第四十三 横渠先生曰氣坱然太虚の条  七月廿六日  文録
【語釈】
・七月廿六日…寛政2年庚戌(1790年)7月26日。
・文…花澤文二。林潜斎。東金市堀上の人。一時、丸亀藩主京極侯の儒臣となる。1749~1817

横渠先生曰、氣坱然太虚、升降飛揚、未嘗止息。此虚實動靜之機、陰陽剛柔之始。浮而上者陽之清、降而下者陰之濁。其感遇聚結、爲風雨、爲霜雪。萬品之流形、山川之融結、糟粕煨燼、無非敎也。
【読み】
横渠先生曰く、氣は太虚に坱然[おうぜん]として、升降飛揚し、未だ嘗て止息せず。此れ虚實動靜の機、陰陽剛柔の始めなり。浮びて上る者は陽の清めるなり、降りて下る者は陰の濁れるなり。其の感遇聚結して、風雨と爲り、霜雪と爲る。萬品の流形する、山川の融結する、糟粕煨燼[わいじん]、敎に非ざる無し、と。
【補足】
この条は、張横渠の正蒙太和篇にある。

道体のこと、某開巻の始に略々云た通り、今日は程子から張子へうつる処ゆへ、又一つ示さん。道体と道体の取捌きかある。道体はあちのなりの自然なり。それを学者の取さはきありて、道体を合点すると云も合点せぬと云も取さばきを知と知らぬからなり。この取捌、離合と云にきはまる。理と氣とをさっはり分て二つにし、又合はせ子ばならぬ。離はきっとはなすことそ。されとも理氣はもとのいきたものでないから合そ。合は離れぬものゆへ合せるを云、ここを離合の看と云。学者先最初に理と氣を二つに分て見へし。然るに理はかりて氣かないと理が宿なしになり、氣はかりて理かないとめっちゃになる。因て理は氣の上にあるが、其氣も理がないと取めりがない。理氣は銀を橐鑰[ふいご]ているに、ふいごがないと五匁三匁と云もない。五匁三匁は理なれとも、銀をのけて三匁五匁はない。五匁三匁ないと銀もめっちゃになる。理氣の離れぬか、それを分け子はならぬ。一つにはならぬものなり。
【解説】
道体には道体それ自体とその取り捌きという二面がある。道体自体は自然な姿だが、学者はそれを取り捌くことによって、道体を合点するのである。この取り捌きとは理気の離合であって、最初に離で理と気とを二つに分ける。しかし、理のみでは滅茶苦茶になり、気のみでは理が宿無しになるから合わせなければならないのである。
【通釈】
道体のことは、私が開巻の始めで色々と言った通りだが、今日は程子から張子へ移る処なので、また一つ示すこととする。道体と道体の取り捌きがある。道体はあちらの通りの自然な姿である。それには学者の取り捌きがあって、道体を合点するのもしないのもこの取り捌きを知るか知らないかということにある。この取り捌きは離合ということに極まる。理と気とをさっぱりと分けて二つにし、また合わせなければならない。離とはきっぱりと離すこと。しかし、理気は本来離れたものではないから合う。合は、離れないものだから合わせることを言い、ここを離合の看と言う。学者は最初に理と気とを二つに分けて見なければならない。しかし、理ばかりで気がないと理が宿無しになり、気ばかりで理がないと滅茶苦茶になる。それで、理は気の上にあるが、その気も理がないとまとまりがない。理気は銀を鞴で鋳る様なもの。鞴がないと五匁三匁ということもない。五匁三匁は理だが、銀を除けて三匁五匁はない。五匁三匁がないと、銀も台無しになる。理気は離れないものだが、それを分けなければならない。同じものではない。

然らは二つものかと云へば一つものなり。そこが離合の看の大切なり。そこを朱子の太極圖解に不雜不離と云。太極か隂陽を離れはせぬ。合点欤。いやと云はれぬ。左様てこさると云。さて太極は太極、阴阳は阴阳、一つにならぬ、雜りはせぬ。合点か。左様でござると云。如此に二色の取捌かある。そこて離舍と合となり。然に羅整菴なとかあれほと朱子を信仰で、ここになると疑が出る。あれほと道体がすきでもここを見付ぬゆへ、あっちへやりこっちへやり取まとめることのならぬは、つまり離合の取あつかいを合点なく、先二つに分ることをしらぬから、理氣を一と合せるもさへがない。不雜不離之妙を知ぬからなり。直方先生か語類文集がすむと朱子は真赤な迂詐つきとみへると云るるも離合の意なり。学者へ工夫を訓へらるるに平生人に丁寧にせよと云筋あると思へは、又滞らす放開底なこともあり、詳にせよ、畧すなとも云、又粗なるとも密なるはわるいとも云るる。此等も離合の筋そ。
【解説】
太極は陰陽を離れはしない。しかし、太極は太極、陰陽は陰陽で一つにはならず雑りはしない。それが不雑不離である。羅整菴などは離合の取り捌きを知らないから、疑いがあり、冴えもない。
【通釈】
それなら理気は別のものかと言えば、一つのものである。そこが離合の看の大切なところ。そこを朱子が太極図解に「不雑不離」と言った。太極は陰陽を離れはしない。合点したかと尋ねれば、違うとは言えない、左様でござると言う。さて太極は太極、陰陽は陰陽で一つにならず雑りはしない。合点したかと尋ねれば、左様でござると言う。この通り二色の取り捌きがある。そこで離と合なのである。それなのに、羅整菴などがあれほど朱子を信仰していて、この段になると疑が出る。あれほど道体が好きでもここを見付けないから、あちこちへ遣って取りまとめることができない。それはつまり離合の取り扱いの合点がなく、先ず二つに分けることを知らないからで、それで理気を一つに合わせても冴えがない。「不雑不離之妙」を知らないからである。直方先生が、語類文集が済むと朱子は真赤な嘘吐きに見えると言われたのも離合の意からである。学者へ工夫を訓えられる際に、平生人に丁寧にしなさいという筋があると思えば、また滞らずに放開風なこともある。また、詳らかにしなさい、略すなと言いながら、粗であっても密なことは悪いとも言われる。これ等も離合の筋である。
【語釈】
・羅整菴…

離合か自由ゆへ、もうこれせつなくない。離から云ても合から云ても同こと。扇子を疂んで地紙を羽、骨を篾として矢と見る。開てさかしまにすれば、彼の白扇倒懸東海の天と不二と見立たも一つ扇なり。見立てどふとも云はるる。一定せぬ処はこちに見付た目力ぞ。これかやっはり峯嶺看て、み子と云てもいたたきと云てもよし。其様なものて道体のさはきなり。程子の一而二二而一と云かそこのことなり。あれか妙語そ。直方きつうふ秘藏して、一而二二而一はをれか語じゃ、ちと借してやろふかと云はれた。然るに道体にのらぬ。どふそ道体へ入たいか、あれは道体を捌くことなり。語に立かある。一而二二而一と云あの語か道体にはならぬ。あの語て道体を自由自在にする。丁と人の手を一本なれとも、指を開くと五本になるやふなものにて、これほと自由になると道体がすむ。それか垩賢の取捌き。それて宋の四君子の旨をすますも離合てなけれはすまぬ。
【解説】
程子の「一而二二而一」も離合と同じである。しかし、それは道体の捌き方を言ったものであって道体そのものではない。
【通釈】
離合を自由にすることができるから、もうこれで切なくない。離から言っても合から言っても同じこと。扇子を畳んで地紙を羽根、骨を篾として矢と見る。開いて引っ繰り返し、あの「白扇倒懸東海天」と富士山と見立てたのも同じ扇である。見立てでどの様にも言うことができる。それが一つに定まらない処はこちらで見付けた目力の違いである。これがやはり峰嶺を見て、峰と言っても頂きと言ってもよい。その様なもので、これが道体の捌きである。程子が「一而二二而一」と言ったのがそこのこと。あれが妙語である。直方が深く秘蔵して、一而二二而一は俺の語だ、少し貸してやろうかと言われた。しかしながら、これは道体には載らない。どうか道体へ入れたいが、あれは道体を捌くものなのである。語には立て方がある。一而二二而一というあの語は道体にはならない。あの語で道体を自由自在にするのである。丁度人の手を一本と言っても、指を開くと五本になる様なもので、これほどに自由になると道体が済む。それが聖賢の取り捌き。それで宋の四君子の旨を済ますにも、離合でなければ済まないのである。
【語釈】
・地紙…扇子または傘などに貼る用紙。
・白扇倒懸東海の天…石川丈山1623年春作の七言絶句の第4句。「白扇倒懸東海天」。富士山が雪を戴いて立つさまをいう。東海とは日本。
・宋の四君子…周子、二程、張横渠。

偖、これから横渠先生の語の又一つ捌あり。先周子の株は太極の、或は誠のと云てつかまへ処あり。程子は其弟子なれとも理と計り云、敬と云て、皆太極の、誠の、理の、敬のとつかまへて云。それゆへ学者も誰も太極の、誠の、理の、敬のと云を、何程麁学ても形而下とは思ふ者なくこれに疑はないが、横渠の株は太極の、理のと云すに氣の咄ゆへ、流か違ふかと思ふ。氣の咄と云へは太極へは遠く、どふやら素問霊樞めくか、曽てそふてない。横渠のここか道体を合点ゆへのことなり。太極の、理のと銘を打たず、氣を云てやはり太極と理を指すことになるか横渠の手抦なり。知ぬ者かみると氣から跡はかり云はるるぎりて、とふやら異端に似たやふで、さて、いこう異端とはちごう。もしここに云ちがひあれは、近思録にはのせられぬ。却てあの太極々々と云邵子は近思にのせぬ。太極と云ても道統傳にのせられぬことありと見へる。横渠は氣を云てかぶれあるやうなれとも上手の得分て、其氣と云か道党の傳になりたと云は朱子と云目利者てなけれは見定められぬ。
【解説】
周子は太極や誠と言い、程子は理や敬と言うので、道体が形而上であることを誰もがわかるが、横渠は気で説くので異端に似た様に思われる。しかし、横渠の説は異端とは大きく違い、気で理を説くのである。それで、太極を言う邵子でさえも近思録に載せない中で、横渠の説はこれに載っているのである。
【通釈】
さて、これから横渠先生の語捌きがまた一つある。先ず周子の株は太極や、或いは誠と言って掴まえ処がある。程子はその弟子だが、理とばかり言い、また敬と言って、皆太極、誠、理、敬と掴まえて言う。それで学者も誰も、太極や誠、理や敬ということについて、どれほど粗学でも形而下と思う者はなく、これに疑いはないが、横渠の株は太極や理と言わず、気の話をすることなので、それでは流れが違うのではないかと思う。気の話と言えば太極へは遠く、どうやら素問霊樞めくが、決してそうではない。横渠のそれは、道体を合点しているから言えることなのである。太極や理と銘を打たずに気を言って、それがやはり太極と理を指すことになるというのが横渠の手柄である。知らない者が見ると気から後のことばかり言われるだけなので、それはどうやら異端に似た様に思えるが、さて、大層異端とは違うのである。もしもここに言い違いがあれば近思録には載せられない。却ってあの太極とばかり言う邵康節は近思に載せていない。太極と言っても道統の伝に載せることのできないことがあるものと見える。横渠は気を言って被れがある様だが、上手の得分で、その気を言うことが道統の伝になったのであって、それは朱子という目利者でなければ見定めることができないことなのである。
【語釈】
・素問霊樞…

偖、佛はもと氣をいやかり、今日にかんさりとしたものをは、あれは假合ゆへ生滅あると云て不生不滅のものをさかして漸々さかし出し、彼本来の面目を云へとも、氣の生滅を道とせぬものを々々々々々と云なから氣の灵をつかまへてうれしかる。氣てない々々々々と思ふに、やはり氣なり。本理は氣の上にあるもの。氣を離れた理はないに、其氣をきろふて何か精出してさかし出し理と思ふか、やはり同し氣をつかまへて居る。朱子の、佛は有知有覺ものをつかまへて氣の灵妙をとめると云はるる。それが同くふだんの氣なり。横渠は氣を馳走して氣をつかまへて云はるるか、そこが理があるゆへ、理をつかまへたとは云なり。あちに十牛の圖と云ものかあるに、仕舞には其牛がなくなるそ。張子のは牛か無くならぬ。初から牛て云。氣の上に理のあるを見たゆへ、道体にも五倫をつかまへて有物有則と云ふ。道体ゆへ天地に充たものを云。その充た氣をつかまへて何の御用なれは理のためなり。ここか道統の傳にあつかる処そ。そこて周程のつかまへた太極も理も誠も敬も一つことなり。一通の上面の上ては周程張の流義違ふやふに見へるか、そこか朱子でなけれは見出されぬ処。氣を株に云ゆへ、学者の目に張子は一流立たやふなれとも、一つになるなり。周程張を一つと云か、これに限らす朱子の論孟を一つにしたも其眼なり。
【解説】
仏教は気を嫌がるが、結局、彼らが道とするものは気である。理は気の上にあるものだから、横渠は気を掴まえることで理を説いたのである。上面の学問では横渠と周程とは違う様に見えるが、朱子は周程張を一つと捉えた。それは論孟を一つとするのと同じことである。
【通釈】
さて、仏は最初から気を嫌がり、今日はっきりとしているものを、あれは仮合だから生滅があると言って不生不滅のものを探し、漸くそれを探し出して、あの本来の面目と言うが、気の生滅を道とはしないと言いながら、気の霊を掴まえてうれしがる。気ではないと思っているが、やはり気である。本来、理は気の上にあるもの。気を離れた理はないのに、その気を嫌って何かを精出して探し出してそれを理と思っているが、やはり同じく気を掴まえているのである。朱子が、仏は有知有覚のものを掴まえて気の霊妙を止めると言われた。それが同じく普段ある気のこと。横渠は気を馳走して気を掴まえて言われるが、そこに理があるから理を掴まえたと言うのである。仏には十牛の図というものがあるが、仕舞いにその牛はいなくなる。張子のは牛がなくならない。初めから牛で言うからである。気の上に理があると見たから、道体にも五倫を掴まえて「有物有則」と言う。道体なのだから、天地に充ちたものを指して言う。その充ちた気を掴まえるのは何のためかと言えば理のためである。ここが道統の伝に与る処。そこで、周程の掴まえた太極も理も誠も敬も同じことで、一通りの上面の学問では周程張の流儀は違う様に見えるが、そこが朱子でなけれは見出すことのできない処なのである。気を株にして言うから、学者の目に張子は別の流儀を立てた様に見えるが、周程と一つである。周程張を一つだと言うが、これに限らず朱子が論孟を一つにしたのもその眼力からなのである。
【語釈】
・有知有覺…知りこと有り、覚ること有る。
・十牛の圖…中国、北宋代の禅籍。禅の修道の過程を、牧人と牛との関係になぞらえ、十の絵と頌によって示したもの。廓庵禅師のものが広く行われ、尋牛・見跡・見牛・得牛・牧牛・騎牛帰家・忘牛存人・人牛倶忘・返本還源・入鄽垂手の順。狩野探幽・富岡鉄斎らの作品がある。
・有物有則…治体11。「夫有物必有則。父止於慈、子止於孝、君止於仁、臣止於敬」。

