
【語釈】
・仁者愛之理心之德…論語学而2集註。「仁者、愛之理、心之德也」。

爰が面白と云は、仲弓が、私存しました、賢才は挙げて仕ろふ。去ながらすくない。どふして天下中の賢才をあげませふぞと云の問なり。どふも私手に及びますまいと云たなり。そこで孔子のはてさて御自分の知たのをあけたらば、こなたは役人のことであるさに、その知ぬ処は人がすてはせまいとなり。いかさま歴々衆が茶をすると所々から茶道具が出てくるものぞ。あの道具などはめったにないものなれども、歴々が好くと領分の茶道具が出てくる。仲弓が律義な心からはそふも思たであろふが、そこが垩人と仲弓が用心之大小ぞ。さか挙る段になっても知れまいと思ふた。そこが垩人と仲弓の大小なり。迂齋平生云へり。垩人の政一軒つつ廻状をやることではない、と。あちから出て來ることなり。さて、ここの取りさばきが人君のことは事上に付たことではなく、人君の心からひびくことなり。
【解説】
「仲弓曰、焉知賢才而擧之。子曰、擧爾所知、爾所不知、人其舍諸。便見仲弓與聖人用心之大小」の説明。仲弓の問いは事の上のことであり、孔子はそれを心で説いた。人君のことは心に響いてするものである。
【通釈】
ここが面白いと言うのは以下のこと。仲弓が、言うことはわかりましたので、賢才を挙げましょう。しかしながら賢才は少ない。どうやって天下中の賢才を挙げましょうかと問うた。どうも私の手には及ばないだろうと言ったのである。そこで孔子が、はてさて自分が知っている者を挙げれば、貴方は役人なのだから、その知らない処は人が捨てては置かないだろうと言った。いかにも歴々衆が茶をすると所々から茶道具が出て来るもの。あの道具などは滅多にないものだが、歴々が好きだとその領分の茶道具が出て来る。仲弓は律儀な心からその様に思ったのだろうが、そこが聖人と仲弓との「用心之大小」である。この差が挙げる段になってもわからないと思った、そこが聖人と仲弓の大小である。迂斎が平生言っていた。聖人の政は一軒ずつに廻状を出すことではない、と。それは道理から出て来ること。さて、ここの取り捌きは、人君のことは事上に付いたことではなく、人君の心から響くことだと言うことである。

此義とは、此かたを推さばと云ことなり。垩人と仲弓の用心といこうわけがちがへとも、この訳がすんたらば、天下のことは一心と云ことゆへ、兎角一心々々とさへ合点すればよい。堯舜も一心、桀紂も一心、一心がわるければよい法も役にたたぬ。爰をわるくすると、仲弓がああ云たは一心以喪國と云やうに思ふは非なり。仲弓の不害も尤なれとも、手を出してことをすることでないから一心で興國、一心で國を亡すと云ことなり。孔子は國を起し、仲弓は手を出すことに思ふ。孔子は手を出すことはないと云ことなり。それはなじぇなれば、政は手ですることはない。只公私之間とをとした処を見よ。王覇の弁で合点すべし。堯舜三代も天下を平にする。斉桓晉文も天下を平にする。同じ手ぎはでも王者のは公、五伯は私なり。これもよく合点すべし。伯者が天下をむごくし、だまそふと云ことはない。人目からは王者か覇者かちがはぬやふなれとも、王者のはずっと出る処が公、伯者は心からがわるいゆへ私と云。孔子も如其仁乎々々々々と云て、手でする処は云ををやふもなけれとも、只心からがわるい。生花と作花のやふなもの。自然でないは私なり。垩人の政は公け、昼明るいやふなもの。穴藏の中の蝋燭で明るいは自然でないゆへ手ぎわがわるい。私なり。この条は治法から治体になるあんばいがおもしろい。紀綱文章の治法は伯者も垩人にをさまけせぬやふなれとも、王者のは親を親とする処から出ることなり。伯者はこれがないぞ。
【解説】
「推此義、則一心可以喪邦、一心可以興邦。只在公私之閒爾」の説明。一心が悪ければよい法も役に立たない。ここで、孔子は邦を興すことを思い、仲弓は手を出すことを思っていた。政は事ではなく心でするものである。堯舜三代も天下を平にし、斉桓晋文も天下を平にしたが、それは同じ手際でも王者は公で五伯は私である。王者は心からするが、覇者にはそれがない。
【通釈】
「此義」とは、この方を推せばということ。聖人と仲弓の用心とは大層わけが違ったものだが、このわけが済むと、天下のことは一心なので、とかく一心のことさえ合点すればよいことになる。堯舜も一心、桀紂も一心で、一心が悪ければよい法も役には立たない。ここを悪く見て、仲弓があの様に言ったのが「一心以喪国」だと思うのは間違いである。仲弓が害さないのは尤もなことだが、手を出して事をすることではないから、一心で邦を興し、一心で邦を亡ぼすと言うのである。孔子は邦を興すことを思い、仲弓は手を出すことだと思う。孔子の方は手を出すことはでないということ。それは何故かと言うと、政は手ですることではないからである。「只公私之間」と落とした処を見なさい。王覇の弁で合点しなさい。堯舜三代も天下を平にし、斉桓晋文も天下を平にする。同じ手際でも王者は公、五伯は私である。これもよく合点しなさい。伯者に天下を酷くし、騙そうという意はない。人目からは王者と覇者が違ったものとは見えないが、王者のはずっと出る処が公で、伯者は心からのことが悪いので私と言う。孔子も「如其仁乎如其仁乎」と言ったが、手でする処は言い様もなくよいが、ただ心からのことが悪い。それは生花と作花の様なもの。自然でないものは私である。聖人の政は公で、昼の明るい様なもの。穴蔵の中が蝋燭で明るいのは自然でないから手際が悪い。私である。この条は治法から治体になる塩梅が面白い。紀綱文章の治法は伯者も聖人に引けを取らない様だが、王者のは親を親とする処から出るのであって、伯者にはこれがない。
【語釈】
・如其仁乎…論語憲問17。「子曰、桓公九合諸侯、不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁」。


第十八 治道亦有云々の条

治道亦有從本而言、亦有從事而言。從本而言、惟是格君心之非。正心以正朝廷、正朝廷以正百官。若從事而言、不救則已。若須救之、必須變。大變則大益、小變則小益。
【読み】
治道には、亦本によりて言うもの有り、亦事によりて言うもの有り。本によりて言わば、惟是れ君心の非を格すことなり。心を正して以て朝廷を正し、朝廷を正して以て百官を正す。若し事によりて言うに、救わざれば則ち已む。若し須く之を救うべくんば、必ず須く變ずべし。大いに變ぜば則ち大いに益あり、小しく變ぜば則ち小しく益あらん。
【補足】
・この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

