第十 咸之象曰君子以虚の条  八月二十一日  文録
【語釈】
・八月二十一日…寛政2年庚戌(1790年)8月21日。
・文…花澤文二。林潜斎。東金市堀上の人。一時、丸亀藩主京極侯の儒臣となる。1749~1817

咸之象曰、君子以虚受人。傳曰、中無私主、則無感不通。以量而容之、擇合而受之、非聖人有感必通之道也。其九四曰、貞吉悔亡。憧憧往來、朋從爾思。傳曰、感者、人之動也。故咸皆就人身取象。四當心位而不言咸其心、感乃之心也。感之道無所不通。有所私係、則害於感通。所謂悔也。聖人感天下之心、如寒暑雨暘、無不通無不應者、亦貞而已矣。貞者、虚中無我之謂也。若往來憧憧然、用其私心以感物、則思之所及者、有能感而動、所不及者、不能感也。以有係之私心、既主於一隅一事、豈能廓然無所不通乎。
【読み】
咸[かん]の象に曰く、君子は以て虚しくして人に受く、と。傳に曰く、中に私主無くんば、則ち感じて通ぜざる無し。量を以て之を容れ、合うを擇びて之を受くるは、聖人の感有れば必ず通ずる道に非ず、と。其の九四に曰く、貞ならば吉にして悔亡ぶ。憧々として往來せば、朋のみ爾の思うに從う、と。傳に曰く、感は人の動なり。故に咸は皆人身に就きて象を取る。四は心位に當たれども、其の心に咸ずと言わざるは、感ずるは乃ち心なればなり。感の道は通ぜざる所無し。私係する所有らば、則ち感通に害あり。謂う所の悔なり。聖人の天下の心を感ぜしむること、寒暑雨暘[よう]の如く、通ぜざる無く應ぜざる無き者は、亦貞なるのみ。貞とは、中を虚しくして我無きの謂なり。若し往來すること憧憧然として、其の私心を用いて以て物を感ぜしめば、則ち思いの及ぶ所の者は、能く感じて動くこと有るも、及ばざる所の者は、感ずること能わざるなり。係有る私心の、既に一隅一事に主たるを以てせば、豈能く廓然として通ぜざる所無からんや、と。
【補足】
この条は、周易程氏伝の蹇[けん]卦象伝の注にある。

咸は心のなりを語た卦なり。これを爲学へ引は定性書にあるあやと同ことにて、学問はどど心のこと。士希賢賢希垩、皆心て希ふことなり。心の字を語るか事へつけぬことで、学問の本領ゆへ、爲学の肝要になる。心にかまわすあがるもの。藝は事ゆへ、心ゆきわるい人にも達人かある。学問は心を語ら子は德のつみやうなし。因て又ここへ心を出して説り。全体は定性書に具てある。咸はひひき出るものを云。寒暑昼夜善も悪もこちに受るもの、皆咸なり。生死の二つも咸のあるなしにて、咸はいきものにありて死物にはない。それて息を引とると咸はない。心の動て出て、心のひひくか咸なり。虚か肝要なり。讀法に、平其心易其氣闕其疑と云も虚から出たものなり。論語孟子讀も虚てないと自己流になって垩賢の意に背く。徂徠なとが程子を悪く云はふ々々々として、それへ落そふとすることか胸に横在するゆへ虚てない。それからして道を見そこのうた。虚と云は磨たての鏡なり。鏡は向ふなりにうつす。あれに一物はない。咸は人交りか端的なれとも、爰は爲学へ引たゆへ、某かく云なり。直方先生の、論語に習へ、論語を教るなと云へり。今日人論語にあろふともと云。それは論語を教るなり。虚とは云はれぬ。又、虚は道理なりのこと。この受人と云が、この方の心を出さず、道理なりに交るを云。
【解説】
「咸之象曰、君子以虚受人」の説明。咸は心の姿であり、学問は心の問題である。咸は心が動き響くものだから死物にはない。虚とは磨き立ての鏡の様なもので私がないこと。虚でなければ自己流となって聖賢の意に背く。
【通釈】
咸とは、心の姿を語った卦である。これを為学に引いたのは定性書の綾と同じで、学問は結局心のことだからである。「士希賢賢希聖」と、皆心で希うのである。心を語るとは事に付かないことで、これが学問の本領だから為学の肝要となる。心に構わずに上がることがあるもの。芸は事だから、心の持ち方が悪い人の中にも達人がいる。学問は心を語らなければ徳を蘊む術がない。そこでまたここに心を出して説いた。全体は定性書に具わっている。咸とは響き出るものを言う。寒暑昼夜善も悪も、自分が受けるものは皆咸である。生死の二つも咸の有る無しであって、咸は生物にあって死物にはない。それで息を引きとると咸はない。心が動き出て、心が響くのが咸である。それには虚であることが肝要である。読法で「平其心易其気闕其疑」と言うのも虚から出たことである。論語や孟子を読むにも、虚でなければ自己流となって聖賢の意に背く。徂徠などは程子を悪く言うが、落し入れようとする気持ちが胸に横たわっているから虚ではない。それからして道を見損なった。虚は磨き立ての鏡である。鏡は向こうの姿のままに映す。鏡に一物はない。咸は人との交わりでよくわかるが、ここは為学に咸を引いたので、私はこの様に説いたのである。直方先生は、論語に習え、論語を教えるなと言った。今日の人は、論語にはこう書いてあるのだがと言う。それは論語を教えるのであって、虚とは言えない。また、虚は道理の通りということ。「受人」とは私心を出さず、道理のままに交わることを言う。
【語釈】
・定性書…為学4を指す。
・士希賢賢希垩…為学1。「聖希天、賢希聖、士希賢」。
・平其心易其氣闕其疑…読論語孟子法。「句句而求之、晝誦而味之、中夜而思之、平其心、易其氣、闕其疑、則聖人之意可見矣」。

傳云中無私主則無感不通。私主とは一物あるを云。只今も大勢出會で人か見てとり、今日のこのことは先度のあのことか根に成たと云。私主かあるからのこと。そう見ると、それから先きは其人か尤なこと云ても、人か受ぬものなり。私主ある内は君子にはならぬ。直方先生、手前の子よりまま子を可愛かると云へり。我子が可愛けれとも、そこか私主ゆへ心のそこでいやなことあり。無私主と感ずる。咸は此方て咸して踊り出るを云、踊り出て向へひひくか通なり。直方先生の、本の咸でなけれは向へ通らぬ。弓勢弱ければ中で落ると云。人が、をれがこれほど思へとも、思ひやうが甲斐ないゆへ向へ通らぬ、と。
【解説】
「傳曰、中無私主、則無感不通」の説明。私主は一物を持つこと。咸は無私主でなければならない。そうでなければ通らない。咸は自分で咸じて踊り出ることを言い、踊り出て向こうへ響くのが通である。
【通釈】
「傳云中無私主則無感不通」。私主とは一物のあることを言う。只今も大勢が会に出て講習しているが、今日のこのことはこの間のあのことを根にして成っていると言う。それは私主があるからである。その様に考えれば、それから先はその人が尤もなことを言っても、人は彼を信用しないもの。私主のある内は君子になることはできない。直方先生が、自分の子より継子を可愛がると言った。我が子は可愛いが、そこに私主があって、心の底に嫌なものがある。無私主だと感じる。咸は自分で咸じて踊り出ることを言い、踊り出て向こうへ響くのが通である。直方先生が、本当の咸でなければ向こうへは通らない。弓勢が弱ければ途中で落ちる。俺がこれほど思っても、思い様が甲斐無いので向こうに通らないと言った。
【語釈】
・先度…先頃。このあいだ。せんだって。
・弓勢…弓を引き張る力。弓を射る力の強さ。

以量而容之擇合而受之非垩人有咸必通之。量。一舛入はいつも一舛と云へり。凡夫の躰は我量きりなり。擇合は氣に入ること。受之。直方先生の、出頭人か煩ふと、とうぞ活ればよいと云となり。其余の者の病むは何とも思はぬ。日月の照すにたれかれはない。大部屋に十人疫病で子て居てもすててをく。天地の量てない。垩人は理なりにて、向の顔てたれかれはない。
【解説】
「以量而容之、擇合而受之、非聖人有感必通之道也」の説明。聖人は理で量り、相手によって咸通が変わることはない。
【通釈】
「以量而容之擇合而受之非聖人有咸必通之」。「量」は、一枡入るだけのものはいつも一枡だけだということ。凡夫は自分の量だけである。「択合」は気に入ること。「受之」。直方先生が、出頭人か病気になると、どうか生きてくれればよいと言うと言った。その他の者が患うのは何とも思わない。日月が照らす際に誰彼ということはない。大部屋に十人が疫病で寝ていても放って置く。それは天地の量でないから。聖人は理のままで、相手によって咸通が変わることはない。
【語釈】
・出頭人…室町時代から江戸時代の初めにかけて、幕府または大名の家で、君側に侍って政務に参与した人。三管領・四職と奉行または老臣の類。出頭衆。

其九四曰貞吉悔亡憧々往来云々。虚以の受人は孔子の辞。其虚と云たてすんたと初あると、虚の字へ周公の辞を出されて一つにする語なり。貞は道理なりを云、それがすくに虚なり。先日定性書て潔靜精微を云やふなもの。道理なりゆへ虚しい。俗人か、これにはわけかあるの、よみと哥かあるのと云は私かある。虚しけれは悔亡ふなり。ここて迂斎、董子の語を引て説けり。彼道義の語、元と朱子の云れたこと。世の中は背中に柱前に酒云々。氣の合ふた友と云が人情てよいやうなれとも、役人はそれてはすまぬ。氣の合た友と云ことは道義てはきらふことなり。板倉佐渡守殿、諸司代の時、眼を子ふり、茶臼を挽なから訟を聞れたと云は理をみること。茶臼を靜にひけは理も聞へ、眼を閉て居れば顔てにくいやつかない。理にわるいことさへなけれは情ひやつと云ことはなけれとも、顔て贔屓か出来るものて、始て見る角力取にさへそれかある。とちか勝てもよいことなるに、此方を勝せたいと思ふは氣についたことなり。其れては負た角力取はうれしくない。憧々也。
【解説】
「其九四曰、貞吉悔亡。憧憧往來、朋従爾思」の説明。貞は道理のままということで、それが虚である。虚であれば悔亡である。虚でなければ、それは気に被れたということで、憧々である。
【通釈】
「其九四曰貞吉悔亡憧々往来云々」。「虚以受人」は孔子の辞で、虚と言うので話は済むと始めにある、その虚の字へ周公の辞を出されて一つにした。「貞」は道理のままを言い、それが直ぐに虚なのである。それは先日、定性書で潔静精微を言う様なもの。道理の通りなので虚しい。俗人が、これにはわけがあるとか、読み方と歌があるなどと言うのは私がある。虚しければ「悔亡」である。ここの処を迂斎が董子の語を引用して説いた。彼の道義の語。元は朱子の言われたこと。世の中は背中に柱前に酒、気の合った友というのが人情でよい様であるが、役人はそれでは済まない。気の合った友ということは、道義では嫌うことである。板倉佐渡守殿が、所司代の時に、目を瞑り、茶臼を挽きながら訴訟を聞かれたというのは理を見るためのこと。茶臼を静かに挽けば理も聞こえ、目を閉じていれば相手を顔で憎く思う様なことがない。理に悪いことさえなければ憎い奴ということはないが、顔によって贔屓ができるもので、初めて見る相撲取りにさえそれがある。どちらが勝ってもよいのに、こちらの方を勝たせたいと思うのは気に付いたこと。それでは負けた相撲取りは嬉しくない。「憧々」である。
【語釈】
・憧々…心が定まらない様子。
・潔靜精微…礼記経解。「孔子曰、入其國、其教可知也。其爲人也、温柔敦厚、詩敎也。疏通知遠、書敎也。廣博易良、樂敎也。絜靜精微、易敎也。恭儉莊敬、禮敎也。屬辭比事、春秋敎也」。
・董子…董仲舒。前漢の儒者。河北広川の人。前179頃~前104頃
・板倉佐渡守…
・情ひ…「憎ひ」と書く書もある。

