砭愚  十月朔日  織邸文録
【語釈】
・十月朔日…寛政2年庚戌(1790年)10月1日。
・織邸文…林潜斎。花沢文二。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

又作砭愚曰、戲言出於思也。戲動作於謀也。發於聲、見乎四支、謂非己心、不明也。欲人無己疑、不能也。過言非心也。過動非誠也。失於聲繆迷其四體、謂己當然、自誣也。欲他人己從、誣人也。或者謂出於心者、歸咎爲己戲、失於思者、自誣爲己誠。不知戒其出汝者、歸咎其不出汝者、長傲且遂非。不知孰甚焉。
【読み】
又砭愚を作りて曰く、戲言は思に出ずるなり。戲動は謀に作[おこ]るなり。聲に發われ、四支に見[あらわ]るるを、己の心に非ずと謂うは、明らかならざるなり。人の己を疑うこと無からんと欲するも、能わざるなり。過言は心に非ざるなり。過動は誠に非ざるなり。聲に失い其の四體を繆迷するに、己當に然るべしと謂うは、自ら誣[し]うるなり。他人の己に從わんと欲するは、人を誣うるなり。或者は心に出ずる者を謂いて、咎を歸して己が戲と爲し、思に失う者を、自ら誣いて己が誠と爲す。其の汝に出ずる者を戒め、咎を其の汝に出でざる者に歸するを知らず、傲を長ぜしめ且つ非を遂[と]ぐ。不知孰か焉より甚だしき、と。
【補足】
これは東銘の全文である。

訂頑の頑は仁の反對、砭愚の愚は知の反對なり。どこ迠も西銘は仁、東銘は知と銘を打て意を得るはあちらこちらと見へし。たたい仁は力行、知は知見のことなれとも、今日西銘を聞て中々晩から身には得られぬ。あとて合点の行くこと。西銘のなりは知見て、あとは力行なり。東銘は禁好物なり。これを聞て今日からなること。そこは知てなく力行につく。そこて東銘のなりは力行て、あとは知に落る。されとも今日たんてき東銘は知と云て力行、西銘は仁と云て知見のことなり。中へはいら子は知れぬこと。中へ入ると西銘承るは知、得ると仁になる。東銘は、知はなく戒のことなれとも、我行ひの上から見て蔽がとれると、あとは知になる。そこて二銘ともに効の所てほんの知仁になる。これか綱領なり。
【解説】
元々、仁は力行、知は知見のことだが、東銘は知と言って力行、西銘は仁と言って知見のことである。西銘を聞けば知、身に得れば仁となる。東銘は戒めのことだが、自分の行いに蔽いが取れると後は知になる。
【通釈】
訂頑の頑は仁の反対で、砭愚の愚は知の反対である。どこまでも西銘は仁、東銘は知と銘を打つ。その意を得るにはあちらこちらと見るのである。そもそも仁は力行、知は知見のことだが、今日西銘を聞いても中々晩から身に得ることはできない。後々合点の行くこと。西銘は始めが知見で、後は力行である。東銘は禁好物である。こう聞けば今日からできること。そこは知でなく力行のこと。そこで東銘の始めは力行で、後に知に落ちる。しかし今日の要旨は、東銘は知と言って力行、西銘は仁と言って知見のことである。それは中へ入らなくては知れないこと。中へ入ると西銘を承れば知、得ると仁になる。東銘は、知はなくて戒めのことだが、自分の行いの上で蔽いが取れると後は知になる。そこで二銘ともに効の所で本物の知仁になる。これがここの綱領である。
【語釈】
・砭愚…愚を治療すること。砭は中国の鍼術で用いる石で造った針。焼いて瀉血などに用いた。

又作砭愚曰云々。愚に吟味あり。愚はなはやたばにかからぬもののことなれとも、横渠の目さす処は其やふなものを云てなく、余程才智あるもののこと。程子の考其歸則誠愚也と云はるる。利巧ものか必竟愚なり。砭愚か人の指をさす者を云てない。あれは罪も報ひもないもの。今日利口ものか人にをどしを云たり、人をだましたりさま々々手くろをして巧みをするか、あれがをろかてはならぬ。去によってこの戯もたわけもののにはならぬものなり。砭は石針と云ことて療治するを云。横渠の愚へ針をたててくつろけてやろふなり。訂も砭もどちも療治とみれはすむ。
【解説】
「又作砭愚曰」の説明。横渠の愚とは、利口者を指して言うこと。訂も砭も、どちらも療治のことである。
【通釈】
「又作砭愚曰云々」。愚に吟味すべきことがある。愚は、縄にも束にも掛からない者のことだが、横渠の目指す処はその様な者のことでなく、よほど才智のある者のこと。程子が「考其帰則誠愚也」と言われた。利口者が、つまり愚である。砭愚とは、人が指を指す者を言うことではない。あれは罪も報いもない者。今日利口者が人に脅しを言ったり人を騙したり、様々な手くろをして巧みをするが、それは愚か者にはできないこと。そこで、この戯も戯け者にはできないことなのである。砭は石針のことで療治することを言う。横渠は愚に針を立てて寛がせてやろうとしたのである。訂も砭も、どちらも療治と見れば済む。
【語釈】
・考其歸則誠愚也…論語陽貨3集註。「聖人以其自絶於善、謂之下愚、然考其歸則誠愚也」。
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管

戲言出於思云々。可笑い面白いことを戯言と云。真顔な人にはきらいもあるもの。人により殊外上手なかありて、人にも笑はせ我も樂むもの。これを、枕をわらして考へて笑はせやふてないか、然し只はならぬもの。不圖云たことてもない。落し咄をこしらへるものも俳諧を考るほとのこと。戯言は大抵愛敬のあるもので、日待にも人か來よかしと待つの、御伽にもよいのと云か戯言者なり。思の謀のと初手から蔽へ祟りて云はるる。をどけ云も根がなくては出ぬ。心の内に次第階級がありて、心の根から生み出すものなり。
【解説】
「戲言出於思也」の説明。戯言は簡単なことではなく、思いがけずに言うことでもない。それには根がある。心の根で思い謀ることから蔽へと進む。
【通釈】
「戲言出於思云々」。可笑しい面白いことを戯言と言う。真顔な人の中にはそれを嫌う者もいる。人によっては殊の外戯言が上手な者がいて、人も笑わせ自分も楽しむもの。これは、苦心して笑わせようとするのではないが、しかし簡単にはできず、また、図らず言ったことでもない。落し咄を拵える者も俳諧を考えるほどのことをする。戯言は大抵愛敬のあるもので、日待ちにも人が来ればよいと待ったり、御伽にもよいのと言うのが戯言者である。「思」や「謀」と初めから蔽へ祟って言う。戯けを言うのも根がなくては言えない。心の内に次第階級があって、心の根から生み出すものなのである。
【語釈】
・枕をわらして…枕を割らす。苦心する。肝胆を砕く。
・落し咄…話の最後を語呂合せや洒落で落ちをつける小話。烏亭焉馬らにより話芸として発展、のち落語と呼ばれる。
・愛敬…①表情などのかわいらしいこと。②なさけがあること。思いやり。
・日待…①前夜から潔斎して寝ずに日の出を待って拝むこと。一般に正・五・九月の吉日を選んで行い、終夜酒宴を催す。影待。②農村などで田植や取入れの終った時などに、部落の者が集まって会食や余興をすること。おひまち。
・御伽…①お相手をすること。特に戦国・江戸時代、主君の側にいて話相手をつとめること。また、その者。②寝室にはべること。また、その人。妾。

戲動作於謀也云々。をとけたことを我身てするを云。時に戯言は誰も知た不断數多いもの。身てするはどんなことか戯動と云ふに、先ないものなり。大抵我身へ可笑いことをしてあぢな人と云はれるのか戯動と云へきものにて、通用になひことして人から無造作のあちな小刀に抦と云のか、これも可笑に落て戯動と云もの。下さけて云へは大神樂うちや芝居のどふけと云は戯動の至極へ落たなり。それ迠やり立ず、形へ落て人の笑ひ出すと云は戯動なり。其をとけも思ひ謀る方からのこと。今日へあてるに戯言は多ひが戯動の程らいか知れぬ。扨、思ふに戯言戯動が某は得手な方しゃ。此席にそのやふなものは見うけぬ。これかはたらきがなければならぬもの。そこか戯言戯動のなりのどふしたことと云。東銘の戒はあとの句てほとけて來ることなり。戯言の吟味つめると、はや戯動になるもの。只今仕方咄かそれなり。口て云ことなれとも、もちとをとけを形て見せる。晉の清談なり。一筆被啓上候にはないこと。摺足て上下は面白ふないゆへ、事にあらはれたときに阮咸か褌を干すなとか戯言の方なり。あれか隠者て高ひものなれとも、あのことは戯動につく。南朝の八達か皆そふて、あの時誰とか云たか姨の下女に蜜通して追出され、其女を馬にのせ、我も尻馬にのったなとや、いつかも云た世説に、犬の竇から人の酒もりの席へ這出た抔が戯動の甚しきなり。陶淵明か無弦の琴も戯動の筋。垩人は弦てこそ琴なり。あれか漉酒巾もその筋なり。東の銘のつかまへ処、筋のないことを戒る。垩賢は視聽言動を皆礼へよせる。何もかも道理のかたから合せることに、戯言戯動は天地にないことを謀り出したなり。去により、元日の登城にをどけたなりをするものはない。
【解説】
「戲動作於謀也」の説明。戯動は我が身で戯けをすること。人に可笑しく思われるのが戯動である。今、戯言は多くあるが、戯動の程合いわからない。戯動も思い謀ることによって生じる。聖賢は視聴言動を礼に合わせる。何でも道理に合わせなければならないのに、戯言戯動は天地にないことを謀り出すのである。
【通釈】
「戲動作於謀也云々」。戯けたことを自分の身に行うことを戯動と言う。時に戯言は誰でも普段から知っているもので数多いもの。身に行うことでどんなことが戯動かと言うと、詮無いもののことである。大抵我が身へ可笑しいことをして変な人だと言われるのが戯動と言うべきものであって、通用にないことして人から無造作な人だ、変な小刀に柄だと言われるのが、これも可笑しいことに落としたことで戯動というもの。下げて言えば、太神楽打ちや芝居の道化というのは戯動の至極へ落ちたこと。それまでにはならなくても、形へ落として人が笑い出すことは戯動である。その戯けも思い謀る方からのこと。今日へ当てて見ると、戯言は多いが戯動の程合いはわからない。さて、思うに私は戯言戯動が得手な方である。この席にその様な者は見受けられない。これは才覚がなければできないもの。戯言戯動の姿はどの様なものなのかという、東銘の戒めは後の句で解けて来るもの。戯言の吟味を詰めると、早、戯動になるもの。只今の仕方話がそれである。口で言うことなのだが、少し戯けを形でして見せる。それは晋の清談である。一筆被啓上候にはないこと。摺足で裃では面白くないから、事が起こった時に阮咸が褌を干すなどと言うのが戯言の方である。彼は隠者で高い人であるが、あのことは戯動につく。南朝の八達が皆それで、あの時誰だったか姨の下女に密通をして追い出され、その女を馬に乗せて自分も尻馬に乗ったなど言ったことや、いつかも言った世説に、犬の穴から人の酒盛りの席へ這い出たなどというのが戯動の甚しいものである。陶淵明の無弦の琴も戯動の筋。聖人には弦があってこその琴である。彼の漉酒巾もその筋である。東の銘の掴まえ処は筋のないことを戒ること。聖賢は視聴言動を皆礼へ寄せる。何もかも道理の形から合わせることなのに、戯言戯動は天地にないことを謀り出すのである。それで、元日の登城に戯けた姿をする者はない。
【語釈】
・大神樂…太神楽。雑芸の一種。獅子舞のほか品玉・皿回しなどの曲芸を演ずるもの。
・程らい…ほどあい。
・仕方咄…①身ぶり・物真似によって話をすること。②身ぶりをまじえて演ずる落語。
・清談…魏晋時代に盛行した談論。後漢の党錮の禍に、高節の士が多く横死して以来、達識の士が山林に隠遁し、礼節の束縛を棄て、琴を弾じ酒に耽り、老荘の空理を談じ、放逸を事としたことを指す。竹林の七賢はその代表。
・阮咸…晋の人。竹林の七賢の一。字は仲容。阮籍の兄の子。文学・音楽に巧みで、よく琵琶を弾じたという。
・南朝の八達…南朝で、生の本義に徹した八人。胡母輔之・謝鯤・阮放・阮孚・畢卓・羊曼・桓彝・光逸。
・姨の下女に蜜通して追出され…
・犬の竇[あな]から人の酒もりの席へ這出た…
・無弦の琴…李白。戯贈鄭溧陽。「陶令日日酔,不知五柳春。素琴本無弦,漉酒用葛巾。清風北窓下,自謂羲皇人。何時到栗里,一見平生親」。

