第二 誠無為の条  六月二十一日  惟秀録
【語釈】
・六月二十一日…寛政2年庚戌(1790年)6月21日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

誠無爲。幾善惡。德、愛曰仁、宜曰義、理曰禮、通曰智、守曰信。性焉安焉之謂聖、復焉執焉之謂賢。發微不可見、充周不可窮之謂神。
【読み】
誠は爲す無し。幾[き]に善惡あり。德は、愛を仁と曰い、宜[よろ]しきを義と曰い、理を禮と曰い、通るを智と曰い、守るを信と曰う。焉[これ]を性のままにし焉に安んずるを之れ聖と謂い、焉に復り焉を執るを之れ賢と謂う。發すること微かにして見る可からざる、充つること周くして窮む可からざるを之れ神と謂う。
【補足】
この条は、通書にある誠幾徳章の全文である。通書は周濂渓の作。

上の条の太極を人で語る。此章を誠幾徳と云は、彼の道体の名義ぞ。爰で誠と幾と德とに近付になる。名義を多く知れば道体もすむもの。近付のふへるほど根すみがする。某も爰へ来た初は、喜内、幸七二軒の外は知らぬ。段々近付がふへたれば、近付にない人迠も知る様になりた。名義を多く知れば道体がすむ。誠は本のもの。うぶのまま。無為は手を付るに及ぬ云こと。火が何ぞのときのためじゃと、焼る稽古はせぬ。水にうるをす稽古は入ぬ。角力取には地取と云こともありて骨を折ることもあるが、自然なものは骨を折らぬ。古法眼は筆を捨るほど骨を折るが、松の方ではもそっと青くしてくれよとは云はぬ。竹も嵩谷をたのんで、もそっと録青をかけてもらいたいとは云ぬ。御徒衆は御厩河岸で水稽古をして汗水になりて骨を折るが、鮒や鱸に稽古は入らぬ。偖、何にたとへても限りはない。一日も云るることぞ。さて、それほどな誠と云ふ御方はとなたの御分れじゃと云へば、やはり上の太極なりと承れば、爰で根ずみがしてくる。
【解説】
「誠無爲」の説明。誠・幾・徳は、道体の名義である。名義を多く知ることで、道体も理解できる。「誠無為」の「誠」とは天地の根本であり、「無為」とは、何もする必要がないということ。「誠」は天地自然の根本だから、本のままで良く、よって「無為」なのである。その誠も太極から出ている。
【通釈】
前条の太極を人で語る。この章を誠幾徳と言うのは、道体の名義のこと。この章で誠と幾と徳とに近付きとなる。名義を多く知れば道体も済む。近付きが増えるほど、根済みがしっかりとする。私もここ上総へ来た初めは、喜内と幸七の二軒以外は知らなかった。段々近付きが増えて、知らなかった人までも知る様になった。名義を多く知れば、道体が済む。「誠」は本となるもので、それは初心のままにある。「無為」とは、手を付けるには及ばないということ。火は、何かの時のためにと焼ける稽古などはしない。水に潤すための稽古は要らない。相撲取りには地取りという稽古もあって骨を折ることもあるが、自然なものは骨を折らない。狩野元信は筆を何本も駄目にするほど骨を折って画くが、画かれた松の方では、もう少し青くしてくれなどとは言わない。竹も高嵩谷に頼んで、もう少し緑青をかけて貰いたいとは言わない。御徒衆は、御厩河岸で汗水をかき骨を折って水稽古をするが、鮒や鱸に稽古は要らない。さて、何でたとえるにしても、それは数え切れない。一日中でもそれを言うことができる。さて、それほどまでの誠というお方は、何方から分かれられたのですかと尋ねると、やはり先の太極からだと言う。これで根済みができで来る。
【語釈】
・喜内…鵜沢由斎。名は就正。鵜沢容斎の長子。
・幸七…鵜沢近義。上総八子の一人。名は幸七郎。清名幸谷村の名主。鵜沢容斎の次子。1720~1792
・地取…相撲で、各自の属する部屋でする稽古。
・古法眼…狩野元信。室町後期の画家。大炊助と称。父正信の水墨画風を受け、これに濃彩の技法をも加えて狩野派の新しい作風を大成。古法眼と称。遺作として大徳寺大仙院・妙心寺霊雲院の襖絵や「清涼寺縁起絵巻」など。
・嵩谷…高嵩谷。江戸後期の町絵師。本姓、高久。屠竜翁と号。英一蝶の門人佐脇嵩之の高弟。一蝶画風の普及に貢献した。1730~1804

さて、誠も太極も道理ゆへ、氣がまじらぬ。わるいことはないから修覆も入らぬ。そこでうぶのままですむか、その間に幾と云ことあり。是れも名義の一つなり。ちらりとした処から、よくもわるくもなることあるそ。夫を幾と云。是れが孔子の易の十翼に有る辞で、夫れを周子が見出して株にした。朱子もこれを取りて、大学を解くにも中庸を解くにも幾を云で大事の処がすむ。幾は、硫黄煙樟の様なもの。煙焇の藏に積んであるときはなんのことないが、ちらりと火がつくと大事になる。善悪のわかれが爰ぞ。付木に火をとぼしたときに釜の下に燃て飯を焚くは善、脇へそれて火事になるは悪。誠からわれてちらりとした処は幾。まっすくにゆくは善。わきへそれたは悪。なんでも悪はそれたもの。時に善悪の字に吟味が入る。門松、牛の角の様に思ふと、悪がをくの院に一株もってあるになる。夫れでは盗人が昼中、帯號[えふ]で通るになる。善悪並であるものではない。善のそれたが悪なり。朱子答趙知道書に圖あり。あれですむ。悪は飯のすへたやふなものと直方の云れた。だたい、天地の間は善ぎりなり。そこで、飯焚の名人でも、あたまからすへた飯をたけと云はれてはこまる。もそっと待て下され。晩方はすへますと云。
【解説】
「幾善惡」の説明。「幾」とは逸れること。「善悪」は、善と悪とが別々に存在するのではなく、天地の間には善しかなく、善の逸れたのが悪である。誠は道理であって気を雑えないので善である。その誠が真直ぐに進めば善、幾によって脇に逸れれば悪となる。
【通釈】
さて、誠も太極も道理だから気は雑じらない。悪いことがないから修復する必要もない。そこで、誠は初心のままで済む筈だが、その間に「幾」ということがある。この幾も名義の一つである。ちらりとした処から、善くも悪くもなることがある。それを幾と言う。これは孔子の易の十翼にある言葉で、それを周子が見出して自分の持ち前にした。朱子もこの幾を取り上げ、大学や中庸を解くのにも幾を使うので大事な部分を理解することができる。幾とは、硫黄煙硝の様なもの。煙硝が蔵に積んである時は何事もないが、ちらりと火がつくと大事になる。善悪の分かれがこれである。付木に火を点した時、釜の下で燃えて飯を焚くのは善、脇へ逸れて火事になるのは悪。誠から分かれてちらりとした処が幾である。真直ぐに行くのは善、脇へ逸れるのは悪である。何でも悪とは逸れたもの。時に善悪の字には吟味が要る。善悪を門松や牛の角の様に並んである様に思うと、悪が奥の院に居場所を持つことになる。それでは盗人が昼間から帯號を持って通ることになる。善悪は並んであるものではない。善の逸れたのが悪である。朱子の趙知道に答うるの書に図がある。あれで済む。悪は飯の饐えた様なものだと直方が言われた。そもそも天地の間は善だけである。そこで、飯焚の名人でも、最初から饐えた飯を焚けと言われると困る。それで、もう少し待って下さい、晩には饐えますと言う。
【語釈】
・易の十翼…易の本文を解説した書。孔子の作と伝える。六四卦の本文を経としてこれを補翼する意。彖伝上下・象伝上下・繋辞伝上下・文言伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝の10編から成る。
・付木…スギやヒノキの薄片の一端に硫黄を塗りつけたもの。火を他の物にうつすのに用いた。いおうぎ。火付け木。
・帯號…絵符。会符。江戸時代、幕府・武家・公家などが物資輸送に際して、特権を表示するため荷物につけた札。