傳曰咸者人之動なり。人間心身の二つなりに、先、心の近付に成ふことなり。動は人の働き。必竟動くゆへ、学問の精出す。石燈篭はどふもならぬか植木は培て大くなる。孔子の十有五而志於学から七十不踰矩か垩人の動たなり。今日の人は元服より八十で死迠大抵同ことなれとも、学問は動て進む筈のこと。道中もそれ。いつも舟橋に留て居てはならぬ。されは動の字はうれしい文字ぞ。故咸皆就人身取象云々。咸の六爻、咸其梅、咸其腓、咸其股と股がすみて四番目は腹と来れは心の位に當りたなり。上の例から推すに咸其心と有そふなものなるに、咸其心と云ぬは亦八卦の全体て咸するものゆへ。然れとも、餘の卦は卦のなりゆへ、梅の、こぶらの、股のと云。直方先生、ものもふと云に亭主か出たゆへ申置れぬと云へり。腓や股とはちがふて、心か心に感しやふはづはない。心か咸の全体で、上で云通り卦のなりゆへ、拇の、腓のと云辞系けり。
【解説】
「傳曰、感者、人之動也。故咸皆就人身取象。四當心位而不言咸其心、感乃之心也」の説明。人は静物ではないから学問に精を出すことができる。学問は旅と同じで動くから進む。孔子は遠くまで進んだが、今の人は同じ所に留まっている。咸の九四は心の位置にあるので咸其心とすべきであるが、心を感じるのではなく、心が感じるのであるから、その様には言わないのである。
【通釈】
「傳曰咸者人之動也」。人間は心と身の二つだから、先ずは心と近付きにならなければならない。動は人の働き。つまり、人は動くから学問に精を出すことができる。石燈篭はどうにもならないが、植木は培って大きくなる。孔子の十五にして学に志すところから七十にして矩を踰えずまでが、聖人の動いたこと。今日の人は元服より八十で死ぬまで大抵同じままだが、学問は動いて進む筈のものである。旅もそれと同じで、いつも船橋に留まっていては進まない。それで動の字は嬉しい文字なのである。「故咸皆就人身取象云々」。咸の六爻は、咸其拇、咸其腓、咸其股と股が済んで四番目は腹と来れば、心の位置に当たる。上の例から推せば咸其心とすべき様だが、咸其心と言わないのは八卦の全体で咸じるものだからである。しかしながら、他の卦は卦の形であるから、拇、腓、股と言う。直方先生が、物申すと言って亭主が出て来ては申し置かれないと言った。腓や股とは違って、心が心に感じる筈はない。心が咸の全体であって、その他は上で言う通り卦の形だから、拇や腓という辞を繋けたのである。
【語釈】
・十有五而志於学から七十不踰矩…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」
・六爻…易の卦を表す横画。卦は陽爻と陰爻とを組み合せて構成され、下から初爻・二爻・三爻・四爻・五爻・上爻の順に数える。
・梅…拇の誤り。親指。
・腓…こぶら。こむら。脛の後方のふくれた所。ふくらはぎ。
・八卦…周易で、陰陽の爻を組み合せた八つの図形。自然界・人事界百般の現象を象徴する。

感之道無所不通。いつもの譬の、一身は生もの。どこを突ても痛いなり。有所私係則害於感通所謂悔なり。私て引かるる所あり。今度の不幸あまり泣れませぬと云は、時計かくるふたなり。あのやうなやつは死てもと云ゆへなり。迂斎、手に痛処かあると弓かひかれぬか私係なり。それていつもの勢にゆかぬ。悔は天窓をかくやふなことなり。こまったことと云は、道理の外をするゆへなり。無ものか雜るとわるい。丁ど人の鼻の穴に毛かあっても、有べきものゆへに邪魔にならぬが、芥子か一粒這入てもわるい。そこか道理なりには悔はないが、芥子て悔かある。奧歯にもののはさまったか捨てをかれぬ。そこて楊枝やか立ている。私係を楊枝でさろふと悔はない。耳掻て垢を取もそれなり。心の内に色々ありても、心をは楊枝や耳掻をつかわぬゆへ、人が悔だらけなり。
【解説】
「感之道無所不通。有所私係、則害於感通。所謂悔也」の説明。道理に余計なものが雑じるのが悪い。それを除かなければならないが、人はそれを除こうとしない。よって、悔が多い。
【通釈】
「感之道無所不通」。いつものたとえで、一身は生き物。どこを突いても痛い。「有所私係則害於感通所謂悔也」。私で引かれる所がある。今度の不幸はあまり泣けませんと言うのは、時計が狂ったのである。あの様な奴は死んでもよいと思うからである。迂斎が、手に痛処があると弓を引けないというのが私係だと言った。それで、いつもの勢いがない。悔は頭を掻く様なこと。困ったことだと言うのは道理の外をするからである。道理にないものが雑じると悪い。丁度、人の鼻の穴に毛があっても、それはあるべきものだから邪魔にならないが、芥子が一粒入っても悪い。そこで、道理のままなら悔はないが、芥子では悔がある。奥歯に物が挟まっては捨てて置かれない。そこで楊枝屋が立っているである。私係を楊枝でさらうと悔はない。耳掻きで耳垢を取るのもそれ。心の内に色々あっても楊枝や耳掻きを使わないから、人は悔だらけである。

垩人感天下之心如寒暑雨暘。寒暑雨暘は書の洪範。天地はあてかいのないものなり。天の方に、さぞ顔子か寒ふと云ことはない。天地極寒なれは、顔子の内も指の墜るほとの寒なり。贔屓はない。亦貞而已矣は、寒暑雨暘に天へ恨みのないは貞からなり。意越をかへそふの、見せ付るのと云ことはない。垩人はやはり天地と同こと。垩人にはまつとよいことあるかと云に、外に何もない。貞而已矣なりて、而已の字よくみよ。それて咸する。虚中無我之謂也。私はいれぬ。凡人は呵りそふな処を呵らぬと、あの人はとうれしかる。日頃をどけを云はぬ人じゃが、今日のをどけは深ひあやがあると云。虚中無我にこのやふな手くろはない。
【解説】
「聖人感天下之心、如寒暑雨暘、無不通無不應者、亦貞而已矣。貞者、虚中無我之謂也」の説明。天地は贔屓をしない。聖人は貞而已で、天地の通りである。それで、酷くても天を恨まない。虚中無我に私心はない。
【通釈】
「聖人感天下之心如寒暑雨暘」。寒暑雨暘は書の洪範の語。天地は特別な心配りをしないもの。天の方で、さぞ顔子が寒かろうと思うことはない。天地が極寒であれば、顔子の内も指の落ちるほど寒い。贔屓はない。「亦貞而已矣」。寒暑雨暘で天を恨まないのは貞だからである。復讐しようとか、懲らしめるとかということはない。聖人はやはり天地と同じこと。聖人には待っていればよいことがあるかと言うと、外に何もない。貞而已矣の而已の字をよく見なさい。それで咸じる。「虚中無我之謂也」。私は入れない。凡人は呵りそうな処を呵らないと、あの人はよい人だと嬉しがる。日頃は滑稽なことを言わない人だが、今日の滑稽な振る舞いには深い綾があると言う。虚中無我にこの様な誑かしはない。
【語釈】
・寒暑雨暘…書経洪範。「庶徴。曰雨、曰暘、曰燠、曰寒、曰風、曰時」。
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管。手くら。

若往来憧々然用其私心以感物則云々。前へかへして見よ。これから公けの論と見へし。人の批判が明なことなり。大勢か悪ひと云はわるい筈の処に、其中てよく云ものは憧々ゆへなり。私心を用て、其人の親の病氣の時計りは人参をやったゆへ、其ものは、あの人はと云。道理細にわるに交りの上様々あれとも、道理なりにすること。好たやつ、すかぬやつかわるい。父母の喪三年、伯父は期の喪、それでは先王も心ありて匕加減をされたかと云に、匕加減が道理なりにて私ない処。私に好たと云ふは人欲のかぶれからなり。奉公人の當番は理。鎗がふっても出る。花見は氣なり。今日は天氣かよいからと云。遊山は氣のことなり。この私心は氣てまびせた文字なり。私は一偶一事の一と色きりて全体てない。あれか処へをれか行くと金を借すと云。札の付たか一偶一事なり。穴藏を帋燭て尋てもあかるいか、日月の光とは違ふ。私心は帋燭の明りにて、火の及ふ処はかりなり。然れは、咸は道理なりのこと。そこて心も道理なりなり。
【解説】
「若往來憧憧然、用其私心以感物、則思之所及者、有能感而動、所不及者、不能感也。以有係之私心、既主於一隅一事、豈能廓然無所不通乎」の説明。人の批判は明らかで、それに反するのは憧々だからである。好き嫌いは人欲の被れからであり、それをせず、道理のままに対応するのである。私心は紙燭の明りと同じで、火の及ぶ処だけしか明るくない。
【通釈】
「若往来憧々然用其私心以感物則云々」。前に返して見なさい。これからが公の論と捉えなさい。人の批判は明らかなもの。大勢が悪いと言えば悪い筈なので、その中でよいと言うのは憧々だからである。私心を用いて、あの人の親が病気になった時に人参を遣ったから、あの者はどうの、あの人はこうのと言う。道理は細に分かれて交わりの上に様々とあって、その道理のままにしなければならない。好いた奴、好かぬ奴と言うのが悪い。父母の喪は三年、伯父は期の喪。それなら先王も私心があって匙加減をされたのかと言えば、その匙加減が道理のままで私のない処である。自分が好くというのは人欲の被れから。奉公人の当番は理で、鎗が降っても出る。花見は気である。今日は天気がよいからと言う。遊山は気のこと。この私心は気で塗した文字である。私は一隅事の一色のみで、全体でない。あの人の処へ俺が行くと金を借りることができると言う。札が付くのが一隅一事である。穴蔵に紙燭を持って入っても明るいが、日月の光とは違う。私心は紙燭の明りで、火の及ぶ処だけしか明るくない。そこで、咸は道理の通り、心も道理の通りでなければならない。
【語釈】
・父母の喪三年、伯父は期の喪…
・まびせた…塗せた。まみれさせる。一面になすりつける。
・帋燭…①宮中などで夜間の儀式・行幸などの折に用いた照明具の一。松の木を長さ約一尺五寸、太さ径約三分の棒状に削り、先の方を炭火であぶって黒く焦がし、その上に油を塗って点火するもの。下を紙屋紙で左巻にした。ししょく。②こよりを油に浸し灯火に用いるもの。