なる程、我学問も上から頭下しにゆくもあり、下からしり々々とゆくがある。顔子の克己復礼を乾道と云も上の方からすっとして行く処。仲弓のは坤道と云も下の方からすることなり。天下のこと、本からかかるは頭下し、事からかかるはじりり々々々。何もかも同じちゃぶ子。本からも云ふ、事からも云ふ。今日の処は治体の内でちっと治法をませるで一入治体がいきるぞ。治体にはちっとも治法のないと云ことはない筈なり。本は心、事は法なり。本の心は何のことなく上の一心からずら々々よくなることなり。法は事ゆへ、たたいかるる処は君の一心にある。君の御心さへよければよいと云ても、そふはかりでは手のまわらぬことある。医者療治も本からかかる療治もある。末からかかる療治もある。医者も一つ目の付け処あれば色々の容躰書にかまわず本をつかまへてかかる。又末からかかると云は先、あの痰せきを留めたらよからふと云ふやうなもの。弟二段の処からするでよいことあり、理は一貫ぞ。惣体道理はこふしたこと。天下の治道ても自分の身の功夫でも、医者の療治ても何でもかでも同じことぞ。本と事、心と法、何んても二つづつ揃ていくが太極の両儀にわかれ、人で仁義となる。天下の道理皆こふしたことなり。
【解説】
「治道亦有從本而言、亦有從事而言」の説明。本は心で事は法である。本は君の一心からずらずらとよくなること。事は君の一心で手の回らないところを補うもの。本と事が揃っているのが天下の道理である。
【通釈】
なるほど、我々の学問も上から頭下しにするのもあり、下からじりじりと行くのもある。顔子の克己復礼を乾道と言うのも上の方からすっとして行く処から。仲弓のは坤道と言うのも下の方からするためである。天下のことは、本から掛かるのは頭下し、事から掛かるのは下からである。何もかも同じ茶船。本からも言い、事からも言う。今日の処は治体の内に一寸治法を混ぜるので一入治体が活きて来る。治体には少しも治法がないということはない筈。本は心で事は法。本の心は難しいことではなく、上の一心からずらずらとよくなること。法は事なので、そもそも掛かる処は君の一心にあるのだが、君の御心さえよければよいと言っても、それだけでは手の回らないことがある。医者の療治も本から掛かる療治もあり、末から掛かる療治もある。医者も一つ目の付け処があれば、色々な容体書に構わず本を掴まえて掛かる。また、末から掛かるというのは、先ずはあの痰咳を止めたらよいだろうと言う様なもの。第二段の処からしてよいこともあり、理は一貫である。総体道理はこうしたこと。天下の治道でも自分の身の功夫でも医者の療治でも何もかも同じこと。本と事、心と法、何でも二つが揃って行く。太極は両儀に分れ、人ではそれが仁義となる。天下の道理は皆こうしたこと。

挌君之心之非は、書經にも孟子にも出てあり、ここのことは手もないことなり。君の御心にわるい処あればとんとゆかぬものなり。伊尹が太甲を桐に放って湯王の墓所のそばへやられた。湯王の崩後からはそろ々々太甲がわるくなって來たゆへ、外の療治ではいかぬとみて親御の墓所を見せてをかれた。これが名人の手段也。心の療治には至てよい仕向けなり。そこで太甲悔過、いこふよい人君になり、世々萬々歳になったぞ。それと云も伊尹の手柄。其君を堯舜にするの魂ひからぞ。正心以朝廷云々は董仲舒が對策の語で、なる程破竹流水の勢。朝廷から殿中、それから遠國役すら々々ゆく。それも根がよいからのことで、いこう氣味のよいことなり。從事云ふときはさて々々閙ひ。本から行は金持の普請で、いっそ打こはして新くしようと云ことゆへ、末から云ときはここの柱をとりかへるの、爰を拔きかへるのと、障子の切ばり下々が着物のつぎをあてると云やふにこせ々々したことなり。
【解説】
「從本而言、惟是格君心之非。正心以正朝廷、正朝廷以正百官」の説明。伊尹が太甲を桐に放ったのは心の療治である。本ですると根がよくなって気味のよいもの。しかし、法でするのはこせこせとしたものである。
【通釈】
「格君之心之非」は、書経にも孟子にも出てあり、ここはわかり易いこと。君の御心に悪い処があれば全くうまく行かないもの。伊尹が太甲を桐に放って湯王の墓所の側に遣られた。湯王の崩後から段々と太甲が悪くなって来たので、外の療治ではうまく行かないと見て親御の墓所を見せておかれた。これが名人の手段である。心の療治には至ってよい仕向けである。そこで、「太甲悔過」で、大層よい人君になり、世々万々歳となった。それと言うのも伊尹の手柄。其君を堯舜にするという魂からのこと。「正心以朝廷云々」。董仲舒の対策の語で、なるほど破竹流水の勢いである。これで朝廷から殿中、それから遠国役まですらすらと行く。それも根がよいからのことで、大層気味のよいこと。事によって言う時は本当の忙しい。本から行くのは金持の普請で、いっそ打ち壊して新しくしようという様なこと。末から言う時はここの柱を取り替えるとか、ここを抜き替えるとか、障子の切り張り、着物の継ぎを当てるという様にこせこせとしたこと。
【語釈】
・書經…書経冏命。「繩愆糾謬、格其非心」。
・孟子…孟子離婁章句上20。「孟子曰、人不足與適也。政不足閒也。惟大人爲能格君心之非。君仁莫不仁。君義莫不義、君正莫不正。一正君而國定矣」。
・伊尹が太甲を桐に放って…孟子万章章句上6。「伊尹相湯以王於天下。湯崩、太丁未立、外丙二年、仲壬四年、太甲顛覆湯之典刑。伊尹放之於桐三年。太甲悔過、自怨自艾、於桐處仁遷義三年、以聽伊尹之訓己也、復歸于亳」。
・其君を堯舜にする…為学1。「伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市」。
・正心以朝廷…対策。