誠はうぶのままであれとも、幾と云に手がいしやうが入る。幾のちらりした処がわるければ悪になる。そこで、垩人之道は幾善悪と云て用心が入る。異端はそこを知ぬ。老子などが誠無為、殊の外見たもの。異端もめったなことでないと見やうことぞ。異端も見は見たなれとも、火の見の片窓、糀町計り見ておるから、本所に火事のあるを知らぬ。只、物は何でも手を付ることはないと云て、手を付ぬを宗旨にするは老子なり。垩人は誠無為と見て、其上に幾善悪と云用心をする。手がいしやうがわるければわるくなると云。人に病は添ふては生れぬが、病むときは藥を呑子ばならぬ。平生の保養も入る。寛淇が暑中見舞にゆきても、無病な者は藥はもらはぬ。そうかとをもへば又、病で寐て居るもある。夫れには病治が入る。火事のないに火消は出さぬ。火事のときは出さ子ばならぬ。垩人こそ誠無為、無病なれ、其外のものは療治が入る。老子は舛があるから、似せ舛もある。藏を用心するから盗人もある。無為なれば何のことはないと、大道廃而仁義起るを云つのる。其つまりが道を害する。これ誠無為に似て非な処ぞ。顔子から以下、今日の学者まてが皆無為ではない。皆有為なり。仁義礼智は固有なれとも、幾からふれがをこるから、教が入る。性は固有じゃ、すててをいてもよいとは云ぬ。精出して仁義礼智を云。是れが中庸天命の性の手のそわぬものに、教と云手入れの入る者を出したと同意なり。教と云がすくに道体なり。
【解説】
老子は無為を宗旨にしているのみである。聖人の学は、その誠無為に「幾善悪」の用心をする。老子は無為であれば悪は起こらないと言い、「大道廃有仁義」と言うが、それが道を害するのであって、聖人の無為と老子の無為とは似て非なるものである。人が生まれながらにして固有する性は、人が手を加えるものではないが、本来の性の通りに生きるには教えが必要である。中庸の初条も同じ意である。誠は無為だが、幾への対応をするのが重要である。
【通釈】
誠は初心のままだが、幾には対応の仕方がある。幾のちらりとしたところが悪ければ悪になる。そこで、聖人の道は「幾善悪」と言って、そこに用心が要る。異端はそこを知らない。老子などは誠無為を殊の外よく見た。異端も中々なものだと思いなさい。しかし異端は、見ることは見たが、火の見の片窓と同じで、麹町ばかりを見ているから本所に火事があるのを知らない。物には何も手を付けることはないと言って、手を付けないことを宗旨にするのが老子である。聖人は「誠無為」と見た上で「幾善悪」という用心をする。「幾」への対応が悪ければ悪くなると言う。人は病を持って生まれはしないが、病気になったら薬を飲まなければならない。平生の保養も要る。寛淇が暑中見舞に行っても、無病な者は薬を貰わない。そうかと思えば、また病気で寝ている者もいる。それには療治が要る。火事が起きていなければ火消しは出さないが、火事の時は出さなければならない。聖人こそは「誠無為」で無病だが、その外の者には療治が要る。老子は枡があるから似せ枡もある、蔵を用心するから盗人もいる、無為であれば何の問題もないと言って、「大道廃而有仁義」と極言する。その結果が道を害する。これが「誠無為」に似て非なところである。顔子から以下今日の学者までが皆「無為」ではない。皆「有為」である。仁義礼智は人に固有なものだが、幾によって振れができるので教えが要る。性は人に固有なものだが、それを捨てて置いてもよいとは言わない。精を出して仁義礼智を言う。これが、中庸で「天命之性」という人が手を加えられないものに対して、「教」という人が手を加えなければならないものを出したことと同じ意である。教えというのが直に道体なのである。
【語釈】
・手がいし…手返し。手数を重ねてすること。手を加えて始末をつけること。
・老子などが誠無為…老子徳経忘知。「爲學日益、爲道日損。損之又損之、以至於無爲。無爲無不爲。取天下常以無事。及其有事、不足以取天下」。
・寛淇…
・大道廃而仁義起る…老子俗薄。「大道廃有仁義、智恵出有大偽、六親不和有孝慈、国家昬乱有忠臣」。
・似て非な…孟子尽心章句下37。「孔子曰、悪似而非者」。
・中庸天命の性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂教」。

德は仁義礼智のこと。天から下さるる処で性と云。夫を取はつさず持ておる処で德と云。性はわるくすると借金が出来る。德は耳もすらさず持ておるのなり。其名義が爰に五つある。愛はなんとなく物をいとをしむこと。仁は至極のやさしいもの。そこを愛と云。天地の間が生きものと生きものの出合ゆへ、あら々々とやさしい、かわゆくなることがある。人がはだかで寢て居るを見るに、其身に蚊や虫がとまって居るをふっと吹いてやるとも、松槇ではいじられぬもの。人の膚にはきつひことはされぬ。人にはあら々々と云ほどにやさしくあたる、かわゆくなり、いとしくなるものを持て居る。其かしらが愛なり。牡丹の見事に咲た上で犬が噛合ふと、をしい心が出る。牡丹は非情なものなれとも、それへあらくさわるとこちの胸へひびく。彼の人の膚にはあらくはさわられぬと云、やさしいものが人にあるぞ。これがあるまいなれば、付き合はならぬ。長舩や正宗をさしたは秡けばじきに切れるものゆへ、心安く御意得られぬものなれとも、内に仁のあるで安堵なり。中々めったと切ることをせぬは仁なり。
【解説】
「愛曰仁」の説明。仁義礼智は、天から人間に賦与される視点で言うと性であり、人の視点で言うと徳である。ここにある徳の名義は、愛・宜・理・通・守の五つである。物を愛しむのが愛であり、その優しさの至極が仁なので、「愛曰仁」である。草木に愛はなく情もないが、それが自分の身に響くのはこのためである。
【通釈】
徳とは仁義礼智のこと。これが天から下される処で性と言い、性を人が取り外さずに持っている処で徳と言う。性は悪くすると欠けができるが、徳は少しの欠けもなく持っている。その徳の名義がここに五つある。愛は何となく物を愛しむこと。仁はその至極の優しいもの。そこを愛と言う。天地の間では生物と生物との出会いがあるから、あらあらと優しく、また、可愛くなることがある。人が裸で寝ているのを見て、その身に蚊や虫がとまっているのをふっと吹いてやることも、松や槇にはできないこと。人の膚に乱暴なことはできない。人は、あらあらというほどに優しくする様な、可愛くなり、いとおしくなるものを持っている。その頭が愛である。牡丹が見事に咲いた上で犬が噛み合うと、惜しい心が湧く。牡丹は非情なものだが、その牡丹でさえ手荒に扱えば自分の胸に響く。あの人の膚には手荒に扱えないと言う様な、優しいものが人にはある。これがなければ付き合いはできない。長船や正宗を差した人とは、それを抜けば直に切れるものだから、心安くお目にかかれない筈だが、心の内に仁があるので会っても大丈夫なのである。中々滅多に切ることはしない。それは、仁があるからである。
【語釈】
・耳…大判・小判のへり。
・長舩…長船の刀工の造った刀剣。平安時代の正恒を祖とし、長光を始め、世々名工を出す。備前刀。備前物。
・正宗…岡崎正宗。鎌倉後期の刀工。名は五郎。初代行光の子という。鎌倉に住み、古刀の秘伝を調べて、ついに相州伝の一派を開き、無比の名匠と称せられた。義弘・兼光らはその弟子という。三作の一。

さて、愛を仁と云に吟味のあること。韓退之が漢唐の間の珍客なれども、博愛を仁と云た。ひろく天下に及すことに云た。これがよくないから、弁せ子ばならぬ。其跡で、周子が又愛を仁と云た。これがどふやら似た様なれとも、語の出がちごう。周子は人心についたを云。韓退之は事で云。一昨年の飢饉に米が千俵あればすくわるると云のなり。それでは顔子の貧では仁がならぬになる。これでわるいが知れたではあれとも、周子のも一つわけをきか子ばならぬことあるぞ。仁は性、愛は情なり。愛は氣の中へ這入った字なり。氣をつかまへて仁と云はいかがのやうなれとも、人の心に愛むものあるは仁と云理がありて、そこから出る。愛なり。夫故、愛に根のない愛はない。仁と云性からぞ。愛むと云理がある。物の上にすしがわかれて愛が出る。愛の理が仁じゃから愛之理と、六具をきめず愛を引上て、すぐに愛を仁と云てもよいと、周子のはすじを呑込で云るる。上手得分なり。愛は仁と云性からでなければならぬから、朱子は仁は愛之理心之德とつぢつまそろへて云た。念の入たのぞ。夫にかまわず、周子が只愛と云たはよく呑込たからのこと。愛之理心之德は仁の判鑑。丁度、公家衆の装束をなされた処、大名の二本道具で出た所。挌式で云ときのこと。周子は公家大名が丸腰白衣で炬燵にあたって居た処をみて、夫れても公家大名と知たのなり。大黒の湯に入る時は槌も袋も持たぬが、知た人は大黑と見るなり。日比、大黑と近付ゆへそ。近付でなけれは、槌袋ないと見ちがへる。愛之理心之德と挌式で云は武鑑や公家鑑で云口上。無刀なら町人と云へきが、あれがやっはり何の守殿じゃ。無刀でも大名ぞ。兼て見知ている。愛がじきに仁ぞ。
【解説】
韓退之は博愛を仁と言い、愛を広く天下に及ぼすことを仁としたが、それは事に基づいており、周子の人心に基づく「愛曰仁」とは異なる。さて、仁は性だから理、愛は情だから気である。よって、「愛曰仁」は間違いの様だが、人の心には愛しむものがあり、その愛しみは仁という理から出る。愛の理が仁だから、仁は愛の理である。朱子は、「仁者愛之理心之徳」と言った。周子は、直に「愛曰仁」と言った。周子は熟知しているので、途中を略して言ったのである。
【通釈】
さて、愛を仁と言うが、ここに吟味すべきところがある。韓退之は漢唐の間の珍客だが、彼は博愛を仁と言い、広く天下に愛を及ぼすことだと言った。それはよくないから、弁じなければならない。その後に周子がまた愛を仁と言った。韓退之の言と周子の言とは、どうやら似たものの様だが、語の出処が違う。周子は人心に基づいて言い、韓退之は事を基にして言ったもの。それは、一昨年の飢饉に米が千俵あれば救われると言うのと同じである。事を基にすれば、貧乏な顔子は仁ができないことになる。これで韓退之の悪いことがわかるが、周子の「愛曰仁」に関しても、そのわけを一つ聞いておかなければならない。仁は性で、愛は情である。愛は気の中へ這い入った字だから、気を捉まえて仁と言うのは間違いの様だが、人の心には愛しむものがあり、それは仁という理があるからで、そこから出るのが愛である。それ故、愛に根のない愛はない。その根とは仁という性である。その性には愛しむという理がある。物の上に筋が分かれて愛が出る。愛の理が仁だから、「愛之理」と補足をせずに愛を一気に引上げて、愛を直に仁と言ってもよいと言った。周子は道理をよく呑み込んで言われたのであり、これが上手得分である。愛は仁と言う性からでなければならないから、朱子は、「仁者愛之理心之徳」と辻褄を合わせて言った。念を入れたのである。それに構わないで、周子がただ愛と言ったのは、よく呑み込んだからである。愛之理心之徳は仁の判鑑。丁度、公家衆が装束を身に着けられた処や大名が二本道具で出た処。それは格式で言う時のこと。周子のは、公家衆や大名が丸腰白衣で炬燵にあたっているところを見て、それでもその人が公家や大名であることがわかるということ。大黒様が湯に入る時は槌も袋も持たないが、知っている人は大黒様だとわかる。それは、日頃大黒様と近付きだからである。近付きでなければ、槌や袋がないと見違える。愛之理心之徳と格式で言うのは、武鑑や公家鑑を見て言う口上で、無刀であれば町人と言うべきだが、やはり、何某の守殿だ、無刀でも大名だとわかるのは、彼を前々から見知っているからである。愛が直に仁なのである。
【語釈】
・韓退之…韓愈。唐の文章家・詩人。唐宋八家の一。字は退之。号は昌黎。768~824
・博愛を仁と云た…原道。「博愛之謂仁、行而宜之之謂義」。
・仁は愛之理心之德…論語学而2集註。「仁者愛之理、心之德也」。孟子梁恵王章句上2集註。「仁者心之德、愛之理」。
・判鑑…照合のために、あらかじめ取引先などに控えて置く印影の見本。印鑑。
・二本道具…大名行列に立てる二本の槍。二つ道具。
・白衣…白小袖に指貫または袴だけをつけた下着姿で、直衣・狩衣・直垂などの表衣を着ないこと。また、法師が法衣を脱いで下着の白い衣だけでいること。後世、羽織・袴をつけない着流しのこと。

