第十七 伊川先生曰志道懇切の条  八月二十六日 惟秀録
【語釈】
・八月二十六日…寛政2年庚戌(1790年)8月26日
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

伊川先生曰、志道懇切、固是誠意。若迫切不中理、則反爲不誠。蓋實理中自有緩急、不容如是之迫。觀天地之化、乃可知。
【読み】
伊川先生曰く、道に志すこと懇切なるは、固に是れ誠意なり。若し迫切にして理に中らずんば、則ち反って誠ならずと爲す。蓋し實理の中に自ら緩急有りて、是の如く迫る容[べ]からず。天地の化を觀れば、乃ち知る可し。
【補足】
この条は、程氏遺書二にある。

学問は大事なもの。わるければわるひくせがつく。よければよいにつれて癖が出きる。藝者がはやけをいやがるもそれで、のりの付た処から圖にはつれたがるもの。志道懇切。どうなりとして道理を得たいとすること。直方先生の、此四字先つ俗学にはないことと云へり。立身願の立身をかせくやうで、うそではない。そこをつかまへて誠意と云。大学の誠意の様に重くして見ることでない。一心不乱うそでないことの、のりのつく方から迫切になる。そこををさへたもの。迫切は彼の早氣の処。せまると丁度の処をはづれて来る。却て不誠になる。そこを氣をつけろと云こと。親の寐付れぬときに背中をさすりてやるは親切なれとも、しんせつすぎで眠氣のついた処をもむは、却てさすり起すになる。中理は夙起夜寐と云様なもの。迫切不中理は立て塲で休まぬ様なもの。休ま子は長旅はならぬ。ものには程があるもの。親の喪に奔るほど急なことはないが、礼記に日行百里見星而行くとある。明け方から夕べ迠は行くが夜は行ぬ。
【解説】
「伊川先生曰、志道懇切、固是誠意。若迫切不中理、則反爲不誠」の説明。志道懇切は道理を得ようとすることで、そこに嘘はなく、これを誠意と言う。志道懇切は、俗学にはない。しかし、志道懇切を迫切すると丁度の理から逸れ、却って誠に反することになる。ものには程度がある。
【通釈】
学問は大事なもの。仕方が悪ければ悪い癖が付くし、よければよい方に癖ができる。芸者がせっかちを嫌がるのも、調子付いて作法から外れる様になりがちだからである。「志道懇切」。どうしても道理を得たいということ。直方先生が、この四文字は先ず俗学にはないことだと言った。立身を願う者が立身をしようとする様なことで、虚ではない。そこを捉まえて誠意と言う。これを大学の誠意の様な重いことと考えてはならない。一心不乱で嘘のないことに乗りが付くから迫切となる。そこを抑える。迫切はあの早気の処。迫ると丁度の処を外れ、却って不誠になる。そこを、気を付けなさいと言うのである。親が寝つかれない時に背中を擦ってあげるのは親切なことだが、眠気がついた処を揉むのは親切過ぎて、却って擦り起こすことになる。「中理」は夙に起き夜に寝るという様なもの。「迫切不中理」は立場で休まない様なもの。休まなければ長旅はできない。ものには程度がある。親の喪に奔るというほど急なことはないが、礼記に、「日行百里見星而行」とある。明け方から夕べまでは進むが夜は止まるのが理である。
【語釈】
・はやけ…気早。気の早いこと。また、そういう性質の人。せっかち。
・立て塲…立場。江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。
・日行百里見星而行く…礼記奔喪。「奔喪之禮、始聞親喪、以哭荅使者盡哀。問故、又哭盡哀。遂行、日行百里、不以夜行。唯父母之喪、見星而行」。

自有緩急。俗学なり。緩を主に云ときも、急を主に云ときもある。利害の字なども、利を主に云ふときも害を主に云ふときもある。前後の文で知ることぞ。ここは下に不容如是之迫とあるから緩が主なり。此章、つまりいそがばまわれと云ことぞ。天地の化はそろ々々じゃ。朔日から五日とは越さぬ。正月が早く暖にしたひものなれともさうゆかぬ。梅も散らぬに櫻は咲ぬ。觀天地之化乃可知は、為学の前に道体あるもこのあやぞ。学問は天地の化に象ら子ばならぬ。そこを知りて直方先生の、学問は急ひでならず、ふらついてならず、襷をかけてそろ々々ゆけと云れた。天地は正月二月と急がすに行く。そんならいつも春かと云に、夏へ行く。去年長﨑へ行たものか追付け皈ると聞いた。いつも去年の八月なら皈りはせぬ。そこがぶら付てならずの処そ。
【解説】
「蓋實理中自有緩急、不容如是之迫。觀天地之化、乃可知」の説明。天地はゆっくりと規則正しく動く。それと同じで、学問は迫切してはならない。しかし、ぶらついていては目的地に至ることはできない。
【通釈】
「自有緩急」。緩急は俗字である。緩を主として言う時も、急を主として言う時もある。利害の字なども、利を主に言う時も、害を主に言う時もある。前後の文を見ればわかること。ここは下に「不容如是之迫」とあるから緩が主である。この章は結局、急がば回れということ。天地の化はそろりそろりとゆっくりしている。一日から一機に五日へとは越さない。正月が寒いから早く暖かくしたいものだと思ってもそうは行かない。梅も散らない内に桜は咲かない。「観天地之化乃可知」。為学の前に道体があるのもこの綾からである。学問は天地の化に象らなければならない。そこを知っているから直方先生は、学問は急いでならない、ぶらついてもならない、襷を掛けてゆっくりと行けと言われた。天地は、正月の次は二月と急がずに行く。それならいつも春なのかと言えば夏へ行く。去年長崎に行った者がもうすぐ帰ると聞いた。いつも去年の八月なら帰りはしない。そこが、ぶらついていてはならないと言う処である。
【語釈】
・俗学…「俗字」の誤り。
・追付け…追っ付け。①間もなく。ほどなく。②すみやかに。すぐに。

此章は迫切を戒た章じゃ。今の学者がこれはよいことを承りたと云は了簡違ぞ。急迫は志がするどに立て道を求るに切な方からの病ぞ。此坐に居た学者には志が立ぬから、急迫の病はない。これらも人を出して云がよい。求道迫切なものは、先つ直方先生の弟子で天木善六、迂斎の門ては行藏、三宅の門ては留守希斎でもあろふか、其外はみぬ。此病は一かどのものにある病ぞ。惣体、古人に有った病は今の人にはないと合点するがよい。たま々々古人の病と云のあるも、それを似せたもの。古今の病の吾にないことをも、勝手なことにかけたときは病とする。孟子に可以與可無以與與則傷廉、論語の君子周急而不継冨と云をきいて、しわいものが物をやらぬやふにする。是れが一つ又孟懿子問孝曰無違とある註に無違理也ときいて、こちとの分限では、なんほ親でも下着を絹にしてむまい食ひ物を進ぜるはすぎると、これも勝手なことにかけて無違理を云。古人のあついもので云はば、白無垢を親に着せて挌に合ぬと思はば、袖口を木綿でするがよい。身分に越た孝養をし、萬事親をいこうよくした上に無違を出すがよい。
【解説】
この章は迫切の病を戒めた章だが、我が党に求道迫切の病を持っていた者は天木善六、行蔵、留居希斎だけである。古人にあった病は今の学者にはない。今、この病があると言う者は、聖賢の言を自分勝手に解釈した贋物である。
【通釈】
この章は迫切を戒めた章である。今の学者が、これはよいことを承ったと言うのは料簡違いである。急迫とは志が鋭く立って、道を求めるのに切実なところからの病である。この座にいる学者は志が立っていないから急迫の病はない。ここも人を例に出して言うのがよい。求道迫切な者は、先ず直方先生の弟子では天木善六、迂斎の門では行蔵、三宅の門で留守希斎で、その外には見ることができない。この病は一角の者にある病である。全体、古人にあった病は今の人にはないものと理解しなさい。偶々古人の病と言うこともあるが、それはその病を似せたもの。古今の病が自分にないのにも拘わらず、自分勝手に古人の言を引用して病とする。孟子の「可以與可無以與與則傷廉」や論語の「君子周急而不継冨」を聞いて、吝い者が物を遣らない様にする。また一つ、「孟懿子問孝曰無違」の註に「不背於理」とあるのを聞いて、我々の分際では、たとえ親でも下着を絹にして美味い食い物を進めるのは行き過ぎだと言うが、これも自分勝手に不背於理を引用して言ったこと。古人の心は篤いもので、白無垢を親に着せて格に合わないと思えば、袖口を木綿で作ればよいとする。身分を越えた孝養を行ない、万事親に大層尽くした上で無違を出すのがよい。
【語釈】
・天木善六…天木時中。33歳の時に佐藤直方に入門したが、翌年の享保四年七月に直方が死去したので、その後は三宅尚斎に師事する。1696~1736。
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。享保14年(1729年)~安永5年(1776年)。
・三宅…三宅尚斎。諱は重固。幼名は小次郎。丹治。
・留守希斎…
・可以與可無以與與則傷廉…孟子離婁章句下23。「孟子曰、可以取、可以無取。取傷廉。可以與、可以無與。與傷恵。可以死、可以無死。死傷勇」。
・君子周急而不継冨…論語雍也3。「子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘。吾聞之也、君子周急不繼富」。
・孟懿子問孝曰無違…論語為政5。「孟懿子問孝。子曰、無違」。同集註。「無違、謂不背於理」。

又其外に、泣くもほどがある、哭踊有數と云立て、親族の死にもなかぬがある。是れは礼節を守るでなく、吾がうすい心から泣れぬを紛らかして、無ひ病を取出して病を云のぞ。しかれば迫切の病はないと心得て相応と云もの。それゆへ、今日の学者は志道懇切になりて、其上で迫切の戒がいるぞ。さうない内はない病ぞ。迂斎の病氣のとき、松井材庵が来て、眞の中風を始めて見た。外の人のは皆腎虚からと云た。天地の風には誰も中れとも、真の中風はない。今の学者は志が本んに立ぬから、垩賢の云ふ迫切と云病さへ持ち合せぬ。あまり甲斐ないことぞ。
【解説】
心の薄い人間には、迫切はない。今日の学者には志道懇切になることと、その上で迫切の戒めが要る。今の学者は志道懇切がないから迫切という病さえ持っていない。
【通釈】
またその外に、泣くにも程度がある、「哭踊有数」と言い立てて親族の死にも泣かない者がいる。これは礼節を守るのではなく、自分の心が薄いから泣けないのを紛らかしているのであり、病でもないのに病だと言うのと同じこと。それなら、迫切の病はないと思っても当然である。そこで、今日の学者には志道懇切になることと、その上で迫切の戒めが要る。そうでない内は病はない。迂斎が病気の時に松井材庵が来て、真の中風を初めて見たと言った。他の人のは皆腎虚からだと言う。天地の風には誰もがあたるが、真の中風はない。今の学者は志が本当に立たないから、聖賢の言う迫切という病さえ持ち合わせない。それは、あまりに甲斐ないことである。
【語釈】
・哭踊有數…
・松井材庵…


第十八 孟子才高の条

孟子才高。學之無可依據。學者當學顏子。入聖人爲近、有用力處。又曰、學者要學得不錯、須是學顏子。有準的。
【読み】
孟子は才高し。之を學ぶも依據す可き無し。學者は當に顏子を學ぶべし。聖人に入るに近しと爲し、力を用うる處有り。又曰く、學者學び得て錯[あやま]らざるを要せば、須く是れ顏子を學ぶべし、と。準的有り。
【補足】
この条は、前半が程氏遺書二上から、後半が同書三から採ったもの。

前章はせきみで学ひそこのうこと。するどく形を付よふと云ふと、するどいたての垩賢へ目を付て、表向の騒い計で用のないを戒め、さて、実用になるに此章なり。さて、爰の顔孟は、学問は一つなれとも、ゆく手段が氣質でわかることて、そこを手本にするには、学者の方て学問の手段がちごふなれとも、どっちを手本にしてもよいが、実用に進むときにちがひがあるから出したもの。
【解説】
前章では迫切を戒め、本章で具体的な学び方を述べる。学問は一つであるが、その学び方は学ぶ人の気質と学問の段階によって異なることを、顔子と孟子とを例に出して以下に述べる。
【通釈】
前章は迫切し過ぎて学び損なうことを述べている。鋭く形を付けようとして、鋭い姿の聖賢に目を付けても、表向きが騒がしいだけで役に立たないことをそこで戒め、さて、実用となることについて、この章で語る。さて、学問は一つのことだが、行く手段が気質で分かれるから、誰を手本にするかによって、学者の方の学問の手段が違って来る。顔孟のどちらを手本にしてもよいが、実用に進むのに違いがあるので、それを言うため、ここに顔子と孟子を出したのである。
【語釈】
・せきみ…急き味。前章の「迫切」を指す。
・たて…立て。筋。おもむき。

