第八十九 西銘  九月二十六日  纖邸文録
【語釈】
・九月二十六日…寛政2年庚戌(1790年)9月26日。
・纖邸文…林潜斎。花沢文二。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

横渠先生作訂頑曰、乾稱父、坤稱母。予茲藐焉、乃混然中處。故天地之塞、吾其體、天地之帥、吾其性。民吾同胞、物吾與也。大君者、吾父母宗子、其大臣、宗子之家相也。尊高年、所以長其長、慈孤弱、所以幼其幼。聖其合德、賢其秀也。凡天下疲癃殘疾、惸獨鰥寡、皆吾兄弟之顚連而無告者也。于時保之、子之翼也。樂且不憂、純乎孝者也。違曰悖德、害仁曰賊。濟惡者不才、其踐形、惟肖者也。知化則善述其事、窮神則善繼其志。不愧屋漏爲無忝、存心養性爲匪懈。惡旨酒、崇伯子之顧養。育英才、潁封人之錫類。不弛勞而厎豫、舜其功也。無所逃而待烹、申生其恭也。體其受而歸全者、參乎。勇於從而順令者、伯奇也。富貴福澤、将厚吾之生也。貧賤憂戚、庸玉女於成也。存吾順事、沒吾寧也。
【読み】
横渠先生訂頑を作りて曰く、乾を父と稱し、坤を母と稱す。予[われ]茲[ここ]に藐焉[びょうえん]たる、乃ち混然として中處するなり。故に天地の塞は、吾が其の體にして、天地の帥は、吾が其の性なり。民は吾が同胞にして、物は吾が與[ともがら]なり。大君とは、吾が父母の宗子にして、其の大臣は、宗子の家相なり。高年を尊ぶは、其の長を長とする所以にして、孤弱を慈しむは、其の幼を幼とする所以なり。聖は其の德を合わせたるものにして、賢は其の秀れしものなり。凡そ天下の疲癃殘疾[ひりゅうざんしつ]、惸獨鰥寡[けいどくかんか]は、皆吾が兄弟の顚連[てんれん]して告ぐる無き者なり。時に于[おい]て之を保[やすん]ずるは、子の翼[つつしみ]なり。樂しみ且つ憂えざるは、孝に純[もっぱ]らなる者なり。違うを德に悖ると曰い、仁を害するを賊と曰う。惡を濟[な]す者は不才にして、其の形を踐むは、惟れ肖者[しょうしゃ]なり。化を知れば則ち善く其の事を述べ、神を窮むれば則ち善く其の志を繼ぐ。屋漏に愧じざるを忝[はずかし]むる無しと爲し、心を存し性を養うを懈らずと爲す。旨酒を惡むは、崇伯の子の養を顧るなり。英才を育つるは、潁[えい]の封人の類に錫[あた]えるなり。勞を弛めずして豫[よろこび]を厎[いた]すは、舜の其の功なり。逃るる所無くして烹らるるを待つは、申生の其の恭なり。其の受けしを體して全きを歸すは、參か。從うに勇みて令に順う者は、伯奇なり。富貴福澤は、将[もっ]て吾の生を厚くす。貧賤憂戚は、庸[もっ]て女[なんじ]を成に玉にす。存するときは吾順いて事え、沒するときは吾寧し、と。
【補足】
これは、西銘の全文である。

講前先生曰、西銘は太極圖説より却て讀かたし。とくと讀めは、本文も三席ならてはくわしく説かれぬ。今日一席にするゆへ、先つ略く讀で置ふ。ほんの吟味は朱解でなけれはつまらぬ。
【解説】
西銘は太極図説よりも読み難い。朱解でなければ理解し難い。
【通釈】
講義の前に先生が、西銘は太極図説より却って理解し難いと言った。しっかりと読むには、この本文も三回講義しなくては詳しく説くことはできない。今日はその一回目とするから、先ず概略を読んでおこう。本当の吟味は朱解でなければ達することができない。
【語釈】
・太極圖説…道体1。周廉渓作。
・朱解…朱子による西銘の解説。

孔子は一生仁の建立を示し玉ひ、孟子は其仁をそへて説き、義と一とつたたりて仁へやる。これを孟子の手段と云。其孔孟の上へ云ぬいたが横渠なり。子思中庸の未発を説かるるを、堯舜も艸葉の影で喜で有ふと先輩云るるか、西銘も孔孟の御褒美ありて、艸葉の影で横渠を、そちで仁の体段が具ったと喜ぶべし。偖、学問の仁と云に留るは、仁は天地生物之心、生かないと天地も滅却する。そこで人も仁の建立せ子ば人道が滅却する。ここか学問の落着の所なり。仁は脉で、ここへ抱ら子ば、丁と病人に役に立ぬ手段の療治するやふなものて、脉かわるくてはよしや髪月代しても、平食て居ても、医者の方ては病人にする。学者も不仁の氷がはって外むきはよくても病人なり。そこを張子の療治せらるるか、孔孟の上を發明して張子一生の手抦なり。周子の太極の圖て天の方が片がつき、横渠の西の銘ては人の方のかたを付けり。そこで太極圖説は天の方ゆへ道体へのせ、西銘は人の方ゆへ爲学へのせり。是か二子の道統の傳の大切と知へし。
【解説】
「横渠先生作訂頑曰」の説明。孔子は仁を建立し、孟子はその仁を、義によって説いた。横渠も西銘で仁を説いた。仁は天地万物の心であり、人が仁を建立しなければ、人道は滅却する。よって、学問は仁の筋で行わなければならない。太極図は天を語るから道体に載せるが、西銘は人を語るから為学に載せてある。
【通釈】
孔子は一生涯、仁の建立を示された。孟子はその仁に義を添えて説き、義を強調して仁を語った。それを孟子の手段と言う。その孔孟の上を言い抜いたのが横渠である。子思が中庸の未発を語ったので、堯舜も草葉の陰で喜んでいるだろうと先輩が言われたが、西銘にも孔孟の褒美があって、草葉の陰で横渠を、お前によって仁を体する方法が具わったと喜んでいる筈である。さて、学問が仁に留まると言うのは、仁は天地生物の心であって、生がないと天地も滅却するが、同様に人も仁の建立をしなければ、人道が滅却するからである。ここが学問の落ち着き所である。仁は脈で、ここへ至らなければ、丁度病人に役に立たない手段の療治をする様なもので、脉が悪くては、いくら髪月代をしていても平食でいても、医者の方では病人と見なす。学者も不仁の氷が張っていては、外向きはよくても病人である。そこを張子が療治されたのが、孔孟の上を発明したことで、張子一生の手柄である。周子の太極図で天の方が片付いて、横渠の西銘では人の方が片付く。そこで太極図説は天の方だから道体へ載せ、西銘は人の方だから為学へ載せた。これが二子の道統の伝の大切なところだと知りなさい。
【語釈】
・中庸の未発…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。
・仁は天地生物之心…中庸章句20。「仁者、天地生物之心、而人得以生者、所謂元者善之長也」。
・髪月代…髪を結い、さかやきを剃ること。また、その結い方、剃りぐあい。剃梳。

さて、仁の建立と云はどふなれば、だたい人に仁のないものなけれとも、その仁を肉身と云人欲がみんなにするからのこと。流るる筈の水も氷て流れぬ。人は仁の筈なれとも、人欲の氷て流行せぬ。其氷は如何やふの姿なれは、頑と云字なり。因て、頑の吟味をつめ子ばならぬ。そこか西の銘の肝要の処なり。舜の父を頑と云。瞽叟か、あの垩人を子に持て殺そふとする大悪人なり。それからして、人が瞽叟のやふなものはかりを頑と云ふと思ふか、あれは希なこと。丁ど垩人の少ひやふに、瞽叟のやふな悪人も少ひ。然るに今日の人か瞽叟はかり頑と思ひ、我は頑でないと思ふは大きな了簡違にて、凡夫はすべて頑なり。垩賢に至らぬ内は頑と思へ。人か手前の身勝手して、我肉身へは大ふ親切なれとも、人へはいかな出ぬ。よく々々なことて、指のさきに少しささくれか出来ても娘を呼んでこれ見て呉よと云か、人の身のことは瘭疽をもよい加減に思ひ、吾ささくれほとに思はぬ。子を殺ふとする瞽叟がやふではなけれとも、頑の首ぬけは凡夫はならぬ。
【解説】
人は誰でも仁を持っているが、その仁を人欲が台無しにする。それは水における氷の状態であり、人欲が仁の流行を妨げるのである。そして、その氷が頑である。瞽瞍は大悪人だが、聖人が少ないのと同じで、大悪人も少ない。頑とは瞽瞍のみではなく、聖賢に至らない者全てに対して言う。人は自分の身は大切にするが、他人にはそれほどでもない。
【通釈】
さて、仁の建立を何故するのかと言うと、そもそも人であれば仁を持たない者はいない筈だが、その仁を肉身という人欲が台無しにするからである。流れる筈の水も氷になれば流れない。人は仁な筈だが、人欲の氷で流行しない。その氷はどの様な姿なのかと言うと、頑という字である。よって、頑の吟味を詰めなければならない。そこが西銘の肝要な処である。舜の父を頑と言う。瞽瞍は聖人を子に持ちながら、それを殺そうとした大悪人である。それで人が瞽瞍の様な者ばかりを頑と言うのだと思うが、瞽瞍の様な者は希である。丁度聖人が少ない様に、瞽瞍の様な悪人も少ない。そこで、今日の人が瞽瞍のみを頑と思い、自分は頑でないと思うのは大きな了簡違いであって、凡夫は全て頑である。聖賢に至らない内は頑だと思いなさい。人が自分勝手をして、自分の肉身には大分親切にするが、人へは中々親切が出ない。それはよくよくなことで、指の先に少しささくれができても娘を呼んでこれを見てくれと言うが、人の身に対しては、瘭疽をも軽く思い、自分のささくれほどにも思わない。それは子を殺そうとする瞽瞍の様ではないが、頑からの首抜けは凡夫はできないのである。
【語釈】
・瞽叟…舜の父。万章章句上2に、舜の異母弟である象と瞽瞍が舜を殺そうとした記載がある。
・瘭疽[ひょうそ]…手指・足指の化膿性炎症。疼痛が甚だしく、深部に進行して骨に波及する傾向がつよく、しばしば壊疽を来す。

偖、仁の邪魔をする頑をたたすか訂なり。隅からすみ迠吟味するを云て、医の脉を取り按服して病を尋るやふに、今日学者もここか頑々と訂すへし。頑の字か胸へ來るなれは西銘の効あり。頑と云もの世の中に有ふと、遠くの火事のやふに思て居てはやくにたたぬ。又此頑の字を見て赤面する程でなけれは、実に効はない。皆人か石瓦のやふてひひかぬ。あの鐘や太鼓も破れかあると、打ても響かぬ。其吟味を訂頑と云。
【解説】
頑を正すのが訂である。訂頑を親身になって思わなければ実効はない。
【通釈】
さて、仁の邪魔をする頑を訂すのが訂である。隅々まで吟味することを言い、医者が脈を取り按服をして病を尋る様に、今日の学者もここが頑々と訂さなければならない。頑の字が胸へ来るのであれば、西銘の効がある。頑というものが世の中にはあるのだろうなどと、遠くの火事の様に思っていては役に立たない。またこの頑の字を見て赤面するほどでなければ、実の効はない。人が皆石瓦の様でいては響かない。あの鐘や太鼓も破れがあると、打っても響かない。その吟味を訂頑と言う。
【語釈】
・按服…腹をもみさする按摩術。

乾稱父坤稱母。ここの発語がいやと云はれぬこと。人間の有難さには、親の太切と云こと知らぬものなし。夫婦の愚も與り知て父母の大切を知ゆへ、相応に親切をする。不孝ものか不孝すれとも、心中でははつ々々と思てする。親を大切と云は生へぬきにてすりきれぬもの。そこて親を大切にするを、ここの蹈臺にして、乾を父、坤を母と示せり。さて、天の子じゃと示さるるか西の銘の妙旨なり。直方先生、肉身の親を取付きにすると云るる。天地の子と思ふと世界か一つになる。そこに氷がはると一つにならぬなり。看よ、氷さへ解ると一靣の水になる。乾坤を父母と見て、天は父、地は母と思へは、初て仁の方へまいる。そこが手段なり。ここを天地と書れずに乾坤と書れたか親切にて、天地と云ふと形になる。
【解説】
「乾稱父、坤稱母」の説明。人は誰でも親が大切なことを知っている。それは生まれ付きのもので擦り切れることはない。そこで、横渠は親を大切にすることを踏み台にして、乾称父坤称母と書き出した。人が天地の子だと思えば世界が一つになり、それが仁の始まりとなる。ここで、天地ではなく乾坤と言ったのは、天地と言うと形になるからである。
【通釈】
「乾稱父坤稱母」。この言い出しが否定できないこと。有難いことに人間には、親は大切だということを知らない者はいない。卑しい者でもこれをあずかり知ることができるから、父母の大切なことを知っていて、相応に親切をする。不孝者が不孝をしても、心中では悪いと思いながらする。親が大切だということは、生まれ付きのことで、擦り切れてしまわないもの。そこで、親を大切にすることを踏み台にして、乾を父、坤を母と示した。人は天の子だと示されたのが西銘の妙旨である。直方先生が、肉身の親を取り次ぎにすると言われた。天地の子と思うと世界が一つになる。そこに氷が張ると一つにならない。看なさい。氷さえ解ければ一面が水になる。乾坤を父母と見なして、天は父、地は母と思えば、それで初めて仁の方へ行く。これが仁に至る手段である。ここを天地とはせずに乾坤と書かれたのが親切なことで、天地と言えば形となる。
【語釈】
・乾稱父坤稱母…易経説卦伝10。「乾天也、故稱乎父。坤地也、故稱乎母」。
・夫婦の愚…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉」。夫婦とは匹夫匹婦の意に近い。

あの大な青ひ空を父と云、此廣ひ地を母と云ては遠ひやうになりてわるい。そこが乾坤と云へは天地の魂にて、魂を云のて肉親の父母へ似よって来る。健な処を父と云て響のよいは、傳十郎も青空を見ては親切であるまいか、性情で云で近くなる。清十郎が長﨑迠行たは健なり。そこて、凡父の体は健ゆへ、父は参勤交代する。母は順ゆへ奧に居て、地の動ぬやふなものなり。此節迠傳十郎が母も存命ならは内に居て留主の世話し、縫ものてもして居るてあろふ。母は長﨑へ行れす。だたい地は天を受る。そこで母は外へ出ず内に居るのか地の動ぬ姿なり。乾の昼夜昏旦巡るか健で、そこが父なり。健順が男女の象で、いつも女房は動かず、亭主は番に出る。南風の、北風のと天は動けとも、地はじっとして居る。張子の天地のせふ子で云ゆへ、健が父らしく、坤が母らしく見へる。然れは人の天地に孕れるか肉身の父母計のことてなし。すれは、実に人は天地の子なり。
【解説】
天地を父母と言うのでは遠いことの様になるが、乾坤と言えばそれは天地の魂のことだから、父母に似通ってくる。父は健やかで、母は父に順で動かない。この天地乾坤の健順は男女の象であって、人は天地の子なのである。
【通釈】
あの大きな青い空を父と言い、この広い地を母と言っては、遠い話になって悪い。そこを乾坤と言えば、それは天地の魂のことであり、その魂を言うので肉親の父母に似通ってくる。健やかな処を父と言うので響きがよくなる。それで伝十郎にも青空と言っただけでは親切ではないだろうが、性情で言うので近くなる。清十郎が長崎まで行ったのは健である。そこで、凡そ父の体は健だから、父は参勤交代をする。母は順だから奥にいて、地の動かない様なもの。この節まで伝十郎の母も存命ならば内に居て留守の世話をし、縫物でもしていただろう。母は長崎へ行くことはならない。そもそも、地は天を受ける。そこで母は外へ出ず、内にいるのが地の動かない姿である。乾の昼夜昏旦と巡るのが健で、そこが父である。健順が男女の象で、いつも女房は動かず、亭主は仕事に出る。南風や北風という様に天は動くが、地はじっとしている。張子が天地の性根で言うから、健は父らしく、坤は母らしく見える。人が天地に孕まれると言うのは肉親の父母に関してのことだけではない。それで、実に人は天地の子なのである。
【語釈】
・健な処を父と云…易経乾卦象伝。「象曰、天行健。君子以自強不息」。
・母は順…易経坤卦文言伝。「文言曰、坤至柔而動也剛。至靜而德方。後得主而有常。含萬物而化光。坤道其順乎。承天而時行」。
・傳十郎…櫻木誾斎の長男。
・清十郎…櫻木誾斎。名は千之。長崎聖堂教授となる。友部安崇の感化で神道に傾く。享保10年(1725)~文化元年(1804)

稱の字は訂の字へあてるが、言外の意有。彼氷へ張子の異見なり。天が父じゃはへとたたみを扣[たたい]て云で称るにはりかある。朱子の、稱の字を大な声で誦れたと云。語類。称と一寸と注したやふなことでない。乾を称父、坤を称母なり。山﨑先生の点は、乾は坤はと、はの字の点にせられたか、乾を坤をと、をの点かよし。はの点にして説卦傳のやふになり、ぬるくなる。稱と云は、張子から乾坤を呼出したほとのことなり。註解のやふなことてなく、こちへ呼出すこと。そこて乾を坤をと云点はひひきかよい。さて、この乾坤を父母と見ると吾直に天の子になる。直方先生、最一人父母かてきたと見べしと云るる。最一つ父母が出来る。其天地の父母に事るは重ひこと。肉親の父母はだましも喰ふて、親の情は子を思ふやみゆへ、親の機嫌は取よいもの。其機嫌さへ取らぬものなれは、中々西の銘は見られぬことなり。肉親父母へ孝のしよいは、孝のわきて人欲をする。そこて親孝行かあてにならぬ。西銘の莫大なは父母の外に天地への孝行にて、天は微塵もだましはくわぬ。肉身の親は訳のしれぬ銭て肴買ふて進せても、それは知らずに喜ぶもの。天は、其手は食ひ玉はぬ。西銘、孝で仁をさとすかここなり。直方先生の云はるる通り、天地の子と云か、もふ一つ六ヶしい父母に事るで仁の建立なり。偖、天地へ孝を尽すが張子の発明なれとも、只天へ孝と云てはばつとして知ぬゆへ、とこまても天地の子しゃと云ことを、これからとっくと語った。只称す々々とはかりては得心されぬなり。
【解説】
乾坤を父母と称すれば、肉親の父母の外にもう一つ父母ができたことになる。肉親の父母は騙され易いから、親孝行も当てにならないが、天地の父母は騙されない。そこで、難しい天地の父母に孝を尽くすことで仁を建立する。これが張子の発明である。
【通釈】
称の字は訂の字へ当てたものだが、そこには言外の意がある。あの氷に対する張子の異見である。天が父なのだと畳を叩いて言うので、称するにも張りがある。朱子が称の字を大きな声で誦まれたと言う。語類。称と一寸注をした様なことではない。乾を父と称す、坤を母と称すである。山崎先生の点は、乾は坤はと、はの点をされたが、乾を坤をと、をの点がよい。はの点にしては説卦伝の様になって生温くなる。称は、張子が乾坤を呼び出したほどのことで、注解の様なことではなく、自分の方に呼び出すこと。そこで乾を、坤をという点は響きがよい。さて、この乾坤を父母と見ると、自分が直に天の子となる。直方先生が、もう一人父母ができたことと見なさいと言われた。もう一つ父母ができる。その天地の父母に事えるのは重いこと。肉親の父母は騙しも喰い、また、親の情は子を思う闇だから、親の機嫌は取り易いもの。その機嫌さえ取らない者では、中々西銘はわからない。肉親の父母への孝がし易いのは、孝の脇で人欲をするからである。そこで親孝行は当てにならない。西銘の莫大なところは、父母の外に天地への孝行があることで、天は微塵も騙しを喰わない。肉身の親は、訳のわからない銭で買った肴を勧められても、それを知らずに喜ぶもの。天はその手は食わない。西銘が孝で仁を諭すと言うのがここのこと。直方先生の言われた通り、天地の子というのがもう一つの難しい父母に事えることで、これが仁の建立である。さて、天地へ孝を尽くすというのが張子の発明だが、ただ天へ孝と言ってはよくわからないから、人が何処までも天地の子だと言うことを、これ以降しっかりと語った。ただ称すとばかり言っていては、得心はならない。
【語釈】
・語類…朱子語類。
・説卦傳…易経説卦伝。