某幼年の時迠張子学と云か有たそ。をかしきことなり。張子のは道か別と思ふは根から知らぬなり。徂徠と仁斎か朱子をそしるは似たやうても、徂徠と仁斎とは違ふ筋ある。周程張違はぬと云、とど理をつかまへる故なり。周子程子の流は理を語りて氣をすてず、張子の流は氣をかたりて理を明す。古ひたとへの、德利を大切するは酒の為なり。張子の氣をとくか太極を云こと。あれか太極の見所なり。これを云も先刻云離合の看なり。さて学問は道体なりか為学へ出ることて、老子か虚無を道体と見れは為学か無為にて、禮は忠信之薄と出る。佛は寂滅の見ゆへ為学か五倫を無して離るることを第一にする。張子は道体を氣と見た眼から為学か礼と出て、学者を礼で教る。礼はかんさりとあらはれて子とももなるか、それに理が具はる。かんさりをつかまへるか垩学の實地なり。端的、この章かそうなり。道体をたしかにつかまへた誠鍛煉した語とあり、一通てないゆへ大切に見へし。
【解説】
張子の道体は周程のそれと違うものではない。逆に徂徠と仁斎は共に朱子を謗るが、謗る筋に違いがある。学問は道体の通りを為学で実践することだが、老子は虚無を道体と見るのでその為学は虚無であり、仏教は寂滅を道体と見るので、その為学は五倫を無価値なものとみなしてそれから離れることを第一にする。張子は道体をはっきりとした気で捉えたので、その為学は礼で行う。
【通釈】
私が幼年の時までは張子学というものがあったが、それは可笑しなことである。張子の道は別であると思うのは根本からわかっていないのである。徂徠と仁斎が朱子を謗るのは似ている様でも、徂徠と仁斎には筋の違ったところがある。周程張は違わないと言うのは、結局は理を掴まえるからである。周子と程子の流儀は理を語って気を捨てず、張子の流儀は気を語って理を明らかにする。古いたとえにある、徳利を大切するのは酒のためということ。張子が気を説くのは太極のことを言うためで、それが太極の見所である。こんなことを言うのも先刻言った離合の看からである。さて、学問は道体の通りが為学へ出ることで、老子は虚無を道体と見たので、その為学は無為で、「礼者忠信之薄」と出る。仏は寂滅の見だから、その為学は五倫を無価値なものと考え、それから離れることを第一にする。張子は道体を気と見た眼力から、その為学は礼と出て学者を礼で教える。礼ははっきりと表れて子供でもできるが、それに理が具わる。はっきりとしたものを掴まえるのが聖学の実地である。端的、この章がそれである。道体を確かに掴まえた、誠に鍛煉した語だと言われ、一通りのことでないから大切に見なければならない。
【語釈】
・禮は忠信之薄…老子論徳。「夫禮者忠信之薄而亂之首也」。
・誠鍛煉した語とあり…誰が言ったのか?

氣坱然太虚。氣は相違ない、誰も合点の氣なり。どの流、この流と云ことはない。但し、其氣を離さす其をつかまへて云を横渠の流と云。孔子を始として垩賢皆氣は主にせす理を云ことなるか、張子のは理を云はふとて氣を呼出す。外ては平生氣は輕く云か、張子の領分ては氣と云字か大切。理の名代によふゆへなり。尸にするときは姪ても從弟てもそれに頭下けると云も、神のかわりゆへのこと。そこて張子は氣の字を輕くあしらい、をのしなととは云はぬ。だたい氣は家来なれとも旦那の代りゆへ重ひ。則、御名代なり。御名代は公方様の代りゆへ、其日は重い。氣を学者が軽く思へとも、理の御名代なり。この太虚に吟味あり。張子の語に虚の取やうさま々々ありて虚の字を理に云処あるか、この章は世間通用の虚の字を云。虚はもののすいた処を云て、上総辞のごふそと云のなり。
【解説】
「横渠先生曰、氣坱然太虚」の説明。聖賢は気を主張せずに理を言うが、張子は理を言うために気を出す。張子にとっての気は理の名代である。そこで、気は重いものとなる。また、「虚」は理のことではなく、世間で言う、ものの空いた処を指して言う。
【通釈】
「氣坱然太虚」。気とは誰もが合点している気で、それに相違はない。どの流、この流ということはない。但し、その気を離さず、その気を掴まえて言うのを横渠の流と言う。孔子を始めとして、聖賢は皆気を主にせずに理を言うが、張子のは理を言うために気を呼び出す。他では平生気を軽く言うが、張子の領分では気という字が大切。理の名代として呼び出すのである。尸にする時は姪でも従弟でもそれに頭を下げるというのも、神の代わりだからである。そこで、張子は御主などと言って気の字を軽く扱うことはない。そもそも気は家来だが、旦那の代わりだから重い。則ち、御名代である。御名代は公方様の代わりだから、名代の日は重い。学者は気を軽く思うが、気は理の御名代である。この「太虚」には吟味がある。張子の語には虚の使い方が様々とあって虚の字を理として言う処もあるが、この章は世間通用の虚の字を指して言う。虚はものの空いた処を指して言う。それは上総詞でごふそと言うのと同じである。
【語釈】
・坱然…充満して盛んに動くさま。
・尸…孟子告子章句上5。「孟子曰、敬叔父乎。敬弟乎。彼將曰、敬叔父。曰、弟爲尸、則誰敬。彼將曰、敬弟」。尸は、祖先の祭に神霊の代りに立って祭を受ける者。また葬儀で、死人に代って、弔問を受ける人。
・ごふそ…

大の字は宇宙の間のことになるから大の字か付く。大きにすいたに天地ほとのものなし。地は形したもの。其外のあいた処は皆虚なり。佛て虚空と云も形せぬ処を云からなり。山川の実した外の所をさす。なんても天地の間のあいた所は太虚なり。直方先生の鼻の穴迠天ぢゃと云るるて、とこでも虚な塲に氣が滿ている。あいた処ても氣のきれ目はない。そのみちた氣か人の目に見へぬゆへ何もないと思ふか、土用干のあいた長持の内にまて氣はみちてある。あの内にはあるまいと云に、天地の氣はどこ迠も坱然とみつ。彼の鼻の穴の処なり。そこを三宅先生、大釜の蓋をとると湯氣かもやり々々々と上る処と云へり。氣も大釜の蓋取りては見へるなれとも、平生外ては人の眼にかからねは坱然とは思はれぬなれとも、これが納戸の隅迠も滿てある。去に由り、扇子は人作なれとも風が出る。あれを使ふて動すて、彼盈てをる天地の氣が風になる。それを扇か風を出すと思ふ眼では知れぬことなり。この天地に滿た氣が扇の風になる。此みちたと云も魚の水中に居るやふには思はれぬ。人が天地に孕れているは水中に魚のいる如く、魚は水中とも思ふまいがへったりえらの中まて水ぞ。人の天地の氣の中に孕れて居るも、あの通り満ている。
【解説】
天地の間で形のない所は太虚であって、そこには気が満ちている。気は鼻の穴にまであり、大釜の蓋をとると湯気が上るところである。気は納戸の隅にもあり、扇子を扇ぐと風が起こるのも気が満ちているからである。人が天地に孕まれているのは、魚と水との関係と同じである。
【通釈】
太の字は、宇宙の間のことだから太の字が付く。大きく空くことでは天地ほどのものはない。地は形あるもので、その外の空いた処は皆虚である。仏が虚空と言うのも形しない処を言うからである。山川の実した所以外を指す。何でも天地の間の空いた所は太虚である。直方先生が鼻の穴まで天だと言われたが、どこでも虚な場に気が満ちている。空いた処でも気の切れ目はない。その満ちた気が人の目には見えないから何もないと思うが、土用干しで空けた長持の内にまで気は満ちてある。あの内にはないだろうと言っても、天地の気はどこまでも坱然と満ちている。あの鼻の穴の処である。そこを三宅先生が、大釜の蓋を取って湯気がもやもやと上がる処だと言った。気も大釜の蓋を取れば見ることができるが、平生外では人はそれにお目に掛からないので坱然とは思えないが、これは納戸の隅までも満ちてある。そんなわけで、扇子も人が作ったものだが風が出る。あれを使って動かすので、あの盈ちている天地の気が風になる。それは、扇が風を出すと思う着眼ではわからないこと。この天地に満ちた気が扇の風になる。この満ちたと言うのも、魚が水中にいる様には思えない。人が天地に孕まれているのは水中に魚がいる様なことであって、魚は水中にいるとも思わないだろうが、べったりと鰓の中まで水である。人が天地の気の中に孕まれているのもあの通りであって、満ちているのである。

鳥の飛も天地の氣でなければ飛れぬ。あの天地の氣にのりて飛ぶ。蜂を打つと追て來るか、あの微物なれは人をあながち逐ふて怨を報る知解はあるまいか、天地の氣にさそはれはずんてのこと。こちて何そで打つと天地の氣か向へへこむ。其へこんだかこちへをし返して發する拍子に蜂がをふて来る。人か小な泉水へ入ると人たけ水が増す。居風呂八分の処へ人か入る。はや湯か外へあふれかする。これは形したものゆへよく見へる。水かふへたり動たりするやふに、人か動けは天地の氣も動く。丁と風の人の身にあたるやふに、北風の、南風のと云は氣の中てあらはれたもの。たれも知る。風なくても天地に行わたりたが氣の坱然なり。
【解説】
鳥が空を飛び、蜂が人に向かって来る様に、物が動けは天地の気も動く。人は北風や南風は知っているが、それは気の現れであり、風が吹かなくても気は天地に行き渡っているのである。
【通釈】
鳥が飛ぶのも天地の気がなければ飛ぶことはできない。あの天地の気に乗って飛ぶ。蜂を打つと追って来るが、あの様な微物では、あながち人を逐って怨みを報いるという様な知解はないだろうが、天地の気に誘われて弾んでするのである。こちらが何かで打つと天地の気が向こうへへこむ。そのへこんだところがこちらへ押し返して発する拍子に蜂が追って来る。人が小さな泉水へ入ると人の分だけ水が増す。八分入った居風呂に人が入る。直ぐに湯が外へ溢れる。これは形あるものなのでよく見える。水が増えたり動いたりする様に、人が動けは天地の気も動く。丁度風が人の身に当たる様に、北風とか南風と言うものは気の中で現れたもので、誰もが知っている。風がないとしても天地に行き渡るものが気の坱然なのである。
【語釈】
・知解…知識の力でさとること。

升降飛揚。上の句の坱然のもやうを云。坱然は滿た形容にて、其坱然の実事をこれから云。升降飛揚か無くて氣か滿た計ては、天水桶の水の腐りてやくにたたぬやふなもの。升降して流行するゆへ、天地がくさったためしない。酒やは仕入れたのかひょっとくさりてこまることもあるか、天地は升降飛揚て生たゆへ、何万年立ても氣つかいはない。未嘗止息。天地始りて升降飛揚て止ことなし。これゆへ人も一箇小天地ゆへ、赤子の時から百迠も血氣五尺のからたの内を升降飛揚して生ている。人は百になり死れはやむか、天地はいつもこうなり。上この二句て天地の氣の大分を云。氣はそもこうしたものとて、それをやがて理へやる為めなり。それゆへ張子は何ほと氣の馳走をしても、異端の様に両手を合せて拜むやふなことはない。凡氣は日月の光も氣なり。直方先生か下々は御月さまの、御星さまのと云が、様の字を付るものてないと云はるる。伯父様の、をばさまのと云やうに云はをかしきことて、日月星辰も升降飛揚の天地の間の氣中の道具にて、氣の一霊なもの。いこう尊ひものなれとも、氣と云で埒明ることなり。
【解説】
「升降飛揚、未嘗止息」の説明。天地は升降飛揚で流行して生きているからいつまでも腐ることはない。人も一箇の小天地なので血気が升降飛揚して生きている。しかし、気はあくまで気であって、それを拝む必要はない。日月も気であり、お日様やお月様とは言わずに日月と言えばよい。
【通釈】
「升降飛揚」。上の句の坱然の模様を言う。坱然は満ちたことを形容する語で、その坱然の実事をこれから言う。升降飛揚がなくて気が満ちたばかりでは、天水桶の水が腐って役に立たない様なもの。升降して流行するから、天地は腐った例がない。酒屋などでは仕入れた酒が思いも寄らず腐って困ることもあるが、天地は升降飛揚で生きているから、何万年経ってもその様な気遣いはない。「未嘗止息」。天地始まって以来、升降飛揚で止むことがない。そこで、人も一箇の小天地だから、赤子の時から百歳までも血気が五尺の体の内を升降飛揚して生きている。人は百になって死ねば止むが、天地はいつもこうである。上にあるこの二句で天地の気の大分を言う。気はそもそもこうしたものだと言うのは、やがて理へ話を移すためなのである。それで、張子はどれほど気の馳走をしても、異端の様に両手を合わせて拝む様なことはしない。凡そ気と言えば、日月の光も気である。直方先生が、下々は御月様とか御星様などと言うが、様の字を付けるものでないと言われた。伯父様や叔母様という様に言うのは可笑しなことで、日月星辰も天地の間で升降飛揚する気中の道具であって、気の一霊に過ぎない。大層尊いものではあるが、気と言うだけで埒が明くのである。
【語釈】
・人も一箇小天地…