發於声見乎四支。心てはないとまきらかしてするか、はや声と形にあらはるる。内の心からなり。声、戯言、見乎四支、戯動。無礼てもをとけと云て紛らかして仕廻ゆへ苦しふないことになりてをるか、有まいことなり。内にあることはとふも隠されぬこと。そこて發於声なり。謂非己心不明なり云々。戯言を人かとかめたとき云口上なり。あれは氣なしにしたとぬける。得て人の病て、一了簡でしても時の拍子とにける。不明なりは、もふ砭の字へたたりたものなり。心にないことをせふはづなし。凡夫は我方を飾りて押つけやふと思ふか、それはならぬこと。心にはないか不意と出たと云ても合点せぬことなれとも、それを、我を人からも志にはないと云はせふと思か愚なことなり。これか公儀にも番所にもならぬことゆへ押付て通り、人からもかまわぬか、金を返さぬとは違ふゆへなり。それをかさりつけたと思ふかたはけなり。利口てあちこちとして世の中をたまし我を飾りて、それて渡ふと云。そこを垩賢の目からは愚と云。たたい知は人へ出すことてない。
【解説】
「發於聲、見乎四支、謂非己心、不明也」の説明。戯は心の内から生じる。内にあることは隠すことができないから声に出る。一物あってしたことでも、それは心になかったことだと言って自分を飾って、人の同意を得ようとするのは戯けであり、聖賢の目からはそれを愚と言う。知は人へ出すことではない。
【通釈】
「発於声見乎四支」。心にはないことと紛らかすが、早、声と形に現れる。それは内の心から来るのである。「声」、戯言、「見乎四支」、戯動。無礼をしても戯けだと言って紛らかしてしまうから、苦しくないことになっているが、それはあってはならないことである。内にあることはどうも隠すことができない。そこで「発於声」である。「謂非己心不明也云々」。戯言を人が咎めた時に言う口上である。あれはその気がなくてしたことだと言い抜ける。これがよくある人の病で、一了簡があってしたことでも時の拍子にしたと逃げる。「不明也」は、砭の字へ祟ったこと。心にないことをする筈はない。凡夫は自分を飾って押し付けようと思うが、それはできないこと。心にないことが不意に出たと言っても人は納得しないが、自分の心にはそれがないと人にも言わせようと思うのが愚かなことである。これが公儀にも番所にも訴えることではできず、押し付けて通しても人が構わないのは、それが金を返さないこととは違うからである。それを飾り付けたと思うのが戯けである。利口に色々なことをして世の中を騙し、自分を飾って、それで世を渡ろうと言う。そこを聖賢の目からは愚と言う。そもそも、知は人へ出すことではない。

欲人無己疑不能也は、我方はすてて人へ云わけかすめばと思ふはいかにしても愚なり。病人か病を隠し、医者に善と云はせてかへそふとするのなり。医者かよいと云とも病症を數々云立て、もっと見て下されと云はつのこと。さるによって、実のことに其やふなものはない。をどけを押して通ると思ふ。そこか愚なり。思をいたした、謀ていたしたと云へはよいに、上へをかさるか不明の至極なり。知は他人のことでなく、我方をみかくこと。知人曰明自知曰知と云。知惠者は、働きものが上べをかさり、上手をして世の中を渡ふと云からならぬこと。今日このあるものは額に汗せふなり。
【解説】
「欲人無己疑、不能也」の説明。言い訳ができれば戯けを通せると思うのが愚である。思い謀ったと言えばよい。知恵者は上辺を飾って世を渡ろうとするから悪い。
【通釈】
「欲人無己疑不能也」は、自分の方は放って置いて人に言い訳ができればよいと思うのはどう見ても愚である。病人が病を隠し、医者によいと言わせて帰らせようとするのと同じ。医者がよいと言っても、病症を数々言い立てて、もっと見て下さいと言う筈である。それで、実のことにその様なことはない。戯けを押して通せると思う。そこが愚である。思いを致した、謀って致したと言えばよいのに、表面を飾るのが不明の至極である。知は他人のことでなく、自分を研くこと。「知人曰明自知曰知」と言う。知恵者は、働き者の様に上辺を飾って要領よく世の中を渡ろうとするから悪い。今日この意のある者は額に汗をかくだろう。
【語釈】
・知人曰明自知曰知…老子道経弁徳。「知人者智、自知者明」。

過言非心也云々。過は麁相のこと。ひょいと云そこないなり。譬へは今日暑かつよいと云へきを、きつい寒さと云は口からさきの過ちなり。歳暮に行て年始の御祝義と云は口でのこと。心の知らぬことなり。過動非誠なり。ふいとの仕そこなひなり。医者がつい病家の隣へ行て病人はとふしゃと云ひ、いそかしいときにあること。袴腰が子じれ、腰物を反りてさすか実にしたことてない。失於聲云々。言葉の上も四体も皆それなり。下駄と雪蹈を片々合にはいたは麁相て、心に私ないなり。
【解説】
「過言非心也。過動非誠也。失於聲繆迷其四體」の説明。過とは粗相のことで、戯言や戯動は私心があってのことだが、過言や過動に私心はない。
【通釈】
「過言非心也云々」。過は粗相のこと。一寸した言い損いである。たとえば今日は暑が強いと言うべきを、きつい寒さと言うのは口から先の過ちである。歳暮に行って年始の御祝儀と言うのは口でのことで、心の知らないこと。「過動非誠也」。一寸した仕損いである。医者がつい病家の隣へ行って病人はどうだと言う。忙しい時にあること。袴腰が捻じれ、腰物を反らせて差すのは、やろうとしてのことではない。「失於聲云々」。言葉の上も四体も皆その様なこと。下駄と雪踏を片方ずつ履いたのは粗相で、心に私はない。
【語釈】
・袴腰…①袴の背後の、腰にあたる部分。男子用には、中に梯形の腰板を入れる。②梯形をなすもの。土手の断面や女の額の生えぎわの形にいう。

謂己當然自誣也。横渠の見ぬいたことなり。人のくせてかさるか好きなり。上の謂非己心不明也と同こと。人にとかめられたとき、かさる氣になりて麁相を私一物ありてしたこと。これか當然と云が、それかもと下駄と雪駄にわけはない。そこを飾りて、片々下駄をはいたは霜とけがあるからと云てもうまらぬことなり。迂斎、小人之過は必文るかここなりと云り。自誣る也は上の不明也の對句なり。我手に我をだますはあまり愚なり。自誣は吾手にないことをこしらへて吾方へ出すを云。大学の自欺か元祖てあの自の字なり。直方先生、我巾着を我手に切と云はるる。枕石嗽流と云へきを嗽石枕流と云そこないて、それを、耳を清くし歯をみかくと云ほといたも自誣にて、云そこないは言損にするがよい。土用見廻にきて、きつい寒さと云は云そこないなれとも、それを飾りてをれか寒さと云たも訳あること、油断して風を引なと云こととぬける。これか得て親なとにあるもの。をいや息子か其云そこないを笑ふと、をれか今のことを何と聞た、斯ふ云ことと誣るものなり。
【解説】
「謂己當然、自誣也」の説明。飾るのは自分に一物があってするのであって、それを当然とするのは悪い。言い損いは言い損いとするのがよく、それを飾るのは自誣である。
【通釈】
「謂己当然自誣也」。横渠が見抜いたところである。人には飾るのが好きという癖がある。上の「謂非己心不明也」と同じこと。人に咎められた時に飾る気になって、粗相をしたのは私に一物があってしたことで、これが当然なことだと言う者もいるが、元々、下駄と雪駄に理由などはない。そこを飾って、一方ずつ履いたのは霜解けがあるからと言っても理由にはならない。迂斎が、「小人之過也必文」と言うのがここのことだと言った。「自誣也」は上の不明也の対句である。我が手で自分を騙すのはあまりに愚なこと。自誣は自分の手にないことを拵えて自分に出すことを言う。大学の自欺が元祖で、あの自の字である。直方先生が、自分の巾着を自分の手で掏ることだと言われた。枕石嗽流と言うべきところを嗽石枕流と言い損なって、それを耳を清くし歯を磨くことだと言い解くのも自誣であって、言い損いは言い損いと言うのがよい。土用見舞いに来て、きつい寒さと言うのは言い損いだが、それを飾って俺が寒さと言ったのも訳のあることで、油断をして風邪を引くなということだと言い逃れる。これが親などによくあるもの。甥や息子がその言い損いを笑うと、俺が今言ったことを何と聞いたのか。こういうことだと誣るもの。
【語釈】
・小人之過は必文る…論語子張8。「子夏曰、小人之過也必文」。
・自欺…大学章句6。「所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色。此之謂自謙。故君子必愼其獨也」。
・云ほといた…言い解く。論じ立てて非難する。反対を表明する。

欲他人己從誣人也。ここを逆か面白。自らの上を最一へん人をだます。或者云々。上て戯言戯動過言過動と二つ出して、得て凡人はかさると云て、一仕まいにめいやうな曲なことと、前は姿をかざり、これからはをもわくを云。知はすら々々なもの。知の姿は水の流の如く滞らす、ひくい所へ落るやふなもの。又、水の物をうつすは、外はくらく内は明なり。利口ものは外を照そふとして内は暗くする。ここか世間の愚へ石計[はり]なり。
【解説】
「欲他人己從、誣人也。或者」の説明。自ら騙した上にもう一遍人を騙す。前段は飾ることを言い、後段は思惑について言う。知の姿は水の流の様に滞らない。水が物を映すのは、外が暗く内は明だからであるが、利口者は逆である。そこで砭愚なのである。
【通釈】
「欲他人己従誣人也」。ここの逆な言い方が面白い。自ら騙した上にもう一遍人を騙す。「或者云々」。上で戯言戯動、過言過動と二つ出して凡人は飾るものだと言って、後に不思議な癖があると言う。前で姿を飾ることを言い、これからは思惑について言う。知はすらすらとしたもの。知の姿は水の流の如く滞らず、低い所へ落ちる様なもの。また、水が物を映すのは、外が暗く内は明だからである。利口者は外を照らそうとして内を暗くする。ここが世間の愚へ石針をする理由である。
【語釈】
・めいやう…名誉。奇妙。不思議。めんよう。

