近思録目録。書名にわけのあるは中庸と近思ぞ。近思と云わけがすむと、書名計りてもよほどはかのゆくこと。中庸もそれで、二字計りで傳心の工夫をしてとることなり。近思と云字も学者の魂のきまりの大事なり。夫だけ吟味ものぞ。近思は近く思と云ことで、学問を胸へのせるはとかく思と云ことなり。されとも、思にも思やふある。労咳病は思ほどわるい。そこで近く思と云が親切ぞ。どふかこうかと考へるやふな彼本心會得の筋ではない。此目録の通りの道学の條目をたてて、そこを近く思ことぞ。目録を讀で見ると学問のがかい規摸が知るる。大学の序に其規摸之大とあるが、大学は八条目、近思は十四篇、多少はあれとも近思で大学をして取る。学者これを功夫にして玉しいのきめをしてとること。さて、して取るにしてみれば、今の学者の篇目の順さへそらんぜぬ位では、工夫処ではない。論孟の篇目は、為政の次が里仁かと覚へちがいてもあまり害にもならぬ。近思と大学の序次を取ちがへると、学問の筋立ず、工夫のちがいになる。
【解説】
書名自体に意味があるのは中庸と近思録である。近思は「近く思う」という意味で、学問は思うことで成る。その思い方は目録の通りに思うのがよく、近思録や大学は、篇順を間違えると学問の筋が立たなくなる。
【通釈】
近思録目録。書名自体に意味があるのは中庸と近思録である。近思と名付けた意味が理解できると、書名からだけでもかなり学問が進む。中庸も同じで、この二字だけで伝心の工夫をして取るのである。近思という字も、学者の魂の決め所となる大事な字である。それだけに吟味が必要である。近思は近く思うことで、学問を胸に乗せるには、とにかく思うことが必要である。しかし、思うにも思い方がある。労咳病みは思えば思うほど悪くなる。そこで、近く思うというのが親切である。どうこうと考える様な、かの本心会得の筋ではない。この目録の通りに道学の條目を立てて、そこを近く思うのがよい。目録を読んでみると学問全体の規模を知ることができる。大学の序に「其規模之大」とあるが、大学は八条目、近思は十四篇で、篇数に多少ということはあるが、近思録で大学をして取るのである。学者はこれを功夫して、魂を決め所をして取るのである。さて、して取るということで見れば、今の学者が篇目の順番さえも暗記できない状況では、工夫どころの話ではない。論語の篇目は、為政の次が里仁かと覚え違えてもあまり害にもならないが、近思や大学の序次を取り違えると学問の筋が立たず、間違った工夫となる。
【語釈】
・其規摸之大…大学章句序。「而此篇者、則因小學之成功、以著大學之明法、外有以極其規模之大、而内有以盡其節目之詳者也」。

道體。道に体の字をつけたはひょんなことの様じゃが、さて、所謂をきけば面白やなり。道は形ないものなれとも、形のない処が道の形なり。水に味のないやふなもの。味のないが水の味なり。向に見へるが山、白く見へるが鷺と云は、形あるゆへ児ともも見付る。道は鼻の先きにあるが、形なさに人が見付ぬ。そこを一つ合点することぞ。佛者が本来の面目と云。こちがそれに似たかと云に、佛のは空理、こちは実理、目には見へぬがその中に一つ動ぬ丈夫なものがある。親は大切、子は可愛。どうしてかそうなり。夫れは目に見へぬ。そこが道の体なり。親子は繪にかかるる。かわいいは繪にかけぬ。人々道体なりを毎日々々して居ながら知らぬ。日用不知じゃ。それを知ると云は智惠のそこがぬけ子ばならぬ。道体と云は道の大原を合点して、何でも道理に一つ根のあるをよく知るがよい。根を知ら子ば異端も一理あると云様になる。道体に見識のないは根がない。今の学者は藥種屋の藥を合せるやふで、書付の通り調合はすれとも、なぜ甘艸を入るる、なぜ茯苓を入るると云根を知らぬ。旦那が明日御出下されと云へば、家来も明日御出下されと云。同口上でも、取り次は根を知らぬ。学者も道体を知ら子ば日用をつとめても、丁と旦那の云通を取次が云やふて、何のことやら知らす。そこて始に道体を出したは、根を引ぬいてここが大原じゃと合点さするなり。その根を見付るは知のこと。目録に云道体はつるしてをくやふなもの。それを知るは致知で知るなり。爰で別の仕方はない。又、急に近付にはなられぬ。只名義を知ること。名義を知る内に道を見付ることなり。
【解説】
「道体」の説明。道には形がないが、その形のないところが道の形である。道は身近にあるが、形がないので人は見付ることをしない。道に形がないことを仏教も主張するが、仏教は空理であり、聖学は実理である。道体という根本を理解し、全てのことには根があることを知るのである。根とは根本であり、根は知で見つけることができる。道体を知る方法は致知のみによる。
【通釈】
「道体」。道に体の字を付けたのは意外なことの様だが、さて、その理由を聞けば面白い。道は形のないものだが、形のない処が道の形である。それは水に味がないのと同じ。味のないことが水の味なのである。向こうに見えるのは山、白く見えるのが鷺という様なものは、形があるから子供でも見付けることができる。道は鼻先にあるが、形がないので人は見付けることをしない。そこを一つ合点しなければならない。仏教が本来の面目と言うので、こちらが仏教に似せたのかと言えば、仏の方は空理、こちらは実理、どちらも目には見えないが、こちらにはその中にしっかりとして動かない丈夫なものが一つある。親は大切で子は可愛い。何故かそうなのである。それは目に見えない。そこが道の体なのである。親子を絵に描くことができるが、可愛いは絵に画けない。人々は道体の通りを毎日していながら、それを知らない。「日用不知」である。道体を知るには知恵の底が抜けなければならない。道体を知るとは道体の大原を合点することであり、どんな道理にも一つ根があることをよく知らなければならない。根を知らなければ異端にも一理あると言う様になる。道体に見識がないのは根がないということ。今の学者は、薬種屋が薬を合せる様なもので、書付の通りに調合はするが、何故甘草を入れるのか、何故茯苓を入れるのかという根を知らない。旦那が明日御出下さいと言えば、家来も「明日御出下さい」と言う。それは同じ口上であっても、取次ぎの家来は根を知らない。学者も道体を知らなければ、日用のことを勤めていても、丁度旦那の言う通りに取次ぐ様で、それが何のことかを知ることができない。そこで、始めに道体を出した理由は、根を引き抜いて、ここが大原だと合点させるためである。根を見付けるのは知である。目録で言う道体は吊るして置く様なもの。それを知るのは致知で行う。ここに別の仕方はない。また、急に近付きになることはできない。ここはただ名義を知ること。名義を知る内に道を見付るのである。
【語釈】
・日用不知…孟子告子章句下2集註。「楊氏曰、堯舜之道大矣。而所以爲之、乃在夫行止疾徐之閒、非有甚高難行之事也。百姓蓋日用而不知耳」。易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。