此虚實動靜の機云々。此の字合点して見るへし。升降飛揚て天地が立なり。此の字氣を指てなく、上の二句をうけて云。これこの処と説き出す辞。止息せぬは辱ひこと。これて万物か出来る。虚、無ものをさす辞。實、あるものをさす辞。天地の間、形せぬものは虚。形あるものは實なり。動靜は無ひものの出来る、出来たものの無くなるか天地のはたらきなり。子を持たは実、もたぬは虚。今よしや持たぬとても、やかて持ゆへ危いことてなし。又今、子の実はありても孫はないか、それもやかて孫が出来る。そこで天地虚実の二なり。之機と云機は動靜のはつみ、虚となり実となる処。然るを、虚を理にまわして見たかるは大にわるい。やっはりとこ迠も氣を云て、理と云はやかて云ことなり。張子の語、めったに理とは指ぬことなり。川の流れも生きたものゆへ前波生後波と云て死物てない。動ひたり靜ったりか土圭の天秤のやふなもの。朱子の動靜所乘之機と云はるるも横渠か元となり。ここから産出さ子は外に出生はないそ。
【解説】
「此虚實動靜之機」の説明。天地の間で形のないものは「虚」で、形のあるものは「実」であって天地は虚実の二つで立つ。「動静」とはないものが出来、出来たものがなくなることで、それが天地の働きである。「之機」の機とは動静の弾みで、虚となり実となる処である。
【通釈】
「此虚實動静之機云々」。「此」の字を合点して見なさい。「升降飛揚」で天地が立つ。此の字は気を指すのではなく、上の二句を受けて言ったことで、これこの処と説き出す辞である。「止息」しないのは忝いこと。これで万物ができる。虚、ないものを指す辞。実、あるものを指す辞。天地の間で形のないものは虚。形のあるものは実である。動静とはないものが出来、出来たものがなくなることで、それが天地の働きである。子を持ったのは実で、持たないのは虚。もしも今は持っていなくても、やがて持つから危ういことはない。また今、子の実はあっても孫はないとしても、やがては孫ができる。そこで天地は虚実の二つなのである。「之機」の機とは動静の弾みで、虚となり実となる処。そこを、虚を理に回して見たがるのは大いに悪い。やはりどこまでも気のことを言うのであって、理のことはやがて言うのである。張子の語は、滅多に理とは指さない。川の流れも生きたものだから「前波生後波」と言い、死物ではない。動いたり静まったりするのが時計の天秤の様なもの。朱子が「動静所乗之機」と言われたのも横渠が元となっている。ここから産み出さなければならず、その外に出生はない。
【語釈】
・前波生後波…
・動靜静所乘之機…太極図説朱解。「蓋太極者、本然之妙也。動靜者、所乘之機也。太極、形而上之道也。陰陽、形而下之器也」。

隂陽剛柔之始。之始を朱子の母と云心と云はるる。動靜無端阴阳無始と云から張子の始と云は心持のわるい字て、学者の滞になりて好しくない様なれとも、ここは出来るあたまのことゆへ、朱子の母と云るるかそれなり。かの氣坱然太虚は天地の一氣を云、ここは機のはつんで始と云が造り始ることて、太極動てとあたまをかたるやふなものなり。出来る始を云ゆへ、之機、之始と云。隂陽剛柔は体。虚實動靜は用。それを細に云に虚は体、実は用。靜は体、動は用なり。二句を合けて物の出来るか用なれは、上の句を用、下の句を体とみるなり。只今云通、氣坱然太虚升降飛揚、一氣の大分を云。虚実動靜隂陽剛柔て体用を語り、浮而降而からは天地の出来る始を云なり。ここの意、神代巻にあり。神代の巻は神道て違ふと云は卑ひ見なり。あれは舎人親王の書なれとも、淮南子か本つくとなり。張子も淮南子を本にして書れたらふ。氣で理を云こそ張子の發明なれば、何に本つくと云ことはなし。ここらは古書にこの旨あれは、古書に本くはつぞ。古書のなりを書たと云へは張子の手抦かなく、そふしたことであるまいと云か、古書のままにうけて云て、尚、張子の説の大くなることなり。精出して氣を云て理になるか横渠の主意なれは、後立に其侭淮南子の趣と云かよいなり。
【解説】
「陰陽剛柔之始」の説明。「之始」とはもののでき始めのこと。「陰陽剛柔」は体で「虚実動静」は用。それを細かく言えば、虚は体、実は用。静は体、動は用である。
【通釈】
「陰陽剛柔之始」。「之始」を、朱子が母の心だと言われた。「動静無端陰陽無始」と言うから、張子が「始」と言うのは心持の悪い字で、学者の滞りになって好ましくない様だが、ここはものの出来る最初のことであって、朱子が母と言われるのがそのこと。あの「気坱然太虚」は天地の一気を言い、機が弾んで始まると言うのは造り始めることであって、「太極動而」と最初を語る様なものである。ものの出来る始めを言うから、「之機」、「之始」と言う。陰陽剛柔は体。虚実動静は用。それを細かく言えば、虚は体、実は用。静は体、動は用である。二句を分けると、物のできるのが用なのだから、上の句を用、下の句を体と見る。只今言う通り、「気坱然太虚升降飛揚」は一気の大分を言ったこと。虚実動静陰陽剛柔で体用を語り、「浮而」「降而」からは天地のできる始まりを言う。ここの意は神代巻にある。神代巻は神道のものなので聖学とは違うと言うのは卑い見である。あれは舎人親王の書ではあるが、淮南子に基づくという。張子も淮南子を本にして書かれたのだろう。気で理を言うことこそ張子の発明なのだから、何に基づくのかと言うことはない。ここ等のことは古書にこの旨があるのだから、古書に基づく筈である。古書の通りを書いたと言えば張子の手柄がなくなってしまうから、そうしたことではないだろうと言われるが、古書のままに受けて言うのが、尚、張子の説が大きくなることになる。精を出して気のことを言って、それが理のことになるのが横渠の主意なのだから、その後ろ盾はそのまま淮南子の趣と言うのがよい。
【語釈】
・動靜無端阴阳無始…道体16。「動靜無端、陰陽無始。非知道者、孰能識之」。
・神代巻…
・舎人親王…天武天皇の皇子。博学聡敏、持統天皇の時に太安万侶らと共に「日本書紀」を撰進。知太政官事となる。太政大臣を贈られ、淳仁天皇の時に崇道尽敬皇帝を追号。676~735
・淮南子…劉安の著した「鴻烈」の現存するもの21篇をいう。老荘の説に基づいて周末以来の儒家・兵家・法家などの思想をとり入れ、治乱興亡・逸事・瑣談を記載する。

浮而上者陽之清。天地の出来るかかふしたなりそ。先多葉粉ほと軽ひものはない。烟はのほり、吸売は下へ落る。軽ひものて合点すへし。あれと同ことて、天地も氣に軽重かある。天地の始を知も人の知なり。それを知て何にする、大い世話なことと云に、理を推せばこうなり。陽はすんて天になるはつ。隂はにこりて地となるはづ。天地も阴阳のかたまりなり。それを分て云に天地の間のもの皆其なりなり。彼坱然の氣を二つに分れは阴阳の二つ。それが下へ下たると上へのほるの外はない。其のほりたは天になりて、天一生水もそれなり。水は形あっても形ないほとのものなれとも、水がにごるとはやかたまりたのぞ。其が地になる。これて天地の出来る大筋を推して知へし。ここの浮而降而と云の二句て天地と云大舞臺か立て、それに能かある。其天地の舞臺で何の能と云に、やはり坱然たる氣か感遇聚結して風両の、霜雪のと云能が始りたぞ。
【解説】
「浮而上者陽之清、降而下者陰之濁」の説明。陽は清んで天になり、陰は濁って地となる。天は始めに水を生み、濁った水が固まって地となる。天地という大舞台で坱然とした気が感遇聚結して流行する。
【通釈】
「浮而上者陽之清」。天地のできる姿はこうしたものである。先ず、煙草ほど軽いものはない。煙りは昇り、吸殻は下へ落ちる。軽いもので合点しなさい。あれと同じことで、天地も気に軽重がある。天地の始めを知るのも人の知である。それを知って何にする、大きなお世話だと言うが、理を推せばこの通りである。陽は清んで天になる筈。陰は濁って地となる筈。天地も陰陽の固まりである。それを分けて言えば、天地の間のものは皆その通りである。あの坱然の気を二つに分ければ陰陽の二つ。それは下へ下るのと上へ上る外はない。その上ったものは天になり、「天一生水」もそれである。水は形があってない様なものだが、水が濁れば、それは既に固まっているのである。それが地になる。これで天地のできる大筋を推察しなさい。ここの「浮而」「降而」という二句で天地という大舞台が建って、そこに能が行われる。その天地の舞台でどんな能が行われるのかと言えば、やはり坱然とした気が感遇聚結して風雨や霜雪という能が始まるのである。
【語釈】
・天一生水…天、一[はじめ]に水を生ず。

其感遇聚結為風両為霜雪。感と云てなけれはものは出来ぬ。われ々々てはならぬ。隂が陽にさそわれ、隂か陽に從って感遇て万物を生み出す。形したものて云ても、夫婦感して子か出生する。聚り結てなけれは物は出來ぬ。そこて虱も裸ては生せぬ。衣服のあたたまりが出来る。天地の氣の風両も感遇て風雨となる。天地の能に大たつて、そこへ出て舞ふは風雨霜雪なり。萬品之流形。万品は殊の外こまかなり。人を始としてあらゆるもののことを云。流はならへること。流布の字もある。天地はさま々々にて、東金の店万屋といへとも無ひものあり。天地には名の知れぬ艸木もありて、本艸にもれたか多ひ。天地の品々数かきり知れぬ。
【解説】
「其感遇聚結、爲風雨、爲霜雪。萬品之流形」の説明。陰が陽に誘われ、陰が陽に従い、感遇して万物を生み出す。その生み出された天地の品々は数限りない。
【通釈】
「其感遇聚結為風雨為霜雪」。感でなければものはできない。我々ではそれはならない。陰が陽に誘われ、陰が陽に従って感遇して万物を生み出す。形あるもので言っても、夫婦が感じて子が出生する。聚まり結ぶのでなければ物はできない。そこで、虱も裸では生じない。衣服の温まりによってできる。天地の気である風雨も感遇で風雨となる。天地の能に大きく立って、そこに出て舞うのは風雨霜雪である。「万品之流形」。万品は殊の外細かい。人を始めとしてあらゆるもののことを言う。流は並べること。流布という字もある。天地は様々で、東金の店の名が万屋と言っても、そこにないものもある。天地には名の知れない草木もあって、本草に漏れたものも多い。天地の品々は数限りなく、その限度は知れない。
【語釈】
・本艸…薬用になる植物。その書。

山川之融結。この文、こまかにたん々々筋をわけたてなく、詩の對のやふに書けり。大小て説て細に揩級のあるてない。辞面白くかけて天地の大いよりちり々々艸、蟻や虱の微物迠こめて云へり。融結はすくに山川のことを云。川は流れてとをるゆへ融と云、山は動ずしてしまるゆえ結と云。冨士か西行の見た時より今に同しこと。あれを、昔の畫師の書も今の畫師の書も同しなりにて違はぬ。結と云ものそ。阴の動ぬ姿なり。山の對に川の融なり。片時もじっとしてをらぬ。すふ々々と流るる。それからひろけて糟粕煨燼なり。糟粕煨燼は皆すてるものなり。つまり、この文法と云も孟子や荘子から出たものなり。文も一つさてもとさへて耳へ入るやふでなくては道理のはづんだでない。伊達を出たと思ふは聞き下手なり。道理は生きて説子は耳へ通せぬ。それて荘子も文であれがさへる。糟粕煨燼。この塵埃も皆天地のもの。坱然から糟粕煨燼迠氣の持前なり。一元氣から虚実動靜と目鼻かつき萬品と、人間は勿論靎亀松竹までがんさりと分れ、それからすてる粕や塵埃糟粕煨燼と云まてが氣を云切て、はや天地の内この外のものはないとかそへたててをいて、其れ迠が何ぢゃと思う、無非教なり。
【解説】
「山川之融結、糟粕煨燼、無非敎也」の説明。川は流れて通るから「融」と言い、山は動かずに締まるから「結」と言う。捨ててしまう様な「糟粕煨燼」でも天地の気なのである。
【通釈】
「山川之融結」。この文は細かく段々に筋を分けたものではなく、詩の対の様に書いたもの。大小で説いても、細かい階級があるということではない。辞を面白く掛けたもので、天地の大きいものから細かな草や蟻、虱の微物まで込めて言ったもの。融結は直に山川のことを言う。川は流れて通るから融と言い、山は動かずに締まるから結と言う。富士は西行の見た時より今に至るまで同じ。富士は、昔の画師の書でも今の画師の書でも同じ姿である。それが結というもので、陰の動かない姿である。山の対に川の融を出す。融は片時もじっとせず、すいすいと流れる。それから話を広げて「糟粕煨燼」となる。糟粕煨燼は皆捨てるもの。つまりは、ここの文法も孟子や荘子から出たものである。文も一つ全くだと冴えて耳へ入る様でなくては道理が弾んだことにならない。それを、伊達なことを出したと思うのでは聞き下手である。道理は生きて説かなければ耳に通じない。それで荘子も文が冴えている。「糟粕煨燼」。この塵埃も皆天地のもの。坱然から糟粕煨燼までが気の持ち前である。一元気から虚実動静と目鼻が付いて萬品と、人間は勿論、鶴亀松竹までがはっきりと分かれ、それから、捨てる様な粕や塵埃糟粕煨燼というものまでが気だと言い切って、これで天地の内にはこの外のものはないと数え立てて置いて、それまでが何のことだと思うかと尋ね、「無非教」だと答える。

