第三十 論性不論氣の条  九月朔日  文七録
【語釈】
・九月朔日…寛政2年庚戌(1790年)9月1日。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。

論性不論氣不備、論氣不論性不明。二之則不是。
【読み】
性を論じて氣を論ぜざれば備わらず、氣を論じて性を論ぜざれば明らかならず。之を二つにするは則ち是ならず。
【補足】
この条は、程氏遺書六にある。

性のことは道体ですみ、爲学では論すると云ことが入用なり。論学論治と云ふこともあり、性の論しやうかわるいと学至垩人之道也をみなにする。そこで此章か爲学に載るはづなり。性を論じそこなふと学問が無用なことになる。これが至て大切なことそ。葉解か道体の内にありそふなことしゃと云は目のかいないなり。
【解説】
性は道体で理解し、為学で論じるものである。そこでこの章が為学にある。性の論じ方が悪いと学問が台無しになる。
【通釈】
性のことは道体で済ませて、為学ではその性を論じることが必要である。論学論治ということもあって、性の論じ方が悪いと「学以至聖人之道也」を台無しにする。それが、この章が為学に載る理由なのである。性を論じ損なうと学問が無用なことになる。極めてこれが大切なこと。葉解で、この章は道体の中にありそうなことだと言っているのは目の付け所がないのである。
【語釈】
・論学論治…為学31。「論學便要明理、論治便須識體」。
・学至垩人之道也…為学3の語。
・葉解…宋の葉采が作った「近思録集解」。

論性云々。性は理の名なり。理を論するに氣をそへることそ。氣をそへるとはどふなれば、氣をそへるで委細のあやが知れるなり。氣を話すと間違のあったとき、氣の無調法にする。性善の話をしても、性善に似合ぬことをしたとき、これはとふしたことと云ふ。性善は性善なれとも、わるいことをするは氣のしたことじゃと云と、そんならすんだと云。ここは鬼神の論と同ことそ。伊川や張南軒は正しい鬼神計り論する。そふすると妖物のありたときさはかしい。朱子の鬼神の論は妖物の話まてする。天地の造化から隂陽のはたらき、それからは十方もないこと迠あり、是が氣のことで、理のことてはない。正しい鬼神てなく、邪な鬼神まで入れて云ことなり。是れもそれと同じことぞ。
【解説】
「論性不論氣不備」の説明。性は理の替え名である。理を論じるのに気を添えるのは、理解し易くするためである。それは鬼神論と同じで、伊川や張南軒は正しい鬼神ばかりを論じるが、朱子は邪鬼までも含めて論じる。
【通釈】
「論性云々」。性とは理の替え名である。理を論じるのに気を添える。気を添えるのはどうしてかと言うと、気を添えることで委細な綾を知ることができるからである。気のことを話せば、間違いのあった時にそれが気の不調法からだとわかる。性善の話をしても、性善に似合わないことをした時、これはどうしたことだろうと言う。性善は性善であって、悪いことをするのは気のしたことだと言えば、それならよくわかったと言う。ここは鬼神の論と同じこと。伊川や張南軒は正しい鬼神ばかりを論じる。そうすると妖物の出た時は騒がしい。朱子の鬼神の論は妖物の話までをする。天地の造化から陰陽の働き、それからは途方もないことまであるが、それは気のことを語っているのであって理のことではない。正しい鬼神だけではなく、邪な鬼神までを含めて言ったのである。この章もそれと同じである。
【語釈】
・性善…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也。成之者性也」。孟子滕文公章句上1。「孟子道性善、言必稱堯舜」。
・張南軒…名は栻。字は敬夫。1133~1180

氣を論せぬと備はらぬ。孟子がそれぞ。時に何ぼ性善と云ても熊坂や日本左ェ門かやうながあると云。其やうなもののあったとき、あれは氣の無調法かある。そこで氣の側にをくと氣の咎にする。孟子かあれほどに論られても氣と云ことがないゆへ、あとからさま々々の疑が出るなり。氣は善悪分萬事出矣の大掃溜め、盗人、巾着切、皆氣のすることそ。氣の話をすると性の分けがととく。氣を話さぬと、あの悪人はどふじゃと云詮義がをこる。上の一句は論性不論氣不備とある。備らすと云は、氣は論せすともすむほとなことなり。
【解説】
孟子は性善と言っても気のことを言わないから、後世に様々な疑いが出た。気のことを話さないと善悪を説明し難い。
【通釈】
気を論じなければ不十分である。孟子がそれである。時にどれほど性善と言っても熊坂や日本左ェ門の様な者がいると言う。その様な者がいる時、あれには気の無調法があると、それを気の側に置いて見て気の咎だとする。孟子があれほど論じられても気のことを言わないから、後で様々な疑いが出る。気は「善悪分萬事出矣」の大掃溜めで、盗人や巾着切などは皆気のすること。気の話をすると性がよくわかって来る。気の話をしないと、あの悪人はどうしたことかと善悪の詮議が起こる。上の一句は「論性不論氣不備」とある。不備とは、気は論じなくても済むといった程度のこと。
【語釈】
・熊坂…熊坂長範。①平安末期の大盗。奥州に赴く金売吉次を美濃国(岐阜県)赤坂の宿に襲い、牛若丸に討たれたという伝説的人物。能「熊坂」その他の戯曲に活躍。②転じて、大泥棒のこと。
・日本左ェ門…白波五人男の頭領である日本駄右衛門のモデル。浜松付近で強盗を重ねていた盗賊。延享4年(1747)2月4日に捕縛され、同年3月11日に処刑される。
・善悪分萬事出矣…道体1の語。

論氣不論性不明とある。不明とは、性を論せぬと滅陀無上なことになる。不明と云は、荀子は性悪と云、揚子は善悪混ずと云。これなり。人を天地人三才と云ふも、明德と云も、万物の灵と云も、民は天地之中を受と云もらりになることぞ。わるい人多くあるを見て悪と云。いろ々々あるを見て善悪混すと云。とふも本然の明なことを知らす。不明は根からわるいなり。どふ論するかよいと云に、論性不論氣不備論氣不論性不明。かた方つつ論するはわるい。两方で合点することそ。上の句に不備と云は十分につきぬを云。下の句、不明と云。根からつまらぬを云。然ればどふするがよいと問はせて、されはそこのことしゃとは云え、それを分ん々々なことと心得るとわるい。そこて道体に載てある明道先生の性論か結講なことになる。
【解説】
「論氣不論性不明」の説明。「不備」とは、十分に尽くし切っていないこと。「不明」とは、根本から悪いこと。不備や不明でない様にするには、性と気の両方を論じなければならない。また、性を荀子は悪とし、揚子は善悪混ずとするが、彼等は本然の性が明らかなことを知らない。
【通釈】
「論氣不論性不明」とあるが、「不明」とは、性を論じないと滅多矢鱈なことになるということ。不明とは、荀子は性悪と言い、揚子は善悪混ずと言う、そのことである。不明だと、人を天地人三才と言うのも、明徳と言うのも、万物の霊と言うのも、民は天地の中を受くと言うのも、乱離になってしまう。荀子は悪い人が多いのを見て性は悪だと言う。揚子は性が色々とあるのを見て善悪混ずと言う。彼等はどうも本然の性が明らかなことを知らないでいる。不明とは根本から悪い。そこで、どの様に論じるのがよいかと言えば、「論性不論氣不備論氣不論性不明」である。片方ずつ論じるのは悪い。両方で理解しなければならない。上の句で不備と言うのは十分に尽くし切っていないこと。下の句で不明と言うのは、根本から悪いということ。それではどうすればよいのかと問わせて、そこで、これを別々なことと心得るのは悪いと言う。そこで道体に載せてある明道先生の性論が結構なものとなる。
【語釈】
・滅陀無上…滅多無性。むやみ。むちゃくちゃ。
・三才…易経説卦伝2。「昔者聖人之作易也、將以順性命之理。是以立天之道、曰陰與陽。立地之道、曰柔與剛。立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之」。
・万物の灵…書経泰誓上。「惟天地萬物父母、惟人萬物之靈」。
・民は天地の中を受…
・性論…道体21を指す。

二之則不是は、学者に詞をかけて云ことそ。論性不論氣不備論氣不論性不明云々。どちはかりを云てもわるい。学者にこまらせるなり。然らばどのやふなればよいと云に、明道先生の論性のやうなれば尽たなり。理氣べったりとして、荀子や楊子に似たやうで、とど孟子の性論の通になる。性は人の評判をまつものではない。人の評判のしやうでよくもわるくもなる。性の方ではすきにしやれと云ほどなこと。論するものの論じやうで違ふ。ここが学問の大ふ事になる。山﨑先生か性論明備録と性論を一冊にしたあり。明備の字はここの字を取たものなり。明道のやうてこそ明備と云ものそ。学者も性の説よふがよければ官位をすることなり。何もかも相応に吟味したか、性はをくと云は本の学者でない。性は道体てすんで、性を論ずると云ふか学者の大事のことになってをるから爰に又云なり。さて二之と云ふ文義、二色あり。性即氣氣即性じゃから二つもののやふにするはわるいとも、又上の不備不明のやふな説きやふはすぐに二つにしたのじゃ。それはよくないとも云也。
【解説】
「二之則不是」の説明。論じる者の論じ方で性の捉え方が違って来るが、性の論じ方は、明道先生の論性の様であれば十分である。それは理気に基づき、荀子や楊子に似た様でいて、結局は孟子の性善の通りとなっている。学者も性の説き方がよければ官位を得たのと同じである。
【通釈】
「二之則不是」は、学者に対して言っているのである。「論性不論氣不備論気不論性不明云々」では一方だけを言うのは悪いということ。それは学者を困らせること。それではどの様であればよいかと言うと、明道先生の論性の様であれば十分である。理気がべったりとくっついていて、荀子や楊子に似た様で、結局は孟子の性論の通りになっている。性は人の評価を待つ様なものではない。人の評価は、その仕方でよくも悪くもなる。性の方にとっては、勝手にしなさいと言う程度のこと。論じる者の論じ方で性の捉え方が違って来る。そこで、ここが学問の大事なところとなる。山崎先生が性論明備録を書いて性論を一冊にまとめたが、その明備の字はこの章の字を取って付けたものである。明道の様になってこそ明備というもの。学者も性の説き方がよければ官位を得たのと同じである。何もかも相応に吟味したが、性は置いておいたと言うのは本当の学者ではない。性は道体で済ませて、性を論じることが学者の大事だから、ここに性を再び出したのである。さて、「二之」という文義には二通りの解釈がある。「性即気気即性」だから、性と気を別個なものの様に捉えるのは悪いとする解釈が一つ。また、上の不備不明の様な説明は、直に文を二つに分けるものだから、それはよくないとする解釈が一つである。
【語釈】
・性即氣氣即性…道体21。「性即氣、氣即性」。


第三十一 論学便要明理条

論學便要明理、論治便須識體。
【読み】
學を論ずるには便ち理を明らかにするを要し、治を論ずるには便ち須く體を識るべし。
【補足】
この条は、程氏遺書五にある。

大事のつかまへ処をつかまえぬと、辞は長くても役に立ぬ。晉延君が三万言役に立ことは一つもない。さてこの章に論の字二字あり。一口のきめ処がよいと学問のたても卜[ぼく]されることそ。鳳の一羽を見て五色の備ることを知る。出合た時のあいさつで学問のたけも知る。王者伯者も知るなり。しゃによって、綱領をつかまへて知かよい。学問はことを知ることてはない。理を知ることぞ。直方先生、事知りは役に立ぬ。理知りになれと云かそのことなり。医者かありたけの医書をそらんして、本艸にある産物を残らす空て知ても、理が明らてないと療治はならぬ。学者もそれて、いくら博識ても理か明てないと学問にさばけぬことが多くある。
【解説】
決め処を間違えると学問の役に立たない。事を知っているだけでは役に立たない。学問は事物を知ることではなく、理を明らかにすることである。
【通釈】
大事な掴まえ処を掴まえないと、いくら辞が長くても役には立たない。晋延君の三万言に役に立つことは一つもない。さて、この章に論の字が二つある。一言の決め処がよいと学問の大きさも知ることができる。鳳の一羽を見て五色の備わっていることを知る。出会った時の挨拶で学問の出来も知ることができる。王者か伯者かもわかる。そこで、綱領を掴まえて知るのがよい。学問は事を知ることではなく理を知ること。直方先生が、事知りは役に立たない、理知りになれと言ったのがこのこと。医者が様々な医書を諳んじ、本草にある産物を残らず空で言えても、理が明らかでないと治療はうまく行かない。学者も同じで、いくら博識でも理が明らかでなければ学問を捌けないことが多くある。
【語釈】
・晉延君…

