第二十二 觀天地生物之氣象  七月十一日  惟秀録
【語釈】
・七月十一日…寛政2年庚戌(1790年)7月11日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

觀天地生物氣象。周茂叔看。
【読み】
天地の物を生ずる氣象を觀よ。周茂叔の看。
【補足】
この条は、程氏遺書六にある明道の語。

先日性論すんで其跡へ仁の条が爰へ三条出た。編次の意に塩梅あることぞ。性と云もののつかまへ処は仁へ皈着する。そこで、孔子の弟子衆も仁に成ふ々々と一生仁にかかりてをられた。此章に仁の字はないが、天地のことを云かすぐに仁なり。仁の字はなくても天のことを云たが仁への入用でなり。天地はいつも物を出かす。夫故易に天地之大德謂生生々之謂易ともある。天地は生々なり。はらへともあとよりおふる庭の草。出かす々々々がしゃうばいなり。之氣象と云は其出かすの形り、をもわくを云。観は目で見ることでない。観念の観で、爰の処ここじゃな、ははあと胸へべったり来て見ること。だたい此方の見ることなれとも、柯先生のみよと点つけたは、観は會得して此方の胸へのせてみることゆへ、それを学者にみよとなれば、手前の觀るは此中へ這入ってをると合点するがよい。然れば、よの点はばがひろい。この塩梅か明德新民と同こと。手前で天地生物の氣象をよく見取りてあれば、人へもそれが出したくなる。此酒飲でみやれと云は、己が飲だからなり。吾が見覚へたことゆへには人にもみよなり。
【解説】
この条は仁を説いたものであり、性の捉まえ処が仁である。天地はいつも物を拵える。「氣象」は天地の拵える姿、思惑である。「觀」は観念の観で、目で見ることではなく、会得すること。
【通釈】
先日性論が済んで、その後に仁の条が三条出た。この編次の意に塩梅がある。性というものの捉まえ処は仁へ帰着する。そこで、孔子の弟子衆も仁になろうと一生仁に取り掛かっておられた。この章に仁の字はないが、天地のことを言うのが直に仁のことなのである。仁の字はなくても、天のことを言うのが仁には必要なのである。天地は何時も物を拵える。それ故、易に「天地之大徳謂生」「生々之謂易」ともある。天地は生々である。掃えども後より生うる庭の草。拵えるのが天地の商売である。「之氣象」は天地の拵える姿、思惑を言う。「観」は目で見ることではない。観念の観で、ここの処はこれだな、ははあと胸へべったりと来て見ること。そもそも自分で見ることだが、柯先生がみよと点をつけたのは、観は会得して自分の胸に載せて見ることであって、それを学者に見よと言うのだから、自分が観ることはこの内に這い入っているのだと合点しなさい。それで、「よ」の点は幅が広い。この塩梅が明徳新民と同じこと。自分で天地生物の気象をよく見取っていれば、人へもそれが出したくなる。この酒を飲でみろと言うのは、自分が飲んだからである。自分で見て覚えたことだから、人に観よと言えるのである。
【語釈】
・天地之大德謂生…易経繋辞伝下1。「天地之大德曰生、聖人之大寶曰位。何以守位。曰仁。何以聚人。曰財。理財正辭、禁民爲非、曰義」。
・生々之謂易…易経繋辞伝上5。「生生之謂易、成象之謂乾、效法之謂坤。極數知來之謂占、通變之謂事、陰陽不測之謂神」。
・柯先生…山崎闇斎。

その天地の氣象を見て何にすると云に、そこで一つ入用ある。爰が仁の処なり。此条か性論の隣りゆへ面白い。仁のことになるなり。無極而太極のあたりにあると、ただ天のことなり。周茂叔の看。程子のをらが師匠の見取りが何事でも此のがてんで有りたとかかれた。漢唐を絶学と云も尤なり。ここの処が天地生物之氣象じゃなとと見取りたものがない。生物之氣象かをらが師匠の見取りじゃと云は、周子全体で云こと。太極圖を書れたは勿論のこと、御役を勤めるも平日の話も皆此の見取りからなり。そこて周子の学問がいた学問じゃ。この看のことを周子のどの語と言句であてて云はわるい。後世の人は周子と近付でないから、窓前草不除去などを出して證拠にあてるがよい。さうすると、天地生物の氣象を見た処があればかりになる。そふでない。周子学問全体すへてこの見取りなり。そこで垩賢の篇、周子の窓前草不除去と出してあり。
【解説】
天地生物之気象は周子の見であり、周子の日頃は全てこの見でした。この見は「窓前草不除去」を参考にするとよい。
【通釈】
その天地の気象を見て何のためになるのかと言うと、そこに一つ入用がある。ここが仁の処である。この条が性論の隣にあるのが面白い。これが仁のことになるのである。「無極而太極」の辺りにあれば、ただ天の話のことになる。「周茂叔看」。これは、程子が、俺の師匠の見取りは何事でもこの合点だったと書かれたこと。漢唐を絶学と言うのも尤もなことである。ここの処が天地生物之気象だなどと見取った者がいない。生物之気象が俺の師匠の見取りだと言ったのは、周子の全体を指して言ったこと。太極図を書かれたのは勿論のこと、御役を勤めるのも平日の話も皆この見取りからのことである。そこで周子の学問は蒲鉾学問なのである。この「看」のことを、周子のどの語句のことかと当て嵌めて言うのは悪い。しかし、後世の人は周子と近付きでないから、「窓前草不除去」などを出して証拠とするのがよい。そうすると、天地生物の気象を見た処がそれだけのことの様に思えるが、そうではない。周子の学問全体が全てこの見取りなのである。そこで、聖賢の篇に周子の窓前草不除去を載せてある。
【語釈】
・窓前草不除去…聖賢18。「明道先生曰、周茂叔窻前草不除去。問之、云、與自家意思一般」。

周子の机の向ふまで草が青々とはへておるから、或人がちとぬかせたらよさそうなものと云たれば、自家の意思と一般と云れた。あの草がいき々々青々としておるから、どふもぬきをしくてぬかれぬとなり。天地生物の氣象が周子の胸へ照り合ふてくるから、可愛らしくいた々々しくてどふもぬきをしいとなり。向とこちが一般にてりあふなり。丁度、我が子をもてば人の子をも可愛がるやふなもの。窓前草を周子のぶせふでぬかぬではない。御老中招請にも巡見の御通りにもぬかぬと云ことでない。生物の氣象とてり合ふからぬきをしくて、人がぬかうと云てもまあそうしてをけとのこと。
【解説】
「窓前草不除去」は、周子の心と庭の草の活き活き青々としているところとが照り合って、抜き惜しいことを言う。それは周子が無精だからではない。
【通釈】
周子の机の向こうまで草が青々と生えているから、或る人が少し抜いたらよさそうなものだと言うと、「與自家意思一般」と言われた。あの草が活き活き青々としているから、どうも惜しくて抜くことができないと言う。天地生物の気象が周子の胸へ照り合って来るから、可愛らしく痛々しくてどうも抜くのが惜しいのである。向こうとこちらが同じになって照り合う。丁度それは、我が子を持てば人の子をも可愛がる様なもの。窓前の草を周子が無精で抜かなかったわけではない。御老中招請でも巡見の御通りでも抜かないということではない。生物の気象と照り合うから抜き惜しくて、人が抜こうと言っても、まあそうして置けとのこと。
【語釈】
・一般…一様であること。同様。

さて、儒佛の見も爰でわかる。佛は此うらで、寂滅の見から今活き々々としたものも滅する、はやかれるとみる。こちは生物が天地の道と見る。今ま人が、息子が十六七にもなると娵のさんだんをする。夫れからは、はや孫を見るしたくをして待ておる。平生利害人欲の深い心からこのやうな親切はありそうもないものじゃに、天地生物之心が心にのりてあるからこうなり。佛はさきをからすから、子が生るとはや死ぬものと云ひ、娵をとる、はややかて土になるとみる。成程さうでちかいはない。そこをばよく見付たことなり。吾儒かそれを知らぬではないが、垩人不謂耳じゃ。そふしたことはえ云ぬ。云ともないなり。
【解説】
天地生物は天地の道であるにも拘らず、仏はそれを滅するもの、枯れるものだと見る。物がやがて死滅するのは当然だが、聖学ではそれには着目せず、天地生物之心に着目する。
【通釈】
さて、儒仏の見もここでわかる。仏はこの裏で、寂滅の見から今活き活きとしたものも滅する。早くも枯れると見る。こちらは「生物」が天地の道と見る。今、人は息子が十六七にもなると娵の算段をする。それからは、早くも孫を見る支度をして待っている。平生は利害人欲の心が深いから、この様な親切はありそうもないものなのに、天地生物之心が心に載ってあるからこうなる。仏は先を枯らすから、子が生まれると早くも死ぬものと言い、娵を貰えば直ぐ、やがて土になると見る。なるほどそれに違いはない。それはよく見付けたことで、我が儒もそれを知らないわけではないが、「聖人不謂耳」である。そうしたことは言えないし、言いたくもないことである。
【語釈】
・垩人不謂耳…「聖人は謂わざるのみ」。

今の佛者は人情を知て世間になれてをるから俗家と交りもなるが、某などか様な口で佛法を有りのままに云ては、世は渡られぬ。檀家で私娵を取たの、孫が生れたと云ふとき、今の出家は相応にあいさつするですむ。いややがて死ぬてさと云てはつき合ひはならぬ。本意なりを云はば、佛者はだたいこうしたもの。寂滅の見で年忌吊をするも、さて々々をかしいこと。滅とみて、この身の滅するこそ本来のなりなり。その上に供養はせぬ筈のことなり。大きな迷ひ。それも垩人の祭祀の真似をするのなり。こちは生物之心ゆへ、とこまでもにぎ々々しく親を万年と祝し、その生物が死たものゆへ、やはり生物の心と云から祭をする。女房とも々々白粉に紅、うらで肴を備る。死でも生きた心にする。目出度ひがこちのちそうすることなり。ここが儒佛大根のちがふた処なり。
【解説】
今の仏者は人情を知り世間に馴れているから俗家との交わりが成る。しかし、仏本意は寂滅なのだから、年忌吊をしたり、ましてや聖人の祭祀の真似をするのは可笑しなことである。聖学は「生物之心」なので、親の長命を祝し、死んだ後は祭る。
【通釈】
今の仏者は人情を知っていて世間馴れをしているから俗家との交わりもできるが、私などの様な口振りで仏法をありのままに言っては世間を渡れない。檀家で娵を取たとか孫が生まれたという時、今の出家は相応に挨拶をするからうまくいく。いや、やがて死ぬのだと言っては、付き合いはできない。本意のままを言えば、仏者は大体この様なもの。そこで、寂滅の見で年忌吊をするも本当に可笑しいこと。滅と見て、この身が滅することこそ本来の姿である。それなら供養はしない筈。それが大きな迷いであって、その上、聖人の祭祀の真似をする。こちらは「生物之心」だから、どこまでも賑々しく親を万年と祝し、死はその生物が死んだものであり、やはり生物の心だから、死後は祭をする。女房共々白粉に紅で、裏では肴を備える。死んでも生きた心をもてなす。目出度いと見て、こちらでは馳走する。ここが儒仏の根本の違う処である。
【語釈】
・年忌…毎年の命日。また、命日に行う死者の冥福を祈る仏事。


