第六 四德之元猶五常之仁の条  六月二十六日  文録
【語釈】
・六月二十六日…寛政2年庚戌(1790年)6月26日。
・文…花澤文次。林潜斎。東金市堀上の人。一時、丸亀藩主京極侯の儒臣となる。1749~1817

四德之元、猶五常之仁。偏言則一事、專言則包四者。
【読み】
四德の元は、猶五常の仁のごとし。偏言すれば則ち一事にして、專言すれば則ち四つの者を包[か]ぬ。
【補足】
この条は、周易程氏伝の乾卦象伝の注にある。

道体を老仏の方でも云へとも、あちは死、こちは動。其證拠には、こちは色々説あり。異端は寐ても覺ても混沌未分不生不滅を云。彼は一方見付たゆへ死物。吾儒の道は動故面が替る。人はにこ々々もあり、腹も立。木偶は公平かいつも白眼む。はたらく処を中庸て活溌々地、朱子所乘之機と云ふて、吾道は活ている。偖、道体章次のこと、これを幷べやふに深い旨あると、丁寧過て見るもわるい。そふすると作意になる。又、めったに幷へたてもない。先図説を出したは全体、それを人へ見せて誠幾德を語り、人の人たる処は心ゆへ、三条目に中和を説き、心の体用を云も寂感て示し、皆とど易から出たものなり。そこで易は乾か大切。乾坤は易の父母なり。そこて、其次て乾天なりと太極を天て語る時に、この条へ来て、其乾の元亨利貞を云て四徳之元は猶五常之仁と云へは、めったな幷へやふてもない筈じゃ。先この位に合点すべし。
【解説】
異端は道を混沌未分や不生不滅と言うばかりで、彼等の道は死んでいる。聖賢の道は活溌々地、所乗之機であって、活き活きとしている。
【通釈】
老仏の方でも道体のことを言うが、あちらは死んでおり、こちらは動いている。その証拠には、こちらには色々な説があるが、異端は寝ても覚めても混沌未分や不生不滅を言っている。彼等は一方を見付けただけなので死物である。我が儒の道は動だから、面が替わる。人は笑顔もあるし腹も立てるが、木偶の金平はいつも睨んでいるだけである。道が働く処を中庸では「活溌々地」、朱子は「所乗之機」と言い、我々の道は活きている。さて、道体の章次について、並べ方に深い意趣があるなどと丁寧過ぎるほどに見るのは悪い。その様に考えると作意になる。しかし、それはいい加減に並べたものでもない。先ず一条に太極図説を出して道全体を人へ見せ、二条で「誠幾德」を語り、人の人たる処は心だから三条で「中和」を説き、心の体用を「寂感」で示したが、それ等は皆つまりは易から出たもの。そこで、易は乾が大切である。乾坤は易の父母。そこで、五条で「乾天也」と太極を天で語って、この条へ来て、その乾の「元亨利貞」のことを言うのに、「四德之元、猶五常之仁」と言えば、いい加減な並べ様でもない筈である。先ずこの様なことだと合点しなさい。
【語釈】
・木偶…木ぼりの人形。木偶人。
・公平…金平人形。坂田金平を模した武勇姿の人形。
・活溌々地…中庸章句12集註。「故程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。
・所乘之機…太極図説朱解。「蓋太極者、本然之妙也。動靜者、所乘之機也。太極、形而上之道也。陰陽、形而下之器也」。
・元亨利貞…元[おお]いに亨[とお]りて貞[ただ]しきに利[よ]ろし。易経乾卦文言伝。「文言曰、元者善之長也。亨者嘉之會也。利者義之和也。貞者事之幹也。君子體仁足以長人、嘉會足以合禮、利物足以和義、貞固足以幹事。君子行此四德者。故曰、乾元亨利貞」。

素讀するものも、小学て元亨利貞と覺て高砂やと識て居るか、此四德と語るか道体では殊の外の名義なり。元亨利貞は実名。四德は假名のやうなもの。この條、四德と云か主。元亨利貞と云よりは、天地を舞納る道具は此四つと云なり。名は筋なくては出ぬもの。元亨利貞は実名とは山本勘助、四徳は甲斐の柱と云ふもの。手もなく表德号なり。上谷の勝平治が三つもののやき鳥と云。鵯やつくめのるい。萑三羽にあたるの名なり。名は筋なくては出ぬ。この四か主て、彼大な天地を四つてきめる。五摂家御三家の類。三五の数か重い。
【解説】
元亨利貞は実名であり、四徳は仮名である。この条は四徳が主であり、大きな天地をこれで決める。
【通釈】
素読する者も、小学で元亨利貞を覚え、高砂やと知っているが、この四徳と語るのは、道体では殊の外大切な名義のことである。元亨利貞は実名。四徳は仮名の様なもの。この条は、四徳が主である。元亨利貞と言わずに、天地を上手く納める道具はこの四徳だと言っているのである。名は筋がなくては出ないもの。元亨利貞は実名であって、四徳は山本勘助が甲斐の柱という様なもの。それが直に表徳号なのである。上谷の勝平治が三つ揃えの焼き鳥と言った。鵯や鶫の類。雀三羽にあたるところの名である。名は筋がなくては出ない。この四徳が主で、あの大きな天地をこの四つで決める。五摂家御三家の類。三と五の数が重要である。
【語釈】
・小学て元亨利貞…小学題辞。「元亨利貞天道之常、仁義禮智人性之綱」。
・山本勘助…戦国時代の武将・兵法家。三河の人。独眼で隻脚。「甲陽軍鑑」によると、軍略に長じ、武田信玄の参謀をつとめ、川中島の戦に戦死したという。~1561?
・表德号…雅号。別号。あだな。
・上谷の勝平治…
・つくめ…鶫[つぐみ]?
・五摂家…鎌倉時代以来の、摂政・関白に任ぜられる家柄。近衛・九条・二条・一条・鷹司の総称。五門。

元は四德を統る。天の德に春かある。人の德に仁あり。天て春か上坐、人も仁が上坐に居て重い。これか專言偏言の發明、道体の名義なり。因て道体を説くもの、偏專を知らぬと手つつになる。大くも小くも、道体を手玉にとる。偏は一色つつ云。仁が統と云ても、義礼智なくてならす。春かくくると云ても夏や秋が無てはなるまいと云と、成程々々と云ふ。御老中が有ても三奉行なくてはならす。けれとも、元は根になるゆへ夏秋冬を生む。それへまきこまれる。直方先生、蛸魚のあたまをあけると足はそれへ付てあかると云り。仁の中へ義礼智は這入る。某兼て云、御老中招請なり。三奉行も御目附もごされとも、御役人ふるまいとは云す、御老中招請と云。然らば專言のこと。
【解説】
元亨利貞の元は四徳を統べる。それは、天の徳において春が夏秋冬を統べ、人の仁が義礼智を統べるのと同じである。「偏言」とは個々について言うこと。「専言」とは総括して言うことで、仁と言っても義礼智がその中に入っている。
【通釈】
「元」は四徳を統べる。天の徳には春があり、人の徳に仁がある。天では春が上座、人も仁が上座にいて、これが重いこと。これが「専言」と「偏言」の発明であり、道体の名義である。よって道体を説く者が偏専を知らないと上手くいかない。大きくても小さくても、道体を手玉に取る。偏は一色ずつで言う。仁が統べると言っても、義礼智がなくてならない。春が括ると言っても、夏や秋がなくてはならないと言えば、なるほどと言う。御老中がいても三奉行がなくてはならない。しかしながら、「元」は根になるから夏秋冬を生む。元に巻き込まれる。直方先生が、蛸の頭を上げると足はそれに付いて上がると言った。仁の中へ義礼智は這い入る。私が前から言っている、御老中招請と同じ。三奉行も御目附もおられるが、御役人振舞いとは言わずに御老中招請と言う。これが専言のこと。
【語釈】
・手つつ…てずつ。へた。拙劣。不器用。

さて、專言斗り知って、とかく御老中邸へ行は何もすむことと心得て百姓が訟を持て出ると、大に叱られて勘定奉行へ行けと云ぞ。夫々の掛りて、老中方のあつからぬは偏言なり。周礼三百官、冢宰てくくるは專言。ひき蛙を世話する役まてある。墓所の役人、末々のもののあるは偏言。されとも、ととは御老中と云ふに歸する。義も礼もとど、仁へきまる。因て、四德之元猶五常之仁と云。手に入ると專言なりとも偏言なりとも勝手に云て、大ふり小ぶりに見へても仁に二つはない。さすれは道体のこと、一口云てあとを考るやふてはすめぬ。すめばどふても云れる。文王の為人君止於仁は偏言の仁、下も憐む計りのこと。今情けふかい御地頭と云もそれ。文王より今日迠動かぬ。やはり、文王の弟子筋なり。殷有三仁は、色品はない。これを情ふかいと計は云れぬ。專言なり。伯夷は仁を求て仁を得たりと云は專言なり。情深いてはない。そふたい、論語にもそれ、孔門多く全体を云て仁になりたい々々々々と問ふ。仁になると義礼智に事はかけぬ。偏專の名義、如此すむと仁の位付がうかがわるる。顔子の克復も、文王の止於仁と云やふに見ては、とんと伺はれぬ。小松の三位も仁と云へは偏言なり。
【解説】
「四徳之元猶五常之仁」とあるが、結局は、偏言は専言に帰着する。偏言と専言の違いを理解しなければ、仁を知ることもできない。文王の「為人君止於仁」は偏言の仁で、「殷有三仁焉」や伯夷の「求仁而得仁」、顔子の「克己復礼為仁」や孔門の「問仁」は専言である。
【通釈】
さて、専言ばかりを知り、とかく御老中邸へ行けば何もかも済むと心得、百姓が訴訟を持ってそこに出ると大いに叱られ、勘定奉行の所へ行けと言われる。それぞれに係りがあって、老中が関与しないのは偏言である。周礼にある三百官を冢宰で括るのが專言で、ひき蛙の世話をする役までがある。墓所の役人など、末々の者までがあるのが偏言なのである。しかしながら、結局は御老中に帰着する。義も礼もつまりは仁へ極まる。そこで、「四徳之元猶五常之仁」と言う。これを理解することができれば、専言でも偏言でも勝手に言うことができる。大きく見えても小さく見へても仁に二つはないのである。そこで、道体のことを一口に言って、その後を考えている様では理解したことにならない。これが済めばどうにでも言うことができる。文王の「為人君止於仁」は偏言の仁で、下を憐れむだけのこと。今情け深い御地頭と言うのもそれと同じ。文王より今日まで、これは動かない。やはり、文王の弟子筋である。「殷有三仁焉」は、多くあることではなく、これを情け深いことだけだとは言えない。専言である。伯夷を「求仁而得仁」というのは専言である。情け深いことではない。全体、論語も同じで、孔門は多く全体を言って仁になりたいと問う。仁になると義礼智に事は欠かない。偏専の名義がこの様に済むと、仁の位付けを窺い知ることができる。顔子の克復も文王の止於仁と同じだと見ては、全く仁を窺い知ることはできない。小松の三位を仁と言うのは偏言である。
【語釈】
・冢宰…中国の官名。周代、天子を補佐し百官を統率した。天官の長。宰相。
・為人君止於仁…大学章句3。「詩云、穆穆文王、於、緝煕敬止。爲人君止於仁、爲人臣止於敬、爲人子止於孝、爲人父止於慈、與國人交止於信」。
・殷有三仁…論語微子1。「微子去之、箕子爲之奴、比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。
・色品…色々の種類。品目。しなじな。
・伯夷は仁を求て仁を得たり…論語述而14。「伯夷叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨」。
・克復…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下帰仁焉」。
・小松の三位…平重盛。平安末期の武将。清盛の長子。世に小松殿・小松内府または灯籠大臣という。保元平治の乱に功あり、累進して左近衛大将、内大臣を兼ねた。性謹直・温厚で、武勇人に勝れ、忠孝の心が深かったと伝えられる。1138~1179