論治云々。天下を治を云。天下の法度周礼三百官か一つても用に立ぬと云ことはない。みなそれ々々用かあり、それから制札に一くだりあること迠、天下を治る法令なり。其れはかきりもないこと。それをつかまへて云は末なり。體とは近思録で云へばすぐに治体なり。一体に天下を治める体かある。夫れを知らぬと王伯がわからぬ。何程人のためになることをしても、本のものでない。そも体と云へばどのやふなことなれは、朱子が大学の序に本人君躬行心得之餘と云か体なり。それが別のことではなく、洪範に皇建其有極と云が、體を知ぬと伯者の政の臭ひものの蓋をするやふになる。これでは中々国が本道に治ることはない。国を治るは、君の德からさきによくせ子ばならぬ。孟子の見斉宣王不言吾先責其非心をと云、大人能格君心之非と云も体へかかることなり。体へかからぬと、法度號令をしてもゆかぬ。医者が細か禁好物を云ひ、噦りの加減をする様な政をし、あの咳をとめやふと云、其やうなこせ々々した手段では匙が廻らぬ。名医は体を知てをるゆへ、脉をみるとははあとて全体をよくする。
【解説】
体は治体のことだが、法令自体を論じるのは瑣末なことであり、自分の内に道を確立するのである。天下を治めるには、君の徳を先ずよくしなければならない。
【通釈】
「論治云々」。天下を治めることを言う。天下の法度の周礼三百官が一つでも役に立たないということはない。皆それぞれに用向きがあって、それで制札に決まり文句のあることまで、全てが天下を治める法令である。それは限りないことだから、その法令について一々論じるのは瑣末なこと。「体」とは、近思録で言えば直に治体のこと。総じて、天下を治める体がある。それを知らないと王伯がわからないし、どれほど人のためになることをしても本当のものでない。そもそも体とはどの様なことかと言うと、朱子が大学の序に「本之人君躬行心得之餘」と言うのが体である。それは特別なことではなく、洪範でも「皇建其有極」と言っており、体を知らないと伯者の政の様に臭いものに蓋をする様になる。これでは中々国が本道の通りに治まることはない。国を治めるには君の徳から先によくしなければならない。孟子が「見斉宣王不言吾先責其非心」と言い、「大人為能格君心之非」と言うのも、体に掛かること。体に掛からないと法度号令をしてもうまく行かない。医者が子細に禁好物を言ったり、しゃっくりの薬加減をする様な政をしても、咳を止めようとする様なこせこせした手段ではうまくいかない。名医は体を知っているから、脉をみれば病状がわかって全体をよくする。
【語釈】
・制札…禁令の箇条を記して、路傍または神社の境内などに立てる札。たてふだ。
・本人君躬行心得之餘…大学章句序。「夫以學校之設、…而其所以爲敎則又皆本之人君躬行心得之餘、不待求之民生日用彝倫之外」。彝倫とは、人として常に守るべき道。
・皇建其有極…書経洪範の語。
・見斉宣王不言吾先責其非心…孟子離婁章句上20集註。「昔者孟子三見齊王而不言事、門人疑之。孟子曰、我先攻其邪心。心既正、而後天下之事可從而理也」。
・大人能格君臣之非…孟子離婁章句上20。「孟子曰、人不足與適也。政不足閒也。惟大人爲能格君心之非。君仁莫不仁、君義莫不義、君正莫不正。一正君而國定矣」。

天下國家の政をするに治体かある。直方先生か、熊沢次良八かやうでは体を知とは云れぬとなり。某なとか見て、熊沢のしたことに心得になることか大いことあり、徂徠が政談、太宰が經済録、調法なことたらけなれとも、法の上はかりて書たもので体を知らぬ。臆病な大将に軍法を教るやうなもの。軍に出たとき根が臆病ゆへ、かかれ々々々と云なから采を持て迯る様なもの。京都へ出て勤学して吟味したことか、匙かまわらぬと云は、体を知ぬゆへなり。
【解説】
治体は天下国家の政をする手段である。熊沢、荻生、太宰の言行にはよいところもあるが、それは法の面からのものであって、体を知らない。
【通釈】
天下国家の政をする手段として治体がある。直方先生が、熊沢次郎八の様では体を知るとは言えないと言った。私などが見ると、熊沢のしたことで心得になることが大層あり、荻生徂徠の政談や太宰春台の経済録も調法なことばかりが書かれているが、それは法の面だけを書いたものであって体を知らない。それは、臆病な大将に軍法を教える様なもの。軍に出た時に根が臆病だから、かかれと命じておいて采配を持って逃げる様なもの。京都に出て勤学をして吟味したことがうまくいかないのは体を知らないからである。
【語釈】
・熊沢次良八…熊沢蕃山。江戸前期の儒学者。名は伯継、号は息游軒。隠退後、蕃山了介と称。京都の人。中江藤樹に陽明学を学び、岡山藩主池田光政に仕える。著「大学或問」が幕府の嫌疑にふれ、古河城中に幽閉されて没。著「集義和書」「集義外書」など。1619~1691
・采…采配。

学に理と云は異端に對したこと。治に体と云は伯者に對したこと。とかく学問は理へきめることなり。理へきめるとは、大学ては八条目、近思録ては十四篇なり。垩賢の学は道理を得ること。理を明にする綱領を得子ば、学者とは云はれぬ。鳩巣先生が無間然者中江与右ェ門しゃ、と。去とは不審なことそ。中江与右ェ門は近江の垩人と云ほとなれば、人となりはさぞよかろふが、王陽明の学で致知格物はすて、明理と云ことはしらぬ。朱子へ弓を引ものを、それを誉るは明理と云ものでない。
【解説】
学に理と言うのは異端に対してのことで、治に体と言うのは伯者に対してのこと。学問は理を決めることで、それは、大学では八条目、近思録では十四篇を理解することである。室鳩巣が中江藤樹を誉めたが、中江は王陽明の学に移って致知格物を捨てたから明理を知らない者であり、それを褒める室もまた、明理を知らない者である。
【通釈】
学に理と言うのは異端に対してのこと。治に体と言うのは伯者に対してのこと。とかく学問は理へ決めること。理へ決めるとは、大学では八条目、近思録では十四篇のこと。聖賢の学は道理を得ること。理を明らかにするための綱領を得なければ学者とは言えない。鳩巣先生が「無間然者中江与右ェ門」と言った。それは何とも不審なことである。中江与右ェ門は近江の聖人と言われるほどの人だから、その人柄はさぞよいだろうが、王陽明の学に拠って致知格物を捨てたのだから、明理ということは知らない。朱子に弓を引く者を褒めるのは明理というものではない。
【語釈】
・八条目…格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下。
・鳩巣先生…室鳩巣。江戸中期の儒学者。名は直清。江戸の人。1658~1734
・無間然者中江与右ェ門…間然無き者は中江与右ェ門?「間然」とは、非難すべき欠点のあるさま。かれこれ言われるすきまのあるさま。
・中江与右ェ門…中江藤樹。江戸初期の儒学者。わが国陽明学派の祖。名は原。近江の人。1608~1648

論治と云も、学者か貞觀政要を尊仰するも体を知らぬゆへなり。唐の太宗は兄を殺して天下を取たぞ。垩賢の前へ持て出たとき、風上にも置れぬことなり。尤なこともあり、政のことによいこともあろふが、治体と云ふそばにはをかれぬことぞ。兎角学問はきめが大事。前章性を論と云ことを云ひ、あのきめがよくなけれは本の学問ではない。此章、理と体と云きめを知ことそ。ここがくにゃ々々々すると学問か記誦詞章になる。
【解説】
学者は貞観政要を尊ぶが、それを作らせた太宗には治体がない。貞観政要にはよいことも書かれているが、治体の立場では評価することはできない。学問は決め処が肝心で、前章のそれは論性、本章のそれは理と体である。
【通釈】
論治と言うのも、学者が貞観政要を尊仰するのも体を知らないからである。唐の太宗は兄を殺して天下を取った。聖賢の前に出た時は風上にも置かれないことである。貞観政要には尤もなこともあり、政のためによいことも書いてあるだろうが、治体の側に置くことはできない。とかく学問は決め処が大事。前章では論性と言い、あの決め処がよくなければ本当の学問ではない。この章では、理と体という決め処を知るのである。ここがしっかりしないと学問は記誦詞章になる。
【語釈】
・貞觀政要…唐の太宗が群臣と政治上の得失を問答した言を集録し、治道の要諦を説いた書。一○巻。唐の呉兢編。
・太宗…李世民。唐の第二代皇帝。太宗。高祖李淵の次子。玄武門の変で兄弟を殺し、父高祖に迫り譲位させて即位。天下統一を完成し、律令を制定、軍制を整備、いわゆる貞観の治をしいた。


第三十二 曾點漆雕開条

曾點漆雕開已見大意。故聖人與之。
【読み】
曾點漆雕開は已に大意を見たり。故に聖人之に與[くみ]す。
【補足】
この条は、程氏遺書六にある。論語にある曾点と漆雕開の話を元にしたもの。曾点の話は先進25、漆雕開の話は公冶長6にある。
論語先進25。「子路、曾晢、冉有、公西華侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、毋吾以也。居則曰、不吾知也。如或知爾、則何以哉。…曰、莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而帰。夫子喟然歎曰、吾與点也」。
論語公冶長6。「子使漆雕開仕。對曰、吾斯之未能信。子説」。

上の章はきめ処を見せ、この章は孔門の歴々の評判て人を出して見せたものなり。曽點と漆雕開はうらはらな人物ぞ。それを一つに合せて曽点漆彫開已見大意と云。これらはさて々々面白ことそ。程子の絶学をついて孟子以後不傳の道を承たも、このやふな方組てみへることそ。古の名医にさま々々こまかなよいこともありたらふがそれは知らぬ。方組で名医が知れるなり。曽点と漆雕開は打てちこふたもの。曽点は飛て出るやふな人そ。飛助なり。漆雕開はいこう内ばに見へ、内へ々々と子りこむ人で、じり々々と工夫をした。打て違ふた人品なり。曽点のことは今日話、漆雕開かことは明日話と云程違た人なれとも、それを程子が一つにして、此二人大意を見たと云はれた。
【解説】
孔門の歴々の中、曾点と漆雕開は正反対な人物である。曾点は外に進む人で、漆雕開は内に進む人である。程子はこの二人を一緒にして、大意を見たと言われた。
【通釈】
前章は論学論治の決め処を見せ、この章は孔門の歴々の中から優れた人を出して見せたもの。曾点と漆調開は正反対な人物である。それを一緒に合わせて「曾点漆雕開已見大意」と言うのが、実に面白いことである。程子は絶学を継ぎ、孟子以後の不伝の道を承ったが、それもこの様な章の作り方でわかること。古の名医には様々な細かなよいこともあっただろうが、具体的なことはわからない。ただその人が作った処方箋で名医だったことを知ることができるのである。曾点と漆雕開は全く違った人。曾点は飛んで出る様な人。飛助である。漆雕開は大層内場な人で、内へ内へと練り込んで、じりじりと工夫をした人であり、全く違った人品である。曾点のことは今日の話、漆雕開のことは明日の話というほどに違った人だが、それを程子が一緒にして、この二人は大意を見たと言われた。
【語釈】
・曽点…曾晢。孔子の門人。曾子の父。
・漆雕開…孔子の門人。字は子若。
・方組…薬の調合法。処方。また、処方箋。
・飛助…軽率ですぐ飛び出すような人。おっちょこちょい。

見大意は大筋を合点したと云こと。直方先生が、普請なればむ子上けをしたやふなものと云へり。今日の学者は棟上をせぬ前に障子をあつらへ襖をこしらへるやふなもの。曾点漆雕開はちかったやふな人なれとも、どちもむ子上がすんた。そこで孔子が同じやうに御同心て、やれ々々とよろこばれた。云へば爰は傳授ことなり。
【解説】
曾点も漆雕開も、普請で言えば棟上をした様なもの。孔子も彼等と同意だったので悦ばれた。
【通釈】
「見大意」とは、大筋を合点したということ。直方先生が、普請で言えば棟上をした様なものだと言った。今日の学者は棟上をする前に障子をあつらえ襖を拵える様なもの。曾点と漆雕開とは互いに違った人だが、どちらも棟上が済んでいる。そこで、孔子も彼等と同じ様に思っていたので、やれやれと悦ばれた。ここを敢えて言えば、伝授のことである。