第二十三 萬物之生意云々の条

萬物之生意最可觀。此元者善之長也。斯所謂仁也。
【読み】
萬物の生意最も觀る可し。此れ元は善の長なり。斯れ謂う所の仁なり。
【補足】
この条は、程氏遺書一一にある。程氏遺書にはこの句の前に、「天地之大德曰生。天地絪縕、万物化醇。生之謂性」とある。

上をうけたこと。二葉かいわって出る。花も咲く。上の条て観よとあると同し意なり。爰には可観とは、さて々々見られたものじゃと愛して言ふ口上なり。可は中蕐の辞では、らるると云こと。ここもみらるるなり。よふないものはみらるるでない。見て心もちのよいものじゃとなり。これを清少納言に云はせると、心ゆくものはと云であろふ。これがだたい猫に小判でないからなり。人欲にひまないものても、庭に牡丹がふさ々々と咲けば、つい思はず知らず見てひまをとることもある。此の可観の可の字は、茶人に道具屋がよい茶碗を持て来て見せるとつく々々みて、是では一服立てらるると云のなり。さて、此のみられたものと云を、天地の内には見られぬもののあるにて合点せふことなり。永代や大橋へ流死のものがふわ々々流れて来る。さて々々見られぬもの見たがるは仲間小者なり。
【解説】
「萬物之生意最可觀」の説明。「可觀」は見て心持がよいという意である。それは茶人が茶碗をつくづくと見る様なこと。「可觀」は、天地には見て心持の悪くなるものがあることで理解することができる。
【通釈】
上の条を受けたこと。二葉が貝割って出る。花も咲く。上の条で「観よ」とあるのと同じ意である。ここが「可観」としたのは、本当に見られたものだと愛でて言う口上である。「可」は中華の辞では、られるということ。ここも観られるということ。よくないものは観られるではない。見て心持ちのよいものだということ。これを清少納言に言わせれば、心ゆくものはと言うだろう。これがそもそも猫に小判ではないからである。人欲に暇がない者でも、庭に牡丹がふさふさと咲けば、つい思わず知らず見て時間を費やすこともある。この可観の可の字は、茶人に道具屋がよい茶碗を持って来て見せるとつくづく見て、これで一服立てられると言うのと同じこと。さて、ここの観られたものと言う意を、天地の内には見られないものがあることで合点しなさい。永代橋や大橋へ流死した者がふわふわと流れて来る。見られないものを見たがるのは仲間や小者と同じである。
【語釈】
・かいわって…「貝割り」は、卵や貝の殻が二つに割れて開いたさま。また、それに似た形。植物の発芽したばかりの双葉。
・仲間…中世、公家・武家・寺院などに仕える従者の一。侍と小者との中間に位する。近世には武家の奉公人の一で、雑役に従事。足軽と小者の中間に位する。
・小者…①武家の雑役に使われる者。②身分の低い使用人。下男。丁稚

生意はみらるる筈じゃは善の長なり。文言に仰られたこと。あたまの処。春で、ことの外もののあること。柳桜をこぎまぜて都は春のなり。にき々々しいこと。それて人も仁の中に義礼智も何もかもある。皆此の仁中のものぞ。仁がなければ義礼智に立ぬ。そこで仁が鼻を高くする。仁がないとあとの三つか干すばる。皆仁でもてたもの。所謂仁なり。をれは仁をもったとて自滿することはない。皆にある。此条で仁の字が皃を出したぞ。活たものゆへ動く。此前の動之端は天地の心と云もここのこと。何んでも初の処がよいもの。季文子三思かなせわるいなれば、あたまの処のよいのをぬかす。朋友に病人があって、こまろふから一两やろふと思付ひたはよいなり。そこをも一つ考て、いや先達の親族の病氣にもやらずにあれにやってはと了簡をつける。はややらぬ方になる。二度目になると、あたまでないからもふどみてくる。仁でない。仁は出たなりに麁忽ながよい。あれこれと分別しては仁の出る間がない。
【解説】
「此元者善之長也。斯所謂仁也」の説明。生意が見て心持のよいのは、それが善の長だからである。それが仁で、仁の中には義礼智も何もかもがある。仁は初めであり、出た通りなのがよい。二度目以降になれば分別が出て、天地のままの姿ではなくなる。
【通釈】
生意は観られる筈で、それは善の長だからである。文言伝で仰せられたこと。これは最初の処。春で、殊の外物があること。柳桜をこぎまぜて都は春の、である。賑々しいこと。それで、人も仁の中に義礼智も何もかもがある。皆この仁の中のもの。仁がなければ義礼智は立たない。そこで仁が鼻を高くする。仁がないと後の三つが干される。皆仁で保っている。「所謂仁也」。俺は仁を持っていると言って自満することではない。皆にある。この条で仁の字が顔を出した。活きたものだから動く。この前の「動之端乃天地之心」と言うのもここのこと。何でも初めの処がよいもの。「季文子三思」が何故悪いのかというと、最初の処のよいものを抜かすからである。朋友に病人があって、困るだろうから一両遣ろうと思い付くのはよい。そこをもう一回考えて、いや先達ての親族の病気にも遣らずにあれに遣るわけにはいかないと思案する。そこで遣らない様にする。二度目になると、最初ではないから既に澱んで来る。それは仁ではない。仁は出た通りで粗忽なところがよい。あれこれと分別しては仁の出る間がない。
【語釈】
・生意…物が生まれて来て、これから成長しようとする様子を指す。
・善の長…易経乾卦文言伝。「文言曰、元者善之長也。亨者嘉之會也。利者義之和也。貞者事之幹也。君子體仁足以長人、嘉會足以合禮、利物足以和義、貞固足以幹事。君子行此四德者。故曰、乾元亨利貞」。
・柳桜をこぎまぜて都は春の…西行桜。「見渡せば、柳桜をこきまぜて、都は春の錦、燦爛たり」。
・動之端は天地の心…道体10。「蓋不知動之端乃天地之心也」。
・季文子三思…論語公冶長20。「季文子三思而後行。子聞之曰、再斯可矣」。


第二十四 滿腔子惻隠之心の条

滿腔子是惻隠之心。
【読み】
滿腔子是れ惻隠の心なり。
【補足】
この条は、程氏遺書三にある明道の語。

上に仁が説ひてあり、其仁ちっとばかりてない。たっふりと身にもっておることを云。滿腔子とは、ちっとはかりでないを云。蘭奢待をもってをるやふなことてない。仁はからた一はいにはちきれるほどある。なれとも姿が見えぬから、孟子惻隠と云て見へる処て見せたもの。此方が生ておるから、凡そ目にふれ心にふれるものがいた々々しく可愛くなる。それが藥入に一角をもった様に少し計でない。今日も翌日も何処へもかしこへも出て、沢山つかいきられぬほどあるなり。滿腔子惻隠之心とは、樽に一はいある酒を呑口をぬいた様で、あたる処へぐわら々々々と出る。滿て沢山ゆへ、あたればさわれば仁と云の馳走になる。凡夫は借金にひかれて五升樽の底に二三合ある。そこでめったに出すこと出来す、人へもひびかぬ。上の生物の心がすぐに惻隠の心なり。
【解説】
「滿腔子」とは、仁を体一杯に持っていること。しかし、仁は見えないものだから、孟子の惻隠を引用して見せた。人は生きているから惻隠の心がある。凡夫は欲に引かれて仁が少ししかない。そこで滅多に惻隠の心が生じないし、人にも響かない。
【通釈】
上の条で仁を説いたが、その仁は少しばかりのことではない。たっぷりと身に持っていることを言う。滿腔子とは、少しばかりでないことを言う。蘭奢待を持っている様なことではない。仁は体一杯にはちきれるほどある。しかし、姿が見えないから、孟子の惻隠という見える処で見せたもの。人が生きているから、凡そ目に触れ心に触れるものを痛々しく可愛く思う。それは薬入れに一角を盛った様に少しだけのことではない。今日も翌日もどこかしこへも出て、沢山で使い切れないほどある。滿腔子惻隠之心とは、樽に一杯ある酒の呑口を抜いた様で、当たる処へどんどんと出る。満ちて沢山だから、当たり触れば仁の馳走になる。凡夫は借金に引かれ、五升樽の底に二三合だけの仁である。そこで滅多に惻隠の心が生じないし、人へも響かない。上の条にある生物の心が直に惻隠の心なのである。
【語釈】
・滿腔子…満身。
・蘭奢待…聖武天皇の時代、中国から渡来したという名香。東大寺正倉院御物目録には黄熟香とある。「蘭奢待」には「東大寺」の三字が隠されているという。
・孟子惻隠…孟子公孫丑章句上6。「惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辭譲之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體」。
・一角…歯クジラ類イッカク科の海獣。油は鯨油にまさり、牙は古来漢方で解毒剤として使用。

凡生きものにひびきのあるは皆これなり。魚舩のふちを打てば魚がひそむ。生物はじきにひひくもの。人の死を聞ても、只はあそうかと云てひびかぬは、こちか死物になりて石瓦のやうになりたなり。生き々々若か々々としたものはひびきがよい。諸先賢の説にとかく若いと云を馳走するが面白いこと。鷄でもをや鳥よりはひよこが可愛。犬猫もちいさいは愛らしい。夫れゆへここに天地生物から万物生意ときて、それから滿腔子惻隠と三章一つに見ることなり。ここらで大概仁のことはすんだが、又たっふりと喰ふには玉講附録でなくてはならぬ。そこで序文で先日も云通り、あれを近思の後編と見るがよい。
【解説】
生物に響きがあるのは皆仁からであり、響かないのは死物と同じである。とかく生々若々としたものは響きがよい。これ以上仁を吟味するには玉講附録を読むのがよい。
【通釈】
凡そ生物に響きがあるのは皆仁からである。漁船の縁を打てば魚が潜む。生物は直に響くもの。人の死を聞いても、ただ、はあそうかと言って響かないのは、こちらが死物になって石瓦の様になったからである。生々若々としたものは響きがよい。諸先賢の説がとかく若いことを馳走しているのが面白い。鶏でも親鳥よりは雛の方が可愛い。犬猫も小さいものは愛らしい。それで、ここに「天地生物」から「万物生意」と来て、それから「滿腔子惻隠」とあるが、この三章一つに見なさい。ここ等で仁の大概のことは済んだが、また、たっぷりと理解するには玉講附録でなくてはならない。そこで序文で先日も言う通り、あれを近思の後編と捉えなさい。
【語釈】
・玉講附録…玉山講義附録(三巻)。保科正之が山崎闇斎に命じて編集したもの。寛政5年9月に成る。玉山講義は朱子が65歳の時、玉山にて講義したもので、凡そ三千字の文章。


第二十五 天地萬物之理無獨の条

天地萬物之理、無獨必有對。皆自然而然。非有按排也。毎中夜以思、不知手之舞之、足之蹈之也。
【読み】
天地萬物の理、獨無く必ず對有り。皆自然にして然り。按排する有るに非ず。中夜以て思う毎に、手の舞い、足の蹈むを知らず。
【補足】
この条は、程氏遺書一一にある明道の語。

