第十五 在物為理處物為義の条  七月朔日 惟秀録
【語釈】
・七月朔日…寛政2年庚戌(1790年)7月1日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

在物爲理、處物爲義。
【読み】
物に在るを理と爲し、物を處するを義と爲す。
【補足】
この条は、周易程氏伝の艮卦彖伝の注にある。

先日も云通り、朱子の道体の並べ方に思召あることなり。なれども、五本の指の並んだ様ではない。一寸見ては知れぬ。丁度ひき針をうつやふなもの。肘へ打て股へひびくことも有るが、上から只見ては知れぬ。さて此条、上みから段々語りて、ここでは遠くからうけて一と替りかわる。先日の太極動てからさま々々に太極の動靜を語りたが、爰も別のことでもなく太極の動靜を語るが、その太極どのの御宿はどこにござると云に物の上にある。さて、理とは物次第に筋のわかりてある処で理と云。又、太極と云は、理が万物をすべ、物のかしらになるで太極と云ときいて、そんなら太極は大い屋敷で、加賀様や鷹司様の屋敷ほどもあるかと云に、藏頭底ゆへ見へぬ。宿なしなり。すぐに物の上にある。丁度、露と云様なもの。どこもかしこも露だらけゆへ、こりゃ大きな問屋があるかと云に、ない。芋の葉の上や笹の葉、芭蕉の葉の上にある。
【解説】
「在物爲理」の説明。物それぞれに従って筋が分かれているのが理で、その理が万物を統べ、物の頭になっている。これが太極で、太極は見えないものだが物の上にあり、たとえば露の様なものである。
【通釈】
先日も言った通り、朱子の道体の並べ方には思し召しがある。しかしそれは指が五本並んだ様なことではない。一寸見ただけではわからない。丁度、引鍼を打つ様なもの。踝に打って股に響くこともあるが、上から見ただけではわからない。さて、上から段々と語って来たが、それ等の語ったものを受けて、この条はまた少し変わる。先日の「太極動而」から様々に太極の動静を語ったが、ここもそれと別なことではなく、太極の動静を語るのだが、その太極殿の御宿はどこにあるかというと、物の上にある。さて、理とは物次第に筋が分かれてある処で理と言う。また、太極とは、理が万物を統べ、物の頭になるので太極と言うと聞いて、それなら太極は大きな屋敷で、加賀様や鷹司様の屋敷ほどもあるのかと言えば、蔵頭底なので見えない。宿無しである。直に物の上にある。丁度、露の様なもの。どこもかしこも露だらけだから、これは大きな問屋があるのかと言えば、ない。芋の葉の上や笹の葉、芭蕉の葉の上にある。
【語釈】
・ひき針…引鍼。
・太極動て…道体1。「太極動而生陽、動極而静」。
・加賀様…
・鷹司様…五摂家の一。藤原氏の北家の嫡流である近衛家実の第四男兼平(1228~1294)を祖とする。邸が鷹司室町にあった。
・藏頭底…

處物為義。物の上には夫れ々々の理かある。其理なりにするを義と云。上の句の理と云は、物の上に自然とある名を云。それを理なりにさばくときに、名を替へて義と云。舩は水、車は陸は理。夫を夫れなりに舩をは舩頭が理なりに水をやり、車は車力が理なりに陸をやる。義なり。そんなら二つかと云に、どちも物の上にあること。夫を理なりにさばくとき、名をかへて義と云迠のことなり。此条、文字を解したやふで、一寸見ると譯文筌蹄のやふに見へるなれとも、吾学の淵源爰に出ると云ほどのことぞ。異端か物の上の理を知らず。奥の院をこしらへる。此条が吾学の淵源になると云は道体為学ひっくるめて云なり。
【解説】
「處物爲義」の説明。物の上にはそれぞれの理があり、その理の通りに物を捌くことを義と言う。理も気も物の上にある。義は理の替え名である。
【通釈】
「處物為義」。物の上にはそれぞれの理がある。その理の通りにすることを義と言う。上の句の理とは、物の上に自然にある名を言う。それを理の通りに捌く時に、名を替えて義と言う。船は水、車は陸というのは理。それをそれなりにする。船を船頭が理なりに水に進ませ、車は車力が理なりに陸で動かす。それが義である。それなら理と義とは別なものかと言えば、どちらも物の上にあること。物を理なりに捌く時、名を替えて義と言うまでのこと。この条、文字を解説した様で一寸見ると譯文筌蹄の様に見えるが、我が学派の淵源がここに出ていると言うほどのこと。異端は物の上に理があることを知らず、奥の院を拵える。この条が我が学派の淵源になると言うのは、道体と為学をひっくるめて言うものである。
【語釈】
・譯文筌蹄…同訓異義・異訓同義を弁じた書。荻生徂徠著。初編六巻は1714~15年(正徳四~五)刊、後編三巻(残り六巻未刊)は後人の編で96年(寛政八)刊。漢字の用法、殊に漢語の動詞・形容詞・副詞に属する字を主としたもの。略称、訳筌。

この句の先祖が孔子の有物有則なり。親と云物あれば、其の親の上に孝と云理がある。子には慈と云理あるなり。夫れを其の形りにするが義なり。在物曰理は本然、道体なり。處物為義は為学なり。當然なり。そんなら工夫かと云そうなもの。道体で工夫は云ぬ。當然をするは為学なれとも、それが道体じゃと云ことなり。爰も先日云た天命性に教のあるやふなもの。教とは云へ、手入れはない。そこで、ここをも當然と云て、為学の道体と云。さて、さきも云ふた、異端が物を下卑たことと見てすてる。垩賢は尊んで馳走する。垩学は物を離れぬから有物有則。道体が物を離れぬから、為学も物をはなれぬ。君父と云物に即て忠孝と云道を尽す。天地万物の物の上に道理がのってある。そこに見取あるは浅見先生の物の説なり。此条八字の中に物の字が二つある。吾が道は理が物の上にある。朱子の、千万年不離此物と云へり。理は物の中にあるから、物をすてることはならぬ。うるさいきたないこともせ子ばならぬ。親族の看病をしたり、いや、今日は女房が血の道がをこったのと大切の講席をかくこともあるが、太極が物を離れぬからなり。
【解説】
「在物為理」は本然であり、道体のこと。「處物為義」は為学だが、当然にすることなので、為学の道体と言う。そこに作為は必要ない。異端は物を卑しんで捨てるが、聖賢は物を尊ぶ。聖学は物を離れないから有物有則で、道体が物から離れないから、為学も物から離れない。そこで、煩いことや汚いこともしなければならないのである。
【通釈】
この句の大元は孔子の「有物有則」である。親という物があれば、その親の上に孝という理がある。子には慈という理がある。それをその通りにするのが義である。「在物為理」は本然であり、道体のこと。「處物為義」は為学であり、当然のこと。それなら工夫のことかと言いそうなものだが、道体で工夫のことは言わない。当然をするのは為学だが、それが道体だと言うこと。ここも先日言った「天命性」に「教」のある様なもの。教えとは言え、手入れは必要ない。そこで、ここも当然と言って、為学の道体と言う。さて、先にも言ったが、異端は物を下卑たことだと見て捨てる。聖賢は物を尊んで馳走する。聖学は物を離れないから有物有則。道体が物から離れないから、為学も物から離れない。君父という物に即して忠孝という道を尽くす。天地万物の物の上に道理が乗ってある。そこに見取りのあるのは浅見先生の物の説である。この条では八字の中に物の字が二つある。我が道は理が物の上にある。朱子が「千万年不離此物」と言った。理は物の中にあるから、物を捨てることはならない。煩いことや汚いこともしなければならない。親族の看病をしたり、いや、今日は女房の血の道が悪くなったと言って大切な講席を欠くこともあるが、それは太極が物から離れないためなのである。
【語釈】
・有物有則…孟子告子上6。「詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。故有物必有則。民之秉夷也、故好是懿德」。詩は詩経大雅烝民。
・天命性に教…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂教」。
・千万年不離此物…

さて又俗人は物を離れぬと云次でに、物にかぶれる。米や銭にかぶれてしがみつく。其端的が死物になる。垩賢は物の上に居て、物にかぶれず生き々々として居る。太極の本然が物氣を雜へぬゆへぞ。魚が水に居ても水にかぶれぬ様なもの。若し水にかぶるるならば、水中て魚の体がくさる筈なり。垩人も物にへったりとして物にかぶれぬ。凡夫は物にかぶれる。朱子の圖解に不雜不離と云れた。これで何事も太極圖でこっくりとすむぞ。石原先生の太極圖は氣さんじなものと云がこれじゃ。
【解説】
俗人は物から離れないが、それで物に被れる。しかし、聖賢は物の上にいて物に被れず、生き生きとしている。これが朱子の言われた「不雑不離」である。
【通釈】
さてまた俗人は物から離れないが、そのついでに、物に被れる。米や銭に被れてしがみ付く。その端的が死物になる。聖賢は物の上にいて物に被れず、生き生きとしている。それは、太極の本然が物の気を雑じえないからである。魚が水中にいても水に被れない様なもの。もしも水に被れるのなら、水中で魚の体が腐る筈。聖人も物にべったりとしているが、物に被れない。凡夫は物に被れる。朱子が図解で「不雑不離」と言われた。これで何事も太極図によってすっかりと済む。石原先生が太極図は気散じなものと言うのがこのことである。
【語釈】
・氣さんじ…溝口公に対する「原始反終、故知死生之説」の説明の中で、石原先生が気散じと言ったこと。


第十六 動靜無端云々の条

動静無端、陰陽無始。非知道者、孰能識之。
【読み】
動靜には端無く、陰陽には始め無し。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。
【補足】
この条は、程氏経説一の易説にある。

程子の分銅をつかんで道統を得たと云るるも此語からなり。何としてあの高ひ老佛を子共のやうに見て、あちでいかほどな遁辞を云てにげふとも追っかけ追まわす。見た処なくてはならぬ筈。そこも此八字ですむなり。此章を、程子の周子から太極圖を授って、其かげて知りたと云てもよし、又、此章で太極圖説を云ころばしたと云てもよい。こふよむか某が見とりなり。周子か口に云ひ、筆に書くからこそ太極動てと書出したが、動がさきの、靜がさきのと云ことではないから、太極の前後と云ことも此語で吹消したのなり。
【解説】
「太極動而」は口で言い筆で書いたので「動」から書き始めたのであって、動静に前後はない。動静無端である。
【通釈】
程子が分銅を掴んで道統を得たと言われるのもこの語からである。何と、あの高い老仏を子供の様に見て、あちらがどれほど遁辞を言って逃げようとしても追い掛け追い廻す。見処がなくては、それはできない筈。それもこの八文字で済む。この章は、程子が周子から太極図を授かって、そのお陰で知ったことだと言ってもよいし、また、この章で太極図説を言い転ばしたと言ってもよい。この様に読むのが私の見取りである。周子は口で言い筆で書くからこそ「太極動而」と書き出したのであって、動が先だとか、静が先だということではないから、太極の前後のことも、この語で吹き消したのである。
【語釈】
・程子の分銅をつかんで道統を得た…
・遁辞…責任などをのがれるためにいう言葉。逃げ口上
・太極動て…道体1。「太極動而生陽、動極而靜」。

さて又道体の並へかたのことよ。上に在物為理。太極には宿はない。あまいも辛も甘蔗の木、蕃椒の木の上にある。夫は始て承ったと礼を云はせておいて、さてその物の上へはいつから御逗留と云たときに、動靜無端隂陽無始なり。大同二年が久しいとても、御草創と云ことあるから云るるが、天地は無端無始で云へぬ。始めも云へば云るる。晦日がさきと云てもよし。朔日からと云てもよい。動からは靜、靜からは動とも云へば云るるが、云へば本んのでない。太極に次目はない。鉄炮玉のころげる様にごろ々々ころげるのなり。天地がくる々々まわるゆへ、海ももら子ば冨士も地ぞこへぬけぬ。あともさきもなく、いつもこの通りと云が道理のいきた処。
【解説】
天地は無端無始であって、太極も同じである。天地が絶えず巡る様に、太極にも継ぎ目はない。
【通釈】
さてまた道体の並べ方のこと。前条に「在物為理」と言い、太極に宿はなく、甘いも辛いも甘蔗の木や蕃椒の木の上にあると言って、それは初めて承ったと礼を言わせておいて、さて、その物の上には何時から逗留されたのかと言えば、「動静無端陰陽無始」と言う。大同二年は久しいといっても、御草創ということがあるからその様に言うことができるが、天地は無端無始だからその様なことは言えない。始めも敢えて言えば言うことはできる。晦日が先と言ってもよいし、朔日からと言ってもよい。動からは静、静からは動とも言えば言われるが、その様に言うのは本当のものではない。太極に継ぎ目はない。鉄炮玉が転げる様に、ごろごろと転げるのである。天地がくるくる廻るから、海も漏らないし富士も地底に抜けない。後も先もなく、いつもこの通りだと言うのが道理の活きた処である。
【語釈】
・甘蔗…さとうきび。
・蕃椒…唐辛子。
・大同…①天下が栄えて和平になること。また、その世。②礼記礼運。利己主義がなく相互扶助の行きわたった理想的な社会状態を表す。③平安初期、平城天皇・嵯峨天皇朝の年号。
・草創…①事業を起しはじめること。草分け。創始。創業。②社寺をはじめて建立すること。

こふ合点して、誰に盃をさすあてもないから、非知道者孰能識之也。太極の無端無始のあやは、講釈をきいたでは知れぬ。天地の道理は昼となり夜となり、ぐる々々めくる。汐のさしひきの様なり。人のつく息も、出るがさきとも入るがさきとも云れぬ。あともさきも知れぬ。理の上のあとさきは知れぬもの。さて、気の上にはあとと云も先きと云もある。昼と云始が夜と云終りになる。生が始、死が終なり。これは隂陽へ渡つのこと。太極と云は一隂一陽之謂道で、端始なきものが太極じゃによって、隂陽以下とは違ふ。非知道者孰能識之なり。てきと胸に知りて、誰れにか語るへき傳授ことにはならず、會得することなり。
【解説】
太極に前後はないが、陰陽以下には前後があり、生が始、死が終である。「動静無端陰陽無始」は自分の心で会得しなければならない。
【通釈】
この様に合点して、誰といって盃を差す当てもないから、「非知道者孰能識之」である。太極の無端無始の綾は、講釈を聞いただけではわからない。天地の道理は昼となり夜となってぐるぐると巡る。それは、汐の満ち干きの様なもの。人の吐く息も、出るのが先とも入るのが先とも言うことはできない。後とも先とも知れない。理の上では、後先はわからないもの。さて、気の上には後ということも先ということもある。昼という始まりが夜という終わりになる。生が始、死が終である。これは陰陽へ渡った時のこと。太極とは、「一陰一陽之謂道」で端始のないものが太極だから、陰陽以下とは違う。非知道者孰能識之である。しっかりと心で知ることであって、誰かに語るべき伝授事ではない。それは、会得することなのである。
【語釈】
・一隂一陽之謂道…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也」。

