第六十二 学者須是務實条  九月十六日  慶年録
【語釈】
・九月十六日…寛政2年庚戌(1790年)9月16日。
・慶年…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。自家を「学思斎」とし、默斎に学ぶため他郷から来る人々を宿泊させると共に、子弟をそこで教導した。

學者須是務實、不要近名、方是。有意近名、則是僞也。大本已失、更學何事。爲名與爲利、清濁雖不同、然其利心則一也。
【読み】
學者は須く是れ實を務むべく、名に近づくを要せずして、方に是なり。名に近づくに意有らば、則ち是れ僞なり。大本已に失わるれば、更に何事かを學ばん。名の爲にすると利の爲にするとは、清濁同じからずと雖も、然れども其の利心は則ち一なり。
【補足】
この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

近思録を近く思ふと云も實か根になることて、偽を近く思ては用に立ぬ。実を近く思は子はならぬ。実と云土臺を拵てをいて、それから近く思へ。不要近名は、われを忘れてつい名に近つくものそ。空腹故に口腹を養ふ。是程実にせ子はならぬことはないに、夫れさへつい人見せになることあり。近思を学ふ人などに名を好む心はないはつなれとも、吾知らす成ることあり。油断もすきもならぬそ。
【解説】
「學者須是務實、不要近名、方是」の説明。近く思う根本は実にあるのであって、名を求める様なことではない。しかし、知らない内に名を求める様になる。油断してはならない。
【通釈】
近思録を近く思うと言うのも実が根本になるのであって、偽りを近く思っては役に立たない。実を近く思わなければならない。実という土台を拵えておいて、それから近く思いなさい。「不要近名」。我を忘れてつい名に近付くもの。空腹故に口腹を養う。それほど実でしなければならないことはないのに、それでさえつい人に見せるためにすることがある。近思を学ぶ人などに名を好む心はない筈だが、知らない内にそうなることがある。油断も隙もならない。

有意近名云々。名に近く意かあると、することなすこと皆偽になる。人間は親に孝行と云ほとよいことはなけれとも、孝行な人しゃと云れるためにするは偽りぞ。東金の市から肴買て来るも、実心てもすれとも、銭もあるまいに偖々竒特なと誉めらるるか半分ありたかる。そふなると大本已に失ふ。大本に欠かあると、何ことを学んても役に立ぬ。今の学者は藥呑むふりで呑ぬのが多ひ。すりゃ病のなをろふやうはないぞ。
【解説】
「有意近名、則是僞也。大本已失、更學何事」の説明。名を近く思う意があると、していることが偽りとなる。孝行ほどよいものはないが、人に褒められるためにすれば偽りである。それでは大本を失うことになり、何を学んでも役に立たなくなる。学者の多くもこれである。
【通釈】
「有意近名云々」。名に近付く意があると、することなすことが皆偽りとなる。人間には親に孝行というほどよいことはないのだが、孝行な人だと言われるためにするのは偽りである。東金の市場から肴を買って来るのも、実心で行ったとしても、銭もないのだろうに本当に奇特な人だと褒められる気持ちが半分ありがちなもの。そうなると「大本已失」である。大本に欠けがあると、何事を学んでも役に立たない。今の学者は薬を呑む振りをして呑まない者が多い。それで病が治る筈はない。

爲名与為利云々。ここの吟味が程子の挌段に能ふ仰せられたことて、爲名するがわるいことなれとも、もふ一つ爲利すると云ものありて、これは又余程をとったこと。爲名人は又立派なこともし、侍ひ喰はで高揚技もするが、爲利するは轉んても只起きぬ。欲をつかむと云下卑がある。名と利とを幷へて打見た処が、大ふ挌式か違ふそ。名好みは、人は一代名は末代と、むさと賄賂もとらぬか、利好みは屏風も曲ら子は立ぬはと、耻ヶしいことも皃押拭ふてこそ々々とする。こふ清濁が違ふが然其利心則一也。
【解説】
「爲名與爲利、清濁雖不同、然其利心則一也」の説明。名のためにするのは悪いことだが、利のためにするのはもっと悪い。しかし、どちらも利心があるところは同じである。
【通釈】
「爲名与為利云々」。ここの吟味は程子が格段にうまく仰せられたもの。名のためにするのは悪いことだが、もう一つ利のためにするというものがあって、これはまた余程劣ったこと。為名の人はまた立派なこともする。侍は喰わずに高楊枝もするが、為利の者は転んでもただでは起きない。欲を掴むという下卑たところがある。名と利とを並べて見た処は大分格式の違う。名好みは、人は一代、名は末代と言って、賄賂も無造作に受け取ることはしないが、利好みは屏風も曲らなければ立たないと言って、恥ずかしいことでも顔色を変えずにこそこそとする。この様に清濁が違っても、「然其利心則一也」である。
【語釈】
・屏風も曲ら子は立ぬ…「商人と屏風は曲がらねば世に立たず」。屏風は折り曲げないと倒れてしまうように、商人も自分の感情を押えて客の意を迎えなければ成功しないということ。

学者から云ときに、その名も利も道理の當然をいたさぬ段は一つことで、もと爲名するも爲利するも身のかわいためにするのは同しことて、爲利するもので云ても、金を大事と何にも搆はぬ。身代を上るが此が當然しゃとてすることではなし。身代をよふして、あとで樂もしたし、甘ひものも喰たし、何その時の用にも立てやふと身か可愛てする。又為名するもので云ふても、実に名を惜む。弓取のと云ても、仁義をみかくの、天へ對して立ぬのと云てするではなく、つまり、名を得てあの人は各段と呼はれたく身のためにするのそ。然れは、名は立派な様ても同く利心そ。却て町人は旦那の御出なされましたのと、もみ手で利を明に推出してする。論にも及ぬことなり。学者が名利をまぎらかしているか、伊川は、学者には為利と云はかたからないものにして置いて、もしや外につく弟子衆もあらふかと名を好む方を戒るのぞ。これ近思の吟味なり。かふきいては近思の連中に利の方へ手を出す人もありや、為学の座には入れぬことなり。
【解説】
名も利も当然の道理を行わない。どちらも我が身が可愛いからするのである。利のためにする者は、金を大事にして何にも構わず、名のためにする者は、自分が人から褒められたいからするのであって、どちらも我が身が可愛いからするのである。町人などは利がはっきりとわかるが、学者は名利を紛らかす。伊川は名を好む学者を戒めたのであって、利を好む学者がいるとすれば、為学の講座に入れることはならない。
【通釈】
学者の側で言う時に、名も利も道理の当然を行わないことでは同じであって、元々、為名も為利も身が可愛いからするのである。為利する者について言うと、金を大事と思って何にも構うことがない。身代を上げるのが当然だと思ってしているのではない。身代をよくして後で楽しみもしたい、甘いものも喰いたい、何かの時の用にも立つだろうと、我が身が可愛くてする。また為名する者で言うと、実に名を惜しむ。武士も仁義を磨くためとか天に対して立つためにするのではなく、つまり、名を得てあの人は格段だと呼ばれたいからするのであって、身のためにするのである。それでは、名は立派な様でも同じく利心である。却って町人は、旦那が御出でなされましたなどと言って、揉み手で利を明らかに推し出してする。それは論にも及ばないこと。学者は名利を紛らかしてばかりいる。伊川は、学者には為利が少しもないものとして置いて、もしかすると外に付く弟子衆もあるだろうかと名を好む者を戒めたのである。これが近思の吟味である。この様に聞けば、近思を学ぶ連中で利の方へ手を出す者がいれば、為学の座に入れることはできない。
【語釈】
・弓取…①弓を手にとり持つこと。弓を射ること。また、その人。②弓術にすぐれていること。また、その人。③弓矢をとり用いることを勤めとすること。また、その人。武士。


第六十三 囘也其心三月不違仁条

囘也、其心三月不違仁、只是無纖毫私意。有少私意、便是不仁。
【読み】
囘や、其の心三月仁に違わざるは、只是れ纖毫の私意無ければなり。少しの私意有らば、便ち是れ不仁なり。
【補足】
この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。これは、論語雍也5を台にしている。「子曰、回也、其心三月不違仁。其余則日月至焉而已矣」。

上の段に偽と云字と実と云字かありて、此章に仁と云ことを云もよい幷へやうなり。仁は人間の人間たる所て、天より受たる心を仁と云。垩門に入ても、名を好み利を求るのと云心かありては仁にはなられぬ。仁になるには心の底をきれいにせ子ばならぬ。心底に人に誉らりやうの、今での男じゃのと云はれたい心がありては、一日讀書して居ても役に立ぬ。名利に心かありては仁の御坐にはたまられぬ。仁の吟味になりては羽箒で掃くやうなに橋杭ほどの人欲がある。幸田君の、学者は凡人にない欲があると云もここなり。顔子の不違仁とは、久ひうち孔子の通りの心て居ること。それも私意ないからなり。仁の反對には私欲と出すことなれとも、私意は其上の細なこととをもへ。私意は私欲とは違ひ、少しの心得違のことそ。仁の吟味に成てはこふ細かい。墨子か兼愛、揚氏が爲我。可愛そふに何に人欲ですることあらふや。去る由って、あれを又尊ぶものは垩人のやふにもをもをふ。そこが揚墨の私欲でなく心得違で、天なり理なりでない。釈迦や老子もそれて、欲てはない。心得違、私意ぞ。心得違かあれは仁の沙汰には及れぬ。
【解説】
仁とは人が天から授かった心である。心に名利があっては仁になれない。顔子の不違仁とは、長く孔子の通りの心でいることで、それができるのも私意がないからである。私意は私欲とは違い、心得違いのことである。墨子や楊氏、釈迦や老子も私欲ではなく私意で行った。それは心得違いであって、天理の通りではない。そこで、仁ではない。
【通釈】
前章に偽と実の字があって、この章で仁のことを言うのがよい並べ方である。仁とは人間の人間たる所で、天から受けた心を仁と言う。聖門に入っても、名を好み利を求めるという心があっては仁になることはできない。仁になるには心の底をきれいにしなければならない。心の底に人に褒められたいとか、今注目の男だと言われたいという心があっては、一日中読書をしていても役に立たない。名利に心が向かっては仁の前に出られない。仁の吟味は羽箒で掃く様なものなのに、橋杭ほどの人欲がある。幸田君が、学者には凡人にない欲があると言うのもここのこと。顔子の不違仁とは、久しく孔子の通りの心でいること。それができるのも私意がないからである。仁の反対には私欲と出すべきところだが、私意とはその上の細かいことだと思いなさい。私意は私欲と違い、僅かな心得違いのこと。仁の吟味はこの様に細かい。墨子は兼愛、楊氏は為我。可愛そうに何で彼等が人欲ですることがあるものか。楊墨を尊ぶ者は彼等を聖人の様にも思うだろう。そこが、楊墨は私欲でなく心得違いなのであって、天の通り、理の通りでないのである。釈迦や老子も同じで、欲ではなく心得違いであって私意なのである。心得違いがあれば仁の沙汰を聞くことはできない。
【語釈】
・幸田君…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。享保5年(1720)~寛政4年(1792)
・墨子は兼愛、揚氏が為我…孟子滕文公章句下9。「楊氏爲我、是無君也。墨子兼愛、是無父也。無父無君、是禽獸也」。尽心章句上26にもある。

便是不仁。道理の本然なりてないことを云。不仁と云をば、首でも切るか人をむごくするかのやふに思ふか、あれは不仁のあらいのそ。道理なりに少ても引かかりのあるは不仁なり。近思の開巻に無極而太極とあり、あの形りにするが為学のぎり々々で、不仁なれは太極の權度か違ふ。医者が不親切や、やりばなし、あらい療治て殺したは明な不仁。兄弟同然に思ふ人に夜の目も子ずに尽したれとも、医按違ひ藥ちかひのある。其心得違が不仁そ。仁は幅の廣ひことて、論語に仁なりや々々々々と問ても、子路ても誰ても仁は赦されぬも尤のことそ。克伐怨欲不行、全く仁の様なれとも、吾不知と答へられた。近思は義理の精微を尽すと云ことで、伽羅と抹香をかぎわける様な荒いことはない。
【解説】
道理に引掛かりがあると不仁である。仁は幅広いものであって、孔子の弟子でも中々仁に至ることができなかった。無極而太極の通りにするのが為学の至極であり、近思は義理の精微を尽くすものである。
【通釈】
「便是不仁」。これは道理の本然の通りでないことを言う。不仁とは、人の首でも切るか酷く扱うかの様に思うが、それは不仁の見方が粗いのである。道理のままにする際に、少しでも引掛かりがあるのは不仁である。近思の開巻に無極而太極とあるが、あの通りにするのが為学の至極のところで、不仁だと太極の権度が違う。医者が不親切や、遣りっ放しの荒い療治で病人を殺せば明らかな不仁である。兄弟同然と思う人に夜も寝ずに尽くしても、処方違いや薬違いもある。その心得違いが不仁である。仁は幅の広いもので、仁か、仁かと問うても、子路でも誰でも孔子が仁を赦さないのも尤もなこと。「克伐怨欲不行」は全く仁の様だが、「吾不知」と答えられた。近思は義理の精微を尽くすもので、伽羅と抹香を嗅ぎ分ける様な粗いことではない。
【語釈】
・權度…①はかりとものさし。②のり。規則。③つりあい。権衡。
・医按…医案。医療についての考え。また、それを記したもの。
・克伐怨欲不行…論語憲問2。「克伐怨欲不行焉、可以爲仁矣。子曰、可以爲難矣。仁則吾不知也」。克伐怨欲は、競争心、慢心、不平、欲望。