冝曰義。天地の中で人が一ち尊い。その尊ひは仁ぞ。仁計りでさへあるに、其上にまたよいものを持ておる。義也。義は仁に寸法のつくやふなもの。仁は何もかもかわいよいことてはあれとも、あんまりになると盗人を迠許すやふになる。そこで、義が寸法を出して偸兒をは首をきり、わるいものは嶋へやる。すれは、義は仁にさし合なやふなれとも、なくてならぬことぞ。春は花が咲く。秋は花はないが、その代りに稲が実のる。義はこふする筈、こふはせぬ筈と、筈に合こと。筈どをりに物をすっはと切てのける。断割底の意思ぞ。仁のあたたかなほっこりとしたをひややかにする。仁はのろりとしたもの。義は剃刀の刄のやうなもの。夫れで物をきりわける。两方揃ふで道なり。立人之道曰仁與義。是れなり。
【解説】
「宜曰義」の説明。人には仁があるから最も尊い。そして、その上に義をも有している。仁の愛しみは過ぎると悪い。そこで、尺度を持った義で判断をする。
【通釈】
「宜曰義」。天地の内で人が一番尊い。その尊い理由は仁を持っているからである。仁だけでも優れているのに、その上にまだよいものを人は持っている。それが義である。義とは仁に寸法が付く様なもの。仁は何でも可愛いと思うことで、それはよいことではあるが、過ぎると盗人までを許す様になる。そこで義が寸法を出して盗みをする子供の首を切り、悪い者を遠島にする。それだと、義は仁に差し障りがある様だが、義はなくてはならないものである。春は花が咲く。秋に花はないが、その代りに稲が実る。義は、こうする筈、こうはしない筈と言う時の「筈」に合うこと。筈の通りに物をすっぱりと切る。それは断割する様な意思である。仁の暖かなほっこりとしたところを冷ややかにする。仁はのろりとしたもの。義は剃刀の刃の様なもの。それで物を切り分ける。仁と義との両方が揃うので道となる。「立人之道曰仁與義」。これである。
【語釈】
・立人之道曰仁與義…道体1の語。

理は見叓に物にほどらいのあること。礼のすかたなり。何ほど善ひ事でも、筋がわから子ばならぬ。三汁五菜夫れ々々に盛り分けるで見事なり。鱠も平皿も一つに重箱へめっちゃに入れては、げっと云て喰れぬ。家老も仲間も一つ処に寐て居ては、いかにしても筋が立ぬ。筋のわかるで礼のなりぞ。人の身も目は目、鼻は鼻とわかる。細に毛の孔迠わかれてあるでよい。兄弟中へ出すことが夫婦中へ出、夫婦中のことを兄弟中へ出しては乱心同前なり。礼は夏のもやふで瓜も西瓜も花がさいてがんざりとわかるてよい。どれも目出度は同ことじゃとて、昏礼と役替を同じ口上に云てはすまぬ。
【解説】
「理曰禮」の説明。理は程合いが見事なことで、これが礼の姿である。筋が綺麗に分かれることにより程合いが見事になり、礼の姿となる。
【通釈】
理とは物に見事な程合いのあることで、これが礼の姿である。どんなによいことでも、筋が分かれなければいけない。三汁五菜はそれぞれに盛り分けるから見事なのである。鱠と平皿の料理を一緒にして重箱へ滅茶苦茶に入れては、げっと言って喰うことができない。家老と中間とが同じ場所で寝ていては、いかにも筋は立たない。筋が分かれるので礼の姿となる。人の身も目は目、鼻は鼻と分かれている。毛の孔まで細かく分かれているのでよい。兄弟の間のことを夫婦の間に出し、夫婦の間のことを兄弟の間に出すのは乱心同然である。礼とは、夏の天候によって瓜も西瓜も花が咲いてはっきりとわかるのでよいという様なもの。目出度いのは同じだからといって、婚礼と役替とで同じ口上を言っては悪い。
【語釈】
・ほどらい…ほどあい。程度。

通。ものの中まで見へすくを云。惣体、物を知ると云も段格のあること。近付きにも皃計りのもある。心迠知たもある。あの男はゆだんのならぬ男と知たは通なり。こちの知て見すかすこと。知の体は水ゆへ外から見ては暗らけれとも、中のあかるいもの。今の知惠を鼻にかけるとはちごう。本の知は道理の中へ通るなり。けば々々しくはないが、だましはくわぬ。今の利口ものと云は知がぬけぬから、人にくわせらるる。輕薄をされて向へ付くは本んのでない。浸潤之譖膚受之愬不行は本の知なり。とをるなり。知はにぎやかなものではないと合点せふことぞ。冬でじっとして居るから智藏なり。今の知はにぎやかなり。直方の所謂智は穴藏へ入れておいたやうながよい、と。穴藏の中で通ることなり。
【解説】
「通曰智」の説明。通とは、知によって見透かすこと。知は水だから、外観は暗くて見えづらいが中は明るい。道理に通るのが知であり、それは穴蔵の中でも通るものである。
【通釈】
「通」とは、物の中まで見え透くことを言う。大体、物を知るというのにも色々とある。近付きといっても顔見知りだけのこともあり、心まで知っていることもある。あの男は油断のならない男だと知っているのは通である。通とは、自分の知によって見透かすこと。知の体は水だから、外から見ると暗いが中は明るいもの。それは、今の知恵を鼻にかける様なこととは違う。本当の知は、道理の中へ通ること。目立ちはしないが、騙されはしない。今の利口者と言われる者は、知が抜けないから人に騙される。お世辞を言われて相手に迎合するのは本物の知ではない。「浸潤之譖膚受之愬不行」は本当の知であり、通である。知は賑やかなものではないと理解しなさい。冬にじっとしているから智蔵なのである。今の知は賑やかである。直方が、知は穴蔵へ入れて置く様なのがよいと言われた。穴蔵の中でも通るのが知なのである。
【語釈】
・輕薄…おせじ。おべっか。
・浸潤之譖膚受之愬不行…論語顔淵6。「子張問明。子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣。浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣」。
・智藏…