才高し。生れ付で云。孟子の生れ付き、うけまへが殊の外分なこと。そこで弟子に教るにも大にちごふ。孟子は五十三次を殊の外大股に行から跡のものが追付れぬ。顔孟は同し東海道なれとも、顔子は地道、孟子は大また。これが一つに云はれぬはどふなれば、斉宣王に云たことて云はば、權然後知輕重云々心為甚王度之。心にはかりがある。心のはかりで度るがよいと云。至て靣白いことなれとも、そふ聞てもどうもゆかぬ。惻隠の章でも赤子入井。こなた今はっと云た。そこが仁じゃ。そこから擴充しろ。今赤靣したは羞悪じゃ。それからかかれと云がとふも及はれぬ。又宣王が踊り子のそばで浄瑠理をきくがすきしゃと云へば、其心を民とともにすればよい。昔大王好色好貨云々。いこうあぶない処を云て、さて教になる。手に入たことで真似ならぬことなり。萬章公孫丑咸丘蒙なとも実はうろたへかへして計り居つろふ。孔門の子貢や子游ならさっさと倶々行るるであろふが、孟子は手の引やうがあらいから、外のものは及ひにくい。顔子はめん密に手を引れた。地道に非礼勿視聽言動。手本にしよい。をのしたち、顔子に手を引れて行きやれとなり。あの衆全体へかけて、あちはどふだ、こちがどふだと云ことではない。今学者のゆきよいやうに云たもの。
【解説】
「孟子才高。學之無可依據。學者當學顏子。入聖人爲近、有用力處」の説明。孟子は生まれ付き才が高かった。その才の高さで教えるから、子貢や子游の段階なら孟子にも付いて行けただろうが、萬章や公孫丑、咸丘蒙などの弟子達では追い付けない。それに比べて顔子は地道で、綿密に教える。よって、学び易い顔子を学べと程子が言ったのである。
【通釈】
「才高」。生まれ付きで言う。孟子は生まれた時から殊の外天から授かった才が高かった。そこで、弟子に教えるにあたっても大いに違う。孟子は五十三次を殊の外大股で行くから跡に付く者が追い付けない。同じ東海道でも、顔子は地道、孟子は大股で行く。これを一つに言えないのは何故かと言うと、斉の宣王に言ったことでたとえれば、「権然後軽重云々心為甚王度之」。心には秤がある。心の秤で度りなさいと言う。大層面白い話ではあるが、そう聞いてもどうもうまくいかない。惻隠の章でも赤子が井戸に入る。それで貴方は今はっと言う。そこが仁である。そこから拡充しなさいと言う。今赤面したのは羞悪だ。それから取り掛かれといっても、どうもうまくいかない。また、宣王が踊り子の傍で浄瑠璃を聞くのが好きだと言えば、孟子はその心を民と共にすればよいと言う。「昔大王好色好貨云々」。かなり危ないことを言って、それから教えに繋ぐ。孟子は完全に自分の身に付いたことを話しているのだが、それは他人には真似のできない話である。萬章公孫丑咸丘蒙なども、実は狼狽えてばかりで居辛かっただろう。孔門の子貢や子游なら、二人ともさっさと行うことができただろうが、孟子は手の引き方が荒いから、他の者は近付き難い。顔子は綿密に手を引かれた。地道に「非礼勿視聴言動」で、手本にし易い。お前達は顔子に手を引かれて行きなさいと程氏は言っているのである。聖賢全体に関して、あちらはどうだ、こちらがどうだと言うことではない。今、学者が行きよい様に、顔子を学べと言ったのである。
【語釈】
・權然後知輕重云々心為甚王度之…孟子梁恵王章句上7。「權然後知輕重、度然後知長短。物皆然。心爲甚。王請度之」。
・惻隠の章…孟子公孫丑章句上6。
・赤子入井…孟子公孫丑章句上6。「今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」。
・そこが仁…孟子公孫丑章句上6。「惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辭譲之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體」。
・擴充…孟子公孫丑章句上6。「凡有四端於我者、知皆擴而充之矣」。
・宣王が踊り子のそばで浄瑠理をきくがすき…孟子梁恵王章句下1。王がかつて音楽を好むと言ったことを孟子が王に確認すると、王は、先王の楽ではなくて世俗の楽を好むと答えた。孟子は、世俗の楽でも民と楽しみを同じくすればよいと教える。
・昔大王好色好貨…孟子梁恵王章句下5。「王曰、寡人有疾、寡人好貨。對曰、昔者公劉好貨」。
・萬章公孫丑咸丘蒙…孟子の弟子。
・子貢…孔門十哲の一。姓は端木。名は賜。子貢は字。衛の人。孔子より31歳若いという。
・子游…孔門十哲の一。姓は言。名は偃。子游は字。江蘇呉の人。
・非礼勿視聽言動…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。…顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視。非禮勿聽。非禮勿言。非禮勿動」。

又曰云々。是れは同しことを丁寧にもふ一つ云た。爰は不錯が主なり。学者がをれは、おれは才高の方にせふと云があるまいものでもない。その時に錯るまいなら顔子がよいと云こと。顔子を学ふには、一つ考て見やうと云ことはいらぬ。並木についてゆくのぞ。循々然善誘人博我以文約我以礼。しっかり々々々々とゆく。孟子は好色ずきと云をしかりそうな処をしからずに、大王好色云々とあぶない処までつれてゆきて、をとさぬしかけなり。それしゃでなければゆかれぬ。迂斎曰、顔子を才ひくしと思ふことではい、と。先生曰、顔子は階子の子がこまかであがりよいと云こと。準的をわけて云へば、準は手本にすること。的はまとのことなれとも、是れはくるめて間違ぬ目當のあること。今、馬の名人が二人あろふに、手綱を持たと持たず乘るがあろふ。その時は手綱を持た名人を手本にするがよい。
【解説】
「又曰、學者要學得不錯、須是學顏子。有準的。」の説明。学び方を間違えない様にしたければ、顔子を学ぶ方がよい。顔子は梯子の横木の間隔が狭くて上がり易いのと同じである。孟子は手綱を持たずに馬に乗る名人と同じで、顔子は手綱を持って馬に乗る名人と同じである。そこで、手綱を持つ名人の方が手本とし易い。
【通釈】
「又曰云々」。これは同じことを丁寧にもう一回言ったのである。ここでは不錯が主である。学者の中には才の高い方を学ぼうと言う者がいないとも言えない。その時に、学を誤りたくなければ顔子を学ぶ方がよいということ。顔子を学ぶには、一つ自分で考えて見ようなどとする必要はない。並木に沿って行けばよい。「循々然善誘人博我以文約我以礼」である。じっかりと行く。孟子は宣王の好色を叱ってもよさそうな処で叱らず、「大王好色云々」と危ない処まで話を持って行って、話をうまくまとめる。それでなければうまく行かない。迂斎が、ここで顔子の才が低いと思ってはならないと言った。顔子は梯子の横木の間隔が狭くて上がり易いのと同じである。「準的」を分けて言えば、準は手本にすることで、的はまとのことだが、一緒にして間違えない目当てがあること。今、馬の名人が二人あったとして、手綱を持って乗る者と持たずに乗る者があったとする。その時は手綱を持った名人を手本にするのがよい。
【語釈】
・循々然善誘人博我以文約我以礼…論語子罕10。「夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮」。


第十九 明道先生曰且省外事の条

明道先生曰、且省外事、但明乎善、惟進誠心。其文章雖不中不遠矣。所守不約、泛濫無功。
【読み】
明道先生曰く、且く外事を省き、但善を明らかにし、惟誠心を進めよ。其の文章は中らずと雖も遠からじ。守る所約ならずんば、泛濫して功無からん、と。
【補足】
この条は、程氏遺書二上にある。

この語は明道の呂與叔に告られたこと。呂与叔は横渠の門で、張子の以礼教学者と云門風で、じっかり々々々々とゆきた丈夫な学者で、横渠の門で道統の弟子なり。張子の死後に程門になられた。直方曰、四十以後に呂氏の道体の合点のゆきたは程子の影じゃと云れた。知見のぬけるには、揃ふた全いことを聞てぬけることもあり、又片つりなことをきいてぬけることもあるが、張子の仕立の呂氏ゆへ、さぞ此語なぞてすぽんと知見がぬけたであろふ。殊の外ききつろふと思ふぞ。呂氏は事理礼物から来た学問ゆへ、そこを當然と見るからは、さま々々の用向が沢山ありたとみへる。定てたわけたことであろふはつはない。尤づくめ、日用五倫の上の事であろふ。呂氏か、道ははばの大きいもの、事の上に道理はあるとみて、二六時中来る外事を道理と見すぎた。これもせふ々々とかかって甚事多きなり。これがわるいと訶られもせぬが、日用五倫も此方の仕方でふへてくる。そこで、ちとやめにすることはならぬかやと云れた。やめると云て異端のやふにするではないが、ちと省く様はないかとなり。文會にも、それで且の字不可漫省とある。多葉粉は呑め。たが二服てよかろふと云こと。これから段々云はふなら、親類の看病や祭りの手傳當然なことではあるが、其れ計りにかかってをると、日用こかしにこかさるる。これがそげものになれの、横着ものになれのではないが、ちと学者も棟上けをするがよい。従弟の身帯相談から昏礼の、元服のとかかって居ては、どふも知見もさへず、書をよむ暇もない。大事の棟上けをしやれ。明善の筋をしやれとなり。
【解説】
「明道先生曰、且省外事」の説明。呂与叔は張横渠の門弟だったので事理礼物を重視した。それを明道が、外事を暫く省き、明善を行ってはどうかと忠告した。学問は、事物の理ばかりを追っていても上達しない。しかし、事物の理を窮めることは重要だから、そこで、且く省くと言ったのである。
【通釈】
この語は、明道が呂与叔に告げられたもの。呂与叔は横渠の門弟で、張子の「以礼教学者」という門風によってしっかりと学んだ丈夫な学者で、横渠の門下、道統の弟子である。張子の死後に程門に入った。直方が、四十歳を過ぎて呂氏が道体を理解したのは程子のお陰だと言われた。知見が通るには、完全に揃ったことを聞いて通ることもあり、また、偏ったことを聞いて通ることもあるが、張子が仕立てた呂氏だから、さぞやこの話などですぽんと知見が通ったことだろう。しかし、殊の外耳の痛いことだっただろうと思う。呂氏の学問は事理礼物を基にした学問であって、事理から学ぶのを当然なことと考えるから、様々な事に係る用向きが沢山有ったものと思われる。それは決して戯けたことである筈はない。尤もなことばかりで、日用五倫の上のことばかりだっただろう。呂氏は、道とは幅の大きいもので事の上に道理があると見て、二六時中来る外事を道理として見過ぎた。これもしよう、あれもしようと取り掛かり、甚だ事が多かった。それは悪いことだと訶るべきことでもないが、日用五倫も自分の仕方次第で増えて来る。そこで、少し止めることはできないかと言われた。止めると言っても異端の様にすることではないが、少し省く様な仕方はないかという意味である。文会にもそれで「且之字不可漫省」とある。煙草は呑んでもよい。だが二服だけでよいだろうということ。たとえば親類の看病や祭りの手伝いは当然なことではあるが、そればかりに関わっていると日用のことばかりに煩わされる。だからと言って、変人になれとか横着者になれというわけではないが、学問も棟上げをするのがよいということ。従弟の身帯相談から婚礼や元服にまで関わっていては、どうも知見が冴えない。それでは書を読む暇もない。大事な棟上げをしなさい。明善の筋をしなさいと言った。
【語釈】
・呂與叔…程伊川の門人。呂大臨の字。汲郡の人。
・以礼教学者…
・事理礼物…
・且の字不可漫省…「且の字、漫省す可からず」?
・そげもの…削げ者。変人。奇行ある者。かわりもの。そげ。

明善は知た処の明なこと。知惠の惣まくり。知をみがくこと。孟子と中庸にある字。大学ては挌物致知のこと。これへずっふり這入ること。これが学問の動ぬ全体になると、誠意の塲へもここから行るる。明善でなければ、誠か誠に立ぬ。温公の、誠は大将の首をひろふた様なもの、明善と云ふ本と手があれば、ひろい首てはない。す子からもみ出した身帯なり。そこで進むと云。棟上ヶなり。学者、白人の尤らしいを見て、一目をくは甲斐ない知見ぞ。
【解説】
「但明乎善、惟進誠心」の説明。明善とは知を明らかにすること。この明善から学問が深くなり、全体に広がる。温公は誠を大将の首を拾った様なものと言ったがそれは間違いで、明善が進むことで誠になるのである。
【通釈】
明善とは、知った処が明らかなことで、知恵の総捲りである。知を磨くことで、孟子と中庸にある字。大学では格物致知のこと。そこにずっぷりと這い入る。これが学問の確かな全体となるのであって、そこから誠意の場へも行くことができる。明善でなければ誠が誠として立たない。温公が、誠とは大将の首を拾った様なものだと言ったが、明善という元手があるのだから、誠は拾い首などではない。誠は臑から揉み出した身帯である。そこで「進」と言う。これが学問の棟上げである。学者が素人の尤もらしいところを見て一目を置くのは甲斐のない知見である。
【語釈】
・孟子と中庸にある字…孟子離婁章句上12と中庸章句20にある。「誠身有道。不明乎善、不誠其身矣」。
・白人…素人。