第六十四 仁者先難而の条

仁者先難而後獲。有爲而作、皆先獲也。古人惟知爲仁而已。今人皆先獲也。
【読み】
仁者は難きを先にして獲るを後にす。爲にすること有りて作[な]すは、皆獲るを先にするなり。古の人は惟仁を爲すを知るのみ。今の人は皆獲るを先にす。
【補足】
この条は、程氏遺書二二上にある伊川の語。これは、論語雍也20を台にしている。「樊遲問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣。問仁。曰、仁者先難而後獲。可謂仁矣」。

上て無極而太極を云たが出もののやうなが、この章でほとけることそ。難とて握り拳をし、汗をかくやふなこと計でない。兎角氣にさへられすに万事を理なりにすることは難ひと云ものそ。太極を先にするの理を先にするのと云も、氣の方へ流さぬ。當然と云もこのことて、理なりはせつないもの。それをどこまても理なりをするが難と云もの。されとも、いつも一の谷の坂落しのやうに思ふことではなし。無極而太極は天理形な、氣の手傳ぬことなり。為学もあのやうに氣をまぜまいとするがよし。それぎりで、はや餘念のないか仁の功夫なり。
【解説】
「仁者先難而後獲」の説明。「難」とは、気に障えられずに万事を理の通りにすることである。無極而太極とは天理のままで、気の手伝いのないこと。天理の通りにするのが為学であり、仁の工夫である。
【通釈】
前章で無極而太極のことを言って異な様だが、この章でその意味もわかってくる。難しいと言っても、握り拳をして汗をかく様なことばかりではないが、とかく気に障えられずに万事を理の通りにすることは難しいもの。太極を先にするとか理を先にすると言うのも、気の方へ流されないためである。当然と言うのもこのことで、理の通りにするのは切ないもの。それを何処までも理の通りにするのが難しいのである。しかし、いつも一の谷の坂落しの様なことをすると思ってはならない。無極而太極は天理のままで気の手伝いのないこと。為学もあの様に、気を混ぜない様にするのがよい。天理だけで、他に余念のないのが仁の功夫である。
【語釈】
・出もの…出者。①出しゃばる人。②能楽で、役者が扮装して舞台に出る役柄。能舞台の登場人物。

後獲は、後にすとてもあとですると云ことではなし。根から打すてることを後にすと云。たとへは難ひことを先にすれは、後は自らよい。親孝行をすると人からもほめやれ、孝行な人じゃとほまれを得る。主に忠を尽すと心にも思はぬ加増をもとる。これがうると云ものなれとも、それをちっとも心上にをかず、すこしもその心ないを後にすと云ふ。だたい難を仕をふせると、後は效も得るものそ。これは自然なれとも、その心があると仁の方へはゆかれぬ。此の先後の意を、吸物を吸て、あとで酒と云ふやふに先後を分ることてなく、後獲は、すっはりすてて置て難をすること。
【解説】
「後獲」とは後で行うことではなく、最初から何もしないこと。「獲」とは、行った後に成果を得ること。成果を求めることを初めから捨てて置いて、難しいことを行うのが仁者である。
【通釈】
「後獲」とは、後にすということだが、ここは後でするということではない。最初から打ち捨てて置くことを後にすと言う。たとえば難しいことを先にすれば、後は自然とよくなる。親孝行をすると人からも褒められ、孝行な人という誉を得る。主君に忠を尽くすと、思ってもいなかった加増をも得る。これが獲るということだが、それを少しも心の上に置かず、少しもその心がないことを、後にすと言う。そもそも、難しいことを遣り遂げると後でよい結果を得るもの。それは自然なことだが、効を得る気持ちがあると仁の方へは行かれない。この先後の意は、吸物を吸った後で酒を飲むという様に先後を分けることではなく、後獲とは、効をすっぱりと捨てて置いて難しいことを行うことなのである。

有爲而作皆先獲也。をれかこふするもわけかあると云様にするは道理てない。當然てすることに、なんの爲めにすると云ふことはない。向三軒兩鄰に名馴は隣里郷黨の交で、太極形てするに、其れをこうして置けば火事や盗賊と云時ても此方ををろそかにはせぬとてするのは先獲のなり。
【解説】
「有爲而作、皆先獲也」の説明。効を考えて行うのは道理に反する。効を先にするのが「先獲」である。
【通釈】
「有爲而作皆先獲也」。俺がこうするのにもわけがあると言ってするのは道理に反する。当然のことをするのに、何かのためにするということはない。向こう三軒両隣に馴染むのは隣里郷党の交わりで、それは太極の通りにする筈なのに、こうしておけば火事や盗賊という時でも自分が疎かにされないだろうと思ってするのは先獲である。

古人惟知爲仁而已。下の皆と云字とこの惟と云字に氣を付よ。惟は是れはかりと思ふこと。而已も此外なしと云こと。伯夷叔齊か、ついと國を去たも何の外に了簡はない。天倫にそむいてはならぬ、いや親の命に背ひてはならぬと思ふのて、仁に疵をつけまい々々々々と仁を求めて仁を得たり。知為仁を、迂斎の、手に泥のついた時に洗ふ様なものそ、と。其手を洗て何にすると云ことはない。丁とそれと同し。惟仁に泥をつけまい々々々々とするはかりそ。今日皆に学問はすれとも、つまりは學問はきらいそ。もと学問は心のよこれを洗ふことなれとも、そこを洗ぬは学問せぬのなり。ここで目をさますべし。
【解説】
「古人惟知爲仁而已」の説明。伯夷と叔斉は仁を疵付けない様にして仁を得た。「知為仁」とは泥のついた手を洗う様なもの。手を洗う際には、手を洗うこと以外には何もない。仁を得るには、心の汚れを洗うのみである。
【通釈】
「古人惟知為仁而已」。下にある皆という字とこの惟という字に気を付けなさい。惟はこれだけと思うこと。而已もこの外はないということ。伯夷叔斉がぷいと国を去ったのも、何も外に了簡はない。天倫に背いてはならない、親の命に背いてはならないと思ったからで、仁に疵をつけない様にし続けたので、仁を求めて仁を得たのである。知為仁を、迂斎が、手に泥が付いた時に洗う様なものだと言った。この手を洗って何かをしようということではない。丁度それと同じ。ただ、仁に泥を付けない様にしようとするだけである。今日、皆は学問をするが、結局は学問が嫌いなのである。本来、学問は心の汚れを洗うことなのに、そこで洗わないのは学問をしていないのと同じである。ここで目を醒ましなさい。
【語釈】
・伯夷…紀元前一二世紀頃の、中国殷末周初の賢人。名は允、字は公信。叔斉の兄。周の武王が殷の紂王を討とうとした時、叔斉とともに諫めたが聞き入れられず、周が天下を統一すると首陽山に隠れて餓死した。伯夷叔斉と並称される。生没年不詳。
・叔齊…伯夷の弟。
・仁を求めて仁を得たり…論語述而14。「伯夷叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨」。

今人皆先獲。上の古人惟の字にあてて見よ。近ころの人は師について書物ても讀もよますもきらいなれとも、又身代の片付にもなろふかとする。又医者にでもなろふ、しようとする人は儒者をもよむか、唐本をも讀んだら医書もよめて、医者で生産もなろふとてする。皆あてありてするので論にたらぬことなれとも、余程な学者にもこれがある。獲ることのみを心がけて表向は實学の顔でをれとも、心がそふないから世間を忘れず、此節はと思ふぞ。誰殿か貴公の御噂てと云と、あの人の耳へも聞へたかと笑を含むそ。西行は冨士を見て笑む。芭蕉は郭鳥の初音にほほえむに、明德新民の大業をしようとする学者か、中々あの隠者の心にもをとるとは、其様にて近思は視られぬぞ。
【解説】
「今人皆先獲也」の説明。今の学者や医者が学問をするのは、それをすると身を立てるのに都合がよいと思ってのことで、皆当てがあってするのである。それは西行や芭蕉にも劣るもので、それでは近思録の理解など、することはできない。
【通釈】
「今人皆先獲」。上の古人惟の字に当てて見なさい。近頃の人は、師について書物などを読むのも、読まされるのも嫌いだが、また身代の処し方にも役に立つだろうと思ってする。また、医者にでもなろうとする人は儒者も読む唐本を読めば医書も読める様になり、医者として商売ができると思ってする。皆当てがあってするので論じるに足りないことではあるが、余程立派な学者にもこれがある。獲ることのみを心掛け、表向きは実学をする顔でいても心がそうでないから世間を忘れることができず、この節はと思う。誰殿が貴公の噂をしていたと言われると、あの人の耳にも聞こえたかと思って笑みを含む。西行は富士を見て微笑み、芭蕉は郭公の初音に微笑むが、明徳新民の大業をしようとする学者が、あの隠者達の心にも劣る様では、近思を見定めることはできない。
【語釈】
・片付…他に付き添ったり、縁づいたりすること。また、身のふり方。
・生産…生活のもとでとなる仕事をすること。商売。家業。


第六十五 有求為聖人之志条

有求爲聖人之志、然後可與共學。學而善思、然後可與適道。思而有所得、則可與立。立而化之、則可與權。
【読み】
聖人と爲るを求むる志有りて、然して後に與に共に學ぶ可し。學びて善く思い、然して後に與に道に適く可し。思いて得る所有れば、則ち與に立つ可し。立ちて之に化せば、則ち與に權[はか]る可し。
【補足】
この条は、程氏遺書二五にある伊川の語。これは、論語子罕29を台にしている。「子曰、可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權」。

爲学の一篇は好学論で学以至垩人之道也と云。あれを忘れてはならぬことぞ。火消の火事を忘れぬやうなもの。假令遠くへ火消に行も、火事をも忘れぬから行ぞ。是程の爲学か皆垩人になるの道中なり。爰を忘れすにする人と可與共學。今時の学者か少と貴様も学問をと進るは、親切のやふでゆき処を知ぬからなり。道中するにも大和巡りには同道もすすめるか、親の歒を討に出るに中々誘いはならぬ。学問は歒討つほどの心でなけれはならぬに、今の学者は上み方見物同前のなくさみ学問そ。とても進るなら垩人になろふと思ふ心の人ならば、共々に学ぶべし。
【解説】
「有求爲聖人之志、然後可與共學」の説明。学問とは聖人に至る道であることを忘れてはならない。それを知る者と共に学ぶのである。学問を勧める相手は誰でもよいわけではなく、聖人になろうとする人に対してでなければならない。
【通釈】
為学の一篇である好学論では「学以至聖人之道也」と言っているが、これを忘れてはならない。火消しが火事を忘れない様なもの。たとえ遠くへ火消しに行くとしても、火消しは火事を忘れないから行くのである。これほどの為学が皆聖人になるための道中なのである。ここを忘れずにする人と「可与共学」。今時の学者がちょっと貴方も学問をすればと勧めるのは親切な様だが、それは行くべき処を知らないからそうするのである。道中をするにも大和巡りなら同道も勧めるが、親の敵を討ちに出るのには、中々誘うことはできない。学問は敵を討つほどの心でなければならないのに、今の学者は上方見物と同様の慰み学問をしている。そうとは言え、学問を勧めるのなら、聖人になろうと思う心の人に対してすべきであり、その人と共々に学びなさい。
【語釈】
・好学論…為学3を指す。

學而善思。近く思の思て、歒を打に出る程の大義の心て、そこて同道して共に適べし。共に々々学ぶべしは、これは旅へをっ立ったはかりで、可與適道へはよほと間のあること。共に々々学ふは、師や朋友の講習討論ても学はるる。道か一筋ゆへ同勢についても行るるか、思て與に適道は、ここは肌の合せらるることて、善く思ひから道にも適ことぞ。道の中かへはいっての上は知惠のことなり。道理を合点しても、ひょっと風が替ろふも知れぬ。道の中へ這入と云か附焼き刄ですることではなけれとも、道へ入ても亦秡け出たかるて思而有所得則可與立。
【解説】
「學而善思、然後可與適道」の説明。「可與共學」は旅に出発したばかりの時点で、道が一筋だから講習や討論によって学ぶことも可能だが、「可與適道」までにはかなりの隔たりがある。「學而善思」によって「可與適道」となるのである。道に入っても抜けたがるものだから、「思而有所得則可與立」なのである。
【通釈】
「学而善思」。近く思うの思うで敵を討ちに出るほどの大義の心を持ち、そこで同道して共に適きなさい。「可与共学」は、これは旅に出発したばかりのことで、「可与適道」へはよほど間があること。与共学は、師や朋友の講習討論でも学ぶことができる。道が一筋だから皆について行くこともできるが、思って与道適は、肌を合わせられることで、善く思うからそうすることができる。道の中へ入ってからは知恵の領分である。道理を合点しても、急に風向きが変わるかも知れない。道の中へ這い入るのは付焼刃ですることではないが、道へ入ってもまた抜け出たがるので、「思而有所得則可与立」なのである。
【語釈】
・同勢…同行の人々。また、その人数。