爲學は学問の功夫なり。道体は向にをくこと。為学は工夫をしてこちですること。千難万難、垩賢を手本にをいて、向へ々々と行く。直方先生の所謂股引脚胖で聾の道中、人にかまわす脇目もふらす垩賢を追掛ける。なせ追掛けるなれば、道体の符帳に合ふ人間になろふと修行するからなり。中庸は道の書。あたまに天命之謂性と出す。道体なり。するとはや、戒愼於不睹云々と出るは為学なり。大学の明德は道体。在明、為学。道体を云ときは天地の大原から千草萬木まてを云は子ばならぬ。為学は吾々体のむさくきたない骸から、顔子孟子追付きたいと云のなり。大きなこと。この二つが近思の指し當りての棟上けなり。
【解説】
「為学」の説明。道体はそのまま向こうに置いておくものだが、為学は自らが工夫をするもので、道に合致する人となるために、道体に向って進むことである。近思の差し当たっての棟上はこの道体と為学である。
【通釈】
「為学」は学問の工夫である。道体は向こうにそのまま置いておく。為学は自分で工夫をすることで、千難万難があっても、聖賢を手本として向こうに置いて、それに向かって行くのである。直方先生の言う、股引脚半姿で聾が道中する様に、人に構わず脇目も振らず聖賢を追い駆けること。何故追い駆けるのかと言うと、道体に適う人間になろうと修行するからである。中庸は道の書で、冒頭に「天命之謂性」と出す。これが道体である。すると直ぐに、「戒慎乎其所不睹」と出るのは為学である。大学の「明徳」は道体で、「在明」は為学。道体を言う際は、天地の大原から千草万木までのことを言わなければならない。為学とは、我々如きむさ苦しくて汚い骸でも、顔子や孟子に追い付きたいとすることである。それは大きなこと。この道体と為学の二つが近思の差し当たっての棟上げである。
【語釈】
・符帳…商品につけて値段を示す目印の符号。符牒。合図の隠語。あいことば。
・天命之謂性…中庸章句1の語。
・戒愼於不睹…中庸章句1。「道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。
・明德…大学章句1。「大學之道在明明德、在親民、在止於至善。知止而后有定。定而后能靜」。

致知、存羪、克己は為学の小わりなり。どこでも知はさきなり。これが近思で始りたことでない。書經の精一の訓から大学も格知がさき。さて、此篇目に格物の字を出さぬがきこへたことで、格物すればじきに致知なり。二つことてないからなり。腹のへったに飯を喰ふは挌物、ひたるいのやんだは致知。挌致のことはとちを云ても同しことなれとも、こちへきめた方を主にするかよいから格物とはせず、致知と出した筈そ。そふたい、学問の功夫、とかく知が先へ立つそ。火消屋鋪で出大鼓を打ってかけ出すは行なれとも、方角知らずに出ることはならぬ。そこで、どこ通りとまづ方角を呼ぶ。これ知かどこまても先立つなり。迂斎曰、夜中病人あらふとも、火事のときも、盗人のときも、まづ火をとぼす。老荘がすました顔で落付ても、暗くては泥溝へをちる。排燈持さきへ立子ばならぬ。
【解説】
「致知」の説明。これ等は為学を小割にしたものだが、いつも知が先に立つ。格物と致知は一体なので、篇目には格物を出さずに致知を出した。学問の工夫は知から始まる。
【通釈】
「致知」「存養」「克己」は為学を小割にしたもの。そして、いつでも知が先である。しかし、それは近思から始まったことではない。書経の精一の訓も大学も格知が先である。さて、この篇目に格物の字を出さないのは当然なことで、格物をすれば直に致知であり、格物と致知とは別々のことではないのである。腹が減ったので飯を喰うのは格物、それで空腹が止むのは致知。格致のことはどちらで言っても同じことだが、自分で決めることを主にする方がよいから格物とはしないで、致知と出したのである。大体、学問の工夫はとかく知が先に立つ。火消屋敷で出太鼓を打って駆け出すのは行だが、方角を知らずに出るわけにはいかない。そこで、どこの通りなのかと先ず方角を聞く。これが、知がどこまでも先へ立つということ。迂斎が、夜中に病人があっても、火事の時も、盗人のある時も、先ず火を灯すと言った。老荘がすました顔で落ち着いていても、暗くては泥溝に落ちる。提灯持ちは先へ立たなければならない。
【語釈】
・精一…惟精惟一。書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・ひたるい…ひもじい。空腹である。

存羪。これが大切なことなり。つまり、うっかりとしてはなんでもならぬ。端的、今日の講釈の席でも存養がないと脇へ心が散ったり、不敬で居睡をしたりする。存養は孟子の存心養性の字を取たもの。凡夫は見る聞に心がうばわれて、夫れにつれて心がさきからさきへゆく。心は爰に居て京へも長﨑へもゆく。夫を行ぬ様にすると仁義礼智が養るる。手入れがよければ、百姓の作り物もよい。牡丹ずきの牡丹は兼ての手入れのよさに、花もうっきりとする。手入のわるい作りものはやせる。致知は今日一事をしるし、明日一事をしるすと云こともありて、今朝内を出たときより只今の講釈で、はや近思の序がよくすんたと云こともある。たんてきにひらける。なれとも、存養は一日や二日ては間に合ぬ。心廣體胖と云も、凡人が只一日よいことして、なんとふっくりとゆたかに見へはせぬかとは云はれぬ。貧乏者が金をもろふたとて、其日から顔色ちがいもせぬ。富潤屋は身代のよいに久しい存養がある。そこでどことなくよくみへる。かふしたことゆへ、ひたものの功夫で知も行も根がちごふてくるなり。
【解説】
「存養」の説明。心はとかく外事に影響されてじっとしていない。それを身から離れないようにして養えば、仁義礼智が養われる。また、致知は簡単にわかるが、存養の修得は、直ぐにはできない。存養をするか否かで知も行もその大本が違って来るのである。
【通釈】
「存養」。これが大切なことである。つまり、うっかりとしていては何も成らないということ。早い話が、今日の講釈の席でも存養がないと、心が脇へ散ったり、不敬して居眠りをしたりする。存養は孟子の「存心養性」の字から取ったもの。凡夫は見聞に心が奪われて、それにつられて心が先へ先へと行く。心はここにある様でも、京へも長崎へも行くのである。それを行かさない様にすると仁義礼智が養われる。手入れがよければ百姓の作り物もよい。牡丹好きの牡丹は日頃の手入れがよいから花もうっとりとする。手入れの悪い作り物は瘠せる。致知には、今日は一事を記して、明日もまた一事を記すという様なこともあり、今朝家を出た時点から只今の講釈の間で、早くも近思の序がよくわかったということもある。致知は簡単に開けるが、存養は一日や二日で修得することはできない。「心廣體胖」とは言っても、凡人が只一日善いことをしただけで、実にふっくりと胖に見えだろうなどと言うことはできない。貧乏者が金を貰ったからといって、その日から前と変って顔色が金持ちらしくなるということはない。「富潤屋」で身代がよいのは、永いこと存養があるからである。そこでどことなくよく見える。こうしたことだから、一途な工夫をするかしないかで、知も行も根が違って来るのである。
【語釈】
・存心養性…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。」。
・致知は今日一事をしるし、明日一事をしるすと云こともあり…致知9。「須是今日格一件、明日又格一件。積習既多、然後脱然自有貫通處」。
・心廣體胖…大学章句6。「富潤屋、徳潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。
・ひたもの…一途に。ひたすら。