爰はぐっとをを元へ引返して見ること。初め太極動而云々、太極の動靜で两儀が出来る。そこからはや天地は皆二つなり。無極而太極と云。とどじっとかたまりては居らぬ。隂陽動靜皆二つづつなり。去るによって太極圖説のしまいの方に立天之道隂與陽立地之道柔與剛立人之道仁与義。仁と云ものあれば、其相手には義がある。垩人は人を愛するが仁なり。されとも其相手には義が出る故、人を刑罸することもある。有對なり。智の高は天也礼卑地也も二つなり。仁には義と云相手ある筈じゃに、佛は義がないから罪人に衣を掛ける。空と見たからぞ。仁をみても義と云對がないと盗人に衣をかけるぞ。つまり、天地のなりでない。道を片方みたなり。天地に片方と云ことはない。無独。山と云があれは川がある。上に鶴があれは下に亀がある。人の顔にも鼻と云実したものには穴と云空[うつろ]なあいてがある。夫があれば妻、春夏に秋冬。有對なり。自然而然り。いつと云ことなしにこう出来来ったなり。
【解説】
「天地萬物之理、無獨必有對。皆自然而然。非有按排也」の説明。太極図説で「無極而太極」とは言っても、太極の動静で両儀ができ、天地は皆二つとなる。天地は皆対であり、それは自然にそうなる。また、人には仁があり、その相手として義があるが、仏には義がないから天地の通りではない。
【通釈】
ここはぐっと大元へ引き返して見たこと。始めに「太極動而云々」と、太極の動静で両儀ができる。そこから早くも天地は皆二つとなる。「無極而太極」と言っても、つまりはじっと固まってはいない。陰陽動静皆二つずつである。そこで、太極図説の終わりの方に「立天之道陰與陽、立地之道柔與剛、立人之道仁與義」とある。仁があれば、その相手には義がある。聖人は人を愛する。それが仁である。しかし、その相手には義が出るから、人に刑罰を科すこともある。「有對」である。知の高いのは天、礼の卑いのは地と言うのも二つである。仁には義という相手ある筈なのに、仏には義がないから罪人にまで衣を掛ける。空と見たからである。仁を見ても義という対がないと盗人に衣を掛ける様になる。つまり、それは天地の通りではなく、道を片方だけ見たのである。天地に片方ということはない。「無独」。山があれば川がある。上に鶴があれば下には亀がある。人の顔にも鼻という形したものがあるが、それには穴という空な相手がある。夫があれば妻があり、春夏に秋冬がある。対がある。「自然而然」。いつと言うことなく、この様にできて来る。
【語釈】
・智の高は天也礼卑地也…易経繋辞伝上7。「子曰、易其至矣乎。夫易、聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑。崇效天、卑法地。天地設位、而易行乎其中矣。成性存存、道義之門」。

毎中夜以思。毎々とは明道先生がことの外面白くなって来て、これが度々のことでござるとなり。それが夜にもかきるまいと云はふが、秋の長夜などにこうしたことあるものぞ。不知手之舞之。これが合点したとき云ふことなり。先日の誰能識之はをもくれて云たこと。是れは麁相に笑ながら云れたか、詞の立ては別でも會得したは同しこと。長夜に考てみたときに皆相手がある。天地の廣ひ内には一本立なものも有そふなものと考てみたときに、さてない。蚤がひょい々々々はねるに虱がじっとしておる。これも相手がある。さて々々と笑ひ出すほどのことじゃ。これほどにすむでなくては本んにすむではない。筆記て見ての、語類によい説があるのと云は道体の借り物なり。帳面をあてするに役人にすぐれたはないもの。よい医者は医書にない療治をもする。明道はたあ思の外の遊山をしたと云のなり。音樂はなくて音樂なり。韓持国が病氣のとき、保養に俗樂を聞れたを朱子の笑れた。これが俗樂はたわれるからとて戒めたことでない。あれをきいて心ののひる処が俗なり。外部にたすけらるるは学問の手に入らぬのなり。学者はこちに動かぬものをもっていて、これが音樂より面白と云が手に入たのなり。天地万物之理無獨は明道の音樂なり。
【解説】
「毎中夜以思、不知手之舞之、足之蹈之也」の説明。手が舞い、足が踏むほどでなければ本当に理解したことにはならない。書物を見てわかった顔をするのは借り物の道体であって、それでは理解したことにはならない。自得しなければならないのである。
【通釈】
「毎中夜以思」。毎々とは明道先生が殊の外面白くなって来て、それが度々のことだということ。それは夜に限ることではないだろうと言われても、秋の長夜などにはこの様なことがあるもの。「不知手之舞之」。これが合点した時に言うこと。先日の「孰能識之」は重々しい言い方で、ここは粗相して笑いながら言われたことだが、言葉の立て方は別でも会得したのは同じこと。長夜に考えてみた時に皆相手がある。広い天地の内には一本立ちしたものもありそうなものと考えてみた時に、さてそれはない。蚤がひょいひょいと跳ねるが虱はじっとしている。これにも相手がある。さてさてと笑い出すほどのことだ。これほどに理解が済むのでなくては本当に済むことにはならない。筆記で見たとか、語類によい説があると言うのは借り物の道体で、本当に済んだとは言えない。帳面を当てにする役人に優れた者はいないもの。よい医者は医書にない療治をもする。明道は、ああ思いの外の遊山をしたと言ったのである。音楽はなくても音楽を聞いたのである。韓持国が病気の時に保養に俗楽を聞かれたが、それを朱子が笑われた。それは、俗楽が戯れだとして戒めたのではない。あれを聞いて心が伸びる処が俗なのである。外物に助けられるのは学問が手に入っていないからである。学者が自分に動かないものを持ち、それが音楽よりも面白いと言えば、これが手に入ったということ。「天地万物之理無獨」は明道の音楽である。
【語釈】
・不知手之舞之…孟子離婁章句上27。「則不知足之踏之、手之舞之」。
・誰能識之…道体10。「非知道者、孰能識之」。
・をもくれて…重くれる。おもたそうである。おもくるしそうである。くどくどしい。
・韓持国…韓維。雍丘の人。神宗の時翰林学士に進み、開封の知事となる。哲宗の時に門下侍郎になり、太子少傅で致仕。1017~1098


第二十六 中者天下之大本の条

中者天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理。出則不是。惟敬而無失、最盡。
【読み】
中とは天下の大本なり。天地の閒、亭亭當當、直上直下の正理なり。出でば則ち是ならず。惟敬して失うこと無くんば、最も盡くせり。
【補足】
この条は、程氏遺書一一にある明道の語。

初め太極圖の次へ誠幾德、それから伊川の喜怒哀樂の二条から段々きて、又此段へ中が出た。跡へもどし々々々道体の名義の出るが、とど外のものではない。天と人々々々として、つまり太極圖へ説きかへすなり。人は一箇之小天地て、天地をかたれば人を語るで注文が合ふ。某常に謂ふ。道体の一篇は圖説の註と見ることぞ。太極は天地万物の根柢になるから、万物は太極がすべておる。人でなんじゃと云に未発之中が太極なり。天地造化の方で形なくて本になりておるものが太極、形なくて人間の本になるものが未發之中なり。人では中、天地ては太極なり。迂斎曰、人を天地人三才と云もからだのことでない、と。からだの大ひが所望なら牛馬。もそっとと云はば鯨なり。其ことではない。人は心で尊ひ。心の本体は未發之中なり。そこで忝い。堯舜の湯武のと云もせいのひくい高いことでない。あなた方は未発の中に疵がない。凡人にはないかと云に、ありはあれとも発った処がわるいから大本もつふれてをる。大本が大本にたたぬ。これが引き負のあるからなり。
【解説】
「中者」の説明。人は一箇の小天地であり、万物における太極は、人においては未発の中である。人は心があるから尊いのであって、この心の本体は未発の中である。凡夫は心の発が悪いから大本が立たない。
【通釈】
初めに太極図があり、次に「誠幾徳」と伊川の「喜怒哀楽」の二条があって、それから段々と来て、またこの段に「中」が出た。幾度も前に戻って道体の名義が出るが、結局は別なものではない。天と人のことを言いながら、つまりは太極図へと説き返しているのである。人は一箇の小天地で、天地を語れば人を語り、それで注文が合う。私が常に言っていることだが、道体の一篇は図説の註だと見なさい。太極は天地万物の根になるから、万物は太極が統べている。人ではそれが何なのかと言うと、「未発之中」が太極なのである。天地造化の方では形がなくて本になっているものが太極、形がなくて人間の本になっているものが未発之中である。人では中、天地では太極である。迂斎が、人を天地人三才と言うのも体のことではないと言った。大きい体が所望なら牛馬になればよいし、もっと大きいのがよければ鯨がある。そのことではない。人は心があるから尊い。心の本体は未発之中である。そこで忝い。堯舜や湯武のことを話すのも、背の低い高いを言うのではない。あの方には未発の中に疵がない。凡人には未発の中がないかと言えば、あることはあるが、発った処が悪いから大本も潰れている。大本が大本として立たない。それはし損ないがあるからである。
【語釈】
・人は一箇之小天地…
・未発之中…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。
・三才…易経説卦伝2。「立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之」。
・引き負…使い込むこと。

天下之大本なり。人の心に未発の大本ある。そこを存養して取り立てて大事にする。それから拜領なりになると云が子思の発明なり。されとも、みやふとてみられず、云へとも云とれぬ。そこを形容したか亭々當々なり。ちりもはいもつかぬものじゃと、そこが云ひ上手なり。亭は、今も下屋鋪の茶屋をちんと云ことも、いろ々々と入組ある家搆へでなく、ずっと竿を立た様なていゆへ云。大閤の傘の亭と云もある。亭々は火の見の様にずっと立って物にもたれぬもの。中は夫れ計りて云とれぬから當々なり。脇へはへると曲るから、丁どのづんでない。當々はすっとまんろくなり。直上直下は上へもまっすく下へもまっすぐ柱を一本立てた様なもの。此八字が一色々々に見へても、とど一つことなり。人の心が腹が立つと、腹の立つ方へよこへはへる。喜ぶもそのあやなり。発るとわきの方へ片向くか、発らぬ前はまっすぐ、外へよらぬ。何ぞ一つ発る、はや直上直下でない。正理。正はまがらぬ。ひづまぬ。理で云。わきへひかれぬ意。理ずりにないと氣へ流れる。情ずりになって足を蹈出す、はや未発之中でない。
【解説】
「天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理」の説明。目に見えない心を程子が形容して「亭亭當當」と言った。「亭亭當當直上直下」は真っ直ぐに立つこと。理にいることが未発の中であり、気に流されては未発の中ではない。
【通釈】
「天下之大本」。人の心に未発の大本ある。そこを存養して取り立てて大事にする。それで天の拝領の通りになると言うのが子思の発明である。しかし、未発の大本は見ようとしても見えず、言おうとしても言えない。そこを形容したのが「亭々当々」である。塵も灰も付かないものだと言うのが言い上手なところである。「亭」は、今も下屋敷の茶屋をちんとも言うが、色々と入り組んだ家構えではなく、すっと竿を立てた様な形だからちんと言う。太閤の傘の亭というものもある。亭々は火の見の様にずっと立って物にもたれないこと。また、「中」はそれだけでは言い尽くせないから「当々」と言う。脇へ生えると曲るから、丁度の寸法ではない。当々はすっと真っ直ぐなこと。「直上直下」は上へも下へも真っ直ぐで柱を一本立てた様なもの。この八字が別々なものに見えても、結局は同じこと。人の心に腹が立つことが生じると、腹の立つ方へと横へ生える。喜ぶもその綾である。発ると脇の方へ傾くが、発る前は真っ直ぐで外へ寄らない。何か一つ発ると、既に直上直下ではない。「正理」。正は曲らず歪まないことで、理から言う。脇へ引かれない意。理に従わないと気へ流れる。情に吊られて足を踏み出せば、それは既に未発之中ではない。
【語釈】
・大閤の傘の亭…
・まんろく…真陸。①たいらかなこと。また、公平なこと。②十分なこと。また、完全なこと。