正心の工夫、心の引かかりて、心有所忿懥則不得其正矣有所恐懼則不得其正と云。不得正云々か氣にさへられたのて、正心は氣にさへられぬことなり。君子以虚受人か明鏡止水にて、そこか咸のなりなり。心は土臺。心かわるけれは学問はならぬ。料理人の庖丁吟味するやふなもの。爲学に引は、心はありなりなものなれとも、心からのことてなけれは学問はならぬ。心の土臺をきめ子は爲学のはかがゆかぬ。
【解説】
正心の工夫をするのは、心を正しくしなければ、身を修めることができないからである。その正心とは、気に障えられないこと。心が土台なのであり、心が悪ければ学問は成就しない。そこで、心のことから学ぶのである。
【通釈】
正心の工夫とは、心の引っ掛かりへの対処であり、「有所心忿懥則不得其正矣有所恐懼則不得其正」とも言う。「不得其正」が気に障えられたからであり、正心とは気に障えられないこと。「君子以虚受人」が明鏡止水のことで、そこが咸の姿である。心は土台であり、心が悪ければ学問は成就しない。料理人が庖丁を吟味する様なもの。これを為学に引用するのは、心はあるがままのものだが、心のことから始めなければ学問が成就しないからである。心という土台を決めなければ為学の理解はうまく進まない。
【語釈】
・心有所忿懥則不得其正矣有所恐懼則不得其正…大学章句7。「所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正、有所恐懼、則不得其正」。


第十一 君子遇艱阻の条

君子之遇艱阻、必自省於身。有失而致之乎。有所未善、則改之、無歉於心、則加勉。乃自脩其德也。
【読み】
君子の艱阻に遇うや、必ず自ら身を省みる。失有りて之を致せるか、と。未だ善かざる所有れば、則ち之を改め、心に歉[けん]なければ、則ち勉を加う。乃ち自ら其の德を脩むるなり。
【補足】
この条は、周易程氏伝の蹇[けん]卦象伝の注にある。

艱阻は難義にあふことなり。江戸御かまいの、今日中に引はらへのと云ことあり。これか君子も難義にあい、小人も難義に遇ふことなれとも、凡夫は人を恨み、君子は手前を省る。君子は、をれかどこのぶ子んから期と省る。直方の、今日の人針程のことを棒ほとに云はれてと云か、其針程のことの無ひやうにすることと云へり。そこか省なり。
【解説】
「君子之遇艱阻、必自省於身」の説明。君子も小人も難儀に遇うことがあるが、凡夫は人を恨み、君子は自分を省みる。小さな過ちも見逃してはならない。
【通釈】
艱阻とは難儀に遇うこと。江戸御構いや、今日中に引き払えということがある。君子も難儀に遇い、小人も難儀に遇うことがあるが、凡夫は人を恨み、君子は自分を省みる。君子は、自分が何処で不念をしてこうなってしまったのかと省みる。直方が、今日の人は何故針ほどのことを棒ほどに大げさに言うのかと言うが、その針ほどのことをない様にすることだと言った。そこが省である。
【語釈】
・御かまい…御構い。江戸時代の刑罰の一。追放。
・ぶ子ん…不念。無念。①気がつかないこと。ゆき届かないこと。②不注意。落度。
・期…「斯」の誤り。

有失而致之乎。乎の字、曽子の三省の乎の字、丁と同じ。必竟、精出して勤めたに仕落あるかと人へ向てどふこふ云てなく、我心へたたることなり。乎とたたりて見たときに、我に不善あれは直に改る。凡人は、かうなる上はたしなむことはない。今はもふ遲いと思ふ。君子のはいつても身を修めることなり。酒ゆへと思へば直に禁酒する。凡夫は知行を第一にする。知行をはなれると所詮どふてもと来る。君子は不調法をさかす。
【解説】
「有失而致之乎。有所未善、則改之」の説明。君子は自分に不善があれば直ちに改めるが、凡夫は直ぐにあきらめる。
【通釈】
「有失而致之乎」。乎の字は曽子の三省にある乎と丁度同じ意味。結局は、精を出して勤めたのに、そこに手落ちがあるのかと人に向ってどうこう聞くのではなく、自分の心に祟って聞くこと。「乎」と祟って見た時に、自分に不善があれば直ちに改めるのである。凡人は、こうなった以上は苦労して励む必要はない、今ではもう遅いと思う。君子はいつでも身を修める。酒が原因だと思えば直ちに禁酒する。凡夫は知行を第一にする。知行から離れると、所詮はどうなってもよいと考える。君子は自分の不調法を探す。
【語釈】
・曽子の三省…論語学而4。「曾子曰、吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎」。
・たしなむ…窘む。①苦しむ。なやむ。辛苦する。困窮する。②苦労してはげむ。
・知行…ここでは「ちぎょう」。職務を執行すること。土地を支配すること。治めること。

無歉於心則加勉。孟子に歉の字二所注あり。公孫丑上下に出。あきたるとあきたらずの訳あり。朱子胡孫两嗛と云るる。あきたるは甘いものをふくんたやうなもの。心もちのよいを云。砂をふくんたばあきたらずなり。物をふくむの意とあり。爰は、砂をふくんた方なれとも、無の字てあきたることになる。不善あれは改める。歉たって善れば、天上天下耻ふないと云はすに、そこをはせる馬に鞭で尚つとめる。爰は近思の爲学の目のさめることときくべし。凡人この段になると首尾のなをる相談や、浪人てすきはいのなることの相談する。君子は德を修ることはかりなり。どちとふしても德を脩るそ。造次於此顛沛、於此かこれなり。艱阻に遇てはとりまきれて德を忘れそふなものなるに、知行は五百石すてても、德の方て得分かある。これて、心あるものは違ふことて、物あたりして、もふこれから食傷すまいと覚悟する。凡夫はころんても砂をつかむと云が、君子は艱阻で德をつかむ。難義は向から来ること。こちは德を脩める。こふ聞ては、俗学のていはなる程顔子与所好異なり。喰つきなくとも德にかかる。これてなけれは事なり。事になりては浄瑠璃太夫もあること。学者が講釈はよくしても、其了簡では知見德行はあからぬ。論語はよく讀が德にならぬと云なれば、学者腹は立ぬがよい。やはり上るり太夫と同ことなり。君子は寐ても寤ても德なり。これを聞てからたに行の出るなれは、近く思なり。偖、爲学は三綱領を云やうなもの。艱阻は出處の篇にありそふなことなるに爲学に出たはとふなれば、ここを聞て只今迠の学問とは違ふたとくる処か爲学なり。
【解説】
「無歉於心、則加勉。乃自脩其德也」の説明。君子は艱阻で徳を掴み、飽き足っても更に徳を蘊むことに勉める。そこで、聖学は「顔子與所好異」で、俗学とは違うのである。
【通釈】
「無歉於心則加勉」。孟子に歉の字に関する注が二箇所ある。公孫丑上下に出ている。飽き足ることと飽き足らないことの訳がある。朱子は「胡孫両嗛」と言われた。飽き足るとは甘いものを含んだ様なもので、心持ちのよいことを言う。砂を含んだら飽き足らずとなる。物を含む意とある。ここでの歉は、砂を含む意味だが、それに無の字が付いて飽き足ることとなる。不善があれば改める。歉[あきた]ってよければ、天上天下に恥ずかしいことはない筈なのに、そこを馳せる馬に鞭を打つ様に更に勉める。ここは近思為学の目の醒めることだと思って聞きなさい。凡人はこの段階になると首尾がよくなる相談をしたり、浪人は生業を得ることの相談をする。君子は徳を修めることだけである。どうしても徳を修めるのである。「造次於是顛沛於是」にある於是がこれである。艱阻に遇っては取り紛れて徳を忘れそうになるものだが、五百石の知行を捨てたとしても、徳の方で得るものがある。心ある者は凡夫とは違って食物にあたると、もうこれからは食い過ぎない様にしようと覚悟する。凡夫は転んでも砂を掴むと言うが、君子は艱阻で徳を掴む。難儀は向こうから来ること。こちらはそれで徳を修める。こう聞いては、俗学の輩はなるほど「顔子與所好異」である。取っ掛かりがない様でも徳に掛かる。これでなければ事である。事なら浄瑠璃太夫にもある。学者がうまく講釈をしても、その様な料簡で知見徳行は上がらない。論語をよく読んでも徳にはならないと言われても、学者は腹を立てない方がよい。その様な者はやはり浄瑠璃太夫と同じなのである。君子は寝ても醒めても徳である。これを聞いて体に汗が出るならば、近く思うである。さて、為学は三綱領を言う様なもの。艱阻は出処の篇にありそうなことだが、それを為学に出したのはどうしてかと言うと、ここを聞いて、今までの学問とは違ったものだと感じる処が為学なのである。
【語釈】
・歉…訓は「あきたらず」。不足する。欠けたところのあること。
・孟子に歉の字二所注あり…孟子公孫丑章句上2集註。「慊、快也、足也」。同下2集註。「慊、恨也、少也。或作嗛、字書以爲口銜物也。然則慊亦但爲心有所銜之義、其爲快、爲足、爲恨、爲少、則因其事而所銜有不同耳」。
・朱子胡孫両嗛…
・すきはい…生業。世を渡るための職業。なりわい。生計。
・造次於此顛沛…論語理仁5。「君子無終食之間違仁、造次必於是、顚沛必於是」。造次も顛沛もきわめて時間の短いこと。
・顔子与所好異…為学3の語。
・喰つき…食い付。てがかり。とりつき。
・行…「汗」と書く書もある。
・三綱領…大学三綱領。明明徳。親(新)民。止至善。


第十二 非明則動無所之の条

非明、則動無所之。非動、則明無所用。
【読み】
明に非ざれば、則ち動は之く所無し。動に非ざれば、則ち明は用うる所無し。
【補足】
この条は、周易程氏伝の豊卦初九の注にある。

この段、根を知ぬものはすまぬ章なり。易に豊の卦あり。豊はゆたかにたっふりと大ひことなり。学以至垩人之道也ともあり、豊てなけれは目當にならぬ。朱子の顔子を、非衰善底之人と云へり。誹諧師や隠者体の引こむやふなは異端めく。豊はさひ々々とした意はない。全体垩賢の事業せふと云か豊なり。陋巷、屋根から星か見へても覚悟は大いこと。去によって、顔子問治邦なり。孔子も夏の時の、殷の輅のと告け玉ふ。あの塲に居ては菜を蒔たらどふて有ふの相談な筈なるに、成程、非衰善底之人也。士不可以不弘毅任重道遠と云も、学問の大いことを云豊の字そ。今日とかく得手方に知や行を主張するも見て取て云なれはよいことなれとも、名を一つつけられたは小寺もつなり。子張、執德不弘と云も、德はたっふりと弘てなけれは役にたたぬ。今日の学者の標は、甲ふほとに似せた蟹の穴なり。
【解説】
学問をするには豊でなければならない。顔子の陋巷や問為邦も、曾子の士不可以不弘毅任重道遠も、子張の執徳不弘も、皆豊なのである。それに比べて今の学者は小さい。
【通釈】
この章は、根本を知らない者には理解できない。易に豊の卦がある。豊はゆたかにたっぷりと大きいこと。「学以至聖人之道也」ともあり、豊でなければ目当てにはならない。朱子が顔子を、「非衰善底之人」と言った。俳諧師や隠者の輩が引き込んだりするのは異端めくこと。豊は寂々とした意はない。つまり聖賢の事業をしよういうのが豊である。豊とは、陋巷で屋根から星が見えても覚悟は大きいこと。それで、「顔子問治邦」なのである。孔子もそれに答えて、夏の時や殷の輅を告げ賜う。あの場にいれば、菜を蒔いたらどうだろう程度の相談の筈なのに、なるほど顔子は非衰善底之人である。「士不可以不弘毅任重道遠」も学問の大きいことを言っており、豊である。今日とかく得意の方に知や行を主張するが、よく理解して言うのであればそれもよいが、そんなところで名が売れるのは小寺を持つのと同じで小さなこと。子張が「執徳不弘」と言うのも、徳はたっぷりと弘でなければ役に立たないからである。今日の学者の標は、甲羅と同じ蟹の穴である。
【語釈】
・豊の卦…離下震上、豊(雷火豊)を指す。「豊、亨。王假之。勿憂。宜日中」。
・学以至垩人之道也…為学3の語。
・非衰善底之人…
・陋巷…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。
・顔子問治邦…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。
・輅…天子の乗る車。
・士不可以不弘毅任重道遠…論語泰伯7。「曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎」。
・執德不弘…論語子張2。「子張曰、執德不弘、信道不篤、焉能爲有、焉能爲亡」。
・標…土地の領有を示し、または場所を限るために、木を立てまたは縄を張るなどして標とするもの。しるし。標識。

