近思録巻之一筆記
道體凡五十一條  六月十六日  文録
【語釈】
・六月十一日…寛政2年庚戌(1790年)6月16日。
・文…花澤文二。林潜斎。東金市堀上の人。一時、丸亀藩主京極侯の儒臣となる。1749~1817

近く思は心と身より外はないと迂斎云へり。思へはそふなり。学問をしても、そこをうか々々通。必竟、人の闕けは心の不足か身の不足かなり。五倫の交は心と身てするゆへ、近思の字は心と身をそれへはめること。然にそれなりにまあ押付て置は、顧れはさっはりとないことなり。父の方へもそれなりに押付るなれは、實に学ふと云はれぬ。そこを氣がつかいて通すか多い。それからして、書の上も根づみがせず、講釈するものも、根ずみせぬことをまあ一日を通して居るは、身心にきりこますことで片付てをく。近思は我役に立やうと思ふこと。苦ひ藥、あつい灸をする。そふなければ上の空の学、人の爲の費なり。学者の先生のと云はれるか樂みになりて、我病根を見のかしにするは、思て見れば耻しいこと。山師の土藏なり。人見せにするゆへ骨組悪く、外は見事に塗ゆへ路人は善と思ふ。学者にもそれがある。眞のぶけんは内を丈夫に壁を厚くして、外はこれで来年迠をこふと蘆簀でも引はってをくこともあり、内症々々とする故、外はわるくても身かある。そこを、近思を身と心のためと云。ここは大事に聞べし。
【解説】
近く思うとは、自分の心と身のことである。つまり、己の為の学問であって、人の為の学問とは違う。人の欠点は、心や身の不足から来る。心と身で真剣に実践しなければ本当の学問とは言えないが、多くの学者は、それをいい加減に扱うから、学問が全く身に付かない。山師の土蔵は内側が悪くても、外からは立派に見える。真の金持ちは山師の逆であって、内側を大切にする。学者も同じである。
【通釈】
近く思うとは、心と身のこと以外はないと迂斎が言った。改めて考えてみればその通りである。学問をしていても、そのことを忘れたままでいる。所詮、人の欠点は心の不足か身の不足かである。五倫の交わりは心と身とでするのだから、近思とは心と身とを五倫に嵌めることなのである。それにも拘わらず、それなりにまあといい加減にするのは、顧みれば、全くしてよい筈はないこと。父へもいい加減に対応するのなら、実に学ぶとは言えない。そこを気が付かないで通す者が多い。それからして、書に関しても根済みがしないので、講釈をするにも根済みしていないことを紛らかして日々を過ごす。それは心身に切り込まずに片付けて置くものである。近思とは、自分の役に立てようと思うこと。苦い薬や熱い灸と同じである。そうでなければ上の空の学問であって、人のための費えである。学者とか、先生とかと言われるのが楽みになって、それで自分の病根を見逃すのは、思えば恥ずかしいこと。それでは山師の土蔵と同じである。山師の土蔵は人に見せるためなので、骨組は悪く、外は見事に塗る。それで、通行人はよい造りだと思う。学者もそれがある。真の金持ちは内側を丈夫にして壁を厚くし、外は来年までこのままにしておこうと、蘆簀でも被せておくこともある。内側を大事にするから、外側は悪く見えても身がある。そこで近思では、身と心のためと言う。ここのところは大事に聞いて置きなさい。
【語釈】
・五倫…孟子縢文公章句上4。「人之有道也、飽食煖衣、逸居而無教、則近於禽獸。聖人有憂之、使契爲司徒、教以人倫、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」。
・ぶけん…分限。財力のあること。また、その人。富豪。金持。ぶげん者。
・蘆簀…蘆(まだ穂の出ていない葦)で作った簀子。

先輩、論孟を見るは論孟の異見を聞と云るる。それも近思でなけれは人へのいけんのやふに心得、我ことのやふにない。今日、医者が世間の話に此比この方で経驗ありと咄すと、其病持合た者は我病氣に近く思ひ、私にもとはや手を出し、脉を見せる。学問はそれけかない。上べて世を渡ふと思ふ。それゆへ書をも見聞もすれとも、我力のないも丈のないも謀らす、只うか々々講釈聞くことと思ている。初学はまあそれもよけれとも、聞へぬと思はば聞まいと思ふ程てなけれは役に立ぬ。近思もすまぬにうか々々きく。すまぬを只聞けは近思てない。何程結搆ても、朝鮮人参も病症にあわ子は生薑にをとる。実学がそれなり。百姓が五穀をすてて牡丹蘇鉄サボテンを植て居は身代の爲にならぬ。学者も学へとも心と身のためにならぬと云なれは、地ごくそばに糞土なり。今日の学者、書も見、人の言を聞て、氣質人欲のこやしして我を高ぶる。幸田子が、学者は凡夫にない人欲あると云へり。訂斎もいこう賞美せり。学者は悪業が入てさま々々に非を飾り、又は先生ぶりたがる。皆心身の病。やはり、人の爲の費なり。
【解説】
黙斎の先輩は、論語や孟子を読むのは孔子や孟子の主張を知るためだと言った。しかしそれも近思でなければ身に付かない。また、学問は自分の力量を考慮して行わなければならない。講釈も聞く段階に至っていなければ、却って聞かないほうが良い。心身がしっかりとしていなければ、学問をしても無駄である。学者には凡人にはない人欲があって、そのために色々と過ちを粉飾したり、先生ぶりたがるが、それが心身の病であり、人のための弊なのである。
【通釈】
先輩が、論語や孟子を見るのは、論孟の異見を聞くためだと言われた。しかし、それも近く思わなければ、他人への異見の様に心得てしまい、自分の事の様に捉えることができない。今日、医者が世間話で、この頃、私はそれを扱った経験があると話すと、その病を持ち合わせた者は、その話を自分の病気に重ね合わせて近く思い、私も診て欲しいと早々に手を出して脈を見させる。今の学問をする者には、近思の気持ちがない。上辺だけで世を渡ろうと思う。それ故、書も見聞きはするが、自分に力のないことや未熟なことを考慮せず、学問とは只々講釈を聴くことだと思っている。学問を始めたばかりの者は、まあそれでもよいが、聞いてもわからないと思ったら、却って聞かないことにしようと思うほどでなければ役には立たない。近思も済まないのに、うかうかと講義を聞く。済まないのに講義を只聞いているのは近思でない。どれほど結構な朝鮮人参でも、病症に合わなければ生姜にも劣る。それが実学である。百姓が五穀を棄てて牡丹や蘇鉄、サボテンを植えるのは身代のためにはならない。学者も、学んでも心と身のためにならないということであれば、それは地獄蕎麦に糞土である。今日の学者は書も見て、人の話も聞いて、それを気質人欲の肥やしにして自分を高く見せる。幸田子善が、学者には凡人にはない人欲があると言った。その言を訂斎も大層褒めた。学者は悪業が入って来て、様々に非を飾り、或いは先生ぶりたがる。それ等は皆心身の病であって、人のための費えなのである。
【語釈】
・幸田子…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。迂斎と野田剛斎に学ぶ。享保5年(1720)~寛政4年(1792)
・訂斎…久米訂斎。京都の人。三宅尚斎門下。名は順利。通称は断二郎。尚斎の娘婿。1784年没。

今、四子六經て不足ないに朱子の近思録を編るるは、とと其やふな人の病根を除為なるに、うか々々讀は近思の藝者なり。因て、朝聞道、不知命無以為君子も一ち仕廻のことの様に心得る。それては八十八の守出すときに知るるであろふそ。其時、天命を知ふと期して居ふか、死きわに聞ては役にたたぬ。今聞たとき夕死可とこそ云へ、今たたぬ覚悟が何の役にたつものそ。夫も近思の意なき故なり。朝聞道、天命を知るも此方に覚悟があると、身分相應に聞とり目鼻か出来る。讀んた其日から役に立子は切近てない。延齢丹はのんただけの效がある。今日の学者は鯰を瓢箪なり。ぬらくらして一生学んて甲斐はない。藥や灸も急に十分の驗は見へ子とも、其日からそれたけの病に的する手段なり。そこて病にひしとあたることはある。高妙な語も死際待ことてない。近思開巻も今じきに的中すれは近思なり。切近てないゆへ主張かつかす、近思に精彩かない。
【解説】
学問の書は四子六経で充分なのに、朱子は近思録を編集した。それは学者の病根を取り除くためである。よって、切近して近思録を読まなければならず、そうしなければただの芸である。朝に道を聞くにも天命を知るにも今の自分の覚悟が大事で、近く思わなければならない。そして、近思は実学だから、今現在役に立たなければ近思ではない。死に際に理解しても、それでは役に立たない。
【通釈】
今、学問をするのに四子六経で不足はないが、それにも拘らず、朱子が近思録を編集したのは、つまり学者の病根を取り除くためであって、近く思わずに読む者は近思の芸者である。「朝聞道」や「不知命無以為君子」も最後のことの様に心得ている。それなら、四国八十八箇所のお守りを出す時にこの言葉の意味を知ることができるだろう。その時に天命を知ろうと期しているのだろうが、死に際に聞いては役に立たない。今聞いた時に、「夕死可」とこそ言えるが、今立たない覚悟が何の役に立つものか。これも近思の意がないからである。朝聞道も、天命を知ることも自分に覚悟ができていると、身分相応に聞き取って目鼻ができる。読んだその日から役に立たなければ切近ではない。延齢丹は飲んだだけの効果がある。今日の学者は鯰に瓢箪でぬらりくらりしていて、一生学んでも学んだ甲斐はない。薬や灸も急に十分な効き目があるわけではないが、使ったその日から、使った分だけ病に適した手段となる。その中には、病にぴったりと合うこともある。高妙な語も、死に際を待って理解すべきものではない。近思の開巻も今直ぐ心身に的中すれば近思である。読む者の心身が切近でないから主張が身に付かず、近思に精彩がない。
【語釈】
・四子六經…四子は、論語・孟子・大学・中庸。六経は易経・書経・詩経・春秋・礼・楽経(佚書)。
・朝聞道…論語理仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・不知命無以為君子…論語堯曰3。「子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也」。
・八十八の守…四国八十八箇所のお守り。
・切近…論語子張6。「子夏曰、博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣」。
・鯰を瓢箪…鯰に瓢箪。鯰をひょうたんでつかまえる意で、とらえどころ、つかみどころのないこと。

道體。道体をほんに合点するは莫大なこと。さしあたり、子貢の性天道か道体を窺った人と云にて見るへし。不可得而聞と云るるか聞た列なり。觀世が道成寺は見られぬか、羽衣は見られると云は見た男なり。それからして一貫の傳の巻ものをゆるされ、道体の底かぬけた。それて肉のある道体迠を合点せられたゆへ、夫子爲邦家なりと云語を云出し、あれてすっはり道体のすんたか見へる。偖、明道なり。洞見道体。見行状。これらは此席の者には萑にまりなれとも、然しすめる道すぢあり。道体は石の吸物と計り思ふとわるい。人は天地の中に孕れてあれは遠いことてない。やはり鮒に水なり。あれか有情の者ならは、鮒も水の咄にのりか出へし。人が道体にはらまれて居から、道体を聞くとのりが出るそ。然らは耳よりなこと、道体を承りたいかとこからと云に、外のことてはない。先つ名義を知へし。そこて段々近くなる。以近思之名極高妙之言とあれとも、名義から行か登高自卑の教と見るへし。
【解説】
道体を真に理解するのは難しいが、人間は天地、つまり道体に孕まれてあるものだから、道体は遠くにあるのではない。道体を理解するには先ず名義を知ることから始め、以降、段々と高いものに向って行く。
【通釈】
「道体」。道体を本当に理解するのは大変なこと。差し当たり、子貢が「性天道」によって道体を窺った人だと理解しなさい。「不可得而聞」と言われたが、道体を聞いた一人なのである。観世の道成寺はよくないが羽衣はよいと言うのは、理解した男である。その後、一貫の伝の巻物を許され、道体に通じることができた。肉のある道体までを合点されたので、「夫子為邦家云々」と話された。これで子貢はすっかりと道体の理解が済んだことがわかる。さて、明道のことだが、彼を「洞見道体」と言った。行状を見なさい。これ等の話は、この席にいる者には雀に鞠で分不相応だが、しかし、理解する道筋もある。道体は石の吸物とばかり思うのは悪い。人は天地の内に孕まれているのだから、道体は人から遠いものではない。やはり、鮒に水である。鮒に情があるのなら、鮒も水の話に乗りが付くことだろう。人は道体に孕れているから、道体を聞くと乗りが出る。それは耳寄りなことだ、道体のことを承りたいがどこからするのかと言われれば、それは外でもない、先ずは名義を知らなければならない。そこで段々と道体に近付く。「以近思之名極高妙之言」とあるが、名義から始めるのが「登高自卑」の教えのことだと理解しなさい。
【語釈】
・子貢の性天道…論語公冶長13。「子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也」。
・夫子爲邦家…論語子張25。「夫子之得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和」。
・洞見道体…聖賢24。「呂與叔撰明道先生哀詞云、先生負特立之才、知大學之要。博文強識、躬行力究。察倫明物、極其所止。渙然心釋、洞見道體」。
・以近思之名極高妙之言…山崎闇斎近思録序。「先生此編以近思之名而極高妙之言」。
・登高自卑…書経太甲下に、「伊尹曰…若升高必自下、若陟遐必自邇」とある。学問や徳を修めるには順序があることを、伊尹が太甲に訓えたもの。また、中庸章句15に、「君子之道、辟如行遠必自邇、辟如登高必自卑」とある。

偖、名義のこと。道体は一て義はさま々々あり、命とも道とも太極とも天道とも天理とも実理とも誠とも性とも情ともそれ々々の名がわかる。其分れた処を名と云。義は名に筋合のあること。そこて名義と云。それを知るか道体を知の手始なり。なせ太極と云なれは、天地の間に何ても太極に漏るものはない。太極に縁をきることはならぬ。天も地も人も獣も、あらゆる大小のものか皆支配をうける。あちを御頭にして居る。そこて小ひ名か付られぬゆへ太極と云。萬物か漏れられぬと云ても、太極か天下の道理のもとになり、長持や番ん袋の内から出るやふなものにあらす。何の上にも太極と云ものは備て居て、いこう筋のわかれたもの。偖、其筋のある処をつかまへ理と云。理は、玉にふは玉理、石に摸様は石理、板に目は木理と云如く、せうふをかためた様てないから理の字ぞ。そこを胡椒丸呑てないか名義と云ものそ。其太極とのも理どのも天から出るゆへそ。其時は天道と云。又、太極や理が伏義のこしらへたものてもなく言ふ様ないゆへ、人の始たことてないゆへ天理とも云て天の字か付。
【解説】
道体は一つしかないが、義には、命、道、太極、天道、天理、実理、誠、性、情という様に、様々な名がある。名には筋合いがあるので名義と言う。太極は全てを支配して大きいから太極と名付けられた。その太極は一定のところにあるのではなく、万物に備わっている。太極から筋分かれしたものが理であり、太極や理が天から出ることからこれを天道と言い、人が作ったものではないから、天理と言う。
【通釈】
さて、名義のこと。道体は一つだけだが、義は様々とある。命とも道とも太極とも天道とも天理とも実理とも誠とも性とも情とも言い、それぞれに名が分かれる。この様に分れた処を名と言う。義は名に筋合いのあることで、それで名義と言う。それを知ることが道体を知る手始めとなる。何故太極と言うのかと言うと、天地の間は全て太極から漏れるものはない。太極と縁を切ることはできない。天も地も人も獣も、あらゆる大小のものが皆太極の支配を受けている。万物は太極を主人にしている。そこで小さな名が付けられないから太極と言う。万物が太極から漏れることはできないと言っても、太極自体が天下の道理の本になり、長持ちや番袋の中から出て来る様なことではない。何の上にも太極は備わっており、そして、大層筋が分かれているのである。さて、その筋のある処を指して理と言う。理とは、玉に斑が入ったところが玉の理、石に模様が入ったところが石の理、板に木目が入ったところが木の理という様なもので、生麩を固めた様なものではないから理の字を使うのである。ここを胡椒丸呑みではなく、しっかりと分けるのが名義である。太極殿も理殿も天から出るから、その時は天道と言う。また、太極や理は伏羲の作ったものでもなく、言い様もないもので、また、人が作ったものでもないからから、天理と言って天の字が付くのである。
【語釈】
・胡椒丸呑…胡椒の丸呑み。胡椒を丸呑みにしてはその味が分らないように、物事は咀嚼・玩味しなければ真義を知り得ないというたとえ。
・伏義…伏羲。三皇の第一。文字の原型を作り、人々に狩猟・漁業・牧畜を教えたとされる。

さて、其天理が丈夫ゆへ、實理とも云。これは天子でもこわされぬ。秦火でも焚れぬ。とふも実理はやめられぬ。水の卑所へ流れるは、始皇も謚は止めとは云へとも、実理には手が付られぬ。さて、實理が天地のあらんかきりいつも約束を変せぬ。そこを誠と云。それもやはり太極にて、太極の不易な処を云。又御名は替りましたかと云に、それが名義なり。それから段々云に、物をこしらい出し、人の生るも天がする。其時は天命と云。其生み出した人間は仁義礼智を持つ。それをは性と云。性と云もやはり太極が魂へ入て性と云なれは、此性と云ものは目や鼻のやふに人の方からみへはせぬが、物にふれるとしほらしいものか出る。それは彼性の仁と云ものが出たぞ。其出たは何と云ものなれは、情と云。何も角も一つにして太極の道理なれとも、如此名義ありて、さて又生て響く凛と其魂のあるものを鬼神と云。太極の活た処を云なり。右あらまし、太極のさま々々かわる名義からそろ々々道体に近付になる。やっはり人に近付になるに、こちらの若い男は誰、こちらの年ばへなは誰と知るやふなもの。道体を只重いことと云と、一生近付になられぬ。それて名義が辱ひ。
【解説】
天理は丈夫なところから実理とも言う。実理は人が左右することはできない。実理が約束を違えないところを誠と言い、太極の不易なところで言う。天の創造を天命と言う。天によって生み出された人間が有する仁義礼智を性と言い、太極が人の魂に入ったところである。性の中にある仁が動くと情になる。生きて響く魂をもったものが鬼神で、太極の活きたところである。この様に名義を知ることから、ゆっくりと道体と近付きになるのである。
【通釈】
さて、天理は丈夫なものなので、実理とも言う。実理は天子でも壊すことができない。秦火でもこれを焚くことはできない。どうしても実理は止められない。水が低い方へ流れるのは止めようがなく、始皇帝も謚は止めよとは言ったが、実理には手が付けられなかった。さて、実理は天地のある限り、いつも必ず約束を違えたりはしない。これを誠と言う。誠もやはり太極であって、太極の不易なところを言う。また御名が変りましたがと言われても、それが名義なのである。それから段々と話を進めると、物を拵え出すのも、人が生まれるのも天が行う。この時は天命と言う。その生み出された人間は仁義礼智を持っている。それを性と言う。この性もやはり太極が魂に入ったので性と言うのだから、性は目や鼻の様に人が見ることはできないが、物に触れるとしおらしいものが出る。それは性の仁が出たのである。その出たものを何と呼ぶかと言うと、情と言う。どれもこれも一つにして言えば太極の道理なのだが、この様に名義が色々とある。さてまた生きて響く凛とした魂を持ったものを鬼神と言う。これは太極の活きた処を言う。右に述べた概略の通り、太極が様々に変ってできる名義を理解することから、ゆっくりと道体と近付きになる。それはやはり、人と近付きになるのに、こちらの若い男は誰で、こちらの年配者は誰だと知る様なもの。道体を単に重いものだと思っていては一生近付きになることはできない。そこで名義は忝いものなのである。
【語釈】
・年ばへ…年延え。年をとっていること。また、そのさま。

偖、ここに大切な吟味あり。儒学の太極を本尊にするは、氣を引ぬいて理はかりを云ふ。この見やふが肝要の処。本と理氣離れぬものゆへ妙合と云てあり。譬て云に、薪をはなれて火はないが、太極を本尊にしては離れぬものを一寸と引はなして理ばかり取が大事の趣向なり。ここへ氣を雜ると本尊にならぬ。直方先生、理はりちぎなもの、氣はどうらくなものと云へり。どふらくなものを本尊にすると狂が出来る。どふなれは、氣にはたりひづみ出来不出来あり。それを雜へては道の宗旨にならぬ。何処まても氣にかまわす理を押あけて本尊に立る。張子の、大易不謂有無と云へり。氣は有とき無ときあり。氣は有無あり。寒中に暑はなし。暑中に寒なし。片々なものを見ると、其狂から皆になる。有無は氣、主になるは理なり。因て、理と云ものは有にも無にもなるもの。それを本尊にする。張子の此語は道體に氣は入れぬと云ことなり。滿願寺や稲寺も樽のことてなし。酒はかりをぬいて云。樽や德利は離れられぬか酒計云。なぜ引ぬいて云へは、氣には悪もあり、理には悪はない。これが大切なり。
【解説】
太極には理と気とがあるが、儒学では理のみに注目する。その理由は、気には有無があり、それで狂いが生じるが、理は気の有無に関係なく有るからである。また、気には悪もあるが、理に悪はない。
【通釈】
さて、ここに大切な吟味がある。儒学で太極を本尊すると言うのは、気を引き抜いて理のことだけについて言うこと。この見方が肝要な処である。本来、理と気は離れないものだから「妙合」とも言う。たとえて言えば、薪から離れた火はないのと同じだが、太極を本尊にする場合は、離れずにある気を一寸太極から離して理だけを取るのが大事な趣向なのである。太極に気を混ぜると本尊にならなくなる。直方先生が、理は律儀なもの、気は道楽なものと言った。道楽なものを本尊にすると狂いが生じる。それは何故かと言えば、気にはたわみや歪み、出来不出来がある。それを雑えては道の宗旨にならない。どこまでも気に構わずに理を押し上げて本尊に立てる。張横渠が、「大易不謂有無」と言った。気には有る時と無い時とがある。気には有無がある。寒中に暑はない。暑中に寒はない。片方だけを見ると、それに狂いがあるから台無しになる。有無は気からであり、主になるのは理なのである。よって、理は有にも無にもなる。これを本尊にする。張子のこの語は、道体に気は入れないという意味である。満願寺や稲寺も樽のことではなく、酒のことだけを抜き出して言う。樽や徳利は酒から離れられないが、酒だけを言う。何故引き抜いて言うのかというと、気には悪もあるが理に悪はないからである。ここが大切である。
【語釈】
・妙合…近思録道体1。「無極之眞、二五之精、妙合而凝」。
・たり…撓。たわんでいること。横にわたした木などにくるいの出ること。「たりひずみ」は、たわみゆがむこと。転じて、欠点。難癖。
・大易不謂有無…異端13の語。
・皆になる…なくなる。尽きる。
・滿願寺や稲寺…銘酒の名。