克己は行の惣まくりなり。行を克己と出したはどふなれば、よいことをするにも草臥たり寐むくなったりするは、肉にひかるるからなり。私欲は肉から。肉にひかれ子ば行がなる。そこで、克己は欲を相手にうってとることて、克己を行の惣まくりと出したもの。克己は大学の誠意と字は違ふて根は一つこと。克己は私を相手にしたこと。誠意は本意の通りにせふと云こと。これも挌致からゆくこと。君に忠、親に孝、堯舜の通りをせふと挌致することなり。夫れが本意の通りにならぬと云は、肉がうしろから肘をひくからぞ。それへやらぬが誠意。そこで私欲を相手にする克己も、本意のとをりにする誠意も實は一つことじゃから、どちも行の惣名なり。さて、克己は手あらがよい。をとなしく出るはよくない。禁酒も心で呑ぬと尤らしく云はずと、盃を踏み碎き、德利も打破る。さて々々、手づつには見へても克己の面目なり。克己の克は歒に克つの克つじゃと云て、手あらいがよい。其あらい克己になぜ存養が入るなれば、行も只一度ぎりでは役には立ぬ。少しゆたんあると又人欲がさしこんでくる。そこで孔子が顔子克己の目を問た答に、非礼勿視云々。耳目は一生ついてあるもの。耳目あらんかきりは克治せ子ばならぬとのこと。これが行上の端的存養なり。存養はどっちへも塩梅をつけるもの。存養なければ克己もがさ々々する。
【解説】
「克己」の説明。克己は行の総捲りであり、大学の誠意もそれである。人は肉に引かれる。私欲は肉から来る。克己は欲を討ち取ることであり、誠意は本意の通りにすることで、それは格致で行う。克己は手荒く行うのがよい。また、孔子が「非礼勿視」と言った通り、耳目は人が生きている限り働いているから、絶えず克己が必要なのであり、これが行の上での存養である。
【通釈】
「克己」は行の総捲りである。行を克己と出した理由は、よいことをするにも草臥れたり眠くなったりするが、それは肉に引かれるからである。私欲は肉から来る。その肉に引かれなければ行が成る。それで、克己は欲を相手にして討ち取ることだから、克己を行の総捲りと言ったのである。克己は大学の誠意と字は異なるが、根は同じである。克己は自分を相手にしたことで、誠意は本意の通りにしようということ。これ等も格致で行く。君に忠、親に孝、堯舜の通りをしようと格致することなのである。それが本意の通りにならないのは、肉が後ろから肘を引くからである。肉に引っ張られない様にするのが誠意。そこで私欲を相手にする克己も、本意の通りにする誠意も実は同じことだから、どちらも行の総名なのである。さて、克己は手荒いのがよい。大人しくするのはよくない。禁酒も、心で呑まないなどと尤もらしく言わずに、盃を踏み砕き、徳利も打ち破る。それは実に不器用には見えても、これが克己の面目である。克己の克は敵に克つの克だと言い、手荒く行うのがよい。その荒く行う克己に何故存養が必要かと言うと、行も只一度限りでは役に立ないもので、少し油断をすると、また人欲が差し込んで来るからである。そこで孔子が、顔子が克己の目を質問したのに答えて、「非礼勿視」云々と言った。耳目は人に一生付いているもの。耳目のある限りは克治をしなければならないと孔子は言ったのである。つまり、これが行の上の存養である。存養はどちらへも塩梅を付けるもの。存養がなければ克己も上手く行かない。
【語釈】
・手づつ…てずつ。へた。拙劣。不器用。
・非礼勿視…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下帰仁焉。爲仁由己、而由人乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視。非禮勿聴。非禮勿言。非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。

家道からは新民にあたる。これが自然なことで、手前の身じんまくがすむと人へ出す。されどあたまから遠くへ手を出すてなく、家の内を治めること。家が治りてからは國天下も治る。覇者は家にかまわずにさきの方へ手を出す。袋棚の内は埃だらけで、客の見る処計りを掃く。斉桓晋文天下を安んじて、さて、家内はつかみちらしたやふなことなり。垩学は、父子兄弟から夫婦袵席の上までふっくとゆくでなくては、家道と云字へ合はぬ。をいらは致知も克己も存養もす。手前はすんだ。家内のことは身の外出来ぬと云は、吾れ計り飯を喰ふて人に喰せぬになる。人の家内にはさま々々ありて、掛り人の叔父伯母迠ある家もあるそ。それまでをよくとっくとするでなくては家道でない。明德がほんに明になると向へ出る。この方が明になると新民がなる。丁と夫がよいから、女房迠よくなりたと云様なもの。大なことで云はば、瞽瞍底豫のこと。あの鬼ぢいが佛性な親父になりた。堯も舜をためされた。二女を釐め降しなり。舜の家道を見て天下を讓ふとされた。家道が至善につまれば、家に六ヶしい婆々があろふか、愚癡な伯父があろふがふっくとする。尹彦明も御袋の機嫌よくせふと家道のために佛經を讀れたと見へるが、讀んだだけが至善につまらぬ。本んに至善につまれば、御袋がをぬしのきらいな經はよまぬもよい、やっはり西の銘をよみやれと云筈ぞ。程門のれき々々で吟味してもこれじゃ。近思義理精微尽之とあり。やっはり大学の至善ぞ。精ひ藥りはきぬふるいにかけられぬ。
【解説】
「家道」の説明。家道は大学における新民と同じで、自分のことが終われば人に対してのことをするのであり、その初めが家道である。覇者は家道を疎かにするが、聖人はそれを大事にした。堯は舜の家道を見てから天下を譲ろうとした。
【通釈】
「家道」からは大学の新民に相当する。これが自然なことで、自分の身支度が終えると人との関係に移る。しかし、最初から天下国家の様な遠くの方を手掛けるのではなく、家の中を治めることから始めるのである。家が治まって後に天下国家も治まる。覇者は家に構わず天下国家の方へと手を出す。袋棚の中は埃だらけのままで、客の見る所ばかりを掃く。斉の桓公や晋の文公は天下を安んじたが、家の中は散らかし放題である。聖学は、父子兄弟の関係から夫婦袵席のことまでふっくりと行くのでなければ、家道という字に合わない。俺は致知や克己、存養もして自分のことは済んだが、家の中のことは自分自身のことではないからできないと言うのは、自分だけが飯を喰って、他人に喰わせないのと同じである。家の中は様々で、居候の叔父伯母までいる家もある。その様な人までを、十分に面倒を看ることができなければ家道ではない。明徳が本当に明らかになるとそれが相手に出る。自分が明らかになると新民が成る。丁度、夫が良いので女房まで良くなったと言う様なもの。大きなことで言えば「瞽瞍厎豫」のこと。あの鬼爺が仏性な親父になった。堯も舜を試された。二女を嫁に降して試したのである。舜の家道を見て、堯は天下を譲ろうとされた。家道が至善に詰まれば家に難しい婆がいようが、愚痴を言う伯父がいようがふっくりとする。尹彦明も母の機嫌をよくしようとして、家道のために仏経を読まれた様だが、経を読んだ分だけ至善に詰まることができない。本当に至善に詰まれば、母が、お前の嫌な経は読まなくてもよい、やはり西銘を読みなさいと言う筈である。程門の歴々で吟味をしてもこの通りである。「近思義理精微尽之」とあるが、やはりそれは大学の至善のことである。粗い薬は絹篩にはかけられない。
【語釈】
・新民…大学章句1。「大学之道、在明明徳。在親(新)民。在止於至善」。
・身じんまく…身慎莫。身のまわりを引き締めととのえること。身じたく。身じまい。金銭などを隠して貯えること。へそくり。
・斉桓晋文…斉の桓公と晋の文公。共に春秋五覇(斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王)の一人。尚、論語憲問16に、「子曰、晉文公譎而不正。齊桓公正而不譎」とあり、孟子梁惠王章句上7に、「齊宣王問曰、齊桓晉文之事、可得聞乎。孟子對曰、仲尼之徒、無道桓文之事者」とある。
・掛り人…他人に頼って生活する人。いそうろう。
・瞽瞍底豫…孟子離婁章句上28。「舜盡事親之道、而瞽瞍厎豫。瞽瞍厎豫、而天下化。瞽瞍厎豫、而天下之為父子者定。此之謂大孝」。瞽瞍は舜の親。厎豫は大変よろこびを極めたの意。
・佛性…一切衆生が本来もっている仏としての本性。如来蔵。
・尹彦明…尹和靖。名は焞。程伊川の高弟。紹興の初め祟政殿説書兼侍講。当時金との和議に反対し、学問は伊川の敬を継承して著しく主体的。1071~1142。『伊洛淵源録』『宋元学案』同『補遺』
・西の銘…為学89。
・近思義理精微尽之…