出則不是。これより外に云とわるくなるとなり。爰の処をちらりっと出ると未発ではない。不是也。この点よくみよ。是非の是ではない。此のきりもみの処を喜ぶとか怒るとか出ると、はや未発の中ではない。そんならどふするがよいと云に、敬而無失最盡。これか子夏の語で、爰の処が程子の發明と云ことてもない。そんなら発明はないかと云に、中庸て戒慎恐懼と手をもく云ことをかるく敬而無失と云た。ここか発明なり。此の詞が、司馬牛が兄の桓魋かわるものゆへあてにならぬ、人は兄弟がありてをれはないとくよ々々云たを子夏がなくさめて、君子敬而無失云々四海之内皆兄弟なり。あれは未発之ことを云たてはないのに、それを取られてちっとも間断なく敬むと云ふこと。これが存羪のことなり。一寸粉藥をかけたではない。いつもこれをするが一番よいとのこと。こふきいてみれば、程子の発明が重い病人をかるい藥でなをしたのなり。さてよくみればやっはり戒謹恐懼のことで、それで中をえらるる。
【解説】
「出則不是。惟敬而無失、最盡」の説明。ここで程子が、「惟敬而無失」と軽く言ったのが彼の発明であり、それは中庸にある「戒慎恐懼」と同じ意である。これは間断なく敬むことで、存養のことである。
【通釈】
「出則不是」。これより外のことを言うと悪くなると言う。ここの処を少しでも出れば未発ではない。不是也の点をよく見なさい。是は是非の是ではない。この錐揉みする処を喜んだり怒ったりして出ると、既に未発の中ではない。それならどうするのがよいかと言えば、「敬而無失最盡」。これは子夏の語であって、ここの処は程子の発明ということでもない。それなら発明はないかと言えば、中庸で「戒慎恐懼」と手厚く言うことを、ここでは軽く「敬而無失」と言ったのであり、これが発明なのである。この言葉は、司馬牛が兄の桓魋が悪者だったので当てにならない、人には兄弟があって、俺にはないとくよくよして言ったのを子夏が慰めて、「君子敬而無失云々四海之内皆兄弟也」と言ったこと。あれは未発のことを言ったわけではないが、それを引用して、少しの間断もなく敬むことを述べた。これが存養のこと。一寸粉薬をかけたということではない。いつもこれをするのが一番よいと言う。この様に聞けば、程子の発明とは重い病人を軽い薬で治した様なこと。さてよく見ればやはり戒慎恐懼のことで、それで中を得ることができる。
【語釈】
・子夏の語…論語顔淵5。「司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。死生有命。富貴在天。君子敬而無失。與人恭而有禮、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也」。
・戒慎恐懼…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂教。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隠、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。
・司馬牛…宋の桓魋の弟。桓魋は宋公に叛いて出奔し、司馬牛はその責を負って領邑を返上し、孔子のもとに来学した。
・桓魋…宋の司馬で、宋を通過していた孔子を殺そうとした人物。

此次に伊川の出たなぞが面白い並なり。上の条の未發の大本は人間の符帳なり。三才と並ぶ挌式も是できまると説きて、夫れを人間で大なしにすると見せたもの。心の本体を失ふたを次の条へみせた。手のきいた並へやふなり。垩凡のちがいは敬する敬せぬによる。敬すると大本たつ。敬せぬと立ぬ。そこを私心と云。
【解説】
この条では、明道が未発の中が人の大本であることを述べ、次の条で、伊川が大本を人が台無しにすることを述べる。聖人と凡人の違いは敬するか否かに由り、不敬を私心と言う。
【通釈】
この次に伊川の語が出るなどというのが面白い並べ方である。この条で、未発の大本は人間の符帳であり、三才と並ぶという格式もこれで決まると説いて、次の条で、それを人間が台無しにすると見せる。心の本体を失うことを次の条で見せたのである。それは上手な並べ方である。聖人と凡人の違いは敬するか敬さないかに由る。敬すると大本が立つ。敬さないと立たない。敬さないことを私心と言う。
【語釈】
・符帳…①商品につけて値段を示す目印の符号。符牒。②合図の隠語。あいことば。


第二十七 伊川先生曰公則一の条

伊川先生曰、公則一、私則萬殊。人心不同如面、只是私心。
【読み】
伊川先生曰く、公は則ち一にして、私は則ち萬殊なり。人心の同じからざること面の如きは、只是れ私心なればなり、と。
【補足】
この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

公は人間の本体なりぞ。天地は公なり。日月の照らすと同じ。谷底、山をくの梅も咲く。歴々計に日月は照らぬ。私則萬殊。私と云は天下へ推し出れぬ文字。上の条の天下の字をみよ。江戸のものが火事時分になると雨がふればよいと云。又此比やけた者は小屋がけが漏るでこまりた雨と云ふ。又やけぬものはああよい雨じゃと云。私から云ことは色々、家々でちごふ。天下へ通用せぬ。
【解説】
「伊川先生曰、公則一、私則萬殊」の説明。天地は公であり、その公が人の本体の姿なのである。公は日月がどこでも照らすのと同じこと。私は公でなく、それは色々とあり、天下に通用するものではない。
【通釈】
「公」は人間の本体の姿で、天地は公である。日月が照らすのと同じ。谷底や山奥の梅も咲く。歴々だけに日月が照るのではない。「私則萬殊」。私とは、天下へ推し出せない文字である。前条にある天下の字を見なさい。江戸の者が火事の季節になると雨が降ればよいと言う。また、この頃焼け出された者は、仮小屋が漏るので困った雨だと言う。また、焼けない者は、ああよい雨だと言う。私から出たことは色々で、家々で違う。それは天下に通用しない。
【語釈】
・小屋がけ…小屋掛け。仮小屋をつくること。また、その仮小屋。

人心不同如靣。これが子産が云たこと。名言ぞ。人の心が十人が十人の氣もちなり。人の靣もそれで、まんざら似たものは千人に一人もない。皆違ふてをる。今下々の色々な旦那を取りた奉公人が、をれも色々なめにあふたと云。いかさま心々の理屈を云て、むき々々に家来をいろ々々にしかるぞ。子産もよく云た。至極そうじゃ。されとも、それは天下の人の私心をみて跡から云たことじゃとなり。程子の子産を詆りた語てはない。子産がよく云た詞ではあるが、それはわるくなった上で云たことと云れた。私心なれば、てん々々われ々々なり。商人も私心から。菅笠賣は雨の降らぬがよいと云、下駄賣は降ればよいと云。商ひによって色々違ふ。皆私心からなり。迂斎曰、元日には登城があるから、江戸中の大小名から供をするもの迠も天氣をよくしたいと云、旧冬隠居すれば、ちとしめってもよいと云。我は礼に出ぬゆへの私心なり。さて々々早くかわるもの。をかしきことなり。
【解説】
「人心不同如面、只是私心」の説明。人には十人十色の気持ちがある。それを子産がたとえた語がこれだが、それは人心が悪くなったところを見て言ったことである。心が悪くなるのは私からであって、人心は変わり易いものである。
【通釈】
「人心不同如面」。これは子産が言ったこと。名言である。人の心とは、十人いれば十人の気持ちがある。人の面も同じで、本当に似たものは千人に一人もない。皆違っている。今下々で、色々な旦那に仕えた奉公人が、俺も色々な目に逢ったと言う。いかにもその通りで、思い思いの理屈を言って、思い思いに家来を色々と叱る。子産もよく言ったもの。全くその通りである。しかしながら、それは天下の人の私心を見て、後から言ったことだと程子は言う。それは程子が子産を詆ったわけではない。子産のうまく言った言葉ではあるが、それは人が悪くなったところで言ったことだと言われたのである。私心であれば、思い思いで自分のことばかりしかない。商人も私心からする。菅笠売りは雨が降らないのがよいと言い、下駄売りは降ればよいと言う。商いによって色々と違う。皆私心からである。迂斎が、元日には登城があるから、江戸中の大小名から供をする者までが天気をよくしたいと言うが、昨冬に隠居した者は、少し湿りがあってもよいと言う。自分は元日の礼に出ないことからの私心である。さても心は早く変わるもの。可笑しいことである。
【語釈】
・人心不同如靣…春秋左伝襄公にある鄭の子産の語。「人心之不同也、如其面焉」。
・子産…春秋、鄭の大夫。公孫僑。東里の子産とも言われ、国僑と称せられる。晋楚の間にあってよく内外を治めた。
・心々…人さまざまであるさま。思い思い。
・むき々々…向き向き。それぞれ。思い思い。

直方先生の、前垩後垩其揆一也は私心でないからしゃと云れた。孔子と先王の心がへったりと合ふ。人の本体の公が私からくつるる。そこで、性道教の教の字ををかれたも合点せふこと。公と一とは一つことなれとも喜怒哀樂に引こまるるから私になる。本の公てない。そこて教が入る。さてこそ上の条て未發の中をかたり、さてくるへばこふと如靣の私心を見せたか此条の主意ぞ。天下の大本が如靣では垩學の本領は根からつぶるるなり。
【解説】
私がなければ公であり一である。喜怒哀楽に引き込まれるから私になる。朱子は前条で未発の中を語り、それが狂えば「如面」の私心となると編次を組んだ。天下の大本が「如面」ではならない。
【通釈】
直方先生が、「前聖後聖其揆一也」は私心でないからだと言われた。孔子と先王の心がぴったりと合う。人の本体の公が私から崩れる。そこで、「性道教」と教の字を置かれたのも理解しなければならない。「公」と「一」とは同じことだが、喜怒哀楽に引き込まれるから私になる。それは本当の公ではない。そこで教が要る。それでこそ、前条で未発の中を語ったのであり、さて、それが狂えばこうなると「如面」の私心を見せた。これがこの条の主意である。天下の大本が「如面」では聖学の本領は根から潰れてしまう。
【語釈】
・前垩後垩其揆一也…孟子離婁章句下1。「孟子曰、舜生於諸馮、遷於負夏、卒於鳴條。東夷之人也。文王生於岐周、卒於畢郢。西夷之人也。地之相去也、千有餘里。世之相後也、千有餘歳。得志行乎中國、若合符節。先聖後聖、其揆一也」。
・性道教…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎」。


第二十八 凡物有本末の条

凡物有本末、不可分本末爲兩段事。灑埽應對是其然、必有所以然。
【読み】
凡そ物に本末有るも、本末を分かちて兩段の事と爲す可からず。灑埽應對は是れ其の然るものにして、必ず然る所以のもの有り。
【補足】
この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

