第四十九 一故神の条  八月朔日  惟秀録
【語釈】
・八月朔日…寛政2年庚戌(1790年)8月1日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

一故神。譬之人身、四體皆一物。故觸之而無不覺。不待心使至此而後覺也。此所謂感而遂通、不行而至、不疾而速也。
【読み】
一なるが故に神なり。之を人身に譬うるに、四體は皆一物なり。故に之に觸れて覺えざる無し。心使の此[ここ]に至るを待ちて而る後に覺ゆるにあらざるなり。此れ謂う所の感じて遂に通り、行かずして至り、疾[すみ]やかにせずして速やかなるものなり。
【補足】
この条は、張横渠の易説一一にある。

此章も先つ六ヶしい章に立てをる。李延平もすめか子たそう。夜中考て翌朝迠おきていて、漸くすめたとある。すれば六ヶしいは知れたなれとも、夫を聞て驚くこともない。すめると云訳けもある。横渠の此章新たに書たではない。下に易説とある。係辞の五章に一隂一陽之謂道と書出して、末に隂陽不測之曰神ととめてある。あれをといたと合点すれば六ヶしいことはない。あれをはなしては知れにくい。無極而太極を孔子の易有太極へ頭書をしたと見るからすむ。易有太極を離すと知れにくい。爰もそれなり。上に隂陽不測おいて、なぜ不測が神じゃ、一なり故に神と易を根にしてよめは知るる。天地の中が隂は隂ぎり、陽は陽ぎりなれば片ついたこと。隂陽と云には太極がある。隂陽は氣にわたりたものゆへ年のよることある。既に今日は冷くて袷を着たが、はや暑氣の年のよりたのなり。太極は理ゆへ形ないから年はよらぬ。隂と陽とがそれきりなればきれめあり。隂か陽になり、陽が隂になる。きれめのあるものてなし。それは太極が一貫しておるから隂ぎり陽ぎりでなく、どこまでも段々延てゆく。それは誰がするとも知れぬ。そこを神と云。
【解説】
「一故神」の説明。「無極而太極」は孔子の「易有太極」に頭書きをした様なもので、この条も繋辞伝五章目を説いたものである。陰陽は切れ目なくどこまでも延びて行く。それが「陰陽不測」であって、太極が一貫していることでそうなるのである。これをさせるのを「神」と言う。
【通釈】
この章も先ずは難しい立て方である。李延平もわかりかねたそうだ。夜中まで考えて翌朝まで起きていて、漸くわかったとある。それなら難しいのはわかり切ったことだが、そう聞いて驚くこともない。済めるという訳もある。横渠はこの章を新たに書いたわけではない。下に易説とあり、繋辞の五章に「一陰一陽之謂道」と書き出して、その末尾に「陰陽不測之曰神」と締め括っている。あれを説いたものだと合点すれば難しいことはない。あれを離れてはわかり難い。「無極而太極」は孔子の「易有太極」へ頭書きをしたことだと見るから済む。易有太極を離すとわかり難い。ここもそれと同じである。上に陰陽不測と置いて、何故不測が神なのかと言えば「一故神」だと、この様に易を本にして読めばわかる。天地の中が陰は陰だけ、陽は陽だけであればそれで片付くこと。陰陽には太極がある。陰陽は気に渡ったものだから年の寄ることもある。既に今日は涼しくて袷を着たが、それは早くも暑気の年が寄ったのである。太極は理なので形がないから年は寄らない。陰は陰、陽は陽だけならば切れ目がある。陰が陽になり、陽が陰になるのであって、陰陽は切れ目のあるものではない。それは太極が一貫しているからで、陰だけ陽だけではなく、どこまでも段々と延びて行く。それは誰がするのかもわからない。そこを神と言う。
【語釈】
・李延平…字は愿中。羅豫章の門に程氏学を学ぶ。朱子も22歳の時に李延平の門を叩く。1093~1163。
・係辞の五章…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣。顯諸仁、藏諸用、鼓萬物而不與聖人同憂。盛德大業至矣哉。富有之謂大業、日新之謂盛德。生生之謂易、成象之謂乾、效法之謂坤。極數知來之謂占、通變之謂事、陰陽不測之謂神」。
・易有太極…易経繋辞伝上11。「易有太極。是生兩儀。兩儀生四象、四象生八卦。八卦定吉凶、吉凶生大業」。

語類にも此章を鬼神の神に説たが一條あるが、よくない。皆が語類よむときのために一寸云ふぞ。此神は隂陽のはたらきのことで、やはり太極のこと。名義はそれ々々のあたりあり。天地造化万物を惣へた処て太極と云、其太極にそれ々々の筋の分れてあるときは理と云。隂か陽になり、陽か隂になり、移り易りゆく。中々窺ひはかられぬ竒妙なものある。それは隂陽がするかと云に、いや、私がとうさうするものぞ。太極とのじゃ。しからば太極は竒妙なものじゃ。そこで神と云なり。是迠は孔子の意をとく。其上へ張子が隂陽不測を神と云、其神はなぜ神じゃと問かけておいて、それはだたい隂陽の上へ太極がのべつづけに成て居る、もと一じゃは、一じゃによって、そこで神じゃはとなり。朱子がかふ説たは古今ないとほめられた。程子の此筋のこと御得手の方なれとも、この味に云た程説はないとなり。太極が醫者の乘て廻る様に、あっちへかけてゆきこっちへゆきでは間に合ぬ。べったりとか子て物の上に乘りてありて隔のないもので有る故、一也神なり。大旨太極の妙を心得て居ても、それと云れて駈け行様に心得てはぬるい。ものもふ、御見舞申すでない。兼子てからきているぞ。一とつづきなり。上から見ては朔日二日三日番所の交代の様に見ゆれとも、内の氣は一とつづきなり。
【解説】
ここの神は鬼神の神のことではなく、太極を指す。陰陽の働きには窺い知ることのできない奇妙なものがあるが、それをさせるのは太極である。そこで、奇妙なことをさせる太極を神と言うのである。太極は予め気の上に存在しているのであって、改めて色々な場に出て行くのではない。
【通釈】
語類にもこの章を鬼神の神として説いたところが一条あるが、それはよくない。皆が語類を読む時のために一寸言っておく。ここの神は陰陽の働きのことで、やはり太極のこと。名義にはそれぞれに用い方があるのであって、天地造化万物を総べた処で太極と言い、その太極にそれぞれの筋が分かれてある時は理と言う。陰が陽になり、陽が陰になり、移り易って行く。そこには中々窺うことのできない奇妙なものがある。それは陰陽がするのかと聞けば、いや、私がどうこうするのではない、それは太極殿がするのであると答える。それなら太極は奇妙なもの。そこで神と言うのである。ここまでは孔子の意を説いたもので、その上へ張子が陰陽不測を神と言い、その神は何故神なのかと問いかけておいて、それはそもそも陰陽の上に太極が延べ続けに成っている、元が一つということは一つだから、そこで神だと言ったのである。朱子が、この様に説いた者は古今にないと褒められた。程子はこの筋のことには得手の方だったが、これほどに味のある程説はないと言ったのである。太極が、医者が乗って廻る様に、あっちこっちへ駈けて行くのでは間に合わない。べったりと前から物の上に乗っていて、隔てのないものなので「一也神」なのである。概ね太極の妙を心得ていても、それと言われて駈けて行く様に心得ては温い。もの申す、御見舞申すということではない。前々から来ているのであり、一続きなのである。上から見ると一日二日三日と番所の交代の様に見えるが、内の気は一続きなのである。