第七 天所賦爲命の条

天所賦爲命、物所受爲性。
【読み】
天の賦する所を命と爲し、物を受くる所を性と爲す。
【補足】
この条は、周易程氏伝の乾卦彖伝の注にある。

此条、別に出たことてなく、前條にへったりと合ふ。上に天と人をかすがいに言て、ここも命性をとき、天人唯一つにつつくを見せるゆへ、やはり上の掾なり。天地が万物へ太極の道理を賦るは命。万物がそれをうけるは性。仁義礼智。鶏は時、犬は門、砂糖甘く、唐辛子の辛い。そこで、上で命、下ては皆性と云、もと一つもの。東金の造酒屋で計り出すは命。それが一舛も一計もあるは性。其賦も受るも皆太極なり。西銘もここてしめる。天地之帥吾性もそれ。家来が旦那の紋付を着る。其衣服、もと家来にやるとてしたてないが、拜領すれは君の紋処を家来のものにする。それを着たとていなことてない。天人一体、君臣一体なり。
【解説】
この条は前の条に合致した条である。天地が万物に太極の道理を賦与するのが命。万物がそれを受け取るのが性で、性とは仁義礼智のことで、全ては太極から出る。
【通釈】
この条は新たに出したものではなく、前の条にべったりと合ったもの。上では天と人とを結び付けて言ったが、ここも「命性」を説いて、天人が唯一つに続くことを見せているから、やはり上と縁続きである。天地が万物に太極の道理を賦与するのが命。万物がそれを受け取るのが性。それは仁義礼智のこと。鶏は時を告げ、犬は門を守り、砂糖は甘く、唐辛子は辛い。そこで、上では命、下では皆性と言うが、元々は一つである。東金の造酒屋で計って出すのは命。それが一升や一斗とあるのは性。賦も受も皆太極からのこと。西銘もここで決める。「天地之帥吾性」もそれ。家来が旦那の紋付を着る。その衣服は元々家来に遣ろうと思って仕立てたのではないが、拝領すれば君の紋所が家来のものとなる。それを着たとしても、可笑しなことはない。天人一体、君臣一体である。
【語釈】
・天地之帥吾性…為学89。西銘の語。「天地之塞、吾其體、天地之帥、吾其性」。


第八 鬼神者造化之迹也の条

鬼神者、造化之迹也。
【読み】
鬼神は、造化の迹なり。
【補足】
この条は、周易程氏伝の乾卦文言伝の注にある。

此条へ鬼神かひょいと出たやふに見へても、中はつついている。然るに、人かいつも鬼神と膝を立直す、そふしたことにあらず。中庸も父母其順矣乎の下へ鬼神を云を看よ。爰が天所賦為命云々の下へ鬼神か出たゆへ、朱子編集何ぞ余の章の脱落したやふに見ゆれとも、中を合点すると面白こと。上の章も太極の動靜ぞ。賦るは陽動なり。受るは隂靜なり。其隂陽は鬼神のはたらきそ。鬼神は太極にかんをしたのなり。某、圖説からあとは其注と思へと最初に断るかそこなり。太極か隂陽に乘てはたらく。それて两儀立焉まてがはっきりと見へる。それに勢ひの付たが鬼神なり。太極は無声無臭てさび々々したもの。鬼神は某兼て云、太極に力らあるものと云。一はい飲たのなり。乾道変化各正性命と云も四德と云も、皆太極のはたらきなり。鬼神も外のことてはないか、改て鬼神と出すは、彼太極而無極が面を赤くして出たを云。親に不孝、罸が當ふと云。そこて彼太極を筈と云より鬼神かこわい。吉凶も鬼神てこわがる。それか別に奧の院からてなく、太極に勢を付けた計なり。
【解説】
道体の二条以降は初条の註である。太極は無声無臭で寂々としたものだが、これに勢いが付いたのが鬼神である。
【通釈】
この条に鬼神が突然出た様に見えるが、内では続いている。またここの鬼神は、人がいつも鬼神と言うと膝を立て直す様なことではない。中庸も「父母其順矣乎」の次に鬼神を言うのを看なさい。ここは「天所賦為命云々」の下に鬼神が出たので、朱子が編集で何か他の章を脱落した様に見えるが、中身を合点すれば面白い。前条も太極の動静のことであって、賦は陽動、受は陰静、その陰陽は鬼神の働きである。鬼神は太極に燗をした様なこと。私が図説から後はその註だと思えと最初に断わったのがそのこと。太極が陰陽に乗って働く。それで「両儀立焉」まてがはっきりと見える。これに勢いの付いたのが鬼神である。太極は無声無臭で寂々としたもの。鬼神は私が前々から言う様に、太極に力のあるもの。一杯飲んだのである。「乾道変化各正性命」も「四徳」も、皆太極の働きである。鬼神も太極の外ではないが、改めて鬼神と出すのは、あの「無極而太極」が面を赤くして出たことを言う。親に不孝では罰が当たると言う。そこで、あの太極を筈のことと言うより鬼神と言う方が怖い。吉凶も鬼神で怖がる。しかし、鬼神は別に奥の院から出て来るのではなく、太極に勢いを付けただけなのである。
【語釈】
・父母其順矣乎…中庸章句15。「君子之道、辟如行遠、必自邇。辟如登高、必自卑。詩曰、妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟既翕、和樂且耽。宜爾室家、樂爾妻帑。子曰、父母其順矣乎」。中庸章句16。「子曰、鬼神之爲德、其盛矣乎。視之而弗見、聽之而弗聞、體物而不可遺。使天下之人、齊明盛服、以承祭祀。洋洋乎、如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思、矧可射思。夫微之顯、誠之不可揜、如此夫」。
・天所賦為命…道体7の語。
・两儀立焉…道体1。「一動一靜、互爲其根、分陰分陽、兩儀立焉」。
・無声無臭…中庸朱子章句33。「詩云、予懷明德、不大聲以色。子曰、聲色之於以化民、末也。詩云、德輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣」。詩は、詩経大雅文王。
・乾道変化各正性命…易経乾卦彖伝。「乾道變化、各正性命、保合大和、乃利貞」。
・四德…道体6。「四德之元、猶五常之仁」。元亨利貞。

偖、ここを造化と云、ぞっとせぬもので説くが程子の鬼神なり。幽灵の、妖怪のと云は、鬼神の乱心したのなり。出ましきもの。たたい本の鬼神は立派なもの。今日も誰か日を暮した。鬼神なり。すると又夜か明る。それは誰した。鬼神なり。夜となり、昼となり、暑寒となるは大名かかかりてもならぬこと。この暑もやかて涼しくなる。そふすると稲に実が入る。造化の跡はがんざりなり。無極而太極は見へぬが花。鬼神は見へるか花なり。太極を見せると面目坊になる。某が庭、萩や芭蕉か開てあり。あれも鬼神を見にござれと人も招てよし。花の咲が造化の跡。それは鬼神がする。彼の染井の伊兵衛は肥しするきりなり。成程、名義はよいもの。段々一条々々に名義のかわるたひ、そろ々々道体かすむ。太極の咄しははっきりてない。動かぬ実理と云ても畫にも書れぬ。無声無臭の迹は、松は松、竹は竹、探幽も筆をとる。あれみよ。造化之迹とはっきりなり。
【解説】
鬼神は本来立派なもので、幽霊や妖怪などは鬼神が乱心した姿である。日月の運行も鬼神の働きである。無極而太極は見えないものだが、鬼神は造化の迹だから、はっきりと見える。
【通釈】
さて、ここを造化と言い、ぞっとしないもので説くのが程子の鬼神である。幽霊や妖怪などというのは鬼神が乱心した姿である。それは出るべきでないもの。そもそも本当の鬼神は立派なもの。今日も誰かが日を暮らした。それは鬼神である。するとまた夜が明ける。それは誰がした。鬼神である。夜となり、昼となり、暑寒となるのは大名が取り掛かってもできないこと。この暑いのもやがて涼しくなる。そうすると稲に実が入る。造化の跡ははっきりとしている。無極而太極は見えないのが花。鬼神は見えるのが花。太極を見せるのでは面目坊主になる。私の庭には萩や芭蕉が咲いている。そこで、鬼神を見に来なさいと言って人を招いてもよい。花が咲くのが造化の跡。それは鬼神がする。あの染井の伊兵衛は肥やしをするだけ。なるほど、名義はよいもの。段々と一条毎、名義の変わる度に、順々に道体が済む。太極の話ははっきりと言えない。動かぬ実理と言っても画にも書けない。無声無臭の迹は、松は松、竹は竹で、探幽も筆を執る。あれを見なさい。「造化之迹」ははっきりとしている。
【語釈】
・面目坊…本来の面目を唱える坊主?仏。
・染井の伊兵衛…伊藤伊兵衛。江戸で一番の植木屋と言われた。染井に住む。伊兵衛は代々世襲の名前。
・探幽…狩野探幽。江戸初期の画家。鍛冶橋狩野の祖。孝信の子。永徳の孫。名は守信。のち探幽斎と号す。幅広い画技を有し、幕府の御用絵師として、一門の繁栄を拓いた。法印に叙せられる。二条城・名古屋城の障壁画など数多くの作品を残す。1602~1674


第九 剥之爲卦諸陽消剥の条

剥之爲卦、諸陽消剥已盡、獨有上九一爻尚存。如碩大之果不見食、將有復生之理。上九亦變、則純陰矣。然陽無可盡之理、變於上、則生於下、無閒可容息也。聖人發明此理、以見陽與君子之道、不可亡也。或曰、剥盡則爲純坤。豈復有陽乎。曰、以卦配月、則坤當十月、以氣消息言、則陽剥爲坤。陽來爲復。陽未嘗盡也。剥盡於上、則復生於下矣。故十月謂之陽月。恐疑其無陽也。陰亦然。聖人不言耳。
【読み】
剥[はく]の卦爲る、諸陽消剥して已に盡き、獨り上九の一爻のみ尚存する有り。碩大の果食われず、將に復生ずる理有らんとするが如し。上九も亦變ずれば、則ち純陰なり。然れども、陽には盡く可き理無く、上に變ずれば、則ち下に生じ、閒に息を容る可き無し。聖人は此の理を發明し、以て陽と君子の道と亡ぶ可からざるを見[しめ]す。或人曰く、剥盡すれば則ち純坤と爲る。豈復陽有らんや、と。曰く、卦を以て月に配せば、則ち坤は十月に當たり、氣の消息を以て言えば、則ち陽の剥[お]つるを坤と爲す。陽来るを復と爲す。陽未だ嘗て盡きざるなり。上に剥盡すれば、則ち下に復生ず。故に十月は之を陽月と謂う。其の陽無きかと疑うを恐るればなり。陰も亦然り。聖人言わざるのみ、と。
【補足】
この条は、周易程氏伝の剥卦上九の注にある。

剥の卦のここへ出たか見にくいやうなれとも、よく聞へたは、四德から性命、鬼神と来てなせ剥なれは、出来たり無くなったりするが造化。造は出来る。化は無くなる。男子もふけたは造。昨晩隠居死なれたは化なり。其造化か六十四卦へあらはれてなくなる中に又出来る。消息盈虚なり。これかしっかり見へる卦にて、陽か段々きへてたた一つになりた。それに付ての議論なり。ここへ剥の出たが面白ひ。一年に配して九月にあたる。乾から段々行つまりて剥。然るに未た上に一陽あり。陽は馳走すること。乾より斯の如くほつり々々々減るが、某なとても道中するに、巾着の金は一两が二两にならぬが、造化は辱いもの。彼上九の一爻か又ものになる。
【解説】
「剥之爲卦、諸陽消剥已盡、獨有上九一爻尚存」の説明。造化の造は生まれることで、化はなくなること。造化はなくなって行く間に新たな物が生まれる。剥の卦は、陽が段々と消えて残り一つになる卦で、一年に配すると九月に当たる。
【通釈】
剥の卦がここに出たのはわかりにくい様だが、それがよくわかるのは、四徳から性命、鬼神と来て、何故剥なのかと言うと、できたりなくなったりするのが造化だからである。造はできる。化はなくなる。男子を儲けたのは造。昨晩隠居が死なれたのは化。その造化が六十四卦に現れてなくなり、なくなる内にまたできる。「消息盈虚」である。これがしっかりと見える卦が剥で、陽が段々と消えてただ一つになる。この条は、それに関しての議論である。ここに剥が出たのが面白い。一年に配すると、剥は九月に当たる。乾から段々と行き詰まって剥となる。しかし、まだ上に一陽がある。陽は馳走する。乾からこの様に少しずつ減って行く。私なども道中はするが、巾着の金は一両が二両に増えはしない。しかし、造化は忝いもの。あの上九の一爻がまた、物となる。
【語釈】
・剥の卦…易経坤下艮上。山地剥。「剥、不利有攸往」。
・消息…消えることと生まれること。
・上九の一爻…「上九。碩果不食。君子得輿、小人剥廬。象曰、君子得輿、民所載也。小人剥廬、終不可用也」。