繋辞継之者善とあり、垩人の大切の語。けりやうに聞まじ。ここを太極の道理と言ず、善との玉へり。善は道理のかへ名。それからしては、可欲之謂善とも云。孔子の上の方から天命の流行を継之者善との玉へは、孟子が下の方から性善との玉ふ。これが屋根の上て云と畳の上て云ことにて、道体の肝要は孟子の性善が結とめなり。孟子人の上て封をして本原の請證文になる。請證文が即注文なり。人の持たなりに書れたもの。そこを荀揚韓の三氏が、悪の、混の、三品のと。荀は向へまわりて悪と云、楊韓は世の中のみ込すかたにて色々あるてやとすました顔して云へとも、つまり、氣をつかまへて主張する。理に色々あるはつはない。皆氣をとらへた論なり。氣をつかまへると、気にはかびが来る。性善は注文なり。いつも云紺屋の染もの。注文に染そこないはない。孟子性善の結ひとめが太極からのことにて、善はかりて悪はない。氣をませぬゆへ、これを道の本とする。道体と云はこのやふに理を本尊にすること。氣はあてにならぬ。あてにならぬものは本尊にならぬ。近思開巻の道体は爲学の標準と心得へし。
【解説】
孟子の性善説に対して荀子は性悪説を採り、揚雄や韓退之は善悪兼ね揃わるとする。善は道理の替え名だから、人の性は善なのである。その様に考えない者は気を捉まえて言っているのである。道体は理を本尊とする。近思録開巻の道体は、為学の拠り所である。
【通釈】
易経繋辞伝に「継之者善」とあるが、これが聖人にとっての大切な言葉であり、いい加減に聞いてはならない。ここでは太極の道理とは言わないで、「善」と言われた。善は道理の替え名。そして、「可欲之謂善」とも言う。孔子が上の方で天命の流行を「継之者善」と仰れば、孟子が下の方から「性善」と仰る。これは屋根の上で話すのと畳の上で話すのとの違いで、道体の肝要な点は、孟子の性善で結び留めることである。孟子が人の上に善と封をしたので本原の請証文ができた。この請証文が直ぐに注文である。その証文は、人の持っている通りに書かれたもの。それを、荀子、揚雄、韓退之の三氏が、人の性を悪だの、混だの、三種類だのと言う。荀子は孟子の敵に回って性を悪と言い、揚雄と韓退之は世の中をよく知った振りをして、性は色々とあるのではないかとすました顔をして言うが、つまり、それは彼等が気を捉まえて主張しているのである。理が色々とある筈はない。皆気を捉まえての論である。気を捉まえても、気には黴が来るもの。性善は注文である。いつも言う紺屋の染物のたとえであって、紺屋の注文に染損ないはない。孟子の性善の結び留めは太極からのことで、善だけで悪はない。気を混ぜないから、これを道の本にする。道体とは、この様に理を本尊にすること。気は当てにならない。当てにならないものは本尊にならない。近思録開巻の道体は為学の拠り所だと心得なさい。
【語釈】
・継之者善…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也」。
・可欲之謂善…孟子尽心章句下25。「浩生不害問曰、樂正子何人也。孟子曰、善人也、信人也。何謂善、何謂信。曰、可欲、之謂善、有諸己、之謂信、充實、之謂美。充實而光輝、之謂大、大而化之、之謂聖、聖而不可知之、之謂神。樂正子、二之中、四之下也」。
・荀…荀子。中国、戦国時代の思想家。名は況。荀卿また孫卿と尊称。趙の人。50歳にして初めて斉に遊学し、襄王に仕え祭酒となる。讒に遇って楚に移り春申君により蘭陵の令となったが、春申君の没後、任地に隠棲。前298?~前238以後
・楊…揚雄。前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。博聞多識、易に擬して「太玄経」を作り、論語に擬して「法言」を作り、また「訓纂」「州箴」を擬作したので、模擬の雄と称せられた。ほかに「揚子方言」「反離騒」「甘泉賦」などがある。揚子。前53~後18
・韓…韓退之。韓愈。唐の文章家・詩人。唐宋八家の一。字は退之。号は昌黎。儒教を尊び、特に孟子の功を激賞。柳宗元とともに古文の復興を唱え、韓柳と並称される。詩は険峻と評される力作をよくし、平易な風の白居易と相対した。憲宗のとき「論仏骨表」を奉って潮州に左遷された。諡は文公。「昌黎先生集」がある。768~824


初條

濂渓先生曰、無極而太極。太極動而生陽、動極而靜。靜而生陰、靜極復動。一動一靜、互爲其根、分陰分陽、兩儀立焉。陽變陰合、而生水火木金土、五氣順布、四時行焉。五行一陰陽也。陰陽一太極也。太極本無極也。五行之生也、各一其性。無極之眞、二五之精、妙合而凝。乾道成男、坤道成女、二氣交感、化生萬物。萬物生生、而變化無窮焉。惟人也、得其秀而最靈。形既生矣、神發知矣。五性感動而善惡分、萬事出矣。聖人定之以中正仁義、聖人之道仁義中正而已矣。而主靜。無欲故靜。立人極焉。故聖人與天地合其德、日月合其明、四時合其序、鬼神合其吉凶。君子脩之吉、小人悖之凶。故曰、立天之道、曰陰與陽、立地之道、曰柔與剛、立人之道、曰仁與義。又曰、原始反終、故知死生之説。大哉易也、斯其至矣。太極圖説。
【読み】
濂渓先生曰く、無極にして太極なり。太極動きて陽を生じ、動極まりて靜なり。靜にして陰を生じ、靜極まりて復[また]動なり。一動一靜互いに其の根を爲し、陰に分れ陽に分れて兩儀立つ。陽變じ陰合して水火木金土を生じ、五気順布して四時行[めぐ]る。五行は一陰陽なり。陰陽は一太極なり。太極は本[もと]無極なり。五行の生ずるや各[おのおの]其の性を一にす。無極の眞、二五の精、妙合して凝[こ]る。乾道は男を成し、坤道は女を成し、二気交感して萬物を化成す。萬物生々して變化窮[きわ]まり無し。惟人のみ、其の秀を得て最も靈なり。形既に生じ、神發して知る。五性感動して善惡分れ、萬事出づ。聖人之[これ]を定むるに中正仁義を以てして、聖人の道は仁義中正のみ。靜を主とす。無欲なるが故に靜。人極を立つ。故に聖人は天地と其の德を合し、日月と其の明を合し、四時と其の序を合し、鬼神と其の吉凶を合す。君子は之を脩めて吉、小人は之に悖[もと]りて凶なり。故に曰く、天の道を立つるに、陰と陽とを曰い、地の道を立つるに、柔と剛とを曰い、人の道を立つるに、仁と義とを曰う。又曰く、始[はじめ]を原[たづ]ね終[おわり]に反[かえ]る。故に死生の説を知る、と。大なるかな易、斯れ其れ至れり、と。太極圖説。

無極而太極。この五文字か道体の根元を一ふるいふるい出した語なり。引あけたときに、天地古今是を漏られず、これで尽る。周子の思入、精彩のあることなり。精彩あると云はどこから云なれば、易に有太極と云には精彩はない。有ると知らせたこと。ふるい立ことはない。そちて合点せよと示されて、御朱印を一寸見せ玉へり。御朱印と聞、はっと腰を屈めた計なり。中庸性道教も手もなく道体の宿札を書て示され、これも精彩はなく、物に札を付て間違やまきれぬやふにして、丁と椀箱に坪は坪、平は平としたこと。この無極而太極の發明が昨日や今日のことてなく、千歳不傳之学を継、道体を合点なされて手前に不足はないが、天下後世へ示したけれとも、道体は長く云ことて無れは其間周子も氣をもみて、このこと人に示さるるにどふかなと思召、いっそ圖にもせふかなぞと思ひ立れて圖にせらる。圖にするは無理なことなれとも、これも人の心に乗る時はあぢなもので、この圖もすてに圖にするからは萑や鷺を畫くと同ことなれとも、あれは形あれはなり。道体は形なくかかれぬことなれとも、口で云と云ひきりて仕廻もの。圖は思ひこみが深からふとてのこと。親か子に遺言を長々と云はすに、我ふたん見た鬢鏡をや毛秡紀念にやると云。此毛秡や鏡の中に親の心かこもり、それに不尽の意かある。よって圖の妙もあれに道理を含んてある。
【解説】
「無極而太極」の説明。無極而太極の五文字は、周濂渓の思い入れがあって精彩のある語である。易有太極も中庸の性道教も、ただ事実を述べたり区別を付けただけであって精彩はない。周濂渓の思い入れとは、道体を後世に伝えるために太極図説という図にしたことにある。
【通釈】
「無極而太極」。この五文字が、道体の根元を篩にかけて選り抜いた言葉である。調べてみると、天地古今の全てはこれに漏れることはなく、全てはこの言葉に尽きる。この言葉には周子の思い入れがあって、精彩あるものである。精彩があると言う理由は次の通りである。「易有太極」には精彩がない。ただ太極が有ると知らせただけのこと。奮い立つことはなく、後はそちらで理解しなさいと示されたのであって、ご朱印を一寸見せられただけである。ご朱印と聞いて、はっと腰を屈めただけのこと。中庸の「性道教」も、道体の宿札をそのまま書いて示されただけのことで、これも精彩はなく、物に札をつけて間違いや紛れることのない様にすること。それは丁度、椀箱へ、坪は坪、皿は皿の所に容れる様なことである。この無極而太極の発明は昨日や今日のことではない。千載不伝の学を継ぎ、道体を理解なされて、自分にとっては何も不足はないが、この道体を天下後世へ示したい。しかし、道体は長々と言うものでもないから、この間、周子は気を揉んで、この道体を人に示すにはどうすればよいかと考えられ、いっそのこと、図にでもしてみようかなどと思い立たれて図にされた。道体を図にするのは無理なことではあるが、図も人の心に通じる時には味が出るもの。この図も図にすると決めた以上は雀や鷺を画くのと同じことだが、雀や鷺を画くことができるのは、それ等に形があるからである。道体は形がないから本来は画くことができないものだが、口では言い尽くせないから、図にした方が見た人の思い込みが口で言うよりも深いだろうと考えてのこと。親が子に遺言を長々と言わないで、自分の普段見ていた鬢鏡や毛抜きを形見に遣ると言えば、その毛抜きや鏡の中に親の心がこもる。そこには尽き切れない意がある。よって、図の妙もそこに道理が含まれていることにある。
【語釈】
・易に有太極…易経繋辞伝上11。「易有太極。是生兩儀。兩儀生四象、四象生八卦。八卦定吉凶」。
・中庸性道教…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎」。
・宿札…①宿屋の名と宿泊人の姓名とを記した札。もっぱら高位の者、大小名・旗本などの宿屋の前に掲げた。とまりふだ。しゅくさつ。②氏名を記して門口などに掲げて、その人の住所または宿所であることを知らせる札。門札。標札。

偖、道理を圖にするには四角か三角かと云に、あたまから何とも定められず。そこで周子の先隂陽の圖を畫けり。これは伏義の八卦を書と同ことて、かかれる筈なり。則、周子の隂陽の圖を畫くと中に丸が出来た。丸も畫ぬ前はない。畫て見て、これこそくっきやうのもの見出した、と。そこて上へ掲けり。不案内なものは、太極は元来丸と云か、そふしたことてない。隂陽の中に思はず知らず丸いものの出来たを上へあけて太極そやと示せり。たたいあの圖を見ると、説なくても心ある者は皆すむこと。そふないものは○は太極の下に隂陽があるとはかり思ふて、周子の方ては格別、学者は悟り得ぬゆへ、そこて此ままてはをかれぬと辞を繋けり。易の卦は伏義の畫し、それきりてをかれ、辞になりては文王周公のをかけ、其上を孔子と云垩人、大勢で詞をかけられたか、周子は一人て二役勤めり。これが皆学者への進物にて、主しの爲にはならぬことなり。太極圖を作り、其上に説を書るると云か則仁の至、義の尽にて、万世の人の眼の明くやふに圖の上に辞をかけらるる。思入ありて精彩あると云かこの無極而太極の辞なり。
【解説】
太極図には、太極が丸い形で一番上に画かれているが、元々は太極の下に画かれた陰陽の図の、陰陽に囲まれた中心を上に掲げたものである。学者にも、太極は丸くて上にあり、その下に陰陽があると考える者がいるので、周濂渓は太極図の他に「無極而太極云々」と文章で説明した。つまり、図と辞の二役を一人でこなしたのである。これが周濂渓の思い入れであり、精彩のあるところである。
【通釈】
さて、道理を図にするには、それを四角にするのか三角にするのかと考えても、何とも全く決めかねる。そこで周子は先ず陰陽の図を画いた。これは伏羲が八卦を書いたのと同じことで、画くことができる筈である。そうすると、周子が陰陽の図を画くと、その中に丸ができた。その丸も陰陽の図を画く前はない。画いてみて初めて、これこそ究竟のものを見出したと思った。そこでその丸を陰陽の図の上に掲げた。不案内な者は、太極は元来丸いものだと言うが、そうではない。陰陽の中に思わず知らず丸いものができたので、それを上へ掲げ、これが太極だと示したのである。大体、あの図を見れば、説明しなくても心ある者は皆理解することができるもの。しかし、理解することができない者は、○は太極で、その下に陰陽があるとばかり思う。周子の方は格別だが、学者が悟りを得ないので、そこでこのままにしては置かれないと思って辞を繋けた。易の卦は、伏羲が画いてそのままにして置いたものを、文王や周公のお陰でこれに辞がなり、その後に孔子という聖人が辞を加えた。大勢で辞を繋けられたのである。一方、周子は一人で図と辞の二役を勤めた。これが皆学者への進物であって周子自身のためにはならないこと。太極図を作り、その上に辞を書かれたことが、即ち仁の至り、義の尽きるところである。万世の人の眼が明く様にと、図の上に辞を繋けられたのである。思い入れがあって精彩があるというのが、この無極而太極の辞なのである。
【語釈】
・八卦…周易で、陰陽の爻を組み合せた八つの図形。自然界・人事界百般の現象を象徴する。
・くっきやう…究竟。①物の究極に達したところ。つまるところ。結局。
・文王…周王朝の基礎をつくった王。姫昌。武王の父。殷に仕えて西伯と称。勢い盛んとなり紂王に捕えられたが、許されて都を豊邑に遷した。その人物・政治は儒家の模範とされる。
・周公…周の政治家。文王の子。名は旦。兄の武王をたすけて紂を滅ぼし、魯に封ぜられ、武王の死後は甥の成王をたすけて礼楽を作り、康王が即位するや、召公と共にこれを補佐して文武の業績を修めた。周代の礼楽制度の多くはその手に成るとされ、「周礼」は周公の制作というが疑わしい。周公旦。

太極に形ないは知れたこと。形はあるまいか氣はあるかと云に、周子は氣にも手傳はせぬ。隂陽か咳はらいして拙者まかり出やふと云に、そなたは入られぬ、そちへこされと云てよせぬ。荘子も易は謂隂陽と云へとも、をれが辞は氣をよせぬが趣向にて、彼の氣をよせると孔子の流義に叶はぬと云はれて、孔子の通り上へ引上けり。形ないは云にや及ふ。理はかりを無極而太極、と。大ふ面白字て精彩あり。某先刻より云がこの訳なり。
【解説】
太極は気を寄せ付けずに理だけで説く。これが孔子の流儀である。荘子の言った「易以道陰陽」は、気を踏まえているので、孔子の流儀ではない。
【通釈】
太極に形がないのは知れたこと。形はないかも知れないが気はあるのかと言えば、周子は、太極には気の手伝いをさせないと言う。陰陽が咳払いをして私も太極にまかり出ようと言うと、貴方はここに入れられない、そちらにいなさいと言って太極に寄せ付けない。荘子も「易以道陰陽」と言ったが、周子は、自分の辞は気を太極に寄せないないのが趣向で、気を入れると孔子の流儀には合わないと言われ、孔子の流儀の通りに太極を陰陽の上に引き上げた。太極に形がないのは言うにも及ばない。理だけで無極而太極と言う。これが大変に面白くて精彩のある字である。私が先程より精彩があると言うのは、こうした理由からなのである。
【語釈】
・荘子も易は謂隂陽…荘子雑篇天下。「詩以道志、書以道事、禮以道行、樂以道和、易以道陰陽、春秋以道名分」。

偖、此無極而の而の字、六ヶしいことてなく、上下二つ繋て而と活すこと。これが見取の深いことと知れ。太極は大ふ根をくくりて、方々のことかもたれかかりて居る。天下のことに、太極の上て知れぬことや太極のかかりでないことはない。大の字が何でも知ぬと云ことなく、向の月番へをくれと云ことはない。天下の道理がそこの処へもたれて何から何まではづれぬ。はばの廣く太い処から大と云。皆うけこむ。又、極の字が至極したぎり々々の、あれあそこにきまったと云処から極と云。そこで、皇極民極北極なとの極と同ことなれとも、ここのは何の極と云ことでないから、たた大と尊穪計りて何の極かしれぬ。皇極民極の方は皇の民の北のと云字て帯て居る。そこて孔子、道理のことを易に有太極と示さるる。論語に学而時習と云るると同ことで、何の極か何を学か當てなしに書けり。あの論語も大きな学の字なり。此極も屋極皇極と一つつかまへす、太極の名を付たは面白ぞ。偖、家も太極柱にもたれかかりてをる如く、天地の間の物が何ても太極の道理にはらまれて、太極に縁は切れぬ。親に孝、君に忠。墨筆は書くはばの廣いことにて、直方先生、埃にもすてると云理があると云へり。あれには理はあるまいと思ふ微物迠に、それ々々に筋かある。太の字を冠らせり。冨士や鯨か大くてもあれきりなこと。太の字は、丁と中庸の費の字とはばの大ひ処は同こと。道理の根元から物理を統て云。太極かすへてそれにはつれられぬと云に、なるほと天地人に太極にはづるるものなし。これて太極と云わけはすんたそ。
【解説】
太極の説明。太極の太は、全てを受け込む巾の広さを意味し、極は至極を意味する。太極は限定されない。それは、論語の「学而時習之」が何を学ぶのかを限定しないのと同じである。万物は太極に孕まれ、それから外れることはない。それで太極と言うのである。
【通釈】
さて、この「無極而」の「而」の意味は難しいものではなく、上の無極と下の太極の二つを架けるために「而」の字を使ったのである。ここが見取りの深いところだと理解しなさい。太極は大層根が張っているので、様々なものがこれにもたれ掛かっている。天下のことで太極が知らないことや、太極が関わらないことはない。「太」の字は、何でも知らないことはなく、全てを知っているから次の月番へ任せる様なことはしない。天下の道理がこれにもたれて、何から何までそこから外れることはない。この様に巾の広い大きいところから太と言う。全てを受け込む。また、「極」の字は至極のぎりぎりで、あれはあそこに決まったことと言う処から極と言う。太極の極という字は、皇極、民極、北極などの極と同じではあるが、ここでは何の極と限定するわけではないから、ただ、太と尊称を付けるだけで、何の極かはわからない。皇極、民極の極は、皇の、民の、北の、という字を帯びている。そこで、孔子は道理のことを「易有太極」と示された。それは、論語で「学而時習之」と言うのと同じことであって、何の極か、何を学ぶのか、その当てを示さずに書いたのである。あの論語で言ったのも大きな学のことである。そして、太極の極も屋極、皇極という様な限定をせず、それに太の字を帯びさせて太極と名付けたのは面白いことである。さて、家も大極柱にもたれかかっている様に、天地の間にある物全てが太極の道理に孕まれており、太極との縁は切れない。親に孝、君に忠。墨筆は書く巾が広い。直方先生は、埃にも棄てるという理があると言った。あれには理がないだろうと思う微物までにもそれぞれに筋があるので理がある。そこで、周子は極の字に太という字を冠らせたのである。富士山や鯨が大くてもそれだけのこと。太の字は、丁度中庸の「費」の字と巾の広い処は同じである。道理の根元から物理の全てを統べて太と言う。太極が統べて、それに外れるものはないと言うが、なるほど、天地人に太極から外れる物はない。これで太極と言うわけは済んだ。
【語釈】
・月番…一ヵ月ずつ受持を定めて交替して勤務すること。また、その人。月当番。
・皇極…書経洪範。「建用皇極」「皇立其有極」。
・学而時習…論語学而1。「子曰、學而時習之」。
・中庸の費…中庸章句12。「君子之道、費而隱」。

然らはその太極を見たいと云に、ここか氣をませぬゆへ御目にかかられぬ。何もかも太極の有て無ゆへ。さてそれに形は無極而太極と云。ここに大切の弁あり。無極の字には訓はないと心得へし。無の極と云ことでもなく、又、極り無しと云ことてもない。訓のないと云ことは天地の間にないことなれとも、これに計はよみをつけるかわるい。そこで、五文字の中て無極と云が取にくい。無極と云すに外に云やふも有うにと云に、只無と云ても面白ない。偖これにいかにも太極の道理はきっとあれとも形かない。そこで太極に形のない処を今名つけて無極と云、形はなけれともきっと理はあるから太極と云。つまり、太極に目鼻のないを聞せること。孔子の太極との玉ふは理のあること。周子は無極との玉ふか形ないこと。賣詞に買詞なり。
【解説】
無極を、無の極とか極まり無しなどと訓読みをしてはならない。太極は形が無くて理が有る。周子が無極と言うのは、太極に形がないからであり、孔子が易有太極と言うのは、太極に理があることを意味する。
【通釈】
それなら、その太極を見たいと言うと、太極は気を混ぜないのでお目に掛かることができない。全ては太極が有で且つ無だからである。それで形については無極の太極と言う。ここに大切な弁がある。無極の字に訓読みはないと心得なさい。無の極ということではなく、また、極まり無しと言うことでもない。訓を持たない字は天地の間にある筈はないが、この無極だけは訓読みをすると悪い。そこで、この五文字の内で無極という字が扱い難い。無極と言わず、他の言い方もあるかとも思うが、ただ無と言うのは面白くない。ここには太極の道理がしっかりとあるが形がない。そこで、太極に形のない処を今名付けて無極と言い、形はないがはっきりと理はあるから太極と言う。つまり、無極とは、太極に目鼻がないことを知らせるもの。孔子が太極と言われたのは、太極に理があるということ。周子が無極と言われたのは太極に形がないということ。売り言葉に買い言葉である。

周子は形ないことを無極と書直せり。そこを又朱子のやふに、人の合点の為に無形而有理と云へり。それては不審ははないか、無極而太極と云辞か何そ根つみのせぬやふに聞へるが、とこまても形のない処を無極と指して、さて、形はないが理のあると云ことなり。をとなしく云に、無極而太極は形ないものて、さて、きっとあるものと云こと。又、無極の字を周子の心を思ひやりて云ことあり。形ないことを云ならは、無極と云よりなんぞ人の疑のかからぬ云様もあろふに、なせこふ書れたと云に、ここをきっと書ては圖へかかる辞めかぬ。
【解説】
周子は太極を無極と書き、朱子は「形無而有理」と補足した。人に疑われそうな無極という字を周子が用いた理由を思い量れば、はっきりと書くのは太極図の辞にそぐわないからでもある。
【通釈】
周子は太極に形がないことを無極と書き直した。そこをまた、朱子は人が更に理解できる様に、「形無而有理」と言われた。それで不審な点はない筈で、無極而太極の辞は何かしっくりとしない様に聞こえるが、しかし、これはどこまでも形のないところを無極と示して、形はないが理があると言うことだとした。穏やかに言うと、無極而太極は形のないもので、さて、確かにあるものということ。また、無極の字について、周子の心を思い遣って説明することもできる。形のないことを言うのなら、無極と言うよりも何か他に人に疑われない言い方もあるだろうに、何故この様に書かれたのかと言うと、ここをはっきりと書いては太極図に繋かる辞に似合わないからである。

