第九十三 明善為本条  十月六日  惟秀録
【語釈】
・十月六日…寛政2年庚戌(1790年)10月6日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

明善爲本。固執之乃立、擴充之則大、易視之則小。在人能弘之而已。
【読み】
善を明らかにするを本と爲す。之を固執すれば乃ち立ち、之を擴充すれば則ち大となり、之を易視[いし]すれば則ち小となる。人の能く之を弘むるに在るのみ。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。

明善は中庸の字で、すぐに大学の挌物致知のこと。為本とは学問の順を云こと。大学の始の教と書れたも此のこと。先軰の、何を置ても行燈を燈さ子ばならぬ。先づあかりをと云るるが一と通の辨ではない。暗くては何も出来ぬ。知が真先きなり。
【解説】
「明善爲本」の説明。「明善」は中庸にある語である。学問は知が最初である。
【通釈】
「明善」は中庸の字で、直に大学の格物致知のこと。「為本」とは学問の順序を言う。大学の始めにの教と書かれたのもこのこと。先輩が、何を置いても行燈を燈さなければならないと言った。先ず明かりを燈すことと言われたのが一通りの弁ではない。暗くては何もできない。知が最初である。
【語釈】
・明善…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者、不勉而中、不思而得、從容中道、聖人也。誠之者、擇善而固執之者也」。

固執之とて、外に執り様はない。磨た知を無くさぬが固執るなり。それがすくに行のことになる。行もそれなり。分に有ると思ふことでない。知た通りをすること。知れば行に出る。知の内に行が半分ある。明善は金を大事と知たこと。固執るは大事と知たから落さぬこと。大事と知たが明なゆへはなさぬ。今、行のわるいは知のかけなり。行は分にはない。知た通りにゆかぬは知の足らぬなり。親に孝、君に忠、小判程にゆかぬは本に知らぬのなり。そこで、固執れば立と云がきこへた。立はしゃんと立つこと。小学で知た通り行に出すこと。今の学者は知たことも行に出ぬから立れぬ。病氣の時羪生するとは誰も知ぬものはないが、知り様が甲斐ないから、此の咳の出るに酒はよくないと知ても呑む。知たぎりで捨ると立たぬ。横渠の云れ様が靣白ひ。是れで知行の分々でないが知れた。知を本にして行に出すでしゃんと立つ。重く云へば三十而立のこと。明善は知で知た形りの、立つは行からなり。知ても行子ば貧子宝珠なり。乞食が两替町て小判を見て通るなり。只今の学者が知も相應に有りても固執るがないから、知も空を飛ぶ様なり。三宅先生の所謂幽灵学問なり。
【解説】
「固執之乃立」の説明。明善は知だが、固執は知をなくさないことで、それは行である。知の内に行があるのであって、知行は別々なものではない。固執という行によって立つ。今の学者は知が相応にあっても固執がないから幽霊学問である。
【通釈】
「固執之」であって、外に執り様はない。磨いた知をなくさないのが固執である。それが直ぐに行のことになる。行も知の内にあるのであって、別々にあると思ってはならない。知った通りをすること。知れば行に出る。知の内に行が半分ある。明善は金を大事だと知ること。固執は金が大事だと知って落とさないこと。大事なものだと明らかに知るので離さない。今、行が悪いのは知が欠けているからである。行は別にあるのではない。知った通りに行かないのは知が足りないからである。親に孝や君に忠が、小判を大事に思うほどに行かないのは、本当は知らないからである。そこで、固執すれば立つという意味がよくわかる。「立」はしっかりと立つこと。小学で知った通りを行に出すこと。今の学者は知っていることも行に出さないから立てない。病気の時に養生するのは誰も知らない者はないが、その知り様が甲斐ないから、咳には酒がよくないと知っていても呑む。知っただけで放って置くと立たない。ここの横渠の言い方が面白い。これで知行が別々でないことがわかった。知を本にして行に出すのでしゃんと立つ。重く言えば「三十而立」のこと。「明善」は知で知った姿であり、「立」は行からのこと。知っても行わなければ貧子に宝珠、乞食が両替町で小判を見て通るのと同じである。只今の学者は知が相応にあっても固執がないから、その知は空を飛ぶ様である。三宅先生が言う所の幽霊学問である。
【語釈】
・三十而立…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・三宅先生…三宅尚斎。

擴充之。知た通りを行ふも、それも少くては役に立ぬ。蠏は甲に似せて穴を掘るもの。明善と云ても固執ると云ても次第階級がある。大学もちっと計りの明德、ちっと計の新民ではない。至善につめること。それと同じ意なり。上の明善は知の惣まくり、固執は行の惣まくりなれとも、学者が擴充がないから、唐も日本もいかいこと学者はありても程朱の様にゆかぬ。何を云にも身帯が小さい。某が身帯の様なもの。鍋も釜もあれとも、大な百姓が来て見ると、どふして間に合ふか、これでもすむかと云て笑ふなり。さて又をれも知も行も有るからよいと心得たは只の俗人のくるわ。近思の吟味へかけたはそんなことではない。上の明善は中庸、爰の擴充は孟子の字。取合せものなれとも、張子の根を知って書れたからよい。惻隠之心仁之端と云ても、子ともの井に落たとき計はっと云て、それぎりでは役に立ぬ。擴而充之則仁不可勝用也。羞悪とて盗人を淺間しいと見るが、夫れぎりで廣子ば役に立ぬ。土藏へはいらぬか、好色などには御座へ出されぬ。擴充せぬからなり。四端も発ったぎりて捨てをけばそれきりになる。人能充無穿窬之心而義不可勝用也。張子が弟子の方へ向ひて、そなた衆も知も行も相応にあれとも、擴めぬで役に立ぬと云れた。あぢな処へくくりを付て、是れでよいはと見るとそれぎりになる。
【解説】
「擴充之則大」の説明。明善も固執も少なくてはならない。また、その場限りでは役に立たない。現状で満足するのは俗人の段階である。拡充すれば「仁不可勝用也」である。
【通釈】
「拡充之」。知った通りを行うにしても、少なくては役に立たない。蟹は甲に似せて穴を掘るもの。明善にも固執にも次第階級がある。大学も少しばかりの明徳、すこしばかりの新民ではなく、至善に詰めること。ここもそれと同じ意である。上の明善は知の惣捲くり、固執は行の惣捲くりだが、学者に拡充がないから、唐でも日本でも学者は沢山いても程朱の様には行かない。何を言うにも身帯が小さい。それは私の身帯の様なもの。鍋も釜もあるが、大きな百姓が来て見ると、どうしてそれで間に合うのか、これでも済むのかと言って笑う。さてまた、俺は知も行もあるからよいと心得るのは只の俗人の段階である。近思の吟味に掛けるのは、その様なことでない。上の明善は中庸で、ここの拡充は孟子の字。その二つを取り合わせたのだが、張子は根本を知って書かれたからよい。「惻隠之心仁之端」と言っても、子供が井戸に落ちた時ばかりはっと言って、その場限りでは役に立たない。「拡而充之則仁不可勝用也」。羞悪も、盗人を浅ましいものとして見るが、それだけで拡めなければ役に立たない。土蔵へ押し入らなくても、好色の者などは御座へ出すことはできない。拡充しないからである。四端も発しただけで捨てて置けばそれ限りになる。「人能充無穿踰之心而義不可勝用也」。張子が弟子の方へ向いて、貴方達も知も行も相応にあるが、拡めないから役に立たないと言われた。適当な処に留まって、これでよいと思うとそれ限りになる。
【語釈】
・明德…大学章句1。「大學之道在明明德、在新民、在止於至善」。
・擴充…孟子公孫丑章句上6。「所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以内交於孺子之父母也。非所以要譽於郷黨朋友也。非惡其聲而然也。由是觀之、無惻隱之心、非人也。無羞惡之心、非人也。無辭讓之心、非人也。無是非之心、非人也。惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也。凡有四端於我者、知皆擴而充之矣。若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海、苟不充之、不足以事父母」。
・仁不可勝用也…孟子尽心章句下31。「孟子曰、人皆有所不忍。達之於其所忍、仁也。人皆有所不爲。達之於其所爲、義也。人能充無欲害人之心、而仁不可勝用也。人能充無穿踰之心、而義不可勝用也。人能充無受爾汝之實、無所往而不爲義也。士未可以言而言、是以言餂之也。可以言而不言、是以不言餂之也。是皆穿踰之類也」。

易視之則小。だたい易はすら々々することでよいことなれとも、脩行の方へ易ひはわるい。人の身帯は今喰ふても居らるるが、上げたいと云て世話をする。これでもよいと云氣になると身帯は上らぬ。爰へ来る学者も早、牛にも午にも蹈れぬと云者であろふが、是でよいと思ふと易く視るなり。身帯は易く視之でもよいが、学者知と行のことを是でよかろふと云ては役に立ぬ。今の学者も道樂もせず、わるいこともせぬと心得、安心してをるが、夫は小と云ものなり。莫説道将第一等譲與別人且做第二等、これ位でよいと云は易視之なり。楊龜山が、学問して非義せぬ善人になろふと云合点ではやすくなると云はれた。三子傳心録に載てある。非義をせぬ位のことは、学者の云に及ぬこと。
【解説】
「易視之則小」の説明。学問には、易いは悪い。道楽や悪いことをしないことで安心したり、現状に満足するのは小である。
【通釈】
「易視之則小」。そもそも、易とはすらすらとすることでよいことなのだが、修行の方で易いのは悪い。人の身帯は、今は喰うのに困らないが、それをもっと上げたいと言って世話をする。これでもよいという気になると身帯は上がらない。ここへ来る学者も早、牛にも馬にも踏まれずという者だろうが、これでよいと思えば「易視」になる。身帯は易く視てもよいが、学者が知と行のことをこれでよいだろうと言うのでは役に立たない。今の学者は道楽もせず、悪いこともしないと心得て安心しているが、それは小と言うもの。「莫説道将第一等譲与別人且做第二等」で、これ位でよいと言うのは易視之である。楊亀山が、学問をして非義をしない善人になろうという合点では易くなると言われた。三子伝心録に載っている。非義をしない位のことは、学者が言うには及ばないこと。
【語釈】
・牛にも午にも蹈れぬ…子供が無事に成長して一人前になることにいう。
・莫説道将第一等譲與別人且做第二等…為学59の語。
・三子傳心録…

在人能弘之。云出しが中庸、中が孟子、一仕廻を論語でとめた。人能弘道非道弘人。人が結搆なものを持たぎりて弘めぬは人の甲斐はない。直方先生が、扇は風の出る筈に拵たものなれとも、人が扇か子ば出ぬ、と。腰にさして居ては冷くはない。迂斎のかるいたとへで示された。火吹竹も吹子ば火はほこらぬと云た。いかさま扇を棚に上てをいては、風は出ぬ。
【解説】
「在人能弘之而已」の説明。人が実践しなければ何にもならない。「人能弘道非道弘人」なのである。
【通釈】
「在人能弘之」。言い出しが中庸、中が孟子、最後を論語で押さえた。「人能弘道非道弘人」からである。人が結構なものを持っただけで、それを弘めないのは人として甲斐がない。直方先生が、扇は風が出る様に拵えたものだが、人が扇がなければ風は出ないと言った。腰に差していては冷くない。迂斎が軽いたとえで示された。火吹竹も吹かなければ火は熾らないと言った。いかにも、扇を棚の上に置いていては、風は出ない。
【語釈】
・能弘道非道弘人…論語衛霊公28。「子曰、人能弘道、非道弘人」。


第九十四 今且只将尊德性の条

今且只將尊德性而道問學爲心、日自求於問學者有所背否、於德性有所懈否。此義亦是博文約禮下學上達。以此警策一年、安得不長。毎日須求多少爲益、知所亡、改得少不善。此德性上之益。讀書求義理。編書須理會有所歸著、勿徒寫過。又多識前言往行。此問學上益也。勿使有俄頃閑度。遂日似此三年、庶幾有進。
【読み】
今且く只德性を尊びて問學に道[よ]るを將[もっ]て心と爲し、日に自ら問學なる者に於て背く所有りや否や、德性に於て懈る所有りや否やを求めよ。此の義も亦是れ博文約禮下學上達なり。此を以て警策すること一年ならば、安んぞ長ぜざるを得ん。毎日須く多少の益を爲すを求め、亡き所を知り、少しの不善をも改め得べし。此れ德性上の益なり。書を讀みては義理を求めよ。書を編しては須く歸著[きちゃく]する所有るを理會すべく、徒に寫し過ぐること勿かれ。又多く前言往行を識れ。此れ問學上の益なり。俄頃も閑度すること有らしむること勿かれ。遂日此の似[ごと]きこと三年ならば、進むこと有るに庶幾[ちか]からん。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。