さて、此条がすむと見処も高くなるとはどふなれば、あの釈迦の、達磨のと云ものは、孔子にも並ぶと云ほどのものぞ。夫れを訶ることが中々今の口ばしの青い儒者ではゆかぬことではあれとも、訶らるるわけがある。この端始前後のないを知って、夫れを仕寄りにして道体を見つけると、あちの方のわるいも見付らるる。丁度、川ばたに育った兒共が水練が御徒衆にもまけぬと云やふなもの。鱣屋の小僧は料理人よりよくうなぎをつかむもの。今の鼻の先きのぐる々々めぐる処が道と知る日には、高い佛老も訶らるる。間断ないを見付ると何のことはない。老子が混沌未分と見て腰をかける。さがす処か間断。こちは今隣で子が生れた、やれ、よいことと云道なり。本来の面目を尋る暇はない。
【解説】
太極に端始前後のないことを知って、それを基にして道体を見付けると、老仏の悪いところも見えて来る。老子は道を渾沌未分と見て立ち止まるが、聖学は間断なく道を求める。
【通釈】
さて、この条が済むと見処も高くなるというのは何故かと言うと、あの釈迦や達磨という者は孔子にも並ぶほどの者で、それを訶ることは中々今の嘴の黄色い儒者にはできないことではあるが、訶ることのできるわけがある。太極に端始前後のないことを知って、それを道標にして道体を見付けると、あちらの方の悪いところも見付けられる。丁度、川端に育った子供は水練が御徒衆にも負けないという様なもの。鰻屋の小僧は料理人よりも上手く鰻を掴むもの。今、鼻の先きでぐるぐる巡る処が道だと知った日には、高い仏老も訶ることができる。道に間断のないことを見付けると、何ということはない。老子は道を渾沌未分と見て腰を掛ける。本来の面目を探す処が間断となる。こちらでは、今隣で子が生れた、やれ、よいことだと言うのが道である。本来の面目を尋ねる暇はない。
【語釈】
・御徒衆…徒歩で行列の供をしたり警固に当ったりする侍。特に、江戸時代、徒組に属する者。
・本来の面目…天然のままにして、少しも人為を加えない衆生の心の本性をいう。仏性。

毎日飯をくって息をつく。いつもこふして、どこぞではぐわったり死ぬ。夫れまでか道のなりぞ。爰は有難ひの、爰はすてるのと云ことはない。動靜無端の見では得手不得手、はきだめへ捨るものは一つもない。大も小も同しこと。そこで直方先生が草履取の草履落した、老中の政しそこのふたも同しことと云はるる。理に巨細精粗のないを見たもの。夫から段々見付ると、曾点の氣象になる。今と云ことなり。やがてをれが大名になったらして見せふと云ふと、かしこい人がふき出して笑ふ。やがてのなんのと云間はない。今の処をしてゆくが道なり。そこで、非知道者孰能識之と云ても、たのみのないことでも訶り付られたことでもないと合点せふことぞ。
【解説】
道には死ぬまで間断がなく、理に巨細精粗はない。そこで、今すべきことを後に回さず、今するのである。
【通釈】
毎日飯を食って息を吐く。何時もこうしていて、最後にはがたりと死ぬ。それまでが道の姿である。ここは有難いとか、ここは捨てるということはない。「動静無端」の見地では、得手不得手や掃き溜めに捨てるものは一つもない。大も小も同じこと。そこで直方先生が、草履取りの草履を落としたのも、老中が政をし損なったのも同じことだと言われた。理に巨細精粗がないことを見たもの。それから段々と見付けると、曾点の気象になる。それは今することであって、やがて俺が大名になったらして見せようと言うと、賢い人が吹き出して笑う。やがてとか何のと言う間はない。今の処をして行くのが道である。そこで、「非知道者孰能識之」と言っても、諦められたことでも訶り付けられたことでもないと理解しなさい。
【語釈】
・曾点の氣象…曾点は曾皙。曾子の父。論語先進25。「曰、莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也」。

兒共がくらやみを怯がる。くらやみはこわいものでないさと云ても、やっはりこはがる。親がくらやみの怯くないわけを知らせたけれとも、どふもならぬ。をとなになると何のことなく知る。知るときは知ると、程子が独りすんでほかんとほふり出した。不親切の様ではあれと、独りでなくては知られぬこと。こふきいて、御前は不親切しゃ。非知道者孰能識之と仰せらるるが、私がたばこの火を取て参ろふ。二人より合に吸をふではないかと云へば、程子が、そんなことでゆかぬ、いや々々と云てかぶりふるなり。夫れ故、程門ても一两人ならでない。そこで直方先生も、兎角此塲を嘗たものがすくないてさと云れた。
【解説】
子供は暗闇を怖がるが、やがて自分自身でそれが怖くないことを知るものである。それと同じで、知るとは自分自身に由るのである。
【通釈】
子供が暗闇を怖がる。暗闇は怖いものではないなどと言っても、やはり怖がる。親が暗闇の怯くないわけを知らせても、怖いのはどうにもならない。大人になると、何となく暗闇は怖くないものだと知る。知る時は知ると、程子が独りわかってぽかんと放り出した。それは不親切の様だが、自分自身からでなくては知ることはできない。この様に聞いて、御前は不親切だ、「非知道者孰能識之」と仰せられたが、私が煙草の火を取って来るから二人で一緒に吸おうではないかと言えば、程子が、そんなことではいけない、駄目だと言って頭を振る。それで、程門でも二人でするとは言わない。そこで直方先生も、とかくこの場を味わった者が少ないものだと言われた。

爰に取り合にくいことなれとも、一つ話がある。會津の中將様は三子傳心録をあまれて、此書のあんばいのすんたものが當時日本にあろふかと仰せられたれば、柯先生の、備前の福山におる医者永田羪菴でござると答へられた。其後會津公のたび々々羪菴は息才か、羪菴は無事かと問れて、さて、ゆかしがられた。さて、きいてもゆかしいと云ほどのこと。知りた人なり。道統の列ぞ。道体の話のうつらぬ人は、博学で儒者役がつとまっても、一と通り圖説がすんたと云てもやくにはたたぬぞ。道体話のむまみをきいて、にっこりの出ぬは本んのことはない。爰等は分外の味あることなり。これからをもへば幸田栄治郎殿の不幸も善太君の不淑と云計りてもなく、吾黨にも不幸ひと云ほどのことじゃは、道体話になるとよふうつられたぞ。爰の非知道者と云は重ことなれとも、今日道体の咄さるる人と云は拂底なり。されは栄治郎殿の不幸も道体沙汰になっては、吾黨で木村長門が死だと云ほどのことなり。
【解説】
道体の話がわからない人は、博学で儒者役は勤まるとしても、一通り図説が済んだと言っても役には立たない。保科正之や幸田栄治郎は道体を知った人だった。
【通釈】
ここには取り合わせ難いことではあるが、一つ話がある。会津の中将様が三子伝心録を編まれて、この書の塩梅の済んだものが当時の日本にいるだろうかと仰せられたので、柯先生が、備前の福山にいる医者で永田養菴がその人だと答えられた。その後、会津公は度々養菴は息災か、養菴は無事かと問われ、本当に床しがられた。さて、聞いても床しくなるというほどで、知った人であり、道統の列に入る人である。道体の話の映らない人は、博学で儒者役は勤まっても、一通り図説が済んだと言っても役には立たない。道体話の甘みを聞いて、にっこりとするものが出ないのは本物ではない。ここ等には分外の味があること。これから思えば幸田栄治郎殿の不幸も善太君の不淑というだけでなく、我が党にも不幸なことだと言うほどのことであり、彼は道体の話をよく理解された人だった。ここの「非知道者」は重いことであって、今日道体の話をされる人だと言える者はいない。そこで、栄治郎殿の不幸も道体沙汰で言えば、我が党で木村長門が死んだというほどのことなのである。
【語釈】
・會津の中將様…保科正之。江戸前期の大名。会津の藩祖。徳川秀忠の庶子。保科氏の養子。会津二三万石に封ぜられ、将軍家綱を補佐。社倉を建て領民を保護。儒学を好み山崎闇斎を聘し、また吉川惟足の神道説を学び、その伝授を得た。諡号は土津霊神。1611~1672
・柯先生…山崎闇斎。
・永田羪菴…山崎闇斎門下。佐藤直方は初め永田養庵に学び、彼を介して山崎闇斎の弟子となる。
・幸田栄治郎…
・善太君…幸田子善。迂斎門下。1720~1792
・不淑…「淑」は善いの意。不淑は不幸に同じ?
・拂底…物が非常に乏しくなること。しなぎれ。たねぎれ。
・木村長門…木村長門守重成。大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家のために戦って死ぬ。母の右京大夫局は豊臣秀頼の乳母。


第十七 仁者天下之正理の条

仁者、天下之正理。失正理、則無序而不和。
【読み】
仁は、天下の正理なり。正理を失わば、則ち序無くして和せず。
【補足】
この条は、程氏経六にある。

此条と次の天地生物の条と、二章を一つに見ることなり。偖、朱子の編集に、仁は大切のことゆへ一つ処において学者の合点しよい様にしそうなものを、所々へ仁をはさんでをいた。これが趣向のあること。道体を聞せるか、猪やむじなに語るでない。人間への御馳走と合点せふことぞ。天地を語りては、いき間かへ間に仁々とくるか編次の思召なり。天人一なもの。そこで上に動靜無端と天で語りて、ここに仁は天下之正理と人でうけたもの。太極圖から是迠のついてもそれなり。又、易も中庸も、天道のあとへは垩人なり。垩人は仁なり。仁を云へば垩人なり。垩人が天なり。ここにへだてはない。そこで又、下の条へは父子君臣と天下中の人でうけたもの。人の身の道も天地自然なものなれとも、すてておけはあさましくなる。在物の理にまかせても、義がないからぞ。そこで處物義がいる。それをうけて、爰で失正理無序不和とうくるなり。
【解説】
前条で「動静無端」と天で語り、この条では「仁者天下之正理」と人で受ける。易も中庸も、天道の後へは聖人を出す。それは、聖人が仁であり天だからであって、また、道体が人への馳走だからである。15条では「處物為義」と言ったが、それをここでは「失正理無序不和」と受けた。
【通釈】
この条と次にある天地生物の条とを一つのものとして捉えること。さて、仁は大切なことだから一箇所に置いて学者が理解し易い様にしそうなものだが、朱子の編集は、所々に仁を挟んで置いている。これが趣向のあること。道体を聞かせるとは、猪や狢に語ることではなく、人間への御馳走のことだと合点しなさい。天地を語るその合い間に仁々と言うのが、朱子の編次の思し召しである。天人は同じもの。そこで、前条で「動静無端」と天で語り、この条で「仁者天下之正理」と人で受けた。太極図からここまでの順序も同じこと。また、易も中庸も、天道の後へは聖人を出す。聖人は仁。仁を言えば聖人のこと。聖人が天である。ここに隔てはない。そこでまた、次の条へは「父子君臣」と、理を天下中の人で受ける。人の身にある道も天地自然なものだが、捨てて置けば浅ましくなる。「在物之理」に任せても、義がないからそうなる。そこで「處物為義」が要る。それを受けて、ここでは「失正理無序不和」と言ったのである。
【語釈】
・父子君臣…道体18。「常思天下君臣父子兄弟夫婦、有多少不盡分處」。
・在物の理…道体15。「在物爲理、處物爲義」。

天下と云字は中庸が出処なり。ふけらかすときの口上。天下之達道、天下之大本、天下之至誠と云ふか、一とのり乘って云口上。天下中一番が仁しゃとなり。太極を丸に受て、夫れがうるをって活てをる処で仁と云。垩人定之以中正仁義而主靜而立人極。人がづぶに太極形の正理になった処て云。此の正理に交りのないで、人が人で生ておる。そこか仁なり。処を無序と云になれば、がったりをちるなり。此無序と下の不尽分をよくみるがよい。ぬす人の上で云ことでない。歴々の上でかいたこと。釈迦が生老病死をうるさがったは私意なり。出家さるる、はや失正理無序なり。そこで朱子の不堪煩底之人と云れた。人の世に處るには、叔母が死だの、子が生れたの、やれ女房が病氣あることなり。それをうるさいとて迯け出した。丁度、竒麗ずきか煤掃をにげたやふなもの。雪山へ迯げたときは、淨飯王后もさぞ悲れたであろふ。羅喉羅もととさまがみへぬと云て泣たであろふ。今日道樂息子の江戸へかけ出したとはちごふ筈なれとも、此段に成ては同しこと。無序而不和じゃ。
【解説】
天下という字は中庸が出処である。太極を全て受けて、それが潤って活きている処を仁と言う。正理に雑じりがないと、人は人らしく生きることができるが、私意があると「失正理無序」となる。釈迦が生老病死を煩がったのは私意である。
【通釈】
天下という字は中庸が出処である。それは大言を言う時の口上で、「天下之達道」、「天下之大本」、「天下之至誠」と言うのが、一調子乗って言う口上である。天下中で仁が一番だということ。太極を丸々と受けて、それが潤って活きている処で仁と言う。「聖人定之以中正仁義而主静而立人極」は、人がすっかりと太極の通りの正理になった処で言う。この正理に雑じりがないので、人が人として生きている。そこが仁である。ところが、それが「無序」になれば、がたりと落ちる。この無序と、次条の「不尽分」とをよく見なさい。盗人のことを言ったのではない。歴々のことを書いたのである。釈迦が生老病死を煩がったのは私意である。出家したのは、早くも「失正理無序」である。そこで朱子が「不堪煩底之人」と言われた。人が世にいると、叔母が死だとか、子が生まれたとか、やれ女房が病気になったということがある。それを煩がって逃げ出した。丁度、綺麗好きが煤払いを逃げる様なもの。雪山へ逃げた時は浄飯王后もさぞ悲しまれたことだろう。羅睺羅も父さんがいないと言って泣いたことだろう。今日、道楽息子が江戸へ逃げ出したこととは違う筈だが、この段では同じこと。「無序而不和」である。
【語釈】
・天下之達道…中庸章句1と同20にある語。
・天下之大本…中庸章句1。「中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也」。
・天下之至誠…中庸章句22と同23、32にある語。
・垩人定之以中正仁義而主靜而立人極…道体1。「聖人定之以中正仁義而主静。立人極焉」。
・づぶ…ずぶ。全く。まるっきり。
・不堪煩底之人…「煩いに堪えざる底の人」?
・雪山へ迯げた…釈尊が過去世に雪山で修行し、悟りを開き、成道したこと。
・淨飯王后…摩耶。釈尊の母。中インド拘利城主の善覚の妹(一説には娘)。迦毘羅衛の浄飯王の妃となり、悉達多太子(後の釈迦牟尼)を生み、七日目に死去した。マーヤー。摩迦摩耶。摩耶夫人。
・羅喉羅…羅睺羅。釈尊の嫡子。母は耶輸陀羅。父について出家し、戒律を細かく守り、密行第一と称せられた。釈尊十大弟子の一。