曽点は古法、漆雕開は後世家と思ふは知らぬのなり。合点したときはどちがどふと云ことはない。さわかしいの、落付たのと云は、その上のことについたこと。曽点は安堵して呑込だ人。漆雕開は安堵せぬ人。どふもまたと云。そこを程子かどちも同挌に見大意と云。名医になると、瀉藥つかひの補藥つかひのと云ことはない。とちもして取たものなり。上手になれは一つになることぞ。今日禅はさへ、淨土はそふないと思ふか、禅もさへぬがあり、淨土にもさへたかある。爰がとど理を論することそ。曽点漆雕開もよふはちかへとも、道理を見付た処は同しことなり。
【解説】
曾点は安堵する人で、漆雕開は安堵しなかった人だが、道理を見つけたことでは同格である。
【通釈】
曾点は古法家で漆雕開は後世家と思うのは、よくわかっていないのである。理解した時はどちらがどうのこうのということはない。騒がしいとか落ち着いているとかと言うのは、「見大意」の後のこと。曾点は安堵して呑み込んだ人。漆雕開は安堵しない人で、どうもまだ駄目だと言う。そこを程子が同格に見て、見大意と言った。名医になれば瀉薬使いとか補薬使いとかという様な偏りはない。どちらもして取る。上手な者になれば同じこと。今日禅は冴え、浄土はそうでもないと思うが、禅にも冴えないところがあり、浄土にも冴えたところがある。ここはつまり理を論じること。曾点と漆雕開は模様が違っていても、道理を見付けた処は同じである。
【語釈】
・古法…古医方。江戸時代の漢方の医家の説の一。金・元以後の後世派の医学を批判し、晋・唐の根本精神に復帰し経験と実証的精神に基づいた治療を主張。この説をとる医家を古方家という。
・後世家…後世方。わが国に鎌倉時代末期以降伝えられた中国の金・元の医家の処方を祖述する医家の一派。これを奉ずる医家を後世家という。
・瀉藥…瀉剤。下剤。くだしぐすり。
・補藥…衰えた精力を補うために用いる薬。

程子御兄弟と云へとも明道は温和な人、伊川はするどな人を呵る人なり。それを朱子の四書の注にはわけす、程子々々と一にしてをかれたか、もやふは違て道が一つゆへなり。曽点は鼻の先きか道しゃ。天下の政をするも花見に行も、昏礼をするも一つこと。我居り塲々々々、道理なりにさへすればこちのものしゃとずんど安堵して、琴を禪てをられた。漆雕開は孔子の政をさせてもなると思召て奉公しやれと仰られたれは、また々々と安堵せぬ。そこを孔子が御きげんなり。孔子の機嫌と云こと論語て二度て一つことなり。
【解説】
程子にしても、兄の明道と弟の伊川の性格は正反対である。それでも朱子は四書の注では一緒に扱った。それは彼等の道が同じだからである。曾点は道理のままに安堵し、漆雕開は道を行うには未熟であると考えたが、二人とも道理を知ったから、どちらに対しても孔子は悦んだのである。
【通釈】
程子ご兄弟にしても、明道は温和な人、伊川は鋭くて、よく呵る人である。それを朱子の四書の注では二人を分けずに程子と一緒にしておかれたが、それは模様が違っていても道が同じだからである。曾点には鼻の先が道である。天下の政をするのも花見に行くのも、婚礼をするのも同じこと。自分の居場所に従って、道理のままにさえすれば道は自分のものだと、すっかりと安堵して琴を弾いておられた。漆雕開には孔子が政をさせても大丈夫だと思し召し、奉公をしなさいと仰せられたのだが、それはまだだとして安堵しなかった。そこを孔子が悦んだ。孔子が悦んだのは論語の中に二度あるが、どちらも同じことである。

道落もののやふな曽点に與したは、道の充滿したを見たゆへなり。漆雕開は奉公しても能ふとあるに自ら安堵せぬ。天地の間に道が充滿しておるゆへ、かきりないことなり。はや仕て取たと云様な心がなさに、またをちつかぬと断りを云はれた。道のかきりないをみられたゆへなり。とかく自らして取たと思ふは地獄へをちる本なり。然れば二人ともに道を見た。そこを、大意を見ると云。今日讀む条はどれもはつかづつの語て、さて今迠思ふたとは皆了簡ちかいたことじゃとのりてくれば能よむと云もの。
【解説】
曾点は道の充満したところを見た。漆雕開は道の限りないことを理解し、自分がそれをまだ理解しきれていないと思った。二人とも道を見たのである。とかく、理解し切ったと思うと失敗する。
【通釈】
道楽者の様な曾点に与したのは、曾点が道の充満したところを見たからである。漆雕開は奉公しても大丈夫だと言われても自ら安堵しない。天地の間に道は充満していて限りがない。もうして取ったという様な心がないので、まだ落ち着かないと奉公を断った。道が限りないことを見られたからである。とかく自ら理解したと思うのは地獄に落ちる本である。それで二人とも道を見たと言うのである。これを大意を見ると言う。今日読む条はどれも僅かな語で作られているが、さて今まで思っていたことは皆了見違いだったとわかってくれば、よく読んだというもの。


第三十三 根本須培擁条

根本須是先培壅。然後可立趨向也。趨向既正、所造淺深、則由勉與不勉也。
【読み】
根本は須く是れ先ず培壅[ばいよう]すべく、然して後に趨向を立つ可し。趨向既に正しければ、造[いた]る所の淺深は、則ち勉むると勉めざるとに由る。
【補足】
この条は、程氏遺書六にある伊川の語。

根本は心のかへ名なり。心のかへ名を根本と云ふは何もかも心てするゆへなり。作人が麦をまき、菽をまくも、心かうか々々しては丁どにゆかぬ。医者か放心しては脉かみられぬ。背中に腫物ができても政はなるが、子むりながら天下の公事はさばかれぬ。又、病氣子ていても政の相談もなるか、乱心するか熱にをかされると相談はならぬ。何ことも皆心てすることなり。これを徂徠がきくといやかって、そりゃ仏じゃと云。あれは百姓日用不知なり。あの朱子を譏るも心で譏るてはなきか。手や足で議るではない。何もかも心なり。天下政から職人の細工をするまて皆心なり。そこで心にこやしをせ子ばならぬ。心にこやしをせぬと心からりになる。心からりになっては何もならぬ。切れぬ庖丁てものを切るやふなもの。
【解説】
「根本須是先培壅」の説明。根本とは心のこと。心で何もかも行う。それを徂徠は仏者の考えの様だと言うが、彼は日用不知なのでその様に言う。心に肥やしをしなければ、心は台無しになる。
【通釈】
根本とは心の替え名である。心の替え名を根本と言うのは、何もかも心でするからである。作人が麦を蒔き菽[まめ]を蒔く時も、心がうっかりとしていてはうまく行かない。医者が放心していては脉を診ることはできない。背中に腫物ができても政はできるが、眠りながら天下の公事を裁くことはできない。また、病気で寝ていても政の相談はできるが、乱心したり熱に侵されたりすれば相談はできない。何事も皆心でする。これを徂徠が聞くと嫌がって、それでは仏教と同じだと言う。彼は「百姓日用不知」である。朱子を譏るにも心で譏るのではないのか。手や足で譏るのではない。何もかも心でする。天下の政から職人が細工をすることまで皆心でする。そこで心に肥やしをしなければならない。肥やしをしないと心が台無しになる。心が台無しになっては何にもならない。それは、切れない庖丁で物を切る様なもの。
【語釈】
・百姓日用不知…孟子告子章句下2集註。「楊氏曰、堯舜之道大矣。而所以爲之、乃在夫行止疾徐之閒、非有甚高難行之事也。百姓蓋日用而不知耳」。

迂斎の、韓退之も根本培擁かないゆへ大顛に出合ふて一句もあからぬと云へり。韓退之は唐一代さらへての一人なり。垩賢の書をつかまへて文章を書たゆへ、文者て垩人の道を知った。されとも根本培擁を知らぬなり。人が大顚と儒仏の論をしてまけたやふに思ふかそふでない。大顚があふのろりとして居ても全体か違ふた。其れにをしつけられたものなり。韓退之も當時の出家と詩の贈合なとして、やくに立ぬ仏者とはかり出合て小僧のやふに思ひ、佛を輕く見てをられた。佛骨の表を作られたれとも、あれは第二段なことなり。処へ大顚かあの通りゆへ、ここて一句もあからぬ。根本培擁と云根のかけた学問ゆへなり。山﨑先生か漢唐之間非無知者なり非無行者也但未曽開存養之道也か出まかせの大口てはない。中りのないことは云はれぬ。存養と云か根本培擁のことなり。
【解説】
韓退之は唐を代表する儒者だったが、根本培壅を知らなかった。それで大顛に一言も反論できなかったのである。根本培壅とは闇斎の言う存養のことである。
【通釈】
迂斎が、韓退之も根本培擁がなかったから、大顛に出合って一言も反論することができなかったと言った。韓退之は唐代きっての一人である。聖賢の書を掴まえて文章を書いたから、文者として聖人の道も知った。しかし、根本培壅は知らない。人が、彼は大顛と儒仏の論をして負けたのだと思っているが、そうではない。大顛はあの様にのろりとしていても、全体の格が違う。そこで圧し付けられたのである。韓退之も当時の出家と詩の贈り合いなどをして、役に立たない仏者とばかり出合って彼等を小僧の様に思い、仏者を軽く見ておられた。彼は仏骨の表を作られたが、それは二の次のことである。そんな処に大顛があの通りの人物だから、韓退之は一言も言い返せない。根本培壅という根が欠けた学問だからである。山崎先生が言った「漢唐之間非無知者也非無行者也但未曽聞存養之道也」は出任せの大口ではない。根拠のないことは言わない。存養が根本培擁のことである。
【語釈】
・大顛…韓退之は、潮州に左遷された際、当地の傑僧大顛禅師と交流する。長安に帰って、大顛との交流を質問されるが、積極的には評価しない返答内容であったとのことである。かつて仏教を排斥し、後に熱心な仏教徒となった白居易とは異なり、韓退之は、基本的には排仏を貫いていた。
・漢唐之間非無知者なり非無行者也但未曽開存養之道也…山崎闇斎近思録序。「漢唐之間非無知者也。非無行者也。但未曽聞存養之道、則其所知之分域、所行之氣象、終非聖人之徒矣」。

然後云々。心にこやしをして、そこて学問はどふするものじゃと趣向を立るなり。垩賢の道を学て行、次第階級の吟味をするなり。其前に根本培擁かいる。そふするとここに批たちをするものかありて、それては違ふ、大学の始の教へ致知挌物じゃに根本培擁を初にしては、致知挌物の前に誠意の工夫をするやふなものしゃと云。是か表向はかり知て内を知らぬなり。大学か小学なしになるものではない。古の八才からの小学は、敬と知らずに敬て存養ぞ。そこが根本培擁なり。それから大学にかかるそ。大賢の語は挌別なものなり。一寸しても小学大学の次第はつるることはなし。何ことも心てなけれはならぬ。歌をよみ習ふとも誹諧をせふとも、心をつれてきてからて無てはならぬ。それから趣向なり。爰てまづ云きるほどにみることぞ。これで学問のむねあけかすむ。ここができると学問が出きるなり。
【解説】
「然後可立趨向也」の説明。学問は根本培壅をした後に趨向を立てる。そこで、大学は致知格物から始まるのに、根本培擁を始めにしては致知格物の前に誠意の工夫をする様なものだとの批判が出るが、それは表面ばかりを知って内を知らない者の言い分である。小学も、敬とは知らずに敬で存養をする。それが根本培壅なのである。
【通釈】
「然後云々」。心に肥やしをして、それから学問はどうするのかと言うと、趨向を立てるのである。聖賢の道を学んで行くのは次第階級の吟味をすること。しかし、その前に根本培壅が要る。そうすると、ここで批判をする者があって、それでは違う、大学の始めの教えは致知格物なのに、根本培擁を始めにしては致知格物の前に誠意の工夫をする様なものだと言う。これが表向きばかりを知って内を知らないということ。大学は小学なしで身に付くものではない。古の小学は八才から学ぶが、敬とは知らずに敬で存養をするのである。そこが根本培壅である。それから大学に取り掛かる。大賢の語は格別なもの。一寸の事でも小学や大学の次第から外れることはない。何事も心でなければ悪い。歌を詠み習うにも俳諧をするのにも、心を連れて来てからでなくてはならない。それから趨向をする。先ずはここで学問の仕方を言い切ったのだと理解しなさい。これで学問の棟上が済む。ここができると学問ができるのである。
【語釈】
・趣向…「趨向」の誤り。物事のなりゆきが、その方へおもむき向かうこと。
・批たち…非太刀。①相手が油断しているすきに、刀で一撃を加えること。②非難。