惣体、横渠の弟子や朋友を導くには日比色々な手段がある内に、ここに一意旨出来た筋を述るから、それで今且と云語意もきこへた。よくも思てみれば、新しい医按を考るには及ぬ。中庸にある通、尊德性しやれとなり。只とは、何かさしをきてもと云こと。まあ何かさしをき、御定りをするがよいとなり。為心。直方先生の不断忘れるなと云ことじゃ、と。德性は存養して、知は磨く。学問するものは此二つを心とすること。此了簡になって、さて日自求云々からは仕方を示したこと。自らとは、必をれなどをあてにするなと云たこと。此をれなどをあてにするなと云たが親切なこと。そっちでしやれと云こと。火の用心、隣を頼まれぬ。直方先生が大学の自の弁をかいたぞ。学問は自と云こと。於問学者有所背否。朱子の書は皆問学の仕方を書てある。大学の格物の或問にも委くある。此日の短ひに、何もせずについ暮したと云日があるもの。そこが背ひたのなり。朋友も知らぬこと。女房のぬい物をする脇でたばこを呑で只居るは、をこたりなり。於德性有所懈否。これは尚更あること。凡その悪ひことの媒は皆心でする。少し心がうっかとすると早、懈なり。心が張弓なれば德性が内に居る。うっかとしたとき、人欲が御見舞申す。心がりん々々して居ると何のことはない。水車に氷の張らぬ様なもの。心の懈は筭用の外に出るもの。油断もすきもならぬ。人も血氣が運らぬと病がつけこむ。人欲は懈りから出る。兎角心へ泥を付けぬ様にするが尊德性なり。
【解説】
「今且只將尊德性而道問學爲心、日自求於問學者有所背否、於德性有所懈否」の説明。横渠には色々な指導方法があったが、ここはその一つである。先ずは中庸の尊徳性を忘れずに心掛けなければならない。何もしないで過ごすことを背くと言い、心がうっかりとすることを懈ると言う。心を汚さない様にするのが尊徳性である。
【通釈】
総体、横渠は弟子や朋友を導くため、日頃から色々な手段を使っていたが、ここで一意旨ある筋を述べたので、それで「今且」と言う語意もよくわかる。よく思ってみれば、新しい処方を考えるには及ばない。中庸にある通り、「尊徳性」をしなさいと言うのである。「只」とは、何を差し置いてもということ。何を差し置いても御定まりをするのがよいと言う。「為心」。直方先生が、いつも忘れるなということだと言った。徳性は存養をし、知は磨くもの。学問をするものはこの二つを心とする。この了簡に至った後に、さて「日自求云々」からはその仕方を示す。「自」とは、決して俺などを当てにするなと言ったこと。この俺などを当てにするなと言うのが親切なこと。お前自身がしなさいということ。火の用心は、隣を頼りにできない。直方先生が大学の自の弁を書いた。学問は自ということ。「於問学者有所背否」。朱子の書は皆問学の仕方が書いてある。大学の格物の或問にも委しくある。この日の短いのに、何もせずについ暮したという日があるもの。そこが背いたということ。それは朋友も知らないこと。女房が縫物をする脇で煙草を呑んでいるだけでは、怠りである。「於徳性有所懈否」。これは尚更あること。凡そ悪いことの媒介は皆心がする。少し心がうっかりとすると早、懈である。心が張弓であれば徳性が内にいる。うっかりとした時に人欲が現れる。心が凛々としていれば何ともない。それは水車に氷の張らない様なもの。心の懈は予想外のことになるもの。それで、油断も隙もならない。人も血気が運らないと病がつけこむ。人欲は懈りから出る。とかく心へ泥を付けない様にするのが尊徳性である。
【語釈】
・医按…医療についての考え。また、それを記したもの。
・尊德性…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行。故曰、苟不至德、至道不凝焉。故君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。温故而知新、敦厚以崇禮」。

此義亦是博文約礼下学上達。学者が中庸をば中庸、論語と出ると論語ときくから、そこで斯ふかけたもの。德性は心のことゆへ事へ出ぬ様に思ふが、爰の約礼は尊德性のこと。礼はすぐに敬の形りなり。礼は形できめる。わる心はなしと云ても、親の前ではあぐらはかかせぬ。身は寐轉ぶと心迠も寐轉ぶ。大名の家来が結め所に居るが、どふでも不断おる処ゆへ多葉粉も呑めば心もゆるみがある。家老が通ると心がはっきりとなる。そこが形の尊ひ処。孔子の博文約礼も孫の尊德性道問学も一つことじゃと、張子が一つになでこんで云が趣向なり。下学は段々仕込んでゆくこと。その内に上達はある。これが博文約礼ほどにはあたらぬ様なれとも、やはり德性のちさなり。ここにかけてある額の諭学者の文に博文約礼云々下学上達造之之方と書たを、石原の先生が文義が合ひにくいと云れたが、そこに油断のある迂斎ではない。やはり爰の文義なり。大病の内からはやなをると云ことはあること。下学上達は今藥を飲で引込ではをるが、やがて番に出らるると云こと。下学が主で、上達はこめて云こと。あてには云ぬ。上達は天窓のはげる様なもの。毎日々々德性に懈るか、問学に背きはせぬかと下学をしておるで、いつか上達する。病めば藥を呑むは當然と云ても、なをることは知れぬと云れては呑れぬ。学者も上達と云はすみがなくては功夫も勉厲もならぬもの。
【解説】
「此義亦是博文約禮下學上達」の説明。博文約礼と尊徳性而道問学は同じことである。約礼は尊徳性のことだから事に現れない様に思えるが、礼は敬の形であって事に出るものなのである。下学は段々仕込んで行くことで、その内に自然と上達する。下学の内に上達は含まれているのである。
【通釈】
「此義亦是博文約礼下学上達」。学者が中庸は中庸のみ、論語は論語のみと思うから、そこでこの様に掛けたのである。徳性は心のことなので事へ出ない様に思うが、ここの約礼は尊徳性のこと。礼は直に敬の姿である。礼は形できめる。悪心はないと言っても、親の前で胡坐をかくことはできない。身が寝転ぶと心までも寝転ぶ。大名の家来が詰め所にいるが、どうもいつもいる処なので煙草も呑めば心にも弛みがある。しかし、家老が通ると心がはっきりとなる。そこが形の尊い処。孔子の博文約礼も子思の尊徳性而道問学も同じことだと、張子が一つに撫で込んで言うのがここの趣向である。下学は段々仕込んでゆくことで、その内に上達はある。これが博文約礼ほどには効果がない様だが、やはり徳性への馳走となる。ここに掛けてある額の諭学者の文について、博文約礼云々下学上達造之之方と書いたところを、石原先生が文義が合い難いと言われたが、そこに油断のある迂斎ではない。やはりここの文義なのである。大病の内から早、治るということがある。下学上達は今薬を飲んで引込んではいるが、やがて番に出られるということ。下学が主で、上達を込めて言ったこと。上達は当てにして言うものではない。上達は頭の禿げる様なもの。毎日徳性に懈りはないか、問学に背きはしないかと下学をしているので、いつか上達する。病めば薬を呑むのは当然と言っても、治るのかはわからないと言われては呑むことができない。学者も上達という弾みがなくては工夫も勉励もならないもの。
【語釈】
・博文約礼…論語雍也25と顔淵15。「子曰、君子博学於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫」。
・下学上達…論語憲問37。「子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人。下學而上達。知我者其天乎」。
・ちさ…牛窪蔵書には「馳走」とある。
・諭学者の文…「夫博文約禮聖門之敎而下學上達則造之之方也」。冬至文遺文に記載がある。

警策とは、右段々のことをちょっ々々々とするでよい。淺見先生の、ひたと立直すことじゃと云れた。大名屋鋪で火の用心を觸るるに、今朝觸たからよいとは云ぬ。又一時すぎると物頭が足經をつれて廻るから、下女も氣がついて釜の下の大火をつっこむ。身上もつもそれで、盆んと暮に計り筭用する位では、身上はもてぬ。毎月の晦日にあてて見るがよい。夫れをもそっとつめるなら、十四日ごろにも一つつき合せてみるがよい。周公の周礼にもその趣あり。身上は譬にこそ云へ、何のこともないこと。学問はをもいことで、志士仁人者殺身而有為仁と云も日比が日比なり。其日に至てなることではなし。命がけで藥を呑で病をなをすこと。克己をすることゆへ、大ていのことではゆかぬ。身上さへもてぬ位では、垩賢にはなられぬ。ひたと手入をし、警策せ子ばならぬ。さうないと淺見先生の所謂古ひ紙子の破れる様に、音もなく死でしまふぞ。
【解説】
「以此警策」の説明。「警策」とは日々心を立て直すこと。身上も頻繁に計算する様でなければ上がらないが、学問はもっと重いことであって、日々の警策が必要である。
【通釈】
「警策」とは、右段々のことを一つ一つすることである。浅見先生が、只管立て直すことだと言われた。大名屋敷で火の用心を触れるのに、今朝触れたからよいとは言わない。また一時過ぎると物頭が足軽を連れて廻るから、下女も気が付いて釜の下の大火を消す。身上を持つのもそれで、盆と暮にばかり計算をする位では、身上は持てない。毎月の晦日に計算して見るのがよい。それをもう少し切り詰めるのなら、十四日頃にも一つ突き合わせて見るのがよい。周公の周礼にもその趣がある。身上はたとえにこそ言ったのであって、それは何でもないこと。学問は重いことで、「志士仁人者殺身而有為仁」と言うのも日頃が大事なのである。その日に至って成ることではない。命懸けで薬を呑んで病を治すこと。克己をすることだから、大抵のことではうまく行かない。身上さえ持てない位では、聖賢になることはできない。只管に手入れをして、警策をしなければならない。そうしないと浅見先生の言う、古い紙子の破れる様に音もなく死んでしまうことになる。
【語釈】
・物頭…武家時代の職制で、弓組・鉄砲組などを率いる者。武頭。足軽大将。
・周礼にもその趣…
・志士仁人者殺身而有為仁…論語衛霊公8。「子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁」。
・紙子…紙製の衣服。厚紙に柿渋を引き、乾かしたものを揉みやわらげ、露にさらして渋の臭みを去ってつくった保温用の衣服。もとは律宗の僧が用いたが、後には一般にも用い、元禄(1688~1704)のころには遊里などでも流行した。かみぎぬ。

一年と云字もいこふ手段のあることと聞ふこと。二程などの学問は垩人風なことでいこふ骨は折られぬが、横渠は困知勉行です子から揉出した。其人が一年と切て出すからは覚のあること。今の世語にも、をれにだまされたと思てさうして見さっしゃれと云。これが覚のあることからぞ。此の一年と云ことにはさま々々な脩行をこめてみること。垩賢になる脩行のことを一年と云ては麁忽にきこゆれとも、只一年と云に文字のあたりのあること。御番衆一年勤めて皈りた様に見ることでない。一年で身上を立て直そうと云には、毎日の上に大事小事こめてむだをせぬこと、一年なり。商人が大きな物を賣る日もあり、小さなものを賣る日もあるが、利のないと云は商人ではない。学問もむだをしてはならぬ。毎日利を得ること。爰へは合ぬことなれとも、士別るること三日刮目而可待。阿兄、どふだと云たれば、呂蒙がもとの童ではないと云た。学者もいつも同し頬ではならぬぞ。
【解説】
「一年、安得不長。毎日須求多少爲益」の説明。一年で身を立て直すのだから、毎日の上で大事小事を含めて無駄をしてはならず、毎日利を得る様にしなければならない。学者がいつも同じ顔をしていては悪い。
【通釈】
「一年」という字も大層手段のあることだと理解しなさい。二程などの学問は聖人風で大して骨は折られないが、横渠は困知勉行で脛から揉み出した学問である。その横渠が一年と切って出すのだから、これは覚えのあること。今、世話を焼くにも、俺に騙されたと思ってそうしてみなさいと言う。これは覚えがあるからである。ここの一年とは、様々な修行を込めて見ること。聖賢になる修行のことを一年と言っては粗忽に聞こえるが、ただ一年と言うところに文字の目算がある。御番衆が一年勤めて帰る様に見ることではない。一年で身上を立て直そうとするには、毎日の上で大事小事を含めて無駄をしないこと。それが一年である。商人が大きな物を売る日もあり、小さなものを売る日もあるが、利がなければ商人ではない。学問も無駄をしてはならない。毎日利を得ること。ここへは合わないことだが、「士別三日即更刮目相待」。兄貴、どうだと言ったら、呂蒙は前の童ではないと言った。学者もいつも同じ顔でいてはならない。
【語釈】
・士別るること三日刮目而可待…三国志呉書呂蒙伝。「粛拊蒙背曰、吾謂大弟但有武略耳。至於今者、學識英博、非復呉下阿蒙。蒙曰、士別三日、即更刮目相待」。