日本橋の制札に芥捨べからじと云。文法にすれはすめたことなれとも、圖に辞かける段には、使者か土用見舞の口上書のやうにはかけられぬすかたにて、大師の鬮も小遣帳のやふてなく、何やら詩なとの句のやふにする。偖、其起は周公なり。群龍无首と繋けり。これも陽が変して隂になりたとは云はぬ。龍に首がなくなったと係た。これも耳を驚かすそ。周子も太極無形と書けはよいが、どふもそふ書ては圖めかぬ。やっはり太極に形ないことを無極と云ふのか周公の旡首の文法なり。それを真似るやふにては面白からぬ。自然と似た。只形のないものと云ては、辞をかける語ぶりでない。某弱年の時、無極の字を秀句しゃと云き。其後四十年、是か非か誰も返事するものない。
【解説】
辞を繋けるということは難しい。太極無形と繋けては辞めかない。辞の始まりは周公で、「群龍无首」と、陽から陰に変じるのを龍の首がなくなると比喩した。この無極も周公の比喩と同じ文法である。黙斎は、無極の辞が秀句であると、若い時から思っていた。
【通釈】
日本橋の立て札に、芥を捨てるなとある。この様に文章にすれば済むことだが、図に辞を繋ける際には、土用見舞いの使者の口上書の様には繋けられないものであって、大師の籤も小遣帳の様ではなく、どこか詩などの句の様にする。さて、その起こりは周公で、「群龍无首」と繋けた。この場合も、陽が変じて陰になったとは言わずに、龍の首がなくなったと繋けた。これも驚くべきことである。周子も太極無形と書けばよかったとも言えるが、どうもその様に書いては図めかない。やはり太極に形のないことを無極と言うのが、周公の无首の文法なのである。それを真似るのでは面白くない。自然とそれに似たのである。只形のないものだと言っては辞を繋ける語ぶりではない。私が若い頃、この無極の字は秀句だと言った。その後四十年を経て、私の言の是非について誰も返答する者がいない。
【語釈】
・制札…禁令の箇条を記して、路傍または神社の境内などに立てる札。たてふだ。下知札。
・群龍无首…易経乾卦用九に「見羣龍无首。吉」とある。

此の圖、孔子の太極とあるゆへ、周子の無極とかけ、末には又人の太極と云ことを人極と書けり。自由自在なことなり。あそこも太極之人身の上にある処をじかに人極とさしたり。人へ這入った時の太極を人極とさし、形のないを云ときは無極と云。これ、周子の見とりなり。爰の見とりが、何にも無て、而の字て、さと云て有てやと示さるるか精彩と云もの。無とは形ないこと。有とは理のあることなり。理かあるゆへ其分にならぬ。とふしてもよい、放下してをけと云れぬは理のあること。されとも形ないからひっそりとした。ひっそりなれとも理ががんざりゆへ動かとれぬ。この而の字で活てまわる。つまり、氣を雜ぬ辞なり。道理はこの五文字てすむ。
【解説】
太極を人に関して言えば、それは人極となる。太極は、形はないが理があるから、どうしても放置しておくことはない。太極は形がないからひっそりとしているが、理があるので、この「而」の字によって活きて動く。
【通釈】
この太極図は、孔子が太極と言ったので、周子が無極と繋け、後段にはまた、人に対しての太極として人極と書いた。自由自在である。太極が人の身の上にあることを直に人極と指し示した。人へ這い入った時の太極を人極と指し示し、形がないことを言う時には無極と言う。これが周子の見取りである。この見取りで、何もないが、而の字によってそれでも有るぞと示された。これが精彩というもの。無とは形のないことで、有とは理のあること。理があるからそのままにしては置けない。どうでもよい、放って置けと言えないのは、太極には理があるからである。しかし、形がないからひっそりとしている。ひっそりとしているが理がしっかりとあるので、その動きがとれないところを而の字によって活きて回る。つまり、太極に気を混ぜないのがこの辞なのである。道理はこの五文字だけで済む。

ここに又吟味あり。異端も氣をうれしかりはせぬ。虚無寂滅と云も、本来の面目の、混沌未分のと形ないを道にする。あちも形ないを道とし、こちも形ないを道とするにとふ違ふなれは、あちは本来の面目や混沌未分を奥の院にして、それから出来ると思ふ。こちは其様な番袋を開て出と云、別に一物かまへたものはない。別屋鋪をかまへて、それから面を出すと思ふは誤れり。異端は酒の元をかけるやふに一つ本立かあり、来月飲やふに出処の支度かあると見る。一つ本かあると見て、そこを道の問屋にするて、あとは何てもないもののやふに見る。そふすると間断になる。床や上段の間からそりゃと云て出るてなく、鼻の先きか道にて、無極而太極か毎日躍りををどる。この間に、角力の中入や太夫の支度のやふに間断かあると天地が墜る。天地開闢以来、今に無極而太極か躍ている。塲処や形かあると本来の面目になる。あちは、本來の面目、ぼふの立姿と云けれとも、あちも本来の面目に姿ないことは知ている。そこを丈夫に見付るを立姿と云。この方は前後を立ぬこと。塲あると間断になる。老子は無極から太極と云やうに、それから始ると云と、中買や小買のやふになる。これに問屋はない。無極而太極は道理の形ないを合点する迠て、道体のぎり々々になる。
【解説】
異端も聖学と同様に道には形がないと考えているから、気に関してはよく思っていない。しかし、異端は、道には一定の居場所があって、そこから道が出て来ると考え、それ以外のことを軽く見る。それでは、道に間断ができる。聖学で考える道は、世を全て包み込み、日々絶えず躍動している。無極而太極を老子は無極から太極が生じるとするが、それでは無極が始まりとなり、無極と太極とに前後関係ができる。それは誤りである。この辞は道に形がないことを意味する。それが道体の極致となるのである。
【通釈】
ここにまた吟味がある。異端も気を喜びはしない。虚無寂滅と言うのも、本来の面目や混沌未分という形のないものを道と考えているからである。あちらも形のないものを道とし、こちらも形のないものを道とするが、その違いは、あちらは本来の面目や混沌未分を奥の院にして、そこから道ができると思っている。こちらは、番袋を開いて道が出るという様な、特別な場所があるなどとは思わない。別屋敷を構えて、そこから顔を出すと思うのは誤りである。異端は、酒の元をかける様に大本になるところが一つあって、来月に酒が飲める様にするための支度をする如く、その大本の場で道の支度をしていると考える。一つ大本があると考え、そこを道の問屋と捉えるから、その他は何でもないものの様に思う。それでは間断ができる。道は床や上段の間から、それと言って出て来るものではなく、鼻先に道があって、無極而太極が毎日躍りを踊っている。この間に、相撲の中入や太夫の支度の様に間が途切れると天地が墜ちる。天地開闢以来今に至るまで、無極而太極が休みなく躍っている。道に居場所や形があると本来の面目になる。あちらは本来の面目坊の立ち姿と言うが、あちらも本来の面目に姿がないことは知っている。しっかりと道を見付けることを彼等は立ち姿と言うが、こちらは道に前後を立てない様にする。道に場があると間断になる。老子は無極から太極と言うが、無極があってその後に太極があると考えれば、それは仲買いや小買いがいる様なもの。太極に問屋はない。無極而太極は道理に形がないことを理解するだけのことであり、それが道体の極致なのである。
【語釈】
・ぼふの立姿…道元禅師。本来の面目坊の立ち姿一目見しより恋となりけり

余り深いことはない。只、此五文字にをとろき、聞耳たてるか、然れとも珎しいことにも非す。小学をあけると直に元亨利貞とある。あれか無極而太極なり。立教の始にはや天命之謂性とある。外のことてない、無極而太極の姿を云。外篇にも有物有則と云かそのこと。別に無極太極はない。偖、儒者の道体は理をつかまへること。医者の手段は氣をつかまへることなり。風寒暑湿の肌にあらはれる氣。仁義礼智は儒者の本尊なり。医も理を学ですれとも、あれは隂陽以下の氣てすむこと。あまり理を主張すると労咳やみにいけん云ことになる。
【解説】
無極而太極は特別なことではなく、例えば小学の文中にもそれを見つけることができる。医術は気への対応だが、儒者における道体とは理を捉まえることである。
【通釈】
無極而太極とは、道理には形がないことを意味するだけで、余り難しいことではない。ただ、この五文字に驚き、聞き耳を立ててしまうが、それでも、この辞自体は珍しいものでもない。小学を開くと直に「元亨利貞」とある。それが無極而太極である。立教の始めには直ぐ、「天命之謂性」とある。外でもない、無極而太極の姿を言ったこと。外篇にも「有物有則」とある。特別なことがこの無極而太極にあるわけではない。さて、儒者の道体とは理を捉まえることで、医者の手法は気を捉まえることである。風寒暑湿が肌に感じるのは気による。仁義礼智は儒者の本尊である。医者も理を学んで処置をするが、治療自体は陰陽以下の気への対応で済むこと。あまり理を主張すると、労咳病みに異見を言う様に、却って病が重くなる。
【語釈】
・元亨利貞…小学題辞。「元亨利貞天道之常、仁義禮智人性之綱」。易経乾卦文言伝。「文言曰、元者善之長也。亨者嘉之會也。利者義之和也。貞者事之幹也。君子體仁足以長人、嘉會足以合禮、利物足以和義、貞固足以幹事。君子行此四德者。故曰、乾元亨利貞」。
・天命之謂性…小学内篇立教。「子思子曰、天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・有物有則…小学外篇。「詩曰、天生烝民有物有則、民之秉彛好是懿德」。詩は詩経大雅烝民。孟子告子章句上6にもある。

さて又、此五文字に色々公事が起り、陸象山かさひ矢あり。無極の字、老子にあるかさし合からのこと。あれに似たと云ゆへ、似たにとんしゃくはないと、云たいことは不顧旁人之謗と云へり。あたりの批判をかまはす無極と云。無極と云ともそのわけか違ふ。老子は混沌未分の一元氣を本尊とする。因て医の祖にするも聞へて、あの道は氣か本と立つゆへなり。貝原及兵衛か大疑録に、無極而太極も體用一源云々も佛にあると云。朱子の不顧旁人之謗てすむこと。ものの似るにかまわぬ。子の面が父に似てもあてにならぬ。律義な親にどふらく息子あり。陽虎か孔子に似ても役にたたぬ。似やふか似まいか道学の嫌はない。五雜俎に周子を輕く云て、無極を虵足を添ふと云も見やう聞ま子に陸氏なとを祖にしてのことにて取に足らぬ。陸象山も而の字からの違なり。無極よりして太極と見、大隠居から生れると思ふ。この而の字は、これを根にして上へも下へも繋く字。書經の寛而栗も、寛から栗が生でない。左傳美而婉も、美からして婉と云ことてはない。而の字て旨い味のあること。直方先生、日本人てさへ合点するに、唐人にもあのやふな無器用なものありと云へり。只今考るに、陸象山一物あるゆへのこと。而の字のさばけぬ象てはないか、通書は眞の書、太極圖説は偽書と思からして一路になり、我を張て見そこのうたと見へる。此類、古今学者に多いこと。横に車から異端を云出す。これか下な者や、もそっと善けれは理屈を云ぬが、見損て彼是云は中位な処なり。よふ合点せふことて、中位から違ふ。
【解説】
儒学の系統でも無極而太極に関しての論議があった。陸象山は、老子が無極という言葉を使っているので、儒教が無極を使うことに反対した。しかし、朱子は構わずにこれを使った。朱子がこれを使った理由は、無極の意味が老子と聖学とでは異なるからである。老子は一元気を大本に据え、気に立脚している。陸象山の過ちは、彼が無極よりして太極と読んだためだが、彼の様な大学者が間違いを起こした原因は、通書を真書、太極図説を偽書と思って本質を見損なったからである。この様な間違いは初心者や上級者にはなく、中程度の学者に多い。
【通釈】
さてまた、この五文字に関して色々な議論が起こった。陸象山が錆矢を放って、つまらない批判をした。それは、無極の字が老子にあって差し支えると思ったからである。老子の説に似ていると陸象山が言うので、朱子が、似ていることには頓着しない、言いたいことは「不顧旁人之謗」だと言った。周りの批判には構わずに無極と言う。しかし、同じく無極と言っても、無極の理由が老子と聖学とでは違う。老子は混沌未分の一元気を本尊とする。それで、老子が医学の祖と言われるのも当然なことで、老子の道は気に立脚するからである。貝原及兵衛が大疑録を書いて、無極而太極も体用一源も仏にあると言った。その様なことも、朱子の言った不顧旁人之謗で済む。ものが似ていることには構わない。子の顔が父に似ていても当てにはならない。律儀な親にも道楽息子がある。陽虎が孔子に似ていても、それは何の役にも立たない。似ていようが似まいが道学は構わない。五雑俎が周子を軽く見て、無極は蛇足を添えるものだとあるのも、見よう見真似で陸象山などを祖にしてのことであって、取るに足らないこと。陸象山も而の字の解釈からして間違っている。彼は無極よりして太極と考え、無極という大隠居から太極が生まれると思った。この而の字は、これを根にして上と下とを繋ぐ字であり、書経の「寛而栗」も、寛から栗が生れるのではない。左伝の「美而婉」も、美からして婉ということではない。而の字で旨い味が出る。直方先生が、日本人でさえわかるのに、唐人でもあの様に無器用な者がいると言われた。今考ると、陸象山には一つの思い入れがあったので、この様に言ったのである。而の字を捌けない陸象山ではなかったが、通書を真の書とし、太極図説を偽書と思ったから、それで一途になって我を張り、見損なったものと思われる。この類は古今の学者に多くある。横車を押して異端を言い出す。これが未熟な者や、普通より善い者であれば理屈を言わないのだが、見損なってかれこれ言うのは中程度の者である。これはよく合点すべきことであって、中程度の者が間違えるのである。
【語釈】
・公事…訴訟。
・陸象山…南宋の大儒。名は九淵。字は子静。象山、存斎と号。江西金渓の人。程顥の哲学を発展、理気一元説を唱え、心即理と断じ、朱熹の主知的哲学に対抗。文安と諡す。1139~1192
・不顧旁人之謗…「旁人の謗りを顧みず」?
・一元氣…老子道化に、「道生一、一生二、二生三、三生萬物」とある。一元気は聖学で言うところの太極である。老子去用に、「天下萬物生於有、有生於無」とある。老子によれば、太極は有で、道は無となる。無である道が有である太極を造る。
・貝原及兵衛…貝原益軒。江戸前期の儒学者・教育家・本草学者。名は篤信。損軒とも号。筑前福岡藩士。松永尺五・木下順庵・山崎闇斎を師とし、朱子学を奉じた。著「慎思録」「大疑録」「大和本草」「益軒十訓」など。1630~1714
・體用一源…致知49。「體用一源、顯微無閒」。
・陽虎…魯の将軍で、彼の乱暴を孔子がしたのだと町の人に間違えられた。そこで孔子は、「天之未喪斯文也、匡人其如予何」と言った。論語子罕5。
・五雜俎…随筆。一六巻。明の謝肇淛著。天・地・人・物・事の五部門に分けて記す。1619年成る。
・寛而栗…書経舜典。「帝曰、夔、命汝典樂、教冑子、直而温、寬而栗、剛而無虐、簡而無傲」。書経皋陶謨。「皋陶曰、寬而栗、柔而立、愿而恭、亂而敬、擾而毅、直而温、簡而廉、剛而塞、彊而義、彰厥有常、吉哉」。
・左傳…「春秋左氏伝」の略称。「春秋」の注釈書。左丘明の作と伝える。
・美而婉…春秋左氏伝桓公。「宋華父督見孔父之妻于路。目逆而送之。曰、美而豔」。春秋左氏伝文公。「公子鮑美而豔。襄夫人欲通之、而不可」。
・通書…周濂渓著。

さてとどの処、氣を雜へず離れぬと云か六ヶしいと云は、先刻も説、薪と火なり。異端は離れたかる。不生不滅を馳走する。離れやう々々々々として、とど外なものをつかまへた。氣をはなれた道理を見付て、それを外に一つあると云。逾近理而大乱眞と云も、あれか理を見やうとて霊妙を主にして、やはり氣をつかまへて仕廻ふ。此方の五文字は氣を雜らぬを本尊にする。されとも氣の上に居る。寒山子か太極をも合点して詩あり。迷汝即吐霧醒汝即吹風云々萬事由天公と云。皆氣の霊妙をとめたもの。あれか太極を云てつかまへたと思ふか、とど、佛心仏性と云ものか氣の霊を主張し、釈迦が今日も上にあると見て、やはり精神に惑ている。五文字がよくすめは、日用の上に出て塵も灰もつけぬか無極太極の會得なり。さて又今日の人にあれは、見とどけられぬ男と云は、太極にはづれたゆへなり。
【解説】
異端は気から離れたがる。仏は、理が気から離れて存在すると主張するが、彼等は気の霊妙な点に着眼しているので、実際は理を見ずに気を見ているのである。聖学では、太極は理のみで気を雑じらせないが、その理は気に離れずにいつも傍にいるとする。日々身の回りに現れていて、しかも取り付く島もないのが無極太極である。
【通釈】
さて結局、気を雑じらせずに気から離れないことが難しい理由は、先刻も説いた薪と火の関係と同じである。異端は気から離れたがり、不生不滅を大事にする。気から離れようとして、結局は違ったものを捉まえた。気から離れた道理を見付けて、道理は気とは別の所にあると言う。「逾近理而大乱真」と言うのも、理を見付けようと霊妙を主とするので、それで気を捉まえてしまったことを指す。こちらの無極而太極は気を雑じらせないことを本尊にする。しかし、太極は気の上にいて、それから離れはしない。寒山子が太極をも合点したとして作った詩があり、そこで、「迷汝即吐霧醒汝即吹風云々萬事由天公」と言っている。それは皆気の霊妙な点に着眼したもの。寒山子はこの詩で太極を言い表したと思っているが、結局は仏心や仏性というものが気の霊を主張し、釈迦が今日も天上にいると考えているのであって、彼の精神には惑いがある。五文字がよく済めば、日々身の回りに現れていて、しかも取り付く島もないのが無極太極だと会得することができる。さてまた今日の人で言えば、見届けられない男というのが、太極から外れたからなのである。
【語釈】
・逾近理而大乱眞…中庸章句序。「彌近理而大亂眞矣」。
・寒山子…唐代の僧。天台山の近くに拾得と共に住み、奇行が多く、豊干に師事したと伝える。その詩は「寒山詩」中に収載。文殊の化身と称せられ、画題にされる。生没年未詳。
・迷汝即吐霧醒汝即吹風云々萬事由天公…

中庸の不誠を、朱子の此不の字にこまると云へり。忠孝は太極のなり。そこへ不忠不孝と不の字かつくと太極てない。何ても不の字にろくなことはなし。女の奴、男のにやけたは太極にはつれる。男鞶革女鞶絲も太極へはめることなり。邵子もそこが合点ゆへ、ただの易者てなし。畫前の易と云るる。心為太極と云もうんとのみ込たそ。皇極經世家政も公事も何もかも太極にまかせる。弄丸餘暇閑来閑往も邵子の手に入たこと。或者、直方先生のことを當時の人か蟻通明神と云も、直方先生細事も物とかめするゆへ明神に比して名つく。太極の筋を立てるからなり。渾然たるものに粲然の條理分派か分るるゆへ、見のかしにせぬ。今日の結搆人、温厚和平の先生、目をもらぬ棋盤、つかみ料理ゆへ、太極へ遠々しい。太極は天下の事、大も小も皆これにくくって居る。そのくくって居るものは無極而太極なり。
【解説】
誠、忠、孝は太極の姿だが、これ等に不の字が付くと太極ではなくなってしまうことになる。それで不の付くものの解釈に朱子は困った。太極の意に添うことが重要だが、太極は条理となって分派するから、それを正しく見極めなければならない。邵康節や佐藤直方はその見極めを実践したが、今の好人物や温厚和平な先生と言われる者はそれを実践していない。
【通釈】
中庸にある「不誠」の「不」の字に困ると朱子は言った。忠孝は太極の姿。これに不忠不孝と不の字が付けば太極ではない。何でも不の字が付くと碌な事はない。女の奴やにやけた男は太極から外れる。「男鞶革女鞶絲」も太極に嵌めること。邵子もそこを合点したから、ただの易者ではない。「画前の易」と言われている。「心為太極」と言ったのも、太極をしっかりと呑み込んだからである。皇極や経世、家政や公事、その他何もかも太極に任せる。「弄丸餘暇閑来閑往」も邵子の手に入れたこと。また、直方先生のことを当時の人が蟻通明神と言ったのも、直方先生が細事にまで物咎めをするから明神にたとえて名付けた。彼が太極の筋を立てるからである。渾然とした太極から鮮やかな条理が枝分かれするので、これを見逃しにすることはできない。今日の結構人や温厚和平な先生は目を入れていない碁盤や箸を使わない料理と同じで、太極へは甚だ遠いところにいる。太極は天下のことで、大事も小事も皆これに括られている。その括っているものは無極而太極である。
【語釈】
・中庸の不誠…中庸章句25。「誠者自成也。而道自道也。誠者物之終始。不誠無物。是故君子誠之爲貴」。
・奴…遊女などで言動に男だてのふうをすること。また、その者。
・男鞶革女鞶絲…礼記内則。「子能食食、教以右手。能言、男唯女兪。男鞶革、女鞶絲」。
・邵子…邵康節。北宋の学者。宋学の提唱者。名は雍、字は尭夫。康節は諡。河北范陽の人。易を基礎として宇宙論を究め、周敦頤の理気学に対して象数論を開いた。著「皇極経世」「漁樵対問」「伊川撃壌集」「勧物篇」など。1011~1077
・畫前の易…
・心為太極…
・弄丸餘暇閑来閑往…
・蟻通明神…大阪府泉佐野市長滝にある元郷社、蟻通神社。枕草子・古事談などに見える。祭神は大名持命。
・渾然…異なったものがまじりあって、とけ合っているさま。
・粲然…あざやかなさま。