これが六ヶしい条ぞ。論語の子夏が門人小子云々の条からきたもの。あの章に程子も朱子も骨を折られた。程朱の後はよくわかりた。一寸した見取りてすむことあるものぞ。此章ほど道体為学のすなをにわかりた章はないと見ようことぞ。直方先生の、柱が一本ありても本末はあると云れた。本は三尺、末は二尺とは見れとも、柱は一本ゆへ本末はわけられぬ。小学挍で子共の茶の給仕するは末なれとも、大学へゆきては誠意正心の工夫をする。これも一つことなり。洒掃應對から心法のことにもあるから、本末はわけられぬ。本末と云も自然なものゆへ、俗語に背に腹はかへられぬと云。背と腹はかへられぬと云背と腹は本末なり。なれともどちを切ても血は出るから本末を兩段とはならぬ。本は大事、末はすてろと云と道にきれ目があるになる。中庸に夫婦之愚可與知とありて、そのあとには垩人天地のをもいことが云てあるか、とっちも道て、これはとってすてろと云はれぬ。两断にすべからずなり。
【解説】
本末は一つことであり、分けることはできない。それは、一本の柱や背と腹が分けられないのと同じである。また、中庸も夫婦の愚から聖人や天地という重いことまでを語っている。
【通釈】
これは難しい条である。論語で子夏が「門人小子云々」と言った、その条から出たもの。あの章に程子も朱子も骨を折られた。程朱の後はよくわかる様になった。一寸した見取りで済むことがあるもの。この章ほど道体為学が素直にわかる章はないと思いなさい。直方先生が、一本の柱にも本末はあると言われた。本は三尺、末は二尺と見ることはできるが、柱は一本だから本末は分けられない。小学校で子供が茶の給仕をするのは末だが、大学へ行くと誠意正心の工夫をする。しかし、これも同じこと。洒掃応対から心法のことになるから、本末は分けられない。本末は自然なものであって、俗語に背に腹はかえられないとある。背と腹はかえられないと言う時の背と腹は本末である。しかし、どちらを切っても血は出るから本末を両段にすることはできない。本は大事だが末は棄てろと言うと道に切れ目があることになる。中庸に「夫婦之愚可與知」とあり、その後には聖人や天地という重いことを言っているが、どちらも道で、これは取って棄てろと言うことはできない。両断にしてはならない。
【語釈】
・門人小子云々…論語子張12。「子游曰、子夏之門人小子、當洒掃應對進退、則可矣。抑末也。本之則無。如之何。子夏聞之曰、噫、言游過矣。君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉。譬諸草木區以別矣。君子之道、焉可誣也。有始有卒者、其惟聖人乎」。
・洒掃…灑埽。水をかけ、掃くこと。
・兩段…「両段事」は、別々のことがら。「段」は事につく量詞。
・夫婦之愚可與知…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能哉載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦、及其至也、察乎天地」。詩は詩経大雅旱麓。

洒掃応對は教てさせらるる。子共もなること。當然なり。親には孝と教ると畏ってする。忠をせよと云ふと、なんであろふと忠をする。當然なり。其當然の上にきっとさうせ子ばならぬはつのものがある。そこが道理のふかい処。所以然なり。やっはり右に云ふ中庸の費隠で、費の上に隠がついてある。なせ忠孝をすると云に、それには根がある。どふもせ子ばならぬと云あやを知ること。當然所以は深い淺いなり。これが孔子の語で知るる。論語に民者不可使知とある。九十九里の網引するものにも旦那を大事にせよ、親を孝行にするがよいと云てさせることはなる。可使由なり。そうする筈の処のふかいあやは知らせられぬ。不可使知なり。なぜ知らせられぬなれば、無極而太極なり。これは堯舜の民でも知らせられぬことなり。
【解説】
「洒掃応對」は教えによってさせることができ、それは「当然」である。その当然の上には「筈」があり、それが「所以然」である。当然と所以との関係は、中庸の「費而隠」や論語の「民可使由之。不可使知之」と同じである。
【通釈】
「洒掃応對」は教でさせることができる。子供にもできることで、当然のことである。親には孝と教えると畏まってする。忠をしなさいと言うと、何であろうと忠をする。それは当然である。その当然の上にきっとそうしなければならない筈のものがある。そこが道理の深い処。「所以然」である。やはり右に言った中庸の「費隠」であって、費の上に隠が付いてある。何故忠孝をするのかと言えば、それには根拠があるからである。どうしてもしなければならないという綾を知りなさい。当然と所以とは、深いことと浅いこと。これが孔子の語で知ることができる。論語に「民者不可使知」とある。九十九里の網引きをする者にも、旦那を大事にしなさい、親に孝行をしなさいと言って、それをさせることはできる。それが「可使由」である。そうする筈の処の深い綾は知らせられない。「不可使知」である。何故知らせられないかと言うと、それが無極而太極だからである。これは堯舜の民にでも知らせることはできない。
【語釈】
・民者不可使知…論語泰伯9。「子曰、民可使由之。不可使知之」。

此条を打てはなして説れたは直方先生なり。所以當然は道亦器器亦道と一つことじゃと云れた。ちょっときいては弥々すめぬになるであろふなれとも、これほどに云子ば道体がとけぬ。器の上には道理がある。道理は器に乘ってをる。洒掃應對を勤むるはわざて器に属す。其器は亦無極而太極から来たもの。當然をするには必所以と云わけあってでなふてはならぬことなれとも、ここにはむつかしいあやありて、わけ様わるければわけそこなふ。委細は直方先生筆記あり。可考。
【解説】
直方先生は、「所以当然」が「道亦器器亦道」と同じことだと言われた。「洒掃應對」は業であり器であって、その器は太極からのものである。
【通釈】
この条を全く違った形で説かれたのは直方先生である。「所以当然」は「道亦器器亦道」と同じことだと言われた。ちょっと聞いただけではいよいよわからなくなるだろうが、これほどに言わなければ道体が解けない。器の上には道理がある。道理は器に乗っている。洒掃応対を勤めるのは業であって器に属す。その器はまた無極而太極から来たもの。当然をするには「必所以」というわけがあってでなくてはならないことだが、ここには難しい綾があって、分け方が悪いと分け損なう。委細は直方先生の筆記にある。考えてみなさい。
【語釈】
・道亦器器亦道…道体19。「形而上爲道、形而下爲器。須着如此説、器亦道、道亦器」。

小学をするものも大学をするものも當然なり。當然には必所以然がついてまわる。子共の手習は當然、大人の誠意正心をは所以とをもふ。そうでない。誠意正心、やっはり當然ぞ。その當然に所以かあるなり。礼式のわさは固り當然。大学で誠意正心の理の上の工夫をするも當然なり。その當然に所以のあることなり。そこが費隠なり。大学小学は本末なり。本末なりにしてゆくは當然。そこで小学者のすることも大学者のすることも當然。手習子の手習するも當然。顔子や子貢の精義入神の工夫をするも當然なり。その當然には必所以あるから本末をわけて兩段にされぬと云か道体の大眼目なり。夫れを薛文清ほどのものでも取りそこなって、精義入神はとこまても所以然と云に見られた。これで直方先生にかろしめられた。これを文會の太極の部と論語子張篇の部二た処に吟味あり。可考。又惣体のことは子張篇の或問でほぞをちすることぞ。
【解説】
大学と小学は本末だが、どちらも当然であり、顔子や子貢が「精義入神」の工夫をするのも当然であって、その当然の上に「必所以然」がある。薛文清はこれを見損なって、精義入神は所以然だと捉えた。
【通釈】
小学を学ぶ者も大学を学ぶ者も当然からする。当然には「必所以然」が付いて回る。子供の手習いは当然で、大人の誠意正心は所以だと思うが、それは違う。誠意正心もやはり当然である。その当然に所以がある。礼式の業は固より当然。大学で誠意正心という理の上の工夫をするのも当然である。その当然に所以があるのであって、そこが「費隠」である。大学と小学は本末である。本末の通りにして行くのは当然。そこで小学者のすることも大学者のすることも当然。子供が手習いをするのも当然。顔子や子貢が「精義入神」の工夫をするのも当然である。その当然には「必所以」があるから本末を分けて「両段」にすることはできないと言うのが道体の大眼目である。薛文清ほどの者でもこれを取り損なって、精義入神はどこまでも所以然だと捉えた。それで直方先生に軽んじられた。これについて、文会の太極の部と論語子張篇の部の二箇所にその吟味がある。考えてみなさい。また全体のことは子張篇の或問で腑に落ちる。
【語釈】
・精義入神…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往來、朋従爾思。子曰、天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮。天下何思何慮。日往則月來、月往則日來、日月相推而明生焉。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歳成焉。往者屈也、來者信也。屈信相感而利生焉。尺蠖之屈、以求信也。龍蛇之蟄、以存身也。精義入神、以致用也。利用安身、以崇徳也。過此以往、未之或知也。窮神知化、徳之盛也」。
・薛文清…薛徳温。薛敬軒。
・ほぞをち…強いられてでなく、自分の意志で同意すること。納得。承知。


第二十九 揚子拔一毛云々の条

楊子拔一毛不爲、墨子又摩頂放踵爲之。此皆是不得中。至如子莫執中、欲執此二者之中、不知怎麼執得。識得、則事事物物上、皆天然有箇中在那上。不待人安排也。安排著、便不中矣。
【読み】
楊子は一毛を拔くことも爲さず、墨子は又頂を摩して踵に放[いた]るも之を爲す。此れ皆是れ中を得ざるなり。子莫の中を執るが如きに至りては、此の二つの者の中を執らんと欲するも、知らず怎麼[いかん]ぞ執り得ん。識り得ば、則ち事事物物上に、皆天然に箇の中の那[か]の上に在る有り。人の安排するを待たざるなり。安排し著[つ]くれば、便ち中ならず。
【補足】
この条は、程氏遺書一七にある伊川の語。