知所亡。知ても行でも今迠ない処を知ること。知るでは德性らしくない様なが、やっはり德性になる。吾が方には是れがないと知ると穴をふさぐもの。どふでもをれは脾胃が弱ひと知ると、それだけ元氣の為になる。わるい穴をふさぐて、それたけ存羪になる。少不善。わるいことのヶ条をなくするで德性上の益なり。物入がへるで身上の益なり。此章、中庸の德性問学の学問の綱領を云たが、をもしろいことをかる々々と云で、德性問学の方へ学者の入りよくなることなり。某が兎角怒り早ひが、二三年以来これにかかって工夫しても中々まだゆかぬが、ひょっとあの下女が今日は訶らるるがあると思ふたに訶られぬは仕合じゃと云はふが、夫れは却てこちの仕合なり。いつも訶るを訶らす、それだけこちの德性の益なり。訶られぬものは結句して損だも知れぬそ。此章の德性問学のことをかるく説と云が、少不善などの字あるで語脉からの見取ぞ。
【解説】
「知所亡、改得少不善」の説明。横渠は、徳性問学という学問の綱領を「改得少不善」と言って軽く説く。自分にないことを知れば、その穴を塞ぐことで存養となる。また、悪いところをなくせば徳性の益となる。
【通釈】
「知所亡」。これは、知でも行でも今までになかった処を知ること。知るのでは徳性らしくない様だが、やはり徳性になる。我が方にはこれがないと知ればその穴を塞ぐもの。何故か俺は脾胃が弱いと知れば、それだけ元気のためになる。悪い穴を塞ぐので、それたけ存養になる。「少不善」。悪いことの箇条をなくすので徳性上の益となる。出費が減るので身上の益となる。この章は中庸にある徳性問学という学問の綱領を言ったものだが、面白いことを軽々と言うので、学者が徳性問学の方へ入り易くなることになる。私はとかく怒り易いが、二三年来これに取り掛かって工夫をしても中々まだうまく行かないが、ひょっとあの下女が今日は訶られることがあると思ったのに訶られないのは幸せだと言うのは、それは却ってこちらの幸せなのである。いつも訶ることを訶らないのが、それだけこちらの徳性の益となる。訶られない者は寧ろ損なのかも知れない。この章が徳性問学のことを軽く説くというのは、少不善などの字があることからの語脈で見取ることができる。
【語釈】
・知所亡…論語子張5。「子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣」。
・結句…①結局。とうとう。②かえって。むしろ。いっそ。

讀書求義理。義理と云大事の処を求るがよい。世間の俗学を記誦詞章と大学の序で云も、義理を求ると云ことを知ぬからなり。上林賦東都賦義理にはならぬ。あれも諷諌じゃの、東方朔がをどけを云も上の為と云は贔屓詞なり。夫より義理を求るには眞直に曰若稽古之帝堯がよい。文選と一つに讀では義理を求ぬのぞ。時に義理を求めるの求めやふを一つ合点することぞ。書經の正ひは知れたが、詩經には邪と正がある。史傳もそれなり。とほふもないこともあるが、よいでは義理を求め、わるいは戒にすること。それで、どれ共にこちの為になる。しかれば悪を見てもやはり義理を求るになるそ。
【解説】
「讀書求義理」の説明。義理を求めなければならない。俗学が記誦詞章と言われるのも義理を求めないからである。義理を書物に求めるには仕方がある。書経は正のみだが、詩経や史伝には邪と正とがある。そこで、よいことでは義理を求め、悪いことは戒めにするのである。
【通釈】
「読書求義理」。義理という大事な処を求めなさい。世間の俗学を記誦詞章と大学の序で言うのも、義理を求めることを知らないからである。上林賦や東都賦では義理にはならない。あれも諷諌だ、東方朔が戯けを言うのも君主のためだと言うのは贔屓言葉である。それより義理を求めるのには真っ直ぐに「曰若稽古之帝尭」がよい。これを文選と同じに読んでは義理を求めることにならない。時に義理を求める仕方を一つ合点しなければならない。書経が正しいことは知られているが、詩経には邪と正とがある。史伝もそうである。途方もないこともあるが、よいことでは義理を求め、悪いことは戒めにする。それで、どれも自分のためになる。それで、悪を見てもやはり義理を求めることになる。
【語釈】
・大学の序…大学章句序。「自是以來、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小學学而無用、異端虚無寂滅之敎、其高過於大學而無實」。記誦はいたずらに多くの文章を記憶し暗誦すること。詞章は苦労して修辞の巧みな詩文を作ること。
・上林賦…司馬相如作。
・東都賦…班固作。
・諷諌…遠回しにいさめること。諷規。
・東方朔…前漢の学者。字は曼倩。山東平原の人。武帝に仕え、金馬門侍中となる。ひろく諸子百家の語に通じ、奇行が多かった。前154頃~前93頃
・曰若稽古之帝堯…書経堯典「曰、若稽古帝堯」。
・文選…中国の周から梁に至る千年間の文章・詩賦などを細目に分けて編纂した書。三○巻、のち六○巻。梁の昭明太子(蕭統)が、正統文学の秀れたものを集大成することを意図して、幕下の文人の協力のもとに編。後世、知識人の必読書とされ、わが国でも平安時代に盛行。

編書と云の一句は先生かぶ。道を任する人でなくてはないことなれとも、俗学のすることは訳はない。凡そ三ヶの津で出来る新板ものに一つも皈着のあるはない。伊川の答朱長文書に、垩賢之言不得己也とある。詞さへそれじゃに皈着のない書をあむは氣の毒の至りぞ。皈着はぎり々々の処。大く云へば近思の始が道体で、中が工夫の細かで終りが垩賢の篇に皈着する。丁度これが大学を眞直に持て来たもの。大学の始が明德、中かさま々々な工夫、終が治国平天下と皈着する。直方先生の編次もそれなり。鞭策録で立志から存養精義と六具を堅めて、それでも又引込れると云ことがあるから用心に排釈録、つまり目當ていきつまる処を出して道学標的なり。皈着ありなり。朱子の通鑑綱目編集皆皈着あり。学者が小学で君臣の義を何ほど知りつめてもまだ足らぬは変に逢ふと云処で皈着する処を示んと、其後淺見先生の靖献遺言を著す。これ同く皈着有りなり。夫から見ると鶴林玉露など靣白く調法なれとも皈着はない。其外皈着のない書は古今多し。我邦先儒の書にも皈着なき編集いかいことあるが、まあ其様に人の非を挙るも入らぬこと。玉露で推して合点せふこと。人が調法と云ても皈着せぬ書を編むは、編む者のぬけなり。爰をよく思をふことぞ。
【解説】
「編書須理會有所歸著」の説明。聖賢は言葉を慎む。それは已むを得ず言うのだから、編書は道を任じる人でなくてはならないこと。編書には帰著がなければならない。近思録にも大学にも、直方や浅見先生の書には帰著があるが、古今多くの編集には帰著がない。
【通釈】
編書という一句は先生の株である。道を任じる人でなくてはならないことだが、俗学は簡単にそれをする。凡そ三都でできた新刊には一つも帰著のあるものはない。伊川の朱長文に答えるの書に、「聖賢之言不得己也」とある。言葉でさえそうなのに帰著のない書を編むのは気の毒の至りである。帰著は至極の処。大きく言えば近思の始まりが道体で、中が工夫の細やかで、終わりが聖賢の篇に帰著する。丁度これが大学を真っ直ぐに持って来たもの。大学の始まりが明徳、中が様々な工夫、終わりが治国平天下に帰著する。直方先生の編次も同じである。鞭策録で立志から存養精義と六具を堅め、それでもまた引き込まれるということがあるから、その用心に排釈録、最後に目当ての行き詰め処を出して道学標的である。帰著があるのである。朱子の通鑑綱目の編集にも皆帰著がある。学者が小学で君臣の義をいくら知り詰めてもまだ足りないから変事に逢うという処で帰著する処を示そうと、その後浅見先生が靖献遺言を著した。これも同じく帰著があるということ。それから見ると鶴林玉露など面白くて重宝だが帰著はない。その外にも帰著のない書は古今多い。我が国の先儒の書にも帰著ない編集が沢山あるが、まあその様に人の非を挙げるのも不要なこと。玉露で推量して合点しなさい。人が重宝と言っても帰著しない書を編むのは、編む者が間抜けなのである。ここをよく思いなさい。
【語釈】
・三ヶの津…三箇津。ここは「三箇都」で、江戸時代における京都・江戸・大坂の総称。三都。
・答朱長文書…為学5。「伊川先生答朱長文書曰、聖賢之言、不得已也」。
・鶴林玉露…詩話・語録・小説の体で、文人・道学者・山人の語をのせ、朱熹・張栻などの語を引き、欧陽修・蘇軾の文を称揚した書。天地人の三集に分ち、一八巻。宋の羅大経の著。1251年成る。

勿徒寫過。をれも一つ仕て見やふと云は歳旦帳の筋なり。字なは何、別号は何、先生著す、近刻と長い札をかけたかる。嵩山房や出雲寺が軒口にあるを駕の中から見て、あれがをれがたと笑みを含むは娘や娵の土用干に小袖多を笑むと同こと。迂斎が、板行ものををれも一代に一度したいと云ことでないと云れた。
【解説】
「勿徒寫過」の説明。書を出版しようとするのは自己満足であって悪い。
【通釈】
「勿徒寫過」。俺も一つして見ようと言うのは歳旦帖の筋である。字は何、別号は何、先生著す、近刻と長い札を掛けたがる。嵩山房や出雲寺の軒口にあるのを駕籠の中から見て、あれが俺のだと笑みを含むのは、娘や娵が土用干に小袖の多いのを笑むと同じこと。迂斎が、板行物を俺も一生に一度は出したいというのは悪いと言われた。
【語釈】
・歳旦帳…歳旦帖。歳旦開きに披露するため、連歌師・俳諧師が前年の冬のうちに自分と門弟の三物や発句を集めて刷ったもの。
・嵩山房…嵩山は、中国河南省鄭州の南西にある名山。五岳の一。中岳。嵩高山。太室山。
・出雲寺…毘沙門堂の寺号。
・板行…書籍・文書などを印刷し、発行すること。刊行。

識前言往行此問学上益也。朱子の小学にも垩賢の言行計でない。近代の只の人の前言往行もある。近ひことをきくでいこふひびくもの。青砥が滑川のことをきいてさへ、早萬事の了簡思入れあること。ただ無用な銭はつかわぬ氣になると云ばかりではない。何でも垩賢と云は云に及はぬこと。前言往行身近ひことでうつるもの。こなたは濱の御奉行よと哥へば、下を惠むに骨を折て色も黒みたてあろふと、御代官などの百姓を相手にするものがきいてはよいことになる。これも前言往行の内なり。朱子小学外篇もここそ。永井隠求先生はもげた人のいこふ識趣高寄な人なれとも、佐野の源左衛門が畫を書て壁に張っておいたはけなげなと警策になりた。直方先生ほどな高明で、二葉の、しののめの、をだまきのと、徒然や軍書から近代のよいものを取りて書ぬきにされた。前言往行はあまりをもくれてみるべからず。只論語々々と云ばかりではない。唐の大和のことを廣く見るで益になる。吾黨の学者が只太極隂陽とは云へとも全体融通せず、どこにかはぜぬ処がある。前言往行を知れば学問につやが付てよいもの。此様に德性問学をかる々々とよむが、某が今日の発明ぞ。
【解説】
「又多識前言往行、此問學上益也」の説明。聖賢の言のみが学問に益があるわけではない。前言往行は身近なことで心に映るもの。直方先生も、徒然草や軍書の語を書き抜いた。
【通釈】
「識前言往行此問学上益也」。朱子の小学も聖賢の言行ばかりが書かれているわけではない。近代の、ただの人の前言往行もある。近いことを聞くので心によく響く。青砥藤綱が滑川で銭を落としたことを聞いてさえ、早くも万事の了簡に思い入れのあること。ただ無用な銭は使わない気になると言うばかりではない。何でも聖賢の言でなければならないと言うには及ばないこと。前言往行は身近なことで心に映るもの。貴方は濱の御奉行よと歌えば、下を恵むことに骨を折って色も黒くなったのであろうと、御代官など、百姓を相手にする者が聞いたら気持ちがよくなるもの。これも前言往行の内である。朱子の小学外篇もこのこと。永井隠求先生はもげた人で大層趣きを識った高寄りな人だったが、佐野の源左衛門の画を書いて壁に張っておいたのは健気で警策になった。直方先生ほどの高明な人でも、二葉、しののめ、おだまきを作り、徒然草や軍書から近代のよいものを取って書き抜きにされた。前言往行はあまり重々しく見てはならない。ただ論語と言うばかりではない。唐や大和のことを広く見るので益になる。我が党の学者は太極陰陽とは言うが全体に融通しないので、何処か爆ぜない処がある。前言往行を知れば学問に艶が付いてよいもの。この様に徳性問学を軽々と読むのが、私の今日の発明である。
【語釈】
・青砥…青砥藤綱。鎌倉中期の武士。上総の人。北条時頼に仕え、引付衆となる。性廉潔。鎌倉滑川に銭十文を落とし、天下の財の喪失を惜しみ、五十文の費用を使ってこれを探させたという。
・もげた…
・佐野の源左衛門…佐野源左衛門尉常世。鎌倉武士。上州(群馬県)佐野に住したといい、謡曲「鉢木」の主人公として名高く、歌舞伎にも脚色。
・二葉の、しののめの、をだまきの…佐藤直方の書。
・をもくれて…おもたそうである。おもくるしそうである。くどくどしい。