そこで、譬之人身。太極と云と遠く思ふが、人の身で知るる。四体は夫れ々々別々なもの。足の痛は手はかまわぬ、手のいたみは足はかまわぬなれとも、血氣は一と貫ゆへ、どこの痛くても心の知る所は一也。頭へ蚊のとまったも足をさすも、それと云て追ふ。一とつづきゆへぞ。觸之無不覺。靣部と云ても耳口と月代とは別なれとも、針でつけばとれをついても知る。太極が隂陽となり五行、夫れから万殊なれとも、道理は一と貫きそ。ここの説き様は前にも百尺之木自根本至枝葉猶一貫とある、程子と一つなり。爰の辟[たとえ]もそれなり。前の冲漠無朕とたとへの上では一つことなり。夫からまっと跡へもどして云へば、爰も太極圖の通に合ふ。太極動而生陽云々からあれほどなことが、やはり太極の動靜なり。云やふこそかわれ、冲漠無朕も此章も太極圖説も一つこと。心至此云々。此句は四體皆一物のたとへを説いたこと。一故神を説たでない。手足耳目わかりてをりても一とつづきなり。灸の痛みが三里も背中も一つこと。背中へ心が行てから痛み、三里へ心が行てから痛むと云でない。そこが一つ物の処じゃと云こと。人の上ですることは間がある。檢見の役人がくるの、飛脚が皈るのと云こともいこふ間ある。それは一物でないゆへぞ。道理と云ものは間のないもの。わるいことをするとすぐにわるいあとからそこへ道理が行て、それはわるいと云にあらず。善も其通り。物はへだてあり、理は一貫なり。
【解説】
「譬之人身、四體皆一物。故觸之而無不覺。不待心使至此而後覺也」の説明。太極が一貫なのは人身と同じである。四体は別々なものだが、それ等の痛みを心は直に知る。それは「四體皆一物」だからであって、痛みの元へ心自身が赴いて知るわけではない。
【通釈】
そこで、「譬之人身」。太極と言うと遠く思ってしまうが、人の身で知ることができる。四体はそれぞれ別々なもの。足の痛みに手は構わず、手の痛みに足は構わないが、血気は一貫きだから、どこが痛くても心の知る所は一である。頭に蚊が止まったのも足を刺すのも、それと言って追う。それは一続きだからである。「觸之無不覚」。顔面のことでも耳口と月代とは別なものだが、針で突けばどれを突いてもわかる。太極が陰陽となって五行、それから万殊となるが、道理は一貫きである。ここの説き様は、前にも「百尺之木自根本至枝葉猶一貫」とあった、あの程子の語意と同じであって、ここのたとえもそれである。前の「冲漠無朕」とたとえの上では同じこと。それからもっと前に戻して言えば、ここも太極図の通りに合う。「太極動而生陽云々」からあれほどのことが、やはり太極の動静のこと。言い方こそ変わるが、冲漠無朕もこの章も太極図説も同じことである。「心至此云々」。この句は「四體皆一物」のたとえを説いたことで、「一故神」を説いたものではない。手足や耳目は別れていても一続きである。灸の痛みは三里も背中も同じである。背中へ心が行ってから痛み、三里へ心が行ってから痛むということではない。そこが一つ物の処だということ。人の上ですることには間がある。検見の役人が来たり飛脚が帰るということにも大層間があるが、それは一物でないからである。道理というものは間のないもの。悪いことをすると直ぐに悪い後からそこへ道理が行って、それは悪いと言うのではない。善もその通りである。物には隔てがあるが、理は一貫なのである。
【語釈】
・月代…男の額髪を頭の中央にかけて半月形に剃り落したもの。もと冠の下にあたる部分を剃った。応仁の乱後は武士が気の逆上を防ぐために剃ったといい、江戸時代には庶民の間にも行われ、成人のしるしとなった。
・百尺之木自根本至枝葉猶一貫…道体32の語。
・冲漠無朕…道体32。「冲漠無朕、萬物森然已具」。
・三里…灸穴の一。手と足にあり、足の三里は膝頭の下で外側の少しくぼんだ所。ここに灸をすると、万病にきくという。
・檢見…①鎌倉・室町時代、或る事件を監察するため、臨時に設けた職。実検使よりやや軽いもの。②神稲の出来具合の検分。③中世・近世の徴税法の一。米の収穫前に幕府または領主が役人を派遣して豊凶の検査をし、年貢高を定めること。

さて、此句を四体皆一物のたとへを説たと断ら子ばならぬことがある。集解が此章を垩人の心のことに説た。垩人の心が純一にひとつづきなものゆへ、一なり故神とみた。語類の説では、心とは説れぬことなるに、それにもかまわず手前の一見識にといたは器量とも云ふか、されとも夫れにあまいことがある。張子が一故神を心で説れたなら、下句へ譬之人身があまいことになる。太極のことゆへ人の身にたとへたもの。天地のことゆへ、そこて人で譬た。やはり程子の近取諸身と云もこれなり。屈伸往來は天地なり。そこを近く身ぞ。一故神が心のことならば、心のことを身てたとへては靣白からぬ譬になる。これがかいない処。其上全躰が易説じゃ。繋辞五章目を垩人の心を語りたとみてはあたらぬ。集解が上の条が性、下の条が心、まん中にある此章なれば、心とみたもの。程子も常々感而通を心で語らるるゆへ餘義もないことじゃが、さうではない。隂陽不測を神と云、其神をといたこと。心て云へはすいぶん云はれ、一入垩人の妙親切にきこへるが、此条を太極とみるがよい。太極と云ず太極なり。心の字あるて心にすれば、なを々々甲斐なきことなり。
【解説】
集解ではこの章を聖人の心のこととして説いているが、それでは聖人の心を人身でたとえることになって悪い。ここは太極を説いたもので、それを人身にたとえるので通じる。繋辞伝五章目も聖人の心を語ったものではない。
【通釈】
さて、この句は「四体皆一物」のたとえを説いたものだと断わらなければならないことがある。集解ではこの章を聖人の心のこととして説いた。それは聖人の心が純一に一続きなものだから、「一故神」と見たのである。語類の説では心と説いていないのに、それにも構わず自分の一見識で説いたのは器量とも言うべきものだが、しかし、それには甘いところがある。張子が一故神を心で説かれたのなら、下句で「譬之人身」と述べたのが甘いことになる。ここは太極のことだから人の身にたとえたもの。天地のことだから、そこで人でたとえた。やはり、程子が「近取諸身」と言ったのもこのこと。「屈伸往来」は天地である。そこを近く身に取る。一故神が心のことであれば、心のことを身でたとえては面白くないたとえとなる。これが甲斐無い処。その上、全体が易説のことなのだから、繋辞五章目を聖人の心を語ったものだと見ては当たらない。集解は前条が性で次条が心、その真中にあるのがこの章なので心と見たのである。程子も常々「感而通」を心のこととして語られるから余儀もないことだが、そうではない。「陰陽不測」を神と言い、ここはその神を説いたもの。心で言えば随分と言うことができ、一入聖人の妙が親切に聞こえるが、この条は太極のことだと見るのがよい。太極とは言わないが太極のこと。心の字があるからといって心のことにすれば、尚更甲斐無いこととなる。
【語釈】
・集解…葉仲圭の近思録集解。
・近取諸身…道体33。「近取諸身、百里皆具。屈伸往來之義、只於鼻息之閒見之。屈伸往來只是理」。
・屈伸往來…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往來、朋従爾思。子曰、天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮。天下何思何慮。日往則月來、月往則日來、日月相推而明生焉。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歳成焉。往者屈也、來者信也。屈信相感而利生焉。尺蠖之屈、以求信也。龍蛇之蟄、以存身也。精義入神、以致用也。利用安身、以崇徳也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。
・感而通…易経繋辞伝上10。「易无思也。无爲也。寂然不動、感而遂通天下之故。非天下之至神、其孰能與於此」。