豊。雷火。火は明か。雷は動く。明と働とを一つにして天下のことをせ子ばならぬ。明は知。動は行。火の明なに雷の動くゆへ、何をしても大いなり。偖、これも片方てはならぬ。足か達者ても灯燈なしには行れす。又、腰ぬけでは灯燈持て出ても道に寝て居る。そこで動と明か揃は子はならぬ。因て顔子を至明至健と云。垩人へ追つめたもの、至明至健。克己復礼も至明至健なり。知の明か行ひのするどてなければ一大事はならぬ。これ、爲学の大規模なり。
【解説】
豊は火と雷である。火は明で知のこと。雷は動で行のこと。知が明で行が鋭く動くのでなければ、事業は成就しない。
【通釈】
豊。雷火豊。火は明らか。雷は動く。明と動とを一つにして天下のことをしなければならない。明は知。動は行。火が明らかな上に雷が動くから何をしても大きい。さて、これも片方では駄目である。足が達者でも提灯なしでは行かれない。また、腰抜けでは提灯を持って出ても道にうずくまっている。動と明が揃はなければならない。それで顔子を「至明至健」と言う。聖人へ追い詰めた者だから至明至健なのである。克己復礼も至明至健である。知が明で行いが鋭くなければ一大事は成らない。これが、為学の大規模なところである。
【語釈】
・至明至健…論語顔淵1集註。「非至明不能察其幾、非至健不能致其決」。


第十三 習重習也の条

習、重習也。時復思繹、浹洽於中、則説也。以善及人、而信從者衆。故可樂也。雖樂於及人、不見是而無悶、乃所謂君子。
【読み】
習は、重習なり。時に復思繹し、中に浹洽せば、則ち説ぶ。善を以て人に及ぼして、信從する者衆し。故に樂しむ可きなり。人に及ぼすを樂しむと雖も、是とせられずして悶すること無くんば、乃ち謂う所の君子なり。
【補足】
その条は、経説六の論語解にある。論語学而1を基にしている。学而1は「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋遠方来、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎」。

是れは論語の巻頭の説なり。学而時習を伊川は重ぬと見られたなり。重習はどこの処なれは、易に習坎とある。上も下も坎故、習坎と云なり。ひたもの々々々々習ふゆへ重ると云。兎角習てなけれは役に立ぬ。直方先生の平生云はるる、師の力は三分、弟子の力は七分がそれなり。直方の、重習の了簡てなければ孔子を師にもってもやくにたたぬと云るる。それゆへ習じゃは。孔子の無ときも孟子あり。習の字から孟子か出来た。三千子の内てもみよ。顔曽の外も孔門なれとも、此方の重習の足らぬによるなり。
【解説】
「習、重習也」の説明。「学而時習」を、伊川は学問を重ねると捉えた。重習は易の習坎が出処である。重習がなければ学問が進まない。
【通釈】
これは論語の巻頭の説である。「学而時習」を、伊川は学問を重ねることと捉えられた。重習は何処の処からかと言うと、易に習坎とある。上も下も坎だから習坎と言う。只管習うから、重ねると言う。とかく習でなければ役に立たない。直方先生が平生、師の力は三分、弟子の力は七分と言われたのがそれ。直方は、重習の料簡でなければ孔子を師に持っても役に立たないと言われた。それ故、習なのである。孔子がいなくなった時にも孟子がいた。習の字で孟子ができた。三千子の内でも見てみなさい。顔子や曾子以外も孔門だが、重習が足りないので顔曾に及ばない。
【語釈】
・習坎[しゅうかん]…坎下坎上。坎為水。「習坎、有孚。維心亨。行有尚」。習坎の習は重、坎は険・陥の意。重なる険難の中に陥る象。

時復思繹浹洽於中則説也。学問を胷へのせ子ば只道中記みるやふなり。品川の次き川﨑と覚たばかりでは役にたたぬ。思か廻状の点かけるやうでは浹洽せぬ。思繹せ子はしみ込ぬ。胸へのせると疑も出るもの。今日器用なものは耳のうけはよいが、耳きりて内へは入らすに外へ行て仕舞。大い道理が思繹せすにゆくはつはない。思ひこなれると味噌のなれるなり。浹洽して菽も麹も塩も一つになる。そうなると、論語も孟子も道理一つになる。不亦説乎なり。悦ふ段々は、我このことを人か知子ばよいと思ふほとに面白味あることあるものゆへに、其れゆへに、諸藝の事の上などにそれ々々に覺あること。手に入ぬ内は太義にこそあれ、ああ説ふはづはない。医者か天地の間に療治のならぬことはないの、本艸の吟味に知ぬことはないのと云へとも、口上にはそふ云とも浹洽がなけれは本のことはない。面白みかつくと挌別になるもの。扁鵲か垣の外の人と云。今の人、浹洽せぬゆへ学問氣かとれそふて浮雲い。酒の醉かさめるやうなり。この浹洽て説の地位になる。
【解説】
「時復思繹、浹洽於中、則説也」の説明。思繹で心に染み込む。思繹し浹洽することで本物となり、説ぶことができる。
【通釈】
「時復思繹浹洽於中則説也」。学問を胸に乗せなければ、ただ道中記を見る様なものである。品川の次は川崎と覚えただけでは役に立たない。思いが、廻状に読み仮名をつける様では浹洽しない。思繹しなければ心に染み込まない。胸に乗せると疑いも出るもの。今日の器用な者は耳の受けはよいが耳だけのことで、内には入らず外に出てしまう。大きい道理が思繹なしに行く筈がない。思いがこなれると、味噌の熟れる様になる。浹洽して菽[まめ]も麹も塩も一つになる。そうなると、論語も孟子も同じ一つの道理となる。それが、「不亦説乎」である。悦ぶ段階には、自分が知っていることを他人が知らなければよいと思うほどに面白味のあることもある。それは、諸芸の事の上などで、それぞれに覚えのあること。手に入らない内は大義ではあても、あの様に説ぶ筈はない。医者が天地の間で療治できないことはないとか、本草の吟味で知らないことはないなどと言うが、口ではそう言っても浹洽がなければ本当のことではない。面白味が付くと格別になるもの。扁鵲が垣の外の人と言う。今の人は浹洽しないから、その学問気が取れそうで儚い。それは、酒の酔いが醒める様である。この浹洽で説ぶ地位に至る。
【語釈】
・点かける…読み仮名をつける?
・浹洽…隅々にまで行き渡ること。
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。
・垣の外の人と云…扁鵲は若き日に長桑君という医師に師事し、医術の秘伝書を与えられ、さらに透視能力を発揮する秘薬も授かった。これを飲むと垣根の向こう側の人が透視でき、病を視るに、ことごとく五臓の癒結を見ることができたとされる。

以善及人而信從者衆故可樂也。こちへこい々々と呼てないか、竒妙に及ふもの。段々聞つたへて来るなり。医者が上手ゆへはやる。学問のことをのけても、其村に知者かあると人が相談に來る。本と人は同類ゆへ咸し合ふ。この所て戸をしめることてない。異端は信從する者をよせぬ。こふばしいやふなれとも、片へらで義かない。孟子の三樂もここなり。隠者の山奧てない。新民もこれなり。我病氣にこの藥て達者になれは、隣へも向へも施す。それて向三軒無病になりたと云。それから隣村より他国からも來る。この可樂か天地自然なり。悦ふは我胸のこと。樂は人と酒盛て樂むなり。これを二つにすると覇者なり。垩学はこちか向へ及ふこと。酒て云に説ふは、今大坂より酒がついたと云を吾一人てのむなり。可樂は、其酒がよいゆへ、友達と共にのむなり。やはり一つもの。同し酒なり。斯ふ云へは王伯の弁も分ること。向の人へは又この匕でと安排することでない。我悦ふゆへ、人へもともになり。そこて樂む。我明德を明にしたゆへ、天下の人へは及ぶなり。
【解説】
「以善及人、而信從者衆。故可樂也」の説明。重習し思繹浹洽することによって、その人の下に人々が集まる。人は同類だから集まるのである。それを異端は戸を閉める。孟子の三楽、王覇の弁も、大学の新民も人に及ぶこと。明明徳によって人に及ぶ。また、説ぶとは自分自身の心のことで、可楽は人と一緒に説ぶことである。
【通釈】
「以善及人而信従者衆故可楽」。こちらへ来いと呼ぶのでないが、奇妙にも人に及ぶもの。段々と聞き伝えて来る。医者は上手だから流行る。学問のことでなくても、その村に知者がいると人が相談に来る。本来、人は同類だから感じ合う。この所で戸を閉めてはいけない。異端は信従する者を寄せ付けない。それは立派な様だが、片方だけのことで義がない。孟子の三楽もここのこと。隠者の山奥とは違う。新民もこれ。自分が病気になった時にこの薬で達者になれば、隣にも向かいにも施す。それで向こう三軒無病になったと言う。それから隣村や他国からも人が来る。この「可楽」が天地自然なこと。悦ぶとは自分の胸でのこと。楽は人と酒盛りで楽しむ様なこと。これを別々にするのが覇者である。聖学は自分が向こうに及ぶこと。酒で言うと、説ぶとは、今大坂より酒が着いたので、それを自分一人で呑むこと。可楽は、その酒が美味いから、友達と共に呑むこと。それはやはり同じ一つの酒である。こう言えば、王覇の弁も理解することができる。向こうの人にはこの匙を使ってと匙加減をすることでない。自分が悦ぶから人も共にということ。そこで楽しむ。自分が明徳を明らかにしたので、天下の人にもそれが及ぶのである。
【語釈】
・孟子の三樂…孟子尽心章句上20。「孟子曰、君子有三樂。而王天下、不與存焉。父母倶存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才、而敎育之、三樂也。君子有三樂。而王天下、不與存焉」。
・新民…大学三綱領(明明徳・新民・止至善)の一つ。
・王伯の弁…孟子尽心章句上13に、「孟子曰、覇者之民、驩虞如也。王者之民、皥皥如也」とあり、以下にその違いが述べられている。王覇の弁。