垩人の三十而立と云は丈夫な所ぞ。学者も致知挌物しては道かのって来るか、こちのものになら子は丈夫にない。古券はありても正金のないやうなり。手形は箱に一はい持て居ても、正金てなけりゃ用にたたぬ。学問は限りもなく、大学の三綱領仕廻に至善をかたり、論語開巻に人不知而不慍と云て、学者今覚のないことをくはしれず。されともきり々々迠語ること。そこで權の字が出る。
【解説】
「思而有所得、則可與立」の説明。立つとは丈夫に立つこと。学者は聖人に至るため、ぎりぎりのところで学ばなければならない。
【通釈】
聖人が「三十而立」というのは丈夫な所である。学者も致知格物をすれば道が乗って来るが、自分のものにならなければ丈夫でない。それは、故券はあっても正金がない様なこと。手形を箱に一杯持っていても、正金でなければ用は足りない。学問は限りのないもので、大学の三綱領は最後に至善を語り、論語開巻に「人不知而不慍」とある。学者が今覚えのないことを留保するのは構わない。しかし、ぎりぎりまで語らなければならない。そこで権の字が出て来る。
【語釈】
・三十而立…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立」。
・古券…故券(ふるい手紙。ふるい証文)。沽券・估券(売渡しの証文。売券)。
・正金…強制通用力を有する貨幣。紙幣に対して金銀貨幣をいう。
・大学の三綱領…明明徳・新民・止至善。
・人不知而不慍…論語学而1の語。

立而化之則可與權。丈夫に立ての上に亦化すると云あり。立と云で知行合一になりて、其知の通りの行て、もふ云分ないやうなれとも、未た角とが取れぬやうなり。化は氷を熟湯へ入たやうて、初はごそ々々してもへったりと一つになる。能書か古人の筆意を見て感得して、吾手に直して能したやふに角とかとれる。こふ成るは垩人の塲ゆへ、はや權道と云ことの成るやふになる。權道と云は平生底のことでなく、當然でないことの様な仕方をして、丁どの道理に合ふ。垩賢分上てこれがなる。さて、權道と云ふものも、つまり知惠か明なと欲のないとの二つてすること。垩人と云もこれはかりそ。とってもつかれぬと云ことにもあらす。知の明に欲をなくすと学問の成就。欲がなければ迷はぬ。そこで何こともなるそ。迂斎の、伯夷の化したか湯武じゃ、と。知た云やうなり。
【解説】
「立而化之、則可與權」の説明。しっかりと立った後に「化」がある。化すとは角が取れることで、一体になること。権道は聖賢のみができること。知恵が明らかで欲がないことの二つで学問が成就する。
【通釈】
「立而化之則可与権」。丈夫に立った後にまた、「化」ということがある。「立」で知行合一になって、その知の通りの行いで、もう言い分もない様だが、まだ角が取れない様である。化とは氷を熱湯へ入れた様なことで、初めはごそごそしていても、終にはすっかりと一体になる。能書が古人の筆意を見て感得して、自分の手に直して能くする様に、角が取れる。こうなるのは聖人の場だからで、早くも権道が成る様になる。権道とは平生あることでなく、当然でない様な仕方をして、ぴったりと道理に合うこと。聖賢の域でこれが成る。さて、権道というものも、つまり知恵が明らかであることと欲のないことの二つでする。聖人でもこれだけである。とてもできないということでもない。知を明らかにして欲をなくせば学問の成就。欲がなければ迷わない。そこで何事も成る。迂斎が、伯夷が化したのか湯武だと言った。よく理解した言い方である。
【語釈】
・感得…①感じて会得すること。幽玄な道理などを悟り知ること。②信心が神仏に通じて、願がかなうこと。
・權道…手段は正しくないが、目的は正道に合すること。目的を達するために執る臨機応変の処置。方便。元々は、物の軽重をはかる分銅のこと。孟子尽心章句上26に「執中無權、猶執一也」と楊墨を批判する句があり、論語微子8にも「謂虞仲夷逸。隱居放言、身中清、廃中權。我則異於是、無可無不可」とある。
・とってもつかれぬ…そっけないさま。受けつけようともしないさま。

東と北と云様にはなれぬそ。学者があたまで權道をしらず、事によったら自分も權道かなろふかと思ふ。それでは以の外なことと云。そこでせはをやかるるが、もと垩人でなけれはならぬ權道ぞ。平人は安堵して居よ。若林が、放伐を尤とゆふ其人は何に付ても心元なしと云てせわをやいたか親切な様で、却て戒にならぬ。尤と云てすれば似せ金。似たことをするから用心もあろふか、權道などは学者の似てもよらぬこと。一寸借りたものを返ずにさへ不埒に成るくらいで、中々權道かなることか。今学者に入らぬ戒そ。ただ垩人分上の成されたことと知るまてなり。その垩人を尤とせぬは如何のことなり。垩人は平人のならぬことをするはつなり。そこが垩人なり。よって孔子は悪人がよんでも、どりゃ行うかと伸ひ上るか、垩人は欲がない故に何処へ行ても浮雲げはない。そこを荘子が、至人を水に入て不溺、火に入て不焦、と。權道はこふしたぎり々々の処ぞ。もと求為垩人之志ぞ。行つけば垩人ぞ。垩人になれば權道なるなり。
【解説】
権道は聖人にのみ許されたことで、学者には似つかわしくないことである。それは今の学者にとっては必要のない戒めであり、聖人になって初めて権道の議論ができるのである。初めの「求為聖人之志」の行き着いたところが聖人である。
【通釈】
東とか北とかと言う様にはっきりとしたことではない。学者が最初から権道を知らずに、うまくすれば自分も権道ができるだろうかと思う。それは以の外のことだと言って学者が世話を焼くが、元々聖人でなければできないのが権道である。平人は安堵していなさい。若林が、放伐を尤もと言うその人は何に付けても心許なしと言って世話を焼いたが、それは親切な様で却って学者の戒めとはならない。尤もと言って行えば似せ金。似たことをするから用心も必要だろうが、権道などは、学者には似ても似つかないこと。一寸借りたものを返さないだけで不埒と言うほどで、中々権道が成る筈がない。権道は今の学者には要らない戒めである。ただ聖人の域の方がなされたことだと知るだけである。その聖人の行為を尤もなことだと思わないのはいかがなものだろう。聖人は平人のできないことをする筈で、そこが聖人である。そこで、孔子は悪人が呼んでもどれ行こうかと立ち上がるが、聖人は欲がないから何処へ行っても浮雲の気はない。そこを荘子が、真人を水に入って不溺、火に入って不焦と言った。権道とはこうした至極の処を言うのである。元々が「求為聖人之志」である。行き着けば聖人である。聖人になれば権道が成るのである。
【語釈】
・若林…若林強斎。浅見絅斎門下。
・孔子は悪人がよんでも…論語陽貨7にある話で、孔子が佛肸の招聘に応じたことを指す。また、論語雍也26には、南子からの謁見の申し入れに応じる話、論語述而28には、互郷の少年が面会を求めた時に快く会った話がある。
・浮雲…論語述而15。「子曰、飯疏食、飲水、曲肱而枕之。楽亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲」。
・水に入て不溺、火に入て不焦…荘子大宗師。「何謂眞人。古之眞人、不逆寡、不雄成、不暮士。若然者、過而弗悔、當而不自得也。若然者、登高不慄、入水不濡、入火不熱。知之能登假於道也若此」。

然し知に多少般の數あり。權道にも又多少般の數ありて、平生のことにも權道かあるそ。医者か御定の法より外にせぬはづなれとも、あの人には此藥でなくてはと、医者だけの權道あり。をらか扁鵲てはなし、法に加減はならぬとは云はぬ。然れば放伐は垩人のこと。ちょっとした權道は学者もするぞ。六月でも寒ければ綿入をきる。これ平生のかるい權道ぞ。湯武のは大ひことて、平人のならぬことをする故に垩人ばかりぞ。垩人ばかりときめれば、学者の戒にするに及はぬ。某躰へ大名の道具を用るなの、御召の黑羽二重は着るなのと云は戒むべし。臺笠や立傘は持すなと戒に及ばす。たかで成らぬことそ。町人か鷹野せふとも思は子ば戒めずともよい。垩人でなければならぬ。放伐の權道は平人を戒るに及ぬ。多少般の數あれは、人々相応の処に權道あり。思得て、もふこれてよいはとする上に化かある。鳫て居て鶇の眞似はならぬことなり。学者が權道と云とくさいものに蓋するやうにするか、そふした筋なれは垩人かなさらぬ筈そ。する上は押開ひて云なり。垩人を志にするからそろ々々と垩人へ至るはつ。至りつめた処で權を語ることなり。
【解説】
本来は聖人のみの権道ではあるが、日常の出来事にも権道はある。医者にもあり、学者にもある。しかし、湯武の放伐の様な大きな権道は聖人のみのものであって、外の者の戒めとはならない。それは聖人になった後に語るものなのである。
【通釈】
しかし知にも多少の種類があり、権道にもまた多少の種類があって、平生のことにも権道がある。医者は御定まりの方法以外はしない筈だが、あの人にはこの薬でなくてはと言って、医者だけの権道がある。俺は扁鵲ではないし、治療法の加減はできないなどとは言わない。そこで、放伐は聖人のことだが、ちょっとした権道は学者もする。六月でも寒ければ綿入れを着る。これが平生の軽い権道である。湯武の放伐は大きいことで平人のできないことをするのだから、聖人だけがすることができる。聖人だけと決めれば、学者の戒めにするには及ばない。私などに大名の道具を用いるなとか、御召しの黒羽二重は着るなと言うのは戒むべきことである。しかし、台笠や立傘は持たすなとは戒めとして言うに及ばない。身分でできないのである。町人は鷹狩りをしようなどと思わないから戒めなくてもよい。聖人でなければできない放伐という権道は、平人を戒めるには及ばない。多少の種類があるので、人々相応の処に権道がある。「思而有所得」でも、これでよいと思った上に化がある。鳫[かり]は鶇[つぐみ]の真似はできない。学者が、権道と言えば臭いものに蓋をする様にするが、そうしたことであれば聖人がなさらない筈である。聖人がそうしたのだから、これを押し開いて言わなければならない。聖人を志すのだから、そろそろと聖人へ至る筈。至り詰めた処で権を語るのである。
【語釈】
・知に多少般の數あり…致知8。「知有多少般數、煞有深淺」。
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。長桑君に学び、禁方の口伝と医書とを受けて名医となり、趙簡子や虢の太子を救ったという。耆婆と並称される。
・臺笠…大名行列などのとき、袋に入れて棒をつけて、供の者に持たせた被笠。
・立傘…江戸時代、長柄の傘をビロードまたはラシャなどで作った袋に入れたもの。大名行列などに供に持たせた。
・鷹野…鷹を使って山野で鳥を狩ること。鷹狩り。


第六十六 古之学者為己の条

古之學者爲己、其終至於成物。今之學者爲物、其終至於喪己。
【読み】
古の學者は己が爲にし、其の終わりは物を成すに至る。今の學者は物の爲にし、其の終わりは己を喪うに至る。
【補足】
この条は、程氏遺書二五にある伊川の語。これは、論語憲問25を台にしている。「子曰、古之学者爲己、今之学者爲人」。

録の幷べやふに気を付けてみよ。忘れた時分には出し々々する。先日も此語と次の弘毅の章が有たか、亦爰へも出た。爲己の外に心はない。此からだを建立せふと思ひ入った計そ。先難後獲と云と同じやうて、こふすれはどふなると云ことはなし。爲己にばかりしたれば其終成物。終とはとどのしまいには。己か為計てなく、成物て人のせわ迠にとは露塵思はなんたが、自然で人の爲にもならるる。大学が学問の綱領ゆへに、明德新民と二つ並て云が、初から新民をせふ々々とすることにあらす。己れを能くせふとするで、後は学而時に習のつまりか朋自遠方来るになり、どふしてこふ来るやらと思ふやふになる。伊尹か有莘の野に道を樂んて己か為にしていたを、湯王が迎ひとられたそ。
【解説】
「古之學者爲己、其終至於成物」の説明。為己は先難後獲と同様で、成果を当てにしてすることではなく、自分の身を建立することである。為己の結果は己の為だけではなく、自然と人の為にもなる。論語学而の様に、学問をするにも順序がある。
【通釈】
近思録の並べ方を気を付けて見なさい。忘れた時分に同じ文を出して来る。先日もこの語と後に出る弘毅の章があったが、またここにも出た。「為己」という外に心の持ち様はない。この体を建立しようと思い入るだけである。それは「先難後獲」と言うのと同じことで、こうすればどうなると、成果を当てにして言うことではない。為己だけをすれば「其終成物」となる。終とはとどの詰まりであって、結局は己の為だけででなく成物にまでなって、人の世話までするこことになるとは露微塵も思わなかったが、自然と人の為にもなる。大学は学問の綱領だから明徳新民と二つを並べて言うが、初めから新民をしようとすることではない。己を能くしようとするので、「学而時習之」の結果が「有朋自遠方来」となる。そして、何故こんなに朋が来るのだろうと思う様になる。伊尹が有莘の野に道を楽しんで己の為を行っていた所に、湯王がこれを迎えて採用された。
【語釈】
・先日も此語と次の弘毅の章が有た…為学14と48を指す。
・先難後獲…為学64の語。
・大学が学問の綱領…大学三綱領。明明徳、新民、止至善。
・学而時に習のつまりか朋自遠方来る…論語学而1。「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦樂乎」。
・伊尹か有莘の野に道を樂んて…孟子万象章章句上7。「伊尹耕於有莘之野、而樂堯舜之道焉」。有莘は河南省開封府陳留県の地。
・湯王…殷(商)王朝を創始した王。殷の始祖契より一四世目。夏の桀王を討って即位。商湯。成湯。武湯。大乙。