謂出於心者。戯言戯動。言わけの段に、胸からでない。心の外とにがさす、失於思云々。過言過動。不圖思はず麁相したことをは、心にありてしたことにかさる。いかにしてもすら々々でない。はたらきあるものは作意安排で押て通ふと云ゆへ、我了簡あってしたことはないと云、了簡のないことはあると云。それを通すほと、こちでは愚と云。不知戒其出汝者歸咎其不出汝者。ここをあちこちふりむけると東銘の意に叶ふ。戯は云はづでない。それを戒るか砭愚の砭の字なり。をとけはもとないことを云なれば、以後云まいとする。其不出汝。過言過動の方なり。麁相は不出汝のこと。産家へ御不幸御愁傷と云、喪家へ目出度と云はほんの云そこない。それをかさりたかるか、そこを昨夕は妄言氣の毒千万と云へはけすことに、不知と云か愚なり。手抦そふに云通す。けんやふを知らぬを愚と云。
【解説】
「謂出於心者、歸咎爲己戲、失於思者、自誣爲己誠。不知戒其出汝者、歸咎其不出汝者」の説明。戯を我が心からのことでないと言い、過を我が心からしたことだと言って飾る。それを押し通せば通すほど愚である。これ等は不知が原因であって、言容を知らないのを愚と言う。
【通釈】
「謂出於心者」。戯言戯動。言い訳の段で、自分の胸からのことではなく、心の外のことだと逃げる。「失於思云々」。過言過動。図らず思わず粗相をしたことを、自分の心にあってしたことだと飾る。それは、どうしてもすらすらでない。才覚のあるものは作意按排をして押して通そうとするから、自分に了簡があってしたことではないと言い、また、了簡のないことは了簡があったと言う。それを通せば通すほど、こちらでは愚と言う。「不知戒其出汝者帰咎其不出汝者」。ここを色々と振り向けて見ると東銘の意に叶う。戯は言うべきではないこと。それを戒めるのが砭愚の砭の字である。戯けは元々ないことを言うのだから、以後は言わないようにしようとする。「其不出汝」。過言過動の方のこと。粗相は不出汝のこと。産家へ御不幸御愁傷と言い、喪家へ目出度いと言うのは本当の言い損いである。それを飾りたがるが、昨夕は妄言気の毒千万と言えば済むことなのに、それを「不知」と言うのが愚のことである。手柄がある様に言い通す。言容を知らないことを愚と言う。
【語釈】
・けんやふ…言容。ことばと容貌。

長傲且遂非。己が心にあらさると云が長傲なり。遂非は過言過動の方なり。をとけは以後やめやふで消ることに、論語も前言戯之耳と、孔子も戯言かあると云ひ、衛武公も戯謔と云ことかあるなとと云が長傲なり。垩賢の戯と云ことあれとも、あれは天氣の快晴に乘して靎の舞、鴬の声のよいやふなものなり。東銘は戯言戯動の根あるを云。今俳諧や詩なとも戯と同しこと。それを詩経と同ことと云ふか、歳旦寄合して當年から来年の詩や發句が關々雎鳩と一つにならふ筈はない。戯言戯動をとこからも咎めもないか、心を治めるには禁物なり。去によりて奉行所や君邊に戯と云ことはない。其ない筈へ垩賢が戒玉ふ。それを大事ないとをすか傲りなり。知以足拒諌と云がそれなり。長傲遂非なり。非を遂ると云がいかにしても見苦しいこと。不調法と云へは点のきへることに、無理に麁相でないに押つける。
【解説】
「長傲且遂非」の説明。戯言戯動が長傲で、遂非は過言過動である。聖人にも戯があると言い、今の俳諧なども詩経と同じだと言うが、聖賢とそれ以外の人とでは段階が違う。心を治めるのに戯言戯動は禁物である。聖賢の戒めに従わず、無理に通すのが長傲遂非である。
【通釈】
「長傲且遂非」。自分の心にはないと言うのが長傲で、遂非は過言過動の方である。戯けは以後止めようとすれば消えることなのに、論語にも「前言戯之耳」とあるから、孔子にも戯言があると言い、衛武公も戯謔ということがあるなどと言うのが長傲である。聖賢にも戯ということがあるが、あれは天気の快晴に乗じて鶴が舞い、鴬の声がよい様なもの。東銘は戯言戯動には根があることを言う。今の俳諧や詩なども戯と同じこと。それを詩経と同じことだと言うが、歳旦寄合して当年や来年の詩や発句が関々雎鳩と同じになる筈はない。戯言戯動は何処からも咎められないが、心を治めるには禁物である。それで奉行所や君側に戯ということはない。そのない筈のことを聖賢が戒められた。それを大した事ではないと押し通すのが傲である。「知足以拒諌」と言うのがそれである。それが長傲遂非である。非を遂ぐというのは、いかにしても見苦しいこと。不調法と言えば落ち度が消えるのに、無理に粗相ではないと押し通す。
【語釈】
・前言戯之耳…論語陽貨4。「子之武城、聞弦歌之聲。夫子莞爾而笑曰、割鶏焉用牛刀。子游對曰、昔者偃也聞諸夫子。曰、君子學道則愛人、小人學道則易使也。子曰、二三子、偃之言是也。前言戲之耳」。
・歳旦…歳旦は、①新年の第一日。元日。元旦。②歳旦を祝う句。歳旦開きで披露する句。
・關々雎鳩…詩経周南関雎。雎鳩はミサゴの漢名。
・知以足拒諌…史記殷本紀。「帝紂資辨捷疾、聞見甚敏。材力過人、手格猛獸。知足以距諫、言足以飾非。矜人臣以能、高天下以聲、以爲皆出己之下」。
・点…欠けたところ。問題のところ。非難すべきところ。

不知孰甚焉。べったりと不智に落す。すら々々理なりか知のすかたなり。然に人聞のよい様に巧でかざるは下卑たこと。そふたい実を以てするが知者のなりなり。利口ものが無理無体に押て通りたがる。そこで弁もきこへ働もあるやふに見へるが、差引すると愚に極る。
【解説】
「不知孰甚焉」の説明。理の通りなのが知であり、実に基づくのが知者の姿である。利口者は押して通して弁も才覚もある様に見えるが、不知では愚の極みである。
【通釈】
「不知孰甚焉」。ここでしっかりと不知に落とす。すらすらと理の通りなのが知の姿である。それなのに、人聞きのよい様に巧みで飾るのは下卑たこと。総体、実でするのが知者の姿である。利口者が無理無体に押して通りたがる。そこで弁も冴え才覚もある様に見えるが、差し引きすると愚に極まる。

横渠學堂雙牖右書訂頑、左書砭愚。伊川曰、是起爭端。改訂頑曰西銘、砭愚曰東銘。
【読み】
横渠學堂雙牖の右に訂頑を書し、左に砭愚を書す。伊川曰く、是れ爭を起こす端なり。訂頑を改め西銘と曰い、砭愚を東銘と曰う。
【補足】
これは東銘の注である。

横渠学堂雙牖云々。訂頑砭愚の趣向か仁知の二なり。仁のかたきは頑じゃと訂頑を題し、愚て知がくらむ。それへ針をすると云て砭愚の題号なり。然るを伊川の思召に、言に云へぬ文なれとも訂頑砭愚の看板てはあとて爭か出来やふと云はれて西銘東銘と改めり。扨ここに訳ありて、近思録ては訂頑砭愚か学者の聞たとき直に功夫になるゆへ、旧名のまま載せり。これが白鹿洞の学規を掲示と改たやふなもの。学規の字は入用、掲示の字は入らぬことなれとも、あとて書院へかけたときは掲示がよい。されとも大学以来の規なれは、今日あれを讀ものの心得は学規と見るがよい。市井の洗湯でうせものふ存の張札や、呉服屋の銀六十匁銭時相塲と張札するも掲示になるなり。されは、親切は学規と見ると大学の学に引はりがよい。そこで東西二銘を朱子の近思へは旧名て載せり。某最一つ説あり。思入あって東西の二銘に改められたは学問の精彩になることなり。どふ云わけなれば、学者が西銘東銘を名の上から訂頑砭愚と云、題号をあてにするやふては面白ない。中へ這入て見て乾称父坤称母から段々のこと、善く讀めば訂頑の題号なれとも、訂頑の其意は得られること。そこで伊川の名たてかましく云ふをうるさく思召て西銘東銘とかへらるるは名人のせわやきなり。題号をつかまるは初学者のこと。訂頑砭愚、学者の垢かとれるとそれは入らぬことなり。
【解説】
訂頑砭愚は仁知の二つについての話である。伊川は訂頑砭愚の題では後で争いとなるだろうと言われて西銘東銘と題を改めさせたが、近思録では訂頑砭愚と題すると直に功夫になるから、旧名のまま載せた。しかし、題号に固執しなくても文を読めば訂頑砭愚の意は理解することができるのである。
【通釈】
「横渠学堂雙牖云々」。訂頑砭愚の趣向は仁知の二つである。仁の敵は頑だと訂頑を題し、愚で知が暗むから、それに針をすると言って砭愚の題号となる。それを伊川の思し召しで、申し分のない文ではあるが訂頑砭愚の看板では後で争いとなるだろうと言われて西銘東銘と題を改めた。さて、ここに訳があって、近思録では訂頑砭愚と学者が聞けば直に功夫になるから、旧名のまま載せる。これが白鹿洞の学規を掲示と改めた様なもの。学規の字は入用で、掲示の字は要らないことであるが、後で書院へ掛けた時は掲示がよい。しかし、大学以来の規であれば、今日あれを読む者の心得としては学規と見るのがよい。市井の洗湯で失せ物存ぜずの張り札や、呉服屋の銀六十匁銭時相場と張り札をするのも掲示になる。それで、学規と見ると大学の学に引張りがよくて親切である。そこで東西二銘を朱子は近思録へ旧名で載せたのである。私にはもう一つの説がある。思い入れがあって東西の二銘に改められたのは学問の精彩になること。それは何故かと言うと、学者が西銘東銘を名の上から訂頑砭愚と言って、題号をあてにする様では面白くない。中へ這い入って見て乾称父坤称母から段々のことが、善く読めば訂頑の題号のことである。それで訂頑のその意は得られること。そこで伊川が題号に固執するのを煩く思し召して西銘東銘と替えられたのであって、これは名人の世話焼きである。題号を掴まえるのは初学者のこと。訂頑砭愚の題号は、学者の垢が取れれば不要なことである。
【語釈】
・白鹿洞…白鹿洞書院。江西省廬山五老峰下にあった書院。唐の李渤が創建。白鹿を養っていたから名づける。宋の朱熹がこれを再建して学を講じた。