信。仁義礼智と四つ、をもぶりのちがったものがある。夫れを守るが信なり。信は守りをしておる。某て見よ。家も畠も別なれとも、清兵衛と云地主をぬけられぬ。四つがわるいと地主がおっ立てる。仁義礼知も信で立ておる。親の歒と云て討ても、堺町のは信でないから人がこわがらぬ。本の歒を本んの刀でうったはこわい。地頭の年貢も上けた分んにして下されではすまぬ。米は持ては参らぬが取た分にして下されと云と、名主が合点せぬ。信はなんの上にもなくてはならぬもの。是迠が名義ぞ。道体を知ると云はをもいこと。先つ名義を知るがよい。先日太極に近付になり、今日又誠幾德に近付になりた。先つ近付にさへなれば、今度からははや詞もかけらるる。もふこれが道体を知るのしよりなり。此篇、高それに云たことではない。地道にただ名義に近付になるがよいとのこと。
【解説】
「守曰信」の説明。ここまでが名義であり、これをよく理解しなければならない。仁義礼智を守ることを信と言う。信は何の上にもなくてはならない。
【通釈】
信。仁義礼智と四つの顔形の違ったものがある。それ等を守るのが信である。信は守りをしている。私を見なさい。家も畠も清兵衛とは別だが、彼という地主の手から抜け出ることができない。仁義礼智の四つが悪いと地主が追い立てる。仁義礼智も信によって立っている。親の仇だと言って討つのも、堺町の芝居には信がないから、人が怖がらない。本物の仇を本物の刀で討てば怖い。地頭に納める年貢も、上納したことにして下さいと言うのでは済まない。年貢米は持って来なかったが受け取ったことにして下さいと言っても、名主は納得しない。信は何の上にもなくてはならないもの。ここまでが名義である。道体を知るというのは重いこと。先ず名義を知りなさい。先日は太極と知り合いになり、今日は誠幾徳と知り合いになった。先ず知り合いにさえなれば、今度からは早、声をかけることもできる。もうこれが道体を知ることの始まりなのである。この篇は高逸れて言ったことではない。地道に、ただ名義と知り合いになりなさいということである。
【語釈】
・清兵衛…大原清甫。孤松庵の地主。
・堺町…東京都中央区蠣殻町の北にあった町。江戸時代に歌舞伎・浄瑠璃・操芝居などがあり繁昌した。

性焉安焉之謂聖。これからあとが上の名義を身にもつ者の格式で云。周子が手もないことのやうに云ても、昔からいかいことあるものと心得るは間違なり。先つは堯舜、夫から文王孔子。禹の、湯武のと云は、はや此列ではないときけば、甚力らのをちたこと。垩人は誠無為、性のまま安んすなり。舜は是れを身にもっておるから、旻天に號泣すと云も修行ではない。あれが無為なり。堯が二女を降して舜をためしたも、舜の方で一つ夫婦の間をと、修行からしたでない。無為なり。文王の羑里で天王は垩明と思召たであろふと韓退之が書出したか、尤さうなり。臣はこれが當然じゃのどふのと云ことはなし。そこが性安なり。
【解説】
「性焉安焉之謂聖」の説明。古今聖人は少なく、堯と舜、文王と孔子がそれであって、禹や湯王、武王は聖人ではない。聖人は誠無為であって、性のまま安んじる。修行などはしない。
【通釈】
「性焉安焉之謂聖」。これから後は前述の名義を身に持った者のことを、その格式ごとに述べる。周子はこの句を簡単に言っているが、昔から聖人が多くいたと心得るのは間違いである。先ずは堯と舜、それから文王と孔子が聖人であって、禹や湯王、武王は、もうこの聖人の列ではないと聞けば、甚だがっかりとすること。聖人は誠無為で、性のまま安んじる。舜はこれを身に持っているから、「號泣旻天」といっても、それは修行ではない。無為である。堯が娘二人を舜の嫁に降ろして彼を試したのも、舜が一つ夫婦の間のことを理解しようと、修行からしたことではない。無為である。文王は羑里で天王を聖明な方だと思し召したことだろうと韓退之が書き出したが、尤もなことである。臣下には、これが当然だとか、どうのこうのと言う様なことはない。そこが性のまま安んじるということである。
【語釈】
・旻天に號泣す…孟子万章章句上1。「萬章問曰、舜往于田、號泣旻天。何爲其號泣也」。
・堯が二女を降して舜をためした…書経堯典。「曰虞舜。帝曰、兪。予聞、如何。岳曰、瞽子。父頑、母嚚、象傲。克諧以孝、烝烝乂、不格姦。帝曰、我其試哉。女于時、觀厥刑于二女、釐降二女于嬀汭、嬪于虞。帝曰、欽哉」。
・文王の羑里で天王は垩明と思召たであろふ…
・羑里…文王は費仲達の讒言から殷の紂王によって羑里に幽閉される。そこで伏羲の八卦を六十四卦となした。

復焉執焉之謂賢。これからは大賢以上のこと。先つ顔孟なり。これへは学者も馳走人に出らるる。顔孟は性安でないから、幾善悪から、ちらりとした処から五つ足、六つ足は脇道へ迷ひもするが、じきに蹈みかえす。少は狐に妖さるる様なこともあろふとも、はや氣がつく。並木の松へ付て、じきに本道へ出る。垩と賢とは大そうなちがいではない。迂斎曰、性安は耳や目のやうなもの。用心入らずにをとさぬ。復執は印籠巾着のやふなもの。用心でをとさぬ。をとすこともあるものなれとも、中々をとさぬ。そこが大賢なり。顔子から下は、無為ではをられぬ。老子が無為と云てもふれる。そこて孔子が無為と云は舜で云た。顔子は手綱執る。請事斯語。手綱ぞ。手綱をつかんではもふ落馬はせぬ。そこは垩人にもまけぬ乗人なり。垩人には過はない。顔子にはあるが、過と知とじきにせぬ。そこで孔子の係辞傳に顔子のことを、有不善則未嘗不知知之復不行と書かれた。さあ、爰で垩賢の名義迠がすみだぞ。
【解説】
「復焉執焉之謂賢」の説明。賢は聖の様に無為で性のまま安んじることはできない。「機善悪」の影響を受けるが、直ぐに本に戻る。「復執」は用心して落さないこと。過ちをそのままにしないで直ぐに正して二度としないのが賢である。
【通釈】
「復焉執焉之謂賢」。これから先は大賢以上についての話で、先ずは顔子と孟子が大賢である。ここには学者も入ることができる。顔孟は「性安」ではないから、「幾善悪」のちらりとした処によって、五つ足、六つ足と少しは脇道へ迷い込むこともあるが、直ぐに本道に踏み戻る。少しは狐にばかされる様なこともあるだろうが、直ぐに気が付く。並木の松に付き従って、直ぐに本道へ出る。聖と賢とに大きな違いはない。迂斎が、「性安」は耳や目の様なもので、用心しなくても落さない。「復執」は印籠や巾着の様なもので、用心するから落さない。落すこともあるが、中々落さないと言った。そこが大賢である。顔子から下の者は、無為ではいられない。老子は無為と言うが脇に振れる。そこで、孔子は無為のことを、舜を用いて説明した。顔子は手綱を執る。「請事斯語」が手綱である。手綱を掴めば最早落馬はしない。そこで、聖人にも負けない乗り手となる。聖人に過ちはない。顔子には過ちがあるが、過ちと知れば直ぐに止める。そこで孔子は繋辞伝に顔子のことを、「有不善未嘗不知知之未嘗不復行也」と書かれた。さあ、ここで聖賢という名義の説明までが済んだ。
【語釈】
・孔子が無為と云…論語衛霊公4。「子曰、無爲而治者、其舜与。夫何爲哉。恭己、正南面而已矣」。
・請事斯語…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。…顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。
・有不善則未嘗不知知之復不行…易経繋辞伝下5。「子曰、顏氏之子、其殆庶幾乎。有不善未嘗不知。知之未嘗不復行也。易曰、不遠復、无祗悔、元吉」。

發微云々は孟子を根にして書た。あそこに神の字があるが、異端を云不思議なことでない。垩人の妙用を云。垩人の身にもってをる誠が出やうと云に、先觸はない。天地のもやうのかわると同じこと。此の晴天が、遽に曇りて大雨にもなる。丁度、つり鐘のやうなもの。大きな撞木でつけば大きくなる。扇の要でうてばちんとなる。これでは誰も知りたが、垩人の妙用はどふもはかられぬ。不可見。そこで顔子が前瞻忽後と歎じた。坐頭が来ればやれ々々と云ていとをしむ。御丁寧すぎたことの、やわ々々とした御様子なり。さうかと思へば、陳恒弑其君と聞いては、七十二で沐浴して哀公の御前へ出て討ふと云。顔子の死に哭慟するかとすれば、少正卯が首をほっきりきる。皆どふもうかかわれぬことそ。
【解説】
「發微不可見」の説明。「神」とは、聖人の妙用を指して言う。聖人の誠は天気と同じで突然に変わる。それは吊鐘の様なもので、大きな撞木で突けば大きく鳴り、扇の要で打てばちんと鳴る様に、理に叶って変わるのである。しかし、その妙用は孔子を見てもわかる通り、推し量ることはできない。
【通釈】
「發微云々」は孟子をもとにして書いた。後に神の字があるが、それは異端が言う様な不思議なことの意ではなく、聖人の妙用を指して言うこと。聖人が身に持っている誠が出ようとする時に、前触れはない。それは、天地の模様が変わるのと同じこと。この晴天が、俄に曇って大雨にもなる。丁度、吊鐘の様なもの。大きな撞木で突けば大きく鳴り、扇の要で打てばちんと鳴る。これで「発微」は誰でも知ることができるが、聖人の妙用はどうも推し量ることができない。「不可見」である。それで顔子は「瞻前忽後」と歎じた。孔子は、座頭が来ればやれやれと言って愛しむ。ご丁寧過ぎたことで、柔らかなご様子である。そうかと思えば、陳恒がその君を弑すと聞けば、七十二歳なのに沐浴して哀公のご前へ出て、彼を討とうと言う。顔子の死に哭慟するかと思えば、少正卯の首をぽっきりと切る。皆どうも推し量ることのできないことである。
【語釈】
・發微云々は孟子を根にして書た…
・前瞻忽後…論語子罕10。顔淵喟然の章。「…瞻之在前、忽焉在後」。
・坐頭が来ればやれ々々と云…論語衛霊公41。「師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯。某在斯」。
・陳恒弑其君…論語憲問22。「陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳桓弑其君。請討之」。
・陳恒…陳成子または田常。斉の大夫。簡公の父悼公の即位に際して功績があり、当時権勢を誇っていたが、簡公は家臣の闞止[かんし]を寵愛して陳桓と対立して武力衝突し、陳桓が勝って簡公は殺される。その後陳桓は斉の実権を握り、三代後には君位を奪う。
・顔子の死に哭慟する…論語先進9。「顏淵死。子哭之慟。従者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟、而誰爲」。
・少正卯…荀子宥坐篇に、孔子が魯の摂相になって七日目に少正卯という大夫を誅殺したとある。