講後曰、異端の理を離れて氣をつかまへること、今日の席上會得せぬもの多からん。儒は有物有則の物をはなれぬ。今日か道なり。異端は知覚を認めそこを珎重し、釈迦の心を上へつるしてそれを不生不滅と思ひ、即、佛心仏性とする。佛心佛性は不生不滅なれは、このからたを離れて一つ有ると見、薪を離れて外に火か有ると思ふ。上へつるして置と云かよく見たやふなれとも、依舊其つかまへたかやはり槙さっはなり。この旨、連嵩郷寥子晦に答る書にくわし。滿願寺稲寺も樽のことてなし。酒をぬいて云の処て、樽や德利の不潔から酒の皆になること。このこと面白いことにて委く云ふと思ひしか、席上に頃日酒を贈られた篤実家の諱ありて口に上せぬ。重次郎なれは遠慮なし。ついそれからしてあそこの弁さへなんた。講後笑曰、神道は五文字の傳、某今日の講釈も五文字じゃ。又曰、直方先生、西の銘、予茲藐焉渾然中に處を一席に講せられたと云。どふ讀れたや聞たいもの。大学一冊て賀茂へ引こまれたを、やさしくも神主か驚嘆せしと云。学問の旨訣要歸は又別なことなり。
【解説】
講余の話。仏は釈迦の心を不生不滅と考え、それが仏心仏性であるとする。仏心仏性は不生不滅だから、身の外に真理があるとする。しかし、儒学は物から離れない。理は気から離れないのである。
【通釈】
講後に黙斎が次の様に話した。今日の席上にいる者の中で、異端が理を離れて気を捉まえていることを理解していない者も多いことだろう。儒は「有物有則」であって、物から離れない。今が道なのである。異端は知覚を認めて珍重し、釈迦の心を上に吊るしてこれを不生不滅と思い、即ち、それが仏心仏性だと考える。仏心仏性は不生不滅だから、この体を離れて別に一つあると考え、薪を離れて外に火があると思う。上に吊るして置くと言うのがよく見たことの様ではあるが、前に話した通り、その捉まえたものはやはり火ではなくて真木撮棒なのである。この主旨は、連嵩卿寥子晦に答えるの書に詳しくある。満願寺や稲寺も樽の話ではなく、酒のことを言ったのである。樽や徳利が不潔だと酒が駄目になる。この話は面白いので詳しく話そうと思ったが、過日、講席に酒を贈られた篤実家の諱があるので話さないことにした。浅見絅斎だったら遠慮なく話すだろう。ついそんなことだから、彼の門の弁は冴えなかった。講後微笑んで言う。神道は五文字の伝だが、私の今日の講釈も五文字のこと。また言う。直方先生が西銘の、「予茲藐焉乃混然中處」を一席講じられたそうである。どの様に読まれたのか聞きたいもの。先生は大学の書一冊だけを携えて賀茂に引き込まれたので、殊勝にも神主が驚嘆したという。しかし、学問の旨訣要帰はそれとは別なこと。
【語釈】
・槙さっは…真木撮棒。切ったり割ったりしてある薪。
・頃日…このごろ。日ごろ。過日。先日。
・諱…①死後にいう生前の実名。②後に、貴人の実名を敬っていう。③死後に尊んでつけた称号。諡。
・重次郎…浅見絅斎。
・神道は五文字の傳…
・西の銘…為学89。西銘。張横渠著。
・予茲藐焉渾然中處…西銘の語。「予茲藐焉、乃混然中處」。
・やさしくも…恥[やさ]しい。恥かしい。つつましい。けなげである。殊勝である。神妙である。

太極動而生陽云々 六月十六日 文録
【語釈】
・六月十六日…寛政2年庚戌(1790年)6月16日。
・文…花澤文二。林潜斎。東金市堀上の人。一時、丸亀藩主京極侯の儒臣となる。1749~1817

無極而太極の五文字は上へ引あけて見せ、其引上て見せたものを、爰ては隂陽の中にあるをぞっくりととけり。無極而太極を上の方へ上けて見せた迚、別に上にぶらさかりて有と思は大きな心得違なり。太極に居処はない。この趣向は隂陽の中で見へることか大切。先會に五文字か周子の思入ありと云へとも、あれは孔子の有太極の有の字の郭を示されたことである。これからは別に太極の居処のないことを示せり。それから云は、太極動而からが思入なり。去により、周子は滾説すと朱子云へり。ここにわけあることて、もと無極而太極か周子のかぶになる。そこで無極翁とも云。無極而太極は氣の沙汰なしにして云こと。
【解説】
「太極動而」の説明。「無極而太極」は、孔子の「有太極」という言葉に従って、太極が存在することを説いたもので、それは、陰陽の気を入れないで説明したものである。しかし実際は、太極は陰陽に囲まれた中にある。太極に居場所はないと説くのが周濂渓の本旨であり、そこで無極翁とも呼ばれるが、本当は「太極動而生陽」以降に彼の思い入れがある。
【通釈】
無極而太極の五文字は、陰陽の図中で陰陽に囲まれた部分を上に引き揚げて○の図にして見せたものだが、ここは陰陽の中にあるところをすっかりと説いたもの。無極而太極を上の方へ揚げて見せたといっても、別に太極が上にぶらさがってあると考えるのは大きな心得違いである。太極に特定の居場所はない。この趣向は陰陽の中に見えることが大切である。先の会で、五文字には周子の思い入れがあると言ったのも、それは孔子が「有太極」と言った、その「有」と言う形を示されたことにある。この句からは、太極には特別な居場所のないことを示す。このことから言えば、寧ろ太極動而の句以降が周子の思い入れなのである。そこで、「周子は滾説す」と朱子が言った。ここに訳があるので無極而太極が周子の株になる。そこで、無極翁とも言われる。無極而太極は気の沙汰なしで説明したものなのである。
【語釈】
・郭…都の外まわりを囲んだ土壁。転じて、ものの外まわり。ひろびろとしたさま。
・周子は滾説す…

上の無極而太極をへったりと説くと氣がまじりて、太極に氣がまじりてはつまらぬ。上の句はなぜへったりなれは、下の句を引上て説たこと。上の無極而太極をへったりと云。別に云ことではない。そこで思入は太極動而以下のことゆへべったりと云。然るにへったりと説くが孔子の思召にはふれたことでなく、即、一隂一陽之謂道を説けり。そう云へば周子に發明はないやうなれとも、たたい發明は同ことを云と蹈襲になり、孔子の外を云と私になる。やはり孔子の有太極の郭て無極と説き、下の太極動而から一隂一陽之謂道を發明せられたもの。不傳之学を遺經に継と云も、皆系辞傳からのこと。太極動而より两儀立焉迠は系辞五章目の遺經を継げり。然れは本の發明は定石の外を云ことない。そふないと土俵の外へ足が出る。孔子の辭にかわりて發明するが周子の周子たる所なり。
【解説】
無極而太極を詳しく説明すると気が雑じるのでよくない。太極動而以降が周子の思い入れであって、この気の動きは、孔子が繋辞伝で「一陰一陽之謂道」と説いたのを引用したもの。これが周子の発明である。発明とは本来、先人の言を変えて言うことであって、先人と同じことを言えば踏襲になり、先人と異なることを言えば私となる。
【通釈】
無極而太極を詳しく説明すると気が雑じってしまう。太極に気が雑じってはよくない。しかし何故無極而太極を詳しく説明したのかと言うと、下にある「太極動而生陽」云々を引上げて説いたからである。上にある無極而太極を詳しく説明したのは、別なことを言ったわけではない。そこで、周子の思い入れは太極動而以下のことだから、ここを詳しく話す。これを詳しく説明するのは孔子の思し召しに触れることではなく、「一陰一陽之謂道」を説いたもの。この様に言うと、周子は何も発明をしなかった様に感じられるが、そもそも発明と言っても、同じことを言えば踏襲となり、孔子が言ったことの他を言えば私になる。やはり、孔子の「有太極」で太極の姿を示した上で無極と説き、その下の太極動而以降で一陰一陽之謂道を周子が発明されたのである。「不傳之学継遺経」というのも、皆繋辞伝からのこと。太極動而から「両儀立焉」までは繋辞伝五章目の遺経を継いだもの。それで、本当の発明は定石から外れたことを言うものではない。そうでないと土俵の外に足が出てしまう。孔子の辞を変えて発明するのが、周子の周子たる所である。
【語釈】
・一隂一陽之謂道…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也」。
・不傳之学を遺經に継…「継不傳之学於遺経」。

上の無極而太極とある太極の字をうけて、太極動而と云。太極は藏頭底と云て顔の見へぬもの。ただ動靜て見へて来る。動は太極かそこへあらはれ出た。丁とへへんと咳をすれは、誰殿かこられたよふなもの。時々動靜の字は、動か始か靜が始かここは見へぬ。承りたいと云はわるい。太極は天地の中に鉄鉋玉のころ々々ころけるやふなもの、終始はない。どちと云ことはなけれとも、詞に云ふときはせうことなしにとちぞを先へ出す。周子の動とかたり出すも、筆をとりてのことゆへなり。始終を問れては迷惑。然れとも、辭をかけるには動とか靜とか云子はならぬ。周子の動かぬ前はすててをけと云て、動から辞を繋けり。この動から辞かけても、又、動が先てもない。あとさきはなし。譬て云はば、家の内へ雀と燕が一度に飛て入りた時、口上や日記には雀とか燕とか、どちか先へかか子はならぬ。周子の動靜を人に告るかそれなり。圖では妙が見へるが、辞はとちらか繋子はならぬ。こんへいとうとこりんを一寸一度に口へ入れた時、どちも一所になれとも、口に云ときはとちか先へ云子はならぬ。膽入が奉公人二人連て来て、二人ともにかかへると云とも、言つけるときはとの男とか云子ばならぬやふに、もとどちと云ことはなけれとも、詞には前後あり。天地は動靜々々とはたらくゆへ、とちか先きとたつ子らるるとこまる。
【解説】
太極は形のないものだが、太極が動静することで太極のあることがわかる。太極の動静に前後はない。周子が「太極動而」と動から辞を書いたのは、図では動静を一緒に画けるが、辞では動静を一緒に言うことができなかったからであって、動が先だということではない。
【通釈】
上にある無極而太極の太極の字を受けて、「太極動而」と言う。太極は蔵頭底とも言い、顔の見えないもの。ただ動静することによって見えて来る。「動」とは、太極がそこに現れ出たこと。丁度、えへんと咳をすれば、誰かが来たとわかる様なもの。さて、動静の字は、動が始めなのか静が始めなのか、それはわからない。それを教えて欲しいと言うのは悪い。太極とは、天地の中で鉄砲玉がころころと転げる様なもので、終わりや始まりはない。動静のどちらが先かと言うことはできないが、言葉にする時は仕方がないから、どちらかを先に言う。周子が動と語り出したのも、筆を執って書かなければならなかったからで、動静の始終を問われては迷惑である。しかしながら、辞を繋けるには動とか静とか、どちらかを先に言わなければならない。周子は、動く前のことは捨てて置けと言って、動から辞を繋けた。この様に周子は動から辞を繋けたが、動が先だと言っているのではない。動静に後先はない。たとえて言えば、家の中に雀と燕が一度に飛んで入って来た時、口上や日記には雀とか燕とか、どちらかを先に書かなければならない。周子が動静を人に告げるのがそれと同じである。図ではうまい具合に表現できるが、辞はどちらかを先に繋けなければならない。金米糖とこりんを一寸一度に口に入れた時、両方が一箇所にあっても、口で言う時はどちらかを先に言わなければならない。肝煎りが奉公人を二人連れて来て、二人共採用すると言う時も、それを言い付ける時には、一方の男を先に名指しなければならない様に、本来はどちらが先だと言うことはないが、言葉には前後がある。天地は動静で循環するから、どちらが先かと尋ねられても返答に困る。
【語釈】
・藏頭底…頭を蔵[かく]した底。
・こりん…氷?氷菓子?
・膽入…肝煎り。①世話をすること。周旋すること。特に、奉公人・遊女などを周旋すること。また、その人。とりもち。

動而生陽云々。先つ陽か一つ出来たとき、それが段々一はいにつまる。合点し易いやふに云へは、夜の明けたときなり。東が白み、行燈も火も消す。たん々々明るくなりて、それが行つまると夜になる。そこで靜而生隂と云こと。今朝から方々明るいか、そろ々々闇くなりて夜になる。それて最ふ御仕舞かと云に、又、鷄か啼、夜か明る。大極の道理は造化の真柱。生きものゆへ、動くと陽になり、それが又隂になる。一動一靜の一は働きを云字。何でも働らかぬとそれきりになる。動靜はかきりなく、天地開てより今日迠、それてはたらく。人間の呼吸の限りないもそれなり。生れてより只今迠呼吸てつつく。天地昼になり夜になり暑となり寒となりて萬古易らぬ。太極のしわさそ。
【解説】
「動而生陽、動極而靜。靜而生陰、靜極復動。一動一靜」の説明。太極は天地開闢以来今日まで、絶えず動静の循環を継続している。その循環は、太極が動くと陽を生じ、動き続けることで陽が一杯になる。動きが極まって静陰となる。また、陰が一杯になると陽となる。
【通釈】
「動而生陽云々」。先ず陽が一つできて、それが段々増えて一杯に詰まって来る。合点し易い様に言えば、夜が明けた時である。東の空が白んで、行燈の火も消す。段々明るくなって、それが行き詰まると夜になる。そこで「静而生陰」となる。今朝から方々が明るかったのが、そろそろと暗くなって夜になる。これでもう終わりかと思ったら、また翌日には鶏が鳴き、夜が明ける。太極の道理は造化の真柱。太極は生きものなので、動くと陽になり、それがまた陰になる。「一動一静」の一は太極の働きを指す字である。太極が働かなければ、何でもそれで終わってしまう。動静は限りなく、天地開闢から今日まで動静で働いている。人間の呼吸が限りないのも同じこと。生まれてから只今まで呼吸し続けるから人は生きていられる。天地が昼になり夜になり、暑くなり寒くなり、万古からその循環が途絶えないのは太極の仕業である。

互爲其根。動の根は靜なり。靜の根には動がなる。互に根すと云は、今が盛りと云内に最ふ仕入する。互が面白こと。子の刻にはや昼の足を入、午の刻にはや夜の足を入れて、未た西日と云に夜が這入て居。動、それと云て出てなく、靜の中に互にふくんて居。分隂分陽。上の二の生の字へあてて見へし。上の生陽はあたまて云、下の分陽は成就で云。生じ々々はめくむ所て云。動靜のめくみて成長したか分隂分陽なり。動靜ははたらき、分隂陽は位した処て云。两儀立焉。形のきっと見へる処て云。申せは生陽生隂の塲は目出度沙汰があると云のにて、胎内に居るかそれなり。两義立焉は生れ出た処。男なら男、女なら女と云。偖、分隂分陽两儀立焉迠は動靜隂陽が見へ、無極而太極が氣の上にあると見へるが、ここにあやあり。ここを氣と見るとわるい。すくにこれが太極の話なり。太極動而より两儀立焉迠て、動靜隂陽三十四文字が皆隂陽のことを云へとも、ここが直方先生の隂陽圖説てなく太極圖説と云の処。隂陽のことを云。それにすくに太極がさせる。隂陽て語るで懸空でない。
【解説】
「互爲其根、分陰分陽、兩儀立焉」の説明。互為其根は、動静が互いに根差していること。よって、動の活動時にも静が含まれており、その逆もある。また、動静は働きで、分陰分陽は動静の働いた結果である。両義立焉は、動静の働いた結果であり、できて視覚に見えることを言う。太極動而からここまでは陰陽の話をしているが、これを気に関する話だと思ってはならない。太極の話なのである。太極を陰陽で語るから、周子の太極図説は空言でないのである。
【通釈】
「互為其根」。動の根は静であり、静の根には動がなる。互いに根差すと言うのは、今が盛りという時に、早くももう一方の仕入れを始めること。この「互」の字が面白い。子の刻に早くも昼の足を入れ、午の刻に早くも夜の足を入れて、未だ西日が射している内に夜が這い入っている。動は、これから動くぞと言って出るのではなく、静の時に、既に動静が含まれているのである。「分陰分陽」。これは上にある「太極動而生陽」と「静而生陰」にある二つの生の字と見比べて考えなさい。先の「生陽」は始まりを言い、後の「分陽」は成就したところで言う。「生」は恵むことで、動静の恵みで成長した結果が分陽分陰である。動静は働き、分陰分陽は動静の成就したところを言う。「両儀立焉」。これは形がはっきりと見えるところを言う。言ってみれば、生陽生陰の場は目出度い便りがあって胎内に赤ん坊がいるところであり、両義立焉は、赤ん坊が生まれ出た処である。両儀立焉は、男なら男、女なら女ということ。さて、分陰分陽両儀立焉までで動静陰陽のことを見ることができ、無極而太極が気の上にあることがわかるが、ここに綾がある。ここを気の話だと見るのは悪い。直にこれが太極の話なのである。太極動而より両儀立焉までの動静陰陽三十四文字が全て陰陽のことを言っているが、ここが直方先生の、これは陰陽図説ではなくて太極図説であると言う処なのである。陰陽のことを言って、直ちに太極がこれを行うとする。陰陽で語るから太極図説は空言ではない。

儒仏の論もここなり。本来の面目を立て、動而生陽靜而生隂のことをすてる。老子もここをすてた。上に一つ混沌未分の者別にあると見る。儒は有物有則。この三十四文字にあり、皆太極がさせると見。上て云通り、無極而太極より下の三十四字を隂陽を語ると思が、隂陽は誰もがてんのこと。それを異端の云やふに、太極の大隠居が使ふではない。两儀立焉迠かやはり太極なり。朱子幼年の時、李延平の示さるるに、何であれ太極のことと云るるを延平の看とも云。太極は藏頭底なものと云て、太極は料理のあんばいのやふなもの。終に面をたさす。汁も平も塩梅あれとも、肉や菜の上にありてあんはいはかりはまかりならぬもの。その如く、天地のはたらきの上にあること。其はたらきを太極がする。道をかたるに上を指たり、此番帒の内から出ると云ふ様な、異端の僻見。爲人君止於仁と、人をつかまへて云て物を離れぬ。異端は物をのける見識ゆへ、行迹も世の中を遁る。隂陽の上に道はあると云見所ないゆへのこと。老子混沌未分の外は面白くないゆへ、礼は忠信之薄と云。佛者は不生不滅を云、はや五倫もないものにする。物に即而太極がさせると、氣の中へべったりと云か垩人之道なり。
【解説】
仏も老子も動而生陽静而生陰を不要だとする。彼等は、太極動而から両儀立焉までが太極であることを知らない。太極は塩梅の様なもので目には見えないが、それは物から離れないで存在する。肉や野菜がなければ料理にならないのと同じで、物がなければならない。老子が道は混沌未分にあるとし、仏教が不生不滅の釈迦にあるとしているのは僻見である。気に太極がしっかりと離れずにいるとするのが聖人の道である。
【通釈】
儒仏の論争もここである。仏は本来の面目を立てて、動而生陽静而生陰を棄てる。老子もこれを棄てた。上に混沌未分のものが別に一つあると見る。儒は「有物有則」である。この三十四文字に全てがあり、皆太極がさせると考える。先に言った通り、無極而太極以下の三十四文字が陰陽を語っていると思いがちだが、陰陽は誰もが知っていること。しかし、異端が言う様に、太極の大隠居が陰陽を使うのではない。両儀立焉までがやはり太極によるのである。朱子が幼年の時、李延平が何でも太極のことだと言われたが、これを延平の看とも言う。太極は蔵頭底なものと言い、それは料理における塩梅の様なもの。最後まで面を出さない。汁にも皿に盛られた料理にも塩梅が加わっているが、それは肉や菜の上にあるのであって、塩梅だけは料理ではない。この塩梅の様に、太極は天地の働きの上にある。天地の働きを太極が行う。道を語るのに、道は上にあるとしたり、この番袋の中から出ると言う様なものは異端の僻見である。儒では「為人君止於仁」と人を対象として言い、物から離れない。異端は物を除ける見識だから、その行跡も世の中を遁れるものである。それは陰陽の上に道があるという見処がないからである。老子は混沌未分の他は詰まらないことだとするので、「礼者忠信之薄」と言った。仏者は不生不滅を言い、早々と五倫はないとする。物に即して太極が全てを行うと、気の中でしっかりと言うのが聖人の道である。
【語釈】
・李延平…字は愿中。羅豫章の門に程氏学を学ぶ。朱子も22歳の時に李延平の門を叩く。1093~1163。
・爲人君止於仁…大学章句3。「爲人君、止於仁。爲人臣、止於敬。爲人子、止於孝」。
・礼は忠信之薄…老子論徳。「夫禮者忠信之薄而亂之首也」。

陽変隂合而生水火木金土。この前は太極とかけ、動靜て説落し、ここは上の隂陽の句をつかまへて五行を説けり。陽変隂合は隂陽のなりが自ら斯ふしたものなり。陽は動くもの。始の方は変ると云。活物ゆへじっとして居らぬ。変は動て出る処を云ふ。偖、合と云字は隂の持前ゆへ、それに從ふ。自然なもの。太極が生ものゆへ二つにわれる。隂陽ぎりで居ると死物。陽がいさのうと、直に隂はそれへ從ふ。そこで數がふえて五行なり。二つか変りて水火木金土を出来す。これが隂陽の外てはなく、數のふえたのなり。水火木金土の字は生る順てかたる。隂陽の氣は未たつかまいにくい。そこて五行になりて天一生水と云。五行は質なれとも、水が一つ氣を去ることの遠からぬものゆへ、形はありてつかまいにくい。これか一ち先ゆへ、目にも見へ畫にもかかれるか、外の物とは違ふ。なんでも天地あらゆるものの始は水なり。水か始に出来て、それへあたたまりのつくが火なり。皆自然なこと。それへ又少し形の實するを木と見る。それから又いこう堅りた形が金なり。仕舞の土は四行の母なり。土は何へも離れぬもの。皆へはなれぬゆへ、中に位す。五行は竒妙なもの。この通、天地の間の形したもの、地についてある。それか地についた計りてはない。天へもつく。天地に水火木金土か出来ても流行せねはならぬ。五行の質、土について、質に氣があれとも、其氣は天に行はれる。質と云てよりつかまへらるる。
【解説】
「陽變陰合、而生水火木金土」説明。動は陽に、静は陰に属し、変は陽に、合は陰に属す。太極は陰陽の二つに割れる。陰または陽が単独で存在すると死物。陽が誘うと、陰はそれに従う。陰陽は気で五行は質である。天地にあらゆる物の始まりは水で、水火木金土の順は生成の順番である。太極が五行になって、目に見える様になる。五行は質だが、これには気がある。水は気に最も近い。陰陽が変化したものが五行であり、変化の順序で気からの距離が遠くなって行く。
【通釈】
「陽変陰合而生水火木金土」。この前は太極と繋け、それを動静で説き落とし、ここでは先の陰陽の句を捉まえて五行を説く。「陽変陰合」とは、陰陽の姿が本来この様なものだからである。「陽」は動くもの。陽の始まりを「変」と言う。活物なのでじっとしていない。「変」とは動いて出る処を言う。さて、「合」と言う字は陰の持ち前なので、陰が陽に従うということで、それは自然なこと。太極は活物なので二つに割れる。陰や陽が単独でいると死物になる。陽が誘うと、直ちに陰はこれに従う。そこで数が増えて五行となる。陰陽の二つが変化して水火木金土となる。この五行は陰陽以外のものではなく、陰陽の数が増えただけなのである。「水火木金土」の字はその生じる順で語ったもの。陰陽の気は、陰陽の段階ではまだ捉まえ難い。そこで五行になって「天一生水」と言う。五行は質であるが、水は最も気に近いから、形があっても捉まえ難い。この水が五行の質の最初だから、目にも見えるし絵にも画くことはできるが、他の火木金土とは異なる。天地にある全ての物の始めは水である。水が始めにできて、それに温まりの加わったものが火である。皆自然なこと。その火がもう少しはっきりとした形になったものが木である。その木が大層堅くなった形が金である。最後の土は他の四行の母である。土は何からも離れない。他の四行と離れないから、四行の中心に位置する。五行は奇妙なもので、この通り、天地の間に形を持ったものの全てが地に付いてある。そして、それは地に付いているだけではなく、天にも付く。天地に水火木金土が生じても、それ等は流行しなければならない。五行の質は土に付き、その質には気があるが、その気は天に流行する。質と言うのでよりよく把握することができる。
【語釈】
・五行…書経洪範。「五行。一曰水、二曰火、三曰木、四曰金、五曰土」。尚、五行には別に相生と相克の形があり、相生は木火土金水、相克は水火金木土である。