老子が天然自然じゃと云て落付ても、火事のときは騒くが正理じゃに、兒共が井戸へをちました、いや、さはがぬがよい。盗人が参りました、いや、それもさうしておけと云ては失正理云々なり。ものもふと云へば、どをれと云か正理じゃに、達磨か引こんで面壁。だまって計りをる。失正理なり。これと云も在物之理處物之義を知らぬからぞ。異端が父子や夫婦の上にある理は假と云ものじゃ、かいないと見て、山の奥を尋て西山へゆく。在物為理を見ぬ目から、處物の義をもをきそこなって、ゆくまい処にゆきたのぞ。某などが區々の目て、大きな人たちをこふ云も似合ぬと云はふが、某ではないぞ。道体名義でおすのじゃぞ。
【解説】
老子や達磨が世事を絶つのは「失正理」である。異端は父子や夫婦の上にある理が仮のもので甲斐ないものだと見て、それから逃れようとするが、それは「在物為理」を見ず、「處物之義」を誤ってするものである。
【通釈】
老子が天然自然だと言って落ち着いているが、火事の時は騒ぐのが正理であって、子供が井戸に落ちましたと聞いても、いや、騒がないのがよいと言い、盗人が来ましたと聞いても、いや、それも放って置けと言うのでは「失正理云々」である。もの申すと言われれば、どれと言って応対するのが正理なのに、達磨は引っ込んで面壁し、黙ってばかりでいる。それは「失正理」である。それというのも「在物之理處物之義」を知らないからである。異端は父子や夫婦の上にある理が仮のもので甲斐ないものと見て、山の奥を尋ねて西山へ行く。「在物為理」を見ないから、「處物之義」をも置き損なって、行ってはならない処に行ったのである。私などが、この小さな目で大きな人達をこの様に言うのは似合わないことだと言われるだろうが、私自身が考えて言ったことではない。道体の名義で推しただけのことである。
【語釈】
・面壁…達磨が中国の少林寺で壁に面して九年間座り続けたこと。その間に一語も発しなかった。
・西山…
・區々…小さくてつまらぬさま。

黄檗が、母の目をまわしたにふりむきもせぬ。無序而不和。よく々々の稽古てああなったことではあろふが、正理とは云れぬ。是れからさきが佛法はおかしいもの。母の死した上に紫雲たなひき、男の身になりて天へ登りたと云。これは見物がうばかかゆへぞ。佛法を有難かって、其後にそこを大義渡と云たげな。こちで云義と云はそふしたことではない。母を見ごろしにしたを大義と云ては處物為義の義字にはづれた。道体には合ぬぞ。夷狄禽獣之道じゃとは、そこを云。禽獣には意見ないゆへまだしもなこともある。鴉の反哺、螻蟻之君臣、豺祭獣。あれらがきなしですることではあるが、天地の中には正理と云ものがみち々々てあるから、あれらがくらい中へもそのあかりがちらり々々々とうつったものなり。釈迦が淨飯王のあたまへ足をあげたは無序而不和、言語道断じゃ。
【解説】
天地の中には正理が充満してあるから、禽獣の様な暗愚なものの中にもその明かりが映って、烏の反哺、螻蟻の君臣、豺祭獣という義がある。それなのに、釈迦を始め、仏は「無序而不和」である。
【通釈】
黄檗は母が目を回したのに振り向きもしない。「無序而不和」である。大変な稽古をしてあの様になったのだろうが、正理とは言えない。これから先が、仏法は可笑しいもの。母の死んだその上に紫雲がたなびき、男の身になって天へ昇ったと言う。これは見物人が姥や嬶だから言うのである。仏法を有難がって、その後にそこを大義が渡ると言いたいのである。こちらで言う義とは、その様なことではない。母を見殺しにしたのを大義と言っては「處物為義」の義の字に外れる。それは、道体に合わない。「夷狄禽獣之道」とは、そこを言う。禽獣には意見がないから、まだましなこともある。烏の反哺、螻蟻の君臣、豺祭獣である。あれ等はする気がなくてするのだが、天地の中には正理が充満してあるから、あれ等の様な暗いものの中にもその明かりがちらりと映るのである。釈迦が浄飯王の頭へ足をあげたのは「無序而不和」であって、言語道断である。
【語釈】
・黄檗…黄檗希運。中国唐代の禅僧。福州閩県の人。百丈懐海に師事した。弟子に臨済義玄がいる。断際禅師。~850頃
・鴉の反哺…烏に反哺の孝あり。小爾雅釈鳥事文類聚。烏が雛のとき養われた恩に報いるため、親鳥の口に餌をふくませてかえすということ。子が成長の後、親の恩に報いるたとえ。
・螻蟻之君臣…朱子語類性理。「如螻蟻如此小、便只知得君臣之分而已」。
・豺祭獣…礼記王制。「豺祭獸、然後田獵」。
・淨飯王…釈尊の父。中インドの迦毘羅衛の王。

さて、和くと云は、中庸に妻子好合鼓瑟琴。天下の正理ゆへ、つき合はよい。常人は夫婦喧嘩する日もあろふが、心ある人は家内のつき合は見事なもの。それを孔子が父母其順乎と云れた。垩賢の道は不断ある珍らしくない和したなりが正理なり。
【解説】
和とは、中庸の「妻子好合鼓瑟琴」であって、天下の正理だから付き合いがよい。和した姿が正理である。
【通釈】
さて、和らぐというのは、中庸の「妻子好合鼓瑟琴」であって、天下の正理だから付き合いがよい。常人は夫婦喧嘩をする日もあるだろうが、心ある人は家内の付き合いは見事なもの。それを孔子が「父母其順矣乎」と言われた。聖賢の道では、普段ある珍しくもない和した姿が正理である。
【語釈】
・妻子好合鼓瑟琴…中庸章句15。「君子之道、辟如行遠、必自邇、辟如登高、必自卑。詩曰、妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟既翕、和樂且耽。宜爾室家、樂爾妻帑。子曰、父母其順矣乎」。詩は詩経小雅常棣。


第十八 明道先生曰天地生物云々の条

明道先生曰、天地生物、各無不足之理。常思天下君臣父子兄弟夫婦、有多少不盡分處。
【読み】
明道先生曰く、天地物を生ずるに、各々足らざるの理無し。常に思う、天下の君臣父子兄弟夫婦に、多少分を盡くさざる處有り、と。
【補足】
この条は、程氏遺書一にある。

此語が明道の感慨ある語なり。夫が何で見へると云に、常に思の字なり。これが胸へぎり々々とひひいて感慨した処じゃ。天地で人が一尊いが、天地の方に依怙贔屓の、匕加減のと云ことはない。人物に隂陽五行を十分に渡す。そこで松と云付ると十分の松、竹は十分の竹なり。その内によく考てみれば、ここか常に思ふの処。人が折節すこたんがある。人の方が却て十分形りでない。ここが感慨の処。多少。いかいこと。不尽分。扇を皆ひらかすにあをぐなり。禽獣は鳥の飛ひ、魚のをよく。皆尽すに、親に孝、君に忠、一番つくしそうな人がいくらかつくさぬ。こりゃどうしたものじゃと云か感慨なり。
【解説】
天地の中で人が一番尊いが、天地には依怙贔屓や匕加減はなく、人や物に陰陽五行を十分に渡す。禽獣は鳥が飛び、魚は泳いで皆本分を尽くすが、人は尽くしていない。それが明道の感慨である。
【通釈】
これは明道の感慨ある語である。それが何でわかるかと言えば、「常思」の字からである。これが胸へぎりぎりと響いて感慨した処なのである。天地の中で人が一番尊いが、天地の方に依怙贔屓や匕加減ということはない。人や物に陰陽五行を十分に渡す。そこで松と言いつければ十分な松に、竹は十分な竹となる。その内をよく考てみれば、ここが「常思」の処。人は折節間違いを起こす。人の方が却って十分な姿ではない。ここが感慨という処。「多少」。多いこと。「不尽分」。扇を全部開かないで扇ぐこと。禽獣は鳥が飛び、魚は泳いで皆その本分を尽くすのに、親に孝、君に忠で一番尽くしそうな人があまり尽くさない。これはどうしたことだと言うのが明道の感慨である。
【語釈】
・すこたん…あてのはずれること。だまされること。また、間違い。見当違い。
・鳥の飛ひ、魚のをよく…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦、及其至也、察乎天地」。詩は詩経大雅早麓。

これと云も處物為義のはつれからなり。今日、老ては子に從ふがよいと云。これが今の世の利口ものの口上なれとも、それがいつも々々々もめ合ひのあるから出たものなり。そんなこと、云ふ親も、云はるる子もおもいやられた分を尽さぬから発りた口上なり。慈に止り、孝に止りの父子でない。欲心凡情からすることゆへ、そこで和せぬ。いつも々々々もめ合なり。
【解説】
人が本分を尽くさないのは「處物為義」から外れ、何時も揉め合って和せないためである。揉め合うのは欲心凡情があるからである。
【通釈】
これと言うのも「處物為義」から外れるためである。今日、老いては子に従うのがよいと言う。これは今の世の利口者の口上だが、それはいつも揉め合いがあるから出た言葉である。そんなことは、言う親も言われる子も、天が思い遣って授けた理の本分を尽くさないところから起こった口上なのである。慈や孝に止まるべき父子の姿ではない。欲心凡情からするので、それで和せない。いつも揉め合っている。
【語釈】
・處物為義…道体15。「在物爲理、處物爲義」。
・慈に止り、孝に止りの父子…大学章句3。「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。

垩賢は分を尽すから、大学では至善に止り、太極圖では立人極。とれも一はいに尽すこと。一はいに尽さぬからは、作の皷がありても音が出ぬ。だたい人間はよい筈のもの。夫がそうゆかぬは、ささわりあるからなり。前にある在物の理處物の義を知らぬからのこと。こう合せてみるが、ここがさき云た引鍼の処。在物理云々を知らぬから、つくされぬぞ。堯舜文王くらべてみよ。天から下されものの足らぬではない。この方が分を尽さぬのなり。
【解説】
聖賢は本分を一杯に尽くす。天が下さったものに足りないことはなく、自分が本分を尽くさないからうまくいかないのである。
【通釈】
聖賢は本分を尽くすから、大学では至善に止まり、太極図では「立人極」である。どれも一杯に尽くすこと。一杯に尽くさないから、名人の皷があっても音が出ない。そもそも人間はよい筈のもの。それがその様にいかないのは、障りがあるからである。それは十五条で言った「在物之理、處物之義」を知らないからである。この様に合わせて見るのが、先に言った引鍼の処。「在物為理云々」を知らないから、尽くすことができない。堯舜や文王と比べて見なさい。天から下されたものが足りないわけではない。こちらが分を尽くしていないのである。
【語釈】
・至善…大学章句1。「大學之道在明明德、在親民、在止於至善。知止而后有定。定而后能靜」。
・立人極…道体1。「聖人定之以中正仁義而主靜。立人極焉」。


第十九 忠信所以進德の条

忠信所以進德、終日乾乾。君子當終日對越在天也。蓋上天之載、無聲無臭。其體則謂之易、其理則謂之道、其用則謂之神。其命於人則謂之性、率性則謂之道、脩道則謂之敎。孟子去其中、又發揮出浩然之氣。可謂盡矣。故説、神如在其上、如在其左右。大小大事、而只曰誠之不可揜如此夫。徹上徹下、不過如此。形而上爲道、形而下爲器。須着如此説、器亦道、道亦器。但得道在。不繋今與後、己與人。
【読み】
忠信は德に進む所以にして、終日乾乾たり。君子は當に終日天に在るものに對すべし。蓋し上天の載[こと]は、聲も無く臭も無し。其の體は則ち之を易と謂い、其の理は則ち之を道と謂い、其の用は則ち之を神と謂う。其の人に命ずるときは則ち之を性と謂い、性に率うときは則ち之を道と謂い、道を脩むるときは則ち之を敎と謂う。孟子は其の中に去[ゆ]きて、又浩然の氣を發揮し出す。盡くせりと謂う可し。故に説く、神其の上に在るが如く、其の左右に在るが如し、と。大小の大事にして、只誠の揜[おお]う可からざる此の如きかなと曰うのみ。徹上徹下、此の如きに過ぎず。形よりして上なるを道と爲し、形よりして下なるを器と爲す。須く此の如く説くべし、器も亦道なり、道も亦器なり、と。但道得ること在り。今と後と、己と人とに繋[かかわ]らず。
【補足】
この条は、程氏遺書一にある。

上に分を尽さぬと来て、あとへ忠信とうけたが面白い編集なり。分を尽さぬは誠がないからじゃと、べったりとうけたもの。禽獣はくらい形なれとも誠を失わぬ。鷄は此短夜にもやっはり時をつくる。犬の門を守る。皆分を尽す。夫からしては、蝮の喰い付くも呵れぬことじゃ。人があまりくい付ぬがよいと云へは、蝮が、いや、わしは天の云付け通りて分を尽すから喰ひ付きますが、こなた衆はなぜ君臣父子の分を尽さずに、親に不孝、君に不忠じゃと云れて、蝮にやりこめられた。そこを以後きっとまけぬやうにするには工夫がいる。工夫は忠信所以進德。誠の脩覆なり。
【解説】
「忠信所以進德、終日乾乾」の説明。禽獣でも分にあった誠があるが、人が分を尽くさないのは誠がないからである。誠を修復するには工夫が必要で、それが「忠信所以進德」である。
【通釈】
前条で「有多少不盡分處」と出して、この条で「忠信」と受けたのが面白い編集の仕方である。分を尽くさないのは誠がないからだと、しっかりと受けたのである。禽獣は暗い形だが誠を失わない。鶏はこの短夜でもやはり時を作る。犬は門を守る。皆分を尽くす。それから言えば、蝮が喰い付くのも呵ることはできないこと。人が余り喰い付かない方がよいと言えば、蝮が、いや、わしは天の言い付け通りで分を尽くすから喰い付きますが、貴方達は何故君臣父子の分を尽くさずに、親に不孝、君に不忠なのかと言われて、蝮に遣り込められる。そこで、以後はしっかりと負けない様にするには工夫がいる。工夫とは「忠信所以進徳」であって、それが誠の修復なのである。
【語釈】
・忠信所以進德…乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、夕惕若、厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也。知至至之、可與幾也。知終終之、可與存義也。是故居上位而不驕、在下位而不憂。故乾乾。因其時而惕。雖危无咎矣」。