文章は滄溟尺牘や文章軌範を見て書く文章のことではない。身にあらはれた上のこと。それが使者に行てもはき々々ともない。よくもない奉公人と見へても、全体が明善と云からの誠心なれば、二度目にはして取るは、雖不中不遠なり。かへしてゆきたときには、白人は及はぬ筈。よい奉公人と云もの、無学者にあるなり。あてにならぬことなり。外事が不調法でも、ぬけ目があっても、明善に目がつけばこはいことはない。直方先生などは爰に目がありてあれほどになられたもの。をれは洪範は知らぬ。家礼は不吟味。易は知らぬ。丹治にきけなぞと云。実はをふちゃくな云様なれとも、この棟上けのすんだからぞ。そこて晩年、仁義忠信不離于心と云は直方のことじゃと、迂斎の京へ往たとき、三宅先生の云れた。これが即ち文章雖不中不遠のことぞ。さうなる直方が大学一冊持て加茂へ半年引込た。是れをぼく々々した役に立ぬ親父と見ることでない。天下古今を鵜呑にする人ぞ。夫がああしたは、泛濫無功を見たもの。浅見先生の靖献遺言を編るるころ、直方の土佐の谷丹三郎か処へ手紙に、今年から書物箱に封をつけて、四書小学近思の外讀まずは学問が上ろふと云てやられた。泛濫無功を知らせたもの。
【解説】
「其文章雖不中不遠矣。所守不約、泛濫無功」の説明。明善や誠心であれば、最初は外事にうまく対処できなくても、やがては立派にできる様になる。直方は横着な対応をすることがあったが、彼は「仁義忠信不離于心」だった。彼が加茂に引き込んだのも、「泛濫無功」への対処である。
【通釈】
ここで言う文章とは、滄溟尺牘や文章軌範を見て書く文章のことではない。身に表れた上でこと。たとえば、使者に行ってもうまく用を足せない。それでよくない奉公人に見えるが、全体が明善から出た誠心を持っていれば、二度目にはうまく用を足せる。それが「雖不中不遠」である。使いから帰って来た時には、既に素人は彼に及ばない筈である。よい奉公人というのが無学者にあるが、それは当てにならない。外事が不調法でも、抜け目があっても、明善に目が付けば怖いことはない。直方先生などはここに目が付いていたから、あれほどの人物になられた。俺は洪範は知らない、家礼は吟味していない、易は知らない、丹治に聞けなどと言う。横着なことを言う様だが、実はこの棟上げが済んでいたからそう言えるのである。そこで晩年、「仁義忠信不離于心」とは直方のことだと、迂斎が京へ往った時に三宅先生が言われた。これが即ち「文章雖不中不遠」のことである。そんな直方は、大学を一冊持って加茂に半年引き込まれた。これで直方をのんびりとした役に立たない親父だと見てはならない。直方は天下古今を鵜呑みにする人。それなのに加茂に引き込んだわけは、「泛濫無功」を感じたからである。浅見先生が靖献遺言を編集している頃、直方が土佐の谷丹三郎の処に送った手紙に、今年から書物箱に封をして、四書小学近思録の外は読まなければ学問が進むだろうと言って遣られた。それは泛濫無功を知らせたのである。
【語釈】
・滄溟尺牘[そうめいせきとく]…滄溟は、あおあおとした海。あおうなばら。滄海。尺牘は、てがみ。書状。文書。
・軌範…のり。てほん。模範。
・洪範…書経周書の編名。
・丹治…三宅尚斎。
・浅見先生…浅見絅斎。
・泛濫…だだっぴろいこと。わが身に切実でない意。
・直方の土佐の谷丹三郎か処へ手紙…以下の記述は、冬至文凡七道では「佐藤子浅見子に與えし手帖」の中にある。
・谷丹三郎…谷重遠。谷秦山。姓は大神、幼字は小三郎。通称は丹三郎。寛文3年3月11日生れ。17歳で上京、浅見絅斎、山崎闇斎に学ぶ。土佐郡秦泉寺村に移居。その後また上洛して浅見絅斎、佐藤直方に学び、渋川春海に就いて神道を学ぶ。

所守不約。これを雜駁な学のこととばかり見ることでない。四書小学近思計を見るものの上でも、つかまへ処のないもののこと。これが呂与叔へ学問の開眼をしてやられたのぞ。横渠で一疋の建立はすんたが、学問の落慶は此の程語ぞ。所守不約と云ても、俗学とは違ったことじゃと云はふことではない。吾黨の学でもたましいのきまらぬつかまへ処のないは皆これじゃ。
【解説】
「所守不約」の説明。所守不約は俗学のことを指すのみではなく、聖学を学ぶ者にも当て嵌る。魂が決まらず、学問の掴まえ処のない者は皆これである。
【通釈】
「所守不約」。これを雑駁な学に関してのことだとばかり見てはならない。四書小学近思録ばかりを見る者の中でも、学問の掴まえ処を知らない者に言ったことで、これで呂与叔に学問の開眼をしてあげたのである。横渠によって学者としての建立は済んだが、学問の落慶はこの明道の語のお陰である。所守不約と言っても、それは俗学と違っていることだということではない。我が党の学問でも、魂が決まらず、学問の掴まえ処のない者は皆これである。

さて、此条の外事と云がわるい。外事なら省け位では足らぬが、人倫日用きまった上のことぞ。なれとも省き様がある。五節句の礼でも、爰彼しこで長話すれば一日もかかる。又早くすまそうとすれば一寸すむもの。某が思ふに、途中で人に逢て、立て居て長咄するものに役に立ものはない。玉しいがきまればあんなことはないもの。其魂で近思をみては、皆済んでからが十四篇がそろ々々するから役に立ぬ。学而の題下に入道之門積德之基と云注がある。入口土臺と云が大切のこと。これが約の字のことそ。約かなければ門に入り様はないぞ。
【解説】
外事を省く方法はある。「所守約」とすればよい。学問は入り口が肝心である。
【通釈】
さて、この条の外事が悪い。「省外事」と言う位ではうまく行かないのであって、それと言うのも外事は人倫や日用という決まったものの上にあるからである。しかしながら外事を省く方法はある。五節句の礼でも、ここかしこで長話をすれば一日も掛かる。また、早く済まそうとすれば一寸で済む。私が思うに、途中で人に逢い、立って長話をする者に役に立つ人はいない。魂が決まればあの様なことはしない。その様な魂で近思を見ては、皆読み終わっても十四篇がしっかりと根付かないから役に立たない。学而題下に「入道之門積徳之基」という注がある。入口や土台が大切だということ。これが約の字で、約がなければ門へ入る手段はない。
【語釈】
・五節句…毎年五度の節句。正月七日(人日)・三月三日(上巳)・五月五日(端午)・七月七日(七夕)・九月九日(重陽)の総称。
・入道之門積德之基…論語学而題下。「此爲書之首篇。故所記多務本之意。乃入道之門、積德之基、學者之先務也」。


第二十 学者識得仁體の条

學者識得仁體、實有諸己、只要義理栽培。如求經義、皆栽培之意。
【読み】
學者仁の體を識り得て、實[まこと]に諸を己に有せば、只義理もて栽培するを要す。經義を求むるが如きは、皆栽培の意なり。
【補足】
この条は程氏遺書二上にある。

そも仁と云ものはこふしたものじゃなと云が仁の体なり。これが孔子より後の学者に入用なこと。孔門は、仁のもやうは知た。あの問仁々々あるは、仁になりやうを問たのぞ。今のものは仁を知らぬから、仁の靣貌から知るでなければならぬ。人の上でも吾が上でも、あれが仁のすがたじゃなと知ること。祖父が孫の飯をくふを、脇て蝿を追てにこ々々しておる。あれが仁の繪姿ぞ。直方曰、仁は綿帽子の様なもの。ほや々々したもの、と。程子も仁を雛子で譬へた。同しことても雛子や犬の子愛らしいもの。もや々々したものが仁の体なり。
【解説】
「學者識得仁體」の説明。仁の体とは仁の姿のこと。孔門は仁を知っていたが、今の学者は仁の体を知らない。仁の体とは綿帽子や雛や子犬の様な愛らしいことで、ほのぼのとしたものである。
【通釈】
仁とはこうしたものだなというのが仁の体である。仁の体を知ることが、孔子以後の学者にとって必要である。孔門は仁の模様を知っていた。論語に多く「問仁」とあるのは、仁へのなり方を問うたのである。今の者は仁を知らないから、仁の面貌を知ることから始めなければならない。人の上でも自分の上でも、あれが仁の姿だなと知ること。孫が飯を喰っている脇で祖父が蝿を追いながらにこにこしている。それが仁の絵姿である。直方が、仁は綿帽子の様なものだと言った。ほやほやしたものだ、と。程子も雛でたとえた。それは直方の言ったことと同じであって、雛や犬の子は愛らしいもの。そのもやもやしたものが仁の体なのである。
【語釈】
・問仁…論語雍也20。「樊遅問知。…問仁。曰、仁者先難而後獲。可謂仁矣」。顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁」。顔淵3。「司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒」顔淵22。「樊遅問仁。子曰、愛人」。子路19。「樊遅問仁。子曰、居処恭、執事敬、與人忠。雖之夷狄、不可棄也」。

有諸己。玉録や語類で仁の文義をすますことでない。仁の姿をこちの胸へ入るること。仁を胸へ入るると、こいよと呼ふ声も出て、小作人に逢ふ迠もそれを出す。さてこれが大きいことで、又夫からの手をきが大事なり。麥畠は干鰯でこやす。仁の畠は干鰯ではこへぬ。義理栽培がこやしなり。道理を胸へをかぬと人欲がさかんになる。人欲は仁の歒藥、ひるに塩なり。仁に人欲をかけるとひり々々になる。義理栽培せぬと仁がのだたぬ。直方曰、生ヶ花は水を灌くで生きる。義理に漫りてをるで人が生きる。人欲の這入らぬために義理を胸へ入れておく。
【解説】
「實有諸己、只要義理栽培」の説明。仁を体得するとは、本で文義を理解することではなく、仁を心に入れること。仁を得てからは、その後の手入れが重要であって、その手入れは義理で行う。人欲によって仁が台無しになるから、仁欲が這い入らない様に義理を胸に入れて置く。
【通釈】
「有諸己」。仁を自分に持つとは、玉録や語類で仁の文義を理解することではない。仁の姿を自分の胸に入れること。仁を胸に入れると、来いよと呼ぶ声も出て、小作人に逢った時にまでも仁が出て来る。さてこれが大きなことで、また、それからの手置きが大事なところである。麦畠は干鰯で肥やす。仁の畠は干鰯では肥えない。「義理栽培」が肥やしとなる。道理を胸に置かないと人欲が盛んになる。人欲は仁の敵薬であって、蛭に塩である。仁に人欲を降り掛けると仁は萎れてしまう。義理栽培をしないと仁が育たない。直方が、生花は水を灌ぐので生きていられる、義理に浸っているので人が生きられると言った。人欲が這い入らない様に義理を胸に入れて置くのである。
【語釈】
・玉録…玉山講義附録(三巻)。保科正之が山崎闇斎に命じて編集したもの。寛政五年九月に成る。玉山講義は朱子が六十五歳の時、玉山にて講義したもので、凡そ三千字の文章。
・語類…朱子語類。
・手をき…手置き。常に心を用いて取り扱っておくこと。
・歒藥…①配合のぐあいによって毒となる薬。②食い合せて毒になるもの。食い合せ。

如求經義云々。胸中で仁のこやしをするには論語孟子をきくことぞ。書は挌致のことで仁のことではないやうなれとも、格致の吟味がこやしになる。そこでやはり子夏の切問近思仁在其中と云れたも此意なり。道理を胸へためるでこやしになる。道理を知ら子ば人欲がはばびろ出る。人を押し倒しても私をする。仁はたった一人、天理計りを相手にするもの。人欲と云ふ乗合舩には乗らぬもの。求經義はわさなれとも、それが胸のこやしをする。さればこそ、古者君子無故則不舍琴瑟。音樂に心をよせるで人欲が這入らぬ。書物は道理の吟味でこそあるに、横渠は書以維持此心と云。これもこやしなり。これが傷寒を益氣湯でなをした様なもの。名医がなをしたから、跡のものもこれでなをすぞ。經義を求るがどふして仁の為になるぞ。益氣湯がどふして外邪を繋つぞ。不審ものなり。これ、名人の手段。
【解説】
「如求經義、皆栽培之意」の説明。経義は道理を知るため、つまり格物致知のことだが、その格物致知が仁を育てることにもなる。道理を知らなければ人欲が出て来て仁を台無しにする。仁は人欲と一緒にならない。経義は妙薬の様なもので、これを用いることが名人の手段なのである。
【通釈】
「如求経義云々」。胸中で仁に肥やしをするには論語や孟子を聞くのがよい。書は格致のことで仁には関係がない様だが、格致を吟味することが仁の肥やしになる。そこでやはり、子夏が「切問近思仁在其中」と言われたのもこの意なのである。道理を胸に溜めるから肥やしになる。道理を知らなければ人欲が幅広く出て来る。人を押し倒しても私をする。仁はたった一人で天理だけを相手にするもので、人欲という乗合船には乗らない。求経義は業だが、それが胸の肥やしとなる。それだからこそ、「古者君子無故則不舎琴瑟」であって、音楽に心を寄せるから人欲が這い入らない。書物とは道理の吟味のためにこそあるものだが、横渠は「書以維持此心」と言った。これも肥やしのこと。それは傷寒を益気湯で治す様なもの。名医が治したから、後の者もこれで治す。経義を求ることがどうして仁のためになるのか。益気湯がどうして外邪を撃つのか。不審なことである。しかし、これが名人の手段なのである。
【語釈】
・切問近思仁在其中…論語子張6。「子夏曰、博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣」。
・古者君子無故則不舍琴瑟…礼記曲礼下。「君無故玉不去身。大夫無故不徹縣。士無故不徹琴瑟」。
・書以維持此心…「書を以って此の心を維持す」?
・傷寒…漢方医学で、急性熱性疾患の総称。今の腸チフスの類。
・益氣湯…漢方の薬名。


第二十一 昔受学於周茂叔条

昔受學於周茂叔、毎令尋顏子仲尼樂處。所樂何事。
【読み】
昔學を周茂叔に受けしとき、毎[つね]に顏子仲尼の樂しむ處を尋ねしむ。樂しむ所は何事ぞ、と。
【補足】
この条は程氏遺書二上にある。