最一つ説あり。初心な学者が近思をよんでもあとて存養の語、克己の語と云ことを知ぬは未熟からのこと。融通すれば近思の語が屏風に五六字かいて有ても、直にこれは克己、これは存羪の語と語抦でしるはづのこと。だたい近思の語は論語とは違ふ。これは学而にあるべきと云ことはなし。近思はあると直に知るやふでなければ役に立ぬ。此語は存羪にある。はっと理から知る。道理が熟すれば訂頑砭愚と出さすともひびくはづのこと。そこで訂頑砭愚と出さぬ処が角がなくて却て面白こと。消した方が其うまい処なり。
【解説】
もう一説ある。道理を熟知すれば近思録の内容はよくわかる筈であって、ここに訂頑砭愚と出さなくても心に響く筈である。
【通釈】
もう一つ説がある。初心な学者が近思録を読んでも、後で存養の語や克己の語のことだとわからないのは未熟からのこと。融通すれば近思録の語が屏風に五六字書いてあっても、直にこれは克己、これは存養の語と語柄で知る筈である。そもそも近思録の語は論語とは違う。これは学而に載っている筈だなどと言うことはない。近思は、それがあれば直に知る様でなければ役に立たない。この語は存養にあると、はっと理から知る。道理が熟すれば訂頑砭愚と出さなくても響く筈である。そこで、訂頑砭愚と出さない処が穏やかで却って面白い。その穏やかな処がうまい処である。

講後曰。人の生質によりて、戯言戯動のをとけめいたことのきらいなものが我は東の銘の戒は入らぬと思てをるか、大きな了簡違なり。必竟戯言戯動は枕詞に云て、東銘の主はあとの自誣人の、長傲遂非なとの処が大切なり。この病がすへて凡人の遁れられぬことなり。とふあろふとも、あちこちと虚をして人目に間に合をして通すなれば、とら程賢ひことをしても東銘の愚なり。戯の過のと云沙汰ないことに東銘あるなり。
【解説】
東銘の戯や過は枕詞であって、東銘の主は「自誣人」や「長傲遂非」にある。これから凡人は遁れることがならない。戯や過がない人にも、東銘の戒めは必要である。
【通釈】
講後に言う。人のその生質から戯言戯動の戯けめいたことを嫌いな者がいて、自分は東の銘の戒めは要らないと思っているが、それは大きな了簡違いである。畢竟、戯言戯動は枕詞として言うのであって、東銘の主は後の「自誣人」や「長傲遂非」などの処にあり、そこが大切なのである。この病が全ての凡人の遁れられないこと。どんなことでも、あちこちと虚をして人目を誤魔化して通すのであれば、どれほど賢いことをしても東銘の愚である。戯や過という沙汰のない人にでも東銘の戒めは要る。
【語釈】
・間に合…でまかせ。ごまかし。


第九十 将脩己必先厚重の条

將脩己、必先厚重以自持。厚重知學、德乃進而不固矣。忠信進德、惟尚友而急賢。欲勝己者親、無如改過之不吝。
【読み】
將に己を脩めんとせば、必ず先ず厚重にして以て自ら持すべし。厚重にして學ぶことを知れば、德乃ち進みて固[とどこお]らず。忠信もて德に進むには、惟れ友を尚[しょう]して賢を急とせよ。己に勝れる者の親しまんことを欲せば、過を改むるの吝[やぶさか]ならざるに如[し]くは無し。
【補足】
この章は、正蒙の乾称下篇にあり、論語学而8を主として、これに易の乾卦文言伝を加えている。

この条、論語君子不重則不威の章を取れり。迂斎の文集答劉平甫書を引て説り。節要八巻にも載てあり。あの書と参考すると、朱子ここの編集の意すむ。戯言戯動の次にこの章の出たが答劉平甫書の旨とよく合ている。脩己か身を脩覆すること。仁義礼智は新しく新田開くやふなことはない。そこで身を脩るより外学問はない。厚重は厚きを根にして置なり。根かないとふわ々々する。大学の前に小学のあると同こと。小学は敬と云はすに敬なり。あの茶の給事からきめて大学へうつる。人か全体にぢっちりかなけれは相談はならぬ。引しまる処が本になる。迂斎、風吹に紙人形置やふてないと云。これを土臺か孔子の思召なり。
【解説】
「將脩己、必先厚重以自持」の説明。この章の出典は論語である。学問は身を修めることで、それには根がしっかりとしていなければならない。
【通釈】
この条は論語の「君子不重則不威」の章から引用した。迂斎は文集にある劉平甫に答うるの書を引いて説いた。節要八巻にも載っている。あの書を参考にすると、朱子のこの編集の意が済む。前条の戯言戯動の次にこの章が出たのが劉平甫に答うるの書の意とよく合っている。「修己」は身を修復すること。仁義礼智は新田を開く様なことではない。そこで身を修めるより外に学問はない。「厚重」は厚を根にして置くこと。根がないとふわふわとする。それは大学の前に小学があるのと同じこと。小学は敬と言わなくても敬の話である。あの茶の給仕から決めて大学へ移る。人は全体にずっしりとしなければ相談はならない。引き締まる処が根本になる。迂斎が、風が吹くのに紙人形を置く様なことではないと言った。これを土台にするのが孔子の思し召しである。
【語釈】
・君子不重則不威の章…論語学而8。「子曰、君子不重、則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過、則勿憚改」。
・劉平甫…
・節要八巻…

厚重知学德乃進而不固。これからさきを大切に見へし。得て学者かたぎと云ある。只落付底を学者のやふに思か、それか役に立ぬ。をとなしいは重疂なれとも、必竟知のめくらぬのなり。これを為学となく知ると云を見べし。学は知へつくこと。厚重の上へ致知挌物なり。落付てない。
【解説】
「厚重知學、德乃進而不固矣」の説明。落ち着いている者が学者の様に言われているが、それは知が巡らないからである。学問は知による。厚重の上での致知格物である。
【通釈】
「厚重知学德乃進而不固」。これから先を大切に見なさい。学者気質ということがよくあるもの。ただ落ち着いている者を学者の様に思うが、それは役に立たない。大人しいのは重畳だが、つまりは知が巡らないのである。これを為学ではなく、知学と言っているのを見なさい。学は知へ付くこと。厚重の上に致知格物である。落ち着くことではない。

德乃進而不固。論語とは文義が違ふ。かたまらすと云こと。実体な計りを学者の勘定に入れぬ。固は固滞とつつく。君子風を貴ばぬかそこなり。どふらくものの大酒や傾城くるいかよいと云ことではないか、をとなしい計ては学問かあがらぬもの。身持かよいとて當にはならぬ。学問せすとも凡人に身持のよいものあり。然れは学者が身持よいと云を本尊にして鼻へかけるはつはない。鼻へかけると固滞してかたまる。固ると知かすすまぬ。たたい知かすすむものゆへ、ちっとしては居ぬ。川の流のやふなもの。道中するもそれて、いつも品川には居らぬ。榎や松の木はいつまても動ぬ。学問か固ていては面白ない。偖、只今の論語は安重てなけれは学も丈夫でないと云ことが程朱の文義なれとも、横渠の發明はかたまらずと云て、死物てないことに見らるる。論語とちかへとも面白ことなり。これ迠上総の学問、皆のあからぬも固ったからのこと。いかにしても学問が出來ぬ。固りかとけぬゆへ、いつも同しことなり。
【解説】
「德乃進而不固矣」の説明。論語の文義は安重でなければ学問も丈夫でないということだが、横渠は固まらずと言って、学問が死物ではないと捉える。知は進むものであって、固まると進まない。固まれば学問は上達しない。
【通釈】
「德乃進而不固」。論語とは文義が違う。固まらないということ。実体なだけでは学者とは言わない。固は固滞と続く。君子風なことを貴ばないのがそこである。道楽者の大酒や傾城狂いがよいと言うことではないが、大人しいだけでは学問は上がらないもの。身持ちがよいと言っても当てにはならない。学問をしない凡人にも身持のよい者がいる。それなら、学者が身持ちがよいということを本尊にして鼻にかける筈はない。鼻にかけると固滞して固まる。固まると知が進まない。そもそも知は進むものだから、じっとしてはいない。川の流れの様なもの。道中するのもそれで、いつも品川にいるのではない。榎や松の木はいつまでも動かない。学問が固でいては面白くない。さて、ここの論語は安重でなければ学問も丈夫でないというのが程朱の文義だが、横渠の発明はこれを固まらずと言って、学問が死物ではないと捉える。論語とは違っているが面白いことである。これまでの上総の学問も、皆の学問の上がらないのも固まったからのこと。どうしても学問ができない。固まりが解けないから、いつも同じである。
【語釈】
・実体…まじめで正直なこと。じっちょく。
・傾城…劉廷芝の公子行。「傾国傾城漢武帝。爲雲爲雨楚襄王」。李延年が武帝に自分の妹を売りつけようとして、「北方に絶世の美女がいる。その美女がひとたび顧れば人の城を傾け、ふたたび顧れば人の国を傾ける」と言った。

忠信進德惟尚友而急賢。論語主忠信と云は、すぐに易の忠信進德のことじゃと云ことなり。うそでは德に進みやうなし。商人が掛を取り才布へ金を入れ子は德と云はれぬ。途中で柿の蔕[へた]を入てはやくにたたぬ。商人の銀錢、学者の忠信か同こと。才力あり器用ても、誠なくてはならぬ。迂斎、心のそこに塵のたまらぬことと云。偖、忠信と云ても、一日目を閉て考ても德にすすみやふはないゆへ、そこて尚友而急賢と云ふ。朋友が入用なり。尚の字がいんきんにすると云ことてなく、重にすること。それ無てはならぬとたっとぶを云。譬へば、奉公人がなくは誰ぞに作らせようか、朋友はなくてならぬと云のなり。只今云、あれはあらばありぎり、これは無くてはならぬと云意なり。急賢はよのことのけてなり。病人に医者なり。日和がよくはと云ことでない。賢者へぬるけたことてはならぬ。
【解説】
「忠信進德、惟尚友而急賢」の説明。忠信でなければ徳に進めない。また、徳に進むには朋友が必要であり、朋友を尊重しなければならない。急賢とは、賢者に対して一途に向かうこと。
【通釈】
「忠信進徳惟尚友而急賢」。論語で「主忠信」と言うのは、直に易の忠信進徳のことである。嘘では徳に進めない。商人が売り掛けを取って財布へ金を入れる様にしなければ徳とは言えない。途中で柿の蔕を入れては役に立たない。商人の銀銭と学者の忠信は同じこと。才力があって器用でも、誠がなくてはならない。迂斎が、心の底に塵が溜まらないことだと言った。さて、忠信と言っても、一日中目を閉じて考えていても徳に進むことはないから、そこで「尚友而急賢」と言う。朋友が入用である。尚の字は慇懃にするということではなく、重くすること。それがなくてはならないと尊ぶことを言う。たとえば、奉公人がいなければ誰かに作らせようとするが、朋友はなくてならないということ。今日、あればあるだけと言うが、これはなくてはならないと言う意である。急賢とは他の事は除けてと言うこと。病人に医者である。日和がよければ行くと言うことではない。賢者に対してぬるけたことではならない。
【語釈】
・論語主忠信…論語。学而8、子罕24、顏淵10にある語。
・忠信進德…乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也。知至至之、可與幾也。知終終之、可與存義也。是故居上位而不驕、在下位而不憂。故乾乾。因其時而惕。雖危无咎矣」。