予茲藐焉云々。人か母の乳でそだつ。それは人の知たこと。天地の子と云は、天地に孕れて天地にへったりなり。藐焉は天地からくらべて云こと。大倉の一米なり。天地の大に此五尺の身ゆへ藐焉と云。それか天地と隔なく、混合して天地の中にをる。ここが一寸聞ては知れぬこと。天は屋根の上、地は椽の下のやふなれとも、混然と云は地上是天て、なんでも堅らぬ処は皆天なり。人の斯ふして家に居るか、此家のすいた処は天なり。魚の鰭の外もえらの内も皆水なと同しなれとも、あの魚の水中に居るやふには人の方はたしかに思はぬか、然し、その證拠には、天か暑けれは人も暑く、この頃のやふに天か寒ければ人も寒ひ。混然と一つつきに成てをる。丁と水が動くと魚も動く。魚か動くと水も動く。魚て明かなやふに、人も其のとをりなり。そこで斯ふ説たときに、天の子と云ふか大ふ胸へひったりと來る。今日の席、此の講釈聞とるに浅深も有ふか、誰聞てもこれか耳を取って鼻ではあるまい。謂れを聞けは面白や。大ふ仁の発明に親切のことなり。そこて、我このからた天地とへったりとなりて、天地の子と思ふと彼氷はとけて來る。凡夫は人我の間にしきりかある。それか不仁の火元なり。そこてこの天地を父母とみる。ほんにすむと、世間一つになりて氷がとける。
【解説】
「予茲藐焉、乃混然中處」の説明。人は天地に孕まれ、混然とその中にいる小さな存在である。また、天地と人とは魚と水との関係の様なものだが、人はそれを理解していない。自分が天地と一体になっていることを知れば氷は解ける。凡夫は天地との間に仕切りがあり、それが不仁の元である。
【通釈】
「予茲藐焉云々」。人は母の乳で育つ。それは人の知っていること。天地の子とは、人が天地に孕まれて天地にべったりとしていること。藐焉は天地と比べて言うことで、大倉の一米である。大きな天地に比べて五尺の身だから藐焉と言う。それが天地と隔てなく、混合して天地の中にいる。ここが一寸聞いだけではわからないこと。天は屋根の上のもので地は縁の下のものの様だが、混然と言うのは「地上是天」であって、固まらない処は何でも皆天である。人がこうして家にいる時、この家の空いた処は天である。魚の鰭の外も鰓の内も皆水と同じだが、あの魚の水中にいる様には人の方ではこれを確かに思わない。しかし、人が天地の子である証拠には、天が暑ければ人も暑く、この頃の様に天が寒ければ人も寒い。混然と一続きになっている。水が動くと魚も動く。魚が動くと水も動く。魚で明らかな様に、人もその通りである。そこでこう説くと、天の子と言うのが大分胸へぴったりと来る。今日の席でこの講釈を聞き取るのに浅深もあるだろうが、誰が聞いても耳を指して鼻と言う様な間違いはないだろう。謂われを聞けば面白い。大分仁の発明に親切なことである。そこで、自分の体が天地とべったりとなって自分を天地の子と思うと、あの氷は解けて来る。凡夫は人我の間に仕切りがある。それが不仁の火元である。そこでこの天地を父母と見る。これが本当に済むと、世間と一体になるので氷が解ける。
【語釈】
・藐焉…小さいさま。

故天地之塞吾其体。故の字は、前をうける辞なり。前のことがすめ子は、堀ても故にとは云はれぬ。又、故にのあともすめぬ。我此のからだ天地に孕れて混然中處のあやゆへ、天地之塞吾其体と云。浩然の章をやとってきて使ふか、あの章のことでもなく、又あれをのけたことてもない。塞はすき間のないことを云。天地大いゆへそふはみへぬが、たんてき大釜の蓋をあけて見ると湯氣て皆塞てある。あの如く、天地の氣が一杯に滿きってをる。香箱に伽羅を入たやふに少とはかりてでなく、とこ迠も行わたりてみちている。この塞と云か面白ひ。天地の氣どこ迠もない処なく充ちきったゆへ塞と云ふ。このからだは何で出来たと云に、天地の氣で出来たもの。それを只肉身の親に斗りもらったと思ふが、実は天地て出来た。西銘は親を取次にと云かそこなり。天地の大ふ、本とかなければ出来やう筈はない。
【解説】
「故天地之塞吾其體」の説明。天地の気は何処までも行き渡っている。人は親によって生まれるが、親は取り次ぎであって、人は天地でできているのである。万物は大本がなければ生まれない。
【通釈】
「故天地之塞吾其体」。故の字は、前の句を受ける辞である。前のことが済まなければ、決して故にとは言えず、故にの後のことも済まない。自分の体が天地に孕まれて混然中処となるという綾から、天地之塞吾其体と言う。浩然の章を引用して使ったが、あの章のことを言っているのでもなく、また、あれを除けたことてもない。塞は隙間のないことを言う。天地は大きいからその様には見えないが、端的、大釜の蓋を開けてみると湯気で皆塞がっている。あの様に、天地の気が一杯に充ち切っている。香箱に伽羅を入れた様な少しばかりのことではなく、何処までも行き渡って充ちている。塞と言うのが面白い。天地の気は何処までもない処なく充ち切っているから塞と言う。この体は何でできたかと言うと、天地の気でできたもの。それをただ肉身の親に貰ったものと思っているが、実は天地でできているのである。西銘が親を取り次きにと言うのがそこのこと。天地の大本がなければできる筈がない。
【語釈】
・浩然の章…孟子公孫丑章句2。「敢問、夫子惡乎長。曰、我知言。我善養吾浩然之氣。敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之間。其爲氣也、配義與道。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣。我故曰、告子未嘗知義。以其外之也」。

天地之帥吾性。帥は天地の理のかへ名、塞は氣の天地に塞り充滿したものの名なり。其氣の中へ這入って一つにならぬものあり。孟子、其理の名を帥と云り。理はりんとして、氣の自由にならぬものなり。帥はもと大将のこと。士卒か大将のざいにむくを云て、氣を自由に使ふを帥と云。天よりそれを人へもらって性、天より氣をもらって體、それて人となる。因て、天地の子と云がすっはとすむ。天地の氣がすぐに我此からた、天地の魂かすぐに我この性と聞けば、上の故の字も解てくる。初手、故の字の前は乾稱父坤稱母と見立て云たやふなれとも、見立などと云そんな生まぬるひことでなく、今云たとをり、體は天の氣をもらい、中に魂のあるは天から理をもろふたれば、誠に天地の子なり。段々といやと云はれぬことになった。朱解にも、中に處る之実とあり、之実と云が其体其性を指て、そこて故の字のひひきかつよい。されは、天地を父母と云か動ぬことと云か実なり。近思でよむには本文ぎりのことなれとも、大切の処は解の字も出さ子ばならぬ。之実と出されたが大切にて、実と云が垩学と知れ。異端か高大なこと云ても実がないゆへ、方便説也。吾其体吾其性かいやと云れぬ。ここて故の字の落着が付た。
【解説】
「天地之帥吾其性」の説明。帥とは理のことで、気の中にいて、気と一体にならないもの。理は気を自由に使うから帥と言う。人において性は理であり、体は気である。よって、人は天地の子なのである。
【通釈】
「天地之帥吾性」。帥とは天地の理の変え名で、塞は気が天地に塞がって充満したところの名だが、その気の中へ這い入って一体にならないものがある。孟子は、その理のことを帥と言った。理は凛として、気の自由にならないものである。帥は元々は大将のこと。士卒が大将の采配通りに動くことを言うが、ここでは気を自由に使うことを帥と言う。天から人が理を貰って性、天から気を貰って体、それで人となる。そこで、天地の子と言うことがすっかりと済む。天地の気が直に自分のこの体で、天地の魂が直に自分のこの性と聞けば、上の故の字もわかって来る。初めの、故の字の前の乾称父坤称母は見立てて言った様だが、見立てたなどという様なそんな生温いことでなく、今言った通り、体は天の気を貰い、中にある魂は天から理を貰ったのだから、人は誠に天地の子である。段々と確かなことになった。朱解にも、「中に處る之実」とあり、この之実が「其体其性」を指す。そこで故の字の響きが強くなる。天地を父母と言うのは確かで動かないものだというのが実である。近思録で読む場合は本文だけのことであるが、大切な処は朱解の字も出さなければならない。之実と出されたのが大切なことで、この実が聖学だと知りなさい。異端が高大なことを言っても実がないから方便説である。吾其体其性は違うとは言えないこと。ここで故の字の落ち着きができた。
【語釈】
・孟子、其理の名を帥と云り…孟子公孫丑章句上2。「夫志、氣之帥也。氣、體之充也。夫志至焉、氣次焉。故曰、持其志、無暴其氣」。
・ざい…采配。
・中に處る之実…
・方便…衆生を教え導く巧みな手段。真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教え。

民吾同胞。乾を父、坤を母て世中を見ると、天地か父母ゆへ、天地の間の人皆兄弟なり。面白ひことなり。胞は、えななり。帒のこと。同胞は兄弟のかへ名。漢書の字。天地の間の同類は、天の生んたゆへ兄弟と云。此始の句がすむと、あとの句も皆すむ。
【解説】
「民吾同胞」の説明。天地が父母だから、人は皆兄弟である。
【通釈】
「民吾同胞」。乾を父、坤を母として世の中を見ると、天地が父母だから、天地の間の人は皆兄弟である。それは面白いこと。胞は、胞衣である。袋のこと。同胞は兄弟の替え名。漢書の字。天地の間の同類は、天地が生んだのだから兄弟と言う。この始めの句が済めば後の句も皆済む。
【語釈】
・えな…胞衣。胎児を包んだ膜と胎盤。
・同胞は兄弟のかへ名…漢書東方朔伝。「同胞之徒無所容居、其故何也」。註に、「蘇林曰、胞音胞胎之胞也。言親兄弟」とある。

物吾與也。物は一切衆生なり。牛馬より蚤虱、それより無情の枩竹萩薄ちり々々艸も皆我與也。皆如在にならぬは、万物も我友達なり。與國黨の與の與。この方と組合て子んごろなり。一寸聞と、こちの胸へそう云てもよかろふか、あんまりな様じゃと思へとも、天地を父母と見てはこの道理なり。微物ても天地の理と氣の外はない。虵や蝮も天地の理と氣て出來たもの。物好きで出来たてはない。我天地に孕るからは皆友達なり。
【解説】
「物吾與也」の説明。微物も天地の理と気でできており、人と同じ天地に孕まれたものだから、万物もまた自分の友達なのである。
【通釈】
「物吾与也」。物は一切衆生のことである。牛馬より蚤虱、それから無情な松竹萩薄、ちりぢり草までも皆我与である。皆如在にならないものは、万物であっても自分の友達である。与国与党の与の字。自分と組合って懇ろになる。一寸聞くと、そう言ってもよいのだろうか、あんまりな様だがと胸中に思うが、天地を父母と見ればこの道理となる。微物でも天地の理と気の外はない。蛇や蝮も天地の理と気でできたもの。物好きでできたのではない。我が天地に孕まれるからには皆友達である。
【語釈】
・一切衆生…生きとし生けるもの。衆生は、〔仏〕いのちあるもの。生きとし生けるもの。一切の生物。一切の人類や動物。
・如在…①論語八佾12。「祭如在、祭神如神在」。神を祭るのに、眼前に神がいるかのように、つつしみかしこむこと。②下学集。「如在、此二字即尊敬之義也、然日本之俗、書状云不存如在大失正理也」。ておち。てぬかり。懈怠。疎略。
・與國黨…與国は、互いに助けあう間柄の国。味方の国。同盟国。與黨は、同じ主張や目的によって組んだ仲間。徒党。同志。

大君者吾父母宗子。上の句、物吾與也と云たきりで、あとを方を付て云はぬ。物は方を付ぬが垩賢の語の立なり。易ても中庸ても万物を語れとも、言たきりなり。取てすてるものはないと云た迠なり。附子も肉桂も性を尽すが、あれへいつまても朋友の咄はない。そこて、同胞の跡へかへして大君者吾父母宗子也。大君は天下の一人、天子を云。天子は挌式が違て天のあとをとるものゆへ、宗子と出す。此段になると大君と云。至尊なれとも西銘の見とりては、人は天地の子。天下中の人は兄弟なれは大君も兄弟ぞ。ただのてはない。兄弟中の惣領なり。
【解説】
「大君者吾父母宗子」の説明。物は人にとってただの「与」である。そこで、ここは人について述べている。大君は天子のことなので、宗子である。その大君も天地の子だから、天下中の人と兄弟となる。しかし、それは兄弟の中の惣領なのである。
【通釈】
「大君者吾父母宗子」。上の句では「物吾与也」と言っただけで、その後に方角を付けて言わない。物に方角を付けないのが聖賢の語り口である。易でも中庸でも万物を語ってはいるが、単に語っただけで、取って捨てるものはないと言っただけである。附子も肉桂も性を尽くすが、あれにはいつまで経っても朋友の話はない。そこで、同胞の前に返して大君者吾父母宗子と言う。大君とは天下で一人、天子を言う。天子は格式が高くて天の後を執る者だから、宗子と出す。この段になると大君と言う。大君は至尊ではあるが、西銘の見取りでは人は天地の子で、天下中の人は兄弟なので、大君も兄弟である。しかしただの兄弟ではない。兄弟の中の惣領である。
【語釈】
・宗子…一族の長たるべき子。家をつぐべき子。宗家の嫡子。
・附子…ヌルデの若芽・若葉などに生じた瘤状の虫癭。
・肉桂…桂皮を乾燥したもの。

其大臣云々。天下の摂政關白を云。宗子の家での家老と云こと。文字の出しやふ聞へたこと。冢宰や宰相とせぬは、天地父母と云処からなり。家相と家の字を使へり。家は親切から云こと。父母の縁へ属くなり。天地を父母とみれは、皆一つになる。石原先生、洗湯の帰に笑て云るるに、歴々も軽ひものも洗湯ては同こととなり。大名は二本道具、轎夫は艸鞋なれとも、裸になりたときは四支百骸貴賎替ることはない。天地を父母と云からは、同ことなり。あらゆる人間か皆こちの兄弟になる。これてそろ々々氷がとけてくる。天地に孕れては天子將軍も同く、人と生れたるからは、恐れなから我兄弟になってをる。然れば隔はないはつのこと。
【解説】
「其大臣宗子之家相也」の説明。天地を父母としたので、大臣を家相と言う。皆天地の子だから、天子も将軍も自分の兄弟である。
【通釈】
「其大臣云々」。大臣とは天下の摂政関白を言う。宗子の家の家老ということ。文字の出し方が上手い。冢宰や宰相としないのは、天地父母と言う処からで、それで家相と家の字を使った。家は親切で言ったこと。父母の縁へ属す。天地を父母と見れば、皆一つになる。石原先生が洗湯の帰りに笑って言われたことに、御歴々も軽い者も洗湯では同じことだとある。大名は二本道具で轎夫は草鞋だが、裸になった時は四肢百骸貴賎に変わりはない。天地を父母と言うからは同じこと。あらゆる人間が皆自分の兄弟になる。これでそろそろと氷が解けてくる。天地に孕まれたのだから天子も将軍も同じであって、人として生まれたからには、恐れ多いが自分の兄弟になっている。それなら人に隔てはない筈である。
【語釈】
・冢宰…中国の官名。周代、天子を補佐し百官を統率した。天官の長。宰相。
・轎夫…駕籠舁き。輿舁き。

尊高年云々。一ち親切は親と子なり。凡夫も知たことなれとも、それぎりて居る。だたい仁は天下公けのことにて、子か父母を愛敬する計てなく、天下に老人がある。それを尊ふ処を以長其長と云なり。親を廣めると高年はこちの親のるいなり。そこを仕切を取ると、尊高年も茲孤弱も、我親を尊ひ我子を可愛かるやふになる。孔子の老者安之少者懐之との玉ふが仁のなり。凡夫は肉はかりて外へは涙は出ぬ。高年は親の如く、孤弱はどこの子でもわが子の通りに思ふ。
【解説】
「尊高年、所以長其長、慈孤弱、所以幼其幼」の説明。親子の関係は一番強い。親を敷衍すれば老人も親の類となる。また、子を敷衍すれば孤弱も子の類となる。高年を尊び孤弱を慈しむのが仁である。
【通釈】
「尊高年云々」。一番親切なのは親と子である。それは凡夫も知っていることだが、それだけでいる。そもそも仁は天下公のことで、子が父母を愛敬するだけではなく、天下には老人がいて、それを尊ぶ処を「以長其長」と言う。親を広めると、高年は自分の親の類である。そこの仕切りを取ると、「尊高年」も「慈孤弱」も、自分の親を尊び我が子を可愛がる様になる。孔子が「老者安之少者懐之」と言われたのが仁の姿である。凡夫は肉ばかりで、外に対して涙は出ない。高年には親の如く、孤弱には何処の子でも自分の子の通りと思うのである。
【語釈】
・高年…高年齢の人。
・愛敬…①いつくしみ敬うこと。②なさけがあること。思いやり。③人に好かれるような愛想や世辞
・長其長…孟子離婁章句上11。「孟子曰、道在爾。而求諸遠。事在易。而求諸難。人人親其親、長其長、而天下平」。
・孤弱…孤は孤児。弱は年の幼い者。
・老者安之少者懐之…論語公冶長26。「子曰、老者安之、朋友信之、少者懷之」。
・高年は親の如く、孤弱はどこの子でも、わが子の通りに思ふ…孟子梁恵王章句上7。「老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼、天下可運於掌」。

垩合其德云々。たん々々のべて来て、垩賢の德の違ふも、それも兄弟の中の歴々なり。德の方では垩賢の二にて、此方と遠いやふなれとも、只こちの兄弟の中て天地と同德なり。易に垩人與天地合其德と云。垩賢は天地と云父母の通りのものを持たゆへ、合德と云。そこで、西の銘を聞くと魂の別になることなり。天地間の人を兄弟と見ては、兄弟の中でをやの通りか垩人なり。親とは天のことなり。垩人とんと天地のやふなり。
【解説】
「聖其合德」の説明。天地の間の人を兄弟とすると、兄弟の内で親の通りなのが聖人である。その親とは天のことである。聖人は天地と徳を合している。
【通釈】
「聖合其徳云々」。段々と述べて来たが、聖賢という徳の違う者も、兄弟の内であって、その中の歴々である。徳では聖賢の二人だけが我々と違っていて遠くにいる様だが、彼等はこちらの兄弟の中にあって、ただ天地と徳が同じだということ。易に「聖人与天地合其徳」とある。聖賢は天地という父母そのままのものを持っているから「合徳」と言う。そこで、西の銘を聞くと魂が格別になる。天地間の人を兄弟と見ると、兄弟の内で親の通りなのが聖人であり、その親とは天のことである。聖人は全く天地の様なものである。
【語釈】
・垩人與天地合其德…易経乾卦文言伝。「夫大人者、與天地合其德、與日月合其明、與四時合其序、與鬼神合其吉凶。先天而弗違、後天而奉天時。天且弗違、而況於人乎、況於鬼神乎」。道体1にもこの語がある。

賢其秀也。賢人は天地一牧の德と云ではないが、兄弟の中て挌段を云ふ。平人にも五人子があるか、中て兄がかしこいの、弟がよいのと云がある。天地の子の中で顔孟などのすぐれたが秀なり。斯ふ先つ語り出して、凡天下疲癃残疾云々。凡天下は、この前の故の字と同じ氣味なり。故の字は、屹度斯ふと実事へ落し、凡は、斯ふじゃからは凡と繋けたものなり。残さぬ文字なり。西銘を仁の建立の書と云は、方々の仕きりをとるが手段なり。たん々々大君の、大臣の、高年の、孤弱の、垩賢のと、みな仕切とるからは、これからさきの云にたらぬもの迠の仕きりをとるべきことなり。疲癃残疾のにが々々しいもの迠の仕切をとりて、仁の建立か大切なり。凡天下か面白ことなり。疲癃残疾は病症のことに頓着なく、跡の無告を主にすることなり。癃はせむしのるい。腰の曲りなり。脊の高ひものを云ふ。なんても癈病のことを語て疲癃残疾と云。残は、癈病人になりかたまっていゆることのないを云ふ。兎角人の馳走せぬもの。誰でもふり返って見ぬ病なり。
【解説】
「賢其秀也。凡天下疲癃殘疾」の説明。賢人は天地と徳を合するわけではないが、兄弟中で別格な者であり、顔子や孟子がそれである。疲癃殘疾は治らない病気であり、誰もその人を顧ることがない。
【通釈】
「賢其秀也」。賢人は天地と同じ徳があるとは言えないが、兄弟の中での格段な者を言う。平人にも五人子がある中で、兄が賢いとか、弟がよいということがある。天地の子の中で顔孟などの優れた者が秀である。この様に先ず語り出して、「凡天下疲癃残疾云々」。凡天下の凡は、この前の故の字と同し気味である。故の字は、確かにこうだと実事へ落とすもので、凡は、こうだから凡そと繋けたもので、はっきりとした文字である。西銘を仁の建立の書と言うが、それぞれの仕切りを取るのがその手段である。段々に大君、大臣、高年、孤弱、聖賢と進んで皆仕切りを取ったのだから、これから先の言うにも足りないものの仕切りまでも取らなければならない。疲癃残疾という苦々しいものまで、その仕切りを取って仁の建立をするのが大切なこと。凡天下と言うのが面白い。疲癃残疾は病症のことに頓着せず、後にある無告を主とするもの。癃はせむしの類。腰が曲がっていること。背骨の高い者を言う。何にしても廃病のことを疲癃残疾と言う。残とは、廃病人になって病が膠着して癒えることのないことを言う。とかくそれは人が面倒を見ないもの。もう誰も振り返ることをしない病なのである。
【語釈】
・疲癃…疲労のために見を害うこと。
・残疾…身体の一部分が欠けること。
・屹度…①時間的にきわめて短いさま。急に。すばやく。とっさに。②急に、はっと。③厳しいさま。状態や表情にゆるみのないさま。厳重に。きっぱりと。しっかりと。④行為の確実に行われるさま。たしかに。必ず。相違なく。