出處。家道から国天下へ出る出かけの吟味ぞ。ここは出る筈、出る道理ぎり々々につめて出るが出なり。此節は出ぬ筈、出ぬ道理ときり々々につめて引こむが處なり。爰へ手前細工の工夫を入れず、道理まかせにすること。さて、出ずき引込ずきがあるもの。夫れは喰ひものにすききらいのあると同じことで、どっちも論にかからぬことなり。出る筈出ぬ筈、筈の処をしっかと見ぬかぬと、功利になるか隠者風になるかなり。いざをれが出て一つ治めてやろふと出ると垩賢の志のやうなれとも、筈にちがいがあれば名利にをちる。尤、凡夫の金銭ほしい、俸禄をと云欲でもないが、つまり名利のためにし、事功に目がついて出るからは義てはなし。利と云ものそ。さて、出処の道に一つ禄仕と云ことある。これがかれこれ云はずに却て心の高いことなり。百姓にも商人にもなられぬ身分のものにあること。向から家老になれと云ても、それは請ぬ。ほふ々々と云徒[かち]や火の用心ふれる足輕を望み、それがよいと云。ここがきれいな識趣にて、孟子の辞貴居賎云々なり。ひくい塲にをるで、心持は高いなり。昔から此の禄仕が一路なり。さて又、儒官になりて講釈をする。これが禄仕に似たこと。先輩もなされたこと。されともこれは禄仕とちごふことがある。講釈をして君や家老の玉しいをよくすることゆへむつかしい。爰には出処の入ることにて供をする侍とはちごふ筈ぞ。あまりきつい議論をして憎まれてはなるまいのと云心にいやしい処があれば、あたることをひかへてやわらかな講釈をするものぞ。これで孔孟程朱に顔が向けられふか。大ていぬらりくらりして一生をすごすが儒者役と云ものぞ。其心術のはては楊雄になる。じゃゆへに禄仕は辻番がよい。ここが高いことぞ。出處に泥がつけば、あとに事業ありても皆ばら々々になる。
【解説】
「出処」の説明。出処とは、道理を見極めてその道理に従うことだが、これを間違えると功利者または隠者風になる。出処は利ではなく、義に叶う様にする。儒官には出処が必要である。儒者役の多くは心に賎しいところがあるから厳しいことを言わないが、それは出処に泥を付けるものである。
【通釈】
「出処」。出処は家道から国天下へと向かう出掛けの吟味である。ここは出る筈、出るのが道理と、ぎりぎりぎりまで詰めて出るのが「出」である。この場は出ない筈、出ないのが道理と、ぎりぎりまで詰めて引っ込むのが「処」である。ここへは自分勝手な工夫を入れないで道理に任せるのである。さて、世間には出好き、引っ込み好きがあるもの。それは喰い物に好き嫌いがあるのと同じことで、どちらも論ずるに足りない。出る筈出ない筈の、筈ということをしっかり見抜かないと、功利者か隠者風かになる。さて俺が一つ治めてやろうと言って出るのは聖賢の志の様だが、筈に違いがあれば名利に落ちる。尤も、それは凡夫が金銭や俸禄を欲しがるという様な欲でもないが、つまり名利のためにしたことで、事功に目当てに出るのだから、それは義でなく利というものである。さて、出処の道には禄仕ということがある。これがかれこれ言わずに却って心持ちの高いことである。それは百姓にも商人にもなることのできない身分の者にあること。向こうから家老になれと言われても、それは請けない。ほうほうと叫ぶ徒や火の用心を触れ回る足軽を望み、その徒や足軽になりたいと言う。これがきれいな識趣で、孟子の「辞貴居賤云々」と同じこと。卑い場にいるが心持ちは高い。昔からこの禄仕は一途なものである。さてまた、儒官になって講釈をする。これが禄仕に似たこと。先輩もなされたこと。ところが儒官は禄仕と違ったところがある。儒官は講釈をして君や家老の魂をよくすることだから難しい。これには出処が必要であって、供をする侍の立場とは異なる筈である。あまり厳しい議論をして憎まれてはならないという様に心に賎しい所があれば、厳しくすべきところも控えて無難な講釈をするもの。それで孔孟程朱に顔が向けられようか。大抵、ぬらりくらりとして一生を終えるのが儒者役なのである。彼等の心術の果ては揚雄となる。そこで、禄仕は辻番がよい。それが高いということ。出処に泥が付けば、後にすべき事業があっても、皆ばらばらになる。
【語釈】
・徒…中世・近世、徒歩で行列の先導をつとめた侍。小身の侍。かちざむらい。
・辞貴居賎…孟子萬章章句下5。「爲貧者、辭尊居卑、辭富居貧」。
・楊雄…揚雄。前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。博聞多識、易に擬して「太玄経」を作り、論語に擬して「法言」を作り、また「訓纂」「州箴」を擬作したので、模擬の雄と称せられた。ほかに「揚子方言」「反離騒」「甘泉賦」などがある。揚子。前53~後18
・辻番…江戸時代、江戸市中の武家屋敷の辻々に大名・旗本が自警のために設けた番所。辻番所。そこに勤務して、街路警固に当った人。辻番人。