俄項は多葉粉一服呑む内のこと。陶侃が禹王之垩猶惜寸隂常人當惜分隂と云たは閑らに度をよく戒たなり。学者は酒もやめるがよいが、止められずは茶碗でぐっと飲でじきに書を讀むがよい。盃ををさへたりして暇取るはわるい。大高坂清助が少年のとき、椎の實を穀ごと喰ふ。一とほふばりにする。人がそれを笑ふたれば、学者はひまをとりてはをらぬと云た。後によほどにはなりた。此村の兵部の名主が咄に、或老人百姓の碁を打つは御法度の博奕よりわるいと、此近郷のものが云たげな。博奕と云へば御法度と云ふで役人もゆるさず押付らるるが、碁は天下晴れて打つから咎められず、一日手間とる。百姓などは別してわるい。学問殊外いそがしいこと。それに間断してゆかふか。逝者如是乎と孔子のををせらるるも閑らに度させぬ為めなり。石をはち々々何の役に立たふぞ。
【解説】
「勿使有俄頃閑度」の説明。学問は忙しいものだから閑度はならない。孔子が「逝者如斯夫」と仰せられたのもこのことである。
【通釈】
「俄頃」とは、煙草を一服呑む内のこと。陶侃が「大禹聖者乃惜寸陰至於衆人當惜分陰」と言ったのは閑度をよく戒めたこと。学者は酒も止めるのがよいが、止められなければ茶碗でぐっと飲んで直ぐに書を読むのがよい。盃を抑えたりして暇を取るのは悪い。大高坂清助が少年の時に椎の実を穀ごと喰った。一頬張りにした。人がそれを笑うと、学者は閑を取ってはいられないと言った。彼は後に余程の者となった。この村の兵部の名主の話に、近郷の或る老人が、百姓の碁を打つのは御法度の博奕より悪いと言ったそうである。博奕と言えば御法度なので役人も赦さずに捕まえられるが、碁は天下晴れて打つから咎められず、一日中手間を取る。百姓などには特別に悪い。学問は殊の外忙しいもの。間断して行き着くことはできない。「逝者如斯夫」と孔子が仰せられたのも閑度させないためである。石をぱちぱちと打つのが何の役に立つのか。
【語釈】
・陶侃…字は士行。廬江郡潯陽の人。長沙郡公に封ぜられる。晋代。259~334
・禹王之垩猶惜寸隂常人當惜分隂…晋書列伝陶侃。「大禹聖者、乃惜寸陰。至於衆人、當惜分陰。豈可逸遊荒醉。生無益於時、死無聞於後、是自棄也」。
・大高坂清助…
・兵部…
・逝者如是乎…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。川上の歎である。

有進は、上の上達の字と為心とへあてて書たこと。とかく三年の、一年のと云字を大事に見ることぞ。論語にも苟有用我者期月而已可也三年有成。善人治國百年の、大国五年、小国七年のと数のあることは趣向のあること。集註にも五年七年とあるに氣を付てみよと云てある。清少納言が三つ四つ二つは鴉のこと。なんのやくにたたぬ。此三年は工夫へかけて見やふこと。前の一年は大づか子、綱領で云たこと。三年はさま々々こまかな工夫をこめて云て三年と出されたてあらふ。そこで效が見へてくる。求義理と識前言往行のことをすることなり。
【解説】
「遂日似此三年、庶幾有進」の説明。清少納言の数えた数には意味はないが、聖学における一年や三年には意味がある。一年は綱領として言い、三年は工夫を込めて言う。この間に求義理と識前言往行をするのである。
【通釈】
「有進」は、上にある上達と為心とへ当てて書いたこと。とかく、三年や一年という字を大事に見なさい。論語にも「苟有用我者期月而已可也三年有成」とある。「善人治国百年」や「大国五年小国七年」と数のあるのは趣向のあること。集註にも、五年七年とあるのを気を付けて見なさいと言っている。清少納言の三つ四つ二つは鴉のことで、それでは何の役にも立たない。ここの三年は工夫へ掛けて見ること。前にある一年は大掴みに綱領として言ったこと。三年は様々に細かな工夫を込めて言うので三年と出されたのだろう。そこで効が見えて来る。求義理と識前言往行をするのである。
【語釈】
・苟有用我者期月而已可也三年有成…論語子路10。「子曰、苟有用我者、朞月而已可也。三年有成」。
・善人治國百年…論語子路11。「子曰、善人爲邦百年、亦可以勝殘去殺矣。誠哉是言也」。
・大国五年、小国七年…論語子路29集註。「如云期月、三年、百年、一世、大國五年、小國七年之類、皆當思其作爲如何乃有益」。


第九十五 為天地立心の条

爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平。
【読み】
天地の爲に心を立て、生民の爲に道を立て、去聖の爲に絶學を繼ぎ、萬世の爲に太平を開く。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。

此章は以の外大なことで、今日某が讀めとも伺れぬことを云のなり。直方先生も先つ斯ふしたことと見ておけ、今なるではないと云れた。そんなら道学標的へあげたはどふじゃと云に、其日からなるではないが、垩学はこふ云処へつめることじゃと見せたこと。爰へこぎ付るのじゃと云こと。去るによって、程子は以垩為志と云語があり、張子では此語なり。及びがたいことでは有るが、学者の心たのみなこと。文字に付て讀めば文義も知るるが、どの様なことか伺れぬこと。先つ爰に為の字があるが、夫を合点せふこと。不断は為の字はよくないことて、南軒の有為而為之者人欲之私也と云てある。病人のときの為にとて医者に懇するは、さきへの親切ではない。これ、為にするなり。凡人とかく返りを取る氣なり。後世をよくしたいとて瓦の奉加に金を出す。有為なり。しかれは学者は為めにと云ふことはない筈。時に、此章の為の字はよいことなりとはどふなれば、君の為には命をすてる。夫の為には身をすてるの為の字なり。そこで直方先生の、爰に為の字が四つ有るが、一つも身の為はないと云れた。
【解説】
この章は簡単に理解することができないほど規模が大きい。「為」は通常、自分のためという悪い意味だが、ここの為は自分のための意ではない。
【通釈】
この章は殊の外大きなことで、今日私はそれを読むが、窺い難いことを言うものである。直方先生も、先ずこうしたことだと見て置け、今成ることではないと言われた。それなら道学標的に載せたのはどうしてかと言うと、その日から成るのではないが、聖学はこういう処へ詰めることだと見せたのである。ここへ漕ぎ着けるのだということ。それで、程子には「以聖為志」という語があり、張子にはこの語がある。それは及び難いことではあるが、学者の心頼みとなる。文字に従って読めば文義も知れるが、どの様なことかは窺われない。先ずここに為の字があるが、それを合点しなさい。普段、為の字はよくないことで、南軒も「有為而為之者人欲之私也」と言っている。病気になった時のためにと医者と懇ろになるのは、後への親切ではない。これが為にするということ。凡人にはとかく見返りを取る気がある。後世をよくしたいと瓦の奉加に金を出す。それが有為である。学者にはためにと言うことはない筈である。しかし、この章の為の字はよいことだと言うのは何故かと言うと、君のためには命を捨てる。夫のためには身を捨てるの為の字である。そこで直方先生が、ここに為の字が四つあるが、一つも我が身のためではないと言われた。
【語釈】
・以垩為志…為学59。「言學便以道爲志、言人便以聖爲志」。
・南軒…張南軒。名は栻。字は敬夫。1133~1180
・有為而為之者人欲之私也…「為にすること有りて之を為す者は人欲の私なり」?

為天地立心を目當にと云に取るはわるい。垩希天の筋に見ることでない。あなたゆへにと云様なもの。天地からよい物を下されたから、立て子ば天地へ云わけがない。天地から御預りの心ゆへ、立子ばならぬ。爰があなたゆへにと云塩梅なり。御鷹匠の鷹を据た様なも預り物ゆへなり。人は万物之靈と云も心で云こと。其心をこちの自由に只の凡心にしてをくは、拜領物を蹴倒し蹈潰すのなり。為めは天地を見てをいて云こと。さて此章で、大学の明々德の上の明の字の中に何もかも篭りてあるが知るるぞ。明にするは立るなり。よごしてならぬものゆへ、そこで明にするなり。中庸に戒愼於不覩恐懼於不聞莫見乎隠莫顕乎微故君子愼其独も、貰ふた心をよごすまいとするが仇愚でならぬゆへぞ。是れをしづめると貰ふたなりになるから、こちからつっ立てたのなり。立ては天地位万物育すの極功がなる。人間の心で天地も立つ。為の字のひびきをそう合点せふことぞ。直方曰、天地が忝ひと礼を云。振舞に客がよく喰へば、何もござらぬによく喰て下さる、肴もない酒をよふ上りて下さると亭主から礼を云なり。なぜこふよむなれば、天地位し万物育を朱子の実事なりと云れた。これで直方の礼と云ことが空を云たでないがみへた。爰の本文には合ぬことなれとも、垩賢の祈雨禱晴。祈のきくと云ふも実事なり。誠の立つなり。これ、大学の至善、中庸の極功。天へひびく筈ぞ。先日、佐左ェが書てよこした書ものの中にある、何処のか僧が云たに、今の僧の雨祈りをするはあたまで誠のない心て祈るから降らぬが誠じゃとあるも靣白ひこと。これは誠ないの実事ぞ。
【解説】
「爲天地立心」の説明。「為天地」とは天地を願うことではなく、天地から貰った心ということ。人が特別に天地から貰った心なのだから、それを立てなければならないのである。人が心を立てれば、「天地位万物育」の極功が成る。大学の「明明徳」の上にある明の字も立と同じである。
【通釈】
「為天地立心」を目当てにすると考えるのは悪い。「聖希天」の筋に見てはならない。貴方の御蔭でという様なもの。天地からよい物を下されたから、心を立てなければ天地へ言い訳ができない。天地からお預かりした心だから、立てなければならない。ここが貴方故にという塩梅なのである。御鷹匠が鷹を据える様なことも預り物だからである。人は万物の霊と言うのも、心があるからその様に言う。その心を自分の自由でただの凡心にして置くのは、拝領物を蹴り倒し踏み潰すこと。「為」は天地を見て、それを向こうに置いて言うこと。さてこの章によって、大学の「明明徳」の上にある明の字の中に何もかも入っていることがわかる。明にするとは立てること。汚してはならないものだから、そこで明にするのである。中庸にある「戒慎乎其所不睹恐懼乎其所不聞莫見乎隠莫顕乎微故君子慎其独」も、貰った心を汚さない様にすることで、並大抵ではできないことだからこの様に言うのである。これをし詰めると貰った通りになるから、こちらから突っ立てるのである。立てば「天地位万物育」の極功が成る。人間の心で天地も立つ。為の字の響きをこの様に合点しなさい。直方が、天地が忝いと礼を言うと言った。振舞って客がよく喰えば、何もありませんがよく喰べて下さる、肴もないのに酒をよく飲んで下さると亭主が礼を言う。何故この様に読むのかと言うと、天地位万物育を朱子が実事であると言われたからである。これで直方が礼と言ったのが空言ではないことがわかった。ここの本文には合わないことだが、聖賢の祈雨祈晴で祈りが効くというのも実事である。誠が立ったのである。これが大学の至善、中庸の極功だから、天へ響く筈である。先日、佐左ェ門が書いて遣した書物の中に、何処かの僧が言った話で、今の僧が雨祈りをするのは、最初から誠のない心で祈るから降らないのが誠だとあるのも面白いこと。これは誠のない実事である。
【語釈】
・垩希天…為学1の語。
・万物之靈…書経泰誓上。「惟天地萬物父母、惟人萬物之靈」。
・明々德…大学章句1。「大學之道在明明德、在親民、在止於至善」。
・戒愼於不覩恐懼於不聞莫見乎隠莫顕乎微故君子愼其独…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離、非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。
・天地位万物育す…中庸章句1。「天地位焉、萬物育焉」。
・佐左ェ…佐左ェ門。