所造淺深から先きは学問のことてはない。こちのことなり。趨向は大学にあり、所造浅深とは大学を学ぶもののことそ。孔子の御門人三千人趨向は立て、さて所造浅深かあってそれ々々に其人によって次第階級かあるなり。其後程子になっても趨向は一つなり。程門に浅深のあるは学ふもののことなり。朱子の趨向か正て朱門に浅深かある。
【解説】
「趨向既正、所造淺深」の説明。趨向とは大学に向かうことで、所造浅深とは大学を学ぶ者についてのことである。程子も朱子も趨向は同じだが、彼等の門弟に浅深があるのは、門弟自身に拠るものである。
【通釈】
「所造浅深」から後は学問のことではなく、人のこと。趨向は大学のことで、所造浅深とは大学を学ぶ者のことである。孔子の御門人の三千人は趨向を立てたが所造浅深があって、人それぞれに次第階級があった。その後程子になっても趨向は同じで、それは大学に向かうことだった。程門に浅深があるのは学ぶ者についてのこと。朱子の趨向は正しくて、朱門にも浅深がある。

皆由勉與不勉也。何もかも相違なくて役に立ぬかある。異端覇者趨向正くない。隋文中子は、趨向正くないやふなれとも至善をしらす。陸象山、陳同父甚勉めたが趨向か正くない。朱門は平な人に趨向正けれとも、朱子の學を継くほどにならぬは勉ぬゆへなり。
【解説】
「則由勉與不勉也」の説明。異端と覇者の趨向は正しくない。朱子の門弟にも趨向の正しい者がいたが、朱子の学問を継ぐほどにならなかったのは、彼等が勉めなかったからである。
【通釈】
「皆由勉與不勉也」。全く相違がないのに役に立たないものがある。異端と覇者の趨向は正しくない。隋の文中子は、趨向は正しい様だが至善を知らない。陸象山と陳同甫は、甚だ勉めたが、趨向が正しくない。朱門では平らな人に趨向の正しい者がいたが、朱子の学問を継ぐほどにならなかったのは、彼等が勉めなかったからである。
【語釈】
・文中子…隋末の学者。字は仲淹。山西竜門の人。唐の王勃の祖父。中説(文中子)を作って論語に擬し、礼論・楽論・続書・続詩・元経・賛易を作って六経に擬した。門人諡して文中子という。584頃~618頃
・陸象山…南宋の大儒。名は九淵。字は子静。象山・存斎と号。江西金渓の人。1139~1192
・陳同父…陳同甫?


第三十四 敬義夾持の条

敬義夾持直上。達天德自此。
【読み】
敬義もて夾持して直上せよ。天徳に達するは此による。
【補足】
この条は、程氏遺書五にある。

この前に敬義のことあり。教かたは段々なものそ。次第階級そろへて前の敬義の章にある。その上に云ことはないはつなり。処を爰て短く云て功夫になる。それゆへ前て委ひことをきき、亦爰て分に短ひことをきくてためになる。分んに聞やふなもの。前の条は医者が段々的中の主方を述て、此章は、この藥をわきひら見す呑してずっと本復ときく処をここてみせたもの。前の敬義と別のやふに思ふか、別に新く云たことてはない。
【解説】
為学7条で敬義を述べ、この章で再度短く言うので工夫となる。
【通釈】
前に敬義のことがあった。教え方は段々なもので、次第階級は前の敬義の章に揃ってある。そこで、それ以上言うことはない筈だが、そこをここで改めて短く言うので功夫になる。それ故、前で委しいことを聞き、またここで簡略に聞くのでためになる。改めて聞く様なもの。前にある条は医者が順序良く正しい処方を述べたのと同じで、この章は、その薬をよそ見をせずに呑めば、すっかりと本復してよく効く処を見せたもの。ここは前の敬義の章とは別の様に思えるが、別に新しいことを言ったのではない。
【語釈】
・敬義のこと…為学7条を指す。
・主方…種方。薬の調合
・わきひら…側辺。かたわら。わき。そばひら。
・本復…病気がすっかり治ること。全快。全癒。

前のは爲学の全備を示し、此条は其敬義にずっと掛れ、成佛疑なしの意そ。これか学問の大事とはどふなれば、どちもはなされぬものなり。鳥の兩翼、車の兩輪なり。兎角得手方かあって、孔子の御門人も各得其性之所近と云て、さま々々得手の方にまわる。子夏の弟子に田子房、それから荘子なり。かた々々ではよいこともゆるされぬ。敬義夾持てかた々々てはない。兩掛の挾み箱のやふなもの。兩方へ棒をとをしてをくなり。をれは敬ずきじゃ、をれは義すきじゃと云ことはない。敬義をはなさす兩掛にしてをると、内からも外からもすきまはない。物欲がなくなる、天理になる。
【解説】
前の章では為学の全備を示し、この章は、敬義に直ぐ取り掛かれば道を得ることができることを言う。敬義の両方を行わなければならず、得手方だけを行うのではいけない。敬義双方を行えば隙間がなくなるから物欲が入れない。そこで天理となる。
【通釈】
前の章では為学の全備を示し、この条では、その敬義にしっかりと取り掛かりなさい、そうすれば成仏は疑いないという意である。これが学問の大事というのは何故かと言うと、敬義どちらも離せないものだからである。鳥の両翼、車の両輪と同じである。とかく人には得手方があって、孔子の御門人も「各得其性之所近」と言って、様々に得意な方に行く。子夏の弟子に田子房がいて、それから荘子となる。片方だけではよいことでも許されない。敬義夾持なら片方だけではない。それは両掛の挾箱の様なもの。両方に棒を通して置く。俺は敬好きだ、俺は義好きだと言うことではない。敬義を離さず両掛にしていると、内からも外からも隙間はない。物欲がなくなると天理になる。
【語釈】
・各得其性之所近…孟子序説。「又曰、孔子之道大而能博。門弟子不能遍觀而盡識也。故學焉而皆得其性之所近」。
・子夏…孔門十哲の一。姓は卜、名は商。子夏は字。衛の人で、孔子より四四歳若いという。
・田子房…田子方。魏の文公の賢臣。文公の子の武公が太子の時に、「貧賎なる者、人に驕るのみ」と言って太子を諭した話がある。
・兩掛…旅行用の行李の一種。挟箱または小形のつづらに衣服・調度を入れて天秤棒の両端に掛け、供の者にかつがせたもの。
・挾み箱…外出に際し、具足や着替用の衣服などを中に入れ、棒を通して従者にかつがせた箱。

直上と云は東や西へ引たをされぬ意しゃと、朱子の答鄧衛老書にあり。面白ことそ。敬義をすると心中に物欲のよこれがなくなり、一身に非礼の違いかなくなる。敬て心か張弓のやふになり、義て身持がそまつがないぞ。これでは誠に彼成仏疑なしなり。よこへ引れることなく、真直に上へゆく。学問は氣にさへられぬことと云かこれなり。兎角わきからま子くものそ。上戸が酒を見ると腰がぬける。好色もそれて、この方にないをわきからきてひく。敬で心がしゃきりとしておると、いくら狐や狸か来ても引れぬなり。若ひ者か書物をよみてをると、浮かそうとわきて酒もりをして、酒がよいか書を讀かよいかと云ふと、笑ひながら其方へゆく。これ敬義のぬけなり。
【解説】
直上とは横に引き倒されず、真っ直ぐに上に行くこと。敬義を行えば、敬によって心が張弓の様になり、義によって身持ちに粗末なところがなくなる。学問は気に障えられないことで、それは敬義に拠る。
【通釈】
「直上」というのは、東や西へ引き倒されない意だと、朱子が書いた鄧衛老に答えるの書にある。それは面白いこと。敬義をすると心中に物欲の汚れがなくなり、一身に非礼の間違いがなくなる。敬によって心が張弓の様になり、義によって身持ちに粗末なところがなくなる。これなら誠にあの成仏疑いなしである。横に引かれることなく、真っ直ぐに上に行く。学問は気に障えられないと言うのがここのこと。とかく気は脇から招くもの。上戸が酒を見ると気力が落ちる。好色も同じで、自分にないことを脇からから来て引く。敬で心がしゃきりとしていると、いくら狐や狸が来ても引かれない。若い者が書物を読でいると、脇で酒盛りをして、酒がよいか書物を読むのがよいかと言う。それで笑いながらその方へ行く。これが敬義の抜け所である。
【語釈】
・鄧衛老…
・張弓…弦をかけて張った弓。また、その形をしたもの。

敬義夾持してをると、めったにをとけも云はるることではない。ずっと上へぬけて達天德なり。爰て学者の元氣のつくことぞ。これか垩人の德なり。次第揩級なく、短く云で人の魂にいる。ぢきにゆくと云へは頓悟直入のやふになる。そふではない。敬義で内外を挾みたれば達天德なり。むつかしいことではない。天に楷をするやふなことにあらず。今日からなることなり。と云て、虚に高ぞれたことてはなく、成ることなり。されともそれが六ヶしいと云は、中庸易而難なり。敬義を一寸と甞めてみてはならぬ。今日も明日も々々々々々々と、朝夕食を喰ふ心でたへずするなり。人の百年の壽を保も、たへず食事をするよりなることそ。能い藥も一口なめて見た分ではきかぬ。
【解説】
直と言うと頓悟直入の様だが、そうではない。敬義で内外を挟むので達天徳なのである。敬義は人が毎日食事をするのと同じであって、絶えず行わなければならない。
【通釈】
敬義夾持をしていると、滅多に戯けも言えるものではない。ずっと上に抜けて「達天徳」である。ここが学者に元気の付くこと。これが聖人の徳である。次第階級に拘わらず簡略に言うので人の魂に入る。直に行くと言えば頓悟直入の様だが、そうではない。敬義で内外を挟んだので達天徳なのである。難しいことではない。天に梯子をする様なことではない。今日からできること。そうは言っても、虚に高逸れたことではなく成ること。しかし、それが難しいと言うのは、「中庸易而難」だからである。敬義を一寸嘗めてみただけでは成れない。それを今日も明日もと、朝夕食を喰う様な心で絶えず行うこと。人が百年の寿命を保つのも絶えず食事をするからそうなるのである。よい薬も一口嘗めてみただけでは効かない。
【語釈】
・頓悟直入…
・中庸易而難…中庸章句9集註。「三者難而易、中庸易而難。此民之所以鮮能也」。


第三十五 懈意一生の条

懈意一生、便是自棄自暴。
【読み】
懈意一たび生ずれば、便ち是れ自棄自暴なり。
【補足】
この条は、程氏遺書六にある。

学問に懈意の心が出てくる。これはわつかなことで、朋友も師も知らぬ。約束通の事業をし、會も講習もするが、何となくあぢな心が出てくる。爰が大事の吟味なり。朋友のいけんを云ひ、師の呵るも火消のくるのなり。それまでやり立ることてはない。学問か二の足になる。其心がちらりとくる。便是自棄自暴なり。自き自ぼうは垩賢の道をよせ付ぬ難治の症にて、これか凡夫のこっちやふなり。懈怠一生はそれてはない。最中出精をする学者の胸中に、とふかして懈怠が出る。それかはや自き自暴じゃとなり。爰はまてしばしはない。こわいものぞ。ぶす々々してをる火かもへ出る。平生飯炊きかもへぬ々々々とて苦労をするやうなれば、火事の氣つかいはないか、煙艸の吸からも火事になる。
【解説】
学問に懈意する心が出て来る。これは小さなことで、朋友も師も知ることができない。懈意が出ると直ぐに自棄自暴となる。自棄自暴では、聖賢の道を得ることができない。「懈意一生」は精励している最中の学者の胸中に懈意が出ること。
【通釈】
学問に懈意する心が出て来る。これは僅かなことで、朋友も師も知らない。約束通りに事業を行い、課会も講習もするが、何となく悪い心が出て来る。ここが大事な吟味処である。朋友が異見を言い師が叱るのも、火消が来るのと同じ。そこまで遣り立てることはない。学問が進まなくなる。その様な心がちらりと来れば「便是自棄自暴」である。自棄自暴は聖賢の道を寄せ付けない難病であって、これが凡夫の骨頂である。しかし、「懈意一生」はそうではない。精励している最中の学者の胸中にどうしてか懈意が出る。それが直ぐに自棄自暴だと言う。ここに猶予はない。怖いもの。燻っている火が燃え出る。日頃飯炊きが燃えないと言って苦労をする様であれば火事の気遣いは要らないが、煙草の吸殻からでも火事になる。
【語釈】
・懈意…だらけた心。
・自棄自暴…孟子離婁章句上10。「孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也」。
・こっちやふ…骨頂。①意地を張ること。強く主張すること。②事件を企てた中心人物。張本人。③この上ないこと。最上。第一。