充周不可窮之謂神。發微不可見は、天氣のいつ曇るも知れぬ様なこと。充周不可窮は、日中になりて日の光りが椽の下迠あかるい様なこと。日の光りがどこ迠もをっかけてくるやふに、皆此の誠から出る太極のはたらきそ。こんなあやも郷黨篇で見るがよい。不撤薑食の、短右袂。此の着物には此の羽織をきるで似合ふのと、ものずき迠が名人。云に云へぬ処のあるを神と云。神か別にあることでない。
【解説】
「充周不可窮之謂神」。聖人の誠は「發微不可見」で、天気の様に予測できないものだが、「充周不可窮」で、日の光りがどこまでも追い掛けて来る様である。それは太極の働きである。「神」とは聖人の妙用を指して言う語であり、神が別にいるわけではない。
【通釈】
「充周不可窮之謂神」。「發微不可見」は、天気のいつ曇るかもわからない様なこと。「充周不可窮」は、昼間になって日の光りが充ちて行き渡り、縁の下までも明るい様なこと。日の光りがどこまでも追い掛けて来る様だが、それは皆この誠から出た太極の働きである。こんな綾も郷党篇を見て知りなさい。「不撤薑食」や「短右袂」。この着物にはこの羽織を着るから似合うと、物好きなことまでが名人である。言うに言えない処があるのを神と言う。神が別にいるのではない。
【語釈】
・日の光りが椽の下迠あかるい…孟子尽心章句上24に、「観水有術、必観其瀾。日月有明、容光必照焉」とある。容光とは、隙間に入ってくる光。
・不撤薑食…論語郷党8の語。
・短右袂…論語郷党6。「褻裘長、短右袂」。褻裘は普段着る毛皮の上衣。


第三 伊川先生曰喜怒哀樂未發の条

伊川先生曰、喜怒哀樂之未發、謂之中。中也者、言寂然不動者也。故曰天下之大本。發而皆中節、謂之和。和也者、言感而遂通者也。故曰天下之達道。文集下同。
【読み】
伊川先生曰く、喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う。中とは、寂然として動かざる者を言う。故に天下の大本と曰う。発して皆節に中[あた]る、之を和と謂う。和とは、感じて遂に通ずる者を言う。故に天下の達道と曰う。文集下同。
【補足】
この条は、程氏遺書二五にある。尚、中庸章句1に近似する。以下はその章句。「喜怒哀樂之未發、謂之中、發而皆中節、謂之和、中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。

伊川の此語抔は、今章句の出来た上では珍くもない様なれとも、中庸が人の受用になると云も此語からなり。是がないと、何の物語か取つかれぬ。さては心のことよと知る。中庸を傳授の心法と云出したも程子なり。心法は仁義礼智と云ことではない。捨てをいても仁義礼智はある。道統の傳と云は仁義礼智を入るる入れものの沙汰なり。垩凡共に仁義礼智の目方は一つことなり。垩賢はたんとある、凡夫にはちっと下されたでない。ここにはかわりめはないが、中庸を心法と云は心の沙汰なり。性のことではない。心をつかまへての工夫なり。子思のそこを知られたものゆへ、心のありもので喜怒哀樂云々と出されたもの。これか珍らしい氣の付ぬことを知らせて下されたと云ことてもないが、水は水と舩頭も知る。火は火と鍛治屋も知る。されとも、水火に太極のあることをば知ぬ。この喜怒哀樂もそれで、誰にも此のないものもなく、知らぬものもないが、これに其発らぬ前か中じゃの、節に中るのと云ことがあるを知らぬ。そこを知らせたが子思なり。
【解説】
伊川の語は中庸の手懸かりとなる。中庸は伝授の心法だが、その心法とは仁義礼智を指して言うのではない。仁義礼智は全ての人にある。そこで、心法や道統の伝は、仁義礼智の入れ物、つまり心についてのことなのである。喜怒哀楽と言い出したのは、それが誰の心にもあって誰もがそれを知っているものの、「未発」や「発而皆中節」ということを人は知らないからである。
【通釈】
伊川のこの語などは、中庸章句がある今では珍しくもないことの様ではあるが、中庸が人々の間で受け入れられ、用いられているのも伊川のこの語があったからである。この語がなければ、中庸は何の話なのかという手懸かりも掴めない。この語で、さては心のことだと知ることができるのである。中庸を「伝授之心法」と言ったのも程子である。心法とは仁義礼智を指して言うのではない。捨てて置いても仁義礼智はある。道統の伝とは仁義礼智を入れる入れ物のことである。聖人にも凡人にも共に仁義礼智は同じだけある。聖賢には多くあって、凡夫には少しだけしか下さらなかったというわけではない。ここに違いがないから、中庸を心法と言うのは心のことなのであって、性のことではない。心を捉まえての工夫なのである。子思はそれを知ったので、心にあることで「喜怒哀楽云々」と言い出された。これは、珍しくて気が付き難いことを知らせて下さったということでもないが、水は水であることは船頭でも知っている。火は火であることは鍛冶屋も知っている。しかし、水や火に太極があることを彼等は知らない。喜怒哀楽もそれと同じで、誰にでも喜怒哀楽があり、そのことを知らない者もいないが、人は喜怒哀楽の生じる前が中だとか、生じて節に中るということがあるのを知らない。そこで、それを知らせたのが子思なのである。
【語釈】
・伊川…程伊川。程頤。北宋の大儒。字は正叔。諡は正公。顥の弟。伊川先生と称。河南洛陽の人。謹厳徳行、周敦頤に学び性理の学を大成。理気の説を提唱。哲宗の時、崇政殿説書となったが、蘇軾門流との争いから涪州に流された。著「易伝」「伊川文集」「経説」など。1033~1107
・傳授の心法…中庸章句子程子説。「子程子曰、不偏之謂中、不易之謂庸。中者天下之正道、庸者天下之定理。此篇乃孔門傳授心法。子思恐其久而差也、故筆之於書以授孟子。其書始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。放之則彌六合、卷之則退藏於密。其味無窮。皆實學也。善讀者玩索而有得焉、則終身用之有不能盡者矣」。
・子思…中国、春秋時代の学者。孔子の孫。伯魚の子。名は伋。子思は字。曾子の門人。「子思子」23編を著す。「中庸」はその中の一編という。前483?~前402?

駕舁に酒手をやる。じきに喜ぶ。今迠笑ふて居た人にも腹も立せらるる。怒なり。機嫌よく咄す処へ国状かついて、親族の死を告ると哀む。此間中、祭り見物に兒共がいそ々々してゆく、樂。樂は顔にぶらさがりて知るる。此四つは誰か上にもある。それは発りづめかと云に、発らぬときがある。そこを未発之謂中と云。中とはかたっほへよらぬこと。をこらぬ前の、とちへなりともひづまぬなりが中で、をもいことなり。喜怒哀樂は首をひ子らずにたれもすますこと。未發之謂中からは、いかさまごさりますと考て云ことなり。凡夫はさはがしいものなれとも、そんならをこりづめかと云へば、いや、そうもこさらぬと云。そこを伊川が寂然不動と云たなり。この寂然不動か本孔子の語なり。孔子に搆はず、爰では伊川の思召に引たもの。そこでこれが本店より出店がにぎやかなり。孔子はざっとしたことで、田樂串の様な蓍が箱に入てしゃんとしてある。陽爻も陰爻も出来ぬ。そこを云れた。程子は心のしん々々として動ぬ、物に応せぬ体の処を寂然不動と見て、此塲をさして、そこが未発と知らせたもの。
【解説】
喜怒哀楽の発る前を中と言う。中とは偏らないこと。寂然不動は易経繋辞伝の孔子の言葉であって、易上の言葉だが、伊川は、それは心が動かず物に応じない場と捉え、それを未発であるとした。
【通釈】
駕舁きに酒代をやると直ぐに喜ぶ。これが喜。今まで笑っていた人でも、腹を立たせられることがある。これが怒。機嫌よく話すところに国からの書状が着いて親族の死を告げられると哀しむ。これが哀。そんな最中、祭り見物に子供がいそいそとして行く。これが楽。楽は顔に表れるので知ることができる。この四つは誰にでもある。それはいつも生じているかというと、生じていない時がある。そこを「未発之謂中」と言う。中とは片方へ寄らないこと。生じる前にどちらへも歪まないのが中で、重いことである。喜怒哀楽は首をひねって考えなくても、誰もがわかること。「未発之謂中」以降は、なるほどございますと、熟慮した後に言うこと。凡人は騒がしいものだが、それなら常に喜怒哀楽が生じ続けているかというと、いや、そうでもないと言う。その生じる前の状態を伊川が「寂然不動」と言った。この寂然不動は本来孔子の語った言葉だが、ここは孔子に構わず、伊川の思し召しで引用したものだと捉えなさい。それで、本店よりも出店の方が賑やかとなった。孔子の寂然不動は粗く言ったことで、田楽串の様な筮竹がきちんと箱に入れられていて、陰爻も陽爻もできない状態を言ったこと。程子のは、心が深々として動かず、物に応じないところを寂然不動と見て、その場を指して、そこが未発だと知らせたのである。
【語釈】
・国状…国からの書状。
・寂然不動…易経繋辞伝上10。「易无思也。无爲也。寂然不動、感而遂通天下之故。非天下之至神、其孰能與於此」。
・蓍…めどぎ。筮竹。占いに用いる道具。めどはぎの茎五十本を用いた。
・陽爻…爻は交わること。また、周易で卦を組み立てている横画の印。陰爻と陽爻の二種がある。