惸獨。惸も獨も同しこと。不仕合な一人もの。誰もひいきするものなし。これが古より有て、よるべなきもの、馬捨塲のやうな処に薦ても張てをるものなり。鰥寡も、年よりて一人もの。哀れなかるるしまない不仕合ものなり。古底なものをは、下れ々々、つくな々々々のと云て叱る者皆我仕切とるかここなり。上の段は歴々のこと。そこへしきりをとる。こちらは病みほふけたもの。それも兄弟と云て仕切をとる。
【解説】
「惸獨鰥寡」の説明。惸獨も鰥寡も年寄った独り者のことで、人から敬遠される者。その様な者とも仕切りを取って兄弟だと言う。
【通釈】
「惸独」。惸も独も同じこと。不幸せな一人者のこと。助けてくれる人が誰もいない。これが古よりあって、寄辺もなく、馬捨て場の様な処に薦でも張って住んでいる者である。「鰥寡」も、年寄って独り者のこと。哀れ泣くべき縁もない不幸せ者である。これ等の老人を、下がれ下がれ、触るな触れるなと叱る者が皆、自分の仕切を取るのがここのこと。上の段は歴々のことで、そこの仕切りを取る。こちらは病み惚けた者も兄弟だと言って仕切を取ること。
【語釈】
・薦[こも]…あらく織ったむしろ。
・鰥寡…孟子梁恵王章句下5。「老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤」。
・しま…嶋。頼りになるものごと。よすが。
・ほふけた…惚ける。耄ける。①知覚がにぶくなる。ぼんやりする。ぼける。②極度に心を奪われる。夢中になる。

顚連無告者也。處を失ひ、身上破滅なり。文會に詩の顚沛、易の來連の字を合せたかと云。偖、某考るに身上破滅路頭に立と云か顚なり。連は谷中寺町なとて見るに、あれらか一人に二人てなく連立て歩行。そこが連の字なり。かかるしまないゆへ、そこがしことあるく。さて、顚連無告と云四字も爰は無告か主にて、伯牛も無告ではない。某か老年鰥ても、半藏か伯母か寡ても無告てない。惠に及はぬ。たたい惠ましいは無告者のこと。夫れゆへ爰にないとても、橋の上て疱瘡してと云か、やっはり爰の惸独鰥寡と同しことなり。誰ふりかへりて見るものないと云が主意なり。病症や、よいものの身分て鰥寡を云ではない。講後先年の講に顚連の出處知れぬか、身上破滅の、遠嶋改易の、難病のと、さま々々難義艱難の一度二度てなく、又しても々々々々あることを連と云へり。先生韻府にも顚連の字、西銘を出處に引てあり。文會、蹇の卦の文字取たが、どふも出處すまぬ。大君や大臣の方から語てきて仕切をとったつまりに、この無告者へひびきは偖々親切なり。
【解説】
「皆吾兄弟之顚連而無告者也」の説明。身上破滅して路頭に立つのが顚である。様々な難儀艱難が何度もあるのが連である。顚連無告も無告が主になる。ここまで仕切りを取ってきた最後が無告者である。
【通釈】
「顚連無告者也」。居場所を失い、身上破滅である。文会では、詩の顚沛と易の来連の字を合わせたのだろうと言った。さて、私が考えるには、身上破滅して路頭に立つのが顚である。連は谷中寺町などで見ると、人が一人や二人でなく、連立って歩き行く。そこが連の字である。寄る辺がないから、そこかしこと歩く。さて、顚連無告という四字もここは無告が主であって、伯牛も無告ではない。私が老年鰥でも、半蔵の伯母が寡でも、無告ではないから恵むには及ばない。そもそも恵まなければならない相手は無告者である。それで、ここには書かれていなくても、たとえば橋の上で疱瘡をしている者というのが、やはりここの惸独鰥寡と同じことである。誰も振り返って見る者がいない者というのが主意である。病症のことや、よい身分で鰥寡と言うことはない。講後、先年の講義で顚連の出処はわからないが、身上破滅や遠島、改易、難病や様々な難儀艱難が一度や二度でなく、何回もあることが連であると言った。先生の韻譜にも顚連の字を、西銘を出処として引いてある。文会では蹇の卦の文字として採ったが、どうも出処が済まない。大君や大臣の方から語って来て、仕切りを取った最後にこの無告者へ至るとは、実に親切なことである。
【語釈】
・詩の顚沛…詩経大雅蕩。「文王曰咨、咨女殷商。人亦有言、顚沛之揭、枝葉未有害、本實先撥。殷鑒不遠、在夏后之世」。
・易の來連…易経蹇[けん]卦。水山蹇。艮下坎上六四。「六四。往蹇、來連。象曰、往蹇、來連、當位實也」。
・谷中…東京都台東区北西端の地名。下町風の町並みが残り、寺や史跡も多い。
・伯牛…論語雍也8。「伯牛有疾。子問之。自牖執其手、曰、亡之。命矣夫。斯人也、而有斯疾也、斯人也、而有斯疾也」。
・半藏…
・韻府…韻譜。韻書。中国における字書の一種。作詩の際の押韻の基準を示すため漢字を発音によって多くの韻に分けたもの。切韻・広韻・平水韻など。

千ヶ寺も夫婦連でなく、一人ものは何処へ倒れても知人のなく、人のふり返て見ぬのけもの。そこを凡夫ても、吾か肉身つつきの者が橋の上に飢へ凍て寝て居たら、鬼のやふなものてもすくふ氣は出る。これは人心の自然ぞ。それを蹈臺にして、肉のない方の天地へ出すことなり。人の袖へすかるを我兄弟の顚連と見るか仁の氣象なり。西の銘の意なり。訂頑の字へ反りて見べし。それを何とも思はず、己れかわるいからの、己かたわけゆへのと見るこそが頑の氷なり。氷がとけるとさて々々ふびんなと、其ふへるか仁の体段なり。天下中へひひいて段々氷のとけた所が廣大なことになる。
【解説】
無告者が倒れていても顧る者はいないが、それが肉親であれば、鬼の様な人でも救おうとする。その人心の自然を踏み台にして天地の同胞に対する。これが仁の気象であり、西銘の意である。無告者自身が悪かったからこうなったと見るのが頑である。
【通釈】
独り者は千ヶ寺詣に行くにも夫婦連れではなく、何処で倒れても知る人もなく、人が振り返って見ない除け者。そこを凡夫でも、自分の肉身続きの者が橋の上に飢え凍えて寝ていたら、鬼の様な者でも救う気は出る。これは人心の自然なこと。それを踏み台にして、肉のない方の天地へ出す。人が自分の袖へすがるのを、我が兄弟の顚連と見るのが仁の気象であり、西の銘の意である。訂頑の字へ返って見なさい。それを何とも思わず、お前が悪いからとか、お前が戯けだからだと見ることこそが頑の氷である。氷が解けて急に水が増えるのが仁の体段である。天下中へ響いて段々と氷の解けた所が広大なことになる。
【語釈】
・千ヶ寺…千日詣でがある。千日の間、神社・仏閣に参詣すること。後に江戸時代には、特定の日(江戸浅草寺・京都清水寺などでは七月九日・十日)に社寺に参詣すれば千日分の御利益があるとされた。

西銘を学者が今日身に引付るか大切のこと。拙者に於ては左様存せぬと云は仕方のないこと。そふ云ならは、云せて置くより外ないか、爰へかんか付くと、手前の頑へ赤面すること。そこが西銘讀の効なり。講釈ですんだと云て仕舞へは、解た氷が又張て来る。それと云も肉身の邪魔になるからのこと。肉身に子んごろゆへ、この大切な処かきへる。西銘を文が面白ひの、斯云筋のと云へば、古文眞宝てよむも同こと。仁の建立てはない。古文眞宝は文の為にとりたも、ああ讀ては張朱へ甚ぶしつけなり。仁の建立ゆへ、心へ切付て見ること。偖、語類の中、西銘の部にあんまり善説もないか、此身自天地来ると有我去承當之意と云二句なり。これて語類の説はすむか、一通の目では見へぬこと。この身天地より來たと見ると、乾称父から顚連無告迠がずっとすむ。偖、承當する意なれば、晩からのやくに立つ。承當せぬは氷のとけぬのなり。岡目八石畠の上の水練て、我は頑てないと思ては西銘を見る甲斐はない。この肉身が邪魔をするとき西銘の意が出ると、先このすんたのなり。のりが付子ば讀だではなし。
【解説】
西銘の講釈を聞いただけでは、仁の建立はならない。心に斬り付けて読まなければ、肉身が邪魔をする。自分は頑でないなどと思っていては西銘を見る甲斐はない。
【通釈】
今日、学者が西銘を身に引き付けるのが大切なこと。私はその様には思えないと言うのなら、それは仕方のないこと。そう言うのなら言わせておくより外ないが、ここに感付けば、自分の頑に赤面することになる。そこが西銘を読む効果である。講釈で済んだと言って終わりにしては、解けた氷がまた張って来る。そう言うのも肉身の邪魔になるからである。心は肉身に懇ろなので、この大切な処が消える。西銘を文が面白いとか、こういう筋だと言うのであれば古文真宝を読むのと同じこと。仁の建立ではない。古文真宝は文のために選集したもので、あの様に読んでは張朱子に対して甚だ不躾である。仁の建立なのだから、心へ斬り付けて見ること。さて、語類の西銘の部にはあまり善説もないが、「此身自天地来」と「有我去承当之意」という二句がある。これで語類の説は済むことなのだが、一通りの見方ではわからない。この身が天地から来たと見れば、乾称父から顚連無告までがすっかりと済む。さて、承当する意であれば、直ぐに晩からの役に立つ。承当しないのは氷が解けないということ。傍目八目、石畠の上の水練で、自分は頑ではないと思っていては西銘を見る甲斐はない。この肉身が邪魔をする時に西銘の意が出れば、先ずここが済んだことになる。しかし、そこに至らなければ西銘を読んだことにはならない。
【語釈】
・古文眞宝…①先秦以後宋までの詩文の選集。二○巻。宋の黄堅編。前集一○巻は古詩、後集一○巻は古文の模範とするものを集めたもの。②(古文を収めて難解であることから転じて)まじめくさって、かたくるしいこと。また、頑固な人。
・此身自天地来る…
・有我去承當之意…「承當」は、うけつぐこと。継承。

一つの吟味あり。顚連無告なりをいかさまそうじゃと思ふも折節はあろふ。それは惻隠の発なり。西銘惻隠の発のやふに見てはわるい。大切のあやにて、惻隠の心は今人乍と云て誰にもある。悪人てもこのないものなし。家尻を切る盗賊ても、覚へずひきかへるを蹈たときは今乍ちなり。顚連無告の意は、西銘の全体が此身のそふ近よること。そこて惻隠の発に取ては横渠の意ではない。それては西銘の格式か下る。西銘がこちへのると大なこと。直方の、黄勉斎や蔡九峰かなめたても有らふと云はれて重いことなり。面白とはかり云は文ですますまでにて、これをすますに段格がある。右段々のこと、某ここで申すもわけあること。末文の跡で云はぬはどふなれば、西銘結語は重ひことゆへ、爰の顚連のはっと思ふ処てきめて置く。偖、これ迠が西銘の道体。これで言終ったことなり。
【解説】
顚連無告者を気の毒に思うのは惻隠の発であり、それは誰にもある。西銘は惻隠の発を言うものではなく、西銘を自分の身に乗せるのが本意である。ここまでが、西銘の道体である。
【通釈】
ここに一つの吟味がある。顚連無告者也をいかにもその通りだと思うことも時折はあるだろう。それは惻隠の発である。しかし、西銘を惻隠の発のことの様に見ては悪い。ここが大切な綾で、惻隠の心は今人乍[たちま]ちと言って誰にもある。悪人でもこれのない者はいない。家尻を切る盗賊でも、覚えず蟇蛙を踏んだ時は今乍ちとなる。顚連無告の意は、西銘の全体がこの身にこの様に近寄ること。そこで西銘を惻隠の発だと捉えては横渠の意ではない。それでは西銘の格式が下がる。西銘が自分に乗るということは大きなこと。直方が、黄勉斎や蔡九峰が試したことだろうと言われたが、これは本当に重いことである。西銘を面白いと言うばかりなのは文章を済ましただけのことで、これを済ますのには段格がある。右の段々を私がここで申すのにもわけがある。末文の跡で言わないのは何故かと言うと、西銘の結語は重いことだからで、ここの顚連のはっと思う処で決めて置く。さて、これまでが西銘の道体で、これでそれを言い終えた。
【語釈】
・惻隠…孟子公孫丑章句上6。「今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」。
・家尻を切る…盗人が家尻を破って忍び込む。家尻は、家・蔵などのうしろの方。
・黄勉斎…名は幹。字は直卿。1152~1221
・蔡九峰…

于時保之云々。是から工夫を学者へ示す。この下が仁のぎり々々の工夫。上は仁の体段を聞ことなり。建立はこれから先きが大ひことと知るべし。皆垩人をかたることなれとも、学者の工夫へかかることゆへ爲学へのせて手かかりにする。天地を父母と見て事るからは、あだな大抵ではならぬ。乾称父坤称母より混然中處てすんたと直方先生云へり。あそこが綱領ゆへ、よくみる人はあれで思過半なり。只のものは上すべりなり。さて又西銘の見やう眞っ二つに分けて取べし。顚連無告迠はずっと云たこと。于時保之から工夫を云へとも、垩人分上のことは上て云通り天へ孝のことゆへ、莫大なことてなければならぬ。親の脊を撫て腰をもむやふなことてはない。爰からは膝を直して聞べし。道体のやふに天地を父母と聞て、そう思たはかりては何のやくにたたぬ。
【解説】
「于時保之」の説明。これからが仁の工夫である。聖人は天への孝をするものだから莫大なことで、肉親に孝行する様な易しいことではない。しかし、ここからは聖人でなくてもできることなのである。
【通釈】
「于時保之云々」。これから仁の工夫を学者に示す。これ以下が仁の至極の工夫で、上は仁の体の段を聞くこと。建立はこれから先が大きいと知りなさい。皆聖人を語ることだが、学者の工夫へ掛かることだから、為学へ載せてその手掛かりにする。天地を父母と見て事えるからには、並大抵なことではならない。「乾称父坤称母」より「混然中処」で済むと直方先生が言った。それが綱領なのだから、よく理解した人はあれで「思過半」だが、普通の者は上滑りである。さてまた西銘の見方は真っ二つに分けて考えなさい。「顚連無告」まではしっかりと道体を話し、「于時保之」からは工夫を言うが、聖人の上のことは先に言う通り天への孝のことだから、莫大なことでなければならない。親の背を撫で、腰を揉む様なことではない。しかし、ここからは膝を直して聞きなさい。道体のところの様に、天地を父母と聞いて、その通りだと思っただけでは何の役にも立たない。
【語釈】
・于時保之…詩経周頌我将。「畏天之威、于時保之」。
・あだ…悪い意味を持つ名詞・形容詞に冠して、嫌悪の気持をこめて、その程度の甚だしいことをあらわす。
・思過半…易経繋辞伝下9。「知者觀其彖辭、則思過半矣」。

于時保之からは直方先生の、其天の子になりやうを語ると云へり。又最一人むつかしい親を持たと云るるも、外の父母の機嫌とるやふなことではない。天の氣に入りやうがあろふと云に、其氣に入やうを于時保之以下に語る。これからか殿上人と直方云へり。清涼殿紫震殿には殿上殿下の人あるか、西銘于時保之からは皆殿上人なり。只天を親と云た計では、輕ひものの紫震殿を遥拜したやふなものなり。張子の名文はどこ迠も父母の字を假て天地を語り、一句は天、一句は人て云て天人を組合せ、天地と云父母に肉身の父母とで仁と孝を組合せて、彼孝を蹈臺にして天へ事ることを説て仁を明す。そこで程子も、あの道理は云をふが筆が及ばぬと驚嘆せらるるは、誠に西銘のやふに大ふをも白ひ。道理の至極は自ら云様も面白はづのこと。今学者が理はすんたが口不調法と云は根が道理のすまぬのにて、口のとがではない。張子は胸からもんだゆへ、人の胸へもひびくはづ。只の文ではないなり。于時保之は肉身の親とちごふ。天の思召に叶ふは重ひこと。天か子にして下さるるには、天を上にして時々刻々恐しい々々々と保た子はならぬ。獲罪於天無所禱。天はだましは食はぬ。そこてはっ々々と大切に敬ふ。顧諟天之明命常目在此と云、于時保之のことなり。
【解説】
天に対しての気に入られ方がある。天は騙しを食わないもので、人は「于時保之」と敬して天に事えなければならない。西銘は父母の字を借りて天地を語り、天と人とで天人とし、天地の父母と肉身の父母とで仁と孝とを組み合わせ、孝を踏み台にして天に事えることを語ることで仁を明らかにするもの。
【通釈】
直方先生が、「于時保之」からは天の子へのなり方を語ると言った。また、もう一人難しい親を持ったと言われたのも、それは他人の父母の機嫌をとる様なことではない。天の気に入り様があるだろうと言い、その気に入り様を于時保之以下で語る。これからが殿上人だと直方が言った。清涼殿や紫震殿には殿上殿下の人がいるが、西銘の于時保之からは皆殿上人のこと。ただ天を親と言っただけでは、身分の軽い者が紫震殿を遥拜した様なもの。張子の名文はどこまでも父母の字を借りて天地を語り、一句は天、一句は人で天人を組み合わせ、天地の父母に肉身の父母とで仁と孝とを組み合わせ、あの孝を踏み台にして天へ事えることを説き、仁を明らかにする。そこで程子も、あの道理を言うことはできるが筆が及ばないと驚嘆されたが、それは西銘と同じく誠に大分面白いこと。道理の至極は自ずと言い方も面白い筈である。今の学者が理は済んだが口下手だと言うのは道理の根が済まないからで、口の咎ではない。張子は胸から揉んだから人の胸へも響く筈。これは普通の文ではない。于時保之は肉身の親に対するのとは違う。天の思し召しに叶うのは重いこと。天が子にして下さるからには、天を上に掲げて時々刻々恐ろしく思って保たなければならない。「獲罪於天無所祷」。天は騙しを食わない。そこで、恐れて大切に敬う。「顧諟天之明命常目在此」と言うが、それが于時保之のことである。
【語釈】
・殿上人…昇殿を許された人。四位・五位以上の一部および六位の蔵人が許された。堂上。うえのおのこ。
・清涼殿…平安京内裏の殿舎の一。天皇の常の居所。
・紫震殿…平安京内裏の正殿。
・遥拜…はるかに遠い所からおがむこと。
・獲罪於天無所禱…論語八佾13。「王孫賈問曰、与其媚於奧、寧媚於竈、何謂也。子曰、不然。獲罪於天無所禱也」。
・顧諟天之明命常目在此…大学章句1。「大甲曰、顧諟天之明命」。同集註。「顧、謂常目在之也」。大甲は、書経大甲上。