五氣順布四時行焉。五氣順布は天に行はれるを云。五氣の方ては木火土金水とめくりて春より夏、々より秋冬と行く。順路に行れること。春の暖かなかそろ々々此節の夏になりて熱し。秋の金のしまりの冷が冬の寒になる。四季の土用にて季毎に土が這入て、間違はせぬやうにして四時か行はれる。これを一つに語ると、この十九字が五行の生になる。ここも先刻の見とりに同ことにて、五行てなく太極のことなり。李延平が看と云はここを云。五行を即太極ちゃ。隂陽の圖てない。そうさせるは太極かする。隂陽五行と見へて、やはり太極なり。申せは、隂陽五行が腹を立そうなこと。をらをばなぜやすくする。いや、やすくするではない。どうしても太極のことなり。居処はもたぬがはたらくは太極てこそあれ、太極か其中へ這入て居てのこと。家老用人ははたらくなれとも、それか旦那のはたらくになる。働くものは旦那ではないか、とと檀那のこと。歩行も足輕も大勢あれとも、誰殿の登城と云は主君を云。これをさせるは太極ゆへ、どこまでも隂陽五行にかまわす、其隂陽五行を云て太極になる。そこて太極が見へたと、隂陽五行の上に付て平實に説が太極圖説の説き方なり。なんぞと云と動天驚地言は異端の説。あれが高ければ高いほど、道とあんばいが違ふ。周子は懸空てない。つかまへ処がある。どこにごさる。ここにあると陰陽五行四時を示す。道統の傳はここなり。今の學者もきり上たことをうれしがり、引ぬいて理を云へば難有ることと思ひ、氣のことや家礼のわざをはやすくする内は、ここのあんはいはすまぬ。異端のかぶれなり。あのこまかな三千三百の上にこそ、太極は具てある。
【解説】
「五氣順布四時行焉」の説明。ここも陰陽五行を使って太極を説明したものである。五行の循環は四季の様に目に見えるものである。五気の順布は、実際は太極が陰陽五行の中に這い入って働くことによって行われるものだから、五気の順布を基にして太極を理解することができる。よって、高遠なことや理を有難がって気のことや家礼の業を侮るのは悪い。
【通釈】
「五気順布四時行焉」。五気順布とは、五行の気が天に流行することを言う。五気は木火土金水と巡って春から夏、夏から秋冬と、順序良く運行する。春の暖かだったのが、そろそろ今の時期の夏になって暑くなる。やがて秋の金の絞まりの冷気が冬の寒さになる。四季の土用で季毎に土が這い入って間違いを起こさない様にして、四時が行なわれる。これを一言で言うと、「陽変陰合而」から「四時行焉」までの十九字が五行の生成のことである。ここも先刻の見取りと同じで、五行ではなく太極の話として捉えること。李延平の看と言うのもここを指す。五行は即ち太極であり、太極図は陰陽の図ではない。陰陽五行を動かすのは太極である。ここは陰陽五行のことの様だが、やはり太極のことである。この様に言うと、陰陽五行が何で俺をこんなに侮るのだと腹を立てそうだが、侮っているわけではない。どうしても太極のことだからである。居所は持たないが働くのは太極があってこそであり、太極が陰陽五行の中に這い入っているいるからのこと。家老や用人も働くが、それが主君の働いたことになる。働く者は主君ではないが、結果として主君が働いたことになる。徒士や足軽が大勢付き添って登城しても、誰殿の登城と言う際は主君を指す。陰陽五行を流行させるのは太極だから、全く陰陽五行に構わない。陰陽五行と言って、つまりは太極のことになる。これで太極が見えたと、陰陽五行のことを言って太極を平実に説くのが太極図説の説き方である。何かと言えば驚天動地なことを言うのは異端の説だが、それが高遠であればあるほど、道との塩梅が違って来る。周子の説は懸空ではなく、捉まえ処がある。何処にあるかと言うと、ここにあると陰陽五行四時を示す。道統の伝はこれである。今の学者も高遠なことを嬉しがり、理を引き抜いて言うと有難がるが、気のことや家礼の業を侮っている内は、ここの塩梅は済まない。異端に被れているのである。あの細かな三千三百の上にこそ、太極は具わっている。
【語釈】
・三千三百…礼記礼器。「經禮三百、曲禮三千」。中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千。待其人而後行」。

五行一隂陽也云々。ここの絶句大切なり。五行一隂陽也より各一其性迠の二十七字は一段に見子ばならぬ。無極而太極よりここ迠三鼻すみても、やはりとこまても太極を云。偖、五行一隂陽也隂陽一太極也云々がよせ筭のやうにあらく見るが、そう云訳でない。寄筭のやうなれとも、ここを寄筭をして、上の語をしめたと見ると大に違ふ。ここの説は懸に説と本の道でないゆへ、隂陽五行へ説落し、それに道理あるを云。ここへ段々つめて、とと太極へ落す為に見せり。一隂陽の一は一隂一陽、一太極の一は同一の一で、同じく隂陽しゃはさ、同く太極じゃ、と。理氣の分ちせぬてなく、太極に目鼻付る迠なり。阴阳が五つにわれて、太極が二つにわれても、やはり太極の面を出たにて、よのものの処へ行たではない。一阴陽也一太極也と云。生て語ても行て語ても、五行がそれ々々の數がふへて、五行は一陰陽の外てはない。これほどたしかに見ることはない。時と位はちかへとも、春になるも夏になるも秋になる、昼になるも夜になるも、やはり太極の理なり。
【解説】
「五行一陰陽也。陰陽一太極也」の説明。一陰陽の一は一陰一陽、一太極の一は同一の一のことで、五行は陰陽と同じ、陰陽は太極と同じである。太極が陰陽に割れても、陰陽が五行に割れても、それは皆太極に由るのである。
【通釈】
「五行一陰陽也云々」。ここの絶句が大切である。「五行一陰陽也」から「各一其性」までの二十七字は特段に見なければならない。無極而太極からここまで三段が済んでも、やはり何処までも太極のことを言ったもの。さて、五行一陰陽也陰陽一太極也云々は、寄せ算の様で粗く見えるが、そういうわけではない。寄せ算の様だが、ここを寄せ算をして上の語を寄せたと考えると大きな間違いである。高遠に道を説くとそれは本当の道でないから、周子の説は、陰陽五行を使って説き落とし、そこに道理あると言う。ここまで段々と詰めたが、それは最後に太極へ落すために書いたのである。一陰陽の一は一陰一陽、一太極の一は同一の一のことで、陰陽と同じ、太極と同じということ。理気を分けないわけではないが、太極に目鼻を付けるまでのこと。陰陽が五つに割れても、太極が二つに割れても、やはり太極が顔を出したのであって、太極以外のものが出たわけではない。一陰陽也一太極也であって、「生」で語っても「行」で語っても、五行の数が増えても、五行は一陰陽の外ではない。これほど確かに見ることができるものはない。時と位は違っても、春になるのも夏になるのも秋になるのも、昼になるのも夜になるのも、やはり太極の理に由るのである。
【語釈】
・よせ筭…足し算。

太極本無極は上の句で用むきはすんだれとも、無極が舞納められぬゆへ云へり。太極に形のないことを改て云に及ぶこともないものなれとも、云ひをさめる為めなり。隂陽五行ときて、どこ迠もかの形なしの太極てないことはないとなり。直方先生も本の字を無極而の而の字と見よと云へり。隂陽一太極也太極本無極也と、同じものじゃと云が大ふ大切にて、人の近付て本のものが見へる。中庸の喜怒哀樂て中を云やふなもの。喜怒哀樂は皆近付で、弥太も平太も知りた。喜ひとも哀ひとも、其發らぬが中じゃと示された如く、周子も隂陽水火木金土は皆が合点なもの。そこで無極の妙があるぞ。喜怒哀樂をしらせるでない。中をしらせる。ここも水火木金土を知せるではない。春の暖は陽、冬の寒は陰、竈の下の火は陽と云へは下女も合点し、彼の隂陽五行の上に太極かと云。ををいょい合点。扇子の上にあをく、筆の上に書くが具て、其あをくや物を書く道理は見へぬ。そこで太極は本無極也なり。然れは、五行隂陽の面の見へる上にある理か無極なれは、上の方を見て高ことは、やはり悟らずに騒ぐなり。
【解説】
「太極本無極」の説明。改めて太極は無極であることを述べる。陰陽は太極であり、太極は無極であることを理解することが大切である。中庸で「喜怒哀樂之未發謂之中」とあるのは、喜怒哀楽を知らせるのではなく、中を知らせるための句であるのと同様に、太極図説も水火木金土を知らせるのではなく、太極が無極であることを知らせるものであって、目に見えるものを利用して、目に見えないものを覚らせるのである。形を持った五行陰陽の上に無極があるのだから、高遠なところに道を求める異端の考えは間違っているのである。
【通釈】
「太極本無極」は、上の句のところで既に説明は済んでいるのだが、まだ無極のことを言い切っていないので、改めて話した。太極に形のないことを改めて言うには及ばないが、言い納めるために言ったのである。陰陽五行と言って、何処までもあの形のない太極でないものはないと言った。直方先生も、「本」の字を「無極而」の「而」の字のことだと見なさいと言った。陰陽一太極也と太極本無極也が同じものだと言うのが大層大切なことで、人がよく知ることによって本当のものが見えて来る。それは中庸で、喜怒哀楽で中を言う様なもの。喜怒哀楽は皆がよく知っていて、弥太も平太も誰もが知ったことである。喜しいとか哀しいとか、その感情が発せられないところが中だと中庸で示された様に、周子の太極図説も陰陽水火木金土は人が皆合点しているもの。そこで無極の妙がある。中庸は喜怒哀楽を知らせるのではなく、中を知らせたもの。太極図説も水火木金土を知らせるのではない。春の暖かいのは陽、冬の寒いのは陰、竈の下の火は陽と言えば下女にもわかる。あの陰陽五行の上に太極があると言う、おお、それはよい合点である。扇子の上には扇ぐこと、筆の上には書くことが具わっていても、扇いだり物を書いたりする道理は見えない。そこで太極本無極也なのである。五行陰陽の上にある理が無極なのだから、上の方を見て高いことを言うのは、やはり悟らずに騒いでいるだけなのである。
【語釈】
・舞納め…舞い納める。その場をうまくとりつくろう。上手にかたをつける。
・中庸の喜怒哀樂て中を云…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉萬物育焉」。

五行之生各一其性と、二十七字の末句にあるが甚太切の文字にて、ここが見にくい処なり。山﨑先生葉解をぬけり。あれが本無極也で句絶して、五行之生各一其性をのけものにしても余義もなく、見ぬ筈なり。この廿七字、五行一隂陽と語り出したもの。五行は隂陽の外てないは言にも及ぬことなれとも、間違のない為に云はれたこと。尤、五行で天地につかまへ処が出来る。兎角道理は形ないゆへつかまへにくい。そこで、形でなければ云れぬ。酒が望ならば、德利や樽を用意するがよい。五行迠御近付て説て、太極はこの五行へ入れ子ば天地万物に親切に見とどかぬ処があるやうゆへに、五行之生也各一其性と、これから始て性とかたる。太極はくくりところて云。五行が出来る。すは、辭を改め子ばならぬ。いつも云、御藏の時は御金、我が鼻紙帒へ入れては御の字をぬく。水火木金土の五行は太極の持前なれとも、請取たゆへ性と云。火はとこ迠もあついなりにかたまる。水はとこ迠も濕すなりにかたまる。手ん手にこう持ても、太極にもらったと云。上でも云通り、各一其性が太極を五行と云一物へわたして、始てここへ性の字を出す。隂陽一太極也太極本無極也と精出して云て、五行へ渡す。ここも又、李延平の看で、性とあれとも太極のことなり。そこで、一其性を先ばしって性の段かと云に、書かへてもやはり太極が向へ渡したもの。
【解説】
「五行之生也各一其性」の説明。五行はそれぞれに従った性を太極から貰う。大極は陰陽であり、陰陽は五行であって、五行は「各一其性」だが、その性もまた太極である。
【通釈】
「五行之生各一其性」と二十七字の末句にあるが、これが甚だ大切な文字であって、しかもわかり難いところである。山崎先生は葉解を削除した。葉仲圭が「本無極也」で句を止めて、後に続く「五行之生也各一其性」を軽く見たのも彼なら当然のことだから、先生は葉解を見ない筈である。この二十七字は、「五行一陰陽也」と語り出したもので、五行が陰陽に他ならないことは言うにも及ばないことだが、間違いのない様に、この様に言われたのである。尤も、この五行によって天地に捉まえ処ができる。とかく道理は形がないから捉まえ難い。そして、形があるものでなければ、指して言うことはできない。酒を飲みたければ、徳利や樽を用意するのがよい。五行までをお近付きのもので説いて、太極をこの五行に入れなければ、天地万物を親切に見届けられない処がある様なので、五行之生也各一其性と書いて、これから「性」を語り始める。太極は締め括るところで言うこと。五行ができれば、さあ直ぐに辞を改めなければならない。いつも言う通り、御蔵にあるときは御金、自分の紙入に入れたら御の字を外して言う。水火木金土の五行は太極の持ち前だが、その太極を五行が受け取ったので性と言う。火はどこまでも熱い特性に従って固まる。水はどこまでも湿す特性に従って固まる。それぞれに違う特性を持っていても、同じく太極にその特性を貰ったのである。先に言った通り、各一其性は太極を五行という一物に渡したことであって、ここに初めて性の字を出すのである。「陰陽一太極也、太極本無極也」と精を出して言って五行へ渡す。これもまた李延平の看であって、性と言っても太極のことである。そこで、先走ると一其性は性の話なのかと思うが、言葉を書き替えてもやはり、太極を性へと渡しただけのことである。
【語釈】
・葉解…葉仲圭の近思録集解。

無極之眞二五之精云々。さて、隂陽の、五行のと、名はかはれとも、皆太極のはたらきなり。物をこしらへる段になりては、太極々々と云ともどうもつめたい物を出来すに、役人をそろへ、六具を揃へ子ばならぬ。これもとど、太極のことにて同じことなれとも、細工ゆへ道具そろへて語るが趣向なり。無極之眞は太極と云てすめとも、二五之精の相手に太極之理ともつら子にくい。精の字と眞の字を書くために無極と出したと合点せよ。前本無極としめて、其無極と受けるは一つことなれとも、太極のうわさに形のないを形容せし無極の字なれば、ここを形容を出すとじかに太極と出しそうなものなれとも、ここにあんばいあることで、扨、彼無極殿の眞かと云はるる。唐の文字に似顔のことを眞と云。画はそうしたことなれとも、その人のそこへ来たやふに生うつしゆへ眞と云なり。之眞は、すこしも雜のないを云て、やはり太極のことなり。二五之精。二氣五行。太極隂陽と云て用の足りてすむこと。道統の上に辞のつやの入りましきことのやふなれとも、文章の上で自ら斯ふ書子ばならぬ塩梅なり。之精は氣のきっすいにて、余のものの方へわからぬこと。迂斎、抽の花の其中の匂と云へり。風を引かぬやだもののないを云。眞は理の方ぞ。孝にさほど孝でないと云ことはないこと。凡道理に雜はない。隂陽五行は精のくわしいが入用なり。氣には精粗があり、酒もかすはあらし。豆腐も精がなるきらずは粗なり。画書の朱を水飛するに、わきへ散りをとして黄みたは精でない。天地でも、どみた氣てはものはできぬ。
【解説】
「無極之眞二五之精」の説明。「無極之眞」とは太極のことだが、後に「二五之精」と続かせるので、太極とは言わずに「無極之眞」と言う方が真と精との対比となって語感がよい。この無極之真とは、太極が少しも雑じりのないことを意味する。二五之精の二五とは陰陽五行を指す。また、精とは生粋を意味する。道理には雑じりがないが、気には精と粗がある。粗い気で物を造ることはできない。
【通釈】
「無極之眞二五之精云々」。さて、陰陽や五行と名は変っても、それは全て太極の働きである。物を拵える段階になっては、太極とは言っても、冷たい物を造る場合には、役人や六具を揃えなければならない。これもつまりは太極のことではあるが、細工のことだから、道具を揃えて語るのが趣向である。「無極之眞」は太極と言えばそれで済むことだが、「二五之精」に対して「太極之理」とは並べ難い。精の字と真の字とを並べて書くために無極と書き出したのだと理解しなさい。前に「本無極」と括って、無極と受ける意味はここと同じではあるが、太極に形がないことを形容したのが無極の字だから、ここに形容を出して言えば直に太極と書きそうもないものだが、ここに塩梅があって、あの無極殿の真がと言われた。中国の文字で似顔のことを真と言う。画とはそうしたものだが、画かれた人がそこへ来た様に生き写しだから真と言うのである。「之眞」は少しも雑じりのないことを言い、やはり太極のことである。「二五之精」。二気と五行を指す。太極陰陽と言えば用が足り、それで済むこと。道統の文章に修辞を使うべきではない様に思えるが、文章の流れ上、自然とこの様に書かなければならないのである。「之精」は気が生粋であって、他の物の方へ分かれないこと。迂斎が、精とは柚の花の内にある匂いだと言った。風邪を引かず丈夫で欠点のないものである。真は理の方のこと。孝にはさほど孝ではないという様な中途半端なことはない。凡そ、道理に雑じりはない。陰陽五行は、精が精しくなければならない。気には精粗があり、酒も粕は粗い。豆腐も精が成り切らなければ粗い。画を書く者が朱を水飛する際に、脇へ散り落して黄ばんでは精ではない。天地も、澱んだ気では物を造ることはできない。
【語釈】
・六具…甲冑に付属する六種の武具。籠手・脛当・脛楯・肩当・脇引・面具の類。
・辞のつや…辞艶。辞によるおせじや愛敬。艶には、男女の情事に関したこと、色めいたことの意あり。
・やだ…①焼物のきず。②転じて、人の欠点や悪い癖。
・水飛…

妙合而凝。物が氣のめぐむやさきて妙合すると思へはわるい。いつでも理と氣と妙合して、あちこちするところで出來るぞ。さらばと云て、餅屋が丸めるやふなことはない。妙合は、物の一つになるを云。一味つつ元の通り分るゆへ妙合てない。隣の井の水とこちの井の水を合せたは、これが此方の水とはわけられぬ。べったりとなりて混合す。物出来る形を凝と云。精氣のととまり、物のあたたまるて凝ること。着る物の虱も着て居るほっこりで出来る。只すふ々々と流行して、水車のめぐるやふでは出来ぬ。両手を握る。温になるが凝る塩梅あり。そこで万物が出来る。
【解説】
「妙合而凝」の説明。無極之眞と二五之精が妙合して万物が造られる。理と気はいつも妙合している。妙合とは物が一つになることで、妙合した後は元通りに分離することはできない。妙合して形となることを「凝る」と言う。凝るためには、精気であることと、精気が留まっていることが必要である。精気が留まると暖かくなって万物が成る。
【通釈】
「妙合而凝」。気の恵む矢先に妙合して物が造られると考えるのは間違いである。いつでも理と気とが妙合して遣り取りするから物ができるのである。それだからと言って、餅屋が餅を丸める様なことではない。妙合とは、物が一つになることを言う。餅は一つずつ元の通りに分けることができるので妙合とは言わない。隣の井戸の水と自分の井戸の水とを合わせると、これが自分の水であると言って分けることはできない。それは完全に一体となって混合している。物が造られたその形を「凝」と言う。精気が留まって物が温まるので固まる。着物の虱も、着ている温まりから生れる。只すらすらと流行して、水車が回る様に留まることがないとすれば、物は生れない。両手を握って温かくなるところに、凝る塩梅がある。そこで万物ができる。

乾道成男坤道成女。始ものの出来る時に天にあやかる氣は陽、地にあやかる気は隂のことなり。天にあやかるは男となり、地にあやかるは女となる。男女はもと人の上て云文字なれとも、ここは天地万物を一つにくるめて云。鶴や鴻は手もない、乾道成男なり。九十九里に鯛や鱸の出来るは坤道成女なり。人間の始として直に天地が出來るものを氣化と云。親なしに天地の氣で出来るなり。この句の目出度方、直方先生の、天の平産と云へり。程子形化始而氣化息と云へり。堀の鮒やめたかの微物は今も氣化で、始はあの如く人物が出来たれとも、形化になりては皆親て出来る。二氣交感化生万物。形化を云ふ。これが形化始而気化息なり。人は勿論、禽獣の微物迠、交會して出来る。易に男女構精と云がそれなり。
【解説】
「乾道成男、坤道成女、二氣交感化生萬物」の説明。鶴や鴻は空を飛ぶから陽であって「乾道成男」、鯛や鱸は地上のものだから陰であって「坤道成女」である。程子は「形化始而気化息」と言った。気化は最初だけで、形化した後は気化が息む。但し、微物は今も気化によって生まれる。「二氣交感化生萬物」は形化のことである。
【通釈】
「乾道成男坤道成女」。始めて物ができる時、天に肖る気は陽、地に肖る気は陰である。天に肖る陽気は男となり、地に肖る陰気は女となる。元々男女とは人に関連して言う文字だが、ここでは天地万物を一つに包めて言う。鶴や鴻は天を飛ぶので「乾道成男」と直ぐにわかる。九十九里の地に鯛や鱸が生れるのは「坤道成女」である。人間の始めも同じで、直に天地から生じることを気化と言う。親がなくても、天地の気で生まれるのである。この句が目出度いことなので、直方先生がこれを天の平産と言った。また、程子も「形化始而気化息」と言った。堀の中の鮒やめだかの様な小さな生き物は今も気化によるが、それと同様に人や物も始めは気化によって造られた。しかし、形化した後は皆親から生れるのである。「二氣交感化生万物」。これは形化のことを言う。これが「形化始而気化息」である。人は勿論のこと、禽獣や微物まで、交会してできる。易に「男女構精」と言うのがそれである。
【語釈】
・乾道成男坤道成女…易経繋辞伝上1。「乾道成男、坤道成女。乾知大始、坤作成物」。
・あやかる…肖る。①ある物に触れ、または感じて)揺れ動く。変化する。②感化されて似る。物に感じてそれと同じようになる。③まねをする。
・平産…やすらかに子を産むこと。安産。
・形化始而氣化息…
・男女構精…易経繋辞伝下5。「天地絪縕萬物化醇。男女構精、萬物化生」。