碩大之果不見食。小児も鵯もすてて置た木守りに核あるゆへ、それが種になって又ふえて来る。ここは伊川の丁寧に譬を云へり。然陽無可尽之理。天地は力落すまいこと。純隂になり、陽はきれてとふせふと泣ことてない。伊川陽ひいきなり。道理にひいきはあるましきことのやうなれとも、天地にもそれかある。先日も云、道理は結搆、悪に種はない。两方かけもちなれとも夜は悪。昼は善。昼夜とちも無てはなら子とも、夜は称美はせぬ。陽がきれると苦労せふか、ほっても尽ぬと丈夫に云。人の目には陽がなくても天地の方に根はたへぬ。互に根さすかこれなり。消へきりてなく、下に支度してあり。直方先生の、紅葉の散るは下から張りてつき落すと云り。散らぬ内に来年の芽をもたけて居る。爰に息を入ると天地が堕る。江戸て元日より年始の御祝義と云て扇子箱を持参する。そふするとはや二日三日の比には扇子箱の拂ひを買ふと云てくる。これ来年の支度なり。人てさへそふなれは、天は尚油断はない。今日も九つに過れは暮る方へ足を入れて夜の支度。夜の九つも昼の支度して互に半分つつ這入ゆへ、間に髪を容れす。息をつく時は腹がへこむべきに張る。それてみよ。あとの仕込の出来たそ。この筋、語類にあり。
【解説】
「如碩大之果不見食、將有復生之理。上九亦變、則純陰矣。然陽無可盡之理、變於上、則生於下、無閒可容息也」の説明。「碩大之果不見食」は実が放って置かれること。この実でまた増える。「純陰」になって陽が尽きた様に見えるが、その内に、既に陽の支度が行われている。天地には陽の根が絶えることはない。
【通釈】
「碩大之果不見食」。子供も鵯も放って置いた木守りに核があるから、それが種になってまた増えて来る。ここは伊川が丁寧にたとえを言ったのである。「然陽無可尽之理」。陽が少なくなっても、天地は力を落さない。「純陰」になって陽が切れてしまっても、どうしたらよいかと泣く様なことはない。伊川は陽贔屓である。道理に贔屓はあるべきではない様だが、天地にもそれがある。先日も言ったが、道理は結構なもので、悪に種はない。善悪の両方を掛け持ちするが、夜は悪で昼は善。昼夜どちらもなくてはならないが、夜は賞美しない。陽が切れると苦労をするが、放って置いても陽は尽きないと強く言う。人の目には陽が映らなくても、天地の方に陽の根は絶えない。互に根差すと言うのがこのこと。消えたままではなく、下で支度をしてある。直方先生が、紅葉が散るのは下から張って突き落とすからだと言った。散らない内に来年の芽がもたげている。ここに息をかけると天地が堕ちる。江戸で元日に年始の御祝儀だと言って扇子箱を持参する。そうすると、早くも二日三日過ぎる頃には扇子箱の払いを貰おうと言って来る。これが来年の支度となる。人でさえこうだから、天は更に油断はない。今日も九つを過ぎれば暮れる方へ足を入れて夜の支度。夜の九つも昼の支度をして互いに半分ずつ這い入るから、間髪を容れない。息をつく時は腹がへこむ筈だが、腹は張る。それで見なさい。後の仕込みができたのである。この筋の話が語類にある。
【語釈】
・木守り…来年もよく実るようにというまじないで木に取り残しておく果実。きまもり。きまぶり。木まぶい。
・互に根さす…道体1。「互爲其根」。

垩人發明此理云々。又御贔屓なり。垩人の御發明、面白こと。陽と君子の道は太極の道理ゆへ亡ひぬ。いくらも善ひこと産み出す。先刻の御觸書に主弑のことあれとも、あれは彼万事出のこと。忠孝の道は断へぬ。秉彛好懿德なり。直方先生、よいことか迹から生ると云。
【解説】
「聖人發明此理、以見陽與君子之道、不可亡也」の説明。陽と君子の道は太極の道理だから亡びない。これを聖人は発明して示した。
【通釈】
「聖人發明此理云々」。また、御贔屓である。聖人の御発明とは面白い。陽と君子の道は太極の道理だから亡びない。いくらでも善いことを産み出す。先刻の御触書に主弑のことがあったが、あれは「万事出」のこと。忠孝の道は絶えない。「秉夷好懿德」である。直方先生が、よいことが後から生まれると言った。
【語釈】
・万事出…道体1。「五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・秉彛好懿德…孟子告子上6。「詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。故有物必有則。民之秉夷也、故好是懿德」。詩は詩経大雅烝民。

或曰剥盡爲純隂。或人は筭用つめで云。筭用つめは下卑たもの。數や理屈てつめる。本んのは中へ這入て胸てすます。或の見た意は、十月は純隂て陽のことはないにそれても有るか、垩人かとう云れても陽はないと云。これは丁と、土藏の米は知すに飯鉢に飯のないを見て無と云やふなもの。卦て見たきりは役にたたぬ。画て見るは表向。中は一氣でつつく。
【解説】
「或曰、剥盡則爲純坤。豈復有陽乎」の説明。十月の純坤に陽はない筈だとする意見もあるが、それは計算上のことで、一気で続いているのである。卦を見ただけでは役に立たない。心で見るのである。
【通釈】
「或曰剥盡爲純坤」。或る人のこの言は算用詰めで言ったこと。算用詰めは卑しいもの。数や理屈で詰める。本当のことは中へ這い入って胸で済ます。或る人の意は、十月は純陰で陽はないのにそれでもあると言うのか、聖人がどの様に言われても陽はないということ。これは丁度、土蔵の米は知らずに飯鉢に飯のないを見て、米がないと言う様なもの。卦で見ただけでは役に立たない。画で見るのは表向き。中は一気で続く。
【語釈】
・十月は純隂…9月が「剥」、10月が「坤」、11月が「復」である。

以消息言則陽剥為坤云々。この陽剥為坤陽来為復の八字、息をつめ、一と息に續てよむことなり。なせなれは、天地が踊ををとるやふなもの。いつもじっとしては居らず。為坤と聞て、よしと云て枕をよせることてない。内症は陽来るなり。立塲の茶屋のやふなもの。楊枝つかふている者あれば、又来て喰ているもあり。剥かすむと坤になる。はやそこに復の仕入して居る。十月晦日、十一月朔日ときっはりとしたらは、そのやふに支度はならぬ筈。前から足は入てある。長﨑や大坂のと遠國役に五十日の休足かあれとも、あの五十日かもふ長﨑へ立たやふなもの。中をあけると陽未盡なり。
【解説】
「曰、以卦配月、則坤當十月、以氣消息言、則陽剥爲坤。陽來爲復。陽未嘗盡也。剥盡於上、則復生於下矣」の説明。天地は絶えず動いている。剥の次は坤で、その坤の内には復の支度ができている。前々から次への仕入れがされているのである。
【通釈】
「以氣消息言則陽剥為坤云々」。この「陽剥為坤陽来為復」の八字は、息をつめて一息に続けて読むこと。それは何故かと言うと、天地が踊りを踊る様なものだからである。いつもじっとしてはいない。「為坤」と聞いて、よしと言って枕を寄せて寝てはならない。内側では陽が来ている。それは、立場の茶屋の様なもの。楊枝を使っている者もあれば、また、来て喰っている者もある。「剥」が終わると「坤」になる。そこには早くも「復」の仕入れがしてある。十月晦日と十一月朔日をきっぱりと別なものとして分けるのなら、その様に次の支度をすることはできない筈。前々から足を入れているのである。長崎や大坂へと行く遠国役には五十日の休足があるが、あの五十日が、最早長崎へ立った様なもの。中を開けると「陽未嘗盡也」である。
【語釈】
・内症…内々の都合。内々の様子。
・立塲…江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。明治以後は人力車や馬車などの発着所、または休憩所。
・復…剥卦の次が復卦である。

偖、此条の訳、これてすんたこと。然るにここに又説あり。伊川のは、大やふに云はれたこと。朱説も有が、薛文靖の、初九と云ものが、実は坤の初六中にめくんてあるとぞ。坤て初六と云ふは表門。勝手へ入り掾の下へ行て見る。初六か、はや復の初九なり。堺町の幕引か、はやあとの幕の支度する。前の幕は柳に燈篭と思へは、後の方は頼朝公を支度してあり。さすれは奉公人の出代りと違て、天地の奉公人は出ぬ内から出代かすむ。
【解説】
異説として、薛文靖が、復の初九が坤の初六の中に恵まれてあると言った。
【通釈】
さて、この条の説明はこれで済んだ筈だが、また、ここに異説がある。伊川はここを大まかに言われ、朱子の説もあるが、薛文靖が、復の初九が実は坤の初六の中に恵まれてあると言った。坤で初六というのは表門。勝手へ入り縁の下へ行って見ると、この初六が、直に復の初九である。堺町の幕引が、早くも次の幕の支度をする。前の幕は柳に燈篭と思えば、後の方は頼朝公を支度してある。それで、奉公人の出代りとは違い、天地の奉公人は出る前から出代りが済んでいるのである。
【語釈】
・薛文靖…薛徳温、薛敬軒。
・堺町…東京都中央区蠣殻町の北にあった町。江戸時代に歌舞伎・浄瑠璃・操芝居などがあり繁昌した。
・出代り…先の人が出て、後の人がこれに代ること。

故十月謂之陽月。爾雅の文字。日本で神無月と云は、ありなりに神はない、出雲へござったと正直に云たこと。爾雅は知た云ふんなり。人の疑をといて無い処を有と云。面になくても心にある。互為其根なり。爾雅を周公の作と人々の云も尤なこと。十月を陽月と云から、もふ只人の云たことてはない。古書にはよいことあり。素問を黄帝の書と云も、何様、折節は黄帝ほとのこともあるゆへなり。
【解説】
「故十月謂之陽月。恐疑其無陽也」の説明。十月を日本では神無月と言うのはありのままを言ったこと。爾雅でそれを陽月と言うのは、人の疑いを解くために言ったものである。
【通釈】
「故十月謂之陽月」。爾雅の文字。日本で神無月と言うのは、ありのままに、神はいない、出雲へ行かれたと正直に言ったこと。爾雅のこの語は熟知した言い分である。人の疑いを解くために、ない処をあると言った。表面にはなくても心にある。「互為其根」である。爾雅を周公の作と人々が言うのも尤もなこと。十月を陽月と言ったことからも、最早普通の人の言ではない。古書にはよいことがある。素問を黄帝の書と言うのも、いかにもその折節に黄帝ほどのことが書いてあるからである。
【語釈】
・爾雅…中国古代の字書。三巻。撰者不明。漢代初期以前の成立。漢字を意味により19部門に分け、類義語や訓詁を集めたもの。十三経の一。
・互為其根…道体1。「一動一靜、互爲其根」。
・素問…黄帝内経の一。黄帝内経は中国最古の医学書。古く黄帝外経と内経の二書があったとされるが、その原本は伝わらず、現存する「黄帝内経」としては唐代に楊上善が注を加えた「黄帝内経太素」30巻(うち25巻の平安末期写本が京都仁和寺に国宝として所蔵)がおそらく原形に近く、また隋の頃「素問」と「霊枢」に二分されたテキストが宋の学者の校訂を経て「新校正素問」として流布、さらに別に「黄帝内経明堂」13巻(楊上善注)がある。素問は人体の生理・病理を説き、霊枢は鍼灸など治療を説く。太素は両者の内容を含む。黄帝と岐伯ら六名医との問答形式で構成。中国医学第一の古典としてわが国でも重視された。
・黄帝…中国古代伝説上の帝王。名は軒轅。三皇五帝の一。蚩尤を倒して天下を統一、度量衡を律し、音楽を一定、宮室・器用・衣服・幣制を確立したといわれる。