雖樂於及人不見是而云々。樂むの其跡へ、垩人の逆なことを語れり。この逆が親切なり。大学綱領は順なり。論語は人不知而不慍と云て逆を云なれとも、ここか腰の物ためすのなり。申そふやうない焼きをためして見て、いよ々々安堵することなり。説や樂て丈夫なれとも逆てためさ子ば、愈々丈夫が知れぬ。不見是而無悶は人に藥をやるに、そなたの藥はと云るると、はてあじな男と云て胸にさわる。我方で名方なるに、是とせられぬ。そこを心が少とも動ぬ。悶は額に筋の張てはないか、心があちになるを云。胸のやけるやふなもの。医者を呼にも及はねとも、大根のしぼり汁飲ふと云やふなきみなり。今日の人てもめったに秡打にと云程な者はないか、胸の中てむや々々する。無悶は、ここらは窺はれぬことなり。
【解説】
「雖樂於及人、不見是而無悶」の説明。ここは論語の「人不知而不慍」と同じ書き方である。無悶とは、自分が認められなくても心を少しも動かさないこと。人が是としなくても無悶であることが必要である。
【通釈】
「雖楽於及人不見是而云々」。楽しむというその後に、聖人とは逆なことを語った。この逆を言うことが親切なこと。大学の三綱領は順で言う。論語は「人不知而不慍」と逆を言うが、ここが刀を試すのと同じである。申し分のない焼きであるが、その刀を試してみて、いよいよ安堵することができるのである。説や楽で丈夫なのではあるが、逆で試さなければその丈夫さを知ることはできない。「不見是而無悶」は、人に薬を遣ろうとして、貴方の薬はいらないと言われれば、実に嫌な男だと思って胸に障る様なこと。自分の薬は名方なのに、それが認められない。しかし、そこで心が少しも動かないのが無悶である。悶とは額に筋が張るほどではないが、心が熱くなることを言う。それは胸の焼ける様なもの。医者を呼ぶには及ばないが、大根の絞り汁を飲もうという様な気味である。今日の人でも、抜打ちにすると言うほどの者は滅多にいないが、胸の中でもやもやしている。無悶にその様なことは見受けられない。
【語釈】
・名方…名高い処方。

乃所謂君子の字の書れやう、面白こと。上の乃の字はらいのないこと。重習の太義なことすれば説ぶと、浹洽を受て乃なり。樂ましいと云わけから故になり。さてこれからさきがなりにくいことと云から乃の字なり。説や樂塲は未た夢にも見られやうが、無悶は夢にも見られぬこと。そこか君子なり。盛德の所なり。そこで君子じゃはとらいを置て、乃とつかふ。
【解説】
「乃所謂君子」の説明。則、故、乃の使い方を説明する。無悶は難しく、それができれば君子の場、盛徳の所となる。
【通釈】
「乃所謂君子」の字の書き方が面白い。上の則の字は、間のないこと。重習は大儀なことをすれば説ぶと、浹洽を受けて「則」と言う。楽しいということから「故」を使う。さて、これから先ができ難いことというので「乃」の字を使う。説ぶ場や楽しむ場はまだ夢にも見られようが、無悶は夢にも見られない。そこが君子の場で、盛徳の所である。そこで君子のことだと間を置いて、「乃」を使った。


第十四 古之学者爲の条

古之學者爲己、欲得之於己也。今之學者爲人、欲見知於人也。
【読み】
古の學者は己が爲にすとは、之を己に得んと欲するなり。今の學者は人の爲にすとは、人に知られんことを欲するなり。
【補足】
その条は、論語憲問25の「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人」の解釈である。

学問に古今の弁と云かこのことなり。本い学問は古今ないことにて、堯舜文武の時ても日本の今日ても一つことなり。学問に古今はないが、学者には古今かある。これか情けないことなり。とふなれは、学問の仕様には定法ありて違はなけれとも、学者に厚ひ薄かある。今日の学者は迂詐に学ふ。うそと本とはあとて違ふこと。そこて孔子の古今のことの玉ふ。どこが古今の違ひなれば、古人の学は爲己なり。咽渇くに湯なり。それはどこからさしづかあるからと云でなし。渇くからのむ。為己なり。人間天地の間に一度生れて天の子なり。天の子で天に似ぬは人でないと云て、明德を研は身心の我方のことなり。そこが欲得なり。今之学者為人と孔子の玉ふはどふなれば、学問も一事業なものなり。十人が十人片手業でもなく、それて学者は官位のつくやうなものなり。世間無学なものは沢山て学者はていのよいものゆへ、それになって見せようと云が人の為めなり。僅なことて大に違ふ。この病氣は人参でなくてはと云命ありてのことと云て、田地を賣て人参を買ふ。人のために人参のむものはない。病には古今の弁はない。今の学者は人に知られたいて横へゆく。
【解説】
学問に古今の違いはないが、学者にはそれがある。古人の学は為己であり、今の学者は人に知られたいという思いがあるから、為人である。人のために人参を飲むものはいない。学問は自分のためにある。
【通釈】
学問で古今の弁と言うのがこのこと。大体、学問に古今はないことで、堯舜文武の時でも日本の今日でも同じこと。学問に古今はないが、学者には古今がある。それは情けないこと。それはどうしてかと言うと、学問の仕方には定法があって古今の違いはないが、学者には厚い薄いがある。今日の学者は嘘で学ぶ。嘘と本当とは後で違いが出る。そこで孔子が古今のこと話された。何処が古今の違いかと言うと、古人の学は「為己」である。咽が渇くと湯を飲む。それは何処からか指図があってということではない。渇くから飲む。それが為己である。人間は天地の間に一度だけ生まれる天の子である。天の子で天に似ないのは人でないということで、明徳を研くのも自分の身心に対してのことである。そこが「欲得」である。「今学者為人」と孔子が話されたのはどうしてかと言うと、学問も一事業だからである。十人が十人、学問を本業でするから、それで学者は官位が付く様なものとなる。世間には無学な者が沢山いるが、学者は体裁のよいものだから、学者になって見せようというのが人の為である。僅かなことで大いに違う。この病気は人参でなくては駄目だという診断があったから田地を売って人参を買う。人のために人参の飲む者はない。病には古今の弁はない。今の学者は人に知られたいから横に逸れる。

古今の弁を上の所謂君子へあててみるに、なるほとそふなり。不見是と云へとも己かためのこふしたことゆへ、悶はないはづなり。成ほど君子なり。團十郎に内で白眼して、赤坂奴に闇にふれと云てははり合かあるまい。今の学者は丁ど赤坂奴や團十郎が白眼んたり振たりするやうなもの。皆爲人て、人を相そふにするなり。古今の弁と云ほとのことゆへ、爲学へのせて大なことなり。こなたは古の学者か今の学者かと云に、いや拙者は今の学者でござると云ならば、近思をみるはむだなり。早く流義をかへるがよい。
【解説】
前条で、君子が是とされなくても無悶だというのは、為己だからである。今の学者であれば、近思録を読んでも無駄である。
【通釈】
古今の弁を前条の「所謂君子」に当てて見ると、なるほどその通りである。「不見是」となっても己のためのことだから悶はない筈である。なるほど、君子である。団十郎には家で白眼を、赤坂奴には闇の中で踊れと言えば張り合いがないだろう。今の学者は丁度赤坂奴や団十郎が白眼をしたり踊ったりする様なもの。皆為人であって、人を喜ばすためにする。これは古今の弁と言うほどのことだから、為学に載せても大きい話である。貴方は古の学者か今の学者かと問われて、いや私は今の学者てございますと言うのなら、近思録を見るのは無駄である。早く流儀を変える方がよい。
【語釈】
・上の所謂君子…為学13の「習重習也之条」を指す。
・團十郎…市川団十郎。歌舞伎役者。
・赤坂奴…江戸の旗本に仕えた若党・中間。その鎌髭や特異な風俗が人目をひいた。
・相そふ…愛想?①人に接して示す好意、愛らしさ。人あしらいのよさ。②お世辞。

第十五 伊川先生謂方道輔曰の条

伊川先生謂方道輔曰、聖人之道、坦如大路。學者病不得其門耳。得其門、無遠之不可到也。求入其門、不由於經乎。今之治經者、亦衆矣。然而買櫝還珠之蔽、人人皆是。經所以載道也。誦其言辭、解其訓詁、而不及道、乃無用之糟粕耳。覬足下由經以求道、勉之又勉。異日見卓爾有立於前。然後不知手之舞足之蹈、不加勉而不能自止矣。
【読み】
伊川先生、方道輔に謂いて曰く、聖人の道は、坦[たいら]かなること大路の如し。學者は其の門を得ざるを病うるのみ。其の門を得ば、遠きことの到る可からざる無し。其の門に入るを求むるに、經に由らざらんや。今の經を治むる者、亦衆し。然り而こうして櫝[はこ]を買いて珠[たま]を還[かえ]す蔽は、人人皆是れなり。經は道を載する所以なり。其の言辭を誦し、其の訓詁を解して、道に及ばざるは、乃ち無用の糟粕のみ。足下に覬[ねが]うに經に由りて以て道を求め、之を勉め又勉めよ。異日卓爾として前に立つもの有るを見ん。然して後に手の舞い足の蹈むを知らず、勉むるを加えずして、自ら止むこと能わざらん、と。
【補足】
この条は、程氏遺文にある。その題は「方元寀に与ふるの手帖」である。

垩人之道坦如大路は堯舜の時に云口上でないと合点すへし。堯舜の時には云はすともすむことなり。後世様々の学問かはやるゆへのことなり。子思の中庸を作るも坦如大路かくらくなりての作なり。後世、本来の面目を見やふの、渾沌未分を道とするのと云て、如大路ない。それかすくに中庸、索隠行怪ゆへに書れたものなり。宋朝にも六ヶしい学者かありて、何かしれぬがある。そこでのことなり。坦は通町をあるくやうなもの。異端に對して云。
【解説】
「伊川先生謂方道輔曰、聖人之道、坦如大路」の説明。ここで「聖人之道坦如大路」と言うのは、後世、異端邪説が興ったので、それに対抗して聖人の道が大きいことを述べたのである。子思が中庸を作ったのも、伊川がこの章を作ったのも、同じ趣意である。
【通釈】
「聖人之道坦如大路」は堯舜の時代に言う口上ではないと合点しなさい。堯舜の時は敢えて言わなくてもその通りだった。後世様々な学問が流行るからこう言うのである。子思が中庸を作ったのも、坦如大路が暗くなったからである。後世、本来の面目を見ようとか、渾沌未分を道とするなどと言う者がいるが、それ等は如大路ではない。異端邪説が「素隠行怪」を述べるので、子思が中庸を書かれたのである。宋朝にも難しい学者がいて、何かよく理解できていないところがある。そこで伊川がこの章を書かれたのである。坦は通町を歩く様なもので、異端に対して言う。
【語釈】
・坦如大路かくらくなりての作なり…朱子の中庸章句序巻頭に、「中庸何爲而作也。子思子、憂道學之失其傳而作也。…自是而又再傳以得孟氏、爲能推明是書、以承先聖之統、及其沒而遂失其傳焉」とある。
・索隠行怪…中庸章句11。「子曰、素隠行怪、後世有述焉、吾弗爲之矣」。
・通町…①目抜きの大通り。また、それにそった街すじ。②江戸の日本橋を中心にして南北に通じる大通り。北は神田須田町より南は芝金杉橋に至る。