ここて始て太極が顔を出したなり。無非教也。ここか道体の見とりにて、これてなけれはすてるものを取たなり。教と云文字、後世て云へは知れぬか出處あり。孔子間居の字にて雷風霜雪無非教なりと云へり。教と云は道の替辞なり。仏て云へは法の道と云ものなり。風雨霜雪の大から糟粕煨燼の細まて氣と云ものにて天地に滿てあるか、其上に理かしゃんとある。直方先生、ごみにも太極があると云るる。親に孝、君に忠は尤なれとも、ごみには太極はあるまいと云に、すてると云道理かあると云。理のないものは天地にありやふかない。何ほと微物てひ子りつぶすのみ虱ても、あれも太極をうけたものなり。有物有則、理のないものなし。偖、横渠は仏のやつきゃつと云とうらはらにて、仏は氣をすてるか、横渠は氣を何てもすてぬ。糟粕煨燼さへ取れはのこすものはない。一ち大な太切なは太極のぎか々々とかんさりとした動されぬもの。そこか鳶飛魚踊なり。唯而不諾から茶の結仕、皆道なり。
【解説】
「無非敎也」は道体である。風雨霜雪の大きなものから糟粕煨燼の細かなものに至るまで気というものが天地に満ち、また、その上に理がしっかりとある。塵でも捨てるという理がある。
【通釈】
ここで初めて太極が顔を出した。「無非教也」。ここが道体の見取りであって、これでなければ捨てるものを取っただけのこと。教という文字は後世ではわからないが出処がある。孔子の閑居の時の字で、「雷風霜雪無非教也」と言われた。教とは道の替え辞である。仏で言えば法の道というもの。風雨霜雪の大きなものから糟粕煨燼の細に至るまで、気というものが天地に満ちているが、その上に理がしっかりとある。直方先生が、塵にも太極があると言われた。親に孝、君に忠は尤もなことだが、塵に太極はないだろうと思えば、捨てるという道理があると言う。理のないものが天地にある筈がない。どれほど微物で捻り潰す蚤や虱であっても太極を受けたもの。「有物有則」で、理のないものはない。さて、横渠は仏が彼奴、奴と言うのとは裏腹で、仏は気を捨てるが、横渠は気を、それが何であっても捨てない。糟粕煨燼でさえ取るのだから残すものはない。最も大きくて大切なものは太極であって、それはぎかぎかとはっきりとして、動かすことのできないもの。そこが「鳶飛魚踊」である。「唯而不諾」から茶の結仕までが皆道なのである。
【語釈】
・雷風霜雪無非教…
・鳶飛魚踊…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。
・唯而不諾…礼記玉藻。「父命呼、唯而不諾」。

氣のつかまへるものをしたたか幷へある故、氣にしまかされたかと、氣かきりのことかと云に、無非教なり。それか太極じゃと取つかまへた。上段々に云ふ、山かつっ立、川か流れ、大釜か湯氣と云も氣のことなれは何の役に立ぬことのやふなれとも、あれて天命の性も五倫も知れてあんはいあることなり。臨濟が赤肉團上一無位の眞人と云は似たやふなれとも、このからたをすてる眞人を取る。吾儒はこのからたに道のあること。それて父子については親あり、君臣について義があり、夫婦の袵席を共にするも皆太極の眼前にある処なり。そこて、閑断もすきまもない。張子の氣でどふこふと云はれるのか、とどは動靜無端の程子、無極而太極の周子に合ふた。どふりて三人の道統の傳に幷へり。然れは、道体は云やふ次第のこと。これて張子は氣か立てとは云へとも、太極をつかまへたに相違はない。無非教なり。教は道なり、理なり、太極なり。
【解説】
横渠は気ばかりを言うが、それで理がわかる。気でできた人に道がある。ここの「無非教」の教は道であり、理であり、太極である。
【通釈】
気で掴まえたものを沢山並べてあるから、気に仕負かされたのか、気だけのことかと言うと、「無非教」である。それが太極だと掴まえた。上で段々に説いた、山が突っ立ち、川が流れ、大釜の湯気というのも気のことだから何の役にも立たないことの様だが、あれで天命性も五倫もわかり、塩梅のあること。臨済が「赤肉団上一無位真人」と言うのは似た様なことではあるが、この体を捨てる真人を彼らは取る。我々儒では、この体に道があるということ。それで父子については親があり、君臣については義があり、夫婦が袵席を共にするのも皆太極の眼前にある処のこと。そこで、間断も隙間もない。張子が気でどうこうと言われるのが、結局は動静無端の程子、無極而太極の周子に合ったことで、それで三人が道統の伝に並んでいるのである。それなら、道体の言い様は勝手次第である。これで、張子は気を立てるとは言っても、太極を掴まえたことに相違はない。無非教である。教は道であり、理であり、太極である。
【語釈】
・天命の性…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎」。
・赤肉團上一無位の眞人…臨済録上堂。「上堂云、赤肉団上有一無位眞人。常従汝等諸人面門出入。未証拠者看看」。
・袵席…①しとね。ねござ。しきもの。②ねま。寝所。


第四十四 游氣紛擾の条

游氣紛擾、合而成質者、生人物之萬殊。其陰陽兩端循環不已者、立天地之大義。
【読み】
游氣紛擾して、合して質を成す者は、人物の萬殊を生ず。其の陰陽兩端の循環して已まざる者は、天地の大義を立つ。
【補足】
この条は、張横渠の正蒙太和篇にある。

この条も前の條の通りの意なり。直方先生の説に、前は流行のなりを云たもの、ここは流行の中て出来るを主に云となり。前はなりを云、ここは出來るを云。最一つ直方先生の説あり。游氣紛擾は虚実動靜にあたり、阴阳両端循環不已は前の阴阳剛柔の始にあたると云へり。ここも体用に見へし。先つこの章を、筋を斯ふ付てよむことなり。氣の名を游氣とつけたもの、前の坱然の外てはない。游の字の付くは、氣は自らこの形なもの。をよぐともよみてあちこちすることて、氣ののほる底なり。後世杜子美か詩にも游糸と云。糸なとのもつれたやふに、ちら々々氣のめくること。この方の哥にも糸遊とよみて、春霞の哥に、あるかなきかに見ゆる糸いふとかよみてあり、杜子美か詩も荘子か野馬と云も形容なり。野馬の野をあちこち駈るなりか氣の動くもよふて、野馬氤氳[いんうん]と云ふ。上の坱然や升降を云こと。氣のもよ々々とあちこち動くやふなていを形容したもの。游の字も生意のある字なり。紛擾。上の感遇のことなり。阴阳入交りてものか出来る。成質はものの形かさま々々出来る。これから人物か出来るそと云か生人物之万殊なり。あれは人、あれは馬として、人を見とめる。そこをさとして、それは何て出來ると思ふ。皆游氣紛擾からのことと云。この講釈するもそれを聞くも皆游氣紛擾から出來たものなり。
【解説】
この条は気で物ができることを述べたもの。直方先生は、「游氣紛擾」は「虚実動静」に当たり、「陰陽両端循環不已」は「陰陽剛柔之始」に当たると体用で言われた。「游気」とは気の上がる様子を形容したものであり、それは杜甫の游糸や春霞の歌の糸遊、荘子の野馬の比喩と同じである。「紛擾」は「感遇」のことで、「成質」は、ものの形が様々とできること。
【通釈】
この条も前条と同じ意である。直方先生の説に、前条は流行の姿を言ったもので、ここは流行の中でものができることを主に言うとある。前条は流行の姿を言い、ここはものができることを言う。もう一つ直方先生の説がある。「游氣紛擾」は前条の「虚実動静」に当たり、「陰陽両端循環不已」は「陰陽剛柔之始」に当たると言われた。ここも体用で見なさい。先ずこの章はこの様に筋を付けて読むのである。気の名を游気と付けたが、それは前条の「坱然」に他ならない。気に游の字が付くのは、気はそもそもこの様な姿だからである。およぐとも読み、あちこちと動くことで、気の上る様なもの。後世、杜子美の詩にも游糸とある。糸などのもつれた様に、ちらちらと気の巡ること。日本の歌にも糸遊と詠んだものがあり、春霞の歌では、あるかなきかに見ゆる糸遊とかと詠んでいる。杜子美の詩も荘子が野馬と言うのもその形容である。野馬が野をあちこち駈ける姿が気の動く模様と同じなので、野馬氤氳と言う。前条の「坱然」や「升降」を言ったこと。気がもやもやとあちこち動く様な姿を形容したもの。游の字も生意のある字である。「紛擾」。前条の「感遇」のこと。陰陽が入り交じってものができる。「成質」とは、ものの形が様々にできること。これから人物ができるというのが「生人物之万殊」のこと。あれは人、あれは馬と、人も見止める。そこを諭して、それは何からできると思うかと尋ねれば、皆「游氣紛擾」からのことだと答える。この講釈をするのもそれを聞くのも皆游氣紛擾からできたもの。
【語釈】
・紛擾…みだれもつれること。もめること。ごたごた。
・後世杜子美か詩にも游糸…
・春霞の哥…和漢朗詠集巻下415。「かすみ晴れ みどりの空ものどけくて あるかなきかにあそぶ糸遊」。糸遊は蜘蛛の糸。
・荘子か野馬…荘子逍遥遊。「野馬也、塵埃也、生物之以息相吹也」。野馬は陽炎。陽炎が奔馬に似ているのでそう言う。
・氤氳…

其游氣に隂陽両端循環不已なり。俳名て游氣と云。これこそ太極圖の立天之道隂與陽なりと二つなり。春になり夏になりて已まぬ。これと云ものは立天地之太義なり。此天地の間のあらゆる萬物も、あのもよ々々した游氣て出来ると思はずにをった。こうきけば游氣紛擾からぞ。阴阳両端とは思へとも、それを天地の大義とは思はぬ。いかさまあれて天地は持てをるそ。立の字、易から持て出たなり。立天之道の立の字。大義、一大事になることなり。太義と云字は人て出来た字。多く人へつかふ字で、まつは天へ用る字てはない。たとへは君子の太義なり。小口塲を迯ては大義は立ぬ。外のことは未たしも、小口塲は重ひことゆへ大と云。親に不孝てはならぬと云も大義故のこと。人間君父のなりか大義なり。それを天地てかたるに寒中あたたか、土用中に袷と云ことありても少しの間違なり。一体の大い処に間違ないは、それは阴阳両端循環不已ゆへ大義か立ぬとは云はぬが、どうしても今日は夜が明けませぬと云なれは大騒なり。天地夜が昼になったことなし。寒中暖と、冬は冬にて夏てはない。皆この両端循環不已て大義か立っている。天は上、地は下に位して、そこをこの大義て天地を立てやる。循環かないと天地がつぶるる。
【解説】
ものは陰陽両端で循環するところからできる。陰陽両端循環不已で大義が立つ。天は上、地は下に位して、大義で天地を立てる。循環がないと天地が潰れる。
【通釈】
その「游気」について、「陰陽両端循環不已」と言う。俳名で游気と言う。これこそ太極図で「立天之道曰陰與陽」と言う、陰陽の二つである。春になり夏になって已まない。それというのも「立天地之大義」だからである。天地の間のあらゆる万物もあのもよもよした游気でできるものだとは思わずにいたが、こう聞けば游気紛擾からできるとわかる。陰陽両端とは思うが、それを天地の大義とまでは思はなかった。いかにもあれで天地は保っている。立の字は易から持って出たもの。立天之道の立の字。大義は一大事になること。それは人がいるからできた字で、多くは人に対して使う字であって、先ずは天へ用いる字ではない。たとえば君子の大義である。小口場を逃げるのでは大義は立たない。他のことはまだしも、小口場は重いことだから大と言う。親に不孝はならないというのも大義だからである。人間の君父の姿が大義である。それを天地で語れば寒中暖か、土用中に袷を着るということがあれば、少しの間違いとなる。全体の大きい処に間違いがないのは、陰陽両端循環不已だからであって、そこで大義が立たないとは言わない。しかし、どうしても今日は夜が明けませんと言うのであれば大騒ぎである。天地、夜が昼になったことはない。寒中暖かと言っても、冬は冬であって夏ではない。皆この両端循環不已で大義が立っている。天は上、地は下に位して、そこをこの大義で天地を立ててやる。循環がないと天地が潰れる。
【語釈】
・俳名…俳句の作者としての名。俳号。
・立天之道…易経説卦伝2。「昔者聖人之作易也、將以順性命之理。是以立天之道、曰陰與陽」。
・小口塲…非常に危険な場。