隂亦然云々。伊川陽を片ひいきに云て、ここは笑出して隂の方にもあると云ふ。隂に馳走せぬが垩人の抑揚なり。御平産、殊に御男子と云へとも、女子には殊の字つかぬ。然れは、ただい隂も根はたへぬ。隂かわるいてないか、善悪分の悪の持前なり。昼夜も同格と云はれぬは、鴬は昼、梟は夜。とふても善悪の分なり。田舎ても、女房か御鷹匠の迎には出られぬ。勝手に引込でいる。女房沙汰せぬが垩人の微意ぞ。
【解説】
「陰亦然。聖人不言耳」の説明。陽と同じく、陰もまた根が絶えない。しかし、聖人の言は陽を主とし、悪の持ち前である陰を扱わないものなので、敢えて陰を言わないのである。
【通釈】
「陰亦然云々」。伊川は陽を片贔屓して今までを言ったが、ここは笑い出して、陰の方もあるだろうと言った。陰を大切に扱わないのが聖人の話し方である。御平産、殊に御男子でお目出度いとは言うが、女子には殊の字は使わない。そこで、そもそも陰も根は絶えないのである。陰が悪いわけではないが、陰は、「善悪分」の悪の持ち前である。昼夜も同格だとは言えない。鴬は昼で梟は夜。どうしても善悪が分かれる。田舎でも、女房は御鷹匠の迎えには出られない。勝手に引っ込んでいる。女房のことを話さないのが聖人の微意である。
【語釈】
・平産…やすらかに子を産むこと。安産。


第十 陽復於下の条

一陽復於下、乃天地生物之心也。先儒皆以靜爲見天地之心。蓋不知動之端乃天地之心也。非知道者、孰能識之。
【読み】
一陽下に復るは、乃ち天地物を生ずる心なり。先儒は皆靜を以て天地の心を見すと爲す。蓋し動の端は乃ち天地の心なるを知らざればなり。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。
【補足】
この条は、周易程氏伝の復卦彖伝の注にある。

ここは一陽と出そふなことなり。剥は額へ皺、面白ない殺風景な卦なれとも、あれから来て来復なり。そこて御目出度と云。坤の純陰の下へ一陽。さて々々、重疂なこと。天地生物之心。道体いかして合点されたこと。無極而太極しゃと傳授うけるとさひ々々となりそうなものなれとも、そこを程子うんとあたたかて理會せり。太極はつめたいものなれとも、太極動て一陽生れたは温なにこはこなもの。形ないゆへ天地に心はないやふなれとも、見る人は見る。それを生物之心と云て、外に名は付られぬ。即四德の元で、あれがあたたまり、春の德なり。物を出来すも、粛殺のをそろしきも、収斂のしんかんとしたも同く天地の心なれとも、天地の心は生物と云に極る。物を生する行つまりか粛殺にて、何処迠も生物の心と云。十一月と云ものは、老人は温婆紙子を着ている程の時節なれとも、来復かえへんと咳拂して天地の一番鷄なり。生物の心が天地のあたまをもたげた処。木の葉か凋んても、中は活ている。女の孕たを御目出度沙汰があると云もそれなり。垩人か生れやうも知れぬそ。目出度沙汰そ。ここが本になり、始めるなり。それか十一月からこもる。生物之心か程子一代の發明なり。孔子の復其見天地之心と仰られた。ここから程子のやふなものも出やふと思召されたろふなり。偖、孔子はここか吝くてただ、復見其天地之心と斗りにて、天地の心か知るそやとの玉ふ。そこを程子は其心とは生物の心と云へり。
【解説】
「一陽復於下、乃天地生物之心也」の説明。剥は殺風景な卦だが、それから来復となるので目出度い。この条は、道体を動で理解したものである。道体を「無極而太極」と言えば寂々とするが、太極が動いて一陽が生じるのは温かなことである。天地の心は物を生じる温かなことから始まる。孔子が「復其見天地之心」と仰せられたが、程子は「天地生物之心」と付け加えた。
【通釈】
ここは一陽と出そうなところである。剥の卦は額へ皺で面白くない殺風景な卦だが、あれから来復となる。そこで御目出度いと言う。坤の純陰の下に一陽がある。それは実に重畳なこと。「天地生物之心」。これは道体を活きたものとして合点されたこと。道体は「無極而太極」だと伝授されると、寂々となりそうなものだが、そこを程子がしっかりと温かなことで理解した。太極は冷たいものだが、太極動いて一陽が生まれると、それは温かでにこにこしたもの。形がないから天地には心がない様に思えるが、見る人は見る。それを「生物之心」と言い、それ以外に名は付けられない。即ち四徳の元で、あれが温まり、春の徳となる。物を造るのも、恐ろしい粛殺も、収斂して深閑とするのも同じく天地の心だが、天地の心は物を生じると言うことに尽きる。物を生じる終局が粛殺だが、どこまでも生物之心と言う。十一月は、老人が湯たんぽや紙子を着ているほどの時節だが、来復がえへんと咳払いをする。天地の一番鶏である。これが、生物の心が天地の頭をもたげた処である。木の葉が凋んでも中は活きている。女が孕んだのを御目出度い沙汰があると言うのもそれ。聖人が生まれるかも知れない。それは目出度い沙汰である。ここが本になって始めるのである。一陽が十一月の内から中にいる。生物之心は程子一代の発明である。孔子が、「復其見天地之心」と仰せられた。復から程子の様な者も出るだろうと思し召されたのだろう。さて、孔子はここを短くただ、「復其見天地之心」とだけ言って、天地の心が知れると仰った。そこを程子は、其心とは「生物之心」だと言われた。
【語釈】
・純陰…道体9。「上九亦變、則純陰矣」。
・太極動て一陽生れ…道体1。「太極動而生陽」。
・にこはこ…「にこにこ」に同じ。
・四德の元…道体6。「四德之元、猶五常之仁」。
・粛殺…きびしい秋気が草木をそこない枯らすこと。
・収斂…①収縮すること。収縮させること。②穀物などをとりおさめること。収穫。
・温婆…湯たんぽ。
・紙子…紙製の衣服。厚紙に柿渋を引き、乾かしたものを揉みやわらげ、露にさらして渋の臭みを去ってつくった保温用の衣服。もとは律宗の僧が用いたが、後には一般にも用い、元禄(1688~1704)のころには遊里などでも流行した。
・復其見天地之心…易経復卦。「復、亨。出入无疾、朋來无咎。反復其道、七日來復。利有攸往。彖曰、復亨、剛反也。動而以順行。是以出入无疾、朋來无咎。反復其道、七日來復、天行也。利有攸往、剛長也。復其見天地之心乎」。

先儒皆以靜云々。王弼は老荘のかぶれなり。漢京房や晉郭璞より卜屋筭のやうになり、四日市めいた。易か卑いことになれり。それを王弼が高いことを云て道体の方へ持ては来れとも、手前の腹からは出ぬ故、老荘を假て云。惣体、俗儒は垩学から高いことは云れぬ。高いことは老荘の処へかりに行。丁ど、徂徠が社中で平生は中原復逐鹿なとて居るか、何その時に郭象を借りて、すましたことを云て高ぶる。貧乏人の余処行するに、借り着て出る。漢唐の儒者も隣の羽織なり。偖、老荘も道体を見て孔子を誹るほとのこと、只てはない。靜を天地之心と云も聞へた。凡人は騒いゆへ、道にはつれる。いかさま、天地の根は靜で有ふと思ふ。成程、十一月は花と云へは水仙はかりてあとは淋しいを見て靜じゃから、そこを天地の心と見たは十一月を外面て見て、十一月の蓋をあけぬ。巨燵や紙子で外は靜なれとも、中は動く。儒の見は動く処が大切。陽の持前なり。上の段に陽與君子之道は亡ぬと云。ここの一陽復於下と云かそこなり。冬は天地之氣か休息して居るやふに見へても、一動一靜の根があるゆへ、ここに居ると云て十一月に面を出す。
【解説】
「先儒皆以靜爲見天地之心」の説明。漢の京房や晋の郭璞から易が卑しくなったので、王弼が易を道体に近付けたが、それは老荘被れのものである。俗儒が高いことを言う時は、老荘から借りて言っているのである。老荘や俗儒が静を天地の心と考えるのは、天地の外面を見ただけのこと。儒者には動が大切である。「一動一静互爲其根」で、冬であっても陽がある。
【通釈】
「先儒皆以静云々」。王弼は老荘の被れである。漢の京房や晋の郭璞から占屋算の様になり、四日市めいて易が卑しくなった。そこで、王弼が高いことを言って道体の方へ持っては来たが、自分の腹から出ないから、老荘を借りて言った。そもそも、俗儒は聖学で高いことを言うことはできない。高いことは老荘の処へ借りに行く。丁度、徂徠が社中でいつもは「中原還逐鹿」などと言っているが、何かの時に郭象を借りて、すまして高ぶる。貧乏人が余所行きをする際は、借り着で出る。漢唐の儒者も隣の羽織を借りている。さて、老荘も道体を見て孔子を誹るほどだがら、只者ではない。静を「天地之心」と言うのはよくわかる。凡人は騒がしいから道に外れる。そこで、いかにも天地の根は静だろうと思う。なるほど、十一月は花と言えば水仙ばかりであとは淋しいのを見て静だから、そこを天地の心と見るが、それは十一月の外面だけを見て、十一月の蓋を開けて中を見ないのである。炬燵や紙子で外は静かだが、中は動く。儒の見は動く処が大切。動は陽の持ち前である。前条で「陽與君子之道不可亡」と言う。ここの「一陽復於下」と言うのがそれである。冬は天地の気が休息している様に見えても、一動一静の根があるから、ここにいると言って十一月に面を出す。
【語釈】
・王弼…三国の魏の儒者。字は輔嗣。老荘の学にも通じ、文辞に堪能。漢儒の易註を排撃、「周易注」を撰し、また「老子注」を著す。226~249
・京房…
・郭璞…晋の人。陰陽五行・卜筮の術に優れ、占うとよくあたった。
・卜屋筭…占い算。占い。また、占いをする人。
・四日市…
・中原復逐鹿…魏徴の述懐詩。「中原還逐鹿」。
・郭象…字は子玄。河南郡の人。清談と老荘の学を好み、「荘子注」を著した。252?~312
・陽與君子之道は亡ぬ…道体9。「以見陽與君子之道、不可亡也」。
・一動一靜の根がある…道体1。「一動一靜、互爲其根」。

今日、人に仁か見へぬか、ばったりと云と、それ井戸へ落たと動く。四德の元もここてすむ。仁が動之端で知れる。ここは機嫌よくして讀べきこと。天地生物完尓[にこ]々々のことなり。動の端が計挍覩當なく出る。顔子の死を聞や否、垩人か慟す。有慟やと云て、ここて正氣になる。動の端も仁もよく知るる。孟子喜んて不寢か動の端て、こちては知ぬこと。俗情には落付姿の、呑込姿のと云ことあり。垩人にはない。直方の、仁説を動や感や通の字て書けり。動の端を合点なされたこと。あそこが千两道具なり。やかましい山﨑先生なれとも、朱批に去虎皮とあり。これ、あやまった、負たと云意なり。それもやはり動くの端なり。動の字か則儒者の大切の本尊を知へし。爰てあぢにすまぬと虚無寂滅になる。達磨の尻のくさる迠、白眼付て動を見ぬ。こちは天地の動て見る。
【解説】
「蓋不知動之端乃天地之心也」の説明。「動之端」は不意に出る。これが四徳の元である。聖人は動く。儒者は天地を動で捉える。
【通釈】
今日、人には仁が見えないが、ばたりと音がすれば、それ、井戸に落ちたと動く。四徳の元もここで済む。仁を「動之端」で知ることができる。ここは機嫌をよくして読みなさい。「天地生物」がにこにこしていること。動の端は計較観当なく出る。顔子の死を聞くと直ぐに聖人が慟哭する。「有慟乎」と言って、ここで正気になる。これで動の端も仁もよくわかる。孟子の「喜而不寝」が動の端だが、それは自分にはどうしようもないこと。俗情には落ち付き姿や呑み込み姿ということがあるが、聖人にそれはない。直方が仁説を動や感や通の字を用いて書いた。動の端を合点なされたからである。動が千両道具である。喧しい山崎先生だが、朱批に去虎皮と書いた。これは、謝った、負けたという意である。それもやはり動の端である。動の字が儒者の大切な本尊であると知りなさい。ここを上手く理解できないと虚無寂滅になる。達磨は尻が腐るまで、白眼になって動を見なかった。こちらは天地を動で見る。
【語釈】
・計挍覩當…「計挍」は「計較」で、はかりくらべること。比較。「覩當」は「観当」。
・垩人か慟す…論語先進10。「顏淵死。子哭之慟。從者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟而誰爲」。
・孟子喜んて不寢…孟子告子下13。「魯欲使樂正子爲政。孟子曰、吾聞之、喜而不寐。公孫丑曰、樂正子強乎。曰、否。有知慮乎。曰、否。多聞識乎。曰、否。然則奚爲喜而不寐。曰、其爲人也好喜。好善足乎。曰、好善優於天下。而況魯國乎。夫苟好善、則四海之内、皆將輕千里而來、告之以善。夫苟不好善、則人將曰、訑訑、予既已知之矣。訑訑之聲音顏色、距人於千里之外。士止於千里之外、則讒諂面諛之人至矣。與讒諂面諛之人居、國欲治可得乎」。
・去虎皮…聖賢25小註。「尹彦明云、横渠昔在京師、坐虎皮説周易。聽從甚衆。一夕二程先生至論易。次日横渠撤去虎皮曰、吾平日爲諸公説者皆亂道。有二程近到。深明易道、吾所弗及。汝輩可師之」。「虎皮」は、儒者の講席。講席を去る。