故曰が程子の入れた字なり。前後は子思、中が孔子で、易と中庸を合せて故曰を一寸入れたで程子の文になりた。天下之大本。何んでも一切のことが心から出ぬものはないが、其心のまだ何とも一念のをこらぬ前がある。そこを大本と云。柳生殿の刀、ぬかぬ前からきるる。料理人、こしらへぬ前に庖丁を研である。大本の塲がよいから発而中節。庖丁がよいからきるものか皆よくきるる。喜怒哀樂のはたらきが丁度にゆくから、出た処が和と云。和は向に差つかへないこと。なんでもぎくしゃくはない。上手のこしらへた引出し、風をもってすら々々入る。下手の引出しは两手かけてもぬけぬがあるかとすれば、又、そろりとをちるがある。和でない。凡夫の喜怒がこれなり。喜にも怒にもすぎる日があれば、又、今日は御腹の立つ筈と思へば、腹を立ぬことがある。それで蕃椒の辛くないやうなもの。怒はよくないことなれとも、怒ら子ばならぬときもある。丁度、火消の庇をこわすやうなもの。火事をとめる為にこわすから、尤なこわしやうなり。丁度の処で怒るはよい。
【解説】
この文は易と中庸とを繋いだものだが、「故曰」によって伊川の文となる。「中」とは、心の中に未だ何の一念も生じない状態であり、これを「大本」と言う。大本がしっかりとしていれば「発而中節」である。大本の場がよければ喜怒哀楽の働きがぴったりと行き、これで生じたところを「和」と言う。和とは何の差し支えもないこと。
【通釈】
「故曰」が程子の独自に入れた字である。前後は子思の語、中が孔子の語で、易と中庸とを繋いでおいて、「故曰」を一寸加えたので程子の文となった。「天下之大本」。何でも一切のことは心から出ないものはないが、心の中に未だ何の一念も生じない状態があって、そこを大本と言う。柳生殿の刀は抜く前からよく切れる。料理人の庖丁は拵らえる前からよく研いである。大本の場がよいから「発而中節」。庖丁がよいから物が皆よく切れる。大本の場がよければ喜怒哀楽の働きがぴったりと行くから、それから生じたところを和と言う。和とは相手に差し支えのないこと。何にでもぎくしゃくすることはない。上手な人が拵えた引出しは、風を起こしてすらすらと入る。下手な人の作った引出しは、両手を掛けて引っ張っても抜けないものがあるかと思えば、また、するりと落ちてしまうこともある。それは和でない。凡人の喜怒がこれと同じである。彼等には過度に喜んだり怒ったりする日もあり、また、今日は腹が立つ筈だと思えば、腹を立てないこともある。それは辛くない唐辛子の様なもの。怒はよくないことではあるが、怒らなければならない時もある。丁度、火消しが庇を壊す様なもの。火事を止めるために壊すのだから、尤もな壊し方である。丁度ぴったりとしたところで怒るのはよい。

感而遂通者也。感は此方からのことなれとも、向からあたる処でひびく。親に孝と聞く。やれよいことと云ふ。人を殺して迯げたと云。やれにくいやつとひひく。此方からひびき出ることなり。相手なしに感することもある。ひびくはよいにもわるいにもひびくか、通るはよいことてなければ通らぬもの。この方がよいことにはづんて出るから通るなり。盗人の腹を立つはとをらぬ。達道。きれのない小判。東金でも長﨑でも受取る。さて、此の講釈を聞いたて、又、名義がふへてきた。上て誠幾德、爰で中和。中はどうしゃ。寂然不動。そりゃ又寂然不動に近付になりた。和はどふじゃ。感而遂通る。又これにも近付になりた。いくらふへても皆太極のぶんやなり。
【解説】
「感」とは、自分の心が響くことで、善悪双方に響くが、「通」は善に対してのみのこと。「達道」は天下に流通すること。
【通釈】
「感而遂通者也」。感とは自分の方のことだが、向こうから来て当る処で響く。親に孝と聞けば、やれ、それはよいことと言い、人を殺して逃たと聞けば、やれ、そいつは悪い奴だと心に響く。感とは、自分の方から響き出ることである。また、相手がなくても感じることもある。善いことにも悪いことにも響くが、「通」は、善いことでなければ通らない。自分が善いことに勢いよく出るから通るのである。盗人が腹を立てるのは通らない。「達道」とは疵のない小判であって、東金でも長崎でも流通する。さて、この講釈を聞いて、また名義が増えた。先の条では誠幾徳、ここでは中和。中とは何かと言えば寂然不動。それ、また寂然不動に近付きになった。和とは何かと言えば感而遂通。またこれにも近付きになった。いくら増えても皆太極が分かれたものなのである。
【語釈】
・きれ…小判についたきず。


第四 心者一也の条

心一也。有指體而言者、寂然不動是也。有指用而言者。感而遂通天下之故是也。惟觀其所見如何耳。
【読み】
心は一なり。體を指して言う者有り、寂然として動かざる、是れなり。用を指して言う者有り。感じて遂に天下の故[こと]に通ず、是れなり。惟其の見[あらわ]るる所の如何を觀るのみ。
【補足】
この条は程氏文集九の「呂大臨と中を論ずる書」にある。

心者一也とは、さきにしめすことがあって云ふ口上なり。とど一つことじゃが、二つな様に見へる。爰は心に近付になること。これが道体に近付になるの第一、端的なり。上の方のことは、皆人の心にある。人心は一つことなれとも、靜な塲と動く塲がある。靜な塲も心、動く塲も心なり。これがじきに太極の動靜あると云と同じこと。人は一箇の小天地なり。
【解説】
「心一也」の説明。心は一つであるが、静かな場と動く場がある。それは太極に動静があるのと同じで、人は一個の小天地なのである。
【通釈】
「心者一也」とは、この後に示したいことがあって言ったのである。結局、心は一つだが、二つある様に見える。ここは心に近付きになること。これが道体に近付きになる第一のところである。先の条に述べられたことは皆人の心の中にある。人心は一つであるが、静かな場と動く場がある。静かな場も心であって、動く場も心である。これがまさしく太極に動静があると言うのと同じこと。人は一箇の小天地である。
【語釈】
・人は一箇の小天地…

有指体而言者。心を明鏡止水と云て水に譬る。水も靜まりかへったこと計りかとみれば、孔子が逝者如斯乎と流水で云るる。とちも同じ水のこと。体とは動ぬこと。明鏡止水でたとへる。用とは流行する働き。行德川でたとへる。河へ流すと流るる。瓶へ入るるとしつまる。体も用も一つ水なり。人の心も靜なものとも動くものともつけしだいのこと。
【解説】
「有指體而言者。有指用而言者」の説明。水にたとえると、明鏡止水の状態が体で、逝者如斯乎が用である。同じ水でも見方次第で体にも用にもなるが、人の心も同じである。
【通釈】
「有指体而言者」。心を明鏡止水と言って水にたとえる。その水も静まりかえったままかと思えば、孔子が「逝者如斯夫」と流水を使って言われた。どちらも同じ水のこと。体とは動かないことで、明鏡止水でたとえる。用とは流行する働きで、行徳川でたとえる。水を河へ流せば流れる。瓶へ入れれば静まる。体でも用でも同じ一つの水である。人の心も、静かなものか、動くものかは、人の見方次第で変るのである。
【語釈】
・逝者如斯乎…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。
・行德川…