欲勝己者親云々。尚や急の馳走があること。馳走がわるいと賢者はこぬ。其馳走が新蕎麥てはない。改過が第一なり。朋友や賢者に親むには外の仕方はない。あたまを下けたり、或は懇らしく炬燵を置たとて、そこには居らぬ。藥をば呑まずに只いんきんにする計では、心ある医者はそこへは行ぬはつ。ここは無友不如己者の一節を云ぬけり。我わるいをそれなりにして只益を得やふとしては、賢者は合点せぬ。我不調法を改るてこそ親む。爰の訳が文字を付よふの、不審を聞ふのと云て、我癖は紫のふくさに包で仕廻てをくものは、賢者はよせつけぬ。輕ひ藝者ても茶人ても心あるものはそふて、茶人が茶のきらいな者の所へ行て立てはせぬ。さても風流なと云てこれなれ。三味線を彈く処ではせぬ。
【解説】
「欲勝己者親、無如改過之不吝」の説明。尚友や急賢には仕方があって、それは先ず「改過」である。自分の悪いところをそのままにして益を得ようとしても、賢者は合点しない。
【通釈】
「欲勝己者親云々」。尚や急には馳走が必要である。馳走が悪いと賢者は来ない。その馳走は新蕎麦の様なものではない。「改過」が第一である。朋友や賢者に親しむには外の仕方はない。頭を下げたり、或いは懇ろらしく炬燵を置いたとしても、そこに朋友や賢者は来ない。薬を呑まずにただ慇懃にするばかりでは、心ある医者はそこへは行かない筈。ここは「無友不如己者」の一節を言い抜いたのである。自分の悪いところをそのままにしてただ益を得ようとしては、賢者は合点しない。自分の不調法を改めることでこそ親しむ。文字を付けようとか、不審を聞こうと言って、自分の癖は紫の袱紗に包んで仕舞って置く者を賢者は寄せ付けないのである。軽い芸者も茶人も心ある者は同じで、茶人が茶の嫌いな者の所へ行って茶を点てはしない。実に風流なという所で茶を点てる。三味線を弾く処では行わない。
【語釈】
・無友不如己者…論語学而8。前出。

偖、朱子と張南軒の出會が誠の朋友の交と云もの。彼南軒の器用な生質のすら々々して、朱子のことを何ても逆はぬ。過を改ることは水の流るるやふに滞はない。朱子も長砂へ尋子られると云は大抵のことでなく、凡二千里ほとある処かと覚へた。日本の里數にしても三百三四十里もあるなり。東歸乱藁の出来た、この時のこと。南軒も朱子を信ずるは学問上のこと、固りのこと、器物の所置まで朱子の斯ふと云へば其言に從て直にをき処をかへるやふにせり。これてこそ、朋友出合の親と云ものなり。
【解説】
朱子と張南軒の出会いが誠の朋友の交わりであり、南軒は朱子を勝己者として親しんだ。
【通釈】
偖、朱子と張南軒の出会いが誠の朋友の交りというもの。あの南軒は器用で生質もすらすらとしていて、朱子には何事も逆らわない。過ちを改めることは水の流れる様に滞りがない。朱子も長砂へ尋ねられたというのは並大抵のことでなく、凡そ二千里ほどもある処かと思われる。日本の里数に換算しても三百三四十里もある。東帰乱藁ができたのもこの時のこと。南軒も朱子を信じるところは、学問上のことは固よりのことで、器物の置き所まで、朱子がこうと言えばその言に従って直に置き処を替える様にした。これでこそ、朋友出会いの親ということである。
【語釈】
・張南軒…名は栻。字は敬夫。1133~1180
・長砂…中国湖南省の省都。洞庭湖の南、湘水下流東岸にある工業都市。古来、広東地方と中原とを結ぶ交通の要地。
・東歸乱藁…


第九十一 吾輩不及古人の條

横渠先生謂范巽之曰、吾輩不及古人。病源何在。巽之請問。先生曰、此非難悟。設此語者、蓋欲學者存意之不忘。庶游心浸熟。有一日脱然、如大寐之得醒耳。
【読み】
横渠先生、范巽之[はんそんし]に謂いて曰く、吾が輩は古人に及ばず。病源何[いず]くに在りや、と。巽之請問す。先生曰く、此れ悟り難きに非ず。此の語を設けし者は、蓋し學者の意に存して忘れざるを欲するなり。庶[ねが]わくは心を游ばせて浸[ようや]く熟せんことを。一日脱然たること有らば、大寐[だいび]の醒むるを得るが如きのみ、と。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。また、文集に出典があるとするものもある。

この章は、古人に不及と云ことは誰も合点のこと。横渠の時なら孔曽思孟、今日吾黨では程張朱を出し、及はぬ々々々と云なり。云へは学者の定言と云やふなれとも、平人は兎角古人を別ものにして、只及はぬと云へとも、これを口癖にしてはならぬ。そこが横渠の親切にて、及はぬと云病源が有ふなり。先それを祟りて見やふなら、古人と五臟六腑も仁義礼智も同ことなれは、不及と云ふ病源かあるに極る。古人を天地の氣運と思てはわるい。古羅紗や古渡の棧留はよく、今渡りのわるいと云。これも病源が有ふなり。輕ひことて、上總の炭ても前年のやふな炭かない。然れば六ヶしいわけにのけることでなく、病源あるからのことなり。
【解説】
「横渠先生謂范巽之曰、吾輩不及古人。病源何在」の説明。古人は横渠の時では孔曾思孟、今日では程張朱である。古人と今人とは五臓六腑も仁義礼智も同じであり、不及と言うのは病源があってのこと。不及古人を天地の気運のせいにしたり、口癖にしてはならない。
【通釈】
この章にある「不及古人」と言うのは誰も合点していること。横渠の時なら孔曾思孟、今日我が党では程張朱を出して古人に及ばないと言う。それは言わば学者にとっての定言という様なものであるが、平人はとかく古人を別物にして、ただ及ばないと言う。しかし、これを口癖にしてはいけない。そこが横渠の親切であって、及ばないと言うのには病源があるだろうと言う。先ずそれをしっかりと見るならば、古人と今人は五臓六腑も仁義礼智も同じだから、不及と言うには病源があるのに極まる。古人を天地の気運によると思っては悪い。古羅紗や古渡りの棧留はよくて、今渡りのものは悪いと言うが、これも病源があってのことだろう。軽いことにもあって、上総の炭でも前年の様な炭がない。それで、難しい理由を付けて除けることでなく、病源あるから及ばないのである。
【語釈】
・范巽之…范育。巽之は字。横渠の門人。

巽之請問先生曰此非難悟云々。悟り難きことでない。手んでの胸へかけることなり。古今人種のかわることなし。古人とどふして替たと思て見へし。横渠の病源をさして云はぬか尤のこと。病はそれ々々て違ふ。五人あれは五人が違て、心の薄ひ酷剥なも有ふし、物にふんぎりのないも有ふし、物を外とがわから除くもあろふし、好色に真闇の、酒に目がないの、金銀をほしかるの、立身かせぎが好きじゃのと、色々の病源有ふこと。請問ても云やふはない。
【解説】
「巽之請問。先生曰、此非難悟」の説明。不及古人は悟り難いことではなく、自分の胸に問えばよい。人それぞれに病源があるから、横渠は病源については細かく述べなかった。
【通釈】
「巽之請問先生曰此非難悟云々」。不及古人は悟り難いことではない。個々の胸に掛けること。古今に人種の違いはない。古人とどうして変わっていることがあろうかと思って見なさい。横渠が病源を細かく言わないのは尤もなこと。病は人それぞれで違う。五人いれば五人が違っていて、心の薄い酷薄な者もあるだろうし、物に踏ん切りのない者もあるだろうし、物を外側から除く者もあるだろうし、好色に没頭する者、酒に目がない者、金銀を欲しがる者、立身稼ぎが好きな者など、色々な病源があるだろう。請問されても言い様がない。
【語釈】
・請問…目上の人にものを尋ねること。

蓋学者欲存意之不忘。今日一日に思立てない。毎日々々この心をわすれぬ。不忘を迂斎云、人の死たと聞たとき、こちへ油断ならずとひひくことありとなり。江戸で町人の身帯仕舞なとかそふて、昨日迠立派な店か今日は早賣家に出。そこて人の死だて我養生、人の身帯潰したて我儉約するもの。あんなことても存意の一つなり。それが當座きりて忘れるもの。大火事のあとや大地震の跡では手當もすれとも、久しい内にはついぬけて仕廻。上總で去年より旱に合ひ、はや旱計の手當する氣て、水腐のことは今度のことにまわしておる。学問は忘れぬ所のこと。盗人が玄関から入たが、巨燵の穴から入たかと八方へ氣を附て、どこが病源じゃ々々々々と、そこを尋て油断すまじきことなり。
【解説】
「設此語者、蓋欲學者存意之不忘」の説明。病源を探って油断しない。その心を日々忘れないこと。存意とは、人の死で自分の養生を、人の破産で自分の倹約を心掛けることと同じである。
【通釈】
「蓋学者欲存意之不忘」。今日一日思い立つことではない。毎日この心を忘れない。不忘について迂斎が、人が死んだと聞いた時、油断してはならないと自分に対して響くことがあると言った。江戸で町人の身帯仕舞いなどがそのことで、昨日までは立派な店だったのが今日は早売家に出る。そこで、人が死んだことで自分が養生を、人が身帯を潰したことから自分が倹約に気を付けることとなる。あんなことでも存意の一つである。それが当座だけで忘れるもの。大火事や大地震の後では手当てもするが、永い間にはつい油断をしてしまう。上総で去年は旱魃があったが、その旱魃の手当てをする気ばかりで、早くも水害のことは後回しにしている。学問は忘れないこと。盗人が玄関から入ったか、炬燵の穴から入ったかと八方へ気を付けて、何処が病源かと、そこを尋ねて油断しないことである。