学者病不得其門云々。これからか面白ひ。異端のやふにいばらたちはないか、坦な道にも入口がある。何ほと坦ても入口なしに入りやうはない。東海道は坦と云へとも、品川と云門を知ら子ばならぬ。無遠之不到也。遠いけれとも幷木について行れる。迂斎の、ぬけ参りの子ともなり。十二三の子ともも彼松について行く。坦ゆへ行れるか、屋根と云へは子ともは早上ることならぬ。偖、この門と云があぢななぞをかけて云ではない。異端はむつかしい門あり。柳はみどり、花はくれなひと云ゆへ、あの門はあてにならぬ。
【解説】
「學者病不得其門耳。得其門、無遠之不可到也」の説明。大路にも門がある。門から入って並木に沿って目的地に到る。異端の門は面倒な門で、柳は緑、花は紅などと言うから、当てにならない。
【通釈】
「学者病不得其門云々」。これからが面白い。異端の様な棘枳殻はないが、坦な道にも入口がある。どれほど坦でも入口なしでは入ることはできない。東海道は坦とは言え、品川という門を知らなければ旅をすることはできない。「無遠之不到也」。遠いけれども並木に沿って行くことができる。迂斎が、抜け参りの子供と同じだと言った。十二、三歳の子供が、あの松並木に沿って行く。坦だから行くことができるが、屋根に上がると言えば、子供は最早上がることはできない。さて、この門とは味な謎を掛けて言ったわけではないが、異端には面倒な門がある。柳は緑、花は紅などと言うから、あの門は当てにならない。
【語釈】
・ぬけ参り…抜け参り。父母または主人の許可を受けずに家を抜け出て、伊勢神宮に参拝すること。江戸時代にしばしば流行し、帰ってからも罰せられない習わしであった。抜け参宮。
・柳はみどり、花はくれなひ…柳緑花紅。自然のままで少しも人工の加わらないさま。また、物事に自然の理が備わっていることのたとえ。禅宗で、悟りの心境をいい表す句。

求入其門不由於經乎。経は、論孟大中なり。こちの門は經から入る。買櫝還玉。韓非子か語。櫝は玉の箱のこと。漢唐絶学もこれ。買櫝還玉はたわけたこと。玉か大切ゆへに其箱の物入かつよくて、つい肝心の玉を商人の方へ返たなり。道を求めやふ々々々々と書物をよみて道を得ぬは、やはり玉を還すなり。迂斎、医者は主人の病氣をなをす筈に、伽か過て殿が酒をすごしたのなり。人々皆是なりはこまりきったと云ことなり。直方先生、平家のあはれなも坐頭の声かやかましいと云。
【解説】
「求入其門、不由於經乎。今之治經者、亦衆矣。然而買櫝還珠之蔽、人人皆是」の説明。道を求めるには書物に由らなければならない。その書物とは経であり、具体的には論語・孟子・大学・中庸の四書である。漢唐を絶学と言うのは、経に由らないからである。書物を読んでも道を得ることができないのなら、買櫝還珠である。
【通釈】
「求入其門不由於経乎」。経は、論語孟子大学中庸である。こちらの門は経から入る。「買櫝還珠」。韓非子の語。櫝は珠玉の箱のこと。漢唐の絶学も同じ。買櫝還珠は戯けたこと。大切な玉だから、その入れ物の箱がよくできているので、つい肝心の玉を商人の方に返した。道を求めようとして書物を読んでも道を得ないのでは、やはり玉を還すのと同じである。迂斎が、医者は主人の病気を治す筈なのに、お相手が過ぎて殿が酒を飲み過ぎた様なことだと言った。「人々皆是」とは、困り切ったということ。直方先生が、平家物語は哀れだが、坐頭の声が喧しいと言った。
【語釈】
・買櫝還玉…「買櫝而還其珠」。櫝を買いて其の珠を還す。櫝とは箱のこと。
・伽…①看病すること。また、その人。②相手をつとめること。つれづれをなぐさめること。

經所以載道也。祖述堯舜憲章文武と云も、孔子の經に由れたゆへなり。某などても恐れ多ひが、經のあるで孔子とも近付のやふなり。誦其言辞解其訓詁云々。この文、動てから皆抑揚あり。載道と揚て、糟粕とをさへたものなり。道をば書経すんだと云は粕をひろふたのなり。いつも云渡し舩なり。用向足らずに舟にはかり乗てかへったと云。それは大たわけなり。なるほと其やふなものはないか、やはり学者はそれかある。覬足下由經以求道云々。何にも高ことは入らぬ。只經ぎりと思はずに道を求よなり。学者、ここの見所か大切のこと。徂徠か思之思之鬼神に通ずの語を引て云へとも、根がきまら子ば思ほど横へ行く。学問は心のことと見処きわめて勉之又勉よなり。
【解説】
「經所以載道也。誦其言辭、解其訓詁、而不及道、乃無用之糟粕耳。覬足下由經以求道、勉之又勉」の説明。経は大切だが、経は渡し舟であり、それ以外のことも含めて学問に勉めなければならない。結局、学問は心のことなのである。
【通釈】
「経所以載道也」。「祖述堯舜憲章文武」と言うのも、孔子が経に由られたからである。私などには恐れ多いことだが、経があったので孔子とも近付きの様である。「誦其言辞解其訓詁云々」。この文は、動くことから皆抑揚がある。載道と言って揚げ、糟粕と言って抑える。道は書経で理解したと言うのは粕を拾ったということ。いつも言う渡し舟である。用向きが足りないまま舟に乗って帰ったと言えば、それは大戯けである。なるほどその様な者はいない筈だが、やはり学者にはそれがいる。「覬足下由経以求道云々」。何も高いことは要らない。ただ経だけだとは思わずに道を求めなさい。学者には、ここの見所が大切である。徂徠が、思之思之鬼神に通ずの語を引くが、根が決まらなければ思うほど横へ行く。学問は心のことと見処を極めて、「勉之又勉」である。
【語釈】
・祖述堯舜憲章文武…中庸章句30。「仲尼祖述堯舜、憲章文武。上律天時、下襲水土」。
・思之思之鬼神に通ず…之を思い之を思えば鬼神に通ず?

異日見卓爾有立於前。いつぞの程になり。重習浹洽の上のこと。いつぞの程に説ぶ塲になる。そふすると卓爾なり。ここを直に顔子にして云へり。顔子勉之又勉たゆへ、其塲に至りたこと。それを假て云。ここか本来の面目の筋てなく、たしかなことを見る。輿に在ては其前に参るを觀るなり。道理得子ば遠々しい。今日の学者は懐中の少との伽羅のやうなもの、たま々々たく。卓爾はふだんそこになり。たま々々でない。たっふりとあるゆへなり。堯を羮に見るとこれなり。本因坊は兩國を通るに橋板を見ても碁盤に見へやう。学問の上かりは斯ふなり。道がにょいと見へるやうになると、手て舞ふか足て蹈むか知れぬ。これはこつにのることなり。こつにのると云は、小児に手習を教るに、初は手をとり左右へ引はるやうにして書せるか、後は手を引くに及はぬ。筆をとるとあとは覚へす書くなり。
【解説】
「異日見卓爾有立於前。然後不知手之舞足之蹈」の説明。「勉之又勉」によって、説ぶ境地に到る。それは道理を得ての話である。学問が上がると道が意のままに見える様になるが、それはこつに乗った状態である。
【通釈】
「異日見卓爾有立於前」。いつか話した境地となる。重習浹洽の上のこと。いつか話した通りに説ぶ場となる。そうすると卓爾である。ここは直に顔子の語で言った。顔子は「勉之又勉」だからその場に至ったのである。ここでは、それを借りて言う。ここは本来の面目の筋ではなく、確かなことを見ること。「立則見其参於前也在輿則見其倚於衡也」である。道理を得なければ遠い話。今日の学者は少しの伽羅が懐中にある様なもの。たまに焚く。卓爾は普段からそこにあることで、たまたまではない。たっぷりとあるからである。尭を羮に見るとこれである。本因坊が両国を通る際は橋板を見ても碁盤に見えるだろう。学問の上がりはこうである。道が意のままに見える様になると、手で舞っていることや足で踏みしめていることを知らないでいる様な境地に至る。これはこつに乗ること。こつに乗るとは、子供に手習いを教えるのに、初めは手を取り左右に引っぱる様にして書かせるが、その後は手を引くには及ばない様なこと。筆を執れば、後は知らずに書くことができる。
【語釈】
・卓爾…論語子罕10。喟然の章。「顔淵喟然歎曰、…如有所立卓爾」。
・重習浹洽…為学13。「習、重習也。時復思繹、浹洽於中、則説也」。
・輿に在ては其前に参るを觀る…論語衛霊公6。「子張問行。子曰、言忠信行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其參於前也、在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳」。
・堯を羮に見る…幼学瓊林。「虞舜幕唐堯,見堯於羹,見堯於牆。門人學孔聖,孔歩亦歩,孔趨亦趨」。
・手て舞ふか足て蹈むか知れぬ…孟子離婁章句上27。「…則不知足之踏之、手之舞之」。

偖、不加勉と云はもと垩人のこと。動容周還自中礼と云は垩人の上のことなれとも、学者にも不加勉塲かありて垩人と一つてはないか、学者相応に手之舞足之蹈こと知らぬ塲かある。弓の弓かへりなり。あれをせふとて勉を加へてするてないか、自然と弓かえりする。垩人の至極を假て云か、学者にもこれかあること。ここはうれしふ聞ふことなり。此塲がなくては行かれぬこと。学者も毎日々々一の谷鵯越ては面白ないこと。これを今日、某骨折て云ふも、学者にこの面白みをつけたいはかりなり。是まで上総の学問はや八十年の間なれとも、この面白をつけぬ学問精彩なし。いつ迠も額に皺てない筈。面白味か迎に出るもの。竒妙なものて、ただ久しく学んだと云ことでなく、本来にうける処があるもので、本体に具りたうけかあるなり。そこで、道理へあたりてくるゆへ、中位の者ても面白みかある。不能自止か先からある。小笠原や折帋のやう計てはこさ々々するなり。とは云へとも、ここは歴々のこと。
手帖。本或の書翰でない。直方先生、半切てちょっと書と云やふなと。
【解説】
「不加勉而不能自止矣」の説明。「不加勉」は、元々聖人に対してのことではあるが、学者にもこの境地がある。学者も「勉之又勉」だけでは学問に精彩がない。人には大本に道理を受ける処があり、そこに道理が当たって来る。そこで、中位の者にも面白味がある。
【通釈】
さて、「不加勉」というのは、元々は聖人のこと。「動容周旋自中礼」というのは聖人の上でのことではあるが、学者にも不加勉の場があり、それは聖人の場とは同じでないが、学者相応に「不知足之踏之手之舞之」の場がある。それは弓の弓返りと同じ。あれをしようと勉を加えるのではないが、自然と弓返りがする。聖人の至極を借りて言ったものだが、学者にもこれがあるのである。ここは嬉しいことと聞きなさい。この場がなくては進まない。学者も毎日々々一谷鵯越では面白くない。このことを今日私が骨折って言うのも、学者にこの面白味を付けたいからである。これまでで上総の学問は八十年が経ったが、この面白味を付けない学問に精彩はない。いつまでも額に皺を寄せてばかりではよくない筈。面白味が迎えに出て来るもの。奇妙なもので、ただ長いこと学んだというわけでなくても、大本に受ける処があるもので、元々体に具わった受けがある。そこで、道理に当たって来るから中位の者にでも面白味がある。「不能自止」が先にある。小笠原や折紙の様なことばかりではこせこせする。とは言え、ここは歴々についての話である。
手帖。本式の書翰のことではない。直方先生、半切紙に一寸書くという様なものと言う。
【語釈】
・動容周還自中礼…為学3の語。「動容周旋自中礼」。
・弓かへり…弓返り。弓返し。矢を射放した余勢で弓弦が肘の外へ回って来ること。
・小笠原…小笠原流。近世の武家礼式の一流。後世、堅苦しい礼儀作法のことを俗に小笠原流という。
・折帋…折紙状(折紙に書いた書状)のこと。
・或…「式」と書く書もある。
・半切…半切紙。書簡用の丈短く横に長い和紙。もとは杉原紙を横に二つに切ったもの。元禄頃からこれを継ぎ合せて巻紙としたので、巻紙のことを半切ともいう。はんきれ。