誠幾德の誠は天と人とををっくるめて自然を云。爰の忠信と云字は人の忠信で、誠の工夫をする文字なり。夫れであの誠の垩人の塲にならるるとなり。忠は中かの心。そこをはらって出ること。信は口上へ述るに、口と中の心のちがわぬこと。今、人は面倒じゃと思ふときも、やれよう御出と云、心にないことを云。僞なしに、みぢん心にたかわず、うそのないやうに々々々々々とするが進德なり。今日も忠信、あすも忠信とする。曽子の心がけの三省もここぞ。さて、此語は孔子の易で仰られたこと。周公旦の乾の九三を終日乾々と辞をかけたを、孔子の、君子の心の忠信が終日乾々じゃと周公の辞をといたこと。爰ではさかさまに、忠信を心掛るとするには終日乾々でなくてはならぬと、孔子の詞へ周公をかけてといたものぞ。
【解説】
「誠幾徳」の誠は天人双方のことだが、この条の誠は人についてのこと。忠信とは誠の工夫をすること。忠は中の心で、信は行為と心とが違わないこと。忠信によって徳に進むが、それには終日乾々でなければならない。
【通釈】
「誠幾徳」の誠は、天と人とをひっくるめた自然を言う。ここの忠信という字は人の忠信のことで、誠の工夫をする意味の文字である。それによって、あの誠の聖人の場になることができると言う。忠は中の心と書く。底を払って出ること。信は口上を述べる際に、口と中の心が違わないこと。今、人は面倒だと思う時も、やれよく御出でになられたと、心にもないことを言う。しかし、偽りなく、少しも心に違わず、嘘のない様にとするのが進徳である。今日も忠信、明日も忠信と言って行う。曾子の心掛けた三省もこのこと。さて、この語は孔子が易で仰せられたこと。周公旦が乾の九三で「終日乾々」と辞を繋けたのを、孔子が、君子の心の忠信は終日乾々だと説いたもの。ここはそれを逆様にして、忠信を心掛けるためには終日乾々でなくてはならないと、孔子の言葉へ周公を繋けて説いたものである。
【語釈】
・誠幾德…道体2の語。
・三省…論語学而4。「曾子曰、吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎」。

さて、忠信進德の工夫をせふならば、上の方に天をおいていつも々々々乾々と、あの天に向ふ心がよいと詩經でといた。此詩は祭のことを云たこと。上に鬼神の神灵ある。それに對する心もちぞとなり。上に神灵ある心もちて、夫れで天に向い合ふてと云が對するなり。誠と云に、天に對すると云より外に形容はない。あの天へ通はそうとするなり。さあ、爰がよくすんだら学問の品のよくなることと合点するがよい。當とあるから工夫にはきはまりたが、爰の工夫は誠意正心のこと。一旦のことでない。だたい存羪のことなり。
【解説】
「君子當終日對越在天也」の説明。忠信進徳の工夫は天を上に置いて、それに向かう心でするのがよい。「対」とは、上に神霊がいるという心で天に向かい合うこと。この工夫は誠意正心のことであり、存養のことである。
【通釈】
さて、忠信進徳の工夫をするのなら、天を上の方に置いて、いつも乾々とあの天に向かう心でいるのがよいと、詩経を引用して説いた。この詩は祭のことを言ったもの。上に鬼神という神霊があって、それに対する心持のことだと言う。上に神霊があるという心持で、それで天に向かい合うと言うのが「對」の意味である。誠とは、天に対すると言うより外に形容はない。あの天へ通わそうとすること。さあ、ここをよく済めば、学問の品がよくなると合点するのがよい。「當」とあるから工夫するのは当然だが、ここの工夫は誠意正心のこと。一時のことではなく、そもそもそれは存養のことである。
【語釈】
・詩經…詩経周頌清廟。「對天越在天、駿奔走在廟」。

道体の本然は善計りなり。爰はざっかけない金銀。好色の御坐へ出されぬ欲なとのあるものに、此工夫するとはかたられぬ。さうみるは馬士が古わんぼふに伽羅を薫くやふなもの。爰の對天の字を大事にみることは、譬はば月に對すると云やふなもの。月の晴れをみるにもいこう次第のあること。むさい心で見るは對すてない。ただ引き窓をあけて見たは對すでない。くはらりと打ちひらいて、我に後ろくらいことない身で、さへた月をきれいな心で見れば月に對すじゃ。四条の冷みに白人によりかかりて酒を飲むは、月に對すとは云れぬ。あれはよごすのじゃ。
【解説】
道体の本然は善のみで疵一つない。「対天」をたとえれば、大きく窓を打ち開いて、自分に後ろ暗いことのない身で冴えた月を綺麗な心で見る様なことである。
【通釈】
道体の本然は善ばかりである。ここは疵一つない金銀。好色で表に出せない欲などのある者には、この工夫を語ることはできない。その様に言うのは、馬士が古着に伽羅を薫く様なものだからである。ここの「対天」の字を大事に見るとは、たとえば月に対する様なもの。月の晴れを見るにも大層段階がある。卑しい心で見るのは対すではない。ただ引き窓を開けて見るだけでは対すではない。がらりと打ち開いて、自分に後ろ暗いことのない身で冴えた月を綺麗な心で見れば、それが月に対すである。四条の涼みで白人に寄り掛かって酒を飲むのは、月に対すとは言えない。あれは月を汚しているのである。
【語釈】
・わんぼふ…①布子の綿入れ。どてら。②転じて、粗末な着物。また、他人の衣服をけなしていう語。
・白人…江戸時代、京の祇園、大坂の島内・新地などの私娼の異称。

此對すは秋月照寒水の消息ぞ。いざさらば心くらべん秋の月の清き流れを照らすすがたに、と訂翁のよまれた。少もこちに人欲と云ふごみがあるては、對すとは云れぬ。先生更端曰、日本文の對天と云ははばがひろくてきこへにくいから、某が今日は月と云てみせたぞ。月に對すの模様で天に對すの意ほぼ伺ふべし。学者の心もだだいよこれのないもの。それにまがりが有ったりよごれがあったりしては天に對されぬ。人みせの学問、人見せの工夫ではうかがわれぬこと。直方先生の、凡夫は天をこはがらずに人をこわがると云れた。大名でも、妾と戯れるを茶坊主にみられても耻る。天には耻ず、小僧に耻るはいかかぞ。学者忠信、ふたん天を相手にする。そこが天に對す心と云。それで本然にかへらるるとのこと。
【解説】
「対天」は自分に人欲があってはならない。学者の心も元は汚れのないものだが、それに枉りや汚れがあったりしては天に対すことはできない。凡人は天に恥じずに人に恥じる。人見せの学問、人見せの工夫ではいけない。
【通釈】
この「対す」とは、「秋月照寒水」の姿である。いざさらば心比べん秋の月の清き流れを照らす姿にと訂翁が詠まれた。少しでもこちらに人欲という塵があっては、対すとは言えない。先生が身を正して、日本文の対天という意は幅が広くてわかり難いから、私が今日は月にたとえて言って見せたのであると言った。月に対すの模様で天に対すの意の概略を窺いなさい。学者の心もそもそも汚れのないもの。それに枉りがあったり汚れがあったりしては天に対すことはできない。人見せの学問、人見せの工夫では、「対天」は窺えない。直方先生が、凡夫は天を怖がらずに人を怖がると言われた。大名でも、妾と戯れているのを茶坊主に見られると恥じる。天には恥じずに小僧に恥じるのは如何なものか。学者の忠信は、絶えず天を相手にする。そこを天に対す心と言う。それで本然に帰ることができる。
【語釈】
・秋月照寒水…朱子文集巻4の斎居感興五言詩凡廿首の一。「恭惟千載之心。敬者是心之貞。聖人專是道心。秋月照寒水」。弧松全稿68録絶筆の語にもある。
・いざさらば心くらべん秋の月の清き流れを照らすすがたに…
・訂翁…久米訂斎。

さて、此条を道体へ引れたあやは、爰の句は工夫なれとも、跡にさま々々道体名義が出てあるから、夫れてついてにこの句くるみ出したもの。爰は固り工夫が主なり。先軰の説も此条名義を主に云ことなれとも、つまり、道体工夫一つらぬきななりぞ。忠信進德、あとへじきに上天之載と出たをみよ。下の段々は固り道体じゃぞ。夫れて上の句の對天も工夫で計り説くでなく、工夫くるみ道体になると合点せふことなり。惣体、中庸発端も道体なれとも、工夫へ片足づつ入れてをる。其証拠は性道の下しきに教と出し、道不可離の下しきに戒懼あり。喜怒哀樂未發之謂中も道体なれとも、工夫でなければ得られぬ。
【解説】
この句は工夫が主だが、結局は、道体と工夫は一貫きなものなのである。中庸も同じで、「性道」の上に「教」が、「道不可離」の上に「戒懼」がある。道体も工夫がなければ得ることはできない。
【通釈】
さて、この条を道体に入れた綾は、この句は工夫のことだが、後に様々な道体の名義が出ているから、それで、ついでにこの句を含めて出したのである。ここは固より工夫が主である。先輩の説ではこの条を名義を主に言ってはいるが、結局は、道体と工夫とは一貫きなものなのである。忠信進徳の後へ直に「上天之載」と出したのを見なさい。下の段々は固より道体である。そこで、上の句の「対天」も工夫だけで説くのではなく、工夫を含めて道体になるのだと合点しなさい。大体、中庸の始めも道体だが、工夫へ片足づつ入れている。その証拠は「性道」の下敷きの上に「教」と出し、「道不可離」の下敷きの上に「戒懼」がある。「喜怒哀楽未発之謂中」も道体のことだが、工夫がなければ得ることはできない。
【語釈】
・性道の下しきに教…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隠、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。
・喜怒哀樂未發之謂中…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。

此章、始め人の忠信進德から云て、次きに天を語り、易の、道の、神のと語って、終りに誠不可揜とあるをみれは、始めの忠信からべったりと誠不可揜と、道体としることなり。これか中庸の鬼神の章の、鬼神は気が主なれとも費隱になる。この条、功夫をかけた意がすぐに道体になる。ここも進德からやっはり一と貫きなり。
【解説】
中庸の鬼神の章は鬼神という気が主だが「夫微之顯」を言う。この条もそれと同じで、「忠信」から「誠之不可揜」までが道体のことであって、工夫が直ぐに道体となるのである。
【通釈】
この章、人の忠信進德から言い始めて、次に天を語り、易、道、神と語って、終わりに「誠之不可揜」とあるのを見れば、始めの忠信からずっと誠之不可揜までが道体のことだと思いなさい。これが中庸の鬼神の章と同じで、鬼神は気が主であるが「費隠」となる。この条、工夫を掛けた意が直ぐに道体になる。ここも進徳からやはり一貫きである。
【語釈】
・鬼神は気が主なれとも費隱…中庸章句16。「子曰、鬼神之爲德、其盛矣乎。視之而弗見、聽之而弗聞、體物而不可遺。使天下之人、齊明盛服、以承祭祀。洋洋乎、如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思、矧可射思。夫微之顯、誠之不可揜、如此夫」。また、費隠は中庸章句12に「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉」とある。

上天之載はとは、上をうけたなり。對越在天。その上天と云ものはとうける。無声無臭はやはり無極而太極と云やふなもの。上天とは、天とよびかけて云なり。とかくに天と云を宗旨にする。中庸の性道教の注に、董子の道之大原出於天を引れた。とど、天のことなり。天と云に皈着する。異端は天を押しのけるで異端なり。さてその天は形あるかと云にない。ただ蒼々として形はない。その形ない天と云も只上の方にあるばかりでなく、はたらきある。そこを之載と云。之載と云は天のわざなり。寒来暑往三度飛脚の行つ来つするやうに、わざは目にみへる。そんなら其の奥て天が拵へさっしゃるか臺所で料理をなさるがと云に、そこは見へぬ。そこを無声無臭と云。
【解説】
「蓋上天之載、無聲無臭」の説明。「上天」とは天を宗旨にして言うこと。「之載」は天の働きであり、業である。天は「無声無臭」で形はないが、天の業は目に見える。
【通釈】
「上天之載」とは、上を受けたもの。「對越在天」。その上天というものは、と受けたもの。「無声無臭」はやはり「無極而太極」という様なもの。上天とは、天と呼び掛けて言うこと。とかく天というものを宗旨にする。中庸の性道教の注に董仲舒の「道之大原出於天」を引かれた。これはつまり天のこと。天ということに帰着する。異端は天を押し除けるから異端なのである。さて、その天には形があるかというと、ない。ただ蒼々としていて形はない。その形のない天も、ただ上の方にあるだけではなく、働きがある。そこを「之載」と言う。之載とは天の業のこと。寒来暑往で三度飛脚が行ったり来たりする様に、業は目に見える。それならその奥で天が拵えものをされているのか、台所で料理をなさっているのかと言われても、そこは見えない。そこを「無声無臭」と言う。
【語釈】
・董子…前漢の儒者。河北広川の人。春秋公羊伝に精通。景帝の時、春秋博士。後世、儒宗とされた。著「春秋繁露」「董子文集」。前179頃~前104頃
・道之大原出於天…漢書董仲舒伝の語。中庸章句1註。「右第一章。子思述所傳之意以立言。首明道之本原出於天而不可易、其實體備於己而不可離、次言存養省察之要、終言聖神功化之極」。
・三度飛脚…江戸時代、毎月三度、定期に江戸と京都・大坂間を往復した町飛脚。

其体則謂之易。体とは天地の人相書なり。形体、体段、体骨とも云ふ。どれも似たことなり。ただし、体用の体ではないとことわら子ばならぬ。体用の体は、用を向へをいて云こと。爰は人相書で姿を云口上なり。易はかわること。人もこふして居て年が寄る。此の比はきつふ暑ひが、やがてはや袷と云ほどに冷しくなる。兎角じっとしてはをらぬ。天地が隂陽でもったゆへに易と云。易の字は篆体で日月と云字なり。日月は隂陽のかたまりとみせたもの。易と云字はどふしても氣がのさばってもよい字なり。去年今年の旱りは天地も不調法じゃ。天地之大人猶有所憾。うらみらるるたけ不調法ぞ。されとも、それくるみに易なり。
【解説】
「其體則謂之易」の説明。「体」とは天地の姿であって、体用の体ということではない。「易」は陰陽の変化であり、その字義は日月である。易には不調法なところもあり、人が恨みを持つ場合もある。
【通釈】
「其体則謂之易」。体とは天地の人相書きである。形体、体段、体骨とも言うが、どれも似ていること。但し、体用の体ではないと断わって置かなければならない。体用の体は、用を向こうに置いて言うこと。ここは人相書きで、姿を言う口上なのである。易は変わること。人もこうしていても年をとる。この頃は厳しい暑さだが、やがて早くも袷が要ると言うほどに涼しくなる。とかくじっとしてはいない。天地が陰陽でもっているから易と言う。易の字は篆体で日月という字で、日月は陰陽の塊だと表したもの。易という字はどの様に気がのさばってもよい字である。去年今年の旱りは天地も不調法だ。「天地之大人猶有所憾」で、不満を持たれるだけ不調法である。しかしながら、それをひっくるめて易なのである。
【語釈】
・篆体…漢字の書体の一。
・天地之大人猶有所憾…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。