非知道者孰能識也。相手とらぬつれない口上なり。斯程子の云れた迚腹を立ことてもなく、御盃頂戴と出ることもならす。又、来月三日迠にすませと手つつを云なれは、不傳之學は継れぬ。知れぬか尤。知れてはならぬと云ほとのことなり。をらは他人にしたなと云方かよい合点ぞ。只の人か甘い辛は知れぬ。程子天地はこれじゃと見たもの。知り面をそちへ行け、知れぬと云ても尤と云。ここをなめると七本鎗なり。誰もなめても見ぬか、どふかほとけてこの句か世話にならは、学問の上り目と知れ。因て、知れぬとて投出す計ても本意にあらす。毛氈て花か見られるとよいか、無理に見やふと云と、程子の家の棒つきが追出す。今呑込姿ゆへ、上らぬ。どふしたらのそかれやふとすれは、道体の枝折かつく。
【解説】
「非知道者、孰能識之」の説明。道を知らないということは尤もなことだが、わかったふりをするのが悪い。道を知ろうとすることが、道体への道標となる。
【通釈】
「非知道者孰能識之」。これは、相手にしない、つれない口上である。この様に程子が言われたからといって腹を立てることでもないが、御盃頂戴と出ることもできない。また、来月の三日までにこれを済ませと粗いことを言うのなら、不伝の学を継ぐことはできない。知らないのは尤もなことで、知れてはならないというほどのこと。俺を仲間外れにしたと言うのがよい理解でなる。普通の人にはここの吟味はわからない。程子は、天地はこれだと見た。知った顔をしている者は向こうへ行け、知らないと言うのが尤もなことだと言う。ここを吟味すれば七本鎗である。誰もこれを吟味してみないが、何とか理解してこの句の世話になる様になれば、それが学問の上り目だと知りなさい。そこで、知らないからといって、投げ出すばかりがここの本意ではない。花見の様に毛氈を敷いて花を見ることができるとよいが、無理に見ようとすると程子の家の棒突が追い出す。今の学者はわかった様な顔をしているから上達しない。どうしたらそれを覗くことができるのだろうと考えることによって、道体の道標ができる。
【語釈】
・棒つき…棒突。社寺の境内などを六尺棒を突きながら警固する男。また、辻番所の番人。
・枝折…山道などで、木の枝を折りかけて帰りの道しるべとすること。


第十一 仁者天下之公の条

仁者、天下之公、善之本也。
【読み】
仁は、天下の公、善の本なり。
【補足】
この条は、周易程氏伝の復卦六二象伝の注にある。六二象伝は、「象曰、休復之吉、以下仁也」である。

上の段で生物之心と云、そこから物所受為性の仁を語る。圖説五性感動のと云か人のことなり。道体は、天の語り納は人へ来る。その人を語るは仁とより外は語られぬ。人は一箇の小天地なり。天地か元て大きな声。人は小いからたても、仁てえへんと云て、先達て拜領のと御紋付を出す。偖、上の一陽復於下も此条も、やはり復の卦の傳なり。顔子へ克己の字も亡た仁を取かへすこと。仁に復る々々と云か天人一枚活看なり。それてここへ仁のことの出たも面白あやと見へし。
【解説】
この条も復卦からのもので、六二の象伝の引用である。道体は天地で語りだして、最後は人で締め括る。そして、人を語る際は仁で語る。
【通釈】
前条で「生物之心」と言い、そこから「物所受為性」の仁を語る。太極図説で「五性感動」と言うのが人に関してのこと。道体では、天の語り納めは人へと来る。人を語る際には、仁以外には語ることはできない。人は一箇の小天地。天地が元で大きな声を出す。人は小さい体でも、仁でえへんと言って、先達て天から拝領した御紋付を出す。さて、前条の「一陽復於下」もこの条も、やはり復の卦の伝である。顔子に話した克己の字も、亡びた仁を取り返す意である。仁に復るというのが天人一つの活看である。それで、ここに仁が出たのも面白い綾のあることだと見なさい。
【語釈】
・生物之心…道体10。「一陽復於下、乃天地生物之心也」。
・物所受為性…道体7。「天所賦爲命、物所受爲性」。
・五性感動…道体1。「五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・人は一箇の小天地…
・克己…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下帰仁焉」。

この條、天下之公善之本と云は、迂斎、仁の規摸を知ると云へり。仁の甘い味を語る処てない。御城て女房の咄は似合ぬ。仁のくるわを語ること。親切を説ぬがこの章の主なり。直方先生、大職官の木偶の玉をとり返す底を見、学者もあの身ぶりと悟らるる。朱子、克己の詩に宝鑑と云字もあり、人欲に玉を取れたを取返すか一陽来復なり。百姓も賣た田地を取返すへし。探幽の画や具足はすててもよい。人も仁を取かへすがよし。
【解説】
この条は仁の親切を説いたものではなく、仁の規模を説いたものである。人欲によって取られた仁を取り返すのである。
【通釈】
この条で「天下之公善之本」と言うのは、仁の規模を知ることだと迂斎が言った。仁の甘い味を語る処ではない。お城で女房の話をするのは似合わない。仁の規模を語るのである。親切に説かないのがこの章の主意である。直方先生が、大職冠で木偶が玉を取り返すところを見て、学者もあの身ぶりでなければならないと悟られた。朱子の克己の詩に宝鑑という字もあり、人欲に取れた玉を取り返すのが一陽来復なのである。百姓も売った田地を取り返さなければならない。探幽の画や具足は捨ててもよい。人は仁を取り返さなければならない。
【語釈】
・大職官…大職冠。浄瑠璃の一。近松門左衛門作の時代物。1711年(正徳一)初演。能の「海士」や幸若舞の「大織冠」などをもとに、蘇我入鹿と藤原鎌足のことを脚色。古浄瑠璃にもある。

深切を云はす、身上を持直すへきこと。仁のあんはいは子ともの頬を撫る様なこと。そこを愛謂仁と云こと。周子の先日の語で近付なり。ここは病人の脉のなをりたを云。脉か直れはこちのものそ。寛喜も粟生野の医者も、それを喜ふ心てあろ。善の本なり。仁の邪魔は私ゆへ、天下之公と云。幾善悪の悪も、善悪分れの悪も、皆私からのこと。垩人を無欲故靜と云も、邪魔ものか入らぬ。あくたをはらふと川は流れる。私ないと公になる。贔屓は公てない。天下の公は、水の流る様なり。
【解説】
仁は「愛謂仁」と言う様に親切なものだが、ここでは、病人の脈を治す様なことを言う。仁の邪魔をするのは私であり、その私がなければ公となる。
【通釈】
親切なことは言わずに、身上を持ち直すことを言う。仁の塩梅は子供の頬を撫でる様なこと。そこを「愛謂仁」と言い、周子の先日の話で近付きになっている。ここは病人の脈が治ったことを言う。脈が治ればこちらのもの。寛喜も粟生野の医者も、それを喜ぶ心である。それが「善之本」である。仁の邪魔は私だから、「仁者天下之公」と言う。「幾善悪」の悪も、「善悪分」の悪も、皆私からのこと。聖人を「無欲故静」と言うのも、邪魔者が入らないからである。芥を掃うと川は流れる。私がないと公になる。贔屓は公ではない。天下之公は、水の流れる様なこと。
【語釈】
・愛謂仁…道体2。「誠無爲。幾善惡。德、愛曰仁」。
・寛喜…
・粟生野の医者…粟生野は茂原にある地名。
・善悪分れ…道体1。「五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・無欲故靜…道体1の語。


第十二 有感必有應の条

有感必有應。凡有動皆爲感。感則必有應。所應復爲感、所感復有應。所以不已也。感通之理、知道者默而觀之、可也。
【読み】
感有れば必ず應有り。凡そ動くこと有れば、皆感を爲す。感ずれば則ち必ず應ずること有り。應ずる所復感を爲し、感ずる所復應ずる有り。已まざる所以なり。感通の理は、道を知る者默して之を觀ば、可なり。
【補足】
この条は、咸卦九四の爻辞の注と咸卦彖伝の注とを合わせたもの。

上に仁と出ると、ここに感と出す。知た人は違たこと。仁は動て理會すへし。活たもの、うけ答へあり。仁の形、感応なり。向の田へ落る、感。こちへ響く、応。ものもふは感。どれは應。活物はそれ。仁王は應はない。親はこいよ。石碑は黙っている。天地生物の心を吾儒の本尊にして、寂無の苔むしたことは取らぬ。天地が夏きりてなく、はや涼風。秋きりてなく、やかて霜や氷かはる。藥鑵はそこへ置たきり。芋虫はほふり出すと又動く。木偶は掾側にすてられたまま。人は右の足ふみ出す、又左の足が出る。
【解説】
「有感必有應」の説明。仁は動で理解するが、具体的には感応に由る。天地は物を生ずる心だから活物であり、死物と違って感応がある。
【通釈】
前条に仁と出せば、ここに感を出す。わかっている人は普通の人とは違う。仁は動で理会しなさい。活きたものには受け答えがある。仁の形が「感応」である。向こうで田に落ちると感。こちらに響くと応。もの申すと言うのは感。どれと受けるのは応。活物はこうなる。仁王に応はない。親は来いと言う。石碑は黙っている。我が儒は天地生物の心を本尊として、寂無の苔生した老仏の心は取らない。天地は夏だけでなく、早くも涼風が吹く。秋だけでもなく、やがて霜や氷が張る。薬缶はそこに置たまま。芋虫は放り出すとまた動く。木偶は縁側に棄てられたまま。人は右の足を踏み出せば、また、左の足が出る。

凡有動皆為感云々。太極動ては天地の感。人の心へ受たか感則有応なり。先日、某圖説以下天下太極の注と云たか、無理てはあるまい。太極動而からかいつも動きつめ。活溌々地、言其上下察なり。天地感應々々て、靜きりてない。この講席の衆も、先刻來たときよりはもふ年かよる。両国の流少もやまぬ。すら々々と向へ行く。迂斎の、柱も年かよると云か面白こと。動靜感應々々て滞りはない。今日の人、暑い寒や銭をほしかりて居るか、此様な咄を聞は辱いこと。爰を見ることならぬゆへ、老荘や佛に輕く見られ、あなとられる。あちは似たものを出してさわげとも、其人か人欲の血腥いものへ、ひた々々はせぬ。惜ことには動を見ぬ故、天地の間に無なるものを氣の毒に思ひ、不生不滅の、渾沌未分のと云。腹の小いて、二汁五菜をえり食にする。感応や動靜と云ものの上にあるを、此方ては其上に道あると滾説することなり。扨、この句迠の文義は疑なくすむよし。
【解説】
「凡有動皆爲感。感則必有應」の説明。「太極動而」は天地の感で、それを人が心に受けて「感則有応」となる。天地は川の流れの様にいつも止まない。老仏は無を大事にして、不生不滅だの、渾沌未分だのと言うが、感応や動静というものが上にあることを知らない。聖学は、感応や動静の上に道があると説く。
【通釈】
「凡有動皆為感云々」。「太極動而」は天地の感で、それを人が心に受けたのが「感則有応」である。先日、私が太極図説以下は天下太極の注だと言ったが、それは無理な言ではないだろう。太極動而からがいつも動き詰め。「活溌々地」で「言其上下察」である。天地は感応して、静だけではない。この講席の衆も、先刻来た時よりは、もう年が寄っている。両国の流れは少しも止まない。すらすらと向こうへ行く。迂斎が柱も年が寄ると言ったが、これが面白い。動静が感応して滞りはない。今日の人は寒暑を気にしたり、銭を欲しがってばかりだが、この様な話を聞くのは忝いこと。ここを見ることができないから、老荘や仏に軽く見られて侮られる。あちらは似たものを出して騒ぐが、彼等は人欲の血腥いものに浸ることがない。しかし、惜しいことに動を見ないから、気の毒にも天地の間にある無というものを思って、不生不滅だの、渾沌未分だのと言う。腹が小さいから二汁五菜を選って食う。感応や動静というものが上にあることを知らない。こちらではその上に道があると滾説するのである。さて、この句までの文義は疑いなく理解することができるだろう。
【語釈】
・太極動て…道体1。「太極動而生陽、動極而静」。
・活溌々地…中庸章句12集註。「故程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。
・言其上下察…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は大雅旱麓。