為生民立道。道は三綱五常なり。大学にも新民の稽古と云て別に有はせぬ。こちの明德を明にしたのを出すて新民になる。新民と云も吾方が主になる。そこで古之欲明明德於天下者先治其國云々と云て、誠意致知と吾へくりこんである。こちで實功をするから生民のためになる。道は三綱五常三達德五達道なり。知仁勇の三つを立は為天地立心の中へ這入ってをる。爰の為生民立道は五達道のこと。立つは小学の立教の立の字。洪範では建皇極の建の字。今まで寐てをるをしゃんと立ること。纏を振立るで火消か働く。大将の簱のひらめくで士卒がいぎる。朱子の、古は有物必有則じゃか後世は物計りで則がないと云た。直方の、今の五倫はから樽じゃと云れた。夫妻はあるが夫婦の別はたをれておる。君臣はあるが君臣の義はたをれておる。父子はあれとも父子の親はたをれてをる。そこが空樽なり。五倫が不残しゃんと立つと道が立つなり。五倫の道が立つと、有朋自遠方来不亦樂乎になる。天下の人が皆よくなって、孔子に七十子の服した様に西より東より思ふて不服ことなしになる。そこが為生民と云もの。
【解説】
「爲生民立道」の説明。道とは三綱五常三達徳五達道であり、「為生民立道」は五達道のこと。今は物はあるが則がない。五倫の道が立つと、不服事がなくなる。
【通釈】
「為生民立道」。この道とは三綱五常である。大学でも新民の稽古が別にありはしない。こちらの明徳を明にしたところを出すので新民になる。新民というのも自分の方が主になる。そこで「古之欲明明徳於天下者先治其国云々」と言って、誠意致知とこちらに繰り込んでいる。こちらで実功をするから生民のためになる。道とは三綱五常三達徳五達道である。知仁勇の三つを立てることは「為天地立心」の中に這い入っている。ここの為生民立道は五達道のこと。立は小学の立教の立の字。洪範では「建皇極」の建の字。今まで寝ていたのをしゃんと立てること。纏を振り立てるので火消しが働く。大将の旗がひらめくので士卒が活きる。朱子が、古は「有物必有則」だったが後世は物ばかりで則がないと言った。直方が、今の五倫は空樽だと言われた。夫妻はあるが夫婦の別は倒れている。君臣はあるが君臣の義は倒れている。父子はあるが父子の親は倒れている。そこが空樽なのである。五倫が残らずしゃんと立つと道が立つ。五倫の道が立つと、「有朋自遠方来不亦楽乎」となる。天下の人が皆よくなって、孔子に七十子が服した様に西でも東でも思っても不服事がなくなる。そこが為生民と言うもの。
【語釈】
・三綱…君臣・父子・夫婦の道。
・五常…仁・義・礼・智・信。または五倫と同じ。
・古之欲明明德於天下者先治其國…大学章句1の語。
・三達德…中庸章句20。「知・仁・勇三者、天下之達德也」。
・五達道…中庸章句20。「天下之達道五、所以行之者三。曰、君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者、天下之達道也」。
・建皇極…書経洪範。「次五曰、建用皇極」。「皇建其有極」。
・有物必有則…孟子告子上6。「詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。故有物必有則。民之秉夷也、故好是懿德」。詩は詩経大雅烝民。
・五倫…君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。
・有朋自遠方来不亦樂乎…論語学而1の語。

為去垩継絶学。死去りた垩人を去垩と云。為は為天地と同こと。今日人の口上に伯父の為めに精進をするの、伯母の為に今日は精進をして進せると云様に心得るが、精進したとて死た人の為になることはない。只向において云から為めにとは云が、実はこちの為めなり。伯父の伯母のと云はさきなれとも、向から頼みはせぬが、為にとは向にをいて云詞。去垩と云は孟子の終篇に道統を云た処に、由堯舜至於湯何百歳由湯至於文王云々。垩人は不断に出ぬ。其間々を継くなり。三十三間堂の大矢數もたま々々なり。和佐大八を又誰がつぐ。道統は浮む瀬の盃。上總のものの呑だを誰がつぐ。盃をさされたのなり。此句が道統の傳で大きいこと。道統は心でつぐ。今日の大概是れでも間に合ふと云位の学問では継れぬ。孔孟は堯舜以来の心がちっともちがわす、そこを継ひだ。漢唐は論孟の註をしたれとも、孔孟の心をつかぬから絶学と云。周子は註もせぬが心を継だ。周子が孔孟に心がちっともちがわぬから継だのぞ。そこで朱子の堯舜からたん々々道統を云て、恭惟千歳心秋月照寒水。心の水がすめば月がうつる。こちの心がさへさへすればついだのじゃ。中庸を道統傳授の心法と云もそれなり。允執中と云た以来、そこの処へ蹈込だものは、はや道統の傳なり。心を得子ば絶学は継れぬ。道学を継だ人でなくては論孟を註しても精彩がないはどふなれば、亭主が下戸なれば上戸の客は悦ばぬ。肴はなしとも誰それが処なれば飲めると云は心いきで云ふこと。漢唐絶学もその心いきのことで、人抦がわるいの、不行跡じゃのと云ことでなく、孔安国を初めどれもよい人達なれとも心を得ぬ。して見れば、吾黨の学問は文字ぎりですまぬこと。大きいことなり。なげかはしきは程子の跡を継ものが無い、朱子の跡を継ものがないとかかって学はふことぞ。さう云心で学ぶものがない。そこで、某が爰をよむも伺れぬことじゃと始に云は爰らのこと。今ま学者も、をろかものはをれが継ふとも云はふが、それはたわいはなし。利口なものは、そうはをもわぬ。中間小者も一向な馬鹿は大部屋に居ても出世と云ことがあるから、仲間から家老にも成ろふと云が、ちと利口なやつはよい加減にして早く国へ皈ると云。今の学者はならぬことと思ふ方が多いが、これが利功で斯ふ思ふ。張子は馬鹿でなくて、学はこうと見た。大底な志ではゆかぬ。
【解説】
「爲去聖繼絶學」の説明。為とは相手があって言う言葉だが、実は自分のためのものなのである。道統の伝は心で継ぐのであり、聖賢の心をそのまま違わずに継がなければならない。それは心で学ぶことによる。心で学ぶことだと心掛けなければならない。そうしないと道統の伝に間断ができる。
【通釈】
「為去聖継絶学」。死に去った聖人を去聖と言う。「為」は「為天地」と同じこと。今日の人の口上に、伯父のために精進をするとか伯母のために今日は精進をして進ぜると言い、精進をその様に心得ているが、精進したとしても死んだ人のためになることはない。ただ向こうに置いて言うから為にとは言うが、実はこちらのためなのである。伯父や伯母と言うのは相手のことだが、向こうから頼みはしない。為にとは向こうに置いて言う言葉。去聖とは、孟子の終篇で道統を言った処に、「由堯舜至於湯何百歳由湯至於文王云々」とあり、聖人はいつもいるわけではない。その間を継ぐのである。三十三間堂の大矢数も偶々にしか通らない。和佐大八郎を誰がまた継ぐ。道統は浮む瀬の盃。上総の者が呑んだ後を誰が継ぐ。盃をさされたのである。この句が道統の伝のことで大きいこと。道統は心で継ぐ。今日の、大概はこれでも間に合うと言う位の学問では継がれない。孔孟は堯舜以来の心が少しも違わず、そこを継いだのである。漢唐は論孟の註をしたが、孔孟の心を継がないから絶学と言う。周子は、註もしてはいないが心を継いだ。周子は孔孟に心が少しも違わないから継いだのである。そこで朱子が堯舜から段々と道統を言って、「恭惟千歳心秋月照寒水」。心の水が澄めば月が映る。こちらの心が冴えれば継いだのである。中庸を道統伝授の心法と言うのもこのことである。「允執其中」と言って以来、そこの処へ踏み込んだ者は早、道統の伝である。心を得なければ絶学は継ぐことはできない。道学を継いだ人でなくては論孟を註しても精彩がないのはどうしてかと言うと、亭主が下戸であれば上戸の客は悦ばない。肴はなくても誰某の処であれば飲めると言うのは心意気で言うこと。漢唐絶学もその心意気のことで、人柄が悪いとか不行跡だということでなく、孔安国を初めとして誰もがよい人達なのに心を得ない。そこで、我が党の学問は文字だけでは済まず、大きいものなのである。嘆かわしいことに程子の跡を継ぐ者がいない、朱子の跡を継ぐ者がいないと心掛けて学ばなければならない。その様な心で学ぶ者がいない。私がここを読んでも窺えないことだと始めに言った理由がここ等のことからである。今、学者でも愚か者は、俺が継ごうとも言い切るが、それは他愛もないこと。利口な者は、そうは思わない。中間や小者でも只管な馬鹿は、大部屋にいても出世ということがあるから中間から家老にも成ることもできるだろうと言うが、少し利口な奴はよい加減にして早く国へ帰ろうと言う。今の学者は成らないと思う方が多いが、利功だからそう思うのである。張子は馬鹿でなく、学はこれだと見た。大抵の志ではその様には行かない。
【語釈】
・由堯舜至於湯何百歳由湯至於文王…孟子尽心章句下38。「孟子曰、由堯舜至於湯、五百有餘歳。若禹皐陶、則見而知之、若湯、則聞而知之。由湯至於文王、五百有餘歳。若伊尹萊朱、則見而知之、若文王、則聞而知之。由文王至於孔子、五百有餘歳。若太公望散宜生、則見而知之、若孔子、則聞而知之。由孔子而來至於今、百有餘歳。去聖人之世、若此其未遠也。近聖人之居、若此其甚也。然而無有乎爾、則亦無有乎爾」。
・大矢數…江戸時代、京都の三十三間堂などで陰暦四~五月に行なった通矢の競争。射手は一昼夜に数千本または一万数千本など、通矢の数の多いのを誇りとした。日暮から翌日の夕刻に及ぶ。
・和佐大八…紀伊藩の和佐大八郎。貞享3年(1688)に三十三間堂の通し矢で8132本射通して、これが現在までの最高記録になっている。1663~1713
・浮む瀬…江戸時代に、大坂天王寺の西、新清水の北坂にあった料理屋。あわび貝でつくった「浮む瀬」という大盃をはじめ、種々の盃を秘蔵していたという。
・恭惟千歳心秋月照寒水…朱子文集巻4の斎居感興五言詩凡廿首の一。「恭惟千載之心。敬者是心之貞。聖人專是道心。秋月照寒水」。弧松全稿68録絶筆の語にもある。
・允執中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。中庸章句序。「其見於經、則允執厥中者、堯之所以授舜也。人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中者、舜之所以授禹也」。
・孔安国…前漢の儒者。字は子国。孔子12世の孫。武帝の初年、孔子の旧宅から得た蝌蚪文字で記された古文尚書・礼記・論語・孝経を、当時通用の文字と校合して解読し、その学を伝えた。また、これらの書の伝を作った。
・中間…中世、公家・武家・寺院などに仕える従者の一。侍と小者との中間に位する。近世には武家の奉公人の一で、雑役に従事。足軽と小者の中間に位する。
・小者…武家の雑役に使われる者。

為萬世開太平。今の世の役に立ことさへなりにくいに、万々世迠の太平になる業をひらくこと。大きな規摸なり。万世迠のことと云が知惠や工面でゆくことでない。人の心に忠孝な心は備ってをるものなれとも、忠孝の道理を知らぬから治りがわるい。其備った心も其侭では役に立ぬ。磨くみがき様がある。大中論孟はみがきの書なり。磨けば太平を開たのなり。其済む様にしたから直方の、朱子の章句集註或問為萬世開太平なりと云へり。孔子の功の堯舜にまさると云もそれなり。堯舜は時の為にはなりた。孔子は一時の為にはならぬ。孔子が魯にありても李氏の、陽虎のと云悪人もあり乱もありた。斉には主殺までありたか、それでも孔子は為萬世開太平たはたしかなり。孟子の性善の論もそこにあづかるでみよ。徂徠太宰が政談經済録、よいこともあれとも手さきですることで當坐ぎりなり。やはり王荊公陳同甫ぞ。朱子の時分も國是之説などと云、只其時のよいこと。太平は開かぬ。仁斎が大学非孔氏遺書と云ひ、徂徠が道は垩人の作たものと云は萬世へ太平を塞くのなり。そこで此の立心立道継絶学開太平の四つが道統の傳になる、いこふはばの大きいこと。
【解説】
「爲萬世開太平」の説明。人の心には忠孝の心が備わっているが、心は磨かなければ役に立たない。四書は心を磨くための書である。心を磨けば太平を開く。また、堯舜は当時のためになり、孔子は当時のためにはならなかったが、孔子は為萬世開太平である。それで、孔子は堯舜に賢ると言われるのである。仁斎が大学を孔子の遺書ではないと言って四書を軽んじ、徂徠が道は聖人の作ったものだと言うのは為萬世塞太平である。
【通釈】
「為萬世開太平」。今の世の役に立つことでさえ成り難いのに、万世までが太平になる様に業を開くこと。それは大きな規模である。万世までのことというのは知恵や工面でうまく行くことではない。人の心には忠孝の心が備わっているものだが、忠孝の道理を知らないから治まりが悪い。その備わった心もそのままでは役に立たない。磨くにも磨き方がある。大中論孟は磨きの書である。磨けば太平を開くことになる。それをできる様にしたから、直方が、朱子の章句集註或問は為萬世開太平也と言った。孔子の功が堯舜に賢ると言うのもそれである。堯舜は一時のためになった。孔子は一時のためにはならなかった。孔子が魯にいた時には李氏や陽虎という悪人もいて、乱もあった。斉には主殺しまであったが、それでも孔子が為萬世開太平をしたのは確かである。孟子の性善の論もそこに与ることで理解しなさい。徂徠や太宰の政談や経済録にはよいことも書いてあるが、手先ですることなので当座のことだけである。やはり王荊公や陳同甫と同じである。朱子の時分も国是の説などがあったが、それはただその時によいだけで太平は開かない。仁斎が「大学非孔氏遺書」と言い、徂徠が道は聖人の作ったものだと言うのは萬世へ太平を塞ぐものである。そこでここの立心、立道、継絶学、開太平の四つが道統の伝になる。それは大層幅の大きいことである。
【語釈】
・孔子の功の堯舜にまさる…孟子公孫丑章句2。「宰我曰、以予觀於夫子、賢於堯舜遠矣。子貢曰、見其禮而知其政、聞其樂而知其德。由百世之後、等百世之王、莫之能違也。自生民以來、未有夫子也。有若曰、豈惟民哉。麒麟之於走獸、鳳凰之於飛鳥、泰山之於丘垤、河海之於行潦、類也。聖人之於民、亦類也。出於其類、拔乎其萃。自生民以來、未有盛於孔子也」。
・李氏…魯国の実権者。李孫氏のこと。
・陽虎…李孫氏の家臣でありながら、主家を抑えて魯の国政を動かす。後に乱を起こして敗れ、亡命した。
・斉には主殺…論語公冶長19。「崔子弑齊君」。斉の大夫である崔杼が主君の荘公を殺したこと。
・王荊公…王安石。北宋の政治家。字は介甫、号は半山。1021~1086
・陳同甫…
・國是之説…
・大学非孔氏遺書…伊藤仁斎の語。