不救則已は、あたまで相談は出來ぬと云ことなり。すててをくならば手もないこと。すわ救をふと云ときは今迠のやふにして置ては済ぬ。今病家で何の了簡もなく医者を度々かへ、顔さへ易ればよいと思へとも、やはり前医の藥法をもるなれば、かへた詮はないなり。大に変しても大に益すがならぬもの。ただのものの手ですると、それは俗に云、本直にしか子るのなり。古今いくらもあること。大名衆の家老が仕損じ退役すると、又あとから出た家老も前のと先手後手なもの。その筈ぞ。皆俗人なり。大變大益小変小益と云は、百姓が田畠へ干鰯を入るはよけい入れば入れただけのことはあるにて見よ。政もそれなり。大変でも小変でも変じただけのことはなくてかなわぬ。大変小変と大小の字をかけたも程子の理から云たもの。政に大きく直す仕事もあり、小く直すこともある。大変小変ともにあらかじめ云はれぬことなり。先日の解利西南の条で復先代明王之治と云を合せて見よ。事の上から直した処が先代明王の治と云なれば大きに変大に益した処なり。小変の方もそれなり。何かわは知らぬが家中の借り米を反したと云なれば、小しく益した方なり。これ迠の茶の湯もやみ、今年は借米を御反しと云なれば、家中は勿論、領分も知行でもいこうよいことなり。
【解説】
「若從事而言、不救則已。若須救之、必須變。大變則大益、小變則小益」の説明。政には大きく直す仕事もあり、小さく直すこともある。大変でも小変でも変じただけのことがなくてはならない。
【通釈】
「不救則已」は、最初から相談はできないということ。捨てて置くのであればわけもないこと。さあ救おうという時には今までの様にして置いては済まない。今病家で何の了簡もなく医者を度々替え、顔さえ替わればよいと思うが、やはり前医の薬方を盛るのであれば、替えた意味がない。大きく変じても大きく益すことができないもの。普通の者の手でするのは、それは俗に言う本直にしかねるということ。それは古今いくらでもあること。大名衆の家老が仕損じ退役をすると、また後から出た家老も前の者と先手後手なもの。その筈で、皆俗人だからである。「大変大益小変小益」とは、百姓が田畑へ干鰯を入れるのに、余計に入れれば入れただけのことはあることで見なさい。政もそれ。大変でも小変でも変じただけのことがなくてはならない。大変小変と大小の字を掛けたのも、程子が理から言ったもの。政には大きく直す仕事もあり、小さく直すこともある。大変か小変かは共に予め言うことのできないこと。先日の解利西南の条で「復先代明王之治」と言うのを合せて見なさい。事の上から直した処が先代明王の治であれば大きく変し大きく益した処である。小変の方もそれ。何かは知らないが家中の借り米を返したというのであれば小しく益した方である。これまでの茶の湯も止め、今年は借り米を御返ししたと言うのなら、家中は勿論、領分でも知行でも大層よいことである。
【語釈】
・解利西南…治体10の語。


第十九 唐有天下云々の条

唐有天下、雖號治平、然亦有夷狄之風。三綱不正、無君臣・父子・夫婦。其原始於太宗也。故其後世子弟皆不可使。君不君、臣不臣。故藩鎭不賓、權臣跋扈、陵夷有五代之亂。漢之治過於唐。漢大綱正、唐萬目擧。本朝大綱正、萬目亦未盡擧。
【読み】
唐の天下を有つ、治平なりと號せらると雖も、然れども亦夷狄の風有り。三綱は正しからず、君臣・父子・夫婦無し。其の原は太宗に始まる。故に其の後世子弟は皆せしむ可からず。君君たらざれば、臣臣たらず。故に藩鎭は賓せず、權臣は跋扈し、陵夷して五代の亂有り。漢の治は唐に過ぎたり。漢は大綱正しく、唐は萬目擧がる。本朝は大綱正しきも、萬目亦未だ盡くは擧がらず。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

なる程治平とはたれもかれも名をつけたなり。さま々々文物が盛り、それゆへ詩人も多く唐詩がよいなり。あれが全体のふっくりとした世の姿からぞ。されともたとへば折もよし、重箱も高蒔繪でよけれとも、只饅頭のあんばいどこやらすへたやふなり。兎角はなやかは虚へまわる方から、唐の世は詩も上手なり。三代の詩は只人情を述たもの。唐の詩の上手なと云でも、ほぼ唐の模様は伺るることなり。三百の外は詩も虚と云を合点すべし。唐もをさまりたなりはよけれとも、有夷狄之風。どのやふになっても唐は中蕐のことはあるものなれとも、唐は全体に夷狄の風ありとは、夷狄禽獣と幷ぶ文字にても見るべし。夷狄は礼法の明でなく、父子君臣上下のさかひもなく、国がかたすみへよったから夷狄と云ばかりではなく、夷狄とをさへる口上は、多く男女の間に別がない、親子の見さかいない処から云ぞ。司馬選諸束傳中にても見るべし。親の妾を吾か妾にしても當然なやうに心得ているで夷狄なり。無父子と云て親に不孝と云ことではない。親子の前でもかまわずえんりょえしゃくもない。夫婦の間の正しくないからで、即天唐祚をくつかへそふとしたも女の頭をあげるからなり。
【解説】
「唐有天下、雖號治平、然亦有夷狄之風。三綱不正、無君臣・父子・夫婦」の説明。唐は治平と言われる様によく治まり栄えていたが、そこには夷狄の風がある。夷狄とは国が片隅にあることだけを言うのではなく、ここは三綱がないことを言う。
【通釈】
なるほど唐のことを誰もが「治平」と名付ける。様々な文物が盛り、それで詩人も多くて唐詩もよい。それは全体がふっくりとした世の姿から言ったこと。しかしながら、たとえばそれは折もよく、重箱も高蒔絵でよいが、ただ饅頭の塩梅がどこやら饐えた様なもの。とかく華やかなことは虚へ回る方からのことであり、唐の世は詩も上手である。三代の詩はただ人情を述べたもの。唐の詩が上手だということでも、ほぼ唐の模様が窺える。三百の外は詩も虚であると合点しなさい。唐も治まっている姿はよいが、「有夷狄之風」。どの様になっても唐は中華だが、それを全体に夷狄の風があると言うのは、夷狄禽獣と並ぶ文字からも判断しなさい。夷狄は礼法が明でなく、父子君臣上下の境もない。国が片隅に寄ったから夷狄と言うばかりではなく、夷狄と決める口上は、多くは男女の間に別がなく、親子の見境のない処から言う。司馬遷の諸束伝中も見てみなさい。親の妾を自分の妾にしても当然の様に心得ているので夷狄である。「無父子」と言っても親に不孝ということではない。親子の前でも構わず遠慮会釈もなく、夫婦の間も正しくないからで、則天武后が唐祚を覆そうとしたのも女が頭を上げるからである。
【語釈】
・三百…論語為政2。「子曰、詩三百、一言以蔽之、曰、思無邪」。同子路5。「子曰、誦詩三百、授之以政、不達。使於四方、不能專對。雖多、亦奚以爲。」