臣弑其君子弑其父常始於見其有不是處耳もこれなり。親を弑すと云ことか、たのまれたとてなるものか。たまさかに大悪人かありて、親を弑はいかに親仁てもきこえぬと云。すこしのことからぞ。其れがつもると親を弑す。文言傳に非一朝一夕之故其所由来漸矣とあり。それと同しことて、わつか懈怠出ると直にそこが自棄自暴になる。学以至垩人之道へ蟻が穴をあける。爲学の大切は至垩人なり。そこへ蟻か穴をあける。大垤之萠る從蟻穴て、蟻の穴じゃとてすててをくと自き自ぼうになる。そこで懈意はないか々々々と常に我胷中をたづ子てみるか近思なり。
【解説】
人は元々性善だが、小さな懈意が積もって悪いことをする。常に懈意はないかと自省するのが近思なのである。
【通釈】
「臣弑其君子弑其父常始於見其有不是處耳」も懈意のことである。親を弑すことは、頼まれたとしてもできないこと。滅多にいない大悪人でも、親を弑すことはどの様な親父だとしてもすることはできないと言う。少しのことから始まる。それが積もると親を殺す。文言伝に「非一朝一夕之故其所由来者漸矣」とある。それと同じことで、僅かな懈意が出ると直にそこが自棄自暴になる。「学以至聖人之道」に蟻が穴を開ける。為学の大切な処は至聖人である。そこに蟻が穴を開ける。大垤の崩れるのは蟻穴からで、蟻だからといって放って置くと自棄自暴になる。そこで、懈意はないかと常に自分の胸中を尋ねて見るのが近思なのである。
【語釈】
・臣弑其君子弑其父常始於見其有不是處耳…孟子離婁章句上28集註。「昔羅仲素語此云、只爲天下無不是厎父母。了翁聞而善之曰、惟如此而後天下之爲父子者定。彼臣弑其君、子弑其父者、常始於見其有不是處耳」。
・非一朝一夕の故其所由来漸矣…易経坤卦文言伝。「…積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之故。其所由来者漸矣。由辯之不早辯也。易曰、履霜堅冰至。蓋言順也」。
・学以至垩人之道…為学3条の語。
・大垤之萠る從蟻穴…大垤は「だいてつ」、または「おおありづか」と読むか?大蟻塚。

さて、懈意か知れか子るものなり。書物を讀て草臥たを懈意と思ふはちこふことぞ。人の精力にかきりあるものゆへ、むつかしひ処なとを熟讀すると草臥るもの。それが懈意てはない。それは氣のつかれたのにて、医者の持まいなり。この懈意と云は、氣の草臥たではないなり。さて々々よく考てみれは垩賢になると云たとて、中々そふなりそふなことてはない、事も驚さんなことて役にたたぬ、目を血のやうにしてもならぬことと云。そこが懈意なり。書に倦み庭前を散歩せふとも、酒や藥をのまふとも、それは外目からは懈意とみへても懈意でないなり。書に倦でも、それは精神の疲れと云もの。
【解説】
気の疲れは懈意ではない。よって、書物に倦むのは懈意ではない。しかし、聖賢には成れないと思うのは懈意である。
【通釈】
さて、懈意はわかり難いものである。書物を読むのに草臥れるのを懈意と思うのは間違いである。人の精力には限りがあるから、難しいところなどを熟読すると草臥れるもの。それは懈意ではない。それは気が疲れたのであって、医者の領分である。懈意とは、気が草臥れたことではない。よく考えてみれば、聖賢に成ると言っても中々その様に成れそうもなく、事も仰山で役に立たないとか、目を皿の様にしても聖人には成れないと言う。それが懈意である。書物を倦んで庭前を散歩しようとも、酒や薬を飲もうとも、それは外目からは懈意と見えても懈意ではない。書に倦むのは精神の疲れなのである。

懈意は志にあることなり。心にたぎりか拔ると懈意なり。それゆへ、似てちがふたことがある。朱子の詩に、川源江緑一時新暮雨朝晴更可人書冊埋頭何日了不如抛却去尋春。このやふに書をよむことをやめて、今日は花見と云。懈意のやうなれとも、そこでなをすすむ処なり。こふみれば懈意のもやうが知れる。遊山をしても道に志す処、閑断がないゆへ懈意にならぬ。道ににぶくなると懈意なり。坐禪をするにねむりてもよい。目をさましてはっきりとなって居ても、全体に仏にはなられまいと云心かあれば懈意と云ものぞ。学者もそれなり。
【解説】
懈意は志についてのある。志が弱まると懈意になる。気の疲れを癒すために花見をしても、学問に間断ができるわけではないので懈意とはならない。寧ろこれで学問が進むのである。
【通釈】
懈意は志にある。心に滾りが抜けると懈意である。そこで、似て違ったことがある。朱子の詩に、「川源江緑一時新暮雨朝晴更可人書冊埋頭何日了不如抛却去尋春」とある。この様に、書を読むことを止めて今日は花見と言う。それは懈意の様だが、そこで更に学問が進むのである。この様に見れば懈意の様子がわかる。遊山をしていても道に志すところで学問に間断がないから懈意とならない。道に対して鈍くなると懈意となる。座禅をするのには眠ってもよい。目を醒ましてはっきりとしていても、総じて仏になれないだろうという心があれば懈意と言うもの。学者もそれと同じである。
【語釈】
・川源江緑一時新暮雨朝晴更可人書冊埋頭何日了不如抛却去尋春…


第三十六 不学老而衰条

不學、便老而衰。
【読み】
學ばざれば、便ち老いて衰う。
【補足】
この条は、程氏遺書七にある。

この章も学者の親切。いつれも短かけれとも綴の錦なり。この章なとは僅に一行りにみたぬ章なれとも、心底に的中する処。小切一寸四方ても勝れたことなり。学者の魂を入替ることぞ。学問をせぬと年よりてへったりとなるとなり。それてもよいとは云れぬなり。腰が屈み氣力の衰ると云は垩人も衰る。ここの衰と云は血氣の衰てはない。志の衰へるをとろへぬのことなり。志氣之帥、道義が衰ては云訳がすまぬ。親の歒を討に、若ひ時は百里ある処を夜通し行て討ふ。年よれは夜るはとまるが四日かかっても歒を打てばよいそ。血氣の若ものに及ばぬ、かまわぬ。老而衰と云は歒を討ぬ氣になることを云。学問の功なければ氣の衰るにしたかって志まて衰て来る。忠義の心まで衰るとなれは、人間と云ものの云わけたたぬことなり。
【解説】
血気の衰えは聖人にもあるが、ここで言う衰えとは志の衰えを指す。年をとって、若い者に血気が及ばないのは当然だが、学問の功がなければ、気が衰えるに従って志まで衰えて来る。
【通釈】
この章も学者への親切である。何れも短い文だが錦の綴りである。この章などは僅かに一行に満たない章だが心底に的中する処。一寸四方の切れ端でも勝れたものである。学者の魂を入れ換えること。学問をしないと年が寄ってべったりとなると言う。それでもよいとは言えない。腰が屈んで気が衰えるのは聖人も同じである。ここで衰えると言うのは血気の衰えではない。志が衰えるか衰えないかということ。志は気の帥。道義が衰えては言い訳が立たない。親の敵を討つのに、若い時は百里のところを夜通し行って討とうとする。しかし、年をとれば夜は泊まり、四日掛かっても敵を討てばよい。血気が若い者に及ばないことには構わない。「老而衰」と言うのは、敵を討たない気になること。学問の功がなければ気が衰えるのに従って志まで衰えて来る。そして忠義の心まで衰えることとなれば、人間としての言い訳が立たない。
【語釈】
・小切…小切れ。布などの小さいきれはし。

駕籠舁が六十年より六日がくるしいと云たと迂斎云へり。からだのよわるで急に了簡か違て来る。無学でも若ひ内はよいもの。日光膳の新しいやうなものなり。愚癡文盲なれとも元氣の壮な方から切てはなす。さっはりとしてをる。年がよるとあとさきを考て、若ひ時と打て違ふた人欲が出てくる。若ひ時は左程にもないか、年がよるときたなくなる。若い内は学問をするせぬとて其のやふに違はぬか、年よりて違てくるなり。
【解説】
若い時は学問をしてもしなくても、それほどの違いは出ないが、年が寄ると新しい人欲が出て汚くなる。
【通釈】
駕籠舁が六十年よりも六日が苦しいと言ったと迂斎が言われた。体が弱るので急に料簡が変わって来る。無学でも若い内はよいもの。それは日光膳の新しい様なもの。愚癡文盲であっても元気の壮んな方からするのでさっぱりとしている。年が寄ると後先を考えて、若い時と全く違った人欲が出て来る。若い時はそれほどでもないが、年が寄ると汚くなる。若い内は学問をしてもしなくてもそれほどには違わないが、年が寄ると違って来る。
【語釈】
・日光膳…日光塗の膳。

さて、学と云ふに筋の大切なを知へし。詩文の才てもあれは学問をすると思ふか、あのやふなことてはやっはり不学老而衰になる。王荊公かあれほとの豪傑なれとも我慢からはばをして通たものゆへ、晩年に子に死なれ、我もさしつかへてきたれは仏法に帰會した。無点がよめるとても根本培擁をしたこともなく、敬義夾持したこともない。世間の無学の者よりは物知りのやふなれとも、老而衰は同しことなり。直方先生の、書簡に末後のやふす見届度候と云はれしなり。若ひ時は元氣をして通すが、年がよると役に立ぬ。まして吾黨の近思を事業にしてをる者が老而衰になりては偖々面目なきことなり。不学と有るからは、既に学ふ人にはないことにして云ふなれば、痛入たことなり。前賢言外の微意あるへし。
【解説】
学問には仕方があって、それは根本培壅や敬義夾持をすることであり、詩文の才や博識のことではない。老いても志が衰えない様に、学問をしなければならない。
【通釈】
さて、学問の仕方が大切なことを知らなければならない。詩文の才でもあれば学問をしていると思うが、その様なことではやはり不学老而衰になる。王荊公はあれほど豪傑な人だったが、我慢で見栄を張って通したから、晩年には子に死なれ、自分も差し支えて来たので仏法に帰依した。無点が読めても、根本培壅をしたこともなく敬義夾持をしたこともない。世間の無学の者よりは物知りの様だが、老而衰に関しては同じこと。直方先生が書簡で、末期の様子を見届けたく候と言われた。若い時は元気で押して通すが、年が寄ると役に立たない。ましてや我が党で近思を事業としている者が老而衰になっては全く面目無いことである。「不学」と、既に学ぶ人には関係ないこととして言うのは痛み入ることである。前賢の言は言外の微意がある。
【語釈】
・王荊公…王安石。北宋の政治家。字は介甫、号は半山。江西臨川の人。1021~1086
・我慢…①自分をえらく思い、他を軽んずること。高慢。②我意を張り他に従わないこと。強情。
・はばをして…みえを張る。うわべを飾っていばる。
・無点…漢文に訓点のないこと。返り点や送り仮名のないこと。
・根本培擁…為学33の語。
・敬義夾持…為学34の語。


第三十七 人之学不進条

人之學不進、只是不勇。
【読み】
人の學の進まざるは、只是れ勇ならざればなり。
【補足】
この条は、程氏遺書一四にある明道の語。

これは始終学問にとりついてをる人の上を云ふ。まつはよいとをす人なり。学問は日新の功あるものなり。昨日非にして今日は是と陶淵明云へり。学問をすてぬとて誉るは俗人から云こと。学問をしても進ぬと云なれは、只書のそばにをる様なものなり。学問は道中するやふなもの。進ぬと云なれば、旅装束をしても、いつ迠も品川や川﨑にをるのなり。不勇を迂斎の腰ぬけじゃと云へり。歩行ず一と処にをる。火かぬるいと土瓶て茶をにるにもらちかあかず、藥を煎るにも火がかいなくてはにへあからす。書物をいくらよんても、腰拔けてはあからぬなり。わらんじがくふた、足を虫がさした、天氣かわるいのと云ても一所にいる。不勇なり。死ぬともとかかるが勇むなり。
【解説】
学問には日新の功がなければならない。学問をしても進まないのは不勇だからで、それではただ書物の傍にいる様なものである。学問は勇んで進むものでなければならない。
【通釈】
これはいつも学問ばかりをしている人のことを言う。先ずはよいと言われる人のこと。学問には日新の功があるもの。昨日非にして今日は是と陶淵明も言った。学問を捨てないのを誉めるのは俗人のすること。学問をしても進まないのなら、ただ書物の傍にいる様なものである。学問は旅をする様なもの。進まないのなら、旅装束をしていてもいつまでも品川や川崎にいるのと同じ。「不勇」を迂斎が腰抜けのことだと言った。歩行せずに同じ場所にいる。火が温いと土瓶で茶を煮るにも埒が明かない。薬を煎じるにも火が弱くては煮え上がらない。書物をいくら読んでも腰抜けでは上達しない。草鞋ずれがするとか、足を虫が刺したとか、天気が悪いなどと言って同じ所にいる。それが不勇である。死んでも取り掛かるのが勇である。
【語釈】
・日新…大学章句2。「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」。
・昨日非にして今日は是…「今是昨非」。陶淵明の帰去来辞より。境遇が一変して、昨日非と思ったことが今日は是と思うようになること。