子之翼也。肉身の親て云へば、子ともが父母の大切なを片時もわすれぬやうなものぢゃ、と。上の句は敬て天の氣に入ること。下の句は父母を敬するを云、共に詩經なり。周頌大雅。樂且不憂。垩人の仁を云。人へいろ々々のことか天から来る。凡夫は身もだいするが、垩人はどのやうなことでも安んずる。天のすることに氣をもむことなし。繋辞に樂天知命故不憂と云。屈原は此樂むがならぬゆへ汨羅へ身を投けり。文王は讒にあひ羑里に囚はれても天命を知るゆへ、あの塲でも易の彖辞を係られた。それ処ではござるまいと云に、天を樂み玉ふ。天德を得たゆへ、どこでもにこ々々なり。そふ天に事るか、親を愛するやふなもの。孝子の親愛あるものはにこ々々たのしましい様なそ。
【解説】
「子之翼也。樂且不憂」の説明。「于時保之」は天に対してのことで、「子之翼也」は父母を敬することを言う。聖人は天徳を得ているから、天のすることに気を揉まず、天を楽しむ。それは孝子が楽しむのと同様である。
【通釈】
「子之翼也」。肉身の親で言えば、子供が父母を大切と思うことを片時も忘れない様なことである。上の句は敬によって天が気に入ることで、下の句は父母を敬することを言い、共に詩経が出典である。周頌大雅。「楽且不憂」。聖人の仁を言う。人に対して色々なことが天から来る。凡夫は身悶えするが、聖人はどの様なことでも安んじていて、天のすることに気を揉むことはない。繋辞伝に「楽天知命故不憂」とある。屈原はこの楽しむことができなかったから汨羅へ身を投げた。文王が讒言にあって羑里[ゆうり]に囚われても天命を知っているから、あの場でも易の彖の辞を繋けられた。それ処ではないだろうと言われても、天を楽しまれた。天徳を得たから何処でもにこにこしている。その様に天に事えるのが親を愛する様なもの。それは、親愛の情を持った孝子がにこにこと楽しんでいる様なことと同じである。
【語釈】
・翼…詩経大雅大明。「維此文王、小心翼翼」。つつしみ深く細事にまで注意するさま。転じて、気が小さくびくびくしているさま。
・樂且不憂…易経繋辞伝上4。「易與天地準。故能彌綸天地之道。…與天地相似、故不違。知周乎萬物而道濟天下、故不過。旁行而不流、樂天知命、故不憂。安土敦乎仁、故能愛」。
・屈原…中国、戦国時代の楚の人。名は平、字は原。また、名を正則、字を霊均ともいう。楚の王族に生れ、王の側近として活躍したが妬まれて失脚、湘江のほとりをさまよい、ついに汨羅に投身。前343頃~前277頃
・文王は讒にあひ羑里に囚はれ…文王は費仲達の讒言から殷の紂王によって羑里に幽閉される。そこで伏羲の八卦を六十四卦となした。彖辞もこの時期に作ったと黙斎は言う。

純乎孝者也。頴孝叔がこと。孝に純りないを云。王祥も篤孝純至とあり。我機嫌のよいことの来たときはよいが、わるひことの来たときは変はる。たたい純てないからのこと。純孝はいつも親を愛することに違ひはない。直方先生の云はるる、土藏の屋根をふかぬ内雨がふると、ふいてから降ればよいとはや天をうらみるとなり。輕ひことなれともそふなり。斯ふあるべきこと。樂みは欲がありてはならぬ。この樂と云は垩人の仁の塲なり。
【解説】
「純乎孝者也」の説明。孝に雑じりがあってはならない。雑じりとは欲のこと。天のするままに受けとめて楽しむのが聖人の仁である。
【通釈】
「純乎孝者也」。潁考叔のこと。孝に雑じりのないことを言う。王祥も「篤孝純至」とある。自分に機嫌のよいことが来た時はよいが、悪いことが来た時は態度が変わる。それはそもそも純でないからである。純孝はいつも親を愛することに違いはない。直方先生が、土蔵の屋根を葺く前に雨が降ると、葺いてから降ればよいと直ぐに天を怨むと言った。軽いことでもこの通りである。こうでなければならない。楽しむには欲があってはならない。この楽というのは聖人の仁の場のことである。
【語釈】
・純乎孝者也…左伝隠公元年。「君子曰、潁考叔、純孝也」。
・頴孝叔[えいこうしゅく]…潁考叔。潁は潁谷で鄭の地を指す。左伝隠公元年に彼の話がある。鄭の荘公が弟のことで母の武姜と仲違いをしたのを助言して仲直りをさせた。彼は純孝の人とされている。
・純り…「雑り」の誤り。
・王祥…晋朝の人。親孝行な人で、「臥冰求鯉」の故事がある。
・篤孝純至…晋書王祥。「其篤孝純至如此」。

違曰悖德。違は天理に違ふを云。上の違は天理にもとるを云、下の悖德は孝經不愛其親愛他人者謂之悖德と云ふ。天理にそむくは人欲と云、甘ひものゆへひかる。編笠で行く。実はいばらからたちの中へ蹈こむのなり。それは丁と親の目をまはしたをすてて、隣の老人の脊を撫て居るやうなものなり。上の句て天理にもとるを云ふ。下の句は孝行にそむくを云。
【解説】
「違曰悖德」の説明。天理に違うのは人欲によるものである。「違」は天理に悖ることで、「悖德」は孝行に背くことである。
【通釈】
「違曰悖德」。違は、天理に違うことを言う。上の違は天理に悖ることを言い、下の悖徳は孝経にある「不愛其親愛他人者謂之悖徳」の悖徳である。天理に背くものを人欲と言い、甘いものなので惹かれる。それで、編笠を被って密かに行くが、本当は棘枳殻の中へ踏み込むのである。それは丁度、目を回した親を捨てて隣の老人の背を撫でている様なもの。上の句は天理に悖ることを言う。下の句は孝行に背くことを言う。
【語釈】
・違…易経繋辞伝上4。「與天地相似、故不違」。「樂且不憂」を参照。
・悖德…孝経聖治。「不愛其親愛他人者謂之悖徳」。

害仁曰賊。御朱印は仁なり。万物の中に人はかり仁。天からの仁。これで人ぢゃと下されたに、それをみんなにするを害と云。天の賜った脉をきるからは、親の寝首を掻のなり。賊は賊子とあり。ここも上は天理、下は大逆不孝て云。済悪不才。左傳不才子と云は、名高いわるものを出して不才子とあり。不孝もののことになる。其左傳を連て来て不孝を云。わるいことを成就して悪人になるを済と云。悪が心の上、事の上へ一寸と出るもの。それを改めず、こらさず、たん々々仕をふせ成就して悪人になる。天か不才子を持たなり。其中に踐形。孟子。形は耳目鼻口のあることにて、それを悪ひことを見聞くために下されたてはなく、善ひことを見、善ひことを聞くためなり。耳目を聰明の方へやるを踐形と云、垩人はそれなり。凡人はやだものの方へやる。惟肖者也。親に似た子と云あり。似子ば鬼子と云。其對句に、天に肖たを云。肖像の字あり。似づらと云こと。顔のそのまま似たを云なり。垩人は天に似た子て、天と其侭なり。瓜を二つに割らずにと云ふのぞ。
【解説】
「害仁曰賊。濟惡者不才、其踐形、惟肖者也」の説明。万物の中で人のみが天から仁を与えられている。「害仁」は天に対して、「賊」は大逆不孝を言う。「濟悪不才」は左伝からの引用で、悪いことをし続けて悪人になること。「踐形」の形は耳目鼻口があることで、これは善いことを見聞きするためにある。聖人は踐形で天地と瓜二つである。
【通釈】
「害仁曰賊」。御朱印は仁である。万物の中で人だけに天が与えたのが仁である。これで人になるのだと下されたのに、それを台無しにするのを害と言う。天から賜った筋を切るのだから、親の寝首を掻くのと同じである。賊は賊子とある。ここも上は天理、下は大逆不孝を言う。「済悪不才」。左伝で不才子を言う。名高い悪者を出して不才子とある。不孝者になる。左伝を引用して不孝を言う。悪いことを成就して悪人になることを済と言う。悪は心の上や事の上へ一寸出るもの。それを改めず、懲らさず、段々と仕通し、成就して悪人になる。天が不才子を持ったのである。その中に「踐形」がある。孟子の語。形とは耳目鼻口のあることで、それは悪いことを見聞くために下されたのではなく、善いことを見たり聞いたりするために下されたのである。耳目を聡明の方へ向けることを踐形と言い、聖人がそれである。凡人は悪い方へ向かう。「惟肖者也」。親に似た子と言うことがある。似なければ鬼子と言う。ここは対句として、天に肖ると言う。肖像の字がある。似面ということ。顔がそのままに似たことを言う。聖人は天に似た子で、天とそのままである。瓜二つと言うことである。
【語釈】
・害仁曰賤…孟子梁恵王章句下8。「賊仁者謂之賊、賊義者謂之殘。殘賊之人、謂之一夫」。一夫は独夫であり、天命が去って人民からも見放された人。
・左傳不才子…左伝文公十八年に、昔、帝鴻・少暭・顓頊に不才の子があって悪いことばかりをしていたため、当時の人々は渾敦・窮奇・檮杌と言って罵ったとある。
・踐形…孟子尽心章句上38。「孟子曰、形色、天性也。惟聖人、然後可以踐形」。
・やだ…①焼物のきず。②転じて、人の欠点や悪い癖。

知化則善述其事。これも段々垩人を語り、天の子に成きったを見せて学者の標準にする。化は天地変化にて、春が夏になり、夏か秋になり、夜か昼になり、昼か夜になる類を云。知化は垩人天地の道理の根ずみし玉ふを云。丁ど三代明王の忠質文のかわるやうなもの。忠の、質の、周の郁々乎と云か皆天地に象りたもの。堯の歴象日月星辰と云て民に時を授け、棄の耕作を教へらるるも知化からなり。それが孝子の事を述るなり。武王周公のなさるることか、文王の思召の通りを述玉ふ。常人の上ても町人なとは利か專なれども、其事を述る子は、親か伜に家事をあづけて苦労もないゆへ、大和巡りに行と云。丁と垩人の天の思召を知て天のことをするか、孝子の事を述るやふなり。
【解説】
「知化則善述其事」の説明。「化」とは天地の変化である。「知化」とは聖人が天地の道理を理解したこと。「善述其事」とは、武王や周公が文王の思し召しの通りを行った様なことで、天の思し召しを知ってその通りのことをすることである。
【通釈】
「知化則善述其事」。これも段々に聖人を語り、天の子に成り切ったところを見せて学者の標準にする。化は天地変化のことで、春が夏になり、夏が秋になり、夜が昼になり、昼が夜になる類を言う。知化とは、聖人が天地の道理を根済みされたことを言う。丁度、三代明王の忠質文が変わる様なもの。忠や質や周の「郁々乎」ということが皆、天地に象どったもの。堯が「暦象日月星辰敬授人時」で、棄が民に耕作を教えられたのも知化からである。その知化で孝子の事を述べる。武王や周公は、文王の思し召しの通りに述べられた。常人の上でも、町人などは利のことばかりだが、事を述べる子がいると、親が伜に家事を預けて苦労もないから、大和巡りに行くと言う。丁度、聖人が天の思し召しを知って天の事をするのが、孝子が事を述べる様なもの。
【語釈】
・知化…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往來、朋従爾思。子曰、天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮。天下何思何慮。日往則月來、月往則日來、日月相推而明生焉。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歳成焉。往者屈也、來者信也。屈信相感而利生焉。尺蠖之屈、以求信也。龍蛇之蟄、以存身也。精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。
・善述其事…中庸章句19。「子曰、武王周公、其達孝矣乎。夫孝者、善繼人之志、善述人之事者也」。
・三代明王…夏殷周の三代の明王。夏の禹、殷の湯王、周の武王と文王を指す。
・忠質文…論語為政23集註。「文質、謂、夏尚忠、商尚質、周尚文」。
・周の郁々乎…論語八佾14。「子曰、周監於二代、郁郁乎文哉。吾従周」。
・歴象日月星辰…書経堯典。「乃命羲和、欽若昊天。暦象日月星辰、敬授人時」。
・棄…后稷。周の始祖と伝えられる伝説上の人。母姜原が巨人の足跡を踏んで妊娠し、生れるとすぐに棄てられたことから、棄と名づけられた。のち農耕に貢献。帝堯に挙用されて農師となり、舜の世に后稷の官についた。武王はその一六世の孫と伝える。

窮神則善継其志。神明の德に通するを窮神と云。天地の心を知は垩人でなければならぬ。天地と同服中ゆへ、心根を云ふ。上の知化は氣の上、造化のがんざりて知。窮神は理上のこと。神明不測の所を云。継其志は、親の口へ出さぬことを継てする。垩人は事も德も天の思召通りなり。よく々々なことて、迂斎の云るるに、親は死ても子が志を継けば、親はやはり生ていると云ものなり。それは孝の一事なり。垩人のは天なりのことを継てなさる。天の心を垩人が皆受て、うんと呑こんてなり。学者が仁の建立の眼か届かぬ。これを聞て首を捻るが、たたい仁は極致の洪大なこと。愛之理心之德と出して示すは仁の判鑑なり。仁の至極の所は、垩人の天地一牧で何もかもをしくるんで皆甘ひ処のことを云。そこで知化の、窮神のと云、この塲にをし立るか西銘の郭なり。
【解説】
「窮神則善繼其志」の説明。神明の徳に通じることを窮神と言う。知化は気の上のことで目に見えるが、窮神は理の上のことで不測なものである。聖人は天の志を継ぐ。聖人は仁を建立することができるが、学者はそこまでに至らない。仁を建立するのが西銘である。
【通釈】
「窮神則善継其志」。神明の徳に通じることを「窮神」と言う。天地の心を知るのは聖人でなければならない。それは天地と心が同じからであって、その心根を指してこの様に言う。上の知化は気の上のことであり、造化の明なことで知ることができる。窮神は理の上のことで、神明不測の所を言う。「継其志」は、親が口に出さないことを継いですること。聖人は事も徳も天の思し召しの通りである。それはよくよくなことで、迂斎が、親は死んでも子がその志を継げば、親はやはり生ていると言うことだと言った。それは孝の一事である。聖人は天の通りのことを継いでされる。天の心を聖人が皆受けて、うんと呑み込んでする。学者は仁の建立に眼が届かない。これを聞いて首を捻るが、そもそも仁は極致の洪大なこと。「愛之理心之徳」と出して示すのは仁の判鑑である。仁の至極の所は、聖人が天地一枚で何もかも押し包んで皆甘い処のことを言う。そこで知化窮神と言って仁をこの場に押し立てるのが西銘の外郭となる。
【語釈】
・窮神…易経繋辞伝下5。「窮神知化、德之盛也」。「知化」を参照。
・善継其志…中庸章句19。「夫孝者、善繼人之志、善述人之事者也」。「善述其事」を参照。
・同服…①同一の母の腹から生れたこと。また、その兄弟姉妹。はらから。②心を同じくすること。また、その人。同心。同志。
・愛之理心之德…論語学而2集註。「仁者愛之理心之德也」。孟子梁惠王章句上2集註。「仁者心之德愛之理」。
・判鑑…照合のために、あらかじめ取引先などに控えて置く印影の見本。印鑑。

不愧屋漏云々。抑詩。これが功夫の内で、人の見ぬ処をするか大切のこと。大学や中庸で謹獨の大切もここなり。仁になりやふは形や外のことではなく、胸の上のことなり。胸はあいてのないを云。屋漏に相手のない。一人の地て人が見ぬゆへうっかりや不埒なこともあるものに、そこても愧しくない。為無忝は、小宛。詩で我を生んだを所生と云そ。所生は父母をはつかしめぬ。孝行を云ふ。ただ脊を撫て甘ひものをすすめるやうなことてなく、親の顔へ泥をつけぬを云て、天の顔へ泥を付ぬを云こと。これも孝の語で、天へ事るを云。
【解説】
「不愧屋漏爲無忝」の説明。人の見ていない時の行いが大切である。仁は自分の胸の問題だから、人がいなくても愧じない行動をしなければならない。天の顔に泥を付けてはならない。
【通釈】
「不愧屋漏云々」。抑詩。これが工夫のことで、人の見ていない時にする事が大切だということ。大学や中庸で謹獨を大切だと言うのもここのこと。仁の成り様は形や外見のことではなく、胸の上のこと。胸とは相手のないことを言う。屋漏では相手もなく、一人の場で人が見ないからうっかりとしたり不埒なことをするものだが、そこでも愧ずかしくない行動をする。「爲無忝」。小宛。詩で自分を生んだ所を所生と言う。所生は父母を忝しめないことで、孝行のことを言う。ただ背を撫でて甘いものを勧める様なことではなく、親の顔へ泥を付けないことを言うが、ここでは天の顔へ泥を付けないことである。これも孝の語で、天へ事えることを言う。
【語釈】
・不愧屋漏…詩経大雅抑。「相在爾室、尚不愧于屋漏」。「屋漏」は西南の隅で、家の奥にあって神様を祭る所。
・大学や中庸で謹獨…大学章句6。「所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色。此之謂自謙。故君子必愼其獨也」。中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。
・無忝…詩経小雅小宛。「夙興夜寝、無忝爾所生」。

存心養性云々。尽心。放心せぬことを云。心も元来手前のものでなく、天からはめて下されたもの。明德の、万物之靈のと、天より善ひものを賜はれり。心が形ないもので居処にをらぬゆへわるいことする。存心養性が天への奉公なり。心と云ものが、新田を発ひたやふに我ものてない。そこで垩人と凡人の間が仁義礼智の匁方の違ひてなく、放心と存するとの所なり。養性と云も、心の方へかけた文字なり。心か居処に居ると性がとまる。水があると月影がうつる。心を存すると仁義の性、ひか々々する。そこを養と云。心の相塲の狂ひから性がそこ子る。さて、匪懈の字は、もと詩の本意は君へのことで、親へ事へることてない。孔子の一旦孝經へ取玉ふたゆへ、横渠のここへ引れたも道理の至極したと云計でなく、働き迠違ふこと。ここの用ひやう、詩經と云問屋が主てなく、孝經と云中買を主に引けり。そこて又、手つめのきいた。朱子の解に、孝經引詩曰と解せり。
【解説】
「存心養性爲匪懈」の説明。心は元来自分のものではなく、天が体に嵌めて下さったもの。そこで、聖人と凡人の違いは仁義礼智の違いではなく、放心と存心の違いにある。養性も心の方へ掛けた文字であって、心が居処にいると性が留まる。匪懈は詩経の語だが、ここは孔子の孝経の意で説いたものである。
【通釈】
「存心養性云々」。尽心の語。放心しないことを言う。心も元来自分のものではなく、天が体に嵌めて下さったもの。明徳や万物之霊など、人は天から善いものを賜わっている。心は形のないものなので、居処にいないから悪いことをする。存心養性が天への奉公である。心というものは新田の様なものではないから、自分のものではない。そこで、聖人と凡人の間は仁義礼智の重さが違うのではなく、放心と存するとの違いにある。養性というのも、心の方へ掛けた文字である。心が居処に居ると性が留まる。水があると月影が映る。心を存すると仁義の性が光る。そこを養と言う。心の相場の狂いから性を損ねる。さて、「匪懈」の字は、詩の元々の本意は君へのことで、親へ事えることではない。孔子が一寸孝経へこれを採られたので、横渠がここに引用したのも道理の至極のことだと言うことばかりではなく、その働きまで違うのである。ここの用い方は、詩経という問屋が主ではなく、孝経という仲買を主として説く。そこでまた、手詰めが効く。朱子の解に、「孝経引詩曰」とある。
【語釈】
・存心養性…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。殀壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。
・放心…孟子告子章句上11。「孟子曰、仁、人之心也。義、人路也。舍其路而弗由。放其心而不知求。哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他。求其放心而已矣」。
・明德…大学章句1。「大學之道、在明明徳。在親民。在止於至善」。
・万物之靈…書経泰誓上。「惟天地萬物父母、惟人萬物之靈」。
・匪懈…詩経大雅烝民。「既明且哲、以保其身。夙夜匪解、以事一人」。
・孝經へ取玉ふ…孝経卿大夫。「詩云、夙夜匪懈、以事一人」。
・孝經引詩曰…朱解。「孝経引詩曰、無忝爾所生」。

悪旨酒云々。むまいと云字、甘ひがくせものなり。酒が黄柏の煎のやふなら誰も飲人はあるまいか、さてもと氣を開くもの。それて人か身を失ふ処を、初て酒の出来たときに、禹の不届なものと思召せり。西銘ふたんの文章てないゆへ、崇伯と使へり。禹の父、崇の領主なり。人欲で天理てそこのふを示せり。克己復礼も人欲を切ること。孟子、博変好酒飲酒不顧父母之養と云。世間のものの不孝するは、多くは大酒て不孝するとあるを、それを悪むと云は、天へ事る上の人欲を去て天を大事にするのそ。孝子の保養するやうなものなり。大酒のみは親を顧ぬゆへ、をやの病氣て医者の来たも知らす呑倒れている。
【解説】
「惡旨酒、崇伯子之顧養」の説明。人欲は天理を害う。克己復礼も人欲を断ち切ること。不孝の多くは酒によるもので、悪旨酒は、人欲を去って天を大事にすること。
【通釈】
「悪旨酒云々」。旨いという字は、甘いのが曲者である。酒が黄柏を煎じた様なものなら飲もうとする人は誰もいないだろうが、それで気を開く。それで直ぐに人が身を失ってしまう処を、初めて酒ができた時に、禹は不届なものだと思し召された。西銘は普通の文章ではないから、崇伯を用いた。彼は禹の父で、崇の領主である。人欲が天理を害うことを示したのである。克己復礼も人欲を切ること。孟子が「博弈好酒飲酒顧父母之養」と言った。世間の者がする不孝の多くは、大酒による不孝であると言うが、それを悪むと言うのは、天へ事える上では人欲を去って天を大事にすることである。孝子が親を保養する様なもの。大酒飲みは親を顧ないから、親が病気になって医者が来たことも知らずに呑み倒れている。
【語釈】
・悪旨酒…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒、而好善言」。また、戦国策魏策に、「儀狄作酒而美。進之禹。禹飲而甘之、遂疏儀狄、絶旨酒。曰、後世必有以酒亡其國者」。
・黄柏…キハダの別称。また、その樹皮の生薬名。健胃・消炎剤のほか、染料にも用いる。
・崇伯…鯀。禹の父。
・克己復礼…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下帰仁焉」。
・博変好酒飲酒不顧父母之養…孟子離婁章句下30。「孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支、不顧父母之養、一不孝也。博弈、好飲酒、不顧父母之養、二不孝也。好貨財、私妻子、不顧父母之養、三不孝也。從耳目之欲、以爲父母戮、四不孝也。好勇鬭很、以危父母、五不孝也」。