それもかの賢君と仰がれし大宗からなり。我弟の妻を奧方にしたり、則天后ももと大宗の才人なり。それが大宗の御子の后になってあの通りのことに及んだ。いやはや云に云はれぬことなり。周の八百年にたれもいなと云ことはないは二南が基なり。唐も三百年ほども續て、あの明英な人のくみ立た天下なれども、不埒たらけなことあり。其子孫ゆへ、あの太宗さへなされたと手本にする。わるいことを大きな顔でするやふになり、子弟皆不可使。不可使は俗語でもないが、雅語のやふでつまり俗語なり。とふも仕方がないと云ことなり。あの太宗から來た不埒だらけゆへ、どふも丁どの処へゆかぬ。道理の通りにゆかず手にあまると云のなり。元祖か々々々と云て通るなり。君不君臣不臣。これも今じきに主ころし親殺しと云ではなけれども、これを和らかに云て尚いたいことなり。上に居てもどふも人君らしくない。下たる者もしゃあ々々々としてをる。まだ謀叛迠にやりたてずに云ことなり。唐の末にくっては藩鎭不賓。臣下をよびつけられぬ。このざまになってきたぞ。秦漢以後は諸侯はない。郡縣なり。藩鎭、この方で云へば長﨑奉行のやふなもので、さてあの衆へしたたかな軍兵をつけて外國夷狄の防き守にしてある役なり。その四方を鎭にやった藩鎭か参勤せぬ。のほんとしてをると云のぞ。
【解説】
「其原始於太宗也。故其後世子弟皆不可使。君不君、臣不臣。故藩鎭不賓」の説明。夷狄の風は太宗から始まった。太宗は弟の妻を奥方にし、また、則天武后も元は太宗の才人だった。太宗が不埒でその子孫もそれを真似たので、上が人君らしくなく、下も悪くなって、最後には藩鎮も参勤をしなくなった。
【通釈】
それもあの賢君と仰がれる太宗からである。自分の弟の妻を奥方にしたり、また、則天武后も元は太宗の才人だった。それが太宗の御子の后になってあの通りのことに及んだ。いやはや言うのも憚ることである。周の八百年に誰も文句を付けることのないのは二南が基だからである。唐も三百年ほども続き、あの英明な人が組み立てた天下なのだが、不埒だらけなことがある。その子孫なので、あの太宗さえなされたと太宗を手本にする。悪いことを大きな顔でする様になって、「子弟皆不可使」。不可使は俗語でもなく雅語の様で、つまりは俗語である。どうも仕方がないということ。あの太宗から来た不埒だらけなので、どうも丁度の処へ行かない。道理の通りに行かず、手に余るということ。元祖がしたと言って通る。「君不君臣不臣」。これも今直に主殺し、親殺しと言うのではなく和らかに言ったのだが、それは尚厳しいことである。上にいてもどうも人君らしくない。下たる者もしゃあしゃあとしている。まだ謀叛までには至らないことを言う。唐の末になっては「藩鎮不賓」。臣下を呼び付けることができない。この様な姿になって来た。秦漢以後に諸侯はなく郡県制である。藩鎮は日本で言えば長崎奉行の様なもので、さて、あの衆へ沢山の軍兵を付けて外国夷狄を防ぐ守にした役である。その四方を鎮めにやった藩鎮が参勤せずにのほほんとしているのである。
【語釈】
・才人…昔、中国で歌舞を以て宮仕えした女官。
・二南…詩経国風の周南と召南。

權臣は藩鎭をのけて宰相から御膝元のもの。跋扈と云は威勢強く君の手に乘ぬ、は子出るやふなことを跋扈と云。本と生けすの内から魚の飛び出るやふなことなり。あの云ををやふもない治平の世が、五代になっては大学の序にある通り壊乱きわまるの季世に及んだ。段々とわるくなり下た。これを上文の号治平へあててみよ。あの治中々五代にをつるやふな乱はありそもないが、全体に治体がないからなり。そこで中をあけて見ると、三綱不正無君臣の治め方ゆへ後に五代のざまになり下た。これで見れば今の学者が貞觀政要を見臺へのせて講釈をする。いやはや片腹いたいことで、程子がこの通り云はれを云へば、大宗などのことは不吉なことぞ。だたい俗人は不吉と云ことはきらいなれとも、知ら子ばせふこともないもの。大宗を賢君と心得てをる。近思を見ぬ人の云ことなり。然れば治体が大事と云がしるる。
【解説】
「權臣跋扈、陵夷有五代之亂」の説明。治体がなかったから、あの治平だった唐も五代になり下がった。太宗を賢君と心得るのは了簡違いなのである。
【通釈】
「権臣」は藩鎮を除いて宰相から御膝元の者までのこと。「跋扈」とは、威勢が強くて君の手に乗らないことで、跳ね出る様なことを跋扈と言う。本来は生簀の中から魚が飛び出る様なこと。あの言い様もない治平の世が、五代になっては大学の序にある通りに壊乱極まる末世に及んだ。段々と悪くなり下がった。これを上文の「号治平」へ当てて見なさい。あの治で中々五代に落ちる様な乱はありそうもないが、それは全体に治体がないからである。そこで中を開けて見れば「三綱不正無君臣」の治め方であって、それで後に五代のざまになり下がったのである。これで見れば今の学者が貞観政要を見台に載せて講釈をするのは実に片腹痛いことであり、程子がその謂われをこの通りに言うのだがら、大宗などのしたことは不吉なことなのである。そもそも俗人は不吉を嫌うものだが、知らなければ仕方のないもの。太宗を賢君と心得ている。それは近思を見ない人だからである。そこで治体が大事だということがわかる。
【語釈】
・壊乱きわまるの季世…大学章句序。「晦盲否塞、反覆沈痼、以及五季之衰、而壞亂極矣」。