第三十八 学者爲氣所勝条

學者爲氣所勝、習所奪、只可責志。
【読み】
學者は氣の勝つ所、習の奪う所と爲らば、只志を責む可し。
【補足】
この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

者の字つくからのきめなり。学者と名のつくからは、あるまいことそあるを戒たものなり。氣所勝は、学問を精を出しても氣にさへられるなり。氣所勝はなんにもあって、氣質を出すのも氣所勝なり。だらいて学問のあからぬと云も氣所勝なり。氣の短て師の云ことを聞かいやと云も氣所勝なり。喪にいて精進をするにそふ々々はつとめられぬと云も氣所勝なり。熱ひ寒ひて思ふやふにならぬと云ふも氣所勝なり。凡あるまい云立をするは皆氣の云ひたてをすることそ。家来かもふ一人ありたら能ふと云も氣所勝たなり。どふて顔子のやうにはならぬと云も氣所勝。云わけの種そ。妻が死だて子とものかんかくをするゆへ学問はならぬと云。そのやふなものの学問のならぬと云は論語にも孟子にもない。
【解説】
気に障えられることは色々とある。学者が学問に精を出していても気に障えられる。道に外れたことを言うのは、気に障えられたからである。
【通釈】
この章は、者の字が付いているから人の決め処を述べているのである。また、学者と名が付いているので、学者にありそうもないことがあるのを戒めたもの。「気所勝」は、学問に精を出していても気に障えられること。気所勝は何にもあって、気質を出すのも気所勝、だらけて学問の上がらないというのも気所勝、気が短くて師の言うことを聞くのが嫌だというのも気所勝、喪中で精進をするのに、それほどは努められないというのも気所勝、熱かったり寒かったりで思う様にならないというのも気所勝である。凡そあるべきでないことを主張をするのは皆気の主張である。家来がもう一人あったらよいのだがと言うのも気所勝で、どうせ顔子の様にはならないと言うのも気所勝である。それは言い訳の種である。妻が死んだので子供の面倒を見なければならないから学問をすることはできないと言う。その様な者が学問をすることができないとは、論語にも孟子にも書かれていない。
【語釈】
・かんかく…看獲。かんがく。面倒をみること。

習所奪の習は習俗ともつつき、世の中のそうしつけたくせなり。これに時の風と云こともあれば、誰殿の屋鋪の風と云ふもある。何にも公儀からの仰出にもあらず、其通りを守れと役人の云ひ付てもない。親仁の代からこふしたと云ふ。をふちゃくなものは判を押て借た金さへよこに子やうとするのに、さしても役にも立ぬ習はせを、こふせずは人口もいかかの、世間でないことをしたらあぢな男と云はりやうなとと世間をみるは学者にあるまいそ。菽をまかずはとふあろふかと、門口へ鰯の首をさすはどをあろふかのと云。菽をまかす鰯の首をささずとも、どこからも咎はない。年貢を出さぬは地頭から咎められる。習所奪と云ふか世の中のなりなり。
【解説】
「習」とは世の習俗であり、世の癖である。習は、それを守らなくても誰からも咎められることはなく、大して役に立たないものである。
【通釈】
「習所奪」の習は習俗とも続き、世の中がそう仕付けた癖である。これに時の風ということもあり、誰殿の屋敷の風と言うこともある。何も公儀が仰せられたことでもなく、その通りを守れと役人が言い付けることもない。親父の代からこうしていたと言う。横着な者は判を押して借りた金さえ踏み倒すのに、大して役に立たない習から、こうしないと人の評判はどうだろうとか、世間でしないことをすれば悪い男と言われるだろうなどと世間を見るのは学者にあるべきことではない。豆を撒かなければどうだろうとか、門口に鰯の首を刺すのはどうだろうと言う。豆を撒かなくても鰯の首を刺さなくても、何処からも咎めはない。しかし、年貢を出さなければ地頭から咎められる。習所奪というのが世の中の姿である。
【語釈】
・よこに子やう…横に寝る。借財を返さない。借りたものも返さずに居直る。

ここを学問へかけたものそ。俗人は左もあるへし。責るに足らぬこと。学者かこのやふては似合ぬことなり。丁ど医者か手前の調合した藥を載てのみ、茶人か吾たてた茶を載てのむやふなもの。我調合し、我たてたを戴くはたわけたことなれとも、つい戴く氣になる。只是可責志を上の学者の字へつりをかけてみるがよい。常人の氣所勝習所奪はその筈なれとも、学者か習に所奪の、氣所勝のと云ては似合ぬことなり。さりとは学者にありそふもないこと。日頃の志と違そ。兎角世間に少と違たことかあると氣の毒に思ふ。そのやうな了簡ては至垩人之道は得られぬことなり。某冬至文附録に出渕七左ェ門がことをのす。讀て見るへし。人にそれほと能云はれたとて、どれほどよいことかあるとなり。垩賢と云遠ひ目當を学ぶものがそのやふなことでどふなるものぞ。
【解説】
常人が「気所勝習所奪」となるのは当然なことだが、学者がそうなってはならない。気や習に障えられていては、「学以至聖人之道」を得ることはできない。
【通釈】
ここは学問に掛けたもの。俗人が気習に障えられるのは尤もなことで責めるに足らないが、学者がこの様では似合わない。丁度、医者が自分の調合した薬を戴いて飲み、茶人が自分の点てた茶を戴いて飲む様なもの。自分が調合し、自分が点てたものを戴くと言うのは愚かなことだが、つい戴く気になる。「只是可責志」を上の学者の字に吊り上げて見なさい。常人が気所勝習所奪となるのは当然なことだが、学者が習所奪とか、気所勝とかとなるのでは似合わない。そこで学者にありそうもないことであって、日頃言う志とは違う。とかく世間と少しでも違ったことがあると気の毒だと思う。その様な料簡では「至聖人之道」は得られない。私が冬至文附録に出渕七左ェ門のことを載せてあるので読んでみなさい。人にどれほどよく言われたとしても、それでどれほどよいことがあるのかと言っている。聖賢という遠い目当てを学ぶ者がその様なことではどうにもならない。
【語釈】
・出渕七左ェ門…出渕立恒。


第三十九 内重則可以勝外之輕条

内重則可以勝外之輕、得深則可以見誘之小。
【読み】
内重ければ則ち以て外の輕きに勝つ可く、得ること深ければ則ち以て誘の小さきを見る可し。
【補足】
この条は、程氏遺書にある。

迂斎曰、内重は德の方て云かよい、得深は知惠の方で云がよいとなり。德は心へ子りこむもの。垩人之道入乎耳存乎心蘊之為德行と云て、心へ德を積み重ねて置くと内がじっちりとして、外から物の當りて来たとき、こちか動かぬ。此方に德があると、その德が重きによって可以勝外之輕也。迂斎の、曽子の晉楚之冨不可及也彼以其冨我以吾仁を云はれた。晉の國、楚の國は大國なれとも、あれに幷ふ程な德をこの方にはもってをるゆへ、中々飛で行やふなことはない。これが貞女のさわかぬやふなものぞ。よい処があるの、身上かよいの、大名の所へと云ても少とも動ぬ。貞女と云德があるゆへなり。德がないと冨貴貧賎て心が替る。内か重くないゆへなり。小野﨑子云、門柱の大ひ処へ欠込たかると云はれた。このやうな人は、それと云ふと了簡か替る。堺町の役者がどこと云ことはない。金の多ひ方へ行ふと云。あれらは其筈のことそ。
【解説】
「内重」は徳、「得深」は知恵についてのこと。心に徳を積み重ねると内がしっかりとするから「可以勝外之輕」となる。徳がないと外誘によって心が替わる。俗人はそれでもよいが、学者では悪い。
【通釈】
「内重」は徳で語るのがよい、「得深」は知恵で語るのがよいと迂斎が言った。徳は心へ練り込むもの。「聖人之道入乎耳存乎心蘊之為徳行」と言って、心に徳を積み重ねておくと内がしっかりとし、外物が当たって来た時に自分が動かない。自分に徳があると、その徳が重いから「可以勝外之軽」となる。迂斎が、「曾子曰晋楚之冨不可及也彼以其冨我以吾仁」のことを話された。晋の国や楚の国は大国だが、あれに匹敵するほどの徳をこちらは持っているから中々飛んで行く様なことはない。それは貞女が騒がない様なもの。よい処があるとか、身上がよいとか、大名の所だとかと言って誘っても少しも動かない。それは貞女という徳があるからである。徳がないと富貴貧賎によって心が替わる。それは内が重くないからである。小野崎子が、門柱の大きい処に駆け込みたがると言われた。その様な人は何かというと了見が替わる。堺町の役者は相手を選んだりせず、金の多い方に行こうと言う。彼等にとってはそれが当然のことなのである。
【語釈】
・垩人之道入乎耳存乎心蘊之為德行…為学2の語。
・曽子の晉楚之冨不可及也彼以其冨我以吾仁…孟子公孫丑章句下2。「曾子曰、晉楚之富、不可及也。彼以其富、我以吾仁。彼以其爵、我以吾義。吾何慊乎哉」。慊とは心に不満を感じること。
・小野﨑子…小野崎舎人。

得深は、道理をとっくりとのみこんで深ひことなり。そこで、これより上に樂みかあろふと云ふて、道理の外に面白ひことはないと云。上戸にも次第揩級かあって、本道の上戸は酒さへあれば何にもかへぬと云て兎角のみ、それて足る。学者の道を得るもあのやうに余念ないやふにするかよい。そふすると餘のものが来ても邪魔にならぬなり。そふないと、今の学者大極図をよんても誘れる。薛文清ほとなれは中々誘れまい。それゆへものにうつると云ふは、此方がかいないから起ったことそ。茶湯なとはかるいことなれとも、本道にすく人は茶の湯の會のとき、芝居町へ顔見せに行ぬかと云と、馬鹿なことを云と云。未熟な内は、今日はをしひことをしたと云。何ても皆それなり。釣すきの釣をするもそれ。能があると云てもそれよりは釣と出る。得深ければ外に誘れることはない。
【解説】
学者が道を得るには、道理をしっかりと呑み込んで余念のない様にしなければならない。それで外物も邪魔にならなくなる。得ることが深ければ外物に誘われることはない。
【通釈】
「得深」は、道理をしっかりと呑み込んで深いこと。それで、これ以上の楽しみがあるだろうと言われても、道理の外に面白いことはないと言う。上戸にも次第階級があって、本当の上戸は酒さえあれば何にも替えることはないと言ってとかく飲み、それだけで足りる。学者が道を得る際にも、あの様に余念のない様にするのがよい。そうすると外の物が来ても邪魔にならない。そうでないと誘われる。今の学者は大極図を読んでも誘われる。薛文清ほどであれば中々誘われることはないだろう。そこで、物に移るというのは、自分に甲斐性がないから起こることなのである。茶の湯などは軽いことだが、本当に好きな人は茶の湯の会の時、芝居町へ顔見世を見に行かないかと誘うと、馬鹿なことを言う奴だと言って断る。それが未熟な内は、今日は茶の湯の会に出てしまって惜しいことをしたと言う。何でも皆同じ。釣好きが釣をするのも同じ。能があると誘っても、それよりは釣がよいと言う。得ることが深ければ、外に誘われることはない。
【語釈】
・薛文清…薛徳温。薛敬軒。
・顔見せ…顔見世。芝居の一座が総出で見物人におめみえをすること。かおぶれ。


第四十 董仲舒謂の条

董仲舒謂、正其義、不謀其利。明其道、不計其功。孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方。可以爲法矣。
【読み】
董仲舒謂う、其の義を正しくして、其の利を謀らず。其の道を明らかにして、其の功を計らず、と。孫思邈[そんしばく]曰く、膽は大ならんことを欲して心は小ならんことを欲す。智は圓ならんことを欲し行は方ならんことを欲す、と。以て法と爲す可し。
【補足】
この条は、程氏遺書九にある。