今之学者爲物其終至於喪己。今人は初の内から物の為にして大成論を讀内から、後には四まいがたにと物のためにするて、終りはざざほさになりて己を喪ふそ。これを前見ず將棊と云て、向へ々々とかかりて吾か本を失ふ。迂斎の、紺屋の白袴と云と同し、と。人の爲にはかりそめて、吾ことは得せぬ。引合はぬ譬なれとも、鹿を逐ふ猟師は山を見す。先きへ々々々と目がついて足元とをしらす。勝ふ々々と打つな、負じと打て、と。向へかかると吾方かぬける。火事装束をせずに火消に出るやうなもの。火消は戦から二番目のことなれは、吾六具を堅めてかかれ。爲己と云を忘れて只早く師匠になりたかるで、終り己を失ふに至るぞ。
【解説】
「今之學者爲物、其終至於喪己」の説明。今の学者は為己をしないで為物をするので、最後は己を失うことになる。為者の例は前見ず将棋や紺屋の白袴、鹿を逐う猟師は山を見ずである。火消しが火事装束を着ける様に、先ず自分の身を堅めなければならない。
【通釈】
「今之学者為物其終至於喪己」。今の人は初めから物の為に行い、たとえば大成論を読んでいる内から、後には四枚肩に乗れる様になろうとするので、終には台無しになって己を喪う。これを前見ず将棋と言い、向こうへと攻めるばかりなので自分の本陣を失うのである。迂斎が、紺屋の白袴と同じだと言った。人の為にばかり染めて、自分の袴は白いままである。うまくないたとえだが、鹿を逐う猟師は山を見ず。先へ先へと目が付いて足元を知らない。勝とうとして打つな、負けないようにと打てということ。向こうに攻めると自分の方の守りが抜ける。それは、火事装束を着ないで火消しに出る様なもの。火消しは戦の次のことだから、自分の六具を身に堅めてから取り掛かれ。為己ということを忘れてただ早く師匠になりたがるので、終りは己を失うに至るのである。
【語釈】
・大成論…
・四まいがた…四枚肩。普通は二人のところを、四人で駕籠を舁くこと
・ざざほさ…ささほうさ。だいなしになること。ちゃちゃほうちゃ。さんざん。めちゃめちゃ。
・六具…甲冑に付属する六種の武具。

さて、似てこれとちごふ筋あり。教るは学ぶの半ばと云ふは、此れは此方の熟のためにすることぞ。子ともの素讀をめんどふがらす教るのは吾熟のためて、素讀み百篇するで子ともを教るではなく、終垩賢の意を得る種にもなる。兎角どこ迠も己がための心でせよ。
【解説】
教うるは学ぶの半ばという句があるが、子供に素読を教えるのも己の為になるのである。
【通釈】
さて、これに似て違う筋の話がある。教うるは学ぶの半ばと言うのは、自分が熟達するためにすることである。子供に素読を面倒がらずに教えるのは自分の熟達のためで、素読百篇をするのも子供を教えるためではなく、自分が終には聖賢の意を得る種にもなるからである。とかく何処までも己の為の心で行いなさい。
【語釈】
・教るは学ぶの半ば…書経説命下。「斅學半」。


第六十七 君子之学必日新の条

君子之學必日新。日新者日進也。不日新者必日退。未有不進而不退者。惟聖人之道無所進退。以其所造者極也。
【読み】
君子の學は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進む。日に新たならざる者は必ず日に退く。未だ進まずして退かざる者有らず。惟聖人の道のみ進退する所無し。其の造[いた]る所の者極まれるを以てなり。
【補足】
この条は、程氏遺書二五にある伊川の語。

今日の処に学者と云字もあり、古人ともあり、君子の学ともあるか、一つことと思へ。日新とは学者の目さましい語ぞ。学問を旅行にたとへてあるも、日々に新て毎日々々向へ行き進ことから云。進み進むて垩と云。京迠行つくぞ。日新は繋辞の文字で、それを日進むと出した。此字がないと新はとのやうなことと、爰にとりなやみかあろふかと入れた日進の字なり。
【解説】
「君子之學必日新。日新者日進也」の説明。学問は旅行の様なもので、聖人という目的地へ向かって、日々新たに進むことである。日進は日新の説明のため、ここに入れたのである。
【通釈】
今日の講習の処に学者という字もあり、古人ともあり、君子の学ともあるが、同じことだと思いなさい。日新は学者にとって目覚しい語である。学問を旅行にたとえることもあるが、日々に新たで毎日向こうへ行き進むことからそう言うのである。進み続けるので聖という目的地に行き着く。京都まで行き着くのである。日新は繋辞伝の中の文字で、それを日進と言い換えた。この字がないと、新とはどの様なことなのかがわかり難く、取り悩みがあろうかと思って日進の字を入れたのである。
【語釈】
・日新は繋辞の文字…易経繋辞伝上5。「盛德大業至也哉。富有之謂大業、日新之謂盛徳」。尚、日新は大学章句2に、「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」とある。

不日新者必日退。進ま子は退くの外なし。君子は上達す。小人は下達する。どちぞ。ぢっとして同し処にいるものは無ひと云を、いやごさる、阿部川て十日留られても、向へ進みはせぬか江戸へは帰らぬと云。そふ思ふが、そこが既に退くのぞ。十日逗留の内に行けは、京へ行着くぞ。迂斎の、医者か病人は同変々々と云内に御損が立ちますと云。皆退くのなり。この章は御用心々々々と云やふなものなり。進子は退の外なし。一休が髑髏を持ち、歩行て元日の礼云たも、無常迅速てはいかにも明けて目出度てはない。一年々々に死に近つく。御用心々々々なり。今の学者も何の間にやら俗人に落いる。御用心々々々。
【解説】
「不日新者必日退」の説明。進まないとすれば、退くことになる。留まることも退くことと同じである。学者も、進まなければいつの間にやら俗人に陥る。用心しなければならない。
【通釈】
「不日新者必日退」。進まなければ退くより外はない。「君子上達小人下達」のどちらかである。じっと同じ処にいる者はないと言っているのに、いや、あります、安倍川で十日川留められても、向こうに進みはしないが江戸へは戻ってはいないと言う。そう思うのが既に退くということ。十日逗留の間に先に進めば京都へ行き着く。迂斎が、病人は同篇だと言っている内に病気が進むと医者が言うと言った。皆退くこと。この章は御用心と言う様なもの。進まなければ退くより外はない。一休が髑髏を持って歩き行き、元日の礼を言ったが、無常迅速では流石に年が明けてめでたくはない。一年毎に死に近付く。御用心のところである。今の学者もいつの間にやら俗人に陥る。御用心、御用心。
【語釈】
・君子は上達す。小人は下達する…論語憲問24。「子曰、君子上達。小人下達」。
・阿部川…安倍川。静岡市西部を流れる川。
・同変…同篇。同じさまであること。変りのないこと。また、病状に変化のないこと。
・一休が髑髏を持ち、歩行て元日の礼云た…一休は正月、杖の先に髑髏を掲げて、「門松や冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と歌いながら市中を闊歩した。そして、男も女も、老いも若きも一皮むけば同じ骨に過ぎないと説いて、「やけば灰埋めば土となるものを何か残りて罪となるらん」と詠んだ。
・無常迅速…人の世の移り変りがきわめて早いこと。歳月は人を待たず、人の死の早く来ること。

身代も上るか下るかの二つ外ない。この暮は借金をなしたか金か餘ると云かてなければ進むてはない。金を借り替へ々々々々して同しやふと云内、實は退くのぞ。一つ変かある。直に大事になる。不進不退者は非す。君子小人と云も進と退くのことなり。君子は日進み進むかそろ々々と上ることて、垩人之道入乎耳存乎心蘊之爲德行も德の中に進むことを云。陶淵明が昨日非にして今日是なることを覚ふもここなり。こふ先学者に合点さしておいて、惟垩人之道無所進退以其所造者極也。垩人は別のことて、もふ向へ行つめては進退はない。道中する内は、今日ははかとったのをそいのと云かあれとも、京へ往付てはもふそれはなく、桜見ていらるる。学者ひまになりたくは垩人になるか死ぬかの二つより外はない。
【解説】
「未有不進而不退者。惟聖人之道無所進退。以其所造者極也」の説明。学者は進まなければならないが、それも聖人に至るまでのこと。聖人の場は進退と無関係である。学者が楽になりたければ、聖人になるか死ぬしかない。
【通釈】
身代も栄えるか衰えるかの二つより外はない。この暮は借金ができたか金が余ったと言うのでなければ進むではない。金を借り替えしたので前と同じだと言っても、実は退いているのである。一つ変事があれば、直に大事になる。不進不退の者はいない。君子小人と言うのも進むと退くの違いである。君子の方は、日々ゆっくりと上り進むことで、「聖人之道入乎耳存乎心蘊之為徳行」も徳の中に進むことを言う。陶淵明が昨日非にして今日是となることを悟ったのもここのこと。この様に、先ず学者に合点させておいて、「惟聖人之道無所進退以其所造者極也」。聖人は別で、もう行き詰めているので進退はない。道中をする内は、今日は捗ったとか遅かったとかということがあるが、京都へ往き着いてはもうそれはなく、桜見物をしていられる。学者が暇になりたければ、聖人になるか死ぬかの二つより外はない。
【語釈】
・垩人之道入乎耳存乎心蘊之爲德行…為学2の語。
・昨日非にして今日是…帰去来辞。境遇が一変して、昨日非と思ったことが今日は是と思うようになること。


第六十八 明道先生曰性靜者条

明道先生曰、性靜者可以爲學。
【読み】
明道先生曰く、性の靜なる者は以て學を爲す可し。
【補足】
この条は、程氏外書一にある明道の語。

この章は生質のよいことを德用にする章ぞ。其れは心得ぬ、日頃学問は生質のよいはあてにせぬことと云ふて、爰は亦どふしてと問に、氣質をあてにせぬは修行で云たもの。学問も好ひ氣質ですれば尚致しよいことそ。高ひ処へ火の見を立るやふに願に幸のことそ。其れを高いを卑くして、地形を仕直して立ると云には及はぬ。氣質を用ぬとは学問の邪魔する氣質を捨ることて、能ひ氣質は大和知行を取るやうなもの。これを替たがるには及ぬ。性の靜なは重疂な珎重なことなり。
【解説】
「明道先生曰性靜者」の説明。気質を用いないとは修行について言うことで、学問の邪魔をする気質を捨てることである。よい気質は、捨てるには及ばない。「性静」は重畳で珍重なものである。
【通釈】
この章は生質のよいのがよいと述べた章である。それは違う、日頃学問は生質のよいことを当てにしないことだと言っているのに、ここではまたどうしてそう言うのかと問われれば、気質を当てにしないとは修行について言ったことで、学問も好ましい気質で行えば、尚やり易いということ。高い処へ火の見を立てる様に願うのは尤もなこと。その高い処を低くして、地形を直して立てようと言うには及ばない。気質を用いないとは、学問の邪魔をする気質を捨てることで、よい気質とは大和知行を拝領する様なもの。この領地を他と替えたいと言うには及ばない。「性静」は、重畳で珍重なものである。
【語釈】
・德用…用いて利益の多いこと。利得。得分。

可以爲学。下に爲学とあるて見よ。性の靜をかぶにして居よではない。其れで学問すれば、さて々々能いはかもゆき療治もしやすいと云ことぞ。つまり、学問は垩賢の異見をきき、それを胸にたたきこむことなり。性の靜な人は聞入ありて落着のあるてぬけぬもの。此裏が笹の葉に鈴を付たやうな人で、がさ々々して物も聞入れぬか、靜な人は此段に成て偖々よいもの。それか学問したら工夫も出来てよくなろふと云こと。主靜立人極も靜を根にして成就する。天地も冬と云靜で春賑々と花も咲くそ。動靜と云字もそれ。靜が根になるで動く。
【解説】
「可以爲學」の説明。「性静」であればよいということではない。性静であれば、学問をしても工夫がよくなるということ。立人極も動静も静を本にしている。
【通釈】
「可以爲学」。下に為学とあるのを見なさい。「性静」をお株にしていなさいということではない。それで学問をすれば本当によく捗り、療治もし易いということ。つまり、学問は聖賢の異見を聞き、それを胸に叩き込むことである。性の静かな人は聞き入れ易く落ち着きがあるので、得たものが抜けていかない。その反対が笹の葉に鈴を付けた様な人で、がさがさとして何も聞き入れないが、静かな人は、この様な段階になると実によいものである。その様な人が学問をすれば、工夫もできてよくなるだろうということ。「主静立人極」も静を根にして成就する。天地も冬という静によって、春には賑やかに花も咲く。「動静」という字も同じで、静が根になるので動く。
【語釈】
・主靜立人極…道体1。「聖人定之以中正仁義、而主靜。立人極焉」。
・動靜…道体1。「太極動而生陽、動極而靜」。


第六十九 弘而不毅則無規矩条

弘而不毅、則無規矩。毅而不弘、則隘陋。
【読み】
弘くして毅からずんば、則ち規矩無し。毅くして弘からずんば、則ち隘陋なり。
【補足】
この条は、程氏外書二にある明道の語。