漢の高祖は疂ざはりあらく、唐の大宗はをちついた云をふやふもない人君。漢高は道樂に見へ、唐太は律義に見ゆれとも、漢高はいやみがなくすぢがよい。漢高のよいと云は、周が秦の始皇にてあの通り滅びて、さて始皇は無類の悪玉、桀紂の上へもいくほどなことなり。それもついに亡び漢楚のときになりた。項羽は楚の義帝を殺したれば主殺なり。そふした項羽を誅して天下を取られた。いこう正しいなり。そこで天下のすちがよい。大宗が親御を随の晉陽宮の奧向きへかかわるものともと内々にて宮中の女中を引出して親御の酒もり底の相手になし、いこうあぶないやふにし、そして事顕はれては誅せらるべし、いっそ殺さるるよりはと親御をすすめ、ここで天下を取ら子ばどふで災に逢ふからと云てのことなり。皆親を使ひものにし、借りてしたもの。これが御座へ出されたことではない。
【解説】
「漢之治過於唐」の説明。漢の高祖よりも唐の太祖の方が優れている様に見えるが、高祖は嫌味がなくて筋がよい。それは主殺しの項羽を誅して天下を取ったからである。逆に太宗は親を騙し、親を使いものにして天下を取った。
【通釈】
漢の高祖は畳触りが粗く、唐の太宗は落ち着いた言い様もない人君で、漢高は道楽に見え、唐太は律儀に見えるが、漢高は嫌みがなくて筋がよい。漢高がよいと言うのは次のこと。周が秦の始皇帝によってあの通り滅んだが、さてその始皇帝は無類の悪玉で桀紂の上へも行くほどの者である。それもついに亡んで漢楚の時になった。項羽は楚の義帝を殺したので主殺しである。そうした項羽を誅して天下を取られたのだから大層正しい。そこで天下の筋がよいのである。太宗は隋の晋陽宮の奥向きへ関わる者共と内密に宮中の女中を引き出して親御の酒盛りの相手をさせ、大層危ないことをして、そして事が顕われては誅せらるだろう、いっそ殺されるよりはと親御に挙兵を勧めた。それは、ここで天下を取らなければどうしても災いに逢うと言ったもの。皆親を使いものにし、借りてしたこと。これは人前に出せることではない。
【語釈】
・晉陽宮…隋の皇帝煬帝の離宮。
・奧向きへかかわるもの…李淵の寵臣である晋陽宮副監の裴寂。

だたい漢は漢だけのわるいことあり、唐は唐だけのわるいことあれとも、一体のなりを論するときはこの通り、漢は筋が正く君臣父子にいやみなく、夷狄めいた男女の間に見ぐるしいことはない。約三章なとと云てずんといやみはない。唐は萬目あがり、何から何迠とどいた法度なれとも臭氣あるなり。爰へ本朝と出たはちょっと云たことで、垩賢の御話とても今人の常と同じ。こふしたことで自ら當時のことにまわってくるものなり。こちで太平記、このかたの話からつひ御當家のことをかたるものぞ。宋を大綱正しと云も天下の取様を云てはなし。唐に對して云。大祖も大綱は正しとは、夷狄の風の骨肉淫乱のないに云がよし。唐などのは万目が挙ても役に立ぬ。挙れば挙るほどうるさい。なぜなれば治体がないと落したもの。ここで宋朝をまじ目になって宋の美を云ことではない。大綱の正がよいなれば、大根がよいにして云ふぞ。
【解説】
「漢大綱正、唐萬目擧。本朝大綱正、萬目亦未盡擧」の説明。漢にも唐にも悪いところがあるが、全体では漢は筋が正しく君臣父子に嫌味がなく、男女の間に夷狄めいた見苦しいことはない。唐は「万目挙」で行き届いた法度があるが、あればあるほど煩い。宋朝も漢の様に大綱が正しい。
【通釈】
そもそも漢には漢だけの悪いことがあり、唐には唐だけの悪いことがあるが、一体の姿を論じる時はこの通りで、漢は筋が正しく君臣父子に嫌味がなく、男女の間に夷狄めいた見苦しいことはない。約三章などと言って全く嫌味はない。唐は「万目挙」で何から何まで届いた法度があるが臭気がある。ここへ本朝と出したのは一寸言っただけで、聖賢の御話と言っても今人の常と同じ。そうしたことだから自ずと現在のことが回って来るもの。日本では太平記で、この方の話からつい御当家のことを語るもの。宋を「正大綱」と言うのも天下の取り方を言ったのではなく、唐に対して言ったこと。太祖の大綱が正しいとは、夷狄風の骨肉淫乱がないことで言うのがよい。唐などのは万目が挙っても役に立たない。挙げれば挙げるほど煩い。それは何故かと言えば治体がないと落とした。ここは真面目になって宋の美を言うことではない。大綱の正がよければ、大根がよいということ。
【語釈】
・約三章…史記高祖本紀。「吾當王関中與父老約、法三章耳」。殺人・傷害・窃盗のみを罰するという三ヵ条の法。


第二十 教人者養其善心条

敎人者、養其善心而惡自消。治民者、導之敬讓而爭自息。
【読み】
人を敎うる者は、其の善心を養いて惡自ら消ゆ。民を治むる者は、之を敬讓に導きて爭い自ら息む。
【補足】
・この条は、程氏外書一一にある。