中者天下之大本と出して、間に私心の条ををいて、凡物本末の条ときて、あとへ此条を出したが靣白い。中は天下之大本から子莫の中にうつればきこへたが、本末の条を此前に入れたはどふぞと云に、天下之大本は体そ。此条と次の条は時中にて用なり。これで体用の筋がわかりた。其間に本末の兩段にならぬと云あんばいが前後の条へかけて味あり。大本の条は中の体。爰の時中は用なり。固より体用は上の条の本末ではないが、本末の姿なり。六ヶしいついでにもそっと云をふならば、誠自成道自道の註も本也用也と云てある。あれもこの姿なり。本と用とは金千两と小判一牧と云様なもの。金に二つはなけれとも、本末のなりぞ。天下大本から時中になる。两段ではない。
【解説】
「中者天下之大本」は体、この条と次の条は「時中」で、用を語るもの。その間に「凡物有本末」を入れたのは、この間に両段はないということである。
【通釈】
「中者天下之大本」と出し、間に「私心」の条を置き、「凡物有本末」の条と来て、その後にこの条を出したのが面白い。「中者天下之大本」から子莫の中に移るのならわかるが、本末の条をこの前に入れたのは何故かと言うと、天下之大本は体で、この条と次の条は「時中」で用のことだからである。これで体用の筋がわかった。その間に本末は両段することができないという按排が、前後の条へ掛けて味のあることである。大本の条は中の体で、ここの時中は用のこと。固より体用は上の条の本末のことではないが、本末の姿なのである。これは難しいことだが、ついでにもう少し言うと、「誠自成道自道」の註にも「本也用也」とある。あれもこの姿である。本と用とは金千両と小判一枚という様なもの。金に違いはないが、それが本末の姿である。天下之大本から時中になる。そこに両段はない。
【語釈】
・中者天下之大本…道体26。「中者天下之大本」。
・私心…道体27。「伊川先生曰、公則一、私則萬殊。人心不同如面、只是私心」。
・凡物本末…道体28。「凡物有本末、不可分本末爲兩段事」。
・子莫…孟子尽心章句上26。「孟子曰、楊子取爲我。抜一毛而利天下、不爲也。墨子兼愛。摩頂放踵、利天下爲之。子莫執中。執中爲近之、執中無權、猶執一也。所惡執一者、爲其賊道也。舉一而廢百也」。
・時中…中庸章句2。「仲尼曰、君子中庸。小人反中庸。君子之中庸也、君子而時中。小人之中庸也、小人而無忌憚也」。
・誠自成道自道…中庸章句25。「誠者自成也。而道自道也。誠者物之終始。不誠無物。是故君子誠之爲貴」。
・本也用也…中庸章句25集註。「誠以心言、本也。道以理言、用也」。

用には小なこともあれとも一貫ぞ。中庸或問に禪受放伐も中と云。時中なり。鯉に山椒、鱈に胡椒もやっはり時中なり。然れは道理はつらぬく。誠自成は本、道自道は用と語りた中庸の首章、未発は本、二章目の君子時中は用。とっちも两段でない。近思録道体の語にあてて云へば、未發の中は体で、在物為理の中へ這入ておる。已發の時中は用で、處物為義の中に這入てある。異端は皆見処が一方つくから死法ながらも未發めいたことは少し似たれとも、已発は以ての外なり。吾儒は寂の字も感とつつけて感をふんだ寂ぞ。異端の寂滅はあたまでころしてとりのける。なんにもない死しきったものぞ。それでも外からみると未発めくぞ。未発と云は発するもののまだ発せぬこと。発すると時中なり。異端は根が死んでをるから處物為義ををきそこのう。そこで楊墨かやふなもあるなり。子莫はそれになるまいとかかりて、やっはりそれになりた。
【解説】
用には小さなこともあるが、それも時中であって道理が貫いている。「誠自成」や「未発」は体で、「道自道」や「君子而時中」は用である。その未発の中は「在物為理」の中にあり、已発の時中は「處物為義」の中にある。異端は体に関しては聖学めいたところもあるが、根が死んでいる。また、異端に已発はない。已発は発したところだが、その時は時中でなければならない。
【通釈】
用には小なこともあるが一貫である。中庸或問に「禅受放伐も中」とある。時中である。鯉に山椒、鱈に胡椒もやはり時中である。そこで、道理は貫く。「誠自成」は本、「道自道」は用と語る中庸の、その首章にある「未発」は本、二章目の「君子而時中」は用。どちらも両段ではない。近思録道体の語に当てて言えば、未発の中は体で、「在物為理」の中へ這い入ってある。已発の時中は用で、「處物為義」の中に這い入ってある。異端は皆見処が一方だけだから死法だが、未発めいたことは少しある。しかし、已発に関しては以ての外である。我が儒では寂の字も、感と続けて感を踏まえた寂である。異端の寂滅は最初から感を殺して取り除ける。それは何もない死に切ったもの。それでも外から見ると未発めいている。未発とは発するものが未だ発しないこと。発すると時中である。異端は根本が死んでいるから處物為義を置き損なう。そこで楊墨の様な者もいる。子莫はそれにはならない様にと努力して、やはりそれになった。
【語釈】
・禪受放伐も中…中庸或問。「既曰當然、則自君臣父子日用之常、推而至於堯舜之禪授、湯武之放伐、其變無窮、亦無適而非平常矣」。
・未発…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。
・在物為理…道体15。「在物爲理、處物爲義」。
・感をふんだ寂…周易繋辞伝上10。「易无思也。无爲也。寂然不動、感而遂通天下之故。非天下之至神、其孰能與於此」。道体3も同じ意。

楊子拔一毛不爲。異端の元祖なり。異端はさへたもの。凡夫はさへぬもの。常人は多分にはもれますまいと云から怪我がない。それで村役人などには却てよいもの。異端は見た処へ一ちずに片づる。むづかしひ。楊子が、をれをばおれが建立する、人にはかまわぬと見ぬいて、こちの吟味をすることじゃと云て、いかなことふりむきもせぬ。墨子は人の為をするがよいと見たがぞへ、身をばをしまぬと云。釈迦が鳩に股の肉をそいで喰せたと同。皆是不得中。まん中でないと云ことでない。中と云は道理のただ中、云に云へぬ丁ときり々々の処。それを得ぬとなり。
【解説】
異端は一方に一途に片寄る。楊子は自分のためにだけ努力して人に構わない。墨子は人のために努力して自分に構わない。それらは「皆是不得中」である。この中とは真中という意ではなく、道理の直中で丁度のところを言う。
【通釈】
「楊子抜一毛不為」。楊子は異端の元祖である。異端は冴えたもの。凡夫は冴えないもの。普通の人は多勢に洩れない様にしようとするから怪我はない。それで村役人などには却ってよいもの。異端は見た処へ一途に片吊るから大変である。楊子が、自分自身が自分を建立するのだから人には構うことはないと見抜き、自分の吟味をすると言って、どんなことにも振り向きもしない。墨子は人のためをするのがよいと見て、身を惜しまないと言う。それは、釈迦が鳩に股の肉を削いで喰わせたのと同じこと。「皆是不得中」である。それは真中ではないということではない。「中」とは道理の直中で、言うに言えない丁度ぎりぎりの処である。ここでは、彼等がそれを得ていないと言っているのである。
【語釈】
・鳩に股の肉…鷹に追われてきた鳩を救うために、シビ王は鳩と同じ重さの自分の股肉を割いた。

子莫は楊墨が様にひんと氣逸物をする男でない。あれらをじろ々々見て、ああ氣の毒な、ああではないと云のなり。今知たぶりな人が、古法家もよくない、後世家もよくない、あの中がよいと云。ちょっときくと尤で、これがすぐに医の手段を知らぬ口上ぞ。中を取るがよいと云が、知らぬからのこと。古法家のが中なことも、後世家のが中なこともあるそ。その中がと云ことはかためられぬことなり。道理を爰の処と云て爪をつけておくことはならぬ。療治も和らかでよいこともつよいのよいこともあろふ。中と云を何事ないとき云へばどちへも片よらぬことなれとも、事に出すときは丁との方へかたよるそ。そこを時中と云。
【解説】
子莫は楊墨が間違っていると考えて、その中間をしようとした。しかし、中とは何事もない時にはどちらへも片寄らないことであるが、事に出た時は丁度の処へ片寄ることを言うのである。
【通釈】
子莫は楊墨の様な気の速い男ではない。あれ等をじろじろと見て、気の毒なことだ、彼等は間違っていると言った。今、知ったか振りをする人が、古法家もよくない、後世家もよくない、あの中間がよいと言う。ちょっと聞くと尤もなことだと思えるが、これが直に医の手段を知らない口上である。中を取るのがよいと言うのは、知らないからである。古法家が中なことも、後世家が中なこともある。古法家と後世家の中間がよいとは決められない。道理をここの処だと言って印を付けておくことはできない。療治にしても、和らかでよいことも剛いのがよいこともあるだろう。中とは、何事もない時に言えばどちらへも片寄らないことだが、事に出す時は丁度の処へ片寄ること。そこを「時中」と言う。
【語釈】
・氣逸物…気がはやること。
・古法家…古医方を奉ずる漢方医。古医方は、江戸時代の漢方の医家の説の一。金・元以後の後世派の医学を批判し、晋・唐の根本精神に復帰し経験と実証的精神に基づいた治療を主張。江戸前期名古屋玄医に端を発し、後藤艮山により確立され、香川修徳・山脇東洋・吉益東洞らがその代表者。
・後世家…わが国に鎌倉時代末期以降伝えられた中国の金・元の医家の処方を祖述する医家の一派。田代三喜・曲直瀬道三・曲直瀬玄朔(1549~1631)はその代表者。

今仁をするに墨子が意でよいこともあろふ。又、義を揚子でしてよいこともあろふ。なせなれば、時中と云ものは片っ方へでも丁どの処へよったが中じゃ。中は方角のきめられぬもの。夏の冷麥は剃刀の刄の様にひへた水がよい。冬は温飩、口もつけられぬほどあついが中なり。其間をとってもぬるくもあつくもない。中邉と云は中でない。そこで俗人の云中とは、一番知らぬ口上なり。そんなら中邉と云ことは一向ないことかと云に、酒の燗、ぬるくもあつくもないがよい。飯はこわくも和かでもないと云がよい。そこで迂斎が、事によると子莫か中もよいことあると云た。中無定体なり。天然はどふしてか中がある。迂斎曰、天然とは花にうるをいの有る様なもの。在那物上。君の前ではあたまをさけるが太極の道理。親の前ではにこはこが太極の道理。
【解説】
墨子や楊子、子莫の見にも場合によってはよいこともある。それは、片方へでも丁度の処へ寄るのが中だからである。
【通釈】
今仁をするのに墨子の意でよいこともあるだろう。また、義を楊子の意でするとよいこともあるだろう。何故ならば、それが「時中」であって、片方へでも丁度の処へ寄るのが中だからである。中は方角を決めることができないもの。夏の冷麦には剃刀の刃の様に冷えた水がよい。冬の饂飩は口も付けられないほど熱いのが中である。その間を取ったら冷たくも熱くもない。中辺は中ではない。そこで俗人の言う中は、一番わかっていない口上である。それなら中辺とは全くないことかと言えば、酒の燗は冷たくも熱くもないのがよい。飯は堅くも柔らかくもないというのがよい。そこで迂斎が、場合によっては子莫の中にもよいことがあると言った。「中無定体」である。「天然」にはどうしてか中がある。迂斎が、天然とは花に潤いのある様なものと言った。「在那物上」。君の前では頭を下げるのが太極の道理。親の前では笑顔が太極の道理。
【語釈】
・中邉…ほどよいこと。中くらい。
・中無定体…中庸章句2集註。「蓋中無定體、隨時而在。是乃平常之理也」。
・にこはこ…にこにこ。