阴阳の氣の循環て天地いつも若々となる。ついに天地に白髪は生へぬ。毎日々々新なり。小野﨑先生、人か立ていそうもないものなれとも、生た氣でいるとなり。人も生た魂魄あるゆへ、こうして居らるる。天地も両端循環て、天は天、地は地と立てをらるる。某も魂魄か離れると、この近思録のわきにころりとなる。是かなくなると、はやそれきり。人身魂魄天地の阴阳、人をも天地をもきっと立てをる。大義とはよく云たもの。さてこの章の大義を太極と見ると大違なり。前の章とは違ひ、この章丸て氣なり。前の章は終に教と云て納めた。然らば何て舞納めると云に、中庸に費隠も費計り説て隠はかたられぬ。隠は口へ出さぬか、そふなる処か隠なり。とふしてそふじゃと云に、奧て太極かえへんと咳拂してここに居と云。横渠何も合点なり。人が太極をわすれたかと云に、こふする大ふ根は太極なり。べったり氣を云が言に云へぬことになる。とこ迠も氣を云へは云ほと理になる。理の太極とは云はす、生人物万殊、立天地之大義と云て、そふさするものは何そ。云にや及ふ、理なり。太極なり。費を云へは隠はそこにあり、張子の角ひしなしに云て、見手が見ると中は知れる。先日の沖漠無朕の章は角菱なしの理、この章は角ひしなしの氣なり。偖、朱子の徧集、この二章のあとへ天体物と理を出せは、きめはあるなり。
【解説】
天地は生きた気で立っている。人も生きた魂魄によって生きている。大義は太極とは違う。ここで太極を述べないのは中庸の「費而隠」と同じで、気を説く内に理が含まれているのである。
【通釈】
陰陽の気の循環で天地はいつも若々しい。決して天地に白髪は生えない。毎日が新たである。小野崎先生が、人は立っていられそうもないものだが、生きた気だから立っていると言った。人も生きた魂魄があるから、こうしていることができる。天地も両端循環で、天は天、地は地と立っておられる。私も魂魄が離れれば、この近思録の脇に転がって死ぬ。これがなくなると、早、それ切りになる。人身の魂魄や天地の陰陽は、人をも天地をもしっかりと立てている。大義とはうまく言ったもの。さて、この章の大義を太極と見るのは大違いである。前章とは違い、この章は全て気のこと。前章は終わりに教えと言い納めた。それならこの章は何で舞い納めるのかと言えば、中庸にある「費而隠」も費ばかりを説いて隠は語られない。隠は口へ出さないが、そうなる処が隠なのである。どうしてそうなのかと言えば、奥で太極がえへんと咳払いをして、ここにいると言う。横渠は何でも合点している。人に太極を忘れたのかと問われても、こうする大根は太極なのである。べったりと気を言うことが、言うに言えないことになる。どこまでも、気を言えば言うほど理になる。理や太極のことは言わないが、「生人物万殊」、「立天地之大義」と言い、その様にさせるものは何なのか。言うまでもなくそれは理であり、太極である。費を言えば隠はそこにあるのであって、張子はあっさりと言ったが、見る人が見れば中は知れるもの。先日の「沖漠無朕」の章はあっさりと理を言い、この章はあっさりと気を言う。さて、朱子の編集はこの二章の後に「天体物」と理を出してあって、筋が通ったことである。
【語釈】
・小野﨑先生…小野崎舎人。
・費隠…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能哉載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦、及其至也、察乎天地。」。
・角ひし…角菱。かどをたてること。規則・礼儀などが四角四面でわずらわしいこと。
・沖漠無朕の章…道体32を指す。


第四十五 天体物不遺の条

天體物不遺、猶仁體事而無不在也。體儀三百、威儀三千、無一物而非仁也。昊天曰明、及爾出王。昊天曰旦、及爾游衍。無一物之不體也。
【読み】
天の物に體として遺さざるは、猶仁の事に體として在らざること無きがごとし。體儀三百あり、威儀三千あるも、一物として仁に非ざること無し。昊天曰[ここ]に明らかなり、爾と出で王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり、爾と游び衍[たの]しむ。一物の體せられざること無し。
【補足】
この条は、張横渠の正蒙天道篇にある。「昊天曰明、及爾出王。昊天曰旦、及爾游衍」は詩経大雅板。

この章、天と云が丸に理のことなり。そふかた付るかよし。理てかたら子ばならぬ。めったになる。然れは天と云からは主宰をちっとつけること。それはあとてさばける。何であれ、理のことと見よ。されと理を天と語り出すときは何か後ろに見てござると云主宰かありて、ふたんの理とは違ふて何か見ていると云のて、この天たけ只理と云とは違ふ。天と云はそふなけれは精彩がない。偖、此条を天を枕詞にして仁へ落したと見はわるい。仁の發明の匁方も多けれとも、天と云掛匁が重い。天の枕詞て仁へ來たてはないか、天と云って仁へ來たか自つと天人一体の味深長なること。これは某か説なり。天は道理のかへ名ゆへ、上の糟粕煨燼にも理のないことなし。朱子、体骨の体と云て天理か骨になる。どふてもよいとこ子まわされぬか体骨なり。氣はかりになるとどふしてもよいになるか、物の上に道理かなくてよいなれば、医者がどのやふな藥もってもよいになる。肉桂一味ても入る訳なくてはどふも入れられぬは理あるゆへなり。そふなけれは毒を盛てもよいになる。ここてはないか、直方先生、鼻から飯は食はれぬとなり。口も鼻も近処なれとも、鼻ては食をふと云はぬなり。理かなけれは飯はくわれぬ。そこが体物不遺なり。
【解説】
天とは理のことだが、ここの天には主宰の意があり、普段言う理とは違う。天は道理の替え名であり、天理は体骨である。どの様なものにもそうしなければならないという理がある。
【通釈】
この章は、天と言うのが全て理のこと。その様に片付けるのがよい。理で語らなければならない。そうでないと滅多になる。そこで、天と言うからは主宰のことが少々あるが、それは後で捌ける。何であれ、理のことだと見なさい。しかし、理を天と語り出す時は何か後ろに見ておられるという様な主宰があって、普段の理とは違って何か見ているというので、この天だけはただの理とは違う。天はそうでなければ精彩がない。さて、この条は天を枕詞にして仁へ落としたものだと見るのは悪い。仁の発明という意も多くあるが、天という掛け目の方が重い。天の枕詞で仁へ来たわけではないが、天と言って仁へ来たのが、自ずと天人一体の意味深長なことなのである。以上は私の説である。天は道理の替え名だから、前に出ていた「糟粕煨燼」にも理のないことはない。朱子は天を体骨の体と言い、理が骨になる。どうでもよいとこね回すことのならないのが体骨である。気ばかりになると何をしてもよいことになるが、物の上に道理がなくてもよいのなら、医者がどの様な薬を盛ってもよいことになる。肉桂一味でも、入れる訳がなくてはどうしても入れることができないのは理があるからである。そうでなければ毒を盛ってもよいことになる。ここの場の話ではないが、直方先生が鼻から飯を食うことはできないと言った。口と鼻は近くにあるが、鼻で食おうとは言わない。理がなければ飯は食えない。そこが「体物不遺」である。
【語釈】
・糟粕煨燼…道体43。「糟粕煨燼、無非敎也」。

少しのものても理はのこさぬ。上は天地之大、内に何でものこさぬとかさて云こと。それを人へうけて、人の德は仁なり。仁を一と色と見たら違をふ。何もかも仁なり。隣へ元日に年賀に行くは礼か義のやふなれとも、仁がなけれは松飾り蹴倒してもよいになる。仁の根あるゆへ礼もある。御無事に御重歳目出度とは云が、死でもよいと心から出はせぬ。愛らしい生々としたてなけれは、するほとのこと、作り花、画餅なり。画に書たまんちうは役にたたぬ。酒を呑ふと云ても德利か画ては酔たためしなし。仁は脉所、正味なり。それかないと、することか丁とのうまみへ落ぬ。人か心に仁を持ているか、それてせ子は皆うそなり。
【解説】
どの様なものにも理があり、それを人が受け、人の徳は仁だと言う。何もかもが仁である。仁は脈所であって正味である。仁でなければ嘘である。
【通釈】
小さなものにでも理は遺さずある。前条は「天地之大義」と、内には何も遺しはしないと嵩で言う。それを人が受けて、人の徳は仁と言う。仁を一つだけのものと思うのは違うだろう。何もかも仁である。隣へ元日に年賀に行くのは礼か義でのことの様だが、仁がなければ松飾を蹴倒してもよいことになる。そこに仁の根があるから礼もある。ご無事に歳を重ねられて目出度いとは言うが、死んでもよいとは心から出はしない。愛らしい生々としたものでなければ、すればするほど作り花や画餅と同じとなる。画に書いた饅頭は役に立たない。酒を飲もうと言っても、徳利が絵では酔うことはない。仁は脈所であり、正味である。それがないと、することが丁度のよいところに落ちない。人は心に仁を持っているが、それでしなければ皆嘘となる。

礼儀三百云々。ここかみとりなり。これか仁めかぬこと、皆仁と云か張子の眼なり。三千三百はかるいことの上てみよ。田舎て進物にのしと書は御坐へ出されぬことなれとも、あれかうまいことにて忌中めかぬ為にする。温飩粉の袋物をやるにも田舎の女房か紅をぬりてやると云か、只やりてもすむに白いなりではなんとやらと、あれかいたいけなかわいらしい心て紅をちょっと付るものと心得たは仁か礼にあらはれた。三千三百か仁から出たものなり。張子の礼をしこむを謝氏か木札をかむとそしるか、張子の弟子かそこに心得かないから、末になりては只かたはかりてぎくしゃくと礼をかたてしたから如喫木札と有りつらふ。張子のは木札てないはここて見へてをる。三千三百に汁氣かある。だたい礼は塩梅ないものゆへ、老子は忠信之薄と云。末のことにて、様の字もとれても同ことなるにそれ々々あるか、中は仁のうまみにて面白あんはいなり。
【解説】
礼儀三百威儀三千も仁からのものである。張子が礼を仕込む様子を謝氏が「如喫木札」と謗ったが、それは張子の弟子が形で礼をして、仁という心得がなかったからである。
【通釈】
「礼儀三百云々」。ここが見取りのところ。仁らしくないことまでを皆仁と言うのが張子の着眼である。三千三百は軽いことの上で見なさい。田舎で進物にのしと書くのは、御座に出すことのできないことであっても、うまいことにそれが忌中めかないのでその様にする。饂飩粉の袋物を遣るにも田舎の女房は紅を塗って遣るというのが、ただ遣ってもそれで済むのに白いままではいかがなものかと、幼気な可愛らしい心で紅をちょっと付けようと心得たのは仁が礼に現れたのである。三千三百は仁から出たものなのである。張子が礼を仕込む様子を謝氏が木札を喫むと謗ったが、張子の弟子がそこのところに心得がなく、後になってはただ形ばかりてぎくしゃくと礼を形でしたから「如喫木札」と言ったのだろう。張子が木札でないのはここでわかる。三千三百には仁の汁気がある。そもそも礼は塩梅のないものだから、老子は「忠信之薄」と言う。末のことでは様の字も、それを取っても同じことなのに、それぞれに様を付けるのは、そこに仁の甘味があるのであって、これが面白い塩梅なのである。
【語釈】
・礼儀三百…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千。待其人而後行。故曰、苟不至德、至道不凝焉」。
・謝氏…謝上蔡。
・木札をかむ…如喫木札。
・忠信之薄…老子論徳。「夫禮者忠信之薄而亂之首也」。

さて、耳立やふに云なれは、五刑之屬三千無一物而非仁と云へることなり。人を牢へ入るも首をきるも皆仁なり。それて山﨑先生、人の首切る迠か仁と云はるる。それかにくいてはない。可愛かる人へ火を付るゆへ、刑にする。曽子の如し得其情則哀矜而無喜と云はるる。盗人を捕て手抦をうれしかるは仁の氣はない。首を切る迠か無一物非仁なれは、悪人を捕へても喜ふ筈はない。盗賊奉行仰付られて今日からは鬼になると合点するは心得違と云もの。人の首切ることか鬼ては切れぬか、涙ては切られる。涙て切れは仁の意なり。面白けれは鬼になりたのそ。刑罸も天地のなりで、春かのびて秋の粛殺あるやふなものなり。朱子の、この条を張子の赤心片々説出すと云へり。主の色香をあらはせり。中々假ては云はれぬ。天て万物に理のないことなく、人は万事に仁かある。脉のない命はなく、誰ても仁のないものなし。そこて、無惻隠之心非人。
【解説】
刑罰も仁からである。人の首を切ることも涙を堪えてするのが仁であって、切るのが面白くてするのは仁ではなく、鬼であり、人ではない。天では万物に理のないことはなく、人は万事に仁がある。
【通釈】
さて、よくわかる様に言うのなら、「五刑之属三千無一物而非仁」とも言うことができる。人を牢へ入れるのも首を切るのも皆仁である。それで山崎先生が、人の首を切ることまでが仁だと言われた。それは憎くてするのではない。可愛がる人へ火を付けるから、刑にする。曾子は「如得其情則哀矜而無喜」と言われた。盗人を捕えて、その手柄を嬉しがるのでは仁の気はない。首を切るまでが「無一物非仁」であれば、悪人を捕えても喜ぶ筈はない。盗賊奉行を仰せ付けられて今日からは鬼になると合点するのは心得違いというもの。人の首を切るのは鬼になってはできないが、涙を堪えてなら切ることはできる。涙で切るのは仁の意である。首切りが面白ければ鬼になったのである。刑罰も天地の姿で、春が伸びて秋の粛殺のある様なもの。朱子はこの条について、張子が赤心片々を説き出したものだと言った。張子の色香を現したもので、中々仮には言うことができない。天では万物に理のないことはなく、人は万事に仁がある。脈のない命はなく、仁のない者は誰もいない。そこで、「無惻隠之心非人」なのである。
【語釈】
・耳立…耳に立つ。聞いたことがあとに残る。
・五刑之屬三千…孝経。「子曰、五刑之屬三千。而莫大於不幸。要君者亡上。非聖人者亡法。非孝者亡親。此大亂之道也」。
・如し得其情則哀矜而無喜…論語子張19。「孟氏使陽膚爲士師。問於曾子。曾子曰、上失其道、民散久矣。如得其情、則哀矜而勿喜」。
・粛殺…きびしい秋気が草木をそこない枯らすこと。
・無惻隠之心非人…孟子公孫丑章句上6。「無惻隱之心、非人也。無羞惡之心、非人也。無辭讓之心、非人也。無是非之心、非人也」。