垩賢の教はさま々々で、したたか細かに云含めてもきこへぬを、これ々々と云て耳をひくほどにするをば提耳と云。さうかとをもへば又、かすると云こともある。提耳は詩經にある。かするは孟子の引而不發躍如たりのこと。ちらりと聞て、こちから踊り出ること。此章はかするのことなり。是をきいて何で有ふ彼で有ふと云も間違ぞ。学問が上りた上てなくてはならぬこと。
【解説】
聖賢の教えは様々であるが、その教え方にも提耳やかするなどがある。この章はかする教えである。
【通釈】
聖賢の教えは様々とあって、大層詳しく言い聞かせても理解できないところを、これこれと言って耳を引っ張るほどに教えるのを「提耳」と言う。そうかと思えばまた、かするという仕方もある。提耳は詩経にある。かするは孟子の「引而不発躍如也」のこと。ちらりと聞いて、自分から踊り出ること。この章はかすることを話している。これを聞いて、聖賢の教えとはこれだあれだと言うのは間違いである。学問が上達した上でなくては理解できない。
【語釈】
・提耳…詩経大雅抑。「於乎小子、未知藏否、匪手攜之、言示之事。匪面命之、言提其耳、借曰未知、亦既抱子。民之靡盈、誰夙知而莫成」。
・かする…掠る。擦る。ほのめかす。諷する。
・引而不發躍如たり…孟子尽心章句上41。「孟子曰、大匠不爲拙工改廢縄墨。羿不爲拙射變其彀率。君子引而不發、躍如也。中道而立。能者從之」。

昔をれが師匠の処でと云と、今人はわざて云、五經の吟味かと云が、これは周子の只の咄なり。一度計ではない。毎度のことじゃと云が毎の字なり。顔子は単瓢陋巷不改其樂、孔子は食疏食飲水云々樂在其中。どっちもこのましいことではないが、あなた方の樂と云塲はどふだと思ふと云なり。樂處は、たのしむ塲はと云こと。所樂は、たのしみやうのはと跡からさすこと。
【解説】
孔子や顔子は貧しかったが、それでも楽しみの中に居た。「楽処」とは楽しむ場、「所楽」とは楽しみ方の意である。
【通釈】
昔、俺が師匠の処でと言って、今の人は業で話をし、五経の吟味がどうのこうのなどと言うが、ここは周子のただの話である。一度だけではなく、毎度のことだと言うのが「毎」の字の意味である。顔子は「箪瓢陋巷不改其楽」、孔子は「食疏食飲水云々楽在其中」である。どちらも好ましい暮らし振りではないが、貴方の楽の場はどの様なものかと周子が言ったのである。「楽處」とは、楽しむ場は何処かということ。「所楽」とは、楽しみ方は何かということで、後ろから読む。
【語釈】
・単瓢陋巷不改其樂…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一箪食一瓢飲在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。
・食疏食飲水云々樂在其中…論語述而15。「子曰、飯疏食、飲水、曲肱而枕之。樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲」。

令尋。とうした塩梅じゃと云ことを氣をつけてみよ々々と云こと。これが周子の云てきかそふでもなし、云てきかされぬてもない。云て聞かされぬとて、浮屠の言語道断心經路絶それではないが、ここらは人に聞ては為めにならぬこと。そこで周子かく云たばかり。引而不発なり。又、明道の其の訳を云て半分云たも引而不発なり。すれば爰の令尋を某底で封をきろふことではない。合点するものは合点する。程門が、顔子所樂は樂道てあろふと云た。是れがはづれではないが靣白ない。そこで程子がいたつらを云れて、樂道則非顔子と云た。樂と云はけば々々しいもの。これはどふだこうたと云と浅くなる。上戸の酒を飲を見て、下戸かうまいて呑むかからいで呑むかと云ても、下戸には酒の味は語られぬ。そこて上戸かにっこりと笑てをるでよい。酒はむ子がひらけるのあたためるのと能書きをよむは、本んの上戸でない。今日から茶を始めて風雅になると云て茶めく底をして圍ひを立てても、それで利休が茶人とはうけ取らぬ。形てゆくことでない。云取れぬことは云ぬでよいもの。西行が、松嶋や小嶋いかにと人問はは、何と答む言の葉もなしは、松嶋の景色は云れぬと云たてよく、松嶌を見たことなり。言外でなければ本んに合点したではない。これは、封は切られぬが、先つ、是程に筋を分けてをいたら跡ですまふ。
【解説】
学問は人から教えてもらっても自分のためにはならない。また、説明をすればするほど面白味がなくなる。言い表せないことは言わない方がよく、本当のことは言外にこそある。
【通釈】
「令尋」。それはどうした塩梅なのかと気を付けて見なさいということ。これは周子が言って聞かそうとしたのでもなく、言って聞かさない様にしたのでもない。言って聞かさなかったとしても、浮屠の言語道断心経路絶の様なことではないが、ここは人に聞いては自分のためにならないということ。それで周子がこの様に言っただけなのであり、これが「引而不発」である。また、明道がその答えを半分言ったのも引而不発である。そこで、ここの令尋に対し、私の様な者が答えを言う立場ではない。合点する者は合点する。程門が、顔子所楽とは道を楽しむことだろうと言った。それは間違いではないが、それでは面白味がない。そこで程子が悪戯をされて、「楽道則非顔子」と言った。楽はけばけばしいもの。楽をどうだこうだと説明すれば浅くなる。上戸が酒を飲むのを見て、下戸が甘口と辛口のどちらが好きかと聞いても、下戸に酒の味を語るのは無駄である。そこで、上戸はにっこりと笑っているのがよい。酒は気分がよくなるとか温まると能書を並べるのは、本当の上戸ではない。今日から茶を始めて風雅になろうと言って、茶めく振りをして茶室を建てても、利休はそれを茶人とは認めない。形ですることではない。言い表せないことは言わないでもよい。西行の、松嶋や小嶋いかにと人問わば、何と答えむ言の葉もなしは、松島の景色は言葉に表せないと言うのでよく、松嶋を本当に見たのである。言外でなければ本当に合点したことにはならない。ここは口では表せないが、先ずはこれほどに筋を通して置けば後に理解することができるだろう。
【語釈】
・浮屠…①仏陀に同じ。②卒塔婆。塔。③転じて、仏寺・僧侶の意
・言語道断心經路絶…
・圍…茶室。

孔顔がけば々々しい樂のある筈はない。俗人から見て大苦労になることを、何共思ずしておられたのぞ。されとも不食貧樂の筋でない。あれはせまった上のこと。あまり寒さにの筋で一とそげそげて云口上ぞ。又、邵子の眞樂攻心無如何は、どふも樂に催促に合ふと云。それは樂くさいなり。直方の、靣が白くて玉がられぬのじゃと云れた。のって云だけ樂くさい。孔顔の樂は彼是云はずになんともないのが樂なり。こう云へばつい封をきったやうなれとも、令尋からは弟子の方へ渡したのなり。わけを聞ても胸へのせ子ば役にたたぬ。こう聞て胸へのせること。爰らを今東金ではやる本心會得のやうに心得るはちがいぞ。あれは禪の機語のやうじゃ。されとも禪などと云てはあまり御丁寧な御挨拶。つまり判じもの。有智無智三十里の筋ぞ。ここは重ひことで、何となく此の味がすめて来たら奧の觀聖賢をのぞいて見たのぞ。これがなせ為学にあるなれば、学問に大きな規摸だから、はばを合点するためぞ。さあこれが心にのったと云日にはつっかけ侍從じゃぞ。漢唐にこんな語はないこと。
【解説】
大変な境遇にあった孔子や顔子の楽は、言葉で説明できる様なものではない。学問とは言葉に表せないほど規模が大きいものであって、これを理解することができれば聖賢の侍従である。
【通釈】
孔子や顔子にけばけばしい楽がある筈がない。俗人から見れば大苦労になることを、何とも思わないでし遂げられていたのである。しかしながらそれは不食貧楽の筋ではない。不食貧楽は切羽詰まったこと。あまりの寒さで段々削げて言う口上である。また、邵子の「真楽攻心無如何」は、どうも楽の催促に合うということで、それでは楽臭い。直方が、面白過ぎて驚かないのだと言われた。乗って言う分だけ楽臭い。孔顔の楽はかれこれ言わず、何でもない。こう言えばつい説き始めた様になるが、令尋からは弟子の方に話を渡したこと。わけを聞いても胸に乗せなければ役に立たない。こう聞けば、学問を胸に乗せなければならない。ここのところを今東金で流行る本心会得の様に心得るのは間違いである。あれは禅の機語の様なもの。禅などの言葉を使ってはあまりに御丁寧な御挨拶。それではつまり判じ物になって、有智無智三十里の筋である。ここは重要なところで、何となくここの吟味が済んで来たら、この先にある観聖賢を覗いて見たことになる。これが何故為学にあるかと言うと、学問は大きな規模だから、その幅を合点するためなのである。さあ、これが心に乗ったという日には、直ぐに聖賢の侍従となる。漢唐にこんな話はない。
【語釈】
・不食貧樂…不食貧楽高枕。清貧に甘んじること。
・眞樂攻心無如何…
・機語…
・判じもの…判じ物。謎の一種。文字・絵などに或る意義を寓して、それを判じさせるもの。
・有智無智三十里…
・つっかけ…①最初。すぐ。いきなり。②直接。じか。


第二十二 所見所期不可不遠且大

所見所期、不可不遠且大。然行之、亦須量力有漸。志大心勞、力小任重、恐終敗事。
【読み】
見る所期する所は、遠く且つ大ならざる可からず。然れども之を行うには、亦須く力を量りて漸有るべし。志大にして心勞し、力小にして任重くんば、恐らくは終に事を敗らん。
【補足】
この条は程氏遺書二上にある。

前は周程の話。夫が何じゃと思へば孔顔のこと。及ひもないこと。そこて次へあぐみの付ぬ様に安心の処を出した。長﨑へ行ぬ前に長﨑の遠は知たが、あれを一々思ふとあぐむことであろふ。そこで前に志を大きくして、さしつかへぬ様にしてをくこと。長﨑の遠いは知て、足は東金の蹈出しからじかり々々々ゆくでゆかるる。足は行ずに只長﨑をと云と、心がいりもみして禪学に苦んだ僧の氣のちがったやふになる。志と吾がしてゆく処は、まあ當分二つにするがよい。急に飛たがるはよくない。志は長﨑で、足は我分次第でじかり々々々ゆくこと。迂斎曰、所見は道体の見処のこと。所期は垩賢の塲へ至ろふと云こと。天地道体へ目を付け子は垩賢には至られぬ。そこで心を遠大にしてかから子ばならぬ。無筆が手本に義之や尊圓はあんまりじゃと云ことはない。
【解説】
「所見所期、不可不遠且大」の説明。前条は孔子や顔子のことで、とても及びそうもなく飽きてしまいそうなので、次条にこの条を出した。志は天地道体に目を付けた遠大なものでなければならないが、実際の行動は自分の技量に合わせてするのである。
【通釈】
前条は周子と程子との話。それは何かと思えば孔子や顔子のこと。それは及び様もないこと。そこで次の章には倦みの付かない様に、安心することのできる処を出した。長崎へ行く前でも長崎が遠いことは知っているが、その行程を一々思うと倦むことであろう。そこで事前に志を大きく持って、差し支えのない様にしておく。長崎が遠いことを知って置いて、足は東金の出発点からじっくりと行くので長崎へと行くことができる。足を動かさずにただ長崎へ行こうと言えば心が苛立って、禅学に苦しんだ僧の気が違った様になる。志と自分が実際に行うこととは、まあ当分は二つに分けて考えた方がよい。急に飛びたがるのはよくない。志は長崎でも、足は自分の技量に合わせてじっくりと行くのである。迂斎が、「所見」とは道体の見処のこと。「所期」とは聖賢の場へ至ろうということだと言った。天地道体に目を付けなければ聖賢に至ることはできない。そこで心を遠大にして掛からなければならない。無筆の手本に羲之や尊圓ではあんまりだなどということはない。
【語釈】
・あぐみ…倦み。もてあましていやになること。
・いりもみ…いり揉む。①はげしく揉む。風などが吹き荒れる。②はげしく気をいらだたせる。身をもむ。③是非願いを叶え給えと祈る。
・迂斎…稲葉迂斎。黙斎の父。
・無筆…文字を読んだり書いたりすることを知らないこと。読み書きのできないこと。無学。文盲。
・義之…王羲之。東晋の書家。字は逸少。307?~365?
・尊圓…尊円法親王。伏見天皇の皇子。名は守彦。青蓮院門主・天台座主となる。和歌に秀で、また書を世尊寺行房・行尹に学び、小野道風・藤原行成の書法を参酌して青蓮院流(後の御家流)を開いた。1298~1356

須量力有漸。これが忝いことで、相応々々にしてゆくこと。大人と小児の灸の違ふ様なもの。小児に大人の様に四花を千壮もすへるとすへころす。只垩賢を々々々と云とあくみては子出される。今の学者もつとめる。顔子もつとめる。それ々々のつとめ様がある。子共相応には土産もちごう。竹馬や干菓子ぞ。
【解説】
「然行之、亦須量力有漸」の説明。人それぞれに努め方が各々ある。努め方を間違えると台無しになる。自分の力量相応に行くのである。
【通釈】
「須量力有漸」。これが忝いことで、自分の力量相応にして行くこと。それは、大人と小児との灸が違う様なもの。小児に大人の様に四花を千壮もすえれば、すえ殺すことになる。ただ聖賢をと望んでも、倦んで道から跳ね出される。今の学者も努める。顔子も努める。それぞれにその努め方がある。子供に相応しい土産は違う。竹馬や干菓子である。
【語釈】
・四花…灸の種類ではないか?
・壮…灸をすえる回数、または艾の分量を数えるのに用いる。