さて、此章の見様が一つある。為天地立心と為去垩継絶学と、是れへ一つにつりをひいて見ること。為生民立道と為万世開太平へ一つに系を引てみることぞ。立心と継絶学とは明德の方のあたり前、立道、開太平は新民の方のあたり前なり。そこで某が今日、大中をはなさずひいて讀だが趣向なり。大中へ合せてみることぞ。立心継絶学の二つは中庸道統傳授の心法なり。此条はいこうはばのひろいこと。直方先生の冬至文を迂斎や石原先生へ形見同前に書て送られたにも爰へ引かけて、しまいに士以不可不弘毅を引たが靣白ひ。弘でなければ吾黨の学は這入らぬ。此章の四つをすることゆへ、今日の学者の小さな心で中々することのならぬこと。
【解説】
為天地立心と為去聖継絶学は明徳のことで、為生民立道と為万世開太平は新民のことである。また、立心と継絶学の二つは中庸道統伝授の心法である。この章は幅が広いが、冬至文も同様に「士以不可不弘毅」と幅広い。
【通釈】
さて、この章の見方が一つある。為天地立心と為去聖継絶学とに、一つに糸筋を引いて見る。また、為生民立道と為万世開太平へ一つに糸筋を引いて見る。立心と継絶学とは明徳の方へ当たり、立道開太平は新民の方へ当たる。そこで私が今日、大学と中庸を離さず引用して読んだのが趣向である。大学と中庸に合わせて見なさい。立心と継絶学の二つは中庸道統伝授の心法である。この条は大層幅の広い。直方先生が冬至文を迂斎や石原先生へ形見同前に書いて送られたが、それもここへ引っ掛けたものであり、終わりに「士以不可不弘毅」を引用したのが面白い。弘でなければ我が党の学は這い入らない。学問とは、この章の四つをすることだから、今日の学者の小さな心では中々することはできない。
【語釈】
・士以不可不弘毅…論語泰伯7。「曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎」。

是迠で此章の吟味はすんで、さてここに西銘の意のあると云ふを合点せふことなり。先つ人の人たるは天につかゆることで、以孝事天が西銘の西銘たる処ぞ。為天地立心は子能以父母之心為心則孝なりと同こと。為生民立道は、道が我一箇のことであろふ筈はない。西銘が天下を兄弟と見るから天下中をよくしてやろふと云様なもの。兄弟も大勢ならば、五人の兄弟が五人ながら孝をするやふにとすれば、天の方ては為生民立道なり。生民は天での兄弟なり。為去垩継絶学。これは先祖の祭をよくする様なもの。祭祀すれば死んだ祖禰がそこへ出て来る。継絶学ば去った堯舜の心がそこへ見へる。為萬世開太平は親の遺骸を厚く葬る様なもの。愼終のこと。曽子も必也親之喪乎と云へり。棺椁を丁寧にすれば萬世に神靈が残る。こう四つあてて見れば、此章を西銘の意があると讀でもよい。其筈ぞ。何ことも西銘から出る張子の趣なれば合ふことなり。
【解説】
張子は西銘を拠り所にしているから、この章にも西銘の意がある。たとえて言えば、為天地立心は個人の孝であり、為生民立道は兄弟の孝であり、為去聖継絶学は祖先の祭であり、為萬世開太平は親の葬である。
【通釈】
これまででこの章の吟味は済んで、さてここに西銘の意があるということを合点しなさい。先ず人の人たる所以は天に事えることで、「以孝事天」が西銘の西銘たる処である。為天地立心は「子能以父母之心為心則孝也」と同じこと。為生民立道では、道は自分一箇のことである筈がない。西銘は天下を兄弟と見るから、天下中をよくしてやろうと言う様なもの。兄弟も大勢であれば、五人の兄弟が五人共に孝をする様にすれば、天の方では為生民立道となる。生民は天における兄弟である。為去聖継絶学。これは先祖の祭をよくする様なもの。祭祀をすれば死んだ祖禰がそこへ出て来る。継絶学は去った堯舜の心がそこへ見えること。為萬世開太平は親の遺骸を厚く葬る様なもの。「慎終」のこと。曾子も「必也親之喪乎」と言った。柩を丁寧にすれば萬世に神霊が残る。この様に四つを当てて見れば、この章を西銘の意があるものとして読んでもよい。その筈で、何事も西銘から出る張子の趣だから、西銘に合うのである。
【語釈】
・子能以父母之心為心則孝…論語里仁19集註。「范氏曰、子能以父母之心爲心則孝矣」。
・祖禰[そでい]…祖先。禰は父姓の廟。
・愼終…論語学而9。「曾子曰、愼終、追遠、民德歸厚矣」。
・必也親之喪乎…論語子張17。「曾子曰、吾聞諸夫子、人未有自致者也。必也、親喪乎」。


第九十六 載所以使学者先学礼条

載所以使學者先學禮者、只爲學禮、則便除去了世俗一副當習熟纏繞。譬之延蔓之物、解纏繞即上去。苟能除去了一副當世習、便自然脱灑也。又學禮、則可以守得定。
【読み】
載、學者をして先ず禮を學ばしむる所以の者は、只禮を學ばば、則ち便ち世俗一副當の習熟の纏繞[てんじょう]を除去し了わるが爲なり。之を譬うるに、延蔓の物、纏繞を解かるれば即ち上去す。苟も能く一副當の世習を除去し了わらば、便ち自然に脱灑せん。又禮を學ばば、則ち以て守り得て定まる可し。
【補足】
この条は、張子全書の語録にある。

載は、張子の名なり。垩学のつまりは心なれとも、先礼からと云が横渠の見取なり。業から心がよくなる。宋朝の高ぞれは中を飛ぶ様なり。わざをすてる。直方先生が、小学がすぐにこれじゃと云た。礼は三千三百の儀があるから、じっかり々々々々とゆくでよいことがあるとのこと。垩人の礼を以て教へらるるはそれなり。これが正靣の礼の用ひ方なり。張子の此条は一趣向ありて、下文のこふ々々したことにもよいと、一つここへをちる処があるとみせたもの。
【解説】
「載所以使學者先學禮者、只爲學禮」の説明。聖学は心の学問だが、横渠は先ず礼という業から行うと言う。宋朝の儒学は高逸れて、業を捨てる。
【通釈】
載とは、張子の名である。聖学の詰まるところは心だが、先ず礼からしなさいというのが横渠の見取りである。業から心がよくなる。宋朝の高逸れは宙を飛ぶ様なことで、業を捨てる。直方先生が、小学が直ぐにこのことだと言われた。礼には三千三百の儀があるから、しっかりと行くことでよいことがあるとのこと。聖人が礼を使って教えられるのはそのためである。これが正しい礼の用い方である。張子のこの条は一趣向あって、下文でこうしたことにもよいと言って、ここに落ちる処があるのを見せたもの。
【語釈】
・礼は三千三百の儀…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行」。

世俗一副當習熟。一副當は一通と云こと。今日何者が始めたかも知れぬことを礼の様に思てしておる。其れがたわけなことで、世間一と通仕くせのやうに云て、仕馴れたことをよいと思ふ。一副當の仕癖を出して云へば限りもなくある。半日も待れぬ皐月に今日は田を植ぬ日と云がある。さうかと思へば三日をくべき親の遺骸は其日の中に埋る。昔からヶ様と云ておしたがる。夫れがまとい付ひて、理のないことをもなぜかさう致しつけたと云。年越の大豆を喰て羪生になるとも思ふまいが、兎角纏繞から年の数ほどは喰ふものと云。知惠が上りそうにしても、やはりこれにからまる。去年あれをせぬから、あぢなことで息子が死たと云。習熟にまとはれ、かしこい人もあほふをする。そんなことは皆淫樂慝礼なり。節分の夜に畚[ざる]をつると鬼がこぬと覚て居る。畚をこはがる鬼が何にこはかろふぞ。畚の目程に目を付ると、鬼でもこはいことはない。よっほどな学者もどふしてか纏繞が取れぬ。つたかつらがまとへば、松杉もそだたぬ。まといを取ればそだつ。直方曰、手を縛ってをいて脇指をぬけ々々と云やふなもの。纏繞を取ら子ば知は上らぬ。今の学者も盆祭など、胡爪の馬や何かの俗礼を笑ひながらするが、それでも心の内は纏繞なり。二百十日の前日に日待をすると云がわけもないこと。當日風もないとて其日に祝ふて休むはきこへたが、前日にするは、風のない様にとたれやらにたのむ筋の心得なり。そんなかるひことがなぜ近思に載てあると云に、俗礼も、一在所へかかることも公義へかかることもあるから、学者もそれにかふれるから、なをされぬことがある。精灵棚もせずはわるかろふと思てする。佛が生民の耳目を塗ると云て押塞れたのなり。
【解説】
「則便除去了世俗一副當習熟纏繞。譬之延蔓之物、解纏繞即上去」の説明。世間一般に行われていることを礼と思うのは間違いである。その様なものの多くは根拠がなく、纏繞である。纏繞を取れば知は上がる。
【通釈】
「世俗一副當習熟」。一副当は一通りということ。今日、誰が始めたのかもわからないことを礼の様に思ってしている。それが戯けたことで、世間一通りの仕癖の様に言って、仕馴れたことをよいことだと思う。一副当の仕癖を出して言えば限りもなくある。半日も待てないほど忙しい五月に、今日は田を植えない日ということがある。そうかと思えば、三日置くべき親の遺骸はその日の内に埋める。昔からそうだと言って通す。それが纏い付いて、理のないことでも何故かそうし続けて来たと言う。年越しの大豆を喰って養生になるとも思えないが、とかく纏繞から年の数ほどは喰うものだと言う。知恵が上がりそうだとしても、やはりこれに絡まる。去年あれをしなかったから、不幸にも息子が死んだと言う。習熟に纏われ、賢い人も阿呆なことをする。そんなことは皆淫楽慝礼である。節分の夜に笊を吊ると鬼が来ないと思っている。笊を怖がる鬼がどうして怖いものか。笊の目ほどに注意すれば、鬼も怖いことはない。余程の学者もどうしてか纏繞が取れない。蔦蔓が纏えば、松や杉も育たない。纏いを取れば育つ。直方が、手を縛っておいて脇差を抜けと言う様なものだと言った。纏繞を取らなければ知は上がらない。今の学者も盆祭りなどで、胡瓜の馬や何かの俗礼を笑いながらするが、それでも心の内は纏繞である。二百十日の前日に日待ちをするというのが無意味なこと。風もないからと言って当日に祝って休むのならわかるが、前日に日待ちをするのは、風のない様にと誰かに頼む筋のことである。その様な軽いことが何故近思録に載せてあるのかと言えば、俗礼は一在所へ掛かることも公儀へ掛かることもあって、学者もそれに被れて直せないことがあるからである。精霊棚もしなければ悪いだろうと思って設ける。仏は生民の耳目を塗ると言うが、それは押し塞がれたのである。
【語釈】
・纏繞…まといつくこと。
・淫樂慝礼…礼記楽記。「世亂則禮慝而樂淫」。同。「是故君子反情以和其志、比類以成其行。姦聲亂色、不留聰明、淫樂慝禮、不接心術、惰慢邪辟之氣、不設於身體」。
・在所…①村里。いなか。在郷。ざい。②生れ故郷のいなか。郷里。