所應復為感所感復有應か、すみにくい。春と感、夏と応す。然れとも、礼書の昭穆のあやのやふてはない。あれはとこまても昭は昭、穆はとこまても穆。天地がそれては死物そ。春を感、夏を応とみたときに、その応と云其夏か感になりて、又、秋と応す。直方先生曰、羽子の子をつくと云へり。初手ついたは感。それからは応か感になり、感か応になりて間はない。手鞠もそれなり。いつまても續て端はない。面白こと。
【解説】
「所應復爲感、所感復有應。所以不已也」の説明。感応は、感じたものが応となり、応となったものがまた感となって、間断なく続く。それは羽根突きや手鞠と同じである。
【通釈】
「所應復爲感所感復有應」がわかり難い。春と感じて、夏と応じる。しかし、それは礼書の昭穆の綾の様なものではない。あれはどこまでも昭は昭、穆はどこまでも穆。天地がそれでは死物となる。春を感、夏を応と見た時に、その応じた夏が感になって、また、秋と応じる。直方先生が、羽根を突くのと同じだと言った。最初に突いたのは感。それからは応が感になり、感が応になって間断はない。手鞠も同様である。いつまでも続いて端はない。それは面白いこと。
【語釈】
・昭穆…中国で宗廟の霊位の席次。中央を太祖とし、二世・四世・六世は左に列して昭といい、三世・五世・七世は右に列して穆という。

感通之理知道云々。通の字、吟味あり。因て孔子の辞に感応とも感通とも易にあり。直方の説、蘊藏録に詳なり。伊川も応と通を一つにしたことてはないが、つい感通とした迠のことにて、やはり感のことなり。応のことを通と書直したにてはなし。別の意なし。山﨑先生、応を爰ては別に見た点にせられたか、これは中へ棒を引て点をあらたむへし。道を合点のもの、手前手にすますへし。黙識心通と云てもあり。今日の講會とても端をわたすことなれは、そちらて噛て食かよし。一つ書にして云は、丁度堺町の声いろをつかふのにて、黙而觀之ことはさとしにくい。うんと合点は手前のこと。酒を飲もの、ぶんなこと云かたのもしい。十人が同じこと云はこしらへこと。十人十色か酒を合点なり。可なりはかるい辞。それかよかろふ。明日迠に考よてはない。
【解説】
「感通之理、知道者默而觀之、可也」の説明。ここの「通」は「応」を書き直して通としたわけではない。ここは他人の口真似をしないで、自分自身の力で理解するのがよい。
【通釈】
「感通之理知道云々」。通の字に一つ吟味がある。孔子の易の辞にも感応とも感通ともある。直方の説が蘊蔵録に詳らかにある。伊川も応と通とを同じだとしたわけではなく、ここはつい感通としただけのことで、やはり感のこと。応のことを通と書き直したのではない。別に意はない。山崎先生は、応をここでは別なこととして見て点を書いたが、棒線を引いて点を改めなさい。道を合点した者は自分自身の力でここを済ますのである。「黙識心通」という言葉もある。今日の講会も端緒を渡すことなのだから、そちらで噛んで食うのがよい。箇条書きにして一々言うのは、丁度堺町の役者が声色を使うのと同じで、「黙而観之」のことは諭し難い。しっかりと合点するのは自分自身ですること。酒を飲む者は分に合ったことを言うので頼もしい。十人が同じことを言うのは拵えごと。十人十色が酒を合点したこと。「可也」は軽い辞。それがよいだろうということ。明日までに考えて置けという様な意ではない。
【語釈】
・黙識心通…論語先進3集註。「顏子於聖人之言、默識心通、無所疑問」。
・一つ書…箇条を分けて書く文書で、各項目ごとに「一、何々」として書き分けること。また、その文書。


第十三 天下之理終而復始の条

天下之理、終而復始、所以恆而不窮。恆非一定之謂也。一定則不能恆矣。惟隨時變易、乃常道也。天地常久之道、天下常久之理、非知道者、孰能識之。
【読み】
天下の理、終わりて復始まるは、恆にして窮まらざる所以なり。恆は一定するの謂に非ざるなり。一定すれば則ち恆なること能わず。惟時に隨いて變易すれば、乃ち常道なり。天地常久の道、天下常久の理は、道を知る者に非ずんば、孰は能く之を識らん。
【補足】
この条は、周易程氏伝の恒卦彖伝の注にある。恒卦彖伝に、「利有攸往、終則有始也」とある。

此条は恒の卦のこと。恒は常道て、いつもかわらず長くつつくこと。それかやはり感応から引つつけに云こと。感応々々とひひいて往たり来たりするて長くつつく。諸役所の交代、昨夜の者が退出する。今日の者が来る。氣根よくても寢たきり起たきりてはとふもならぬ。毎日物喰ては椀を洗ふやうなもの。間日はない。恒而不窮なり。
【解説】
「天下之理、終而復始、所以恆而不窮」の説明。この条は恒の卦のことであり、恒は常道で、いつも変わらず長く続くこと。それは感応によって長く続く。
【通釈】
この条は恒の卦のこと。恒は常道で、いつも変わらず長く続くこと。それがやはり「感応」から引き続いて言うこと。感応と響いて、行ったり来たりするので長く続く。諸役所の交代は、昨夜の者が退出すれば今日の者が来る。いくら気の根がよくても、寝たままや起きたままてはどうにもならない。毎日、物を喰っては椀を洗う様なもので暇はない。「恒而不窮」である。
【語釈】
・感応…道体12。「有感必有應」。
・間日…あいまの日。ひまの日。休日。

恒非一定之謂也云々。あがきのないもの、久くつづかぬ。衝立と屏風で調法は屏風。衝立は一定ゆへ不自由なり。屏風は蝶番でよい。衝立は壁も同じことなもの。天地は動くてつつく。直方先生、人の死は一ちわるいことの又一ちよいことと云。死は氣の毒なれとも、それて生れる。道体を片々みる異端、あちは無常と云、こちは無常てはなく、こちはそれがよいことになる。彼所謂無常我所謂恒也と云へり。仏は東の日かやかて西へ入るとはや涙。人はだたい生死てつつく。石地藏は死もなく生もなく、面白くないこと。小児のせいの伸るてよい。七夜の通ては家督は継れぬ。成長は死ぬ方へ近よるなれとも、それが天地の形なり。
【解説】
「恆非一定之謂也。一定則不能恆矣」の説明。天地は動くから続く。人も生死で続く。成長は死へ近寄ることであり、それが天地の形なのである。
【通釈】
「恒非一定之謂也云々」。足掻きのないものは、長くは続かない。衝立と屏風で調法なのは屏風である。衝立は一定なので不自由だが、屏風は蝶番があるから動いてよい。衝立は壁と同じこと。天地は動くから続く。直方先生が、人の死は最も悪いことで、また、最もよいことだと言った。死は気の毒だが、それで生まれる。道体を片方だけで見る異端は無常と言うが、こちらは無常ではなく、それがよいことになる。「彼所謂無常我所謂恒也」だと言った。仏は東の日がやがて西へ入ると、早くも涙する。人はそもそも生死で続く。石地蔵は死もなく生もなく、面白くない。小児の背は伸びるからよい。御七夜の通りでは家督を継ぐことはできない。成長は死ぬ方へ近寄るが、それが天地の形なのである。
【語釈】
・あがき…足掻き。馬などが前足で地面を掻いて進むこと。
・彼所謂無常我所謂恒也…「彼謂う所の無常は我れ謂う所の恒なり」?
・七夜…子の生誕の日から七日目の夜。枕下げ。

惟隨時変易乃常道なり。時次第にかわる。夏となり秋となるか理のなり。但、蘇秦張儀は変易し過る。とかく理の外をする。韓信か徒は理の形てない。隨時と云は、伊尹太公は出るか常道、孔孟は引込が常道なり。
【解説】
「惟隨時變易、乃常道也」の説明。時の流れに従って変易するのが理の姿である。蘇秦や張儀は変易し過ぎる。伊尹や太公が出、孔孟は引っ込むのが常道である。
【通釈】
「惟隨時変易乃常道也」。時次第に変わる。夏となり秋となるのが理の姿。但し、蘇秦や張儀は変易し過ぎる。とかく理から外れたことをする。韓信の様な徒は理の姿ではない。「隨時」とは、伊尹や太公は出るのが常道で、孔孟は引っ込むのが常道なのである。
【語釈】
・蘇秦…中国、戦国時代の縦横家。洛陽の人。斉の鬼谷子に学び、諸国に遊説、合従策を立てて秦に対抗、六国の相となる。のち張儀のため合従策を破られ、斉の大夫に暗殺された。~前317
・張儀…中国の戦国時代の縦横家。魏の人。鬼谷子に師事し、秦の恵王の相となり、連衡の策を以て韓・斉・趙・燕に遊説。恵王の死後、憎まれ、魏の相となったが、一年で客死。~前310
・韓信…漢初の武将。蕭何・張良と共に漢の三傑。江蘇淮陰の人。高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。~前196
・伊尹…殷初の名相。名は摯。湯王をたすけ、夏の桀王を滅ぼして天下を平定したので、湯王はこれを尊んで阿衡と称した。
・太公…太公望。周代の斉国の始祖。本姓は姜、字は子牙。氏は呂、名は尚。初め渭水の浜に釣糸を垂れて世を避けていたが、文王に用いられ、武王を助けて殷を討ち、天下を定めた。兵書「六韜」はその著と伝える。

天下常久之道云々。何そと云へは知道々々と云。耳こすりのやふて心持のわるいこと。某なとも口眞似なり。知道と云は心てうんと呑込こと。なるほどそふで、若い僧など才力もありて江湖法問に勝こと有ても、それて善てもなく、又は後日大德寺や東福寺へ入院すると云とても、悟も開たとも請合れまい。ここは各別に、之道之理は天人て云がよい。小学題辞元亨利貞云々もそれ。天下は人を主に云。父子君臣のことも天下常久之理なり。とかく天人終而復始ると、あかきの有て天命の性の流行が動かぬ續く。動而生陽も靜而生隂も、費而隠も天人常久の道理か眞柱になるて、いつ迠もつつく。
【解説】
「天地常久之道、天下常久之理、非知道者、孰能識之」の説明。道を知るとは、心でしっかりと呑み込むこと。ここの理は天下を指し、人を主にして言う。天人常久の道理が真柱になるのでいつまでも続く。
【通釈】
「天下常久之道云々」。何かと言えば「知道」と言う。それは耳擦りの様で心持ちの悪いこと。私なども口真似である。知道とは心でしっかりと呑み込むこと。なるほどその通りで、若い僧などは才力もあって江湖法問で勝つこともあるが、それが善いというわけでもなく、または後日大徳寺や東福寺へ入院したとしても、それで悟りを開いたと請合うこともできないだろう。ここは格別に、「之道之理」は天と人とで言うのがよい。小学の題辞にある「元亨利貞云々」もそのこと。天下は人を主に言う。父子君臣のことも「天下常久之理」である。とかく「天人終而復始」と、足掻きがあるので「天命性」の流行が確かに続く。「動而生陽」も「静而生陰」も、「費而隠」も天人常久の道理か真柱になっているから、いつまでも続くのである。
【語釈】
・耳こすり…耳擦り。①ひとの耳元で小声にささやくこと。みみうち。②あてこすり。皮肉の言。
・江湖法問…「江湖」は、①参禅の徒の集まる所。②江湖僧の略。禅宗、特に曹洞宗で、修学・参禅の僧侶。③江湖会(禅宗、特に曹洞宗で、四方の僧侶を集めて夏安居の制を行うこと)の略。中国で、馬祖は江西に住し、石頭は湖南に住し、参禅の徒が二師のもとに集まり往来した故事に基づく。ここは③の意。「法問」は、教法について問答すること。また、その問答。
・大德寺…京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山。山号は竜宝山。1315五年(正和四)から19年(元応一)ころ成立の妙超の大徳庵に始まる。開基は赤松則村。花園上皇・後醍醐天皇の祈願所。一五世紀には一休らによって再興。堂塔壮大で、千利休・小堀遠州らが山内に庵を結び、貴重な美術品を多く蔵。
・東福寺…京都市東山区にある臨済宗東福寺派の本山。1236年(嘉禎二)九条道家の創建。開山は弁円。京都五山の一。無準師範画像や同墨蹟、明兆筆の聖一国師像・五百羅漢図などの古美術、宋版本を蔵。
・入院…僧が寺院に入り住職となること。
・天命の性…中庸章句1。「天命之謂性」。
・動而生陽も靜而生隂…道体1。「太極動而生陽、動極而静。静而生陰、静極復動」。
・費而隠…中庸章句12。「君子之道、費而隠。夫婦之愚、可以與知焉」。