按排。人が手をそへるでない。外科が腫物にあてがって膏藥を切るは按排なり。按排では中ではない。直方曰、人が、おれが中を執てみせふと云が、どふして中がとらるるものぞ、と。中は經学爛熟の上でなければ知られぬ。中は百两やる筈の処へ百两やることなり。人が百两無心するを五十两やろふと云。それを脇から中を取って七十两やれと云、それを中と心得る。それは数できめるのなり。中はそれではゆかぬ。某が嘗て云、道に形がない。知にも形かない。形のない知で形のない道を合点する。中を執るも知の形ないもので取る。中庸を會得するは知なり。つくぼふさすまたではゆかぬ。知を致めるで中がとらるる。昔の三奉行に佛高力、鬼作左、どちこちなしの天野三良兵と云ことあり。佛高力が科人をゆるそうと云へば鬼作左がきれと云。中に居てどちこちなしがよきほどにすると云へは、とふしても子莫が中になる。鬼で丁ど中なことも、佛で丁とよいことも、その間をゆりあわせて中なこともありて定られぬ。ここは俗人の手にのらぬこと。
【解説】
「按排」は人が手を添えることだが、それでは中を執れない。中は知を極めることによって得るのである。
【通釈】
「按排」。中は人が手を添えるものではない。外科が腫物にあてがって膏薬を切るのは按排である。按排では中ではない。直方が、人が、俺が中を執ってみせようと言うが、どうして中を執ることができようかと言った。中は経学爛熟の上でなければ知ることはできない。中は百両遣る筈の処へ百両遣ること。人が百両を無心するのに対して五十両遣ろうと言う。そこで脇から中を取って七十両遣れと言って、それを中と心得る。それは数で決めたのである。中はそれではない。私が嘗て言ったことだが、道には形がない。知にも形がない。形のない知で形のない道を合点することだと言うのと同じで、中を執るにも形ない知で取る。中庸を会得するのは知によるのであって、突棒や刺股ではいけない。知を極めるので中を執ることができる。昔の三奉行に仏の高力、鬼の作左、どちらでもない天野三郎兵という者がいた。仏の高力が咎人を許そうと言えば鬼の作左が斬れと言う。中にいてどちらでもない天野三郎兵がよい様にと言えば、どうしても子莫の中になる。鬼で丁度中なことも、仏で丁度よいことも、その間を寄り合わせて中なこともあって、一つに定められない。ここは俗人には手に余ること。
【語釈】
・つくぼふ…突棒。江戸時代、罪人を捕える三つ道具の一。頭部は鉄製で形は撞木に似、多くの歯があり、長い柄をつける。
・さすまた…刺股。指叉。江戸時代、罪人を捕えるのに用いた三つ道具の一。木製の長柄の先端に鋭い月形の金具をつけた武器。喉頸にかけて取り押える。

学問は知なり。知は水の体。かたまらぬものかたまるとつかまへらるる。それでは中は執られぬ。幹母之蠱不可貞と云こともある。易で貞でわるいことはないに、不可貞は時中なり。母も太極ではない。隂陽以下のものゆへ不埒もある。其時、子がはりひじをすると却てわるい。子が鮒のこみに醉た様にするがよい。知欲圓。水の体でぐる々々まわるでよい。それで中が執らるる。徂莱が中庸の書を取らぬが尤なこと。道は先王の作りたもの。鰹節小刀でこしらへた様にみる。中庸を出すと細工が云れぬ。天然自有の中を知ら子は、道理は得られぬ。それも大学の挌知て得らるる。致挌がつまれば中が執らるる。致挌なしは温公の誠なり。とふしても中は執り得ぬ。そこで温公、中を念じられた。程子が珠数ををくられたぞ。なぐさんだのなり。かかる大德の垩人の様な人をこふ云れた。知見なければとふもせふこともないことなり。徂徠も大言は云へとも知見なきゆへ、議論ごつ々々味なく不氣用な処あり、さへたことなし。
【解説】
学問は知であり、知は水の様なものである。水は廻るからよいのであって、固まっては中を執ることはできない。また、中を知らなければ道理は得られないが、それは致知格物によって得ることができるのである。
【通釈】
学問は知である。知は水の体。固まっていないものが固まると掴まえられる。しかし、それでは中を執ることはできない。「幹母之蠱不可貞」と言うこともある。易の貞に悪いことはないが、不可貞とは時中のことである。母も太極ではなく、陰陽以下のものだから不埒なこともある。その時、子が張臂をすると却って悪い。子は鮒が泥に酔った様にするのがよい。「知欲圓」。知は水の様にぐるぐると廻るのでよい。それで中を執ることができる。徂徠が中庸の書を評価しないのは尤もなこと。道は先王の作ったものだと言い、鰹節と小刀で拵えた様に見る。それで、中庸を出すと細工を言えないから、それを評価しないのである。天然に自ずからある中を知らなければ道理は得られないが、それも大学の格知で得ることができる。致格が詰まれば中が執れる。致格なしでは温公の誠である。どうしても中は執れないから、そこで温公は中を念じられた。程子が数珠を贈って慰んだ。あの様な大徳で聖人の様な人をこの様に言われた。知見がなければどうしようもない。徂徠も大言を吐くが、知見がないから議論がごつごつとして味がなく、不器用な処があって冴えない。
【語釈】
・幹母之蠱不可貞…易経蠱卦九二。「九二。幹母之蠱。不可貞。象曰、幹母之蠱、得中道也」。
・はりひじ…ふところ手をして左右にひじを張ること。得意げなさまにいう。
・知欲圓…為学40。「孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方」。
・温公…司馬光。北宋の政治家・学者。字は君実。山西夏県の人。神宗の時、翰林学士・御史中丞。王安石の新法の害を説いて用いられず政界を引退、力を「資治通鑑」の撰述に注いだ。哲宗の時に執政、旧法を復活させたが、数ヵ月で病没。太師温国公を賜り司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086
・温公の誠…小学外篇善行。「劉忠定公見温公問盡心行己之要可以終身行之者。公曰、其誠乎。劉公問行之何先。公曰、自不妄語始。劉公初甚易之。及退而自檃栝日之所行與凡所言自相掣肘矛盾者多矣。力行七年而後成自此言行一致表裏相應遇事坦然常有餘裕」。


第三十 問時中如何の条

問、時中如何。曰、中字最難識。須是默識心通。且試言一廳、則中央爲中。一家則廳中非中、而堂爲中。言一國則堂非中、而國之中爲中。推此類可見矣。如三過其門不入、在禹稷之世爲中。若居陋巷、則非中也。居陋巷、在顏子之時爲中。若三過其門不入、則非中也。
【読み】
問う、時に中するは如何、と。曰く、中の字は最も識り難し。須く是れ默識心通すべし。且く試みに一廳[てい]を言わば、則ち中央を中と爲す。一家ならば則ち廳の中は中に非ずして、堂を中と爲す。一國を言わば、則ち堂は中に非ずして、國の中を中と爲す。此の類を推さば見る可し。三たび其の門を過ぐれども入らざるが如き、禹稷の世に在りては中と爲す。陋巷に居るが若きは、則ち中に非ざるなり。陋巷に居るは、顏子の時に在りては中と爲す。三たび其の門を過ぐれども入らざるが若きは、則ち中に非ざるなり、と。
【補足】
この条は、程氏遺書一七にある伊川の語。

時中を爰へ始て出たと見ることでない。前条も時中なり。不偏不倚は表へあらわれぬ。未発なり。時中は不偏不倚が出て無過不及なり。かの未発を働らかせるときのことなり。こなたか折角時中のことを問るるが私もこまる。口には云とれぬ。中と云字の吟味をして、その方で須黙識心通。こふ云てをいて且試になり。口では云れぬと云からは、こまかなことを云ふやふはない。そこであらいことを云れたが面白い。家宅のたとへて示した。一廰は表ざしきなり。中蕐は普請がきまってどこの内もこふしゃから、譬にもこふ云れたもの。今日なれは表坐鋪なり。それで云へばざしきのまん中が中じゃ。なれともいつも是が中ときざをつけておくことはならぬ。又、其家一体で云はは、又、堂と云まん中が中じゃ。丁ど燭臺で云へばまん中の火をともす処が中なれとも、又、坐式て云へば坐しきの中。それから屋鋪のまん中、村のまん中、縣のまん中、中國のまん中、日本のまん中。中はどこにもある。行くさきにしたがってちごうなり。
【解説】
時中とは、不偏不倚の未発が動き出て「無過不及」の状態を言う。それは口では表せないものなので、自分自身で理解しなければならない。敢えて言えば、中とは、座敷の真中、屋敷の真中、村の真中、県の真中、中国の真中、日本の真中でどこにもある。中は行く先に従って違うのである。
【通釈】
「時中」がここに始めて出たと見てはならない。前条も時中である。不偏不倚は表へ現れない。それは未発である。時中は不偏不倚が出て「無過不及」である。あの未発を働かせる時のこと。折角貴方が時中のことを問われても、それには私も困る。口には言い表せない。中という字の吟味をして、自分で「須黙識心通」である。この様に言っておいて「且試」である。口では言えないと言うのだから、細かいことを言うことはできない。そこで粗いことを言われたのが面白い。家宅のたとえで示した。一庁は表座敷のこと。中華では家の普請が決まっていてどこの家も同じだから、たとえもこの様に言われたのである。今日であれば表座敷である。それで言えば座敷の真中が中である。しかしながらいつもこれが中と印を付けておくことはならない。また、その家全体で言えば、堂という真中が中である。燭台で言えば、丁度真中の火を燈す処が中である。座敷で言えば座敷の真中。それから屋敷の真中、村の真中、県の真中、中国の真中、日本の真中。中はどこにもある。中は行く先に従って違う。
【語釈】
・不偏不倚…中庸章句注。「中者、不偏不倚、無過不及之名。庸、平常也」。
・きざ…刻。

道理がその通りにて丁度の恰好あるぞ。そこを中と云。中は兼ての考にと云ことはならぬ。白徒の役に立ぬもそこなり。私五十年来斯ふ思いつめた、違ひはないと云て情を張る。学者も年よるとせうがよわし。夫れが何の役に立つもの。中と云は思ひつめても又、思ひつめた通りにせぬが中なり。中は杓子定木ではない。直方先生、をやじは咄されぬと云はれた。理が活せぬ。居しくと中でない。禹稷、子が生れても家へ皈らぬほど閙ひ。顔子の真似をして引込んではをられぬ。若云々。顔子が乘て廻るとよくない。顔路の背をさすっておるがよい。垩賢は時中で、夏と冬の衣服の違ふやうなもの。帷子にさへ色々をもってをる。晒であつければのし縮を着る。單羽織もちりめんから呂をき、極暑にはせんじまてある。異端は貧者のやふなもの。着る物一つで何事にもその一つをきる。中はとられぬ。
【解説】
中とは道理の通りで適宜なこと。それは予め決まっていることではない。禹稷と顔子は双方共に中だが、時代の違いによって、その中が異なっているのである。聖賢は時中であって、それは夏と冬の衣服の違う様なもの。色々な状況に合わせて服を取り替えるのが中だが、異端はいつも同じ服を着ている。
【通釈】
道理がそれと同じで、丁度適当なところがあり、それを中と言う。中は、前からの考えではと言うことはならない。白徒が役に立たないのもそこである。私は五十年来この様に思い詰めた、これに違いはないと強情を張る。学者も年が寄ると性根が弱くなる。それが何の役に立つものか。中とは、思い詰めても思い詰めた通りにしないこと。中は杓子定規ではない。直方先生が、親爺とは話ができないと言われた。彼等は理が活きていない。居座ると中ではない。禹稷は子が生まれても家へ帰らないほど忙しく、顔子の真似をして引き込んではいられない。「若云々」。顔子が意気込んで外に出るとよくない。顔路の背をさすっているのがよい。聖賢は時中であって、それは夏と冬の衣服の違う様なもの。帷子にさえ色々なものがある。晒で暑ければ熨斗縮を着る。単羽織も縮緬から絽までがあり、極暑には撰糸までがある。異端は貧者の様なもの。着る物が一つで何事にもそれを着る。それでは中は執れない。
【語釈】
・白徒…痴れ人。愚か者。馬鹿者。
・居しく…居敷く。座る。
・禹稷…孟子離婁章句下29。「禹稷當平世、三過其門而不入。孔子賢之。顏子當亂世、居於陋巷、一箪食、一瓢飮、人不堪其憂、顏子不改其樂。孔子賢之」。
・顔子の真似…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。
・顔路…顔子の父。
・帷子…かたびら。①裏をつけない衣服。ひとえもの。暑衣。②夏に着る、生絹や麻布で仕立てた単衣。
・のし縮…熨斗縮。地合のうすい縮織。
・呂…絽。搦織物の一種。紗と平織を組み合せた組織の織物。緯三越・五越おきに透目を作った絹織物。絽の地に紋様をおいた紋絽および竪絽・洞絽・絽縮緬などがある。夏季の着尺地用。
・せんじ…撰糸。羽二重に類する薄地の絹織物。