これは、治体は礼が本と云ことを語たものなり。教人と云へは師たるものの知ろふことなり。爰は教学へ載せてもよい語なり。治体へは教人は枕詞で治民が主なり。養善心と云の趣向は、親に不孝そふな、はて不届、以後屹度謹めと云はずに、親と云の忝いわけを云てきかせる。そこで自らやみ、仁心からしこむことで、道楽ものにも異見のしようがある。養善心と耻を知る。今どふらくもの手抦そふな顔でばかを尽す。耻を知ぬ。耻を知ると悪は消へる。さてこれは枕詞で、天下は導之敬讓云々なり。兎角敬讓と云がよいことなり。能以礼讓治國何有んとある。公事訴訟の爭は讓る心がないからなり。ゆつれば爭のあろふはつがない。初ての出合は見事なもの。亭主は折角御招き申ても何んにもござらぬと云へば、客は御馳走忝ひと云。人への進物も些小の品進上と云へば、向では珎しい品忝ひと云。虞芮の君も文王に公事をさばいてもらをふと思たら、其堺に入れば耕者畔を讓り、行者道を讓る。中々外聞がわるくてそんなことは云はれぬ。天下を治るも心のこと。師の弟子をしこむも心のこと。学問も政事も同じことなり。この体があると爭はないなり。
【解説】
人を教えるには善心を養うのである。それは仁心を仕込むことであり、恥を知らせることである。天下を治めるのは「敬譲」による。これも心のことであり、治体があれば争いも起こらない。
【通釈】
これは、治体は礼が本ということを語ったもの。「教人」と言うのであれば、師たるものの知らなければならないことであり、ここは教学へ載せてもよい語である。治体では、教人は枕詞であって治民が主である。「養善心」と言う趣向は、親に不孝だそうだが、それは不届なことだ、以後必ず謹しめとは言わずに、親の忝いわけを言って聞かせる。そこで自ら止むのである。これは仁心から仕込むことで、道楽者にも異見の仕方がある。養善心で恥を知る。今道楽者が手柄顔で馬鹿を尽くす。それは恥を知らないからである。恥を知ると悪は消える。さてこれは枕詞で、天下は「導之敬譲云々」だと言うのが主である。とかく敬譲というのがよいこと。「能以礼譲治国何有」とある。公事訴訟の争いは譲る心がないからである。譲れば争いのある筈がない。初めての出合いは見事なもの。亭主は折角御招き申しても何にもございませんがと言えば、客は御馳走忝いと言う。人への進物も些少の品を進上と言えば、向こうでは珎らしい品を忝いと言う。虞芮の君が文王に公事を裁いて貰おうと思った。そしてその境界に入ると耕者は畔を譲り、行者は道を譲る。それで外聞が悪くなって、そんなことは中々言えないとして帰った。天下を治めるのも心のこと。師が弟子を仕込むのも心のこと。学問も政事も同じこと。治体があれば争いない。
【語釈】
・能以礼讓治國何有…論語里仁13。「子曰、能以禮讓爲國乎、何有。不能以禮讓爲國、如禮何」。
・虞芮の君…史記周本紀。「西伯陰行善、諸侯皆來決平。於是虞・芮之人有獄不能決、乃如周。入界、耕者皆讓畔、民俗皆讓長。虞・芮之人未見西伯、皆慚、相謂曰、吾所爭、周人所恥。何往爲。祇取辱耳。遂還、倶讓而去。諸侯聞之曰、西伯蓋受命之君」。小学内篇稽古にもある。


第二十一 明道先生必有關雎云々の条

明道先生曰、必有關雎・麟趾之意、然後可以行周官之法度。
【読み】
明道先生曰く、必ず關雎・麟趾の意有りて、然して後に以て周官の法度を行う可し、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある明道の語。

この条は皆周て云て、治体の大根ここにあることがみゆる。關雎麟趾は二南の始め終り。あれが文王の御德ぞ。手を出したことでなし。先つ文王の御夫婦中よく、それから御子孫がとんと文王の德のやふなり。麟は禽獣では人間の垩人ぞ。これで詩人が書たは文王の德化で御子孫迠よいことを云たことで、政事にはかまはぬことのやふなれども、そこが治体なり。それから周公の周礼三百官なり。三百官はこれ迠かと云やふなささいなこともある。いこう末なことのやふなれとも、それが一つかければ政に穴があく。さてその法も只のは役に立ぬ。根のあると云が關雎麟趾なり。關雎麟趾からここのは三百官も活てはたらくぞ。そふなければ法ばかり虚く行はれぬ。そこで治体になるぞ。亭主が不機嫌なれば三什五菜も食へぬ。これが近世以法把持天下と云へりてて見よ。亭主が小言を云ながら吸物を出すやふなもの。体なくては法は行はれぬ。さて爰は治体と治法を幷べて云たやうなれども、何處迠も治体ばかりを云たことと見るべし。周宦の法度はちょっと云ことなり。あのやふなきまりた法も法ばかりでは立ぬものなり。其筈ぞ。周礼三百官があまり垩人の德化ほど難有ことではないは、今人も法では守られるものなり。垩人でなくても唐の大宗くらいの才力あらば出来やふぞ。周官に似よりた法もそれじゃから、どこ迠も治体を云ことなり。語類に朱子のたったこの一つ欠けてをることありとなり。氣の毒なことなり。後世治皆欠此一意と云へり。この語は三代から一とながめにながめた処なり。たった一つかけてこの關雎麟趾の味みがないと云へり。漢唐が治りても、そこが非後世之所及也。
【解説】
「關雎麟趾」は文王の徳であり、事ですることではない。周には周礼三百官があったが、法だけでは役に立たない。今でも法は行われているのであって、治体がなければならないのである。朱子は「後世治皆欠此一意」と言った。
【通釈】
この条は皆周のことで言い、治体の大根はここにあることがわかる。「関雎麟趾」は周南の始めと終り。あれが文王の御徳である。それは手を出してすることではない。先ず文王の御夫婦仲がよく、それから御子孫が実に文王の徳の様である。麟は禽獣の中では人間の聖人の様なもの。これを詩人が書いたわけは文王の徳化で御子孫までがよいことを言うためであり、政事には構わない様だが、そこが治体である。それから周公の周礼三百官である。三百官はこれまでがと言う様な些細なことまでにもある。大層末のことの様だが、それが一つ欠けても政に穴が開く。さてその法もそれだけでは役に立たない。根があると言うのが関雎麟趾である。関雎麟趾からだから、この三百官も活きて働く。そうでなければ法ばかりで虚しく、政がうまく行われない。そこでこれが治体となる。亭主が不機嫌であれば三汁五菜も食えない。これを「後世以法把持天下」で考えなさい。亭主が小言を言いながら吸物を出す様なもの。体がなくては法は行なわれない。さてここは治体と治法を並べて言った様だが、何処までも治体だけを言ったことだと見なさい。周官の法度は一寸述べたこと。あの様な決まった法も法だけでは立たない。その筈で、周礼三百官が聖人の徳化ほどにはあまり有難くはないのは、今の人も法で守られているからである。聖人でなくても唐の太宗位の才力があればそれはできること。周官に似通った法もあり、そこでここは何処までも治体を言うのである。語類で朱子がこのたった一つが欠けていると言った。それは気の毒なこと。「後世論治皆欠此一意」と言った。この語は三代から一眺めに眺めた処である。たった一つが欠けているとは、この関雎麟趾の甘味がないということ。漢唐は治まっていても、そこが「非後世之所及也」である。
【語釈】
・關雎麟趾…詩経国風周南の冒頭が関雎で、最後が麟之趾である。関雎の序に「關雎樂得淑女以配君子。愛在進賢、不淫其色。哀窈窕思賢才而無傷善之心焉。是關雎之義也」、麟之趾の序に「麟之趾、關雎之應也。關雎之化行、則天下無犯非禮。雖衰世之公子、皆信厚如麟趾之時也」とある。
・近世以法把持天下と云へり…治体16。「後世只是以法把持天下」。
・後世治皆欠此一意…朱子語類96。「後世論治、皆欠此一意」。
・非後世之所及也…大学章句序。「非後世之所能及也」。