治體、治法、政事。上の出処の出の字とかけ合はすること。治体はまた政に出ぬ根の処。大学の序に、人君躬行本心得之餘而云々とある。あの心に得るの処。治躰は伯者にあたって立った篇目と見よふこと。伯者が治法は、垩人にも似寄りた程の法を立るが治体はとんとない。丁と臆病な大將のかかれ々々々と云の筋ぞ。大將が色青ざめでは士卒はすすまぬ。人君の身持がわるくては政の根がない。爰がわるければくさいものに蓋ぞ。肴がくさりては、料理はならぬ。人君は自らの明德と云ものからどこまでもやること。そこが治の体なり。その上が治法なり。躰ありても法のないは戸板の上に棋をうつのぞ。いかに本因坊もうてぬ。鰹節小刀一本では左甚五郎でも七堂伽藍は立られぬ。迯げるより外はない。垩人も法なくてはならぬから、周礼三百官なり。皆法そ。心がよくても法なくてはならぬから、今有仁心仁聞而民不被其澤者云々とある。法なくてはならぬゆへ、又、郷之八刑以糾萬民。体と法と揃でよい。左甚五郎によい道具があるで七堂伽藍が立つ。名人の料理人は体、よい献立は法。体のあって法のないは、親切な白人が急病人の処へかけ付たやふなもの。背中を無性にさすり、かれこれと誠はあれともさきの為にはならぬ。夫より解毒一粒でなをることあり。下はかわいがるがよいと云は人君の仁に止る処。されとも小児に無性にあまいものをくわせると虫が出る。法のない親切は役にたたぬ。そこで、垩人の仁で学挍の教から刑罸まである。
【解説】
「治体・治法」の説明。治体とは君主本人に関することであり、それは明徳を明らかにすることから始まる。伯者には、治法はあるが治体はない。しかし、治法も必要で、法がなくて事を行うと却って悪い結果になる。料理で言えば、よい料理人が体、よい料理が法である。体も法も両方が必要である。聖人の仁には学校の教えと共に刑罰がある。
【通釈】
「治体」「治法」「政事」。治体、治法、政事は前にある出処の「出」の字と掛け合わせたこと。治体はまだ政に出る前の根本のところである。大学の序に、「本之人君躬行心得之餘云々」とあるが、その「得心」のところである。治体は、伯者に対して立てた篇目だと見なさい。伯者は聖人に似通ったほどの法を立てるが、治体は全くない。丁度、臆病な大将が、かかれ、かかれと命令する様なもの。大将が青ざめていては、士卒は進まない。人君の身持ちが悪ければ、その政も根がない。人君の身持ちが悪ければ臭い物に蓋である。肴が腐っていては、料理はできない。人君は自らの明徳からどこまでも始めるのである。これが治の体であって、その先が治法である。体があって法がないのは戸板の上で碁を打つのと同じである。それではいかに本因坊でも打てない。鰹節に小刀一本では、いかに左甚五郎でも七堂伽藍は建てられない。逃げるより外はない。聖人も法がなくてはならないから、周礼三百官がある。これ等も皆法のことである。心がよくても法がなくてはならないから、「今有仁心仁聞而民不被其澤者云々」とある。法がなくてはならないから、また、「郷之八刑以糾萬民」とある。体と法とが揃うのでよい。左甚五郎にはよい道具があるから七堂伽藍が建つ。名人の料理人は体、よい献立は法。体があって法がないのは、親切な素人が急病人の処へ駆け付けた様なもの。背中を無性に擦り、かれこれと誠を尽くすが相手のためにはならない。それよりも解毒剤一粒で治ることもある。下は可愛がるのがよいと言うのは人君の仁に止まる処。しかし、無闇に小児に甘いものを喰わせると虫がわく。法のない親切は役に立たない。そこで、聖人の仁には学校の教えから刑罰までがある。
【語釈】
・人君躬行本心得之餘而…大学章句序。「則又皆本之人君躬行心得之餘、不待求之民生日用彝倫之外」。
・周礼三百官…周礼で定めた三百官。天官冢宰・地官司徒・春官宗伯・夏官司馬・秋官司寇・冬官考工記。
・今有仁心仁聞而民不被其澤者…孟子梁惠王章句上7。「楊氏曰、爲天下者、舉斯心加諸彼而已。然雖有仁心仁聞、而民不被其澤者、不行先王之道故也。故以制民之産告之」。
・郷之八刑以糾萬民…周礼地官司徒。「以郷八刑糾萬民。一曰不孝之刑、二曰不睦之刑、三曰不姻之刑、四曰不弟之刑、五曰不任之刑、六曰不恤之刑、七曰造言之刑、八曰亂民之刑」。

此の二つて体用揃ふ。其上に政事と云はどふしたものなれば、これが初心な人の知ぬこと。いこふ塩梅あることぞ。丁と、上の致知克己も存養なければふっくりとない。治体治法も政事と云さし引がなくてはゆかぬ。治体治法でをし出た二つのこと、きっとして、さて、塩梅の差引は入るぞ。是れが医者の加減のやうなもの。医案も方付もよいが、其ばかりでなをらぬがある。ここで差引加減をせ子ばならぬ。手にあまることをすると病人を殺す。三代の法ても用ひられぬがある。そこをするは下手ぞ。今の学者、学力ありても政のならぬ、あづけられぬと云がここなり。融通して用ることを知ら子ば政事はならぬ。療治も手あらいとよはすぎるとがある。そこをよきほどにするがよい医者ぞ。されともかふ云と政事は上手をすることと思ふ。それでは伯者になる。そふてなく、治体治法を丁度の処へやるが政事なり。体法をかまぼこにして出した処が政事なり。これが名人の上でなければならぬ。垩人の上には云に云へぬよい政事がある。二典三謨にて可見。大学の序に後世之非所能及とある。此三つかそろへは平天下かなる。
【解説】
「政事」の説明。政事とは治体と治法の二つを運用する手法であり、医者でたとえれば匙加減である。匙加減をして程よいところに治体と治法を遣るのだが、それは名人でなければできないことである。
【通釈】
治体と治法の二つで体用が揃うが、その上に政事と言うのが何故なのかは、初心の人にはわからないこと。それは大層塩梅のあることである。丁度、先の致知や克己も存養がなければふっくりとしない様に、治体や治法も政事という差し引きがなくてはうまく行かない。治体と治法とで推し出した二つのものは、屹然としてはいるが、それに塩梅の差し引きが要る。それは医者の匙加減の様なもの。医案も方付もよいが、それだけでは治らないこともある。そこで差し引き加減をしなければならない。手に余る様なことをすると病人を殺す。三代の法でも用いられない場合がある。そこを無理に用いるのは下手な者のすること。今の学者は、学はあっても政ができない、政を預けることはできないと言うのはこのことである。融通して用いることを知らなければ政事はできない。療治にも手荒い方法と慎重すぎる方法とがある。そこを程よく行うのがよい医者である。しかしこの様に言うと、政事は上手に処理をすることだと思われそうだが、それでは伯者になる。そうではなくて、治体と治法を丁度よいところへ遣るのが政事なのである。体と法とを蒲鉾にして出した処が政事である。それは名人でなければできないこと。聖人には言葉に表せない程のよい政事がある。二典三謨を見なさい。大学の序に、「後世之非所能及」とある。治体、治法、政事の三つが揃えば平天下が成る。
【語釈】
・医案…医療についての考え。また、それを記したもの。
・方付…処方箋
・二典三謨…書経の篇。二典は堯典と舜典、三謨は大禹謨、皋陶謨、益稷。
・後世之非所能及…大学章句序。「所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也」。