理と云は太極計りを引秡て云。寸法のきわまりたもの。直方の、所謂理はりちぎなものと云のなり。そこで其理のなりで道とは云ぞ。道と云字は、並木の松に付てゆけば京迠ゆかるると、きっとすじの立った処で道と云。人のよるべき形りに立ったもの。無極而太極は少しも氣をまぜぬ。上の易の字は少したりひづみあることもあらふ。しかし、全く氣では云ぬが氣をまぜて云なり。氣にはくるいがあるから、顔子を殺したりする。天の不調法なれとも、不調法ぐるみ易なり。されとも、死と云ことは自然とある筈のこと。死ぬまいものの死だでないと云処が理なり。
【解説】
「其理則謂之道」の説明。易には気が雑ざっているから不調法なこともあるが、「理」は太極だけであり、その筋に沿って行く処を道と言う。顔子の早世は気の狂いによるものと言えるが、死は自然なものだから、死自体は理なのである。
【通釈】
理とは太極だけを引き抜いて言うことで、寸法の極まったもの。直方の言った、理は律儀なものだということ。そこで、その理の姿を道と言う。道とは、並木の松に従って行けば京まで行かれると、その様にしっかりと筋の立った処で道と言う。それは人の依るべき姿として立つもの。「無極而太極」は少しも気を雑ぜない。上の易の字は少し撓みや歪みがあることもあるだろう。易は全てを気で言うわけではないが、気を雑ぜて言うからである。気には狂いがあるから、顔子を殺したりする。それは天の不調法だが、不調法であることも含めて易なのである。しかし、死は自然にある筈のこと。死なないものが死んだということではないという処が理である。
【語釈】
・たりひづみ…たわみゆがむこと。転じて、欠点。難癖。

其用云々。理と云ときはすわっておとなしい。用は造化の花もさき、落葉もし、天地の御役のことなり。はたらくことなり。道は造化の流行する筈の訳て云。爰の用は其造化流行する、さしあたりた形りを云。たとへは人が生きものゆへ、爰に居るかと思へば福俵の方へゆき、それから段々あるいてかへるそ。そこは易なり。其あるくからだにはたらきのあるはとふしたものぞ。そこは道なり。其用は神とは、今其あるいて行くはたらきを云。天地のもったはたらきをさして神と云。天地の姿の隂陽変化するを易と云。其変化するはたらきは神なり。易か神をさせると云と、さかさまなり。易はどなたのなさるると云に、鬼神のはたらき。とど一つものを見どころあって名を付るなり。さて先日よんだ処に功用妙用のことで鬼神と神の吟味があるが、爰をあの妙用のことにとくはよくない。爰は功用のこと。さて々々竒妙なと云用向きはない。ただ、はたらきと見ること。前に鬼神と云たをここへ神と出す。そこで爰を一と口に覚るがよい。天地の形りは易。其動きひきのない天地。人間こうなければならぬと云が道。雨をふらせ風を吹せるはたらきは神なり。
【解説】
「其用則謂之神」の説明。人が動くのは易で、動く体に働きのある理由が道である。「用」とは天地の働きであり、それが神である。天地の陰陽変化を易と言うが、それをさせるのが神である。ここの神とは道体五条で言う妙用のことではなく、功用を指して言ったものである。
【通釈】
「其用云々」。理と言う時は座っていて大人しい。用は造化のことで、花も咲き、落葉もする。天地の御役のこと。働くこと。道とは造化流行する筈のところという意味で言う。ここの用とは、その造化流行して当面した姿を言う。たとえば人は生き物だから、ここにいるかと思えば福俵の方へ行き、それから段々に歩いて帰る。そこは易である。その歩く体に働きがあるのはどうしたことか。そこは道である。その用を神と言うのは、今その歩いて行く働きを言う。天地の持っている働き指して神と言う。天地の姿が陰陽変化することを易と言い、その変化する働きは神である。易が神をさせると言うのは逆様である。易はどなたがなさるのかというと、鬼神の働きである。つまり、一つのものを見所を変えて名付けたのである。さて、先日読んだ処に功用妙用のことで鬼神と神の吟味があったが、ここをあの妙用のこととして説くのはよくない。ここは功用のことで、実に奇妙なことだという意はない。ただ、働きのことだと見ること。前に鬼神と言ったことを、ここでは神と出す。そこで、ここを一口に覚えるのがよい。天地の姿は易。その衰えることのない動きが天地。人間はこうでなければならないというのが道。雨を降らせ、風を吹かせる働きは神である。
【語釈】
・功用妙用…道体5。「以功用謂之鬼神、以妙用謂之神」。

其命人則謂之性率性則謂之道修道則謂之教。上天之載は無声無臭。そのはたらきが易の、道の、神のと云、それを上の方は片付た。それを人が受取って性と云。性のなりにゆくが道。そこにちらと品節あるが教へ。天で易の、道の、神のと云、人ては性道教なり。されとも易道神と性道教を合せて云ふことにあらす。さて、道体の篇の見様は前へ々々とふりかへりて見ること。前の在物為理が性。率性道は性なりにしてゆくことゆへ、すぐに處物義と同じことて性と云にはなれることはない。前も物と云にはなれることはない。教と云は学問上にあること。夫を子思の道体は手の入らぬものじゃに、道体の名義を語るに教と云字をかけたが面白。
【解説】
「其命於人則謂之性、率性則謂之道、修道則謂之教」の説明。天は易道神で、人は性道教である。天から人が受け取った誠を性と言い、性の通りに行くのを道と言い、品節のあることを教えと言う。ここの性道は、道体十五条の「在物爲理、處物爲義」と同じである。
【通釈】
「其命人則謂之性率性則謂之道修道則謂之教」。「上天之載」は無声無臭。その働きが易道神だと言い、それで上の方は片付いた。それを人が受け取って性と言う。性の通りに行くのが道。そこにちらりと品節のあるのが教え。天で易道神と言い、人では性道教である。しかし、易道神と性道教は、対比して言ったことではない。さて、道体の篇の見様は前へ前へと振り返って見ること。道体十五条にある「在物為理」が性。「率性道」は性の通りにして行くことだから、直に「處物為義」と同じで、性から離れることはない。前にも物から離れることはないと言った。教とは学問上のこと。道体は手を加える必要のないものだが、道体の名義を語るのに教という字を子思が用いたのが面白い。
【語釈】
・品節…中庸章句1集註。「脩、品節之也。性道雖同、而氣稟或異。故不能無過不及之差。聖人因人物之所當行者而品節之、以爲法於天下、則謂之敎。若禮・樂・刑・政之屬是也」。
・在物為理…道体15。「在物爲理、處物爲義」。

教は、今をさいごといたい灸をすへ、苦ひ藥を呑むことなれとも、その飲ぬ前にさう云理のあるが教なり。そこで道体なり。中庸でも爰ても、こうよむことなり。灸をすへ藥を呑むは功夫なれとも、功夫の前に左様な節は灸すへる筈、藥のむ筈と云ことある。そこが道体なり。俗学の知らぬことなり。なぜと云に、善悪分れ萬事出つでみよ。既に物ができる。物は氣へわたる。氣は道樂なもの。夫れで教がいる。上手の手に水がもると云が、上手は理、手は氣なり。手のくるいでもる。そこで教が道体にある。教の道体になっておるが老子のうかがわれぬこと。老子が手をそへぬがよい々々と云ても、五穀が自然なものでも、百姓が寢て居ては出来ぬ。そこで后稷民教稼穡なり。手をそへるが天形りなり。そこで教が入る。天なりをするから教をすると、そこで上の方を見上けで、天の体は易、理は道、用は神と見て、人の方では性道教と語って、孟子去其中又発揮出浩然之氣とかけたもの。
【解説】
教とは、当然にすべきことを教えることで、道体の一つである。たとえば上手の手に水が漏ると言う場合、上手が理で、手は気である。その気は道楽なものだから教が要るのである。老子は気に手を加えないのがよいと言うが、それは教が道体の一つであることを知らないからである。
【通釈】
教とは、今が最後と痛い灸をすえ、苦い薬を飲むことだが、それをする前にそうすべきだという理のあるのが教である。そこで道体なのである。中庸でもここでも、この様に読まなければならない。灸をすえ、薬を飲むのは工夫だが、工夫の前にその様な折は灸すえる筈、薬を飲む筈ということがある。そこが道体である。俗学はそれを知らない。それは何故かと言えば「善悪分萬事出」で見てみなさい。既に物ができる。物は気へ渡る。気は道楽なものだから、それで教えが要る。上手の手に水が漏ると言うが、上手は理、手は気である。手の狂いで漏る。そこで教えが道体にある。教えが道体になっていることを老子はわからない。老子が手を添えないのがよいと言うが、五穀は自然なものでも百姓が寝ていては、それは実らない。そこで「后稷民教稼穡」である。手を添えるのが天の通りのこと。そこで教えが要る。天の通りをするから教えをすると言う。そこで上の方を見上げて、天の体は易、理は道、用は神と見て、人の方では性道教と語り、「孟子去其中又発揮出浩然之氣」と繋けた。
【語釈】
・善悪分れ萬事出つ…道体1。「五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・后稷民教稼穡…孟子滕文公章句上4。「后稷教民稼穡、樹藝五穀。五穀熟而民人育。人之有道也、飽食煖衣、逸居而無敎、則近於禽獸」。
・浩然之氣…孟子公孫丑章句上2。「敢問、夫子惡乎長。曰、我知言。我善養吾浩然之氣。敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之間。其爲氣也、配義與道。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣。我故曰、告子未嘗知義。以其外之也」。

そこで此の中の字が殊の外いきることなり。中ちと云字をよくみよ。外のことのないことなり。外から発揮したではない。これが丁度、朱子が太極動而陽を生し以下を滾説と云た様なもの。弟子の伊川がさきへ立って夫れを動靜無端と云れた。これも滾説ぞ。爰で兄御の明道か孟子のことを云れたが外の流かとをもへば、やっはり又滾説なり。孟子の浩然は氣のことゆへ、氣の問屋は別かと云に、やはり道体なり。道体は何もかもある。これはあるがこれはないと云ことはない。肉桂がきれたの、甘草がないの、今日は易がきれものの、理が拂底のと云ことはない。孟子の気で云はるるは別のことかと云に、やはり理なり。其筈よ、太極さへ氣の中にある。物に宿をかりてをる。そんなら太極を隂陽の氣と合点すればよいかと云に、そふでない。理が氣中にありても、手からは理なり。
【解説】
「孟子去其中、又發揮出浩然之氣」の説明。ここの発揮は「中」からしたこと。孟子の浩然の気は気のことを言ってはいるが、それも道体から出たことで理のことである。道体には何もかもある。太極は気の中にあって物を宿としているが、それでも理が主なのである。
【通釈】
そこで、この「中」の字が殊の外活きる。中という字をよく見なさい。外のことがないこと。外から発揮したのではない。これが丁度、朱子が「太極動而生陽」以下を滾説と言った様なもの。弟子の伊川が先に立って、それを「動静無端」と言われた。これも滾説である。ここで兄の明道が孟子のことを言われたが、それは外の流れかと思えば、やはりまた滾説である。孟子の浩然は気のことだから、気の問屋が別にあるのかと言えば、やはり道体のこと。道体には何もかもある。これはあるがこれはないということはない。肉桂が切れた、甘草がない、今日は易が品切れだ、理が切れたなどということはない。孟子が気で言われたことは別のことかと言うと、やはり理のこと。その筈で、太極さえ気の中にあって、物に宿を借りている。それなら太極を陰陽の気だと合点すればよいかと言えば、そうではない。理が気の中にあっても、その主は理である。
【語釈】
・太極動而陽を生し…道体1。「太極動而生陽、動極而靜」。
・動靜無端…道体16。「動靜無端、陰陽無始」。

孟子も氣を發するなら男立や町奴のやふに大茶碗で飲で、こりゃどふだと云様なことかと云に、さうではない。孟子の浩然の氣は道義を本にする。理のことなり。その理も氣がかしけると理の威光はない。これ、氣の大事なり。そこで、吾身と云氣を集義の工夫で理中へはめると殊の外つよくなりて、大くはりきれるほどのものなり。これ、浩然之氣なり。夫れがどこからきたと云に、やっはり上天之載無声無臭、無極而太極から出たもの。彼無極而太極と云も氣中にある。その氣を養ふなり。終日在天對すも配義與道も集義も同じこと。其功夫をするから氣がのう々々となる。心廣體胖が浩然なり。偸兒は加役衆を見ると、はや横町へ迯る。凡そわるいことをする者は皆、氣がかじけるなり。理のぎり々々で氣がさへきってゆく。浩然は奴をふってのっし々々々とゆく。この処、理氣べったりとしたあやなり。そこで其中より去てと云。外の処から出さるるものではないなり。
【解説】
孟子の浩然の気は道義を本にしており、その道義とは理である。しかし、その理も気が弱ければ威光がない。我が身という気を集義の工夫で理の中へ嵌めると殊の外強くなって、大きく張り切れるほどになる。これが「浩然之気」である。工夫によって気が伸び伸びとする。理の至極によって気が冴え切って行くのである。
【通釈】
孟子も気を発するのなら、男伊達や町奴の様に大茶碗で酒を飲んで、これでどうだと言う様なことかと言うと、そうではない。孟子の浩然の気は道義を本にする。それは理のことである。その理も、気が縮むと理の威光はない。これが気の大事なところである。そこで、我が身という気を集義の工夫で理の中へ嵌めると殊の外強くなって、大きく張り切れるほどになる。これが「浩然之気」である。それがどこから来たのかと言えば、やはり「上天之載無声無臭」で、「無極而太極」から出たもの。あの無極而太極も気の中にある。その気を養うこと。「終日對越在天」も「配義與道」も「集義」も同じこと。その工夫をするから気が伸び伸びとする。「心廣體胖」が浩然のこと。盗みをする子は加役衆を見ると直ぐに横町へ逃げる。凡そ悪いことをする者は皆、気が縮んでいるのである。理の至極で気が冴え切って行く。浩然は奴頭を振ってのっしりと行く。この処は理気べったりとした綾を言う。そこで「去其中」と言い、外の処から出ることではない。
【語釈】
・男立…男達。男伊達。男子としての面目を立てるために、強きをくじき弱きを助け、仁義を重んじ、そのためには身をすてても惜しまぬこと。また、そういう人。任侠。侠客。
・町奴…江戸初期の市中の侠客。旗本奴に対し、浪人や口入れ人などの町人がなった。おとこだて。下町奴。
・集義…孟子公孫丑章句上2の語。前出。
・配義與道…孟子公孫丑章句上2の語。前出。
・心廣體胖…大学章句6。「富潤屋、徳潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。
・偸兒…盗みをする子供。
・加役…江戸時代の火付盗賊改の俗称。
・奴…奴頭。江戸時代の奴が結った頭髪のさま。月代を深く広く剃り込み両鬢と後ろの頂に残した毛とで髷を短く結ぶもの。