上の天体物不遺を詩てといて、皇天曰明云々。天かついてはなれぬ。をぬしの行く方へついて行と云こと。山﨑先生曰ふ、石のかろふとなり。石のかろふとても天はついている。人は天理のかたまりゆへ、ついているはつのこと。游衍も上の出王くと云も一つことなれとも、これはゆっくりとした意なり。濱見物花見のさきまて天か一所に遊山さるるとなり。土龍が日を見ると縁の下へ隠れるか、天は人か悪所へ行けはやはりついて行ゆへ、伯父や伯母には隠しても天には隠されぬ。そこて先日の終日對在天をよく合点せよ。人はたまされるか、天はたまされぬ。そこて、此条の天を実理と云へとも、天とあるからは理のことなれとも、あんばいありて天と云そ。獲罪於天もそこて、たた太極と云とはちこう。板の詩の本意か天の聽明かつくゆへ、天のいかりをつつしむを云。どこでも天にのかれぬゆへ、天と云へはそらをそろしくなる。そこて親切なり。朱子も打てかわったことを引て坐如尸と云へり。無一物非仁と張子云すてなれとも、二六時中のことなり。尸か大あくらてはならぬ。其要在愼獨と云も一つ意なり。
【解説】
天は物に付いて離れないから、天に対して隠し事はできない。ここの天は「終日對在天」や「獲罪於天」の天と同じ意であって、天の怒りに対して慎独するのである。
【通釈】
上の「天体物不遺」を詩経で説いて、「昊天曰明云々」。天は付いて離れない。お主の行く方へ付いて行くと言う。山崎先生が、石の唐櫃だと言った。石の唐櫃でも天は付いている。人は天理の固まりなので、付いている筈である。「游衍」も、上にある「出王」も同じことだが、これはゆっくりとした意である。濱見物、花見の先まで天が一緒に遊山されると言う。土竜が日を見ると縁の下へ隠れるが、人が悪所へ行けばやはり天が付いて行くから、伯父や伯母には隠すことができても、天には隠すことはできない。そこで先日の「終日對在天」をよく合点しなさい。人は騙されるが天は騙されない。そこで、この条では天を実理と言い、天とあるからは理のことではあるが、そこに塩梅があって天と言うのである。「獲罪於天」もそれで、ただ、太極と言うのとは違う。板の詩の本意は天の聴明が付くことなので、天の怒りを慎むことを言う。どこでも天から逃れられないから、天と言えば空恐ろしくなる。そこで親切なのである。朱子も打って変わったことを引いて「座如尸」と言った。張子は「無一物非仁」と言い捨てたが、それは二六時中のこと。尸が大胡座では悪い。「其要在愼獨」と言うのも同じ意である。
【語釈】
・終日對在天…道体19。「君子當終日對越在天也」。
・獲罪於天…論語八佾13。「王孫賈問曰、与其媚於奧、寧媚於竈、何謂也。子曰、不然。獲罪於天無所禱也」。
・坐如尸…礼記曲礼。「若夫坐如尸、立如齊。禮從宜、使從俗」。
・其要在愼獨…子罕16集註。「自漢以來、儒者皆不識此義。此見聖人之心、純亦不已也。純亦不已、乃天德也。有天德、便可語王道。其要只在謹獨」。

偖、天を出すと異端かいやかる。理と云へは理障と云。釈迦が雪山へ迯ても、雪山も天なり。天の字のかれられぬ。天理かのかれぬなれは、女房をすてても夫婦と云理かある。のかれられぬ。なせなれは、天の子ゆへ、編笠の内も天なり。某嘗曰、仏は出家と云て出るか、出たさきか天しゃと知らぬなり。人はとこへゆかうとも天そ。亀か陸へ上って甲をほせとも水中のものなり。人の家の二階へ置てはあれもたまらぬ。程子の眼を子ふって鼻を見たのちゃ。吾が見ぬて鼻はないとをもふても、鼻は固り自若としてをるそと云へり。仏か人倫をはなれても、人倫中にこもら子はならぬ。あちは理外なことを云ゆへ、多くは其時かわりを云。一人出家すれは九族生於天と代りを出すたけか無理なり。もと出家と云か平なことてないから其代りに九族天に生すと云、代を出す。こなたの茶碗先祖から持傳へた名器と云か、代りに五十表やろふと云か、たたい自然なことにかわりはならぬ。耳のきこへ目の見へるにかわりはやられぬ。代りをとるゆへ俗人かうれしかる。そこて、いたんの道は一つさきに面白ひことをもたせるから老子も軍者の祖になり、仏もやかてと云かそこで、やがて死ぬときと後世子がふ。実理にやかてと云其間はない。皇天及爾游衍なり。皆鼻の先のこと。如此に道体の篇末て佛を弁するがすくに道体を明すになる。丁と弁異端て物外無道と云、道体を云かすぐに異端を弁するになる。とど、いたんは垩人の道の外に道をたてたゆへ、こちの道体を云のてあちを弁し、あちを弁するにこちのことを云。自らこふしたことなり。
【解説】
天は人の目先にあり、人は天から逃れられない。仏は目先に天があることをわからず、遠い先のことを目指して一人出家すれは九族天に生ずと代わりを出す。実理にやがてという様な間はなく、自然なことに代わりということはない。異端の道は聖学の道とは違うから、こちらが道体を説けば、それが異端を弁駁することになり、逆に、異端を弁じるのが道体を説くことになる。
【通釈】
さて、天のことを言うと異端が嫌がる。理と言えば理障りだと言う。しかし、釈迦が雪山へ逃げても、雪山も天であって、天の字からは逃れられない。天理は逃れられないものだから、女房を捨てても夫婦という理がある。天からは逃れられない。それは何故かと言うと、人は天の子だからで、編笠の内も天である。私が嘗て言ったことだが、仏は出家と言って出るが、出た先が天だということを知らない。人がどこへ行こうともそこは天である。亀が陸へ上がって甲羅を干すが、亀は水中のものであって、人家の二階へ置かれてはあれも堪らない。程子が、それは眼を瞑って鼻を見るのと同じで、自分が見えないから鼻はないと思っても、鼻は固より自若としてあると言った。仏は人倫を離れても、人倫の中に篭らなければならない。あちらは理外なことを言うので、多くはその時に代わりを言う。一人出家すれは九族天に生ずと代わりを出すが、代わりを出すだけ無理なこと。元々出家ということが普通のことではないから、その代わりに九族天に生ずと言って代わりを出す。貴方の茶碗は先祖から持ち伝えられた名器だからと言って、代わりに五十俵遣ろうと言うが、そもそも自然なことに代わりはない。耳が聞こえ、目が見える者に代わりをすることはできない。しかし、代わりを出すから俗人が嬉しがる。そこで、異端の道は一つ先に面白いことを持たせるから、老子も軍者の祖になり、仏もやがてと言うのがそこで、やがて死ぬ時と後世を願う。実理にやがてという様な間はない。「昊天及爾游衍」である。皆鼻の先のこと。この様に道体の篇末で仏を弁駁するのが直に道体を明らかにすることになる。丁度、弁異端で「物外無道」と言う様に、道体を言うのが直に異端を弁じることになる。つまり、異端は聖人の道の外に道を立てたから、こちらの道体を言うことであちらを弁じることになり、あちらを弁じることでこちらのことを言うことになる。自ずとこうしたことなのである。
【語釈】
・雪山…釈尊は過去世に雪山で修行し、悟りを開いて成道した。
・自若…大事に直面しても落着きを失わず、平常と少しも変らないさま。自如。
・物外無道…異端3。「明道先生曰、道之外無物、物之外無道。是天地之閒、無適而非道也」。


第四十六 鬼神者二氣之良能也の条

鬼神者、二氣之良能也。
【読み】
鬼神は、二氣の良能なり。
【補足】
この条は、張横渠の正蒙太和篇にある。

前の体する体せぬの引はりから鬼神を出す。ここはたすけて見へし。中庸、体物不可遺と云も費隠のあやなり。何にもかにも有理ある縁から費隠のあとへ鬼神の章も出たり。中庸ても幷へやうは自ら合ふものぞ。この前はへったり理、この条はへったり氣を云。先日鬼神造化之跡と云も天地、この章も天地。そこて同ことて、其内此章は見切て云て程子と違。あちは只鬼神の用を云て、造化は鬼神のすることじゃは、はあ梅も櫻も花のさくも鬼神がするとそれきりに云こと。春になるも秋になるも鬼神しゃと、鬼神を役人にする。そこを造化之跡とも云。此章のはその造化の迹かさて々々妙なことて、人のわさとはちごふ。人のすることは埒があかぬ。火消か早く出るが間に合はぬことあり。人間は手が廻らぬか鬼神は手がまわりて、あの造化のあのやふに、云に云へぬ竒妙をつかまへて良能と云。人の上てもいこふ妙な手ぎはをば人間わざてないと云は、鬼神しゃと云詞なり。
【解説】
中庸で「費而隠」から「体物不可遺」と移ったのと同じで、ここは前条の関連から鬼神を出した。程子は造化の迹を鬼神と言っただけだが、ここの鬼神は見切って言ったものである。「良能」とは、人が言うに言えない奇妙なところを指して言う。
【通釈】
前条の「體」という関連から鬼神を出す。ここは朱子の書で補って見なさい。中庸で「体物不可遺」と言うのも「費而隠」の綾である。何にでも理があるという縁から費隠の後に鬼神の章も出たのであって、中庸の並べ様も自ら合うもの。この前はべったりと理を言い、この条はべったりと気を言う。先日の「鬼神者造化之迹也」と言うのも天地のことで、この章も天地のことである。同じく天地を言ってはいるが、その内は、この章は見切って言うので程子のとは違う。あちらではただ鬼神の用を言い、造化は鬼神のすることで、梅も桜も花の咲くのも鬼神がするとそれだけを言ったこと。春になるのも秋になるのも鬼神の仕業だと、鬼神を役人とみなす。そこを造化之迹とも言う。この章のはその造化の迹が実に妙なことで、人の業とは違うと言う。人のすることは埒が明かない。火消しが早く出ても間に合わないこともある。人間では手が廻らないこともあるが、鬼神は手が廻るので、あの造化のあの様に言うに言えない奇妙なところを捉まえて「良能」と言う。人の上でも大層妙な手際を人間業でないと言うが、それは鬼神だと言うのと同じ意味である。
【語釈】
・体物不可遺…中庸章句16。「子曰、鬼神之爲德、其盛矣乎。視之而弗見、聽之而弗聞、體物而不可遺。使天下之人、齊明盛服、以承祭祀。洋洋乎、如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思、矧可射思。夫微之顯、誠之不可揜、如此夫」。
・費隠…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉。及其至也、雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能哉載焉。語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦、及其至也、察乎天地」。詩経は詩大雅旱麓。
・鬼神造化之跡…道体8。「鬼神者、造化之迹也」。

鬼神は人のならぬことをする。そこをこき上けて良能と云。妙を持つ処を云て、以妙用謂之鬼神の妙か此良能なり。藥ても良藥妙藥と云か、良藥はよい藥と云ことなれとも、どちしても病をなをす妙なことを云より外はない。良知良能と云も誰がさせずともよくする竒妙を云。人間のすることは神社の祭礼の時、飾り物一つこしらへるも手間がかかるが、鬼神は花のさく、雷のなる、手のうら反さぬ内にする。それが妙そ。良能ぞ。妙と云ても不思義なことでなく、笹の葉か虵になると云やふなことてはない。酒のまわるやふなもの。やがてあの男多言になるぞと見て居る内、五六盃目からそろ々々口をきき出す。それは誰が云はせる、酒なり。そこが良能。其外何てもそふて、馬の大きなものへ藥がききそふもないものなれとも、子てをる馬が直に藥てをきあがると云も良能なり。これて、程張の二の説て鬼神のこと片ついて道体に鬼神も仁もこれてすむ。
【解説】
人のできないことを鬼神はするが、それを良能と言う。しかし、それは笹の葉が蛇になる様なことではない。
【通釈】
鬼神は人のできないことをする。そこを扱き上げて良能と言う。妙を持つ処を言い、「以妙用謂之鬼神」の妙がこの良能である。薬でも良薬妙薬があり、良薬はよい薬ということだが、どちらにしても病を治す妙なことを言うより外はない。良知良能も、誰がさせるわけでもなくてよくする奇妙なものを指して言う。人間のすることは、神社の祭礼の時に飾り物を一つ拵えるにも手間が掛かるが、鬼神は花を咲かせ、雷を鳴らせることを、手の裏を反す間もなくする。それが妙であり、良能である。妙と言っても不思議なことではなく、それは笹の葉が蛇になると言う様なことではない。酒の廻る様なもの。やがてあの男は多言になるぞと見ていると、五六盃目からそろそろ喋り出す。それは誰が言わせるのかと言えば酒である。そこが良能で、その外何でもそうで、馬の様な大きなものには薬は効きそうもないものだけれど、寝ている馬が直ぐに薬で起き上がるというのも良能なのである。これで、程張の二つの説で鬼神のことは片付いて、道体における鬼神も仁も済む。
【語釈】
・以妙用謂之鬼神…道体5。「以功用謂之鬼神、以妙用謂之神、以性情謂之乾」。