そこて、道体を知子は手に入ぬ。学問がよくても手に入ぬと云学者かある。直方先生、困知記を有財餓鬼と云。今日の人の葉解をわるく云は、闇斎の尻馬にのりてのこと。本の処は非知道者。とふもすまぬ。直方先生の、困知記は下戸が大盃になみ々々とうけほすこともをくこともならす、こまると云へり。羅整菴、一生性理の中に居て悟らぬ。無極而太極と形ないを引あけて云へとも、地藏菩薩のやふてはない。二句目から動而生陽と系け靜而生隂云々。二つになる。一つにする。一にしてはわける。先と云てもない。前瞻既無始後際何有終。道体、とこも同しことなれとも、今日も有財餓鬼にて、色々わけても、とどを一つに呑込ことならぬ。なるほど、非識道者也。
【解説】
道体を知らなければ道理は手に入らない。よく学問をしても道理が手に入らないと言う者は、道体を知らないからである。色々と分けても、道体を知らなければ「非識道者」である。
【通釈】
そこで、道体を知らなければ道理は手に入らない。学問がよくても手に入らないと言う学者がいる。直方先生が、困知記を有財餓鬼と言った。今日の人が葉解を悪く言うのは、闇斎の尻馬に乗ってのこと。本当の処は「非知道者」であって、どうもわかっていない。直方先生が、困知記は下戸が大盃に一杯酒を注がれて、それを受け干すことも置くこともできずに困っていることだと言った。羅整菴は一生性理の中にいて悟らなかった。「無極而太極」と形のないものを引き上げて言ったが、それは地蔵菩薩の様なものではない。二句目から「動而生陽」と繋けて「静而生陰云々」と二つになる。一つにして、また、分ける。どちらが先ということでもない。「前瞻既無始後際何有終」で、道体はどこでも同じことではあるが、今日も有財餓鬼で、色々と分けても、それを一つに呑み込むことができない。なるほど、「非識道者」である。
【語釈】
・困知記…
・有財餓鬼…①餓鬼の一種。祭祀などの時に捨てられた食物を食う得棄鬼、巷に遺失された食物を食う得失鬼、夜叉・羅刹などという勢力鬼の総称。②金銭を多く持ちながら欲の深い人。守銭奴。また、人をののしっていう語。
・葉解…葉仲圭の近思録集解。
・闇斎…山崎闇斎。
・羅整菴…
・前瞻既無始後際何有終…

偖、序なから云。大哉易也斯其至矣も、葉解これまては朱子の注を用ひなから、斯其至矣を、圖説を指ては自慢になると思ひ、易を云と心つかいするか、これも有財がきの方なり。あの句は、譬へは不換金を云やふなもの。平胃散を大哉と称して斯其至矣とは不換金のことなり。其筈なり。不換金の中に平胃散かある。そこで周子の自慢てもなく、易をさすてもない。易は隂陽につめて、此圖がその外はないと云こと。葉解小口ちを知らぬなれは、其外も知るる。偖、道体の咄は馬方や轎夫が紫震殿の咄きくやふなものなれとも、誰能識之と、ここになりては道体の殿上人なり。
【解説】
葉解は「大哉易也斯其至矣」を、図説を指して言うのは自慢になると思って易のことだと心遣いをしたが、そうではなく、この句は周子の自慢でもなく、易を指すものでもない。
【通釈】
さて、ついでに言う。「大哉易也斯其至矣」も、葉解がこれまでは朱子の注を用いながら、「斯其至矣」を図説を指して言うのは自慢になると思い、易のことだと心遣いをしたが、これも有財餓鬼の方である。あの句は、たとえば不換金のことを言う様なもの。平胃散を大哉と称して斯其至矣と言うのは不換金のこと。その筈で、不換金の中に平胃散がある。よって、この句は周子の自慢でもなく、易を指すものでもない。易は陰陽に詰めるもので、この図はそれ以外のものではないということ。葉解は切り口を理解していないから、その外の程度も知れて来る。さて、道体の話は馬方や轎夫が紫震殿の話を聞く様なものだが、「誰能識之」という段階になれば、道体の殿上人である。
【語釈】
・大哉易也斯其至矣…道体1の語。
・不換金…薬の一種。金に換えられないほど貴重な薬の意。
・小口…①きりくち。横断面。また、直方体や柱状・筒状のものの最も小さい面。小面。②いとぐち。端緒。
・馬方…駄馬をひいて客や荷物を運ぶことを業とする人。まご。
・轎夫…かごかき。こしかき。轎丁。
・紫震殿…平安京内裏の正殿。もと朝賀・公事を行う所であったが、大極殿の荒廃・焼失後は即位などの大礼を行なった。
・殿上人…昇殿を許された人。四位・五位以上の一部および六位の蔵人が許された。


第十四 人性本善の条

人性本善、有不可革者、何也。曰、語其性、則皆善也。語其才、則有下愚之不移。所謂下愚有二焉。自暴也。自棄也。人苟以善自治、則無不可移者。雖昬愚之至、皆可漸磨而進。惟自暴者、拒之以不信、自棄者、絶之以不爲、雖聖人與居、不能化而入也。仲尼之所謂下愚也。然天下自棄自暴者、非必昬愚也。往往強戻而才力有過人者。商辛是也。聖人以其自絶於善、謂之下愚。然考其歸、則誠愚也。既曰下愚、其能革面、何也。曰、心雖絶於善道、其畏威而寡罪、則與人同也。惟其有與人同、所以知其非性之罪也。
【読み】
人の性は本善なるに、革む可からざる者有るは、何ぞや。曰く、其の性を語れば、則ち皆善なり。其の才を語れば、則ち下愚の移らざる有り。謂う所の下愚に二有り。自暴なり。自棄なり。人苟も善を以て自ら治めば、則ち移す可からざる者無し。昬愚の至りと雖も、皆漸磨して進む可し。惟自ら暴う者は、之を拒みて以て信ぜず、自ら棄つる者は、之を絶ち以て爲さざれば、聖人與に居ると雖も、化して入らるること能わざるなり。仲尼の謂う所の下愚なり。然れども天下の自ら棄て自ら暴う者、必ずしも昬愚なるには非ざるなり。往往強戻にして才力人に過ぐる者有り。商辛是れなり。聖人は其の自ら善に絶つを以て、之を下愚と謂う。然れども其の歸を考うれば、則ち誠に愚なり。既に下愚と曰うも、其の能く面を革むるは、何ぞや。曰く、心は善道を絶つと雖も、其の威を畏れて罪を寡くするは、則ち人と同じ。惟其れ人と同じきこと有り、所以に其の性の罪に非ざるを知る。
【補足】
この条は、周易程氏伝の革卦上六の注にある。革卦上六は、「上六、君子豹變。小人革面。征凶。居貞吉。象曰、君子豹變、其文蔚也。小人革面、順以從君也」である。

此条を爰へのせたが一寸見てはかみこなされぬことなり。剥の卦で行つき、行付た処で一陽来復。そこか上の復の卦。その間が終て又始る。某も今度、爰かすめて快い。春の花か青葉と夏へのひ、それか凋み落る。其色々となる処は姿の改るのなり。そこでここへ革の卦なり。八九月頃の紅葉が改革なり。桀紂で天下の乱れきったを、湯武の放伐がそれなり。天下のよごれを掃除して放伐するか、この革の卦のよいあやなり。天地改革せ子はならぬ。筑波の屋根やか修覆するも革の卦なり。各別に改り。さて、ここの次第、剥の卦から繋いて上の終而復始をこの革てうける。編集のあや、深意なり。講序曰、此条を只性論とはかりをもい、革の字を忘れて見る。終て又始るをうけ、天地の改革から湯武の放伐にかけて斯ふ説たものなし。語類にも此意なしと覚ゆ。
【解説】
革の卦は剥や復の卦から続くもので、姿が革まること。それは、八月や九月の紅葉と同じであり、湯武の放伐もこれである。天地は改革しなければならない。
【通釈】
この条をここへ載せたわけは、一寸見ただけではよく飲み込めない。九条の剥の卦によって行き着き、行き着いた処で一陽来復。そこが十条の復の卦。その間が十三条の「終而復始」。私も今、ここを済ませることができて快い。春の花が青葉となって夏へ伸び、それが凋み落ちる。その色々となる処は姿が改るということ。そこでここへ革の卦が出る。八月や九月の頃の紅葉が改革である。桀紂によって天下が乱れ切ったところで湯武の放伐が起きたのがそれ。天下の汚れを掃除して放伐するのが、この革の卦のよい綾である。天地は改革しなければならない。筑波の屋根屋が修覆するのも革の卦である。格別に改まる。さて、ここの次第は剥の卦から繋いで、前条の終而復始をこの革で受けたもの。それがこの編集の綾であり、深意なのである。講序に言う、この条をただ性論のことだとだけ思って、革の字を忘れて見る。終而復始を受け、天地の改革から湯武の放伐にかける様に説いた者はいない。語類にもこの様な意はないと思う。

人性本善有不可革者何也。孟子ては云ひ下手になる。これは論吾へ祟りた。本来は無極而太極をもった故、性善なり。天地終而復始るゆへ、人も折節は顔を洗ふかよいはつ。寒山が詩に云々。川邊柳不如年々一青々と云。人はいつも眞黒。天地は改革して新になるに、親の産み付ぬ氣質や我出来人欲て汚れている。そこて性善で居なからなせ改ぬ。不革は何也と、打太刀もうけ太刀も伊川なり。されはこそ、そのこと。
【解説】
「人性本善、有不可革者、何也」の説明。ここは孟子ではなく、孔子が言った善について質問したこと。人は本来性善だが、天地が改革するのと同じく、人も革めなければならない。人は後天的な気質や出来人欲によって汚れるから、革めなければならないのである。
【通釈】
「人性本善有不可革者何也」。孟子では言い下手になる。これは論語に祟って言ったこと。人は本来、「無極而太極」を持っているから性善である。「天地終而復始」だから、人も折節は顔を洗うのがよい筈。寒山の詩に、「川邊柳不如年々一青々」とある。しかし、人はいつも真っ黒である。天地は改革して新たになるが、親の産み付けでない気質や出来人欲で汚れている。そこで、性善でいながら何故改めない、「不革何也」と訊いた。訊ねたのも、訊ねられたのも伊川である。そこで、次の通りに語った。
【語釈】
・孟子ては云ひ下手になる…孟子告子章句上6に性に関しての問答があり、「孟子曰、乃若其情、則可以爲善矣。乃所謂善也。若夫爲不善、非才之罪也」とある。
・論吾…論語述而3。「子曰、德之不脩、學之不講、聞義不能徒、不善不能改、是吾憂也」。同述而21。「子曰、三人行、必有我師焉。擇其善者而從之、其不善者而改之」。
・寒山…唐代の僧。天台山の近くに拾得と共に住み、奇行が多く、豊干に師事したと伝える。その詩は「寒山詩」中に収載。文殊の化身と称せられ、画題にされる。生没年未詳。
・川邊柳不如年々一青々…