孟子が孔子や子思の云のこしたを云れた。可謂尽矣。この浩氣は太極につよみのあること。大閤は朝鮮さへ責た。氣はつよみなり。されとも理の主がないから、とどなんぞの時はぐにゃ々々々になる筈。はては茶の湯と出たも、理からは出ぬ。浩然の氣は太極を氣ぐるみに持てきて云こと。夫れ迠も持ってきたかと云が可謂尽なり。理計りでは力らがかいない。氣をそへるでつよい。在物為理を物ぐるみにもって来たなり。太極と云唐紙に氣と云裏打をしたなり。浩然は親に孝と云理の通ったに氣を添へたもの。親の病氣ときいて江戸へゆくは理なれとも、氣がないと、此大暑にはあたる。処を日付にほし付るは氣なり。それと云も、とと義と道とに合ふてなり。片方ではゆかぬ。さて、氣と云ものは別のものではないと云がここの主なり。
【解説】
「可謂盡矣」の説明。孟子の浩然の気は太極だけでなく、気を含めて言ったことであり、それで「可謂盡矣」なのである。理だけでは力が弱いが、気を添えるので強くなる。ここは気が理とは別なものでないという主意である。
【通釈】
孟子が、孔子や子思の言い残したことを言われた。「可謂尽矣」。浩然の気は太極に強みのあること。大閤は朝鮮さえ攻めた。その気は強かったが、理の主がないから結局は何かの時にはぐにゃぐにゃになる筈である。果ては茶の湯もしたが、それも理から出たことではない。浩然の気は太極を気ごと持って来て言うことで、気までをも持って来たのかと言うのが「可謂尽矣」である。理だけでは力が弱い。気を添えるので強い。「在物為理」を、物を含めて持って来た。太極という唐紙に気という裏打ちをしたのである。浩然は、親に孝という理の通ったものに気を添えたもの。親が病気と聞いて江戸へ行くのは理だが、気がないと、この大暑では日に当たる。そこをその日の内に到着するのは気があるからである。それというのも、つまりは義と道とに合うからで、片方ではいけない。さて、気というものは別なものではないと言うのがここの主意である。
【語釈】
・唐紙…①中国渡来の、紙に胡粉を塗り、その上に雲母の粉末で文様を刷り出した紙。また、わが国でそれを模造したもの。②織色の名。経白く、緯黄色のもの。

故にと云字、太極圖説以来度々云ふことなり。夫れじゃからと云こと。其の、それじゃからがめったに云はれず、又、めったにすまぬ。この根を見ぬいて手に入ったから、故にと云。神如在其上。根を知ればすきに云はるる。浩然も氣、鬼神も氣が主なれとも、理をもって来子ばならぬ。そこで上の去其中と同じく、其塲と云ふことをしらせる。中庸の鬼神の章、天地鬼神から云出し人の祭祀を云て、とと氣のみち充滿した処を如在其上と云れた。氣のみちたと云ことは圑扇から風の出るでも知れたぞ。小さな圑扇で風を出すことはなりそもないものなれとも、天地の氣が充満してをるゆへ、こちでさはる、あちでうけるから、小な圑扇を動かしても風は出る。氣のみちたゆへなり。天地は滿ちたものなれとも、こちがわるいからかける。凡夫は欲になやまされてしょぼ々々々なり。浩然の氣は滿きってすっ□□□ゆく。世の中をそろしいことはなく、野々宮高砂なり。周公讒言に逢れても赤寫几々。のつしり々々々とゆく。氣のみちたなり。
【解説】
「故説、神如在其上」の説明。中庸でも気の充満した処を「如在其上」と言うが、浩然の気も気が満ち切っていることである。天地の気は満ちているが、人が悪いからそれが欠ける。周公も気が満ちていた。
【通釈】
「故」とは、太極図説以来度々言う言葉である。それだからということ。この、それだからが滅多に言うこともできず、また、滅多にわからないこと。この根本を見抜いて手に入ったから、「故」と言った。「神如在其上」。根本を知れば好き次第に言うことができる。浩然も気で、鬼神も気が主だが、理を持って来なければならない。そこで、上の「去其中」と同じく、ここもその場ということを知らせるもの。中庸の鬼神の章で、天地鬼神から言い出し、人の祭祀を言って、つまりは気の満ち充満した処を「如在其上」と言われた。気が満ちたというのは、団扇から風が出ることでもわかること。小さな団扇で風を出すことはできそうもないことだが、天地の気が充満しているから、こちらで触れればあちらで受け、小な団扇を動かしても風は出る。気が満ちているからである。天地は満ちたものだが、こちらが悪いから欠ける。凡夫は欲に悩まされてしょぼしょぼとする。浩然の気は満ち切ってすっかりと行く。世の中に恐ろしいことはなく、野々宮高砂である。周公は讒言に遭われても赤舄几々でずっしりと行く。気が満ちているのである。
【語釈】
・野々宮…能の一。鬘物。六条御息所と葵の上との賀茂祭の車争い、御息所が姫の斎宮に付き添って伊勢へ下ったことなどを脚色する。
・高砂…能の一。世阿弥作の神物。住吉の松と高砂の松が夫婦であるという伝説を素材とし、天下泰平を祝福する。婚礼などの祝賀の小謡に常用する。
・周公讒言に逢れて…文王は費仲達の讒言から殷の紂王によって羑里に幽閉される。そこで伏羲の八卦を六十四卦となした。
・赤寫几々…詩経国風豳狼跋。「狼跋其胡、載疐其尾、公孫碩膚、赤舄几几」。

鬼神もそれなり。汐のやうなもの。滿きっておるから、いくら汲でもあとはへらぬ。天地の氣があのやうにみちておる。その中に吾先祖の氣も乘ってあるから、祭れば来挌もある。容聲歎息もきかるる。みちたからぞ。天地の氣は伽羅を一とたき一角をちっとと云様な乏少なことてない。さて、浩然の氣は天地の氣のみちきったのなり。上に在す、左右に在す。鬼神も先祖の氣の、天地の氣とともにみちたこと。よって浩然も氣、鬼神も氣と片付て、其氣は太極の理とへったりと間てなきもの。しかれはとふとも名は付け次第なり。無声無臭とも易とも理とも浩然とも鬼神とも、なんとも云るる。然れば周子の太極動而生陽以下を朱子の滾説と云るるもきこへたこと。
【解説】
「如在其上、如在其左右」の説明。鬼神は満ち切っていて減ることはない。そこには先祖の気もあるから、祭れば来格する。気は理と一緒にいるから、理気を指して言えば、無声無臭とも、易、理、浩然、鬼神とも、何とでも言うことができる。
【通釈】
鬼神もそれと同じ。汐の様なもので、満ち切っているから、いくら汲んでも減らない。天地の気があの様に満ちている。その中に我が先祖の気も乗ってあるから、祭れば来格もある。容声歎息も聞くことができる。満ちているからである。天地の気は、伽羅を一度焚いたり、一角を少しという様な、乏少なことではない。さて、浩然の気は天地の気が満ち切っていることで、上に在り、左右に在る。鬼神も先祖の気で、天地の気と共に満ちている。そこで、浩然も気、鬼神も気と片付けて、その気は太極の理とべったりとしていて離れないものだから、どの様にも名は付け次第なのである。無声無臭とも易とも理とも浩然とも鬼神とも、何とでも言うことができる。そこで、周子の「太極動而生陽」以下を朱子が滾説と言われたのも当然なのである。
【語釈】
・来挌…来格。祭祀などに、神霊の降り来ること。
・一角…歯クジラ類イッカク科の海獣。イルカに類似、体長約五メートル。雄の上顎の門歯の一個は前方に延び、角状、長さ二メートルに達する。北氷洋産。油は鯨油にまさり、牙は古来漢方で解毒剤として使用。角魚。

大小大。宋朝の俗語なり。あれほどなことと云こと。前に云たことを指して云詞。したたかなことを云ても、すこしのことを云ても、云ふ口上。百万の人数のことをも、百二百のことをも云。そこて、さばかりと云弁がよし。爰は中庸の本文をさして云こと。鬼神為德盛なるかなと云て、使天下之人斎明盛服と先祖神靈感格のことを出し、あれほどのことをただ一と口に誠之不可揜は、さて々々云ふに云へぬこと。何もかも一つの誠と云にきまることなれば、此条の意とても初に忠信進德から段々云つのって誠とつめたもの。こふよまぬと、只道体の名義々々と云計りにては精彩がなくなる。對越在天と云からが本と祭のことで、誠をつめることを云たなり。誠は何もかももっておる。忠信云々から天地のすがたを易と云語り出し、其功用神と云ひ、其しまいに性道教を出す。中庸は人物こめて云へとも、ここは人はかりて云。人の方へをとしたなり。道体なりの為学と云も、只誠の一つで埒があくことなり。
【解説】
「大小大事、而只曰誠之不可揜如此夫」の説明。中庸の鬼神の章が、鬼神の徳を讃えて誠に帰着させているのに同じく、この条も誠に行き詰めたもの。道体なりの為学も誠に尽きる。
【通釈】
「大小大」。宋朝の俗語である。あれほどのことということ。前に言ったことを指して言う言葉である。大きなことを言う際にも、少しのことを言う際にも言う口上で、百万の人数のことをも、百、二百のことをも言う。そこで、さばかりという訳がよい。ここは中庸の本文を指して言ったこと。「鬼神為德其盛矣乎」と言って、「使天下之人斎明盛服」と先祖神霊感格のことを出し、あれほどのことをただ一口に「誠之不可揜」と言うとは、本当に言うに言えないこと。何もかも誠一つと言うのに尽きることだから、この条の意にしても、始めの「忠信進德」から段々と言い募って誠へと行き詰めたもの。この様に読まず、ただ道体の名義ばかりを言っていては精彩がなくなる。「對越在天」ということが本来は祭のことで、誠を窮めることを言ったこと。誠は何もかも持っている。「忠信云々」から天地の姿を易と言って語り出し、「其功用神」と言い、その終わりに「性道教」を出す。中庸は人物を込めて言うが、ここは人だけで言う。人の方へ話を落としたのである。道体なりの為学と言うのも、ただ誠の一つで埒が明く。
【語釈】
・鬼神為德盛なるかな…中庸章句16。「鬼神之爲德、其盛矣乎」。
・使天下之人斎明盛服…中庸章句16。「使天下之人、齊明盛服、以承祭祀」。
・誠之不可揜…中庸章句16。「夫微之顯、誠之不可揜、如此夫」。

老子は道体を虚無とみるから、為学が無為なり。佛は寂滅が道体ゆへ、為学も五倫を滅却するなり。女房も親も子もすてろなり。こちは誠が道体で、為学が忠信進德なり。徹上徹下、此外はない。忠信をすると自然の誠になる。太極も理も道も性もとんと間違のない名を誠と云。徹上徹下と云は、天子から日傭取迠。咽のかわくには湯水なり。垩賢は其誠なり。凡夫は誠てない。そこで忠信で誠になる。道理のつまり、これきりじゃ。然れば上天之載から以下の句、誠と云につまればこの外はない。誠之不可揜云々、不過如此ととめたもの。
【解説】
「徹上徹下、不過如此」の説明。老子は道体を虚無と見るから無為で、仏は寂滅が道体だから五倫を滅却するが、聖学は誠が道体で、為学が忠信進徳である。忠信で自然の誠になる。太極も理も道も性も全く間違いのないところを誠と言う。聖学は誠に帰着するのである。
【通釈】
老子は道体を虚無と見るから、為学が無為となる。仏は寂滅が道体だから、為学も五倫を滅却する。女房も親も子も棄てろと言う。こちらは誠が道体で、為学が「忠信進徳」であり、「徹上徹下」、この外はない。忠信をすると自然の誠になる。太極も理も道も性も全く間違いのないところの名を誠と言う。誠を徹上徹下と言うのは、天子から日傭取りまでのことで、咽が渇く時は湯水である。聖賢は誠で、凡夫は誠でない。そこで忠信で誠になる。道理はつまりこれだけのこと。それで、「上天之載」から以下の句まで、誠ということに帰着し、その外はない。そこで、「誠之不可揜云々不過如此」と締め括った。

さて、これで云たいことはすんだが、右の通りに滾説してべったりと云たが、すぢをつけずは間違になろふとて、ここへ易をひかれた。形而上為道形而下為器。これが程子の後人への親切なり。此語が明道御手前の役にはたたぬ。是れ迠は理氣渾合して云ふて、形而上形而下はそこをきっとわけた。羅整菴など不断理氣を云たがれとも、手にのらぬから朱説を疑ふ。わけたは分けぎり、合せたは合ひぎりに心得る。だたい程子も朱子も合せたりわけたりなり。そこを手に入りたと云なり。さて、この辞は孔子なり。形而上は理のことなり。形而下は隂陽以下のこと、氣なり。氣はべたと形に付たものなり。王祥が鯉を取るは繪にかかるる。形而下なり。王祥が孝心はかけぬ。形而上なり。理と云ものは形の上に居て、形をはなれたものがある。猿の形は書るるが、猿利口はかかれぬ。形而上下ははなれ々々々に云たことではない。
【解説】
「形而上爲道、形而下爲器」の説明。形而上は理で目に見えないもの。形而下は陰陽以下のことで、気で目に見えるものである。しかし、理気は共にあるものだから、形而上下を別々なものとして見てはならない。
【通釈】
さて、これで言いたいことは済んだが、右の通りに滾説してべったりと言っても、筋を付けなければ間違いも起きるだろうと思って、ここに易を引用された。「形而上為道形而下為器」。これが程子の後人への親切である。この語は明道自身の役には立たない。これまでは理気混合して言って、形而上形而下はそこをきっぱりと分けたもの。羅整菴などはいつも理気のことを言いたがっていたが、自分の身に付かないから朱説を疑った。それは、分けたら分けただけ、合わせたら合わせただけと心得るからである。大体、程子も朱子も合わせたり分けたりをよくする。そこを、手に入れたと言う。さて、この辞は孔子のもの。形而上は理のことで、形而下は陰陽以下のことで、気である。気はべったりと形に付いたもの。王祥が鯉を取るのは絵に画くことができ、形而下である。王祥の孝心は画けない。形而上である。理は形の上にいて、形から離れたものである。猿の形は書くことができるが、猿利口は書けない。形而上下は離れ離れと言うことではない。
【語釈】
・形而上為道形而下為器…易経繋辞伝上12。「…是故形而上者謂之道、形而下者謂之器。化而裁之謂之變、推而行之謂之通、擧而錯之天下之民謂之事業」。
・羅整菴…
・王祥…晋朝の人。親孝行な人で、「臥冰求鯉」の故事がある。

上下をわるく心得ると、形が中に迷ふやうになる。どっちへも形を離さず、形を中にをいて云から而の字ある。形の上に備て居て形にくるまれず、声臭ないから上と云。形而下は器。これは目に見へる。形とべったりと一つてつかまへらるるから下と云。器の字、病氣の氣の字と通ずる。器と云て硯箱や重箱の様な器てはない。気は片付たもの。あついとか寒いとか云は気なり。その片付た処から器とも云ふ筈。器は片付たものぞ。なれとも、ただ字の通ずるのぞ。字書に器音氣、又、氣音器ぞ。氣も目には見へにくいものなれとも、隂陽以下へわたりてはつかまへ処のあることで云。南風はみへぬが、ほか々々するで多葉粉がしめる。そこでみへる。西風にはかん々々する。多葉粉もかわく。形而下にはきわまりた。雨を催すと石がしめる。風もよふす。鳶が舞ふ。形而下なり。理は色香をあらはさぬものゆへ、形の上にありて、さて別にはなれてをる。そこを上と云。
【解説】
形の上に備わっていて形に包まれず、無声無臭なところで形而上と言う。形而下は器で目に見えるもの。気を器と言うのは、一方に付いたところが共通することと、音が同じだからである。気も目には見え難いものだが、陰陽以下へ渡れば掴まえ処があるので、形而下の気を器と言う。
【通釈】
「上下」を間違えて心得ると、形而の「形」が中に迷う様になる。どちらへも形を離さず、形を中に置いて言うから「而」の字がある。形の上に備わっていて形に包まれず、無声無臭だから上と言う。形而下は器。これは目に見える。形とべったりと一つになって掴まえられるから下と言う。器の字は病気の気の字と通じる。器と言っても、硯箱や重箱の様な器ではない。気は一方に付いたもの。暑いとか寒いとかと言うのは気である。その片方に付いた処から器とも言える筈。器は片方に付いたものである。しかし、ここはただ字が通じていることで言う。字書に器の音は気、また、気の音は器とある。気も目には見え難いものだが、陰陽以下へ渡れば掴まえ処があるので、形而下の気を器と言う。南風は見えないが、ほかほかとするので煙草が湿る。そこで見える。西風は乾燥しているから多葉粉も乾く。それは形而下に尽きる。雨を催すと石が湿る。風を催せば鳶が舞う。それも形而下である。理は色香を表わさないから、形の上にあって、さて、別に離れている。そこを上と言う。