先日も云通り、弘毅は学問してゆく才料なり。弘毅は氣質のことでなく、道を得る地ばん、持前で云こと。弘毅と云二つでなけれは、学問は仕遂られす。片方てはならぬと云か第一義なり。されとも爰の語勢は少し氣を帯て説て聞すと呑込よいぞ。先づ人に弘だて毅だての人あり。こふした片々な人は、学問は遂得ぬ。弘毅か揃子はいかぬ。弘不毅の人は知つりて知か高く胸か弘く、人を三分五厘に見下し、あいらか椽の下てするやうなことをとて、見所は高いやふなれとも規矩かない。それからして、今の学者なとか家礼を讀て礼義せんさくしても役に立ぬの、虚礼のから啼きて泪は出ぬ、夫れよりも子游が喪致哀而止む。心の中て哀むに無如と云た。虚文は入ぬの、棺槨かどふあろふとも心が第一。精進したとて偽そ。とかく真実のことさとほかしてしまふ。それでは曲尺も分ん廻しもいらぬになる。
【解説】
「弘而不毅、則無規矩」の説明。弘毅は気質ではない。弘と毅の何れか一方に偏った者がいるが、二つが揃わなければならず、そうでなくては、学問は成就しない。弘不毅の人は知に偏っているので知見が高く胸も弘いが、規矩がない。
【通釈】
先日も言った通り、弘毅は学問をして行くための材料である。弘毅は気質のことでなく、道を得る地盤であって、持ち前のこと。弘毅という二つがなければ、学問を成し遂げることはできない。片方ではいけないとするのが第一義である。しかしながら、ここの文は少し気を帯びた語勢で説いて聞かせると理解し易い。先ず、人には弘の人、毅の人がいる。こうした偏った人では、学問は成し遂げられない。弘毅が揃わなければうまく行かない。弘不毅の人は知に偏っているので知が高くて胸が弘く、人を三分五厘の様に小さく見下し、あいつ等は縁の下でする様なことをするなどと言い、見処は高い様だが規矩がない。それで、今の学者などが家礼を読んで礼儀の詮索をしても役に立たない、虚礼の空泣きでは泪は出ない、それよりも子游の「喪致乎哀而止」で心の中で哀れむ方がよいと言う。虚文は要らない、棺槨はどうであろうと心が第一、精進しても偽りだと言う。とかく真実が大事だと事を放って置く。それでは曲尺も規も要らないことになる。
【語釈】
・先日も云通り…為学48を指す。
・あいら…彼等。あのものども。あいつら。
・喪致哀而止む…論語子張14。「子游曰、喪致乎哀而止」。
・棺槨…棺とそれを覆う槨。ひつぎ。

出家で云へは一休や六祖がよふなもの。僧は肴は喰はぬと云ふものなれとも、六祖は肉邊の菜などと云て、肴汁の中の菜を引出して喰い、一休が蜷川か女房にたわるる、どふでもよいと云。これ規矩なしなり。高ぞれた学者、まぎらかし知見で推す。直方の、これを犬曽點と云はれた。今の上総などの学者は知見がないで犬曽点も出来ぬ。弘は望ましきことなれとも、弘ばかりでは彼犬曽点になる。知見が高いやうなれとも、規矩の無ては、道は得られず。それを師匠とも尊ばれぬ。
【解説】
仏で規矩のない例は、一休や六祖である。直方は弘而不毅の者を犬曾点と言ったが、上総の者は知見がないので犬曾点にもなれない。
【通釈】
「弘而不毅」は出家で言えば一休や六祖の様な者。僧は肴を喰わないものだが、六祖は肉辺の菜などと言って、肴汁の中の菜を引き出して喰い、一休は蜷川の女房に戯れても、それは大した事ではないと言う。これでは規矩がない。高逸れた学者は紛らかしの知見で推す。直方がこれを犬曾点と言われた。今の上総などの学者は知見がないので犬曾点にもなれない。弘は望ましいことではあるが、弘だけではあの犬曾点になる。知見が高い様でも、規矩がなくては道を得ることはできない。そんな人を師匠と尊ぶことはできない。
【語釈】
・六祖…慧能。唐代の僧。中国禅宗の第六祖。広東新興の人。五祖弘忍の付法を受け、六祖大師・曹渓大師などと称せられ、禅宗の大成者。門人きわめて多く、以後主流は南地に隆盛したので、その法系を南宗禅という。語録に「六祖壇経」がある。638~713
・蜷川…室町中期の連歌作者。本名、蜷川新右衛門親当。七賢の一。足利義教に仕えた武臣。和歌を正徹に、連歌を梵灯庵に学んだ。
・たわるる…戯るる。狂るる。①たわむれる。なまめかしくふるまう。②みだらなわざをする。②一途にふける。色恋におぼれる。
・曽點…曾晳。孔子の門弟。知見が高かった。論語先進25に曾点の語がある。

毅而不弘則隘陋。行ひずりの人は何でも守りつめて居る。たとへば正其衣冠尊其膽視と聞こんでは、知なしにただそれを形から守りつめ変せぬのなり。二山弥三良なり。上下で槙をわり、居風呂に入ても畏って居、近火の時に玄関の衝立をかたつけるを、ああこれ内が見へすくと云た、と。人の虚言でもあろふが、これ行ずりの姿そ。この見処では何つ迠も隘陋て用立ぬ。弘毅か揃は子は学問の成就はならぬ。得手方にをとさぬことなり。
【解説】
「毅而不弘、則隘陋」の説明。毅而不弘の者は行いに偏り、形でする。その様な者はいつまでも隘陋で役に立たない。弘毅は二つが揃わなければならず、どちらかに偏ってはならない。
【通釈】
「毅而不弘則隘陋」。行いに偏った人は何でも守り詰めている。たとえば「正其衣冠尊其膽視」と聞き込むと、知がないのでただそれを形で守り詰め、変えることがない。それは二山弥三郎である。裃で薪を割り、内風呂に入っても畏んでいて、近火の時に玄関の衝立を片付けるのを見て、ああこれでは内が見え過ぎると言ったそうだ。これは人の虚言だろうが、それが行い吊りの姿である。この様な見処では、いつまでも隘陋で役に立たない。弘毅が揃わなければ学問の成就はできない。それは、得手の方に落さないことである。
【語釈】
・正其衣冠尊其膽視…論語堯曰2。「君子正其衣冠、尊其瞻視、儼然人望而畏之、斯不亦威而不猛乎」。
・二山弥三良…


第七十 知性善以忠信爲本条

知性善、以忠信爲本。此先立其大者。
【読み】
性の善なるを知らば、忠信を以て本と爲せ。此れ先ず其の大なる者を立つなり。
【補足】
この条は、程氏外書二にある明道の語。

この章は知行を申した章て、知性は知の惣まくり、忠信は行の惣まくりなり。先日も云、性を論するか爲学へ出たもここなり。知は性善はかりを知ることにはないはづなれとも、知の内での綱領は性善を知ると云程の大いことはない。天文暦數まで知りきわめても、此性の論になって、孟子は性善とも云、荀子は悪とも云るる。よってどちも一理あろふなととぬるけては、全体の学問は埒はない。そこで爰を分け、はきと知るが第一なり。今上總の内の学者にも、どふても悪性と云方がよいと云人があったそふな。そふ云へば中へ這入て見た吟味のあるやうなれとも、どふしてここの根ずみは覚束なし。定て論を立るによって手前の工面によいゆへと見へた。無学は格別、学問をすると云段では性善と云根を知子は学問の本をしらぬそ。刀の刄のあると鑑の照るを知たから、そこで研ぐと云ものぞ。性善と云本を知てから、学問と云、研き磨くと云こともするなり。をびたたしい致知挌物も此本からなり。
【解説】
「知性善」の説明。ここは知行の説明で、性を知るのは知、忠信は行である。知には色々なものがあるが、知性善が最も大きなこと。性善を知らないのは学問の根本を知らないのと同じである。性善を本にして学問をするのである。
【通釈】
この章は知行を話した章で、知性は知の総捲り、忠信は行の総捲りである。先日も話したが、論性が為学にあるのもこのためである。知は性善だけを知ることではない筈だが、知の中での綱領は性善を知るというほど大きいことはない。天文や暦数までを知り究めても、この性の論の場になると、孟子は性善と言い、荀子は性悪と言われる。そこで、どちらにも一理あるだろうなどと大様なことを言っていては、全体の学問は埒が明かない。そこでここを分けてはっきりと知るのが第一のことになる。今、上総の内の学者にも、どうしても性悪の方がよいと言う人がいたそうだ。そう言えば、中へ這い入ってみて吟味した様だが、実際にはここの根済みは覚束ない。多分、その様に論じるのが自分の工面によいからそう言ったのだろう。無学は論外だが、学問をする者は性善という根を知らなければ学問の根本を知らないということになる。刀の刃があるのと鏡が照るのを知ったから、そこで研ぐのである。性善という本を知ったから、学問もして、研き磨くことをするのであって、夥しい致知格物もこの本から始まるのである。
【語釈】
・性を論する…為学4の定性書を指す。

以忠信。偖、行いなり。百行と云が百か万か知れぬが、其第一の忠信と云。本を押へる行の大本は忠信なり。迂斎云、忠信でない行は謀叛人の獻上ものをするやうなもの、と。靣白きことなり。謀叛する気で獻上ものをするは、すればするほどわるい。又日比人をにくみ、あれは死でもよいと思ひながら藥呑すやうで、皆偽でする。然れば忠信てない行はやくにたたぬ。
【解説】
「以忠信爲本」の説明。行の第一は忠信である。忠信でない行は偽りであって、すればするほど悪い。
【通釈】
「以忠信」。さて、これが行である。百行と言うが、百か万かは知らないが、その第一を忠信と言う。本を押える行の大本は忠信である。迂斎が、忠信でない行は謀叛人が献上をする様なものだと言った。面白いことである。謀叛をする気で献上するのは、すればするほど悪い。また、それは日頃人を憎んで、あれは死んでもよいと思いながら薬を呑ます様で、皆偽りでする。そこで、忠信でない行は役に立たない。

此先立其大者。孟子の云はれたそ。先此二つか大なものと挙られた。江戸見物に行て御城は見すに帰て、淺艸の細小路の咄しするやふに、大者を知らぬではならぬ。世間の学者が外の人に向てはこせ々々した世話もするが、肝心の家が治らぬがある。これも大なる本を忘れたのぞ。曽点漆雕開を孔子の誉るはきめ処を知たて云。今の学者はきめ処がない。きめのないは刀に目釘のないやうで、兵法が上手でも目釘きなしの刀ては用に立ぬ。
【解説】
「此先立其大者」の説明。知性善と忠信の二つが大事である。学者は決め所を知らなくてはならない。
【通釈】
「此先立其大者」。これは孟子が言われたこと。先ずこの二つが大きなものだと挙げられた。江戸見物に行って、城は見ずに帰って浅草の細小路の話をする様なことで、大者を知らないのではいけない。世間の学者が外の人に向かっては細やかに世話もするが、肝心の家が治まらないということがある。これも大いなる本を忘れたからである。曾点や漆雕開を孔子が褒めたのは、彼等が決め所を知っていたからである。今の学者は決め所がない。決めのないのは刀に目釘のない様なもので、兵法が上手でも目釘のない刀では用が足りない。
【語釈】
・先立其大者…孟子告子章句上15。「先立乎其大者、則其小者不能奪也。此爲大人而已矣」。
・曾点漆雕開を孔子の誉る…論語公冶長6と先進25に話がある。
・目釘…刀剣の身が柄から抜けないように孔に挿す竹・銅・鉄などの釘。めぬき。


第七十一 伊川先生曰人安重の条

伊川先生曰、人安重、則學堅固。
【読み】
伊川先生曰く、人安重なれば、則ち學は堅固なり、と。
【補足】
この条は、程氏外書六にある伊川の語。これは、論語学而8を台にしている。「子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改」。

安重とあるて氣質のやふに見はわろし。性靜とは違ふて、安重はものの落付てずっしりと根のあることを云。前の性靜は生質のこと。爰は、人と云ものは安重て根にずっしりとした重みのあるてなけれはならぬと云こと。それて無ふては学も堅固てはないとなり。堅固は迂斎の、五六尺堀込だ柱のやうなものそ、と。夫れて無くては堅くない。論吾の君子不重則不威学則不固の章を説れたことぞ。すれはこれ氣質のことてはない。今の学者が知の先と云はほぼ聞及んで、安重と云ふは跡のことのやうに思ふ。それては孔子の思召に叶はぬ。根がなふては知も研かれぬ。不重学不堅て、をれもちと学問にかかって見よふかと云上づいたことてはならぬ。初から安重のずっしりてなければ堅固にならす。堅固でなけれは吾ものにならぬ。今のは水の上の淡のやうで、いつどふなろふもしれぬ。ふわ々々学問ぞ。
【解説】
性静は気質についてのことだが、この章はそうではない。安重とは落ち着きのことで、人はずっしりとした根がなければならない。今の学者は先知後行を知っていても、安重でなければならないことを知らない。安重でなければ学問は堅固なものとはならない。
【通釈】
安重とあるので気質のことを語っていると思うのは悪い。性静とは違い、安重はものが落ち着いていて、ずっしりとした根のあることを言う。前にあった性静は生質のことを言い、ここは、人というものは安重で根にずっしりとした重みがなければならないことを述べている。それでなくては学も堅固ではないと言う。堅固のことを、迂斎が五六尺堀り込んた柱の様なものだと言った。そうでなくては堅くない。この章は論語の「君子不重則不威学則不固」の章を説かれたもの。そうであるから、これは気質のことではない。今の学者が知が先であることはほぼ理解して、安重とはその後のことの様に思う。それでは孔子の思し召しに叶わない。根がなくては知も研かれない。「不重学不堅」で、俺も少し学問に取り掛かって見ようかと言う様な浮ついたことではならない。初めから安重でずっしりとしていなければ学問は堅固にならない。堅固でなければ自分のものにならない。今の学者は水上の泡の様で、いつどうなるとも知れない。それは、ふわふわ学問である。
【語釈】
・性靜…為学68の語。


第七十二 博学之審問之条

博學之、審問之、愼思之、明辨之、篤行之。五者廢其一、非學也。
【読み】
博く之を學び、審らかに之を問い、愼みて之を思い、明らかに之を辨じ、篤く之を行う。五つの者其の一つを廢せば、學に非ざるなり。
【補足】
この条は、程氏外書六にある伊川の語。これは、中庸章句20を台にしている。