志大心労。これが垩賢の親切。手本は大きく出して量力がよい。直方曰、わき師の權右ェ門がやうにうたへではない、と。權右ェ門は其比一番の高声なり。吾声だけに高砂を謡へと云こと。志があまり大きいとならぬことをせふとかかる。そこを、心を労すと云ぞ。弱ひものがをれも江戸へ日づけに行ふと云と、行着ぬのみならず、道中で煩ふ。力小任重。やせ馬に重荷二度にやるより暇取りになることがあるもの。
【解説】
「志大心勞、力小任重」の説明。志があまりに大きいと、できないことをしようとする。それでは成就することはできず、却って悪くなることがある。
【通釈】
「志大心労」。これが聖賢の親切である。手本は大きく出して力を量るのがよい。直方が、脇師の権右ェ門の様に謡えということではないと言った。権右ェ門はその頃一番の高声だった。自分の声の高さに合わせて高砂を謡えということ。志があまりに大きいと、できないことをしようと取り掛かる。そこを、心を労すと言う。体の弱い者が俺も江戸へ日着けに行こうと言うと、行き着かないだけでなく、道中で煩ってしまう。「力小任重」。痩せ馬に重荷を背負わせれば、二度に分けて運ぶより時間の掛かることがあるもの。
【語釈】
・わき師…脇師。能でワキを専門とする役者。ワキ方。
・日づけ…日着け。その日のうちに目的地へ達すること。

さて此条、上の条の周子の大いことからうけて量力を云たか忝いこと。学問の目當は大いものゆへ、漸でなければゆかれぬ。某が若い学者のすすむとてあまり悦はぬもそれて、此道学至て大なことなれば、中々得られぬこと。あくみつけば頼母鋪と思た学者もやめるもの。夫れを見て直方先生の、志ありもやせんとたまされて幾度説きし口をしの世やとは云たもの。三宅先生の弟子によいものの出来たも、先生のまていな教方からゆきたもの。志と云は虚に大きくもなるもの。漸の心がなければつつかぬ。
【解説】
学問の目当ては大きいものだから、漸でなければ行き着けない。才能のある者も倦みが出れば、そこで学問は終わる。
【通釈】
さてこの条は、前条の周子の大きい話を受けて量力を言うのが忝いところ。学問の目当ては大きいものだから、漸でなければ行き着けない。若い学者の学問が進むからといって、それを私があまり悦ばないのもこれと同じで、この道学は至って大きなことだから、中々会得することができない。倦みが付けば頼もしいと思った学者も学問を止めるものである。それを見て、直方先生が、志ありもやせんと騙されて幾度説きし口惜しの世やと言った。三宅先生の弟子によい者ができたのも、先生の地道な教え方からである。志は無闇に大きくもなるもの。漸の心がなければ続けられない。
【語釈】
・三宅先生…三宅尚斎。


第二十三 朋友講習の条

朋友講習、更莫如相觀而善工夫多。
【読み】
朋友講習するは、更に相觀て善くする工夫の多きに如くは莫し。
【補足】
この条は程氏遺書二上にある。

小学を讀むものも親義別序信の信が朋友にあたるは知りたが、講習のよいことを知らぬ。信とあるからも、講習なくてはならぬ。これが易の兌の卦の象傳の字なり。兌は沢でうるをすもの。岸の松も下の沢でうるをす。其象を孔子のかけたもの。朋友講習は自然、あるべきもの。講習のない朋友出合は目白のをし合ひ、四十からは四十からで聚る。彼鳥を見れば友を求る声ありなり。禽獣は只類てあつまる。人間は出合の上に吟味ことがある。たんてき父兄をもちてはや孝悌の吟味をするは講習なり。孝心なものが、親が学問がきらいだからやめようかと云へば、朋友が、やめずにも孝行の仕方はあろふと吟味して、よきほどにする。朋友の信は四季の土用に當って四倫に味をつけることぞ。それが朋友の任なり。直方先生が、今のは鰹の出合じゃと云れた。任がないからなり。
【解説】
「朋友講習」の説明。禽獣は類によってただ集まっているだけだが、人には講習というものが当然なものとして備わっている。朋友は五倫の信であり、その信は他の四倫に味を付けるものである。それが朋友の任でもある。今の朋友には任がないから、鰹の群と同じである。
【通釈】
小学を読む者でも親義別序信の信が朋友に当たることは知っているが、講習のよさを知らない。信とあるのだから、講習がなくてはならない。これは易の兌の卦の象伝の字である。兌は沢で潤すこと。岸の松も下の沢で潤す。その象を孔子が繋けたもの。朋友講習は自然で当然にあるべきもの。講習のない朋友の出合いは、目白の押し合いや、四十雀が四十雀だけで集まっている様なもの。あの鳥を見ると、友を求める声があるのがわかる。禽獣はただ類によって集まる。人間は出合いに際して吟味事がある。端的に言えば、父兄を持てば、そこで直ぐに孝悌の吟味をするのが講習である。孝心のある者が、親は学問が嫌いだから学問を止めようかと言えば、朋友が、止めなくても孝行の仕方はあるだろうと吟味をして、よい具合にする。朋友の信は四季の土用と同じで、他の四倫に味を付けるもの。それが朋友の任である。直方先生が、今の朋友は鰹の出合いだと言われた。任がないからである。
【語釈】
・親義別序信…孟子縢文公章句上4。「人之有道也、飽食煖衣、逸居而無敎、則近於禽獸。聖人有憂之。使契爲司徒、敎以人倫。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」。
・易の兌の卦の象傳の字…兌(兌爲澤)。「象曰、麗澤兌。君子以朋友講習」。

更には分なこと。相觀而善するは学記の字。易と礼記を合せたこと。これは講習の外に人のよいを見て、こっちへ取ること。あの男が不断のやりばなしには似合ぬ。思ひの外、親類の病などにはよく世話をすると云て取ること。工夫多は二つを結で云こと。講習は学問でわさのこと。相觀は講習の上でなく、向のを互に取るなり。工夫は今すること。ここのはちとちがへとも、これはこちの仕上けの效迠こめてみることなり。两方て仕て取るから功夫多ひぞ。此ではもふかると云やふなもの。作をしながら商をもするの筋ぞ。
【解説】
「更莫如相觀而善工夫多」の説明。講習とは学問をすることなので業のことだが、相観は業ではなく、互いに相手のよいところを得ること。講習と相観の双方を工夫するから、工夫が多いのである。
【通釈】
「更」とは分なこと。「相観而善」は学記の字。ここは易と礼記を合わせたもの。これは講習の外のことで、人のよいところを見て、それを自分のものにすること。普段遣りっ放しのあの男には似合わず、思いの外、親類の病の際などにはよく世話をすると言って、それを自分のものにする。「工夫多」とは、講習と相観の二つを結んで言うこと。講習は学問で業のこと。相観は講習の上ではなく、互いに相手のよいところを取ること。工夫は今すること。ここは少し違う見解ではあるが、これは自分の仕上げの効まで込めて見ること。講習と相観の両方でして取るから功夫が多いのである。これは儲かるという様なもの。物を作りながら商いもするという筋である。
【語釈】
・分…①区別すること。②当然そうあるべきこと。
・学記の字…礼記学記。「相觀而善之謂摩」。


第二十四 須是大其心の条

須是大其心使開濶。譬如爲九層之臺、須大做脚、始得。
【読み】
須く是れ其の心を大にし開濶ならしむべし。譬えば九層の臺を爲[つく]るが如き、須く大いに脚を做[つく]るべくして、始めて得。
【補足】
この条は程氏遺書二上にある。

いつも云通り、学問は心てすること。垩人に至る学を受るは心なり。夫れで野廣くしてはばを廣げてをか子ば垩賢のことがのせられぬ。某が家を立るには小さひ畠てもすむが、大名の屋鋪を建る地靣はめったには受合れぬ。道中するも二三人の人足はじきに出る。大名のどふぜい大なことなり。そこで先觸がなくてはならぬ。曲学詩文章かきには大心の先觸は入らぬ。これをさきにある張子の大心の章の様に見ることでない。中は一つことなれとも、あれは定性書をきかれてから、張子の世間の外事が邪魔にならぬことを云ふ。此章の大心は学問して堯舜孔子の様になること故、ちっとやそっとのことではのせられぬから、前かどに心を大くすること。今日の人は心がちひさいから、をれも一生にどふぞと云望ことの語勢のつよさ、さもきたないちいさいことを云。不断は巧言令色で底のよいことを云てかさるが、一抔きげんてついきたない音を出す。志がかいないからぞ。やっはり下女があの嶌の帯をと云と同挌なこと。直方先生か、此本の表紙がこれではどふもならぬと云学者は役には立ぬと云た。或る禪僧か書物を買と表紙をもみくたにしたと云ことが若林語録にある。書物を大事がるさへ其心さまが一生役に立ぬと云ほどのことなり。朱子も、甘道士が書物倉役に立ぬと云れた。九層之臺。九りんの塔と云が学問のかさなり。地盤が大きいと塔が大きく立つ。心を大きくすると垩賢がのせらるる。
【解説】
聖人の学問は大きい。それを心で受け取るのだから、予め心を大きく持っていなければ受け取ることはできない。そこで、些細なことを気に懸けていては悪い。たとえば書物を大事にすることさえ、悪いのである。
【通釈】
いつも言う通りで、学問は心でする。聖人に至るための学問を受け取るのは心である。それで広大に心の幅を広げておかなければ、聖賢のことを載せることはできない。私が家を建てるのには小さい畠でもよいが、大名の屋敷を建てるための地面は簡単に請け合えない。旅をするにも二三人の人足なら直ぐに出発することができるが、大名の同勢は多いから、そこで先触れがなくてはならない。曲学詩文章書きには大心の準備は要らない。これを後にある張子の大心の章の様なことだと考えてはならない。内容は同じことだが、あれは張子が定性書を聞かれたので、世間の外事が邪魔にならなくなったことを言う。この章の大心とは、学問をして堯舜孔子の様になることで、ちっとやそっとのことでは心に載せられないから、前もって心を大きくしなければならないと言ったのである。今日の人は心が小さいから、俺も一生の間にはどうかなりたいと望み事を言う語勢にも、さも汚く小さいことがある。普段は巧言令色で体裁のよいことを言って飾るが、一杯機嫌でつい汚い音を出す。それは志が甲斐ないからである。やはり、下女があの嶌の帯を欲しいと言うのと同格である。直方先生が、この本の表紙がこれではどうもいけないなどと言う学者は役に立たないと言った。或る禅僧が書物を買うとその表紙を揉みくたにしたということが若林語録にある。書物を大事がることさえ、その心様は一生役に立たないと言うほどのこと。朱子も、甘道士の書物倉は役に立たないと言われた。「九層之台」。九輪の塔というのが学問の大きさのこと。地盤が大きいと塔が大きく立つ。心を大きくすると聖賢を載せることができる。
【語釈】
・どふぜい…同勢。同行の人々。また、その人数。
・先觸…①あらかじめ触れ知らせること。また、前兆。まえぶれ。②室町~江戸時代、官人または貴人が道中する場合に、前もって沿道の宿駅に人馬の継立などを準備させた命令書。
・曲学…真理をまげた不正の学問。史記儒林伝轅固生。「無曲学以阿世」。
・大心の章…為学83を指す。
・定性書…為学4を指す。
・前かど…前廉。前もって。あらかじめ。
・巧言令色…論語学而3。「子曰、巧言令色鮮矣仁」。
・嶌…織柄の一。二種以上の色糸を用いて織物の経または緯、あるいは経緯に種々の筋をあらわしたもの。
・若林語録…若林強斎の語録。
・甘道士…


第二十五 明道先生曰自舜發於畎畝之中の条

明道先生曰、自舜發於畎畝之中、至百里奚擧於市、若要熟、也須從這裏過。
【読み】
明道先生曰く、舜の畎畝の中より發[おこ]りしより、百里奚の市より擧げらるるに至るまで、若し熟せんことを要せば、也[また]須く這[こ]の裏より過ぐべし。
【補足】
この条は程氏遺書三にある。

孟子に諸々の歴々の苦んだことがある。舜を始め今に呼るると云が、本と手なしには呼れぬ。舜ほどな垩人が、瞽叟が殺そうとしたり象がわるくしかけたり、さま々々苦んだで挌別になられたであろふ。ぬれ手に粟ではよくならぬ。長者二代なしは懐手をしてをるからぞ。外の衆も苦んたからよくなりたとかそへ立てて、あの衆の様にくるしめば、あそこの処からやらるると程子の云のぞ。せつないことをするが人の藥り。いつも前巾着でぶらつくは役に立ぬ。碁将棊も上手となるは、こちがくるしむから上る。可愛子には旅をさせろじゃ。学問の熟は、ひとりでにならぬ。苦むからなり。
【解説】
学問には元手が必要であり、その元手とは苦しむことである。安穏としていては、学問は成就しない。
【通釈】
孟子には諸々の歴々が苦しんだことが書かれている。舜を始め、今聖賢と呼ばれる人達は、元手なしで聖賢と呼ばれるのではない。舜ほどの聖人でも、瞽瞍が殺そうとしたり、象が悪いことを仕掛けたりして様々に苦しんだので格別な方となられたのだろう。濡れ手に粟ではよくならない。長者二代なしとは懐手をしているからそうなるのである。外の衆も苦しんだからよくなったのだと数え挙げて、あの衆の様に苦しめば、その処から道を得ることができると程子は言ったのである。切ないことをするのが人への薬となる。いつも前巾着でぶらついていては役に立たない。碁将棋も上手になるのは自分が苦しむからである。そこで上達する。可愛い子には旅をさせろである。学問の熟は自然にはならない。苦しむから熟すのである。
【語釈】
・孟子…孟子告子章句下15。「孟子曰、舜發於畎畝之中、傅説擧於版築之閒、膠鬲擧魚盬之中、管夷吾擧於士、孫叔敖擧於海、百里奚擧於市」。
・瞽叟が殺そうとしたり象がわるくしかけたり…孟子万章章句上2に記載がある。瞽瞍は舜の父。象は異母弟。
・前巾着…前提げ。巾着の上に紐通しをつけ、帯革をつけて前腰にさげるもの。印鑑・鍵など貴重品を入れた。安永(1772~1781)頃、京坂地方で流行。