此所謂云々からは、又神の字を説たもの。だたい係辞傳の五章目から出て、此所謂云々からは係辞の十章目を出して、五章目の神の字を説ふとて此十章目て神の字の姿をみせたもの。神は殊の外足の早ひもの。京都へ行く早飛脚があれほどなれとも日数がある。道理は一貫なもの。神は一とひびきですむ。山々の櫻が一夜に咲く。こちは咲くがそちはどふだと云ことはない。さて、此の感而通るを氣を付てよまぬと常の感通の道理のことになる。そふして感して通るは、たとへは東金の寺でごんとついた鐘が此方迠ひびく。向のものがこちへくること。これ、あたりまへの感通なり。爰は、神は一なものゆへ此方が向へひひくのなんのと云間なく、ずっと一とつつきに貫してをるとのこと。十人が十人ながら鐘は鐘と聞わけるものを持てをるから、皆がさうきくと云やふな塩梅に見ること。向のがこちの耳に通することに説くと、垩人が向の人に感し、易の筮か向の用に応すると云感通になりて、陽か隂に感通し、隂が陽に感通するになる。ここはそふてなく、陽の上にも太極あり、隂の上にも太極ありて、云ふにいへぬはたらきする一つものじゃから不行而至不疾而速の処。常の感通にとくと、隂陽不測に遠くなる。
【解説】
「此所謂感而遂通」の説明。ここは繋辞伝十章目で神を説いたもの。ここの「感而通」とは向こうから来たものをこちらが感じるという通常の二物的なことではなく、神は一であり太極は一貫であり、人も感じる道理を持っているから、それでこちらが感じるということである。
【通釈】
「此所謂云々」からは、また、神の字を説いたもの。そもそも始めに繋辞伝の五章目から出して、此所謂云々からは繋辞伝の十章目を出し、五章目にある神の字を説こうとして、この十章目で神の字の姿を見せたものなのである。神は殊の外足が速い。京都へ行く早飛脚があれほど速くても日数がかかる。しかし、道理は一貫であって、神は一響きで済む。山々の櫻が一夜で咲く。こちらは咲くがそちらはどうだということはない。さて、ここの「感而通」を気を付けて読まないと、いつもの感通の道理のことになる。いつもの様に感通を説くと、たとえば東金の寺でごんと撞いた鐘がこちらに響くのと同じことになる。向こうのものがこちらへ来ること。それは当たり前の感通である。ここの意は、神は一なものだから、こちらが向こうへ響くの何のという間はなく、ずっと一続きに貫いているということ。十人が十人共に鐘は鐘と聞き分けるものを持っているから、皆がその様に聞くという様な塩梅に見るのである。向こうのがこちらの耳に通じることとして説くと、聖人が向こうの人に感じ、易の筮が向こうの用に応じるという意の感通になって、陽が陰に感通し、陰が陽に感通することになる。ここはそうではなく、陽の上にも太極があり、陰の上にも太極があって、それは言うに言えない働きをする一つ物だから「不行而至不疾而速」の処となるのである。通常の感通として説くと「陰陽不測」から遠くなる。

不行而至云々。火事を見て隣村から欠て行はあいかある。神は行くの、疾のと云ことなしにこの方にあるものゆへ早い。これは向の方のものでないと云を説たもの。火鉢を持てこいは間がある。人の身に持った暖は早ひ。向の通すると云と、灸をすへてきくの、酒を飲んであたたかのと云様に二つ物になる。やはり前四体一物の譬にてすむことなり。さて、某が今日のよみやうは六ヶしいと皆も思はふが、これでよいぞ。先輩も斯ふは説ぬ。これ迠はただ一なものゆへ向ふへとどくと感通のやふによみた。それではとど集解にをちる。某は、隂にも陽にもどっちにも太極はあるから一つづきで神じゃ、こちのものをこちだと説くのぞ。隂陽の上に太極が一連しておる。人の上に氣血が一連してある。天窓の血を下へさげるの、足の血氣を上へ上けるのと云ことはないこと。感通もひびきの早い字なれとも、常の感通では喰ひたらぬ。垩人の心の親切も早くひびくものなれとも、そんなことなしにこちにすくにあるものがひびく。太極へ御見舞申すでない。へったりなり。
【解説】
「不行而至、不疾而速也」の説明。神は一貫だから間断がなく早い。それはこちらに太極があるからであって、改めて向こうの太極に行くのではない。
【通釈】
「不行而至云々」。火事を見て隣村から駆けて行くのでは間がある。神は行くとか疾やかと言わなくても、こちらにあるものだから早い。これは向こうの方のものではないということを説いたもの。火鉢を持って来いと言うのでは間がある。人の身に持っている暖は早い。向こうに通じると言えば、灸をすえて効くとか、酒を飲んで暖かと言う様に二物になる。やはり、前にある「四体一物」のたとえで済むこと。さて、私の今日の読み方は難しいと皆も思うだろうがこれでよい。先輩もこの様には説かない。これまではただ一なものだから向こうへ届くことを感通として読んでいたが、それでは結局は集解に落ちる。私は、陰にも陽にもどちらにも太極はあるから一続きで、それが神であって、こちらのものをこちらのものとして説くのである。陰陽の上には太極が一連してあり、人の上には気血が一連してある。頭の血を下へ下げたり、足の血気を上へ上げるということはない。感通も響きの早い字だが、いつもの感通では喰い足りない。聖人の心の親切も早く響くものだが、そんなことではなく、こちらに直にあるものが響く。太極へ御見舞申すと言うのでない。こちらにべったりとしている。
【語釈】
・あい…間。

先生更端曰、此章は一故神两故化の章と云、只一故神の章と云は無理なり。近思をあむときに東萊が一故神ですむ、两故化はぬくてよいと云れた。朱子も、それでもまづは通するから夫れでのせられたなれとも、後々は悔やまれたなり。呂氏は事についた学問で道体は不得手な方じゃが、事についたものが道体をば却てさへたがるもの。其見で两故化をはぬいてさへたと思ふたもの。物には略してさへることも、略さぬのさへることもある。皆の筆記をかくもそれで、すらりと書ても通ぜ子ばさへぬ。長々と書いてもよく通するは却てさへるぞ。道樂な侍の脇指一本であるくをさへとみるとそれを真似るが、兎角侍は二本がよい。さへぬのさへなり。一故神两故化を一本にしてはどふでもよふない。そふたい先軰の氣象も色々あり、直方先生や迂斎は大まかで細にむつかしきことなく、何事もそれでもよいわと云。其流れで、をらや幸田君などはどふでもよいと云方なり。浅見先生などは、中々手前の見た処から出ぬことは人がなんと云てもうけぬ。小市や行藏などもはりひじて、めったに人の云なりにはならぬ。それさへじゃに、朱子はめったに人の云なりにならぬ。然るに朱子の東莱の云なりになってぬかれたは、朱子の御心根を考てみ子ばならぬ。朱子はいこふ朋友を尊はれて、東莱の祭文などを讀んでみよ、あの通り敬まはれた。あれが垩賢の心いきと云ものであろふ。その御心から、これでもまづ通るから從れたと見える。今日某がここをよんだも、とかく两故化を入れて見るがよいぞ。
【解説】
この章は「一故神両故化」の章であって、「両故化」を省くのは悪い。朱子がこれを抜いたのは呂東莱の意見に従ったからで、朱子は後にそれを悔やまれた。何故頑固な朱子が呂東莱の意見に従ったのかと言うと、朱子は朋友を尊ぶ人だったからである。
【通釈】
先生が威儀を正して言った。この章は「一故神両故化」の章と言い、ただ一故神の章と言うのは無理がある。近思を編集する時に東莱が一故神で済む、両故化は抜いてもよいと言われた。朱子も、それでも先ずは通じると思い、それでこの様に載せられたのだが、後々には悔やまれた。呂氏は事に関した学問であって道体は不得手な方だが、事に付いた者は却って道体で冴えたがるもの。その見地で両故化を省き、それで冴えたと思ったのである。物には略して冴えることも、略さないことで冴えることもある。皆が筆記を書くのも、すらりと書いても通じなければ冴えない。長々と書いてもよく通じるものは却って冴える。道楽者の侍が脇指一本で歩くのを冴えたことだと見てそれを真似るが、とかく侍は脇指二本がよい。冴えないところに冴えがある。一故神両故化を一つに見てはどうしてもよくない。そもそも、先輩の気象も色々あって、直方先生や迂斎は大まかで細かいことに構わず、何事もそれでもよいと言う。その流れで、俺や幸田君などはどうでもよいと言う方である。浅見先生などは、自分の見処から出ないことは人が何と言っても中々受け入れない。小市や行蔵なども張臂をして、滅多に人の言いなりにはならない。彼等でさえそうなのだから、朱子は滅多に人の言いなりにはならない人である。それなのに、朱子が東莱の言いなりになって両故化を抜かれたのは、朱子の御心根を考えてみなければわからない。朱子は大層朋友を尊ばれた。東莱の祭文などを読んで見なさい。あの通り敬われたのである。それが聖賢の心意気というものだろう。その御心から、これでも先ずは通じるからそれに従われたものと見える。今日私がここを読んだことについても、とかく両故化を入れて見るのがよい。
【語釈】
・一故神两故化…正蒙参両。「一物兩體、氣也。一故神。兩故化。此天之所以參也」。
・幸田君…幸田子善。迂斎門下。1720~1792
・小市…宇井黙斎。久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。別号は一斎。門下に寛政三博士の一人である岡田寒泉がいる。享保14年(1729)~安永5年(1776)
・はりひじ…張臂。ふところ手をして左右にひじを張ること。得意げなさまにいう。