庶游心浸熟云々。庶くはこのざまなり。游はそこへ心をはめて、いつまでも浸してをく。一日脱然如大寢之得醒耳は、学者の上り際があるもの。脱然ともぬけて、今迠のなりてないを云。蝉退なとも是なり。蝉脱と云字あり。凡夫の塲をぬけて上達の日あり。佛に彼岸あり。爺婆々の知ることでなく、ずっと悟をひらいて向へ付を云。凡夫ても学問のぬける日がありて、大寐の覚るやふな塲がある。大は切られるも知ぬと云やふにとっくりと寐たこと。手枕の、かり寐のと云てはない。大死と云字あり。今息を引取たと云やふなことてなく、昨日あそこで倒れたか、つめたくなって居ると云が大死なり。古人のわけは、古人は醒て居る。今人は大寐で居るが、それか一日醒ることかある。横渠の親切に云はるるをよく見へきこと。いつも寐ほげては靣白ないこと。いつぞの程に大寐がさめやふぞとなり。
【解説】
「庶游心浸熟。有一日脱然、如大寐之得醒耳」の説明。凡夫にも学問の開眼する日があって、大寝の醒める様な場がある。いつまでも寝惚けていてはならない。病源を意に存して忘れなければいつかは大寝が醒める。
【通釈】
「庶游心浸熟云々」。願うべきはこの姿である。「游」はそこへ心を嵌めていつまでも浸して置くこと。「一日脱然如大寝之得醒耳」は、学者には上り際があるということ。脱然と脱して、今までの姿でないことを言う。蝉退などもこれである。蝉脱という字がある。凡夫の場を脱して上達する日がある。仏には彼岸がある。爺婆の知っている意味でなく、ずっと悟を啓いて向こうに至ることを言う。凡夫でも学問の貫ける日があって、大寝の醒める様な場がある。大は切られても気が付かないというほどのことで、ぐっすりと寝ていること。手枕や仮寝などということではない。大死と言う字がある。今息を引き取ったと言う様なことではなく、昨日あそこで倒れた者が冷たくなっているというのが大死である。古人に及ばない理由は、古人は醒めていて、今人は大寝でいるからである。しかしそれがある日醒めることがある。横渠が親切に言われたことをよく見なさい。いつも寝惚けていては面白くない。いつかは大寝が醒めるだろうと言ったのである。
【語釈】
・蝉退…蝉の抜け殻。漢方薬として利用される。
・蝉脱…超然として世俗を脱け出ること。迷いから抜け出すこと。蝉蛻。解脱。


第九十二 未知立心悪多思之致疑条

未知立心、惡思多之致疑。既知所立、惡講治之不精。講治致思、莫非術内。雖勤而何厭。所以急於可欲者、求立吾心於不疑之地。然後若決江河以利吾往。遜此志、務時敏、厥脩乃來。故雖仲尼之才之美、然且敏以求之。今持不逮之資、而欲徐徐以聽其自適、非所聞也。
【読み】
未だ心を立つることを知らざれば、思い多きことの疑いを致すことを惡む。既に立つる所を知れば、講治の精しからざることを惡む。講治し思いを致すは、術内のことに非ざる莫し。勤むと雖も何ぞ厭わん。欲す可きに急なる所以の者は、吾が心を疑わざる地に立てんことを求むるなり。然る後に江河を決して以て吾が往くを利するが若し。此の志を遜し、時に敏なるを務めば、厥[そ]の脩乃ち來る。故に仲尼の才の美と雖も、然れども且く敏にして以て之を求む。今逮[およ]ばざる資を持して、徐徐に以て其の自適に聽[まか]さんと欲するは、聞く所に非ざるなり。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。

この章の段を集解も三段にしてあるか、あの通がよし。三段に見ねば訳が知ぬ。講治之不精迠一段、以利吾往迠二段、遜我志からが三段目なり。立心は了簡のきっときまるを云。譬ば道中を参宮と定たなり。了簡がきまらぬと、どこそへ行たいと云やふなもの。覚悟がきまらぬゆへ思多きなり。上方がよかろふか、松嶋もよかろふじゃなどと云。だたい心か丈夫なれはよけれとも、不覚悟ゆへあちこちとする。それゆへ、書物さへ讀めば学者のやふで、心の立ぬ学者が多ひ。心が立ぬから書を多く讀めば讀むほど疑がつく。目當がきまらぬゆへなり。立心は直方の云はるる、武士が君の為に一命を指上けやふなり。其覚悟ゆへ軍に立に家内へも水盃をする。只の旅でさへ川留を按るに、武士は死ふと云。其覚悟がきまらぬと、町人になるが増の、百姓になるか安心のと思ふは命が惜からのこと。忠臣義士は命を惜ぬゆへ丈夫なり。学者も垩賢へぼっ付やふと云魂なら多岐はない。
【解説】
「未知立心、惡思多之致疑」の説明。この章は三つに分けるのがよい。立心とは了簡をしっかりと決めることで、それは旅先を決める様なこと。了簡が決まらなければ、書を読めば読むほど疑いが出る。学者が死ぬほどの覚悟を持った武士の様に聖賢に追い付こうと思うのであれば他に道はない。
【通釈】
この章の段落を集解も三段にしてあるが、あの通りがよい。三段に見なければ訳がわからない。講治之不精までが一段、以利吾往までが二段、遜我志からが三段目である。立心は了簡がしっかりと決まることを言う。たとえば旅行先を参宮と定める様なこと。了簡が決まらないと、何処かへ行きたいと言う様なもの。覚悟が決まらないから思いが多い。上方がよいだろうが、また松島もよいだろうなどと言う。そもそも心が丈夫であればよいのだが、覚悟がないからあちこちへ動く。それで、書物さえ読めば学者の様だが、心の立たない学者が多い。心が立たないから書を多く読めば読むほど疑いが付く。それは目当てが決まらないからである。立心とは直方の言われた、武士が君のために一命を差し上げようとすることである。その覚悟だから、軍に行く際に家内へも水盃をする。ただの旅でさえ川留めを案じるのに、武士は死のうと言う。その覚悟が決まらないと、町人になる方がよいとか百姓になるのが安心だと思うが、それは命が惜しいからである。忠臣義士は命を惜しまないから丈夫である。学者も聖賢へ追い付こうという魂なら他に道はない。

講治之不精。真すくに眼がつくと方角はうろたへぬが、講治がこまかでないと老子も一理あるの、人欲をすてるには達磨や臨済もよいのと云。そこて、覚悟が定てもこれから学問を細蜜にせ子ばならぬ。講治は易の窮理、大学の致知挌物。精は精義入神の精なり。悪むは講治をきり々々へつめる其裏から云。ここは大切に讀子ばならぬ処。立た心が講治がなければ脇へころぶ。それからして皆狂ふ。そこで覚悟があてにならぬ。轉んで來るゆへ、揚雄か可愛そふに垩人を望んだが王莽に仕へ、あの垩人と同挌に見へる温公が其誠乎と云ても講治之精がないゆへ、未に大学でも通鑑でもあぶない。今日温公をあなたのやふなものはないと云へとも、彼謀反人を善ひと思ふ、とほふもない楊雄と云ものにつき合たなり。楊子、法言を註して孟子を疑ふ。皆講治之不精ゆへなり。
【解説】
「既知所立、惡講治之不精」の説明。覚悟が定まっても講治が細やかでなければならない。講治とは易の窮理、大学の致知格物であって、精は精義入神の精である。揚雄も温公も講治之精がない。
【通釈】
「講治之不精」。真直ぐに目が向けば方角はしっかりとするが、講治が細やかでないと老子も一理あるとか、人欲を捨てるのには達磨や臨済もよいと言う様になる。そこで、覚悟が定まっても、それから学問を細密にしなければならない。講治は易の窮理、大学の致知格物。精は精義入神の精である。悪むとは講治を極限まで詰めることを逆説的に言ったこと。ここは大切に読まなければならない処。立った心は講治がなければ脇へ転ぶ。それで皆狂う。それだから、覚悟は当てにならない。転ぶから、可哀相に揚雄は聖人を望んだが王莽に仕え、聖人と同格に見える温公が「其誠乎」と言っても講治之精がないから、いまだに大学も通鑑も危ない。今日温公を貴方の様な者はいないと言うが、あの謀反人を善いと思い、途方もない揚雄という者に付き合ったのである。揚子は法言を註して孟子を疑った。皆講治之不精だからである。
【語釈】
・講治…講明修治の意。
・易の窮理…易経説卦伝1。「昔者聖人之作易也、幽贊於神明而生蓍。參天兩地而倚数。觀變於陰陽而立卦、發揮於剛柔而生爻、和順於道德而理於義、窮理盡性以至於命」。
・精義入神…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往來、朋従爾思。子曰、天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮。天下何思何慮。日往則月來、月往則日來、日月相推而明生焉。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歳成焉。往者屈也、來者信也。屈信相感而利生焉。尺蠖之屈、以求信也。龍蛇之蟄、以存身也。精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。
・揚雄…前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。博聞多識、易に擬して「太玄経」を作り、論語に擬して「法言」を作り、また「訓纂」「州箴」を擬作したので、模擬の雄と称せられた。ほかに「揚子方言」「反離騒」「甘泉賦」などがある。揚子。前53~後18
・王莽…前漢末の簒立者。字は巨君。元帝の皇后の弟の子。儒教政治を標榜して人心を収攬、平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位におり、ついで真皇帝と称し国を奪い新と号した。劉秀(後漢の光武帝)に敗死。前45~後23
・温公…司馬光。北宋の政治家・学者。字は君実。太師温国公を賜り司馬温公と略称。文正と諡。1019~1086
・其誠乎…小学外篇善行。「劉忠定公見温公問盡心行己之要可以終身行之者。公曰、其誠乎。劉公問行之何先。公曰、自不妄語始。劉公初甚易之。及退而自檃栝日之所行與凡所言自相掣肘矛盾者多矣。力行七年而後成自此言行一致表裏相應遇事坦然常有餘裕」。

講治之思莫非術内云々。立心はかかいの大ひこと。覚悟を定め棟上したなり。講治はこまい宜き、から紙腰はりと云もの。其がこまかに見へるゆへ、なくりたかる。そこて無非術内と云ふ。そふなれはこの語脉かすめぬ。六經論孟の文義をつめるが術内なり。これが王陽明か知らぬこと。上の条の不固矣も講治になる。雖勤而何厭は、あきはないと云弁なり。一言半句も精義入神のことなれは、細にしてもあきはない。この段、立心へかへして云たもの。二段目で講治のわけを語る。
【解説】
「講治致思、莫非術内。雖勤而何厭」の説明。立心は規模の大きいことで、講治は細かいところまで行き届いていること。細かいことでも精義入神であり、術内であるから、手を抜いてはならない。
【通釈】
「講治之思莫非術内云々」。立心とは規模の大きいこと。覚悟を定めて棟上をしたのである。講治は細かいところまで宜しいことで、唐紙障子の腰張りの様なもの。それが些細なことに見えるから、手を抜きたがる。そこで「莫非術内」と言う。手を抜いてはこの語脈が済まない。六経論孟の文義を詰めるのが術内である。これが王陽明の知らないこと。前にあった条の「不固矣」も講治になる。「雖勤而何厭」は、空きはないという弁である。一言半句でも精義入神のことであるから、細かくしても空きはない。この段は立心へ返して言ったこと。二段目で講治の必要なわけを語る。
【語釈】
・かかい…がかい。外見の大きさ。かさ。図体。
・から紙…①中国渡来の、紙に胡粉を塗り、その上に雲母の粉末で文様を刷り出した紙。また、わが国でそれを模造したもの。②織色の名。経白く、緯黄色のもの。③襲の色目。表は白、裏は黄。④唐紙障子の略。
・腰はり…壁・襖などの腰に紙・布を張ること。また、その張った紙・布。腰貼り。
・なくり…擲る。なげやりにする。手をぬく。
・上の条の不固矣…為学90の語。「德乃進而不固矣」。