此四つが知えの名ぞ。大学ては致挌と二つに云てあるか、子思はこう説た。之を々々と云ふがこちの修行文字なり。其れは先置てと初から手まわしをし、樂くをしたかるやふてはいかぬ。博学之てなけれは知は開けぬ。まつ初に博くと云のか、学問のつっかかりは知惠をみかくためにすることて、此方の胷をひらくことなれは、一切万物にある道理を知子はならぬと云が、まつ格致の幅なり。庭へ鳥か来ても、知子はあの鳥は何と云鳥やら、餌差ても来たら知りやうにと首をひ子る。此様なことは知ずともよいが、心に知れぬことと云ものはそれだけのくもり。それゆへ、少しでも知ぬことはそふしてをかぬ。博と云意はこふしたものそ。月も少し雲があると、雲だけくらい。行燈に一字書く、それだけくらい。博学は凡天地にあることか、そふか々々々とすむやうに成るが人間の明德で、知と云ものを天から得た形りぞ。それを学ふにこれほどと寸法限りはならぬ。委細は大学の啓發集中大の或問で博学のこと考見よ。
【解説】
「博學之」の説明。「博學之、審問之、愼思之、明辨之」の四つは知のこと。学問の取り掛かりは知恵を磨くことなので、「博學之」が最初となる。博学とは、天地にあることをしっかりと理解することで、それが明徳である。知は天地の姿を知ることだから際限がない。
【通釈】
この四つが知恵の名である。大学では致格と二つに言っているが、子思はこの様に説いた。之々というのがこちらの修行の文字である。それは先ずは置いておいてと初めから手回しをして、楽をしたがる様では悪い。「博学之」でなければ知は開けない。初めに博くと言っているが、学問の取り掛かりは知恵を磨くためにすることで、自分の胸を開くことなのだから、一切万物にある道理を知らなければならないというのが、先ずは格致の幅の広さから来ることなのである。庭に鳥が来てもその鳥を知らなければ、あの鳥は何と言う鳥なのだろう、餌差でも来たらわかるのにと首を捻る。この様なことは知らなくてもよいが、心が知らないことはその分だけ心の曇りとなる。それ故、少しでも知らないことがあれば、そのままにしておいてはならない。博という意味はこうしたこと。月も少し雲があると雲の分だけ暗い。行燈に一字を書けば書いた分だけ暗い。博学とは、凡そ天地にあることをしっかりと理解することで、それが人間の明徳であって、知というものを天から得た姿である。それを学ぶのに、この程度までと寸法を限ってはならない。博学の委細は、大学の啓発集や中庸大学の或問で考えて見なさい。
【語釈】
・餌差…①鷹のえさとなる小鳥を黐竿でさして捕えること。また、その人。江戸幕府では、鷹匠の部下に属した職名。②小鳥を黐竿で捕えることを業とする者。とりさし。

審問之。本んに学ぶと疑も出る。そこを審に問ふ。これは師や朋友でなる処なれとも、愼思之。是からは吾胷へのせて思ふことて、人たのみはならぬ所ぞ。管子か思之思之と云たも尤至極したこと。こふ思と開けて來る。学は思と云もので得るなり。然し、思には思ひやうあり。直方の、労咳病みの思ふは思ほどわるいと云はるる。思様が大切ぞ。只思はそでないことぞ。そこで愼て思ふと云なり。偖て其愼と云は、ただ大事にかけると云愼ではない。思ひやふに秘傳があるぞ。たとへは讀法に闕其疑と云字あり。夕べから案てもどふも知れぬと云ときは、先つ疑を闕てをけ。此の疑を欠く迠が愼思の領分の内ぞ。疑はひらく筈なれとも、思ても々々々ひらけぬに、めったと思へは癖がつく。癖のつかぬ様に思が愼で思なり。徂徠や太宰があれ程でも、疑を欠ぬから開けぬ。貝原老人愼思録の作は親切に似たれとも、ほんの愼思でなさに大疑録が出来た。古人此箇之学終身事とあれは、学問は一生の業なれは、疑を欠てをくと何処ぞでは思ひつける。
【解説】
「審問之、愼思之」の説明。「審問之」は師や朋友に問うことでも可能だが、「愼思之」は自分の心ですることで、人頼みはできない。学問は思うことによって得られるが、慎んで思うことが必要である。たとえば読法にある「闕其疑」が慎思之のことである。徂徠や太宰、貝原は愼思之でなかった。
【通釈】
「審問之」。本当に学ぶと疑いも出て来るもの。そこを審らかに問う。これは師や朋友に問うこともできるが、「慎思之」という所からは自分の胸に乗せて思うことで、人頼みはできない所である。管子が「思之思之」と言ったのも尤も至極なこと。この様に思うと開けて来る。学は思うことによって得られるのである。しかし、それには思い方がある。直方が、労咳病みが思うのは、思えば思うほど悪いと言われた。思い方が大切である。ただ思うのは悪い。そこで慎んで思うと言う。さて、その慎とは、ただ大事に懸けるという様な慎ではない。思い方に秘伝がある。たとえば読法に「闕其疑」という字がある。昨夜から案じてもどうもわからないという時は、先ず疑いを闕いておきなさい。この疑いを欠くところまでが慎思の領分の内である。疑いは解ける筈のものだが、いくら思っても解けないからといって、無闇に思えば癖が付く。癖が付かない様に思うのが慎んで思うということ。徂徠や太宰があれほど盛況でも、疑を欠かないから開けない。貝原老人が慎思録を作ったのは親切な様だが、本物の慎思ではないから後で大疑録を作った。「古人此箇之学終身事」とあり、学問は一生の業なのだから、疑を欠いておけば何処かしらで思い至ることができる。
【語釈】
・管子…管仲の敬称。
・思之思之…管子内業。「思之思之又重思之、思之而不通、鬼神將通之、非鬼神之力也、精氣之極也」。
・闕其疑…読論語孟子法。「句句而求之、晝誦而味之、中夜而思之、平其心、易其氣、闕其疑、則聖人之意可見矣」。
・太宰…太宰春台。1680~1747
・貝原老人…貝原益軒。1630~1714
・古人此箇之学終身事…為学55の語。

明弁之。知のしあけの所。紺屋で上は繪を書くやふにはっきりとしあける。弁ると云段になりては、度々首捻るやふてはならぬ。其では一生片付はないぞ。書上をするに、明弁は清書仕上けの所で首捻てはならぬ。明弁は直方の、豆腐を二つに切て、其庖丁で切り口を两方へは子て見せるやふなものと云へり。蛇の目をあくて洗ふたやふに、さっはりとすること。
【解説】
「明辨之」の説明。これは知の仕上げであり、この段階で悩んでいてはならない。はっきりと明白にする所である。
【通釈】
「明弁之」。これが知の仕上げの所。紺屋で上絵を画く様にはっきりと仕上げるのである。弁じるという段階になっては、度々首を捻る様ではいけない。それでは一生掛かってもし遂げられない。書上げをすることにたとえれば、明弁は清書仕上げの処であって、そこで首を捻っていてはならない。直方が、明弁とは豆腐を二つに切って、その庖丁で切り口を両方へ刎ねてみせる様なものだと言った。蛇の目を灰汁で洗った様に、さっぱりとなること。
【語釈】
・蛇の目をあくて洗ふたやふ…眼光のきわめて鋭いことの形容。また、物事を明白にするさま。

篤行之。四つを能しあけても行は子は、料理人か料理して、吾は喰はぬやうなもの。料理するは喰ふため。知えを磨くは行ふためそ。知の終に篤行と云があるを見よ。今も無学で人抦のよい人は学者も耻しひやうなれとも、知惠なしに行ふはたのみなし。子ともに金を持したやうで、ずいぶんと大切に持てをれども、金の大切をしらぬゆへ、つひ人形を見せると直にはなす。これ、知なしの行ひ頼にならず。又知が過ると知れたことをと世を見下し、さつとしたかる。よって篤行之と篤の字でうこかさぬそ。
【解説】
「篤行之」の説明。ここは行のことだが、知がなくて行をするのは悪い。それは子供に金を持たせる様なものである。また、知が過ぎると世間を見下す様になる。
【通釈】
「篤行之」。以上の四つをよく仕上げても、行わなければ、料理人が料理をして自分は喰わないという様なもの。料理をするのは喰うため。知恵を磨くのは行うためである。知の終わりに篤行という字があるのを見なさい。今も無学で人柄のよい人の前では、学者も自分を恥ずかしく感じることがあるが、知恵がなくて行う者は頼みとならない。子供に金を持たせた様で、随分と大切に持っているが、金の大切さを知らないから、人形を見せると直ぐに金を離す。知なしの行いは頼みにならない。また、知が過ぎると、わかり切ったことだと世を見下し、馬鹿にしたがる。よって、篤行之の篤の字で、身に引き付けて行うのである。
【語釈】
・さつと…察度。非難。

五者廢其一非学也。子思が云ても程子のこれを仰られぬと、学者が此五つを立ち賣にしたがる。江戸の市井にたち賣と云ことあり。大魚を切てうる。丸に五つ揃は子ば功はならず。学ひもせいで問ふは、問ふべきものなし。又問へばじきにすむを問ふこともせいで、思ひ好きのと得手方をやりたかる。温公を無学と云と、行ひ者は腹を立ち、罰があたろふと云ふ様に思ひ、又、知ずりは程子の尻馬にのりて温公を軽しめ、己が不行をををふ。皆此五つをたち賣にする。五つなからせよ。廢一てもやくにたたぬ。然れとも、一つばかりは苦しふもあるまいと云に、ごとくの足のかけたやふに、一つかけても土瓶かをちる。今の学者は一つ宛。えて方ばかりして居たがる。そこで道学の傳はえられぬなり。
【解説】
「五者廢其一、非學也」の説明。子思の言に程子がこの句を付け加えたので、上の五つを学者が離さず持たなければならないことが理解し易くなった。一つ欠けてもいけないのだが、今の学者は得手方だけしかしない。それで、道学の伝を得ることができないのである。
【通釈】
「五者廃其一非学也」。子思が話しても、程子がこれを仰らないと、学者がこの五つを立売りにしたがる。江戸の市井に立売りというものがある。大魚を切って売る。全てこの五つが揃わなければ功は得られない。学びもしないで問うのでは、問うべきことはない。また、問えば直ぐに済むことを問うこともせず、思い好きで得手方をやりたがる。温公を無学だと言えば、行に偏った者は腹を立てて罰が当たるだろうと思い、また、知に偏った者は程子の尻馬に乗って温公を軽んじめ、自分の不行を隠す。皆この五つを立売りにする。五つ全てを行いなさい。一つでも廃せば役には立たない。それでも一つだけなら大丈夫だろうと言えば、それは五徳の足が欠けた様なもので、一つ欠けても土瓶が落ちる。今の学者は一つだけ、得手方だけをしていたがる。それで、道学の伝が得られないのである。
【語釈】
・立ち賣…立売り。店を構えずに道路などに立って物を売ること。また、その人。
・温公…司馬光。司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086
・ごとく…五徳。炭火などの上におき、鉄瓶などをかける三脚または四脚の輪形の器具。鉄または陶器製。


第七十三 張思叔請問の条

張思叔請問、其論或太高。伊川不答。良久曰、累高必自下。
【読み】
張思叔請問せしとき、其の論に太[はなは]だ高きもの或[あ]り。伊川答えず。良[やや]久しくして曰く、高きを累[かさ]ぬるには必ず下[ひく]きよりす、と。
【補足】
この条は、程氏外書一一にある。

請問は、何のことか知子とも、少伺ひたいことかと云のなり。其論甚高は、身分不相応のことを云出したと見へた。思叔は余程の年迠も無筆で日雇などを取ていたに、代官が何かの通るを見て、ああして通るは何んてと問たに、学問して知惠があるとああして通らるると云た。そこて学ひ初た。思叔と尹彦明は伊川の晩年の弟子なり。謝揚游などこそ高ひことをも問はるへきに、張思叔の高ひことを問るは、あの人の身分には手抦なことなれとも、其れを程子か合点せぬ。あれにはこの位なれは誉るがよいとするは、子ともあしらいにするのなり。そこて竒特とはなく、爲めにならぬことは告られず。学は誰でも下地から仕上てやる。此れぎりでをけと、学問に直段付はない。後々は、思叔は文も出来た。座右の銘を作るほとのやうにもなったて見れは、ただ道心坊主のやうではなし。片貝の弥右衛門か網引の身分なれとも、石原先生や迂斎の前て一口つつは大なことを云たも、あれが手抦なり。
【解説】
「張思叔請問、其論或太高」の説明。思叔と尹彦明は、伊川の晩年の弟子である。思叔は高齢になってから学問を始めたが、後には文も上手になった。張思叔が高いことを質問したので、伊川は本人のためにならないと思って答えなかった。学問には順序があって、下地から仕上げるのである。
【通釈】
請問の内容が何かは知らないが、少し伺いたいことがあると言ったのである。「其論或太高」とあり、身分不相応なことを言い出したらしい。思叔は余程の年になるまで無筆で日雇いなどをしていたが、代官か何かが通るのを見て、ああして通るのは何でかと質問したら、学問をして知恵があるからああして通ることができるのだと言われた。そこで学び始めた。思叔と尹彦明は伊川の晩年の弟子である。謝楊游などであれば高いことを問うのは当然で、張思叔が高いことを質問したのはあの人の身分としては手柄なことだが、それを程子が合点しない。あれにはこの位であれば褒めるのがよいとするのは、子供あしらいをするのと同じである。そこで賞賛するのではなく、本人のためにならないとして、何も告げらなかった。学は誰でも下地から仕上げる。このままにして置けと言う様な、学問に値段付けはない。後々、思叔は文も上手になった。座右の銘を作るほどにもなったことで見れば、ただの道心坊主の様な者ではない。片貝の弥右衛門は漁師の身分だったが、石原先生や迂斎の前で一下り大きな話を言ったのも、彼の手柄である。
【語釈】
・請問…質問することの敬語。
・思叔…張思叔。張繹。伊川の門人で、高識をもって称せられた。
・尹彦明…尹焞[とん]。字は彦明、徳充。号は和靖処士。伊川の門人で、篤行の士として称せられた。20歳で伊川に師事。1061~1132
・謝揚游…謝上蔡、楊亀山、游定夫。
・直段…値段。
・道心坊主…①成人してのち、仏門に入った僧。②乞食坊主。③網元の従業員が漁獲物をごまかすこと。かんだら。とうすけ。隠し魚。同心棒。
・弥右衛門…布留川弥右衛門。上総八子の一人。