隂陽はなぜはかられぬ。两に在故不測。隂の上にも陽の上にもあるゆへ不測。その不測はなぜ神じゃ。一故神。隂と陽とある。两なり故に化す。夫婦があるから子をもつ。呪詛[まじない]では、子は出來ぬ。二つあるから子が出来る。そこは化すなり。二つのものが一理で変化する。そこは神と、两方からたがいちがいに云たこと。すればぬかれぬことに極りた。爰は黄勉斎のよふ氣をつけられた。語類にあげてある。太極圖説の一動一靜互為其根は一故神、生隂生陽两故化と云れた。どちも太極のことなり。すれば太極圖を半分にして載せると云ことはならぬから、此条もぬかれぬことが知れた。ぬけば片足でゆくやふなもの。鹿嶋立ちのときのつれは大ぜいで、中途できへる様になると、張子の思召かきへてくるそ。此のぬいたから事起りて、葉解が取そこのふて心のことに云た。今日某か一故神の説き様は六ヶしいが、こふよま子ば張子の五章目をといた本意に合ぬ。靣白くもなく、六ヶしく説くやふなれとも、この外を出ぬことと某は思ふぞ。つまり、所謂感而遂通る以下一故神て天地流行造化発育の神妙を説くなり。
【解説】
陰の上にも陽の上にも太極はあって「両在」だから「陰陽不測」であり、その太極は元一つだから「一故神」なのである。「両故化」は陰陽で化すことで、それも一理に基づく。「一動一静互為其根」は「一故神」で、「生陰生陽」は「両故化」である。
【通釈】
陰陽は何故測ることができないのか。「両在故不測」だからである。陰の上にも陽の上にもあるから不測なのである。その不測は何故神なのか。「一故神」だからである。陰と陽とがあるから「両故化」となる。夫婦があるから子を持つ。呪いでは、子はできない。二つあるから子ができる。そこは化すである。二つのものが一理で変化する。そこを神と言う。それ等は両方から互い違いに言ったこと。これで、両故化を抜くことができないことには極まった。ここは黄勉斎がよく気を付けられた。語類に挙げてあり、太極図説の「一動一静互為其根」は「一故神」で、「生陰生陽」は「両故化」のことだと言われた。どちらも太極のことである。そこで、太極図を半分にして載せるということはできないから、この条も「両故化」を抜くことができないことがわかった。抜けば片足で行く様なもの。鹿嶋立ちの時の連れは大勢でも、中途で消える様では張子の思し召しが消えて来る。ここを抜いたことから事が起こり、葉解が取り損なって心のことだと言った。今日の私の一故神の説き方は難しいが、この様に読まなければ、張子が五章目を説いた本意に合わない。面白くもなく、難しく説く様だが、ここから外れないことが大事だと私は思う。つまり、「所謂感而遂通」以下は一故神で天地流行造化発育の神妙を説くものなのである。
【語釈】
・黄勉斎…名は幹。字は直卿。1152~1221
・鹿嶋立ち…旅行に出で立つこと。かどで。出立。
・葉解…葉仲圭の近思録集解。


第五十 心統性情の条

心統性情者也。
【読み】
心は性情を統ぶる者なり。

これは心の章なり。三条前か性は万物の一源、爰は心なり。中の一故神を葉解が心に説きたいもよぎないことなれとも、そうとくと近思の道体の編次を知らぬになる。周子のかぶは無極而太極、氣太虚坱然は張子のかぶ、張子の道体なり。あれが張子ては圖説ぞ。そこですっと張子の初に出してある。次に游氣紛擾を出してから段々か皆、初の程子の語を並へた並へ方にあふてあり。程子の語も、末の方に冲漠無朕を出てより後の語は初へ戻しては語り々々する様に、此一故神も天地を云て下へ心統性情。人でうけたもの。これか周子の太極圖説を初めにをいて、誠幾德と伊川の喜怒哀樂の条てうけたやふなもの。ここも天地を云て、あとへもどして心の条を並へたもの。某が斯ふ説くを某をわるく云ものは、証拠もないことを云とてそしろふ。又信するものはよいとも云をふが、それにはかまわぬ。只見たなりを云ことなり。
【解説】
「氣太虚坱然」が張子の株であり、これが張子の道体であって、張子の図説である。この編次も程子のと同じく前に戻して語ったもので、「一故神」で天地を語り、ここはそれを人で受けたものである。
【通釈】
これは心の章である。二条前には「性者万物之一源」とあって、ここは心のこと。そこで、その間にある「一故神」を葉解が心として説きたかったのも余儀ないことだが、その様に説くと近思の道体の編次を知らないことになる。周子の株は「無極而太極」、「氣太虚坱然」は張子の株で、これが張子の道体であり、張子の図説である。そこでこの条をさっと張子の語の始めに出してあり、次に「游氣紛擾」を出して、その後の各条が皆、先にある程子の語の並べ方に合ったものとなっている。程子の語も、末の方に「冲漠無朕」を出してから、後の語がその都度始めへ戻して語る様に、ここも一故神で天地を語り、その下に「心統性情」と人で受けたもの。これが周子の太極図説を始めに置き、次に「誠幾徳」と伊川の喜怒哀楽の条で受けた様なもの。ここも天地を言って、前に戻して心の条を並べたもの。私がこの様に説くと、私を悪く言う者は証拠もないことを言うと謗るだろう。また、信じる者はよいとも言うだろうが、それには構わない。ただ見たままを言うのである。
【語釈】
・性は万物の一源…道体48。「性者萬物之一源」。
・一故神…道体49の語。
・氣太虚坱然…道体43。「横渠先生曰、氣坱然太虚、升降飛揚、未嘗止息」。
・游氣紛擾…道体44。「游氣紛擾、合而成質者、生人物之萬殊」。
・冲漠無朕…道体32。「冲漠無朕、萬物森然已具」。
・誠幾德…道体2。「誠無爲。幾善惡。德、愛曰仁、宜曰義、理曰禮、通曰智、守曰信」。

さて、心統性情。張子一代の発明、云ひ取りなり。心性情のことは古来段々六ヶしく云来りたこと。夫れをたった六字で云とりた。者也をぬけばたった四字。四字で心のことも性情のこともよくすむぞ。心は性と情の入れものなり。人間の惣まくりが心性情なり。五尺のからだに用はない。民受天地之中而生ると云て尊ぶも性のこと。時にそれはどこにごさると云に、心と云灵妙なものの内に性も情も這入ってをる。統るとは两方を持てをること。今性を尋て来ると心の方へいきやれと云、又、情を尋てきたものにも心の処へござれと云。心は两方の宿をする。どっちともにをくから統るとと云。統の字の説が二説あれども兼る方がよい。兼るは中庸章句で先軰の云印籠巾着を根付一つでもっておること。根付がなければ印籠も巾着も落るから如在にすることはならぬ。もふ一説は統兵の統と云てある。すへるとは頭らが与力同心を引きつれてあるくやふて、統の字に元氣をつけた説で、一寸きくと心に精彩がついてよい様なれとも、こちの組下には性情があると云ことになる。迂斎の、統るは能登守が安藝太郎主従を脇の下へはさんたことになると云れた。これは統の意。それではあまり元氣がつきすぎると心に勢がついて仁義礼智が手下になるやふにて、いかがなり。
【解説】
「心統性情」は張子一代の発明である。心は性と情の入れ物で、その中に性も情も這い入っている。「統」の字には兼ねるという説と統兵の統という説の二説があるが、兼ねるの方がよい。統兵の統の意では仁義礼智が心の手下になる様で悪い。
【通釈】
さて、「心統性情」。これは張子一代の発明であって、言い取ったものである。心性情のことは古来から段々に難しく言って来たこと。それをたった六字で言い取った。「者也」を省けばたった四字である。この四字で心のことも性情のこともよく済む。心は性と情の入れ物で、人間の総捲りが心性情である。五尺の体に用はない。「民受天地之中而生」と言って尊ぶのも性のこと。時にそれはどこにあるのかと言えば、心という霊妙なものの内に性も情も這い入っている。統べるとは両方を持っていること。今、性を尋ねて来ると、心の方へ行きなさいと言い、また、情を尋ねて来た者にも心の処へ行きなさいと言う。心は両方の宿をする。どちらも共に置くから統べると言う。統の字の説は二説あるが、兼ねるという意の方がよい。兼ねるとは、中庸章句で先輩の言う、印籠巾着を根付一つで持っているということ。根付がなければ印籠も巾着も落ちるから疎略にはできない。もう一説は統兵の統とするもので、ここの統べるとは頭が与力や同心を引き連れて歩く様なものであって、統の字に元気を付けた説なので、一寸聞くと心に精彩が付いてよい様だが、こちらの組下に性情があるということになる。迂斎が、その統べるでは能登守が安芸太郎主従を脇の下に挟んだことと同じになると言われた。これが統の意。それではあまりに元気が付き過ぎて、心に勢いが付いて仁義礼智が手下になる様なので、いかがなものだろうか。
【語釈】
・民受天地之中而生る…
・如在…ておち。てぬかり。懈怠。疎略。
・組下…組頭または組長の配下。組付。
・能登守…能登守教経(平氏)。源氏側の安芸太郎と次郎の二人を左右に引挟み、海へ飛び入る。壇ノ浦の合戦。