万物生生而変化無窮。よふ御手がまわる。生々無窮焉は、人間の上坐にして、何と云ことはない。何々でこさると云と、天地も、をれも知ぬと云ほどのこと。數多いゆへ覚られぬ。麒麟鳳凰より人のいやがる地獄そば、蝮までが万物生々にて、自分のものずきで出来はせぬ。砒礵斑猫朝鮮人参も太極を笠に着て、彼手代共でにぎ々々したことなり。さて、圖説はとこ迠も圖をはなさぬこと。二氣交感而万物生々と云へは大隠居になったやふなれとも、やはり太極がさせる。圖で見れば、やはり万物化生も丸ものにしてあれは、これ迠が太極圖ではきと見へるなり。人を天地の子と云も親へぶしつけのよふなれとも、親の細工ばかりではない。そこで天地を父母と云て、太極が上坐する。そうなければ鳶に鷹、瞽叟に舜はないはず。とちから説ても太極は離れられぬ。
【解説】
「萬物生生而變化無窮焉」の説明。「生生無窮焉」とは、太極が物の上座にいて、万物が限りなく生まれること。「万物生生」とは、麒麟から蝮まで、全ての物が生まれること。気化によって万物が生まれ、その後形化によって万物は際限なく生じるが、そこには太極が離れずにいる。人を天地の子と言うのも太極が人から離れずにいるからである。
【通釈】
「万物生生而変化無窮」。よく手が回る。「生生無窮焉」とは、太極が人間の上座にいることで、それ以外の意味はない。何々でございますと言うと、天地が、俺もそんなことは知らないと言う程度のこと。物の生まれる数が多いので、一々覚えてはいらない。麒麟や鳳凰から、人の嫌がる地獄蕎麦、蝮までが全部万物生生であって、物が自ら好んで生まれるのではない。砒石や班猫、朝鮮人参も太極を笠に着て、手代達で賑やかなことである。さて、太極図説はどこまでも図から離れてはいけない。「二気交感而萬物生生」と言うと太極が大隠居になった様に思えるが、やはりそれは太極がさせているのである。図を見れば、やはり萬物化生も丸く画いてあるから、ここまでが太極図ではっきりと見ることができる。人を天地の子だと言うのも親に対して不躾な様だが、親だけによって子が作られるのではない。そこで天地を父母と言い、太極が上座に座る。そうでなければ鳶に鷹や、瞽瞍に舜となる筈がない。図と辞と、どちらから説明しても太極から離れることはできない。
【語釈】
・地獄そば・・・ドクダミ。
・砒礵…砒石。砒素を含む鉱物の一種の古称。土塊に似てもろく、黒色または灰色で猛毒。銀鉱または鉛鉱に伴って産する。
・斑猫…コウチュウ目(鞘翅類)ハンミョウ科の甲虫の総称。猛毒のあるマメハンミョウ・ツチハンミョウは別科。
・天地を父母…為学89。西銘。「横渠先生作訂頑曰、乾稱父、坤稱母」。
・鳶に鷹、瞽叟に舜…「鳶に鷹」は鳶が鷹を生むという諺。「瞽瞍に舜」では、瞽瞍は舜の父で悪人。両方共に、大したことのない親から優れた子ができること。

唯人也得其秀而最靈。これが太極圖説の真中の処なり。垩賢の傳授の書、いつもかうなもの。中庸も性道教で天地を説て、次の段は直に人へ落す。垩賢、天の為と地の為でなく、人が正客ゆへ、とこでも人へ落さぬはない。唯人也は、功夫はなく人の上の道理を見せる。右の通萬物とかけて、ここは人計引ぬいて云。これがかわりたもので、万物も人も太極の道理なれとも、人の方は氣によい処あり。道理に二つはないが、彼の雪の盆なり。盆のなりしだいをうけるを云ふ。太極が一ちよいを人にやり、禽獣にはわるいところをやるてはない。いつもたとへの月影なれとも、銀の鉢と泥水は違ふ。氣の上にさへたかある、秀と云。礼記に五行の秀氣とあり。これをふんで秀とかかれたならん。靈と云は人にかきらず、犬の門、鷄の時も靈なれともあれぎりのこと。最靈は、人は何もかも天地の中にすくれたを持ゆへ最と云。
【解説】
「惟人也得其秀而最靈」の説明。道統の書はいつも天地を述べた後、人に話を移すものである。太極は万物に贔屓をしないが、それでも人が万物と異なるのは、人には秀でた気があるからである。その冴えた気によって人は最霊となる。
【通釈】
「惟人也得其秀而最靈」。これが太極図説の中心の処である。聖賢伝授の書はいつもこの様なもの。中庸も性道教で天地を説いて、次の段では直に人に話を落とす。聖賢は天や地のためというのではなく、人が聖賢の本当の相手であるから、どこでも人に話を落とすのである。「惟人也」は、何の工夫もなく、人の上の道理を見せるために言ったこと。前には万物を出して言い、ここでは万物から人だけを引き抜いて言う。これが変わったことで、万物にも人にも太極の道理があるが、人の方の気にはよい処がある。道理は二つあるわけではないが、あの雪の盆と同じである。盆の姿の通りを受けることを言う。太極がその一番よいところを人に与えて、禽獣には悪いところを与えるというのではない。いつものたとえの月影と同じである。月は一つだが、銀の鉢に映る月と泥水に映る月とは違う。気に関して冴えたところがある。それを「秀」と言う。礼記に五行の秀気とある。この礼記の句を引用してこの句も秀と書かれたのだろう。霊とは人に限ったことではなく、犬の門や、鶏が時を知らせて鳴くのも霊ではあるが、あれ等はそれだけのこと。ここで、人が「最霊」であるとは、人が天地の中で最も秀でた気を持つからで、それで最という言葉を用いて言うのである。
【語釈】
・正客…正座の客。おもだった客。正賓。
・雪の盆…盆の上に雪を積もらせると盆の形に従って雪の盆ができること。
・礼記に五行の秀氣とあり…礼記礼運。「故人者、其天地之德、陰陽之交、鬼神之會、五行之秀氣也」。
・犬の門…犬は門を守るものということ。

形既生矣神發知矣。禽獣もこのすかたなれとも、あらためて人を云。形の始に出来るは御定りのこと。神はあとへまわる。形は隂へつき、神は陽へつく。知はひらけるなりに段々かわり、形はあまりかわらぬもの。それて、生長しても目鼻は同じこと。知覚から知識迠をこめて神發而知と云。生れて啼出すより、痛ひかゆいを知るは知覚。ものこころを知と云からは、知識。理をこめて云へとも、氣のことなり。たん々々智惠がつき、人の持前に神發而、それて致知格物するが、やはり持たものを磨くこと。仁義も二つでなく、学問はそこをするなり。四支百骸五臓六腑は形。神は氣にて心へ属す。仁義礼智も其心へやどり、神發知ゆへ最靈なり。
【解説】
「形既生矣神發知矣」の説明。形が先に現れ、その後に知が生まれる。形は肉体であり、神は心に属す気である。形は陰に属し、神は陽に属す。知とは気であり、知覚から知識までを指す。形はあまり変化しないが、知は大きく変化する。「神発知」とは心に属す気が動いて知ること。それで致知格物を行う。人が最霊なのは、神発して知ることができるからである。
【通釈】
「形既生矣神發知矣」。禽獣もここの「形」の内であるが、ここは改めて人について言う。形が始めにできるのは決まり切ったこと。神はその後の話である。形は陰に属し、神は陽に属す。知は啓けるに従って段々と変るが、形はあまり変わらない。それで、生長しても目鼻は同じである。知覚から知識までを含めて「神發而知」と言う。生まれて泣き出す時から、痛い痒いを知るのは知覚。物心を知る頃からは知識となる。知覚や知識は理を込めて言うが、実は気のことである。段々と知恵が付き、人の持ち前から神発して、それで致知格物を行うが、やはりそれは自分の持ち前を磨くことなのである。仁義もそれと別ではなく、学問とは持ち前を磨くことなのである。四肢百骸五臓六腑は形。神は気であって心へ属す。仁義礼智もその心に宿り、神発して知るから、人は最霊なのである。
【語釈】
・四支百骸五臓六腑…四肢は両手と両足。動物の四本の足。百骸は身体にある多くの骨。五臓は心・肝・脾・肺・腎。六腑は大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱。

五性感動而善悪分萬事出。五行の氣で出來たものゆへ、氣によりて五つに分れて出る。五性と云は唐辛のからく、砂糖の甘いぎり。人は秀たゆへ五性そろふてある。彼の太極が五つにわれ、人と云ものは根に明德性善の御朱印を持て獨礼になるも、この五性の德なり。さて又、五性は寶。然にこれを動すものあり。ただい、仁義礼智は形なく人の胸にある太極なれとも、外物のこちらを動すはどうなれば、寒ひ、ひだるい、哀ひ、喜かありて、それに觸るるを感動と云。五性はよいものゆへ善いはずなれとも、喜怒哀樂で出そこないがある。善悪分と云ふが、すらりはよい、ささわりは悪なり。親切の出る処も、後ろから欲が引と悪になる。ここの而の字、大切にみよ。感動の中に而のらいのある処で善悪が分る。善悪は氣なり。夫から萬事の中にはさま々々にが々々しい氣の毒たらけのこと、古へより忠不忠、孝不孝、皆出きわのあやかりなり。五性が理計で居らず。氣ともめあいから変する。五性迠は太極のうけとり。隂陽以下はいつも云、直方先生の、紺屋の染もの。注文通りにゆかぬは天気のもめあい。気の上には変がありて、人も一つ心のちらりて、差以千里。万事がここへ出て来。理は律義、氣はどうらくな故のこと。
【解説】
「五性感動而善惡分萬事出矣」の説明。人は秀れているので五性も揃っている。仁義礼智は五性である。五性は本来善であるが、喜怒哀楽や欲に影響されると悪になる。気に影響されると悪になるのである。理は律儀、気は道楽なものなのである。
【通釈】
「五性感動而善悪分萬事出」。五性は五行の気でできたものだから、気によって五つに分かれて出る。五性とは、唐辛が辛いだけ、砂糖が甘いだけという様なもの。人は秀れているので五性が皆揃っている。あの太極が五つに割れる。人がその根本に明徳性善の御朱印を持った独霊であるのも、この五性の徳によるのである。さてまた、五性は宝であるが、しかしこれを動かす者がある。そもそも仁義礼智に形はなく、それ等は人の胸中にある太極なのだが、外物がこれを動かすと言うのは何故かと言うと、寒い、ひもじい、哀しい、喜しいということがあるからで、それに触れることを感動と言う。五性はよいものだからよい筈なのだが、喜怒哀楽で出損なうことがある。「善悪分」と言うのが、すらりと出るのは善で、障わりがあって出るのは悪だということ。親切が出る時でも、後ろから欲に引かれると悪になる。ここの「而」の字を大切に見なさい。感動する中に「而」の間断があるので善悪が分かれる。善悪は気である。それ以降、万事の中には様々な苦々しい気の毒なことで一杯となるが、昔から、忠不忠、孝不孝が生じるのは、皆出際の綾による。五性は理だけでいるわけではない。気と揉め合って変化する。五性までは太極の領分だが、陰陽以下のことは、いつも直方先生が言う、紺屋の染物である。注文通りにいかないのは天気との兼ね合いからである。気には変化があって、人も心が揺らげば善が悪に変わり、その結果は千里もの差となる。善悪に分かれて万事が世に現れる。それは、理が律義、気が道楽なものだからである。
【語釈】
・獨礼…「礼」は「霊」とする書もある。「霊」の方がよい。
・ひだるい…ひもじい。空腹である。

唯人也と吹上て、萬物と同坐はせぬが、氣のくるいで出来合の人はそふゆかぬか、唯人也としめをいて、朱解に違禽獣不遠とあり、隂陽のうけ取て氣か引ゆへ油断はならぬ。禽獣と分ち、惟人也と出した。ただの人はあまり鼻も高くされぬ。某前々萬事出は太極のはきためと云がそれなり。御老中招請の時、御同坊が吟味し、ちりを一つをかぬが、はきだめには古わらぢも肴の頭もすててある。天地廣大ゆへにがにがしいことあろふが、萬事のうちへすてる。詩経に得此威施の、中遘之言の、誠不可言、誠我甥なりのと、禽獣の行は手代共の不調法で、皆氣のくるいなり。先日氣はかけそこにならぬ、理計り説と云がそこなり。されとも、氣と云どふらくものをよせぬと太極の居所がない。居所に居るとつい萬事出の分へ連たがる。そこて此方につかまい処がないとつれてゆかれる。ときにそふならぬと云は其人がある。
【解説】
人は最霊であり、万物の中で最も秀でているが、それは気の影響を排除できる場合であって、気に引かれれば人も禽獣に近いものとなり、秀でたものではなくなる。「万事出」は太極の掃き溜めで、悪もそこから生まれる。太極は気を居場所とするが、気を居場所にすると、気は太極を万事出へ連れて行こうとする。しかし、そうさせないのが聖人である。
【通釈】
「惟人也」と人を挙げ、人と万物とを同列にしない。気の狂いで野合した人はそうはいかないが、ここでは惟人也としておく。朱解にも「違禽獣不遠」とあって、陰陽が受け取ると気が引くので油断はならない。禽獣と分かち、惟人也と出したものの、普通の者はあまり鼻を高くすることはできない。私が前々から、万事出は太極の掃き溜めだと言うのがこのことである。御老中の招請があった時には、同朋衆が色々と準備をして塵一つもない様に綺麗にするが、掃き溜めには古鞋や魚の頭も捨ててある。天地は広大なので苦々しいこともあるだろうが、それは掃き溜めに捨てる様に万事の中に捨てる。詩経に「得此威施」、「中冓之言」、「誠不可言」、「誠我甥なり」とあるが、禽獣の行いは、気という手代共の不調法によって起こる。皆気の狂いなのである。先日、気は当てにならない、理のみを説くと言ったのはそのこと。気という道楽者を寄せ付けないと太極の居場所がないが、太極が気という居場所にいると、気が太極を万事出のところへ連たがる。そこで、こちらに捉まえ所がなければ、万事出へと連れて行かれる。その場合にそうならないのが聖人である。
【語釈】
・出来合…「出来合夫婦」で野合して夫婦となったもの。よって、野合で生れた人。
・違禽獣不遠…朱解にあるとあるが、孟子告子章句上8にもある。「夜気不足以存、則其違禽獸不遠矣」。
・同坊…「同朋」と書くものもある。江戸幕府では営中で大名の案内、更衣、刀剣の上げ下げ、茶弁当の世話をし、将軍の出行に長刀を持って従った。同朋衆。童坊。
・得此威施…詩経国風新臺。「魚網之設、鴻則離之。燕婉之求、得此戚施」。
・中遘之言…詩経国風牆有茨。「牆有茨、不可埽也。中冓之言、不可道也。所可道也、言之醜也。牆有茨、不可襄也。中冓之言、不可詳也。所可詳也、言之長也。牆有茨、不可束也。中冓之言、不可讀也。所可讀也、言之辱也」。
・誠不可言…不可道也?
・誠我甥…
・かけそこ…かけそく。安心してたよりにできるもの。あて。

垩人定之云々。三宅先生の、垩人は道心計て人心はないと云。中庸の序ではさし合なれとも、そふなり。入火不焦入水不溺と云は、異端が仰山を云ゆへのこと。垩人は氣に引れぬことを云。定之以中正仁義と云は、凡夫は危いこと。梶のない舟、唐へゆこうも知れぬ。垩人はきりりとかじをしめる。定るは垩人のこと。歯を喰しめるではない。眞柱がある。凡人の善悪分れは神木のない茶臼引やふなものぞ。横にころぶ。垩人のは、動ぬものを以たを定と云。中正仁義は易を本にするゆへ云ふ。中は礼のかへ名、正は知のかへ名、仁義礼智をかきかへり。梶はなんじゃと聞せて、それは仁義礼智じゃと云句なり。
【解説】
「聖人定之以中正仁義」の説明。三宅先生が、聖人は道心だけを持ち、人心はないと言った。人心は気に引かれる。「定之」とは、舟の梶と同じで、五性の動きを定めるための手段である。凡人の舟には梶がないからどこへ行くのかわからないが、聖人は梶をきつく締めているので、居場所がはっきりとしている。聖人の梶とは中正仁義であり、換言すれば仁義礼智なのである。
【通釈】
「聖人定之云々」。三宅先生が、聖人は道心だけで人心はないと言った。そうすると、中庸の序に差し障りがあるが、その通りである。「入水不濡入火不熱」と異端は大袈裟なことを言うが、聖人は気に引かれないことを言う。「定之以中正仁義」と言っても、それは凡人には危ういこと。凡人は梶のない舟であって、唐へ行ってしまうかも知れない。聖人はきりりと梶を締める。「定」は聖人のことで、それは歯を噛み締めるわけではない。聖人には真柱がある。凡人の善悪が分かれるのは芯木のない茶臼を引く様なもの。横に転ぶ。聖人は動かないものを持っているので、それで「定」と言う。中正仁義は易を本にするのでこの様に言う。中は礼の替え名で、正は知の替え名。それは仁義礼智を書き替へたもの。梶は何かと問わせておいて、それは仁義礼智だと答えた句である。
【語釈】
・三宅先生…三宅尚斎。
・中庸の序では…中庸章句序。「心之虚靈知覺、一而已矣。而以爲有人心道心之異者、則以其或生於形氣之私、或原於性命之正、而所以爲知覺者不同。是以或危殆而不安、或微妙而難見耳。然人莫不有是形。故雖上智、不能無人心。亦莫不有是性。故雖下愚、不能無道心」。
・入火不焦入水不溺…荘子内篇大宗師。「有眞人而後有眞知。何謂眞人。古之眞人、不逆寡、不雄成、不暮士。若然者、過而弗悔、當而不自得也。若然者、登高不慄、入水不濡、入火不熱。知之能登假於道也若此」。
・中正仁義…易経坤卦文言伝と説卦伝2の語。坤卦文言伝は「君子黄中通理、正位居體。美在其中、而暢於四支、發於事業。美之至也」。説卦伝2は「立人之道、曰仁與義」。

垩人之道仁義中正而已矣。あぢなことのやふなれとも、小註は外のあやてなく、これが定る道具立にて、火消の陳笠のやうに見へる。そふ見と仁義中正が輕くなる。垩人は仁義中正の外はない。それが垩人の株と云こと。定るはかりの役てないと、道具に見せぬ為めの細字なり。それはどのやふな結搆なものなれはと云に、上の五性のままに持玉へり。これが手置がわるいとらりにする。垩人丸で持たより外はないゆへ、而已矣と云。而已は、それ斗り云こともきこへた。聖人はよのもの持をあのやうぢゃかと云に、やはり弥太も平太も同く持て、中正仁義でそれか内に居るばかりのことぞ。今日の人はすりへらして半減になる。甚しきは皆たたきつぶし、手は手、足は足としたもの。上でも云とをり、中正は易を本にして礼智の替名なれば、礼智と云より中正と云が一入よい。礼や智と云は定の廣いことばで親切にない。中正は礼智のぎり々々の動ぬが、面が見へる。礼は天理之節文、恰好よいゆへ中と云。あの男はとこやらあじなと云は中でないゆへのこと。さてもと人の感心するは、恰好ゆへなり。智は是非を分つもの。動ぬ処がありて、秤で物をかけるやふなもの。そこで正と云。これて礼智のなりが人のよく知る様ななりに、そこをよく書れたなり。垩人は其中正仁義の主があるゆへ、凡人と違ふ。
【解説】
聖人之道仁義中正而已矣」の説明。中正仁義は聖人のお株であって、聖人には中正仁義の外はない。「聖人定之以中正仁義」における中正仁義を、先に舟の梶にたとえたが、「聖人之道仁義中正而已矣」では、聖人と凡人との違いを仁義中正にあるとする。人には誰にでも五性が揃ってあるが、中正仁義がなければ禽獣と同じで、ただの物である。中正は礼智の替え名であって礼智の極致である。礼とは天理の節文で頃合いのよいこと。智は是非を区別するもの。礼智では規模が大きくてわかり難いが、中正に名を替えるとわかり易い。
【通釈】
ここに「聖人之道仁義中正而已矣」と小註がある。味なことを言う様だが、この句には別に綾があるわけではなく、中正仁義は聖人の道を定めるための道具だということである。それなら、例えば火消しの被る陣笠の様にも思えるが、そう見ると仁義中正の重みがなくなる。聖人には、仁義中正の外はない。これが聖人のお株である。聖人の道を定めるばかりが役目ではないと、中正仁義を道具に見せないための細字なのである。それなら、どの様に結構なものかと言うと、聖人は先の五性のままに持っておられる。その扱いが悪いと台無しになる。聖人は五性のままに持つ以外にはないから、「而已矣」と言う。而已矣は、それだけだという意味もよくわかる。聖人は何か他のものを持っているからあの様だと言うが、やはり、弥太も平太も同じく持っているのであり、只、聖人は中正仁義が体の中にいるだけのことである。今日の人は中正仁義を擦り減らして半減させる。甚だしい人は皆それを叩き潰して、手は手、足は足となっただけのものとなる。先にも言う通り、中正とは易を本にした礼智の替え名だから、礼智と言うより中正と言った方が一際よい。礼や智というのは巾の広い言葉だから親切にならない。中正とは礼智の至極の動かないところなので、その顔を見ることができる。「禮者天理之節文」で、頃合いがよいから中と言う。あの男はどこか悪いところがあるというのは、中でないからのこと。実によいと人が感心するのは、恰好だからである。智は是非を区別するもの。動かない処があって、秤で物を量る様なもの。そこで智を正と言う。ここで礼智の姿を人のよく知る様な中正の姿にしたわけだが、うまく書れたものである。聖人には中正仁義という主がいるから、凡人とは違う。
【語釈】
・道具立…必要な道具を整え並べること。また、それらのもの。諸種の準備。
・手置…常に心を用いて取り扱っておくこと。
・らり…乱離骨灰の略。ちりぢりに離れ散ること。めちゃめちゃになること。らりこはい。
・定…「巾」とする書もある。
・礼は天理之節文…朱子語類性理。「禮者、天理之節文、人事之儀則」。