教学は、上の出處の處の字を下の方へかけてとること。垩賢の世には不合、田舎へでも引こんでおらるる。所作がない。そこで、遠方からくる英才を取立るを樂みとしてをる身分のこと。されとも、そこを家業と心得ては教学の意でない。今日の浪人儒者が、をれがあの村のためになることをすると思ふは僣ふたことぞ。風俗をよくすることは上のなさるること。古の学挍の教法は既に右の治法の内にあることで、上ですることなり。魯をよくするは三家の役。孔子は子貢が来ると、やれよくきたと云て性天道の咄をなさる。孟子は萬章公孫丑と叙詩書也。英才の出来るを三樂の内にするがここの教学の意なり。今の学者、師となることを好み、村の風俗をよくせふとかかる。これは役人の分域を犯すなり。先刻云た勿為小人儒と云は念佛組と云やふなもの。無性に世話をやく。商人を見ても、下男や奉公人を見ても、やれ書をよめ、学問をせよと云。左様の筋がよくは名主の役なり。其様になんでもない者ともに学問をひらすすめにすすめるから、教学の規模がちいさくなる。篤実なものはちいさいことに腰をかけ、これを君子教学のやふにをもふ。そこで、小人儒となるなかれもここにもある。教学はばの廣いことぞ。なぜなれば、平天下のなる人が下にひっこんで孔孟のやふに人ををしへらるることぞ。つまり今日ならば、垩賢の道をつづけることと合点すべし。急に今の役には立ぬもの。一寸きいて役に立ことは皆ちいさいことなもの。ほんのことは急な間にあはず、役に立ぬものぞ。道学者の教学は心術からかかる。それゆへ、諸先輩の著述の書が中々そこらの見世の若いものや湯屋の番頭の見て役に立ぬこと。玉講附録鞭策排釈のやくにたたぬで知れてある。一寸見て役に立つことは、本のことはない。賢者國に益なしもきこへた。商君や張儀がやふなことはないものなり。
【解説】
「教学」の説明。人民を教化するのは君主の仕事であって、無闇に人を教化しようと思ってはならない。道学における教学とは、孟子の様に野にあって天下の英才を教育するものであり、それは、孔子と子貢、孟子と萬章や公孫丑との関係の様なものである。今の教学は聖賢の道を続けるためのものであり、それは普通の人には理解もできないし、役にも立たない。急場に役立つものは規模が小さい。商鞅や張儀の様な業績も、聖賢の教学ではない。
【通釈】
「教学」とは、先に述べた「出處」の「處」の字を下の方に掛けてすること。聖賢の世に合うこともできず、田舎へでも引っ込んでおられる。それは仕方がない。そこで、遠方から来る英才を取り立てることを楽みとする身分のことである。しかしながら、これを家業と心得るのは教学の意ではない。今日の浪人や儒者が、俺があの村のためになることをしようと思うのは僭越である。風俗をよくすることは上のなさることで、古の学校の教法は既に先の「治法」の内にあることであって、上のなさることである。魯国をよくするのは三家の役。孔子は子貢が来ると、やれよく来たと言って、性や天道の話をなさる。孟子は萬章や公孫丑と共に詩書を叙す。英才ができるのを三楽の一つとするのがここの教学の意である。今の学者は師となることを好み、村の風俗をよくしようとするが、それは役人の領分を犯すものである。先刻、「勿為小人儒」と言った中の小人儒とは念仏組の様な者のこと。彼等は矢鱈と人の世話を焼く。商人を見ても、下男や奉公人を見ても、さあ書を読め、学問をしなさいと言う。その様なことは名主の役であり、名主になってすればよい。この様に、何でもない者共に学問を只管進めるから、教学の規模が小さくなる。篤実な者は小さいことに腰を掛け、それを君子の教学の様に思っている。そこで「勿為小人儒」と言うのもこのためである。教学の規模は広い。その理由は、平天下を実現することのできる人が野に引っ込んで、孔子や孟子の様に人を教えられることだからである。つまり今日で言えば、聖賢の道を続けることだと合点しなさい。教学は急場の役には立ないもの。一寸聞いただけで役に立つことは皆小さいこと。本当のことは急場には間に合わなくて役に立ないものである。道学者の教学は心術から始める。それ故、諸先輩の著述した書が、そこ等辺の店の若者や湯屋の番頭が見ても、中々役に立ないのである。玉講附録や鞭策録、排釈録が当座の役に立たないのは知れたこと。一寸見て役に立つことに本当のことはない。「賢者之無益於国」もこれでわかった。商君や張儀の様なことは、聖賢の教学ではない。
【語釈】
・遠方からくる英才を取立るを樂みとしてをる…孟子尽心章句上20。「孟子曰、君子有三樂。而王天下、不與存焉。父母倶存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才、而教育之、三樂也。君子有三樂。而王天下、不與存焉」。
・三家…魯の実力者。孟孫、叔孫、李孫の三家。
・性天道…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・孟子は萬章公孫丑と叙詩書…孟子序説。「退而與萬章之徒序詩書、述仲尼之意、作孟子七篇」。
・賢者國に益なし…孟子告子章句下6。「魯繆公之時、公儀子爲政、子柳・子思爲臣。魯之削也、滋甚。若是乎、賢者之無益於國也」。
・商君…商鞅。中国、戦国時代の政治家。衛の公族。公孫子。刑名の学を好み、秦の孝公に仕え、法令を変革、富国強兵を推進、商邑に封。恵文王が立つに及んで讒せられ、車裂きの刑に処された。公孫鞅。衛鞅。前33~8
・張儀…中国の戦国時代の縦横家。魏の人。鬼谷子に師事し、秦の恵王の相となり、連衡の策を以て韓・斉・趙・燕に遊説。恵王の死後憎まれ、魏の相となったが一年で客死。~前310