第十六 明道先生曰脩辞立其誠の条

明道先生曰、脩辭立其誠、不可不子細理會。言能脩省言辭、便是要立誠。若只是脩飾言辭爲心、只是爲僞也。若脩其言辭、正爲立己之誠意、乃是體當自家敬以直内義以方外之實事。道之浩浩、何處下手。惟立誠纔有可居之處。有可居之處、則可以脩業也。終日乾乾、大小大事。卻只是忠信所以進德、爲實下手處。脩辭立其誠、爲實脩業處。
【読み】
明道先生曰く、辭を脩め其の誠を立つることは、子細に理會せざる可からず。言うこころは、能く言辭を脩省するは、便ち是れ誠を立つるを要するなり。若し只是れ言辭を脩飾するのみを心と爲さば、只是れ僞を爲すなり。若し其の言辭を脩むること、正に己の誠意を立つるが爲ならば、乃ち是れ自家の敬以て内を直くし義以て外を方にする實事を體當するなり。道の浩浩たる、何處より手を下さん。惟誠を立て纔かに居る可き處有り。居る可き處有らば、則ち以て業を脩む可し。終日乾乾たるは、大小の大事なり。卻って只是れ忠信は德に進む所以にして、實に手を下す處爲り。辭を脩め其の誠を立つるは、實に業を脩むる處爲るなり、と。
【補足】
この章は、程氏遺書一にある。蘇李明は経書の勉強を第一として、日常の講習を無益なことと考えていた。彼の質問に対して、明道が易経文言伝の文を引用して答えている。

先日もあった文言傳の辞なり。学問の大切を述るに、脩辞立其誠との玉へり。誠は辞の上から脩行する。いとしなげに餅屋は々々で、温公の、自不妄語始ると云。爰をよく云へり。空言をつかぬか誠を立るの手始なり。迂詐と云ても、かたりをする筋を云ことではない。それは大罪にて論はない。これは一寸とも出まかせを云はぬこと。出まかせを云たとて大な咎てもないか、其出まかせか誠の疵になる。この語か小学にのせて小兒を教へる。輕ひことのやうなれとも、やはり文言と同ことなり。誠をぬきみに出しやうはない。辞を脩るて中の誠か立つ。医者が五臟六腑は引出されぬが、外からの藥なり。辞はすへの末のやふに心得るやふなれとも、そふてなし。それからあつめて誠か立つ。そこて辞は外と思へとも、内と一枚なことは、直方先生、箱根をにせ手形て通ては心持かわるいてあろふと云。ここか、人か我手に一寸とうそを云て、又た我手に我顔を赤くする。遠くからわるいことの聞へて来たてなく、其迂詐て向の人かこちの顔見ると直に赤面する。これ一つものなり。辞と内と一つらぬきなり。
【解説】
「明道先生曰、修辭立其誠」の説明。誠を得るには辞を修めることが手始めで重要なことであり、司馬温公も「自不妄語始」と言う。妄語は空言、嘘は出任せである。些細な嘘が誠の疵となる。辞を集めて誠が立つ。そこで辞は外のことと思えるが、辞によって誠が動く。辞と誠は一貫きである。
【通釈】
先日もあった文言伝の辞である。学問の大切なことを述べるのに、「修辞立其誠」と話された。誠は辞の上から修行する。殊勝にも餅屋は餅屋で、温公も「自不妄語始」と言った。それはここをうまく語ったもの。空言を言わないのが誠を立てる手始めである。嘘と言っても、騙りの筋を言うのではない。騙りは大罪だから論じるまでもない。これは少しも出任せを言わないこと。出任せを言ったとしても、それが大きな咎となるわけではないが、その出任せが誠の疵になる。この語を小学に載せ、小児に教えている。そこで軽いことの様ではあるが、やはり文言伝と同じく重いこと。誠をそのまま出すことはできない。辞を修めるから中の誠が立つ。医者は五臓六腑を引出さないが、外から薬を使う。辞は末のことの様に心得るが、そうではない。辞を集めて誠が立つ。そこで、辞は外と思いがちだが内と一体であって、それを直方先生が、箱根を贋手形で通っては心持が悪いだろうと言った。ここは、人が自分から一寸嘘を言って、自分で顔を赤くすること。遠くから悪いことが聞こえて来たのではなく、向こうの人がこちらの顔を見れば、自分の嘘から直に自分が赤面する。これは一体だからである。辞と内とは一貫きである。
【語釈】
・文言傳の辞…乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、…子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也。…」。為学6でも述べている。
・いとしなげ…かわいそうなさま。気の毒なさま。
・温公…司馬光。北宋の政治家・学者。字は君実。洓水先生と称。山西夏県の人。太師温国公を賜り司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086
・自不妄語始る…小学外篇善行。「劉忠定公見温公問盡心行己之要可以終身行之者。公曰、其誠乎。劉公問行之何先。公曰、自不妄語始」。

不可子細不理會云々。ここに明道の發明あり。辞を脩めるにも似せかある。そこて理會がいる。この吟味が宋朝へ掛りてのことなり。偖、明石宗伯か幼年の時始てこの講釈して、脩辞立其誠と云は巧言令色とは違ふと説出した。十二歳はかりの時そ。あれも大抵のものてはない。言能脩省言辞便是要立誠。向の人のことてなく、こちを省することなり。そこて誠の功夫ぞ。省は直方先生の、向へちっともつくことでなく、これ見てくれろと云ことてないとなり。又曰、便是れは力らの付字。ここを鉄壁のやうに思ことなり。誠の立てやふか外にもあろふと云に、この外ないとつよく鉄壁の如く見よなり。
【解説】
「不可不子細理會。言能脩省言辭、便是要立誠」の説明。辞を使うにも、誠とは似て非なるものがある。よく理会しなければならない。自省は自分についての誠の工夫である。
【通釈】
「不可不子細理会云々」。ここに明道の発明がある。辞を修めるのにも偽物がある。そこで理会が要る。ここの吟味は宋朝についてのこと。さて、明石宗伯が幼年の時に初めてここの講釈を行い、修辞立其誠は巧言令色とは違うと説き出した。僅か十二歳の時のことである。彼も尋常の者ではない。「言能修省言辞便是要立誠」。他人のことでなく、自分を省みること。そこで誠の功夫なのである。省を直方先生は、向こうには全く関係がなく、これを見てくれと言うことでもないと言った。また、「便是」は力の付く字であるとも言った。ここを鉄壁の様に思うこと。誠を立てる方法が外にもあるだろうと言われても、この外はないと強く鉄壁の如く見なさいということ。
【語釈】
・明石宗伯…柳田求馬。迂斎門下。名は義道。号は村松樵夫。城代の息子。野田剛斎にも師事。黙斎と共同で「胡子知言」を校刊。天明4年(1784年)7月22日没。行年47歳。
・巧言令色…論語学而3。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。

若只是脩飾言辞爲心只是爲偽也。こまかに吟味せ子ばならぬは、我を脩めやうてなく、巻舌て鴬声に飾て云ゆへよく見へる。君子そふなと云。直方の、銅の上へ金をなすると云はるるなり。爲心とはよく書けり。いやなことなり。ひたすらにそれを心かける人あるもの。病人見廻に行にも、向の亭主の聞てよいやふに云まわす。昨日行くへきに今日來たとき、拙者か昨日こぬは轉藥と聞たて今日の容体を見やうためと云なり。外からは、あの人は医心あると云ふ。或は水菓土産に買て來ぬは小兒にあたろうふと云。飾ればとのやうにも云はれるが、これが誠の反体て偽なり。言辞か偽にも誠にもなりて、地獄天堂の境なり。そこて子細に理會が入る。
【解説】
「若只是脩飾言辭爲心、只是爲僞也」の説明。言辞を修飾することで他人によく見られることもあるが、それは偽である。辞は誠にも偽りにもなる。そこが天国と地獄との境である。
【通釈】
「若只是修飾言辞為心只是為偽也」。細かに吟味をしなければならない理由は、自分自身を修めようとせず、巻舌で鴬声に飾って言うのでよく見えるからである。それで、君子の様だなどと言う。直方が、銅の上に金を擦るのと同じだと言われた。「為心」とはうまく書いたものである。それは嫌なこと。只管にそれを心掛ける人があるもの。病人の見舞いに行くにも、向こうの亭主が聞きよい様に言い回す。昨日来る筈が今日来た時に、私が昨日来なかったのは転薬と聞いたので、今日の容体を見ようと思ったからだと言う。他人はその人に医心があると言う。或いは、水菓子を土産に買って来ないのは子供があたるかもしれないからだと言う。言辞を飾ればどの様にもうまく言うことができるが、それは誠の反対、偽である。言辞は偽にも誠にもなる。そこが地獄と天堂の境である。そこで子細に理会しなければならない。
【語釈】
・轉藥…薬を変えること?
・天堂…①天上にあって神仏のいますという殿堂。天宮。②天上界。天国。