伊川不答。良久く答へぬによって、思叔もこれはしそこなったと氣を置たに、たばこ二ふくも吹ほど過て、御自分は高ひことを云ふか、累高必自下。凡万端を見よ。高ひと云ものは下からしたてることそ。地形をするにも一持篭の其上へ々々とすると山にもなる。子ともが將碁の駒で火の見とて建るにさへも、下から累子あけるそ。をすにをされぬことなり。虚意で高ぞれを云を、三宅先生の幽灵学問と云れた。下はないと云ふことぞ。中庸にも登高必自下。これと云も、思叔が高それを取押へて程子の云が、後来は高ぞれ拂底なり。朱子か漳州へ行たときに、御前の教で高ぞれませぬと云たを、朱子、高それは一段満足なことなれともと云はれた。直方先生は江戸俗人の利害へ這い入っている人を教るゆへ高くしこむ。三宅子は京の手前の学校てしこむゆへ、じりんから仕込む。向の相手次第て仕込方は違ふそ。今此中に高それる人のないは、夫迠の力らのないのぞ。
【解説】
「伊川不答。良久曰、累高必自下」の説明。高いことは下からの積み上げに拠る。三宅先生は、基礎のない高逸れを幽霊学問と言ったが、それは、幽霊には下がないからである。高いこと自体は悪いことではなく、積み上げのないのが悪いのである。また、学問の教え方は相手次第で変わる。直方先生は、利害の中に埋もれた俗人を教えるから高く仕込む。
【通釈】
「伊川不答」。やや暫くの間伊川が答えなかったので、思叔もこれはしくじったかと気詰まりになったが、煙草を二服ほど吹く時間が過ぎて、貴方は高いことを言っているが、「累高必自下」であると伊川が話した。凡そ万端を見なさい。高いというものは下から仕立てるもの。地形をするにも一持篭を上へ上へと積み重ねると山にもなる。子供が将棋の駒で火の見を建てるにさえ、下から累ねて積み上げる。これは押すに押されぬことである。虚意で高逸れたことを言うのを三宅先生が幽霊学問だと言われた。下はないという意味である。中庸にも「登高必自下」とある。この様に程子が言うのも、思叔の高逸れを取り押さえるためだが、後世では高逸れになる者もいない。朱子が漳州に行った時に、貴方の教えで高逸れしませんと言ったので、朱子は、高逸れれば一段と満足なことなのだがと言われた。直方先生は、江戸俗人という、利害の中に這い入っている人を教えるから高く仕込む。三宅子は京都の自分の学校で教えるから、低いところから仕込む。向こうの相手次第で仕込み方は違う。今、この中に高逸れた人がいないのは、その段階に至る力がないからである。
【語釈】
・地形…地固め。
・一持篭…地形篭?河川工事に、水の深所の水底に並べて地形としたもので、蛇籠の類。
・登高必自下…中庸章句15。「君子之道、辟如行遠必自邇、辟如登高必自卑」。


第七十四 明道先生曰人之爲学条

明道先生曰、人之爲學、忌先立標準。若循循不已、自有所至矣。
【読み】
明道先生曰く、人の學を爲す、先ず標準を立つるを忌むべし。若し循循として已まずんば、自ら至る所有らん、と。
【補足】
この条は、程氏外書一二にある。明道が邵伯温(邵康節の子、字は子文)に聞かせた話。

標準と云は志すと云とはちこふて、垩人を目あてにすると云ことのやうに似て、前に云志とは違ふ。人か出生する。此子のせいのそだたぬ様にと思ふものはない。一時も早ふ大ふなれかしと人々思ふか、標準を立るを忌むとは、小僧これへこいとて、一と月にはいくたびも障子にくらべて見、柱にきざを付て物さして尺とる様に、急にすることを学問には忌む。藥を呑むにも、夕あの加減の藥かまだしれぬの、地黄を一と口呑むどふかと考へ、虫藥一粒のみて、そりゃ雷鳴するはと云。せい急ではいかぬ。学問はとかく此方を止めずにせよ。循々不已自有所至矣。この出処は顔子の夫子循々然誘人。孔子に手を誘れて、足元を見て顔子はそろ々々已めずに行れたて、自然と至処へ行つめられたぞ。
【解説】
標準とは、志とは違って、聖人を目標とすることではない。標準を設けて性急に結果を求めてはならない。学問は已まずに行うことであって、これで顔子は道を得ることができたのである。
【通釈】
「標準」とは志すということとは違う。それは聖人を目当てにするのに似てはいるが、前に言う聖人を志すこととは違うのである。人が出生すれば、この子が背が伸びない様にと思う者はいない。少しでも早く大きくなれと人々は思うが、標準を立てるのを忌むとは、小僧、ここに来いと言って一月に何度も障子に比べて見、柱に刻みを付けて物差しで丈を測る様なことを忌むことで、急にすることを学問は忌むのである。薬を呑むにも、昨夜調合した薬がまだ効かないとか、地黄を一口呑んだらどうだろうとかと考え、虫薬を一粒飲んだのですぐに腹が雷鳴するぞと言うが、性急ではいけない。学問とは、とかく自分が已まずに行うことである。「循々不已自有所至矣」。この出処は顔子の「夫子循々然善誘人」である。孔子に手を引かれ、足元を見ながら顔子はゆっくりと已まずに行かれたので、自然と至るべき処に行き詰めることができたのである。
【語釈】
・夫子循々然誘人…論語子罕10。喟然の章。「夫子循々然善誘人」。


第七十五 尹彦明見伊川条

尹彦明見伊川後、半年方得大學西銘看。
【読み】
尹彦明、伊川に見[まみ]えし後、半年にして方[はじ]めて大學西銘を得て看る。
【補足】
この条は、程氏外書一二にある。

爰らの味ひは當時の学者などのゆめにも知ぬこと。伊川の晩年に彦明と思叔とか幷んで若ひ弟子で有った。思叔は知ずり、尹彦明は行ひずり。两人ながら程子の意をすっはりと得られた、若ひ内の手抦たちなり。入門して半年程は何もせずに只伊川の側に居たは、是か伊川の伊川たる、尹氏の々々たる所でこふ有たぞ。某が所に半年も若ひものが來てただ居たら、大がいわるくなろふ。貴様は伊川へ行て何をすると問ふに、只側に居るのみとでは、はて、費へらしいか、是て大ふもふかったそふなり。半年程、只様子を伺ふてのみ居たに、半年程過て、あの薄ひ一冊ものの大学と西銘を當てがわれた。
【解説】
尹彦明は入門して半年は何もしないでただ伊川の側にいた。その間に大抵の者は悪くなるものだが、尹彦明には得るところがあった。半年過ぎて大学と西銘を与えられた。
【通釈】
ここの味わいは今の学者などは夢にも知らないこと。伊川の晩年に、彦明と思叔とが並んで若い弟子となっていた。張思叔は知に偏り、尹彦明は行に偏るが、両人共に程子の意をすっかりと得られた者で、若い弟子の中での手柄となる者達である。入門して半年ほどは何もしないでただ伊川の側にいたが、これが伊川の伊川たる所、尹氏の尹氏たる所でそうしたのである。私の所に半年も若い者が来てただいたら、大概は悪くなるだろう。貴方は伊川の所へ行って何をしているのかと問えば、ただ側にいるだけと言うのでは、それは無駄なことの様に思えるが、これで大分儲かったそうである。尹彦明は半年ほどただ様子を伺っていただけだが、半年ほど過ぎて、あの薄い一冊の大学と西銘を宛がわれた。
【語釈】
・彦明…尹彦明。尹焞[とん]。字は彦明、徳充。号は和靖処士。伊川の門人で、篤行の士として称せられた。20歳で伊川に師事。1061~1132
・思叔…張思叔。張繹。伊川の門人で、高識をもって称せられた。
・西銘…張横渠著。元の名は「訂頑」。為学89がそれである。

西銘は美濃紙一牧にも書るるほどのもの。これを看よと云はれた。只今こそ西銘なれとも、程大中の表弟なれは、異姓のいとこをじなり。現にその人の作た昨日や今日のものを看せられた。此師あれば此弟子ありで、こふした師の処へはこふした弟子かありて、打ってつけたやふなり。
【解説】
この師あればこの弟子ありで、優れた師には優れた弟子が必ずいるもので、程子には張横渠や尹彦明という弟子がいた。
【通釈】
西銘は美濃紙一枚にも書き切れるほどのもので、これを看なさいと言われた。今でこそ西銘と言うが、程大中の表弟で異姓の従弟叔父が張横渠であり、実際にその人が昨日や今日書いたものを看せられたのである。この師あればこの弟子ありで、こうした師の処にはこうした弟子が、しっかりといるものである。
【語釈】
・美濃紙…美濃国(岐阜県)から産出する楮製和紙の総称。紙質は強く、文書の写し、書状の包み、障子紙などに適する。判は半紙より大。特に書院紙・天具帖・森下紙などが有名。みの。
・表弟…
・程大中…

学問には意味氣象と云ものの、そこに入る入ぬあり。迂斎の、越後屋や冨山で利口な若者で働ある商人なり。されともそれを大名の近習に出してはとふも一日も勤るまい、と。面白ことなり。趣と云ものありて、世間では一疋と云るる學者でも、此方へ来ると役に立ぬ。物には篭馴れるとなれぬのが有り、徂徠や仁斎か博物達才ても、近思録には篭なれぬ。伊川の処へ尹彦明が行きても、何もかも違ふてさても々々々思ひたれとも、どふも篭馴れなんたが、半年で篭なれたなり。さあ伊川を得たと云日には、又以心傳心のあることと云は、挙業や儒官の仕むけでない。西銘と大学をあてがわれた。上總などて今英才と云ものも無れとも、吾黨の学筋に篭馴れていれば、そろ々々行かりゃうそ。從姪狂次郎か英才てはあれとも今迠の学筋の違ふでどふも未だ篭馴れぬ処あるゆへ、去秋などの逗留に益はない筈ぞ。
【解説】
ものには馴れることが必要な時がある。学者も学筋が色々とあるから、徂徠や仁斎の様な博物達才でも、近思録に馴れないから役に立たない。尹彦明は半年を掛けて伊川に馴れたので、大学と西銘を授けられた。
【通釈】
学問には意味気象というものが要る場合と要らない場合がある。迂斎が、越後屋や富山に利口で働きものの若い商人がいるが、それを大名の近習に出してはどうも一日も勤まらないだろうと言った。面白い話である。趣というものがあって、世間では一角の人物と言われる学者でも、こちらに来ると役に立たない。ものには篭馴れるということと、篭馴れないということがある。徂徠や仁斎が博物達才であっても、近思録には篭馴れない。伊川の処へ尹彦明が行っても、何もかも違っていて、全く困ったことだと思い、どうも篭馴れなかったが、半年で篭馴れた。さあ、伊川を理解したと言う日にはまた以心伝心ということがあるが、それは挙業や儒官にならせることではない。西銘と大学を宛がわれた。上総などで今英才と言われる者もいないが、我が党の学筋に篭馴れていれば、ゆっくりと行くことができるだろう。従姪の狂次郎は英才だが、今まで学筋が違うので未だ篭馴れない処がある。それで、去秋などに逗留して講義を聴いても益はない筈である。
【語釈】
・仁斎…伊藤仁斎。江戸前期の儒学者。名は維楨。通称、源佐。京都の人。初め朱子学を修め、のち古学を京都堀川の塾(古義堂)に教授。門弟三千。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。諡して古学先生。1627~1705
・從姪狂次郎…鈴木狂二郎。江戸の人。黙斎の従姪。


第七十六 有人説無心条

有人説無心。伊川曰、無心便不是。只當云無私心。
【読み】
人有りて無心を説く。伊川曰く、無心は便ち是ならず。只當に私心無しと云うべし、と。
【補足】
この条は、程氏外書一二にある。

迂斎の、心を持ちあつかった人が云たこと、と。人間は心てこそ人なるに、無念無想かよいと云は、道樂な子を持て子はないがよいと云、自火を出して火は偖々わるいものと云やふに、人は心に油断がならぬ。無念無想にするかよいと云は、断食の、無言のと云異端になるによって、無心便不是只當云無私心。理なりなことは平かなもの。こなたは心をすてたがるか、私かある故なり。私心さへなけれは太極の本然なりぞ。一噦を悪んで食を廢すと云。むせるて腹を立て、もふ食は喰はぬと云。奉公人か二度欠落する。いや、家来は無いかよいと云ふか、そふない様、欠落せぬやふなをつかへはよし。
【解説】
心があっての人なのだから、無心ではなく、心に油断がない様にすることが重要である。私心がなければ太極の本然の姿となる。理の通りにすれば過ちはない。
【通釈】
迂斎が、心を持て余した人の言ったことだと言った。人間は心があるからこそ人なのに、無念無想がよいと言うのは、道楽な子を持って子はない方がよいと言い、自分の所で火を出して火は本当に悪いものだと言う様なもので、人は心に油断をしてはならないのである。無念無想にするのがよいと言うのは、断食とか無言とかと言う異端になってしまうから、「無心便不是只當云無私心」である。理の通りのことは平らなもの。貴方は心を捨てたがるが、それは私があるからである。私心さえなければ太極の本然の姿となる。一噦を悪んで食を廃すと言う。むせるのに腹を立て、もう食事はしないと言う。奉公人が二度欠落すると、もう家来はない方がよいと言うが、そうならない様に、欠落しなそうな者を使えばよい。
【語釈】
・持ちあつかった…取扱いに困る。もてあます。
・噦…しゃっくり。
・欠落…江戸時代、庶民が他郷へ逃げ失せること。今の法律用語の「失踪」と同意に用いた。走り。逐電。出奔。