如此説とは、ざっと説いたこと。初心な内はこう心得さっしゃれとなり。此て間違ぬでよいでをじゃると云ておいて、もふ一つ明道の思入を云はるる。器亦道道亦器じゃほどに、どち云てものよいとなり。これ亦明道の滾説なり。某が此頃の暑で夕方庭の腰掛で酒を飲むが、酒を持てこいと云と下女があいと云て德利をもってくる。又、次の日は德利を持てこいと云ときもあるが、不審も云ず酒をもってくる。すれば、酒と云ても德利と云てもよいは知れた。べったりと道器一つなもの。道は器の上にあり、器には必道が存してあり。そこで孔子は形而上下てはっきりとわけ、これて間違はないか、とどどっちも離れぬなれば、どふ云てもよい。馬喰町に宿りておるものを何屋と宿を尋ても、やはり其人に遇ふ。又、其人を尋れば、何屋にをる。爰らで周子の愛を仁と云ふたも合点せふこと。
【解説】
「須着如此説、器亦道、道亦器」の説明。道は器の上にあり、器には必ず道が存してあるから、器とも道とも、どの様に言ってもよい。それは酒を注文するのに酒と言っても徳利と言っても、結局は酒が来るのと同じである。
【通釈】
「如此説」とは、ざっと説いたこと。初心な内はこの様に心得えなさいと言ったのである。これで間違えないからよいと言って置いて、もう一つ明道が思い入れを言われた。「器亦道道亦器」だから、どちらで言ってもよいとのこと。これもまた明道の滾説である。私がこの頃の暑さから夕方庭の腰掛で酒を飲む際に、酒を持って来いと言うと下女がはいと言って徳利を持って来る。また、次の日は徳利を持って来いと言うこともあるが、不審も言わずに酒を持って来る。これで、酒と言っても徳利と言ってもよいことがわかった。道器はべったりと一つなもの。道は器の上にあり、器には必ず道が存してある。孔子は形而上下ではっきりと分け、これで間違いはないものの、結局はどちらも離れないものなのだから、どの様に言ってもよいのである。馬喰町に宿泊している者に会うために、何屋と宿を尋ねても、やはりその人に遇う。また、その人を尋ねれば、何屋にいる。ここ等で周子が「愛曰仁」と言ったことも合点しなさい。
【語釈】
・周子の愛を仁…道体2。「誠無爲。幾善惡。德、愛曰仁」。

朱子は愛之理心之德とは、間違せぬ予判なり。愛は情じゃが、じかに仁とはちと心得違ったそうなと脇から笑はふともかまわぬ。周子は兼て近付ゆへ、たとひ丸腰でも大名は大名と知たなり。大名は二本道具とばかり心得ても、顔を見知らぬは頼みはない。大名も入湯のときは無刀なり。韓退之が博愛を仁と云たのわるいはどふなれば、もと仁と近付でなし。近付なればなんと云てもよい。呑込ぬ処あるから大顛に引こまれた。此様に、器亦道と云よふに、あぶないことを丈夫に云のでなくてはほんのことでない。周子もあぶないことを丈夫に云ふなり。
【解説】
朱子の「仁者愛之理心之德」は、仁のことを間違わせない用心から出た言葉である。しかし、周子は根本を理解しているから、「器亦道道亦器」と言っても構わないのである。韓退之は仁を根を知らないから、それで博愛を仁と言うのは悪い。
【通釈】
朱子が言った「仁者愛之理心之徳」とは、間違わせないための用心である。愛は情であって、直にそれを仁と言うのは少し心得違いの様だと脇から笑われても、それは構わない。周子は前から近付きなので、たとえ丸腰でも大名は大名だと知っている。大名は二本道具の者とばかり心得ていても、顔を見知らないのでは心許ない。大名も入湯のときは無刀である。韓退之が博愛を仁と言ったのが悪いとはどういうことかと言うと、元々仁と近付きではないからである。近付きであれば、何と言ってもよい。呑み込めない処があるから大顛に引き込まれた。この様に「器亦道」と、危ないことを丈夫に言うのでなくては本物ではない。周子も危ないことを丈夫に言った。
【語釈】
・愛之理心之德…論語学而2集註。「仁者愛之理心之德也」。孟子梁恵王章句上2集註。「仁者心之德愛之理」。
・二本道具…大名行列に立てる二本の槍。二つ道具。
・韓退之が博愛を仁と云た…原道。「博愛之謂仁。行而宜之之謂義」。
・大顛…韓退之は、潮州に左遷された際、当地の傑僧大顛禅師と交流する。長安に帰って、大顛との交流を質問されるが、積極的には評価しない返答内容であったとのことである。かつて仏教を排斥し、後に熱心な仏教徒となった白居易とは異なり、韓退之は、基本的には排仏を貫いていた。

但得道在。これには先輩もよみちがへがあり。道を其人が得た日にはととることではない。ここはじきに器亦道から来たもの。物が道を得て在ると云こと。物の上に理があると云ことなり。そこで、孟子の浩氣も云れたもの。氣はやすくは云れぬ、と。道と云はばで氣をひき上るそ。得道在は全く上の句をはなさずに云こと。
【解説】
「但得道在」の説明。これは、道をその人が得た日にはという意味ではなく、物が道を得て在るということで、物の上に理があるという意味である。
【通釈】
「但得道在」。これには先輩も読み違いがある。道をその人が得た日には、と読むのではない。ここは直に「器亦道」から来たもの。物が道を得て在るということ。それは物の上に理があるということである。そこで、孟子も浩然の気で、気は簡単に言えないと言われた。道という幅で気を引き上げるのである。「得道在」は全く上の句を離さずに言うこと。
【語釈】
・氣はやすくは云れぬ…孟子公孫丑章句上2。「敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。」。

不繋今與後己与人。これはちとらいををいて云ふこと。気はかけそくにならにものなれとも、べったり道と一なゆへ、氣も主張する。道は物の上にある理でちかわぬが、氣はたたい古今人我の別あるもの。伏義神農の古は云に不及、五十年あとの人と今の人とは、はや古今のへだてあり。まさしく某か八九歳の比、姫嶋の親父に雀を書いてくれよのといじりすかしたが、今日如此白首になって道体をとけば、其孫が来て講釈をきく。わづか五十年なれとも甚のちがひなれは、今と後とは氣ては差別あるもの。但仁義礼智は、あのときも今も一つなり。己と人もそれて、此講席に腹のへったものもへらぬものもあろふ。そこはちがいあれとも道理は一つらぬきなり。芝居も俊寛が足ずりに見物が皆泣くは理が同しことゆへなり。己与人ちがふは氣のちがい。理の一つなしゃうこは、春秋のときにある不埒なものをきいても今人が腹を立つ。左傳の中にある人に近付てもなくて、にくいやつと云。道に古今なし。
【解説】
「不繋今與後、己與人」の説明。気には古今人我の別がある。しかし、その気の上にある理は変わることがない。仁義礼智も道理も古今人我を通じで同じである。
【通釈】
「不繋今與後己与人」。これは少し間を置いて言うこと。気は当てにならにものだが、道とべったり一つだから、気も主張する。道は物の上にある理で変わりはないが、気にはそもそも古今人我の別があるもの。伏羲神農の古は言うに及ばず、五十年後の人と今の人とでは既に古今の隔てがある。まさしく私が八九歳の頃、姫嶋の親父に雀を書いてくれとねだったりしたが、今日この様に白髪頭になって道体を説けば、その孫が来て講釈を聞く。僅か五十年のことでも大層な違いがあるもので、そこで、今と後とは気では差別があるもの。但し、仁義礼智はあの時も今も同じである。己と人もそれで、この講席にも腹が減った者も減らない者もいるだろう。そこに違いはあるが、道理は一貫きである。芝居でも、俊寛の足摺りに見物人が皆泣くのは理が同じだからである。「己与人」、その違いは気の違いである。理が一つである証拠は、春秋の時にいた不埒な者のことを聞いても今の人が腹を立てる。左伝の中にある人に近付きでなくても、憎い奴だと言う。道に古今はない。
【語釈】
・かけそく…安心してたよりにできるもの。あて。
・伏義…伏羲。中国古伝説の三皇の一。人首蛇身で、燧人氏に代って帝王となり初めて八卦・書契・網罟・琴瑟を作り、庖厨を教えて嫁娶の制を設けたと伝える。
・神農…中国古伝説上の帝王。三皇の一。姓は姜。人身牛首、民に耕作を教えたから神農氏といい、五行の火の徳を以て王となったために炎帝という。百草をなめて医薬を作り、五弦の瑟を作り、八卦を重ねて六十四爻を作る。初め陳に都し、のち曲阜に居る。在位120年、その子孫相伝え八代530年にして黄帝の世となったと伝える。
・姫嶋の親父…鈴木養察。俗称庄内。酒井修敬に見出され、和田義丹と共に江戸へ出て迂斎に入門。元禄8年(1695)~安永8年(1779)
・いじりすかした…弄り賺す。ねだること?
・白首…しらがあたま。白頭。
・俊寛…能の一。鬼界島の流人に赦免の使が来たが、俊寛一人だけは許されず島に残され、泣き叫ぶ。鬼界島。

こふして見ると、道はここにある。本来の面目の、混沌未分の一元氣と、遠く尋るか不調法にをちる。すれば、いたんはものほしがりじゃと訶られても云分んはない。索隠行怪と云てきめられた。道を遠く尋るには及ぬ。瓦屋根も萱葺も、霜は一つにふりかかる。道は万古替らぬ。前瞻既無始後際何有終至理誠斯存万古與今同と云がここを云たもの。逝者如斯乎、鳶飛魚躍。道は鼻のさき。今そこにあってぐる々々めくる。間断はないこと。してみれば、在天對すと云も誠のなりと云もの。間断あるは誠のぬけなり。舜はあの瞽瞍が井の中へ入れても間断はない。
【解説】
道は近くにあり、また、古今普遍で間断がない。間断があれば誠が抜ける。異端は遠くを求めるから「素隠行怪」である。
【通釈】
この様に見ると、道はここにあることがわかる。本来の面目や混沌未分の一元気と、遠くを尋ねるのは不調法に落ちる。そこで、異端は物欲しがりだと訶られても言い分はない。「素隠行怪」と言い切った。道を遠くに尋ねるには及ばない。瓦屋根も萱葺も、霜は同じく降りる。道は万古変わらない。「前瞻既無始後際何有終至理誠斯存万古與今同」がここを言ったもの。「逝者如斯乎」。「鳶飛魚躍」。道は鼻の先にある。今そこにあってぐるぐる巡り、間断はない。その様に考えると、「対越在天也」も誠の姿を言ったこと。間断があるのでは誠が抜ける。舜は、あの瞽瞍が井の中へ入れても間断はない。
【語釈】
・索隠行怪…中庸章句11。「子曰、素隱行怪、後世有述焉、吾弗爲之矣」。
・前瞻既無始後際何有終至理誠斯存万古與今同…
・逝者如斯乎…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。
・瞽瞍…舜の父。孟子万章章句上2に、舜の異母弟である象と瞽瞍が舜を殺そうとした記載がある。


第二十 醫書手足痿痺云々の条

醫書言手足痿痺爲不仁。此言最善名状。仁者以天地萬物爲一體、莫非己也。認得爲己、何所不至。若不有諸己、自不與己相干、如手足不仁、氣已不貫、皆不屬己。故博施濟衆、乃聖之功用。仁至難言。故止曰、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。欲令如是觀仁。可以得仁之體。
【読み】
醫書に手足の痿痺せるを不仁と爲すと言う。此の言最も善く名状す。仁者は天地萬物を以て一體と爲し、己に非ざる莫し。己爲るを認得せば、何の至らざる所かあらん。若し諸を己に有せずんば、自ら己と相干せざること、手足の不仁なるが如くならん。氣已に貫かざれば、皆己に屬せず。故に博く施して衆を濟うは、乃ち聖の功用なり。仁は至って言い難し。故に止[ただ]曰う、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達せしむ。能く近く譬を取る、仁の方と謂う可し、と。是の如く仁を觀しめんと欲す。以て仁の體を得可し。
【補足】
この条は、程氏遺書二にある明道の語。

先刻も云通り、往きま皈へまにもどり々々々、ちょこ々々々仁と出る。先つ四德之元の条にも仁。仁は天下之公善之本。仁者天下之正理の条にも仁があるが、是迠のは皆仁の大凡を云。天下の正理が仁の親切に近けれとも、あれも理がちなり。爰が始て仁の親切にとといた条なり。人が只仁を拜領々々と計り云ては、拜領物を土用干して仕舞ておくやうなり。爰で云のは仁の親切を云。編次の意を云はば、上の道を得て在りを受て、仁を人の血氣のことによせて云ふなり。だたい医者が病氣のことを云とて、儒書の不仁と云文字をかりて云たこと。それを又さて々々よい見立じゃと、こちで取り寄せて云ふなり。不仁と云は中氣。病が私が身のやうではござらぬと云のなり。人が仁の汁味がなくなって、人の死ぬにも難義にもかまわぬのじゃ。紂王炮烙の刑、孕女の腹をさく。夫を酒の肴にする。それを不仁と云て、とんと石瓦のやふでひびかぬ。その不仁は丁と人の病の中風麻木しゃと、血氣の方で醫者の云ふのを、その血氣で云を又借りて、人の不仁を云ふのが程子の趣向なり。打ても切っても知れぬは血氣流通せぬ不仁病。人のいたさを知らぬ。これが不仁。さてもよい名づけ様じゃと取りたなり。
【解説】
「醫書言手足痿痺爲不仁。此言最善名状」の説明。今まで述べて来た仁は大まかなものであって、この条が初めて仁を詳細に説いたものである。医者が病気について儒書の不仁を借りて言ったのを、よい見立てだとしてここに引用した。人が不仁になると心に響くことがないから、他人の痛さがわからなくなる。
【通釈】
先刻も言った通り、進む間、戻る間に度々仁が出る。先ず「四徳之元」の六条にも仁がある。十一条にも「仁者天下之公善之本」。「仁者天下之正理」の十七条にも仁があるが、これまでのものは皆、仁の概略を言ったもの。「天下之正理」は仁の親切なところに近いが、あれも理が勝っている。ここが初めて仁の親切に届いた条である。人がただ仁を拝領しているというだけでは、拝領物を土用干しして仕舞っておく様なもの。ここは仁の親切を言う。編次の意を言うと、前条の「得道在」を受けて、仁を人の血気にたとえて言ったもの。そもそも医者が病気のことを言う際に儒書の不仁という文字を借りて言ったのを、それをまた本当によい見立てだと、こちらに取り寄せて言ったのである。不仁とは中気のこと。その病は私の体の様ではないと言う。人は仁の汁気がなくなると、人が死ぬことにも難儀をすることにも構わなくなるもの。紂王は炮烙の刑を作ったり、孕女の腹を割いて、それを酒の肴とした。それを不仁と言い、全く石瓦の様で心に響かない。その不仁は丁度人の病である中風麻痺の様だと、血気の方で医者が言ったことを、また借りて、人の不仁を言うのが程子の趣向である。打っても切っても感じないのは、血気の流通しない不仁病である。人の痛さがわからない。これが不仁である。本当によい名付け方だと、これを引用したのである。
【語釈】
・四德之元…道体6。「四德之元、猶五常之仁」。
・仁は天下之公善之本…道体11。「仁者、天下之公、善之本也」。
・仁者天下之正理…道体17。「仁者、天下之正理。失正理、則無序而不和」。
・道を得て在り…道体19。「但得道在」。
・中氣…中風。半身の不随、腕または脚の麻痺する病気。脳または脊髄の出血・軟化・炎症などの器質的変化によって起るが、一般には脳出血後に残る麻痺状態。古くは風気に傷つけられたものの意で、風邪の一症。
・炮烙の刑…殷の紂王の行なった刑罰。油を塗った銅柱を炭火の上に架け渡して罪人を渡らせたという。