第二十二 君仁莫不仁の条

君仁莫不仁、君義莫不義。天下之治亂、繋乎人君仁不仁耳。離是而非、則生於其心、必害於其政。豈待乎作之於外哉。昔者、孟子三見齊王而不言事。門人疑之。孟子曰、我先攻其邪心。心既正、然後天下之事、可從而理也。夫政事之失、用人之非、知者能更之、直者能諫之。然非心存焉、則一事之失、救而正之、後之失者、將不勝救矣。格其非心、使無不正、非大人、其孰能之。
【読み】
君仁ならば仁ならざる莫く、君義ならば義ならざる莫し。天下の治亂は、人君の仁不仁に繋るのみ。是を離れて非ならば、則ち其の心に生じて、必ず其の政に害あり。豈之を外に作[な]すを待たんや。昔者、孟子三たび齊王に見ゆるも事を言わず。門人之を疑う。孟子曰く、我先ず其の邪心を攻む、と。心既に正しくして、然して後に天下の事、從って理[おさ]む可きなり。夫れ政事の失、人を用うる非は、知ある者能く之を更[あらた]め、直[なお]き者能く之を諫む。然れども非心存せば、則ち一事の失は、救いて之を正さんも、後の失は、將に救うに勝[た]えざらんとす。其の非心を格[ただ]して、正しからざること無からしむるは、大人に非ずして、其れ孰か之を能くせん。
【補足】
・この条は、程氏外書六にある伊川の語。

乃ち孟子の語で、これが将棊たをしのやふに氣味のよいことなり。君子の德は風なり。小人之德は草なりぞ。上がよければ何のことはない。上からのことは樂なもので、下り坂のやうぞ。天下の治乱は向のこと。それを津々浦々迠が人君の仁不仁に繋るときけば、さてそふかと人君の心得になることなり。ここが治体ぞ。離是而非と云はすぐに不仁のことで、そふ見れば文義がたしかなれとも、仁不仁をぢきにさして是非として意思短、これを離れて非なればと見れば語が生きるやふなり。上の繋ると云処へかけてここを離れてと云たきものなり。舜臣五人天下治るも君がわるくてはすまぬことなり。生於其心で一心のことは知れぬやうなれとも、政は心ですることゆへ心からが出るものなり。豈待乎作之於外哉は法度號令なれとも、君の御心がわるければ所令反所好民不從と云やふなもの。孔子之善則千里之外順之悪則千里之外叛之とある。それが外に作すを待ん哉なり。
【解説】
「君仁莫不仁、君義莫不義。天下之治亂、繋乎人君仁不仁耳。離是而非、則生於其心、必害於其政。豈待乎作之於外哉」の説明。上がよければ問題なくうまく行く。天下の治乱は人君の仁不仁に由る。
【通釈】
即ち、ここは孟子の語からのことで、これが将棋倒しの様に気味のよいこと。「君子之徳風小人之徳草」である。上がよければ何と言うことはない。上からのことは楽なもので、それは下り坂の様なもの。天下の治乱は向こうのこと。それを津々浦々までが人君の仁不仁に繋がると聞けば、さてそうかと人君の心得になる。それが治体である。「離是而非」は直に不仁のことで、そう見ても文義としては確かだが、仁不仁を直に指して是非としては意思が充分に通じない。これを離れて非なればと見れば語が生きて来るもの。上の「繋」という処へ掛けて、是を「離れて」と言いたいところである。「舜臣五人天下治」も、君が悪くてはうまく行かない。「生於其心」で、一心のことはわからないことの様だが、政は心ですることなので心柄が出るもの。「豈待乎作之於外哉」は法度号令のことだが、君の御心が悪ければ「所令反所好民不従」という様なもの。「孔子之善則千里之外順之悪則千里之外叛之」とある。それが「待乎作之於外哉」である。
【語釈】
・孟子の語…孟子離婁章句上20。「孟子曰、人不足與適也。政不足閒也。惟大人爲能格君心之非。君仁莫不仁。君義莫不義、君正莫不正。一正君而國定矣」。
・君子の德は風なり…論語顔淵19。「季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子對曰、子爲政、焉用殺。子欲善、而民善矣。君子之德風。小人之德草、草上之風必偃」。
・舜臣五人天下治る…論語泰伯20。「舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人」。
・生於其心…孟子公孫丑章句上2。「何謂知言。曰、詖辭知其所蔽。淫辭知其所陷。邪辭知其所離。遁辭知其所窮。生於其心、害於其政。發於其政、害於其事。聖人復起、必從吾言矣」。
・所令反所好民不從…大学章句9。「堯舜帥天下以仁、而民從之。桀・紂帥天下以暴、而民從之。其所令反其所好、而民不從。是故君子有諸己、而后求諸人。無諸己、而后非諸人。所藏乎身不恕、而能喩諸人者、未之有也」。
・孔子之善則千里之外順之悪則千里之外叛之…易経繋辞伝上8。「子曰、君子居其室出其言。善則千里之外應之。況其邇者乎。居其室出其言。不善則千里之外違之。況其邇者乎」。