第二十六 参也竟以魯得之条

參也竟以魯得之。
【読み】
參[しん]や竟[つい]に魯を以て之を得たり。
【補足】
この条は程氏遺書三にある。

これも直方のつつけて説れた。とど熟のこと。曽子の道統をつがれたも熟の処からぞ。熟と云には器用不器用が入らぬと合点せよ。気のかいないが苦労にならぬ。そこでこの条が為学の大切なり。曽子は生れのにぶい人。魯はうつりの遠ひこと。愚とはちごふ。落し咄も一寸うつらぬのぞ。曽子がそれにちっともあぐまず、人の一返することを十返もする。其代り、聞こめばうん々々と呑込んだ。今日の人は呑込でもむせる。曽子は一生むせたことのない人。物喰ひはをそいが吐き出すことはない。喰たほどは皆身になる。今日の学者は吐き出す。下手の早合点、何もならぬ。何が直方の活論を迂斎の雄弁で話す。五十人ほどの弟子が皆笑ふたが、皆うそ笑でありたとみへる。それで腰のぬける日には皆一同にぬける。本んに笑へば迦葉になる。魯は氣の毒なれとも曽子がちっとも疵にせぬ。熟で分銅をつかんだ。迂斎曰、虚弱なものが長生するやうなもの。羪生にある。又曰、観世大夫に安休と云隠居がありた。夫れが云に、謡に三つ病があると云た、と。声のよいと、覚のよいと、拍子のよいと、これがよいことでも病と云た。此の三のよいで熟がない。魯は病なれとも曽子のそれを持合せたで得られた。熟は尊ひもの。
【解説】
この章も熟について語ったもの。曾子は生まれは魯だったが、それは理解が遅いということで、愚とは違う。それでも曾子は少しも倦まず、人の一遍することを十遍もし、着実に呑み込んでそれを理解した。とかく生まれ付きがよいと熟達しないものなのである。
【通釈】
ここを直方は前章から続けて説かれた。つまりは熟のこと。曾子が道統を継がれたのも熟の処からである。熟は器用不器用には関係がないと合点しなさい。生まれ付きが悪くても苦労にはならない。そこでこの条が為学の大切なところとなる。曾子は生まれ付きの鈍い人。魯は理解が遅いことで、愚とは違う。落し話も直ぐにはわからない。曾子はそれでも少しも倦まず、人の一遍することを十遍もする。その代わり、聞き込めばはいはいと理解した。今日の人は呑み込んでもむせる。曾子は一生むせることのなかった人。物を喰うのは遅いが吐き出すことはない。喰ったものが全て皆身になる。今日の学者は吐き出す。下手の早合点では何にもならない。直方の活論を迂斎の雄弁で話すと言うと五十人ほどの弟子が皆笑ったが、皆嘘笑いだった様である。それで、腰が抜ける時は皆一同に抜ける。本当に笑えば迦葉になる。魯は気の毒なことだが、曾子はそれを少しも疵としない。熟で分銅を掴んだ。迂斎が、虚弱なものが長生きする様なものだと言った。それは養生するからである。また、観世大夫に安休という隠居がいて、彼は謡に三つ病があると言ったそうだ。声がよい、覚えがよい、拍子がよい、それ等はよいことでも病だと言った。この三つがよいので熟がない。魯は病だが曾子は熟を持ち合わせたので道を得られた。熟は尊いものである。
【語釈】
・落し咄…話の最後を語呂合せや洒落で落ちをつける小話。烏亭焉馬らにより話芸として発展、のち落語と呼ばれる。
・うん々々と呑込んだ…論語里仁15に「子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯」とある。
・迦葉[かしょう]…釈尊十大弟子の一。霊鷲山で説法した釈尊が、華を拈んで大衆に示した時、摩訶迦葉だけがその意を悟って微笑し、それによって、正しい法は迦葉に伝えられたという。拈華微笑。


第二十七 明道先生以記誦博識条

明道先生以記誦博識爲玩物喪志。時以經語録作一冊。鄭轂云、嘗見顯道先生云、某從洛中學時、録古人善行、別作一冊。明道先生見之曰、是玩物喪志。蓋言心中不宜容絲髪事。胡安國云、謝先生初以記問爲學、自負該博、對明道擧史書成篇、不遺一字。明道曰、賢却記得許多。可謂玩物喪志。謝聞此語、汗流浹脊、面發赤。及看明道讀史、又却遂行看過、不蹉一字。謝甚不服。後來省悟、却將此事做話頭接引博學之士。
【読み】
明道先生は記誦博識を以て玩物喪志と爲す。時に經語を以て録して一冊を作る。鄭轂云う、嘗て顯道先生に見えて云う、某洛中に從って學ぶ時、古人の善行を録して、別に一冊と作す。明道先生之を見て曰く、是れ物を玩んで志を喪う、と。蓋し心中宜しく絲髪の事を容るべからざるを言う。胡安國云う、謝先生初め記問を以て學と爲し、該博を自負し、明道に對して史書を擧げ篇を成し、一字を遺れず。明道曰く、賢却って許多を記し得。物を玩んで志を喪うと謂うべし、と。謝此の語を聞きて、汗流れて脊を浹[うるお]し、面赤を發す。明道史を讀むを看るに及んで、又却って行を遂いて看過して、一字も蹉[つまず]かず。謝甚だ服せず。後來省悟して、却って此の事を將[も]って話頭と做[な]して博學の士を接引す、と。
【補足】
この条は程氏遺書三にある。

記誦博識は学者の事業にて、公義へ出しても大名へ出しても五百石にもなる人なり。某底の学の役にたたぬと云も面前三尺のことに暗くして、廿一史もきいたのみで誦たこともなく、古今も通せず。記誦博識は何もかもそらんじておる。立派に儒者役は勤まる。肝の煎らるる儒者なり。
【解説】
記誦博識とは何もかも諳んじていることで、学者の事業である。それで扶持も得られ、立派に儒者役が勤まる筈である。
【通釈】
「記誦博識」は学者の事業であって、それで公儀に出仕しても大名に仕えても五百石を請ける人となるのである。私如き者の学問が役に立たないと言うのも、面前三尺のことも不案内で、二十一史も聞いただけで誦じたこともなく、古今の事理にも通じていないからである。記誦博識の者は何でも諳んじている。立派に儒者役が勤まる。推薦するに値する儒者である。
【語釈】
・廿一史…中国の古代から元に至るまでの二一部の正史。史記・漢書・後漢書・三国志・晋書・宋書・南斉書・梁書・陳書・魏書・北斉書・周書・隋書・南史・北史・新唐書・新五代史・宋史・遼史・金史・元史。
・肝の煎らるる…①気をいらいらさせる。焦慮する。肝焼く。②周旋する。世話をする。

玩物喪志。此のをこりは武王へ外國から犬を献じた時に云たこと。それから飼ひ鳥すき、碁好き、楊弓すきのと云まで皆これなり。此は、なぐさみ無用のことなり。ときに記誦博識は学問上のことなり。然るにそれからわるくなるとのこと。立派な儒者をなぐさみ物と一つに云は、道学の近く思ふの学から云こと。孔子も博文、大学の挌物、程子も一草一木有其理と云。博識はよいこと。本草の吟味も道のわれた処なれとも、それ屋になると鞠楊弓と一つしゃと云れたもの。魂へきりこまぬ学は玩物喪志ぞ。これが勝を好むもの。勝をこのむが一わるいことで、好色でも酒てもわるいものなれとも、名に付たことはないものにて、又、晩年にはちとやむと云こともあるか、好名好勝は一年増に増長する。年がよれば勝をこのまぬ様にみせ、やはりよはくこのむ。こんなことも若ひ時には爭ったが今は爭はぬと云て、はや若ひものの上へ行く氣なり。好名は死後までのことを思ふ。此欲に盛衰はない。しかれば甚だ可省にて、その名の第一、記誦博識上にありて心の害をなすなり。時に此の記誦博識も外へ出さずにをけば垩賢の氣象なれとも、さうはゆかぬ。技痒々々し出したがる。天理人欲同行異情じゃ。記誦博識が心の邪魔になる。外のことで内がみんなになる。某しふと思ふに記誦博識盗汗をかくやうなもの。外の方へ出すほど身のためにはならぬ。をれがのを人は知まい々々々と云て外へ出す。玩物喪志ぞ。
【解説】
玩物喪志は武王の時から言われる様になった言葉で、慰み事のこと。博識自体はよいことだが、それが慰みであれば遊びと同じである。学問は魂に切り込むものでなければならない。玩物喪志だと、名を好み勝を好む様になり、それ等の欲は年寄るほどに増してくる。欲は記誦博識の上に乗って心に害をする。記誦博識は寝汗をかく様なもので、外に出すほど悪い。
【通釈】
「玩物喪志」この起こりは武王に外国から犬を献じた時で、その時に言われた言葉。それから始まって、飼い鳥好き、碁好き、楊弓好きまでが皆これである。ここは、慰み物は無用ということ。さて、記誦博識は学問上のことだが、それから悪くなると言う。立派な儒者を慰み物と同じく言うのは、道学が近く思う学であるところから言ったこと。孔子も博文と言い、大学では格物、程子も「一草一木有其理」と言った。博識はよいこと。本草の吟味も道の筋を見分ける処だが、それが其屋になれば鞠や楊弓と同じだと言われたもの。魂へ切り込まない学問は玩物喪志である。これが勝を好むもの。勝を好むのは一番悪いことである。好色や酒も悪いものだが、それは名を好むものではなく、また、晩年には少々控えるということもあるが、好名好勝は一年増しに増長する。年が寄れば勝を好まない様に振舞うが、やはり弱く好む。こんなことも若い時には争ったが今は争わないなどと言って、直ぐに若い者より上に立とうとする。好名は死後のことまでを思う。この欲に盛衰はない。それで、欲は強く省くべきものであって、また、その好名の第一は記誦博識の上にあって心の害をする。時にこの記誦博識も外に出さずにおけば聖賢の気象だが、中々そうは行かない。技癢して出したがる。「天理人欲同行異情」である。記誦博識が心の邪魔になる。外のことで内が台無しになる。ふと私が思うに、記誦博識とは寝汗をかく様なもの。外の方に出すほど身のためにはならない。俺が知っていることを人は知らないだろうと思ってそれを外に出す。それが玩物喪志である。
【語釈】
・武王…周王朝の祖。姓は姫。名は発。文王の長子。弟周公旦を補佐とし、太公望を師とし、殷の紂王を討ち天下を統一。
・楊弓…遊戯用の小弓。その長さ二尺八寸で、的は垜にかけ、射手の座は的から七間半の距離にあるのが定式であった。江戸時代から明治にかけて民間でも盛んに行われた。
・博文…論語雍也27と顔淵15。「子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫」。
・一草一木有其理…致知12の語。
・本草…①薬用になる植物。②本草学の略。
・それ屋…其屋。愛嬌を売る客商売屋。遊女屋。それやど。
・技痒…技癢。伎癢。他人のするのを見て腕がむずむずすること。自分の技量を示したくてもどかしく思うこと。
・天理人欲同行異情…
・盗汗…寝汗。

細書。時以經語云々。上蔡が博識な人ゆへ、よい語を書拔て一冊にしたとみへる。よいものでもあろふが、明道が水をかけてしまふた。これは本文の事の起りを記たもの。又、下の云々は、あいよみなり。鄭轂が方には善行とある。
【解説】
上蔡が経語を抜き出して一冊にまとめたことを、明道は役に立たないことだと言った。
【通釈】
「時以経語云々」。上蔡は博識な人だから、よい語を書き抜いて一冊にまとめたものと見える。そうしてできたものはよいものだろうが、明道が水を差してしまった。これは本文の事の起こりを記したもの。また、下の「云々」は、その補足である。鄭轂の方では経語ではなくて善行とある。
【語釈】
・上蔡…謝顕道。良佐。程氏門人。1050~1103
・あいよみ…相読み。①ふたり一緒に書類などの読み合せをすること。②一緒に立ち会う人。証人。
・鄭轂…謝顕道の門人。

不宜容絲髪事。これが近思の大事なり。此金は耳もすらさぬと云て仕廻ておく金があるもの。心も耳もすらすものてはない。それは大事のときにつかふからのこと。能ある鷹は爪をかくす。鷹の鷹たる処は爪。人の人たる処は心なり。その心へさま々々なものを入れては、どふもよいものをこばんでならぬぞ。直方曰、記誦博識が心の邪魔をする。玩物喪志になる。土藏は大切なものを入るるためなり。古るわらじや古樽、古ひ菅笠ごた々々入れては大事のものの入る邪魔になる、と。心に記誦博識を入れて秘藏すると垩賢になる邪魔になる。垩人へ行く旅は身かるがよい。荷の多いはわるい。夜着を着て角力は取れぬ。胡安国曰云々。近思をよむものは、聞く度に珍らしく今迠とは違ふ分んなことじゃとをもふて、胸をあけて新くしてきくがよい。そこが近く思なり。
【解説】
心は土蔵と同じで、つまらないものを入れていては、大切なものを入れる邪魔となる。
【通釈】
「不宜容絲髪事」。これが近思の大事なところ。この金は少しも減らさないと言って仕舞って置く様な、そんな金があるもの。心も少しも減らすものではない。それは大事な時に使うためだからである。能ある鷹は爪を隠す。鷹の鷹たる処は爪。人の人たる処は心である。その心へ様々なものを入れては、どうもよいものを拒むことになって悪い。直方が、記誦博識が心の邪魔をして玩物喪志になる。土蔵は大切なものを入れるためにあるのに、古草鞋や古樽、古い菅笠などをごたごたに入れては、大事なものが入る邪魔になると言った。心に記誦博識を入れて秘蔵すれば聖賢になる邪魔になる。聖人へ行く旅は身軽なのがよい。荷が多いのは悪い。夜着を着て相撲は取れない。「胡安国曰云々」。近思を読む者は、この話を聞く度に珍重に感じ、今までとは違った段階のことだと思い、胸を広げて新鮮な気持ちで聞くのがよい。そこが近く思うということ。
【語釈】
・耳…針のめど。みみず。
・すらさぬ…擦らさぬ。使い切らないこと。
・胡安国…字は康侯。1074~1138