警戒。是れ迠に学問をしあげると、吾れを忘れて吾をよいとをもふ。佛法で魔のさすと云戒めは小僧へ云ことでない。長老への用心なり。段々出た上へ警戒を出すが垩学の大事なり。垩罔思作狂。垩人も左圑ではをられぬ。吾をよいと思ふ端的がわるくなるの端なり。全体此の警戒と云はつつしみのことなれば、存養の内にあること。存養をするで警戒になるが、それをもふ一つ取り出して終の方へ出したは面白ひ。あの存養でしたてた持敬の意が、爰だそ々々々とどこまてももちつづける。これが垩賢になる人でなくては味の知れぬこと。警戒なければ吾をよいと思ふ。吾をよいと思ふが、はや地獄へをちる。さて、吾をよいと思ふは氣がさ放蕩めいた活達の者にばかりあると思ふが、そふでない。却て篤実なものにある病なり。辞は謙遜でも、もと人抦もよくをとなしさに吾をよいと心底にたかぶるものなり。直方先生の、仁斎はうっかりと垩人になりた心もちであろふと云れた。なるほど、あの君子風に自是の病ある。そこで教学の第十一条まてゆきつめて、ここへ此篇を出す。ここは疂の上に杖をつくこと。これで最初の存養をもちつづけることなり。
【解説】
「警戒」の説明。警戒とは敬のことであり、それは存養の内にある。存養があるのに改めて警戒を出すのは、存養を持ち続けるための用心である。教学までを仕上げると、自分をよいと思うようになるが、それは悪い。
【通釈】
「警戒」。教学までの学問を仕上げると、我を忘れて自分をよいと思う。仏法で魔が差すという戒めは、小僧に対して言うことではなく、長老に対しての用心なのである。段々と学問を深めて行きながら、ここで警戒を出すのが聖学にとって大事なことである。「聖罔思作狂」で、聖人も左団扇ではいられない。自分をよいと思うこと自体が、悪くなる始めである。大体、警戒とは敬のことだから、それは存養の内にあること。存養をするから警戒となるのだが、終わりの方に改めて警戒を出したのが面白い。あの存養で仕立てた持敬の意を、ここだ、ここだと、何処までも持ち続ける。この味は聖賢になる人でなくてはわからないこと。警戒がなければ自分をよいと思う。自分をよいと思うと直ぐに地獄へ落ちる。さて、自分をよいと思うのは、負けん気が強く放蕩風の闊達な者にばかりあると思われがちだが、そうではない。却って篤実な者にある病である。言葉使いは謙遜をしていても、元々人柄もよくて大人しいのだから自分はよいと心の底で強く思う。直方先生が、仁斎はうっかりと聖人になった心持ちだろうと言われた。なるほど、あの君子風なところに自是の病がある。そこで、教学の第十一条まで行き詰めて、ここにこの警戒の篇を出す。ここは用心を重ねること。ここで、最初の存養を持ち続けるのである。
【語釈】
・垩罔思作狂…聖も思うこと罔[くら]ければ狂と作[な]る?
・氣がさ…気嵩。①心の大きさ。②負けん気が強いさま。勝気。

異端の見処は得手な勝手な処を一つ見たもの。そこで片へらなり。見そこなったぐるみ、一つ見は見た。此方の道体に似たことある。そこではっきりと出してみせ子ば学者の用心にならぬ。垩人の道は全く、異端は片々なり。つまり勝手な処を一つ見たもの。東を見たものは東のこと計りを云ひ、南を見れば南計りを云ふ。西と北のあることを知らぬ。皆片々足でちんがら々々々々とたどりゆく。片足では往れそうもないものなれとも、どふやらこうやらあるかるるもの。其上、道の見様がするどいから人を動す。夫れを力にしてゆく。中々見様が高ひから、近理而大乱眞とも云ぞ。異端の道を見たはかんのよい坐頭のやふなもの。今、將棊をさす坐頭があるが、あれがかんのよいからなり。目あきにもまさるせうぎがある。それならかんさへあれば目は入らぬかと云に、將棊が上手でも馬の尾にも杖をつっかける。用水へもはまる。それは眼のないからなり。そこで火事見舞にはやられぬ。火消にはならぬ。
【解説】
「異端」の説明。異端の主張は、自分の得手方を一つだけ見て言うものであって、道全体を見てのことではない。道全体を見なければ、学者のためにはならない。異端は道の見方が鋭い。しかし、それは感が良いだけである。異端には聖学の道体に似たところがあるのでこの篇がある。
【通釈】
異端の見処は、得手勝手な処を一つだけ見たもの。それで片方だけなのである。見損なったとは言え、一つ見るには見た。それにはこちらの道体に似たところがある。そこで、全体をはっきりと出して見せなければ学者の用心にならない。聖人の道は全備し、異端は片方だけである。つまり、異端は勝手に一つ見ただけである。東を見たものは東のことばかりを言い、南を見れば南ばかりを言って、西や北があることを知らない。皆片足で辿り行く。片足では行けそうもない様だが、どうやらこうやら歩くことはできるもの。その上、道の見方が鋭いから人を感動させる。それを力にして進む。中々知見が高いから、「近理而大乱眞」とも言う。異端が道を見るのは感のよい座頭の様なもの。今、将棋をさす座頭がいるが、それは感がよいからである。目の見える人よりも強い者もいる。それなら感さえあれば目は要らないかと言うと、将棋は上手でも、馬の尾に杖をつっかけ、用水に嵌ることもある。それは目がないから。そこで、座頭を火事見舞に遣わすことはできず、火消にすることもできない。
【語釈】
・近理而大乱眞…中庸章句序。「彌近理而大亂眞矣」。

垩賢。道体は道のなり。夫を身にもったが垩賢なり。始の道体がかたまりて、爰へ目鼻がついて出たもの。道体に目鼻のついたが垩賢ぞ。なせなれば人欲のないからなり。凡夫は人欲に目鼻のついたもの。からだ中が皆欲ぞ。釈氏の成仏はこちの垩賢なり。あちは成佛した処がとんと天地とちごうた姿なり。こちの垩賢は、天地道体のなりが五尺のからだになりたのなり。道の形ないものを為学で修行して垩賢になりて、生きた道体になりををせたを爰へ出したもの。これで證文でない。正金にしたでたしかの出来あがりなり。近思の規摸は大きいこと。これまでにて目録の講釈はすみたぞ。
【解説】
「聖賢」の説明。聖賢は道体が人の形になったのであって人欲はない。しかし、凡人は欲が人の形になったので、体中が欲である。仏教の成仏は天地の姿と異なるものであって、聖賢の道に反する。
【通釈】
「聖賢」。道体は道の姿である。それを自分の身に持ったのが聖賢である。始めにあった道体が固まって、これに目鼻が付いてできたもの。道体に目鼻が付いたのが聖賢である。それは何故かと言うと、そこには人欲がないからである。凡人は人欲に目鼻が付いたもので、体中が皆欲である。釈氏の成仏は、こちらの聖賢に相当する。しかし、あちらの成仏したところは全く天地と違った姿である。こちらの聖賢は、天地道体の姿が五尺の体になったのである。道という形のないものを為学で修行して聖賢になって、生きた道体に至ったところをここに出した。それは證文の様なものではなく、正金であって、確かな出来上がりである。近思録の規模は大きい。これまでで目録の講釈は済んだ。
【語釈】
・正金…①強制通用力を有する貨幣。紙幣に対して金銀貨幣をいう。②現金に同じ。