自然脱洒。なぜか日が當らぬとて見たれば、上に蔭がありた。夫れを取たれば、よく日があたりて土もかわいてさっはりとなりた。百姓が木狹[こさ]をいやがるが尤なり。ををいがあれば土がじみ々々して物が育ぬ。学者も纏繞があれば、心がじみ々々して知がのだたぬ。これが張子の方で為にすること有て云たことゆへ、一副當の習熟は学問上で後段に云べきこと。夫をさきへ云たが発明なり。
【解説】
「便自然脱灑也」の説明。蔽いがあっては草木は育たない様に、心が蔽われていては知が育たない。
【通釈】
「自然脱洒」。何故か光が当たらないので調べて見ると、上に蔽いがあった。それを取ったら、よく光が当たって土も乾いてさっぱりとなった。百姓が木障を嫌がるのは尤もなことである。蔽いがあれば土が湿って物が育たない。学者も纏繞があれば、心が湿って知が育たない。これが張子の方で為にすることが有って言ったことで、一副当の習熟は学問上のことで、後段に言うべきことだが、それを先に言ったのが張子の発明なのである。
【語釈】
・木狹…木障。木陰のため耕作に不利な田畑地。またはその木や叢。こせ。

此の守得定と云が礼の正靣のこと。立於礼もそこなり。されともこの条は発明を先に云て、正面をば又の字あしらいなり。親の前へ足をなげ出しても親が痛くも痛くもないが、礼の自然でどふも出されぬ。百姓は、畠の中では親の前で胡坐をかくこともあろふが、業に草臥るから、是れは周公旦もゆるさう。それじゃ夫妻相敬如賓は秡群なことゆへ見出たもの。全体、礼は親の前へは足は出さぬことなり。心は孝行ても、足を出すとすまじきことをするゆへ、借りた金を返さぬになる。そこで礼は形できめるが大事なり。和僑と王戎が喪に鷄のこと、晉人礼をすてるなり。知惠があると礼をなぐる。曽点風になる。守得定ぬと形をすてる。季武子が死だに哥ふ。礼は心にかまわず形ですること。形でして心から出ぬ様に見えるから老荘がきろふが、礼の本来が心から出ると云ことを知らぬ。孔子の克己の跡へ復礼と云れたはうい々々しい様だが、礼と云字でよい。直方曰、礼は形なれとも、形でよし。丁と法花坊主の念佛を云ぬ様なもの、と。死ぬとも云ぬ。これ、守得定たもの。さて思もかけぬ様なれとも、よい弁なり。学者は礼の形を守ることぞ。迂斎曰、心を論ずれば日傭取も侍も挌別なことも有まいが、侍は腰物二本だけよい。足輕でも二本だけ腕に彫り物のある鳶の者よりよい。
【解説】
「又學禮、則可以守得定」の説明。「守得定」というのが礼の本来である。礼は形で決めることが大事だが、知恵があると礼を粗略に扱う。老荘も礼を嫌うが、彼等は礼の本来が心から出るということを知らないから嫌うのである。礼から見れば、侍は日傭取りよりも刀二本分だけよいと迂斎が言った。
【通釈】
ここの「守得定」というのが礼の本来である。「立於礼」もそれである。しかしながら、この条は発明を先に言い、本来のことを又の字あしらいにしている。親の前へ足を投げ出しても親は痛くも痒くもないが、礼の自然でどうも投げ出すことができない。百姓は、畠の中では親の前で胡坐をかくこともあるだろうが、業に草臥れたのだから、これは周公旦も許すだろう。そこで、「夫妻相敬如賓」は抜群なことだから、それを見出した。全体、礼は親の前へ足は出さないことである。心は孝行でも足を出すと、してはならないことをするのだから、借りた金を返さないのと同じになる。そこで礼は形で決めることが大事なのである。和嶠と王戎の喪中に鶏のこと。晋人は礼を捨てる。知恵があると礼を粗略にする。曾点風になる。守得定めないと形を捨てる。季武子が死んだのに歌う。礼は心に構わず形ですること。形でするので心から出ない様に見えるから老荘がそれを嫌うが、彼等は礼の本来が心から出るということを知らない。孔子が克己の後に復礼と言われたのは初心な様だが、礼という字でよい。直方が、礼は形だが、形でよい、それは丁度法華坊主が念仏を言わない様なものだと言った。死んでも言わない。これが守得定めたこと。さて、これは思いも掛けない様なことだが、よい弁である。学者は礼の形を守らなければならない。迂斎が、心を論じれば日傭取りも侍も格別な違いはないだろうが、侍は腰物二本だけよい。足軽でも二本だけ腕に彫り物のある鳶の者よりはよいと言った。
【語釈】
・立於礼…論語泰伯8。「子曰、興於詩、立於禮、成於樂」。
・痛く…牛窪蔵書では、「癢く」とある。
・夫妻相敬如賓…小学外篇善行。「龐公未嘗入城府、夫妻相敬如賓」。
・和僑…和嶠。
・王戎…晋の政治家。山東臨沂の人。竹林の七賢の一。隠士。234~305
・喪に鷄のこと…
・季武子…孟子尽心章句下37集註。「季武子死、曾皙倚其門而歌。事見檀弓」。


第九十七 須放心寛快公平条

須放心寛快公平以求之、乃可見道。況德性自廣大。易曰、窮神知化、德之盛也。豈淺心可得。
【読み】
須く心を放ち寛快公平ならしめて以て之を求むべく、乃ち道を見る可し。況んや德性の自ら廣大なるをや。易に曰く、神を窮め化を知るは、德の盛んなるなり、と。豈淺心して得可けんや。
【補足】
この条は、横渠の易説にある。

此章は汝為君子儒無為小人儒を一寸と爰へはさんで見ると两方がいきてくる。秀曰、此辨非等閑之事。覧者宜玩味。わるくすると君子儒と云者をは、なんても堅ひ貞實な者とばかり思ふ。世間で伊川を褒めそこなって、あの衆などは挌別なことで悔に行くには匍匐て行くと云た。知ぬからの褒そこないなり。此章子貢の様なものを戒たことでない。子夏の様なものを戒めたこと。篤実なものは下手律義に心得て、垩賢の道迠下手律義に建立するもの。今日論語を讀むにも知すりなものは知ずりに説く。行づりなものは行つりに説く。兎角得手へ落して恰好にゆかぬもの。
【解説】
この章は、子夏の様な篤実な者を戒めるものである。篤実な者は律儀に過ぎて、聖賢の道まで律儀ばかりで建立する。何事も得手方に落してはよくない。
【通釈】
この章は「汝為君子儒無為小人儒」を一寸ここへ挟んで見ると、その両方が活きて来る。秀が、この弁は等閑のことではない。皆はしっかりとこれを玩味しなさいと言った。悪くすると君子儒という者は何でも堅い貞実な者とばかり思う。世間が伊川を褒め損なって、あの衆などは格別なことで、悔やみに行くのに匍匐で行くと言った。知らないからの褒め損いなのである。この章は子貢の様な者を戒めたものではない。子夏の様な者を戒めたのである。篤実な者はなまじっかに律儀がよいと心得て、聖賢の道まで律儀ばかりで建立するもの。今日論語を読むにも、知に偏った者は知吊りに説く。行に偏った者は行吊りに説く。とかく得手へ落しては丁度に行かないもの。
【語釈】
・汝為君子儒無為小人儒…論語雍也13。「子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒」。
・等閑…物事をいい加減にすること。意を用いないこと。なおざり。おろそか。
・秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

孟子の放心は心の欠落したこと。爰は大きくすること。直方曰、番袋も小さく口をあけては物が這入らぬ、と。心を半分あけては垩賢の語が中へ這入らぬ。寛快はすぼらぬこと。寛は急迫のうらなり。急迫はせか々々する。せか々々するは律義な心があるからなり。寛ははばで云、快は快活とつづいて心の活てをること。はばが有ても活ぬは役に立ぬ。今云ふ、いつも々々々活々とした人じゃと云があるもの。それが快。公平は人我の別のなひ、道理なりにすらりとしたこと。我を立るは公平でない。横渠は勉厲な人で虎皮を去られたのが公平じゃと迂斎の云へり。横渠の正蒙は、ふと発明あれば夜も起て書た。すれば我のありそうな処を、易はをれより伊川がよい、善ひを聞けと云れたは公平ぞ。医者も、あれはをれが療治塲じゃと云ふは公平な心でない。誰でもよい医者へと云をふことぞ。寛快公平は放心の注ぞ。小書にしてもよいほどのこと。つまり心が小くては廣大な道が載られぬと云こと。
【解説】
心は寛快公平で大きくなければ聖賢の道を載せることができない。寛は幅が大きいことで、快は快活の快である。公平は人我の区別のないことで、道理の通りをすること。寛快公平は放心の注とも言うべきものである。
【通釈】
孟子の放心は心が欠落したことだが、ここは心を大きくすること。直方が、番袋も小さく口を開けては物が入らないと言った。心を半分開けただけでは聖賢の語が中へ入らない。「寛快」は凋まないこと。寛は急迫の反対である。急迫はせかせかする。せかせかするのは律儀な心があるからである。寛は幅で言い、快は快活と続いて心の活きていること。幅があっても活きなければ役に立たない。今、いつも活々とした人だと言うことがある。それが快である。「公平」は人と自分との区別がなく、道理の通りにすらりとしたこと。我を立てるのは公平でない。横渠は勉励する人だが、虎皮を去られたのが公平なことだと迂斎が言った。横渠の正蒙は、ふと発明があれば夜でも起て書いた。それなら我がありそうだが、易は俺より伊川がよいから、よい方を聞けと言われたのは公平である。医者も、あれは俺の療治場だと言うのは公平な心でない。何処でもよい医者の方へ行きなさいと言うべきである。寛快公平は放心の注となるもので、小書きにしてもよいほどのこと。つまり、心が小さくては広大な道が載らないということ。
【語釈】
・放心…孟子告子章句上11。「孟子曰、仁、人心也。義、人路也。舍其路而弗由。放其心而不知求。哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他。求其放心而已矣」。
・番袋…宿直物を入れる袋。また、雑多な物を入れる大きな袋。
・すぼらぬ…「窄る」が、①狭くなる。小さくなる。②衰える。不景気になる。
・虎皮を去られた…聖賢25。「尹彦明云、横渠昔在京師、坐虎皮説周易。聽從甚衆。一夕二程先生至論易。次日横渠撤去虎皮曰、吾平日爲諸公説者皆亂道」。

乃可見道。道は天地へ充滿したものなれとも、こちの見様で小くなる。坊主が憎さに袈裟迠と云は公平でない。鯀がわるけれとも、子に禹があれば天下も渡す。公平だから道を見らるる。道と云に癖はない。無声無臭にくせのあろふ筈はないに、老佛が、吾が心が虚無寂滅だから、道をも虚無寂滅と見る。夫は丁度酒醉が、吾が目がまわるから、人の家へ行て此の家はまわる家じゃと云様なもの。垩人の道を知ふとせば、寛快公平で道を見る。その上に德性廣大。拜領したものがたっふりしゃ、だたい廣大じゃと云こと。此章の爰の処も舊説の孟子の尽心を知性に合ふとみることぞ。前に載てあるぞ。易曰云々。易に斯ふ云語があるが、窮神知化は垩人のぎり々々。これがなんと淺心で得られうかとなり。淺心は上の放心にかけて云しゃによって、放心とは云なり。
【解説】
道は天地に充満しているが、こちらの見方次第で小さくなる。聖人は公平だから道を見ることができるが、老仏は自分が虚無寂滅だから、道もそうだと考える。聖人の道は心が寛快公平でなければ知ることができず、浅心では知ることができない。
【通釈】
「乃可見道」。道は天地に充満しているものだが、こちらの見方次第で小さくなる。坊主憎くけりゃ袈裟まで憎いと言うのでは公平でない。鯀は悪い人だったが、その子の禹には天下を渡された。公平だから道を見ることができる。道に癖はない。無声無臭に癖がある筈はないのに、老仏は自分の心が虚無寂滅だから、道をも虚無寂滅と見る。それは丁度酒酔いが、自分が目が回るから、人の家へ行ってこの家は回る家だと言う様なもの。聖人の道を知ろうとすれば、寛快公平で道を見なければならない。その上に「徳性自広大」である。拝領したものがたっぷりだ、広大だということ。この章のここの処も、旧説の「孟子謂尽心則知性知天」のことだと見なさい。それは前に載っている。「易曰云々」。易にこの様な語があるが、窮神知化は聖人の至極であり、これが浅心で得ることができようかと言った。浅心は上の放心に掛けて言ったことで、放心のことを述べているのである。
【語釈】
・鯀…中国古代伝説上の人物。堯の臣。顓頊の子、禹の父。治水に従うこと九年、功が挙がらなかったので誅されたという。
・無声無臭…中庸朱子章句33。「詩云、予懷明德、不大聲以色。子曰、聲色之於以化民、末也。詩云、德輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣。」。詩は、詩経大雅文王。
・舊説…為学83を指す。「孟子謂盡心則知性知天、以此」。
・窮神知化…易経繋辞伝下5。「易曰、憧憧往來、朋従爾思。子曰、天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮。天下何思何慮。日往則月來、月往則日來、日月相推而明生焉。寒往則暑來、暑往則寒來、寒暑相推而歳成焉。往者屈也、來者信也。屈信相感而利生焉。尺蠖之屈、以求信也。龍蛇之蟄、以存身也。精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。