成誦は張良が一傳を一字も残さすそらだめによみたこと。ほめらるる心でしたであろふに明道が、ああ役にたたぬ、玩物喪志と云た。それで赤面して汗をとっふりかいた。上蔡は此汗で人になりた。只今の人は、人に心ろづけられてもじゃら々々々笑てをる。これが虚の学問ゆへ、人の言がしみぬ。蛙の頬に水ぞ。その後一年ほどすぎて、明道の立て板に水を流してずう々々とよまれた。謝甚不服。人にはわるいと云て御手前はよむ。はて、いなことと思ふた。後来省悟。又上蔡の学問の上りなり。先生の不蹉は上蔡の不蹉とはちごふ。明道のは心になにもなく、心にひびくでよく覚へたもの。覚へてよまふに心はない。上蔡の為誦は、をれこそ。これみよがしでのりがある面ては、似て内が違ふ。直方の日髪日月代が好色ものと一つで有ふ筈はない。垩賢の、庭に牡丹や菊が咲たらぬいてすてろとも云はれまい。寵愛して詠めるでもあろふが、夫れが今の牡丹ずき菊ずきと一つであろふ様はない。謝子はをれこそと思ふ。先生は明快からの為誦。一つであろふ筈はない。上手德分下手の損ぞ。做話頭。話頭は俗語。話のた子と云やふなもの。一つ話にしてと云ことになる。頭を俗語にみずにかしらとよみて見れば話のさきかけ、いつも話のだいにしてと云様なもの。話柄の字の心になる。
【解説】
上蔡が、自分の力量を誇示するために史書の成篇を暗誦したが、明道はそれを玩物喪志だと言った。それで上蔡は赤面流汗したが、これで上蔡は本当の学問を得たのである。一年後、今度は明道が暗誦したので上蔡は訝しむが、やがてそのわけを理解する。明道は覚えようとして読みはしない。心に一物もないからよく響き、その結果として覚えたのである。同じことをするにも、心からと欲からとでは違う。
【通釈】
「成誦」は、張良の伝記を一字も残さずに暗誦する様なことで、褒められようと思ってしたのだろうに、明道が、役に立たないことだ、玩物喪志だと言った。それで上蔡は赤面して汗をどっぷりとかいた。上蔡はこの汗で人となった。今日の人は人に忠告されても笑っている。それは虚の学問だからであって、それで人の言が心に凍みない。蛙の面に水である。その後一年ほど過ぎて、明道が立板に水ですらすらと読まれた。「謝甚不服」。人には悪いことだと言っておきながら、自分はすらすらと読んでいるのは変なことだと思った。「後来省悟」。これはまた、上蔡の学問が進んだこと。明道先生の「不蹉」は上蔡の不蹉とは違う。明道の心には何もなく、それで心に響いたからよく覚えたのである。覚えて読もうとするのは心からのことではない。上蔡の為誦は、俺こそという心がある。これ見よがしで乗りのある面をしていては、不蹉自体は同じでも中身が違う。直方が、日髪日月代をしても好色者と同じ筈がないと言った。聖賢も、庭に牡丹や菊が咲いたら抜いて棄てろとは言わないだろう。それらを寵愛して詠むこともあるだろうが、それが今の牡丹好きや菊好きと同じである筈はない。謝子は、自分こそはと思っての為誦。先生は明快から出た為誦。同じ筈はない。上手の徳分は下手の損である。「做話頭」。話頭は俗語。話の種という様なもの。お定まりの話ということ。頭を俗語と考えずに、かしらと読めば、話の先駆けとなり、いつも話の題にするという様なこと。話柄の字と同じ意味になる。
【語釈】
・張良…前漢創業の功臣。字は子房。韓の人。~前168
・心ろづけられ…心付ける。忠告する。
・日髪…毎日髪を結いなおすこと。
・月代…男の額髪を頭の中央にかけて半月形に剃り落したもの。
・一つ話…①いつもきまって得意になってする話。②後々までも語られるめずらしい話。奇談。
・話柄…話すことがら。話のたね。話題。


第二十八 禮樂只在進反之間条

禮樂只在進反之閒、便得性情之正。以上竝明道語。
【読み】
禮樂は只進反の閒に在れば、便ち性情の正を得。以上竝[みな]明道の語。
【補足】
この条は程氏遺書三にある。

上の条では心の害になることを知らせたもの。記誦博識がわるいではないが、心の邪魔をするでわるい。某が、前から医者がゆるしても病人には蚫は喰はせぬ。蚫は、性はよいものゆへどの医者もゆるすが、こなれのわるいものゆへ寐ている病人にはよくない。記誦博識もよいものなれとも、心の中に入てこなれぬ。こなれのわるいもの。そこで心の邪魔になるからわるい。上蔡の玩物喪志は心をわるくすること。此の礼樂の条は心をよくすること。学問は心のこと故、ちょこ々々々心のことを出すが為学の主意ぞ。さて、先王の天下の人を建立するに此二つを施るる。礼はきっとした折目高なもの。其相手に音樂。殊の外うちくつろいだやわらなもの。かたいものの相手にくつろいだものを出すでよい。これで身の建立がなる。夫故礼樂須臾不可違身と云こともある。さて又此礼樂進反の字は樂記の字なり。礼の方は進の字、樂の方は反の字なり。礼は灸をすへやう々々々々と云ても痛ひものゆへ、ついをこたる様なもので、それへ一肩かたを入れて進め子ばならぬもの。樂は酒で口あたりのよいものゆへ、酒三献に限るべしと云てをさへ子ばならぬ。礼はひっこむから進める。樂はとろけてくるから反とをさへるなり。之間とは、此匕加減があるとのこと。礼の進は知れたが、樂の反と云わけがすみにくいが、反は抑へること。樂のそれがちになるををさへること。
【解説】
学問は心のことだから、心をよくしなければならない。それで礼楽がある。礼は堅いもので、楽は寛いだ柔らかいもの。礼は引っ込み易いから進ませ、楽は逸れ易いから抑えなければならない。
【通釈】
前条は記誦博識が心の害になることを知らせたもの。記誦博識自体は悪いことではないが、それが心の邪魔をするので悪い。私は前から医者が許しても病人には蚫を喰わせない。蚫の性はよいのでどの医者も許すが、消化の悪いものだから寝ている病人にはよくない。記誦博識もよいものではあるが、心の中に入ってこなれない。消化の悪いもの。そこで心の邪魔になるから悪い。上蔡の玩物喪志は心を悪くすること。ここの礼楽の条は心をよくすること。学問は心のことだから、しばしば心のことを出すのが為学の主意である。さて、先王は天下の人を建立するために礼楽の二つを施された。礼は厳かで折目高いもの。その相手になるのが音楽で、殊の外うち寛いだ柔らかなもの。堅いものの相手に寛いだものを出すのでよい。これで身の建立が成る。それ故、「礼楽須臾不可違身」と言う言葉もある。さてまたこの「礼楽進反」の字は楽記にある字。礼の方は進の字、楽の方は反の字が相応する。礼とは、灸をすえようと思っても熱いからつい怠る様なことで、それで、力を込めて進めなければならないのである。楽は酒の様なもので、口あたりがよいから、酒は三献で止めなければならないと言って抑えなければならない。礼は引っ込むから進ませ、楽は溶けて来るから反と抑えるのである。「之間」とは、この間に匙加減があるということ。礼が進むのはわかり易いが、楽が反というわけが理解し難い。反は抑えること。楽の逸れ易くなるところを抑えること。
【語釈】
・きっと…屹度。厳しいさま。状態や表情にゆるみのないさま。厳重に。きっぱりと。しっかりと。
・礼樂須臾不可違身…礼記楽記。「禮樂不可斯須去身」。
・樂記の字…礼記楽記。「樂也者、動於内者也。禮也者、動於外者也。故禮主其減、樂主其盈。禮減而進。以進爲文。樂盈而反。以反爲文。禮減而不進則銷、樂盈而不反則放」。

性情はやかましく吟味する文義でない。只、心のことなり。礼計りでは心がとげ針に佶掘になるから樂なり。樂計ではとろける。不礼講になる処をかたいものと和をとり交せるで、これで心がまんろくになるとなり。
【解説】
性情とは心のこと。心は、礼だけでは縮まり、楽だけでは溶ける。
【通釈】
「性情」は喧しく吟味する様な文義ではない。単に心のこと。礼だけでは心が棘針で縮まってしまうから楽が必要なのである。楽だけでは心が溶ける。そこで無礼講になる処を堅いものと柔らかいものとを取り交ぜるので心がよい状態になると言うのである。
【語釈】
・佶掘[きっくつ]…佶屈、詰屈。かがまってのびないさま。
・まんろく…真陸。①たいらかなこと。また、公平なこと。②十分なこと。また、完全なこと。

さて古垩賢の世には此様に礼樂の講釈をして聞せるまだるいことはない。すぐに此礼樂で教たもの。それて赴々武夫公侯服心と云こともある。書物なしによくなる。後世は志あるものが書を見て学問することになりた。それで始為士終為垩と云ことがある。心をよくしておか子ばならぬ。人欲と天理の戦は、とかく天理へすすめ人欲を打つ。それも道心人心のさばきにて進反之間なり。人欲はなじみやすいもの。天理は離れやすいもの。そこで天理を進め人欲に反がよい。さうした閙しいことのあるに、上の様に記誦博識するひまはない。人欲が有りては垩賢にはなられぬ。直方曰、心中絲髪のことを容れぬと性情が正しくなる、と。
【解説】
聖賢の世では礼が行われていたので、書物がなくても心がよくなったが、後世は学問をしなければならなくなった。天理は離れ易く人欲は馴染み易い。そこで、天理を進めて人欲を除かなければならないのであって、記誦博識などをしている暇はない。
【通釈】
さて、昔の聖賢の世には、この様に礼楽の講釈を聞せる様な悠長なことはなかった。直ぐにこの礼楽によって教えたのである。それで「赳々武夫公侯服心」という語もある。書物なしでよくなる。後世は志のある者が書を見て学問をすることになった。それで「始為士終為聖」という語がある。心をよくしておかなければならない。人欲と天理との戦は、とかく天理を進めて人欲を打つ。それも道心と人心との捌きをうまく行い、進反の間で行う。人欲は馴染み易いもの。天理は離れ易いもの。そこで天理を進め人欲に反るのがよい。この様に忙しいのだから、前条の様に記誦博識をする暇などはない。人欲があっては聖賢になることはできない。直方が、心中に絲髪のことを容れなければ性情が正しくなると言った。
【語釈】
・赴々武夫公侯服心…詩経国風周南兔罝。「肅肅兔罝、施于中林。赳赳武夫、公侯腹心」。
・始為士終為垩…
・心中絲髪のことを容れぬ…為学27。「蓋言心中不宜容絲髪事」。


第二十九 父子君臣天下之定理の条

父子君臣、天下之定理、無所逃於天地之閒。安得天分、不有私心、則行一不義、殺一不辜、有所不爲。有分毫私、便不是王者事。
【読み】
父子君臣は天下の定理にして、天地の閒に逃るる所無し。天分に安んじ得て私心有らずんば、則ち一つの不義を行い、一つの不辜[ふこ]を殺すも、爲さざる所有り。分毫の私有るは、便ち是れ王者の事にあらず。
【補足】
この章は、程氏遺書五にある。