主靜立人極焉。上の句と二た鼻で一つなり。聖人定之は凡人わるさに引るるゆへ、定と云かけたもの。主靜は以中正仁義のけっこうな上を最ふ一つ語る。動靜は天地自然のことなれば、固より動靜と云もの存して、それを身に体して主靜を流義にすると云ことはないはづなれとも、垩人も本く処がある。これがすくに天地の形にて、大晦日かなければ元日はない。根がありて動ぬ処がある。天地があれほどはたらけとも、北辰の動ぬ所ありてのこと。扇を開くもたたむも要ゆへぞ。傘の調法もろくろゆへ。雪は豊年の端と云も、あのひっそりからのこと。冬はついへなようなれとも、萬物の出來るはあの靜から本に立つて、そこて垩人は靜の方と云てなけれとも、天なりの垩人ゆへ、自然とかうしたことなり。いかさま垩人も天もその底を見に、靜が本になる。天地と一つことなり。無欲故靜。垩人の根を知りたこと。これに語の出がある。上の五性感動へあてて見るべし。凡人も五性を持、耳目鼻口も垩人とをなじことなれとも、人として禽獣同前の身分になるも欲からのこと。萬事出もそれからなり。親の大切と云は垩凡ともにある。此五尺の骸が、欲から親へ返事もああいとなまる。君の奉公もそれて、五性に不足はないが、雪の降日はをれはかり家来てはなしと病氣にする。最靈と云ものが、欲てみんなにする。垩人は欲かないゆへ、いつも見事なり。
【解説】
「主靜」の説明。主静とは、天地の根底である。聖人も天地と同体だから、主静が本になる。また、人は最霊な筈なのに、それを欲が台無しにする。聖人は「無欲故静」で欲がないから見事なのである。
【通釈】
「主静立人極焉」。この句も先の句と合わせて一つになる。「聖人定之」は凡人が気の悪さに引かれるので、「定」と言って繋けたもの。「主静」は「以中正仁義」で結構な上を、更にもう一つ語ること。動静は天地に自然なことだから、固より動静というものが天地に存在しており、それを身に体するのだから、主静を自分の流儀とすると言う必要はない筈だが、聖人にも基づく処がある。主静は直に天地の形であって、大晦日がなければ元日はない。天地には根があって動かない処がある。天地があれほど働くことができるのも、北極星という動かない所があるからのこと。扇を開いたり畳んだりすることができるのも、要があるからである。傘が便利なのも轆轤があるからである。雪は豊年の端と言うのも、雪がひっそりとしたものだからである。冬は無駄な様だが、万物ができるのは冬の静が本になるからである。それで聖人は静な方がよいと言うわけではないが、天の通りの聖人だから、自然とこうしたこととなる。なるほど、聖人も天も、その根底を見ると静が本になっている。聖人は天地と同じである。「無欲故靜」。これは聖人の根本を知ってのこと。この語にはわけがある。先の「五性感動」に当てて考えなさい。凡人も五性を持ち、耳目鼻口も聖人と同じなのだが、人でありながら禽獣同前の身分となるのは欲によってのこと。「萬事出」も欲からである。親が大切だとの思いは、聖人にも凡人にも共にある。この五尺の体が欲によって、親に返事をするにもああいと鈍る。主君への奉公も同じで、五性に不足があるわけでもないのに、自分だけが家来ではないと言って雪の降る日に仮病を使う。「最霊」が欲で台無しになる。聖人は欲がないからいつも見事である。
【語釈】
・轆轤…傘の柄の上端につけて、傘を開閉する仕掛け。

立人極焉は、ここて始て太極を五尺のからたにして云。垩人を云て、人の持た太極、そこて人極と云。各一其性と云て、五行が太極なり。それよりして五性感動迠は凡夫も一つに語り、隂陽五行の上に太極あるなれは、人の五性固り太極なれは、萬事出と云。巾着切までに太極あれとも、人極でない。垩人をかたるは人の太極として極上々吉で云。凡夫も目鼻あり形は同ことなれとも、此席ではそちへゆけと云。垩人は至極を持たゆへ人極と云が、凡夫にはふるまわれぬ。立つと云は太極のたをれぬこと。凡夫の太極はたをれて居る。人極とは太極に目鼻のついたを云。垩人の外は云ことはならぬ。中庸至誠と語るもこれなり。かんのたたぬぎり々々の人間が立人極なり。淺見先生の、天なりの垩人、垩人なりの天じゃの、垩人は形ある天、天は形ない垩人じゃのと云はるるが外のことには付られぬ。凡夫は中正仁義を蜆貝で一はいも有るやなしじゃ。湿よけにする疂の下の蕃椒にて、形は同しことなれとも色や味はない。
【解説】
「立人極焉」の説明。ここで初めて聖人を対象にして述べる。太極とは五行であり、その五行が五性となってもそれは太極のことだが、これ等の対象は聖人に限定するものではなかった。聖人は至極だから「人極」と言うが、凡夫は中正仁義が殆どないので人極という言葉は使わない。「立」とは、太極が倒れないこと。浅見絅斎は、天の通りが聖人、聖人の通りが天、形のある天が聖人で、形のない聖人が天だと言った。
【通釈】
「立人極焉」と、ここで初めて太極を五尺の体で言う。聖人を指して言うので人が持った太極だから、そこで人極と言う。「各一其性」では、五行が太極だった。それから「五性感動」までは凡人も含めて語り、陰陽五行の上に太極があるのだから、人の五性は固より太極であり、そこで「万事出」と言った。巾着切りまでにも太極はあるが、それは人極ではない。ここで聖人を語るのは、人の太極として極上上吉だからである。凡人にも目鼻はあって形は聖人と同じだが、この場では、凡人は向こうへ行けと言う。聖人は至極を持つから人極と言うが、凡人には人極という言葉を使わない。「立」とは太極が倒れないこと。凡夫の太極は倒れている。「人極」とは太極に目鼻が付いたことを言う。聖人以外を人極と言うことはならない。中庸で至誠と語っているのもこの人極のことである。癇の立たない極致の人間が立人極である。浅見先生が、天の通りの聖人、聖人のままの天とか、聖人は形ある天、天は形ない聖人と言われたが、聖人以外に人極を付けることはできない。凡夫の中正仁義は、蜆貝に一杯あるかないかである。凡夫は湿気除けに畳の下に入れた蕃椒と同じで、形は同じだが色や味はない。
【語釈】
・中庸至誠…中庸章句22。「唯天下至誠爲能盡其性。能盡其性、則能盡人之性。能盡人之性、則能盡物之性。能盡物之性、則可以贊天地之化育。可以贊天地之化育、則可以與天地參矣」。
・かん…癇。感情が激しく怒りやすいこと。また、その性質。
・淺見先生…浅見絅斎。
・蕃椒…トウガラシの異称。また、その成熟した果実を乾燥したもの。

立人極は欠のなく一はいの所て云。周子の文字を好次第に形のないを無極と云、人の極を人極と云。長銘なく云たいままに形容して、つまり垩人に太極を云をとした。人極と云。某、秀句と云たは出もののやふなれとも、極の字を自由にするを云。人極は人をこしらへた太極と云ことなり。人の極と云と、たた至善のよふになる。垩人は人の至善につまりたと云は大学になる。面白からず。太極圖をはなれぬよふにするがよい。太極は天地万物をつくる。無極は形なしにをっくるむ。人極は人太極と云こと。五尺の太極をはなれてならぬ。人の極そと云てはよくない。偖、是て見れは天地への手拪は聖人はかりて、たたの人はせきふさぎなり。禽獣草木は反てそれ々々拜領のすじをする。人はかりが挌式よくて太極にそむく。たたい人は、垩人のとをりてなければ人にたたぬ。そこで垩人を本んの三才と云、只の人は形が万物に違た計りなり。ここて垩人を誉るはまん丸な太極に合たゆへなり。なれとも、ここもやはり垩人を云て太極のこと。かの太極圖説なり。垩人圖説てはない。
【解説】
周濂渓は、極に形がないことを無極と名付け、人の太極を人極と名付けた。極を自由自在に言い替えるので、秀句だと言ったのである。人極を人の極と考えると、至善の様になって面白くない。人極とは人の太極であって、聖人のみが太極に合致する。凡人はただ形が万物と異なっているだけなのである。
【通釈】
「立人極」は、欠けのない一杯な所を指して言う。周子が文字を好き勝手に使って、極に形のないことを無極と言い、人の極を人極と言った。長い銘を付けず言いたい通りに形容して、最後は太極を聖人に言い落とした。それを人極と言う。私が無極を秀句であると言ったのは出過ぎた様だが、周子が極の字を自由自在に操ったことを指して言ったのである。人極とは人を拵えた太極ということ。人の極と言うと単に至善の様になる。聖人とは人が至善に至ったものだと言えば大学になる。それでは面白くない。太極図から離れない様にするのがよい。太極は天地万物を造る。無極は形なくして天地万物を包む。人極とは人にある太極ということ。五尺の体が太極を離れてはならない。そこで、人の極と言ってはよくないのである。さて、以上から考えれば、天地への手柄は聖人だけにあり、凡人の出る場はない。禽獣草木は、却ってそれぞれが太極から拝領した筋の通りのことをする。人だけ格式が高いのに、太極に背くことをする。そもそも人は聖人の通りでなければ人として立つことはできない。そこで、聖人を真の三才であると言う。凡人は形が万物と違うだけである。ここで聖人を誉めるのは、聖人が真ん丸な太極に合っているからである。しかしながら、ここで聖人とは言うものの太極の話をしているのであって、やはり太極図説なのである。聖人図説ではない。
【語釈】
・手拪…手柄か?
・三才…易経説卦伝2。「立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之」。天地人。

與天地合其德。大いに天地のほどのことなし。ここははばて合点すべし。天になんでも不足はない。人は自分此義は不得手でござる、今日は帰って下されと云。垩人は天地の通の德て量はない。日月合其明。垩知は日月の光と同こと。只の人のは紙燭をとぼすやふなもの。それがきえると真んの闇になる。日月の、掾の下迠が明るい。四時合其序。よい具合に行ふなり。郷黨篇でも丁と々々にまいる。さて、上の語はたれもすむことなり。
【解説】
「故聖人與天地合其德、日月合其明、四時合其序」の説明。天地の徳を有する聖人は、天地の様に際限がない。聖人の知は日月の光と同じで、どこへも射し込む。また、順序よく行く。
【通釈】
「故聖人與天地合其德」。大きいと言えば天地ほど大きいものはない。ここは巾で理解しなさい。天には何も不足はない。人は、私はこの義は不得手ですので今日は帰って下さいと言う。聖人は天地の通りの徳を持っているから際限がない。「日月合其明」。聖人の知は日月の光と同じである。凡人の知は紙燭を灯す様なもの。それが消えると真暗になる。日月の光はどこへも射し込んで、縁の下までが明るい。「四時合其序」。よい具合に進展すること。郷党篇でも、孔子は適切な行動をしている。さて、以上の言葉は誰でも理解できることである。
【語釈】
・量…めあて。あてど。きり。かぎり。際限。
・紙燭…①宮中などで夜間の儀式・行幸などの折に用いた照明具の一。松の木を長さ約一尺五寸、太さ径約三分の棒状に削り、先の方を炭火であぶって黒く焦がし、その上に油を塗って点火するもの。下を紙屋紙で左巻にした。②こよりを油に浸し灯火に用いるもの。
・郷黨篇…論語郷党篇。公私にわたっての孔子の具体的な行動が記されている。

鬼神合其吉凶。この句がすめか子る。四句の内、上三句はむつかしいことはないが、この句なり。偖、鬼神は吉凶のつかさなり。祠を立、荒ら神と云ことてはない。鬼神は天地と云とをなしことなれとも、霊を含む。太極はつめたく、鬼神はあたたまりがある。我方の善悪でこちへ施すやふな氣味ありて、胸へきやりと来る。親のあたまをはるま子をするやふなものなり。理にそむく故かと云に、凡夫は平生理にそむくけれとも、そふないが、今親の名を書てこれをふめと云ても、それをふんだらばちがあたろふと霊をふくむ底、氣味あしいが鬼神なり。これは御定こと。垩人耳目鼻口のことてなく、至誠如神とある。垩人何もしるゆへのこと。あなたの前ではものは申されぬと云。それてここへ鬼神を出した。しるし最一つ云へは、垩人の御身分の上が鬼神の吉凶のやうぢゃなり。凡そ凡夫の吉凶は我不調法から災が来る。折角、ついせふして立身しても、我不奉公で面目ないことあり。垩人のは面目ないことはなし。不仕合は凶なれとも、天に叶た故目出度。譬へば堯舜の身分は固り吉なり。文王や孔子の羑里や微服過宋のと云が凶なり。けれとも、我々不調法ないゆへ鬼神に合ふ。偖、斯ふ語りつめて、これから跡が進物なり。
【解説】
「鬼神合其吉凶」の説明。鬼神とは荒神様の様なものではなく、天地と同じで、且つ霊を持つ。それで、太極は冷たいが、鬼神には温まりがある。聖人は中庸の「至誠如神」とある様に、鬼神と同じ様なもの。凡夫は自分のせいで凶を招くが、聖人にその様なことはない。堯舜は初めから吉である。文王や孔子には凶の時があったが、それは天に叶っているので凶であっても鬼神に合致したものである。
【通釈】
「鬼神合其吉凶」。この句は理解し難い。四句の中で、先の三句は難しくはないが、この句は難しい。さて、神は吉凶の長である。しかし、ここは祠を建てて荒神を祭ることを言うのではない。鬼神は天地と同じであるが、霊を含んでいる。太極は冷たく、鬼神は温まりがある。自分の善悪次第でこちらに及ぼす様な趣きがあって、胸に差し込んで来る。親が頭を張る真似をする様なもの。それは理に背くからかと言うと、凡人は常々理に背くけれども、そうではなく、今親の名を書いてそれを踏めと命令しても、それ踏んだら罰が当るだろうと霊を感じる様なことで、その様に気味悪くなるのが鬼神の仕業である。ここはお定まりのこと。聖人は耳目鼻口のことではなく、中庸の「至誠如神」である。聖人が何でも知っているからその様に言う。太極が、貴方の前で文句は言えないと言う。そこで、ここに鬼神を出した。その証拠を更に言えば、聖人の御身分自体が鬼神の吉凶の様なもの。凡そ凡人の吉凶は自分の不手際によるもので、それで災いがやって来る。折角追従して出世しても、自分の不奉公で面目ないこともある。聖人には面目ないことはない。不幸せは凶であるが、天に叶っているので目出度い。たとえば堯舜のご身分は固より吉である。文王が羑里に幽閉されたり孔子が微服過宋したりしたのは凶である。しかしながら、文王や孔子は不調法がなかったから鬼神に合う。さて、この様に語り詰めて、これから先の話が人への贈り物となるである。
【語釈】
・つかさ…①「首・長」と書いて、首長。おさ。「官・司・寮」と書いて、役人。官吏。つかさびと。
・荒ら神…たけだけしく、霊験のあらたかな神。
・きやり…①胸など痛んでさしこむさま。②はらはら心配するさま。きやきや。
・至誠如神…中庸章句24。「至誠之道可以前知。國家將興、必有禎祥。國家將亡、必有妖孽。見乎蓍龜、動乎四體。禍福將至、善必先知之、不善必先知之。故至誠如神」。
・不奉公…誠意をもって主人のために勤めないこと。
・羑里…文王は費仲達の讒言から殷の紂王によって羑里に幽閉される。そこで伏羲の八卦を六十四卦となした。
・微服過宋…孟子万章章句上8。「孔子不悅於魯衞。遭宋桓司馬將要而殺之、微服而過宋。是時孔子當阨」。

君子修之吉小人悖之凶。直方先生、この二つより外はないと云へり。顔子も君子て大きことなれども、其の餘の者は上へ目を付て、この面目で居まいと云は君子方なり。之の字は中庸誠之の之の字と同こと。ここが五性感動善悪分萬事出の地獄へ落ると、垩人の定之以中正仁義の極樂へ行との境なり。垩人は人極を立たゆへ、修行はいらぬが、顔子以下は汗をかいて修行する。中庸學知困知と云、この方の持前次第に精を出す。千通、百通、二通、三通もあるか、とちも之の字のことなり。小人を、直方先生の、巾着切のことではないと云へり。学問せぬもののことを云。学問せぬものは氣の毒なから、これへ入ら子ばならぬ。上の句は、顔子より今日の此坐に居る人も、一つに願があれは君子の席へ這入。
【解説】
「君子脩之吉小人悖之凶」の説明。直方は、人には君子と小人しかいないと言った。この句の「之」は、中庸の「誠之」の之と同じで、修之か悖之かが地獄と極楽との境である。学問をしない者が小人であり、人は学問をしようとすることによって、君子の席へ這い入ることができるのである。
【通釈】
「君子修之吉小人悖之凶」。直方先生が、この二つ以外はないと言った。顔子も君子で大きいが、その他の者でも上の方に目を付けて、このままではいないぞと思えば、君子の方である。「之」の字は中庸にある「誠之」の之の字と同じである。ここが「五性感動善悪分萬事出」の地獄へ落ちるのと、「聖人定之以中正仁義」の極楽へ行くのとの境である。聖人は人極が立っているから修行は要らないが、顔子以下の者は汗をかいて修行しなければならない。中庸で「学知困知」と言う様に、自分の力量なりに精を出す。精を出す方法は、千通り、百通り、二通り、三通りもあるが、どれも「之」のことなのである。小人を直方先生が、巾着切りのことではないと言った。学問をしない者を指して言う。学問をしない者は気の毒ながら、この下句の小人の席に入らなければならない。上の句には、顔子を始め、今日この講席にいる人でも入ることが可能である。一つ願うことがあれば君子の席へ這い入ることができるのである。
【語釈】
・誠之…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也」。
・學知困知…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之、一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功、一也」。

下の句、悪事する小人てなけれとも、我善と思ひこんで足ると思は一生よくなる苦労はない。太極からぎり々々を云に、吉凶は理で云ことなり。人間に理氣の吉凶あり。俗人の理をしらすに氣の上はかり。そこて吉凶のけんとうかこことちかう。氣の仕合ありて長命でも冨貴ても、小人悖之と云。李氏冨周公と云も、氣からは御目出度けれとも、太極に悖るゆへ凶なり。さて々々よいしあわせと云ことも、太極圖ては凶なり。大文字の屏風を逆に立ても、無筆は知らぬやうなもの。それをよいとをもふは我が無筆ゆへなり。あほふても、息才なれは吉と心得る。それを凶と云なり。小人の無學て目出度。米の守と云ても学者からは凶と云。段々ひろかりては、郷原德之賊なり訶も、太極へ目がつかぬゆへなり。をとなしい皃しても、理にはもとる、皆凶なり。こうつめると御坐にたまられぬ。学問はするとのことなり。
【解説】
「小人悖之凶」の説明。人間には理気の吉凶がある。俗人の吉凶は気に由るもので、たとえそれが吉であっても、理の立場で言えば凶になるものが多い。理に悖るものは皆凶である。特に無学は理に悖る。
【通釈】
下句の「小人悖之凶」についてであるが、悪事をする小人でなくても、自分のことを善いと思い込んで、それで充分に足りていると思えば、一生善くなる苦労はない。太極のぎりぎりのところを言うのであって、吉凶は理で言わなければならない。人間には理気の吉凶がある。俗人は理を知らずに気の上ばかりである。そこで吉凶の見方がこことは違う。気によって幸せにも長命、富貴であっても、「小人悖之」と言う。「李氏富周公」というのも、気の方から見ればお目出度いが、太極に悖るから凶である。全く幸せでよいことでも、理に由らなければ太極図では凶である。大文字の書かれた屏風を逆様に立てても、無筆の者には逆になっていることがわからない様なこと。それをよいと思うのは、自分が無筆だからである。阿呆でも息災なら吉だと思う。それを凶と言うのである。小人は無学で目出度いと思う。米の守も、学者の立場では凶と言う。段々に広げて言えば、「郷原徳之賊也」と訶るのも、道徳家ぶる者が太極を見ないからである。大人しい顔をしていても理に悖ることは皆凶である。こう説き詰めると居たたまれなくなるが、学問とはこの様に鋭いものなのである。
【語釈】
・李氏冨周公…論語先進16。「季氏富於周公。而求也爲之聚斂而附益之。子曰、非吾徒也。小子鳴鼓而攻之可也」。
・米の守…米寿の祝いの時に、「米」という字を書いて人に贈る丸い餅。
・郷原德之賊…論語陽貨13。「子曰、郷原德之賊也」。

所好之德とあり、洪範の五福も理と云を本にして云。直方先生、町人は性善の外をやると云へり。弟が悪いやつではないが、諸帯の為にならぬとて勘定をする。なるほど、性善之外なり。それををとなしい兄がはや悖る。只今、智惠者と云も、太極を外にしてこしゃくをする。これも悖之凶なり。不凶ものと云も、云てで違としるべし。今日、氣の吉凶をしりて、理の吉凶をしらぬ。顔子はびんぼふで早世。これ、氣の不吉。伯夷の餓死は仁と云。太極の吉なり。直方先生の、をれが所へ来るものは安神散をもってこいと云るる。するとの議論、目かまわろふと、ここもかの安神散のところ。これから見れは、方々て可愛がらるると云学者に太極のすめたはない。只今小人の家を潰し勘當にあうのと云は、それは固より凶なり。利害を主にして道理をそむくものは何喰ぬ皃をして居るか、ここを見ては御坐にたまられぬこと。得手老僧なとが殊勝らしく人に学問をすすめるが、人にすすめるところではない。我上のことするどくするが近思にて、ここを道体計りと思ふが、之の字の吟味かそこて塵も灰もつかぬことなり。ちりをはろふもけがすも之の字にあることなり。
【解説】
吉凶は気によるものと理によるものとがあるが、聖賢の吉は理が本になる。今の知恵者は太極から外れたことをする。「之」とは、自分に塵も灰も付けないこと。つまりは気に引かれないことである。
【通釈】
書経洪範に「攸好徳」とあり、洪範の五福も理を本にして言う。直方先生が、町人は性善に外れたことをすると言った。悪い弟ではないのだが、所帯のためにならないからとして勘当する。なるほど、性善の外である。大人しい兄が早くも悖る。今の知恵者と言われている者も、太極から外れて小癪なことをする。これも「悖之凶」である。不孝者と言うのも言い手によって異なると知りなさい。今日、人は気の吉凶を知って、理の吉凶を知らない。顔子は貧乏で早世。これは気の不吉。伯夷の餓死は仁と言う。太極の吉である。直方先生が、俺の所へ来る者は、安神散を持って来いと言われた。鋭い議論で目が回るだろうと思って言ったのである。この場もあの安神散の要る所である。それから見れば、方々で可愛いがられる学者に、太極を理解し切った者はいない。今、小人が家を潰して勘当に遭うというのは固より凶である。利害を主として道理に背く者は何食わぬ顔をしているが、この講釈を聴いては居たたまれなくなる。よく老僧などが殊勝らしく人に学問を勧めるが、人に学問を勧めるどころではない。自分のことを鋭く行うのが近思であって、ここは道体だけのことではなく、「之」の字の吟味が重要であって、それは自分に塵も灰も付けないことである。塵を払うのも汚すのも「之」の字に由る。
【語釈】
・所好之德…書経洪範。「攸好徳」。五福の四番目。
・五福…書経洪範。「一曰壽、二曰富、三曰康寧、四曰攸好徳、五曰考終命」。
・勘定…「勘当」とする書もある。