語其性則皆善語其才云々。太極の咄は善なり。才は形既生矣てくるいあり。性善は注文、才は昨日の暴雨て水か濁り、白羽二重の紋所にうるみがつく。氣へ半分入、五性感動而善悪分なり。有下愚之不移。孔子の御断り云はれたこと。千万人の中の大だわけなり。前々云、五十年前藏前の馬鹿と云有たが、五十はかりて前髪あり、口をあき、ああ々々と計り云て居るなり。迂斎幼年のときの咄にある。家中の忰十六で、ものを數るに一二より三四の次を知ぬ者有た。あんな馬鹿を始として、療治のならぬと孔子のをふせなり。それは伊川の御用でない。論語の御定の下愚を、伊川、下愚有二焉と殊の外の發明なり。自暴自棄なり。此二つは隂症陽症なり。手あらいと、くにゃ々々々なり。
【解説】
「曰、語其性、則皆善也。語其才、則有下愚之不移。所謂下愚有二焉。自暴也。自棄也」の説明。太極は善だが、心の働きは「形既生矣」から、気の影響によって狂いが生じる。孔子は「下愚不移」と言ったが、伊川は「下愚有二焉」と言い、下愚とは自暴自棄であることを発明した。
【通釈】
「語其性則皆善語其才云々」。太極の話は皆善である。才は「形既生矣」から狂いが出て来る。性善は注文の通りだが、才は昨日の暴雨で水が濁り、白羽二重の紋所に曇りが付くこと。気へ半分入って、「五性感動而善悪分」となる。「有下愚之不移」。これは孔子が理非を言われたこと。下愚とは、千万人の中の大戯けである。前々に言った話だが、五十年前に蔵前の馬鹿という者がいて、五十歳になっても前髪があり、口を開いてああああとばかり言っていた。迂斎の幼年の時の話にもある。家中の倅で十六歳で、ものを数えるのに一二から三四の次を知らない者がいた。あんな馬鹿を始めとして、下愚は療治ができないと孔子が仰せられたのである。しかし、それは伊川に関係はない。論語の御定まりの下愚を、伊川は「下愚有二焉」と言って、殊の外優れた発明をした。その二とは自暴自棄のこと。この二つは陰症陽症である。手荒いと、ぐにゃぐにゃになる。
【語釈】
・自暴自棄…孟子離婁章句上10。「孟子曰、自暴者不可與有言也。自棄者不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。仁人之安宅也。義人之正路也。曠安宅而弗居、舍正路而不由。哀哉」。
・才…心のはたらき。道体40参照。
・形既生矣…道体1。「形既生矣、神發知矣。五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・うるみ…にごり。くもり。
・有下愚之不移…論語陽貨3。「子曰、唯上知與下愚、不移」。
・隂症…漢方で、病勢が体内にこもって、著しい症状が外部にあらわれない病症をいう。
・陽症…陰症の反対。

人苟以善自治則云々。善は形ないもの。形あれは天を地、地を天にはならぬが、天にも晴曇りはある。形はとふもならぬか、心は相談がなる。雖昏之至云々。学問を精を出し側について教れはなる。其中、自暴自棄はよせつけす戸を立るゆへこまる。直方先生の、亭主か出て留守しゃと云ふ、と。黙斎が出て、黙斎留守と云へは手はつけられぬ。とかく自の字つくは我方の合点ありてする。自棄は、私はからたこそ人間、心は猫てこさると云て戸を立る。自の字を出して、間に牆をするはとふもならぬ。此拒と又絶つと云か隔の症にて、藥も食も吐出す。扁鵲も困る。此間もそふ思ふたか、自の字なけかわしきことなり。盲人は闇も月夜も仕方なく、天下の不幸あはれむへきことなり。するに自暴自棄は两眼ありなから、灯燈を出せは吹けし々々々して、とかくあかるいことをよせぬなり。これ自の心がらなり。然れは手の付られぬと云に、此はかりは仕方なし。孔子の本意てはなけれとも、さて々々よくは發しられた。
【解説】
「人苟以善自治、則無不可移者。雖昬愚之至、皆可漸磨而進。惟自暴者、拒之以不信、自棄者、絶之以不爲、雖聖人與居、不能化而入也。仲尼之所謂下愚也」の説明。心には形がないからどの様にも革めることができる。そこで、昬愚でも努力すれば学問も成る。しかし、自暴自棄は人を寄せ付けずに戸を立てるので、やり様がない。
【通釈】
「人苟以善自治則云々」。善は形のないもの。形があれば、天が地に、地が天にはならないが、天にも晴れや曇りがある。形はどうにもならないが、心は相談ができる。「雖昏之至云々」。学問は精を出して側に付いて教えてやれば成る。しかしその中でも、自暴自棄は人を寄せ付けずに戸を立てるから困ったもの。直方先生が、亭主が出て留守だと言うと言った。黙斎が出て、黙斎は留守だと言うのなら、手が付けられない。とかく自の字が付くのは、自分の方に合点するところがあってのこと。自棄は、私は体こそ人間だが、心は猫だと言って戸を立てる。自の字を出して間に垣をするのでは、どうにもできない。この「拒」と「絶」が隔の症で、薬も食も吐き出す。それでは扁鵲も困る。この間もそう思ったが、自の字は嘆かわしいこと。盲人は闇も月夜も仕方なく、天下の不幸で哀れむべきこと。ところが自暴自棄は両眼がありながら、灯燈を出せは吹き消して、とかく明るいことを寄せない。これは自分の心から出たことである。そこで、手が付けられないと言っても、こればかりは仕方がない。ここは孔子の本意を言ったことではないが、全くよく発明されたものである。
【語釈】
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。長桑君に学び、禁方の口伝と医書とを受けて名医となり、趙簡子や虢の太子を救ったという。耆婆と並称される。

然天下自棄自暴者非必昏愚也云々。これからの發明か面白。垩人の向つらへ廻るもの。かの一二三数へることならぬてない。才力過人て、めったにはい々々とは云はぬ。殷の紂王か利口故、異見の妨きやふを知。強戻と云か、中々人に負ぬ。利口なり。されとも、手前正宗の刀の刄を引くなれは、つまりあほふなり。人は拜領の仁義を研きて天地人に幷ふことなるに、それを焼すてるは愚なり。なせなれは、仁義と云御朱印て氣かつまるゆへなり。武士も二本さすて、立塲て途中て淨瑠理もかたられす、歩行なから芋も食れぬ。そこて刀がいやになる。人か仁義の御朱印て人欲の邪魔になるゆへ、絶なり。ここの語て、才力過人と揚けて誠愚なりと結へり。今日どふらくな忰にあほふはない。才力があるやふても身帯わるくするて見れば、とふても愚なり。山師がをろかてはないか、追放されたり或は嶋へやられる。利口て世に住居かならぬと云なれは、其歸きは馬鹿が知るる。
【解説】
「然天下自棄自暴者、非必昬愚也。往往強戻而才力有過人者。商辛是也。聖人以其自絶於善、謂之下愚。然考其歸、則誠愚也」の説明。この条で言う自暴自棄は昬愚のことではなく、「才力有過人」のこと。才力があっても自滅する者は、結局は愚である。それは、仁によって気が詰まるのを嫌がることによってなる。
【通釈】
「然天下自棄自暴者非必昏愚也云々」。これからの発明が面白い。聖人の向こう面へも廻る者ことで、あの一二三と数えることができない者のことではない。「才力有過人」で、滅多に同意しない。殷の紂王は利口だったから、異見の防ぎ方を知っていた。「強戻」というのは、中々人に負けず、利口なこと。しかし、自分に対して正宗の刀の刃を向けたのだから、結局は阿呆である。人は拝領の仁義を研いで天地人として並ぶのが本来なのに、それを焼き棄てるのは愚である。その様になるのは何故かと言うと、仁義という御朱印によって気が詰まるからである。武士も刀を差すから、立場や道中で浄瑠璃も語られず、歩き行きながら芋を食うこともできない。そこで刀が嫌になる。仁義の御朱印が人欲の邪魔になるから、「絶」となる。ここの話は、「才力過人」と揚けて「誠愚也」と結んである。今日の道楽者の忰に阿呆はいない。しかし、才力がある様でも身代を悪くすることで見れば、どう見ても愚である。山師は愚かでないとは言うものの、追放されたり或いは嶋へ流される。利口であっても世に住処がないと言うのなら、その帰結は馬鹿と知れる。
【語釈】
・向つら…向う面。①さし向いになっている人の顔の正面。②相手。敵。
・紂王…殷王朝の最後の王。名は辛。受とも。紂は諡号。妲己を寵愛し、酒池肉林に溺れる。虐政のため民心が離反、遂に周の武王に滅ぼされた。夏の桀王とともに暴君の代表とされる。紀元前11世紀頃の人。殷紂。紂王。商辛。
・立場…江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。明治以後は人力車や馬車などの発着所、または休憩所。
・住居…孟子離婁章句上10の「安宅」の意。

既曰下愚其能革面何也。上の段には不可革とかけ、ここは面を革と不審を云。革の時節て小人の面を革るわけはとふじゃと問。心雖絶於善道其畏威云々。ここか面白。実によくなったてはないか、面むきなりとも改るを云。氣質変化の心迠は請合れぬが、面をはまあ革て、然らは御藥を申請ふと云。自暴自棄の不歒ものなれとも、折々氣味かわるい故なり。管敬仲は君威て云。爰は直方先生、天威を畏ると見らるる。某は、天威と云へは重くれるやふ故、君位に取て公義の威と云。巾着切か、それ御役人と云ふで公義のこわいゆへ、心からてはないか威てわるさを改める。この頃、丁寧にみるに、天威と云かよい。不歒ものも後ろを見らるれは天威かこわい。向てこちへひびき、不埒ものか親の命日と云。精進せ子は後にそっとするものあり。仁と云首のない不孝なやつも、兎角天威か怖ひゆへ我胸ては善道を絶とも、人間の辱さは根か切れぬ。そこか与人同なり。
【解説】
「既曰下愚、其能革面、何也。曰、心雖絶於善道、其畏威而寡罪、則與人同也」の説明。自暴自棄は不敵なものだが、折々気味の悪いことがあるから面が革まる。不埒、不孝な者でも天威が怖いから、善道を絶っても善の根は切れない。そこで、面が革まる。
【通釈】
「既曰下愚其能革面何也」。上の段では「不可革」と掛け、ここは何故「革面」なのかと不審を訊ねる。革の時節で小人の面を革める理由は何かと問うた。「心雖絶於善道其畏威云々」。ここが面白い。実によくなったというわけではないが、外面だけでも改まったと言う。気質変化の心までは請け合うことはできないが、面はまあ革まったので、それで御薬を頂こうと言う。自暴自棄の不敵者であっても、折々気味の悪いことがあるから面が革まる。ここを管敬仲は君威で語った。直方先生は天威を畏れることだと見られた。私は、天威と言えば重苦しい様なので、君位と取って公儀の威と言う。巾着切が、それ、御役人だと言われれば、公儀が怖いから、心からではないが威で悪さを改める。この頃ここを丁寧に見直したが、ここは天威というのがよい。不敵な者も後ろを見られると天威が怖い。向こうがこちらに響き、不埒者が親の命日などと言う。精進しなければ後にはぞっとするものがある。仁という首のない不孝な奴もとかく天威が怖いから、自分の胸中では善道を絶っていても、人間の忝さには善の根が切れない。そこが「與人同」である。
【語釈】
・革面…革卦上六。「上六、君子豹變。小人革面」。
・管敬仲…
・重くれる…おもたそうである。おもくるしそうである。くどくどしい。

周公の革面と係られたか面白こと。彼圖説の善悪分れなれとも、太極の性は、もとより空に有明の月。降ても雲の上は晴れてある。そこを非性之罪と云。性善にかけはない。これて太極は理計て孟子の性善か打とめと先日云もそれなり。人の悪にをちたるも威を畏れるは、とこにか性善か明なり。天て太極、人で性。天なりの性善を持ゆへ懿德を好む。性之罪に非すと云も聞ゆ。
【解説】
「惟其有與人同、所以知其非性之罪也」の説明。性善に欠けたところはない。人が悪に落ちても威を畏れるのは、どこかに性善が明らかにあるからである。性の罪ではないのである。
【通釈】
周公が「革面」と繋けられたのが面白いこと。あの太極図説の「善悪分」のことだが、太極の性は、もとより空に有明の月。降っていても雲の上は晴れている。そこを「非性之罪」と言う。性善に欠けはない。先日、太極は理だけで孟子の性善が打ち止めだと言ったのもそのこと。人が悪に落ちても威を畏れるのは、どこかに性善が明らかにあるからである。天で太極、人で性。天の通りの性善を持つから懿徳を好む。そこで、「非性之罪」と言うのもよくわかる。
【語釈】
・もとより空に有明の月…
・懿德を好む…孟子告子章句6。「詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。故有物必有則。民之秉夷也、故好是懿德」。詩は詩経大雅蒸民。