所以於可欲者は全体て云。孟子可欲之を謂善と云ゆへ、道理のかへ名なり。頭項を太切にするゆへ趣向かある。いろ々々孟子の中を酌取て横渠の意を合せて書れたとみべし。急も即孟子の語。横渠の心の中で堯舜之知而不徧物急先務なりと云を含である。堯舜も屋根のことは築波の屋根やには及ぬ。あの屋根をふくも理の外ではないが、先務の急がある。講治はどふするものなれば、大学の補傳の或問にもある、一草一木の理のささいなことも術なり。然らはそれをさらばと云て大手をひろげてかかることでもない。医者か病論も本艸もこと々々く皆吟味つめるかよけれとも、急にする処がある。急於先務と云へば頭頂をきめやふとかかること。程子の知性之善先立其大者と云はるるや、曽点漆雕開見大意と云などか急於可欲なり。そふ云て講治のこまかな処をすてることてはない。
【解説】
「所以急於可欲者」の説明。この出典は孟子である。学問は吟味詰めるのもよいが、そこには先務の急がある。「知性之善先立其大者」や「曾点漆雕開見大意」がそれである。しかし、講治の細かな処を軽く見てはならない。
【通釈】
「所以於可欲者」は全体について言う。孟子が「可欲之謂善」と言うので、可欲は道理の替え名である。頭頂を大切にするので趣向が出る。色々と孟子の中の語を酌み取って、それに横渠自身の意を合わせて書れたものと見なさい。「急」も即孟子の語。横渠は心の中に「堯舜之知而不徧物急先務也」という句を含んでいる。堯舜も屋根のことは筑波の屋根屋には及ばない。屋根を葺くことも理の外ではないが、先務の急がある。講治はどうするものかと言うと、大学の補伝の或問にもあり、一草一木の理の些細なことも術である。しかし、それならと言って大手を広げて取り掛かることでもない。医者が病論も本草も悉く皆吟味詰めるのはよいことであるが、そこには急にする処がある。「急於先務」と言えば、頭頂を決めようと掛かること。程子の「知性之善先立其大者」と言われたことや、「曾点漆雕開見大意」と言うことなどが「急於可欲」である。そうとは言え、講治の細かな処を捨てることではない。
【語釈】
・可欲之を謂善…孟子尽心章句下25。「浩生不害問曰、樂正子何人也。孟子曰、善人也、信人也。何謂善、何謂信。曰、可欲、之謂善、有諸己、之謂信、充實、之謂美。充實而光輝、之謂大、大而化之、之謂聖、聖而不可知之、之謂神。樂正子、二之中、四之下也」。
・頭項…頭頂の誤り。先努の急のこと?
・急も即孟子の語…孟子尽心章句上46。「孟子曰、知者無不知也。當務之爲急。仁者無不愛也。急親賢之爲務。堯舜之知而不徧物、急先務也。堯舜之仁不徧愛人、急親賢也。不能三年之喪、而緦小功之察、放飯流歠、而問無齒決、是之謂不知務」。
・本艸…①薬用になる植物。②本草の書。③本草学。
・知性之善先立其大者…
・曽点漆雕開見大意…論語先進25集註。「又曰、曾點・漆雕開、已見大意」。

然れとも、心を立ると云が急なこととは我心で云ふことなり。この章、文字ては知れぬこと。大学か致知挌物して天下の理に疑のないことなれとも、一艸一木こと々々く吟味つめて最疑かないゆへ立心と云ことてもない。天下の万物万事の中に知れぬことも有ふか先疑はぬ地に心を立ること。医も医学か先て、医論と本艸の吟味に三十年かかりて知れぬことかないからと云て、そこて療治にかかると云ことてもない。名医が若ひ医者の知たことを知らぬことも有へし。されとも、上手は傷寒と云、どれ持てこいと云て疑はぬ。古老の知らぬことを若ひ学者の知たことも有ふ。急にするは先心が丈夫にすはるなり。そこで土臺がなければならぬ。そこが曽点漆雕開なり。文学には子游子夏と云ても、孔子の我は點に與みすると云はるるは、疑はぬ地になったゆへなり。漆雕開は道理限りないと云て不能信とあればどふやら疑のやふなが、それかやはり不疑之地なり。小ぶりのやふなれとも、道理の大意を見て覺悟が定れり。曰若稽古帝堯よりは頭頂を立よと云こと。
【解説】
「求立吾心於不疑之地」の説明。致知格物に取り掛かる前に立心をしなければならない。先ず心を不疑之地としなければならず、それは孔門で言えば曾点漆雕開の境地である。
【通釈】
しかし、心を立てるのが急であるとは自分の心について言うこと。この章は、文字の上ではわからないこと。大学で致知格物をすると言うのは天下の理が疑いのないことだからであるが、一草一木悉く吟味し切ってもう疑いがないから立心をすると言うことでもない。天下の万物万事の中にわからないこともあるだろうが、先ずは「不疑之地」に心を立てること。医も医学が先で、医論と本草の吟味に三十年かかってわからないことはもうないからと言って、そこで療治にかかると言うことでもない。名医が若い医者の知っていることを知らないこともあるだろう。しかし、上手な者は傷寒と言えば、どれ持って来いと言って疑わない。古老の知らないことを若い学者の知っていることもあるだろう。急にするとは、先ず心が丈夫に据わることである。そこで土台がなければならない。そこが曾点漆雕開である。文学に優れたのは子游子夏だと言っても、孔子が「我与點」と言われるのは、彼が不疑之地になったからである。漆雕開は道理が限りないとして「未能信」と言うから、どうやら疑いある様だが、それがやはり不疑之地である。小振りの様だが、道理の大意を見て覚悟が定まっている。「曰若稽古帝堯」よりは頭頂を立てなさいということ。
【語釈】
・文学には子游子夏…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。
・我は點に與みする…論語先進25。「夫子喟然歎曰、吾與點也」。
・不能信…論語公冶長6。「子使漆雕開仕。對曰、吾斯之未能信。子説」。
・曰若稽古帝堯…書経堯典。「曰、若稽古帝堯。曰、放勳。欽明文思、安安、允恭克讓」。

学問の仕方が佛の一超直入底の頓悟のやうなれとも、それはそれ、これはこれ。初手先一つ出来る。今の身分に不相応な学問が出来て心に疑はぬ処が一つ立と、文章と云へは何にと云。それは吾軰の志の立たなり。そふなると釈迦や老子か招ても、うか々々とは行ぬ。不疑の地か立てあるゆへなり。偖、朝聞道も疑はぬ地へ立ること。道理の端的に疑がなければ、晩に死てもよい。直方先生、朝聞道を年よりの為と云はるるはなせなれば、若ひものは未たどこまでもして長くつつく。老人はそこに覚悟が立つ。李初平晩年に周子に從ひ二年て不疑の地に至れり。論語不知命無以為君子も疑はぬことなり。あくせく々々々々あちこちを向く心がけは役に立ぬ。知命は覚悟の立たこと。利害に臨てどふぞこふぞとうろたへ、害を見ては避け、利を見てはかけ出す。それは君子てないと云。ここを、知命をひくか某か趣向なり。
【解説】
立心は仏の一超直入の頓悟の様だが、それとは異なる。「朝聞道」も「不知命無以為君子」も不疑之地を立てることである。
【通釈】
ここで言う学問の仕方が仏の一超直入の頓悟の様であるが、それはそれ、これはこれ。初手に先ず一つ出来る。今の身分に不相応な学問が出来て心に疑わない処が一つ立つと、文章と言えば何、そんなものと言う。それは自分の志が立ったのである。そうなると釈迦や老子が招いても、うかうかとは行かない。不疑之地が立ってあるからである。さて、「朝聞道」も不疑之地へ立てること。端的、道理に疑いがなければ、晩に死んでもよい。直方先生が、朝聞道を年寄りのためと言われたのは何故かと言うと、若い者はまだ何処までも長くし続けることができるが、老人はそこに覚悟が立つからである。李初平が晩年に周子に従い、二年で不疑之地に至った。論語の「不知命無以為君子」も疑わないこと。あくせくしてあちこちを向く心掛けでは役に立たない。知命は覚悟の立ったこと。利害に臨んでどうだこうだと狼狽え、害を見ては避け、利を見ては駆け出す。それは君子ではないと言う。ここで知命を引用するのが私の趣向である。
【語釈】
・一超直入…「一超直入如来地」。
・李初平…
・不知命無以為君子…論語堯曰3。「子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也」。

謝上蔡か知命を淺近の所て見よと云はるる。觀世か一世一代の能と云ときのことてない。一寸高砂を謡ふ上にもあること。某前々云、淺近て求るは帯の結ひ玉かふと障子へ當り破った迚、亭主か肝を消し、そんな学者は二度よせぬと云ことてもないが、障子の破れる時節なり。そこも命なり。人の病氣も同しこと。引風てぞっとするも傷寒も同こと。又晩に食ふとした肴を鳶に取れた迚、いかなあほふもそれか残念にて病氣になるてもないが、それか身上破滅も同こと。身上破滅も鳶が肴さらふ様なもの。その時心かあちこちするは不知命なり。そこて淺近の所なり。鳶のさろふ、其大きなか一子をころしたなり。只一人の子を失ふたと肴を鳶にさらはれたは大ふ違ふことなれとも、同しことなり。命の偶のと云を大そふなことと思ふが、まんぢうを鼠にとられたもそれなり。ここへ落付と大意を見て不疑の地の棟上なり。吾黨の学の貴もここを知るからなり。直方先生、山﨑先生へ初て出たとき、若ひものを輕ずなり。山﨑先生、素讀をしたかと問はれた。直方先生、四書五經の素讀せしと答ふ。柯先生、太夫乗安車適四方はどこに有と云。そのとき直方先生即答に遲疑せられたれば、其れは曲礼の巻首にある。それてをれか処へ来るは早ひと云て突返された。そこて、こそ々々かへり、其後又出られたとき、唐本かすら々々讀ぬ迚又呵られたれは、直方先生、某学問は大きな寺を持てないか、道心坊になりても佛になる覚悟と云はるる。そこでこの通のこと。致知挌物の素讀の時から、はや仏になると云か大意を見て不疑之地に至れり。そこてあのやかましい山﨑先生なれとも、あけて通された。
【解説】
風邪と傷寒、身上破滅と鳶が肴をさらうこと、ひいては一子を殺すことも皆同じである。知命は浅近で知ることができる。これを理解すれば、大意を見て不疑之地の棟上である。直方先生は山崎先生の前に出た時に叱られたが、大意を見て不疑之地に至った人だったから、山崎門下となることができた。
【通釈】
謝上蔡が知命は浅近の所で見なさいと言われた。観世の一世一代の能という時のことではない。一寸高砂を謡う様な浅近の上にもあること。私が前々から言っているが、浅近の所で求めるとは、帯の結び玉がふと障子に当たってそれを破ったとしても、亭主が肝を潰して、そんな学者は二度とは寄せないと言うこともないが、障子の破れる時節があって、それも命である。人の病気も同じこと。風邪をひいてぞっとするのも傷寒も同じこと。また、晩に食べようとした肴を鳶に取れたとしても、どんな阿呆でもそれが残念で病気になることもないが、それが身上破滅とも同じこと。身上破滅も鳶が肴をさらう様なもの。その時に心があちこちするのは不知命である。そこで浅近の所を見るのである。鳶が肴をさらう、その大きなことが一子を殺すこと。ただ一人の子を失ったことと肴を鳶にさらわれたのは大分違う筈だが、それが同じことなのである。命や偶々を大層なことと思うが、饅頭を鼠に取られたこともそれである。ここへ落ち付くと大意を見て不疑之地の棟上である。我が党の学の貴いのもここを知るからである。直方先生が山崎先生の前へ初めて出た頃、山崎先生は若い者を軽んじていた。山崎先生は、素読をしたかと問われた。直方先生が、四書五経の素読をしたと答えた。柯先生が、「大夫乗安車適四方」は何処にあると尋ねた。その時に直方先生が即答に遅疑されたので、それは曲礼の巻首にある、それでは俺の処へ来るのはまだ早いと言って突っ返された。そこでこそこそと帰り、その後また山崎先生の前に出られた時、唐本がすらすらと読めないことでまた呵られたが、直方先生は、私は学問では大きな寺を持てないが、道心坊になっても仏になる覚悟であると言われた。そこで今の通りとなった。致知格物の素読から早くも仏になると言うのが大意を見て不疑之地に至ったこと。そこで、あの喧しい山崎先生でも、門を開けて通された。
【語釈】
・謝上蔡…顕道。良佐。程氏門人。1050~1103
・淺近…あさはかなこと。浅薄。
・肝を消し…①心配・焦慮などで落ち着かぬ気分になる。②「肝を潰す」に同じ。
・柯先生…山崎闇斎。
・太夫乗安車適四方…礼記曲礼上。「大夫七十而致事。若不得謝、則必賜之几杖。行役以婦人。適四方、乘安車。自稱曰老夫。於其國則稱名、越國而問焉、必告之以其制」。
・遲疑…疑い迷ってためらうこと。ぐずぐずして決行しないこと。
・道心坊…①成人してのち、仏門に入った僧。②乞食坊主。