仁者以天地萬物為一体。此語などは聞ても手にのらぬ。吾体の不仁は知れるが、隣の亭主の腫物、人の子の焼け所は痛くない。体の一つでないゆへぞ。処を、仁者はじきに吾がからだのやふに思ふ、と。これが胸へのらぬもの。甚しきに至りては、親類並んだ田でもこちの稲さへよければよいとをもふに、天地万物を一体とは、某などもどふも實に伺ひはかられぬ。然れとも、仁者はさう思召ときいて、拙者も左様存ずるの、一体でござるのと云はうそなり。今、学者が仁氣がないから、これがすまぬ筈。なんぼ仁者でも、さうではあるまいと云ふ。それを夏虫疑氷と云。さて、此の以天地萬物為一体と云は、脇から見て云文義とみることなり。仁者の方ではそれとも覚へぬぞ。一体としやうの、一体じゃのと自で云ことでない。
【解説】
「仁者以天地萬物爲一體」の説明。人は他人のことはわからないし、中には自分さえよければよいと思っている者もいるが、仁者は他人のことを自分のことの様に思う。そこで「一体」なのである。しかし、仁者自身は自分が「以天地萬物為一体」だとは思わない。一体とは、自らが言うことではない。
【通釈】
「仁者以天地萬物為一体」。この語などは、聞いてもうまくできないこと。自分の体の不仁はわかるが、隣の亭主の腫物や人の子の火傷は痛く感じない。体が一つでないからである。そこを、仁者は直ぐに自分の体のことの様に思うと言う。これが心に乗らないもの。甚しい者に至っては、親類の並んだ田でも、自分の稲さえよければよいと思うもので、天地万物為一体とは、私などもどうも実に窺い計ることができない。しかしながら、仁者はその様に思し召すと聞いて、拙者も左様に思っているとか、仁者と一体であると言うのは嘘である。今、学者に仁気がないから、これが済む筈がない。いくら仁者だとしてもそうではないだろうと言う。それを「夏虫疑氷」と言う。さて、この「以天地萬物為一体」とは、脇から見て言う文義だと捉えること。仁者の方ではその様には思っていない。一体になろうとか、一体だなどとは自らが言うことではない。
【語釈】
・夏虫疑氷…荘子外篇秋水17。「夏蟲不可以語於冰者、篤於時也」。夏の虫に氷のことを話しても無駄なのは、その虫が夏の暑い時期だけを時だと頑なに信じているからである。

無非己。是れ程に程子が案内を知て云れたに、夫れでも一体と云心いきも、又そうな筈のものと云ことの知れぬのも、皆己と云ふ訳け合ひからじゃぞ。さあそうきいたれば、これがききごとなり。仁者には我と云仕切がないから、さきへそれなりに出る。そこで一体がなる。凡夫は柯先生の所謂黒か子のだてがあるから、只此のからだ可愛や々々々をするから、そこで一体になられぬ。認得為己。これはよい方なり。これからは知らるる。我身へひびくでさきが知るる。是れが仁のさなごなり。大きな角力取を一寸釘でついても何ともありそうもないものなれとも、此身にさはる。ものにひびかぬものはない。生き物故知るる。夫さへ合点なれば、一体が知るるとなり。此句は以天地萬物為一体にあててみること。
【解説】
「莫非己也。認得爲己、何所不至」の説明。仁者が一体になれるのは心に仕切りがないからで、凡夫にはそれがあるから一体になれない。そして、その仕切りとは自分を可愛がることである。己を認得すれば心に響き、相手を知ることができる。これが仁の核である。
【通釈】
「無非己」。これほど程子がわけを知って言われたのに、それでも、一体と言う心意気も、また、その様な筈のものだということがわからないのも、それは皆己ということが原因である。さあそう聞けば、ここが聞き所である。仁者には我という仕切りがないから、相手に対してその通りに出る。そこで一体が成る。凡夫は柯先生が言う鉄の盾があり、ただ自分の体を可愛がるから、そこで一体になることができない。「認得為己」。これはよい方のこと。これからはわかる。我が身へ響くので相手のことがわかる。これが仁の核子である。大きな相撲取りを一寸釘で突いても何ともありそうもないが、その身に障る。物に響かないものはない。生き物だからわかる。それさえ合点することができれば、一体を知ることができると言った。この句は「以天地萬物為一体」に当てて見なさい。
【語釈】
・案内…事情。内情。
・訳け合ひ…物事のすじみち。理由。意味。わけ。わけがら。
・ききごと…聞き事。聞くだけの値うちのあること。ききもの。
・柯先生…山崎闇斎。
・黒か子のだて…鉄の盾。鉄製の楯。きわめて屈強な護衛などのたとえ。
・さなご…核子。①瓜のたね。②米の粉をふるう時に篩に残るかす。

若不有諸己。これはわるい方。是れからは、此席上みな々々覚へのあること。皆が点がかかるぞ。大病人を見ても、をれがとふから死なふ々々々と思ふたてと、ずんとなんともない皃なり。此方へひびかぬ。不作と聞ても、上方のことは何とも思はぬ。兎角己に預ることでなくてはかまわぬが不仁者のなりぞ。手足如不仁云々。手足の痛癢を知らぬ皃な筈は無いが、不仁病故中風病、草履をはいてたたみの上へあかる。氣已に不貫じゃ。仁者はそこが貫いたものゆへ、以天地萬物為一体。
【解説】
「若不有諸己、自不與己相干、如手足不仁、氣已不貫、皆不屬己」の説明。自分に関係することでなければ構わないのが不仁者の姿である。それは中風の様に気が貫いていないから、心に響かないのである。仁者は気が貫いている。
【通釈】
「若不有諸己」。これは悪い方のこと。これからはこの席上の皆々に覚えのあることで、皆に関係したこと。大病人を見ても、俺は前々から死ぬだろうと思っていたのだと、全く何ともない顔をして、自分に響かない。不作と聞いても、上方のことは何とも思わない。とかく自分に関係することでなければ構わないのが不仁者の姿である。「手足如不仁云々」。手足の痛癢に対して知らん顔でいる筈はないが、不仁病だから、中風病の様に草履を履いて畳の上へ上がる。それが「気已不貫」である。仁者はそこが貫いているから、「以天地萬物為一体」である。

故博施済衆。孔門の子貢が、これが仁かと思て問ふたほどのこと。天下にひろい功業なり。仁はわざては云れぬ。ここのあんばい至て難言なり。垩人の功業天下にひろいわさのことでも云るるけれとも、仁は心のことゆへ云へぬとなり。これでみれば仁がわざの上でなく、胸へひびく処で仁と云が知れた。たとへは懇中の病人あるにも、看病を五十日つづけても、輕薄か、又はためにすることあれば不仁なり。又、只一日看病しても、又は一度も見舞ぬほどでも、親切のあまりで食もひけると云がある。それは仁なり。己欲立而立人。吾が人間一疋になりたいとをもふ。じきに人を立つなり。人ととも々々なり。立つは心身で云。達は功業で云。
【解説】
「故博施濟衆、乃聖之功用。仁至難言。故止曰、己欲立而立人、己欲達而達人」の説明。子貢は博施済衆が仁と思って孔子に尋ねたが、孔子は、仁とは人を立て、人を達することだと言った。博施済衆は功業のことであって、仁とは業のことではなく、心のことである。
【通釈】
「故博施済衆」。これは、孔門の子貢が、これが仁かと思って問うたほどのこと。天下に対しての博い功業である。仁は業で言うことはできない。ここの塩梅は「至難言」である。聖人の功業は天下に対する博い業のことでも言えるが、仁は心のことだから言えないと言う。これで見れば、仁とは業の上のことではなく、胸へ響く処で言うことがわかった。たとえば懇ろな病人がいて看病を五十日続けても、軽薄だったり、または下心があったりすれば不仁である。また、ただ一日看病をしても、または一度も見舞わないほどでも、親切のあまりに食欲も落ちることがある。それは仁である。「己欲立而立人」。自分が立ちたいと思えば、直ぐに人を立てる。いつも人と共にある。「立」は心身で言い、「達」は功業で言うこと。
【語釈】
・博施済衆…論語雍也28。「子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、如何。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已」。
・輕薄…軽々しいさま。思慮のあさはかで篤実でないこと。軽佻浮薄。
・ためにする…為にする。ある目的を達しようとする下心があって事を行うのにいう。

近取譬云々。論吾では、上の句とは次第階級あること。程子は大まかに一つに云なり。ずっ々々と出ままに云た。これは向のをこちへもて来てたとへること。をれがひたるいから、あいらもひだるかろふと出ること。なんでも仁と云は、とかく心中のことなり。人に合力するも、ああなくてはならぬものと、こちの思やりでやるはよい。人もやるからやらずばなるまいと云は氷のはったのなり。わざは氷がはらぬが、心に氷なり。仁者は心のなりから出るぞ。凡夫の進物は多くても、氷から来たなり。如是觀仁。己れ立つ、人を立つを目鏡にしてみること。仁は胸にあること。わざにはつかぬゆへ、己欲すと云心がじきに人へそのまま出る。こうみれば仁がみられて、仁のなりも得らるるとなり。さうしてみれば、博施済衆のやうに向へ手を出すことはない。心のことなり。わざのことではない。己欲立と吾胸から見て出ると、仁が見らるるとなり。
【解説】
「能近取譬、可謂仁之方也已。欲令如是觀仁」の説明。論語の博施於民の文は、仁には順序や段階があると言うものだが、この条は、心について語ったものである。心に氷が張っては心が響かない。仁者は心から出るが、凡夫は氷が張る。仁が心にあれば、「己欲」という心が直に人へそのまま出る。
【通釈】
「近取譬云々」。論語の上の句は次第階級のあることを言ったものだが、程子は大まかに一つにして言った。出たままに言ったのである。これは向こうのをこちらへ持って来てたとえたこと。俺がひもじいから、彼等もひもじいだろうと出ること。何でも、仁とはとかく心の中のこと。人に合力するにも、それでなくてはならないとして、こちらの思い遣りで遣るのはよい。人も遣るから遣らなければならないだろうというのは、心に氷が張っているのである。業には氷は張らないが、心には氷が張る。仁者は心から出る。凡夫の進物は多くても、氷から来たもの。「如是觀仁」。「己欲立而立人」を眼鏡にして見ること。仁は心にあって業には付かないから、「己欲」という心が直に人へそのまま出る。この様に見れば仁が見られて、仁の姿も得ることができると言う。そう見れば、博施済衆の様に遠くへ手を出すことはない。それは心の問題であって、業のことではない。「己欲立」と我が胸から見て出ると、仁を見ることができると言った。
【語釈】
・目鏡…眼鏡。物を見て、その善悪・可否を考え定めること。鑑識。めきき。

欲令。孔子の欲すなり。業も仁の外ではない。そこて管仲にも仁と云たこともある。それから子貢なとも博施済衆のわさを仁かと思た。後世に生ては、程朱の御かけて某でもよい説をきいたものゆへ、仁をわさとは思ぬ。わざと思ぬきりて吾に体認せぬはやくにたたぬ。此条などから仕寄りをして、仁を体すへし。さて爰の程子の医書で云はるるか發明なり。いかふ仁へ親切になる。血氣はからだ一はいに滿たものなれとも、氷がはりては通せぬ。仁は流通するものなれとも滞ると不仁になると、爰を血氣で云が親切なり。仁と云へば仁と思ひ、浩然之氣と云へは浩然の氣とをもうは初心な内なり。通會すれば一つつきなり。上の条から此条の仁へきたうつりもさて々々面白し。この仁と云か心の德、愛の理て、それか人の性ぞ。そこて又全体にかけて、次の条にはばひろに性論を出されたなり。
【解説】
「欲令如是觀仁。可以得仁之體」の説明。仁は体認しなければ役に立たない。業も仁から外れたものではなく、仁と言えば仁のことのみを思い、浩然の気と言えば浩然の気のみを思うのでは初心者である。よく理会すれば、一続きなものだとわかる。
【通釈】
「欲令如是觀仁」は、孔子の欲したこと。業も仁の外ではない。そこで管仲のことも仁と言ったこともある。それから子貢なども博施済衆の業を仁かと思った。私などでも後世に生まれ、程朱のお陰でよい説を聞いたから、仁を業とは思わない。しかし、仁は業ではないと思うだけで、自分に体認しなければ役には立たない。この条などから始めて、仁を体認しなさい。さて、ここの程子が医書で言われたことが発明である。それで大層仁への親切となる。血気は体一杯に満ちたものだが、氷が張っては通じない。仁は流通するものだが滞ると不仁になると、ここを血気で言うのが親切である。仁と言えば仁のことのみを思い、浩然之気と言えば浩然の気のみを思うのは初心な者であって、通会すれば一続きである。上の条からこの条の仁へ来た移り方も本当に面白いこと。この仁というのが「心之徳愛之理」で、それが人の性である。そこでまた全体に掛けて、次の条に幅広く性論を出された。
【語釈】
・管仲にも仁…論語憲問17。「子路曰、桓公殺公子糾。召忽死之、管仲不死。曰、未仁乎。子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也。如其仁、如其仁」。
・心の德、愛の理…論語学而2集註。「仁者愛之理心之德也」。孟子梁恵王章句上2集註。「仁者心之德愛之理」。