偖、養の字のこと、親を養ふから見れば何のことなく、かいほうかんがくのこと。天へかけると、ちと文義の傳授あり。直方先生の、天の御恩を顧と云ことてはない。天を養ふことと云るる。天を養ふと云は、人の上に天理を拜領して有るは、天の理を人へあつけてをくなり。親が子にあつける。他人ならばあつけもせまいが、子ゆへに預けるなり。人も天の子ゆへ、天があつけて置るる。然るを、人欲を專にして天理を養はぬは天へ不孝もの。なけかはしきことなり。垩人は拜領のまま存し玉ふゆへ、天へ孝なり。上の養もその意で見べし。養性ゆへに天を大切々々として養ふゆへも、ここも人欲をよせつけぬこと。天の邪魔になるものはよせつけぬ。又、直方先生、人欲がはいると天がかつへると云はるる。見て取たことなり。飯くわぬをかつへると云。人欲かあると天理は絶食なり。天と云て青空のことでなく、天理のことなり。天理と人欲とは一と間にをらぬものなり。彼旨酒で天理が返る。人欲を取ると又天理は肥る。そこを顧養と云。
【解説】
養とは天から拝領した理を養うこと。天は理を人に預けたのに、人が人欲を専らにして天理を養わないのは、天に対する不孝である。天理は人欲とは同居せず、人欲があると飢える。人欲を取り払えば天理は肥える。これを顧養と言う。
【通釈】
さて、養の字の意味は、親を養う面から見れば何と言うことでもなく、介抱看護のこと。しかし、これを天へ掛けると文義の伝授が少々ある。直方先生が、天の御恩を顧るということではなく、天を養うことだと言われた。天を養うと言うのは、人の上に天理が拝領されているのは、天の理を人へ預けて置くことだからである。親は子に預ける。他人であれば預けもしないだろうが、子だから預ける。人も天の子だから、天は人に預けて置かれる。それなのに、人欲を専らにして天理を養わないのは天に対して不孝者であり、嘆かわしいことである。聖人は拜領のまま存されるので、天への孝である。上の養もその意で見なさい。養性故に、天を大切なものとして養う上からも、ここも人欲を寄せ付けないこと。天の邪魔になるものは寄せ付けない。また、直方先生が、人欲が入ると天が飢えると言われた。よく見切った言い方である。飯を食わないことを飢えると言う。人欲があると天理は絶食する。天というのは青空のことではなく、天理のこと。天理と人欲とは同じ場にいないもの。あの旨酒で天理が去る。人欲を取り払うと、また天理は肥える。そこを顧養と言う。
【語釈】
・かんがく…看護。みとること。面倒をみること。

育英材云々。悪旨酒は我方のこと。育英材は新民なり。孟子得英材教育之と云、三樂もこちのよいか向へ出る。これか仁めかぬことの、仁の全体の規摸になる。をれさへ孝なれは、弟は不孝でもよいでない。仁の建立は我を研くことなれとも、人を善くするて天へ事るなりと云は万物一体なり。そこで仁の規模なり。それを親孝行で云へば頴封人之賜類也。西銘、孝叔かこと、二度違へて使へり。上の純乎孝者なりは左傳以頴考叔為純孝を引く。ここも人の能知たこと。やはり同し処の左傳の如くにある頴考淑か荘公の母子の中をよくしたこと。賜類、ここに二説あり。詩の集傳は孝子不遺永賜爾類をと、をの点なり。芼長か説なり。類は善なり。又、鄭玄が註は明類同類と見る。直方先生も、にの点かよいと云はるる。西銘ては類に賜の鄭玄が方がよい。手前計りの研くてなく、人に及ふなり。
【解説】
「育英才、潁封人之錫類」の説明。悪旨酒は自分のことで、育英材は新民のこと。自分だけを研くのではなく、人に及ぼさなければならない。「類」には毛萇と鄭玄の説があるが、鄭玄の説の方がよい。
【通釈】
「育英才云々」。「悪旨酒」は自分の方のことで、育英才は新民のこと。孟子も「得英才教育之」と言い、君子の三楽も自分のよいところが向こうに出ること。これは仁らしくない様だが、これが仁の全体の規模となる。自分さえ孝であれば弟は不孝でもよいということはない。仁の建立は自分を研くことだが、人を善くすることが天に事えることになるというのは万物一体だからである。そこが仁の規模なのである。それを親孝行で言えば「潁封人之錫類也」。西銘では孝叔のことを二度変えて使っている。一つは上の「純乎孝者也」で、これは左伝の「以潁考叔為純孝」を引用したもの。ここも人がよく知ってことで、やはり同じ左伝の中にある潁考淑が荘公の母子の仲をよくしたこと。錫類には二説がある。詩の集伝は「孝子不匱永錫爾類」で類をと、をの点をする。これは毛萇の説である。この類とは善のことである。また、鄭玄の註では類を明類同類と見ている。直方先生も、にの点がよいと言われた。西銘では類に錫うとする鄭玄の説の方がよい。自分ばかりを研くのではなく、人にも及ぶのである。
【語釈】
・新民…大学章句1。「大學之道、在明明德。在新民。在止於至善」。
・得英材教育之…孟子尽心章句上20。「孟子曰、君子有三樂。而王天下、不與存焉。父母倶存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才、而教育之、三樂也。君子有三樂。而王天下不與存焉」。
・頴封人…頴は潁谷。封人は国境を守る人。潁考叔を指す。
・詩の集傳…
・孝子不遺永賜爾類…詩経大雅既酔。「孝子不匱、永錫爾類」。
・芼長…毛萇。詩経を専門に修め、漢の河間献王の博士となる。
・鄭玄…後漢の大儒。字は康成。山東高密の人。馬融に学び訓詁の大家となり、門人数千。127~200

不弛労而云々。天へ事るは人間一生の内、あくむことや沓入のすることあるもの。是ではたまらぬと云と、半途而廃るになる。文王の德の純なる、純も亦不已と云て一生やまぬ。学問か弛るとみんなになる。色々工夫しても君子にも仁者にもならぬと云は、弛るのなり。垩賢にゆるみはない。孔子、十有五而志於学より七十不踰矩迠ゆるべはない。理なりを々々々々と間断ないゆへ、天の思召に叶ふ。ここに舜を孝の一事に出して見せり。舜ほどかんなんな垩人はない。舜のやまぬ誠てあの瞽叟を豫はせり。天へ事るも、舜のやふにすると天の思召に合ふ。ここを中庸て云へは戒愼恐懼て、天地位万物育の天心へ響く。これ迠に極効をすること。この句全体を云。
【解説】
「不弛勞而厎豫、舜其功也」の説明。学問は弛むと台無しになる。文王や孔子は一生弛まなかった。舜も止まない誠で瞽瞍を豫ばせた。
【通釈】
「不弛労而云々」。天へ事えるにも、人間一生の内には倦むことや草臥れることがあるもの。これでは堪らないと言えば、「半途而廃」となる。「文王之徳之純、純亦不已」と言って一生止まない。学問が弛むと台無しになる。色々な工夫をしても君子にも仁者にもなることができないと言うのは、弛むからである。聖賢に弛みはない。孔子は十有五而志於学より七十不踰で、弛みはない。理のままを通して間断がないから、天の思し召しに叶う。ここに舜を孝の一事として出して見せた。舜ほど艱難に遭った聖人はいない。舜の止まない誠で瞽瞍を豫ばせた。天へ事えるのも、舜の様にすれば天の思し召しに合う。ここを中庸で言えば「戒愼恐懼」で「天地位万物育」の天心へ響く。そこまで極効をすること。この句は全体を指して言ったもの。
【語釈】
・沓入…
・半途而廃る…論語為政4集註。「又曰、聖人言此、一以示學者當優游涵泳、不可躐等而進、二以示學者當日就月將、不可半途而廢也」。
・文王の德の純…中庸朱子章句26。「詩曰、惟天之命、於穆不已。蓋曰天之所以爲天也。於乎不顯、文王之德之純。蓋曰文王之所以爲文也。純亦不已」。
・十有五而志於学より七十不踰矩…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」。
・瞽叟を豫はせり…孟子離婁章句上28。「舜盡事親之道、而瞽瞍厎豫。瞽瞍厎豫、而天下化。瞽瞍厎豫、而天下之爲父子者定。此之謂大孝」。
・戒愼恐懼…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。
・天地位万物育…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。

待烹云々。自身て天命を知るを云。天から来次第のこと。避けやうと云ことはない。早く死たいの、長生したいのと云てならぬこと。道理の根に落着かあると、こふせふああせふと此方から手は出さぬ。天命をこふせふああせふとしても、商人の店替とは違ふ。向ふなりに落付か天命を知たなり。献公驪姫に迷ひ、申生を殺ふとするとき、或人が出奔をすすめたれとも、申生か、とこへ行ても父母のない国はない云て自殺せり。死ぬが天地の當然なれば、命は惜まぬ。扨、烹るのこと史傳に出處がない。鼎鑊か刑罸のことになりてをるゆへ烹ると書れたか、然し何ぞにあるかも知れぬこと。天下の書はかきりないことなり。申生迯れは迯らるるに恭く死せり。凡夫は禍をまぬかれることにかかる。天地の外て迯ふと云ふは恭てない。それは奉公人の欠落なり。人の天に事るは長生畏りましたの、夭畏りました。天の帳面をばはづれやうとするは我ままなり。申生が恭は天の通を受て迯ぬと云ものなり。
【解説】
「無所逃而待烹、申生其恭也」の説明。凡夫は禍を免れようとするが、天の通りにして、それを避けてはならない。申生は死ぬのが天命と考え、命を惜しまず自殺した。これが恭である。
【通釈】
「待烹云々」。自らが天命を知ることを言う。天から来た通りにすることで、それを避けようとはしない。早く死にたいとか長生きしたいとかと言ってもそれは叶わないこと。道理の根本を納得すれば、こうしようああしようと自分の方から手は出さない。天命をこうしようああしようとしても、それは商人の店替えとが違う。天の通りに納得するのが天命を知ったということ。献公が驪姫に迷って申生を殺そうとする時、或る人が出奔を勧めると、申生は、何処へ行くにしても父母のいない国はないと言って自殺した。死ぬのが天地の当然であれば、命は惜まない。さて、「烹」は、史伝に出処がない。鼎鑊が刑罰のことになっているから烹ると書かれたが、しかし何処かに出処があるかも知れない。天下の書に限りはない。申生は迯げようとすれば迯げられるのに、恭しく死んだ。凡夫は禍を免れようとする。天地に違えて迯げようとするのは恭でない。それでは奉公人の欠落である。人が天に事るとは、長生き畏まりました、夭逝畏まりましたと言うことで、天の帳面から外れ様とするのは我侭である。申生の恭は天の通りを受けて迯ないことである。
【語釈】
・献公…春秋晋の献公。献公と斉姜との間に生れたのが申生。献公は驪姫を寵愛し、驪姫は自分の子の奚斉を太子に立てようとして申生を讒言する。
・鼎鑊[ていかく]…中国の戦国時代に、重罪人を煮殺すのに用いた道具。転じて、極刑の意。
・欠落…江戸時代、庶民が他郷へ逃げ失せること。走り。逐電。出奔。

体其受而。天から人間に下されたは孟子の萬物具於我なり。天理を残らず賜たのに、人欲に使ふてやせこけて居は浅間しし。万理を体するは人手に渡さぬ。迂斎、丸なからと云へり。曽子の孝は父母からうけたまま、五本の指に疵つけす。簀をかへり。
【解説】
「體其受而歸全者、參乎」の説明。人は天理を残らず賜っているのであるから、それを全て身に体さなければならない。曾子の例がそれである。
【通釈】
「体其受而」。天から人間に下されたものとは、孟子の「万物具於我」のことである。天理を残らず賜わったのに、人欲に使われて痩せこけているのは浅ましいこと。万理を体するとは人手に渡さないこと。迂斎が、丸ながらと言った。曾子の孝は父母から受けたままで、五本の指に疵を付けない。彼は簀を替えた。
【語釈】
・萬物具於我…孟子尽心章句上4。「孟子曰、萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。強恕而行、求仁莫近焉」。
・五本の指に疵つけす…論語泰伯3。「曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫、小子」。
・簀をかへり…礼記檀弓上。「曾子寢疾。病。樂正子春坐於床下。曾元・曾申、坐於足。童子隅坐而執燭。童子曰、華而睆、大夫之簀與。子春曰、止。曾子聞之、瞿然曰、呼。曰、華而睆、大夫之簀與。曾子曰、然、斯季孫之賜也。我未之能易也。元起易簀。曾元曰、夫子之病革矣。不可以變。幸而至於旦。請敬易之。曾子曰、爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德。細人之愛人也以姑息。吾何求哉。吾得正而斃焉。斯已矣。舉扶而易之。反席未安而沒」。易簀とは病床をとりかえること。転じて、学徳ある人の死。

勇於從順令。上の申生に似たことなれとも、勇の字に味あり。せふことなしは天理に安んせぬ。父子君臣を大戒と云ふは、さりとはわるい。勇むか天へ事るに大ふ精彩のある字なり。天の仰付次第にはい々々と云てする。身上破滅病気艱難皆畏った々々々といさむ。これゆへ、知者動の、仁者樂のと云も吾方の一物はなし。上からすることを何ても逆はぬ。尹吉甫妾に迷て伯竒をむごくせり。伯竒も尹吉甫が子ゆへ日雇とりのやふな身分てなく歴々なるに、あの霜の上を素足てあるかせて継母がよい氣味とする。それをちともさからはず、めげず、はい々々と云てのってするが孝の仕方のうけかよい。村に豆腐のあるに、雪の中を東金へ買にやる。それを氣がるに欠出すやうに、天氣次第にうける。天の思召をいなと受ぬが勇なり。天地の父母に事るには、この伯竒が勇む通りに推子はならぬなり。
【解説】
「勇於從而順令者、伯奇也」の説明。嫌々ながらするのでは天理に安んじない。自分に一物を持たず、天の言う通りを伯奇の様に勇んで行う。
【通釈】
「勇於従順令」。上の申生に似たことではあるが、勇の字に味がある。嫌々ながらするのでは天理に安んじない。父子君臣を大戒と言うのも実に悪い。「勇」が天へ事えるに当たって大分精彩のある字である。天の仰せ付けの通りに、はいはいと言って行う。身上破滅病気艱難皆畏まったと勇む。そこで、「知者動仁者楽」と言うのも、自分の方には企みが一つもないこと。上から命じられたことは何でも逆らわないのである。尹吉甫が妾に迷って伯奇に酷いことをした。伯奇も尹吉甫の子だから日雇取りの様な身分ではなく歴々だが、霜の上を素足で歩かせて継母がよい気味だと思った。それを少しも逆らわず、めげず、はいはいと言って勇んですると孝の仕方の受けがよい。村に豆腐があるのに雪の中を東金へ買いに遣る。それを気軽に駆け出す様に、天の気象の通りに受ける。天の思し召しを否なことだなどと思わないのが勇である。天地の父母に事えるには、この伯奇の勇む通りに推し進めなければならないのである。
【語釈】
・大戒…荘子内篇人間世。「仲尼曰、天下有大戒二。其一命也。其一義也。子之愛親、命也。不可解於心。臣之事君、義也。無適而非君也。無所逃於天地之間。是之謂大戒」。大戒とは大法のこと。
・知者動の、仁者樂の…論語雍也21。「子曰、知者楽水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽」。
・尹吉甫…漢書馮奉世伝に、周の尹吉甫が後妻に惑わされて、太子の伯奇を放逐した話がある。伯奇は衣服も履物もなく、霜の道に車を引いて苦労をしたが、只管父の命令に従って逆らわなかったとある。

冨貴福澤云々。此前、樂且不憂と云より申生か恭、伯竒が勇の内に冨貴貧賎憂戚のこともふくんてあれとも、張子の仕廻に冨貴貧賎憂戚としらで出されたが仁の功夫、的実の処なり。偖爰で又、魚のことを出して云がよし。尤親切なり。浪立て水がもめたり水か渇れたりすると鮒も死ぬ。されとも鮒の方から水にもとったことなし。水次第になる。我方にとふせふこふせふはない。人も藐焉で天にだかれて居る。然れば人も天地次第に動て、天の仰付なりを何もかも有難々々とうけべきことなり。冨貴福澤は子とも大勢、家内も云に云へぬにぎやかな身分がある。とふしてか、天から善し下さるる。天の御深切を蒙れり。貧賎憂戚の打てかわったものを同挌に見るが西銘の意なり。冨貴を人のいやかるものはない。憂戚は、廃病の、食物のないのと、人の胸をわるくするに此上はない。それは、凡夫は西の海へさらりと思ふに、そこが西銘なり。
【解説】
「富貴福澤、將厚吾之生也。貧賤憂戚」の説明。水と魚の関係の様に、人は藐焉として天に抱かれているのだから、人も天地のままに動いて、天の言う通りを有難く受けなければならない。富貴福沢も貧賎憂戚も同格に見るのが西銘の意である。
【通釈】
「冨貴福沢云々」。この前の「楽且不憂」から申生の恭、伯奇の勇の内に富貴貧賎憂戚のことも含まれているが、張子が最後に富貴貧賎憂戚と、そのままに出されたのが仁の功夫、的実の処である。さて、ここでまた魚を引き合いに出して言うのが尤も親切なこと。浪が立って水が揉まれたり、渇れたりすると鮒も死ぬ。しかし、それは鮒の方で水に求めたことではない。水次第でその様になる。自分の方でどうこうしようということはない。人は藐焉で天に抱かれている。それなら人も天地のままに動いて、天の仰せ付けの通りを何もかも有難く受けなければならない。富貴福沢には、子供が大勢いて、家内も言うに言えないほど賑やかな身分がある。どうしてか天がよくして下さる。天の御深切を蒙っている。それと貧賎憂戚という全く正反対の者を同格に見るのが西銘の意なのである。富貴を嫌がる人はいない。憂戚は、廃病や食物がない様なことで、人が気分を悪くするにはこの上ないこと。凡夫はそれを西海へさらりと思うが、これを同格に見るのが西銘なのである。
【語釈】
・冨貴福澤…天が人の生涯を豊かにするするために与えてくれる富貴や恩沢。
・貧賎憂戚…天が人を貧賎の地位に置き、その心を悲しませること。
・西の海へさらり…西海へさらり。厄払いのことば。悪事・凶事・災厄などを払いのけて西の海へ流してしまう意。

玉汝於成と云は、玉は大切のものに立てある。貧賎やむごい目に合て、それに段々すりたてられて善くなる。先日の困之進人也と云如く、天から玉のやうな人にせふとてなり。冨貴には飛つく。貧賎には迯るが、どふも天地に迯やうはない。冨貴にするも玉にするも天なりに受ること。異端は冨貴をすてて隠居せふと云て天の外をする。朱子の、周公と顔子のことを云へり。周公か暖か過るの、うるさいのと云はす。又、顔子か寒いの、面白ないのと云はす。そんなぬるけたことに搆はぬ。ここか仁の建立なり。顔子へ不改樂の御印可もそれゆへなり。西銘のぎり々々は、冨貴貧賎向ふなりにして、こちの心はどちでも同ことなり。
【解説】
「庸玉女於成也」の説明。人は艱難に遭って善くなる。人は天から逃れることはできないが、異端はそれから逃れようとする。西銘は、富貴貧賎を天のままに受け、自分の心はどちらでも同じだと捉えることである。
【通釈】
「玉汝於成」。玉は大切なものである。貧賎や酷い目に遭って、それに段々と擦り立てられて善くなる。先日も「困之進人也」と言う様に、天が玉の様な人にしようとしてするのである。富貴には飛びつき貧賎には迯げると言っても、どうも天地から迯げる方法はない。富貴になるのも玉になるのも天のままに受けなければならない。異端は富貴を棄て、隠居しようと言って天の外を行う。朱子が、周公と顔子のことを言った。周公が暖か過ぎるとか、煩いなどとは言わない。顔子が寒いとか、面白くないとは言わない。そんな温けたことには構わない。ここが仁の建立である。顔子への「不改楽」の御印可もそれ故である。西銘の至極は、富貴貧賎は天のままに受け、自分の心はどちらでも同じであると捉えることである。
【語釈】
・困之進人也…為学87の語。
・不改樂…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。
・印可…①仏が弟子の理解を承認すること。また、師僧が弟子の悟りを証明すること。允許。②武道・芸道のゆるし。免許。