さて、此篇目の中で致知が一はじめのこと、大事の処と合点せふことなり。道体の名義計りを知るも致知。たすきをかけてせい出して為学をせふと知るも致知。その知る々々と云を書物藝にせず、吾に得ると云が近思の吟味なり。致知で始めて存養へをとして吾ものにする。それが垩人之徒と云ふもの。こふしたきめの学問は、学者のをもぶりがちがふ。育ちの上品なやふなもの。大名は兎角上品なり。今、博識の学者と云ても、そだちのわるい方からをもぶりがそでない。さて、こふそたった上を警戒であたまをおす。直方の云はるる、嘉右門殿の神道へ流れたは、あたまのをしてないゆへぞ。朱子には李延平と云ふあたまのおしてのありたゆへ、あのとをりになられた、と。学者も警戒ないと垩人の地位はさてのけ、その前にくるいか出来る。大切なことなり。又、近思に伯者を弁ずる題目のないは、あれは治体の内ですんである。治体と云字で伯者の似せ者はしれる。さて、異端をば出さ子ばならぬは、佛の寂滅も老子の虚無もこちの道体に似たことが多ひから、その分にしてをかれぬ。又、別に弁したもの、中庸は對異端、こちのことを出す。近思の異端は取っつかまへて弁する。
【解説】
近思録は致知が最初で存養にそれを落として自分のものにする。その後、順序に従って進み、警戒で頭を押さえる。直方は、山崎闇斎は頭を押さえてくれる人がいなかったので神道へ流れたのだと言った。警戒がないと、聖人に至る前に狂いが出る。また、伯者への弁がないのは、治体でそれが済んでいるからで、逆に、異端があるのは、異端の説が道体に似ているので弁駁しなければならないからである。近思録の異端の篇目は中庸のそれとは異なり、異端を捕まえて弁駁するものである。
【通釈】
さて、この篇目の中で致知が一番始めのことで、これが大事なことだと理解しなさい。道体の名義だけを知るのも致知であり、たすきを掛けて精を出して為学をしようと知るのも致知である。その知るということを書物芸にせず、自分に得るのが近思の吟味である。致知で始めて存養に落として自分のものにする。これが聖人の徒というもの。こうした決めを持った学問では、学者の風貌が違う。それは育ちが上品な様なもの。大名はとかく上品なもの。今、博識な学者と言われていても、育ち方が悪いから、風貌は良くない。さて、この様に育った上で、警戒で頭を押える。直方が、嘉右衛門殿が神道へ流れたのは、頭の押し手がいなかったからで、朱子には李延平という頭の押し手があったから、あの通りの人物になられたと言われた。学者も警戒がないと、聖人の地位はさて置き、その前に狂いができる。これが大切なこと。また、近思録に伯者を弁じる題目がないのは、治体の中で済んでいるからである。治体で伯者という偽者は簡単に知ることができる。しかし、異端を篇目に出さなければならなかったのは、仏教で言う寂滅も、老子の言う虚無も、こちらの道体に似たところが多いので、放って置けないからである。そこで、一篇にして弁じたのである。中庸は異端に対して聖学のことを言ったものだが、近思録における異端の篇目は、彼等を取っ捕まえて弁じたものである。
【語釈】
・嘉右門…嘉右衛門。山崎闇斎。
・李延平…字は愿中。羅豫章の門に程氏学を学ぶ。朱子も22歳の時に李延平の門を叩く。1093~1163。

さて、此目録、先輩多くはよまれぬ。よむが主意でもないなり。尤、朱子はよませる心ではなく、只並べた迠のことであろふ。よまぬがよいと云先輩もあれとも、此の篇目は大学の次第にも似て居る。よめばよんだだけの益はある。よむが朱子の意と主張することでもないが、只よめばよい。よんだだけの益はある。高木甚平でかありた、道学をよこたをしに見せるのじゃと云た。よい弁ぞ。されともこう云弁を云へば、目録はよむにきめた弁なり。主張すぎる説になる。讀む筈でなくとも、よめは皆の合点にもならふとよむことなり。既に今日如此講したが、各々聽かぬ前とはどうぞ。讀んだだけすめたであろふ。然らばよむがよいぞ。
【解説】
目録自体は、朱子もそれを読ませるために書いたのではない。これは読まなくてもよいとも考えられるが、読めば読んだだけ益になるのだから、読んだ方がよい。
【通釈】
さて、この目録を先輩の多くは読まれない。これを読むのが近思録の主意でもない。尤も、朱子は目録を読ませるつもりではなく、只並べただけのことだろう。読まない方がよいと言う先輩もいるが、この篇目は大学の次第にも似ていて、読めば読んだだけの益はある。読むのが朱子の意思だと主張することでもないが、只読めばよい。読んだだけの益はある。高木甚平だっただろうか、道学を横倒しに見せるもののだと言った。よい話である。しかしながら、この様に言えば目録は読まなければならないと決め付けることになり、主張が過ぎる説となる。読む必要はなくても、読めば皆の理解にもなるだろうと思って読むのがよい。既に今日この様に講釈をしたが、各々聴く前とはどの様に変ったのか。読んだだけ理解が進んだだろう。それなら目録は読む方がよい。
【語釈】
・高木甚平…

先生、引用書目をよみ終りて曰、これは全く朱子のなされたこと。後人のしたことでないが、さて、役には立ぬこと。それなら根から入用にないかと云に、四先生のなされた書の吟味にはよい判鑑ぞ。二程全書の粹言も似せもの、中庸の解も似せもの。又、二程類語と云ものあり、これもそでない。太極の文字ある易の序も心元なし。しからば、爰にない程子の書は皆似せものなり。朱子はこんなことまての意はないが、今をもへばかふみることもあるぞ。これに付て殊勝なことあり。南郭が徂徠の著述の書を目録にしておいた。これは心いきのいとしいことなり。あの道樂学問昼寐すきなれとも、後世似せものが出やふかと思て目録をあらわしておいた。これが師のことを尊ぶからのこと。竒特なことなり。此書籍目録の通りに上の篇目も出されて、朱子の意に道学を横たをしに見せると云ことはあるまいなり。しかし、大学の八条目はこの篇目のやふに一紙につつりてあるて、各別的切にひびくぞ。一紙にあるで各別よいぞ。もし大学が傳ばかりなものならば、あの八目のつづきに、あはれ目録ほしくをもふ意もあるへし。されは、近思もたたの書の目録とはちごふ筈なり。
【解説】
引用書目にない程子の書は皆偽物である。目録は一枚に篇目をまとめてあるので的切に響く。
【通釈】
黙斎先生が引用書目を読み終えて言った。この引用書目は全て朱子がされたことで、後人のしたことではないが、さて、それ自体は役に立ないものである。それなら全く必要がないかと言えば、四先生の書の理解にはよい手本である。二程全書の粋言も偽物、中庸の解も偽物。また、二程類語と言うものがあるが、それも本物ではない。太極の文字のある易の序も心許ない。こうして見れば、引用書目にない程子の書は皆偽物である。朱子にはこんなことまで言う意はなかったが、今思うとこの様な見方をすることもできる。これについて殊勝なことがある。南郭が徂徠の著述書を目録にしておいた。これは心意気の愛しいこと。あの道楽学問で昼寝好きな者が、後世に偽物が出るかもしれないと思って目録を著しておいた。これは師を尊ぶからしたことで、奇特なことである。この書籍目録の通りに上の篇目も出されたが、朱子には道学を横倒しに見せる意はなかっただろう。しかし、大学の八条目はこの篇目の様に一紙に綴ってあるので格別的切に響くのである。一紙にあるので格別によい。もしも大学が伝ばかりであれば、あの八条目の続きに、哀れにも目録を欲しく思う意も出るだろう。それで、近思録の目録もただの書の目録とは違う筈である。
【語釈】
・判鑑…判はわかること。鑑は照らし合わせ、見分けて正しいことを知ること。または手本。
・二程全書の粹言…
・中庸の解…
・二程類語…
・南郭…服部南郭。江戸中期の儒学者・詩人。名は元喬。京都の人。柳沢吉保に仕え、荻生徂徠に学び、古文辞を修め、詩文に長じた。著「唐詩選国字解」「南郭先生文集」など。1683~1759