朱子の手抦はこの上を色々又説てあり。近思の外に仁のことも鬼神のことも仁説問答、玉講附録、鬼神集説にありて、あれて近思の上に又十分につまる。程子張子て足らぬことはなけれとも、朱子か大成なり。孔子を大成と云も、孔子から始て先王の道が活てきたゆへなり。朱子の大成も、周程張の学をあつめて大成ゆへ云。仁のことも鬼神のことも朱子へかけ子は丁とてない。朱子学するもの、集註章句と近思録と云ものまでは一と通り見ることにしてあれとも、朱子の語類文集にある性理の吟味かすまぬゆへ、近思にも四書にも精彩なし。此上を見子はならぬこと。そこは吾黨の諸老の何から何までのこらす表出してをかれた朱子ので尽て、あれを見たでのうてはこの近思もとくとない。鬼神も天地て語り人でかたり、とちも一つことになる。そこは中庸て見へることなり。程張て天地の方かはっきりとなり、朱子て人の上の鬼神へ入。親切そ。
【解説】
朱子は周程張の学を集めて大成したのである。語類や文集にある性理の吟味が済まなければ、集註章句や近思録を読んでも精彩が出ない。
【通釈】
朱子の手柄はこの上を色々とまた説いたことである。近思の他に仁のことも鬼神のことも仁説問答や玉講附録、鬼神集説にあって、あれで近思の上にまた十分に詰まる。程子や張子で足りないことはないが、朱子が大成である。孔子を大成と言うのも、孔子から初めて先王の道が活きてきたからである。朱子の大成も、周程張の学を集めて大成したので、その様に言う。仁のことも鬼神のことも朱子へ掛けなければ丁度のところに落ちない。朱子学をする者も集註章句と近思録までは一通り見ることとしているが、朱子の語類文集にある性理の吟味が済まないので、近思にも四書にも精彩がない。この上を見なければならない。そこは、我が党の諸老が何から何まで残らず表出しておかれた朱子の書で尽きるのであって、あれを見たの者でなくてはこの近思もしっかりと理解することができない。鬼神も天地で語り人で語るが、どちらも同じことであって、それは中庸で見ることができる。程張で天地の方がはっきりとなり、朱子で人の上の鬼神へ入る。親切なことである。
【語釈】
・孔子を大成と云…孟子萬章章句下1。「孟子曰、伯夷、聖之清者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也。孔子之謂集大成」。

鬼神集説の開巻には恠物咄の出たにて、さま々々朱子の鬼神を云はるるは尽たことそ。春中寛喜より貸りた一書、これは法花坊の作そふなか、鬼神のことに付て朱子はそこつな人ちゃと云て訶てあり。論するに足らぬことなれとも、あまり知らぬ云分ぞ。だたい朱子の説が仏者の方の勝手にはよい筈なるに、それを非とするはそこつなそしりやふそ。それは丁と明道の性論のやふなもの。悪も又と云ていよ々々つきた。ここらては朱子のことを云も、山﨑先生の序に續編や註解をとってすてらるるにて知へし。とかく朱子て近思を補ふ意にてみれば、近思につやがつくなり。
【解説】
鬼神は鬼神集説に尽きる。鬼神に関して朱子は粗忽だと仏が言ったが、却ってその説は仏者にとって都合のよい筈のものである。近思録は朱子の語で補って見るのがよい。
【通釈】
鬼神集説の開巻には怪物話があって、様々と朱子が鬼神のことを言われたので鬼神のことはそれで尽きる。春中寛喜より借りた一書は法華坊主の作の様だが、鬼神のことについて朱子は粗忽な人だと言って訶っている。それは論ずるに足りないことだが、あまりに知らない言い分である。大体、朱子の説は仏者の方に都合がよい筈なのに、それを非とするとは粗忽な謗り様である。それは丁度明道の性論が、「悪亦不可不謂之性也」と言うのでいよいよ性善が尽きる様なもの。ここ等では朱子のことを言ったが、山崎先生の序で、続編や註解を取って捨てられたことを述べていることで理解しなさい。とかく朱子で近思を補う意で見れば、近思に艶が付く。
【語釈】
・寛喜…
・明道の性論…道体21。


第四十七 物之初生の条

物之初生、氣日至而滋息。物生既盈、氣日反而游散。至之謂神、以其伸也。反之謂鬼、以其歸也。
【読み】
物の初めて生ずる、氣日に至りて滋息す。物生まれて既に盈つれば、氣日に反りて游散す。至るを之れ神と謂う。其の伸ぶるを以てなり。反るを之れ鬼と謂う。其の歸るを以てなり。
【補足】
この条は、張横渠の正蒙動物篇にある。

この章も鬼神のことなれとも、用ひ所か違ふ。是言外の意にて、今日の議論なり。上は二氣の良能て鬼神を云秡けり。この章、鬼神にかかわりて云ことてなし。原始反終知死生之説の終りにあるも阴阳二つにつづまることて、生死はかりてない。此章も鬼神を云て、鬼神の情状を見せるはかりてなく、道体の見をあらいぬいて云。知のそこのぬけるは生死のあやを悟ることなり。若い時はつよいこと云ても、年よりて足も腰もたたぬ段になり、或は子を多くころすなとと云にあふと、つひ題目を唱へるやふになる。王荊公か仏に落たももろいことなり。鬼神か明にない。なれは死生が明になる。そこでこの章、鬼神か大さっはにすむ。ここかすむと石原先生の云はるる氣散じなり。
【解説】
この章は鬼神の情状を見せて道体の見を洗い抜く。知の底が抜けるためには生死の綾を悟らなければならない。
【通釈】
この章も鬼神のことだが、用い所が違う。ここは言外の意で、今日の議論のところである。前条は二気の良能で鬼神を言い抜いたが、この章は鬼神に関わったことを言うものではない。「原始反終知死生之説」が初条の終わりにあるのも陰陽の二つに帰着するからであって、生死を言うだけのものではない。この章も鬼神を言って鬼神の情状を見せるばかりではなく、道体の見を洗い抜いて言ったのである。知の底が抜けるのは生死の綾を悟ること。若い時は強いことを言っても、年が寄って足も腰も立たなくなり、或いは子を多く殺してしまうことなどに遇うと、つい、お題目を唱える様になる。王荊公が仏に落ちたのも脆いからである。それは鬼神が明らかでないからで、鬼神が明らかになれば、死生が明らかになる。この章で、鬼神が大雑把に済む。ここが済むと石原先生の言われた気散じである。
【語釈】
・原始反終知死生之説…道体1。「原始反終、故知死生之説」。
・王荊公…王安石。北宋の政治家。字は介甫、号は半山。江西臨川の人。1021~1086
・氣散じ…溝口公に対する「原始反終、故知死生之説」の説明の中で、石原先生が気散じと言ったと、黙斎の道体初条の講義中にある。

物之初生氣日至而滋息。人ても猫ても生れてからたん々々生長する。滋息を待て猫も百匁にならはやろふと云。人の子も生れて直には乳さへつけぬ。それか後には滋息してそろ々々乳にからむと云て喜しかるもの。其から物心を知るの、物を喰ふのと云、それより長してもふ素讀するときになっても不衣帛襦袴と云は、子ともは体魄がぶよ々々もの。そろ々々十枚張のたこを上ると云は盈たのなり。
【解説】
動物は生まれてから段々と生長し、盈ちて行く。
【通釈】
「物之初生氣日至而滋息」。人でも猫でも生まれてから段々と生長する。滋息するのを待って、猫も百匁になれば遣ろうと言う。人の子も生まれて直ぐには乳さえ付けない。それが後には滋息して、そろそろ乳に絡むと言って嬉しがるもの。それから物心を知ったり、物を喰う様になり、それから長じてもう素読する時になっても「不衣帛襦袴」と言うのは、子供は体魄がぶよぶよしているからである。そろそろ十枚張りの凧を上げるというのは盈ちたのである。
【語釈】
・不衣帛襦袴…礼記内則。「十年、出就外傅、居宿於外、學書記、衣不帛襦褲。禮帥初、朝夕學幼儀、請肄簡諒」。

氣日反而游散。これから稲葉黙斎なり。重次郎様も最あたまか兀けて、どふしてもあの方から呼に来る方そ。せいの延る方てはない。小児のとき、一年つつぬい上けをろしたか、そろ々々下太の歯も前かひくくなるは遊散の方なり。白い歯の黄むも黑髪の白くなるも向から死子々々と云様なそ。若いときは神。その年よりたは鬼なり。死てから初て鬼てはない。生ている内に五十から後ははや鬼ぞ。髪置させたいと云は伸、帰るは江戸の市井て彼の忌中と札を出して簾ををろすのなり。なるほと、ここかすむと氣散しなり。珎しからぬことじゃ。韓持國か歳云に莫ると云を、程子のすててをけとなくさまれる。持國か老人か死ぬと云るる。然し、貴様死すはそれてよしとなくさむも、はて知れたことゆへなり。禪学者がそふ騒くに及はぬとこなり。
【解説】
若い時は神だが、年を取って来ると鬼になるのであって、死んで初めて鬼になるのではない。髪置きをする時期は神で伸、反とは鬼で帰である。死はわかり切ったことなので、それを騒ぐには及ばない。
【通釈】
「氣日反而游散」。これからが稲葉黙斎のこと。重次郎様ももう頭が禿げて、どうしても死の方から呼びに来る方になっている。これは背の伸びる方のことではない。小児の時、一年ずつ縫い上げを下ろしたが、そろそろ下駄の歯も前か低くなるのは遊散の方のこと。白い歯が黄ばむのも、黒髪が白くなるのも向こうから死ね死ねと言っている様なこと。若い時は神。それが年寄ったのは鬼である。死んで初めて鬼になるのではない。生まれている内に、五十から後は早鬼である。髪置きをさせたいと言う時期は伸である。反るとは、江戸の市井であの忌中と札を出して簾を降ろすこと。なるほど、ここが済むと気散じである。それは珍しいことではない。韓持國が歳のことで莫ると言ったのを、程子が捨てて置けと慰まれた。持國が老人が死ぬと言われた。程子は、しかし貴様が死ななければそれでよいと慰めたのだが、死は知れたことだからである。禅学者の様に騒ぐには及ばない。
【語釈】
・重次郎…浅見絅斎。
・髪置…幼児が頭髪を初めてのばす儀式。すが糸で作った白髪をかぶせ、頂におしろいをつけて祝う。近世、公家は二歳、武家三歳、あるいは男子三歳・女子二歳、庶民は男女三歳の時、多く陰暦一一月一五日に行なった。
・韓持國…韓維。雍丘の人。神宗の時翰林学士に進み、開封の知事となる。哲宗の時に門下侍郎になり、太子少傅で致仕。1017~1098

今日小児箸揃は目出度ことなり。それは後にはころりと成そ。蝋燭の立たのなり。知の底かぬけると顙にしわはよせぬ。老人か死ぬ。ほふそうかと云。死ぬ筈のことなり。われか道体の見なり。そこを子ともは三年喪をする。孝子の情なり。道体から云へは、死は可笑いほとのこと。そこを精進する。知崇天也礼卑地也なり。知の高さ一休かやふで、偖、三年の喪をすると律義なは礼なり。とかく天地のなりか道体そ。道体なりか道学そ。天の崇ひやふに知見は高く、知の卑きやふに礼は守る。盆祭するやふては道体はすめぬ。我祖父母や父母の忌日の外になんの丁寧に精進をするそ。目蓮が母が地獄に落たとて、皆々の父母先祖もをちもすまい。世の習て比ころは肴賣さへこぬ。盆に精進すると云も世間一統のことなれは、俗家はともかくもなり。されとも道体をよむほとな人か盆に精進せすはとふあろふか、先祖のためになるまいかと苦労する位ては、道体はすまぬことなり。伸は目出度。反は申つふやふないなれとも、死生も戸の明けたてする様に、生たり死たりて流行するそ。こちの兄弟ゆへ死子は泣くか、天地の方て死か珎らしいことてない。そこは合点て、さて喪をつとめる、祭もする。伸たから反る。反たて喪をする。反たものを祭るて、又伸る。さて々々垩学はどこまでも流行する。
【解説】
死は当然のことであって、天地は生きたり死んだりして流行するのである。伸びたから反り、反ったので喪をする。反ったものを祭るので、また伸びる。どこまでも聖学は流行する。
【通釈】
今日、小児の箸揃えは目出度いことだが、それが後にはころりとなる。蝋燭が立ったのである。知の底が抜けると額に皺は寄せない。老人が死んで、ほうそうかと言う。死ぬ筈のことだからである。それが道体の見である。そこで子供は三年の喪をする。それが孝子の情である。道体から言えば、死は可笑しいほどのことで、そこを精進する。「知崇天也礼卑地也」で、知の高さは一休の様で、さて、三年の喪をするという律儀なのは礼である。とかく天地の通りが道体であり、道体の通りが道学である。天が崇い様に知見は高く、知の卑い様に礼は守る。盆祭をする様では道体は済まない。自分の祖父母や父母の忌日の他に何を丁寧に精進をするのか。日蓮の母が地獄に落ちたとしても、皆の父母や先祖も落ちはしないだろう。世の習いでこの頃は肴売りでさえ盆には来ない。盆に精進するというのも世間一般のことだから俗家はともかくとして、道体を読むほどの人が、盆に精進しなければどうなるだろうか、先祖のためにならないだろうかと苦労する位では、道体は済まない。伸は目出度い。反は申し分ないことだが、死生も戸の開け閉てをする様に、生きたり死んだりで流行する。自分の兄弟だから死ねば泣くが、天地の方では、死は珍しいことではない。そこを合点した上で、さて喪を務め、祭りもする。伸だから反る。反ったので喪をする。反ったものを祭るのでまた伸びる。聖学は実にどこまでも流行するのである。
【語釈】
・箸揃…生まれて百日目のくいぞめ。
・知崇天也礼卑地也…易経繋辞伝上7。「子曰、易其至矣乎。夫易、聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑。崇效天、卑法地。天地設位、而易行乎其中矣。成性存存、道義之門」。
・明けたて…開け閉て。戸や障子をあけたりしめたりすること。


第四十八 性者萬物之一源の条

性者萬物之一源、非有我之得私也。惟大人爲能盡其道。是故立必倶立、知必周知、愛必兼愛、成不獨成。彼自蔽塞而不知順吾理者、則亦末如之何矣。
【読み】
性は萬物の一源にして、有我の私するを得るところに非ず。惟大人のみ能く其の道を盡くすと爲す。是の故に立つときは必ず倶に立ち、知るときは必ず周く知り、愛するときは必ず兼ね愛し、成るときは獨りは成らず。彼の自ら蔽塞して吾が理に順うを知らざる者は、則ち亦之を如何ともすること末[な]し。
【補足】
この条は、張横渠の正蒙誠明篇にある。