直方先生も兼るの意によまれたはわけあること。浅見先生が仁説に、仁者は以天地万物は丁と心統性情と云語と同ことと云れた。これで、この語意すめることなり。仁者が、どれをれが以万物一体にせふの、いやをれが一体だとをもふのと云心ではないが、わきから見て一体とすと云たこと。さて々々器用な弁ぞ。爰もそれで、統兵の意では、をれがすべたは、八朔の礼にも早くこいの、年始もをれからさきへせよと云てはない筈。某がふとをもふに、心統性情の統は蘧伯玉が孔子を御宿をしたと同こと。孔子の方から伯玉を如在にはせぬけれとも、蘧伯玉の方に孔子はをれがすべた家来同前と云心はない。兼の字も統兵も皆語類にあり、そこで語類はよみにくいもの。一時の説もあって取にくいぞ。蔡李通が張子のを直して心者性情の統名也と云へばよいと云た。与力同心を頭がひきつれたと云ことでない。心と云を云へば、性も情もすべた名じゃと云こと。これも統の字に元氣を付す。やはり某が弁と同こと。丁度御朱印の箱を大切にするやふなもの。箱は只の箱なれとも御朱印の筥じゃ。神主を入るる櫝は大切と云やふなもの。中に大切のものがある。椀箱とはちごふ。爰でこそ心を重くも云はふこと。心の臟が只の五臟あしらいにならぬもの。先日も云た宮様の御泊り本陣と云がここぞ。
【解説】
統兵の意では、主従の関係となる。そうではなく、統とは蘧伯玉が孔子に宿を貸したのと同じことで、孔子も伯玉も主従の関係はない。ここの心と性情との関係は御朱印の箱を大切にするのと同じで、箱自体はただの箱だが御朱印が入っているので大切な箱となるのである。
【通釈】
直方先生も兼ねるの意で読まれたが、それにはわけがある。浅見先生が仁説で、「仁者以天地万物」は丁度「心統性情」という語と同じことだと言われた。これでこの語意は済める。仁者が、どれ俺が「以万物一体」にしようとか、いや俺が一体だと思うという様な心で言ったのではないが、脇から見ると一体とするになるということ。実に器用な弁である。ここもそれで、統兵の意では、俺が統べたのだから、八朔の礼にも早く来い、年始も俺から先に来いと言うことになるが、そうではない筈。私がふと思うには、心統性情の統は蘧伯玉が孔子に宿を手配したのと同じこと。孔子の方では伯玉を疎略にはしないが、蘧伯玉の方にも孔子は俺が統べた家来同前の者だと思う心はない。兼の字も統兵も皆語類にあるから、そこで語類は読み難い。また、一時の説もあって取り難い。蔡李通が張子の語を直して「心者性情之統名也」と言えばよいと言った。与力同心を頭が引き連れるということではない。心と言えば、性も情も統べた名だということ。これも統の字に元気を付けず、やはり私の弁と同じことになる。丁度御朱印の箱を大切にする様なもの。箱はただの箱なのだが御朱印の箱である。神主を入れる棺は大切だと言う様なもの。その中に大切なものがあり、椀箱とは違う。これでこそ心を重くも主張することができる。心臓はただの五臓として扱えないもの。先日も言った宮様の御泊りで本陣と言うのがここのこと。
【語釈】
・仁者は以天地万物…道体20。「仁者以天地萬物爲一體、莫非己也」。
・八朔…旧暦八月朔日のこと。この日、贈答をして祝う習俗がある。
・蘧伯玉…衛の大夫。論語憲問26と衛霊公7に記載がある。
・蔡李通…

さて又爰の並へ方が面白ひ。此の統の字の中にはやはり上の一の字も這入て、心が内に居れば性、そとの方へ手や足を出せば情。手足を出さぬも出すも一つもの。中庸の喜怒哀樂は情なれとも、未発のときは性と云やふなもの。内にをれは性、外へ出れば情なり。皆が八朔の礼にゆけば客、内にをれば亭主そ。一つもので名のかわるのみ。これで見れば未発の愛と云ことが面白ひことになる。小市や宗伯が未発之愛と云ことをかれこれと云たが、あれはこだわりぞ。未発の愛の愛は情なり。未発と云で、それが内にをるときぞ、それは性なり。その性はまだ情に発せぬから未発之愛と云たもの。未明と云はあけるものをもっておる意。また夜のあけぬ内は未明と云様なもの。それから出て情となりては、初手のくらい中にあるもののあかるくなったのぞ。内におるときは性、そとへ出ると情。それはどふしてと云に、つまり一つものなり。これ一なり、故に神と同こと。それて、道理と云ものは心もちのよいもの。すむとなんのこともない。この条も言外に上に、一故神にひびくなり。
【解説】
統の字の中には「一故神」の一の字も這い入っている。心が内にいると性で、外へ出れば情となり、つまりは一である。それは、喜怒哀楽は情だが、未発の場では性だと中庸で言うのと同じである。また、未発之愛は性であり、それが発して愛という情となる。内にいれは性、外へ出れば情である。
【通釈】
さてまたここの並べ方が面白い。この統の字の中にはやはり上にあった「一故神」の一の字も這い入っていて、心が内にいれば性で、外の方へ手や足を出せば情、手足を出しても出なさなくても同じものなのである。中庸の喜怒哀楽は情だが、未発の時は性と言う様なもの。内にいれは性、外へ出れば情なのである。皆が八朔の礼に行けば客、内にいれば亭主。一つのものであって、その名が変わるだけのこと。これで見れば未発の愛というのが面白いことになる。小市や宗伯が「未発之愛」のことをかれこれと言ったが、あれは拘りである。未発の愛の愛は情であり、未発と言うから、それが内にいる時のことであって、それは性と言う。その性はまだ情として発しないから未発之愛と言ったのである。未明とは明けるものを持っている意である。まだ夜の明けない内は未明と言う様なもの。それから出て情となると、最初、暗い中にあるものが明るくなったこと。内にいる時は性、外へ出ると情。それはどうしてかと言えば、つまり一つ物だからである。これが「一故神」と同じこと。それで、道理というものは心持ちのよいもの。わかると何の事もない。この条も、言外に上にある一故神に響くのである。
【語釈】
・小市…宇井黙斎。久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。
・宗伯…柳田求馬。明石宗伯。迂斎門下。江戸の人。名は義道。天明4年(1784)7月22日没。47歳。