惟觀其所見如何耳。其人の見所次第て動とも靜とも云るる。迂斎がいつもはづさず云た。土用干に掛ものは吹立てられてさわくに、茶臼はそこにしゃんとしておる。それを見ては、茶臼は靜なものと云ひ、又、茶を挽くを見ては、動くものじゃと云やふなもの。心は動ぎり、靜ぎりでない。凡夫は動ぎりではてる。佛は靜ぎりで仕舞。皆心のなりを知らぬ。体をさすとは上の条の中也。用をさすは上の和也。此段は、上の条の註とみることぞ。中庸は中庸、心は心と見るは、あまり目のとどかぬのなり。中庸は心のことを云た。これを上の注と見て取ることがならぬ。
【解説】
「惟観其所見如何耳」の説明。心は本来、静と動、体と用の両方を持つ。凡人は動に注目するのみ、仏は静に注目するのみで果てる。中庸は心について語ったものであり、この条を前条の註として見るのがよい。
【通釈】
「惟觀其所見如何耳」。心は、その人の見方次第で動とも静とも言うことができる。迂斎がいつもうまく言っていた。土用干に掛物は吹き立てられて騒ぐが、茶臼はそこにしっかりとして動かない。茶臼の動かないところを見て、静かなものと言い、また、茶を挽くところを見て、動くものだと言う様なもの。心は動だけでも静だけでもない。凡人は動だけで果てる。仏は静だけで終わる。皆、心の本来の姿を知らない。体を指すと言うのは前条にある中のこと。用を指すと言うのは前条にある和のこと。この条は前条の註だと捉えなさい。中庸は中庸、心は心と見るのでは、余り目が行き届いていない。中庸は心のことを言っているのである。この条を前条の註と見取ることが、中々できていない。


第五 乾天也の条

乾、天也。天者乾之形體、乾者天之性情。乾、健也。健而無息之謂乾。夫天、專言之則道也。天且弗違、是也。分而言之、則以形體謂之天、以主宰謂之帝、以功用謂之鬼神、以妙用謂之神、以性情謂之乾。易傳下同。
【読み】
乾は天なり。天とは乾の形體にして、乾とは天の性情なり。乾は健なり。健にして息む無きを之れ乾と謂う。夫れ天は、專ら之を言えば則ち道なり。天すら且つ違わずとは、是れなり。分かちて之を言えば、則ち形體を以て之を天と謂い、主宰を以て之を帝と謂い、功用を以て之を鬼神と謂い、妙用を以て之を神と謂い、性情を以て之を乾と謂う。易傳下同。
【補足】
この条は周易程氏伝の乾卦の注にある。

これも道体の名義ぞ。段々名義も沢山になるが、夫でも何の差つかへはないもの。掛乞が錢を沢山取ると、賣って銀や小粒にして、ちんまりと巾着へ入るる。道体の名義さま々々、根は一つものなり。名義ふへても邪魔にもやっかいにもならず、荷はふへぬぞ。此段は乾卦の易の注ぞ。こりゃなんのことはない。乾と云は天じゃと、上の方の青空をみせたもの。天のことがすむと乾がすむ。乾がすむと天がすむ。これが似つらのやうなもの。ちっともちがわず似づらを書てやるから、夫れをみると何左ェ門はこれじゃなとすむ。天が乾のからたなり。長﨑から南蠻、果しもないが、あれが天のからたなり。
【解説】
「乾、天也。天者乾之形體」の説明。道体の名義は様々だが、大本は一つである。乾は天であり、天は乾の体である。
【通釈】
ここも道体の名義について述べている。名義も段々と沢山になるが、それも何の差し支えもないこと。掛乞いが銭を沢山回収すると、それを売って銀や小粒に替え、小さくして巾着へ入れる。道体の名義は様々だが、根本は一つである。名義が増えても邪魔にも厄介にもならない。荷は増えないのである。この段は、易の乾卦の註である。これは何のことはなく、乾とは天のことだと、上の方の青空を見せたもの。天が済めば乾が済む。乾が済めば天が済む。それは似顔絵の様なもの。少しも違わずに似顔絵を書いて遣るので、それを見ると何左ェ門はこれだなとわかる。天は乾の体である。長崎から南蛮まで、果てしもないが、あれが天の体である。
【語釈】
・掛乞…掛取り。掛売りの代金を取り立てること。また、その人。近世には、歳末だけ、あるいは歳末と盆との二度であった。掛け集め。
・小粒…①小粒金(一分金)の略。②豆板銀の俗称。小玉銀。
・似つら…似面。似顔。
・乾、天也…易経説卦伝10。「乾天也、故稱乎父。坤地也、故稱乎母」。

性情。天の心いきなり。それも乾の卦ぞ。性情は立派に性と情と云ことでなく、俗語のやうに見るがよい。すこやかか天の心いきぞ。健と云に、天ほどなものはない。直方の、金の草鞋でも追付れぬは天じゃと云れた。小田原へ日がへりに鰹をくいにゆくはすこやかなことなり。されとも、天がきいたら笑はふことぞ。六ヶしいことは先つ字心でも云そふなものを、天の形体の、性情のとのって云から、いそがしさに是迠字心のことは云ぬが、爰迠云たいことがすんたから字彙を引くやうに、乾は健なりと、一ち先に出そふな字註が次の句に出た。達者な者も松の木の下で一寸やすむこともある。天がすこやかと云ても、立塲でやすむこともあるかと云に、天は無息なり。二六時中やすまぬ。そこが、天のことは健計りでは云たらぬ。そこで無息をそへた。
【解説】
「乾者天之性情。乾、健也。健而無息之謂乾」の説明。性情と健は、天の心意気である。天ほど健やかなものはないが、それでも言い足りないので無息と付け加えたのである。
【通釈】
「性情」とは、天の心意気である。これも乾の卦にある語。性情とは厳密に言う場合の性と情ではなく、俗語の様に見るのがよい。健やかが天の心意気である。健と言えば、天ほど健やかなものはない。直方が、金の草鞋でも追い付くことのできないのが天だと言われた。日帰りで小田原に鰹を食いに行くのは健やかなこと。しかし、天がそれを聞いたら笑うだろう。難しいことを述べる時は、先ず字の意味から話しそうなものだが、乾とは天の形体であるとか、性情であるとかと乗って言い、忙しさにこれまで字の意味を言わなかった。しかし、ここまでで言いたいことが済んだので、辞書を引く様に「乾者健也」と、最初に話し出しそうな字註が次の句に出た。元気な者も松の木の下で一寸休むこともある。天が健やかだと言っても立場で休むこともあるのだろうかと思えば、天は無息である。終日休むことはない。天のことを健と言うだけでは言い足りないので、無息の語を添えたのである。
【語釈】
・乾の卦…易経乾卦文言伝。「乾元者、始而亨者也。利貞者、性情也」。
・字彙…文字を類別して集めたもの。字書。
・乾は健なり…易経乾卦象伝。「象曰、天行健。君子以自彊不息」。易経説卦伝7。「乾健也。坤順也。震動也。巽入也。坎陷也。離麗也。艮止也。兌説也」。
・立塲…江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。明治以後は人力車や馬車などの発着所、または休憩所。

夫天專言之。是迠に乾のことがあら々々すんで、これから道体咄になりた。なんのこともなく天と一つ出して云へば道じゃ。道也とはどふしたことしゃと云に、天は道理のこと。夫故、獲罪於天無所禱とある。やはり、道理じゃ。青ひ空にはちっとも用向はない。
【解説】
「夫天、專言之則道也」の説明。道体においては、天とは青空のことではなく、道理のことである。
【通釈】
「夫天專言之」。これまでで乾の説明はあらかた済んで、これから道体の話となった。天を専らに言い表わせば道のことである。「道也」とあるのは何故かと言うと、天とは道理のことだからである。「獲罪於天無所禱」という言葉もある。やはり、天は道理であって、青空とは少しも関係がない。
【語釈】
・獲罪於天無所禱…論語八佾13。「王孫賈問曰、與其媚於奥、寧媚於竈、何謂也。子曰、不然。獲罪於天無所禱也」。