若脩其言辞正為立己之誠意乃是云々。これからを別のこと云と見るはわるい。やはり上のことなり。一つことなり。脩言辞か本のことなれは、この上のことなし。ここを細に日本口に耳によく入るやうに讀ふなら、若しの訓をかへて己之誠意の句よりかへりて若きはと讀めは、尚きこへよいなり。上の若只のときはもし、下の若脩のときはごどきとよむべし。若しは設て云訓点なり。若きは指す訓。本んのは敬以直内義以方外なり。爰を先日のは乾坤二つにわけてあるを、明道は一つにして云へり。敬義直方は大切の一ヶ条に立ことなれとも、言辞を脩ると云のて体て取て行くなり。体當はしっかりと身にうけるなり。俗語なれとも字心て説かよい。体は体認、當は承當なり。今當番と云ふやふなもの。我引受るなり。よその咄にするは体當てない。平日めったなことを云はぬと云て、直にはや君子体なり。敬と義は胸と身のよいことなれとも、言の上てもそふ云はぬと云が、じきに内外の功夫になる。言は心の花なり、内外一致なりと、そこを身に引うける。實事なり。實事はつかまへ処を云。敬義内外と云か別のことてなく、辞を脩め、乱りなこと云はぬと心も直くなり、身も脩る。実事は真釼勝負なり。学者のより合て講習討論は早速のことでもないが、実事と云は今日の今からするなり。実のことてないは、畑の上の水練なり。川邊に居てするか実事なり。
【解説】
「若脩其言辭、正爲立己之誠意、乃是體當自家敬以直内義以方外之實事」の説明。言辞を修めるのは我が身で行なう。日々言葉に注意することが、敬義内外の工夫となる。その実践が実事である。
【通釈】
「若修其言辞正為立己之誠意乃是云々」。これ以降を別な話だと見るのは悪い。やはり上の話と同じである。「修言辞」が本当であれば、今までの話はない。ここを細かに日本人の口や耳に合う様に読むとしたら、若[もし]の訓を替え、「己之誠意」の句から返して若[ごとき]はと読めば更に聞こえがよい。上の「若只」の時は「もし」、下の「若修」の時は「ごとき」と読みなさい。若[もし]は設けて言う訓点である。若[ごと]きは指し示す訓点であり、指された本体は「敬以直内義以方外」である。ここのところを先日のところでは乾坤の二つの卦に分けて説明しているが、それを明道は一つにして話した。「敬義直方」は大切な一ヶ条に立つものだが、言辞を修めるというので、体で取って行く。「体当」はしっかりと身に受けること。俗語だが字心で説くのがよい。体は体認、当は承当のこと。今の当番という様なもので、自分が引き受けること。他人の話とするのは体当ではない。平日から滅多なことを言わないとので、直ぐに早、君子の姿となる。敬と義とは心と身をよくすることだが、言葉の上でも滅多なことを言わないというのが直に内外の功夫となる。言は心の花、内外一致と、そこを身に引き受ける。それが実事である。実事は捉まえ処のこと。敬義内外も別なことでなく、辞を修め、妄りなこと言わなければ、心も直くなって身も修まる。実事は真剣勝負である。学者の寄り合いでの講習討論は直ぐにしなければならないことでもないが、実事は今日の今からすること。実のことでなければ、畑の上の水練。川辺で水練をするのが実事である。
【語釈】
・設て…①前もって準備する。前もって用意する。②構え作る。設けととのえる。修繕する。飾りつける。
・敬以直内義以方外…坤卦文言伝。「…直其正也、方其義也。君子敬以直内義以方外。敬義立而德不孤」。為学7でも述べている。
・先日のは…為学6と為学7。
・体認…体験してしっかり会得すること。
・承當…うけつぐこと。継承。
・心の花…①移ろいやすい人の心を、散りやすい花にたとえていう語。②美しい心、風流を解する心、晴れやかな心などを花にたとえていう語。

道之浩々何處手下は、道を得やふと云ときなり。道ははばの廣ひこと。九十九里の海なり。手か出しにくい。そこて辞を脩るとつかまへる。これかならぬと云訳されぬなり。惟立誠纔有可居之処。立誠は親切のつかまへ処あり。温公の語の自不妄語始を学者は大切にすへし。吾黨の学者か程子の尻馬にのりて温公を輕く云たかるか、あれは徹上徹下の語なり。不才ゆへ、をれはならぬとは云はせぬ。誰も今夜からなることなり。只それかつつくつつかぬのことなり。ならぬことてはなし。然らはそれか軽いことかと云に、やはり脩辞立其誠のことなり。東銘戯言戯動のないやうに戒るなり。可居は学者も学者なりに、それて居り処か出来る。火事塲にもすこし鋪石でもあれば、はや灰をかき、そこに腰かけられる。爰は可居業の本文をうけて云ふ。其端的、江戸のせまき庭燈籠の処を四尺四方子り土にしたに、行人坂火事あとて、はや近所の商人かそこへ來て糖を賣て居たことあり。纔に可居も、こふした端的なり。
【解説】
「道之浩浩、何處下手。惟立誠纔有可居之處。有可居之處」の説明。道は広々としていて手を付けられそうには見えないが、辞を修めることで捉えることができる。それは不妄語の実践であり、東銘にも戯言戯動をしない様にとの戒めがある。誠を立てれば居り場ができる。
【通釈】
「道之浩々何処下手」は、道を得ようとする時を指す。道は幅が広い。たとえれば九十九里の海である。手が出し難い。そこで辞を修めると掴まえることができる。これはできないと言い訳することはできない。「惟立誠纔有可居之処」。「立誠」には親切な捉まえ処がある。温公の言った「自不妄語始」を学者は大切にしなさい。我が党の学者が程子の尻馬に乗って温公を軽く言いたがるが、あの語は徹上徹下の語である。自分は不才だからできないなどとは言わせない。誰でも今夜からできること。ただ、それが続くか続かないかということで、できないことではない。それではそれが簡単なことかと言えば、やはり修辞立其誠のことである。東銘は戯言戯動のない様にと戒める。「可居」とは、学者も学者なりにすれば、それで居り場ができるということ。火事場でも、敷石が少しでもあれば、早、灰を掻いてそこに腰掛けることができる。ここは「可居業」の本文を受けて言ったこと。端的に言えば、江戸で庭燈籠のある狭い場所の四尺四方を練土にしたら、行人坂の火事の後で、早くも近所の商人がそこに来て飴を売っていたことがある。「纔可居」もこうしたこと。
【語釈】
・東銘…為学89。
・可居業…乾卦文言伝の辞を指す。
・子り土…①粘土に石灰や小砂利・苦汁をまぜ合せたもの。②原土を水簸・精製し、水を加えて成形しやすく練り上げた陶土。
・行人坂…
・糖…あめ。また、さとう。

可以脩業也。今日の学者か居り塲かない。啓蒙も朱易衍義も洪範もすんたと云へとも役に立ぬ。德業になら子ばつけやきばなり。鯛か來たと云に買もせす、又、我賣もせぬ。鯛々と声かするはかり。口耳三寸の学て、論孟も耳のわきを飛で仕廻なり。終日乾々大小大之事云々。道の浩々も終日乾々も同しことなり。歴々の乾々は、つかまへ処はない。乾の九三の其德持た人なれは、手下の巾持て学者の事にはならぬやふなり。そこを孔子の親切て忠信進德との玉ふは、大小大は、あれほとのこと、さばかりのことと云ことなり。乾々はをもぶり大いけれとも、忠信がつかまへ処なり。誠々をつむて德にすすむ。商人は毎日もふけて分限になる。学者が今日もあすも左傳史記では德に進まぬ。誠をつま子ば德はならぬ。何処から其誠を立ると云に、目を子むりて考へた迚つかまへ処はない。脩辞をつかまへたて実とになる。實には辞字なれとも、実事の実へかけて力を付て見べし。実は空てないゆへ大切なり。何事ても実事のつかまへ処かなけれは役にたたぬ。養生もはば廣は役に立ぬもの。小いことに養生かあることなり。
【解説】
「則可以脩業也。終日乾乾、大小大事。卻只是忠信所以進德、爲實下手處。脩辭立其誠、爲實脩業處」の説明。学者には聖人の乾々たるところを真似することができない様に思えるが、忠信によってその道を掴むことができる。誠を蘊んで徳に進む。それは修辞から始まる。
【通釈】
「可以修業也」。今日の学者には居り場がない。啓蒙も朱易衍義も洪範も済んだと言っても役に立たない。徳業にならなければ付焼刃である。鯛が来たと言っても買いもしないし売りもしない。鯛々と声がするだけ。口耳三寸の学では論語や孟子も耳の脇を飛ぶばかりで中に入らない。「終日乾々大小大事云々」。道の浩々も終日乾々も同じこと。歴々の乾々は掴まえ処がない。乾の九三にある徳を持った人であれば、手を下す幅が大きいので、学者には真似のできないことの様である。そこを孔子が親切にも「忠信進徳」と話された。「大小大」とは、あれだけのこと。それだけのことということ。また、「乾々」は面振りの大きいことだが、忠信がその掴まえ処であると言ったのである。誠を蘊むので徳に進む。商人は毎日儲けて金持ちとなる。学者が今日も明日も左伝や史記を読んでいては徳に進まない。誠を蘊まなければ徳は成らない。何処からその誠を立てるかと言えば、目を瞑って考えても掴まえ処はない。修辞を掴まえることで実になる。実は辞字だが、実事の実に掛けて力を付けて見なさい。実は空でないから大切である。何事でも実事の掴まえ処がなければ役に立たない。養生も全般的なものは役に立たない。小さいことに養生することが役に立つのである。
【語釈】
・啓蒙…
・朱易衍義…朱子の書いた易の衍義。衍義とは、意味をおしひろめて詳しく説いたもの。
・洪範…書経周書の編名。儒家の政治道徳の基本法則に基づいて述べた政治哲学の書。
・口耳三寸…荀子勧学。「小人之学也、入乎耳出乎口口耳之間、則四寸耳」。
・終日乾々…乾卦九三。「君子終日乾乾。夕惕若。厲无咎」。文言伝にもある。
・忠信進德との玉ふ…乾卦文言伝中の孔子の語。「忠信所以進德也」。
・分限…財力のあること。また、その人。富豪。金持。ぶげん者。

乾々とはばの廣ひを、忠信の、脩辞のとつかまへ、其上を實事々々と云てもってつかまへる。又其上を某、司馬温公の語を引かこの章の見とりなり。偖、温公を近思でのけるゆへ其れほどには思はぬが、道統の傳は各別のこと。自不妄語始の語は近思へ出し、この章へは親切なり。誠は妄語せぬことじゃと云はば甲斐ないことなれとも、自不妄語始て手の下し処なり。をとけも悪心では云は子とも、傷易則誕るて、つい猿か三千と云、昨日の藤見花か七尺と云。易きに傷られたなり。それかさしてわる心てなく、二た舛贋秤とは違へとも、其僅の綻ひから誠かきへる。藥を壷へ入れて目はりするで気がぬけぬやうなもの。迂詐からも誠の氣かぬける。そこて、辞て誠を取立る。近思の為学を聞ひて、晩から迂詐を云まいか近く思ふなり。この講釈についてもはや迂詐を云ひたかるは近く思はぬなり。
【解説】
幅の広い誠を忠信や修辞、実事で掴まえる。「自不妄語始」を出したのが親切である。嘘は騙りとは違って悪心はないが、その僅かな綻びで誠が消え去る。嘘を言わない様に心掛けることが近く思うことである。
【通釈】
乾々と幅の広い誠を忠信や修辞で掴まえ、その上に実事と言って掴まえる。またその上に私が司馬温公の語を引いたのが、この章の見取りである。さて、温公を近思録では除けるから、彼はそれほどの者とは思われないが、道統の伝は格別なこと。自不妄語始の語を近思録へ出したのは、この章にとって親切なことである。ただ、誠は妄語をしないことだと言ったのでは甲斐がないが、「自不妄語始」と言うから手の出し処を知ることができる。戯け者も悪心で言うのではないが、「傷易則誕」で、つい孔門を猿が三千匹と言い、昨日の藤見には花が七尺だったと言う。易きに傷られたのである。それが大した悪心からではなく、二升や贋秤とも違うが、その僅かな綻びから誠が消える。薬は壷に入れて目張りをするから気が抜けない。嘘によって誠の気が抜ける。そこで、辞を修めて誠を掴まえる。近思録の為学を聞いて、その晩から嘘を言わない様にしようとするのが近く思うこと。この講釈でも直ぐに嘘を言いたがるのは、近く思わないのである。
【語釈】
・傷易則誕る…克己3。「傷易則誕、傷煩則支」。
・二た舛…不正に量るために升が二種類あること?