存則吾順事没吾寧也。石原先生、太極圖説を氣散じと云はるる。西銘も氣散じなり。順事は天理なりにして行く。没吾寧也は臨終正念の觀化のと云ことでない。臨終の、死ぎわを觀るを觀化と云。生た内、道理なりをして壽が尽ればやはり生たときの心法て、これて御仕舞と云ものなり。寧の端的はこれで御仕廻じゃと云に、天地へ引屓のないなり。孝子が親に事へて死たとき、親を辱しめ子は引かかりたことなし。西銘の全体の理なりになること。道理なりにして流義はない。仁のたんてき、氷かとけると流行する。そこて理なりに寧んする。これで西銘を語りわけたが、朱子の朝聞道と云はるる。どふこふせふでなく、理なりにきめる。直方先生の云、死んでからと云ことはないとなり。垩人の道は佛とちこふ。大病を苦んたか寧と云やふな筋てない。道理のなりに太極に引屓のないを没吾寧しと云。太極圖説の末にも知生死之道とあり。西銘も存没の字て結へり。太極圖説は知見て、道体で見ること。西銘は爲学でつかまへること。同し生死なれとも、見てとるとつかまへるとの訳あり。爲学でつかまへると云ふ其合点も知のことなれとも、道体は取と云へし。功夫に見て取と云ては爲学めかぬことなり。つかまへ子ば役に立ぬなり。
【解説】
「存吾順事、沒吾寧也」の説明。「存吾順事」は生きている間は天理の通りに行うこと。「寧」とは天地に負い目のないこと。直方先生は、死んでから先はないと言った。聖学は死後を語る仏とは違う。太極図説にも生死のことが末にあるが、太極図説は道体だから知見であり、見て取るもの。西銘は為学だから掴まえるもの。
【通釈】
「存則吾順事没吾寧也」。石原先生が、太極図説を気散じと言われた。西銘も気散じである。「順事」は天理の通りにして行くこと。「没吾寧也」は、臨終正念や観化ということではない。臨終の、死際を観ることを観化と言う。生きている内に道理の通りをして、寿命が尽きればやはり生きている時の心法で、これで御仕舞いということなのである。寧の端的は、これで御仕舞いだと言う時に、天地に引負いがないこと。孝子が親に事えて死んだ時に親を辱めなければ引負いはない。西銘の、全体の理の通りになること。道理の通りにして流儀はない。仁の端的は、氷が解けると流行する様なもの。そこで理の通りに寧んじる。これで西銘を語り終わったが、ここで朱子が「朝聞道」と言われた。それはどうこうすることではなく、理の通りに決めることを言う。直方先生が、死んでから先ということはないと言われた。聖人の道は仏とは違う。大病を苦んだが寧しと言う様な筋ではない。道理のままで太極に引負いのないことを没吾寧と言う。太極図説の末にも「知生死之説」とあり、この西銘も存没の字て結んだ。太極図説は知見であり、道体で見る。西銘は為学で掴まえる。同じ生死であるが、見て取ると掴まえるとの違いがある。為学では掴まえると言う。それを合点するのも知のことだが、道体では取ると言わなくてはならない。工夫に見て取ると言っては為学らしくない。掴まえなければ役に立たないのである。
【語釈】
・氣散じ…溝口公に対する「原始反終、故知死生之説」の説明の中で、石原先生が気散じと言ったと、黙斎の道体初条の講義中にある。
・臨終正念…死に臨んで心乱れず往生を信じて疑わないこと。
・引屓…引負い。①商店の手代が請売して、その損金が主人に対して負債になること。②使い込むこと。③売買・取引を他人に代って行い、そのために生じた損失が自己の負担となること。
・知生死之道…正しくは「知生死之説」。

明道先生曰、訂頑之言、極醇無雜。秦漢以來、學者所未到。又曰、訂頑一篇、意極完備。乃仁之體也。學者其體此意、令有諸己、其地位已高。到此地位、自別有見處。不可窮高極遠。恐於道無補也。又曰、訂頑立心、便達得天德。又曰、游酢得西銘讀之、即渙然不逆於心。曰、此中庸之理也。能求於言語之外者也。
楊中立問曰、西銘言體而不及用。恐其流遂至於兼愛。如何。伊川先生曰、横渠立言、誠有過者。乃在正蒙。西銘之書、推理以存義、擴前聖所未發、與孟子性善養氣之論同功。豈墨氏之比哉。西銘明理一而分殊。墨氏則二本而無分。分殊之蔽、私勝而失仁、無分之罪、兼愛而無義。分立而推理一、以止私勝之流、仁之方也。無別而迷兼愛、以至於無父之極、義之賊也。子比而同之、過矣。且彼欲使人推而行之、本爲用也。反謂不及、不亦異乎。

【読み】
明道先生曰く、訂頑の言は、極醇にて雜り無し。秦漢以來、學者未だ到らざる所なり。又曰く、訂頑の一篇は、意極めて完備す。乃ち仁の體なり。學者其れ此の意を體し、諸を己に有せしめば、其の地位已に高し。此の地位に到れば、自ずから別に見る處有らん。高きを窮め遠きを極む可からず。恐らくは道に於て補い無けん。又曰く、訂頑の心を立つる、便ち天德に達し得たり。又曰く、游酢西銘を得て之を讀み、即ち渙然として心に逆[さか]わず。曰く、此れ中庸の理なり、と。能く言語の外に求めたる者なり。
楊中立問いて曰く、西銘は體を言いて用に及ばず。恐らくは其の流れ遂に兼愛に至らん。如何。伊川先生曰く、横渠の言を立つること、誠に過ぎたる者有り。乃ち正蒙に在り。西銘の書は、理を推して以て義を存し、前聖の未だ發せざる所を擴む。孟子性善養氣の論と功を同じくす。豈墨氏の比ならんや。西銘は理一にして分殊なることを明らかにす。墨氏は則ち本を二にして分無し。分殊の蔽は、私勝ちて仁を失い、無分の罪は、兼ね愛して義無し。分立ちて理一を推し、以て私勝つの流れを止むるは、仁の方なり。別無くして兼愛に迷い、以て父を無みするの極みに至るは、義の賊なり。子比して之を同じくするは、過てり。且つ彼人をして推して之を行わせしめんと欲す。本用を爲さんとなり。反って及ばずと謂うは、亦異ならずや。
【補足】
これは西銘にある明道、伊川の注である。

細書。明道先生曰訂頑一書云々。先つ西の銘は朱解あり。あれへかけぬ内はほんに吟味がつまらぬ。然れとも解が主になりて、この小注をけりゃふに心へるはわるい。近思では大ふ小注を見へしと云は、只今振舞をするに、新蕎麥でもからみ大根か利子はみんなにする。今日の学者、西銘にからみ利ぬやうなり。この小注に取付くと、西銘のからみ大根なり。本文の元氣がつく。偖、張子外に言違ひがあるゆへ、訂頑の書極醇無雜と云。迂斎先生の、明道の極め札かないと疑ひになると云へり。なるほど乾称父坤称母と云から、段々のこと知らぬ人か聞くと、荘子ても云そふなことなり。迂斎又曰、内則曰鷄初鳴てと云には断書は入らぬとなり。
【解説】
「明道先生曰、訂頑之言、極醇無雜」の説明。この小注は西銘の辛味大根である。張子には外の書で言い違いもあるから、明道は「訂頑之言極醇無雜」と言ったのである。そうでないと、天地を父母と称すことから、荘子でも言いそうなことだと思われてしまう。
【通釈】
細書。「明道先生曰訂頑一書云々」。先ず西の銘には朱子の注解がある。あれに取り組まない内は本当の吟味には至らない。しかし、朱解が主になってこの小注を軽く心得るのは悪い。近思では小注をよく見なさいと言うのは、只今新蕎麦を振舞うとしても、辛味大根が利かなければ台無しとなる。今日の学者は、西銘に辛味が利かない様なもの。この小注に取り付くのが西銘の辛味大根である。それで本文が元気付く。さて、張子は外の書に言い違いがあるから、「訂頑之書極醇無雑」と言った。迂斎先生が、明道のこの極札がないと疑いが出ると言った。なるほど「乾称父坤称母」と言うから、その段々を知らない人がこれを聞けば、荘子でも言いそうなことだと思う。また迂斎が、内則の「雞初鳴」に断り書きは要らないと言った。
【語釈】
・極め札…古筆などを鑑定した結果を短冊形の小札にしるしたもの。
・内則曰鷄初鳴て…礼記内則。「雞初鳴、咸盥漱、…」。
・断書…断り書き。本文についての説明・補足・例外などを書き記した文章。ただし書き。

秦漢以来云々。孟子死でからのと云ことと直方云へり。西銘の道理、孟子は云へは云るることなるか、このこと発せぬ。韓退之は唐の珎客。文はあの通り上手なれとも、これを云ことはならぬ。云根かない。原道もあれぎりなり。
【解説】
「秦漢以來、學者所未到」の説明。秦漢以来とは孟子の後のこと。孟子も西銘の道理を知っていたが、それを言わなかった。韓退之ほどの者でも西銘を語ることはできない。
【通釈】
「秦漢以来云々」。孟子が死んだ後のことだと直方が言った。孟子も西銘の道理を言えば言えたが、言わなかった。韓退之は唐代の優れた人物で文はあの通り上手だが、これを言うことはできない。言う根本を持っていない。それで原道もあれだけのこと。
【語釈】
・韓退之…韓愈。唐の文章家・詩人。唐宋八家の一。字は退之。号は昌黎。768~824
・原道…韓退之作。

又曰訂頑一篇云々。西銘仁の体なり。完備はこれて垩人の学は残ぬ。爰か落たと云ことはない。古から垩賢の思召が此上にのこることなし。言は不尽意とあれとも、意極完備るぞ。銘の中に皆そなはる。仁の体なりは、体の字、体用の体でない。仁は大きなことなれとも、あの西銘の外はないと云こと。体は体段の体なり。学者体此意。体は体認の体なり。朝聞道の聞の字と同ことなりと直方云へり。体するが仁の趣向なり。仁には知ると云字が禁物。たたい知ることなれとも、知ると云は仁めかぬこと。胸へのせてほっこりとああこふと云ことゆへ、体すると云。茶人が上手と云とうれしからぬ。そこて茶に入と云。入と云が茶めくこと。体するか、其のやうな塩梅なり。
【解説】
「又曰、訂頑一篇、意極完備。乃仁之體也。學者其體此意、令有諸己」の説明。西銘は仁の体であり、聖学がその中に全て残さずにある。「仁之体也」の体は体段の体で、「学者其体此意」の体は体認の体である。
【通釈】
「又曰訂頑一篇云々」。西銘は仁の体である。「完備」とは、これで聖人の学は残らずあるということで、何かが落ちこぼれたということはない。古からの聖賢の思し召しがこの書に残らずある。「言不尽意」と言うが、意極完備なのである。銘の中に皆備わっている。「仁之体也」の体の字は体用の体ではない。仁は大きなことだが、あの西銘の外はないということ。体は体段の体である。「学者其体此意」。この体は体認の体である。朝聞道の聞くという字と同じことだと直方が言った。体するのが仁の趣向である。仁には知るという字が禁物である。そもそも知ることなのではあるが、知るというのが仁らしくない。胸へ乗せてほっこりと、ああこうだということだから体すると言う。茶人が上手と言われると嬉しがらない。そこで茶では入ると言う。入ると言うのが茶めくこと。体するとは、その様な塩梅なのである。
【語釈】
・言は不尽意…易経繋辞伝上12。「子曰、書不盡言、言不盡意。然則聖人之意、其不可見乎。子曰、聖人立象以盡意、設卦以盡情僞、繋辞焉以盡其言、變而通之以盡利、鼓之舞之以盡神」。

其地位已高云々。西の銘のすむは大きなこと。其地位がありて俗学の合点ならぬことなり。程子の西銘を楊龜山にも授けられ、又、その後二十年はかり過て、伊川の尹彦明にも是を授けて讀せり。此手段一つ地位の別なことなり。世儒のすまぬことなり。某韞藏録を見せるかこれなり。ここへ韞藏録のこと交るは異なことのやふなれとも、某があれを初学に見せてひょんな療治のやふなれとも、まつ今日卑陋の中にさてもと感する。はや俗学の趣と違ふ。西銘をよむも、知が高ければ此方てもほぼうかがはれることなれとも、それはこちのものにならぬ。地位と云は重ひこと。地位でぶんのものになる。
【解説】
「其地位已高」の説明。学問は地位に従って行わなければならない。そこで程子は楊亀山に西銘を与え、伊川はその二十年後に尹彦明にこれを授けた。知見が高ければ自分だけでも西銘を窺い知ることはできるが、地位が至らなければ自分のものにはならない。
【通釈】
「其地位已高云々」。西銘を理解するのは大きなこと。そこには地位があって、俗学には理解することのできないこと。程子は西銘を楊亀山にも授けられ、またその後二十年ほど過ぎて、伊川は尹彦明にもこれを授けて読ませた。この手段は地位が別だからそうするのである。世儒には済まないこと。私が韞蔵録を見せるのがこれと同じ。ここへ韞蔵録のことを交えるのは変なことの様で、私があれを初学の者に見せるのも可笑しな療治の様だが、これで先ず今日の卑陋の中にあって実にその通りだと感じる。それで早くも俗学の趣とは違うことになる。西銘を読むにも知が高ければ自分だけでもほぼ窺い知ることはできるが、それでは自分のものにならない。地位とは重いこと。地位で分に合ったものになる。
【語釈】
・楊龜山…伊川の門人楊時。字は中立。号は亀山。
・尹彦明…尹焞[とん]。字は彦明、徳充。号は和靖処士。伊川の門人で、篤行の士として称せられた。20歳で伊川に師事。1061~1132
・韞藏録…佐藤直方著。

到其地位自別有所見。今ここで人抦がよくなるてない。中々なめられぬことなり。世の中孝行ほどよいことなし。然れとも、西銘の段には、孝では間に合ぬ。孝子を旌表其門閭と云てあれとも、それは小学や孝經のこと。西銘はそれを踏臺にすること。許魯斎が小学を信すること如神明と云。西銘ではをそまきて間尺に合はぬ。それて直方先生の説に人の疑を説もあり、たたい人々へ皆ふるまいでない。教外別傳ではないが、別に有所見なり。身帯を大切にするの、をとなしいのと云には乾称父坤称母はとりあはぬこと。置たがよいと云やうなもの。相談は別有所見と云、人のことなり。今四十六士を復讐と思ひ、大石を忠義の鑑にするものなとに西銘は見られぬ。
【解説】
「到此地位、自別有見處」の説明。肉身の孝行は小学や孝経のことで、西銘はそれを踏み台にして上の地位に至るものだから、小学や孝経の孝では間に合わない。四十六士を認める者などに西銘はわからない。
【通釈】
「到此地位自別有見処」。今この場で人柄がよくなるわけではない。中々至れないことである。世の中に孝行ほどよいことはない。しかしながら、西銘の段では、その孝では間に合わない。孝子を「旗表其門閭」と言うが、それは小学や孝経でのこと。西銘はそれを踏み台にする。許魯斎が、小学を信じること神明の如しと言う。しかしそれでは、西銘では遅蒔きで間尺に合わない。それで直方先生の説に人が疑いを説くものもあるが、大体、人々皆へ振舞いをするわけではない。教外別伝ではないが、「別有見処」である。身帯を大切にしたり、大人しいという者には、乾称父坤称母は取り合わないこと。それは考えなくてもよいと言う様なもの。ここの相談は別有見処で、人についてのこと。今四十六士を復讐と思い、大石を忠義の鑑にする者などに西銘はわからない。
【語釈】
・旌表其門閭…六韜文韜盈虚。「旌別淑慝、表其門閭」。小学外篇善行。「詔旌表其門閭、永蠲其家丁役」。
・許魯斎…

不可窮高極遠。大切のをさへを云。西銘でそふ聞たとて、高それはわるいと云こと。端的証拠は仏か窮高極遠無補なり。あれが天地我と同根の、万物我と一体などと云は人をおとしたこと。あたまで親をすてるからは、論はない。高妙なこと云ふた迚何になろふ。於道無補と云、補の有るないをよく見るへし。青々翠竹尽是眞如欝々黄花無非般若が柳はみとり花は紅と云ことて、眼前が道と云へとも山へにげ、父母妻子をすて、あたまを刺るなれば、補はない。補のあるは子思の鳶飛魚躍かあれに似たことを云ふかとみれば、云口の下に爲端於夫婦となる。直に有家日用に引つけに説れたもの。鳶飛魚躍なりか夫婦中よくする実事なり。夫婦衽席の上なととなまくさいやふなれとも、そこを道に補あると云。費而隠はそこなり。そこて張子とも、道に補ある為に西銘なり。然れはひくいことかと云に、別に有所見なり。補のあるは西銘どこまても孝を蹈臺にして行くで仁になる。これほと補ひあることはない。そこで天に事る実事なり。然るに天に事るを仰山に云て肉の父母をば第二段にをろかにするは以の外のこと。そこで、論吾得見有恒者是可也の注の仕向けも、とりはづさぬためなり。程子不可窮高極遠と云も、そこをおさへたものなり。悪くすると空言になりてしまふ。西の銘を聞て、天へ事ること迚、孝行を取りはなすことてはない。其親切なものを仲人にして、洪大な天に事るか仁になる。
【解説】
「不可窮高極遠。恐於道無補也」の説明。窮高極遠は悪い。仏教は最初が間違えているので補はない。補とは子思の「鳶飛魚躍」の後に「造端乎夫婦」と言う様に、実事である。しかし、実事であっても「別有所見」で、孝を仲人にして天に事えることなのである。
【通釈】
「不可窮高極遠」。大切な抑えのことを言う。西銘でそう聞いたからといって、高逸れは悪いということ。端的な証拠は仏の窮高極遠無補である。仏は天地我と同根とか、万物我と一体などと言うが、それは人を脅したこと。最初に親を棄てるのだから論はない。彼等が高妙なことを言ったとしても何になろう。「於道無補」と言う中で、補の有無をよく見なさい。「青々翠竹尽是眞如欝々黄花無非般若」が柳は緑、花は紅ということで、眼前が道と言っても山へ逃げ、父母妻子を捨てて頭を剃るのでは補はない。補があるとは、子思の「鳶飛魚躍」が仏に似たことを言っている様に見えるが、そう言った後に「造端乎夫婦」とあること。直に家中日用のことに引き付けて説かれたもの。鳶飛魚躍が夫婦仲をよくする実事である。夫婦衽席の上などと生臭い様だが、そこを道に補があると言う。「費而隠」もこのこと。そこで張子の西銘も道に補がある。それでは低い次元のことか言うと、「別有所見」とある。補があるから、西銘は何処までも孝を踏み台にして行くので仁になる。これほど補いのあることはない。そこで、これが天に事える実事なのである。しかし、天に事えることを大袈裟に言って肉身の父母を第二段と疎かにするのは以の外のこと。そこで論語の「得見有恒者是可也」の注の仕向けも、そこを取り外さないためのものであり、程子が不可窮高極遠と言ったのも、そこを抑えたのものである。悪くすると空言になってしまう。西の銘を聞いて、それは天へ事えることだから孝行を取り離すことだと思うのは間違いである。孝行という親切なものを仲人にして、洪大な天に事えることから仁になる。
【語釈】
・青々翠竹尽是眞如欝々黄花無非般若…「青青翠竹、盡是真如、郁郁黄花、无非般若」。「青青翠竹、總眞如、鬱々黄花、無不般若」。
・柳はみとり花は紅…柳緑花紅。物が自然のままで、少しも人工が加えられていないことのたとえ。禅宗で悟りの心境を言い表す句。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦、及其至也、察乎天地」。詩は、詩経大雅早麓。「鳶飛戻天魚躍于淵」。
・衽席…①しとね。ねござ。しきもの。②ねま。寝所。
・費而隠…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉」。
・得見有恒者是可也…論語述而25。「子曰、聖人吾不得而見之矣。得見君子者、斯可矣。子曰、善人吾不得而見之矣。得見有恆者、斯可矣。亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰。難乎有恆矣」。