政は心からでなければいかぬ。そこで孟子の三見齊王而不言事。何んぞよいことを云かとをもへば、孟子が何も云はぬ。只じろ々々見て居られた。直方の、この何も云はずにじろ々々見て居る処が四十四の骨にしみることじゃと云へり。又云、なぜに齊王へ言を云はぬなれば、盃をまげてもって居る処へ酒のつがれぬやふなもの、と。孟子などの大名衆に見ゆるは君の心をよくせふと云ことなり。そこでこふせ子ば、よいことを云てもそれがわるい方へまわるものなり。刑和叔が邵康節に易を習をふと云たれば、こなたが易を學だら、なを姦雄になるであろふと云へり。先日の処にもある通り和叔は程子の向づらへまわった人なり。章惇はなをわるい人で、是れもそふ云たれば、邵康節のこなたは三年も山奧に引こんだらよかろふ、そふしたら易を教てやらふと云へり。皆非心のことなり。
【解説】
「昔者、孟子三見齊王而不言事。門人疑之」の説明。政は心から始めるもの。孟子が三度斉王に見えて何も言わなかったのは、斉王が邪心を持っていたからである。よいことを言っても、それでは悪い方に回ってしまう。
【通釈】
政は心からでなければうまく行かない。そこで孟子は「三見斉王而不言事」。何かよいことを言うのかと思えば、孟子は何も言わない。ただじろじろと見ておられた。直方が、この何も言わずにじろじろ見ている処が四十四の骨に沁みることだと言った。また、何故斉王に対して話をしないのかと言うと、盃を曲げて持っている処に酒を注げない様なものだとも言った。孟子などが大名衆に見えるのは君の心をよくしようとしてのこと。そこでこの様にしなければ、よいことを言ってもそれが悪い方へ回るもの。刑和叔が邵康節に易を習いたいと言うと、貴方が易を学んだら尚更姦雄になるだろうと言われた。先日の処にもある通り和叔は程子の向こう面へ回った人である。章惇はそれ以上に悪い人で、この人も同じことを言うと、邵康節が、貴方は三年も山奥に引っ込むのがよい、そうしたら易を教えてやろうと言った。それは皆非心のこと。
【語釈】
・三見齊王而不言事…荀子大略篇。「孟子三見宣王、不言事。門人曰、曷爲三遇齊王而不言事。孟子曰、吾先攻其邪心」。
・刑和叔…邢七。後に禅学を学ぶ。
・先日の処…出処29を指す。
・章惇…宋代の政治家。新法派であり、元祐年間に旧法に戻した者たちを元祐姦党として弾圧した。.

孟子の邪心を攻むと云は熱病でものの味の知れぬやふなものと、そこで邪心を去ら子ばならぬなり。政の仕そこない、人を用ひやうの非、それを学者が知で改ることなり。更之はひだちを入れて直すことなり。直者は漢の汲黯がやふなもの。直者と云ものよいものにて、これはなくてならぬもののずいぶんあるもの。今日大抵大名衆の家にもそれ相応にあるものなり。されとも人君の非心であるまい心があるゆへ、一つ二つは知者が更め直者が諫もしやふが、後之失者云々であとからはあとからはなり。俗に云飯の上の蠅ををふなり。悪筆へ筆道を教へるやうなもの。全体が悪筆ゆへ天の字はよくかくかと思へば地の字は子からゆかぬ。人欲が皃をかへて出る。楊弓がやめば釣り、それが鞠とかわる。それもこれも心にあることなり。君之心の非を挌と云は三公の道を談ずると云やふな仕掛でなくてはならぬ。大德の人が君の御側についてをればわるくなりやふがない。それを直に御前の御心根がわるいからと云ても、やはり直者能諫むなり。
【解説】
「孟子曰、我先攻其邪心。心既正、然後天下之事、可從而理也。夫政事之失、用人之非、知者能更之、直者能諫之。然非心存焉、則一事之失、救而正之、後之失者、將不勝救矣」の説明。政の仕損ないや人の用い方の非など、それを学者が知で改め、直者が諌める。しかし、人君の非心を格すのは大徳の人でなければできることではない。
【通釈】
孟子が邪心を攻むと言ったのは、斉王の心は熱病でものの味がわからないのと同じであり、そこで邪心を去らなければならないということ。政の仕損ない、人の用い方の非、それを学者が知で改めるのである。「更之」は非太刀を入れて直すこと。「直者」は、漢の汲黯の様な者。直者というのはよい者で、その様ななくてはならない者が随分といる。今日大抵の大名衆の家にもそれ相応にいるもの。しかしながら、人君が非心で、あってはならない心があるので、一つや二つは知者が更め直者が諌めもするが、「後之失者云々」で後から次々に悪いことが起こる。俗に言う、飯の上の蝿を追うである。それは悪筆の者に筆道を教える様なもの。全体が悪筆なので天の字はうまく書くかと思えば地の字は根から悪い。人欲が顔を替えて出る。楊弓が止めば釣り、それが鞠と替わる。それもこれも心にあること。君の心の非を格すというのは、三公が道を談じるという様な仕掛けでなくてはうまく行かない。大徳の人が君の御側についていれば悪くなる術はない。直に君の御心根が悪いからと言うのも、やはりそれは「直者能諌」である。
【語釈】
・ひだち…非太刀。①相手が油断しているすきに、刀で一撃を加えること。②非難。
・汲黯…漢代。武帝の時代初期の官僚。

非心を挌すと云は、だたいのがかいがちごふことなり。大人が異見を云かとをもへばそんなことはない。異見は長もちがせぬもの。某なども政は人君の心術が大切と云ことを知ってをる。心術へたたることなれば、ただのもののならぬこと。非大人と云もそのはづなり。そんなら大人がどふ挌すかと思へば、君とむかい合た処がこちが大人ゆへわるい心がなくなるそふなり。それはどふしたことと云に、平生しわいものもきらし手の処にをるといじ々々した心がきれいになる。きらしてがこなたはしわいと云て呵りもせぬが、相手にあることなり。大人もそりゃ邪心じゃ々々々々と一度々々に云こともなく、只づっしりとしてをるなり。そこが挌すなり。大人に仕事はない。これが大人の化で、中々只のもののなることでない。治の体と云も心にあることで、人君の魂にかかること。王佐の才と云も天下のことをくる々々まわすと云やふなことではない。人君の御心の底にたち入てすることなり。
【解説】
「格其非心、使無不正、非大人、其孰能之」の説明。大徳の人は何も言わずに人君と向かい合うだけだが、向かい合うだけで人君の心に入って行き、それで悪い心がなくなるのである。
【通釈】
非心を格す者は、そもそも規模が違う。大人が異見を言うのかと思うと、そんなことはない。異見は長持ちがしない。私なども政は人君の心術が大切だということを知っている。しかし、それは心術へ祟ることなのだから普通の者にはできない。「非大人」と言ったのも当然である。それなら大人がどの様に格すのかと思えば、君と向かい合うと、こちらが大人なので君の悪い心がなくなるそうである。それはどうしたことかと言うと、平生吝い者も浪費家の処にいるといじいじとした心が綺麗になる。浪費家が、貴方は吝いと言って呵りもしないが、そうなるのは相手にあること。大人も、それは邪心だとその度毎には言わず、ただずっしりとしているだけである。そこが格すである。大人に仕事はない。これが大人の化で、中々普通の者のできることではない。治の体というのも心にあることで、それは人君の魂に関わること。王佐の才と言うのも天下のことをくるくる回すという様なことではなく、人君の御心の底に立ち入ってすることなのである。