小書に語録とあるも氣を付て見やふこと。横渠は勉強底の人で、発明があれば夜か夜中も起て燈で書いた。それが正蒙なり。明道のまだ子厚も熟せぬじゃと笑はれた。それほど正蒙は精を入れて書いたこと。骨を折ってよいこともあり、骨を折らずによいこともあり、夫て正蒙にもよふないこともある。ときにこの心統性情は語録ぞ。語録はふとした咄ぞ。誰か八朔の礼に来たものに咄されたことを、弟子の矢立で書付たやふなが語録にのこりた。夫に此の様なよいことがある。そんな塩梅を知らぬから、上総のものの学問の上らぬが尤なこと。石原先生や迂斎のいかいことの話があろふに誰でも録したものはない。ただ講釈の口書ばかりぞ。あれが上総の陋習ぞ。とかく出府し親炙しても文義のことや講釈の筆記計りして、つまり講釈がしたいの、あの書を一と通りすましたいのと云ばかりで妙語をききとることならず。其項某などは講釈をきくにも文義は文字が出来たら済ふと思から、筆記はざっとした。石原先生や迂斎の話をば兎角書たぞ。諸老先生の話には一言半句の上によいことがあるもの。少しの切れで千两道具がある。それで今、迂斎学話も石原学談もある。其見から韞藏録も出きたもの。此の張子も語録じゃとあるにてみよ。正蒙にもこれほどなことはない。語録大切に見ふこと。二十人前揃ふた道具にも安物があれば、一寸した茶碗一つでも百两するがあるぞ。皆そうをもへ。今までの陋習では吾黨の妙旨は見付られぬ。
【解説】
正蒙は横渠が精を出して書いたものだが、正蒙にもよくないこともある。この条は語録が出典である。語録には妙語があるもので、正蒙にもこれほどのものはない。上総では講釈の筆記や書物を読んでばかりで妙語を解することをしないから、学問の上がらないのも尤もなことである。
【通釈】
小書に語録とあるのも気を付けて見なければならない。横渠はよく勉強をする人で、発明があれば夜中でも起きて灯りを燈しながら書いた。それが正蒙である。明道がまだ子厚も熟さないことだと笑われた。それほど正蒙は精を出して書いたのである。骨を折ってよいこともあり、骨を折らずによいこともあって、それで正蒙にもよくないこともある。さて、この心統性情は語録からのものである。語録はふとした話を載せたもの。八朔の礼に来た誰かに話されたことを、弟子が矢立で書き付けた様なことが語録に残った。それにはこの様なよいことが載ってある。その様な塩梅を知らないから、上総の者の学問が上がらないのも尤もなこと。石原先生や迂斎には大層話があっただろうに誰も録した者がいない。ただ講釈の口書ばかりで、それが上総の陋習である。とかく出府し親炙しても文義のことや講釈の筆記ばかりをして、つまり講釈がしたいとか、あの書を一通り済ましたいと言うばかりで妙語を聞き取ることができない。その項、私などは講釈を聴くにも文義は文字がわかったら済むだろうと思うから、筆記は簡略にして、とかく石原先生や迂斎の話を書いたものである。諸老先生の話には一言半句の上によいことがあるもの。少しのことにも千両道具がある。それで今、迂斎学話も石原学談もある。その見地から韞藏録もできた。ここの張子の語も語録からだとあるのを見なさい。正蒙にもこれほどのことはない。語録は大切に見なければならない。二十人前揃った道具にも安物があるし、一寸した茶碗一つでも百両もするものがある。皆そう考えなさい。今までの陋習では我が党の妙旨は見付けられない。
【語釈】
・子厚…張横渠。
・矢立…墨壺に筆を入れる筒のついたもの。帯に差し込みなどして携帯する。石筆。墨斗。
・口書…①口上書。口頭で述べることを文書にしたもの。②はしがき。序言。
・出府…①江戸時代、幕府の所在地たる江戸に出ること。②地方から都会に出ること。
・韞藏録…佐藤直方著。


第五十一 卒条

凡物莫不有是性。由通蔽開塞、所以有人物之別。由蔽有厚薄、故有知愚之別。塞者牢不可開。厚者可以開、而開之也難。薄者開之也易。開則達於天道、與聖人一。
【読み】
凡そ物には是の性有らざること莫し。通蔽開塞に由りて、所以に人物の別有り。蔽に厚薄有るに由りて、故に知愚の別有り。塞がれる者は牢として開く可からず。厚き者は以て開く可きも、之を開くや難し。薄き者は之を開くや易し。開けば則ち天道に達し、聖人と一なり。

凡物莫不有此性。凡物とは人物を兼て云こと。皆太極を得て生れたもの。そこを於天命穆不已と云て一つなり。出来た上には人や禽獣草木さま々々あるから天の方にも色々あるかと思ふに一つ、天之命同じ太極じゃ。人物の別と云も受る処のものでちこふ。甘蔗はあまいきり、蕃椒は辛ひきりを受たもの。こちの物次第でうける。通蔽開塞は人と物との方でうけ様にある。そこで天地の廣ひ中にはひょんなものも出来てくる。上は一つても、下の方では色々ある。上の莫不有此性は理をひきぬいて云たものゆへはづれはないが、こちには通蔽開塞があるとみることぞ。此通蔽開塞を下の句へささわらぬ様に説くが肝要なり。先つ通蔽の二字は人で計り云こと。垩人の様なは通、なべての凡夫は蔽なり。通はとをるとよんで、理がとをりぬけて氣にかぶれをうけぬ本然なりなこと。孟子に垩人も人と同しと有って、目も鼻も人並みなり。道理へ通りぬける処で通と云。あの人は人間のざまではないと云は道理へ通らぬゆへなり。蔽は殊の外皆の覚へのあること。今日やがて四つ半にもなろふが蔽で日が出ぬ。此の日雨ふる。十五夜はいつも空に有明けでさへてあるが、雲で照らぬ日も、翳[くも]がかかればみへぬ。今日の人は心の眼病ぞ。眼病は人がそこへ来ても見ることはならぬ。そのやふに道理に通ることならず、それを蔽と云。こりゃ氣にさへられたのじゃ。凡夫は土龍の日をきろふ様で、あかるい処をいやがる。だたい仁義礼智は人にそなはりて感のままに動くもの。動きたがってをるが動くことのならぬと云は、人欲をぬりつけるからぞ。鳥は飛ぶものなれとも、はごにかかりて黐が羽にぬり付くから飛ぶことならぬと同こと。
【解説】
「凡物莫不有是性。由通蔽開塞、所以有人物之別」の説明。「凡物」は人と物双方を指して言うことで、もとは太極という一つ物からできる。しかし、できたものは色々と違いがある。それは受ける方の受け様でそうなるのである。「通蔽」は人についてのことで、道理へ通るのが通、通らないのが蔽であり、聖人は通で、凡夫は蔽である。人には仁義礼智が備わっていて、人は感のままに動くものであるにも拘らず、道理へ通らないのは気に障えられるからである。
【通釈】
「凡物莫不有此性」。凡物とは人物双方について言うこと。皆太極を得て生まれたものだから、そこを「於天命穆不已」と言い、一つである。出来た上からは人や禽獣草木と様々あるから天の方にも色々とあるかと思うが、一つの天之命であり、同じ太極である。「人物之別」というのも受ける処のものによって違って来ること。砂糖は甘いだけを、唐辛子は辛いだけを受ける。こちらの物次第で受ける。「通蔽開塞」は人と物の方での受け様でそうなる。そこで広い天地の中にはひょんなものもできて来る。上は一つでも、下の方では色々とある。上の「莫不有此性」は理を引き抜いて言ったものだから外れはないが、こちらには通蔽開塞があると見なさい。この通蔽開塞を下の句へ障らない様に説くことが肝要である。先ず通蔽の二字は人に対してのみ言うこと。聖人の様な者は通、並の凡夫は蔽である。通はとおると読んで、理が通り抜けて気の被れ受けない本然のままのこと。孟子には聖人も人と同じとあって、聖人は目も鼻も人並みだが、道理へ通り抜ける処で通と言う。あの人は人間の様ではないというのは道理へ通らないからである。蔽は殊の外皆に覚えのあること。今日もやがて四つ半にもなるだろうが蔽で日が出ない。この日は雨が降った。十五夜はいつも空に有明けの月が冴えてあるが、雲で照らない日もある。雲がかかれば見えない。今日の人は心の眼病を患っている。眼病では、人がそこへ来ても見ることはできない。それと同じで道理に通ることができないことを蔽と言う。それは気に障えられたのである。凡夫は土竜が日を嫌う様で、明るい処を嫌がる。そもそも仁義礼智は人に備わっていて感じるままに動くもの。動きたがっているのに動くことのできないわけは、人欲を塗り付けているからである。鳥は飛ぶもの。しかし、はごに掛かって黐が羽に塗り付くから飛ぶことができないのと同じである。
【語釈】
・於天命穆不已…中庸朱子章句26。「詩曰、惟天之命、於穆不已。蓋曰天之所以爲天也。於乎不顯、文王之德之純。蓋曰文王之所以爲文也。純亦不已」。
・垩人も人と同し…孟子告子章句上7。「聖人與我同類者」。
・はご…竹串や木の枝・藁などに黐をぬり囮を用いて鳥などを捕るもの。