訂頑立心達得天德云々。横渠の心もちからをこめて云。西の銘のことはかりてない。德の天へ届たを達得と云。某前に云立心立志と云は違ふ。立心は即日からのこと。偖、何ても手前にないことはひひかぬ。横渠は生金なり。皇子の誕生を聞て喜ぶことや、馬の嘶を與自家意一般と云るるを看よ。物我の隔はない。周子の窓前の草と同意なり。西銘は人へもひびく筈なり。あふなると天德迠はすっと通るか、凡夫は川とめなり。西銘は滞りないゆへ達す。地位高もこれなり。西銘と云ものの全体を見よ。ここを体認する、天德へぬけらるる。川はあいたと云。
【解説】
「又曰、訂頑立心、便達得天德」の説明。徳が天へ届くことを達得と言う。立心とは即日からのことである。西銘は滞りなく天に達するが、凡夫は川留めである。
【通釈】
「訂頑立心達得天徳云々」。横渠は心についても力を込めて言う。彼は西の銘のことばかりを語っているわけではない。徳が天へ届いたことを達得と言う。立心は私が前に言った立心立志のこととは違う。立心とは即日からのこと。さて、何でも自分にないことは響かない。横渠は生金である。皇子の誕生を聞いて喜ぶことや、馬の嘶きを「与自家意一般」と言われたことを看なさい。物我の隔てはない。周子の窓前の草と同意である。西銘は人へも響く筈である。あの様になると天徳まですっと通るが、凡夫は川留めである。西銘は滞りがないから達する。「地位高」もそれと同じである。西銘の全体を見なさい。ここを体認すると天徳へ抜けることができる。川が開いたということ。
【語釈】
・立心立志…
・皇子の誕生を聞て喜ぶ…聖賢19。「張子厚聞生皇子、喜甚。見餓莩者、食便不美」。
・馬の嘶を與自家意一般と云るる…聖賢18本註。「子厚觀驢鳴、亦謂如此」
・周子の窓前の草…聖賢18。「明道先生曰、周茂叔窻前草不除去。問之、云、與自家意思一般」。

又曰游酢得西銘讀之即渙然云々。この即と云が三日四日過てのことてなく、あけて見ると直に云。これはけたかひこと。地位と云か游氏で見へる。此やふな相手に出合ては、横渠も草葉の影で喜てあろふ。渙然は西銘と心が一つになりたことなり。ずっとすんたゆへ不逆と云。幸七が処の譜代老爺が酒を呑とき、通りがよい々々と云。ほんの上戸ゆへ、あの塩梅がよい。そこか不逆なり。顔子をしかめて酒をのむ人あり、又西銘で首をかたける。群疑腹滿は、游定夫とは大違ひなり。然るに学者は游氏のやふにはゆかぬことゆへ考てすますかよいか、それは地位が卑ひからなり。
【解説】
「又曰、游酢得西銘讀之、即渙然不逆於心」の説明。游定夫は地位が高いから直ぐに西銘を理解したが、今の学者は地位が低いから、よく読んで理解すべきである。
【通釈】
「又曰游酢得西銘読之即渙然云々」。この即とは三日四日過ぎてからということでない。西銘を開けて見ると直ぐにということ。これは気高いこと。地位というものが游氏で見えて来る。この様な相手に出合っては、横渠も草葉の陰で喜ぶことだろう。渙然は、西銘と心が一つになったこと。すっかりと済んだから不逆と言う。幸七の処の譜代の老爺が酒を呑む時に通りがよいと言うのが本物の上戸であって、その塩梅がよい。そこが不逆である。顔をしかめて酒を呑む人もあり、また、西銘に首を傾げる人もいる。群疑腹満は、游定夫とは大違いである。それで、学者は游氏の様には行かないから、よく考えて済ますのがよいが、それは地位が卑いからなのである。
【語釈】
・游酢…二程門人。字は定夫。号は廌山。
・幸七…鵜沢近義。容斎の次子。名は幸七郎。黙斎の上総転住に尽す。享保5年(1720)~寛政3年(1792)9月19日
・譜代…①代々その家の系統を継いで来ること。また、それを記した系譜。②代々その主家に仕えること。また、その臣下。世臣。

曰此中庸の理なりと見て取たこと、大切のことなり。いつも云、孟子に詩曰、書曰とあるから趙岐が孟子詩書に長すと云、程子は知易者無若孟子と云はるる。皆見人のこと。孟子の中に易曰とはなし。西銘も直に中庸とは見られぬこと。花と花とは色香争ふと云付句に、川岸に藤山吹の咲つれてと云ふより、岸の松ひとり春をやおくるらんと云が秡群のこと。見手によるなり。中庸の理と云ふかふんとうをつかまへたなり。又そふ聞てむせふに中庸々々と云と窮高極遠と云もの。そこて眞西山か細かに分けたも尤なり。補のあるものなり。さて又程子の人に学問させるなら六經を見せそふなものに、揚氏や尹氏にも西銘を授け、其上我弟子の游氏の咄を称美せらるると云かさても教の深切なり。こふ聞て西銘にからみ利たなり。
【解説】
「曰、此中庸之理也。能求於言語之外者也」の説明。直ぐに西銘が中庸に通じるということは理解し難いものである。それを横渠がここで言ったのは見る人次第ということなのである。
【通釈】
「曰此中庸之理也」と看取したのは大切なこと。いつも言っているが、孟子に詩曰、書曰とあるから趙岐が孟子詩書に長じると言い、程子は「知易者無若孟子」と言われた。皆よく見取った人のこと。孟子の中に易曰と言うことはない。そして、西銘も直ぐに中庸に通じるとは思えないもの。花と花とは色香争うという対句に、川岸に藤山吹の咲き連れてと言うより、岸の松一人春をやおくるらんと言う方が抜群によい。見取った人次第である。中庸之理というのが分銅を掴まえたこと。またそう聞いて無性に中庸をと言えば、それは「究高極遠」というもの。そこで眞西山が細かに分けたのも尤もなこと。補のあることである。さてまた程子が人に学問をさせるのなら六経を見せそうなものなのに、楊氏や尹氏にも西銘を授け、その上、自分の弟子である游氏の話を称美されたというのが、流石に深切な教え方である。この様に聞けば、西銘に辛味が利く。
【語釈】
・趙岐…後漢の人。孟子の章句14巻を作り、それが孟子最古のものとなっている。
・孟子詩書に長す…孟子序説。「趙氏曰、孟子通五經、尤長於詩書」。
・知易者無若孟子…孟子序説。「程子曰、孟子曰、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速。孔子聖之時者也。故知易者莫如孟子」。
・眞西山…

揚中立問曰西銘言体云々。西銘、人々疑のつくべきこと。揚龜山さへ疑へり。朱解の出来たと云も、林黄仲陸象山兄弟か疑たゆへなり。扨、程門て揚氏游氏は兄とも弟ともきはめられぬこと。然に揚氏の此疑か時の柏子めかぬこと。実に不審ありてのこと。早合点の筋ではない。彼中庸之理也と云、同門の當時の咄も聞そふなものて疑も有りそふないことじゃが、そこか統を継た揚子にもすまぬことは済ぬてそこあれ、游氏に及ぬと云ことてもなく、疑のまま問はれたものなり。仁を体認受用すると云ふときに、斯ふなる、なるまいと云か疑の始なり。千ヶ寺迠を兄弟にするならば、兼愛に落やふと云。
【解説】
「楊中立問曰、西銘言體而不及用。恐其流遂至於兼愛。如何」の説明。西銘は人々に疑われ易いもので、楊亀山でさえ疑った。疑いは、前もってそうあるべきだと思うところから始まる。楊亀山は、仏までを兄弟と見るのであれば、末には兼愛に陥るのではないかと疑った。
【通釈】
「楊中立問曰西銘言体云々」。西銘は人々に疑われ易いもの。楊亀山でさえ疑った。朱解ができたというのも、林黄仲と陸象山の兄弟が疑ったからである。さて、程門における楊氏と游氏との関係は兄とも弟とも決め付けられないもの。それでも楊氏のこの疑いは時の拍子めかないものである。実に不審があってのことで、早合点からのことではない。あの「中庸之理也」と言うのも、同門の当時の話でも聞けば納得し、疑いも出そうもないことだが、そこが道統を継いだ楊子にでも済まないことは済まないのであって、それは游氏に及ばないということでもなく、疑いのまま質問されたのである。仁を体認受用するという時に、こうなるだろうとか、こうではないだろうと言うのが疑いの始めである。千ヶ寺までを兄弟にするのなら、墨子の兼愛に落ちるだろうと言う。
【語釈】
・林黄仲…
・陸象山…南宋の大儒。名は九淵。字は子静。象山・存斎と号。江西金渓の人。文安と諡す。1139~1192

横渠立言云々。横渠の議論侭言すきか正蒙にあるか、西銘にをいては皆醇粹にて、推理は理一と見て、道理の全体から天地父母四海兄弟と云。されとも、其中に義は存してある。然れとも、西銘を書くときに理一を説て、兼て義を存しやうとしたことてはなけれとも、理一の中には自義は存するものなり。子を十人持ても、皆可愛もの。そこに惣領は々々、娘は片付るにどふこふと云。可愛は同ことなれとも、それ々々かある。ここは程子の丁寧に評判のこと。たたい西銘は理一を一はいに云たことなり。
【解説】
「伊川先生曰、横渠立言、誠有過者、乃在正蒙。西銘之書、推理以存義」の説明。横渠の議論で言過ぎなところが正蒙にはあるが、西銘においては皆醇粹である。西銘は理一を語っている。そして、理一を語る中に自ずと義が備わっている。
【通釈】
「横渠立言云々」。横渠の議論で尽言過ぎなところが正蒙にはあるが、西銘においては皆醇粹であり、推理とは理一と捉えて、道理の全体から天地父母四海兄弟と言う。しかしながら、その中に義は存してある。そうとは言え、西銘を書いて理一を説く時に、前もって義を存しようとしたのではなく、理一の中には自ずから義は存するものなのである。子を十人持っていても皆可愛いもの。しかし、そこに総領は惣領、娘を片付けるのにはどうのこうのということがある。可愛いのは同じだが、それぞれに分がある。ここは程子が丁寧に批評したこと。そもそも、西の銘は理一を一杯に言ったものである。
【語釈】
・侭言…尽言。思いのたけを言いつくしたことば。

擴前垩所未發云々。系辞にも詩書にもないことなり。孟子性善養氣之論同功は前垩未発と云へは、西銘も性善養氣の論と同挌に見ることなり。そこに性善か此理一にまわるなりとはどふなれは、天地太極の子ゆへ性善なり。養氣もそれて、垩人はたたい理はかりなれとも、それに氣は存してある。西銘も氣を云て混然と云。又天地の塞を吾体と氣をすてぬゆへ、養氣にもまわる。そこて養氣と同功とも見へる。然し、孟子を張子へかけるに前垩未発と云処か正意なり。さて此論、楊龜山か云は子ば外の者から斯ふ疑は出ることてなしと見へし。この出たか後世の賜なり。今日この頃見違者ありて疑が出ては、程子のやふに論するもののなければ、すれば揚龜山の見そこないか今の為にはよい。
【解説】
「擴前聖所未發、與孟子性善養氣之論同功。豈墨氏之比哉」の説明。人は天地の子だから性善である。また、理には気が存してあり、西銘も気について「混然」、「天地之塞吾其体」と言う。そこで、西銘は「与孟子性善養気之論同功」なのである。楊亀山ほどの者が疑いを持ち、程子がそれを論じたことが、今日のためになる。
【通釈】
「拡前聖所未発云々」。繋辞伝にも詩書にもない言葉である。「孟子性善養気之論同功」は「前聖未発」と言うのだから、西銘も性善養気の論と同格に見ることになる。そこに性善がこの理一に至るとは何故かと言うと、人は天地太極の子だから性善である。養気も同じで、聖人はそもそも理だけだが、それには気が存してある。西銘も気を指して「混然」と言う。また、「天地之塞吾其体」と言って気を捨てないから、養気のことでもある。そこで養気と同功とも見なすことができる。しかし、孟子を張子へ掛ける場合に、前聖未発と言う処が正意である。さて、楊亀山がこの論を言わなければ、外の者からこの様な疑いは出ないことだと考えなさい。これが出たというのが後世への賜である。今日この頃見違い者がいて疑いが出ると、程子の様に論じる者もいないので、それで楊亀山の見損いが今のためにはよいものなのである。
【語釈】
・孟子性善養氣之論…孟子公孫丑章句上2の浩然章を指す。
・正意…正しい意味。本来の意味。

理一而分殊云々。理一分殊はここか出処なり。学問何てもふかるも知れぬこと。公西蕐なとかのろりと侍坐したときに、彼問答で思もよらぬ曽点の章なり。ここの揚氏から理一分殊の發明か出て、西銘はかりのことてなく、天地の間か皆理一分殊、どこでもこれにはづれぬ。切帋傳授なり。唾も口中にある内は同じ津液ゆへきたなくない。それは理一なり。吐ときたなく、最口中へは入られぬ。それは分殊なりと直方云へり。このころ下女が焼飯を握るを見て思ふに、あれが手でするが、あれは食はれるが、あの手を飯櫃へ入て椀へ盛てはもふ食れぬ。理一分殊は天地自然のすかたなり。理一の段には、恐れながら禁裡檨も公方様も鉢坊も千ヶ寺も我兄弟なり。分殊の段には、直方先生の云はるる、公方様へ出てこちの兄様と云たら大事なり。又、迂斎云はるる、顚連無告者と云て乞食に二人扶持つつやったらたまらぬとなり。大名ても挌別なものに隠居扶持下さるる。成程、理一分殊か天地自然なり。西銘か孕句に理一分殊を云をふとしたではなし。自ら分殊はあるもの。蚤や虱を兄弟とは云はすに與と云。はや分殊かある。
【解説】
「西銘明理一而分殊」の説明。理一分殊はこの楊亀山と伊川との問答が出処である。天地にあるものは全て理一分殊である。しかし、西銘は予め理一分殊を言おうとしたのではない。自ずと分殊はあるもので、西銘も「民吾同胞、物吾與也」と、分殊である。
【通釈】
「理一而分殊云々」。理一分殊はここが出処である。学問は何で儲かるのかわからない。公西蕐などがのろりと侍坐した時に、あの問答で思いもよらない曾点の章となった。ここの楊氏から理一分殊の発明が出たのだから、西銘だけのことではなく、天地の間は皆理一分殊で、何処もこれから外れない。切紙伝授である。唾も口中にある内は同じ津液だから汚くない。それは理一である。吐くと汚くて、もう口中へは入れられない。それは分殊であると直方が言った。この頃下女が焼飯を握るのを見て思ったのだが、あれは手で握るので食うことができるが、あの手を飯櫃へ入れて椀へ盛ってはもう食えない。理一分殊は天地自然の姿である。理一の段には、恐れ乍ら禁裡様や公方様も鉢坊主も千ヶ寺も我が兄弟である。分殊の段では、公方様の前へ出て私の兄様と言ったら一大事だと直方先生が言われた。また、迂斎が、顚連無告者と言って乞食に二人扶持ずつ遣ったら堪らないと言った。大名でも格別なものに隠居扶持を下される。なるほど、理一分殊が天地自然である。西銘は予め理一分殊を言おうとしたのではない。自ずと分殊はあるもの。蚤や虱を兄弟とは言わずに與と言う。早くも分殊がある。
【語釈】
・公西蕐…
・侍坐…貴人のそば近くに従いすわること。
・切帋傳授…室町時代以後、歌道・神道その他で、切紙に記した免許目録を弟子に伝授すること。
・津液…つばき。唾液。津唾。
・禁裡檨…天皇。禁廷様。
・公方様…天皇。朝廷。
・鉢坊…托鉢して歩く坊主。乞食坊主。鉢開き。
・孕句…①詩文や連歌・俳諧で、あらかじめ考えておいた句。宿構の句。②転じて、以前からの考え。

墨氏則二本而無分云々。二本の吟味大切なり。垩賢のは、親は一でそれを一本に立て、それか太りて他人に及ふ。墨氏は親も他人も一つにするゆへ、親と他人と同格に並ぶ。これ、二本になる。二つなり。釈迦か股の肉を鳩に食はせるも二なり。二つなれば分がない。親への土産をやり、それから人へもやるか本一つて分が殊なり。川塲の佐左も老母への菓子を途中で乞食にやらぬは一本なり。親にやるへきを乞食にやれは、親のやふなものが二つ出来る。本が二つになる。親が本で、それから他人へ及ぶことなり。乾を父、坤を母から同胞の、與の、大君の、長幼のと、理一の内に自然と分殊は分るる。
【解説】
「墨氏則二本而無分。分殊之蔽、私勝而失仁、無分之罪、兼愛而無義」の説明。聖学は親が本でそれが他人に及ぶが、墨子は親も他人も一つにするから二本である。仏教が自分の肉を鳩の命と交換するのも二本である。理一の中に、父母、同胞、與、大君、長幼と分殊がある。
【通釈】
「墨氏則二本而無分云々」。二本の吟味が大切である。聖賢は、親が一つでそれを一本に立てて、それが太って他人に及ぶ。墨氏は親も他人も一つにするから、親と他人とが同格に並ぶ。これで二本になる。二つである。釈迦が股の肉を鳩に食わせるのも二である。二つであれば分がない。親に土産を遣った後に人にも遣るのが一本で分殊である。川場の佐左も、途中で老母への菓子を乞食に遣らないのは一本である。親に遣るべきものを乞食に遣れば、親の様なものが二つできる。本が二つになる。親が本で、それから他人へ及ばなければならない。乾を父、坤を母から同胞、與、大君、長幼と、理一の内に自然と分殊が分かれている。
【語釈】
・釈迦か股の肉を鳩に食はせる…龍樹菩薩の『大智度論』の話か?王様が山を歩いていると、鷹に追われて傷ついた鳩が飛んできて王様の懐に隠れた。王様は鳩の命を助ける代わりに自分の肉を鷹に食わせることとし、股、足、胸、最後には自分を差し出した。
・川塲の佐左…

老幼及人理一也云々。この細字は字をつめて書く。老吾老して及人之老、幼吾幼及人之幼の文字。すぐに銘中の高年孤弱を指して云。墨氏は親のやふなものかいくらもある。二なり、二つとは云へ二つはかりてない。千も万もある。垩人は只一本なり。分殊之蔽云々。向の不審について次手に揚墨へわたして云へり。楊氏は我身を守る。毛一本ても人の為にはせぬ。私の勝なり。墨氏は何ても一面に見る。親へ上るものを通りのものへやる。それては、親へぶしつけなり。親切のやふなれとも義がない。
【解説】
墨子は二本と言うが、二本ばかりではなく、千も万もある。聖人はただ一本である。楊氏は私勝である。
【通釈】
「老幼及人理一也云々」。この細字は字を詰めて書いてある。「老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼」の文字で、直に西銘中の高年孤弱を指して言う。墨氏には、親の様なものがいくらもあって二本である。二つとは言え、二つだけではなくて千も万もある。聖人はただ一本である。「分殊之蔽云々」。向こうの不審について次に楊墨へ渡して話した。楊氏は我が身を守る。毛一本も人のためにはしない。私が勝つ。墨氏は何でも一緒と考える。親へ上げるものを通りにいる者に遣る。それでは、親に不躾である。親切な様だが、それでは義がない。
【語釈】
・老吾老して及人之老、幼吾幼及人之幼…孟子梁恵王章句上7。「老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼、天下可運於掌」。
・楊氏は我身を守る。毛一本ても人の為にはせぬ。私の勝なり。墨氏は何ても一面に見る…孟子尽心章句上26。「孟子曰、楊子取爲我。抜一毛而利天下、不爲也。墨子兼愛」。