故曰立天之道云々。この前の故に垩人の故の字は大概の人も合点すること。この故の字しれぬ。故に根かすめ子はここのはなしは知れぬ。丁と、江戸へゆくに小野の平内か所てのはなしをした行德を故と云やふなもの。故はそれじゃに依てと云こと。そこて、ここのそれじゃによりてがうけになる。見にくい咄の筋を知た人は、十六里行ても跡のあのことと知る。文字のことは儒者役に康熈字典をたつ子させてもすむが、ここは先軰が箸をとりてくくめても、此方の根すみがせ子ば取られぬ。太極圖説の全体がすめば、あのことをしる。無極而太極とかたり、ちりもはいもつけず道理引ぬけとも、固り懸空てない。隂陽の宿屋がなければ住ところはない。隂と陽との本陣に宿りて、そこを離さぬ。其上にしゃんとをりて隂陽の二つをうごかさぬ。されは世の中二つにきわまり、故にとうける。二つ者にするうけなり。天地間、とかく二つのものじゃ。故曰立天之道云々。天地人皆二つつつきじゃ。これ太極動から两儀立へもどして、故曰なり。さて、天か大なり。地か大なり。麟鳳亀龍も、をのしはそちへゆけとなり。天地人の外は三才にせぬ。
【解説】
「故曰、立天之道曰陰與陽、立地之道曰柔與剛、立人之道曰仁與義」の説明。前にある「太極動」から「両儀立」までに話を戻し、世の中は二つによって構成されるから、それを受けて、ここで「故曰」と言ったのだとする。天地人も二つで成り立つ。
【通釈】
「故曰立天之道」云々。前の「故聖人與天地合其德」にある「故」の意味は大抵の人が理解できること。しかし、ここにある「故」の字の意味を知らず、この故の字の根済みがなければ、ここの話はわからない。丁度、江戸へ行く時に小野の平内の所で話した行徳を故と言う様なもの。故とはそれだからということ。そこで、それだからというのが受け所となる。見難い話の筋をわかった人は、十六里行くことでも、後はあのことだとわかっている。文字のことは儒者役に康熈字典を調べさせても済むが、ここでは先輩が箸を使って括ってくれても、自分に根済みができていなければそれを受け取ることはできない。太極図説の全体が済めば、あのことだと知ることができる。「無極而太極」と語り、塵も灰も付けずに道理を引き抜くが、固よりそれは懸空ではない。陰陽の宿屋がなければ太極の住家はない。陰陽の本陣に宿ってそこから離れず、その上にしゃんといて、陰陽の二つから動かない。そこで、世の中は二つに極まるから、「故」と受ける。世の中は二つであるとする受けである。天地の間はとにかく二つである。「故曰立天之道云々」となる。天地人皆二つで成る。この句は「太極動」から「両儀立」までのところに話を戻して、そこで「故曰」なのである。さて、天は大きく地も大きいが、麒麟、鳳凰、亀、龍はあちらへ行けと言う。天地人の外は三才には入れない。
【語釈】
・小野…小野権八か?東金の地名か?
・平内…
・行德…
・康熈字典…中国の字書。大学士張玉書・陳廷敬らが勅命により撰。康煕55年(1716)刊。「字彙」「正字通」に基づいて増補した画引き字書。所収四万七千余字。最も権威ある字書とされた。
・麟鳳亀龍…麒麟・鳳凰・亀・龍。
・立天之道曰陰與陽、立地之道曰柔與剛、立人之道曰仁與義…易経説卦伝2。「昔者聖人作易也、将以順性命之理。是以立天之道、曰陰與陽。立地之道、曰柔與剛。立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之。故易六畫而成卦。分陰分陽、迭用柔剛。故易六位而成章」。

伏義の内卦を三筋にして、天地人ときまる。天地人の上の道理をかたるに、天に隂陽の二つ、地に剛柔の二つ、この外はあるまい、左様でござると云。人の心のはたらき、仁義の二つなり。太極圖説の大切がここなり。さま々々のこと、これでくくる。天は夜が昼になり、昼が夜になり、暑寒さま々々の働か阴阳の二つを離れず。地は形したもの。剛か柔かなり。石は剛、水は柔らかで、靜にしからみはいらぬ。そうすると、あちらの峯には松かしききりとしてをる。こちの麓は薄が風に靡き、藏の前にはげんば石。向には錦のばんやのと云ものあり。これ、剛柔の二つなり。人は仁か義かでもめ合なり。垩人は仁ゆへ、公山不狃か呼へは、あれか処へもゆかうと思召て、偖あいつ不届ものと云て、ついにゆかぬは義なり。やわらかは仁の持前。つよいは義のもちまい。堪忍つよいこともあり、又、手ひといこともある。陽貨が來れ我與汝言んと云へは、諾我將事とかんにんつよい。然らばいつもやはらかかと思へば、小正卯が首を切、今日は堪忍つよくない。孔子のこと、何でも仁か義なり。それて人間も相応に仁か義か。姿もある。これをせ子はならぬ。なせなれは、體と用なり。これか皆二つづつて立たもの。
【解説】
天の道理は陰陽、地の道理は剛柔で、柔は仁に属し、剛は義に属す。人の道理は仁と義であり、また、人には体用の二面もある。全ては二つで成り立つ。
【通釈】
伏羲が内卦を三筋にしたので、天地人と決まる。天地人の上にある道理を語るのに、天には陰陽の二つ、地には剛柔の二つだけでこの外はなく、この通りだと言う。人の心の働きは仁義の二つである。太極図説で大切なところがここである。様々なことをこれで括る。天は夜が昼になり、昼が夜になり、暑寒様々な働きが陰陽の二つから離れない。地には形があって、剛か柔かである。石は剛、水は柔からで、静にしがらみは要らない。それで、あちらの峯の松がしゃっきりとし、こちらの麓では薄が風に靡く。蔵の前には玄蕃石、向こうには錦の番屋がある。全ては剛と柔の二つだけである。人は仁か義かで揉め合う。聖人は仁だから、公山弗擾が呼べば、そこにも行こうと思し召すが、さて、あいつは不届者だと言って遂に行かないのは義である。柔の柔らかさは仁の持ち前。剛の強さは義の持ち前。辛抱強いこともあり、また、手酷いこともある。陽貨が「来予爾言」と言えば、「諾吾將仕矣」と答えて辛抱強い。それではいつも柔かと思えば、小正卯の首を切る。その時は辛抱強くない。孔子は何でも仁か義かである。それで人間も身分相応に仁か義かであるが、そこには姿もある。これをしなければならない。何故ならそれは体と用との二つだからである。これが皆二つで立ったもの。
【語釈】
・伏義…伏羲。三皇の第一。文字の原型を作り、人々に狩猟・漁業・牧畜を教えたとされる。
・げんば石…玄蕃石。長方形の板石。敷石または蓋石に用いる。
・公山不狃…論語陽貨5。「公山弗擾以費畔、召。子欲往。子路不説、曰、末之也已。何必公山氏之之也。子曰、夫召我者、而豈徒哉。如有用我者、吾其爲東周乎」。
・陽貨…陽虎。李孫氏の家臣でありながら、主家を抑えて魯の国政を動かした男。後に乱を起こして敗れ、亡命するとする説が一般だが、別人と見る説もある。
・來れ我與汝言ん…論語陽貨1。「来、予爾言」。
・諾我將事…論語陽貨1。「諾、吾將仕矣」。
・小正卯…「荀子宥坐篇」に詳しい。「史記」では簡潔な記載。孔子は、魯の宰相を代行することになって僅か七日目で、五つの罪状をあげて小正卯を誅殺する。後漢の王充は、孔子の門人は小正卯に惑わされて皆門下を去り、残ったのは顔回ただ一人だったと言う。

又曰原始反終。又爰にも二つもの揃たがある。天地を二つに見るは太極に目鼻をつけること。原始反終は天地が始と終なり。それはどのやうと、一々上の句をはなさず、天地の間、阴阳柔剛仁義の二つゆへ、ああも始終の二つなり。日の東に出、西へ入る。それは誰もしるが、死生か人の胸に一ちむつかしいもの。人が知り顔で知らぬ。佛に迷もここからなり。昼夜の如くさとり生した人ゆへ、死ぬとみれははっきとすむことにて睫なり。外に六ヶしい仕方もありて知りそふなものなれとも、やかましいことはいらぬ。始てしれる。そこて周子の此二つもの揃で知がすましかたなり。先刻からのことを、ここをくくるなり。太極動而云々一節ばかりでなく、ここのくくり迠、周子は滾説すのことしゃと合点すれは、ここの手に入りたのなり。
【解説】
「又曰、原始反終、故知死生之説」の説明。天地の間は陰陽、剛柔、仁義の対だから、ここの句も始終の対なのである。死生を知るのは難しいことだが、「原始反終」の「始」によって「終」を理解することができる。
【通釈】
「又曰原始反終」。またここにも対に揃ったものがある。天地を対で見るのは、太極に目鼻を付けること。「原始反終」は、天地が始めと終わりであるということ。それはどの様なことかと言うと、先の一つ一つの句を離さずに見れば、天地の間は陰陽、剛柔、仁義の対だから、ここの句も始終の対なのである。日が東に昇り西に沈む。それは誰もが知っているが、死生を知るのは人にとって一番難しいこと。人は知り顔でいるが本当は知っていない。仏に迷うのもこれからである。昼夜の如くと悟った人なので、死ぬことだと捉えれば、すっかりと済むのであって、それで明らかである。他に難しい仕方もあって、それで知りそうなものだが、そんな喧しいことは要らない。「始」で知ることができる。周子が言う様に、この二つを揃えることで知るのが理解の方法である。先刻から話していることをここで括るのである。太極動而云々の一節ばかりではなく、ここの括りまでが「周子は滾説す」のことだと理解すれば、ここを手に入れたことになる。

なんでも二つと云は、隂陽と云ものを本にて、その上てかってんすること。先日も云、大易不言有無は二つなり。その二つ変化する上に道ありて、有無にとんぢゃくない。有無に心の変ることはない。この上で示す有無を不言とは、有無を筭用にたてぬこと。ここも始と終とに、そこもついて死生をさとることなり。そこて異端の説は、有無を謂は諸士の陋と云。有るも無ひも死ぬも生るも太極のすることなり。男子か生る、御目出度。こちらは息を引とりた、御愁膓と云が、ここの仕切ないを合点すると知のそこがぬける。時に死生は大いこと。人の迷もの。これがすめばほかにまどふことはない。これを智惠は宦位をした。されとも、生死は一生に一度のことゆへとをいことのようなり。大小はおなじことなれば、小いことを合点すべし。今朝皆の衆が清名幸谷へくるは生。帰りは死。元日屠蘇をのむ頭は生。盃ををくは死。そうすると天地の間のことが躍る。なんでも同じこと。烟艸でも死生はしれる。火をつくは生。吸からは死なり。天地の間、なんでもじっとしては居ぬ。呼吸も阴阳の二つ。皆太極なり。石原先生、溝口矦でここを話すに、氣さんじなと云へり。これで主しの學問が知れる。ここの味、石原先生などの外は知らぬことなり。すっはりあらい上けた見である。何でも太極にはすれぬ。それに二つなりと知る。そうすると、氣散じなり。程氏の會得則活發潑地なり。どぜふのは子るやふに理がそう活て居。この方に眼がない、ころす。偖、この故死生を知るの説迠が、やはり太極なり。
【解説】
何でも二つということは陰陽を本にするとわかり易い。「大易不言有無」とは、変化する陰陽の上に道があるのであって、有無自体は問題でないということ。よって、有無に執着する異端は誤りであり、それを「諸士の陋」と言う。天地の間には何にでも始終や生死があり、それが休むことなく続く。石原先生がこれを「気散じ」と形容した。
【通釈】
何でも二つと言う意味は、陰陽を本にして、その上で理解しなさい。先日も言った、「大易不言有無」は陰陽の二つである。陰陽の二つが変化する、その上に道があって、有無には頓着しない。有無で心を動かすことはない。上に示した不言有無とは、有無を算用にしないこと。ここも始めと終わりの対で死生を悟ることなのである。そこで異端の説が有無を言うのを「諸士の陋」と言う。有無も死生も太極のすること。男子が生まれてお目出度い。こちらの人は息を引き取ってご愁傷様と言う。ここに仕切りのないことを理解すれば知が精通する。時に死生は大きなことで人の迷うもの。これが済めば他に迷うことはない。これで智恵が官位する。しかし、生死は一生に一度のことだから、遠い話の様に思える。大きいことでも小さいことでも同じことだから、小さいことで理解しなさい。今朝、お前達が清名幸谷へ来るのは生で、帰りは死。元日に屠蘇を飲むのは生で、盃を置くのは死。この様に考えると、天地の間のことが躍り動くことがわかる。何でも同じ。烟草でも死生を知ることができる。火を付けるのは生。吸殻は死である。天地の間にあるものは、何でもじっとしてはいない。呼吸も陰陽の二つであり、皆太極である。石原先生が、溝口侯の所でここを話すのに、気散じなと形容した。これで石原先生の学問の高さを知ることができる。ここの味わいは、石原先生などの学識を持った者以外は知らないこと。これがすっぱりと洗い上げた見である。何でも太極から外れない。それが対になっていることを知る。そうすると、気散じなのである。程子の「会得則活潑潑地」である。泥鰌が跳ねる様に理が活発に動いているが、人の方で見る眼がないとそれを殺してしまう。さて、この「故知死生之説」までが、やはり太極の話なのである。
【語釈】
・大易不言有無…異端13の語。
・石原先生…野田剛斎。
・溝口矦…溝口浩軒。越後新発田藩主。
・會得則活發潑地…中庸章句12。「故程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。

大哉易也斯其至矣。易は全体はは廣く、これにもれることはない。直方先生の、易は天地の相紋と云。然れとも、周子の主の圖説について、隂陽の二つの外はない。其二つには太極が乘る。この二つを説ゆへ易と云てもこの外はないと自慢を云でなく、そこへつかまへたこと。隂陽始終死生と二つものなれとも、其生にも死にも始にも終にも皆太極がつらぬいてある。圖の外はない。斯其至矣と云。それも為はなく、後人を諭したいゆへなり。偖、周子は漢唐の廃れたる学を興し、爲萬世開太平為去垩継絶学と云がこの筋のことにて、この圖も萬世の後見る人有ろふとてのこと。當時誰に渡ふかとするときに、二程なり。程子の風彩吟風之弄月で、書物のことでなくがんざりて周子も見て取られ、又、程子の詩、道通天地有形外思入風雲変態中、と。然れば、圖をあたへられぬ内から無極而太極のこともあら々々合点せられたと見へる。そこで、周子も此圖程子こそと思召されて渡された。其後、明道も渡すものなく、一生たれにも見せられぬ。楊亀山を我道南すと云へは、これへ與へそふなものなれとも、全体を見届け子は圖や書はうたかいのたつもの。道はさとりても、この圖はさとりが行うか、そこがうけ合れぬ。偖、そこはどふなれば、西銘は太極圖説よりうたがいはない書なれとも、楊時未釋然と云へり。然れば太極圖はかれこれ云まいものでもない。とりそこのうては道の害にもなる。そこで、あたへられぬと見ゆ。朱子からは朱入杭を打、並木を植、誰が見ても迷のないやうにせり。偖又周子より二程が御蔭を蒙り、其後朱子の継だわけは大切のことと合点すべし。
【解説】
「大哉易也。斯其至矣」の説明。「大哉易也」とは、陰陽を説く易が幅広く、それに漏れるものはないということで、その意は太極図と同じである。「斯其至矣」とは、太極が陰陽、始終、死生を貫き、太極図が全てを言い尽くしていること。太極図説は周濂渓が後世の人のために書いたのであるが、それは二程へ継がれ、その後は朱子が継いだ。二程に図説を与えた理由は、彼等の書が優れているからではなく、彼らの資質を含めて既に無極而太極を体現していたことによる。楊亀山は西銘すら理解しきれないので、明道は彼に図説を継がせなかった。間違った理解をすると、却って道の害にもなる。二程は図説を誰にも継がせなかったが、朱子は誰もが図説を間違えないで理解できる様にした。
【通釈】
「大哉易也斯其至矣」。易の全体は幅広く、これから漏れるものはない。直方先生が、易は天地の合紋だと言った。しかし、周子の図説によれば、天地に陰陽の二つ以外はなく、その陰陽に太極が乗る。陰陽の二つを説くものだから、易と言ってもこの外ではないと自慢するのでもなく、陰陽を捉まえたというだけのことである。陰陽、始終、死生と対になっているが、その生にも死にも、始めにも終わりにも、皆太極が貫いて存在する。太極図から外れるものはない。「斯其至矣」と言う。周子が図を画いたのは自身のためではなく、後人を諭したかったからである。さて、周子は漢唐の廃れた学を興した。「爲萬世開太平爲去聖繼絶學」と言うのがこの筋のことで、この太極図も、万世の後に見る人もいるだろうと考えてのこと。当時、誰に渡そうかと考えた時に、その相手は二程だった。程子の風彩は「吟風之弄月」で、それで周子は彼を著作で評価しなくても十分だと見て取られた。また、程子の詩に、「道通天地有形外思入風雲変態中」とある。よって、図を与えられる前から、既に程子は無極而太極のことを粗方理解されていたものと思われる。そこで、周子もこの図を程子こそが渡す相手として相応しいと思し召されて渡された。その後、明道も渡す相手がなくて、一生誰にも見せることができなかった。楊亀山を「我道南す」と言うのだから、彼へ与えてもよさそうなものだが、全体を見極めなければ、図や書を見ても疑いが起こるもの。道を悟ることができたからといって、この図を悟ることができるとは請け合えない。さて、それは何故かと言うと、西銘は太極図説よりも疑いの少ない書だが、それにも拘らず、楊亀山は「未釈然」と言った。それなら、楊亀山に太極図説を与えれば、図について、あれこれと言わないものでもない。取り損なっては却って道の害にもなる。そこで、楊亀山には太極図説を与えられなかったのだと思われる。朱子は朱入杭を打って並木を造り、誰が太極図説を見ても迷わない様にした。さてまた、周子に二程が世話になって太極図を継ぎ、その後朱子がこれを継いだわけは大切なことだと理解しなさい。
【語釈】
・相紋…合紋。①そろいの紋。②符合すること。③合い言葉。符牒。
・爲萬世開太平為去垩継絶学…近思録為学95。張横渠の言。
・吟風之弄月…
・道通天地有形外思入風雲変態中…道は天地有形の外に通じ、思いは風雲変態の中に入る?
・あら々々…粗粗・荒荒。①ざっと。およそ。大略。②あらっぽいさま。荒々しいさま。
・楊亀山…楊時。北宋の儒者。字は中立。亀山先生と称。福建将楽の人。初め程顥に、後に程頤に学び、程子の学の正宗を伝えた。高宗の時、竜図閣直学士。東林書院を建てて講学。「亀山集」の著がある。朱熹の学は楊時から出たという。(1053~1135)
・道南す…
・西銘…張横渠著。為学89。
・楊時未釋然…為学89条の注にこの話がある。
・朱入杭…旁示杭。境界のしるしに立てるくい。さかいぐい。

詩曰、書曰とあれば、趙岐が孟子を長於詩書と云。それは小児弁慶の畫を見て、あれ弁慶と云のるい。程子の眼が明なゆへ、孟子七篇易の沙汰ないに、孟子を易を知る、と。見る眼がなけれは、太極圖説はなんの役にたたぬのみならす、却て迷ひになる。程子一生秘して出されず。又、文にも無極而太極の字はない。程子の易の序と云がありて太極の字あれとも、あれは偽書なり。近思致知の篇が眞なり。時に程子太極の文字なくても、皆主しの語が太極を合点した説にて、文字あらはれずとも残らずが其噺なれば、手前では太極圖説をしりたことなり。これ易を知るものは孟子にしくはなし。太極をかたるものは二程にしくはない。ここはけだかいことで、二程の言語が皆無極而太極のことなり。さて又太極圖説をよむは圖解でよま子ばならぬ。今日は文面をよむぎりのこと。然れば、近思録ではこれから先きの条共がこの註と見べし。段々名義はかわりて出ても、それて太極圖をすますべし。次の条から終篇迠道体の名義がつまり、此圖の註解たり。これ、山﨑先生の誠能有得於斯四子六経可不治而明とは見付た云分なり。
【解説】
孟子に易の語はないが、程子は孟子が易を知っていると言った。それは程子の知見が高いからであって、程子の様でなければ太極図説は何の役にも立たないし、却って迷いが生じる。程子が太極図説を誰にも継がせなかったのもそのためである。また、程子の文には無極而太極の字はないが、彼の文の全てが太極のことを言っている。易を知る者は孟子に如くはなし。太極を語る者は二程に如くはなしである。近思録は太極図の註解である。
【通釈】
孟子に詩に曰く、書に曰くとあるので、趙岐が孟子のことを「長於詩書」と言ったが、それは子供が弁慶の画を見て、あれが弁慶だと言う類である。程子の眼は明らかでよく見えるから、孟子七篇に易のことは書かれていないが、孟子は易を知ると見て取った。この様に、見る眼がなければ太極図説は何の役にも立たないのみならず、却って迷いとなる。それで程子は一生図説を秘して外に出さなかった。また、程子の文にも無極而太極の字はない。程子の易の序というものがあって、それには太極の字があるが、あれは偽書である。近思録にある致知の篇が真書である。時に、程子には太極の字がなくても、彼の言葉が皆太極を理解した説であって、文字には現れなくてもその全てが太極の話だから、程子自身は太極図説を知っていたのである。「知易者莫如孟子」であり、太極を語るのは二程に如くはない。ここは気高いことで、二程の言語が皆無極而太極のこと。さてまた太極図説を読む際は、図解で読まなければならない。今日は文面を読むだけである。それで、近思録ではここから先の各条が太極図の註であると捉えなさい。段々と名義は変わって出て来るが、それで太極を済ましなさい。次の条から終篇までに道体の名義が詰まっていて、それ等がこの太極図の註解となる。山崎先生が「誠能有得於斯則四子六経可不治而明矣」と言ったのは、よく見た言い方である。
【語釈】
・趙岐…後漢桓帝の時に孟子の注釈、章句十四巻を作る。現在もその書の評価は高い。
・長於詩書…孟子序説。「趙氏曰、孟子通五經、尤長於詩書」。
・孟子を易を知る…孟子序説。「程子曰、孟子曰、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速。孔子聖之時者也。故知易者莫如孟子」。
・誠能有得於斯四子六経可不治而明…闇斎近思録序。「誠能有得於斯則四子六経可不治而明矣」。