然後若决江河云々。氣味のよい譬なり。海へすっと切流すなり。疑のない塲へ心が立と垩賢の域へ通るに川留はない。利吾往を洪然の章千万人を引はわるかろふ。二段目の講治を主に不疑之地建立せ子ば行さきか危いと云て、そこてあとの三段目に抑揚をつけて云へり。
【解説】
「然後若決江河以利吾往」の説明。不疑之地を建立すれば行き先が明確となり、聖賢の域に至る過程に障害がなくなる。
【通釈】
「然後若決江河云々」。気味のよいたとえである。海へすっと切り流すこと。疑のない場に心が立つと聖賢の域へ通るのに川留めはない。「利吾往」に浩然の章にある千万人を引用するのは悪いだろう。二段目の講治を主に不疑之地を建立しなければ行き先が危ういと言って、そこで後の三段目に抑揚を付けたのである。
【語釈】
・洪然の章千万人…孟子公孫丑章句上2。「自反而不縮、雖褐寛博、吾不惴焉。自反而縮、雖千萬人吾往矣」。浩然の章または不動心章と言われる章である。

遜此志務時敏厥脩乃来。中の段て若决江河以利吾往と云か禪学めいたするといことゆへ、それをゆるさぬ。そこて遜此志云々なり。説命。掘ても遜らぬと云は益を得やふてなひ。軽ひことても、料理人か我を高ふり人の料理をそしるに上手はないもの。それを某も見て覚のあることなり。大名の料理人か町料理々々々と軽しめ、狩埜家て町畫々々と侮るか、町料理にも町畫にもすぐれたがあること。あれに及ばれぬと見る程なれば、料理も上手になること。歌を詠ものか誹諧を侮るか、下手の哥よりは芭蕉か句かよい。大く推すものに上りたものなし。却て上手は手前をよいと思はぬ。遜の字が張子の親切なこと。立吾心於不疑之地と云大建立の跡なれとも、そこを大ぶりにならぬか遜ふなり。
【解説】
「遜此志」の説明。自分を強く推す者に上手なものはなく、却って名人は自分をよいと思わない。「立吾心於不疑之地」という大建立の後で、遜ることが重要である。
【通釈】
「遜此志務時敏厥修乃来」。二段目で「若決江河以利吾往」と言うのが禅学めいた鋭いことだから、それを許さない。そこで「遜此志云々」なのである。説命の語。中々遜らないのは「利吾往」でなく、益を得る姿ではない。軽いことでも、料理人で自分を高ぶり人の料理を謗る者に上手はいないもの。それは私も見て覚えのあること。大名の料理人が町料理だと軽んじ、狩野家が町画きと侮るが、町料理にも町画きにも優れたものがある。それに及ばないと見るほどであれば料理も上手になる。歌を詠む者が俳諧を侮るが、下手の歌よりも芭蕉の句の方がよい。自分を強く推す者に上手なものはない。却って上手は自分をよいと思わない。遜の字が張子の親切である。「立吾心於不疑之地」という大建立の後であるが、そこを大振りにならないのが遜である。
【語釈】
・遜此志務時敏厥脩乃来…書経説命下。「説曰、王、人求多聞。時惟建事、學于古訓、乃有獲。事不師古、以克永世、匪説攸聞。惟學遜志、務時敏、厥脩乃來」。

務はそれを仕事にするを云。時敏は手早にする意。輕ひことても字彙を引ずになくりてをるは、それか上らぬもの。正字通康熈字典を繰るかよし。筆記をするも、論語のことか出たら其注迠もよく見べきこと。傅説などか殷の代の人なれとも、へったりと今日に合ふ。内塲の所がものになる。厥脩乃来は、こちのものになるを云。思ひよらす、こちへくる。高大に搆へ、見せかけて人ををとすは脩らぬものなり。百姓の田の手入か少の藻艸や田螺なと取てすて、氣を付るので作が出来る。た子くてないはやくにたたぬ。そく々々とそこへあつまるか厥脩乃来なり。
【解説】
「務時敏、厥修乃來」の説明。安易なことでも労を惜しまないこと。見せ掛けでは役に立たない。
【通釈】
「務」はそれを仕事にすることを言う。「時敏」は手早くする意。軽いことでも字彙を引かずに手を抜いているのは、それが上達しない原因である。正字通や康熈字典を繰るのがよい。筆記をするにも、論語のことが出たらその注までもよく見るのである。傅説などは殷代の人だが、ぴったりと今日に合う。内にある所が自分のものになる。「厥修乃来」は自分のものになることを言う。思いもよらず、こちらへ来る。高大に構え、見せ掛けで人を騙すのでは修まらないもの。百姓が田の手入れをして、少しの藻草や田螺なども取って捨て、気を付けるので作物ができる。田を労さなければ役に立たない。ぞくぞくとそこへ集まるのが厥脩乃来である。
【語釈】
・字彙…中国の字書。12巻。明の梅膺祚の編。漢字を214の部首に分け画数によって排列。画引き字書の最初のもの。
・なくりて…なげやりにする。手をぬく。
・正字通…中国の字書。12巻。明の張自烈著。清の廖文英が刊行。「字彙」にならった画引き字書。
・康熈字典…中国の字書。大学士張玉書・陳廷敬らが勅命により撰。康煕55年(1716)刊。「字彙」「正字通」に基づいて増補した画引き字書。所収四万七千余字。最も権威ある字書とされた。
・傅説…殷の武丁(高宗)の賢相。土木工事の人夫(刑徒)から宰相に登り、殷の中興の業を完成。
・ねく…労ぐ。犒ぐ。ねぎらう。

故雖仲尼之才之美云々。仲尼と出ては、どこでも惣下坐なり。皆のあたまを下るあの孔子を見やれなり。孔子の持まいて才の美と云なり。生知安行のあの持なりの美か、古今天地の中で伏義以来から堯舜文王孔子と四人の方なり。然且敏以求之也。垩人謙退はするか空言はいはぬ。當時世の中で云評判かうず々々耳へ入てそこてのこと、をれは中々生知てなく手早にしたとの玉ふ。垩人にうそはない。適周問礼於老子も敏以求なり。まつほのすすぎなり。老子かこちへきたら聞てない。直に周へ脚胖で出られたなり。今持不逮之資云々。上の条、不及古人と云、この章、孔子出したが親切なこと。敏以求之。范巽之や呂与叔などの顔を見てのことならん。
【解説】
「故雖仲尼之才之美、然且敏以求之。今持不逮之資」の説明。孔子は生知安行で才之美だったが、それでも「敏以求之」でもあった。
【通釈】
「故雖仲尼之才之美云々」。仲尼と出ては、何処でも皆下座しなければならない。皆が頭を下げるあの孔子を見なさい。孔子の持ち前から才之美と言う。生知安行のあの生まれ持ったままの美は、古今天地の中で伏羲から堯舜文王孔子までの四人のことである。「然且敏以求之也」。聖人は、謙退はするが空言は言わない。当時の世の中で言う評判がうずうずと耳へ入って来て、そこで、俺はそれほど生知ではなく、手早くしたと話された。聖人に嘘はない。「適周問礼於老子」も敏以求である。十寸穂の芒である。老子がこちらに来たら聞くということではない。直に周へ脚胖で出られたのである。「今持不逮之資云々」。上の条で「不及古人」と言い、この章で孔子を出したのが親切なこと。「敏以求之」。范巽之や呂与叔などの顔を見てのことだろう。
【語釈】
・持まい…持ち前。生れつきのもの。固有の性質。
・才の美…論語泰伯11。「子曰、如有周公之才之美、使驕且吝、其餘不足觀也已」。
・生知安行…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之、一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功、一也」。
・適周問礼於老子…論語序説。「適周、問禮於老子。既反、而弟子益進」。
・まつほのすすぎ…十寸穂の芒[ますほのすすき]。真赭の薄[まそほのすすき]。徒然草。思ったことややるべきことは直ちにすべきであるということ。
・不及古人…為学91の語。
・范巽之…范育。巽之は字。横渠の門人。
・呂与叔…程伊川門人。呂大臨の字。

欲徐々以聽其自適非所聞也。学問を落つきはらってそろ々々行を云。学如不及を、朱子の盗人を逐かけるやふなものと云はるる。迂斎、これかをとなしひ学者にある、と。なるほと渾厚篤実底にある病なり。大切な処を見る老爺なり。又、自適をかせかぬ底と云へり。これも君子風の学者にあるなり。自然と心にかなった底にて、老人の日向北向か自適の形りなり。上るときは、いつぞ上ふとまかせてをる。心を立るや講治を知らぬゆへ、いつそ上ふと云ても上るものでない。学問は立心の覚悟をして、それから吟味を早くしてぼい付るでなければやくにたたぬなり。
【解説】
「而欲徐徐以聽其自適、非所聞也」の説明。学問は立心の覚悟をして、それから敏で求めなければ役に立たない。渾厚篤実風な者、君子風な学者の多くにはそれがない。
【通釈】
「欲徐々以聴其自適非所聞也」。学問を落ち着き払ってゆっくりと行うことを言う。「学如不及」を、朱子が盗人を追い駆ける様なものだと言われた。迂斎は、これが大人しい学者にあると言った。なるほど渾厚篤実風な者にある病であって、迂斎は大切な処を見る老爺だった。また、「自適」を稼がない様なことだと言った。これも君子風の学者にあること。自然と心に適った風で、老人の日向ぼっこが自適の姿である。いつかは上達するだろうと任せている。心を立てることや講治を知らないから、いつかは上達するだろうと言っても上達するものではない。学問は立心の覚悟をして、それから吟味を早くして追い付く様にしなければ役に立たない。
【語釈】
・日向北向…日向ぼっこ。