第七十七 謝顕道見伊川条

謝顯道見伊川。伊川曰、近日、事如何。對曰、天下何思何慮。伊川曰、是則是有此理、賢卻發得太早在。伊川直是會鍛錬得人。説了、又道、恰好著工夫也。
【読み】
謝顯道伊川に見[まみ]ゆ。伊川曰く、近日、事如何、と。對えて曰く、天下何をか思い何をか慮らん、と。伊川曰く、是れ則ち是れ此の理有るも、賢は卻って發っし得て太[はなは]だ早し、と。伊川は直[ただ]是れ人を鍛錬し得るを會す。説き了わり、又道[い]う、恰好に工夫を著[つ]けよ、と。
【補足】
この条は、程氏外書一二にある。

上蔡は程門でのきれものなり。手前の方でみかき上けて、さっさと進むが此人ぞ。何でも来る度々に一つ宛[ずつ]仕上けて来るやうな人て、大ふはつみのある人なり。今の学者は書會に出席せぬと多くはあとへもどるか、上蔡は来ぬ内に甚だはけんで出合度々に上りのみゆる、はつみのよい人なり。近日事如何。是はいつも我に一つもって居る人でなければ何のことかしれ子とも、近日の事と云字は云手でわかる意味あることなり。商人の方なとにあることで、米やに此ころはと云ふと、直に相塲ことと知る。魚屋に一两日はと云、しけともあるとも云そ。爰は学者同士で学問の啇量ぞ。はつみのある上蔡故、声のかけやうもちごう。
【解説】
「謝顯道見伊川。伊川曰、近日、事如何」の説明。上蔡は勢いのある人で、会う度に上達振りがわかる人だった。事如何とは、わかる人にはわかる言い方で、ここは学者同士の話なので、学問の商量のことを指す。
【通釈】
上蔡は程門の中の切れ者である。自分の方で磨き上げて、さっさと進むのがこの人である。何でも来る度々に、それを一つずつ仕上げる様な人で、大分弾みのある人である。今の学者の多くは、書会に出席しないと後ろに戻ってしまうが、上蔡は書会に行く前に甚だ励むので、出会う度々に上達振りがわかる、弾みのよい人である。「近日事如何」。これはいつも自分に一物を持っている人でなければ何のことなのはかわからないが、近日の事という字は話し手でその内容がわかる、意味のあるものである。これは商人の方などにあることで、米屋にこの頃はどうかと言うと、直ぐに相場ことだと知る。魚屋に一両日はどうかと言うと、時化なのでないとか、魚はあるなどと答える。ここは学者同士のことなので、学問を商量すること。弾みのある上蔡だから、声の掛け方も違う。
【語釈】
・上蔡…謝顕道。
・啇量…あれこれとはかり考えること。

對曰天下何思何慮。かのはつみがあるから先きへ云ふた。これは易の朋從爾思と云処から云たことぞ。あちこちあてて見ては自然の感がないから、氣に入たもの計りをよいとすることなり。博奕打同士はよい人とも云ふか、脇からは不届なとをもふ。だたい天下に二理なして道理なりにすることなれは、火の焼け水の流れる様にすらすら當然にすることに何をか思、何慮んと云。思慮安排はない筈と云こと。
【解説】
「對曰、天下何思何慮」の説明。上蔡は易を引用して、思慮せず、天理に従うことを事にしていると伊川に答えた。
【通釈】
「對曰天下何思何慮」。弾みがあるから高いことを言った。これは易の「朋従爾思」の処から引用したもので、朋従爾思とは、あちこち当てて見るのは自然の感でないから、気に入ったものだけをよいと思うことを言う。博奕打同士ではよい人とも言うが、脇の人は不届な者だと思う。上蔡は、そもそも天下に二理はなく、道理の通りにするのが学問だから、火が焼け、水が流れる様にすらすらと当然にするのであって、何を思い何を慮ろうかと答えたのである。思慮按排をすることはない筈だということ。
【語釈】
・天下何思何慮…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往来、朋従爾思。子曰、天下何思何慮」。
・易の朋從爾思…易経咸卦。澤山咸。艮下兌上。九四。「九四。貞吉悔亡。憧憧往来、朋従爾思」。心が定まらなければ、自分に従うのは同類だけになるということ。

伊川曰是則是有此理と呵りもせぬ。太早在。こなたのことには未たそれは早ひと。淺見先生の、あれこれやとしてあたるよりはずっとして仕そこなふたが心持がよいと云れたと、若林門人の録に云てある。上蔡より淺見の学問がよいとも定められぬが、上蔡はこれが得手で云、浅見のあの威重沈思の実地からこふ云れたは、浅見子のは各別なり。たま々々思ひ出したるゆへ云ふ。
【解説】
「伊川曰、是則是有此理、賢卻發得太早在」の説明。上蔡の返答に対して、伊川は「太早在」と諭す。浅見絅斎は、色々とあたるよりはじっとしていて失敗するほうがよいと言った。上蔡の言は自分の得手方から、浅見は実地から言ったものである。
【通釈】
「伊川曰是則是有此理」と言って、伊川は叱りはしなかった。「太早在」。貴方にそれは早過ぎることだと言った。浅見先生が、あれやこれやとあたるよりは、じっとして仕損なった方が心持ちがよいと言われたと、若林門人の録にある。上蔡より浅見の学問がよいとも決められないが、上蔡は自分の得手の方から言い、浅見はあの威重沈思の実地からこの様に言われたのであって、浅見子の話は格別である。偶々思い出したから、ここで話した。
【語釈】
・若林門人…若林強斎の門人。

伊川直是會鍛錬得人。是から上蔡が云たことで、ああ吾が師は人を取立るか上手であった、と。鍛錬は鍛治のものをうちきたへこしらひあげるやふに、庖丁は々々、小刀は々々と、それ々々によふしたてられた。會は上手であったと云ことなり。をのしには太早ひと、それで頭まを押へてしまふたてはない。跡の咄しが面白ひ。又道恰好著工夫也。此方はこなた相応の工夫かあるそ。其れをせよと云はれた、と。定てそれに付てはたんてき何々をせよとも云たならんか、上蔡は長ひ記録が嫌であるゆへ、恰好に着る手段の委曲は傳らず。
【解説】
「伊川直是會鍛錬得人。説了、又道、恰好著工夫也」の説明。伊川は弟子の力量に応じて仕立てるのが上手だった。上蔡にも具体的な助言をしただろうが、上蔡は長い記録を残さない人だったので、その詳細は伝わっていない。
【通釈】
「伊川直是会鍛錬得人」。これからが上蔡の言ったことで、私の師は人を取り立てるのが上手だったと言う。「鍛錬」とは、鍛冶がものを打ち鍛えて拵え上げる様なことで、庖丁は庖丁、小刀は小刀と、それぞれによく仕立てられた。「会」は上手だったということ。お前には甚だ早いと言ったが、それで頭を押さえてしまったのではない。後の話が面白い。「又道恰好著工夫也」。貴方には貴方相応の工夫があるからそれをしなさいと言われた。多分それについては具体的に何々をしなさいと言ったのかも知れないが、上蔡は長い記録が嫌いだから、恰好にする手段の委曲は今に伝わっていない。
【語釈】
・恰好…具合よく。無理なく。
・委曲…くわしくこまかなこと。つまびらかなこと。また、事柄のこまかな点。


第七十八 謝顕道云昔伯淳の条

謝顯道云、昔伯淳教誨。只管著他言語。伯淳曰、與賢説話、卻似扶醉漢。救得一邊、倒了一邊。只怕人執著一邊。
【読み】
謝顯道云う、昔伯淳教誨す。只他[かれ]の言語に管著[かんちゃく]す。伯淳曰く、賢と説話するに、卻って醉漢を扶くるに似たり。一邊を救い得れば、一邊に倒れ了わる。只人の一邊に執著するを怕[おそ]る、と。
【補足】
この条は、程氏外書一二にある。

上蔡も宋朝の風で、禪のかふれもありて高ひことを云て知者のやうなれとも、実は行ひ者なり。このことを一つ合点せふには、孟子浩然の章に子夏のことを北宮黝は似子夏とある。子夏は文学とあれば知ずりのやうに思ふなれとも、一々孔子を手本にして、行ひ者なり。其注にも篤信垩人とありて、手前の見とりは出さず、孔子次第と垩人をたのんでいたぞ。上蔡は子夏とはちごふやうなれとも、やはりそれて、伯淳の教なりについていた。是はよいとほめそふなものなれとも、又叱った。今の弟子をとりたてやうとは違ふそ。
【解説】
「謝顯道云、昔伯淳教誨。只管著他言語」の説明。上蔡は禅の被れもあって知に偏った者に思えるが、実は行の人である。子夏が孔子の教えに従ったのと同じで、上蔡は伯淳の教えの通りに従った。それでも明道は上蔡を叱った。
【通釈】
上蔡も宋朝の風があり、禅の被れもあって高いことを言うので知者の様だが、実は行いの者である。このことを一つ理解するためには、孟子浩然の章に子夏のことを「北宮黝似子夏」とあるのを見なさい。子夏は文学に優れるとあれば知に偏った様に思うが、一々孔子を手本にした、行いの者である。その注にも「篤信聖人」とあって、自分の考えは出さず、孔子の通りをして聖人を信じていたのである。上蔡は子夏とは違う様だがやはり同じで、伯淳の教えの通りに従った。これはよいことだと褒められそうなものだが、また叱られた。それは、今の弟子を取り立てる仕方などとは違う。
【語釈】
・北宮黝は似子夏…孟子公孫丑章句上2。浩然の章。「孟施舎似曾子。北宮黝似子夏」。
・篤信垩人…孟子公孫丑章句上2集註。「子夏篤信聖人、曾子反求諸己」。
・伯淳…程明道。

似扶酔漢。漢は人と云ことぞ。氣違を風顚漢などと云に同じ。こなたと咄しするは生醉の手を引くやうに、をれかをす方へ倒るる。其れでは、学問は上からぬぞ。道理と云ものは一偏に云こともある者ぞ。をれが知惠のはなしをすれば知の方へ向くか、知と云たとて行をすてることではなし。又行と云ても、知はもとよりのことなり。
【解説】
「伯淳曰、與賢説話、卻似扶醉漢」の説明。酔漢の様に人に支えられていてはいけない。師の言うままに従っていたのでは、学問は上達しない。
【通釈】
「似扶酔漢」。漢とは人のこと。気違いを瘋癲漢などと言うのと同じ。貴方と話をするのは生酔い者の手を引く様で、俺が押す方に倒れる。それでは学問は上達しない。道理というものは一方を専らに言うこともある。俺が知恵の話をすれば知の方へ向くが、知と言っても行を捨てることではない。また、行と言っても、知は本よりある。
【語釈】
・風顚…瘋癲。精神状態が正常でないこと。また、そういう人。癲狂。

執著一邊はわるいぞ。其れては、学問はあからぬものなりと云へり。某などは幼年から爰の所は知てをる故に、某など程温公を無学と云ものもないが、其かわりに温公のよい処を能く知て云にも、某程云者はあるまい。近来の議論ともにて知へし。兎角一偏ではいかぬことぞ。温公を難有がる、渾厚の人、中々温公誠の地位いかほどと知らず。又吾黨の学者は温公を何でもない者の様に思ふ。みな一邊ぞ。医者も方組に癖かあると、的當の藥ても又あれか久し人参剤かと云はれる。程子なとは、手前の氣に入た通りに附て来るなれはよい弟子と氣に入りそふな者を、学問は一偏ではならぬこととしかられたぞ。
【解説】
「救得一邊、倒了一邊。只怕人執著一邊」の説明。学問は一方だけではならない。黙斎は温公の悪いところもよいところも両方知っていると言う。医者も癖があると、たとえ良薬であっても患者は信用しない。偏ってはならないと、上蔡を明道は叱った。
【通釈】
「執著一辺」は悪いこと。それでは学問は上達しないと言った。私などは幼年からここの処を知っていたから、私ほど温公を無学だと言う者もいないが、その代わりに温公のよい処をよく知ていて、私ほどよく言う者もいないだろう。近来の議論と併せて理解しなさい。とかく一方だけではならない。温公を有難がって渾厚な人だと人は言うが、温公の誠の地位がどの程度かは中々わかっていない。また、我が党の学者は温公を何でもない者の様に思うが、皆偏りである。医者も処方に癖があると、的を得た薬でも、またあれはいつもの人参剤かと言われる。程子などは、自分の気に入った通りに付いて来るのならよい弟子だと気に入りそうな者に対して、学問は偏っては悪いと叱られたのである。
【語釈】
・温公…司馬光。
・方組…薬の調合法。処方。また、処方箋。
・久し…ありふれている。相変らずである。きまり文句である。馴染みである。