第三十一 無妄之謂誠の条

无妄之謂誠。不欺、其次矣。李邦直云、不欺之謂誠。便以不欺爲誠。徐仲車云、不息之謂誠。中庸言、至誠無息。非以無息解誠也。或以問先生。先生曰、云々。
【読み】
妄无きを之れ誠と謂う。欺かざるは、其の次なり。李邦直云う、欺かざる之を誠と謂う。便ち欺かざるを以て誠と爲す。徐仲車云う、息まざる之を誠と謂う。中庸に言う、至誠息む無し、と。息むこと無きを以て誠を解くに非ざるなり。或ひと以て先生に問う。先生曰く、云々。
【補足】
この条は、程氏遺書六にある。

誠は第二章の誠幾德に初めて出てある。あそこに無為とあるか、あれも太極へをしかけて云たことゆへ、誠はすぐに太極じゃ。朱解も実理自然何為之有ん。其筈じゃはと云れた。すれば周子の誠無為も誠の註にはならぬ。此章の主意は誠の註脚になりて、これで誠の字註がきまると云ほどに説くが此章のよみやふなり。又、此章細字から出たことゆへ、細字からさきへよむがよい。李邦直が不欺を誠と云た。温公の自不妄語始をうけたこと。よっほとなものともみゆれとも、欺くと云は本とないこと。本とないことをせぬを誠と云へは、誠のときやうが持ち出したことになる。夫では盗せぬをよい人じゃと云様なものであらい。そこでべったりと誠へ来ぬ。徐仲車が不息と云たも見は見た説なり。輕薄者か人の子を可愛かり、ほうをなでなどする。長くはつつかぬもの。草臥るなり。吾が子のかはゆいは長くつつく。無息か誠じゃと云は尤にて、中庸にも至誠無息とあるによってこれてよいとしたものなれとも、中庸の無息は、もと誠は誠で誠の名目を一つきめてをいて、誠のうわさを無息と云たもの。然れば誠を無息でとくは、迂斎曰、火事をこわいと云様なもの。なるほど火事は丸やけ、怪我をもするこわいものなり。されともこはいを火事とは名つけられぬ。夫ではたあ糀町にこわいがありたと云になる。名義にならぬと云て伊川が二人説の評を付られた。
【解説】
「誠無為」の誠は太極を指して言ったことで、この条は誠の註脚である。李邦直は不欺を、徐仲車は無息を誠だと言うが、李邦直の説では、盗人でなければよい人だと言う様なもので粗く、徐仲車の説では、火事を怖いと名付ける様なものであって、それでは名義にならない。
【通釈】
誠は第二条の「誠幾德」に最初に出ている。あそこに「無為」とあるが、あれも太極へ押し掛けて言ったことだから、そこの誠は直に太極である。朱解も「実理自然何為之有」と、その筈だと言われた。それなら周子の「誠無為」も誠の註にはならない。この章の主意は誠の註脚になることで、これで誠の字註が決まるというほどに説くのがこの章の読み方である。また、この章は細字の話から出たことだから、細字から先に読むのがよい。李邦直が「不欺」を誠だと言った。温公の「自不妄語始」を受けて言ったこと。それは余程なものとも見受けられるが、欺くは、本来はないこと。本来ないことをしないのを誠と言うのであれば、誠の説き様が持ち出したものとなる。それは盗みをしない人をよい人だと言う様なもので粗い。それではべったりと誠に通じない。徐仲車が「不息」と言ったのも見るには見た説である。軽薄な者が人の子を可愛がり、頬を撫でなどするが、それは長くは続かないもの。草臥れる。我が子が可愛いというのは長く続く。徐仲車が無息を誠だと言うのは尤もなことで、中庸にも「至誠無息」とあるのだからこれでよいとしたものだが、中庸の無息は、前に誠は誠として誠の名目を一つ決めておいて、誠の姿を無息と言ったものなのである。そこで、誠を無息で説くのは、火事を怖いと言う様なものだと迂斎が言った。なるほど火事は丸焼けになったり怪我もするから怖いもの。しかし、怖いことを火事とは名付けられない。それでは、ああ、糀町に怖いがあったと言うことになる。それでは名義にならないと言って、伊川が二人の説に評を付けられた。
【語釈】
・誠幾德…道体2。「誠無爲。幾善惡。德、愛曰仁、宜曰義、理曰禮、通曰智、守曰信」。
・実理自然何為之有…「実理は自然、何ぞ為すこと之れ有らん」?
・自不妄語始…小学外篇善行。「自不妄語始」。
・至誠無息…中庸章句26。「故至誠無息。不息則久。久則徴。徴則悠遠。悠遠則博厚。博厚則高明」。

或人が脇から御前一つ名をつけてごろうじろと云れた。そこて先生曰、无妄之誠と云。此語が程子の只一と口に云た。惣体、一と言に云ことはきり々々に見ぬくてなくては云れぬ。周子の愛を仁と云たは仁のぎり々々を見たものぞ。是迠の誠の字注がきり々々ながない。中庸の無息もほめ言。周子の無為も注にはならぬ。そこでこそ無妄がよい。無妄の無の字は無息の無の字よりいこうくはしいことにをちる。上天之載は無声無臭、かすかなもの。それさへないと云へば至極の処。これ、中庸の意なり。無妄の無も、無悪のなんのと云とはちごう。妄はざつかけないことでない。人の方へは知れぬもの。わるい酒は悪なり。三石もある酒へ茶碗で水一つ入たやふなもの。滿坐の上戸が皆よいと云て飲む。されとも茶碗一はい水を入る、はや妄なり。なれともめったに知れぬそ。ときに無妄はそれもないなり。妄はこまかにきぬ篩へ入れて、それもないが無妄なり。
【解説】
程子は「无妄之誠」と極致のところを言った。妄は微かで人にはわからないもの。無妄はそれすらもないことである。
【通釈】
或る人が脇から御前が誠を一つ名付けてみろと言われた。そこで先生が、「无妄之誠」と言った。この語は程子がただ一口に言ったもの。大体、一言に言うことはぎりぎりに見抜くのでなくては言うことはできない。周子が愛を仁と言ったのは仁のぎりぎりを見たもの。これまでの誠の字註はぎりぎりなところがない。中庸の無息も褒め言葉で、周子の無為も注にはならない。そこでこの無妄がよい。無妄の無の字は無息の無の字よりも大層詳しいこと。上天之載は無声無臭で微かなもの。それさえないと言えば至極の処で、これが中庸の意である。無妄の無も、無悪の何のと言う時の無とは違う。妄は雑欠けのないことでない。それは、人の方へでは知ることができないもの。悪い酒は悪である。三石もある酒へ茶碗で水を一杯入れた様なもの。満座の上戸が皆よいと言って飲む。しかしながら茶碗一杯の水を入れると既に妄である。それも滅多にわからないもの。しかし、無妄にはそれもない。妄は絹篩へ入れて細かくしたものであって、それもないのが無妄である。
【語釈】
・上天之載は無声無臭…中庸章句33。「詩云、予懷明德、不大聲以色。子曰、聲色之於以化民、末也。詩云、德輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣」。詩は詩経大雅文王。

妄は人知れぬ処にわづかあること。病むと云でもないが、どふかうき々々せぬと云は妄ぞ。飛脚も足に草鞋くいの出来たと云てはないが、どふか此草鞋の作りやうは下手な作り様じゃ、はき心かわるいと云が妄なり。顔子三月の後仁を違る、妄なり。若いから大酒をするの、悪所へゆくのと云は悪なり。そんなことあろふ筈はない。顔子の胸にちらりとごまさびほどこころがかりある、妄なり。これはどのやうな眼鏡でも鷹の目でも見へぬ。顔子の胸へちらりとくる、はやなをす。顔子じゃゆへなをすはなをすが、どふもこれだけのことがないでない。そこが妄。そのないが無妄なり。丁度吾か子と羪子のやふなもの。羪子にもすいふん親切にて病氣にも不断にも親切ぞ。なれとも何ぞについて、ちらりとちがひかある。本んの子はなんと云こともない。無妄なり。不欺其次也。直方先生の、李邦直を吹消したことなり、と。これか温公の自不妄語始むから来たものなれとも、あれは始むとあるからあれから。あれからこれへかかるとこそ云たれ、誠の註解にはくいたりぬとなり。不欺と云は脩辞以立誠じゃ。工夫上のこと。誠の本来を云にはたりぬ。
【解説】
妄とは心にちらりと引っ掛かることで、それは目には見えないもの。それもないのが無妄である。「不欺」は工夫であり、誠の本質を言い尽くすものではない。
【通釈】
妄は人の知らない処に僅かにあること。病むというのでもないが、どうしてかうきうきとしないというのは妄である。飛脚も足に草鞋食いができたというのではないが、どうもこの草鞋は下手な作り様で、履き心地が悪いというのが妄である。顔子が三月の後に仁を違えれば妄である。若いから大酒をするとか、悪所へ行くとかというのは悪である。そんなことがある筈がない。顔子の胸にちらりと胡麻錆ほどの心掛かりがある。それが妄である。これはどの様な眼鏡でも鷹の目でも見えない。顔子は胸にちらりと妄が来れば、直ぐに直す。顔子だから直すことは直すが、どうもちらりとすることがないわけではない。そこが妄であって、それがないのが無妄である。丁度我が子と養子の様なもの。養子にも随分親切であり、病気の時でも普段でも親切である。しかし、何かの際にちらりと違いがある。本当の子は何と言うこともない。無妄である。「不欺其次也」。直方先生が、李邦直を吹き消したことだと言った。これは温公の「自不妄語始」から来たものだが、あれは「始」とあるから、「不妄語」から誠へ取り掛かるとこそ言うが、誠の註解にはもの足りないと言ったのである。不欺とは「脩辞以立誠」で、工夫上のこと。それでは、誠の本質は言い足りない。
【語釈】
・草鞋くい…草鞋食い。草鞋の緒にすれて足が痛むこと。わらじずれ。
・顔子三月…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。
・脩辞以立誠…為学16。「明道先生曰、修辭立其誠、不可不子細理會」。