開塞。上の通は垩人の惣名。蔽は凡夫の惣名。此の開は人の上を蔽とかたりて、蔽に療治のなる筋をもっておるを開と云、爰が大事の云ひ処なり。今日寄った学者は皆蔽なり。されども、どふぞしてひらかう、いかにもして日和を上けたいと云て学問するからよい方ぞ。学問をきろふものは弥々蔽ぞ。明るい処へ出る氣がない。学問するものは療治真最中じゃ。孟子が近禽獣と云ても滅多に屏風を引廻すことではない。藥を呑む内はよくなることもある。古今の賢者も皆此の開から出たもの。人間の難有さは、開と云からのことぞ。塞。これは禽獣草木のことぞ。孔子の手ぎはにも扁鵲が療治でもゆかぬ。莫不有此性処では一つなれとも、どふもやまひ犬の人を喰ひ付、異見ではなをらぬ。人物之別あるとは開塞の字を説たこと。凡夫でもひらく筋をもってをるから蔽のひらくこともあるが、禽獣は塞だからひらかれぬ。
【解説】
「蔽」には療治が可能であり、それを「開」と言う。学問をするのも蔽を療治して開くためであり、そこが人の有難いところである。「塞」は禽獣草木のことで、療治することはできない。
【通釈】
「開塞」。上の通は聖人の総名。蔽は凡夫の総名。ここの「開」は、人の上を蔽と語った上で、蔽には療治のできる筋があり、それが開だと言う。ここが大事な言い処である。今日寄り集まった学者は皆蔽である。しかし、どうかして開こう、いかにしても実力を上げたいと言って学問をするからよい方である。学問を嫌う者は愈々蔽である。明るい処へ出る気がない。学問をする者は療治の真っ最中である。孟子が「近禽獣」と言っても、やたらに屏風を引き廻すことではない。薬を呑む内にはよくなることもある。古今の賢者も皆この開から出た。人間の有難さは、開ということからのこと。「塞」。これは禽獣草木のこと。孔子の手際でも扁鵲の療治でもうまく行かない。「莫不有此性」の処では一つだが、どうも病犬が人に喰い付くのには、意見をしても治らない。「有人物之別」とは開塞の字を説いたもの。凡夫でも開く筋を持っているから蔽が開くこともあるが、禽獣は塞だから開くことはできない。
【語釈】
・近禽獣…孟子滕文公章句上4。「人之有道也、飽食暖衣、逸居而無教、則近於禽獸」。
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。長桑君に学び、禁方の口伝と医書とを受けて名医となり、趙簡子や虢の太子を救ったという。耆婆と並称される。

蔽有厚薄。垩人は云に及ぬから通のことはないぞ。蔽計りを説たもの。凡夫と一と口にこそ云へ、段々がある。つき合のならぬもあり、又、頼母鋪もある。子共の素讀をするでからが十遍で覚るも五十遍で覚るもある。覚はわるくてもたのもしいもあれば、覚はよくてもあてにならぬもある。兎角厚薄がある。朱子の、禽獣の塞ると云中にも人に似ただけ猿はかしこいと云れた。なるほど同し獣でも、豚などは別けても愚とみへる。剰[あまつさ]へ草木は頭を土中へ入れてをる。塞の至極なり。禽獣は目鼻のあるたけ草木とはちごふて知覚もあるが、どふもひらくことはならぬ。
【解説】
「由蔽有厚薄、故有知愚之別」の説明。聖人は通るから蔽はないが、凡夫には蔽があり、それにも厚薄の違いがある。禽獣でも猿は豚よりも賢く見え、草木はそれ以下であるが、開くことはできない。
【通釈】
「蔽有厚薄」。聖人のことは言うに及ばないから、ここは通のことは説かず、蔽ばかりを説いたもの。凡夫と一口にこそ言うが、段々がある。付き合いのできない者もあり、また、頼もしい者もある。子供が素読をするにも十遍で覚える者も五十遍で覚える者もある。覚えは悪くても頼もしい者もあれば、覚えはよくても当てにならない者もある。とかく厚薄がある。朱子が、禽獣の塞がると言う中にも、人に似ただけ猿は賢いと言われた。なるほど同し獣でも、豚などは一際愚と見える。それ以上に、草木などは頭を土中へ入れていて塞の至極である。禽獣は目鼻があるだけ草木とは違って知覚もあるが、どうも開くことはできない。

厚者可以開云々。此より以下、学者の笑みを含んで聞く処ぞ。我が方の厚薄で骨折ると折れぬとがある。中庸に云、人一己百人十己千と云てある。出精次第で皆よくなる。なべての凡夫が人欲沢山と云内にも厚薄がある。煩ひ出すほどな好色者もある。耻を耻とも思はぬがある。又、そうないもある。開之難し。上戸も異見の云れぬがある。呑まずにはどふも居られぬと云がある。爰に之れを々々々と二つある。直方先生の大切に見よと云れた。此章を道体のしまいに居へたに朱子の思召あることなり。氣を付て見やふことぞ。凡そ之の字はなんのことないやふで力は付ぬ字のやふに思ふが、中庸に誠之者人の道也とある。朱子の夫れを取りて大学の明德の注に明は明之也。これ、甚力のあること。之の字の心なくてはよくなるせはない。それゆへ、之の字は為学の工夫で力のつく字なれとも、之の字くるみ道体と見ることじゃ。力のつくは道体ではないやふなれとも、其力の入ると云道理がすぐに道体なり。工夫をするは為学、工夫のあると云は道体のなりなり。それを道体なりの為学と云、爰は力のつくことを云ても道体ぞ。道体に為学を半分かけて見ると云ことではない。
【解説】
「厚者可以開、而開之也難。薄者開之也易」の説明。蔽の厚薄にも色々とあって、開き難いものも開き易いものもあるが、自分の努力次第で皆よくなる。ここにある「之」は力の付いた字である。為学の工夫によって力が付くわけだが、その力が付く道理が道体なのである。工夫をするのは為学で、工夫があるのは道体。それで道体なりの為学と言うのである。
【通釈】
「厚者可以開云々」。これより以下は、学者が笑みを含んで聞く処である。こちらの厚薄で骨が折れる場合と折れない場合とがある。中庸で「人一己百人十己千」と言う。出精次第で皆よくなるのである。並の凡夫は人欲が沢山あると言うが、その内にも厚薄がある。煩うほどの好色者もある。耻を耻とも思わない者もある。また、そうでない者もある。「開之難」。異見も言えないほどの上戸もいる。呑まずにはどうしてもいられないと言う者がいる。ここに之の字が二つある。直方先生がこれを大切に見なさいと言われた。この章を道体の最後に据えたのには朱子の思し召しがある。そこで気を付けて見なければならない。凡そ之の字は何事もない様で力は付かない字の様に思うが、中庸にも「誠之者人之道也」とある。朱子がそれを取って、大学の明徳の注に「明明之也」と言った。これは甚だ力のあること。之の字の心がなくてはよくなる手はない。そこで、之の字は為学の工夫で力の付く字だが、之の字ぐるみ道体のことだと見るのである。力が付くのは道体ではない様に見えるが、その力の入るという道理が直ぐに道体なのである。工夫をするのは為学、工夫があるというのは道体の姿である。それを道体なりの為学と言い、ここは力の付くことを言っても道体なのである。道体に為学を半分掛けて見るということではない。
【語釈】
・人一己百人十己千…中庸章句20。「人一能之、己百之。人十能之、己千之。果能此道矣、雖愚必明、雖柔必強」。
・明は明之也…大学章句1集註。「大學者、大人之學也。明、明之也」。