可以為法矣。この二人の語が程子の本並できまりたとみるはわるい。この二語が程子できまりたとならは、垩賢の篇に載るはつ。二人の語を程子のにして見ることぞ。この二人は名高ひ大儒、名高ひ大医なり。漢唐の間にこれ程の語はない。垩学のきり々々を云ぬいたことそ。さて、垩学のきり々々を道体て云へは、鳶飛戻天魚躍于淵と云から人物日用五倫なり。垩学はその上にあることそ。あとの先のと云、かへらぬ昔ししらぬ。行末を尋ることてない。今日々々とするか垩學のきり々々。やかてと云ことはないそ。今日のすへきなりか垩学のきり々々そ。直方先生か、今の人は地獄へ投け銭しゃと云へり。をれはやがて死ぬが、こふしてをくとあれがためになると云。地獄へなけ銭なり。
【解説】
「可以爲法矣」の説明。董仲舒と孫思邈の語に続いて程子が可以為法矣と言ったので、これが為学に載っているのである。この二人は漢唐の中でも出色の大儒と大医である。聖学とは、今すべきことをするのであって、過去や未来のことではない。
【通釈】
「可以為法矣」。この二人の語を程子の見立てで決まったと見るのは悪い。この二人の語が程子で決まったと見るのなら、聖賢の篇にこれが載る筈である。この二人の語を程子自身のものとして見なさい。この二人は名高い大儒であり大医である。漢唐の間にこれほどの語はない。聖学の至極を言い抜いたものである。さて、聖学の至極を道体で言えば、「鳶飛戻天魚躍于淵」から人物日用五倫までのこと。聖学はその上にある。後先のことや、返らない昔のことは知らない。また、行く末を尋ねるのでもない。今日を行うことが聖学の至極である。その内になどということではない。今日すべきことが聖学の至極である。直方先生が、今の人は地獄に投げ銭だと言った。俺はやがて死ぬが、こうしておけばためになると言う。それでは地獄に投げ銭である。
【語釈】
・本並…「本阿弥」と書く書もある。刀剣鑑定の家系。のち、一般に鑑定家の異称となる。
・鳶飛戻天魚躍于淵…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅早麓。

平生のすること、みなあのわけこのわけて吾方へ引ことをする。こふすればこの役に立と云。それをこの董仲舒の語でしてとることそ。すへき當然をまっすくにすると、そふして何になると云。何になるか知らぬか、こふする筈しゃと云てする。丁ど香車の向へ出るやふなもの。香車を少ても横へやると香車てはない。義てはかりすることそ。何の為めになると云ことは知らぬ。親に孝行を小学の通にする。こふすれば親に可愛からるると云ことは知らぬ。人の子たるものはこふする筈じゃと云。奉公するにせいを出す。これが君臣の義と云。主の氣に入る入られぬはかまわぬことなり。大工が亭主にかまわす曲尺を出すやふなもの。とんと了簡も何もない。理なりなり。
【解説】
「董仲舒謂、正其義、不謀其利」の説明。当然すべき日用のことを自分の事として行わなければならない。それも、董仲舒の言う様に、何の思惑もなく、理の通りを義によって行うのである。
【通釈】
日頃行うことは皆理由を付けて自分の方に引こうとする。こうすればこの役に立つと言う。そこをこの董仲舒の語でして取るのである。当然すべきことを真っ直ぐに行うと、それをして何になるのかと人は言う。何になるのかは知らないが、こうする筈だと言って行う。それは丁度香車が前に進む様なもの。香車を少しでも横へ遣ると、それは香車ではない。義だけで行う。何のためになるのかは知る必要もない。親への孝行を小学の通りにする。こうすれば親に可愛いがられるだろうなどということは知らない。人の子たるものはこうする筈だと言って行う。奉公に精を出す。これが君臣の義であると言って行う。主人が気に入るか気に入らないかには構わない。大工が亭主に構わず曲尺を出す様なもの。それには何の思惑もなく、理のままである。
【語釈】
・董仲舒…前漢の儒者。河北広川の人。春秋公羊伝に精通。景帝の時、春秋博士。前179頃~前104頃

明其道云々。道と云字は上の義と云字と打て離れたことてはない。一事々々のこまかあたりて義と云ひ、道は全体へかかることそ。全体の道がある。それを明にわけてをいてかかるが明にすると云。かふするか学問なり。さて、これか明にならぬものそ。明は小学の明父子之親の明の字なり。道のとをりにやってしそこなふことかあるとも、それにとんしゃくはない。舜かあれほと瞽叟の氣に入らす、あの孔子を魯の国でつきはなしものにした。道のなりをすると云は舜孔子を手本にすることぞ。そこて、これてよかろふとは云はぬ。今時これてはならぬなどと云はぬ。理なり道なりをする。同し子ても、朝寢をしても親の氣に入るもあり、朝早く起て氣に入らぬもある。そんならこれでして取ふと云は、道をはなれて氣からしたものなり。どふあってもこのとをりにせ子はならぬと云か、氣にさへられぬことぞ。をしきってゆくか第一なり。董仲舒は漢唐の間の珎客ぞ。義と道との分けかすんたゆへ、このとをりのことをも云はれたものなり。程子か云はれてもこの上へはない。
【解説】
「明其道、不計其功」の説明。道は全体のことで、義はその時々に理の通りにすることである。学問は道を明らかにして実践することである。しかし、道の通りにしてもうまく行かないこともある。舜や孔子もそうだった。それでも、気に障えられずに道の通りに実践しなければならない。
【通釈】
「明其道云々」。道という字は上の義という字と全く異なったものというわけではない。一事一事の細かなところに関して義と言い、全体について道と言う。全体の道がある。それを明らかに分けておいて取り掛かることを明にすると言う。こうするのが学問である。さて、中々これが明にならないもの。明は小学の「明父子之親」の明の字である。道の通りにしてし損なうことがあったとしても、それに頓着はしない。舜をあれほど瞽瞍が気に入らない。あの孔子を魯の国は突き放した。道の通りをするというのは、舜や孔子を手本にすること。そこで、これでよいだろうなどとは言わない。今時これでは駄目だなどとも言わない。理のまま道のままをする。同じ子でも、朝寝をしても親が気に入る者もあり、朝早く起きても気に入られない者もいる。それならこれでやろうと言うのは、道を離れて気によってすること。どうしてもこの通りにしなければならないと言うのが、気に障えられないこと。押し切って行くのが第一である。董仲舒は漢唐の間の珍客で、義と道の理解が済んだから、その通りのことを言われた。程子が言われたとしても同じことを言う。
【語釈】
・明父子之親…小学明倫。「右明父子之親」。
・瞽叟…舜の父。

孫思邈は古の書て合点したではなく、我胷から得たもの。董仲舒は儒者だけ心もとない。垩經からをして仁人はと発したかなり。孫思邈は医者の垩人ゆへ、胷から生みたしたものなり。この語は医者の方て云たことそ。只の医者てはなく、殊外学識ありたそ。なれとも学識をのべたことてはなく、医道の大事を云たことなり。理に二つはないゆへ、医者の一大事になることはこちへもてきても受用になる。学者のこともあちの受用になるなり。そのはづよ。觀世や利休か云たことかこちの受用になることあり。
【解説】
孫思邈は学識も高かったが、この語は医者の立場から述べたものである。理は一つであって、医者の言も儒者の言も互いに通用する。
【通釈】
孫思邈は古書を読んで合点したのではなく、自分の胸で道を得たのである。董仲舒は儒者なだけ心許ない。聖経から推して「仁人」と言った。孫思邈は医者の聖人だから胸から生み出したのである。この語は医者の立場から言ったものである。彼は只の医者ではなく、殊の外学識があった。しかしながら、ここは学識を述べたことではなく、医道の大事を言ったのである。理は二つはないから、医者の一大事となることはこちらへ持って来ても受用になる。学者のこともあちらの受用になる。その筈で、観世や利休が言ったことがこちらの受用になることもある。
【語釈】
・孫思邈…隋唐間の京兆の人。朝廷から召されたが仕えなかった。占いや医薬の術に長じていた。ここに引用された語は、旧唐書の本伝にある。581~682
・仁人…董仲舒の語は始めに、「董仲舒曰、仁人者、…」とある。

膽は六府のきもでなく、六腑にかからす魂のことで云ことなり。今大膽不歒なと云ふもこれそ。全体の受込処のきもか大いと云てなけれは大業はならぬことなり。魂か大くないと、彼の俗に云肝をつぶすそ。学以至垩人之道也を本道に得やふと思へは膽が大くなければならぬ。垩人可学而至歟曰然か、膽が大くなくて云はれることではない。この方の受が小ひと願か小ひ。うんとのみこむ処にものに屈せぬか膽大なり。少のことを案じ食か進ぬと云。ささいなことにくろふをする。膽の小いゆへなり。尤も人の生れ付に段々あって、君子に氣の小ひもあり、小人に氣の活したもあれとも、とかく大業は大膽てなふてはならぬ。又、医者も病人に臨てどふぶるいのするやふては療治はならぬそ。孝行して子か親の病氣の時かた々々にふるへる。医者とも々々にふるへてはならぬ。
【解説】
「膽欲大」の説明。「膽」は六腑の胆のことではなくて魂のこと。人の生まれ付きは様々だが、膽が大きくなければ大業は成就しない。
【通釈】
「膽」は六腑の胆のことではなく、六腑には無関係で魂のことを言う。今、大胆不敵な奴と言うのもこれである。全体の受け込み処の膽が大きくなければ大業は成就しない。魂が大きくないと、俗に言う肝を潰すとなる。「学以至聖人之道也」を確実に得ようと思えば、膽が大きくなければならない。「聖人可学而至歟曰然」。これは膽が大きくなければ言えることではない。自分の受けが小さければ願が小さい。うんと呑み込む処でものに屈しないのが膽が大きいということ。少しのことを心配して食が進まないと言い、些細なことに苦労をするのは膽が小さいからである。尤も、人の生まれ付きは色々で、君子で気の小さい者もいて、小人に気の大きい者もいるが、とかく大業は大膽でなくてはならない。また、医者も病人に臨んで胴震いがする様では、治療はできない。孝行する子が親の病気の時にがたがたと震える。医者も共に震えていては悪い。
【語釈】
・六府…六腑。漢方で六種の内臓、大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の総称。
・学以至垩人之道也…為学3の語。
・垩人可学而至歟曰然…為学3の語。

此間に而の字あり。ここが見て取た云ひやうなり。そふして心欲小なり。いつも々々々膽は大かよいと云と、盗をしてもよいになる。受こむ処は大くて心は小いかよい。朱子の、管子の小心翼々も、曽子の戦々兢々もこの文字しゃと云へり。心は律義ながよい。心か小てないと何もかもらりになる。何でもこふ云あんばいあって、天命を知るは膽が大くなければ知れぬか、八十になって中風した親仁を、どふぞ生したいと云。心小なり。兩方もち合せて全体になることなり。
【解説】
「而心欲小」の説明。膽は大きい方がよいがそれだけではなく、心が小さくなければならない。両方持ち合わせて全体になるのである。
【通釈】
この間に「而」の字がある。ここが理解し切った言い方である。そうして「心欲小」とする。いつも膽は大きい方がよいと言えば、盗みをしてもよいことになる。受け込む処は大きくて心は小さいのがよい。朱子が、管子の小心翼々も、曾子の戦々兢々もこの文字のことだと言った。心は律儀なのがよい。心が小さくないと、何もかもが台無しになる。何にでもこの様な塩梅があり、天命を知るのも膽が大きくなければ知ることはできないが、八十になって中風となった親父を、どうぞ生かしたいと言う。それが心小である。両方持ち合わせて全体になるのである。
【語釈】
・小心翼々…管子弟子職。「…夙興夜寐、衣帶必飾。朝益暮習、小心翼翼。一此不解、是謂學則」。
・戦々兢々…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。
・天命を知る…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・中風…半身の不随、腕または脚の麻痺する病気。古くは風気に傷つけられたものの意で、風邪の一症。中気。風疾。

智欲圓は知惠のととこをらぬことを云ふ。四角なものは滞る。圓なものは滞らぬ。鉄鉋玉はころ々々ころける。知は萬迹に通して動くかよい。知と云ものは水に屬たものゆへ、じっとしてはをらぬはつなり。水は四角なものへ入れれは四角になり、丸ひものへ入れは丸くなる。知惠か道をつかふそ。天地の道理を太極とも云、理とも云ふ。それを人のつかふは知惠で合点してつかふ。形のなひ道理を形のない知がつかふなり。古法家かよい、後世家がよいと云は知が圓てないならん。知はものに付て、向の物次第でかわる。病人をみて医按をつけ、をれが流義はこふじゃと云。そふすると知に流義が立つ。又、身持はころげるとどのやふになるも知れぬ。じっかり々々々々とわざを守り法のとをりしてころけぬかよいなり。有恒と云も、是れが一度よくても久しくそふよくていぬもの。垩人も有恒者をと云へり。昨日はよかったが、今日は不出来なと云ふは行方てない。
【解説】
「智欲圓而行欲方」の説明。知は水に属しているので、物次第で変化する。そこで、知は万事に通じて動くのがよい。形のない知恵で形のない道理を理解するのであって、そこに私心を入れてはならない。一方、行はしっかりと業を守って法の通りにしなければ続かない。
【通釈】
「智欲円」は知恵の滞らないことを言う。四角なものは滞る。円いものは滞らない。鉄砲玉はころころと転げる。知は万跡に通じて動くのがよい。知は水に属すから、じっとしてはいられない筈のもの。水は四角なものに入れれば四角になり、丸いものに入れれば丸くなる。知恵が道を使う。天地の道理を太極とも言い、理とも言う。それを人は知恵で理解して使う。形のない道理を形のない知が使うのである。古法家がよいとか後世家がよいなどと言うのは知が円くないから言うのだろう。知は物に付いて、相手の物次第に変わる。病人を診るのにも、医者が診断して、俺の流儀はこうだと言う。そうすると知に流儀が立つ。また、身持ちは転げるとどの様になるかも知れない。しっかりと業を守って法の通りにして転げないのがよい。有恒と言うのも、これが一度よくても長くはよいままでいないからである。聖人も有恒者がよいと言った。昨日はよかったが今日は不出来だなどと言うのは「行欲方」でない。
【語釈】
・古法家…古医方を奉ずる漢方医。
・後世家…わが国に鎌倉時代末期以降伝えられた中国の金・元の医家の処方を祖述する医家の一派。
・医按…医案。医療についての考え。また、それを記したもの。
・有恒…論語述而25。「子曰、聖人吾不得而見之矣。得見君子者、斯可矣。子曰、善人吾不得而見之矣。得見有恆者、斯可矣。亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰。難乎有恆矣」。