張子のみてとりたことを切て出された腹なり。浮而上有云々、後に淮南子を置くと云とは違って、ここは後へをくやふなことては言れぬ。佛の天地与我同根万物与我一体、あの語立とは違ふ。仏は同根一体と云か、すくに私するために云。張子は天地の道体なりを合点て、それに精彩の付た語なり。董子の道之大源出於天の語は精彩はない。なせなれは、そふしたものじゃと云までなり。横渠のは見て取たゆへ、きってはなして云て、すっと胸から湧たなり。そこで、下の句に非有我之得私と出るに味あるそ。性は天から拜領の性にて我ものぞ。向てみるものでないに、それを向へふりかへして万物之一源と云は、をれ斗貰たと云て土用干する様なことてない。たた一つの我なれとも、九十九里の水か來たなり。されはをれが水とは云はれぬ。ここか文義のことてない。これて西の銘を作られたとみればいこふここに精彩あり。万物も一源と見たゆへ西銘も出来たもの。とんと隔のないことなり。前にある程子の仁者以天地万物為一体と云語あり。あれとは違ふ。あれは余の人はへた々々なれとも、仁者はかわったものじゃ、天地万物を一体とするはと云こと。ここは何ても一源。をれか月、をれが雪と云ことはない。一つ雪一つ月なり。我之の我の字、人我の我なり。皆の猫がどこても鼠をとる。犬がひょっと鼠を取たならは我得私と云ものそ。皆天下の犬か取てないからぞ。猫の鼠を取はどの猫もとるなれは、我得て私てはない。ここが性を論するきっほんなり。
【解説】
「性者萬物之一源、非有我之得私也」の説明。張子が万物は一源であると言ったのは、道体を見切って言ったこと。仏教も「天地与我同根万物与我一体」と言うが、それは私するために言ったこと。「性」は天から拝領のもの。万物は一源であり、隔てはないが、それが性の通りでないのは「我得私」だからである。
【通釈】
張子が見取ったことを切って出されたのである。「浮而上有云々」と言って、後ろに淮南子を置くのとは違い、ここは後ろに語を置く様なことでは説けない。また、仏の「天地与我同根万物与我一体」というあの語立てとは違う。仏は同根一体と言うが、直ぐに私するために言う。張子は天地の道体の姿を合点しており、ここはそれに精彩の付いた語である。董子の「道之大源出於天」の語には精彩がない。それは何故かと言えば、そうしたものだと言ったまでのことだからである。横渠の語は見て取ったことを切って離して言ったのであり、すっと胸から湧いたものなのである。そこで、下の句で「非有我之得私」と出たのが味のあること。性とは天から拝領の性であって自分にあるものである。向こうで見るものではないのに、それをここで向こうに振り返して「万物之一源」と言ったのは、俺だけが貰ったと言って土用干しをする様なことではないからである。自分はただ一つだが、九十九里に水が来た時には俺の水だとは言えない。ここは文義のことではない。これで西銘を作られたのだと見れば、大層ここに精彩がある。万物も一源と見たから西銘もできたのであって、全く隔てはない。前に程子の「仁者以天地万物為一体」という語があるが、あれとは違う。あれは、他の人はべたべただが、仁者は変わったもので、天地万物を一体とするということ。ここは何でも一源。俺の月、俺の雪ということはなく、誰にも一つの雪、一つの月である。「我之」の我の字は人我の我である。皆の猫がどこでも鼠を捕る。犬がひょっと鼠を取れば「我得私」というもの。それは、天下の犬は皆鼠を取らないからである。猫が鼠を捕るのは、どの猫も捕るのだから我得私ではない。ここが性を論する根本のところである。
【語釈】
・浮而上有云々…道体43。「浮而上者陽之清」。
・天地与我同根万物与我一体…天地は我と同根、万物は我と一体。
・道之大源出於天…漢書董仲舒伝。
・西の銘…為学89を指す。
・仁者以天地万物為一体…道体20。「仁者以天地萬物爲一體、莫非己也」。

其一源めいたそれらしい人かない。たた大人斗りなり。垩人を云。だたい道体は斯ふなれとも道体なりか垩人ゆへ、そこて尽其道なり。天地の間にしきりのないを云こと。それかあとて見へる。人我の隔ない、そこを道を尽すと云。我か為めの、己か為めのと云は為学ては肝要なり。それは、直方の云はるる聾の道中する様にと云は人にかまわぬ端的を云、そこが為学そ。ここは道体ゆへ人我の隔なく、立必倶は立と云か一源の見から。大人は何てもそちはそち、こちはこちと云わけへたてと云ものはなし。立の字論語か出處なれとも、論吾曰己欲立立人。某ここをこしゃくな文義を云やふなれとも、立の字か對句ありて、下に不独成とあるに對すれは、立は志を立云ことなり。大人は物と隔かないゆへ手前一人てない。人もとも々々なり。我一人学問せふと志を立るてない。たれへもかれへも手を引合ふての意なり。
【解説】
「惟大人爲能盡其道。是故立必倶立」の説明。聖人は道体の通りであって道を尽くすことができる。万物は一源だから天地に仕切りはない。そこで聖人は人我の隔てなく人を倶々に立てる。その「立」とは志を立てる意である。ここは道体の立場で言ったことだが、為学では為己が肝要となる。
【通釈】
その一源めいたそれらしい人がいない。ただ大人だけである。聖人を言う。そもそも道体とはこの様なものだが、道体の通りなのが聖人だから、そこで「尽其道」である。天地の間に仕切りのないことを言う。それが事跡で見える。人我の隔てのないことを道を尽くすと言う。我がため、己のためということが為学では肝要である。直方が言った聾の道中する様にとは、人には構わないことを端的に言ったのであって、そこが為学なのである。しかし、ここは道体だから人我の隔てはなく、「立必倶」の立というのが一源の見から出たもので、何にしても大人は、お前はお前、私は私という様な分け隔てはない。立の字は論語が出処だが、論語に曰う、「己欲立而立人」。ここで私が小癪な文義を言う様だが、立の字が対句になっていて、下にある「不独成」に対するとすれば、立は志を立てるということになる。大人は物と隔てがないから自分一人ではない。人も倶々である。自分一人が学問をしようと志を立てるのではない。誰へも手を引き合ってという意である。
【語釈】
・己欲立立人…論語雍也28。「子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、如何。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已」。

知必周知は、もと有理は我か知ることにて、人ととも々々にはならぬもの。この講席の者もこの講釈を手に々々知ることて、倶に知ると云ことは無理なことなれとも、大人の胸て云ときに我知ときは皆々も知るやふになり。周知は易の文字。易では我一人て天下の万物周きこと。ここははたの人も知る。愛必兼愛。我愛する時は人もそふさせる。墨子とは文義違ふ。人我の隔てない処なり。我さへ香奠やれは人はよいてない。人にもやらせるあんはいなり。周知は易、兼愛は孟子なれとも、あちと文義のちかへるて大人の万物一源のなりそ。墨子兼愛は我一人か兼愛す。ここは天下の人かこちのやうに愛する。
【解説】
「知必周知、愛必兼愛」の説明。知とは自分自身のことであり、人と倶々にはならないものであって、出典の易もその意だが、ここは聖人について言ったことで、人も一緒に知らせること。ここの兼愛は人我の隔てのないことで、自分一人が兼愛すると言う墨子とは異なる。
【通釈】
「知必周知」とは、元々有理は自分自身が知ることであって、人と倶々にはならないもの。この講席の者もこの講釈を一人一人が知るのであって、倶に知るということは無理なことなのだが、大人の心で言う時には、自分が知る時は皆も知る様にとすること。周知は易の文字。易では自分一人が天下の万物を周くすること。ここは他の人もそれを知ること。「愛必兼愛」。自分が愛する時は人もその様にさせる。墨子とは文義が違う。人我の隔てのない処である。自分さえ香典を遣れば他人はよいと言うのではない。人にも遣らせる塩梅なのである。周知は易、兼愛は孟子からだが、あちらとは文義を違えて大人の万物一源の姿を語る。墨子の兼愛は自分一人が兼愛する。ここは天下の人が聖人の様に愛すること。
【語釈】
・周知は易の文字…易経繋辞伝上4。「易與天地準。故能彌綸天地之道。…與天地相似、故不違。知周乎萬物而道濟天下、故不過」。
・兼愛は孟子…孟子滕文公章句下9と盡心章句上26にある。

成必不獨。我はかり天上天下と云ぬ。人をも成就する。大人と云ものはかふしたものと、これて仁者の以天地万物為一体をここて始て云ことなり。我行けは人も一処に手を引て行くなり。古之欲明々德於天下者かこのなりそ。佛は我はかりなり。大学の明德を天下に明にするか政談經済録てなく、天下のあかを落すこと。伯者は民を愚にすと云、只今かしこい主人かたわけた男を欺て使ふが、たたいほんのことは其下男を賢しこくしてやること。我も丁稚も太極の一源なり。そこて中庸も尽人之性則尽物之性と云。
【解説】
「成不獨成」の説明。仏は自分のことばかりだが、ここは自分だけが成るのではなく、人をも成らせること。それは「古之欲明々德於天下者」や「尽人之性則尽物之性」と同じ意である。
【通釈】
「成必不獨」。自分ばかりが天上天下とは言わない。人をも成就させる。大人というものはこうしたものだと言って、ここで「仁者以天地万物為一体」を初めて言うのである。自分が行くのであれば、人をも一緒に手を引いて行く。「古之欲明明徳於天下者」がこのことである。仏は自分ばかりである。大学の明徳を天下に明らかにするというのは政談や経済録によるのではなくて、それは天下の垢を落とすこと。伯者は民を愚にすると言い、今、賢い主人が戯けた男を欺いて使うが、そもそも、本来であればその下男を賢くしてやるべきである。自分も丁稚も太極の一源である。そこで中庸も「尽人之性則尽物之性」と言う。
【語釈】
・天上天下…「天上天下唯我独尊」。釈尊が生れた時、一手は天を指し、一手は地を指し、七歩進んで、四方を顧みて言ったという語。
・古之欲明々德於天下者…大学章句1。「古之欲明明德於天下者、先治其國」。
・政談…荻生徂徠著。
・經済録…太宰春台著。
・伯者は民を愚にす…
・尽人之性則尽物之性…中庸章句22。「唯天下至誠、爲能盡其性。能盡其性、則能盡人之性。能盡人之性、則能盡物之性。能盡物之性、則可以贊天地之化育。可以贊天地之化育、則可以與天地參矣」。

彼自蔽塞而不知吾理者云々。本の道理をかたり、大人を云、それから向の無得道を云。蔽塞は凡人より老仏迠くるめて云。あれか蔽塞の字のかれられぬ。老仏欲はなけれとも、私見てふさかる。吾理は一源の処を云。不知順は道理の根元を知らす、太極に順はぬゆへ氣の中へ落る。道理の外に落付ているものあるゆへとふもならぬ。初の句に我の字、ここは吾とある。吾と我とはちかふことなり。上の我は人と我との別て人我の我なり。あそこに云別はないと云こと。ここの吾は理を親しく云。西銘に吾の字十三あれとも、吾と云が人とへだつることてない。人の外へ出して、手前の巾着の内て云てなく、この方の天理を云の吾なり。やはり一体なり。吾君と云も其國から一同に云。吾子と云やふなもの。親く云か吾の字なり。末如之何矣。扁鵲が隣に居ても藥のまぬはどふもならぬ。蔽塞なれば聖賢も仕かたなし。ここが為学のやふて道体になる。不順理は太極なりにならぬ。不の字は中庸の無誠無物なり。五尺のからた一源なれとも、皆不の字なり。不仁不孝、この不順も不の字にこまる。順の上に不の字あれは太極に弓を挽なり。それはどふもならぬ。
【解説】
「彼自蔽塞而不知順吾理者、則亦末如之何矣」の説明。「非有我之得私也」の我と「吾理」の吾とは違う。我とは人我の我であり、吾とは理を親しく言うこと。蔽塞であれば聖賢でも対応することができない。不の字が付くと太極に弓を引くことになって悪い。
【通釈】
「彼自蔽塞而不知吾理者云々」。本当の道理を語り、大人を言い、それから道を得られない者のことを言う。「蔽塞」は凡人から老仏までを包めて言う。あれ等が蔽塞の字から逃れられない。老仏も欲はないのだが、私見で塞がる。「吾理」は一源の処を言う。「不知順」は道理の根元を知らないことで、太極に順わないから気の中へ落ちる。道理の外に落ち付いているものがあるからどうにもならない。初めの句に我の字があって、ここは吾とある。吾と我とは意が違う。上の我は人と我との別で人我の我である。人我の別はないということ。ここの吾は理を親しく言う意である。西銘に吾の字が十三あるが、吾とは人と隔てることではない。人の外へ出すことで、自分の巾着の内で言うことではない。それは自分にある天理を言う際の吾であって、やはり一体である。吾が君と言う時も、その国の人が一同に言う。それは吾が子と言う様なもの。親しく言うのが吾の字である。「末如之何矣」。扁鵲が隣にいても、病人が薬を飲まないのならどうにもならない。蔽塞であれば聖賢も仕方がない。ここが為学の様で道体になること。「不順理」では太極の通りにならない。不の字は中庸の「不誠無物」の不と同じである。五尺の体は一源だが、皆不の字で悪くなる。不仁不孝、この不順も不の字に困る。順の上に不の字があれば、太極に弓を引くことになる。それではどうにもならない。
【語釈】
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。長桑君に学び、禁方の口伝と医書とを受けて名医となり、趙簡子や虢の太子を救ったという。耆婆と並称される。
・無誠無物…中庸章句25。「誠者自成也。而道自道也。誠者物之終始。不誠無物。是故君子誠之爲貴」。