分立而推理一以止私勝之流云々。是から西銘へもどして云。文章の上からても大君大臣、皆分が立て分れてあり。筋を推せば一つなり。偖、私に勝と思へは赤面して願かとける。仁之方なり。論吾の字。仁なる仕方を云ふ。無別而迷愛以至於無父之極云々。どこもかも一つになる。他人と親か一つと云へは、他人はうれしくとも、親の方ては面白くないことなり。迂斎、鉢坊主を親と一つにすれば、旅中の順礼も親になる。すれは歒討に立やふかないと云れたが、いかさま我親を殺した者をも親と同く兼愛すれば、歒は討れぬ。そこを無父と云。兼愛は仁らしくて、つまり父をなみするになる。たたい一身左右の手のやうなもの、理一なり。されとも左の手に腫物かしても、右の手で字を書は分殊なり。天下一家中国一人は理一なり。されとも父と他人は分殊なり。それを同格にするは義の賊なり。一と云字は親切らしくなるか、義のない一は請取れぬ。然れとも、人の女房を吾妻と一と云たときは合点すまい。人の金も我金も一つと云はは、人に合力するには親切らしくても、人のを我のにしては以の外なり。義の賊になる。されとも張子のは、分殊に入用はない。人の勝手のこと。頑を訂すは理一はかり入用なり。西銘をよく讀めば、云すとも中に分殊か具ってある。
【解説】
「分立而推理一、以止私勝之流、仁之方也。無別而迷兼愛、以至於無父之極、義之賊也。子比而同之、過矣」の説明。分殊はあるが、本は理一である。私に勝てば頑が解ける。これが仁に至る方法である。兼愛は仁の様だが父を無みするもので、義の賊である。義のないものは悪い。しかし、西銘は分殊を言うのではなく、頑を訂すのには理一だけが必要だと言っているのである。
【通釈】
「分立而推理一以止私勝之流云々」。これからは西銘へ戻して言う。文章の上でも大君、大臣と、皆よく分が立って分かれている。しかし筋を推して辿れば一つである。さて、私に勝つと思えば赤面して頑が解ける。これが「仁之方也」である。論語の字。仁になる仕方を言う。「無別而迷兼愛以至於無父之極云々」。これでは何もかも一つになる。他人と親が一つと言えば、他人は嬉しくても親の方では面白くない。迂斎が、鉢坊主を親と一つにすれば、旅中の順礼も親になる。それでは敵討ちに立ち様がないと言われたが、それは尤もなことで、親を殺した者をも親と同じく兼愛すれば、敵は討てない。そこを無父と言う。兼愛は仁らしくて、つまり父を無みすることになる。そもそも理一とは、一身における左右の手の様なもの。しかし、左の手に腫物ができ、右手で字を書くのは分殊である。「天下一家中国一人」は理一である。しかしながら、父と他人は分殊である。それを同格にするは「義之賊」である。一という字は親切らしくなるが、義のない一は請け取れない。人の女房を自分の妻と一つと言われれば合点しないだろう。人の金も自分の金も一つと言えば、人に援助するには親切らしくても、人のものを自分のものにしては以の外である。義の賊になる。しかし、張子の西銘は、分殊は入用でない。それは人の勝手である。頑を訂すには理一だけが必要である。西銘をよく読めば、言わなくてもその中に分殊が備わっている。
【語釈】
・仁之方…論語雍也30。「子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、如何。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已」。
・天下一家中国一人…憲問42集註。「聖人心同天地、視天下猶一家、中國猶一人、不能一日忘也」。

且彼欲使人推而行之本為用なり云々。西銘をよむもの、大な了簡違いかある。于時保之からは仁に至りやふを告て、仁になれと云こと。あれ切で仕廻と云ことてない。訂頑も聞へた。訂はもと療治なり。楊龜山の不審は療治がないと思ひ、用のないとは大間違なり。用か工夫の用をなすゆへ為学へのせり。これで大凡先西銘惣体かすめり。偖、某今日の讀やふはよくない。其よくないと云が、あとて皆の孝のために斯ふよんてをく。吟味の処は直方先生の筆記三つあり。其中に迂斎のましりたもあり。四編の蘊藏録にあり。学話に筆記二つあるか、竹内の録は全けれとも、某か壬申の年の録か大ふよい。あれへあつけて、某は今日、韞藏録学話に大方ちかへて云たが、然し今日説たのては西銘は食たらぬことなり。
【解説】
「且彼欲使人推而行之、本爲用也。反謂不及、不亦異乎」の説明。「于時保之」からの語は、仁への至り方を告げて、仁になれということ。楊亀山は西銘に用がないと思ったが、それは了見違いであり、用があるから為学に載せてあるのである。西銘の筆記は韞藏録や学話にある。
【通釈】
「且彼欲使人推而行之本為用也云々」。西銘を読む者に大きな了簡違いがある。「于時保之」からは仁への至り方を告げて、仁になれということ。あれだけで終りだということではない。訂頑もこれでわかった。訂は本来療治のこと。楊亀山の西銘への不審は療治がないと思ったことだが、用がないと思うのは大きな間違いである。用とは工夫のことで、用をするから為学へ載せたのである。これで先ずは大凡、西銘の総体が済んだ。さて、私の今日の読み方はよくない。そのよくないと言うのが、後になって皆の孝のためになる様、この様に読んで置く。吟味すべき処は直方先生に筆記が三つあって、その中に迂斎の言の雑じったものもある。四編の韞藏録にある。学話にも筆記が二つある。その中にある竹内の録は完備しているが、私の書いた壬申の年の録の方が大分よい。あれに預けることにして、今日は韞藏録や学話に大分違った形で話したが、しかし、今日の説き様では、西銘の説明としては食い足りない。
【語釈】
・竹内…

講後話
直方先生、西銘の筆記、四編の韞藏録に載たが甚高妙のことなり。されとも大抵の学者は十人が九人迠は疑ふであろふ。疑に頓着はなけれとも、殊によらは心得たかいをしてわるくなる者もあろふ。兼々直方の云はるるに、西銘を聞て孝行になるやふては遲ひ。西銘を聞て今迠の親が次になったと云なれば、却て合点したのぢゃ、と。是らか第一に人の疑をなすこと。又、博奕打つと傾城狂ひせふと、それにとんぢゃくすることでないとあり。ここらが人の間違になるなり。其間違になると云が、云ひ上手の聞下手なり。これに限らす、四十六士の論に、やるはつの賂をやらぬからと云を眞顔になって、すまぬことなり。そこで、有為にすることと云語をよく合点すへし。
【解説】
直方先生が西銘の筆記を韞藏録に載せたのは高妙なことである。直方は、肉親の親が二番目になったと思えば西銘を理解したことになるとか、博奕や傾城狂いに頓着する必要はないとも言って、人の疑いの本を作る。しかし、それは言い上手の聞下手なのである。
【通釈】
直方先生が西銘の筆記を四編の韞藏録に載せたのは甚だ高妙なことである。しかしながら、大抵の学者は、十人が九人まではこれを疑うだろう。疑いに頓着することはないが、殊によると心得違いをして悪くなる者もあるだろう。兼々直方が、西銘を聞いて孝行になる様では遅い。西銘を聞いて今までの親が二番目になったと言うのなら、却って合点したと言うものだと言っている。ここ等が第一に人の疑いとなること。また、博奕を打ったり傾城狂いをすることに頓着する必要はないともあり、ここ等が人の間違いになるのである。その間違いになると言うのは、言い上手の聞下手だからである。これに限らず、四十六士の議論で、遣るべき賄賂を遣らないからと言えば、それで真顔になるのは悪い。そこで、「有為」という語をよく合点しなければならない。
【語釈】
・博奕…博打。
・傾城…劉廷芝の公子行。「傾国傾城漢武帝。爲雲爲雨楚襄王」。李延年が武帝に自分の妹を売りつけようとして、「北方に絶世の美女がいる。その美女がひとたび顧れば人の城を傾け、ふたたび顧れば人の国を傾ける」と言った。
・有為…孟子離婁章句下8。「孟子曰、人有不爲也、而後可以有爲」。孟子尽心章句上29。「孟子曰、有爲者、辟若掘井。掘井九軔、而不及泉、猶爲棄井也」。

片々を云ぬく意からは徧に出ることもあり、それに一つの話あり。茶人に後の炭と云ことあり。利休か孫宗且は利休まさりの名人なるか、初の炭はわるいほとよいと云た。これは不功者な茶人が炭に見へをして、火のをこらぬことかある。悪くても火の起るがよいと、云分なり。直方の云はるることが、どれも多く此意なり。甚よい説なり。茶人なと論するに足らぬことなれとも、藝者ても名人はこんなことあり。今の役にたたぬ儒者ともが直方を疑ふのは、地位の及はぬなり。そこで細字に地位と云ことのあるを大切に知るへし。つまりこれ以上のことはすまぬことと合点するがよし。
【解説】
直方が疑いを招く言い方をするのは、宗且の後の炭と同じ意である。それを疑う者は地位が及ばないからである。
【通釈】
片方を言い抜く意がある場合には偏って表現することもあって、それに一つの話がある。茶人に後の炭ということがある。利休の孫の宗且は利休勝りの名人だが、初心者の炭は悪いほどよいと言った。これは、下手な茶人が炭に見得をして火の熾らないことがあるので、悪くても火の熾る炭がよいとする言い分なのである。直方の言われることのどれもが多くこの意である。甚だよい説である。茶人など論じるに足りないことであるが、芸者でも名人にはこんなことがある。今の役に立たない儒者どもが直方を疑うのは、地位が及ばないからである。そこで細字に地位ということがあるのが大切なことだと知りなさい。つまりこれ以上のことは済まないことだと合点するがよい。
【語釈】
・宗且…利休の二男少庵の子。

西銘をよむもの故事をそこ々々にするはあしし。故事をとっくりと吟味せ子ば西銘讀かたし。山﨑先生の文會に故事を幷へたること、尤のことなり。但、烹を待のこと、烹は出史書とはかりありて、何かしれぬ。外の例の通なれば、史書の語を引筈なり。出史書と云はるる史書は何をさすか知れぬ。あれはかり知れぬなれば、史書に出るならんかと云ことかもしれぬ。偖、顚連の文字、論語と易を合せて斯ふても有ふかと云はれたは尤ても有ふか、天地の間の書も廣ひことゆへ、顚連の字の有ることか、あれと定められす。其證拠か長谷川觀水の知たことに朱子の知らぬこと有。このこと迂斎、節要の筆記に見へたり。さるによって、形付けられす。扨、文章の上で論しても、當時の俗語を用ることあるべし。雅字を二つ、一つにして用ることは曽てなし。周公旦の爻の辞を系るにも俗語らしきことあり。これ、易の俗語と見へし。論孟にも俗語あり。徂徠太宰か類一代程朱をそしるに暇がないゆへ、此やふなことは考へぬ。
【解説】
故事はしっかりと吟味しなければならない。「待烹」や「顚連」の出処は定かでない。当時も俗語を用いただろうが、そういう吟味は、程朱を誹るのに忙しい徂徠や太宰にはできないこと。
【通釈】
西銘を読む者が故事を軽く扱っては悪い。故事もとっくりと吟味しなければ西銘は理解することができない。山崎先生が文会に故事を並べたのは尤もなことである。但し、「待烹」のことは、烹は史書が出処とだけあるが、何の書なのかはわからない。他の例の通りであれば史書の語を引用する筈である。出史書と言われるが、史書は何を指すのかはわからない。あれだけが知れないのであれば、史書に出ているのだろうということかも知れない。さて、「顚連」の文字は論語と易とを合わせてこの様なことだろうと言われたのは尤もなことだろうが、天地の間の書は沢山あるから、顚連の字の出処がそれだとは定められない。その証拠が長谷川観水の知ったことで、朱子の知らないこともある。このことは迂斎の節要の筆記に見える。そこで、顚連の出処を形付けることはできない。さて、文章の上で論じても、当時も俗語を用いることはあっただろう。しかし、雅字二つを一つにして用いることはかつてない。周公旦が爻の辞を繋ける中にも俗語らしいものがある。これは易の俗語である。論語や孟子にも俗語がある。徂徠や太宰の類は一生程朱を誹るのに忙しくて暇がないから、この様なことは考えない。
【語釈】
・長谷川觀水…長谷川克明。源右衛門。
・雅字…雅言、雅語は正しくよいことば。洗練された言語。雅字は、正しい字。
・一代…一生

語類に申生かことの吟味もちらりとあり、いかさま先軰の説の通り、曽点か曽子を打時に迯るがよいと孔子もの玉ふからは、申生もにげる方かよかろう。西銘ではそれ迠論することてなく、ありなりを恭と取たものなり。物を吟味しつめる段には、孟子も義の盡るに至ると仰せられた。万章の篇にあり。そふすると、呉の李札も国を讓りて跡か乱になりたゆへ不調法になり、伯夷も親は乱命なり。然れは、伯夷の国を讓たも不調法になろふも知れぬ。然れば、こんなことよいかげんに論するかよい。其上死すともすむ道のあるに、それを死ふとするはさて々々恭の字にはあったこと。恭の字さへ取れは、申生か身分の吟味のつまりたよりは、あれて西銘へはよい。心にのせて見たとき、朝聞道の章に死生亦大なりとあるからは、死ぬ方へすら々々とすり足て行くと云ふは兎も角も、申生はこちの方ては大きいことなりとはとふなれは、靖献遺言風のことてなく、従容として義につく方なり。これも聞下手は、遺言は義につかぬかとも難すべし。そふ云ことてなし。東漢名節感慨殺身のとは、恭の字は當りが違ふ。
【解説】
申生については吟味し過ぎてはならない。申生の行いは恭に合ったことであり、従容として義についたことが大きいのである。感慨殺身とは違う。
【通釈】
語類に申生の吟味が少しある。いかにも先輩の説の通りで、曾点が曾子を打つ時は、曾子は逃げるのがよいと孔子も仰るからは、申生も逃げる方がよいだろう。西銘はそこまで論じるものではなく、あるがままにすることを恭と取ったもの。物を吟味し詰める段では、孟子も「至義之盡」と仰せられた。萬章の篇にある。その様に吟味すれば、呉の李札も国を譲ってその跡が乱れたから不調法となる。伯夷も親は乱命だった。それなら、伯夷が国を譲ったのも不調法になるかも知れない。そこで、こんなことは適当に論じるのがよい。その上で、死なずに済む道があるのに、それを死のうとする申生の行いは本当に恭の字に合ったこと。恭の字を取ることを詰める方が、申生の身分の吟味を詰めるよりも西銘にとってはよい。心に乗せて見た時に、朝聞道の章に「死生亦大也」とあるから死ぬ方へ摺り足で行くと言うのなら兎も角も、申生が西銘で大きいことだとは何故かと言うと、靖献遺言風のことでなく、従容として義に就くことを言ったこと。これも聞き下手は、靖献遺言は義に関係ないのかと非難するだろう。そういうことではない。東漢名節や感慨殺身と恭の字とは、当たりが違うのである。
【語釈】
・義の盡るに至る…孟子万章章句下4。「夫謂非其有而取之者盜也、充類至義之盡也」。
・李札…呉の19代目の王寿夢には四人の子があり、末子が李札である。王は李札に位を譲ろうとしたが李札はそれを辞退したので、長男の諸樊が後を継いだ。諸樊の死後、余祭、余昧が継ぎ、李札に帝位が廻って来るが、そこで李札は姿をくらまして帝位から逃れた。ちなみに諸樊の長子が闔閭である。
・伯夷も親は乱命…伯夷の親が、兄の伯夷ではなく弟の叔斉に位を譲ろうとしたことか?
・死生亦大なり…論語里仁8集註。「程子曰、言人不可以不知道。苟得聞道、雖死可也。又曰、皆實理也。人知而信者爲難。死生亦大矣。非誠有所得、豈以夕死爲可乎」。
・靖献遺言…浅見絅斎著。
・従容として義につく…政事44。「感慨殺身者易、從容就義者難」。
・東漢名節…宋代に劉安節の名節などが出た。西漢の士は義を好まず、名節を挺ずる者少なく、東漢の士は義を尚び名節を挺ずる者が多い。東漢は後漢。西漢は前漢。

揚龜山のこと小書にあるは第一書なり。第二書と云ものかありて、揚龜山合点されたれとも、それても未た合点せぬそふな。未釈然と伊川の仰られたことあり。この未た釈然のことを山﨑先生評判して、揚龜山の、先生のあの御説ては、以後学者ともに疑ふものかもふ有るまいそと云はれた所を、未た釈然と評判された。これか只の者の評判でなし。西銘なとを学者かなとと人のことを云はうれしくない。この筋がすんたらは、細字の体すると云字かすむへし。揚氏も其後は合点されて本のものになられた。委細は朱子の後論にあり。先刻講釈の時も少し云たか、中庸の理なりと云た手抦よりは渙然不逆於心か挌式の重ひことになる。中庸之理也と云ても孔子の蜜付と云ても同ことぞ。なせなれは、訂頑と云はすとも、西銘と云はれたて見へることなり。訂頑を西銘と改よとさへあれは、中庸と云たを着題としたではなし。
【解説】
この細書の他に楊亀山のことがあり、それでは未釈然だと伊川が言っている。しかし、楊氏も後に合点して本物になった。西銘は細書にある「中庸之理也」のことよりも「渙然不逆於心」を言ったものである。訂頑を西銘に改めなさいと伊川が言ったことでも、中庸を着題としたことではないことがわかる。
【通釈】
楊亀山のことが小書にあるが、これは第一書である。第二書というものがあって、楊亀山は合点された筈なのに、それでも未だ合点しないそうである。「未釈然」と伊川が仰せられたとある。この未釈然のことを山崎先生が批評して、楊亀山が、先生のあの御説なら、以後の学者共の中に疑う者はもういないだろうと言われた所で、尚、未だ釈然とせずと伊川が言ったのだと言われた。これは普通の者の批評ではない。西銘などを学者がなどと他人のことを言うのは嬉しいことではない。この筋が済んだら、細字の体するという字も済むだろう。楊氏もその後は合点されて本物になられた。委細は朱子の後論にある。先刻の講釈の時も少し言ったが、「中庸之理也」と言った手柄よりは「渙然不逆於心」の方が格式が重い。中庸之理也と言っても孔子の蜜付と言っても同じこと。何故なら、訂頑と言わなくても、西銘と言われたことでわかることだからである。訂頑を西銘に改めなさいと伊川が言ったことでも、中庸を着題としたのではないことがわかる。
【語釈】
・蜜付…菓子にかける蜜?密付?

不逆於心と云こと、学力はかりてもなし。ここは別にあることなり。正叔最愛定夫の、揚時穎悟不及游酢なととあるもここのこと。直方、西銘の筆記は多く渾厚学者の疑惑にならんと云もここなり。不逆於心と云こと、却て詩才などの天授にはあるべし。道学には拂底なり。道学は知見次第と云へとも、道学に入易きと云ふ美質あり。明道の龜山を會得容易と云はるること、一寸と聞くと知た字のやふなるか、容易と云か不逆於心のことなり。頃日、幸田栄二の不幸を木村長門か死ぬほとにをしひと云も、此人少年の時より不逆於心と云づんありしなり。甚得難ことなり。或太守の疑に、迂斎は二男を愛するよし、学者に愛子と云ことあるべからず、と。尤の評なり。されども学者には反てあるへし。道の妙を聞入るならは、愛すへし。全体を論せば、游定夫からか淫老仏と中庸の序にあれば、道の傳にあらす。参也以魯得之と云やふなは無きはつそ。それを爰へ出すと、道学の入口に子り塀をぬりかためるになる。迂斎の門人にも、あの酒呑の幸田善を石原濱町二先生ともになせ称せらるるやらと云やふな顔で居た学者ともありた。ここらは別に見処ありのこと。今日もきぶい顔で西銘は得られぬ。きぶい顔と云ものは頑の字のとけかぬるにてはなきやと見よ。西銘は仁なりと見るへし。それかすくに知見なり。
【解説】
「不逆於心」は天授に由るところがあるが、道学にはそれが全くない。しかし、道学には入り易い美質はある。幸田栄二や幸田子善には不逆於心の美質があった。西銘を仁のことと捉える。それが直に知見である。
【通釈】
「不逆於心」ということは、学力だけのことでもない。ここでは別なものがあるということ。「正叔最愛定夫」や「楊時穎悟不及游酢」などとあるのもここのこと。直方が、西銘の筆記は多くの渾厚な学者の疑惑になるだろうと言うのもここのこと。不逆於心は、却って詩才などを天授された者にはあるだろうが、道学には全くない。道学は知見次第だと言うが、道学には入り易い美質がある。明道が亀山を会得容易と言われたのは、一寸聞くと知のことの様だが、この容易と言うのが不逆於心のことである。過日、幸田栄二の不幸について、木村長門が死ぬほどに惜しいと言ったのも、この人は少年の時から不逆於心の資質があったからである。甚だ得難いことである。或る太守が疑って、迂斎は二男の黙斎を愛するそうだが、学者に愛子ということがあってはならないと言った。尤もな評である。しかし、学者には却ってそれがあるだろう。道の妙を聞き入るのであれば、愛するだろう。全体を論じれば、「淫老仏」と中庸の序にあることからして、游定夫でさえ道の伝者ではない。「参也竟以魯得之」という様なことはない筈である。しかし、それをここに出せば、道学の入り口に練塀を塗り固めることになる。迂斎の門人でも、あの酒呑みの幸田子善を野田先生と迂斎先生が何故共に称せられるのだろうと不審な顔をする学者達がいた。ここ等は別に見処があってのこと。今日も難しい顔をしていては、西銘は得られない。難しい顔は頑の字の解け切っていないことではないのかと考えなさい。西銘は仁だと捉えなさい。それが直に知見である。
【語釈】
・正叔…程伊川。
・幸田栄二…幸田永次郎。幸田榮次郎ともある。名は好珇。幸田誠之の次子。寛政2年(1790)没。
・木村長門…木村長門守重成。大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家のために戦って死ぬ。母の右京大夫局は豊臣秀頼の乳母。
・愛子…いとしご。最愛の子。
・淫老仏…中庸章句序。「然倍其師説、而淫於老佛者、亦有之矣」。
・参也以魯得之…為学26。「參也竟以魯得之」。
・幸田善…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。迂斎と野田剛斎に学ぶ。享保5年(1720)~寛政4年(1792)
・石原濱町二先生…石原は本所石原町の野田剛斎を指す。濱町は日本橋濱町の稲葉迂斎を指す。
・きぶい…きびしい。はげしい。