今の学者が力の入ることは道体でないやふに心得る。さうしたことでない。人ははだかて生れた、着物をきるは道体でないと云はふなら、牛馬や鳥類の毛羽で四時をすますが道体と云になる。夫では人の仕立屋に云付上下こしらへるは牛馬にをとるになる。天なりに手入れの入ると云が道体ぞ。そこが道体為学一とつづきなこと。為学と云も道体があるからぞ。朱子が性道教の注に礼樂刑政と出した。礼樂刑政は天から降りはせぬ。垩人の制作、それを道体にしたもの。天下の政をするが道体なり。人の学問をするがやはり道体じゃ。天地も天下中の人を垩人に計り生むことはならぬ。そんなら盗も不埒も勝手にせよかと云に、学問をしてよくなれとなり。これ、性道の下に品節の教あり。すれば道体から為学はある。道体にない為学ならば、徂徠が道を垩人の作り物と云たも一理あるになる。
【解説】
天の通りに人が手入れをするのが道体である。そこで、性道教の註にも礼楽刑政があり、性道の次に品節の教えがあるのである。道体があるから為学がある。
【通釈】
今の学者が力の入ることは道体でない様に心得るが、そうしたことではない。人は裸で生まれたのだから、着物を着るのは道体ではないと主張するのなら、牛馬や鳥類が毛羽で四時を済ますのが道体ということになる。それでは、人が仕立屋に言い付けて裃を拵えるのは牛馬に劣ることになる。天の通りに手入れが要るというのが道体である。そこが道体と為学が一続きなところであって、為学も道体があるから為学なのである。朱子が「性道教」の注に「礼楽刑政」と出した。礼楽刑政は天から降りたものではなく、聖人が制作したものであって、それを道体にしたのである。天下の政をするのが道体であり、人が学問をするのもやはり道体である。天地も天下中の人を全て聖人として生むことはできない。それなら盗人も不埒な者も勝手にしてもよいのかと言うと、学問をしてよくなれと言う。これが性道の下に品節の教えのあるところ。そこで、道体があるから為学はある。道体のない為学であれば、徂徠が道を聖人の作り物と言ったことにも一理あることになる。
【語釈】
・性道教…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎」。
・礼樂刑政…中庸章句1集註。「則謂之敎、若禮・樂・刑・政之屬是也」。
・性道の下に品節の教あり…中庸章句1集註。「脩、品節之也。性道雖同、而氣稟或異、故不能無過不及之差。聖人因人物之所當行者而品節之、以爲法於天下、則謂之敎」。

開則與垩人一也。上には二の之字あるが、爰にはない。さう思へと直方の云れた。ここがうれしい語なり。上の之の字は工夫なり。爰の開けばはしるしなり。病氣に厚薄はあるが、快氣して醫者へ礼にゆく処ぞ。垩人の方へしよりが付て、通の方へをもむく。彼土龍、えんの下へはかりにげたものが初めてあかるみへ出たのぞ。本の垩人になりたではないが、今迠狐にひかれて茨枳殻の中をあるひたのが、並木の松についた大路の方へ出たのしゃ。私あれば、丁ど盗賊奉行がとをらるると巾着きりは横町へにげ込む。只の商人はなんとも思はずあきなひをしておる。これが達天道と云ていぞ。こうよむはあらひ様なれとも、開たと云なりてはにげかくれるやふなことはない。垩人の同坐一つになった。同格になったと云ことでない。直方曰、爰が何もかも垩人と一つと云ことでない。垩人の間へ這入ることなる。垩人がここへこいと云はるるになったのぞ、と。又曰、朝聞道が垩人になったではないが、早垩人の間へ這入るのじゃ、と。爰が学問の尊ひ処と見るがよい。孔子の処で吸物が吸るる。孔子の処へ行ても、季氏や陽虎が二本道具で行ふとも孔子は嬉しがられぬ。柳橋の要介かゆけば道理信仰とあることゆへ、孔子のやれよく来たと云そ。
【解説】
「開則達於天道、與聖人一」の説明。開けば聖人の方への道筋が付いて通の方へ赴く。「與聖人一」とは聖人の間に這い入ったということで、聖人と同格になったわけではない。
【通釈】
「開則與聖人一也」。上には之の字が二つあるが、ここにはない。そう思えと直方が言われた。ここが嬉しい語である。上の之の字は工夫であって、ここの「開」は験である。病気に厚薄はあるが、快気して医者へ礼に行く処である。聖人の方への道筋が付いて通の方へ赴く。あの縁の下へばかりに逃げていた土竜が初めて明るみに出たのである。本当の聖人になったのではないが、今まで狐に引かれて茨枳殻の中を歩いていたのが、並木の松に沿って大路の方へ出たのである。私があれば、丁度盗賊奉行が通られると巾着切りは横丁へ逃げ込む様になる。しかし、普通の商人は何とも思わず商いをしている。これが「達於天道」の姿である。この様に読むのは粗い様だが、開いたという場に至れば逃げ隠れする様なことはない。それは聖人と同座になったということで、聖人と同格になったということではない。直方が、ここは何もかも聖人と同じだということではない。聖人の間へ這い入ったということで、聖人がここへ来いと言われるまでになったということだと言った。また、「朝聞道」は聖人になったことではないが、早くも聖人の間へ這い入ることだと言った。ここが学問の尊い処だと見なさい。孔子の処で吸物を吸うことができる。孔子の処へ行くとしても、季氏や陽虎が二本道具で行っても孔子は嬉しがられない。柳橋の要介が行けば、道理信仰があるから、孔子がやれよく来たと言う。
【語釈】
・朝聞道…論語理仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・季氏…魯の実権者。季孫氏。魯の桓公の子孫で、仲孫氏と叔孫氏とともに三桓と呼ばれ、世襲家老の家柄。
・陽虎…李孫氏の家臣でありながら、主家を抑えて魯の国政を動かした男。後に乱を起こして敗れ、亡命する
・二本道具…大名行列に立てる二本の槍。
・柳橋の要介…大網白里町柳橋の大原要助。

垩人以天地萬物為一体とある。そんなわけへだてはあるまいと云に、其証拠は過吾門而不過而無悔者郷愿乎と云れた。郷愿は学問をせぬよい人のことぞ。わるいものではないが、半日咄すとはや不道理を云。垩人のいこうきらいぞ。天道に達すと云から始めて人と云はれたものなり。それから顔孟に至らるる。皆一の連中そ。さて、道体の終に工夫底のことを載せて為学にうけ、又、近思の初巻道体にて、末巻は垩賢ぞ。其道体の終始、圖説にも此条にも垩人の字あること。垩人は道体に形のあるものにて、形のある道体を終に出して垩賢の篇でとめた。とふしても道体のかたまりたは垩賢ぞ。
【解説】
天道に達するところから、顔孟に至ることもできる。聖人は道体に形の付いたものだから、道体の卒条に聖賢を出した。また、近思録の編次も、道体で始まり聖賢で締め括った。
【通釈】
「聖人以天地万物為一体」とある。その様な分け隔てはないだろうと言う証拠として、「過吾門而不過而無悔者郷愿乎」と言われた。郷愿は学問をしないよい人のこと。悪い者ではないが、半日話すと早くも道理に外れたことを言い出す。聖人は彼等を大層の嫌う。「達於天道」というところから初めて人と言われた。それから顔孟にも至ることができる。顔孟は「與聖人一」の連中である。さて、道体の終わりに工夫底のことを載せて為学に引き継ぐ。また、近思の初巻は道体で、末巻は聖賢である。その道体の終始には、図説にもこの条にも聖人の字がある。聖人は道体に形のあるものだから、形のある道体を終わりに出して、聖賢の篇で締め括る。どう見ても、道体の固まったものが聖賢である。
【語釈】
・垩人以天地萬物為一体…道体20に、「仁者以天地萬物爲一體、莫非己也」とある。
・過吾門而不過而無悔者郷愿乎…孟子盡心章句下37。「孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其惟郷原乎。郷原、德之賊也」。