天且不違。先軰の説も易に合せるゆへ、程子をあつかってよむことになってをるが、夫れにも及ばぬことなり。某が考がある。程子は朱子より前の人ゆへ、すきに云たもの。易の本義に合ぬにかまわぬ。天と云字を一と言に道のことじゃと証拠に引れたもの。先日の無極而太極の条に、天地合其德日月合其明鬼神合其吉凶とありて、あとへ天且不違、文言傳、とある。だたい、人は道理を定規にするもの。その定規にする道理は天から出るものゆへ、道理のことを天と云。其天に違ふてはならぬから、人が天に違わぬやうにすると云は御定りのことぞ。なれともここは垩人を云た語ゆへ、道が垩人に違はぬと云のぞ。常底の云様でない。丁ど、孔子は從心之所欲不踰矩。道の方から垩人に違はぬことなり。何も青いそらがたがわぬと云ことではない。もそっと根ずみのすむやうに云はふ。為人臣止於敬と云が道なり。その道にたがわぬやふにすること。それにそむきたがふて、只のものが主を追ひ込めたり弑したりすると道理が来てしばるが、湯武が放伐をすると、道の方から湯武に違ふことはならず、權道じゃ、尤じゃと云は、天且不違なり。それも青い空のことではない筈。声為律身為度の垩人ゆへ、道理の方から尤なことしゃと云て、あたまをさげる。このやふな類そ。天と云ことは形体や性情て云の天であらふやふない。專言へは道なりが此類なりと證す。
【解説】
「天且不違」の説明。この句は易の文言伝が出処で、本来は聖人の道について述べたものであって、聖人の道は天にさえも違わないというものである。しかし、伊川はこれを天の道は聖人に違わないという意味に使う。本来、天とは形体や性情で言うものではなく、道であり道理である。孔子の「従心之所欲不踰矩」や湯武の放伐もこれである。
【通釈】
「天且不違」。先輩の説も易に合わせているので、程子の説を保留して読解することになっているが、その様な必要はない。私に考えがある。程子は朱子よりも前の人だから、天且不違を自由に解釈して、ここで言ったのである。易の本義に合わないことには構わず、一言に天とは道のだという証拠として、これを引用したのである。先日の無極而太極の条に「天地合其徳日月合其明鬼神合其吉凶」とあるが、文言伝にはその後に「天且不違」とある。そもそも、人は道理を基準にするもの。その基準にする道理は天から出るものだから、道理のことを天と言う。その天に違ってはならないから、人が天に違わない様にするのはお決まりのこと。しかし、ここは聖人について語った言葉なので、道が聖人に違わないと言っているのである。これは日頃の解釈とは異なる。丁度、孔子が「従心之所欲不踰矩」だから、道が聖人に違わないのと同じ。何も青い空が違わないということではない。もう少しよくわかる様に言えば、「為人臣止於敬」と言うのが道である。その道に違わない様にすること。それに背き違って臣が主人を追い込めたり弑したりすると、道理が来てその者を縛るが、湯武が放伐をすると、道の方では湯武に違うことができず、権道だ、尤もだと言う。これが天且不違である。これも青空のことではない筈。「声為律身為度」の聖人だから、道理の方から尤もだと言って頭を下げて来る。天とはこの様な類を指すのである。形体や性情で言う様な、そんなものが天である筈がない。「專言之則道也」が天のことだと、伊川が明らかにした。
【語釈】
・文言傳…易経乾卦文言伝。「夫大人者、與天地合其德、與日月合其明、與四時合其序、與鬼神合其吉凶。先天而天弗違、後天而奉天時。天且弗違、而況於人乎、況於鬼神乎」。
・常底…通常言う様なの意。
・從心之所欲不踰矩…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩」。
・為人臣止於敬…大学章句3。「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。
・權道…手段は正しくないが、目的は正道に合すること。目的を達するために執る臨機応変の処置。方便。
・声為律身為度…十八史略夏后氏。「聲為律、身為度、左準縄、右規矩」。

分言之。たった一と口に云へは、道理のかへ名は天なり。分けて云へば形体なり。形体は青々とした天をさすなり。朱子の四つ計りのとき、韋斎にだかれてあれが天じゃと云った。その天のことぞ。
【解説】
「分而言之、則以形體謂之天」の説明。天とは道のことではあるが、見方によって天の意味は変わる。形体で言う時は青空を指す。
【通釈】
「分而言之」。たった一言で言えば、道理の替え名が天であって、分けて言えば形体とも言える。そして、形体で言う時は、青々とした天を指す。朱子が四歳の頃、韋斎に抱かれて、あれが天だと言われた。その天のことである。
【語釈】
・韋斎…朱子の父。

以主宰云々。何となくこはい。上の方に見てござるやうたと云のなり。今の人の欲の深いとをふちゃくなでは、もちっと盗人もふへさうなものなれとも、主宰と云がこはいからふへぬ。主宰あるはこはいもの。親父の昼寐した上をまたいては通られぬ。わるいことするものも何ぞの拍子には、いやもふやめようはと云ほど、ぞっとこわくなるは主宰なり。そのときは、天とも乾ともはや云ぬ。帝と云なり。此の帝の字は唐では堯舜、日本では百人一首の始にある天智天皇の方が本家なり。天子を帝と云ふ。其生きた人の方からして云文字を用いたもの。上に天子のあらせらるるは、津々浦々迠ひびいてこはいもの。丁ど其やうに、天道にどふもあなどられぬをそろしき処の主宰を指して帝と云なり。あの天智天皇様がと云て、はっと首のさがる様なを主宰と云。上帝降衷於下民と云も、畏敬してぞっとする様な心入に上帝と書た。ヶ様なときにつこうは此の字なり。
【解説】
「以主宰謂之帝」の説明。天道を主宰として捉えれば、これを帝と呼び、その時は天とも乾とも言わない。主宰はどうも侮ることのできない恐ろしいものであり、日本で言えば天皇の様なものである。
【通釈】
「以主宰云々」。何となく恐い。上の方でこちらを見ておられる様だということ。今の人は欲が深く横着だから、もう少し盗人が増えそうなものだが、主宰が恐いから増えない。主宰があるのは恐いこと。昼寝をしている父親の上をまたいで通ることはできない。悪いことをする者も何かの拍子に、いや、もう止めようと言うほど、ぞっと恐くなるのは主宰のためである。そんな時はもう、天とも乾とも呼ばずに帝と言う。この帝の字は、唐では堯舜、日本では百人一首の始めにある天智天皇が本家であって、それが出処である。天子を帝と言う。それは、生きた人間の方で使う文字を用いて天に当てたのである。上に天子がおられると、天子の力が津々浦々まで響いて恐い。丁度その様に、天道にはどうも侮ることのできない恐ろしい主宰があって、それを指して帝と呼ぶのである。あの天智天皇様がと言うと、はっと首を下げる様なことを主宰と言う。「上帝降衷於下民」と言うのも、畏敬でぞっとする様な心持になるから上帝と書いたのである。この様な時に使うのが帝という字である。
【語釈】
・上帝降衷於下民…書経湯誥。「惟皇上帝、降衷于下民」。

爰へは鬼神を出しそうもないものじゃに出したは、只形体と云ひ、健と云へば、只手をふっておるやうなもの。爰で健のはたらきのほどを見せたものぞ。其すこやかにもちっと目立って見へるものがある。天地の造化の、草木の花咲き實のる功用じゃとなり。そのときの名をば鬼神と云。道を乾と云ひ、天と云迠は誰も知ったが、鬼神と云てはどふやら怪物咄し。晩方こはいことかと云に、天のはたらきのことじゃとなり。日の暮たも夜の明けたも天地のはたらき。其はたらきの名を鬼神と云。妙用と功用と二つことではないが、功用の内に、云に云へぬはたらきのあることある。それを妙用と云。功用は一服の藥のやうなもの。その内に昨日の一味の加減で食氣がついたと云は妙用ぞ。人のすることを見て、あれは人間業ではないの、医者ではなくて藥師様じゃと云ふ。そこが神の字なり。春、花の咲は鬼神の役目。夕部一と夜に吉野の櫻が皆さいたと云。そこが神なり。
【解説】
「以功用謂之鬼神、以妙用謂之神」の説明。鬼神とは健の具体的な姿を説明するものである。天地が造化することを功用と言い、功用の中にある言うに言えない働きを妙用と言う。春に花が咲くのは鬼神の役目で、一夜で吉野の桜が皆咲いたというのが神の仕業である
【通釈】
ここで鬼神という語は出しそうもないものだが、それをここにを出したのは、ただ形体と言ったり、健と言ったりするのは、ただ手を振っている様なものだから、ここで健の働きの様子を見せるためなのである。その健にも少し目立って見えるところがある。それは天地の造化や草木の花咲き実るという功用である。その時の健の名を鬼神と言う。道を乾と言い、天と言うことまでは誰もが知ったことだが、鬼神と言ってはどうやら怪物話の様である。それは晩が恐いことかと言うと、そうではなくて天の働きのことである。日が暮れるのも夜が明けるのも天地の働き。その働きの名を鬼神と言う。妙用と功用とは別なものではないが、功用の内に言うに言えない働きがあって、それを妙用と言う。功用は一服の薬の様なもの。その中で、昨日の一味の加減がよくて食欲が出たと言う。これが妙用である。人のすることを見て、あれは人間業ではないとか、医者でなくて薬師様だと言う。そこが神の字の意味である。春に花が咲くのは鬼神の役目、夕べ一夜で吉野の桜が皆咲いたと言う。それが神である。
【語釈】
・一味…漢方で薬種の一品。

性情と云字は前へかへしたもの。今近付でない人を、人がききたがるもの。其時、其をもぶりを語るに、あの男はかたい男じゃの、むぞうさな男じゃのと云は性情なり。とど、乾の字の物語なれば重言の様なれとも、乾で云とめた。此条も皆乾のことなり。乾は色々名が替るが、難波の芦は伊勢の濱荻。中は一つことなり。いなを進上と云てよこしたを田舎ものが見て、これはをぼこじゃの、いや、すばしりじゃのと云はうつらぬ云やうなり。とど一つことなり。道体が色々名がかわりても、合点すれば一つことぞ。
【解説】
「以性情謂之乾」の説明。乾は色々と名が変わるが、これ等は皆同じことである。それを違うことの様に思うのは、理解していないからである。
【通釈】
性情という字は前の「乾者天之性情」のところに戻して言ったもの。今知り合いでない人のことを、人は聞きたがるもの。その時に、その様子を語るのに、あの男は堅い男だとか、無造作な男だと言うのは性情のことである。結局、乾の字のことを語っているので重言の様だが、ここは乾で締め括ったのである。この条は皆乾のことである。乾は色々と名が替わるが、難波の葦を伊勢では浜荻と言うのと同じで、中身は同じである。いなを献上してよこしたのを田舎者が見て、これはおぼこだとか、いや、すばしりだと言うのは、替え名を理解しない者の言い方で、つまりは同じことなのである。道体の名は色々と変わっても、合点すればそれが一つであることがわかる。
【語釈】
・重言…同意の語を重ねた言い方。
・いな、をぼこ、すばしり…いずれも鯔[ぼら]の稚魚の名。