王覇の弁は心にあづかること。下の為にする、わざの上は堯舜も五伯も余りちがわぬが、心でちごふ。管仲がわざがよいから如其仁哉々々々々と云た。それをきいて管仲が悦ぶは了簡ちがいぞ。のけものにした口上なり。心はあの通なれとも、人の為になる段は顔子よりよいを仁のわざて許す。これで管仲が下さげにされたと見るが王伯の弁のすんたのなり。盗みものて人を惠んでも、貰ふたものは一つなれとも、こちの心でちごう。記誦博識、垩賢もなさろふことなれとも心で違ふ。王伯のことは治躰か政事に有さうなことを、ここで云が靣白ひ。王伯は玉しいのきめゆへぞ。ものは初手が間違ってはならぬ。そこで孟子の巻頭に義利の弁あり。王伯を政の上に計り云ふことではない。机によりかかって居る書生に伯心がある。田間に伏しても伯心が出る。為学に伯心があると学問の土臺が違ふ。
【解説】
王覇の弁は心についてのこと。業の上では聖賢も五伯もあまり変わらないが、心で違う。心を決めることが大事であり、伯心があっては学問の土台が違って来る。
【通釈】
王覇の弁は心に与ること。下のためにすることは、業の上では堯舜も五伯もあまり違いはないが、心で違う。管仲の業がよいから孔子は「如其仁如其仁」と言った。それを聞いて管仲が悦ぶのは了見違いである。除け者にした口上である。心はあの通り悪いが、人のためになることは顔子よりもよくできたので、仁の業として許した。これを管仲が見下されたことと理解すれば王伯の弁が済んだことになる。盗んだ物を人に恵めば、恵んだ物は同じでも、こちらの心で違った物となる。記誦博識は聖賢もなさるだろうが、心で違う。王伯のことは治体か政事にありそうなことだが、それをここで言うのが面白い。王伯になるのは魂の決めが悪いからである。もの事は初手が間違ってはいけない。そこで孟子の巻頭に義利の弁がある。王伯とは政の上ばかりを指して言うことではない。机に寄り掛かっている書生に伯心がある。田舎に潜んでいても伯心が出る。為学に伯心があると学問の土台が違って来る。
【語釈】
・王覇の弁…孟子告子章句下7を指す。
・五伯…斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王。
・管仲…春秋時代、斉の賢相。法家の祖。名は夷吾。字は仲・敬仲。河南潁上の人。親友鮑叔牙のすすめによって桓公に仕え、覇を成さしめた。~前645
・如其仁哉…論語憲門17。「子路曰、桓公殺公子糾。召忽死之、管仲不死。曰、未仁乎。子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也。如其仁、如其仁」。
・義利の弁…孟子梁恵王章句上1。「孟子見梁惠王。王曰、叟、不遠千里而來。亦將有以利吾國乎。孟子對曰、王何必曰利。亦有仁義而已矣…」。
・田間…田舎。

父子君臣云々。此章は父子君臣と、父子と君臣を一つに云たが第一の主意なり。父子君臣の字は五倫を二つでくくってつめて云たとみることではない。これは荘子か天下之大戒二つと云た、大戒がわるいから、爰で定理と直したとばかり見るとちごふ。爰の伊川の主意は君臣の人合も父子の天合も一つとみたが主意ぞ。さて又父子君臣と云ものはどこへ行ても天下中のがれぬものじゃ、大戒じゃと、大戒の二字ばかりをたたりて見ると荘子ぐるみ知らぬになる。荘子が無為自然を尊ぶから父子はよいが君臣はつけもの、自然でない、うるさいと思ふ。父子はむまいが君臣はまづいとして、されとも父子君臣どちもかたれぬものじゃ、しかたがないと並べて云ても、心根は父子と君臣には甲乙をつけた口上で、荘子が天人の間にあやを付た口上なり。
【解説】
「父子君臣、天下之定理、無所逃於天地之閒」の説明。父子君臣の関係は逃れられないものである。同じことを荘子も言ったが、無為自然の立場をとる荘子の真意は、父子は天合でよいが、君臣は人合なので悪いというものである。しかし、聖学では天合も人合も同じであって、天と人とに較差をつけないのである。
【通釈】
「父子君臣云々」。この章では父子君臣と言い、父子と君臣とを一緒にして言うのが第一の主意である。ここの父子君臣の字は、五倫をこの二つで括りまとめて言ったことだと捉えてはならない。また、荘子が「天下有大戒二」と言ったので、大戒という言い方が悪いから、ここで定理と直した様に考えるのも違う。ここの伊川の主意は、君臣の人合も父子の天合も同じだとするものである。さてまた父子君臣というものは、天下中の何処へ行っても逃れられないものだ、大戒だと、この大戒の二字ばかりを祟って見るのは荘子の意をも含めて理解していないことになる。荘子は無為自然を尊ぶから、父子はよいが君臣は人作であって自然でなく、煩わしいものだと思う。父子はよいが君臣は悪いものだとし、しかし、父子と君臣はどちも言葉に表せないものなので、仕方がないから父子君臣を並べて言うが、その心根は父子と君臣とに甲乙を付けたものであって、天人の間に綾を付けた口上なのである。
【語釈】
・天下之大戒二つ…荘子内篇人間世。「仲尼曰、天下有大戒二。其一命也。其一義也。子之愛親、命也。不可解於心。臣之事君、義也。無適而非君也。無所逃於天地之間。是之謂大戒」。大戒とは大法のこと。
・甲乙[めりかり]…①笛・尺八などで、基本の音よりも下げること(めり)と上げること(かり)。②音の高低。抑揚。

今奉公せぬものには君臣はない様で、奉公した上て君臣はあるから人作の様にみへるが、人作と云ことはない。知羈靮之作在乎人而不知羈靮之生由於馬。牛馬を御するは人作に見へても天理に出たこと。天合人合一なもの。父子君臣どこへゆきても逃れやうはないと云は、水火のない処のない様なもの。山に水氣はない様なれとも、水氣がなければ木もそだたず山がやける。火氣がないと川もくさる。君臣父子ないと云処はない。田舎に引込み主はない、君はないと思ても、わるさをすれば同心がしばりに来る。時に取ての君臣ぞ。上にあるのは君なり。禄のあやでは、又、此の頃すみこんだ主人でも授命なり、はえぬきの吾か親と並ふ。これが定理から来ることなり。
【解説】
君臣は人作の様に見えるがそうではなく、天理から出たもの。天合と人合とは同じで、天下の定理なのである。
【通釈】
今、奉公をしていない者には君臣の関係はない様で、奉公した上に君臣があるから、君臣は人作の様に見えるが、人作ということではない。「知羈靮之作在乎人而不知羈靮之生由於馬」。牛馬を御すのは人作に見えても天理から出ること。天合と人合とは同じもの。父子君臣は何処へ行っても逃れることができないと言うのは、水火のない処がない様なもの。山には水気がない様だが、水気がなければ木も育たず山は焼ける。火気がないと川も腐る。君臣父子がないという処はない。田舎に引っ込んで主はない君はないと思っても、悪さをすれば同心が縛りに来る。その時の捕手に君臣がある。上にいるのが君である。禄のことでは、また、この頃住み込んだ主人も命を授かり、地元生まれの自分の親と並ぶ。これは定理から来ることなのである。
【語釈】
・知羈靮之作在乎人而不知羈靮之生由於馬…論語公冶長26集註。「今夫羈靮以御馬而不以制牛。人皆知羈靮之作在乎人、而不知羈靮之生由於馬。聖人之化、亦猶是也」。
・取て…捕手。罪人を捕える人。召捕りの役人。捕方。捕吏。

天分とは佛者の云ふ約束の、かたらへのと云ことはない。荘人は天人をはなすやうにみる。程子は定理から来るゆへ、天分とかいたもの。これで浪人は四倫じゃとは云れぬ。君がなしともぬけられはせぬ。五倫と云字は天分を安じたこと。大功者不顧細近。皆覇者のこと。君臣之義てないと云もきこへたことて、すまいことをして、あとて功か立つと云は天分定理に叶ぬ。今のらくらしても何ぞのときにはうめやうと云。夫は盗をして親にむまいものをくわせるの筋。私ないとは云れぬ。
【解説】
「安得天分、不有私心」の説明。君臣は天下の定理であり、天分だから浪人も君臣から逃れられない。五倫は天分を安んじることで、私心は天分や定理に背く。
【通釈】
天分とは仏者が言う約束とか語らいのことではない。荘子は天と人とを離して見る。程子は天下の定理から来ることだから天分と書いた。これで浪人は四倫だと言うことはできなくなる。君がいないからといって、五倫から抜け出すことはできない。五倫という字は天分を安んじること。「大行不顧細謹」。これは皆覇者に関したことで、君臣の義でないことは明らかであり、悪いことをしていながら、後で功が立つというのは天分や定理に合わない。今、のらくらしていても、何かの折には埋め合わせをしようと言う。それは盗みをして親に美味いものを喰わせる筋である。私心がないとは言えない。
【語釈】
・かたらへ…説いて仲間に引き入れること。説得。
・大功者不顧細近…史記項羽本紀。「大行不顧細謹。大禮不辭小讓」。

行一不義云々。これが儒者の心の立てやふなり。心を立ると云と志を立ると云はちこう。立心は今夜からすること。一つのとは、わつかなこと。人も知らず帳にも付けられぬを一つと云たもの。一寸これをすると迹でしたたかなよいことあるとてもせぬこと。殺一不辜。戦国には功名を立るものがいかひことあるが、それを立やう々々々とするが人欲なり。小学の序で某が利欲紛挐を大さうに云て、三つ子の魂六十迠と云弁を云たもここのこと。利欲へひひかせること。有所不爲。天下と云字を入れて見るがよい。向から飢になやんた鉢坊主が来るに、それを堀へ蹴込ばしたたかよいことがあるに、それをせぬこと。
【解説】
「則行一不義、殺一不辜、有所不爲」の説明。立心は立志とは違って直ぐにすること。功名は人欲から出る。不義や功名を求めないのが儒者の立心の仕方である。
【通釈】
「行一不義云々」。これが儒者の心の立て方である。心を立てるのと志を立てるのとは違う。立心は今夜から行うこと。「一」とは僅かなこと。人も知らず帳面にも付けられないほど僅かなことを「一」と言った。一寸これをすれば後に大層よいことがあるとしても、それをしないこと。「殺一不辜」。戦国には功名を立てる者が数多くいたが、功名を立てようとするのが人欲である。小学の序で私が「利欲紛挐」を強く言い、三つ子の魂六十迄という弁をしたのもこの意からである。利欲へ響かせること。「有所不爲」に天下という字を入れて見なさい。向こうから飢えに悩んだ鉢坊主が来て、そいつを堀へ蹴り込めば大層よいことがあるとしても、それをしないこと。
【語釈】
・利欲紛挐…小学題辞。「益浮靡郷無善俗世乏良材、利欲紛挐異言喧豗」。
・鉢坊主…托鉢して歩く坊主。乞食坊主。鉢開き。

便不是王者事。今の世の人の心は佛法を信じながらも、やはり心は伯者なり。先きによいことあると目をかける。珠数をつまぐる親父にも伯心がある。これが平生の佛法魂からじきに伯心へゆく。佛と覇とは大なちがふたことなれとも、天分から出ぬ利心ゆへ、不思一つ趣なことのあるぞ。さて、王伯のことは玩物喪志の、論性不論氣云々の処などには有まいことのやうなれとも、これがみなにしみこんであるから云ことなり。王伯は天下国家の政のことに計り云ことでない。こふすればあとにこれほどなことがあると云心根がじきに伯者なり。伯者は物を取りかへものにする。これをすれば跡がよいと云。町人が出入屋鋪の掛りの役人を馳走して、今日の舩遊山で一つ物入をして、さていかひこと商があることじゃと云は、十呂盤の上へ伯者が来る。今人には何の上にも伯者佛者の心がついてまわる。武士が刀ををけば、佛法が這入る。町人が十呂盤取れば覇心がくる。佛者の見臺の上へも覇心があがるぞ。これは伯者のことじゃがなぜ近思の為学へは出たなぞとただ云ふ眼では、近思を見ぬくことはならぬ。性情之正の次にこれを出して、学者の心を掃除することじゃ。ここがぬけぬと、するほどなすほどのこと皆偽ぞ。陳同甫に答る書にて合点すへきことなり。湯武の放伐の、垩人の權道と云も私心ないからとは、集解よく云たなり。
【解説】
「有分毫私、便不是王者事」の説明。今の人には何事にも伯者や仏者の心が付いて廻る。伯心とは後での成果を期待することで、私心による。私心があってはならない。湯武の放伐や聖人の権道に私心はない。
【通釈】
「便不是王者事」。今の世の人の心は仏法を信じながらも、やはり心は伯者である。この先によいことがあると思えばそれを目掛ける。数珠を爪繰る親父にも伯心がある。日頃の仏法魂から直ぐに伯心へ行く。仏者と覇者とは大きく違うものだが、どちらも天分から出ない利心なので、思いもかけず同じ趣きがある。さて、王伯のことは、「玩物喪志」や「論性不論気云々」の処などにはある筈がないことの様だが、これが全てに染み込んであるからここで言うのである。王伯は天下国家の政ばかりに言うことではない。こうすれば、後でこれほどよいことがあると思う心根が、直ぐに伯者である。伯者は物を取り替え物にする。これをすれば後がよいと言う。町人が出入屋敷の掛かりの役人を馳走して、今日の船遊山で一つ出費をしたので、さて大層商いがあるだろうと思えば、算盤の上に伯者が来る。今の人には何事にも伯者や仏者の心が付いて廻る。武士が刀を置けば仏法が這い入る。町人が算盤を取れば覇心が来る。仏者の見台の上にも覇心が上がる。ここの話は伯者のことだが、何故近思の為学に出したのかなどとただ思っている様では、近思を見抜くことはできない。「性情之正」の次にこれを出して、学者の心を掃除するのである。ここを理解しないと、するほどなすほど皆偽となる。陳同甫に答える書で合点しなさい。湯武の放伐や聖人の権道も私心がないからとは、集解もよく言った。
【語釈】
・玩物喪志…為学28の語。
・論性不論氣云々…為学30を指す。
・性情之正…為学28の語。
・陳同甫…
・湯武の放伐…孟子梁恵王章句下8にある湯武放伐論。「斉宣王問曰、湯放桀、武王伐紂。有諸。孟子對曰、於傳有之。曰、臣弑其君、可乎。曰、賊仁者謂之賊、賊義者謂之残。残賊之人、謂之一夫。聞誅一夫紂矣。未聞弑君也」。
・垩人の權道…権道の権とは秤の分銅のこと。事に当ってその軽重をはかり、重きにつくことを権道と言う。義に叶った臨機応変の処置のことで、正常な道ではないが宜しきに叶っている。権道は孟子離婁章句上17、離婁章句上26、離婁章句下11、万章章句上2、告子章句下1、尽心章句上26にある。