さて、医者も全体てなけれはならぬ。膽大心小知圓行方と云が全体そ。学者は天地のなりにする。為学の全なり。此語、あちの用ひ方、医宗必讀に説てあるとなり。医者の方の本意をわすれずにこちへ云に妙あることなり。あちのことがすっはりとこちへ合ふことそ。ここへこちの了簡を入れて云はわるい。可以法為矣と云ふ判を程子のすへたで近思録に載られたぞ。
【解説】
医者も全体を理解していなければならない。この語は医者としての本意を忘れずにこちらへ言う処に妙があり、それがぴったりと合っている。
【通釈】
さて、医者も全体でなければならない。「膽大心小知円行方」というのが全体である。学者は天地の通りにする。これが為学の全てである。この語は医者の用い方を言い、医宗必読に説かれているそうである。医者としての本意を忘れずに、こちらに対して言う処に妙がある。医者のことがすっぱりとこちらに合う。ここにこちらの了見を入れてはいけない。「可以法為矣」という判を程子が押したので近思録に載ったのである。


第四十一 大抵学不言条

大抵學、不言而自得者、乃自得也。有安排布置者、皆非自得也。
【読み】
大抵學ぶに、言わずして自得する者は、乃ち自得なり。安排布置有る者は、皆自得に非ざるなり。
【補足】
この条は、程氏遺書一一にある明道の語。

大抵はそふじてと云やふな詞なり。学問は帳につけた、かたてするやふなことてはない。あとさきなしに云ふ処にさへたことかあるなり。一から十迠一々書附てをくやうなことでは精彩かない。みかきの出ぬ内は又うれしくない。学問の精彩もきり々々した処から出ることて、初手からは知れぬことそ。吾黨の学者も精彩がなく、光か出ぬ。火打石を掌の上てころ々々しても、光か出子は役に立ぬ。ちょいと打と火か出る。学問もきりつける処があると精彩か出る。我へ切りつけぬ内は中々精彩は出ぬぞ。口に云はぬことも、うんと合点するてなけれはならぬ。
【解説】
学問は一々帳面に書き付ける様なことではない。身に斬り付ける様な至極で精彩が出るのである。
【通釈】
「大抵」とは総じてという様な言葉である。学問は帳面に書き付ける様な形でする様なことではない。後先なしに言う処に冴えがある。一から十まで一々書き付けて置く様なことでは精彩がない。磨きの出ない内はよくない。学問の精彩もぎりぎりの処から出るのであって、初めは知ることはできない。我が党の学者も精彩がなく、光が出ない。火打石を掌の上でころころ転がしても、光が出なければ役には立たない。ちょいと打つと火が出る。学問も斬り付けるところがあると精彩が出る。自分へ斬り付けない内は中々精彩は出ない。口に出さなくても、うんと合点するのでなければならない。
【語釈】
・うれしくない…「嬉しい」が、ありがたい。かたじけない。

成東の武兵衛か先輩の筆記がぬけてないゆへここは讀れぬと云たそふなか、これは実体なことで、十方もない新説を云にはましのやうなれとも、近思録ても讀むに其やふなことてはならぬ。吾方で学問の功がつまれば、きり々々と出るものがある。実体ながよいとほめるなとは、其様なはうれしからぬかよい。子共の清書を誉るやふなは、大人は腹を立つ。学問をして律義ながよいなどと田舎で云は、江戸もののわるじゃれをするよりよいと云ことなり。
【解説】
学問は律儀なだけでは悪い。しっかりと学問をしていれば、学問の精彩は出て来る。
【通釈】
成東の武兵衛が、先輩の筆記が抜けてないので、ここは読むことはできないと言ったそうだが、それは実直なことで、途方もない新説を言うよりはまだましだが、近思録を読むにはその様なことでは悪い。自分の方で学問の功が詰まれば、至極に出るものがある。実直でよいと褒められても嬉しがらない方がよい。子供の清書を褒める様なことは、大人なら腹を立てる。学問をするのには律儀なのがよいなどと田舎で言うのは、ただ、江戸者が悪洒落を言うよりはよいというだけのことである。
【語釈】
・武兵衛…安井武兵衛。上総八子の一人。宝永三年(1706)生れ。天明元年(1781)11月11日75歳にて没。始め和田義丹に学び、後迂斎に師事した。

学不言而自得は近思録以上のことなり。この段になりては全体のはまりがちごふことぞ。ちらりと見る、と。やるものではない。伯樂か馬を相するもちらりと見た処て、この馬は名馬と云。書を讀むも、文義は少々づつわすれても、うんと呑込処があれはよい。石原先生か輕くたとへて云はれた。道具の目利するも、一目見るとこれはよい、これはわるいと知る。何返か見て心元ないと云は、いくら見てもやくにたたぬ。
【解説】
自得はかなり次元の高いことである。少し見ただけでわかる。何回見ても自信がない様では役に立たない。
【通釈】
「学不言而自得者」。これは近思録よりも次元の高いこと。この段になっては全体の嵌りが違う。ちらりと見る。全部を見るのではない。伯楽が馬を鑑定するにも、ちらりと見たところでこの馬は名馬だと言う。書を読むにも、文義は少々忘れてもうんと呑み込むところがあればよい。石原先生が軽いたとえで言われた。道具の目利きをするにも、一目見るとこれは良い物だ、悪い物だとわかる。何遍見ても心許ないと言うのなら、いくら見ても役に立たない、と。
【語釈】
・やるもの…まるもの?丸物・円物。全部完全に揃ったもの。
・伯樂…①中国古代の、馬を鑑定することに巧みであったという人。もとは天帝の馬をつかさどる星の名。②よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人。
・石原先生…野田剛斎。

安排而置はあっちへおっつけ、こっちへをっつける。全体に根すみのせぬはあぶない学問なり。筆記をあてにしては埒あかぬことぞ。或人京都へ行き、三年勤学をして筆記を持て帰るとき、大井川て流し、学問を大井川へ流したとぞ。吾に得る処なければこのやうなことになるなり。自得のばになるとうんとのみこむ。此塲を知ぬと一生書を讀ても役に立ぬ。黙識心通の根すみのしたを自得と云そ。そふないと学問をかりて置やうなものなり。吾ものでなし。
【解説】
自得の場がわからない者は一生書を読んでも役に立たない。黙識心通の根済みをしたことを自得と言う。
【通釈】
「安排布置」はあっちこっちへ押し付けること。全体に根済みのできない内は危ない学問である。筆記を当てにしていては埒が明かない。或る人が京都に行き、三年学問に励んで筆記を持って帰る時、大井川に筆記を流して学問を大井川に流したそうだ。自分に得る処がなければこの様なことになる。自得の場に至るとうんと呑み込む。この場を知らないと一生書を読んでも役に立たない。黙識心通の根済みをしたところを自得と言うのである。そうでないと学問を借りて置いている様なもので、自分のものとはならない。
【語釈】
・或人…


第四十二 視聽思慮動作皆天也の条

視聽思慮動作、皆天也。人但於其中、要識得眞與妄爾。
【読み】
視聽思慮動作は皆天なり。人但其の中に於て眞と妄とを識得するを要するのみ。
【補足】
この条は、程氏遺書一一にある明道の語。

どこの糸をひけばこふじゃと云ことはない。人の働か皆視聽思慮なり。これは垩人でも凡夫でもしきりはないことそ。これか天地の働き。毎日視聽思慮動作、これより外はない。そんなら学問はどこへすると問せてをいて、人但於其中云々なり。視聽思慮皆天は、垩人も凡夫も学者もくるんで云こと。そこへ要すると云ことの入るか学問のことなり。皆視聽思慮動作で働ひてをるものなり。学問はそこへ、ここは天理かここは人欲かと知るはかりぞ。眞は天理、妄は私。朱子、私意と云はれた。この吟味が第一なり。
【解説】
人の働きは皆視聴思慮によるものであって、そこに聖人凡人の区別はなく、天地の働きでもある。その中にあって真と妄とを判断するために学問が必要なのである。真は天理。妄は私で、朱子は私意と言われた。
【通釈】
何処の糸を引けばこうなるということではなくて、人の働き自体が皆視聴思慮である。これは聖人でも凡夫でも区別はない。これが天地の働きである。いつも視聴思慮動作であって、これより外はない。それなら学問は何処でするのかと問わせておいて、「人但於其中云々」と言う。「視聴思慮皆天」は、聖人も凡夫も学者も包めて言うこと。そこに「要」の語が入ると学問のこととなる。皆視聴思慮動作の働きによるものである。学問とはそこを、ここは天理か、ここは人欲かと知るだけである。真は天理。妄は私で、朱子は私意と言われた。この吟味が第一である。

偖、これか委ひことて、善悪と云と眞妄と云はちこふなり。善悪はあらい。小学で云のそ。眞の妄のと云か大学以上ぞ。伽羅と抹香をわけるやうなことは近思録の吟味ではない。眞妄と云はよい上で云こと。学問をするにも眞妄かある。垩賢になろふとて学問することもあり、人に高ふり、人に上たらん心てするもある。孝行を名のためにするもあり、親を大切とするもある。妄と云はよい上にあることそ。誠の注を眞実而無妄と云も、誠をちっとなこともない、無妄しゃと云。義理の精微を尽すが眞。よい中にもわる心か少ともあると眞でない。妄なり。
【解説】
善悪と真妄とは違う。善悪は小学の段階で、真妄は大学以上で語ること。真妄はよいことの中にある。誠は真実であり無妄である。義理の精微を尽くすのが真であり、よいことの中に悪い心が少しでもあれば真ではなく、妄である。
【通釈】
さて、これは委しいことで、善悪と真妄とは違う。善悪は粗い言い方で、小学で話すこと。真妄と言うのは大学以上の話である。伽羅と抹香とを区別する様な粗いことは近思録の吟味の仕方ではない。真妄と言うのはよいことに対して言うこと。学問をするにも真妄がある。聖賢になろうとして学問をすることもあるし、人に高ぶり人の上になりたい心ですることもある。孝行を名のためにすることもあり、親を大切とする心からすることもある。妄はよいことに対してあること。誠の注で「真実而無妄」と言うのも、誠とは妄が少しもなく無妄だと言うこと。義理の精微を尽くすのが真。よいことの中に悪い心が少しでもあると真でない。それは妄である。
【語釈】
・眞実而無妄…中庸章句20集註。「誠之者、未能眞實無妄、而欲其眞實無妄之謂、人事之當然也」。

視聽思慮動作は毎日々々のこと。其たひ々々、心法の吟味をしやうことぞ。澤一が飯を喰ふに、これでは天理、これからさきは人欲と吟味したと云は眞妄をかへりみたものなり。女房を可愛かるは天理なり。そこを天理自然の別か好色かと吟味すへし。よくみへてわるいかある。君へ忠節も心へ問て見るかよい。少とでも禄のことか手傳ふ、妄なり。このやふに吟味するが本の学問と云ふものなり。
【解説】
いつも心法の吟味をしなければならない。天理自然で、そこに人欲が入っていないかどうかを吟味するのが本当の学問である。
【通釈】
視聴思慮動作は日々のこと。その度に心法の吟味をしなければならない。沢一が飯を喰う際に、これまでは天理、これから先は人欲だと吟味したというのは真妄を省みたのである。女房を可愛いがるのは天理である。そこを天理自然の別によってか、好色からかと吟味しなさい。よく見えて悪いこともあり、君への忠節も心に問い質してみるのがよい。少しでも禄のことが手伝えば妄である。この様に吟味するのが本当の学問というものである。
【語釈】
・澤一…大神沢一。筑前黒田藩士。亡国人。直方門下。迂斎と親しい。貞享元年(1684)~享保10年(1725)
・別…五倫の別。孟子縢文公章句上4。「人之有道也、飽食煖衣、逸居而無敎、則近於禽獣。聖人有憂之。使契爲司徒、敎以人倫。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」。