第九十八 人多以老成則の条

人多以老成則不肯下問、故終身不知。又爲人以道義先覺處之、不可復謂有所不知、故亦不肯下問。從不肯問、遂生百端、欺妄人我、寧終身不知。
【読み】
人は多く老成すれば則ち肯[あえ]て下問せざるを以て、故に身に終うるまで知らず。又人の道義の先覺を以て之を處し、復知らざる所有りと謂う可からざるが爲に、故に亦肯て下問せず。肯て問わざるにより、遂に百端を生じ、人我を欺妄し、寧ろ身を終うるまで知らず。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。

此章は東銘の意と合点すること。白毛天窓であの若ひものにきかれまひと云と、一生知の上ることはない。此坐でも佐左ェ門などは下問に耻ぬがある。長藏や文七にもよく物をきく。孔文子を文と云も下問に耻ぬからなり。不挾長友たりなり。挾ぬはよいが、下問に耻ぬが方々へ出ると佐左ェ門も文と云諡なり。学問のことでは若くても叶ぬと思ておるから問うが、今に役人を仕ておるなら、そこへ近村の若ひ役人が来ると早下た目に見る氣になるもの。心の高ぶりとかさにかかる。氣はぬけにくいもの。夫で滅多に文と云諡はならぬ。これほどにつめれば近思録上の吟味なり。万端に夫が出るとよほどよい。そうゆかぬ内は自誣誣人。やっはり愚のうちなり。ここが東銘の意の処。
【解説】
「人多以老成則不肯下問、故終身不知」の説明。下問を恥じてはならない。これについては論語にも孔文子のことがあり、孟子には「不挾長而友」とある。下問を恥じる様では「自誣誣人」である。
【通釈】
この章は東銘の意だと合点しなさい。白髪禿げ頭であの若い者に尋ねることはできないと言えば、一生知が上がることはない。この座でも佐左ェ門などは下問を恥じないところがある。長蔵や文七にもよくものを聞く。孔文子を文と言うのも下問を恥じないからである。「不挾長而友」である。挟まないのはよいが、下問を恥じないのが方々へ出ると佐左ェ門も文という諡となる。学問のことでは若者でも自分より優れていると思うから問うが、今、役人をしていれば、そこへ近村の若い役人が来ると直ぐに見下す気持ちになるもの。心の高振りで笠にかかる。気は抜け難いもの。そこで滅多に文という諡は付けられない。これほどに詰めれば近思録上の吟味となる。万端にそれが出るととてもよい。その様にできない内は「自誣誣人」。やはり愚の内である。ここが東銘の意の処。
【語釈】
・佐左ェ門…
・長藏…鈴木(鵜沢)恭節。通称は長蔵。黙斎門下。寛政元年(1789)、黙斎の推薦で館林藩主松平侯の儒臣となる。1762~1830
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。
・孔文子を文と云…論語公冶長15。「子貢問曰、孔文子何以謂之文也。子曰、敏而好學、不恥下問、是以謂之文也」。孔文子は衛の大夫。仲叔圉。論語憲問20では「仲叔圉治賓客」とあり、外交に優れる。
・不挾長友たり…孟子萬章章句下3。「萬章問曰、敢問友。孟子曰、不挾長、不挾貴、不挾兄弟、而友。友也者、友其德也。不可以有挾也」。
・自誣誣人…為学89。東銘の「失於聲繆迷其四體、謂己當然、自誣也。欲他人己從、誣人也」を指す。

以道義先覚云々。先覚は兄弟子の、師匠の子のと云様なもの。先年先生にはあの先生へ御出の時のあの文義のことと云れても、知らぬとも云れずぐにゃ々々々しておる。淺見先生へ御出なされたが、物の弁はどふでござると云れても、すまぬから間に合を云。爰も東銘なり。すまぬことを済んだにしてをる。夫が愚にをちる。実でないことを戒るが東銘なり。
【解説】
「又爲人以道義先覺處之、不可復謂有所不知、故亦不肯下問」の説明。わからないことをわかったことにするのが愚に落ちるということ。実でないことを戒めるのが東銘の意である。
【通釈】
「以道義先覚云々」。先覚とは、兄弟子とか師匠の子という様なもの。先年、先生があの先生の所へ御出になった時のあの文義はどう様なことかと問われても、知らないとも言えないので間に合わせを言う。浅見先生の所へ御出なされたが、物の弁はどうでしたかと言われても、わからないから間に合わせを言う。ここも東銘の意である。済まないことを済んだことにしている。それが愚に落ちる。実でないことを戒めるのが東銘である。
【語釈】
・物の弁…浅見絅斎の物説。

遂生百端。きけばなんのこともないにさま々々疑がをこりて欺妄人我。爰らは全く東銘に合ふぞ。すまぬことをぐにゃ々々々に云て仕廻ふはわるい心術ぞ。寧の字が常の二つ取りの時の弁とちごふぞ。迂斎の正月の詩に、民の訛言寧無休を引れた。直方曰、寧はでもと云こと。終身不知。吾が知らぬことを知たやうに、人への見へに知らぬをかくす。一生それでをしてとをるはひだるいをかくす様なもの。何んと飯を参らぬかと云ても、腹はぐう々々鳴るに、いいや々々々と云。食事のことでは皆も笑へとも、知惠のことになると此様な馬鹿もある。笑ふことでない。
【解説】
「從不肯問、遂生百端、欺妄人我、寧終身不知」の説明。問えば何でもないのに問わないから様々な疑いが起こって人我を欺妄することとなる。知らないことを知った振りをして通す者が多い。
【通釈】
「遂生百端」。問えば何でもないのに問わないから様々な疑いが起こって「欺妄人我」となる。ここ等は実に東銘で言う通りである。済まないことを間に合わせで言って通すのは悪い心術である。寧の字は通常の二つ取りの時に使う言い方とは違う。迂斎が正月の詩に、「民之訛言寧莫之懲」を引用された。直方が、寧はでもということだと言った。「終身不知」。自分が知らないことを知った様にして、人への見栄で知らないことを隠す。一生それで押し通すのは空腹を隠す様なもの。どうぞ飯を食べなさいと言われても、腹はぐうぐう鳴るのに、いやいやと言う。食事のことでは皆も笑うが、知恵のことになるとこの様な馬鹿もいる。笑ってはいられない。
【語釈】
・二つ取り…二つのうち、どちらか一つを強いて選び取ること。
・民の訛言寧無休…詩経小雅正月。「民之訛言、寧莫之懲」。
・ひだるい…ひもじい。空腹である。


第九十九 多聞不足以尽天下之故条

多聞不足以盡天下之故。苟以多聞而待天下之變、則道足以酬其所嘗知。若劫之不測、則遂窮矣。
【読み】
多聞は以て天下の故[こと]を盡くすに足らず。苟も多聞を以てして天下の變を待たば、則ち道は以て其の嘗て知る所に酬ゆるに足る。若し之を不測に劫[おびやか]さば、則ち遂に窮せん。
【補足】
この条は、張子全書の拾遺にある。

多聞は事知りのこと。直方の、事知りより理知りがよいと云た。帳に付て覚て居たことゆへ用に足ることもあるが、天下のことを尽すには足らぬ。名医は医書にない病人もなをす。理を知りたゆへなり。上て天下之故と云たは、見た形りを云こと。爰の天下之変とは事変のこと。御定でないことの出きたこと。夫さへ帳靣に有るたけのことはうろたへぬが、帳靣の外が来ると早こまる。爰の道の字はかるひこと。仕方のことなり。ヶ様なことの有るはどふと伺の出たときに、帳にないとこまってをる。夫では役に立ぬ。理でさばくがよい。
【解説】
多聞とは物事をよく知っていることだが、それよりも理を知る方がよい。多聞では、変事が起きるとそれに対処することができない。
【通釈】
多聞とは事知りのこと。直方が、事知りより理知りの方がよいと言った。帳面に付けて覚えておいたことだから用が足りるということもあるが、天下の故を尽くすには、それでは足りない。名医は医書にない病人も治す。理を知っているからである。上で「天下之故」と言ったのは、見た通りの姿のこと。ここの「天下之変」とは事変のこと。御定まりでないことが起こったということ。帳面にあるだけのことなら狼狽えないが、帳面以外のことが来ると早困る。ここの道の字は軽い意味であって、仕方のこと。この様なことがあるのは何故かと尋ねられた時に、帳面に載っていないので困っている。それでは役に立たない。理で捌くのがよい。

若劫之云々。多聞と云も一つ角と押し通らるるものゆへ、これを云たもの。寐耳に水と云た様なとき、とんとこまる。然れば、人は知を磨くことなり。どこ迠も医者の譬がよい。急病のとき、下手はこまる。学者知あればなんのことはない。致知挌物が大事なり。一旦豁然のときは何でもなる。医書に竒病の、急救方のと云が、本とは名医の胸からしたこと。今では方も論もあるが、初手した人は医が至極に成りたからのこと。理と云が限りないものゆへ、知と云ふ限りないものでさばくことなり。そこで、智は欲圓也。
【解説】
寝耳に水では悪い。人は知を磨かなければならず、学者には致知格物が重要である。限りない理を限りない知で捌くのである。
【通釈】
「若劫之云々」。多聞が優れたことだと押し通られているのでこの様に言った。寝耳に水と言う様な時にすっかりと困ってしまう。そこで、人は知を磨かなければならない。何処までも医者のたとえがよい。急病の時に下手な医者は困ってしまう。学者も知があれば何と言うこともない。致知格物が大事である。一旦豁然の時は何でも成る。医書に奇病や急救方のことが書かれているが、それは本来名医の胸からしたこと。今では処方も論書もあるが、それを初めてした人は医が至極になっていたので、それができたのである。理とは限りないものだから、知という限りないもので捌くのである。そこで、「智欲円」と言う。
【語釈】
・一つ角…一角。ひときわすぐれていること。ひとかど。かなり。
・一旦豁然…大学章句5。「所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在即物、而窮其理也。葢人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也。是以大學始敎、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。此謂物格。此謂知之至也」。
・智は欲圓也…為学40の語。「智欲圓而行欲方」。

講後先生曰、下問を耻るのこと、兎角心術のことなり。又一種下問を耻ぬを株にする心術があるもの。これは却て高ぶりなり。医者などが、あの病のことは忰には私が及ぬと云があるもの。至極の高ぶりなり。文七云ふ。多聞不足以尽天下之故。直方先生が多聞で政をすればよくさばけるでもあろふが、燈に油のある内、あかりのする様なもの。油なくなる、早まっくらになると仰られた、と。先生曰宜記之。
【解説】
下問を恥じる恥じないとは心術のこと。そして、下問を恥じないのを株にする者もいるが、それは高振りである。多聞なら政もよく捌けるだろうが、それは知っている範囲内だけでのことだと直方が言った。
【通釈】
講後に先生が言った。下問を恥じる恥じないは、とかく心術のことである。また、一種下問を恥じないことをお株にする心術もある。これは却って高振りである。医者などが、あの病のことは忰に私は及ばないと言う様なことがあるもの。それは高振りの至極である。文七が言った。直方先生が「多聞不足以尽天下之故」を、多聞で政をすればよく捌けるだろうが、それは灯に油のある内は明るい様なもの。油がなくなれば早、真っ暗になると仰せられた、と。先生がしっかりとこれを記せと言った。
【語釈】
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。

惟秀按為天地立心章有俯仰於天地宇宙之意。批云。盖言仰而天地與去垩俯而生民與萬世之意歟。亦自為字発出。要之有擔當承當十分尽頭餘地。
【読み】
惟秀按ずるに、天地の為に心を立つの章は天地宇宙に俯仰するの意有らん。批して云う。蓋し、言は仰ぎて天地は去聖に與し、俯して生民は萬世に與するの意か。亦、為の字より発出す。之を要するに擔當承當十分尽頭の餘地有り。
【解説】
惟秀は、為天地立心の章が天地宇宙に俯仰する意があると考え、黙斎は、仰げば天地が去聖に重なり、俯せば生民が萬世に重なる意があると考えた。
【通釈】
惟秀が考えるには、為天地立心の章は天地宇宙に俯仰する意があるだろう。これを黙斎が批評して言った。この言は、仰げば天地が去聖に与し、俯せば生民が萬世に与するという意だろうか。また、これは為の字から出たこと。之を要約すれば担当承当の場で十分に考える余地がある。
【語釈】
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812
・俯仰…下を向くことと上をあおぐこと。
・尽頭…頭を尽くす?